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テレビ番組「地球街道 水野美紀さんでマダガスカル」 2008年10月4日放送。水野美紀さんが案内。 ●マダガスカル サザンクロス街道はマダガスカルを走る国道7号線。最初は南緯22度32分、東経45度25分にあるイサロ国立公園が目的地。 サザンクロス街道は首都アンタナナリヴからモザンビーク街道に抜ける1000kmの道。 大陸移動の変遷として、1億8000万年前にローラシアは北アメリカとユーラシアになり、ゴンドワナが南アメリカとアフリカになった。東南アフリカは南極とオーストラリア、インドに接し、マダガスカルはアフリカとインドに挟まれていた。マダガスカルの動植物はアフリカよりも東南アジアに近いという。美しい棚田も広がる。冬は短い。主食はお米。田植えが始まっていたが、牛でなく人が棒を使って耕していた。 ●アンツィラベ マダガスカル第三の都市で、人口は18万人。タクシー・ブルースという乗合バスの発着場があり、サザンクロス街道の起点となる町の一つ。 ロレーヌ食堂は街道を行く人々で混んでいた。粒が小さいお米で、軽くといでゴミを取り、15分で炊き上げる。ランチは鳥を煮込んだスープにご飯で、2000アリアリ(Ar)140円。最もポピュラーな料理で、スープをご飯にかけて食べる。料理と一緒にでてくる飲み物は、おこげで作ったお茶?。 イサロ国立公園まであと500km。 ●サザンクロス街道 道を歩いてい人が多い。市もたつ。トラックも走る。道ばたには露店が並ぶ。まな板は1個5000アリアリ(350円)、大きな木製スプーン1本1000アリアリ(70円)。 絶景に溢れた観光ロードでもある。鏡餅みたいな山がある。ボネトバップ(お父さんの帽子)という山で、聖地で登ることができない。 イサロ国立公園まで50kmまで50km、コロンヘ?は250平方kmのマダガスカル最大の大平原。走るのがとても楽しいそうです。夕陽がとてもきれいでした。 夜になるとその名の通り、南十字星が輝く。 ●イサロ国立公園 東京23区の1.3倍の面積をもつ広大な国立公園。およそ1億7000万年前の自然の姿が手つかずのまま残されている。 ここに進化しなかった猿、原猿が生存している。ガイドのティナさんが案内。「マキの森」と呼ばれる森で、猿としてはベローシファカだけが住む。もう一種類はワオキツネザル。マキと呼ばれマダガスカルの象徴的な猿。ガイドさんがカメレオンを捕まえて、手にのせてくれました。50種のカメレオンが生息しているそうです。さらに森深くに入ると、木の上にワオキツネザルがいました。リスに見えます。ベローシファカもいました。真っ白で目の周辺と頭の上が真っ黒。木の上で暮す原猿です。地上に降りると奇妙な動きをします。 ●フォール・ドーファン Fort Dauphin ベローシファカの生態を見るために、マダガスカルの南端のフォール・ドーファンに行った。ここからは許可を受けた送迎車で向かう。3時間走って、ベレンティ保護区に到着。原猿たちの研究のために作られた自然保護区。 ガイドのオリビエさんが案内。ワオキツネザルが大好きなタマリンドを食べていました。食後は日向ぼっこ。この公園でベローシファカの奇妙な動きを見ることができる。ベローシファカは酸性の木が生える森で葉を食べる。その後、アルカリ性の森の葉を食べ、体内でバランスを取る必要がある。本来は森の中を移動するが、ここは途中に木が生えてないので、地面を通る。横っとびで移動していました。水野さんも追いかけました。 ●トゲの森 葉とトゲが木の幹から出ている木がある。葉はハート型です。マダガスカルには不思議な木もある。 ●国道34号線 目的地は南緯20度15分、東経44度20分のバオバブの並木道で、国道34号線を走る。途中で、タビビトノキという木を発見。ガイドのヘルダマンさんがナイフで茎に傷を入れると水がでてきました。マダガスカルでは人は歩いて旅をするので、喉が渇くと、この木から水分を補給するそうです。 ●アンツィラベ マダガスカル第三の都市。サブツィ・マーケットには野菜、肉、日曜雑貨などが並ぶ。一角に手動ミシンを器用に扱うご婦人たちがいた。隣の店で布を買ったら、ここで作ってくれる。布を買ってソファーの掛布を縫ってもらいました。ここからバオバブの並木道まで500km。 ●国道34号線 あと300kmで、舗装道路が終了。でこぼこ道を砂煙をあげて進みます。あと65kmで、道路工事をしていましたが、すごいでこぼこ道でした。その先の集落から更なる悪路が待っていた。道路は60年代に建設されたが、70年代に社会主義化されると道路の整備は滞った。現在でも復旧や整備に手間取り、物流に大きな影響を与えている。このでこぼこ道はおよそ50km続いた。 やっとムルンダヴァの宿に到着。翌朝、見てみるとモザンビーク海峡があり、向こうにアフリカ大陸が見えた。ベタニア漁村は海の民ヴェス族が住む。女性は顔にオレンジ色のものを塗っている。タバキという植物の幹をすりつぶした「タバキ」という日焼け止めでした。カメラで写真を撮って見せると、みんな嬉しそうでした。お宅を拝見。1つの小屋に11人が暮らしていて、ステレオが置いてありました。男たちは船を作っていました。シングル・アウトリガー・カヌーで、東南アジアの船と同じ。この風習がマダガスカルの住民が東南アジアからやってきた証しだと言われている。船に乗せてもらったが帆を張ってあるのでかなり早い。 ここからバオバブの並木道まで15km。 ●バオバブの並木道 サン=テグジュペリの「星の王子さま」にでてくるバオバブの木は、星を壊すほどの大きな木と描かれている。苦労しないと見ることができないのは、ある意味よいのかもしれない。 たくさんの木がありました。まるで逆さまに地面に埋まっているような姿。1本の木は幹が太い。若木には枝があるが、成長すると枝が落ちていく。木は70%が水分で、年輪がない。繊維質の木は軽くて丈夫なため、編みこんでロープや家の建材として使われる。木には実がなっている。並木道沿いの露店では、子供達が店番をしていて、バオバブの実を売っていた。割って白い部分を飴のように舐めるそうです。酸っぱいそうです。 夕暮れ前に、とっておきのポイントで夕陽を堪能しました。 テレビ番組「探検ロマン世界遺産 世界遺産と生きる人々」 2006年11月25日放送。NHK製作。 ●マダガスカル ツィンギ・ド・ベマラハ厳正自然保護区。生き物をよせつけない高さ100mに及ぶ岩の摩天楼。石灰岩の岩山が長年の雨水の浸食をうけて作られた風景。水沢蛍さんが案内。岩の隙間に素焼きの土器がった。ここにも人が住んでいた。ヴァジンバ族の人が今も麓に暮す。ツィンギからは50種類もの薬草が手に入る。マラリアも治すという万能薬もある。針山にはシファカと呼ばれる小さなサルが生息している。地下に洞窟があり、水が流れていて、乾季でも枯れることはない。 ●カッパドキア 石灰岩の侵食によって作り上げられた幻想的な光景。地中へと続く竪穴や横穴が無数にある。もっとも深いところでは地下80mに達し、地底都市は30を越えると言われる。今も岩山を掘った中で暮らしている人がいる。末吉美紀アナが訪問した。冬は寒いが、夏は涼しくて快適だそうです。 アルカリ性なので、植物は育たないとされるが、ぶどうはそういう土地だから栄養を体内に貯めておこうとする。それで味わい深いぶどうができる。 ●ボリビア 標高3800mの高原にある都市遺跡ティワナクは紀元前2世紀から1000年以上に渡って栄えた壮大な古代文明。緻密な石組みの技術は後のインカ帝国に影響を与えた。伊藤雄彦さんが案内。古くから住むアイマラ族の村を訪ねた。じゃがいもは地面に置いたままにする。日中は15度、夜は氷点下で、気温差は最大30度にも達する。凍って溶ける、これを足で踏んで、じゃがいもの毒を出す。これから100年はもつという保存食チューニョができる。食べる時は水で戻し、スープに入れて煮込む。 チチカカ湖の真中にあるのは島ではなく、草でできた浮島。この湖にはこうした島が58あり、2000人が暮らしている。浮島はトトラという植物でできていて、1ヶ月に1回新しいトトラを追加する。夜は寒さが防げるためのようです。魚の宝庫で、石の上で焼くのが伝統。 ●ウィーン シェーンブルグ宮殿はハプスブルグ家が18世紀半ばに完成させた。部屋の数は1141もある。水沢蛍さんが案内。女帝マリア・テレジアは莫大な富と圧倒的な力を誇示した。舞踏会に使われた大ギャラリー。インゲボルク・リンデックさんが案内してくれた。観光客が入れない特別な場所は、宮殿の最上階にある部屋、ここにリンデックさんが住んでいる。1918年ハプスブルグ帝国の崩壊と共に宮殿はオーストリア新政府の手に渡った。その時に多くの部屋が住宅難に苦しむ市民に提供され、今でも250世帯が賃貸で生活している。マリア・テレジアが作った世界初の動物園も今でも人気。あとは庭園が住民の散歩コースとなっている。 ●バルセロナ サグラダ・ファミリア贖罪教会は、天才アントニ・ガウディの代表作。1883年に建設が始まり、120年以上が過ぎた今も工事が続けられている。バルセロナではガウディが作った7つの建物が世界遺産、うち4つは住宅。石井麻由子さんが紹介。 カサ・ミラは1910年に建築された地上6階の建物がアパートになった。地元の人は「ラ・ペドレラ(石切場)」と呼んでいる。洞窟のような入口。中には吹き抜けが作られている。一つとして四角な部屋はない。クレメンティーナ・リスカノさんのお宅を見せてもらった。打ち寄せる波のような曲線が天井にある。ガウディは家の環境が人を育てると信じていた。 ●オランダ 1平方kmの平原に19の風車がある「キンデルダイクの風車群」。高さ18m、250年前の創建当時と変わらない佇まい。風車の中では水車が回っていた。オランダは国土の4分の1が海面より低いので、水車は水位が上がって川の水が溢れそうになると汲み上げて排出し、農地や牧草地を守ってきた。岡田理江さんが案内。 コック・ファン・デン・ベルクさんの風車(お宅)を訪問した。入るとすぐにキッチンと台所。5階建で、風車が回りだすと大きな音がするそうです。電気式のポンプは停電になると使えなくなるから風車は必要だそうです。風車の位置は360度回転する。布をかけるのも大変な作業。強すぎてもいけないし、弱くてもいけないそうです。 ●ハバナ 旧市街が世界遺産。ハバナは16世紀〜19世紀はスペインの支配下にあり、バロック建築が数多く残っている。かつての大邸宅を改造して20世帯の家族が住んでいた。1DKの細長い室内でした。岡田理江さんが案内。19世紀にアフリカから70万人の奴隷が連れて来られた。砂糖の生産のために強制労働させられた。その中で祈りの儀式が重要となり、太鼓の音楽が心を癒した。19世紀末にスペインの植民地支配が終結し、人々はハバナに集結し、新たな音楽が発生した。融合した音楽は「ソン」と呼ばれた。そこからさらに多彩な音楽が生まれた。 ●インド・ダージリン地方 ダージリン・ヒマラヤ鉄道は世界遺産。120年以上続く世界で最も古い山岳鉄道の一つ。わずか2両編成で高低差2000mを走る。19世紀末にイギリスが造った。当時は細く険しい山道を通るしかなかった。当時は牛車や籠に乗って行き来していた。イギリスは紅茶の栽培を始めた。これを安全に大量に運ぶために、1881年開通した。20世紀半ばインド独立後、車社会到来で、トラックに代わった。沿線の住民たちは思わぬ利用法を考えた。通学の際に子供たちは駅でもないところから飛び乗る。伝統を引き継ごうとしている若者はミラージュ・ビスワカルマさん17歳。 テレビ番組「旅サラダ」1999年12月後半は中島史恵さんでマダガスカル |
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