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なお、これはわたしが個人的にテレビを見て書いたものであり、各テレビ局や番組とは全く関係はありません。
すべての文章の無断使用・転載を禁止いたします。
またここの情報を使って、何か問題が起こったとしても私は一切責任は持ちませんのであしからず。


テレビ番組「ワンダー・ワンダー ウユニ塩原」

 2009年6月13日放送。山口智充、神田紫花さんが司会。中山エミリさんが2月に旅をしました。NHK製作。

●ラパスから
 首都ラパスから南へ500km。朝8時に出発して車で12時間。標高3900mの高地を進む。道路はやがてデコボコ道になる。のんびりと草を食むのはリャマ。残り3時間でかなり厳しくなる。ウユニが近づいてくると人もいなくなる。ウユニ塩原の東の端に到着。

●ウユニ
 東西120km、南北100kmで四国の半分くらいの大きさ。歩いてみると堅いし、なめてみるとしょっぱい。
 時速100kmで走っても景色が変わらない。路線バスが走っていた。ドライバーのクリストバル・キスペさんの話では、目印がなくてもちょっとしたコツで目的地に着くのだという。表面にかすかに残る轍と地平線にかすかに見える山で位置と方角がわかるそうです。蜃気楼も見える。遠くにある山が近くに見える。塩は土よりも熱くなりやすいため、蜃気楼が頻繁に現われる。塩原で見かける動物はフラミンゴ。
 途中から雨が降ってきた。2月は雨季。塩原の近くのホテルで休憩。迎えてくれたのは、マネジャーのマリア・ドミンゲスさん。壁も床もテーブルも全て塩で作られている。雨の日の翌朝は素晴らしい景色が見られるという。雨水が溜まった塩田に青空が写っている。夜はもっと感動的とか。水の深さは1cm程度でした。世界中でここでしか見られない魔法のような鏡の世界。

 どうやって誕生したのか?堅い塩を切り出すと濁った塩水が湧き出してくる。海水の10倍の濃度。普通の塩の結晶は小さなサイコロ型だが、ウユニでは大きく階段状ピラミッド型。海水総合研究所で話を聞いた。普通は海面上で結晶ができるとすぐに沈んでしまうが、ウユニの場合、塩以外にカルシウムやマグネシウムなどを多く含むので、表面にできる結晶は浮いたまま。ある重さに達した段階で沈む。
 ウユニ塩田はアンデス山脈に囲まれている。6000mの山々が雨雲をさえぎるために、激しく乾燥している。山に降った雨が塩分を抽出してきて、谷にたまり、乾燥する。これを何万年も繰り返して塩原ができあがった。
 フロリダ州のスクリプス海洋研究所ヘレン・フリッカー博士の調査では、ウユニ塩原の高低差はわずか50cmだった。ここは地球上で最も平らな場所。
 10年前にボーリング調査した結果がある。220mまで掘ったが、そこにもまだ塩があった。
 近くの村での祭りを見た。雨乞いの祭りで、始まってから4時間後に雨が降ってきた。夕方に雨が上がった。夜、星空が広がった。塩原にも星が映って幻想的でした。


テレビ番組「古代発掘ミステリー 秘境アマゾン巨大文明」

 2008年2月9日再放送。TBSテレビ製作。

●ボリビア豪雨
 2007年2月23日。5ヶ月間やむことがなかった記録的な豪雨。
 アマゾン川の支流に位置する町の一つトリニダード。スペイン人がやってきたのは400年前。現在暮らしている人々も200年前に入植し、水の脅威と戦いながら暮らしてきた。ここでは一つの工夫がなされている。町を囲む環状道路で、水が町に入らないように高さ2mの土手を築いて、1983年に作られた。住民たちの生活はこの道に守られているはずだった。
 昨年11月に降り始めた豪雨は20年に1度の大雨で、今年の3月まで降り続いた。環状道路は決壊し、アマゾンの激流が7万軒の家を飲み込んだ。40人が行方不明となった。この大雨でも沈まなかったのが古代の人が作ったもの。

●モホス大平原
 モホス大平原。昔からこの地は半年毎に氾濫を繰り返してきた。雨季には日本の3分の2に相当する大地が3m以上水没する。
 水没を免れたテラプレン Terraplenは総延長5000kmにも及ぶ謎の直線。不思議な丘は古代人が作った住居跡なのか?ロマと呼ばれ2万個以上大平原に点在する丘。同じ方向を向いている四角い湖も2000個以上確認されている。幾重にも連なる不可思議な模様の地上絵。古代の耕作地の跡とも思えるが、その正体は不明。巨大なサークルもある。
 この事実に目をつけていたのが立教大学社会学部の実松克義教授。2005年8月10日、調査隊は古代人の住居跡と思われるボリビアのロマの発掘を行なった。1.5万点の出土物があった。最大の発見は身長180cmを越える古代人の完全な骨。2970年前と思われる地層からは頭部に土器の皿をかぶせられ埋葬された頭蓋骨のない骨も見つかった。
 2006年日比野克彦教授らも参加した。ドイツのハイコ・ブリュマース博士はロマ・サルバティエラで歴史的な大発見をした。金属の装飾品を頭部につけた人骨で、高貴な人と名づけられた。
 2007年ロマ・チェコラタリートで大きな発見があった。地中4m地点から発見された謎の黒い土。これはテラプレタと呼ばれている万能の土。

 2007年7月15日、日本の調査隊がモホスを訪れたのは大洪水が引いた直後のことだった。水没したトリニダードから35km東南にあるロマ・チョコラタリート。中規模の大きさのロマで、面積7.5ヘクタール、高さは11m。ボリビア国立考古学研究所のフレディ・アルセエルゲロ副所長と実松教授には確かめたいことがあった。大洪水の後にこそわかるものがあるだろう。
 平原は粘土質で水はけが悪く乾燥するとひび割れる。ロマは水はけがよい。炭素を測定すると、深さに相関してなかった。
 テラプレンは何のために作られたのか?ペンシルベニア大学クラーク・エリクソン博士は道だという。他にも様々な目的のために使われたという。雨季でも水没しないので、道路でもあり、氾濫期の洪水対策の堤防でもあり、乾季に備えた農業用水のためのダム、農地の境界線などが考えられる。モホスにはイスラと呼ばれる平原に点在する小高い丘がある。イスラの高さは数mなのだが、沈まないものもあった。テラプレンには直線が途中で寸断するものもあった。これは洪水の際に、テラプレンを切って水を誘導していたためだろう。
 ロマ・チョコラタリートから北に10kmにあるロマ・サルバティエラで、2004年から3年かけてドイツ隊が発掘している。総面積90ヘクタール、高い丘とそこから階段状に小さな丘を持つのが特徴。ピラミッドを思わせる。イタリア・ピサ大学のウンベルト・ロンバルト研究員は別のアプローチで研究している。ロマを一周する完全な円に近い形のテラプレンが見つかった。高さ1.5m、幅4mの盛り土は、直線を組み合わせてロマを囲むように作られたものだと彼は言う。このテラプレンが途切れていることが判明した。元は川に沿ってロマが作られ、乾季の水の確保のためにテラプレンが作られたという。逆に雨季には開閉式の水門で水を外に出したという。
 40年前の衛星写真に四角形のものを見つけた。当時は木があまり生えてないので、見つけやすいという。2007年8月31日、その場所に行ってみた。長方形の地形は3m高められていた。古代人は高さ3m程度のプラットフォームを造り、水門で水を複合的に制御していた。
 2007年8月13日、実松隊に人骨が出土したが、頭の骨が砕かれていた。リカルドボテーガ・シーレスさんはモホスの古くからの風習を知っていて、バトという鳥の骨で作った笛も出土した。甕棺は横に置かれていた。土器があった。
 ドイツ隊は身長2mの巨人の骨も発掘していた。番人と名づけられたが、このあたりにはない、水色の石を咥えていた。また高貴な人の頭にあった円盤状の飾りは銅の合金で作られたものと判明した。不思議な模様の耳飾りもしていたが、2枚のレンズ状の円盤が一つに重なってできていることもわかった。南米の動物アルマジロから作られたものだった。胸元にはジャガーの牙で作った胸飾りがあった。開けられた穴は見事だった。
 ゲッチンゲン大学で高貴な人と番人の歯のDNA解析が行なわれた。2人ともモンゴロイドであることが判明した。ドイツ・エバハードカール?大学のマーティン・メニンガー博士によると、テネシー大学法医人類学センターによる解析手法によると、番人の頭蓋骨は日本の北部にいた弥生人の骨格に極めて近いことがわかった。

 日本隊の出土物16214点、分類した出土物421点の中に奇妙なものがあった。動物の骨で作られた釣り針と、モハスに2000個点在する四角い湖の関係。トリニダードの南西のサン・イグナシオ・デ・モホスという村に向かった。スペインの社会学者ホセップ・バルバ博士は375個を徹底的に調査した。全ての湖は水深が2m。バルバ博士は乾季に四角い湖で養殖を行なっていたのだろうという仮説を出している。博士は深さ2mの実験場を作っていた。深さ1.5m以下だと日光により水温上昇と酸素欠乏、鳥などによる魚の捕獲などがあるので、2mだと循環水流が自然に生まれてが好ましいそうです。3mだと循環水流が起こりにくいことがわかったそうです。博士はアマゾンに古来からいるタンバキーという魚を養殖していましたが、重さは1kg。他にはバクーが3kgを越えていました。一つの池で年間2000匹、同じ広さの牧草地だと牛肉は2kgしか取れないそうです。エサの与え方が問題なので、実験池の100倍以上ある実際の池に古代の人はエサを与えていたのかが不思議。近くのイシレリ湖は水路でマウサ湖とつながっていた。この水路は上空からでは木々が邪魔で見えなかった。ここには水草タロペがびっしり生い茂っていた。タロペは塩分やミネラルを吸収し、水を浄化する特徴があった。タロペが繁殖し日陰を作ると水温が下がる。プランクトンは低い温度で繁殖するが、その温度では魚は育たない。そこで古代の人は湖の向こうにもう一つ湖を造った。ほとんどの湖が2つずつペアになっていることも判明した。タロペの生えた湖と、タロペのない魚のための湖を造り、水路でつなぎ、プランクトンを流したのだろう。高度な文明の姿がここでも見えてきた。古代モホス人はかなりの人口であったはず。

 2007年8月28日、日本隊は奇妙な模様の土器を見つけた。2005年12月22日にモホスの上空から不思議な模様を目にしていた。上空からしか見ることができない不思議な模様。古代の耕作地跡と考えられる。同じ模様が何故土器に描かれているのか?1100km離れたナスカでは地上絵がある。地上絵に描かれた動物たちが、同じ姿で土器にも描かれていることが特徴。
 日本隊のロマの頂上部分には出土物がほとんどなかった。しかし黒い土の層があった。モホスの平原には存在しない土だった。イスラには巨大なサークルが見つかっている。サークルの溝の深さは4m程度あり、幅はもっと広い。エリクソン博士は黒い土では肥料を与えなくてもカカオが育つという。ドイツ隊は以前ロマ・メンドーサを掘っていて、黒い土を見つけていたという。植物性の炭を多く含んでいたという。この土はブラジル・アマゾン中流域の肥沃な土壌の土と一致した。ブラジルから運ばれたものなのか?

 2007年9月6日、マモレ川を下るとアマゾン川に到達する。博士が教えてくれたのは、トリニダードから北北東1500kmに位置するマナウス。当時銅やゴムでマナウスは栄えた。この町に黒い土を研究しているというクライデ・パウレ・モラエスさんは、アマゾン川の対岸に案内してくれた。地層の色が異なっていました。農作物が多く実っていました。テラプレタという黒い土には肥料を与えなくても農作物ができる。2年前クライデさんは黒い土のある畑を調査した。畑の下からは20体の人骨と土器が出土した。マナウスから1400km離れた町ベレンで、黒い土を研究しているディルセクラーツ・ケルン博士は、テラプレタには、カルシウム、マグネシウム、マンガン、亜鉛、リン、炭などの物質が含まれている。テラプレタには特に炭が普通の200倍以上含まれていた。ベレン郊外のテラプレタ実験場では、テラプレタと同じものを作る研究が進められているが、方法がわからない。3m四方の畑が75個ある。不思議なのは、普通の土だと木片は3年かかって腐るが、テラプレタだと1年。これらの秘密がわかると、食料不足を解決できる土テラプレタを提供できるかもしれない。


テレビ番組「世界の絶景」

 2007年10月10日放送。ビデオが不調で撮れませんでした。

●ボリビア
 中村俊介さんが案内。標高4400m緑に輝く天空の湖ラグーナ・ベルデは、チリとの国境の町サン・ペドロ・デ・アタカマから約50km。標高5930mのリカンカブル火山のふもとにあるカルデラ湖。現地の言葉で「緑の泉」の意味で、湖水は火山活動の影響により緑色。
 日本を出発してアメリカ経由で24時間近く飛行機を乗り継いで、現地の早朝にボリビアに到着した。あとは四輪駆動車で1000km移動した。
 途中、世界最大の塩湖であるウユニ湖に立ち寄る。移動距離およそ1000km移動して幻の湖に到着する。途中、2泊は電気も水道もないベッドだけがあるような小屋に宿泊した。

●ベルギー
 釈由美子さんが案内。「フランダースの犬」の最後のシーンで、ネロとパトラッシュが見た奇跡の絶景が、ベルギー・アントワープにあるノートルダム大聖堂の絵。2000年に世界遺産にも登録された全長134mのゴシック様式の大聖堂。釈さんは「フランダースの犬」を愛し、ネロとパトラッシュが最後に見たであろう素晴らしい絶景を目指した。
 ベルギー料理の定番は「フリッツ(フリテンとも言う)」で、ポテトを2度揚げたもので、カリカリをマヨネーズに付けていただく。ベルギーの人はコレが好きだそうです。有名な「ムール貝の白ワイン蒸し」にも、付け合せとしてでてくる。ベルギーはビールでも有名で、国内に約120の醸造所があり、銘柄も非常に多い。コクがあるのに飲みやすい Duvel が釈さんが好きなようです。

●中国
 渡辺正行、ギャル曽根さんが案内。湖南省にある武陵源は、高さ200mを越える3000本の石柱がある山水画の世界。1970年代に、近くに鉄道が敷かれるまで、その存在をほとんど知られる事がない秘境だった。渡辺正行とギャル曽根が目指したが、最後に4000段の階段が待ち構えていた。300m以上のエレベータの底から下が見えるらしい。光の加減で岩が輝いたそうです。
 「食は広州にあり」の言葉通りに、料理は何でも美味しいそうです。

●ナミビア
 フジテレビの新人アナウンサーの大島由香里、生野陽子さんが挑戦。ナミブ砂漠の最果ての地に輝く神秘、赤の絶景がある。ナミビアは南アフリカの北に位置する。日中の気温は50度を越え、朝晩は10度前後に冷える。番組史上最も過酷な旅となったそうです。「ミビア」は地元の人の言葉で「人のいない土地、何もない土地」という意味。
 国際線の飛行機を3回乗り継いでナミビアの首都ウイントフックに到着した。そこから更に小型セスナ機に乗り換えてナミビアの奥地カオコランドに着く。25時間の長旅で、昼過ぎに現地近くの町に到着。滑走路は未舗装で、待合所もクーラーもない。

 ヒンバ族を取材したが、上半身裸で下半身は皮で作ったスカートのような前当てで前後を隠している。女性は赤い化粧を全身にしていた。両アナウンサーも赤い塗料を塗る体験をした。

 ピンク色の朝日や聳え立つ岩山など、砂丘以外も全てが絶景。最初は、コースを最短距離で登れば1時間で到着すると思ったが、一歩は3分の一歩の意味しかない。砂が細かくて登っても登っても崩れていく。高低差が約300メートルの砂丘のぼりが地獄だったそうです。最後の登頂は四つん這い状態で登らないと進まない斜面で、みんな必死で砂丘を登った。

 現地の人は素朴でのんびりしていて、環境や観光客にもに親切だった。ナミビアはヨーロッパからの観光客が多くいた。


テレビ番組「探検ロマン世界遺産 世界遺産と生きる人々」

 2006年11月25日放送。NHK製作。

●マダガスカル
 ツィンギ・ド・ベマラハ厳正自然保護区。生き物をよせつけない高さ100mに及ぶ岩の摩天楼。石灰岩の岩山が長年の雨水の浸食をうけて作られた風景。水沢蛍さんが案内。岩の隙間に素焼きの土器がった。ここにも人が住んでいた。ヴァジンバ族の人が今も麓に暮す。ツィンギからは50種類もの薬草が手に入る。マラリアも治すという万能薬もある。針山にはシファカと呼ばれる小さなサルが生息している。地下に洞窟があり、水が流れていて、乾季でも枯れることはない。

●カッパドキア
 石灰岩の侵食によって作り上げられた幻想的な光景。地中へと続く竪穴や横穴が無数にある。もっとも深いところでは地下80mに達し、地底都市は30を越えると言われる。今も岩山を掘った中で暮らしている人がいる。末吉美紀アナが訪問した。冬は寒いが、夏は涼しくて快適だそうです。
 アルカリ性なので、植物は育たないとされるが、ぶどうはそういう土地だから栄養を体内に貯めておこうとする。それで味わい深いぶどうができる。

●ボリビア
 標高3800mの高原にある都市遺跡ティワナクは紀元前2世紀から1000年以上に渡って栄えた壮大な古代文明。緻密な石組みの技術は後のインカ帝国に影響を与えた。伊藤雄彦さんが案内。古くから住むアイマラ族の村を訪ねた。じゃがいもは地面に置いたままにする。日中は15度、夜は氷点下で、気温差は最大30度にも達する。凍って溶ける、これを足で踏んで、じゃがいもの毒を出す。これから100年はもつという保存食チューニョができる。食べる時は水で戻し、スープに入れて煮込む。

 チチカカ湖の真中にあるのは島ではなく、草でできた浮島。この湖にはこうした島が58あり、2000人が暮らしている。浮島はトトラという植物でできていて、1ヶ月に1回新しいトトラを追加する。夜は寒さが防げるためのようです。魚の宝庫で、石の上で焼くのが伝統。

●ウィーン
 シェーンブルグ宮殿はハプスブルグ家が18世紀半ばに完成させた。部屋の数は1141もある。水沢蛍さんが案内。女帝マリア・テレジアは莫大な富と圧倒的な力を誇示した。舞踏会に使われた大ギャラリー。インゲボルク・リンデックさんが案内してくれた。観光客が入れない特別な場所は、宮殿の最上階にある部屋、ここにリンデックさんが住んでいる。1918年ハプスブルグ帝国の崩壊と共に宮殿はオーストリア新政府の手に渡った。その時に多くの部屋が住宅難に苦しむ市民に提供され、今でも250世帯が賃貸で生活している。マリア・テレジアが作った世界初の動物園も今でも人気。あとは庭園が住民の散歩コースとなっている。

●バルセロナ
 サグラダ・ファミリア贖罪教会は、天才アントニ・ガウディの代表作。1883年に建設が始まり、120年以上が過ぎた今も工事が続けられている。バルセロナではガウディが作った7つの建物が世界遺産、うち4つは住宅。石井麻由子さんが紹介。
 カサ・ミラは1910年に建築された地上6階の建物がアパートになった。地元の人は「ラ・ペドレラ(石切場)」と呼んでいる。洞窟のような入口。中には吹き抜けが作られている。一つとして四角な部屋はない。クレメンティーナ・リスカノさんのお宅を見せてもらった。打ち寄せる波のような曲線が天井にある。ガウディは家の環境が人を育てると信じていた。

●オランダ
 1平方kmの平原に19の風車がある「キンデルダイクの風車群」。高さ18m、250年前の創建当時と変わらない佇まい。風車の中では水車が回っていた。オランダは国土の4分の1が海面より低いので、水車は水位が上がって川の水が溢れそうになると汲み上げて排出し、農地や牧草地を守ってきた。岡田理江さんが案内。
 コック・ファン・デン・ベルクさんの風車(お宅)を訪問した。入るとすぐにキッチンと台所。5階建で、風車が回りだすと大きな音がするそうです。電気式のポンプは停電になると使えなくなるから風車は必要だそうです。風車の位置は360度回転する。布をかけるのも大変な作業。強すぎてもいけないし、弱くてもいけないそうです。

●ハバナ
 旧市街が世界遺産。ハバナは16世紀〜19世紀はスペインの支配下にあり、バロック建築が数多く残っている。かつての大邸宅を改造して20世帯の家族が住んでいた。1DKの細長い室内でした。岡田理江さんが案内。19世紀にアフリカから70万人の奴隷が連れて来られた。砂糖の生産のために強制労働させられた。その中で祈りの儀式が重要となり、太鼓の音楽が心を癒した。19世紀末にスペインの植民地支配が終結し、人々はハバナに集結し、新たな音楽が発生した。融合した音楽は「ソン」と呼ばれた。そこからさらに多彩な音楽が生まれた。

●インド・ダージリン地方
 ダージリン・ヒマラヤ鉄道は世界遺産。120年以上続く世界で最も古い山岳鉄道の一つ。わずか2両編成で高低差2000mを走る。19世紀末にイギリスが造った。当時は細く険しい山道を通るしかなかった。当時は牛車や籠に乗って行き来していた。イギリスは紅茶の栽培を始めた。これを安全に大量に運ぶために、1881年開通した。20世紀半ばインド独立後、車社会到来で、トラックに代わった。沿線の住民たちは思わぬ利用法を考えた。通学の際に子供たちは駅でもないところから飛び乗る。伝統を引き継ごうとしている若者はミラージュ・ビスワカルマさん17歳。


テレビ番組「地球街道 ボリビア」

 2006年7月1日、8日放送。鶴田真由さんが出演。写真家の高木ゆりこさんの見せてくれた写真に感動して2年。ウユニ塩湖に立つことが夢。

●ラパス
 標高3650m、地球上で最も高い場所にある首都、人口約100万人で、半数以上がインディヘナと言われる先住民。帽子をかぶっている人が多い。坂道の多い街。メルカドと呼ばれる市場の多い街。南米はじゃがいもの原産地で、種類は100を越える。
 市場でリャマのミイラを売っていた。パチャママとはインカの伝説に出てくる大地の女神。

●月の谷 Valle de la luna
 ゴツゴツした岩が並ぶ。石灰岩が雨や風に侵食された造形。谷の深さは200m。先住民族アイマラの歓迎の音楽(フォルクローレ)を演奏している人に出会った。

●旅の途中
 草原に白い高い山が見える。また、満月も上がってきた。

●ウユニ Uyuni
 ラパスから約200km、チリとの国境の町。日曜には市場が出ている。ガイドのカルメロさん(Coloue ? Tours)と、まずは往復3日分の食料と酸素ボンベの買出し。ここからウユニ塩湖までは塩対策をした特別仕様車で行く。

●旅の途中
 ビクーニャという鹿に似た動物、スーリーアルパカなどがいた。川に橋などかかっていない。
 町を出て6時間、「火山の見晴台」と地元の人に言われている場所で昼食。ここは隠れた絶景ポイントだが、標高4500m。緑色の塊がある。ヤレータというセリ科の植物で、そこまで大きく育つには数千年かかると言われている。地元では薪代わりの燃料として使っているそうです。

●ラグーナ・コロラダ Laguna Colorada
 気温10度、雨季が終わり、乾季を迎えた大地を走りはじめて5時間。真紅の湖、ラグーナ・コロラダに到着。赤いのは塩分を好むドナリエラという赤い藻が生息しているから。チリフラミンゴが群生しているが、ドナリエラを餌にしているので、ピンク色になるのだという。

●ウユニ塩湖
 だいぶ近づいた時に白いマシュマロマンみたいなのが見えました。蜃気楼でした。標高3760m、チリとの国境近くにある。南北に100km、東西に250km、20億トンという膨大な塩をたたえる。雨季が終って、乾季が始まったばかりなので、湖の水は完全には干上がらず、一部が残っていた。鏡の上みたいです。一切の音がない。空が青く、湖も青く、境目もわからない。太陽がギラギラとまぶしい。
 かつてこの地は海で、20万年前に海底が隆起し、アンデス山脈となった。山脈の中に取り残された海水がウユニ塩湖となった。
 塩の採掘場 Colchani で採れる塩は国内だけでなく、国外にも輸出されている。大地が白いのでとてもまぶしい。ピラミッド型に盛られているのは、塩の天日干し。おいしいそうです。純白の大地を車で走りました。360度真っ白の世界で、地球の中心にいるような錯覚になりました。
 太陽が沈む前に行っておきたい場所があった。「魚の島」で、インカの人のオアシスだった。群生するサボテンは1000年以上前にインカの人が植えたもの。付近の湖には亀の甲羅みたいな塩の模様がある。毛細管現象で上に出てきたものが結晶したからだそうです。
 魚の島で、その夜、大地の女神パチャママの儀式がある。アルフレッド・ラサロさんたち2人はこの島で暮す宗教的行事をこなすシャーマン。太陽が沈み、月が出るまでに行なわれる。様々な供物を並べていく。太陽、月、パチャママに祈りを捧げる。月が上り始めると儀式は終る。

 塩のホテル「プラヤブランカ Hotel de sal Playa Blanca」に宿泊。全てがウユニの塩から作られている。壁もテーブルもイスも塩です。ベッドはリャマの毛皮。下は塩です。1泊2食付きでUS$25。電気はない。

 翌朝6時、マイナス10度の中で朝日を待った。荘厳なる夜明けでした。思わず涙がでました。


テレビ番組「ポカポカ地球家族 ボリビア」

 2006年3月4日放送。「コンドルは飛んで行く」は世界的な大ヒット。その曲に代表されるアンデスの民族音楽フォルクローレの故郷は南米大陸の中央ボリビア。標高3650mのラパス(人口110万人)はマイアミを経由して日本から30時間で到着する。年間平均気温は9度。標高がさがるほど土地の値段が高くなる。丘を一つへだてたボローニャに民族音楽にかける杉山貴志さん45歳がフランス人の妻シルビーさん49歳、長女の百合枝ちゃん7歳と住む。自宅は300平方m、4LDKで8年前500万円で購入した。
 民芸品店でよく見かけるのが竹で作ったサンポーニャという民族楽器。杉山さんは自宅でこれを作っている。日本にない薄い竹チャヤを使う。竹を0,1mm単位で削っていく。他にもギターを真似たチャランゴ、ケーナもある。フォルクローレは都会の人の音楽だと気がついた。そこで田舎ををまわってアウトクトナという伝承音楽に惹かれていった。これはフォルクローレの原点。杉山さんが所属する音楽グループ「ティカカラ」の演奏を聞いたが、ちょっと違和感のある音ですねぇ。
 ラパス中央市場でジャガイモを買うが、種類が豊富。パパリサは1kg2ボリビアーノ(30円)。アクタビは、農村の集まりでみんなが持ち寄った材料を生かして作る料理。これに唐辛子とトマトのソース「リャフィア」をかけて食べる。
 ラパスから車で3時間でチチカカ湖に到着。南米最大の湖。
 南へ400km離れたカラカラ村にフラボーという楽器を受け取りに行く。標高4500mのワヌーニ峠を越える。シモンさんは楽器作りの師匠ですが、まだできていませんでした。
 ラパスの街が一望できるキリキリ展望台に行ってみた。


テレビ番組「日本のタクシー大冒険U…地球縦断26000キロ南米最南端〜ニューヨーク100日間奇跡の旅」

 2004年7月18日、19日放送。乗客は大鶴義丹。前回の東京〜ロンドンに続く第2弾。南米の南端からニューヨークまでの2.6万kmの旅。使用ガソリン2359.547リットル、給油回数74回、最高気温37度、最低気温ー2度、乗車時間637時間、越えた国境11ケ所。
 2003年8月5日、ドライバーを決めるオーディションをした。全国から61組の応募があり、練馬区大泉学園に住む父65歳佐久間侃さん、娘39歳の綾子(日生交通)さん親子が選ばれた。テレビ東京製作。

●アルゼンチン・フエゴ島
 日本から飛行機で37時間。2003年12月22日にウシュアイア国際空港に到着。ここから1000km南下すれば南極。空港のすぐ南のビーグル水道はダーウィンが乗っていたビーグル号にちなんで名づけられた。アシカ科のオタリア、ズグロムナジロヒメウなどが生息している。
 ウシュアイア(アルゼンチン:南緯55度)は世界最南端の町。先住民は日本人と同じモンゴロイドだが、今は純粋な先住民は誰もいない町、南極観光の拠点として世界中から観光客が集まってくる。

 12月27日午前9時、世界最南端、国道3号線の終点からスタート。2ヶ月かかってタクシーは船で先に到着していました。グアナコという鹿みたいなのが道路の横をはねていました。

●チリ・フエゴ島 ⇒チリ本土
 12月28日、アルゼンチンからチリへの国境越え。フエゴ島は九州よりも少し大きいくらいで、島の真中を縦に国境がある。国境を出ると何もない緩衝地帯が10km続く。チリに入って395km、11万円。ポルベニール港から本土へ渡ろうとしたが、満車で乗れなかった。仕方なく、バイア・アスール港のフェリー乗り場から南米大陸に渡る。12月は百夜。巨大な虹がかかりました。海の底から照明を当てているようなすごい虹でした。午後10時半にフェリーに乗り、マゼラン海峡を20分で渡る。

●チリ
 3時間走って、プンタ・アレーナス Punta Arenas (岬の先端という意味)という町に到着。夜中の2時。プンタ・アレーナスはマゼラン海峡の入口にあり、マゼランによる発見により栄え、その衰退とともに静かな町に戻った。マゼランのブロンズ像があるが、その足元には、マゼランによって滅ぼされた先住民の姿がある。足が異様に光っているのは、ここにキスをすると再度帰って来られるという伝説があるからだという。

●チリ・パタゴニア
 1年を通じて強風が吹く。海沿いの陸上にマゼラン・ペンギンがいました。海にえさを取りに入っていきました。巣の中には卵からかえって2ヶ月の、大きな子供がいました。パタゴニアは冬が長く野生動物が暮らすには適している。
 12月30日、美しい場所の一つパイネ国立公園が見えてきたところで、車がスピン。路肩の岩にぶつかって止まりました。右側の前輪と後輪がパンクしたが、お父さんが交換しました。怪我はなかったのですが、綾子さんはショックが大きすぎて、静かになってしまいました。1220kmしか走ってないし、お客を乗せていただけにショックだったようです。
 12月31日、アルゼンチンに入国。やけに明るい職員で綾子さんも笑う。1350km、40.6万円。

●アルゼンチン
 パタゴニアの広大な風景が広がっていた。コンドルが悠々と飛んでいました。カラファテの町で1泊し、新年を迎える。1月1日6時半、朝日に佐久間さん親子は、安全を手をあわせて祈りました。
 アンデス山脈の上に広がる、ペリト・モレノ氷河。高さ60m幅5kmの巨大な氷河の壁。崩れて川に落ち込む様子を見て、滅多に感動しない大鶴さんも感動しました。氷河って生きているみたいです。
 パタゴニアは日本の2倍の広さ。1月3日、大西洋に出ました。1月5日バルデス半島、オタリアというアシカとオットセイに似た動物がいました。南米大陸しかいません。オスはSea Lion と呼ばれていて、1頭がメスを10頭くらい従えている。1月6日、費用が100万円になりました。3403km。

 1月8日ブエノスアイレスに到着。人口300万人で、南米のパリと呼ばれています。移民たちが作り上げた町です。ブエノスアイレスで一番という喜納自動車整備工場で修理してもらった。沖縄出身の日系移民がオーナーです。休日も修理をしてくれました。本来は部品交換をするのですが、部品がないので、叩きだしという技術で対応しました。
 その間に、おいしいと評判のレストラン「ロス・プラティトス」で食事をした。アルゼンチンは牛肉の消費量世界一を誇ります。ベイビー・ビーフを注文。800gで20ペソ(600円)。
 アルゼンチンには日系移民が3.5万人暮らしている。ブエノスアイレス郊外の渡辺よしのさん(90歳)宅を訪問。昭和10年にアルゼンチンに来て68年。最初は苦労ばかりでしたが、花の栽培をはじめてから生活が楽になったそうです。妹さんが東京・足立区の五十嵐すみえさん(82歳)で、ビデオレターを見て、涙していました。
 1月12日に当初の予定よりも3日早く、タクシーが新品同様に直っていました。
 南米のきれいなひまわり畑が広がっていた。

 1月16日イグアスの滝。世界三大瀑布の一つ。悪魔ののど笛を含め300近い滝が流れ落ちます。圧倒的なスケールに人間は立ちすくむのみです。あまりに量が多すぎて、水の動きが奇妙なんだと大鶴さんは言います。

●ブラジル
 1月17日ブラジル国境を越える。6230km、180万円。ブラジル側からもイグアスの滝を見ました。ブラジル国内を走るが、お父さんも大鶴さんも爆睡。
 1月20日サンパウロに到着。人口1500万人、南米最大の町。異なる文化を持った移住者の街。かつての日本人街、今のリベルタージュ(東洋人街)に行ってみた。サンパウロには37万人の日系人が暮らしている。日本のタクシーを見て、いろいろ聞いてきた人がいました。
 1月24日、マウリシオ・ジョペル橋を渡る。パウナ川を渡る全長13kmの橋で、渡りきるのに10分以上かかった。ここで自然渋滞に巻き込まれた。ここでお父さんがイライラし始めた。その夜カンポ・グランジのホテルで、スタッフが親子の関係について聞いてみた。やはり亀裂ができていた。

 パンタナール湿原。日本の本州と同じくらいの面積、パンパジカという鹿などの80種類の哺乳類、トゥユユ(ズグロハゲコウ)という白鳥などの650種類の鳥類が確認されています。中でもスミレ色をしたスミレコンゴウインコはここにしかいない。そして、ジャカレ・ド・パンタナール(パラグアイ・カイマン)というワニのような50種類の爬虫類。
 1月29日パラグアイ川で釣りを楽しんだ。ピラニアが釣れますが、ワニもいます。地元の人が川に飛びこんだ。この時期、パンタナールは雨季で、毎日バケツをひっくり返したような雨が降った。
 1月31日、300万円到達。ボリビアとの国境に近い、カセレスに到着。ここにも日本人移民が住んでいます。中本仁平さん68歳。昭和34年に23歳で単身ブラジルに渡った。その半生は壮絶を極めるものだった。戦時中は満州に家族で行っていて、日本に帰れたのは兄と妹だけだったそうです。農地を切り開き、木材などの伐採などもしていた。体長2mのジャガーも食べたが、おいしくなかったそうです。1968年アルミで雨どいをつくる工場をつくり、これがあたって、生活が楽になった。叔母さんの北村時子さん(87歳)のビデオレターを見て涙しました。3人は日本食をおいしくいただきました。刺身はパクーという魚でした。
 2月5日アマゾン縦断道路 BR319 を600km、マナウスに向かって走っていましたが、道路のぬかるみにはまりました。抜け出しましたが、退却することに決定しました。346万円で撤退。川で行くことを提案され、農作物を載せる船に船長に頼んで、マデイラ川から船に3台乗せてもらって、マナウスに2泊3日で向かいました。途中で、10kmに渡り黒い川と白い川が分かれて流れているのを体験しました。2月11日午後8時マナウス上陸。マナウスは19世紀に天然ゴム景気に湧いた町です。
 2月12日、道はあてにならないので、船がメインの町。中央市場に行く。一部は魚専用市場になっています。でかい魚が並び、さばき方も豪快で輪切りです。タンパキ、アロワナ、ピラルクなどもでかいです。アカリというナマズの一種が一番人気。炭焼きして、塩とレモン汁をかけて食べますが、おいしいそうです。
 2月13日、赤道を通過。赤道モニュメントもありました。

●ベネズエラ
 2月18日ベネズエラの国境を越えた。13277km、384.6万円。最近クーデターがあったばかりで政情が不安定なので、ピリピリしていた。
 大鶴さんはギアナ高地へ来るのが夢でした。1000mの絶壁です。ヘリコプターを使い、1000m上の太古の大地に上がりました。下を見ながら、いろいろなことを思いました。2月21日、目の前にカリブ海が広がりました。ここから船でパナマに渡ります。ところが船がキャンセルされた。
 カラカスのシモン・ボリーバル国際空港から3人は飛行機でパナマに飛び、ディレクターはタクシーをパナマに運んでくれる貨物船を探します。

●パナマ
 3人はホテルでディレクターからの連絡を待っていました。タクシーはコロンビアからパナマまでは道がないので、飛行機で空輸してもらいました。パナマのトクメン国際空港で、ディレクターからカギを受け取りましたが、ディレクターは泣いていました。いろいろあったのでしょう。

●コスタリカ
 3月1日コスタリカ入国。17099km、452万円。人口は350万人たらず。山下鉄郎さん89歳、長女和子さんがコスタリカ人と結婚したので、18年前に一緒に来たそうです。次女裕子さん、三女泰子さんのことはいつも忘れないと言います。事業に失敗し、奥さんと離婚し、和子さんには迷惑をかけたと言います。三女のビデオレターに和子さんと鉄郎さんは涙しました。

 3月5日、お父さんが突然、体調を崩しました。長い間、風邪ひとつひいたことがないというお父さんでしたが、咳と熱がでました。

●ニカラグア
 18199km、483万円。コンセプシオン火山(標高1610m)が見えてきた。富士山に似ていました。病院どころか町がありません。
 グラナダという町があり、日本からの資金協力で作られた日本ニカラグア友好病院があり、入院した。39度になった。ちょうどこの頃、中米ではデング熱というのが流行していたので、それかもしれなかった。原因不明でした。3日連続して寝ていました。黄熱病やマラリアなども考えられていましたが、3月8日復活しました。
 ガソリンの値段の値上がりでトラックの運転手がストライキをしていて、道路が閉鎖されていた。みんなが農道を教えてくれたが、橋のない川を何度も渡りました。

●グアテマラ
 3月12日、19197.5km、511.9万円。
 3月14日、世界で最も美しいという湖、アティトラン湖に到着。ここにも富士山に似た火山が3つある。サンペドロ火山(標高3020m)も見事な火山です。
 湖畔には、先住民族カクチケル族が暮らしています。日本人にとってはどこか懐かしい風景です。男たちが漁から帰ってきました。サンタ・カタリーナ村。カクチケル族は古代マヤ文明の衣装と同じです。
 ある一軒の家を訪ねてみた。カタリーナ・ミマカチさんのお宅です。マッチだけで火がつく木があります。トウモロコシの粉をこねて作る、中南米代表の食材トルティーヤを作るのを綾子さんは手伝った。各家庭には石、水を加熱した石で作った部屋がある。サウナで、みんな毎日入るそうです。男性はサウナに入りました。中はかなり煙いそうです(笑)
 湖で獲れたモバラという魚を油で揚げた。今晩のメニューはトルティーヤに魚が1匹ずつ、それにチキンが入ったスープにライス。

●メキシコ
 3月15日。19849km、530.7万円。日本の5倍の面積の国、メキシコに入りました。
 3月19日、ティオティワカンが見えてきた。メキシコ最大の宗教都市遺跡、死者の道と呼ばれる全長4kmのメイン・ストリートを中心に、太陽のピラミッド、月のピラミッドがある。謎多き遺跡ティオティワカン。太陽のピラミッドは、全部で248段ある急な階段、高さは65m。世界でも3番目に大きいピラミッドです。紀元前2世紀に作られて、最盛期には20万人が暮らしていた。
 突然、ピラミッドの頂上にいた人が両手を上にあげ、逆立ちしている人も出ました。この日は丁度春分の日。年に2回、太陽の位置が一番高くなる日だった。太陽のエネルギーを得るためだそうです。

●アメリカ合衆国
 3月22日、22446km、606.1万円。テキサス州に入りました。 あとはゴールのニューヨークに向けてつき進むだけ。
 3月23日、サンアントニオ市。観光都市としても知られ、水路が走っています。満枝・マクダニエル(旧姓川島さん)さん70歳は、両親のとまどいを押し切って、リチャードさんと1959年結婚した。両親との仲を修復したいという思いはあったが、ちゃんと言えないままに逃げていて、両親は亡くなった。妹さんの大川由子さんからのビデオレターを見て、涙しました。

 3月27日、ミシシッピ川の河口のニューオーリンズに到着。ここで日本人観光客に囲まれました。
 500km北東に進み、アトランタのストーン・マウンテンが見えた。世界最大の花崗岩。レリーフは南北戦争の南軍の英雄3将軍。ケーブルカーで山頂にも上ることができます。眼下にはアメリカ南部の風景が見えましたが、タクシーが目に入りました。
 ここで The long and winding road が流れました。3月31日、ワシントンDCを通過しました。満開の桜が向かえてくれました。ホワイトハウスも見えました。

 4月2日、午前5時、フィラデルフィア。気温0度。とても寒い日でした。朝6時に最後の洗車・給油をしてから、200km先のニューヨークに向けて8時に出発しました。7108420円からのスタート。最後は綾子さんがハンドルを握りました。
 ブルックリン橋を渡り、プラザ・ホテルの前に向かう。1907年10月2日に新装オープンしたこのホテルの前で、アメリカで初めてメーター付きのタクシーが使われた。それで、プラザ・ホテルの前に向かう。エンパイア・ステートビルの横、タイムズスクエアを通過し、60丁目の角を左折しました。しばらくするとクラクションの音がすごい。イエローキャブが迎えてくれました。鳩も飛んでいて、綾子さんはとっても嬉しかったようで、涙にくれていました。
 2004年4月2日、12時57分ゴールしました。全走行距離26368.6km。プラザホテル前には、お母さんと綾子さんの子供たちが待っていました。しっかり抱き合って、感動しました。改めて家族の大切さを感じた旅でもありました。
 料金は716万1860円でした。


TV番組「アンデスの彼方の日本人村」

 2003年3月1日放送。アンデスの彼方ボリビアはペルーの東、人口830 万人で面積は日本の3倍。渡辺徹さんの旅。榊原郁恵さんがナレーションを 担当。ワールドカップ・サッカー予選で、高地だったので、ボリビアはブラ ジルに勝った。ヴァリグで行ったらしい。Viru Viru ビルビル国際空港に到 着。テレビ西日本制作。

●サンファン San Juan
 宮園キヌさん(39歳、ボリビアは5歳で移住し35年)がガイドしてく れる。移住者は農地を開拓していき、日本人村を作った。サンファンとオキ ナワという日本人村。家族は愛情の基本、それがここにあった。14家族が 1955年にサンファンに移住したのが最初。1992年まで53次に渡り 移住が続いた。サンタフェはサンファンの入口で、奥まで36kmある。サ ンファンには750人が住んでいる。
 12kmの市街地を訪ねた。道路の右側には日本人、左側にはボリビア人 が住んでいる。伊藤食堂に行く。ラーメンやチャンポン、焼き魚定食、カツ 丼もある。ここに1週間滞在した。朝は御飯にお味噌汁など。手作り饅頭を おじいちゃんは食べている。隣は商店で、調味料まで売っている。みんな礼 儀正しいです。回覧版もある!

 ここは農業でなりたっている。放牧、養鶏、マカダミアナッツ、稲作、大 豆つくり盛ん。ヤパカニ川の恩恵を受けている。ここにでっかいタイガーな まずがいて、それからかまぼこを作っている。移住者の人は美空ひばりの 「川の流れのように」を何度も聞いていた。自分たちの人生そのものだとい う。みんなゲートボールも楽しんでいた。
 浅野さんと山の中に入ってみた。ジャングルでサンファンは昔はこうだっ たという。蚊が凄く多く、顔に20匹も止まっている。みんなの苦労が理解 できました。
 成人式が1月15日に開催された。女性3人は振袖姿、こんなお祝い事が あると、みんなでお餅をつく。その後成人カラオケパーティとダンスパーテ ィ。ペギー葉山さんの「学生時代」を歌っていました。感動しました。

 ボサノバを演奏する HARU さんという二人組がやってきた。彼らは198 9年南米ブラジルに移住し、半年間に日系人の温かさが忘れられず、毎年コ ンサートをしているらしい。5年前にコンサートをしてお世話になった藤井 義憲さん(92歳)宅を訪問。
 HARU さんのコンサートが始まった。子供からお年よりまで歌える歌「七 つの子」や「ふるさと」もみんなで歌いました。

●オキナワ
 サンファンから車で2時間。もうひとつのオキナワがあった。日系人は 850人。風がさわやかで湿気がない、オキナワみたい。1954年に入植 を開始した。
 2003年1月18日には成人式が行なわれた。300年前から沖縄に伝 わるエイサーを踊っている人たちがいた。その琉球国祭り太鼓をやっている 比嘉さんと話をした。エーサーが似合う。4歳から42歳まで100人を越 えるメンバーが踊っている。ウチナンチュー(沖縄人)の血が騒ぐという。 ボリビアではボリビア人として見てもらえないし、日本に行くと日本語が不 自由なので、外人扱いされるのが悲しいと話していました。

 帰りに浅野さん宅に行った。1958年に岡山から移住してきて、いろい ろな苦労話を聞いて涙していました。
 伊藤家から帰る時も、みんな泣いていました。渡辺さんもかなり泣いてい ました。帰り道に浅野さんが見送りに来ていました。おばあちゃんが号泣し ていました。渡辺さんもまた涙。こんなに別れが辛いことはなかったと後に 話していたそうです。


TV番組「道浪漫」2001年5月27日、6月3日は日比野克彦さんでボリビア

 マイアミ経由で行ったらしい。インディヘナと呼ばれる原住民が60%。 最も南米らしいと言われる国である。ボリビアとは、ベネズエラ、コロンビ ア、ペルーなどをスペインから独立させた、独立の父シモン・ボリーバルの 名に由来して名づけられた。
 ラグーナ・コロラダの赤、ウユニ塩湖の白、澄んだ空気、すごくインパク トがある旅だったようです。

●ラパス
 ボリビアの首都。エル・アルト空港。空気が澄んでいて遠くの山がきれい に見える。ワイナ・ポトシ山(6088m)。ラパスは標高4000m。世 界で一番高い首都。
 街中では、リャマの胎児をお守りとして売っている。インディヘナの人々 が荷物を運ぶために使うカラフルな風呂敷のようなものが気にいった。
 高山病が心配な旅行者の方には、ボリビア高所病理学研究所(IPPA)。ここ では診察もしてもらえる。tel: 591-2-245394

●スクレ
 標高2700mの古都。かつての中心都市で、街自体が世界遺産。 「自由の家」で1825年に、スペインからの独立宣言を宣誓した地である。 変わった絵が描いてある Dino Truck というトラックがあった。97年に日 比野氏はすごい絵のトラックに乗ったし、98年にも乗った。それでこれを 逃さない。恐竜の足跡を見るツアーだった。石灰を掘っていたという採石場 の跡地。ハッキリ残っている!本物です。草食恐竜ティタノサウルスの足跡 で、まるで昨日つけられたような足跡。2匹の足跡を横切るような足跡は肉 食恐竜の足跡。途中でひるんだ様子もうかがえる!という代物。約5000もの 恐竜の足跡がある。恐竜のうんこもあった。
 1週間前に200万年前の動物の骨が見つかった!メガテリウムは体重3 トンあったが、その化石が、街中で見つかった!

●ウユニ
 標高3700m。4WDを調達して、ガスも電気もない場所に向かう。酸 素ボンベも必需品。アンデス山脈中央部高原地帯はアルピブラーノと呼ばれ ている。パンパ・コロラダ、岩の谷を行く。ラグーナ・カニャーパでチリ・ フラミンゴを見る。さらに、ヴィクーニャという動物も見る。

 ツアーをするには、Colque Tours コルケ・ツアーズが安心。ウユニ最大 の旅行会社。tel/fax:591-693-2199

●アロータ村
 途中で立ち寄って、キャンバスを作って絵を子供たちに描いてもらった。 低い木の根元を掘るとシーチャという果物が出てきた。渋いが水分はたっぷ りある。
 さらにダリの岩を目指す。途中で4875m程度まで行った。雪が舞って いる。風が痛いらしい。

●ダリの岩
 標高4200m。パンパ・ハラ Pampa Hara と言われる。広大な砂漠に、 巨大な岩が点在している。奇妙な風景からダリの岩と呼ばれる。キャンバス に積もった雪を吹き払って描いた。

●ラグーナ・コロラダ
 宿泊はキャンプメント・ラグーナ・コロラダ。相部屋でした。ここの湖は 赤の度合いを変化させていく。オレンジ色〜赤色である。味は塩辛いらしい 。赤さは塩分の多い水に住むドゥナリエラという藻類によるものらしい。フ ラミンゴのピンクもこの藻類を食べるかららしい。
 熱い日差しと強烈な冷たい風。刺激が強そうです。

●パルココ
 ペルーとの国境に近い村。5月は収穫の季節。ジャガイモを獲っている。 このあたりが原産地という。ジャガイモはパパという。ふかしたイモをいた だいた。チューニョというらしい。

●ポトシ
 標高4070m。地球上で最も高いところにある街。16世紀では世界で 一番豊かな街だった。銀が取れ、ヨーロッパに輸出していた。今でも銀は取 られている。コカの葉は噛むと元気が出るというのでおみやげにする。ダイ ナマイトも売っている。1本10ボリビアーノ(200円)。

●セロ・リコ
 向かったのはセロ・リコ(富の山)という現役の銀山。ダイナマイトのセ ッティングもする。お客さん用のデモらしい。それからちゃんとした恰好を して銀山に入る。16世紀の坑道に入る。途中にはこの山の主ティオ(悪魔 )の像があった。ここで捧げ物をしないと人を食うといわれている。

 道路にヤレータという植物がある。中には松ヤニのようなのが詰まってい る。表面はコケみたい。4000m以上のところに生えている。乾燥すると 燃料として使えるらしい。
 リャマというラクダ科の家畜にいつも会う。耳、首、背中にリボンをつけ ている。毛糸や荷役など、アンデスの人の暮らしに欠かせない家畜である。 また肉は食べられる。特に人気のあるのはチャロキーと呼ばれる乾燥肉。野 菜とあえて食べる。

●移動途中
 大きな川を渡る。異様な岩場にやってきた。ここに1000年前に描かれ たという岩絵があった。垂直の壁に描かれた絵、180度反対を見ると、 絵のようなパノラマが広がっていた。野生のヴィスカチャも見られる。

●ウユニ塩湖
 日比野氏憧れの場所。白い大地。四国のほぼ半分。世界最大の塩湖。アン デス山脈が隆起して取り残された。水があるところだと、そろばんの球のよ うな山が立っている。出荷を待っている食塩用の山。水があるので、空との 境が見えないので、無重力のような感じを受ける。
 宿泊はホテル・デ・サル。全てが岩塩でできているようです。テーブルも ベッドも岩塩。なめると塩辛い。1泊$25。夕食付き。
 日比野氏も塩のアートをつくった。インターネットで塩湖を中継した。そ のアクセス数は数百万だったらしい。


http://mbs.co.jp/tv/michi/237/index.html

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