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なお、これはわたしが個人的にテレビを見て書いたものであり、各テレビ局や番組とは全く関係はありません。
すべての文章の無断使用・転載を禁止いたします。
またここの情報を使って、何か問題が起こったとしても私は一切責任は持ちませんのであしからず。


テレビ番組「知っとこ!世界の朝ごはん ブータン」

 2010年5月29日放送。

●ブータン Bhutan
 人口68万人。九州と同じ大きさ。「幸せの国」と呼ばれている。
 首都のティンプーは人口10万人、標高は約2300m。車も多い。交差点の真ん中でお巡りさんが交通整理している。信号は1つもない世界で唯一の国。民族衣装は日本の着物に似ているが、裾は少し短い。男性の衣装は「ゴ」と呼ばれる。懐の部分には財布、携帯電話、水、お弁当まで入れている人もいた。教科書を入れている学生もいた。女性の衣装は「キラ」といってカラフルなものが多いが、懐には物は入れない。

 眺めのよい学校「ガウペル・ロー小学校 Gaupel Lower Secondary School 」に行く。授業は英語で、教科書も英語。

 パロ Paro に行く。窓枠や柱の装飾も美しい。建物の建築方法や高さにも規則がある。その基準となっているのが、「パロ・ソン Paro Dzong 」というお寺。ブータンはチベット仏教の国。お坊さんもたくさんいるし、彼らは街中にあるマニ車を回している。1回回すと1回お経を読んだことになる。

 この国最大の市場「サブジ市場 Sabje Bazar 」は2年前に建て替えられた。野菜も多いが、唐辛子だらけ。ブータンではほとんどの料理に唐辛子をたっぷり使う。殺生は禁止なので、肉類はあまり食べない。あとは豆が貴重なタンパク源。その中には石けん豆「ナカパニ」という、ぬらしてこすると泡が立つ豆も売られていた。水につけて表面に傷をつけてから豆をこすると白く泡立つ。石けん成分が含まれた豆で、現在も仏教行事などで使われる。

 チェンチョさん(35歳)が紹介してくれたのは、観光客に人気の伝統の品を売る布屋「ドルジ・ハデン服店 Dorji Lhaden Tshongkhang 」の「ゴ」。意外と裾は長いが、自分で織り込んで短くしている。これに革靴とハイソックスを合わせたものが正装。1着1300ニュルダムから(約2500円から)。

 ブータンらしいイベントをしていた。ブータン式アーチェリー「ダツェ」の大会で、これは国技だという。距離は140mで、的の直径は30cm。的に当たる度にみんなで踊る。優勝すると薄型テレビで2位は洗濯機。

 新婚さんの朝ごはん。一軒家の農家に住むビダさん(20歳)が作るのは、1品目「ノシャ・マル(干肉と春雨煮込み)」。輸入品の干した牛肉を切り、油、塩、水を加え、圧力鍋で煮る。柔らかくなったら、たまねぎ、トマトを刻み、唐辛子をたっぷり。水で戻した春雨を加えて煮込む。
 2品目「エゼェ」。コンロで唐辛子をあぶる。表面がパリッとしたら、トマト、タマネギと細かくして容器に入れる。カッテージチーズを細かく刻み、山椒を細かくして多めに加える。全体を混ぜ合わせる。
 3品目「エマ・ダツィ」。青トウガラシを大きく切り分け、トマト、たまねぎと共に鍋の中に入れ、カッテージチーズ、プロセスチーズ、水を加えてから煮込む。
 主食は赤米。


テレビ番組「知っとこ!世界の朝ごはん カトマンズ」

 2010年1月16日放送。

●カトマンズ
 ホンコン経由で日本から9時間。標高1300mの高地にある人口200万人の首都。ヒンドゥー教とチベット仏教を信仰している。大きな建物が多い。「スワヤンブナート」は世界遺産にも指定されているヒマラヤ最古の寺院。しかし、取材班が訪れたときには修復工事中でした。建物を飾る金の装飾の中に歴史と文化を感じる。
 ガラガラ回るのは「マニコロ」で、回転させた数だけお経を唱えたのと同じ価値がある。寺院にはサルがいるので、モンキー・テンプルとも呼ばれる。お供物を拝借に来てから住み着いた。今ではこのサルを見るために観光客がやって来る。

 中心街は大渋滞している。その中に三輪車が走る。何故か運転は若い女性。これは小型の乗合バスで、「サファー・テンプー」と呼ばれる。排気ガスが問題となり、ネパール人が発明した電気自動車。運転しやすいため、女性に人気の職業になっているという。

 アサンチョーク市場。野菜、スパイスなどを売っている。お豆屋さんには、見慣れた豆腐がある。ネパールは大豆が豊富に採れるので、日本人が豆腐技術を教えたそうだ。ネパールでも人気の食材とか。
 フルーツの横では葉を売っていた。これは沙羅双樹の葉で、これはインド北部原産。仏教では聖木とされている。葉を編んで器にする。これは冠婚葬祭に使われる。お祭りに使われるというので、行ってみた。「イー」という女の子のお祭りで、5−10歳の女の個が将来丈夫な男性と結婚するように願うもの。

 インドラチョークでは刺繍糸を多く売っている。おじさん達はビーズのアクセサリーをこれで作っている。ビーズのネックレスは結婚前に男性が女性にプレゼントするので、これをしている人は既婚者を意味する。

 キシャン・テベさん(25歳)のお勧めは女性に人気のスイーツの店「デイリー・ネパール」。ここは素焼きの器に入ったネパール伝統のヨーグルトが人気。以前は天秤棒を担いだ人が路上で売っていたので、女の子は買いにくかった。この店で売られるようになって、若い女性に大人気となった。

 新婚さんの朝ごはん。ネパールではキッチンは建物の最上階に設置する。ナムラタ・プラダーンさん(26歳)が作るのは、1品目「ウォー」。マースという黒豆を8時間かけて水でもどし、皮をむく。ミキサーに入れ、水を入れペースト状にする。塩を入れ、すりおろしたショウガを入れ、油を敷いたフライパンで両面炒めて完成。
 2品目「イヨモリ」。米粉にぬるま湯を加え、練って生地を作る。寝かせている間に餡を作る。イリゴマをフードプロセッサーですりおろし、「ツァクウ」という黒砂糖を湯に溶いて、スリゴマを入れ、混ぜて完成。生地をコルネのようにトンガリ帽子のようにして、餡を詰め、口を閉じて、角を2本立てる。
 3品目「豆のスープ」。10種類以上の豆を粉状にしてあるものを使う。煙が立つほどに熱した油に「フェヌグリーク」という香辛料を入れ、香りを出し、豆を入れて炒める。水を加え、塩で味を整えて一煮立ちする。フルーツをトッピングする。


テレビ番組「絶景エベレスト街道をゆく 標高5000m、天空のトレッキング」

 2007年12月29日放送。エベレスト(8848m)を間近から望む絶景がある。標高5000mのカラパタール?の丘。エベレストを訪れる1本の道がある。エベレスト街道と呼ばれる。目の前にヒマラヤの名峰が次々現れる。60kmの山道を15日間かけてゆっくり歩く。NHK製作。

●ルクラ
 首都カトマンズから飛行機で40分、標高2800mの町。トレッキング客はここで旅の準備をする。ガイドのペンバ・ドルジェさん(45歳)が出迎えてくれた。エベレストは19回挑戦して4回登頂したそうです。シェルパ、コックなど総勢13人がサポートしてくれる。食料、燃料、酸素ボンベなど合計800kgを越えた。11月初旬に訪問した。まだこのあたりは緑が多い。
 ナムチェバザール、タンボチェ、パンボチェ、ディンボチェを経て標高5545mのカラパタールに向かう。

●サガルマータ国立公園 Sagarmatha
 ルクラから8kmで国立公園の入口に到着した。世界自然遺産。ペンバさんが入山許可証を提示した。エベレストを見るために来る人は年間2万人。
 ドードコシ川に沿って歩く。進むにつれて谷が深くなる。狭い吊り橋がかかっていた。川底まで30m、幅は1m。対岸には多くの人が待っていた。トレッキングのシーズンは雨季があける10月から。また断崖に吊り橋がかかっていた。ここを登るとナムチェバザール。岩だらけの道が続く。狭い山道では登る人が優先。坂道で荷物を運ぶ人が休んでいるが、荷物の下につっかい棒をしている。

●ナムチェバザール
 標高3440m。ここでルクラから20kmの距離。エベレスト街道で一番大きな村。村の入口にはカンニと呼ばれる立派な仏門塔の門があった。シェルパの人々は敬虔なチベット仏教の信者。壁と天井に描かれた仏や曼荼羅が悪霊が入らないようにしている。マニ車がある。これを1回まわすと経文を一回唱えたことになる。
 標高6608mのタムセルクが見える。通りには欧米のトラッキング客が目立つ。露店が軒を連ねている。登山で必要なものが揃っている。パン屋がある。アップルパイからクロワッサンまで品揃えが豊富。
 村の広場は毎週土曜日に市場が開かれる。食料、食器や鍋、家畜、岩塩などを売っている。昔は岩塩と米を交換する市場だったらしい。
 博物館にシェルパたちの資料が展示されている。1953年エベレストに初登頂したイギリス隊の写真がある。エドモンド・ヒラリーと共に写っているシェルパのテンジン・ノルゲイの名前は世界に知れ渡った。それ以来民族名のシェルパが登山隊をサポートする人の総称になった。これまでエベレストの頂上に立ったシェルパたちの写真がある。ペンパさんは最初はコックとかしていたが、家族を養えないので、高給のシェルパになったという。
 ヤクに荷物を積んで出発。1頭のヤクは80kgの荷物を運ぶ。今回は8頭を使う。
 ここをでるとすぐに傾斜のきついのぼりになった。のぼりきるとヒマラヤの山々が見えた。2日かけてクムジュン、タンボチェを通過してパンボチェまで行く予定。

●クムジュン村
 2時間で到着。標高3780m。中学生に出会った。村の暮らしを見つめるのはクンビーラ(標高5761m)。村人は水の神が住む山として信仰している。雪解け水が畑をうるおし、飲み水となっている。

 前方に美しい姿の山アマ・ダブラムAma Dablam (標高6856m)が見えてきた。母の首飾りという意味。山の下を氷河が溶けた川が流れていて、白く濁っている。途中、昔はつり橋があったが、8月に氷河が崩れてつり橋が壊れたそうです。昔は雪が降っていたが、最近は雨が混じるので、氷河が溶けるそうです。仮設の橋が10日前にかけられていた。谷の向こうに長い登りが待っていた。

●タンボチェ寺院
 約600mのぼったところにある。3時間かかって到着。チョルテンと呼ばれる仏塔がある。通るときは左側を通ることになっている。時計回りはチベット仏教では聖なる方向とされている。
 エベレスト街道で最大のチベット仏教の寺院。ペンバさんは白い布を取り出しお金を包んだ。お布施です。最も位の高い僧侶ナワン・テンジンさん(72歳)にペンバさんは何度もひざまずいて礼をした。カタと呼ばれる聖なる布をかけてもらい旅の安全を祈る。撮影隊もカタをかけてもらった。
 午後4時、夕方の勤行が始まった。住み込みの修行僧が50人。みなヒマラヤの峰を信仰している。エベレストのチョモランマは大地の母の神として崇められている。

 2時間歩いたところで不思議な伝説を聞いた。ヘビの跡がある。これが3000年前にエベレストに登ったが、怖くなって降りてきたという。

 さらに行くと世界第4位のローツェ(標高8516m)が見えてきた。その左にはエベレストが少し顔を見せた。標高4000mくらいで、ヒマラヤタールというカモシカの仲間の野生動物を見た。かつてはタテガミから上質の毛織物ができたという。虹色の羽根が美しいダフェはクジャク?

●パンボチェ村
 ルクラから8日目、標高3930mの小さな村に着いた。村の入口に水車小屋があった。小屋の中にマニ車があり、村を守っている。エベレスト街道で人が暮らす村はここが最後。庭で作業する人がいた。凍らないようにじゃがいもを土に埋めて保存する。冬の間に必要な量はマッシュポテトにして干して保存食にする。ヤクの糞は乾かして燃料にする。ペンバさんは普段はここで暮らしている。
 ペンバさんは経文が書き込まれたルンタを屋根の上に張った。ルンは風、タは馬を意味する。青は空、白は蜘蛛、赤は火、緑は水、黄色は土を意味する。神よ悪霊を払いたまえと祈ります。
 村のすぐ上にあのアマ・ダブラム山が見えている。ペンバさんは登山隊と何度もこの山に登っている。

●ディンボチェ
 パンボチェから10km、5時間で到着。標高は4410m。風は強い。目の前にトレッキング客用のロッジが建った。昔はヤクの放牧地だったそうです。ここで2日間滞在し、体を高度に慣らした。樹木はない。目にするのは高山植物だけ。綿毛のものはエーデルワイスの仲間。ヤマハハコの仲間はドライフラワーのよう。

 午前9時、気温はマイナス10度。朝食は圧力釜で米を炊く。朝食の前に紅茶とビスケットが運ばれる。シェルパの仕事が始まった1921年から、英国式の習慣を受け継いでいるそうです。彼らはトレッキング客の好みにあわせた料理を用意してくれる。

 一旦エベレスト街道を外れ、東に向かった。歩いて2日の標高5000mのイムジャ湖。最近、氷河湖が増え続けている。

●イムジャ湖
 ディンボチェから東へ8km。8000mの岸壁がそびえている。ローツェで(標高8516m)した。そのすぐ下に湖がある(標高5010m)。11月には湖の表面は氷に覆われている。イムジャ氷河の先端が見えるが、高さは湖面から30m。崩れ落ちている姿が見える。イムジャ湖の大きさは幅およそ500m、長さ1600m。
 ここの調査をしている慶應大の福井弘道教授たちに会った。最近、イムジャ湖が急速に拡大しているそうです。2000年代に入って、年間70mずつ拡大しているそうです。1956年の写真にはイムジャ氷河だけが見えている。今は岩がダムのように水を堰止めているが、それを支えているものが溶けている。そのために大洪水が起きると福井教授は指摘している。防ぐ方策を考えているようです。決壊すると1時間で50km下流のルクラに土石流が達するそうです。ヒマラヤではおよそ200の氷河湖が決壊する危険性があるという。

 カラパタールまで15km、3日かけて登る。風景が一変した。わずかな植物が生えている。エベレストの前にある山々が迫ってきた。岩肌や氷の様子が変わった。チベットセッケイという鳥がいる。
 半日歩いたところで、チュクラリというところに着いた。エベレスト登山が始まってから50人以上のシェルパが山で亡くなった。ここで火葬されたそうです。後ろには慰霊碑が見える。標高7861mのヌプツェが見える。ヌプツェとは石の峰という意味らしい。正面は標高7165mのプモリ。ここの麓が目的地。エベレストはヌプツェの稜線にさえぎられている。エベレストを正面に見るには、標高5140mのゴラクシェップにそびえる丘カラパタール(標高5545m)に登らなければならない。標高差400mを3時間かけて登る。

●カラパタール(標高5545m)
 エベレスト街道、最後のきつい登り。5000mだと空気は平地のほぼ半分で、息が続かない。2時間。風が強くなる。前方にツモリが大きくなってきた。頂上まで50m、足場は岩でかなり悪くなった。カラパタールは黒い岩という意味。風速は20mを越えている。最後の登りは狭い岩場を行く。風が強くてかなり危険です。ルンタが風になびく。頂上に到着。エベレストがきれいに見えました。
 頂上直下にあるサウスコル(標高7906m)。1952年初めてここに到着したスイス隊は、死の匂いがすると記したらしい。頂上の下に黄色い地層が見える。イエローバンドで、多くの登山家がウミウリの化石を目にしている。かつて、エベレストが海にあった痕跡。午後5時半、太陽が傾き始めた。夕陽を浴びた見事なエベレストです。午後6時、ヌプツェの頂きが暮れようとした。エベレストは最後まで輝いていた。

 朝7時半。エベレストは雪が風で舞っていました。ルンタを頂上に結んで下山します。


テレビ番組「世界遺産新たなる旅へ ネパール王国、仏陀の生誕地ルンビニ」

 2007年8月18日放送。ネパールの南西は豊かな大地が広がる。紀元前6世紀、農耕民族の王国が存在していた。誇り高い民族、釈迦族の栄えていた王国もその一つ。

●ルンビニ
 ネパールとインドの国境から8kmネパールに入った場所。
 都の名前はカピラヴァッドゥ。堀と城壁に囲まれ、城内は整然と区画されていたという。釈迦族の王スッドーダナとマーヤ夫人の間にシッダルタ王子がここで生まれた。夫人は沐浴の後に樹木の下にいた。右の脇から生まれた王子は蓮華を踏みしめながら、すぐに七歩歩いて右手で天空を指し左手で地を指して「天上天下唯我独尊」と叫んだという。豊かな生活をしていたが、いつも人間の苦悩について悩んでいた。
 29歳で出家し、6年間苦行を行ったが、これが理想到達への真の道ではないと悟り、菩提樹の下で瞑想した。35歳で悟りを開いた。悟りに達した人「仏陀」と「仏教」の誕生だった。
 1896年に誕生の地が明らかとなった。紀元前3世紀にインドを統一したマウリア王朝のアショーカ王が建てた石碑をインドの考古学者が発見した。アショーカ王は仏教に帰依し、インド各地に石碑や仏塔を建立した。石碑には仏陀誕生の記念として、ルンビニ村の税を軽減すると書かれていたことからわかった。
 ルンビニの池の脇では寺院跡も発掘された。マーヤーデヴィ寺院で、今は新しい建物が建っている。
 仏陀はそれまでの階級制度にのっとった宗教を否定し、わけ隔てなく説法し、人々は仏教を崇拝した。釈尊が悟りを開いた菩提樹も崇拝した。仏陀は雨季には瞑想し、乾季には説法をして歩いた。80歳で亡くなった。
 現在インドでは仏教を信仰する人は0.7%にしかすぎない。12世紀以降、インドではヒンドゥー教への改宗、イスラム教徒の侵略などにより衰退していった。


テレビ番組「世界遺産・新たなる旅へ ネパール・カトマンズの渓谷」

 2007年3月18日放送。放送番組センター配給。製作は早稲田大学など。
 カトマンズの谷はいつも祈りで溢れている。伝説では、昔ここには湖があり、文殊菩薩がその水を抜いた時に巨大な盆地が現れたと言われている。西にはスワヤンブーの丘が出現した。ここに建つスワヤンブーナートはこの盆地で最も古い仏教寺院で聖地。東にはヒンドゥー教の聖地チャングナラヤンがある。仏教とヒンドゥー教の聖地は古くから人々の信仰を集め、共存してきた。交易の中継地として栄えた。13世紀に谷を支配したのはマッダ王朝?。17世紀初頭バドガオン、パタン、カトマンズの3つの都に分裂した。各々の都の王は競って王宮や寺院を建てた。カトマンズは王がヒンドゥー教徒だったので、ヒンドゥー教のお寺がたくさんできた。
 パドガオンはヒンドゥー教徒が多く、中世の趣を色濃く残す。王宮ダーバーホール?には木彫りの彫刻を施した55の窓が並ぶ。ゴールデンゲートと呼ばれる入口には、中に祭ってある神が真鍮細工であらわされている。
 美の都パタンには仏教徒が多く住む。マハーブッダはインドのシタラ様式?の寺院は、聖地ブッダガヤの大塔を模して、この町の職人が親子3代で完成させたもので、塔の全面を覆う仏像は9000体はあると言われている。金色に輝く真鍮細工で飾られたゴールデン・テンプルは信者の数が最も多いパタンの総本山。
 仏教のヒンドゥー教の混在は、この街の至るところで見ることができる。マチェンドラナートは雨の神を祭る寺院で、仏教徒とヒンドゥー教徒から崇められている。本尊はカルナーマヤという観音菩薩だったが、後にヒンドゥーの神々の化身にもなり、両方から信仰されるようになった。
 木彫りのレリーフや彫刻は古くから住む先住民ネワール人たちによって作られていった。ネワール人は古くからの仏教徒だった。その後、カースト制度が導入され、ネワール人は職人カーストを選択し、技術は伝承され、チベットや中国にまで伝わった。ネワール人の中に仏陀の末裔と言われる釈迦族がいる。特別に僧侶のカーストを与えられた釈迦族は毎日敬虔な祈りを捧げている。
 街の至るところに仏教とヒンドゥー教の仏塔があるが、混在したものもある。あるものはヒンドゥーのシバ神のリンバ?と仏塔が混在したもの。ネパールではシバと仏陀は双子という宗教観がある。
 世界最大級と言われる仏塔ボーダナート。四方を見る巨大な目は森羅万象を見る仏陀の目をあらわす。インドとチベットの中継地でもあるので、聖地として崇められてきた。周りにはチベット仏教の僧院ボンパ?が点在している。ネパールの仏教とチベットの仏教は密接な関係にあり、互いに影響を及ぼしてきた。


テレビ番組「世界の絶景 VIII。聖夜に見たいステキな絶景クリスマスSP」

 2006年12月24日放送。司会は、内藤 剛志、久本 雅美、ゲストは橋田壽賀子、泉ピン子、船越 英一郎、真矢みき、さまぁ〜ず。フジテレビ製作。

●ネパール・エベレスト
 谷原章介さんが案内。以前紹介したモナコのオテル・ド・パリはベルサイユ宮殿を模していた。スウェーデンのアイスホテルは全て氷でできていた。今回はエベレストを望む絶景ホテル「エベレスト・ビュー」。
 ネパールまではタイで乗り継いで9時間。案内人はアンツェリン・シェルパーさん(35歳)。ルクラ Lukla (標高2830m)という町から30km、標高差1132mを3日間歩いていったところにあるホテル。
 ルクラからゲートをくぐって出発。荷物運びは牛。初日はパクディン Phakding (標高2652m)まで10kmで下りが多いが、4時間でゴツゴツした岩場での上りが続く。6時間でロッジが見えてきた。ここではロッジではなく、テントで泊まることにしていた。
 2日目はナムチェ・バザール Namche Bazar (3440m) までの13km、標高差800mを登る。高い滝があり、空気が気持ちがいい。見える白い山はタムセルク Thamserku (6623m)で、登山家も思わず足を止めて見とれるという。谷原さんもきつくて足が止まり始めた。酸素発生装置は粉を水に溶かすだけで酸素が発生する。これで酸素を補給して復活。出発して10時間でナムチェ・バザールが見えた。ここは100軒以上の家が建ち並ぶエベレスト街道最大の町。
 3日目は距離7km、標高差516m。町の食堂でスッチャという塩とバター入りのお茶をいただいた。疲労回復に効果がある。塩バターラーメンのスープの味に近いそうです。出発して2時間で富士山の高さに到着。あっという間に悪天候になり、霧の中を歩く。最後にきれいな広い石段を上がるとホテルがあった。日本語で「いらっしゃいませ」と言われ、お味噌汁をいただいて「美味しい!」。
 実はホテルのオーナーは日本人の宮原さんで、エベレストの景色に感動し、Hotel Everest View (3962m) を建ててしまった。全12室からエベレストを見ることができる。夕食は鶏肉のしょうが焼き、じゃがいもと椎茸の煮物、茶碗蒸しでした。
 4日目の朝は青空が広がっていた。谷原さんは正装してカーテンを開いた。目の前にエベレストの雄姿が広がっていました。窓にはめこまれた絵画のような絶景でした。

●ハワイ・フラダンスの聖地
 松阪慶子、内田恭子さんが案内。オアフ島まで7時間。ワイキキビーチに到着。案内人はオラナ・アイさん(48歳)はクム・フラと呼ばれるフラの達人。聖地を見るにはフラを踊れないといけない。カピオラニ公園 Kapiolani Park で練習。フラダンスは歌と踊りが両方できないといけない。でっかい瓢箪のような太鼓でハワイ語で歌の練習をする。
 昼食は「ウィローズ・レストラン The Willow's Restaurant 」で本格的なハワイ郷土料理のランチプレートをいただいた。アヒポキ Ahi Poki はマグロの刺身みたいなもの。
 2日目はクアロア Kualoa Ranch は荒削りな緑の大自然が残る場所で、フラダンスはこういう雄大な大地と一体となって踊るもの。ここはジュラシック・パークのロケ地にもなった。上手く踊れたので、聖地に行けることになった。
 聖地はハワイ島のキラウエア火山。火の女王ペレが棲んでいると言われる場所。ペレに捧げる踊りがフラダンスであった。オアフ島から飛行機で50分。
 聖地に到着。松阪さんはムームーでフラダンスの歌い手の正装。内田さんはパウスカートで、フラダンス独特のスカート。無事フラダンスを捧げました。
 それから誰もいない火山の麓を歩いて、溶岩台地 Lava Plateau に到着。真っ黒な溶岩しかない。今回特別な許可を得て歩くことができた。1時間歩いて、溶岩の見える場所に到着。さらに溶岩が流れ出る場所に行けました。

●カンボジア・アンコールワット Angkor Wat
 アンガールズ(山根良顕、田中卓志)が案内。バンコクを経由して8時間で到着。案内はワン・ノップさん(47歳)。今回はアンコールワットを発見した時に、探検家が辿った道で、ジャングルを通る。150年前まで密林の中で眠っていた。
 まず東南アジア最大の湖トンレサップ湖を行くが、家は水上に浮かんでいる。1400世帯7000人が漁業で暮す。乾季と雨季との間に家は船で引っ張って移動する。まず錨を上げるのが必要で手伝う。潜るけど濁っていて見えない。
 ジャングルを歩く。1時間後、田中さんの体温は38.3度で、湖の水を飲んだのであたったらしい。ヤシの実ジュースを飲んでお腹は痛いが復活。セミの声だけが響く。深さ10cmの沼を通過して、合計4時間で到着。
 アンコールワットとはアンコール王朝の寺という意味。12世紀に造られた寺で、王家の墓であったとも言われている。西に向いて建っているので、西陽を浴びる時が一番美しい。西にある沼?池の先まで行って振り向いたら、池にも映っていて、絶景でした。

●ニューヨーク
 石原さとみ、勝村政信さんが案内。JALで12時間で到着。案内はフリー・ジャーナリストのマーク・ドレアさん(48歳)。大統領のそっくりさんブレント・メンデンホールさんは全米でも人気。彼を使って3人で会食し、スープをこぼすというドッキリをする。
 五番街は有名なショップが建ち並ぶ。世界遺産の自由の女神を観光。NYにしかないテディベアのぬいぐるみもあります。
 どっきりの後は、エンパイア・ステートビル(高さ443m)でエレベータに乗り80階に行く。歩いて85階に行き、世界一のNYの夜景を見ました。普段は観光客でごった返していますが、この時は貸切にしました。さとみさんは24日が誕生日だったので、みんなでお祝いをしました。

 一番人気はエベレストでした。


テレビ番組「世界究極探訪ツアー」

 2006年5月20日放送。藤村俊二、金子貴俊、川村ひかる、筧利夫、北川弘美さん、東京農業大の小泉武夫教授が出演。「蓼食う虫も好き好き」というが、本当にいいものを自分の思いで見過ごしている可能性もある。辛いがおいしいもの、臭いがおいしいものを探す旅。毎日放送制作。

●タイ
 唐辛子の消費量は世界一。金子、川村さんが案内。バンコクの激辛うま案内人のノーイ・ボーカムさんに教えてもらった。まず唐辛子の巨大マーケットのパーククローン市場でプリック(唐辛子)を見る。プリック・ユアックはピーマンに似ていてあまり辛い。プリック・チーファーは緑・黄・赤の三色があり、料理の彩りに。プリック・デーンはスープや和え物に使う。プリック・キーヌーはタイの人に愛されていて、ポピュラーで激辛。別名「ねずみの糞」。タイでは白いプリック・キーヌーを見つけると幸せになるという。実際探して見つけました!
 2辛レベルは、唐辛子を使ったぶっかけご飯の店に行く。「豚肉のあんかけご飯」25バーツ(75円)。2.5辛レベルは、鶏料理など。
 3辛レベルは、バンコク一の激辛店「クイッティヤオ・ドゥーディ」に行く。国民食「クイッティヤオ」は米麺などで作るタイ風ラーメン。タイ人も遠慮するという「国境警備隊レベル」30バーツ(90円)は真っ赤ですが、これは二人ともクリアしました。
 4辛レベルはタイ東北(イサーン)地方の郷土料理。ソムタムは激辛サラダ。材料はトマト、ナンプラー、ライム、ヤシ、ピーナッツ、にんにく、干しエビ、青パパイヤ、プリック・デーン。「ソムタム・タイ」は30バーツ(90円)で、唐辛子を潰すので、一番辛いタネがつぶれてさらに辛くなる。辛かったそうです。
 信州大学農学部の松島憲一助教授は、世界一の激辛国はブータン王国だという。かつては旅行社の入国が制限されていた。

●ブータン王国
 敬虔な仏教国。首都のティンプーにやってきた。「ブータン・キッチン」という店に行くが、ティンプーでは本格的なブータン料理が食べられるのは、ここ一軒のみで、2年前にオープン。楽器の演奏もあります。「エマ・ダツィ」は唐辛子のチーズ煮込み。たっぷりの乾燥唐辛子にチーズと玉ねぎを塩で味付けして煮込んだもので、ブータン人が愛する国民的料理。イズィというサラダは、唐辛子とチーズのサラダで赤くないですが、緑の生唐辛子、チーズ、トマト、玉ねぎが使われている。ブータンの人はこれを漬物感覚で食べるとか。最初は爽やかだけど、とっても辛いそうです。オーナーのキンザン・ラモさんが解説してくれましたが、唐辛子は野菜として食べているそうです。ブータンは高地なので野菜があまり作れない。痩せた土地でもできて、食欲が増進する唐辛子を栽培して食べているというわけです。唐辛子は2種類で、赤いブータン・チリと緑のインド・チリで緑の方が辛い。お寺のお坊さんがもっと辛いものを食べているという。

 「パンリ・ザンパ寺院」は17世紀に近代ブータンの基礎を作った高僧が作ったおごそかな場所。行った日は年に1度のチベット仏教の厄払い「デー」が行なわれた日で、約40人の僧侶が法要に参加していた。コーヒー・ツェンという唐辛子と野菜のカレーで、緑色の唐辛子が浮いています。きゃべつ、じゃがいも、チーズも入っていて、主食の赤米と一緒に食べる。赤米は右手で握って食べて、カレーも右手で食べます。ミルク味だと思っていたらかなり辛いそうです。僧侶は辛くないと言います。

 パロはティンプーから車で2時間、美しい田園風景が広がる。パロ・ゾン、カンチ・レバー橋が紹介された。絶壁に寺院が見える。タクツァン僧院で、「虎の棲み処」と呼ばれる。断崖絶壁に建つブータン最高の聖地。途中でパロ公立高校シャバ高等学校に寄って、お弁当を食べさせてもらったがかなり辛いそうです!姉のガキさん、妹のペンさんのお宅を訪問。片道40分かかった。父はクンガさん(52歳)、母ヘリンさん(49歳)。乾燥ブータンチリが8kg置いてあったが、4人で1ヶ月だそうです(笑)お父さんはトツォと呼ばれる石焼風呂を準備。夕食は普段の辛さだったようですが、唐辛子のバター焼きは、金子さんは初めて食べた辛さだと言っていました。次はインドチリを一口大に切って、塩で炒めただけだが、一番辛いタネの部分がふんだんに使われている「唐辛子とトマトの塩炒め」。一般的な家庭料理だそうですが、最初はどうでもないですが、後にくるそうです。金子さんは殺す気か!って言ってました。

●伊豆大島
 発酵学者の東京農業大の小泉武夫教授は「くさいはうまい」という本を書いている。「サメのくさや」は代表の一つだという。
 400年も前からくさやが有名な島。筧さんと北川さんが行きました。「まるい水産」は江戸時代から作り続ける店。くさや汁につけて干物にしたものがくさや。室町時代に塩を倹約するところからできた技術だという。海水に内臓をつけておいたものが発酵したという。アミノ酸やビタミンがたっぷり。風邪薬とか傷薬にも使っているという。天然の抗生物質も含まれているとか。ここでは、サメにはアンモニアが多いので、つけ汁がくさくなるので、サメのくさやは作らないそうです。
 北川さんはサメ釣り名人の金川利男さんとサメを釣りに行きました。ツノメザメが釣れたのですが、ツノの部分に猛毒があるので、ツノを折ってから中に入れます。持ち帰って3枚におろし、3時間漬け込んでから、水で洗い、高速乾燥機で乾燥させました。翌朝、鯵のつみれ汁とご飯と一緒に、両面をさっと焼いたくさやを食べました。臭さが詰まっていて臭いけどおいしいそうです。

●能登半島
 のと鉄道に乗っている間に、ふな寿司パイ、かいこのさなぎ大和煮をいただきました。石川県能登町の郷土料理の宿「さんなみ」に行く。迎えてくれたのは船下さんご夫妻。「いしり」は魚醤油で、イカからも作る。内臓、目玉近辺、墨も入っているそうです。アジアのナンプラーなどと同じですね。一度沸騰させて発酵を止める。海岸に行って「かすかも」という能登特有の海藻を取ってきた。
 夕食はかすかものいしりしゃぶしゃぶ。貝焼き。椎茸。一品一品味が変わってくる。いしりで漬け込んだ大根は一見普通の沢庵だが、これを焼くと「べん漬け」。おいしかったそうです。

●沖縄
 沖縄県金武(きん)町。金武酒造の豊川ああみさん他が出迎えてくれました。ヤギの料理で、刺身はおいしいそうです。睾丸は表面をさっと焼いて食べますが、甘くておいしいそうです。生だとあまり臭わないが、煮ると中に閉じ込められている獣の匂いが表に出てくるそうです。かき混ぜたら泡盛1升を注ぎ込み、煮込み続けること5時間。最後にヤギの血を流し込む。ヤギ汁は沖縄の人には最高のご馳走。臭いがおいしいそうです。


テレビ番組「LOVE ASIAヒマラヤに輝く笑顔遺産〜ブータン王国ふれあい旅〜」

 2005年2月27日放送。山本耕史さんが日本人が失った"大切な何か"を探し求める。桜井幸子が語った。ブータンはインドと中国にはさまれ、田畑の風景などは日本にそっくり。つい30年前までは鎖国をしていたので、謎に包まれていた。幸せの国とも言われている。国王はGNPよりもGNH(Gross National Happiness )が大事だと宣言した。女性はキラ、男性はゴという民族衣装を着ている。着物の延長みたいなものです。着てないと警察に注意される。顔が日本人に近いですね。テレビ西日本制作。

●パロ
 空の玄関口。みんなキラやゴを着ている。マニ車は回すことでお経を読んだことになるもの。農閑期は男性は国技アーチェリーを楽しむ。的は130m先にありました。ゾン(城)に行ってみた。県庁とお寺が同居しているようなもの。可愛いお坊さんがお経の練習をしていました。黄色い糸を旅の安全のお守りとして首に巻いてくれました。
 靴屋さんに寄ると、ツェリンさん一家と出あった。ブータン料理をたべさせてくれるというので、彼の農家に行ってみた。家はできて300年以上も経つそうです。一番よい部屋が仏間。赤米、干した牛肉にたっぷりの唐辛子と豚の脂身を煮込んだものをご飯にかけて、右手で食べる。それにブータンのカレー。ご飯は静かに食べる。

●ティンプー
 ブータンの首都。喧騒の町で、都会です。JICAのシニア・ボランティアとして働く初老の男性に出会った。日本人は100近くいて、ほとんどがボランティアだという。格式の高い場所に行くために、お店でゴを購入。その格式の高い場所でJICAの上野征秀さん(28歳)に逢った。
 上野さんに勧められてサブジ。バザールに行った。週末だけ開かれる市場で、山椒を購入。30フルタム(72円)。ドゥンというチベットホルンを吹いている人たちがいた。
 上野さんのお宅にうかがうと、両親もおられた。日本料理を食べさせていただいた。ブータンの方がいいそうです。日本人が忘れたものということで、ガサ村という小さな村に行くことを勧められる。

●ドチュ峠 Dochu La
 チョルテン(仏塔)の中にはお経が納められている。一番上のトチュ峠に行ってみた。ヒマラヤ山脈がよく見えて感動的です。

●プナカ
 ティンプーの東、ガサ村への出発点。頭の上に編んだ三角形の帽子?を被り、ラヤ村の衣装を着た女性たちがいた。少数民族ラヤッパの人たちで、17世紀にチベットからやってきた。標高3700mの村で放牧や農業をしながら暮らしている。プナカまで5日かかるそうだ。三角帽子にはお守りの意味があり、女性だけが被る。みんなが山本さんを歓迎するために古くから伝わる音楽を歌ってくれた。日本の民謡みたいな感じでした。山本さんも歌を返した。

●ガサ村
 ガサ村へは道路が通っていないため、交通手段はトレッキングのみで2日。8時間後にガサ村が見えた。ここでテントを張ってキャンプ。この辺りは熊がいるので、スタッフは交代で見張りをしました。しかし気温もマイナス5度と激寒でした。日中は20度です。
 翌日、吊り橋も渡り、かなり歩いて疲れもピークとなった。そしてガサ村に到着した。標高2700mで、村の中心に10数軒の家が建つのみ。まわりは雪山に囲まれている。ここにはガサ温泉があって、人々の憩いの場所となっていた。山本さんは早速入浴しました。
 子供たちが集まってきたので、山本さんは得意の手品を見せました。村の真中の大きなマニ車をみんなで回しました。人々が仲良く家族のように暮らす村です。この日は大晦日だったので、年越しそばを作ろうとした。使うのは蕎麦粉100%のブータンの蕎麦。つなぎを使ってないので、茹でると固まってしまう。ぐちゃぐちゃだったけど、みんなおいしいと言ってくれた。
 1月1日、年を越しても何も変わらない。物質的には豊かではないが、村人たちはいつも明るく笑っています。一人のおばあちゃん、ペムさん(74歳)が夕食に招いてくれた。村の中心から30分歩いたところにある家。息子さん夫婦は町で働いていて、孫はここに住んでいる。12歳と14歳の孫娘は何もほしいものはないという。
 村人たちがお土産を持って、一軒の家に入って行った。生後1ヶ月のお祝いプジャだった。村全体で子供を祝っているのを見て感動しました。バレーボールを人差し指の上でくるくる回したり、クリケットのバットで野球したりしました。子供同士で喧嘩もしないし、遊び道具を独占せず、順番を待って遊んでいました。
 お別れの時が来ました。子供たちはテントを畳むのを手伝ってくれて、見送りにきてくれました。

 今回の旅では、山本さんは人間関係、人を思う気持ち、自分を大切に思う気持ちを学んだようです。自分が絶望感に陥った時に、ここだと関係ないよってなるんだろうなって言っていました。


テレビ番組「大使の国のたからもの」の2000年2月頃にネパール

 2300万人60民族が暮らすネパール。

●カトマンドゥ
 車、人、牛車、などがごちゃごちゃの通り。ホテル・シェルパ。王宮通り。街自体が美術館のようなものだという。カトマンドゥ盆地には 7つの世界遺産がある。
 夜明け前。ダーバー広場の隣のガネッシュ寺には象の神様が祭られている。人気の高いガネーシャのお寺には人が絶えない。そして通りには露店が開く。カトマンドゥの名前の由来となった、カシュタマンダパという寺院の前は露店が多い。野菜が多い感じ。広場の中でひときわ高いシヴァ寺院のまわりも多い。場所取りは早いもの勝ち。ダーバー広場というのは、王宮のある広場という意味らしい。いろいろな時代の王宮があるらしい。今は王宮は別のところにある。シヴァとパールバーティの像のある寺院。あとは広場の側の縁側のような暖かい場所で人々がくつろいでいる。
 ジャガナート寺院。カトマンドゥの寺院はレンガと木材でできている。わびとさびが感じられる。タレジュ寺院は三重の屋根があり、日本の天守閣を思わせる。何となくいにしえの日本が感じられる。
 ダーバー広場から伸びた道は喧燥の街インドラチョークに向かう。車のクラクション、動物の声、人の声などの喧騒がすごい。午後になるともっと喧燥が高まる。一歩裏通りに入ると、素朴な生活がある。縁側のような休息所はパティと呼ばれていて、昔は僧侶とか旅の人が休息していたが、今は近所の人が休息している。洗濯場や浴場を兼ねたものはヒティと呼ばれる。女性も平気で髪を洗っている。トンネルが多く見られる。建物に囲まれた場所はチョクと呼ばれている。4階、5階の建物が多いためらしい。チョクには井戸があり、長屋に似た開放感がある。

●古都パタン
 カトマンドゥ盆地。古代から住んでいたのはネワールという人たちだった。12世紀頃チベットなどと交易が始まり、ネワール族が彫刻や庭園、音楽などを造っていった。
 15世紀、マッラ王朝が3つに分裂し、パタン王朝ができた。ダーバー広場。クリシュナ寺院にはヒンドゥの神クリシュナが祭ってあり、シッカーラ様式の寺院である。ムル・チョクは王宮の中で最も大事な場所だった。王位の継承などに使われた。屋根を支える柱にはヒンドゥの神々が描かれている。パタンの国王はヒンドゥ教徒だったが、ネワール人の多くは仏教徒だった。ゴールデン・テンプルには1日に2度参拝にくる熱心な信者も多い。
 パタンの街を飾る美術工芸品の多くはネワール人の創作したものが多い。ホーバーと呼ばれる宗教画はネパールを代表する芸術。使う色は、風、土、火、水、空をあらわす、緑、赤、白、青、黄色の五色。丹念に色をのせていく。ロク・チトラカールさんはネパールを代表する絵師で、日本にもいたことがある。ホーバーを見た人が幸せを感じてくれたらいいと彼は言う。彼らの芸術は昔チベットに伝わったそうだ。

●古都バドガオン
 パタンから車で20分。昔はこのあたりの首都だった。バクタは信者、プルは街の意味。トウマディー広場。カトマンドゥの騒々しさとは違って、落ち付きのある街。最も高い5重の塔があるニャタポラ寺院。地震で相当壊れたが生き返った。中世の雰囲気が残されているだけでなく、人々の息吹も残っている。
 路地にも中世の雰囲気が残る。ネワール人の家は1階が倉庫か作業場。2階は居間、3階は寝室、4階以上はプライベートな空間というように高層になる。火を扱う神聖なかまどは最上階にある。屋上は物干し場。
 焼き物が盛ん。古タイヤをろくろのように使っている。子供も手伝っている。自由な雰囲気の中で子供は技術を覚えていっている。
 タチュパル広場。ダッタトラヤ寺院。


テレビ番組「吉行あぐり・和子母娘感動!ネパール大冒険」

 テレビ番組「吉行あぐり・和子母娘感動!ネパール大冒険92歳冬のヒマラヤ4000mに挑戦!密林探検と美味珍味」
あぐりさんはNHKの「あぐり」のモデルで92歳。現役の美容師で、吉行淳之介と和子、理恵さんの母。1999年の年末に訪問。テレビ朝日制作。
2000年に放送?

●カトマンドゥ
 東京からはバンコク経由でネパール・カトマンドゥのトリブヴァン空港へ。車は左側通行。すごいバス。青空市場。青空理髪店を見る。カットは10ルピー(20円程度)。1日やっても100〜150ルピー。でも家賃がないらしい。昔の日本のような人情を見た。
 カトマンドゥの見所ベスト5.1位はスワヤンブナート(仏教寺院)ここからの展望は素晴らしい。2位はダルバール広場。ネパール建築の粋を集めた寺院などが多い。中でもカスタ・マンダップ寺院は最古の寺。この言葉がなまってカトマンドゥという名前になったとか。3位はパタンはカトマンドゥの南に存在し、美の都と言われる。4位はパシュパティナートはガンジスにつづくバグバティ川のヒンドゥ教の聖地。5位はボダナートは仏教の巡礼地。四方を見つめる目で知られる巨大なストゥーパはそれ自体がマンダラ。
 番外としてナガルコットはヒマラヤを一望する最大のロケーション。東へ35キロ。特に朝夕の色の変化は見逃せない。クラブヒマラヤ・ナガルコット・リゾート。エベレストの絶景ポイントはシャンボチェにあるホテル・エベレスト・ビューのテラス(3880m)。目の前にエベレストが迫る大迫力。

●ハッティバン・リゾート
 あぐりさんのために静かな場所にホテルを取る。途中、人がソバをひいていた。そば粉をお湯で固めただけのデュロ(そばがき)これに菜の花を菜種油でいため、塩で味付けして水を加えてできあがり。
 欧米の観光客に特に人気があるハッティバン・リゾート。この季節でも花が多く、のんびりするのには最高。庭の彼方にはヒマラヤの峰々(カナッシュ・ヒマール)。

●カトマンドゥの朝市
 旧市街アサンの広場。自家製ヨーグルト、白い豆腐、魚、野菜もある。岩塩もあるが色で用途が違う。白いのは傷や血止め、茶は胃腸に効き目、ピンク色は喉にいい。40ルピー。牛は聖なる生き物でひいたら人間が罰される。サリー屋へ行く。1着ずつ購入。

●郊外のバクタプル
 のどかな農村風景だが、ここはかつての古都。ダルバール広場があり、レワール建築の傑作と言われるのが「55窓の宮殿」。王が55になった時に作られた。赤茶のレンガに木彫りの窓が映える。ニャタポラ寺院は高さ30mの5重の塔。路地の両側には陶器が並ぶ。仕事場は露天で、ろくろをまわしている。子供の遊びはケンケンパ!

●女性
 女性は朝皆が起きる前に起きて玄関の前に神様を迎え入れる儀式(プジャ)で、4階をきれいにする。薬を作るのも女性の役目。子供の目に黒い薬を塗る。
 レイコ・ラナさんは20数年前にネパールに嫁いだ人。このラナ家は1846年から1950年に専制政治・鎖国をした一族だった名門。
 ホテル・ヤク&イエティはかつてのラナ家の屋敷があった広大な敷地に建つホテル。レイコさんにサリーの着方を教えてもらった。
 レストラン・バイタックへ。ここはラナ家の一族が経営する高級レストラン。インテリアをビクトリア調に統一。王侯貴族のように脚つきの銀食器。料理はダルバート(豆のスープやカレーを盛りあわせた定食)。

●チトワン国立公園
 緯度的には沖縄あたり。道沿いにソバが咲いていた。車で5時間で到着。Machan Wildlife Resort 。東西80キロ南北23キロの世界遺産。インドサイや虎も生息している。カヌーに乗って川を渡り、トラックでホテルに向かうが、象もいた。到着したのはマチャン・ワイルドライフ・リゾート。ハイビスカスやブーゲンビリアも咲いている。
 象に乗って草原を越えてジャングルを探検。親子のインドサイがいた。その夜リゾートでは歓迎のタルー族のスティックダンス。豊富な薬草の知識を持っている。タイコを叩くのはジャングルの動物を遠ざける意味もあった。

●ポカラ
 森と湖の街。途中ムグリンで休憩。ここで屋台が多い。モモと呼ばれる蒸し餃子、中身はバクと呼ばれる水牛の肉を使う。1皿12個入りで25円。これにピリッと辛い独特のソースをつけて食べる。
 レストランの外では、弟に菜種油を塗っている姉がいた。これで風邪をひかないとか。ここから車で3時間でポカラ。
 渡し筏に乗ってフィッシュテイル・ロッジに向かう。ここは花がいっぱいのホテル。朝鮮朝顔?
 朝5時に車でサランコットの丘へ。駐車場は車でいっぱい。ここから上の展望台へ歩く。神の山と崇められてきたマチャプチャレ(6997m:魚のしっぽという意味)が姿を現してきた。そこに太陽の光があたった!とても神々しい景色だった。

 ロッジの前にはお土産を売る露店が多い。トルコ石と山サンゴに興味。伝統的楽器サランギをサンバー・バハドゥル・ガヤックさんが弾く。レッサンピリリって聴いたことがある曲だなぁ。楽器は3000円程度。
 フルバリ・リゾートは5つ星ホテル。ロビーも素晴らしい。外国の偉い人もここに泊まるとか。部屋の豪華さもすごいが、ベッドに寝たままでマチャプチャレが見れるというのが贅沢かも。

●カトマンドゥ
 ポカラ空港から50分。和子さんの知り合いのお店へ。ギフトショップ「ルート・ネパール」。ここでお土産を買う。パシュミナという布の宝石(4000m以上の山に住むヤギ・チャングラの柔毛を使用)。
 友愛あんまセンターのイソワール・ラズー・バラミさんを訪問。
 タメルに日本人向けの古本屋がある。蔵書1万冊。ここに吉行淳之介の本を見つけた。
 パシュパティナートは西暦3世紀にはここにあったという聖地。ガンジスに続く聖なる川バグバティ川の岸辺にあるネパール最大のヒンドゥ教の聖地。隣のインドからも巡礼が来る。彼らは埋葬せずここで燃やして灰となって川 に帰る。

●パタン
 ネパール一の占い師マンガルラズー・ジョシさん。基本は星占い。和子さんは84歳までは大丈夫らしい。あぐりさんは97歳までは大丈夫。次ぎは101歳らしい。次ぎは103歳。

●ヒマラヤのお寺タンボチェの僧院
 ジェットヘリで移動。酸素を吸いつつ昇る。ヒマラヤがきれいに見える。生あくびは高山病の初期症状らしい。目の前にエベレストが迫ってきた。地元の人はチョモランマと呼んで崇めている。
 ヒラリー卿、植村なおみさんなどもここに来ている。タンボチェ・ゴンパ(3980m)。ここは空気は海面付近の6割しかない。92歳でここまで来た人はあぐりさんが初めてとか。お寺まで歩く。お経の書かれたマニ石がある。最後は僧侶が手伝ってくれた。本堂では午後のお勤めが始まった。笛や鉦もあって賑やか。僧院一の高僧ナワン・テンジン・ジャプー・グルジに会う。登る途中に寄ったのでなく、ここを目的に来たというので、仏様の贈り物をくださいました。


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