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なお、これはわたしが個人的にテレビを見て書いたものであり、各テレビ局や番組とは全く関係はありません。
すべての文章の無断使用・転載を禁止いたします。
またここの情報を使って、何か問題が起こったとしても私は一切責任は持ちませんのであしからず。


テレビ番組「今だから安くて快適!全てコミコミ、30万円で世界一周の旅」

 2010年12月19日放送。3名が関西空港から参加した。丘みつ子(62歳)は世界20カ国あまりの旅行経験を持つ。藤吉久美子(49歳)は、4カ国だが、どんな食べ物や体験でも自信あり。脇知弘(30歳)は3回海外経験だが、体力とどこでも寝られる図太さが自慢。15日間で格安航空会社(LCC)を利用して世界一周をする企画。
 格安航空会社は基本的にネット予約。金額は予約日、搭乗日によって変動する。航空運賃、サーチャージ含む、宿泊費、食費、交通費、観光&体験費を全て含んで30万円。お土産は個人負担。レートは12月10日のレートで計算。テレビ東京製作。

●予定
 1日目、関西空港17:00発⇒台北18:40着。2日目、台北15:55発クアラルンプール(マレーシア)20:35着。3日目22:00発⇒バンガロール(インド)23:30着。5日目、バンガロール4:00発⇒ジャルジャ(アラブ首長国連邦)6:35着。ドバイ泊。6日目、ジャルジャ発10:30⇒アレクサンドリア(エジプト)12:45着。7日目、カイロ発11:35⇒アテネ(ギリシャ)着13:35.アテネ発18:00⇒ミラノ(イタリア)着19:35。ミラノ泊。9日目、ミラノ発8:35⇒フランクフルト(ドイツ)9:55着。10日目、フランクフルト10:15発⇒カンクン(メキシコ)15:10着。12日目、カンクン発11:50⇒ニューヨーク16:32着。14日目、ニューヨーク発12:45⇒成田空港17:00着。

●台北
 ジェットスターで行きました。機内食は有料。台北までは3時間、運賃は16150円(サーチャージ4650円含む)。
 台北は人口261万人。通貨は元で1元=2.76円でした。言語は北京語、福建語、客家語。台湾北部にあるアジア屈指のグローバル都市。日本との時差はマイナス1時間。滞在予定は21時間。
 大有巴士のバスが台北駅まで90元。そこからホテルのある西門までは路線バスを勧められた。307、262、212、237番らしい。262番に乗るが、シーメンティンと言っていたら乗客が降りる場所を教えてくれました。車内放送はありません。
 宿泊は「国光大飯店 Good Ground Hotel 」。女性2人はツインで1人2465円でバスタブもついている。夜11時、西門駅からMRTで雙連駅に向かう。料金は20元で、プラスチックの硬貨のようなチケット。
 寧夏路夜市に行く。60年の歴史を持つ夜市。明け方までやっているお店もあるとか。大腸麺線(モツ入りラーメン)100元(約280円)。「猪肉餡餅」(豚肉入りお焼き)30元(約80円)。鶏唐揚げなどで、一人平均295円でした。
 エビ釣りをする。釣りざお7本で100元(280円)。尻尾から吊り上げるのがコツ。3匹しか釣れなかったので、3匹サービスしてくれて塩で調理して食べました。
 足裏マッサージのお店に行き、10分のコースはないが、無理やりやってもらった。200元(約550円)。

 朝食はホテルの近くで。湯豆漿15元、鮮肉包12元、蛋餅20元、油條で、一人約110円。  中正祈念堂までMRTで20元。朝9時扉が開き、中には蒋介石の像がある。1時間に1度、衛兵の交替式がある。
 MRTで雙連駅に向かう。20元。問屋街の油化街に行く。お土産は自己負担だが、藤吉さんは、乾燥ホタテ2個、花茶5袋、乾燥椎茸で2250元(約6210円)購入。「霞海城隍廟」はたくさんの神様が祀られている場所。イケメンガイドはボランティアで日本語で説明してくれました。義勇公像が旅の安全を守ってくれる神様。
 またMRTで中正祈念堂駅まで行き、小籠包で有名な鼎泰堂に行く。今回は普通の小籠包(10個190元)と贅沢なカニ味噌入り(10個330元)、野菜と豚肉入り蒸し餃子(10個180元)。以上一人約710円。
 リムジンバスで空港へ。90元(約250円)。ここまでの合計4998円で、累計21148円。

●クアラルンプール
 エアー・アジア2673便。かなりの行列で、2時間後にやっとチェックイン。3時間でサーチャージ1696円を含み14951円、合計36099円。
 人口180万人。通貨はリンギット(=26.73円)。言語はマレー語で、マレー半島南部にあるマレーシアの首都。LCC専用ターミナルに午後8時半に到着。台湾との時差はなし。滞在予定時間は25時間30分。
 エアーアジアのリムジンバスで市内へ。9リンギ(約241円)で、チケットは車内でも買えるが、航空チケットをネットで買うときに一緒に買うこともできる。ホテルのあるKLセントラル駅まではバスでおよそ1時間。
 宿泊は「ホテル・セントラル・クアラルンプール」。料金は1人2254円で朝食付き。11時に外にでて食べることにしたが、あまり開いてない。フロントで、モノレールに乗ってブキッピンタン駅で降りるといいと聞いた。モノレールは2.1リン(約56円)。深夜までやっている屋台街「ジャランアロー」がある。マレー料理、中華なども楽しめる。「スパイシー・チキンライス」7リンギ(約190円)。空心菜炒め、10リンギ(約270円)。焼きそば、6リンギ(約160円)。ライス・ポーリッジ(お粥)10リンギ(約270円)。飲み物を入れて、一人平均約410円。

 翌朝、電車でマスジット・ジェメ Masjid Jamek 駅に向かう。1.3リンギ(約35円)。KLセントラル駅から2つ目の駅でした。駅を出たところに身なりの禁止事項が書いてあるが、行った場所で借りることができる。
 モスクが美しい「マスジット・ジャメ」は、クアラルンプールで最も古いイスラム教の寺院。髪を隠して衣服をまとうと中に入れてくれました。通常は信者でないといれてくれないとか。メッカに向かって5回礼拝しました。

 ゾウに無料で乗れる場所があるが、そこにタクシーで行こうとすると、チャーターなら600リンギ(約1.6万円)といわれる。450(1.2万円)まで値切った。日本語ができる運転手でした。まずは「バトゥー・ケーブ」(ヒンドゥー寺院)。高さ43mの像がお出迎え。そこの足元に急な階段が272段ある。途中でサルがいた。遠くに街並みがきれいに見えていました。ここは自然の洞窟がそのまま聖地になっている。マレーシア随一のヒンドゥー教の聖地で、巨大な洞窟であり、奥の寺院には聖者スプラマニアンが祀られている。お布施は1リンギ(約27円)。第3の目に印をつけてもらった。神聖な儀式に参加。目の前で次々と香が焚かれていく。さらに階段を上がると空が見える場所にでた。灯明を捧げてお祈りをした。

 昼食は運転手さんに連れて行ってもらった竹の中にご飯の入っている料理の屋台。「レマン」6リンギ(約160円)は斧で割って出す。もち米をバナナの葉で包み、竹にココナッツミルクを入れて炊いたもの。他には野菜とバナナの天婦羅4個で、1リンギ(約27円)。豆カレー5リンギ(約130円)。一人約370円でした。

 ゾウの保護施設「クアラ・ガンダ・エレファント・サンクチュアリ」に行く。森林開発が進み、行き場を失って人里に降りてきたゾウを保護し、飼育している施設。ゾウに餌を与えることもできます。さらにゾウに3人で乗りました。ワキさんはゾウに川に落とされました。
 タクシーでメダン・トゥアンク地区に連れて行ってもらい、別れた。時刻は午後5時半。庶民的なお店を散策。スカーフを止めるピンが7個で10リンギ(約270円)。

 マスジット・インディア街で夕食。「ロティチャナイ」1リンギ(約27円)はカレーなどにつけて食べるインドのクレープ。「ナシチャンプル」6リンギ(約160円)。「イカンプジャ」9.5リンギ(約250円)は焼いたアジ。「ミースープ」4リンギ(約110円)は麺が入ったスープ。夕食は1人約380円でした。
 リムジンバスは1人9リンギ(約241円)で空港に向かう。以上8069円で、累計44168円。

●バンガロール(インド) Bangalore
 マレーシア航空でインド南部の都市バンガロールに向かう。サーチャージ8003円を含んで21889円。合計66057円。フライトは4時間。
 人口620万人。通貨はルピー(=2.03円)。言語はヒンディー語。インド第3の人口を誇る都市で、カルナータカ州の州都。到着は午後11時半。クアラルンプールとの時差は2時間半。滞在予定時間は28時間30分。リムジンは不便なので、タクシーを利用。市内までは1時間。料金は570ルピー(約1160円)。
 ホテルは「パイヴァイスロイ・ホテル」。455号室で少し匂うらしいが仕方ない。1人3495円、朝食付き。

 タクシーでシヴァジナガル・マーケットに行こうとするが、黄色のタクシーはなかなか止まらないし、言葉を理解してくれないのですぐに去ってしまう。オートリキシャが止まってくれた。運転が怖いそうです。100ルピー(約200円)でした。
 市場に入ると果物が多い。釈迦頭があるが、こちらではアテモヤと呼ばれている。羊の肉もあるし、魚もエビもありました。
 オートリクシャーに乗り、40ルピー(約80円)で、アーユルヴェーダ医院「ウヴァス Uvas 」に行く。アーユルヴェーダは単なるエステではなく、5000年の歴史があるインドの伝統医学。アーユルヴェーダ専門医プリア先生が担当で、1人1時間3500ルピー(約7100円)だという。問診を受けた後、肩のコリを訴えた藤吉さんはシロダーラ?という油を額に落とすもの。熟睡できないという丘さんは蒸気で発汗を促してから、伝統的なマッサージ。1時間後、丘さんは目つきが変化していました。
 ヤシの実からジュースを飲む。15ルピー(約30円)。

 アディガス・ジャイナガールで昼食。カレーを食べている人が多い。ドーサを注文。これは豆と米の粉で作った生地を焼き、カレー味のジャガイモを包んだクレープのようなもの。「マサラドーサ」セットで27ルピー(約55円)。あとは豆とカレーかな?飲み物を入れて、一人約90円。
 オートリクシャーで移動。30ルピー(約60円)。バンガロールで最も古いお寺の一つ、ビッグ・ブルー・テンプル(ブルー寺院)に到着。裸足の人が結構いる。ここはヒンドゥー教の寺院。週末には演奏会や結婚式が行なわれる人気スポット。入る前に裸足になる。寺院の奥には、ミカゲ石で作られた牛の神様「ナンディー」が祀られている。シヴァ神の乗り物を引く聖なる牛です。
 オートリクシャーで移動。40ルピー(約80円)。クリシュナ教という新興宗教のイスコン寺院は夜になると赤、緑などにライトアップされてきれい。クリシュナはヒンドゥー教の中でも人気の愛の神様。60年代にヒッピーたちが広め、ビートルズのジョージ・ハリスンなども信仰していた。左がクリシュナ、右が恋人、しかも人妻。ここではロウソクを回して祈るのが特徴。

 レストランMTRで夕食。ターリという南インドの定食。ライスと野菜を混ぜたもの。食べ放題です。「カレーセット」140ルピー(約280円)。最後にビニールに入った葉っぱが配布された。これは「スイートバーン」といって、食後の胃の消化を助けるもので、香辛料を包んだもの。チューインガムのように噛むそうです。
 以上、9521円、累計75578円。

●ドバイ
 ドバイにはLCCが飛んでいないため、お隣のシャルジャに向かう。午前2時に「エアー・アラビア」のカウンターにチェックイン。バンガロールからはサーチャージ6919円を含み16083円。合計81661円。4時間30分の旅。午前6時35分に到着。
 バンガロールとの時差はマイナス2時間半。滞在予定時間は28時間。ドバイまではタクシーで1時間。途中ラクダなどが砂漠にいました。料金は160ディラハム(約3770円)。
 ドバイは人口226万人。通貨はディラハム(=約23.54円)。言語はアラビア語。アラビア半島にある中東屈指の金融センターで、石油に頼っていない。
 宿泊は「マジェスティック・ホテル」。料金は1泊1人5507円で朝食付き。内装などはかなりいいです。
 タクシーでゴールド・スーク(金の市場)に向かう。30ディラハム(約710円)。金のお店がズラリと並び、金色に輝いています。
 スパイス・スークに歩いていく。丘さんはナツメグ1個5ディラハム(約120円)を購入。藤吉さんはカレーパウダー6個、ナグメグ10個、サフランを300ディラハム(約7060円)にまけてもらいました。

 ドバイの街中を流れる運河を渡る。1ディラハム(約24円)。渡った先はパキスタヤ地区で歴史的保護地区。ここの「ローカルハウス・カフェ&レストラン」で昼食を食べる。「ラクダ・バーガー」35ディラハム(約830円)は、食用に育てられているラクダで、味はシッカリしているとか。
 砂漠ツアーに参加。一人200ディラハム(約4693円)。4WDの車で砂漠を猛スピードで疾走するというもの。タイヤの空気を少し抜きました。かなり怖いらしくて、プライベート・ジェットコースターと言ってました。ラクダに餌をあげて、3時間のツアーが終了。
 世界一高いビル「バージュ・ハリファ」(高さ828m)は今回は行けなかったが、事前予約料金の入場料は100ディラハム(約2350円)。

 夕方、運河?に行くと既に人が集まっている。「ドバイ・ファウンティン」が始まる。ライトアップされた噴水と音楽で楽しみました。ラスベガスをしのぐ世界最大級の噴水ショーだそうです。
 「アルハンダール」で夕食。「ミックスグリル」はラムとチキンで、50ディラハム(約1180円)。これは美味しいそうです。
 横で水ハイプ(シーシャ)を吸っている人がいた。料金は30ディラハム(約700円)。飲み物を加えて1人1650円でした。

 ここまでで、16144円、累計107805円。

●アレクサンドリア
 シャルジャからエジプトに向かう飛行機が2時間遅延しました。4時間の旅で、サーチャージ4697円を含み、9279円。累計117084円。
 ドバイとの時差マイナス2時間。滞在予定時間は20時間。空港からアレクサンドリア駅までタクシーを利用。55エジプトポンド(以下EP)(約790円)。

●カイロ
 急行列車で3時間。一人35EP(約500円)。
 人口1100万人。通貨はエジプトポンド(=約14.41円)。言語はアラビア語。エジプトの首都で、ナイル河畔の交通の要所。地中海の香りと東洋の魅力がミックスした町。
 カイロからピラミッドまで1時間。到着すると暗くなっていました。しかし、ピラミッド・ナイトショーというのを発見し、行ってみることにした。スフィンクスと周辺がライトアップされ、音楽が流れていました。「ピラミッド光と音のショー」一人75EP(約1080円)。この日はフランス語でしたが、毎週木曜日には日本語で見ることができます。

 カイロ市内の「アルガファリ・コシャリ」で夕食を食べる。この店の名物「コシャリ」は、7EP(約100円)で、米、パスタ、ヒヨコ豆などを盛り合わせ、揚げたタマネギをのせ、トマトソースをかけていただくエジプト庶民の味。夕食はこれと飲み物で一人170円。

 宿泊は「ファラオドッキ・ホテル」。ツインなのに何故かベッドが3つ。1人2779円で朝食付き。
 ホテルからカイロ空港へはタクシーを利用。40EP(約580円)。藤吉さんは明るいうちにピラミッドを見たいと言ったが拒否されました。

 以上、5281円、累計122365円。

●ミラノ
 エージアン・エアーでアテネ経由で飛ぶ。機内食がでたので、1食浮きました。さらにミラノまでもエージアン・エアーだったので、もう1食節約できました。サーチャージ8673円を含めて18141円。累計140506円。
 ミラノは人口130万人。通貨はユーロ(=約112.42円)。言語はイタリア語。イタリア・ファッションの発信地で、ロンバルディア州の州都。マルペンサ空港に午後7時50分に到着。
 カイロとの時差マイナス1時間。滞在予定時間は37時間。市内の中央駅まではシャトル・バスで1時間、7.5ユーロ(約840円)。
 中央駅からホテルまではタクシーで12ユーロ(約1350円)。
 宿泊は、「フローレンス・ホテル・ミラノ」で、1人3712円で朝食付き、2泊します。

 翌朝、地下鉄ロレート Loreto 駅からドゥオーモに向かう。1日乗り放題券が3ユーロ(約340円)。赤い路線のM1に乗る。駅をでると目の前にドゥオーモがある。雨でも多くの観光客で賑わっている。1386年に着工してから500年かけて完成した。これはミラノのシンボルで、イタリア最大のゴシック様式の大聖堂。ドゥオーモの中はテレビの撮影ができないので、藤吉さんがカメラで撮影した。ステンドグラスが美しい。この日は日曜日で礼拝が行われていました。
 広場の北にあるガッレリアに行く。
 散策した後に「カフェ・デルオペラ」に入る。ジェラート(ピスタチオ)1.5ユーロ(約170円)。クロワッサン4ユーロ(約450円)。屋台?の焼き栗を3ユーロで購入。
 「サンタマリア・デッレ・グラッツィエ教会」に行く。2週間前に予約しないと見られませんというようなことが書いてあり、見ることができませんでした。仕方なく、絵ハガキで我慢。
 仕方なく、かつて運河があった場所に行ってみた。ナヴィリオ運河は、冬は水門を閉めてしまうので、水がほとんどなくなっていました。
 運河沿いに見つけたのは、デザイナーズ・ショップ。キットになっていて、素材を買った方が安い。かつミシンが置いてあるので、二人は購入して自分で縫っていました。1時間半後に完成。ハンドメイド・バッグは2個で70ユーロ(約7870円)。

 夕食はトラムのレストラン。一人65ユーロ(約7310円)。前菜は各々「サーモンのマリネと大根サラダ」、「フェタチーズとオリーブのトマトサラダ」、「チーズとベーコンのバルサミコソース添え」。これにシャンパンがつきました。メインは「アンチョビ・トマトソースのカジキマグロ三角パスタ」、「バジルソースのラザニアグラタン」、「バジルソースのラザニア・グラタン肉入り」。

 以上、20558円で、累計は161059円。

●フランクフルト
 ミラノ・ベルガモ空港から朝8時半のフライトなので、朝6時半に到着。ライアン・エアーで飛ぶ。サーチャージなし+538円+委託手荷物代など4497円で合計166094円。1時間半の飛行時間。
 人口67万人、通貨はユーロ、言語はドイツ語。ベルリンに次ぐ第2の都市で、ドイツの鉄道・金融の中心地。到着したのはフランクフルト・ハーン空港で、LCC専用の空港。ミラノとの時差はなし。滞在予定時間は23時間。リムジンバスはフランクフルト中央駅まで12ユーロ(約1350円)で航空運賃よりも高い。時間は2時間かかる。

 宿泊はホテル「エクセルシオール」で、午後1時にチェックイン。1人3630円で朝食付き。小さいながらバスタブがついている。夕食まで休憩。
 夕食はレストラン「アーシェル Atschel」(住所:Wallstrasse 7, 60594 Frankfurt)。お勧めを聞いたらわからないので、ウンウンと言っていたら、すごいのがでてきた。「グリルドハクセン(ナックルという豚の足?)」9.6ユーロ(約1080円)。ビーフソーセージ、フランクフルトソーセージの「フランクフルター・ベストシェン(キャベツの漬物の上にのったソーセージの盛り合わせ)」7.8ユーロ(約880円)。「グリーネソーセサラード(茹でたジャガイモのグリーンソース・サラダ)」7.6ユーロ(約850円)。飲み物をつけて、夕食は1人1610円。

 以上、7610円で、累計は173704円。

●カンクン
 コンドール航空で飛ぶ。サーチャージ10006円を含めて、41481円。累計は215185円。飛行時間は12時間。機内食は無料。
 人口57万人。通貨はペソ(=約7.73円)。言語はスペイン語。メキシコ南東部、カリブ海沿岸の一大リゾート。午後3時過ぎに到着。
 フランクフルトとの時差はマイナス7時間。滞在予定時間は45時間30分。ホテルまでのタクシー料金は1人15ドル(約1270円)。雲っているのに海は本当にきれいな青でした。
 宿泊は「カンクン・マヤフェアー・デザイン・ホテル」。元はショッピング・モールだったが閉店したので、安くホテルに改装したもの。入口のドアの横の壁はスリガラスだし、中は広いがトイレの扉はない。店の名前もそのまま残してある。宿泊費は1人1980円。

 夕食は向かいの高級ホテルにある有名レストラン「ラホーヤ」に行く。日本語のメニューもあるが、高い。サラダだけで1000円以上する。ただバナナとパンは無料で食べ放題なので、1品ずつ注文する。丘さんはシーザーサラダ135ペソ(約1040円)、脇さんは黒豆スープ130ペソ(約1010円)、藤吉さんはアーティーチョーク・サラダ135ペソ(約1040円)。このお店の呼び物は食事をしながらのショータイム。ショーチャージは一人5ドル。本場のマリアッチも目の前で演奏してくれる。ベサメ・ムーチョを歌った人の声に感動して藤吉さんはメロメロ。夕食は一人あたり約2295円。

 翌朝、カンクンから南に100kmのマヤの遺跡に向かう。バス料金はTulum まで86ペソ(約668円)。タコスを朝食にいただいた。20ペソ(約155円)。飲み物が約55円。
 トゥルムまではバスで1時間半。トゥルム遺跡入場料は1人51ペソ(約394円)。森の中に遺跡があるが、スペイン人はこの城壁を見て、この地に上陸したという。横には海があり、青色の見事がグラデーション。
 イグアナもいました。またバスでカンクンに帰る。86ペソ。

 カンクンでマリン・スポーツをしてみる。今回はパラセーリングで1人55ドルで2人。空から素晴らしい景色が見えました。海の色の変化もありました。
 夕陽が沈むのを見ながら食事をしたいというので、「ミスターパパ」に入る。テリヤキチキンがあるが、あきらめて、「ミスターパパ特製ベイクトポテト」89ペソ(約690円)、お酒のダメな脇さんはマンゴジュース、女性はラム・ベースのお酒。

 以上、14364円で、累計229549円。

●ニューヨーク
 ジェットブルーで飛びました。サーチャージ4766円込みで14617円。累計244166円。飛行機で3時間の旅。
 人口830万人。通貨はドル。言語は英語。ビッグ・アップルの愛称で知られ、アメリカ最大の都市。カンクンとの時差はプラス1時間。最大滞在時間は44時間で、JFK空港に到着したのは夕方。  シャトル・バンでホテルに向かう。料金は11.36ドル(約960円)。
宿泊はマンハッタンの外。今回はクイーンズの「クオリティーイン・ウッドサイド」。一人7121円、朝食付き。
 地下鉄で移動。料金は2ドルで、クイーンズの52ストリート駅からマンハッタンの103ストリート駅へ。ブロードウェイのジャズクラブ「スモーク」。ここはミニマム・チャージ40ドルなので、「バッファロー・チキン・ウィングス」$14、「パフパストリーピザ」12ドル、「ワイルド・マッシュルーム・ラビオリ」12ドルと飲み物を注文。音楽を楽しみました。

 翌朝は地下鉄1日券を8.25ドルで購入した。ユニオン・スクエアに行って、そこの朝市の有機野菜を見る。ニューヨークはリンゴの産地でもある。FUJIもありました。アップルサイダーは1.5ドル。
 「ル・パーカー・メリディアン・ホテル」に行く。このホテルの中に有名なハンバーガー屋さん「バーガー・ジョイント」がある。メニューはハンバーガーと「チーズバーガー」7.35ドルだけ。あとフレンチフライと飲み物で一人1130円。

 無料で自由の女神を見に行く。まず地下鉄でバッテリーパークに行く。「スタッテン・アイランド・フェリー」に乗る。これが無料。自由の女神の近くを通過します。確か帰りに25セント必要なはず。
 ブルックリン橋プロムナードに行って、夜景を見る。

 以上21905円。累計は?円。最後のニューヨーク、成田間はデルタ航空の格安航空券62401円を予約していた。サーチャージ14407円を含む。これが13時間の旅。
 今回の合計は328472円となり、若干越えてしまいました。


テレビ番組「世界!弾丸トラベラー AI、幸さんでスリランカ」

 2010年11月20日、27日放送。AIさん(29歳)と妹の幸さん(26歳)がスリランカを楽しみたいという。AIさんはロス生まれ鹿児島育ち。スリランカ航空461便/106便で日本から約11時間40分の旅。

●予定
 1日目、13:20、成田空港発スリランカ航空461便で、10時間30分の空の旅。
 2日目、2:55、マーレ国際空港発スリランカ航空106便、1時間25分の旅。4:50、コロンボ国際空港着。8;−−、コロンボ市内を観光。12;00、昼食。18:00、ホテル宿泊。19:00、夕食
 3日目、8;15、ガイドと待ち合わせ。9:30、絶景を望める場所でモーニングティー。13;00、世界遺産「シーギリヤロック」着。17:30、「シーギリヤロック」発、21;40、コロンボ国際空港着、23;40、コロンボ国際空港発、8時間40分の旅。
 4日目、11;50、成田空港着。

●コロンボ
 4:50、バンダラナイケ国際空港着。タクシーで市内に移動。カレーの店を探す。「エリート・インディアン・レストラン」は地元で人気のスリランカ・カレーの24時間営業のお店。カレーの種類も多い。ベジタブル・カレー1と、チキン・カレー1でスペシャルと言ったが、来たのは、チキン丸焼き3つとチキンカレーとベジタブル・カレー。「モーニング・スペシャル」は、ひよこ豆カレー、インディアン豆カレー、マグロカレー、チキンカレー、パロタ、インディアッパー、フライドチキン、ビドゥ、スパイシー・マグロカレーなど全9品。スリランカ・カレーは多量のスパイスとココナッツミルクをふんだんに使用。スリランカの名産マグロなどを入れたカレーが特徴。「マグロカレー」は100ルピー(約70円)。
 スリーウィラーという三輪車に乗ってサリーのお店に行く。渋滞でも小回りが利く、スリランカを代表する乗り物。「ベアフット」というお店は、染色から機織まで全て手作業で行なわれているスリランカの人気ファブリック・ブランド。AIさんのは青と緑のシルク・ビーチ・ラップ/モスグリーンのトップスで3950ルピー(約2760円)。幸さんは青のシルク・ビーチ・ラップ/青のトップスで9450ルピー(約6600円)。「シルクサリー、トップス、スカーフ」3点で19450ルピー(約13600円)。
 13:15、宝石の店「プレマダーサ・コーポレーション Premadasa & Co. 」に行く。ここはスリランカ政府公認の宝石店。店員さんは日本語が達者でした。日本の3分の1の値段で買えるそうです。スリランカは世界的な宝石の産地として有名で、ほとんどの宝石が破格値で手に入る。「ブルートパーズ・ペンダント」(37カラット)71428ルピー(約5万円)などがあった。購入したのは、「ルビー・リング」(18カラット)79200ルピー(約5.5万円)、「ブルー・サファイア・リング」(14カラット)54180ルピー(約3.8万円)。
 14:45、エステに向かう。「ジェットウィング・アーユルヴェーダ・パビリオンズ」はスリランカの本格的なアーユルベーダを受けられる施設。「シロダーラ」は、オイルやハーブの煎じ薬を額に流しつづける伝統療法で、効果はマイナス気分を解消し、自然治癒力を高めるなどがある。二人とも寝てしまったようです。45分で4200ルピー(約3000円)。
 夕陽を見るために、「ネゴンボ・ビーチ・パーク」に行く。夕陽の名所として知られるビーチで、地元の人々で賑わう憩いの場。久しぶりに2人で夕陽を見て涙していました。

 宿泊は、「ザ・ビーチ」で、スリランカ出身の世界的建築家ジェフリー・バワが手がけた5つ星ホテル。宿泊代は209ドル(約16720円)。
 夕食は、スリランカ獲れたての海産物を一流のシェフが目の前で調理したものをいただくサービスで、「ショークッキング」。「ロブスターのバター和え」、「カニのチリソース炒め」、などをいただいた。
 食事中に10名以上の女性による「キャンディアン・ダンス」が始まった。これは神の信仰を踊りで表現するスリランカの伝統舞踊。男性によるファイアーダンスの後に、2人も踊りに参加、40分も踊ったようです。

 ガイドはウシャンさん(36歳)で少し太っています。すごい絶景の場所で朝食を食べるという。川のある場所に行って、朝食をいただいていた。それほど絶景とは思えない。しばらくするとゾウが来た。「ビンナワラ象の孤児院」は、ジャングルで群れからはぐれたり、親を亡くした小象などを保護している国営施設。86頭いるらしいが、川の中で水浴びを始めた。ミルクやりの様子や、1日2回の水浴びなどを見学することができる。ゾウの中で記念撮影。

 世界遺産「シーギリヤ・ロック」は5世紀の建造物。この上にお城が造られていた。この岩にある階段を登る。30分で中腹のポイントに到着。シーギリヤ・レディが描かれている場所。そしてまた登る。「ライオンの喉」に到着。ここが入口らしい。ここから200mの山頂に向かう。上から見ると360度のパノラマ。周囲の緑が見えます。ここは「カッサバ王の宮殿跡」で、シンハラ王朝のカッサバ王が、1.6ヘクタールの敷地に作らせた宮殿。沐浴場や水路の跡から、当時の建築技術の高さが伺える。緑の大地を見ながら、小さい頃からを思い出して涙していました。


テレビ番組「世界遺産への招待状54 スリランカの古代都市シーギリヤ」

 2010年10月16日放送。

●シーギリヤ
 スリランカの中央部にある密林地帯に「シーギリヤ・ロック」という岩山が姿を見せる。頂上には建物の跡が見える。かつては、この岩山の周辺には街が広がっていた。この「シーギリヤ・ロック」は高さ200m、登るのは容易ではない。
 シーギリヤ博物館館長のクスムシリ・コディトゥワクさんが説明してくれました。西暦477年、シンハラ王朝のカッサバという王がシーギリア・ロックの上に宮殿を建て、18年間ここで暮らした。
 麓には2つの大きな岩。次は曲がりくねった大きな階段。全部で1250段。半分登ったところで、小さな広場がある。宮殿に登る階段の両側に2つの大きな足がある。これはライオンの足。階段は大きく開けたライオンの口の中に入っていっていた。でも何故ライオンか?ライオンはスリランカでは気高さや偉大さを表わしており、シンハラ王朝のシンボルだった。ライオンの顔は遠くからでも見えたという。ライオンの上に宮殿が建っていたので、王の偉大さは倍増した。
 階段を上がると、鉄製の階段がある。これは最近、観光客用に最近作られたもの。本来ははるかに急な岩山の階段を上る。麓から30分かけて1250段の階段を登り終えた。そこにはかつての宮殿の跡が残っていた。上から見ると、端から端まで、頂上の全てを使っていたことがわかっている。自然の段差をうまく利用して宮殿は造られていた。中央には大きな池のある華麗な宮殿だった。大きな池は「王の沐浴場」だった。岩山の頂上にあるが、常に水が満ちていた。得に地下水を使った灌漑技術は優れていたそうです。麓から頂上まで水を汲み上げていたと考えられている。特別な技術があったのだろうが、まだ解明されてない。

 カッサパ1世は、仏教国スリランカでは大きな罪を犯した王として語り継がれている。カッサパは側室の子だった。正室の子である弟モッガッラーナに王位継承権があった。軍の後ろ盾を得て、カッサパはクーデターを起こし、王を監禁し、王の座を強引に奪った。弟がインドにでかけている間に、王を処刑した。
 王になったカッサパは都から離れたこの地に、宮殿を構えた。王が最も気を配ったのは、防備を固めること。岩山の途中に警備の兵士の見張り台があったという。インドにいる弟が攻めてくるのを恐れていたようです。巨大な岩が落ちるように楔の上にのせていた。麓には濠があり、ワニを住まわせていた。
 カッサパ王以前にも歴史があった。元々ここは仏教の聖地だった。多くの僧侶の修行の跡地がある。
 カッサパ王は恐怖心と罪の意識から、岩山の麓に壮大な庭園を作った。「水の庭園」で、幾何学模様に池や建物が配置されていた。これは王のレジャー・ガーデンともいえた。王が楽しめるように、庭園にはいろいろな設備が作られていた。庭園には高度な灌漑技術が使われていた。土地の高低差を利用して、雨水などをうまく利用していた。噴水もあったが、その水は水路を流れ、池へ注いだ。
 人工の池もある。王には500人の側室がいたという。ここは王が彼女たちと水遊びをしたり、戯れた場所。
 岩山の中腹に王が作ったもう一つのものがある。今はそこに螺旋階段で行ける。断崖にある自然の窪み、その岩肌に壁画が描かれている。彼女たちは「シーギリヤ・レディ」と呼ばれ、スリランカ美術の最高峰とも言われている。どの女性も妖艶で神秘的な微笑みを浮かべている。雲の上にいるように描かれているので、「アプサラ」と呼ばれる天女だと考えられている。かつてこの岩壁は500体の天女で埋め尽くされていた。麓からもよく見えたという。宮殿はこれよりも高い場所にあるので、高貴だと思わせるに充分だった。
 岩の壁は「ミラー・ウォール」と呼ばれる。かつてはハチミツと卵白がたっぷりと塗りこまれ、まるで鏡のようになっていた。壁の反対には、無数の天女が描かれていた。そこを王が通過することで、王は自分が天にいるような気持ちになれるという。

 王は毎日、麓から頂上の宮殿に通ったという。父親を殺して王になったことは許されないこと。カッサパは自分が地獄に落ちることを怖れていた。自分が高い場所に住んで、自分が天国の神であることを信じこもうとした。頂上の宮殿は、自分が王たることの強調だったのかもしれない。しかし、父親殺しの罪から逃れることはできなかった。
 インドから弟が大軍を引き連れて戻ってきた。戦いは弟の一方的な勝利となり、カッサパは自害した。カッサパ王の時代はわずか18年。岩山は再び、仏教の聖地に戻った。宮殿は朽ち果て、庭園は密林に埋もれていった。

 19世紀、天女の絵が発見され、20世紀に水の庭園が発見された。1500年ぶりに見出されたシーギリヤ。


テレビ番組「THE 世界遺産 インドの一角獣がすむ大湿原・カジランガ国立公園」

 2010年8月29日放送。西洋のユニコーンの一角獣のモデルはインドサイだという。金より高価なインドサイの角を求めて乱獲があり、絶滅の危機に瀕した。

●カジランガ国立公園
 インド北東部アッサム州にある、カジランガ国立公園。ブラマプトラ川沿いに広がる国立公園。ここは、東西40km、南北13kmに広がる“野生動物の楽園”である。ここには、絶滅の危機に瀕したハヌマンラングール、オオサイチョウ、ベンガルトラなどの15種もの野生動物が暮らしている。中でも世界中が注目するのがインドサイ。絶滅が時間の問題と思われていたが、2000頭を越すまでに増えた。その理由は、雨季の雨による水。
 特に、インドサイの数少ない生息地として認められ、世界遺産に登録される事となった。その数、約1900頭で、世界の4分の3以上を占める。現在、絶滅が危惧されているインドサイは、かつてはアジアの広範囲に生息していた。何故ここだけに生きているかというと、カジランガの独特な環境にあると考えられている。毎年、雨季には公園内の4分の3が浸水し、それによって、サイの絶好の環境がつくられているという。

 雨季の初め、カジランカの玄関口の町「グワハティ」で川の水が氾濫した道を車で通り、東に200km、国立公園へ入った。6月の普通の光景らしい。国立公園内では4WD車もあまり役に立たない。何度も立ち往生した。アッサム州は世界有数の雨の多い地域。雨季になるとカジランガの大草原は一面の湿地帯となる。人間による開発を水びたしの大地が拒み続けてきた。途中エレファント・サファリ(ゾウに乗って野生動物を見るツアー)に交通手段を変え、移動途中にインドサイ、アジアスイギュウ、ノロジカ、インドイノシシを見つけた。エレファント・サファリは年間2万人を集める観光の目玉になっている。この収入が公園の維持をしている。湿原は背の高いエレファント・グラス(ゾウやサイが食べる草)に覆われている。インドサイは滅多に人前に姿を見せないそうです。母親は警戒心が強いそうです。サイの子供は2,3歳にならないと乳離れしないそうです。

 国立公園の3割は熱帯のジャングルで、危機にあるベンガルトラも住む。インドサイは地球に残った最後の一角獣。10年ガイドをするクシャル・ボルアさんは、インドサイの生態を知り尽くし、話もできるという。インドサイは10種類以上の声を使い分けるという。視力が弱いため、音と匂いをたよりに行動する。大きなもので体長4m、体重3トンにもなる。特徴は厚い皮膚で、2cmもある。天敵のトラの牙や爪から鎧のように身を守る。16世紀にドイツ人のアルフレッド・デューラーの描いたインドサイの木版画では、本当の鎧のようです。弱点は折りたたまれた部分で、柔らかく、寄生虫がつく。水に浸かるのは虫除けのため。体を泥だらけにしている。

 角の意味ですが、哺乳類の場合、外敵から身を守るためと、オス同士が戦うためのもの。角のほとんどは骨でできている。ウシ科の角は頭からでた骨の上に繊維質の皮をかぶっている。一度折れたら、二度と生えかわらない。シカ科の角は枝分れしてメスをひきつける。角は骨だが、毎年秋になると根元から抜け落ち、春には新しく生えかわる。サイの角は骨ではなく、人間の髪の毛や爪に近いケラチンでできていて、折れやすく、折れても生えかわる。

 アフリカのサイはクロサイとシロサイの2種で、角は2本。クロサイは背の高い草や木を食べるので、ちぎるのに便利な先の尖った上唇。シロサイは地面の草を食べるので、芝刈り機のような口。この口をワイド(幅が広い)と言ったのを、ホワイト(白い)と誤って伝えられ、シロサイの名前がついた。
 インドサイは上唇が尖り、下唇が広がっている。つまりいいとこ取りです。

 インドサイがカジランカ国立公園で生き残れた理由は、雨季に公園の4分の3が浸水するため、人間の進入を阻んでいるため。ガイドのクシャル・ボルアさんは、水の高さを記録している。1988年が一番高くて、3m以上浸水したという。また氾濫した川は栄養分の多い土を運ぶ。水がひくとサイが好む新しい草で覆われる。サイは1日90kgもの草を食べる。
 サイは自分の縄張りを示すために、同じ道を毎日通る。オスのサイは1頭がだいたい2km四方の縄張りを持つ。境界はフンなどでにおい付けをする。勝手に立ち入ると、時速50kmもの猛スピードで追い払う。

●ロイヤルチトワン国立公園
 インドサイが暮らすのは地球上でたった2個所。ネパールの世界遺産であるロイヤルチトワン国立公園もその一つ。一面の湿地帯に600頭が確認されている。

●カジランカ国立公園
 かつてアジア全体で見られたインドサイが絶滅の危機に瀕している。理由は、人間の開発と密猟者によるサイの角の捕獲。密漁者から取り返した角は、公園の管理室に保管されている。サイの角は漢方薬として珍重され、金より高い値段でヤミ取引される。
 密漁者はほとんどが地元の貧しい人々だという。貧しさがこうした悲劇の元になっている。カジランカ国立公園でも角の為に命を奪われるインドサイを救うために、必死の対策がこうじられてきた。1974年に国立公園になり、見張り小屋を130箇所に設置して対策をとった。武装したレンジャーが24時間体制で監視を続けている。パーク・レンジャーのゴネ・スクラバさんは、密猟者も銃を持っているので、この仕事は命がけだと話した。多い年には50頭を越えた被害が、2009年には6頭に減った。観光客の増加もここでは役立っている。エレファント・サファリなどのお金が保護活動の資金にもなっている。ツアーのラジュー・ブーティアさんは、ツアーの楽しさを多くの人に教えたいという。息子の7歳のアジート君はゾウの使い方を勉強し始めた。


テレビ番組「世界遺産への招待状48 スリランカのアヌラーダプラ」

 2010年7月31日放送。

●アヌラーダプラ
 スリランカ北部の内陸の町で、シンハラ王朝が築いた最古の都。紀元前3世紀、この地に初めてインドから仏教が伝来した聖地。町全体に広がる仏教施設が世界遺産。中でも目立つのが白い巨大な仏塔「ルワンウェリサーヤ大塔」。紀元前2世紀に建立され、当時はエジプトのピラミッドと並ぶ、世界最大級の建造物だった。現在は再建されて、高さ50mほど。かつてはブッダの偉大さを示すために、100mを越えていた。
 スリランカのお寺では土足厳禁。でも照りつける日差しで熱いはず。神聖な場所だから熱くないとか、本気で拝むつもりで来ているので、熱さは感じないと参拝者は答えていました。参道の一番奥に、仏教が伝えられた時から、大切に守られている1本の木がある。「スリーマハー菩提樹」(最も聖なる菩提樹)と呼ばれている。スリランカの人々にとって、この木は仏に等しい存在。

 ブッダはブッダガヤの菩提樹の根元で悟りを開いたといわれている。スリランカに仏教が伝わってから、スリランカの王は仏の教えを広めるため、アヌラーダプラにその菩提樹が株分して、インドからこの地にもってきた。それがこの地に根つき、2300年もの間生き続けている。本家の菩提樹は中世にイスラム教徒によって切り倒されたために、逆にこの木から株分けされた。枯れることのない木には、ブッダが宿っていると信じられている。壁に囲まれて菩提樹の幹は見えない。中は聖域。入ることができるのは、ごく一部の人だけ。位の高い僧侶、白い服の男達「カプワ(儀式を司る人)」である。常に菩提樹の傍にいて、周囲を見張っている。白い服と束ねた髪は特別な存在であることを示している。
 参拝者から願い事を聞いて、お祈りを唱えた。このお祈りはスリランカの言葉ではない。菩提樹に願いを伝える言葉「菩提樹語」だという。実際はカプワたちが受け継いできた古いインドの言葉。ガーミニ・ブリヤンタさんが説明してくれました。
 スリランカの歴史書「マハーワンシャ」に、カプワのことが記されている。「インドの王は菩提樹のために、18種類の仕事をするカーストの人たちを送った。その一つカプワは、菩提樹に祈り、花を供えることを仕事とする」。彼らはインドからやって来て、都が移ってもここで菩提樹を守ってきた。
 大きなコウモリが住む夕暮れ時。この時間も参拝者は絶えない。菩提樹の天敵はサルとコウモリなので、追い払うためにパチンコを使って威嚇する。30分もするとまた来るので、また威嚇する。仏教徒なので、殺生しないので、実際には当てない。それでも効果がない時は、火を使うようです。夜9時に閉門し、一睡もせずに見張りの番をする。
 翌朝、交代をした。パンディヤゲ・ペーヤチャンドラさん(48歳)は、まだ1年の経験しかない。20人ほどいるカプワがローテーションを組み、3日毎に交代する。その間は決して菩提樹の傍を離れてはいけない。30歳でカプワ助手となり、18年後にカプワになれた。菩提樹の言葉は助手の頃にマスターしたという。

 菩提樹がある寺から車で20分、カプワの村を訪ねた。ここではカプワたちがカースト制度を守って暮らしている。2300年前、スリランカの王はカプワに水田や畑を与えた。今でも生活は自給自足。残りの農作物を売って、現金収入を得ている。ペーヤチャンドラさんは、信仰心が厚く、人々に慕われるカプワになることが目標。
 カプワのリーダーのティキラーゲ・カルナダサさん(67歳)は30年以上カプワを続ける長老。村人の中からカプワに相応しい人を選び、任命する権限をもっている。長老を中心とした結束は昔も今も変わらない。

 10世紀に都が他の場所に移るまでは、寺院や仏塔が建ち並び、アジア各地から数万人の僧侶が集まった。数々の遺跡は、この地を経てタイやミャンマーに広まっていったことを物語っている。沐浴場「象の池」の跡がある。一度に5000人が入ることができた。ここで沐浴をした僧侶たちは、お経を読み、瞑想をした。
 5月、年に1度の行事が近づいてきた。菩提樹に感謝し、祈りを捧げる「ヘラヘラ祭り」。カプワと助手たちが森に向かい、木の枝を集めて寺に運ぶ。一番大事なのは、椰子の木。椰子の木はスリランカでは清らかさを表わす。この木でパンドールと呼ばれる祭りの飾りを作る。椰子の木にココナツやバナナの葉を飾りつけて、パンドールが完成。
 夜7時、祭りが始まった。太鼓を打つ人が菩提樹に向かう行進を先導する。彼らもカプワ同様、インドから来た人たち。2300年もの間、太鼓を受け持ってきた。カプワたちはお供え物を担いで、お寺の周りを一周する。昔から決められた参拝の作法。パンドールをくぐり、聖なる菩提樹のもとに行く。

 祭りが終わると、田植えの季節がやってくる。


テレビ番組「THE 世界遺産 インドの山岳鉄道群」

 2010年6月20日放送。100年前から走り続ける3つの鉄道。

●ニルギリ山岳鉄道
 1908年に開通。標高300mの麓の「メットパラヤム駅」。機関車に客車を連結して走るが、先頭ではなく、一番後ろに連結している。最初のうちは、鉄道の両側には椰子かバナナの木?機関士のサミュアル・イドリスさん(59歳)は5人いる機関士の中で一番のベテラン。終点までの46kmを5時間かけて登る。標高差は2000m。1km進むごとに83mも高度を上げる坂道が一番の難所。蒸気機関車の限界を超えている。難所では、レールが3本になっている。急勾配での車輪の空転を防いでいる。アプト式と呼ばれる。

 ニルギリ山脈の上に広がる紅茶畑。ニルギリはダージリン、アッサムと並ぶ紅茶の産地。19世紀半ば、それまで中国から輸入していたが、イギリスが開発方法を発見してから栽培が広がった。紅茶のための鉄道だった。
 列車は2200mの終点へ。インドを1947年まで支配していたイギリス。彼らが鉄道を敷いたもう一つの理由は、避暑地にイギリス人を連れていくためだった。高級ホテル、競馬場などもある。鉄道が山の景色を変えた。
 蒸気機関車も今では骨董品。部品は自分たちで作って交換している。
 イドリスさんの自宅を訪ねた。アフタヌーン・ティーを楽しんでいた。

●ダージリン・ヒマラヤ鉄道
 インドで一番古い山岳鉄道。紅茶の里まで2000mを登る。小さな列車で「トイ・トレイン」と呼ばれた。汽笛を鳴らしながら、街中を走る。平均時速は10km。通学時間には、子供たちが走って飛び乗る。レール幅は61cm。わずか2年で全線が開通した。
 登りに強いが、ループ線を利用している。螺旋状に回りながら、山を登っていく。もう一つはスイッチ・バック。

●カルカ・シムラ鉄道
 首都デリーから北へ200km。カルカ駅が始発。夜行列車でやってきた人で混雑していた。イギリスの植民地時代、夏の首都だったシムラまで96kmの区間を走る。この鉄道では30年前まで蒸気機関車が走っていたが、今はディーゼル機関車。車内はとても快適だった。軽食も楽しめる。終点との標高差は1500m。それなのに線路の勾配は意外に緩やか。急な勾配を無理して登るよりも、トンネルを掘り、傾斜を緩くした。結果として、トンネルは102個、谷には全て橋をかけた。どれもが頑丈な石造りのアーチで、988個もあった。中でも最大の橋は、高さ28m、古代ローマの水道橋を思い起こさせる。鉄が流行していたが、トンネルを掘ってでてきた石を、橋の材料に使った。1903年全線が開通した。
 列車の正面衝突を避けるために、列車の通行証を使っている。機械に玉を入れると次の駅に列車の到着が知らされる。
 シムラは標高2076m?の避暑地。
 荷物を運ぶポーターたちの姿も100年間、変わらない。カウル・アチェラムさん(83歳)は現役最高齢のポーター。ホームから駅前ターミナルまでの300mが彼の仕事の舞台。


テレビ番組「THE 世界遺産 インドのコナーラクの太陽神寺院」

 2010年1月24日放送。

●コナー・ラク
 早朝、インド洋の荒海に男たちは漁に出る。子供たちに名前を聞いてみると、みんなスーリャ。これは太陽の神。
 東インドのコナー・ラクの町にある「スーリャ寺院(太陽神寺院)」は、古代から信仰された太陽神に捧げられた。壁には隙間なく彫刻がある。ユニークなのは寺院の形。3mほどの大きな車輪。今にも走りだしそうな馬がひく不思議な建物。太陽神に捧げた太古の踊り。
 コナー・ラクはかつては知られた海上貿易の町だった。ひなびた漁村では、早朝に出た漁船は昼過ぎには戻ってくる。魚の売り買いは真剣勝負。
 海から少し入った集落では、名産の石像が作られている。下絵もなしに職人たちがノミ1本で彫り上げるのは、ヒンドゥー教の神々。国民の8割が信仰し、数千とも言われる神々がいる。
 海から1kmにスールア寺院がある。かつてはこの辺りまで海岸線が迫っていた。13世紀にこの寺院は建てられた。ピラミッド状の屋根を持つ、高さ38mの拝堂は、切った石を積み上げたもの。壁や柱は隙間ない彫刻で飾られている。外観を飾ることにあくなき情熱を傾けたヒンドゥー建築の極み。
 ヒンドゥー教では次のように信じられている。7頭の馬にひかれた太陽神スーリャが、毎日東から西へと天空を駆け巡る。拝堂の西側には体長4mほどのスーリャの像が祀られている。この像は特別に黒く硬い石で造られた。昔から農業と漁業の盛んなこの地方の人々にとって、太陽は最も大切な存在。スーリャに豊作豊漁を祈った。巨大な寺院は今にも天駆けるようなイメージを秘めている。
 拝堂の後ろには、かつては本堂が建っていた。現在の20階建のビルにも相当する高いビルだった。車輪は建物の両側に12個ずつ。12は1年の月を表わしている。7頭の馬は1週間を表わす。車輪は日時計も兼ねていた。また8本の軸に女性の彫刻が彫られているが、女性のたしなみを表わしている。朝、髪を整え、楽器を楽しみ、鏡を見て、夜は花を神に捧げる。
 車輪をよく見ると、石を石をつないでいる鉄の存在があった。この地方は鉄鉱石の豊かな産地で、この寺院は塔を支えるために、鉄骨を使っていたことがわかった。また入口付近の彫刻はかつての繁栄を物語る。拝堂も全部で22本の鉄骨が使われていた。
 13世紀初めにスーリャ寺院を建てたのは、ガンガ朝の若き王ナラシンハデーヴァ1世だった。建設には20年近くを要した。
 彫刻の中に不思議なものを見つけた。首の長いキリンだった。これは遠くアフリカまでも鉄で交易していたことを意味する。しかし19世紀の写真には、その高い塔はない。
 コナーラクと同じオリッサ州の町に10世紀に建てられた「ムクテーシュワラ寺院」が残されている。太陽神寺院もこの寺院と同じ様式で建てられた。後ろにある塔は高さ10mで、その後から塔の高さを競うようになった。
 ヒンドゥーの祭りの日。ゾウの頭を持つガネーシャは人気の神様。踊りも奉納された。その舞台は拝堂に向かいあって建つ建物「舞楽殿」。柱には踊り子たちの姿が彫られている。18世紀にインドがイギリスの植民地となって、その踊りは忘れさられた。インド独立後、ここに描かれた彫刻が忘れさられた踊りを復活させた。その踊りは「動く彫刻」と呼ばれる「オリッシー・ダンス」。基本ポーズは「トゥリバンガ」で3つに曲げるという意味。体の三箇所、クビ、腰、膝を曲げる。重要なのが顔の表情、特に目の使い方。

 コナーラクの海。船の目印に立てた旗には船と丸い太陽が描かれている。金曜日の早朝、男達が漁に出た後、女たちは浜辺に出る。スーリャに祈る日。砂の上に船と太陽の絵を描いて、椰子の実のジュースで清める。


テレビ番組「にじいろジーン 地球まるごと見聞録 ムンバイ」

 2010年1月16日放送。

●ムンバイ
 シンガポール航空で行きました。16世紀の大航海時代からインドの巨大な貿易都市として発展した。人口は1500万人を越える。町中には、世界遺産チャドラパティ・シヴァージー・ターミナス駅などのイギリス統治時代の美しい建造物が随所に残されている。アジア独特の雰囲気ももつ。インド門がランドマーク。
 にじいろガイドはバルビナ・チェティアさん(26歳)。
 市場に行く。スパイスがとても多い。レストラン「Chetana 」でカレーをいただいた。「ターリー」は、インドで定番のカレーのセットメニュー。数種類のカレーをご飯や「チャパティ」と一緒に食べる。チャパティは小麦粉を薄く焼き上げたパンのこと。日本ではふっくらと焼いたナンが有名だが、地元ではチャパティの方が一般的。今回ついていたのは、ヨーグルトカレー、ほうれん草とチーズのカレーなどで、一人前約570円。チャパティやご飯はおかわりし放題。
 もう一つスパイスを使った料理がある。「パニプリ」は、もともとは屋台グルメの定番メニューのおやつで、インド人なら誰でも大好物の一品。1皿6個で約100円。お皿にのっているのは、油で揚げた衣のようなものと、豆やポテトなどの具材。これに甘口と辛口スパイススープがつく。食べ方は、衣に穴をあけて豆やポテトやスープを入れて食べる。

 ムンバイで人気の店「The Bombay Store 」は民芸品のお店。インド全土から人や文化が集まる街なので、品物もそれに応じてある。大理石の中に天然石を埋め込んだインド北部の伝統工芸品は、お土産としてとても人気がある。
 地元の雰囲気を味わいたい人には市場がお勧め。屋台形式の市場が紹介されていました。ここで買う方がショッピング・モールなどで買うよりもはるかに安いそうです。常夏の町なので、サンダルは特に人気とか。
 インドの伝統的なデザインを施した紙製品を売っているお店「chimanlals 」に行く。30年以上続くこのお店の商品は全て手作り。テキスタイルと呼ばれるインド伝統の模様を使っている。ゾウが描かれている封筒は25年以上続く売れ筋のデザイン。紙を組み立てるとギフトボックスになるというものもある。
http://www.chimanlals.com/

 夕方から浜辺に人が繰り出してくる。昼間は暑いためらしい。

 女性に人気なのはインド式マッサージ「アーユルヴェーダ」。5000年以上前から続く、心・体・行動・環境の調和を目指す、インド発祥の体系的医学。4000年以上続くヨガとともに、インドの2大健康法として知られている。マッサージを終えた後、頭を紐で縛り、壷のようなものを頭の上に吊るし、もって来た液体を壷の中に注ぐと額に落ちてくる。これは「シロダーラ」と言って、アーユルヴェーダの一つ。額にオイルを垂らし続けることで、一種の瞑想状態を作りだし、精神をリラックスさせる効果がある。使われるオイルはココナッツオイルとセサミオイルの2種類で、受ける人の体の状態で決まる。それを体温よりもわずかに高い温度にして40分間垂らす。ほとんどの人が眠ってしまう。効果は最低でも3日は続く。シロダーラは約1.2万円。

 「Imperial Cinema 」で映画を観る。年間1000本も製作され、ムンバイでも多く作られる。そのため、ハリウッドにちなんで「ボリウッド」と呼ばれている。インド映画では必ず登場する「ボリウッド・ダンス」は、インド伝統の踊りとマイケル・ジャクソンに代表される近代的なダンスをミックスしたもの。38年前から開業している教室が紹介されました。「スラムドッグ$ミリオネア」という映画も紹介されました。

●エレファンタ島
 港から船で1時間。未だ手付かずの大自然や、多くの原生林が残る、霧に包まれた島。世界遺産「エレファンタ石窟寺院群」は、およそ1500年前に作られたとされる。一つの岩山をくり貫いて作られている。寺院なので、ヒンドゥー教の神々があちこちに彫られている。3面のシヴァ神像など。ここのガイドは島の住人にお願いすれば、その説明や神話を教えてもらえるし、正規のガイドよりもお安いのでお得とのこと。


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