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なお、これはわたしが個人的にテレビを見て書いたものであり、各テレビ局や番組とは全く関係はありません。
すべての文章の無断使用・転載を禁止いたします。
またここの情報を使って、何か問題が起こったとしても私は一切責任は持ちませんのであしからず。


テレビ番組「今だから安くて快適!全てコミコミ、30万円で世界一周の旅」

 2010年12月19日放送。3名が関西空港から参加した。丘みつ子(62歳)は世界20カ国あまりの旅行経験を持つ。藤吉久美子(49歳)は、4カ国だが、どんな食べ物や体験でも自信あり。脇知弘(30歳)は3回海外経験だが、体力とどこでも寝られる図太さが自慢。15日間で格安航空会社(LCC)を利用して世界一周をする企画。
 格安航空会社は基本的にネット予約。金額は予約日、搭乗日によって変動する。航空運賃、サーチャージ含む、宿泊費、食費、交通費、観光&体験費を全て含んで30万円。お土産は個人負担。レートは12月10日のレートで計算。テレビ東京製作。

●予定
 1日目、関西空港17:00発⇒台北18:40着。2日目、台北15:55発クアラルンプール(マレーシア)20:35着。3日目22:00発⇒バンガロール(インド)23:30着。5日目、バンガロール4:00発⇒ジャルジャ(アラブ首長国連邦)6:35着。ドバイ泊。6日目、ジャルジャ発10:30⇒アレクサンドリア(エジプト)12:45着。7日目、カイロ発11:35⇒アテネ(ギリシャ)着13:35.アテネ発18:00⇒ミラノ(イタリア)着19:35。ミラノ泊。9日目、ミラノ発8:35⇒フランクフルト(ドイツ)9:55着。10日目、フランクフルト10:15発⇒カンクン(メキシコ)15:10着。12日目、カンクン発11:50⇒ニューヨーク16:32着。14日目、ニューヨーク発12:45⇒成田空港17:00着。

●台北
 ジェットスターで行きました。機内食は有料。台北までは3時間、運賃は16150円(サーチャージ4650円含む)。
 台北は人口261万人。通貨は元で1元=2.76円でした。言語は北京語、福建語、客家語。台湾北部にあるアジア屈指のグローバル都市。日本との時差はマイナス1時間。滞在予定は21時間。
 大有巴士のバスが台北駅まで90元。そこからホテルのある西門までは路線バスを勧められた。307、262、212、237番らしい。262番に乗るが、シーメンティンと言っていたら乗客が降りる場所を教えてくれました。車内放送はありません。
 宿泊は「国光大飯店 Good Ground Hotel 」。女性2人はツインで1人2465円でバスタブもついている。夜11時、西門駅からMRTで雙連駅に向かう。料金は20元で、プラスチックの硬貨のようなチケット。
 寧夏路夜市に行く。60年の歴史を持つ夜市。明け方までやっているお店もあるとか。大腸麺線(モツ入りラーメン)100元(約280円)。「猪肉餡餅」(豚肉入りお焼き)30元(約80円)。鶏唐揚げなどで、一人平均295円でした。
 エビ釣りをする。釣りざお7本で100元(280円)。尻尾から吊り上げるのがコツ。3匹しか釣れなかったので、3匹サービスしてくれて塩で調理して食べました。
 足裏マッサージのお店に行き、10分のコースはないが、無理やりやってもらった。200元(約550円)。

 朝食はホテルの近くで。湯豆漿15元、鮮肉包12元、蛋餅20元、油條で、一人約110円。  中正祈念堂までMRTで20元。朝9時扉が開き、中には蒋介石の像がある。1時間に1度、衛兵の交替式がある。
 MRTで雙連駅に向かう。20元。問屋街の油化街に行く。お土産は自己負担だが、藤吉さんは、乾燥ホタテ2個、花茶5袋、乾燥椎茸で2250元(約6210円)購入。「霞海城隍廟」はたくさんの神様が祀られている場所。イケメンガイドはボランティアで日本語で説明してくれました。義勇公像が旅の安全を守ってくれる神様。
 またMRTで中正祈念堂駅まで行き、小籠包で有名な鼎泰堂に行く。今回は普通の小籠包(10個190元)と贅沢なカニ味噌入り(10個330元)、野菜と豚肉入り蒸し餃子(10個180元)。以上一人約710円。
 リムジンバスで空港へ。90元(約250円)。ここまでの合計4998円で、累計21148円。

●クアラルンプール
 エアー・アジア2673便。かなりの行列で、2時間後にやっとチェックイン。3時間でサーチャージ1696円を含み14951円、合計36099円。
 人口180万人。通貨はリンギット(=26.73円)。言語はマレー語で、マレー半島南部にあるマレーシアの首都。LCC専用ターミナルに午後8時半に到着。台湾との時差はなし。滞在予定時間は25時間30分。
 エアーアジアのリムジンバスで市内へ。9リンギ(約241円)で、チケットは車内でも買えるが、航空チケットをネットで買うときに一緒に買うこともできる。ホテルのあるKLセントラル駅まではバスでおよそ1時間。
 宿泊は「ホテル・セントラル・クアラルンプール」。料金は1人2254円で朝食付き。11時に外にでて食べることにしたが、あまり開いてない。フロントで、モノレールに乗ってブキッピンタン駅で降りるといいと聞いた。モノレールは2.1リン(約56円)。深夜までやっている屋台街「ジャランアロー」がある。マレー料理、中華なども楽しめる。「スパイシー・チキンライス」7リンギ(約190円)。空心菜炒め、10リンギ(約270円)。焼きそば、6リンギ(約160円)。ライス・ポーリッジ(お粥)10リンギ(約270円)。飲み物を入れて、一人平均約410円。

 翌朝、電車でマスジット・ジェメ Masjid Jamek 駅に向かう。1.3リンギ(約35円)。KLセントラル駅から2つ目の駅でした。駅を出たところに身なりの禁止事項が書いてあるが、行った場所で借りることができる。
 モスクが美しい「マスジット・ジャメ」は、クアラルンプールで最も古いイスラム教の寺院。髪を隠して衣服をまとうと中に入れてくれました。通常は信者でないといれてくれないとか。メッカに向かって5回礼拝しました。

 ゾウに無料で乗れる場所があるが、そこにタクシーで行こうとすると、チャーターなら600リンギ(約1.6万円)といわれる。450(1.2万円)まで値切った。日本語ができる運転手でした。まずは「バトゥー・ケーブ」(ヒンドゥー寺院)。高さ43mの像がお出迎え。そこの足元に急な階段が272段ある。途中でサルがいた。遠くに街並みがきれいに見えていました。ここは自然の洞窟がそのまま聖地になっている。マレーシア随一のヒンドゥー教の聖地で、巨大な洞窟であり、奥の寺院には聖者スプラマニアンが祀られている。お布施は1リンギ(約27円)。第3の目に印をつけてもらった。神聖な儀式に参加。目の前で次々と香が焚かれていく。さらに階段を上がると空が見える場所にでた。灯明を捧げてお祈りをした。

 昼食は運転手さんに連れて行ってもらった竹の中にご飯の入っている料理の屋台。「レマン」6リンギ(約160円)は斧で割って出す。もち米をバナナの葉で包み、竹にココナッツミルクを入れて炊いたもの。他には野菜とバナナの天婦羅4個で、1リンギ(約27円)。豆カレー5リンギ(約130円)。一人約370円でした。

 ゾウの保護施設「クアラ・ガンダ・エレファント・サンクチュアリ」に行く。森林開発が進み、行き場を失って人里に降りてきたゾウを保護し、飼育している施設。ゾウに餌を与えることもできます。さらにゾウに3人で乗りました。ワキさんはゾウに川に落とされました。
 タクシーでメダン・トゥアンク地区に連れて行ってもらい、別れた。時刻は午後5時半。庶民的なお店を散策。スカーフを止めるピンが7個で10リンギ(約270円)。

 マスジット・インディア街で夕食。「ロティチャナイ」1リンギ(約27円)はカレーなどにつけて食べるインドのクレープ。「ナシチャンプル」6リンギ(約160円)。「イカンプジャ」9.5リンギ(約250円)は焼いたアジ。「ミースープ」4リンギ(約110円)は麺が入ったスープ。夕食は1人約380円でした。
 リムジンバスは1人9リンギ(約241円)で空港に向かう。以上8069円で、累計44168円。

●バンガロール(インド) Bangalore
 マレーシア航空でインド南部の都市バンガロールに向かう。サーチャージ8003円を含んで21889円。合計66057円。フライトは4時間。
 人口620万人。通貨はルピー(=2.03円)。言語はヒンディー語。インド第3の人口を誇る都市で、カルナータカ州の州都。到着は午後11時半。クアラルンプールとの時差は2時間半。滞在予定時間は28時間30分。リムジンは不便なので、タクシーを利用。市内までは1時間。料金は570ルピー(約1160円)。
 ホテルは「パイヴァイスロイ・ホテル」。455号室で少し匂うらしいが仕方ない。1人3495円、朝食付き。

 タクシーでシヴァジナガル・マーケットに行こうとするが、黄色のタクシーはなかなか止まらないし、言葉を理解してくれないのですぐに去ってしまう。オートリキシャが止まってくれた。運転が怖いそうです。100ルピー(約200円)でした。
 市場に入ると果物が多い。釈迦頭があるが、こちらではアテモヤと呼ばれている。羊の肉もあるし、魚もエビもありました。
 オートリクシャーに乗り、40ルピー(約80円)で、アーユルヴェーダ医院「ウヴァス Uvas 」に行く。アーユルヴェーダは単なるエステではなく、5000年の歴史があるインドの伝統医学。アーユルヴェーダ専門医プリア先生が担当で、1人1時間3500ルピー(約7100円)だという。問診を受けた後、肩のコリを訴えた藤吉さんはシロダーラ?という油を額に落とすもの。熟睡できないという丘さんは蒸気で発汗を促してから、伝統的なマッサージ。1時間後、丘さんは目つきが変化していました。
 ヤシの実からジュースを飲む。15ルピー(約30円)。

 アディガス・ジャイナガールで昼食。カレーを食べている人が多い。ドーサを注文。これは豆と米の粉で作った生地を焼き、カレー味のジャガイモを包んだクレープのようなもの。「マサラドーサ」セットで27ルピー(約55円)。あとは豆とカレーかな?飲み物を入れて、一人約90円。
 オートリクシャーで移動。30ルピー(約60円)。バンガロールで最も古いお寺の一つ、ビッグ・ブルー・テンプル(ブルー寺院)に到着。裸足の人が結構いる。ここはヒンドゥー教の寺院。週末には演奏会や結婚式が行なわれる人気スポット。入る前に裸足になる。寺院の奥には、ミカゲ石で作られた牛の神様「ナンディー」が祀られている。シヴァ神の乗り物を引く聖なる牛です。
 オートリクシャーで移動。40ルピー(約80円)。クリシュナ教という新興宗教のイスコン寺院は夜になると赤、緑などにライトアップされてきれい。クリシュナはヒンドゥー教の中でも人気の愛の神様。60年代にヒッピーたちが広め、ビートルズのジョージ・ハリスンなども信仰していた。左がクリシュナ、右が恋人、しかも人妻。ここではロウソクを回して祈るのが特徴。

 レストランMTRで夕食。ターリという南インドの定食。ライスと野菜を混ぜたもの。食べ放題です。「カレーセット」140ルピー(約280円)。最後にビニールに入った葉っぱが配布された。これは「スイートバーン」といって、食後の胃の消化を助けるもので、香辛料を包んだもの。チューインガムのように噛むそうです。
 以上、9521円、累計75578円。

●ドバイ
 ドバイにはLCCが飛んでいないため、お隣のシャルジャに向かう。午前2時に「エアー・アラビア」のカウンターにチェックイン。バンガロールからはサーチャージ6919円を含み16083円。合計81661円。4時間30分の旅。午前6時35分に到着。
 バンガロールとの時差はマイナス2時間半。滞在予定時間は28時間。ドバイまではタクシーで1時間。途中ラクダなどが砂漠にいました。料金は160ディラハム(約3770円)。
 ドバイは人口226万人。通貨はディラハム(=約23.54円)。言語はアラビア語。アラビア半島にある中東屈指の金融センターで、石油に頼っていない。
 宿泊は「マジェスティック・ホテル」。料金は1泊1人5507円で朝食付き。内装などはかなりいいです。
 タクシーでゴールド・スーク(金の市場)に向かう。30ディラハム(約710円)。金のお店がズラリと並び、金色に輝いています。
 スパイス・スークに歩いていく。丘さんはナツメグ1個5ディラハム(約120円)を購入。藤吉さんはカレーパウダー6個、ナグメグ10個、サフランを300ディラハム(約7060円)にまけてもらいました。

 ドバイの街中を流れる運河を渡る。1ディラハム(約24円)。渡った先はパキスタヤ地区で歴史的保護地区。ここの「ローカルハウス・カフェ&レストラン」で昼食を食べる。「ラクダ・バーガー」35ディラハム(約830円)は、食用に育てられているラクダで、味はシッカリしているとか。
 砂漠ツアーに参加。一人200ディラハム(約4693円)。4WDの車で砂漠を猛スピードで疾走するというもの。タイヤの空気を少し抜きました。かなり怖いらしくて、プライベート・ジェットコースターと言ってました。ラクダに餌をあげて、3時間のツアーが終了。
 世界一高いビル「バージュ・ハリファ」(高さ828m)は今回は行けなかったが、事前予約料金の入場料は100ディラハム(約2350円)。

 夕方、運河?に行くと既に人が集まっている。「ドバイ・ファウンティン」が始まる。ライトアップされた噴水と音楽で楽しみました。ラスベガスをしのぐ世界最大級の噴水ショーだそうです。
 「アルハンダール」で夕食。「ミックスグリル」はラムとチキンで、50ディラハム(約1180円)。これは美味しいそうです。
 横で水ハイプ(シーシャ)を吸っている人がいた。料金は30ディラハム(約700円)。飲み物を加えて1人1650円でした。

 ここまでで、16144円、累計107805円。

●アレクサンドリア
 シャルジャからエジプトに向かう飛行機が2時間遅延しました。4時間の旅で、サーチャージ4697円を含み、9279円。累計117084円。
 ドバイとの時差マイナス2時間。滞在予定時間は20時間。空港からアレクサンドリア駅までタクシーを利用。55エジプトポンド(以下EP)(約790円)。

●カイロ
 急行列車で3時間。一人35EP(約500円)。
 人口1100万人。通貨はエジプトポンド(=約14.41円)。言語はアラビア語。エジプトの首都で、ナイル河畔の交通の要所。地中海の香りと東洋の魅力がミックスした町。
 カイロからピラミッドまで1時間。到着すると暗くなっていました。しかし、ピラミッド・ナイトショーというのを発見し、行ってみることにした。スフィンクスと周辺がライトアップされ、音楽が流れていました。「ピラミッド光と音のショー」一人75EP(約1080円)。この日はフランス語でしたが、毎週木曜日には日本語で見ることができます。

 カイロ市内の「アルガファリ・コシャリ」で夕食を食べる。この店の名物「コシャリ」は、7EP(約100円)で、米、パスタ、ヒヨコ豆などを盛り合わせ、揚げたタマネギをのせ、トマトソースをかけていただくエジプト庶民の味。夕食はこれと飲み物で一人170円。

 宿泊は「ファラオドッキ・ホテル」。ツインなのに何故かベッドが3つ。1人2779円で朝食付き。
 ホテルからカイロ空港へはタクシーを利用。40EP(約580円)。藤吉さんは明るいうちにピラミッドを見たいと言ったが拒否されました。

 以上、5281円、累計122365円。

●ミラノ
 エージアン・エアーでアテネ経由で飛ぶ。機内食がでたので、1食浮きました。さらにミラノまでもエージアン・エアーだったので、もう1食節約できました。サーチャージ8673円を含めて18141円。累計140506円。
 ミラノは人口130万人。通貨はユーロ(=約112.42円)。言語はイタリア語。イタリア・ファッションの発信地で、ロンバルディア州の州都。マルペンサ空港に午後7時50分に到着。
 カイロとの時差マイナス1時間。滞在予定時間は37時間。市内の中央駅まではシャトル・バスで1時間、7.5ユーロ(約840円)。
 中央駅からホテルまではタクシーで12ユーロ(約1350円)。
 宿泊は、「フローレンス・ホテル・ミラノ」で、1人3712円で朝食付き、2泊します。

 翌朝、地下鉄ロレート Loreto 駅からドゥオーモに向かう。1日乗り放題券が3ユーロ(約340円)。赤い路線のM1に乗る。駅をでると目の前にドゥオーモがある。雨でも多くの観光客で賑わっている。1386年に着工してから500年かけて完成した。これはミラノのシンボルで、イタリア最大のゴシック様式の大聖堂。ドゥオーモの中はテレビの撮影ができないので、藤吉さんがカメラで撮影した。ステンドグラスが美しい。この日は日曜日で礼拝が行われていました。
 広場の北にあるガッレリアに行く。
 散策した後に「カフェ・デルオペラ」に入る。ジェラート(ピスタチオ)1.5ユーロ(約170円)。クロワッサン4ユーロ(約450円)。屋台?の焼き栗を3ユーロで購入。
 「サンタマリア・デッレ・グラッツィエ教会」に行く。2週間前に予約しないと見られませんというようなことが書いてあり、見ることができませんでした。仕方なく、絵ハガキで我慢。
 仕方なく、かつて運河があった場所に行ってみた。ナヴィリオ運河は、冬は水門を閉めてしまうので、水がほとんどなくなっていました。
 運河沿いに見つけたのは、デザイナーズ・ショップ。キットになっていて、素材を買った方が安い。かつミシンが置いてあるので、二人は購入して自分で縫っていました。1時間半後に完成。ハンドメイド・バッグは2個で70ユーロ(約7870円)。

 夕食はトラムのレストラン。一人65ユーロ(約7310円)。前菜は各々「サーモンのマリネと大根サラダ」、「フェタチーズとオリーブのトマトサラダ」、「チーズとベーコンのバルサミコソース添え」。これにシャンパンがつきました。メインは「アンチョビ・トマトソースのカジキマグロ三角パスタ」、「バジルソースのラザニアグラタン」、「バジルソースのラザニア・グラタン肉入り」。

 以上、20558円で、累計は161059円。

●フランクフルト
 ミラノ・ベルガモ空港から朝8時半のフライトなので、朝6時半に到着。ライアン・エアーで飛ぶ。サーチャージなし+538円+委託手荷物代など4497円で合計166094円。1時間半の飛行時間。
 人口67万人、通貨はユーロ、言語はドイツ語。ベルリンに次ぐ第2の都市で、ドイツの鉄道・金融の中心地。到着したのはフランクフルト・ハーン空港で、LCC専用の空港。ミラノとの時差はなし。滞在予定時間は23時間。リムジンバスはフランクフルト中央駅まで12ユーロ(約1350円)で航空運賃よりも高い。時間は2時間かかる。

 宿泊はホテル「エクセルシオール」で、午後1時にチェックイン。1人3630円で朝食付き。小さいながらバスタブがついている。夕食まで休憩。
 夕食はレストラン「アーシェル Atschel」(住所:Wallstrasse 7, 60594 Frankfurt)。お勧めを聞いたらわからないので、ウンウンと言っていたら、すごいのがでてきた。「グリルドハクセン(ナックルという豚の足?)」9.6ユーロ(約1080円)。ビーフソーセージ、フランクフルトソーセージの「フランクフルター・ベストシェン(キャベツの漬物の上にのったソーセージの盛り合わせ)」7.8ユーロ(約880円)。「グリーネソーセサラード(茹でたジャガイモのグリーンソース・サラダ)」7.6ユーロ(約850円)。飲み物をつけて、夕食は1人1610円。

 以上、7610円で、累計は173704円。

●カンクン
 コンドール航空で飛ぶ。サーチャージ10006円を含めて、41481円。累計は215185円。飛行時間は12時間。機内食は無料。
 人口57万人。通貨はペソ(=約7.73円)。言語はスペイン語。メキシコ南東部、カリブ海沿岸の一大リゾート。午後3時過ぎに到着。
 フランクフルトとの時差はマイナス7時間。滞在予定時間は45時間30分。ホテルまでのタクシー料金は1人15ドル(約1270円)。雲っているのに海は本当にきれいな青でした。
 宿泊は「カンクン・マヤフェアー・デザイン・ホテル」。元はショッピング・モールだったが閉店したので、安くホテルに改装したもの。入口のドアの横の壁はスリガラスだし、中は広いがトイレの扉はない。店の名前もそのまま残してある。宿泊費は1人1980円。

 夕食は向かいの高級ホテルにある有名レストラン「ラホーヤ」に行く。日本語のメニューもあるが、高い。サラダだけで1000円以上する。ただバナナとパンは無料で食べ放題なので、1品ずつ注文する。丘さんはシーザーサラダ135ペソ(約1040円)、脇さんは黒豆スープ130ペソ(約1010円)、藤吉さんはアーティーチョーク・サラダ135ペソ(約1040円)。このお店の呼び物は食事をしながらのショータイム。ショーチャージは一人5ドル。本場のマリアッチも目の前で演奏してくれる。ベサメ・ムーチョを歌った人の声に感動して藤吉さんはメロメロ。夕食は一人あたり約2295円。

 翌朝、カンクンから南に100kmのマヤの遺跡に向かう。バス料金はTulum まで86ペソ(約668円)。タコスを朝食にいただいた。20ペソ(約155円)。飲み物が約55円。
 トゥルムまではバスで1時間半。トゥルム遺跡入場料は1人51ペソ(約394円)。森の中に遺跡があるが、スペイン人はこの城壁を見て、この地に上陸したという。横には海があり、青色の見事がグラデーション。
 イグアナもいました。またバスでカンクンに帰る。86ペソ。

 カンクンでマリン・スポーツをしてみる。今回はパラセーリングで1人55ドルで2人。空から素晴らしい景色が見えました。海の色の変化もありました。
 夕陽が沈むのを見ながら食事をしたいというので、「ミスターパパ」に入る。テリヤキチキンがあるが、あきらめて、「ミスターパパ特製ベイクトポテト」89ペソ(約690円)、お酒のダメな脇さんはマンゴジュース、女性はラム・ベースのお酒。

 以上、14364円で、累計229549円。

●ニューヨーク
 ジェットブルーで飛びました。サーチャージ4766円込みで14617円。累計244166円。飛行機で3時間の旅。
 人口830万人。通貨はドル。言語は英語。ビッグ・アップルの愛称で知られ、アメリカ最大の都市。カンクンとの時差はプラス1時間。最大滞在時間は44時間で、JFK空港に到着したのは夕方。  シャトル・バンでホテルに向かう。料金は11.36ドル(約960円)。
宿泊はマンハッタンの外。今回はクイーンズの「クオリティーイン・ウッドサイド」。一人7121円、朝食付き。
 地下鉄で移動。料金は2ドルで、クイーンズの52ストリート駅からマンハッタンの103ストリート駅へ。ブロードウェイのジャズクラブ「スモーク」。ここはミニマム・チャージ40ドルなので、「バッファロー・チキン・ウィングス」$14、「パフパストリーピザ」12ドル、「ワイルド・マッシュルーム・ラビオリ」12ドルと飲み物を注文。音楽を楽しみました。

 翌朝は地下鉄1日券を8.25ドルで購入した。ユニオン・スクエアに行って、そこの朝市の有機野菜を見る。ニューヨークはリンゴの産地でもある。FUJIもありました。アップルサイダーは1.5ドル。
 「ル・パーカー・メリディアン・ホテル」に行く。このホテルの中に有名なハンバーガー屋さん「バーガー・ジョイント」がある。メニューはハンバーガーと「チーズバーガー」7.35ドルだけ。あとフレンチフライと飲み物で一人1130円。

 無料で自由の女神を見に行く。まず地下鉄でバッテリーパークに行く。「スタッテン・アイランド・フェリー」に乗る。これが無料。自由の女神の近くを通過します。確か帰りに25セント必要なはず。
 ブルックリン橋プロムナードに行って、夜景を見る。

 以上21905円。累計は?円。最後のニューヨーク、成田間はデルタ航空の格安航空券62401円を予約していた。サーチャージ14407円を含む。これが13時間の旅。
 今回の合計は328472円となり、若干越えてしまいました。


テレビ番組「エジプト大紀行 ナイル川クルーズ 〜エジプト文明の遺跡巡り〜」

 2010年6月13日放送。高野美穂さんが案内。エジプトには誰をも虜にしてしまう魅力がある。旅チャンネル/JIC製作。

●寝台車
 ピラミッド傍の「エル・ギザ駅」からナイル川沿いを走って、アスワンまで行く。ギザからルクソール、アスワンには、「ナイル・エクスプレス」と呼ばれる高級寝台車が運行している。料金はUS$88(シングル)。個室で洗面台もある。中からカギもかけられるので女性の旅も安心。夕食が運ばれてきた(これも付いている感じでした)。食後は手早くベッドに換えてくれました。
 朝8時頃、アスワンに到着。

●アスワン
 神殿の建築に欠かせない花崗岩の産地でもあったので、太古からメンフィス、ルクソールまで大掛かりな運搬が行なわれていたという。
 ナイル川では風で動いている船がある。風で上流に向かい、流れで下流に向かう。モーターがないので、静かで振動もない。
 壁に孔が空いている。「ナイル・メーター」と呼ばれている。3段目か4段目に水面がある時は農業に適した時で、1段目だと干ばつ、5段目だと洪水になるので、王は税金を取らなかったという。
 次にホテル「オールド・カタラクト」が見えてきた。アガサ・クリスティの「ナイル殺人事件」の舞台となったという。
 壁にヒエログリフが描かれている。

●アブ・シンデル神殿
 エジプト航空で移動。途中ナセル湖を見渡すことができる。湖の青さと大地の褐色が生み出す景色はまるで地球儀のよう。
 アブ・シンデルはスーダンとの国境まであとわずかの位置にある。ここを訪れる観光客は、暑い昼間の観光を避け、ホテルでのんびり過ごす。日が暮れると涼しいそうです。「アブ・シンデル神殿」に行く。ラムセス2世が4体、太陽神はラムセスよりも小さく作られている。1813年にスイスの探検家によって発見された。暗闇の中で「音と光のショー」が始まった。日本語もあるようです。このショーはエジプトで最も有名なショーの一つ。神殿をライトアップさせるだけでなく、神殿の岩山をスクリーンにみたて、これまでの歴史、ラムセス2世の功績を紹介している。
 早朝、当時は太陽神ラーが信仰されており、日の出はとても重要な意味があった。向かって右の2体が北エジプトを表わし、左の2体が南エジプトを表わす。真中に太陽神ラーがいる。一番奥まで太陽の光が差し込んでいました。一番奥にある像は、右からメンフィスの創造神であるフタハ神?、国家最高の神アムンラー神、ラムセス2世、闇の神様マーブル・アクティ神。闇の神様は今は光が当たっているが、以前は光が当たらないようになっていたという。
 捧げ物の部屋もみた。

 アブ・シンデル神殿の隣は、ラムセス2世の王妃ネフェルタリの「アブ・シンデル小神殿」。中には牡牛の耳を持つ、ハトホル女神の柱が6本。ラムセス2世には7人の王妃と数十人の愛人がいたとして知られているが、最も愛したのはネフェルタリだった。

●ナイル川クルーズ
 アスワンに戻ってアリッサ号 Alyssa に乗船。女性オーナーが経営する気配りの行き届いた船。客室も船とは思えないほど広々している。バスタブまである。スポーツクラブ、マッサージ室、ジャクージ、サウナ室もある。3泊4日の旅が始まる。まずティー・パーティ。日没後、夕食の時間。エジプト料理は、ビーフ、チキン、魚などのメイン料理が一般的。その他豆を使った料理もある。ライスや野菜もあるので、日本人の口にも合うとか。バフェ形式でした。
 早朝、着いたのは、「コム・オンボ神殿」で、プトレマイオス6世が建てたもの。ハヤブサの顔を持つホルス神と、ワニの姿をしたセベク神の二つの神を同じ神殿で祀っている。船を降りて見学することも、船の上から眺めることも可能です。
 ナイルの川面には、様々な風景が広がる。次の目的地はエドフにある「ホルス神殿」。港から神殿までは時間がかかるので、馬車を利用。この神殿は保存状態のよい大きな神殿。幅79m、高さ36mの塔門には、ファラオがホルス神とハトホル女神に生け贄を捧げている様子が描かれている。ホルス神はハヤブサの姿をした天空の神で、エジプト航空のトレードマークにもなっている。古代エジプトでは現世の王はホルス神の化身と考えられていた。そのために、これだけ立派な神殿が捧げられた。18本の柱が立つ第一列柱室には、いたるところにエジプトの各州を代表する神々のレリーフが飾られている。12本の柱からなる第二列柱室。天井が高くいたるところにレリーフが描かれている。建物の外側のレリーフは身体の描写がリアル。下に降りるとナイル川の水面がきていた。塔門の手前横には、プトレマイオス8世が建てたという「誕生殿?」がある。
 ルクソールとアスワンの中間に位置するエドフは、かつては北エジプトの州都として栄えていた。
 水門を通過する。左右の隙間はほんの少し。7mの水位の違いを、この水門を使って調節している。水門を抜けると、最終目的地のルクソールに向かう。
http://www.mtsegypt.com/

●ルクソール
 早朝、向かったのはルクソールの西岸。熱気球に乗って空からルクソールを見学する。空に上がると地平線から太陽が昇った。遺跡が次々と見えた。「Sindbad Balloons 」US$250
 ルクソールはナイル川をはさんで東岸と西岸に分れ、日が沈む西は「死者の町」を意味する「ネクロポリス・テーベ」と呼ばれ、東は「生者の町」と呼ばれた。民家の上を飛ぶのはすごかったそうです。
http://www.sindbadballoons.com/

 「ハトシェプスト女王の葬祭殿」は、夫であったトトメス2世の死後、トトメス3世に代わり摂政になったハトシェプスト女王が、側近として建築家の「センムート」をとりたて、彼に命じて作らせた。扇型の地形をうまく利用して作った傑作。女王は当時貿易にとても力を入れていて、ソマリア地域の香辛料などを交易していた。
 「王家の谷」はトトメス1世が盗掘を避けるために、埋葬場所を秘密にした。ここでは井戸のように掘って、地中奥深くに埋葬するスタイルを採っていた。王家の谷の入口近くにあるのが、ラムセス4世の王墓。下降通路から玄室までは直線的な構造で、全長は66m。保存状態がよい。花崗岩で作られた棺は王家の谷の中では最も大きいとされている。

 船で過ごす最後の日、みんなでケーキを食べて楽しく過ごした。日本人も多く参加していました。

 「カルナック神殿」は広大な敷地を持つ。その中心にあるのは、「アメン大神殿」。かつてルクソール神殿までのびていた参道の面影を残すスフィンクス。一番手前にある第一塔門の高さは43mでエジプト最大規模を誇る。アメン大神殿で驚くのは、その広さ。マンハッタンの半分の大きさ、ノートルダム寺院をすっぽり内臓できるなど。中庭左にあるのは、「ラムセス3世神殿」。このように、カルナック神殿の中には、いくつもの神殿が建てられている。
 幅102m、奥行き52mの大列柱室には、高さ23mの円柱が134本聳えている。これらはエジプト建築を代表するものと言われており、中央のものは紀元前1375年頃、アメンホテプ3世が着工し、その後外側が作られたため、柱の高さが異なり、その高低差を利用して窓がつけられた。柱の上部にはハスの花がデザインされており、日の光が当たる部分にある柱は花が開いており、かつて屋根のあった部分にあった柱は花が閉じている。歴代ファラオはかつては競って大列柱室を飾りたてた。アメンホテプ3世が12本の列柱を建て、ラムセス1世が室内装飾をし、その後ラムセス2世などに受け継がれた。今でもあらゆる壁に見事なレリーフを見ることができる。
 奥に見えてきたのは、高さ19.5m・130トンのトトメス1世のオベリスクと、ハトシェプスト女王の2本のオベリスクが見えてきた。ツタンカーメンとその王妃の像があるが、像には傷があり、彼の謎に死にも通じる何かがあるのではないかといわれている。かつて柱は植物をモチーフにして作る風習があった。パピルスを束ねたデザインのものもある。このカルナック神殿には、司祭、警備員、作業員、農民など8万人以上の人が働いていたという。「プトレマイオス時代の至聖所」。
 カルナック神殿の中でも最も古い遺跡は、中王国時代のもの。「横たわるハトシェプスト女王のオベリスク」には、レリーフがくっきりと残っている。「聖なる池」では、儀式の前にファラオもここで身を清めたという。


テレビ番組「ミステリーロマン古代エジプト」

 2009年12月25日放送。相武紗季さんが案内。今から5000年前から3000年間栄華を極めた古代エジプトには3つのミステリーがある。ピラミッドがどのように作られたのか?黄金のツタンカーメンの悲劇の物語。最後の女王クレオパトラはどういう女性だったか?NHK製作。

●カイロ
 人口1600万人、世界有数の大都市。市場には知らない食べ物が多い。エジプト人は誰にも気軽に声をかけてくる。

●ピラミッド
 近くに来ると想像以上の大きさにびっくり。底辺が220m、高さ147mで、40階建のビルに相当する。平均すると1個の石の重さは2.5トン。特別な許可をもらい、ピラミッドに登ってみた。300万個の石を20年で積み上げたが、2分で1個積み上げたことになる。
 中に入ってみた。入場料は約1700円で、保護のため1日300人しか入れない。9世紀に盗掘のためにあけられた穴が現在の入口。中に入ると「王の間」に到着した。石の棺が1つあるだけ。

 建造方法を解き明かしたというのは、フランス人建築家ジャン・ピエール・ウーダンさん。過去から言われていた方法をまず検証した。直線傾斜路説では、人間が2トンの石を引き上げるのには傾斜が5度が限界と言われるが、この角度だと1.6kmにもなる。坂を作るだけでピラミッドと同じ量の石材が必要となるので、ダメ。らせん傾斜路説では、外側に多く傾斜路があると、稜線が多く隠れて、測量のさまたげになり、ゆがんでしまう。ウーダンさんは、ピラミッドに残る白い筋が巻きつくように、斜め右方向に伸びているのに気がついた。白い筋の延長線上にある窪みを見て、内部トンネル説を考えた。まず高さ3分の1までは直線傾斜路を使い石を積み上げる。残りは内部トンネルを使い石を運び上げる。およそ4度の傾斜でらせん状に作られている。内部にあるので、測量のさまたげにならない。嵐にも妨げられない。外の傾斜路は再利用される。トンネルの角にも工夫があり、石を釣り上げて方向転換させた。この調査が過去に行なわれていた。1986〜87年にフランス隊が行なった重力の測定調査で、ピラミッドの内と外754箇所で調査した。それを元に未知の空間を探し出そうという調査だった。ピラミッドの内部にらせん状の未知の空洞があることがわかった。
 ウーダンさんは、ピラミッドの稜線にあるある窪みに注目した。ボブ・ブライアー博士に窪みの調査を依頼した。初めてその許可がおりた。1時間半で窪みに到着。そこには高さ8mの直角に切り込まれた石組みがあった。広さは縦横ともに5m。ブライアー博士は内部に謎の空洞があり、さらに広場から奥に続く道があることを見つけた。
 ピラミッドから南へ500mほど離れた石切り場。古代エジプト人は青銅のノミを使い石を切り出した。今から2000年前にストラボンという歴史家は「地理誌」に次のように書き記した。「ピラミッドの上方に向かって、稜線のほぼ中間あたりに、取り外しできる石が1個あって、外すとらせん状の道が続く」。

●カイロ
 日中は30度を越すので、夜は過ごしやすい。エジプト考古学博物館に行く。ここにはツタンカーメンの墓から見つかった2000点もの財宝が納められている。3500年前のファラオで、妻はアンケセナーメン。最近アンケセナーメンの墓が見つかったという。

●ルクソール
 カイロから南へ500km。当時ここには古代エジプトの都が置かれていた。アンケセナーメンの墓は「王家の谷」にあった。ここで見つかった墓の数は63。3年前にアメリカとエジプトの調査隊が見つけた墓がその候補。墓の広さは畳12畳ほど。つくりも荒削りだった。無造作に置かれていた棺。さらに蓋が閉じた壷もあった。その中にあった破片に文字がでてきた。アテンという神で、この神が信仰されたのは、ごく短い20年の時期(ツタンカーメンとその父のアクエンアテンの時代)に限られる。さらに副葬品の入った棺は長さ130cm。40cmの黄金の棺が入っていた。黒い樹脂で覆われた棺があったが、これは黄金だった。オットー・シャーデン博士は黒い樹脂をはがせばわかると語った。ツタンカーメンの墓からも同じ2つの棺が見つかっていた。中には2人の子供のミイラがあった。ツタンカーメンよりも4歳年上だったというアンケセナーメンは女の子を2名授かったが、亡くしてしまった。エジプト考古庁のモンスール・ボライクさんは、この棺はツタンカーメンのものと極めて似ているので、アンケセナーメンの墓だろうと語った。
 この日、最後の棺が開けられた。中には女性用のアクセサリーが大量に入っていて、花で作られたネックレスがあったが、ツタンカーメンの棺の中のものとほぼ同じだった。ミイラがあるはずの場所には3つの大きな石が置いてあった。ミイラは持ち去られていた。

 ツタンカーメンの墓には、2000点の装飾品などが納められていた。墓にはツタンカーメンのミイラが残されていた。身長は165cm。
 ツタンカーメン夫婦の様子を知る手がかりが、エジプト中部にある「アビドスの神殿」に残されている。この神殿の壁のレリーフには歴代ファラオの名前が刻まれている。ここにツタンカーメンの時代の4人のファラオの名前がない。その原因は、エジプト中を巻き込んだ宗教の対立であった。古代エジプトは多神教の国歌だった。神官は力を持っていて、この時代はファラオの権力をもしのいでいた。その神官に対抗しようとしたのが、父のアクエンアテンだった。神官の権力を奪うために、アテン神を持ち出した。人々は不満を持った。父の墓では棺はなく、壁画はそぎ落とされていて、壁画の顔なども全て削り取られている。父の死をうけ、ツタンカーメンは8歳で即位した。彼は神官と仲良くしようとしたが、人々は王家に対してまだ不満を持っていた。19歳で亡くなった。アンケセナーメンは敵対する神官と結婚させられたという記載を最後に歴史の舞台から消え去った。

●アレクサンドリア
 エジプト第二の都市で、地中海に面している。昔から港町として栄えた。市内を走る路面電車の駅「クレオパトラ」に行ってみた。
 エジプト考古庁にクレオパトラを偲ばせるものがあるという。特別な許可を得て、「マリア倉庫」の中を見せてもらった。2000年前のコインだった。小さなコインの裏側にはクレオパトラの顔を彫ってあった。
 クレオパトラの宮殿などが度重なる地震などで海中に沈んでしまったため。海中にはスフィンクスなどがあった。

 2009年3月学会で発表されたのは、妹アルシノエの骨がトルコのエフェソスで見つかったということ。幅10mほどの巨大な墓の中にアルシノエが埋葬されていた。骨の解析から、細身の女性で身長は154cmだったとわかった。ファビアン・カンツ博士は、当時の154cmは大きい方だという。問題は頭蓋骨がなかった。1929年ドイツの調査隊が頭蓋骨を持ち出して、行方がわからなくなっていた。しかし報告書に4方向からの写真とデータがあった。キャロライン・ウィルキンソン博士は頭蓋骨が美しいという。コンピュータ上で頭蓋骨を復活させ、模型を作った。
 目と目の間の鼻の付け根が高いので、ヨーロッパ系の特徴、甲頭部から額までが長いので、古代アフリカ人の特徴なので、混血なのだろうと推測された。この頭蓋骨に筋肉をつけ、皮膚をつけて顔が完成した。

 アルシノエとクレオパトラはローマ帝国と手を結ぶか結ばないかで対立した。クレオパトラはカエサルに近づいた。紀元前48年激しく激突し、アルシノエ軍が優勢で、一時エジプト王についたが、ローマ帝国の援軍が到着し、形勢は逆転した。捕えられたアルシノエが連れて行かれたのがエフェソスだった。
 オックスフォード大学に残されている書物には、クレオパトラはアルシノエをアントニウスによって殺害させたと書いてある。
 アルシノエの骨には、栄養状態が悪い時にでるハリス線がなく、突然死んでいることがわかった。即効性の毒の可能性が高いとカンツ博士はいう。
 紀元前30年クレオパトラは毒蛇により自殺し、古代エジプトは終わった。


テレビ番組「世界!弾丸トラベラー BENIさんでエジプト」

 2009年12月12日放送。BENIさん(23歳)はラムセス2世が建造したアブ・シンベル神殿で、1年に2回しか見ることができない、朝日が作り出す奇跡の瞬間を見たいという。60mの通路の先にある4体の像。その右から2つ目のラムセス2世の像にラムセスの誕生日と王位に就いた日に朝日が当たる。エミレーツ航空317便、927便で日本から16時間の旅。

●予定
 1日目、23:15、関西国際空港発EK927便。
 2日目、10:40、カイロ国際空港着。12:00、ナイル川にタクシーで移動。12:45、ガイドと待ち合わせ。14:00、ピラミッド・エリアを満喫。15:30、ハン・ハリーリ市場で買い物&昼食。16:30、カイロ市内発、17:20、カイロ空港着。18:45、カイロ空港発MS379便、22:00、アスワン空港発、
 3日目、2:00、ホテル着。4:30、ホテル発。6:00、世界遺産で奇跡の朝日を見る。12:35、アスワン空港着。13:35、アスワン空港発MS384便。15:00、カイロ空港着。18:30、カイロ国際空港発EK924便。
 4日目、17:20、関西国際空港着。19:15、関西国際空港発JL188便。20:25、羽田空港着。

●カイロ
 カイロ滞在4時間でピラミッド周辺、市場で買い物、昼食をする。ガイドはアムルさん(26歳)で日本語は堪能。
 ピラミッドにタクシーで向かう。タクシーを降りてBENIさんは大感激。230万個以上の巨大な石を積み上げて作ってある。わずか5分で切り上げ、ラクダに5分。次はスフィンクスを見て感動。長さ57m、高さ20m、人間の頭とライオンの体を持った石像、建造目的や年代は未だ解明されていない。遠距離からスフィンクスとキスをしている写真を撮りました。30分遅れで、あと1時間しか滞在できない。食事か買い物かを選択することになり、買い物を選択。
 ハン・ハリーリ市場で買い物。お土産や生活必需品など何でも揃う、カイロで人気の観光ショッピング・ゾーン。「カワイイ」とか「全部タダ」とか言われました。貝細工店「アプダッラ」に入る。貝で作られた宝石箱1000£E(約1.5万円)を購入。別の店でカルトゥーシュのアクセサリーを見つけた。中に名前を古代語で描いてもらえる。ファラオの名前が刻まれた台座をモチーフにした人気のアクセサリー。象形文字で名前を刻んでもらえる。700£E(約1万円)。

●アブ・シンベル
 エジプト航空でカイロから2時間。そこから車でもう2時間でホテルに到着。ここで2時間半の休憩。ホテルは「セティ・ファースト・アブ・シンベル・ホテル」。
 早朝5時前、神殿に行ってみるとライトアップされている。中に入ってみると、真っ暗な通路。よく見ると両側に像が並ぶ。よく見えないが、奥には右から「太陽の神」、「ラムセス2世」があるはず。外には大勢の人が待つ。早めに入ったので一番奥でスタンバイ。朝日が昇った。ラムセスにも太陽の光が当たりました。ラムセスは太陽の光を浴びることで、死後の世界からの復活を願ったのだという。


テレビ番組「海のエジプト大発掘! クレオパトラ海底宮殿を世紀の大発見」

 2009年9月26日放送。日比野克彦、久保田智子アナウンサーが司会。「海のエジプト展」が開催されていて、アレクサンドリア沖で発見された490点が展示されている。エジプトは日本から13時間。TBS製作。

●エジプトの歴史
 ギザの大ピラミッドが建築されたのは、紀元前2550年頃。ツタンカーメン王の時代は紀元前1333年頃。ギリシャのアレクサンドロス大王によってアレクサンドリアに都市が築かれたのが、紀元前331年。この後プトレマイオス朝時代が始まった。その最後の王がクレオパトラ。
 プトレマイオス朝時代には、3つの大事な都市があった。ヘレクレイオン、カノープス、アレクサンドリア。およそ1200年前、大地震により沈んでしまった。

●アレクサンドリア
 地中海の真珠と言われる美しい都市。この沖に遺跡があった。潜ればすぐに見つかるような遺跡。
 プリンセス・デューダ号は海のインディー・ジョーンズといわれるフランク・ゴディオ博士の探査船。30代半ばで転職し、フィリピンなどで12隻の船を引き揚げた。2000年前にギリシャのストラボンにより書かれた「地理誌?」という本に、古代アレクサンドリアの記述がある。彼はクレオパトラの死後数年後に訪れている。「アンティロドス港も同様で人工の港の海にある島だが、宮殿が1つと小さな港がある」と書かれ、地図もある。これにより王宮や神殿が海に沈んでいることがわかっている。
 1200年の間探索されなかったのは3つ理由がある。1つは、人々は町の下に埋もれていると思っていたこと。コム・アル・ディッカの劇場跡は紀元前2世紀のローマ劇場。劇場の隣には大浴場の跡があり、古いものほど低い位置にある。2つ目は、湾に生活廃水が流れ込み水が濁っている。波が荒く視界が悪かった。3つ目は、潜水技術。1946年にタンクを使う潜水技術が開発されてから可能になった。またストラボンの本を神話と同じと思い、信じていない人が多かった。しかしゴディオは違った。「右手を見れば島とファロスの塔があり、左手には岩礁と王宮をいただいたロキアス岬がある。港の奥へと漕ぎ進むと、左手に宮殿の建物が見えてくる。」とあった。ファロスの塔は「世界七不思議の一つ」だった「ファロスの大灯台」のこと。高さ120mの巨大さだった。当時の灯台があった場所には、「カイト・ベイ要塞」がある。博士は1984年から調査を開始し、海の上に地図を描いていった。そしてクレオパトラの宮殿があったと思われるアンティロドス島の位置を推測した。宮殿と思われる場所の砂を巨大掃除機で吸い取っていった。巨像が発見され、石碑も発見された。石碑の文字などはシリコンシートをかけ、鉛の板を置いて押し付けて取得した。
 日比野さんも潜ってスフィンクスを見た。アンティロドス島を見つけたいと思っていた。アンフォラを見つけたという報告があった。石畳も見つかった。神殿や石像の一部も見つかった。1996年アンティロドス島の正確な位置を推測できた。柱にはカルトゥーシュがあり、ラムセス2世と書いてあった。別の遺跡から持ってきてリフォームしたのではないかと考えた。
 海から引き揚げられたものは貝などがついていて傷んでいる。それを修復もしている。2ヶ月〜半年かけて塩抜きをする。貝などの付着物を丁寧に取り除いていく。
 古代アレキサンドリアをCGで再現した。少なくとも10万人以上の人が暮らしていたと思われる。
 アレクサンドリアは世界的な文化学術都市に成長した。アレクサンドロス大王は氾濫するナイル川から離れた場所に都市を作った。水が必要だったので、地下に貯水槽を作った。プトレマイオス1世が作った「アレクサンドリア大図書館」が貢献した。当時75万巻を収蔵していた。後に火事で焼失したと言われている。ほぼ同じ場所に現在の「アレクサンドリア図書館」が建っている。アルキメデスも数学を学んだ。近くにある「ポンペイウスの柱」の地下に附属図書館の跡が残っている。イスマイル・セラグルディン?館長?が説明してくれました。当時これらの学術研究所は「ムセイオン」と呼ばれ、museum の語源となった。
 アレクサンドリアは地震によって破壊された。ファロスの灯台も地震により倒壊し、津波が街を襲った。1995年、「カイト・ベイ城塞」周辺の海を探索したところ、ファロスの灯台の残骸がいくつも見つかった。
 プトレマイオス12世のスフィンクス、クレオパトラのコインからクレオパトラの顔も予想される。息子カエサリオンの石像もある。


テレビ番組「エジプト発掘、第3集 クレオパトラ 妹の墓が語る悲劇」

 2009年8月2日放送。クレオパトラは妖艶な女性、世界の美女として有名。しかし、墓も見つかっていない。トルコのエフェソス遺跡で重大な発見があった。クレオパトラの妹アルシノエの墓だった。谷地健吾さんが案内。NHK製作。

●アレクサンドリア
 2000年前にクレオパトラの都があった。紀元前4世紀にギリシャから来たアレクサンドロス大王によって建設された町。以来ギリシャ系の人たちがエジプト人に代わって王家となり、その後300年に渡ってエジプトを統治した。クレオパトラはその王家の子孫だった。当時地中海ではローマ帝国が勢力をのばしていた。周辺各国を次々と征服、残っていたのはエプジトのみだった。クレオパトラはカエサルに絨毯に身をくるんで突然現われ、一夜にしてカエサルを虜にした。
 歴史書には登場するが実際に存在したという物証はない。グレコ・ローマン博物館(アレクサンドリア)にはクレオパトラの顔が刻まれた2000年前のコインがある。当時の都が度重なる地震で海に沈んでしまったため。水深7m、明らかに人の手で作られたものが見えてきた。スフィンクス、石碑など。

●トルコのエフェソス
 エジプトから800km離れた遺跡。ローマ帝国の大都市だった。大劇場、図書館などがある。町を貫く大通りのすぐ脇に墓があった。元の形がわからなくなった、幅10mほどの巨大な墓。なぜ町の真中に巨大な墓があるのか?それに興味を持った考古学者ヒルケ・テューア博士(オーストリア科学アカデミー)は調査を始めた。狭い通路の先にある畳4畳ほどの部屋。その中央に置かれていた大理石の棺で、たくさんの骨を発見した。法医学者のウィーン医科大学のファビアン・カンツ博士が分析した。骨盤から女性だと判明したので、極めて身分が高かったと判断した。当時、町の中心に葬られるのは身分の高い男性だった。骨の年代はBC20〜BC210年だと判明した。ウィーン工科大学ロバート・カラセク博士は、バラバラになっていた170もの墓の中のものを、コンピュータ上で組み立てた。その結果、墓の特徴的な形が判明した。ピラミッドの形をした屋根、高さ15m、地下室を囲む8本の柱がある八角形の巨大な墓だった。
 アレクサンドリアにかつて八角形で知られる有名な建物があった。当時世界一の高さを誇った「ファロスの灯台」。高さは120mで「世界の七不思議」だった。灯台の上の部分が八角形で、当時はとても珍しい形で、アレクサンドリアの象徴だった。つまり八角形の墓にはアレクサンドリア出身者が葬られていると考えられた。「四角形、円形は多く見られるが、八角形はこの墓以外はない。これは明らかにアレクサンドリア出身者を示す」とヒルケ・テューア博士は語る。アレクサンドリア出身で、2000年前にエフェソスで死んだ極めて身分の高い女性は誰か?全ての条件を満たすのは、クレオパトラの妹アルシノエだった。

 紀元前51年、クレオパトラは18歳で女王の座についた。その座を脅かしていたのは、妹のアルシノエだった。ローマと組んでエジプトを建て直そうとしたクレオパトラと、それに反対しアルシノエを担ぎ上げた人たちの間で戦争が勃発した。アルシノエは一時エジプトの女王の座についた。モントクレア州立大学のプルーデンス・ジョーンズ博士はアルシノエがもう少し長く王位についていたら歴史は変わっていただろうと語る。
 カンツ博士はさらに分析した。身長は大腿骨の長さから154cm、骨は細いのでスラリとしたスタイルだと判明。頭蓋骨から顔を推定しようとしたが、頭蓋骨はなかった。1929年ドイツの調査隊が頭蓋骨を持ち出して、行方がわからなくなっていた。しかし報告書に写真とデータがあった。イギリス・スコットランドのダンディー大学のキャロライン・ウィルキンソン博士に依頼され、コンピュータ上で頭蓋骨を復活させ、模型を作った。目と目の間の鼻の付け根が高いので、ヨーロッパ系の特徴、甲頭部から額までが長いので、古代アフリカ人の特徴なので、混血なのだろうと推測された。この頭蓋骨に筋肉をつけ、皮膚をつけて顔が完成した。

●アレクサンドリア
 水中調査が続けられている。海底からは古代の船のイカリ、ワインを入れる壷など。その壷には Mitrae と Nicola という文字が書いてあった。これはローマ帝国のワインの生産地。エジプトはローマと貿易をしていた。クレオパトラ硬貨が多く見つかった。
 アルシノエの軍はローマ軍に敗れ、クレオパトラは再び女王となった。アルシノエは処刑を免れ、遠方の地エフェソスに流された。丘の上にアルシノエが暮らしたという建物の跡「アルテミス神殿」が残っている。高さ30m、大理石でできた巨大な神殿だった。神に守られた聖域で、政治犯などが送られてくる幽閉先でもあった。アルシノエはここで静かに余生を送るはずだった。
 オックスフォード大学所蔵の「ユダヤ古代誌15巻」には、「クレオパトラはアルシノエをアントニウスによって殺害させた」と書いてある。カンツ博士はアルシノエの骨の成長板から、15〜17歳で死亡したと推測した。栄養が悪くて亡くなった時のハリス線はなく、骨に外傷はなかった。突然亡くなったので、即効性の毒の可能性が高いと推測した。
 この死によりエジプトは混乱し、ローマはつけ入った。紀元前30年、クレオパトラは自らを毒蛇にかませて自殺した。古代エジプト3000年の歴史はここに幕を降ろした。

 古代エジプト文明の7割はまだ砂の中や海の中に眠っているといわれる。


テレビ番組「エジプト発掘、第2集 ツタンカーメン 王妃の墓の呪い」

 2009年7月26日放送。3500年前の栄華。2000点の装飾品などはたった一つの墓から出てきた。王家の谷でその後墓は見つからなかった。2006年、80年ぶりに新たな墓が見つかった。しかし、黒い棺が無造作に置かれていた。続々出る謎の文字。悲劇の王妃のアンケセナーメンの墓だった。谷地健吾さんが案内。NHK製作。

●古代エジプト
 5000年前に始まった。ツタンカーメンの時代は3500年前。

●ルクソールの王家の谷
 ルクソールの西側に歴代のファラオの墓が並ぶ。これまでに60余りの墓が見つかっている。墓に入ると回廊が地底深く続く。そして明るい部屋。壁には死者があの世で復活する過程が描かれている。多くの墓はいくつかの部屋が回廊で結ばれた造り。行き着く先に棺が置かれ、ミイラと財宝が置かれていた。ほとんどが盗掘されていたが、唯一の例外がツタンカーメンの墓だった。1922年この墓を発掘したのは、イギリスの考古学者ハワード・カーター。黄金の装飾品などのほかに、黄金の玉座があり、そこには夫婦の姿が描かれていた。棺の中には亡き夫に捧げられた「やぐるまぎくの花輪」があった。3500年の時を経ても、その形をとどめていた。その下にツタンカーメンの黄金のマスクがあった。  ミイラから身長165cm、大腿骨と後頭部に損傷があった。CTスキャンにより、19歳前後で亡くなったことが明らかとなった。

 2006年に見つかった墓は、ツタンカーメンの墓KV62から10数メートルで、KV63と名づけられた。KVは王家の谷を表わす King's Valley の略。調査隊を率いるのはオットー・シャーデン博士。墓の中は例外づくめだった。墓は1つしかなく、壁画もない。12畳の広さ。無造作もなく置かれた7つの棺や28の壷。最初の棺、マスクの目尻に青いガラスのアイラインが使われていて、これはツタンカーメンのと同じだった。調査隊のアール・アートマン教授が「この技術はツタンカーメンの祖父の時代から始まった」と解説する。壷の中身はサリマ・イクラム博士が分析した。文字がでてきたので、モンスール・ポライクさんが読む。アテンという神だった。この神はある時期(ツタンカーメンとその父のアクエンアテンの時代)だけに信仰された神だった。そこで候補となったのが、母のキヤと妻のアンケセナーメン。副葬品の入った棺は長さ130cm。40cmの黄金の棺が入っていた。黒い樹脂で覆われた棺があったが、これは黄金だった。ツタンカーメンの墓からも同じ棺が見つかっていた。中には2人の子供のミイラがあった。

 エジプト中部にあるアビドスの神殿。この神殿の壁にレリーフがある。レリーフには歴代ファラオの名前が刻まれている。ここにツタンカーメンの時代の4人のファラオの名前がない。その原因は宗教の対立であったことがわかっている。古代エジプト最大のカルナック神殿には、様々な神が祀られている。神官は力を持っていて、この時代はファラオの権力をもしのいでいた。その神官に対抗しようとしたのが、父のアクエンアテンだった。神官の権力を奪うために、アテン神を持ち出した。父の墓では壁画の顔なども全て削り取られている。

 KV63では棺の名前が全て消されていた。これは人々の恨みによるもの。あの世での復活をさせないためらしい。最後の棺が開けられた。花で作られたネックレスがあったが、ツタンカーメンの棺の中のものとほぼ同じだった。ミイラがあるはずの場所には3つの大きな石が置いてあった。


テレビ番組「NHKスペシャル、エジプト発掘 第1集 ピラミッド隠された回廊の謎」

 2009年7月5日放送。ビデオが不調で最後の15分のみ。谷地健吾さんが案内。

●カイロ
 フランス人建築家のジャン・ピエール・ウーダンさんは大回廊に60トンの石の謎を解くヒントを見つけた。角度は26度。人が歩く通路ではない。足元にある石の側面に前後にすられたような跡がある。傷跡は回廊の入口から出口まで一直線に残っている。大回廊の上の内側にせり出した石の3段目の石の列だけが、傷ついて角も欠けていた。これらから、大回廊に台車が走っていたのではないか?という仮説を立てた。急勾配だったのは、すべりをよくするためだと考えた。エッフェル塔のエレベータからヒントを得たという。釣り合いオモリが使われているが、これがピラミッドの中にもあったと考えている。この方法が巨大な石を有利に運び上げられる方法だと考えた。また古代エジプトでは重い物を運ぶ際には黒い潤滑油を使っていた。大回廊には黒いシミがあった。大回廊の左右にある50cmほどの不思議な石の列。これは台車のスピードを減速するためのものだったと仮説を考えた。
 エジプト考古学者のボブ・ブライアー博士も、にわかには信じられないが、様々な証拠があり、残されているのは強度の問題だという。ウーダンさんはヨーロッパの巨大ソフトウェア会社を訪ねた。ここでは車の衝突シニュレーションなどをしている。北京五輪のメイン会場の強度計算も担当して有名になった。リシェール・ブライトナーさんが検証してみた。古代エジプトで使われた素材、レバノン杉、ネツメヤシのロープ、釣り合いオモリ24.6トンで計算すると、ロープも切れないし、木材も壊れないことがわかった。また60トンの石を引き揚げるには、最低600人必要だが、釣り合いオモリを使うと158人で可能だとわかった。
 ピラミッドの稜線上にある窪み。ウーダンさんはここに内部トンネル説の手がかりがあると信じていた。地上から87mにある窪み。登頂が禁止されているので、窪みの調査の許可が下りたのは初めて。そこには高さ8mの直角に切り込まれた石組みがあった。縦横5mずつの広い場所があった。ブライアー博士はこの場所がウーダンさんの考える内部トンネルの交差する場所ではないか?と考えた。ウーダンさんはここで運んできた石を方向転換すると考えていた。ブライアー博士は広場から奥に続く空洞があるのを見つけた。高さ2.5m横幅3mだったが、奥行きは3mだった。しかし、その向こうに溝が続いていた。


テレビ番組「世界遺産への招待状14 エジプト」

 2009年7月20日放送。ピラミッド、カイロ歴史地区を紹介。

●ギザのピラミッド
 空港からタクシーでピラミッドに向かう。ドライバーのミドハト・マグディさんは、エジプト人は陽気で人懐こいそうです。右手にナイル川が見えてきて、さらにピラミッドが右手にピラミッド。ミドハトさんお勧めの展望台で降ろしてもらった。
 ピラミッドは建造されたのは4600年前。世界七不思議の一つ。クフ王、カフラー王、メンカウラー王のピラミッド。クフ王のピラミッドは、建設当時の底辺の長さは230m、高さ147m。平均2.5トンの石をおよそ300万個も積み上げてある。
 中に入った。40m進むと上に進む階段がある。階段を抜けると大回廊。高さ8.7m。床の幅は2mだが、天井の幅は1mと狭くなっている。石の重量を軽減する構造になっている。抜けると広さ30畳ほどの「王の間」。ミイラが見つかっていないので、ピラミッドは墓だとは確定されていない。
 ピラミッドとは一体何か?日時計、天文台、宇宙人が作った宇宙船誘導施設だという説もある。エジプト考古学博物館のザヒ・ハワス博士はまわりにある物をしっかり見ろという。王のミイラが作られたという河岸神殿。亡き王への礼拝場である葬祭殿。ピラミッドは単体で作られたのではなく、宗教複合施設の一部として作られたという。ピラミッドは一種の墓だが、もっと大きな意味を持つ特別な施設だという。ミイラを作った古代エジプト人の思想を知ることが重要だと博士は言う。
 博士はクフ王に仕えた神官カルの墓に連れて行ってくれた。この墓の下にカルのミイラが埋葬されたという。並べられた石像は全て年齢の違うカル自身の姿。古代エジプト人は死後、魂は墓の中で永遠に暮すと考えていた。魂が生前のことを思い出すために文字が必要であり、戻る体が必要だった。墓であって墓ではない。魂が永遠に暮す家だった。ピラミッドも魂が暮す家だった。
 古代エジプトは多神教だった。その全ての神の上に立つのが、太陽神ラーだった。王は死後、太陽神ラーになると信じられていた。王はこのピラミッドをラーの元に登る階段として使った。

●カイロ
 人口1000万人を越える大都市。あわただしさとゆったりさが同居する。カイロにイスラム教が入ってきたのは7世紀。その後、交易の拠点として発展した。中世以降のイスラムの繁栄を伝える、およそ600もの建築物が世界遺産。
 どこに行ったらいいのか、タクシー運転手のミドハトさんに聞いた。一番大きな「スルタン・ハサン・モスク」(1363年、マムルーク朝)だという。つまりハサンという君主が作ったモスク。最近オバマ大統領も訪れたという。礼拝堂には天井のない中庭が広がっている。ピミラッドの表面を覆っていた石を建材に使用したという。最も神聖とされるのが、メッカの方向を示すメフラーブ。金と色大理石で作られたミフラーブの形には、意外な役割がある。モスク事務局長のサイート・ホルミさんは、「ミフラーブは通常窪んでいるので、聖職者の声がよく響いて、礼拝に来た人によく聞こえるようになっている。」という。礼拝を呼びかけるアダーンの声もよく響いていました。イスラム教徒はエジプト人口のおよそ9割。人々は特別なことがない限り、1日5回の祈りを欠かさない。さらに断食やメッカへの巡礼など、信仰と共に生活がある。
 このモスクの自慢はミナレットと呼ばれる塔で、高さ82m。かつて聖職者はこの塔の上からアダーンを町中に響かせた。塔の上からカイロの美しい景色が一望できる。塔が多く見られることから、カイロは「千の塔の都」と呼ばれた。ここのモスクの多くは13〜16世紀に治めたマムルーク朝の時代(1250〜1617年)に建てられた。その時代に建てられたのは140。イマード・アブ・ガーズィー博士に話を聞いた。そのきっかけを作ったのは、十字軍相手にマムルーク朝の勝利を導いた第5代スルタンのバイバルス。バイバルスはマムルーク朝に最初に大きなモスクを建設したと言われている。彼は元々トルコ系で、エジプトには異教徒の奴隷として売られてきた。肌が褐色だったため、なかなか買い手がつかなったという。どうにか引き取ってくれた軍の司令官の下で、イスラム教へと改宗し、兵士となった。十字軍で戦績を挙げたが、異教徒の王を認めない風潮があった。反乱が起こった。その危機にバイバルスが行なったのは、信仰心だった。モスクを作り、厚い信仰心を見せ、人々の心を掴んでいった。異教徒奴隷出身のスルタンが続いた。バルクーク・モスク、ナーシル・ムハンマド・モスクなどができた。

●オールド・カイロ
 カイロにはイスラム地区より古い地区がある。エル・ムアッラカ教会などのキリスト教の教会がいくつかある。原始キリスト教の流れをくむ独特のキリスト教が信じられている。コプト教と呼ばれる。エジプトには1世紀に伝わり、2世紀には全土に広がった。しかし7世紀以降にイスラム教が伝わり、信者は減りつづけた。現在、コプト教は人口の1割。ミドハトさんもコプト教徒だった。手首や親指の付け根の位置に十字の刺青があるので、コプト教徒だとわかるという。
 世界遺産アブ・メナを紹介された。コプト教の聖地で、多くの奇跡が起きたという。

●アブ・メナ
 アブ・メナ修道院は、砂漠の中を進むと見えてきた。コプト教最大の聖地で、多くの巡礼者が訪れている。まず向かったのは、聖人を祀った部屋。聖メナスは3世紀に24歳の若さで殉教した。「奇跡のノート」と呼ばれる信者の体験記をまとめた本がある。
 世界遺産アブ・メナ遺跡があるから信じている人が多い。この遺跡は4〜8世紀に、キリスト教の聖地として発展した。世界中から巡礼者が来ていた。
 遺跡の状態はあまりよくないようにも見える。教会が建っていた。修道士のアバノブ・アヴァ・ミナさんの話を聞いた。中には聖メナスの遺骨の一部が入っているという。ミナスは改宗を勧められたが、信仰を守り死刑となった。
 聖メナス埋葬地が柵で囲ってある。地下5mに埋葬された。埋葬された後に、この地で奇妙なことが起きた。墓地から水が湧き出した。水に触れることで病が治る人がでてきた。「聖メナスの奇跡」と呼ばれた。1500年経った今でも、信者たちはこの水を求めてやって来る。体に直接つけたり、入浴の時に使うそうです。
 7世紀にイスラム支配となり、ビザンツ帝国やローマ帝国のキリスト教徒が来れなくなった。その後、他の部族の攻撃によりアブ・メナは破壊された。
 小さな教会でミサが始まった。信じ続けることが大事なのだとわかった。
 修道院ができた1959年から礼拝に通ってきているという、ユーセフ・シャルビームさんとイフラースさん夫妻がいた。


テレビ番組「旅サラダ 2009年4月は鈴木蘭々さんでエジプト」

 エジプトは人口7250万人。首都はカイロ。面積は100万平方kmで、日本の2.6倍。国土の9割が砂漠。6月になると40度を越える。

●ルクソール
 ルクソールはカイロの南670km。紀元前2100年から紀元前750年まで宮殿都市だった。エジプトにある世界遺産のほぼ3分の1がルクソールにある。町はナイル川をはさんで東西に分かれる。太陽が昇る東岸は生命と成長の源を意味する「生の都」、日が沈む西岸は生命の衰退を意味する「死者の都」。ルクソールは偉大なギリシアの詩人ホメロスが「百門の都」と謳った古代エジプトの首都テーベの一部。アラブ人は荘厳な建築物や巨大な建物に強く感動して、宮殿の都市「ルクソール」と呼んだといわれる。
 町を歩くとスパイシーな香り。ルクソールの人気店「アブ・アシュラフ Abu Ashraf 」(住所:鉄道駅、Tel:1668857368、営業時間:10am - 8pm )。「コシャリ」とは、ご飯をベースに、スパゲッティやマカロニなどのパスタを混ぜ合わせ、オニオンやレンズ豆、ヒヨコ豆をトッピングして、トマト・ソースをかけたもの。日本のラーメン店のように、お店によって味が異なるファーストフード。小サイズで3エジプトポンド(以下E£)(60円)。大サイズは5E£(100円)。この店のはさっぱり目の味でした。

 「ハトシェプスト女王葬祭殿 Temple of Hatshepsut 」(入場料30E£:600円、入口までのトロッコバスは2E£:40円)は、今から3500年前に古代エジプトの女王ハトシェプストによって建てられた葬祭殿。断崖絶壁をバックに美しく広がる3段のテラスで構成されている。発見された当時は、廃墟同然だった。現在の姿は、1961年からポーランドとエジプトの合同研究チームにより再建されたもの。現在も修復中。葬祭殿の中には色鮮やかな壁画が数多く残されているが、ハトシェプスト女王の存在を示すものはあまりない。次の王が彼女の存在を歴史から抹殺しようと、名前などを削り取ってしまったため。一箇所だけ、女王のカルトゥーシュ(象形文字で王の名前を表したもの)が残っていた。
 HPによれば、この葬祭殿は王家の谷に向かうように築かれており、魂の復活・再生を重要としていた古代エジプト人が、谷を女性の子宮と見立てる形で建設したのではと推測されているとか。VTRには登場しないが、参道の入口の左右には枯れた木の根が残されている。その木の根は、およそ3500年前に当時のプントの国(現在のソマリア)から運ばれた木。両側にあることから、以前は、葬祭殿までの道に並木道があったと推測されている。

 「カルナック神殿」(入場料:65E£:1300円)はナイル川の東にある世界遺産。古代エジプトにおいて最高の神とされるアムン・ラー神などが祀られたエジプト最大規模の遺跡。まずは城壁のような「第1塔門」。高さは43mで10階建のマンションよりも高い。ラムセス2世像に来たら、タラートさんというガイドが寄ってきて説明してくれた。ラムセス2世は93歳まで生きて、多くの妻と100人以上の子供がいたとされる。別名、建築王とも言う。
 歴代の王たちにより増改築がすすみ、2000年かけて、東西500m、南北に1500mのエジプト最大級の神殿となった。
 古代エジプト人にとって太陽は重要な神様の一人。太陽が神殿の上を通るように神殿の「大列柱室」は作られた。一つ一つの柱に彫刻してある。当時は天井を支えるために134本の柱があった。昔は色が着いていた。HPによれば、植物のパピルスを模して作られた柱は2種類。花が咲いた形のものと(開花式)、つぼみの形のもの。咲いた形の柱頭の上には、50人もの人が乗ることができるという。ヒポスタイル様式。神殿の中には観光客に人気の「スカラベの石像」もある。スカラベとは昆虫の「ふんころがし」のこと。古代エジプトでは、ふんころがしが糞を運ぶ様子が、太陽を運んでいる姿とされたことから、神の化身と考えられていた。このスカラベの石像の周りを7回回ると願い事が叶うと言う。

 宿泊は、「シェラトン・ルクソール・リゾート」(住所:Khaled ibn El Walid, Luxor 83951, Egypt、Tel:0952274544 )は繁華街から少し離れた場所に位置し、ナイル川を一望できる老舗の高級リゾートホテル。街の中心や空港からも近い。白を基調としたロビー。今回は451?号室のジュニア・スイート・ルームで、1泊朝食付き455USドル。部屋の中はアロマが焚いてある。オシャレな家具。バルコニーではナイル川を見ながら旅の疲れを癒せる。

 夕暮れ時、ナイル川は太陽の光をはじき、きらめく。街中に「ルクソール神殿」(入場料」50E£:1000円)がある。まずは「ラムセス2世の中庭」。古代エジプト人が神々に農作物の豊穣を祈願していたという神殿。当時は3km先のカルナック神殿と参道で結ばれていたらしい。大きな石の柱がズラリと並ぶ廊下「大列柱廊」の傍らに、二人並んで座っている石像があった。若くしてこの世を去ったツタンカーメン王とその妻アンケセナーメン。この石像の後ろにまわるとアンケセナーメンの右手がツタンカーメンの右肩に添えてある。あたりが闇に包まれる頃、ライトアップされました(日没から21時まで)。神秘的でした。
 ルクソール神殿の大部分は、エジプト第18王朝の王アメンホテプ3世と、建築王の異名を持つラムセス2世によって作られた。神殿の入口にあるオベリスクは完成当時、左右2本の対になっていたが、もう一本のオベリスクは、パリのコンコルド広場に贈られ飾られている。

 早朝5時、法律により橋が使えないので、ホテルの前から船に乗る。ナイル川を渡りバスで気球乗り場に行く。熱気球に乗る。今回は Viking Air 社(住所:メルキュールホテル内 Viking Tours、Tel:0952374944 )で6人乗り。会社によっては、10人乗りなど様々。費用は100USドル。およそ45分間の空中散歩。朝日が昇りました。
 気球は、ナイル川の河辺から広がる緑の畑や住宅の上をゆっくり飛行する。風によって見ることのできる遺跡も異なる。高さは750mまで上昇。眼下には王家の谷、ハトシェプスト女王葬祭殿、ラムセウム、など。他には、メムノンの巨像、メディネト・ハブ(ラムセス3世葬祭殿)など。
http://www.mercure.com/gb/home/index.shtml

 「ルクソール市場」(住所:Khalid Ibn El Walid St.、営業時間:10am-10pm)は、ルクソールの繁華街にある市場。衣類やアクセサリー、工芸品、お菓子など、ありとあらゆるお土産が揃った、観光客に人気のお買い物スポット。お店からは、「さよなら」、「ありがと」、「そういう感じね」などと日本語で声がかかる。気になるサンダルを見つけた。85E£というのを75(1500円)というとすぐにOK。これはもっと安くなりましたね。エジプトの市場では、商品に定価がない場合が多いため、値段は交渉によって決まる。

 ランチは「サンライズ・レストラン Sunrise Restaurant 」(住所:Corniche El Nile Street,Luxor、Tel:095376188 )で、観光客に人気のエジプト料理のお店。店員のお勧めのメニューは、「イカを使ったタジン」。エジプトで人気のタジンは、トマトやピーマン、タマネギなどの野菜を軽く炒め、イカとスパイスを合わせて、タジンと呼ばれる土鍋で煮込んだもの。中身をご飯にかけて食べます。野菜とイカのうまみが深く溶け合ったマイルドな味わい。「シーフード・タジン」40E£(800円)。

 夕方ファルーカという帆かけ船が、ナイル川を滑るように進む。古代エジプトの時代からあるという「ファルーカ体験」(問い合わせはシェラトン・ルクソール内、Tel:108489317 )。値段は1時間50E£(1000円)。

●メンフィス
 ルクソールから700km北上した。メンフィスは町全体が世界遺産で、エジプト最古の首都。
 メンフィスを代表する世界遺産と出会えるのが、「メンフィス博物館」(住所:Meetrahina Village、Tel:38151560、入場料:35E£:700円)。ラムセス2世の巨像がいきなり横たわっている。展示されている遺跡は、発見されるまでの間、ナイル川の氾濫によって運ばれた泥に埋もれていた。そのため風化することなく、美しい姿で残された。

●サッカラ
 メンフィスから車で15分。カイロ郊外のギザから約17km南に位置する(車で1時間)。最古の都のメンフィスの隣にあり、王や貴族が埋葬された場所。緑豊かなナツメヤシ畑が生い茂るのどかな街。古墳やピラミッドも多数見られ、現存する世界最古のピラミッドといわれる「ジョセル王の階段ピラミッド」が有名。壁画も見所。ガイドは横石修さん。
 「ジョセル王の階段ピラミッド」(住所:El Badrashen Village、Tel:38151560 )は、紀元前2650年に建造された。石が使われた初めてのピラミッドで、それまでは土で作られていた。石を積み上げることで、高く大きなピラミッドを作ることが可能になった。地下にはとても広い部屋などがある。入場料は60E£(1200円)。

 サッカラの名産品はコットンやシルクでできた手織りのカーペット。「イクナトン・カーペット・スクール(じゅうたん学校)Akhnaton Carpets School 」(住所:Sakkar Tourist Rd.、Tel:38191465 )に行く。シェリーフ・エル・アザズさんが説明してくれました。10畳もあるカーペットもある。シルクのカーペットは大きなモノともなると、実に、数百万円するものもある。このお店では、カーペットを作る様子も見学できる。そこで作業をしていたのは、小さな子供たち。実はサッカラにある多くのお店では、こうしたカーペット作りの学校を併設している。ここには8歳から14歳までの子供たちが在籍している。カーペット織りは、大人の手より子供たちの小さな手のほうが手際よく作ることが出来ると言われる。鈴木さんも挑戦してみました。10畳のシルクのカーペットの場合、4年かかるそうです。

●カイロ
 およそ1200万人が暮らすアフリカ大陸最大の都市。交通の要として、中世の時代に建設されて以来、学術、文化、経済の中心として発展を続けている。エジプトの4分の1が生活する。ナイル川の西岸にはギザ地区、東岸にはカイロの中心部がある。
 宿泊は、「コンラッド・カイロ」(住所:1101 Corniche El Nil, Cairo 11221、Tel:2025808000 )で、エジプト屈指の高級ホテル。617ある全ての部屋からナイル川を望むことができる。以前、小泉元総理も泊まったらしい。プレジデンシャル・スイートルームは広い。キッチンも付いていて、315平方m。1泊朝食付きで4000USドル(40万円)。ベランダからは天気がいいとピラミッドが見える。
http://www.conradhotels.jp/cairo

 ギザの3大ピラミッド。今からおよそ4500年前に作られたという。入場料は60E£(1200円)。クフ王のピラミッドは、平均2.5トンという巨大な石を、およそ230万個も積みあげて作られた。現在は頂上が欠けてしまったため、その高さは137mだが、当時は今よりも10mは高かった。当時としては、驚異の建築技術。何を目的として作られたのか、最新の科学によってもその全容は明らかになっていない。
 ピラミッドの近くにはスフィンクスがある。王様やその土地土地の神々を守るといわれるスフィンクスも、ピラミッド同様に何を目的に作られたのかは、謎のまま。
 ラクダに乗るために、馬車で30E£(600円)移動。日本語のできるおじさんが寄って来た。真っ白いラクダは名前がメル・ギブソンという名前で(笑)、これに乗る。25E£(500円)。

 朝10時、町は次第に活気づく。カイロの中心部にある、エジプト最大の市場「ハーン・アル・ハリーリ」にやって来た。歴史は古く、14世紀後半に始まった。様々なお土産を安く買える。まず、お店の人が箱を「1ドル」と言ってきた。女性たちが頭につけているストールを買おうと思った。ストールは、高品質のエジプト綿やシルクで作られている。6枚で580E£というのを、570(11400円)に値切りました。
 HPによると、値段交渉の時に役に立つのが、ボールペン。エジプトでは日本製のノック式ボールペンが品質が良いと人気で、プレゼントする代わりに値引きが期待できる場合もある。
 市場の路地に女性たちがイスに座っていた。ストールのかぶり方を教えてもらった。
 市場の中にあるレストラン「ハーン・アル・ハリーリ Khan al-Khalili 」(住所:5EL Badestan St., Bazzar Area、Tel:0225903789 )は、代表的なアラブ料理を食べられる。店員さんお勧めの料理は、肉料理「コフタ Mix grill 」85E£(1700円)で、羊などの挽肉を串に巻いて焼いたもの。肉の臭みを消すために、スパイスやハーブが混ぜられている。日本のスパイシー・ハンバーグだそうです。

 ムハンマド・アリ・モスク(住所:Al Qalaa Sq、Tel:0225121735 )にタクシーで向かう。20E£(400円)。タクシーはメーターはあるが、使わないことが多いので、乗る前に交渉するのが大事。
 このモスクはカイロの東側にあるイスラーム地区。600を越すモスクなどのイスラム建築物が並ぶイスラーム地区は1979年に世界遺産。「ムハンマド・アリ・モスク」は、エジプト近代化の父と呼ばれるムハンマド・アリによって1857年に建てられた。完成までに18年を要した。装飾の美しさからイスラーム地区のシンボルとされている。美しく輝くランプの数は354で、イスラム暦の1年の日数を表わす。中心に大きく豪華なシャンデリアがある。HPによると、このモスクはイスタンブールの大規模なモスクを模して造られていると言われる。モスクには靴を脱いで入る。入場料は40E£(800円)。

 ツタンカーメンの黄金のマスクがある「エジプト考古学博物館」(住所:Midaan It Tahriir、Tel:0225782448 )に行く。ガイドはエジプトで20年間暮らしている横石修さん。過去に発掘された様々な遺産を守るために、1902年に建てられた。部屋の数は100以上、展示物は12万点以上。観光客を魅了しているのが、3300年前のツタンカーメンの副葬品。「黄金の玉座」、金が多く使われたのは、錆びないため、永遠の象徴として。マスクは22金を使い、重さは11kg。入場料60E£(1200円)。

●アレキサンドリア
 地中海貿易の要として発展してきた港町で、様々な文化が融合し、その美しさから「地中海の真珠」とも呼ばれるエジプト第2の都市。紀元前331年にこの町を築いたアレキサンダー大王の名前に由来する。HPによれば、プトレマイオス王朝時代に首都がおかれた。
 鈴木さんによれば、カイロに住む人とアレキサンドリアの人と顔立ちが違うそうです。目もオリーブグリーンだという。
 街の大通りから一つ奥の道に入ると、地元の人の生活の場。「ラテブ市場 Rateb Souk 」に行く。ここはアレキサンドリア市民の台所。あらゆる食料品、日用品が溢れている。 24時間営業。
 海岸線にはヨーロッパスタイルの建物が軒を連ね、ローマ時代から海を渡ってヨーロッパの文化が流れ込んだ。海辺に行ってみた。青い色が美しい。ネコがいた。昔ネコの姿をした神様がいて人々から崇められていたそうだ。

 北の入り江の先端になる町のシンボルともいうべき遺跡「カイトベイ要塞 Fortress of Qaytbey 」に行ってみた。入場料25E£(500円)。約500年前にエジプトに迫ろうとしていたトルコ軍から、街を守るために建築された。この日はかなり風が強かった。18世紀にイギリス軍の砲撃により、全面的に破壊された。現代の姿は復元されたもの。この要塞はもともと「世界7不思議」の1つといわれた「ファロスの灯台」の跡に建てられたとも言われている。

 街角に少し珍しい遺跡がある。「コム・エル・シュカファのカタコンベ Catacombs oe kom el Shogafa 」(住所:El Nasryia St.、Tel:039601316 )は入場料35E£(700円)。20世紀に発見された。1800年前に作られた地下の共同墓地。地下3階まで続く螺旋階段。その中心の竪穴は、死者の棺を地下に降ろすために使われていた。地下1階の部屋では、遺族達が石のベンチに座り、ワインなどを飲みながら死者に別れを告げた。ずらりと並んだ横穴には棺が納められていた。に地下2階の礼拝堂には、少し変わった特徴の壁画がある。古代エジプトの神様とギリシャ神話の神様、その両方が融合した形で描かれている。地下3階は見学することは出来ない。

 ローマ時代の遺跡も残されている。「ローマ円形劇場 The Roman Theatre 」(住所:El Shouhada Sq Misr Statio Soulman Yussri St.、Tel:033902904、入場料:20E£:400円)。50年前に砂に埋もれた形で発見された。建てられたのは、およそ2世紀頃。収容人数は約600〜800人。座席にはギリシャ数字が書かれており、座席番号と思われる。当時は屋根があり、音楽演奏などが行われていた。ガイドはナセル・サラーハ Nassr Salah さん。中央の石の上に立って、アラーと大きな声で言ってみるととても響く。
 劇場の近くにはアレキサンドリアの海から引き上げられた遺跡も展示している。

 宿泊は、「シェラトン・モンタザ・ホテル Sheraton Montazah Hotel 」(住所:Corniche Road, Alexandria、Tel:2035480550 )で、地中海に面した5つ星リゾートホテル。プレジデンシャル・スイートルームを見学。1泊朝食付き1100USドル(11万円)。南国の花が飾られた客室は、ヨーロピアンテイストをベースにした落ち着いた雰囲気。目の前に広がる地中海を、部屋から一望できる。

 夕食は、新鮮な海の幸。「フィッシュ・マーケット Fish Market 」(住所:Shaari Siita Wa Ashrin Yoliyo、Tel:034805114 )。このお店では、好きな魚介類を選び、希望の調理法で料理してもらうことができる。値段は選んだ魚の大きさで異なる。エビやカニなど地中海で取れた海の幸が豊富に揃っている。今回は、山盛りの「野菜サラダ」10E£(200円)。人参とか甘くて美味しいようです。「エビとスズキのグリル」66E£(1320円)で、スズキの重さは150gでした。塩の味がいいせいか日本とは違う味だが、美味しいそうです。

 夜はヨーロピアン・テイストの街灯が灯る。路面電車 Tram に乗る。料金は25ピアストル(5円)。運賃は市内均一で、日本円にして5円。トラムは市民の乗り物として親しまれている。

●カイロでナイル川ディナークルーズ
 最後の夜に「ディナー・クルーズ」(住所:Kornish St. Maddi、Tel:0223639021 )。船はクリスタル号。食事はビュッフェ形式で、洋食・エジプト料理・サラダ・フルーツなどが並ぶ。デザートメニューも豊富。値段は2時間で180E£(3600円)。
 出航するとショーが始まった。まず、華やかな衣装に身を包んだ女性が、エキゾチックな音楽に合わせて激しく踊る「ベリーダンス」。神々に農作物の豊穣を祈願するために踊られたのが始まりとされる。次は、アラブ諸国に伝わる民俗舞踊「タンヌーラ」。タンヌーラはアラビア語でスカートの意味。タンヌーラを2枚重ね、男性が素早く回転させながら踊る。その昔、回転を続けることにより無我の境地を目指し、神との交流を図る修行として行われていた。踊り手は頭の上でスカートを回したりしていました。

●エジプトへの旅は
 日本からエジプトへの旅はエジプト航空が大変便利です。現在、成田空港と関西空港から13時間で運行している。
http://www.egyptair.jp/


テレビ番組「世界!弾丸トラベラー 臼田あさ美さんでエジプトのカイロ」

 2009年3月21日放送。臼田あさ美さん(24歳)はピラミッドを見たい、クレオパトラ気分を味わいたいという。関西国際空港からエミレーツ航空EK6257便、EK317便、EK927便で日本から17時間10分の旅。

●予定
 1日目、19:50、羽田空港発EK6257便、23:15、関西国際空港発EK317便。
 2日目、8:50、ドバイ国際空港発EK927便。11:00、カイロ国際空港着。12:00、モハメド・アリ・モスクまでタクシーで移動。14:00、ガイドと待ち合わせ。15:00、ハン・ハリーリ市場へ。15:30、ハン・ハリーリ市場にてショッピング。18:00、レストランにて夕食。20:00、「フォーシーズンズ・ホテル」にて高級スパを体験。22:00、ホテル「カイロ・マリオット・ホテル」チェックイン。22:30、就寝。
 3日目、7:30、ホテルをチェックアウト。ピラミッドまでタクシー移動。8:30、ピラミッド観光。15:30、3つのピラミッドを見る。16:00、ピラミッドを出発。19:15、カイロ国際空港発、EK924便。
 4日目、2:50、ドバイ国際空港発EK316便、19:15、関西国際空港発、EK6252便。20:25羽田空港着。

●カイロ
 モハメド・アリ・モスクでガイドさんと会う。ラマダンさんは、ブルース・ウィルス似というが・・・。タクシーでハン・ハリーリ市場に移動。25£E(500円)。ここは「スーク」とも呼ばれる。お土産や生活必需品など、何でも揃うショッピング・ゾ−ン。ここを歩くと、「山本山」「愛してるよ」「バザールでござ〜る」「がんばれ、がんばろう」などと日本語が飛び交う。
 ファーストフード店「エルシャブラー・ウィー・レストラン」で「ターメーヤ・サンド」を食べる。「ターメーヤ」はそら豆、セロリ、パセリ、タマネギなどをすり潰し、油で揚げたコロッケ。これをアエイシというパンにはさんで、生の野菜とゴマ風味のソースをかけたサンドウィッチ。1個2£E(40円)。日本のピタサンドみたいな味だとか。
 お土産店「モハメッド・ブラザース」で頭に巻くターバンを買う。これはツタンカーメンのマスクそっくりで、「ツタンカーメンのネメス」100£E(2000円)、これに胸飾りと腰飾り200£E(4000円)も買う。
 ガラス細工店「ドアー・アルカラワン」。手作りの香水も販売。「クレオパトラ」はクレオパトラ7世をイメージした25種類の天然抽出エキスを配合したもの(ローズ、ジャスミン、カモミール、サンダルウッド、グレープフルーツ、グリーンノート、キューカンバー、ピーチ、チュベロース、パチョリ、バニラ、ムスク、アンバー、カシス、シベット、ヒヤシンス、イランイラン、トロピカルフルーツ、シトラス、ミント、バイオレット、イリス、バルサミック、シナモン、スズラン)。香水「クレオパトラ」は120£E(2400円)、香水瓶は30£E(600円)。

 郊外にあるエジプト料理店「フェルフェラ」で夕食。クレオパトラの気分が味わえる料理が食べられる。クレオパトラの時代から飲まれていたという「モロヘイヤ・スープ」7.8£E(160円)。モロヘイヤはエジプト原産のシソに似た薬草で、緑黄色野菜の中でも栄養価が特に高い。すごく美味しいそうです。「鳩のグリル」55£E(1100円)。美味しいそうです。

 タクシーでナイル川を渡り「フォーシーズンズ・ホテル」内の極上のスパ「スパ&ウェルネス・センター」で、ナイル川の夜景を眼下に癒しの時間。クレオパトラがこよなく愛したバラを使った「フットマッサージ」。レモンの果汁でデトックス効果も得られるとか。さらにパピルスという紙で全身を覆って発汗を促進する。パピルス紙はパピルスという植物から作られる万能紙で、世界最古の紙で、「ペーパー」の語源と言われる。クレオパトラ・コ−スは、90分900£E〜(1.8万円〜)。

 宿泊は「カイロ・マリオット・ホテル」。ホテル代は1泊1843£E(3.7万円)。

 翌朝8:30、世界最大の石造建築物ピラミッドに到着。1979年に世界遺産に登録。高さ137m、積まれた石は230万個。20年の歳月をかけて作られた。内部が見られるのはクフ王のもののみ。内部見学ができるのは、1日300人限定。内部を見学。王の間に到着。高さ5.8m、幅5.2m、奥行き10.5m。内部入場料は100£E(2000円)。往復約1時間。
 ピラミッドが3つ一番綺麗に見える場所「パノラマ・ポイント」にラクダで移動。ツタンカーメンのネメスなどをつけて記念撮影。


テレビ番組「日本テレビ開局55周年記念 古代エジプト3大ミステリー」

 2008年12月30日放送。ピラミッド、ツタンカーメン王たちの墓、クレオパトラ7世の墓。宮本隆治、菊川怜が司会。えなりかずき、中山エミリ、RIKACO、宮本亜門さんが探検。日本テレビ製作。

●歴史
 ギザにピラミッドを建てた古王国時代(紀元前2650年〜)、ナイル川上流のルクソールにツタンカーメンのいた新王国時代(紀元前1565年〜)、ナイル川河口のアレキサンドリアにいたクレオパトラのいたプトレマイオス朝(紀元前305年〜)。

●カイロ
 人口1525万人、アフリカ最大の都市。人口の90%がイスラム教徒。11月の平均気温は19度。ピラミッドはここからすぐにある。

●ピラミッド
 クフ王のものは、高さ146.6m、底辺の長さ230m、勾配51.52度。現在は頂上の部分が失われ138.75mとなっている。平均2.5トンの石灰岩が約230万個。全部で117基ある。息子のカフラー王のものは高さ143.5m、底辺の長さは215.25m。化粧石が上部に残っている。孫のメンカウラー王のピラミッドは高さ65m、底辺の平均の長さは103.4m。
 エジプトの象形文字ヒエログリフは既に使われていなかった。18世紀ナポレオンのエジプト遠征で、ロゼッタ・ストーンを発見した。これにヒエログリフとギリシャ語で同じことが書かれていた。シャンポリオンはギリシャ文字をあてはめて解読した。
 ザヒ博士の偉業の一つは2001年ピラミッド建設村の発見。過去には10万人の奴隷が働いたと言われていたが、建設村で発掘された人骨は良好な栄養状態を示していた。家族と暮らす労働者の暮らしぶりが壁画に描かれていた。豊かな生活を送る労働者によってピラミッドは建設されていた。
 2008年11月サッカラの砂漠に、地下8mに4300年前の118基目のピラミッドが見つかった。エジプト考古学長官ザヒ・ハワース博士がその中心だった。古王国時代の王妃のものだった。近くに貴族の墓もあり、宮廷歌手の存在も発見された。ピラミッドの近くに神殿も発見された。
 ザヒ博士はクフ王の墓はピラミッドの中にあるという。王の間の棺はカモフラージュだという。
 世界最古のピラミッドはジェセル王の階段ピラミッド。クフ王の5代前。高さ60m、底辺は122x100m。今回の取材には岩盤工学の世界的権威の谷本親伯・大阪大学名誉教授も同行。石は斜めに中心に向かって積み重ねてあった。中心付近に巨大な竪穴があった。穴は地下28mにまで達していた。そこに王の埋葬室があった。階段ピラミッドの設計者はイムヘテプだった。ザヒ博士は初めて石灰岩でピラミッドを作った彼は天才だという。北側にも秘密の入口があった。そこからの通路は全長7kmで、迷路になっていた。王が死後生活するための巨大な宮殿があり、王の副葬品も数万点あった。壁は4600年前の青いタイルだった。さらにその先に通路があり、王の埋葬室につながっていた。王のひつぎは瓦礫の下。だからクフ王のピラミッドも同様になっているのではないか。

 サッカラから南へ10kmのダハシュールにクフ王の父スネフェル王の「屈折ピラミッド」がある。高さ105m、底辺の長さ188.6m。途中で角度が変わっている。最初は54.27度で作るが、高いものになるのに気がついて途中で43.22度に変えたらしい。2008年11月に日本テレビが訪問した時、「屈折ピラミッド」の中に入った。化粧石のせいで声がきれいに反射するらしい。1個の石も縦60cm、横124cmと3倍に大きくなっている。重みなどでピラミッドの下の方が崩れてしまったために変えたらしい。北側の入口は11.5mのところにあり、下降通路は74m。この通路を覆うようにして石を積んでいったらしい。上に埋葬室があり、天井は17mあった。これはクフ王の大回廊と同じで、建設技術が受け継がれたことがわかった。しかしザヒ博士によると本当の埋葬室はその20m上だという。考古庁の作った梯子の先は横穴になっている。この横穴は墓泥棒がもう一つの埋葬室を探すために開けたものだという。さらに三叉路になっていて左に行くと梯子があって上に上がった。ここに埋葬室があり、天井は17mある。ここが本当の埋葬室といわれている。ザヒ博士は他の場所に埋葬されていると言う。さきほどの三叉路から右に行く。坂道になっていて、15m進むと太陽の光が見えた。ロープで上に上がると窓があり、外が見えた。これが一つ目の入口らしい。
 スネフェル王はもう一つピラミッドを造った。隣にある赤ピラミッドで初めて四角錐になった。高さ104m、底辺220m。今回は石が水平に積まれていて、かなり進化している。勾配は43.22度。入口は地上から28m上。7km先に最初の階段ピラミッドが見えた。下降通路は60m。天井までの高さ12mで、クフ王の大回廊の形に似ている。石の積み方は「持ち送り積み構造」と言う。2つ目の部屋も似た形。階段の上に3つ目の部屋があった。ここが王の埋葬室は高さ16m。

 ギザは石灰岩の巨大な岩盤がある。それでこの地を選んだのだろう。岩盤の厚さは60m以上。これを削って作られたのがスフィンクス。クフ王のピラミッドには横6.9m、縦2.7mのブロックも使われている。そこには貝の化石が含まれていた。中に入るとまず上昇通路。大回廊は高さ8.48m、長さ47m。王の部屋は赤色花崗岩が使用されている。その上には重量軽減の間が5層になっている。最上部の三角形の部分はどういう意味があるのか?そこに行くためには直径50cmの穴を抜けないといけない。4000年の間に4cmほど三角形が開いていた。王妃の間の壁に開いた20cmの穴が南北に2個あった。小型カメラをロボットにつけて穴に入れた。斜め上60m先に壁があった。そこには取っ手のようなものがついていた。これに穴を開けた。先端をファイバー・スコープに換えて中を見た。しかし21cm先にひび割れた壁があった。
 もう一つクフ王のピラミッドから南へ300mの場所に竪穴があり、1999年に調査した。地下30mに及び、第3層目から大ピラミッドに向かうトンネルを見つけた。岩盤が崩れる怖れがあり、人は入れない。
 東北大学の田所諭教授はハイパーレスキュー隊の最先端技術の開発をしている。ザヒ博士に見てもらった。日本とエジプトが協力できたら最高だと言われました。

●ツタンカーメン
 ルクソールはギザから南へ600km。ルクソールの市街はナイル川の東に広がる。この地を人々は遺跡の中に町があるという。
 新王国時代、王たちはピラミッドの代わりに巨大な神殿を築いた。ルクソール神殿もその一つ。王たちは競って石の塔を建てた。高さ30mにも及ぶオベリスク。太陽信仰を表わしているといわれる。その先端はピラミッドと同じように太陽の光線と同じ角度に作られている。
 ルクソールの川の西はネクロポリス(死者の都)。ナイルの岸辺から20分で王家の谷が見えてきた。ピラミッドのような岩山をいただくこの谷こそ「王家の谷」と呼ばれる王たちの墓地。新王国時代の王は150人余りだが、発見された墓は63。墓はみな地下に広がり、奥行き100mを越えるものもある。ラムセス6世王墓もその一つ。これらの墓の多くは盗掘され、王のミイラも別の場所に置かれた。ザヒ博士は未発見の王の墓を見つけることが目標。

 ザヒ博士は2005年ミイラをCTスキャンにかけた。死亡推定年齢は19歳。頭部に外傷はなく、左大腿骨を骨折していたので、感染症にかかり死亡したと博士は推測した。2006年5月8日のタイム誌で「世界で最も影響力のある100人」に選ばれた。
 2008年6月ザヒ博士は唯一の女性大王ハトシェプストのミイラを特定した。6月28日の朝日新聞でもツタンカーメン以来の発見と掲載された。カイロ博物館には20万点を越える発掘品が納められている。ここにツタンカーメン王の黄金のマスクが飾られている。
 ツタンカーメン王墓の発見は20世紀最大の発見と言われた。王家の谷に何も新しいものは残っていないと皆が言うが、ザヒ博士は秘密の階段を見つけた。その先に未発見の王の墓があるとザヒ博士は言う。
 この階段のある岩山の中腹にダムを見つけた。これが階段の下に墓の入口があるという証拠だという。王家の谷の略KVで名前が付けられていて、1922年にハワード・カーターにより見つかったKV62がツタンカーメンの墓だった。副葬品が盗掘されずに残っていた。ゲームボードもあった。ここにはツタンカーメンのミイラが今も静かに眠っている。
 64番目の墓が通路だった場所にあると博士は信じている。ツタンカーメンの母ネフェルティティ王妃の墓だと信じている。古代エジプトで3大美女の一人と言われた人。彼女の最も名高い彫像はドイツのベルリン美術館にある。2年前博士はKV62の南西17mに新たな墓KV63を見つけていた。木製の棺はツタンカーメン像と瓜二つだった。生の親の側室キヤのものだった。近くのKV55は黄金の仮面ははがされていて、王の名前を示すカルトゥーシュも削られていた。ツタンカーメン一族は宗教上の対立によって後の王たちの手で歴史から抹殺されていた。このミイラをツタンカーメン一族の一人と考えた。CTスキャンにかけて25−40歳の男性だと判明し、頭蓋骨の形状から、ツタンカーメンの父イクナテン王の可能性が高いという。

 ミイラ造りの技術が進歩したのは新王国時代。70日間かけたという。まず内臓を取り出しカノボスという容器に移される。腐敗を防ぐためにナトロン(炭酸ナトリウム)で水分を抜く。全身を包帯で巻き、樹脂で塗り固めて完成。
 KV17(セティ1世王墓)は全長137mにも及ぶ王家の谷で最大の墓。ツタンカーメンの4代後の王。その奥にさらに地中へと続くトンネルが隠されていた。セティ1世の名を彫ったカルトゥーシュが見つかった。入口から280mの地点で行き止まりだったが、博士は竪穴があるという。

●クレオパトラの墓
 7カ国語を操ったという。墓も不明だった。1995年フランス・エジプト合同海底調査を行い、アレキサンドリアの海底から宮殿の跡が見つかった。宮殿は大地震によって海に沈んでいた。水深8mの海底にはスフィンクスや女神像が横たわっていた。当時黄金並みの価値があった「ワイン」を入れる壷も見つかった。高さ160mの灯台、豪華な宮殿があったことが実証された。しかし墓だけは発見されなかった。クレオパトラはアレキサンドリアで生まれ育った。紀元前3世紀にマケドニアからやってきたアレキサンダー大王が制服し、後に部下だったプトレマイオス1世がこの国を統治した。彼女の祖先にあたる。この王朝は高さ100mを越すファロスの灯台なども建築した。町の地下には貯水槽を作った。
 ザヒ博士はアレクサンドリア大学時代に考古学を学んだ。その頃1本のアメリカ映画「クレオパトラ」が公開された。エリザベス・テーラー扮する18歳のクレオパトラはエジプトを守るために、ローマ軍のシーザーに身を投じる。クレオパトラについて書かれた最も古い書物は、ギリシャ人プルタルコスの「英雄伝」。8年前ベルリン美術館に保存されていたパピルスの中に、クレオパトラ直筆の文字が発見された。
 現在クレオパトラ7世の姿を確認できるのは、ただ一つ。アレキサンドリアの南750kmのデンデラの「ハトホル神殿」のレリーフ。

 ザヒ博士がクレオパトラの墓だと狙いを定めた場所は、アレキサンドリアの西50kmの丘の上にあるタップ・オシリス・マグナ(「偉大なる神オシリスの墓」の意味)の遺跡。広さおよそ6000平方m以上。長い間古代キリスト教の遺跡と思われていた場所だった。3年前からの発掘調査でクレオパトラに関連するものが次々出土している。黄金のコイン、黄金のミイラなど。
 ザヒ博士が案内してくれた。ここは極めて堅い岩盤の上に作られていた。クレオパトラの時代の遺跡が地中深くに隠されていた。4年前「イシス女神像」が出土し、クレオパトラの時代だと判明した。3年で30を越える竪穴や神殿の跡が発見された。クレオパトラが自ら名乗ったイシス女神。その神殿跡も見つかった。竪穴の一つに案内してくれた。遺跡の下は分厚い岩盤で、墓を作るには最適の場所。ここは最も不思議な場所だという。白いイシス女神像はクレオパトラの顔だと博士は言う。この顔はエジプト人ではなく、ギリシャ人だと。遺跡から出土した金貨には女性の横顔があるが、これがクレオパトラ7世だと博士は言う。遺跡の門は高さ20m、ローマ軍の進入を防ぐ要塞のようにも見える。またワインの壷の破片が多く見つかった。製造工場の刻印があった。
 この遺跡から南へ300kmのバハレイヤ・オアシスにクレオパトラの秘密のワイン工場があった。ワイン造りの遺跡もあった。ワインは金貨と同じくらいの価値があったので、王や貴族はこぞってワイン造りに励んだ。生産されたワインは輸出もされた。この地の砂の下に貴族たちが眠るミイラの谷があった。黄金のミイラのマスクにはプトレマイオス家のハヤブサの紋章があった。これもザヒ博士が発見した。
 どうやってワインを運んだのか?タップ・オシリス・マグナとバハレイヤは300km離れていて、間には砂漠がある。博士の答えは今は枯れた谷だった。当時は川があり、水が枯れてワイン・ロードになったと仮説をたてた。
 だから余計にタップ・オシリス・マグナはクレオパトラが眠るに相応しい。灯台の跡があるが、ワインを運ぶ者にとって、海と砂漠の道標だったという。

 映画ではエジプト軍を率いたアントニーはローマ軍と戦い命を落とす。最愛の人を見送ったクレオパトラは囚われることよりも、死を選んだ。伝説によれば、「アントニーと共に私を葬って欲しい」と言い残したという。出土品の中に、アントニーのマスクと思われるものがあった。バチカンのアントニー像とも重なる。これも遺跡の北西から出土していた。
 2009年1月にレーダー調査をして墓の入口を探索するそうです。


テレビ番組「びっくり法律旅行社 エジプト」

 2008年11月27日放送。児玉清、黒崎めぐみ、タカアンドトシさんが司会。京唄子、松嶋尚美、金子貴俊さんがゲスト。

●エジプト
 歴史遺産が満ちている。カイロは人口2000万人。ギザの三大ピラミッド。エジプト考古学博物館の一番人気はツタンカーメンの黄金のマスク、黄金の棺など。ランチにはファーストフードの「コシャリ」3ポンド(60円)がエジプトの国民的ランチ。ごはんとパスタとレンズ豆、タマネギなど。
 ギザの三大ピラミッドは左からメンカウラー王のピラミッド(高さ65m)、カフラー王のピラミッド(136m)、クフ王のピラミッド(138m)。スフィンクスは高さ20m、長さ57m。クフ王のピラミッドは平均2.5トンの石灰岩を210段積み上げ、推定重量は600万トン。
 ピラミッドでのツアーは今回はマグディー・カメールさん。ピラミッド内部ではカメラの持ち込み自体が禁止(エジプト考古省考古庁決定事項)。内部は大きな荷物は持ち込み禁止(同)。王の玄室に到着。ここは花崗岩で覆われている。懐中電灯や水の持込はOK。ガイドが内部で解説をするのは禁止。エジプト文化省クオ古学腸管のザヒ・ハワースさんが説明してくれました。ピラミッドのガイドは資格を持つ者に限るが、ガイドが説明をすることは一切禁止。中の通路はとても狭く、説明すると混雑するため。外で説明を受けて入るか、事前に勉強してから入ること。違反した場合は考古省の判断により、罰則が定められる。
 松嶋さんの話では、エジプトではボールペンをくれという人が多かったそうです。たくさんもっていくといいかも?
 カイロにはミナレットと呼ばれる高い塔がたくさんある。ここにはモスクがある。イスラム教は1日5回お祈りをする。モスク内でのルールは、靴は必ず脱ぐこと、大胆に肌を露出しないこと、入る時は右足から入ること。
 モスク内で結婚式が行なわれていた。結婚契約書に必ず記入することは、離婚時の慰謝料。結婚契約人のシェリーン・カーレッドさんが説明してくれました。女性の財産所有権が保証されているため。生活費は夫が稼ぎ、女性が働いて得たお金は生活費にせず、女性のお金になる。

 カイロ郊外のトラ地区には、刑務所が密集している。2008年10月から囚役者たちが町の飲食店から出前を取ることが可能になった。受刑者に外の空気がいいことを感じてもらうため。人気出前ランキング、3位サバの塩焼き1尾75円、2位エジプト風ソーセージ・ピザ1枚140円、1位ケバブで340円。

●バハレイヤ・オアシス
 お勧めツアーはサハラ砂漠を行くツアー。
 バハレイヤ・オアシスはカイロの西南350kmにあり、カイロから最も近いオアシス。砂漠に入る場合は観光警察の許可が必要。1時間で黒砂漠に到着。鉄鉱石が表面にあるために黒い。次は白砂漠で、岩肌が風と砂によって削り取られた砂漠。中でも有名なのがニワトリとマッシュルーム、ラクダ、アイスクリーム。ガイドのアハマド・マトラウィーさんが説明してくれました。砂漠で禁止されているのは、砂を掘って持ち帰ること(1983年第102条)。岩などを壊したり、かけらを持ち帰ることも禁止(同)。岩に乗ることはOK。違反した場合は最高5000ポンド(10万円)の罰金または1年の禁固刑。

●ルクソール
 王家の谷がある。ツタンカーメンの墓はピラミッド同様、ガイドが入ることを禁止、カメラの持ち込みも禁止。カメラ付き携帯電話での撮影禁止(エジプト考古省考古庁決定事項)。玄室がツタンカーメンの棺があった場所。玄室の隣にはツタンカーメンがミイラとして眠りつづけている。
 ナイル川をボートで東南に渡った。カルナック神殿には134本の巨大な柱が並ぶ。モハマド・アリさんがガイドしてくれました。1853という落書きがある。当時は砂に埋もれていたから高い位置に落書きがあるそうです。当然、落書きは法律で禁止されています。落書きをしたら最高500ポンド(1万円)の罰金および懲役刑。他にも遺跡に対して、次のようなことは禁止。広告を出すこと、破壊すること、無断で電気を引くこと。無断で住むこと。壁画を消すこと。違反した場合、損害の大きさによって罰則が決まる。
 最後はナイル川の夕陽を見る。


テレビ番組「世界の果てまでイッテQ 世界遺産100個100万円で見られるの?」

 2008年11月2日放送。オセロの松嶋尚美さんが挑戦。香港からロンドンまで1万キロを行く。世界遺産を見るごとに1万円支給される。移動費、食費、宿泊費は全て込み。その3回目。

●ラオスとタイ
 香港から陸路でハノイに渡り、ラオスとタイの世界遺産をルアンパバン、スコータイ、アユタヤ、カオヤイと全て制覇。8日間で5400km移動、現在の所持金は40450円。

●インド
 飛行機で8000ルピー(2万円)でバンコクからニューデリーに飛ぶ。
 早朝5時30分気温25度のニューデリー駅前でも人がすごい。チャイ屋さんが開いている。チャイはヒンドゥー語でお茶の意味。使うのはアッサムの茶クズ。水と牛乳に砂糖を加えたミルクティーの一種。5ルピー(12円)でとても美味しい。
 タージ・マハルに向かう。ニューデリーから列車に乗って南へ2時間。朝食付きで運賃は375ルピー(937円)。アーグラーに到着し、オート・リクシャーというインド名物バイクタクシーで移動。交渉すると80ルピーから70ルピー(175円)に値切った。途中からは廃棄ガスが出るものは進めないので、降りる。ここから人力車。20ルピー(50円)。それからは徒歩。
 タージ・マハルはインド史上最大のイスラム王朝のムガル帝国(1526−1858年)時代の遺物。入場料は250ルピー(625円)。インド遺跡めぐりには、考古学局にこれに別途1地区につき500ルピー(1250円)を支払う。厳しいX線の検査もあり、お菓子などの持ち込みも禁止されている。
 門の先にタージ・マハルがあった。ムガル帝国第5代皇帝のシャー・ジャハーンが製作したムガル帝国王妃ムスターズ・ハマルの墓。建築に使われたのは世界各地から集められた純白の大理石。22年の歳月と天文学的な費用をかけて完成されたという。途中からはビデオカメラは入れない。さらに途中からは靴を脱ぐ。靴の保管料として10ルピー(25円)かかる。番号紙をもらう。
 建物の裏側には川があり、その対岸に皇帝は自分の黒いお墓(黒タージ)を建てようとした。さらにその川に橋をかけようとしたが、かなわなかった。自分の息子にアーグラー城に幽閉されてしまったため。
 オート・リキシャーで20分、アーグラー城に到着。1565年に着工し、第3代アクバル皇帝が建設した。入場料250ルピー(625円)。全長2.5kmの城壁に囲まれた敷地内には数多くの宮殿が建ち並ぶ。見所はシャー・ジャハーンが幽閉されていた「囚われの塔」。たまねぎみたいな形の塔です。現在は塔は入場禁止。シャー・ジャハーンはこの塔で74歳で亡くなった。亡骸は息子によってタージ・マハルに埋葬された。

 昼食は定番の「ターリー」をいただいた。ミルク粥、3種類のカレー、可愛いピラフ、ヨーグルト、黒胡椒が効いたパパドゥ、チャパティというパン。8品で510円。

 幻の都、ファテープル・シークリー Fatehpur Sikri は、アーグラーの中心部からバスで1時間半。かなりの悪路です。遺跡近くで電気自動車に乗り換えた。入場料は250ルピー(625円)。ここはムガール帝国第3代アクバル皇帝が建設した都。保存状態がとてもよい。予言者が息子ができると言ってくれてできたので、予言者のいた場所に都を作ったが、14年しか住まなかった。水が不足していたからでした。

 午後11時にニューデリー駅に到着。格安のホテルを探すと300ルピー(750円)があった。Hotel Ganpat Palani ?トイレ付きでシャワーなし。

 翌朝、午前9時、気温30度。チャイを飲む。デリー市内の2つの世界遺産を目指す。目的地は「赤い砦、レッドフォート」で、オートリキシャで20分。ここはシャー・ジャハーンが生前の王妃と共に暮らしたお城。白タージ、黒タージに対して、赤。赤い砂岩が特徴のムガル朝最盛期の建築。ところが月曜日は閉まっている。しかし向かいの「チャンドニー・チョウク」という通りを探索しました。ここはデリーの浅草のイメージで、庶民の街。あらゆるジャンルの店が並ぶ。焼き芋「サカルカンディ」は8ルピー(20円)で、注文を受けると丁寧に皮をむいて一口大にカットしてくれ、そこにガラムマサラというインド料理定番の混合香辛料と塩で味付け、最後にライムをひと絞りする。マクドがあった。インド人は牛や豚を食べないから具がどうなっているか気になる。具は全部チキンでした。チキン・マハラジャ・マックなど?65ルピー(162円)。味はカレーです。

 「フマユーン廟」はタージ・マハルの建設に大きな影響を与えたという。入場料は250ルピー(625円)。これもすごい。確かにタージマハルの原型というのもわかる。ムガル帝国第2代フマユーン皇帝の墓(1565年〜)。たまねぎ型の屋根はイスラム建築の象徴でドームと呼ばれる。アーチ型の屋根は重さを分散し柱が少なくてすむため、内部には広い空間を確保できる。

●エジプト
 インドから1.6万ルピー(4万円)でエジプトに飛ぶ。通貨はポンド(1EGP=20円)。歴史の国エジプトには世界中の遺跡の3分の1があると言われている。午前3時カイロ空港着。現在の所持金は13360円。空港で時間をつぶす。
 午前8時、気温32度、タクシーで1時間、100EGP(2000円)でギザのピラミッドに向かう。タクシーの中からピラミッドが町の向こう、遠くに見えた。入場料は50EPG(1000円)。厳重な荷物チェック。
 クフ王のピラミッドが目の前にあった。世界最大の石造建築。高さ137m、底辺の長さは230m。積み石1個の重さは平均2.5トン。石の数は230万個以上。10万人の人間が20年かけて造ったという。
 内部を見学する権利は午前150人、午後150人に限定されている。現場にて先着順。内部見学料は100EGP(2000円)。「王の間」には現在は階段が利用できる。途中からは立って歩けるようになるが、それから身をかがめる通路があり、「王の間」となる。内壁の接合部分は空気も通さないほどの精巧さ。現在でもゆがむことなく、完璧な状態を保っている。奥には未完成の棺が置いてある。
 有名なビュー・ポイント「パノラマ」に行く。クフ王、カフラー王、メンカウラー王のピラミッドが一望できるスポット。向こうにはビル群が見える。暑いが、観光バスかタクシーしか乗るものがないらしい。
 タクシーで移動10EGP(200円)し、スフィンクスに。高さ20m、幅53m。数あるスフィンクスの中でもギザのスフィンクスは世界最大。建造目的には諸説あり、未だ解明されていない。

 ピラミッド周辺からタクシーで20分、川を渡ったところにカイロ歴史地区がある。7世紀以来のエジプトにおけるイスラム教信仰の中心地。入場料は40EGP(800円)。一際目をひく観光目玉が「ムハンマド・アリ・モスク」。天井の繊細な細工が見事な地区最大のモスク。入場の際には、土足、露出の高い服は禁止。入口を入ってすぐの中庭にあるのは「泉庭」という身を清める場所。中の礼拝堂の天井はすごい。ミンバルは説教師が説教する壇。中央のへこんでいる部分(ミフラーブ)はメッカのカーバの方角を示している。カーバはメッカにある聖殿のこと。

 夕食は「海老のフリッターのトマト・ケチャップご飯」みたいなもの35EGP(700円)。

 ルクソールに飛行機で向かう。479EGP(9580円)。空港は気温40度。古代エジプト人はこの地を神々が集う場所と呼んだ。神であるファラオの住居「神殿」が観光の目玉。
 まずはカルナック神殿。映画のセットみたいな広大な神殿の跡。今から3500年以上前からの神殿で、2000年にわたり大増築を繰り返した。100人の子供を残したといわれる大ファラオ、ラムセス2世像がある。オベリスクがあるが、先端に金を塗っておいて、朝日が昇ってきて光ったら礼拝の合図となっていたらしい。パリのコンコルド広場にもある。動物園と植物園の跡がある。一番多く戦争をしたトトメス3世は、古代エジプト最大の領土拡大を達成した。エジプトにない動物や植物を持ち帰った。その植物や動物の絵が描かれている。
 クレオパトラはエジプト文明最後のファラオ。絶世の美女と言われたが、遺物は少ない。ルクソールの下流60kmのデンデラにある「ハトホル神殿」はクレオパトラの壁画が残る女神の地。柱には顔が描かれているが、ハトホル神。ハトホル神は愛と喜びの女神。クレオパトラの絵は真裏にある。人物レリーフがいくつかあるが、その一番左端。クレオパトラは実際には世の中に7人いたらしい。一番有名なのはクレオパトラ7世。クレオパトラ7世の死によりエジプト古代文明は終わり、エジプトはローマの属州となった。

 以上、滞在日数4日、総移動距離7520km。使ったお金は86905円。


テレビ番組「古代エジプト三大ミステリー」

 2008年7月26日放送。関東では7月21日に放送された。宮本隆治、中山エミリさんがエジプトに飛んだ。日本テレビ製作。

●三大ミステリー
 エジプトには未解明の不思議が多い。新王国時代の歴代の王は150人以上だが、発見された墓は63。ツタンカーメンの黄金は素晴らしい。アレキサンドリアの高さ160mの灯台も地震で海に消えた。クレオパトラ7世の墓は未だ見つかっていない。エジプト考古庁長官のザヒ・ハワース博士はエジプトのインディ・ジョーンズと言われる。2005年ツタンカーメン王のミイラをCTスキャンで徹底分析し、素顔を再現した。ピラミッド、ツタンカーメン、クレオパトラの3大ミステリーを追う。
 エジプトは1000年毎に3つに分けられる。カイロ近くのギザのピラミッドの古王国時代(BC2650〜BC2180)、ツタンカーメンの新王国時代(BC1565〜BC1070)はルクソールで地下に大きな墓を作った。最後はプトレマイオス朝(BC305〜BC30年)でクレオパトラの時代でナイル川の河口が中心だった。
 今年3月、古代の人が作られた階段を発見した。その付け根に財宝があると信じている。

●ピラミッド
 クフ王のピラミッドは建設時の高さは156.6m、今は138.7m。底辺の長さは230m、勾配は51.52度。平均2.5トンの石が230万個。4面は正確に東西南北を向いていて、誤差は1度の10分の1以下。ピラミッドの稜線は天から降り注ぐ太陽光をイメージしているといわれる。クフ王は紀元前2550年頃に絶大な力を誇った。残っているのは、7.5cmの小さな彫像だけ。博士は現在わかっている空間以外の部分にクフ王の墓があると信じている。王の間の棺はクフ王の物としては粗末すぎるという。博士は盗掘を防ぐための偽の埋葬室だと考えている。王妃の間の東西に20cm四方の穴があるが、これがクフ王の棺へつながると信じている。小型カメラをつけたロボットを開発し、これを南の通気孔に通したが、扉があった。

 クフ王の孫の大王メンカウラーのピラミッドにも潜入。高さ65m、底辺の平均の長さは103.4m、勾配は51.2度。棺はイギリス人が見つけロンドンに運ぶ途中、スペイン沖で沈んだ。このピラミッドの地下に王の埋葬室の前室、祈りのための6つの部屋などがあった。埋葬室があった。この部屋だけ花崗岩が使われていた。天井はアーチ状。クフ王の王妃の間も周囲は花崗岩で天井は三角屋根だった。同じようにクフ王の埋葬室も地下にあると博士は考えている。

 ピラミッドはナイル川に沿うように108個見つかっている。大きさ形も様々。王の墓だといわれながら、どのピラミッドからも墓も財宝も見つかっていない。

●王家の谷
 カイロからナイル川沿いに南へ670km。遺跡の中に街がある。カルナック神殿をはじめとして、遺跡が多い。王たちは石の塔オベリスクを建てた。高さ30mにも及ぶ。頂上の角度は太陽光線と同じ。ナイル川より東は人々が暮す生の世界。西は死の世界で、王家の谷、貴族の墓、王妃の谷がある。ここ86年間、新しく王の墓は見つかっていない。ラムセス6世の墓は最も美しい墓の1つ。当時は真っ暗だったはずで、どうやって壁画を描いたのかも不思議。1888年に見つかった時は、既に盗掘された後だった。1922年ハワード・カーターにより見つかったツタンカーメン王の墓(KV62)は盗掘されていなかった。
 セティ1世の墓は未盗掘の可能性がある。廊下Kの先に秘密の通路がある。途中まではきれいに壁画が描かれているが、途中から未完成の絵が続く。秘密の通路でウシャブティという青い彫像が見つかっている。王が埋葬される時に副葬品と一緒に埋葬される像。かなり奥まで進ませてもらいました。
 2005年1月のCTスキャンで19歳で死亡したこと、頭に損傷はなかったこと、左大腿骨を骨折し感染症で命を落としたことがわかった。生まれながらにして口蓋裂があった。頭は縦に長い長頭で、上の前歯が出ていた。墓の中からドームヤシというヤシ科の植物の実が発見され、これを食べていたことも判明した。
 父のイクナテン王、母のネフェルティティ王妃の墓は見つかっていない。ルクソールから車で4時間、アビドスにあるセティ1世葬祭殿がある。セティ1世はツタンカーメンの4代後の王。3300年前に建設された。ここに王名表がある。1700年間76の王名が記載されている。ここにはアメンヘテプ3世(BC1382−1344)の後の、イクナテン(BC1344−1328)、スメンクカーラー(BC1330−1327)、ツタンカーメン(BC1327−1318)、アイ(BC1318ー1315)の名前が消えていて、次はホルエムヘブ(BC1315−1295)となっている。
 イクナテンは芸術家で、都をルクソールからテル・エル・アマルナに遷都した。ネフェルティティ王妃の彫像も生きているかのように芸術的。イクナテンは宗教改革も行なった。神官たちを一掃し一神教にした。国力は衰退していった。17年でアマルナの時代は幕を閉じ、都はルクソールに戻された。神官たちはそのために王名表に記載しなかったのだろう。
 2006年2月KV62の南西17mにKV63の墓が発見された。王の墓ではなかったが、木製の棺があったがミイラは中になかった。ツタンカーメンと同時代とわかった。博士はこれをツタンカーメンの母の側室キヤだと考えた。
 すぐ西にあるアメンヘテプ2世王墓(KV35)にミイラの隠し場所があった。フランス人が12体のミイラを見つけた。右奥からは9体あり、8体は王のものだと確認された。手前からは男性1人、女性2人のミイラが発見された。一つの女性はツタンカーメンの祖母のティイ王妃だと確認された。母のネフェルティティ王妃、実母の側室キヤ、妻のアンケセナーメン王妃はわかっていない。もう一人の女性のミイラはCTスキャンしてみたら、左のわき腹を刺されていた。頭も殴られて死んだことがわかった。博士は側室キヤだと判断した。
 博士は東のKV55で発掘されたミイラに注目していた。胸で手を交差しているので王だとわかる。黄金のマスクが剥ぎ取られた形跡がある。王の名を示す名前も剥ぎ取られていた。これはイクナテン王の可能性があると考えている。頭蓋骨の細長い形、頬骨の形、口蓋裂も同じだった。これからDNA試験をするそうです。
 2008年1月に古代に作られた階段を発見した。この下に墓の入口があると博士は信じている。10月には王家の墓全体に対してレーダー調査をするそうです。


テレビ番組「The 世界遺産 エジプトのアブ・シンベル神殿」

 2008年5月11日放送。3200年前のネフェルタリ王妃の墓。愛妻家の王はラメセス2世で、カイロのエジプト博物館に眠っている。建築王とも呼ばれ、ナイル川上流に巨大な岩窟神殿(アブ・シンベル神殿)を建造したことでも有名。

●ヌベア地方
 カイロから飛行機で2時間。ヌビア砂漠の中にあるアスワン Aswn の街が玄関口になる。ここにはエジプト人とは肌の色も文化も違うヌビア人が暮らしていた。ヌビアとは古代エジプトで金を意味するヌブという言葉から来ている。
 ラメセス2世は紀元前1280年頃から67年君臨した。ツタンカーメン王から50年後に即位した。
 メビア砂漠に2007年1本の新しい道路が開通した。この道路をたどれば、ラメセス2世が残した数々の神殿に出会える。かつては船旅でしか行けなかった。「ワー・ディ・アル・セブア神殿」はライオンの谷として知られる神殿。ここにもスフィンクスがあるが、顔はラメセス2世。「デール神殿」の内部は美しいレリーフに圧倒される。

●アブ・シンベル神殿
 ナセル湖のほとりに建つ。ラメセス2世は自らが太陽になろうとした。正面に鎮座する4体の石像は、いずれもラメセス2世。高さは21m。8人の王妃と多くの側室を持ったというラメセス2世には90人以上の子供がいたという。内部にはラメセス2世をかたどった石像が並ぶ。突き当たりに最も聖なる場所「至聖所」があり、左からプタハ神、アメン・ラー神、ラムセス2世、ラー・ホルアクティ神の像がある。
 この神殿は太陽にまつわる装飾に満ちている。入り口の上には動物の像が並んでいる。マントヒヒで、古代では太陽の光を浴びると太陽に向かって両手を上げると考えられていた。ラー・ホルアクティ神(太陽神)の像もある。至聖所ではラムセス2世はラー・ホルアクティ神と肩を並べている。
 朝日が昇ると、神殿は赤く染まる。神殿の内部に朝の光が差し込み、至聖所の像が光と一体化する。ラメセスの名前には太陽神ラーによって生まれたという意味がある。アブ・シンベル神殿にはファラオの偉業を称える壁画が残されている。戦争の様子で、弓の名手だったという。その腕にはファラオを守護する神の腕が重ねて描かれている。紀元前1275年頃、エジプトはトルコのアナトリア高原のヒッタイトと争った。戦場となったシリアのカレシュは歴史に残る初めての大戦争といわれている。その壁画はエジプト軍の大勝利を記録している。
 ところが今から100年前、ヒッタイト遺跡(ハットゥシャ)が発掘されると意外な資料が出土した。世界最古の和平協定文だった。エジプト軍はカレシュの戦いで劣勢のまま退却したと書かれていた。アブ・シンベル神殿は王の偉業を脚色するものだろうと考えている人が多い。
 19世紀の始め、スコットランド人デビッド・ロバーツがナイルを遡り、神殿をスケッチしている。その時も危機にあったが、20世紀にも危機になった。ヌビア砂漠には世界最大の湖が広がる。1960年代からアスワンハイダムの建設によって生まれた。このダム建設はアブ・シンベル神殿を水没させる危機となった。ダムが完成すると320km離れた神殿までも水没する。「アブ・シンベルを救え」というユネスコの提案に50を超える国々が賛同し、16000のパーツに解体され、現在の場所に移築された。1964年にスタートし、4年半かかった。他の遺跡(ワー・ディ・アル・セブア神殿、デール神殿、ダッカ神殿、モハラッカ神殿、ハトホル神殿、カラブシャ神殿、ケルタッシ神殿、ベイト・アル・ワーリ神殿、イシス神殿など)にも適用され、世界遺産という言葉が生まれた。1979年世界遺産。女神イシスは切り刻まれた夫の体を集め、冥界に蘇らせた。それがミイラの起源となった。神殿の壁画に水源のことが記載されているが、女神イシスの流した一滴の涙がナイルの流れとなり、ヌビアに住む人々に潤いと緑を与えたと伝えている。
 アブ・シンベル神殿に向かって右手にアブ・シンベル小神殿がある。これは王妃ネフェルタリのために作ったもので、これも同じ配置で移築された。ネフェルタリという名前には「美しき者」という意味がある。神殿内には美の女神ハトホルの石像もある。王妃が亡くなった後に、ラムセス2世は帝都テーベ(ルクソール)近くの王妃の谷に壮大な墓を作った。エジプトで最も美しい墓。しかし、ネフェルタリのミイラは発見されていない。


テレビ番組「エジプト大紀行 カイロ、ナイル川クルーズ、意外なエジプト観光」

 2008年1月2日放送。高野美穂さんが案内。エジプト・アラブ共和国のヒシャム・バドル大使が挨拶。JIC製作。

●カイロ
 成田から週3便、大阪から2便直行便が飛んでいる。
 タハリール広場はカイロの中心にある場所。エジプト考古学博物館、最大の繁華街が近くにあり、賑わっている。

●ピラミッド
 車で30分ほどでギザのピラミッドに到着する。ピラミッドは王の墓といわれていたが、王の遺体が見つかったことはない。建築方法にも謎は多い。クフ王のピラミッドは紀元前2600年頃の古代エジプト第四王朝時代に作られた。現在は盗掘のために開けられた穴が入口として使われている。中に入り、大回廊に。登りきると大きな空間がある。
 外でラクダに乗る。バルーレ君というラクダでした。スフィンクスはその後ろにあるカフラ王のピラミッドのカフラ王の顔に似せて作ったという話もある。元々長いヒゲがあり、それは大英博物館に所蔵されている。
 食事をしながらピラミッドが見られるお店に行く。スパイシーなライス、魚のフライなどをいただいた。

●シタデル
 イスラーム地区の南東、丘にたつ要塞。十字軍を阻止するために1179年に建設された。その後は要塞兼住居として使われてきた。エジプト最大のモスク「ムハンマド・アリ・モスク」。入る前には靴を脱ぐ。ムハンマド・アリがフランスにオベリスク(パリのコンコルド広場)を贈ったお礼に、当時のフランス国王ルイ・フィリップが時計を寄贈した。ドームは緑色?で天井は高い。モスクの入口右手にはムハンマド・アリ廟がある。

●エジプト考古学博物館
 前庭の池には北エジプトを象徴する蓮と、南エジプトを象徴するパピルスが植えられ、共存することで平和のシンボルとなっている。まずジェセル王坐像、ナルメル王のパレット。1階は王朝別の展示、2階は棺などが展示。ギザの三大ピラミッドの一つを建てたメンカウラー王の立像。収蔵点数は12万点。ラムセス2世は権威を残すために、エジプト全土に多くの像を配布したらしい。カー・アベル像は世界最古の木像。カフラー王の像。現存する唯一のクフ王像。ラーヘネフとネフェルトの像は、エジプト史上最も美しいと言われている美術品。王家の谷に眠っていたミイラがハトシェプスト女王の顔像。ハトシェプスト女王のスフィンクスもある。ハトホル女神を示す牝牛像。黄金の箱が並ぶ。
 ツタンカーメンの黄金のマスクもある。ふんころがしのモチーフは幸せの象徴として描かれているのが「スカラベの首飾り」。今でも貴金属店でこのモチーフは多く見られる。カノホス容器には内臓が入れられた。王妃が最後に入れた花も残っている。黄金の王座もある。魚釣りの様子を描いた模型もある。二階にはミイラ室もある。

●ハンハリーリ市場
 エジプト最大のスークであるハンハリーリに行く。金曜日はイスラムの人もでていて賑わっていた。14世紀にはこの場所に市があったという。値段は交渉で決める。いろんな日本語が聞こえてくる。ヒエログリフのペンダントがある。スパイスのお店もある。香水のお店も。

●オールド・カイロ
 ノスタルジックな空間が広がる。地下道をくぐりぬけると見えてくるのが、聖セルギウス教会。祭壇に向かって左手奥にある地下道が見所で、聖母マリアと幼いキリストが身を隠した場所といわれている。エル・ムアッラカ教会は、3−4世紀にキリスト教の一派であるコプトにより建設され、100を越えるイコンがあったという。現在はコプト博物館に置いてある。3世紀からのコプト教徒迫害の歴史もある。451年コプト信仰は異端とされた。シャンポリオンがエジプトの文字を読むのにコプト文字は役立った。

●サッカラとダハシュール
 ピラミッドがある。ダハシュールにあるスネフル王の赤のピラミッド。スネフル王はクフ王の父。赤いのは化粧石がはがれたため。もう一つスネフル王のピラミッドがある。屈折ピラミッドと呼ばれ、途中で斜度が変わっている。
 サッカラにはピラミッド建築のはしりとなったジェセル王の階段ピラミッドがある。6段。周辺には崩れてしまったピラミッドがいくつもある。
 近くのハト料理の店に行くと、音楽で盛大に歓迎された。中にご飯が入っています。
 サッカラは絨毯作りで有名。大きい絨毯?は1枚1年かかるそうです。どれも見事な仕上がりです。子供の手でないと作れないそうです。
 パピルスの専門店ではパピルスの製作工程も見学できる。これに絵を描いたものも売っている。

●ディナー・クルーズ
 2時間ナイル川を周遊し、食事と音楽と踊りを楽しむ。


●夜行列車
 高給寝台車のナイル・エクスプレスでアスワンに向かう。寝台車は中からカギもかけられるので、女性も安心。部屋での夕食付きのようです。ギザ〜アスワン間はシングルでUS$88。食事がすむと寝台席に変えてくれました。
 朝、アスワンに到着。

●アスワン
 交易の中継地として古くから栄えていた南町。ここから飛行機 Egypt Air でアブシンベルに向かう。空路でナセル湖が見渡せる。

●アブ・シンベル神殿
 スーダンとの国境までわずかの町。ほとんどの観光客は暑い昼間はホテルでゆっくり過ごす。日が暮れると涼しい。夜は音と光のショーがある。
 ラムセス2世の像が4体。太陽神の方が小さい。神殿は長い間砂に埋もれていたが、1813年スイスの探検家によって発見された。「音と光のショー」があるが、日本語でした?このショーはエジプトで最も有名なショーの一つ。ラムセス2世の業績を紹介している。
 朝。日の出はとても重要だった。向かって右の2つが北エジプト、残りは南エジプトを意味している。光が神殿の中に入っている。中は壁の隅々まで壁画が描かれている。一番奥には、4体の像。左から万物の創造神であるプタハ神、国家最高の神アモンラー神、ラムセス2世、闇の神のラーホルアクティ神。今はライトアップされているが、闇の神だけは日が当たらないようにされている。
 隣はアブ・シンデル小神殿で、王妃ネフェルタリの神殿。中には牡牛の耳を持つハトホル女神の柱が6本。ラムセス2世には7人の王妃と数十人の愛人がいたという。神殿の壁画には二人の愛情を示したレリーフが数多く見られる。砂に埋もれていたために保存状態がよい。

●ナイル川クルーズ
 アスワンからナイル・クルーズはティー・パーティの後に始まる。3泊4日の旅。眠っている間にアリッサ号 Alyssa は出港していた。この船は女性オーナーが経営する。船なのにバスタブまである。ジム、マッサージ・ルーム、ジャクージ、サウナもある。
 目が覚めると目の前にコム・オンポ神殿があった。新王国時代にプトレマイオス6世が建てたもの。ハヤブサの顔を持つホルツ神とワニの姿をしたソデプ神?のために建てられたという。船を降りて見学することも、船の上からの見学も可能。

 エドフ(ルクソールとアスワンの中間点)にあるホルス神殿は、港から距離があるので、馬車で行く。ホルス神殿はエジプトに数ある神殿の中でも保存状態のよい大きな神殿。幅79m、高さ36m。塔門にはファラオがホルス神とハトホル女神に生け贄を捧げている様子が描かれている。ホルス神はエジプト航空のトレードマークになっている。古代エジプトでは王はホルス神の化身と考えられていた。18本の柱が建つ第一列柱室、12本の柱が建つ第二列柱室。1部台所としてキリスト教徒が使っていたので、壁がすすけている場所もある。プトレマイオス8世が建てたあんじょう殿がある。

 水門を通過する。7mの水位の違いを水門を使って調節している。抜けるとルクソールに向かう。  船の中では民族衣装を着て、パーティ。早朝、ルクソールに到着。
http://www.mtsegypt.com/

●ルクソール
 西岸から熱気球に乗る。空に上がると地平線から太陽が昇り始めた。遺跡が次々と現れた。Sindbad Balloons US$250。太陽が沈むルクソールの西岸は死者の町を意味するネクロポリス・テーベと呼ばれ、太陽の昇る東岸は聖者の町と呼ばれている。
http://www.sindbadballoons.com/

 西岸は遺跡の宝庫。ガイドブックにも載っていない遺跡がたくさんある。現地の楽器を演奏してみた。
 ハトシェプスト女王の葬祭殿。彼女は夫トトメス2世の死後、幼かったトトメス3世に替わり摂政となり、エジプト初の女王となった。芸術性に非常に優れている。交易に力を入れていたことも壁画に描かれていた。
 王家の谷。トトメス1世は盗掘が絶えなかったので、埋葬場所を秘密にしたことから始まった。現在62の墓が発見されている。王家の谷で一番保存状態がよいラムセス4世の王墓に行く。花崗岩で作られた棺も最も大きいらしい。62番目に見つかったツタンカーメンの王墓もある。
 2体のメムノンの巨像。かつてはその後ろに居城があった。
 カルナック神殿。オベリスクもある。アメン大神殿はかつてはルクソール神殿まで延びていた参道を思い起こさせるのはスフィンクス。第一塔門の高さは43m。中庭左にはラムセス3世神殿。幅102m、奥行き52mの大列柱室には、高さ23mの円柱が134本建っている。壁には見事なレリーフがある。トトメス1世のオベリスクは高さ19.5m、重さは130トン。ハトシェプスト女王のオベリスク、ツタンカーメンの像などもある。かつて柱は植物をモチーフにした風習があった。聖なる池では、儀式の前にファラオは身を清めた。


●シャルムエルシェイク
 シナイ半島の先端に位置するリゾートで、イスラエルによって作られた街。青い海と白い建物がエーゲ海の風景を連想させる。紅海は世界的に有名なダイビング・スポットで、美しいサンゴ礁や魚たちを見ることができる。雨が流れ込まないので、海の透明度がとても高い。グラス・ボートに乗り、底の風景を見る。運がよければ海ガメに会うこともできる。
 ダイビング店「Diving Center」に行くと、日本人スタッフが3人もいた。10年間でホテルが倍増して、リゾート化が増しているそうです。この日の気温は39度だが、湿度がとても低いので、日陰だと快適。
 宿泊はヒルトン・ワールドワイド・リゾート。コテージ型の宿泊スタイル。プールはいくつもある。広い敷地内には専門店やコンビニもある。

●セントカテリーナ
 シナイ半島の内陸。モーゼが十戒を授かったというシナイ山の麓の町。途中に検問所がいくつもある。ここで1泊した。夜は寒いそうで、冬には雪も降るそうです。
 谷の一番奥にはセント・カテリーナ教会がある。現存する世界最古のキリスト教教会。ギリシャ正教です。シナイ山は2285m。朝日の昇るのを見るために、夜にらくだに乗って多くの信者が山に登るそうです。
 教会の中には黄金の棺があり、カテリーナが眠る。4世紀初めアレクサンドリアにいた女性です。モーゼの井戸もある。6世紀のイコンなど、130点のイコンがある。「燃える柴」の柴もある。

●アレキサンドリア
 地中海の真珠と呼ばれる。海岸に沿ってカフェが並ぶ。カイトベイ要塞は、マムルーク朝のスルタンであるカイトベイが15世紀頃に建築した。ギザのピラミッドなどと並び、古代七不思議の一つに数えられる「ハルス島の灯台」があった場所。高さ120mの灯台の明かりは56km離れたところからでもわかったという。残念ながら14世紀の地震で灯台は破壊された。中にはモスクも造られている。今はデートスポット。
 海岸沿いのシーフードの店に行く。魚を決めて調理法を選ぶことができる。心地よい風を感じながら、海を見ながら食事をしました。
 東に18km離れた、美しい庭園のあるモンタザ宮殿。トルコ式とフィレンツェ様式で、王たちが一夏を過ごすために建てられた。建物はエジプトの国旗にある赤、白、黒を配して作られている。庭園の中で宿泊もできる。
 宿泊はモンダサ・シェラトンで、宮殿のすぐそば。窓からは地中海の景色が広がる。

●カイロ
 バハレイ7アに行く途中に通過。途中でギザのピラミッドも見えた。モロヘイヤ料理はエジプトの名物料理。ターメイヤはそら豆と野菜をミンチにしてスパイスを利かせた家庭料理。

●バハレイヤ
 砂漠の中にある町。カイロからバハレイヤに行く間に休憩できる場所は1個所。夜にやっと到着。ホテルで夕食。パスタは「雀の舌」というものでした。なつめやしは干し柿みたいな味だそうです。
 インターナショナル・ホット・スプリングはドイツ人のペーターさんと日本人の奥さんが経営するコテージ・タイプのホテル。
 バハレイヤ・オアシスの水源の水はローマ時代から湧き出ているそうです。

●デザート・サファリ
 砂漠で一夜を過ごす。黒砂漠と呼ばれる地帯は玄武岩が散らばる。ピラミッドを模したかのような不思議な光景が広がる。クリスタル・マウンテンは山のところどころに水晶が顔を見せる。
 次は白砂漠で、テントで一夜を過ごす。夕食はサファリのガイドが作る。幻想的な風景。奇岩は柔らかい石灰岩が溶けていくからできる。


テレビ番組「探検ロマン世界遺産 エジプト」

 2007年5月26日、6月2日放送。竹中三佳さんが案内。世界七不思議にも数えられるピラミッドは何のために作られたのか?古代都市テーベはツタンカーメンなどの多くの王が埋葬された王家の谷。アブ・シンデル神殿には1年に2回太陽の光が神殿の奥まで照らす。ナイル川1500kmを遡りながら、いくつかの世界遺産を見る。

●アレクサンドリア
 船に乗ってでかけた。ダイビングしている人がいる。海に入ると水深7mには、スフィンクスがある。顔は人間、体は獅子の姿。ヒエログリフの石碑もある。紀元前1世紀クレオパトラの都で、大地震で水没した。

●カイロ
 ナイル河口から200km、人口1500万人のエジプトの首都。

●ギザのピラミッド
 カイロ中心街から10km、車で30分。道路からは畑の向こうに見える。畑にはラクダがいた。畑を抜けるとスフィンクスとピラミッドがある。これを人が作ったかと思い、涙が出ました。
 一番大きいのはクフ王のピラミッド。紀元前2550年頃、平均2.5トンの石を300万個積み上げてある。高さ147mで世界最大の石造建築。4辺は正確に東西南北を向いている。
 吉村作治さんが案内してくれました。古代、ピラミッドは王の墓だといわれている。入口から40mの場所で通路が2つに分かれている。内部の方に行く。傾斜30度で30m上ると大回廊に出る。高さは9m、床の幅は2m、天井は1mと狭くなっている。長さ47mの大回廊を登りきると、王の間。広さは30畳で、中には石で作られた四角い箱がある。ピラミッドは石灰岩だが、ここは花崗岩が使われていて堅い。吉村さんは墓である可能性は極めて低いと考えている。
 紀元前5世紀にヘロドトスは王の墓だと言っている。三大ピラミッドとオリオン座の星の並びが同じなので、天文だという。日時計、ナイルの治水などの説もある。
 ナイル川沿いには大小100のピラミッドが発見されている。南へ10kmにクフ王から250年後のペピ1世のピラミッドがある。今回特別に内部の撮影が許可された。エジプト考古庁のアリ・エルバタルさんが説明してくれました。王の石棺があったが、横の平らな石の下から壷に入った人の内臓が発見された。ミイラにする際に、内臓は取り出して棺の横に置いていた。壁には死後に平穏に暮らせる願いが書かれていた。ここは王の墓であった可能性が高い。
 全てにあてはまる共通点はナイル川の西に築かれていたということ。西は太陽が沈む方角。古代エジプトの人は太陽を神とし、西に死後の世界があると考えていた。西に沈んだ太陽は東から出てくるので、あの世から人間も復活すると考えられていた。ルクソールの「センネジェムの墓」は役人の墓だが、壁画にはナイル川のほとりで畑を耕すセンネジェムの姿があった。
 死後は「死者の書」にあるように、心臓と正義を意味する羽根を天秤にかけられ、悪いことをしていないとOKだが、悪いことをしていると心臓が下がり、横にいる怪獣アムムトに心臓を食べられ、あの世で生き返ることができなくなる。最後の審判はファラオであっても受けないといけないとされていた。

 最古のピラミッド「階段のピラミッド」(紀元前2650年頃)は高さ62m。クフ王の5代前のジェセル王のもの。ピラミッドの横には祭殿があり、神殿、礼拝堂、いろいろな建物が不随している。ピラミッド・コンプレックスと言われ、死んだ王や一族の精霊が集まるとされた。全体は15ヘクタール。周囲には高さ15mの壁が作られた。すぐ北の壁にある穴から中を見ると、ジェセル王の彫像が見える。精霊が宿る場所だった。吉村さんは精霊の通り道がピラミッドだったと考えている。
 ギザのピラミッドにも300m近い参道があり、入口には神殿があったことが確認されている。
 四角錐としては、メキシコのティオティワカンもある。頂上で生け贄を神に捧げるための宗教施設だった。もう一つ、秦の始皇帝陵は、兵馬俑を埋めている。9世紀に完成したインドネシアのボロブドールも仏教の立体曼荼羅。

 ピラミッドの建造はどういう風に行なわれたのか?これまでは10万人が20年間働いたと言われていた。クフ王のピラミッドの西に神官の墓などが密集している場所がある。「神官カイの墓」に、ピラミッドを作る時に、カイが命令したという記録が残っている。奴隷的ではなく、給料をもらって喜んで参加していたことがわかった。働いた人は上流の人。
 ナイル川は7〜10月に雨季になり、川の水位は10m上昇し、氾濫した。これは今から100年前までダムができるまで続いた。畑では小麦、大麦、豆が栽培していた。水没した間、農民は働けないので、王は報酬を与えてピラミッドの建設に従事させた。働く人は王の再生に貢献したという喜びもあった。
 石は切り出され、ピラミッドのすぐ近くまで船で運ばれた。高度な数学が発達していた。ソリに乗せて石は運び上げられた。

 古王国(紀元前27〜22世紀)ではピラミッドが作られた。中王国(紀元前21〜18世紀)では日干しレンガが使われた。風化しやすく、今では崩壊しかけている。新王国(紀元前16〜11世紀)では、エジプト中部に全く異なる文化が花開いた。

●ルクソール・古代都市テーベ
 ナイル川を上流にカイロから800km。新王国時代の都として栄えた。ピラミッドの代わりに巨大な神殿が作られるようになった。東にある世界遺産「カルナク神殿」は、エジプト最大で、柱がとても大きい。アメン神を祀る。地方の神だったが、エジプト全土に広がる。神殿を建てたファラオ達は元は地方の豪族だった。
 神殿の対岸に驚くべき遺跡がある。「王家の谷」には62の墓があった。最も有名なのがツタンカーメンの墓。自転車で回るのが便利だそうです。岸から王家の谷まで12km、自転車で15分。紀元前16世紀から400年に渡り、ファラオ24人とその一族の墓。墓は地中深く掘りこまれている。
 「ツタンカーメン王墓」の地下へ続く通路は17m、王家の谷の中で最も小さい墓なので、盗掘を免れた。人型棺の中には今でもツタンカーメンのミイラが眠る。1922年に発見したハワード・カーターがここにずっと置いておいて欲しいと願ったため。遺物は2000点を越え、価値はアメリカの国家予算に匹敵するという。黄金の棺は重さ110.4kgで純金製。その中には黄金のマスクがあり、中にミイラがいた。2体の赤ちゃんのミイラもあった。
 丘の上に登ると、ピラミッド山がある。当時、ナイル川下流の下エジプトではピラミッドに代表される太陽信仰、上流の上エジプトではアメン神が信仰されていた。この上下エジプトを統一した者が初めてファラオとなれた。ピラミッドのある場所にお墓を作って下エジプトの民を納得させたのだろう。

 町を少し離れると、川沿いには昔ながらの風景がある。水面を叩いて魚を網に追いやる漁法。ナイルパーチなどが採れるそうです。ピラミッドにもその手法が描かれている。

 世界遺産「ハトシェプスト女王葬祭殿」(紀元前1460年頃)には壁一面にレリーフがある。当時の交易船が描かれている。エジプトでは1年を通して風が北から南へと一定方向に吹いている。船は帆を上げて上流に上り、帆を下げて下流に向かった。

●アスワン
 ルクソールから上流に200km。港町という感じ。古代からエジプトの人に大きな意味を持つ街。川に浮かぶ小島に荘厳な世界遺産「イシス神殿」がある。祀られているのは女神イシス。再生復活の役目を持つ。中はレリーフがびっしり。自らの子に乳を与える絵もある。これが後の世にキリスト教に影響を与えたという。この絵はキリストを抱く聖母マリアの絵に受け継がれたという。神殿の奥まったところに、ナイル川にとって最も重要なハピ神が描かれている。手元から水がでていて、ナイルになったと思われていた。
 エジプト考古庁のシャズリー・アリさんが案内してくれました。川の真中には水面に水が湧き出ているように思える場所がある。古代エジプトの人はここからナイル川が生まれてくると信じていた。川底に岩が多いためらしい。この場所「セヘル島」などで切実な祈りを捧げていたのが、歴代のファラオだった。
 セヘル島、40度で岩が熱い。島の中央にある岩山の中央には「飢饉の碑文」がある。7年間の飢饉があり、ファラオが神々に祈ると豊かな水が戻ったと書いてある。各地にあるナイル川の水位を計測するための「ナイロメーター」もファラオが作ったという。水が少なくなると食料を保存させた。

●アブ・シンデル
 さらに上流に行くと、乾いた大地。世界遺産「アブ・シンデル神殿」(紀元前1250年頃)がある。巨大な岩山を削って築かれた。高さ21mの4体の像は、全てラムセス2世の像。古代エジプト絶頂期のファラオの中のファラオ。ミイラがある。身長183cm、24歳で即位し、90歳前後まで生きた。妻は30人以上、子供も100人を越えたという。この時期、王朝の領土は拡大した。北ではヒッタイト、北東にはバビロニア、アッシリア、ミタソニ、南はヌビアが反撃の機会を伺っていた。即位後5年はかなり戦争をし、かなりの武勇伝を残している。30歳を越えると戦争しなくなり、神殿を作るようになった。
 エジプト考古庁のモハメド・ハーメドさんが案内してくれた。ラムセス2世像の足元に、王がヒッタイトと和平し、ヒッタイトの王女と結婚したことが記されている。この巨大な神殿自体も南に作り、ヌビアなどを驚かせて無意味は戦争を避けようとしたようです。入口から60mの一番奥に、4体の像が安置されている。古代エジプトの神々「プタハ神」「アメン神」「ラー・ホルアクティ神」の姿に加えてラムセス2世の像が描かれている。
 1年に2回、神殿の奥深くに朝日が当たり、ラムセス2世像にスポットライトのように当たる。ラムセス2世の希望が込められている。
 1962年アスワン・ハイ・ダムの建設が開始され、アブ・シンデル神殿はダムの底に沈むことになった。ユネスコを中心とする世界50カ国が協力し、1万5000個のブロックに分けて、全体を60m上に移築した。1968年に工事は終了した。後にユネスコが世界遺産を制定する原点となった。
 2月22日、アブ・シンデル神殿はラムセス2世の像を照らす日となった。朝3時、神殿の中はもう満員。朝6時29分朝日が昇り、みんながしゃがんで太陽の光をさえぎらないように歩く。


テレビ番組「知っとこ! 世界の朝ごはん・エジプトのカイロ」

 2007年6月2日放送。

●カイロ
 人口1000万以上が暮すアフリカ一の都市。モスクが多く、礼拝の呼びかけが街じゅうに響く。ダラアト・ハルプ通り、女性はヘガーブで髪を覆っている。ラムセス通りは車が渋滞し、クラクションも多い。車の前後を開けて走っているが、エンジンを冷やすためらしい。
 ハンハリーリ市場にはお土産屋が多い。店先に壷が置いてある。オッラという壷で中には水が入っている。通行人が喉が渇いたときに自由に飲めるように置いてある。素焼きの壷は蒸発する熱を利用して中の水は冷たいそうです。
 アムル・ハッスージさん(27歳)が紹介してくれたのは、レストラン「アル・アリース」でコシャリ。赤いトマトソースをかけて食べるらしい。ロブ?とよばれるご飯に短く切ったスパゲッティとマカロニ、レンズ豆などを混ぜ、オニオンなどをトッピングしてソースをかける。
 エル・ハラムでギザのピラミッドを見る。高さ137mのクフ王のピラミッドは4500年前のもの。街からも近い。夕陽のピラミッドもきれい。

 郊外に住む新婚さんのラミーズ・イブラヒームさん(24歳)が作る朝食。1品目「ムサッカア」、新鮮なトマトを一口大に切ってミキサーにかけ、軽く炒めたたまねぎと合わせ、にんにく、塩を加えぐつぐつ煮込む。薄切りにした茄子を油に入れ素揚げする。別にピーマンも素揚げし、耐熱皿に並べトマトソースを注ぎ込んだらオーブンに入れて、30分焼く。
 2品目「タギン・ピ・ラハマ・ワ・バサル」、スライスしたたまねぎにミックススパイスと塩を加え、手で揉みこむ。よく洗った羊の肉を敷き詰め、水を加えて1時間煮込む。鍋の中の水分が半分になったらオーブンに入れて焼く。
 3品目「ギブナ・ビ・タマーテム(チーズのサラダ)」、ギブナベーザと呼ばれる水牛のチーズをフォークでつぶし、ゴマのペーストと塩を加え、よく混ぜる。細かく切ったピーマン、トマトを加える。全体を軽く混ぜ合わせれば完成。
http://www.mbs.jp/shittoko/asa/07_06_02/index.html


テレビ番組「探検ロマン世界遺産 大いなる魅惑の都エジプト・カイロ」

 2006年4月29日放送。リポーターは曽根優アナ。進行役に鎌倉千秋アナ。カイロは街を飾る無数の塔があり、その美しさから「千の塔の都」と称えられた。7世紀に原型が作られ、中世14世紀、最も繁栄した世界一の都となった。当時の人口は50万人。アラビアン・ナイトは絶頂期のカイロで書かれ、カイロが舞台となっているものが多い。カイロとはアラビア語で勝利者を意味する。NHK制作

 ギザのピラミッドはナイル川の西にそびえる。クフ王のピラミッドは147mで、2.6トンの石が100万個積み上げられている。東側にあるカイロの発展と深い関係があることがわかってきた。
 カイロは人口1500万人のアフリカ最大の都市で、旧市街には東西4km、南北8kmの地域に600を越す歴史的建造物が残っている。10世紀に建てられたズワイラ門。この門の先が旧市街で最も賑わうところ。門から北2kmには中世の町そのままに数多くの店が建ち並んでいる。ガラス細工は中世以来カイロの特産品。ムスタファさんの店に招き入れられた。香水入れは40円?。香辛料の店は強烈な香り。中国産のセロリ、インド産黒ごま、モロッコのマラケシュ産のバラもある。地中海の魚介類まで売っている。
 市場の喧騒を抜けると大きなフセイン広場で、人々の憩いの場。サクラサクラを大声で歌う人がいる。コーヒーショップの店員と腕相撲をした。
 街の奥に行くとモスクとモスクの間に出た。ミナレットと言われる高い塔がいくつもある。カイロは千の塔の都と呼ばれた。
 スルタン・ハサン・モスクのミナレットはカイロ一高いと言われる。セラーグ・タウフィークさんがガイドしてくれた。モスクは全て石造りで、14世紀に建てられた。33m四方の広大な中庭が訪れる人を圧倒する。訪問した金曜日は集団礼拝の日だった。呼びかけアザーンが聞こえてきた。ここの塔は高さ82m。上まで案内してもらった。20分で頂上に到着。昔はここからアザーンをしていたそうです。拡声器が普及する80年前まで、遠くまで知らせるために高く建てたそうです。日没前に街じゅうのモスクからアザーンが聞こえる。曽根さんはこの塔の上で360度から聞きました。

 アラビアン・ナイト(原題「千夜一夜物語」)に魅せられた女優イナース・マスリーさんに話を聞きました。エジプトでの人気テレビ番組「アラビアン・ナイト」に出演したが、この番組を見ていない人はないというくらいの人気だった。アラビアン・ナイトゆかりの品々の多い市場に行く。香辛料はシンドバッドの冒険のモデルの商人が運んだもの。金物は中国人のアラジンと魔法のランプで、中に油を入れて使う。絨毯屋は、空飛ぶ絨毯の物語でインドまで旅する。アラビアン・ナイトには中国、インドなどが登場する。妃となった女性を次々と殺す王に嫁いだシェヘラザードは毎晩王に物語を語って聞かせた「千夜一夜物語」がオリジナル。

 フスタート遺跡も世界遺産。7世紀カイロの原点となり、中世にいたるまで栄えていた。100年前から発掘調査が行なわれている。世界各地で作られた貴重なものがある。中国の磁器、スペインやトルコの陶器などがありました。エジプト考古学フスタート遺跡所長のイブラヒム・アプデルラフマンさんが説明してくれました。14世紀にカイロを訪れたモロッコの旅行家イブン・バットゥータは「大旅行記」で驚きを語っている。
 ケンブリッジ大学ではゲニザ文書を解析し、商人が宗教を越えて契約書を交わしていたことがわかっている。フリードリッヒ・ニーセン教授が解説してくれました。金貨や銀貨を持ち運ぶ危険を避けるために、小切手も使われていた。

 夕方、旧市街のあるコーヒーハウスの前で音楽が始まり、人々が踊りだした。コーヒーハウスは中世のカイロで始まったという。酒を飲まないイスラムの商人と世界各国の人々が集った。
 コシャリというのはカイロの人のおふくろの味。地中海のパスタ、アジアのお米、アフリカの豆、インドの香辛料が入っている。食後にはバスプーサというハチミツと小麦粉を使ったケーキとコーヒー。

 街の東にある石造りの巨大要塞のような建物がシタデル。12世紀に建造されて世界遺産カイロの中でも最も大きな建造物で、野球場が20も入る。要塞のまわりを2kmにわたって囲む城壁の高さは20m。考古学者のムハンマド・ファリッドさんが説明してくれました。この要塞を築いたのはサラディン(サラーフ・アディーン)で、アイユーブ朝を創始した軍人。1176年カイロに迫ってきた危機から街を守るために、シタデルを造り始めた。その危機とは十字軍だった。エルサレムが陥ちて、サラディンはイスラムではないマムルークという奴隷を登用した。サラディンは1.2万人のマムルークを買い取り、カイロで軍事集団に育てあげた。マムルークに土地を与え、奴隷の身から解放させた。
 シタデル建造には2つの技術を利用した。1つは石で、古代から続くツーラ採石場を訪問した。山全体が石灰岩で、磨くと白くなりとてもきれいで、モスクなどに使われている。でも切り出すのには時間がかかる。サラディンは既に切りそろえてある石を使った方が早いと考え、小さなピラミッドを壊したという。クフ王のピラミッドの脇にあるものがそれらしい。20m四方の跡がある。1183年にシタデルが完成し、1187年にマムルークの軍勢は十字軍を打ち破った。1250年にマムルーク朝がカイロに成立し、260年続いた。彼らが最初にしたことは次々にモスクを建設した。マムルークはカイロの人に受け入れてもらうために、いかに敬虔なイスラムであるかを示すためだったのだろう。

 カイロの夜を彩るスーフィー・ダンスは、イスラムの修行の一つとして始まったこの踊りは踊るというよりも、回り続けることで神との合一を目指すという。1時間以上休まずに続けるこのダンスは、人々を魅了する。
 ナイル川に浮かぶ船上レストランでは、ベリーダンスが見られる。古代エジプトの安産祈願の踊りをルーツに持つといわれる。最近、日本でも体をスリムにするというので人気が出ているらしい。

 ナポレオン・ボナパルトはカイロに魅せられた。パリのフランス学士院には1798年にカイロに軍を進めた時にカイロの街を描かせた、20巻にも及ぶ「エジプト誌」がある。
 1月初め、カイロの街は羊で溢れていた。犠牲祭は1年に1度のメッカ大巡礼を祝うもので、羊を殺して調理しみんなに配る。4日間に渡ってイスラムの人が世界各地で繰り広げる。いわれは古い言い伝えで、一人の信者が神への忠誠を誓うために息子の命を捧げようとした時に、代わりに羊を捧げればよいというお告げを受けたという。以来、羊の肉は神への大切な捧げ物として犠牲祭には欠かせない。市場では貧しい人に裕福な人が肉を分け与えている。進んで物などを与える行為はサダカ(喜捨)といわれている。
 犠牲祭初日、人々はモスクに集い祈りを捧げる。カイロ旧市街で水タバコ屋を営むユースフ・ムハンマドさんのお宅に伺った。生きた羊を家の中で殺して、全ての肉を分けました。イスラムの教えでは、肉の3分の1は家族、3分の1は親戚に、残りは貧しい人に分け与えるのがよいという。今年は30人分の肉を配ることができた。
 中世でも支配者が率先してサダカを行なっていたことが明らかになった。エジプト国立公文書館のサブリ・アフマドさんが説明してくれましたが、14世紀にスルタン・ハサン・モスクを築いたマムルーク朝の支配者が行なったサダカが一つ一つ書かれていて、土地やハーリスという村を寄進していた。当時のモスクは祈りの場だけでなく、人々の暮らしを支える大切な場でもあった。アズハル・モスクの寄宿舎の跡が紹介されました。貧しい子供たちが寝泊りした。学校の跡もあり、誰もが初等教育を受けられるように無料だった。スルタン・ハサン・モスクには病院跡もあり、無料で診察や往診を受けられた。
 カイロはサダカの街でした。商人が寄進を絶えることなく行なったので、カイロの街は発展していった。
 犠牲祭の時だけでなく、日常的にも市場の売上を寄進することを行なっていたそうです。

 旧市街の一角に立つキリスト教のコプト教の教会がある。キリストの生誕を祝うミサが開かれていた。カイロでは人口の1割150万人のコプト教徒が暮らしている。アブ・セルガ教会のガブリエル神父が話しをしてくれました。コプト教徒は7世紀前からここに住んでいて、イスラムを受け入れた。今もお互いを尊重しているそうです。ミサの途中で近所のイスラムの人が共に祝うために駆けつけてきた。


テレビ番組「世界遺産、10周年スペシャル エジプト」

 2006年4月23日放送。ナイル川の下流からギザ、メゾフィス、テーベ、アブ・シンベル、ヌビアとなる。TBS制作。

●ヌビア Nubia
 ヌビアというナイル川の上流にもピラミッドを受け継いだ人々がいた。ヌビアは大きく蛇行した部分のさらに上流。黒い肌を持つ人々は偉大な文明の末裔だと自らを称した。エジプトにとってナイルはいわば巨大なオアシス。古代エジプト文明の力の源となった。源流の青ナイルには降る雨は夏に洪水となって大地を豊かにした。ティシサットの滝は巨大です。

●アブ・シンベル
 アブ・シンベル大神殿は建築王の異名を持つラムセス2世の作品。神殿の奥深くに自らの像を神々と同列に安置した。地上に君臨したファラオは生きたままで神となった。

●テーベ
 カルナック神殿。大列柱室の柱、オベリスクはすごい。古代エジプト文明の真髄が広く世界に知られたのは18世紀末のナポレオンの遠征による。解読の手がかりとなったロゼッタ・ストーンを発見した。太陽が沈むナイル川の西側は死者のためだった。セティ1世の王室が紹介された。天井には北天の星座が描かれている。3200年前のラメセス2世のミイラも紹介。
 アマルナを都とした紀元前14世紀、エジプト美術は洗練の極みに達した。王妃ネフェルティティの胸像。20世紀には、奇跡的に盗掘を免れたツタンカーメン王の墓が発見された。ミイラの柩は黄金だった。黄金の王座など2000点の埋葬品があった。
 ルクソール神殿。

●ギザ
 「エジプトはナイルの賜物」だとギリシャのヘロドトスは言った。紀元前5世紀に彼はエジプトを訪れたが、ピラミッドは建築されて既に2000年経っていた。ナイルの流域にあるピラミッドは約80基で、ファラオのミイラや遺骨は全く出土していない。今では農民を助けるための公共事業だったという説が有力になった。クフ王のピラミッドは高さ146m。大回廊、王の間が紹介された。ファラオがピラミッドを通して復活し、太陽神となる姿が描かれている。太陽神となるファラオの墓造りに協力することで、自分もあの世で生き続けたいと思って農民は参加した。


テレビ番組「世界の絶景100選U」

 2004年7月31日放送。前回は1月31日で、スイス・マッターホルン対アメリカ・モニュメント・バレー。中国・桂林対イタリア・ベニス。ドイツ・ノイシュバンシュタイン対フランス・モンサンミッシェルでした。フジテレビ製作。

●ナポリ・青の洞窟
 森久美子さんが「世界一神秘的な洞窟」として紹介。24年前にイタリアに留学してカプリ島を目指したが、一度も見てない。ナポリのホテル・パラディッソに宿泊。アルベルト・カプーロさん42歳が案内してくれた。彼のひいおじいさんはオ・ソレ・ミオの作詞者ジョバンニさん。
 30km離れたカプリ島に1時間かけて行くと、マリーナ・グランデでは満潮だからダメだと言われた。仕方なく589mのソラーロ山にリフトで登る。約10分で山頂に到着。港から青の洞窟に行ってみた。入れる条件は、晴れた日で、引き潮の時間で、波と風が穏やかな時です。5年前から水位が上がってきていて、なかなか中には入れない状況になっているそうです。波が高くて、今日は無理でした。と言っても、この10日間天候が悪く、誰一人として入ってなかったそうです。
 「ダ・ジェルソミーナ」というレストランで食事。「車えびのオリーブオイル・ソテー」。翌朝9時に再度挑戦して内部に入れました。感涙して、オー・ソレ・ミオを歌いました。太陽の光が海底の石灰岩に反射して、洞窟が青く輝いているのです。

●ヨセミテ・世界一の岩
 アメリカ合衆国には57箇所の国立公園があり、アメリカの全国民が世界一美しいというカリフォルニアの国立公園。内山理名さんが紹介した。サンフランシスコから自分が車を運転して5時間で到着。案内人はマイケル・ロスさん52歳。
 世界一大きな一枚岩「エル・キャピタン」が背後にあった。高さ1095mで、世界中のロッククライマーの憧れ。頂上まで3日かかるそうです。「ミラーレイク」は大きな2つの岩・青い空・緑の木々が湖面に写っています。春の雪解け水の時に可能だそうです。夏は水垢で見えなくなるそうです。最後の絶景は2時間のトレッキングが必要。カリフォルニア・ジリスがいた。1時間登ったところからは手をつかないと登れないくらいになった。ポイントに到着。右にハーフドームがあり、谷がそちらにひとつ、左側にも谷があり、目の前には大きな滝がありました。

●オリエント急行
 イタリアのベニスから1泊2日で、オーストリア、リヒテンシュタイン、スイス、フランス、イギリスへの旅をする。中尾彬、小沢真珠さん。サンタルチア駅で見てみると青い車体です。案内人はブルーノ・ジャンセンスさん40歳。タオルはアメニティもオリエント急行オリジナル。午前11時10分出発。
 早速フランス料理のランチ。前菜は「スモークサーモンのアボカド添え」、メインは「鴨のレモングラス風味生姜添え」、デザートは「フレッシュマンゴとお米のココナッツミルクプディング」でした。午後1時半に国境を通過。左側の窓にアルプスの絶景が見えた。車内にはオリジナル・グッズを売るお店もある。小物入れは1.9万円、時計は9.5万円、人気のホイッスルは2800円。午後7時にリヒテンシュタインを4分で通過して、スイスに入った。
 夕食には中尾さんから小沢さんに花束のプレゼントがあった。乗車する際に注文したそうです。前菜は「石もちとアンチョビのサフラン・リゾット添え」、メインは4時間じっくり煮込んだ「牛肉のトスカーナワイン煮、フォアグラ添え」、デザートは「3種のチョコレートとオレンジリキュールカスタード」。ディナーの後は、サロンカーで一杯やりながら、ピアノ演奏を聞いた。オリジナル・カクテル「アガサ・クリスティ」をいただいた。部屋に帰るとベッド・メイキングしてあった。
 午前5時フランスに入り、午後1時25分にカレーヴィルに到着。ここで列車とお別れして、バスに乗りかえ、これがコンテナに入って、ドーバー海峡を越える。イギリスでは茶色と黄土色のプルマン車両に乗り換える。オードリー号はエリザベス女王のお気に入りの車両です。ロンドン・ビクトリア駅に午後5時に到着。約1800kmに及ぶ絶景の旅でした。費用は一人26.9万円です。

●エジプトのピラミッド
 勝俣州和、金子貴俊さんが紹介。ピラミッドは町から目と鼻の先にある。宿泊はル・メリディアン・ピラミッドだったが、ここからもピラミッドが望める。歩いて行けます。案内人はナスル・A。アールさん38歳。
 2004年一押しの絶景は、ケンタッキー・フライド・チキンとピザハットのお店の3階。ここからは、正面にスフィンクス、後ろに3つのピラミッドが見える。
 次は140年前の1864年に日本人が初めて写真を撮った場所に行く。スフィンクスの右肩の位置で幕府から派遣された使節団26名?が写真を撮ったという。二人は武士の姿になって観光客を斬りました(笑)
 クフ王のピラミッドは底辺230m、高さ147m、石の数300万個。西暦820年にアル・マムーンという王様がピラミッドの中に初めて入ったときの入口からみんな中に入っています。昔はなかった入口です。入ると階段を登り、大回廊と呼ばれる高さ8m長さ50mの通路があります。その先が王の間。
 4500年前と同じ風景を見る。街がピラミッドまで近づいた現在のエジプトでは建物を見ずにピラミッドだけを眺めるのはとても難しい。車も多い。全く見えなくなる場所がある。そこは気温40度以上の砂漠の中。2時間歩くと、その場所があった。小さいピラミッドのその先のようで、大きさがほぼ均等に見えました。手前に小さいのが3つあって、その後ろに3つのピラミッドが見えました。街は見えませんでした。

●中国・泰山 世界一の大階段
 中国の人が一度は見てみたいというご来光。そのためには7412段の石段を登らないといけない。MEGUMI、KABAちゃんが紹介した。上海経由で済南へ5時間、さらに車で1時間で泰安市に到着。案内人は劉剣さん27歳。サンシャイン60ビルで階段が1204段なので、6個分(笑)最初の2000段は傾斜は急ではない。泰山せんべい5元(70円)を売っている。中国版クレープ風で具はネギ(笑)ネギの効能は乳酸を分解して疲労を回復する。1時間で1000段通過。2500段に中天門がある。ここの人気のお店は刀で麺を削る刀削麺20元(280円)。
 ここからは1500段の最大の難所「十八盤」。これを越えて、心臓破りの階段。最後は最大斜度50度を越える難所。8時間で6500段南天門に到着。この時、夕陽が沈みかけていました。残り900段は暗闇の中を登った。10時間で到着。山頂の食堂でご来光を待つ。
 午前4時、500人以上の人がご来光を待つ。5時、茜色に染まり、太陽が昇った。

●ベネズエラ エンジェルフォール 世界一の落差を誇る滝
 高すぎて、水が霧となってしまい、滝壷がない。地図に記載されていない秘境「ギアナ高地」にある幻の滝「エンジェルフォール」を有坂来瞳さんが紹介。カラカスからカナイマまで飛行機で行く。案内人はマターソンさん36歳。
 まずジャングルの中を川まで車で移動。横幅100mのアチャの滝も絶景ですが、土色に濁っています。この頃は水量が多いそうです。日本を出てから4日目やっとボート乗り場に到着。ここからボートで川を80km上ります。川の両岸はジャングルで、水量も多く、急流が多い。5時間で休憩。上陸し、最後の村で昼食。ベモン族の村で、バナナの皮の屋根に土壁の家。白アリのローストを食べさせてくれたが、有坂さんは食べられませんでした(笑)
 目の前にテーブル・マウンテンが見えてきました。100以上もあって、2000m級の高さです。気温は33度。エンジェルフォール直前の宿営地に到着。しかし、トタン屋根だけ(笑)ハンモックで寝ました。
 翌朝、5時間のトレッキング。川も渡り、ジャングルの中を歩きました。世界一の滝エンジェル・フォールが目の前にありました。落差977m。滝の落ちる場所ははるか雲の上でした。

http://www.fujitv.co.jp/zekkei100/index.html


テレビ番組「エジプト・イスラエル、クレオパトラ大作戦」

 2002年8月31日関西で放送。
デヴィ夫人、坂本ちゃん、佐藤江梨子さん。エジプト航空で行った。FBS 福岡放送製作。

●カイロ
 ギザの三大ピラミッド。クフ王のは紀元前2500年のもの。最近は王様 の墓とは思われていないらしい。中に入ってみた。
 宿泊は「ホテル・メナ・ハウス・オベロイ」。
 カイロのハーン・ハリーリ市場。「ミルダケ」「ミタミタ」「かわい〜い 」「バザールデゴザール」「ヤマモトヤマ」「ホントヤスイ」「ワカリマッ カ」「さよなら〜」「ヂンタコスッタラドンタコス」「キミニドキドキ、キ ミニムラムラ」なんていう日本語が飛び交う。デヴィ夫人は香水の店に行っ て「砂漠の秘密」というのを所望したが、あれは妖しくて特別なところに つけてくださいという。逆三角形につけるとか。クレオパトラの香水を所望 した。アルコールが入ってないから蓋を開けたままでも香りが飛ばないらし い。
 シシカバーブを焼いている店、モッホサンドの店に行く。モッホは羊の脳 らしい。
 水タバコの店、ヘナという植物でボディペインティングする。すぐに取る とすぐ取れるが、2−3時間おくと3日くらいもつという。
 古代エジプト人の生活を見られるのがファラオニック・ビレッジに行く。 まぁテーマパークみたいなもので船に乗って移動。
 次は古代の人の恰好で写真を撮ってくれるところ。絵にあった絢爛豪華な コスチュームで台の上に乗ってみた。クレオパトラは牛乳風呂を好んでいた という。フォーシーズンズ・ホテルのスパで体験できる。牛乳とレモン・ス ライスを入れ、バラの花も入れる。パピルス・ラップというのもある。まず はラクダの皮で全身の角質を落とす。ヨーグルトにハチミツ、ペプリン(豆 の粉)、ミント、レモン、塩、ハスの香油を混ぜ全身をスクラブ・マッサー ジ。細かい粉が皮膚のすき間に入ってお肌をきれいにスベスベにする。その 後にパピルスでくるむ。韓国のよもぎ蒸しみたいに下半身を香でスモークし て、最後にローズウォーターを飲む。
 少し高級な店で食事。ラハム・ガマリ(ラクダ肉のガーリック風味焼き) をいただく。堅いらしい。
 次はエジプト料理レストラン「フェルフェラ」(Felfel)。まずエジプトの パンのエイシにタヒーナ(白ごまのペーストにヨーグルトを混ぜたもの)を いただく。モロヘイヤのスープ、コシャリ(エジプト風混ぜごはん)。マハ シ・ワラ・アイナブ(ごはんのブドウの葉包み)はおいしいらしい。ハマー ム・フィルゲン(ハトのごはん詰め)、ハマーム・マシュイ(ハトのスパイ ス焼き)

 高級ガラベイヤショップ「エド・ドゥカン」で買物。ガラベイヤはアラブ の民族衣装。
 ファラオ社のゴールデン・クルーズ船でナイル川を下る。船の中ではベリ ー・ダンスを見るが、デヴィ夫人も参加。スーフィーダンスというグルグル 回る踊りもある。サイド・ラビーアさんにこの踊りを教えてもらった。目は 回らないそうです。
 クレオパトラは宴会の最中にお酒に真珠を入れて飲んだとか。

●シャルム・エル・シェイク
 紅海のリゾート地。飛行機で1時間。水の透明度がすごい。目的はベドウ ィン族の美の秘薬を求めて行ったら、山があった。ここから先はバギーでは 行けない。山を登り、ラクダに乗って、ベドウィン族の衣装に着替えた。紅 茶とパンでおもてなししてもらい、秘薬をもらった。

●イスラエル
 カイロから陸路で10時間でエルサレム。イスラエルは装飾ダイヤの製造 では世界の80%。エルサレムの郊外のイスラエル・ダイヤモンド・ストッ ク・センター Caprice を訪問。16596USドルのが一番高い。研磨加 工を見学。
 東へ車で1時間、海抜マイナス400mにある死海。塩分は海の10倍で 魚が住めない。ここは命の海、若返りの海。温水らしい。水を口に入れては いけないし、顔をつけてもいけないそうです。クレオパトラはここの泥を肌 に塗っていたそうです。
 死海のエンボケックにあるリゾート・ホテル「ニルヴァーナ」のニルヴァ ーナ・スパで死海のエステ。死海のミネラル・ソルトを使ったボディ・ピー リング。泥には28種類のミネラルが入っているそうです。死海の泥のフェ イシャルトリートメントも受けた。
 AHAVA (ヘブライ語で愛の意味)という化粧品が売れている。その死海工 場を訪問。特別なところでしか泥が取れないらしい。その泥を取りにいった が砂が相当熱いらしい。

●アレキサンドリア
 アレキサンドリアの海の中に遺跡が見つかっている。1600年前に大地 震で陥没したクレオパトラの宮殿だったらしい。
 カイト・ベイ要塞、浜辺、アレキサンドリア図書館に行く。浜辺ではおへ そを出した服装で歩いたら、男が群がってきた。女性は肌はあまり出さない かららしい。デヴィ夫人は本を2冊寄贈しました。
 コム・エル・シュカファのカタコンベ(キリスト教共同墓地)に行く。 ローマ円形劇場にアントニーのシーザーの恰好をした人を連れてきた。
 グレコ・ローマン博物館には起源前7世紀から紀元前3世紀までのものが 展示されている。クレオパトラの顔の小さい像もありました。細い顔ですが ちょっと男性顔かな?


「旅サラダ」2001年1月は高樹沙耶さんでエジプトの旅
●カイロ
 関西空港から直行便が週2本ある。車の渋滞がすごい街。が、通りを一つ 入ると時代が止まったような感じ。
 ハーン・エル・ハリーリ Khaan il-Khaliili 14世紀から続くバザール で、関西弁で呼び込みがすごい。「おしん」、「もうかりまっか」、「お買 い得」、「ぼちぼちでんな」、「いらっしゃいませ」など。ランプや銀製品 を売っている。ベリーダンスの衣装も。フンコロガシは幸運の象徴らしい。 これが指輪とかにも彫られている。スターリー・ストーンの指輪 70 ポンド (2300 円) 12月に行ったのだが、ラマダンの時だった。5時前にはみんな 食べ物を前に待っている。そして急に皆異様に盛り上がって食べていた。
 El Haty エルハティで夕食。まずモロヘイヤスープ 5ポンド(165円) で 茶色なのはガーリック。シシタウック(チキンの炭火焼)30ポンド(1000 円)、ターギン10ポンド(350円)はおくらをお肉と煮込んであるシ チューのようなもの。
 El Fishrwy エル・フィシャウィーというカフェに行く。人がいっぱい。 水たばこ2ポンド(66円)ミント・チャイ2ポンド(66円)。女性は 少ない。
 エジプト考古学博物館 Il-Mathaf Il-Masri 巨大な像があちこちに置かれ ている。ツタンカーメンの黄金のマスクは人気。黄金の棺も。フンコロガシ の彫像もいくつかあった。昔から幸運を意味するらしい。

●ギザ
 ピラミッドとスフィンクス(全長57m、高さ20m)がある。クフ王の ピラミッドは石1つの高さが80cmくらい?中に入ってみた。大回廊を通 って、「王の玄室」へ。ここは声が響く。ラクダにも乗ってみた。
 宿泊は The Mena house Oberoi ザ・メナ・ハウス・オベロイ。ピラミッ ドが見えるところ。ロビーの天井は黄金色で凝っている。ルーズベルト大統 領とチャーチル首相の会談も行われたホテル。照明器具のデザインが綺麗だ った。1014号室のスィートルーム(朝食付)990ドル。居間が2つ3 つ、クローゼットも大きい。ベッドルームも大きい。ベッドルームの頭の所 には黄金色の輪がオーラのように飾られている。外を見るとピラミッドが見 える。
 クレオパトラなどが使った「アイライン」も買ってきた。クレオパトラの アイラインは目薬にもなるとか。アイラインのひき方は変わっていて、上下 のマツゲの間にひく分(マスカラっていうの?)をはさんで、目の前方の方 へ引っ張って色をつける。

●ルクソール Ruxor
 昔は都があった。場所で街を散策した。ナイルがゆっくり流れている。 カルナック神殿はもっとも巨大な神殿で、ナイル殺人事件でも使われた。柱 が134本と多く残っていて、各々にヒエログラフが描かれている。感動す るそうです。
 今度は西岸に向かった。メムノンの巨像は2体ある。後方には山があるの だが、これが王家の谷。ツタンカーメンの墓もここにある。第20王朝ラム セス6世の墓に入ってみた。色がすごく鮮やかできれい。ヒエログラフもす ごい。24の升目のものがあったが、1日の時間を表しているらしい。
 ハトシェプスト葬祭殿、ハトシェプスト女王の像があるが、ツケヒゲを付 けている。

 朝5時、気球に乗って遺跡を空から見る。10人乗れるバルーンで、朝食 付きでUS$250。上がっていっていると太陽が出てきた。きれい。ラム セス2世葬祭殿、ハトシェプスト葬祭殿、メムノンの巨像も小さく見えた。

●クルーズでアスワンに
 豪華客船でナイル・クルーズ。大きな船「ラダミス2号」です。全く揺れ ないらしい。デッキでリラックス。昼は暖かいらしい。部屋の様子は普通の ホテルと同じ。ベッドメーキングでは、タオルでワニと鳥の形を作ってくれ ていた。停泊地の観光込みで、4泊5日で3食付いてUS$1000。
 アガサクリスティのナイル殺人事件でもクルーズは使われていた。川のす ぐ側のコム・オンボ神殿。降りて見てもいいし、船の中でサンセットを楽し んでもよい。
 ディナータイムはドレスアップしてみた。レストランはその日のメニュー によって飾り付けや音楽も変わる。今回はエジプト料理のブフェだった。 ケバブ・ハルカ(お肉の煮込み)、マハシィ(ご飯をズッキーニに巻いたも の)、ライス、子牛のシチューなどあった。味は日本人の好みでは?と高樹 さんは言う。
 夕食後、ラダミスというカクテルをいただいて35ポンド(1170円) ガラパイヤ・パーティというのがあって、服も貸してくれるのもあるとか。

●アスワン Aswan
 ナイル川は澄んでいる。ファルーカという白い帆船が行き来する。ここで は、ソフィテル・オールド・カタラクトに宿泊。アガサ・クリスティがナイ ル殺人事件を書いたホテルで、アガサ・クリスティ・スィートは500ドル で、バスルームは広いし、書斎もあるし、まるでアラビアン・ナイトを思わ せるし、窓からの眺めはすごくいい! スタンダードルームは US$200。
 ファルーカ・ツアーに出かける。3時間でUS$45。King Toto 号。とっても 気持ちがよかったらしい。ヌビアン村ウェストサイドで上陸(ヌビアン人の 村)。街に女性が見られなかったが、この村にはいた。美人が多いみたい。 懐かしい光景らしい。メッカ巡礼を記した文字が壁に書いてある。おうちを 見せてもらったら、おみやげを買うのが流儀らしい。帰りのクルーズは太鼓 でショーアップ。踊りも入った。

 夜、ナイト・マーケットに行く。香辛料屋さん。ックレオパトラも用いて いたというヘンナ(染料)は髪染め。リンスのようにして使うらしい。 ルッコラの油は US$10 。でも最初は US$25 と言っていた。$7 程度には軽 くなったでしょう。カゴ6ポンド(300 円)。売り子はポッポッポと歌って いた。

●アブ・シンベル神殿
 アスワンから飛行機で40分。ナセル湖がある。これは長さ580kmの 人造湖である。それを作るためにアブシンベル神殿を移動した。その神殿は 世界遺産。ラムセス2世(紀元前1290-1224)に威信をかけて作った。 自分の像が4体。王妃ネフェルタリが必ず横にいる。側室は100人くらい いたらしい。小神殿は彼女用らしい。ネフェルタリはヌビアン人ではない か?と言われている。大神殿の中は高さ10mの巨大な像が8つ。年に2回 ラムセス2世に光が当たるように作られているらしい。

●バハレイヤ・オアシス
 緑のオアシスから白い煙が出ている。近づいてみると、温泉だった。イル ・アーバールで温度は50度。
 バハレイヤ・オアシスはカイロから車で6時間。International Hot spring hotel はオーナーのペーター・ウィルトさんと奥さんの美春さんが 経営していて、36部屋。建物は1階建で白いベースの壁で窓枠とか青の部 分がある。部屋の中はヨーロッパ調で、ベットカバーはエジプトのもの。 1泊2食付きUS$38。安い!!
 直径8mくらいの温水プールがあるが、鉄分があるので湯の色は茶色。

●リビア砂漠
 ペーターさんの車で砂漠をドライブ。デザート・サファリUS$70。 ブラック・デザートから出発。昔火山だったので、黒いらしい。岩砂漠では 奇岩が多い。砂砂漠を経て、白砂漠に行く。砂砂漠と白砂漠の交わる不思議 なポイントがあるという。白いのは石灰でサンゴや貝の化石らしい。砂漠で ランチもついている。奇岩を通って白砂漠へ。空の色も綺麗。キノコの岩の ところで夕陽を見た。沈むと、東から満月が出た!

●シャルム・エル・シェイク(紅海)
 カイロから飛行機で2時間。ソフィテル・コラリア・シャルム・エル・ シェイクに宿泊。白亜のホテルで、ドーム型の部屋の天井。ルームチャージ はUS$158。
 紅海の水は綺麗。川がないので、汚れた水が流れ込まないから。また雨も 降らない。インストラクターの佐藤進次さんとダイビング。海の中はクリス タルの中に入ったような雰囲気だとか。海の色がグラン・ブルー!濁ってい ない!!深さは20mくらいか?きれいな色である。船の上で昼食。ダイビ ング・ツアー(2ダイブ・昼食付き)US$60。

●シナイ山
 ガバル・ムーサ(シナイ山)。日の出を見るために山に登る。寒いらしく て、朝2時に出発。真っ暗な山を登る。雪も残っていた。疲れたところに ラクダがいて人が「ラクダは楽だ」と言うらしい。
 5時間かかって頂上。あいにく曇っていたがきれい。ゴツゴツの岩山でし た。

日通旅行:0120−030348に問い合わせてください。



「道浪漫」2000年1月9日、1月16日は東儀秀樹さんでエジプト

雅楽の東儀さんがアスワン〜ルクソール〜カイロの旅。
1999年12月1日夜明け。イシス神殿にて。ここは「ナイルの真珠」 と呼ばれ母性と守護の神イシスを祭っている。ここでひちりきを吹く。心 が共鳴する演奏場所を探してナイルを下る。

●アスワン
 200年前のナポレオンの遠征からヨーロッパ人に人気が出ている現在の リゾート。「オールド・カタラクト」はアガサクリスティが「ナイルに死 す」を書いたホテルで1部屋US$120.数多くの有名人が宿泊してい るらしい。
「ファルーカ」と呼ばれる船で下っていく。人なつこいヌビア人があやつ るが、時速は4キロ程度。風はナイルの北から吹く。青い水、青い空、そし て砂漠。

●エレファンティネ島(古代のアスワンの中心地)
ナイロメーターは水位を測る装置?で数千年前から使われている。ここの 東南に未完のオベリスクがある。ここは良質の花崗岩の産地だった。 ツークと言われる市場へ行く。音楽好きなヌビア人の子供が太鼓を持って いる。楽器の店へ。「ウード」(ギターの原点?)、「ミズマール」(チャ ルメラみたいなもの)、などもあった。「タブラ」(太鼓)を85エジプト ポンド(約2550円)。これを買って船に戻ると船員も出してきて、歌を 歌ってくれた。

●ヌビア村(エレファント島の北北西)
 自分たちの村へ連れていってくれた。トラックで10分。地元の人たちが 気軽に声をかけていった。砂漠はたいへんなところなので、彼らは旅人をや さしく迎えてくれる。大きな中庭のある共同住宅で数千年前からかわってい ないらしい。中庭で旅人を歓迎する踊りとかをやってくれた。ヌビア音楽は 独特だけど他の民族にも愛されているらしい。

●ダラウの町
 エジプト最大のラクダ市がある。毎週土曜・日曜・月曜開催。1頭7.5 万円。2頭で15万円は彼らの1年間の生活費となる。アエイシというパ ンが人気。豆を煮込んだフールは朝ご飯が定番。ターメイヤは空豆をつぶ して揚げた豆のコロッケで、これらをもらった。ここはアスワンから車で 1時間。

●ルクソール
 メムノンの巨像が迎えてくれる。ナイルの東岸は聖者の都、西岸は死者の 町とされている。歩くだけでも過酷な場所。疲れてロバに乗るが、あまりの 急勾配に下りて歩く。そこからハトシェプスト女王葬祭殿を眺める。ここは 紀元前15世紀に作られた遺跡。向こうにナイルが見える。ここで笙を演奏 してみた。

●アラバスターファクトリー
 アラバスターをつくる「ティティ・アロビ」はルクソール西岸のクルナ村 にある。家の中にある古代貴族の墓の見学も可能。

●ルクソール西岸
 古代エジプトでは西は死者の方角だった。カルネック神殿の西にある 「王妃の谷」にネフェルタリの墓がある。エジプト一美しいと言われる。数 年前にやっと公開されたもので、1日150人限定。見学時間も10分間。 入場料は100£E(3000円)。
 カルネック神殿は世界最大級、一つの岩から削り出されて作られるオベリ スク。アスワンにある全長42mの未完のオベリスクは切り出される前の 状態で残っている。現存する最長のものはハトシェプスト女王のもので30 m。古代エジプトの楽器の姿が3400年前の「ナクトの墓」にあった。そ の中で2本の縦笛が描かれていた。ルクソールからカイロへ夜行列車9時間 の旅。

●カイロ
 人口1200万人の街カイロ。寄せ木細工のような街。オスマントルコ時 代のタルブーシュという帽子も売っている。かなり古い建物が残っている。 オスマントルコ時代の街路へ行くとその時代のものが残っているというわけ である。イブン・トゥールーン・モスクに隣接するイスラム美術館の分館で ある「アンダーソン博物館」へ。入場料16£E(480円)。
 楽器店街へ。1本の縦笛(ナーイ)は売っている。ずっと探してやっとア ルグールという2本の竹がくっついている笛を見つけた。これは壁画に書い てあったものが進化したものか?
 渡し舟に乗る。河はルクソールなどと比べても汚れている。カイロ市内か らギゼのピラミッドは見える。4600年前のクフ王のピラミッドへ。最古 のものは紀元前27世紀の階段ピラミッド。

●砂漠の中へ
 砂漠の朝日の中で雅楽を奏でてみようという。ベドウィンの民のアシュラ フさんがガイドする4WDで400キロ西へ走る。オアシスに真夜中に到着。 夜になるとベドウィンが集まり、宴会を楽しんでいる。ベトウィンの長アブ ドゥール・サデックさんがひいているのはサムサメイヤという竪琴の一種。 踊りが自然に始まる。とても楽しそう。最後に雅楽の曲をプレゼント。
 パパレイヤ・オアシスから車で約2時間半。砂漠ツアーが便利な白砂漠。 ここはカイロから西へ600キロ?白砂漠は白灰岩が風に侵食されてできた 世界。古代エジプトでは日の出は神が死の国からよみがえる瞬間。そして朝 日の中で雅楽を演奏した。

http://mbs.co.jp/tv/michi/168/index.html


ABC創立50周年企画「たけし、所のサイエンス・アドベンチャー 〜 遥かなる人類への旅」

2000年11月4、5日放送。ABC創立50周年企画である。

●ナイロビ
ビートたけしは成田から全日空のファーストクラスでロンドン(12時間)経由でナイロビへ(さらに8.5時間)。朝6時40分着。標高1700mで、年平均気温は20度。大都会である。
 ここからグレートリフトバレーに行く。これはアフリカを南北に走る谷である。これが人類を作ったという仮説がある。古生物学のイヴ・コパン博士はアフリカ大陸が昔は森だったが、山ができ、谷ができて西からの雨を降らす雲は山でさえぎられ、東側は雨が降らなくなった。そして東側は乾燥し、東に人類が出現した。木がなくなったので、木をつかめなくなり歩くようになった。グレートリフトバレー展望台へ(2140m)。この谷は幅が最大60km、長さは4000kmもある。ワチラさんのヘリコプターで空から見る。すごい谷である。活火山もあり、温泉もあるし、巨大なクレーターさえある。湖も固体が出ているが、天然の石鹸になるらしい。小さな竜巻が何本も立っている。ここが人類のふるさとである。

●カイロ
 ナイル川を越えて、車で10分ほどでピラミッドが見える。合計、市内から車で40分でギザに到着した。吉村作治教授が案内をしてくれた。メシカウラー王・カフラー王・クフ王の3つのピラミッドとスフィンクスがある。スフィンクスはシェプス・アンクといい、復活の神である。昔は赤く塗ってあったらしい。クフ王のピラミッドは137m。この辺りはネクロポリス(死者の街)と呼ばれている。クフ王のピラミッドは石を300万個600万トン重ねていて、のべ1億人が28年かかって作った。昔はカフラー王のピラミッドの上に名残があるように、輝いていたようだ。
 カイロ博物館にはピラミディオンというピラミッドの頂上に置かれていた石がある。クフ王の像(7cm)もある。サルから魚までミイラにしていた。ラムセス二世のミイラは3500年前のもので、内臓の入っているカノープスの壷もある。脳は捨てられていたようだ。ツタンカーメンの棺は純金で187.5cm、110.4kgあった。マスクは純金。彼程度でこれほど金を使っているのだから、ラムセス二世とかクフ王だとどれだけすごかったのだろう。王妃はアンケセナーメン。この二人の物語をやりました。

●パリ
 人体は60兆の細胞からなる。その各細胞の中にDNAがある。DNAは塩基AGCTからできている。1953年ジェームズ・ワトソンとフランシス・クリックが二重螺旋のモデルを提案しノーベル賞を受けた。しかしその影の功労者のロザリンド・フランクリンのことはあまり知られていない。彼女のX線のデータを基に二人はモデルを作ったが、彼女は1958年に死去してしまった。この物語をやりました。
 Human Genome Project に参加している Genoscope を訪問。部門部長の松田文彦さんと Gabor Gyapay さんが案内してくれた。14番染色体の解析を担当している。1つのDNAの長さは2m、人のDNAは30億の塩基からなる。遺伝子地図の作り方を説明していた。
 Genethon という研究機関は8000の病気のうち3000種の遺伝病の患者のサンプルを血液の状態で保存している。ウィルスを使った遺伝子治療の話にも触れた。

●NASA
 フロリダ州のNASAケネディ宇宙センター。9月8日、スペースシャトル・アトランティス号の打ち上げを見る。前日、格納庫を見学。東京ドームが3つ入る大きさ!ディスカバリー号を真近で見せてもらう。37m、重さは70トン。関口和寛さんが案内してくれた。720トンの液体水素と酸素を充填していた。
 打ち上げ当日。検問は4つクリアして、マスコミ用の見学用スタンドに。ここから打ち上げの場所まで5キロあるが、安全を考慮しているとのこと。国際宇宙ステーションは43回のミッションでモジュールを組み立てていくのだが、今回は第4回。
 いよいよ打ち上げ。壮絶!バリバリとすごい音。地響きがすごいらしい。巨大な一筋の雲が残っていた。2分後にロケットを切り離して見えなくなった。燃焼したもののカスがボロボロ落ちてくるらしい。

●ハッブル天文台
 ストーンヘンジ、グリニッジ天文台、ハワイのマウナケアの4200mの天文台が紹介された。現在ハッブル宇宙望遠鏡は宇宙に出て写真を撮ってきている。エドウィン・ハッブルのエピソードを紹介していた。ウィルソン山天文台は1920年代世界一だったが、アインシュタインは理論の間違いをハッブルに指摘され、赴いてデータを確認し自論の間違いを謝ったという。訪問してみて、当時の配電盤が今でも使われている。直径250cmの反射鏡である。

●アリゾナ州ロウエル天文台
 将来、地球に衝突する可能性のある小惑星を観測している。エドワード・ボウエル博士は、毎日2000個の隕石が地球に衝突しているという。観測できないものも含めると数百万個か?という。
 フェニックスの空港から車で4時間。5万年前の宇宙からの贈り物、地球でここだけらしいが、隕石の衝突現場がある。直系30mのものがぶつかったらしいのだが、バリンジャー隕石孔は直径1300m、深さ170mもある。これを空から見るが、衝突した方向もわかった。バリンジャーは隕石だと思い、土地を買って隕石を探したという。

●ドーバー海峡
 飛行機で飛ぶと空港が街から遠いので、パリ市内とロンドン市内で5時間かかる。そこでトンネルを掘って鉄道をひいた。パリ北駅からユーロスターに乗る。最高運行速度300km/hは世界最高。飛行機の機内食をもっと広いところで食べられる。たけしはというと、前日の脱線事故の影響で停止などあって散々。イギリス国内は在来線を使っているので、スピードは出せない。

●バルセロナ
 スペイン第二の都市で、カタルーニャ地方にある。サグラダファミリア大聖堂。キリストの誕生が描かれている。降誕の門、その中央を彩るのは天上の音楽を奏でる6人の天使。それを彫ったのが日本人の外尾悦郎さん。あと100年かかる建設。人の視覚だと30度で仰ぎみるといいらしい。それを考えて設計してあるとか。受難の門の4本と降誕の門の4本だけしかできていない。他にガウディの作品はバトリョ邸、ミラ邸(屋上の像なども凄い)、グエル公園などがある。特徴的なのは、割れたタイルを使った彫像。降った雨をうまくためる仕組みにもなっている。ガウディは自然が一番美しいと思っている。
 モンセラ修道院はスペイン人の心の故郷。この修道院のまわりの山々は、何かに似ている。そうサグラダファミリアの塔である。モンジュウィックの丘は高さが200m。これを越えていけないという意識で、サグラダファミリアの一番高い塔の高さは175mに設定してある。
 このサグラダファミリア教会は、最初別の人が作っていたが、辞めたのでホセ・マリア・ボカベーリャが何の実績もないガウディを抜擢したことによる。1894年彼は断食を行った。それから彼の作品は変わったという。グセンス邸、グエル別邸などの建築も手がけた。彼はサグラダファミリアに泊まりこんで作っていった。1926年6月7日、列車にはねられて3日後に死亡した。ここの地下聖堂の脇で眠っている。
 塔に開いている小さな穴は何か?塔の真中に穴が開いている(吹き抜けだろうか?)が、この塔はピアノに変えたかったらしい。100mを越えるグランドピアノである。この塔の中に鐘を吊るして、音を出そうとガウディは考えていた。つまり楽器である。ガウディの壮大な計画に声も出ない。



テレビ番組「かたせ梨乃ら4人のエジプト旅行紀」


 1999年6月5日、日本テレビ系で放送。かたせ梨乃,小野砂織,小松 千春,桜井淳子の4名がエジプトを旅行し,各自の夢を叶えるというもの でした。最初が見れなかったので,途中からね。

●カイロ
 宿泊はミロハウス(?)・オブ・ロイ。ギゼーのピラミッドの近く。ここの スィートルームに宿泊。モンゴメリースィートと言って,イギリスのモンゴ メリー将軍が宿泊した部屋らしい。部屋からはピラミッドも見える。夜には ライトアップしてとても奇麗。また,バルコニーからの眺めもすごい。ベッ ドは4人並んで寝ると少しきついかなという程度に大きい。
 ちなみに値段は1泊 $1550 だったと思う。ポンド? ついでにここのミロハウス(?)・オブ・ロイ・ゴルフコースはピラミッドを 横目で見ながらプレーできる。緑もあるコース。

 ハーン・ハリーリーのバザールへ。ゴチャゴチャした市場。水パイプ屋 がある。リンゴやイチゴ味など,好きなのが選べる。
 銀製品屋さんへ。最後にベリーダンスの衣装屋さんへ。300ポンドで 購入。ちなみに1ポンド35円程度。

●アレキサンドリア
 クレオパトラ・ビーチへ。モナコみたいなビルの建ち方。 魚市場へ。ここでムハマッド・ラシュワン氏に会う。彼はあのオリンピック で足を怪我した山下選手と正々堂々戦った選手。世界では人気があるが,エ ジプトでは足を攻めなかったというので,たいそう攻撃されたらしい。 今はラシュワン商店という乾物屋をやっている。
 レストラン「サン・ジョバンニ」で茶碗蒸しを作る。クレオパトラの料理 を食べる。人参の塩漬けとか,最後にサン・ジョバンニ・ライス。ケーキの ようになっていて,チャーハンのようにも見えた (^^;;

●スエズ運河をくぐってシナイ半島へ抜けるトンネルがある!
 アレキサンドリアから6時間のバスの旅。シャルム・シェイクへ着く1時 間程度手前に,ハムマーム・ハルーム(?) とかいう砂浜が温泉という場所が あった。一部80度くらいのお湯が出ているので,注意が必要。彼女らは, 靴下を履いていた (^^)
 波打ち際だといい温度になるかもっていうので,穴を掘って入っていた。

●ハムマーム・モーサ
 モーゼの十戒の場所?になる温泉。とは言っても屋内プールみたい。 3000年前からあるらしい。

●シャルム・シェイク
 市場へ。スイカを購入。これにタオルを巻いて水をかけておいておくと, 冷えるとか。砂漠の知恵。
 月の砂漠で寝てみたいというので,テントをはる。蚊取線香も使用。 キュウリはメロンの味らしい。

 ナーマ・ベイはヨーロッパからの観光客が多い。透明度が高いのでダイ バーにも人気。船に乗って船底から海底を見るツアーもある。またボートに 引かれてパラセーリングもある。


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