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なお、これはわたしが個人的にテレビを見て書いたものであり、各テレビ局や番組とは全く関係はありません。
すべての文章の無断使用・転載を禁止いたします。
またここの情報を使って、何か問題が起こったとしても私は一切責任は持ちませんのであしからず。


テレビ番組「江口洋介 劇的キューバ旅! 〜革命と情熱の国の素顔〜」

 2010年3月7日放送。江口洋介さんが旅をした。テレビ静岡製作。

●ハバナ
 キューバには日本からもアメリカからも直行便はない。江口さんはカナダからホセ・マルティ国際空港に到着した。長くスペイン統治下にあり、その後アメリカの支配下にあったが、約50年前に革命が起こった。ハバナの革命広場には、エルネスト・チェ・ゲバラのモニュメントが飾られていた。肖像の下には「勝利のために、いつまでも」と書いてある。この言葉はカストロに送った最後の言葉だった。彼はフィデル・カストロと共に腐敗していたバチスタ政権を1959年に倒した。1120万人が暮らすカリブ海最大の島。
 17世紀からの建物が残るハバナの旧市街。風情ある街並みは世界遺産。通りには音楽がおふれていた。文豪ヘミングウェイが常連だったというホテル「アンボスムンボス」のレストラン。年季の入ったおじさんたちが広場で「チャン・チャン」を演奏していたが、15年も1日も休まず演奏しているそうです。
 公園では昨日の野球の試合について、意見を戦わせている人たちがいたが、ハタから見ると喧嘩みたいです。

 人気のレストラン「バレンケ」に行ってみた。にんにくを利かせたタレに漬け込んだ豚肉からは、香ばしい香りがたちのぼる。伝統料理の一つ「豚の炭焼き」CUC5.5(約550円)。調味料の輸入が難しいので、味付けは塩と胡椒のみ。主食は、豚の皮やにんにくを入れて炊いた豆ご飯「コングリ」CUC1.00(約100円)。「豚の皮揚げ」CUC1.5(約150円)もこの国ではポピュラーなメニュー。

 夜中、路上に集まる着飾った男女がいた。そして見物する人たち。これはアラチェリーという女性が15歳の誕生日を迎え、誕生日を迎えた日に成人式を行なうのがキューバ方式。その隣近所の人が一緒にお祝いするのが流儀。路線バスも邪魔をしないようにタイミングを計る。父親にエスコートされてダンスが始まった。この日を境に父親は娘を恋人に託す。そして恋人が登場した。父親はこの日のためにお金を貯めて、この日に使うという。
 江口さんはお宅に招待されて、一緒に踊りました。

 朝、生鮮市場に行く。キューバは食料などは配給制で、足りないものを市場で補う。社会主義国だが、10数年前から外貨所有も認められ、貧富の差も激しくなってきている。貴重な自動車も父から子へと乗り継がれている。

 ハバナの一般家庭を訪問した。家は国の所有物で、各家庭は暮らしやすいように改造などをしている。ガルシアさんのお宅を訪問した。庭には家庭菜園があったが、タイヤを半分にして鉢にしたり、3リットルの瓶や扇風機の一部を鉢にしていた。

●石油の採掘現場
 東に向かったら、海沿いにあった。アメリカの経済封鎖によってエネルギー資源は命綱。ここには豊富な埋蔵量の海底油田があり、中国などが資本導入している。

●カルデナス
 かつて海運業で栄えた街。古い街並みに50年代のアメリカ車が走る。時に馬車も走る。まるで映画のオープンセットみたいです。

●サパタ湿地
 ハバナの東南、車で4時間。国立公園の中の小さな街に到着。民宿に宿泊しました。部屋数の多い家は民宿をしてお金を稼ぐことが認められている。
 カリブ海に面して広がる野生動物の楽園であるカリブ海最大の湿地帯。透明度が高いので、最近はダイビングの穴場として人気が出はじめている。この湿地帯はカリブ最大で、他では見られない固有種の宝庫でもある。でも遭遇するのは簡単ではない。今回は、生物学者のエドワルド・マヴレヴ・ケラさんが案内してくれました。膨大な湿地帯は45万ヘクタールで、釧路湿原の20倍。
 まずフラミンゴを探す。30分待って、20羽のキューバ・フラミンゴの群れと遭遇した。野生のトキ「シロトキ」もいたが、今やキューバはトキの世界有数の繁殖地となっている。
 夕暮れはとても美しい。オレンジ色に染まっていました。

 およそ1.5億年前、キューバは南米大陸の一部だったと考えられている。切り離されて、動植物は独自の進化を遂げた。ポリミタスは不思議な色のカタツムリ。ソレノドンはモグラの仲間。キューバワニは獰猛な性格で知られているが、絶滅危惧種に指定されている。頭の上の角は恐竜時代の名残とか。  異常気象や温暖化による影響がこの湿地帯にも起きている。人間の生活も影響している。キューバにしかいない鳥を見るなら、鳥が目覚める朝がよい。世界で最も小さな鳥「マメハチドリ」と世界で最も小さなフクロウ「キューバスズメフクロウ」がお目当て。
 木の影にグワバイルという鳥がいた。夜行性で日中は仮死状態。キューバの国鳥「トコロロ」がいた。体の色が赤、青、白で国旗と同じ色です。CDを使ってマメハチドリの声を流した。ハチドリの一種の「キューバン・エメラルド」がいた。1秒間に50回以上も羽ばたきながら、花の蜜を吸う。マメハチドリがいました。大陸から隔絶されたキューバだけに生息する世界で最も小さな鳥。体長はわずか5cm、体重はおよそ2gで1円玉2枚分。羽ばたきは1秒間におよそ80回。花の蜜を吸う時は、蝶やハチと奪い合いになるとか。
 エドワルドさんは今度は木の幹を叩き始めた。顔を出したのは、フクロウ。キューバ固有のユビナガフクロウでした。キツツキなどが作った木の穴などに住む。昼間はそこで眠っている。そして、世界最小のフクロウ「キューバスズメフクロウ」を発見。体長およそ10cm。フクロウとしては珍しく、昼間エサを求めて行動する。
 洞窟の奥からは音がしていた。天井にはコウモリ。すごい数です。さらに奥には、ろ過された雨水を溜め込んだ青い湖が広がっていた。地元の人々でさえ、ほとんど知らない神秘の湖。ここには真っ白の軟体動物のような魚がいるが、滅多にいないそうです。目のない魚がいました。

 民宿では地元の食材で料理が準備されていた。1泊3食付きでCUC55(約5500円)でした。

●トリニダ
 カリブ海に沿って蒸気機関車で古都トリニダを目指した。スペイン統治下の面影を色濃く残す街並みで世界遺産。
 1492年コロンブスによって発見されたキューバはスペインに侵略され、先住民たちは根絶やしにされた。トリニダはサトウキビの栽培によって栄えた。農園の労働力となったのは、アフリカから運ばれてきた黒人たちだった。
 18世紀、コーヒーや紅茶に砂糖を入れる習慣が世界に広がり、砂糖は莫大な富を産んだ。農園主の屋敷跡は今では観光名所となっている。例えば、マナカ・イスナカ。当時としては極めて贅沢な造り。この豊かさは過酷な労働を強いられた奴隷たちによって保たれた。トリニダは奴隷の市もあった。
 イスナカの塔は、富の象徴でもあったが、奴隷たちを監視する役目も担っていた。かつて3万人が働いていたという大地で、彼らはアフリカの音楽で辛い労働を忘れようとした。ルンバやサルサなどのルーツである。
 ピロ・ギイナル・ディアス葉巻工場 Piro Guinart Diaz がある。今も変わらず丁寧に手造り。単純労働をまぎらすために工場内で放送もしていました。ノルマが決められているので、手は休められない。国内版は紙で包んだだけでした。

 ある小学校を訪ねた。入口にはゲバラの肖像があった。月曜日の朝礼は国旗掲揚から始まった。そして国歌斉唱。そして「我々はチェ・ゲバラのように生きなければならない」と言っていました。キューバでは革命以降、教育費は一切無料。ラッセロッデ・ヘスス・ヤネスアルヴリア校長は「正しい教育がある限り、この国は何があっても揺るがない」と語った。

●スベントゥ島
 ハバナの南方に浮かぶ島。かつてこの島には日本からの移民が多かったという。日系2世のミゲル原田さん(78歳)のお宅を訪問した。20世紀初め、砂糖産業で栄えていたキューバに、世界中から入植者が集まった。ミゲルさんの父もこの島でサトウキビ栽培を始めた。第二次大戦、キューバ革命と日本人移民は歴史に翻弄された。
 奥さんにも協力してもらってお雑煮を作りました。昔お母さんに作ってもらって以来、長い間食べてなかったそうです。
●ハバナ
 ゲバラの長女アレイダさんが申し込んでいた面会を受けてくれた。場所は1960年代に少しだけ彼女が父と過ごした家。今は小児科の先生をしています。病院は無料で、アレイダさんはお金は関係ないという。キューバ人として誇りを持つべきだと語りました。

 今回の旅で物の見方が変わったそうです。


テレビ番組「世界遺産紀行 紺碧のカリブ」

 2008年1月4日放送。宇崎竜童、阿木耀子さんが案内。マイアミ港からは人気のカリブ海に向かうクルーズ船が毎日のように出港している。大小数千に及ぶ島々には個性豊かな文化が息づいている。今回はバハマ、キューバ、ジャマイカ、ドミニカ共和国、プエルトリコを訪ねる。NHK製作。

●クルーズ船
 クルーズ船は海に浮かぶリゾート。2000人の乗客が一つの船に乗り込み、豪華な旅を楽しむ。ホテルがそのまま移動しているような旅。料金は1泊3食付きで1.5万円より。カリブの旅には8泊、9泊の長い旅もある。

●バハマ
 大小700を越す島からなる。首都はナッソー。アメリカ人が「永遠の6月」と呼ぶ理想地。ナッソーにはプライベート・ビーチを持つ欧米系の高級ホテルが建ち並ぶ。訪れる観光客は年間300万人を越える。
 島々は1492年にコロンブスが到達して以来、ヨーロッパの国々が争奪を繰り返した。17世紀からはイギリスが支配した。たくさんの奴隷がアフリカから連れて来られた。1973年に独立した。イギリス統治時代の建物が残る。

●ドミニカ共和国
 コロンブスはバハマの次にイスパニョール島に上陸した。ここが今のドミニカ。首都はサント・ドミンゴ。世界遺産サント・ドミンゴの殖民都市。城壁に囲まれた市街はスペイン人によって新大陸で初めて本格的な町作りが開始された。サンタ・マリア・ラ・メノール大聖堂。ドミニコ会修道院。オザマ砦。教会などスペインの町の様子がそのまま持ち込まれた。集められた金銀は本国に向けて積み出された。アルカサルはコロンブス家の邸宅。一族の生活は贅を極めた。
 旧市街を見下ろすコロンブス記念灯台は、新大陸発見500年を記念して作られた。コロンブスの遺骨はここに納められている。1506年にコロンブスはスペインで亡くなったが、遺言によりサントドミンゴに移された。
 サントドミンゴには今200万人を越える人々が住んでいる。街角でも踊っている人がいる。ドミニカ人のほとんどはメレンゲを踊れる。
 マルコス・カネラさん(41歳)が「El Conuco 」でおいしい郷土料理を紹介してくれた。煮込んだ鶏肉に白いご飯、インゲン豆がついたもの。鶏肉、野菜をじっくり煮込んだシチュー「サンコーチョ」は、スペイン料理の流れをくむもの。青いバナナを揚げた「トストーネス」は塩をかけて食べる。スープに入れて食べることもある。
 キスケージャ球場では野球をしていた。冬は最も盛り上がる。ドミニカのシーズン・オフには、ドミニカからはアメリカの大リーグに150人近く登録され、活躍している。

 サント・ドミンゴから車で1時間、ドミニカで一番野球が盛んな町サンペドロ・デ・マコリス。19世紀になってからサトウキビ農園が本格的になり、黒人が多く連れて来られた。サミー・ソーサ選手もここのグランドから巣立った。ルディ・レジェスさん(44歳)に若い頃のサミーの話を聞いた。サミーの住んでいた家にも行った。少年時代は靴磨きをしていたそうです。

●プエルトリコ
 ドミニカからプエルトリコに向かう船がある。プエルトリコはドミニカよりも物資が豊富。出航は夜8時で到着は朝8時。
 プエルトリコは独立していなくて、アメリカの自治領となっている。首都?のサン・ファン。19世紀末にスペイン領からアメリカ領となった。それ以来アメリカの強い影響下にある。通貨はアメリカドル。住民はアメリカの市民権を持ち、自由に行き来はできるが、大統領選挙などの投票権はない。50年以上この形が続いている。
 世界遺産サン・ファン歴史地区。町の建設が始まったのは16世紀前半。スペインはメキシコや中南米で取れた金銀はこの町に一旦集めた。
 旧市街の突端にそびえるエル・モロ要塞。サン・ファンは16世紀以降スペイン艦隊の軍艦や貨物船の寄港地として、戦略的に重要な港町となり、いくつもの要塞が作られた。多くは海賊から守るものだった。カリブの海賊の多くはヨーロッパの他の国々に雇われていた。17世紀、攻防は激しさを増し、サン・クリストバル要塞が作られた。地下にトンネルが作られていた。

●ジャマイカ
 オーチョリオスはジャマイカで一、二を争う高級リゾート地。クルーズ船は必ずここに立ち寄る。到る所に音楽が溢れている。教会からも賑やかな音楽が聞こえてきた。歌われているのは賛美歌。
 首都はキングストン。17世紀からスペインに替わってイギリスが統治するようになった。イギリスの統治は300年続き、アフリカから多くの黒人が連れて来られた。1962年にカリブのイギリス領では初めて独立した。人口は280万人で、90%がアフリカ系の黒人。独立後、ボブ・マーリーによって世界的にレゲエが広まった。亡くなるまでの6年間を過ごした家が、今は博物館になっている。1981年36歳で他界した。
 キングストンの北側に標高2000m級の山々が連なる。ブルー・マウンテン山脈。標高800m付近に広がる農園からは、良質のコーヒーが産出される。1981年に日本の大手コーヒー・メーカーが買い取った農園。現在、ジャマイカのコーヒーの85%は日本に向けて輸出されている。
 山間にジャマイカ人の魂の故郷がある。17世紀半ばに農園から逃げ出した奴隷たち(マルーン Maroons)が住み着いた場所がある。彼らはイギリスと戦い続け、1739年自治権を勝ち取った。マルーンを率いていたグラニー・ナニーという女性は、国家的英雄として紙幣に使用されている。写真家のケン・ラムゼイさん(72歳)は黒人女性を撮りつづけてきた。黒人の魂を語り続けてきた。グラニー・ナニーたちが作った村がある。人口1000人の村ムーア・タウン。コロネル・スターリンさん(49歳)は代々の村のリーダー。小高い丘に彼女の墓が碑として立っている。ここが世界遺産となっている。住民にアベンという角笛を吹いてもらった。連絡をとるのに使われたそうです。古くから伝わる宗教儀式がある。マルーンの人でも限られた人しか理解できない言葉で語られる。まさにアフリカの音楽でした。

●キューバ
 カリブ海で最大の島。「ハバナ旧市街と要塞」は世界遺産。16世紀にスペイン人の入植と共に作られた。キューバは1902年にアメリカの援助を受けてスペインから独立したが、アメリカからの影響を受けた。1959年キューバ革命により、現在の社会主義国家が誕生した。革命広場にはチェ・ゲバラの肖像が飾ってある。革命を勝ち取ったのはゲバラと共に戦ったカストロでした。

 旧市街にある世界でも有名なバーの一つ「フロリディータ」。カウンターの一番端が作家アーネスト・ヘミングウェイの定位置でした。このバーはラム酒のカクテル「ダイキリ」が生まれた場所と言われている。ヘミングウェイは一晩に12杯もあけたことがあるほど、ダイキリが大好きだった。1939年から定住した。好きなトローリングがいつでもできることなどが気に入ったらしい。ハバナ郊外にある彼の家。自ら体験したスペイン内戦を描いた「誰がために鐘は鳴る」が映画化され、その著作権料で手に入れたもの。充実した20年を過ごした。1959年のキューバ革命で全てを捨ててアメリカに帰った。
 市内には1950年代のアメリカ車が未だに現役で走っている。派手で陽気で世界中の憧れだったアメリカ。キューバの人はこの頃のアメリカが好きだ。エンジンはソ連製に変えても乗っている人が多い。
 18世紀にサトウキビ農園を支えていたのは、西アフリカから連れて来られた奴隷だった。ヨーロッパでコーヒー、紅茶に砂糖を入れる習慣が根付き、砂糖は現在の石油並に重要になった。ラム酒は砂糖キビを絞った糖蜜を蒸留して作られる。

 ハバナの旧市街にある音楽クラブ「ハバナ・クラブ」。7年ほど前に作られた店で、キューバではこうした生演奏を楽しめる店はムシカと呼ばれ親しまれている。ここで働くアライ・チャビアーノさん(34歳)。音楽は朝9時から夜11時まで交代制で続く。アライさんのお宅を訪問した。住宅は国からほぼ無償に近い条件で借りられ、ある程度の料金を払うと自分のものになるという。教育費や医療費もかからない。パン、肉、魚、米、大豆などは配給される。
 アライさんの昼食。バナナの揚げもの。「黒豆のポタージュ」は塩味でご飯にかけて食べる。
 夜はハバナ・クラブで名門のバンドの演奏があった。50年代から続くロベルト・ファス楽団。サックスはトニー・ヒメネスさん。高齢者が元気。

 コロンブスが新大陸に着いた時、先住民はタバコを吸っていた。現在、タバコはキューバの重要な産業となっている。ハバナから西に300kmの世界遺産「ビニャーレス渓谷」。タバコ畑の景観が登録されている。ここでは昔ながらの農法が使われている。ミゲル・ビクトルさん(57歳)は子供の時からタバコを栽培している農家。牛で耕す。アラードで粗く耕し、ペイネで櫛で細かく整える。トラクターで耕すと栄養が流されてしまうという。アラード・クリオージュで固い木の鍬を使って溝を作る。手で苗を植えていく。

 キューバ南東部のサンチァゴ・デ・クーバの町を守るために作られた世界遺産「サン・ペドロ・デ・ラ・ロカ要塞」。16世紀末にイギリスの脅威に備えて作った要塞。日暮れに要塞で行なわれる儀式。兵士たちはキューバ革命の革命軍兵士の伝統を受け継いでいる。サンチァゴ・デ・クーバは「ソンのゆるかご」と呼ばれる町。キューバを代表する音楽ソンはこの町で生まれた。地元の人は頻繁にカーニバルを催す。世界無形遺産「トゥンバ・フランセーサ」は18世紀末に隣のハイチで起こったクーデターで逃れてきた奴隷たちが持ち込んだ踊り。
 キューバの東部に連なるマエストラ山脈。ハイチでコーヒー農園を営んでいたフランス人とその奴隷たちが逃れてきた場所。彼らは再びコーヒー栽培を始めた。ここも世界遺産「キューバ南東部のコーヒー農園発祥地」になった。フランス人農園主は収穫が終った後に、宮廷音楽などを演奏して舞踏音楽を奏でた。奴隷たちはその踊りや衣装を真似て踊るようになった。
 保存協会のフラビオ・フィゲロアさん(68歳)を訪ねた。トゥンバは太鼓の皮らしい。踊りはベルサイユ宮殿で踊られていた踊りに由来するという。


テレビ番組「めざましスペシャル キューバ」

 2007年11月23日放送。AIさんが案内。カリブ海の真珠と言われるキューバ共和国は人口1125万人。さとうきびや葉巻の世界的な生産国。最近は観光にも力を入れ、日本からも年間1万人が訪れる。音楽とダンスにも溢れ、ルンバやサルサの発祥地。

●ハバナ
 旧市街は世界遺産。陽気なキューバの人だが、住まいは質素。家の売買が禁止されており、建物の改修も国の許可が必要。街中を走る車は1950年から60年頃のクラシックカー。
 日曜にはある通りで音楽を演奏して踊る。レグラ・カーニバルはハバナで一番歴史が古いカーニバル。さらに町を進むと結婚式を終えたばかりのカップルに出合った。その後家でパーティをするので、同行した。リビングはすぐにダンス・ホールに早替わり。
 しかし、キューバの音楽は400年続いたスペインの支配下で、アフリカから連れて来られた黒人たちの自由を求める願いから生まれたもの。
 サルサのダンスを教えてくれる教室「コルプ・スピリツ・アルマスタジオ」に行く。先生はタンヒン・フォン・マトスさん(33歳)。リズムを楽しみステップを踏んで腰と肩を震わせるのが基本。18ー19歳くらいの子が練習に来ていました。
 サロン・ロサード・トロピカルはキューバ国民がサルサを踊るために作られたという野外ステージ。祭りでもないのに1000人を越す人たちが踊っている。多い日には5000人が集まるという。
 若者に大人気のサルサ・バンド「ジュリエン・イ・ス・グルボ」のライブに出かけた。AIさんも飛び入りでスペイン語で「Con tu amor (あなたの愛と共に)」をリハーサルなしで歌った。
 壁にチェ・ゲバラの肖像画がいくつもある。1959年カストロとゲバラが革命を起こして、社会主義国家キューバが誕生した。
 広場で踊っていたのは蜂の衣装を着た子供達。「ラ・コルメニータ」という2〜12歳のグループで、総勢200人にも及ぶ。キューバでは人気グループで定期公演も行なっている。この中のルイス、リリアン兄妹に誘われて自宅に行ってみた。母はマルタさん(34歳)。キューバでは治療費が無料。医療のレベルも高く、医者は子供に人気の職業。教育費も無料。国民の平均月収は2000円で、1ヶ月1000円払うと生活に必要な食料品などを配給所で受け取れる。生ものは「19YC自由農業生産物市場」などの国営市場でないと手に入らない。夕食もいただいた。主食はコングリという米と黒豆を炊き込んだもの。豚肉のソテーは塩胡椒で味付けしたもの。揚げバナナ。

●バラデロ
 ハバナから150km東の町。白い砂浜が続くキューバ屈指のビーチ・リゾート。キューバで一番北になる場所でもある。ここから120km先がアメリカになる。

●老人
 ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブもキューバの老人たちを追ったドキュメンタリーでした。
 老人の集まる場所に行ってみた。キューバの人は遠距離は通常はヒッチハイクで、多少のチップを渡すそうです。
 「サンタフェ老人クラブ」などは国が無償で場所を提供している。ここで歌やダンスを楽しめる。


テレビ番組「探検ロマン世界遺産 世界遺産と生きる人々」

 2006年11月25日放送。NHK製作。

●マダガスカル
 ツィンギ・ド・ベマラハ厳正自然保護区。生き物をよせつけない高さ100mに及ぶ岩の摩天楼。石灰岩の岩山が長年の雨水の浸食をうけて作られた風景。水沢蛍さんが案内。岩の隙間に素焼きの土器がった。ここにも人が住んでいた。ヴァジンバ族の人が今も麓に暮す。ツィンギからは50種類もの薬草が手に入る。マラリアも治すという万能薬もある。針山にはシファカと呼ばれる小さなサルが生息している。地下に洞窟があり、水が流れていて、乾季でも枯れることはない。

●カッパドキア
 石灰岩の侵食によって作り上げられた幻想的な光景。地中へと続く竪穴や横穴が無数にある。もっとも深いところでは地下80mに達し、地底都市は30を越えると言われる。今も岩山を掘った中で暮らしている人がいる。末吉美紀アナが訪問した。冬は寒いが、夏は涼しくて快適だそうです。
 アルカリ性なので、植物は育たないとされるが、ぶどうはそういう土地だから栄養を体内に貯めておこうとする。それで味わい深いぶどうができる。

●ボリビア
 標高3800mの高原にある都市遺跡ティワナクは紀元前2世紀から1000年以上に渡って栄えた壮大な古代文明。緻密な石組みの技術は後のインカ帝国に影響を与えた。伊藤雄彦さんが案内。古くから住むアイマラ族の村を訪ねた。じゃがいもは地面に置いたままにする。日中は15度、夜は氷点下で、気温差は最大30度にも達する。凍って溶ける、これを足で踏んで、じゃがいもの毒を出す。これから100年はもつという保存食チューニョができる。食べる時は水で戻し、スープに入れて煮込む。

 チチカカ湖の真中にあるのは島ではなく、草でできた浮島。この湖にはこうした島が58あり、2000人が暮らしている。浮島はトトラという植物でできていて、1ヶ月に1回新しいトトラを追加する。夜は寒さが防げるためのようです。魚の宝庫で、石の上で焼くのが伝統。

●ウィーン
 シェーンブルグ宮殿はハプスブルグ家が18世紀半ばに完成させた。部屋の数は1141もある。水沢蛍さんが案内。女帝マリア・テレジアは莫大な富と圧倒的な力を誇示した。舞踏会に使われた大ギャラリー。インゲボルク・リンデックさんが案内してくれた。観光客が入れない特別な場所は、宮殿の最上階にある部屋、ここにリンデックさんが住んでいる。1918年ハプスブルグ帝国の崩壊と共に宮殿はオーストリア新政府の手に渡った。その時に多くの部屋が住宅難に苦しむ市民に提供され、今でも250世帯が賃貸で生活している。マリア・テレジアが作った世界初の動物園も今でも人気。あとは庭園が住民の散歩コースとなっている。

●バルセロナ
 サグラダ・ファミリア贖罪教会は、天才アントニ・ガウディの代表作。1883年に建設が始まり、120年以上が過ぎた今も工事が続けられている。バルセロナではガウディが作った7つの建物が世界遺産、うち4つは住宅。石井麻由子さんが紹介。
 カサ・ミラは1910年に建築された地上6階の建物がアパートになった。地元の人は「ラ・ペドレラ(石切場)」と呼んでいる。洞窟のような入口。中には吹き抜けが作られている。一つとして四角な部屋はない。クレメンティーナ・リスカノさんのお宅を見せてもらった。打ち寄せる波のような曲線が天井にある。ガウディは家の環境が人を育てると信じていた。

●オランダ
 1平方kmの平原に19の風車がある「キンデルダイクの風車群」。高さ18m、250年前の創建当時と変わらない佇まい。風車の中では水車が回っていた。オランダは国土の4分の1が海面より低いので、水車は水位が上がって川の水が溢れそうになると汲み上げて排出し、農地や牧草地を守ってきた。岡田理江さんが案内。
 コック・ファン・デン・ベルクさんの風車(お宅)を訪問した。入るとすぐにキッチンと台所。5階建で、風車が回りだすと大きな音がするそうです。電気式のポンプは停電になると使えなくなるから風車は必要だそうです。風車の位置は360度回転する。布をかけるのも大変な作業。強すぎてもいけないし、弱くてもいけないそうです。

●ハバナ
 旧市街が世界遺産。ハバナは16世紀〜19世紀はスペインの支配下にあり、バロック建築が数多く残っている。かつての大邸宅を改造して20世帯の家族が住んでいた。1DKの細長い室内でした。岡田理江さんが案内。19世紀にアフリカから70万人の奴隷が連れて来られた。砂糖の生産のために強制労働させられた。その中で祈りの儀式が重要となり、太鼓の音楽が心を癒した。19世紀末にスペインの植民地支配が終結し、人々はハバナに集結し、新たな音楽が発生した。融合した音楽は「ソン」と呼ばれた。そこからさらに多彩な音楽が生まれた。

●インド・ダージリン地方
 ダージリン・ヒマラヤ鉄道は世界遺産。120年以上続く世界で最も古い山岳鉄道の一つ。わずか2両編成で高低差2000mを走る。19世紀末にイギリスが造った。当時は細く険しい山道を通るしかなかった。当時は牛車や籠に乗って行き来していた。イギリスは紅茶の栽培を始めた。これを安全に大量に運ぶために、1881年開通した。20世紀半ばインド独立後、車社会到来で、トラックに代わった。沿線の住民たちは思わぬ利用法を考えた。通学の際に子供たちは駅でもないところから飛び乗る。伝統を引き継ごうとしている若者はミラージュ・ビスワカルマさん17歳。


テレビ番組「ハイヒールが行く踊る!大キューバ・ツアー完全版」

 2001年9月8日あたりに放送。よみうりテレビ製作。アメリカン航空でメキシコ経由で行く。

●メキシコシティ
 リンゴの趣味でアリーナ・メキシコでプロレスを見る。覆面レスラーが4 割いる。覆面は45ペソ(450円)。標高2400m。マリアッチ広場( ガリバルディー広場)に行く。1曲楽団に頼んでみた。100ペソから200 ペソくらいらしい。まわりで人が踊っていた。

●ハバナ
 ホセ・マルティ国際空港に到着。キューバの面積は本州の半分。昔のアメ リカ車が多く置いてあったりする。庶民はラクダバスに乗る。いつも満席。 モモコは屋根付きのココタクシーでいく。観光客には大人気。
 エル・アルヒベ El Aljibe というレストラン。伝統的な料理が食べられ る。サルー(乾杯)でビールを飲む。伝統チキン・キューバ料理 US$20で 食べ放題。チキンのアメロソースかけ、バナナ揚げ、ライス?にぜんざいの 砂糖なしがかけてある。
 新市街と旧市街とに分かれる。旧市街はバロック様式の建物が多い。旧 国会議事堂(カピトリオ)はアメリカのホワイトハウスがモデルで、今は 博物館。床に24カラットのダイヤが埋めてある。これが街の中心らしい。 今はイミテーションが入っている。出たところで100年前のカメラで写真 を撮ってくれた。1ドル。
 カサ・デ・タバコ Casa de tabaco を訪問。葉巻のお店。一番高いのは 1箱383ドル。葉巻作りを見学し体験した。
 革命博物館 Museo de la Revolucion に葉巻をこよなく愛した国民的英雄 チェ・ゲバラのいろいろなものが保存してある。リンゴはゲバラが好きらし い。Tシャツにはゲバラが多い。また革命広場にはゲバラの絵がある。

 ホテルはノボテル Novotel Covalia Miramar 。きれいでプールもある。 夜、カバーニャ要塞に行く。毎夜9時に大砲を撃つ。これを観光客が見にき ている。
 世界の3大ショーの一つ、トロピカーナのショーを見に行く。楽屋に行っ て話を聞く。240ペソ(1500円)が月給らしい。リンゴはボニータ( 美人)だといわれた。約2時間のショー。最後に客席から客を上げて踊る。 モモコは上で踊った。

 カテドラルの近くでも歌と踊りが見られた。人なつっこい人が多い。配給 所がある。お米、砂糖、石鹸など。5ペソ(30円)払うらしいが、量は多 い。
 フェリア・デラ・ハバナ(フリーマーケット)に行く。それから一般家庭 としてカルメンさんの家を訪問した。裏は海!カルメンさん、そのまま海に 入って泳ぐ。自家製プリンももらう。

●ヘミングウェイ
 かつてキューバを心から愛していたアーノルド・ヘミングウェイが通って いたという La Bodeguita del Medio という店に行った。ここでは、 モヒートというカクテルを出す。砂糖、レモンジュース、ミントの一種、ラ ム酒Habana Club を混ぜたもの。直筆のサインもある。奥にはレストランも ある。コングリという黒豆入りご飯を食べる。バナナのフライはプラタノス ・トストネスという。ところがこれはサツマイモだとモモコらは言う。みな サインを残すらしい。
 もう一つヘミングウェイが愛したお店 La Floridita はダイキリ発祥の店 で、今では誰も座らせないという席もある。砂糖抜きのダイキリはパパ・ ヘミングウェイという名前でUS$7。ここも食事ができる。シーフードは本当 においしいらしい。すると横で演奏が始まった。デザートは、火をつけて 調理した砂糖の塊?のケーキとアイスらしい。
 22年住んだフィンカ・ビヒア邸はヘミングウェイ博物館となっている。 今は窓の外からしか見ることができない。置いてあるタイプライターで「 老人と海」を書いたらしい。そのモデルとなった老人は今104歳でまだ 生きている。コヒマル Cojimar (ハバナの東10キロ)の漁村にヘミング ウェイの胸像がある。そのおじいさんを訪問した。ほとんど寝て生活してい るらしい。Gregorio Fuentes さん。

●パラデオ Varadero
 ハバナの東の方にある高級リゾート地。アルカポネの別荘跡もある。今は イタリアンレストラン。キューバ最大のビーチリゾート。白い砂浜が25km も続いている。海の色もきれい!
 船に乗って沖に出る。モモコは泳げないらしい。男性がもぐってロブスタ を取ってきた。生のまま2つに割って、醤油をかけて食べた。ゆでたのも いける。

●カンクン
 メキシコのカンクンに移動。

テレビ番組「中山美穂 in キューバ楽園共和国」

 日本テレビ製作、2000年10月27日放送。中山美穂とスペイン語が話せて音楽を理解している村上龍。キューバ音楽といえば、はカルロス・サンタナがSmooth でグラミー賞を8部門取ったし、リッキー・マーチンの She bangs 、グロリア・エステファンの No me dejes de Quererなどで有名。
 今年8月から関西空港KIXからアジア初のJALのキューバ直行便ができた!17時間かかる。

●キューバ音楽
 ルーツと言われているのは映画「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」で人気を浴びたキューバ音楽である。サルサ、ルンバ、チャチャチャ、マンボのルーツでもある。サルサはキューバではカッシーノという。レオナルド先生は少し日本語ができる。

●ハバナ
 ハバナの住宅街のある家へ。セザール・ポルティージョ・デ・ラ・ルスさん宅。彼はキューバを代表する大作曲家で、30曲しか発表してないが、全部ヒットしているらしいし、ブラシド・ドミンゴのDemi Alma latina やマイエリンMayelin やイサック・デルガードのLa Primera Noche などでも取り上げられている。「遠く離れていても一緒」という曲をギターの弾き語りで披露してくれた。

●ラグリマス・ネグラス
 キューバの最新レコーディングスタジオ「アグダラスタジオ」でギタリスト「パンチョ・アマート」さんはキューバ1のギタリストなのだが、トレスギターというのを操る。これは2本の弦が対になっていて、3セットあるもので、非常に難しそう。「ラグリマス・ネグラス」という曲はトリオ・マタモロスにより発表されヒットした名曲で、日本語の意味は「黒い涙」。女性の切ない想いと熱い想いを歌った曲で、転調する。乗ると最後のところを何度もやるとか。これはソロで歌う部分を自分で作詞して歌うのが一番だと彼は言う。そこで中山が詞をつけて、スペイン語になおしてもらってそれを歌 うことになった。
 友人の歌手イサック・デルガードが手伝ってくれる。

●旧市街で食事
 La bodeguita del medio 落書きが多いが、その中にヘミングウェイのものもあるとか。彼は「モヒート」という飲み物を愛した。これはミントとラム酒、ハバナ・クラブとレモン・ジュースを混ぜたカクテル。茎の部分をつぶしてから飲むのがキューバ流。食事としてコングリ(黒豆入りごはん)、トストン(グリーンバナナのフライ)、ピカディヨ(ひき肉とニンニクの煮込み)はおいしいらしい。

●レストラン El Rancho
 「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」のメンバーで唯一の女性歌手70歳のオマーラ・ポルトゥオンド(マリアの歌声と言われる)さんと会食をする。小さい頃から歌っていた「20年の歳月」という曲を歌ってくれた。中山は涙。癒しの歌声らしい。「シボネィ」も歌ってくれた。

●レストラン「エル・アヒ・ベ」
 鳥料理で有名な店。若手歌手ハイラ・マリーア・モンピエさんと会食。キューバでは百年に1人の歌姫だと言われている。キューバでは歌の終わりに拍手をする習慣がないらしいが、彼女はあった方がよいと言う。ここでも「20年の歳月」を歌ってくれた。大好きだという。

●ルンバ
 オールド・ハバナの中にある長屋の中庭でルンバを踊る。みんなが集まって踊っている。「ルンベーロ」(ルンバを踊る男)。二人にはクラベスという打楽器を渡される。ルンバは3種類ある。コルンビア(男が一人ずつ踊って、勇敢さを競う)、ワワンコー(男女がペアで踊る官能的な踊り)、ヤンプー(男女がペアで踊るが、クールダウンで踊る。落ち着いた恋人の踊りともいえる)。

●マタンサス
 ハバナから東へ100キロ。ルンバ発祥の地マタンサス。今もアフリカ系の人が多く、ルンバを踊る子が多い。まるでブレイクダンスのような身のこなし。自分の感性だけでオリジナル・ステップを踏んでいく。4歳でもすご い!

●観光
 サンタマリア海岸。

●ダンス
 キューバ国立舞踊団のレッスン場「Conjunto Folklorico Nacional」ここでダンスの基本を習う。まず肩と腰の動きが難しい。4日間やる。気温30度の部屋の中で、汗だく。キューバ音楽の基本リズム、ソンの基本ステップを学ぶ。足、腰、肩の動きが難しい。
 ダンス4日目、どんなダンスも適応できるようになった。そこで中庭で、「アセアコ」という曲にのせて発表会。次第にアップテンポになっていってダンスも思い思いのスタイルになった。中山はちゃんと踊れた!

●ランチ・パーティ
 Cuba Lunch party を開いた。キューバの一流ミュージシャンが集まってきた。天才ドラマーのオスカリート・ヴァルデス、彼の演奏が始まると、コンボ、ピアノが即興であわせていく。ギターのパンチョ・アマート、ベース、アルトサックス。アグルベルト・アルバレスはキューバで圧倒的人気のピアノ奏者で作曲家、現代キューバ音楽の創生者。彼の大阪公演は11月19日、東京は11月17日。

●路上ライブ?
 マレコン通りで彼のライブ!4万人!バンドは18人。「デハメ・ジョラール」から始まって、「ダレ・コモ・エス」、みんなノリノリだが、中山はショックを受けたらしい。どうしてって言っている。「ア・バイラール・エル・トカトカ」となってボルテージは最高。

●ラグリマス・ネグラス
 スペイン語で歌う。イサックが歌詞を手伝ってくれた。ウィリアム・ボレーゴもボーカルで、ギターのパンチョ・アマートも手伝う。世界一美しいというキューバの夕陽を見る。
 この曲を聴きたい方は、
http://www.nakayama-miho.net/
でダウンロード可です。


http://mbs.co.jp/tv/michi/185/index.html

テレビ番組「旅サラダ」2000年6月は田中美奈子さんでキューバの旅

 キューバはメキシコ湾とカリブ海に挟まれた国。JALの直行便ができたらしい。

●ハバナ
 ハバナは街自体が世界遺産に登録されている珍しい街。古い街並みの旧市街(19世紀)を歩く。音楽が聞こえてくる。サルサ。バーやレストランには必ずバンドが入っていて演奏している。葉巻の製造実演販売の店があった。1本200−300円。
 カテドラルは300年前にできた。コロンブスの遺体も安置されていたらしい。
 Capitolio(昔は国会議事堂、今は博物館)は床の中央に24カラットのダイヤが埋め込まれていて、ここがキューバの中心となっている。
 変わった車、ラクダバス。300人乗りの長いバス。古い車も多い。アメリカ車の1950年代のフォードやムスタングに乗せてもらっていた。⇒錆びていないということは海が近いけれども、塩がきつくないということであろう。
 モロ要塞。400年前にできた。今は博物館(入場料$2)。117段を登ることも可能($2)。ハバナのスカイラインを眺める絶景ポイントらしい。
 レストラン「ラ・フェルミーニャ」。キューバの伝統料理や欧米料理を味わえる。海の幸パイナップル添え$20(ロブスター、カリブ海のカニ・ハイバー)、キューバの伝統料理3品$10(豚肉のたまねぎソース炒め、フフ・デ・プラタノ:調理用バナナの揚げ物、コングリ:豆ご飯でキューバの主食で赤飯に似ている)。

 ホテルは Hotel Nacional de Cuba 1930年創業のハバナで一番の伝統と格式を誇る。スタンダード$120。ホテルにはプールもあって、みんなのんびりしていた。中庭でお茶。目の前が海。スィート・プレジデンシャルの例として240号室。ダイニングルーム、書斎、キッチン、居間、ベッドルーム、バスルーム2つ?、で$1000。ナオミ・キャンベルやモハメド・アリ、チャーチルも泊まったとか。緑も多い街中だけど、このホテルは静か。
 ハバナで一番有名なバー「Floridita」。ヘミングウェイが通っていた。ラム酒からできているフローズンダイキリ$6を好んでいたとか。この店の一番奥のイスに彼は好んで座っていたらしい。今はパパズ・ダイキリと言われているらしい。ラム酒がきつい?席も保存してある。彼は午前中に執筆活動をして、午後はここでフローズン・ダイキリを飲みながら友達と話をしていたとか。あとは釣りが趣味でした。
 キャバレー「トロピカーナ」2000人収容の屋外劇場。華やかなショー、豪華なショーをやっている。お客さんも入れるダンスタイムもある。雨が降ってきたら中止らしい。

●バラデロ・ビーチ
 25キロに渡って一直線に続くビーチ。新しいリゾートホテルが多く建ち始めている。「ホテル・メリア・ラス・アメリカス」は462室の5つ星ホテルで1995年創業。明るいプールがある。トップレスの人もいる。スィートを覗いてみた。壁がブルーで統一され、明るい。二方海に面している。ベッドはキングサイズ。海の反対側の壁には鏡があって、寝ていて両方向いても海が見える!
 バラデロ・ゴルフコース。プレイフィーは$60。海を楽しむ。セイリング・ツアー$77。イルカが出てきて一緒に泳ぐ。海の底が見えるところで釣り。簡単に釣れる。カワハギのようなもの。ここでは釣り竿さえない。糸のみで釣れる。
●シエナガ・デ・ザパタ
 バラデロから南へ車で2時間。ここにワニ園がある。クロコダイルが5300頭いるらしい。入場料$3。どこの町にある?「ザナドゥ」レストラン。海の幸キューバ風スープ$5(車海老、ロブスター入り)、海の幸盛り合わせ$25(ロブスター、車海老など、トマトソースをかけたクエ鯛も)。海に沈む夕日がとても綺麗。

●ピナール・デル・リオ
 西へ。有名な葉巻工場。フランシスコ・ドナティエン葉巻工場を訪問。見学コースは$2。Vegueros というブランドで5本入り$10。

●ビニャーレスの谷
 ドライブウェイで40分。岩が縦に長い独特の風景。世界遺産。中国の桂林のような感じ。洞窟も多い。そのうちの「インディオの洞窟」 $3に参加。鍾乳石でできている。1.5キロの深さでコウモリもいた。

●グランド・ケイマン
 ハバナから飛行機で1時間。石垣島より少し小さい島。海がきれい。泊まったのは、Westin Casuarina Resort 可愛い感じ。中庭のプールもこじんまりしている。556号室。明るい。キングツイン。上に扇風機の羽根。オーシャンフロント$395.目の前にコバルトブルーの海、上の方に青い空、下には椰子の木が見える。きれい!
 船でスティング・レイという場所に行く。エイが集まる場所で、イカの切り身を持っているとエイが10匹以上集まってきた。海深1mちょっとくらい。人がいるとエイもどっとよってくるらしい。餌付けツアー$33.最後は可愛いと思うようになるらしい。

●ジョージタウン(ケイマン諸島)
 アクセサリー屋。アイランド・カンパニーズで買い物。ケイマン諸島では、黒珊瑚が有名だが、昔海賊の船が沈んでいるところから取れたコインをアクセサリーとして売っていた。指輪$500、$385など。ブレスレット$2900、証書もあるらしいが、高いんじゃないの?!

 海亀が多い。亀を見にいく。「タートルファーム」入場料$6。甲羅が茶色と黒で、プールもでかい。
 黄金色の夕焼け。レストラン「ザ・ワーフ」で夕食。ハープの演奏。コンク貝のフリッター$6.75、コンク貝のマリネ$6.75をいただく。30cmの貝殻を持ってきた。フエ鯛の香草焼き$19.50は銀鱈のような味らしい。
 9時になると、ターポンという魚が集まってきた。皆これを見るのを楽しみに待っている。集まると餌付けをするが、夜だし、すごく怖い感じ。

 深海潜水艇「ディープ・エクスプローラー」に乗って300m潜る。$450。パイロットを含めて3人しか乗れない。普通の服を着たままいける。すごく寒いらしいし、真っ暗。ウミユリがきれい。どういうのか、ポツンポツンという。上に上がっていくと、極彩色の珊瑚とかが見える。10月末に pirates week があって、海賊ごっこをするらしい。

●サンティアゴ・デ・クーバ
 キューバ第2の都市だが、のどかな町。音楽も盛んで街中で踊っている人がいる。山で囲まれた街で、下町感覚の街である。坂も多い。この日は母の日だった。キューバはお祝いのケーキを食べる。
 球場へ行く。この日は日本でいうと日本シリーズにあたる試合をしていた。地元チームがサヨナラ勝ちし、人が球場になだれ込んだ。そのままこのチームは優勝したらしい。球場内はピーナッツの入った、白い円錐形のものを売っていた。

●ハバナ
 3輪車のタクシーが最近人気らしい。黄色でココナッツに似ているので、ココタクシーと呼ばれ、30分で$8.綺麗な女性が運転していることが多い。「グアンタラメラ」の曲があちこちで流れている。
 郊外のヘミングウェイ博物館。20年間住んでいた家をそのまま保存している。中には入れないが、窓から中が見える。庭には愛犬のお墓。ピラール号という愛した船も置いてある。
 港に帰ってくる船がシイラという魚を積んでいた。この日はヘミングウェイ・カップという釣りの大会の日だった。30ポンドの人が優勝?
 ホテルは Golden Tulip Parque Central でロビーの天井はガラス。昨年できたホテルで、コロニアル風。自然光。スタンダードダブルで$165。今回はスィート$220(743号室?)緑の床と赤のカーテンが基調。ベッドカバーも赤、壁は白、それに木がポイント。窓が大きくてベッドルームからの眺めもいい。中央公園と塔などもきれいに見える。

 旅の終わりにレストランで夕食。La Divina Pastora。ここでベース、ギター、バイオリン、マラカス?、フルートの7名で音楽を演奏してもらう。前菜:車エビのカクテル$6、車エビのガーリックソース煮$15.50(オリーブオイルも入っている)、鯛の塩焼き$16.65。あっさりしているらしい。ラム酒は砂糖キビから作るから?から飲んでもさっと覚めるらしい。

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