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なお、これはわたしが個人的にテレビを見て書いたものであり、各テレビ局や番組とは全く関係はありません。
すべての文章の無断使用・転載を禁止いたします。
またここの情報を使って、何か問題が起こったとしても私は一切責任は持ちませんのであしからず。


テレビ番組「THE 世界遺産 アマゾン」

 2010年5月16日放送。

●中央アマゾン保全地域群
 深い森と川によってここは生き物たちの楽園となっている。ブラジルでは驚いた時に「オーパ」と叫ぶ。ここではオーパの連続。あまり見かけない魚も多い。体長4mを越す淡水魚やピラニアなど。
 アマゾンは流域面積は世界一。中流にあるのが「中央アマゾン保全地域群」。まずは大河の源流を訪ねる。アンデスのいくつもの山から流れ出している。ペルーのマヌー国立公園は源流の一つ。雨が多く湿度が高い熱帯雨林。クモザルなど1000種類の野生動物がいる。川沿いに野生のジャガーもいた。
 下流に向かうと、2000kmで白っぽくにごった本流ソリモンエス川とネグロ川が合流する。中央アマゾンはネグロ川沿いに広がっている。この一帯は雨が多く、雨季には川の水面が10mも上がる。起伏の少ない土地では川はすぐに氾濫を起こし、4kmほどの川幅が一気に100kmを越すこともある。その結果1年のうち半分は森が水につかる。そのために独特の生態系を生んでいる。川が赤くなっているが、落ち葉から出たタンニンのため。森は魚たちのすみかとなる。
 ネグロ川にはアマゾンカワイルカというイルカも暮らしている。身体がピンク色なので、ピンクイルカとも呼ばれる。体長はおよそ2.5m。木々の枝にひっかからないために背びれが小さい。首が自由自在に動くのは、枝の奥の魚を捕えられるように。中央アマゾンには現在1.5万頭が生息している。2500万年前までは海が入りこんでいたが、アンデスの隆起により内陸湖となった。この時海の生き物が取り残された。やがて東に抜ける川が誕生した。そこで海の生き物はここで生きるようになったという。
 流域に住む人々の多くはフローティング・ハウスという水上ハウスで生活している。モニーケ・アルメイダさん(19歳)はピンクイルカを呼び寄せる力がある。他の人が同じように水を叩いてもイルカはやってこない。10年前から餌を与えたのがきっかけで来るそうです。

 アマゾンの河口に近づくと家の形態が変わってくる。支流の一つアラガリ川の岸辺には高床式の家が目立つ。やがてものすごい勢いで川が逆流しはじめた。ポロロッカ Pororoca (大音響)と呼ばれる。3月の雨季の半ばに起こる。午前8時過ぎに轟音と共に彼方から押し寄せてくる波。毎年2月から4月の大潮に起きるすさまじい逆流現象。波の速さは時として時速40kmを越える。似たような現象は中国やイギリスでも起きるが、スケールが違う。瞬く間に波は住居に迫る。ポロロッカの波ははるか800kmの上流まで到達するという。

 アマゾンの植物には医薬品の原料などもある。最近人気のアサイイもある。軌跡の果物と言われるほど栄養価が高い。ポリフェノールが赤ワインの30倍、鉄分はレバーの3倍、他にもアミノ酸やカルシウムが含まれている。街の人たちは果肉部分をつぶしてペースト状にし、毎日のように食べている。魚のフライをあわせたものが定番の朝ごはん。

 不思議な魚たちが暮らしている。最大の港町マナウス。180万人が暮らし、街にはヨーロッパの香りがある。アマゾンで発見された天然ゴムが一攫千金を狙う人たちを引き寄せた。大河アマゾンに生息する魚はざっと3000種。その中には、日本人が見慣れないグロテスクな魚も多い。世界最大の淡水魚ピラルクが流れのゆるい場所や沼地に潜んでいる。大きいものは体長が4mにもなる。1億年もの間、姿を変えずに生き延びてきた古代魚。20分に1度くらい水面に顔を出し呼吸をする。ピラルクには肺がある。仲間たちの多くはやがて陸に上がり、両生類や爬虫類に変化した。
 アマゾンにはピラニアもいる。漁師のルジーロ・カストロさんはピラニアを探し出す名人。ピラニアは臆病で群れで行動しているという。鳥が多くいる場所では、糞が水面に落ちる音に反応してピラニアが集まるという。普段は小魚を食べているが、血の臭いを感じると興奮状態となり集団で相手に襲いかかる。アマゾンにおよそ30種類、祖先は植物を主に食べる鯉の仲間。肉食に変化したのは、餌となる小魚がここに多かったからかもしれない。
 カストロさんは釣り上げたピラニアはビタミンが多く、煮つけにしたりして食べる。


テレビ番組「魅惑のフルーツ 世界柿ロード」

 2010年2月13日放送。政井マヤ、久本朋子、甲斐まり惠さんが案内。果物屋さんやスーパーにも多くの干し柿が並んでいる。世界には1000種類の柿がある。柿の学名は、Diospyros Kaki Thunberg。柿は日本、韓国、中国が原産とされる。TVQ九州放送製作。

●パリ
 朝市(マルシェ)で柿は売られていた。3個で2ユーロ。
 世界的なスキン・ケア・ブランド「クラランス Clarins 」のパリ本店。予約は1年先までいっぱいというカリスマ・エステティシャンのローズマリー・カスターノさん。「スープラ・シリーズ Soins Multi Intensifs 」には柿の果実エキスとクズが使われている。4年前に登場したシリーズです。

 セーヌ川に面した場所に人気のスペイン料理店「フォゴン Fogon 」がある。ミシュランにも掲載されている店で、名物料理はパエリア。オーナーシェフのアルベルト・エライスさんは6年前から店で柿料理を出している。レパートリーは10種類。薄くスライスした柿にショウガなどで味をつけ、カラスミをはさんでミルフィーユ仕立てにした。2品目は、帆立の貝殻にオリーブオイルのソースをかけ、薄くスライスした柿をのせ、生の帆立を柿のスライスではさみ、最後にキャビアとネギをトッピング。3品目は柿をくし切にして、タラの塩漬、生野菜、オレンジと和える。これはとても美味しいそうです。

●日本
 柿は奈良時代頃から、干し柿は平安時代頃から食べられている。食物繊維、カロテノイド、ソルビトール、ビタミンC、βシトステロール、ポリフェノール、βクリプトキサンチンなどが入っている。
 飯田市の「かぶちゃん農園」の干し市田柿が紹介されました。
http://www.kabuchan.co.jp/

 久本朋子さんが奈良県を訪ねた。柿の生産は全国2位。法隆寺のお土産屋さんには「パゴちゃん」という柿のゆるキャラが販売されていた。柿のソフトクリーム250円、松本屋の「柿ざるうどん」(700円)などをいただきました。「柿博物館」は平成6年にオープンした、五條市にある柿の博物館。数百種類もの柿のサンプルや柿を使った加工品などが展示されている。同じ敷地内にある奈良県果樹振興センターには、200種類の柿が植えられている。イボのある「いぼ柿」、黒柿、長トロ柿、正月、菊平、マメガキなどが特徴がある。
 柿の2大ブランドは次郎柿と富有柿。次郎柿は関東でよく食べられている甘柿で、四角い形が特徴。富有柿は、日本各地で栽培され、甘柿で最も生産量が多い。
 富有柿の名産地の和歌山県九度山町。
 次郎柿の生産地の静岡県の足立さんの農園を訪れた。森町には次郎柿の原木が今も残っている。

 長野県の松川町ではお漬物に柿を使っている。野沢菜と柿の皮を交互に敷いていって作る。

 「マルメゾン成城店」は30年以上の歴史を持つ成城にある、大人気のスイーツ店。甲斐さんが干し柿を現代風にアレンジしてスイーツにしてもらうために訪れた。オーナー・シェフの大山栄蔵さんが作ってくれました。オリジナルのスイーツ4品は2月14日から1ヵ月限定販売されたそうです。できたものは、「クリームブリュレ」、「キャラメルバニーユ」、「シュークリーム」、「マカロン」でした。

●ベトナム
 ホーチミン市の中心近くの市場。作っているのはダラットで、ホーチミン市の北東の高原地帯にある都市。フランスの植民地時代に避暑地として開発され、プチ・パリとも言われている。
 ダラットの端に柿を売る店が並ぶ。市内では、阿蘇大作さんが案内。ダラットでは5種類の柿が作られている。とても美味しいそうです。
 干し柿も売っている。できた干し柿を瓶の底で押しつぶして細くし、薫製にしている。
 柿農園に行く。カイロンという収穫器具を使っていた。桃もこれで収穫するとか。
 「ダラット農業技術センター」でどこから来たのか調べた。所長のトイさんが説明してくれました。1945年頃に日本から来たそうです。日本の Nishi Suchi ?

●ブラジル
 サンパウロから車で1時間半のピエダーデ市。スーパーでは Caqui と書いてあり、干し柿まである。
 「ブラジル移民100周年記念2レアル硬貨」は1908年の最初の移民船が描かれている。コインの裏には柿を収穫する女性が描かれている。
 柿農園を経営する日系人ジョゼ・ヒロシ・ツヅキさんを訪ねた。富有柿を栽培している。

●韓国・ソウル
 韓国は日本を抑えて柿の生産量は世界2位。秋には市場に柿が並ぶ。干し柿もある。
 「水晶果(スジョンカ)」は食後の定番だという柿のドリンク。生姜を煎じた汁にシナモンを加え、干し柿を煮詰めて作る。ニッキの飴の味をお茶にしたような味とか。韓国では缶ジュースの水晶果もポピュラーとか。

●韓国・サンジュ市
 韓国のほぼ真中近く。韓国で柿の生産の6割を占めている。柿の看板が多い。街路樹まで柿。青果市場では柿の競りが行われていた。ここから韓国各地に柿が出荷されていく。キム・ゴクリーさんが説明してくれました。
 郊外では干し柿生産が多い。工場では一度に200万個の干し柿を製造できる設備がある。日本では通すが、韓国では2個ずつヘタの部分で吊るす。
 柿協会会長のパク・キョンファさんに話を聴いた。

●韓国・プサン
 国際市場にはいろいろな食物が並ぶが柿キムチはない。

●韓国・ヨンチョン
 プサンの北にある町。「モア・コーポレーション」という会社で作っている。柿キムチは見た目は普通のキムチ。3年前から作られていて、干し柿が使われている。韓国国内でもまだ知られていない。


テレビ番組「知っとこ! 世界の朝ごはん リオ・デ・ジャネイロ」

 2010年2月6日放送。

●リオ・デ・ジャネイロ
 人口およそ600万人。2014年のサッカーのワールドカップ、2016年のオリンピック開催地。
 イパネマビーチ Praia de Ipanema に行く。大胆なビキニの女性たちが寝ている。砂像アーティストのホジェアン・ホドリゲス(28歳)が砂像作りをしていた。建物も窓もつけている。横には作るのに1ヶ月かかったという大作があった。今では世界中のデパートやリゾート・ホテルからディスプレイ用の依頼が来るという。

 街中に階段がまるごとアートになっているものがある。タイルで飾られている。これを作った人が世界各国の友人にその国のタイルを送ってもらい、製作した作品。日本のタイルは阪神タイガースでした!

 「テマケリア」はリオデジャネイロで「手巻き寿司」を販売しているお店の総称。ここ数年かなりの人気になっていて、200軒ほどの「テマケリア」を掲げるお店がオープンしたという。春巻きを刻んで手巻き寿司にした「Harumaki 」は1個8.5レアル(約400円)。「Poke (サーモンとマグロ)」は1個9.5レアル(約450円)。若い人に人気とか。

 レオナルド・マセードさん(28歳)とオーデニール・ジュニオさん(15歳)が勧めてくれたのはブラジルの名物料理「シュラスコ」を楽しめるお店「エストレア・ド・スル Estrela da Sul 」。シュラスコは串焼きのお肉のこと。約20種類のお肉が食べ放題。コースターが緑色のときは、「どんどん持ってきて」という意味らしい。おなかがいっぱいになったら裏返して赤色にする。

 リオのカーニバル取材班がリハーサルの様子を見学させてもらった。リハーサルは無料で入れるから地元の人は盛り上がるという。今年のカーニバル開催日:2月13日〜16日。

 新婚さんの朝ごはん。ジュリアナ・メネグチさん(24歳)が作るのは、1品目「トウモロコシのケーキ(ボロ・デ・フバ)」。たまごを白味と黄味に分ける。黄味とバターと砂糖などをボウルに入れ、ココナッツミルク、とうもろこしの粉を少しずついれ、混ぜながらミキサーにかける。メレンゲ状に泡だてた白身を加え、さっくりと混ぜあわせて型に流しいれ、オーブンで30分焼けば、できあがり。
 2品目「ひき肉入りパンケッカ」。多めのひき肉を油で色が変わるまでしっかり炒めたら、みじん切りのたまねぎ、トマト、塩を加え、しばらく煮込んで水分を飛ばす。ミキサーに卵、牛乳、小麦粉、オレガノなどを入れ、しっかり混ぜて生地を作ったら、平たいお皿に移しておく。ここで裏返しにしたようなフライパンを暖めたら、生地に直に押し付けて、薄いクレープにする。焼き上げたクレープにひき肉をのせて巻いたら完成。
 3品目「フルーツサラダ」。マンゴー、キウィ、スイカなどを切り分け、ボウルに入れて混ぜる。パッションフルーツをミキサーに入れ、練乳を加えて混ぜてソースを作る。これをフルーツにかけたら完成。


テレビ番組「探検ロマン世界遺産 イグアスの滝」

 2009年2月28日放送。太田雅英アナウンサーが案内。

●イグアスの滝
 大地の裂け目に吸い込まれそうな水。轟音を上げる滝の数々。滝のまわりに広がる森は、アマゾンとは異なる自然が息づいている。満月の夜、神秘的な虹がかかるという。
 ナイアガラの滝、ビクトリアの滝と並び世界三大瀑布の一つ。中でもイグアスは滝が2.7kmにも渡って連なり、世界最大といわれる。滝はブラジルとアルゼンチンの国境のイグアス川で、パラナ川の支流。滝のまわりは国立公園となっている。「イ・グアス」とは先住民の言葉で「大きな(グアス)水(イ)」という意味。
 ブラジル南部のフォス・ド・イグアス。滝への玄関口として栄える町。1月は南半球は真夏。市場に行く。カステルは小麦粉から作った皮でチーズや肉を包んで揚げたもの。ブラジルの人は朝ご飯によく食べるそうです。美味しいそうです。ジャガーの操り人形もある。
 20km離れた滝に向かう。10km行くと、右の方にイグアスの滝の水煙が見える。密林の中に水煙が見える。スケールの大きさがわかる。森を抜けて歩いて滝の中心に近づく。川の上にある橋まで来ると、巨大な滝が目に飛び込んできた。響き渡る大音響。圧倒的な水のエネルギー。高さ80mの崖から巨大な滝がいくつも流れ落ちている。まさに絵に描いたような大パノラマ。崖の下の虹もすごい。イグアスでは、1日中虹が見える。滝の奥にあるのが、イグアスでも最も大きな滝。直径150mほどの巨大な滝壷。水は大地をゆるがす音を轟かせ、滝壷に吸い込まれていく。全てを飲み込むようなその姿から、この滝は「悪魔の喉笛」と名づけられている。

 広大な平野を流れるイグアス川に突然現われるイグアスの滝。2.7kmの長さに300近い滝がある。水の量は毎秒1700トン。真っ平な平野の真中にどうしてこういう滝ができたのか?
 今から1億年近く前、地下から吹き出た大量のマグマがこのあたりを覆い、広大な平野ができた。その上を流れるパラナ川は川底を削り、深くなった。そこに支流のイグアス川が流れこみ、段差が滝になった。滝は川の上流に移動している。現在は合流点から23km上流に滝がある。今も滝は1年に数mmから2cmほど後退している。これは1億年にも及ぶ大地の営みと、水の力が生み出した造形だった。

 イグアス川に出てボートで滝の下側に向かう。案内してくれるのは、アルゼンチンのイグアス国立公園のレンジャーのオマル・カネーテさん。ボートは結構早い。上から見るのとは全く違う。滝の下に突入しました。大雨の中にいるようで、何も見えない。水が痛い!真下に行ったつもりですが、実は少ししか近づいていません。強い風に乗って水が横殴りに降る。ずぶ濡れになりました。オマルさんが満月の日には夜にも虹が出ることを教えてくれた。
 上流で雨が多く降る1月。滝の量は1年でピークを迎える。全てを拒む圧倒的な水の壁。と思って観ていると、何かが滝に飛び込んだ。オオムジアマツバメの群れが竜巻みたいにぐるぐる回りながら飛んでいる。滝の中へ次々と飛び込んでいく。滝の裏にはアマツバメが壁にすがりついていました。天敵のワシやトカゲから巣を守るために、敵が入って来にくい滝の裏側に巣を作っていた。

 この国立公園の広さは東京都とほぼ同じ面積。ここに多くの種類の生き物がいるのが世界遺産になった一つの理由。哺乳類だけで68種類いる。ブラジルのイグアス国立公園の生物学者アオポローニョ・ロドリゲスさんに案内してもらった。この森は人の立ち入りが厳しく制限されている。滝から10km奥に入る。大西洋岸森林と呼ばれる森。アマゾンと並ぶ生き物の宝庫。亜熱帯のものを中心に2000種類の植物がある。木の上にランが咲いていた。ブラッサボラ・ツバルクラタはカトレアの遠い仲間。藪の中に全体が黒で青い羽と黄緑色のお腹の鳥、ルリサンジャクがいた。アポローニョさんが、体重50kgくらいのピューマの足跡を見つけた。ピューマはネコの仲間で体長2mにもなる大型肉食獣。大きいものは70kgにもなるとか。この国立公園に70頭ほど住んでいるという。ジャガーなどのネコ科の猛獣が6種類いる。各々の猛獣の取る獲物は少しずつ違う。いずれも森にたくさんいる。高い木の上に巨大な黄色いクチバシのオニオオハシがいた。体長50cmで3分の1がクチバシ。ブラジルの国鳥として親しまれている。ムナグロマンゴーハチドリが飛んできた。体長7cm。花の蜜で生きる世界で最も小さな鳥の仲間。中南米に住むアライグマの仲間アカハナグマの親子がいた。フサオマキザルが2頭いました。有袋類のシロミミオポッサムがいた。オーストラリア以外には世界でここだけの有袋類。袋の中には子供がたくさん入っていた。一度に15匹も生むので、袋は満員。一年に何度も生むそうです。

 大西洋岸森林は元の7%にまで減ってきている。わずかに残った森もそれぞれ孤立している。広大に見えるイグアス国立公園も周囲は大豆畑。ジャガーやピューマなどの大きな動物には狭すぎる状態になっている。近親交配が進み、ジャガーなどの肉食動物は減っている。このままでは動物たちのバランスが崩れてしまう。現在、ある壮大なプロジェクトが動きだした。
 アポローニョさんが大豆畑の真中に連れて来てくれた。細長い森の部分が緑の回廊で、他の森とつないでいる。動物たちが森から森へ行き来できるようにし、より広い住処を確保するようにしようという考え。3年前に20万本の木が植えられた。これはブラジルでは初めての試みだった。
 植物の種も運ばれてきており、この3年だけでも素晴らしい成果があがってきている。今では大西洋岸森林の回廊を作る計画が国を挙げて行なわれようとしている。

 滝の近くに先住民グアラニ族の村があるので行ってみた。ブラジル中部に暮す先住民族で、現在の人口は8万人ほど。16世紀以降ヨーロッパ人と接触してきたが、自分たちの言葉や文化をひたすら守ってきた。村の若者が案内してくれた。森は生活に使う様々な物を与えてくれるという。村人は日々、神々の祈りを欠かさない。その儀式に参加することを特別に許してもらった。水を司る神の名前はクパ。
 グアラニ族の祈祷師のロゼンド・モレイラさんに話を聞いた。滝は私たちの先祖のような存在だという。満月の夜の滝には、動物や魚や神様たちがいろいろ集まる。神聖な夜。虹を見たら近くに神様がいる印と考える。グアラニ族はそっとしておくという。
 満月の日。少しでも陰りがあると虹はでないという。待つこと3時間。陰りがなくなり、虹が出ました。淡い色合い。ほんのりと浮かんでいた。神々が集う神聖な夜にふさわしい神々しさ。


テレビ番組「地球に触れるエコ大紀行」

 2008年11月3日放送、15日再放送。柴崎行雄、田代香子アナウンサーが案内。地球を一周する旅。既に半年経過し21カ国目に入る。柴崎アナはオーストラリアのタスマニア島、シャーク湾、からインドネシア、セーシェル、マダガスカル、ウガンダ、タンザニア、ボツワナ、ナミビア、ブラジルに移動した。田代アナは中国、ラオス、ネパール、カザフスタン、ギリシャ、モロッコ、ルーマニア、フィンランド、イギリス、ガーナ、フロリダ、ベネズエラと移動した。NHK製作。

●ナミビア
 9月下旬、ボツワナとナミビアの国境。入国管理事務所で手続きする。
 8000万年という歴史を持つ、世界最古と言われるナミブ砂漠。南北の長さが2000kmあり、大西洋に面するナミブ砂漠は動植物の独特の生態系が見られる。夜明け前にソソスフレイ?を出発。このツアーにはドイツから来たヨーストさんとエバさんも参加。ガイドは40歳のオーランド・ハラセブさん。サッカーのナミビア代表のキャプテンを10年勤めた人。午前6時40分、太陽がでてきた。夜明け前はだいぶ寒いようです。冬には氷点下になることもあるそうです。砂はとても冷たいそうです。赤味があるのは、鉄分を含むため。
 まず高さ250mの最大級の砂丘ビッグ・ダディ?に登る。崩れやすくなかなか思うようには進めない。10時過ぎに気温は30度を越えた。3分の1を越えたところで、ヨーストさんが動けなくなった。傾斜が50度近くになった。のぼり始めて2時間で頂上に到着。
 砂丘の下を歩いた。砂漠の向こう側にダチョウの雄がいた。ウェッジスノウテッド・リザードというトカゲがいた。色は茶色で空から鳥に襲われない保護色となっている。トカゲは片手と片足で砂漠の熱さから逃れようとするが、さらに熱いと砂の中に足をつっこむ。これをサーマルダンスという。ナラという植物が生えている。茎全体がトゲで覆われている。地下10数mのところまで根を張っているそうです。直径20cmほどの実がなっていた。砂漠は、夜明け前、数日に1度霧が発生する。これで生き物が育つ。小さな動物がいた。グロポーリ・ゴミムシダマシ?は、霧から水分を補給しているそうです。
 何もないと思われていた場所に、いろいろなことがあることがわかった。
http://www.ultimatesafaris.na/

●フロリダ
 州西北部にあるクリスタル・リバー。いたる所にマナティの看板がある。絶滅が危惧されているマナティの楽園として知られている。ガイドはフレッドさんとパブラさん、ツアー参加者はメイガンさんと倉田千鶴さん。ここは世界で唯一野性のマナティと一緒に水の中に入ることは許されている。
 ボートに乗って出発。町の中だけど、自然が保護されている。確かに川の左手は住宅で、左手は自然。ここは温かい泉が湧き出しているから、海より暖かいので、マナティが来るそうです。町のいたる所で地下水が泉として吹き出ていて、それがメキシコ湾に注ぎ込む。湧き出す泉は30箇所を越える。一つに行ってみたら、すごく美しい。ここで潜ってみましたが、透明度がとても高い。水温は年間を通して22度。冬にマナティがやってくるそうです。
 再びボートに乗ってマナティを探す。水路ではスピード制限や進入制限がある。40年前からボートのスクリューに巻き込まれる事故が相次いだため。今は数も少しずつ戻っているとか。先に行っていたフレッドさんがマナティを見つけてくれていました。フロリダマナテイがいました。体長は4m、体重1トンにもなる哺乳類。ここで水に入って触れ合いました。好奇心旺盛です。法律では、両手で触ってはいけない。拘束されていると感じるからで、片手ならOKです。
 海水に生える水草ハイドレラを1日に100kgも食べるそうです。ボートのロープを咥えるのも好きだそうです。1時間ふれあいました。

http://www.artndiving.net/

●ブラジル
 パンタナールはブラジル西南。玄関口のクイアバまでは、サンパウロからTAMの直行便で2時間で到着。ガイドはブラジル在住16年の湯川宣孝さん。ツアー参加者は石垣智也、裕子さん夫妻。パンタナールは単なる大自然ではなく、水の変化によって生態系が変化している場所。この時期は乾季でした。湿原だが、水は見当たらない。橋があるが、川は乾いています。パンタナールの大きさは日本の本州ほど。世界最大の大湿原。木を見てみると、下から50cmのところに雨季の際の水面の高さの線が入っている。平原にはひからびたカニなどの死骸がありました。
 周囲150mほどの小さな沼があった。水草ばかりですが、よく見るとワニだらけでした。中南米に生息するメガネカイマンで、主な餌はジャイアント・ピラニアだそうです。水は緑色で、あたりの草などから栄養分が溶け出している。プランクトンが大発生し、多くの魚が育つ。カピバラという世界最大のネズミの仲間が水浴び?していた。豚くらいあります。1日3kg草を食べるそうですが、1日の半分を水の中で過ごす。カピバラはワニの大好物だが、ワニは魚を食べ過ぎていて見向きもしない。

 湯川さんのHPは
http://www.geocities.jp/pantanalinbrazil/

●ベネズエラ
 ギアナ高地にあるエンジェル・フォールは世界一の高さ。現在でも正確な地図は存在せず、地球最後の秘境といわれている。この地に向かうには小型の飛行機に乗るしかない。ガイドはアントニオさん。参加者は掛札聡美、大和イコチェアさん。雲の間からテーブル・マウンテン(テプイ)が見えた。高さは2000m。山の頂上がテーブルのようになっている。ギアナ高地にはこうしたテーブル・マウンテンが100以上ある。最大の湖カナイマ湖には滝がいくつもある。
 世界遺産のカナイマ国立公園のエコツアー。10月は雨季の終わり。湖にはテーブルマウンテン(テプイ)に降った雨が巨大な滝となって流れこんでいた。滝の一つに行き、滝の裏側に入った。ここには自然にできた遊歩道がある。ギアナ高地には年間4000ミリの雨が降る。激流の下をおよそ100m歩いて滝を通過しました。ここからのツアーはこの滝の源流へとのぼる。まず車で移動、ボートに乗り換え、世界最大の滝エンジェル・フォールを目指す。
 山は火山による隆起によりできた。ギアナ高地最大級のテーブル・マウンテンのアウヤンテプイが近づいてきた。この奥に目指す滝がある。川の一部が赤くなっているが、これは植物が堆積してタンニンの成分が溶け出しているため。大きなマリモに見えるのはミズタマソウの仲間。ギアナ高地には4000種の植物が生息している。岩が多いが、テプイから落ちてきたものだそうです。出発して4時間、エンジェル・フォールが姿を見せた。落差979mで世界最長の滝。ボートを降りて滝まで3km?まで近づいた。そこから森の中を歩く。高さ3mほどのところにシロアリの巣があった。ここは高さ1mくらいまで雨季には水につかるそうです。1.5mほどの大きな葉もある。ベシトスは鮮やかな色のアカネ科の植物。赤い花に青い果実。木の中に隠れているのは、ギアナ高地に広く生息するチャノドメキシコインコ。歩き始めて2時間、道が険しくなってきた。そこを越えると目の前にエンジェル・フォールが。

 ツアーですが、ギアナ高地の観光拠点はカナイマで、カナイマまでは首都カラカスから1時間でシルダーボリバールを経由して、そこから小型飛行機で1時間でカナイマ空港へ到着する。
 一般的なツアーとしては2泊3日で、初日:カナイマ一泊(カナイマ湖周辺滝めぐり)、2日目:カナイマ湖からボートにのって4時間エンジェルフォールそばのラトンで一泊、3日目:朝ラトンから徒歩2時間でエンジェルフォールへ。夕方カナイマ着。
 カナイマからエンジェルフォールの上空を小型飛行機で回って遊覧観光するというコースもある。
 現地にはいくつかエコツアー会社があり同じようなツアーを組んでくれるそうです。
http://www.nhk.or.jp/eco-journey/yotei/index.html


テレビ番組「赤道大紀行」

 2008年1月26日放送。西村雅彦さんが旅をした。アマゾンからアンデスを越え、ガラパゴス諸島まで。中部日本放送製作。

●ロカ岬
 「ここに地果て、海始まる」500年前の大航海時代に多くの冒険家たちが目の前に広がる大西洋を越え、赤道を越えて新しい世界地図を書き加えていった。赤道を旅する。

●ブラジル・ベレン
 アマゾン河の玄関口。高層ビルも建ち並ぶ人口130万人の大都市。この日の気温は38度、アスファルトの上は50度を越える。街路樹としてマンゴーが植えてある「マンゴー並木の町」。落ちた実はそのまま食べるそうです。
 ベレンは1616年ポルトガル人が入植した街。目の前にあるのはアマゾン川の支流のガマ川。アマゾン川の面積は日本の19倍。支流は無数に枝分かれしている。
 魚が一同に集まるのがベレン名物のヴェロペーゾ朝市。珍しい魚がいっぱい。夜明け前から人ごみがすごい。ドラーダというのが多いが、なまずの仲間。ボドーは鎧なまずの一種。ペスカータはイシモチの一種。
 毎日お昼過ぎになると、突然スコールが降る。すぐやむのがわかっているので、誰も傘を持っていない。スコールは10分でやみ、マンゴーが落ちる。並木の下では屋台がオープンし、タカカというスープを売っている。420円。イモのスープに塩辛いエビが入っている。ジャンブーというしびれる野菜が入っている。

●メシアナ島
 飛行機で向かうと、巨大な川と熱帯雨林が見える。1時間で到着。アマゾン川の中州です。出迎えてくれたのは地元の青年ヴィラさん。乗物として用意してくれたのは水牛。世界最大のネズミであるカピバラをはじめ、数多くの野生動物が暮らしている。
 世界最大の淡水魚ピラルクは大きいのだと70kgくらいある。まず餌となる魚を取る。アカリという鎧ナマズの一種を捕まえたが、長さ30cm程度。次はタマタという鎧ナマズの一種などが数匹獲れました。ピラルクがいるという沼に向かった。臆病なので少しの音にも敏感なピラルク。長さ1m以上のが釣れましたが、逃げました。小さいけど重さ6kg長さ70cm程度のが釣れました。
 赤道の位置に行ってみた。
 満月の日は特別なことが起きるとこの地方の人は言う。早朝4時半に船で移動。アマゾンに昇る朝日を拝んだ。ライフジャケットを着て、すぐにスピードボートに乗り換え、下流の方向にある「カナル・ペリゴーゾ(危険な運河)」に向かう。ポロロッカが見られるという。これは満月と新月の日に津波のような波が起きる現象で、大逆流する。木をなぎ倒す。これを船に乗って逃げながら見ようという。ポロロッカとはインディオの言葉で「鳴り響く轟音」の意味。高さは3mを越す巨大な泥色の濁流が轟音と共に迫って来た。河口から300kmは遡るという巨大津波。

●アウテール・ド・ション
 河口から800km。ビーチパラソルなどが並ぶ砂浜がある。タバジョス川(アマゾン川の支流)で、透明度が高く、水中でも3m先が見える。

●サンタレン
 古くからアマゾン川を行き交う船の交通の要所として栄えた港町。人が多くの品を運ぶ。パイナップルの箱も50kgある。船の二階にはハンモックが並ぶ。アマゾン川の移動にはハンモックは必需品。心地よい揺れが眠りを誘う。
 この近くにも森林伐採の実態がある。木のない原野が続く場所がある。4年前まではジャングルだった。伐採された高級木材は世界各国へ輸出されている。そこに植えられているのは大豆。アメリカの巨大穀物会社がここに大規模な輸出基地を建設し、森林伐採の速度は加速した。

●マナウス
 さらに上流に向かった。アマゾン川の河口から1600km。人口170万人の高層ビルの街並みが突如現れる。この町が世界に誇る自慢の建物は、町の中心に建つオペラハウス「アマゾナス劇場」(1896年完成)。全ての建築材はヨーロッパから持ち込まれた。100年前に自動車が普及に、タイヤに必要な天然ゴムを求めて世界中から人々が押し寄せた。
 市内を流れるのはアマゾン川の支流ネグロ川。コーヒー色に近い色。川を泳ぐアマゾンカワイルカがいる。上流に行くと川の色が違う2つの流れがある。片方はコーヒー色、片方はソリモンエス川でカフェオレ色で濁っている。マナウスで違う2つの巨大な川が交じり合う。ネグロ川はエクアドルやコロンビアの水没林をゆっくり流れてくるので色が黒く透明に近い。ソリモンエス川はアンデス山脈から激しく流れ落ちる冷たい雪解け水。水温や流れの早さが違うので、色がくっきり分かれる現象が起きている。これは「ソリモンエスの奇跡」と言われている。測定してみるとネグロ川は28度、ソリモンエス川は22度だった。

●ペルーのイキートス
 河口から4000km。かつてはゴム景気で栄え、マナウスとは双子の町と呼ばれている。今までの南米の町とは雰囲気が全く違う。オート三輪が数多く走る。
 活気があるのはベレン市場。イモムシも食べている。おいしいそうです(笑)。野菜や魚、ワニの口?などもある。SVSSという飲み物は男性に元気をつける飲み物とか(笑)ジャングルに自生する7種類の植物などを蒸留酒に漬け込んだ精力剤。
 ここから船で上流を目指した。ここでは季節によって表情を変える。乾季と雨季では水位が10m違うとか。雨季では日本の本州ほどの広さの林が水没林となる。
 ジャングルを歩くとナマケモノがいた。サル、ワニなどがいます。ジャングルの奥地に昔ながらの生活をするというインディオがいるというので訪ねた。まず顔に墨を塗ってボラ族の印をつける。ボラとは「耳飾りをしない人々」の意味らしい。10数家族が自給自足の生活をしている。ユカというジャングルのイモで作った歓迎の飲み物をいただいた。聖なる葉を使ったお清めの踊りをしてもらった。祖父の時代には別の場所にいて、奴隷としてひどい扱いを受けたという。白人により村は襲われ、ゴム労働させられたそうです。ゴムを50kg集めないとムチで殴られ手足を切り落とされ、30kg集めないと容赦なく殺されたらしい。それが自分たちを虐待した人であっても「村を訪れた人は誰でも丁寧にもてなす」のが村のルール。

●アンデス山脈
 全長7500km、7カ国にまたがるアンデス山脈。標高4000mまでは車で一気に駆け上がる。景色が変化していく。標高2500mまでは段々畑が続く。それからは緑がなくなる。標高3800m、高原地帯が広がる。ここを抜けると雄大なアンデス山脈が姿を現した。4300mの地点。ペルー最高峰ワスカラン山(標高6768m)などが連なるコルディレラ・ブランカ(白い山脈)は世界で最も美しい風景の一つ。標高4000mを越えたところから、奇妙な植物を目にする。巨大なつくしが天に向かっているかのような姿。プヤ・ライ・モンディは数十年かけて成長し開花する。一度花を咲かせると必ず枯れるという謎に満ちた植物。高さは5−10m?。
 たどり着いたのは標高4200mのアンデスに囲まれた小さな村。平原が広がる。楽器の音色が響き、楽しそうな踊りの輪があった。結婚式らしい。新郎新婦は接待役で忙しく働いていました。ジャガイモ、スープ、クイの肉。クイはモルモットに似たネズミの仲間。
 標高4800mにアンデスの氷河がある。馬に乗り換え、標高5000mのパストルリ氷河まで移動する。周囲には何もない。馬で連れて行ってくれた人は、子供の頃は、馬に乗った場所まで氷河があったが、今はここまで退行しているという。あと10年持つかどうからしい。水がなくなると生活していけなくなるという。

●エクアドルのキト
 国の名前はスペイン語で「赤道」。キトはスペインの植民地時代に築かれた歴史ある街並みで世界遺産。標高は2850mで、赤道からわずか23km南だが、年間平均気温は13度。フルーツ王国としても有名。ジュース屋さんは大人気。
 世界遺産の街並みの中でも目をひくのは「ラ・コンパーニャ教会」で、南米で最も美しいと言われる。内部の装飾は全て金。160年の歳月をかけて作られ、使われた金は1トンとも言われる。キトは教会の建ち並ぶ教会の街でもある。
 赤道の場所に行ってみたら、立派なモニュメントが建っている。赤道記念碑はヨーロッパの測量チームが赤道を見つけたのにちなんで建てられた。地面には目に見えないはずの赤道がハッキリ刻まれている。でもGPSで見るとゼロじゃなかった。10分歩いたら本当の赤道に到達した。

●ガラパゴス諸島
 西に1000km、太平洋上のあるガラパゴス諸島は、火山の爆発で起きたいくつかの小さな島々からなる。独自の進化を遂げた固有の野生動物が数多く暮す野生動物の楽園。
 まず出迎えてくれたのは、ガラパゴス・アシカ。逃げません。リクイグアナなど平気で歩いています。ガラパゴス・ゾウガメ、アオアシカツオドリ、グンカンドリ、ガラパゴス・ペンギン、シュモクザメなど。海藻を餌にするウミイグアナは世界で唯一海に潜ることができるイグアナ。海で冷えた体を陸に上がったら仲間の所に戻って、集団で体を温めるという。
 ゾウガメのロンサム・ジョージは孤独です。人間に島の仲間を殺され、最後の1頭になった。ガラパゴスとはスペイン語でゾウガメのこと。多くのゾウガメが暮らしていた。19世紀に簡単に捕まえられて食料や油になるゾウガメを乱獲した。結果として3つの島でゾウガメが絶滅した。ガラパゴスの自然を守るために作られたダーウィン研究所は、ロンサム・ジョージを守り、ゾウガメの人工繁殖を行なっている。イボンヌ研究員は自然を守ることなどが課題だという。1978年の世界自然遺産の第一号に登録された。観光客が増え、動物が自分で餌を捕まえなくなった。空港と町を結ぶ道は舗装され、村は町へ変貌を遂げた。そして去年6月、ガラパゴスは世界危機遺産リストに加えられた。


テレビ番組「南米の神秘 純白の大砂丘」

 2008年1月14日放送。ブラジルのレンソイス・マラニェンセス国立公園は世界一白いと言われる砂丘。乾季の時期は強烈な風が支配する。美しい文様を大地に描く。雨季は砂丘の真中に池が何百、何千も忽然と現れる。その池の中には魚が泳いでいる。一体どこから泳いできたのか?亀も半年ぶりに顔を出す。1年を通しての撮影が始めて今回許可された。NHK製作。

●サンルイス
 ブラジルの北東部マラニョン州?の州都。旧市街は世界遺産。17世紀にヨーロッパの人々が築いた4000以上の建物がそのまま残されている。11月白い砂丘の入口までの300kmを目指した。舗装道路4時間、わき道に入って40kmは砂地なので、思うように進めない。砂地を6時間走って、真っ白な大地が登場した。

●レンソイス・マラニェンセス国立公園
 東京都よりやや小さいくらいの規模。赤道直下なので、気温は30度を越える。レンソイスはポルトガル語でシーツのこと。乾季の終わりなので、この1ヶ月間は砂丘が白く見える。風に飛ばされた砂が表面を滑っている。風速30m以上の強い風が吹いている。砂を拡大してみると透明。石英でした。液体のように砂丘の表面を水のように流れている。
 砂から枯れ木が出ていた。かつてここにあった森の跡。砂は30mほど積もっていると言われている。どこから砂は来たのか?ブラジルの大地は花崗岩で、パラナイーバ川で削られて流れていく。砂は海へと運ばれる。砂は海流に流され北上する。このあたりの海岸は1km沖でも深さ30m程度と遠浅。砂は数万年という時間をかけてゆっくり移動しながら、波によって柔らかい砂は細かく砕かれるが、石英はそのまま残る。石英の砂は岸に打ち上げられ、海からの風で陸へあげられる。

 1月になると6月まで雨季に入る。東京の年間雨量よりも多い雨が半年で降る。川ができ、大きな池ができる。青い池と白い砂が美しいコンストラクトを描く。体長1cmのカエルが出てきた。この後成長しても3cmほどにしかならない。ブラジルクジャクガメの仲間がいた。甲羅の長さは20cmほど。体長3cmほどの魚がいる。亀はこれを食べる。砂漠の中にオアシスがあり、11家族60人が暮らしている。寝るのはハンモック。100年以上前に漁村からここに移り住んだ人たちがいた。11家族は皆その子孫。ハイムンド・ガルシアさんが話をしてくれた。歩いて1時間の場所で穴を掘ったら、水が出た。雨季でも晴れると30度を越える。あと1時間で海岸に到着。底引き式の採り方で魚を取りました。サウーナという20cmほどの魚(ボラらしい)が2kg取れた。2日毎に海まで漁をする生活をする。
 数百、数線という池はどうして水が溜まるのか?下には粘土層があるため。池は地下に眠る水が顔を出している場所にしかすぎない。マラニョン州立大学のジバニウド・ミランダ博士は5年前から生態系を研究している。20cmほどの熱帯魚も泳いでいた。3cmほどのメダカの仲間。魚は乾季に入る前に卵を産み、それが次ぎの雨季で孵化するのではないかと考えられている。

 8月、雨は降らなくなり風が強くなる。夜になるとカエルが鳴き、産卵の季節となる。オスはオスメス関係なく飛びかかるそうです(笑)
 人々は海にも行けなくなるので、これまで採った魚を塩漬けにする。干物を作っていく。
 小さくなった池にやってくるのは渡り鳥。オオハシアジサシは一直線に水に飛び込み、魚を捕らえる。さらに干からびた池ではオタマジャクシがいた。孵化が遅れると死んでしまう。
 11月終わり。池は一つずつなくなっていく。無事成長できたカエルは砂に潜りこむ。砂の中の水分がカエルたちを守る。亀は深い眠りにつく。
 12月、全て砂に埋もれた。


テレビ番組「うふふのぷ 地球家族スタイル ブラジル・サンパウロ」

 2008年1月5日放送。コンチネンタル航空でニューヨーク経由で到着。ブラジルでは新年は白い服で迎えるそうです。衣類にはほとんど全てアイロンをかけるそうです。

●サンパウロ
 南半球一人口が多い町。街中に真っ赤な大鳥居がそびえ建つ。東洋人街には日系人が経営する商店が400軒ほど軒を連ねる。ロサンゼルスと並び大規模なコミュニティを形成している。今年はブラジル移民100周年。石焼いもを売っている人がいました。サンパウロの平均年収は一人あたり120万円。ちなみに東京は615万円。
 市街の一軒屋に住むイルメルダ・レイ・テさん(50歳)宅を訪問。息子はセーザーさん(22歳)とダグラスさん(20歳)。125平方m3LDKで祖父から譲り受けて、現在の評価額は1900万円。庭は100平方m。ナンベイ・コマツグミ、ハチドリなどの野鳥の餌付けをしている。

 サンパウロは夏を迎えたが、雨の季節を意味する。青空市場に買い物に行く。あるお店は何でも1袋1レアル(63円)で売ろうという時間もある。オクラは1kg160円(日本は1460円)、赤唐辛子は315円(日本2400円)、トマト95円(日本645円)で、スーパーより高いけど、新鮮だそうです。丸いハムのようなのはモルタデーラというソーセージ。ソーセージを詰めるための牛の腸も売っている。見慣れないフルーツはカシューアップルで、黒いヘタの部分がカシューナッツ。
 アマゾン産のフルーツのアサイーの実から作ったジュースをいただいた。ブラジルでは2年前から若者を中心にアサイーがブレイク中。食べると歯は真っ赤になるようです。
 夕食はフェイジョアーダというブラジルの伝統料理。黒い豆、豚の様々な部位を使う。こってりしているので、週に1度くらい大勢でわいわい言いながら食べる料理。ライスにかけていただきます。近所の人たちもやってきて一緒に食べます。みんなサッカーの話をしています。家族の宝物は60年前からの家族の写真でした。

 少しリッチなお宅を訪ねた。小児科医のマルガレッティ・マッシモ・デ・カルバーリオさん(52歳)は4人が医療にかかわっている。2棟400平方mで、現在の評価額は7700万円。キッチンにはメイドさんを雇う。クラシック・カーを集めるのが趣味で、普通使うのを含めて全部で13台ある。ガーデン・パーティではブラジル南部に伝わるシュラスコを焼いた。


テレビ番組「世界の絶景 新世界七不思議」

 2007年12月30日放送。世界七不思議は定義は曖昧だったが、2007年7月7日に新世界七不思議財団により、全世界から1億票の投票で新世界七不思議が決定した。ペルーのマチュピチュ、メキシコのチチェン・イッツァのピラミッド、ヨルダンのペトラ遺跡、インドのタージマハル、イタリアのコロッセオ、中国の万里の長城、ブラジルのコルコバードのキリスト像。新世界七不思議財団のバーナード・ウェーバー会長が説明してくれました。
 司会は内藤剛志、久本雅美さん。審査員は橋田壽賀子、優香、さまぁ〜ず、船越英一郎、ベッキーさん。フジテレビ製作。

●タージマハル
 350年前、22年の歳月をかけて建てられたお墓は世界一美しいといわれている。全て大理石、2万人の職人が集められた。いたる所に金や宝石が施され、国が傾くほどの総工費だった。たった一人の女性のために建てられたお墓。
 成田からはデリーにJALが毎日飛んでいる。10時間の旅。ここから南南東へ車で9時間でアグラ Agra に到着する。酒井敏也、田中要次さんが旅をして、スワッティーさん(19歳)が案内。
 まずは東門。敷地面積5万坪。東京ドーム4個分。2つ目の門をくぐると見える。この正門も立派です。通りすぎるとタージマハルが遠くにある。荘厳。
 皇帝シャー・ジャハーンが36歳で亡くなった愛する妻ムムターズ・マハルのために建てたお墓。高さ65mのドームを中心に左右対称になっている。建築の際には、イタリア、フランスなどから職人が集められた。アーチには楽園をイメージした花が細やかに装飾されている。
 この白さを守るために、1500m以内は車では入れない。

 黒いタージマハルがあるという。デリーは人口1300万人。ここで情報を集める。ヨガをしている公園でヨガを体験。サロ・ジャニ・ナガル・マーケットの市場に行ってみた。インドのお札には17種類の言語で金額が書かれている。タージ・パレス・ホテルのマネージャーのカランジット・シンさんから話を聞いたところ、「アグラのタージマハルを建てた石彫り職人の末裔がそう言っていた」という。

 アグラに行って、職人に会い、妹さんに案内してもらった。小さな集落を抜けて15分車で走り、さらに林の中を歩く。夕陽の中に黒く見えるタージマハルが見えました。
 皇帝は自らの墓として対岸に黒いタージマハルを建てようとしたが、願いは反対されて叶わなかった。

●ヨルダンのペトラ遺跡
 ペトラはギリシャ語で岩を意味する古代都市。紀元前に築かれたという。長い間、世間から忘れさられていた。インディ・ジョーンズ「最後の聖戦」で宝が眠る神殿として使われた。ここに住んでいたのはベドウィンと呼ばれる砂漠の民。今もラクダや羊を放牧する生活を送っている。
 首都アンマンまではドバイを経由して成田から15時間。要潤さんが旅をして、ベドウィン族のサーレムさん(34歳)が案内。国土の8割が砂漠というヨルダンを車で1時間走る。目の前に死海が広がる。生物が住めない死の湖。広さは琵琶湖の1.5倍。要さんは泳いでみた。水温20度。普通の海の塩分は3%だが、ここは30%。波うち際には塩の結晶がある。

 3時間で岩山が見えてみた。岩だらけ。どこに遺跡があるかわからない。シク(割れ目)というペトラの入口がある。これが1km続く。高いところだと100mあるそうです。昔は川が流れていたためらしい。
 そしてペトラ遺跡エル・ハズネ El Khazneh が目の前に見えた。ビル10階建の高さがあり、紀元前1世紀頃にかつてこの地に住んでいた砂漠の民が作ったもの。エル・ハズネはアラビア語で宝物殿という意味。しかし宝の形跡は全くなかった。中央上の柱に小さな穴がある。盗賊が銃を撃った跡らしい。
 さらに奥にはまだいくつもの遺跡群がある。王家の墓(1世紀〜2世紀頃)。まだ発掘中のものも多く、謎が多い。最大の謎は「雨が年に数日しか降らない場所で、なぜ高度な文明が栄えたのか?」。
 崖に沿って溝が通っていた。これは水道管だった。町の外の6km先の泉からひいていたそうです。
 ろばにのって絶景を観にいく。階段をろばが登る。次は崖の横をろばが通る。1時間降りて、ここから歩く。1時間後、特別な場所に到着した。高いところからエル・ハズネが見えました。

●久本が選ぶロマンチックな絶景
 イタリアの青の洞窟。ネパールのエベレストを独り占めできるホテル。モナコの世界一セレブな絶景。スウェーデンのダイヤモンド・ダストが降り注ぐアイス・ホテル。ドイツの世界一ロマンチックなお城ノイシュヴァンシュタイン城。フィリピン・エルニドの誰も知らない秘密のビーチ。アイスランドの10年に1度の奇跡のオーロラ。

●メキシコのチチェン・イッツァのピラミッド
 ギザのピラミッド以外にも、先の尖ったものとしては、スーダンのゲベル・バルカル、イランのチョガ・ザンビール、ミャンマーのバガン、メキシコのティオティワカン、グアテマラのティカルなどがある。
 メキシコ周辺で4世紀〜10世紀頃に最も栄えたマヤ文明の遺跡。非常に高度な天文学の知識を持っていた。天文台の遺跡エル・カラコルがあり、非常に精密な暦を作り出した。
 日本からはカンクンまで15時間。上原多香子、紺野まひるさんが旅をして、グスタボ・フラボソさん(32歳)が案内。カンクンは白い砂のビーチとカンクン・ターコイズブルーのカリブ海。
 チチェン・イッツァまでは車で2時間半。ジャングルの中の1本道を飛ばす。遺跡の手前からは歩いて到着。
 何のために作られたのか?マヤ文明の神を祀る神殿だった。階段の一番下にはヘビの頭がある。ククルカンという神で、穀物の豊作を願った。頭しかない。階段は2年前に観光客が転落事故をして登ることが禁止された。特別に許可をもらい、角度45度の階段を登った。階段の段数にも秘密がある。91段あり、4つの階段があるから、364、これに最上段の1段があり365となる。18回の段差はマヤ文明の1年の月を表している。最上段から見たジャングルは絶景。
 秋分の日と春分の日に見られる秘密がある。エンカデナTV局のプロデューサーのダビ・コロナさんに貴重な映像を見せてもらった。ククルカンのヘビの姿が現れていました。これを見てマヤ人は種まきの時期を知ったそうです。

●コロッセオ
 2000年前に皇帝は民衆の支持を得るために、巨大な競技場を作り民衆を楽しませた。
 日本からはローマまで12時間。三船美佳、スティーブン・セキルバーグさんが旅をして、マルコ・ベルッティさん(38歳)が案内。コロッセオは元は白かったが、排気ガスで黒く見えるとか?中に入る。今は床がなくなっているが、当時は砂の床があり、アレーナと呼ばれていた。地下には剣闘士の収容施設や猛獣と剣闘士を地上に運ぶエレベーターもあった。トイレがないのも謎です。
 町に出る。スペイン広場。「ローマの休日」では男性が腰をかける前の時計台の時刻は2時40分だが、腰をかけた後は5時になっている。
 三船さんは18年前の7歳の時に家族で行ったレストラン「サバティーニ」に行った。オーナーのスルベストラ・サバティーニさんに会った。「手長海老のブリュレ」をいただいた。
 コロッセオの夜景。ライトアップされてきれいです。

●内藤が選ぶ困難の後の絶景
 バヌアツの青く輝く神秘の湖は、ラピスラズリが溶けたもの。アルゼンチンの崩壊する巨大なペリトモレノ氷河。スイスのアルプスの超パノラマをパラグライダーで体験。ロシアのカムチャッカ富士のイリンスキー山は、クマの群れの中を通ってみる。気象の変化が激しく滅多に全貌を見せない。ボリビアの天空4400mのエメラルドの湖ラグーナ・ベルデは、銅が溶けているため。ベネズエラのエンジェル・フォールの落差は979m。水は霧になってしまい、滝つぼは存在しない。

●万里の長城
 2500年かけて作られた全長6000kmの長城。騎馬民族の侵略を防ぐために作られた。東の果ての関所は山海関で海になっている。西の果ては川で終っている。年間観光客は1000万人以上。誰もいない万里の長城もある。
 成田から北京まで3時間。川合俊一、misonoさんが旅をして、殷銘さん(40歳)が案内。
 まずは八達嶺長城に行く。入場料45元(720円)。ロープウェーは片道40元(640円)。人気の理由は、1952年に最初に観光地化され、修復されて整備が進んでいて、北京から車で1時間のところにあるから。まずは北八楼まで行った。人が多いので、絶景とはいえないようです。一番人気は長城記念マグカップ40元で、写真を撮って、それを貼ってくれます。
 東に10km、山の中へ進んで行く。門番がいて説明して通過する。アジアを代表する建築家達が設計したリゾートホテルがある。一番人気のコテージは日本人による竹屋。吉永小百合さんのシャープのアクオスのCMで使われた場所でした。1泊料金は45万円。敷地内に長城があり、宿泊者以外は立ち入り禁止。
 午前6時に出発。マイナス9度で朝8時までに山の頂上に行く。がんばれ、は中国語で加油(チャーユ)。到着した。長城の人が歩いている部分には草木が茂っていました。修復前の長城で、誰もいない。さらにその向かいの山に絶景があるという。がれきの山を越えて8時までに到着。どこまでも続く絶景が見えました。

●マチュピチュ
 インカ帝国は15−15世紀に栄えた南北4000kmの大帝国。言語の違う80の民族、人口1000万人を50年で統一した。鉄製の道具がないので、全て石製のもので石を切り出し、車輪を持たないので、人力で山の上に運搬した。何故この場所に都市を作らないといけないのかわからない。インカ帝国は文字を持っていなかった。
 保坂尚希さんが旅をして、マチュピチュをさらに高い場所から見た。マチュピチュはコンドルの形をしている。人間の無限の力を見せた遺跡でした。

●ブラジルのコルコバードのキリスト像
 南米で最も有名な建造物。日本人は見たいという希望者は少ない。リオ・デ・ジャネイロのコルコバードの丘に建つ高さ30mの巨大な像。年間180万人の観光客が訪れるという。何のために建てられたのか?
 80年前にブラジル独立100周年を記念して建てられた。大量の石材をフランスに送って作った。それが分解され、また戻ってきて建てられた。のべ5年間かけて建設された。腕の部分を命綱をつけないで掃除することが、18年前にあまりにも危険なので中止された。


テレビ番組「探検ロマン世界遺産 ブラジル・サルバドール」

 2007年6月16日放送。伊藤雄彦アナウンサーが案内。参加者延べ280万人、世界最大の祭りが生まれた。サンバの故郷。450年前にポルトガルが植民地支配の拠点として築いた港。1985年世界遺産。

●サルバドール
 人口270万人、ブラジル第三の都市。植民地時代の街並みが今も残されているので、世界遺産となっている。リオ・デ・ジャネイロの北東1400kmのところにある。世界遺産となっているのは、広さ3km四方の旧市街。2月は最高気温40度を越える。
 旧市街の中心には白いポルトガル総督府跡の建物がある。ポルトガルの人々が暮らした邸宅が建ち並ぶ。ペロウリーニョ地区はカラフルな建物が多い。サンフランシスコ教会が中心にそびえる。1トンの金を使ったそうです。
 カーニバルは2月15日。時期が近づき、ドラムの音にあわせてみんなが踊っている。ペロウリーニョ子供バンドは20人程度。カーニバルに参加できるのは、魅力あるうまいバンドだけ。競争に勝つために子供たちの演奏にも熱がこもる。指導するのは、プレーゴ・フランサさん(63歳)で、これまで7年連続でカーニバル参加を果たしてきた。「プレーゴ先生の音楽教室」を開催している。子供たちはここに暮らしている。身寄りのない子供達を引き取って育てている。
 旧市街の路地を入ると壊れたまま放置されている家が並ぶ。サルバドールの人口の8割近くがアフリカ系ブラジル人。その4人に1人が失業している。プレーゴさんは50人以上を育ててきた。プレーゴさん宅の卒業生が作ってくれた「ペロウリーニョの子供たちが来る」という曲が思い出のサンバ。

 ペロウリーニョ広場があるが、ペロウリーニョとはポルトガル語で「罪人をさらす台」の意味。アフリカから300年で120万人の奴隷が連れてこられた。19世紀の末に奴隷制廃止と共に人々は失業し、町に溢れた。主に郊外のさとうきび畑で働いた。繁栄はアフリカから連れて来られた奴隷たちによって支えられていた。奴隷になると寿命はわずか10年だったという。監視の目を盗み、奴隷たちは踊りを踊った。これがキリスト教と結びついてカーニバルとなった。1929年頃はポルトガル人たちがメインだった。20世紀半ばに黒人たちが途中から飛び入りで参加するようになり、1970年代に今の形となった。

 黒人たちは森に密かに集まって、異なる宗教の神を統一したカンドンブレーを信仰した。ここで2拍子の音楽が演奏された。これがサルバドールの音楽の原型となった。2時間で、ある信者がトランス状態となった。神が乗り移った最も神聖な現象だという。装束を改められ、神として扱われ、神を中心として全ての信者が一体感を共有する。
 これが町に広がってしていった。ペロウリーニョ広場に立つロザリオ教会では、ミサの時にサンバを踊る。奴隷たちはカトリックへの改宗を強要されたが、カンドンブレーを捨てなかった。キリスト教を信仰しているとみせかけて教会でサンバを踊った。ミサの最後に見知らぬ人とも手をつないで神へ祈る。

 ペロウリーニョ子供バンドはカーニバルへの出場許可がでなかった。商業化のために見栄えも大事と言われたため。子供たちは路上でお金を稼ぎ、2日間だけ許可された。プレーゴさんは歌を入れることにして、「ペロウリーニョの子供たちが来る」を歌いました。


テレビ番組「美食・美容・美景天国!魅惑のスペイン、情熱のブラジル、64億分のロナウジーニョな旅」

 2006年12月2日放送。中西哲生、高部あい、セルジオ越後、森麻季アナが案内。人類64億人の中で一番のサッカー選手はロナウジーニョ(愛称ロニー)。トヨタカップで来日する。スペイン代表はFCバルセロナ、ブラジル代表はSCインテルナシオナル。日本テレビ製作。

●バルセロナ
 地中海に臨むスペイン第二の都市。サグラダファミリア大聖堂。ガウディが手がけたものが多い。カサ・バトリョは海がテーマ、カサ・ミラはテーマは山。15世紀に150年かけて建てられたカテドラルは工事中でした。旧市街ゴシック地区を歩く。
 バル「ラグナック」に行く。バスク地方のスタイルで、30種類の料理(ピンチョ)が並んでいて、爪楊枝の数で最後に支払う。これと別に小皿料理タパスは1皿1100〜1600円も充実している。次のバルは生ハム(ハモン)が天井から吊られているお店「バル・ハブーゴ」で、特にハモン・ベリョータが最高級品でおいしい。これは最高級のイベリコ豚の中でもトップランクの生ハムで、一皿7000円。

 メイン・ストリートのランブラス通り Las Ramblas を歩く。大道芸人が多い。真っ青な人、真っ白な人、ロナウジーニョのそっくりさんもいた。ロナウジーニョに関係する老舗のお菓子屋さん「エスクリバ Escriba 」は、大ヒット商品のキャンディー・リングなどがある。大物ハリウッド女優も来るという。FCバルセロナではクーマン、ロマーリオ、エトーも来る。ロニーの誕生日にはプレゼントもしたという。

●カルデス・デ・マラベーリャ
 車で1時間の天然水の街。スパ・リゾート「ビッチーカタラン Balneari Vichy Catalan 」は温泉を併設した総合リゾート・ホテル。究極のエステがある。チョコレートを顔に塗る。カカオの殻で作った特製品。次に温泉水を使って落とし、顔をパックして20分、顔があがった感じがするそうです。ホット・チョコレート(顔)は4700円、全身は7800円。老化防止やストレス解消に効果があるそうです。その後温泉に入りました。
http://www.balneariovichycatalan.com/

●バルセロナ
 シーフード料理「バルセロネータ」ではヨットハーバーを見ながら食べることができる。のいちおしメニューは塩ダラを使った「バカラオ・エスケシャーダ」(1800円)、ホタテのオーブン焼き「サン・ブリーニャス」(1950円)。カバ Cava というスパークリング・ワインがいい。これはバルセロナ郊外のサンサ・ドゥルニ・ダノイア(カバの村)で作られる。ボデガと呼ばれる醸造所が100箇所ある。ナヴェランもその一つ。カバはシャンパンと同じ製法で作られるが、独特の香りと風味がある。「アロス・ネグロ(イカスミのリゾット)」2200円は、にんにくとオリーブオイルを使ったアリオリ・ソースで食べる。メインは「ボガ・バンテ」3100円のロブスター焼き。

 カンプ・ノウ・スタジアムは観客9.8万人を収容する。最近は観光名所になっている。ミュージアムは入場料820円で、スタジアムの見学もできる。この日はロニーはスイスに遠征中でした。

 ロナウジーニョのスパイク新作発表会が開催された。高部さんのほほにキスをしてくれました。


●サンパウロ
 ブラジルの人口の1割の1500万人が住む南米最大の都市。町の中心のセー広場でも多民族国家だとわかる。ボールを蹴っていると人が集まってきた。スポーツ用品店でも一番人気なのはクラブのロゴ入りベビー服。
 ムニンシパル(市民)市場は荘厳な建物の中にあり、292店が並ぶ。ソーセージ屋、チーズ屋、肉屋、魚屋があり、ピラニアも1匹140円。フルーツ屋にはカシューナッツ・フルーツ1個25円で、マンゴーに似た味とか。コンデ200円、アテモイヤ200円もおいしいそうです。トウガラシ屋もある。一番の人気は「アサイー・ナ・チゲラ Acai na Tigela 」で小豆色をしたアサイー・ペーストに水とシロップを加えてミキサーにかけた「アサイー・ジュース」200円。アサイー・シャーベット400g、275円。アサイーはブラジル原産のヤシ科の木の実。ポリフェノールは赤ワインの30倍、鉄分は牛レバーの3倍で、奇蹟のフルーツと呼ばれている。サッカー元日本代表の中澤祐二選手は愛好者。

 ブラジル料理としては、串刺しした肉を丸焼きにして、テーブルで店員が切り分ける食べ放題のシュラスコが有名。高級住宅街にあるフレンチ・レストラン「ドム D.O.M.」はセルジオさんの友達のシェフのアレックス・アタラ Alex Atala さんがやっている。ヨーロッパのグルメ誌に南米で唯一世界のベスト50シェフに選出された。アマゾンは生存競争が激しいので、そこの動植物は身を守る成分が含むことがある。そのアマゾンの食材を料理したアマゾン・フレンチを味わえる。前菜は「ピンク海老・パパイア・マンゴーの冷製、アマゾンハーブ添え」または「タイラギのココナッツミルク・マリネ、パラナッツとマンゴーのカラメリゼ」。タイラギは二枚貝の一種、パラナッツはナッツ。メインは一見黄色いパスタか?と思わせるものだが、パオミットという植物で、堅い皮を除いて中側を使った「パオミットのカルボナーラ仕立て」。タケノコを連想させるヤシ科の植物。または、「フィリオーチの料理」。フィリオーチ(子供という意味)という魚で淡白で鶏のような味だそうです。成長すると300kgにもなるというピライーバ、アマゾン河で獲れる大ナマズの一種。デザートは「バナナのラビオリとタンジェリン・オレンジのソルベ」または、「ジャブチカーバ(木ぶどう)のソルベ、ワサビ風味」。

●ベントゴンサウベス
 ブラジル最南部のリオ・グランジ・ド・スウ州は、ヨーロッパからの移民が多く、故郷を偲んだ建築が残っている。飛行機と車を乗り継いで秘境の「ワインの谷」に来た。山肌にこびりつくように家並みがある。町のゲートがワイン樽のオブジェ。教会もワイン樽型。標高800m前五で昼夜の気温差が大きく、糖度の高いブドウができる。ワイナリーはDom Candido など20箇所ある。ワイン Vinhos Titton を製造しているところが紹介された。
 「シャンドン・ド・ブラジル」に出資しているのは、ルイ・ヴィトン。醸造責任者のフィリップ・メヴルさんが案内してくれた。ここでは「スプマンチ」というスパークリング・ワインを特殊な製法で造っている。タンクで6ヶ月間加圧して発酵させ、発泡性にするので、ボトルで発酵させるシャンパンとは違う製造方法。こちらのワインの銘柄は5種類。クラシック、エクセレンス、ブリュット、ルージュ、ドゥミセック。クラシックがお勧めで泡立ちもいい。ライチの香りがする。

●ポルト・アレグレ
 リオ・グランジ・ド・スウ州の港町。青い建物の家はロナウジーショの母の妹のコンセイソンさんの家。子供時代にサッカーをした場所「ペリキット(インコ)・サッカー場」がある。横ではサンバの音楽をしていた。この日はコンセイソンさんの55回目の誕生日だった。有名な「サンバ・トリー Samba Tri 」のメンバーが演奏していた。インテル・ナシオナルの服もプレゼント。
 インテルのホーム「ベイラ・リオ・スタジアム」に行くと熱狂しているサポーターがいた。迎えてくれた美女はレナタ・ファン Renata Fan さん(29歳)で、99年ミス・ブラジルで、現在はスポーツ番組の司会やラジオのDJをしている。インテルの伝統ガウショ魂(ガウショはカウボーイで、荒くれ男の意味)の熱い闘争心。レナタさんが観戦するとインテルは25勝無敗で、女神と言われている。この日も3−0で勝利。


テレビ番組「探検ロマン世界遺産、ブラジル・セラード保護地域」

 2006年6月8日放送。レポーターは高山哲哉アナ。乾ききった土の草原に聳え立つ無数の巨大な土の塊。炎に焼き尽くされても、1ヶ月後には草原が蘇る。夜には光輝く。首都ブラジリアの近くに、北のヴェアデイロス平原国立公園と西南のエマス国立公園は1000km離れていて世界遺産に登録されている。
 セラードとはブラジル中央部に広がる大草原地帯のこと。半年以上雨が降らない過酷な環境だが、多くの生き物が住んでいる。
 1億年前にブラジルはアフリカのコンゴ付近と接続されていた。シロアリは3億年前に地上に現われた。その後、鳥類や哺乳類がセラードにやってきた。標高は1000m程度で、日本の面積の5倍もある。
 1970年代から灌漑により農作物を生産できるようになり、世界有数のトウモロコシや大豆の生産地となった。現在、昔のままのセラードは元の面積の10%以下。

●エマス国立公園
 ブラジリアを出発して10時間、悪路を行くとダチョウの仲間レアがいた。飛べない鳥です。ヒナの数は20羽。エマスとはポルトガル語でこの鳥のこと。車を降りると35度。暑い!国立公園ガイドのヘナート・グズマオンさんはここで育ち、公園のことなら何でも知っているという。エマス国立公園の広さは13万ヘクタール。京都の半分ほど。大きな木がなく真っ平な地平が続く。4月〜9月の乾季には雨は1滴も降らない。
 2本足で立つムツオビアルマジロがいた。タテガミオオカミがいるが主食は果物。地面からニョキニョキ生えている土の塊は高さ2mくらい。これはシロアリの巣(蟻塚)で、中にはシロアリが100万匹も住んでいる。公園内に2500万個もあるという。セラードにはたくさんの鳥がいる。ルリコンゴウインコ、アナホリフクロウなどの絶好の休憩場所。キツツキの仲間のアリツカゲラはこの蟻塚に穴を開けて巣を作っている。暑さからヒナも守れる。オオアリクイは口の先から尾の先まで2mあるが、蟻を食べて生活している。大きなホウキが歩いているようです。オオアリクイは鼻はいいが、目が悪いので慎重に近づくと近くまで近寄れるそうです。ダルマさんが転んだ状態で追跡しました(笑)2時間で5mまで近づきました。長さ60cmある舌を1分間に150回出し入れしてシロアリをなめとる。1つの蟻塚で数百匹食べるそうです。壊された穴はアリが1時間で修復しました!

 10月に雨が降った。夜になるとアリ塚が光っている。表面には5mmほどの緑の光の粒が散りばめられている。ヒカリコメツキムシの幼虫で、虫が寄ってくるのでそれを食べてしまう。本格的な雨季になると草原じゅうが光輝くそうです。高山アナは感激しました!
 10月には女王アリと王様アリが巣を飛び立つが、新しいアリ塚を作れるのは1%に満たないそうです。生き物たちの食べ物にもなる。
 雨季には落雷が多く、草原は炎に包まれる。2006年記録的な大火災で半分焼けてしまったが、アリ塚の中の鳥のヒナは無事に育っていました。

●ヴェアデイロス平原国立公園
 1000km離れている。ここはセラード特有の植物の宝庫として知られている。ガイドのルシアーノ・マシャードさんに案内してもらった。黒い木は燃えた後でも生きている。表面は分厚い皮で覆われていて、火事でも中まで火が通らない。白い粉で覆われた木は石灰のようなもので、燃えない。火に焼かれて始めて実が落ちて種が出て育つという木もある。産毛ばっかりに見える「羊の耳」と呼ばれる植物は乾燥を耐え忍ぶ工夫。「ダチョウのすね」と言われる植物は草の仲間で、1cm毎の区切りは成長の跡で、2mだと200年生きている。植物の種類の多さは世界有数。
 勢いよく流れる川もあり、水源は巨大な地下水脈。厳しい乾季でも枯れることはない。岩場にあり人工的に作られた遺跡みたいにも見えるが、6億年前のものだそうです。


テレビ番組「世界不思議発見! モンゴロイド大移動 世界の果てへの旅」

 2006年4月29日放送。チリのプエルト・モンに1万年前のモンゴル系の人の足跡が見つかった。氷河期はアラスカとアジアの間のベーリング海峡が凍っていたので、歩いて渡れた。アメリカン・インディアンやマヤなどの人は取り上げられているが、アメリカ大陸の南端にまで行った人たちは取り上げられていない。巨大な遺跡を残さず、彼らは西洋人による迫害により歴史の表舞台には出てきていない。TBS制作

●イグアスの滝
 アルゼンチン、ブラジル、パラグアイの3つの国境にまたがる。毎秒6.5万トンの水量は世界一。アルゼンチン側には遊歩道があり、滝のすぐ近くまで行ける。また高さ80mの悪魔の喉笛の近くまで行ける。ここは先住民グアラニーの聖地で、イグアスとは彼らの言葉で「大いなる水」という意味。彼らはまだ近くに住んでいる。イリアプ村を訪問した。お客をもてなす時にマテ茶でもてなす。ガンに効くニエルミ・イグアスの葉、男性の精力剤となるカツアバなどがある。世界三大美果のチリモヤもある。ほかの2つはマンゴスチンとパイナップル。ここは熱帯です。

●チリ
 プエルト・パラスは日本と同じくらいの気候で、富士山に似ているオソルノ山(2661m)もある。このあたりに住むのはスペイン人にも抵抗していたマプーチェ。  テムコは中心都市で、市場には熱帯のもの、寒い地方のものなどが並んでいる。薬草もあり、乾燥した葉などをパックにして売っている。ウィケはお風呂に入れるとリューマチに効く。クニャーナは血圧を下げる。マプーチェには呪術医(マチ)がいる。滅多に取材は受けないが、セバスチャン・アジレフさんにみてもらった。
 鳥の声アーティストのロレンソ・アイジャパンさんは詩人。ロレンソさんの声に鳥も反応していました。マプーチェの人は海藻も食べる。コシャユーヨはジャガイモと煮てスープにしたコーリとして食べたりする。

●チリのパルマ・セダ
 パタゴニア地方。フィヨルドの中にサン・ラファエル氷河もある。クルーズ船からボートを下ろして近くまで行けるが、氷河の崩落には注意が必要。

●アルゼンチンとチリ
 フェゴ島のウシュアイア。マゼランが世界一周した際に立ち寄った島。アメリカ大陸のフェアバンクスからここまでパン・アメリカン・ハイウェイと呼ばれる道路でつながっている。ここに住んでいたのはヤーガンと呼ばれた。迫害されたり、持ち込まれた病原菌で多くが亡くなり、今は純粋にはたった一人だけとなった。その人はフェゴ島の向かいのナバリノ島のプエルト・ウィリアムズに住むクリスティーナ・カルデロンさん(78歳)。ヤーガンにも蒙古斑があったそうです。


テレビ番組「2006年1月の旅サラダは原千晶さんでブラジル」

 ブラジルの国土は日本の23倍。普通はアメリカ経由で行く。コンチネンタル航空で行きました

●リオ・デ・ジャネイロ
 ポルトガルからの独立、ヨーロッパ文化の上陸、サンバやボサノバの発祥の地と常にブラジルの歴史の檜舞台にある。エネルギッシュな街。リオは川という意味で、ポルトガルの探検家がこの海を川と勘違いしたために名づけられた。
 赤い電車トレン・ド・コルコバードに乗ってコルコバードを目指す。往復30レアル(1560円)運行は、8:30〜18:30(30分おきに運行)。出発20分後に右手下にリオの町が見えた。高さ710mのコルコバードの丘の上に、高さ30mの大きく両手を広げた真っ白なキリスト像がリオの街を見守る。この街のシンボル。雄大で幻想的な姿が息をのむほどにすごい。突然深い霧が出て、キリスト像さえも見えなくなった。
 山を下ると晴れていた。ベルメーリャ海岸では女性が泳いでいた。左手にはシュガーローフ。

 街中の老舗のレストラン「バー・ルイス Bar Luis 」で食事。日本でいうと定食屋さんみたいな感じ。1887年創業で当時の姿をほとんど変えずに営業している。どこの家庭にもあるというブラジルの代表料理の黒豆料理「フェイジョン」5レアル(260円)。油、玉ねぎ、にんにくを炒めて黒豆(フェイジョン)を混ぜ煮込み、最後に塩・胡椒で味を整えてある。フェイジョンは職員が食べるために作っていて、正式のメニューには載っていないそうです。これだけだと物足りない味だそうです。「ファロファ」3レアル(160円)は、オリーブ、卵、玉ねぎを炒め、カサバ芋の粉を混ぜたもので、混ぜるとおいしいそうです。名物のビフカツ「ビッフェ・ア・ミラネーザ」20レアル(1040円)は「ポテトサラダ」をのせて食べるのが普通。「ポテトサラダ」は「サラダ・デ・バタタ」8レアル(420円)で、輪切りのジャガイモにマヨネーズとサウシンニャ(パセリの一種)で作ってある。「白ご飯」5レアル(約260円)は、にんにく、玉ねぎ、塩でいためている。

 夜7時からオープンするコパカバーナ・ビーチ近くの市場がある。一部は12時から開いている。水着が20レアル(1040円)〜。ブラジルのマークやラインの入ったものなどは25レアル(1300円)ブラジル人たちでないと着こなせないかも?欧米で流行しているような、アバイアナスのビーズ付きのビーチサンダルは20レアル(1040円)〜。ビーズなしで15レアル(780円)。子供用はそれぞれ15レアル、10レアル。

 サンバの店「カリオカ・ダ・ジェマ Carioca da Gema 」(住所:Rua Mem de Sa, 79、Tel:55-21-2221-0043、月〜金 18:00〜、土曜 21:00〜)に行く。入場料12レアル(624円)。地元の人々が昔から通うサンバの生演奏とお客の自由な踊りが楽しめるお店で、生バンド演奏時間は、月〜木・土 21:00〜と、金曜 21:00〜 & 23:00〜。演奏していたバンドはパウロン・セッテ・コルダス。

●テレゾポリス Teresopolis
 リオの町から車で2時間半、高原が広がるリオの避暑地。山の中腹にあるアルプス風のホテル「ホテル・ローザ・ドス・ベントス Hotel Rosa dos Ventos 」(住所:Estrada TeresOpolis-Nova Friburgo,Km 22、TeresOpolis-RJ-Brasil, Tel:55-21-2644-9900/2642-8833, Fax:55-21-2642-8174)。静かで木の雰囲気が暖かい感じ。センスが光るインテリアはオーナーのコレクション。今回は、「スイートマスター」で、マイ暖炉付き。1泊朝食付2人672レアル(3.5万円)。お風呂は日本の桶を五右衛門風呂風にしたもの。
 ホテルへ向かう道の途中では、「神の指」と呼ばれる、天を指差したような形の巨大な岩も見られる。朝日や夕日に照らされているときの景色が幻想的。
 近くの湖でカヌーをした。静かで鳥の声と水の音だけ。

●パンタナル Pantanal
 リオから飛行機で4時間。南米大陸の中心近くにある。日本の本州がすっぽり入るくらいの面積で、パンタナルとはポルトガル語で大湿原を意味する。ブラジル、ボリビア、パラグアイにまたがる大湿原で、アマゾンをはるかにしのぐ野生動物の楽園。600種類を超す鳥類や約400種類の動物など、同じ南米のアマゾン川周辺よりも種類が豊富といわれている。
 パンタナルを北から南へと147km一直線に伸びているパンタナル横断道路(トランスパンタネイラ Transpantaneira)を走る。舗装されていません。木でできた橋が137本ある。ウシの仲間が多い。トキの仲間トゥユユ(全長2m)もいた。ワニ、オウムなどもいた。今回は紹介していないが、「パンタナル自然保護区」と呼ばれる地域が、2000年世界遺産に登録されている。

 牧場ホテル「ポウサダ・ピウヴァウ Pousada Piuval 」(住所:Rodovia Transpantaneira,Km 10 - Pocone - MT、Tel:55-65-3345-1338 )に宿泊。1泊3食付 345USドル(約4万円)。この料金にはパンタナルへの玄関口クイアバからの送迎のほか、ボートツアー、ナイトツアー、ピラニア釣りも含まれている。広さは7000ヘクタール。1500頭の牛は放し飼い、エミューもいる。体温が低いワニは日なたぼっこをして体温を上げてから活動する。意外と臆病だそうです。牛は池にいるピラニアのことがわかるそうです。他にもムナフチュウハシ、ナンベイレンカク。トラフサギという鳥、ハナグマがいた。ハキリアリなどもいる。夕陽の中でワニが50頭以上並んでひなたぼっこしていました(笑) 湖の中にはビーバーとクマのあいのこみたいなカピパラという動物がいた。世界最大のげっ歯類で、体長1m以上のネズミの一種。水面を叩いて音を出しながら、えさは牛肉にしてピラニアを釣った。次にこのピラニアを野生の真っ黒のワニのジーコちゃんに食べさせた(笑)

 夕食は、屋外でバーベキュー。「シュラスコ」は牛肉の塊を串にさして2時間かけて火であぶって、岩塩だけで味付けしたブラジル風バーベキュー。「ピラニアのフライ」は意外とおいしいそうです。普通の白身の魚と同じとか。あとは、「カウド・デ・ピラニア(ピラニアのスープ)」、「アホスデペキ(炊き込みご飯)」。「ピロン・デ・ペイシェ(魚の煮込みスープ)」は、たろ芋の粉が混ざっている。「パクーの焼き魚」のパクーは、体長50cmほどの平べったい川魚の一種。シュラスコは2泊のパッケージからできます。お酒はテキーラみたいなカイペリーニャというのをいただいた。

●ノブレス Nobres
 パンタナルの外の北部、車で3時間で到着。
「ラゴ・アズールホテル」(住所:Rua Ari Machado, 618 - Vila Donaria Bonito - MS - Brasil、Tel:55-67-255-1502)。
 ガイドはヴィセンテ・カンポスさん。湧き水の場所に案内してもらった。さらにシュノーケリングができる「アクアリオ・ナチュラル Aquario Natura 」(天然水族館という意味)に連れていってもらった。森林の間にあり、色はアクア・ブルーで透明度は非常に高く、魚も住んでいる。「レポリヌス」は金色に黒の斑点が3つある魚。「マダラロリカリナ」はなまずの一種でアマゾンにも生息。住所:Parque Ecologico Baia Bonita, 7km、Tel:55-67-255-1193、営業:7:30-15:30。ツアーのお問い合わせはラゴ・アズール・ホテルにもできます。
 1日ツアー:1人80レアル(約4000円):クイアバから出発、ホテルまで移動して水が湧いているところへのトレッキング、アクアリオでのシュノーケリング、サロブラ川のフローティング、昼食とクイアバへの移動。
 1泊2日ツアー:1人150レアル(約7500円):クイアバから発、アクアリオでシュノーケリング、サオブラ川のフローティング、ソウテイロ山の展望台で夕日、夕食。次の日の朝食、水が湧いているところまでのトレッキング、昼食、エスチバード川で泳ぎ、夕方クイアバへ移動。
 2泊3日ツアー:1人300レアル(約15000円):アクアリオ、サロブラ川、昼食、展望台、夕食。2日目は朝食後、トリステ川でフローティング、昼食、オプショナルとして乗馬なども楽しめる。3日目には朝食後、ブルーラグーンまでのトレッキング、昼食、エスチバード川と夕方クイアバへ移動。
 すべてのパッケージにガイドとシュノーケリングに必要なセットが含まれている。移動代は別料金で1人300レアル必要。


●フェルナンド・デ・ノローニャ島 Fernando de Noronha
 アマゾン川の沖合いにあり、ブラジルで最も美しいといわれる海があり、たくさんの魚たちが生き生きと泳いでいる。
 島のシンボルはマウント・ピッコでリオのシュガーローフのような感じで、この周辺は世界遺産。水やエネルギーの節約、海水を汚さないようにしている。島に渡れる人は1日250人に制限されている。

 イルカ湾 Baia dos Golfinhos には朝6時頃に300年前からイルカが集まってき始める(14時まで)。付近にはサメがいないので、子供イルカもいて、子育つをしているが、赤ちゃんはいない。エイもいた。船でイルカを探しに行った。ハシナガイルカは一緒に泳いでくれました。午前中はここで休んでいて、午後は沖で猟をするそうです。
 この湾では1日平均350頭のイルカが見られる。多いときには1000頭を超えることもある。7月〜11月にはクジラが見られることもある。ここは15年前から保護活動が行われている。8時以降なら観光客もイルカ湾までの見学ツアー(所要3時間)があって、イルカを間近にみることが出来る。

 宿泊は「ポウサダ・ゼ・マリア Pousada ze Maria 」で、マウント・ピッコにほど近い場所にあるホテル。(住所:Rua Nice Cordeiro, 01 Floresta Velha 、53990-000 Fernando de Noronha/PE、Tel:55-81-3619-1258 )。客室は19室で、スペシャルバンガローは1泊1035レアル〜(51800円〜)。白が基調で、風通しがよく明るい。ベランダの目の前がマウント・ピッコ。
 タクシーは全てバギー・タイプ。赤い髪のドライバーさんのニックネームはカショホンさんで、ポルトガル語でイヌという意味。首輪に書いてある文字を読めというので、読もうとするとガウッって言いました(笑)クラクションもイヌの鳴き声。
 海の色がきれい。風力発電もある。イヌのビーチという「カショーホ・ビーチ Praia do Cachorro 」に行く。岩に囲まれた天然プールがあるが、深さは3m。地元の人が飛び込みを見せてくれましたが怖いです。犬語を話すおじさんが住んでいるビーチ。

 美しいサンショ・ビーチ Praia do Sansho で、シュノーケリングをした。エメラルド・グリーンに輝く海の中には、小さな魚たちの楽園。サンゴ礁もある。オヤビッチャ、真っ青なブルータング、ヒブダイ、体長70cmのカッポレの群れ、ノボリエビス、アツクチイサキ、アカエイ、マダラトビエイ、アオウミガメなどがいた。ウミガメの産卵地らしい。

●オリンダ Olinda
 ブラニルで一番美しい町と言われる。26年間のオランダの支配の後にポルトガル人が時間をかけて美しい街並に作り変えた。白、緑、黄、赤色の建物が並ぶ。世界文化遺産に登録されている。石畳の急な坂道を登ると高い場所に到達。街を見るととてもきれいでした。「オー!リンダ!」とはポルトガル語で何と美しいという意味。
 アンバロ通りはカラフル。ピンク、赤、緑、黄色などの建物が並ぶ。窓から顔を出している人が多い。
 アトリエも多い。中でも有名だというアトリエを訪ねてみた。「アトリエ・ヴィラノバ Atelier Viranova 」(住所:Rua do Amparo, 224 Olinda Antiga、Tel:55-81-3439-7629、営業時間: 8:00〜19:30、定休日:なし)。セルジオ・ヴィラノバさんのアトリエを見学させてもらった。動物たちとオリンダのカーニバルを融合した絵を描いている。絵は赤と橙と黄色が多く、値段は30×40mmで、200レアル(9800円)、10×20mmで100レアル(4900円)。一番大きなものは2000レアル、横長は1500レアル。

 宿泊は、「ポウサダ・ドス・クァトロ・カントス Pousada dos Quatro Cantos 」(住所:Rua Prudente de Moraes , 441-Olinda Antiga-PE-Brasil、Tel:55-81-3429-0220、Fax:55-81-3429-1845 )で、外の壁にはカラフルな絵が描いてある。全部で19室の小さなホテル。デラックススペリアは1泊朝食付きで2人で225レアル(11500円)。ベッドは天蓋付き。家具もお洒落。サービス料10パーセントがプラスされる。

 街中にある民芸品の市場に行った。「ジュリオン・ダス・マスカラス Juliao das Mascaras 」(営業時間: 9:00〜18:00、日曜は9:00〜13:00)には手作りの品がたくさんある。「ホイホイ」はくるくる回して音を鳴らすおもちゃで、1レアル(49円)。「ボンゴ」は16レアル(780円)。「でんでん太鼓」は8レアルと7レアル(小)。小さい「フレーボの傘」は10レアル(490円)。「あやつり人形」は10レアル(490円)。「傘の鉛筆」は、1レアル(49円)。傘をモチーフにしたグッヅがたくさんある。カサはフレーボというカーニバルで右手に持って使うという。この日は練習を兼ねて行ってくれた。

 「フレーボ」はブラジルの3大カーニバルの一つ。レシーフェ発祥の踊り。小さな傘を右手に持って軽快な音楽にあわせて激しく踊る。ブラジルでは全国的にカーニバルの日程が同じで、このカーニバルも例外なく、リオのカーニバルと同じ時期に行われる。今年は2月25日〜28日。


テレビ番組「大河アマゾンを行く!海と森が出会う楽園」

 2004年7月19日放送。赤井英和、加藤紀子さんが出演。世界最大の熱帯雨林を有するアマゾンは、650万平方km、2500種類の魚が生息する。大アマゾンの森から海まで1500kmの旅をした。6月にアマゾンでボイ・ブンバという3日間にわたるカーニバルが開催された。アマゾン川は全長6557km、水量は全世界の川の6分の1を占めるという。アマゾンは、世界の熱帯雨林の3分の1を占め、地上の酸素の3分の1を生み出している。中京テレビ製作。

●マナウス
 人口16万人、アマゾンの玄関口。まずはネグロ川(黒)とソリモンエス川(白)の川が合流するところ。ここが始まりとなる。2つの川の水は比重が違うので、混ざりあうことはない。さらに白い川は冷たいそうです。ソリモンエス川はアンデス山脈が水源のため、水温が低く、色も白濁している。色が黒いネグロ川の秘密を探るために、上流に向かった。
 ネグロ川は黒いために、山々がきれいに反射して見える。植物がつかっていて、その成分が溶け出して黒くなっているそうです。そのために、アマゾンカワイルカがいて、水面でエサをチャプチャプしていると、近づいて食べました。世界でカワイルカは5種類しかいない。非常に用心深く、近づくことも出会うことも珍しいそうです。イルカだけでなく、海と川と森はつながっている。

●海の危機
 海の恵みは森が作る。森が栄養分、土砂から海を守っている。しかし森林が伐採され、日本の国土の2.5倍の面積の森林が1990年〜2000年の間に失われた。森の減少は川と海を危機に陥れている。中国揚子江は森林伐採やダムによる水量の減少で、河口の漁獲量は5分の1になった。アメリカのミシシッピ川は、流域の工業化で汚染が進み、河口のメキシコ湾は死の海域となっている。日本でも沖縄は伐採のために、土砂が川に流出し、赤土のためにサンゴは死滅しつつある。

●アマゾンの危機
 飛行機から見てみたら、アマゾンでさえ、伐採が進んでいた。アマゾンの森は既に15%を失っている。この18年間で日本と同じ面積の熱帯雨林が破壊された。その最大の原因は牧畜。次々と牧草地が作られ、草が足りなくなると森が焼かれている。また工業用燃料にするための木炭の伐採も多く、1トンの木炭のために3トンの木が切られている。このままいけば、200年でアマゾンの熱帯雨林は消失する。
 年間降水量2500mm。この雨が森の恵みをもたらし、大河となる。

●シクリン族
 アマゾンで昔ながらの生活をする森の民をセスナ機で訪問した。
 女性たちがまず出迎えてくれたが、頭を剃り上げ、黄色の帯を首と手と足に巻いていて、ブラジャーはしていない。加藤さんは歓迎の踊りに加わらされ、その後に男たちの歓迎の踊りが始まった。部族長のベップトゥン(34歳)とその父ベモチ(81歳)を紹介された。男も女も身体にペインティングをし、男も女も髪の毛の真中を剃っている。より自分を美しく見せるためだそうです。600人で、1982年にブラジルが指定した永久インディオ保護区に住み、昔ながらの狩猟生活をしている。
 14歳になると成人の儀式を行なう。今回2人が儀式をするので見学した。儀式の場所には巨大な蜂の巣があった。それを2人が敵の象徴として落とすという。高さ9mの蜂の巣を叩き落とした。一人が刺されて、村で治療を受けたが、これで一人前と認められた。
 翌日はペインティングして車で狩に出かけた。鳴き真似で鳥をおびきよせて、銃で撃つ。水筒は持ち歩かない。木を切ると出てきた。キアシガメを見つけた。猪も3匹捕まえた。帰りは歩いて帰る。調理は女たちが行なう。猪の肉はマンジョッカ(山芋)の粉末をまぶして、葉に巻いて、焚き火の上に置いて蒸し焼きにする。鶏のササミみたいな味だそうです。以前と比べると、量が減ったそうです。

●パリンチンス Parintins
 川の中の中洲にある都市。ここで、6月にボイ・ブンバ(牛祭り)という3日間にわたる、アマゾンへの賛歌がテーマのカーニバルが開催される。人口9万人の街が18万人にふくれあがる。町の中には赤と青のものしか売ってない。赤チームと青チームに分かれて、歌やダンスや山車を競うためらしい。町中は道路標識や電話ボックスまでも赤と青に塗り分けられている。東側が青組のカプリショーゾ、西側が赤組のガランチード。2人は赤を応援することにした。熱狂的な赤チームの応援者の家を訪問したが、全て赤。プールまで赤でした(笑)
 赤チームの本部を訪問した。迎えてくれたのはアート・ディレクターのフレジ・ゴエスさん。アマゾンの自然保護を訴えたいということです。山車は1年かけてつくるそうです。
 6月28日、ボイ・ブンバ・スタジアムで始まった。この祭りで全国的に有名になったトニー・メデイロスさんに会う。赤い折鶴の首飾りをかけて歌って欲しいと頼んだ。まずは花火からスタート。午後10時、赤組の山車の壮大なパフォーマンス、9000人のダンス。そしてトニーの歌などで3時間!午前1時からは青組の登場。テーマは大アマゾンの豊かな水。ボイ・ブンバとは「雄牛の雄叫び」。いかにも南米らしいタイトルです。午前4時まで続きました(笑)

●ベレン Belem
 河口域最大の町。魚市場には20−50kgの大きな魚が並ぶ。淡水エイなどの淡水魚と海水魚が並んでいた。淡水と海水が混ざり合う汽水域は魚の宝庫。

●食物連鎖
 森の落ち葉が作る腐葉土からは、リン、ケイ素、窒素、鉄分などの栄養分が川に流れだし、海に流れ込む。これがプランクトンを増やし、魚が増えるという食物連鎖がある。その汽水域には影響が出始めている。森が減ったために、土砂が増えているようです。

●マラジョー島
 汽水域にある世界最大の中洲で、九州と同じくらいの大きさ。漁師のジウソンさん69歳に出会った。この島の名物のおいしい食べ物を見せてもらった。水に沈んだ枯れ木に生息しているフナクイムシの一種でトゥルーという。白いミミズみたいで、貴重な蛋白源だそうです。夕食をご馳走してもらった。エビなどの海の幸でした。30時間かけて漁場に行き、1週間漁をしてから帰宅するそうです。
 マングローブの森にでかけた。マングローブの森は汽水域の豊かさの象徴。ジウソンさんの友達のアントニオさんが案内してくれた。アントニオさんは、マングローブの根元を掘って、ガランゲージョという泥ガニを捕まえたが、メスなので返した。赤井さんと加藤さんも挑戦して捕まえた。アントニオさんの友達はみんな自転車で集まってきていた。カニを獲った仲間たちで町まで自転車レースをするんだそうです(笑)参加人数95名、距離5km。赤井さんは42位、加藤さん85位でした。
 ジウソンさんは明日の漁で最後にすると告白した。翌朝、二人も同行し、朝6時に出航した。初めて孫も乗り込んだ。2時間後にエンジンが突然止まったが、何とかいつもの漁場にたどりついた。午前10時から漁を開始。網をおろし、3時間待ってから引き上げた。ドラードというナマズの仲間がいくつかあがったが、不漁だった。5時に帰港。お母さんが迎えに来てくれていた。

●パラ州トメアス
 高松農場の、アグロ・フォレストリーという森林農業は、日本の移民たちが始めた。森を切らずに森を作りながら、その中で作物を収穫する方法で、注目されている。パイナップルやバナナ、カカオなどを同時につくる混植を行い、森が育ったら、マホガニーなどの有用木だけを伐採して出荷する方法である。高松俊彦さん59歳は、自然に真似た農業のやり方だという。牧畜以上の収益を上げながら森を育てるこの農業は、ブラジルじゅうに広がる気配を見せている。

●日本
 森と川と海の連鎖の大事さを理解した漁師さんが山に木を植えはじめている。今から16年前に牡蠣を養殖していた漁師さん(畠山重篤さん59歳)らが、海がおかしいと感じ始めて始めたこの植林活動は、今年は広葉樹500本を川の上流に植林した。
 四日市大学の松永勝彦教授も「森が育たないと海が育たないというのが明らかになった」という。森・川・海は一体のものとして考えていかないといけない。北太平洋では硫酸鉄を撒いて、植物プランクトンを増やし、大気中の二酸化炭素を吸収させようとしている。


テレビ番組「日本のタクシー大冒険U…地球縦断26000キロ南米最南端〜ニューヨーク100日間奇跡の旅」

 2004年7月18日、19日放送。乗客は大鶴義丹。前回の東京〜ロンドンに続く第2弾。南米の南端からニューヨークまでの2.6万kmの旅。使用ガソリン2359.547リットル、給油回数74回、最高気温37度、最低気温ー2度、乗車時間637時間、越えた国境11ケ所。
 2003年8月5日、ドライバーを決めるオーディションをした。全国から61組の応募があり、練馬区大泉学園に住む父65歳佐久間侃さん、娘39歳の綾子(日生交通)さん親子が選ばれた。テレビ東京製作。

●アルゼンチン・フエゴ島
 日本から飛行機で37時間。2003年12月22日にウシュアイア国際空港に到着。ここから1000km南下すれば南極。空港のすぐ南のビーグル水道はダーウィンが乗っていたビーグル号にちなんで名づけられた。アシカ科のオタリア、ズグロムナジロヒメウなどが生息している。
 ウシュアイア(アルゼンチン:南緯55度)は世界最南端の町。先住民は日本人と同じモンゴロイドだが、今は純粋な先住民は誰もいない町、南極観光の拠点として世界中から観光客が集まってくる。

 12月27日午前9時、世界最南端、国道3号線の終点からスタート。2ヶ月かかってタクシーは船で先に到着していました。グアナコという鹿みたいなのが道路の横をはねていました。

●チリ・フエゴ島 ⇒チリ本土
 12月28日、アルゼンチンからチリへの国境越え。フエゴ島は九州よりも少し大きいくらいで、島の真中を縦に国境がある。国境を出ると何もない緩衝地帯が10km続く。チリに入って395km、11万円。ポルベニール港から本土へ渡ろうとしたが、満車で乗れなかった。仕方なく、バイア・アスール港のフェリー乗り場から南米大陸に渡る。12月は百夜。巨大な虹がかかりました。海の底から照明を当てているようなすごい虹でした。午後10時半にフェリーに乗り、マゼラン海峡を20分で渡る。

●チリ
 3時間走って、プンタ・アレーナス Punta Arenas (岬の先端という意味)という町に到着。夜中の2時。プンタ・アレーナスはマゼラン海峡の入口にあり、マゼランによる発見により栄え、その衰退とともに静かな町に戻った。マゼランのブロンズ像があるが、その足元には、マゼランによって滅ぼされた先住民の姿がある。足が異様に光っているのは、ここにキスをすると再度帰って来られるという伝説があるからだという。

●チリ・パタゴニア
 1年を通じて強風が吹く。海沿いの陸上にマゼラン・ペンギンがいました。海にえさを取りに入っていきました。巣の中には卵からかえって2ヶ月の、大きな子供がいました。パタゴニアは冬が長く野生動物が暮らすには適している。
 12月30日、美しい場所の一つパイネ国立公園が見えてきたところで、車がスピン。路肩の岩にぶつかって止まりました。右側の前輪と後輪がパンクしたが、お父さんが交換しました。怪我はなかったのですが、綾子さんはショックが大きすぎて、静かになってしまいました。1220kmしか走ってないし、お客を乗せていただけにショックだったようです。
 12月31日、アルゼンチンに入国。やけに明るい職員で綾子さんも笑う。1350km、40.6万円。

●アルゼンチン
 パタゴニアの広大な風景が広がっていた。コンドルが悠々と飛んでいました。カラファテの町で1泊し、新年を迎える。1月1日6時半、朝日に佐久間さん親子は、安全を手をあわせて祈りました。
 アンデス山脈の上に広がる、ペリト・モレノ氷河。高さ60m幅5kmの巨大な氷河の壁。崩れて川に落ち込む様子を見て、滅多に感動しない大鶴さんも感動しました。氷河って生きているみたいです。
 パタゴニアは日本の2倍の広さ。1月3日、大西洋に出ました。1月5日バルデス半島、オタリアというアシカとオットセイに似た動物がいました。南米大陸しかいません。オスはSea Lion と呼ばれていて、1頭がメスを10頭くらい従えている。1月6日、費用が100万円になりました。3403km。

 1月8日ブエノスアイレスに到着。人口300万人で、南米のパリと呼ばれています。移民たちが作り上げた町です。ブエノスアイレスで一番という喜納自動車整備工場で修理してもらった。沖縄出身の日系移民がオーナーです。休日も修理をしてくれました。本来は部品交換をするのですが、部品がないので、叩きだしという技術で対応しました。
 その間に、おいしいと評判のレストラン「ロス・プラティトス」で食事をした。アルゼンチンは牛肉の消費量世界一を誇ります。ベイビー・ビーフを注文。800gで20ペソ(600円)。
 アルゼンチンには日系移民が3.5万人暮らしている。ブエノスアイレス郊外の渡辺よしのさん(90歳)宅を訪問。昭和10年にアルゼンチンに来て68年。最初は苦労ばかりでしたが、花の栽培をはじめてから生活が楽になったそうです。妹さんが東京・足立区の五十嵐すみえさん(82歳)で、ビデオレターを見て、涙していました。
 1月12日に当初の予定よりも3日早く、タクシーが新品同様に直っていました。
 南米のきれいなひまわり畑が広がっていた。

 1月16日イグアスの滝。世界三大瀑布の一つ。悪魔ののど笛を含め300近い滝が流れ落ちます。圧倒的なスケールに人間は立ちすくむのみです。あまりに量が多すぎて、水の動きが奇妙なんだと大鶴さんは言います。

●ブラジル
 1月17日ブラジル国境を越える。6230km、180万円。ブラジル側からもイグアスの滝を見ました。ブラジル国内を走るが、お父さんも大鶴さんも爆睡。
 1月20日サンパウロに到着。人口1500万人、南米最大の町。異なる文化を持った移住者の街。かつての日本人街、今のリベルタージュ(東洋人街)に行ってみた。サンパウロには37万人の日系人が暮らしている。日本のタクシーを見て、いろいろ聞いてきた人がいました。
 1月24日、マウリシオ・ジョペル橋を渡る。パウナ川を渡る全長13kmの橋で、渡りきるのに10分以上かかった。ここで自然渋滞に巻き込まれた。ここでお父さんがイライラし始めた。その夜カンポ・グランジのホテルで、スタッフが親子の関係について聞いてみた。やはり亀裂ができていた。

 パンタナール湿原。日本の本州と同じくらいの面積、パンパジカという鹿などの80種類の哺乳類、トゥユユ(ズグロハゲコウ)という白鳥などの650種類の鳥類が確認されています。中でもスミレ色をしたスミレコンゴウインコはここにしかいない。そして、ジャカレ・ド・パンタナール(パラグアイ・カイマン)というワニのような50種類の爬虫類。
 1月29日パラグアイ川で釣りを楽しんだ。ピラニアが釣れますが、ワニもいます。地元の人が川に飛びこんだ。この時期、パンタナールは雨季で、毎日バケツをひっくり返したような雨が降った。
 1月31日、300万円到達。ボリビアとの国境に近い、カセレスに到着。ここにも日本人移民が住んでいます。中本仁平さん68歳。昭和34年に23歳で単身ブラジルに渡った。その半生は壮絶を極めるものだった。戦時中は満州に家族で行っていて、日本に帰れたのは兄と妹だけだったそうです。農地を切り開き、木材などの伐採などもしていた。体長2mのジャガーも食べたが、おいしくなかったそうです。1968年アルミで雨どいをつくる工場をつくり、これがあたって、生活が楽になった。叔母さんの北村時子さん(87歳)のビデオレターを見て涙しました。3人は日本食をおいしくいただきました。刺身はパクーという魚でした。
 2月5日アマゾン縦断道路 BR319 を600km、マナウスに向かって走っていましたが、道路のぬかるみにはまりました。抜け出しましたが、退却することに決定しました。346万円で撤退。川で行くことを提案され、農作物を載せる船に船長に頼んで、マデイラ川から船に3台乗せてもらって、マナウスに2泊3日で向かいました。途中で、10kmに渡り黒い川と白い川が分かれて流れているのを体験しました。2月11日午後8時マナウス上陸。マナウスは19世紀に天然ゴム景気に湧いた町です。
 2月12日、道はあてにならないので、船がメインの町。中央市場に行く。一部は魚専用市場になっています。でかい魚が並び、さばき方も豪快で輪切りです。タンパキ、アロワナ、ピラルクなどもでかいです。アカリというナマズの一種が一番人気。炭焼きして、塩とレモン汁をかけて食べますが、おいしいそうです。
 2月13日、赤道を通過。赤道モニュメントもありました。

●ベネズエラ
 2月18日ベネズエラの国境を越えた。13277km、384.6万円。最近クーデターがあったばかりで政情が不安定なので、ピリピリしていた。
 大鶴さんはギアナ高地へ来るのが夢でした。1000mの絶壁です。ヘリコプターを使い、1000m上の太古の大地に上がりました。下を見ながら、いろいろなことを思いました。2月21日、目の前にカリブ海が広がりました。ここから船でパナマに渡ります。ところが船がキャンセルされた。
 カラカスのシモン・ボリーバル国際空港から3人は飛行機でパナマに飛び、ディレクターはタクシーをパナマに運んでくれる貨物船を探します。

●パナマ
 3人はホテルでディレクターからの連絡を待っていました。タクシーはコロンビアからパナマまでは道がないので、飛行機で空輸してもらいました。パナマのトクメン国際空港で、ディレクターからカギを受け取りましたが、ディレクターは泣いていました。いろいろあったのでしょう。

●コスタリカ
 3月1日コスタリカ入国。17099km、452万円。人口は350万人たらず。山下鉄郎さん89歳、長女和子さんがコスタリカ人と結婚したので、18年前に一緒に来たそうです。次女裕子さん、三女泰子さんのことはいつも忘れないと言います。事業に失敗し、奥さんと離婚し、和子さんには迷惑をかけたと言います。三女のビデオレターに和子さんと鉄郎さんは涙しました。

 3月5日、お父さんが突然、体調を崩しました。長い間、風邪ひとつひいたことがないというお父さんでしたが、咳と熱がでました。

●ニカラグア
 18199km、483万円。コンセプシオン火山(標高1610m)が見えてきた。富士山に似ていました。病院どころか町がありません。
 グラナダという町があり、日本からの資金協力で作られた日本ニカラグア友好病院があり、入院した。39度になった。ちょうどこの頃、中米ではデング熱というのが流行していたので、それかもしれなかった。原因不明でした。3日連続して寝ていました。黄熱病やマラリアなども考えられていましたが、3月8日復活しました。
 ガソリンの値段の値上がりでトラックの運転手がストライキをしていて、道路が閉鎖されていた。みんなが農道を教えてくれたが、橋のない川を何度も渡りました。

●グアテマラ
 3月12日、19197.5km、511.9万円。
 3月14日、世界で最も美しいという湖、アティトラン湖に到着。ここにも富士山に似た火山が3つある。サンペドロ火山(標高3020m)も見事な火山です。
 湖畔には、先住民族カクチケル族が暮らしています。日本人にとってはどこか懐かしい風景です。男たちが漁から帰ってきました。サンタ・カタリーナ村。カクチケル族は古代マヤ文明の衣装と同じです。
 ある一軒の家を訪ねてみた。カタリーナ・ミマカチさんのお宅です。マッチだけで火がつく木があります。トウモロコシの粉をこねて作る、中南米代表の食材トルティーヤを作るのを綾子さんは手伝った。各家庭には石、水を加熱した石で作った部屋がある。サウナで、みんな毎日入るそうです。男性はサウナに入りました。中はかなり煙いそうです(笑)
 湖で獲れたモバラという魚を油で揚げた。今晩のメニューはトルティーヤに魚が1匹ずつ、それにチキンが入ったスープにライス。

●メキシコ
 3月15日。19849km、530.7万円。日本の5倍の面積の国、メキシコに入りました。
 3月19日、ティオティワカンが見えてきた。メキシコ最大の宗教都市遺跡、死者の道と呼ばれる全長4kmのメイン・ストリートを中心に、太陽のピラミッド、月のピラミッドがある。謎多き遺跡ティオティワカン。太陽のピラミッドは、全部で248段ある急な階段、高さは65m。世界でも3番目に大きいピラミッドです。紀元前2世紀に作られて、最盛期には20万人が暮らしていた。
 突然、ピラミッドの頂上にいた人が両手を上にあげ、逆立ちしている人も出ました。この日は丁度春分の日。年に2回、太陽の位置が一番高くなる日だった。太陽のエネルギーを得るためだそうです。

●アメリカ合衆国
 3月22日、22446km、606.1万円。テキサス州に入りました。 あとはゴールのニューヨークに向けてつき進むだけ。
 3月23日、サンアントニオ市。観光都市としても知られ、水路が走っています。満枝・マクダニエル(旧姓川島さん)さん70歳は、両親のとまどいを押し切って、リチャードさんと1959年結婚した。両親との仲を修復したいという思いはあったが、ちゃんと言えないままに逃げていて、両親は亡くなった。妹さんの大川由子さんからのビデオレターを見て、涙しました。

 3月27日、ミシシッピ川の河口のニューオーリンズに到着。ここで日本人観光客に囲まれました。
 500km北東に進み、アトランタのストーン・マウンテンが見えた。世界最大の花崗岩。レリーフは南北戦争の南軍の英雄3将軍。ケーブルカーで山頂にも上ることができます。眼下にはアメリカ南部の風景が見えましたが、タクシーが目に入りました。
 ここで The long and winding road が流れました。3月31日、ワシントンDCを通過しました。満開の桜が向かえてくれました。ホワイトハウスも見えました。

 4月2日、午前5時、フィラデルフィア。気温0度。とても寒い日でした。朝6時に最後の洗車・給油をしてから、200km先のニューヨークに向けて8時に出発しました。7108420円からのスタート。最後は綾子さんがハンドルを握りました。
 ブルックリン橋を渡り、プラザ・ホテルの前に向かう。1907年10月2日に新装オープンしたこのホテルの前で、アメリカで初めてメーター付きのタクシーが使われた。それで、プラザ・ホテルの前に向かう。エンパイア・ステートビルの横、タイムズスクエアを通過し、60丁目の角を左折しました。しばらくするとクラクションの音がすごい。イエローキャブが迎えてくれました。鳩も飛んでいて、綾子さんはとっても嬉しかったようで、涙にくれていました。
 2004年4月2日、12時57分ゴールしました。全走行距離26368.6km。プラザホテル前には、お母さんと綾子さんの子供たちが待っていました。しっかり抱き合って、感動しました。改めて家族の大切さを感じた旅でもありました。
 料金は716万1860円でした。


テレビ番組「旅サラダ」2000年12月は中島史恵さんでブラジル

 ●リオ・デ・ジャネイロ
 コルコバードの丘の上のキリストの像のところへ行く。リオの象徴。海抜 710mの頂上に立つ高さ40mのキリスト像。これが丘の上からリオの街 を見ている。70年前に独立を記念して作られた。リオはサンパウロに次ぐ ブラジル第2の都市で、人口620万人。
 サンデラリア教会なぢ、歴史的な建物と近代的な建物が入り混じる。20 万人収容のサッカーのマラカナン・スタジアムは世界一。
 カリオカ駅から路面電車に乗る。電車賃は0.60R$ (34円)。かなり高い 所を走っているが、手すりなどはない。古代ローマの水道橋を模して作られ たカリオカ水道橋。42ある橋げたでは様々なコンサートやイベントが催さ れている。飛び乗りで立っていればこの電車はタダらしい。相当周囲との境 はギリギリのところを運行している。

 コパカバーナ海岸。3kmの弓形ビーチで目のやり場に困るくらいの場所 である。海岸沿いには高層ビルもある。リオの土地っ子カリオカ。サッカー というか蹴鞠をやっている。
 カーサ・ダ・ファイジョアーダというレストランでスタミナ料理のフェイ ジョアーダをいただく。これはブラジル人が大好きなものでブタの足やブタ の耳などを黒豆と長い時間煮込んだ料理で、シチューみたい。これをごはん にかけて食べるのが一般的。お肉はおいしいらしい。週末の夕食にはブラジ ル人は家族でフェイジョアーダを食べるらしい。
 Plata Forma プラタ・フォルマでリオの踊りを見る。60R$ (3450 円)。 ここは1100人収容し、120人の踊り子がいる。ショーも終わりに近づ くとお客もサンバに参加する。
 ブラジルでは、日本の男性はもてるという噂だったが、実際はそうでもな かったらしい(スタッフの話)。今はJALが成田からNYC経由で週4便 とロス経由で週1便、サンパウロまで運行しているらしい。

●パラチー
 リオから車で3時間の人気のリゾート地。コロニアル風の建物。ポルトガ ル風の建物。壁が白くてドアなどが青とかいろいろな色を使っている。
 Porto da Pinga の店に入る。お酒が並んでいる。国民的アルコールの ピンガのお店で、30種類以上ある。Vamos Nessa 9R$ (520 円)、Corisco 11R$ (630 円)、Coqueiro 9R$ (520 円) など900ml 程度。
 コリスコの工場に行ってみた。サトウキビから手作りで作っている。水車 の力でサトウキビをつぶし、35時間発酵させて蒸留すると Pinga になる という。喉が燃えるくらい強いらしい。
 この街を愛して、ここに移った人も多いらしい。


●ポルト・セグーロ
 ブラジルの国家発祥の地。今はビーチ・リゾート。シダージ・ヒストリカ は500年前にポルトガル人が初めて上陸した場所で、この街の旧市街では バイセ地方独特の武道「カポエイラ」が見ることができる。これは非常に 激しい踊りでもあり、「ビリンバウ」という楽器などに載せてバクテンあり 足技、手技がすごい。体のバランスと相手からのディフェンスが基本。外か らみると踊りにみえるが、格闘技である。蹴り技の時もディフェンスを考え て行う。まわし蹴りも多用。
 美しい海岸線。若い旅行者に人気で、ビーチそばのホテルに泊まる。 パラダイス・リゾート・ホテルはとても人気で、リビングとベッドルーム( シングル)が普通の家の部屋の感覚になっている。外にハンモックがあり、 ジャクージ付、明るい。スィートマスターで朝・夕食付 372R$ (21400 円) 外にはプールがあり、その外は海。

●トランコーゾ地区
 車で30分。サン・ジョアン教会が基礎になった街で、お洒落なバーなど もある。「カンチーニュ・ドーセ」というお洒落なレストランでムケッカを 食べる。土鍋ふうで、黄色い液で、魚や野菜など具たくさん。白身魚、エビ 、野菜、ヤシ油、ココナッツミルクを入れて20分煮込む。ボリューム満点 である。25R$ (1440 円) で直径30cmの鍋に入っているがこれをライス にかけて食べる。辛くはないらしい。パエリアのココナッツミルク版? 飲み物はカウピリーニャ 4R$ (250 円) で、ピンガのカクテル。プラムみた いなのが浮いていた。
 「アルコール通り」には200軒の屋台。フルーツが並んでいるが、屋台 バーである。フルーツを使ったお酒が多く、一晩中やっている。カペッタは 名物カクテルでガラナ入り。5R$ (290 円) 300mlくらいある。イチゴ シェイクのような色で甘くておいしいらしいが、苦味があって精力がつくら しい。
 Barramares バハマレスという人気のスポットに行くと、みんな屋外で 踊っている。入場料 15R$ (870 円) で水曜の夜はディスコとなる。バイア サン・ポップス「アシェーミュージック」。ランバダとエアロビクスをミ ックスしたようなランバエロビカをみんなで踊っている。ステージの人のを 真似て踊るのだが、みんな裸足。雨が降っていたけどおかまいなしで楽しい らしい。


●ベント・ゴンザルベス
 南部のリオ・グランデ・スールド州で、ウルグアイとの国境近く? ここはイタリアの移民が多く、ワインでも有名。あまり日本では紹介されて いない場所。街の入り口はワインの樽の形をしている。この街の山間部にあ るワイナリーの谷 Vale des Vinhedos には23軒の手作りワイン工場があ る。その中でもブラジル一と評判のワイン工場 Casa Valduga (バルドゥー ガ)を訪問。ブドウは120年前にイタリアからもってきた。1〜2月に 収穫する。
 敷地内にホテルもあるが、可愛い部屋!1泊朝食付で60R$(3450 円)安い!!しかもワイン1本付!天井はブドウの木をモチーフにした彫刻 である。地下のワイン室はレストランにもなっていて、「自家製チーズベー コン」「ベーコンサラダ」「トウモロコシの揚げ物」「ソパ・デ・カペレチ 」、メインは「チキン、ブタの炭火焼き」、それにパスタ2種など、本当に イタリアン!これでレストランは食べ放題で一人20R$(1150円) これは安い!!かつワインも飲み放題!!

 観光蒸気機関車 Maria Fumaca 。 ベント・ゴンザルベス駅では出発前で 相当盛り上がっている。ブラバンの演奏もある。無料でワインがサービスさ れている。水曜と土曜に走る人気の蒸気機関車。一人18R$(1040円 )で、車内はイタリアの民族衣装のおばさんがでて歌って踊ってたいへん。 1時間30分の旅である。

●カラコール州立公園
 ベント・ゴンザルベスから車で1時間半。豊かな自然が残る。この公園の 名物は690段ある会談。入場料一人4.5R$(260円)。40分かけ て降りると目の前に滝!カラコールの滝で高さ131m。リフトで展望台へ 行く。リフトは6R$(350円)。滝も見える。

●カンポフォーラ Campofora 牧場
 おもしろい乗馬ツアーがある。ハイドホース・ツアー1日 Campofora 食事付150US$。本当はメインは1週間コースらしい。コースは決まっ てなくて、自由なツアー。360度見渡す限りの大草原。100m以上の川 も渡る。1日がかりである。夕方馬小屋に戻って夕食。シュラスコ(牛肉を 切って串にさして焼く)を食べる。

●セーハ・ジェラル Serra Geral 国立公園
 東に行ったところにある。ブラジルの人にもあまり知られていない場所。 グランド・キャニオンの小型に緑を多くしたような感じのフォルタレーザ・ キャニオンなど今わかっているだけで9つのキャニオンがある。ここは高さ 1150mもあって、下を見ると....死にそう!下から吹き上げる風もすご い! 中島史恵さん、勇気があるねぇ。


●マナウス
 アマゾン川流域の人口100万人を超える街。アマゾン川は水量・広い流 域面積で世界一である。透明なネグロ川と濁ったソリモネス川が中央で2つ に色がわかれたまま流れている奇妙な現象が下流に10kmも続いている。 中央でわかれたままで「ソリモンエスの奇観」と言われている。
 マナウスはその分岐点の北側に位置する。アマゾナス劇場は19世紀に建 てられた建物。マナウスには当然港もある。その近くの市場には変わった魚 が多い。なまずみたいなものとか、タンバキーは鯉に似ている。魚もでっか い。アサイー&コンパニー Acai Cia というレストランはマナウスで一番 人気。タンバキー・フリット 25R$ (1440 円) でかい!骨が大きい!白魚の タラ系か?結構あっさりしているらしい。

●アリアウ・アマゾン・タワー
 ジャングルの中にたつホテル。船でツアー、上流へ行く。一部の客は水着 姿。2時間でホテルに到着。このアリアウ・アマゾン・タワーは7つのタワ ーに200個の部屋、ロッジのまわりはジャングルで、各タワーは木の橋で つながっている。猿が多くやってきて、賑やか。人に慣れている。いろんな 猿がいて、髪にまとわりついたりする。ロッジ内のプールも人気。今回は木 の上にできているターザン・ハウスに宿泊。階段付で意外と高いところにあ る。地上30mとかかもしれない。2泊3日で 370R$ (40700 円) 木ででき ている。1部屋しかないので、世界各地の有名人もここで泊まっている。 風が吹くと揺れるらしい。ジャングルの眺めはすごい。

 ロッジからボートでアマゾンに行く。ピラニア釣りツアーは人気らしい。 きれいな鳥もいる。エサは牛の心臓。小さいのが釣れた。結構簡単で、食い ついたらすぐに上げるらしい。釣ったピラニアはロッジで唐揚げにしてくれ る。歯がすごい。骨がとっても多いが、白身魚でフライは人気があっておい しいらしい。あっさりしているとか。
 夜はワニ狩りツアー。40700円に全て込み。1mくらいのを手づかみ で取った。


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