アジア

ハワイ・グアム・サイパン・フィジー・ニューカレドニアなど

北アメリカ

中央・南アメリカ

ヨーロッパ

オーストラリア・ニュージーランド

アフリカ

いのうえの海外旅行記

いのうえの海外旅行写真記

日本の宿

日本のレストラン

トップ

スーダン・エチオピアの旅行情報


なお、これはわたしが個人的にテレビを見て書いたものであり、各テレビ局や番組とは全く関係はありません。
すべての文章の無断使用・転載を禁止いたします。
またここの情報を使って、何か問題が起こったとしても私は一切責任は持ちませんのであしからず。


テレビ番組「赤道大紀行」

 2009年1月24日放送。西村雅彦さんが旅をした。前回はポルトガルを出発し、アマゾンからアンデスを越え、ガラパゴス諸島までを旅した今回はアフリカを旅する。中部日本放送製作。

●ケニアのワタム、モンバサ
 飛行機を乗り継いで日本から26時間。白い砂浜の町。アフリカの東海岸は歴史上でも重要な役割を果たした。マリンディにはバスコ・ダ・ガマが到着したことを記念する十字架バスコ・ダ・ガマ・クロスがある。ここからインドのカリカットに向かった。これが西洋史上でも重要な1498年の「インド航路の発見」である。しかし、600年以上前の9世紀にはこことアラブやインドでは交易が行なわれていた。だからモンバサにはアラブ風のものが多く、コーヒーもアラブ・スタイルが大人気で、生姜を入れる。これは「カハワ」5シリング(10円)。

●ケニアのマキノ・マーケット
 ケニア東海岸はインド洋に開けたアフリカの玄関口。マキノ・マーケットには様々なものが海を渡ってやってくる。カラフーは殺菌作用のある香辛料。別名クローブ・丁子で、苦いそうです。フルーツもサウジ・アラビアなどから入ってきていました。

●ケニアのギリアマ族
 昔ながらの伝統を守るギリアマ族の集落を訪ねた。料理の時も食事の時も踊らずにはいられない。いつも音楽と共にある。83歳の村一番の長老ムゼーランドさんは何かを飲んでいる。韓国のマッコリを水で薄めたものの感じだとか。これはヤシ酒で、椰子の樹液を集めておくだけで自然に発酵する。ンゴマというのは、太鼓で歌い踊るギリアマ族の伝統。踊りのうまい人が尊敬される。83歳の長老は一番最後に登場。激しい踊りをしてくれました。最後に奴隷として強制的に働かされる、こんな生活はやめようという歌を歌った。
 15世紀頃から東海岸では奴隷市場が開かれていた。多くのギリアマ族が奴隷として海外に連れていかれた。悲しい過去をしっかり若い人に伝えていきたいと長老は語った。

●マサイマラ国立保護区
 ケニアの国立保護区。数多くの野性動物が暮らしている。アフリカゾウ、水浴び場のカバ、シマウマ、ダチョウ?、キリンなどが生息している。一番会いたかったライオンにはマサイマラでも会えるかどうかはわからない。前日見かけたという場所に行くといました。20m程度の距離。クロサイは6頭しかいないそうです。サイの角は薬として珍重されるので、多くのサイが殺された。
 ジャンプすることで有名なマサイ族の村を訪ねた。牛をどれだけ持っているかが豊かさを示す。モセス君の家を訪問した。壁は牛の糞に泥を混ぜて塗り固めたもの。瓢箪の中に炭を塗りこむと牛乳を入れても1ヶ月以上腐らない。4日目の牛乳はヨーグルトのようになっていた。
 森の中に蜂の巣を見つけた。火を起こして蜂が嫌がる煙をたく。蜂を弱らせた後に巣を落としました。これを食べたら美味しかったそうです。
 その夜、月の横に木星と金星。朝5時起床し、気球に乗る。森の上をギリギリで飛んでいく。アフリカの日の出を拝んだ。カバ、シカ、キリンなどが気球を見つけました。

●大地溝帯(グレート・リフト・バレー)
 人類の誕生した場所と言われている地球の裂け目。地面が数百メートルも急激に落ち込んだ場所。長さ7000kmに渡って続き、アフリカ大陸を東西に切り裂いている。人類誕生のメカニズムに大きく関係している。周囲の雲は何故か地球の裂け目にはやってこない。
 マントルが地面を押し上げたが、その力に耐え切れず陥没した。その穴が大地溝帯。そのため雲は高くなった部分を越えられず、雨は地球の裂け目には降らなくなった。森が草原に変わった。木の上に住んでいた祖先はつかまる木がなくなり、二足歩行を余儀なくされた。

●ナイロビ
 東アフリカ最大の都市。人口は400万人。経済の発展に伴って、年々人口が増加している。赤道直下に位置しているが、標高が1700mと高いために、年間平均気温は17度と、一年を通して過ごしやすい気候。日差しが強い。近郊ではキリンが高層ビルを見上げていました。
 近郊の町では子供たちがビー玉遊びをしていました。

●キベラ
 ナイロビでは仕事にあぶれる人が増加している。この町はそういう人たちが暮らす東アフリカ最大のスラム街。狭い場所に100万人以上が暮らす。線路があるが、みんな線路の上を歩いている。1日に1度だけ列車が通る。
 大都会に憧れて、ケニア中から人が集まるが、ここの町の8割以上が仕事がない。キベラにある小学校を訪問した。子供たちは絵を描いていました。

●スブキア
 ナイロビから北へ3時間。東アフリカにある赤道直下の町。赤道を示す看板がある。その看板の下にあるもので面白い実験ができる。コリオリの力を利用するという。地球の自転によってできる力のことで、台風が南半球と北半球で反対を巻くことで証明される。バケツに穴が開いていて、水を入れると北半球は反時計周りに渦を作り、南半球は時計周りに渦を作る。赤道証明書US$45を購入した。GPSでは20kmずれていました。先ほどの実験は容器の傾きを利用した手品みたいなものだったそうです。
 西村さんは3つ看板を見つけたが、3つともずれていました。多分、商売するためなのでしょう。本当の赤道の上には何もありませんでした。

●ナクル湖
 ケニアの赤道直下の湖。ここに鮮やかなピンク色のフラミンゴが100万頭以上いる。ここに生息する植物プランクトン「スピルリナ」を食べているからピンクなのだそうです。この色素による。

●マガディ湖
 同じケニアのマガディ湖はスピルリナの色素が湖に溶け出して、湖一面がピンク色。

●ケニヤ山
 赤道直下にありながら万年氷河に覆われる山。標高は5199m。そのティンダル氷河も10年前と比べて明らかに小さくなっている。


●エチオピアのアディスアベバ
 アディスアベバの人口は300万人。エチオピアはアフリカで唯一独立を守り続けていたため、他の国にはないエチオピア独自の文化を数多く持っている。ここにないものはないという東アフリカ一のマーケット「マルカート」。新品だけでなく、使い古したポリタンク、ペットボトルなども売っている。金製品も売っている。ジーンズの店ではウエストを測定せずに、首まわりであわせている。首の2倍がウエストだそうです。西村さんの場合は合ってました。
 アジスアベバは標高2300m、年間平均気温は16度で過ごしやすい気候。エチオピアン・ミレニアム2000のポスターが飾られている。エチオピアは去年2000年になったため。キリストが生まれた年は、エチオピアでは西暦より7年9ヶ月遅いと考えられているため。みんなエチオピア正教を信じている。
 驚く光景は、大人の男性同士が手をつないで歩いていること。

●エチオピアのラリベラ
 アジスアベバから北へ320km。山岳地帯の町。人口2万人足らず。この町に世界各国から人々がやってくる。大きな穴の中にすっぽりと隠れるように建つ「聖ジョージ教会」。エチオピア正教の教会で、穴の中に建っているように見えるが、実は一枚の岩をくり抜いて作っている。内部の壁もきれいにくりぬいてあり、天井までの吹き抜けになっている。5000人の信者が28年の歳月をかけて作ったらしい。ラリベラには11の岩窟教会があり、世界遺産。燃えないために岩をくりぬいて作ったらしい。

●エチオピアのジンカ
 エチオピア南西部の町ジンカ。ここからさらに悪路を2時間。暮らしているのはムルシ族。日本のチャンバラのようなことをしているが、収穫を祝う儀式。
 女性は下唇の大きな陶器のお皿をためている。奴隷貿易のために、皿をはめて醜くすれば奴隷にされないと考えたため。しかし皿はいつしか美しさの象徴へと変わった。

●エチオピア
 住んでいる人の8割が農業をしている。藁を空に放り投げている人がいる。一度牛に踏ませて、これで実と藁を分けている。デフというイネ科の穀物。エチオピア自慢の料理インジェラの材料になる。インジェラはデフを水で溶き、数日寝かせてクレープのようにして焼く。この上に辛いシチューをのせて一緒に食べる。エチオピアではお互いに食べさせあうのが食事のマナー。親しい人から3回食べさせてもらうのが決まり。デザートはポップコーンで、外に飛び出すのもお構いなし。相手に投げつけるのも、相手の幸せを祈ってのこと。


●ウガンダのカンパラ
 首都カンパラは、緑豊かな丘にイギリス風の住宅が立ち並ぶ美しい町。その美しさから「アフリカの真珠」とも呼ばれている。

●カリンズの森に向かう道路
 ここの赤道の看板はほぼGPSと一致していた。赤道証明書はUS$5。

●カリンズ森林保護区
 赤道から車で5時間。世界的には絶滅の危機にある野生のチンパンジーが450頭住む保護区。ここでチンパンジーを研究している京都大学霊長類研究所の橋本千絵助教。カリンズは数時間の短いトレッキングで野生のチンパンジーに出会える世界的にも珍しい場所。地面にはチンパンジーが餌として食べるサスライアリ。木の上に枝で作ったチンパンジーのベッドを見つけた。26歳のオスがいました。集団行動はほとんどしない。時折吠えます。するとどこからか返事がある。家族の確認らしい。カリンズでは、すぐ隣に人間が暮らす村がある。世界でもここだけ。暮らし振りを拝見した。イメルダさんのバナナの収穫を手伝った。ウガンダでは主食。青いうちに皮をむいて蒸して食べる。ウガンダのバナナ生産は世界2位。
 チンパンジーを見学するツアーを研究者と村の人で計画。7年前からしていて好評。これで村も潤う。しかし違法に木を切る人がいる。

●ビクトリア湖
 アフリカ最大の湖で、琵琶湖の100倍。
 ボートででて赤道を目指すが、出発から2時間で到着の予定が、あと5kmでエンジンがトラブル。3時間半漂流して船がきた。
 さらに進むと、全長6700kmの世界一長い河ナイル川の源流があった。

●ブウィンディ国立公園
 ウガンダにある国立公園。世界に生息しているマウンテンゴリラの半数にあたるおよそ340頭が暮す。その森を歩いて訪ねる。出発から1時間で2度めの休憩。目の前には小さな建物。ここからが辛い道のりのスタートだった。道なき道、やぶをかきわけかきわけ進み、歩きはじめて3時間以上。やっとマウンテン・ゴリラとご対面。きれいな毛並みでした。背中に赤ちゃんをのせていました。大人のオスは背中が銀色になることから、「シルバー・バック」と呼ばれている。マウンテン・ゴリラが急に集まって一家団欒でのんびりしていました。


テレビ番組「アフリカ縦断 114日の旅 前編 灼熱の砂漠を越えて緑の大地を行く」

 2008年5月6日放送。6月〜9月、緑色のトラックの荷台でアフリカを北から南に走る旅。NHK製作。

 ビデオが不調で、途中からです。

●スーダンのヌビア砂漠
 400kmも続く砂の大地。トラックが南に向かって走る。道しるべは砂漠に敷かれた鉄道で、国境の町と首都ハルツームを結ぶ。19世紀末にイギリス軍がエジプトから作ったもの。線路脇には電柱が並ぶ。
 砂漠にはところどころ車の轍が残っている。タイヤが柔らかい砂にはまったらたいへんです。旅人全員が協力して砂かき。
 10時に出発して7時間、合計8回スタックして、110km進んだ。男性は砂漠で用を足していました。夜は10度以下になり、寒暖の差は40度以上。テントを建てずにゴザの上で雑魚寝。
 翌日はすごい強風。近くの駅の人たちとサッカーの試合をした。近くを通りかかったトレーラーの人がミネラル・ウォーターを差し入れしてくれました。
 3日目は舗装道路に入った。
 4日目、紀元前に栄えたクシュ王国のメロエ遺跡があり、100のピラミッドが並ぶ。高さ10m程度で、正面に礼拝室がある。内部には様々な壁画。牛の放牧図もある。当時は牧草が茂っていたのでしょう。ワインも作っているので、ブドウの産地だったのでしょう。
 右側に川が見えてきた。車体を叩くと車が止まる。ひさしぶりにナイル川。底は泥だそうで、川は濁っています。一週間ぶりの入浴をすませました。
 テントの傍にサソリ、ムカデもいた。しばらく行くと緑が増えた。

●ハルツーム
 カイロから3600km、ハルツームに到着。青ナイルと白ナイルの合流地点で、人口500万人。国を南北に分断し20年以上続いた内戦は2005年に終結した。西部地域の紛争はまだ終っていないが。ハルツームは建設ラッシュ。
 モスクにスーフィー(イスラム神秘主義)の人が集まる。人々は祈り、歌い、踊り、回る。外国人も自由に見学できる。
 2日後に出発した。

●エチオピア
 7月2日に入った。国境の町は商品でいっぱいで、物価も安い。地元の人に水をわけてもらった。6月〜9月の雨季に入って1ヶ月。緑も多い国。平均標高は1600mを越える。
 エチオピアは広さは日本の3倍、7300万人が暮らす。

 標高4000m級の山々が連なるエチオピア高原に入った。世界自然遺産のシミエン国立公園で1泊2日のトレッキング。まず標高3100m地まで3時間かけてのぼる。草原でゲラダヒヒの群れに合った。午後4時半にキャンプ場に到着。気温は8度。翌朝9時半にキャンプ場を出発し、幻の滝を目指して山を上る。4時間後、標高3255m、雨季だけに現われる幻の滝が見える場所に到着。落差800m。正式な名前はない。
 道路が冠水していたので、ルートを変更した。エチオピア最大の湖ナタ湖が見えてきた。青ナイルの水源。岸辺にはパピルスが群生していた。ほとりにある村を訪問。村人たちがパピルスの茎を集めて乾かし、いろいろな物を作っている。屋根、壁、家具、筏。余ったら薪になる。
 2日後タナ湖のキャンプ場を出発した。道沿いに戦車があった。1980年代後半〜1991年の内戦に使われた戦車が放置されている。この一帯には地雷もまだあるという。

 首都アディスアベバに到着。現地の言葉で「新しい花」という意味。
 夜の酒場に繰り出した。アズマリという伝統的な歌い手が、マシュンコというバイオリンみたいな弦楽器と手拍子にのせて即興で歌う。4日間滞在。

 モヤレはエチオピアとケニアの国境の町。この街は国境線で南北2つの国に分かれている。

●ケニア
 入国すると武装警官が2名添乗してきた。北部ケニアを走る場合は2名添乗することが義務づけられている。エチオピアから強盗団がやってくるためらしい。狙いは牛などの家畜、外国人観光客のお金。武器を持ち殺人時間も起こすという。160kmをできるだけ早く通り過ぎます。強盗団は丘の上や茂みから突然遅いかかってくるそうです。3時間で危険地帯を通過した。みんなで武装警官に感謝。
 北部の熱帯草原サバンナを走る。ケニアは面積58万平方km、日本の1.5倍。人口は3500万人で、85%は穏やかな気候の南部に集中している。
 3日目、赤道を通過。通過証明書を発行している人がいる。
 首都ナイロビに到着。東アフリカの中心都市。宿泊するキャンプ場には他の旅行会社のトラックも休憩している。テント修理士もいる。

 7月30日、後半戦のスタート。ここから西に進路を取る。旅人は25人で5人増えた。「ナイバシャ・ヒッポ・キャンプ公園」で、この旅初のサファリに挑戦。ライオンなどがいないので、歩いてサファリが楽しめる。まずサバンナシマウマ、キリンなど。
 「ナクル湖国立公園」に行く。大きな湖がうっすらとピンク色に染まっている。100万羽以上のフラミンゴの群れ。塩分が多く、植物プランクトンが大量に繁殖している。

 以上56日、8200kmを走った旅でした。これから南アフリカの喜望峰を目指す。


テレビ番組「探検ロマン世界遺産 エチオピアのラリベラ」

 2008年2月23日放送。伊藤雄彦アナウンサーが案内。エチオピアでは多くの人がエチオピア正教を信仰している。4世紀に伝わったキリスト教の姿が残されている。エチオピアには独自の暦がある。それによるとクリスマスは1月7日、毎年クリスマスに一つの場所を目指す。聖地ラリベラ。2007年も15万人が集まった。岩をくりぬいて作られた教会が11も集まっている。

●エチオピア高原
 マラソンのアベベなど強い理由はエチオピア高原にある。標高2000mを越す険しい崖に囲まれた大地が、脚力や心肺機能を高めた。聖地ラリベラはアディスアベバの北500km、エチオピア高原の北部にある。

●ラリベラに行く途中
 車でまる2日かかってアジスアベバから到着。10月に雨季が明け、乾季の真っ只中。舗装されていない道は土煙が上がる。収穫の時期だった。テフという植物を主食にしている。牛で踏ませて脱穀する。実はゴマより小さいそうです。
 ラリベラまで170km、メガ村に巡礼に行く人がいる。ファンテ・ヌグセさん(65歳)は初めてラリベラに行くという。12月28日、往復2週間分の食料を持って出発した。野宿しながら6日かけて行くそうです。v
●ラリベラ
 標高2600m、2万人余りが暮す。目指す教会群は街の南にある。丘の高いところから見ると、地面に見事に十字架が刻まれている。世界遺産「聖ギオルギス教会」。800年、巨大な岩を掘って作られた。ビル3階建くらいの高さがある。窓にも細かい細工がしてある。教会はノミだけで彫られたそうです。さらに岩を掘りぬいて教会の内部が作られた。多くの人が動員され、エジプト人が関わったとも言われている。やり直しのきかない作業は緻密な設計と技術に基づいていた。
 アディスアベバ大学のファシル・ギヨルギス教授がどれくらい大変だったかを、教会の側に残っている「削った残りの石」で教えてくれた。ラリベラの教会群は400m四方の間に11個ある。全て岩をくりぬいている。
 クリスマスの夜に何万人もの人が祈りに訪れる「聖マルヤム教会」。聖母マリアを称えて築かれた。天井には鮮やかな装飾が施されている。浮き彫りも岩を削って作ってある。太陽を描いたものもある。
 「アッバ・リバノス教会」は横に彫って作った教会。凝灰岩でできているので加工しやすいようです。教会のまわりには岩を削って通路が作られていた。深さは10mに達する所もある。地獄の道という地下道の先には地獄があるという。光が見えてきたが、ここからは天国だという。マルコレウォス教会(天国の教会)に出ました。

 ラリベラから30km北に天然の洞窟がある。この洞窟の中にラリベラの教会よりも100年以上前に作られた「イムレハナ・クリストス教会」(11〜12世紀に建造)がある。元々エチオピアでは岩の穴を神聖な祈りの場所としていた。そのためラリベラの教会も岩をくりぬいて作られたという。この教会が木で作られているので、10世紀に異教徒が侵略して多くの木造教会を焼き討ちした教訓として、火に強い岩の教会を作ったという説もある。
 司祭のアルバチョ・レタさんは、この地を治めていたラリベラ王が、夢の中で岩の教会群を見て、キリストが同じものを作れと命令したので教会を作ったという。
 「ゴルゴタ教会」の壁には磔を見ていたというキリストの弟子たちが描かれている。教会が出来上がるとキリストは再度姿を現し、「ラリベラはエルサレムと同じとみなす」と約束した。
 「聖救世主教会」では毎週日曜日に多くの人が集まる。目当ては黄金の十字架。ラリベラ王が使っていたという。この十字架に触れると病気が治ると信じられている。無医村が多いので、キリスト教の教会は病人にとって絶対。エチオピアの人口7000万人のうち8割は農業に従事している。雨季の雨は洪水となるし、干ばつも頻繁に起きる。1984年の干ばつによる被害で100万人もの人が命を落とした。

 クリスマスの1週間前から市場がでる。十字架や白い布を売っている。一般の人は野宿している。ファンテさんがいた。聖ギオルギス教会でパンを焼いた時に出る灰は聖灰でみんなに配られた。祭壇の前で奥さんのために一つまみ分もらえました。みんな教会の周りを回り始めた。みんなで歌を歌いました。
 クリスマスの日。結婚式を挙げた人がいた。聖マルヤム教会の一角に水くさが茂った池がある。人々が集まり、裸の女性が中に入った。子宝に恵まれると信じられている。クリスマスにだけ起こる奇跡だという。
 夕方、聖マルヤム教会に人々が押し寄せた。キリストの生誕に祈りを捧げる。夜7時過ぎ、聖歌の合唱が始まった。司祭たちは歌いながら体を揺らし、鈴を鳴らす。歓喜の声が上がり、拍手の中、火をつけたロウソクをみんなが持り祈る。日の出まで続いた。
 1月8日、ファンテさんたちは村に帰った。


テレビ番組「世界遺産 ス−ダンのゲベル・バルカルとナパタ地域の遺跡群」

 2006年10月1日放送。どうやって作ったのか、世界の七不思議の一つだった。ピラミッドができて1000年後に謎に挑んだ王国があった。エジプトからナイル川をさかのぼること1000km、スーダンのヌビア砂漠に入る。19世紀に来たヨーロッパ人は砂に埋もれた古代遺跡に遭遇した。そこにはいくつものピラミッドがあった。今から2700年前に最も栄え、エジプト全土を征服した黒人王国クシュ王朝。20世紀に本格化した発掘調査は王の金の装飾品「ハトホル神のブレスレット」、「イシス神の胸飾り」を発見した。

●ハルツーム
 スーダンとはアラビア語で「黒い人々」の意味。昔からエジプト人とは全く違う人々が暮らしていた。今も人々はナイル川の水をドラム缶に移し、水道のない町に運んでいる。  かつてクシュと呼ばれたこの地(ナパタ地方)は毛皮や象牙など、アフリカ奥地の産物をエジプトに運ぶ際の交易の中継基地だった。
 ナイルのほとりに立つ岩山ゲベル・バルカル Gebel Barkal は3500年前にこのクシュがエジプトに支配され、神聖な姿からエジプト人の聖地となった。エジプトの守り神アメンが太古の時代に住んだ場所に違いないと信じた。これまでの発掘調査で、聖なる山の麓には13ものアメン大神殿があったことがわかっている。一つのムウト神殿 Mut にはコブラと太陽の絵が残っている。コブラはエジプトでは王権のシンボルだった。ゲベル・バルカルに人々はコブラを見た。バルカル山の一角に突き出した岩はアメン神を祭るコブラだった。この頭上に朝日がかかる神秘の時にアメン神と太陽神ラーが一つになり、万物の創造神アメン・ラーの出現の瞬間があった。
 ここに黒人の王が生まれ、アメン神を信仰する王はエジプトに攻め入り、アメン信仰を復興させた。タハルカ王のカルトゥーシュが残っている。エジプト文明への強い愛着からピラミッドを建設した。都の周辺に自らの力で再現した。遺体が安置された玄室は地下に作られた。シャバカ王のピラミッドがその例。死者が冥界を旅する太陽の船、鳥の姿で現世を飛び回る魂、などの壁画がある。
 タハルカ王のピラミッドはクシュで最大。完成時は50mの高さを誇った。エジプトにならい埋葬されたシャブティがある。

 アメリカのボストン美術館に発掘品が収蔵されている。20世紀始めの発掘調査はハーバード大とボストン美術館が行なった。クシュに豊かさをもたらしたのは、ありあまる黄金だった。ミイラの指にも黄金のキャップがはめられた。豪華な装飾品は全て地元で産出したものだった。ツタンカーメン王の純金の棺もクシュの黄金で作られたものだった。

 さらにナイルの上流500kmに向かう。クシュ王国第二の都メロエ Meroe がある。紀元前7世紀アッシリアの侵攻でクシュ王国はエジプトから撤退したが、王達はピラミッドを作り続けた。180基のピラミッドを残した。この王国は4世紀まで続いた。当初エジプトのヒエログリフを使っていたが、メロエ文字を発明した。しかし未だ解読の手がかりがない。そのために新しくなればなるほど、謎に包まれていく。
 スーダンは国民の7割はイスラム教徒だが、古代の記憶は人々の中に生き続けている。ゲベル・バルカルのまわりにお墓が多いことも一つ。


テレビ番組「大使の国のたからもの」4月23日, 30日, 5月7日はスーダン
 テレビ東京製作。

 スーダンの中央部で白ナイルと青ナイルが合流している。スーダンの人々 に様々な恵みをもたらしている。白ナイルはビクトリア湖が起源。

●ケナナ
 さとうきびプランテーションが行われている。ここには世界有数のさとう きび工場がある。サトウキビは焼畑農業で栽培している。絞りカスの固体材 料は燃料となる。この工場は7万ヘクタールで、学校の施設なども取り込ん でいる。

●青ナイル
 名前の由来は、空を川面に映し出すかららしい。エチオピアのタナ湖が源 である。ケジーラ州灌漑農業、穀倉地帯。1925年ゼーナールダムが建設 された。

●農業
 コットンは最近は比率が低下していて、小麦などが多くなっている。青ナ イルの泥は生活に欠かせない。固めて焼いて陶磁器?などを作っている。

●ハルツーム
 山岳地帯に降る雨が流れ込む青ナイルは雨期と乾期とでその姿を激変させる。一方,白ナイルは古代から変わらない。その二つの川が合流する地点がハルツームである。交易の重要な地点として歩んできた。
 ハルツームにはエジプトエアーでカイロ経由で行くのが便利とか。この街は人口510万人で,ハルツーム,北ハルツーム,オムドゥルマンの3つの街から成る。つまり川の合流点なので,南がハルツーム,北東側が北ハルツーム,北西側がオムドゥルマンである。
 北ハルツームは工業都市で,人口増加も著しい。しかし青ナイル沿いの地では,農業が営まれている。

●オムドゥルマン
 伝統的文化が今でも息づき,最もスーダンらしいとも言える。1885年に作られた町。市街地のスーク(市場)は最も活気がある。生活に必要なものは全てが揃う。アラブとアフリカの文化の融合を見ることもできる。
 郊外?では魚市場が盛ん。バザールで毎週金曜日には伝統的な羊市場が開かれている。

●マハディーの霊廟
 スーダンの心の支えであるムハンマド・アフマドは列強などのスーダン侵略に対して1881年マハディーを名乗り,1885年勝利を勝ち取った。その結果イスラムが勝利したということで,今でもこの国はイスラム教徒が多い。
 ハルツームには200のキリスト教会もあり,多くのアフリカ諸国の民族もハルツームに暮らしていて,この国はそういうことも受け入れている。宗教的な争いがないのも特徴である。
 マハディー廟には毎週金曜日にイスラム教の一派が集まって,「アラーの他に神はなし」とドラムに合わせて歌い踊る。最後は激しくなる。

●日本との交流
 文化交流は少ない。最近,日本のNGOのグローバル・レインボーシップが日本文化を紹介してくれた。スーダン国際友好親善協会でも日本との交流が始まっている。

●ヌビア砂漠
 かつてスーダンはヌビアと呼ばれていた。ヌビアとは金を意味するノッブという言葉からきている。紀元前751年にスーダンのクシュ王国はエジプトをも支配下に置いた。アフリカ大陸史上初の黒人王国であった。現在,発掘が進んでいる。

●メロエのプラミッド群
 紀元前751年にクシュ王国はエジプトのテーベを征服し,エジプト第25王朝を開き,ナパタに都を築いた。紀元前4世紀頃に100基あまりのピラミッドが作られた。
 メロエ文明は鉄を溶かす技術を持っていて,製鉄技術を世界中に広げたのかもしれない。ロイヤル・シティは紀元前6世紀半ばに,アッシリアに押されてメロエに都を移した。メロエ王国の王宮の跡もロイヤル・シティに残っている。ここはナイルに近く雨期の雨量も豊富だった。メロエは紀元4世紀まで栄えた。ロイヤル・シティは現地語でバジャラウィヤという。

●ナガ
 ロイヤル・シティの南。アモン神殿がある。アモン神は羊の形をした神。宗教的中心地だったのだろう。アモン神はエジプトとスーダンで信仰されていた。
 この付近には他の神殿もあり,特にアペデマク神殿は重要。これはスーダン独自の神アペデマク神を奉った神殿である。ここ5年でかなり発掘されている。ベルリン/エジプト博物館が中心となってやっている。他にも多く寺院はあるが,ここの神殿は他とは全く異なるらしい。将来はメロエ語を解読したいという。

●ムサワラット
 ナガに隣接し,エレファント寺院がある。象がシンボルで,前は象の訓練所だと考えられてきたが,公式な祭祀が行われてきた寺院だと考えられるようになった。ここでもメロエ文字が多く発掘されている。まだ発掘されていない遺跡が200以上もあるらしい。

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送