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なお、これはわたしが個人的にテレビを見て書いたものであり、各テレビ局や番組とは全く関係はありません。
すべての文章の無断使用・転載を禁止いたします。
またここの情報を使って、何か問題が起こったとしても私は一切責任は持ちませんのであしからず。


テレビ番組「今明かされる中国紫禁城の全貌」

 2008年1月1日放送。紫禁城はかつては人々の恐れと恐怖の象徴だった。9000余りの部屋があり、皇帝一人のために造られた。城内には皇帝の許可がないと入れなかった。20世紀まで世界で最も謎に包まれた場所だった。今は年間800万人が訪れる。修復作業が進んでいる。CCTV製作?

 1406年に着工し、14年かけて完成。東ローマ帝国がまだ栄華を誇っていた時代。サッカー場が100個入る大きさ。20世紀に入り崩壊した。17世紀聞き慣れない音楽が流れていた。西洋音楽で、音楽家たちだけが中に入れた。清朝最後の皇帝溥儀は1908年(2歳)から1924年の間、紫禁城に住んでおり、ほとんどが幽閉だった。溥儀は電話をした。1912年革命派により皇帝の座を追われた。1922年2人の花嫁を迎えた。
 最初の西洋の品は1601年マテオ・リッチが献上した時計。皇帝は時計に夢中になり、城内で作らせた。特にからくり時計。リッチが献上した時計は故宮博物院の奉先殿に飾られている。元々はここは先祖を祀る場所だった。高さ2m以上の機械仕掛けのものもある。
 美術品などには多くの危機があった。溥儀は美術品を売った。しかし宦官たちの方がさらに多く売った。溥儀は美術品の在庫管理をしたが、裏目にでた。蔵が焼けてしまった。焼け跡から500kgの金が見つかった。溥儀は1000人近い宦官を宮殿から追い出したが、遅かった。1924年クーデターが勃発し、溥儀は宮殿を追い出された。新政府は美術品を調査した。最初は天子の印。陶磁器だけでも相当な数だった。目録は100万点を越えた。1925年10月10日、博物館として市民に公開された。多くの人が訪れた。1931年、日本軍が満州事変を起こした。1933年2月5日、敵に渡さないように大がかりな移送が始まった。南京、上海が多かった。北京は日本軍に占領された。多くの美術品は四川省に保存された。移送の際に紛失したものは全くなかったそうです。
 終戦後、溥儀はロシアと中国で15年の収容所生活を送った。終戦後に美術品は北京に戻されなかった。国民党と共産党の争いのため。4分の1は台北に運ばれた。1949年共産党の勝利により、新しい政府ができた。紫禁城は荒れ放題になっていた。1950年建物は崩壊の危機に陥っていた。がれきは城壁の高さにまでなっていた。
 1954年毛沢東が紫禁城を訪れ、気に入った。修復を始めた。1960年代初頭には昔の姿を取り戻しつつあった。
 2004年壮大な計画がスタートした。300億円、19年かけて修復が始まった。第一段階は主な建物が修復される。新たな発見もあった。道教の寺院の屋根飾りの中にチベット仏教の教典が隠されていた。修復には大量の金が必要。南京の金箔工場で作られた。1000万枚の金箔が準備された。太和殿が一番多く金箔が使われた。太和殿の床は蘇州で焼かれたレンガだった。レンガは全工程に2年かかった。防腐剤まで忠実に再現された。庭のレンガも2000万枚敷きかえられた。世界各国からのチームも協力している。「最後の晩餐」を修復したチームも壁の修復をしている。
 美術品も長い眠りから覚めた。現在の故宮博物院の美術品は90万点。多くのコレクションの買戻しが今も進んでいる。2004年から全てのコレクションを登録する試みも始まった。


テレビ番組「世界グルメマッチ」

 2008年1月1日放送。龍田梨恵さんが司会。審査委員長は賀集利樹、審査員は森野熊八さん。他にはダンディ坂野、増田香、木村圭太、鍛冶輝光さん。サッカーのワールドカップのように、世界を4ブロックにわけ、代表国の料理を番組独自の審査により世界一を決める。パワーテレビジョン製作。

●Aブロック
 アメリカ、メキシコ、ブラジルが参加。アメリカ料理は「トニー・ローマ六本木店」で、バーベキュー・リブ、フライド・オニオン、シーザーサラダ。メキシコ料理は「ラ・ホイヤ」(渋谷区広尾5)で、前菜はエンチラータ with モレソースはチョコレート・ソース。ファヒータは野菜と肉を炒めたもので、アボカドやトマトをトルティーヤに巻いて食べる。ブラジル料理は「トゥッカーノ」(渋谷区道玄坂2)で、サッカーのブラジル選手が多く来ている。フェイジョアーダは豚肉、たろいも、にんにく、お米?、豆を混ぜて食べる。アメリカが勝利。

●Bブロック
 ドイツ、フランス、イタリアが参加。ドイツ料理は「パウケ」(千代田区四番町4)で、「アイスバイン」で豚肉。イタリア料理は「カプリチョーザ六本木ヒルズ」で、魚介のスパゲティ、ペスカトーレ。つぼ焼きエスカルゴ、ガーリックバター・ソース。フランス料理は「バルブ・ア・クー」(中央区銀座8−2−13)。「おばあちゃんのパテ」は豚と鳥があわせてある。つなん豚のばら肉と鶏のレバーの串焼き。ブイヤベース。イタリアが勝利。

●Cブロック
 ネパール、タイ、ロシアが参加。ネパール料理は「クンビラ」(渋谷区恵比寿南1−9−11)で、モモ。小籠包と同じだが、スパイス・ソースでいただく。アルタマ・カレーは、じゃがいもとたけのこをカレーソースで煮込んである。プーリとカライチキン。カライは土鍋の意味。ロシア料理は「ペチカ」(新宿区新宿3−15−17)で、きのこのつぼ焼きで、パイ生地?をやぶると中はチーズがたっぷりのベシャメル・ソース。ピロシキは中にビーフの挽肉があり揚げてあるパン。ボルシチは和牛のすね肉と赤カブなどの野菜も入っている。タイ料理は「コカレストラン日比谷店」(千代田区有楽町2)で、タイスキ。香辛料が効いたスープ。タイが勝利。

●Dブロック
 日本、韓国、中国が参加。和食は「遊庵 六本木店」(港区六本木5−1−11)で、ざる豆腐。遊野菜の温製サラダ。比内地鶏の塩釜焼き。韓国料理は「ハレルヤ」(新宿区百人町1−5−6)で、豚足。プルコギ。中華料理は「香港ガーデン」(港区西麻布4−5−2)で、フカヒレの姿煮、最上級乾燥鮑の煮込み。中国が勝利。

●決勝
 タイ料理は「コカレストラン」のソンブットさんが出演。マッドクラブのカレー炒め。イタリア料理は「カプリチョーザ」の新井田強志さんが出演。トマトとニンニクのスパゲティ、包み焼きピッツァ・カンツォーネ。アメリカ料理は「トニ・ローマ」の望月祟行さんが出演。フライド・オニオン。コブサラダ。リブ&ロブスター・コンボ。ブラウニー。中華料理は「香港ガーデン」の鄭恵淋さんが出演。フカヒレの姿煮、鮑、ウコッケイ、乾燥のほたて、貝柱などが入ったスープ「仏跳醤」は、1壷10万円の料理でした。今回は引き分けになりました。


テレビ番組「世界の絶景 新世界七不思議」

 2007年12月30日放送。世界七不思議は定義は曖昧だったが、2007年7月7日に新世界七不思議財団により、全世界から1億票の投票で新世界七不思議が決定した。ペルーのマチュピチュ、メキシコのチチェン・イッツァのピラミッド、ヨルダンのペトラ遺跡、インドのタージマハル、イタリアのコロッセオ、中国の万里の長城、ブラジルのコルコバードのキリスト像。新世界七不思議財団のバーナード・ウェーバー会長が説明してくれました。
 司会は内藤剛志、久本雅美さん。審査員は橋田壽賀子、優香、さまぁ〜ず、船越英一郎、ベッキーさん。フジテレビ製作。

●タージマハル
 350年前、22年の歳月をかけて建てられたお墓は世界一美しいといわれている。全て大理石、2万人の職人が集められた。いたる所に金や宝石が施され、国が傾くほどの総工費だった。たった一人の女性のために建てられたお墓。
 成田からはデリーにJALが毎日飛んでいる。10時間の旅。ここから南南東へ車で9時間でアグラ Agra に到着する。酒井敏也、田中要次さんが旅をして、スワッティーさん(19歳)が案内。
 まずは東門。敷地面積5万坪。東京ドーム4個分。2つ目の門をくぐると見える。この正門も立派です。通りすぎるとタージマハルが遠くにある。荘厳。
 皇帝シャー・ジャハーンが36歳で亡くなった愛する妻ムムターズ・マハルのために建てたお墓。高さ65mのドームを中心に左右対称になっている。建築の際には、イタリア、フランスなどから職人が集められた。アーチには楽園をイメージした花が細やかに装飾されている。
 この白さを守るために、1500m以内は車では入れない。

 黒いタージマハルがあるという。デリーは人口1300万人。ここで情報を集める。ヨガをしている公園でヨガを体験。サロ・ジャニ・ナガル・マーケットの市場に行ってみた。インドのお札には17種類の言語で金額が書かれている。タージ・パレス・ホテルのマネージャーのカランジット・シンさんから話を聞いたところ、「アグラのタージマハルを建てた石彫り職人の末裔がそう言っていた」という。

 アグラに行って、職人に会い、妹さんに案内してもらった。小さな集落を抜けて15分車で走り、さらに林の中を歩く。夕陽の中に黒く見えるタージマハルが見えました。
 皇帝は自らの墓として対岸に黒いタージマハルを建てようとしたが、願いは反対されて叶わなかった。

●ヨルダンのペトラ遺跡
 ペトラはギリシャ語で岩を意味する古代都市。紀元前に築かれたという。長い間、世間から忘れさられていた。インディ・ジョーンズ「最後の聖戦」で宝が眠る神殿として使われた。ここに住んでいたのはベドウィンと呼ばれる砂漠の民。今もラクダや羊を放牧する生活を送っている。
 首都アンマンまではドバイを経由して成田から15時間。要潤さんが旅をして、ベドウィン族のサーレムさん(34歳)が案内。国土の8割が砂漠というヨルダンを車で1時間走る。目の前に死海が広がる。生物が住めない死の湖。広さは琵琶湖の1.5倍。要さんは泳いでみた。水温20度。普通の海の塩分は3%だが、ここは30%。波うち際には塩の結晶がある。

 3時間で岩山が見えてみた。岩だらけ。どこに遺跡があるかわからない。シク(割れ目)というペトラの入口がある。これが1km続く。高いところだと100mあるそうです。昔は川が流れていたためらしい。
 そしてペトラ遺跡エル・ハズネ El Khazneh が目の前に見えた。ビル10階建の高さがあり、紀元前1世紀頃にかつてこの地に住んでいた砂漠の民が作ったもの。エル・ハズネはアラビア語で宝物殿という意味。しかし宝の形跡は全くなかった。中央上の柱に小さな穴がある。盗賊が銃を撃った跡らしい。
 さらに奥にはまだいくつもの遺跡群がある。王家の墓(1世紀〜2世紀頃)。まだ発掘中のものも多く、謎が多い。最大の謎は「雨が年に数日しか降らない場所で、なぜ高度な文明が栄えたのか?」。
 崖に沿って溝が通っていた。これは水道管だった。町の外の6km先の泉からひいていたそうです。
 ろばにのって絶景を観にいく。階段をろばが登る。次は崖の横をろばが通る。1時間降りて、ここから歩く。1時間後、特別な場所に到着した。高いところからエル・ハズネが見えました。

●久本が選ぶロマンチックな絶景
 イタリアの青の洞窟。ネパールのエベレストを独り占めできるホテル。モナコの世界一セレブな絶景。スウェーデンのダイヤモンド・ダストが降り注ぐアイス・ホテル。ドイツの世界一ロマンチックなお城ノイシュヴァンシュタイン城。フィリピン・エルニドの誰も知らない秘密のビーチ。アイスランドの10年に1度の奇跡のオーロラ。

●メキシコのチチェン・イッツァのピラミッド
 ギザのピラミッド以外にも、先の尖ったものとしては、スーダンのゲベル・バルカル、イランのチョガ・ザンビール、ミャンマーのバガン、メキシコのティオティワカン、グアテマラのティカルなどがある。
 メキシコ周辺で4世紀〜10世紀頃に最も栄えたマヤ文明の遺跡。非常に高度な天文学の知識を持っていた。天文台の遺跡エル・カラコルがあり、非常に精密な暦を作り出した。
 日本からはカンクンまで15時間。上原多香子、紺野まひるさんが旅をして、グスタボ・フラボソさん(32歳)が案内。カンクンは白い砂のビーチとカンクン・ターコイズブルーのカリブ海。
 チチェン・イッツァまでは車で2時間半。ジャングルの中の1本道を飛ばす。遺跡の手前からは歩いて到着。
 何のために作られたのか?マヤ文明の神を祀る神殿だった。階段の一番下にはヘビの頭がある。ククルカンという神で、穀物の豊作を願った。頭しかない。階段は2年前に観光客が転落事故をして登ることが禁止された。特別に許可をもらい、角度45度の階段を登った。階段の段数にも秘密がある。91段あり、4つの階段があるから、364、これに最上段の1段があり365となる。18回の段差はマヤ文明の1年の月を表している。最上段から見たジャングルは絶景。
 秋分の日と春分の日に見られる秘密がある。エンカデナTV局のプロデューサーのダビ・コロナさんに貴重な映像を見せてもらった。ククルカンのヘビの姿が現れていました。これを見てマヤ人は種まきの時期を知ったそうです。

●コロッセオ
 2000年前に皇帝は民衆の支持を得るために、巨大な競技場を作り民衆を楽しませた。
 日本からはローマまで12時間。三船美佳、スティーブン・セキルバーグさんが旅をして、マルコ・ベルッティさん(38歳)が案内。コロッセオは元は白かったが、排気ガスで黒く見えるとか?中に入る。今は床がなくなっているが、当時は砂の床があり、アレーナと呼ばれていた。地下には剣闘士の収容施設や猛獣と剣闘士を地上に運ぶエレベーターもあった。トイレがないのも謎です。
 町に出る。スペイン広場。「ローマの休日」では男性が腰をかける前の時計台の時刻は2時40分だが、腰をかけた後は5時になっている。
 三船さんは18年前の7歳の時に家族で行ったレストラン「サバティーニ」に行った。オーナーのスルベストラ・サバティーニさんに会った。「手長海老のブリュレ」をいただいた。
 コロッセオの夜景。ライトアップされてきれいです。

●内藤が選ぶ困難の後の絶景
 バヌアツの青く輝く神秘の湖は、ラピスラズリが溶けたもの。アルゼンチンの崩壊する巨大なペリトモレノ氷河。スイスのアルプスの超パノラマをパラグライダーで体験。ロシアのカムチャッカ富士のイリンスキー山は、クマの群れの中を通ってみる。気象の変化が激しく滅多に全貌を見せない。ボリビアの天空4400mのエメラルドの湖ラグーナ・ベルデは、銅が溶けているため。ベネズエラのエンジェル・フォールの落差は979m。水は霧になってしまい、滝つぼは存在しない。

●万里の長城
 2500年かけて作られた全長6000kmの長城。騎馬民族の侵略を防ぐために作られた。東の果ての関所は山海関で海になっている。西の果ては川で終っている。年間観光客は1000万人以上。誰もいない万里の長城もある。
 成田から北京まで3時間。川合俊一、misonoさんが旅をして、殷銘さん(40歳)が案内。
 まずは八達嶺長城に行く。入場料45元(720円)。ロープウェーは片道40元(640円)。人気の理由は、1952年に最初に観光地化され、修復されて整備が進んでいて、北京から車で1時間のところにあるから。まずは北八楼まで行った。人が多いので、絶景とはいえないようです。一番人気は長城記念マグカップ40元で、写真を撮って、それを貼ってくれます。
 東に10km、山の中へ進んで行く。門番がいて説明して通過する。アジアを代表する建築家達が設計したリゾートホテルがある。一番人気のコテージは日本人による竹屋。吉永小百合さんのシャープのアクオスのCMで使われた場所でした。1泊料金は45万円。敷地内に長城があり、宿泊者以外は立ち入り禁止。
 午前6時に出発。マイナス9度で朝8時までに山の頂上に行く。がんばれ、は中国語で加油(チャーユ)。到着した。長城の人が歩いている部分には草木が茂っていました。修復前の長城で、誰もいない。さらにその向かいの山に絶景があるという。がれきの山を越えて8時までに到着。どこまでも続く絶景が見えました。

●マチュピチュ
 インカ帝国は15−15世紀に栄えた南北4000kmの大帝国。言語の違う80の民族、人口1000万人を50年で統一した。鉄製の道具がないので、全て石製のもので石を切り出し、車輪を持たないので、人力で山の上に運搬した。何故この場所に都市を作らないといけないのかわからない。インカ帝国は文字を持っていなかった。
 保坂尚希さんが旅をして、マチュピチュをさらに高い場所から見た。マチュピチュはコンドルの形をしている。人間の無限の力を見せた遺跡でした。

●ブラジルのコルコバードのキリスト像
 南米で最も有名な建造物。日本人は見たいという希望者は少ない。リオ・デ・ジャネイロのコルコバードの丘に建つ高さ30mの巨大な像。年間180万人の観光客が訪れるという。何のために建てられたのか?
 80年前にブラジル独立100周年を記念して建てられた。大量の石材をフランスに送って作った。それが分解され、また戻ってきて建てられた。のべ5年間かけて建設された。腕の部分を命綱をつけないで掃除することが、18年前にあまりにも危険なので中止された。


テレビ番組「中国秘境3000キロをゆく 水と奇岩の世界遺産」

 2007年12月28日放送。今年世界遺産になった壮大な風景がある。

●重慶
 長江のほとりにある人口3100万人の中国一の大都市。10月下旬に世界遺産への旅が始まった。まずベトナム国境へ向かう。今年、武隆、れい波、石林の3つが世界遺産になった。

●武隆
 重慶を出て200km、ゴツゴツした岩肌が目立ってきた。石灰岩の大地・カルスト地形の世界遺産。380平方kmに及ぶ広大な奇岩地帯。岩盤をくりぬいたような巨大な穴がある。穴は高さ116m。中はひんやりした空気。数億円前は海の底だった。地殻変動で隆起し、生き物の死骸が堆積してできた石灰岩となり、地下水脈となった。やがて上の地盤が崩れ落ちて穴ができた。岩をぬけた水が今も雨のように降る。
 地下にあって未だ発見されていないものが数多くある。地元の農家の龍召栄さんは、昔から言われている気洞という穴があったという。冬には湯気がでていたという。中の洞窟を探索すると鍾乳洞だった。美の結晶。数百万年かけて作られた壮大なオブジェがあった。

●八蒙村
 重慶とれい波の中間にある村。このあたりは山また山の地形で、少数民族が住む村が続く。カルスト大地は土地が貧しい。山間の川沿いに少数民族の水族の村があった。村長の王国望さんが出迎えてくれた。350人が暮らしている。家は高床式。田んぼに鯉がいるのを取って夕飯にしました。酸醤(サンジャン)という唐辛子やショウガを発酵させて作る。カルスト大地の水はアルカリ性なので、酸性の強い水をとってバランスを取るのだそうです。スープは酸湯魚(サンタンユイ)という。

●れい波
 三角形の山が続く。石灰岩が剥き出しの岩山に木が茂っている。石上森林と呼ばれている。岩山に登ってみることにした。わずかな土の上に木が根をおろしている。
 れい波一帯は以前は平らな土地だった。数千万年を時をかけ、雨水は石灰岩を溶かし谷を造った。奥に行くとれい波一美しいと言われる「拉雅瀑布」がある。無数の滝はやがて一つの流れとなり、山を下る。石はたくさんあるが、よくみると全てつながった一枚岩。下流には亜熱帯の森が広がる。森の緑を溶かしたような緑色の水です。

●小黄村
 れい波の東に少数民族がいる。森の民とよばれるトン族。入口は砦のような楼閣。人垣ができていて、トン族伝統の「道ふさぎ歌」。外来者はここから先には進めない。取材陣が歌で応え、敵意がないことを示し、友好の意を示すお酒を飲むと中に入れてもらえる。
 人口は3800人。建物は杉で作られている。村の中心にはシンボルの鼓楼がある。元々は敵が攻めてきた時に、太鼓を叩いて村人に知らせるための物見櫓。さっきの儀式の取りまとめをしていた呉栄徳さんのお宅を訪問した。木槌で布を叩く捶布の音がする。叩けば叩くほど繊維が詰まって丈夫になる。6時間くらい叩くようです。これに卵の白身を塗り、さらに手を加えて民族衣装になる。
 秋の収穫を祝う祭りがあった。闘牛は人気。その後、鼓楼で歌が始まる。1年の労をねぎらい、土地へ感謝する。

●雷山県
 旧正月前のある日、少数民族「苗族(ミァオ族)」の祭りにでくわした。各村から集まった2000人の若者が伝統の歌や踊りを披露し腕前を競う。白い頭巾にのせた金色の飾りが見事です。
 毛家新さんは出稼ぎから2年ぶりに西江の村に帰宅しました。苗族の中でも伝統的な暮らしが残っている。人々は段々畑を作り時給自作の生活を送ってきた。近頃、西江には昔の風景を求めて、多くの観光客が訪れる。華やかな銀細工や民族衣装が人気。毛さんは息子を祖父に預けている。こういう留守児童は中国に2000万人もいるそうです。

●石林
 世界遺産。切り立った岩が続く奇景。

●ベトナム国境に近い俄東村
 雲海を抜けると、谷底まで続く棚田が現れた。カルスト大地に特有の傾斜のきつい斜面に何千枚もの棚田。細かく区切られた棚田。山の中腹に小さな村があった。少数民族ハニ族の村「俄東村」。昔から優れた棚田を築きあげてきた。人口700人。
 その日はハニ族の暦で大晦日の日だった。みな年越しの準備をしていた。楊宏偉さんが案内してくれた。100mを下るのに20分要した。棚田では水路の掃除が必須。冬でも水を貯めておかないと5月の田植えで水が足りなくなるという。村の水源は1つ。幼稚園に通う子供が麓の村から半年ぶりに帰宅した。
 11月19日ハニ族の新年の日。毎年元旦には村の広場で豚をさばく儀式が行なわれる。その後全ての家に公平に分けられる。この豚を食べると1年間健康に幸せで暮らせるという言い伝えがある。午後広場で新年恒例の踊り「楽作舞」が始まった。楊さんは素晴らしい棚田の風景を見せてくれました。


テレビ番組「びっくり法律旅行社 世界一周の旅スペシャル」

 2007年12月28日放送。児玉清、黒崎めぐみ、タカアンドトシさんが司会。井上順、麻木久仁子、高橋ジョージ、三船美佳、高田万由子、金子昇、ザ・たっちさんが出演。NHK製作。

●ニューヨーク
 条例10条−125項「公共の場での飲酒の禁止に加え、飲む目的があると思われる口の開いた容器に入ったアルコールを持ち歩くことが禁じられている。」。違反した場合は最高25ドルの罰金。
 条例24条ー218.1項「公演会場での携帯電話使用を禁止」。ミュージカルなどの劇場では切らないといけません。最高50ドルの罰金。
 スタテン島フェリーは無料で自由の女神を見ることができる。しかし、船の中などで音楽を聴いている場合、条例24条234項では「イヤフォンからの音声が5フィートを越える距離でも明白に聴こえる場合、あらゆる高速鉄道、バス、フェリー上、もしくは同輸送の手段内部での音声再生機器の使用および利用は違法とする。」。違反した場合は70−175ドルの罰金。
 樹木を傷つける行為も違反です。

●ハワイ
 ホノルルでは歩行者の事故がとても多い。Jウォークする人が多い。ミッチ・オノ巡査部長は、ハワイでは「歩行者は横断歩道以外のいかなる場所においても横断してはならない。」というハワイ州議会制定法291C−73があるという。信号が赤の場合ももちろん禁止(同291C−33)。違反した場合は130ドルの罰金。
 ビーチでは日本人が危機管理がおろそかになっている。泳ぎに行っている間に、置き引きされるケースが多いそうです。
 飲酒またはアルコールを買う場合、21歳以上の年齢に達していなくてはならない。公園(ビーチを含む)公共の遊び場、学校の運動場などでアルコール飲料を所持してはならない、というホノルル市現行制定条例第40−1.2もある。最高1000ドルの罰金または最高30日の禁固刑です。
 「ビーチではコートがない場合は、ボール遊びは禁止」だとマーカス・ランスバーグ弁護士は語る。あと子供の管理が甘いそうです。アメリカでは常に子供を監視しておかねばならない義務がある。こんな例もあったそうです。子供が寝てから夫婦でバーで飲んでいて、子供が両親がいないというのでホテル内で泣いていた。警察に連絡されて、夫婦は逮捕されたそうです。ハワイ州現行制定法第709−904では、「親保護者は子供の安全を守る必要がある。子供を残して遠くへ離れるなど、危険な目にあわせることは違法である。」。
 市長のムーウィー・ハンネマンさんが歓迎の話をしてくれました。

●アルゼンチン
 仕事おさめの日に窓から不要になった書類をばらまく。市の職員が清掃するのがたいへんだとか。

●ペルー
 黄色いパンツをはいて新年を迎えるといいというので、みんな購入する。

●香港
 弁護士の陳忠輝さん。法令第1328C章では、「公園内のベンチ及び建物内において寝そべったり、横になることは禁止」。違反すると禁固2週間、または最高2000香港ドル(3万円)の罰金。

●北京
 毎月11日を「きちんと並ぼうデー」と決めて、列を作っている。トイレも清掃員が常駐しているところもある。紙も1元(15円)で市販している。「文明北京人」というマナーブックも市販されている。
 弁護士の王さん。新しい法律ができたそうです。北京市観光条例第34条「都市の道路あるいはガードレール、電信柱、木、等に洗濯物や他の物をつるすことは禁止」とある。違反すると20−50元の罰金。
 北京市天安門広場管理条例第7条では、「北京市天安門地区管理委員会の許可がなく、自動車、自転車、人力三輪車などの進入、横断は禁止。」。違反すると20元の罰金になります。
 ガソリン・スタンドでは、携帯電話の使用が禁止されている。北京市ガソリンスタンド管理規範代73条では、「携帯電話の電波が原因で、誘発事故が起こる可能性があるため、ガソリン・スタンド内での携帯電話の使用は禁止」となっている。違反するとスタッフから注意されて、他の場所へ移動するように要請される。


テレビ番組「関口知宏の中国鉄道大紀行」

 2007年11月30日放送。関口知宏さんが案内。誰もやったことのない中国鉄道大紀行3.6万kmを春と夏の2回にかけて旅をした。今回は西安から2ヶ月かけてシルクロードのカシュガルを目指す後半の旅1.9万kmの総集編。NHK製作。

●黒龍江省・鶏西
 10月21日、中国東北部の町に初雪が積もっていた。稚内とほぼ同じ緯度。日本語学校が16校ある。80年代からできていて、1万人が学んでいる。食堂では日本語が話せる学生が数人いた。女子寮に案内してくれた。

 富裕駅で下車。人力タクシーで青空市場に行く。

●内モンゴル自治区
 ハルビンを過ぎて内モンゴル自治区に入る。列車の中に新婚さんがいたが、赤いふとんを持っている。新婦は服から靴まで赤色。赤は縁起がいいそうです。
 10月23日早朝に出発して朝焼けの中を走る。肥沃な黒い大地が広がる。ここは大豆などの産地。
 10月24日シャグダチ駅を出て、イトゥリ川駅を目指す。白樺林の中を駆け抜ける。最北端を通過。合計距離は3万kmを超えた。
 イトゥリ川駅で午後0時半に下車。町は人口2.6万人。木材加工やきのこ栽培が主な産業。白樺の林にトナカイがいたが、エベンキ族が飼っていた。食用にすることは少なく、角を売ったり荷物を運ばせている。エベンキ族は2万人で、ほとんど町に住んでいて、狩猟生活は20−30人。ここは零下40度にもなるという。口タバコをもらったがかなり辛いそうです。円錐形の白樺の皮を張ったテントに住んでいる。エベンキ族が大切にしているという場所に連れて行ってくれた。幹に太い幹が絡んでいる木がある。母と子の木と呼ばれている。

●東北地方に入る。
 大平原を走る。展子山駅で下車。このあたりは花崗岩の産地として知られている。古い石臼がある。昔はみんな石職人だったが、今は一人しかいない。

●内モンゴル自治区
 10月29日〜、白城駅を通過し、サンギーン・ダライ駅に向かう。防風林が続く。発電のための風車が並ぶ。草原には羊が放牧されている。
 11月1日、サンギーン・ダライ駅で下車。気温は零下8度で、冷たい風がふきつけていた。モンゴル族の酪農の村のレンガ造りの建物に入れてもらった。塩の入ったお茶をいただいた。牧草地が足りなくなって移住してきたそうです。

 さらに西に行く。食堂車の燃料は石炭。女性の車掌さんは4月に蘭州から天水に行く車両の人でした。ギターを弾く人がいて、車内では歌合戦になり、関口さんは与作を歌いました。

●シルクロード
 11月6日、河西回廊に入る。いよいよシルクロード。南には5000m級の山々が連なる祁連(きれん)山脈。北の山並みの向こうは内モンゴルの高原地帯。二つの山並みに挟まれて走る。車内では餅子(ビンズ)を食べる。小麦粉だけで作る。ウイグル族の主食ナンもいただく。河西回廊はおよそ1000kmに渡って続く。荒々しい岩肌。標高1500mを越える高原を行く。
 11月7日、嘉峪関(かよくかん)駅で下車。乾いた大地に万里の長城があった。かなり風化しています。1ヶ月前に見た海に突き出た長城は東の端、その反対の西に端です。6000kmに渡って築かれた長城は、断崖で終っていた。少し先にきれいに修復された長城があった。地元の楊永福さんが私財を投じて修復したそうです。そばにきれいな冷たい水が流れていた。祁連山脈の雪解け水で、ひいてきた水で柳の並木を作っている。長城を風から防いで風化を抑えている。尊敬します。

●甘粛省・敦煌
 11月8日、柳園駅を目指す。シルクロードの拠点、敦煌の入口。
 敦煌に到着。砂漠が広がっている。ラクダに乗って砂漠を歩く。砂丘を登りきると、ソリで楽しめた。

●新疆ウイグル自治区
 11月9日、柳園を出発。新疆ウイグル自治区に入る。ゴールのカシュガルまであと5日。11日は夜行列車に乗る。ウイグル族の若者が乗っていた。やっぱり顔が違います。12日午前5時8分トルファン駅に到着。
 西遊記にも登場する火焔山(かえんざん)に向かう。夏は気温が50度を越えることもあるシルクロードの難所。炎のような赤い山肌。冬には氷点下30度近くにまで下がる。近くの村に寄ってみた。ぶどう棚がある。凍らないようにぶどうの蔓を土に埋める作業をしていた。ヤギを連れた人がいた。自宅で干しぶどうをいただいた。干しぶどうとクッキーを売って生活している。知人の家で宴があるというのでついて行った。きれいな人がたくさんいます。嫁いだ娘さんが初めて里帰りしたためだそうです。

 荒涼とした大地を西に列車は走る。途中駅で機関車を交換。天山山脈を越えるので、機関車を2両連ねて走る。標高2980mの最高地点まで一気に登る。放牧された馬。良質の牧草に恵まれ、良質の軍馬として有名。冬と秋の景色の中を走る。
 山を越えるとタクラマカン砂漠。午後1時38分、クチャ駅に到着。クチャは三蔵法師が立ち寄ったという町。観光客用の果樹園があった。季節外れなので、突然の客にすぐ準備をした。伝統の弦楽器で演奏し、お母さんが踊ってくれました。
 11月14日、天山山脈の南を走る天山南路を西のアクスに向かう。綿畑があり、収穫していた。雪解け水が欠かせない。出稼ぎで来ていた人がたくさん乗っていた。2ヶ月ぶりの故郷だそうです。午後1時16分、アクス駅に到着。
 郊外に足をのばしてみた。綿畑が一面に広がっていた。一人で1日20kg収穫するそうです。3時間、綿摘みを手伝いました。
 11月15日、旅の最後の日。5時45分カシュガル行きの電車に乗る。通算152本目の列車に乗る。カシュガルまであと460km。
 3.6万kmを5ヶ月かけて旅しました。中国の人のぬくもりを肌で感じました。
 カシュガル駅に午前11時23分到着。シルクロード鉄道の終着駅。線路はここで途絶えています。総乗車距離36543km、総乗車時間587時間11分でした。

http://www.nhk.or.jp/tabi/


テレビ番組「世界遺産新たな旅へ 中国・曲阜の孔廟、孔林、孔府」

 2007年10月13日放送。

●山東省曲阜
 儒教の始祖孔子は東アジアに大きな影響を与えた。北京から南へ500km離れた場所。孔子の子孫13万人が住んでいる。紀元前551年に尼山に孔子は生まれたと伝えられる。周王朝の勢いが衰え、戦乱の世が始まろうとした春秋時代に生きた。国の乱れを憂い、国とはどうあるべきかを考え続けた。
 「杏壇」は、孔子が弟子を集め、杏の木の下でその教えを説いたとされる。
 孔子の教えの根幹は「仁」。人の魂は親から子へ、子から孫へ受け継げられると考えられた。紀元前2世紀に儒教は中国の国の宗教となる。以後、人々の間に儒教は生活の隅々まで浸透していった。
 孔廟は元々町外れにあった孔子の家の跡に作られた小さな霊廟だった。これは明、清の時代に22万平方mという広大な規模になった。歴代の皇帝は孔子を聖人と崇め、整備していった。幅200m、奥行き1000m。中国の宮廷の伝統的な様式で作られている。中庭には歴代の皇帝がこの地を訪れた碑が並ぶ。
 孔廟の本殿「大成殿」。高さ32m、幅54m、18世紀に再建された北京の故宮の大和殿に劣らぬ大きさと豪華さを誇る。28本の柱のうち、10本には宮殿と同じ2匹の龍が玉と戯れる姿が描かれている。
 紀元前479年、孔子が亡くなると弟子たちは大きく2つに分かれた。「礼」社会制度や学問を重んじる人々と、「孝」道徳や人間性を重んじる人々。礼を重んじる人々は皇帝に重用され、強固な官僚社会を支えた。皇帝は孔廟に参拝し、儒教による支配を確かなものにしていった。孝を重んじる人々は、神こそが国を支えると訴え、仕事に精を出し、節約し、父母を大事にすることが大事だと説いた。
 孔子はいつしか学問の神としても崇拝された。科挙の合格を願って、ここに詣でる人も少なくない。
 孔廟の東側には16平方km、周囲2kmの孔府がある。皇帝から孔子直系の子孫に与えられた。子孫は前漢の時代から貴族となった。11世紀、宋の時代には官僚の最高位に就いた。執務を行なう部屋、客間、家族のための住居と次々建設され、部屋数は463にもなった。
 孔廟の1km北にある孔林は、孔子とその子孫の墓地。周囲6km、10万を越える墓碑が立ち並ぶ。孔子の墓には名前と龍が彫られている。後の皇帝たちはここに足を運び、祈りを捧げた。
 論語は東アジア全域に広がった。2500年間、受け継がれてきた孔子の教え、一つ一つが混沌の時代を生き抜く支えだった。


テレビ番組「関口知宏の中国鉄道大紀行」

 2007年10月12日放送。関口知宏さんが案内。誰もやったことのない中国鉄道大紀行3.6万kmを春と夏の2回にかけて旅をした。今回は西安から2ヶ月かけてシルクロードのカシュガルを目指す後半の旅1.9万kmのパート1。NHK製作。

●陝西省
 9月2日、悠久の古都・西安から2ヶ月半の秋の旅が始まる。午後0時56分出発。城壁に沿って走る。最初の停車駅は1時19分の咸陽駅に到着。
 黄土高原の横穴を掘ってつくったヤオトンが見える。ほとんどが倉庫になっているという。次にとうもろこし畑の中を進む。
 午後3時46分、張橋駅で下車。小さな村で、とうもろこしの畑の中を歩く。綿の畑の中に子供がいた。収穫しているので手伝いました。農家の少年が自宅に案内してくれた。おばあちゃんは今でも自分で糸を紡ぎます。夕食に誘ってくれました。自家製の小麦粉で作った麺に醤油や味噌で味をつける。
 車窓には黄土高原が続く。切り立った荒々しい風景でも木々がある。黄河を渡る。侯馬に向かった。

●安徽省
 9月5日、平野部に入り、豊かな穀倉地帯に入る。鄭州から阜陽に向かい、午前11時21分到着。  阜陽は人口185万人。旧市街を歩いているとぶどう、すいかなどの果物が並ぶ。大豆やそば、小麦などの粉で作る中国風クレープ。卵、揚げ物、ソーセージなど好みで入れて、1枚30円。すごくおいしいそうです。大きなパンがあるが、阜陽の名物。
 蚌埠(ぼうふ)に向かう。市場でもらったパンを言われた通り枕にしてみたら固いそうです(笑)

●山東省
 9月6日、沿岸部を東に揚州に向かう。池では真珠貝が養殖されていた。

●江蘇省
 9月9日、桑畑が見える。江蘇省は養蚕が盛ん。午後4時海安県駅で下車。近くに桑畑があった。蚕を見せてもらったが、繭を作る2週間前だった。桑の葉の摘み取りを手伝った。

●山東省
 9月10日、徐州に向かう。
 9月12日、曲阜から夜行列車で膠州に向かう。5時43分着。乗り換えて○坊(○はさんずいに維:いぼう)に、とうもろこし畑の中を向かう。
 いぼう駅で下車し、郊外の揚家埠(ようかふ)村に行く。通りには凧の店がずらりと並ぶ。ここは凧の発祥地で、年に1度、国際的な凧の大会もある。凧の店に行ってみた。蝶々の凧が多い。声を出す龍の凧もありました。蟹の凧をあげてくれた。

●河北省
 9月13日、○博(○はさんずいに「くくく」の下に田:じはく)駅から泰山に向かう。のどかな農村風景が続く。午後0時45分到着。道教の聖地として知られる泰山は世界遺産。ロープウェイで今では標高1500mまで上れる。目指すのは山の頂き近くの赤いお寺。ロープウェイを使わずに上ってくる人もいるが、7000段。5時間半とかかかったそうです。制服の学生がいたが、韓国から来たそうです。お寺の手前で時間切れで、また下りました。
 天津まで6時間、午後10時12分に到着。

●陝西省
 9月16日、天津から夜9時過ぎの夜行列車で内陸の任丘に向かう。9月17日は南の○沢(○は草かんむりに河:かたく)に向かう。綿畑が続き、黄河を渡る。かたく駅で途中下車。かたくは人口874万人の町。武術の学校がある。古くから武術で有名で、市内には60の武術学校がある。
 夕方、かたく駅を出て、午後10時38分に新郷に到着。
 9月19日からは長治北から北京近くまで行って、石家荘から五台山に向かった。
 黄土高原を北に進む。崖に横穴を掘った住居ヤオトンが見えてきた。楡次(ゆじ)駅で途中下車し、ヤオトンを探す。後溝村に行く。崖の下に窓があった。中は涼しい。壁はきれいに白く塗られていました。中庭が広くて、女性たちが麻雀をしていました。犬と猫が仲がいい。
 9月20日、石家荘から北京市の豊台に向かう。回族の女性がいるが、結婚するとスカーフを髪にまとうそうです。
 豊台に日本料理店を見つけた。久しぶりに畳に横になる。寝台車で五台山に6時間かけて向かう。イギリス人の観光客が乗っていた。

●山西省
 五台山に秋晴れの中、登る。地球に住まわせてもらっているという感じがしたそうです。
 9月23日、一旦西に向かってから原平に向かう。黄土高原が広がる。列車は太行山脈に沿って進む。車内に全寮制の高校生がいた。中秋の名月の日には中国では月餅を食べる習慣がある。大同に向かうと、石炭の鉱山があり、石炭を運ぶトラックが大渋滞。河を走るトラックもいる。100両も連なった石炭車とすれ違った。午後2時16分、大同駅に到着。
 大同は5世紀に北魏の都として栄え、近くに世界遺産「雲崗石窟遺跡」がある。岩壁を掘って作られた仏像が並ぶ。幅1kmの断崖に大きな石窟だけでも50ある。ここの石窟のシンボルは如来坐像。最大級の石窟「第6窟」の内部には数えきれないほどの仏像が天井にもある。釈迦の生誕から入滅までの歴史が描かれている。仏像が黒ずんでいるのは、石炭の粉塵がつくためらしい。1970年代から復旧活動が進められている。
 大同から沙城に向かう。
 9月25日からは東に向かってからUターンし、懐柔北を目指す。万里の長城が見えた。全長6000kmを越えた作られた世界で最も長い建造物。急勾配の上り坂を列車はゆっくり登る。中学生がいて、満月なので、月餅を持っている。それをいただいた。

●遼寧省
 9月26日、内モンゴル自治区と遼寧省の境に沿って南下する。赤峰から新立屯に向かう。
 9月27日、新立屯から三十家、下板城と山間の単線を走る。時刻表にない駅に止まるが、ホームがない。農家の人のために1日1便止まるらしい。とうもろこしが収穫の時期を迎えていた。午後3時15分、三十家駅に到着。昔三十軒しか家がなかったという。駅の前がとうもろこし畑。その畑の人の自宅に行く。巨大なかぼちゃがなっている。10kgある。ナツメや梨もある。

 これ以降は10月14日瀋陽、10月21日鶏西、10月28日ジャラントン、11月4日フフホト、11月11日敦煌、11月18日カシュガルの予定。


テレビ番組「世界の絶景」

 2007年10月10日放送。ビデオが不調で撮れませんでした。

●ボリビア
 中村俊介さんが案内。標高4400m緑に輝く天空の湖ラグーナ・ベルデは、チリとの国境の町サン・ペドロ・デ・アタカマから約50km。標高5930mのリカンカブル火山のふもとにあるカルデラ湖。現地の言葉で「緑の泉」の意味で、湖水は火山活動の影響により緑色。
 日本を出発してアメリカ経由で24時間近く飛行機を乗り継いで、現地の早朝にボリビアに到着した。あとは四輪駆動車で1000km移動した。
 途中、世界最大の塩湖であるウユニ湖に立ち寄る。移動距離およそ1000km移動して幻の湖に到着する。途中、2泊は電気も水道もないベッドだけがあるような小屋に宿泊した。

●ベルギー
 釈由美子さんが案内。「フランダースの犬」の最後のシーンで、ネロとパトラッシュが見た奇跡の絶景が、ベルギー・アントワープにあるノートルダム大聖堂の絵。2000年に世界遺産にも登録された全長134mのゴシック様式の大聖堂。釈さんは「フランダースの犬」を愛し、ネロとパトラッシュが最後に見たであろう素晴らしい絶景を目指した。
 ベルギー料理の定番は「フリッツ(フリテンとも言う)」で、ポテトを2度揚げたもので、カリカリをマヨネーズに付けていただく。ベルギーの人はコレが好きだそうです。有名な「ムール貝の白ワイン蒸し」にも、付け合せとしてでてくる。ベルギーはビールでも有名で、国内に約120の醸造所があり、銘柄も非常に多い。コクがあるのに飲みやすい Duvel が釈さんが好きなようです。

●中国
 渡辺正行、ギャル曽根さんが案内。湖南省にある武陵源は、高さ200mを越える3000本の石柱がある山水画の世界。1970年代に、近くに鉄道が敷かれるまで、その存在をほとんど知られる事がない秘境だった。渡辺正行とギャル曽根が目指したが、最後に4000段の階段が待ち構えていた。300m以上のエレベータの底から下が見えるらしい。光の加減で岩が輝いたそうです。
 「食は広州にあり」の言葉通りに、料理は何でも美味しいそうです。

●ナミビア
 フジテレビの新人アナウンサーの大島由香里、生野陽子さんが挑戦。ナミブ砂漠の最果ての地に輝く神秘、赤の絶景がある。ナミビアは南アフリカの北に位置する。日中の気温は50度を越え、朝晩は10度前後に冷える。番組史上最も過酷な旅となったそうです。「ミビア」は地元の人の言葉で「人のいない土地、何もない土地」という意味。
 国際線の飛行機を3回乗り継いでナミビアの首都ウイントフックに到着した。そこから更に小型セスナ機に乗り換えてナミビアの奥地カオコランドに着く。25時間の長旅で、昼過ぎに現地近くの町に到着。滑走路は未舗装で、待合所もクーラーもない。

 ヒンバ族を取材したが、上半身裸で下半身は皮で作ったスカートのような前当てで前後を隠している。女性は赤い化粧を全身にしていた。両アナウンサーも赤い塗料を塗る体験をした。

 ピンク色の朝日や聳え立つ岩山など、砂丘以外も全てが絶景。最初は、コースを最短距離で登れば1時間で到着すると思ったが、一歩は3分の一歩の意味しかない。砂が細かくて登っても登っても崩れていく。高低差が約300メートルの砂丘のぼりが地獄だったそうです。最後の登頂は四つん這い状態で登らないと進まない斜面で、みんな必死で砂丘を登った。

 現地の人は素朴でのんびりしていて、環境や観光客にもに親切だった。ナミビアはヨーロッパからの観光客が多くいた。


テレビ番組「世界遺産新たなる旅へ 黄龍」

 2007年10月6日放送。

●黄龍
 標高5580m万年雪をたたえる雪宝山。黄龍という神秘的な景観を見せる渓谷がある。全長3.6km、高低差530mの渓谷に湖や沼が広がる景勝地。棚田状に連なった池。水に含まれる石灰質が徐々に堆積していく間に様々な形の池を造りだしている。池を五色に染めているのは、藻やバクテリア。3000以上の湖、沼、滝がある。
 金沙舗池は幅100mの浅瀬に大小の凹凸ができている。その凹凸が金色に光、龍の背中に見せることから黄龍という名がつけられた。蓮台飛瀑という滝は斜面に倒れた大木の上に石灰が堆積した姿は、まるで龍が手を伸ばしているかのように見える。その上流部にある洗身洞は、いくつも洞窟があり、僧侶が修行したと言われ、ここに入ると長生きするという。標高3650m、黄龍の中で最も上流域に広がる五彩池には、693個の池が連なっている。色が見事です。
 玉翠峰から湧き出る水が水源。10年以上かけて地上に出てきた水には、二酸化炭素によって溶かされた石灰が大量に含まれている。水1リットルに対して石灰が0.5g以上も含まれている。水に溶けた石灰は年間3mmずつ堆積しながら下流に流れていく。その石灰の表面にバクテリアが付着し、光を浴びると銀色に輝く。
 池の淵は落ちた木の葉に石灰が付着して作られていく。ゆっくりと一つ一つの池が形作られていく。今の姿は1万年の歳月がかかって作り出された。
 五彩池のほとりにたつ黄龍寺。現在の寺は400年前の明の時代に建立されたと伝えられる。恵の雨を司る神「龍」を信仰していたと考えられている。本堂には龍の化身「黄龍真人」。紀元前2000年、川の氾濫を龍が人の姿に変わって救ったという言い伝えがある。今も昔も変わらず人々の厚い信仰を集める。
 黄龍寺の前の池から頭を出す石塔。かつて参道のあった一帯は池に沈んでいる。高さ2mの石塔は頭を50cmのぞかせるだけ。


テレビ番組「魅惑の上海、女だらけのハメはずし旅」

 2007年9月17日放送。青田典子、インリン・オブ・ジョイトイ、宮地真緒、有賀さつきさんが出演。大阪からは週2便の中国国際航空で2時間半で行った。2010年上海万博が予定されている。関西テレビ製作。

●上海
 空港から世界最速のリニア・モーターカーで市内の中心へ。VIP席80元(1200円)、普通席50元(750円)。2005年から運行していて、最高速度431kmで、市内まで33kmを7分20秒。
 1842年の南京条約により開港を余儀なくされた上海。外国人が自由に貿易ができる区域が制定されたのが、外灘。イギリスやアメリカなどが競って1920年代〜30年代に建てたアールデコ調の建築が残されていて壮観。ライトアップされる夜景は一見の価値がある。
 外灘にあるビルの最上階にあるレストラン「New Heights 」(住所:中山東一路3号7階、10am-2am)からは外灘とフートン?が両方眺められる。
 宿泊はウェスティン外灘センター上海。バニヤン・トゥリー・スパで心身共にリラックスできる。屋内プールでもゆったりした時間を過ごせる。

 上海老街は明から清の時代の古い街並みが再現された商店街。骨董品や雑貨などを扱う店が多い。バッグが55元を4個150元(2250円)で買いました。子供服150元を100元、ガウン250元を200元、500元を200元に値切りました。
 豫園は明代に造られた昔ながらの下町風情が残る歴史的名所。その周辺にある豫園商場というショッピング・エリアは200年以上続く。10年かけて再開発し、ノスタルジックな町に変身した。南翔饅頭店は上海随一の知名度を誇る小籠包の店。皮が薄く脂も控えめで食べやすいのが特徴で、150年の歴史を誇る。テイクアウトの行列が絶えないことでも有名。六本木や大阪の心斎橋などに直営店がある。レンゲにのせて穴をあけ、スープをいただく。蟹肉小籠包は6個33元(500円)、海老小籠包6個入り35元(525円)、豚肉小籠包6個33元、蟹みそスープ小籠包1個22元(330円)。

 ザリガニ・ストリートはザリガニを料理するお店が多い。元々ザリガニは上海の名物。今では若者たちを中心に大人気。「香○島(○は口へんに巴)」(住所:寿寧路20号、10am-2am)では近郊の湖で採れた天然物を扱っている。辛口ザリガニは1500g76元(1125円)。一人前は500g25元。手袋が配布され、これで剥いて、タレをつけて食べる。大きいのに身は少ないが、美味しいそうです。

 長楽路はチャイナドレスなどハイセンスなファッションのお店が並ぶ。「蔓楼蘭」(住所:長楽路243号、10am-10pm)は伝統的なチャイナドレスを現代的にアレンジした店。チャイナドレスじゃなくて普通に着られると言ってました。 チャイナドレスは858元(12870円)が2人、青田さん1688元(25320円)、有賀さん5998元(10.5万円)でした。

 夕食は高級上海料理「老洋房」(住所:紹興路27号、11am-1pm & 5:30pm-10pm)で、実在した上海マフィアのボスの邸宅を利用したレストラン。上海の家庭料理をもとに洗練された高級上海料理が楽しめる。紹興酒で乾杯。「アワビの煮込み」1人前380元(5700円)。「蟹肉とフカヒレの煮込み」1人前198元(2970円)。「豚肉の角煮」1人前36元(540円)は、からし菜類の漬物の一種である梅菜と豚バラ肉を甘辛く煮込んでいる。「仏跳牆(フォティオチャン)」1人前128元(1920円)は、その昔あまりの美味しさに僧侶が塀を飛び越えて食べに行ったという逸話がある。アワビ、フカヒレ、ナマコ、貝柱など7種類の食材を一晩かけて煮込んだスープ。青田さんは最初のデートは白いブラウスで、膝下のタイトスカートらしい。

 「海老亀」(住所:雁藩路41号)は亀ゼリーの専門店。「亀ゼリー」は16元(240円)で、亀の甲羅(腹の皮)のエキスと多くの生薬を煮込んで作られた煮凝り状のデザート。「雪?蛤(ハスモ)煮込みのパパイヤ乗せ」40元(600円)は、滋養強壮、神経衰弱に優れた効果がある。これはカエルの脂肪を固めたもの。

 人気のスパ「バンド・ファイブ・スパ・オアシス」(住所:中山東一路5号5階、10am-深夜0am)は、オリエンタルな高級感が漂うサロンで、きれいな夜景を見ながらしてもらえる。日本語で対応してもらえます。貴妃コース4時間1980元(3万円)。

●七宝鎮
 車で30分の水郷の村。数百年前の明・清時代の街並みが再現され、水路が町中を流れる。水路には屋形船がのんびり進む。橋の形も特徴がある。
 水路をはさんで、北大街と南大街の2つに分かれる。南大街はたんもの屋が建ち並ぶグルメストリート。日本では目にすることのない食べ物が並ぶ。餅か芋か不明な固そうなものが置いてある。鳥だそうで、黒い包み?の中には「こじぎ鳥」1個20元(300円)が入っている。香りがよくておいしいそうです。
 花茶をいただいた。最初の葉は苦いから捨てます。2杯目を注いでくれますが、ピンセットで配りました。「香亦メv50g45元(675円)。
 骨董屋さんにあった「八字分析」の看板は占いらしい。「起名館」(七宝古鎮北西鎮97号、8am-5:30pm)では生年月日時間、兄弟を聞いて占う。インリンは全体的な人生はよくないと言われた。もっと成長できたら、人を左右するような人物になるという。青田さんは2回結婚する運命だそうです。有賀さんは銭幣揺掛法で、3枚のコインを6回振って表と裏の組み合わせで占ってもらった。

●成都
 中国西南エリアの中心都市で、麻婆豆腐をはじめ超激辛で有名な四川料理とパンダの故郷で有名。街角では成都発祥の茶芸パフォーマンスも見られる。綿里では干支を飴で作ってくれる人がいる。1個15元(225円)。
 「三顧園」(成都市武候祠大街231号)は古きよき時代の四川料理が満喫できる。「花○(○は魚へんに連)」38元(570円)は、スープと油を4:1で混ぜ、唐辛子と川魚を入れて煮込んだ料理。「麻婆豆腐」22元(330円)は、成都で誕生した料理で、粉状の唐辛子がかかっている。
 パンダの研究基地に行くが、途中にはパンダのグッズの店が並ぶ。「成都大熊猫繁育研究基地」は入場料は30元(450円)。パンダが庭?に放し飼いになっている。日本語ガイドの趙寧さんが案内してくれた。まず大人パンダ地区。マオマオというパンダは北京オリンピックのマスコットなので、とても有名。次に1歳パンダの場所に行く。
 その日にパンダを抱きたいというので行ったが、1日前に注射をうったので、ダメだという。注射をうつと免疫力が低下するので、飼育員以外の人が近づけないそうです。

●上海
 最後の夜は「百楽門」(住所:愚四路?218号、7pm-2am)で、入場料200元(3000円)で、1930年にオープンしたダンスホールの老舗。かつては上流階級の社交場だったが、2002年にリニューアルされてから若者スポットとして大人気。ここで昔の日本のマハラジャのように扇子を持って、チャイナドレスで踊りまくりました。


テレビ番組「旅する坦々麺 四川料理のルーツ、大西南を訪ねて」

 2007年9月8日放送。グッチ裕三さんが出演。原宿の四川料理の店「籠の子」で坦々麺をいただいた。グッチさんのグルメ本は400万部を売り上げる。坦々麺を探る。テレビ西日本製作。

●四川料理
 四川料理の基本は麻(マー)、辣(ラー)、甜(ティエン)、鹹(シェン)、酸(スワン)、苦(クー)、香(シャン)。この7つの味を巧みに組み合わせた時に四川料理のうまさが生まれる。日本での代表料理が坦々麺。

●重慶
 町の中央部は大きな2つの長江と嘉陵江が交じり合う中州にあり、そこに摩天楼がそびえ立つ様はニューヨークのマンハッタンを思わせる。人口は中国で最も多い3100万人。北京、上海、天津に次ぐ4番目の政府直轄市で、10年前に四川省から分離された。急激な発展のせいで、あらゆる階層の人でごった返し、町にはどこかアンバランスな風景が溢れる。
 ブランド・ショップが並ぶ通りに人だかりができていた。中では服の奪い合い。昨日、火事を出した店が外に持ち出せたものを安売りしている。目抜き通りの近くには重重農貿市場がある。すごい匂い。肉類が充実している。オックステール(牛の尻尾)、アヒルの頭、豚の脳まである。担ぎ屋という職業もあり、坂や階段が多いので、距離や重さによって、3−5元(50〜80円)で運ぶ。土管さえも運搬している。バイタリティがある。ごちゃごちゃしていて落ち着かないのが、町の第一印象。

 町のいたる所に食堂があり、市民は1杯3−4元(50−65円)の麺を食べている。坦々麺の店は意外とない。重慶一の観光スポット「朝天門広場」にいる担ぎ屋さん。彼らが売るものはテイクアウト式。これが本物の坦々麺。担いで売るから坦々麺という。作り方は、予めゆがいていた麺を器に盛り、揚げた豆に刻んだザーサイ、ネギなどをのせ、塩や砂糖、旨み調味料、唐辛子がたっぷり入ったラー油をかけ、お湯をふってできあがり。おばさんは2元(32円)なのに5元(80円)取りました。甘いけど辛いそうです。駄菓子屋の感じの味だと語る。期待はずれの味で、汁は入ってないし、熱くもない。乱暴にタレがかかっただけの2元にふさわしい味だそうです。食べた後に、咳をしてました。以前とは味も変わってしまったそうです。
 かつての重慶は山城と呼ばれた険しい場所で、古くから担ぎ屋が存在した。そんな中で坦々麺屋が生まれたのは、100年前。町で働く労働者にとって、担いで売りに来てくれる彼らは便利で、ずいぶん繁昌したという。1949年中華人民共和国が建国されてから、自営業は認められなくなり、彼らは姿を消していく。文化大革命の時期には、坦々麺屋さんは町から一掃された。今は坦々麺は食堂で食べるものではなく、コース料理の最後に出される伝統料理という位置付けになってしまった。

 街角の食堂に昔から庶民が食べている坦々麺と同じようなものがあると聞いてでかけた。担ぎ屋さんが売る麺よりも、調味料の種類も多く、唐辛子の辛いタレだけではなく、辣醤(ラージャン)、芝麻醤(チーマージャン)やゴマ風味のタレも入る。麺も野菜も茹でたての「小麺(シャオメン)。あまりの辛さにいきなり汗が吹き出て、頭と口がしびれてろれつが回らなくなったそうです。
 辛さの素になっているのは、麻(山椒)、辣(唐辛子)。麻はしびれるような辛さがあり、下痢などに効能がある。辣はハアッとする辛さで、体をほてらせ、発汗作用がある。この地では麻と辣は欠かせない。花椒(ファジャウ:中国山椒)、辣椒(ラージャウ:唐辛子)など、各々の店でブレンドしたものを独自に入れる。
 麺店「開半天」は重慶で1、2を争う人気店。出勤前に朝食として食べに来る客が多い。値段は1杯3−4元(50−65円)。この店特製の朝辣麺(マーラーメン)は日本でいう坦々麺風だった。かなり辛いそうですが、まわりの人は涼しい顔で食べている。メニューを見ると朝から白酒(中国産の強い焼酎)アルコール度数56も入っている。
 麺店「天香小吃」は担ぎ屋が行き交う階段沿いにある最も庶民的な店。何とテーブルもイスも踏み台。かなり辛いそうで、口の中で火薬が破裂した感じ。喉の奥まで麻酔をかけられた感じだそうです。

 屋台料理店「九九豆花館」で、案内役をかってでてくれた詩人で料理雑誌編集長の宋○(○は火へんに韋:ソウ・イ)さんと会った。宋さんは四川に存在する料理をくまなく取材してきた。現代文明批評ともなっている。宋さんはこれからは坦々麺を口にしてはいけないという。坦々麺は単なる点心にしかすぎない。「新しい坦々麺を作るなら、今の中国をちゃんと見るべきだ」と語った。
 魚料理「六合魚(リュウホウユウ)」は人気の店。オーナーは董偉(トウ・イ)さん。食材は鯉。六合魚という料理名は次の6つの文字で表される複雑な味に由来する。麻(マー:しびれる辛さ)、辣(ラー:ハアッとする辛さ)、酸(スワァン:酢っぱさ)、嫩(ネン:柔らかさ)、○(○は湯の下に火:タン:熱さ)、鮮(シェン:旨さ)を唐辛子などを使って、独特の料理法で表現する。まず鯉の切り身の臭みを取る。大鍋に唐辛子とにんにくを大量に加えて、胡椒もたっぷり、卵白にくるんだ鯉の切り身を入れる。最後に油で炒めた香辛料を油ごと鍋に追加した。ところがいくらでも食べられる味だそうです。日本が貧しい頃のおなかいっぱい食べられたらいいという時代の味がした。
 四川家庭料理店「盤龍土鶏」は古くからある家庭料理を再現させたという店。オーナーは李貴利(リ・キリ)さん。里芋の煮物など。ダシは烏骨鶏の煮汁を継ぎ足し、1万羽のエキスが入っている。毛血旺は豚の血を固めたものだが、さわやかでレバーのような味でおいしいそうです。メインは烏骨鶏で、調味料もつけずに肉本来の味を楽しむ。4人で楽しめて食べて800円。重慶のセレブもこの料理を買いに来るそうです。
 中国が変わり始めたのは15年前。四川省出身のケ小平の下で、共産主義の中国に一挙に市場経済が入った。その波が重慶に押し寄せたのは10年前。多くの資本が投入され、まわりの農村部から数多くの労働力が流入した。豊かさと貧困が入り混じって発展していった。
 最後に案内された店は火鍋店「火城老火鍋」で、激辛で今一番人気のある店だという。店は香辛料の独特の匂いに包まれていて、息ができない。溶かした牛の脂に、山椒と唐辛子をたっぷり入れた激辛のスープ。これに牛や豚の内臓、野菜などをくぐらせ、さらにゴマ油につけて食べるという。味がわからない。元々、河辺に住んでいた人が、捨てられる内臓を食べることに由来している。頭がしびれるくらいでないと、と宋さんは語る。

●楽山
 成都の近く。世界遺産の楽山大仏がある。高さ71m、頭部だけでも14mある。一人のお坊さんが90年かけて掘ったと言われる。

●成都
 四川省の都。一列に並んで大切に包丁を研ぐ学生。四川料理高等専科学校の学生で、国内随一の料理専門学校。学生は6000人。3年かけて修行する。麻婆豆腐の作り方。豆腐を湯通しすると豆腐特有の匂いがなくなり、料理の温度も下がらない。とろみの付け法は、汁気を少なくしたいなら強火に、多くしたいなら弱火にする。肉は予め炒めておく。風味づけのため山椒は多めに入れる。

●大西南(ターシーナン)
 成都からタクシーに乗って2時間。通りの茶屋でみんながくつろいでいた。田んぼの中に「郷厨」がある。ここの謝賢富(シャ・ケンフ)さんが出迎えた。郷厨とは、村で祝い事などがあると出向いて料理を作る人。息子の謝持○(○は文へんに武)(シャ・ジヒン)さんも成都で働く料理人。全て自家製の自給自足で、中庭に面したオープンキッチンで料理を作る。
 5時間後、夕食。17品。まずはソーセージ。豚肉とニンニクの芽炒め。鶏肉とネギ炒め。全然辛くなくて、香辛料もほどよくて、おいしいそうです。昔は裏の川で魚が採れたけど、今はちょっと・・だそうです。いろいろなことを考えさせられた夜でした。

●重慶
 宋さんに食事に誘われた。友人の重慶電視台のTVディレクターの曽磊(ソ・ライ)さん宅で、食事。昔のような調味料をあまり使わない料理。「アヒルの生姜炒め」、「川魚の麻辣煮」、「烏骨鶏のスープ」。
 日中食文化について激論をした。昔は鶏や豚足からダシをとっていたが、日本が発明した旨み調味料が入ってきてからは、味付けが変わったという。裕三さんは経済発展が急で、バランスが崩れているという。みんなが生活を急ぎ、辛いものを求めているので、ここ10年でかなり辛くなったという。宋さんは7日のうち3日しか辛いのは食べないという。中国の食材の問題はみんながあまりに商業的になりすぎて、良心に反する行為に走ったのだという。
 杏仁豆腐を作った。杏仁豆腐の素に牛乳を加えて冷やして固め、最後にガムシロップ、クコの実、レモンを加えた。
 帰国当日の朝、自分流の坦々麺作りに挑戦した。まず人気店に行って、野菜と肉味噌が入った雑醤麺(ザージャンメン)を注文。次に隣の店で豆乳を購入。テーブルの上の雑醤麺の卵をどけて豆乳を加えた。


テレビ番組「世界遺産新たなる旅へ 娥眉山と楽山大仏」

 2007年9月1日放送。長江の上流に栄える四川省。後漢、三国時代に蜀として豊かな資源に恵まれた天賦の地として栄えた。

●楽山
 長江の支流、岷江の東岸沿いに聳える凌雲山は唐の時代、仏教の聖地として人々の信仰を集めた。その西側に鎮座するのが世界最大の仏像「楽山大仏」。高さ71m、奈良東大寺の大仏の5倍の高さ。713年から90年の歳月をかけて山麓を削り掘り出された弥勒菩薩。
 仏教は紀元に入る頃に中国に伝来したが、中でも四川地方は仏教を受け入れた地であった。仏の姿をこのような大きな仏像にした例はインドにはほとんどない。遠く離れた土地だからこそ、憧れが強かったともいえる。水運の要所だったが、流れが早いので事故が多かった。そこで僧侶海通が大仏の建立を思い立った。大地に足をつけた楽山大仏の悠然たる姿は水路の旅の安全を祈願するだけでなく、仏教の聖地として厚い信仰を集めている。

●娥眉山
 四川盆地にそびえたつ、標高3088mの娥眉山。その山稜が美しい眉を思わせることから娥眉山と呼ばれ、李白などの多くの詩人にも愛された名勝。麓と山頂では15度の温度差があるので、植生が多様で、自然の宝庫とも言われる。亜熱帯植物から亜寒帯植物まで、約3000種の植物を見ることができる。またサル、パンダ、キジなども生息している。
 中国仏教4大名刹、普賢菩薩の聖地としても知られる。後漢時代、仙人が住むという山に薬草を取りに入った一人の漢方医が普賢菩薩の仏の光を拝し、自分の屋敷を寺にした。娥眉山の仏教はここから始まるといわれている。3−5世紀にかけて山中には多くの寺院が建立され、多い時は200近くになったという。中には漢民族の伝統宗教であった道教から仏教寺院に変わったものもあった。現在の32の伽藍が娥眉山の山麓から高峰にかけて点在している。
 娥眉山で最大の伽藍を誇る報国寺。1615年創建の仏教寺院。仏教が伝来した頃、中国は2000年の歴史を持つ国だった。仏教はその文化の中に入り込み、さらに大きく発展した。その中心となったのは大乗仏教。出家修行する自分自身の修行よりも、あらゆる生命に対する慈悲の行いを重要視するものだった。報国寺の金色の釈迦如来像。普賢菩薩を祀る普賢殿。多くの信者にとって現世の願いを聞き入れてくれる菩薩は受け入れやすく、身近なものだった。普賢菩薩は釈迦如来の教えを導く菩薩。深く仏法を信じる者を守護するために、6本の牙を持つ白い象に乗って現われるといわれている。
 山頂までは木々が生い茂る急勾配が続く。かつては険しい山道を何日もかけて歩いて登っていたが、今ではロープウェイであがることができる。
 標高3077m、霊峰金頂の山頂に築かれた永明華蔵寺。各地から信者が訪れている。釈迦三尊像として右から文殊菩薩、釈迦如来、普賢菩薩が安置されている。釈迦如来を2菩薩が助けている。
 雲海の中に姿を現す山描。深い信仰心を持つものだけが見ることができる絶景は、まさしく仏の住む世界そのものです。


テレビ番組「関口知宏の中国鉄道大紀行・春の旅・総集編」

 2007年8月7日放送。標高5000m、チベットの山々、山水画のような風景、断崖絶壁。広大な中国大陸の姿は変わっていく。季節も春から夏へ。俳優の関口知宏さん、中国鉄道大紀行3.6万km。春と夏の2回にかけて旅をした。今回は春の旅1.7万kmの総集編。NHK製作。

●ラサ
 チベット自治区。4月3日、標高3650mのラサを出発した。アメリカ製の最新鋭の機関車を2両連結して標高5000mまで登っていく。世界中から人が集まってくる。乗ったのは、硬座(普通車)でラサ〜西寧1956km3500円。大きなホームです。世界一高い5072mのタンクラ峠まで登り、標高2275mの西寧まで下る。途中下車をはさんで28時間の列車の旅。
 8時に出発。雪を抱いた峰が見えてきた。早速、食堂車で食事。中国式と西洋式がある。今回は中国式のお粥定食で150円。おかず4品。青唐辛子もある。飛行機の技術で車内の気圧は一定に保たれていて、高度も表示されている。酸素を補給する設備もある。

●ナチェ
 11時半、標高4513mのナチェ駅に到着し、途中下車。2時間滞在して、次の列車に乗る。駅の一方には建物があるが、駅の反対側には何もない。牧畜をする人に出会った。息苦しいので酸素を吸う。
 西寧にはナチェから23時間。ここからは軟臥(なんが)A寝台。13時 20分に出発。

●途中
 左手にエメラルド色のツォナ湖(標高4650m)が見えてきた。チベットの人たちは神の湖として崇めてきた。
 世界一標高の高い駅タンクラ駅(標高5068m)を通過。次いで世界で一番高い地点、タンクラ峠(標高5072m)を通過した。

 西寧からどんどん下る。青海省、甘粛省、陝西省、豊かな田園が広がる自然盆地を目指す。

●甘粛省蘭州
 4月8日、甘粛省の蘭州駅に到着。町中を黄河が流れる。人口300万人の工業都市。日曜なので、人が多い。カイトを飛ばしている人が多い。羊皮筏(ヤンピーファー)という筏がある。羊やヤギの皮を空気袋にして作った筏。1800年の歴史がある。毎日旅の絵日記を描いている。

●陝西省略陽
 4月10日、人口21万人の略陽。火三輪車(タクシー)で絵を描きたくなる場所に20分かけて行く。料金は130円。霊岩寺は8世紀に天然の岩をくりぬいて作られた石窟寺院。石窟の奥に涅槃像があった。
 列車は川沿いを南に向かう。漢江(長江の支流)を渡り東に向かい、四川盆地に入る。

●四川省遂寧
 田園に囲まれた町。気温は30度を越えた。

●重慶
 人口2800万人の中国最大の都市。風情のある街並みが残っていた。鉄観音茶をいただいた。

●四川省成都
 三国志の舞台となった古都。耳掃除をしている人がいた。名物耳掃除は、振動で耳の神経を刺激もする。

●雲南省
 4週目。成昆鉄道に乗って昆明を目指す。4000m級の山々を貫いて走る。トンネルも多い。全長1100km、橋653、トンネル427もあり、路線の3割以上がトンネル。
 4月23日昆明に到着。石林を訪問した。奇岩が多い。近くの農村の麦畑の中にも岩が突き出している。家の中にそそり立つ岩もある。

●貴州省、広西省、広東省
 山間を東に走る。急斜面に棚田やだんだん畑がある。このあたりは少数民族が暮す。ラク族の女性と話をした。広西省、広東省に入る。  バナナ畑が見えてきた。
 4月30日、中国第一灘では浜辺で中学生が初めて海を体験していた。
 5月1日広東省広州に到着。大都市です。
 5月3日、広西省チワン族自治区にある桂林に到着。山水画の世界。ここが9000kmで中間点。
 再度、貴州省に入る。「地無三尺平」三尺ほどの平地もないといわれるほどに山が多い。

 山間の凱里駅で途中下車。三階建の街並みが見える。少数民族のミャオ族の住まい。田んぼで魚をとってきた人がいた。のんびりした村で、おばさんが歌を歌ってくれました。河原でくつろいで絵を描いた。おじいさんが田の水を見るためにはだしで川を渡っていきました。

●湖北省、江西省
 5月13日、湖北省荊門の町を歩く。午後5時を過ぎても28度で蒸し暑い。髪を洗ってもらったが、洗面台がない。関口さんは中国の女性にもてます。
 江西省向塘の小学校では、レンガをネットにして卓球で楽しみました。子供マージャンにも参加した。

●広東省、湖北省、湖南省、江西省
 夜行列車で向かう。中国の寝台車はずっとベッドのまま。座りたい時は通路のイスを利用する。保険会社の社員旅行の人たちに会った。廊下で歌を歌っていました。北国の春を歌わされたが、これは70年代後半にテレサ・テンが広めたそうです。

●福建省
 武夷山は形が変わっている。世界遺産。新緑の季節、渓流沿いを歩く。幅40、落差180mの青龍大瀑布。滝の下では気持ちがいい。

●浙江省
 杭州はとんがり屋根の塔のある家が最近の流行。西湖のほとりの夕暮れは赤い。

●上海
 5月30日に到着。4月に開通したばかりの高速鉄道に乗る。

●安徽省、河南省、陝西省
 6月3日、安徽省安慶に到着。長江の水運の拠点として古くから栄えてきた。下町を散策していると、楽器(ニ胡)の音が聞こえてきた。近くの娯楽センターで家庭料理までいただきました。
 6月7日、河南省西峡から黄土高原を見ながら西安に向かう。ここまで67本、256時間列車に乗った。

●西安
 午後2時47分、西安駅に到着。駅を出るとすぐに城壁。遣隋使、遣唐使の時代から多くの日本人がこの門をくぐった。城壁の上は広く歩ける。

 秋は11月中旬のカシュガルまでの旅になる。

http://www.p-alpha.co.jp/flag/map/cn_map.html
http://china.alaworld.com/modules.php?name=Province&op=list1


テレビ番組「世界遺産新たな旅へ 麗江」

 2007年8月4日放送。

●麗江
 標高5595mの玉龍雪山。その麓に麗江がある。街を築いたのは少数民族「納西(ナシ)」族の12世紀の豪族。雲南省の北部に広がる標高2000−3000mの高原地帯。ナシ族がチベット方面からこの高原に移住してきたのは8世紀頃らしい。チベット・中国などの文化を取り入れながら、独自の文化を築いてきた。麗江には6000軒に6万人が暮らし、大半がナシの人。
 発展を支えたのは交易。古くから中国、チベット、インドを結ぶ道があり、交易の中継地として発展した。やがて、洞や皮などを加工する手工業も盛んになった。中心の四方街は、昔は馬の蹄鉄を作る鍛冶屋や皮細工職人の店が並び、賑わっていた。街の建設当時に敷かれた石畳は光っている。
 4つの建物が中庭を囲む四合五天井と言われる伝統的な住宅。交易が盛んだった明、清の時代に作られた。建物の作り方は中国の影響だが、壁の彫刻などはチベットやナシの文化。家は木と木を組み合わせ、釘を1本も使わずに組み立てられている。1996年の大地震でも古い民家はそれに耐えた。
 明の時代に整備された大小の水路が整備されている。水源は北にある黒龍潭という大きな泉。湧いてくる水は玉龍雪山の雪解け水。麗江では大切に使うために三眼井という井戸では、飲み水、野菜を洗う水、洗濯用の水に分けている。
 独自の文化はトンパ教。トンパ文字を使う。トンパ文字を読み書きできるのは祭祀だけ。7世紀頃に生まれ、現在使われている世界で唯一の象形文字だと言われている。外来の文化も取り入れてきた。代表は「納西古楽」で、中国から伝えられた器楽演奏にナシ独自の工夫をしている。中国各地で既に滅びた音楽を伝えていると言われる。


テレビ番組「天空から深海へ地球大紀行 海の惑星その危機と未来を追う」

 2007年7月16日放送。中村雅俊、中尾明慶(19歳)、成海璃子(14歳)さんが案内。地球温暖化により、海面上昇、溶け行く氷河、異常気象、沈みゆく村、押し寄せる砂漠化が起きている。トヨタECOスペシャル。中京テレビ製作。

●チベット
 1年前に青海チベット鉄道が開通した。西寧駅から列車に乗った。午後8時30分発車。距離は1956km、26時間かかる。10時間半経過して夜が明けた。高度3000mの高地を走っている。高度4000mが近づくと酸素ボンベへの吸入器が配られた。世界最高地点の駅タングラ駅高度5068mを通過すると一気に下って行く。午後10時半にラサに到着。
 標高3650mだが、周囲はさらに高い山で囲まれている。世界遺産ポタラ宮がある。チベット仏教の聖地であり、町の中も信仰の匂いに充ちている。バルコル通りを歩いた。みんなマニ車をぐるぐる回している。中にはお経が入っている。回転させると中のお経を読んだことになるという。
 お寺も多い。ジョカン寺に行く。みんな五体投地をしている。両手両膝額を大地に投げ出す。何百kmの道をこれを繰り返してやってくる信者もいる。そんなチベットの人の信仰のもとになっている自然に変化が起きている。40年間のチベットの気温上昇率は世界平均の2倍の1.1度。

 標高5000mの高地へと向かった。まず4250mにあるヤムドク湖もヒマラヤの氷河が生んだ湖。昔は海の底だったそうです。そのために海底だった地層からの塩分が水に溶け込んでいるので、塩っぱい。
 カロラ氷河(標高5015m)に行ってみたが、酸素が平地の半分だし500mの距離を歩くのが大変。ボンベで酸素を補給し、2時間かかった。1903年に撮影された写真と比較すると、かなり山肌が露出していることがわかった。このままいくとあっという間になくなってしまう気がした。
 ヒマラヤ山麓の氷河湖はその数が増えている。氷河が崩壊すると土石流などの被害が出ることが予想されている。既に様々な被害が出ている。特にひどいのが砂漠化。緑豊かな大地が10数年で砂漠になってしまった。周囲の山を覆っていた雪や氷河が全て溶け消え去ってしまったため。近くの村でも川が消えてしまったという。生まれ育った場所だから引越しはしないという。
 永久凍土の融解による砂漠化も深刻化している。これは地中で保水の役目を果たしてきた。これにより地表の水分がなくなり植物が育たなくなる。

 遊牧民の人に会う。ヌォブ・ツレンさん(46歳)が馬に乗せてくれた。歓迎の印の白い布を首にかけてもらい、テントにも入った。テントはヤクの毛を編んで作られている。バター茶、ヤクの肉とじゃがいもの煮物をいただいた。春になっても牧草地が緑じゃなくて黄色だという。

●地球温暖化
 地球温暖化。このままいくと、100年後には地球の平均気温が最高6.4度まで上昇するという。二酸化炭素を減らすことが全人類の課題でもある。その二酸化炭素を吸収固定する地上の森が重要だった。例えばアマゾンの熱帯雨林だけで、酸素の20%を供給できる。しかし、近年の開発と伐採で森は消えている。地球の危機は拡大している。そういう中で海の中に活路があるという。

●タスマニア
 南極まで2000kmの島。島の周辺では様々な命のやり取りが行なわれている。北海道とほぼ同じ面積で、3分の2が原生林の世界遺産。1.8億年前に孤立したままの島なので、タスマニアン・デビルやワラビーのような独自な動物がそのまま進化している。1年のうち330日は雨が降っている。タスマニアは世界で一番水と空気がきれいだと言われている。雨水も飲める。その雨によって育てられたのがレイン・フォレスト。
 ガイドはテッド・バックさん。ウォンバットを抱いてみました。森を歩く。木に生えている苔。またファガスという木はタスマニアと南極がまだくっついていた1.8億年前から生きている。

 海に森があるという。南東のタスマン半島。ブローホールベイの港に行くと海洋生物学者のカレン・ゴーレットさん。クルーザーに乗って半島の東側に向かった。波もきつい。崖がすごい。ミナミオットセイが歓迎してくれた。入り江の一つフォーティスキューベイには巨大な海の森がある。海の中にジャイアント・ケルプが茂っている。海底まで20mあるが、最も成長するもので50mにもなるという。水温が低く栄養が豊富な海に繁茂し、1日で1m伸びることもあるという。葉の根元の不思議な浮き袋を持っている。

 この下をダイビングすると不思議な感覚だという。海水温は13度。ロープを伝って潜ってみたら本当に森でした。魚が木々の間を泳いでいました。シードラゴンもいました。ジャイアント・ケルプは二酸化炭素を吸収する能力が高くて、多くの研究者に注目されている。東北大学の谷口和也教授は、熱帯雨林の2倍の能力を持っているという。
 夜に、ジャイアント・ケルプを守るグループSEA CAREリーダーのサム・イボットさんたちタスマニア大学の学生に会った。夜の海岸に連れて行ってくれた。波打ち際に体長30cmのフェアリーペンギンが登場した。タスマニアの海は深刻な状況だという。1950年代と比べて90%なくなっているという。
 セントヘレンズという港町に行く。ここの沖は5年前まではケルプがたくさん茂っていたが、今は何もない。大きなウニが大量発生して消えたという。
 州都ホバートで出会ったのは、海洋植物学者クレイグ・サンダーソンさんは、100年以上前の海図で、ジャイアント・ケルプの群れが細かく記されている知事を見せてくれた。船に絡まないために書いてあった。それが今はもうない。海洋植物学者のアリスター・ホプディさんは温暖化の影響で、海水温が上がり、海流が変化したことが原因だという。南からの冷たい海流が来なくなった。ジャイアント・ケルプは南からの栄養豊かな海流によって成長してきた。その結果大量に発生したウニが残ったケルプを食べつくしている。
 SEA CAREの活動を手伝った。根をブロックに取り付ける。元気な苗木を集めて、海の底に送られた。世界中のみんなが海に関心を持ってくれると嬉しいとサムさんは語った。

●島根県隠岐
 マリン・フォレスト・システムはツルアラメの苗をつけて15〜20mの海底に沈めている。二酸化炭素の吸収と魚の居場所ということで注目されている。

●鹿児島
 6月に鹿児島湾で新雄丸で不思議な光景を確認するために中村雅俊さんが潜水艇はくようで水深145mの海底に挑んだ。乗員は3名。底ではマグマによる火山性の噴気活動が見られた。その周辺にいるサツマハオリムシは有害ガスや温暖化ガスを栄養源として生きている。鹿児島大学水産学部の大富潤准教授が協力した。

●沖縄・与那国島
 しんかい6500の成果が昨年報道された。水深1380mの海底に二酸化炭素が自然に集積し、液体二酸化炭素がプール状になっていることが世界ではじめて確認された。二酸化炭素と海水の境界がハイドレートになっている。水深2400m以下だと海水よりも液状二酸化炭素の方が比重が重く、浮かんでこない。しかも波状に圧力を加えるとシャーベット状に形を変える。このアイディアから二酸化炭素の海底貯留計画が世界的に議論されている。
 もう一つ驚くべき発見があった。海洋研究開発機構の稲垣史生さんは、非常に特殊な環境で、二酸化炭素、メタンなど温室効果ガスを食べる微生物の生態系があったという。つまり海底に貯留して食べさせればいいということになる。


テレビ番組「探検ロマン世界遺産 中国・武夷山」

 2007年7月7日放送。鎌倉千秋アナウンサーが案内。見渡す限りの大雲海に浮かぶ山々。水墨で描いたような中国随一の山水の世界。豊かな川の流れと切り立つ断崖が悠久の美を生み出してきた。人々はこの景観に心を奪われ、特異な文化を育んできた。11世紀宋の時代に描かれた「早春図」は山水画の傑作。この山水画の世界が見られる現実に見られるのが武夷山。1000平方kmが複合遺産に登録されている。

●武夷山
 福建省の内陸にある世界遺産の入口は武夷山市。バイク?の三輪車みたいな車で移動。山に入ると大きな岩山がある。武夷山が形作られたのは6000万年以上前。地殻の変動でこういう切り立つ山々ができた。岩の切れ目から細い空が見える。岩から水が降り注ぐ不思議な風景。年間降水量が2000mmで雨水が岩にしみ込んでいる。さらに歩くと、大きな岩山が見えてきた。岩山の頂上は高いが、840段の階段でみんな頂上を目指す。
 上がっていくにつれて、湾曲した川、切り立った山が見えてくる。武夷山が誇る九曲渓の眺め。中国人なら一生に一度は見ておきたいという風景。年間350万人の観光客が訪れる。
 九曲渓の筏下り。イスが4つ置いてある筏。水がしみこんでいるが問題ない。約9km2時間。途中で流れが早くなる。水がかかれば縁起がいいと船頭さんは言う(笑) カエルに似ている岩がある。亀の頭に似た岩もある。正面の無数に刻まれた縦の線のある岩は高さ200m、線は雨でできたそうです。この岩は先ほど鎌倉さんが登った山だった。1時間、川の流れ、筏を操る音だけがする。ここにもう一つの武夷山の魅力がある。
 「武夷山はただ美しいだけではなく、神あっての山、龍あっての水。つまりここには神と龍が宿っている。この山水から生きる力をもらっている。」と船頭さんは言います。
 岩の高い所に穴が見える。そこはお墓。3000年以上前、ここで暮らしていた古代海洋民族の古越人の墓。置かれている木の破片は当時の棺の跡。博物館にある棺を見ると、船の形に作られている。死後魂が海に戻るように、川を見渡せる場所に葬ったと考えられている。紀元前3世紀になると、○越(○は門構えに申:びんえつ)という民族が武夷山に巨大な城を築いた。井戸が残されているが、今でも水が湧き出ている。

●城村
 武夷山市の中心から20kmにある集落。地元の民族学者・黄賢庚さんが案内してくれた。人口2600人、古い家並が残る。多くの家が農業で生計を立てのどかに暮らしている。趙、林、李の3つの姓しかない。その先祖は今の河南省あたりから移ってきた人々で、1000年暮らしてきた。李一族の会合があるので参加した。紀元7世紀からの家系図もありました。宋王朝は金王朝により南に追いやられ、南宋となった。その時にみんな移り住んだ。繁栄のもとになった井戸がある。最盛期井戸が99個あり、人口は1万人以上だったという。
 南宋時代に作られた巨大な登り窯がある。一度に8万個の茶碗が焼けたという。窯の長さは113mで山頂まで達していた。窯の脇には失敗作がゴロゴロ転がっている。高価な天目茶碗などが作られた。日本でも大人気になったもの。
 このすぐ横に河があり、ここからお茶や陶磁器を運んだ。代わりに塩、布が入ってきたという。今では渡し舟がここを使っている。客が集まれば出航する、何とものどか。

●武夷山
 武夷山にはいろいろな宗教文化も花開いた。山奥の道教寺院には参拝者が絶えない。道士はここで暮らし、仙人への道を究める。ここでは不思議な気を感じるそうです。
 烏龍茶の発祥の地とも言われ、味もよいが値段も高い。最高級とされるのが、標高400m以上でしか栽培されない武夷岩茶。岩に張り付くように育つ。ここで取れる茶葉は1g15万円もする。
 岩茶の生産が盛んな「れきとん村(とんは土へんに屯)」の農家の蓼其明さんのお宅を訪ねた。お茶の採取に出発の際は爆竹で邪気を払う。1時間歩いて畑に到着。標高600m。最初の茶摘みでは「かん山」という儀式をする。鶏と魚と去年取れた茶を供え、豊作を祈る。そして爆竹。蓼さんの話では、岩から出てくる水に含まれるミネラルがおいしい理由だとか。摘んだらすぐに帰宅し、乾燥させる。天の時、地の恵、人の技が岩茶作りの要。午後11時になって、躍らせるように混ぜて、香を引き立たせる。三紅七緑、葉が3割赤くなった状態で発酵を止めないといけない。午前2時でも混ぜていました。午前2時半に食事。食べられない日もあるそうです。午前3時、殺青の作業に入る。発酵を止める作業で、少しでも気を抜くと全てダメになるという。午前5時、茶葉を散らして乾燥させる。できたてのお茶をいただきました。少し苦いがおいしいそうです。


テレビ番組「ポカポカ地球家族 中国・昆明」

 2007年7月7日放送。

●昆明
 標高約1900mに位置する中国雲南省、昆明。関西空港から直行便で約5時間で到着する。人口は約600万人。高地にあるため紫外線が強く、日中は日傘が欠かせない。また急速に近代化しているため、高層ビルが建ち並び古い街並みが消えつつある。雲南民族村では風習や多彩な民族の芸能を見ることができる。ワ族、チベット族、ペー族など。若者の間で流行っているのはコスプレ。
 その昆明の中心地のレストラン街「祥雲美食城」の中にあり、若者を中心に人気を集めている日本料理店「わいわい亭」がある。2年前から経営しているのは、野口茂さん(49歳)、毅(イー)さん(29歳)、和義くん(1歳2ヶ月)の親子。以前はお土産屋さんを営んでいたが、共同経営者に数千万円騙された。当時従業員だったイーさんだけが慰めてくれた。メニューは日本でおなじみのさんま定食9元(140円)、オムライス10元(160円)、巻き寿司8元、ダッタンそば10元、天ぷら定食12元など。値段はかなり安く設定されている。奥さんや他の従業員(全部で7名)が作り、味のチェックは野口さんの役目。
 お客さんのピークはお昼時。自分の店のメニューを持ってお客さんの取り合いをする。40軒以上店があるので、毎日競争です。競合するラーメン屋のラーメンは3.5元(56円)、小籠包は10個5元(80円)、酸辣魚(4人前)25元(400円)。日本語を専攻する地元の学生さん達がやってきた。みんなが食べたことのないお好み焼き6元をサービスした。人気のない料理は3位そば、2位オムライス、1位寿司。人気があるのは、3位しょうが焼き定食、2位カレーライス、1位ビビンバ。

 お宅は町の中心から車で15分。約100平方mの3LDK、14年前に300万円で購入。中国では赤ちゃんの時に室内でも靴下と靴を履く習慣がある。古くからの言い伝えで子供は足を冷してはいけないというから。風邪は足から来るという言い伝えがりお風呂以外は常に履かせている。
 市内から1時間。野口さん一家が向かったのは昆明一の観光名所「石林」。2億年以上前、海底だったこのあたりの石灰石が地殻変動で隆起し、雨や地下水で浸食され作られたという。「千釣一発」は不安定な石で、心の清らかな人はその下をくぐれるという。「双鳥渡食」は親鳥が小鳥に餌をやっているように見える岩。「象踞?石台」は象の形をしている。園内ではサニ族の踊りがある。

 地元で人気のレストラン「老○味(○はさんずいに真)」に行って、ラーメンのようだけど、食べ方が面白い料理。お皿が次々でてくる「過橋米線」20元というラーメン。スープと具と薬味と麺など全てバラバラでテーブルに置かれる。出てくる鶏がらスープは火傷する程熱い。表面は油で覆われている為最後まで冷めにくい。

 郷土料理の雲南豆腐を作る。フライパンにショウガを炒め、つぶした豆腐を入れ、甘辛いテンメンジャンを入れ、エビ、砂糖、醤油、お酢でで味を整え、水溶き片栗粉を加えて完成。干し肉に油をかけて作る「油淋干巴」。
 昆明動物園に行く。ホワイトタイガーがいる。

 野口さんは最近、新しいマンションを購入した。何度も足を運んでいる。20階で5LDK、160平方m、1000万円。しかし内装はしてないので、自分で払う。これが400万円。

●わいわい亭
http://www.geocities.jp/yksandesu/waiwaitei.htm


テレビ番組「世界遺産新たなる旅へ 中国・古都平遥」

 2007年6月23日放送。放送番組センター配給。

●平遥
 かつて中国の都市は城壁に囲まれていた。北京から南西に400km、標高1000m、黄河の中流にある山西省は古くから文明が発達した。山に囲まれたので、破壊を免れた歴史的遺産が数多く残されている。そこにある城壁の都市・古都平遥。明の時代の城壁がほぼ完全な形で残されている。高さ10m、周囲6kmの中に4万人の人々が今も生活している。モンゴルから守るために、1370年に各都市に城壁を作るように命令があり、平遥の城壁も作られた。見張り台は72箇所で、等間隔にある。張り出しは城壁に取り付く敵を側面から攻撃するために作られた。城壁の上では馬が走れるように、幅3mの道が作られた。
 かつての都市は風水に基づいて作られた。南門から800m伸びる大通りは南大街で、その先に高さ20mの楼閣がそびえる。その下で日に3度市が開かれていた。そのために市楼と呼ばれた。その西に役所があった。役所の反対に建っていたのは、「城隍廟」で都市の守り神を祭った社。住居も風水にしたがって建てられていた。南に門を構え、北に母屋を置き、中庭を囲むようにした四合院と呼ばれる漢民族伝統的な作り。門の両脇にある一対の祠は家の守り神。母屋の屋根の中央には小さな祠。屋根の両端には龍の頭。路地の壁に彫られた龍。
 17世紀清の時代。北からの侵略に備えて作られた城壁は役目を終えた。19世紀前半に商人が票号と呼ばれる為替取引きを始めた。最初に始めた日昇昌が今も残っている。またたく間に中国だけでなく、世界にも広がった。他の商人も続いた。この頃多くの建物が建てられた。清朝が崩壊し、山西商人も姿を消していった。


テレビ番組「ランキンの楽園 世界のナンバー1スペシャル」

 2007年5月20日再放送。毎日放送制作。

●パンダ
 「世界の動物園、パンダに何cmまで近づけるか。ランキン」7カ国、40カ所から回答をもらった。パンダは世界に1500頭。動物園にいるのは300−400頭。
 3位は神戸市立王子動物園。オスのコウコウがいる。ガラスに密着した場合、33.5cmでした。
 2位はオーストリア・ウィーンのシェーンブルン動物園。2頭いて、オス6歳のロングウィと2cmまで。

 1位は中国成都。ここに宮川大輔さんが訪問。臥龍中国パンダ保護研究センター。サービス部長の韓洪応さんが歓迎してくれた。パンダ100頭以上を飼育している。入場料30元(510円)。育てたパンダを森に帰してもいる。記念碑があり、黒柳徹子さんの名前もある。里親になった人の名前が書いてある。年間500ドルで里親になれる。
 去年生まれた子パンダが生まれて育っている場所も多くのパンダがいる。そこに入らせてもらった。触らせてもらったので、距離は0cm。
 一人500元(約8500円)でパンダと写真撮影が可能。一人1000元で(約1.7万円)でパンダと5分間遊べる。

●絶景温泉
 「絶景、世界の高い所にある温泉、ランキン」。高いところの温泉に入って眺める景色は絶景に違いない。
 3位、ペルーのバーニョス・デル・インカ温泉。標高2800m。
 2位、エクアドルのパパジャクタ?温泉。標高3500m。
 1位はペルーのパクチャンダ村の温泉。クスコ(標高3312m)に20時間で到着。パクチャンタ村はクスコから200km離れている。ティンキ村のホテル・アウサンガテに宿泊。1泊1770円。標高3730m。ここから先は馬に乗って6時間。岩だらけの道がいくつかある。
 パクチャンタ村は人口100人。ジャガイモ・トウモロコシ栽培や、動物の毛を売って生活している。4mx6mくらいのプールになっている。アンデス山脈の雪解け水が温泉となって40度で湧いている。標高4325m。入浴料は100円。アンデスの雪山を見ながら温泉に入れる。

●絶景列車
 「世界の高い所を通過する絶景列車ランキン」高いところを走る列車からの眺めは絶景だろう。ちなみに日本で一番高いのは、JR小海線の清里駅〜野辺山駅で、標高1375mで、列車から見る八ヶ岳は素晴らしい。
 3位ペルーのアンデス高原鉄道。標高4319m。
 2位ペルーのアンデス中央鉄道。標高4787m。現在は旅客運行していない。
 1位、2006年7月に開通した中国チベット鉄道。ラサの標高は3650mで、ポタラ宮などの世界遺産がある。チベット鉄道は16車両あり、8両が寝台車両。ラサから青海省ゴルムドまで1142kmを走る。上野〜札幌間とほぼ同じ距離。列車は空気の薄いところに耐えられるように、カナダの航空機メーカーが作っていて、車両内の気圧や温度を一定に保っている。寝台車はラサ〜ゴルムド間で一人9400円。窓の外は絵画のよう。食堂車もある。人気メニューは3位「小エビと白菜の塩炒め」。2位は「トマトと牛肉の具沢山炒め」。1位は「スーシー肉団子」。しばらくすると、乗務員が「酸素吸引チューブ」を配布した。車内販売のお弁当もある。日替わり弁当で、320円。お豆腐と野菜の豆板醤炒め、鶏もも肉のローストなどが入っていた。タングラ駅を通過(標高5068m)、世界一高い地点標高5072mを通過した。
 次の駅で車をチャーターし、この地点に600kmを戻った。タングラ駅には列車は現在は止まらない。酸素は平地のほぼ半分。石碑には「世界鉄路海抜最高点5072米」と書いてありました。

●サラリーマン
 「命がけ!世界の高い所で働くサラリーマン、ランキン」。
 3位アメリカ・コロラド州「ロイヤル・ゴージ・パーク」のジョン・オデルさん(29歳)。ケーブルカーの安全点検で、高さ359mで、下は谷底。
 2位ロシアで一番高い塔「オスタンキノ・テレビ塔」のタミセフ・ロマンさん(59歳)。高さ540mの地上360mポイントで地上に指示をする。
 1位台北。東野幸治さん(39歳)も挑戦する。台北101は現在世界一のビル。高さ508m。これの窓拭き、標高438m。遅同泰(ツートンタイ)さん(45歳)。帰ってくるのは関係者しか入れない90階。作業は風の弱い午前中にすることが多い。通常はゴンドラの上で5時間過ごすこともある。風速20m以上の場合は中止だそうです。
 東野さんはゴンドラに乗って、20分間窓拭きをしました。


テレビ番組「探検ロマン世界遺産 中国・殷墟」

 2007年5月12日放送。鎌倉千秋アナが案内。3500年前に黄河の流域に一つの古代王朝「殷」が生まれた。殷墟は殷の都が置かれた場所。出土した青銅器は世界史上、最も高い水準にあるという。緻密な装飾。漢字の原型「甲骨文字」も生まれた。土の中から発見された数多くの骸骨。

●殷墟
 2006年登録された中国で33番目の世界遺産。紀元前16世紀から500年に渡った続いた殷。北京から南へ500kmの河南省安陽市。王の墓や建物の跡地などが点在する24平方kmが世界遺産。
 1月に鎌倉さんが訪問。暖冬といえ、朝は氷点下10度。川の向こう岸に大きな赤い建物が見えた。「殷墟博物苑」で、かつての殷の跡地が公開されている。宮殿跡はがらんとしている。ガラスケースが多く並んでいる場所には骸骨が並んでいる。遺体の数は200以上、ほとんどが男性、子供も含まれる。一体何があったのか?
 建物の展示室もある。出土品が発掘されたままの状態で並んでいる。馬車もある。木製の車輪の直径は1.5m。軽くするためのスポークも使われている。車輪には衝撃を和らげるために、牛の皮が巻かれていた。物資の運搬や兵士の乗る戦車として使われた。
 宝物も数多く展示されている。多数の青銅器が掘り出されている。大きさも種類も様々。殷の後期に作られた重さ875kg、高さ135cm、足の部分の中央に目があり、頭には角があるものがある。

 紀元前1世紀に記された歴史書「史記」には、殷の名前は登場するが、長い間、実在しない伝説の王朝だと思われていた。19世紀の末に骨に刻まれた古代文字「甲骨文字」が見つかった。そこに刻まれた王の名「祖乙」、「祖丁」、「小乙」の名前が史記に登場する王の名と全て一致した。
 1928年殷墟の発掘が始まった。中国社会科学院の唐際根教授に話を聞いた。殷墟北側の一角は王陵区で、素晴らしい発見があった場所「殷の王の墓」。今は埋め戻されている。王墓は全部で8つ発見されている。最大のもので深さは13m。古代中国では大地の下に死後の世界があると信じられていた。そこに少しでも近づけるように、地下深く埋葬された。遺体は「槨室(かくしつ)」と呼ばれる部屋に安置された。王の棺の周辺からいくつかの遺体も発見されている。さらに周囲には青銅器などの副葬品が置いてあった。食べ物、生活用品、装飾品が埋まられ、家来も埋められた。王は死後は祖先神となり王朝の繁栄を支えると信じられていた。
 文字が書かれた亀の甲羅や牛の骨が重ねて置いてあった。総数は15万点以上あり、これは歴代の王が行った占いの記録。いつ雨が降るか、戦争に勝てるか、など。甲羅や骨に火を当ててできたヒビの形などで占った。
 殷墟では宗廟が大きな建物だった。間口170m、奥行き90m。入口を抜けると中庭と回廊があった。ここには王が執り行う祭祀に欠かせないものが置いてあった。青銅器。爵という器は酒を満たし、下から火で温めた。肉の煮炊きに使われた鼎。王は祭祀の場で祖先に捧げた肉や酒を口にし、神の力を宿した。青銅器そのものにも神秘的な意味がこめられていた。顔は「とうてつ」と呼ばれる想像上の怪人で、魑魅魍魎を平らげ、災いを除くと信じられていた。

 古代青銅器製造の方法が今に伝えられている。安陽一の腕を持つという趙乾民さんが見せてくれた。まず粘土で青銅器の模型を作り、表面に文様を刻む。銅・錫・亜鉛を1000度以上に熱し、鋳型に流し込む。1時間後に鋳型を金槌で割ると金色の青銅器が出てくる。古代中国では青銅器は金と呼ばれた。現代の我々が見ていたのは、年月を経て緑青がついたものだったのだ。

 殷墟では首のない骸骨が1500近く見つかっている。神や祖先に捧げられた生け贄だったと考えられている。首を切る伐、二つ斬りにする卯、火の上で焼く燎などの方法が用いられた。殷の時代は祭祀は10日に1度行われた。多い時は2650人が殺されたという。大事なものを捧げれば捧げるほどよいとされていたようです。殷の周囲には敵対する多くの異民族がいた。鬼方、人方、夷、犬戌など。殷は捕虜を生け贄とした。特に羌族の人が多かったようです。
 四川省茂県には羌族の末裔が暮す村がある。殷墟から1000km離れた山間の標高2500mを越える地だが、彼らは山の上に住んでいる。現在羌族の人口は20万人。羌族の人はいつ敵に襲われるかわからないという恐怖を持ち続けてきた。高さ20mを越える石造りの塔がある。見張り台と敵を狙う場所だったようです。祭祀を行なうシャーマンたちは殷との戦いの叙事詩を歌った。余有成さんが歴史を語ってくれましたが、3000年以上前に北の草原から移住してきたそうです。

 一方の殷王朝には、異民族との戦い、生け贄のために、紀元前11世紀反発が起き、敵対する8民族が決起し、牧野の戦いで負けた。生け贄を伴う祭祀は間違いだとわかった。
 初期の殷の鼎も出土しているが、質素な装飾。祭祀に対する考えがどう変化したかを読み取れる。人の右手をかたどった青銅器もある。手の甲には目が一つ描かれている。


テレビ番組「知っとこ! 世界の朝ごはん・中国・上海」

 2007年5月12日放送。

●上海
 中国第二の都市。現在建設中の建物は完成すると101階建492mで世界一となる。すぐそばには昔からの暮らしがある。
 静安公園(シシアシ・コーユェン)では太極拳、剣や扇を持った踊りなどで楽しむ人が多い。
 豫園(イゥーエン)のお店には金色の豚が飾られている。日本の辰年は中国では豚年になるとか。さらに豚は食べる時にほとんど捨てるところがないので、十二支の中では一番縁起がいいとされている。ある宝石店では金色の豚の細工を売っている。一番人気の豚は15976元(27万円)。
 龍門路(ワイカイロ)を二階建てのバスが走る。屋上は屋根がないので、気持ちがいい。
 サイ・ギさん(28歳)が紹介してくれたのは、ピサの斜塔よりも傾いている世界一の斜塔「護珠宝光塔」で、1097年に作られたもの。山の地盤がゆるんで傾いたもの。今は固定されていて、斜度は6.6度でピサよりも1度傾いている。
 夜景もかなり美しい。

●朱家角
 郊外にある朱家角(ズウジャージョウ)は古くから水郷の町として有名。水路がはりめぐらされていて人気の観光地。石畳の路地沿いには昔ながらの建物が並ぶ。飴を作っている店がある。名物の豚足を売っている店もある。
 手に金魚や魚の入った袋を持っている人がいる。これを橋の上から投げる人が多いが、中国では昔から捕まえられている魚を逃がすと自分の願いが叶うという。

●上海
 新婚さんの朝ごはん。川沿いに建つ高級マンションに住むツァオ・ホウイさん(26歳)。1品目は「五色粥」。米、粟、小豆を水で砥いで炊飯器でお粥を作る。
 2品目は「紅焼川○魚(煮魚の野菜餡かけ:○は魚へんに即)」。川○魚(○は魚へんに即:クワチーユ?)という川魚を洗い、熱したフライパンに入れ、臭みを消すネギやショウガも入れ、豪快に紹興酒を加え醤油で味付け、じっくり煮込む。お皿に盛る。ピーマンなどの野菜を千切りして、強火でさっと炒めたものを魚の上にかける。
 3品目「清炒草頭(草頭の炒めもの)」。草頭というクローバーのような野菜を炒めて、しんなりしてきたら、別のフライパンで細かく刻んだ椎茸と味付けしたタケノコ・金華ハムを加えて炒め、野菜の上にかける。


テレビ番組「世界遺産 中国・万里の長城」

 2007年4月29日、5月6日放送。渤海に頭を突き出した場所から西へ西へ、果てしなく伸びていく巨大な龍。総延長ゆうに9000km。人類が作りあげた最大の建造物。1987年世界遺産。

 壁の最初を誰が最初に作ったのかはよくわかっていない。時に熱心に作られ、時に忘れさられた存在だった。数千年に渡って作られた9000kmの壁。今見ることができるのは、ほとんどが明の時代のもの。

●司馬台長城
 北京から北へ120km。その姿を最もよく残す。険しく切り立つ山の尾根。その北側の稜線を切り取ったさらにその上、想像を絶する場所に壁は築かれている。北の遊牧民の防衛に歴代の王朝は追われた。最も堅固な壁が築かれたのは明の時代。

●金山嶺長城
 レンガで覆われた壁の高さはゆうに7m。金山嶺長城は司馬台長城と共に明の時代に首都を守る重要な拠点だった。北方民族を迎え撃つための仕掛けが幾重にも施されている。壁の中にも壁を作ってある。北側に向けて開けられた無数の窓から矢で迎撃した。真下に敵が来たら、石などを落とした。

●西安
 数々の王朝が都を置いた長安。郊外に紀元前221年に中国全土を初めて統一した秦の始皇帝が「秦の始皇帝陵」に眠っている。地下にはもう一つの帝国が存在していた。兵馬傭。この前の戦国の時代に既に長城が作られていた。

●黄土高原の長城
 黄土を固めて作った壁が並ぶ。その一部で貴重な発見があった。秦が防御ラインとしていた壁の痕跡が見つかった。土の層が何層かあるが、厚くはない。明の時代では、秦の時代のものなどを基礎として厚くしていった。
 130巻にも及ぶ中国でも最も重要な歴史書「史記」には、万里の長城の最後の記述がある。秦の将軍蒙恬は「臨○(さんずいに兆)から遼東まで長城を整備した。その長さは万里を超える。」

●秦代の長城
 西安の北1000kmに最初の万里の長城があった。秦の将軍蒙恬が100万を超える人をかりだして作った。わずか6年で東西の壁をつないだ。
 紀元前210年、始皇帝死去。その前年に蒙恬も死去していた。蒙恬の死は長城の建設の終わりを、始皇帝の死は秦の終焉を意味した。司馬遷は民の幸福を考えていないことを批判した。

●敦煌
 前漢の時代。武帝の時代に領土は西に広がり、シルクロードが開かれた。絹織物や陶器、香料などの品々が行き交った。砂にまみれる漢の関所は西の果てだった。拡張に伴い、万里の長城も延長され、9000kmを超える長城が完成した。
 敦煌を越え、西へ西へと伸ばされた「漢の長城」。しかし、自らの限界にも直面した。守るべき領土も広がった。とぎれとぎれの壁に、のろし台が点々と残っている。藁なども2000年以上放置され、化石となっている。

●角山長城
 渤海湾から西に5km。長城の東端に近い角山長城は、日の出と共に健康ウォークをする近隣の住民の雄叫びで幕を開ける。急な壁を登り時々に大声をあげると身体にとてもよいらしい。

●北京結点長城
 北京の北100kmにある。首都を守ったレンガの壁は今は放置されている。ある地点で長城は2手に分かれる。外長城と内長城。首都のまわりは鉄壁だった。壁は二重になっていた。壁の高さは7mを超え、その上、馬が横に5頭並んで走ることができた。90年代までは立ち入りが制限されていたため、修復が一切されておらず、うち捨てられたままの、いわば「発掘前の」姿をみることができる。

●明王朝
 14世紀半ばに明王朝が誕生した。それまで中国を支配した元王朝を滅ぼした。皇帝は帝国の整備に邁進した。しかし、北方民族の襲撃はやむことがなく、北の防衛を強化せざるをえなかった。明は兵力を増強し、北の辺境を9つの統治区に分けた。そこに堡と呼ばれる砦を築き、軍隊を配備した。兵士の数は60万人に及んだ。堡は、かつて北の防衛のために屯田兵が配備された駐屯地であり、そこを囲う防御壁が今も残っている。
 1449年「土木の変」が起きた。6代皇帝英宗正統帝は遊牧騎馬民族に囚われた。事件が起きたのは北京からわずか100kmほどの北京とモンゴル高原を結ぶ街道沿いにある土木堡。皇帝は一年間草原に幽閉され、解放されたが、これをきっかけに、明王朝は北の防備を強化する必要を一層迫られた。
 明の時代の「明憲宗実録」には、明の文官、余子俊の重大な提言が残されている。「5万人を使い、山は垂直に削って城壁のようにし、平野や河川部では高い垣根を作りましょう。高さ7mで、充分に高く作れば、長期にわたる効果が得られる。」それまでの点の防衛から、線の防衛へ。1474年現在の陝西省に長さ990kmの壁が完成した。それはてき面に効果を発揮した。北方民族は容易に越えられなくなった。明は兵力を大幅に減らすことができた。それから先は競争で、北方民族はその脇から攻めてくるので、明はその脇に作る。壁は伸び続けるしかなかった。そこより西では土を積み重ねた。

 そして約100年。壁はついに西の砂漠にたどり着いた。最も西に作られたのは、嘉峪関という関所。領土が広がればその維持に限界がやってくる。その西に明の長城の西の果てがある。

●河北省
 近年とうもろこし畑で大きな発見があった。畑の下から明の時代のかまどが現れた。かまどには長城のために焼かれたレンガがそのまま眠っていた。1つ10kgもあるレンガを山の上に延々と運んで積み上げていった。レンガには工事が行なわれた年と部隊の名前が刻印された。
 明の前半では土で長城を作っていたが、後半にはレンガで作り、史上最強の長城となった。高く長くしかも強く。壁の上には楼閣を持つ見張り台が築かれ、ここに兵士が十数人常駐した。

●居庸関
 北京とモンゴルを結ぶ関所で、紀元前からの交通の要所。石の門はモンゴルが中国を支配した時に作られた。石畳に深い轍がつけられている。
 壁ができたことで、内側の人は安心して仕事をして産業が発達した。外側の人も無理に攻めて命をなくすよりも交易をした方がよいと考えた。


テレビ番組「関口知宏の中国鉄道大紀行 最長片道ルート36000kmをゆく」

 2007年4月14日放送。関口知宏さんが出演。日本の鉄道を乗りつくし、地元の人と触れ合ってきた。今回は5ヶ月かけて中国3.6万kmの鉄道の旅。その出発編。中国を走る鉄道の総延長は7万km。日本のJRの3.5倍。今回は同じルートを2度通らない最長片道ルート。ラサからカシュガルまでの旅を春と秋の2回に分けて実行する。毎週日曜日正午からBSハイビジョンで生中継を見ることができる。今回は最初の1週間。NHK製作。

●ラサ
 チベット自治区。3月31日標高3650mのラサ空港に到着した。市内までは車で40分。世界遺産ポタラ宮が見えてきた。ラサはチベット仏教を信仰する人の聖地。街は巡礼の人々で溢れていた。ラサに3日間滞在し、高地に慣れてから出発する。ポタラ宮の前では多くの人が五体投地を行なっていた。おばあさんに従って、世界のために関口さんもやりました。近くにみやげ物屋さんが並んでいた。ゴム飛びをする子供達がいた。

 最初は、去年開通した青海チベット鉄道に乗って西寧に行く。内陸部を成都、昆明、広州、上海、西安とめぐって春の旅は終了。1.7万km。
 4月3日出発の日。ラサは8時にならないと夜が明けない。7時15分、空港と同じように手荷物検査を経て、列車に乗る。ばかでかいホームです。列車は機関車を2両連結し、世界一高い?5072mまで登る。標高4513mのナチェという駅で途中下車することにした。硬座という普通車で西寧まで1956km、3500円。8時に出発。早速、食堂車で食事。中国式お粥定食で150円。おかず4品。青唐辛子もある。飛行機の技術で車内の気圧は一定に保たれていて、高度も表示されている。

●ナチェ
 11時30分ナチェに到着。2時間滞在して、次の列車に乗る。駅の一方には建物があるが、駅の反対側には何もない。牧畜をする人に出会った。息苦しいので酸素を吸う。
 西寧にはナチェから23時間。ここからは軟臥(なんが)A寝台。13時20分に出発。

●途中
 乗客たちが突然立ち上がった。左手にエメラルド色のツォナ湖(標高4650m)が見えてきた。チベットの人たちは神の湖として崇めてきた。
 世界一標高の高い駅タンクラ駅(標高5068m)を通過。車内には気分が悪くなった人のために酸素を補給する設備がある。次いで世界で一番高い地点、タンクラ峠(標高5072m)を通過した。関口さんはスケッチブックに絵を書いた。
 これから何度も横切る長江を渡る長い鉄橋を通過した。
 夕食はうどん。夜8時半、大地に太陽が沈む。子供たちは寝る準備。
 深夜0時5分、ゴルムド駅に到着。ゴルムドとは豊かな水が集まる地という意味。標高2830m。少し待ち時間がある。まだここでも運動すると少し息切れする。
 翌朝、窓から見える風景は変わっていた。

●西寧
 青海省の省都で、人口200万人。鉄鋼業や機械工業の盛んな街。古くから交通の要所として栄え、様々な民族が暮らしてきた。急速な発展で、街の姿は大きく変わろうとしている。
 12時5分、駅に到着した。街はビルが林立している。
 山の中腹に道教寺院の北禅寺がある。2000年前に仏教の寺として建てられた断崖の石窟として知られている。仏は手に目をもっている。派手です。正式なお参りをしました。このお寺からは街が一望できる。断崖の石窟にたどりつくためにかなりの数の階段を登る。この断崖に僧侶たちが篭り、修行をしたといわれている。
 翌日、近くの青海湖(塩湖)を訪れた。湖には塩分が含まれていて、湖面は冬は凍る。氷は塩辛くない。羊がいたが、氷を食べていた。

 中国の鉄道の旅。中国特有の車内でのお茶のサービスもある。放送の予定は、4月15日南充、22日峨眉、29日黍塘、5月6日桂林、13日石門県、20日吉安、27日横峰、6月3日合肥、10日西安。


テレビ番組「世界遺産新たなる旅へ 中国・天壇、北京の皇帝の廟壇」

 2007年4月1日放送。放送番組センター配給。

●北京
 天壇公園は周囲8kmほどの庶民の憩いの場。皇帝の宮殿「故宮」の3倍以上ある。元は皇帝が天に祈りを捧げるために作られた祈祷所。故宮は明、清の時代に皇帝の宮殿だった。故宮を中心に東に日壇、西に月壇、北に地壇、南に天壇がある。壇とは皇帝が神に祈りを捧げる場所で、それぞれに日、月、地、天の神が祭られていた。特に1420年に作られた天壇は最も重要な儀式を行なう場所だった。紀元前13世紀、中国の人は天を神として信仰していた。紀元前11世紀、西周の時代には天は万物を創造し、支配する絶対的な神とされた。天を祀ることができるのは地上を支配する皇帝だけとされた。それから皇帝は天子と呼ばれるようになった。
 天壇の最も南にある圓丘では、毎年冬至の日の朝4時に皇帝が天に1年のことを報告した。皇帝の象徴である龍が彫られている円形の基盤。3段になっているのは、下から地獄の階、人間の階、天の階をあらわしているから。大理石が敷き詰められた最上部には天心石という丸い石がある。上にたって声を出すと跳ね返ってくるこの場所で、皇帝は天に報告をした。階段、欄干、大理石の数は9の倍数で作られている。古代は9は皇帝の数字とされた。圓丘の北には青色の屋根の皇窮宇がある。高さ19.6m、直径15、5mの円筒形の木造建築。ここには歴代皇帝の位牌が安置されている。建物は表面をきれいに磨いた壁「回音壁」で囲まれていて、遠く離れた場所ででも会話ができる。斎宮は皇帝が冬至と正月の2回、天に祈る前に3日間身を清めた場所。皇帝が正月に五穀豊穣の祈りを捧げる祈年殿に向かう道は360mで、神道と呼ばれている。
 天壇の中心にある祈年殿は、基段からの高さは九丈九尺(約32m)。藍色の塗り瓦で葺いた三階建の建物。釘を1本も使わずに作られている。本殿は28本の太い楠の柱で支えられている。4本の金の柱は春夏秋冬を、12本の赤い柱は1年の12ヶ月、その外側の12本の柱は時刻を表している。祭壇には天の帝である天帝が祭られている。
 中国には古来から天人合一という思想があった。これは天と人は結びついているという考え。龍が玉と戯れる姿がそれを代表している。天壇は数学、易学、建築学などの知識を集めて作られた中国建築における最高傑作の1つ。


テレビ番組「クイズ!紳助くん なにわ突撃隊、中国で赤ちゃんパンダ飼育体験」

 2007年3月26日放送。大山ルミさんが案内。パンダは地球上に1500頭しかいない。四川省の臥龍中国パンダ保護研究センターの18頭の赤ちゃんパンダはそろそろ母親から離れて、一人立ちする季節。年に1度のパンダ幼稚園への入園式が迫っていた。

●成都
 上海を経由して日本から5時間。今から1800年前三国時代に劉備玄徳が建国した蜀の都として栄えた。パンダの町で、中央分離帯にもパンダが並ぶ。

●臥龍
 郊外の臥龍に2時間で到着。素朴な人々の暮らしがある。かなりひどい道で、眠れない。合計4時間で臥龍中国パンダ保護研究センターに到着。世界遺産にも登録されたパンダを絶滅から救うための施設。現在119頭いる。80%が人工飼育で、20%は保護された野生のパンダ。驚くほど間近で見られる。木のぼりは得意だが、降りるのは苦手。木の上でも眠り、多い時は1日16時間。但し、冬眠はしない。将来森に帰すことを考えて、半分野生の状態で飼育している。
 飼育員の肖永麗さん(20歳)に挨拶し、センター指定の作業服を着る。生後6ヶ月の双子のパンダ。18頭のうち1頭だけ野生のために母親とは生活していない。名前はついてなくて13番(オス)。体重は10kg。とても寂しがり屋。
 パンダは生まれた時は体長10−15cm。一週間で目や耳の周りに黒い毛が生えてきて、40日後に目を開ける。センターでの人工飼育は当初失敗の連続だったが、研究のかいがあり、生存率は100%となった。
 入園式で母親と離れ、独り立ちする。中国全土にも放送されるので、みんなピリピリしている。所員にとっても晴れ舞台。
 パンダはなわばりを広げる時が2回ある。ひとつは発情期の時、もう一つは雪が降ることを予測する時。食べ物が減るために活動範囲を広げる。
 春にタケノコを見つけると自分の糞を使ってマーキングをする。1週間後に戻ってくるため。

 2月10日入園式の朝。大山さんの最初の仕事は廊下掃除。幼稚園の準備。飼育員総出で笹を準備。テレビの生中継も開始。13番は依宝(イーバァウ)と決まった。18頭は飼育員に抱えられて入場。乳母車に乗って幼稚園まで行進。入ると自由に遊び始めた。飼育員にとっては、この日からが本格的な飼育の始まり。
 センター内にある飼育員のための寮。みんな家族として住んでいる。現在寮で暮らしているのは、中国全土から集まった36名。お昼は唐辛子の効いた豚肉とキャベツの炒め物。
 午後はお昼寝の時間。食事はミルクだけ。成人パンダの飼育を手伝う。肖さんは3頭担当しているが、2頭は友好として台湾に送られる。掃除、餌やりを手伝った。とうもろこしや豆をブレンドした餌も与える。信頼感を得るために毎日手をつなぐことも大切。
 保護されてきたパンダとして、麗麗(20歳)もいる。そろそろ寿命。
 夜、肖さんの部屋に遊びに行く。ルームメイトはセンターのHPを製作している李慮艶さん(23歳)。
 夜に授乳。決まった時間に与えるので、寝ているのも起こす。こぼれたミルクはきれいに拭く。後片付けをして夜11時に終了。

 翌朝7時30分、大山さんは日本に帰った。


テレビ番組「世界遺産 九塞溝・九寨溝」

 2007年3月25日放送。四川省。チベット高原の麓に眠る神秘の渓谷。ある神様が風と雲を磨いて鏡を作り、愛する女神に送った。しかし妖怪の神にたたられ鏡は壊れた。その破片が地上に落ち、いくつかの美しい湖になったという伝説がある。湖や滝など100以上。究極の自然美がここにはある。1992年世界遺産。

●九塞溝
 標高3150mにあるのは長湖。満々と水を湛える。Y字型になっていて、長湖は一方の源。全長は約50km。遠い昔、氷河が山を削り取ることで生まれた。川は長江の支流へと流れこんでいく。
 樹海群海(標高2228m)では水の中に森があるのか、森の中に水があるのか・・水に運ばれた土が堆積し、小さな島になる。そこに種が根をおろし樹木が育った。まるで水から木が生えているような眺めは世界に類を見ない奇観の一つといわれている。
 中国の人々は絶景の中の絶景と呼ぶ。羽根を広げた孔雀に例えられる。五花湖(標高2472m)。今回は特別に湖面に出ることが許可され撮影した。
 石灰分を多く含んでいて、倒木に付着して不思議なオブジェ(石灰華)を作りあげた。静寂が支配する水の宇宙。しかし、ここは決して死の世界ではない。魚も住む生きた湖。嘉陵裸裂尻魚という魚は鯉の仲間だが、うろこがない。中国やチベットの奥地に生息し、湖底の藻などを食べている。40種以上の藻が生育しているという。
 白鳥湖(標高2905m)、花火湖(標高2178m)。いろいろな植物などにより、多くの湖の湖面はいろいろな表情に変化する。水に含まれる大量の石灰が原因。形を持たない水の流れが作り上げた自然の形がここにある。

 九塞溝の水が神聖なマニ車を回し続けている。犀牛湖(標高2316m)は古くからチベット民族の血をひく山の民が生きる土地だった。チベット仏教では、マニ車を一度回すと中に書かれたお経を一度唱えたことになる。
 九塞溝とは「九つの村がある谷間」の意味。今でも山の民の末裔がひっそりと伝統を守っている。枝に赤い糸をつむぎ家族の幸せや健康を祈る。
 森も動物を守っている。珍珠湖(標高2460m?)などでは渓流が人知れず華やかなショーを繰り広げている。水しぶきが真珠のように飛ぶ。

 九塞溝の標高差は1000m程度。その間に多くの湖や滝がある。それは石灰が堆積したり、倒木に付着したりしてできている。自然が作りあげた天然のダム。
 二つの渓谷が出会う場所にその滝はある。諾日朗滝(標高2365m?)。高さ25m、幅300mほどの水のカーテン。九塞溝にある17の滝のうち最大のもの。
 下流には葦と石灰が作り出す静寂の水辺が広がっていた。芦葦湖(標高2140m)。水深1mほどの浅瀬に無数の葦が生育している。川底には石灰が堆積している。
 この地では1970年代までは木の伐採が繰り返されてきた。森が破壊される直前に保護が決まったという。
 一年で最も彩られる秋が終ると、一面の白。滝も凍る。チベットの人にとって山は聖域。厳しい冬も神からの贈り物。年に一度3日間の祭りがある。
 人気がでている中でどう環境を保護するか、という問題がでてきている。


テレビ番組「世界鉄道の旅 中国・大都市と現代化の息吹」

 2007年3月18日放送。放送番組センター配給。製作はオランダのEO International Meskers Media Affairs.

●武漢
 北京から1200km南の武漢の駅に到着した。ホームには動く屋台が集まってきた。安くておいしいので人気です。
 ここは長江と漢水?が交わる場所。以前は静かな街だったが、北京との間に鉄道が開設され、中部の工業都市へと発展した。重要な港でもある。19世紀には外国との交易が行なわれていた。今でも欧米のビジネスマンがいるが、古い中国も残っている。
 何世紀も前からの儀式がある。賽銭用のコインを貼り付けて祈ると叶うそうですが、すぐはがれてしまう。

●広州
 夜に武漢を出て広州に向かう。ここは広東省の省都。海にも面していて、亜熱帯気候で土地は肥沃。食の都で広東料理の故郷。
 港があるので交易の中心となっている。近代的なオフィスビルも増えている。早朝に公園を散歩すると、多くの人が太極拳をしている。歌を歌ったり、おしゃべりしたりする人も多い。

●香港
 近代的な特急列車で180km先の香港を目指す。3時間で高層ビルが見える。九龍に到着。
 1997年に香港は中国に返還されたが、条約では一部でもよかった。返還後50年は資本主義経済を続けることも条約に書かれている。しかし、香港の行方はまだわからない。
 ピークトラムに乗り、ビクトリア・ピークから香港を眺めた。


テレビ番組「世界遺産 モンゴル・オルホン渓谷の文化的景観」

 2007年3月4日放送。人々はヤギや羊を飼って生活した。乗馬術を駆使し、騎馬軍団は周辺を脅かした。2004年世界遺産。

 毎年7月にスポーツの祭典ナーダムがモンゴル各地で盛大に開かれる。3種類でモンゴル相撲、弓、子供たちの競馬。13世紀にモンゴルを統一し、一気に世界征服を成し遂げたのがチンギス・ハーンだった。その結果、東と西の文化交流が起こり、マルコ・ポーロも北京に来た。これがヨーロッパにおけるルネッサンスや大航海時代につながった。
 オルホン川の流域は豊かな牧草に恵まれていた。3000年前の遺跡もあるらしい。石切り場もある。最も大きい都市遺跡はハルバルガス遺跡で、8世紀に統治したトルコ系のウイグル人の都だった。唐の影響を受けて遊牧生活から都市生活に変化したらしい。そのウイグルに滅ぼされるまでモンゴル高原から中央アジアまで制圧していたのは、トルコ系のホショー・ツァイダムの突厥遺跡。8世紀の王とその弟の廟が残っている。碑文には唐の皇帝への外交辞令が綴られている。突厥文字も書かれていて、モンゴルの最古の文字だという。多くの金銀製品も出土している。2000年から発掘調査が行なわれている。

 今でも人々は家を移動する。組み立ても解体も簡単なゲル。20分程度で組み立てられた。王様でもゲルに住んだ。最も大事な財産は家畜。馬頭琴を老人が作っていた。1990年代の民主化までは移動は禁止されていたようです。ロシア人にとってチンギス・ハーンは略奪者でしかなかった。

 チベット仏教の寺エルデニ・ゾー寺院跡(16世紀末)がある。当時は1万人が学んだという。現在はモンゴルの文化を紹介する博物館となっている。これはモンゴル帝国の都カラコルムの宮殿の材料で作った寺院で、カラコルムは廃墟でもなく、草の中にあった。19世紀末にロシアの考古学者により発掘された。第5代フビライまでここが都だった。亀の形をした石が残っている。
 カラコルムにはイスラーム、キリスト教、チベット仏教などの寺院が建ち並んだ。


テレビ番組「学校に行きたい 極寒モンゴルの移動教室」

 2007年2月25日放送。永作博美さんが出演。世界の子供の5人に1人は学校に行けない。日本には学校に通わない小学生が2万人いるという。通いたくても通えない、通えるけど通いたくない、それはどちらも悲しい現実。モンゴルのそういう子に会いに2006年10月に行った。日中でも氷点下の世界で働いていた。体の弱い母トヤー、足を怪我した父サインビレグさんのために少女ナラン・ツァツラルさん(8歳)は働く。年に4回移動教室で授業が受けられる。テレビ西日本製作。

 兄のナラン・マンダフさん(18歳)と羊たちが牧草を食べられるようにしていた。ゲルの中では祖父、父母、姉ナラン・サイハンさん(16歳)と6人で暮らす。家に帰っても、牛6頭の乳搾り(1時間)、ヤギの乳搾り、馬に飲水、チーズ作り、うどん作りなどしていました。真冬になると時には氷点下35度にもなるので、寒くなる前にやることが多い。毎朝、燃料としての牛の糞を背中のカゴに集める。これが意外と重労働。
 兄姉は村の学校の寄宿舎に入って勉強したが、ナランさんは行ってない。仕事の合間に地面に文字を描いて勉強していました。お医者さんになりたいそうです。ナランさんの一番大事なものは移動教室でもらった教科書。勉強は楽しいそうです。永作さんは日本では勉強嫌いな子が多いのにと涙していました。
 10月下旬には5時半に太陽が沈み、外の気温は一気に下がる。夕食は肉うどん。8時から就寝の9時まで勉強ができる。1年前の移動教室で教わったことを何度も繰り返す。
 翌日、兄のバイクで40km離れたバインウンジュン村(人口1800人)に行って塩と野菜を買ってくる。店は2軒。塩2kgとジャガイモ5kgを購入。手袋は1500トゥグルク(150円)だが買えない。月に1度の村への買物に小学校に寄る。
 移動教室は夏に1度、冬に1度。今仕事をたくさんしておけば、今度の移動教室には行ってもいいと母が言ってくれた。
 永作さんが帰国する日に、200頭を超える家畜が消えてしまった。探し始めて1時間しても見当たらない。夜中までに探し、兄が連れ戻したそうです。例年よりも1ヶ月早く、冬を越す場所に移動を決めました。4時間でゲルを解体しトラックに積んで引越ししました。こういう引越しを年に4−5回繰り返しながら生活している。
 1ヶ月後に永作は再度モンゴルを訪れた。親戚と2家族でゲルを建てていました。移動教室が建つという3km離れた場所に行ってみた。しかし、当日になってやっと移動教室「ゲル学校」がやって来た。1日遅れでやってきたが、10人の子が参加しました。ゲルができて机を運び込んで完成。2週間の学校です。ほとんどの子は併設されたゲルに泊まりこんでいた。フンフジャルガル先生が教えてくれました。午前2時間、午後2時間で国語と算数が中心。
 別れの時。ナランは決して振り返りませんでした。遊牧民の言い伝え「振り返ると余計に別れが辛くなるから」。


テレビ番組「地球街道 間寛平さんで中国・桂林〜龍勝〜長寿の町」

 2007年2月24日、3月3日放送。道の横にフルーツを売っている。晩白柚(バンペイユ)は世界最大の柑橘類。大きなものは3kg以上になる。桂林は山水画のような風景。

●桂林
 年間1300万人の観光客が来る。○江(○はさんずいに離:リコウ)下りに参加。船代は1人160元(2400円)。2時間の穏やかな川下り。遠い昔、大規模な地殻変動で海の底が隆起してできた不思議な景観。世界最大級の石灰岩の大地。鵜飼をしている人がいる。鯉が取れるそうです。美しい景観を守るために川には橋が架けられていない。川沿いの小さな村興坪の港で終了。
 港のすぐそばにある建物に日本語が書いてある。林克之さん(60歳)の2002年にオープンした旅館「老○山旅館(○は塞の土の代わりに水)」に妻の菫彬才さん(32歳)、長男は喜多郎くん(3歳)。これまで国際ボランティアで活躍した林さんが、この地にやってきたのは10年前。
 林さんが絶景ポイントに案内してくれた。老○山(○は塞の土の代わりに水)標高220mの頂上で、この石段1159段は林さんが政府の依頼で半年で作ったもの。30分で頂上が見えてきた。眼がくらむような断崖の上の絶景です。

●龍勝
 桂林から100km。小高い山の頂上に到着。眼下にはとても美しい棚田が広がる。600年以上前に始まったそうです。みんなが助け合って生きているのを、故郷の高知を思い出しながら感動して見てました。
 声をかけてくれたチワン族の女性・○翠玲さん(○は魔だれに羽の下に:31歳)のお宅を訪問。築20年以上の家だがきれい。お茶と歌でもてなしてくれました。
 龍勝温泉に行く。中国でも人気の高い温泉は水着着用。地下1200mの岩盤層から湧き出る温泉は鉄分やマグネシウムを含む。いいお湯だそうです。原泉は54−58度。温泉卵を作ってみた。

●永福
 桂林から南に50kmの長寿で有名な町。106歳までの高齢者が1000人以上も参加した壮大な長寿祭りが開催された町。長寿料理で有名なレストラン「金海岸酒楼」は随一の名店で長寿料理コンテストで優勝した。自慢の長寿料理「千○宴(○は由の下に文)は10品。料理長は潘長武さん(32歳)で、長寿祈願の絵や文字を1時間かけて細工していく。まずは「金玉湯」68元(1020円)は鶏がらを2時間煮込んだだけのシンプルなスープで、鶏のモツやタケノコや漢方薬が入っている。巨大なキュウリ?の容器に入って出てきた。次は「仏果醸」11個で38元(570円)は、油抜きした鶏肉のミンチを羅漢果というかんきつ類の殻に詰め蒸しあげたもの。この店の長寿料理はほとんど油を使わない。

●百寿
 永福の中でも特に長寿の町として名高い「百寿」に向かった。永福のずっと西。人口3万6000人の町に100歳以上の人が13人いる。築100年以上の家が軒を連ねている。
 町はずれにある像は158歳まで生きたという人「○扶(○は魔だれに羽の下に)」の像。その人は近くの洞窟に暮らしていたという。街の人たちの集会場となっている。羅漢果のお茶をいただいた。健康によいといわれている。またそこの井戸「丹砂井」の水が長寿にいいというので飲んでみた。水には鉄分が多い。
 ここで一番長生きのお年よりに会いに行った。周満嫂さん(106歳)。毎朝自分で食事を作るそうです。サツマイモは欠かせないそうです。食後は急な坂を登り、裏山で薪広い。できることは自分ですることが生き方。毎日楽しむカードゲームで頭を鍛え、家族とコミュニケーションを図る。腹を立てない、笑顔が大事、近所とも家族とも仲良くするのが大事だという。
 孫娘の結婚式に参加させてもらった。2日間ごちそうを食べる。


テレビ番組「北京的超美人世界」

 2007年2月3日放送。石田純一、坂下千里子(30歳)、東貴博さんが出演。石田さんは北京に25年前に半年住んでいたそうです。中国の元気の源は美人にあり!というので、美人が支える今時の北京を報告する。日本から2100km。近代と歴史が同居する町。九州朝日放送製作。

●王府井(ワンフチン)
 かつては皇族の屋敷が建ち並んだという繁華街。いきなりナンパをするが、断られる。スーパーモデルの張○(○は王へんに月)チャンユアさんは2006年フランス・ファッション国際モデル・コンテストにおいて中国チャンピオンの栄光に輝いている。

●お茶
 北京市東城?の創業50年の「天福茗茶」は、中国全土に570の店舗を持つ。700種類を誇る北京本店では、ありとあらゆる中国茶が楽しめる。安い烏龍茶は濃い黄色だが、高級なものは薄い黄緑色。一番高いという「観音王」を出してもらった。1箱50gで2000元(約3.5万円)で、鉄観音の品評会で1位になったもの。
http://www.tenfu.com/

●屋台
 東華門美食坊夜市にチャン・ユアさんの好物があるという。餃子は10元(170円)。昔の中国では旧正月に食べるものだったそうです。虫さんたちの串が並んでいる。バッタ5元(85円)、臭豆腐10元(170円)、タイ産のサソリ50元(850円)、サメ30元(500円)もありました。チャンさんの好物はヒトデ15元(250円)。

●モデル(大連)
 最近の中国では人気だが、モデル専門学校に行くのがよいと言われている。大連にあるという。大連の中心部から車で1時間の「大連モデル芸術学校」。1993年創立、現在は1000名の生徒数で、9割が女性。特筆すべきはスーパーモデル養成コースで、入学資格は身長172cm以上で、学業の成績も重視される。全寮制で、整理整頓が寮のモットー。校長は于梅(ユウ・メイ)さんで、19歳でスカウトされ、大連出身のモデル第一号となり、中国モデル・コンテストでベスト10に入賞し、1年日本でも活躍した。

●ラッキー・ストリート
 テニスをする姜海琳(ジャン・ハイリン)さんとコーチの于洋(ウ・ヨウ)さんは美人。お昼は北京棗営路29号好運街23号にある日本の鉄板焼きの店「雅瑪花式鉄板焼」。この好運街は20以上の世界中の料理のお店が並び、北京の食通がうなる通り。ジャンさんはこの通りを管理している経営者。私生活では2歳の子供を持ち、ベスト・マザー・コンテストでも女王。以前は軍人、北京の警察官だったそうです。今は法律の修士課程で勉強中。かつ全国人民代表大会の議員でもある。
http://www.luckystreet.cn/

●モデル
 天雅服装大厦の新シルクロード・モデル・クラブのレッスン場に行く。少年少女訓練班があり、4〜16歳の子が練習している。先生は郭曼(カク・マン)さんで現役モデルの19歳美人。コンテストをしました。

●インターネット
 「上網」とか「網○(○は口へんに巴)」などはインターネット・カフェ。インターネットのアイドル「天仙妹妹(テンシェン・メイメイ)」が生まれた。天から舞い降りた妹という意味。65.8万件もヒットしている。本人に会ってみました。四川省アバ州理県の少数民族チャン族の出身。1年前に現在のマネージャーのロウ・ケイさんが旅して見つけた。2006年インターネット人気投票でNo.1。故郷の歌を歌ってくれました。父親が病気なので、稼いだお金は全て故郷に送っていて、恵まれない子にも送っているそうです。故郷の映像をスタッフが撮ってきてくれました。彼女の家、両親も。坂下さんも天仙妹妹さんも涙ぐんでいました。


テレビ番組「中国13億人、頂上決戦 伝説の仕事人を探せ!」

 2007年1月20日放送。赤井英和、ウド鈴木、カンニング竹山、金子貴俊、チェン・チュー、猫ひろしさんが案内。中京テレビ製作。

●上海
 人口は1450万人。平均月収は1500−2000元(2.3〜3万円)。ウド・金子チームが探した。まず「蟹王府(シェワンフー)」で上海蟹280元(4200円)〜。蒸してもらった。通の食べ方は甲羅を取って味噌から食べる。次はカニの身。カニ剥き軍団がいる。部分部分で担当が決まっていて、1日8時間で2000杯以上処理している。脚とアスパラの炒め物(カニ約10杯分)で108元(1600円)。ミソの甲羅焼き(カニ約3杯分)1個28元(420円)。ツメ蒸し(カニ約50杯分)で380元(5700円)。
 伝統の建築法がある。竹で作ったゆるい足場を超人的に上る。50m以上のビルでも竹の足場で作る。棟梁の余祖訪さん(23歳)に聞いた。高圧電線に触れても安全だからという。
 世界一手の大きいマッサージ師リンロンさんは、上海動物園にいる。象が二本足で立っている。これがリンロン800kgだった。金子さんが横になり、その上をリンロンが最初に急所をマッサージ、次いで鼻でマッサージ。次はウドさんで最後は鼻で吸引がありました(笑)
 上海朝食屋台にスーパー・サラリーマンも並ぶという。お勧めは吸管湯包(ストロー付き肉まん)で1個10元(150円)で、ミスター上海も好きだという。この人は蒋楽俊(ジャン・ラージュン)さん(27歳)で2004年ミスター上海、2006年ミスター中国の不動産会社の社長。上海ヒルズのオーナー。奥さんは日本人の香奈子さん(27歳)。
 夜の上海。神の包丁を持つという「潔而精川菜館(ジエアルジンチュアシツァイグアン)」の李軍(リ・ジュン)さん(26歳)は、15000本に切れるという。千切りにして水に入れると繊維状になっている。幅0.8mm。この文思豆腐(ウエンスドウフ)35元(500円)。

●北京
 人口1350万人。平均月収は800−1000元(1.2〜1.5万円)。赤井・チェンのチームが探索。北京学院南路市場で学生に一番人気なのが、激辛中華おでん。お皿一杯で4元5角(70円)。1串5角(8円)。体重計があるが、1回5角(8円)。これで言を2軒買ったそうです。1万元くらい稼いだそうです。青空カラオケもある1曲2元(30円)。
 超高級料理亭「○珍楼飯店(○はさんずいにはこ構えに隹」は最大収容人数1000人。北京ダック1羽68元(1020円)〜。これに砂糖をつけて食べるのがVIP。焼く前に空気をお腹に入れて張りを作り、水飴を塗り、杏の木で焼く。
 中国では飴は縁起がよく、人気。中でも劉栄桂(リュウ・ヨングイ)さん(71歳)は飴を細く伸ばすことができるので有名。飴伸ばし7mの世界記録を持っている。今回10mに挑戦し、15mを達成した。
 万里の長城に行ってみた。周りは全部栗の木。日本で売っている甘栗は全て中国で人の手によってむかれているという。北京から北に車で2時間の遵化にある栗剥き工場「唐山珍真甘栗食品有限公司」に行く。王彦君社長が案内してくれた。全員女性の500人でむいているが、一人1個1秒でむいている。1日10トン。一人で毎日6000個30kgむいて、月に1000元(1.5万円)。競争したら史鳳爽さん(22歳)が優勝した。史さんの実家を訪問した。栗づくし料理でもてなしてもらった。「栗と豚のとろとろ角煮」。

●重慶
 人口3144万人。平均月収700〜1000元(1〜1.5万円)。竹山・猫チームが探索した。火鍋が名物で、重慶の人は週に2回は食べるという。重慶江北盤渓農産品批発市場ではにんにく、落花生、湯葉、椎茸、生姜などの食材がすごい。唐辛子も10種類以上ある。1日20トン出荷している。唐辛子職人の鄭昌富さん(40歳)は唐辛子の鑑定人。重慶には世界一の広告塔がいあるという。
 張俊才さん(40歳)は身長が2m42cm、体重124kg、手のサイズは29cm、靴のサイズは54cm。16歳(170cm)から急激に背が伸びだしたという。広告効果は抜群。
 鍼灸師のウェイ先生(57歳)は顔面に大量の針を刺して登場。有名女優やセレブがカスタマー。
 最も賑やかな市場にやって来た。ここは盆地で坂が多いので、みんなカゴに物を入れて売っている。この街に棒棒軍(バンバンジュン)という伝説の仕事人がいるという。すごく重い家具を楽々運ぶ。引越しを棒1本で行なう7−8人の集団。引越し代金は300元(4500円)。

 13億人の頂点は栗むき女王の史鳳爽さんとした。


テレビ番組「ポカポカ地球家族 中国桂林」

 2007年1月13日放送。浅香唯さんが案内。

●桂林
 年間1000万人が訪れる人気の観光都市。日本からは広州を経由して7時間で到着する。三年前にこの番組でご紹介した旅館の主人の林克之さん(60歳)が無料で川のゴミ拾いをしていることに共感したからでした。
 人気は漓江(リコウ)下り。遊覧船は昼食代込みで一人450元(7000円)。水に溶けやすい石灰岩に雨が降り注ぎ、このような不思議な世界ができたという。九馬画山(九体の馬が並ぶ山)が有名。
 漓江に面した小さな村・興坪(シンピン)は人口4000人、今から1800年前は都として繁栄してきた歴史ある街。林さんの経営する旅館「老○山旅館(○は塞の土の代わりに水)」は船着場のすぐ横にある。奥さんは中国人の彬才(ビンサイ)さん(32歳)、長男は喜多郎くん(2歳)。5年前に600万円かけて建築した。敷地面積は100平方m。2階客室は4室。冷暖房、テレビ、シャワー完備で1泊5000円。
 夕食はえんどう豆と豚肉の炒め物。林さん夫婦が知り合ったのは2001年地元のテレビ局が林さんを紹介し、花嫁を募集した。それで彬才さんが応募し、2002年に結婚した。ツアー客の昼食サービスも去年から始めた。ナス炒め、豚肉のポン酢かけ、鯉のビール煮などの素朴な中国の家庭料理が人気。最近では日本人だけでなく、中国人の旅行客も増えてきている。
 鯉のビール煮は、鯉まるまる一匹にニンニク、ショウガ、唐辛子で味付けし、ビールを入れて臭みを消す。10分煮込んだら出来上がり。喜多郎くんは豆腐の味噌汁が好み。

 林さんは漓江の船付き場のゴミを拾うが、すごい量。観光客だけでなく、地元の人も捨てている。意識を変えるきっかけを作りたいという。やぶ蚊、ハエ、ネズミ、ゴキブリがでてくるマイナスがあるという。

 林さんが興坪の街を案内してくれた。3,6,9のつく日は露店が出る。開放的な町で、色々なお店が青空の下で経営をしています。床屋さんも歯医者さん(牙科)も外で営業。街中で水牛が歩いている。
 200年前の昔ながらの街並みが残る老街(ラオジェ)という集落を抜けると市場へ到着。新鮮な野菜、ナマズ(1匹6元:90円)、鶏(1羽40元:600円)、マコモタケ(イネ科の植物:炒めて食べる)などがずらり。

 林さんが午後に絶景ポイントに連れて行ってくれた。大型船は一人7000円だが、竹いかだは2人乗りで1時間20元(300円)。絶景ポイントは中国の20元札の図案になっている風景で、川面に山が映っている。風が強くても、雨でも見られない。林さんはこの風景に感動して移住を決意した。

 次に向かったのは旅館の裏手にある老○山(○は塞の土の代わりに水:ラオジャイサン)。標高225m。1997年にこの山頂までの道を作ったのは、林さんと地元の仲間。林さんはボランティアでヒマラヤに水力発電所を作った経験がある林さんに街から要請があった。石段の数は1159段。展望台「友好亭」を設置した。山頂まで時折ゴミ拾いにもでかける。45分で到着。ここから絶景が見えます。しかし、林さんだけが知るさらなる絶景ポイントがある。岩場を登ったところで、崖になっていて足がすくむ。


テレビ番組「世界遺産 四川のジャイアント・パンダ保護区群」

 2007年1月7日放送。中国四川省の岷山山脈は5000m級の山々でヒマラヤに連なる。山奥に住むという不思議な生き物の伝説が語られてきた。ジャイアント・パンダは絶滅の危機に瀕している。生息数は1600頭。現在30箇所を越す保護区が設けられた。2006年世界遺産。

 総面積1.5万平方kmの保護区。野生の3割がそこで絶滅を免れ生活している。食べ物である冷前竹・華清竹など60種類の竹が豊富にある。

 臥竜自然保護区は四川の保護区の中でも最大。先祖代々暮らす人でも実際に野生のパンダを見た人は数えるほどしかいない。
 ジャイアント・パンダは19世紀に世界に知られ、幻の動物を求めて欧米の探検家が訪れた。第二次大戦後に広い範囲で森林が伐採され、ダムなどの建設で生息地が分断された。現在は標高の高い山々に住むだけ。
 臥竜保護区の「パンダ渓谷」にも多くの観光客が訪れる。21号というパンダは人の手で育てられ、この谷に放たれた。パンダは与えれば人参も食べる。
 臥竜ジャイアント・パンダ保護研究センターはパンダ渓谷の近くにある。1980年に建設された。人工授精で生まれたもの、怪我をしたものなど、現在80頭が飼育されている。パンダを野生に返す試みがされている。
 裏山を柵で囲い、自然に生きるようにし、適性を数年かけて見ている。テストに合格した最初のパンダはオスのシャンシャン。双子で生まれた時のビデオもある。親は1頭しか育てないので、人が養育した。生まれたばかりのパンダは排便も自分ではできない。生後23日目に100gで生まれたシャンシャンは1kgになった。5歳になり、野生に帰る日が近づいた。追跡調査のための電波発信器がつけられ、麻酔をかけられてから遠くに運ばれ、2006年4月に山に放たれた。シャンシャンはその後大怪我をして、12月にはセンターに保護されている。21号は8月に放たれた。人間では80歳に相当するので、自然に帰した。最近は番で放す計画もある。
 このセンターでは2006年には19頭が生まれた。竹は数十年に1度開花し、一斉に枯れる。四川省でも1980年代に開花し、多くのパンダが餓死するという事件があった。住む場所が人間により分断され、食料のあるほかの場所に移動できなかったからだという。

 臥竜自然保護区ではレッサーパンダも絶滅の危機にさらされている。


テレビ番組「世界遺産新たな旅へ ラサのポタラ宮歴史地区群」

 2007年1月7日放送。標高4000m級の山々が続くチベット高原。ヒマラヤ山脈の北にチベット自治区がある。その首都ラサにあるチベット仏教を象徴するポタラ宮。製作早稲田大学など。配給は放送番組センター。

●ラサ
 ラサにはポタラ宮以外にも多くの寺院があり、街全体が聖地となっている。人口40万人。モンゴルやネパールなどからも多くの巡礼者が集まってくる。
 ラサの中で最も古い寺院の一つ大昭寺はチベット仏教の総本山。寺の前では人々が五体投地を行なっている。両肘、両膝、額の5つを大地につけ、何度も繰り返して祈り続ける。来世の幸せを求める人々の願いがこめられている。
 この地に仏教が伝わったのは7世紀。トバルという強力な部族がチベットを統一すると、近隣を脅かした。中国の皇帝やネパールの王は娘をトバルの王に嫁がせた。その時、仏教がチベットに伝えられたという。大昭寺は王の死後に二人の王妃が菩提寺として建立した。本尊として祀られている釈迦牟尼像は中国から嫁いだ王妃によりチベットにもたらされたという。その後、仏教は土着の宗教と混ざり合いながら、チベット仏教へと発展していった。

●ポタラ宮
 ラサの街のどこからでも見えるポタラ宮は、小高い丘の上にたち、幅420m、長さ116mの巨大な宮殿。今から350年前、ダライラマ5世が築いた。ダライラマはチベット仏教の最高指導者で、生きた仏、観音菩薩の化身とされている。ダライラマ5世はチベットを統一し、政治と宗教の最高指導者となった。ポタラ宮の建設は5世が28歳の時だった。この時作られたのは白宮。ダライラマの宮殿であり、政治の中心だった。その後作られた紅宮には歴代のダライラマの霊が祀られている。紅宮の屋上に並ぶ金箔に覆われた塔は霊塔殿で、5世から13世までの遺体を納めた霊塔。豪華に飾られた柩にミイラが納められている。
 部屋の数は1000以上あるとも言われている。宮内は複雑に入り組んでいて、仏教の経典を納められた部屋もある。インドの仏教を翻訳したもので、インドでは仏教関連のものがなくなっているので、貴重。壁や柱に施された絵画や彫刻も素晴らしい。仏の姿や仏を守る龍などが埋め尽くしている。


テレビ番組「たけしの新・世界七不思議」

 2007年1月3日放送。ビートたけし、大江麻理子アナが案内。荒俣宏、織作峰子、市川森一さんがアドバイザー。紀元前2世紀頃、ギリシャで1冊の本「世界の七つの景観」(フィロン著)が出版された。フィロンは数学者にして旅行家。オリンピアのゼウス像、バビロンの空中庭園、エファソスのアルテミス神殿、ロードス島の巨像、ハリカルナッソスのマウソロス王の墓廟、アレクサンドリアの灯台、エジプトのピラミッド。このうちピラミッド以外は歴史から消え去った。もしフィロンが生きていたら何を7つの不思議に選ぶだろうか?発見、智恵・技術、情念というキーワードを元に新・世界七不思議を決定する。今回は3つのエントリーがある。現在世界遺産は2006年7月時点で830個ある。テレビ東京製作。

●マチュピチュ
 ペルーの空中都市。日本人の旅行会社で人気No.1。クスコから列車で向かう。アグエス・カリエンテス駅からバスでつづら折の山道を30分行くと高台に到着する。そして霧が晴れた時、姿を現した。
 1922年11月26日にハワード・カーターが見つけたツタンカーメンの墓が20世紀最大の発見といわれているが、マチュピチュの発見もそれに匹敵する。1911年7月1日、アメリカ人ハイラム・ビンガム(エール大学教授)はインカ帝国の最後の都ビルカバンバを探していた。ウルバンバ川はインカの聖なる谷と呼ばれていた場所で、この辺りにあるのではないか?と予想した。7月23日、険しい渓谷の間に小さな開墾地を見つけた。主はアルアテガで向こうの山の上にあるという。今までもこういう情報はあったが、行ってみると落胆することが多かった。途中で2人のインディオ(リチャルテ、アルバレス)に出会う。2人は教えなかったが、パブロという子がいつも遊んでいると答えた。マチュピチュとは老いた峰、ワイナピチュとは若い峰を意味する。山道を歩いていると石段になった。上がった場所からマチュピチュが見えて、ビンガムは息を呑んだ。
 区画が分かれていて、神殿区域、貴族の居住区域、庶民の居住区域・倉庫群に約700人が暮らしていた。1911年には蔦や樹木が生い茂り廃墟と化していた。少年に最初に連れて行かれたのは「太陽神殿」と名づけた。クスコ文化庁のベルタ・ベルムーテスさんが説明してくれた。冬至の日に北の窓、夏至の日に横の窓から太陽が真中の石を照らすように設計されていた。また3方を壁に囲まれて、4.5mの石が置かれた場所を「主神殿」と名づけた。ビンガムは石の技術に興味を持った。祭壇の上にミイラを置いたのだろうと考えた。中央に向かって手を叩くとエコーが起こるので、主神殿だと思ったのだろう。インカの王たちは3つの窓から誕生したという伝説があった。「3つの窓の神殿」は聖地だと思ったが、今では冬至に日が差し込むことから、太陽神殿と同じ働きだと考えられている。「コンドルの神殿」、広大な段々畑「アンデネス」などを記した。
 200以上の段々畑では神に捧げるチチャというお酒をつくるとうもろこしが栽培されていたことがわかっている。チチャはとうもろこしを石臼で砕き、煮立てた後に発酵させて作るお酒。アンデスの人は今でもチチャを飲み、お祭りなどではチチャをふるまう。飲む前には天と地の神様に感謝するための決まった儀式を行なっている。とうもろこしの栽培を可能にしていたのが、灌漑技術だった。先に住居群を通り段々畑に流れるようになっていた。近くに石切り場があり、そこから切り出して建物を作っていたこともわかっている。現代の技術をもってしても難しいという緻密な石と水の技術を持つが、彼らは街を捨てた。
 クスコ大学のルイス・バレダ・ムリョ教授はインカ第9代パチャクティ皇帝が作ったということがわかったと語る。パチャクティはクスコのコリカンチャ(太陽神殿)を作った人としても知られている。石を切る石斧は隕石を使っていたかもしれない。
 ビンガムは2回発掘を行い、163体の遺骨を発見したが、ほとんどが女性のものだった。そこで女性達の都だったのではないか?と考えた。アクリャとは太陽の処女を意味し、神の使いとしてチチャ酒を作らせた。後に遺骨の半分は男性だとわかり否定された。アマゾンに対する要塞説もあったが、武器が出てこないので否定された。太陽が関係しているので、太陽に対する神殿都市だったとするのが最大の説。一番高いところにあるのが「インティファタナ」で巨石を加工したもので、「太陽をつなぎ止める場所」という意味。この石は日時計の役割をしているが、一つ重要な意味があった。太陽が消えてしまわないようにつなぎとめていた。太陽が軌道を外れないように祈っていた。実はインカには驚くべき神話が残されていた。クスコ・ケチュア保存会のエンリケ・パクニさんは「過去に大洪水があり、全てを消滅させた。太陽は消えたまま姿を現さなかった。それで太陽を失うことがないようにというので、太陽を祈るようになった。」と語った。将来大洪水が起こった時に避けるために山の上に作ったのだろう。パチャクティという王の名前も復活を意味する。では、どうしてみんなはマチュピチュを捨てたのか。
 クスコ大学ジュリニョ・サパタ教授は、神聖な神殿が32もあるマチュピチュは宗教的に意味がある場所だった。そこにスペイン人が入ってくることを嫌がって、自ら焼いたのだろうと語る。人々はマチュピチュの存在を隠し、ビルカバンバに逃げたのだろう。遺跡の下からは焼けた跡が見つかっている。倒れた壁の一部は漆喰のようなものを塗り、黄色や赤の色がつけられていたが、焼けた際に失われたのだろうという。


●楽山大仏
 中国四川省楽山市にある高さ世界一の大仏。高さ71m、肩幅28m、頭部15m、耳の長さ7m、幅8mの足の甲には100人が座れる。21階建のビルに相当する高さがある。中国各地から年間200万人が訪れ、60万人が線香をあげている。この大仏が作られたのは民衆のためだった。○雲山(○はさんずいに陵の右側の部分)の麓、岷江、大渡河、青衣川の3つの河がぶつかるこの場所には水難事故が多かった。建立後は事故が減った。
 チョンライ山脈の南にある峨眉山(がびさん)は中国仏教の4大聖地の一つで、以前は報国寺など170を越える寺院があった。今も金頂という3099mの山の頂きに建つ永明華蔵寺には多くの仏教を信じる中国人が一生に一度は来たいという。最初に作られ始めたのは713年、唐の玄宗皇帝の時代。717年に第8次遣唐使団が557名が渡った。その中の安倍仲麻呂は50数年を唐で暮らした。西安で2004年に遣唐使の墓が見つかり、姓は井、字は真成が志半ばで亡くなり、玄宗は官位を贈った。743年聖武天皇が奈良に大仏を建立を始め、752年に完成した。楽山大仏は803年に完成した。完成時は肌は金箔に覆われ、法衣は朱色に塗られていて、13層の木造の楼閣で覆われていた。完成した翌年に唐に渡った僧侶が2名いる。最澄と空海である。土木技術を学んでいた空海が見逃す筈はないと思われる。完成から1200年後の1986年に一人の観光客が驚くべき発見をした。○雲山の姿を対岸から撮影し、涅槃仏が横になっていて、楽山大仏はその胸にあたる部分に掘られていたことがわかった。
 ではどうやって作ったのか。楽山市の東60kmにある仁寿県高家鎮にある磨崖仏が残っている。仁寿大仏と呼ばれるその大仏は30mを越える岩肌に6mの頭だけが彫られた未完の大仏。そのおかげで磨崖仏の製作が頭部から下に向かって進められたことがわかった。仏教の衰退により製作が中止されたが、完成していれば、楽山大仏に次ぐ大きさになっていたはずである。
 四川省楽山市文化局の唐長寿さんは大仏を守るための工夫がなされていたという。雨が多いので、雨と岩からの湧き水を排水するために耳と首の後ろに排水路が作られている。頭部に対しては螺髪(らはつ)と呼ばれる頭の巻髪の4層目、18層目に雨に対するトイが作られ、顔に雨水がかからないようになっていた。法衣にかかる分も排水されていたという説もある。
 大仏ができて事故が減ったのは、大仏のご利益だと多くの人は信じた。作者は大仏を削った岩で流れを浅くし、穏やかにするという治水工事を行なっていた。ただ、最近黒くなっているのは、酸性雨のせいらしい。
 1986年大仏を作った時の石版「大弥勒像記」が出た。計画を進めた若い僧は海通で、水難に苦しむ人を救うために作ることを考えたという。当時、玄奘が戻りバーミヤン西の大仏(全長55m)があることを伝えた。これにより作られた大仏は黄河沿いに10を越えたが、ほとんどが権力者によって建立されたものだった。長江にも作れないことはないと思って、30年かけてお金を集め掘り始めた。すると役人が来て、賄賂を要求したが、目を与えたという。743年に彼は亡くなったが、意志を継いだ人々により作り続けられた。土砂で川が埋められ事故が減った。
 13世紀に楼閣が炎上し、金箔も失われた。以来風雨にさらされ、雑草に覆われ、人々から忘れられた。1962年に修復が開始された。胸に明の時代に埋められた石があることがわかった。中には空洞があった。そこには魂や教典を入れるのが普通だった。


●ナスカの地上絵
 オーパーツとは Out Of Place Artifacts (場違いな加工品)の略。コロンビアで見つかったスペースシャトルに似ている黄金製品。16世紀に当時発見されていなかった南極大陸が描かれたピリ・レイスの地図などが代表的なものとされている。その中で最も巨大なものはペルーのナスカの地上絵。地上からでは見ることができない。セスナで高度500mから撮影した。年間降雨量10mmの地で、ハチドリ、コンドル、宇宙飛行士、クモ、渦巻き模様などがある。1辺が10kmの十字は宇宙衛星からでないとわからなかった。
 飛行機は1903年のライト兄弟から。ペルーの上空にも民間の飛行機が飛ぶようになった。砂漠地帯を飛ぶパイロットにより1930年代に発見された。1000平方kmの間に数えきれないほど描かれていた。たちまちパイロットの間で話題になった。その後の調査で、動植物が30点、幾何学模様が220点、直線が750点以上が確認されている。2006年日本人の研究チームにより新たな地上絵が見つかった。見つかったのは外れにある平原地帯。全長65mの絵だった。見つけたのは山形大学の坂井正人助教授。幾何学模様以外の発見は1980年代以降では久しぶりだった。今回パイロットが新しいのを見つけたというので飛んだ。40m四方の大きさで、膝を抱えた女性のように見える。屈葬されたミイラが多く出土している。ニセモノも多いというので、専門家のペルー文化庁のマリオ・オライチェアさんに見てもらったが、石で縁取りがしてあるのでナスカ期のものではないと言う。しかし、中心部には墓が発見された。本物の墓だが、地上絵の中に墓は今までなかった。もしかするととんでもないものかもしれないと語った。石のない部分はナスカ期と同じようだった。墓の部分は女性の子宮のところに来ていた。
 地上絵は2〜7世紀に描かれたもの。地上絵の保護のために一般人は中に入れないが、特別な靴を履いて特別に入らせてもらった。ナスカの人々は太陽によって焼けた黒い表面の石とそれを取り除いた時にできる白い土の表面を利用して地上絵を作った。ナスカ平原では雨が降らないから保たれている。ではどうやって描いたか?国立人類学博物館のカルメン・タイスさんは、保存されているものに描かれている空飛ぶ人から、鳥人説があるという。国際探検協会のジム・ウッドマンは気球を利用して描いていたという気球説を唱えている。ナスカ期のミイラが長さ50mの布に包まれていたことから考えた。分析したところ、軍事用パラシュート以上であることがわかった。1975年気球を実際に作って飛ばして確認したところ高度130mまで上昇できた。縮尺拡大説は実験してみたが、6人がかりで縦横20mのハチドリが描けた。しかし幾何的な絵とかに限定される。
 何のために描かれたのか?中でも衝撃的だったのは、スイス人エーリヒ・フォン・デニケンが述べた宇宙人説。ドイツ人技師ゲオルク・フォン・ブロイニッヒは古代のオリンピックのスタジアムだと思った。チャスキという飛脚がいたが、足の速さを競いあっていたという。ロングアイランド大学のポール・コソックは冬至の日に太陽が沈む方向をラインが示しているのを見てカレンダー説を唱えた。マリア・ライヘはそれを発展させ幾何学的な意味を与えた。ペルーのトリビオ・メヒーア・ヘスペは巡礼説を唱え、人が歩くものだと考えていた。アンデスにはコイヨリッティという、道の上を踊りながら3日3晩踊り明かす。実際にナスカでは楽器が発見されている。雨に関係している動物が描かれている。コンドルもハチドリもそうだった。それの跡を歩き雨を祈った。みんなが同じところを歩くから踏み固められたし、一筆書きになった。

 新・世界七不思議はナスカの地上絵でした。


テレビ番組「神奇 黄山をゆく」

 2007年1月3日放送。黄山は神奇な山として人々を魅了してきた。上海から南西に350km。安徽省南部にあり、1800mを越える三大峰を中心に72の峰からなり、1990年に世界遺産。黄山三奇は雲海、奇松と怪石。「黄山を見ずに山を見たとは言えない」と言われる。配給は放送番組センター(BSジャパン製作?)。

 李白は幾度となく黄山に上り、詩を作った。芙蓉の花に例えている。また水墨画のテーマの半分は黄山だと言われている。現代の重鎮の王子紅さんも黄山の魅力に取り付かれた。

 黄山の入口、黄山大門を過ぎてしばらく行くと、人字瀑(じんじばく)は雨の多い時は、人という字が滝となって現れる。今回は西側の1800mを越える天上の世界に迫る。まずは玉塀ロープウェーで上がる。眺めの中に切り立った崖とそそり立つ松に圧倒される。降りて目に飛び込んでくるのは、天都峰(標高1810m)。三大峰の中で最も峻険で、古の人々は仙人の住む峰とした。天都峰には石段で上るが、今は環境のために6年に1度だけ開山する。
 次の峰へは、岩の間にできた石段(一線天)、まさに屏風のようにのしかかる巨大な岩の峰を登る。黄山の石段の数は数万段と言われている。途中で見えるのは蓬莱三島(蓬莱、方丈、えい州)で、仙人が住む。えい州は始皇帝の時代にじょふく?が向かったという幻の東の島。現実と伝説が幻想の中で一体となっている。
 上りきったところで迎えてくれる建物は玉塀楼。みんな迎客松の下で写真を撮る。黄山の松の中で最も有名な松で、樹齢800年。右手の岩で双眼鏡で観察している人がいる。松の細部まで観察している防火警備員の沈成○さん(○は交へんに交)です。この松は竹とワイヤーで補強しているそうです。さらにタバコを吸う人にも注意している。草木を持ち込んだり持ち帰らないようにしている。反対側からはロープウェーが見下ろせる。その右手には蓮花峰(標高1864m)があり、蓮の花に例えられている。その頂上からは雲海がなければ360度の眺望が楽しめる。これが天上界の眺めです。玉塀楼から30分の厳しい道が続く。頂上かと思えば、さらに続く傾斜の急な石段の繰り返し。断崖の中、馬の背みたいな所も登ります。かなり険しい岩山です。
 残る1つの峰までは百歩雲梯と呼ばれる雲の上の梯子を上る。ここも馬の背みたいになっていて、両側は崖。行列のできる山で、一人がやっと通れる幅。見上げると八戒読経という岩がある。西遊記の八戒に似ているとか。なだらかな道に入って多くの碁盤松がある。碁盤が置けるほど平らという意味らしい。大王松は黄山随一の風格。団結松は分かれた3本の幹がまるで1本のように寄り添う。登山客が笑顔になれるのは雲海の真中にある海心亭。建物だけですが、この石も全て麓から運ばれた。そして松の中を抜けて、三大峰の最後の光明頂(標高1841m)に向かう。光明頂とは仏の頭の真中を意味する。建物があるように見えました。
 鰲魚駄金亀?(こうぎょだきんがめ)は伝説の龍の子の上に亀が乗っている岩がある。山頂付近では珍しい形の岩を見ることができる。2−3億年前に海底が隆起して岩になり、長い年月をかけて風化した黄山。

 黄山三奇は黄山三絶とも言われる。その中でも絶景を支配するのは雲海と霧で時々刻々変化する。三峰から雲海を見る時、人々の心は空になる。


テレビ番組「青海チベット鉄道 世界の屋根2000キロを行く」

 2007年1月2日放送。2006年7月チベットに初めて鉄道が開通した。青海省の西寧とチベット自治区のラサを結ぶ1956kmの鉄道。標高5000mを越す天空の世界。車窓にはチベット高原、万年雪の山々、貴重な野生動物、チベットの人が崇める聖なる湖。世界最高地点5072m。乗客を高山病から守る智恵もある。構想50年。鉄道の開通は人々の生活と物流に変化をもたらす。11月に全容を撮影した。NHK製作。

●西寧
 シルクロードの要所として栄えた商都。中国の都市と連絡している。チベット族の人が駅に集まってきた。定員は900人。西寧発ラサ行きは2日に1本。全席指定だが、皆先を争って乗り込む。夏の観光シーズンでは徹夜で並んでも切符は買えない盛況ぶりだった。

●車内
 夜8時7分定刻に出発。ラサは翌日の夜10時半に到着する。チベット高原を日中に走り、景色を楽しめるような配慮。最初の停車駅ゴルムドには朝7時に到着。その後高度を上げ、昆崙山脈を分け入る。標高差2000mの難所。貴重な野生動物の多いココシリ自然保護区が右手に見て走る。世界で最も高い鉄道の通過地点タングラ峠。峠を越えるとチベット自治区で、聖なる湖ツォナ湖を右手に見て走り、ラサに向かう。

 列車が発車して間もなく、乗務員が事前に配られた健康カードを集めて回る。高地での状態が書いてあり、乗客はサインして返す。健康に問題がある人がいれば、マークしているそうです。客車は15両編成、寝台車と座席車がある。2等寝台は8台で料金は一人523元(8000円)。サンゴやメノウなどの宝石を3000元(4.5万円)で売っている人も乗っていた。座席車は背もたれが倒れず、ゆっくり眠れない。運賃は3100円。夜11時、車内の一角から音楽が流れた。

●ゴルムド
 朝7時に到着。まだかなり暗い。標高2800m。以前からラサに行く国道の拠点だった。停車時間は20分。この間に高地専用の機関車への交換作業が行なわれる。アメリカから導入されたNJ2型ディーゼル機関車。馬力は1両4000馬力。高地を走る列車としては世界最速。出発時でもまだかなり暗い。

●車内
 7時半にようやく空が白み始めた。出発して40分で、砂漠地帯にさしかかった。昆崙山脈が目の前に見えてきた。昆崙山脈は東西2500km、南北350kmに渡って連なる大山脈。西遊記などの物語にも登場する。朝8時に太陽が見えた。どの客車にも給湯器が備え付けられており、乗客は自由に使える。一番人気はカップ麺で1つ75円。線路と平行してラサに向かう国道109号線が見える。この鉄道は西寧〜グルムド間が1984年に開通したが、建設は一時中断された。90年代内陸部再開発のプロジェクトで4500億円をかけて、2001年からの建設開始から5年で運営までもっていった。多くの鉄橋ができており、全部で675本、総延長は160km。

 標高4000mを越えた。目の前に白い山々が迫ってきた。昆崙山脈の東部最高峰の玉珠峰(標高6178m)。玉珠峰駅は観光のための駅で、現在は通過するだけだが、将来は停車して風景を楽しむ。こういう駅がいくつかある。
 鉄道の敷設に困難だったのは、凍土。線路の脇に金属の棒が刺さっているが、これは熱棒で、地中の熱を外に逃がす。中にはアンモニア水が入っている。
 ゴルムドを出発して2時間が経過した。標高4500m、外気温は氷点下20度。これからが最大の山場。前方の山を登る。標高4648mにある峠に差し掛かった。ここから全長1686mのトンネルに入る。凍土に掘られたトンネルとしては世界で最も長い昆崙山トンネル。

 昆崙山脈を過ぎると風景は一変する。右手にココシリ自然保護区。面積は8.3万平方kmで北海道とほぼ同じ大きさ。標高4600m。貴重な野生動物が多い。この時期一番多いのは、チベットノロバで、体長2m、集団で生活する。チベットガゼルは体長1mのウシ科の動物。オオカミが登場。草食動物が増えるのを防ぎ、生態系をバランス取る役割を果たす。チルーはカモシカの仲間。毛は世界最高級で、密漁者により乱獲された。かつては100万頭いたが、今は10万頭で、北京オリンピックのマスコット。野生動物を守るために、線路は高架になっている。清水河特大橋を渡る。最も長い鉄橋で、全長11.7km。

 出発して5時間、大きなトト河を渡る。トト河は長江の源流の一つ。鉄橋は長江源頭第一橋で、長江が流れてきて最初に出会う長い橋という意味。時間は12時を回っている。お弁当は1つ300円で、目玉焼きと野菜の炒め物。食堂車は定員が45名。いつも満席なので、事前の予約が必要。メニューは20種類で、本格的な中国料理を楽しむことができる。厨房では4人のコックがフル回転で料理を作っている。高温で料理をするのが基本だが、標高4000mなので調理に時間をかけないと半煮えになる。火は使えず電気で加熱する。

●タングラ峠
 世界で最も高い鉄道の通過地点タングラ峠にかけて上がっていく。完成前に世界一だったのはペルーのアンデス中央鉄道で標高4783mでした。それを300m近く上回る5072m。手前では真っ白な平原が続く。酸素不足の人には、廊下?の壁部分にある装置の蓋を開けてチューブを差し込むと酸素がでてくる。使用後はその横のボタン?を押すと酸素が止まる。客車はカナダの航空機メーカーに発注され、飛行機と同じ仕組みの空調設備が取り付けられている。外気を取り込み車内の圧力は平地の80%を保つ。実際には高度5000mだと気圧は平地の半分になる。窓は密閉状態を保つため、二重窓で、開けられない。世界でもこれほどの設備のある車両は他にはない。車窓には天空さながらの風景。周囲は真っ白なタングラ山脈で、チベット高原の中央部を東西600kmに渡って貫いている。左手に世界最高地点であることを示す石碑がある。
 通過しました。列車は緩やかに下り始め、世界で最も高い駅のタングラ駅(唐古拉駅 Tang gu la 5068m)がある。ここも全部で9つある観光用の駅の1つ。駅員はいない。青海チベット鉄道は単線なので、ラサから来る列車の通過待ちをする。今は下車はできない。駅のそばに大きなソーラーパネルが設置されている。西寧にあるセンターから列車の運行を制御している。ポイント切り替えも自動で行なっている。併走する国道からも離れているので、雄大な景色を眺めることができる。青い空、白い平原と山。

 峠を越えるとチベット自治区。下るにつれて雪が減っていく。次第に牧草地帯が広がっていく。標高4000m以上の高原が続く。左手に動物の群れが現れた。ヤクはウシ科の動物で黒い。白いのは羊。遊牧民の姿も見えた。車内ではチベット族の人が携帯用のマニを回したり、経文を唱えたり、歌を歌ったりして思い思いのことをしている。午後4時半、終点ラサまではあと500km。
 併走する国道が見える。五体投地を行っている人がいる。これは最高の巡礼方法。1日中2000回繰り返しても進む距離は5km。付き添い人が食料などを持って移動し、野宿する。額には地面にこすりつけた跡がある。ラサまで450km、あと3ヶ月の道のりです。

●アムド
 午後5時、チベット自治区に入って最初の停車駅アムドに到着。降りる客のいる車両しか開かない。アムドの街は駅から3km離れた場所にある。人口3万人でほとんどがチベット族の遊牧民。アムドの主な産業は牧畜で、みな帽子は羊などの皮で作っている。街の外は広大な牧草地。

●ツォナ湖
 聖なる湖ツォナ湖が右手に見えた。400平方kmで琵琶湖の3分の2の大きさで淡水湖。湖と線路の間は狭いところで20m。でも画面で見るとすぐ横に見えました。20分かけて通過した。

●ナクチェ
 次の停車駅ナクチェの手前に、放牧された家畜が増えてきた。チベット自治区北部では最大の町。人口9万人、四川省の成都とも国道でつながる。人口の9割がチベット族で、最近漢族の比率が高まっている。街は鉄道によって大きく変貌しようとしている。午後6時半に到着。

●車内
 太陽が沈む。あと3時間半。

●ラサ
 街灯りが見えて、午後10時50分、定刻より20分遅れて到着。チベット語と漢字で歓迎の文字が表示されている。ポタラ宮が2004年からライトアップされている。ラサ駅はポタラ宮をイメージして作られた。
 標高3600m、人口40万人の古都。11月になると観光客が減り、巡礼者が増える。収穫を終えた遊牧民などが訪問する。
 ポタラ宮は市街の中心地にあり、ダライ・ラマが代々暮らした宮殿。女性の多くはマスクをしてお参りにきています。五体投地を繰り返す人が多い。
 ラサ駅から朝9時半に西寧に向けて列車が旅立っていった。

 感動的な列車の旅でした!


テレビ番組「中国の至宝 大紫禁城のすべて」

 2006年12月31日放送。井川遥さんが案内。24人の皇帝が君臨した栄光の500年。2枚の写真の謎に迫る。1枚は3歳のラストエンペラー溥儀、2枚目は家庭教師ジョンストンと写る3人の少年で、溥儀、溥傑ともう一人は誰でどこか?を探る。BS朝日製作。

●北京
 人口1500万人の大都市。繁華街の王府井を歩く。

●紫禁城
 天安門は昔は国の重要な事柄が発表された場所。1949年の建国の発表の地でもある。門を通り過ぎると、端門で、武器を収めていた場所。その後ろが紫禁城の午門。30mのアーチを抜けると紫禁門。まずは金水河で、風水に基づいて作られた人工の河。5本の橋のうち、中央は皇帝専用で、以前は皇帝以外の人が渡れば命はなかったという。さらに北には太和殿、乾清宮、神武門と続く。この城は南北960m、東西750mで、東京ドームが16個入る。980の宮殿があり、部屋の数は9000近い。南側は儀式を行なう外朝、北側の皇帝と家族の暮す内廷に分かれている。胡同(フートン)と同じ四合院作りとよばれる作りになっている。
 乾清門から北に行くと内廷となる。乾清門は皇帝に大臣が謁見した場所。その奥が乾清宮。乾という文字は天、陽、男性を意味し、皇帝の宮殿であることを意味している。歴史研究家の朱○如さんが説明してくれた。立派な玉座がある。謎の写真の1枚は乾清宮で撮影されたものだった。
 この城を築城したのは、明朝の第三代皇帝の永楽帝で、1420年に完成した。権力と冨の象徴で、24人の皇帝が君臨した。城の屋根の色は黄色で、世界の中心を表わす。赤の柱は繁栄を表わす。権力を象徴する龍を施した青い梁。災いから城を守る走獣を表わした屋根瓦。中和殿は皇帝が大きな行事をする際の休憩場所だった。保和殿は科挙を登用する試験を行なったところ。宮殿は固有の役割を持っていた。太和殿で重要な儀式をする際に皇帝は御路と呼ばれる道を歩いた。他の人は歩けない。太和殿は現在修復中で、中国最大の木造建築。即位式もここで行なわれた。保和殿の北にある雲龍御路は御路の中で最大のもので、皇帝は駕籠の上に乗って移動した。この石はとても大きい。九龍壁は九頭の龍が壁一面に描かれている。皇極殿も紹介された。
 武英殿は公開されて間もない。最近修復が完了したが、明朝の末期に李自成は1644年に明朝を滅亡させ、大順王朝の皇帝となった。ところが翌日、マン族の軍に攻め込まれて逃げ出した。中国の人にとって李自成は英雄だった。
 24人の皇帝の中で最高と言われるのは清朝の乾隆帝で、自ら遠征し文化を持ち帰り、発展させた。養心殿は乾清宮の西にある小さな宮殿だが、乾隆帝が好んだ。元々は皇太子の宮殿だった。この中の三希堂の部屋を特に好んだ。
 城の中にスターバックスがある。タンブラーは北京版でした。
 南西にある浴徳堂は皇帝に愛されなかった伝説の美女香妃が住んでいた。ウイグルから乾隆帝に連れて来られた。絶世の美女と言われたが、夫を殺されたので、乾隆帝からの誘いを断り続けた。堂内にはシャワー室もあった。最後に死を選んだ。
 黄金が多く使われている。金の糸で描かれた龍の刺繍のものがあった。

●市内
 工芸品を作る工房が入った建物がある。切り絵の店、工芸の店、の奥に京刺繍のアトリエがある。オーナーは姚富瑛さん。皇帝たちが着ていた朝服には京刺繍が必ずあった。姚さんの祖父と曽祖父は皇帝に仕えた。龍の絵も異なるという。皇帝の場合は龍の指は5本だが、他の人は4本だそうです。西太后が好んで着たのは、赤地に蝶々の柄。

●京劇
 京劇は内陸部のはんき?省の地方演劇から生まれた。紫禁城で何度も上演され磨かれていったという。城の中で中心となったのは、3階建の暢音閣では宙吊りなどもされたという。舞台の向かいにあるのは閲是楼で皇帝の玉座がある。
 京劇を観にいった。「覇王別姫」は四面楚歌の語原となった乱世の武将・項羽と虞姫の分かれの場面。足手まといにならないように虞姫は最後に剣の舞を行なう。
 翌日、名門の北京京劇院を訪ねた。稽古の中心は虞姫を演じていた張けい月さん。練習させてもらって、メイクもしてもらいました。

●料理
 皇帝の料理の量は多かった。専門の料理人はついているが、毎回、100−150皿が出された。そのレシピは門外不出だったが、清朝滅亡後に料理人たちは街に出た。王府井の屋台などがそれらしい。リズムよく面白く客引きをしている人もいる。螺肚几(羊のモツ煮込み)をいただいた。
 胡同(フートン)は夜も美しい。ここに皇帝も食べていたという料理を食べさせてくれる店「リ家業?」がある。リ(鷹みたいな字)善麟?さんの祖父は西太后に仕えていた。全18品の豪華な宮廷料理は、肉魚などバランスよく彩りも見事。「炒麻豆腐」はりょくとうという豆を発酵させたもので、豚のひき肉が混ぜてある。「青松鶏輔?」は油で揚げたちんげん菜の千切りと鶏肉のささみの唐揚げ。「焼北京鴨」は北京ダックでこの店の人気メニュー。

●○和園(○は臣へんに頁)
 ここの湖は乾隆帝による人造湖。掘り出した土を積み上げ山を作ったという。紫禁城から15km離れた場所にある皇帝の別荘。画中遊という建物に入る。上から湖と楼閣を眺めると景色がとてもいい。作家の趙書?さんに聞いた。乾隆帝は20年、西太后は10年かけて作ったそうです。
 ここをもう少し進むと驚くべき宮殿があった。それは西太后が作った耕雲殿で、今年3月修復が完成し、全貌が見えた。誕生日のために作ったもので、紫禁城と同じ造り。
 徳和園の大戯楼に行くといい調べが聴こえてくる。紫禁城と同じ3階だが、豪華。息子の6歳の同治帝が即位した時に西太后が権力をのばした。仁寿殿は政務を行なった場所。龍よりも上という鳳凰の像がある。4歳で即位した光緒帝も操った。後に西太后は政務を降りるが、光緒帝が排除しようとしているのを知って、光緒帝を10年間幽閉して、政務に戻った。光緒帝最愛の妃・珍妃も紫禁城の片隅に監禁された。1900年8月25歳で珍妃井という井戸に投げ込まれ亡くなった。

●胡同
 フートンのある家を訪ねた。かつては貴族の家だったが、今は庶民の家となっている。四合院作りとなっている。次に白さんの家を訪問した。餃子を作ってみました。
 鼓楼に登る。昔は太鼓を鳴らして人々に時間を知らせたところ。中の階段の傾斜がすごい。高さ31mの鼓楼の上からの眺めはいいです。胡同を見ると工事が進んでいるのがわかる。

●紫禁城
 一般公開されていない「漱芳斎?」を見せてもらった。中に舞台がある。正月のお茶会が開かれた場所で、現在は海外のVIPが休憩する場所となっている。皇帝が「福」の字を書いて部下に渡したという。溥儀は17歳でここで婉容と結婚式を1922年12月1日に挙げた。溥儀は麗景軒で生活した。ところが1912年清朝は滅亡していた。溥儀は6歳で退位していたが、宮殿から追放されることはなかった。1枚の写真は12歳の時に撮った写真だった。張勲という部下が天下を取る夢のために溥儀を玉座につけて写真を撮ったものだった。その即位式の時の姿である。すぐに政府から制圧された。
 最後の1枚は、ラストエンペラー溥儀、弟の溥傑、家庭教師ジョンストンともう一人の少年。御花園は木々が繁る庭園が、彼らが写っている場所だった。最後の一人は婉容の弟の郭布羅 潤麒さんだった。潤麒さんは今も北京に暮す。
 朝日医院?に入院している潤麒さん(93歳)を訪問したが、具合がよくなくて会えなかった。自宅に帰った後にスタッフがあの写真を見てもらった。

●CBD 北京商務中心区
 北京の東部にあり高いビルが建っていて、建築ラッシュ。北京オリンピックに向けて建設も進む。北京798芸術区は国営半導体工場が芸術村に変わった。李象畔?さんが創作していた。


テレビ番組「片岡鶴太郎 世界を描く8.大草原の国モンゴルを行く」

 2006年12月24日放送。片岡鶴太郎、道場六三郎、彦摩呂さんが出演。チンギスハンがモンゴル大帝国を作ってから建国800周年。1992年に憲法を施行し民主化した。人口253万人。日本から約5時間。テレビ朝日製作。

●風習
 「足がぶつかったら握手をする」のは敵意がないことを示すため。「器は右手で受け取る」のは相手を尊敬しているという気持ちを表わす。「アルヒやウォッカを出されたら、薬指に天に巻いてから、額につけて飲む」のは毒が入ってないかどうかを指輪につけて確認することと、感謝の意味を表わす。「肉は骨が白くなるまでしゃぶる」のは、家畜は天の恵みだから。「ゲルに入る時は、敷居をつまづくと喜ばれる」のは、ポケットから幸せが零れ落ちるから。さらにその人は牛の糞をストーブに入れるという風習もある。

●国立公園テレルジ
 車で1時間の郊外。夏の避暑地として使用されている。遊牧民タワさん一家がいた。天日干ししたチーズ「エーズキー」はブルーチーズのような味だそうです。モンゴルでは乳製品を白い食べ物と呼ぶ。ウルム(生クリーム)、アーロール(甘酸っぱいチーズ)。馬乳酒(馬の乳から作ったお酒で1.5〜2.5%)は酸っぱい。ビタミンC獲得のために大人は夏は5杯は飲むという。馬乳酒を作るには1日1万回攪拌する。わざと下痢をさせて腸をきれいにするという。ボーズ作りを教えてもらった。1時間蒸らして完成。野生のネギと一緒に食べるとおいしい。

 草原の中で絵のモチーフを探す。遊牧民の移動を見たが、滅多に見られないという。草原に感動していました。

●モンゴル相撲
 ハエルターン・ツーリスト・キャンプでは夏の祭りナーダムに出場するために力士たちが泊りがけで練習していた。ミグマルスレンさん(35歳)は警察官で白鵬とも親友。手の平をつけても負けにならない。最長試合は4時間19分だという。鷹の舞を踊ってくれて、教えてくれました。旭鷲山の弟のバッツァイハンさん(30歳)もいた。日本にいたそうです。
 ホルホグ鍋は解体したばかりの羊の肉と野菜を入れ、焼けた石で蒸し焼きにする伝統的なモンゴル料理。そして焚き火の上で2時間じっくり煮る。関節の肉の部分が大事だという。これが鍋の前の前菜。熱い石をみんな両手で転がしながら持っている。石の熱が体の疲れを取り除き、石からエネルギーを得られるからだとか。力士は1日にお肉は2−3kg食べるという。

●ウランバートル
 人口93万人で、車が多い。世界のレストランがひしめいている。朝青龍、白鵬などで相撲の人気も多い。チベット仏教徒が多く住む。ガンダン寺は象徴。
 ションホール市場に行く。羊の肉がトラックの後ろに満載。野菜市場も多彩。モンゴル産じゃがいも2kg1000トゥグルク(100円)、ネギ4束40円。肉も日本人の2倍食べているので、豊富。マトン、ラクダなどもある。
 メリクーリ市場で岩塩や、チーズを物色した。クリーム系のチーズと日本の味噌を合わせようという。日本の調味料も売っていた。シュワルツェネッガーが喜んだ木の実の炊き込み御飯を応用したものも考慮しようと考えた。

 「チョッキン・ポーズ」はモンゴル風ファーストフード店。ゴリルタイシュル(肉うどん)150円。ボーズ(蒸し肉餃子)1個15円。
 モンゴル伝統料理の店「チン・ワン・ハンドドルジ」に行く。ゲルをイメージした建物。外交官の家を改装したもので、かなり豪華。「ホーショル」200円は、羊ひき肉揚げ餃子。「ショルトック」350円は、羊肉の串焼きは堅いそうです。
 彦摩呂さんがお勧めのお店は、「アンティークパブ」で日本人オーナーが趣味で集めたアンティークが置いてある。奥さんはエルカ竹内さん。人気メニューはタンシチュー680円のデミグラスソースは3日間煮込んでいるそうです。人気No.1は和風ハンバーグ430円で、大根おろしと海苔がたっぷりのっている。臭みをなくすためにパルミザンチーズを加えているそうです。

 「酒処さいとう」で斎藤聡さんのキッチンを借りる。「羊と果物の野菜サラダ」。「羊と野菜のチーズ鍋」今朝仕入れたばかりの羊の内臓、野菜、岩塩、牛乳、チーズなどを利用。今回は弟子の鬼怒川温泉・山楽の田中由示料理長も応援にかけつけた。内蔵の臭みを取り、きれいに掃除する。セロリで臭みを消した。「ハムと木の実の炊き込み御飯」は北海道産のお米「ななつぼし」、羊肉のハム、炒った木の実を使う。木の実は細かく砕く。米の中にサイコロ状に切ったハムなどを入れて炊き込む。鍋のスープはチーズ、コチジャンでつくる。ピーマンは焼いてから皮をむく。皮があると歯ざわりが悪いから。内臓を煮込む。プロパンガスもなくなり、停電も起きた。カセットコンロで煮込む。料理を出したら、地元の人も大絶賛でした。

 「ザナバザル美術館」、初代活仏ザナバザル(1635〜1724)は生きた仏様として多くの人に崇められていた。是非見たかった「白いターラ菩薩像」がある。左右対称で技術がうかがえる。

●ナーダム
 7月11日〜13日は夏の祭典ナーダム。年に1度の国をあげての採点で、相撲、弓射、競馬の3種競技が行なわれる。屋台が並ぶ。顔を出して写真を撮る分は1回US$1取りました。中でもモンゴル相撲は競技の中でも最も人気で、1024人の力士が参加し、トーナメント形式で競う。応援した力士たちは勝ち残れませんでした。

●セレグレン郡タヒルティンエンゲル
 車で南で1時間。チンギス・ハーン800年目の帰還「ユーラシアの祝祭」というイベントが7月13〜8月31日に開催された。オアシス・バザールではお土産屋さんなどが並ぶ。ツァムというチベット仏教の仮面舞踊も行なわれていた。子供たちは家畜のくるぶしの骨を使ったシャガイというゲームを楽しむ。チンギスハンの騎馬隊を蘇らせようというイベントが行なわれた。500騎の部隊が勇壮な姿を見せました。

●ウンドゥルドブ
 ウランバートルから南へ1時間30分。トゥメンデンブレルさん(50歳)のゲルがある。ヤギ240頭、羊600頭、馬70頭いた。
 ツーリスト・キャンプ「ゴビモン」を訪問した。馬頭琴という民族楽器は、弓と馬の毛を用いる棹の先端に馬の頭の彫刻がある。面白い発声法で歌ってくれました。
 鶴太郎さんはデンブレルさんの絵を描かせてもらった。50年の歴史を感じた。


●ナーダム
 年に一度開かれるお祭り。アムガ君が出場し、完走しました。片山さんは感動で涙。


テレビ番組「世界遺産 中国・平遥」

 2006年12月17日放送。

●山西省平遥
 古来、中国の町づくりは、外敵の襲来に備え、周囲に堅固な城壁をめぐらせるのが基本だった。北京から西に500km、山西省の古都・城郭都市、平遥には周囲約7km、高さ10mの城壁が奇跡的に残っている。さらに明・清王朝時代からの古い街並みが映画のセットのように連なる。1997年世界遺産。
 近代化のさまたげとして、中国のほとんどの都市では、城壁が壊された。清朝の滅亡とともに時代から忘れさられた平遥は城壁が残った。城壁に6ケ所設けられた城門が町への出入り口。万里の長城も今残っているのは平遥と同じ明の時代に築かれたものが多い。
 かつては中国最大の金融都市だった。山西商人は平遥を中心に活躍した。この地方都市に、かつて「小北京」と例えられるほどの栄光の日々があった。山西商人の邸宅は今は土産物屋や料理店となった。「麺は山西にあり」。麺の本場。種類の違う麺料理が300以上あるという。
 メインストリートをまたぐ楼閣はかつての繁栄を見てきた。

 平遥の繁栄のはじまりは、明王朝が万里の長城を再整備した頃に遡る。長城の各所に配備された駐屯地への物資の納入を一手に担い、利益の元となった塩の販売権を山西商人は手にした。

 平遥周辺は土地が痩せていたので、行商で身を立てる人が多かった。行商先で得た知識で成功する人もいた。300年以上続く老舗の酒造「長昇源」の秘伝の薬用酒は、はるか南の名産品・紹興酒を参考にして作り始めたという。独特の甘味とコクのある黄酒(ホワンシュ)はかの西太后にも絶賛された。
 山西商人は外国にも知られるようになった。中国初の「票号」と言われる「日昇昌」。票号とは為替を扱う金融機関(銀行)。明朝以降、銀が正式な通貨だった。当時流通したひずめ形の馬蹄銀という重い銀貨は、大量に運ぶには盗賊に襲われる危険をともなった。そこに目をつけた山西商人は、中国全土に広がっていたネットワークを利用し、為替を利用してどこでも現金が引き出せるシステムを作り上げた。その後、中国の経済界を牛耳るようになった。「票号」の支店は日本、アメリカにまで拡大した。彼らは国の資金まで取り扱った。偽造を防止するための暗号も使っていた。

 票局と呼ばれる中国初の民間警備会社ができた。荷車を守る役目を負ったが、いずれも中国武術の達人達だった。

 ヨーロッパ列強が進出してきた。アヘン戦争以降、巨額の賠償金の支払いは山西商人たちが請け負った。その後1912年に清王朝は滅びた。後ろ盾を失い、山西商人たちは一気に没落した。

http://www.tbs.co.jp/heritage/archive/20061217/onair.html


テレビ番組「探検ロマン世界遺産 中国・麗江」

 2006年11月11日放送。鎌倉千秋アナが案内。

●麗江
 800年前に築かれた街で、2km四方に瓦屋根の家々が1000軒以上。雲南省にあり、昆明から車で10時間、標高2400mの高地にある。玉龍雪山(標高5595m)も遠くに見えるが、万年雪をたたえ、古来神の化身として崇められてきた。麗江の手前は田園風景。
 街中は世界遺産なので、車は入れない。高い所から見ると瓦屋根の建物が波のように見える。瓦は全て本瓦葺きで、格の高いもの。
 路地に出てみたら、石畳。独特の民族衣装を着ているのは納西(ナシ)族で、街に住む1.8万人のうち8割がナシ族。水が流れているがきれいで魚が住んでいる。玉龍雪山からの雪解け水がいくつにも分かれて町の隅々まで潤す。美しい川の流れから麗江という名が生まれた。三眼井は飲み水、野菜を洗う所、洗濯をする所に分かれている。
 市場があった。野菜、豆腐、果物、キノコなどが並ぶ。こんにゃくも30cm角で大きく、できたてで湯気がでていました。
 各家庭の壁は土をつき固めたり、日干し煉瓦を積み重ねたりして築いた壁に漆喰を塗って仕上げる伝統的な建築。
 四方街という広場に出たら、人が集まっていた。年間300万人の観光客が訪れる。ナシ族の女性が伝統の音楽と踊りを披露していた。

●部族
 雲南省には25の部族が暮らしている。チベット族は赤い帽子にピンクの服。白族(ペー族)は帽子の飾りがきれいで白く、服は黄色。イ族は黒い服で白い袖、赤と緑のスカート。納西族(ナシ族)は月をかたどった髪飾りが特徴で、海老茶色の服と黄色と水色のスカート。背中の星は北斗七星を表わす。ナシ族は30万人と人口は少ないが麗江などを発展させてきた。
 ナシ族の揚志武さんのお宅を訪問した。広い中庭が特徴。男たちは若くして引退し、文藝に時間を割いた。別れに揚さんは「青山背後有翠谷」と書いてくれました。揚さんは麗江は昔から茶馬古道が通る街だったから栄えたと語った。お茶をチベットまで運ぶ道にあったという意味。ナシ族の馬幇(まほう)と呼ばれる交易人が雲南のお茶をチベットに運び、高価な薬草や毛織物を手に入れた。険しく危険な道だったが、儲けが多かった。これで瓦屋根が立ち並ぶ麗江の街が築かれた。
 13−18世紀に麗江を支配したナシ族の豪族の木氏の宮殿「木府」は、明王朝が築いた北京の紫禁城がモデル。木府博物院院長の黄乃鎮さんは、巨大な宮殿を造ったが、虎の毛皮の上に座った木氏がわざと自分たちは田舎の野蛮な王だとアピールすることにより明にたてつかないと示していると語る。ナシ族の指導者の阿甲阿得は、明王朝が成立するとすぐに皇帝に恭順の使いを出した。木の姓を賜り支配権を確立した。明王朝にとってもチベットなどに睨みを利かせることができたので有利だった。
 木を城壁で囲むと困の字になって縁起が悪いので、麗江には城壁がないのだそうです。

●瓦
 郊外の瓦工場に行ってみた。粘土を水牛の力でこね、円形の筒に粘土を貼り付け、天日で10日間乾燥させる。日本でも奈良時代まではこの方法で瓦を作っていたそうです。型から外すと1つの筒で4枚の瓦になり、これを窯で3−4週間焼く。
 世界遺産の街並みは瓦職人が支えている。

●トンパ文字
 看板の下に可愛い絵文字がある。トンパ文化博物館に行ってみた。和麗宝さん(23歳)が説明してくれた。トンパ文字は1000年の歴史を持ち、現在使われている世界でただ一つの象形文字。トンパ教というナシ族の宗教の経典に用いられる。1400種類以上あるこの文字を使いこなす人物がトンパ。トンパとは智恵を持つ者という意味で、儀式などを行なう。和さんもトンパの一人だが、修行中で、わからないことがあると、大トンパの和学文さん(84歳)に聞く。
 9月下旬、和さんは玉龍雪山の麓にある玉湖村を訪問した。年に2回祭天という儀式を行なう。トンパ教の教典を7冊読む。全部で5時間かかる。儀式の成功はナシ族に豊作をもたらすと言う。大トンパが途中で休んだが、和さんは最後までこなしました。


テレビ番組「世界遺産 中国・娥眉山と楽山大仏」

 2006年10月15日放送。元は仙人の山だったが、いつしか菩薩の山になった。四川盆地とチベット高原が出会う辺りに険しい山がそびえている。中国が誇る仏教四大名山の一つ娥眉山。最盛期には170もの寺院を擁したという。

●楽山
 四川省は水の国。4つの大河を有することから名づけられた。その一つ岷江には紀元前3世紀に中国初の灌漑施設が作られた。育まれた豊かな緑で都が栄えてきた。楽山で8世紀に一人の僧侶が壮大な事業を始めた。高さ71m、世界最大の石仏・楽山大仏の造営だった。この地は古くから事故が多い難所だった。仏像を彫りだすことで生まれる膨大な石で川底を整えるという治水も考慮した大事業だった。計画を進めた若い僧海通が絶壁に最初のノミを入れたのは713年だった。中央アジアのバーミアンの石仏の噂が広まり、唐は仏教の熱気の中にあった。完成まで90年、海通とその後継者の下で働いた人は延べ1億人。大仏は当初金と宝石で飾られ、13層の楼閣で覆われていたという。楽山大仏の造営を始める以前、海通は娥眉山で修行をしていたという。

●娥眉山
 李白は「蜀国、仙山多けれど、娥眉、はるかに比べがたく」と歌っている。娥眉山(標高3090m)は元は道教の聖地だった。うっそうと生い茂る緑。1日の中に四季があるとも言われる。道教における究極の願いは、この頂きで仙人となり、不老不死を得ることだった。仙人の如く空をかけると断崖から身を投げる者もあったという。
 仏教の僧が初めて中国にやってきたのは1世紀頃。ゆっくりと浸透していった。雲上に浮かぶ娥眉山の頂きにはいつしか華蔵寺などの仏教寺院が建ち、次第に道教を凌いでいった。しかし仏教の聖地になるには、伝来から9世紀経過した宋の時代だった。
 洪椿坪?(標高1120m)、伏虎寺(標高630m)など多い時で170もの寺が建ったという。報国寺(標高651m)からみんなお参りするようです。頂きに登れば救われる、無数の人々が仏に合いにこの参道の石段を登る。1年中多くの巡礼者が訪れる。ほとんどの寺は宿坊も兼ね、食材も担ぎ上げられる。宿坊では四川風の精進料理が食べられるが、野菜のみで肉はない。このような料理には、素青椒肉絲、素回鍋肉などのように頭に素という字がつけられている。
 万年寺(標高1020m)には多くの人が参拝する。迦○仏(○は草かんむりに集?:かしょうぶつ:釈迦以前に存在したとされる仏)の歯として祀られていたのは、調べてみると1万年以上前のインド象の歯だった。娥眉山周辺には16世紀頃まで野生の象がいたという記録もある。
 山の頂きに白い象に乗った菩薩が現われたという報告が朝廷に伝えられた。世界にあまねく現われ、慈悲と親身により救いをもたらす普賢菩薩は、教典ではインドの東の光明山に住むと説いていた。娥眉山こそその山だと人々は信じた。宋の2代皇帝太宗は仏教を信じて、高さ7.3mの銅製の象を運ばせ、ここに安置した。その時に仙人の山から菩薩の山に変わった。インドはヒンドゥー教が栄え、仏教は衰えていた。
 伏虎寺にもう一つの至宝が残されている。華厳銅塔は僧侶たちが体得せんとした壮大な仏教の宇宙観。4700体の仏像と共にびっしりと掘り込まれているのは、漢語に訳された80巻に及ぶ華厳経の全文。「一即一切、一切即一、一瞬が永遠であり、一つの事象に全世界がある。」民衆が普賢菩薩に救いを求める傍らで、僧たちは極めて難解な教えと向き合い、読経の声を響かせてきた。
 長い時間をかけ仏教の聖地となったが、道教の火が消えたわけではない。洪椿坪?(こうちんへい)にある色鮮やかな灯篭には、3つの教えのシンボルが同居している。さらに3種類の像もある。救いを求める仏教、現世利益を願う道教、礼節を重んじる儒教の3つを娥眉山は大らかに包み込んでいる。巡礼者も道教の作法で祈りながら、阿弥陀仏教を唱える。
 20世紀後半、中国の文化は文化大革命により大きな打撃を受けた。信仰の自由は奪われ、娥眉山でも寺院が破壊された。華蔵寺でも寄進により再建が進められている。娥眉山を支えているのは、苦難な時代を過ごした信者達。今に残る26の寺に集う巡礼者の祈りは何でしょうか。1996年世界遺産。


テレビ番組「世界の絶景100選VII」

 2006年10月1日放送。飯島直子、川島なお美、安田大サーカス、佐々木健介・北斗晶夫妻、大友康平さんが出演。内藤剛志、久本雅美、中村仁美、渡辺和洋が案内。審査員は橋田壽賀子、船越英一郎、さまぁ〜ず、速水もこみち、釈由美子さん。フジテレビ製作。

●ジンバブエ・ビクトリアの旅
 ビクトリアの滝に飯島直子さんが挑戦。現地の言葉でジンバブエは「石の館」。ナイアガラの滝、イグアスの滝と並ぶビクトリアの滝がある。日本からは香港、南アフリカを経由して約25時間で到着。タカナカは「おいしい」の意味で、歓迎された。ブラウン・シビンディさん(31歳)はビクトリアの滝の管理官だが、案内。滝の手前でアミメ・キリン、サバンナヒヒ、ウォーター・バックがいた。アフリカゾウに乗って観光。橋を渡るとザンビアになる。
 かつて滝だったバトカ渓谷 Batoka Gorge の上には切り立った崖を利用したフーフィースライド Foofie Slide というアトラクションがある。全長400m、高さ110m、最高時速100kmで滑るのに挑戦した。
 「雷鳴とどろく水煙」のビクトリアの滝が目の前。水煙は150mの高さに及ぶ。乾季の間だけの数週間にしか行けない島がある。
 絶景ポイントは「滝壷から見る天使も見とれる」ビクトリアの滝。まず垂直に近い急な階段を降りる。ボートに乗って中の島に到着。巨大な岩ばかりの島。途中から猛烈な勢いの水しぶき。

●中国・華山
 川島なお美・安田大サーカスが案内。勇気と智恵を授かるという山頂からのご来光が絶景。西安にまず到着。安遠門に三蔵法師とお供の格好で登場。玉泉院で案内人の王道士さん(41歳)と待ち合わせた。Hiro君は雨男で、ここから華山が見えない。ここは中国一険しいという山。
 まず700mの高さのロープウェーで標高1500mまで行く。山頂は2100mで、水墨画のような風景が広がる。6000段の階段があり、難所が4箇所ある。まず擦耳崖(さっしがい)で、怖いので崖に耳をこするほどにして歩くことから名前がきている。次は天梯(てんてい)で、天にまで届くようなほぼ垂直な階段。次は龍が天に昇る姿にも見えるような蒼龍嶺で、勾配のきつい両側が急な崖の場所。幅1m、角度43度、階段370段。ここでHiro君は脱落。
 晴れてきて頂上が見えた。仙人が手の平を立てたように見えたことから仙掌崖(せんしょうがい)と呼ばれる崖が見える。山頂の手前に絶景がある。その崖の中腹に木で桟橋が作ってある。最後の難所「長空桟道」で、その先に赤い紐を結び願いをかければ、必ず叶うと言われる。しかし、横幅30cm、標高2000m。一歩踏み外すと奈落の底。川島さんが安全ベルトをしめて挑戦した。まず垂直な梯子を降りて、30cm幅の道を歩く。結んで安田大サーカスのことを祈って帰りました。とっても怖かったそうですが、川島さんには感心しました。
 山頂近くの寺院に到着。しばらくしてHiro君が追いついた。登山開始から20時間、山頂に到着した。山頂には東峰絶頂と書いてありました。気温5度の中4人揃って朝日を待った。朝日に照らされる秦嶺山脈とご来光を拝みました。
 川島さんは「勇気と智恵」以上のものをもらった気がすると語って、涙していました。

●フィジー
 佐々木健介・北斗晶夫妻が「幻の島」を案内。フィジーまで8時間。案内人はアルフレティ・ナイノザさん(33歳)。
 ナワキ村でみんなが「ブラ〜」と歓迎してくれた。カバの儀式を行なう。これは結婚・葬式・成人などの人生の節目に行なわれる。液体を飲まされる。これはカバ汁でコショウ科の植物と水を混ぜ合わせたもの。
 ヘリコプターでフィジーの海を見る。タバルア島 Tavarua Island はハートの形をしている。マナ島 Mana Island に到着。バタフライ・フィッシュはいつも仲良く寄り添って泳ぐという。ボートで10分、シュノーケリング・ポイントに到着。バタフライフィッシュを発見。サメがいるというので船に戻った。次はヌクンバティ島 Nukubati Island で宿泊。ホテルのガーデンディナーは「伊勢エビ、ガーリック炒め」と「マッドクラブのマヨネーズ和え」。
 翌朝6時に佐々木さんはハッピー・ドッキリ大作戦開始し、バラ色の夫婦生活の復活を期する。船で30分行くと海の中。案内人は海の中にイス、パラソル、クーラーボックスなどの荷物と二人をおろして、船は去った(笑)胸まで海面があったが、次第に減っていく。2時間後、虹が現われた。二人は海の中に立っていましたが、あっという間に浜辺になりました。普段は海面の下にあるが、干潮になると現われる。ここでシャンパンをいただいて、子供たちからの絵手紙を読みました。奇しくもその日10月1日は二人の結婚記念日で、北斗さんは涙。

●アラスカ
 ハウンドドッグの大友康平さんがアンカレジから2000kmを旅して最北端の町バローを紹介。日本からシアトルを経由してアンカレッジに12時間で到着。東京まで3460マイルと書いてある。ジョセフ・クラークさん(51歳)が前半を案内する。アンカレジ駅から1日1本のアラスカ鉄道で移動。車窓には一面のパノラマ。食堂車で名物のトナカイのソーセージをいただいた。フェアバンクスまで600km、12時間。食後は展望車(オープンデッキ)に行くと、マッキンレー山が見える。アンカレジ駅を出て3時間、タルキートナ駅で20分停車するので、案内人と走って絶景ポイントに行くと、北アメリカ大陸最高峰の白いマッキンリー山(6194m)がきれいに見えました。地元ではデナリ(白く偉大なもの)と呼ばれている。大友さんは言葉を忘れていました。また走って駅に着いたら、列車は出ていた。ヒッチハイクにすることにして車をゲットして、フェアバンクスまで送ってもらった。  フェアバンクスから車を借りて大友さんが運転。舗装されていない道が700km続くアラスカ一過酷な道ダルトン・ハイウェイを走る。ユーコンまで200kmを走る。夜中の2時に起こされてオーロラを見て感動。
 途中で北極圏の表示のところで休憩。ここからは植物もあまり育たない。さらに2時間走るとコールドフット飛行場に到着。ここでジョセフとお別れして、セスナでバローに到着。

 バローは人口4500人で、イヌイットの土地。人々はアザラシやクジラなどの野生動物を採って生活している。夏が終ったばかりなのに、気温は既にマイナス2度。案内人マサック・リービットさん(52歳)は裸足(笑)みんなでトランポリンを持ってジャンプさせて歓迎してくれた。これはブランケット・トスと呼ばれるクジラの収穫を終え、春の訪れを祝う儀式。地下4m、永久凍土の冷蔵庫で食料を保存する。
 案内人の自宅で食事をご馳走になった。奥さんが用意してくれたのは、カリブー(シカ科)のスープ、チャー(サケ科)のグリル、クジラのボイル。みんな自然と共に生きているとマサックさんは語った。
 1時間かけて16kmを車で走った。手前で車を降り、自分の足で北の果てを目指した。北極から流れついた流氷が点在している。風景を見て「この世に生まれたからには、しっかり地に足をつけて、真っ直ぐ前を見て生きていけ」って言われている気がすると語って、涙していました。ROADという曲を歌いだしました。


テレビ番組「モモコ一家の夏休み 2006 in モンゴル」

 2006年9月18日放送。ハイヒール・モモコ、小林政仁(42歳)、仁一郎11歳、政之助7歳、紗音琉(さとね)3歳が出演。今年建国800周年。夏は平均25度前後のからっとした日が続く。暑い日は35度、寒い日は5度になる。冬はマイナス30度以下。関西テレビ製作。

●ウランバートル
 大草原の中にぽつんと現われる町。中心地はスフバートル広場はモンゴル革命の指導者スフバートルを称える広場で像もある。像はロシアの方向を向いている。オペラハウスや官庁などの国の主要機関が集まっている。ここで人気なのが輪投げで、6回100トゥグリク(tg:10円)。ウランバートルの3大観光スポットは、スフバートル広場、ザイサン丘、ガンダン寺。
 街中は旧ソ連の影響の建物が多い。一番人気は「自然史博物館」で、恐竜の化石や隕石は必見。隕石は166kgと582kgの2つが展示されていて、触れます。恐竜は7万年前のタルボザウルス(体長15m)。卵の化石もある。2頭が相手を噛んだまま死んでいる化石もある。マンモスの牙の化石もある。入場料大人2000tg(200円)。子供半額。

 24時間営業のレストラン「ハーンボーズ」は名物のボーズが有名。ボーズは羊の肉を使った蒸し餃子で1個150tg(15円)。モンゴルの3大餃子はボーズ(羊肉の蒸し餃子)、バンシ(羊肉の水餃子)、ホーショール(羊肉の揚げ餃子)。飲み物は「スーテイツァイ)100tg(10円)は、塩ミルクティー。
 最新の創作料理が味わえるのは「モダンノマッズ」で、写真付きメニューで安心して注文できる。ノマディック・ディッシュ(牛肉焼きそば)7900tg(790円)が人気。ホーショール(揚げ餃子)は2900tg(290円)。バンシ・ミルクティー(羊肉の水餃子入りミルクティー)1500tg(150円)。
 ロシア料理の店も多い。「ウクライナ・キッチン」は特にお勧めで、揚げパンのピロシキ1個350tg(35円)。具は肉と魚の2種類。ボルシチは2600tg(260円)の赤い色はトマトではなく、ビーツという野菜。「オパナス・サラダ」は2800tg(280円)で、カップに入って出てきたのはきれいだが、これをお皿にひっくり返しました。「オパナス・ビーフ」4700tg(470円)はロシア風チーズ・ハンバーガー。

 ガンダン寺はチベット仏教の寺院で、観光スポット。願い事を心の中で繰り返し、お経を書いた筒(マニ)を回す。
 門前のお土産店で買物。日本でも人気なのはモンゴル岩塩で、パック2ドル〜。塊は20ドル〜。
 モンゴル最大のデパートに行く。以前は国営だった「ノミン・デパート」は品揃えが豊富。ミニチュア・ゲル、フェルトの帽子は観光客にも大人気。帽子は11990Tg(1200円)〜でとても個性的です。1階にランディ・シャンプーを売っている。1199tg(120円)で、イラクサというハーブが入っていて、男性の髪の毛にいいらしい。日本語で書いてあります。
 第3、第4地区は団地があり、激安の露天の市場が並ぶ。はちみつ1瓶1500tg(150g)、スイカ1個600tg(60円)、果物1パック2500tg(250円)、ベビーTシャツ3300tg(330円)、クワス・ジュース(干しブドウと黒パン酵母、ハチミツ入り)1杯100tg(10円)。
 「チンギス・ビール Chinggis Club」は1997年創業で、店のすぐ隣が工場。約1リットルの「黒ビール・クラシック・ダーク」は1200tg(120円)。「ピルスナー」は2000tg(200円)。

 相撲に「モンゴル中央スポーツ宮殿」で挑戦。エレデネギレグさんにコーチしてもらった。朝昇龍を指導していたという。ナーダムは7月11日に開催される一大イベントで、500人の力士が参加する。優勝すると国の英雄として、将来にわたって称えられる。他にも競馬、弓射の3競技を行なう。ルールは土俵がないこと、手をついても負けではないこと。肘、膝、顔、背中、お尻などが地についたら負け。
 まず鳳凰のポーズの練習。戦う直前の儀式を練習。技としてすくい投げの練習。3時間練習した後に、バトデルゲル君、レブスレン君、アマルトプシン君と試合をしたが、1勝2敗ずつでした。

 お勧めの育児グッズとして、「シーバンド」2415円は、手首にはめる酔い止め。レストランでテーブルクロスを汚さないための「タイニーダイナー」2940円。ジュースなどを置ける「エールペペ、マグテーブル」2625円。「使い捨てよだれかけ」もあります。

 宿泊は「フラワー・ホテル」は、モンゴル初の日系ホテル。シングル大人44ドル、ツイン1人49.5ドル。
http://www.flower-hotel.com/

●郊外
 15分も走ると郊外となり、緑が広がる。草原に出ると遊牧民のゲルが見える。
 「オボー」と呼ばれる大自然の神の祠?がある。山や川に神様が住んでいると伝えられ、その神様にお願いする目印として石を積み上げたもの。旅の安全を願うだけでなく、道標などの意味もある。「旅の安全祈願」は、石を拾って一番高いところに投げ、3回周りを回る。
 道のない場所をバスで通過。出発して1時間でウンドゥル族?のゲルに到着。日本人や観光客用にゲル・ホテル「ゴビ・モン、ツーリスト・キャンプ」になっている。宿泊料金(5月ー10月)は、大人1人80ドルで、ウランバートルへの送迎、朝食込み。併設するメイン・ビレッジにはレストランもあり、食事の注文もある。温水が出るシャワールーム、水洗トイレも完備。
http://www.welcometomongolia.mn/

●ホームステイ
 ホームステイ先のゲルにそこから車で30分で移動。お母さんのエンヘェ(32歳)さんのお宅で、3人の子供、長女ラッグ(10歳)、従姉ロバサン(8歳)、長男バヤル(7歳)がいる。ゲルとは、モンゴルの伝統的な移動式住居で、2時間で組み立て、解体ができる。羊の放牧に出ていたお父さんバータさん(32歳)が帰宅した。ちょうど夏休み中。小学校3年、中学校5年の義務教育では遊牧民の子供は寄宿舎に入り、学校に通う。ほぼ無料らしい。奨学金制度、出産手当なども充実していて、ほぼ無料。
 まずは歓迎のスーテイツァイ(塩ミルクティー)、自家製のバター、パン、アーロール(乾燥チーズ)。「馬乳酒」は馬の乳を発酵させたビタミンを多く含む飲み物で、アルコール分がないものもある。大人も子供も水の代わりに飲む。
 馬の乳搾りに挑戦。コツは子馬を母馬に近づけ、乳を飲ませていると錯覚させて絞る。子供は水汲みに出かけた。次は羊を追う仕事に挑戦。子供たちは相撲したりして遊びました。
 お昼の料理「シュルテホール」(羊肉のうどん)作りに挑戦。小麦粉を打って麺を作り、羊の干し肉、塩でスープを作った。スープが沸騰したら、麺、タマネギを入れ煮込む。次にヨーグルト作りに挑戦。出来上がっているヨーグルトから、もう一品、アーロール(乾燥チーズ)を作る。
 トイレは大草原に穴を掘り、シートでカバーしている。
 車で20分のゾーンモドという町の市場に行って、食材を買ってくる。遊牧民も乳製品を売って、野菜や生活用品を買うそうです。キャベツ1個500tg(50円)、ジャガイモ1kg400tg(40円)、玉葱1kg500tg(50円)、卵1個150tg(15円)、羊肉2ブロック7200tg(720円)、Tシャツ、キャンディなども。
 モモコは卵、野菜を入れてチャーハンを作りました。モンゴルの人は作るけど、塩だけとか。また羊肉で焼肉を作ったが、鉄板で焼くのは遊牧民にとっては珍しい。基本的に肉は蒸したり、塩茹でしたり、保存のきく干し肉にするのが一般的。
 夜はキャンプに帰って寝たが、夜空は満天の星だったそうです。
 早朝は家畜の糞を集めて乾燥させる。これは燃料になる。


テレビ番組「水郷ロマン紀行、柳川、麗江、メコン」

 2006年9月9日放送。三田村邦彦、さとう珠緒さんが出演。今、水とふれあう暮らしが見直されている。優しさ、豊かさを水に求め、水の町を訪ねていく旅。中国、ベトナムを旅する。法政大学の高村雅彦助教授は、昭和に水から陸への移動により産業も発展したが、今、失われた心を求める動きがあると語る。テレビ西日本製作。

●福岡県柳川市
 400年前に築かれ、人々の生活を支えてきた。北原白秋を生んだ故郷。うなぎは有名で、せいろ蒸しと蒲焼をいただいた。

●ベトナム・メコン川
 カントーの1日はベトナム最大の水上マーケットから始まる。1000艘くらいの船がでている。珍しい果物が多い。ジャックフルーツはマンゴーのようなバナナのような味。陸の市場も活気がある。カエル、ヘビなども売っている。メコン川はチベットに源を発する。
 カントーから船で1時間、豊かな水の里ニャンアイ村を訪ねた。果樹園を営むバイカムさん(72歳)宅を訪問。息子は5人、孫は10人以上いるそうです。水辺の暮らしは食べ物も沢山あって都会よりいいそうです。
 出会う人はみんな笑顔。果樹園で果物取りをレティ・ハインさん(30歳)が教えてくれました。コックというナシに似たものを収穫した。味はリンゴとナシみたいな感じだそうです。男の人は手伝ってくれないみたいです。
 ネズミ料理をいただきましたが、鶏肉の感じで、おいしいそうです。洗い物は家の前の小川でして、きれいな雨水で最後に洗う。
 朝6時、果樹園で取れた果物をフォンディエン水上マーケットで売る。1籠?1.7万ドン(120円)。


●中国・上海周辺
 長江が流れる上海は近代化が進む。周辺には有数の水郷古鎮がある。古鎮とは古くからの商業の町のこと。

●中国・安昌
 紹興酒で有名。千年古鎮と謳われている。1本の水路に沿って3里の石畳が続き、まだ観光地化していない。床屋の女将と談笑。小さいけど、一番の人気食堂「古鎮宝麟江家?」でソーセージ(香腸:シンチャン)、などをいただいた。主人の沈宝麟(シン・ポォリン)さん(53歳)一家とも談笑。

●中国・紹興
 紹興酒として知られる。水の里では昔からおいしいお酒ができる。もち米と麦麹が原料で、冬に仕込まれ、夏はお休み。甕に仕込まれ広大な酒蔵で寝かされる。20年ものをいただきました。

●中国・周荘
 上海から西に60km。900年の歴史があり、観光化されている。水の町で、夏休みにはたくさんの観光客が涼を求めてやって来る。双橋などの橋の多くは明、清時代のもの。機を織る人がいる。臭(チョウ)豆腐1元の店で、豆板醤をつけていただいた。外の匂いはたいしたことなかったが、食べたら、魚のすえた匂いがしたそうです。飴を練っている人がいた。豚足を煮たものを売っている店が多い。周荘の名物の「万三蹄(ワンサンティ)」は、豚の足をモモから足先まで、じっくり3日間煮込んだもので、口の中でとろけるそうです。
 世界中を旅し、周荘を愛した女流作家の三毛(1943-1991)さんがいた。「三毛茶楼」は三毛さんが身も心も癒された場所。1989年に初めて訪れてから、水郷を愛した。お店の主人の張奇寒(チャン・チータン)さん(64歳)は三毛がこの地に訪れたことを永遠に残すために、三毛茶楼と名づけたという。三毛が来た時は、たった2軒の食堂しかなかった。三毛は80年代の中国女性の憧れだったようです。点心と阿婆茶(アポチャ:龍井茶)もいただいた。

●中国・雲南省・麗江
 全長6300kmに渡って流れる長江の上流にある雲南省。万年雪を湛える標高5596mの玉龍雪山、その雪解け水が作る黄龍のような白水河、など自然が豊か。人々が憧れるシャングリラ麗江がある。
 1997年世界遺産に中国で初めて登録された。雲南、四川、チベットの文化が溶け合う地域にあり、ナシ族を始め、多くの少数民族が同居し、文化が融合している。ここには山を背負い、川を抱く、中国人の理想とした姿が整っているという。
 ナシ族の民族衣装のチャンさんが案内してくれた。高台から麗江古城が見える。黒い屋根の大きな家は水府(ムーフ)さんの家。紫禁城を模倣したり、ムー氏は明などの文化を取り入れて麗江の都を築いた。紫禁城は城壁で守られていたが、麗江は水路があれば守られると考え、城壁は築かれなかった。麗江が理想郷と呼ばれる所以である。小さい水路が網の目のようにある。子供たちがザリガニで遊んでいた。
 市内にある三眼井は、一番上が飲み水、真中が食べ物洗い、一番下が洗濯用。水はとても冷たいそうです。
 東巴(トンパ)文化研究所には東巴文字がある。麗江に数人しかいない東巴大師の和丁巴(ホー・ティンパ)さん(80歳)に文字を教えてもらった。
 藍色の鮮やかな絞り染めも有名。3日間出し入れを繰り返して染める。
 ナシ族の揚寸英(ヤン・チゥンイェン)さん(73歳)の農家を訪問した。若い頃は男性の目があるので、暗くなってから水浴びとかしたそうです。料理もいただいた。ナシ族舞踊も見ました。


テレビ番組「愛のエプロン 上海決戦」

 2006年9月2日放送。関東では8月30日放送。頭の部分が欠けていました。城島茂、勝俣州和、濱口優、瀬川瑛子、青木さやか、梅沢富美男、磯野貴理子、インリン・オブ・ジョイトイが出演。2チームに分かれて料理を競う。そのためにまずおいしいものを食べる。テレビ朝日製作。

 上海料理の名店「緑波廊」(上海市豫園路115号)では30種類の点心を味わうことができる。創作点心の旗手の陸亜明(ルー・ヤンミン)さんは、200種類の点心が作れるという。小籠包(6個入)48元(720円)。「鳳尾焼亮(鳳凰シューマイ)」1個5元(75円)の中にはアワビ汁で味付けられた餅米が入っている。「棗香元宝酥」(なつめ餡入りパイ)1個10元(150円)。看板メニュー「眉毛酥」(眉毛パイ)1個10元(150円)。最後は伝統スィーツ「寧波湯圓」(ゴマ餡白玉団子)40元(600円)。

 次いで最高級の中華を「和平飯店」(上海市南京東路20号)で食べる。ここには中国料理界の至宝の趙仁良(チョウ・レンリアン)さんがいる。ブッシュ元大統領も食事をしている。スイカの形をした壷に入っていたのは、「月華西瓜○(○は中の下に皿)」(月華スープ)。具材の豆腐には魚のすり身が入っている。次は「檸汁小青龍」(伊勢海老のレモンスープ)で、揚げた伊勢海老とレモンが調和している。中国で最も高級な魚「松子桂魚」(桂魚の姿揚げ)は上海料理の王様。ここで料理を教えてもらうことにした。
 基本の鍋の振り方をマスターする。そのために塩で練習する。「押して引く」が基本。
 食材を求めて24時間営業の「銅川水産市場」にやってきた。変わった材料としては、象鼻貝(炒め物や蒸し料理に使う)などがある。「活体鰐魚考○」という店にはシャムワニ(北京産)がいた。1匹4800元(7.2万円)。


 「中国伝統の奥義を極める」チームは麺専門店「唐晋人家」(上海市九江路423号)に行く。刀削麺用に麺を削って飛ばしている達人の董建紅(ドン・ジエンホン)さんがいる。「刀削麺」は5元(75円)。特製のタレはひき肉、トマト、ナスの3種類で、これを麺の上にかけて食べる。「○面拷○○(最初の○は草かんむりに攸)(次と最後の○は木へんに老)」(蒸し雑穀麺)15元(225円)は薄く伸ばした麺を指に巻いて作っている。これはマトン、トマト、パクチーのタレでいただく。刀削麺を作らせてもらった。董建紅さんは3年かかったそうです。

 上海蟹を食べ尽くすというので「成隆行蟹王府」(上海市九江路216号)に行く。「清蒸大閘蟹」(蒸し上海蟹)(時価)は非常においしいそうです。「茄子大明○(○は虫へんに下)」(車海老のトマトソース炒め)1尾45元(675円)。「清炒蟹粉」(蟹味噌の炒め物)380元(5700円)。「蟹粉○(○は必の下に皿)」(蟹味噌入りエッグタルト)1個32元(480円)。ここで料理長の陳成昌(チェン・チェンチャン)さんに料理を教えてもらうことにした。特に火力調整が難しい。

 デザートの候補として亀ゼリー。海老亀伝統食品店(上海市雁蕩路41号ー2)で亀ゼリー「金牌亀苓膏」16元(240円)をいただいた。

●陽澄湖
 蟹を取りに行く。湖の中の船に周弟男(62歳)宋梅英(59歳)夫妻がいたので、蟹を分けてもらうように頼んだ。生け簀の蟹を盗まれないように、1年のうち8ヶ月をイカダの上で過ごしているという。50匹確保した。

●決戦
 舞台は「譚氏官府菜」(上海市南京西路580号)が選ばれた。判定は酒井法子、アグネス・チャン、中国料理界の頂点に立つ李耀雲(リ・ヤオウィン)さん。中華三本勝負で、メイン、御飯または麺類、デザートを60分で作る。城島は紹興酒を上海蟹にかけて生臭さを消し、伊勢海老を豪快にさばいた。
 城島さんのは、伊勢海老の上海蟹味噌ソースがけ。食神もおいしいと言っていました。ジャージャー風刀削麺。亀ゼリーのフルーツソース添え。アグネスは亀ゼリーは好きで、フルーツと組み合わせているのはないと語った。食神もアイディアが素晴らしいと語った。
 青木さんのは、桂魚の姿揚げ・餡かけ。黄金チャーハン、梅肉あん。これは御飯1合に対して全卵3個、卵黄1個を混ぜてから炒めた。餡には梅肉と中国のおろんじん茶が入っている。デザートはなつめ餡のワンタン包み、フルーツシロップ和え。食神もデザートは食べた後に幸せを味わうものだと言う。青木さんが勝ちました。


テレビ番組「旅サラダ2006年8月は遠藤久美子さんで中国&シルクロード」

 JALで行きました。

●上海
 急速に発達する近代未来都市。五重に重なる高速道路が勢いを感じさせる。豫園地区は空に尖った屋根が印象的。レストラン「上海老飯店」(上海市福佑路242号、Tel:86-21-63111777、営業時間:11:00〜14:30、17:00〜22:00)は1875年の清の時代に創業。醤油を使った甘辛い味が特徴の上海料理の基本を作ったことで有名。国が定める国家特級レベルのシェフが腕を振るう。「上海蟹味噌チンゲン菜添え」(蟹粉菜心:3人前)210元(3300円)は、黄酒(紹興酒の一種)、塩、砂糖、味の素、生姜、ネギと一緒に炒めた上海蟹を湯通ししたチンゲン菜の上に乗せた料理。この店の名物「鴨肉ともち米の煮込み(金牌八宝鴨)」88元(1380円)は、骨を取り除いた鴨の腹の中に、銀杏、鶏の胃、鶏の胸肉、栗、ハムの角切り、タケノコ、干し貝を炒め、蒸したもち米とあわせたものを詰めて何時間も煮込んだもの。この料理店は各種料理コンテストでたくさんの金メダルを獲得した。

●朱家角
 車で南東に40km、1時間の上海市青浦区朱家角鎮。電話:86-21-59242771、入場料:10元(160円)。明と清の時代に建てられた白い壁と瓦屋根の民家が並ぶ、淀山湖のほとりにある水郷の町。街の中心を流れる漕港河。運河が多いので、上海のベニスと呼ばれている。9つの長い街が川沿いに伸びており、千棟以上の明と清の時代の建築が立ち並ぶ。屋形船(観光船):30分50元(780円)、1時間100元(1560円)ではゆっくり時間が過ぎる。静かでどこか懐かしさの感じる街。
 民芸品を売る店「北宇工芸美木系列精品内画(朱家角内)」(上海市青浦区朱家角北大街273号)がある。工芸師の扈根茂(フウ・ゲンマオ)さん(26歳)は細い筆をビンの中に入れて、中から描いている。筆はネズミのひげでできているそうです。花瓶に遠藤さんの名前を書いてもらいました。小瓶180元(2800円)は、全工程仕上げるのに2〜3日かかる。伝統工芸品は5元〜2800元(80円〜4.4万円)で、小さいものは1時間くらいで、大きいものだと半月〜1ヶ月はかかる。  「阿姿茶楼」で川を眺めながらお茶をいただいた。
 川には歴史を感じる古い石橋が36個。古鎮は古風で、安逸、閑静、情緒優美な趣がある。曲がりくねった石畳の径を踏みながら、商店の並ぶの狭い町を回ると、優雅清新な水墨画が見えるような気がする。騒がしい都会から離れひとたび朱家角を訪れると、小さな橋と流水、明・清時代の住宅、黒い苫船が浮かび、石橋が虹のように漕港河を跨るのを目にし、静かな安逸を体験できる。放生橋は朱家角鎮にある明の万歴年間(1573〜1620)に建てられた橋で、その後清の嘉慶17年(1812年)に造り直された。全長70.8m、幅5.8m、5つ穴のあるアーチ形で、上海最大の石造りの太鼓橋で、その構造は精巧で、形状が美しく、朱家角10景観の中の1つに数えられる。

●曲阜
 山東省の西南、済南の南に位置する孔子の故郷。周・漢の時代に魯国の都が置かれた街は、中国指折りの孔廟が建ち並び、中国だけではなく日本や韓国からも孔子を敬う多くの人が訪れる。「仁」や「温故知新」も論語から。
 孔子系72代目の子孫の孔憲恩(コン・シュンアン)さんに会う。世界遺産の孔廟を案内してもらった。孔廟(住所:中国山東省曲阜市神道路1号、Tel:86-537-4412516、営業時間:8:00〜17:30(11月〜3月は16:30まで)、定休日:年中無休、入場料:1人50元(780円))は中国三大宮殿建築の一つ。毎年8月末(旧暦8月27日)の孔子の誕生日に、生誕を祝う「曲阜国際孔子文化祭」が行われている。大成門は宋の時代にできたものだが、一度火災のため焼失し、1724年、清の時代に作り直したもの。中国では黄色は皇帝の色とされており、宮殿の屋根にも使われている。2つの宮殿の屋根が巧妙に重なりあっている場所もある。「大成殿」には孔子像が祀られている。孔さんの大好きな孔子の言葉を書いてもらった。「三人行必有我師」で、三人で共同作業するなら、他の二人からは必ず教えられることがあるはずだ。どんなところにも学ぶ材料は転がっているという意味。勉強や仕事がうまくいかないのを環境のせいばかりにしているのは言い訳に過ぎない。学ぶ気になって耳を傾け注意することって大切ということ。

●泰山
 孔子が70歳にして登ったと言われる。中国五大名山の第一にランク付けされている霊山である。古くは岱山と言い、現在の呼称になったのは春秋時代から。昔から「天と地が交わる尊い場所」とされてきた。秦代以前に72人の皇帝が泰山に登り、封禅の儀を行い、秦の始皇帝も中国統一の功績を天帝に報告した。それ以来、歴代の皇帝が泰山に登るようになった。
 山東省中部に位置し、周囲80キロ、面積426平方km、主峰の玉皇頂は泰安市の北にあり、標高は1545m、全長10kmの階段の総数が6366段ある。古代の建築物群が20カ所、石刻が2200個所あり、主に紅門宮、万仙楼、闘母宮、経石峪、中天門、竜潭ダム、中天門、五大夫松、対松山、十八盤、南天門、碧霞祠、瞻魯台、日観峰、月観峰、後石塢、扇子崖、傲峰、長寿橘、竜潭飛瀑などの観光スポットがある。入山料は、徒歩が80元(1300円)+2元保険料、車が100元(1560円)+2元保険料。
 「孔子登臨処」と書かれた所から登る。
 経石峪:1000段ほど登ったところにある。大きな一枚岩に金剛経の経文が彫られている。唐代のものと言われている。 字の大きさは約50cm四方くらいで、もともと2500文字あったが、現在は1067文字しか残っていない。
 泰山にはここ以外にも、石に刻まれたものが多く残っている。
 十八盤:泰山登山道の中で、最大の難所。全長800mで、高低差400m、石段は1600段余りもある。目指すは南天門で、傾斜度70〜80度もあるこの階段を登りきれば、頂上まではあと少し。これを登りきってこそ、頂上からの壮大な景色の美しさを見出せる。
 南天門から頂上まではまだまだ先。頂上はとっても気持ちがいいそうです。孔子も70歳の頃、弟子を連れて登り、「登泰山而小天下(天下とは何と小さいものだ)」と語った。この南天門まではケーブルカーや車で登ることもできるそうです。


●ウルムチ 烏魯木斉
 中国北西部にある新疆ウイグル自治区にある区都で、「美しい牧場」という意味。シルクロードにあるが、高い建物、車の洪水、天池やトルファン、カシュガルを訪れるときの拠点。1本路地に入るとイスラムの香りがある。ウイグル族はトルコ系。屋台のシシカバブは1本1.5元(23円)。
 車で15分も走ると景色が変わる。天山山脈が2500kmにわたって連なる。トルファンに向かう道の右側には風力発電の風車が600基以上並ぶ。1982年に始まったもので、この地区は風が強いことで有名なので、建てられた。真っ白で大きな風車が大平原に建ち並ぶ様子は美しく、今では観光地と化している。

●トルファン 吐魯番
 砂漠の中のオアシス都市のはずだが、とにかく暑い。緑色にあふれるポプラ並木があり、熱、風、砂から都市を守っている。この日の最高気温は42度だった。天山山脈の雪解け水が街を潤している。地下に雪解け水が流れ、そこから引いた水路が街じゅうに流れている。天山山脈の雪解け水をここまで運ぶ灌漑施設「カレーズ」は、道沿いに作られていて、2000前にペルシャ人によって計画され作られた。もしこの水路を作っていなかったらトルファンは砂漠化していたと言われている。最も長いカレーズは10kmにも及ぶ。街の至るところにあるカレーズはトルファンの一つの観光名所になっている。
 トルファン盆地は、高さが海抜を下回る、中国で最も低い大地。夏は気温が55度まで上り、冬は猛烈な寒さが襲う。
 バザールにやってきた。バイクに自転車、屋台。釜の内側に張り付けて焼くサモサは5角(8円)で、羊肉を小麦粉の生地で包んでいる。サモサを作ってくれた人はマイマイティ・イーミンさん。

 火焔山は、名所で、西遊記のモデルとなった。玄装三蔵が7世紀のはじめに通過し天竺へと向かった。侵食によってできた深い溝が炎のように見えることからこの名がある。海抜500〜800mの山が約100km続く。走っても走っても乾いた大地が続く。砂漠の中に緑があり、ムルトゥク川が流れているが、夏の時期だけ現われるそうです。日中気温が40度を超えると地表温度は70度を超えるという。年間雨量20mm未満、蒸発量は約300mmという超乾燥地帯。赤色の泥岩が露出しており、夏の日光が赤色の岩壁にあたり、赤い光がきらめく雲煙がたちこみ、激しい炎が立ち昇るように見える、という言い伝えもある火焔山だが、実際に言ってみると、想像より温和な感じがするかもしれないそうです。
 ブドウ畑がある。トルファンは有名なブドウの産地で、火焔山の麓の緑はブドウ棚が多い。8月9月が収穫期。
 砂漠の中をラクダに乗る。料金は90分程度で1人100元(1560円)だが、定価はない。実際そこでルートを決めて、そのルートによって値段交渉をしなければならないため、中国語が話せないとなかなか厳しいそうです。

 宿泊は「緑州(オアシス)賓館」(住所:トルファン市青年路41号、電話:86-995-8522491、Fax:86-995-8523348)で、緑とベージュ系のさわやかな色使いがうれしいイスラム風の建築。部屋は「民族房」で1泊380元〜(6000円〜)。庭にはブドウ棚がある。貴賓楼は夏季のみの営業で、事前確認必要。英語、日本語が話せるスタッフがいるそうです。

 古代遺跡「交河故城」は、入場料:40元(620円)で、ガイドは王建東(ワン・ジェンドン)さん。トルファンの西6.5kmにあり、紀元前2世紀頃から栄えた王国の都だった。総面積38万平方メートルにも及ぶ広大な遺跡で、当時の役所、寺院、住居跡が残っている。元々あった30mの丘を掘り下げて造られた。紀元前108年から紀元450年までは、ここが麹氏高昌国の都が置かれていたが、その後、政治の中心は高昌故城に移ったが、軍事拠点として使用され続けた。高昌国の文化発信もここ交河故城だ。14世紀の反乱時に起こった火災で大部分が焼失しており、街の面影が残るくらい。建物の様子を見てみると1枚の壁になっている部分とレンガ造りの部分がある。壁部分は初期のもの、レンガ部分は唐代に増築した部分だと言われている。交河故城は基本的には貴族の住む街だったが、今回見て回ったのは庶民の住居跡で、深さ30mもある井戸があり、今でも水がある。当時の台所は赤茶けていたり、食料庫の跡もある。大佛寺の跡では、部屋を仕切る壁の跡があり、大佛殿は本殿があった。10世紀頃始まった仏教からイスラム教への改宗の影響が見られる。


●天池
 ウルムチから車で1時間半、北東100kmほどのところにある美しい湖。緑と湖の青のコントラストが美しく、「中国のスイス」と呼ばれている。住所:昌吉回族自治州阜康市、Tel :86-994-3251002、入場料:92元(1440円)。天山山脈東部の最高峰ボゴタ峰の中腹1980mのところにある。湖まで行けるのは、春と夏だけで、冬は雪や氷に閉ざされ近づくことはできない。天池の美しさに魅了され、湖岸に点在するモンゴル系遊牧民のカザフ族のパオに何ヶ月も滞在する人もいる。
 カザフ族は、中国の少数民族の一つで、もともと漢代に天山の南北に暮らしていた人たちで、ほとんどがイスラム教徒。顔立ちは東洋と西洋が交じり合ったようなタイプが多い。農業や牧畜業をしながら、1年中美しい草原で暮らす。彼らが生活をしているモンゴルでもお馴染みのパオ(別名ゲル)は、木の骨組みに動物の皮や分厚いフェルトをかけたもので、夏は涼しく、冬は暖かいという優れもの。

●クチャ 庫車
 ウツムチから飛行機で1時間半、4世紀頃シルクロードで栄えた亀滋国として知られる。8割以上がトルコ系ウイグル族で、東西交易の中心地として栄えた天山南路最大のオアシス。ヤギが道路を歩いている。クチャバスと呼ばれるロバ車をクチャの人たちは利用している。

●バザール
 町の中心から3.4km離れた場所で開かれるバザールでは、ハミ瓜1kg2元(30円)がある。おいしいそうです。石鹸1kg2.5元(40円)は、羊の尻尾の油と綿花の種の油から作ったもので、有名なシルクロードの特産品。桃、杏、うり、スイカ、リンゴなどの果物が豊富。他にも麺の上に具を載せたウイグル族の食べ物ラグメンやシシカバブ、食べ物のほかには衣料品、化粧品、綺麗な装飾が施されたナイフ、石鹸や洗面器などの日用品などなんでもあるこのバザールは毎日多くのひとでごった返す。

●クチャの郊外
 砂山や岩山の中に1本道がある。1億年前は海だったという。アルカリを多く含んだ独特の土が不思議な世界・奇岩を作り出している。地殻変動と風が作る風景に感動しました。
 車で10分も行くと岩の形も変わってきた。侵食された形のように思える。小さな川が流れているが、ここには古代は東西文明の十字路だった亀滋国があった。たくさんの奇岩の間にある水が通っていたであろう跡には、白いものがこびりついている。これは天山山脈から流れてきた雪解け水が、土のアルカリを溶かし出し、ここの猛烈な暑さで乾いてそこに結晶が出来たもの。

●クチャ
 ドアの青い家が多い。家々の扉や柱、窓枠、荷車や街行く人々の服など青で彩られたものが目立つ。3−5世紀に最盛期を迎えていた亀滋国は、交易により得た富で、絢爛たる仏教美術を開花させた。

 トゥー・ハーンさんのお宅を訪問した。バラジャムを作っていた。食用のバラの花びらだけをむしりとり、ザラメをかけて木のボールで花をよくつぶし(木のボールの方が鮮やかで香り豊かになるそうです)、煮詰めて粘り気が出てきたら屋上など日の当たるところで2ヶ月寝かして熟成させる。日に当てないと不必要な湿気がたまり、腐ってしまうそうです。水分がジャムには天敵なので、スプーンは必ず水気をよくふき取る。ナンにつけて食べました。このジャムは胃によいものとされている。

 ドタールという楽器を30年間作っているセースン・トラップさん(58歳)のお宅を訪ねた。一つのドタールを作るのに約1週間かかるそうです。ウイグル語でドタールとは「二弦」という意味で、ウイグル民族の間に伝わる伝統的撥弦楽器(弦をはじいて音を出す楽器のこと)。二本の弦だけて音を出す。桑の幹を削り、絹の糸が2本張ってある。紀元前5−6世紀にアフガニスタンの西部で生まれ、亀滋楽を生み出した貴重な楽器。ウイグル独特の踊りマシュラップを踊ってくれました。収穫の終った後や、お祝い事があった時にみんなで踊る。
 現在日本や他の地域で売られているドタールは金属弦が張られていることが多いが、新疆ウイグル自治区のドタールには、シルクロード特有の絹糸「絲」が使われている。日本の伝統楽器にもシルクロードの絹糸が使われていた。正倉院に眠る螺鈿紫檀五弦琵琶はシルクロードと日本を結んでいたことを物語るものとして有名。キジル千仏洞の第8屈の壁画にはこの琵琶を持った天女が描かれている。

 亀滋国には今に伝わる悲しい伝説「千の涙の伝説」がある。昔、一人の青年が王女と恋に落ちた。王様は青年に千個の石窟を掘れば、娘との結婚を許すと言った。青年は毎日掘ったが、あと1つというところで力尽きて死んでしまった。駆けつけた王女は遺体にとりすがって千の涙を流した。岩もその二人を悼んで涙を流した。その涙は今も止まらない。それが「千涙泉」として残る。悲しみにくれた王女の涙が、今もここで流れ続けているという。キジル千仏洞から未開放の石窟を沢沿いに歩いたところにある大きな断崖である。

●キジル千仏洞
 クチャの街から西に70kmにある岩をほりぬいて作られた洞窟の遺跡(住所:中国新彊稚吾爾自治区拝城県、Tel :86-997-8932235、入場料:25元(400円)。2kmに渡って続く、高さ80mの断崖に236の石窟が掘られている。このタイプの遺跡では最古のもので3世紀に作られ始めたもの。そこから5〜600年に渡り作られ続けたが8世紀頃に放棄され出し、今に至るという。屈の大多数は礼拝、講経などを行うところで、僧侶の住居・僧房もある。現在は236窟あり、ほぼ完全な形で保存されているのは135屈、壁画が残されているのは80窟程度。壁画には釈迦の誕生物語や釈尊の前世の物語などが描かれている。石を砕いて赤色を作り、葉っぱをつぶして緑色を作った。壁画を彩る美しい青は、ラピスラズリというアフガニスタンでしかとれない貴重な石の粉末で作った顔料。亀滋国の豊かさを示すもので、その象徴がキジル千仏洞。236にものぼる窟内の壁はかつて鮮やかな青で彩られていた。青こそが豊かさの象徴だった。亀滋国で大切にされていた青。現在のクチャにもその伝統を受け継がれており、町は青を基調に彩られ、そこに住む人たちは青を大切にしている。
 音楽に関するものが多い第38窟に入ってみた。鮮やかな青の天井。楽器をひく男性、女性の姿が描かれている。彫石横笛、螺鈿紫橿五弦琵琶もある。ドタールは日本に伝わり、琵琶の原点となった。亀滋楽は日本の雅楽に大きな影響を与えた。

 亀滋国には鳩摩羅汁(くらまじゅう:344-413)という僧侶がいて、長安に行き「般若経」「法華経」「維摩経」などの大乗経典35部294巻におよぶ翻訳を完成した。この漢訳経典なくしては現在の仏教の流布はありえなかったと言われている。キジル千仏洞の前に立つ坐像は、鳩摩羅汁。


テレビ番組「世界遺産 中国・始皇帝陵と兵馬俑坑」

 2006年8月19日放送。鎌倉千秋アナが案内。紀元前3世紀に中国の国家を築いた秦の始皇帝陵。西安の東に始皇帝陵があり、そこから東に1.5km離れた場所に兵馬俑がある。1974年畑で井戸を掘っていた農民が土の中から兵士の像を発見し、調査が始まった。兵馬俑の8000体を越える兵士や馬の像は20世紀最大の考古学的発見と言われた。
 始皇帝は紀元前221年に中国を統一した。史記には貨幣や文字の統一、万里の長城の建設など、始皇帝の行なった政治の数々が記載されているが、兵馬俑の記載がない。始皇帝陵の記載は多い。

●陝西省西安
 かつて長安と呼ばれた。信号機がない。陝西省雑技団練習場を訪問した。人差し指の上で壷などを回す壇という曲芸は秦の時代から伝わるという。その俑が発掘されている。
 腰鼓という古代から伝わる踊りがある。鼓舞するというのは、秦の時代以前からあったという。

●秦の始皇帝陵
 東30kmにある始皇帝陵は、のどかな田園の中にあり、350m四方、高さ76m。始皇帝が13歳の時に建設が始まり、40年近い歳月をかけ、70万近い人が動員されたという。頂上から四方を見渡せる。発掘は未だ行なわれていない。史記には天井には天文があり、水銀で川を流し、長江や海まで作ったと書かれている。水銀だけは外部から観測できている。音の伝わり方で内部を見る方法により、中央に東西168m、南北141m、高さ15mの地下世界があることがわかった。中国の国土が再現され、中央には棺おけがあり、金などで囲まれている。
 力士俑という力強い俑も、青銅製の水鳥も、座った座俑、銅製の馬車なども発掘されている。銅車馬は始皇帝が5度に渡り中国を視察した際の乗り物を2分の1の大きさで忠実に再現したもので、3000を超える部品で作られており、古代中国最高の芸術品と言われている。
 最近、陵墓の周辺で馬や人の骨が相次いで出土した。今年6月DNA検査の結果、ペルシア系の男性の骨が含まれていた。陝西省考古研究所の段清波さんは東西交流があったと言う。

●兵馬俑坑
 兵馬俑坑はドーム型の建物に覆われ、博物館として一般に公開されている。現在までに3つの兵馬俑坑が発掘されている。最大は一号坑。東西230m、南北62m、地下5mに掘られた空間に何千人もの兵士が整然と並んでこちらを向いている。総数は8000体で、土で作られた素焼き。全体の2割ほどしか発掘されていない。一号坑でも後ろの方では土に覆われていたり、倒れているものある。32年前に発見された当時もこういう状態だった。
 特別な許可をもらい修復現場に案内してもらった。顔や服装は一体一体細かく異なって造られている。兵士の背丈は平均180cm、重量は200kg以上。髪の毛も1本1本彫られているものもある。色づけされていたこともわかっていて、本物の人間と見まごうほどの姿だった。
 兵馬俑の正体は黄泉の国の軍団だった。兵士の向いている東の方向は、中国統一のために滅ぼした国々があった方向でもある。兵士の中には、四川省の兵士、西域の兵士、漢民族の兵士、北方の兵士など多様に渡っている。軍団が戦を行なう際の陣形をあらわしているという。先頭の鎧をつけていないのは、勇猛果敢さを示しているという。実力主義だったのが兵士を鼓舞したという。その後ろに鎧を着た兵士たちがいる。
 兵馬俑二号坑から出土した跪射俑はヒザをついた姿勢で戦闘に備えた兵士で、○(ド:奴の下に弓)という特殊な弓を使っていた。古代の武器を研究している工芸文化研究所所長の鈴木勉さんに話を聞いた。ドの射程距離は最大で数百mに達したという。命中率も高い。
 軍団はまずドを射て、馬にひかれた戦車が進軍し、最後に大量の歩兵部隊が突入したと思われる。
 製作方法の解明も行なわれている。職人の名前も書かれている。復元している韓平哲さんが説明してくれましたが、粘土は始皇帝陵近くのを使っているそうです。多数作れたのは型を使ったかららしく、1体を造るのに、2ヶ月近くかかるそうです。8000体では80人の職人が休みなく働いて10数年かかったと思われる。


テレビ番組「シルクロード大遠征!進め、梅辰どんぶり亭」

 2006年8月12日放送。梅宮辰夫、高田純次、出川哲朗、浅香唯さんが出演。使命はオリジナル丼を作って、100人中80人にうまいと言わせること。できなかったら孫悟空の恰好でラクダにまたがりウルムチ市内を梅宮さんが一周する。ANAで北京を経由してウルムチに9時間で到着。  かつてはハワイ、タイ、メキシコ、イタリア、台湾、パプアニューギニア、ニュージーランドでやってきた。中京テレビ製作。

●ウルムチ 烏魯木斉
 新疆ウイグル自治区の区都で人口約200万人で、近代的なビルが建つが、イスラム風の塔なども多く見られる。何を食べているのか、まずは二道橋夜市(屋台)で庶民の味を探索。山積になっているのは、煮込んだ羊、羊の頭、羊の丸焼き。売っている人の顔立ちや料理もトルコ系?とも思える。串焼きはシシカバブで、羊肉。1本2元(30円)だが、香辛料が特別。ズーラン(クミン)と言って、セリ科の1年草の種子を乾燥させ、粉末にした香辛料。チキンの丸焼きは20元(300円)。刀削麺もある。夏の定番は黒酢の冷麺で3元(45円)だが中途半端な味だとか(笑)水餃子は5元(75円)で、中身は羊肉で、スープの味のベースはトマト。食べていると高さ30mの高い場所を細い綱の上を命綱なしで歩いている人がいる。

 やることは、食のリサーチ、食材調査、どんぶり造り、試食会、出店場所探し、お店作り、ウェートレス探し、宣伝活動。

 東から来た漢族、遊牧民のカザフ族、以前から住むウイグル族と文化がみな異なる。まずはウイグル族から調べる。

●トルファン 吐魯番
 東南に200kmの一直線の道路を走る。年間降水量20mm、過去最高気温49.6度の砂漠地帯で、中国で一番暑い火州と呼ばれるが、オアシス都市。人口57万人で70%がウイグル族。かつてはウイグルの都があった。ロバでブドウを運ぶ農家の人に遭遇。種なし白ブドウのマーナイで、甘い。カレーズという天山山脈の雪解け水の地下水道がトルファンをオアシスにしている。水路の総延長距離は5000kmで、万里の長城、大運河と並ぶ中国古代三大土木工事の一つ。この水を利用して3000年以上前からブドウを栽培し、世界のブドウ720種のうち600種類を栽培している。ぶどう農家を訪問し部屋を見た。ぶどうの他にもいろいろな果物をドライフルーツにして売っている。
 梭梭葡萄干(ソソブドウカン)は最高級の干しブドウで、収穫は3年に1度。普通はお粥の中に入れて食べる。100g10元(150円)を購入。
 農家の娘さんパティグリさん(18歳)とアズグリさん(16歳)が民族舞踊で歓迎してくれた。お昼をご馳走してもらった。代表的な麺料理ラグメン(手延し麺)で、週に4−5回食べるという。紀元前7世紀にメソポタミアで栽培が始まった小麦が、中国に伝わり麺が誕生したという。イタリアのパスタも中国の麺が伝わってできたとか。シルクロードは麺ロードでもある。まず羊肉をヒマワリ油で炒め、味付けは塩だけで、タマネギ、ピーマン、トマトなどを加えて炒める。これを麺にのせて出来上がり。とてもおいしいそうです。
 次はお米を使ったウイグルの代表料理ポロ。鍋にヒマワリ油、塩、羊肉を加えて炒め、人参をたっぷり加え、ズーラン・胡椒で味付けする。これに生の米を加えて炊き込む。水分が飛んだところで穴をあけて、干しぶどうを加え、羊の肉をかぶせて、蒸らす。バターライス風だそうです。

●ナンシャン 南山
 ウルムチから車で1時間の郊外で、標高2000mの草原が広がる。カザフ族の食をリサーチ。パオは夏の間移動している時の家で、羊の毛で作られている。カザフ族のサディンさん(64歳)一家。カザフ族はトルコ系の遊牧民族で、羊や牛などを放牧している。主食はナンで、塩と水で小麦粉を練って生地を作り、火を落としたカマドで焼く。コルトという乾燥ヨーグルトも作っているが、酸っぱいそうです。乗馬も体験。馬の乳搾りもして、これから馬乳酒(カムス)を造った。飲んだが、酸っぱいそうです。

●ウルムチ
 北園春市場は主に野菜を扱う。ナスも丸くて大きいが、0.7元(10円)。バナナみたいな黄色い人参。干し椎茸、ネギ、マトン、鶏肉なども購入。試食会用には干しブドウ入りの御飯、カザフ族から乾燥ヨーグルト、ナンを持ち帰ったが使えない。地元のテレビ局が取材に来た。

●試食会
 漢族、カザフ族、ウイグル族などの有名レストランの料理人を呼んできた。1品目はマトン丼。マトンを醤油ベースのタレにつけ、片栗粉をまぶしてから揚げにし、ピーマン・ニンニクの葉・唐辛子を炒め、ズーランなどで辛めにし、干しぶどうを入れて炊いた御飯にのせた。女性シェフや子供には辛すぎるという。
 2品目は鶏肉を使った丼で、もも肉を塩胡椒、豆板醤で味付けし、油で素揚げし、ナス・セロリ・赤ピーマンも素揚げし、混ぜて豆板醤を加えて炒める。漢族、カザフ族はおいしいし辛さもいいというが、ウイグル族は辛さが足りないそうです。
 3品目は牛すき焼き丼。牛スジ肉を醤油、砂糖で煮込み、すき焼きのタレを作る。牛肉、ネギ、ナス、春雨を一緒に煮込み、しいたけ、豆腐を入れ、卵でとじる。漢族は甘すぎるので、誰も食べないという。食材も普通すぎるという。カザフ族は椎茸の代わりにアーヴェーグーを使うという。キノコの王様で香りも歯ごたえもいいそうです。
 おいしかったのは、マトン丼2人、鶏肉丼が3人だった。

●アルタイ
 アーヴェーグーがあるという。ウルムチからバスで向かう。800km、14時間かかるという。車内には上下二段の合計36個ベッドがあるバス。アルタイには売ってなかった。ところがウルムチの市場にあったので、直径20cmくらいのアーヴェーグーを買ってきた。エリンギに似ているそうです。

●出店場所とウェートレス探し
 街の中心部は観光客が多い。ラクダまでいた。二道橋市場前がいいのではないかと思って、了解をとりつけた。
 新疆の民族舞踊のディナー・ショーに行って、女性たちにウェートレスをお願いした。

●開店当日
 朝から100食分仕込んだが、試作品とは全く違うものにした。海の幸をあまり食べたことのない人に海の幸を食べさせることにした。アーヴェーグーは短冊状に切り揚げた。クルマエビは卵白、片栗粉をつけ揚げた。チキンスープに唐辛子、豆板醤、片栗粉を入れとろみソースを作り、これにアーヴェーグー、エビなどを入れて混ぜ、ズーランで風味付けをした。
 屋台場所も会場作りを開始した。ペットボトルとスポンジで作った巨大な筆で看板を書いて、宣伝活動を開始した。
 オープニングセレモニーの後に、午後8時いよいよ開店。干しぶどう御飯に具をのせて、最後に貝柱をのせた。お値段は1杯3元(45円)。辛すぎるという声があったので、水を足し、醤油だれで辛さを抑える方法に出たが、辛くないという人も連続した。
 結果はおいしいが86杯、おいしくないが14杯でした。


テレビ番組「探検ロマン世界遺産 中国・武陵源」

 2006年8月6日放送。中国湖南省で30年前に秘境が発見された。思わず息を呑む3000の石の林。奇峰、怪石、幽谷、清水、鍾乳洞という中国人の愛する絶景が全てある。昔から「山は黄山、水は桂林」と言われてきたが、山も水も素晴らしい場所があった。300年前の水墨画にも黄山が描かれている。以前は土家(トゥチャ)の人が住んでいただけ。

●武陵源
 かつてここは海の底だった。堆積した砂岩の層が、1億8000万年前からの地殻変動の末に隆起した後に、柔らかい部分が侵食され、重い岩が崩れ落ちることにより、世界にも稀な景観が生まれた。1992年世界遺産に登録された。松は野鳥が落とした種が成長したもの。
 宝峰湖。地底には鍾乳洞が広がる。黄龍洞は分かっているだけでも長さ12km、まだほんの一部にすぎないという。洞窟の水には石灰分が含まれていて、沈殿して鍾乳洞や石筍を作り上げた。20mの石筍もある。龍のうろこのような跡も水の跡。

 85%は原始の森で覆われている。3000種の植物と100種を越える野生動物が暮らす。アカゲザルなど。ハンカチノキは生きた化石といわれ、中国の高地にだけ自生する。エビノハナ(龍蝦花)はホウセンカの一種。オオサンショウウオも生息している。1999年にできたオオサンショウウオ環境センターの欺東昇?さんは、水温、餌、水質などをチェックし、増やしている。現在3000匹以上を飼育している。産卵は夏で、一度に300個の卵を産む。最近では2004年冬に2500匹が川に帰った。

 3000の石の峰には形にちなんだ名前を持つものもある。採葉老人、神兵集会、御竿峰、仙女献花、天橋道墳などがある。谷底からの高さ357mの地上で最も高い天然の橋「天下第一橋」は、その上を人が歩いて通れる。

 土家(トゥチャ)の人は縄で体を縛って、断崖の植物を採取し、売っていた。しかし、生活の場が世界遺産になったので、薬草摘みは禁止された。今は離れ業を見せることで生計を立てている。土家族はジワジワと山に追いやられた民の末裔。標高1000mの痩せた土地に水田を作り生きてきた。空中田園は今や名所の一つ。彼らは観光客が増えて、険しい自然が貴重な財産であることを知った。若い人は観光の仕事に就くために山を降り、昔ながらの老人が村を守る。いろりの上には豚肉がかけてあり、一冬かけて薫製を作る。
 お正月は1日早くやってくる。明の時代に倭寇を討伐した時から続く。この日、最後の市が立つ麓の村をみんな目指す。旧暦の大晦日1月28日、まだ暗いうちから新年を祝う食事の準備。紙のお金を盛大に燃やし、先祖があの世で困らないようにする。食事は3時間以上続く。

 中国人の理想郷は今は年間100万人が訪れる地となった。


テレビ番組「2006年7月29日の旅サラダは片山右京さんでモンゴル」

●ウランバートル
 標高1351mの草原の中に浮かんでいるような街。スフバートル広場が中心地。ゴシック様式のローマ風の建物やモンゴル風、ロシア風の建物が建っている。人々も近代と過去が一体となっている感じ。

●草原
 郊外に出ると緑の草原。青い空に緑の草原、羊たちの風景。池があり馬が水浴びをしている。ヒバリの声。片山さんは鳥肌がたっていると語っていました。

 遊牧民セレーテル・ギーナさんのお宅を訪問した。セレーテルさんの息子のギーナさんという名前だそうです。父の名を受け継ぐことで父に恥じない生き方をする。円形のゲルで、中は明るく天窓が日時計の役割をする。仏壇がある。モンゴルの人はほとんどが仏教徒。奥さんのホルローさんがミルクティーを入れてくれた。
 いろいろなしきたりがある。お茶は必ず右周りに渦巻くように入れる。ヤカンの口は入口とは逆の方向。ゲルをでる時につまづいたら必ず入り直し薪をくべてから出直す。
 ヤギの乳絞りを手伝った。母がチーズを作った。とてもおいしいそうです。

●アルタンプラグ村
 年に1度の村祭り。小さい子も平気で馬に乗っている。子供だけの競馬がある。一番短いレースでも15km。普通25km。ゴールに集合して、25km歩いていってから、スタートを決めてすぐスタートするそうです。
 調教師チョイドグさん(75歳)の調教の様子を見せてもらった。大事なのは血統だそうです。30日間の調教で、10回はかなり汗をかかせる。汗をぬぐうヘラ(フスホール)は調教師のシンボル。期待の孫のアムガ君(13歳)に馬に乗せてもらった。チョッ、チョッと言うと進め。

●ほしのいえ
 草原の中のゲルに宿泊。1人1泊2食付きでUS$160。送迎アクティビティー付き。緑色の服を着た女性が案内してくれました。
 乗馬を楽しむ。かなり元気な馬でした。風と雲と草原と馬と自分が一体となるのを感じた。かなりはまったそうです。
 夕食は麺が入った野菜スープ。野菜サラダ。ボーズという餃子は小籠包風で少し大きい。夕陽を背景にモンゴルの伝統的な踊り。空気をふるわせるホーミーという歌。馬頭琴という三味線みたいな楽器とシャンザという楽器による演奏。生死を越えての自然の姿を見て、自分が何をしてきたのかとを思って涙。
 ロシア製のモンゴル・ジープに乗って草原を走る。ひどい道でした。ブレーキが全然利かない。F1より本当に怖いそうです。

●ウランバートル
 自然史博物館に行く。巨大な恐竜の化石がある。小さい方の恐竜のタルボザウルスだが大きい(全長10−14m)。成長すると20mになる。恐竜の卵の化石もある。からみあったまま化石になったものもある。

●草原
 タスというハゲワシの仲間がいる。大きくて中に人が入っている感じがする。肉食です。ツルの仲間のトゴロは渡り鳥で、ここでヒナをかえす。

●フスタイ国立公園
 生態系を保護する地域。世界でも貴重な野生馬が生息している。研究者のムンフォーさんが案内してくれた。タヒ(モウコノウマ)という馬で、たてがみが普通の馬と比べると短い。一時は絶滅しかけたが、最近は増えている。

●ゴビ砂漠
 モンゴル南部。らくだで旅をする。風が砂に文様を作る。砂漠の中でゲルを建てて夜を過ごす。

●フブスグル湖
 ロシア国境の近く。カヌーもできる。

 ここからはビデオが切れました。

 モンゴルの旅に関するお問い合わせは、「風の旅行社 東京支社」(0120-987-553、営業時間:10:00〜18:00、日祭日定休)
http://www.kaze-travel.co.jp/


テレビ番組「夏休みに行きたい! 超激安! 海外ツアー」

 2006年7月22日放送。テレビ東京制作。

●台湾・台北
 台北市は人口260万人。面積は東京23区のほぼ半分。成田から3時間半で台北の中正国際空港に到着。西山浩司&母の恵美子親子が「超豪華ホテルに宿泊、見所いっぱい市内観光、台湾・台北2泊3日、54800円〜」(NOE SkyTour)に参加。バスに乗って市内のホテル「圓山大飯店」に向かう。ここは元は迎賓館で、各国の大統領なども泊まる豪華な5つ星ホテル。今回は朝食券とドリンク券もついている。一人2000円追加すると、シティビュー・ルームにアップグレードできる。バルコニーが広く、夜景(朝も)もきれいでした。ドリンク券でラウンジでくつろいだ。直接頼めば1泊3万円以上もする部屋です。
 朝食はバイキング形式で、素麺や日本食も、パンや中華チマキなどもあります。食後庭園を散策するとホテルの豪華さがわかります。8時半から大きな2階建バスで1日市内観光。

○台北市内観光
 「保安宮」は200年以上の歴史があり、色彩が派手。屋根には龍が多い。赤は縁起のよい色。実在した名医を祭った本殿「真人百居?」。地元の人も病気治癒を祈る。隣には「孔子廟」があり、学問の神としてあがめられていて、台湾にいくつかある孔子廟の総本山。
 中正紀念堂は蒋介石の威徳を記念して建てられた。高さ70m(20階建のビルに相当する)。白い壁と青い塗り瓦が特徴。中には蒋介石像がある。7.6万坪の広大な庭園が見える。1階では台湾の歴史に触れることができる。

 昼食は台湾料理の店「梅子餐應」で、創業41年、あっさりした味が日本人に合う。海鮮料理も人気だが、高温で揚げた豚肉はじっくり煮込んで角煮にするが、これが店の名物料理「豚の角煮」。「卵と干し大根の炒め焼き」。「イカとキュウリの炒め物」。「エビの卵炒め」。人気メニュー「カキとネギの炒め物」。「台湾鯛の醤油蒸し」。「タラのすり身団子スープ」。デザートはミカン。

 国立故宮博物院はルーブル、メトロポリタン、大英博物館と並ぶ世界4大博物館の一つ。元々は北京の故宮にあった宝物が戦乱を逃れて、ここに来た。
 忠烈祠は戦火に倒れた人を祀る。1時間毎に衛兵の交替式が行なわれる。
 滋和堂で足つぼマッサージ(30分700元12500円)。10%引きのクーポン券を利用。
 日本人が大勢いるので、回転寿司やラーメンの店もある。鼎泰豊(ディンタイフォン)はニューヨーク・タイムズ紙が選んだ世界十大レストランの一つで、ここで夕食。小籠包は皮は5g、身は21gと決められていて、1日1.1万個が消費される。今回は1人5個(笑)、「エビと豚肉入り焼亮」も人気で1人1個。「野菜と豚肉入り蒸し餃子」。「酢辣湯(スーランタン)」。「エビチャーハン」。仕上げは「あん入り小籠包」。

 最後は士林夜市。

 最終日は、台北の南西にある鶯歌(Yingge)に行く。茶壷や茶器の街。「陶芸家的店」は日本人観光客に人気。お母さんは一輪挿しを2500元(8900円)で購入。


●グアム
 エド山口ファミリー(望、衣咲、鈴希さん)が「家族旅行にオススメ!常夏の楽園でリフレッシュ グアム2泊3日 54800円〜」(エス・ティー・ワールド、8/22, 8/29出発限定)に参加。ツアコンは渡辺英二さん。空港からタモン地区のホテルまでは10分で、無料のバスで移動した。時差は1時間で日本より先。ホテルは「オハナ・オーシャンビュー・グアム」で、丘の上にある。今回はツアー料金に8000円(4名1室、2泊)追加してコンドミニアムタイプの部屋にアップグレード。キッチンやリビングもついていて2寝室。ビーチまでは送迎車もあるが、歩いても7−8分。やってきたのは「アウトリガー・グアム・リゾート」のオハナ・ビーチ・クラブで、シャワーやロッカーが無料で使える。
 タモン・ビーチで泳ぐ。遠浅なので安心。ツアー客にはここでの「1ドリンクサービス」券がある。

 夕食は予約をするとホテルまで車で迎えに来てくれるレストラン「シーフード・シェフ Seafood Chef 」。食材を自分で選んで、調理方法を指定して調理してもらう。日本語メニューあり。「マングローブクラブの中華風黒豆ソテー」、「オイスターのガーリック・バター焼き」、「カレイのニンニク醤油蒸し」、「モンゴイカのニンニク炒め」、「ロブスターの鉄板焼き」で合計2万円でした。ちなみにライス、サラダ、スープは無料でした。ツアー客には飲み物(ビールまたはソフトドリンク1杯)のサービス。

 朝食はホテル内の「チャモロ亭」でいただいた。一人US$8。2日目はオプショナル・ツアーで「ココス島と南部観光ツアー」に参加。音Bな$75、子供$30。ガイドはタカさん。
 まずはイナラハン村のチャモロ文化村を訪問。ヤシの実が落ちてくるので注意。先住民チャモロの人の住まいを再現している。ヤシのジュースをいただき、ヤシの葉で作る飾り物の作り方を教えてもらった。
 最南端から船でココス島に渡る。片道10分。周囲4.3kmでサンゴ礁の上に砂が堆積してできた島。ココス・アイランド・リゾートではレストランなどの施設も整っている。パラセーリングやウェイクボード?などのマリンスポーツも楽しめる。ツアー客はビーチ用品のレンタルグッズ一人1点無料。子供達はシュノーケリング。遠浅で海の底はとてもきれい。
 昼食は「Coco Terrace 」でいただいた。ツアー客は無料。バイキング形式で好みのものが好きなだけ食べられる。
 食後は4人でバナナボートに乗る。大人$25、子供$15。島には約3時間半滞在しました。
 16世紀にスペイン統治時代に作られたスペイン古橋、ソレダット砦、太平洋戦争国立歴史公園に行く。

 ツアーから帰ってから買物スポットを回る。それ用の循環バスがある。ツアー客はこのショッピングバスは乗り放題の「アイランド・パス」がもらえる。やってきたのは「JPス−パーストア」。ツアー客は$50以上買うと$10値引きしてくれるクーポンがもらえる。ここでお土産を買った。

 夕食はタモンビーチにあって絶景の夕陽が拝める「セイルズ・バーベキュー・レストラン」でいただいた。「ミート・ラバーズ・バーベキュー」は一人前$38、「レギュラー・バーベキュー」は一人前$48。サラダは食べ放題、生ビールやソフトドリンクは飲み放題。


●上海
 倉石功&秀子夫妻が「超高級5つ星ホテルに宿泊、極上中華を食べつくす、中国・上海2泊3日、79800円」(JHC・Kanade スペシャル ちゃんゆ〜上海3日間)に参加。成田から上海までは約3時間。ガイドは日本語が堪能な金春英さん。空港から市内には2年前に世界で初めて開通したリニアモーターカーは、時速430kmで走行し、車で50分かかるところを8分で龍陽路に到着。バスに乗りついで、地上43階建のホテル「新錦江大酒店 Jin Jiang Tower」に到着。ロビーも豪華。各国元首や国賓も宿泊する。16年前にオープンし、8年前に改装した。今回は19階の部屋で、アメニティも充実。
 バスで夕食にでかけた。有名な料理店「重慶小天鶏大酒店」で、広い。評判料理はシャブシャブ風の火鍋。ダシはさっぱりした鶏がらベースと、辛い唐辛子ベースがある。具は肉や魚介類など30種類近い。まずはマトン、豚の皮、うなぎなどをいただいた。
 食後は外灘(ワイタン)のライトアップされた夜景を見る。船に乗り、人気の「黄浦江遊覧」で夜景を楽しんだ。西側には19世紀に建てられた歴史的建造物が並び、東には近代的な建物が並ぶ。特に東方明珠塔(テレビ塔)が象徴的。遊覧は50分で、みんな満足。

 朝食は最上階のレストランでいただいた。バイキング形式でピータンのお粥、牛肉のお粥、パン、オムレツなどあります。ここは2時間で1周する回転展望台で風景もいい。

 郊外の朱家角は1770年前の三国時代からの東洋のベニスと言われる街で、街には運河がめぐらされ、36の橋がかかっている。ツアーは手漕ぎ舟で回る。その後自由行動。ガラスの内部に絵を描いたものは750円〜3万円。買うと無料で名前を入れてくれる。
 昼食は集合場所で「放生橋菜館」でいただいた。「豚肉の醤油煮」、「白水魚の蒸し物」、「味噌掛けナス醤油煮」、「マコモダケ醤油煮」など13品。食事中に10元(150円)で二胡の演奏もしてもらえる。

 上海に戻り、「洪鴻茶坊(ホーホーチャサン)」で、1500種類の中国茶を扱う専門店で、店員が説明してくれた。今回は一葉茶で、新芽の一枚か二枚を手で揉んだもの。一枚で3−4人分出る。中国でしか味わえないが、最初は少し苦味がある。しかし2,3杯飲んだ後、甘い感じがある。次はジャスミン茶で、優しい感じ。ツアー客には高級茶の鉄観音をプレゼント。
 ここからは自由行動で、倉石さんは上海一の繁華街の南京東路に行った。百貨店や様々な専門店が集まる。8年前から歩行者天国となっているが、ここを観光車が走る。片道2元(30円)。
 シルクの店「真絲大王(トゥンスーダーワン)」は、屈指の絹織物の産地の上海の南にある杭州の品物を扱う。ノースリーブで208元(3120円)。

 みんなと合流し上海料理店「蘇浙匯(スースゥーホイ)」で夕食。「カニ味噌炒め」、「家鴨(アヒル)の揚げ物」、「ナマコの煮物」、「鶏肉の蒸し物」、「魚の甘酢揚げ物」。

 豫園を観光。16世紀に四川省の役人が両親のために18年かけて造営した。50年前の大改修で一般に公開された。「緑波廊酒楼(リーホーランチョウラン)」はクリントン大統領やエリザベス女王も来店した名店で、夜は高級上海料理だが、お昼は飲茶が有名。「揚げ五目あん入りパイ」、「上海焼きそば」、「野菜のあん入り饅頭」、「春巻」など全19品。
 東方明珠テレビ塔に行く。球体になった3つの展望台があり、今回は高さ260mの第二ドームに行った。


●ソウル
 鈴木正幸&末子夫妻が「壮麗な世界遺産巡りと本場でキムチ作り体験 韓国ソウル 2泊3日 39800円〜」(てるみくらぶ アシアナ航空で行く、心も体も満喫ソウルツアー 3日間)に参加した。成田からアシアナ航空で2時間半。ガイドは閔美暎さん。空港からバスで1時間でソウル市内明洞のホテル「ソウル・ロイヤル・ホテル」。フロントもポーターも日本語が話せる。

 朝食は「神仙(シンソン)ソルロンタン」でソルロンタンをいただいた。牛の内臓と骨をじっくり煮込んで、牛のバラ肉の入ったもの。好みでキムチを入れて味わう。体力の落ちる夏場にぴったり。ツアー客は無料。

 市内観光。車で15分の世界遺産の宗廟(チョンミョン)に行く。李朝の歴代の王や王妃の位牌を祭ってある。門の屋根にのっているのは、西遊記の登場人物。次は昌徳宮(チャンドックン)で、1405年に国王が暮らす離宮として建てられた。創建当時の姿を今に伝え、世界遺産。四角の池は「地」と言って、地面の事、丸い方は天の意味で「空」の事で、天地開闢をあらわす。
 昼食は「世宗(セジュン)ガーデン」で、石焼ビビンバ、味噌チゲ、ユッケジャン、冷麺、カルビタン、キムチチゲから1品選べる。キムチ&辛ラーメンのお土産が配られて市内観光は終了。

 オプショナルの「チマチョゴリ撮影&キムチ作り体験ツアー」(6万ウォン:7200円)を予約していた。築200年の民家を改造した李家(イガ)で行なう。まず夫婦でチマチョゴリなどを着て撮影。キムチ作りは、材料として、白菜、ネギ、大根、セリ、唐辛子、ニンニク、生姜、アミの塩辛、煎りゴマ、魚醤など。作ったキムチは帰国してからゆっくりと味わえますが、3日間は置いた方がいいそうです。

 南大門市場に行く。高麗人参酒は3.5万ウォン。日本で買うと倍はするそうです。「ノリのり天国」という店には海苔が多い。元々は2300円だけど、日本円で2000円にするという。
 明洞を歩く。話題の焼肉の店「トッサムシデ」で、ソウルで人気のサムギョプサルをいただいた。ここ数年牛肉よりも豚の三枚肉が人気。この店では「餅サムギョプサル」一人前8000ウォン(960円)として食べさせている。キムチやタマネギ、豚の三枚肉を鉄板で焼いて、3種類の餅に巻いて食べる。きな粉は後味がいいそうです。

 最終日はエステ。車で10分で、送迎してくれる「韓国汗蒸プラザ」に行く。入浴料はサウナ付きで1.6万ウォン(1800円)。基本コースは1時間30分で、あかすり、全身マッサージ、海藻パック、シャンプーで6.5万ウォン(7800円)。汗蒸幕(ハンジュンマ)サウナは女性のみ。一番のウリは「よもぎ蒸し」で2.5万ウォン(3000円)で、女性のみ。韓国に古くから伝わる方法で、座っているイスの下で薬用ヨモギ、バラの茎、チンピなどの10種類の薬草を燃やす。婦人病や便秘にも効果がある。20分もすると体の芯から癒される。
 朝食は「田舎の御膳」という店で、昔ながらの韓国の朝食が楽しめる。20種類のおかずが並ぶ韓国定食は1人前7000ウォン(840円)。定番以外にちょっと変わったものとしては、「エゴマの葉の醤油漬」、「ドングリで作った寒天」などがある。


テレビ番組「トヨタ・エコ・シリーズ「素敵な宇宙船地球号」雲南 崩れゆく紅大地」

 2006年7月9日放送。中国雲南省に不思議な光景がある。テレビ朝日制作。

●紅大地
 標高2600mに広がる真っ赤な大地で、紅大地と呼ばれ、観光客が押し寄せる。しかし大地が崩れ、農民と観光業者との対立が始まった。紅の色は土の中の鉄分が酸化してできたという。この高地は5000万年前のヒマラヤの造山運動に連動して生まれた。人々の営みが大地を色どってきた。朝、昼、晩と色が千変万化する。中国広しといえど、他にこういう絶景はない。だが、農民にとって生やさしい土地ではない。鍬を使えば石に当たり、粘土質の土は水はけも悪い。土の栄養分も乏しいので植えられるものも限られている。
 羅開鋭さん(40歳)は痩せた大地を耕してきた。麦は今年は実が入っていない。昨年の6−7割しか収穫量がない。赤い大地の谷底に10軒の家屋がある。1年の収入は3000元(4.5万円)。子供たちが通う花溝小学校には「近代化を目指そう」というスローガンが掲げてあるが、いつも子供たちの栄養不足が問題になっている。

 5年前から観光客が押し寄せるようになった。この日は60人で、目的は朝日に映える赤い大地の撮影。観光客を案内しているのはガイドの張開権さん(47歳)。ブームの仕掛け人。去年4000人の観光客を案内し、今年は昨年の倍になるという。高台に「撮影友人接待所」と名づけた張さんの旅館(15室)・食堂がある。今は年収9万元(135万円)で、農民の年収の30倍。来年は旅館の新館を建てる予定だという。最近この周辺に9軒の旅館ができたが、ここが一番安くて1泊1人10元(150円)。

 村の長老の張東祥さん(68歳)は昔の話をしてくれた。昔は緑の森で覆われていて、動物がたくさんいた。今はその森がなくなった。溶鉱炉を建設し、燃料として森の伐採を進め、残りを農地にした。森を失った人は農地で働き始めた。この赤い大地は乱開発から生まれたもので、その赤は森の長老には森が流す血の赤に映っていた。5月雨季を迎え、雨水は太い土石流となって大地を削り取る。羅さんは生まれ育った家と畑を失った。25軒の家が立ち退いた。命までおびやかされる状態になっている。

 張さんの家に農家の人が集まった。この5−6年で状態が悪くなっている。植林すべきだ、セメントで固めるべきだ、という意見が続出した。90年代後半に畑の周囲に植林をしたが、5年前に観光振興のために中止された。植林された場所では土地の崩壊は防がれているが、してないところでは土地の崩壊が続いていた。張さんも農民の気持ちがわかるが、観光がなくなると張さんもこの村もダメになる。そのうちに一番人気の観光ポイントで、陥没が起こった。景観はダメになり、人は呼べなくなる。張さんはこの村もダメになることを悟り、まわりに植林することを決意した。貧富の差が激しくなり、農民と観光業者の間の溝が深くなっていることを張さんはわかっていた。そこで小学校に通えない子供を引き取って学校に通わせている。また学校へ寄付をしたので、教科書や文房具は無料になった。
 5月初めに麦の収穫が始まった。将来、植林が始まり、緑に囲まれた赤い大地が誕生するだろうと予測している。

 10年後もこの大地が美しいままでいられたらいいなぁ。


テレビ番組「探検ロマン世界遺産 中国・娥眉山と楽山大仏」

 2006年7月1日放送。竹中三佳さんが案内。四川省で娥眉山は中国仏教の聖地。祈りが最高潮と達した時。

●楽山
 川のほとりに築かれた世界最大の石仏である楽山大仏。高さ71m、奈良東大寺の約5倍で、9世紀に岷江のほとりに作られた。「四川の犬は太陽を見ると吠える」ということわざの通り、四川省はほとんど曇りか雨。楽山は人口50万人で、古くから交通の要所。
 名物は豆腐で、仏教の精進料理として発展した。様々な豆腐料理が楽しめる。孔雀豆腐は孔雀の形付き、竹筒豆腐は縦に2分した竹の筒に入っていて、極めつきは大仏豆腐で、大仏像の形。一番の人気は麻婆豆腐で6元(90円)。

 大仏は川の反対側の小高い山にある。大仏へと続く石段を上がると目の前は川。先端に行くと、大仏の頭の横に到着。顔の長さだけで15mある。顔の面積は畳100畳分ある。大仏は岩の崖を削り取って作られていた。高さ71mで、20階建の高層ビルに相当する。弥勒如来の像です。
 柵を乗り越え、大仏の頭の上で清掃している人がいる。命綱をつけて2人1組で行なう。一般の人は禁止されている。その人に依頼して頭の上を撮ってもらった。うずまき状の髪は螺髪(らほつ)。下には川があるが、船がオモチャのように見える。
 大仏の足元に下りてみた。ジグザグに9回曲がっている階段は九曲桟道と呼ばれている。手の高さではとても大きく見える。さらに降りて足に到着。とても巨大ですが、柔らかい顔に見えます。
 奈良の大仏は高さ15m、河南省にある龍門石窟の大仏は高さ17m、バーミヤンの大仏は高さ55mだった。
 楽山市文化局文物科の唐長寿さんに案内してもらった。まず岷江をボートで行く。鵜飼の船がいる。日本には稲作文化と共に弥生時代に伝わったという。多く採れるのはフナだそうです。船から見ると大仏様の全体像が見える。船から見る人が一番いいように作られている。断崖に石碑があるが、読めない。20年前に発見され、復元されたそうです。その碑文「大弥勒像記」によれば、唐の時代に民衆の力を集めて作られた。
 楽山の東にある町「自貢」には塩があり、塩の都として3世紀から栄え、最盛期には数十万の人々が塩業にかかわっていた。地下水に塩が大量に含まれていて、井戸からくみ出して、煮詰めて作っていた。成功を仏様に感謝したいということで大仏建立に結びついたのだろう。岷江は塩を運ぶルートだったが、荒れて亡くなる人も多かった。そこで鎮めるために作ったのだろう。九曲桟道の横に1000体もの仏像がある。
 この建造の技術が近郊の村に残されていた。60km離れた仁寿県牛角塞。唐さんは村落を一望できる山の上に案内してくれた。頂上には石仏が祭られていた。仁寿大仏で、唐の時代に作られた。上半身しかないが、未完成で、これを見ると楽山大仏の作り方がわかった。上から下へと段階的に完成させていった。これだと巨大な足場を作らずに、落石のおそれもない。大仏の表面は朱色に塗られ、金箔と宝石で飾られていた。頭には木製の冠があったと考えられている。全身は13層の楼閣で覆われていた。803年に90年の歳月をかけて完成した。楼閣は17世紀に戦乱による火災で失われた。
 仏教といえば、西遊記。その「大唐西域記」には、玄奘は金色に輝き、宝石で飾られたバーミヤンの大仏について記している。玄奘の報告で、大仏の噂が広がり、大仏ブームが起こった可能性がある。この時期に作られた大仏は10m以上のもので13体ある。さらにブームは海を越え、奈良の大仏もその影響で作られたのではないかと考えられている。
 ビジネスで成功した人は船の上から僧侶に祈ってもらい、どじょうなどの魚を川に放流する。殺生をやめ、慈悲の心を持つことで、日々の幸せを願うため。

●娥眉山
 楽山の西にそびえる。幾重にも連なる山々の総称で、山中には現在26の仏教寺院がある。最高峰「万仏頂」標高3099mにはお寺がある。寺をめぐる聖地には石段が整備されている。報国寺には仏の名を繰り返し唱えながら、お堂を歩く人がたくさんいる。念仏行列と呼ばれている。参拝者は地元の人々が大半。日々の暮らしの無事を祈る。
 野生のサルがいる。仏教の修行を行なう生き物として、猿居士と呼ばれていて、敬われている。さらに山道を上がると道端で袁仕栄さん(76歳)が漢方薬を売っている。雪霊芝は高血圧、肝臓病、糖尿病によいそうです。娥眉山の薬草は3000種類もあるそうです。袁さんはここの漢方薬を全て知っていて、治療を行なうので、「娥眉山の仙人」と呼ばれている。「倒竹散」という薬草の根を取るのを手伝いました。夫人病や腰痛によく効くそうです。娥眉山には古くから不老不死の仙薬があると信じてこられた。3世紀に道教の中心地となる。その後、仏教が台頭した。
 4世紀創建の万年寺はすごい人で、蝋燭の数もすごく多い。娥眉山博物館館長の陳黎清さん(女性)に案内してもらった。白い象に乗る金色に輝く仏像がある。普賢菩薩像で、3000人の弟子を連れて、娥眉山にやってきたという言い伝えがある。普賢菩薩はあらゆる場所に現われ、人々を救済すると言われている。大勢の参拝者が集まっていた。みんながさするので禿げているが、白い象を触り、自分の悪いところを触ると病気が治ると信じられてきた。普賢菩薩にお願いすれば願いが叶うということで、娥眉山の意味が次第に変化していったという。道教はこの世の幸せを重んじる現世利益の宗教で、その後、娥眉山に普賢菩薩が現われたというので、仏教が勢いを増した。その時に仏教は「現世利益」の思想を吸収し、人々により受け入れやすい宗教になっていった。そして仏教の聖地として娥眉山があがめられるようになった。
 山中に尼僧の学校がある。33人が修行している。授業を見てみると、パソコンでHPを作っていた。自分たちのことを知ってもらい、世間のことを知ることが大事という。尼僧の悟瑞さんは元は内科の医者だった。体の治療はできても、心の治療ができないから全てを捨てたそうです。部屋を見せてもらった。「死」の文字を書いているが、人間は生きてくれば、必ず「死」と隣合わせにいるから、自分自身への戒めだそうです。
 頂上から山々を見渡した。雲海が広がっています。


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