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なお、これはわたしが個人的にテレビを見て書いたものであり、各テレビ局や番組とは全く関係はありません。
すべての文章の無断使用・転載を禁止いたします。
またここの情報を使って、何か問題が起こったとしても私は一切責任は持ちませんのであしからず。


テレビ番組「THE 世界遺産 パタゴニアのリオ・ピントゥラスの手の洞窟」

 2010年9月5日放送。

●アルゼンチンのパタゴニア
 リオ・ピントゥラス峡谷にある切り立った崖。その中ほどに小さな洞窟がある。案内してくれたのはツクマン大学のカルロス・アスチェロ教授。岩肌がもろく崩れやすいので、特別な許可がないと立ち入ることができない。入口付近には無数の手形が密集している。現代アートを思わせるその数は858。手形は洞窟の周辺100mに渡って、岩陰に残されている。
 これは太古の人々がここに生きた証。手形の中には指が6本あるものもあった。描かれた手は様々。女性や子供の手もある。黄土色の手形が一番古く、9300年前のものだとわかった。
 水と緑を見下ろす峡谷に洞窟はあった。寒さと風を避けるために利用したのだろう。洞窟の入口で古代人たちの道具が見つかった。石器の中に含まれていた鏃は、獣をしとめるために使われた。硬くで丈夫な動物の骨で石を削り、鏃を作った。狩猟民族は多分、15〜20人のグループで移動していたと考えられる。もっとも新しい手形は1600年前のもので、古いものに重ね合わさっていた。
 858の手形のほとんどは何故か左手。右手は31しかない。ブエノスアイレス大学のアナ・マリア・アゲレ教授は、筒状の動物の骨を見つけた。これに赤い染料がついていた。染料をとかして骨を使って壁に吹き付けていたと推測している。左手を岩に置き、右手で骨を支える。

 太古のパタゴニアには樹木が生い茂っていた。それを裏付ける手がかりがあちこちに残っている。岩のように見える数億年前の木の化石もある。緑の中に恐竜もいた。「ベルナルディノ・リバダビア・アルゼンチン国立自然博物館」には、恐竜の骨格標本がある。長さ15mのパタゴザウルス。哺乳類もやがてでてきた。体長4mの巨大なナマケモノの「メガテリウム」は木の上でなく、地上で生活していた。
 およそ20万年前、アフリカに誕生したヒトは、相当な時間をかけて地球全土に広がっていった。南米大陸の南に到達したのは、1.1万年前と考えられている。

 壁画の中には「手」以外のものもあった。狩猟生活をしていた彼らの獲物の一つがニャンドゥーというダチョウの一種だった。今もパタゴニアに住んでいる。古代人は肉を食べ、皮や羽根を衣服に利用していた。洞窟にはニャンドゥーの親子も描かれている。足には3本の指。もう一つはラクダの仲間のグアナコで、コブはない。乾いた大地にあるトゲのある植物を餌にしている。捕らえる道具は皮のヒモに巻きつけた石「ボレアドーラ」で、石には溝が切ってある。足にからめて倒して捕らえる絵も残っている。

●世界に残る絵画
 世界に残る絵画としては、オーストラリアのウルル・カタジュタ国立公園の渦巻き模様。南アフリカのウクハランバ・ドラッケンズバーク公園の狩猟の民と聖なる動物の絵がある。アルジェリアのタッシリナジェールには大地をかけるキリンの姿があるし、手もある。フランスの「ベシュ・メルルの洞窟」には2.7万年前の野生の馬と手形がある。

●まぼろしの民
 彼らは頭に羽根飾りをつけていた。19世紀、イギリスのジョージ・ムスターズ著「パタゴニア先住民との生活」では、先住民の姿が描かれている。頭に鳥の羽根飾りをつけて踊る人々。彼らはテウェルチェと呼ばれていた。貴重な写真も残っていた。100年前まで彼らは大家族で移動生活をしていた。
 19世紀にパタゴニアにやってきた西洋人たちによって虐殺されてしまったので、彼らを追跡することはできなくなった。大地には羊が放牧され、風景は一変した。
 手の洞窟から西へ約150km。チリとの国境に近いラーゴポサダスの湖の周辺でも、手形が発見された。調査は始まったばっかりで、カルロス教授は「手を描いた部族がテウェルチェの祖先というのは仮説に過ぎない」と語った。断定できることは何一つない。9000年前の遺骨が何も見つかっていない。手は狩猟民族にとって重要な道具なので、縄張りを示したものかもしれない。


テレビ番組「世界遺産への招待状51 パラグアイ「宣教師たちの夢の跡」」

 2010年9月4日放送。

●イグアスの滝
 今から400年前、南米大陸をつき進み、川をさかのぼった人たちがいた。黄金郷を目指し、大挙してやってきたスペイン人の征服者たち。その中にひと握りのキリスト教宣教師がいた。先住民にキリスト教を広めるという使命に燃え、この地にやって来た。イグアスの滝に着いた宣教師たちは、ここで先住民グアラニー?と出会う。イグアス国立公園管理官のオマール・カニェーテさんが説明してくれました。イグアスの滝はグアラニーにとって彼らの神が宿る場所として、とても神聖な滝だった。宣教師たちは滝の近くに留まることを許されず、離れた所で布教し始めた。宣教師たちは川に沿って森を切り開き、キリスト教を広めるための集落「レドゥクシオン」をいくつも設立していった。映画「ミッション」にはその様子が史実に基づいて描かれている。「レドゥクシオン」は宣教師たちにとって理想郷だった。先住民たちと共に暮らし、キリストの教えに基づいて、神の国を実現しようとした。やがて「レドゥクシオン」には多くの先住民が移り住み、石造りの壮麗な教会が建設されるまでになった。
 今回は、レドゥクシオンの歴史を伝える「トリニダー遺跡」。かつて宣教師と先住民が共に祈りを捧げた教会の跡「パラナ川流域のイエズス会伝道施設」。

●パラグアイのトリニダー遺跡
 日本から飛行機を乗り継ぎ、車に乗り換えておよそ40時間。パラグアイの南東に位置する。
 トリニダー遺跡管理責任者のエドガー・パレーデスさんが案内してくれました。ここは「レドゥクシオン」がそのまま保存されている。イエズス会のアナヤ神父により1706年に建築された。建物は全てローマの様式で建てられ、全体の構造はほとんど当時のまま。中心には広場があり、まわりに先住民の住まいが建てられた。正面には様々な装飾が施された教会があり、ローマのサン・ピエトロ大聖堂を真似て作られたもの。幅35m、奥行き120mもの巨大な石造りの教会では、毎日ミサが行なわれ、グアラニーにキリストの教えが伝えられた。この教会で最も素晴らしいのは、壁に描かれた天使の音楽隊。ミサの時にグアラニーが様々な楽器を演奏していたことがわかる。宣教師たちはキリスト教を布教するためには、音楽が最も有効だと考えていた。グアラニーの人たちは音楽が大好きだった。
 元々グアラニーは森の中に住み、狩や木の実などを取って生活していた。音楽は布教活動に大きな力となった。映画「ミッション」にもその姿が描かれている。手工業が教えられ、楽器も作られた。広大な農地も開拓された。集団で農業が営まれ、収穫は平等に分けられた。学校も作られ、子供たちに音楽や読み書きが教えられた。
 グアラニーの石造りの住居跡を見た。最盛期には4000人もの人々が森を離れ、ここで暮らしたという。

 しかし宣教師たちの理想郷も長くは続かなかった。18世紀半ば、スペイン国王の命令により、イエズス会宣教師が追放されると、グアラニーは次第にレドゥクシオンを去り、廃墟だけが残った。宣教師たちがもたらしたものはどう受け継がれているのか?トリニダーにいたグアラニーの子孫がいる村を訪ねた。
 村には100人が生活していた。レドゥクシオンで暮らした時の形跡は全く残っていなかった。村のリーダーのマリアノ・ペーテスさんに話を聞いた。宣教師たちは追放されたのではなく、神の下に行ったのだという。グアラニーたちには彼らの思い出だけが残された。
 しかし、レンガの平屋に彼らは住んでいました。これはダムの会社が作ったものだという。以前住んでいた村はダムに沈んでしまったという。彼らは10年前まで森で暮らしていた。ダムのために森がなくなり、かつて森から取れた食料や魚が採れなくなった。困っていたので、ダムの会社の人が作ってくれたという。唯一の収入源は工芸品。村全体で月に6000円〜8000円の稼ぎだったという。でもこの4ヶ月はほとんど売れてないそうです。遺跡の場所は知っているが、先祖がそこでどういう生活をしていたのかはわからないという。

 パラグアイの人に文化をもたらした宣教師の評判を聞いてみた。アスンシオンは人口50万人。パラグアイ人の95%はスペイン人と先住民グアラニーの混血で、ほとんどがキリスト教徒。とてもよいことをしてくれたという人が多い。お札になっている宣教師「聖人ロケ・ゴンザレス」もいる。「クリスト・レイ教会」のマリノ・レオン神父が、その教会の一室にロケ・ゴンザレス神父の心臓があると教えてくれた。少し形が崩れてきたので、去年ローマで保存処理をしたそうです。今は真空のガラス・ケースに入っている。腐ってなくて、殺された1628年の状態のままだそうです。殺された時の石の斧も残っている。グアラニーの中には宣教師をよく思っていない人もいた。グアラニーの土地を奪って支配したスペイン人征服者を宣教師が手引きしたと思ったようだ。本当はその逆だった。ゴンザレス神父はグアラニーを守っていた。

 布教施設「レドゥクシオン」の跡地に町が作られることもあった。「サン・コスメ・イ・ダミアン教会」も元々はレドゥクシオンがあった場所。この教会は250年前のレドゥクシオンの建物を今も利用している。
 ルイス・イバハさん(95歳)はこの町の最高齢者。宣教師は何かするたびにグアラニーをこき使ったという。金などの鉱山資源が目的でやってきたと聞いたそうです。搾取するのが目的だったという。こういう宣教師にまつわる噂話は今でもパラグアイのあちこちで聞かれる。血も受け継いでいるので、複雑な気持ちもある。

 もう一つのグアラニーの村を訪ねた。パラグアイで最も伝統的な暮らしを保っているグアラニーで、350年前から森の中で暮らしている。リーダーのレイナルド・ビリヤルバさんが話をしてくれた。観光客用の踊りの衣装の若者がいた。伝統的なグアラニーの暮らしを見るために観光客が時折訪れるという。森から取れる果実を食べ、近くの川で魚を獲る。
 ビリヤルバさんの家を見せてもらった。木造で、家の真中にはハープがある。キリスト教徒ではないので、伝統的な宗教を長老のフリオ・ペレイラさん(80歳)に聞いた。トゥッパという神が天にいて、太陽で人間を照らしているという。最後にビリヤルバさんがハープを弾いてくれました。


テレビ番組「THE 世界遺産 アルゼンチンのパタゴニア」

 2010年4月18日放送。

●バルデス半島
 ミナミセミクジラ、マゼランペンギン、ミナミゾウアザラシ、オタリアなどがいる。命あふれるクジラの海。バルデス半島は北と南に穏やかな2つの入り江を持つ。風が強く、荒涼とした大地が続くパタゴニアだが、海は楽園。9月は南半球は春で、子育ての季節になる。
 毎年、ミナミセミクジラは9月になるとバルデス半島に戻ってくる。ここで子供を産む。好奇心旺盛で人懐っこいクジラです。皮膚が角質化してコブになっている。フジツボなどが寄生して皮膚が白っぽくなっている。生まれたばかりの子と母に遭遇した。息継ぎがうまくできない子を母親がうまく手助けしていた。かつては乱獲により絶滅が危惧されていたセミクジラ。ここでは2500頭が確認されている。
 毎年、ミナミセミクジラは夏の間、南極海で過ごし、冬から春の間は、温暖な気候のバルデスの入り江で過ごす。バルデス半島の海岸線では100mの高さの崖が続く。1頭のメスをめぐって、数頭のオスが求愛行為をしていた。強いものの子孫を残すため。こうして毎年200頭がここで生まれる。

 クジラのコミニュケーションとしての鳴き声が少しずつわかってきた。パタゴニア国立研究センターではこれまで3種類の鳴き声の意味がわかったという。そんな彼らが水中で不思議な歌声を響かせる。1つはメスの「スクリーム」で、周囲のオスに求愛の動きを誘う鳴き声。2つ目は「ガンショット(銃声)」で、交尾の際にオス同士が威嚇している時に出す音。3つ目は「アップコール」で、馬レアばかりの子供に、母親が傍を離れないように呼びかけるもの。

 ミナミゾウアザラシの赤ちゃんがお乳をねだると母親は与える。3週間の間、母親は餌を取らない。乳離れすると、ゾウアザラシはすぐに新しい命を身ごもる。ここに2.6万頭。世界で唯一ここだけがゾウアザラシが増えている。
 ゾウアザラシはゾウのような鼻を持つことから名づけられた。繁殖期、オスは100頭ものメスを従え、ハーレムを形成する。オスは最大で体長2m、体重は4トンに達する。アザラシの仲間では最大の巨体を持つ。1シーズンで40頭の子孫を残すという。侵入者のオスに対しT、ハーレムを守ろうとするオスは戦いを挑み30分かけて撃退しました。

 マゼランペンギンも毎年、冬になると、繁殖のために半島に集まってくる。最盛期のコロニーはこの浜だけで40万羽にまで増える。彼らは、同じつがいのまま、一生を過ごす。決して浮気はしない。
 夏の間、離れ離れで南極の海を過ごす夫婦たちは、半年ぶりに40万羽の中からたった一人のパートナーと再会を果たすという。一体、どのような方法で見つけ出すのか?を研究している人がいる。
 オスは1ヶ月先に到着し、巣穴を整えると、巣の前で鳴き始め、メスを待つ。来ないと海の近くまででていく。そしてメスが到着した。メスはいつもの場所でいつもの鳴き声を探す。そして毛繕いをして確認し、巣に入る。メスは数日後に卵を産む。

 沖には、一風変わったダイビング・スポットがある。海底はきれいな砂地です。海の中で待っていたのは、アシカの仲間オタリア。世界でも珍しい野生のオタリアに触れることができる場所。愛嬌があるが、肉食でペンギンを餌にすることがある。

 日中は、のんびりと昼寝ばかりして過ごすオタリア。浜辺までの距離は約50m。そこから海のギャング「シャチ」が襲ってくる。満潮になる時を狙い浜に滑り込み、食らいつく。浜の子供の狙う。世界でもたった一箇所しか見られない光景。迫力満点です。


テレビ番組「知っとこ!世界の朝ごはん アルゼンチン」

 2010年2月20日放送。

●ウマワカ渓谷
 アルゼンチン北部のウマワカ渓谷は世界遺産。「南米のグランドキャニオン」とも呼ばれている。神が宿る場所とも言われている。

●ティルカラ Tilcara
 この村にはお土産物がズラリと並ぶ。店先で木に穴をあけている人がいる。これは木ではなくサボテン。村の周辺には多く生えている。サボテンは枯れると堅くて丈夫なので、工作できるという。このお店ではサボテン・ライトを作っていました。樹木の少ないこの地域では、家や家具を作るのにサボテンを使うのが一般的。

 「七色の丘」には多くの観光客の方が集まっている。カラフルな地層の場所で、渓谷で一番美しいといわれている。これくらい色が見られるのは、世界でもまれとか。

 観光客がここ1,2年で増えたので、ホテルも多く建つ。しかも村の一部みたいに建てられている。高さも2階までと決められている。「ロス・コロラードス」は、日干しレンガを使ったホテル。キッチンもついたコンドミニアム形式。ツインで1泊515ペソ(約1.2万円)。このホテルの自慢は露天のジャクージ。

 町で人が集まっている。焼いていたのは、「トルティージャ」で、メキシコとは異なり、小麦粉の生地に、チーズやハムをはさむ。1つ3ペソ(約70円)。
 アドリアン・イリゴイティアさん(31歳)は観光ガイド。紹介してくれたのは、郊外の村ウマワカ。途中でリャマがいた。
 音楽が聞こえてきた。多くの人が集まってきて木のまわりを回り始めた。300年以上続くお祭り「パチャママ」で、木の横の大地に穴をあけ、大地の神様に食料などをお供えする。パチャママは、石を積み上げてお供えをして願いごとをするとかなえてくれるという神様。

 新婚さんの朝ごはん。マルセラ・ラトロニコさん(25歳)は料理学校の先生だった。料理を始めるときは、下準備をしたものをボウルに入れてわけておくと作業が早いという。同じくらいの大きさに切って、それぞれのボウルに入れておく。
 1品目「エストファード・デ・キノア」。ラム肉を多めの油で強火で炒め、横に置く。同じ鍋でにんじん、ピーマン、たまねぎを炒め、キノアという穀物を入れて炒める。残りの野菜をいれ、スープを入れ、30分煮込む。
 2品目「アピとトルティージャ」。トルティージャを平たくのばして揚げる。家庭では焼かずに揚げる。チーズをはさんで完成。紫トウモロコシの粉をお湯に入れ、砂糖などもいれる。
 3品目「ケシージョ・コン・ドゥルセ・デ・カジョーテ」。ケシージョはチーズを作るときにできるもので、湯葉のように薄い膜。これにフルーツのジャムをのせて巻いていく。お皿にのせサトウキビの蜜をかけ、クルミをトッピングしてデザートができた。


テレビ番組「自然が奏でる交響曲 地球オーケストラ」

 2010年2月14日放送。山口智充、川島海荷さんが案内。地球はたくさんの音で満ちている。環境破壊により少しずつ音がなくなりつつある。地球の音を集めて、ボレロを演奏する。トンガでのザトウクジラのラブソング、タンザニアの原住民の音、パタゴニアの氷河の崩壊の音。中京テレビ開局40周年記念。

●トンガ王国
 ケイン・コスギさんが旅をした。ザトウクジラの音楽は1曲30分。一時は絶滅が危惧された。2009年10月ニュージーランド航空でトンガに向かった。ババウ諸島には毎年7月〜10月にザトウクジラが出産、子育て、求愛のためにやってくる。
 ケインさんを迎えてくれたのは、トンガの伝統的な音楽「ラカラカ」で、世界無形文化遺産。手拍子とコーラスの混合芸術。
 ザトウクジラの待つ海に向かう。海洋研究員のポール・ストーンさんは5年前にババウ島に移住し、ザトウクジラを研究している。音を録音するのは難しいという。クジラは潮を吹いた時が一番見つけやすいという。出航して30分、息継ぎ(潮吹き)をするために海面に現れたクジラを何頭も見た。
 シンガーの歌声を間近で録音したいなら、海に潜って一緒に泳ぐしかないという。3時間後、2頭が一緒に泳いでいるのを発見。水中カメラマンの中山和明さんはこのパターンが一番近づけるという。潜ってみると母と子でした。母親は15m、子は5mでした。子の方はケインさんに近づいてきた。結局歌は取れなかった。歌を歌うのは大人のオスだけらしい。
 2日目、歌を歌うのを見つけるには、海の中の音を探るのがいいという。クジラの歌声は50km先まで届くという。マイクを海中に入れると音を捉えた。10kmくらい先だという。天候が悪化して中止。
 3日目、船の後ろにオスが突然登場。音が出ていました。潜ってみてみると、尻尾を上、頭を下、海中で停止して歌っていました。曲には、毎年流行があるそうです。
 島に戻って、子供たちに聞かせました。

●タンザニア
 Exile のUSAさんが旅をした。世界の2500の言語が消えつつあるという。その一つがタンザニアの現地の言葉。
 セレンゲティ平原のマサイキリンの大移動を見ることができた。ヌーの150万頭の音、ハイエナが食べる音、アフリカゾウの威嚇音などが録音できました。この大平原の先に「ハッザ族 Hadza 」がいる。National Geographic に掲載されていました。彼らは太古の暮らしを守り、様々な分野で研究されている。セレンゲティから車で5時間かけて、エヤシ湖周辺にやってきた。彼らは移動しながら暮らしている。
 現地ガイドはイサさん。バオバブの木のある近くまで歩いていくと、声が聞こえてきた。彼らの生活を見せてもらった。サルの尻尾を頭に巻いてくれました。ハッザ族は30人くらいで1つの集団を作って生活している。年月や日の感覚がなく、自分の年齢も知らない。狩で獲物を採り、みんなで分け合って食べる。獲物がいなくなると、次の場所を求めて移動する。これを数千年続けている。世界で最も神秘的な言語といわれ、文章の間に「舌打ち(クリック音)」が入る。かつて1万人いたハッザの人々は、今は数百人にまで減少している。
 USA を歓迎する儀式が始まった。みんなで輪になって踊りました。彼らはUSA さんは踊りがうまいから一緒に住めと言われました。
 翌朝、弓矢を一緒に作る。狩に出かけましたが、獲物が減っていてなかなか見つからない。50m先の鳥を彼らは射止めました。
 闇夜に行なう儀式で、歌で先祖と会話をする「エペメ」というものがある。これを見学した。口笛と鈴で儀式が始まった。男性に舞い降りた先祖の霊に、女性が歌いかけた。
 翌朝、「ヌベア(ありがとう)」と言ってお別れしました。

●アルゼンチン
 元宝塚歌劇団の倉田亜味さんが旅をした。ブエノスアイレスからパタゴニアのエルカラファテまで2700kmを飛んだ。地球上で最も南極に近い最果ての地。風が強い。
 世界一美しい氷河というペリトモレノ氷河がある「ロス・グラシアレス国立公園」。国立公園のレンジャーのマルティン・シャジャさんが案内。アンデス山脈から続くペリトモレノ氷河は30km以上の長さ。水面からの高さは60m。地上20階建のビルに相当する。氷河は動いていて、その時に音を出す。
 氷河の上を歩きました。ガイドはロサーナ・レチェクさん。氷河の上に湖がありました。この氷河は不純物がなくてとてもきれいなので、青の光だけを反射するという。シュワシュワ、パチパチ音がするのは、氷河の氷が解ける音で、中に閉じ込められた空気がはじける音です。
 下流の方に歩いていくと、ムーランと呼ばれる氷河に点在する縦穴があった。そこは深い青色で、ゴーッという滝の音がしていた。
 さらに下流に行くと、セラックと呼ばれる氷の柱が多く見られるようになった。崩落前の最後の姿でもある。ここで船に乗り換えて近づいた。氷河までは200mまで近づくことができる。小さな崩落を繰り返し、大きな崩落になる。2時間後、500m先で、3時間後に1km先で崩落がありました。6時間後、また1km先で崩落。7時間後、狙っていた部分が崩落しました。雷が落ちたような音でした。

●ボレロ
 ボレロの地球オーケストラ・バージョンを担当したのは、作曲家指揮者の青島広志さん。ボレロは同じリズムが126回繰り返される。ザトウクジラの音は最後にでてくるトロンボーンの部分に似ているという。サウンドを構成するのは、`島邦明さん。80種類の音が集まりました。


テレビ番組「探検ロマン世界遺産 イグアスの滝」

 2009年2月28日放送。太田雅英アナウンサーが案内。

●イグアスの滝
 大地の裂け目に吸い込まれそうな水。轟音を上げる滝の数々。滝のまわりに広がる森は、アマゾンとは異なる自然が息づいている。満月の夜、神秘的な虹がかかるという。
 ナイアガラの滝、ビクトリアの滝と並び世界三大瀑布の一つ。中でもイグアスは滝が2.7kmにも渡って連なり、世界最大といわれる。滝はブラジルとアルゼンチンの国境のイグアス川で、パラナ川の支流。滝のまわりは国立公園となっている。「イ・グアス」とは先住民の言葉で「大きな(グアス)水(イ)」という意味。
 ブラジル南部のフォス・ド・イグアス。滝への玄関口として栄える町。1月は南半球は真夏。市場に行く。カステルは小麦粉から作った皮でチーズや肉を包んで揚げたもの。ブラジルの人は朝ご飯によく食べるそうです。美味しいそうです。ジャガーの操り人形もある。
 20km離れた滝に向かう。10km行くと、右の方にイグアスの滝の水煙が見える。密林の中に水煙が見える。スケールの大きさがわかる。森を抜けて歩いて滝の中心に近づく。川の上にある橋まで来ると、巨大な滝が目に飛び込んできた。響き渡る大音響。圧倒的な水のエネルギー。高さ80mの崖から巨大な滝がいくつも流れ落ちている。まさに絵に描いたような大パノラマ。崖の下の虹もすごい。イグアスでは、1日中虹が見える。滝の奥にあるのが、イグアスでも最も大きな滝。直径150mほどの巨大な滝壷。水は大地をゆるがす音を轟かせ、滝壷に吸い込まれていく。全てを飲み込むようなその姿から、この滝は「悪魔の喉笛」と名づけられている。

 広大な平野を流れるイグアス川に突然現われるイグアスの滝。2.7kmの長さに300近い滝がある。水の量は毎秒1700トン。真っ平な平野の真中にどうしてこういう滝ができたのか?
 今から1億年近く前、地下から吹き出た大量のマグマがこのあたりを覆い、広大な平野ができた。その上を流れるパラナ川は川底を削り、深くなった。そこに支流のイグアス川が流れこみ、段差が滝になった。滝は川の上流に移動している。現在は合流点から23km上流に滝がある。今も滝は1年に数mmから2cmほど後退している。これは1億年にも及ぶ大地の営みと、水の力が生み出した造形だった。

 イグアス川に出てボートで滝の下側に向かう。案内してくれるのは、アルゼンチンのイグアス国立公園のレンジャーのオマル・カネーテさん。ボートは結構早い。上から見るのとは全く違う。滝の下に突入しました。大雨の中にいるようで、何も見えない。水が痛い!真下に行ったつもりですが、実は少ししか近づいていません。強い風に乗って水が横殴りに降る。ずぶ濡れになりました。オマルさんが満月の日には夜にも虹が出ることを教えてくれた。
 上流で雨が多く降る1月。滝の量は1年でピークを迎える。全てを拒む圧倒的な水の壁。と思って観ていると、何かが滝に飛び込んだ。オオムジアマツバメの群れが竜巻みたいにぐるぐる回りながら飛んでいる。滝の中へ次々と飛び込んでいく。滝の裏にはアマツバメが壁にすがりついていました。天敵のワシやトカゲから巣を守るために、敵が入って来にくい滝の裏側に巣を作っていた。

 この国立公園の広さは東京都とほぼ同じ面積。ここに多くの種類の生き物がいるのが世界遺産になった一つの理由。哺乳類だけで68種類いる。ブラジルのイグアス国立公園の生物学者アオポローニョ・ロドリゲスさんに案内してもらった。この森は人の立ち入りが厳しく制限されている。滝から10km奥に入る。大西洋岸森林と呼ばれる森。アマゾンと並ぶ生き物の宝庫。亜熱帯のものを中心に2000種類の植物がある。木の上にランが咲いていた。ブラッサボラ・ツバルクラタはカトレアの遠い仲間。藪の中に全体が黒で青い羽と黄緑色のお腹の鳥、ルリサンジャクがいた。アポローニョさんが、体重50kgくらいのピューマの足跡を見つけた。ピューマはネコの仲間で体長2mにもなる大型肉食獣。大きいものは70kgにもなるとか。この国立公園に70頭ほど住んでいるという。ジャガーなどのネコ科の猛獣が6種類いる。各々の猛獣の取る獲物は少しずつ違う。いずれも森にたくさんいる。高い木の上に巨大な黄色いクチバシのオニオオハシがいた。体長50cmで3分の1がクチバシ。ブラジルの国鳥として親しまれている。ムナグロマンゴーハチドリが飛んできた。体長7cm。花の蜜で生きる世界で最も小さな鳥の仲間。中南米に住むアライグマの仲間アカハナグマの親子がいた。フサオマキザルが2頭いました。有袋類のシロミミオポッサムがいた。オーストラリア以外には世界でここだけの有袋類。袋の中には子供がたくさん入っていた。一度に15匹も生むので、袋は満員。一年に何度も生むそうです。

 大西洋岸森林は元の7%にまで減ってきている。わずかに残った森もそれぞれ孤立している。広大に見えるイグアス国立公園も周囲は大豆畑。ジャガーやピューマなどの大きな動物には狭すぎる状態になっている。近親交配が進み、ジャガーなどの肉食動物は減っている。このままでは動物たちのバランスが崩れてしまう。現在、ある壮大なプロジェクトが動きだした。
 アポローニョさんが大豆畑の真中に連れて来てくれた。細長い森の部分が緑の回廊で、他の森とつないでいる。動物たちが森から森へ行き来できるようにし、より広い住処を確保するようにしようという考え。3年前に20万本の木が植えられた。これはブラジルでは初めての試みだった。
 植物の種も運ばれてきており、この3年だけでも素晴らしい成果があがってきている。今では大西洋岸森林の回廊を作る計画が国を挙げて行なわれようとしている。

 滝の近くに先住民グアラニ族の村があるので行ってみた。ブラジル中部に暮す先住民族で、現在の人口は8万人ほど。16世紀以降ヨーロッパ人と接触してきたが、自分たちの言葉や文化をひたすら守ってきた。村の若者が案内してくれた。森は生活に使う様々な物を与えてくれるという。村人は日々、神々の祈りを欠かさない。その儀式に参加することを特別に許してもらった。水を司る神の名前はクパ。
 グアラニ族の祈祷師のロゼンド・モレイラさんに話を聞いた。滝は私たちの先祖のような存在だという。満月の夜の滝には、動物や魚や神様たちがいろいろ集まる。神聖な夜。虹を見たら近くに神様がいる印と考える。グアラニ族はそっとしておくという。
 満月の日。少しでも陰りがあると虹はでないという。待つこと3時間。陰りがなくなり、虹が出ました。淡い色合い。ほんのりと浮かんでいた。神々が集う神聖な夜にふさわしい神々しさ。


テレビ番組「THE 世界遺産 アルゼンチンのロス・グラシアレス」

 2009年2月1日放送。最初の10分はビデオが不調で欠落。

●ロス・グラシアレス国立公園
 南極、グリーンランドに次ぐ規模を誇る氷河地帯・パタゴニアは、南米最南端の地。ロス・グラシアレス国立公園は、チリと国境を接するアルゼンチン側にある。「ペリト・モレノ氷河」は、活発な動きを見せる世界でも珍しい氷河で、「生きている氷河」とも呼ばれ、1日2mずつせり出し、轟音と共に崩落する。

 氷河の崩落は類稀なる自然のスペクタクル。古くから「巨人のいたずら」と言われた氷河の崩落は、人間のスケールをはるかに越えた大自然のドラマが繰り広げられている。神秘的な美しさ。このあたりの氷河は「青き氷河」と言われるほど、氷の青さが際立っている。普通に積もった雪が氷になると、空気の泡をたくさん含むために、光が散乱して白く見える。パタゴニアでは冬の最低気温が高いため、降った雪は溶けたり凍ったりを繰り返す。そのために気泡が少ない氷になる。不純物が少なく、気泡の少ない氷が青く輝く理由。
 崩落した氷は漂ううちに変化し氷の彫刻となる。パタゴニアの強風が吹きぬけるので、穴があき、穴は次第に大きくなる。

 氷河も大地に造形を施す。地面を削りながら滑り落ちていく氷河。通り過ぎるとヤスリで磨かれたような岩肌が現れる。そこには太古の記憶が残されていた。アンモナイトの化石。氷河に覆われるはるか昔、ここは海の底だった。
 やがて人類の足跡が刻まれていく。エル・チャルテン、フィッツ・ロイ山、ラ・レオナなど。  この地は恐竜たちの王国だった時代もあった。21世紀に入って発掘された恐竜ティタノサウルス類の化石がある。ここには過去の記憶がまだまだうずもれている。
 未知の世界が広がるパタゴニアは、100年前までは不毛の地として、あまり省みられることがなかった。「アルゼンチン国立公園管理局」。
 フランシスコ・パスカシオ・モレノは、若い頃から探検し続け、調査した。自ら私財をなげうち、博物館を作り、集めたものを教育に使った。彼の遺産は後にアルゼンチンとチリの国境問題の解決にも利用された。彼には報償として広大な土地が与えられた。しかし、その土地が国立公園になることを願い返還した。そして自然の大切さを訴えた。彼は人々から忘れ去られ、貧困のうちに亡くなった。
 死後、彼の業績は再評価され、氷河はペリト・モレノと名づけられた。


テレビ番組「鶴田真由 南米パタゴニア大紀行」

 2008年12月21日放送。鶴田真由さんが案内。吉村作治さんが解説。アルゼンチンのペリト・モレノ氷河は高さ100mにも達する大氷河。南極に最も近いビーグル水道にはオタリアが生息する。マゼラン・ペンギンもいる。パタゴニアは風も強い。ところが、今年7月ペリト・モレノ氷河が大崩落。氷河学者のペドロ・スパルカさんはここ10年間だけでも氷河の後退プロセスはかなり進行しているという。世界各地で続く異常気象。RKB毎日放送制作。

●ブエノスアイレス
 ブエノスアイレスは人口278万人が暮らす大都市。19世紀後半から20世紀にかけて、ヨーロッパから渡ってきた移民は建物から文化にいたるまで、この町をヨーロッパ風に作りあげた。そのため今でも南米のパリと呼ばれる。アルゼンチンは日本の7.5倍の広さ。国が南北に長いため、気候などが全く異なり、変化に富んでいる。パタゴニアは南部にあり、アルゼンチンとチリの両国にまたがる地域。
 アルゼンチン・タンゴは1880年頃、移民たちがひしめく港町の酒場で生まれたとされる。男たちがフラストレーションのはけ口として荒々しく踊ったのが始まりという。
 カミニートは小道という意味で、昔は鉄道があったが、今は野外エキシビションのコーナーとなっている。音楽が流れると自然と踊りが始まる。

●ロス・グラシアレス氷河国立公園
 アルゼンチンのパタゴニアを代表する世界自然遺産。ウプサラ大氷河をはじめ、50余りの氷河が2つの湖に流れこんでいる。全長50kmにも続く氷の大陸や、高さ100mを越えてそそり立つ氷河。中でも優美な姿で知られるのがペリト・モレノ氷河。

 ペリト・モレノ氷河は全長35km、幅5km。パタゴニアの氷河の中で1,2を争う美しさで、見る者を圧倒する。氷河の先端を横から見る施設ができている。透明度が高いので、青い光だけを反射するので青く見える。地鳴りとともに起こる氷河の崩落は主に夏場に起こる。氷河クルーズでの迫力あるシーンは観光のハイライト。運がよければ観光船からも真近で見ることができる。アンデス山脈にぶつかった風が大量の雪を降らせ、その降り積もった雪が解けずに圧縮されたのがパタゴニアの大氷河。流氷は形は様々。円形の穴のあいているものもある。
 氷河学者のペドロ・スバルカさんの案内で氷河トレッキングに参加し、説明を聞いた。スミベイロは深い穴に水が流れこむ音がする。フランス語で「古い水車」の意味。
 今年7月の大崩落は地球温暖化だけの影響とはいえないという。この氷河は他とは違ってとてもバランスがよい。この氷河は年々拡張していて、崩落するのは、氷が拡張し、ダムのように堰止められて、水位が増すため、その圧力で崩壊する。
 ウプサラ氷河は20年間で、6km後退した。ペドロ先生はパタゴニアの氷河を通じて、今の地球の健康状態がわかるという。7月にウプサラ氷河でも大崩落があった。黒っぽいものはモレーナという。氷河はまわりの岩などを取り込みながら後退するが、モレーナはその跡。それでわかるのは、1万年以上前までは、ウプサラ氷河はこの近くまであったということ。ペドロさんは氷河の後退は自然が我々に送っているサインだと感じている。この美しい自然と孫の時代などに伝えていかないといけないと言う。

●フエゴ島ウシュアイア
 世界最南端、飛行機で到着。ティエラ・デル・フエゴ国立公園の入口。午後8時で明るくて賑わっている。後ろには雪のアンデス山脈(マルティアル山脈)がある。
 ウシュアイア観光案内所で世界最南端にきたという証明書を出してくれる。
 25年前にブエノスアイレスから移住してきたマリア・ルスさんに話を聞いた。25年前はとても寒くて1mくらい雪が積もっていた。昔は山の雪も10月を過ぎて溶け始め、今の時期はほとんど雪で覆われていた。しかし今は雪は見えるが、マリアさんたちにとってはほとんど溶けているのと同じイメージ。町の人も増えたし、今後が心配だという。

 地球温暖化を防ぐにはCO2を削減すること。
 平均の風速は毎秒7m。中心部では10mを越えるところもある。昔から「風の大地」と呼ばれている。

 北に向かう。アンデスコンドルがいる。南極ブナは風のために傾いている。その形状から「フラッグ・トゥリー」と言われる。

●サルミエント化石の森自然公園
 「サルミエント化石の森自然公園」は6500年前は緑豊かな森だった。火山の噴火で灰に埋もれ、全ての生き物が死に絶えた。風は倒れた木々を風化させた。今は化石の森が広がるばかり。
 野性のグアナコがいる。1万年前から生息する草食動物。

●リオ・ピントゥラス渓谷
 近くの町から車で2時間。さらに歩いて渓谷の奥に向かう。切りたった岩山には厳しい自然環境の中で人々が暮らしていたことを知らせる貴重な遺跡がある。世界遺産「手の洞窟」。マルセロ・アロチスさんが説明してくれました。ここには829の手の跡があり、39は右手、残りは左手だという。これを描いたのは、プレ・テルウェルチェの人々。9000年以上も前に人々が暮らしていたことを私達に教えてくれる貴重な遺産といえる。色彩の原料は火山から取れるミネラル分と石灰、水を混ぜたもの。口に含み、グアナコの骨をストロー代わりにして手に吹き付けて描いたものと思われる。狩猟民族だったので、居場所は変えているが、冬はここに住んでいた。30人くらいの一家族が住んでいた。日差しのある北側に住んだ。

●風力発電
 走る車の6割が天然ガス車で、普及率は世界屈指。元々石油や天然ガスに恵まれた国。その豊かなエネルギー資源により国が発展してきた。
 最近風力発電が注目されている。最近火力発電から風力発電に変えたところ、2.7万トンものCO2削減に成功した。風車1台で1時間に600KW。コモドロリバダビア市6万世帯の電力の3分の1を風力でまかなっている。今は18基だが、まもなく26基となる。カーボン・オフセットとして日本はアルゼンチンと取引をしている。
 ピコ・トルンカド市には大きな恐竜があるが、ドラム缶などの廃材でできている。プリダ・ザウルスという。アルゼンチン水素研究所では風力発電で得たエネルギーを水素エネルギーに変換している。水素エネルギー協会会長のファン・カルロス・ボルシッチさんが説明してくれました。日本とも協力している。
 計画では2013年までに600万KWのウインド・ファームを設置し、将来70万〜100万基の風力発電機を作り、2030年には液体水素を日本に運ぶ。

●日本
 2008年10月福岡で水素エネルギー先端技術展2008が開催された。40余りの企業や研究機関が発表した。水素自動車の試乗会も行なわれた。水素で電気を発生されるので静か。究極のエコカーといえる。
 福岡では福岡水素エネルギー戦略会議を設立している。水素エネルギーを使った一般家庭での実証実験も始めた。

●パタゴニア
 ニャンドゥー、グアナコ、パタゴニアうさぎ、パタゴニアきつね、スカンク、アルマジロらの動物がいる。
 エル・ブルマには電気もガスもないのにポツンと食堂がある。イレーネ・ペレスさんが経営。お得意は「肉と野菜のシチュー」、「じゃがいもとカボチャの煮物」。薪で炊き、水は山の湧き水、灯りは自家発電。

●ウシュアイア
 船でビーグル水道に向かう。1000km向こうは南極。ここから野性動物の生態を間近で見ることができる。たくさんのオタリアとウミウ。オタリアはオスが1頭であとはメス。

●カマロネス
 大西洋に面した場所。アルゼンチン屈指のカポ・ドス・パイア・ペンギン・コロニーがある。エクトル・カシンさんが説明してくれました。ペンギンはこの地域に来て卵を産み、卵を40日間暖める。30年前から政府が保護区を設け、今は5万羽のペンギンがのどかな楽園を形成している。温暖化の影響としては、餌をとりやすい南に分布したり、今までより遠くに漁をしに行くようになった。オスとメスがつがいで交代で漁に出たり卵を守ったりしている。

●パタゴニア・ステップ
 パタゴニア・ステップと呼ばれる平原はアルゼンチンの20%。ここで羊や牛の放牧を行なっているのがガウチョと呼ばれるカウボーイ。ホセ・レイモンド・ワイキンさんに話を聞いた。
 途中で見つけたダニエル・アルベルト・ピニェロさんの牧場を訪問した。小さい牧場で300頭の羊と170頭の牛。大きな牧場だと6000−8000頭の羊を飼うそうです。

 こういう環境を守ることが大事です。今ほど地球に負担をかけている時代はない。


テレビ番組「知っとこ!世界の朝ごはん ウルグアイのモンテビデオ」

 2008年12月6日放送。

●モンテビデオ
 飛行機で23時間かかる。人口130万人でウルグアイの半分の人が住む。約300年前にスペイン系の人々が築いた。今でも当時の建物がたくさん残っていて、ヨーロッパ風。街路樹が多いのも特徴。真夏の日差しが和らいでいる。
 歩いている人は魔法瓶とコップを持っている人がとても多い。これはマテ茶。専用のコップにマテ茶を淵まで入れ、魔法瓶のお湯を入れ、茶こし付きのストローで飲む。少し苦味がある。緑茶と比べてカルシウムやビタミンなどのミネラルが多く、「飲むサラダ」と呼ばれている。親しい人と回し飲みすることで、親愛の気持ちを伝え合う道具としても使われる。最近、自動販売機「Mate Amigo」が登場。お湯が出るだけです。
 市場を改装したという「メルカド・デル・プエルト Mercado del Puerto 」はフードコートになっている。肉の店が多いが、アサードという料理。アサードは、モツやスペアリブなど数種類の肉を盛り合わせた名物料理。鍋の下には炭火が入っていて、最後まで冷めずに美味しく食べられる。2人分350ペソ(1750円)ですが、すごいボリュームです。中にはチーズが入った豚肉というのもある。
 ラミレス・ビーチ Rambla de Ramirez は町のすぐ近くにあるビーチ。ところが目の前は海ではなくラプラタ川。川幅は約200kmで、対岸はアルゼンチンです。
 日本が大好きなアルバロ・ダルマスさん(24歳)が紹介してくれたのは、人気のスイーツの店「Il Mondo della Pizza 」。2人がかりで運んできたのは、大きなパフェ「コパ・メルバ」205ペソ(1000円)。高さ30cm以上、数種類のフルーツに数種類のアイスをのせてある。これをウエハースで固定してある。アイスは5段。その側を生クリームでコーティングし、フルーツをトッピングしてある。この店が発祥地。
 町の中を黒い服を着て足袋を履いた人たちがいる。中では格闘技の練習をしている。忍術の道場ですが、最近とても人気とか。生徒は30人。

 新婚さんの朝ごはん。住宅街の一軒屋に住むルシア・ロペスさん(25歳)が作るのは、1品目「トマト・レジェーノ(トマトのサラダ)」。トマトを丁寧にくりぬいて水気を取る。中身、オリーブ、ハムを細かく刻んでボウルに入れ、バジルの葉とコーンを入れ、茹でたお米を加える。塩とマヨネーズで味をつけ、トマトの器に盛り付ける。
 2品目は伝統料理「チビート Chivito 」。牛肉は塩で下味をつけ、フライパンで焼く。同時にベーコンもフライパンで焼き、さらにチーズを巻いたハムをのせて一緒に焼く。これをパンの上にのせて、目玉焼きや野菜をのせて完成。
 3品目「サルチチョン・デ・チョコラテ Salchichon do chocolate (チョコアイス)」。クラッカーを細かくしボウルに入れ、ココアパウダーと砂糖を加え、卵、溶かしたバターも加えて少量のバニラエッセンスで風味をつけ、よく混ぜたら、ラップにのせ形を整えながら密封し、アルミホイルにくるんで冷凍庫に入れる。1時間冷やして固めたら、完成。


テレビ番組「知っとこ!世界の朝ごはん ブエノスアイレス」

 2008年11月22日放送。アメリカ経由で22時間の旅。

●ブエノスアイレス
 南米のパリと呼ばれる町。これから夏本番を迎える。人口300万人。日中の気温は既に30度を越えている。街中でタンゴを踊っている人がいる。家の壁にはいろいろな絵が描いてある。フィレテアドという伝統のアートらしい。元々はタンゴの俳優のポスターに描かれていたもの。フィレテアド教室もたくさんある。
 タンゴ専用のシューズを売っているお店があった。女性がきれいに見えるように、ヒールが高くてエレガントなのが特徴。この店は奥に工房があって、靴を作っている。アコーディオンで演奏している人おいるが、靴にタンゴを聞かせると踊りだすという伝説があるから、聞かせているようです。
 人が多く集まる屋台「Carrito?」がある。名物のチョリパンを売っている。大きなソーセージを半分に切って、炭火で焼く。チョリがソーセージの意味。あとはにんにく、パセリの入ったソースを自分でかけて、野菜をトッピングしたら完成。1個5ペソ(150円)。
 ジョナタン・ゴクが紹介してくれたのは、寿司の店。「入船」、「札幌」、「たまえ」、「外人」、「モシモシ」、「オオサカ」などいろいろ。寿司バーと呼ばれ高級感があるそうです。

 ボカは一番人気がある観光地。街全体がカラフルだから。昔、住民たちが家の壁を鮮やかに塗ったのを人が見にきて観光名所になったという。
 新しい観光名所は「パラカス」。暗い街だったので、マリーノ・サンタ・マリアさんが明るい絵を次々描いているらしい。最初は反対する人もいたが、街が明るくなるにつれて、みんなが協力するようになったそうです。

 新婚さんの朝ごはん。新聞記者のルシアナ・デ・ルカ?さん(30歳)が作るのは1品目「エンパナータ」。たまねぎ、パプリカなどを細かく刻みフライパンで炒める。牛のミンチをたっぷり入れ、パプリカ、ハーブなどの入った香辛料ミックスと塩胡椒でじっかり味をつけ、もうしばらく炒める。肉に火が通ったら、干しぶどう、オリーブ、刻んだゆで卵を入れ、軽く混ぜて少し冷ます。これを餃子の皮のような専用の生地「エンパナータ」に包み、表面に卵を塗り、オーブンで20分焼く。
 2品目「ミラネサ」。薄切りの牛肉を叩いて、にんにく、パセリ、塩で味付けした卵に浸し、パン粉をつけ、たっぷりの油でしっかり揚げる。
 3品目「チョコクッキーのケーキ」。クリームチーズに「ドルセ・デ・レーチェ」という牛乳と砂糖を混ぜたキャラメルのような甘いクリームをしっかり混ぜる。コーヒーに浸したチョコクッキーを器に並べ、その上に先ほどのクリームを敷き詰める。この作業を繰り返し、イチゴをのせて冷蔵庫で冷やす。


テレビ番組「にじいろジーン 世界ぐるぐるジーン ブエノスアイレス」

 2008年7月26日放送。コンチネンタル航空でいきました。

●ブエノスアイレス
 アルゼンチンの首都。独立記念日にちなんで名づけられた7月9日大通りは最大で20車線。道幅140mを誇る。南米のパリとも言われている。港町にカラフルな建物が並ぶカミニートは数多くの観光客が訪れる人気のスポット。名物はストリート・タンゴ。
 市内の高級住宅街の3階建に住むイサベル・カルカバロさん(44歳)は、3男2女の7人家族。7LDK350平方m。入れたてのマテ茶を入れてくれた。用意してくれた人が最初に飲んで、振舞われる人が飲む。一つのストローを使ってマテ茶を回し飲みするのは友情の証し。ビタミンとミネラルが多く、飲むサラダといわれている。
 アルゼンチンでは朝食は軽くすませることが多い。パンやクラッカーに「ドゥルセ・デ・レーチェ」というミルク・キャラメルを塗って食べる。

 日曜日、車で大草原を1時間走ると、奥さんが経営する牧場がある。家族で乗馬を楽しむ。カウボーイ(ガウチョ)の人がすごい技を見せてくれました。馬をあお向けに寝させることもできました。今はガウチョという言葉は英雄という意味をこめて、男性を誉める時に使われているそうです。
 みんなでタンゴのレッスン。

 郊外にある「ルハン動物園」には、南米特有の可愛い動物たちがいっぱい。園内にいる全ての動物たちに触れ合うことができる。セイウチなど。ライオンの檻にも入れて、触れる。特別に調教されているためらしい。事故は一度もないそうです。
 お肉屋さん「Carniceria Granja」(tel:4742-5332)に行く。牛肉のリブロースは1kg600円(日本は9600円)ととても安い。牛の数が人口の3杯以上いるかららしい。国民一人あたりの牛肉消費量は世界一。
 家ではバーベキュー用のパリージャに火を起こしてバーベキュー。牛肉に塩をふりかけ下味をつける。今日はアルゼンチン式バーベキュー「アサード」。
 アルゼンチンでは昔から銀こそが最高の価値をもつ物とされている。


テレビ番組「The 世界遺産 イグアスの滝」

 2008年4月6日放送。

●イグアスの滝
 先住民たちは「大いなる水」イグアスと呼んだ。ブラジルとアルゼンチンの国境にまたがっている。今回はアルゼンチン側から訪ねてみる。首都ブエノスアイレスの北1000km、プエルト・イグアス空港からアクセス。
 滝へはエコ・トレインで向かう。環境を守るために天然ガスで走っている。駅を降りるとそこは滝に向かう遊歩道の入口。「Garganta del Diablo 」と書いてあります。まず下が金網の橋を渡る。体長2mのクチヒロカイマンというワニがいました。「悪魔ののど笛」の展望台に到着。すさまじい水しぶき。落差80mは25階のビルと同じ。世界一といわれる水量が落下する。大小さまざまの滝が275、3kmに渡る。国境は滝の真中で、ブラジルからもアルゼンチンからも滝を眺めることができる。2つの国にまたがっているので、世界遺産の登録も2つ。アルゼンチン側が1984年、ブラジル側は1986年。いずれも位置づけは自然遺産。年間200万人が訪れるという。ボートに乗るともっと体感できます。
 滝のはじまりは、イグアス川がパラナ川に注ぎこむところで起こった。1億年の昔。パラナ川は洪水のたびに流れを変えた。ある時もろい場所を通過し、川底は削られ、見る間に谷になった。ここに滝が生まれた。滝は侵食され上流に移動した。その距離28km。いまだに年間2cmほど移動し続けているという。
 水しぶきの果たしている役割も重要。煙のように周辺に広がり、照りつける太陽が水しぶきを照らし雲ができる。これが周辺の森を潤す。森に多種多様な植物を根づかせた。動物たちにとっても楽園。フサオマキザル、ネズミの仲間カピバラ。蝶の宝庫でもあい、ウラモジタテハ、ミスジ○ルド・タテハ、セナ・オオキチョウなど250種以上の新種が見つかっている。鳥も400種あまり。アオビタイ エメラルド ハチドリ。ブラジルの国鳥のオニ オオハシはずいぶん大きなくちばし。アオハシヒムネ オオハシ、チャミミ チュウハシ、メジロメキシコ インコ、オオムジアマツバメなどがいる。14種の絶滅危惧種が確認されている。カオグロ ナキシャグケイはアルゼンチン全土に40羽しかいないという。

 この楽園に危険が迫っている。その原因は人間にある。イグアスの先住民グアラニーの人々が暮す村イリヤプ Yryapu は水の音という意味。村の祈祷師のハビン・ベニデスさんは「森には大切な生き物ジャガーがいる。神が降り立つ前に世界に君臨していたのはジャガーである。最近森からジャガーの姿がめっきり減った。」と言う。密漁で毛皮は高い値段で取引されている。また家畜を襲うジャガーを農場主が殺してしまう。面積2200平方kmにジャガーは現在30頭。ジャガーを追跡している公園スタッフのアポローニョ・ロドリゲスさんと共に森の中に入ってみた。これくらいの広さの公園だと100頭以上いないと絶滅が危ぶまれるという。カメラを設置している。ジャガーがいなくなると50年で森が消えるとも言われている。食物連鎖の頂点に立っているので、生態系が崩れるため。鹿やカピバラが増えて植物の新芽などを食べつくすと森が枯れるという。そこで今は公園の回りに緩衝地帯を作ろうという動きもある。
 滝そのものにも異常事態が起きている。この水がなくなったことがある。2006年。原因はイグアス河上流を襲った大干ばつだった。また2000年10月には大増水も起こった。


テレビ番組「世界夢紀行 日本の裏側 遥かなるアルゼンチン紀行」

 2008年4月4日放送。380万平方kmで南米ではブラジルに次ぐ大きさ。日本との時差は12時間。人口の97%がヨーロッパからの移民で、スペインからが多くて、スペイン語が公用語。

●ブエノスアイレス
 48の地区からなり、南米のパリと呼ばれてきた。モンセラート地区にある5月広場は鳩が飛び交う美しい広場。1536年スペインからの入植者たちを中心に五月広場を中心にブエノスアイレスは発展していった。広場に面して歴史的建造物が多い。1725年建造のカビルドはスペイン統治時代は行政機関、独立後は市議会として使われていた。大聖堂は18世紀中頃から建造され、1827年に完成した。正面右側の焔は完成当時から燃えていると言われる。五月広場で一番目立つのはピンク色の大統領府カサ・ロサーダ。映画やミュージカルにもなったレオン大統領の妻エビータが大統領府で演説した時に、それを聞くために10万人以上が五月広場に集まったという。
 五月広場はいろいろなイベントが開催される。この日は1920年代〜30年代に使われたカラフルな荷馬車のパレード。当時の衣装を着た人も登場。
 ネオ・クラシック様式の「カフェ・トルトーニ」は1858年に作られた市内で最も古いカフェ。当時は男性だけしか入れなかった。

 サン・ニコラス地区で五月広場から見えるのは高さ67mのオベリスコ。この塔は1936年にブエノスアイレスの市政400周年で建てられたもので市のシンボルとなっている。両側は7月9日大通りで、独立記念日にちなんで名付けられた。幅は144mで世界一広い通りと言われる。

 レティーロ地区にあるサン・マルティン広場は美しい公園で、地元の人の憩いの場。広場に面しているのは、ブエノスアイレスで最も有名なショッピング街「フロリダ通り」。ブティック、レストラン、カフェなど600店舗が1kmの通りに並ぶ。お土産にいいものを紹介すると、ラテン語で銀を意味するアルフェンタム Argentum は国の語源。フレンケル Frenkel's は皮製品の店。16世紀頃から皮製品を輸出している。歴史もありオリジナリティあふれる品が多い。店には日本語ができる店員が応対している。「アートベトルス」はアルゼンチンにしかないロードクロシータという鮮やかなピンク色の石を使っている物を扱うお店。これは「インカのバラ」と呼ばれている。ペンダント、イヤリング、彫刻品などがある。この店でも日本語ができる店員がいる。人気の小さなお店は花屋。アルゼンチンの人々にとって花は欠かせない。

 サン・テルモ地区はノスタルジックな雰囲気。青く輝く石畳。小編成のオーケストラによるタンゴの演奏を気軽に聞ける。バンドネオンは19世紀ドイツで生まれたアコーディオンの一種。その悲しげな音色はタンゴには欠かせない。大道芸人によるパフォーマンスも見られる。突然現われるのがドレーゴ広場の骨董市。毎週日曜日に開かれ、露店が迷路のよう。店舗数は広場だけで250軒。アルゼンチンでは週末にはこのような市が催される。露店は市の許可を得ていて、品物の表示価格も事前に決められている。売られているものは食器類が中心。アンティークなアクセサリー、おもちゃ、空き瓶、がらくたなど。エジソンのサイン入り蓄音機は1960ドル。1930年代の蓄音機は230ドル。

 ボカ地区はタンゴが生まれた場所で最も人気がある。昔はブエノスアイレスの玄関として栄えた港町。カラフルな建物は上からイタリア、アルゼンチン、スペインの国旗を表していた。カミニートは小道の意味で、タンゴの名曲にちなんでつけられた。タンゴが生まれたのは1880年頃。当時はイタリア、スペイン系を中心としたヨーロッパからの移民、内陸からの移住者、アフリカからの移民など様々な人種であふれていた。そのような中でタンゴが生まれた。カミニートに面した建物はカラフルだが、船に使ったペンキの残りを使用している。廃材を利用した建物も多い。週末には画家の卵たちが自分の作品を展示している。ダンスなどのパフォーマンスも見ることができる。食事をしながらダンスを見ることができるレストランもある。

 レコレータ地区は高級住宅地が並ぶ。レコレータ墓地は1882年に開設された墓地で、150m四方の墓地に6400の納骨堂があり、70あまりが国の文化財に指定されている。お墓とは思えない見事な作りです。女優から大統領夫人になったエビータもここで眠る。エビータは貧しい人々へのボランティアも精力的に行なって人気があったが、病で33歳で亡くなった。カフェテリアで一休み。ラグリマは「一粒の涙」の意味で、温めたミルクにコーヒーを一しずくだけ入れたもの。トスタードとよばれるパンはトーストにチーズやトマトなどをはさんで薄くしたもの。
 アルゼンチン風ホットドッグの屋台もある。スパイスの効いたチョリス・ソーセージをパンにはさむだけのチョリパン。

 プエルト・マデーロ地区は地元の人に大人気の新しい観光スポット。港に面して建てられたいた倉庫街をレストランなどにしたもの。港に面したテラスなどで食事ができる。
 ユニークな形をした白い橋は「女の橋」はアルゼンチン・タンゴを踊っている女性の足をイメージしたという。

 ゴージャスさではブエノスアイレス一番という「セニョール・タンゴ」。中央に円形の舞台があり、どこからでもショーを堪能できる。ショーが終るのは夜中の12時過ぎ。送迎のバスやタクシーを利用すれば足を気にせずにショーを楽しめる。
 タンゴ・ダンスを教える教室もある。「アバスト・プラザ・ホテル」はタンゴ情報発信の地。男性のガスパルさんは女性に、女性のジセラさんは男性に教えるが、ともに2003年タンゴダンス世界選手権ステージ部門優勝のカップル。

 市場に行く。農産物が豊富で、サーモンなども獲れる。牛肉も多いが、無駄な脂肪分がない。グラム単位でなくキロ単位で売られている。アルゼンチンでは肉の消費量が1人年間60kg。
 最高級レストラン「ラ・カバーニャ La Cabana」では最高の牛肉がいただける。5つのフロアに分かれている。牛肉は厳しく管理されていて、データが提供されている。味付けは塩だけ。牛肉の上にのせているのは脂身。肉質は柔らかく脂肪分が少ないので、胃にもたれないし、欧州でも人気。アルゼンチンはワインも人気で、生産は世界第五位。

●コルドバ
 ブエノスアイレスの北西700km。パンパと呼ばれる草原を越えた場所にあるアルゼンチン第二の都市。標高440mにあり、雨が少なく、年間を通して快適。学問文化の中心都市。
 サン・マルティン広場は観光客がまず訪れる場所。スペイン統治時代は中心に広場と大聖堂を作ることから街作りが始まった。広場に面しているのは、1787年に完成したネオ・ゴシック様式の大聖堂。イエズス会の宣教師たちがやって来たのは1599年。大聖堂の中には先住民たちのための褐色のキリスト像や褐色の聖母マリア像が祀られている。
 大聖堂の隣にあるのはカビルド。18世紀に建てられた市議会で、現在は歴史博物館になっている。
 広場から歩いていける距離に教会や修道院が数多く見られる。ユネスコの世界遺産に指定されている国立コルドバ大学は、1613年に開校した。建物の一部は今世紀に入って修復された。大学内の図書館には貴重な書物が収められている。1645年に編纂された10巻のバイブル。ギリシャ語、ヘブライ語、ラテン語、アラブ語などで書かれており、コルドバ以外にはパリ、ロンドン、バチカンにしかない。1609年に作られた「サンタマリア・レアル?」という賛美歌の楽譜もある。
 隣は世界遺産の「ラ・コンパーニャ・ヘスス教会」。1640年に建築されたアルゼンチン最古の教会。壁面には丸い石垣が今も残されている。教会の中が2つの空間に分かれている。赤茶色の石を積み上げた外側に比べ、内側は色彩豊かな美しい空間。スペイン人のための祈りの場だった。隣は先住民のための祈りの場で、親しみやすい聖母マリア像が祀られている。

●カルロス・パス
 コルドバの西36kmにある人口6.5万人の保養地。標高600m、サンロケ・ダム?の美しい湖に面して保養地として人気が高い。ホテル、ペンションなどの宿泊施設は350もある。カジノもある夜は人気。夏になると人口が3倍になるという。
 リフトに登ると美しい景観が見られる。

●アルタ・グラシア
 コルドバの南西36kmの保養地。世界遺産の教会や修道院もある。

●ビジャ・ヘネラル・ベルグラード
 コルドバから南西に88km、美しい湖を抜けたところにある。この地域はビールの産地として有名で、ドイツやスイスからの移民が多い。手作りソーセージなども美味しい。毎年11月にはビール祭りが行なわれる。

●リオ・セバジョス
 コルドバの北西。ここのハワード・ジョンソン・ホテルがお勧め。小高い丘の上にあり、カジノ、プール、テニスなどができる。周辺は森に囲まれていて、穏やかな時を過ごせる。

●マテ茶
 瓢箪のような容器にマテの葉を入れ、80度くらいのお湯を入れて金属製ストローで飲む。ビタミン、ミネラルが豊富で、コレステロールを輩出する働きがあり、飲むサラダと呼ばれている。グレープフルーツなどをいれて味を変えることもある。友人、家族の間で回しのみをする。

●カラファテ
 パタゴニア地方にある世界遺産ロス・グラシアレス国立公園に行く。ブエノスアイレスから飛行機で3時間半で、カラファテに到着。南極までおよそ2000kmという地。南米で3番目に大きいアルヘンティーノ湖は琵琶湖の2倍以上の面積を持ち、氷河が溶けてできた湖。湖に面したカラファテの街は氷河ツアーの起点。
 メイン・ストリートは田舎だが、レストラン、お土産物店が並ぶ。パタゴニアに住む妖精の村と呼ばれるショッピング街。店の屋根はパタゴニア地方の荒涼とした大地を表す。

●ロス・グラシアレス国立公園
 カラファテの西50km、プンタ・バンデラ港が氷河クルーズの出発地。9時半に出航し、まず北のウプサラ氷河に向かい、スペガッツィーニ氷河に向かう。アルゼンチンだけでなく、スペイン、ブラジル、アメリカなどから観光客が来ている。船内にはコーヒースタンドもある。水深は深いところで700m、平均200mの湖。水が青く見えるのは氷河が削った岩石の粒子によるもの。湖水の表面は緑、青に変化する。虹もかかっている。船の外は真冬なみの寒さ。
 氷河の数は大きなもので47。国立公園の総面積は4459平方kmで山梨県とほぼ同じ大きさ。いたるところに氷山が漂流している。青いのは流氷。圧力がかかっているので、気泡が少なく透明度が高い。そのために青い光だけを反射する。黒ずんだものは土砂を含んだもの。湖面にでているものは一部だけ。スタッフが氷を引き揚げ、オンザロックを楽しめる。
 氷河に近づくにつれて巨大な氷山となってきた。1時間でウプサラ氷河に到着。少しずつ後退しているが、596平方kmの面積でロス・グラシアレス国立公園で最大。全長60km、高さは60−80m、先端の幅は7km。クルーズ船は通常は200mまで近づく。オネリ湾にある上陸できる地点に向かう。1993年頃まで人が住んでいた場所。カラファテと呼ばれる黄色い花が咲いていた。この木には先住民のお婆さんの伝説が残されている。
 休息後、セコ氷河。ここは明らかに後退しているのがわかる。次にスペガッツィーニ氷河に向かう。ここは最大の高さを誇る。表面積は66平方km、全長25km、先端部分の幅は1.5km。高さは80−135m。船の振動以外は全くの静寂。時折、雷のような音で氷河が崩れる。

 ペリト・モレノ氷河はカラファテから陸路で向かうことができる。動物にも会えるが、珍しい植物も生育している。南極ブナには地元の人が「中国の提灯」と呼ぶ黄色い花を咲かせる植物が寄生している。リコ湾?に沿って進むと氷河が見えてくる。ここでは左半分だけが見える。正面から見渡せる展望台がある。表面積は195平方km、全長35km、先端の幅5km、高さ65m。最大の特徴は前進も後退もしない。しかし平均2m動いているので、氷河の崩落が頻繁に轟音とともに起こる。普通は2時間に1回起こる。
 全体を見るために、ツアーガイドのブレンダ・サルティソンさんの案内で歩いていく。
 クルーズ船でも近づける。湖を渡り、氷河の上を歩くトレッキングも可能。20人程度のグループで脇から氷河にのぼり、1時間ほど歩く。まずは原生林の間を抜け、氷河の横から近づく。氷の洞窟もある。氷河にじかに触れることができる。ここから氷河の上を歩くが、アイゼンを使うので、ウォーキング用のしっかりした靴は必要。クレバスがある。水が溢れ出している場所もある。氷の谷間に青い池もあった。ツアーは2ヶ月程度に1度変更されている。下山の途中で氷河を削って、オンザロックをいただいた。


テレビ番組「世界の村で発見!こんなところに日本人」

 2008年1月2日放送。久本雅美、千原ジュニア、千原せいじ、松嶋尚美、高橋英樹、YOUさんが出演。海外には日本人は100万人以上住んでいる。1000人以上住んでいる国は非常に多いが、全く住んでいない国は7つ。アメリカには37万人。

●カナダのイヌピック Inuvik
 北極圏に住む日本人。城咲仁、猫ひろしさんが訪問。バンクーバーからホワイト・ホースに飛ぶ。人口は2.5万人。北部カナダ観光の玄関口。イヌピックまでは明日の朝8時に飛ぶという。ドーソン・シティ経由で5時間半かけて到着。悪天候のためにホワイト・ホースに引き返した。さらに翌日、16席の飛行機で飛んだが、ドーソン・シティ空港止まり。ここから車で行くことにした。ユーコン川は凍結していた。ドーソン・シティは19世紀にはゴールド・ラッシュで湧いた町。冬はホテルやレストランも休業状態。スーパーで聞いてみたら、レンタカーはないという。イヌビックに住んでいるバスの運転手トム?さんの車に乗せてもらったので、1人2.3万円。700kmを車で北上した。この時期は日照時間は3時間。22時間後に北極圏の入口を示す看板を通過。午後3時に日没。27時間目、凍結したマッケンジー川に到着。気温はマイナス37度。氷の厚さは1m以上で、12月上旬から5月上旬まで川の上を通行可能。30時間後、イヌビックに到着。気温はマイナス40度。
 元々はイヌイットという先住民が暮らしていた町で、伝統と文化は息づいている。人口3500人。永久凍土の上に作られた街。スーパー?の店員は半袖でした(笑)小泉英昭さん(33歳)の家を訪ねた。マッサージ師の仕事をされています。奥さんはキャトリンさん、娘は雪さん。夕食をご馳走になった。カリブーの肉、スープ、ハム。
 午前1時、家の外で2時間待っていると、オーロラが出た。
 小泉さんのお気に入りの場所に行く。車で30分、高いところから寒寒した平原が見えました。地球の上に立っているという感じがあって、360度回りが見渡せる。

●アルゼンチンのウスアイア Ushuaia
 世界最南端に一人で住む日本人女性。堀越のりさんが旅をした。飛行機で30時間、ブエノスアイレス郊外のエセイサ国際空港に到着。この日は30度。
 ブエノスアイレスは人口272万人で、南米のパリと言われている。町中でタンゴを踊っている人がいる。一般の人はマテを飲んでいる。これは飲むサラダで、ビタミン、ミネラルが豊富で回し飲みするのが習慣。市内は昔の日本の電車が走っていました。
 飛行機で2100km南のリオ・ガジェゴスまで飛ぶ。人口7.5万人。気温は15度。夜9時でも明るい。ホテルに宿泊。朝9時、長距離バスに乗る。料金は4600円。はねる小石をガードする金網がバスに張ってある。町を出ると何もない広大な大地。グアナコというラクダの仲間が見えた。ある町でパスポートと荷物を持って降りろといわれた。実はアルゼンチンから一時チリに入り、またアルゼンチンに入るルートである。ずっと家は見えない。出発から3時間でやっと建物が見えた。フェリー乗り場からマゼラン海峡を渡って、フェゴ島に向かう。しかし人の住む気配はない。日本を出て51時間の午後0時15分島に到着した。ここからは舗装されていない道を進む。再びアルゼンチンの国境。遠くに残雪の山々、海が見えてきた。日本を出て60時間、午後9時にウスアイアに到着した。
 町を一望できる小高い丘に登る。7万人が暮らす世界最南端の町。南極からの強い風が木の形を変えている。マゼラン・ペンギンが3000頭以上、子育てのためにやってきていた。
 5分バスに乗って到着。午前11時、「上野山荘」に到着。上野綾子さん(85歳)が一人で住んでいた。上野さんが来た昭和38年は、ご主人の信隆さんと63日かけて船で来たそうです。ご主人は柄物のTシャツを作って売ったそうです。昭和57年にウスアイアに移住した。6年前にご主人が他界した。
 素泊まりで1泊660円(18ペソ?)。バックパッカーなどが利用するそうです。名物は狭いけど五右衛門風呂。セントージャという大きなカニをいただいた。カニを使った炊き込みご飯も。堀越さんがお礼にお雑煮を作った。

●ケニアのマサイ族の村
 千原せいじさんが旅をした。たった一人で暮らしている日本人女性がいる。ドバイを経由して27時間でナイロビに到着。高層ビルが建ち並ぶ。人口200万人。意外と日本語を知っている人が多い。YKKは有名?マタトゥという乗合バスで7時間で行けるという。夜は危険なので、ナイロビで1泊。
 朝8時、マタトゥに乗る。マサイ村までは料金1100円。かなりきついです。道端で手を上げている人がいると、どこでも乗せる。鶏も乗りました(笑)。マサイマラまで190km、7時間。マタトゥならマサイ・マラ国立公園の入口まで行ける。郊外は道はどんどん悪くなる。でも車の中は歌で盛り上がる。
 国立保護区の中はサファリカーに乗り換える。野生のマサイキリン、アフリカゾウ、インパラ、トッピ、水牛、ライオンがいる。500種類以上の動物たちがのびのび暮らしている。テントロッジ「キチュワ・テンボ・テント・ロッジ」に宿泊。1泊2.2万円。シャワー、水洗トイレも完備している。動物の鳴き声がしてましたが、カギはない。
 朝6時、朝日は素晴らしい。マサイの村に向かう。揺れ方はすごい。1時間でカワイ村に到着。マサイの人はマサイ・チェックの赤い布をつけている。マサイ族は牛を放牧し、糞と泥で家を作っている。ルングという道具は身を守るためのもの。みんな携帯電話を持っている。靴と靴下を履くのがブームらしい。時計もしています。村にはいくつかの集落がある。
 森を越えた8つめの集落に日本人女性がいた。滝田明日香さん(32歳)は獣医さんで、きれいな人です。イヌに予防接種をしていて、イヌの先生と呼ばれている。ペットの犬7匹と暮らしています。普通のアパートの感じです。水は雨水を専用のタンクに貯め、電気はソーラーで発電している。マサイ・マラに来るために獣医になったそうです。
 夕食はマサイの人にご馳走になった。焼き肉は羊を焼いたニャマ・チョマで、おめでたい時に食べるもの。男の人が先に食べ、残ったものは女性が食べる。滝田さんのお気に入りの場所に連れて行ってもらった。多分、グレート・リフトバレーです。滝田さんはずっとアフリカに住むそうです。


テレビ番組「びっくり法律旅行社 世界一周の旅スペシャル」

 2007年12月28日放送。児玉清、黒崎めぐみ、タカアンドトシさんが司会。井上順、麻木久仁子、高橋ジョージ、三船美佳、高田万由子、金子昇、ザ・たっちさんが出演。NHK製作。

●ニューヨーク
 条例10条−125項「公共の場での飲酒の禁止に加え、飲む目的があると思われる口の開いた容器に入ったアルコールを持ち歩くことが禁じられている。」。違反した場合は最高25ドルの罰金。
 条例24条ー218.1項「公演会場での携帯電話使用を禁止」。ミュージカルなどの劇場では切らないといけません。最高50ドルの罰金。
 スタテン島フェリーは無料で自由の女神を見ることができる。しかし、船の中などで音楽を聴いている場合、条例24条234項では「イヤフォンからの音声が5フィートを越える距離でも明白に聴こえる場合、あらゆる高速鉄道、バス、フェリー上、もしくは同輸送の手段内部での音声再生機器の使用および利用は違法とする。」。違反した場合は70−175ドルの罰金。
 樹木を傷つける行為も違反です。

●ハワイ
 ホノルルでは歩行者の事故がとても多い。Jウォークする人が多い。ミッチ・オノ巡査部長は、ハワイでは「歩行者は横断歩道以外のいかなる場所においても横断してはならない。」というハワイ州議会制定法291C−73があるという。信号が赤の場合ももちろん禁止(同291C−33)。違反した場合は130ドルの罰金。
 ビーチでは日本人が危機管理がおろそかになっている。泳ぎに行っている間に、置き引きされるケースが多いそうです。
 飲酒またはアルコールを買う場合、21歳以上の年齢に達していなくてはならない。公園(ビーチを含む)公共の遊び場、学校の運動場などでアルコール飲料を所持してはならない、というホノルル市現行制定条例第40−1.2もある。最高1000ドルの罰金または最高30日の禁固刑です。
 「ビーチではコートがない場合は、ボール遊びは禁止」だとマーカス・ランスバーグ弁護士は語る。あと子供の管理が甘いそうです。アメリカでは常に子供を監視しておかねばならない義務がある。こんな例もあったそうです。子供が寝てから夫婦でバーで飲んでいて、子供が両親がいないというのでホテル内で泣いていた。警察に連絡されて、夫婦は逮捕されたそうです。ハワイ州現行制定法第709−904では、「親保護者は子供の安全を守る必要がある。子供を残して遠くへ離れるなど、危険な目にあわせることは違法である。」。
 市長のムーウィー・ハンネマンさんが歓迎の話をしてくれました。

●アルゼンチン
 仕事おさめの日に窓から不要になった書類をばらまく。市の職員が清掃するのがたいへんだとか。

●ペルー
 黄色いパンツをはいて新年を迎えるといいというので、みんな購入する。

●香港
 弁護士の陳忠輝さん。法令第1328C章では、「公園内のベンチ及び建物内において寝そべったり、横になることは禁止」。違反すると禁固2週間、または最高2000香港ドル(3万円)の罰金。

●北京
 毎月11日を「きちんと並ぼうデー」と決めて、列を作っている。トイレも清掃員が常駐しているところもある。紙も1元(15円)で市販している。「文明北京人」というマナーブックも市販されている。
 弁護士の王さん。新しい法律ができたそうです。北京市観光条例第34条「都市の道路あるいはガードレール、電信柱、木、等に洗濯物や他の物をつるすことは禁止」とある。違反すると20−50元の罰金。
 北京市天安門広場管理条例第7条では、「北京市天安門地区管理委員会の許可がなく、自動車、自転車、人力三輪車などの進入、横断は禁止。」。違反すると20元の罰金になります。
 ガソリン・スタンドでは、携帯電話の使用が禁止されている。北京市ガソリンスタンド管理規範代73条では、「携帯電話の電波が原因で、誘発事故が起こる可能性があるため、ガソリン・スタンド内での携帯電話の使用は禁止」となっている。違反するとスタッフから注意されて、他の場所へ移動するように要請される。


テレビ番組「目指せ!世界一 ミラノvs南米のパリ」

 2007年12月1日放送。中西哲生、田中毅アナウンサー、矢吹春奈、橋本志穂さんが案内。クラブ・ワールドカップに出場するACミランとボカ・ジュニアーズの地元を取材する。日本テレビ製作。

●ミラノ
 ゴシック建築の最高傑作はドゥオモ。モンテ・ナポレオーネ通りはファッション・ストリート。「ディ・マガジーネ・アウトレット」はブランド品が格安で手に入る穴場スポット。ジョルジオ・アルマーニの服1898ユーロが799ユーロ(13万円)。フェンディのジャケットは88.8万円が21万円。グッチの男性用コートは45.2万円が20万円。

 「ホテル・プリンチペ・ディ・サヴォイヤ Hotel Principe di Savoia 」は1927年創業。ミラノ屈指の5つ星ホテル。最上階にあるセレブご用達の「クラブ10(ディエチ)」は会員制高級フィットネスクラブ。会員は100人限定(125ユーロから)。イタリアの著名人などが在籍している。ホテルの地下にはセレブ御用達の高級美容室がある。最新メイクを体験した。メークアップ2.1万円。

 ミラノのセレブが通う本格的なピザ店「プリマフィーラ」。ルチアーノ・パバロッティ、マリア・カラス、ACミランの会長ベルルスコーニ前イタリア首相ご用達の名店。水牛のモッツァレラチーズ・ピザ2100円が人気。ピザ・マルゲリータ1200円はハートの形でトマトがハート形に置いてある。注文の際に頼めば、どんなピザもハート形にしてくれる。

 ACミラン御用達の高級イタリア料理店「ジャンニーノ Giannino 」は創業100年の老舗。カカの大好物という「テナガエビとズッキーニのショート・パスタ」3200円を注文。
 「フィンガーズ」は日本、イタリア、ブラジルの料理をミックスさせたミラノで大人気の創作日本料理店。代表的なメニューは「ブラジルの哀愁」2000円で、イクラ、アボカド、サーモンの押し寿司。「上ウナギロール」2300円は、中にウナギ、外にマンゴーを巻いた裏巻き寿司。「カルパッチョのトマトソースかけ」2000円。「イカすみと梅干のリゾット」2300円。このお店のオーナーであるACミランの10番MFセードルフ選手がやってきた。セードルフ選手は味噌汁がおいしかったそうです。

 ACミランの本拠地「ジュゼッペ・メアッツァ(通称サンシーロ)は収容人数8.6万人。イタリア最大のスタジアム。ロッカールームを見学。
 練習をしているミラノ中心部から50km離れた練習場ミラネッロに行く。サッカー場が6面あるが、練習は通常は公開されていない。マルディーニ選手の展開するファッション・ブランド「スイート・イヤーズ」の服を着てきました。マルディーニ選手はなかなかサインしてくれないのですが、サインしてもらいました。ほかにもカカなどもサインしてくれました。

●ブエノスアイレス
 日本テレビから33時間で到着。色彩溢れる町で、南米のパリと呼ばれている。今は春で、桜に似た花ジャカランダ Jacaranda が咲いている。美女(ムイリンダ)の国で、クリスティーナ(54歳)次期大統領さえも美女。
 パレルモ・ソーホー Palermo SOHO は若者が集う流行発信地。アロマテラピーをしている人が多い。パタゴニアに咲いているお花を使った化粧品でオイルやクリームがあるという。
 高級ブティック「ウニベルソ・ガーデン・エンジェルス」には、この店のパタゴニア・フラワーのアロマがあった。ボディクリーム、オイル、ローションなど。パタゴニア・フラワーは野生のローズ・ヒップで、特にビタミンCが豊富。花の強さが疲れを癒し、順応性を高める効果があるという。お店の2階のエステでまずは金粉パックを体験。金粉がお肌にしみこんで、シワをのばすそうです。この「金のマスク」と呼ばれる金粉は1500円で、ローズヒップ、金、亜鉛、銅、マグネシウム、氷河の水からなる。30分後、しっとり潤って、むくんだ顔をすっきりしたそうです。

 タンゴを体験。ダンサーのフェルナンドさんと、一番人気のミロンガの店「グリッセル Gricel 」に行く。店内には500人。

 ガウチョ料理の店に行く。ガウチョはカウボーイを意味する。「ラ・ブリガーダ La Brigada 」はパリージャ(炭焼き)専門店で、ブエノスアイレスで一番人気。「牛、羊、ヤギの臓物盛り合わせ」2人前4000円。牛の甲状腺、ヤギの小腸、羊の小腸、チョリソーを完食。メイン・ディッシュはアルゼンチン牛リブロースとサーロイン各1人前1600円。フォークとスプーンで切れてしまうほど柔らかい。塩しか使ってないそうです。マテ茶をみんな飲んでいる。

 ブエノスアイレスで美女が集まるカフェ「クマナ Cumana 」では、みんなマテ茶を飲んでいる。瓢箪を意味するマテという容器に、アルゼンチン原産のイェルパ・マテの葉や小枝を乾燥させたものを入れてお湯を加えて飲む。食後にマテ茶を飲むのが常識。ビタミン、ミネラルが豊富で利尿作用を促すという。苦いそうです。

 ボカ地区はボカ・ジュニアーズの本拠地。色彩豊かな建物の数々、船の余ったペンキが使われている。ボカにはディエゴ・マラドーナが所属していた。
 聖地ボンボネーラに行く。ボカのFWパレルモ選手が優勝の原動力。

●イグアスの滝
 飛行機で2時間、車で1時間、歩いて30分で到着。悪魔の喉笛に到着。イグアスとは原住民グラニー族の言葉で「壮大な水の脅威」。世界遺産。落差80m、滝幅4km。
 ボート・クルーズ2000円に挑戦。TVカメラが初めて滝に突入した。


テレビ番組「タクシーでめぐる世界の街かど ブエノスアイレス」

 2007年11月25日放送。マイケル・クラスさんが案内。放送番組センター配給。オランダのPalazzina Productions 製作。

●ブエノスアイレス
 アレハンドル(アレックス)さんが運転。南米にありながらヨーロッパの雰囲気がある町。ヨーロッパに気持ちがいっていて、南米に住んでいるというので、精神科医が多いのもうなずける気がした。
 原点だというボカ地区に連れて行ってくれた。ブエノスアイレスは19世紀に各地から来た移住者が築いた町。だから土地の人は自分たちをポルティニョス(港の人)と呼ぶ。ボカ地区は今も労働者が暮らす地域。市は昔の雰囲気を保とうとするが、うまくいっていない。外国人旅行者はあまり見かけなかった。
 ランチはステーキ。シチリアのレストランにいるような気がした。

 サッカーには熱狂する。1部リーグは20チーム。ボカ・ジュニオールズのゲームに招待された。TVの解説者ホアン・バルスキー?さんと観戦した。
 翌朝、小学校で子供たちが白い服を着てダンスをしていた。タンゴの基本を教えてもらったが難しいです。フランシスコさんとイネスさんが、金曜日に素晴らしいダンスの踊り手が集まる会があるので招待してくれた。
 タンゴの人気も復活してきている。ホラシオHoracio さんに会いに行った。タンゴは19世紀の終わり頃にブエノスアイレスの下町で生まれた音楽。船乗りたちはその物悲しい旋律に酔いしれた。その後伝説的スターのカルロス・ガルデルが登場し、タンゴを洗練したものにした。カルロスが1935年の飛行機事故で亡くなるとタンゴも廃れたという。会場に行くとみんな踊っている。朝5時過ぎまで誰も帰らないという。

 サンテルモ地区は骨董品店が多い。アルゼンチンは悲しい歴史を持っている。近隣諸国との戦争、経済の崩壊、自然災害、軍事政権。1976年から7年間の軍事政権下のものがこの町に深い傷として残る。軍部は多くの人を誘拐し、拷問し、殺害した。犠牲者は特定できていない。
 パレルモ地区に住むファッション・デザイナーのソロ・スィードさんに会った。最先端のラプラタ川沿いのクラブに行った。普通のディスコでした。


テレビ番組「世界遺産 氷河」

 2007年11月11日放送。火山が地球を作り、氷河が風景を生む。

●ニューヨーク
 マンハッタン島は巨大な1枚岩。その真中に迷子石と言われる巨石がいくつも転がっている。この石は氷河によって北から運ばれてきた。2万年前、北米大陸はほとんどが氷の世界だった。原始、ごつごつとした岩の塊でしかなかった地球。それに美しい風景を作ったのは氷河だった。

●アラスカ・カナダ
 アラスカとカナダの国境にある大氷河は、地球が氷の大地だということを認識させてくれる。氷河は計り知れない力で大地に爪あとを残していく。氷が溶けるとむきだしの岩山が現れる。そこに苔が生え、緑が映える大地になる。

●フランス
 ヴェゼール渓谷の装飾洞窟群。2万年前、全陸地の3分の1が氷河に覆われていた頃、ここに生きていたのはクロマニヨン人。彼らは美しい存在の証しを残した。洞窟に描かれた岩絵。マンモスの長い毛がこの地の厳しい寒さを伺わせる。クロマニヨン人は洞窟や岩間に生活し、氷河期に生きた動物を狩した。

●スウェーデン
 サーミ人地域にはトナカイと過ごす人々がいる。地球は何度も寒い時代と熱い時代を繰り返してきた。1万年前に氷河期は終了した。その穏やかな時代に今の時代は誕生した。私たちの世界は、地球46億年のうちのたった1万年にしかすぎない。人は氷河期があったことさえ、19世紀までは知らなかった。

●アルプス
 絶景を作ったのは氷河。U字谷が残された。

●ニュージーランド
 大フィヨルド「テ・ワヒポウナム」。1万年前に陸地を覆っていた氷河が溶け、陸地が急激に隆起して誕生した。そこでわが家とし生きる動物がいる。森で子育てをするフィヨルドランド・ペンギン。その数は次第に減少し、絶滅が心配されている。地球が温暖化で環境が変わりつつある。

●アルゼンチン
 パタゴニアには乾いた風が吹く。太平洋からの湿った西風がアンデス山脈にあたり雪を降らせ、乾いた風となる。大量の雪は氷の川となり、1日に2m進む。20階建のビルほどの巨大な氷の壁が氷河湖へと流れ落ちる。ペリト・モレノ氷河は世界の氷河が後退する中で、例外的に成長を続ける生きている氷河。

●キリマンジャロ
 アフリカ大陸のような灼熱の地にも氷河が存在する。その頂きには雪と氷が存在する静寂の世界。直径2kmのクレーターを覆うのは氷河。最も古いものは1万年以上前のもの。それが急速に減ってきている。キリマンジャロの氷河は2020年頃までに全て消滅するという予測もある。
 太陽光線を反射する氷河は地球の冷却装置でもある。氷河が溶けると温暖化がさらに加速する。

●オハイオ州立大学
 氷河を通して未来を見つける研究が熱心に進められている。マイナス40度の部屋に並ぶのは氷の柱のサンプル。キリマンジャロの氷河から採取したものもある。氷河には年輪があり、年毎の雪の量で幅が変わる。さらに含まれる大気から過去の気候がわかる。4200年前にエジプトを苦しめた干ばつを、氷が黒い土となって記憶していた。ロニー・トンプソン教授は、キリマンジャロの氷河の面積を表した地図を作成している。1912年にはかなり氷があった。100年で80%を失い、いかに氷河が後退したかがわかる。

●フランス国立科学研究所
 南極から氷河のサンプルを取りだし気候を研究している。80万年前の氷は深さ3200mの地点から採取に成功した。今突き止められる最古の気候データが閉じ込められている。
 地球は10万年毎に激しい温暖化を繰り返している。さらに驚かされるのは、現在よりももっと熱い時期があったこと。なぜ温暖化するのか?

●グリーンランド
 南極に次いで第二の氷の原野を持つ島。イルリリット・アイスフィヨルド。ここの氷が全て溶けると地球の海面は7mも上昇するという。この氷がかつてない速度で溶けている。イヌイットの数少ない糧であるアザラシも少なくなったそうです。北の国の異変は地球の未来を考える上で、見過ごすことができないシグナルである。
 ここ30年で北極圏の氷の5分の1が消滅した。増えつづける世界の人口。地球のカレンダーの上で、初めて人の営みが無視できなくなった。もし全ての氷が溶けてしまったら、地球はどんな風景を見せるのでしょう。

●カナダ
 カナディアン・ロッキー自然公園群。

●氷河
 地球46億年。この星に絶景を与え、数多の命を支えたのは氷河の見えざる手でした。氷河を知ることが地球を知ること。


テレビ番組「世界秘境列車の旅 標高8000mのヒマラヤから、地球最南端のパタゴニアまで」

 2007年11月18日放送。片岡鶴太郎、池上季実子、賀来千香子、村上弘明、佐藤江梨子さんが出演。テレビ東京製作。

●コルカタ
 インドまでタイ航空で9時間。インド第二の都市。かつてイギリスが東インド会社の拠点を置いたことから、カルカッタの名前で親しまれた町。人口4600万人。インドの文化や産業の中心地でもある。ヘビ使いがヘビを壷から出していいた。
 シアルダー Sealdah 駅。夜でも気温は30度を越える。長距離列車が出るのは深夜。それまではみんなどこででも寝ている。突然赤い服を着た一団に囲まれて、20ルピーでどうだという。1つ60円で荷物を運ぶポーターだった。列車の中は涼しい。1台に40台の扇風機が設置されている。キッチンには注文しておくと温かい食事を席まで届けてくれる。今回乗ったのはダージリン・メール号 Darjeeling Mail 2343up で、かつてはダージリンまで郵便物を届けていた列車。22時5分?発のニュー・ジャルパイグリ New Jalpaiguri 行き。座席は一覧表で発表される。予定より30分遅れて出発。注文していた夕食が届いた。カレー弁当で35ルピー(100円)。
 8時間、コルカタから580km、ニュージャルパイグリ駅に到着。

●シリグリ
 ヒマラヤ方面、ネパール、ブータンに向かう人の中継地点。標高150m、人口65万人。この町の中心にあるシリグリ駅がヒマラヤへの玄関口で、ダージリン・ヒマラヤ鉄道が出発する駅。

●ダージリン・ヒマラヤ鉄道
 全長88km、標高差2000mを走りぬける。その歴史は126年で今でも現役。トンネルひとつない急勾配を10時間かけて登る。ダージリンでできた紅茶を麓の町まで運ぶことを目的に1881年開通。その後役目は車にとって代わられ、何度も廃線の危機に瀕した。地元の人や世界中の鉄道ファンの援助により今でも走り続けている。1999年世界遺産に登録された。
 ダージリンまでの乗車料金は一等車で大人一人270ルピー(800円)。可愛い3両編成の列車です。列車の線路幅は60cmと短い。高さ2mほどの小さな機関車。オモチャのトイ・トレインと呼ばれ親しまれている。列車は Queen of Himalaya 号。
 運転手はガタニーさん(57歳)。この列車は125歳。愛情たっぷりのメンテナンスのおかげだが、来年が定年だそうです。車両は1列に3席。時速20km、ゆっくりした速度で進みます。線路上にあった市場のお店も汽笛がなると撤退します。走るためには多くのスタッフが必要。石炭を燃えやすい大きさに割るセカンド・ファイアーマン、坂を登る際に車輪が滑らないように砂をまく2人のサンドマン、釜に石炭を入れるファイアーマン。一人前の運転手になるには15年以上かかるそうです。

 1時間でスクナ Sukna 駅(標高162m)に到着。駅に着くと水を補給。一回に補給される水は1800リットル。10時間の旅で必要な石炭は3トン。その間に沿線で有名なカレーの店に行く。55ルピーでした。別の店では、サモサは1個5ツピー(15円)。サモサはパンの中にカレー味のじゃがいもを入れて油で揚げた庶民的なもの。鶴太郎さんは途中で降りて走りながら写真を撮ってましたが、それでも飛び乗ることができました。
 途中でスイッチバック方式で登る場所もある。途中で故障。ガタニーさんはそこから近くのティンダリア修理工場に向かう。修理士のモターイさんの話ではシャフトのねじが折れてしまった。作り置きがないので、手作りで作る。ここのおかげで全部で12台の機関車が動いている。遊び道具のトロッコは子供たちの手作り。修理に1日かかるというので、モターイさんのお宅に伺う。インドでは家や食器をきれいにしていると、幸せがやってくると信じられている。
 翌朝ティンダリア駅(標高860m)には新しくなった列車がいた。高度が上がるにつれ霧が出てきた。標高1000mに一番の難所のオメガ・ポイントがある。線路がΩの形になっている。ここを作るのに何人もの命が失われたそうです。
 カルシオンは、沿線で一番大きな町。標高1482m。商店街ギリギリに列車が走り抜ける。チベット仏教の祈りの文字が書かれた旗タルチョがたなびく。このあたりにはチベットの人が暮らしている。

 ソナダは標高1997m。ここにぜひ立ち寄りたかったチベット仏教のお寺「サンジュク・ダルジュ寺院」がある。子供も赤い服を着ている。200人の僧侶たちが修行している。そのうち少年僧は60人。本堂入口の壁画に描かれた輪廻転生の絵。本堂には金箔で施された台座の上にはミイラがある。21年前この寺の最高位にあった僧侶カルマ・ランジュン・クンチュブさんがミイラとして残された。チベットはミイラを作る技術が世界最高といわれている。塩で元の状態を保ち、金箔を張り表情を整える。その高僧の生まれ変わりが活仏と言われる少年僧。同じく生き仏として洞窟の中で修行している。

 グーム Ghum 駅(標高2257m)からダージリン駅を目指すが、ここの町の人は日本人に似ていて、インドであることを忘れてしまう。子供たちが乗ってきて、ダージリン・ヒマラヤ鉄道の歌である「ダージリンの小さな列車」を歌ってくれました。
 ヒマラヤ鉄道一番の絶景ポイント「バタシア・ループ」にさしかかった。晴れていたら向こうにヒマラヤのカンチュンジュンガが見えるそうです。
 機関車は茶畑にさしかかった。まもなく目的地。
 ダージリン駅(標高2076m)に到着。ここでトイ・トレインとお別れ。

●ダージリン
 人口11万人。世界に紅茶の名前で有名。斜面にへばりつくように家が建ち並ぶ。日本の軽井沢とよく似た気候で、避暑地として賑わいを見せている。
 標高2000mに広がる茶畑を訪問。1年を通して霧が多く、その湿度が紅茶の栽培に適している。年に3回収穫する。茶畑から歌声が聞こえてくる。「一芯二葉」を摘む。ヒマラヤのサンダクプー?という所に、車で6時間かけて行くと絶景が見られるという。

●マニバンジャン
 標高2134m。ネパールとの国境に位置する町。町の人が国境に案内してくれた。単なる溝が国境になっていて、兵士が守っている。
 町が続いているが、ネパールに入っている。郵便局では餃子を作っていました。餃子屋もやっているそうです。

●サンダクプー
 ここからサンダクプーまで車を乗り換え4時間。岩の道なのでかなりガタガタです。100年前の石畳。標高3000mまで上がってきた。目の前に一軒の家が見えた。高地に暮すシェルパ族の家。たった2軒の家の村。家の中を見せてもらった。ヤクという牛を飼育して暮らしている。

 サンダクプーまでは足場の悪い道を歩いて3時間。暗くなると危険が伴う標高3600mの登山。暗くなりました。
 ダンダクプーに到着。標高3680m。山小屋に1泊した。ここからは名峰カンチェンジュンガ(標高8586m)が望める。
 翌朝、あいにくの天気となった。あたり一面に霧。あきらめかていたその時にカンチェンジュンガが見えた。これを見ながら最高のダージリン・ティーをいただく。手もみで丸く加工された「パール・ボールズ」は豊かな香りと風味の紅茶。一芯二葉のみで作られた「パール・ホワイト」は薄い色です。芯の部分のみで作られた「シルバー・ニードル」を味わいました。


●アルゼンチン
 500頭ものミナミセミクジラが出産のために集まるパタゴニアのバルデス半島。浜辺では60万頭のゾウアザラシが子育ての季節を迎えている。体長3mを越すオスは家族を守る。35万羽のマゼランペンギンが集まるプンタ・トンボは世界最大の産卵場所。
 目指す場所に向かう列車は「オールド・パタゴニア急行」。荒涼とした大地を駆け抜ける。過酷な開拓の歴史を持つ「地の果て列車」。2つの鉄道を乗り継いで南米大陸を縦断する。先住民の人々の暮らしを見る。

●エスケル Esquel
 アンデス山脈沿いにある町に飛んだ。荒涼とした大地。マゼランによってパタゴニアという名前はつけられた。南極大陸から吹き付ける風。
 オールド・パタゴニア急行(トロチータ:小さな汽車)始点の町。かつて羊毛の産地として賑わった街の高台にある小さなエスケル駅。線路の幅は75cmと短い。黒い機関車はそれほど大きくない。1922年ドイツで生まれたこの汽車は今年で85歳。燃料はかつては石炭だったが、今はガソリンとなった。水の補給は大事。23年の工期をかけ、今から63年前に開通した。

●オールド・パタゴニア急行
 大草原地帯に入る。この日はナウエルパンを経て、レレケ駅まで121kmの旅。いつもよりも長く走る。今は赤字経営で生き残りをかけている。元々羊毛や家畜を積みやすいように、牧場を囲むように線路が敷かれた。そのために今でも広大な牧場の中を走る。
 突然銃声がして山賊が襲ってきた。観光客を増やすために町の有志が行なっているイベントだった。さらに進むと「我らパタゴニア人」という歌をエドワルド・パイリャカンさん一家が歌ってくれた。
 最初の駅がナウエルパンで、ここで給水。20kmなのに水はほとんどなくなっていた。9000リットルの水が必要。こっそり蒸気機関車の釜の上に肉を置いていた。
 レレケ駅に向かう。車窓にはグアナコというラクダ科の動物が走る。ダチョウの一種ニャンドゥーの姿も見えた。レレケ駅に到着。まわりには牧場と2、3軒の家があるだけの小さな駅。
 さっき焼いていた仔牛の肉とソーセージをパンにはさんでいただいた。さらに村上さんは少しだけ運転させてもらいました。

 エスパンシアという大牧場を訪問した。羊を追うのはガウチョ。オーナーはビビアン・ウィリアムスさん(51歳)。投げ縄の技などを見せてくれました。村上さんも挑戦してみました。
 パサード・コン・クエロという「牛のヒラキ?」をいただきました。仔牛1頭を皮つきのまま開き、肉に岩塩や特製ソースをかけて焼く。皮つきだと肉がジューシーに焼きあがるそうです。焼きあがるまでに6時間かかる。パンに包んでいただくが、ほとんどレアだそうです。仔牛の丸焼きは1頭で100人前。

●ペリト・モレノ氷河
 飛行機でエスケルからカラファテに行く。船に乗り込んで世界遺産の氷河に向かう。青っぽい。アンデス山脈に降った多大な雪がやがて氷河となって湖に流れこんでくる。全長35km、幅5km、高さ60m以上ビルの20階に相当する。温暖化のために、かつてこの地を旅したモンゴロイドたちが見た野生の大地が大きく姿を変えようとしている。
 アイゼンを履いた二人が氷河の上を歩いた。至る所に裂け目がある氷河の上はスペシャリストのガイドが必要。ある場所の氷河は削ってもいい。これをグラスに入れてウィスキーを注いで飲みました。

●ウスアイア
 さらに南下してウスアイアに飛ぶ。世界最南端の町。いたる所にある難破船の残骸が南から吹いてくる強烈な風を物語る。木は風で曲がっている。アルボル・バンデーラ(旗の木)と呼ばれる。過酷な大自然を物語る。
 アルゼンチンとチリを隔てるビーグル水道はセントージャと呼ばれる南極ガニの宝庫。海水で茹で上げた後にまた海水に入れて冷まして食べる。カニ漁師のカルカモ・カルロスさんのお宅で食べさせてもらう。あっさりしているが、おいしいそうです。

●地の果て列車
 世界最南端の鉄道「地の果て列車」に乗る。刑務所の囚人を檻へ送り込む、切り倒した木材を運びだすために105年前に作られた鉄道。ところが刑務所が閉鎖され廃線に追い込まれた。しかし、1994年町の有志の力で復活した。蒸気機関車は1994年に作られたイギリス製。草木の育ちにくい荒涼とした大地を走る。復活させたエンリケ・ディアスさん(52歳)は、服役囚たちは屋根も囲いもない列車にはだしで乗せられていたと語る。凍傷にかかりながら作業させられていた。車窓から見える景色で眼につくのは切り株。100年前に切ったものらしい。全行程8km1時間の旅でした。

●モンゴロイド
 日本人と同じモンゴロイド。1万年前にベーリング海を渡り、アメリカ大陸を南下し、パタゴニアまで到達した人たちはヤーガと呼ばれる。しかし、もう一人しか生き残っていないという。
 翌朝、出入国管理事務所に行きチリに向かう。ビーグル水道の荒波を越えて高速ボートで30分。対岸のナバリノ島に到着。
 世界最南端の先住民族ヤーガン最後の一人がこの島のウキカに暮らしているという。クリスチーナ・カルデロンさん(79歳)。最後の一人となったことに、悲しみを感じるそうです。日本人との共通点は、赤ん坊のお尻にできる青い蒙古斑など。私たちは従姉妹同士みたいですね。と語った。村上さんは笛で「ふるさと」を吹きました。クリスチーナさんは一族の事を思い出したそうです。


テレビ番組「旅サラダ2006年12月は岩崎ひろみさんでアルゼンチン」

 面積は日本の7倍、人口3200万人。地球の裏側にある。コンチネンタル航空で行きました。

●ブエノスアイレス
 人口300万人。ラ・プラタ川は大きくて海みたい。最大250kmの川幅を誇る。メイン・ストリートの7月8日通りは広い。片側最大7車線、道幅142mで、世界一の幅と言われる。通りの中央には市制400周年を記念して1936年に建設されたブエノスアイレスのシンボル、67.5mの白い塔「オベリスコ Obelisco 」がそびえたっている。
 南米のパリと言われる街並みを歩く。緑が多くて気持ちがいい。「大統領府 La Casa de Gobierno 」はピンク色で、ピンク・ハウスと呼ばれている。かつて国内で連邦主義の政党「赤の党」と反対勢力「白の党」が激しく争い内戦状態だった際、互いのシンボル・カラーだった赤と白を混ぜた色にしたそうです。1973年〜94年ににかけて建設されたロココ調の建物。1580年からの街づくりの中心であり、また1810年にはアルゼンチン独立宣言の舞台となった5月広場に面している。2階のテラスからは、エヴィータやマラドーナも演説した。

 ジャカランダ Jacaranda という紫色の花が咲いていて、日本の桜同様、アルゼンチンに春の訪れを告げる花。この日は気温24度でした。
 お昼には道路脇の露店からおいしい匂いがする。黄色い店「El Parrillon 」の人気メニューはチョリパン Choripan で、香辛料入りの豚肉のソーセージをパンにはさんだもの。店の前に並んだサルサをお好みで加えて食べる。2ペソ(76円)。お勧めはポテト・チップスを間にはさんだものだそうです。
 みんなポットと容器を持っている。中身はマテ茶。ストローには茶こしがついている。砂糖を入れないとすごく苦く、土壁の香りだそうです(笑)

 宿泊は「マンション・ダンディ・ロイヤル Mansion Dandi Royal 」(住所:Piedras 922/936-San Telmo-C1070AAT, Buenos Aires, Argetina、Tel:+54 11 4361 3537、Fax:+54 11 4307 7623、Email:info@dandiroyal.com.ar )で、1903年築のヨーロッパ風の大邸宅を改装したお洒落なプチホテル。戸を開けて入るとすぐ階段があるが、後ろを見ると青色。ロビーは落ち着いていて、美しいシャンデリアとタンゴを踊る絵。アルゼンチン・タンゴをテーマにしたホテル。フロントでは、バンドネオンを演奏して50年のファン・ホセ・スキャボさんが生演奏で出迎えてくれる。壁の手書きの絵も素晴らしい。部屋の壁にも絵が書いてある。今回はスィート・ルームで1泊朝食付きで194US$(税込み)。スタンダード Dandi だと95$。古い街並みが残る石畳のサンテルモ地区に建つ。無料でタンゴレッスンを受けることも可能だが、時間は曜日によって異なるため、フロントに要確認。
http://www.dandiroyal.com.ar/

 買物に行く。高級ブティックが並ぶデコレータ地区にある最近注目のブランド・ショップ「トラマンド Tramando 」(住所:Rodriguez Pena 1973-C1021ABN, Buenos Aires, Argentina、Tel:+54 11 4811 0465 / 4816 9422、営業時間:月〜金:10:30〜20:30、土:10:30〜19:30、トラマンド日本取り扱い店に関する問い合わせは、Press:Pr01、東京都渋谷区神宮前6-31-15 マンション31 #7A、Tel:03-5469-6301 )。
 ここは若手デザイナー、マルティン・チュルバさんを筆頭とするデザイナー集団が「トラマンド」で、トラマンドとは「編み目をつむぐ」という意味。色あいもデザインも他にない個性溢れるもの。服飾にとどまらず、小物やアクセサリー、家具、店内のディスプレイなどさまざまなジャンルの商品を手掛けている。ショップをニューヨークと日本にも展開しており、彼のデザインした商品が購入可能。
 今回、岩崎さんのためにコーディネートしてくれたものは、ジャケット750ペソ(2.84万円)、トップス300ペソ(1.14万円)、スカート400ペソ(1.52万円)で、日本のオリガミからデザインを得たという。黒いワンピース250ペソ(9600円)、スカート400ペソ(1.52万円)はボリビアの民族衣装からヒントを得たそうです。白いトップス260ペソ(9500円)、スカート320ペソ(1.21万円)もボリビアの民族衣装からヒントを得ている。落ち着いた色のワンピースは720ペソ(2.72万円)。遊びのある洋服です。
http://www.tramando.com/

 夕食は「ラ・カバーニャ La Cabana 」(住所:Rodriguez Pena 1967-C1021ABO, Buenos Aires, Argentina、Tel & Fax:+54 11 4814 0001、Email:marketing@lacabanabuenosaires.com.ar、営業時間:12:00〜16:00 & 19:00〜深夜)で、ステーキをいただいた。ボリューム満点の美味しい肉料理を味わうことのできる、ブエノスアイレスでも有名な一流レストラン。ビビアン・リーやエヴィータやニクソンなど、世界的な著名人たちもここの肉を味わっている。人よりも牛の数の方が多いと言われるアルゼンチンでは安くておいしいステーキがいただける。
 「オーホ・デ・ビッフェ Ojo de Bife 」はリブ・ロースの芯の部分で、「リブアイロール」と呼ばれる牛の最高部位の一つ。35.2オンスで54ペソ(2100円)。一人前で1kgでかなり大きい。肉と一緒にカードももらえるが、この肉がどこの牧場で飼育されたのかが書いてあり、品質が確認できる。ポテトは「Papas Souffle パパス・スフレー 」18ペソ(700円)。ラビオリも2000円くらいだそうなくらい安いそうです。
http://www.lacabanabuenosaires.com.ar/

 宿泊は「パナメリカーノ・ホテル&リゾート Panamericano Hotel & Resort Buenos Aires 」(住所:Carlos Pellegrini 551-C1009ABK, Buenos Aires, Argentina、Tel:+54 11 4348 5000、Fax:+54 11 4348 5250/51、Email:gtani@panamericano.us )で、7月9日大通りにそびえるブエノスアイレスの象徴、オベリスクのすぐ前に建つ5つ星ホテル。大通りを見渡すことのできるスパがあり、これぞブエノスアイレスという景色を楽しむことができる。好立地のため観光にも便利。宿泊代は1泊朝食付きで、スタンダード Regency 286US$(税込)、スタディオ・スイート Studio Suite 416$
http://www.panamericano.us/

 ボカ地区はかつては多くの移民の玄関口だったが、今は市内きっての観光名所。マラドーナが所属していたサッカーの「ボカ・ジュニオール」が有名。
 もう一つ有名なのが、カミニート Caminito という小道。カラフルな建物が多く、オモチャ箱みたい。ボカ地区出身の世界的画家キンケラ・マルティンによって造られた幅7m、長さ100mほどの路地公園。現地ではオープン・ミュージアムと呼ばれていて、道全体が美術館。芸術家の卵たちが自分の作品を路上で売る姿も多く見られる。

 音楽も聞こえる。ここボカ地区はタンゴ発祥の地でもある。路上でのタンゴのパフォーマンスも見られる。移民たちが寂しさを紛らわすために踊り始めたのが、タンゴの始まり。
 宿泊した「マンション・ダンディ・ロイヤル Mansion Dandi Royal 」で、無料でタンゴの個人レッスンが受けられる。講師はナウエル・バルン?さん。まずは基本のステップから。いい香りだそうです(笑)
 夜8時を過ぎると大小さまざまなタンゴショーのホールが店を開ける。日本でもヒットした香港映画「ブエノスアイレス」のロケ地「バール・スール Bar Sur 」も人気のタンゴショー・ホールの一つ。  今回は先生の誘いでサン・テルモ地区の「ミケランジェロ Michelangelo Catedral del Tango 」(住所:Balcarce 433 - San Telmo - Buenos Aires - Argentina、Tel:+54 11 4342 7007)に行く。1967年創業の老舗タンゴショー・ホールで、1850年頃には密輸品などを隠しておく倉庫だった建物を改築して建てられた。倉庫跡の展示もある。夕食を食べながら、タンゴの歴史をミュージカル仕立てのショーにしたタンゴショーを楽しむことができる。営業時間:月〜日 ディナー 20:00〜/ ショー 22:00〜。ショー&ディナー代(飲み物も含む)300ペソ(11600円)、ボックス席は500ペソ(2万円)。ショー見学のみ200ペソ(7800円)のコースもある。華麗でセクシーだが、力強いステップに引き込まれた。数組で踊る時は速い。
http://www.tangoshow.com/


●イグアスの滝
 ブエノスアイレスから1600km、飛行機で2時間。ジャングルの中にある世界遺産。イグアス国立公園 Iguazu National Park は東京都がすっぽり入るくらいの広さで、ブラジルとアルゼンチンの両国にまたがる。そのうちで、一般観光客に開放されているイグアスの滝の周辺は、公園全体の0.3%。「イグアス」とは、原住民の言葉であるグアラーニ語で「大いなる水」のこと。開園時間と入園料は、夏季 (9/1〜3/31) 8:00〜19:00、冬季 (4/1〜8/31) 8:00〜18:00、大人1名30ペソ(1100円)。

 アルゼンチン側の公園の中は Estacion Central からトロッコ列車「エコトレイン」で「悪魔の喉笛」まで移動(無料)。運行間隔は約20分に1本。20分で「悪魔の喉笛」駅の遊歩道に到着。川の上を遊歩道が続く。公園内は蝶がいっぱい。トゥカン(オオハシ)などの鳥、コアティ(ハナグマ)、テグーという大きなトカゲもいる。

 イグアスの滝は国境に半円状に2.7kmに渡り、大小300の滝から1分間に36億トン(東京ドーム3000倍)の水が流れ落ちている。ナイアガラの滝の20倍以上。滝壷までの最大落差約80mの「悪魔の喉笛」は、滝を流れ落ちる水音の悪魔の雄叫びのような音から付けられた名前。滝壷は見えず、無数の虹が浮かんでいる。流れ落ちる水の水量やその落差に圧倒され。想像を絶する光景になかなかその場から離れられなかった。
 夕刻も幻想的な景色。
http://www.iguazuargentina.com/

 宿泊は公園内にある「シェラトン・インターナショナル・イグアス・リゾート&スパ Sheraton International Iguazu Resort & Spa 」(住所:Parque Nacional Iguazu、Iguazu 3370、Argentina、Tel:+54 3757 491800、Fax:+54 3757 491848、Email:reservas@iguazu.sheraton.com.ar)で、アルゼンチン側のイグアス国立公園内では唯一のホテル。プエルトイグアス国際空港(アルゼンチン)までわずか10kmに位置する細長い白亜の建物からは、イグアスの滝全景を一望することができる。176室のゲストルームと4室のスイートに、広々としたサウナ、ジャグジー、ジムなど設備も充実。国立公園内の遊歩道は歩いていくことができ、また「悪魔ののど笛 Garganta del Diablo 」まで行く列車の駅も敷地内にあるなど、観光にはもってこいのロケーション。宿泊代(1泊1室朝食付き)415US$〜(滝向)、355$〜(森向)、今回はスイートルームD$550。プラス税金21%。
http://www.starwoodhotels.com/sheraton/property/overview/index.html?propertyID=1152

 ランチは滝向きの場所でいただいた。「前菜」はイグアスの森で取れる貴重な食材を使った「やしの芽のピラミッド、トマトとアボカドのルックラソース Piramide de Palmitos Tomate & Palta con Pesto Derucula 」80ペソ(3100円)。タケノコみたいな味で日本人好みだそうです。「川魚料理」は、「スルビ魚のグリルに野菜炒めとマラクジャソース Surubi Grille con Salteado Devegetales & Salsa de Maracuja 」76ペソ(3000円)。料理長はオクタービオ・チャサレータ?さん。スルビはイグアス川で取れるナマズの一種で体長1m以上。

 ボート・ツアー。「イグアス・ジャングル・エクスプローラー Iguazu Jungle Explorer 」(Tel・Fax: +54 3757 421696、E-mail:info@iguazujunglexplorer.com )主催で、ツアー料金は、「アヴェンチュラ・ナウティカ Aventura Nautica 」1人45ペソ(1700円)で、遊歩道沿いからスタートし、ボートで滝へ突入するもの。「グラン・アベントゥーラ Gran Aventura 」1人90ペソ(3400円)で、ジープでジャングル散策を楽しんだ後、ボートで滝へ突入するもの。「パセオ・エコロヒコ Paseo Ecologico 」1人20ペソ(800円)で、イグアスの滝上流で大自然をボート上から堪能するものがある。
 今回は、美しいサン・マルティンの滝へのボートツアーで、「アヴェンチュラ・ナウティカ」。すごいスピードで滝の下に突入しました。どしゃぶり状態で、信じられない、意味がわからない、下着までビチョビチョになったと言ってましたが、2度目も挑戦しました。慣れている人は水着で来るそうです。真夏だと歩いていると乾いてしまいます。
 ツアーの当日受付・予約に関しては、国立公園内の遊歩道沿いにある受付、もしくはシェラトン・インターナショナル・イグアス・リゾート&スパで可能。
http://www.iguazujunglexplorer.com/


●イスチグアラスト州立公園 Parque Provincial Ischigualasto
 ブエノスアイレスから飛行機で1時間半のサン・フアン州。年に数日しか雨が降らない乾燥地帯。メンドーサの北。
 サンフアン州の北東部にあるイスチグアラスト州立公園は5万ヘクタールで、東京23区の広さと同じ。赤い大地以外何もない。2000年に世界遺産に登録された。
 パークレンジャーのマルティン・オンティベロさんが案内。月面の風景に似ているので、「月の谷 Valle de la luna 」とも呼ばれている谷に行く。銀色に輝く不思議な大地は昔にまだ見ぬ月の世界を想像させた。風と雨の二重の浸食作用により現在の形が形成された。スフィンクスみたいな岩もあり、奇岩が多い。潜望鏡を上げた潜水艦に似ているサブマリンと呼ばれる奇岩もある。直径30cmくらいの石が数m間隔で並んでいるが、川底の泥が少しずつ大きくなって石になった泥団子みたいなものだそうです。
 三畳紀(2.4億年前)には大きな川の底だったので、恐竜の化石がたくさん発掘されるそうです。しかしかつての川底も今は強い乾燥地帯。当時は亜熱帯性気候の湿地帯であり、様々な水棲(すいせい)や陸棲の爬虫類が豊かに生息していた。
 園内のツアーは1時間おきにガイドと一緒に車で行い、約2.5時間で回ることができる。満月の夜の前後には、月明かりで園内を楽しむツアーも実施されており、銀色に輝く地層の幻想的な風景を楽しむことができる。今は鹿に似たグアナコなどが生息している。ブレアという植物は強い風の中で生き抜くために葉をなくし、小さなトゲで身を守りながら身体全体で光合成する木。黄色い花が咲く。
 住所:Valle de la Luna, San Juan, Argentina、Tel:+54 2646 491100、入場料1名25ペソ(970円)。閉館時間:夏(11月〜2月)8時〜17時、冬(3月〜10月)9時〜16時30分。
http://www.ischigualasto.org

●ブドウの郷・メンドーサ Mendoza
 長さ1037kmのアンデス山脈の麓に位置する。ブエノスアイレスから北西へ飛行機で2時間、アルゼンチン第4の都市。町の中心を歩いた。春先で25度とすっかり夏の気候だった。緑も多い美しい街。街路樹は町じゅうに張り巡らされた水路のおかげ。ワインの店がある。
 生産量世界第5位(年間180万トン)のアルゼンチン・ワインの約7割を生産している。雨が少ない山岳気候だが、アンデス山脈の雪解け水を利用した灌漑設備が 張り巡らされているため、街の中は緑に溢れている。周囲には広大なブドウ畑と1200以上ものボデガ Bodega(ワイナリー)があり、見学可能。

 「カロディージャ・マリア教会 Parroquia de Nuestra Senora de la Carrodilla 」(住所:Av. San Martin y Carrodilla, Lujan de Cuyo, Mendoza, Argentina、Tel:+54 261 4361667、入場料:無料、閉館時間:月〜金 10時〜12時 & 16時〜20時)は、メンドーサ市内から車で30分ほどの場所にある1778年に建てられた小さな教会。直訳すると「荷車のマリア」教会であり、荷車に乗り手に一粒のブドウが握ったマリア像を信仰している。かつてメンドーサで天変地異が続き、ブドウが収穫できなくなってしまった際に、このマリア像を担いで街を練り歩くと、すぐ悪天候がおさまってしまったという奇跡が語り継がれている。今もぶどうの守り神としてメンドーサの人々に信仰されている。

 ワイナリー「ボデガ・サレンタイン Bodegas Salentein 」(住所:Rute 89 s/n Los Arboles, Tunuyan, Mendoza, Argentina、Tel:+54 2622 429000、E-mail: visitas@bodegasalentein.com、開館時間:月〜日 10時〜16時、見学・試飲ツアー1名10ペソ(390円)、10時から2時間毎に日に4回のスペイン語見学ツアー・11時から1回の英語見学ツアーがある)を訪問した。メンドーサ市内から車で2時間ほど、アンデス山脈の麓・標高1000〜1700メートルのウコ高原に位置する、1997年設立の世界で最も高い場所にあるといわれるワイナリー。権威ある米・ワイン情報誌「ワイン&スピリッツ・マガジン」でアルゼンチン・トップワイナリーに選出された。2000年に完成した醸造所は、十字形の斬新な醸造設備で国際デザイン賞を受賞するほど美しい建物。醸造所より少し山側には宿泊施設もあり、ディナーでは自慢のワインとメニューを味わうことができる。サレンタインのワインは日本への輸出も行われており、地球の裏側で育った 芳醇なマルベックの香りと味を家庭でも楽しむことができる。
 醸造所の中をツアー・ガイドのマリア・オムさんに案内してもらった。昔の劇場みたいな感じがしたという。美しく円形に並べられた5000以上の樽からぶどうの香りが漂う。質のよいワインができたという2005年の白「サレンタイン・シャルドネ2005年 Salentein 」750ml28ペソ(1100円)、赤ワイン「サレンタイン・マルベック2005年」750ml35ペソ(1400)をいただいた。マルベック Malbec はメンドーサを代表するぶどうの品種。原産地のフランス・ボルドーでは大成しなかったブドウ・マルベック種が独自の発展を遂げ、芳醇な香りを備えたその赤ワインは世界的な評価も高い。デキャンタージュするとマルベックの香りがより引き立つそうです。
http://www.bodegasalentein.com/
http://www.bodegasalentein.com/jpn/default_cas.asp (日本語)

 宿泊可能で「ポサダ・サレンタイン Posada Salentein 」(Tel:+54 261 441 1000(内線 2711)、Fax:+54 261 441 1010、E-mail: posada@bodegasalentein.com)は、1泊1室夕食&朝食、ワイナリー見学と乗馬付きで、2人US$250(税込)、1人$160。
http://www.bodegasalentein.com/

 スタジオで紹介したワインは「ヌミナ2003」750ml、81ペソ(3150円)で、マルベック66%・メルロー34%という独自のブレンドワイン。

 宿泊は「カヴァス・ワインロッジ Cavas Wine Lodge 」(住所:Costaflores s/n, Alto Agrelo M5570, Mendoza, Argentina、Tel:+54 261 410 6927/28、E-mail: cecilia@cavaswinelodge.com )で、2005年オープンのぶどう畑の中にたっているプチ・ホテル。背景にアンデスが望める。1泊1室朝食付きで、2007年1月1日〜5月2日・9月15日〜12月31日はUS$423(税込)、2007年5月3日〜9月14日は$291。ロビーのインテリアのぶどうの木を使っている。室内はお洒落で、アルゼンチンの織物を使用。ブドウ畑の中に離れのように建っているプライベートプール付き・フルスイートの各ロッジからは アンデス山脈の雄大な景色、空の青、ぶどう畑の緑、山の白を楽しめる。
 ホテルの自慢のエステ「ワイン・エステコース」320ペソ(12400円)を受けた。約2.5時間。塗ってもらっているのは、マルベックを皮や種ごとすりつぶして混ぜた特製クリームで、ポリフェノールがお肌を元気にする。リンパの流れをよくするそうです。その後、マルベックの粉末とアロマオイルを入れたワイン風呂で身体を温める。バルサミコ酢ドレッシングのお風呂に入っているような気持ちだそうです。粉末は売ってくれないそうです。
http://www.cavaswinelodge.com/


●パタゴニア Patagonia
 チリとアルゼンチンのほぼ南緯40度以南で、面積およそ110万平方km(日本の約3倍)の地域。偏西風の影響で年間を通じて非常に強い風が吹くため、「風の大地」と呼ばれている。アルゼンチン側ではいくつもの美しい氷河を見ることができる。
 パタゴニア観光機構・日本語HPは
http://patagoniaturistica.org.ar/japones/

●ロス・グラシアレス国立公園 Parque Nacional Los Glaciares
 事務所の住所は Av.Libertador Gral. San Martin 1302, El Calafate, Santa Cruz, Argentina、Tel:+54 2901 491005 / 545、E-mail:losglaciares@apn.gov.ar。開園時間:8時〜18時、入場料:1名30ペソ(1200円)。車で移動。「ため息のカーブ」がある。目の前に初めて氷河が姿を見せる。「ロス・グラシアレス」は氷河を意味するスペイン語。アンデス山脈から流れ出した雄大な氷河を見ることができる国立公園で、1981年に世界遺産。4459平方km(山梨県と同じ広さ)の園内には、巨大な氷河が47あり、轟音を響かせ先端部が崩れ落ちる様を間近で見ることができる。
http://www.parquesnacionales.gov.ar/03_ap/23_glaciares_PN/23_glaciares_PN.htm

 氷河クルーズ「ぺリト・モレノ氷河クルーズ Safari Nautico 」(予約・問い合わせはソロ・パタゴニア社 事務所 Solo Patagonia、住所:Avenida Libertador 963 - El Calafate - Santa Cruz - Patagonia, Argentina、Tel:+54 02902 491298、Fax:+54 02902 491790、E-mail:info@solopatagonia.com、参加料1人38ペソ(1500円)。に参加。いくつもの流氷が浮くアルヘンティーノ湖からペリト・モレノ氷河を楽しむことができる1時間のクルーズ。国立公園内の港から乗船料できる。高さ60m(17階建てのビルに相当)の氷の壁が4kmに渡って連なる。1日に2mほど移動していて、先端は湖に崩れ落ちていく。アンデスの山頂から先端まで2万年かかるそうです。
http://www.solopatagonia.com.ar/

 氷河の上をアイゼンをつけて歩くことにした。「氷河トレッキング Mini Trekking 」(予約・問い合わせは、イエロ・イ・アベントゥラ社 事務所 Hielo & Aventura、住所:Avenida Libertador 935 - El Calafate - Santa Cruz - Patagonia - Argentina、Tel:+54 02902 492205、Fax:+54 02902 491053、E-mail:info@hielyaventura.com、参加料1人210ペソ(8200円))。靴にアイゼンをつけ、パークレンジャー(今回はマリア・ルイザさん)と一緒にペリト・モレノ氷河の上を歩くことができる約1時間程度のトレッキング。青く輝く水たまりがあった。この水は飲むことができるそうです。水はとてもおいしいそうです。丘を越えると、バーがある。ツアーの最後には、チョコレートと氷河の氷で割ったウイスキーの「オン・ザ・ロック」が待っている。国立公園内の港で料金を支払えば参加可能。
http://www.hieloyaventura.com/


●サンタ・クルズ
 ホテルは「エオーロ Eolo Patagonia's Spirit 」(住所:Ruta Prov N°11 Km. 23 - 9405 El Calafate - Santa Cruz - Argentina、Tel:+54 2902 492 042、E-mail:info@eolo.com.ar)に宿泊。エル・カラファテにある空港から車で50分、広大な草原パンパに佇むホテル。風の強いパタゴニアでは伝統的な、風をさえぎるための波型鉄板を用いた外観が特徴。大きな窓から柔らかな光が差し込むロビー。従業員のサービスが行き届いており、パタゴニアの美しい景色を楽しみながらゆったりと時間を過ごすことができる。アクティビティは別料金・予約制だが、ホーストレッキングや氷河見学などが可能。
 1泊1室朝食付で、2007年4月30日までは、今回泊まったコーナースイートCorner Suite 1人US$300、2人$400、スーペリアスイート Superior Suite 1人$230、2人$360。広くてアメニティも可愛い。部屋にTVがないが、景色は平原が広がっていてすごい。
http://www.eolo.com.ar/

 夕食はホテルでいただいた。ディナーコースはUS$45。アンティパスト1品。メインは「クスクスのラムカレー Lomb curry served with plain couscous 」は臭みもなく柔らかい。デザートは「カラファテのアイス Crunchy Calafate Ice cream 」はピンク色で、春先に黄色い花をつけるカラファテという木の実でできている。これを食べるとパタゴニアにまた戻ってこれるという。カシスみたいなベリーみたいな味だそうです。9時を過ぎるとやっと空が赤く染まった。

 ホーストレッキングに挑戦。1名につきUS$43。ガイドはホテルのイケメンのトミーさんと馬のトビー君。大平原を行く。寒いけど楽しいそうです。野生動物の楽園でもある。ジャック・ラビット、カンムリ・カラカラ(ハヤブサ)、カオグロ・トキ(トキ)、コンドルにも出会えた。カウケンという鳥はオスとメスがいつも一緒に行動。オスはメスが死ぬと死ぬそうです。先にある湖に行くとピンク色のフラミンゴがいる。馬をとばすとフラミンゴが一斉に飛んだ。美しかった。


テレビ番組「世界不思議発見! モンゴロイド大移動 世界の果てへの旅」

 2006年4月29日放送。チリのプエルト・モンに1万年前のモンゴル系の人の足跡が見つかった。氷河期はアラスカとアジアの間のベーリング海峡が凍っていたので、歩いて渡れた。アメリカン・インディアンやマヤなどの人は取り上げられているが、アメリカ大陸の南端にまで行った人たちは取り上げられていない。巨大な遺跡を残さず、彼らは西洋人による迫害により歴史の表舞台には出てきていない。TBS制作

●イグアスの滝
 アルゼンチン、ブラジル、パラグアイの3つの国境にまたがる。毎秒6.5万トンの水量は世界一。アルゼンチン側には遊歩道があり、滝のすぐ近くまで行ける。また高さ80mの悪魔の喉笛の近くまで行ける。ここは先住民グアラニーの聖地で、イグアスとは彼らの言葉で「大いなる水」という意味。彼らはまだ近くに住んでいる。イリアプ村を訪問した。お客をもてなす時にマテ茶でもてなす。ガンに効くニエルミ・イグアスの葉、男性の精力剤となるカツアバなどがある。世界三大美果のチリモヤもある。ほかの2つはマンゴスチンとパイナップル。ここは熱帯です。

●チリ
 プエルト・パラスは日本と同じくらいの気候で、富士山に似ているオソルノ山(2661m)もある。このあたりに住むのはスペイン人にも抵抗していたマプーチェ。  テムコは中心都市で、市場には熱帯のもの、寒い地方のものなどが並んでいる。薬草もあり、乾燥した葉などをパックにして売っている。ウィケはお風呂に入れるとリューマチに効く。クニャーナは血圧を下げる。マプーチェには呪術医(マチ)がいる。滅多に取材は受けないが、セバスチャン・アジレフさんにみてもらった。
 鳥の声アーティストのロレンソ・アイジャパンさんは詩人。ロレンソさんの声に鳥も反応していました。マプーチェの人は海藻も食べる。コシャユーヨはジャガイモと煮てスープにしたコーリとして食べたりする。

●チリのパルマ・セダ
 パタゴニア地方。フィヨルドの中にサン・ラファエル氷河もある。クルーズ船からボートを下ろして近くまで行けるが、氷河の崩落には注意が必要。

●アルゼンチンとチリ
 フェゴ島のウシュアイア。マゼランが世界一周した際に立ち寄った島。アメリカ大陸のフェアバンクスからここまでパン・アメリカン・ハイウェイと呼ばれる道路でつながっている。ここに住んでいたのはヤーガンと呼ばれた。迫害されたり、持ち込まれた病原菌で多くが亡くなり、今は純粋にはたった一人だけとなった。その人はフェゴ島の向かいのナバリノ島のプエルト・ウィリアムズに住むクリスティーナ・カルデロンさん(78歳)。ヤーガンにも蒙古斑があったそうです。


テレビ番組「世界の絶景100選!3回目」

 2005年1月29日放送。司会は内藤剛志、久本雅美さん。審査員は田中美佐子、高橋英樹、橋田寿賀子、さまぁ〜ず、船越英一郎さん。フジテレビ製作。

●アイスランドのオーロラ
 石原良純、篠原ともえさんが旅をした。幸運が重ならないとなかなか見られない。アイスランドは北海道を一回り大きくしたくらいの大きさで、火山の島。島のあちこちで温泉が湧き出している。ブルーラグーンは世界最大の露天風呂。アイスランドはオーロラが発生しやすいオーロラ帯に国全体がすっぽり入っている。
 レイキャビークからオーロラガイドの専門家シグマル・ホイクソンさんが案内してくれた。オーロラを見るには「北風が吹くこと」が条件だそうです。まずゲイシールに行く。間歇泉が5分に1度の間隔で噴出しました。西風で、前線が南下するというので、北へ向かう。途中、溶岩の大地を発見。アポロ11号のアームストロング船長たちが月面歩行の練習をした場所。4時間かかってオーロラ観測ポイントに到着。テントを張ったけど、風が強くて飛びそうになった。夕食は魚介盛り合わせとラム盛り合わせ。これを焼いた溶岩の上に置いて焼く。深夜12を過ぎて氷点下10度以下になった。午前5時、雲が切れなくてダメ!
 宿泊はレイキャビィーク・グランド・ホテル。翌日は雪。「オーロラ観測ステーション」を訪問。オーロラ発生の仕組みを教えてもらった。太陽の爆発によって起こる太陽風の粒子が地球の地場に引き寄せられ、酸素・窒素などにぶつかって発光する現象。地上数百kmで発生する。E・ヨハネソンさんが太陽活動のグラフを見せてくれた。2日前に大規模な爆発があったので、今晩、地球に届くという。10年に1度の大規模なもので、大規模なオーロラが見れるという。晴れている場所を探して、テントを張った。
 撮影は特殊高感度カメラを使用。夜10時、空が白くなってきて緑色に変化してきて、カーテンのようなオーロラが出現しました。360度に広がるオーロラでした。

●イタリアのフィレンツェ
 井上和香、辰巳琢郎さんが旅をした。500年前のルネッサンス時代のたたずまいを今も残し、「街全体が美術館」の瞬間がある。
 まずはピサに行って、ピサの斜塔を見た。1990年〜2001年は入場禁止になっていた。今は人数制限をしているが中に入れる。ここの頂上はガリレオ・ガリレイが落下の実験を行なった場所。ここでガイドのフランチェスコさんが声をかけてきた。もっときれいなフィレンツェに行きましょう。
 竹野内豊さん主演の映画「冷静と情熱のあいだ」の舞台ともなったフィレンツェは、ピサから60km。ヨーロッパで一番美しいと言われる街並み。建物が世界遺産で、パラボラアンテナまでがレンガ色に塗られている。夕方の4時半に「街全体が夕陽と同時に鐘の音色の魔法に包まれる奇跡の絶景」がある。
 プラダやカルティエ以外にも食事などの誘惑も多い街。ポンテ・ヴェッキオ(古い橋)に行く。500年前の姿を見せているフィレンツェで最も古い橋。美観を守るために、橋の上に店を構えることができるのは、貴金属店のみ。その先にはミケランジェロやレオナルド・ダ・ヴィンチも歩いた細い路地が多くある。サルヴァトーレ・フェラガモ本店に行く。1927年創業の老舗です。井上さんは靴を購入。
 次はサンタンブロージオ市場 Sant' Ambrogio Market に行く。市場の中で食べられる、行列のできる店「ダ・ロッコ da Rocco Trattoria 」に行く。車えびのリングイネ(950円)、ポルチーニ茸のソテー1100円、ジェラート650円をいただいた。イタリアン・ジェラートはフィレンツェが発祥と言われている。
 サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂 Santa Maria del Fiore は街の中心にある。高さ116m、幅153mで約3万人を収容でき、ゴシック建築物ではイタリア最大の高さと大きさ。直径42mの屋根の部分の丸天井には壮大なフレスコ画「最後の審判」(ジョルジョ・ヴァザーリ作)が描かれている。それを上回る絶景がその絵の上に待っている。頂上まで106m、463段の階段を登る。眼下には一面の赤色が広がっています。そして鐘が鳴りました。でも、私の感想だと、画面の色は実際のオレンジ色とは違っていました。

●アルゼンチンの大氷河
 片瀬那奈さんが旅をした。パタゴニアは荒涼とした風景。ロス・グラシアレス国立公園 Parque Nacional Los Glaciares はグラシアレスとは「氷河」という意味。そのクライマックスは青い氷河の尖端が湖に崩れ落ちる瞬間。そこにはミラノ経由でブエノスアイレスに向かい(30時間)、さらにカラファテ El Calafate の町に3.5時間飛んだ。案内人はペドロ・ガラハンさん(48歳)で、氷河の研究家です。
 まずは氷河が溶けて出来た「アルヘンティーノ湖 Lago Argentino 」に行った。氷河が動く時に削った岩石のミネラル成分が混ざるために、エメラルドグリーン(レイチェ・グラシアールと言われる)〜乳青色に濁った独特な色をしている。さらに太陽の光を反射して美しく色を変える。出航から1時間、湖の中に青い氷山が姿を見せた。クルーズ船の3倍。しかし、湖の上のものは3割以下で、水の中に7割以上隠れている。氷河の氷は、透明度が高いので、青以外の色を吸収し、青だけを反射するので青く見える。そして、目の前に世界一美しいと言われる全長35キロの「ペリト・モレノ氷河 Glacier Perito Moreno 」が巨大な姿を現しました。高さ60mは、20階建のビルに相当し、幅は約5km。ペドロさんが「あの辺が崩れそうだな」と言った場所が崩れた!地球が氷河期だった1万年前と変わらない姿をしていると言われています。生きている氷河と言われ、活発に動くと言われるこの氷河は1日に2mも動く。
 氷河の上に行くために、横に船を着けて、林の中を歩く。サイズもすごいが、青色もすごい。滑り止めのアイゼンを履かないと、氷河の上を歩けない。クレバスができて氷河が崩れていくという。氷河の中には青くておいしそうな水があった。氷河の上に立つと、まぶしいが360度のパノラマが広がっていた。かき氷を作って食べましたが、他の観光客もいただいて好評でした(笑)
 青い氷河の崩壊が見られるという展望台に行く。アンデス山脈に降った雪が数万年後に崩壊する時を見る。まわりの気温が高くなってきたら次第に大きな崩落を起こすようになった。待つこと2時間程度。何度も大きな崩落を見ることができました。

●ペルーのマチュピチュ
 保坂尚輝さんが旅をした。幻の天空都市。500年以上前に黄金で栄えたインカ帝国の都市で、95年前に発見された。ロスを経由してクスコに到着した。クスコはインカ帝国によって栄えた町で、500年前にスペインにより滅ぼされた。案内人はラミロ・ペレスさん68歳。愛称は「マチュピチュのパパ」。クスコが標高3360m、ここのサンペドロ駅 Estacion San Pedro から列車に乗る。一番前の特等席を用意してくれた。この列車には酸素ボンベが積んである。ここからアグアス・オリエンテス駅まで100km、3時間30分の旅。車窓にはアンデスの絶景が見える。谷に沿って列車は登っていく。到着したらバスに乗ってくねくね登っていく。道は舗装されていないし狭い。マチュピチュの発見者にちなんで名づけられたハイラム・ビンガム・ロード Hilam Bingham Road という狭く曲がりくねった坂道。昔、ここをグッバイ・ボーイが駆け下りていた。そこから登って、マチュピチュ Machu Picchu の上に到着した。いつ何のために作ったのかわからない謎の都市。
 遺跡は、山から切り出された石でできている。太陽の神殿 Tempio del Sol は位の高かった人のミイラが安置されていたと考えられている。隣の鋭い山ワイナピチュ Huayna Pichu の上からマチュピチュを見た者には幸運が訪れるという。マチュピチュは頂上から見るとコンドルの形をしている。コンドルが幸運を運んでくるという。ラミロさんの代わりにロナルドくん(9歳)が山に連れて行ってくれた。しかし、その道の険しさは想像を絶するもので、薄い空気の中で、高さ300m、最大斜度は60度を越える山を登った。45分で中腹に到着。子供は平気で上って行きました。1時間30分でやっと到着。眼下には右手にマチュピチュの遺跡、真中には棚田のような段、左手にハイラム・ビンガム・ロードが見えた。上から見ると確かにコンドルの形に見えました。そして左手には虹が見えました。

●南アフリカの希望峰
 菊川怜、宇梶剛士さんが旅をした。日本から遥か1万5000kmもの地にある、世界中で最も有名な岬「希望峰 Cape of Good Hope」がある。冒険家バスコ・ダ・ガマが初めてその岬を越え、インド航路を発見した偉業を称えて名付けられた。彼は到着した時上陸できなかったそうです。バスコ・ダ・ガマが憧れていた大西洋とインド洋の2つの大海が出会う喜望峰からの絶景を目指す。二人は香港経由で20時間でケープタウン Cape Town に到着。アフリカ大陸一の発展を遂げた奇跡の街で、テーブル・ベイ・ホテル Table Bay Hotel に宿泊。案内人はレラーニ(32歳)とデービッドさん(43歳)。
 菊川さんは4WDで「インド洋周り」、宇梶はバイクのサイドカーで「大西洋周り」と、別々のコースに分かれて喜望峰を目指した。
 「インド洋周り」の菊川さんは、まず南アフリカで一番美しいと言われるビーチ「ミューゼンバーグ Muizenberg 」に到着。カラフルなおもちゃ箱のようなビーチハウス(海の家?)が並んでいるが、その先はきれいな砂浜が10km続き、海はエメラルドグリーン。さらに車を走らせると「ペンギン注意」の標識。ボルダーズ・ビーチ Boulders Beach に降りてみると、砂浜にペンギンの大群が休んでいました。アフリカ・ペンギンで、体長およそ80センチ。次にペンギンと一緒に泳げる、地元の人しか知らない超穴場の素敵なビーチに連れて行ってもらいました。次にレストランで「ダチョウの卵の目玉焼き」3000円をいただいたが、直径60cmとでかい!大きさ20cm程度の卵は殻の厚さが2mm程度ある。
 「大西洋周り」の宇梶さんは、まず2万羽というケープ・カツオドリ Cape Gannet のいる「ランバーツ・ベイのバード・アイランド Lambert's Bay Bird Island 」に行く。地面が白く見えます。豊富な魚を食べて育つので大きく、全長90cm、羽根を広げると2m近くになるという。次にハウト湾 Hout Bay に到着し、この半島で一番シーフードがおいしいと言われるお店でシーフードを堪能。「ロブスターのキャビア添え」9匹、「大西洋産の生がき」15個をたいらげた。
 どちらも喜望峰の入口に到着。両側は平原な場所を走り抜け、希望峰に到着。岬の上に上がると、岬全体が見えるという。30分?登ると岩場となった。それを登りきると、目の前にはインド洋と大西洋という2つの大海が出会う絶景が広がっていた。

http://www.fujitv.co.jp/zekkei100/


テレビ番組「日本のタクシー大冒険U…地球縦断26000キロ南米最南端〜ニューヨーク100日間奇跡の旅」

 2004年7月18日、19日放送。乗客は大鶴義丹。前回の東京〜ロンドンに続く第2弾。南米の南端からニューヨークまでの2.6万kmの旅。使用ガソリン2359.547リットル、給油回数74回、最高気温37度、最低気温ー2度、乗車時間637時間、越えた国境11ケ所。
 2003年8月5日、ドライバーを決めるオーディションをした。全国から61組の応募があり、練馬区大泉学園に住む父65歳佐久間侃さん、娘39歳の綾子(日生交通)さん親子が選ばれた。テレビ東京製作。

●アルゼンチン・フエゴ島
 日本から飛行機で37時間。2003年12月22日にウシュアイア国際空港に到着。ここから1000km南下すれば南極。空港のすぐ南のビーグル水道はダーウィンが乗っていたビーグル号にちなんで名づけられた。アシカ科のオタリア、ズグロムナジロヒメウなどが生息している。
 ウシュアイア(アルゼンチン:南緯55度)は世界最南端の町。先住民は日本人と同じモンゴロイドだが、今は純粋な先住民は誰もいない町、南極観光の拠点として世界中から観光客が集まってくる。

 12月27日午前9時、世界最南端、国道3号線の終点からスタート。2ヶ月かかってタクシーは船で先に到着していました。グアナコという鹿みたいなのが道路の横をはねていました。

●チリ・フエゴ島 ⇒チリ本土
 12月28日、アルゼンチンからチリへの国境越え。フエゴ島は九州よりも少し大きいくらいで、島の真中を縦に国境がある。国境を出ると何もない緩衝地帯が10km続く。チリに入って395km、11万円。ポルベニール港から本土へ渡ろうとしたが、満車で乗れなかった。仕方なく、バイア・アスール港のフェリー乗り場から南米大陸に渡る。12月は百夜。巨大な虹がかかりました。海の底から照明を当てているようなすごい虹でした。午後10時半にフェリーに乗り、マゼラン海峡を20分で渡る。

●チリ
 3時間走って、プンタ・アレーナス Punta Arenas (岬の先端という意味)という町に到着。夜中の2時。プンタ・アレーナスはマゼラン海峡の入口にあり、マゼランによる発見により栄え、その衰退とともに静かな町に戻った。マゼランのブロンズ像があるが、その足元には、マゼランによって滅ぼされた先住民の姿がある。足が異様に光っているのは、ここにキスをすると再度帰って来られるという伝説があるからだという。

●チリ・パタゴニア
 1年を通じて強風が吹く。海沿いの陸上にマゼラン・ペンギンがいました。海にえさを取りに入っていきました。巣の中には卵からかえって2ヶ月の、大きな子供がいました。パタゴニアは冬が長く野生動物が暮らすには適している。
 12月30日、美しい場所の一つパイネ国立公園が見えてきたところで、車がスピン。路肩の岩にぶつかって止まりました。右側の前輪と後輪がパンクしたが、お父さんが交換しました。怪我はなかったのですが、綾子さんはショックが大きすぎて、静かになってしまいました。1220kmしか走ってないし、お客を乗せていただけにショックだったようです。
 12月31日、アルゼンチンに入国。やけに明るい職員で綾子さんも笑う。1350km、40.6万円。

●アルゼンチン
 パタゴニアの広大な風景が広がっていた。コンドルが悠々と飛んでいました。カラファテの町で1泊し、新年を迎える。1月1日6時半、朝日に佐久間さん親子は、安全を手をあわせて祈りました。
 アンデス山脈の上に広がる、ペリト・モレノ氷河。高さ60m幅5kmの巨大な氷河の壁。崩れて川に落ち込む様子を見て、滅多に感動しない大鶴さんも感動しました。氷河って生きているみたいです。
 パタゴニアは日本の2倍の広さ。1月3日、大西洋に出ました。1月5日バルデス半島、オタリアというアシカとオットセイに似た動物がいました。南米大陸しかいません。オスはSea Lion と呼ばれていて、1頭がメスを10頭くらい従えている。1月6日、費用が100万円になりました。3403km。

 1月8日ブエノスアイレスに到着。人口300万人で、南米のパリと呼ばれています。移民たちが作り上げた町です。ブエノスアイレスで一番という喜納自動車整備工場で修理してもらった。沖縄出身の日系移民がオーナーです。休日も修理をしてくれました。本来は部品交換をするのですが、部品がないので、叩きだしという技術で対応しました。
 その間に、おいしいと評判のレストラン「ロス・プラティトス」で食事をした。アルゼンチンは牛肉の消費量世界一を誇ります。ベイビー・ビーフを注文。800gで20ペソ(600円)。
 アルゼンチンには日系移民が3.5万人暮らしている。ブエノスアイレス郊外の渡辺よしのさん(90歳)宅を訪問。昭和10年にアルゼンチンに来て68年。最初は苦労ばかりでしたが、花の栽培をはじめてから生活が楽になったそうです。妹さんが東京・足立区の五十嵐すみえさん(82歳)で、ビデオレターを見て、涙していました。
 1月12日に当初の予定よりも3日早く、タクシーが新品同様に直っていました。
 南米のきれいなひまわり畑が広がっていた。

 1月16日イグアスの滝。世界三大瀑布の一つ。悪魔ののど笛を含め300近い滝が流れ落ちます。圧倒的なスケールに人間は立ちすくむのみです。あまりに量が多すぎて、水の動きが奇妙なんだと大鶴さんは言います。

●ブラジル
 1月17日ブラジル国境を越える。6230km、180万円。ブラジル側からもイグアスの滝を見ました。ブラジル国内を走るが、お父さんも大鶴さんも爆睡。
 1月20日サンパウロに到着。人口1500万人、南米最大の町。異なる文化を持った移住者の街。かつての日本人街、今のリベルタージュ(東洋人街)に行ってみた。サンパウロには37万人の日系人が暮らしている。日本のタクシーを見て、いろいろ聞いてきた人がいました。
 1月24日、マウリシオ・ジョペル橋を渡る。パウナ川を渡る全長13kmの橋で、渡りきるのに10分以上かかった。ここで自然渋滞に巻き込まれた。ここでお父さんがイライラし始めた。その夜カンポ・グランジのホテルで、スタッフが親子の関係について聞いてみた。やはり亀裂ができていた。

 パンタナール湿原。日本の本州と同じくらいの面積、パンパジカという鹿などの80種類の哺乳類、トゥユユ(ズグロハゲコウ)という白鳥などの650種類の鳥類が確認されています。中でもスミレ色をしたスミレコンゴウインコはここにしかいない。そして、ジャカレ・ド・パンタナール(パラグアイ・カイマン)というワニのような50種類の爬虫類。
 1月29日パラグアイ川で釣りを楽しんだ。ピラニアが釣れますが、ワニもいます。地元の人が川に飛びこんだ。この時期、パンタナールは雨季で、毎日バケツをひっくり返したような雨が降った。
 1月31日、300万円到達。ボリビアとの国境に近い、カセレスに到着。ここにも日本人移民が住んでいます。中本仁平さん68歳。昭和34年に23歳で単身ブラジルに渡った。その半生は壮絶を極めるものだった。戦時中は満州に家族で行っていて、日本に帰れたのは兄と妹だけだったそうです。農地を切り開き、木材などの伐採などもしていた。体長2mのジャガーも食べたが、おいしくなかったそうです。1968年アルミで雨どいをつくる工場をつくり、これがあたって、生活が楽になった。叔母さんの北村時子さん(87歳)のビデオレターを見て涙しました。3人は日本食をおいしくいただきました。刺身はパクーという魚でした。
 2月5日アマゾン縦断道路 BR319 を600km、マナウスに向かって走っていましたが、道路のぬかるみにはまりました。抜け出しましたが、退却することに決定しました。346万円で撤退。川で行くことを提案され、農作物を載せる船に船長に頼んで、マデイラ川から船に3台乗せてもらって、マナウスに2泊3日で向かいました。途中で、10kmに渡り黒い川と白い川が分かれて流れているのを体験しました。2月11日午後8時マナウス上陸。マナウスは19世紀に天然ゴム景気に湧いた町です。
 2月12日、道はあてにならないので、船がメインの町。中央市場に行く。一部は魚専用市場になっています。でかい魚が並び、さばき方も豪快で輪切りです。タンパキ、アロワナ、ピラルクなどもでかいです。アカリというナマズの一種が一番人気。炭焼きして、塩とレモン汁をかけて食べますが、おいしいそうです。
 2月13日、赤道を通過。赤道モニュメントもありました。

●ベネズエラ
 2月18日ベネズエラの国境を越えた。13277km、384.6万円。最近クーデターがあったばかりで政情が不安定なので、ピリピリしていた。
 大鶴さんはギアナ高地へ来るのが夢でした。1000mの絶壁です。ヘリコプターを使い、1000m上の太古の大地に上がりました。下を見ながら、いろいろなことを思いました。2月21日、目の前にカリブ海が広がりました。ここから船でパナマに渡ります。ところが船がキャンセルされた。
 カラカスのシモン・ボリーバル国際空港から3人は飛行機でパナマに飛び、ディレクターはタクシーをパナマに運んでくれる貨物船を探します。

●パナマ
 3人はホテルでディレクターからの連絡を待っていました。タクシーはコロンビアからパナマまでは道がないので、飛行機で空輸してもらいました。パナマのトクメン国際空港で、ディレクターからカギを受け取りましたが、ディレクターは泣いていました。いろいろあったのでしょう。

●コスタリカ
 3月1日コスタリカ入国。17099km、452万円。人口は350万人たらず。山下鉄郎さん89歳、長女和子さんがコスタリカ人と結婚したので、18年前に一緒に来たそうです。次女裕子さん、三女泰子さんのことはいつも忘れないと言います。事業に失敗し、奥さんと離婚し、和子さんには迷惑をかけたと言います。三女のビデオレターに和子さんと鉄郎さんは涙しました。

 3月5日、お父さんが突然、体調を崩しました。長い間、風邪ひとつひいたことがないというお父さんでしたが、咳と熱がでました。

●ニカラグア
 18199km、483万円。コンセプシオン火山(標高1610m)が見えてきた。富士山に似ていました。病院どころか町がありません。
 グラナダという町があり、日本からの資金協力で作られた日本ニカラグア友好病院があり、入院した。39度になった。ちょうどこの頃、中米ではデング熱というのが流行していたので、それかもしれなかった。原因不明でした。3日連続して寝ていました。黄熱病やマラリアなども考えられていましたが、3月8日復活しました。
 ガソリンの値段の値上がりでトラックの運転手がストライキをしていて、道路が閉鎖されていた。みんなが農道を教えてくれたが、橋のない川を何度も渡りました。

●グアテマラ
 3月12日、19197.5km、511.9万円。
 3月14日、世界で最も美しいという湖、アティトラン湖に到着。ここにも富士山に似た火山が3つある。サンペドロ火山(標高3020m)も見事な火山です。
 湖畔には、先住民族カクチケル族が暮らしています。日本人にとってはどこか懐かしい風景です。男たちが漁から帰ってきました。サンタ・カタリーナ村。カクチケル族は古代マヤ文明の衣装と同じです。
 ある一軒の家を訪ねてみた。カタリーナ・ミマカチさんのお宅です。マッチだけで火がつく木があります。トウモロコシの粉をこねて作る、中南米代表の食材トルティーヤを作るのを綾子さんは手伝った。各家庭には石、水を加熱した石で作った部屋がある。サウナで、みんな毎日入るそうです。男性はサウナに入りました。中はかなり煙いそうです(笑)
 湖で獲れたモバラという魚を油で揚げた。今晩のメニューはトルティーヤに魚が1匹ずつ、それにチキンが入ったスープにライス。

●メキシコ
 3月15日。19849km、530.7万円。日本の5倍の面積の国、メキシコに入りました。
 3月19日、ティオティワカンが見えてきた。メキシコ最大の宗教都市遺跡、死者の道と呼ばれる全長4kmのメイン・ストリートを中心に、太陽のピラミッド、月のピラミッドがある。謎多き遺跡ティオティワカン。太陽のピラミッドは、全部で248段ある急な階段、高さは65m。世界でも3番目に大きいピラミッドです。紀元前2世紀に作られて、最盛期には20万人が暮らしていた。
 突然、ピラミッドの頂上にいた人が両手を上にあげ、逆立ちしている人も出ました。この日は丁度春分の日。年に2回、太陽の位置が一番高くなる日だった。太陽のエネルギーを得るためだそうです。

●アメリカ合衆国
 3月22日、22446km、606.1万円。テキサス州に入りました。 あとはゴールのニューヨークに向けてつき進むだけ。
 3月23日、サンアントニオ市。観光都市としても知られ、水路が走っています。満枝・マクダニエル(旧姓川島さん)さん70歳は、両親のとまどいを押し切って、リチャードさんと1959年結婚した。両親との仲を修復したいという思いはあったが、ちゃんと言えないままに逃げていて、両親は亡くなった。妹さんの大川由子さんからのビデオレターを見て、涙しました。

 3月27日、ミシシッピ川の河口のニューオーリンズに到着。ここで日本人観光客に囲まれました。
 500km北東に進み、アトランタのストーン・マウンテンが見えた。世界最大の花崗岩。レリーフは南北戦争の南軍の英雄3将軍。ケーブルカーで山頂にも上ることができます。眼下にはアメリカ南部の風景が見えましたが、タクシーが目に入りました。
 ここで The long and winding road が流れました。3月31日、ワシントンDCを通過しました。満開の桜が向かえてくれました。ホワイトハウスも見えました。

 4月2日、午前5時、フィラデルフィア。気温0度。とても寒い日でした。朝6時に最後の洗車・給油をしてから、200km先のニューヨークに向けて8時に出発しました。7108420円からのスタート。最後は綾子さんがハンドルを握りました。
 ブルックリン橋を渡り、プラザ・ホテルの前に向かう。1907年10月2日に新装オープンしたこのホテルの前で、アメリカで初めてメーター付きのタクシーが使われた。それで、プラザ・ホテルの前に向かう。エンパイア・ステートビルの横、タイムズスクエアを通過し、60丁目の角を左折しました。しばらくするとクラクションの音がすごい。イエローキャブが迎えてくれました。鳩も飛んでいて、綾子さんはとっても嬉しかったようで、涙にくれていました。
 2004年4月2日、12時57分ゴールしました。全走行距離26368.6km。プラザホテル前には、お母さんと綾子さんの子供たちが待っていました。しっかり抱き合って、感動しました。改めて家族の大切さを感じた旅でもありました。
 料金は716万1860円でした。


TV番組「道浪漫」2001年9月16、23日は星野知子さんでパラグアイ

 日本と同じ面積に人口500万人。次の街まで100km。平原が多く、 野焼きが多い。森も失われている。ヴァリグ航空で行ったらしい。

●アスンシオン
 メルカード・クアトロという朝市。トマト1キロ1000グアラニー(25円) 人参1キロ13円、キャベツ1個13円。パンみたいな山芋のでんぷんと チーズ・卵で作ったもので1個25円。
 南米で最も治安がいいと言われる。英雄広場でアルパというハープみたい な楽器が演奏され、ダンスグループが踊り。瓶ダンスといって頭に瓶を重ね ていって踊る。しかも縦に6個!中身は砂らしい。

●ラス・デリシャス
 パラグアイのディズニーランド?平日は何もない!ただの平原。カピバラ という世界最大のネズミがいる。体重は60kgにもなる!肉がおいしいの で乱獲されたらしい。土日には人がたくさん集まるらしい。日本のスイカ割 に対応するカメ割。中にはキャンディが入っている。入園料約500円。

●セロ・コイ
 アスンシオン郊外。岩は石の棒を組み合わせてつくったようなもの。 柱状節理と呼ばれる現象。
 その周辺の街は陶器で有名。ロサ・ブリテスさんの作品は有名。代表作は 月と太陽。今60歳のおばあちゃん。ろくろを使わない。1つの作品を作る のに釜入れまで含めて10日かかる。

●セロ・メンビィ
 モニュメント・バレーに似た感じ。グアラニー族の聖地にある母子岩。 古代壁画が多数残っている。

●アマンパイ
 アスンシオンから約700km。競馬をやっていた。馬券を買うのでは なく、人を見つけて1対1で勝つか負けるかで決める。
 どうせならというので牧場にホームステイ。ラス・ニンニャス牧場は、 広さ1200ヘクタール、飼われている牛は9000頭。近々ホテルにす る予定らしい。
 朝は号令すると馬が並んだ!。お昼はアサード・ア・ラ・エスタカという いわば牛肉の槍焼き。この牧場は森を守っている。年間1000万円かかる という維持費を自分で出している。

●アスンシオン
 ホテル内山田。炊きたてのご飯も、塩鮭もある。朝は和食が食べられる。 日本と変わらない。1泊(新館)50ドル。
 メルカード・クワトロで。パラグアイの朝はマテ茶で始まる。日本の抹茶 に近い味らしい。市場

●トリニダー遺跡
 アスンシオンから400kmの世界遺産トリニダー遺跡。 18世紀、イエズス会の宣教師によって、先住民グアナニー族と共に、 ユートピアを作ろうとした。そのためにパラグアイの人は今でも優しいらし い。最盛期には4000人いたらしい。教会跡が残っている。

●イグアスの滝
 パラナ川。「友情の橋」を渡って、ブラジルに。バスが渋滞している。 パラグアイ第二の都市、南米の香港と呼ばれる、シウダー・デル・エステは ブラジルとの国境の町。日曜以外は荷物を持った人で殺気だっている。ブラ ジルと比べて、商品はほぼ半額らしい。例えば、タバコ。ここだと1箱28 円(Plazaというタバコ)。橋渡し代2.5ドルで運び屋が荷物を運ぶ。アスン シオンから車で5時間半。
 もう一つはバイクタクシー。橋を渡るのにバイクで!橋を渡る。これだと 渋滞しない。橋の真中で国境を越える。
 越えるとフォス・ド・イグアス。国立公園なので、環境保護のために車の 入園が制限されているので、2階建シャトルバスに乗り換える。入園料 (バス代込み)8ヘアイス(400円)。入口から滝まで15分。東京都よ りも広いイグアス国立公園。バス停を降りるとすぐ最初の展望台。イグアス とは壮大なる水を意味する。幅3km、大小270個の滝で毎秒6.5万ト ンというとんでもない量。多くはアルゼンチン側にあるので、見るならブラ ジル側がお勧め。
 アカハナグマが滝の人気者。観光客の食料を狙う。エサを与えることは 禁止です。一番奥にあるのが「悪魔の喉笛」1kmある遊歩道の中で最高の 見所。カッパを着るとよい。ポルトガル語なので、カッパで通じる。
 悪魔の喉笛に続く遊歩道はどしゃぶりの雨状態。遊歩道を作って人たちに 敬意を表します。
 レストラン「ポルト・カノアス」はブフェ形式で、一人16ヘアイス(約 800円)。川に面したところで食べる。BGMは悪魔の喉笛。ブラジル側 から見る滝の本番は午後。虹が見られるから。アルゼンチン側の楽しみは滝 を真上から見下ろせること。不思議な光景を目にした。元気に飛んでいる鳥 がいあるオオムジアマアマツバメはこのあたりだけに生息するが、信じられ ない行動をする。滝の中に飛び込んでいく。滝の裏側に巣がある。それで外 敵から身を守っていた。
 タイル絵は3−16ドルで売っている。指だけで3分で描いてしまった! ブラジル側からのボートツアーが極めつき。マクーコ・ツアー一人$33。ボー トは激流のイグアス川を高速で上り滝へと近づく。小さいボートだからすご く揺れる!体力勝負です。1億2000万年たっているらしい。
 フォス・ド・イグアスのホテル・ブルボンで休憩。星野さんはいつもお茶 セットを持って歩いているらしい。5つ星ホテルでシングル$100〜。電話 (85)46-623-1313 だと思うけど、違うかも〜。サッカー場もある。

●イタイプー発電所
 世界最大の出力を誇る水力発電所。無料で、休みは日曜。全長8km。


http://mbs.co.jp/tv/michi/249/index.html

テレビ番組「旅サラダ」2000年5月は杉本彩さんでアルゼンチンの旅

 日本の全く逆の位置にある。AAでダラス経由でFクラスでブエノスアイレスに入ったようです。24時間乗っていたとか。1ペソ=1ドルでどこでも米ドルが通用するとか。

●ブエノスアイレス
 世界で一番広い通りがある。片側10車線!「南米のパリ」と呼ばれる。ブランドショップが並び,お洒落な人が多い。大統領官邸はピンク色。
 地下鉄で移動。アンティックな地下鉄。ドアは手動。1913年の開通らしい。しかし,日本で地下鉄を走らせる時に,わざわざここまで見学に来たらしい。今もいい関係らしい。
 フロリダ通り。アルゼンチンは物価が安いのに,さらにこの行った時期はバーゲン中だった。May be という皮の店の製品はカラフルな色。カモシカの青の服は$215,ひょう皮のスーツ$260!!2時間でできるとか。
 港「プエルト・マデーロ」。「母を訪ねて3千里」のマルコが下り立った場所である。近く?にある「シャンドン・バー」というシャンパン・バーに行く。今ブエノスアイレスではシャンパンが大流行らしい。生ガキ$8とシャンパン,サーモンと炒め野菜$18。おいしいらしい。
 華やかなのはリエンテス通り。流行が生まれるというフロリダ通り。あちこちでタンゴを踊っている。いつもパフォーマンスをやっているらしい。
 港へ行く。欧州から来た人が懐かしさを求めて通ったというボカ地区の路地裏のの酒場から生まれたのがタンゴ。カミニートというタンゴの名曲の舞台となったところはカラフルな家が並んでいる。「カサ・ブランカ」は2ドリンク付$50でショーも見ることができる。
 踊りたくてダンサーの所に習いにいく。「スタジオ・ビザーロ」タンゴダンサーの古瀬陽子さんに指導してもらう。レッスン料1時間$100で二人まで学べる。
 夕方ともなると,広場でみんながタンゴを踊っている。「トルクァト・タッソ文化センター」は夜の12時から盛り上がる。ここで踊った。

●イグアスの滝
 飛行機で1時間半。飛行機の中からよく見える。とは言っても煙っているけど。滝幅4キロ。小さなボートに乗って,滝の上の方から滝に近づく。途中で下船して歩いて滝に近づく。到底下までは見下ろせない。雨のように水 粒が降っている。
 目の前に見えるシェラトン・インターナショナル・イグアスに泊まった。201号室。カーテンとベッドカバーは花柄。ルームチャージ$140(朝食付)。窓から滝が見える。滝の右側がブラジル。
 遊歩道を歩く。野生の花も咲いている。20分くらいの道の先は滝の落ちる途中のところになっている。滝壷に行くボートツアー$45。猛スピードでつっこんで行く。どしゃ降りです。そしてボートは引いてまた,つっ込んで行く。杉本さんと同乗の方がムチウチになったくらい激しいらしい。

●メンドーサ
 ブエノスアイレスの西1000キロ,飛行機で1時間50分。ヨーロッパの田舎町を連想させる街。さわやかな空気。ワインショップへ寄ってみた。ラ・カーサ・デル・ヴィーノ。だいたい1本400−500円。アンデスの雪解け水がおいしいワインをつくる。いろいろなワイナリーがある。その中の Bodegas La Rural を訪問。ワイン好きの人が世界中から来るという。天皇陛下がアルゼンチンに滞在中に飲まれたという Rutini のワイナリー。紫色の可愛いボトルの「12のブドウ」は$5.6だが2000年を記念したもので,試飲はできなかった。

●温泉
 メンドーサから山の方へ車で1時間,温泉が出るという「ホテル・テルメ・カチェウタ」リゾートホテル。ガイドブックにも出ていない。33号室。ルームチャージ$115。窓も可愛い。景色もきれい。ホテルのプールは,温泉。変わった温泉に入ってみることにした。何と泥水!泥を体じゅうに塗りたくって(髪にも),乾かす。体がパリパリになるらしい。メンドーサで買ったワインをいただく。

●バリローチェ
 ブエノスアイレスから飛行機で1時間半。南米のスイスと言われる。19世紀にスイスの人が多く住みついた。レマン湖の風景に似ている。セントバーナードを連れていた人が写真を撮って売ってくれる。$10。2−3時間で現像するので,取りに行くか郵送してもらう。夏でも平均14度くらい。
 おみやげはチョコレートが多い。「アポエラ・ゴシュ」という店に入る。試食して,気に入ったものを買う。1キログラム2000円くらい。干しぶどうとラムノチョコレートは250g$5.5。
 みな自分の好みの湖のほとりに滞在するらしい。今回は Lago Gutierrez (グティエレス湖)のほとりのエル・レトルノ・オステリアという木造のホテル。窓から見える湖の景色もいい。1泊朝食付$90。庭も広い。ホテルで用意してくれた乗馬コースは半日・ランチ付で$60。人もついていてくれるので安心。
 地元の人の推薦のレストランに行く。Karinka (カリンカ)は可愛い感じで,ヒラリークリントン夫人もここが好きらしい。オーナーは白いおひげのモナコ・ネストロさんで,雰囲気がとてもいい。一人でやっているらしい。オイル・フォンデュ用の18種のソースが出てくる。オイル・フォンデュは$18と安い!
 ついでにレストランの裏山にリストで上がって,カンパナリオの丘から周囲を眺めた。

●ペリト・モレノ氷河(パタゴニア地方)
 ブエノスアイレスから飛行機で3時間10分でリオ・ガジェゴスに行ってそこから車で6時間,西に向かう。グアナコという動物(鹿に似ている)をよく見る。青い空と枯れた風景が続く。南極からの強い風のために,草しか生えない。風と雲が特徴。「風の大地」と呼ばれる。
 レストラン・ラ・エスペランサでは,羊の丸焼きが食べ放題。ドリンク付で$15。油が下に落ちるので,サッパリしているらしい。
 また車で西へ。湖が見える。ペパーミント・グリーンの色。右手にフィッツ・ロイ山3441mが見える。コンドルが飛んでいた。見えるのは珍しいらしい。川を渡って,フィッツ・ロイ山に近づく。ギザギザの山が連なる。それを越えてさらに西へ。やっとペリト・モレノ氷河に着いた。
 全長35キロ,先端部の幅?5キロ,高さ60m,1日に2m動いているらしい。「ロス・ノートロス」というホテルは氷河の真ん前。牛皮の敷物などがある。ソファーベッドに座ってみると窓から氷河が見える。窓が額縁のようになっているので,氷河は絵のように見える。ロビーは緑色の系統。部屋は赤橙色。バスルームからも氷河が見える。1泊$320。全室氷河に向いている。
 このホテルからクルーズが出ている。$70。ランチボックス付で3時間のツアー。危険なので氷河には400m程度までしか近づけない。岸壁に着けて,陸に上がって足にアイゼンをつけて氷河の上をトレッキングした。インストラクターがきちんとサポートしてくれる。氷の裂け目からブルーの世界が見える。約1時間の氷上散歩。締めくくりは,氷河の氷を使ったオン・ザ・ロック。ホテルにあるソファーベッドに寝そべって氷河を眺める。太陽の光と共に表情を刻々と変える氷河。このホテルはシーズン中は予約でいっぱいとか。

テレビ番組・国生さゆり・羽野晶紀の「アルゼンチンめざせ南極!」美女2人珍道中

 2000年9月30日放送。行ったのは1999年12月頃らしい。テレビ朝日制作で、ヴァリグ航空で行ったようだ。サンパウロまで24時間。さらに6時間でブエノスアイレス。ビジネスクラスだろうけど、現在のUAのような座席 ではなかった。

●ブエノスアイレス
 エセイサ国際空港。現地は夏の気候。南米のパリと呼ばれている。まず、思い出すのはマドンナの出た映画「エディータ」。そこで大統領府前の5月広場へ。7就き日通りの白い塔がど真中らしい。地下鉄に乗る。どこまで乗っても50セント(60円)。車両は丸の内線で使われたものだった。  一番のショッピング通り、フロリダ通り。下着の店が多い。下着をプレゼントする習慣があるとか。国生さんは胸の中にお金を入れていた (^^)  マデーロ港はデートスポットとか。そこの地中海料理の店 Paquebot。ワインは天皇陛下が飲まれたという Rutini 1995 ボトル$62を飲む。「キャビアとミントを和えたスパゲティ」$9、「サーモングリルとカニ入りマッシュポテト」$19.カジキマグロのブラックオリーブ、アンチョビペーストのせ」$17。おいしいらしい。ジャガイモは甘いらしい。

●カミニート
 タンゴ発祥の地で、ボカ地区。昼間から踊ったり歌ったりしている人がいる。タンゴの絵も多い。古瀬陽子さんはアルゼンチンでただ一人のプロの日本人タンゴダンサー。タンゴ教室を開いていて、教えてくれる。ここで練習してタンゴサロン Club de Tango Gricel に行く。もっとも盛り上がるのは午前1〜2時とからしい。ここで陽子さんに紹介された人と踊る。足を一杯踏んだらしい。  古瀬さんに聞いて、フォルクローレをする。タンゴもフォルクローレの一つだとか。オラルケさんにアンデス音楽を習う。シークス(異なる長さの竹を使ったハーモニカ風の楽器)、ケーナ(尺八に似ている、コンドルは飛んでいくで使われている楽器として有名)、チャランゴ(小型ギター)など。  ラプラス川で釣りをする。国生はここでピラニアを釣ると言っていたが、いるはずもなかった。ナマズとかがいるらしい。  古瀬さんと市場へ行く。肉は1キロ$3.50〜。これでアサードを焼くわけだ。屋上でランチ!かな?

●メンドーサ
 アンデスの麓。飛行機で1時間40分。アルゼンチンワインの産地。このLa Agricola 社というワイナリーを訪問。ここのサンタ・ジュリアは日本に輸出されている。ブドウ摘みも手伝う。外でバーベキューをする。エンパナーダ(餃子みたいなもの)、アサードというお肉、これにマルベックというワインが合うらしい。

●どこかな?
 南極説明会がある。普通はウスアイアから船が行くが、今回は特別に飛行機で連れていってもらえることになった。しかし、天候が悪く、なかなかOKが出ない。  早朝イヌの散歩屋さんに付き合って、イヌと散歩。イヌバスもある!各自自分の席を認識しているようです。

●ティグレ
 午後レティーロ駅から85セントでティグレ駅へ向かう。ここはフリーマーケットなどもある。電車で40分。スイカ1kg30円と安い!しかし、この日は嵐の日で最悪。

●南極・マランビオ基地
 リオ・ガジェーゴス空軍基地からC−130輸送機で4時間飛んでいると氷山が見えた。アルゼンチンの南極基地へ着いた。ここでは100人が生活している。近くのエスペランサ基地は学校もあるらしい。  普通はウスアイア港から船で11月〜2月(10−120日間)週3−4便の船で行く。予算は3000−1万ドルで、日本からだとJES旅行センターによると12月26日〜1月6日の11日間で100〜350万円だそうです。船によって値段が違うらしい。南極には温泉もある?

 キャプテン・カブレーラさんらが案内してくれた。全て天候にかかっている。基地の周辺に車に乗っていく。氷や雪はないところだが、地面がふかふかしているらしい。空気がきれい。アンモナイトの化石があるが、持ち出し禁止である。サングラスが要るかも。大自然を見ているだけで心が癒されるらしい。  翌日は気温2度、体感温度ー5度。濃霧。さらに次の日は気温ー15度で雪景色!ヘリでペンギンを見に行く。離れていたけど、何千匹もいたらしいペンギンの群れを見ることができたらしい。羽野さんはペンギン、ペンギンと叫んでいた。  旗を作って、キャプテンにプレゼントした。スタンプがあった。最終日、迎えの飛行機が来た。南極での滞在証明書をくれた。そして帰国の途へ。


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