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なお、これはわたしが個人的にテレビを見て書いたものであり、各テレビ局や番組とは全く関係はありません。
すべての文章の無断使用・転載を禁止いたします。
またここの情報を使って、何か問題が起こったとしても私は一切責任は持ちませんのであしからず。


テレビ番組「世界!弾丸トラベラー 祝150回記念プレゼントSP モロッコの買付」

 2010年9月11日、18日放送。梨花、山崎静代、中川翔子さんが司会。益若つばさ、梅田直樹夫妻、吉川ひなのさんがゲスト。風間ゆみえさんがプレゼント品を買い付けに行きました。

●プレゼント
 益若さんからは、ラクダの皮のバッグ、帽子。中川さんからmmtsのニット・ワンピース、愛用の香水。山崎さんからは体重計。梨花さんはクリスチャン・ルブタンの靴、バレンシアガのバッグ、Rinkaちゃんハイパー・ジャンボ・フェイス・クッション。吉川ひなのさんからはスポンジ・ボブのぬいぐるみ、コーチのバッグ。

●予定
 1日目、22:20、パリのオルリー空港発。23:25、マラケシュ・メナラ空港着。
 2日目、9:30、出発、11:30、ミシェル・バコニエ。12:15、移動。BELDIカントリークラブ、ヴィラ・デ・ゾロンジュ、アルティゾン・エル・クトゥビア、アトリエ・モロ。スーク(市場)でショッピング。ワルダ・ラ・ムッシュ、エリタージュ・ベルベル、ア・コテ、フローレンス・テイエで買い物。
 3日目、8:00、マラケシュ・メナラ空港発。パリまで4時間10分。19:25、シャルル・ドゴール空港発。11時間50分。
 4日目、14:15、成田国際空港着。

●モロッコのマラケシュ
 パリから3時間半、風間さんが買い付けに向かった。モロッコは街ごとに外壁の色が定められている。マラケシュ・ピンクが似合うような女性になるということをテーマにプレゼントを選んだ。
 新市街はマラケシュでも最先端のファッションが集まる場所。「ミシェル・バコニエ」に行く。フランス人デザイナーが手がけるブランドで、上質で繊細なアクセサリーや雑貨が豊富。サファイアのピアス、「ルビーのピアス」1000ディルハム(約1万円)。お勧めは、顔の近くに身に付けるピアスは、シンプルなデザインがより際立つそうです。他にいくつかのピアスなど。「天然石ブレスレット3本セット」3900ディルハム(約3.9万円)。「サテンのストール(青とピンク)」1000ディルハム(約1万円)。他にもチュニック・ドレス、ベロアカバーのノート、レザーカバーのノート、バブーシュ、クッション・カバーなど。合計19個。
 「BELDIカントリークラブ」は、フランス人オーナーで、モロッコとフレンチ・テイストが融合した店。ハンドメイドのファブリック製品が充実。ピンクの手織りのラグマット。紫のシルクの絨毯。お勧めポイントは、強い存在感で手軽に部屋の印象をチェンジできるし、簡単に収納可能。他にもエプロン、バブーシュ、クッションカバー、バスマット、香水、小物入れ、バスタオル、テーブルクロスなど。

 宿泊は、ラグジュアリー・リヤドという邸宅を改築したホテル「ヴィラ・デ・ゾロンジュ」。宿泊部屋に常備されているオリジナル高級アメニティなどが揃う。ボトルが可愛い。「イランイラン」というオイルは官能的な気分になりたい時に使うとか。ジャスミン・オイル、クレイバック、オレンジフラワー・オイル、ジャスミンのゴマージュ、ブラック・オリーブ・ソープ。「タッセル」2本150ディルハム(約1500円)は、衣類やカーテン等につける房飾りで、サボテン繊維を染めて作るのがモロッコ式。お勧めポイントは、インテリアやファッションなどアイデア次第で様々なアクセントとして楽しめる。他にもタッセル、小物入れ、タッセル型ピアス、ローズクォーツ・ストラップなど。これまでで合計56個。

 旧市街に行く。昔ながらの街並みが残る。アーケードは「SEX and the City2 」のロケで使われたものが残っている。
 ランプ屋「アルティゾン・エル・クトゥビア」に行く。「花柄のランプ」250ディルハム(約2500円)、「なめし皮のランプ」250ディルハム(約2500円)、「水滴型のランプ」1500ディルハム(約1.5万円)。他にもキャンドル・ホルダー、キャンドルなど8点。
 雑貨を集めたセレクト・ショップ「アトリエ・モロ」。「香水ビン」180ディルハム(約1800円)。他にもキャンドル・ホルダー、ワイン・ボトル・ケース、ローズ・ウォーターなど。
 スーク(市場)でショッピング。色の洪水。ここのスークは世界最大ともいわれる。庶民の生活に欠かせない物が揃う。「かごバッグ」250ディルハム(約2500円)。他に小物入れなど。「壁かけ鏡」200ディルハム(約2000円)。「鏡6枚セット」100ディルハム(約1000円)。「鏡8枚セット」300ディルハム(約3000円)。以上合計82個。
 他の店で、バブーシュ、子供のバブーシュ、扇子。カラフルな鏡。ポシェットなど合計10点。
 他の店でストール、木製のトレイ、小物入れ、タッセル、キャンドル・セットで合計124点。

 セレクト・ショップ「ワルダ・ラ・ムッシュ」に行く。「タッセル付きストール」300ディルハム(約3000円)。「スウェードのバレエ・シューズ」390ディルハム(約3900円)。
 香水専門店「エリタージュ・ベルベル」。ナチュラルで優しい香りが特徴。「Hirilage Berlire ?」はルーム・フレグランスとしても使えるとか。黒ザクロ、グリーンティー、ジャスミン・オレンジ、ジャスミン・ローズ、フルーツ・フラワー、シトロン、アグリュム・フルール、レッド・ティー、アプリコット、ジャスミン、カシス、ローズを購入。以上で合計140点。
 隣のセレクト・ショップ「ア・コテ」。「シルク生地のブレスレット」50ディルハム(約500円)。他に「ランチョン・マット」で合計147点。

 残り20分で、サラ・ジェシカ・パーカーがお買い物したお店に行く。予約制ファブリック・ショップ「フローレンス・テイエ」。建物の入口には「Tassi 」と書いてあったように見えました。ジェシカが買った「ストール」1800ディルハム(約1.8万円)は、全て手織りで軽いし、とても暖かい。これの色違いを3点。


テレビ番組「世界遺産への招待状34 モロッコ王国マラケシュ旧市街」

 2010年4月3日放送。広場で地面に座って売っている人がいる。卵の殻は飾り、サハラ砂漠のイグアナは喘息に効くとか。週に1回鍋で煮込んで食べるそうです。

●マラケシュ
 ヨーロッパの主だった都市から飛行機で3時間で到着する。マラケシュには年間200万人を越えるヨーロッパ人が押し寄せる。
 世界遺産となっているのは、周囲およそ20kmの城壁に囲まれた旧市街。歴史的な街並みが保存され、1985年世界遺産に登録された。歴代王朝の都だったかつての面影を今に伝える。クトゥビア・モスクなどがある。旧市街の中心に世界最大ともいわれるスーク(市場)がある。店の数はおよそ4000。

 スークの中を歩いてみた。「ヘイ、チャイナ」、「1$スリッパ」、「スキヤキ、モモタロウ」、「オダユウジ」、「オオサカ、タダ、タダ」、「コンニチワ、タダ」、「ビンボー・プライス」などの言葉が飛び交う。
 スークの歴史に詳しい長老を探した。珍しい物を売っている店がある。「お香と魔除け」。生きているカメレオンは魔除けで、お香に混ぜて使うそうです。生きたサソリもあるが、結婚したい女性が結婚したがらない相手の男性に飲ませると効果があるという。フランスやスペインから買いにくる人がいるという。スークで60年以上商売をしているという長老ムハンマド・ベン・ハッジさん(78歳)に話を聞いた。手織りの絨毯を売っている。いい行いをするといいことが起き、悪いことをすると悪いことが返ってくるという。90歳でまだ現役の長老ムバラク・セラージェさんもいた。売っていたのは食用のカタツムリ。昔は売られている物がもっと少なかったそうです。帽子売りの名物おばあさんはファティマ・ガンムージさん(80歳)。昔は観光客はほとんどいなかったそうです。フランス統治時代は食べる物もろくになかったとか。

 マラケシュのスークが建設されたのは11世紀。以来ヨーロッパとアフリカを結ぶ交易の拠点として発展してきた。20世紀の初頭から苦難の時代を歩む。フランスの植民地支配が始まった。モロッコが独立を果たしたのは、1956年のことでした。

 スークの入口で少年に出会った。グナーワという音楽と踊りを披露して、観光客からチップをもらう。小学校をやめたのは2年前。1日の収入は300円ほどだが、家族の暮らしを助けている。今人々はヨーロッパからの観光収入に頼らざるをえない。ファティマさんもこの日は帽子が一つも売れないまま、夜7時に店仕舞い。ファティマさんのお宅に伺った。子供が1人生きていたが、14歳で1969年にオランダに渡り、通訳の仕事をして2人の子供をもうけたが、15年前に病死したそうです。

 かつてマラケシュを繁栄させたのは、砂漠をラクダで行くキャラバン交易だった。それを支えた「砂漠の民」(サハラウィ)の末裔がスークの中に今も生きている。ハッサン・ハムマナさんのお店の奥に通されてみると、古いお面などが並んでいる。これらはアフリカのアンティークで、マリ、カメルーン、ギニア、スーダンの品物も売っているとか。今は車があるので、ラクダは使わないとか。
 マラケシュ近郊にあるサハラウィの村に行ってみた。かつてここには故郷の西サハラから2000人が移住していたそうです。今は少ししか住んでいない。サハラウィの人は朝10時頃、パンにオリーブオイルをつけて食べる。他の地域の人と着る服は違っているそうです。1991年モロッコ政府はサハラウィたちに西サハラへの移住を呼びかけて、ほとんどの人が西サハラに移動したためだそうです。西サハラは元々スペイン領だった。1973年にスペインが放棄し、モロッコが侵攻した。西サハラ独立を目指すサハラウィたちと戦争になった。現在も領土問題は解決していない。モロッコは独立反対派のサハラウィたちを送り込み、領有権を主張している。

 朝7時、スークの外れにある建物に人々が集まってきた。ここはユダヤ教の礼拝所シナゴーグ。マラケシュにユダヤ人たちがやって来たのは15世紀。キリスト教徒の迫害を逃れ、ヨーロッパから移り住んだ。金、塩、衣類などを扱い、スークを発展させてきた。しかしイスラエル建国以降、多くのユダヤ人が離れて行った。かつて3万人いたユダヤ人は、今は150人。
 モシェ・ハリワさんのお店を訪問した。かつて裕福なユダヤ商人によって建てられた家に住んでいる。妻ティティさんが案内してくれました。子供は4人いるが、3人はよりよい教育を求めてフランスに移住したそうです。


テレビ番組「地中海の青い宝石 魅惑のカルタゴ夢紀行〜世界遺産・グルメ・ エステを満喫〜」

 2009年12月27日放送。沢井美優さんが旅をした。カタール航空で行ったようです。KSB瀬戸内海放送製作。

●チュニジア
 地中海に面した北アフリカにある。古くから地中海交易の要所として栄えてきた。面積は約16.2万平方kmで日本の4割、人口は1021万人。国民のほとんどがイスラム教徒。公用語はアラビア語で、フランス語も広い範囲で使われている。
 北部はシディ・ブ・サイドと地中海、北部穀倉地帯はローマの発展を支えた。南部はサハラ砂漠で、遊牧民とベルベル人の暮らしがある。モザイクはローマ時代に一世を風靡した。チュニジアは先住民ベルベル人から始まり、フェニキア、ローマ、アラブ、オスマントルコ、フランスなど数多くの文明の足跡を示してきた。歴史的価値の高いものは、世界遺産となっている。
 北部からイシュケウル国立公園、チュニスの旧市街、カルタゴ遺跡、ケルクアンとそのネクロポリス、ドゥッガの考古学遺跡、スースの旧市街、聖都カイロアン、エル・ジェムの円形競技場がある。

●チュニス
 新市街はヨーロッパ風、旧市街はイスラムの香り。アーモンドの生地をピスタチオでくるんであるチュニジアの典型的なお菓子は美味しいそうです。
 中央市場では、野菜、果物、魚などが並ぶ。レモンは大きく1kg約35円。中でもオリーブ製品は特産品で多い。オリーブの塩漬など。
 フランス門をくぐりぬけると旧市街(メディナ)に入る。スークとよばれる市場が網の目の状態で張り巡らされ、観光客などで賑わう。
 「ダール・エル・ベヒの家」を訪問した。ハフス朝(ベルベル人のイスラム王朝で1229〜1574年)時代の伝統的な造りの古い家で、オーナーはジャレル・ベヒさん。カフェとなっている中庭に行くには、ジグザグに配置された部屋を通っていく。暑い空気や冷気が中まで入りにくくする工夫。壁には多くの絵画が飾られていた。中庭は床と天井が白で、壁はイスラム風。ソファが数セット置いてあり、ローマ人はアトリウムと呼んでいたそうです。この建築様式はフェニキア人がギリシャ人、ローマ人、アラビア人にインスピレーションを与えたといわれている。ミントティーをいただいた。アーリア・ベヒさんがチュニジアの伝統お菓子マクロードを持ってきた。これはナツメヤシやナッツあんのドーナツ菓子。
 旧市街の中央には、グランド・モスクと呼ばれるイスラム寺院「ジャマ・ジトゥーナ」がある。734年に創建された。ここにある200本の柱はカルタゴ遺跡から流用されたもの。日本人が木の材質にこだわるように、この国では石の材質や色、彫刻にこだわることが粋とされてきた。

●カルタゴ
 2800年前に伝説の王女フェリッサが現在のチュニス郊外の地に都市を作ったことから始まった。フェニキア語で「新しい町」を意味する「カルタゴ」。群を抜く航海術や地の利を生かし、地中海交易で栄華を極めた。
 当時の町は区画整備されており、2階から6階の家が整備されていた。「ビュルサの丘」はカルタゴの中心地だった。入口には商用船の港があった。およそ200隻を収容できる軍港もあった。これらの跡が残っている。ここから地中海沿岸に数多くの植民都市を築いていった。やがて後のローマやギリシャと並ぶ大国となり、西地中海を掌握した。

●ケルクアン
 チュニジア北東部の岬にある世界遺産。古代カルタゴ人の町の跡がそのまま残っている。総面積9万平方mで、紀元前6世紀頃に建設された。陶器を作る職人や石工、ガラス職人などが多く住み、ムラサキ貝から作る貴重な染料「古代紫」の生産で栄えた。フェニキア歴史研究者のリッダ・ハファールさんは、紀元前256年頃に破壊された。しかしローマ化されず、他の文明にも占領されなかった。
 ケルクアンの家は中庭を囲んで部屋が配置され、井戸や排水溝を備えた浴槽があった。床にはシンプルなモザイクが施されていた。住居の入口にはカルタゴの女神「タニト」が描かれていた。魔除けの役割を果たしていたと考えられている。
 ケルクアンの町から北西の場所で、1965年共同墓地ネクロポリスが発見された。埋葬室は地下にあった。あるお墓からは副葬品や木製の棺が出土した。棺は豊穣と生殖の女神アシュタルテ?を表わしているという。カルタゴ時代の木製の遺品は他に例がないとされている。副葬品などはケルクアンの博物館で見ることができる。

●カルタゴ
 カルタゴ博物館では、当時の宗教観がうかがえる棺がある。有翼女性神官の石棺はエジプト型で、蓋はギリシャ様式。女性神官の髪型はエジプト風、下半身を覆う2枚の翼はエジプトの女神イシスやネフシス?のイメージを思い起こす。
 紀元前264年、カルタゴはローマと地中海の覇権を争う3度の戦い「ポエニ戦争」を始めた。第一次は紀元前264年〜241年、第二次は紀元前218年〜201年、第三次は紀元前149年〜146年。チュニジア国立遺跡研究所のモエズ・アシュールさんが説明してくれました。第二次ホエニ戦争では、名将ハンニバル率いるカルタゴ軍がスペインからゾウ部隊で、前人未到のアルプス越えに挑んだ。2週間で成功し、イタリア東部を南下、カンネーから西に移動、カファ(ローマの南)に到達した。ローマをおびやかしつつ周囲の都市を攻め落とした。
 カルタゴは紀元前202年ザマの戦い(チュニジア)でローマに敗れた。2度の敗戦にもかかわらず、カルタゴは破竹の勢いで経済復興を成し遂げた。脅威を感じたローマの元老院はカルタゴを崩壊させることを決定した。3度目の戦いでカルタゴはローマに屈した。ローマ軍司令官スキピオ・アエミリアヌス(小スキピオ)はカルタゴの陥落の後に、町に呪いをかけ、踏み荒らし、カルタゴを完全に消滅させるようにし、永久に不毛の地となるように塩をまいたという。
 100年後、ローマ帝国の属州アフリカの首都として生まれかわったカルタゴは、本国の都市計画に沿って整備された。劇場、競技場など、今までになかった大型の公共施設が建築された。市民の憩いの場として建てられた共同浴場の中でも「アントニヌスの共同浴場」は一度に4000人が利用できたという。100以上の部屋が左右対称にあったという。浴場や飲料水に使う大量の水をまかなうために、総延長132kmにも及ぶ水道橋を建設した。当時のあらゆる技術を結集し、水が傾斜を利用して流れる仕組みだった。

 「バルセロ・カルタージュ・タラソホテル」では、海水や海の栄養素を利用したタラソテラピーが利用できるが、これは昔の浴場の影響。まずハマム・サウナを体験。蒸気風呂で体を温め、アカスリ。たっぷりと時間をかけ身体全体を海藻パックする。次はハ−ブティールームと海水プールで、オイルマッサージまでゆっくり過ごす。最後はオイル・マッサージ。オイルはオリーブオイル、アーモンドオイル、チュニジア産のエッセンシャルオイルなどが定番。通常は1週間かけるが、忙しい日本人には1日や半日コースがお勧め。

 「アントニヌスの共同浴場」の近くの「ヴォリエールの別荘」の大床には縦12m、横9mの198枚からなるモザイク画がある。チュニスにあるバルドー博物館には、チュニジア各地から集められたモザイク画を見ることができる。館長のタヘル・ガリアさんは、色使いが美しいと語る。「ネプチューンの勝利」というモザイクは、132平方mもある。数々の小判型の円の中にはローマ神話の海の生き物や海のイメージが描かれている。「ユルウス卿のモザイク」では、領主の館の内外の生活を描いている。ワインの神様ディオニソスを扱った作品も数多く見ることができる。
 バルドー博物館では1年前の豊穣の願いをこめたモザイク「ネプチューンの凱旋」がある。この画の4角には春夏秋冬が描かれている。

●シディ・ブ・サイド
 チュニジアで最も美しいといわれている村。カルタゴ地区のすぐ傍にある。建物の壁は白く、窓やドアは真っ青。「オ・ボン・ビュー・トン・レストラン」でチュニジアのワインをいただいた。ハンニバルが活躍した時代、既に良質のワインが作られていた。古代カルタゴのワイン造りのレシピがヨーロッパ中に伝わっていったといわれている。チュニジアの定番の「ビューマゴン」(赤)をいただいた。

●モザイク体験
 モザイクは「テッセラ」を集めて作ったものだと、リアッタ・ファシダさんは語る。テッセラは石などを細かく砕いたもので、様々な色の自然の石を必要としていて、石の鉱脈から採取してくるもの。まずカスピエールを使って石を砕く。さらにペンチで細かく砕きテッセラを作る。テッセラに糊をつけて置く。
 ポイントは、よい自然の石を選ぶこと。色とりどりの石が必要。デザインの選択。どう石をカットするかが大切。

●エル・ジェム
 ローマは北アフリカに200以上のローマ都市を作った。チュニジアにも多くの遺跡が残されている。チュニスの南東200kmにあるエル・ジェムは、オリーブ畑の中にある。ここはオリーブ・オイルの輸出で栄えた。ローマ時代はティストルスと言ったが、中心に聳え立つのが、世界遺産「エル・ジェムの円形闘技場」。3層アーチで囲まれ、およそ3.5万人を収容できた。世界の円形闘技場の中でも3つの指に入る大きさを誇る。縦149m、横124m、高さ36m、アリーナの直径65m。アリーナでは猛獣対猛獣、猛獣対剣闘士などという戦いがあった。地下には控え室があった。
 エル・ジェム博物館にも芸術性の高いモザイクが納められている。博物館の敷地内には遺跡の発掘現場があり、保存、修復を行なっている。「ロバの上のシレノス」は最も大事なモザイク画の1つ。

●ドゥッガ
 チュニスから南西に100km、標高600mの丘にチュニジアで最大級の規模を誇る古代ローマ遺跡がある。農産物に恵まれ、物流の中継都市として大いに繁栄した。ドゥッガのシンボル「キャピトル(神殿)」は、ユピテル(最高神ゼウス)、ユノー(ゼウスの妻ヘラ)、ミネルヴァ(アテナ)を祀っていた。「リキニアの浴場」などから貴重なモザイクがたくさん発見されている。「ディオニソスとオデュッセウス(ユリシーズ)の家」から発見されたモザイクはバルドー博物館で見ることができる。トロイ戦争の勝利を勝ち取ったオデュッセウスが故郷ギリシャに戻る際、10年間漂流するワン・シーン「オデュッセウスとセイレーン」。セイレーンの美しい歌声に惑わされるので、部下は耳をふさぐが、オデュッセウスはどうしても聴きたいので、手首を帆柱にくくりつけている姿が描かれている。

●チュニス
 チュニジア料理の店「ダール・ハムダ・パシャ・レストラン Dar Hamouda Pacha Restaurant 」に行く。レストランはいくつかの部屋を通った中庭にある。まずはオリーブの塩漬、ハリッサ、ツナが出てくる。ハリッサは唐辛子やにんにく、チュニジアのスパイスなどを混ぜ合わせ、ペースト状にしたもので、パンなどにつけて食べるのがチュニジア風。「メシュイーヤ・サラダ」は、野菜を焼いて小さく切り、オリーブオイルと塩で和え、ツナをのせたもの。ツナは日本にも輸出されている。チュニジアで大人気の「ブリック」は、カリッと揚がった殻の中には、半熟卵、じゃがいもなどが入っている。「ダジン」は卵、肉、野菜をグラタン状にして焼いたもの。「マルカ・ハルーワ」は伝統料理。「クスクス」はチュニジアの主食で、世界で最も小さいパスタ。鶏肉、野菜、魚などいろいろな食材をのせて食べる。「ガスピガ」は伝統的なデザート。お花とナッツの香りがいいそうです。

●トゥジェン
 チュニジア南部。ベルベル人は地中海からやってきた人たちから逃れるために、山岳地帯に移り住んだ。クレーターのように見えるベルベル人の家は「穴居住宅」と呼ばれる。この建築様式は敵に見つからない上、夏涼しく、冬は保温性に優れているので、この土地の気候風土に合っている。
 ある穴居住宅は映画「スター・ウォーズ」のロケ地になった。

 サハラ砂漠。砂漠の中にあるオアシスでのんびりとリラックス。砂漠の真中でテントに泊まったりもできる。

●カイロアン
 チュニスから南へ120km。ここから北アフリカのイスラム教が始まった。メッカ、メディナ、エルサレムに次ぐイスラム教第四の聖地と言われている。カイロアン旧市街のムーランド・ランメーッハ研究員が説明してくれました。670年にウクバイブン・ナビ将軍によって建設された。ビザンチンが支配的地位についていた海からも遠く、ベルベル人が留まっていた山からも遠いので、4世紀の間、マグレブ(チュニジア、モロッコ、アルジェリアの総称)の首都になった。
 グランド・モスクは北アフリカで最も古いモスク。マグレブ諸国から多くの巡礼者が訪れている。礼拝堂の中にはイスラム教徒しか入れないが、外から様子を見ることはできる。ミフラブはメッカの方向を向いている。ここにも遺跡の石が数多く流用されている。このモスクは北アフリカやチュニジアの他のモスクのモデルになった。東洋と西洋の間で、目印としても活躍した。カイロアンに7回訪れることは、メッカに1度訪れることと一緒だといわれている。
 5世紀後半キリスト教のモザイクが登場してくる。このチュニジアのモザイクはキリスト教の象徴を担う物へと引き継がれていった。

●ウドナ
 今もチュニジアの至る所で、発掘調査が行なわれている。

●ハイドラ
 内陸部にある。5m四方の地中海の島々と都市のモザイク画がある。古代地中海に実在した都市や建造物が描かれている。愛と美の女神ビーナスと関連する土地への想像上の旅を描写したものと考えられている。

●ザマ
 紀元前7世紀からカルタゴと近い関係にあった。研究ディレクターのアハメド・フェルジャウイさんが説明してくれました。カルタゴは地中海、チュニジアの内陸の町とも親交があった。


テレビ番組「旅サラダ 2009年10月は長山洋子さんでチュニジア&マルタ共和国」

 カタール航空で関西空港からドーハ経由でチュニスへ行きました。チュニジアは人口1020万人、面積は日本の5分の2。チュニジアでは毎日40度以上あったそうです。地中海をはさんでイタリアの対岸に位置するチュニジアは、古くから地中海交易の中心として栄えた国。いろいろな国との攻防があった。通貨はTD(チュニジアン・ディナール)で1TD=約70円。

●チュニス
 首都のチュニスはアフリカを代表する近代都市。アラブとヨーロッパの2つの文化が混在する。フランス門を隔ててヨーロッパ風の新市街とイスラムの雰囲気をとどめる旧市街の2つの雰囲気を持つ街。
 19世紀後半にフランス統治時代に作られた新市街地。ベンジャミンの並木が続く「ハビブ・ブルギバ通り」はチュニス1の繁華街。緑が多く、両側にオープンカフェが並ぶ。1つのカフェに立ち寄ってみた。「ル・グラン・カフェ・ドゥ・テアトル Le Grand Cafe du Theatre 」(住所:Avenue Habib Bourguiba, Palmarium Bulding, Tunis、Tel:71-336-344、営業時間:06:00〜24:00 )で、「カプチーノ」1.5TD(約110円)。

 西に進み、世界遺産に登録されている「旧市街(メディナ)」に向かう。境界にあるのは、「海の扉(ハブ・エル・ブハル)(フランス門)」。かつてはこの門から伸びる城壁が街を囲んでいた。メディナは7世紀のアラブ時代に建設が始まり、13世紀に最も栄えた。今も当時の姿を伝えている。どこからか祈りをうながす声(アザーン)が流れてきた。
 フランス門を越えると地元の人が「スーク」と呼ぶ市場がある。ここは生活用品が全てまかなえるという活気がある。ここは紛れもないアラブ社会。1000軒ものお店がある。
 お菓子屋さんがあった。試食してみた。「マクルード」は中はジャムのようなものが入っている。2TD(140円)。甘いジャムはチュニジアの特産品ナツメヤシの実。

 迷路のような路地を行くと、不思議な入口を見つけた。赤い扉の中はサウナのお店「ハマム・カシャシン Hammam Qashashine 」(住所:Rue de Qashashine Medina de Tunis, Tunis、Tel:なし、営業時間:5:00〜20:00 )。ハマムとは蒸気風呂で、ここは60度。じっくり汗を流してから垢すりやマッサージをする。入場料2TD(140円)、垢すり2TD(140円)。蒸気風呂に入る風習はオスマントルコ領土だった時代から庶民の間に広まった文化。1日の疲れを癒すと共に、社交の場ともなっている。現在ではジムや美容室と一緒になっているハマムもある。
 もう1軒のお店に行ってみた。しかしここはハマムのお店をカフェに改装したお店だった。「カフェ・ムラベト Cafe M'Rabet 」(住所:Rue Souk Trok, Medina de Tunis, Tunis、Tel:なし、営業時間:8:00〜19:30 )はアラブ風カフェで、チュニジア伝統のお菓子や水タバコを楽しむことが出来る。不思議な空間です。ミント・ティー2TD(140円)はかなり甘い。

 市場を抜けたあたりで聞こえてきた美しい音色。「ラシディア音楽学校」(住所:Rue DRIBA, Medina de Tunis, Tunis、見学時間:(午前)10 :00 〜12 :00 (午後) 15 :00 〜 20:00 )で、伝統音楽を教える学校でした。ウードという民族楽器の練習中でした。ウードはアラブ音楽の世界で音色と形の美しさから「楽器の女王」といわれている。弦をはじいて音を出す撥弦楽器で、バチは今はプラスチックを使っているが、以前はダチョウの羽を使っていた。弦の数は11本。しかも2本並んだ弦を一緒に抑える演奏方法。弾かせてもらいましたが難しいそうです。半卵形状の共鳴胴を持ち、竿の先が大きく反っている。長山さんは着物を着て三味線を弾きました。

 高級住宅街にあるレストラン「ダル・エル・ケイラート Dar El Hayrat 」(住所:Rue Dar Eljeld, Medina de Tunis, Tunis、営業時間:12:00 〜 15:30 & 19:30〜23:30 )に行く。ここは築200年余りの豪華な邸宅を改装した評判のチュニジア料理店。伝統的なチュニジア料理を堪能できるが、今回は最もポピュラーな料理を御願いしました。付き出しのオリーブと「ハリッサ」は無料。ハリッサは赤唐辛子とにんにくをペーストにしたもので、パンにつけて食べる香辛料。「ブリック」5TD(350円)は、クレープ生地に卵、ツナなどをはさんで油で揚げたもの。この料理はとても人気があるが、食べ方に注意しないと中から黄身がでてくる。チーズも入っていてバランスがいいとか。「クスクス」15TD(約1050円)は北アフリカを代表する料理。小麦粉を粒状にしたパスタと香辛料を使ったスープを混ぜ合わせ、子羊の肉や野菜を盛り付けたられたもの。チュニジア料理は特産品であるオリーブオイルをベースにして豊富なスパイスで味付けしたコクのある料理だった。

●カルタゴ遺跡
 チュニスの北東12キロにあるカルタゴは、紀元前9世紀頃に地中海貿易を独占し、海の民と言われた古代フェニキア人によって建設された。紀元前6世紀から紀元前2世紀にかけてカルタゴは地中海から西アフリカ海岸までの貿易を掌握し大いに栄えカルタゴは古代ローマと並ぶ強国となっていった。しかし、古代ローマとの3度にわたる戦いに敗れ、紀元前146年に滅亡した。ローマ帝国時代には、ローマ、アレクサンドリアに次ぐ第三の都市となった。
 「アントニヌスの共同浴場」(住所:Colline de Byrsa, BP33, 2016 Carthage、Tel:71-730-261、営業時間:夏季8:00〜19:00 冬季8:30〜17:00 )は2世紀に建設された広大な公共浴場。ここにはお風呂の他にも当時はサウナ、プール、談話室など100を超える部屋があったとされる。床には色鮮やかなモザイク画が敷き詰められ、華やかな柱と壁には大理石がふんだんに使われていた。入場料:カルタゴ遺跡共通券9TD(約630円)。
 7世紀にアラブの支配を受けた後は、次第に荒廃し、歴史の表舞台から姿を消した。現在では古代カルタゴの遺跡はほとんど見られず、わずかに残るのはビュルサの丘にある住居群やトフェの墓地である。残る遺跡群のほとんどはローマ帝国時代のもので、1979年に世界遺産に登録された。
 当時1万人もの観客を収容できたという「ローマ劇場」(住所:Colline de Byrsa, BP33, 2016 Carthage、Tel:71-731-332、営業時間:夏季8:00〜19:00 冬季8:30〜17:00 )復元された現在もコンサートなどの会場として使用されている。入場料:カルタゴ遺跡共通券9TD(約630円)。

●シディ・ブ・サイド
 チュニスの郊外にあり、カルタゴから車で10分。チュニジアで一番美しいと言われる街。人口は約5000人。青い空に、青い窓と扉、白壁が印象的な家並みが広がる。世界中から観光客が訪れる。ヨーロッパの芸術家たちが好んで訪れたという。この白壁と青い窓と扉のパターンはこの街からチュニジア各地に広がっていったという。
 そのきっかけになった邸宅を訪問した。アラブ地中海音楽の博物館画家であり、アラブ音楽の歴史をまとめた研究者であるフランス人のロドルフ・デルランジェ男爵(1872〜1932)の邸宅(住所:8, rue du 2 Mars 2026 Sidi Bou Said Tunis、Tel:71-740-102、営業時間:9:00〜13:00 & 15:00〜18:00、休館日:月曜 )。入場料3TD(約210円)。彼は地中海と空をイメージした青、そして白を建物に使うことを提案し、実践した。町もそれを賛同し、1915年8月28日付けの政令によってシディ・ブ・サイドの岬における無秩序な開発を禁止し、青と白の色を街の基調として課し、街の保護を図ることにした。現在はこの邸宅は「アラブ・地中海音楽の博物館」として公開され、演奏会の会場として使われることもある。白壁に生える青はいつしか「チュニジアン・ブルー」と呼ばれるようになった。
 この街は鳥かごや陶器などチュニジア名物の工芸品ショップが並び、景色だけでなく買い物も楽しめる。鳥かごがとても多い。名産品は鳥かご。鳥はチュニジアの人にとって自由の象徴であり、とても大切にされている。
http://www.asahi.co.jp/tsalad/monthly/20091003.html

●ナブール Nabeul
 チュニスから電車で約1時間。チケット代は6.3TD(約440円)。急行列車は全て自由席。里帰りするというご家族と同席した。
 陶器をはじめとする工芸で知られる地中海に面した街。ナブール陶器の歴史は古く、紀元前のバビロニア時代まで遡る。主要産業となったナブール陶器はチュニジア全土に広がっており、観光客だけでなくチュニジア各地からも買い物にやってくる人が多い。
 陶器街に行く。マブール焼きの特徴は鮮やかな色合いと豊富なデザイン。チュニジアで一番愛されている陶器で、お土産にもよい。大きな手の形のデザインがあった。チュニスでもよく見かけたデザインだが、いくつかの陶器が集まって、一つの手になっている。15TD(約1050円)。
 陶器作りを見学できるお店がいくつかある。陶器店「ラ・カラヴァン La Caravane 」(住所:Avenue Habib Bourguiba, Nabeul、営業時間:8:00〜17:30 (金土曜日は8:00〜13:00、定休:日曜 )は、その中でも評判の店。ナブール焼きを数多く取り揃えている。経営者のムハンマド・ジマーアさんに案内してもらった。奥に工房があり、色付けなど全て手作業で行っている。「スープ皿」10TD(約700円)、「クスクス用の皿(ふた付きのタジン鍋)」30TD(約2100円)。壁に「ファティマの手」と呼ばれる魔除けがかかっていた。これが先ほどの手だったわけです。ファティマは貧しい人を助けた慈悲深い女性の名前。イスラムの予言者ムハンマドの娘。困った時に彼女が手をさしのべてくれたというエピソードが伝説となり、手の形がお守りとして用いられている。

●ハマメット
 ナブールから南西15kmにある古くから「刺繍の街」として知られた街。列車で行けます。チュニスからは約60キロ。白い街並みと地中海を一望できる白いビーチが特徴のリゾート地。気候的にも恵まれ、のどかな田園風景が広がる。また、多くの芸術家にも愛され多くのレストランやホテルが立ち並び、ビーチではマリンスポーツが盛んに行われている。街の中心には城塞(カスバ)があり、海からの侵攻に備え、10世紀初頭のアラブ時代に建てられた。城塞の隣にあるメディナと呼ばれる旧市街を守るのが目的だった。長い歴史を持つメディナ。目の前に広がる白い空間。空は真っ青。

 伝統的な刺繍の店を訪ねた。「フェッラ Fella 」(住所:Boutique FELLA, Vieille cite, Hammamet、Tel:72 280 426、Fax:72 279 234、営業時間:10:00〜13:00 & 5:00〜18:30 )では、スタッフのタイシール・ハッマミさんが説明してくれました。青や赤の魚のデザインの刺繍が多い。チュニジアで魚は命と再生を象徴し、子宝や幸運をもたらすといわれている。これは古代フェニキア人が生みの民だったことに由来している。2800年の時が流れていても、お守りとしてとても人気がある。この店には、本のしおりから洋服や豪華な婚礼衣裳まで、伝統的な刺しゅうで作られた様々な色鮮やかな商品が並べられている。貴重なコレクションを見せてもらった。ナブール地方の伝統衣装で、ファティマの手、魚が織り込んである。この2つに鳥、植物などがこの地方に伝わる代表的な刺繍。ハマメット地方の伝統衣装もある。女性用の婚礼衣装には植物模様の刺繍が丁寧に施されている。最後に制作に2年間かかったドレスも見せてもらった。パッチワークのように見えるが、1枚の布に正方形の刺繍が3000箇所以上の施されている。6000TD(42万円)。

●サヘル地方
 世界遺産の街スースに向かう。チュニスから鉄道で2時間、オリーブ畑を抜ける。農業が盛んな中部地方サヘル。サヘルはアラビア語で「沿岸地方」の意味。古くから地中海貿易の重要拠点として栄えた。

●サヘル地方スース
 「サヘル地方の真珠」と言われるほど美しい町。8世紀に建てられた要塞やグランド・モスクなどの歴史的建造物が多く、旧市街は世界遺産に登録されている。

●サヘル地方ケロアン
 スースから車で30分。オリーブ畑を抜けると、もう一つの世界遺産の街ケロアンがある。チュニスの南、約165kmにあたり、絨毯の街としても有名で、交差点のモニュメントには絨毯が描かれている。真夏のケロアンは昼間の気温が40度を越えるので、外出を控えるために人影はまばら。古い街並みには時間が止まったような静けさが漂う。
 街のあちこちで見かけるのは、絨毯。カーペットの産地としても有名で、チュニジアで一番歴史の古い絨毯の生産地でもある。品質もデザインもとても優れている。鈴のような音に誘われて、小さな工房を訪ねた。ほとんどが家内工業で、代々女性に受け継がれてきた。母ヘンダさん(36歳)は8歳から絨毯を織り続けている。中学生の娘ウィジュダンさん(14歳)は4年目。1ヶ月かけて織り続けている絨毯は、完成まであと2ヶ月かかるそうです。
 世界遺産の街をご家族に案内してもらった。ケロアンは北アフリカにおけるイスラム教発祥の地といわれ、歴史は7世紀から始まる。歴代のアラブ王朝の首都として栄えた。その後、ベドウィンの侵入により衰退し首都がチュニスに移ったとされる。現在は、チュニジア第5の都市。
 「グランドモスク Grand Mosque 」(住所:Grand Mosque Okba Vielle ville Kairouan、Tel:77 270 452、営業時間:夏季7:30から14:00 冬季8:00から14:00、金曜日は12:00まで)は、9世紀に建てられたアフリカ最古のモスク。入場料は7TD、撮影料金は1TD。内部への門は9つあるが、イスラム教信者以外が入れるのはメインゲートからのみ。ミナレットと呼ばれる塔の高さは31.5mで、イスラム世界で最も古いものといわれている。礼拝堂へはイスラム教信者以外は入れない。

●ヤスミン・ハマメット
 チュニジアで最も人気のあるリゾート地。地中海に面したビーチ沿いに、50もの豪華な大型ホテルが建ち並ぶ。
 5つ星ホテルの「ハスドゥルバル・タラサ&スパ Hasdrubal Thalassa & Spa 」(住所:8057, Yasmin Hammamet BP 04 , Yasmine Hammamet 8050、Tel:72 244 000/914 )は、全ての部屋がスイートルームという豪華さで、チュニジアを代表する最高級ホテル。各国のセレブも美容と健康、極上の休暇を過ごすために訪れる。様々なタイプのスイートルームがあるが、世界一広いとギネスに認定されているスイートルームを体験。マライア・キャリーもここに泊まったとか。1542平方mで、ベッドルームが5部屋、リビングが5部屋、屋内と屋外のプール、プライベート・ビーチなどがあり1泊朝食付きで8000TD(約56万円)。
 またこのホテルの自慢は、5500平方mにも及ぶ「タラソテラピー・センター」。タラソは海、テラピーは治療という意味。海水を入れた温水プールは32度で、体をゆっくり動かすのに丁度いい温度。一番のお勧めは「死海」から取り寄せたミネラルたっぷりの「海藻パック他、最短4日コース」685TD(約4.8万円)。
 レストランでは美容と健康を考えた低カロリーの料理がいただける。スズキのグリル、ワインはロゼをいただきました。


●トズール Tozeur
 サハラの大砂漠を目指す。トズールはアルジェリアとの国境近くにある砂漠の中のオアシス都市。街の200ヶ所から湧き出す地下水が、このオアシスを潤している。この日の気温は43度。水の冷たさがとても心地よい。
 トズールはサハラ砂漠の玄関口として知られる街。ハビブ・ブルギバ通りは一番の繁華街。国際空港やリゾートホテルも充実しているため一年中を通して世界中から多くの観光客が訪れている。「カレーシュ」と呼ばれる観光馬車は、1時間15TD(1050円)で、なかなか快適で、日中暑いチュニジアを涼しく観光することが出来る。日干し煉瓦で造られた街並みや美しい幾何学模様はこの地方独特のもの。
 オアシスの町の特産品はナツメヤシ。40万本の木から最高級の甘い実が収穫される。

●塩湖「ショット・エル・ジェリド」
 トズールから南へ300km、サハラ砂漠に向かう。荒涼とした乾いた大地が続く。
 しばらく行くと、北アフリカ最大の塩湖「ショット・エル・ジェリド」が見えてきた。どこまでも続く白い大地で、かつてはここは地中海につながっていた。長さ55kmのまっすぐな道路の左右に広がり、面積は6000平方km。琵琶湖の約7.5倍で、千葉県とほぼ同じ広さで、西はアルジェリア国境近く、東は地中海沿岸まで及ぶといわれる。
 塩湖の中に一艘のボートが置いてあった。ピンク色の塩は幻想的です。塩の結晶はクリスタルのように輝き、まばゆい光を放つ。

●マトマタ
 チュニジア南部の町、トズールから100km。牛を飼っているようです。北アフリカの先住民族であるベルベル族が住む街。彼らは横穴式住居に住む。
 映画「スターウォーズ」のルーク・スカイウォーカーが育った家として、1977年に公開された第1作目からシリーズを通して、この横穴式住居は度々登場した。今は「エピソード3」で使われたままの姿が残され、世界中からたくさんのスターウォーズ・ファンが訪れている。
 ベルベル人のハジャ・ファトマさん(80歳)のお宅を訪ねた。クレーターのような大きな竪穴、その壁の部分に多くの横穴を掘り進めた住まい。部屋の奥はお昼でも涼しいそうです。ローズマリーのお茶をいただきました。ベルベル人は12世紀頃、遊牧民のベドウィンに追われてこの地に移り住んだ。敵から身を隠すために使用していた横穴が、今も受け継がれている。横穴型住居は粘土質で夏は涼しく冬は保温性に優れている。ベッドのマットの中にはアルファという植物の葉が入っていて涼しいそうです。アルファで作った麦を入れる籠も丈夫。
 横穴式のレストランやホテルもあり、観光スポットとしても人気が高い。
 スターウォーズロケ地マトマタで見られる撮影セットは「ホテル・シディ・ドリス Hotel Sidi Driss 」(住所:Centre Ville, 6070 Matmata、Tel:216 75 240 005 )など。世界中から多くの「スターウォーズ」ファンが訪れ賑わっている。

●砂漠
 マトマタから100km先、車で1時間半の場所に向かう。トズールを出発して9時間。途中から舗装された道がなくなるので、道なき道を行く。褐色の砂漠の中、途中で車を止めてもらって、サハラ砂漠を眺めた。息を呑むほど美しい赤の世界。

●クサール・ギレン
 ナツメヤシの林に囲まれた町。街中には太陽熱に暖められた天然の温水プールがあり、砂漠の旅の疲れを癒してくれる。
 チュニジア国内でも最も素晴らしい砂丘で、サハラ砂漠を見ることが出来る。赤い砂丘が地平線まで広がり幻想的な雰囲気が味わえる。チュニスからは直通の公共交通機関はなく、各旅行会社での4WDチャーターが最も一般的。
 宿泊は、砂漠の中に張られた60棟のテントでできた「パンシア Pansea 」(住所:Ksar Ghilane, 4200, Kebili、Tel:75 621 870 )。テントの中は意外と広くて、冷房が利いていて涼しい。壁はコンクリートらしい。シャワー・トイレ・エアコン完備の豪華ホテルで、シングル1泊朝食付で200TD(約1.4万円)、ダブル1人1泊朝食付で、258TD(約1.8万円)。夕食付きの場合は、追加29TD(約2100円)。小麦粉を練ったパンは、砂の上で表と裏を10分ずつ焼く。中はもちもちです。追加料金で40TD(約2800円)。
http://www.pansea.com/

 ここで夜月を見ていたら、ジャズの名曲「チュニジアの夜」を思い出した。 ♪いずれの空の月も同じ。冷たい夜の光を放ち、輝くことに変わりない。だが、チュニジアの月ほど明るく輝く月はない。夜ごとの安らぎの満ちる場所。それは素晴らしきチュニジアの夜。


●マルタ共和国 Malta
 地中海の真ん中に位置し、イタリアとアフリカ大陸に挟まれている国。シチリアの南に位置する。人口は41万人。面積は東京23区の半分ほどの小さな島。気候は地中海性気候。誇り高い騎士団が守った要塞の島。文明の交差路として、歴史溢れる街並みと美しい地中海を楽しむため、年間120万人以上の旅行客が訪れる。
http://www.asahi.co.jp/tsalad/monthly/20091024.html

●ヴァレッタ
 マルタ共和国の政治・経済の中心地、首都。16世紀半ば、聖ヨハネ騎士団によって作られた要塞都市。1980年に世界遺産に登録。
 街の入口「シティ・ゲート」からメイン・ストリートに向かう。観光客もリラックスしているし、街を歩いていてもとても自然な感じだそうです。どこに行くにも15分の距離というジョークがあるほど、小さな街。街のメインストリートの「リパブリック・ストリート」はわずか1kmで、古い建物がそのまま残り、多くのお店が並び賑わいを見せている。建物は黄色で、マルタ・ストーンというマルタ特産の石を使っている。断熱効果に優れている。バレッタにある300ほどの歴史的な建物に使われている。
 マルタはかつて様々な民族に支配された歴史がある。最も影響を受けたのは、16世紀から270年余り支配した聖ヨハネ騎士団。騎士団の団長が代々住んでいた宮殿の一部「騎士団長の宮殿と兵器庫」(住所:Palace Square Valletta VLT1191、Tel:356 21 249349 )が博物館として残されている。騎士団は16世紀から270年にわたりキリスト教を守るために組織された集団で、闘う兵士であり修道士だった。その多くはヨーロッパの富裕階級の出身だったため、財政的にも豊かで、マルタに豪華な建築物や美術品をもたらした。豪華な部屋が数々あるが、現在も大統領府と議会が置かれているため、見学出来るのは一部に限られている。兵器庫には聖ヨハネ騎士団の甲冑や武器など約6000点もの武具が展示され、当時の歴史を垣間見ることが出来る。
 入場料は一般10ユーロ、オーディオガイド付15ユーロ、学生12歳から17歳とシニア60歳以上は7ユーロ、子供は5ユーロ。宮殿がしまっている場合、武器庫のみで、入場料は一般6ユーロ、学生とシニア4.5ユーロ、子供3ユーロ。

 「聖ヨハネ大聖堂」(住所:St John’s Street,Valletta VLT10、Tel:356 21 220536 )は聖ヨハネのために建てられたもので、騎士団の心の拠り所だった。内部は豪華さで言葉を失う。天井から壁面の全てが金箔で装飾、柱や壁に聖ヨハネ騎士団の紋章が飾られている。賛美歌を歌っていたのは、アントニオ・バルトロさん(59歳)で、この教会の聖歌隊の一員で、教会の案内もしている。天井には美しいフレスコ画をマティオ・プレッティが描いている。それは聖ヨハネがキリストを洗礼している姿もあり、聖ヨハネの生涯を美しく描いたもの。天井の絵はマルタ・ストーンの上に直接、油絵の具で描かれている。赤い布をまとっているモチーフは、大理石の彫刻にも利用された。また、大理石の床一面には名前や紋章・碑文・絵など美しい模様が描かれた374もの墓碑が敷き詰められている。入場料は一般6ユーロ、シニア4.6ユーロ、学生3.5ユーロ。

 バルトロさんから騎士団が活躍した風光明媚な場所があると聞いて行ってみた。それは要塞の一角にある「アッパー・バラッカ・ガーデン」(住所:Castille Square Valletta、入場料:なし )。対岸のスリー・シティーズと呼ばれる街並みを一望できる公園。美しい景色に涙してました。毎日、12時を知らせる大砲が街に響く。

●イムディーナ
 バルトロさんのお友達が料理をご馳走してくれるので、ヴァレッタからバスで向かった。バス・ターミナルの売店でマルタ名物の「ハニーリング」1.5ユーロを見つけた。ハチミツがたっぷり入った人気のお菓子。
 バスは外国製の中古車がほとんど。イムディーナには17世紀初めにできた水道橋の脇をさりげなく通って20分程で到着。料金は47セント(60円)。ここはマルタ島のほぼ中央に位置する町。聖ヨハネ騎士団が到来する以前の16世紀にはヴァレッタに先立って首都が置かれていたため、オールド・シティとも呼ばれる。
 今も中世そのままの街並み。バルトロさんのお友達カルメン・ミカレフさんのお宅に伺う。お宅は築700年、マルタ・ストーンで建てられている。名物料理「ウサギの赤ワイン煮込み」。マルタは国土が狭いので、牛などが飼えず、昔からウサギを食べてきた。今では記念日などに食べる特別な料理。最後は45−60分煮込む。マルタは川がなく雨も少ないので、水がとても貴重。パスタを茹でるにも水は少ない。鶏肉に近い味だそうです。

●セント・ジュリアン
 宿泊は「ザ・ウエスティン・ドラゴナーラ・リゾート」(住所:Dragonara Road,St.Julian's、Tel:21-381000 )で、1997年にオープンした5つ星の大型高級リゾートホテル。広い敷地に6つのプールやダイビングセンターなどの施設も充実し、極上のひとときを過ごせる。今回は、ベイスイートで1人1泊朝食付で300ユーロ。長期滞在者用にキッチンも付いている。
http://www.westin.com/malta

●地中海クルーズ
 マルタ島からコミノ島のブルー・ラグーンと呼ばれるビーチまでの「地中海クルージング」(住所:Dolphin Court,Tigne Seafront Sliema、Tel:356 23 463333 )。ヴァレッタの南西にある港から出航する。船は100人乗りのフェルナンデス号。水着姿のお客も結構いて、甲板で日光浴。コミノ島まで30分、のんびりと2時間かけてクルージングを楽しむ。マルタ島には砂浜がないためらしい。心地よいそよ風、地中海の青い海。見ているだけで幸せな気分になる。
 コミノ島の「ブルー・ラグーン」は他に比べ物がないほどの青く透明な海。ここでは海水浴やマリンスポーツを楽しむことが出来る。
 料金は50ユーロでランチ付き
http://www.captainmorgan.com.mt/


テレビ番組「世界びっくり旅行社」

 2009年8月2日放送。児玉清、黒崎めぐみ、タカアンドトシ、小堺一機さんが司会。あき竹城、高木美保、森永卓郎、スザンヌさんがゲスト。NHK製作。

●「世界遺産に住もうツアー」
 オーストリアのシェーンブルン宮殿は国家公務員であれば住める。家賃は1ヶ月100ユーロの人もいるが、部屋の広さなどにより異なる。窓辺に植物を飾ったり、洗濯物を干すことは禁止。ペットも禁止。
 イギリスのダラム城は、ハリー・ポッターでも有名。住める条件はダラム大学の学生であること。食堂もある。城の入口から10m以内は全面禁煙。
 オランダのキンデルダイクの風車群は、風車守なら住める。家賃は200ユーロ〜400ユーロ。風車守のコースの訓練を受けないといけないが、それからでも2年かかる。
 スペインのカサ・ミラも住める。
 アメリカのプエブロ・デ・タオスは、家は代々受け継がれているので、家賃はない。ここの中心にある建物には電気が通っていない。水は場所によってリオ・プエブロという小川から手作業で汲み取る。条件としては、先住民と結婚すること。先住民の伝統を大切にできる人。

●モロッコのマラケシュ旧市街
 大沢あかねさんが訪問。11世紀にイスラム王朝の都として築かれた。建物を赤で統一しているのが特徴。ガイドはブルカイッド・ハッサンさん。
 大沢さんが住みたい条件に合うのは、3.2万円の物件。100平方m以上の広さ、日当たり良好で、風通し良好、ルーフバルコニー有、セキュリティー有、水道代がタダ。

●アイト・ベン・ハドゥ
 12世紀先住民ベルベル人によって築かれ、キャラバンの宿場町として発達した。敵の襲撃に備えるために、建物全体が要塞になっている。かつては100世帯が暮らしていたが、現在は10世帯に減少。何十年も放置してある物件は2.3〜3.5万円(2000〜3000DH)。最近まで住居として遣われていた物件は3.5〜5.8万円(3000〜5000DH)。建物の風化を防ぐために入居者を募集している。
 村に行く前に川があり、それを越えるのにロバに乗る。生活を体験するために、エルカシール・エルケイヤさん一家を訪問。長女のエルカシール・ナイマさん(18歳)と水を汲みに行く。最近、水道が通ったそうですが、それまでは毎日3kmロバで運んでいたそうです。次は川で洗濯。ミントティーをいただいた。シルクロードから伝わった中国茶とミントの葉から作る。砂糖をたっぷり入れ、お湯を注いで出来上がり。入れ方は少し高い位置からグラスに注ぎ、戻し、注ぎ、戻し、注ぎと3回繰り返す。ミントティーを飲む時に、「息を吹きかける」のは行儀が悪い。ラクダが鼻で息を吐くことと同じとされる。
 年間13万人の観光客が訪れる。それに対応することも住民の義務。また「日干しレンガ」を作るのも義務。土にわらを混ぜて型に押し込み、10日間乾かしてレンガを作る。モロッコ文化省のプサラ・モハメットさんが説明してくれましたが、工事はここの住民がしないといけないという規則がある。昔ながらの製法でできる「日干しレンガ」は5年しかもたない。便利さに囚われない伝統。夕陽はとても美しかった。
 夕飯は「じゃがいもとチキンの煮込み」タジン料理で、みんなで食べました。お父さんはエルカシール・ハムーさん。長男のエルカシール・モハメッドさんは、日本人が来ても歓迎するそうです。3ヶ月くらい住むのも可能とか。
 アイト・ベン・ハドゥには他にも禁止事項がある。車の乗り入れ禁止。大音量・振動を起こすものの持込禁止。外観を変えてはいけない。外面に新たな入口を作ってはいけない。

●台北
 タカアンドトシさんが案内。日本から3時間。「饒河街夜市」に行く。「程班長・牛肉麺」でニュウロウメン80元(180円)をいただいた。麺はキシメン風。台湾では麺を食べる時にズルズルと音をたてることはマナー違反。マッサージ、小鳥占い、ペット・ショップ、臭豆腐などを満喫。
 早朝6時、「青年公園」に行くが、人が多い。体操・踊りなどをしている人が多い。まず健康体操(ヤンジーダンス)に挑戦。次は屋外エアロビクス。
 路上ではビデオを撮っている人がいる。ポイ捨ての取り締まりをしている人で、路上にたばこの吸殻や、ゴミのポイ捨てをしている人は、最高1.8万円(6000元)の罰金。車にビデオカメラを設置した「LPG環保電眼車隊」がポイ捨てをするドライバーなどを取り締まる。一般市民でもポイ捨て現場を撮影すれば、お礼金がもらえる。罰金の30%で、1080〜(360元〜)。紹介された陳さんは1ヶ月10万円以上の奨励金をもらっている。ちなみに大学卒の平均初任給は7.8万円。撮影するコツは、自分の姿を見られないようにすること、ポイ捨ての瞬間を必ず撮ること、同時に車のナンバーを撮ること。しかし観光ビザで入国した場合は、賞金は受け取れない。2008年には取り締まりを受けた人は、検挙数で21151件、罰金総額は7500万円(2500万元)。一般市民で取り締まりをした人は220人、奨励金は合計135万円(45万元)でした。

●世界のびっくり取り締まり
 フィリピンでは、DVD探知犬のラッキーとフロー。偽造DVD業者がこの2匹に3万ドルの懸賞金をかけたという。
 中国では眠気覚ましに警察が顔を拭かせたり、唐辛子を食べさせたりしている。
 イタリアでは、スキー場で危険なスキーヤーには30ユーロの罰金が課せられる。あるコースではヘルメット着用が義務付けられている。着用していない場合は30ユーロの罰金。身分証明書を持参していないと警察と一緒に山を降りてもらう。公共の場では泥酔は禁止で、102ユーロの罰金。
 フィンランドでは、悪質なドライバーを警察が追跡。ピイキマットを使用してタイヤをパンクさせる。

●ニューヨーク
 今、屋台グルメが熱い。ニューヨークには3100を越えるフード屋台があると言われている。ホットドッグは1ドル。屋台選手権 Vendy Awards も開催されている。去年の審査員部門の優勝は、メキシコ料理をカリフォルニア風にアレンジした屋台 Calexico Carne Asada でした。主な出店場所はソーホーで、いつも長蛇の列。人気メニューは生地にチーズ、ライス、豆、牛肉をのせ、アボカドソースで仕上げた「ブリトー」8ドル。市民人気投票部門の優勝は、インド料理の屋台 The Biriyani Cart 。出店場所はミッドタウンのオフィス街(5番街&E50付近?)。カレー・ソースで炒めたライスに、チキンと野菜とタマゴをのせた「チキン・ビリヤーニ」6ドルが大人気。デザート部門の優勝は The Treats Truck 。出店場所はアッパー・ウェスト・サイドで、車です(アムステルダム&W65付近?)。キャラメル・クリームにチョコレートのサンドイッチ、中のバニラ・クリームが最高。ゴミのポイ捨ては禁止、公共の場でのルコール飲料は禁止。
 セントラル・パークには美しい花々とリスなどの可愛い動物。ここに面白いツアーがある。草を摘んだり、根から掘り起こしたり。公園内の草木を勝手に採取してはならない。園芸などに遣われる道具を公園内で所持してはならないという法律がある。違反すると、最高1000ドル(10万円)の罰金、もしくは最高90日の禁固刑。このツアーの主催者で Wildman の愛称で呼ばれているスティーブ・ブリルさんは、1986年にセントラル・パークでタンポポを食べて逮捕されたことがある。その際公園のイメージ・ダウンになるので、公園側が取り下げ、それ以来、スティーブさんのツアーだけ採取が許可されている。スティーブさんは野草の食べ方やレシピ、薬草としての効能なども教えてくれる。
 夜のツアー。9時30分にマンハッタン38丁目/3番街に集合する「ゴミから調達するグルメツアー」(参加費は無料)。5つの店を2時間かけて回る。ゴミからまだ食べられる食料品を選び出して持ち帰るツアー。ルールは、歩道をふさがないこと、収集した後はきちんと清掃すること。2軒目はベーグルの店。その後夕食会。
 ニューヨークの生ゴミに関しての規則は、商業の場合、ゴミ収集車が、営業時間外に来る場合は、閉店の1時間前から出すことは可能。営業時間内に来る場合は、収集の2時間前から出すことが可能。家庭ゴミの場合は、収集の前日の夕方6時から出すことが可能。違反した場合は、100ドルの罰金。
 日米での食品ロスを比較すると、米国は1年で4兆3000億円、日本は11兆円。

●ローマ
 小堺さんが案内。「ローマの野良猫はあらゆる点で、ローマ市民とみなされる」(ローマ市動物愛護保護局)。動物写真家の岩合光昭さんは、イタリアのネコは他とは少し違うような気がすると語る。
 コロッセオで1匹発見。「サンタマリア・イン・コスメディン教会」には有名な「真実の口」がある。「スペイン階段」では飲食は禁止。寝転ぶことも禁止。サンダルや靴を脱いでだらしない恰好でいることも禁止。
 道路では、「ヘルメットをかぶらない、ストラップをきちんと占めていない、ヨーロッパの安全規格を満たしていないヘルメットをかぶっていることは違法」(道路交通法171条)。
 ペットショップに行く。イタリアではショーウィンドーに生きている動物を見せてはいけない。「ショーウィンドーや店の前に取り扱っている動物を飾ることは禁止」(ローマ市動物保護条例20条2項)。
 「ネコの道 via Della Gatta 」(フィオーリ広場の近く?)がある。しかしネコはいない。建物の上に大理石でできた等身大のネコの像がある。動物人類学者の獣医パルメリーノ・マショッタさんは、ローマ時代にローマ人はエジプトの神々を信仰した。中でもネコの姿で描かれる「女神バステト」は母性・多産・懐妊・子育ての女神。ローマに持ち込まれたバステトはローマではイシスと名前を変え、深く信仰された。「ネコの道」には最大級の「イシス神殿」が建っていた。ローマ時代ラテン語で、ネコを意味する名前が多かったこともわかっている。姓はFelis (ファリス)、cattus (カットゥス)、名はフェリクラ、フェリシア(小さな雌猫)、カッタ(雄猫)、カットゥーラ(小さな雄猫)など。ローマ動物愛護保護局のブルーノ・チニーニさんは、ローマは古代ローマ、ルネサンス期、中世、ネコとは縁が切れない関係にあると語る。聖なる動物だった時期もあるし、恐怖の動物であった時期もある。そこで2003年1月28日、ローマ市行政府報告で「猫はローマの生き物文化財産である」とされた。
 「トーレ・アルジェンティーナ」(パンテオンの南?)は紀元前44年3月15日、「ブルータスお前もか!」と言って、シーザーが暗殺された場所。ここには猫が沢山いる。ここは「トーレ・アルジェンティーナ猫保護区」で、野良猫は230匹。この保護区はボランティアにより成り立っている。
 「ピラミデ」(コロッセオの南)は紀元前1世紀に作られたローマ法務官のガイウス・ケスティウスの墓。ここに「ピラミデ猫コロニー」がある。野良猫は80匹。
 「ヴェラーノ墓地」(テルミニ駅の東)は、学生街でもあるサン・ロレンツォ地区にある。広大な墓地の中には、映画「甘い生活」で有名な俳優マルチェロ・マストロヤンニの墓がある。映画「ひまわり」「自転車泥棒」を監督したヴィットリオ・デシーカのお墓もある。この墓地の中に「ヴェラーノ猫コロニー」がある。野良猫は425匹で、4人のボランティアが支えている。ローマ市動物愛護保護局のジョーシ・スカラビーノさんは、ローマにはペットの猫が18万匹、合計30万匹いるという。野良犬は群れをつくり危険だが、猫は自由な動物で、みんなそのままでいて欲しいと考えている。
 イタリアでは野良猫は Gatto Randagio (迷う)、Gatto Libero (自由)、Gatto di Strada (道)という。2匹以上飼っている人はキャットカードをもらえる。これは猫コロニーを保護、管理していることをローマ市が公認、証明するカードで、ペットショップ等で提示すると、猫グッズ等が割引になる。


テレビ番組「にじいろジーン 地球まるごと見聞録 マラケシュ」

 2009年8月1日放送。

●マラケシュ
 フランクフルト経由で22時間の空の旅でモロッコのカサブランカに到着。そこから電車に乗って3時間でマラケシュに到着。駅からはフエド・ザラワイさんがタクシーで町へ向かう。初乗り80円。マラケシュの町は色に特徴がある。モロッコは町毎に色が決められていて、ここは薄い赤色。夏には気温50度を越えることもあるが、ヨーロッパの人たちには手軽に行けるリゾート地として大人気。旧市街の入口のアグノウ門は、12世紀に作られた。ここから先の旧市街はとても面白い場所。
 にじいろガイドは、ウラヤ・ハムザさん(24歳)。町中にスークと呼ばれる市場が点在する旧市街。ジャマ・エル・フナ広場は賑やかで、観光客や地元の人が数多く集まる旧市街の中心地。広場に並べられた屋台にはドライ・フルーツやオリーブなどがある。中でも人気は絞りたてのオレンジ・ジュース。1杯40円。ヘビ使い、サル回し、コントなどをやっている。ツウのポイントは、夕方にはオープンする名物屋台がある。ご主人がグラスに入れているのは、葉っぱと白い塊。砂糖をたっぷり入れた甘いミントティーでした。1杯60円。元気が回復するそうです。
 旧市街のブティックに行く。買い物のポイントは迷路のような旧市街をとにかく歩きまわること。伝統的なバッグは、最近は可愛い刺繍もあり、若い女性に大人気とか。伝統サンダル「バブーシュ」も人気。可愛い小物の店に入る。色鮮やかなコップ、髪留め。サボテンの一種から作られる糸「サブラ」は、昔から使われている伝統的な素材。絹と似たような光沢がでる。紹介したお店では、2000種類以上扱っているとか。最近は、サブラで作ったものが、海外の若い人を中心に人気がある。サブラを巻いたペンはお土産にいいかも。

 夜のフナ広場は、すごい数の屋台と人。マラケシュだけでなく、他の街からも人がやって来る。エスカルゴのスープ50円など。壷から取り出した伝統の肉料理は「タンジーヤ」1皿250円。壷の中で牛肉・羊肉とスパイス、塩漬けしたレモン、バター、にんにくを3時間じっくり煮込んでいる。深夜1時頃まで賑やかさが続く。
 お勧めホテルは、旧市街の住宅街にある「リヤド・アンヤ Riad Anya 」という一見すると普通の家。これはリヤドというモロッコの伝統的な一軒屋で、改装してホテルとして利用している。ホテルというよりはペンションに近い感覚。伝統サウナ「ハマム」のある部屋もある。ここで毛穴を開いてからマッサージとアカスリをするのがモロッコ女性の美容法。朝食付きで1部屋1泊870ディルハム(1万円)。

●世界遺産アイット・ベン・ハッドゥ
 マラケシュから車で3時間半。山の斜面に作られた城塞都市。昔は商業の中継地として栄えた。盗賊などの略奪から身を守るために、複雑に入り組んだ構造になっている。昔は80世帯以上の家族が住んでいたが、今では10世帯。もっと人が増えてくれると嬉しいという。

●アラガンの木
 マラケシュから西に車で3時間くらい?。砂漠の木に登っているのはヤギ。この木はアルガンと言って、世界的にも珍しい。モロッコでもこの地方でしか生えてない。アルガンを食べて育ったヤギは、普通のヤギよりも立派に育つ。
 アルガンの実をすり潰して、アルガン・オイルを作っていた。30kgの実から1リットルのオイルが取れる。世界中の脚光を浴びている。40mLで1000円。オリーブオイルよりも上質なオイルと言われている。以前は食用しかなかったが、数年前からはコスメも作るようになったという。


テレビ番組「にじいろジーン 地球まるごと見聞録 チュニジア」

 2009年6月20日放送。

●チュニス
 大阪からドバイ経由でエミレーツ航空で行きました。チュニス・カルタゴ空港からはジエド・ムラワさんがタクシーで中心まで連れて行ってくれました。初乗りは30円、15分。途中で寄り道して、海沿いの古代の遺跡に行く。ローマ帝国の大浴場跡で、チュニジアでは一番有名な遺跡。チュニスはアラブ諸国、アフリカ、ヨーロッパの文化が混在した町。
 にじいろガイドはスマヤ・ラビブさん(26歳)。まずは「シディ・ブ・サイド」という有名な観光地に行く。町全体がチュニジアン・ブルーといわれる青と白。観光客だけでなく、地元の人もこの町は好きだという。
 チュニスの人はカフェ好き。フランス統治の影響もあるのか、カフェはいつも大混雑。「カフェ・デ・ナット」はチュニジアの伝統的なカフェ。世界で最も古いと言われているカフェらしい。250年くらい前からこの場所にある。シーシャという水たばこを吸ってのんびりする人が多い。みんなが飲むのは、「松の実の入ったミント・ティー」150円。

 町の中心に建つのはフランス門で、世界遺産のチュニス旧市街への入り口。古くは14世紀の建物が残されているという。迷路のように入り組んでいる。
 市場は魚が人気。特にマグロは人気で、いろいろな料理に遣われる。1kg700円。青果市場では、バラ、ゼラニウム、オレンジの花が人気。すごい量をみんなが買っている。これでフラワー・ウォーターを作るという。大量の花を蒸しあげて、その蒸気を冷やし、濃縮した花のエキス。チュニジアの特産品。食べたり飲んだりしても体によいとされていて、お菓子やコーヒーにも入れるとか。お店でも売られている。

 サハラ砂漠に行く。チュニスから飛行機で1時間で行けるお手軽な観光スポット。草原のような大地もあるし、椰子の木が生い茂るオアシスもある。砂嵐の中、ロケットのようなものがある。スターウォーズの撮影が行なわれた場所で、セットがそのまま残されている。
 「ショット・エル・ジェリド」の白い地面の場所は塩。面積約5000平方kmの塩湖。
 地面を掘っている人がいる。「砂漠のバラ」と呼ばれるもの。塩などのミネラルと共に砂が結晶化したもの。花の形になるまでには3万年近くの時間がかかるとか。掘る人たちは「砂漠の庭師」と呼ばれている。

 レストランでみんなが食べているのは「クスクス」1杯350円。直径1mmの蒸したデュラム小麦の上に、トマトをベースにじっくり煮込んだ野菜とお肉がのせられている。もう一つ人気のメニューは半熟卵「ブリック」90円。パセリとツナと生卵を包んでさっと揚げてある。
 次は「レストラン SFAX Pepas? Diwi?」で、あまりレストランで見かけないものを紹介してもらった。古くなったフランスパンを手でちぎって、ボウルに入れ、ひよこ豆のスープをかけ、半熟卵、オリーブオイル、ペースト状の唐辛子をベースに複数の香辛料をミックスした香辛料「ハリッサ」をかけ、最後にツナをのせた「ラブラビ」。屋台ではよく見かけるそうです。1杯180円。

 不動産を紹介してもらった。旧市街の世界遺産地区の建物を借りることができる。1LDK270平方mで、天井がとても高い。インテリアのまま借りられる。この一戸建てが1ヶ月16万円。


テレビ番組「探検ロマン世界遺産 スペインのアンダルシア」

 2009年3月28日放送。番組の最終回。55歳になった松任谷由実さんが「スペインは50歳を過ぎてから行く」というので、スペインを旅した。旅のお供は中野に昔住んでいたフェデリコさん。NHK製作。

●セビリア
 「セビリアを見ていない人は奇跡を見ていない人」という言葉がある。ガイドブックには次のように書いてあった。旧ユダヤ人地区のパリオ・サンタクルス地区を夏の夜に歩くと、その意味が実感として伝わってくる。月の光に青白く輝く白壁。夜の空気に甘く漂うジャスミンのオレンジの香り。セビリアの夜は官能的だ。しかし、今は冬。
 セビリアはフラメンコ発祥の地。フェデリコさんに地元の人しか知らないフラメンコのお店を紹介してもらった。「ペーニャ・フラメンカ Pena Cultural Flamenca Torres Macarena 」。地元の人たちがお金をだしあって作ったフラメンコ版ライブハウス。ここはフラメンコの本場セビリアでも最も古いものの一つ。このペーニャから数多くの一流アーティストが誕生した。地元では熱狂的なフラメンコ・ファンのことをアキシナードという。この夜もファンが多く集まった。ショーの前にワイン。以前見たフラメンコは観光客用のものだった。この夜のフラメンコは強烈だった。「強烈な血のにおい」を感じたそうだ。その答えはアンダルシアという土地の歴史に関係あるのだろう。
 その歴史を物語る「セビリア大聖堂」。大航海時代の16世紀、キリスト教徒によって作られたセビリアのシンボル。バチカンの「サン・ピエトロ大聖堂」、ロンドンの「セント・ポール大聖堂」と並び、世界三大聖堂といわれる。祈りを捧げる祭壇。その奥には、キリスト教カトリックの世界で最大規模の最大衝立が聳えている。高さ20m、幅13m。衝立には、聖書に書かれたキリストと聖母マリアの生涯が45の場面にわたって彫刻で描かれている。その全てが黄金で塗られている。完成には118年の歳月がかけられた。中世の時代、圧倒的なキリスト教の世界が広がっていたことを物語る。しかし、この大聖堂はイスラムのモスクだった。その痕跡が大聖堂のヒラルダの塔に残されている。元々はモスクの尖塔ミナレットだったものに、上にキリスト教徒が鐘楼をつけた。
 西暦711年、イスラム教徒がジブラルタル海峡を越え、アンダルシアに侵入。ここに住んでいたキリスト教徒を支配下に置いた。1492年、キリスト教徒が再び奪い返した。レコンキスタ(再征服)。800年続いた、イスラム教徒とキリスト教徒の激しいせめぎあい。また、激しい交じり合いを経験していた。
 それが隣にある「アルカサル(王宮)」。キリスト教徒によって作られた宮殿。キリスト教徒の王ペドロ1世が自分の住まいとして作った。しかしこの宮殿はイスラム芸術で埋め尽くされていた。文字や植物を複雑に組み合わせたアラベスク。「大使の間」の天井にもイスラム様式が取り入れられている。イスラムの民が砂漠で見た星空、想像した無限の宇宙を描いている。「乙女の中庭」のモザイク文様。ペドロ1世はアラビアの服装で過ごし、宮殿ではアラビア語を使っていた。また「アラー・アクバル(アラーは偉大なり)」という言葉も彫刻していた。
 長年、アルカサルの管理責任者を務めてきたラファエル・マンザーノ・マルトスさんは、「芸術に関して、キリスト教徒は、イスラム文化の大ファンだった。キリスト教徒はイスラムの建築物に憧れ、賞賛していた。驚くほどに美しかったから。」と語る。宗教的には激しく対立していたが、文化は極めて友好的に混じり合っていた。そんな時代にアンダルシア地方に鳴り響いていた音楽を聞きたくなった。その音楽は今アフリカにあるという。

●モロッコのテトゥアン
 スペインの対岸にある町。町の中心にある旧市街が世界遺産。アンダルシアの末裔たちが15世紀〜17世紀にわたって移り住んだ街。アンダルシアを思わせる白壁の家々。外敵から守るための迷路のような路地。テトゥアンはアンダルシアとモロッコの雰囲気を同時に味わえる街として人気がある。モスクにはアルカサルの入口で見た八角形の模様があった。ここに住んだ人たちは好きで移ったのではなく、追放されたという事実。1492年、アンダルシアでは、キリスト教徒によるレコンキスタ(再征服)が完了。キリスト教徒はイスラム教徒とユダヤ教徒をアンダルシアから追放した。
 旧市街には追放された人々の望郷の思いを感じさせるものがあった。末裔で歴史家のアフメット・メガウさんに案内してもらった。家々の玄関(ドア)につけられた飾りは、アンダルシアのアルメリア県出身であることを示すシンボル。祖先がアンダルシアに郷愁を感じて作った。アンダルス人であることを誇りに思ってつけたもの。ハエン出身、グラナダ出身、多くの家々にシンボルがドアの左上や右上に付けられている。
 家の中を見せてもらった。きれいなモザイク模様。住んでいたのは末裔ではなく、北西アフリカの先住民のベルベル人の家族だった。追放から500年も経ち、町に住む人々も変わり始めている。モロッコの公用語はアラビア語とフランス語。でもテトゥアンではスペイン語も使われる。
 次の家はアンダルシアに対する望郷の思いを強く感じた。テトゥアンで最も古い家の一つ、ブレール家の住居だった。昔のお金持ちの家だった。アンダルシアの住宅中庭を再現していた。柱のアンダルス・モザイクは、何世紀も経っているのに元の色のままできれい。望郷の思いを感じる。
 旧市街の隣に巨大な墓地が広がっていた。ここにはいつかはアンダルシアに帰ることを夢見ていた人々の亡骸が眠っている。墓地の一番上には、15世紀末、最初にテトゥアンにやってきたイスラム教徒たちの住まいが残されている。アンダルシアに戻るための仮の住まいと思わせる粗末なものだった。彼らの墓は地面に転がっていた。最近、墓石泥棒に荒されたという。
 空気の澄んだ日、墓地からは海の向こうに遠くアンダルシアが見渡せるという。「アンダルス」という言葉を聞くと、思わず立ち止まってしまうと、メガウさんは語る。キリスト教徒が追放したからと言って、アンダルスの文化がなくなったわけではない。
 松任谷さんがどうしても聞きたかった中世アンダルシアの音楽は、テトゥアンで大切に守られていた。今回特別に演奏を聞かせてもらうことになった。その音楽は追放をきっかけに一度途絶えてしまった。キリスト教徒に楽譜を燃やされたからだという。細々した記憶をたよりに子孫たちがこの音楽を蘇らせた。「アル・アンダルス音楽」 Nostalgia Hacia Andalusia 。この楽団の名前は「アル・アンダルス・ドゥ・テトゥアン」。この音楽を世界に広げようと世界中で演奏旅行を続けている。指揮者のアクラミさんは、「この音楽は一度破壊されたが、私たちの中に強く刻まれた。」と語る。「土地を失っても音楽は人の中に生き続ける」。松任谷さんは感動して涙。
 アル・アンダルス音楽、歌い手のこぶし回しは確かにフラメンコと似ていた。しかし、最初に見たフラメンコとはまだ違いがある。

●グラナダ
 世界遺産「アルハンブラ宮殿」は、イスラム教徒が最後まで抵抗を続けた場所。戦いに敗れ、この地を去っても忘れられなかった場所。14世紀、歴代のイスラムの王たちによって作られた宮殿です。アンダルシアで800年続いたイスラム王朝の繁栄ぶりを最も象徴する遺跡と言われている。アルハンブラを奪ったキリスト教徒の王もこの美しい宮殿に魅了され、ここを破壊せずそのまま住み続けた。松任谷さんはこの宮殿の美しさを見て、追放されたイスラム教徒の望郷の思いを少し理解できた気がしたそうです。

 アルバイシン地区はかつてのイスラム教徒の住居。15世紀末、イスラム教徒と入れ替わるように、遠く西インドから新しい民族「ヒターノ」がやってきた。放浪・芸能の民ヒターノ。最近では一般に「ロマ」と呼ばれている(以前はジプシーと呼ばれていた)。インドから中東、東ヨーロッパを経由して、15世紀にアンダルシアにたどり着いたと言われている。芸能が得意な彼らはアンダルシアの歌や踊りを吸収し、新たな形へと進化させたという。確かにフラメンコ音楽でした。
 男性の一人がこう言った。「フラメンコって、俺たちの中に持って産まれたものかもしれない。俺たちは神様のおかげで、それを生まれつき持っているんだ」。ヒターノたちは、最初、この地でも放浪生活を送っていたが、やがて定住し、集落を作り始めた。アルハンブラ宮殿のすぐ近くにある「サクロモンテの丘」もその一つ。
 サクロモンテにある一軒のバー「Los Taroles ?」を訪ねた。店長のアントニオ・エレビア・ロス・ファローレスさん(通称キキさん)(62歳)。驚いたことに店の奥は洞窟になっていた。地元ではこうした坂の斜面に作る洞窟住居をクエバという。多くのヒターノたちがこうしたクエバで暮らしてきた。ここではたくさんのエコーがかかる。書斎の奥には、浴室、リビング、キッチンがある。キキさんの祖先たちは家族が増えるたびに穴を掘り、家を大きくしていったという。
 ヒターノは、すんなりとアンダルシアに受け入れられたわけではない。15世紀〜18世紀にかけて、厳しい法律がいくつも作られた。放浪生活を止めないと鞭打ち。三回逮捕されると死刑。やがて、歌や踊り、そして「ヒターノ」の言葉を禁止する法律も作られた。しかし彼らは歌うこと、踊ることを決してやめなかった。アンダルシアの音楽を吸収し、やがて苦しい人生から生み出される強烈なスパイスを付け加えていった。そんな彼らの芸能はアンダルシアじゅうで評判になり、歌や服装を真似る民衆が大勢現われた。キキさんはギタリストだった。40歳の時に指を骨折してギターは弾くことができなくなった。
 そして18世紀末、フラメンコは誕生した。それがどんなものだったのか、手がかりがアルハンブラ宮殿アルヒーベス広場にあった。1922年、この広場で「フラメンコの夜明け」ともいえるコンクール「カンテ・ホンド・コンクール」が開かれた。大会には4000人の観衆がスペインじゅうから集まった。カンテ・ホンド Cante Jondo は「深い歌」を意味する。大会のポスターには、骸骨、血がしたたる心臓、死刑台が描かれていた。大会で優勝したのは、100km離れた村から3日間歩いて参加したというディエゴ・ベルムーデスさん。「マヌエル・デ・ファリャ資料館」には、優勝した彼のカンテ・ホンドがレコートとして記録されている。彼はヒターノではなかった。音楽は民族や宗教の壁を軽々と乗り越え、人をひきつける。
 フラメンコ専門家のホセ・ルイスさんは次のように語った。「様々な民族が通り過ぎ、全ての民族がこの地に何かを残した。そのおかげで、フラメンコは極めて優れた芸術になった。それぞれの民俗の音楽文化の中にある最良の物をフラメンコは吸収した。完成したフラメンコは、各民族が別々にやっていた音楽よりも優れたものになった。様々な民族がここで混じり合わなかったら、今とは違う音楽になっていただろう。アンダルシアでフラメンコは産まれなかったはずです」。
 旅の終わりは強烈なフラメンコで締めくくりたい。代々フラメンコを受け継いできたヒターノであるペドロ・ペーニャさん(今年70歳)のフラメンコ一家のパーティに参加させてもらった。ペドロさんはスペインのフラメンコ界の重鎮で、フラメンコの生きる伝説と呼ばれている。来ていた家族もほとんどがプロ。ペドロさん一家にとって、こういったパーティはフラメンコを伝えるための大切な場。ペドロさんも生活の中で肌でフラメンコを覚えてきた。「フラメンコを通して、人々の記憶が受け継がれていく」。
 ペドロさんは「フラメンコは人類の大切な遺産だ。感情、心がこもっている。これは、並外れた音楽で、世界の音楽でフラメンコが最高だと思っている」と語った。パーティ後、地下のスタジオで、どうしても聞いて欲しい曲があるという。息子のダビ・ペーニャ・ドランテスさんがピアノでこれまでにない新しいフラメンコ(ピアノ・フラメンコ)に挑戦しているという。ダビさんは「小さい頃から血の中にフラメンコがある。どんな楽器を選んでも私の音楽はフラメンコだ。最も大切なものは魂だ。」と語った。混じり合いは続いていく。

 松任谷さんは語る。「世界遺産を旅してみることをお勧めします。美しさを堪能するのも、歴史を知るのもいいかもしれません。でも、一番大切なものは、人間の情熱や記憶にふれること・・・かもしれない。きっと何かを感じます」。


テレビ番組「世界!弾丸トラベラー 若槻千夏さんでモロッコ」

 2009年3月7日放送。若槻千夏さん(24歳)はモロッコの色合いが好きという。エールフランスAF277便/エアーモロッコ9741便で日本から15時間30分。1泊4日の旅。

●予定
 1日目、21:55成田空港発AF277便。
 2日目、4:00、シャルル・ドゴール空港着。7:45、オルリー空港発AT9741便。9:20、マラケシュ着。10:30、タクシーで移動。11:30、メディナ(旧市街)のクトゥビア(塔)でガイドと待ち合わせ。12:00、世界遺産のスーク(市場)でショッピング。15:40、ガイドお勧めの場所へ。17:30、ホテルにチェックイン。20:00、馬車でディナーに。23:30、ホテルに戻る。
 3日目、7:30、極上の早朝スパに。魅惑のモロカンスパを体験。9:00、メナラ空港へ。11:25、メナラ空港発U2 3870便。18:05、シャルル・ドゴール空港発AF280便。
 4日目、14:00、成田空港着。

●マラケシュ
 エキゾチックな香りが漂い、セレブな町で、人気の場所。タクシーで旧市街に向かう。城壁に囲まれている中が世界遺産。ガイドはイケメンのキャメルさん(29歳)。
 ジャマ・エル・フナ広場に行く。その隣には掘り出し物がたくさんあるというので観光客に大人気のスーク。2000−3000店舗あり、衣料、陶器、雑貨など様々なものが売られている。バッグは650ディルハム(8400円)。鏡は200ディルハム(2600円)。1500円まで値切るが買わない。可愛いカゴがあった。280ディルハム(3え00円)で即決。あとは民族衣装140ディルハム(1800円)、グラス3個180ディルハム(2300円)、ロウソク立て3個250ディルハム(3200円)、バッグ、クッションカバーなど2時間半で6点960ディルハム(1.2万円)購入。
 午後5時半、暗い路地を歩いてホテルに。ところどころ穴もあいている。民家風の建物のドアを開けるとホテルのロビー。横には色が次々変わる池?がある。「ラ・ポルト・ルージュ」は18世紀頃の民家を宿泊施設に改装したホテル。落ち着いた雰囲気で大人気。ホテル代は750ディルハム(9800円)。部屋の中にはフルーツもある。真中にお花が飾ってある。
 8時、民族衣装に着替え、馬車でディナーに向かう。高級モロッコ料理のレストラン「ジャド・ハマル」。「野菜のクスクス」をいただく。モロッコ料理の代表格のクスクスは、蒸した小麦粉に肉や野菜の煮込みをのせた一品。「鶏肉のタジン」。日本人はモロッコ料理が合うと思うと言ってました。ベリーダンス・ショーは毎日22時30分から30分間開催。6−7人の女性が踊っていて、若槻さんは黒人の女性と一緒に踊っていました。最後は一列になって踊って感動。

 翌朝、旧市街の中心部にあるお店。わかりにくい場所にある5つ星ホテル「ラ・スルタナ」。古い荘厳な木のドアのまわりにピンク色のゲートの入口を入るとロビーは可愛い。内装は貴賓ああふれるモダン・モロカン・スタイルで、全21室のうち9部屋がスイート。大人の女性たちの隠れ家。
 内部には立派な柱とその間にお風呂。「ラ・スルタナ・ホテル&スパ」は内装の豪華さで他を圧倒するスパ。世界的に注目を集めるモロッコ伝統美容が受けられる。プールに入ってから、モロッコ式サウナのハマムに。蒸気の中にユーカリ香油が含まれ皮膚の活性化を促す効果がある。さらにアカスリ。次は朝日の中でマッサージ。アルガンオイルを使用。アルガノイルはアルガンの実から抽出したオイルで、血行を良くし、肌に潤いを与える。「エネルギッシュ・マッサージ」1100ディルハム(1.4万円)。


テレビ番組「探検ロマン世界遺産 リビアのガダーミス」

 2009年1月10日放送。小郷知子アナウンサーが案内。リビアはカダフィ大佐が政策を転換し、2003年国連による制裁が解かれてからは経済解放へ進み、最近ではビジネスマンや観光客が多く訪れる。しかし国土の9割は砂漠。今回は10月初旬に訪問しました。気温は40度を越えていた。NHK製作。

●ガダーミス Ghadames
 トリポリの南西600kmにある、サハラ砂漠の中にある迷宮都市。10時間で途中からひどい道を通って到着した。なつめやしの木々の間に1300軒の家々がひしめきあう。
 紀元前から地中海とアフリカの内陸部を結ぶ重要な交通の要所だった。オアシスにできた白い壁の家々。白いのは漆喰のため。「砂漠の真珠」と呼ばれている。7世紀に建設が始まった白い建物。建物の中に入ると、無人でわずかな明かりだけが差し込む通路、御伽噺に出てくるような愛らしい部屋、迷路のように入り組んだ屋上がある。
 ロトフィー・ハッジさん(48歳)が自宅を見せてくれました。1階は畑仕事をするための物置で、夏は一番ひんやりする部屋で、昼寝の部屋。2階は装飾で可愛い部屋で、お客さんをもてなす。部屋の上にある鏡は天窓からの太陽光を部屋に満たす智恵。屋外は50度を越えるためらしい。屋上は各家々がつながっていて、女性だけが利用できる通路。1階は男性が使う通路らしい。

 町の外に出てみると市場があって人がたくさんいる。チュニジアからのザクロなどを売っていた。オアシスの中には人が住んでいないそうです。近くに新市街ができて、20年前にみんなそちらに移ったとか。ガダーミス復興協会のイブラヒム・マリクさんが説明してくれました。1970年代にオアシスの泉が突然枯れ、なつめやしは3分の2が枯れ、5000人の住民たちは困った。カダフィ大佐が別の水源を利用して、1986年に新市街を作った。新しい町は砂漠での暮らしを大きく変えることになった。コンクリートでできた近代的な建物。
 ロトフィーさんもこちらに家があった。水まわりは便利になっています。おじいさんのバシールさんの話では、新市街になって住民と話をする機会が減ったそうです。バシールさんは新しい水源から水を引き込んで、なつめやしの栽培を続けた。
 金曜日は安息日、合同礼拝の日で旧市街に礼拝に行く人が多い。この日だけはかつての賑わいが蘇る。しかし、放置された家は崩壊が進む。100軒近くは修復の手を入れなければ崩れ落ちる危険性がある。
 2007年旧市街である試みが開始された。建築工学の若い人たちが、街並みを再現するために、壊れかけた家を計測している。ラティーファ・アルバハーリさん(25歳)は父や祖父の世代の人と話しをして、だんだんわかってきたそうです。なつめやしの植林活動も始まった。これまでに500本となった。7年後には大人の木となる。
 10月中旬、年に1度のガダーミスの祭りが開かれた。


テレビ番組「にじいろジーン 世界ぐるぐるジーン チュニジア」

 2008年10月18日放送。取材に行った時はラマダンの真っ最中だったそうです。ラマダンはイスラム歴の9月という意味。

●チュニス
 パリ経由でエールフランスで15時間。温暖な気候によって発展したきた。イスラム教徒が多く、町にはモスクが建ち並ぶ。古代からヨーロッパの多くの国の影響を受けてきた。ローマ時代の遺跡もある。そこで育まれた国民性は、異国の文化に対して好奇心旺盛で、開放的。
 アイダ・メデップさん(40歳)の御宅を訪問した。2人の息子を含む4人家族で3LDK120平方m。チュニスでは平均的な家庭。受け継がれているのは「ファティマの手」というお守り。ペンダントが多く、イヤリングやブレスレットにしている女性もいるとか。ドアノブにもなっている。ファティマとはイスラム教のムハメッドの娘。台所にはカメレオンが置かれていて、魔除けのお守りだそうです。魚の尻尾もお守りです。

 シディブサイドは、小高い丘の上にある町。壁は白く、ドアや窓は青い。チュニジアン・ブルーと呼ばれ、チュニジアの人の誇り。
 鳥かごは、昔からある丸と四角のモチーフを組み合わせたデザイン。窓などにそのモチーフが使われています。今はインテリアとしても大人気。ヨーロッパでも人気とか。手作りです。

 市場で買い物。タマネギは1kg40円(日本は200円)、ピーマン80円(日本790円)。買い物客が多い。みんな同じ買い物カゴを持っている。

 ラマダンの際は、9月の1ヶ月の間、明け方から日没まで断食をしなければならない。水も1滴も飲んではいけない。他に喫煙、性交も禁止。他人の誹謗・中傷も現金。病人・妊婦・老人や子供はしなくてもよい。
 お昼は無駄な動きをしないために、テレビを見ながらお昼寝。

 旧市街「メディナ」はおよそ1000年前に作られたという。甘いお菓子にみんな集まる。日没後は糖分を取るのが大事だそうです。ゾウリくらいの大きさのビスケットが人気。皮ごと絞ったレモンジュースに浸して食べるそうです。サボテンの実も売っていましたが、甘いそうです。

 夕食時、奥さんはカフタージュという伝統料理を作る。フライドポテトとトマト、ピーマン、卵などを刻んで作る。トマトベースのラム肉の煮込み。それをソースにしたパスタ。魚の唐揚げ。ショルパという野菜と肉のたっぷり入ったトマトベースのスープ。パセリとツナを混ぜ合わせ、卵と一緒にくるみ油で揚げる巨大揚げ餃子「ブリック」。ブリックはラマダンの時は毎日食べるとか。
 午後7時半、日没となり夕食のスタート。夕食後は、町に出て、午後9時半にはすごい人であふれている。カフェや町のあちこちでコンサートも開かれている。踊る人も多い。深夜12時を過ぎることも多いとか。
 夜になって、子供服のお店にやってきた。ラマダンがあけるとみんな新しい服を着るのが習慣。


テレビ番組「ホンモノの伊東親子は海外嫌い 第8弾 スペイン縦断の旅」

 2008年7月13日放送。伊東四朗(71歳)、伊東孝明(37歳)親子が出演。日本からはパリを経由して南スペインのマラガまで飛びました。テレビ朝日製作。

●コスタ・デル・ソル Costa del Sol
 太陽の海岸。セレブが集う憧れの高級リゾート。マルティーヤの海沿いの「ホテル・フエルテ Hotel El Fuerte」に宿泊。朝食はパン・コン・トマテとスペイン風オムレツ(トルティーヤ)。前者はトーストしたパンにオリーブオイルをかけミキサーでとろとろにしたトマトをのせたもの。トルティーヤはじゃがいもと卵で作る。宿泊料金は朝食込で2.7万円〜。

●タリファ
 マルティーヤから2時間。アフリカまで13−14kmなのでモロッコが見える。ヨーロッパ最南端の地図がある。さらに右が大西洋で、左が地中海と書いてある。
 タリファ港に行くとモロッコのタンジェ行きのフェリーがあった。片道35分で1日8往復。往復料金は9000円。距離は14km。

●タンジェ
 モロッコの観光ガイドのアブドゥル・カイトーニさんは青いスーツでお出迎え。ガイドさんお勧めのレストラン「アンダルス Andalus」でランチ。人気メニューは牛ひき肉のケバブ。秘伝の香辛料を入れてジューシーに焼き上げ、パンに包んで出来上がり。320円。カフェ「セントラル」でミントティー1600円をいただいた。乾杯はサハウ。甘いけど美味しいそうです。ガイドさんにお土産として伝統衣装「ジュラバ」をもらいました。
 以上2時間の滞在でした。

●タリファ
 レストラン「ラ・ペスカデリア La Pescaderia 」はシーフード料理が得意。ホタルイカのフリッター、エビ料理など。茹でタコとジャガイモのパプリカ風1600円、は塩とオリーブオイルをかけて完成。美味しいそうです。アサリのにんにくパセリソース1900円。これも美味しいそうです。
 宿泊はプチ・ホテル「ポサーダ・ラ・サクリスティア Posada La Sacristia」で、朝食込みで1.9万円。オーナーは日本大好きで盆栽もある。

●バルバテ
 タリファから車で西に30分。まわりは風力発電の装置が多い。闘牛を見に行くが、牧場でした。「ロス・デラマデロス Los Derramaderos 」は闘牛用の牛を育てているところでした。闘牛士のホアン・ロメロさんとアレハンドロ・カルモナさんが説明してくれた。この牧場は70年の歴史を持ち、優秀な牛を何頭も輩出している。オーナーのルイス・ヌーニェスさんも立ち会った。家には20世紀最高のマタドールと称えられた闘牛士マノレテの写真もあった。

●グラナダ Granada
 アウグスティン・ララの「グラナダ」という曲があります。またフランシスコ・タレガの「アルハンブラの思い出」。
 世界遺産のアルバイシン地区に行く。そのてっぺんに見晴らしのよいサン・ニコラス広場がある。迷路のような坂道で、かつて住んでいたイスラム教徒が敵の侵入を防ぐために迷路にした。登るのに1時間かかったそうです。ミニ・バスならすぐなのに。サン・ニコラス広場からは世界遺産のアルハンブラ宮殿が見える。ここでアルハンブラの思い出を演奏している人がいました。
 市庁舎近くの広場で、フラメンコバンドのルプリカン Lubrican というグループが日本語の歌詞の歌「郵便屋さん」を歌っていた。
 スペイン風居酒屋BAR 「ボデーガス・カスタニェダ Bodegas Castanieda 」でイベリコ豚の生ハムをつまむ。2人前2800円。生ハムは手で食べるのがイキで、フォークは使わない。赤ワインもいただいた。
 アルハンブラ宮殿を見学。ロドリゲス・川崎さんと息子のデビッドさんというガイドがついた。面白い人です。入場料1900円(要予約)。アルハンブラ宮殿は13世紀から建て始められたイスラム建築を代表する宮殿。5000人住んでいたそうです。アラヤネスの中庭は見事です。故郷の砂漠をしのんで作ったと言われています。水で鏡のようにして蜃気楼を作った。英語で鏡はミラーで、蜃気楼はミラージュ。向こうの建物は砂漠のオアシスに似ている。オアシスを再現したものです。座るイスもあるが、ラクダのイスに似せている?
 「大使の間」は王への謁見や公式行事などが行なわれていた場所。天井には星の姿が見える。「二姉妹の間」は鍾乳石で装飾された八角形の天井が特徴。通路からアルバイシンが見える。
 ヘネラリフェ庭園 Generalife は王族が暑い夏に避暑をした場所。
 ホテルが宮殿に併設されている。「パラドール・デ・グラナダ Parador de Granada 」で、修道院だった建物を改築し、贅沢な夢を味わえる国営のホテル。いつも予約がいっぱいで、今回は見学させてもらいました。1泊9万円。

 イベリコ豚のおいしいレストラン「ポエタス・アンダルセス Poetas Andaluces 」。放牧されドングリを食べて育ったイベリコ豚は、運動するので霜降り状に脂肪がつく。日本でも大人気の高級食材。ステ−キはロースを厚めに切って炭で焼き上げる本格派。イベリコ豚のステーキは2100円。かなり美味しいそうです。
 スペイン観光の癒し所「テルマス・ハポネス Termas Japonesas 」は銭湯です。入浴料2200円。
 宿泊は「ホテル・ロサンゼルス Hotel Los Angeles 」で、1泊1.3万円。

●マドリード
 早朝6時半、グラナダ発の列車に乗る。5時間かかるそうです。運賃は1等で1.6万円。お昼にアトーチャ駅に到着。
 建物も全てアンダルシア地方とは異なる。まずドン・キホーテ像がある人気のスポット「スペイン広場 Plaza de Espana 」。

●バルセロナ
 AVEで2時間半。1等で食事付きで2.6万円。今回はAVE 3151号。
 町全体が巨大な美術館のような街。多くの芸術家を生んだスペイン第二の都市。地中海の魚介を使ったグルメも有名。
 世界遺産「サグラダ・ファミリア大聖堂」は、1882年着工したガウディの生涯をかけた作品。今も建築が続くバルセロナの象徴。入場料1300円。完成後の収容人数は1.5万人。展望フロア入場料は3200円でエレベータで上がる。さらに140mの塔に階段で上がる。
 生誕の門を完成させたのは、外尾悦郎さん(55歳)。15体の天使の彫刻は外尾さんの作品。現場を見学させてもらいました。今はピナクルという部分を作っていました。素材はベネチアン・グラス。
 2010年にミサを開くのを予定しているそうです。

 サン・ジョセップ市場に行く。シーフードの定番は「ピノッチョ・バル Pinotio Bar 」で、「エビの鉄板焼き」2700円と「マテ貝の鉄板焼き」1900円で、美味しいそうです。
 スペイン各地で大人気の「サガルディ Sagardi 」の名物はピンチョス。小さく切ったパンに料理をのせた軽食。ピンチョスとは爪楊枝のこと。お皿に好きなだけとって食べる。会計は爪楊枝の本数で支払う。1本280円。今日のお勧めは「マグロのツナとねぎのピンチョス」、「カニと卵のピンチョス」。
 1992年のバルセロナ・オリンピックの会場「オリンピック・スタジアム」にやってきた。有森さんが銀メダルを取りました。ここで100mを走りました。
 バルセロナ港に行き、パエリアの名店「バルセロネッタ Barceloneta 」に行く。シーフードを強火で炒め、上から生の米を入れ軽く炒め、スープをたっぷり入れて強火で炊き上げる。「マグロのパエーリァ」3000円、「イカ墨のパエリア」2600円。

●パリ
 夜9時、フランサ駅から夜行列車でパリに向かいます。1等で5.4?万円。個室でシャワー完備で、食事付きです。「エビ入りスクランブルエッグ」、「ツナ、トマトとバジリコのラタトゥーユ添え」。食堂車から帰るとベッドができていました。
 12時間かけて朝9時にパリのオーステルリッツ駅に到着。
 そのままエッフェル塔、凱旋門、シャンゼリゼ通りを楽しみました。


テレビ番組「2008年6月の旅サラダは城戸真亜子さんでモロッコ」

 エール・フランスで行きました。

●マラケシュ
 メディオ(旧市街)の中心にあるジャマ・エル・フナ広場。人がいっぱい、大道芸人がいっぱい。ヘビ使いやサル使いがいる。踊っている人も多いし、音楽も多い。クトゥビア・モスクが美しい。
 アフリカの玄関口としてヨーロッパ文化とアフリカ文化とイスラム文化が融合している。
 スーク(市場)を歩くと色と物が溢れている。衣服の通り、ランプの通り、バッグの通りなどがある。モロッコの民族衣装の店「オ・フィル・ドール Au Fil D'or」(住所:10 Souk Semmarine Marrakech、Tel:+212 24 44 59 19、Fax:+212 24 42 63 16、E-mail:abdelalichabi@hotmail.com )という店に入ってみた。カフタンCaftan は民族衣装で、3000DH(4.2万円)前後でした。店主のアブドーアリさんは、全て手作りですと語る。
 次は靴が欲しくなった。フランスでは必須アイテムと言われるバブーシュ Babouche 。1足250DH(3500円)前後。かかとが織り込まれています。裏は皮でとても丁寧に作られていました。バブーシュを作る名人ハジュ・モハメドさんの工房を訪ねた。もう70年作っているそうです。このお爺さんに靴をオーダーしました。
 お昼は屋台でいただいた。ブロシェット・セット250g50DH(700円)。パンにお肉をはさんでいただきます。あとは甘いミントティー、卵料理、トマト?と野菜料理がついています。通りのイスに座っていただきました。
 薬屋さん「アミス Lies Amis」に行く。染料が薬瓶と一緒に並んでいる。薬剤師アジスさんが消化を促す薬を調合してくれた。絵の具としての色も買いました。
 モロッコ建築。家はリアドと呼ばれるが、本当のリアドは天国という意味。天国のような庭を持つ邸宅をリアドと呼ぶようになったため。1900年当時、マラケシュで最も豪華と言われたバヒア宮殿。天井の絵が素晴らしい。当時の権力者が2000人と7年の歳月を費やして建てた。この館では4人の奥さんが仲良く暮らしていたという。それプラス24人の側室とその子供たちが暮らす大家族だった。当時モスクは学校の役割も果たしていた。

 宿泊は「リアド・エニヤ Riad Enija」(住所:Rahba Lakdima, Derb Mesfioui No.9, Marrakech-Maroc 、Tel:+212 24 44 09 26 / +212 24 44 00 14、Fax:+212 24 44 27 00、E-mail:riadenija@riadenija.com , info@riadenija.com)で、スークの中にあるらしい。青い壁の通路を通ると中庭は光がいっぱい。3つの古い屋敷をつないで作られたホテル。様々な色が使われています。中庭に面して客室が並ぶ。室料はカメレオンが350ユーロで、浴室は別の部屋にあった。これは豪華です。アネモネの部屋はベッドが船の形でピンク色で270ユーロ。今回泊まったのは、プリンス350ユーロで紫が基調。浴室も光に満ちている。バスタブもあり豪華。窓はステンドグラス。
http://www.riadenija.com/

 マラケシュの郷土料理タンジアを作る名人セーモハメドさんの家に行きました。壷に牛肉を入れ、レモンの塩漬け、サフラン、クミン、バター、にんいく、オリーブオイルと水を入れる。材料を入れた壷は街の共同サウナの窯の近くに置き、灰の中で3時間かけてゆっくりと煮込む。
 夜になるとジャマ・エル・フナ広場は明るく、屋台がたくさんでている。タンジアをいただいた。50DH(700円)。


●フェス
 世界遺産で、カサブランカから東に270km。ヨーロッパ系の人はフェグと言う。王宮はモロッコ初のイスラム王朝の跡。古い城壁に囲まれた旧市街へは、門をくぐる。カラウィン・モスク。世界一の迷路と言われる路地。木で家を支えているものが多い。女の子がいたが、自分の家に連れて行ってくれました。
 機織をしている家がありました。その糸を染める染色屋さんもある。古い衣類を染め直すのも大事。幼稚園ではコーランを教えていました。
 迷路の中の宿「リアド・メゾン・ブルー Riad Maison Bleue」(住所:33 Derb el mitter talaa el Kabira Fes Morocco、Tel:+212-35-74-18-73、Fax:212-35-74-06-86 )。狭い中庭には緑が生い茂り、水が貯められていて、床は緑と白のタイル。室料は2500DH(37500円)〜。
http://www.maisonbleue.com/riad/en/index.php
 料理の料金は500DH(7000円)〜。まずは「野菜のタジン」で、ズッキーニや豆の前菜。「バスティラ」はパイみたいな感じ。でもシナモンがかかっているそうです。下の方にはチキンが入っている。

 フェスはタイルの産地としても有名。工房を訪ねた。セラミックの工房「ナジ・セラミック Naji Seramic」(住所:20,Q.I Ain Nokbi,Fes Maroc、Tel:+212-35-66-91-66、Fax:+212-35-63-02-64 )で、大きなノミで削ってタイルを作る。その1枚1枚の色と形を覚えていて、裏返しでタイルを製作する。最後にひっくり返すと見事!ろくろを使ってタジンの鍋を作っていました。絵付けをしてみました。太いところに絵の具が溜まるようになっている。
http://www.artnaji.net/index.cfm

 フェスの近郊には有名なワイナリーがたくさんある。広大なぶどう畑を持つ有名なワイナリー「カステル・フルール Castel Freres 」(住所:Ex 5109 Oued Jdida Sebaa Ayoun rte. P1 de Fes - 50000 Meknes、Tel:035-54-60-16、Fax:035-54-60-17 )を訪ねた。試飲もさせてもらった。まずは樽に入れる前のワイン。それから2ヶ月後のもいただきました。広大なぶどう畑はアラウィさんが案内してくれました。赤ワイン100DH(1500円)。

●アトラス山脈
 フェスから南に向かった。標高3000−4000mに針葉樹がある。遊牧民も見える。道路の脇に瓶が並んでいる。これはハチミツで150DH(2250円)。道路の脇に生えているのはローズマリーでした。
 峠を越えると乾燥した場所となった。そこに緑のオアシスがあった。これが川のように続いている。

●カスバ街道
 ウリカという谷はかつての砂漠の民が住む。週に1度大きな市がたつ。ドライバーのブシュマーさんと一緒に歩いた。ベルベルと呼ばれる先住民の人は陽気で人なつこい。床屋さんもありました。ロバの駐車場もありました。
 かつて彼らの住んだカスバという集落がいくつも残されている。ここをサハラ砂漠を目指して進む。

●アイト・ベン・ハッドゥ
 途中にあった大きなカスバ。要塞のように長く人々の生活を守ってきた。過疎化し、今では3家族が暮らす。その中のララ・ママスさんのお宅を訪問した。

 廃墟になったカスバがホテルになっていた。「カスバ・アイト・ベン・モロ」(住所:Skoura Morocco、Tel:+212-44-85-21-16、Fax:+212-44-85-21-16、E-mail:hotelbenmoro@yahoo.fr )は、ランプの光が土の壁にあたって柔らかい空間を創っている。屋上のテラスの窓から外を眺めてみました。料金は1泊2食付きで、料金は500DH(7500円)。
 街中では黒ずくめの女性を多く見かける。一説には、男たちが戦に出ていて、男に見せかけるために黒い服を着たのがはじまりという。

 バラの栽培で有名な街がある。ダマスカス・ローズが咲いていました。ここではバラ水を作っていた。工房「エル・ケラア・ムグナ Qalaa Maguna 」(住所:Naiad, Morocco、Tel:+212-24-30-50-60、Fax:+212-24-30-50-60 )を訪ねた。まず乾燥させる。朝摘みの色の濃いものが香りがいいそうです。それをジャムのようにゆっくり煮詰め、蒸気からエッセンスを取る。このバラ水は値段は150DH(2250円)。
http://www.naiad.co.jp/

 美しいバラは砂漠にもある。デザート・ローズは砂で作られたバラ。これを集めたギャラリー「マナール・マルブル Manar Marbre 」(住所:Route du Jorf,B.P.199-Arfoud-Errachidia-Morocco、Tel:+212-35-57-81-25〜26、Fax:+212-35-57-81-27 )を訪れた。案内係はアビドさん。太陽、雨、嵐などで砂が結晶化したもの。化石も多く、オウム貝、アンモナイトなどがありますが、3億8000万年前は海だった。遠くに見えるサハラ砂漠はピンク色だった。

 砂漠に住む遊牧民ベルベル人の家族を訪ねた。小屋の中では機織もしていました。砂漠の厳しさを知っているので、旅人を温かくもてなすんだそうです。

 キャンプ「アトラス・デュ・サーブル Atlas du Sable 」(住所:Centre Ville Merzouga Morocco、Tel:+212-55-70-37、Fax:+212-55-76-27 )に滞在した。ホテルみたいなものです。料金は1泊2食付きで、シングル300DH(4500円)、ツインが400DH(6000円)。テントは300DH(4500円)。パンの中に炒めた野菜を入れ、砂の中に入れて上から砂と灰をかけて焼く。15分で焼けました。まわりがパリパリで、中がモチモチでした。ここで絵をいくつか描きました。太陽が沈み、満月が昇りました。留まっているものは何もないのだと感じた。


●アシラ
 スペインに近い海の町。白い壁に地面から1mまでの鮮やかな青。この景色は好きですね。

●シャウエン
 青い町は海岸から少し入ったところにもある。湧き上がる白い雲が空の青を薄めながら混じり合い、降り積もったようなシャウエン。野に咲くすみれの花を思わせる。ここも同じような青だがもっと多い。鉢植えも青。中も青。すみれ色のような青が多い。手作りの布を腰に巻くのがこの地方の女性の習慣。1枚200DH(3000円)。機を織っている人がいました。布を巻いたものでブレスレットを作ってくれました。切り口も花の模様。
 宿泊はリアド「カーサ・ハッサン Casa Hassan」(住所:22 Rue Targui Chefchaouen Morocco、Tel:+212-39-98-61-53、Fax:+212-39-98-81-96 )で、廊下も部屋の壁も青で、タイルが敷いてある。室料は700DH(約1万円)。
http://www.casahassan.com/

●南へ
 アルガンという木が生い茂っている。ヤギが木に登ったりして食べていた。アルガンの実からオイルを作る工房を訪ねた。「マルジャーナ Cooperative Marjana 」(住所:a 14 Km d'Essaouira sur la route de Marrakech、Tel:+212-64-69-87-82 )では、たくさんの女性が喜びの歌と踊りで歓迎してくれた。種を砕いて、中に入っている実を取り出し、これを石臼でひいた液からオイルを作ります。パンにつけて食べてみたら美味しい。また石鹸、なども売っていて、商品を選ぶ際に入れる籠はおまけでもらえる。

●エッサウィラ Essaouira
 カサブランカの南西、青い海と青い空の町。モロッコ人誰もが憧れる海辺の町。城壁に囲まれた旧市街メディナを歩いた。道幅が広めなので、空の青がきれいで風が抜けていく。店の人も陽気。

 「アフリカ・ショップ」(住所:6 Rue Uekhabbazine Essaouira)という店に寄ってみた。ギナワ奏者のオマールさんが、カルカバという楽器を見せてくれた。3弦のケンブルーという楽器を弾いてくれました。ギナワ音楽には七つの色についての曲があるそうです。黄色は太陽、赤は血、緑は平和な音楽、
 老舗の洋菓子店「マーレム・ドリス」。ドームはメスキータみたいな感じ。店内には至る処に絵が飾られている。オーナーのドリスさんの祖父が画家たちのパトロン的な存在で、今でも発表の場になっているそうです。ケーキは1個5DH(75円)。
 宿泊はリアド「カーサ・リラ Casa Lila 」(住所:94, Rue Med el Qorry 44000 Essaouira, Essaouira and its region - MOROCCO、Tel:+212-24-47-55-45 +212-61-91-15-66、Fax:+212-24-47-55-45 )。紫色で統一された吹き抜けの中庭。部屋毎に様々な色が潜んでいる。ピンクの部屋、明るいグリーンの部屋、サファイア色の部屋。室料は120ユーロ。他に90ユーロの部屋あり。
http://www.riad-casalila-essaouira.com/

 街中にはギャラリーが多い。まぶしい光を求めてヨーロッパからもアーティストが集まる。ギャラリー「ティラル Tilal 」は、ヨネス・ボアリさんが説明してくれました。ギナワ音楽を演奏している風景でした。


<モロッコの旅のお問い合わせ>
株式会社 風の旅行社
http://www.kaze-travel.co.jp/


テレビ番組「にじいろジーン 世界ぐるぐるジーン モロッコのカサブランカ」

 2008年5月10日放送。

●モロッコ
 エール・フランスで15時間。モロッコは面積45万平方km、人口3000万人で、首都はラバト。モロッコの南西部に生息するアルガンの木は高さ8−10m、50度の暑さでも枯れない。葉と実は有用で、アルガン・オイルは美容に使われる。老化を抑える。ヤギが登って実を食べることからわかった。今は絶滅寸前だそうです。
 女性は髪にスカーフをしていないなぁ。

●カサブランカ
 大西洋をのぞむアフリカ北西部最大の都市。夏の平均気温は27度だが、風は涼しいので、過ごしやすい。路地を入るとどこか懐かしい感じ。カサブランカとはスペイン語で「白い家」という意味。モロッコの古い建築様式とアール・デコが見事に調和した白壁の家が多かったため。
 マジッド・ラクランさんのお宅を訪問。娘が1人いる。7年前に購入した2LDK、70平方mのマンション。こちらでは持ち家は暮らしが少し豊かな証拠。お客さんが来ると必ず振舞うのが「ミントティー」。みんな1日に4−5回は飲んでいるという。乾燥させた緑茶に、ミントの葉と砂糖を入れて煮る。
 ソファーは自慢で、安くオーダーメイドのインテリアをそろえられるという。革製品や絨毯の名産地でもあり、職人も多い。

 世界で2番目に大きいモスク「ハッサン2世モスク」がある。ムハンマド5世広場はみんなの憩いの場。群がっている女性は、「ヘナ」という染料を腕につけて模様を描いている。魔除けになるという。ヘナはミソハギから採れる染料。乾燥させてはがしても数週間は残るという。
 国連広場は城壁がある。城壁前で赤い衣を着た人が鐘を鳴らす。昔は水を売っていたが、今は無料。

 ランチは家族一緒に食べる。伝統料理クスクスは世界一小さいパスタ。カサブランカでは金曜日はクスクスの日。
 市場で買い物。ジャガイモは1kg70円。これを1割値切った。トマトは1kg70円、日本だと660円。オレンジは170円、日本だと470円。ディスプレイをきれいにしている。傾きは50度。ヘーゼルナッツは1kg1530円、日本だと3100円。
 カフタンと呼ばれるモロッコの女性用の伝統衣装。
 夕食は、牛肉のブロック、刻んだタマネギ、トマトをおろして、弱火でじっくり煮る。タジンを作るモロッコ独自の鍋を使う。ジャガイモ、にんじん、グリーンピース、レモン、オリーブまでも入れて1時間煮る。


テレビ番組「ミステリアス古代文明への旅 フェニキア人」

 2008年2月24日放送。放送番組センター配給。イタリアのインスティトゥート・ジェオグラフィコ・デ・アゴスティーニ製作。

 5世紀地中海では様々な民族が覇権を争っていたが、文化交流もあった。ギリシャで見つかったエジプトのお守り、アフリカではギリシャの壷が見つかった。地中海を行き来したフェニキア人が関わっていた。彼らは航海術に長けていただけでなく、各地の特産物を熟知し、取引相手のニーズにも敏感だった。フェニキア人の航路を辿る。

●レバノン
 フェニキア人の起源は現在のレバノンにあった。中心都市はティール。地中海沿岸に多くの有力都市を築き、早くから海上貿易に乗り出していた。巧みに船を操り、商売のコツを心得ていた。海の商人として頭角を現した彼らは各地に港を作り、植民都市を建築し、交易網を張り巡らした。紀元前7世紀に制海権を手中に収めた。地中海だけでなく、スペインを越えて南はセネガル、北はアイルランドにまで達した。仲間同士で連絡を取り合う手段を持っていた。
 紀元前13世紀の王の墓にその秘密があった。それはアルファベット。フェニキア人が発明した。文字による情報の伝達と共有が組織力を強めた。

 レバノン北東部にあるバールベックで、船に必要なレバノン杉を調達した。天空と嵐の神バール・ハダドをはじめとする3つの神が崇拝されていた。後にこの地を征服したローマ人は彼らの最高神ユピテルとバール・ハダドを一体化させ、大神殿を捧げた。東側には明るい色の柱、西には暗い色の柱。大神殿を囲む列柱は高さ20m、直径180cm以上、ローマ帝国最大級の神殿だった。
 それ以外にも栄えた街がある。地中海沿岸の港町ビブロス?で、旧約聖書にゲバルという名で記述がある。海には危険がつきもので、フェニキア人は船出に際してはブロンズ像をオイリスク神殿?に奉納した。

●交易
 フェニキアの標準的な商船の大きさは長さ20m、幅5m。赤紫のフェニキア特産の高級織物も船に積まれた。フェニキアという名はこの織物をさすギリシャ語から生まれたという。紀元前7世紀から6世紀頃にギリシャで作られたクーロス(直立裸身の青年像)を次に積んだ。多くはロードス島で出土した。ロードス島では美しい陶器の壷も見つかっている。フェニキアはこの島を本拠地としてギリシャの島々と交易をしていた。イタリアのギリシャ植民都市ではクーロスのブロンズ像が作られた。
 当時はジブラルタル海峡は「ヘラクレスの柱」と呼ばれ、その先はこの世界の果てだと言われていた。彼らはセネガルで新しい交易相手を見つけた。金とクーロスや陶器を交換したようです。アイルランドやイングランドで錫を手に入れて、スペインのカディスに向かった。ここで鉄を手に入れ、サルディニア島に向かった。ここにも植民都市があった。その遺跡から金細工や宝飾品が大量に出土している。この地で金細工を加工したのだろう。ガラス製品を大量生産し、地中海世界に大量に普及させた。墓から悪霊を追い払う仮面も出土している。
 サルディーニャのタロス?は典型的なフェニキア人の都市遺跡。大きな建造物は残っていないが、都市の様子はよくわかる。宝飾品の一大生産地だった。鉄、鉛、錫、金の取引が行なわれた。先住民の「ヌラーゲの遺跡」も残っている。ヌラーゲは小さな丘を意味するサルディーニャの言葉ヌラ?に由来する。一つ一つ石を積み重ねたもので、高さは20mにも達した。その形は小高い丘のようだったのだろう。
 サルディーニャにフェニキア人が開いた街ノーラ。フェニキア人の港はたいてい岬の側にあった。広い船着場が確保できるため。娯楽施設はほとんどない。公衆浴場は支配者がローマ人に代わってから作られたもの。紀元2世紀に建てられた劇場も同じ。
 宝飾品などを積んだら、地中海の女王と呼ばれたカルタゴに向かった。ギリシャの歴史家アッピアモスはカルタゴの港に着いて「港は商港と軍港からなり、軍港の中央には小島があった」。港の所在は長い間不明だった。19世紀に訪れたフランスの作家シャトー・ブリアンは、ある湾が記述に似ていることを指摘したが、受け入れられなかった。1974年に証明された。カルタゴの規模と先進性は当時の地中海世界随一だった。どの船も商船用の港に入り、その奥にある軍港には軍艦だけ入れた。軍艦はガレー船だった。小島は提督の小島と言われ、直径は90m程度。軍港にはドックが整備されていた。提督の小島の一番上には提督の指示室があった。港の中では船はラッパと旗の合図に従って移動した。軍港の水路の幅は90m以上設けられていた。200隻以上の船が収容できたという。冬の軍港はほとんど満杯だった。海の荒れる冬は港に留まり船の整備をした。大きな軍艦は提督の小島のドックに引き揚げられた。ドックの入口はイオニア式の優雅な円柱で飾られていた。船には敵の恐怖を誘うためにへさきに大きな目玉が描かれていた。
 カルタゴの中心地ビュルサの丘?。ここでサルディーニャの宝飾品やガラス製品を売りさばくと、出航し、エジプトに向かった。
 エジプトではサルディーニャの宝飾品は大いに喜ばれた。ここでは船の帆に使うリネンの織物を手に入れた。ペルシャ人のためにサルやワニも買い、故郷のティールに向かった。ここで最後の商い。利益を得たのは、地中海世界全体を豊かにした。


テレビ番組「エクソン・スペシャル 地球の歩き方 迷宮の王国モロッコ」

 2008年1月13日放送。女優の鈴木杏、写真家の三好和義さんが旅をした。モロッコは日本の1.2倍。中央には4000mを越える神の山アトラス山脈。その周囲には豊かなオアシスが広がる。3つの世界遺産を巡る旅。「地球の歩き方」が全面協力。テレビ朝日製作。

●エッサヴィラ
 日本から16時間。紀元前から栄える歴史ある世界遺産の港町。エッサヴィラとはアラビア語で設計図のこと。15世紀、この港を狙ってヨーロッパの列強が押し寄せた。ポルトガル人が張り巡らした見張り台(スカラ)が海岸沿いの絶壁に残る。金銀、香辛料、絨毯などを目的として、港を制圧した。18世紀の後半になってようやく、モロッコの王は1769年に港を取り戻し、砲台を設置した。門にはイスラム歴で1184年と書いてある。町を撮影する絶景ポイントがある。
 喫茶店のイスと机は白と青。商店街の窓枠、壁など白と青。住宅街も白い壁と青い戸窓。昔はこの町はモガドールと呼ばれていたが、この青はモガドール・ブルーという。ポルトガル領の時代の名残であり、その後やってきたユダヤ人の使った色だった。町の周辺の自然を示してもいる。今では条例で町のシンボルカラーに決められている。
 モロッコでは写真を撮る際は、お店などの許可を得るのがルール。「ワーシュ・イムキン・スォレック」という。あなたを撮ってもいいですか?は「ワーシュ・イムキン・ナホスーラ」だと通訳のムハンマドさんが教えてくれた。撮り終わったら、「シュクラン」。
 港には多くの魚介類があった。タコはフランス語でプルプ、アラビア語でゼイズ。日本に大量に輸出しているそうです。港近くに魚料理の屋台がある。採れたてをその場で調理してくれる。あら塩をふって炭火で焼くだけ。ヒラメの炭火焼、シャコ、マトウダイの塩焼きをいただきました。
 宿泊は港から歩いて5分のプチ・ホテル「ヴィラ・マロック」は、地球の歩き方には、どんな5つ星ホテルよりも泊まってみたいと書いてある。かつてはユダヤ人の商人が暮らしていた。
 大西洋に沈む絶景の夕陽を撮影。オレンジ色に染まる街並みが撮れました。
 ホテルで夕食。モロッコの伝統的な料理を堪能できる。シェフは女性のハイアットさん(39歳)。極上のハモの料理。骨の少ない部分を使い、パプリカ、こしょう、クミン、シナモン、塩を使う。オリーブオイルを加え、10分置いて、蓋を置いてタジンと呼ばれる土鍋にした。4時間かけて弱火で煮込む。「ハモのタジン、エッサヴィラ風」。レーズンも入っている。デザートはモロッコの定番「パスティーヤ・アラ・クレーム」。

 モロッコは人口の30%は先住民族のベルベル人。「ベルベルの黄金」はアルガンの木の実だが、「食べられない。オイルを作る。」とナイマ・アラタウさんが説明してくれた。アルガンはモロッコ南西部にしか育たない植物で、地下100mまで根を張る驚異的な生命力をもっている。ヤギが木に登ってまで食べる木。中の白い実を取り出して、火であぶる。石臼でひいてペースト状にする。これを1週間ほど乾燥させ、水を含ませて絞る。60kgの実から1リットルしか取れない。ヨーロッパではアルガン・オイルは高級オイルとして珍重される。最近は化粧品としても世界中から注目されている。日本で買うと200mLで1万円する。

●マラケシュ
 世界遺産の古都。エッサヴィラから東に190km。マラケシュは赤い町と呼ばれている。12世紀前半に築かれた高さ8m、全長18kmに及ぶ赤土の城壁に囲まれている。町に入るには26の門がある。中でもアグノウ門は美しい。「神こそ全てを支配する存在」と書かれている。12世紀に作られたというバブ・デッバーガ門から旧市街メディナに入った。アーチの門を何度も潜る。
 ジャマ・エル・ブナ広場は町の中心。この広場の北側に世界最大規模と呼ばれる商店街スークが広がる。商品には値段がついていないので、交渉して決める。モロッコ特産のスリッパ「バブーシュ」を買おうと交渉した。150DH(ディラハム)。3つで335で買いました。太陽の光の差し込む様子が幻想的。マフラーの店で、トアレグ・ブルーのものを見た。ハリウッドのセレブご用達のお店が「金の門」。超高級アンティーク・ショップ。トアレグの宝箱は3.2万DH(43万円)。オーナーはハッジリワさん(52歳)。7ヶ月かけて作ったというベルベルの絨毯は6.7万DH(100万円)。リバーシブルな絨毯は10万DH(150万円)。小さな工房がひしめく職人街もある。
 城壁の中は迷路の町といわれている。1年のうち300日が晴天。日差しを避けるために家と家の間が狭くなっている。建物の色は赤いと反射しないから暑くならないというので、900年前に王様が決めたそうです。「ファティマの手」と呼ばれているものがある。ファティマはムハンマドの4女で献身的に貧しい人を助けた人。この町の人は彼女の手をドアにつけ、魔よけにしている。ヒシャムさんが教えてくれました。お茶も飲ませてくれました。1854年のクリミア戦争で、イギリス兵が緑茶が口にあわなかったので、大量にモロッコの港に捨てた。これが緑茶を飲む始まりとなった。これにミントと砂糖の塊を入れる。モロッコでは昼食の時間を一番大事にする。牛肉とトマトのタジン。右手で食べます。クレオパトラがしたというヘンナで腕に模様を描いてくれました。
 ジャマ・エル・ブナ広場ではコブラ使いが笛を吹いていた。水売りがいる。定価はないが、チップを払う。アンさんは1杯15DW(23円)払った。大道芸をやっている。2人の方が大道芸人よりも客が集まった(笑)
 午後6時をまわると屋台が並び、煙がすごい。ハリラというたまごベースのスープ。300DH(450円)。羊の脳みそ400DH(600円)。カタツムリ5DH(7.5円)。
 カフェ・グラシェの屋上に行く。ドリンクを注文すればOK。地球の歩き方に書いている。ここから見る夜景、夕陽に染まる広場の全景が見える。

 翌朝、城壁の外のヤシ林に行ってみた。昔、日が沈んで到着したキャラバン隊は、門が閉まっていて町に入れず、外で野宿した。その時携帯食のナツメヤシを食べて、吐き捨てた種が林になった。
 19世紀のロマン主義絵画を代表する光と色彩の画家ウジェーヌ・ドラクロア(「民衆を率いる自由の女神」を描いた人)がモロッコを訪問した1832年の時の様子を再現しようという。生ける古代、光に溢れる町だった。6ヶ月かけて描いた絵のイメージを追って、いろいろ撮影しました。
 「ラ・スルタナ」はかつての王族や貴族が暮らしていた建物を改装したリヤドというホテル。

●アトラス山脈
 4000m級の山が連なる。雪山が美しい。道中の5時間は大自然の迫力に目を見張る。アトラス山脈を越えると風景が一変する。緑が消え、砂漠となる。

●アイトベン・ハッドゥ
 丘の向こうに世界遺産が見えた。手前にある川の水は塩辛い。6000万年前、海底が隆起してできた土地。今でも塩の川が流れ、古代の貝アンモナイトの化石が土産物となっている。
 集落の壁は日干しレンガで作られている。盗賊や集落の争いなどから集落は要塞へとなった。ジャマリディーン・モハンメドさんのお宅の中を見せてもらった。意外と涼しいし、きれいでした。壁は幅1m弱。日干しレンガは1年手入れをしないと崩れ落ちるという。ハジュームさんとハティマさんが家の修復をしていた。今、村を守っているのは5家族だけ。
 丘の上の建物の所に上がった。赤い裸の山が並ぶ。


テレビ番組「世界遺産 チュニス旧市街」

 2007年9月16日放送。チュニジアは古くはローマの穀倉地帯だった。チュニスは13世紀以降、イスラム王朝の都として発展、1979年世界遺産。

●チュニス
 カルタゴから栄光は始まる。海の民フェニキア人が都市を築いたのは紀元前9世紀。海洋帝国として地中海の交易網を独占したが、紀元前2世紀古代ローマによって覇権は奪われた。7世紀にはアラブのイスラーム勢力を制覇。カルタゴから内陸にあった湖のほとりに拠点を移した。それがチュニスだった。
 現在200万人が暮す。旧市街と新市街の境は「海の門」。門をくぐると混沌とした熱気が待ち受ける。白い壁と青いドアと窓。アラビア語で市場を意味するスーク。同じ業種の店が一つの路地をなす。今の形になったのは、チュニスがイスラム王朝の都となった13世紀以降のこと。アフリカ奥地の黄金、地中海世界の絹織物などを交易した。スークの一角にはそういう時代を映す商人の宿ツンドゥクが残っている。サハラを越えたラクダの隊商など、荷をおろして商売をした。またここはかつての奴隷市場で、多い時は1年に6000人の奴隷が取引されたという。
 スークから一つ脇へそれると居住区域。開口部の少ない家々にはドアと高窓があるだけ。特に女性たちを男性の視線から守る配慮がある。家毎に色やデザインの違うドアは、富の象徴でもあった。中に入ると質素な外観とは異なり、中には思いもかけぬ光景がある。18世紀の商人の家は、豪邸です。町にはこうした豪邸がいくつもあった。中庭を持つ住宅が蜂の巣のように密集するのが特徴。一見無計画にも見える街並みは、計画性がある。都市は大モスクの建設から始まる。毎週金曜日、町中の人々が礼拝に集まる大モスクは、学問や教育、庶民の社交の場でもあった。礼拝の場所に立つ柱の多くはカルタゴの遺跡から運ばれ、転用されたもの。古代ローマをしのばす柱頭がそれを物語っている。
 旧市街には18ものマドラサがあった。寄宿舎を備えた高等教育施設。ここでイスラームの宗教指導者を目指し、学生たちは勉学を重ねた。壁面はイスラームが神の象徴としたアラベスク模様。
 大モスクに隣接するスークには礼拝に相応しいものが並ぶ。イスラームの正装を作っているお店。伝統の技は今も顕在です。帽子の店もある。北アフリカ伝統のフェルト製の帽子はオスマン帝国に伝わり、トルコ帽の起源となった。一時はチュニスの経済を支える重要な輸出品だった。モスクの近くには高貴なものとされる香水のスークがある。地中海地域原産の多くの香料に恵まれたチュニジア。香水はモスクでの礼拝になくてはならぬ物だった。

 今年もイスラームの9番目の月がやってきた。ラマダン。聖なる断食月。神への奉仕を具体的な行動で表わす。日の出から日の入りまで一切食事はしない。
 人生には同じ季節のラマダンが2度やってくる。イスラームでは年々月がずれていき、同じ季節のラマダンになるには、約33年かかる。2006年は9月4日に始まった。国民の9割がイスラーム教徒のチュニジア。1日5回の礼拝以外にも、モスクに集まって合同で礼拝を行う。夜の食事はしばしば盛大になる。スークでは早々と店仕舞。人々は家路につく。その日の夜に食べる料理はイフタールと呼ばれ、スープに加え、牛乳とナツメヤシが欠かせないメニュー。
 日没を告げるアザーン?が町中に流れ、人々は礼拝をして食事をする。イスラームには聖職者がいない。天に送るのはアッラーだけ。
 ラマダンがあけた。


テレビ番組「地中海沿岸紀行 チュニジア Tunisia」

 2007年7月1日放送。ローマ経由でチュニジアに行った。チュニジア・ブルーと呼ばれる鮮やかな青。地中海沿岸地域はヨーロッパ、アフリカ、中東の交差点として知られ、いろいろな文化を受け入れてきた。面積は日本の5分の2、北海道の2倍。美しい海岸線と実りの多い平野を持つが、国土の半分は砂漠。イスラム教徒は約1000万人。フランスの影響を残した独自のイスラム文化を持ち、戒律も穏やか。治安もいいので、観光立国として年間500万人以上の観光客がやってくる。国旗の赤は祖国防衛のために流された血、白は国民の清き心、三日月はイスラムの繁栄、星はイスラム教のごしんじょう?を意味する。ローマ帝国とカルタゴの3000年の歴史を持つ。勇猛果敢なカルタゴの戦士たちは今はどこに眠っているのか・・。JIC製作。

●チュニス
 ローマから1時間で到着。通貨はチュニジアン・ディナールで、およそ1TD=90円(10.978TD=1000円)。通貨は海外への持ち出しは禁止で、出国時は両替時のレシートが必要となる。
 路面電車はフランスの植民地時代に基盤が作られたもので、庶民や観光客の重要な足となっている。通常は3両のユニットが2つつながった6両編成。料金は距離により3種類に分かれている。タクシーは黄色でメーター制で、初乗りは0.37ディナール(33円)。行き先の決まっている五人乗りの乗合タクシー(ルアージュ)という便利な乗り物もある。
 画家パウル・クレーはチュニジアで色彩に目覚め、色彩の魔術師へと変貌を遂げた。

 チュニスはカルタゴのフェニキア人の女神タニスに由来する。人口は200万人。新市街と旧市街に分かれている。新市街のメイン・ストリートのハビブ・ブルギバ通りは道の真中に歩道やベンチがあり、札幌の大通り公園のようになっている。1956年にフランスから独立し、93年には女性が政治的、社会的にも男性と同じ権利を得るようになった。女性たちもおおらかに町を闊歩している。フランス風の花屋、カフェ、アパルトマンなどが並ぶ通り。ちなみにハビブ・ブルギバは初代大統領の名前。新市街はプチ・パリとも呼ばれている。
 カフェ・ド・パリ・レストラン (Av.Habib Bourguiba, Tel:71-240-583)でカプチーノをいただいた。蝶ネクタイをしたギャルソンが持ってきてくれたが、1杯1.4ディナール(130円)。

 西に移動すると旧市街メディナへの入口フランス門がある。12世紀ハシフド朝時代に作られた時には7つの門があったらしいが、現存するのはフランス門だけ。くぐるとイスラムの世界がある。7世紀末カルタゴに代わって首都となったチュニスは、9世紀〜14世紀に大きく発展した。旧市街 Medina は14世紀当時と大きく姿を変えていない。1979年世界遺産。
 道路は狭く、スークは人がすれ違うのがやっと。両側にはみやげ物雑貨の店などが並ぶ。女性が少ない。怪しい人が多い。真鍮細工が多く、大きなものでも15ディナール(1400円)で買えて、名前とかも入れてくれる。カタコトの日本語も使っている。店員はウードと呼ばれる弦楽器を勧める。リュートの素になったもので、アラビアン音楽には欠かせないもので、アラブでは楽器の女王と呼ばれている。値段は190ディナール(1.7万円)。

●シディ・ブ・サイド Sidi Bou Said
 チュニスから北東に17km、地中海に面した丘陵の町。町の建物は条例によって、壁は白く、ドアは窓枠はブルーに塗ることを推奨している。そのために観光客が年に500万人以上訪れる。この町を作ったのは、キリスト教徒によるイベリア半島の再征服活動レコンキスタにより追われたイスラム教徒たち。どこまでも青く澄み切った地中海と、抜けるように青いチュニジアの空。その間にある白い壁と青い窓。フランスの植民地だった時代にはボーボワールやモーパッサンやジイドといった作家たちも訪れたという。現在は街並み保存区域に指定されている。
 世界最古のカフェ「カフェ・デ・ナット Cafe des Nuttes 」は階段を上がったところにある。数多くの芸術家たちに愛されてきた。街の人は水たばこ(シーシャ)3ディナール(270円)を楽しむ。床にはナットと呼ばれるゴザが敷かれている。この上には靴を脱いで上がる。本来のゴザはモスクでの礼拝中に体を冷やさないためのものだったらしい。マッケの絵を鑑賞しながら、のんびり過ごすことにした。注文したのはストロベリー風味のシーシャ。松の実入りのミントティー2TD(180円)はなかなか香ばしく気に入ったそうです。伝統工芸品の針金細工の鳥かごに入っているのはカナリアだった。この鳥かごはこの街が発祥の地だとか。観光客はインテリア用に買っていく。
 カフェ・デ・ナットの隣の小さな店で売っているのは、この町の名物バンバローニというふわふわしたドーナツ1個0.3TD(30円)。砂糖をたっぷりまぶして食べる。もちもちして甘く、結構おいしい。ジャスミンの花売りのおじさんもいる。1本1TD(90円)。未婚者は左の耳につけ、既婚者は右の耳につける。

●スース Soussb
 チュニスの南の港町。紀元前11世紀、フェニキア人によって作られた港湾都市。チュニジアは北部から東部にかけての美しい海岸線サヘルと、ローマの穀倉地帯と呼ばれた北西部の平野、南部のサハラ砂漠と3つに分かれる。そのサヘルの真珠と称えられたのがスース。人口は50万人。町は旧市街、新市街、ホテル街、港湾部と4つに区別されているが、この4つがチュニジアで最も有名な観光地。スースは一度来たら、もう帰りたくないリゾートなのだという。
 旧市街は9世紀頃、シチリアやチュニジアを支配していたアグラブ朝のイブラヒールが築いた城塞で、広さはチュニスの旧市街に次ぐ広さを持ち、1988年世界遺産に登録された。1236年に建築されたグランド・モスク。尖塔ミナレットは15世紀になって付け加えられた。旧市街で最も古い建物は8世紀に建築された要塞リバト。高さ30mの塔は敵を監視する監視塔、灯台の役目も負っていた。リバトは各地に建造されていたらしい。

●ポート・エル・カンタウイ Port El Kantaoui
 スース市内から北に5km、新興のビーチリゾート「ポート・エル・カンタウイ Port El Kantaoui 」がある。そこまでビーチ沿いに観光列車Dotto Trains がでている。片道2.5TD、往復3.5TD(315円)。道路の上を走ります(笑)地中海の風を感じて、乗ってよかったそうです。
http://www.dottotrains.com/ita/index.asp
 エルカンタウイとはアラビア語で「全てうまくいく」という意味。1970年代後半、サウジアラビアの大富豪たちが、戒律の厳しい自国ではできない遊びをしようとつくりあげた豪華なリゾート地。町には立派な5つ星ホテルが点在し、カジノ、テニスクラブ、乗馬クラブ、グルフクラブがリッチな観光客たちを待ち構えている。アリーナには真っ白なヨットがつながれている。

●ジェルバ島 Ile de Djerba
 チュニジア最大の島で、最大のリゾート地。地中海に浮かぶ伝説の島。ホメロスのオデッセイアに登場するロトファージの島のモデルだと伝えられている。チュニジア本土とは全く異なる風土、文化。波乱万丈に充ちた歴史がある。
 渡るには、飛行機(チュニスから1時間)、フェリー、陸路の3ルートがある。フェリーはガベス郊外のジョルフ港から20分でジェルバ島のアジム港に到着する(料金はバイク0.2TD、一般車0.8TD,大型車3TD)。陸路でもザルジスからエルカンタラまでローマ時代に作られた7kmの道路を渡ることによって可能。

 東西25km、南北22kmのほぼ四角い島、514平方km。島の北西に中心地フームスーク Houmt Souk があり、その東側一体に一大リゾート地ツーリスティック・ゾーンが広がっている。移動はタクシー、バス。レンタカー。

 フームスークは「スークの町」という意味。中心にはスークが多く、土産物屋が多い。貴金属店、骨董品屋も軒を連ね、名産品である陶器の店もある。女性は麦わら帽子をかぶった特有の民族衣装ジェッパを着ている。ここのスークは落ち着いて商品を見てまわれる。

 島の南にあるゲララ Guellala は、ナブール焼きのナブールと並ぶ陶器の町。素焼きの壷、色鮮やかな皿、水差しなどが並ぶ。陶器工房に立ち寄り、作業工程を見学させてもらった。窯みたいな穴は粘土を取りに行く穴。粘土は赤土。職人は採取から焼き上げまで全て一人でこなす。この職人さんは灰皿を作っていた。完成すると10日間日陰で乾燥させ、焼き上げに入る。窯は1000度。燃料にはなつめやしの木を使う。昔は緑色しか出せなかったらしい。赤土に海水を混ぜると漂白されて白くなり、真水を混ぜると赤くなる。「魔法のらくだ」と呼ばれる水差しは、水を入れて逆さにしてもこぼれない。逆に底から水を入れて逆さにしてもこぼれない。注ぎ口からはちゃんと出る。

 島の北東部シリマハレス海岸一帯がツーリスティック・ゾーン。20kmほどの海岸線の間に、100棟近い大型リゾートが並び、その間にショッピング・ゾーン、レストラン、ブティックなどがひしめいている。今回は5つ星の「ハスドゥルバル・タラサ Hasdrubal Thalasso 」に宿泊した。アラブ風とローマ風が入り混じったクラシカルな雰囲気。1990年オープンで、210室。ロビーの真中にしつらえられた噴水の上には透かしの入った漆喰の天井。部屋はダブルのツインで190TD(1.7万円)、シングルなら150TD。ハイシーズンにはどのホテルも満室になり、料金も上がる。テラスからは少し離れて地中海とホテルのプールが見える。ルームサービスでセルティア・ビール Celtia を注文しテラスでいただいた。ここのタラソセラピーのスパは有名なフランスのファッション誌エル?にも紹介された。タラソセラピーとは海水や海藻などを使って、体を活性化させる海洋療法で、生活習慣病の予防や、美容、ダイエットに効果があり、ストレス解消にはもってこいの自然療法と言われている。フランス人が始めたが、それに続く国がチュニジア。日本よりも技術、研究ともに進んでいる。温めた海水に浸かり、ジェットバスで体をマッサージするためのプールは、母親の胎内に帰り、羊水に浸っているかのようにリラックスできる施設もある。海藻パックは、海藻が生体維持に不可欠なミネラル成文やモイスチャーを多く含むため、自然治癒力や回復力を高めてくれる効果がある。お肌もすべすべになる。海藻をつけてラップで包む。マッサージ50TD、スキン・トニック70TD、フラワーバス70TD、リラクゼーション・オン・スィミング・プール45TDと料金も安い。
 プールサイドではゆったりした時間が過ごせる。全身がシルクの布でくるまれたような心地よさ。ホテルのプライベートビーチに出てみた。水もきれい。ラクダに乗ってビーチを散歩した。沖にはヨット。

 今度はミニクルーズがあると聞いて港に向かった。停泊していたのは海賊船。この船に乗って無人島に渡り、ランチを食べて帰ってくるというもの。Haroun (Port de Hounmt-Souk, Djerba, Tel: 75-650-488)の料金は一人40TD(3600円)。出航の際はパイレーツ・オブ・カリビアンのような儀式もあった。鏡のように静かな海面。ほとんど真っ平らな島。満潮になったら沈むかもしれない。1時間で到着。解体し忘れた海の家のような建物?でランチをいただいた。魚を焼き始めた。真珠貝のような小さな牡蠣。民族楽器の演奏が始まった。バグパイプのような楽器はミズイットという民族楽器。水の入った瓶を頭に載せて踊る親分。ランチのメニューはクスクス、サラダ、焼き魚など多彩。ブリックは特別なクレープにツナ、ポテト、卵などをはさんで揚げたもの。薄味で日本人の好みにも合う。


テレビ番組「知っとこ! チュニジア共和国チュニス」

 2007年6月23日放送。

●チュニス
 人口98万人の大都市。かつてフランスの支配下にあり、カフェなどもある。旧市街は800年以上の歴史があり、世界遺産で昔ながらの生活がある。中央市場には魚、野菜などが揃っている。梅に似ているのはアーモンドで、5月〜6月に店頭に並ぶ。1kg1.18ディナール(106円)。
 旧市街には薬草の店には、白い固まりがある。シャッパという石で、脇に塗ると匂い消しになるし、髭剃り後に塗ると気持ちいいそうです。散髪屋には欠かせないそうです。明礬(ミョウバン)でできているそうです。
 オープンカフェが多い。コーヒーを頼むと、金色の壷がついてきた。みんな壷の中身をコーヒーに入れている。フローラル・ウォーターといって花の匂いのする水。ゼラニウムという花などを入れて蒸留して作るそうです。
 モハメッド・サプリさん(22歳)が紹介してくれたのは、ラブラビという料理で、お店に行くとボウルにパンを取り、細かくちぎる。お店の人に唐辛子のたっぷり入った牛骨スープを入れてもらって、オリーブオイル、にんにく、温泉卵などをトップングして完成。2ディナール(180円)。よく混ぜてからいただく。

●シディブサイド Sidi Bou Said
 地中海に面した町。白い壁に青い窓と戸ととても美しい。ブーゲンビリアの赤がさらに色どりを添える。ドアノッカーの形は手の形をしている。これはファーティマの手と呼ばれていて、悪いものから守ってくれるお守り。

 チュニスの郊外の新婚さんの朝ごはん。ヌダル・パルティさん(30歳)。1品目は「ジェルバ・ライス Riz de Djerba」。ほうれん草、イタリアン・パセリ、たまねぎ、唐辛子などの野菜を食べやすい大きさに切り、お米を大きめのボールに入れ、そこにさきほどの野菜を入れる。子羊の肉とトマト・ペーストを加え、塩を加え、全体をよくかき混ぜ、蒸し器に入れて1時間蒸す。
 2品目は「タジン・マルスーカ Tajine Malsouka 」。細かく切った鶏肉にミックス・スパイスをふりかけ、火にかけて、ブリヨンイエール・チーズと卵をかけ全体をかき混ぜる。春巻きの皮を耐熱皿に敷き詰め、卵を流し込み、春巻きの皮で蓋をしてオーブンで30分焼く。
 3品目は「ドロッ Droo 」。ドロッと呼ばれるモロコシの粉を鍋に入れ、水と牛乳と砂糖を加え、ゆっくり加熱し、フローラル・ウォーターで香りつけし、容器に移し、砕いたアーモンド、クルミなどをトッピングする。


テレビ番組「地中海沿岸紀行 リビア」

 2007年6月17日放送。壮大な遺跡が残っている。紀元前1000年にフェニキア人が街を造り、その後ローマ、アラブ、オスマントルコなどによって支配されてきたこの地には、今でもローマ時代の遺跡が地下に眠る。リビアの国旗は緑色だけで、イスラムでは高貴な色。リビアは人口590万人。そのうち145万人以上がトリポリに住んでいる。広さは日本の4.8倍だが、90%以上は砂漠と岩山。現在のリビアは過激派を国外に追放し、治安はいい。JIC製作。

 メディティラニア、近頃はメッドと略される地中海は、古代から海上貿易が盛んで、沿岸は発展した。リビアに向かうにはビザが必要で、取得は一般の旅行会社で依頼できます。今回はローマ経由のパック旅行で行った。ローマからトリポリは2時間のフライト。

●トリポリ
 アリタリアで深夜12時に到着。空港は施設もわかりやすく、治安もいい。空港を出るとカダフィ大佐(ムアンマル・アル=カッザーフィー)の肖像がある。1969年のクーデター以降、リビアの指導者として君臨してきた中東の暴れん坊だが、2003年それまでの方針を転換した。空港からトリポリ市内までタクシーで30分、交渉次第だが10〜15リビアディナール Libyan Dinar (LYD)(900円〜1400円)。今回のガイドはアサドさん。夜中は思っていたほど暑くなく、湿気もないので、心地よいそうです。
 宿泊は5つ星の「ホテル・アルカビール Al Kabir」。浴室も問題なかった。ここで両替、ドルかユーロしかダメで、1ドル1.3〜1.4LYD。1LYD=90円程度という感じ(2006/12/6)。
 朝食はホテル近くのチャイハネ(喫茶店)でいただいた。クロワッサンが多いが、フランスが統治していた時代の影響。しかし、これにハチミツをはさんで食べる。料金は前払い。エスプレッソは0.5LYD(45円)。
 街角には信号はない。鉄道はないので、移動はマイカー、レンタカー、バスになる。車は日本車、イタリア車が人気。

●サブラタ Sabratha
 トリポリの西80km。レプティスマグナはトリポリをはさんで反対側。1時間半で到着。紀元前1200年頃にフェニキア人が築いた港街。後にローマ人が支配し、紀元1〜3世紀には大都市へと発展した。1927年に遺跡として発見された。軽く観て回っても3時間はかかるという遺跡群。メインとなるのは、紀元3世紀、ローマ皇帝初のアフリカ出身者であるセベルス帝の息子が建造したという円形劇場。その規模と保存状態から1982年に世界遺産に登録された。
 コリント様式による108本の列柱。収容人員5000名といわれたが、紀元365年の大地震でサブラタの町が倒壊した。
 音響効果が素晴らしく、現在でもステージ上で音を出すとエコーがかかったように音が反響した。ステージを抜けると地中海が広がっていた。この海の中にも遺跡が眠っている。「フェニキア人の墓」という塔はひときわ目立つ。大地震にも倒壊しなかった。広大な公衆浴場の床にも詳細なモザイクが施されていた。ここの遺跡を見るには夕暮れを勧める。

●トリポリ
 新市街は近代的な建物やマンションが建ち並んでいる。旧市街は城壁に囲まれている。旧市街入口に立つのは、マルクス・アウレリウスの凱旋門。紀元前146年にローマがフェニキアを倒したのを記念して、17年後に建てられた。
 リビア政府が新市街を作ったために、旧市街に住んでいた住民の大部分は新市街に移動した。そのために旧市街に現在住んでいるのは、ほとんどが外国人。
 サッカーが人気で、カダフィー大佐の息子はイタリアのペルージャに所属していた。
 オールド・スーク Old Souq は市場。ファッション・スークは産油国なので、人々の暮らしには余裕がある。ゴールド・スークは金を扱う。ベジタブル・スークは野菜が近隣諸国から入手されている。ペットショップでは、砂漠ての鷹狩が盛んなので、鷹が何羽も売られている。1羽1.2万円。亀は1匹5LYD(450円)〜。
 チャイハネでは地元の人が水タバコを楽しんでいる。1服1LYD(90円)で、メロン味、イチゴ味などがある。ミント・ティーは1杯1.5LYD(140円)。

●レプティス・マグナ Leptis Magna
 トリポリの東130km。トリポリスの一つで、ローマ時代レプティスマグナ、サブラタ、オエア(現トリポリ)の三都市はトリポリスと呼ばれていた。北アフリカ最大のローマ遺跡。幹線道路の両側にはオリーブの畑が広がっている。2時間で到着。ガイドはアプドゥ・ケリームさん。
 紀元2世紀、ローマ皇帝初のアフリカ人セヴェルス帝が生まれ故郷に築いた大都市の跡で、1921年に発見された。1000年以上も砂の下に埋もれていた。入場料は3LYD(270円)。高さ18mのセヴェルス帝の凱旋門。47歳にしてローマ五賢帝にまで登りつめたセヴェルス帝は197年、東方遠征に際し、メソポタミアを再び属州化した。凱旋したセヴェルスの夢は仲の悪かった2人の息子カラカラとゲダが仲良く帝国を導いてほしかった。カラカラは帝位継承後にゲダを殺害した。
 凱旋門を抜けると広場に出た。ここは競技場だった。そこの大理石の柱はギリシャから運ばれたもので、緑色に近い。白い大理石はイタリアから運んできた。次に案内してくれたのは、鍵穴のようなものが40個並んでいるもので、トイレ。アドリアヌス帝の浴場には、冷水が2つ、温水のものが3つ作られていた。街の中心部にあったフォーラム(集会場)。入口の門にはダチョウの卵が整然と彫り込まれている。卵は誕生を表わし、めでたいものの象徴。フォーラムの回廊、アーチから市民たちを見下ろすメドゥーサの顔。赤い大理石はエジプトから運んできたもの。裁判所、公会堂、市場、サウナ、神殿、商店などもある。東西2kmに及ぶ壮大な遺跡群は私たちを魅了し、感動を与えてくれる。しかし、まだ70%以上が砂の中に埋もれたままだという。
 400mあった並木道の跡。人々はこの道を通って港に出た。港があった場所。市場には柱が多く立っている。マーケットのガイドマップも出土している。円形劇場もきれいに残っている。

●ガダメス Ghadames
 トリポリから西南にナルートを経て650km。砂漠の真珠ガダメスがある。ガダメスはパリ・ダカール・ラリーの中継地としても知られる。高速で飛ばし、2時間半でナルートに到着。
 ナルートは先住民族ベルベル人が800年前まで使用していた食料貯蔵庫。外敵から守るために絶壁の上に作った。日干しレンガで作られた貯蔵庫は中はひんやりしている。大量に盗まれない工夫がしてある。
 ナルートから330kmでガダメス。ガソリンは安くて1ドルで9リットル買える。途中で立ち寄った売店。日本語で書かれたステッカーも多い。自動販売機しかないが、チーズバーガーとビーフ・ステーキのホットドッグを買った。ミネラル・ウォーターは1.5リットル0.5LYD(45円)。
 合計8時間でガダメスに辿り着いた。チャド湖とトリポリを結ぶ交易ルートの中継地として大いに栄えた町。政府は1983年に新市街を建築し、住民はそちらに移住した。廃墟は1986年世界遺産となった。
 この町はアルジェリアやチュニジアの国境に近い。その国境までサハラ探検ドライブをした。気分はパリ・ダカール・ラリー。国境に行ってみた。国境警備の監視所はあった。
 砂漠の民トアレグ族 Touaregの生活を体験することにした。お茶もダンスもある。砂焼きパンをいただいた。もっちりしていて結構気に入ったそうです。トアレグ茶は同じ葉で3杯泡立てて飲む。1杯目は人生のように苦く、2杯目は愛のように甘く、3杯目は死のように優しい味がするらしい。甘さと渋味が絶妙だそうです。その後歓迎のダンスが始まった。剣を持って黒衣で目だけだしているので異様です。


テレビ番組「世界遺産 モロッコのアイット・ベン・ハドゥの集落」

 2007年4月15日放送。アフリカの北の屋根、アトラス山脈。北は緑の大地だが、南はサハラ砂漠。その土の荒野に生きてきた人がいる。風の民ベルベル人。誰よりも早く北アフリカに住みながらも、イスラムの人に追われ、より過酷な地に住んだ。土に囲まれた集落。1987年世界遺産。

●アトラス山脈
 マラケシュとサハラ砂漠を結ぶ道は物と人を結ぶ大動脈となった。砂漠の金や象牙は北へ、ヨーロッパや中東の陶器や装飾品は南へ、ラクダの背に揺られて運ばれていった。彼らに宿や食事を提供していたのがベルベル人だった。中にはカスバ kasbah と呼ばれる豪華な邸宅を構える者もでた。多い時で1000を数えたという。
 紀元前から北アフリカに住み着いていたのに、7世紀アラブ人の侵攻により、アトラス山中へと追われたベルベル人は、交易と共に、アラブの商人とも交易し、イスラムの教えまでも受け入れていった。

●アイット・ベン・ハドゥ
 ハドゥ一族の村のカスバは、カスバの中でも最も美しいと言われた。キャラバンから通行料を取り立てることで、富を築いた。一方で交易品の略奪や、部族間の抗争が激しくなり、集落は堅固な要塞へと姿を変えていった。銃眼は当時の名残の一つ。
 かつて村の入口は1箇所で、村の中はまるで迷路になっていた。路地を歩くうちに家の中に入り込むことも多い。いろいろな場所で敵を待ち伏せ、撃退した。1階に窓がないのも自衛のため。中庭から明かりを取り入れていた。
 家々はほとんどが土でできている。雨さえ降らなければ数百年は持つという。建て方は極めてシンプル。藁や家畜の糞を混ぜた土を木の枠に入れついて固めるだけ。壁は厚いところで1mあるので、中は涼しく静か。女性の部屋は2階よりも上。
 モスクは男だけが祈る場所だった。四隅に塔を持ち、ひときわ高くそびえるのがハドゥ家のカスバで、500年前に建てられた。壁に一族の紋章が刻まれている。
 村の最も高い場所にあるのは、アガディールと呼ばれる穀物倉庫。敵に攻め込まれても、しばらく篭城できるようになっていた。
 夜になると門は閉ざされる。キャラバンは門の外に用意された宿で寝泊りしたという。

 30km離れたところに「テルエットのカスバ」がある。主はアトラスの王の異名を持つベルベル人グラウイ?だった。モロッコがフランスの植民地となると、アトラス西部の広大な土地を支配下に置いて、宮殿のようなカスバを作り上げた。
 この館では1000人の人が働いていたという。ハーレムを構え、快楽にふけったが、モロッコがフランスから独立すると失脚し、追放された。

 1000もあったカスバのほとんどが今は廃墟と化している。アイット・ベン・ハドゥの集落では今でも昔ながらの生活が息づいている。アイット・エルボル・ママスさん(72歳)の一日は水汲みから始まる。電気も水道もない。家畜を飼い、畑を耕しながら、祖先と同じように生きている。今この村で暮らしているのは5世帯。「はないちもんめ」のような踊りもある。


テレビ番組「探検ロマン世界遺産 モロッコ王国マラケシュ」

 2007年4月14日放送。曽根優アナウンサーが案内。

●マラケシュ
 街の中央にあるジャマ・エル・フナ広場(死者達の広場という意味)は毎日、大道芸人で大賑わい。音楽もすごいし、煙もすごい。いろいろな処に輪がある。コブラもいて、イサーウィーと呼ばれるヘビ使いは、神から特別な力を授けられていると信じられている。シー・モハメッドさん(66歳)は6歳の時からのへび使い。曽根さんは頭に巻かれました。広場のあちこちで傘を広げているのは、占い師。アブドゥッラ・セバイさん(82歳)にこれからの旅を占ってもらった。本人の名前、母の名前で占います。
 午後4時から人気のあるアクロバットが始まる。あっという間に300人の輪ができた。ファトリ家。
 夜は屋台が並ぶ。11世紀、イスラムの王朝が都を置いて以来、多くの人が暮らす。かつてはこの広場には公開処刑場があったという。やがて市がたち、17世紀以降は多くの大道芸人が活躍するようになった。ひとたびこの街の喧騒を離れると、そこは静寂のサハラ砂漠。
 周囲約20kmの城壁に囲まれた旧市街が世界遺産で、現在の街の東にある。高くそびえるイスラムのモスクの塔を中心に広がっている。

 街のシンボル「クトゥビア・モスク」から礼拝を知らせる合図。高さ77mで、12世紀に築かれた。世界でも最大級。クトゥビアとは本屋の意味で、身体を清める中庭にかつて本の市がたったことから、この名がついた。11世紀以降、マラケシュは3つの王朝の都として栄えた。
 スークと呼ばれる市場も古くから続く。布や食器などを売る店が、果てしなく迷路のように続いている。皮で作られた履物バブーシュの店だけでも300以上ある。スークの奥には、鉄製品を作る小さな工房も並ぶ。昔から3世代で共に働いている。
 王朝時代から続く、皮なめしの作業場「タンネリ」を訪れた。皮の匂いが充満している。石灰やハトの糞などの入った水を張ったおけの中で、職人たちが皮を踏んでいる。水は冷たいが、みんな働ける年齢まで働く。ヨーロッパでも人気の皮製品。働くことに喜びを感じて、歌を歌いながら労働している。
 11世紀のマラケシュの通貨の金は純度もよく世界的に人気だった。その金は南の西アフリカからキャラバン隊が砂漠を越えて運んできた。当時は往復で半年かかったそうです。

 アトラス山を車で3時間で越えるとサハラ砂漠。当時のキャラバン隊は3日かけたという。まもなくアイト・ベン・ハッドゥの村が見えてきた。

●アイト・ベン・ハッドゥ
 赤土の村。1000年の歴史を持つこの村も世界遺産。その先は世界最大のサハラ砂漠。ドライバーはモハメッド・アイットゥブクリームさん(44歳)。土地感があるので、道のない砂漠でも迷わない。草のある場所にラクダが放牧されていた。番をしていたのは、遊牧民ベルベル人の男の子。
 砂漠は静かで平和だから好きだとモハメッドさんは言う。夕陽もとてもきれいでした。

●マラケシュ
 砂漠から帰ってくると、人々が輪になりたい気持ちがわかるそうです。水を売る人がいる。10リットル入るヤギの皮袋は冷たさも保てる。キャラバン隊の時代からいたそうです。
 アクロバットをしていたアヌワール君は毎年新年になると、200円の太鼓を買う。1月下旬、マラケシュの下旬にアシュラの祭りがある。アシュラとはイスラム歴の新年10日目のこと。この祭りの前には、貧しい人にお金を渡す姿を見る。イスラムの社会では、財産の一部を貧しい人に分けることが習慣になっている。誰もが新しい年の幸せを得る。そこからアシュラの祭りが生まれた。
 祭りの夜、一般家庭の家の扉が開けられているが、誰でも入っていいという合図らしい。建物の中から太鼓の音がする。中庭には200人もいた。みんなあの太鼓を持っている。自宅を提供したのは、モロッコ国王の遠縁にあるムーレイ・ハッサンさん。みんなでダッカという歌を歌っている。皮なめしの職人が歌っていた歌だった。


テレビ番組「ポカポカ地球家族 モロッコ・ワルザザート」

 2007年3月24日放送。モロッコは「太陽の沈む国」とも呼ばれる北アフリカの王国。真夏には気温が50度を越える灼熱のサハラ砂漠。数多くの映画の舞台にもなりエキゾチックな雰囲気に満ち溢れている。日本からはパリを経由して約17時間。

●ワルザザート
 マラケシュの奥地にあるアトラス山脈を望むサハラ砂漠へ向かう拠点として、80年ほど前に出来た町。街を抜けると世界最大のサハラ砂漠。広さはアフリカ大陸の3分の1。ここではラクダ・ツアーが楽しめる。1時間で一人100ディラハム(約1500円)。
 この街で建築家として働いているのが、森分信好さん(55歳)、奥さんはベルベル人のアイシャさん(48歳)。長女のファティマザハラさん(19歳)は200km離れたアガディールの大学に留学中。次女はアスィアさん(13歳)、長男はムスタファ君(13歳)。
 モロッコに暮らしていてもなかなかラクダに乗る機会は多くない。ベルベル人のアイシャさんでもラクダに乗るのは今回が初めて。4月から10月頃までは昼の気温が50度以上にもなる。

 この街でまず目にするのはカスバ(盗賊などの侵入を防ぐため、土で造られた要塞化した住居)。ダール・ダイフホテルはカスバを利用したホテル。カスバを10年かけて手直ししたもので、ヨーロッパ人に好かれている。1泊370ディラハム(5500円)〜。
 森分さんが勤める「シャラフィ建築事務所」はワルザザートの中心にある。1990年創業の比較的新しい設計事務所で、働いている従業員は7人で森分さん以外は全員モロッコ人で、別荘などの設計に携わっている。森分さんは日本で30歳まで一級建築士として働いていたが、日本での資格がそのまま認めてもらえずモロッコで独立の会社は作れなかった。社長に腕を見込まれ、今までに400件の設計を担当した。会社の方針と合わず会社を転々としたが、モロッコでは実力を認めてもらえた。
 ワルザザートの郊外にある高級別荘地「エルダハブマンソー湖」に60軒ほど建っているうちの3分の1は、森分さんが手がけたもの。カスバをイメージしたデザイン。

 自宅は町の中心から1km。3階建の自宅も自らが手がけた。6LDKで270平方m、土地建物込みで費用は180万円で造った。一番のお気に入りは屋上で、景色がよい。アトラス山脈とワルザザートの街並みが見渡せる。
 1983年に森分さんは青年海外協力隊員としてモロッコに赴任した。そのとき、ヘルパーとして働いてくれたのがアイシャさんだった。知り合って3年後、モロッコで挙式をあげた。
 青空市場「タブント・スーク」は毎週土曜日に郊外の広場で開かれる。森分さん一家も1週間分の食材を買出しに出かけた。市場には近隣の農家の人たちがトラック一杯に食材を運んでやってくる。野菜はどれも格安で、グリンピース1kg7ディラハム(100円)、トマト1kg(6−7個)3ディラハム(45円)、オレンジ1kg(5−6個)3ディラハム(45円)、ズッキーニも1kg45円。オリーブもある。

 モロッコの独立記念日。自宅に親戚や友人を呼んでパーティ。モロッコでは料理は女性の仕事で、男性は手伝わない。料理は「ジャジ・ムハメル」という鶏肉の蒸し焼き。アラビア語で「赤い鶏」という意味。大皿で出してみんなで分け合って食べる。
 阿部美穂子さんは4年前に行って森分さんに会った。絵の中で生活しているような感じだったそうです。夕陽がとても美しい。

 森分さんの家ではホームステイも受け入れていて、3部屋用意している。料金は3食付きで1泊150ディラハム(2200円)。夜はモロッコ鶏肉の鍋料理「タジン」は野菜をのせて、クミン・パプリカ・ターメリック・シナモン・サフランなどのスパイスを加えて、円錐型の蓋をつけた鍋で弱火で1時間煮込む。魚介もタジンという。円錐型の蓋を使った料理がタジンらしい。食べる時は、お皿の中心から自分の方へ手前を食べるのが礼儀。右手だけで食べる。親指をうまく使う。
http://moriwake.web.fc2.com/
 設計事務所が今年6月200km離れたマラケシュに移転する。多分、単身赴任でついていって、それからどうなるか・・

●アイト・ベン・ハッドゥ
 翌朝、ホームステイしているお客さんを連れて車で30分の村に出かけた。モロッコの中でも1番美しい村「アイト・ベン・ハッドゥ」は、17世紀に造られたカスバがシンボルで、約20年前に世界遺産へ登録された。川は歩いて渡る。景観の素晴らしさは多くの映画「アラビアのロレンス」や「インディージョーンズ」の中でも使われた。今でも6家族が暮らしている。電気がない。突然の訪問でも、お茶とお菓子で迎えてくれる。


テレビ番組「探検ロマン世界遺産 アルジェリア・ムザブの谷」

 2007年1月27日放送。伊藤雄彦アナインサーが案内。サハラ砂漠の中に突然現れる町。積み木のような家々が建ち並ぶ不思議な風景。1000年の間、変わることのない暮らしがある。今回、世界で初めてテレビカメラが入った。ガイドはシャイブ・フォジーさん。

●ムザブの谷
 首都アルジェから南に600km、完全に砂漠の中にある。谷には11世紀に作られた街が5つあり、12万人が暮らしている。
 11月でも、日中は30度で、夜明け前は0度近い。砂漠の朝日はとても美しいそうです。岩山を上ると谷の全貌が見えた。中心に尖った塔があるが、モスクの塔ミナレット。ムザブで最も大きな町ガルダイア、広場は市場になっていて、砂漠で取れるトカゲとかも売っている。ムザブの女性が織った絨毯、たくさんの野菜や果物。ここで取れたそうです。市場を抜けると住宅街で、住民以外は勝手には入れない。町が認めた人と一緒に歩くのが決まり。84歳のサラハ・シェリーさんはガルダイヤの生き字引といわれている。石を積み重ね、石膏で塗り固めた家で、陰ができている。窓が小さいのは暑さを防ぎ、砂嵐から守るため。家は同じ形に作るのが1000年前からの決まり。観光客は半袖など、肌を出す服装は着られない。タバコもダメだし、勝手に住民の写真も撮ってはいけない。ガルダイヤには19本の井戸があり、深さ85mの井戸もある。町ができた頃に作られたものもある。
 ミナレットは1048年に作られた。このモスクはムザブの原点と言われている。今は中に入れない。女子校は撮影が許可された。絨毯を織る実習もある。

 ムザブの人々は4000km離れたイラク南部からやってきた。7世紀にイスラムの教えを巡る争いから迫害を受け、ここに逃げてきた。砂漠の中で生きぬく技術があった。谷では町と町の間に緑が広がる。50平方kmの間に15万本のナツメヤシが植えられている。11月は収穫の時期。生でも食べられるが、乾燥させれば保存食になる。収穫していたのはアト・ムーサさんで、農園で1000本育てている。なつめやしは主食のようなもので、種は家畜に与える。水は農園の端に井戸がある。枝を持って歩くと、水があるところで枝が揺れるという。アトさんはこれまでに15本の井戸を掘り当てている。深さ70m近いものもあるそうです。1ヶ月で1mしか掘れないそうです。夕方気温が下がると水を汲んで、水路を経由して農園に流れる。農園ではザクロ、オレンジ、レモンなどが取れる。アトさんは7歳の息子にも井戸の掘り方を教えている。
 数千年前には川だったが、干上がってしまった。この地域では一番低い場所にあるので、水が流れ込む。地下には豊富な水が眠っている。サハラはたまに豪雨に襲われるが、人々はダムを造った。水は2ヶ月前に降った雨がたまったものだった。灌漑技師のバブクル・ヤヒアさんはダムの水量を調節している。鉄の剣を地面に突き立て、遠くの水の音を聞くそうです。10km先でも聞こえるという。

 アトさん宅を訪問した。夕食はクスクスで、蒸した小麦にスープをかけて食べる。1つの皿に入ったものをみんなでスプーンで食べる。

 300年前の建物の中を撮影する許可が下りた。役人のランダム・キャメルさん宅。家の中心には明かりを取る天窓があり、かなり明るい。2階建で天井や柱はなつめやしの木でできている。7つの部屋に3世代13人が住んでいる。家具はほとんどなく、壁のくぼみを利用している。2階のテラスも明るい。屋上は全てつながっているみたいで、女性がこのテラスで近所付き合いをしているので、男性が上がる場合は、声をかけて上がる。隣を尊重するために、屋根は斜めになっている。

 ムザブの東200kmにセドラタ遺跡がある。7世紀にイラクを出た民族はここに住んでいた。ここに大邸宅を建てていた。壁には化粧漆喰が施されていた。町は塩や金などで繁栄していたが、11世紀初めに襲撃され、人々は町を追われた。逃げ延びた先がムザブの谷だった。みんなまずモスクを築いた。
 今回特別な許可をもらいモスクの内部を撮影させてもらった。責任者のファクハル・ダウドさんが説明してくれた。中庭の奥に集団礼拝の場がある。白い柱が並ぶだけの極めて簡素な作りだった。天井の柱はセドラタから運んできたなつめやしの木で、当時ムザブの谷には木は生えていなかった。柱や天井に装飾をすることは禁じられた。冨を見せつけることで失ったセドラタの町の悲劇を大きな教訓とした。屋上には住民から寄付されたなつめやしの実が並べてあった。誰でも受け取ることができるという。


テレビ番組「北アフリカ 世界遺産紀行 マグレブ三都物語」

 2007年1月3日放送。マグレブとはアラブ語で日の沈む西の大地を意味する。チュニジア、アルジェリア、モロッコが相当する。まぶしい海岸線にヨーロッパの感じがあるが、裏通りにはアラブの香りが漂う。NHK製作。

●チュニス
 チュニジアの首都で100万人が暮らす。新市街を南北に貫く大通りはヨーロッパの都市の香りがする。ベールをまとった女性がいる。10月にはラマダンの真っ最中。敬虔な祈りが続く。
 かつて交易で栄えたチュニスの表玄関「海の門(フランス門)」はそれほど大きくない。門をくぐると世界遺産「チュニスの旧市街」。スークでは金や真鍮の細工を作っている。チュニジアはオリーブの産地で、3種類の味わいがある。ビター、プレーン、マイルド。帽子専門店の主人ファティ・アヤリさん(45歳)は、シェシアと呼ばれるイスラムの男性がかぶる帽子を作っている。オーダーメイドなので、ぴったりサイズに仕上げるのが腕の見せ所。仕上げに欠かせないのがオリーブオイル。
 どんなに忙しくても1日5回の礼拝は欠かさない。時間があれば8世紀に建てられたグランド・モスクにでかける。市民にはザイトゥーナ・モスク(オリーブのモスク)と呼ばれている。かつて傍らに1本のオリーブの木があったからだそうです。
 チュニジアではオリーブは2500年前から作られている。11〜3月が収穫の最盛期。主にイタリア、フランスで高級オイルとして使用されている。
 しかし昔は郊外にシェシアの3000人の職人がいたのに、最近は売上が少ない。他の商品を扱うスークでもシャッターをおろした店が目立つ。老朽化により人口の流出が増えている。1968年からチュニス市と地元の建築家が一体となって修復活動が始まった。その中心の一人がセシア・アクルト・ヤイシュさん。現在までに200の建物がかつての姿を蘇らせた。保育園の建設で若い世代が街に残り、人口流出に歯止めがかかった。
 午後7時、アヤリさんは旧市街のお店に寄る。まずどんぶりを取り、フランスパンをもらい、細かくちぎって、牛の煮込みをかけてもらい、そこに特製トマトスープ、半熟卵、オリーブオイルをかけて混ぜたチュニス名物「ラブラビ」をスプーンでいただく。

●チュニジア・カルタゴ遺跡
 水はとても大事。チュニスの東にあるカルタゴ遺跡。この地に紀元前9世紀に最初に来たのはフェニキア人だった。当時の港には200隻が停泊でき、高さ15mの城壁で守られていた。住宅街の遺跡も残されている。
 メキ・コブシさん(60歳)は40年も発掘調査を行なっている。浴槽は腰掛けられるようになっていて、半身浴に適していた。紀元前3世紀にローマとの100年に渡るポエニ戦争で破れた。南部の農場にローマが狙っていたチュニジアの宝が今もある。豊富な地下水です。どこでも使えるようにローマは水道橋を築いた。ザグアン水道橋は全長132kmもある。水道橋により北アフリカは大穀倉地帯となった。ローマ市民が目を見張るような闘技場も作られた。高さ40mの世界遺産「エル・ジェムの円形闘技場 Amphitheatre of El Jem 」は大きさではローマのコロセウムには及ばないが、建設当時の美しさを保っている。3.5万人を収容でき、周辺の町から多くの観客を引き寄せた。舞台装置が素晴らしく、ステージ下が猛獣の飼育場で、猛獣はここからせり上がりで大観衆の目の前に登場した。

●チュニジア・ドゥッガ Dougga
 山間の世界遺産で、水道橋がここまで伸びていた。最盛期には5000人が暮らしていた街が残っている。壮麗な建築は北アフリカの人にローマが世界一の大国であることを印象づけた。下水道も完備されていて、内部はローマが開発したコンクリートによって防水されていた。
 北アフリカは大理石の宝庫だった。ローマは水と大理石を使って、巨大な公衆浴場を建設した。風呂場の壁や床は大理石のタイルを張り合わせたモザイクやタイルで装飾されていた。バルドー博物館に所蔵されている貴族の屋敷にも飾られていたもの。躍動感溢れる画面構成が特徴。暮らしを描いたものもある。酒の神ディオニュンスも描かれている。

●チュニジア・ケルアン Kairouan
 5世紀になってローマは衰退し、イスラム勢力が台頭した。世界遺産ケルアンは北アフリカで最も古い歴史を持つ都。イスラム教の4大聖地の一つ。古都に建つシディ・サハブ・モスクは北アフリカで最も美しいとされるモスクで、ここに7回参拝すると、メッカに参拝したのと同じと言われる。礼拝堂には美しいシルエットの柱はナツメヤシをイメージして並ぶ。オアシスをモスクの中に再現している。大理石はローマの廃墟から運びこまれた。

●アルジェ
 アルジェリアの首都。チュニスの西500km。地中海貿易の拠点として古くから栄えてきた。フランスの植民地だったので、パリを移築したような景観が並ぶ。丘の上の旧市街が世界遺産「アルジェのカスバ Kasbah of Algiers 」。カスバとはアラビア語で城塞を意味する。カスバは階段の一部で、狭い路地が家々の隙間を縫うようにはっている。カスバの原型を築いたのは16世紀のトルコの海賊。迷路は外敵の侵入を防ぐ。立ち並ぶ家は屋上にテラスのある地中海風の家。カスバを有名にしたのは1937年のフランスの映画「望郷」で、ジャン・ギャバンが出演した。レダ・ズビールさん(71歳)は街の有名人で、カフェはガラスのコップで飲む。フェニキアの時代から、ここはカモメの島と呼ばれていた。つまりきれいな女性が多い島。
 7年半のフランスからの独立戦争(1954-1962)の名残がある。独立戦争の指導者を匿った部屋が壁の上の隠し部屋になっていた。独立後はアルフェの若者はフランスは憧れの地となっている。一攫千金を夢見て渡航を志す。タクシー運転手モンスール・ゲドワールさん(40歳)も夢みたが、ビザを手にすることができなかった。最近はさらに狭き門となっているが、アルジェリア移民の子として活躍したサッカーのジネディーヌ・ジダン選手、異邦人の作家として知られるアルベール・カミュ、フランス人だがアルジェリア生まれのデザイナーのイヴ・サンローランなどがいる。

●アルジェリア・タッシリ・ナジェール
 南にはサハラ砂漠が広がる。アルフェから南に2000km、先住民が描いた謎の岩絵が残されている。2000年前の世界遺産「タッシリ・ナジェールの岩絵 Tassili n'Ajjer 」はタッシリ・ナジェール山脈の山の中で発見された。牧畜が行なわれていたことがわかる。砂漠でどうして可能だったのか?船も描かれている。タッシリ・ナジェールとは現地の言葉で「川のある大地」の意味。6000年前には大きな川があり、サハラ砂漠は小さかった。2000年前に砂漠が広がる大地となったらしい。

●モロッコ・イミルシル
 アルジェリアからモロッコにかけては3000mを越えるアトラス山脈が続く。イミルシルはサハラ砂漠と地中海を結ぶ重要な交易拠点。アラブ人に西に追われた先住民ベルベルの人々が暮らす。定期市は800年続いている。羊、小麦、塩などの生活必需品が中心。ベルベル人の取引の決め手は昔から人間関係。キャラバンと呼ばれる1000頭のラクダに荷物をのせた隊商が交易をした。そのルートにオアシスが点在するカスバ街道がある。赤茶けた砦カスバは1000個。アトラス山脈から流れ出る川沿いに住んでいた。

●モロッコ・アイット・ベン・ハドゥ
 世界遺産「アイット・ベン・ハドゥの集落 Ksar of Ait-Ben-Haddou 」は数あるカスバの中で最も美しいと称される。日干しレンガで作られた住宅が岩場の斜面に張り付くように並ぶ。周囲は5mを越える堅牢な防壁で囲まれている。各家は真っ暗で侵入者にはわからないようにしてある。路地も迷路。このカスバでは現在7家族が暮らしている。その一人ハンマディ・エル・フセインさん(45歳)はレンガの修復をしていた。妻のラシーヌさんと娘のフジヤさんは絨毯を織っている。ベルベル絨毯はペルシャ絨毯よりも厚く、キャンプをするキャラバンの人には人気があった。アグルームと呼ばれるパンを焼いて食べる。羊肉と野菜のクスクスを作っていたが、クスクスはマグレブの郷土料理。一番賑やかだった時は村に40世帯が住んでいた。

●マラケシュ
 モロッコの大都市。11世紀ベルベル人のイスラム王朝が開いた都。モロッコ最大のオアシスの街。世界遺産「マラケシュ旧市街 Medina of Marrakesh 」は全長20kmの城壁に囲まれている。旧市街の中心にある高さ77mの塔はこの街の象徴クトゥビヤ・モスク。モスクの近くに賑やかな広場ジャマ・エル・フナ広場がある。大道芸人たちのステージでもある。虫歯を抜く人もいる。へびを扱う人もいる。年間100万人の観光客が来るそうです。マラケシュ伝統の水売りもいて、ヤギの皮袋に水を入れている。1杯50円前後。
 広場の近くにはスーク(市場)が発展した。赤い布が迎える。マラケシュの別名は「赤い市」で、建物が赤い土の日干しレンガで建てられているから。絨毯も赤い色が中心。絨毯屋の主人アハメット・エルグールさん(66歳)はベルベル人の街マラケシュを誇りにしている。腕自慢の職人も多く、木工品も素晴らしく作った。特に輪を作るのがすごい!
 夕方にはもうもうと煙があがり、屋台が広場を埋め尽くす。エスカルゴ、羊のソーセージなど。


テレビ番組「地球街道 2006年5月27日は、モロッコ」

 田中健さんが出演。マグレブ Maghrib は「日の没する大地」と呼ばれる国。その国の東の果てに世界で最も大きく最も美しい砂漠「サハラ砂漠」がある。旅人はサハラ砂漠を目指し、ケーナを吹く。その1本の道は想像を越える驚きと発見の道。

●フェズ
 モロッコ最古の街。1000年以上も前に築かれたこの街は、今もなお往時のままで生き続けている。唯一の交通手段はロバ。道が狭く車は入らない。スークと呼ばれる市場が人々の暮らしを支えている。
 複雑に入り組んだ路地がこの街を世界的に有名にした。はるか昔敵が侵入した際に方向感覚を紛らわすために作られたという。わずか3平方kmに30万人が暮らし、路地は1000以上にも及ぶ。
 タンネリというなめし革染色工場があるが、臭い。ナトリウムとハトの糞を混ぜ合わせたものに革をつけて柔らかくし、インジゴやサフランなどを使って染めていく。その工場は500年の歴史と伝統を誇っていた。

●マラケシュ Marrakech
 街の中央にあるのは、ジャマ・エル・フナ広場。かつて処刑場として使われていた。午後3時をまわると屋台をひく人々が集まってきて、1時間でたくさん並んだ。近隣から大道芸人たちも集まる。コブラの笛吹きもある。屋台は大盛況。田中さんもソーセージをいただきました。80H(88円)。黄金のたそがれと尽きることのない熱気、それがマラケシュ。
 市場のあるお店から音が聞こえてきた。楽器の店でした。2階に上がって田中さんも参加しました。が、終りません(笑)

●アトラス山脈
 サハラに行くにはこれを越えないといけない。まずテシュカ峠を越える。途中に雪解け水が作る滝がありました。

●アイト・ベン・ハッドゥ
 アトラス山脈を越えたところにある世界遺産のクサル。クサルとは500年前に要塞と化した村のこと。土の色と同化している茶色の街です。10家族が住む。ほんの少しの観光収入で村の修復をしている。風化のために崩れやすくなっている。村の頂上から見ると、荒涼たる大地が広がっていた。ここでケーナを吹きました。

 次週はサハラ砂漠。


テレビ番組「テレビ寺子屋地球スペシャル3、感動!モロッコ紀行 Morocco 」

 2006年3月4日放送。スペインの南端から見るとアフリカ側に風力発電の機械が見える。高速フェリーで1時間半で、タンジールに到着。エキゾチック、幻想的とモロッコの魅力は語られる。赤い土壁で囲まれた街に一歩入るとすさまじい現実がある。この国を写真家の卵の山口奈々子さん(22歳)が訪問し、1ヶ月かけてベルベル人を探した。先生の飯塚明夫さんが撮影した写真がきっかけだった。長塚京三さんが番組を案内した。テレビ静岡制作。

●カサブランカ
 イングリッド・バーグマンとハンフリー・ボガードの映画で有名だが、今は近代的なビルが立ち並び、あのむせかえるような街並みはどこにもない。モロッコには年間300万人の旅人が訪れるが、ほとんどはカサブランカを素通りし、マラケシュに向かう。

●マラケシュ
 街中では英語、ドイツ語なども飛び交う。市場では日本語でも声をかけられた。机の下から取り出してきたのは羊の頭。彼らにはこれがごちそうで、これに香辛料をかけて食べる。これにパンを2個つけたラース・ハウリは1個840円。ガイドは日本で暮らした経験のあるラフィさん(35歳)。一番おいしいのはほっぺたの肉で、山口さんもおいしいと言っていました。早く現地の食事に慣れないと。
 街から一歩外に出るとすぐに平原。

●フェズ
 忽然と城壁が現われた。世界遺産のフェズの町。広場を抜けると道幅は狭くなる。一説によれば人口密度世界一とか。第二の規模を誇る街で、歴史は1200年。色鮮やかなフルーツは貴重品。モロッコのパンは丸い。細い路地をラバやロバが荷物を運ぶ。羊の串焼きケバブは代表的な料理。1本14円。味の基本は塩。地元の食堂に入ってみた。まずはフェズっ子がよく食べているというチキンのロースト1皿420円。イワシのフライ1皿6匹350円。

●シェフシャウエン
 フェズから北へ180kmのあまり知られない街。家々の壁は白地に鮮やかな青。坂道の多い街。豊富な湧き水で知られ、近年ヨーロッパのアーティストが街の美しさにひかれ、新たな観光スポットになった。野良猫も多い。

●アトラス山脈
 アトラス山脈を越える。この山脈により大地には緑が多い。大西洋から来る風は山脈にあたり雨を降らす。今回訪問した11月は雨季にあたる。標高2000mには雪が出てきた。杉の一種アトラスシダーは雪解け水や雨により生かされている。草が生えていて、羊が放牧されている。
 峠を越えると景色は一変した。気温も20度、砂漠の端である。道も徐々に悪くなり、砂埃もすごい。ここで車を交換し、太陽と砂から守る必需品ターバンをゲット。車のわだちを頼りに南西に向かう。砂漠の中に井戸があった。野生のロバが人が来るのを待っていた。

●シェカガ砂丘
 シェカガ砂丘には砂漠をサファリしたい人用のホテルがあった。食事と寝泊りができる土でできたコテージです。レストランでは蒸した米の上に羊のケバブがのっていた。あとはたまねぎ、トマト、オリーブ、じゃがいも。

●天空の村・イミルシル村
 日中は30度を越えるが、夜はかなり冷える。目指すはイミルシルという村で、標高3000mの山懐にある。途中の道が壊れていて、遠回りをして、村には夜12時前に到着した。宿を提供してくれるムバラク・カワさん(51歳)、奥さんのファティマ(50)、祖母のルカヤ(73)、長男フセイン(30)次男アブディラハム(22)、の一家が待っていた。生粋のベルベル人です。それから夕食として、伝統料理クスクスをいただきました。4日間お世話になります。クスクスにはヤギのバターをたっぷり使ったソースをかけます。1つの皿をみんなでつつきます。標高2700m。この村には2500人が暮らす。村は数百年前にできた。
 朝6時に週に一度の羊の市を撮影に出かけた。広場には数え切れないほどの男たちが羊を連れてきていた。羊は互い違いにロープで縛られ逃げられないようにされていた。アブディラハムさんはジュラバといわれる民族衣装を着ていた。羊1頭4万2000円前後で、都会のモロッコ人の平均月収。男たちはみんな笑顔でした。山口さんにはそれがちょっと物足りなかった。市は午前5時から7時くらいまで続いたそうです。
 朝食は自家製のパンにコーヒー。次は雑貨市が開かれていて、女性や子供たちが多い。食料も売られている。山口さんは40度の熱だった。そこで寝た。
 翌朝は雨だった。アブディラハムさんが飴を買ってきた。寝ている間に、取材スタッフは周辺を取材した。男の涙と呼ばれる湖がある。羊を放牧していたベルベル人に出会った。2日後に出会うことを約束して別れた。
 お母さんは山口さんのために、子羊をまるごと一匹3時間半、蒸し焼きにした。年に1,2度食べるか食べないかの料理だった。さらにアブディラハムさんは心細くないように電気を買ってくれた。お婆ちゃんは足をさすったらいいというのでずっとさすってくれました。
 4日目にやっと平熱近くにまで下がった。朝食はオレンジとハチミツを混ぜたジュース。
 5日目はもう帰る日です。湖に向かうとベルベル人たちが出てきてくれた。若者は石を正確に目的の場所に投げる技を見せてくれました。


テレビ番組「元祖あばれ寿司、握って握って in モロッコ」

 2005年8月21日放送。3年前にオープンした「あばれ寿司」は東京、イタリア、ブルネイで開店した。今回は菊池麻衣子、原口あきまさ、三津谷葉子、森公美子、平野寿将が出演。
 モロッコ王国へはエミレーツ航空で関西空港からドバイを経て約20時間でカサブランカに到着。この国はアフリカの北西に位置し、アラビア語とフランス語を使う。主な都市はラバト、マラケシュ、カサブランカ。世界遺産を8つ有し、ヨーロッパ、イスラム、アフリカ文化を有する。映画「カサブランカ」にちなんでダンディな寿司を目指すらしい。

●カサブランカ
 パリやコートダジュールのような街並み。まずはハッサン2世モスク。世界一の高さ200mを誇り、敷地内には8万人を収容可能。ここの近くにお店を開店する。ところがトラックにカウンターがない。仕方なく人が集まる場所にトラックなしで一度オープンすることにした。  セントラル・マーケットで食材を調達。真っ赤な王様エビ Crevettes Royal やスズキを購入。トロは日本から持ち込んでいた。ウニはモロッコでも食べられているが、生はどうか?さらに納豆巻き。
 広場で、まずトロ・ウニ・エビの3品で勝負したが、全然ダメ。海岸で納豆の軍艦巻き・スズキで勝負したが、全然ダメ。
 モロッコ料理専門店「ラ・フィヴュール La Fibule 」で反省会。「アーモンドと牛肉のタジン Tajine de boeuf aux amandes 」は独特の形の土鍋で牛肉と野菜を弱火でじっくり煮込んだもの。「野菜と牛肉のクスクス Couscous au boeuf et legumes 」小麦粉の粉を蒸し、その上から羊肉や鶏肉や野菜を煮込んだスープをかけて食べる。「チキンとアーモンドのパスティラ Pastilla au poulet et aux amandes 」はパイ生地に鳩肉や鶏肉を包んで焼いたもの。いずれもおいしいそうです。
 高級住宅街アンファ地区でメリエム・エル・アラウィ Mrs.Meryem El Alaoui さん宅を訪問し、豪邸を見せてもらった。居間?のソファーには40人は座れる。庭で子供たちがお菓子でおもてなしをしてくれた。アーモンドのクッキーで、いろいろな種類があるが、とてもおいしい。アーモンドはみんな好き。ご主人はアンワー・アディル Anwar Adil さん。恰好いいです。
 海岸は憩いの場。おばあちゃんが砂の中に足を埋めていたが砂風呂か?かなり子供たちがうるさい(笑)喧騒から逃れてやってきたのは、会員制のビーチクラブ「タヒチ・ビーチクラブ Tahiti Beach Club 」。海が目の前にあるのに、プールで泳ぐ。美女が多い。
 フランス人街のハッブース街 Quartier Habbous にはオリーブの店が30軒以上並ぶ。そこにレモン・ハーメッド lemon mhamed という果物があった。これはタジンやクスクスに入れるレモンの塩漬け。きんかんみたいだが、食べるとしょっぱい。
 1942年に公開された映画「カサブランカ」がにでてくるバーを再現したお店「リックス・カフェ Rick's Cafe 」に行く。吹き抜けもあります。映画を観ながら食事ができる。
 セントラル・マーケットで森さんはアルガンという高級品をひく石臼?を発見。アルガンはアーモンドのひとまわり大きな種という感じで、油は高級料理に使い、エステにも使われるとか。アルガン・オイルはアガディールという街の近くでないと取れないという。

●アガディール Agadir
 カサブランカから飛行機で南西に1時間の海辺のリゾート。郊外ではヤギが木に登って、木を食べている(笑)世界でもここだけらしい。実はアルガンを食べているという。木はアルガンの木 Arbre d'argane 。ヤギの大好物なので、わざわざ木に登ってまで食べるという。
 アルガン・オイルの工場コーペラティブ・ウィルガン Cooperative Wirgane に行く。アルガンの青い実を天日干しにし、殻をむいて種を取り出す。種から取り出したチップを火で煎り、石臼でひく。ペースト状になり、絞ればアルガンオイルとなる。
 パレ・デ・ローズ・ホテル Palais des roses hotel でアルガン・オイルでのエステを体験。
 レストラン「ラ・スカラ La Scala 」でアルガン・オイルを使った料理を体験。「アルガン・オイルのサラダ Salade a l'huile d'argane 」は森さんは人生観を変えるかもしれないオイルかもしれないと言っていた。「アルガンオイルのシャンピニオン・ソース Sauce aux champignons a base d'huile d'argane 」はマッシュルームのホワイトソースにアルガンオイルを加えたもので、Tボーンステーキにかけていただく。匂いを消すからいいかもしれないという。

●ワルザザート
 カサブランカの南南西の内陸で、アーモンドが取れる村に向かうが、ここはスター・ウォーズの撮影などで使われる場所。世界遺産の「アイト・ベン・ハッドゥ Ait Ben Haddou 」に行ってみた。かつては住居兼砦として使われていたもの。グラディエーターの闘技場もここが撮影に使われた。50年前までは100家族が生活していたが、現在はわずかな人が残り保存に取り組んでいる。黄土色の建物で、砂の色と同色。突然砂嵐が襲ってきた。
 30分ほど車で行って、あとは歩かないといけない。気温は48度。2時間後にロバを発見、乗せてもらって30分でフィント Fint 村に着いた。60世帯500人が生活している。砂漠のオアシスで水も木もある。アーモンドがあるという村長アズアヌ・モハメドさんのお宅に行く。お宅は立派です。庭にアーモンドの木 Arbre d'amande がある。先月収穫したばかりのアーモンドがたくさんあるという。それで作った料理をいただく。ミント、砂糖を入れたミント・ティーを入れてもらった。お客には子羊の脳みそを食べてもらうことになっているとか(笑)「羊の脳みそとトマトのタジン Tajine mohk avec tomates 」は白子の味というか、脳みそ自体に味はないようです。
 まぐろと納豆の寿司をプレゼントしたら、おいしいというがダメでした。お礼にアーモンドを使った料理を作ってくれた。麦をパン生地のようにこね、粉を振り、丸く形を整える。平らに伸ばし、具(バジル・羊の肉)をのせる。アーモンドを砕いて、生地の上に充分にふりかけ、もう1枚生地をのせて、外の釜で5分焼き、「アーモンドのピザ Pizza aux amandes 」の出来上がり。アーモンドをもらった。

●マラケシュ
 カサブランカから飛行機で1時間。バブ・ドゥッカラ市場 Marche du Bab Doukkala で食材を探す。モロッコでも有数の青果市場。モロッコ・インゲン Haricots Verts 、モロッコ・ニンジン、マスカット raisin muscat(2リットルくらいで100円)などの新鮮な野菜などを購入。マンゴーみたいなのがあったが、サボテンの実 fruit de cactusで、甘い柿の味に似ているという。
 世界遺産の旧市街メディナ Medina に行く。塀に囲まれ、北には巨大な広場があるが、一歩路地を入ると巨大迷路。狭い通路の両側にはお店がずらり。いい香りにつられて建物の中に入るとパン屋さんというか、各家庭のパンなどを焼いてくれるお店「ファラン・リアド・ラールース Farran Riad Laarouss 」。イワシの塩焼き Sardines mechoui もある。ご主人のアブデスラム・サヤー Abdesslam Sayerh さんの勧めで、これをパンと一緒に食べてみるとおいしい。
 別の店で店頭に羊の頭の丸焼き Tete de mouton が置いてあった。これを食べてみたら、ツナ缶みたいな味。モロッコの人が生魚がダメなのを見せずに食べさせればいいのか!というアイディアを得た。
 ジャマ・エル・フナ Place djemaa el fna 広場は夜になると毎日お祭り騒ぎ。エスカルゴをたくさん煮ている。これをシャリの上にのせてみたら、食べた二人はいいという。

●カサブランカ
 原口は夜を徹して屋台を作った。座席数32.日本大使館にも協力してもらって開店した。
 当日の朝、最終の仕込みが始まった。羊の肉のミンチを炒め、酒、みりん、濃い口醤油、砂糖、実山椒を加える。さいの目切りしたマグロをアルガンオイルに漬けてマリネにして、マグロ、ラムそぼろ、インゲンを寿司にのせた「ラムそぼろとトロのアルガノイル漬け」。
 王様エビを一口大に切り、片栗粉をまぶし、卵白につけ、アーモンドをまぶし、油で揚げて、シャリに載せた「王様エビのアーモンド揚げ」。わさびを加えたウニのタルタルソースが効く。
 細かく刻んだミントをシャリにつけ、スズキを握り、レモンの塩漬けをのせた「スズキの握り、ミント風味」でナマのスズキの匂いをミントで消している。

 オープンしたら人気でした。カサブランカ市長の息子ユセフ・サジットさんも楽しんだ。スズキの握りも女性たちがおいしいと言ってました。王様エビの味噌汁は大好評と言ってましたが、微妙だったように僕には見えました(笑)
 砂漠の村長さん夫妻も来てくれました。
 この後、平野の隠しネタ「モロッコ風、和菓子の握り」が登場。寿司めしにクルミとアーモンド、栗を混ぜ、オーブンで焼いたお菓子のような寿司。これも大好評でした。森さん、原口さんは涙、涙。  最後にお店を作ってくれた大工さんも来てくれて大満足でした。300皿完売でした。


テレビ番組「道浪漫」2004年3月14日は鶴田真由さんでモロッコ

●世界遺産要塞の村、アイト・ベン・ハッドゥ
 行くつもりだったが、川の流れが激しくて渡れず断念。v
●フェズ Fes
 世界一の迷宮都市と呼ばれるフェズ。フェズの正装である赤い帽子と白い服のシェキブ・カバジーさんに案内してもらった。門の入口の高さ1.8mの位置にある横棒は「動物立ち入り禁止」の印。1200年前にフェズを創設したイドリス2世の墓がこの先にあるからという。100mほど進むとムーレイ・イドリス廟がある。イスラム教徒以外はここから先に入ることができない。中はフェズ独特のタイル装飾がほどこされた中にお墓があり、とてもきれいでした。人々はこの場所を訪れて、お墓の角にキスをしてお願い事をするという。中に入れない人やイスラム教徒以外の人は横の方の壁の真中にお金を入れる場所(高さ1.5mくらいのところ)があって、そこにお金を入れて手をかざし、その手にキスをして、お願い事をします。この壁の向こうにイドリス2世のお墓があるのだそうです。その壁の右手10mのところには窓に枠がはめてあるところがあり、子供を4−5人産んで、もう要らないという女性がここに鍵をかけるのだそうです。また欲しくなったら鍵を開けるそうです。
 薬屋さんがあるが、生きたカメレオンもあった。食べるのではなくおまじないに使うそうです。
 フェズは古来から職人の町としても有名。糸を紡ぐ職人さんを訪問した。角細工の職人さんも訪問した。角を加工して櫛、スプーン、フォーク、ブレスレットになります。細い道に、大きな荷物を背負ったロバが行き来していました。
 タンジーヤという職人さん発祥の肉料理は、壷をお風呂屋さんの窯火で4時間焼くと絶品の味になるそうです。
 イスラムの女性は人前に顔を見せないので、小さな穴から下界を見ていた。そういう穴のある構造物がいくつか建物の2階の窓にある。
 香辛料のお店で、ヘンナというミソハギの葉から作った粉を水に溶いて、刺青のような伝統的な模様を手に描いて、幸運を祈り魔よけにするヘンナを体験した。両手の表と裏に行い、10時間くらい?乾かしてからはがすと、肌に色が残ります。
 宿泊は旧市街の高台にあるモロッコ指折りの最高級ホテルパレ・ジャメイ。tel:(055)-63-43-31。

●ティネリール
 カスバ街道のオアシスの町。鶴田さんはトラックの荷台に乗って移動。これは地元の人のバス代わり。イスラムの人にとって天国のイメージだという緑のオアシスが眼下に広がる。山には木はなく黄土色。黄土色のグランドキャニオンのようなトドラ渓谷。高さ200m以上の切り立った崖が両側に広がる。この崖を登るだけのためにヨーロッパから来訪する人がいるという。この崖を見るにはトラックの荷台がいいそうです。

●アイト・ハニ Ait Hani
 トドラ渓谷の奥にあるアトラス山脈方向に車で1時間のところに、モロッコの先住民族ベルベル族の村がある。アラブの支配を逃れて山間に逃れた。土壁の家にポプラの木で作られた天井。家族の部屋に敷かれた絨毯の上でお茶をいただいた。すご〜く甘いそうです(笑)
 とっておきの場所に案内してもらった。砂利の道を行くと「アリババの洞窟」があり、最高級の岩塩が取れるそうです。昔ここは海だったので、多量のミネラル分を含んでいるそうです。まるで花崗岩のような塩で、手掘りなので、1日15kgしか採れない。昔はモロッコには塩の道があった。モロッコからアフリカ南部、スーダン、マリにまで塩を隊商が運んでいたという。この辺りでは、よく眠れない時は、この岩塩を枕の下に置いて寝るといいと言われている。

●マラケッシュ
 ジャマ・エル・フナ広場には何とも怪しげな占い師に会えます。

●エッサウィラ
 多くのモロッコ人が一度は訪れたいと思う町。モロッコの旅に疲れたらこの街へとも言われている。モロッコの西側、大西洋に面した港町のエッサウィラで、青い空と白い壁の家で、違う国に来たような感じ。16世紀にポルトガルによって築かれた海の要塞でもある。19世紀にはヨーロッパに対する貿易港として栄えた。
 海の側の要塞に行ってみた。ほくりょうほうの展望台。円の中央に立つと音が非常に響く。そこに立った人だけがわかる。海は荒くて波しぶきが3−5mも上がっていました。
 大西洋に沈む夕陽を見た。ここで締めくくれてよかった!と鶴田さん。

http://mbs.jp/tv/michi/374/


2002年6月2日、テレビ番組「藤井フミヤ夢幻の砂漠激走サハラ感動500キロ」


 2002年6月2日放送。関東地方では2001年2月11日放送。19 99年にメキシコ、2000年のジャマイカに続く旅。テレビ朝日製作。

 サハラ砂漠は11カ国にまたがり、アフリカの4分の1になる。チュニジ アに向かった。パリやローマ経由で行く。ローマから2時間。
 東西5600km、南北1700kmのサハラ砂漠。サハラとはアラビア 語で荒地のこと。

●シティ・ブ・サイド Sidi bou said
 丘の上の小さな街。法律で壁の白と扉と窓の青のみの建物。窓枠は女性は 家族以外には顔を見せないという習慣の名残り。坂の両側には土産物屋が並 ぶ。らくだ皮のクッションは言い値35ディナール(3000円)、25ディナー ル(2000円)で購入。まだ高かったかな。
 カフェ・デ・ナットというカフェに行く。世界最古のカフェの一つとして 知られ、モーパッサンやジイドも訪問したことがあるという。ナットとは足 元に敷かれたゴザのこと。松の実入りのミントティーをいただく。甘いらし い。シーシャ(水たばこ)にも挑戦。タバコの葉にハチミツが混ぜてある。  地中海を見渡せる丘。ラブラブスポットらしい。

●チュニス
 首都で人工200万人。近代都市。新市街はフランスの影響、メディナ( 旧市街)はアラブ都市の影響が残る世界遺産。フランス門を抜けるとスーク (市場)。香水や貴金属店が多い。素焼きのキャンドルカバーと小物で12 TD(1000円)で購入。「こんにちは中田」と何度も呼ばれる!
 羊の毛のコート(ビュルノース)5500円で購入。気分はスターウォー ズだという。確かに。
 宿泊はビーチリゾーチの「ザ・レジデンス」。ジュニア・スィートで4万 円。海水のジャグジーが特徴。タラソテラピーらしく、専門家がいる。
 レストラン「エッサライヤ(豪華な旅)」は場所がわかりにくいが、中は 高級。前菜はチュニジア風包み揚げブリック、レモンをかけて中には半熟の 卵とツナ。メインはモスリ(羊の肉と野菜のオーブン料理)。マトンの臭さ が特徴とか。シーフードのクスクス。これはチュニジア人の主食。蒸した小 麦の粒にトマトシチューをかけたもの。

●トズール Tozeur
 プロペラ機で南部の町トズールに来た。砂漠に囲まれたオアシスの町。西 洋的なチュニスと比べてイスラム色が強い。ナツメヤシが多い。この実はと てもおいしいらしい。干し柿に似ているとか。建物は日干しレンガでできて いる。美しい幾何学模様。
 トズールの南と東には塩湖(ショット・エル・ジェリード)があり、その 対岸にドゥーズという町がある。1億年くらい前に干上がって、植物もない から何もいない。空気のあるよその惑星というイメージという感じ。面積は 4600平方kmで東京都の2倍。この塩は本当においしいらしい。それを フミヤさんはお風呂に入れていたという。蜃気楼で水があるように見える。

●ドゥーズ
 砂漠の民が出会う町。ここを出るとサハラ砂漠。砂漠で暮らす遊牧民の村 を訪問してみる。砂が耳や鼻や目の穴に入らないように、ターバンはできて いるらしい。サハラ砂漠の9割は荒れ果てた大地で、イメージにあるきれい な砂漠はほんの1割。砂は本当にきめ細かい。野生のラクダを発見。2時間 で遊牧民のところへ着いた。ノルディーナさん親子は60頭を飼っていて、 オスは1頭らしい。車で40分のところに白いスペシャル・ラクダ(メハリ と呼ばれるスピードレース用のラクダらしい)を飼って、放牧している。

●クサールギレン
 ホテルでスティーヴ・エトウさんと待ち合わせ。「赤い砂漠」に向かう。 途中でカフェがある。有名人が壁にいろいろと書いている。1月16日だっ たらしい。さらにクサールギレンに向かう。3時間で到着。
 ここのオアシスでは泳げる!底の砂を押すと空気が出てくる。源泉もある ので温泉!
 ラクダ・サンセット・ツアーに出かける。赤い砂の砂漠。夕陽がきれい! テント型ホテルに宿泊。602号室。カギはない。エアコン付き。バスタブ はないが、シャワー付き。
 朝日を見る。砂は雪のように冷たい。川からは湯気が出ていた。特別な 太陽に見えました。

●ドゥーズ
 別の遊牧民を訪ねた。砂漠では3ヶ月ぶりらしい雨が降りました。ブバッ カさん。ヤギと羊100頭いる。まわりに狼がいるので、囲いの中に飼って いる。200km〜300km移動しながら放牧している。ヒヨコ豆にオリ ーブオイルを混ぜた粉を食べる。ラクダやラクダのミルクも。パンを作る。 小麦粉と塩を水でこねて、焚き火の下の灰の中で焼いて食べる。
 野ネズミを獲る罠をしかけていたので、チェックしたが獲れてなかった。 羊とヤギの放牧を手伝う。歓迎のために1頭のヤギを殺して料理を作ってく れた。クスクスで、ヤギの肉、野菜、トマトピューレ、水、香辛料を入れて 30分煮込んだ。夕陽が沈んだ後に、野ネズミが獲れていた!ドブに住んで ないし、食べているものが違うので、いいんだ!とフミヤは自分に納得させ ていました。そのまま焼いて食べました。鶏肉に近いらしい(爆)
 暗闇の中、ヤギと羊が帰ってきた。目がホタルみたいに光っている。暗い 中どうやって集めて帰ってきたのかが不思議。生まれたばかりの子羊は家に 置いていたので、親と感動の再会。放牧先で生まれたヤギの赤ちゃんは袋に 入れて連れて帰った。母乳で1時間もすると立てた!

 おじいちゃんの子供の家を訪ねる。門を開けると広い敷地!ムバッカ一家 とアブドゥサラム一家が住んでいる。旅行会社のドライバーのムバッカさん 宅の女性は織物を手作りしている。1日50cmらしい。羊の毛を糸にもし ている。小麦粉は石臼でひく。買物は男性の仕事。ドゥーズ市場で買物。 ヤギ肉は1kg700円。野菜は少ない。料理はクスクス。
 ドゥーズ小学校に行ってみた。国家予算の30%を教育に使っているとい う。高校や大学は試験にパスすれば無料らしい。フランス語は小学校3年生 から勉強する。子供達が歓迎の歌を歌ってくれた。月の砂漠を歌ってから、 音楽交流を行った。また、折り紙で鶴を折った。

●タメルザ
 タメルザはトズールの北西。タメルザ峡谷もあり、これまでとは違う大自 然のパノラマ。山岳オアシスがある。太古は海の底だったという場所に建つ リゾートホテル。

 360度地平線。買物はできないが、心に残るものは沢山あるという。


「道浪漫」2002年3月31日、4月7日はジミー大西さんでチュニジア


 ジミー大西さんは96年に芸能界を引退しスペインに留学。色彩感覚豊か な作品は海外で高く評価されている。尊敬する画家ジャン・デュビュッフェ が砂漠が好きだったから体験したかったらしい。
 パリから約3時間のリゾート地チュニジア。チュニスは人口200万人。 また今回のワールドカップの予選で日本と対抗する。マグレブ・スポーツで はチュニジアで一番有名な選手ショクリのユニフォームをさんまさんのため に購入。
 中央市場に行く。いちご、オリーブ、など。ジミーさんは海外に行く時は 醤油とマヨネーズを欠かさないとか。
 バルドー博物館はチュニジアのルーブルと言われ、モザイクのコレクショ ンでは世界一らしい。特に2世紀〜3世紀のものは秀逸といわれている。3 世紀のヴァージルの肖像は立体感に溢れている至宝。
 ジミーさんはサッカーボールにチュニジアの印象を描いた。

 翌日はライード(犠牲祭)。断食明けに次ぐ宗教的な祭り。完全な安息日 で、アラーの神に羊を捧げる。その肉を家族と共に分け合い、幸あれと祈願 する。ガイドのアブデルさんのお宅でよばれる。お返しにお好み焼きを作っ て食べてもらった。好評でした。
 銭湯に行く。ハマム(公衆浴場)は日本でいうところのサウナ。海水パン ツのようなのだけで中では歌って踊っていた(爆)。アカスリもあるが、男 性でした(爆)。が、風邪をひいてしまってダウン。注射は手の甲にしまし た。こわ〜。

●シティ・ブ・サイド
 白い壁と青い窓や扉。白と青以外は使ってはいけないという条例がある。 パウル・クレーなどの芸術家が愛した街でもある。街の小高いところにある カフェ・シディ・シャバーンで一息。シーシャ(水タバコ)を試す。3800TD (380円)。水タバコにはニコチンが含まれていないので習慣性がない。
 シティ・ブ・サイド文化センターに行く。若手画家の作品が展示されてい る。この美術館で注目されて有名になった画家も多いとか。
 チュニジア一の画家というヘディ・トゥルキさんに会う。80歳の今でも 現役。人物画から風景画まで描く。10分くらいでジミーさんの肖像を描い た。うまい!
 チュニスから電車で30分。

●カルタゴ
 2000年前の古代ローマ時代の遺跡。アントニヌスの大浴場跡は、ロー マ五賢帝の一人、アントニヌス・ピウスによって2世紀に建設された、ロー マ文化圏で3番目に大きな浴場。チュニジアを5世紀に渡って支配してきた ローマ帝国の遺跡で、世界遺産。チュニスから電車で25分。カルタゴ遺跡 共通入場券は5500TD (550円)。

●エル・ハワリア
 地中海に面した半島の町。鷹狩の町として知られてきた。5月に行われる 鷹狩にはヨーロッパから人が押し寄せてくるらしい。カフェ・ドゥ・フォコ ニエのカウンターには鷹がいた!鷹匠協会に行ってみた。現在は9家族だけ 鷹を飼うことを許されているらしい。鳩を飛ばしてみたらあっという間に、 飛びついた。

●サハラ砂漠
 チュニスから南西へ800km。不思議なオブジェを発見した。地下水が 蒸発する際に、地中のカルシウムなどと結合し結晶化した、砂漠のバラであ る。幾重にも重なることでバラの形となっている。成長するのに1万年以上 かかると言われている。
 さらにタメルザの方へ進むとアトラス山脈が見えてきた。サハラ砂漠はこ の山脈の向こうにある。ミデス渓谷はすごい断崖です。宿泊はタメルザ・ パレス。予約を取るのがたいへんなホテルで、周囲の景観を損なわないよう にデザインされている。美しいプールの水は地下水を汲み上げたもの。部屋 のつくりはいたってシンプルだが居心地は抜群。ダブルルームで1名150TD (15000円)〜。ホテルの自慢は山々の景観をパノラマで楽しめる4つ星ホテ ル。1泊2食付きで100TD (10000円)〜。Tel:(216)6-485-322

 翌朝、ドゥーズ(サハラ砂漠)に向けて出発。蜃気楼が歓迎してくれた。 さらに砂漠の真中でカフェをやっている人もいる。ミントティー1杯100 円。甘いらしい。
 さらに先にチュニジアで一番美しい砂丘(クサール・ギレン)があるとい うので、そこを目指すが、車が砂に埋もれることが多い。夜は冷え込んで、 10度以下になる。テント泊。サッカーボールに絵を描くことを続けている。 オアシスのクサール・ギレンはドゥーズの街から車で2時間。
 ターバンを巻いて、チュニジアで一番美しい砂丘と対面して感動!ラクダ に乗り、描いてみた。
 砂漠の夕陽。柿色に燃えている。最後の夜はバーベキュー・パーティ。お 餅をプレゼントし、火のまわりで踊る。サッカーボールに色をのせていって 完成した。「チュニジアの太陽」。チュニジアでの日記をアラブ語に訳して もらって、それをモチーフとして入れ、さらに鷹とかも織り込まれている。

 ジミー大西さんの個展は4/30-5/6 三越・新宿店、5/14-20三越・大阪店。
http://www.j-onishi.com/


テレビ番組「道浪漫」4月29日、5月6日は阿川泰子さんでモロッコ
 テレビ東京製作。

 イングリッド・バーグマンが好きで、1942年の映画「カサブランカ」 の中で「昨日の夕方どこにいたの?」という問いに対して、ハンフリー・ボ ガードが、That's so long ago. I don't remember. 「今夜会える?」に対 して I never make plans that far ahead. この言葉は有名である。 Hボガードが「君の瞳に乾杯 Here is looking at you kid」というのも 有名。映画カサブランカは実は、全編ハリウッドで製作された。

●カサブランカ
 ムハンマド5世通り、両側は1930年代の建物。ハイアット・リージェ ンシーホテルの1Fには映画にあったピアノ・バーがある。ボギーが経営し ていたお店を再現した店「バー・カサブランカ」である。リックス・ブルー ムーンは 90DH (1000円)、イングリッド・パールも同じ値段。

●アル・ジャディーダ
 海沿いに南西に向かう。16世紀初めにポルトガル人によって作られた町 で、難攻不落の町として知られていた。高台から眺める。町全体が白い。カ サブランカよりももっと「白い家」が多い町。ポルトガル貯水槽やポルトガ ル時代の教会が見もの。
 城壁の内側には500年前の様子がそのまま残っている。強い日差しと迷 宮のような町。城壁の中はメディナと呼ばれる。その雰囲気は海沿いの町に だいたい共通している。

●サフィ
 マグレブの西の果て。荒削りの海。断崖の場所を通過して、サフィに到着 した。16〜17世紀にモロッコ第一の港があった。高い城壁がある。その 中にはスークと言われる市場があって賑やか!。モロッコ特産のアーモンド のお菓子がおいしかった!屋台でエスカルゴを売っている。精力がつくとい うので人気のおやつになっている。

●エッサヴィラ
 紀元前8世紀から沿岸貿易の中継地だった町。きれいな街。青い空と白い ペーブメント。ヨーロッパ人が多く、周囲は南フランスを思わせるような風 景。かもめが集まっている。ムーエイ・エル・ハッサン広場ではカフェのよ うなパラソルとイスが多く出ている。メディナでも扉は青く塗られていて、 建物は白いので、鮮やか。女性の服も鮮やか。
 寄木細工を使った楽器屋さんでは音楽が聞こえる。太鼓と弦はベルベル族 の民族楽器。スカラ通りからカスバの西側に多く見られるのが寄木細工工房 で、ローマ時代からの伝統工芸品。150軒以上。
 スカラと呼ばれる城壁の展望台に行く。上に上がると、海が見える。白い 荒々しい白波と岩がとてもきれいに見えた。
 1962年モロッコでは「アラビアのロレンス」も撮影された。それのイ メージもあるというのを納得した。

●カサブランカ
 最後にカサブランカの街で古い飛行機を見つけた。ムハンマド5世が19 55年にモロッコ独立のために亡命先から乗ってきたもの。

 2回目はベルベル人の村を訪ねる。カスバとは、その土地や有力者たちの 住んだ城・砦を兼ねた建物であり、そこに住んだ女たちを訪ねる。

●内陸に向かう
 海沿いのアガディールから内陸タルーダントに向かう。乾いた大地が広が る。黒いヤギがいるが、木に登っている!アルガンツリーという木で、葉は ヤギの好物らしい。人はこの種を取って、焼いて石臼でひく。ピーナツバタ ーの強力なような味らしい。これに水を入れるとアルガンオイルが取れる。 化粧品になるらしい。1リットル作るのに100kgの実がいるらしい。

●タルーダント
 オアシスの町。カスバを囲む堂々たる城壁で囲まれた街。ホテルはカスバ を改造したホテル・パレ・サラム。19世紀の旧総督邸を使用。中庭には花 とかが咲き乱れている。シングル470DH(5600円)〜。ベルベル女性のお もてなしの服に興味を持った。カスバの上から街を見た。
 スークと言われる市場に行く。青いベールをまとった女性がいる。服、ア クセサリーなど多いが、伝統的なものがなかなかない。あるところで、ルパ ンという医師でできたネックレス(でかい石)1個3万円の石らしい。こす りあわせるとフルーティな香りが出てくる。

●アイト・ベン・ハッドゥ
 東へ250km行った街。世界遺産。ここに行く途中で寄り道。エジプト 風の彫像がある。砂漠の中の映画のスタジオ「アトラス・コーポレーション ・スタジオ」で、グラディエーターなども撮影された。外で撮影されること も覆い。ここはワルザザートから約3kmらしい。車で15分のところにあ るベン・ハッドゥもその一つ。
 モロッコ1美しいと言われている。アラビアのロレンスにも登場したカス バの街。日干しレンガを積んでできた古いクサル(要塞化した村)。
 フィブラというベールの止め具に興味を持つ。ルパンもあった。クホルと いうアイシャドーを貸してくれた。
 アイシャさんとアブドゥーラさんの助けを借りて、ベルベル女性しか行け ないところに4WDの車で行ってみた。ディズワトという村。アイシャさん の姉の住む村である。村人が歓迎してくれた。ヘンナ(ハルクス)というの を手に塗る。2時間すると刺青みたいになる。各家の宝を持ってきて見せて くれた。服を着て、着飾ってみた。すごい人気!

http://mbs.co.jp/tv/michi/233/index.html


「旅サラダ」2000年4月29日は大塚寧々さんの「チュニジア」


●チュニジア
 スイスエアーでチューリッヒ経由でチュニスに入った。人口200万人。 19世紀後半からフランス領だった。治安もいいらしい。番組の最後にチュ ニジアの観光関連の大使からの挨拶があった。

●チュニス
 チュニスの中央にはフランス通り,大聖堂,ハビブ・ブルギバ通りはヨー ロッパ風の町並みである。フランス門を境に風景が変わる。そこが,旧市街 のメディナである。13世紀からの町並みで,アラブの町並みである。アー チ型の天井は世界遺産に指定されている。猫が多いらしい。
 チュニジアの人は香水が好き。量り売りしている。ビンと香水で10cc で10DT(約850円)。帽子のスーク(市場)は帽子ばかり売っている というように売っているもので固まって市場ができている。みんながかぶっ ている帽子はシャシアと言って毛糸でできている。だいたい5DT(420 円)。
 「メゾン・ドリヨン」のところの階段を上に上がるとメディナを上から 見渡せた。建物とアーチ型の路地の天井がよく見えた。
 「グラン・モスク」入場料1.6DT(140円)。チュニスで一番の イスラム教の聖地。高くそびえる塔はミナレットと言い,礼拝の時間になる とここから呼び掛けるらしい。9世紀にできた。
 チュニジア料理のレストラン「エッサラヤ」。タジン・サラダ6.5DT (550円)。ショルバ・フリック6DT(510円)は唐辛子の入った トマト・スープ。羊肉のクスクス15DT(1280円)の量は多い。 クスクスとはつぶつぶのパスタを蒸したもの。食事中はチュニジアの伝統 音楽「マルーフ」をやってくれた。

●シディ・ブ・サイド
 チュニスの郊外。車で30分。チュニジアで最も美しいと言われる街。 建物は白だが,窓とドアはチュニジアン・ブルーと言われる青。ドアに描い てある模様は各家で異なる。猫が多い。
 世界で最も古い喫茶店の一つと言われる Cafe des Nuttes (カフェ・デ ・ナット)へ。中はアラブ風。名物はミント・ティー1.3DT(110円) で,ガラスのコップに入って上に松の実が浮かんでいる。甘いらしい。水 パイプ(シーシャ)もある3DT(260円)。ハチミツで練ったタバコの 葉を載せて炭で火をつける。1回で30分くらい楽しめるらしい。
 丘の上から海を見るときれい。チュニスの街からカップルが来るとか。 鳥カゴは名物らしいが,手づくりで,家と同様に白と青できれいである。

●カルタゴ
 「ビュルサの丘」の上の教会の上に紀元前9世紀のカルタゴの街の遺跡が あった。ここの低い場所がカルタゴが作ったもので,上の場所がローマが作 ったもの。世界遺産。入場料5.2DT(440円)。
 アントニヌスの共同浴場はローマ時代の遺跡。世界で2番目に大きい浴場 だったとか。一番はカラカラ。ここでは100を越える部屋があったとか。 今残っているのは地下の部分だけ。遠くから水を引いていたのだが,その跡 も残っているとか。入場料5.2DT(440円)。

●ナブール
 焼き物とオレンジの街。わかりやすいモニュメントがある。ここも白い 建物と青いドアだが,一部ナブール焼きの模様のものもある。お皿の裏を見 ると穴が2つあいていて,壁に掛ける時に便利。1つ数百円。安い!ろくろ を回しているのも見ることができる。

●ハマメット
 地中海のビーチリゾート。白い建物。昨年春オープンした Hasdrubal Thalassaという素敵なホテルに泊まった。広々としたロビー,全室スィート タイプで1泊 220DT(17000円)。タラソセラピー・センターが あり,大きな塩水プールもある。全身海草でパックして30分スチーム。 30DT(2550円)。

●ショット・エル・ジェリド(大塩湖)
 チュニジアの南西?サハラ砂漠へ向かって車を走らす。両側砂の景色が, 真っ白に変わる。岩塩になっている。雨期の雨でたまった水に地中の塩分が 溶け出して表面で蒸発して固まってできた塩。一部掘ると水が出てくるとこ ろもあった。
 途中で変わったものを売っていた。「砂漠のバラ」は塩と砂で出来たもの で化石の一歩手前のようなもの?何万年もかかってできた掌程度の岩である が,一部本当にバラの形をしたようなものもある。5−6個で20DT (1700円)。チョコフレークのでかいものという感じでもある。

●ドゥーズ
 サハラ砂漠観光の町。埃っぽい。ターバンを巻いている人が多い。UML フライトって電動自転車に羽根をつけたような乗り物で空を飛ぶ。10分 35DT(3000円)。本当に自転車が飛んでいるような感じで,運転手 の背中に乗っているような感じ。結構揺れて,怖いらしい。空が怖い人は, サンド・バギーに乗ってカーティング15分20DT(1700円)。
 ドゥーズの町のはずれにラクダがいる。テントを張って1泊するラクダ・ ツアーに出掛ける。約2時間休まずに歩く。どちらの方角に行っているのか わからなくなるらしい。夕陽がきれい。ラクダの皮でできた天幕を張って (天井部分のみ!),夕食の準備。パンをつくる。灰の上に置いて焼く。 予め作ってきた料理(ジャガイモとラム肉の煮込み)にも灰をかける。 パンは砂と灰を落として食べる。砂はすぐ落ちるとか。とても熱いらしい。 夜は満天の星だとか。

●メトラウィ
 電車に乗る。レザール・ルージュ観光列車はリン鉱石を運ぶ鉄道を利用 している。全部自由席。皮の椅子,木の椅子,立っていても全部同じ値段。 景色が一番よいのは車両と車両の間かというので,そこに陣取った。
 町を抜けると砂漠,切り立った崖の峡谷へ。トンネルの手前で停止。 ここはインディ・ジョーンズの世界のよう。崖の間なのに鳥のさえずりが 聞こえる。メトラウィとセルジャ往復で1.5時間,料金は15DT (1280円)。

●トズール
 メトラウィから車で1時間。オアシスの町。ホテル・ダル・シュライト はアラベスク模様のゴージャスなロビー。きれいなホテル。白を基調として いる。シニア・スィートで1泊280DT(23800円)。

●マトマタ
 山岳地帯の町。ベルベル人のファティマさん(90歳)さん宅に行って みた。中庭から放射状に部屋が作ってある。ミントティーを御馳走しても らった。それでマトマタの町を上から見ると中庭の部分が穴となっている ように見える。
 こうした穴ぐらのお家を改造してできたのがホテル・シディ・ドリス Sidi Drris で,レストランが中庭にあって,各部屋の手前で食べるように なっている。一部天井に絵が描いてある部分もあるが,そこはスター ウォーズの第1作目で使われたとか。各室はドミトリー形式で,トイレと シャワーは共同で,2食付いて1泊18DT(1530円)ほど。安い!

 中は涼しいが,中庭のように太陽に当たる部分は刺すように暑いらしい。 生活の知恵なのだろう。

●ジェルバ島
 チュニジアのリゾート。ハズドルバル・ジェルバ Hasdrubal Djerba と いう感じのよいホテルに泊まった。落ち着いた感じのロビー。451?号室 は緑の床に白い壁。一人用で1泊130DT(11050円)。プールも広い。

 フーム・スークは中心。ジェルバ島は貴金属でも有名。オニキスのピアス 2個,?の指輪2個,もう一つ?で合計60DT(5100円)。
 国営魚市場で魚を見る。レストラン・ハールーンでは魚を見せてくれて, 選んだ魚をメインディッシュにしてくれる。ここは一番おいしいレストラン というので知られている。今回は鯛を選択。シーフードサラダ(蟹と海老が 多い)6DT(510円),海の幸のブリック4DT(340円),とれた て鯛のグリル15DT(1275円)。背を手前にして置くのがチュニジア 流らしい。塩が効いているらしい。
 あと食事では,パンにハリサという唐辛子でできたものをつけて食べるの が特徴。


TV番組・高嶋政伸・神戸浩「見た!謎の国リビア」

2000年1月放送。テレビ朝日かテレビ東京製作。

 リビアにテレビカメラが入るのは初めてだと言っていた。行くのはスイスエアーでチューリヒ経由。スイソテルに宿泊した。リビアではアルコールは飲めないらしい。行ったのは12月頃らしい。寒いらしい。リビアはカダフィ大佐のイメージで怖い国という印象があるが,そうではないというのが今回よくわかった。いい人が多いみたい。

●トリポリ
 人口145万人の首都。旧市街の市場(スーク)へ。ここは7世紀から続いているらしい。これを買えという声がない。ナツメヤシの実は干し柿のような甘さらしい。リビアの紙幣はディナール。ラクダの肉を売る店もある。
 日本語を話す子供がいた。アーデル・ベンスレーマン君12歳。母が日本人・弘子さん(44歳)。兄はモハメッド君23歳,ヤハヤ君20歳。最近のイスラム教の若い娘は人前でも顔を見せるらしい。どこかいいところは?に「ベンガズィーあたり」という答えがあった。市内から20分のアーデル君の家へ。そこで代表的家庭料理クスクスをいただく。今日は魚のクスクスでトマト味のソースをかける。他にラクダの腸詰め。おいしいらしい。

●車でガダミス(西へ800キロ)へ
 道沿いにオリーブ畑。市場へ。ヤクリー(キュウリ),ザクロ,オレンジなどがある。ナルートという町。土の家の廃墟。夕陽があたって壮絶な風景だった。トリポリを出て10時間,午後11時半に到着。民宿へ。意外とすてきな部屋。
 ガダミスは世界遺産。白亜の建物の遺跡で一時期は無人になったらしい。家いえは壁でつながっている。一階は男性の部屋。二階は女性の部屋。鏡が多くある。部屋を明るくするためらしい。屋上に上がるとまた別の世界がある。砂漠へ。向こうはチュニジアとアルジェリアだった。

●トアレグ族
 砂漠の民。銀色の衣装を着た女性が歓迎してくれた。皆で踊る。砂焼きパンを食べる。砂がついてないのが不思議。ラクダにも乗る。
●セブハ
 砂漠のどまんなかの町セブハに向かう1000キロ。ガソリン1リットル5円。蜃気楼も見える。フンコロガシもいるし,サソリもいる。途中にレストランがある。ミントティ,マカロニミートソースを食べる。イタリアが近いことも感じさせる。砂漠の民は驚くべき方向感覚を持っていて,砂漠の中でもちゃんと目的地へ行ける。しかし一人では絶対に行かない。砂漠はかなり高低差があり,山の角度はとても急である。
 食事はプサル(玉ねぎ),トマト,トン(ツナ)のサラダとパン。日差しは暑いが風は冷たいそうだ。ゴーグルは必ず要るとか。途中にオアシスがあった。きれいな水だが濃い塩水らしい。昔ここは海だった。砂漠で夕食。まずスープから。食事の後にトアレグ族に古くから伝わる音楽を奏で踊ってくれた。

●キレーネ遺跡(世界遺産)
 海近くまで帰ってきて,紀元前600年頃の古代ローマの都市へ。キレーネとは泉の精霊の名前。昔は泉があった。確かに都市のまわりには草も生えている。円形劇場もある。向こうに地中海が見えた。

●ベンガジ(海辺の町)
 近代的な建物。久し振りに文明の町へ。レストランでアルコールの入っていないビール BIBELL ? を飲み,ロブスターと大きな魚を塩焼きで食べる。

●サブラタ遺跡(世界遺産)
 トリポリ郊外。紀元前8世紀の貿易の港の跡。

 今回の旅でわかったことは,リビア人は意外に親切だった。

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