アジア

ハワイ・グアム・サイパン・フィジー・ニューカレドニアなど

北アメリカ

中央・南アメリカ

ヨーロッパ

オーストラリア・ニュージーランド

アフリカ

いのうえの海外旅行記

いのうえの海外旅行写真記

日本の宿

日本のレストラン

トップ

トルコの旅行情報


なお、これはわたしが個人的にテレビを見て書いたものであり、各テレビ局や番組とは全く関係はありません。
すべての文章の無断使用・転載を禁止いたします。
またここの情報を使って、何か問題が起こったとしても私は一切責任は持ちませんのであしからず。


テレビ番組「旅サラダ 2010年7月は秋本祐希さんでトルコ」

 トルコの首都はアンカラ、人口は7256万人、日本のほぼ2倍の面積。アジアとヨーロッパが交じり合うトルコ。レートは6月31日時点で、1トルコリラ(TL)=約56円、1ユーロ=約108円。トルコ航空で行きました。

●イスタンブール
 ボスポラス海峡をはさんで2つの街に分れている。大小さまざまな船が行き交っている。ヨーロッパ側の町を歩いてみた。

 エミノニュ Eminonu 桟橋は、イスタンブール旧市街側の海の玄関口。ここからアジア側のカドゥキョイなど各方面に連絡船が出ている。朝や夕方はアジアサイドからの通勤・通学の人たちでごった返している。
 すごく揺れている船がある。サバサンドが名物で、パンに焼いたサバと野菜とタマネギをはさんだシンプルなもの。4TL(約220円)。お好みでレモンを少々かける。そしてサバサンドと一緒に飲まれているのが、屋台で売られている「ピクルスドリンク」1.5TL(約84円)。何とピクルスのつけ汁を飲む。赤カブ・きゅうり・キャベツなどのピクルスが入っている。ピリッと辛い感じだそうです。

 旧市街の中心はトルコじゅうから人が集まる。ここには、「グランド・バザール Kapali Carsi 」(開門時間:8:30-19:00、休業日:日曜日)という市場がある。東京ドーム3分の2ほどの広さに、4400軒もの店がひしめきあう屋根付き市場。みなさん気さくに日本語でしゃべりかけてきます。元々は東西から集まった金・銀・宝石を取り扱っていて貴金属店が集まり、その周囲に様々な店が集まり拡大していったという。かつては奴隷も扱われており、イスタンブールの象徴と言われている。現在も、金銀・宝石などの装飾品、絨毯、陶器、布地など、トルコ中からさまざまな商品が集められている。
 歩いていると青い巨大な目を売っている店「アククシュ Akkus 」(電話:+90-212-527-9198 )があった。お守りの「ナザール・ボンジュウ Nazar Boncugu 」は、「視線のガラス玉」という意味で、嫉妬の視線をはね返したり、災いの身代わりになってくれる。トルコでは嫉妬深い視線を受けると病気になると信じられており、守り神として家のドアや車のミラーにかけたりしている。ストラップやブレスレットなど、大小さまざまな形のものが1TL〜売られている。
 グランド・バザールの中は、伝統的なお店ばかりではない。カラフルなフェルト雑貨の店「コクーン Cocoon 」(電話:+90-212-528-3515 )のフェルト(ケチェ)はトルコで今たいへん流行しているという。遊牧民たちが防寒のために使っていたフェルトが、オシャレなアクセサリーに使われている。ピンクの帽子 Sapka は70TL(約3900円)。
http://www.cocoontr.com/
 迷路のようなグランド・バザールの中心にあるのが、オールド・バザール。その中の銅製品の店「バクルジュ Bakirci 」(電話:+90-212-513-0475 )の店主のアリ・ギョゼルデヨレル?さんは、新しい物から古い物まで、自分の気に入った物を50年間集めている。フライパンからラッパまで。トルコのお茶「チャイ」をご馳走してくれました。アリさんは1日に4,5杯飲むそうです。

 グラン・バザールを出て少し歩いた所に、水タバコを吸う人たちがいた。その近くにランプのお店があった。オットマン・ランプという幾何学模様の美しいランプ。青色のランプに魅了されました。

 トルコで一番美しい青を見ることができる場所に行ってみた。「スルタンアフメット・ジャーミィ(ブルーモスク) Sultanahmet Camii 」は、通称ブルーモスク。トルコを代表するイスラム寺院で、中に入るとおよそ260の小窓に飾られたステンドグラスから、優しい青い光が差し込んでいた。ステンドグラスの青と、美しいイズニック・タイルの青からブルーモスクと言われる。タイルは2万枚以上使われている。トルコの国の花のチューリップをモチーフにした可愛いタイルが印象的だった。スルタンアフメット1世の命を受け、1616年に建造されたモスクは、今でも信者が集い祈りを捧げる神聖な場所でした。世界でも珍しい6本のミナーレ(尖塔)を持つ。数多くの観光客が訪れるが、1日5回の礼拝の時間は入場が規制されている。

 世界の高級ホテル「スモール・ラグジュアリー・ホテルズ・オブ・ザ・ワールド SLH」に加盟している「レス・オットマンズ Hottel Les Ottomans 」(住所:Mualim Naci Cad.No.68 34345 Kurucesme, Istanbul、日本予約電話:0120-558673 )に宿泊。18世紀の貴族の館を再現したホテルで、まるで宮殿のよう。客室全10室すべてがスイート仕様。今回の部屋は「オーシャンビュー・スイート(キョセム・スルタン) Kosem Sultan 」という高級感のある部屋で、景色も素晴らしい。目の前がボスポラス海峡。寝室は2階。1泊3240ユーロ(約35万円)。世界のVIPがお忍びで訪れることもあるそうです。
http://www.slh.com/lesottomans
 夜はテラスにあるレストラン「スヤヌ29 SuYani29 」(電話:+90-212-359-1529 )で、トルコの伝統的な料理をいただくことができる。トルコでは羊肉がポピュラー。「冷菜盛り合わせ Soguk mezeler 」21TL(約1180円)、「ラム肉のコンポーション Kuzu Komposyon 」70TL(約3900円)。この時期オススメなのが、「アーティチョークのオイル煮」。「デザート Tatil 」22TL(約1200円)。トルコはピスタチオがそれほど甘くなくて美味しかったそうです。
http://www.lesottomans.com/CH/Dining-Main-Page.html

 翌日、若者が集まる「イスティクラール通り Istiklal Caddesi 」に行く。新市街側にある、タクシム広場から南へ下る道のひとつ。レトロなトラムが近代的なブランド・ショップの間を走る。均一料金1.5TL(約84円)。おしゃれなカフェやショップが建ち並ぶ歩行者天国で、イスタンブール一番の繁華街。

 ガラタ塔の近くで可愛いお店を見つけた。ブティック「アート・エナ Art ENA 」(住所:Camekan Sk.No:1 Galata-Kuledibi,Istanbul、電話:+90-212-243-5318 )は、「オヤ」というかぎ針を使って編んだトルコの伝統的な手工芸品は、およそ100年の歴史がある。オヤは女性が頭に巻くスカーフに使う。それらをおしゃれにアレンジしたファッションアイテムが多数並び、若い女性に人気。オヤにはたくさんの形があり、それには各々の意味がある。「花嫁の冠」は幸福のシンボルで花嫁が必ず使う。「姑を黙らせろ」という思いを込めたオヤもある。混沌とした心と不幸だという気持ちを表わしている。一つオヤを選んで編んでみた。「チャルクフェレキ(運命の扉)」。「オヤ付きスカーフ Oyali bas ortus 」25TL〜(約1400円〜)
http://www.art-ena.com/

 お爺さんが入れるコーヒーがとても美味しいと評判のカフェ「オタンティック・カフェ」を訪れた。細かく挽いたコーヒーをそのまま煮立つお湯に入れて作ったもの。「トルコ・コーヒー Turk Kahvesi 」1杯4TL(約220円)。濃いそうです。
 飲み終わったら、「コーヒー占い」をしてもらった。これはトルコで有名な占いの一種。飲み終わったトルココーヒーのカップを裏返して数分待つ。想像力が大切だという。カップ内に粉でできた模様で占う。トルココーヒーは粉をこさずに飲むので、沈んで残ったコーヒー粉でこのような占いができる。女性が集まるとこの話題で盛り上げるとか。

 イスタンブール一番の絶景を見に行く。「MEDAIR ヘリコプター遊覧ツアー」(電話:+90-212-234-7777 )。「アート・エナ」付近、ブルーモスク、グランド・バザール、旧市街、新市街、アジア側などがよく見えました。ボスポラス海峡、金角湾をはじめ、アジア大陸とヨーロッパ大陸を上空から眺めることができる人気の遊覧ツアー。ツアーの飛行時間は10分〜45分で、いずれも土日のみ実施。今回は、25分コース(金角湾、旧市街上空、ボスポラス海峡アジア・ヨーロッパ側・第一、第二大橋)で、料金は1人116.82ユーロ(約1.26万円)。
http://www.flymedair.com/new/en/istanbul_turlari.aspx


●カッパドキア
 標高1000mを越えた高原地帯。不思議な形をした岩たちは、「妖精の煙突」という可愛い名前で呼ばれている。何千万年もかけて、硬い地層と柔らかい地層が重なり合い、雨と風に削られてできた。東西20km、南北40kmに渡って、この不思議な景色が広がっている。
 「ゼルヴェ野外博物館 Zelve Ac?k Hava Muzesi 」(開館時間:8:00〜19:00 、休館日:無し、入場料:15TL(約840円))は野外博物館として公開されているゼルヴェ渓谷。やわらかい地層を生かして穴を掘り、3つに分れた谷で人々が生活していた。ここには60年ほど前まで人々が住んでいた。ここは元はキリスト教徒たちが隠れるための場所だった。ローマ教皇の弾圧を受けたキリスト教徒たちが、逃れ住んだのが始まり。9〜13世紀に定住し、鮮やかな教会を作った。

 「ギョレメ野外博物館 Goreme Ac?k Hava Muzesi 」(開館時間:8:00〜19:00、休館日:無し、入館料:15TL(約840円))は、5世紀から12世紀にかけて、キリスト教徒が迫害から逃れ、定住して造った30あまりの岩窟教会が集まっている。内部の色鮮やかなフレスコ画が見もので、今回撮影できた「カランルク・キリセ」は、特に保存状態がよい。
 「カランルク・キリセ(暗闇の教会) Karanl?k Kilise 」(入館料:入館料別途8TL(約450円))で、この撮影以後、ここは、教会内部の撮影は不可になった。窓が一つもない暗闇の中の教会。光が差し込まなかったために、およそ1000年前のフレスコ画がそのまま残っている。
 絶えず隠れていたキリスト教徒たちは、大地の下深くにも入り込んでいった。「カイマクル地下都市 Kaymakli Yeralti Sehri 」(開館時間:夏季は8:00〜19:00、冬季は8:00〜17:00、休館日:無し、入場料:15TL(約840円))は深さ55m、地下8層、各層の収容200人の都市。数多く存在するカッパドキアの地下都市の中でも、特に規模が大きい。深くなるに従い、地下構造の製作時期は新しくなる。大きな丸い石を使って敵の侵入を阻止していた。一節には、大小400以上もの地下都市が存在していると言われている。

 地元の人が美味しいというレストラン「アラヴァン・エヴィ Aravan Evi 」(住所:Ayvali Koyu Urgup Cappadocia、電話:+90-384-354-5838、営業時間:12:00〜23:00(変動)、前日朝までに要予約、最大店員30名)に行ってみた。
石で造られた部屋で、日本のお座敷のように座って食べるのが、この地方の伝統的なスタイル。カッパドキア名物「壷焼き料理」が「おすすめ料理」で、1人前30TL(約1700円)。奥様のヌルハヤット・ヤズガンさんが作る料理は評判。ヨーグルトからデザートまですべて手作りの、トルコの伝統的な家庭料理を味わえる。同じ敷地内にペンションも併設している。
http://www.aravan.com
 ついでなので、お母さんに作り方を教えてもらった。牛肉、トマト、ピーマンを細かく刻んでギュベスと呼ばれる壷に入れ、にんにく、塩、オイルを入れ混ぜあわせる。ルミ箔をつけたら、台所の外に持参し、釜に入れ、3時間煮込む。

 壷焼き料理が名物なのは、カッパドキアで陶芸が盛んだから、と教えてもらったので、工房に行ってみた。中心地から車で20分。
 「ヴェネッサ(陶芸工房) Venessa Seramik 」(住所:Cumhuriyet Mah.Kapadokya Cad.No:83 50500 Avanos-Nevsehir、電話:+90-384-511-5009、営業時間:8:30〜19:00、定休日:無し。
http://www.venessaseramik.com
 黒海に注ぐトルコ最長の赤い川こと「クズル・ウルマック」。赤い河から取れる赤土で、上質な陶器が行きつづけるか。河の中洲には、素焼きの壷が干してあった。
 町で一番大きな陶芸工房「Venessa Seramik 」に行く。いろいろな色の陶芸品が並ぶ。変わった物があった。ハムリ・デティクさんが説明してくれました。ワイン差しは右肩にかるって注ぐ品でした。一番古くから伝わっているという「ろくろ回し」を体験させてもらった。アフメット・ベクタクシュさんが説明してくれました。ろくろを回すのがたいへん。15年前までは、ろくろが回せないと、お嫁さんももらえなかったそうです。

 宿泊はギョレメ地区の岩をくりぬいて作ったホテル「アナトリアン・ハウス Anatolian Houses 」(住所:Gaferli Mah 50180, Goreme, Nevsehir、電話:+90-384-271-2463 )です。ギョレメのキノコ岩の中につくられたホテルで、33室すべてがスイート。蛇口をひねればワインが出てくる「ワインの泉」が名物。
http://www.anatolianhouses.com.tr/
 今回紹介した部屋は、「プレジデント・スイートSercuklu Odasi 」で1泊800ユーロ(約88200円)。かつては住居だった建物で、岩をくり貫いて作ってある。夏は涼しく、冬は暖かい。ベッドも石でできている。お風呂はジャクージ。

 早朝5時半、カッパドキアが活気づく。風が穏やかな早朝に飛ぶ「気球ツアー」がカッパドキア・ツアーの目玉。今回は、「ギョレメ・バルーンズ Goreme Balloons(ツアー会社)」社(住所:Yeni Sanayi Sitesi Koyun Yolu Merkli No.1 Urgup、電話:+90-384-341-5662 )を利用。1人1時間150ユーロ(約17600円)。12人〜14人乗っていました。たくさん気球が飛んでいました。多い時で70ほども飛ぶそうです。気球の行き先は風まかせ。キノコ岩のすぐ近くを飛行しました。高さ400m地点まで上がってきた。朝焼けに輝くカッパドキアの旅を目に焼き付けました。
http://www.goremeballoons.com/

 カッパドキアとはペルシャ語で「美しい馬の大地」の意味。昔ここにやってきたペルシャ人がカッパドキアの馬を見て、あまりに美しかったので、この名前をつけたという。馬に乗って散歩してみた。観光コースとは違う穴場のコースを行ってくれました。「乗馬ツアー」1時間35TL(約2000円)。

 日没頃、ローズバレーからカッパドキアを眺めた。ピンク、赤、紫に変化していく谷を見ていた。


●イズミル
 トルコ第三の都市。エーゲ海観光の拠点となる町。郊外には可愛い町がたくさんある。丘の上にはたくさんの風車が見える。イズミールは「風の町」とも言われている。丘の上からはギリシャのキオス島も見えている。
 遠浅のきれいな海岸沿いにはリゾート地が展開している。夏にはヨーロッパから休暇を楽しむ人たちが多く訪れる。

●アラチャト
 最近新たなリゾート産業として注目を集めているのが、アラチャトの町。風車が並ぶ丘のたもとに広がるオレンジ色の屋根と白い壁。
 メインストリートを探索してみた。青い窓枠と白い壁が映える。伝統的な家屋と新しい家が並ぶ。
 アラチャトでしか作っていないという「天然ガム入りワイン」を見つけた。ガムワインの店「Alacati Sarapcilik アラチャト・シャラプチュルック」(住所:Tokoglu Mah.No38A Alacati, Izmir、電話:0232 716 6785、営業時間:10:00AM-1:00AM、定休日:無し)。オルジャイ・ゲミジ?さんが説明してくれました。トルコにはここにしかないゴムの木がある。傷をつけると黄色い形となるが、「キリストの涙」と呼ばれている。これを混ぜたワインが「天然ガム入り赤ワイン(メルロー)」20TL(約1160円)。さわやかな感じだそうです。ガムの香りが強いので、リフレッシュ効果がある。ワインもリフレッシュ感のある味になるそうです。
http://www.gemiciwine.com/

 町には可愛いらしいホテルがたくさんある。今回は伝統家屋を改造したホテル「Sardunaki konak otel サルドゥナキコナックホテル」(住所:Yali Caddesi No:322/1 Van Der Zee Kosku Bahcesi / Karsiyaka, Izmir、電話:0232 716 6878 )に宿泊した。ロビーはアロマの香りが強いとか。今回は、「balayi room」で、1泊朝食付1部屋340TL(約2万円)、白い壁で白いベッド。夕食1人40TL(約2320円)。夕食は特製のタレに漬け込んだジューシーなチキンでした。これを庭で焼いて庭で食べました。エーゲ海地方の伝統的な料理を食べさせてくれます。
http://www.sardunaki.com/
 アラチャトは古くはギリシャ人も住んでいた村なので、トルコとギリシャの融合した料理を出しているそうです。シルタキダンスを見せてくれました。トルコのお酒のラクを手を使わずに飲みます。まわりの人はナプキンを投げて陽気に踊ります。

 翌日、再びエーゲ海を目指した。ヨット・ハーバーからエーゲ海クルージングが多く出ている。一番ホットなのがウィンド・サーフィン。風が強い町なので、都合がよい。
 そんなヨット・ハーバーにある人気のレストランが「Port Restaurant ポート・レストラン」(住所:Alacati yat limani ici Alacati, Izmir、電話:0232 716 6489、営業時間:9:00AM-12:00AM、定休日:無し)。本日のオススメはエーゲ海の高級魚ラオス。軽く衣をつけて炭火で焼き上げた「Laos izgara ラオスのグリル」30TL(約1740円)。スズキの淡白な肉厚な感じだそうです。今回の旅で一番気に入った料理「Deniz Mahsullu eriste トルコ風海鮮パスタ」20TL(約1160円)。クリーミーなパスタで、味付けに醤油が入っているそうです。
http://www.portbalik.com/

 夕方、七色の虹が見えました。

●パムッカレ(石灰棚)
 内陸部に車を走らせること4時間。広大な景色の中に突然現れる白い大地。雪が積もっているように見えるけど、石灰でした。トルコ語で「綿の城」と名づけられた世界遺産。石灰を多量に含んだ温泉水がパムッカレの丘を流れ、冷えて固まり、作り出された純白の棚田。ヒエラポリス遺跡の東端の急斜面に見られる世界遺産。
 現在は保護のため一部しか入ることができない。温度が丁度いいくらいだそうです。少しぬるいくらいで、足湯にいいそうです。石灰成分を含んだ温泉成文が湧き出て、幾重にも重なってできた100以上の石灰棚。空の青を映し、温泉水が水色に輝いている。この幻想的な景色は古くから人々を魅了し続けてきた。

 夕陽を見ましたが、水面がキラキラして黄金色に輝き、とても美しい。

●ヒエラポリス
 パムッカレを見下ろす場所に古代ローマ人は「ヒエラポリス Hierapolis 」(開場時間:8:00AM-7:00PM(冬季〜5:00PM)、入場料:20TL(約1160円))という「聖なる都市」を作った。ローマ帝国の温泉保養地として栄えた。1万人以上を収容した円形劇場、サウナつきの大浴場、上下水道が整備された都市。ローマ皇帝も度々訪れた「美と健康の都」といわれていた。しかし町は悲劇に襲われた。何度も地震に襲われ、住民は逃げ、町は廃墟となった。ローマ浴場の遺構を利用した博物館や、ローマ劇場の遺構がある。

●遺跡温泉 Antique Pool
 現在は、古代の都市のメイン・ストリートだった場所に崩壊した遺跡の上に温泉が溜まり、今は観光客で賑わっている。世界中から人々が集まってきている。水中にはローマ時代の円柱や敷石が無造作に横たわっている。柵の向こうには源泉が湧き出ているのがよくわかる。「遺跡温泉 Antique Pool」(開場時間:8:00AM〜5:00PM、入場料:20TL(約1160円))。


●サフランボル
 黒海沿岸の世界遺産の町。絵本の中に迷い混んだような気分になる。赤い瓦に白い壁。中世のヨーロッパに迷いこんだよう。刺繍の可愛いものが下げられている。猫も多い。可愛いお店がズラリと並ぶ。かつてここは靴職人が多く集まる路地だった。職人の町として発展したサフランボル。通り毎に職人が集まり、組合を作っていた。鍛冶職人の路地では、ハガネを叩く音が今も響く。
 サフラン商品を扱っているお店「アクタル・デルマン・アリババ Aktar Derman Ali Baba 」(住所:Cesme Mah.Sekerci Sk.No:9、電話:+90-370-712-6668 )に入ってみた。サフランを使ったせっけんや化粧品、漢方薬などを取り扱う。街の名前の由来にもなっているサフランだが、かつてはかなり大量に咲いていたが、今ではあまり見かけず、珍しいものになった。質がよいとされるサフランボル産は現在はほとんど栽培されていない。赤いメシベの部分だけを収穫するので、市場に出回るのはごくわずか。1300個の花からわずか1gしか採れず、栽培方法も難しいためかなりの高級品となっている。店主のデルマン・アリババさんは、町では有名人。サフランは世界で最も高価で、最も丹精をこめて栽培されていると語る。ひとつまみの赤いサフランをお湯に入れると、黄色になった。ハーブティーの濃い味だそうです。
http://www.dermanalibaba.com/

 サフランのお菓子の専門店「サフランタット Safrantat 」(住所;Kazdagli Meydani No:10 Carsi Safranbolu、電話;+90-370-712-4540、営業時間:8:30〜16:30 )に行ってみた。ここは、トルコの伝統菓子「ロクム」の専門店で町で一番と評判のお店。トルコ人なら誰でも大好きという伝統的なお菓子「ロクム」は、日本の求肥に近い味で、ピスタチオなどのナッツ入りが人気。特にサフランボルのロクムは有名で、小さな街の中でも何軒もロクムの店がある。その中でもサフランタットは、いくつもの店舗をもつ老舗の有名店。ロクムの種類も豊富。
 レジェップ・チュリックさんに作り方を見せてもらった。砂糖に澱粉とナッツを入れて、3時間ほど煮込んで冷やす。それをカットして砂糖やココナッツをまぶす。未だに手作業で作っているそうです。「ロクム詰合せ」は、小12TL(約680円)、大21TL(約1200円)。
http://safrantatlokumlari.com/

 昔、シルクロードの宿場町だったこの町に商人や職人が集まってきた。そして美しい家を建てた。しかし、鉄道が普及すると、町は置き去りになった。時間が止まったので、古き伝統と古い街が残された。

 民宿「アラベキルレル・コナウ Alabekirler Konagi 」(住所:Cemal Caymaz Mah. Deligoz sok. No:7 Saranbolu、電話:+90-370-712-1308 )に行く。ヒュスニイェ・ヤヴズさんが営む民宿で、靴を脱いで上がる。古くから伝わるサフランボルの古民家で、この家は100年の歴史がある。そのまま民宿として提供しているところが数多くあり、トルコの伝統家屋での暮らし、家庭料理を堪能することができる。カーテンやクロスはヒュスニイェさんが作ったもの。台所の扉を開けると、流しや鍋などがでてきた。別の扉には、いろいろな物が隠してあります。キッチンの雑然としたものが隠してありました。
 市場に買出しに行った。インゲン豆は1kg4.5TL(約250円)などなど。
 料理を作る。材料はインゲン豆と塩、砂糖、バター。バター以外を少量の水と共に鍋に入れて茹でる。サフランボルのバターは有名らしい。これを溶かして鍋に加えて完成。「インゲン豆のバター煮 Uzun fasliye 」は美味しいそうです。「クルミソースの手作りパスタ Cevizli yayim 」も美味しいそうです。上には自宅で採れたクルミをかけています。

●ヨリュク・キョイ Yoruk Koyu
 サフランボルから東へ車で30分、10kmほどの場所にある小さな村。遊牧民たちが定住してできたという小さな小さな村。どこか懐かしさを感じる村。優しい時間がゆったり流れる。村のお父さんたちは1日の大半を過ごす木蔭がある。サフランボルと同じようにトルコの伝統家屋が残っている。公開されている民家はあるものの、観光化が進んでいないため村人の素朴な生活を垣間見ることができる。
 お母さんたちは、「バクラヴァ Baklava 」というお菓子を作っていた。フィリズ・エルドアンさんが食べてみますか?と言ってくれた。クルミのパイという感じだそうです。トルコの伝統的なお菓子で、クルミなどが入ったパイをハチミツで漬けている。トルコの菓子特有の甘さがあるが、トルコの人たちはkg単位で買っていくそうです。バクラヴァ工房の隣りは公開されている伝統家屋「キャスム・シパヒオール・コナウ Kasim Sipahioglu Konagi 」(住所:Kasim Sipahioglu Konagi Yoruk Koyu Safranbolu、電話:+90-370-737-2332 )で、バクラヴァを買うことができる。

 「共同洗濯場(チャマシュルハーネ) Camasirhane 」で、10年前までは女性たちは村の話をしていたそうです。連れて行ってもらいました。中央にある大きな石を洗濯板のように使い、木の棒で洗濯物を叩いて汚れを落としていました。現在、普段は閉まっているが村人に頼めば、快く中を見学させてもらえるそうです。

●ブラク・メンジリス洞窟 Bulak Mencilis Magarasi
 サフランボルの中心地から西へ車で20〜30分ほどの岩山にある洞窟「ブラク・メンジリス洞窟 Bulak Mencilis Magarasi 」(開門時間:6〜9月は8:30〜18:00、10〜5月は8:00〜18:00、入場料:4TL(約230円))。黒い龍が現れるという噂話を聞いて訪れた。うっそうとした緑に囲まれた入口まで、急な階段をずっと登る。トルコ有数の鍾乳洞がある。洞窟の長さは6kmほどあるが、公開されている部分は入口付近のわずか400mだけ。鍾乳石の色が全く違うし、濡れた感じがない。日本ではあまり目にしない、黒色の鍾乳石が特徴的で、いろいろな色の鍾乳石がある。現在も研究が続けられている。サフランボル中心部からツアーバスも出ている。


●イスタンブール
 アジア側にあるカドゥキョイに行くと、日常の生活を垣間見ることができる。庶民の台所と言われ、魚、野菜、日常品などが並ぶ。ハーブティーも種類が多い。隣がお肉屋さんでした。オリーブもある惣菜のお店「ギョズデ・シャルクテリ Gozde Sarkuteri 」(住所:Guneslibahce Sokc No:8 Kadikoy-Istanbul、電話:+90-216-414-7575 )では、「ナチュラル黒オリーブ Naturel Siyah 」が1kgで19.8TL(約1150円)でした。

 はちみつのお店「エタ・バル EtaBal 」(住所:Guneslibahce Sokc No:28 Kadikoy-Istanbul、電話:+90-216-414-9977 )に入ってみた。トルコはハチミツの名産地でもある。高級なものになると、蜂の巣ごと売っている。「ハチミツ・ヨーグルト Eta Balli Yogurt 」4TL(約230円)。美味しいそうです。
http://www.etabal.com.tr/

 ランチはトルコ料理の店「チヤ・ソフラス Ciya Sofrasi 」(住所:Guneslibahce Sokc No:32A Kadikoy-Istanbul、電話:+90-216-418-5115、営業時間:11:00〜22:00、定休日:無し)に入る。ここは表で「ドネル・ケバブ Doner Kabap 」11TL(約640円)をまわしていました。味見させてくれました。デリカテッセンの形式で、欲しいものがあれば、指を差して注文すればいい。トルコの東部や南東部地方を中心とした郷土料理が味わえるレストランで、料理の種類が豊富でケバブ専門の姉妹店もあり、トルコの各地方の料理が楽しめるカドゥキョイの人気店だそうです。トルコ風ピザ「ラフマージュン Lahmacun 」3TL(約170円)をいただいた。薄い生地の上に挽肉・野菜などをのせて石釜で焼いたもの。手でちぎっていただきます。バジルやトマトなどが入っていました。チーズがないので、あっさりしているそうです。「サラダバー」は100gで3TL(約170円)で、選んだ野菜は、「ヨーグルト漬け小麦 Yogurlu dogme Bugday 」、「オリーブサラダ Zetin piyazi 」、「クズクラー Kuzukulagi 」など。中でもクズクラーはトルコでも珍しい野菜だそうです。ルッコラとレタスの間のような味だそうです。
 オーナーのムサ・ダーデビレンさんは、忘れられている家庭料理を田舎に行ってお年よりから学んでいるそうです。
http://www.ciya.com.tr/

 トルコ料理が発展した理由は、宮廷料理にあった。オスマン帝国の王様が住んでいた「トプカプ宮殿 Topkapi Sarayi 」(電話:+90-212-512-0480、入館料:20TL(約1160円)あとハレムは別途15TL(約870円)、開館時間:9:30〜19:00で、ハレムのみ 〜17:00、休館日:火曜日)に行ってみた。
 黄金の花壇、王様が歩いた大理石の廊下。東西からきらびやかな宝石、女性、食材を集めた。ハレムでは毎晩のように女性が踊り、豪勢な食事が振舞われていた。
 1453年にイスタンブールを陥落させたメフメット2世が着工し、様々なスルタン(オスマン朝の君主)が当時の建築様式に従って増築を重ねた居城。約400年にわたってオスマン朝の中心地として栄えた。現在は、庭園やハレム、宝物館などを見学することができる。その中で、宮殿の最大のみどころがトルコ版の大奥と言われているハレム。別の博物館として扱われており、朝からチケットを求める人であふれている。
http://www.topkapisarayi.gov.tr/

 もう一つは「アヤソフィア博物館 Ayasofya Muzesi 」(電話:+90-212-522-1750、入館料:20TL(約1160円)、開館時間:9:00〜16:30、休館日:月曜日)である。現在は博物館となっているが、元々はキリスト教の教会だった。
 537年に、当時の皇帝ユスティニアヌスの命を受け、キリスト教の教会として造られた。1453年にイスタンブールがオスマン朝の首都となると、イスラム寺院に変えられ、キリスト教のモザイク画も漆喰で塗りつぶされたが、20世紀に入って、キリスト教のモザイク画が発見された。近年はモザイク画の修復も進み、2つの宗教が同居する博物館として公開されている。大聖堂はビザンツ建築の最高傑作と呼ばれている。

 その隣にあるホテルに宿泊した。「アヤソフィア・コナックラル Ayasofya Konaklari 」(住所:Sogukcesme Sokagi 34122 Sultanahmet -Istanbul、電話:+90-212-513-3660 )で、オスマン時代の高級官僚が利用していたという豪華な邸宅を改築した、老舗のブティックホテル。スペインのソフィア王妃も滞在したことがある。「パシャ・スイート Pacha Suite 」は1泊245ユーロ(約2.8万円)。窓からはアヤソフィアが目の前に見える。
http://www.ayasofyakonaklari.com/

 夜は居酒屋が建ち並ぶ旧市街・スルタンアフメット地区の西側に位置するクムカプに行ってみた。近くに魚市場があるので、新鮮な魚介類が楽しめる。街のあちこちをベリーダンサーと音楽隊が練り歩いており、深夜まで賑わっている。
 レストラン「カラマル Kalamar Restaurant 」(住所:Capariz Sokak No.19 Kumkapi -Istanbul、電話:+90-212-517-1849 )に入った。「ロブスター Bocek 」150TL(約8680円)は、2種類のソースでいただいた。「イボガレイのフライ Kalkan 」65TL(約3760円)のイボカレイはトルコの高級魚。普通のカレイより身がシッカリしているが、イボがあるので、取ってから食べるのがポイントとか。音楽隊が演奏し、ベリーダンスの女性が横で踊ってくれましたが、いい香りがしたそうです。
http://www.kalamar.com.tr/

 ベリーダンスに刺激を受けて、ダンス教室に行ってみた。「ダンセントラム Dancentrum 」(住所:Harbiye Cayiri Sokak, No.3 Kat.3 Elmadag Istanbul、電話:+90-212-230-0294 )で、講師はオズレム・イディリス Ozlem Idilsu さん。オズレムさんは町一番と評判の先生。ここでは様々なダンスのレッスンがある。中でも人気なのがベリーダンス。手のふりつけ、腰の振り方、足運びなどがポイントみたいですねぇ。手に筆を持って、世界に色を塗るように動かします。腰は8の字に回すようです。料金は「プライベートレッスン」が1時間で150TL(約8700円)。楽しむのが大事みたいです。
http://www.dancentrum.com/

 汗をかいたので、トルコの伝統的なお風呂に行ってみた。高層ビルが建ち並ぶ中に話題のお店「インジ・ソイダン・ロフト・スパ inci Soydan Loft Spa 」(住所:A.Levent Loft Buyukdere Cad.No:201 4.Levent-Istanbul、電話:+90-212-324-8744、営業時間:9:30〜20:00、定休日:無し)がある。最新の設備に伝統的なハマムを組み合わせた人気の高級スパ。トルコの有名なモデルさんもよく訪れているそうです。
 イスラムの教えに「清潔は信仰の半分」と明記されており、体を常に清潔に保つことが重要視されている。その点からも、ハマムと呼ばれる蒸し風呂式の共同浴場が古くから発達してきた。地方に行けば500〜600年前からのハマムも残っているが、ここのロフトスパは、一般的なトルコのハマムとは趣が異なるようです。
 まず10分間ほどスチームサウナで体を温める。そしてローマ時代から受け継がれているハマム。「ハマム(90分コース)Hamam 」400TL(約2.3万円)、昔の王様も同じようにアカスリをしてもらっていたという。自然の原料を使ったピーリングで、古い角質を落としてもらったら、お肌がツルツルになった。そしてきめ細かい泡で全身を丁寧に洗ってもらった。最後は氷を使ったマッサージで、毛穴を引き締める。この後に「全身マッサージ(30分コース)」120TL(約7000円)もしてもらいました。「ハマム+全身マッサージ(150分コース)」600TL(約3.5万円)もあります。
http://www.incisoydan.com.tr/

 トルコ最後の夜、食事はあこがれの宮廷料理。レストラン「アルマダテラス Armada Terrace 」(住所:Ahirkapi Sok.1 Sultanahmet-Istanbul、アルマダホテル屋上、電話:+90-212-445-4455、営業時間:7:30〜25:00 )は、アルマダホテルの屋上にあり、ボスフォラス海峡とブルーモスクを一望できる絶景のレストラン。アヤソフィアも見えました。「イマーム・バユルドゥ Imam Bayildi 」19TL(約1100円)は、イスラム教の指導者(イマーム)が卒倒するほど美味しいという料理。ナスのオリーブ・ホイル煮のような感じだそうです。トルコ料理は中国、アラブ、ヨーロッパの文化が融合し、独自に発展。料理の種類が豊富。「シェフおすすめ冷菜8種 Sefin Cilingir Sofrasi 」1人前27TL(約1560円)。メインは「ヒュンキャール・ベーエンディ Hunkar Begendi 」29TL(約1680円)で、「王様のお好み」という意味。ナスのペーストが入ったクリームソースに、牛肉のトマト煮込みがのっている。これは美味しいそうです。
http://www.armadahotel.com.tr/


テレビ番組「THE 世界遺産 トルコのヒエロポリスとパムッカレ」

 2010年5月9日放送。ある朝その丘は湯煙を立てていた。歴代のローマ皇帝たちは遠くローマから足を運んだ。

●パムッカレ
 イスタンブールから南へ300km。パムッカレの丘は雪が降り積もったように真っ白。丘の高さは200mで、斜面全体が白いもので覆われている。人はこの丘を「綿の城(パムッカレ)」と呼んだ。無数の池が階段を作っていて、天然の温泉が流れている。
 この地方は昔から綿織物が盛んだった。
 太陽が昇ると、池の一つ一つは様々な青に彩られる。夕暮れには赤く染まり、一日で一番美しい姿を見せてくれる。
 丘の近くには石切り場が多く、石灰岩や大理石が切り出されている。石灰岩は貝やサンゴなどの死骸が海底に堆積してできたもの。時折、サンゴの姿を留めた化石が見つかる。カニの化石もあった。石灰質を多く含む地下水ができ、マグマに温められて、岩の切れ目から湧き出し、炭酸ガスを放出しながら流れ続ける。温泉部分に含まれた石灰質が沈殿し、丘を白く包んだ。石灰棚を作るには長い年月が必要だった。植物の葉などを包み込んだ石灰華ができ、さらに石灰分が沈殿し、ダムのように積み重なっていった。石灰棚を持つものは100を越え、石灰棚の大きなものは、高さ6mにも達する。
 今から30年前、近くで洞窟「カクルック洞窟」が発見された。中には高さ14mの石灰棚があった。地下に生まれたもう一つのパムッカレ。
 世界的には石灰棚は中国の黄龍、熱水のアメリカのイエローストーン。褐色に染まる石灰岩は参加した鉄分などの色で、独特の景観を作り出した。

 紀元前130年頃、東へと領土を広げるローマ帝国は温泉の湧き出る純白の丘を手に入れた。温泉郷を築いた。ローマの都には1000もの浴場があったが、この丘に勝るものはなかった。大通りは南北に1.2km。両側には商店や浴場、劇場が建ち並んだ。
 ヒエラポリスに不思議な温泉がある。それは神殿が沈む温泉「Antique Pool 」。中に入ってみると、水着で楽しめる温泉プール。温泉の中に古代ローマで使われていた神殿の石などが沈んでいた。神殿が沈むこの温泉。
 当時の技術がいくつか知られる。ヒエラポリスはローマ建築の高い技術を示す。水源から水路を確保された上水道。上流から舗装された上水道。歴代皇帝は好んでこの温泉郷に足を運んだ。しかし大地に亀裂が走っている。地震により多くの建物は破壊され、円柱は崩れ落ちた。
 北の外れにある、死者が眠る街「ネクロポリス」。この街で終生過ごしたいという人が多かった。柩の下に図案が書かれていた。ニハット・キョムルズオーブゥル・ハーシム・ユルドゥズさんは3世紀頃、ヒエラポリスで使われていた大理石を切る機械を見せてくれました。硬い大理石まで正確に切ることができた。そしてヒエラポリスは温泉保養地として再建された。
 街の東にある劇場は1.5万人を収容できた。演劇、音楽界、格闘技などが行なわれていた。
 青空の下で17年ぶりに伝統ある「ラクダ相撲祭り」が始まった。会場で売っていたのが、ラクダのソーセージでした。これをパンにはさんで野菜を置いて食べます。

 ヒエラポリスのほぼ中央に、太陽の神を祀ったアポロン神殿がある。その脇に穴がある。「悪魔の穴」と呼ばれ、時に人を殺す毒ガスを出す。神官たちは、この穴に入り神のお告げを授かってきた。以前は公開されていたが、30年前に3人のイギリス人が死んだので、閉鎖された。

 石灰棚の上に墓があった。家の形をしていて、ずっとこの場所にいたいという願いなのでしょう。


テレビ番組「にじいろジーン 地球まるごと見聞録 イスタンブール」

 2010年3月27日放送。

●イスタンブール
 成田から週6便、関西から週4便の直行便のトルコ航空で行きました。トルコ最大の都市で、ボスポラス海峡をはさみ、ヨーロッパとアジアの文化の交差点として古くから栄えてきた。現在1400万人の人々が暮らしている。1500年もの間、ローマ、オスマンの都でもあった。
 ブルーモスク、アヤソフィアなどの美しい建造物が建ち並ぶ、世界でも有数の観光都市。またオスマン帝国時代の音楽メッヘル?は、モーツァルトやベートーベンの作曲したトルコ行進曲にも影響を与えた。演奏する軍楽隊は現在のブラスバンド編成のモデルになっているという。

 ヨーロッパ地区とアジア地区が一望できる「オルタキョイ」。にじいろガイドはエリフ・アイテキンさん(29歳)。

 屋台グルメがたくさんある。日本でもお馴染みの「ドネルケバブ」240円は、牛肉の塊を回転させながら焼く。表面を殺ぎ落としてパンにはさんで食べる名物メニュー。観光客に人気なのは、船の上で作っているもの。鉄板の上で焼いたサバのひらきをレタスとタマネギとパンにはさみ、塩とレモンで味付けした「パルク・エクメッキ(さばサンド)」約240円。ずらりと並んだムール貝を開けると、中には味付けご飯と具の「ミディエ・ドルマス」(約220円)。これにレモンを絞って食べる。日本でもブームになった伸びるアイス「ドンドゥルマ」(約240円)は、その独特のパフォーマンスも人気。
 「Islak Hamburger 」は濡れていて美味しい。スパイスの効いたトマト・ソースに浸したもので、イスタンブールで大人気。これに野菜をトッピングしていただく。「ウスラック・ハンブルゲル」約120円。

 ショッピング・スポットがたくさんある買い物天国でもある。巨大な屋根付き市場「グランド・バザール」には、4000店以上のお店が軒を連ねる。その通路が入り組んだ構造はまるで迷路。ゆったりと買い物をするのは不向きかもしれないので、穴場のバザールに案内してくれました。
 ブルーモスクの裏手にある黄色いアーチが目印の「アラスタ・バザール Arasta Bazaar」。広い1本道の両側にお店が並んでいるから、見やすいし迷うこともない。
 近くにフェルトのお店がある。アラスタ・バザールから歩いて3分の「イコニウム」にはフェルト細工の人間国宝がいる。ユネスコから認定されたメフメッド・ギルギチさん。帽子は約4500円。フェルト細工は素材となる布にオリーブの石鹸水をふりかけ、様々な色のフェルトをちぎって少しずつ貼り付けていく。乾かした後、フェルトを定着させると美しい作品になる。

●イズニック
 フェリーに乗って、イェニカブ港からヤロワ港に行く。片道約650円。そこから車で移動し、合計2時間。イズニックに到着。紀元前トルコに誕生した数々の王国の首都だったので、強固な城壁が未だ残されている。
 タイルの生産地としても有名。モスクの外壁などに使われているタイルは「イズニック・タイル」と呼ばれ、この街で生産されてきた。
 街の工房「クムジュ・チニ」を訪ねた。色鮮やかな陶器が並ぶ。エキゾチックなデザインの中にトルコの国の花チューリップなど、多くの植物がモチーフとなっているのも特徴。その絵柄は現在も一つ一つ手作業。
 イズニックの工芸品の美しさに秘められた秘密は、クォーツ。良質なクォーツの産地でもあり、他の地よりも材料に2倍多く入っている。これによって耐久性が上がり、何百年もの間色あせずに使うことができる。表面に光が反射して独特の美しさを作り出す。

●イスタンブール
 イズニック・タイルで色どられたイスタンブールのモスク「リュステム・パシャ・ジャーミィ」などがある。

 繁華街でよく目にする光景は、お盆にチャイをのせて運ぶ姿。食後や休憩時間に1日何度も飲んでいる。チャイを入れるのに欠かせないのが、2段重ねのヤカン「チャイダンルック」。入れ方は、まず下のヤカンに水を入れて火にかけ、上のヤカンにお茶の葉をたっぷり入れる。お湯が沸いたら、下のヤカンのお湯を上にヤカンに入れて、再び15分ほど火にかける。上のヤカンには直接火があたらないので、適当な温度になり、美味しいお茶になる。ミルクはなしで、角砂糖を入れるのがトルコ流。
 トルコの女性が美容に効果があるとしてよく使うのが、「キラズ・サプ・チャイ Kiraz Sapi 」30g約150円。これはサクランボの軸を使ったお茶。タンニンが多く、老廃物を排出するので、ムクミが解消するとか。

 市内の高台にある賃貸マンションを紹介。2LDK125平方mで、アンティークの家具はそのまま使用できる。バルコニーから市内が一望できる。1ヶ月の家賃は2800トルコリラ(約17万円)。


テレビ番組「世界の果てまでイッテQ! 床屋さんでおまかせ」

 2009年10月4日放送、2010年1月16日再放送。世界の床屋さんでおまかせで頼むとどうなるの?日本テレビ製作。

●トルコのイスタンブール
 ふかわりょうさん。トルコの男性は髪が短い。「Erhan Kuafor 」でおまかせで切ってもらいましたが、結果は髪が短かめの普通の人でした。


テレビ番組「上原多香子 トルコ ベリーダンスの心にふれる」

 2010年1月2日放送。上原多香子さん(26歳)は13年間踊りを続けてきた。トルコでベリーダンスを学んで、新しい扉を開くカギを見つけたいと思った。またイスラムの教えでは女性は肌は隠すことが大事なのに、ベリーダンスは肌を露出しているのが疑問だという。NHK製作。

●イスタンブール
 ベリーダンスのベリーとは英語で「おなか」の意味。1893年シカゴ万博のトルコ村でこの踊りを踊った人々が口々に「ベリー」と言ったことから名づけられたという。今世界中の女性たちの間で人気が高まっている。
 トルコにはいたる所にモスクがある。人口の90%がイスラム教を信仰している。世界で一番美しいと言われるブルーモスク「スルタンアフメト・モスク」に行ってみた。入口で髪を隠すためにベールを貸してもらった。

 50年以上も活躍しているセマ・ユルドゥズ Sema Yildiz 先生を訪ねた。ベルギー人の父とトルコ人の母を持つ。17歳でプロになり、トルコ一というマキシムで23年間トップダンサーとして活躍した。1週間に渡ってベリーダンスを教えてもらった。
http://www.semayildiz.com/

 セマ先生とダンスを見ながら夕食ができるお店に行って、3人のダンサーの踊りを見た。
 ベリーダンスは何種類かに分けられる。オーソドックスなトルコ風スタイル、パーカッションのリズムに挑戦するような感じのエジプト風スタイル、アクロバティックで官能的なアメリカ風スタイルなどがある。セマ先生は外見ではなく、心で観る、心で感じることが大事だという。
 イスティクラル通りにあるスタジオで昨夜みたダンサーのゼンヌル・カラジャ Zinnur Karaca さんに会う。ここはセマ先生が地元の人にダンスを教えている場所でもある。2人が踊っている姿は、踊りで会話をしているようでした。

 セマ先生がベリーダンスを始めたのは、ジプシーと呼ばれたロマの人々が住む場所スルクレで育ったため。そこは500年以上も前からロマが住んだ場所。新しいビルを建てるために古い建物を壊していました。ロマの人々は踊りなどをしながら放浪の旅をしていた民族。タンバリンや太鼓など4人編成の演奏家と踊り子からなるグループで、結婚式などの祝いの席で踊りを披露していた。オスマン帝国が繁栄していたので、この地に集まってきたという。
 ロマの人々が最も憧れたのは、王スルタンが住んでいたトプカプ宮殿のハレム。王以外の男性の立ち入れが禁止され、毎夜踊りが披露されたという。女性たちは妖艶な衣装でこぞって舞を競いあった。
 スルクレ地区の会長シュクル・プンデュグさんを訪問した。会長が声をかけ、小さな子から大きな子まで集まった。そこで即興演奏会が始まった。
 幼馴染が集まって作った楽団があるという。クラリネット、タンバリン、カヌーンという75本の弦楽器、バイオリン、ダルブッカという打楽器などを使用している。

 夜、海に面した美しい街クムカプ Kumkapi に行く。たくさんレストランがあるが、それぞれに楽団がいるという。シーフード・レストランが軒を連ねている。食事中ロマの楽団が演奏してくれる。セマ先生のご主人はベルギーに住んでいるそうです。
 1980年トルコでは軍事政権が樹立し、イスラムの教えに反するというので、ベリーダンスが禁止された。3年後に政権が交代した。その間セマ先生は一人で踊り続けた。

 美しい衣装も大事なので、プロご用達のお店に出かけた。黒、赤、白ベースの衣装を選びました。
 移動式の市場に行って夕食の買出しをし、セマ先生が料理を作ってくれた。ここには観光客はいない。お米は1kg5リラ(約350円)。キャベツ1個1リラ(約70円)、レタスも1リラ、アーティチョーク1個2リラ、ビワ?10個2リラ。ユフカは小麦で作った生地。
 トルコの女性は料理を作る時、頭にスカーフを巻く。「ヤブラック・ドゥマ」はブドウの葉のロール巻き。「シガラ・ポレッキ」はトルコ風春巻き。

●カッパドキア
 ナイトクラブにセマ先生がゲスト出演するというので一緒に行った。ムスタファ・パシャ村 Mustafa Pasa Koyu で、女性中心の結婚式の前夜祭があるという。花嫁の父ムラト・カンさんが出迎えてくれた。中庭ではこの村の習慣で、村人全員1600人を招待したという。食事の後にダンスがあり、伝統的な踊りがある。花婿のハカン・クルトさんと花嫁のアイリン・カンさんが出てきた。昔は女性だけだったが、今では男性も参加する形に変化しているという。
 夜、ナイトクラブでセマ先生の踊りがあった。60歳を越えているとは到底思えないような舞台でした。

●イスタンブール
 船に乗ってアジア側に行ってみた。
 帰る前の日の夜、みんなが送別会を開いてくれた。ベリーダンスを1曲完全に踊りたいと思ってトルコに来たが、感じたままに踊るというのが大事だとわかった。


テレビ番組「たけしの新世界七不思議・第4弾」

 2010年1月1日放送。ビートたけしさんが決めている。今回はギリシャのパルテノン神殿とローマの円形闘技場コロッセオ。テレビ東京製作。

●トロイ
 ホメロスが書いた古代叙事詩「イリアス」には、神話をもとに描かれたトロイア戦争の物語。紀元前12世紀、スパルタに世界一の美女王妃ヘレンがいた。美しさに魅了されたトロイアの王子パリスはヘレンを略奪した。激怒したスパルタの王はトロイアをギリシャ軍として攻めた。10年続いたが、その結末はあっけなかった。ある日ギリシャ連合軍の船団が突然海から消え、浜辺には大きな木馬が残されていた。平和の象徴だった馬を置いていくことは、まさに降伏の意味があった。反対する者もいたが、馬はトロイアの城内に引き入れられた。その夜、木馬から兵士が出てきて、鉄壁の城門が内側から開かれた。島影に隠れていたギリシャ軍の兵士が一斉に城門になだれ込み、火を放った。
 それから800年後、この物語に心を打たれたのが、マケドニアの王アレクサンドロスだった。家庭教師だったアリストテレスにホメロスの作品を教わり、イリアスを一生の教科書とした。人間の心を捕らえるには何をすべきか、戦いに勝つにはどうすべきか。彼は世界初の大帝国を打ち立てた。
 1829年ドイツ北部の小さな田舎町アンケルスバーゲンで、ハインリッヒ・シュリーマン(1822年〜1890年)が7歳のクリスマス・プレゼントにイリアスをもらった。1844年(22歳)交易商に雇われて、残った時間と給料の半分を外国語の勉強に費やすようになる。商人として頭角を表わし、ロシアとの交易で大成功し巨万の富を築いた。1864年彼は世界一周の旅にでて、幕末の日本にも立ち寄っている。1866年(44歳)パリのソルボンヌ大学で古代史と考古学を勉強した。ギリシャやトルコに何度も足を運び、可能性のある場所を歩きまわった。アテネで16歳のソフィアに心を奪われ、後に結婚する。
 シュリーマンはトルコのチャナッカレの「ヒサルリックの丘」に目をつけた。多い時は150人の作業員を動員し発掘した。5年後の1873年、宮殿の跡だと思える場所から大きな銀の壷を発見した。その中には黄金の額飾り、耳輪、腕輪など8750個もの装飾品が詰まっていた。これらは現在はアテネ国立考古学博物館に収蔵されている。

●ツタンカーメン
 ハワード・カーターは誰もが見捨てた場所で頑固なまでに発掘を続けた。イギリスの資産家カーナヴォン卿と娘イブリンだけが彼の後押しをしてくれた。19年後の1922年11月26日、水汲みの少年がある階段の入口を見つけた。そこにはツタンカーメンの遺産が眠っていた。

●マチュピチュ
 標高2400mの尾根に空中都市マチュピチュがある。1911年、ハイラム・ビンガムは幻の都ビルカバンバを追い求めていて、発見した。

●アテネ
 人口300万人で、ギリシャの人口の4分の1が集中する。近代的なビルは車が行き交う。こういう中に古代をしのばせるものがあった。
 アゴラ(市場)は、2500年前の古代ギリシャ時代から栄えていた。アテネは海の交易の中心地だったので、古来から市が立っていた。フェタ(ヤギのチーズ)も昔から取引されていた。
 アクロポリスの丘にパルテノン神殿がある。アクロポリス公式ガイドのエリコス・プシホヨスさんが説明してくれました。人々は人口3万ほどの都市国家ポリスを形成していた。それぞれのポリスでは守護神を祭る神殿を小高い丘の上に建てた。アテネではディオニソス劇場なども作った。プロピレア門をくぐるとパルテノン神殿に到着する。

●パルテノン神殿
 オバマ大統領が就任演説を行なったリンカーン記念堂は、建築様式はパルテノン神殿をモデルにしている。これだけではなく、日本の国会議事堂、オーストリアの建物、フランスの建物、スペインの建物と全てパルテノン神殿をモデルにしている。パルテノン神殿は、時代を超えて人々から最も美しい建築物として称えられてきた。紀元前438年に完成した。プロピレア修復責任者のタソス・タヌウラスさんが説明してくれました。政治家ペリクレスに代表される民主制はアテネで産声をあげた。その象徴がパルテノン神殿であったので、各国の国会議事堂で使われているのだろう。紀元前5世紀、ペルシャ帝国はインダス川流域からギリシャまで勢力を拡大していた。この神殿はそのペルシャとの戦いに勝利して建てられたもの。かかった費用は当時のアテネの国家予算の2倍。
 考古学者ルウリ・デリヤリスさんが説明してくれました。ペルシャとの戦いに勝った後に、アテネはペルシャに近いサモス島、キオス島、レスヴォス島などとデロス同盟を結んだ。軍事資金をデロス島に蓄えていた。ペリクレスはそのお金をパルテノンの建築費用に注ぎ込んだ。

 考古学者ルウリ・デリヤリスさんは、フリーズと呼ばれる神殿上部に施されていたレリーフに暗号として刻まれていたという。アクロポリス博物館は去年オープンし、4000点が収蔵されている。特にフリーズという彫刻群には、古代アテネ最大の祭り「パンアテナ大祭の行列」が描かれている。当時はタブーだった。当時は神殿の彫刻は神話の神か英雄でなければならないとされていた。ペリクレスは祭礼に参加する一般市民が描かれている。その答えが描かれているという。南の面には、10に分かれた騎馬隊、馬車10台、牛10頭などが描かれている。北の面には、牛は4頭。4の数字は貴族支配の数字を表わしている。昔のアテネは4つの貴族が支配していたから。改革後、4の貴族階級は10に分裂させられ、権勢を失った。つまりペリクレスは貴族社会を分裂させ民主化を実現させたアテネ市民を讃えているという。ギリシャでいう市民とは戦争で戦う兵士を意味する。労働はその戦争で獲得した奴隷の役目だった。当時のアテネは約10万人の市民と奴隷約5万人の上に立っていた。しかしペルシャ戦争で市民が活躍したので、貴族社会を脅かし始めた。やがて下級兵士が市民としての力を持ってくると、その支持を集めた指導者たちが集まり始めた。ペリクレスは世界で初めて選挙により選ばれた市民で、民主主義を完成させた。
 エジプトで書かれた「アテナイ人の国政」という本の著者はギリシャの哲学者アリストテレス。そこにはアテネの政治制度が詳しく記述されていた。
 建設工事には、石工工事、大理石を運ぶ人など多くの市民が関わった。戦争後の多くの兵士に職を与えただけでなく、貧しい市民にも資金が支払われ、下層市民の政治的発言力も高まり、民主制が強くなっていった。黄金の女神像は金で作られ、別の意味で金が備蓄された。デロス同盟のお金はこうしてプールされた形となった。

 2009年ミス・ヤング・アテネのテリーナ・スクゥルリィさん(17歳)が案内してくれたのは、古代アテネ料理店「アルヘオン・ゲフシス」。2500年前に食べていたものが再現されている。メイン・ディッシュは「ヤギのもも肉のグリル」。「揚げチーズのベリー・ソース」。「ひよこ豆と赤カブの煮物」。「ルッコラとフェタのサラダ」。「ポークソテーのハチミツ・ソース」。当時はナイフとスプーンで食事をしていた。
 そんなアテネ市民の娯楽が演劇だった。アテネ市内にはディオニソス劇場がある。酒の神ディオニソスを讃える歌と踊りが始まり。コーラスやオーケストラという言葉は古代ギリシャの言葉。「人間はいかに生きるべきか」という哲学もこの時代に育まれた。プラトン、ソクラテスなどがこの時代に生まれた。

 パルテノン神殿は美しい。ピロピリア門から入った人はパルテノン神殿を必ず斜め30度くらいから見ることになる。正面から見た場合と感じが違う。斜め30度から見た方が奥行きや柱のバランスが整って見える。実は柱の間隔は一定ではなく、斜め30度から見た方がきれいに見えるように配置されている。パルテノン神殿は縦と横が4:9で建造されている。
 彫刻家フェイディアスが全ての彫刻をまかされたといわれている。彼はペリクレスの幼馴染だった。大理石はアテネの東20kmのペンデリ山。
 パルテノン修復責任者のニコス・トカニティスさんが説明してくれました。この神殿は直線と平面の組み合わせで作られているように見えるが、曲線で作られている。床の部分も中央に向かってわずかに盛り上がっていて、真中が痩せて見えるのを避けている。円柱はエンタシスというわずかなふくらみをもたせ、上にいくにつれ細くなっている。円柱はいくつものドラムが積み重なって1本の柱となっている。ドラムには穴があけられていて、上下で合うように補助の役割をしていたか、地震の際のズレを防ぐためのものだった。
 そして紀元前438年に完成した。奥行き69.5m、幅30.88m、円柱の高さ10.5m。全体が彫刻像や浮き彫りなどで飾られており、神殿内部には鷹さ12mの黄金と象牙からなるアテナ女神像が置かれていた。屋根には瓦が並べられていた。
 熊本大学工学部の伊藤重剛教授はギリシャの神殿には色がついていたという。元はパルテノン神殿も色がついていたという。CGで再現してみた。全体にクリーム色で、赤、青、金色の塗料が使われていた。黄金比率は(−1+ルート(5)÷2。

 ペリクレスが制度を整えた民会という議会で、一人の市民の発言をきっかけにアテネの発展は衰えていく。告発者は、それはアテナ女神像の楯「ストラングフォードの楯」に描かれている人の中央の二人がフェイディアスとペリクレスであると言った。フェイディアスは自分が彫ったと告白し、神への冒涜という罪で起訴され投獄された。ペリクレスも将軍の座から辞した。これがアテネと敵対していたスパルタを中心とするペロポネソス同盟国に有利となった。
 戦争によりアテネは劣勢となり、市民は再びペリクレスを将軍に選んだ。しかし戦い開始から2年目にアテネに原因不明の疫病が流行した。これで多くのアテネ市民が亡くなった。紀元前429年、ペリクレスは他界した。紀元前404年、ついにアテネはスパルタに全面降伏した。貴族が復活し市民権を剥奪した。紀元426年、アテネを支配したビザンティン帝国は神殿をキリスト教の聖堂に改宗した。アテナ像はコンスタンチノーブルに持ち去られた。15世紀半ばにオスマントルコが台頭してからは、神殿はイスラム教のモスクに改造された。1687年にトルコと敵対していたベネツィアがアテネに上陸し、トルコ軍は追い詰められ、アクロポリスに立てこもった。9月26日、ベネツィア軍の砲弾がパルテノンに命中し、トルコ軍はパルテノンを火薬庫として使用していたため、大爆発で神殿は崩れ落ち、炎に包まれた。1984年に修復が始まり、西面と東面の作業が終わった。現在一番難しい北面の修復にとりかかっている。全ての修復が終わるのは15年後。

●ローマ
 2008年ミス・ローマの女神アレッシア・フリシオさんが案内してくれた。古代ローマ料理の店「パパレックス」はローマの兵士姿のウェイターが給仕してくれる。紀元前8世紀にはローマは小さな都市国家にしかすぎなかった。イタリア半島統一後は破竹の勢いで北アフリカ、トルコ、スペイン、フランスまでも領土を拡大した(1世紀)。紀元2世紀にはヨ−ロッパのほぼ全土と北アフリカを手に入れた。古代ローマ史研究家のセルジョ・ヤコモーニさんは、ローマは組織力を強化したという。

●コロッセオ
 建設したのは、時の第9代ローマ皇帝ウェスパシアヌスで、日本ではあまり知られていない。ローマの財政が破綻しかけた時に就任し、有料の公衆トイレなどを設置した。そのため、イタリアでは公衆トイレはウェスパシアーノといわれている。
 コロッセオはアーチを横に80本。それを3段に重ね、その上のもう1段ある。5万人を収容した。使用された石材は30万トンに及ぶ。ネロ、ウェスパシアヌス、コンモトゥス、コンスタンティヌスという歴代の皇帝も理解しないといけない。

 ローマを支配するためには、民衆の人気も必要だった。そのためカエサルは「パンとサーカス」で民衆を味方にした。無料で闘技場を市民に公開した。しかし支配の拡大を恐れる反対勢力によって、紀元前44年に暗殺された。それを継いだのが、初代ローマ皇帝アウグストゥスだった。そのローマの衰退と繁栄は属州のユダヤに現れた一人の男と深く関わることになる。彼の教えは為政者への反逆行為とみなされた。紀元33年、ゴルゴダの丘でイエスは十字架に架けられた。その死後弟子たちの熱心な伝道活動が実を結び、ローマでも特に貧しい人々の間で信者が増えつつあった。

 キリストの死からおよそ20年後の紀元54年、第5代皇帝ネロが即位した。母と弟を刺し殺したが、バラと音楽を好んだ。自ら劇場に立ち歌を歌うこともあったという。ローマの街並みを大改造し、その中心に黄金宮殿を建築しようとした。そこで紀元64年、ローマで大火が起こった。ネロはキリスト教徒たちに放火の罪を着せ、1日何百人も猛獣の餌食にし、火あぶりにした。彼らの死を恐れない姿が人々に強い衝撃を与えた。ローマでは信者がさらに拡大していった。逃げ出したネロには4人の奴隷しかついてこなかった。そして自ら命を絶った。

 その後のローマは内乱状態になったが、それを鎮めたのはウェスパシアヌスだった。そして元老院により皇帝に選ばれた。彼は劇場でネロの歌の際に居眠りし、ギリシャに追放されていた。彼はカエサルの「パンとサーカス」を参考にし、コロッセオを建築させた。その完成を見る前に彼は亡くなった。その直後、ベスビオ火山が大噴火し、ポンペイが沈んだ。そして紀元80年、コロッセオが完成した。その翌年にはまたもローマは大火に見舞われ、その翌年には疫病が流行した。それでも市民の心は皇帝の心から離れなかった。

 コロッセオは周囲527m、外壁の高さ48.5mの楕円形。アーチで形成されているが、下からドーリア式、イオニア式、コリント式と異なる様式の柱がそれぞれの層を支えている。観客席は4層に分れていて、第1層はVIP専用席で、皇帝のための席もあった。第2層は一般市民、第3層は最下層市民の解放奴隷、第4層は女性専用席だった。アリーナはかつては白い砂で覆われていた。現代でも使われるアリーナとは、元々は白い砂のことだった。コロッセオの外側にある石が残っているが、これはホロを張るためのロープを止める石。かつては雨や強い日差しを避けることができる全天候型スタジアムだった。後にこれが面倒になったので、ドームを考えた。それで世界で初めて作られたドーム式の神殿が「パンテオン」(紀元前27年)。

 これを8年で作ることができたのは、道であった。古代ローマ史研究会会長のセルジョ・ヤコモーニさんが説明してくれました。全ては1本の道から始まった。道こそがローマ繁栄のカギだった。戦車や馬車など重装備の軍隊が通ってもビクともしなかった。旧アッピア街道など。
 ローマの道は通常は4層からなっている。最下層は1mほど掘り下げた基盤部分、およそ30cmの砂利を敷いて水が溜まるのを防いでいる。第2層は砂利と粘土を混ぜた層。第3層は砕いた石の塊を詰め込み、表面を緩やかな弓型にしている。第4層には一片70cmの大石を敷き詰めてある。イタリア政府公認修復師のフラヴィア・トゥッモロさんが説明してくれたが、全ての層はセメントによって固められていた。これがローマン・コンクリートの技術だった。
 これの作り方は、砂利にヴェスビオ火山などの火山灰を混ぜ、懐いたレンガを加え、石灰を水で溶いたものと共に混ぜ合わせる。固まるまでには60日かかる。
 コロッセオはアーチを横に80本、縦に3層重ね合わせている。アーチにより重量を分散させることができ、土台部分にもローマン・コンクリートが使用された。コロッセオでは、コンクリート、レンガ、大理石を場所によって使い分けるという高度な技術が使われている。ローマン・コンクリートは現在のコンクリートの倍以上の強度があったという。
 コロッセオでは敵味方に分かれて船で戦をする海戦まで行なわれていたという。
 次にローマでは水不足を補うために、水道橋も作られるようになった。今もクラウディア水道橋が残る。水道橋にはローマン・コンクリートが使用された。ローマの人口が100万人になった時、11本の水道橋があり、1日あたりの水の供給量は110万立方m以上だったという。現在の東京都と比べると、1人あたり倍以上使っていたことになる。セルジョ・ヤコモーニさんが説明してくれました。
 ネロは焼け野原となったローマにかねてからの夢だった黄金宮殿を建設した。その跡地に建てられたのがコロッセオだった。どうしてコロッセオと呼ばれるようになったかというと、宮殿の入口にあった太陽神の巨像「コロッサス」に由来する。その像の顔は皇帝ネロの顔だったという。その宮殿の庭に巨大な人工池があった。その池がコロッセオに使われたようだ。それを見つけたのが、地下の遺跡を調査するボランティア集団「ローマ・ソッテラネア」。その地底調査長のシモーネ・サントゥッチさんが説明してくれました。近くにある「サン・ジョバンニ・エ・パオロ教会」の地下から見つかったのが、全長4kmにも達する洞窟の入口。元々は神殿の建築資材を切りだすために掘られていたが、人工池に水を引くための貯水タンクとなった。

 「パックス・ロマーナ」は18世紀の学者エドワード・ギボンが作った、五賢帝時代の地中海世界の平和を表わした言葉。
 第16代皇帝マルクス・アウレリウスは慈悲と寛容に富んだ偉大な君主として知られる。この時代、天災や疫病、多民族からの進入が相次いだが、マルクスは自ら戦い、ローマの安定を図った。彼が犯した重大な失敗は、ローマ皇帝として初めて自分の息子を指名したことである。それが第18代皇帝コンモドゥスで、コロッセオで戦い、負け知らずだった。一人で100頭の熊を殺した。1.2万人の剣闘士を殺害したという記録もある。ローマ帝国最強にして最悪、暴虐帝とまで言われた。太陽神コロッサスの顔も自分の顔に似せて作り変えた。国政の重職を全て部下に委ね、乱暴と放蕩の限りを尽くした。宮殿には300人の妾と300人の青少年が常に囲われていた。暗殺未遂も頻発した。紀元103年12月31日の夜、最後に暗殺を計画したのは、親衛隊長ラエトゥス、侍従長エクレクトゥス、愛人マルキアで、暗殺に成功した。
 その後無政府状態となったローマは、紀元235年〜284年の間、軍隊に依存する「軍人皇帝時代」に突入した。およそ50年の間に26人の皇帝が入れ替わった。

 4世紀初頭、キリスト教と深い関係を持つコンスタンティヌスが皇帝となった。その前にコンスタンティヌスはローマ市の支配権を巡る戦いで、苦戦を強いられていた。ある日、太陽が西に傾きかけた頃、天空に光輝く十字架を見た。そして空に不思議な文字を見た。「汝、これにて勝て」。その夜、コンスタンティヌスの夢にキリストが現れ、「軍旗に十字架をつけよ」と言った。実際に十字架をつけたところ、戦いに勝利し、内乱を平定した。紀元313年、キリスト教を公認した。コンスタンティヌスもまた皇帝の継承権を息子に引き継がせたいと思っていた。元老院の貴族議員やローマ市民を納得させるために、皇位の継承は神が望んでいるということにした。司教たちを懐柔し、彼らの口から統治の権利を伝えさせた。さらに紀元330年、首都をローマからビザンティンに移し、名前をコンスタンチノーブルと名づけた。紀元325年、コロッセオでの野蛮な行為をやめるように勧告した。彼は死ぬ直前の紀元337年、キリスト教の洗礼を受けた。

 紀元395年、ローマは東西に分裂し、ローマを首都とした西ローマ帝国は異民族の侵略により、間もなく滅亡した。コロッセオは存在意義を失い、無用の廃墟となった。逆にバチカンに本山を置いたキリスト教はヨーロッパ世界の精神的支柱となった。間もなくコロッセオは良質の大理石の石切り場となった。この大理石はサン・ピエトロ大聖堂にも使われているという。

 18世紀、古代ローマの象徴は全壊の危機にさらされていた。時のローマ教皇は、コロッセオを聖地と定め、破壊を禁止した。この価値を評価したのは、エドワード・ギボンだった。

 最終的にパルテノン神殿が選ばれました。


テレビ番組「たけしの世界の七不思議、第3弾」

 2009年1月1日放送、2009年12月30日再放送。ビートたけしさんが選んだ。今回のエントリーはカッパドキア、アンコール遺跡群、モン・サン・ミッシェル。テレビ東京製作。

●世界の七不思議
 紀元前200年頃、ギリシャで1冊の本「世界の七不思議」(フィロン著)が出版された。オリンピアのゼウス像、バビロンの空中庭園、エフェソスのアルテミス神殿、ロードス島の巨像、ハリカルナッソスのマウソロス王の墓碑、アレクサンドリアの灯台、エジプトのピラミッド。この中で今も残るのはピラミッドのみ。

●新世界の七不思議
 第1弾では、マチュピチュ、楽山大仏、ナスカの地上絵からナスカの地上絵が選ばれた。第2弾では、モアイ像、チチェンイツァ、シーギリヤ・ロックの中から、チチェンイツァが選ばれた。

●カッパドキア
 アンカラは1929年に首都となった。古代ローマ時代から栄えていた歴史有る町でもある。今も当時の遺跡が数多く残されている。ここからカッパドキアまで車で5時間。途中にはトルコを代表する塩の産地「トゥズ湖」がある。さらに1時間で岩場が目立つようになり、峠を越えると奇岩が出現する。
 海抜1200mを越える高原に、東京都よりも広い総面積2500平方kmに渡って広がる奇岩地帯。1985年世界遺産。「妖精の煙突」と呼ばれるキノコ型の奇岩が立ち並ぶ。キノコ岩は高いもので、約20m。中にはラクダ、群れをなすオットセイ、金魚、キスをする2人、ナポレオンの帽子などと名づけられた岩もある。夕暮れ時に驚くべき絶景に変わるのはローズ・バレー。
 この岩ができたのは、富士山にも似た名峰「エルジェス山」(標高3916m)にあった。数千万年前にこの付近の火山は噴火を繰り返していて、100mを越える凝灰岩の層ができた。さらに最後の大噴火が起きた時に、その上に「メッサ」と呼ばれる鉄分を多く含む硬い岩が降り注いだ。雨や風による侵食により、凝灰岩が削られた。
 ネヴ・シェヒル考古学博物館館長のハリス・イェニブナル博士が説明してくれた。キノコ岩は侵食され、やがて傘の部分が崩落する。ローズバレーのような波うつ奇岩となる。
 1965年、「デリンクユ地下都市 Derinkuyu Yeralti Sehri 」が発見された。昔から地下にもう一つの都市があるという話はあったという。しかしそれは誰も信じなかった。郷土史家オメル・テミルさんは調査することにした。そこにドイツ人考古学者マーティン・ウルバン博士がやってきた。以来2人で調査を開始した。昔から人々は地下に穴を掘り倉庫として利用していた。そこから調査を開始した。地下3mの倉庫は今も利用されている。そこに地下都市への入口があるのではないかと調べていた。ウルバン博士が汲み上げられた石に隙間があることを見つけた。取り除くと、その先に通路が出現した。石版があり、それを取り除いたら、地下へと続く通路が出現した。その先には数十人が入る広い空間がいくつも出現した。最深部に到達すると、そこから地上につながる竪穴があり、光が差し込んでいた。これは地下45mまで続いていた。ウルバン博士は「アンダーグラウンド・シティ」として1冊の本にまとめた。
 オメルさんが案内してくれた。地下8階まで掘られ、1.5万人が生活できたという。こういう地下都市が他にも200以上確認されている。これは人類最後の日「ハルマゲドン」に備えた、100万人規模の地下シェルターだという説もある。
 次に「カイマクル地下都市」の中に入った。穀物の保管庫があり、小麦粉でパンのようなものを焼いていた跡があった。台所では天井にススがあった。

 巌窟住居に住んでいるズィアー・アタイさんのお宅を訪ねた。壷や瓶の大きさにあわせて岩を削って棚を作る。リビングも岩の上に絨毯を敷いていた。夏は涼しく、冬は暖炉に火を入れるととても温かいという。
 今でも巌窟住居がホテルとして利用されている。「アルゴス・イン・カッパドキア」。スイートルームは1泊600ユーロで、中にはプールも完備されている。
 地下の奥深くでも人は暮せたのか?調査をしている東海大学海洋学部のアイダン・オメル教授に話を聞いた。たった1本の45mの立孔により、ほぼ完璧に空調システムができていたという。自然の空気の流れを作るために、立孔から地下都市に空気が流れるようなシステムになっていた。

 最初に地下都市を築いたのは誰か?「トカル・キリッセ」に見られるように、3世紀頃からこの地に移り住んできたキリスト教徒だというのが最も有力。ハリス博士はこれまでの定説を覆す重要な手がかりを発見したという。田園地帯の中の碑文は、紀元前730年頃に書かれたものだが、後期ヒッタイトの王が戦いに勝利したことが書かれている。ここがヒッタイトの勢力範囲だったことがわかった。ヒッタイト人はアナトリア半島に紀元前2000年頃に王国を築き、世界で最初に鉄を使用した民族。博士は鉄を使って彼らが最初に地下に暮らし始めた可能性が高いという。近くに地下1階の建物があったが、それをキリスト教徒が参考にした可能性があるという。
 デリンクユ地下都市でも、オメル氏は最初の入口はヒッタイトの時代に作られたものだろうと語る。構造がヒッタイトの有名な遺跡「ハットゥーシャ遺跡」にある形によく似ているという。穴の掘り方にも特徴があるという。ヒッタイト人は鉄のつるはしのようなものを使い、地上から数mのところにこうした地下空間を作ったと考えられるという。
 ハリス博士は石版が地下通路の要所要所に仕掛けられていたことから、地上に敵が現れた時に人々が避難する場所ではなかったか?と考えられた。理由はイスラム教徒などから避難するため。または、キリスト教徒にとってここが特別な場所だったという説もある。地下7階に教会があり、100人が毎日礼拝していたと思われる。形が上から見ると十字架の形となっている。または、キリスト教徒たちが復活の日を待つ大規模なシェルターだったという説もある。そもそも3世紀頃にキリスト教徒たちがこの地に暮らし始めたのも、この荒涼たる土地が、ヨハネの黙示録に登場するこの世の終わりの光景に酷似していると考えたからか?カッパドキアの修道士たちは、いつか訪れる終末を考えていたのか?

●アンコール遺跡群
 カンボジアのうっそうとした密林の中にアンコール・ワットがある。そのまわりに大小700もの石像遺跡がひっそりとたたずむ。2001年、上智大学による新たな発掘が歴史を覆した。274体もの仏像を発掘した。そのほとんどが首が切断されていた。
 1860年、フランス人博物学者アンリ・ムオは未開の地に生息する動植物を調査することだった。その過程でアンコール遺跡を発見した。しかし、その200年前に日本人がアンコール・ワットを訪れていた。ある柱に書いてあるのは、1632年、森本右近太夫が墨書をしている。「父義太夫の長寿を奇岩し、また亡き母のぼだいを弔うため御堂を参拝し、四体の仏像を奉納した」とある。祇園精舎がカンボジアに実在していると、当時東南アジアには朱印船貿易により日本人町がいくつも存在していた。祇園精舎の噂は海を渡り、森本の耳にも届いたのであろう。
 水戸の徳川家に代々伝わる「祇園精舎図」はアンコールワットの図面とピタリと一致する。当時の日本人はアンコールワットのことを祇園精舎だと思い込んでいたようだ。元の図面を持ち帰ったのが、森本右近太夫らしい。
 彼は元は加藤清正の部下だった。

 京都市下京区の乗願寺に森本右近太夫のお墓が見つかった。月桂院殿が彼の戒名だとわかったのは、そこに森本佐太夫の名が書かれていたから。お寺の庭の墓石に彼の名前があった。右近太夫15代目の子孫の森本信一さんは消息を探していた。右近太夫が参拝した翌年の1633年、幕府は海外渡航禁止令を出した。帰国者にはキリシタンの疑いがかけられた。容赦のない弾圧があり、右近太夫は名前を変え消息を絶つことで、子孫を守ったと思われる。
 1970年代から90年代のカンボジア内戦はアンコール研究を途絶えさせてしまった。90年代に復活し、上智大学学長の石澤良昭教授率いる調査団が、現地で修復や発掘を教え始めた。そして2001年274体の仏像を発見した。しかし半数以上が首を落とされていた。

 アンコールワット付近の田園では年に3回収穫ができる。乾季には水がなくなるのに、この地はどうして水を湛えることができたのか?彼らが考えたのは、「バライ」という灌漑施設だった。バライとは貯水と排水を考えた巨大な人工池だった。
 アンコール・ワット北東部の「バンテアイ・クデイ寺院」を建築学の三輪悟さんに案内してもらった。アンコールの建物は石だけでできているわけではなく、大量の鉄が「かすがい」として使われていた。1.5kgの鉄を700本程度使っているようだった。では、どこで作っていたのか?
 アンコール遺跡の北東にある「タニ村」では、今でも鉄を使い農具や日曜品を作っている。カンボジアの人々は昔から鉄の加工を日常的に行なってきたという。王朝を訪れた中国人が、王は鉄の鎧を着ていたと記述している。王朝はタイやベトナムまでも領土を広げていた。

 王朝末期に50年にもわたって君臨したジャヤヴァルマン8世(在位1243年〜1295年)は全く寺院を建造していない。それまでの王は即位するとすぐに寺院を建立していた。中でも父のジャヤヴァルマン7世はアンコール・トムの中にあるバイヨン寺院を建立し、今でも偉大な王としてカンボジアの人の尊敬を集めている。このバイヨン寺院は仏教寺院なのか、ヒンドゥー教寺院なのかが不明であった。仏教徒の7世が建立したにもかかわらず、その壁面はヒンドゥーの神々で覆いつくされていた。近年、意図的に改宗されたという証拠が見つかった。バイヨン寺院に多くあったブッダの像が全てはがされていた。重い蓋の下に観世音菩薩像が埋められていたなどがわかった。つまり8世は王になりたかったが、仏教勢力により阻まれた。ヒンドゥー教徒がそそのかして8世を仏教徒嫌いにさせ、血で血を洗う勢力争いの後に8世が王となり、仏教徒を駆逐した。捨てるだけでは生ぬるいというので、仏像の首も切られた。その仏像が274体2001年に見つかった。しかし仏の顔を傷つけないように切られていた。
 8世はアンコールワットも大改造をした。宗教的な意味をそぐために、アンコールワットを金で覆った。橋も金にした。見つかった仏像のうち、首と胴体が一致するものは274体のうち数個しかなかった。まだ残りは埋まっているのだろう。
 8世の時代は滅亡へ向かう衰退した時代とみなされていたが、どうもそうではなさそうだということがわかってきた。

●モン・サン・ミッシェル
 世界で最も美しい世界遺産。海上の岩山にそそり立つ70mもの高層建築。中世の巡礼地だった。モンサンミッシェルとは「大天使ミカエルの山」の意味。尖塔に立っている大天使ミカエルは天の軍勢を率い、悪魔と闘う最強の天使として崇められている。
 現在は堤防で陸と結ばれ、車に乗ったまま行ける。島の周囲はおよろ1km。教会は高さ80mの岩山に建っている。観光客は年間320万人。中でも人気なのが参道に店を構える「ラ・メール・プラール」の巨大なオムレツ。仕上げにリンゴの蒸留酒でフランベし、砂糖をふりかけてある。これは元々は巡礼者に素早く栄養のあるものを提供するために準備したもの。実に100年以上も人々に愛されつづけている。グランド・リュー通りは土産物店などが軒を連ねる。ここを通って20分、急な階段を登ると修道院の建物が見えてくる。そして入口に。
 内部はミサが行なわれていた。8世紀にキリスト教の聖地となった。修道士と修道女は以前と同じように厳しい戒律を守り続けている。

 1337年、イギリスとフランスの間に100年戦争が始まった。この島は要塞として改造された。また1789年フランス革命が起こると、政治犯を収容する牢獄に変えられた。その陰惨なイメージのために誰からも忘れられた。19世紀に文豪ヴィクトル・ユゴーは誰も見向きもしないこの島に注目した。
 1831年ユゴーは愛する妻が友人と恋に落ちたので、失意の中にあった。その時女優ジュリエット・ドルーエに一目ぼれした。それから半世紀に渡って2人はフランス各地を旅しては愛しあった。出会いから3年後の1836年、モンサンミッシェルを訪れた。ユゴーはその美しさに感動し、フランスの至宝が荒廃し、誰からも忘れ去られていることを嘆いた。ユゴーは何枚もデッサンを描き、美しさをアピールした。中でも「モンサンミッシェルは、フランスにとって、エジプトにとってのピラミッドに値する」という言葉をきっかけに、一目見ようという人たちが集まるようになった。1863年、ナポレオン3世はモンサンミッシェルを牢獄として使用することを中止し、歴史的建造物として保存することも決まった。
 この地を取り巻く環境にもユゴーは魅了されていた。大潮の日にそれは起こった。日の出とともに干潟に大量の海水が流れこみ始めた。毎分60mで潮が満ちてきた。この急な潮の流れは浅瀬を渡ろうとした巡礼者の命を奪った。大潮の日の干満の差はおよそ15m。これほどの差は世界最大級。瞬く間に干潟にあったモンサンミッシェルは海の孤島となった。そして1時間後、潮が急激に引き始めた。これはモーゼの出エジプト記を彷彿とさせた。そこでキリスト教徒はこの光景を奇跡として伝えてきた。

 8世紀にキリスト教徒が聖堂を建設し始めた。どうやって建造したのか?アンリ・ドカンさんが説明してくれました。ノートルダム・スーチール聖堂の壁の下から1960年の修復時に古い石組みが出てきた。調査の結果10世紀頃のものだとわかった。当時いかに苦労して石組みを造ったかがわかった。30km離れた砕石場から船で運び、岩盤の上に一つ一つ積み上げていった。11世紀には修道士が暮すようになり、彼らの手により建て増しされていった。12世紀〜13世紀に「西洋の驚異」と呼ばれる建築が行なわれた。最も困難を極めたのは祭壇のある「内陣」と呼ばれる場所で、何度も崩れたという。11世紀には支柱の根元まで崩れたという。これを現在の形として完成させたのは、ギョーム・テストゥートヴィルで、500年を経ても崩壊していない。12世紀のフランスで始まったゴシック建築では、ノートルダム大聖堂・ルーアン大聖堂・シャルトル大聖堂のように、外壁を外側から支えることで、建物の高層化が可能になった。またある部分の天井は柏の木で作られているが、船の底をひっくり返した構造になっている。元々この地方では船造りが盛んだったので、軽くて丈夫にすることができ、建物を高層化できた。またラ・メルヴェールの最上階には、修道士たちが瞑想するための回廊と庭園が作られた。土地をセーブするために、通常は1階にあるものを最上階に作った。
 しかし、14世紀には百年戦争が勃発し、要塞に改造された。15世紀には城壁が作られ、イギリスの攻撃を食い止めた。1789年、フランス革命により政治犯を収容する牢獄に改造された。地下に当時牢獄として使われた場所が残っている。直径6mの大車輪は中に囚人を入れて歩いて回転させ、外の食料を引き揚げるのに使っていた。

 8世紀以前は死者を葬る「モン・トンブ」と呼ばれる山だった。対岸のアヴランシュという町に住むオベール司教の夢に、大天使ミカエルが現れ、「かの山にわが名を讃えし聖堂を建てよ」と言った。オベールは信じなかったので、ミカエルはオベールの頭に指を突き刺した。夢から覚めて穴が開いていたので、オベールは夢を信じ、708年、モントンブにミカエルを讃える聖堂を建てた。しかし、これは事実だったということが、保管されているアヴランシュのサン・ヴェルジュ教会にオベールの頭蓋骨に穴が開いている。ここを訪れた巡礼者に奇跡が多く起こったという。巡礼に訪れた妊婦は、急激に満ちてきた潮のために命を失いかけた。妊婦は大天使ミカエルに祈ったところ、彼女の近くだけは潮が引いたという。また百年戦争でイギリスの攻撃を防げたというのは、城壁が丈夫だったという理由だけではないという。

 今、重大な危機が訪れている。昔からこの地方では漁業が盛んに行なわれてきた。干満の差が激しいこの地で活躍するのは水陸両用車。ムール貝の養殖に適している。年間1万トンとフランスの生産量の7分の1を生む。漁港のカンカルのレストランではそんなムール貝を堪能することができる。中でも人気は「ムール貝のマリニエール」で、蒸したムール貝をホワイトソースやトマトソースで食べる。しかし近年かつてのような豊富な魚介類が取れなくなっているという。養殖業のディディエさんは魚の量も減ったという。モンサンミッシェルは大潮の日でもない限り、完全に海に沈むことがなくなってきている。
 モンサンミッシェル観光局長のアラン・コナンさんは、19世紀になって観光客が増え、1879年に2年かけて堤防が築かれ、鉄道が敷かれた。その堤防が海に悪い影響を与えているという。調査によると130年前に比べ、水深が70cmくらい浅くなったという。これで自然の海流の流れを止め、砂が堆積するようになった。島のまわりは牧草地が広がった。やはり巡礼者たちは海の中に立っているのを見たいと思っているのではないか?モンサンミッシェル湾開発プロジェクト・ディレクターのフランソワ・グザヴィエ・ド・ボーランクールさんに話を聞いた。このままでは2042年にも島のまわりは雑草で埋まってしまうことがわかった。まずは川にダムの建設と人工運河を作る工事を始めた。引き潮の際に一気に沈殿物を流す作戦。第二段階として堤防や駐車場を撤去し、橋をかける。これには車を通さず人のみの歩道にする。2億ユーロかかるそうです。


テレビ番組「世界の果てまでイッテQ! 心に残る温泉ベスト5」

 2009年11月29日放送。森三中の世界の果て温泉同好会による、2年間で数々の温泉に入浴した中から心に残る温泉ベスト5を発表した。イモトさんも出演。日本テレビ製作。

●5位
 インド「美の温泉ツアー」。ラジェンダー・シンさんの案内で出発。まずヨガ。ヨガ歴50年のティラトゥラム・バトラさん(78歳)による指導。肩立ちのポーズ、笑うヨガ。笑うヨガは今インドで一番人気。鼻クリーニング。
 美のスペシャル・ドリンク。飲んだ後に紹介されたのは、「牛のおしっこ」。インドでは神の使いとされる牛の尿は、何にでも効く薬として珍重されている。お求めの方は、インドの薬局で買えます。
 ブンタルに行って、マニカラン温泉に行くバスは既に満席。バスの屋上が空いているというので、乗る。道路のすぐ横は崖。2時間で到着。
 マニカラン温泉広報担当のアラビンダル・シンさんが町外れの川湯に案内。

●4位
 メキシコ「激辛温泉ツアー」。36度でハバネロ入りの辛い料理をいただく。「豚肉のハバネロ・ソース煮込み」。「マンゴーとハバネロ」をいただいた。メキシコではフルーツに唐辛子を加えるのは一般的。
 メキシコでは、生のイモムシを食べるそうです。高級食材です。
 イルカと触れ合う体験もしました。
 川の中に温泉があった。滝の裏にまわると天然のうたせ湯もあった。

●ジャマイカの地獄温泉
 洞窟?の中の温泉に入るが、ぬるい。するとガイドがライターで水面に火をつけた。可燃性のガスが噴出する天然温泉でした。

●3位
 トルコの「うらやましくなる温泉ツアー」。ガイドはアリさん。まずハマムに行く。湯船がない。職人さんに体のすみずみまで洗ってもらえる。まず泡だらけにして、全身マッサージ。アカスリ。頭のてっぺんから足の先まで洗う。女性の場合は職人さんも女性だそうです。
 ベリーダンスのショーに出演。ナイトクラブ「スルターナス」です。まともな踊りではなかったが、お客にはうけました。
 世界遺産パムッカレに行く。トルコ語で「綿の宮殿」を意味する。幅1km、高さ200mにもなる。お湯は35度。青空の青によって青くなっている。夕暮れにはオレンジ色になりました。

●2位
 アメリカの「冒険温泉ツアー」。ラスベガスから自転車で荒野に行く。スカイダイビングの練習をする。インドア・スカイダイビングは下から吹き上げる風にのるもの。1回約7500円。
 スカイダイビングに挑戦。高度4500mから降下。時速200kmで垂直落下。
 とっておきの天然洞窟サウナ。温泉の流れ出す洞窟。90年前にトンネルを掘ろうとしたが、温泉が沸き、工事が中止されサウナになった。

●パプア・ニューギニアの大爆発温泉
 ガゼル半島のカブルブル火山は活火山。周囲は火山灰が降り積もって、枯れ果てた木々が立つ。まず温泉卵。そこを掘るとヘビの卵だと思ったが、ツカツクリという鳥の卵がでてきた。この卵は世界一美味しい卵といわれている。割ってみると9割が黄身で、半熟状態。甘くて濃厚だそうです。
 温泉は海岸沿いが熱い。海側に行くと温度が下がる。

●1位
 アイスランド「湯めぐりツアー」。まず青いサンゴ礁温泉「ブルーラグーン」。世界最大級の巨大露天風呂。源泉は地下2000mから汲み上げた高温の海水。温泉施設だけでなく、ビニール栽培や一般家庭の暖房用としても利用されている。温水マッサージは30分約5000円(入浴料込み)。
 洞窟温泉に入る。お湯がとても透明。50度以上らしいです。出川さんはこれに入りました。
 地球の裂け目「ギャウ」温泉。この場所は秘密。あまり立ち入ってほしくないかららしい。裂け目の崖の下15mらしい。青い色で39度。
 世界最大級のゲイシール間欠泉。間欠泉は地下に溜まったお湯が地熱によって噴水のようにある一定周期で吹き上がる現象。湯柱の温度は97度〜100度で、シャブシャブの温度と同じ。この間欠泉でシャブシャブに挑んだ。箸もマジックハンドもダメだったので、釣りざおでやってみたら、成功したが、熱水を頭からかぶりました。


テレビ番組「世界遺産への招待状20 トルコ」

 2009年9月28日放送。イスタンブール歴史地区、山頂に首の像が多いネムルト山、カッパドキアを紹介。

●イスタンブール
 朝8時、連絡船に通勤の人々が乗って、ボスポラス海峡を越える。海峡の幅はほぼ1km。船で出会ったおじさんは、アジアとヨーロッパの血が流れているという。
 トルコは9割以上の人がイスラム教徒。モスクの中でも歴史が古くイスタンブールのシンボルにもなっているのが、「アヤ・ソフィア」。全て石とレンガで築きあげられている。最大の特徴は直径31mにも及ぶ天井のドーム。今大規模な修復中。作業用のエレベータで56mの高さにまで上がってみた。天井は修復が終わったところはまばゆいばかりの光を放っていた。金箔や色のついた小さなガラス片などを埋め込んだモザイク画だった。1枚1枚微妙に角度を変えて埋め込まれている。これで様々な方向から入ってくる光に反射できる。このモザイク画の中に9世紀の「聖母マリアとキリストの絵」があった。ここは元はビザンツ時代に作られたキリスト教の教会だったため。1453年オスマンの皇帝アフメト2世がこの地を征服したが、破壊せず、イスラムの象徴ミフラーブを取り付け、アヤ・ソフィアをモスクとして活用した。
 修復士のエルティンチ・ギョクチェさんが説明してくれました。当時、この大きなドームは大きな奇跡だった。オスマン帝国の人々はアヤ・ソフィアに魅せられた。イスタンブールを自分たちの都としていくために、この建物が非常に重要だと考えた。現在は建物全体が博物館となり保存されている。
 建物の中で一際目をひく、キリストの「請願図」。
 夜のイスタンブールは幻想的。セマーという伝統舞踊がある。白い衣装をつけた男性が回り続ける。

●ネムルト山
 イスタンブールから東に1200km。山岳地帯を走る。荒々しい岩山が見え始めた。ネムルト山(標高2150m)が見えてきた。頂上には首から上だけの像が並ぶ。動物や人間の顔のようにも見える。地理学者や考古学者の手で今も調査が進んでいる。フェフミ・エルアルスランさんが説明してくれました。ここは紀元前1世紀のオンマゲネ王国の人々が作った王の墓。下の方にある首は全て上にある像の上にのっていたのだが、地震で崩れ落ちた。石像は墓の守り神。このネムルト山自体が全て人の手によって作らたもの。墓は全て小さな小石でできている。近くの岩場から運び、高さ50mの墓を作った。
 この墓を上から見ると、トルコの精神風土を知る手がかりが掴めるという。ラジコンのヘリコプターにカメラを搭載してその全貌に迫った。山を越えた反対側にも巨大な石像があった。異なる文化を受け入れることで生きていける。19世紀この山を越えた軍隊によって、偶然発見された。

●コンヤ
 セマーが生まれた町。お土産屋さんにもセマーを踊る人形がある。セマーが生まれたのは800年前。この地に暮らしたイスラムの宗教指導者メブラーナが始めた。「寛容さは海のようであれ」と終生人々に説きつづけた。メブラーナは人種などに関係なく、平等に人々に接し、イスラム以外にも寛大だった。メブラーナ博物館にはメブラーナの棺がある。メブラーナの説く精神に到達するための修行として始まったのがセマー。

●カッパドキア
 標高1000mを越える乾いた大地に奇妙な岩が次々現われた。まるで別の惑星に迷いこんだようだ。ここで気球に乗る。朝6時、風が穏やかな日の出直後の時間を狙って飛び立った。周囲の火山が噴火を繰り返したことで誕生した大地。噴火により降り積もった灰や溶岩などが数千万年かかって堆積し、侵食された。源の山がエルジエス山(標高3916m)。
 岩だらけの大地に小さな畑が点在しているのが見える。大きな岩に張り付くように街もあった。畑で作業していたのは、メフメト・オズベキさん。ブドウ、トマト、リンゴなどを栽培している。カボチャの花を間引きしていた。摘み取った花は食用にする。妻のハティジェさんは、カボチャの花で中にピラフを詰めて、オリーブオイルとソースで煮込む。ブドウの葉も美味しく料理するそうです。
 この地の惠はハトを大事にしてきたためだという。岩の穴にハトが多く住んでいる。ハトの糞を畑に撒く。肥料として使ってきた。ハト小屋は数千箇所に及ぶ。
 何故ここに住んだのか?考古学者のムラト・ギュルヤズさんが説明してくれました。古い教会が多く、最後の晩餐やキリストの誕生などの壁画も描かれている。3−4世紀にローマ帝国の迫害から逃れるためにここに住んだという。壁画でもわかるようにハトは大切な動物。イエスが亡くなった時に、神の言葉をハトが伝えている。


テレビ番組「世界!弾丸トラベラー 伴都美子、風間ゆみえさんでイスタンブール」

 2009年8月1日、8日放送。伴都美子(30歳)、風間ゆみえさん(梨花さんの専属スタイリスト)が、東洋と西洋の出会う街イスタンブールで、エキゾチックなアイテム(雑貨、アクセサリー、ランプ、カーテン、お土産)を買いたい。日本から12時間50分の空の旅。

●予定
 1日目、12:50、成田国際空港発TK051便、19:40、アタトゥルク空港着。20:15、オルタキョイにタクシーで移動。20:45、オルタキョイを見学。21:30、ニシャンタシュ地区の「キョシェバシュ」にて夕食。23:00、ホテル「シェラトン・イスタンブール・オルタキョイ:ホテル」にチェックイン。
 2日目、8:00、ホテル出発、タクシーで移動。8:30、グランド・バザールでショッピング、10:45、レストランに徒歩移動。11:00、「セブン・ヒルズ・レストラン」にて昼食。12:15、ランプ専門店にてショッピング。13:30、エジプシャン・バザールにてショッピング。14:30、アタトゥルク空港に移動。15:10、空港着。17:10、アタトゥルク空港発TK050便。
 3日目、11:10、成田空港着。

●イスタンブール
 オルタキョイはボスフォラス海峡に架かる大橋と、モスク「オルタキョイ・ジャミィ」の風景が印象的な人気スポット。屋台ではターコイズのネックレスを売っていた。ターコイズ(トルコ石)は、約6000年前から装飾品として愛好され、ブルーには自然の大いなる力が宿ると言われている。石ものアクセサリーは単品でつけるよりも、タイプのものと重ねづけした方が素直に決まる。ブレスレットは7トルコリラ(420円)、風間さんは合計6点で42トルコリラ(約2520円)。ローズクォーツはピンクの水晶で、愛と美の女神を象徴するパワー・ストーン(恋の石)。伴さんはブレスレット7トルコリラ(420円)など3点で21トルコリラ(1260円)。

 ニシャンタシュ地区はハイセンスなセレクト・ショップやカフェが並ぶイスタンブール随一のブランド・ストリート。この地区で人気No.1のレストラン「キョシェバシュ」にて夕食。世界三大料理のトルコ料理の店。ケバブはビーフ、マトン、チキンなどの焼肉料理の総称。「ケバブ盛り合わせ」109.5トルコリラ(6570円)。

 タクシーで飲み屋街に移動。誘われるままにテラス席のあるレストラン・バー「カラマリ」に。専属のミュージシャンが演奏をしている。歌って踊れる賑やかなお店。「ラク」は水を入れると真っ白になるほどアルコール度が高い。約50度で、口あたりは甘い。ベリーダンサーが登場し、店内は大盛り上がり。ダンサーにはチップをあげます。さらに全員で踊る。
 ホテル「シェラトン・イスタンブール・オルタキョイ:ホテル」に0時にチェックイン。目の前が海。ホテル代は270ユーロ〜。

 トルコ最大のショッピング・エリア「グランド・バザール」は、約5000もの店がひしめく。装飾品から生活雑貨まで何でも揃う。3万平方mもある敷地内は、布地、みやげ物、衣類、カーペット、アンティーク、貴金属に分かれる。まずはアクセサリーの店「セレクト・ストーン」。値段は全て重さ次第で、1g=5トルコリラ(420円?350円?)。ブレスレット34g=170トルコリラ(1.4万円?1.3万円?)。細工の細かいバングルは、繊細さを際立たせるために敢えて単品で使用するのが風間さんのお勧め。風間さんは気に入ったのを並べて、その中から選抜する。それで合計242g=1210トルコリラ(7.3万円)。これを5点に変更した。特に気に入ったのは、銀のバングル120トルコリラ(7200円)、ターコイズを散りばめたブレスレット45トルコリラ(2700円)。これら5点870トルコリラ(5.2万円)を炎の値引き交渉で435トルコリラ(2.6万円)に。伴さんはピアス35トルコリラ(2100円)。
 アンティークなどの1点物が多いエリア「オールド・バザール」に移動。アクセサリー・ショップ「バグス」。アンティーク感のある長いネックレスは、スーツ以外は何でも合う万能アイテムだと風間さんはお勧め。ターコイズを多用したゴージャスなネックレスは、コットン・ドレスやファーとの相性が抜群と風間さんは勧める。銀のピアスは115トルコリラ(6900円)。コクタンという木で作ったリングは、小花柄のヴィンテージっぽいワンピースとかにつけても可愛いという。これは3個で180トルコリラ(10800円)。その他合計7点1320トルコリラ(7.9万円)
 陶器グラス専門店「ラ・ティエンダ」ではチャイ・グラスを物色。チャイグラスはトルコの国花チューリップの形が伝統的なデザインで、耐熱性に優れている。ピンクのグレスセットは40リラ(2400円)。風間さんは合計3点で120リラ(7200円)とおまけをつけて50トルコリラ(3000円)。伴さんはヒョウ柄のラクダのぬいぐるみは20トルコリラ(1200円)4個を40トルコリラ(2400円)で購入。

 お昼は「セブン・ヒルズ・レストラン」。建物の最上階に上がると、アヤソフィア、ブルーモスクがきれいに見える。ボスフォラス海峡も見え、360度のパノラマが楽しめる。「メネメン(トルコ風オムレツ)」8トルコリラ(480円)。

 陶器&カーペット専門店「ピラフジ」でトルコ陶器を物色。東洋の文化と西洋の文化が見事に融合した独特のデザインの陶器は、トルコを代表する伝統工芸。柄が美しい。個性が出すぎる多彩な色の陶器は、日本だと浮いてしまう。これよりも、単色の陶器の方がインテリアとしての利用価値は高いと風間さんは言う。真っ赤な角皿80トルコリラ(4800円)。青い丸皿110トルコリラ(6600円)など6点570トルコリラ(3.4万円)を風間さんは購入。伴さんは2点を275トルコリラ(1.6万円)で購入。「オールドキリム」は約40〜100年前に作られたクッション・カバーで、トルコ遊牧民伝統の織物で希少価値が高い。1枚10リラ(600円)で7点を50トルコリラ(3000円)で購入。さらにテーブルクロス2点350トルコリラ(2.1万円)。

 ランプ専門店「エンジェル・セイラン」に行く。トルコのランプは、モスクを照らすキャンドル置きとして作られた名残で、現在でも丸形のデザインが主流となっている。インテリアのランプにあわせて選ぶのがベストだと風間さんは語る。ランプ1個150トルコリラ(9000円)など合計7点450トルコリラ(2.7万円)を風間さんは購入。伴さんは2点60トルコリラ(3600円)。荷物を置かせてもらった。

 「エジプシャン・バザール」で買い物。食料品や家庭用品が豊富なバザールで、香辛料店が多いため、スパイス・バザールとも呼ばれる。残りは1時間。「ラブティー」はレモン、アップル、ローズなどをミックスしたお茶で、好きな人に飲ませると3日以内に思いが通じると言われている。その他合計9点178トルコリラ(10700円)で風間さんは購入。

 途中でトルコアイスをいただく。5トルコリラ(300円)だが、急いでいるのにパフォーマンスされて、少しキレ気味。

 カーテンの店を探す。店はあるのだが、オーダーっぽいというので、次々移動。残り2分弱でやっと見つけた。180トルコリラ(10800円)。

 以上合計、伴さん12点、風間さん58点で4380トルコリラ(26.3万円)。


テレビ番組「知っとこ!世界の朝ごはん トルコのフェティエ」

 2009年7月25日放送。

●フェティエ
 トルコの南西部にある。日本から14時間で到着。まばゆい太陽に照らされた地中海の港町。古くは古代リキア王国の中心都市として栄えた。現在はヨーロッパの人に大人気のリゾート地。
 町の北側にある「バーデムリ・バフチェ」。切り立った崖の岩がくりぬかれている。紀元前400年頃に作られたアミンタス王の墓で、岩窟墓と呼ばれる。亡くなった後も権威を示せるように、高台に作らせたとか。
 もっと山の方に行くと、「カヤ・キョイ」という村がある。廃墟みたいになっているが、1922年までギリシャ人が住んでいた場所。元は3500戸2万人住んでいたとか。90年前の独立戦争でギリシャ人はこの村からいなくなったという。教会もある。壁画や彫刻もあるので、廃墟にしておくのはもったいない感じがする。

 オイトゥン・コムシャク?さん(27歳)が紹介してくれたのは、レストラン「Reis Balik Restaurant ?」で、入口は魚市場のよう。ここで欲しい魚を買って、レストランで調理してもらう。タラの一種のメスギットを購入。これをサンドイッチにしてもらった。これは大きい。フライにしてパンにはさんだだけ。5トルコリラ〜(310円?〜)。

 町の南。パチャルズ・ブルメ・メブキー」に来た。立派な門がある。中は海が見えてきれいな森林。リゾート・ホテルでした。「レトニア・リゾート」はフェテェでも最大級のホテル。東京ドーム4個分の敷地に、1500人収容のヴィラやコテージなどを完備。6個のプールとプライベート・ビーチ。全部で10個のレストラン・バーがある。サーモン・ピンク色の部屋は、1泊3食付きで273ドル〜。

●ダルヤシ
 近郊の町。ボートが並んでいる。川を巡る遊覧船で、500隻くらいある。何でもこの川を20分下ると、地中海。海まであと少しという場所に、多くの船が停泊している。おじさんがカニの身をちぎって川に投げ込みはじめた。この地にはアカウミガメがおよそ300頭も生息している。

●ホロズラル
 さらに船で10分走ると、到着。全身泥だらけの人がいる。ここに泥風呂がある。粘土質の土壌に温泉が流れ込んだもので、皮膚病やリウマチに効くとか。全身に塗った泥は乾かした後にシャワーで洗い流す。お肌もツルツルになるらしい。入場料4トルコリラ(250円)。

●フェティエ
 新婚さんの朝ごはん。中心に近いマンション?に住むキュルセル・オズメンさんが作るのは、1品目「ソーダル・ボレッキ(トルコ風パイ)」。イタリアン・パセリをザクザクと細かく刻み、白チーズとあわせよく混ぜる。唐辛子と塩胡椒で下味をつける。ボウルに牛乳、卵を割りいれ、炭酸水を加え、よく混ぜる。ユッカと呼ばれるパイ・シートをオーブンのプレートの上に敷き、何層にも折りたたむ。牛乳炭酸水をかけて、その上にパセリとチーズを散らし、再びユッカをのせて、何層にも重ねていく。4層重ねたら、最後にゴマを一面にふりかけ、オーブンで40分焼く。
 2品目「タルハナ・チョルバス」。たまねぎをみじん切りにし、鍋で炒める。半透明になったら、細かく切ったトマトを入れて、さらに炒める。タルハナという調味料(乾燥したトマト、ヨーグルト、ハーブ、スパイスなどが調合されたもの)を水で溶いて鍋に入れる。さらにお湯を注ぎ、かき混ぜながらしばし煮込む。
 3品目「セブゼリ・カウルマ」。大ぶりのマッシュルームを一口大にカットする。熱したフライパンに細かく刻んだたまねぎ、ねぎ、パプリカを入れ、手早く炒める。野菜に軽く火が通ったら、マッシュルームを入れ、トマトのペーストを加え、塩胡椒で味を整える。最後にディルなどの香味野菜をたっぷり加える。


テレビ番組「にじいろジーン 世界ぐるぐるジーン イスタンブール」

 2009年3月28日放送。

●イスタンブール
 日本就航20周年のトルコ航空で行きました。かつて1500年にわたり、ビザンチン帝国やオスマン帝国の都だった。人口1200万人以上。3月の平均気温は8度。歴史的建造物も多い。ガラタ橋では、釣り糸を垂れている人も多い。シンボルは400年前に建てられた「ブルー・モスク」。エジプシャン・バザールも人が多い。ヨーロッパのたたずまいの街並みもある。
 緑色の壁の建物に住むギュレル・ユルドゥルムさん(39歳)のお宅を訪問。夫のご両親、息子1人の5人家族で、4LDK150平方mと平均的。
 ガラスでできた目のようなものがある。「ナザール・ボンジュウ」というトルコ独特のお守りで、青い目玉が魔除けとなって、外からの邪悪な視線をはね返し、家族を守る。各部屋にも配置され、デザインにも使われている。

 屋台街に行く、ドネルケバブ、伸びるトルコ式アイス「ドンドゥルマ」150円などがある。ムール貝の中にピラフが入った「ミディエ・ドルマス」は1個30円。スパイスをたっぷりかけた羊の腸を野菜と一緒に細かく刻んで炒め、パンにはさんだサンドイッチ「ココレチ・ケバブ」250円。
 桟橋での屋台グルメは「サバ・サンド(バルック・エキメッキ)」250円。焼いたサバの半身を、レタスとたまねぎとパンにはさんだもの。塩とレモン汁で味付けしてある。
 オルタキョイは水辺のエリア。ここから見ると、ボスポラス海峡の手前がヨーロッパで、橋の向こうはアジア。
 トルコの伝統的な毛織物「キリム」は各家庭に1枚は必ずある。キリムの模様には必ず意味がある。魔除け、お金、子宝祈願、男女の愛情など。昔から定番の嫁入り道具です。

 夜10時、ショーハウス「スルタナ Sultana」に行くと、ベリーダンスを踊っていた。オスマン帝国時代に、ハーレムの宴で女性たちが踊ったという。ちなみにベリーとはお腹のこと。民族ダンス「アシュク・マシュク」はお腹に男女の顔を描いて踊るもの。

 おじいさんがドアに足をぶつけた。冷蔵庫から牛肉を出してきて貼りました。トルコでは「打ち身には牛肉を貼る」という民間療法がある。虫歯で歯が痛い場合は、お酒の「ラク」を塗るというのもある。ヤケドをした場合は、「トマトをすりこむ」というのもある。

 夕食の準備。大きめのナスの皮をむき、表面を油で炒める。たまねぎを刻み、別のフライパンで炒め、牛肉のミンチを加えて炒める。様々なスパイスで味付けする。ナスを並べ、炒めた挽肉をナスにつめて、トマトをトッピングし、オーブンで焼いて、「パドゥルジャン・ドルマス」が完成。ほかにも、もち米入りのピーマンの肉詰め「ビベル・ドルマス」。ヨーグルトのスープ「ヤイラ・チョルバス」が並ぶ。トルコ料理はフランス、中国と並んで世界三大料理と呼ばれている。食後はチャイを飲みました。


テレビ番組「知っとこ!世界の朝ごはん キプロス共和国」

 2009年3月28日放送。

●キプロス
 日本からはイスタンブール経由で13時間半の旅。キプロスはトルコの南に位置するヨーロッパの人気のリゾート地。太古の昔から交通の要所として栄えてきた。面積は四国の半分。年間を通して温かい。首都はニコシア。
 町の中心部ディモティキ・アゴラスに行く。真っ黒な墨のようなものが軒先にぶら下がっている。これは「ヒロメリ」という伝統的なハム。豚肉を赤ワインに漬け込んで、1ヶ月かけてスモークしたもの。ワインのおつまみに最高だそうです。1kg20ユーロ。
 山岳地帯のレフカラ村。女性が布に穴をあけて、そこに刺繍をしている。この村の伝統的なレース刺繍。レフカラ・レースというこの刺繍は、中世の頃にこの村で確立した伝統的なもので、今でもこの村には40軒のお店がある。この刺繍はイタリアのミラノ大聖堂にも飾ってあるという。15世紀にこの村を訪れたレオナルド・ダ・ヴィンチが大聖堂の祭壇に飾るために、レフカラ・レースを持ち帰ったという。
 ソルトレイクは海水が岩を通してしみだした湖。フラミンゴがいる。冬の間だけやってくる。フラミンゴは干潟や塩分濃度の高い湖を好むので、やってくるらしい。何故冬だけかというと、夏にはこの湖が干上がるため。

 ミハリス・マイケルさん(22歳)が紹介してくれたのは、レストラン「クシリノ Xylino 」の料理「メゼ」。まず前菜などがでて合計24種類。ギリシャ語ではメゼとは前菜の意味だが、キプロスではセット・メニューのこと。1人前31ユーロで、注文は2人前から。
 レメソスは海沿いのリゾート地。最もゴージャスなホテル「ル・メリディアン・リマソル・スパ&リゾート」は10万平方mの広大な敷地内に、プライベート・ビーチやスパなどを備えている。プレジデンシャル・スイートを見学。ルーフバルコニーにプールもある。1泊4000ユーロ(52万円)。

 町の中心部にある聖ラザロ教会。近くのアンドレアスさん(90歳)はロウソク屋さんで、長さ1m程度ある。教会にお参りする人に評判がいいとか。足を怪我した人は足の形をしたロウソクを、子供が病気なら子供の形のロウソクを教会に持っていくそうです。

 新婚さんの朝ごはん。アパートに住むパラスケヴィ・コモジキスさん(25歳)が作るのは、1品目「アフェリア(豚肉のワイン煮込み)」。前の晩から赤ワインとコリアンダーに漬け込んだ豚肉をたっぷりの油を入れたフライパンで素揚げ。表面に軽く焦げ目がついたら、鍋に入れ、漬け汁を一緒にいれ、香り付けのローリエ、塩を加えて煮込む。
 2品目「プルグリ」。みじん切りしたたまねぎを鍋に入れ、オリーブオイルを入れ、たまねぎが透明になるまで炒め、ショートパスタを入れ、粗挽きの小麦粉を入れ、シナモンと塩で味付け。全体に火が通ったら、水を入れて煮る。さらに煮て水分がなくなれば完成。
 3品目「ハルミ・チーズのグリル」。伝統的なハルミ・チーズをスライスし、オーブンに入れ、表面がきつね色になるまで焼き、お皿に盛り付けて完成。


テレビ番組「びっくり法律旅行社 トルコ」

 2009年2月26日放送。児玉清、黒崎めぐみ、タカアンドトシさんが司会。中村メイコ、エド・はるみ、サブンクル(松尾陽介、加藤歩)さんがゲスト。

●イスタンブール
 直行便で13時間。平均気温は14度。時差は日本よりマイナス7時間。
 東洋文化と西洋文化、過去と現在の文化が融合する魅惑の国トルコ。4000年以上の歴史を誇り、カッパドキアには奇妙な自然がある。キリスト教徒が隠れ住んだ地下都市カイマクル。
 イスタンブールの旧市街には世界遺産アヤソフィア、トプカプ宮殿がある。世界遺産ブルー・モスク(スルタン・アフメット・ジャーミィ)は、アフメット1世によって1609年から建築が始まり、1616年に完成した。内部の青いタイルの美しさからブルー・モスクと言われる。
 グランド・バザールは迷路のように通りが入り組み、4000店もの店舗がある。素敵なお土産にも出会えます。
 港では船の上でサバを焼いている。これと野菜とパンにはさんだ「サバサンド」3,5トルコリラ(200円)。
 新市街のイスティクラル通り。バクラワはパイのはちみつシロップ漬け。世界三大料理の一つにも数えられているトルコ料理も外せない。1888年創業の「Haci Abdullah (ハジュ・アブドゥッラー)」(タクシム・イスティクラル通り近く)に行った。人気があるのは、「ミックス・ケバブ」39トルコリラ(2200円)で、炭火で焼いた牛肉、?、ラムチョップをプラフにのせたもの。  トルコ・アイスのドンドゥルマは伸びる。職人のキュネイ・ウェリッティンさんが技を見せてくれました。トルコのお酒「ラク」は水を入れると白く濁るが、「ライオンのミルク」と言われる。

 トルコでは男性同士が腕を組む光景がよく見られる。日本人がよくやるサインでやってはいけないのは、OKのサイン(お金のサイン)で、とってもエッチで女性が見たら幻滅するそうです。OKのサインは、右手を水がすくえる形にして、手を立てて掌を自分の方に向ける形だそうです。
 エジプシャン・バザールはイスタンブールの台所。ゴマたっぷりのトルコのパン「シミット」1トルコリラ(57円)。ドネル・ケバブも名物で、パンにはさめば、ケバブ・サンド。
 トルコの男性は口の上にヒゲを生やしている人が多い。こだわりが多いようです。公務員はヒゲに規制がある。20世紀に入りオスマン帝国も衰退し始めた。1914年第一次世界大戦でオスマン帝国は敗戦。その時国民的英雄だったアタチュルクは占領軍への抵抗運動を経て、独立を勝ち取った。1923年、トルコ共和国を建国し、初代大統領にはムスタファ・ケマル・アタチュルクがなった。それまでのイスラム教の因習からの脱却を図り、政治と宗教の分離や、女性の社会進出を積極的に果たし、近代国家としての礎を築いた。弁護士のオズジャン・ギュネシュさんが説明してくれました。公務員は鼻の下にヒゲを生やすことができ、アゴはダメ。口の幅よりも長いのはダメ。
 トルコ・コーヒーの原点。1554年に最初のコーヒー店ができた。ヨーロッパよりも1世紀早い。トルコ・コーヒーを沸かすためのポット「ジャズベ」でコーヒーを煮出し、コーヒーの粉をこさずに上澄みをすすって飲む。新市街の「女の館」というカフェでは、残った粉をソーサーにひっくり返して出し、その形で占う。女性が多いそうです。法律で、「占い師、呪術行為の禁止」がある。占い師、呪術師、まじない師などの商売を禁止する。違反すると、3ヶ月以上の禁固刑と50トルコリラ以上の罰金。

●カッパドキア
 カッパドキアには奇岩がたくさんある。ガイドはウミット・オジャルさん。「妖精の煙突」と呼ばれる岩。数千年前にいくつもの山が噴火を繰り返し、その火山灰が降り積もってできた凝灰岩層に、新たに噴出した溶岩が岩を形成、長い年月をかけ、雨や川が侵食し、火山溶岩が上に残ったためにキノコ岩となった。
 世界遺産のギョレメ野外博物館。4世紀頃、迫害から逃れるため、キリスト教徒が岩を掘って作った修道院や地下都市が残されている。「暗闇の教会」には、美しいフレスコ画が残っている。光があまり差し込まないためらしい。しかし、「ヘビの教会」の内部には落書きがいっぱい。観光客が手をのばせば届く処に落書きが集中している。ネヴシェヒル市公安本部本部員のアデム・アクデミルさんは、「遺産を大切にして欲しい、これは訪れる人の義務でもある」と言っていました。
 ギョレメの絶景ポイントに連れて行ってくれました。子供の兄ムスタファ・カラジャン君、弟のイイト・カラジャン君のお家を訪問。地下にあります。絨毯がびっしり。お父さんのハサンさんに話を聞きました。トイレとシャワー・ルームは地上の入口横に設置してある。洞窟住宅で禁止されているのは、「勝手に壁を削ったり、穴を掘ったりすること」。「不動産文化財や遺産を崩したり、壊したり、消失させたり、あらゆる損害を与えてはならない。」(文化財保護法65条)。違反すると2年から5年の禁固刑、および5万トルコリラから20万トルコリラ(280万円〜1140万円)の罰金。
 夕暮れ時、「ローズバレー」は夕陽スポット。


テレビ番組「知っとこ!世界の朝ごはん トルコのイズミール」

 2008年12月13日放送。

●イズミール
 飛行機で14時間。1年間温暖なトルコ第三の都市。紀元前の昔から東西貿易の拠点として栄えた。東西文明とトルコの文化が融合した美しい街。
 商店街ケメルアルティに行く。大きなパンを作っている人がいる。主食のエクメクというパンの重さが法律で決められていて、350g以下のものは作れない。ここのパン屋さんは普通サイズの20倍のパンつくりに成功したという。9種類の粉をブレンドしているので、味にも自信があるという。7kg17リラ(1000円)です。
 アゴラ通りは静かな通り。ローマ時代の古代遺跡アゴラがある。紀元前2世紀に建てられた市場の跡で、当時としては画期的な三階建の建物。
 メイン・ストリートのクブリスシュ・セイソドラー通りはたくさん店のある賑やかな通り。ナッツなどを売っている店がある。「カキの種」みたいなのを売っている。これは低カロリーで満腹感があるという。これは多分、日本のものでしょう。
 オザン・ヤシカヤ?さん(30歳)が紹介してくれたのは、オシャレなカフェ「シャムダン Samdan 」。ラクという薬草やブドウなどで作られたアルコール度45−50%の強いお酒で、水で割ると白く濁る。これをカットメロンと食べながら飲む。ラク1杯8リラ(480円)。トルコの人は昼夜を問わず飲むそうです。

●ボルノバ
 郊外の町。民族衣装?みたいなのを着て、民族音楽にあわせて踊っている人たちがいた。ゼイベックというエーゲ地方の踊り。鷹などの鳥や動物のポーズや戦いのポーズなど、150以上のポーズがあるという。

●ガジェミール
 郊外の住宅街。小学校で子供たちが並んでいる。ロクマというドーナツを揚げていた。これにたっぷりの水飴をかけていた。亡くなった人の供養や慶事に特別にふるまわれるもの。

●イズミール
 新婚さんの朝ごはん。高台にあるアパートに住むメラル・アイルさん(25歳)が作る1品目トルコ風パイ「ボレック」。ソーセージを一口大にスライスし、パイ生地(シート)を並べて長方形に切る。この上にソーセージをのせ、パイ生地ではさみ、三角形に包む。同様にヤギのミルクから作ったレアズ・ペイール?という白チーズをはさみ、包んだ上からパイ生地の表面に卵を塗っていく。トレイにのせオーブンの中に入れて、15分くらい焼く。中の白チーズやソーセージに軽く火が通り完成。
 2品目「ドルマ」。ピーマンのへたの部分に包丁を入れ、種をきれいに取り除く。洗ったお米にたまねぎのみじん切りをあわせる。イタリアンパセリをみじん切りしてあわせ、ディルを小さく切って加え、完熟トマトをつぶしてピューレにしたものをあわせ、たっぷりのオリーブオイルをまわしかけ、塩胡椒で味付け。全体がなじむように、よくかき混ぜ、中身をくり抜いたピーマンに1個1個具を詰める。これを鍋の泣かんい並べて、トマトでピーマンに蓋をする。鍋に水で溶いたトマト・ピューレを入れ、火にかけ、中火で40分煮込む。
 3品目「イチゴジャムのクレープ」。新鮮な卵をボウルに割りいれ、牛乳、小麦粉を混ぜあわせ、泡だて器でよくかき混ぜる。フライパンに薄く伸ばして焼いていく。焼けたらお皿の上で巻いて筒状にし、盛り付け、上からイチゴ・ジャムをのせれば完成。


テレビ番組「探検ロマン世界遺産 命の水が文明を生んだ」

 2008年11月1日放送。今から2500年前、最初の哲学者と言われるタレースは「万物の根源は水である。」と語った。今回は水をテーマに世界遺産を見る。

●スペインのグラナダ
 アルハンブラ宮殿にはミニ・バスで向かう。総面積は1.4万平方m。13世紀から15世紀にスペイン南部を統治したイスラムのグラナダ王国の王宮。中世イスラム建築の最高峰といわれている。アラヤネスの中庭は後にインドのタージマハルにも取り入れられた美しい水鏡で有名。
 中庭に陽がさすと、壁に水面のゆらめきが反射した。壁の繊細な模様と水面のゆらめきが融合して幻想的な光景を作り出しました。
 かつては王妃の住居だった「二姉妹の間」、天井は万華鏡のようです。石造りの複雑な模様は「鍾乳洞飾り」と呼ばれ、イスラムの人々にとっては特別な意味を持っている。予言者ムハンマドが神の啓示を得たとされる洞窟を表わす。壁にはアラビア文字が刻まれている。その周りを植物や幾何学図形がびっしり覆っている。アラベスクと呼ばれるイスラム美術に独特のデザイン。
 8世紀スペインにイスラムの国を作ったのは、アフリカ大陸から海を渡ってきた人たちでした。しかし、11世紀以来、キリスト教徒が制圧し、最後に残ったのがアルハンブラ宮殿のあったグラナダ王国でした。
 宮殿の美しさの秘密をガイドのエセキエル・ロドリゲスさんが説明してくれました。「二姉妹の間」のようにびっしりと模様が必要だったのは、元々砂漠から来た人々は、砂漠にないものを求めたからで、執念深く空間を埋め尽くし、全てを装飾品で飾りたいと考えたから。そして砂漠の民が最も憧れたものは水。
 ヘネラリーフェ離宮は水の宮殿と言われる。水の階段には手すりに水が勢いよく流れている。宮殿は小高い丘の上にあり、近くに水源はない。どうやって水をひいてきたのか?アラブ文化高等研究所のルイス・ガルシアさんが連れて行ってくれたのは、東にある山の中。遠くの白い山は雪をいだいていて、そこから流れてくる川から用水路をひいている。全長6km。高低差20mを利用して水を運んでいた。谷を越えるには水道橋を作り、水はようやく宮殿に入る。そこから城の端まで城はわずかずつ低くなっている。その地形を利用して水が流されていた。ライオンの中庭。水は管を細くすることにより、水圧を高め水が噴出す。
 この治水技術はスペイン南部のバレンシア地方を有数の農業地帯に変える働きも果たした。元々雨が少ないこの地方に、イスラムの技術によって水田耕作まで行なわれるようになった。スペイン料理の名物料理パエリアもこの地で生まれた。

●ヨルダンのペトラ
 国土の8割が砂漠というヨルダン。5月は過ごしやすい気候だが、日中の気温は40度を越える。砂漠の中に巨大な岩が点在する奇妙な風景。高さ100mを越す岩の間を入っていくと、かつて幻の都と言われた都市ペトラがある。入口から1.5kmを歩くと目に飛び込んできたのは、ギリシャ神殿を思わせる壮大な建造物だった。「エル・ハズネ」と呼ばれるこの建物は王の墓だといわれている。高さ40m、岸壁を掘り込んで築かれている。
 10分歩くと岩山に囲まれた壮大な空間が広がっていた。これがペトラの中心だった。岩肌に掘られた無数の穴はお墓。その数からペトラにはおよそ3万人が暮らしていたと推測されている。墓の壁の鮮やかな色彩。ペトラの岩山には様々な鉱物が含まれているため、神秘的な模様が自然に作られている。都市の中心部を貫く大通り。その周辺には王宮、神殿など重要な施設が建ち並んでいた。ペトラはローマ軍との攻防の末、3世紀に姿を消すまで、およそ500年豊かな都として繁栄を謳歌したと言われている。ペトラは文献には知られていたが、その場所などは長年、見つかっていなかった。1812年に見つかり、調査の結果、ペトラを築いたのはナバテア人と呼ばれる砂漠の遊牧民だった。キャラバンを組み商いをして富を蓄えた。富を狙う外敵から守るためにペトラを都とした。
 水源はどうしたのか?岩に掘られた長い溝は水道管だった。表面と内側には白い塗料が塗られていた。シリカと呼ばれる防水効果のある鉱物だった。その管は近年ペトラ観光で賑わい始めた街「ワディ・ムーサ」に届いた。ここに古より湧きつづけている泉がある。泉からペトラまでの距離は6km。傾斜と水圧だけを利用した水利技術は、あのアルハンブラ宮殿で見られたもの。生命線である水源が都の外側でよかったのか?
 それを解消する答えがペトラの近くの岩山にあった。母なる山と呼ばれるこの山にもう一つの水源があった。ペトラ発掘調査団のサミー・ナワファさんが案内してくれました。頂上には穴があいている。雨を集めるシステムでした。年間降水量は150mmで、水を1滴でも多く集めようと、188の貯水槽が掘られていた。

●カンボジアのアンコール・ワット
 首都プノンペンから北西250kmにあるアンコール・ワット。町から密林を抜ける1本道がある。山本美希さんが案内。広さは1.5km四方、世界最大規模の広さ。12世紀カンボジアで繁栄を誇ったアンコール王国の王がヒンドゥー教の世界観に基づいて築いた寺院。3つの回廊に囲まれた中央の塔は、世界の中心にあるという聖なる山を表わしている。塔への向かう階段の角度は60度。かつては王をはじめ、限られた人間だけが登ることが許された場所。登れるのはそこまで。アンコール王国では王が即位すると、新たな寺院を作るものとされてきた。王は寺院で神々を迎える儀式を行なった。最盛期には王国はインドシア半島の大半を支配した。こうした繁栄はどうして築かれたのか?
 アンコール・ワットの北40kmにあるクーレン山。アンコール遺跡の研究で世界的に知られる早稲田大学の石澤良昭教授。ここはアンコール王国の初代の王が建国を宣言した場所だと伝えられている。1時間歩いて到着した場所には石像などの石の彫刻が多くあった。ここはアンコール・ワットに流れ込む水源だった。アンコールの人々は水源地の底に神々の像を彫った。彫刻の上を流れた水は聖なる水となり、王国に繁栄をもたらすと信じられていた。生命の川はどこに流れるのか?衛星写真で見ると、アンコール・ワットの西の四角い影に到達していた。この影の正体はバライと呼ばれる広大な貯め池だった。東西8km。南北2km。これが人工の池だった。貯水池の真中に島メボンがあった。これも人工的に作られたもので、メボンとは「神の恵み」という意味。島には石で築かれた遺跡が残されていた。アンコールの王はこの島で水量を確認していたという。雨季には田畑が陥水し、乾季には田畑が干上がり荒地となった。巨大な貯水池は水をコントロールするために作られた。乾季には水を放流した。これにより米の三期作が可能となった。それで東南アジア一番の大国に成長した。
 東の回廊に最も有名な浮き彫りがある。長さ50mに渡りヒンドゥー教の天地創造神話を描いたもの。神々が大蛇で綱引きをし、その力で海をかき回すと万物が生まれたという。中央にはヴィシュヌ神が描かれ、当時は王その人と同一視されていた。

●世界の現状
 中国の黄河は1990年代から何度も川が干上がっている。上流で水をくみあげるため。
 グランド・キャニオンのコロラド川では、下流80kmにあるモロレス・ダムから下流はか細い小川となる。海に至るまでに水はほぼ使い尽くされる。
 水を巡る人類の叡智は今こそ試されているのかもしれない。

●トルコのパムッカレ
 トルコの南西部にあるパムッカレは石灰棚。水に含まれる石灰質が結晶し、長い年月をかけて階段状の不思議な造形になった。空の色が映え、コバルトブルーに輝く水。実は温泉。古代ローマ時代、ここは温泉保養地として発達し、石灰棚の周辺に人口4.5万人を擁する都市が発達した。今でも1日3000人の観光客が訪れる。
 原泉は水着姿の人たちで賑わう。ここから湧き出す毎分2万リットルのお湯が、2000年来の温泉郷を支えている。よく見ると水底に石の円柱が何本も沈んでいる。これは14世紀に地震で倒壊した神殿の遺跡。古代の人々は原泉に女神が宿ると信じ、大理石の壮麗な神殿で覆った。石灰棚に流れこむ温泉だが、見渡すと温泉の入っていない棚もある。水の出し入れは調節されている。1990年前後、観光ブームでホテルなどが建ち、湧き出る水が激減したため。以来、本当に必要な水の利用を検討し、水を管理するようになった。古来この水は地元の貴重な農業用水でもあった。先祖代々綿花の栽培をしてきた農家の人は水を待っている。パムッカレの綿花はローマ時代からの特産品。帝国に綿織物の文化をもたらした。水をたっぷり分かち合って使う。こうして人間は文明の苗木をしっかり育ててきた。


テレビ番組「にじいろジーン 世界ぐるぐるジーン カッパドキア」

 2008年9月27日放送。

●カッパドキア
 トルコの中央部にある世界遺産。火山がもたらした凝灰岩の大地を雨風が浸食し、作り出した風景は自然の神秘を感じさせてくれる。人々は岩の中に空洞を掘り暮らした。そして町ができた。
 観光の拠点ユルギュップのマンションに住むメリス・テミルパスさん(38歳)は息子が一人の3人家族。3LDK140平方mに暮す。各部屋にトルコ絨毯が敷かれ、落ち着いたインテリアで、家賃は1ヶ月5万円。マンションの管理人「カプジ」に買い物などを依頼する。
 お昼には奥さんのお友達がやって来た。お茶を入れ、料理でもてなした。メリスさんが主催するティー・パーティの日でした。月に1度回ってくるそうです。トルコの女性の8割は専業主婦なので、ティーパーティは楽しい情報交換の場だそうです。会費は価格変動の少ない金貨で払うのがルール。
 トラベラーズ・ケーブ・ホテルのように洞窟ホテルがいくつもある。ここは1泊1.5万円くらいだそうです。
 週末に開かれるパザールにでかけた。熟していないメロン「ケレック」が売られているが、甘くないから漬物にする。ナスは1kg45円(日本は580円)、スモモ130円(日本2400円)。冬に向けての保存食を作る。瓶詰めした野菜に塩とビネガーを加えて蓋をし、20日間付け込んで「ピクルス」を作る。ピーマンは種を取り、糸をつけて外に干しておくと、太陽に当たって真っ赤になる。冬はこれを水でもどして料理に使う。

 夏の観光シーズンは気球が飛ぶ。「スルタン・バルーンズ」などの気球は大人気。
 地下都市がある。キリスト教徒が迫害から逃れるために作った隠れ家だという。地下8階くらいまである。空気孔も完備している。紀元前にできたという説もある。7世紀には4万人が暮らしたとか。
 夕食は「ギュウェチ」という土鍋を使った煮込み料理。牛肉や野菜をたっぷり敷き詰めて、オリーブオイルをかける。これをご主人が持って街のレストランに行く。高い温度で煮込んだ方が美味しい料理は、レストランに頼む。ちなみに料金は450円。
 トルコの伝統楽器「サズ」は2000年の歴史を持つ。
 ローズ・バレーから見る夕陽は絶景。


テレビ番組「THE 世界遺産 カッパドキア」

 2008年6月1日放送。

●カッパドキア
 ここの奇岩はいつしか「妖精の煙突」と呼ばれるようになった。首都アンカラから南東へ、アナトリア高原を車で4時間。目の前に幻想的な世界が広がる。大地を埋め尽くす奇妙な岩の群れ。巨大なキノコのようなおとぎの家のような岩。火山活動により火山灰や溶岩が100mほども堆積した。帽子をかぶったような岩は溶岩が冷えて固まった堅い玄武岩。一方、白い部分は火山灰から生まれた柔らかい凝灰岩。柔らかい部分は侵食され、固い部分は残り、奇岩が生まれた。吹き付ける風と流れる水は今も刻々と岩を削りつづけている。通称「らくだ岩」、「ひつじ」など生き物に見える岩がたくさんある。

 1960年代初め、大発見があった。一人の村人が不思議な穴を見つけた。地中深く続いていた。最初は昔、キリスト教の修道士の使っていた修行用の穴がまた見つかったのだろうと思っていたが、1965年、巨大な地下都市だと判明した。地下トンネルの壁にはノミで彫った跡がある。
 地下1階にはワイン貯蔵庫?、地下2階は学校跡?、井戸と通気坑を兼ねた穴は深さ70mあった。デリンクエと呼ばれる地下都市では地下12階まで現在確認されている。6000人がゆうに暮らせたという。しかし、人が住んだ痕跡がほとんど残されていない。
 紀元前5世紀には古代ギリシャの人が残した日記に記載されている。暑さ、寒さが厳しい時は地下で過ごす習慣があったという。
 3世紀後半、ローマ帝国による迫害を逃れキリスト教徒たちが崖に穴をあけて神を祈った。彼らは岩窟に世界の終わりを重ねたという。中でもギョレメ国立公園はその中心地で、キリスト教徒の聖なる谷だった。11世紀頃までに400を越す教会と修道院が作られた。その内部には外からは創造もできない世界が広がっていた。柱、アーチ、ドーム、岩をくりぬいて作り上げた。岩窟の中では湿度が一定に保たれ、光は入らないので、聖なる絵画は守られた。「最後の晩餐」では食卓にはパンではなく魚が置かれている。魚はギリシャ語で「イクティス」で、イエス・キリスト、神の、子、救世主の頭文字をつなぐとイクティスとなるので、カッパドキアではこう描かれることが多い。
 7世紀以降、特に異教徒のアラブ人の侵入に悩まされ続ける。地下には興味深い仕掛けが数多く残されていた。敵を進入を防ぐための扉などがある。一度閉めてしまうと外からは開けられない。

 ウフララ渓谷は高さ100の断崖が続く。ここにも岩をうがった小さな教会が点在している。教会内には修道士たちの墓もあった。地下都市が発見された頃、ここでは女性のミイラが見つかった。12世紀頃で、修道女だった可能性も考えられている。頭部に残る髪の分析から主食は魚だったこともわかっている。別の洞窟からは赤ちゃんのミイラも見つかっている。

 2007年1月新発見が報告された。民家の床が落ちて新しい地下都市が見つかった。「カジェミル地下都市」。天井の高さは今までで一番高い。家畜小屋には家畜を最低40頭は置けた。ラクダの骨も見つかっている。ラクダに乗って移動できるほどの天井の高さがある。キャラバンの宿だったかもしれない。ワイナリー、
 最初の発見から40年あまり、カッパドキアの地下都市の数はおよそ300とも言われる。まだ発掘は1割も進んでいない。


テレビ番組「知っとこ! 世界の朝ごはん トルコのアンタルヤ」

 2008年5月17日放送。イスタンブールまで14時間。

●アンタルヤ Antalya
 南部の都市で地中海沿いのリゾート地で、人口70万人。アタチュルク通りは緑も多く、路面電車も走る。屋根の上に丸いタンクがあるが、水のタンク。1年中晴れなので、お湯にしている。また太陽電池を使っている。カラフルな露店で売っているのはオレンジ。
 人が集まっているのは、4月23日の子供の日のイベント。スタジアムで1年かけて覚えた踊りなどを披露する。
 中心にある旧市街のカレイチに行く。2000年以上前から栄えてきた中心地。伸びるアイスクリームのドンドルマを売っている。伸びるのは卵でなく片栗粉のような澱粉を使うため。300年の伝統がある。2YTL(170円)。
 エルクト・アルジャシさん(30歳)のお勧めはカフェ「ゼイティン・カフェ&バー Zeytin Cafe & Bar 」。トルココーヒーは500年の伝統があるが、ここのトルコ・コーヒーは美味しいそうです。
 もう一つのお勧めは癒しの場所。港から船で行く。到着したのは静かな森の中。古い遺跡がある。ファセリス Phaselis といい、2000年前のローマ時代の遺跡で、自然と一体化して緑が多いので、癒しのスポットとなっている。

 新婚さんの朝ごはん。中心に近いアパートに住むアイセル・オフラスジャさん(27歳)が作ったのは、1品目「揚げサラダ(シャクシュカ) Saksuka」。スッキーニ、ナス、ジャガイモ、パプリカをサイコロ状に切り、別々の器に入れ、たっぷりのオリーブオイルで別々に揚げる。すりおろしてピューレ状にしたトマトにワイン・ビネガーを入れ、しばらく熱する。これを先ほどの野菜の上にかけて、にんにくと塩で味付けしたヨーグルトをかける。
 2品目「ピザトースト」。塩づけのオリーブにいろいろな種類のソーセージを刻み、ボウルに入れ、卵とチーズを加えてしっかりかき混ぜる。トーストの上にのせてオーブンで3−4分。
 3品目「ユムルタル・カブルマ(肉入りオムレツ) Yumurtal Kavurma」。牛肉を細かく刻み、フライパンで色が変わるまで炒める。胡椒とクミン?で味をつけ、溶き卵を流し込む。肉入りオムレツ。最後は甘いオレンジを絞ってジュースにする。


テレビ番組「世界!弾丸トラベラー 佐藤めぐみさんでトルコのカッパドキア」

 2008年5月10日放送。佐藤めぐみさん(23歳)がトルコ航空で飛びました。海外への一人旅は初めてという。1泊4日、

●予定
 1日目、20:40羽田空港発、JAL187便で関西空港へ。23:30関西国際空港からトルコ航空047便で、13時間15分でイスタンブールへ。
 2日目、8:50アタチュルク国際空港発、トルコ航空260便で1時間20分、10:10カイセリ到着。10:45カイセリ・バスターミナルに移動。12:00バスでユルギュップに到着。14:15ウチヒサール見学。16:00カイマクル見学。18:30レストラン「ディムリット」で夕食。20:00ホテル「アナトリアンハウジズ」チェックイン。
 3日目、5:30ホテル発。6:00カッパドキアを気球に乗って空から見る。10:55カイセリ空港発、トルコ航空261便。18:00アタチュルク国際空港発、トルコ航空050便。
 4日目、12:25成田空港着。

●カイセリ Kayseri
 熱心なイスラム教徒が多い街。バスターミナルに移動するが、貧弱。12:00発のバスでユルギュップに向かうが1時間ある。ドネルケバブ(チキン)は1トルコリラ(80円)を購入していただいた。バスの中ではおばあさんと会話がはずんだ。バス料金は6トルコリラ(480円)、1時間15分。

●カッパドキア
 ユルギュップからタクシーでウチヒサールに行く。途中にビューポイント「ギョレメ展望台」がある。世界遺産カッパドキアの面積は東京23区よりも広い。火山の噴火で堆積した火山灰と溶岩の地層が雨や風で浸食されてできた大地。
 ウチヒサールは岩を掘って作られた住居が数多く残っている村。中には人が住んでいた。「ムーラン・ルージュ Cave Man - Moulin Rouge Cafe 」に入ってみた。ここは30年前まで人が住んでいた。トルコ名物のチャイがいただける。1杯1トルコリラ(80円)。隣はトルコ石の手作りのジュエリー・ショップだった。イヤリング45トルコリラ(3600円)、ペンダント55トルコリラ(4400円)を購入。
 伸びるアイス「ドンドルマ」を売っていた。2トルコリラ(160円)。
 カイマクルにタクシーで移動。ここには2000年以上前に作られた謎の遺跡がある。外敵から身を守るため、隠れ住んでいた地下都市がある。アリの巣状に広がった内部に5000人以上が生活していた。地下3階に石臼などが残っていた。地下4階はワイナリー。見学料は10トルコリラ(800円)。ガイド料は150トルコリラ(1.2万円)。

 レストラン「ディムレット」で夕食。伝統料理を出す人気店。壷が登場。これを割ると中から料理が出てきた。スパイスで下味をつけたラム肉と野菜。それをそのまま竈で5時間じっくり煮込んだ伝統料理「テスティ・ケバブ」14トルコリラ(1120円)。日本人の口に合うそうです。
 ホテル「アナトリアン・ハウジズ」に宿泊。岩の住居を改装して作られたホテル。19ある部屋は全てスイート仕様。1泊375トルコリラ(3万円)〜。

 2日目は外は雨だった。バルーン・パイロットのスアットさんが迎えに来た。天候がよくないので、外に状況を見に行く。大丈夫なら飛べるそうです。雨は上がったが、風船を飛ばしてみたが、風が強いので、中止。
 仕方なく、パイロットがローズバレーに連れて行ってくれた。赤い谷です。気持ちは晴れたので、タクシーでカイセリ空港に向かった。


テレビ番組「The 世界遺産 イスタンブール」

 2008年4月20日放送。ナポレオンは言った。「もし世界が一つの国だったとしたら、イスタンブールはその都となるだろう」。

●イスタンブール
 かつてはコンスタンチノーブルと呼ばれた。この都の最大の敵は水がないことだった。
 アジアとヨーロッパの境をなすボスポラス海峡が町の真中を通っている。2つの大陸の距離は狭いところで500m。フェリーで5分。さらにヨーロッパ側も旧市街と新市街に分かれる。旧市街は世界の中心だった。シルクロードの終着地にしてヨーロッパへの入口。
 町で一番美しいというスルタン・アフメット・ジャーミー(別名ブルー・モスク)。繊細な紋様に包まれた空間は2万枚のタイルを組み合わせて作られている。
 アヤソフィアは6世紀に建てられた。巨大なドーム建築は当時の建築技術を示す。ミフラーブはメッカの方角を示す。その上の方にあるのは、70年前にしっくいをはがして出てきた聖母子像。しっくいをはがすとモスクの壁という壁はキリスト教のモザイク画で埋め尽くされていた。かつてはキリスト教の教会だった。4世紀から1000年以上はビザンツ帝国の首都だった。15世紀からはオスマン帝国の首都だった。
 一番の市場「グランド・バザール」は1日中喧噪に包まれている。3000を越える店がある。中でも至る所にあるのはチャイの店。チャイは少し渋めに入れる。どこでも配達してくれる。しかし、イスタンブールは海に囲まれているが、山も川もない。4世紀ビザンツ帝国が都を置き、人口が急増すると水不足に追い込まれた。4世紀に高さ20mの水道橋を作り、遠く離れた水源から街の中心に水を導いた。さらに水を蓄えるために、いくつもの貯水池が地下に作られた。その名も地下宮殿。メドゥーサの像が置いてあり、建物の魔除けにした。目玉も災いよけと言われる。
 イスタンブールの北55km。ベオグラードの森は国立公園となっている。ここが町の水源だった。この水は今も名水として知られている。オスマン時代mでもあわせて30も水道橋が作られたという。
 トプカプ宮殿では数千人が暮らしたという。皇帝の間。ハーレムはスルタンのためだけに存在し、300人を越える女性がいた。水を流して秘密の会話を聞かれないようにした。水こそが贅沢品だった。
 町中にも公共の水場チェシュメがあり、今でも使われている。イスラームでは祈る前に必ず体を清めないといけない。清潔は信仰の半分という。だからトルコ人は風呂が好きで、ハマムと呼ばれる蒸し風呂に入る。
 旧市街の片隅にある小さな工房を訪ねた。古くから伝わるエブルのアトリエ。模様を描いてから紙に写し取る。13世紀に中国から伝わった技術。これがヨーロッパに広がりマーブリングとなった。アイラ・マカス?さんはきれいな絵を描いていました。
 現在地下鉄の工事が進んでいるが、工事の度に新たな発見がある。海から数百m内陸にある旧市街の一角でも、土の下からビザンツ帝国時代の木造の船が30隻以上発見された。津波で土砂に埋もれた当時の港の跡ではないか?と考えられている。


テレビ番組「路面電車紀行アジア・オセアニア編 イスタンブール」

 2008年1月26日放送。放送番組センター配給。トーキョー・ヴィジョン製作。

●イスタンブール
 アジアとヨーロッパにまたがる都市。人口900万人。かつてはローマ、ビザンチン、オスマン帝国の首都だった。1923年に共和国が樹立し、首都はアンカラに移った。
 アジア側とヨーロッパ側に分かれていて、路面電車もそれぞれ運行している。観光客が主に訪れるのはヨーロッパ側。商店などもこちらに集中している。車両はスウェーデン製で、2両が1ユニットとなっていて、連結して4両編成で走っている。運賃は約120円。朝6時〜夜12時頃まで、5〜15分毎に走る。夏は冷房が入っているのでありがたい。
 かつては広い範囲で路面電車のネットワークがあったが、1960年代に全て廃止された。1990年代に復活し、とても便利になった。

 歴史的見所はたくさんあり、路面電車沿いに集中しているので、観光に便利。アヤソフィア博物館はビザンチン美術の最高峰。またスルタン・アフメット・ジャーミィは6本の尖塔がある。2万枚以上のイズミック・タイルが使われている。トルコを代表するイスラム寺院。

 カドゥキョイ行き桟橋からフェリーに乗り、アジア側の路面電車が走る町カドゥキョイに行く。料金は90円で、20分。ハイダルバシャ駅が見える。20世紀の初頭にドイツの建築家により建てられた。
 アジア側で最も活気がある町カドゥキョイ。小さな1両で、1周3kmの周回線路を30分かけて走る。多くは住宅地となっていて、ヨーロッパ側に通勤する人が多い。
 電車がバハリイェット通りに入ってきた。歩行者天国になっているショッピング・ゾーン。狭い路地には家具、インテリア、オープンカフェが並ぶ。電車は観光の足ではなく、市民の足として活躍する。アンティークな車体から、ノスタルジック・トラムと呼ばれている。


テレビ番組「ミステリアス古代文明への旅 ヘレニズム文化の記憶 トルコ」

 2008年1月12日放送。放送番組センター配給。イタリアのインスティトゥート・ジェオグラフィコ・デ・アゴスティーニ製作。

 紀元前2世紀のトルコで大きな変革が実を結ぼうとしていた。ギリシャとペルシャという東西の文化が融合し、後にヘレニズム文化と呼ばれるようになった。18世紀に台頭したロマン主義と同様に大きな変化をもたらした。当時の傑作がイオニア地方(現在のトルコ)で発掘された。

 紀元前4世紀にギリシャ北部のマケドニアの軍勢が東へ東へと領土を拡大した。その中心にいたのが天才的軍事指導者アレクサンドロス大王。イオニア、フェニキア、エジプト、ペルシアをも統治下に置いた。政治や文化の中心は東方へと移動した。彼の制圧した土地にはギリシャ文化が伝わっていった。そしてオリエントの文化と融合した。やがてそれがヘレニズム文化と呼ばれるようになった。死後はエジプト、シリア、マケドニア、ペルガモンの4つの王国が誕生した。

 最も大きな変化を遂げたのは彫刻。「芸術にとらわれない理想的な美しさ」が「現実の世界の美しさ」が重要視された。
 エフェソスの遺跡には、壁にエフェソスの歴史が描かれていた。エフェソスの町の道路は碁盤の目のように敷かれている。これはヒポダモスが計画的に作ったもの。これは後にローマまで影響した。娼婦の館を示すものが残っている。セルシウス図書館の下には棺が埋まっていた。2階の柱は1階よりも短い。上へ上へと向かう意識はヘレニズム様式の特徴。
 エフェソスで最も有名なのはアルテミス神殿?で、世界七不思議の一つだった。19世紀の半ばにアルテミス神殿があったとされる碑文が見つかった。そこに残っていたのは、たった1本の柱だった。奥行き115m、幅55m、柱の高さは18mあったという。着工は紀元前6世紀。玄関の柱にはレリーフがあったという。

 リビアのレプティスマグナはヘレニズム文化が残っている。ローマ時代の遺跡にはヘレニズム文化の影響が色濃く残っている。

 現在のトルコにあたるイオニアのペルガモンはヘレニズム時代に繁栄を誇った。ペルガモンには医学の神アスプレペオスの聖域があった。その水はどんなにひどい病も治すといわれた。聖なる泉で体を清め、食事療法で治ると信じられていた。ラジウムが含まれていた。
 ペルガモンは芸術や思想の面でも重要だった。紀元前1世紀、ペルガモンの図書館が自国のアレクサンドル図書館より繁栄することを恐れたエジプトは、パピルスの輸出を禁じたという。対抗策として、ペルガモンは羊の皮を使った羊皮紙を発明した。
 丘の斜面を利用した劇場も見事。重要な建築物は張り出した高台に作られていた。ゼウスの大祭壇も見事だったが、現在はベルリンにあるペルガモン博物館に展示されている。発見したのはドイツ人のカール・フーマンだった。アクロポリスは採石場として利用されており、大理石は焼かれて石灰にされていた。遺産は残らず灰になろうとしていた。フーマンはトルコの首相を説得して遺跡の発掘許可を得た。ゼウスの大祭壇は幅36m、奥行き34m、高さ9mだった。イオニア式の柱廊が特徴。ケルト人の襲撃を撃退し、勝利を記念して作られた。


テレビ番組「新日曜美術館 トプカプ宮殿 至宝が語るスルタンとハレムの真実」

 2007年8月5日放送。NHK製作。トルコ・トプカプ宮殿は王スルタンが居住する宮殿として400年の栄華を誇ってきた。宮殿が伝える至宝には、金や宝石が惜しみなく用いられている。

●イスタンブール
 アジアとヨーロッパの交流点で、文明の十字路と言われてきた。アヤ・ソフィアはかつてはキリスト教の教会だったが、オスマン帝国に征服されモスクに変わった。1922年に帝国が崩壊するまで、帝都として栄えた。グランド・バザールもオスマン帝国時代のもの。大小4000もの店が並ぶ。繁栄の象徴として世界中の物資が集まってきた。
 トプカプ宮殿の敷地面積は20万平方m?、城壁の長さが5kmに及ぶ宮殿は1478年に完成した。イスラム圏最大の美のアトリエと呼ばれる。各地に高度な技と芸術がある。戸の入口には貝とベッコウの象嵌細工。ベッコウの裏には一枚一枚金が貼られて、光沢を増している。600人以上の職人が働いていた。帝国は美こそが帝国の威信を示すものだと信じていた。
 宝物館には宝が多い。8万枚の金貨を溶かして作られた黄金の玉座。重さ250kg、表面には宝石ペリドット?が945個埋め込まれている。初代スルタンの所持したいた「オスマンの刀」には華麗な草花文様、金でコーランの文字が彫られている。歴代のスルタンはこれを門外不出で守った。頭につけたターバン飾りの中心のエメラルドは262カラットで、世界最大級。まわりには計200個、計500カラットのダイヤモンドで、インドから取り寄せたもの。
 トプカプ宮殿博物館館長のイルベル・オルタイさんは、スルタンが威厳を示すだけでなく、臣下が信頼を寄せるという心つもりがあったという。金の象嵌細工が施された鉄のカブトは世界でも稀な武具。東京大学の鈴木董教授は、安く敵を威圧するために文化を大事にしたという。
 金のゆりかごには2000個の宝石と全体を覆う金が使われている。王子たちは鳥かごと呼ばれる場所で軟禁されていた。王子たちは無用の争いを避けるために、年齢順に即位させられた。600年の歴史で即位したのは36人。

 スルタンの1日。朝4時半に起床、夜明けの舞いを捧げ?、メッカに向かって祈る。謁見の間で客人を接見する。威厳を示さないといけない。申請された書類に目を通し、サイン(花押)をする。ハエ追い羽根も繊細で豪華。浴室は金の鉄格子の中。年配の信頼できる女性が一人洗ってくれる。食事は一人で取る。1.2万点の中国の陶磁器もある。青磁は毒に触れると色が変わるのでよく使われた。金よりも高価だった。スルタンはシロップ酒(シェルベット)という甘いものを飲んでいた。シェルベットは後に他の国でシャーベットとなった。
 ロクムというお菓子は今でも市内で売られている。

 宮殿の西北にはハレムがあった。400の部屋に分かれ、多い時には1000人の女性が住んでいたという。女性の多くは奴隷市場で買われた。イスラム教徒は奴隷にはなれなかったため、奴隷は外国人だった。女性はハレムに入ると足輪をした。これは金色で、歩くと鈴がなり、周囲に存在をわからせた。大広間で宴の場で見初められる女性は1割程度で、その他は侍女となった。見初められた女性はイクバルと呼ばれ、個室を与えられた。浴室ハマムで履いたサンダルが残っている。またハレムは流行の発信地ともなった。化粧箱も豪華。香水も麝香鹿やバラから採った。子供が残せないと、スルタンの家臣に嫁がされることもあった。子供がスルタンになると大きな部屋を与えられた。


テレビ番組「ピン子と壽賀子の世界遺産ふたり旅 前編 絶景のカッパドキア」

 2007年7月14日放送。関東地区では6月16日に放送。橋田壽賀子(82歳)、泉ピン子(60歳直前)さんが出演。TBS製作。

●イスタンブール
 橋田先生は4月3日から飛鳥IIで横浜を出発、シンガポール、モルジブなどアジアを航海し3週間かけてイスタンブールに到着。

●カッパドキア
 飛行機でカイセリに飛び、カッパドキアに車で向かう。ここは自然遺産と文化遺産の複合世界遺産。溶岩と火山灰が堆積し、雨などに侵食されて世にも不思議な光景となった。カッパドキアの大きさは東京23区くらいの大きさ。

 気球に乗る。現在は気球の会社は7社ある。橋田さんは10年前に1社しかなかった頃に乗ったが、今回のパイロットはその時の人カイリさんだった。橋田さんは涙ぐんでいました。岩に迫ると鳥が鳴いていました。先生の希望で海抜2300mまで上昇した。最後は小さなトラックの荷台に着地しました。チェリー・ジュースで乾杯しました。

 デリンクユ地下都市に行く。現在36箇所確認されているが、推定450以上もの地下都市があったという。かつて1.5万人が暮らしていたとか。地下9階まで行ってみた。本当は20階下まであるそうです。

 パシャバーは奇岩が多い。ラクダ岩、ナポレオンの帽子岩、キスをする小鳥岩がある。ペンギン岩があるというが・・。3人の美女の岩もある。
 岩でできた教会がある。ラクダに乗る。
 夕方、ローズ・ヴァレーで夕陽を見る。

●飛鳥IIで黒海クルーズ
 全長241m、400の客室がある。ジャクージ付きのお風呂もあるし、ミストサウナなどもある。船長の末永守さんの案内でブリッジも見学した。イルカが飛んでいた。
 イスタンブールからウクライナのオデッサに向かった。

●ウクライナのオデッサ Odessa
 1日かけて到着。半日停泊している間に市内観光。屋根の上のバイオリン弾きの舞台。ポチョムキンの階段も有名で、下が広く、上が狭く作られているので、下から見ると長く見え、上から見ると急な階段に見える。馬車も走っている。緑色の細いケーブルカーに乗るが無料。オペラ・バレー劇場は世界遺産だが、修復中でした。様々な国に支配されてきたから、自分たちの町を大事にしているようです。
 市庁舎、プリモールスキー並木通りなどを散策した。

●ルーマニアのコンスタンツァ
 朝7時、到着。半日停泊。首都のブカレストに列車で向かったが、黄色の菜の花畑が続く。

●ブカレスト
 ルーマニア料理をいただいた。キャビア(イクレと言う)をいただいた。「野菜とローカルチーズのサラダ」。キャビアもチーズも塩辛いそうです。ハンバーグみたいなのはミティティ。トレンクはとうもろこしの粉を水で練ったもの。サルマッチェは羊の肉の入ったロールキャベツ。スープみたいなのは何とか食べられるとか。食後のスィーツは甘いそうです。
 市内観光。国民の館は部屋数が3000.チャウシェスクが1500億円かけて建てた物。まだ完成してないそうです。この日は5月1日メーデーでお店は休みが多いそうです。統一大通りには41個の噴水が並ぶ。

●イスタンブール
 朝6時に通過したが、雨でボスポラス海峡はあまりきれいに見えない。海峡が最も狭いところで700m。ボスポラス大橋の下を通過した。


テレビ番組「世界遺産新たなる旅へ トルコ共和国ヒエラポリス、パムッカレ」

 2007年7月7日放送。放送番組センター配給。

●パムッカレ
 伝統工芸の一つが織物。天然の草木で染めあげられた綿・絹などの糸で幾何学的な模様を織っていく。綿の栽培が今も行なわれている。
 トルコ南西部。綿の城と呼ばれる不思議な温泉地がある。全長2.5km、幅500mの真っ白な山肌。古代から珍しい温泉地として知られていた。
 紀元前2世紀、古代帝国ペルガモンの王ユウメネス2世が温泉の上に都ヒエラポリスの創建を始めた。初代の王の妃ヒエラにちなんだ名前だったが、数年後、ヒエラポリスはローマの植民地となり、皇帝たちの保養地となった。1988年に世界遺産に登録された。
 棚田状につながる100を越える白い池。太陽の光を受けて水がきらめく。流れ落ちる摂氏35度の温泉水は炭酸カルシウムを大量に含んだ石灰質の水。温泉水は流れ落ちる間に温度が下がり、石灰質はやがて結晶となって固まる。現在、私たちが目にする石灰棚は1万年以上を経て作られてきたもの。幾層にも連なる棚田は自然が作り出した芸術品。

●ヒエラポリス
 石灰棚の上に作られた都市ヒエラポリスは、紀元前2世紀から14世紀まで1500年にわたって栄えた町。都市の北と南にある2つの凱旋門、ドミティアヌス帝の凱旋門をむすぶ大通り。幅13m、長さ1.6kmの通りを中心に町は発展した。3世紀に作られたローマの円形劇場は、1.5万人の観客を収容することができた。客席からは町全体を見下ろすことができる。都の中には市場や教会も数多く作られた。5世紀初めに作られた「聖フィリッポの殉教堂」は建物を支えていた8本の柱のみが残されている。トルコにキリスト教を布教し、ヒエラポリスで亡くなったフィリッポを祀って建てられた教会だった。ローマの民、アポロンを祀った神殿もある。祈壇の部分にはプルトニウムというほら穴が残されている。ここからかつては炭酸ガスが噴出していて、生け贄の儀式が行なわれたという。またいくつもローマ浴場も建設された。現在、大浴場は博物館として使われている。
 都市の端にあるネクロポリスは共同墓地。円形の墓、石造りの棺を積み上げた墓など、後期ヘレニズム時代からキリスト教が普及し始めるまでの800年間に造られた墓が残されている。
 ヒエラポリスは1354年の大地震で町がほとんど破壊し、人々は町を出ていった。そして町は歴史の闇の中に埋もれた。
 遺跡からは今も温泉が湧き出ている。ここから綿の城パムッカレへと温泉水が流れている。遺跡の中に作られた温泉はパムッカレ・テルマルで、トルコ政府によって運営され、世界中からこの地を訪れる人々で賑わっている。


テレビ番組「知っとこ! 世界の朝ごはん・トルコ・イスタンブール」

 2007年4月21日放送。イスタンブールは文明の十字路と呼ばれ、ローマ帝国時代から発展し、人口1200万人。モスクは3200個以上ある。モスクの横にある「エジプシャン・バザール」は人がいっぱい。金細工、ランプ、香辛料などがあり、観光客にも人気。日本語を話す人が多い。
 トラムに乗って着いたのは、金角湾 Holic。橋の上では魚釣りをしている。通行人が買っていってくれるとか。サバサンドを売っている。焼いたサバをパンにのせて、サラダをのせて食べる。2YTL(175円)。隣のケバブ屋さんは暇そうでした。
 絨毯屋のシナン・コチャクさん(23歳)、イサ・エキンジさん(25歳)が紹介してくれたのは、ハマムというトルコ式蒸し風呂「チェンベルリタシ・ハマム」。400年以上の歴史があり、45度に設定した部屋で大理石の上に横たわる。汗が出るとケセジと呼ばれるおじさん達が、アカスリ・マッサージをしてくれる。次いでに頭から石鹸をかけてくれます。こするのも痛いぐらいやるくらいが丁度いいそうです。女性用もあり、女性がやってくれます。

 新婚さんの朝ごはん。中心に近い場所に住むデニズ・ジャリクさん(25歳)は日本に住んでいたことがある。「トルコ風ポテトパイ(ボレク)」。白チーズという水牛のチーズを、茹でてつぶしておいたジャガイモの中に、刻んだパセリ、卵白をいれ、塩胡椒で味を整えながらかき混ぜる。それを四角に切ったパイ生地にのせ、四つ角をあわせて閉じて、油をひいたトレーの上に置いて、卵黄を塗り、ゴマをふりかけてオーブンで180度で50分焼く。
 「レンズ豆のキョフテ(メルジメッキ・キョフテシ)」。タマネギをみじん切りにし、オリーブオイルをたっぷり注ぎこんだフライパンの中に入れ、トマトペーストも加えてしっかり炒める。一方、レンズ豆を柔らかくなるまで茹でておき、パスタの原料のセモリナ小麦粉を入れて、さきほどのタマネギとトマトペーストを加え、少し蒸らす。ねぎ、ぱせり、クミン、チリなどの香辛料を加え、手でしっかり混ぜ、適当な大きさに丸めて完成。スパイシーでレタスで巻いていただく。
 「スジュクのメネメン」。トマトを縦型のおろし金ですりおろし、スジュクという牛の味付け干し肉を炒めた中に入れる。刻んだシシトウも入れ、さらに炒める。卵を入れ、フライパンに蓋をして置いておき、お好みで卵が半熟になったら完成。


テレビ番組「地球街道 黛まどかさんでイスタンブール〜カッパドキア」

 2007年3月24日、31日放送。イスタンブールは昔からシルクロードの交易の中継地として栄えた。

●イスタンブール
 「伸びるアイスクリーム」と日本語で話すヌレッティン・ディシチェケンさんがパフォーマンス。ヤギのミルクをベースにサイハイランの球根を混ぜているのが秘密。ドンドルマは3YTL(250円)。
 ガラタ塔からは、イスタンブールを一望できる塔。ボスポラス海峡、遠くのアジアが見える。  エジプシャンバザールはシルクロードの交易の名残がある。古くからインドやエジプトのスパイスが集まっていた。「トルコゆべし」と言いながらロクムというお菓子を試食。トルコ人の元気の素だそうです。コーヒーは16世紀にイエメンからオスマン帝国に献上されて、嗜好品として定着した。その後、ベニスの商人などによりヨーロッパ全土にもたらされた。世界初のコーヒーハウスもイスタンブールだった。
 コーヒー占い専門のカフェ「メレックレルカァヴェスィ(天使のカフェ) Melekler Kahvesi 」では占い料金はコーヒー代のみなので、地元でも大人気。小さな鍋にコーヒーと水を入れ、沸騰したら出来上がり。フィルターを通さずそのまま飲む。1杯7.5YTL(620円)。飲み終わったカップにお皿をかぶせてひっくり返す。それをシェンギュルさんが診る。Sさんという男性から3日以内にいい情報が入るそうです。
 「スルタン・アフメット・ジャーミー」はイスタンブールを代表するブルー・モスクで、6本のミナレットがある。中には太い柱、ドームの高さは43m、内側には2万枚の青い花柄のタイルが貼られている。ステンドグラスからは柔らかい光。
「コーランの 声も朧の 都かな」
 宿泊は青い壁のプチ・ホテル「キベレ・ホテル」で、ロビー?にはオスマントルコ時代のものを中心に集められた世界各国のアンティークランプ3500個が天井にぶら下がっている。オーナーのアルパッサン・アルバイラクさんは日本語もOK。部屋の中もランプ100個。1泊100ユーロ。

●アラハジュ村
 シルクロードを東に向かう。トルコの中心よりも少し東のスィワスにある標高1300m、人口1000人の村。この村で盛んに作られているのは、遊牧民の生活から生まれた平織物「キリム」。絨毯のように敷いたり、壁掛けとしても使われる。工房を訪ねた。機械織りが中心になっている現在でも、昔ながらの草木染めと手織りにこだわり、伝統を守っている。文様は生活などがモチーフ。ミフリバン・シェンバシュさんが説明してくれた。14−15歳くらいから織り始めるそうです。
「指先に 春光集め キリム織る」

 村の女性と一緒に、村に伝わるマーニ?と呼ばれる定型詩を楽しんだ。7音節4行からなる定型詩。この詩を読む時に欠かせないのが踊り。日本のかごめかごめ、花いちもんめとよく似ています。
「踊りの輪 ちぢんで伸びて 雪解風」

●アナトリア高原カッパドキア
 標高1000mを越える岩の大地。この不思議な風景は6000万年前の火山活動によって降り積もった火山灰や溶岩が堆積し、柔らかい地層と固い地層が重なりあい、侵食されてできた。他の星に来たみたいと語る。
 紀元前1900年頃のヒッタイト時代には、既に交易で栄えていたという。4世紀頃には迫害されたキリスト教徒が岩の中に住んだという。
 交番もキノコ岩の中。「ユナック・エヴレリ」は6世紀頃の住居を改装して作られたホテル。スィートルームは1泊US$200。アンティーク家具とキリムを使った豪華なつくりです。壁の穴は鳩を飼育して肥料を取るためのもの。洞窟なのでとても静か。
 ギョレメ村のハティジェ・デミルジさん宅を訪問。洞窟の家屋で、中に入る時は靴を脱ぐ。洞窟を利用した天然の冷蔵庫(12度)を見せてもらった。甕にはトマトのピクルスが入っていた。ぶどうの葉で発酵させたもの。昼食をごちそうしていただいた。「パンと豆のスープ」、トマトのピクルス。お母さんにすっかり気に入られて、息子の嫁になってほしいとお願いされた。
「洞窟の 家 春の灯を こぼしをり」

 翌朝6時、気球に乗って60分の空中散歩。奇岩は地元ではペリバジャ(妖精の煙突)と呼ばれ、この岩の下に妖精が暮らしていたと言われている。泥んこ遊びの跡みたいと語る。岩の住居は6世紀頃にキリスト教徒が作ったもの。最盛期には教会が300もあったという。
「妖精の 煙突風を 光らする」

 13世紀の隊商宿「サルハン・キャラバンサライ」。ここで珍しい踊りが見られる。イスラム神秘主義、メヴラーナ教のセマー(旋回舞踊)。白い服で、ひたすら独楽のように体を回転させることで無我の境地に達し、神との一体化を目指すそうです。
「啓蟄の 雨に濡れたる 絹の道」

●カンガル
 カッパドキアの北東?珍しい温泉がある。ケナン・ドンメズさんが説明してくれた。「バルクル・カプルジャ」(魚温泉)で、温泉プールの中に魚がいる。人間の古くなった角質を食べる習性があるコイ科の淡水魚「ガラルファ」が入り込んで来るという。温泉利用は8時間で30YTL(2500円)。ホテルのプールにまで入りこんでいる。トルコでは、皮膚病の治療に用いられており、ドクターフィッシュ(魚のお医者さん)とも呼ばれる。黛さんも足を入れたら、足の親指くらいの大きさの魚にくすぐられる感じだとか。温泉だけでもいいのでは?という感想でした(笑)

●イスタンブール
 夕陽に染まるボスポラス海峡。
「聖堂も モスクも春の 夕焼けかな」
http://www.tv-tokyo.co.jp/chikyukaidou/backnumber.html


テレビ番組「とっておき世界遺産 スペイン」

 2007年3月18日放送。15世紀、地中海と東と西でキリスト教徒とイスラム教徒の間で戦いがあった。西のイベリア半島では、8世紀以降イスラム教徒に支配されていたが、キリスト教徒が次第に国土を回復し、15世紀にはグラナダを残すのみとなっていた。東はビザンチン帝国が1402年にはオスマン帝国に包囲され、1453年にコンスタンティノポリスを残すのみとなった。

●イスタンブール
 4世紀からビザンツ帝国の首都だった。ボスポラス海峡を隔ててヨーロッパとアジアが向かい合う。ギリシャ正教の総本山アヤソフィアが置かれた。聖地は三重の城壁に囲まれ、異教徒の攻撃から守られてきた。
 1453年若きスルタンのメフメット2世は10万人で攻撃した。キリスト教徒側は湾の入口に錨を沈めて、艦隊の侵入を阻止した。しかし、艦隊は丘にあがり、コンスタンティノポリスは2ヶ月後に陥落した。
 直径31mのドームの大聖堂はイスラム教のモスクとなり、ミナレットという塔が建てられた。壁面を覆っていた壁画は漆喰で全て塗りつぶされた。そのために2つの宗教が混在することになった。10世紀のモザイク画には、中央の聖母子にコンスタンチノーブルを提供しているローマ皇帝コンスタンティヌス1世、アヤソフィアを差し出すのは6世紀に巨大なドームを築いたユスティニアヌス1世。

●セビリア
 キリスト教徒による国土回復運動によって、13世紀に再びキリスト教徒の町となった。100年以上かけて巨大な大聖堂を築いた。内部には世界最大の黄金のついたてが作られた。高さ20m、黄金は3トン使われた。45の場面でキリストと聖母マリアの生涯が描かれている。大聖堂の鐘楼は高さ98m。壁にはアラベスク文様が施されている。元々はミナレットだった。

●コルドバ
 8世紀のイスラム帝国の首都が置かれた。最盛期は人口50万人を数えた。旧市街にはパティオと呼ばれる中庭が多く見られる。花も美しい。ルーツは砂漠のオアシス。
 10世紀イベリア半島最大のモスク「メスキータ」が完成した。聖地メッカの方向を示す聖なるくぼみミセラブ。馬蹄形のモチーフはイスラム勢力がイベリア半島で8世紀以降に完成させた様式。850本の柱が並ぶ大空間。砂漠のなつめやしがモチーフ。レンガと凝灰岩を用いた柱にはローマの建築技法が生かされている。この柱の多くもローマ時代の遺構から運びこまれたもの。
 16世紀神聖ローマ帝国のカール5世はメスキータの中にキリスト教の聖堂を建設しようとしたが、市民の猛反対にあった。200年以上かけて聖堂は作られたが、円柱の森は残された。

●グラナダ
 15世紀末、イベリア半島で800年続いたイスラムの支配は終った。アルハンブラ宮殿はイスラム建築の最高峰と称される。1492年グラナダを包囲したキリスト勢力はイスラムの王を捕らえ、無条件降伏を迫った。この時、イサベル女王はイスラムの服装でアルハンブラ宮殿に入城したという。


テレビ番組「世界遺産 トルコ・ヒエラポリスとパムッカレ」

 2007年2月25日放送。幻想的な光景を歴代のローマの皇帝達は愛した。絶景の丘にやがて巨大な都市が築かれた。1988年世界遺産。v
●ヒエラポリス
 紀元前130年頃にヒエラポリスをローマ人が作った。理由は温泉。遠い日の繁栄が失われた今も人々が集まる。温水プールに沈むのは地震によって崩れたローマ時代の遺構。底からは温水が湧き出ている。大理石の柱や石畳の残骸が古代のヒエラポリスのメインストリートの一部だった。南北に1.5kmのメイン・ストリート。テルメと呼ばれる大浴場などが建ち並んでいた。歴代の皇帝が好んで足を運んだという。繁栄を示す巨大な劇場は、2世紀にハドリアヌス帝により建てられた。収容人数は1.5万人以上。神に捧げる祭典、演劇、剣士の試合などが行なわれた。舞台を色どるのはギリシャ神話の場面が刻まれたレリーフの数々で、特に崇められたのは古代ローマ帝国の守護神、太陽の運行をつかさどるアポロンだった。
 メインストリートを中心に町は整然と作られ、多い時で5万人が暮らしたという。繁栄した理由は、町の西側を占める奇妙な造形だった。

●パムッカレ
 丘の斜面を階段状に覆うのは石灰棚と呼ばれる地形。幅およそ2km、棚の数は100を越える。その白さからパムッカレ(トルコ語で綿の城)と呼ばれるようになった。この不思議な地形を作ったのはとめどなく流れる温泉水だった。石灰分が大量に含まれていて、空気に触れて冷やされると石灰分は沈殿して固まり、石灰華と呼ばれる結晶になる。この結晶が草や小石に付着し、棚をゆっくりと成長させる。1万年以上に渡り成長を続けている。いくつかの条件が重なって、この綿の城ができた。偶然が生み出したあまりにも広大な石灰岩。白い大地がなければこの土地の歴史は全く違ったものになっていたはず。

●ヒエラポリスとパムッカレ
 10年前にヒエラポリスの遺跡から珍しい発見があった。ヒエラポリス博物館に所蔵されているのは、6世紀のオリーブの石鹸で、石灰に覆われていた。大浴場の跡から見つかった。人々は午後の大半をここで過ごし、商談や会合を行なったという。社交の場でもあった。入浴を終えると、人々は展望台に出て、石灰棚の眺望を楽しみ、至福のひとときを過ごした。
 ローマ時代4度の地震に襲われながら、復興した。11世紀セルジュク・トルコに征服され、ゆっくりと衰え始める。1354年大地震で町は崩壊し、ヒエラポリスは二度と立ち直ることはなかった。
 19世紀後半に一人の考古学者が測量を試みヒエラポリスの発掘が行なわれた。多くの観光客が訪れることになり、石灰棚の損傷や水質の変化が心配されている。立ち入りが許されているのはごく一部で、素足で入ることが義務づけられている。
 地元の小さな村カラハユットでは、古代からの温泉に自由に入ることができる。水と戯れのんびりと時を過ごすというローマ時代と同じ様子がここにある。温泉治療のために長期滞在する人も多いという。
 ヒエラポリスの北のはずれは死者の町ネクロポリス。1200もの墓が並ぶトルコ最大の古代墓地遺跡。ローマ、ビザンティン失われた時代を示す墓標がひっそりとたたずんでいる。2世紀後半埋葬されたある家族の墓では、パムッカレの美しい眺望に対する言葉が並んでいた。「死者からこの風景を奪ったものは、末代までも呪われるであろう。」
 今、景観を守る最良の方法が模索されている。


テレビ番組「探検ロマン世界遺産 イスタンブール」

 2007年1月13、20日放送。鎌倉千秋アナが案内。アジアとヨーロッパを結ぶ街。15世紀オスマン帝国がここに都を築いた。86カラットのダイヤモンド。500年に渡って空前の栄華を誇った。ヨーロッパではトルコ人が来ると言えば、泣く子も黙ると言われた。

●イスタンブール
 1日130隻の大型船が行き交うボスポラス海峡。2階建の橋の上では釣りをしている人が多い。地中海と黒海の交点でもあるので、魚が豊富。
 エジプト・バザールはオスマン帝国の時代から300年以上続く市場。インドとかからの香辛料がエジプト経由で入っていたそうです。日本語を話す人がとても多い。チャイを出前してもらいました。
 街を一望できる展望台に上る。古くは4世紀にローマ帝国、ビザンツ帝国が都を置いた。丸い屋根とドームはモスクで、ほとんどがオスマン帝国の時代に築かれた。

●アヤ・ソフィア
 当時最も格式が高いとされたのは、アヤ・ソフィア。最大の特徴は巨大なドームで、直径が31m、高さ56m。板に記されているのはアッラー。別のはムハンマド。南東側の壁には聖地メッカの方向を示すミフラーブという装飾。オスマン時代は皇帝は週に1度はアヤ・ソフィアを訪れ礼拝をしていた。
 ドームの1つにマリア様が描かれている。アヤ・ソフィアは元々はキリスト教の大聖堂のハギア・ソフィア(聖なる知恵)だった。それをオスマン帝国は破壊せず、イスラムのモスクに変え、名前もアラビア語とした。現在、ビザンツ時代に描かれたキリスト教の絵を修復している。修復士のエルディンチ・ギョクチェさんはイスラム教徒。ドームの頂上にあるのは、モザイクでできた壁画があった。モザイクは1枚1枚方向を変えて埋め込まれていて、太陽光によりいろいろな表情を示していたと思われる。
 アヤ・ソフィアで最高傑作とされるモザイク画は「請願図」。左にマリア、右にヨハネ。中央のイエスに対して人類の救済を請い願うもの。頬だけでも10種類の色ガラスが使い分けられている。

●トプカプ宮殿
 トプカプ宮殿の門の上には、「東と西の大陸を制する者、ここに神の許しを得て、この宮殿を造る」と書いてある。広さ70万平方mの森に建つ。幅130m、奥行き180mの広い庭は皇帝の就任式などが行なわれた。全ての権力はスルタン(皇帝)に帰した。
 宝物が数多く残されている。86カラット、握りこぶしほどの大きさの世界有数のダイヤモンド。まわりにはさらに49個のダイヤモノドで、指輪だった。直径3cmを越える大きなエメラルドが3つついた短剣。先端にも玉のようなエメラルド。真中には中国で流行したしっぽうの細工。1つのエメラルドの下には、ロンドンで造られた時計がある。
 宮殿の一角にスルタンと皇太子以外は立ち入ることができなかった場所ハレムがある。多い時で1000人を越える女性が暮らしていた。部屋数は400を越える。ハレムの中心は「スルタンの大広間」。ファーティヒ大学メフメト・イプシルリ教授が説明してくれた。ハーレムの女性は奴隷市場から連れて来られたロシア人やアルバニア人だった。

●オスマン帝国
 オスマン帝国の開祖オスマン1世は遊牧騎馬民族だった。36人の皇帝の中で大帝国へと飛躍させたのは第7代皇帝のメフメト2世。イスタンブールを獲得し、ここに都を置いたのもメフメト2世だった。希代の戦略家だった。軍事博物館でその一端を知るコンサートが開かれる。オスマン軍楽隊をうまく利用し、味方を鼓舞し、敵を威圧した。イェニチェリという鉄砲隊は、キリスト教徒だった少年を教育し、改宗させて参加させたもの。

●グランド・バザール
 グランド・バザールは面積3万平方m、店の数4000、中東で最大規模の市場で、メフメト2世が築いた。ここに各国の一流品が集まるようにした。15世紀に中国の景徳鎮で作られた白磁もある。銀の覆い付き磁器製香炉もある。工房がグランド・バザール内に作ってある。様々な国や宗教の人がいるが、一流の職人を各国から集めたようです。

●イスラム文化
 2006年10月。午前3時ホテルの外で太鼓が叩かれている。ラマダンの時期にこうしてみんなを起こしている。朝3時半にみんなは食べている。人口1000万、その9割以上がイスラム教徒。イスタンブールには1000を越えるモスクがあるという。

●デレボアズ村
 トルコ東部の村。元々オスマントルコは中央アジアの騎馬民族で、当時のジリットという馬を使った競技がこの村に残されている。行った日は近くの村との親善試合があった。槍に見立てた棒を投げて相手に当たったら得点。負けを認めている敵をそれ以上責めてはいけないというルールがある。
 バルカン半島のドゥブロブニクもオスマン帝国の攻撃にあい属国となったが、自治も貿易も奪われなかった。オスマン帝国はその代わりにお金をもらった。

●巨大モスク
 ミマル・シナンはトルコでは誰でも知っている建築家で、トルコのミケランジェロと呼ばれ、100を越える巨大モスクを含め159個を建てた。建築家の山本達也さんに話を聞いた。スレイマニエ古文書館にはシナンの言葉で、「いつかアヤ・ソフィアを越えたい」と書かれていた。最高傑作の一つがスレイマニエ・モスク。アヤ・ソフィアを徹底的に解析し、8年かけて建造した。中央に巨大なドーム、直径27m、地上53mもある。洗練されている。ドームに登ってみると、音の響きが素晴らしい。ペンダントの上の茶色の部分に甕が埋めこまれているのが理由らしい。

●ラマダン
 この時期は街が一番活気づく。花火も上がる。イスタンブールの民族や宗教を越えて、いいものはいいという姿勢がよい。

●アヤ・ソフィア
 朝6時半、修復士エルディンチ・ギョクチェさんがアヤ・ソフィアで見せたいものがあるという。請願図の前で待ち、日が昇り光が差し込んできた。より穏やかで温かみのあるキリストの表情が浮かびあがった。


テレビ番組「探検ロマン世界遺産 世界遺産と生きる人々」

 2006年11月25日放送。NHK製作。

●マダガスカル
 ツィンギ・ド・ベマラハ厳正自然保護区。生き物をよせつけない高さ100mに及ぶ岩の摩天楼。石灰岩の岩山が長年の雨水の浸食をうけて作られた風景。水沢蛍さんが案内。岩の隙間に素焼きの土器がった。ここにも人が住んでいた。ヴァジンバ族の人が今も麓に暮す。ツィンギからは50種類もの薬草が手に入る。マラリアも治すという万能薬もある。針山にはシファカと呼ばれる小さなサルが生息している。地下に洞窟があり、水が流れていて、乾季でも枯れることはない。

●カッパドキア
 石灰岩の侵食によって作り上げられた幻想的な光景。地中へと続く竪穴や横穴が無数にある。もっとも深いところでは地下80mに達し、地底都市は30を越えると言われる。今も岩山を掘った中で暮らしている人がいる。末吉美紀アナが訪問した。冬は寒いが、夏は涼しくて快適だそうです。
 アルカリ性なので、植物は育たないとされるが、ぶどうはそういう土地だから栄養を体内に貯めておこうとする。それで味わい深いぶどうができる。

●ボリビア
 標高3800mの高原にある都市遺跡ティワナクは紀元前2世紀から1000年以上に渡って栄えた壮大な古代文明。緻密な石組みの技術は後のインカ帝国に影響を与えた。伊藤雄彦さんが案内。古くから住むアイマラ族の村を訪ねた。じゃがいもは地面に置いたままにする。日中は15度、夜は氷点下で、気温差は最大30度にも達する。凍って溶ける、これを足で踏んで、じゃがいもの毒を出す。これから100年はもつという保存食チューニョができる。食べる時は水で戻し、スープに入れて煮込む。

 チチカカ湖の真中にあるのは島ではなく、草でできた浮島。この湖にはこうした島が58あり、2000人が暮らしている。浮島はトトラという植物でできていて、1ヶ月に1回新しいトトラを追加する。夜は寒さが防げるためのようです。魚の宝庫で、石の上で焼くのが伝統。

●ウィーン
 シェーンブルグ宮殿はハプスブルグ家が18世紀半ばに完成させた。部屋の数は1141もある。水沢蛍さんが案内。女帝マリア・テレジアは莫大な富と圧倒的な力を誇示した。舞踏会に使われた大ギャラリー。インゲボルク・リンデックさんが案内してくれた。観光客が入れない特別な場所は、宮殿の最上階にある部屋、ここにリンデックさんが住んでいる。1918年ハプスブルグ帝国の崩壊と共に宮殿はオーストリア新政府の手に渡った。その時に多くの部屋が住宅難に苦しむ市民に提供され、今でも250世帯が賃貸で生活している。マリア・テレジアが作った世界初の動物園も今でも人気。あとは庭園が住民の散歩コースとなっている。

●バルセロナ
 サグラダ・ファミリア贖罪教会は、天才アントニ・ガウディの代表作。1883年に建設が始まり、120年以上が過ぎた今も工事が続けられている。バルセロナではガウディが作った7つの建物が世界遺産、うち4つは住宅。石井麻由子さんが紹介。
 カサ・ミラは1910年に建築された地上6階の建物がアパートになった。地元の人は「ラ・ペドレラ(石切場)」と呼んでいる。洞窟のような入口。中には吹き抜けが作られている。一つとして四角な部屋はない。クレメンティーナ・リスカノさんのお宅を見せてもらった。打ち寄せる波のような曲線が天井にある。ガウディは家の環境が人を育てると信じていた。

●オランダ
 1平方kmの平原に19の風車がある「キンデルダイクの風車群」。高さ18m、250年前の創建当時と変わらない佇まい。風車の中では水車が回っていた。オランダは国土の4分の1が海面より低いので、水車は水位が上がって川の水が溢れそうになると汲み上げて排出し、農地や牧草地を守ってきた。岡田理江さんが案内。
 コック・ファン・デン・ベルクさんの風車(お宅)を訪問した。入るとすぐにキッチンと台所。5階建で、風車が回りだすと大きな音がするそうです。電気式のポンプは停電になると使えなくなるから風車は必要だそうです。風車の位置は360度回転する。布をかけるのも大変な作業。強すぎてもいけないし、弱くてもいけないそうです。

●ハバナ
 旧市街が世界遺産。ハバナは16世紀〜19世紀はスペインの支配下にあり、バロック建築が数多く残っている。かつての大邸宅を改造して20世帯の家族が住んでいた。1DKの細長い室内でした。岡田理江さんが案内。19世紀にアフリカから70万人の奴隷が連れて来られた。砂糖の生産のために強制労働させられた。その中で祈りの儀式が重要となり、太鼓の音楽が心を癒した。19世紀末にスペインの植民地支配が終結し、人々はハバナに集結し、新たな音楽が発生した。融合した音楽は「ソン」と呼ばれた。そこからさらに多彩な音楽が生まれた。

●インド・ダージリン地方
 ダージリン・ヒマラヤ鉄道は世界遺産。120年以上続く世界で最も古い山岳鉄道の一つ。わずか2両編成で高低差2000mを走る。19世紀末にイギリスが造った。当時は細く険しい山道を通るしかなかった。当時は牛車や籠に乗って行き来していた。イギリスは紅茶の栽培を始めた。これを安全に大量に運ぶために、1881年開通した。20世紀半ばインド独立後、車社会到来で、トラックに代わった。沿線の住民たちは思わぬ利用法を考えた。通学の際に子供たちは駅でもないところから飛び乗る。伝統を引き継ごうとしている若者はミラージュ・ビスワカルマさん17歳。


テレビ番組「探検ロマン世界遺産 トルコ・ヒエラポリスとパムッカレ」

 2006年9月16日放送。鬼頭あゆみアナが案内。純白の石灰棚、そこを流れる水は温泉。世界遺産ヒエラポリスはローマ帝国が築いた巨大な温泉保養地。歴代皇帝が愛した地。1988年世界遺産。

●パムッカレ Pamukkale
 イスタンブールの南500km。バスで到着前に純白の山が見えた。石灰岩でできた山の高さは200m、東西3kmに渡って続く。
 川が流れているが、白くて温かい。
 石灰棚(トラベルテン)に来ると、靴を脱ぎなさいと書いてある。夏場は1日3000人の観光客が来る。人の入ることができる石灰棚が途中にいくつかある。古い石灰の上に新しく流れてきた石灰が覆いかぶさっている場所もある。上に行ってみると棚田が見えてくる。堤が見えてくるが、大きなものは高さ6mになる。
 現地ガイドのルファット・ドゥルムシュさんが説明してくれた。白いのは炭酸カルシウムによるもので、岩の表面を流れる時に炭酸が空気中に出て、カルシウムの石灰華が沈殿する。石灰棚は落ち葉が流れを止め、石灰華が長年貯まってできている。
 パムッカレの地形は40万年前の火山の噴火により形成が始まったと言われている。現在の状態は紀元前5世紀には存在していた。

●ヒエラポリス
 一番上に行くと Antique Pool がある。プールの中に沈んでいるのは石の柱。大理石でできた直径1mの石柱が何本も沈んでいる。無数の泡も出ているが、炭酸カルシウムが出る35度の温泉。温泉のまわりに広がっているのは、古代ローマの都市ヒエラポリス Hierapolis 。石造り建物跡が点在している。高さ8mのアーチ型の門は街の玄関口だと考えられている。その先には2kmに渡る石畳の道が伸びている。門のすぐ横には円柱の立ち並ぶ遺跡が残っている。
 紀元前133年トルコにあったペルガモン王国はローマの属領となった。50年前から発掘調査がされている。パムッカレ大学のジェラル・シムシェッキ教授に話を聞いた。彼はドミティアス門を瓦礫から復元した。右手の大きな円柱の建物は公共トイレだったという。建物の長さは23mで、両側で一度に40人が使える水洗トイレだった。石畳の道の下には、下水道があった。紀元前133年にはヒエラポリスには4.5万人が暮らしていたと考えられている。その生活を支える水は Antique pool だったという。ここには水の女神を祀るための巨大な神殿があったという。湧き出る水は毎分2万リットル。
 社交の場でもあったローマ式大浴場も建設されていた。また市民の反乱を抑える意味があったという。まだ発掘途中なので、公開されていないが、一度に千人が利用できたという大浴場は3つの部屋に分かれていた。フリギダリウム(冷たい水の部屋)は体の汚れを落とす。隣はテビダリウム(ぬるい部屋)はサウナの役目。ヒュポカウストゥムと呼ばれる古代の床暖房が見つかっている。3つ目の部屋はカルダリウム(熱い部屋)はまだ発掘途中で、実際の床は現在の5m下だという。

 街にはキリスト教以前の宗教の様子がわかる。いけにえを捧げた場所も、ギリシア神話の神を祭った太陽の神を祀った神殿、水の神を祭った神殿もある。神殿の一角には今でも火山性のガスを出している場所があった。アーチ型の小さな門が設けられている。ガスを吸い夢うつつとなった預言者が、神のお告げを告げたと思われる。危険なために現在は入口が封鎖されている。この門は死後の世界への入口として作られた。ヒエラポリスの西にはお墓が点在する。ロウソクを立てる台が刻まれているのはユダヤ人の墓。ヒエラポリスは終の棲家でもあった。

 石灰棚の麓には3000人が暮らしている。特産品は綿花で、パムッカレとはトルコ語で「綿の城」という意味。今でも綿花を生産している。トゥルグット・アトマンさんの宅を訪問した。年間80トンの綿を生産している。アイランという飲み物で迎えてくれた。牛や羊の乳から作ったヨーグルトに塩を加えた飲み物。綿の収穫は9〜10月。パムッカレの綿はパキスタンのものと並んで世界一だという。このがヒエラポリスに大きな富をもたらした。

●クズルリャ・ビョルップ?
 パムッカレの南西のクズルリャ・ビョルップ?の町は、50軒の織物工場がある。トルコ国内の半数をこの地域で作る。主な製品はカーテンやテーブルクロス。当時のローマ市民が好んだ服装トーガは肩からたすきがけのように垂らしているのがパムッカレの綿織物だった。
 1.5万人収容の円形劇場が残っている。商人たちをもてなしたと考えられている。

●カラハユット
 パムッカレの隣町カラハユットは湯治の隠れた名所。街のはずれには温泉クルムずす(赤い湯)があって、みんなが足湯をしている。鉄分が多いので赤く、湯の温度は51度。高血圧や皮膚病に効果があるという。

●ヒエラポリス
 ヒエラポリスが突然姿を消したのは地震。1354年の大地震で壊滅した。今は年間100万人が訪れる一大観光地として蘇った。

●パムッカレ
 石灰棚には水が入ってないものもある。水の出し入れは調整されている。特別地域管理局給水係員のイルケル・マテシュさんは、栓を開け閉めして調整している。観光客の増加により水の汚れが目立ってきたという。水を貯めたままにするとコケが生えてしまうので、定期的に乾燥させてコケが生えないようにするという。


テレビ番組「NHKスペシャル・千年の帝国ビザンチン」

 2006年6月2日放送。

●イスタンブール
 かつてはコンスタンチノーブルと言われたキリスト教のビザンチン帝国。アヤ・ソフィア(聖ソフィア大聖堂)は1500年前に建てられたキリスト教の大聖堂。皇帝の命によりのべ50万人以上が動員されたという。当時はここが世界のキリスト教の中心だった。その後帝国はイスラム勢力に攻め滅ぼされ、聖堂はモスクに変わった。宮殿を始め、都の多くは破壊され帝国の記憶は遠ざかっていった。
 ビザンチンの名が再び注目された。2004年トルコのEU加盟交渉が始まった。フランスのシラク大統領はトルコもヨーロッパもビザンチン帝国の子孫だと語った。ヨーロッパの各国はビザンチンの遺跡の発掘に資金を提供している。イスタンブール考古学博物館のアスマン・デンキャル研究員が地下の宮殿の遺跡を紹介してくれた。金細工などに進んだ技術が見られる。帝国は1000年も生き長らえた。
 アヤ・ソフィアはつくば大の日高健一郎教授がレーザーでドームの詳細を測定している。地上50m、直径31mの巨大なドーム。当時としては相当進んだ技術である。先生は柱がドームを支えているという。ドームの下の窓は強度を低下させているが、入る光によって天から鎖で吊り下げられているように感じられたるという。皇帝は神の代理人を名乗った。

●エジプト
 シナイ半島の砂漠の中にビザンチン時代の6世紀に建設された現存する世界最古の修道院「聖エカテリニ修道院」がある。ベドウィンと呼ばれる砂漠の遊牧民がいる。砂漠のあちこちにキリスト教徒が住んでいた集落の跡がある。シナイ山はモーゼが神から十戒を授かったというキリスト教の聖地。「聖エカテリニ修道院」はその麓にある。まるで城塞のような分厚い壁に囲まれている。主聖堂の中の正面には金の飾りを施された聖障(せいしょう)がある。シナイ山に立つモーゼの姿がある。モーゼはこの敷地の中で神のお告げを聞き、シナイ山に登ったと伝えられる。午前4時、聖体礼儀が主聖堂で始まった。キリストの血と体として聖なるパンとワインを拝領する。1500年間毎日欠かさず行なわれてきたビザンチン伝来の儀式。儀式を代行する第123代修道院長ダミアノス大主教、あと20人の修道士。ほとんどがギリシャ人です。3時間に及ぶ儀式は朝日が出るとクライマックスとなる。金色のキリストのモザイクは朝日を受けて輝く。最後の晩餐のイエスの言葉「取りて食らえ、わが体。」が唱えられるとパンは体に、ワインは血に変化すると言われている。大主教によりパンをつけたワインが修道士や出席者の口に入れられる。
 ビザンチン帝国の旗である「双頭の鷲の旗」がひるがえる時がある。4世紀末に古代ローマは東西に分裂し、西はまもなく滅びたが、東ローマ帝国は1000年の長きに渡って続いた。東ローマ帝国は首都ビザンチウムにちなんでビザンチン帝国と言われた。キリスト教は正教として西のカトリックとは別に発展していった。聖エカテリニ修道院は正教の聖地として、その正教の伝統を厳格に伝えてきた。修道院の中で働くベドウィンの人でイスラムの祈りをしている人もいた。頭蓋骨がある部屋がある。ここに1500年間の修道士の遺骨がある。3000冊の蔵書もあるが、バチカンに続く規模だと言われている。
 7世紀にアラビア半島にイスラム国家ウマイヤ朝が誕生し、砂漠の民を一つに束ね、巨大な宗教国家となり、ビザンチン帝国を侵略していった。聖エカテリニ修道院周辺は一番に攻撃された。その防衛のために分厚い壁ができた。上の方の小さな櫓を出入り口にしていた。ここに滑車を置いてものを運んでいた。時にはイスラムに何百人も殺害されたという。修道院はイスラムとの共存を選んだ。建物の中に「アッラーの偉大さは極まれり」と書かれているところがある。敷地の中にイスラムのモスクを作った。修道士はイスラムのメッカに向かう人を泊めたという。

 ビザンチン帝国はアヤ・ソフィアにイスラムの国使を招いて懐柔しようとした。

●イタリアのラベンナ
 ビザンチン文化を代表する技術「モザイク」が伝えられているのは、学校。しっくいの上に精密な下絵を描き、その上に色ガラスを埋め込んでいく。古代ローマでは石だったが、ビザンチンでは色ガラスだった。色ガラスを割って、割った面を使用する。光を反射して輝くから。国立モザイク学校のッフェリーチェ・ニットロさんは、ビザンチンの人はモザイクを「永遠の絵画」と考えていたという。6世紀に建てられたサン・ヴィターレ教会には、世界で最も美しいと言われるモザイクが残されている。帝都ビザンチンから来た職人が作成した。天井の中心にはキリストを象徴する子羊。そのまわりの絵画は日の光によって輝き、今も失われていない。祭壇には天上の楽園が描かれている。ビザンチン帝国の最盛期を築いた皇帝ユスティニアヌスも巧みに陰影をつけて描かれている。皇妃テオドラと従者達のモザイクのところどころには真珠母貝があしらわれている。

●シリア
 首都ダマスカスにはウマイヤ朝の都があった。その中心に建つウマイヤ・モスクは現存する世界最古にして最大級。ここにモザイクがあるが、ラベンナのモザイクと同じ。シリア考古学会会長のムハンマド・クッチ教授は、ビザンチンとウマイヤ朝の間には戦争があったが、職人が招かれたのだという。8世紀にビザンチンの女帝エイレーネがイスラムのハールーンと高価な贈り物を交換しあい、和平を結んだ。

●エジプト
 ダミアノス大主教は自ら車を運転して周囲の村を訪れる。薬剤師の資格を持つので、ベドウィンたちから信頼を勝ち得ている。
 修道院が大切にしてきた文書がある。ムハンマドがこの修道院を訪れた際に、修道士たちの歓待を受け、盟約書を残した。キリスト教徒を守り、彼らの安全と財産を保証せよと書かれている。
 11世紀にこの修道院に十字軍が立ち寄った。壁には今も十字軍が彫ったエンブレムが残っている。彼らは聖地に平和をもたらすと言っていたが、破壊と混乱をもたらしたのは十字軍自身だった。次第に目的が領土の獲得になった。1204年に十字軍は矛先をビザンチン帝国に向け、コンスタンチノーブルに攻め入った。多くの人が殺され、宝物が盗まれた。これ以降、帝国は滅亡に向かう。

●イタリア・ベネチア
 十字軍のコンスタンチノーブル攻略に多大な役割を果たしたのはベネチアだった。サン・マルコ寺院には黄金のモザイクがある。11世紀にビザンチンの職人を招いて制作が始まった。ベネチアはかつてはビザンチンの属国だったが、交易により11世紀にはイタリア一の海洋国家となっていた。このモザイクも最後はベネチア人により完成した。サンマルコ寺院の宝物室はビザンチンの美術品の最大の宝庫といわれている。10世紀頃に描かれた聖ミカエルは幅1mmの金の装飾。天使の羽根はしっぽう焼きでできている。「メノウのせいかい」は赤く輝き、キリストの血を想像させたという。4頭の馬の像もある。

 1453年ビザンチン帝国はオスマン帝国の侵略によって滅亡した。

●キプロス島
 世界遺産のランパディスティス修道院は11世紀ビザンチン帝国によって建てられたが、聖人たちの目は全てかき消されている。オスマン帝国に占領された時の傷跡だという。1974年、イスラムを信仰するトルコ系住民とギリシャ正教を信じるギリシャ系住民との間に内戦が勃発した。今、北キプロスはトルコ系、南はギリシャ系で分裂したまま。

●エジプト
 ダミアノス大主教は各国の首脳に次のように語っている。「互いの信仰を尊重しあえば、共に暮らしても何の問題もない」と。


テレビ番組「地球ウォーカー、イスタンブール」

 2003年9月19日BSで放送、2005年10月30日再放送。イスタンブールの連絡船の船長ナージ・アカギュンドゥズさん(49歳)は、連絡船で働いて27年になる。町は幅1kmのボスポラス海峡によって東西に分かれている。ここで文明が分かれていた。人口は1000万人。イスタンブールではイスラム教の寺院が目につく。港近くの市場では、世界の香辛料が昔から取引されている。
 エミノニュ桟橋はヨーロッパ側にある大きな港で、朝は混雑する。1日の乗客は17万人で、50隻以上の船が往復する。桟橋には名物のサバサンドイッチの店があう。朝の桟橋で食べている人が多い。
 ボスポラス海峡には橋が2つかかっているが、通行料金が高い上に、いつも渋滞している。多くの人は80円で対岸に行ける連絡船を利用する。朝9時から翌日の朝9時まで勤務する。27年前に船員となり、9年前に船長に昇進した。朝は5分毎に出航する。航路は5km15分間、乗客は1500人。多い日は1日に20往復以上する。大型船などが毎日130隻以上の船が縦横に行き交う。
 勤務明けの日はいきつけの床屋に行く。ボスポラス海峡の近くにある小さな桟橋で手漕ぎの船が人を運ぶ。ナージさんも対岸までの300mを一人30円で運ぶ。ナージさんは35年間ここで漕いできた。その桟橋から15分歩いたところにナージさんの自宅がある。息子さんも船長を目指すようです。


テレビ番組「2005年7月の「旅サラダ」は田中美奈子さんでトルコ」

 ルフトハンザで行きました。

●イスタンブール
 ボスポラス海峡をはさんで、ヨーロッパ側(旧市街と新市街)とアジア側に分かれ、それぞれに鉄道の始発駅がある。アジア側のハイダルパシャ駅はネオゴシック様式の重厚で宮殿ぽい建物で、アンカラやテヘランにも列車が走っている。駅の前はフェリーの船着場で、ヨーロッパ側にすぐに向かうことができる。フェリーは20分1トルコリラ(以下TL、80円)。ヨーロッパ側のシルケジ駅はパリに向かうオリエント急行の始発駅としても有名。

 若者に人気のB級グルメの紹介。薄く切った羊の腸をミントやスパイスなどとぐるぐる巻いて炭火で焼いて、細かく切った「ココレチ kokorec 」という料理は6TL(480円)。トルコの人は唐辛子をかけたココレチをパンにはさんで食べるそうです。
 街角のお店?ではジャガイモの料理「クンビル」(6TL:480円)を売っていた。かなり大きなジャガイモをふかしてチーズ、コーン、マッシュルーム、ソーセージ、オリーブなど、お好みの具をトッピングしてくれる。

 モスクは市内に3000もある。中でも有名なのが、スルタン・アフメット・ジャミィ(ブルーモスク)。ミナレットと言う塔が6本建っているのはここだけ。昔はこれに登って、これからお祈りが始まりますよ〜と呼びかけた。ミナレットが多いということは信者が多いということ。中に入るのに相当並びました。中は見上げるとその光景に圧倒されました。壁を色どるのは2万枚のイズミック・タイル。青と緑を基調としたタイルが使われているので、ブルー・モスクと言われるそうです。
 午後1時、礼拝の時間になると観光客はモスクの外に出る。今回特別に見せてもらった。トルコは国民の9割がイスラム教徒で、1日5回お祈りするそうです。料金は寄付です。

 世界遺産に指定されている地区の地下宮殿に行ってみた。1500年前のビザンチン時代の貯水池で、8mもあるコリント様式の柱が全部で336本。この空間には今も水がたたえられている。見た者を石に変えるというメドゥーサの頭が2つある。ひとつは横向き、ひとつは逆さ向き。料金は10TL(800円)です。神田さんは、「水量が減っていくと、メドゥーサが出てくるように設計されたんじゃないか。」という予想してました。

 グランド・バザール(料金:無料、日曜休み、営業:8:30-19:00)に行ってみた。民芸品、絨毯、骨董品の店が5000軒もある。楽器店の多いところに行ってみた。ケメンチェは黒海地方の弦楽器で、ダルブッカは中近東に伝わる打楽器でした。
 エジプシャン・バザール(料金:無料、日曜休み、営業:8:30-19:00)に行ってみた。香辛料が多い。お店の奥にガラスの瓶が並んでいる。中身はアロマオイルで、硬水やマッサージに使うもの。トルコは香料用のバラの原産国の一つ。特にモナスクロールはほとんどの高級ブランドの香水のベースオイルとして使われている。1リットルのオイルを採るためには、4000kgのバラが必要。かつては黄金よりも高価と言われたローズオイルも日本の10分の1の値段で買える。

 宿泊は最高級5つ星クラスのザ・リッツ・カールトン・イスタンブール(住所:Asker Ocagi Cad.No.15、電話:(90)212 334 4444)。今回は1412号室のスイート:1泊5900ユーロ(約77万円)。世界各国からの著名人も泊まったというこの部屋、浴室はガラス張りで見晴らしも最高、バラの花が散りばめてあり、香が炊かれていました。ちなみにデラックスルームは1泊230ユーロ(約3.1万円〜)。ホテル内にハマムというサウナのような部屋がある(宿泊費に込み)。サルタン6ハンドマッサージは、3人がアルマオイルを使ってマッサージしてくれます。50分:390TL(3.4万円)。

 夕食は「オリエントハウス」でベリーダンスのショーを見ることができる。シシケバブをいただいた。ベリーとはおなかという意味で、衣装から少しお肉がはみ出すくらいが最高にセクシーだと言われている。

 夜のブルーモスクはライトアップされていて幻想的で、飛んでいるカモメが動の部分を演じていました。


●ブルサ Bursa
 かつてのトルコの都。イスタンブールから船で向かった。イスタンブールと違って道行く女性の多くがスカーフをしていた。町を象徴するのはスルタン・マホメット1世の「緑の霊廟」。都は移ってもここに霊廟をたてる王が多かった。
 またハマム(蒸し風呂を中心とした共同浴場)が多く残っている。キャラバンサライ・テルマル(電話:+90-224-233-9300:無休:7時〜22時30分)に行く。14世紀に建てられたもので、天井がかなり高くて広くて開放感があるが、少し暗いかも。中心の部屋は大理石?で比較的明るい。
 チャクル・ハマム Turkish Bath (電話:+90-224-221-2580:無休:6時〜24時)では、蒸し風呂の後にマッサージや垢すりをするのが定番。入浴料は垢すり・マッサージ付きで20トルコリラ(1600円)。すごい泡をかけてくれました(笑)仕上げは巨大な湯船に入る。深いところは足が立たないくらい深いようです(笑)
 イスケンデル Iskender (電話:+90-224-225-5610:11時〜20時)は、羊の肉を回転させながらあぶるデネル・ケバブ発祥の店。現在は3代目のイスケンデルさんがオーナー。イスケンデル・ケバブはケバブに溶かしたバターをかけていただく。16トルコリラ(1300円)ですが、かなりお肉の量があります。
 カラギョズハウス Karagoz Sanatevi (電話:90-224-232-1871:9月〜7月中旬の水・土は10時〜12時30分、金18時30分〜21時:実演:水・土11時〜、金20時〜:休み7月中旬〜8月)は色付きの影絵で人形劇を見せる、800年の歴史を持つトルコの伝統を見ることができる。裏側では20年のベテランのシナスィ・チェリッキコルさんが活躍。

●ジュマルクズク
 ブルサの郊外の村オスマントルコ時代の街並みが残っていて、映画の撮影などにも使われる。村長のアフメット・クシュさんに案内してもらった。行き止まりの場所でも、塀と塀の間に右手に幅70cmの細い道があった。1階よりも2階の方が大きな家が多いが、戒律で自由に外出できなかった女性に少しでも開放感を感じてもらおうという建築法らしい。村長の家に行ってみたが、窓にガラスがない(笑)お茶とケーキをいただいた。鉛を溶かして水?に注いで占いをするクルシュン・ドキュメ(鉛注ぎ占い)をしてもらった。小さなことに恐がってはいけない。大成するから!って言われました。

●パムッカレ
 世界遺産。ブルサから車で4時間。白と青のコントラストが素晴らしい。温泉水が石灰分を多く含んでいたために、こういう色になっている。パムッカレとは「綿の城・白?」という意味。今は中に入れないが特別に入らせてもらった。犬が夕方には多く入っていたそうです(笑)
 裏側にある温泉プール「アンティーク・プール Antique Pool 」(電話:+90-258-272-2024:8時〜20時:無休)に行った。パムッカレと同じお湯に入れるが、この露天風呂の楽しみはそれだけじゃない。足のつま先がやっと届くくらいの深さだが、大きな石がたくさん沈んでいる。この石はローマ時代の遺跡。
 ヒエラポリスも世界遺産での遺跡。かつては人口が10万人を越えたというこの地は古代ローマ人の温泉都市だった。南大浴場と北大浴場がある。1つが長さ100m?程度あるくらい大きなハマムだったようです。
 遺跡の近くの近代的な温泉リゾート地「コロッサル・テルマル Colossal 」(電話:+90-258-271-4156)では医師(ユクセルさん)のカウンセリングを受け、温泉治療を受けることができる。2種類の温泉があり、少量ずつ出ている方は体に優しい炭酸カルシウム泉(35度)と、多量にでているちょっと刺激がある鉄泉(50度)。短時間で隣に移ることを繰り返すそうです(笑)ここの主な治療法は、ハマム、温水エクササイズ、飲泉、美顔、水中マッサージ、足裏マッサージ、温水エステ、シャワー療法、入浴プログラムです。

●カッパドキア
 イスタンブールから東に200km。キノコ岩は自然の遺産。通称「妖精の煙突」、「ラクダ岩」などもあった。気球に乗って空の旅にでかけた。バルーン・ツアーは90分210ユーロ(2.7万円)。カッパドキア・バルーンズ社(電話:+90-384-271-2442、FAX:+90-384-271-2586。90分コースは、最低1時間の飛行保証で、一人230US$(現金払いで210US$)。60分コースは一人140140US$。早朝2フライト催行)。途中で朝日が昇った。
 火山灰が降り積もった大地が長い時間をかけ、風と雨で削り取られてできた風景。奇岩はよく見ると穴があいているが、カッパドキアの人々はこの中に住んでいた。カッパドキアの全体の広さもわかった。東京23区がすっぽり入るくらいの大きさで、カッパドキアとは都市の名前ではない。
 現在36箇所の地下都市が確認されている。日本語ガイドのハヤット・シェンバイさんにカイマクル地下都市(夏期8時〜18時:冬期〜16時:無休:料金10トルコリラ:約800円)を案内してもらった。かつて、キリスト教徒たちが隠れて集団生活をしていた場所。ワイナリーもある。敵の侵入を防ぐための岩の扉や地下8階まで続く立体迷路など、様々な工夫が凝らしてあり、5000人の人が暮らしていたそうです。
 ギョレメ野外博物館(8時〜日没:無休:料金12トルコリラ:約960円))には、30以上の洞窟教会が残る。カランルク・キリセ(暗闇の教会:別途入場料が必要で5トルコリラ:400円)は窓が1つしかなかったので、最も保存状態がよい教会で、キリスト像や最後の晩餐など、フレスコ画がきれに残っていた。天井にはキリストの絵がある。カッパドキア最大の教会トカル・キリセはビザンチン美術の傑作という壁画があり、弾圧に耐えた人々の思いを今に伝えている。
 トゥラサン・ワイン Turasan Wine は名物(電話:+90-384-341-4961:FAX +90-384-341-4872:8時〜19時:無休)。醸造室を見学させてもらった。洞窟を利用したワイナリー。ヨーロッパでも評価が高く、何度も金賞を取っている。カッパドキアは火山灰でできた土地で、ミネラル分が豊富でワイン作りに最適なんだそうです。
 クズル川(赤い川という意味でトルコで一番長い川)の上流にある小さな村アヴァノスは、クズル川の赤土を使った陶器作りが盛ん。チェチ陶器工房(電話:+90-384-511-4577:FAX:+90-384-511-5469:9時〜20時:無休)を訪問した。ご主人のガリップ・キョリュクチュさんは40年の大ベテラン。田中さんも作らせてもらった。
 絨毯は世界的にも有名。アヴァノス絨毯(電話:+(90)-384-511-3333:FAX:+90-384-511-3355)を訪問した。博物館のように何本も置いてある。各国語で説明があり、飛ばして見せ、粗悪品の見分け方まで教えてくれる。日本語担当のデュンダルさんのお勧めはオールシルクの170万円の品で、見る角度によって色が違ってみえるもの。フランス語担当のネジミさんのお勧めは、色の違う羊の毛を使った32万円の無染色ウール。
 宿泊はエルケップ・エヴィ(電話:+(90)-384-341-6000:FAX:+(90)384-341-8089)で、洞窟ホテル。夏は冷房をつけなくてもひんやり快適。冬は少し暖房をつけるだけ。シングル60ドル。ブドウの葉でピラフを包んだヤブラック・ドルマスという料理を作るのを手伝った。包んでレモンを入れて煮た。メインディッシュの焼肉は、オーナーのハイダル・ハイクルさんがじきじきに焼いてくれました。

●コンヤ Konya
 かつてセルジュク・トルコの首都だった街。今もトルコの文化が色濃く残る街。街の中心にあるのはメヴラーナ博物館。トルコ時代に栄えたメヴラーナ教の霊廟跡。音楽と踊りで神と一体化するというイスラム神秘主義の一派。セルジュク朝が滅びた後も、人々に受け継がれているという神秘的な踊りセマー(旋回舞踊)を特別に見せてもらった。問い合わせ先はメヴラーナ博物館(電話:+(90)-332-351-1215)。茶色の帽子をかぶり、白い服と白く長いスカートを着て、恍惚の表情で反時計周りにずっと回転します。右腕を上に、左腕を下に向けて、天からエネルギーを受けて、大地に返していることを意味する。ずっと回っていると、神に自分を捧げているように感じるそうです。


テレビ番組「オヒョイさんのトルコで線香花火」

 2004年12月日放送。藤村俊二さんが出演。2002年キューバに行ったが、パナマ帽をかぶって颯爽と歩きたい、カストロにも会ってみたいというものだったが、パナマ帽と白いスーツは浮いていた。2003年はカナリア諸島のランサロテ島に行って、洞窟ホールでたった一人のピアノ・コンサートを開いて欲しいと言った。ガーシュインのアメリカン交響楽は両親の思い出の曲だった。2004年はトルコの旅。芸能生活50年の今年、エーゲ海に臨む遺跡の円形劇場で線香花火をあげ、花火を持つ手が震えて線香花火が落ちたら、芸能界を引退する!というのを確認するためにトルコに行った。成田から12時間でイスタンブール。アジアとヨーロッパの交差点と呼ばれるトルコは広さが日本の2.2倍で、人口は半分。紀元数千年前から歴史があり、国全体が歴史博物館みたいなところである。テレビ東京製作。

●イスタンブール
 宿泊しないのに、豪華ホテル「チュラーンパレスホテル」の庭先を借りて撮影した。どうしてこの旅をすることになったのかを説明した。30数年前に幻のテレビ番組「逃げろ」のロケで来たことがある。
 港でサバサンド Balik Sandvic 200万TL(以下2ML:180円)を食べる。味は並んで買うほどのものではないそうです(笑)

 「ブルーモスク」を訪ねた。スルタン・アフメット1世が建立したスルタン・アフメット・ジャミィの別称。ここだけ世界で一箇所6本の尖塔がある。これは王様が金色の(altin)尖塔を建てると言ったのを6本(alti)の尖塔を建てると聞き間違えてしまったため。アジア式の門と庭にヨーロッパ式のドームを組み合わせるというモスク。靴を脱いでゴミ袋に入れて持参する。2.1万枚の貼ってあるイズニックタイルが青いからブルーモスクという。260の小窓から差し込む光がドーム内を優しく包む。
 水タバコ Nargile 店に行く。味はリンゴ、イチゴ、桃など10種類くらいあるそうです。

 「フェリエ・レストラン Feriye Lokantasi 」で、オスマントルコ時代の宮廷料理を食べる。世界三大料理の一つと数えられるトルコ料理、どんな料理が出てくるのか。ボスフォラス海峡を眺めながら宮廷料理をいただく。「冷たい前菜」は、くるみのドルマ、ピーマンのドルマ、ぶどうの葉のドルマ、ズッキーニの花のドルマなどで目にも美しい。ぶどうの葉のドルマは600年の歴史があり、柿の葉寿司の味に似ているという。詰め物とかミンチとかが多いな、っていうのが感想です。次は「温かい前菜」で、タコのクザルトマ、マントゥのヨーグルトソースのせ(ラビオリ)など。メインは「ラム肉の三種盛り」。「ピラフのカシャールチーズ包み」は日本人の郷愁を誘う味だそうです。「デザート盛り合わせ」は甘いそうです。

 フェリーでボスフォラス海峡を渡って、ウシクダラ Uskudar に向かう。寒いので焼き栗 Kestane を食べる。甘いそうです。2ML(180円)。霧が深くて新市街地が見えない。クズ塔(乙女の塔:Kiz Kulesi )は見える。

●アクロポリス遺跡
 飛行機で1時間でイズミール、さらに車で1時間半でアクロポリス Akropolis 遺跡のあるベルガマに向かう。2000年の時空を越えてアクロポリスの丘に立つ。当時の市民生活を思い、坂道を歩いてみた。トラヤヌス神殿 Trajanus Tapinagi がある。野外劇場 Helenistik Tiyatro があった。1万人収容できたそうです。階段は全部で80段。舞台でヒソヒソ話したら一番高い階段のところで聞こえたという。それを実験してみた。アレキサンダー大王、ローマ皇帝、オスマンの王様はこの場所でどんな夢を見ていたのでしょうか。

●ベルガマ
 喫茶店でギュロル・オゼルテムさんが声をかけてきた。奥さんの弟のお嫁さんが日本人でイスタンブールに住んでいるそうです。それでお家にうかがった。お昼をいただいた。お好み焼きのようなギョズレメ、羊の乳で作ったチーズ、牛のチーズ、バターと蜂蜜、イチゴジャム、チェリージャム、自家製オリーブなどをいただいたが、おいしいそうです。オリーブにはレモンが入っているそうです。くつろいでしまって、取材に来たことを忘れていた。手作りの味と昔の家族っていうのを思い出させる家でした。

●アッキョイ村
 パムッカレに向かう途中で、アッキョイ村に寄ってみた。面白い風習があるという。煙突の上に空き瓶が置いてあった。村の男たちは皆仕事に出ていたから女性と知り合う機会がなかった。「うちには娘がいます」と知らせるために空き瓶を置いたそうです。

●パムッカレ Pamukkale
 綿花畑の中に見えてきた。パムッカレは綿の白という意味だそうです。世界遺産に登録されているが、石灰分を多く含んだ温泉地帯。数千年かけて綿の城のような景色になった。以前は裸足で歩けたが、黒くなってしまったので、最近は観光客も温泉の流れも規制されているそうです。今回は石灰棚 Tiraverten を一部歩きましたが、冷たかった。溝を流れる分は暖かかった。以前来た時は温泉が出ていて、青色に光っていたそうです。
 本当のサウナを見たいというので、奥?に行ったら、水をたたえた石灰棚がありました。紀元前の時代にも5万人の都市ができていたそうです。
 石灰棚のすぐ近くにあるパムッカレ温泉 Pamukkale Termal は誰でも入れる温泉です。水着で泳いでいます。下にあるのはローマ時代のものだそうです。打たせ湯もあります。温泉の原泉の温度は35度と低めです。

●ポドルム
 エーゲ海に面したリゾート。行く途中のドライブイン?でザクロジュース Nar Suyu を飲む。3ML(280円)。東京だとかなり高いでしょうね。甘くておいしいそうです。
 港にはヨットが並んでいます。環境を守るために、壁は白で統一され、家は2階までしか作ることができません。
 翌日エーゲ海クルーズをしようとしたが、波が荒れていたので、中止。トルコアイスのドンドルマを食べる。白のバニラ味よりも赤のカシス味の方が伸びます。丘の中腹で日本人が Tokyo Garden という日本料理屋をしているというので行ってみた。伊藤明美さんで、1996年にトルコに来て、2001年にオープンした。まずは和風サラダ。海老とかき揚げの天ぷら。サラダ巻きは地元の人にも大人気だそうです。トルコの人は家族の絆が強いそうです。

●クシアダス Kusadasi
 エーゲ海クルーズの豪華客船が寄港する町だが、今日は一艘も止まってない。「何が幸せかというと、何かを持っているのが豊かじゃなくて、何かを経験するのが幸せだ」そうです。今回もエーゲ海クルーズもなし。

 絨毯の高いのを見に「ビリーの絨毯店 Billy's exclusive carpet 」に行く。カイセリ Kayseri 産のが高いそうですが、見るだけではわからないが、触ると柔らかくていいそうです。1mx1.5mくらいで5950ドル。ヘレケ Hereke 産ので6190ドル。またよい絨毯ほど、光の具合で色が変化するのがわかるので、すばやく大きく動かして見ることも必要。一番いい絨毯は金庫に入っていて、一人の職人が4年かかったものだそうです。1平方cmの中に織り目として400の結び目があるそうです。1.45万ドル。1平方cmの中にある結び目の数が多ければ多いほど高級だそうです。目を悪くするので、細かい仕事としては10代の数年しかもたないそうです。

●エフェス遺跡 Efes
 セルチュクの近くにある。ここの野外大劇場 Buyuk Tiyatro で線香花火をする。礼拝所、勝利の女神ニケア、クレテス通り、公衆トイレ、セルスス図書館などと見て歩いていると、2000年の時代を感じた。この図書館には当時2.5万冊の本を備えていたそうです。丘の上の家々(ペリスタイルハウス)の中を特別に見せてもらった。大金持ちの家で、豪華さと文化程度の高さが解明されてきた。壁のフレスコ画も紀元前1世紀に最初に描かれ、6世紀までに2度塗り直されたそうです。ハマムの熱を床暖房として使っていたようです。
 野外大劇場の収容人数は2.5万人で、音響効果は抜群だったようです。声が自分で出していて、ステレオで聞こえる。こんな何世紀も前に作られたところで、人間何かひとつ大きな花火を打ち上げたいな、と思った。昔の人の力を借りて力をあげたいと思った。人間一生の間に大輪の花火を咲かせたい、だけど、藤村さんは打ち上げたことがない。何とかやりたい。勝手なわがままだから、せめて線香花火をあげたい。しかも和紙でつくった花火です。もし手が震えて花火が咲かなかったら、芸能界から引退する。きれいに咲いたら、もう少し芸能界にいさせて欲しい。
 昭和6年に生まれ、芸能界に入って50年、70歳を迎えた今、芸能界を引退するかどうか、運命の瞬間です。夜、浴衣に着替えて野外大劇場の舞台で線香花火に火をつけ、きれいに花火が咲きました。


テレビ番組「中村獅童が魅せられた神秘の国・WRCトルコラリー」

 2004年7月17日放送。中村師童、井村空美さんが出演。世界ラリー選手権(WRC)の第7戦、世界三大料理のトルコ料理、古代遺跡を報告した。テレビ東京製作。

●世界ラリー選手権(WRC)
 F1とは違い、市販車で公道が競技の場所。ヨーロッパではF1以上の人気があり、迫力とスピードが違う。ラリーはヨーロッパでは1911年から始まった伝統のモンテカルロ・ラリーを第1戦として、WRCは人気が高い。2戦はスウェーデン、3戦はメキシコ、4戦はニュージーランド、5戦はキプロス、6戦はアクロポリス、7戦はトルコ、8戦はアルゼンチン、9戦はフィンランド、10戦はドイツ、11戦が日本、12戦はイギリス、13戦はサルジニア、14戦はフランス、15戦はスペイン、16戦はオーストラリア。F1よりも過酷と言われ、1970年代から各地で開催されるようになり、今年9月3−5日に初めて日本(北海道・帯広)で開催される。第7戦はトルコのアンタルヤで開催された。
 出発は2分毎で、公道を封鎖して作られたスペシャル・ステージ(SS)と呼ばれる道をいかに早く走るかを競う。今年は世界各地16カ国で開催予定。
 チームでなくプライベータとして参加している人がいるが、全試合に出るには30億円くらい作らないと無理だそうです。

 愉しむポイントは
(1)ドライバーを知るべし。どういうドライバーがいるのか知ることが大事。注目は、スバル・チームのノルウェー人ペター・ソルベルグ29歳。シトロエン・チームのフランス人セバスチャン・ローブ30歳。元体操選手で「氷の頭脳を持つ男」と呼ばれている。フォード・チームのフランソワ。デュバル23歳。将来を渇望されている。プジョーのマーカス・グロンホルムは10歳くらいの時に、ラリーをしていた父親が亡くなったが、遺志を継いでラリーをしているそうです。
(2)応援グッズを手に入れるべし。旗とか作っている人がいます。
(3)地元の文化に触れるべし。観戦ついでに観光もできます。
(4)サービス・パークを見逃すな。ドライバーの姿も見られる。
(5)WRCは生で楽しむべし。

●アンタルヤ
 第7戦の今回はトルコの南部中央のアンタルヤの山間部が中心。アンタルヤはリゾート地で世界から年間400万人の観光客が訪れる。1年のうち300日太陽が輝くという地。
 紀元130年に建設されたハドリアヌス門など遺跡も多い。旧市街(カレイチ)を散策した。目玉をモチーフとしたナサール・ボンジュは魔よけ。1つ12ミリオンTL(960円)だった。ベリーダンスの衣装も売っていた。

 広大なエリアはサービス・パーク。ここで憧れのドライバーに出会える。中村さんは昨年の世界チャンピオンのペター・ソルベルグに遭遇した。
 スバル・チームのミッコ・ヒルボネン23歳が井村さんを、シェイク・ダウン(公式テスト)に乗せてくれたが、時速200kmで舗装されてない山道を爆走した。
 公道の横では、ギョズレメ(トルコ風クレープ)を売る人まで出てきた。挽肉などを巻いてある。1個1.5MTL(120円)。

●WRC第7戦
 第7戦が開幕。スーパー・スペシャル・ステージ1(SS1)は2台で競った。スペシャル・ステージ2(SS2)以後は山道がメイン。初開催の去年は半分以上がリタイアしたくらいのトルコの悪路。1日に数ステージ走破し、3日で終了するようです。
 SS4では故障した車も増えた。水しぶきがすごいウォータ・スプラッシュはお客には人気だが、車にはダメージが大きいらしい。ここでペターさんの車は45秒をロスした。
 ペターさんと師童さんは会談をして、最後に師童さん自作の手ぬぐいをプレゼントしました。中華パスタはペターさんの好みだそうです。
 スバル・チームの東ディレクターとお話をした。サービス・パークでは20分以内に新車のように改造してしまう。これが歌舞伎の早変わりの様子に似ているという。冷凍されたラリー・スーツも用意されていたが、室内の温度が70−80度にもなるので、有効だそうです。

 SS9では、首位のセバスチャン・ローブはまさかのエンストで、タイムをロスしたが、まだ1位だった。SS11では4位のデュバルがコース・アウトして差を広げられてしまった。SS12、13でペターが躍進し、1位と34秒差となった。SS15からは最終日。摂氏45度の中でペターがベスト・タイムだったが、追いつけなかった。プジョーのマーカス・グロンホルムはギアが故障して伸びなかったが、2位でした。最後のSS17では、ペターがベスト・タイムを出したが、ローブが優勝、ペターは3位でした。

●アンタルヤ
 SS5頃にモーター・スポーツ・ジャーナリストの飯島俊行さん57歳と出会って、ラリーの楽しさを教えてもらった。
 飯島さんと夜の町に繰り出した。歩いていると「にんにちは」と声がかかる。ヨットハーバーを見下ろすレストラン「Gizli Bahce 」で夕食をいただいた。まずはトルコの地酒「Raki ラク」。水を加えると何故か白くなった。Meze Tabagi 前菜盛り合わせ、Sis Kebabi シシ・ケバブ。Kuzu Pirzola ラム・チョップ。トルコの羊の肉は臭みが少なく柔らかいことが知られている。

●アスペンドス古代劇場
 紀元2世紀、ローマ時代に作られた古代劇場。トロイ戦争で逃れた人たちが作った都市アスペンドスの象徴です。楽屋や舞台はそのまま残り、ほぼ完璧な状態で残されている。緻密な音響設計がなされていて、客席の高さ30mの最上階まで舞台からの音が響きます。収容人数は1.5万人。近年はコンサート会場としても使われている。毎年6月には国際オペラ・バレー・フェスティバルも開催されている。


テレビ番組「世界プチくら!」2003年10月31日は倉本康子さんでトルコ

 住んだのは、「デミズ・アパート」で下町にあるアパート。 4階と5階が1つのパッケージになっているメゾネットタイプ。 1週間7泊8日6億7千万トルコリラ(TL)、日本円で約46000円。
住所:Akbiyuk Cddesi Kersteci Hakki Sokak No15 Cankurtaran-Abirkapi
Tel:(212 )-516-7553

 肌が若返る、若返りのお茶ウスルガンは、1杯が400万TL(360円 )住所:Istiklal Caddesi Buyuk Parmakkapi Sokak No21/23 Beyogll
Tel:(212 )252-8609

 ダンス教室「ダンソリウム」は、最新の音楽に合わせて踊るポップベリー ダンスを教える。1日体験レッスンは5000万TL(4000円)。
住所:Esentepe Cad Ginalil is Merkezi No214 Mecidiye Koy
Tel:(212 )213-4863

 非常に有名なお店でヨーグルトが食べられる「カフェ・イスマエルジャ」 は船で渡ったところにある。150年の歴史ある昔からのヨーグルトが食べ られる。常連さんが多い。プレーンヨーグルトは2500万TL(200円 )。住所:Ibrhimpasa Caddesi Turan Sok.No17 Kanlica
Tel:(216)331-1916

http://www.asahi.co.jp/petit/


テレビ番組「あなた!チョー元気ですか?オナカの中の偉大な力」

 2003年10月5日放送。八嶋智人、松本明子、松嶋尚美、小西美帆、 来栖あつこ、大原かおり、菊池麻衣子が出演。現代人は大腸ガン、過敏性腸 症候群、原因不明の難病クローン病、など、腸の病気は多い。腸の健康をお ろそかにしたばかりに生活習慣病が増えている。日本人女性の61%が悩ん でいるという便秘。
 松嶋さんは今でも週に1度だという。世界で一番腸が元気なのはトルコだ という。大腸ガンの発生率は国民10万人当たり日本人は男31人、女17 人だが、トルコは2人。来栖さんがトルコに向かった。テレビ朝日製作。

●トルコ
 イスタンブールは人口800万人。エミノニュ広場でドンドゥルマンとい うアイスを食べる。長く伸びるのは、トルコ原産のサレップという球根の粉 が入っているから。1つ50万トルコリラ(40円)。しっかりしたコシが あります。ここでは赤いジュースを飲んでいる。中には具としてキュウリや キャベツが入っている。これは漬物ジュースで、75万トルコリラ(60円 )で、酸っぱい。さばサンドは1つ150万トルコリラ(120円)。ご飯 入りムール貝は25万トルコリラ(20円)。
 そこで薬局 Eczanesi に行ってみた。腸を健康にする薬は Bokunis とい い、トルコの人は普段は使わないという。
 町を歩いているとペンキの缶のような缶に入った白いヨーグルト Arslan Yogurdu があった。5キロで1300万トルコリラ(1100円)。ヨーグ ルトの語源はトルコ語だった。混ぜるというヨウルマーク Yogurymak とい う言葉からヨウルトという言葉が生まれた。ブルガリアではキセロ・ムリャ コと呼ばれている。スーパーマーケット Maxi でも、25列もヨーグルトだ らけ(300種類)だった。街角にはヨーグルト専門店 Arslan もある。こ こにはスズメヨーグルト(1kg300万TL:250円)がある。これは クリームチーズのケーキみたいな味で、普通のヨーグルトを2倍に濃縮した もの。生後4ヶ月の赤ちゃんが食べるヨーグルト(200g80万TL: 70円)もある。みんな5kgのを買っていっていた。
 トルコ人の腸とヨーグルトの関係を調べるために、アイテンさんという女 性の家族にお邪魔した。すると、全ての料理の上にかけられていた。キョフ テシブリピベル(ハンバーグとシシトウのヨーグルトかけ)、セミゾトゥ( サラダのヨーグルトかけ)、スィルクーメ(ナスのおひたしのヨーグルトか け)、ヨウルト・ル・ピラウ(ヨーグルトかけご飯)まであった。さらにア イラン(ヨーグルトドリンク)まででてきたが、しょっぱい。砂糖ではなく 、塩を入れるため(笑)
夜はヨーグルトパック!ヨーグルトにハチミツを加えて混ぜて、これを直接 塗る!5人家族で5kg入りが1日でなくなった(笑)!

 日本から食品会社の研究員が便をもらいにきた。便の半分は腸内細菌で1 00種類、100兆個あるという。善玉菌のビフィズス菌と乳酸桿菌、悪玉 菌の黄色ブドウ球菌とウェルシュ菌、中間的な大腸菌とバクテロイデスなど に分類できる。花畑のように群生しているので、腸内フローラと呼ばれる。 便を都内のOL5人と比較してみたら、腸内の善玉菌はアイテムさん一家は 便1g当たり100億個、日本人OLは18億個と5倍の差。乳酸菌は悪玉 菌の勢力を弱め、便秘や下痢になりにくくする働きがある。ヨーグルトには 1g12億個乳酸菌が入っている。トルコでは1日1人1000g食べてい たが、日本のOLの平均は20g。乳酸菌は摂取し続けなければ便と共に排 出されてしまうもの。トルコ人は毎日補給しているので、健康な腸が保たれ ている。
 便としては、バナナ色のバナナ形がいいそうです。

●日本
 和食でトルコの人と同じくらい乳酸菌を取れたらいい。 菊池さんは料理研究家の堀江ひろ子先生を訪ねた。味噌汁、醤油、ぬかみそ 、ぬか漬に入っているという。ぬかづけに特に多いらしい。
 まずは信州味噌の酢屋亀本店(長野市西後町)を訪ねた。大豆と塩と米麹 が混ぜられる工程を見せてもらった。1ml当たり100億個の乳酸菌が入 っている液体を加えていた。
 次に醤油として、400年の歴史を持つ丸島醤油(香川県小豆島内海町) を訪ねた。蔵の中にもともと存在している乳酸菌が発酵させていた。ここで は2種類の醤油が作られている。一般的な醤油の味噌油、と加熱しない生醤 油。加熱しないので味がまろやか。生の方が乳酸菌が多い。
 最後にぬか漬け。北九州市はぬか床を大切にしている。小笠原氏が普及さ せた。千束(福岡市中央区)というお店を訪ねた。乳酸菌を休ませるために 2つの樽に分けられているが、200年続いているぬか床で漬けた伝統のキ ャベツのぬか漬をいただいた。酸っぱい。ぬか床から出して30分たつと味 が変わるという。そのために、ここの2階のお店でしか食べられない。さば のぬか味噌煮は地元料理で、さばを3日3晩煮込んだもの。福岡県志摩町の ぬか床ハウスという工房で、一緒に作らせてもらった。まずは種と呼ばれる 千束伝統のぬか床を50リットルのバケツの水に入れ、鷹の爪、山椒の実、 塩、生ぬかを1袋(20kg?)入れて、3時間かき混ぜてできた。
 以上を使って和食メニューを作ったら、低脂肪で、食物繊維も多く、腸内 環境を良くするメニューだとわかった。乳酸菌を測定した。味噌は1g1. 6万個あったが、味噌汁にすると死んでしまう。醤油は1gあたり8個。実 はもろみには1gあたり10億個もいるが、自ら出す酸によって数が減るら しい。さらにろ過するので、乳酸菌が入らない。ぬか漬は洗うので、かなり 流れてしまって、1g当たり数百万個だろうという。

 ほかにはサワークラウトが1g当たり1.9万個、なれ鮨120万個、生 くさや1.1億個、野沢菜漬4.2億個。
 ところが、普通は乳酸菌は生きたまま腸に届かないらしい。それで「生き たまま腸に届く乳酸菌」を効率よく摂る方法を大原さんが調査した。
 最近はプロバイオティクスというヨーグルトが出てきている。プロバイオ ティクスとは、人体に有益な生きた微生物のことを言う。乳酸菌やビフィズ ス菌を生きたまま腸に届くようにした製品が増えてきている。でも、昔から されていた。医学博士の代田稔は1899年生まれで、京都大で微生物を研 究し、人腸乳酸菌の効能を1925年に発見した。ほとんどは胃の中の酸で 死んでしまう。乳酸菌の中で耐酸性のものを探し、1930年暮れに耐酸性 の強い乳酸菌培養に成功した。ラクトバチルス・カゼイ・シロタ株と命名さ れた。1935年生きた乳酸菌入り飲料(数10ml内に100億個以上) を開発した。
 便秘で悩む女性の便を調べたところ、3週間出ない人のは水分も通常の 80%より低い60%、pHも6.5−6.8なのが7.5以上(肉食動物 並)、色も黒褐色だった。彼女たちに、ラクトバチルス・カゼイ・シロタ株 を1週間飲み続けてもらうことにした。さらにイモなどの食物繊維などを摂 したところ、4人ともお通じが楽にいくようになったという。1週間あたり 平均2回だったのが、3.5回に増えた。さらに善玉菌の量が59億個から 236億個に、悪玉菌は39万個から700個に減った。

 これからの乳酸菌はどうなのか?
小西さんが三重県御浜町の2000頭のブタを飼育している「カントリーフ ァームにしうら」は臭くない。外から持ち込まれるウィルスや病原菌で感染 症になるので、完全防備にしてある。子豚にはラクトバチルス・ファーメン タム菌を餌に混ぜて食べさせていた。感染症にかからないためには、免疫の 中で重要な働きをしている腸をいかに鍛えるかが大事だという。リンパ球の 6割が腸に集中しているという。乳酸菌などを取ることはリンパ球のトレー ニングになっているという。
 体重1000g以下で生まれてきた赤ちゃんは、菌から守るための保育器 に入っていても、腸での壊死性腸炎にかかりやすく、亡くなることがある。 健康な赤ちゃんは生まれる時に、産道を通る際に母親からビフィズス菌をも らい、母乳により数を増やしていると言われている。保育器の子はもらえな いから感染症になりやすいのだろうというので、大阪府立母子保健総合医療 センターではビフィドバクテリウム・プレーペ菌を1日1回1ccミルクに 混ぜて飲ませているが、感染する赤ちゃんの数が、以前の年間3名から1名 に減った。
 和歌山県高野口町の大谷麻祐さん(17歳)は、機能的腸閉塞という病気 を抱えている。腸の動きが止まってしまう特殊な病気。3度の大手術で腸の 長さは3分の1になり、何も食べられなくなり、32kgにまでになった。 そこで先生は乳酸菌やビフィズス菌の摂取を勧め、ラクトバチルス・カゼイ ・シロタ株、ビフィドバクテリウム・プルーペ菌、オリゴ糖を1日3回各1 g1年前から取るようになった。でも、これで学校を休まなくなり、三分粥 を食べられるようになった。
 あと10年すると、腸内カルテというのができるかもしれない。

この乳酸菌はヤクルトのようです。協力のところに書いてありました。

テレビ番組「突撃ほかほかごはん隊、トルコ共和国で魅惑のおかず探し、大捜査線!」

 2003年8月3日放送。石田純一、石塚英彦、鈴木史朗、あびる優が隊 員で、使命は「海外でごはんに合うおいしいおかずを探す」こと。過去、タ イ、スペイン、でおいしいおかずを見出している。今回は女性に人気のある トルコに、創立70周年を迎えたトルコ航空で行く。トルコの食文化は世界 三大料理の一つ。アジアから運ばれたスパイスが無限のバリエーションを生 み出している。さらに、トルコ宮廷料理がある。中京テレビ製作。

●イスタンブール・エミノニュ桟橋
 1000年以上の歴史を持つオスマントルコ軍楽隊がCeddin Deden ( ジェディン・デデン)を演奏して迎えてくれた。エミノニュ桟橋でご飯を炊 いて軍楽隊にもふるまった。ここの桟橋には屋台が並ぶ。まずは鶏のドネル ・ケバブ(肉を何層にも重ね、回転させて焼き上げるトルコの定番おかず) をいただいた。パンにはさんでトマトなども加えて約90円。次はサバ・ サンド。ぐぁんぐぁんに揺れる船でサバを焼いている。鉄板で塩焼きにして から油で揚げる。これにトマトを入れてパンにはさんで食べる。110円。 石塚さんは優勝!と言った(笑)石田隊長は「トルコってパンうまいね!」 って言ってました。漬物の汁をそこで売っている。それを飲みました(笑) 酸っぱかったようです。トルコ風漬物は約90円。赤い色は赤キャベツを漬 けているかららしい。しかもこの汁はSARSの予防に効くと信じられてい る。この漬物は日本の漬物と違和感ないという。

●イスタンブール・食堂街
 食堂街ってもしかすると、タクシムの奥のチチェッキパサジュ魚市場かも しれない。そこのデムゲフ・レストランに入る。おかずは50種類以上。ロ カンタと呼ばれる食堂は、数多くのおかずを大皿で選べる大衆食堂である。 イマーム・バユルドゥ約530円はお坊さんが失神したという料理。たまね ぎ、トマト、青唐と香草をオリーブ油で炒め、デールと呼ばれるハーブとパ セリを加えて、油で揚げたナスの中に詰める。石塚さんは合格!次はマント ゥ(トルコ風水餃子)700円。シルクロードを渡ってきた餃子の皮と使っ て、羊の挽肉、たまねぎ、パセリを混ぜた具材を小麦粉の生地で包む。これ を湯に入れて、ヨーグルトをかけバターと唐辛子で炒めたソースをかける。 これはダメらしい。エトリ・ギュベッチ(トルコ風すき焼き)約800円。 1000年の歴史を持つという伝統料理で、牛ヒレ肉、たまねぎ、しし唐、 ジャガイモ、きのこ、トマト、ニンジンをたっぷりのバターで炒め、ハーブ 、スパイスを加え、羊のチーズをかける。石塚さんは10点満点。「羊の脳 みそのボイル」は約440円はダメだったらしい。「パチャンガ・ブレッキ ー」(チーズと薫製肉の春巻き)約440円。これは9点くらい。「ムール 貝の串揚げ」は約530円。串に刺したムール貝に小麦粉、卵の溶き汁を付 けて揚げ、にんにく入りのヨーグルトをかける。10点満点。

 ここでトゥルガイ・カラさん(38歳)という立派なヒゲの男性を見つけ た。横の長さは48cmにもなるヒゲの持ち主。6年間延ばしつづけたヒゲ 。ヒゲはトルコ人男性にとって強さの象徴らしい。

●イスタンブール・オルタキョイ
 路面電車に乗って、若者の街オルタキョイに向かう。B級グルメをみてま わる。ギョズレメ(トルコ風クレープ)約155円。チーズがいい感じだと 言う。「Kumpir Evi」という店のショーケースは賑やか。若者の間で爆発的 な人気を集めるトルコ風じゃがバター「クムピル」の店。約440円。ホク ホクのジャガイモを割って、チーズ、バター、塩を混ぜ、店先のトッピング を加えて混ぜ、最後にヨーグルトソースとケチャップをかける。どこのお店 にも美人の女性がいる。オルタキョイで一番の美人と言われるアイシェギュ ルさん(21歳)とアイチャさん(23歳)においしいおかず情報を聞くと 、美味しいお店を紹介してくれた。

●イスタンブール・イスティクラル通り
 紹介された「ムサ・ウスタム・アダナ Musa Ustam 」に行く。オジャクバ シュ ocakbasi という肉の炭火焼専門店。日本の炉端焼きにそっくり。ここ のお勧めはチョプ・シシ(子羊の串焼き:6本570円)とアダナ・ケバブ (羊のつくね串焼き:トマトやしし唐も別に焼いて添える:570円)だと いう。石塚さんはチョプ・シシをご飯にのせて食べて「いい〜っ!」と言っ た。臭くないのは、羊肉の臭みを消すためにヨーグルトを使って寝かしてい るためらしい。羊肉は低コレステロールで鉄分、必須アミノ酸が多く含まれ ているので、中高年は食べた方がいいらしい。石塚さんはアダナ・ケバブも 「いい〜っ!」と言った。

●水タバコ屋
 トルコ人の憩いの場のタバコ屋さん「Erenler 」?に行く。トルコの男性 たちの情報交換の場でもある。そこでおかず情報を聞いてみた。カッパドキ アに黄金に光る果実があるという。フェティエにすごくおいしい幻の魚がい るという。そこで2つに別れて各々を探しに行く。

●カッパドキア
 キノコ岩があることで知られる世界遺産。早朝5時に石塚・あびるさんが ギョルメ・バルーンズ社の熱気球で空から探した。いのうえが乗った熱気球 と同じです。絶景に感動しました。まもなく黄金色の朝日が出ました。あび るさんは人生観が変わると言ってました。野生のキツネも発見。わざと木に もぶつけてくれました。まもなく、黄金色の果実のなっている木を発見。そ こはフセイン・アスランさん(53歳)という人の所有地。
 フセインさんのお宅を訪問。メルハバ(こんにちは)と挨拶。お昼ごはん をいただけることになった。カッパドキアでは壷を使った料理が名物。「牛 肉と豆の壷煮込み」をいただいた。材料はいんげん豆、牛肉、タマネギ、ト マト、オリーブオイル、塩、こしょう。次はギベチという土鍋で作った牛肉 の煮込み「牛飼いの牛肉料理」。材料は牛肉、にんにく、トマト、しし唐、 オリーブ油、塩、こしょう。これは非常においしいらしい。石塚さんはここ で持ってきたお米でご飯を炊いた。総勢35人の大家族だった。ここでは女 性は16歳でみんな結婚するらしい。
 食後に黄金の果実を取りに行く。実はアプリコットだった。カッパドキア の風土が甘酸っぱい品質にしているらしい。乾燥したものもおいしいらしく て、屋根に干すと光り輝くので「黄金の果実」と言われるらしい。

●フェティエ
 トルコ南部のエーゲ海と地中海を望む、ヨーロッパのセレブが集うリゾー ト地。豪華なクルーザーも並んでいる。まず市場で情報を仕入れる。フェテ ィエ・バルク・バザルは意外にきれいな市場。聞いてみるとラオスという魚 だろうという。Lagos はマグロの約10倍の値段で5000万トルコリラ。 ラオス獲りの名人ヌーリ・ユルドゥムさん(47歳)に聞く。海底30mく らいに潜んでいて、大きい物で25kgくらいらしい。
 イェルキャン Yelken というレストランで話を聞いた。イカの海鮮詰め 310円はタコの頭、イカの足、小エビを細かく切り、フライパンでチーズ と炒め、これをイカに詰めて、バターで焼いて、生クリームをかける、フェ ティエでNo.1の料理。
 小船に乗って1時間進む。イワシを餌にして、200個の針を流す。仕掛 けをセットしてから1時間してから引き上げる。その間にヌーリさんがメネ メンという料理(野菜煮込み卵とじ)を作ってくれた。トマト、青唐、たま ねぎを切り、火にかけ、卵を入れる。おいしいらしい。1時間かかって全長 2kmの仕掛けを引き上げた。最後の最後にラオスが取れた!

●イスタンブール・チュラン・パレス・ホテル・ケンピンスキー
 トルコ屈指の高級ホテル。ここのレストランにトルコNo.1のシェフが いる。セザイ・エルドーアンさん(35歳)で、国王の専属シェフを勤めた 先祖を持ち、代々料理人として名をはせる名門。伝統を守りながらも斬新な アイディアを加えた料理を創作している。世界中のVIPの舌をうならせて いる。彼がラオスとアプリコットを調理してもらった。
 ラオスをお腹から開けて、塩、こしょう、唐辛子、ニンニクで下味をつけ た。次にアプリコットは細かく刻んで、赤たまねぎ、レンズ豆、トマト、ネ ギ、サフラン、レモンの皮などを混ぜ合わせ、ザクロシロップを加え、数種 類のスパイスを加えて混ぜた。これをラオスのお腹に詰めて、アルミホイル を全体にかぶせて、200度のオーブンで1時間蒸し焼きにした。最後にア プリコットの入ったクリームソースをかけて出来上がり。とってもおいしい らしいです。石塚さんはシェフに「ワールドチャンピオン!」と言った。

●総括
 一番おいしかったものは、鈴木さん「トルコ風漬物」、あびるさんはカッ パドキアで食べた「牛飼いの牛肉料理」、石塚さんは「チョプ・シシ(子羊 の串焼き)」、石田さんはフェティエで食べた「イカの海鮮詰め」。これを 詰めたお弁当を作った。石塚さんは、これは5万円出しても惜しくないと 言ってました。


テレビ番組「小枝・まりあの飛んでけ!イスタンブール!トルコ極楽珍道中」

 2002年8月24日放送。桂小枝、山田まりあが出演。トルコ航空で 11時間。イスタンブールは1500年の古都。イスラム教だが、政教分離 のためにお酒も飲める。関西テレビ製作。
 「ありがとう」は「テシェッキュレデリム」なので「ティッシュくれ」で OKらしい(笑)。

●イスタンブール
 新市街のガラタ塔に登って旧市街と新市街を眺める。眺めもいいです。塔 の中でベリーダンスが見られる。
 エジプシャン・バザールで買物をする。香辛料、衣料などがある。Yacar kuryemicというお店。日本語ができる。お勧めはからすみとキャビア。明太 子2個くらいの大きさ?で1300円くらいらしい。キャビアは小缶で28 00円。伸びるアイスのドンドルマもあるが、もてあそばれました。100 万TL(80円)。
 グランドバザールは屋根付きだと中東一。その一角にオールド・バザール がある。骨董品とか宝石がある。トルコ石、琥珀
 バルックパザル魚市場には果物なんかもある。ムール貝のピラフ詰めも ある。市場の隣には居酒屋が並ぶネビザーデ通り。ラク(アルコール45度 )を飲んだ。喉が焼けるそうです。豆ペースト・アルメニア風、ピラフの ブドウ葉包みなども食べた。
 イスティクラル通りは一番の繁華街。体重測定は10万TL(8円)。 エミノニュはフェリー乗り場。Genc Osman と書いた船でサバサンドを売っ ている。150万TL(120円)。
 ガラタ橋は旧市街と新市街を結ぶ橋だが、釣りをしている人が多い。サバ やイワシが多い。

 Erenler という看板のあるところにある水パイプ屋さんに行く。Sokululu Ali Pasha WaterPipe Cafe みんな2−3時間談笑している。1500万T L(1200円)
 モスクの中の絨毯屋さんは、修理もしていて、バザールよりも安い。90 年ものの絨毯は1500ドルでした。
 チェンベリタシュ・ハマムはサウナ風呂。泡まみれにされて転がされた。 無茶苦茶マッサージもされた(笑)入浴料1500万TL(1200円)。
 下町のベイオウル地区(Beyoglu)に行く。子供と竹とんぼ、剣玉で遊ぶ。

 新市街のオルタキョイは静かで洒落た雰囲気。スルタン・ギュルセベンさ んと仲良くなる。今女子大生に人気のデザート・ショップ Inci Pastanesi に行く。「プロフィテロル」が名物。300万TL(240円)。おいしい らしい。
 スルタンさんが通っているシシリSisli文化観光協会に行く。さらに自宅 のあるクルトゥルシ地区に行く。マントウ作りから手伝って食事をした。 トルコ風ピラフもおいしいらしい。味が日本人の好みに近いとか?
 6歳の弟が割礼するというお祝いのパーティに参加した。家からパーティ 会場まで音楽にあわせて踊りながら行く。小指をつないで踊るので、ちぎれ そうなくらい。15分の儀式の後でまた踊り。

●キルヨス
 イスタンブールから車で1時間半。黒海のリゾート。キリヤ・リゾート・ ホテル・ビーチは混んでいないし、若い美女などが多い。ロシアからの人も 多いようです。

●ボドルム
 エーゲ海に面したリゾート地。ヨーロッパからも人が来る。青い空と青い 海。宿泊は Golden Key Hotel でブティック・ホテルという。カラダ・マリ ナという地区で買物。「アイユルドウズ」という水着のお店に入る。水着 3000万TL(2400円)ショートパンツ2600万TL(2080円)。
 ヨットでクルージング。
 アンティーク・テアトル・ホテルでディナー。すずきの赤ワインソース、 エーゲ海風シーフードサラダ、クレームブリュレ。

●ダルヤン
 細い水路を船で走り、海がめビーチ Iztuz beachに到着。海がめの産卵地 としても有名だが、夏は季節ではない。空いています。
 近くに泥風呂がある。ミネラルが多いので、泥を塗る。みんな泥だらけ。 入浴料150万TL(120円)。ヨーロッパからのリゾート客が多い。

●カッパドキア
 アナトリア高原にある。妖精の煙突という意味のペリバジャ。ウチヒサー ルはかつては砦として使われていた。頂上までは登れる。360度パノラマ ですごい景色です。実際に住んでいる人の家を訪問。ファツマ・チフチさん とご主人のハッサンさん。1000年前の家だという。家賃は昨年は380 万TLだったが、今年はまだ不明という。中は涼しくて、絨毯だらけ。
 ユルギュップの「ユナックホテル」Yunak Evleri に宿泊。岩山ホテルで 1泊115ドル〜。観光客に受けて大人気という。食事は「野菜と肉のオー ブン焼き」という伝統料理とピラフ。一番おいしかったという。なすとチキ ンのクリームソース。ピーマンのピラフ詰め。
 朝6時から熱気球に乗る。230ドル。


テレビ番組「魅惑のトルコ!若返り珍道中」

 2002年6月30日放送。テレビ朝日製作。デヴィ夫人、ガダルカナル ・タカ、松本伊代の3人。関西空港からイスタンブールへトルコ航空で向か う。12時間かかるが、6時間の時差なので、お昼に出ると夕方に到着。 トルコ名産のヘーゼルナッツも機内で出てくる。ビタミンEが豊富ですべす べなお肌が保てるとか。デヴィ夫人は61歳らしい。松本さんは36歳。

●イスタンブール
 アジアとヨーロッパの交差点。イスラム教とキリスト教が共存する町。 若さと美貌を手に入れるにはトルコがいいというので、欧州の富豪がトルコ に来るらしい。

●トルコ風呂
 トルコ風呂シャガロールハマム Cagaloglu Hamami で汗を流す。ここは 300年の歴史がある?ハマムとはサウナ風呂のことで、昔から庶民の社交 場だった。サウナのみだとUS10ドル、マッサージ・垢すり・全身洗いコ ースだとUS30ドル。入ると男性が下にバスタオル姿でマッサージをして くれた。もっと強くはダハ・バストゥ。
もっと弱くはバストゥ・ビラル。
凝ってる?はオムズン・アルヨルム。

●観光
 シンボルのブルーモスク。6本の尖塔は世界でも例がない。中に入ると 246枚の美しいステンドグラスが迎えてくれる。ドームも素晴らしくて タイルがはめこんである。
 隣にある赤に輝く美しいモスクであるアヤソフィア Ayasofyaもお勧め。
 トプカプ宮殿。オスマンの秘宝がある。デヴィ夫人は32年前に来たとい う。70万平方mで現在博物館で、見所だけ見ても3時間かかる。エメラル ドとダイヤの宝剣を是非また見たかったという。赤ちゃんのゆりかごはルビ ーなどがちりばめてある。96カラットのペアシェイプのダイヤモンドの ペンダント?など紹介してくれました。黄金のスルタンの玉座は純金にエメ ラルドがはめ込まれていて重さは600kgとか。

●買物
 グランバザールの市場に行った。4000軒もある。服屋にあった カンテムール Kantimurはカシミア100%という。US16ドルという。 同じものが日本だと18000円だという。
 トルコ語でこれはいくら?ブ・ネ・カダル。
高いはチョク・パハル。
安くしてはビラズ・ウジュズ・ルトゥフェシ。
 デヴィ夫人の負けさせる方法は、まずケチをつける。「カシミアってもっ と軽いでしょう?」。他に品質を疑う。声を張り上げる。まとめて買う。 3枚で30ドルにした!
 オールド・バザールはアンティークの専門店が狭い路地に並ぶ。手作り 銀製品を物色。一番安かったジュンギス銀店 Cengiz Silverで買いました。 US280ドル。
 エジプシャン・バザール Spice Bazaar は市民の市場。香辛料がたくさん ある。日本語もうまい。サフランも種類が多い。1袋400円程度。松本さ んはAker アケールでシルクを物色。3000円のスカーフをたくさん見せ てもらったが、300円からあるらしい。

 アクメルケズ Akmerkez ショッピングセンターは、高級住宅街の近くにあ る。Sonia Rykiel などもあるが、3万円くらいで安い!数が少ないかな。 本物なら穴場だとデヴィ夫人は言ってました。Dior の口紅とか免税店で28 ドルなのにここでは20ドルとか。館内でやっていたファッションショーも 見学したが、辛口の評価でした。

●食事
 海産物も多く、釣り人も多いが、猫も多く、猫の町とも呼ばれている。 フェリー乗り場でサバを釣っていて、焼いてサンドイッチを食べている。お 店でサバサンドは100万円と言っているが、実は100万Tリラ(75円)。 ビックマックは95万Tリラ、有料トイレは25万Tリラらしい。店の人は 「トルコで一番うまいよ、これ」って日本語で言っていた。近くのお店では ムール貝のピラフ詰め20万Tリラ(15円)!かなり香辛料が効いている らしい。本当の食べ方は殻?をスプーン代わりに使うらしい。このフェリー 乗り場はヨーロッパ側の旧市街側のスレイマニエモスク街にある。
 シシカバブは串焼きのこと。ドネルケバブはローストビーフでを食べる。 Ozturk オズトゥルクという店?でドネルケバブを頼む。吊り下げられた 炭火で焼いた牛肉を切って、好みのパンにはさみ、トマトとたっぷりのレタ スとポテトをはさんで塩で味付け。Sandkumuz Vardir と書いてある店の右 側の店でした(笑)

 イスティクラル通り Istiklal St.。路面電車が走っている。その通りか ら横に、パリの飲食店街を思わせる洗練されたチチェキ・パサージュ Cicek Pasajiに入る。ラクという干しブドウから作った焼酎(US2ドル50セ ント)。これを水に薄めて氷を入れて濁ったのを飲む。シェレファ!
 お酒が飲めるのも、トルコ建国の父アタチュルクが政教分離政策をしたか らだという。それで酒場には彼の写真がどこにでも貼ってある。

 クムカプ Kumkapi のネイゼン Neyzen という魚料理の店に行く。クムカ プに来ればいつでもおいしい魚料理が食べられる。タイの塩焼きをいただい た。突然演奏と踊りが始まった。女性の色っぽいダンサーには男性がチップ を胸にはさむ。

●市内オルタキョイ
 ボスポラス大橋のたもとにあるオルタキョイ Ortakoy はパリの下町を思 わせる。特に猫が多い。人ごみに疲れたらここのオープンテラスで休むとよ い。
 チュラーンパレスホテル・ケンピンスキー Ciragan Palace Hotel Kempinski は国賓クラスのVIPしか泊まらない宮殿ホテル。ベッドルー ムもバスルームも超豪華。大きな窓からは素晴らしい風景が見える。スィー ト一泊100万円、トルコで随一、ヨーロッパでも3本の指に入るという。
 夕食は多分ここのレストラン。前菜はオスマン風野菜の取り合わせ。ほう れん草のラビオリ、ヨーグルトとハーブのソース。メインはモスクの屋根の カップで蓋をされて来たラムのグリル、マッシュルーム・野菜・なすのピュ ーレ添え。チェリーブレッドのデザート、バニラアイス・トルコ風クリーム 添え。以上、オスマン風健康スペシャルコースはUS65ドル!でした。

●パムッカレ Pamukkale
 世界遺産。石灰分を多く含む温泉水が数千年をかけて大地の斜面に作りあ げたもので、白い棚田のような感じで真っ白。みにくい女性が高いところか ら身投げをしたら、下の温泉に落ちて助かって美しく変身したという言い伝 えが残っている。それでこの温泉にみんな来る。
 この温泉水を使ったスパがあるのは、コロッサエホテル Colossae Hotel。 5つ星で、リゾートホテル風。ダブルUS60ドル、スィートUS150ド ルとお安い。庭の緑と夜の満点の星が浪漫を誘う。
 ここのスパではヨーロッパのお金持ちが長く滞在してエステをしていると いう。パムッカレの温泉水、海藻、白檀、ハーブ、ヘーゼルナッツなどを練 りあわせたパックは、新陳代謝を促進して、肌をひきしめ、シワを取り除き 柔軟で美しい肌を作るという。アロマオイルを使ってのマッサージ、全身エ ステ、フェイシャルエステでおよそ2時間半のコース。効果のほどは抜群で 1ヶ月滞在する人もいるとか。フェイスエステはUS25ドル。全身パック とマッサージのセットはUS40ドル。デヴィ夫人の感想では、本当にしっ とりして肌がすべすべになるとか。

●ボドルム Bodrum
 エーゲ海最大のリゾート。岬に突き出たボドルム城を中心としたリゾート 地で、ヨーロッパとは違うエキゾチックな雰囲気。
 ヨットでクルーズ。沖にはエーゲ海や地中海をクルーズする客船。周遊船 は一人US10ドル。
 カラーダ島 Karaada。港を出て30分。美の穴温泉 Guzellik Nagarasi。 ここはクレオパトラの秘湯として知られている。エジプトを追われてこの辺 りに住んでいた時に入っていたらしい。岩の下の奥の方へ行くと暗い。奥に ある泥は泥パックに非常によいと言われている。デヴィ夫人はいいと言って いました。すべすべになるそうです。入湯料1ドル。
 陽が沈んだ後の夜景もきれいでした。マルマラホテル Marmara Hotelに宿 泊。1106号室を見学。ダブルUS205ドル、スィートはUS370。 女性用トイレの入口には白雪姫の人形。トイレのドアは透明だが、中からカ ギをかけると曇りガラスに変わった!
 ハリカルナス Halikarnas というエーゲ海最大のディスコ。5000人収 容可。3人が紹介された。入場料は平日10ドル、週末15ドル。デヴィ夫 人は踊りは優雅でした。

●カッパドキア Cappadocia
 300万年前に火山噴火で積もった灰が、雨風の浸食によりこの光景にな った世界遺産。奇形である。
 ウチヒサール Uchisarは「3つの要塞」を意味する。岩の中に窓がある。 今は観光客のために中に入れるようになっている。地下にはキリスト教徒た ちが隠れ住んだ地下都市 Kaymakli カイマクルがある。赤い矢印に沿って行 くと地下8階にあった。

 トルコの田舎料理をたべさせてくれるギョレメのレストランで食事Goreme Restaurant 。台は鉄板焼きのようで、日本の座敷みたいな感じ。チョムレ クケバブをいただいた(US10ドル)。新鮮なレモン風味の野菜サラダ、 チーズ入りトマトスープ、チーズ入りナン、チョムレクケバブ(壷の牛肉煮 込み)、グラタンのようなライスのプリン。壷が出てくるが、目の前で割っ てくれる。すると中からポテトとかキノコとかピーマンとかお肉を煮たのが 出てくる。味はシンプルらしい。
 ここはトルコ有数のブドウの産地でもある。Turasan Winery を訪問。この 地方独特の巌窟にワインを寝かせ熟成する方法で、世界に誇れるワインを造 りだしている。サルンザ!(お二人の健康を祈って)と言って試飲してみた。 赤ワイン「カレジク・カレス」US10ドルを購入。Turasan Kalecik Karasi で日本でも市販されているらしい。他にも白ワイン Emir エミルUS4ドル。

 宿はユナックホテル Yunak Hotel。岩をくりぬいて作ってある。4軒分の 家を改造して昨年オープンした。スィートを見学した。壁や天井はそのまま のものを使っている。じゅうたんが敷いてあり、トイレには大理石。シャワ ーブースは最新式。石鹸はオリーブ。ダブル110ドル。スィートは170 ドル。
 気球に乗ってカッパドキアを空から見る。Goreme Balloons という会社? 朝日が出る前のカッパドキアも神秘的。シルエットが美しい。かなり下に降 りてギリギリのところを通過してくれた。そして朝日が出た!50分 US230ドル。降りてからシャンパンをいただいた。


テレビ番組「旅サラダ」2001年7月は大路恵美さんでトルコ

●イスタンブール
 トルコ航空で最短10時間30分。まずはシンボル・ガラタ塔から街を眺 める。ヨーロッパ的なものとアジア的なものが混ざる。約2000のモスク がある。中でも6本の塔がたつ「ブルーモスク」の愛称で知られるスルタン アフメット・ジャミィ。中に入るとステンドグラスもあるし、頭上には円形 のもの。観光客も肌を出すことは禁止されている。
 4400軒の店のあるグランド・バザール。大通りから一歩入ると小さい 路地があり、お店がひしめきあっている。2500円のグラスを2600円 まで値切った。でも、黒部さんによると高いらしい。3分の1から始めるの がコツだとか。
 ガラタ橋を渡って、旧市街から新市街へ移動。こちらはヨーロッパの雰囲 気が漂う。イスティクラール通り。新旧が混じっている街。粘り気のあるア イスクリームはドンドゥルマで100万TL(100円)。コーンの中に入 れると見せて抜く、これを繰り返してからかわれていた。もちもちしている らしい。
 Beyti はイスタンブールで一番おいしいという。ゴルバチョフもカーター 大統領も来たという。たくさんの部屋がある。今回は、ケバブをいただく。 ベイティ・ケバブ1100万TL(1100円)。でかいお肉、トマトを焼 いたもの?ライス、ハンバーグ状のケフティと共にでてきました。
 宿泊はペラ・パレス・ホテル Pera Palas Hotel。市街地を見下ろすよう にたたずむ緑の商社の館?だった。ヨーロッパの客人たちがこぞって泊まっ たというホテルで、オリエント急行殺人事件もここで書かれたという。荘厳 な内装、エレベータは個室型でイス付き。218号室にはヘミングウェイ、 グレタガルボの泊まった部屋、411号室はアガサ・クリスティが泊まった 部屋(US$160)。ホテルからの夜景も綺麗。
 可愛いお店を見つけた。ランプ店ユリック。色とりどりのランプがある。 日本語が通じる。上がキベレ・ホテルとなっていた。天井にランプが! 1泊朝食付きUS$50.
 イスタンブールの若い人に人気のジャーフェルアー・ハンディクラフト・ センターを訪問。トルコの伝統工芸がブームになっているらしい。エブルと 言われるオスマントルコ時代から続く技法。植物性水溶液の上に絵の具で模 様を描き、紙に写し取る。とてもきれいに取れる。
 オルタキョイは人気の場所。週末にはフリーマーケットが開かれる場所。 もうひとつは船に乗って行く場所で、カップルに大人気の場所。クズ塔クル ーズ1ドリンク付き450万TL(450円)。こういう船でディスコなど に行くのが流行らしい。クズ塔は元灯台で、乙女の塔と呼ばれている。王様 とお姫様のロマンスで有名。夕陽を見る人で人気。中は去年オープンしたば かりのお昼は喫茶店で、夕方からはレストランとなる。

●アンタルヤ
 トルコの地中海のリゾート。ヨットハーバーがある。海岸沿いのカフェテ ラス「クラブ29」で海を楽しむ。ブーゲンビリアなども咲いている。海の 色が青い!紀元前2世紀に築かれた城壁に沿って町を歩いた。
 遺跡の町でもあり、ハドリアヌス門などの古代ローマ時代のものが残って いる。紀元前2世紀に建てられたアスペンドス劇場は2万人まで収容可能だ ったという劇場でほぼ完璧に残されている。夏の間だけ、オペラやバレーが 開催される。観劇料1000万トルコリラ(1000円)。

●カシュ KAS
 海岸線をドライブした。小さなビーチがいくつもあるが、青くてとてもき れい。そしてカシュに着いた。可愛い街。アーチストが多く住む。港にも、 クルーズ用の船が多く留まっている。その場で交渉してみた。ムスタファ・ コチさんと1日US$200で交渉成立。海が色をどんどん変えていく。

●ケコワ島
 昔は本土とつながっていたが、2000年前の地震で沈んだ。門とかが残 っている。海底にゆらめく都市の跡が見える。まだ調査はされていない!

●カレキョイ
 そのケコワ島がつながっていた本土。高いところにあがってみたら、島と つながっていて沈んだ部分が海の底に見えていた。
 今回宿泊したのは、半島の付け根?にあるピンク色のコテージ?が連なっ ているところが全てホテル!船で行くというのが地中海風。パタラ・プリン スは様々なタイプが選べる。窓が広くて海がガーンと見える。お風呂からも 見える。ルームチャージUS$390。プールもいいけど、海に面したプラ イベートテラスが素晴らしい。オープンバーもいい感じ。

●イズトゥズ
 海水の透明度は地中海随一!三日月状に続く美しい海岸。海ガメが産卵に 来るので有名。内陸には湿地帯が続く独特の景色があり、船でそこまでクル ーズできる。葦の葉が生い茂っている。クルーズは3000万トルコリラ( 3000円)。とても気持ちいいらしい。終点では穴場の温泉がある。アク ア・ミア・テルマル。泥温泉で底に沈んだ泥を体中につけて入る。泥が乾い たら、透明の温泉に入る。

●カッパドキア
 300万年前のハッサン山の大噴火で溶岩が流れ出て蓄積し、侵食された 地層が剥き出しになっている。奇岩群の間を歩いてみた。しめじにも見えた りする。三人の妖精というのもある。ウチヒサ山には穴があいていて、紀元 前4000年には人が住みはじめたという。その後、キリスト教徒が修行の 場として使った。洞窟内に作ったという教会を見た。中はフレスコ画が残る 通称「暗闇の教会」と呼ばれる、カランルク・キルセ。とてもきれい。赤色 がベース。
 地下都市があるという。車で行って、デリンクユ地下都市に入る。蟻の巣 のような迷路で、数万人が暮らしていたらしい。学校もあったらしくて、地 下8階まであった。確認されただけでも36か所あるらしい。
 岩肌の洞窟を利用したホテルが去年オープンした。ユナック・エヴレリ Yunak Evleriで、時代を感じる門を開けると、すてきなテラスがあって部屋 がある。天井は岩。雰囲気は残しつつバスルームは近代的。ルームチャージ US$170。
 絨毯屋が多い。空を飛ばす。気に入らないと放って返す。絨毯工房ヒタシ を見学した。草木を煮出して糸を染める。1週間で1平方m織れるらしい。 その場で購入も可能。130x80cm くらいでUS$192だった。
 夕暮れ時にサンセットの名所として名高いクズル・チュクルに行った。ピ ンクがかった岩が赤に染まる。真紅色の風を受けている気分とか。
 夕食はギョレメ・レストラン。トルコ式の靴を脱いで上がるレストラン。 牛肉と野菜に香辛料をたっぷりかけて壷に入れて焼く伝統料理。壷を割る! テスティ・ケバブ600万トルコリラ(600円)。
 陽が昇ると同時に出発する気球ツアー。横乗りして出発。いきなり縦にな り高度を上げる。一人US$225。かなり岩のぎりぎりを飛ぶ。

●サフランボル
 黒海沿岸の世界遺産の街。日に60日しか晴れないという雨の多い地方。 内陸に50km入ったところ。レース自体が可愛いテーブルクロスとかを売 っている。靴屋メス・イマーラットゥシスィに入る。おじいさんが手作りで 作っているのは伝統的な靴下のメス。1000万トルコリラ(1000円) 室内履きでもある。香辛料店サフラン・スィラーイ・マフスルレリに寄る。 サフランは1g500万トルコリラ(500円)。菓子店イムレンはサフラ ンでつくるおいしいお菓子の店。ロクムはサフラン入りでここしか売ってな いらしい。1個180万トルコリラ(180円)。
 ホテル・セルヴィ・キョシュクに泊まる。民家を改造したホテル。188 3年にできた家らしい。床は石で絨毯がひいてある。靴を脱いで歩く。ルー ムチャージUS35ドル。クローゼットの中がバスルームやトイレになって いる。ソファーに座ってチャイをいただく。

●ウズンギョル
 内陸に800kmいった、とうもろこし畑のひろがるひっそりした村。 最近、ピクニックやキャンプを楽しむ人が増えてホテルも建ってきた。今回 はログハウス風のイナン・カルデシレルに泊まる。ルームチャージ4000 円。木のぬくもりが優しい。みやげ物店カラジャでバスケット1200円を 買う。共同でパンを焼いているところを訪問。土の釜戸にひっつけて焼く。
 蜂蜜の産地でもある。黒い色と金色のものがある。1kg800円。屋台 でとうもろこしを見つけた。1個50円。
 翌朝、車で雪山を目指す。イブシル村は2800mの山にある小さな村。 カチカル山脈がそびえている。そこから歩く。はじめは気持ちよいが段段と きつくなる。標高3315mの山を目指す。途中で何度も休む。最後は雪の 上を歩いて到着したが、休まないと2時間くらいらしい。山岳ガイドはエル ダン・シャーヒンさんだった。


テレビ番組「田中美佐子、鈴木杏樹の人妻!トルコ日記」

 2001年2月17日放送。福島中央テレビ製作。トルコ語では「こんにちは」は メルハバ、「ありがとう」はサオール。
イスタンブールはボスポラス海峡をはさんで、旧市街(アジア側)と新市街 (ヨーロッパ側)に分かれる。新市街はビル群で近代的だが、旧市街はアラ ビアンナイトのような建物が多い。宿泊にはアップルのバウチャーを使って いましたよ!

 雪が朝降っているくらいに寒い時期。乗合バスに乗る。23万TL(50 円)。鈴木杏樹さんは東京でも地下鉄に乗ったり、バスに乗ったりしている そうです。港に行ってからフェリーに乗ってアジア側に渡る。50万TL( 100円)。紅茶を売りに来る。チャイは20万TL(40円)。決して 無料ではありません。
 船着場で降りると、船でサバを焼いている。Tarihi Eminonu Balikcisi 号 である。田中美佐子はサバが一番好きだそうで、サバサンドを頼む、75万 TL(150円)。パンにサバとトマト、タマネギがはさんである。パンと トマトが変だと言うが、サバは網焼きかオリーブオイルで焼くかで、おいし いらしい。

●B級グルメ。屋台で食べる。ポテトにバターなどをトッピングをしてこね たのはグルピン(マッシュポテト)で200万TL(400円)、トルコで は人気のおやつだそうだ。ニョッキみたいでおいしい!と田中美佐子さん。 ムール貝のつめものミディエ・ドルマス75万TL(150円)で、うんち みたいだと田中さんは言う。ムール貝のフリッターはミディエ・タヴァー、 75万TL(150円)で、そこそこおいしいらしい。
 ひき肉とご飯の揚げ物はイチリ・キョフテ75万TL(150円)。 クレープはギョズレメで75万TL(150円)。ヨーグルトを水で薄めた 味の飲み物を無料でくれた。
 アイスクリームはトルコ名物の伸びるアイスで、甘いらしい。やぎのアイ スクリームで少し臭いらしい。

●翌朝、エジプト市場へ。雪が降っていた。「食べてください」という日本 語がする。ハチミツピスタチオ。ピスタチオ1kg600万TL(1200 円)。すごい人ごみである。
 精力剤!と日本語で言うので、見るとカラスミだった。ハチミツは500 万TL(1000円)/kg。そのまま売っている。乾燥イチジクもあるが 甘いらしい。オクラも乾燥したのを売っている。ヘチマや海綿も60gで、 210万TL(420円)。

●グランド・バザールで、Pashmina 1枚12ドルで10枚買った。これは 相当値引きさせたが、昔、日本で流行した時は、1枚3万円程度だったらし い。マフラーみたい。
 オリーブ石鹸50万TL(100円)。ノーマルと月桂樹の2種類あり。
 トルコ絨毯。種類としては、ヘレケ、コンヤ、ベルガマ、マルギェップ、 シクス、カイセリ、アイデン、などがある。よいものの見方は、裏を見れば わかるそうだ。織り始めと織り終わりが対称なのがよい。
 水パイプ屋に行く。200万TL(400円)。タバコの上に炭を置いて くれる。すわずに、ふかすのが流儀だとか。2時間吸い続けるらしい。

●地下鉄に乗る。25万TL(50円)。合計2駅しかない!しかも駅が 目茶目茶斜めらしくて、本当に傾いたまま電車も走っている。たった600 mの距離しかないらしい。
 路面電車に乗る。30万TL(60円)。新しい車両です。ブルーモスク の横を走っている。ブルーモスクのステンドグラスはきれい。
 昔の貯水池は今は地下宮殿と呼ばれている。柱にはメドゥーサの顔があっ て、広さは6000平方m、141mX73mの広さである。高さは8m。
 次の路面電車の旧式トランバイに乗って(25万TL:50円)、市街地 を行く。トルコの銀座も眺めた。

●トルコの結婚式に参加。すごい人。普通500人呼ぶらしい。テーブルの 上には何もない。みな自分で買ってくるらしい。定位置まで二人が入ってく ると、いきなり二人で踊りだした。するとみんなが踊る。そしてケーキカッ ト。そしてまだ踊り。そしてご祝儀タイム!みんなからのプレゼントが渡さ れる。それが2−3時間続く。その間みんな踊っている。これが合計6時間 も続く。そこで小学生と仲良くなる。

●小学生と約束したので、小学校を訪問。上半身を動かさないダンスをして いた。日本から遊び道具を持参していた。その感謝としてビトリスナという ビトリス地方の踊りを踊ってくれた。


テレビ番組「森公美子のおいしいトルコ!満腹旅」

 朝日放送制作。2000年9月23か24日放送。森さんと辻調理師専門学校の畑耕一郎先生のトルコ旅行記。トルコ航空の直行便(週3便)で関西空港からトルコに向かった。ビジネスクラスのようでした。世界三大料理は、フランス料理、中華料理、あとは日本料理だと畑先生は言うが、トルコ料理だと言う人もいる。相手を知って究極の日本料理を作る旅。
 代表的なトルコ料理といえば、シシ・ケバブ Sis Kebabi シシは串、ケバブは焼肉。次にメゼ Meze 前菜でこれは多彩。トルコの野菜とヨーグルト、白チーズの調味料を加えたもの。次にピデ Pide 小麦粉料理でピザの起源らしい。

●イスタンブールと料理
 そんなに暑くもないらしい。タクシム広場で回転焼肉のドネル・カバブ100万トルコリラ(TL)(160円)。吊り下げられた肉をそぎ取り、パンに巻いて焼く。おいしいらしい。トルコではお肉といったら羊。
 ロカンタという Buffet スタイルの大衆食堂。3つ取って380万TL(600円)だったが、普通は一人300円程度らしい。取ったのは、羊のレバー入りピラフのパイ包み Sigersarma トルコ料理では米は野菜。

 イスティクラル通り Istiklal Cad. はタクシム広場の南。屋台風の店。スィミット Simit 10万TL(16円)は胡麻付パン。うまい!らしい。キョフテ Izgara Kofte 150万TL(240円)香辛料の利いた羊のミートボールでおいしいらしい。横の通りを入るとムール貝、中にピラフを詰めたミディエ・ドルマ Midye Dolamsi 25万TL(40円)松の実とシナモンでの味つけ、うまい!!らしい。羊の腸などを刻んで焼いて、野菜とパンにはさんで食べるココレチ Kokorec 100万TL(160円)。おいしいらしい。この時点で一番おいしかったらしい。ギョズレメ Gozleme 50万TL(80円)トルコ版クレープ。クンピル Kumpir 100万TL(160円)ポテトを蒸して?チーズ、バター、コーンなどを入れたもので、これだけでお腹いっぱいになる。ドゥルム Durum 90万TL(145円)ラムやつくねに野菜をのせて、小麦粉の皮に巻いて食べる。

 サライというデザート専門店。トルコの人は甘いものが大好き。ここは変わったプリンがある。プリンは牛乳に米の粉、砂糖でプリン地としている。チキン・プリン(鶏の胸肉プリン Tavuk Gogsu )は45万TL(72円)で真っ白でねっとりしている。鶏は入ってないのでは?と思わせる味らしい。甘いトロロという感じでおいしいらしい。ノアの方舟プリンAsure 45万TL(72円)雑穀を何でも入れたプリン。

 クムカプというヨーロッパサイドは街並みが違う。餅のようなのをこねている。ドンドゥルマ Dondurma 25万TL(40円)トルキッシュ・アイスクリームである。お餅のように粘りが強い。サーレック?という植物の粘り成分が入っているので粘るのだとか。

 昼食は地元の人に人気のサルヌッチ Sarnic で、地下貯水池を改造したもの。天井は高い。前菜は野菜がふんだんに美しく、フランス料理のように盛りつけられて、メインは仔羊のオーブン焼き Kuzu Tandor 。シナモン風味ピラフ pilav を添えて。ランチ一人前、US$20。これは家庭料理だから、もっといい料理があるに違いないというので、次に挑戦。

 ボスポラス海峡に島がある。ここの魚は海峡の流れが速いので、身がしまった魚が多い。この島のレストラン Galatasaray Club Restaurant 。ここのガラタサライは会員制だが、予約すればビジターとして行ける。ガラタサライというとレガッタやサッカーでは世界的に有名。
 まず、サバのスモーク、おいしいらしい。イカのリング揚げ、イカがとても柔らかいらしい。オマールエビのボイル。30cmもある!でかい!自然のままのものだけど、本当においしいらしい。

 ホテルはスイソテル・ザ・ボスフォラスでシングルUS$230−、ツインはUS$265−。海峡も望める高台にある。ディナーはこのホテル内のタシュルックで最高級トルコ料理。まずは国民的お酒ラク Raku 水で割ると白くにごる。50度!松ヤニの匂いがするらしい。シーフード・スープ(フィメドポワソンのようなもの)羊肉のナス煮込み(オリエンタル風味)Istim Kebabi 、メインはスズキのドルマ Lufer Dolmasi トルコでは魚が高級。ピラフも詰めてあって、トマトソース。料理長タイフン・シリンディルさんに話を聞く。特徴はソースと素材と共に煮込むこと。ヨーロッパ料理の起源はトルコ料理だという。確かに!

 ビジネス街シシリー通りで、畑さんがお好み焼きを作って120人前配った。クレーン車まで出て手伝ってくれた。ちょうちんもつけた。地元のテレビ局も取材に来たし、シシリー地区の市長も食べにきた。

 トルコは野菜が豊富。魚も豊富。黒海のイボカレイを買う。エジプシャン・バザール Misir Carsisi で香辛料などを買う。中でも蜂蜜を取った後の蜜ロウもある。カラスミもあったので、購入する。

●観光と買物
 ブルーモスク Sultanahmet Camii 外は荘厳だが、中は青色などで、壁を覆う17世紀のタイル。今の技術では再現できないと言われている。
 地下宮殿 Yerbatan Sarayi は通称地下宮殿だが、元はイエルバタン貯水池だった。地下にあり、246本の支柱で支えられている。暗いが涼しいらしい。一番大きな支柱にはメドゥーサの首が....。水と天井の共鳴が素晴らしくて、コンサートも行われている。
 15世紀に建てられたグランド・バザール。お店が多い。お店の人も筋金入りで、声をかけてくる。絨毯から貴金属まで売っている。服を買うが、5500万TL(8800円)街の中で出前チャイの姿も見る。100ccくらいのグラスで飲む。
 Ipek イペッキという大流行のスカーフ屋さん。女性の肌を隠すために必要。トルコの女性は平均一人20枚持っているとか。ここの品は全てシルク製で、3枚でUS$30。
 Pasabahce パシャバフシェ。ガラス製品の店。2階のアートコレクションでも2000円程度。
 チャイハネというトルコの昔ながらの喫茶店で水パイプ。1服吸い終わるのに1−2時間かかるという。Nargile 90万TL(145円)味はマイルドらしい。
 ボスフォラス・ナイト・クラブでベリーダンスを見る。

●カッパドキア
 飛行機とバスで3時間で到着。数百万年前の火山の大爆発後に侵食されたもの。ウチヒサール城というヒッタイト時代のもので30年前まで本当に人が住んでいたところ。中にも入ってみた。白い岩肌に鮮やかなトルコ絨毯。夏は涼しく、冬は暖かいらしい。場所によってはペンションとしても使われているとか。岩穴バルコニーから見る景色は息を呑む、奇景!
 ペルシャ絨毯より丈夫なトルコ絨毯。手織り技術を教えている学校Avanos Hali を訪問。トルコ女性は花嫁となるために必要な技術だとか。
 中央トルコはブドウ栽培も盛んで、ワインを作っている。Turasan トラサンというワイナリーに行く。御曹司ユジャールさんが案内してくれた。樽じゃなくて、手掘りの洞窟の中で熟成をする!!食前酒に抜群と森さんは言う。1995年トルコで金賞を取ったらしい。’97ヴィンテージワインで800万TL(1300円)。
 Sarikaya で夕食。民族音楽を聴きながら、洞窟レストランで食べる。野菜スープ(ミント風味、お米入り、緑色)おかゆらしい。ウェイターが「野菜スープ」と日本語で言った。次は「食べてみて〜」で赤レンズ豆のキョフテ。メインはお祝い事と使われているテスティケバブで、細かく切った子羊、ジャガイモ、ナスなどを混ぜてツボに入れてオーブンで蒸し焼きにする。「いただきま〜す」笑わせてくれました。おいしいらしいです。
 カッパドキア陶器工房チェチ Cec Poterie 畑さん用に2枚買う。世界的に有名なチェズ・ガーリッピ先生に会う。その作品はルーブル美術館にもあるとか。
 トルコの普通のおかみさんの生活を見るために、一般家庭を訪問した。トユルハルさん一家でお茶会。長男のお嫁さんは15歳で結婚、次男のお嫁さんは18歳で結婚。コーヒーの粉も入っているトルコ・コーヒーを飲む。飲み終わって、カップをひっくり返して残った豆で占いをする。
 最終日の朝5時に起きて、気球に乗りに行く。気球クルージング。早朝のみ!やっている。 400mくらいまでは上昇するらしいが、近くまでも行くらしい。高所恐怖症だったが、参加した。よかったらしい。ワクワクしたとか。美しさを見る方が勝ったということらしい。1.5時間、US$210。

●究極の和食?
 スイソテル・ホテルの厨房で、日本料理を作る。持ってきたのは醤油、みりん、味噌だけ。食べるのは、森公美子、スイソテル総料理長ウォルフガング・ショメルシェル、スイソテル・トルコ料理長タイフン・シリンディル、イスタンブール観光局長ヤルチェン・マナヴさんの4人。
 まず、日本酒、前菜(カニとそら豆の酢のもの、スズキの昆布しめ、焼きナスの松の実味噌がけなど)、吸い物(カサゴのすまし)、焼物(イボカレイの幽庵焼き:ワインとハチミツにつけこんで焼いた)、焼物(羊肉の味噌焼き、新ニンニク添え)、炊き込み御飯は南蛮ご飯(アーティチョーク、ピーマン、エビ、昆布でうす味に炊いて)これにカラスミを削ってかけた。
 みな誉めていた。畑さんは涙ぐんでいた。
最後にホテル・ペラ・パラス Pera Palas で乾杯!!


テレビ番組「道浪漫」1999年8月は奥田瑛二さんでトルコ

 まずはトルコ航空で飛んでイスタンブール。ボスポラス海峡。グランドバ ザール。ここは15世紀からあり,今4400の店がある。
 次はトプカプ宮殿。370年支配したオスマントルコの中心で,ここの宝 物を全て売ると,トルコの現在の国家予算の99年分にあたると言われてい るくらい宝物が多い。86カラットのダイヤが紹介されていた。またハレム には500−1000人の女性がいたという。
 ブルーモスクは16世紀初頭にできたこの国の聖地で,ドームは43メー トルの高さがある。青色が特徴。
 次に一般家庭を訪問。靴を脱いで入る。チャイをよばれる。
 夕食はインターコンチネンタルのレストラン「サフラン」のテラス。ワイ ンはカワクリテレ・セレクション。食事はトルコ前菜の盛り合わせ1250 円とダナ・ゴンフィレ?1600円。
 泊まったホテルはメリット・アンティックでシングル18000円とか。
 夜はナイトクラブ「ケルヴァンサライ」でベリーダンスを見る。

●キュタフヤ
 バスターミナル・オトガルからバスで6時間かけてキュタフヤへ。しばら くするとオーデコロンを手にかけてくれるサービスもあった。
 キュタフヤのチャイハネは女人禁制で,みな数珠を持っていた。ボケ封じ らしいが,お祈り用のは99個タマがついている。
 イズミック・タイルというブルーのモスク。
 イスマイル陶器店へ。

●エフェスの遺跡
 24000人収容の大劇場。世界最古の広告があった。これの行き先とい うのが,娼婦の館だった。また公衆トイレも残っていた。
 セルシウス図書館の跡。当時の世界三大図書館だったらしい。

●セルチュク
 こうのとりがいた。絵を描いた。

●アンダルヤ
 屈指の地中海リゾート。家族連れの船に頼んで地中海クルーズ。30分ほ ど行くと滝があった。ここで泳ぐ。
 ライブハウス「チチキ・パサージュ」で地酒「ラク」を飲みながら現地の 人と親しむ。特に女性と。
 地中海料理「クラル・ソフラス」

●ターキッシュバス「セファハマム」
 マットの上で男性にアカスリ。たっぷりの泡で全身洗い。

●コンヤ
 バスターミナル「オトガル」から古い街コンヤへ。 ここは13世紀のセルジュク・トルコの首都だった場所。神学校やモスクも 多い。中でもナブラーナ博物館。またここはナブラーナ教の聖地。ナブラー ナのお墓以外に64個のお墓がある。ナブラーナ教の神秘の踊りを楽しむ。 5人の黒ずくめの男性が静かに来て,真ん中の一人を除いて服をとると全員 白い服。これで全員が静かにクルクル回るのみ。これで無我の境地になるら しい。

●中央アナトリア
 真白い湖「トゥズ湖」。水面がピンクに浮きあがってみえる。湖面を塩が 覆っているかららしい。昔海であった証拠。もしかすると死海よりも濃いの ではないだろうか。

●ギョレメ村
 カッパドキアのある村。キリスト教徒の教会がある。巨大な岩をくり抜い て作ってある。
 品質世界一と言われるトルコ絨毯の店がある。メの細かいシルクの絨毯は 若い女性でないと織れない。地方の草木染めだが,とてもきれい。3.7メ ートル×2.8メートルの分で370万円。作成に1か月程度かかるらしい。
 キリムは嫁入り道具でもあるが,107センチ×87センチで1億685 0万トルコリラ(46000円)。

●カッパドキア
 空の上から熱気球でまず見ることにした。毎朝5時出発らしい。 岩はキノコ型。堆積した火山岩層が風雨にさらされてできた。
 ギョレメ屋外博物館へ。暗黒の教会と名付けられたキリスト教の教会。 こうした教会がカッパドキアには多い。
 ローマ時代に1万人から1万5000人が暮らしていたという地下都市 であるカイマクル地下都市へ。地下80メートルまであった。集会場や, 食料保存場,ワイナリー,ろうそく台,秘密の通路,通気孔まであった。

 宿泊したのはアタマンホテル。シングル5000万トルコリラ(140 00円)ダブル(17000円から)


SEO [PR] カード比較  冷え対策 温泉宿 動画無料レンタルサーバー SEO