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なお、これはわたしが個人的にテレビを見て書いたものであり、各テレビ局や番組とは全く関係はありません。
すべての文章の無断使用・転載を禁止いたします。
またここの情報を使って、何か問題が起こったとしても私は一切責任は持ちませんのであしからず。


テレビ番組「今だから安くて快適!全てコミコミ、30万円で世界一周の旅」

 2010年12月19日放送。3名が関西空港から参加した。丘みつ子(62歳)は世界20カ国あまりの旅行経験を持つ。藤吉久美子(49歳)は、4カ国だが、どんな食べ物や体験でも自信あり。脇知弘(30歳)は3回海外経験だが、体力とどこでも寝られる図太さが自慢。15日間で格安航空会社(LCC)を利用して世界一周をする企画。
 格安航空会社は基本的にネット予約。金額は予約日、搭乗日によって変動する。航空運賃、サーチャージ含む、宿泊費、食費、交通費、観光&体験費を全て含んで30万円。お土産は個人負担。レートは12月10日のレートで計算。テレビ東京製作。

●予定
 1日目、関西空港17:00発⇒台北18:40着。2日目、台北15:55発クアラルンプール(マレーシア)20:35着。3日目22:00発⇒バンガロール(インド)23:30着。5日目、バンガロール4:00発⇒ジャルジャ(アラブ首長国連邦)6:35着。ドバイ泊。6日目、ジャルジャ発10:30⇒アレクサンドリア(エジプト)12:45着。7日目、カイロ発11:35⇒アテネ(ギリシャ)着13:35.アテネ発18:00⇒ミラノ(イタリア)着19:35。ミラノ泊。9日目、ミラノ発8:35⇒フランクフルト(ドイツ)9:55着。10日目、フランクフルト10:15発⇒カンクン(メキシコ)15:10着。12日目、カンクン発11:50⇒ニューヨーク16:32着。14日目、ニューヨーク発12:45⇒成田空港17:00着。

●台北
 ジェットスターで行きました。機内食は有料。台北までは3時間、運賃は16150円(サーチャージ4650円含む)。
 台北は人口261万人。通貨は元で1元=2.76円でした。言語は北京語、福建語、客家語。台湾北部にあるアジア屈指のグローバル都市。日本との時差はマイナス1時間。滞在予定は21時間。
 大有巴士のバスが台北駅まで90元。そこからホテルのある西門までは路線バスを勧められた。307、262、212、237番らしい。262番に乗るが、シーメンティンと言っていたら乗客が降りる場所を教えてくれました。車内放送はありません。
 宿泊は「国光大飯店 Good Ground Hotel 」。女性2人はツインで1人2465円でバスタブもついている。夜11時、西門駅からMRTで雙連駅に向かう。料金は20元で、プラスチックの硬貨のようなチケット。
 寧夏路夜市に行く。60年の歴史を持つ夜市。明け方までやっているお店もあるとか。大腸麺線(モツ入りラーメン)100元(約280円)。「猪肉餡餅」(豚肉入りお焼き)30元(約80円)。鶏唐揚げなどで、一人平均295円でした。
 エビ釣りをする。釣りざお7本で100元(280円)。尻尾から吊り上げるのがコツ。3匹しか釣れなかったので、3匹サービスしてくれて塩で調理して食べました。
 足裏マッサージのお店に行き、10分のコースはないが、無理やりやってもらった。200元(約550円)。

 朝食はホテルの近くで。湯豆漿15元、鮮肉包12元、蛋餅20元、油條で、一人約110円。  中正祈念堂までMRTで20元。朝9時扉が開き、中には蒋介石の像がある。1時間に1度、衛兵の交替式がある。
 MRTで雙連駅に向かう。20元。問屋街の油化街に行く。お土産は自己負担だが、藤吉さんは、乾燥ホタテ2個、花茶5袋、乾燥椎茸で2250元(約6210円)購入。「霞海城隍廟」はたくさんの神様が祀られている場所。イケメンガイドはボランティアで日本語で説明してくれました。義勇公像が旅の安全を守ってくれる神様。
 またMRTで中正祈念堂駅まで行き、小籠包で有名な鼎泰堂に行く。今回は普通の小籠包(10個190元)と贅沢なカニ味噌入り(10個330元)、野菜と豚肉入り蒸し餃子(10個180元)。以上一人約710円。
 リムジンバスで空港へ。90元(約250円)。ここまでの合計4998円で、累計21148円。

●クアラルンプール
 エアー・アジア2673便。かなりの行列で、2時間後にやっとチェックイン。3時間でサーチャージ1696円を含み14951円、合計36099円。
 人口180万人。通貨はリンギット(=26.73円)。言語はマレー語で、マレー半島南部にあるマレーシアの首都。LCC専用ターミナルに午後8時半に到着。台湾との時差はなし。滞在予定時間は25時間30分。
 エアーアジアのリムジンバスで市内へ。9リンギ(約241円)で、チケットは車内でも買えるが、航空チケットをネットで買うときに一緒に買うこともできる。ホテルのあるKLセントラル駅まではバスでおよそ1時間。
 宿泊は「ホテル・セントラル・クアラルンプール」。料金は1人2254円で朝食付き。11時に外にでて食べることにしたが、あまり開いてない。フロントで、モノレールに乗ってブキッピンタン駅で降りるといいと聞いた。モノレールは2.1リン(約56円)。深夜までやっている屋台街「ジャランアロー」がある。マレー料理、中華なども楽しめる。「スパイシー・チキンライス」7リンギ(約190円)。空心菜炒め、10リンギ(約270円)。焼きそば、6リンギ(約160円)。ライス・ポーリッジ(お粥)10リンギ(約270円)。飲み物を入れて、一人平均約410円。

 翌朝、電車でマスジット・ジェメ Masjid Jamek 駅に向かう。1.3リンギ(約35円)。KLセントラル駅から2つ目の駅でした。駅を出たところに身なりの禁止事項が書いてあるが、行った場所で借りることができる。
 モスクが美しい「マスジット・ジャメ」は、クアラルンプールで最も古いイスラム教の寺院。髪を隠して衣服をまとうと中に入れてくれました。通常は信者でないといれてくれないとか。メッカに向かって5回礼拝しました。

 ゾウに無料で乗れる場所があるが、そこにタクシーで行こうとすると、チャーターなら600リンギ(約1.6万円)といわれる。450(1.2万円)まで値切った。日本語ができる運転手でした。まずは「バトゥー・ケーブ」(ヒンドゥー寺院)。高さ43mの像がお出迎え。そこの足元に急な階段が272段ある。途中でサルがいた。遠くに街並みがきれいに見えていました。ここは自然の洞窟がそのまま聖地になっている。マレーシア随一のヒンドゥー教の聖地で、巨大な洞窟であり、奥の寺院には聖者スプラマニアンが祀られている。お布施は1リンギ(約27円)。第3の目に印をつけてもらった。神聖な儀式に参加。目の前で次々と香が焚かれていく。さらに階段を上がると空が見える場所にでた。灯明を捧げてお祈りをした。

 昼食は運転手さんに連れて行ってもらった竹の中にご飯の入っている料理の屋台。「レマン」6リンギ(約160円)は斧で割って出す。もち米をバナナの葉で包み、竹にココナッツミルクを入れて炊いたもの。他には野菜とバナナの天婦羅4個で、1リンギ(約27円)。豆カレー5リンギ(約130円)。一人約370円でした。

 ゾウの保護施設「クアラ・ガンダ・エレファント・サンクチュアリ」に行く。森林開発が進み、行き場を失って人里に降りてきたゾウを保護し、飼育している施設。ゾウに餌を与えることもできます。さらにゾウに3人で乗りました。ワキさんはゾウに川に落とされました。
 タクシーでメダン・トゥアンク地区に連れて行ってもらい、別れた。時刻は午後5時半。庶民的なお店を散策。スカーフを止めるピンが7個で10リンギ(約270円)。

 マスジット・インディア街で夕食。「ロティチャナイ」1リンギ(約27円)はカレーなどにつけて食べるインドのクレープ。「ナシチャンプル」6リンギ(約160円)。「イカンプジャ」9.5リンギ(約250円)は焼いたアジ。「ミースープ」4リンギ(約110円)は麺が入ったスープ。夕食は1人約380円でした。
 リムジンバスは1人9リンギ(約241円)で空港に向かう。以上8069円で、累計44168円。

●バンガロール(インド) Bangalore
 マレーシア航空でインド南部の都市バンガロールに向かう。サーチャージ8003円を含んで21889円。合計66057円。フライトは4時間。
 人口620万人。通貨はルピー(=2.03円)。言語はヒンディー語。インド第3の人口を誇る都市で、カルナータカ州の州都。到着は午後11時半。クアラルンプールとの時差は2時間半。滞在予定時間は28時間30分。リムジンは不便なので、タクシーを利用。市内までは1時間。料金は570ルピー(約1160円)。
 ホテルは「パイヴァイスロイ・ホテル」。455号室で少し匂うらしいが仕方ない。1人3495円、朝食付き。

 タクシーでシヴァジナガル・マーケットに行こうとするが、黄色のタクシーはなかなか止まらないし、言葉を理解してくれないのですぐに去ってしまう。オートリキシャが止まってくれた。運転が怖いそうです。100ルピー(約200円)でした。
 市場に入ると果物が多い。釈迦頭があるが、こちらではアテモヤと呼ばれている。羊の肉もあるし、魚もエビもありました。
 オートリクシャーに乗り、40ルピー(約80円)で、アーユルヴェーダ医院「ウヴァス Uvas 」に行く。アーユルヴェーダは単なるエステではなく、5000年の歴史があるインドの伝統医学。アーユルヴェーダ専門医プリア先生が担当で、1人1時間3500ルピー(約7100円)だという。問診を受けた後、肩のコリを訴えた藤吉さんはシロダーラ?という油を額に落とすもの。熟睡できないという丘さんは蒸気で発汗を促してから、伝統的なマッサージ。1時間後、丘さんは目つきが変化していました。
 ヤシの実からジュースを飲む。15ルピー(約30円)。

 アディガス・ジャイナガールで昼食。カレーを食べている人が多い。ドーサを注文。これは豆と米の粉で作った生地を焼き、カレー味のジャガイモを包んだクレープのようなもの。「マサラドーサ」セットで27ルピー(約55円)。あとは豆とカレーかな?飲み物を入れて、一人約90円。
 オートリクシャーで移動。30ルピー(約60円)。バンガロールで最も古いお寺の一つ、ビッグ・ブルー・テンプル(ブルー寺院)に到着。裸足の人が結構いる。ここはヒンドゥー教の寺院。週末には演奏会や結婚式が行なわれる人気スポット。入る前に裸足になる。寺院の奥には、ミカゲ石で作られた牛の神様「ナンディー」が祀られている。シヴァ神の乗り物を引く聖なる牛です。
 オートリクシャーで移動。40ルピー(約80円)。クリシュナ教という新興宗教のイスコン寺院は夜になると赤、緑などにライトアップされてきれい。クリシュナはヒンドゥー教の中でも人気の愛の神様。60年代にヒッピーたちが広め、ビートルズのジョージ・ハリスンなども信仰していた。左がクリシュナ、右が恋人、しかも人妻。ここではロウソクを回して祈るのが特徴。

 レストランMTRで夕食。ターリという南インドの定食。ライスと野菜を混ぜたもの。食べ放題です。「カレーセット」140ルピー(約280円)。最後にビニールに入った葉っぱが配布された。これは「スイートバーン」といって、食後の胃の消化を助けるもので、香辛料を包んだもの。チューインガムのように噛むそうです。
 以上、9521円、累計75578円。

●ドバイ
 ドバイにはLCCが飛んでいないため、お隣のシャルジャに向かう。午前2時に「エアー・アラビア」のカウンターにチェックイン。バンガロールからはサーチャージ6919円を含み16083円。合計81661円。4時間30分の旅。午前6時35分に到着。
 バンガロールとの時差はマイナス2時間半。滞在予定時間は28時間。ドバイまではタクシーで1時間。途中ラクダなどが砂漠にいました。料金は160ディラハム(約3770円)。
 ドバイは人口226万人。通貨はディラハム(=約23.54円)。言語はアラビア語。アラビア半島にある中東屈指の金融センターで、石油に頼っていない。
 宿泊は「マジェスティック・ホテル」。料金は1泊1人5507円で朝食付き。内装などはかなりいいです。
 タクシーでゴールド・スーク(金の市場)に向かう。30ディラハム(約710円)。金のお店がズラリと並び、金色に輝いています。
 スパイス・スークに歩いていく。丘さんはナツメグ1個5ディラハム(約120円)を購入。藤吉さんはカレーパウダー6個、ナグメグ10個、サフランを300ディラハム(約7060円)にまけてもらいました。

 ドバイの街中を流れる運河を渡る。1ディラハム(約24円)。渡った先はパキスタヤ地区で歴史的保護地区。ここの「ローカルハウス・カフェ&レストラン」で昼食を食べる。「ラクダ・バーガー」35ディラハム(約830円)は、食用に育てられているラクダで、味はシッカリしているとか。
 砂漠ツアーに参加。一人200ディラハム(約4693円)。4WDの車で砂漠を猛スピードで疾走するというもの。タイヤの空気を少し抜きました。かなり怖いらしくて、プライベート・ジェットコースターと言ってました。ラクダに餌をあげて、3時間のツアーが終了。
 世界一高いビル「バージュ・ハリファ」(高さ828m)は今回は行けなかったが、事前予約料金の入場料は100ディラハム(約2350円)。

 夕方、運河?に行くと既に人が集まっている。「ドバイ・ファウンティン」が始まる。ライトアップされた噴水と音楽で楽しみました。ラスベガスをしのぐ世界最大級の噴水ショーだそうです。
 「アルハンダール」で夕食。「ミックスグリル」はラムとチキンで、50ディラハム(約1180円)。これは美味しいそうです。
 横で水ハイプ(シーシャ)を吸っている人がいた。料金は30ディラハム(約700円)。飲み物を加えて1人1650円でした。

 ここまでで、16144円、累計107805円。

●アレクサンドリア
 シャルジャからエジプトに向かう飛行機が2時間遅延しました。4時間の旅で、サーチャージ4697円を含み、9279円。累計117084円。
 ドバイとの時差マイナス2時間。滞在予定時間は20時間。空港からアレクサンドリア駅までタクシーを利用。55エジプトポンド(以下EP)(約790円)。

●カイロ
 急行列車で3時間。一人35EP(約500円)。
 人口1100万人。通貨はエジプトポンド(=約14.41円)。言語はアラビア語。エジプトの首都で、ナイル河畔の交通の要所。地中海の香りと東洋の魅力がミックスした町。
 カイロからピラミッドまで1時間。到着すると暗くなっていました。しかし、ピラミッド・ナイトショーというのを発見し、行ってみることにした。スフィンクスと周辺がライトアップされ、音楽が流れていました。「ピラミッド光と音のショー」一人75EP(約1080円)。この日はフランス語でしたが、毎週木曜日には日本語で見ることができます。

 カイロ市内の「アルガファリ・コシャリ」で夕食を食べる。この店の名物「コシャリ」は、7EP(約100円)で、米、パスタ、ヒヨコ豆などを盛り合わせ、揚げたタマネギをのせ、トマトソースをかけていただくエジプト庶民の味。夕食はこれと飲み物で一人170円。

 宿泊は「ファラオドッキ・ホテル」。ツインなのに何故かベッドが3つ。1人2779円で朝食付き。
 ホテルからカイロ空港へはタクシーを利用。40EP(約580円)。藤吉さんは明るいうちにピラミッドを見たいと言ったが拒否されました。

 以上、5281円、累計122365円。

●ミラノ
 エージアン・エアーでアテネ経由で飛ぶ。機内食がでたので、1食浮きました。さらにミラノまでもエージアン・エアーだったので、もう1食節約できました。サーチャージ8673円を含めて18141円。累計140506円。
 ミラノは人口130万人。通貨はユーロ(=約112.42円)。言語はイタリア語。イタリア・ファッションの発信地で、ロンバルディア州の州都。マルペンサ空港に午後7時50分に到着。
 カイロとの時差マイナス1時間。滞在予定時間は37時間。市内の中央駅まではシャトル・バスで1時間、7.5ユーロ(約840円)。
 中央駅からホテルまではタクシーで12ユーロ(約1350円)。
 宿泊は、「フローレンス・ホテル・ミラノ」で、1人3712円で朝食付き、2泊します。

 翌朝、地下鉄ロレート Loreto 駅からドゥオーモに向かう。1日乗り放題券が3ユーロ(約340円)。赤い路線のM1に乗る。駅をでると目の前にドゥオーモがある。雨でも多くの観光客で賑わっている。1386年に着工してから500年かけて完成した。これはミラノのシンボルで、イタリア最大のゴシック様式の大聖堂。ドゥオーモの中はテレビの撮影ができないので、藤吉さんがカメラで撮影した。ステンドグラスが美しい。この日は日曜日で礼拝が行われていました。
 広場の北にあるガッレリアに行く。
 散策した後に「カフェ・デルオペラ」に入る。ジェラート(ピスタチオ)1.5ユーロ(約170円)。クロワッサン4ユーロ(約450円)。屋台?の焼き栗を3ユーロで購入。
 「サンタマリア・デッレ・グラッツィエ教会」に行く。2週間前に予約しないと見られませんというようなことが書いてあり、見ることができませんでした。仕方なく、絵ハガキで我慢。
 仕方なく、かつて運河があった場所に行ってみた。ナヴィリオ運河は、冬は水門を閉めてしまうので、水がほとんどなくなっていました。
 運河沿いに見つけたのは、デザイナーズ・ショップ。キットになっていて、素材を買った方が安い。かつミシンが置いてあるので、二人は購入して自分で縫っていました。1時間半後に完成。ハンドメイド・バッグは2個で70ユーロ(約7870円)。

 夕食はトラムのレストラン。一人65ユーロ(約7310円)。前菜は各々「サーモンのマリネと大根サラダ」、「フェタチーズとオリーブのトマトサラダ」、「チーズとベーコンのバルサミコソース添え」。これにシャンパンがつきました。メインは「アンチョビ・トマトソースのカジキマグロ三角パスタ」、「バジルソースのラザニアグラタン」、「バジルソースのラザニア・グラタン肉入り」。

 以上、20558円で、累計は161059円。

●フランクフルト
 ミラノ・ベルガモ空港から朝8時半のフライトなので、朝6時半に到着。ライアン・エアーで飛ぶ。サーチャージなし+538円+委託手荷物代など4497円で合計166094円。1時間半の飛行時間。
 人口67万人、通貨はユーロ、言語はドイツ語。ベルリンに次ぐ第2の都市で、ドイツの鉄道・金融の中心地。到着したのはフランクフルト・ハーン空港で、LCC専用の空港。ミラノとの時差はなし。滞在予定時間は23時間。リムジンバスはフランクフルト中央駅まで12ユーロ(約1350円)で航空運賃よりも高い。時間は2時間かかる。

 宿泊はホテル「エクセルシオール」で、午後1時にチェックイン。1人3630円で朝食付き。小さいながらバスタブがついている。夕食まで休憩。
 夕食はレストラン「アーシェル Atschel」(住所:Wallstrasse 7, 60594 Frankfurt)。お勧めを聞いたらわからないので、ウンウンと言っていたら、すごいのがでてきた。「グリルドハクセン(ナックルという豚の足?)」9.6ユーロ(約1080円)。ビーフソーセージ、フランクフルトソーセージの「フランクフルター・ベストシェン(キャベツの漬物の上にのったソーセージの盛り合わせ)」7.8ユーロ(約880円)。「グリーネソーセサラード(茹でたジャガイモのグリーンソース・サラダ)」7.6ユーロ(約850円)。飲み物をつけて、夕食は1人1610円。

 以上、7610円で、累計は173704円。

●カンクン
 コンドール航空で飛ぶ。サーチャージ10006円を含めて、41481円。累計は215185円。飛行時間は12時間。機内食は無料。
 人口57万人。通貨はペソ(=約7.73円)。言語はスペイン語。メキシコ南東部、カリブ海沿岸の一大リゾート。午後3時過ぎに到着。
 フランクフルトとの時差はマイナス7時間。滞在予定時間は45時間30分。ホテルまでのタクシー料金は1人15ドル(約1270円)。雲っているのに海は本当にきれいな青でした。
 宿泊は「カンクン・マヤフェアー・デザイン・ホテル」。元はショッピング・モールだったが閉店したので、安くホテルに改装したもの。入口のドアの横の壁はスリガラスだし、中は広いがトイレの扉はない。店の名前もそのまま残してある。宿泊費は1人1980円。

 夕食は向かいの高級ホテルにある有名レストラン「ラホーヤ」に行く。日本語のメニューもあるが、高い。サラダだけで1000円以上する。ただバナナとパンは無料で食べ放題なので、1品ずつ注文する。丘さんはシーザーサラダ135ペソ(約1040円)、脇さんは黒豆スープ130ペソ(約1010円)、藤吉さんはアーティーチョーク・サラダ135ペソ(約1040円)。このお店の呼び物は食事をしながらのショータイム。ショーチャージは一人5ドル。本場のマリアッチも目の前で演奏してくれる。ベサメ・ムーチョを歌った人の声に感動して藤吉さんはメロメロ。夕食は一人あたり約2295円。

 翌朝、カンクンから南に100kmのマヤの遺跡に向かう。バス料金はTulum まで86ペソ(約668円)。タコスを朝食にいただいた。20ペソ(約155円)。飲み物が約55円。
 トゥルムまではバスで1時間半。トゥルム遺跡入場料は1人51ペソ(約394円)。森の中に遺跡があるが、スペイン人はこの城壁を見て、この地に上陸したという。横には海があり、青色の見事がグラデーション。
 イグアナもいました。またバスでカンクンに帰る。86ペソ。

 カンクンでマリン・スポーツをしてみる。今回はパラセーリングで1人55ドルで2人。空から素晴らしい景色が見えました。海の色の変化もありました。
 夕陽が沈むのを見ながら食事をしたいというので、「ミスターパパ」に入る。テリヤキチキンがあるが、あきらめて、「ミスターパパ特製ベイクトポテト」89ペソ(約690円)、お酒のダメな脇さんはマンゴジュース、女性はラム・ベースのお酒。

 以上、14364円で、累計229549円。

●ニューヨーク
 ジェットブルーで飛びました。サーチャージ4766円込みで14617円。累計244166円。飛行機で3時間の旅。
 人口830万人。通貨はドル。言語は英語。ビッグ・アップルの愛称で知られ、アメリカ最大の都市。カンクンとの時差はプラス1時間。最大滞在時間は44時間で、JFK空港に到着したのは夕方。  シャトル・バンでホテルに向かう。料金は11.36ドル(約960円)。
宿泊はマンハッタンの外。今回はクイーンズの「クオリティーイン・ウッドサイド」。一人7121円、朝食付き。
 地下鉄で移動。料金は2ドルで、クイーンズの52ストリート駅からマンハッタンの103ストリート駅へ。ブロードウェイのジャズクラブ「スモーク」。ここはミニマム・チャージ40ドルなので、「バッファロー・チキン・ウィングス」$14、「パフパストリーピザ」12ドル、「ワイルド・マッシュルーム・ラビオリ」12ドルと飲み物を注文。音楽を楽しみました。

 翌朝は地下鉄1日券を8.25ドルで購入した。ユニオン・スクエアに行って、そこの朝市の有機野菜を見る。ニューヨークはリンゴの産地でもある。FUJIもありました。アップルサイダーは1.5ドル。
 「ル・パーカー・メリディアン・ホテル」に行く。このホテルの中に有名なハンバーガー屋さん「バーガー・ジョイント」がある。メニューはハンバーガーと「チーズバーガー」7.35ドルだけ。あとフレンチフライと飲み物で一人1130円。

 無料で自由の女神を見に行く。まず地下鉄でバッテリーパークに行く。「スタッテン・アイランド・フェリー」に乗る。これが無料。自由の女神の近くを通過します。確か帰りに25セント必要なはず。
 ブルックリン橋プロムナードに行って、夜景を見る。

 以上21905円。累計は?円。最後のニューヨーク、成田間はデルタ航空の格安航空券62401円を予約していた。サーチャージ14407円を含む。これが13時間の旅。
 今回の合計は328472円となり、若干越えてしまいました。


テレビ番組「THE 世界遺産 マヤ文明の古代都市パレンケ」

 2010年12月5日放送。マヤ文明は6世紀頃に成立した。チチェンイツァなどのピラミッドが有名。その内部には独特なマヤ文字が記載されていた。しかしどうしても王の墓が見つかっていなかった。

●パレンケ
 中心部はかつての繁栄を想像させる。高さ25mのピラミッドが建っている。目を見張るのが宮殿の独創的なデザイン。天体観測台とも見張りの塔とも言われる。壁に歴史を記した絵がある。
 パカル王は615年に12歳で即位し、80歳で他界するまでパレンケを支配した。この時代に美しい宮殿が造られた。マヤ・アーツと呼ばれる三角の天井は広い空間を作る。1300年以上前にここには水洗トイレもあった。床の下に水路を張り巡らせ、トイレの水をひいていた。太陽神の香炉がある。今から60年ほど前に世紀の大発見があった。1949年、メキシコ人考古学者が神殿の床に動く石があることを見つけ、中から地下階段が現われた。ピラミッド上の神殿から地下25mの場所にヒスイで飾られた王が横たわっていた。その後、ティカルのピラミッドにも、他の遺跡にも墓が発見された。コパンはヒスイなどの交易で栄えた都市国家だった。
 王が飛行機のパイロットのように描かれている絵も見つかったが、これは地下に向かう姿だとわかった。
 トウモロコシの神に扮するパカル王が描かれている。王の歯はTの字に削られていた。王宮の壁にもTの文字があった。風の神にはTの文字が刻まれていた。つまりTは風のシンボルだった。150km離れた場所にある村。彼らはトウモロコシで生活している。8年間作ると別の場所に移動していく。

 パレンケのお土産は「マヤ暦のペンダント」。誕生日を教えるとそれに合うものを渡してくれる。マヤの暦は2種類。260日周期の神聖暦と、365日周期の太陽暦。日本の干支のように組み合わせて使っていた。ペンダントに使われているのは太陽暦。誕生日を1ヶ月20日間のマヤ暦にあてはめてくれる。1月1日〜20日はポープ(1番目の月)。16番目の月「パシュ」は10月28日〜11月16日。カラフルで可愛い陶器のペンダントは観光客に人気。1つ10ペソ(約65円)。

 石造りのピラミッドには漆喰が塗られていた。バナンパックは極彩色の色が残っている。8世紀末のもので、楽団が演奏し、戦に向かう戦士を鼓舞している姿が描かれている。
 パカル王の隣に小さなピラミッドがある。その神殿13号で壁の向こうに棺と思われる石の箱が1994年に見つかった。蓋を開けると、真っ赤に染められた人骨が現われた。赤い女王の仮面があり、パカル王の王妃と考えられ、「赤い女王」と呼ばれる。考古学者のマルタ・クエバス・ガルシアさんは、マヤの人は人は死んでも魂は残ると考えていたと語る。
 最近、もう一つ注目すべき墓が見つかった。墓の内部には赤い部屋があり、パカル王の時代よりも古いこともわかった。


テレビ番組「世界!弾丸トラベラー IMALU さんでメキシコのカンクン」

 2010年11月6日放送。IMALUさん(21歳)は明石家さんま、大竹しのぶの娘、2009年モデル・デビューを機に芸能界入り。世界遺産チチェン・イツェはマヤ文明の聖地として築かれた建造物で、パワースポットとして人気の遺跡。ここでパワーをもらう旅。アエロメヒコ航空AM57便でメキシコシティ経由で、日本から約15時間の旅。

●予定
 1日目、15:25、成田国際空港発AM57便で、12時間55分の空の旅。17:35、メキシコ・シティ国際空港発、2時間の空の旅。19:35、カンクン国際空港着。タクシーで移動。20;30、「ラ・イスラ・ショッピング・ヴィレッジ」でガイドと待ち合わせ。20:45、ショッピング。22;00、メキシカン・レストラン「ラ・パリージャ」でディナー。23:30、「ル・ブラン・スパ・リゾート」にチェックイン
 2日目、8:30、ホテル出発。10;30、世界一透明な泉「グラン・セノーテ」。12:00、移動。14;00、世界遺産「チチェン・イツァ」を見学。16;30、空港へ移動。19;40、メリダ空港発。23:20、メキシコ・シティ国際空港発、17時間25分の空の旅。
 4日目、6:45、成田空港着。

●カンクン
 「ラ・イスラ・ショッピング・ヴィレッジ」までタクシー。きれいな場所で水が流れている。
 ガイドはフェルナンドさん(46歳)で、以前日本に住んでいて、奥さんは日本人。銀製品のお店「ミレニアム」に入る。ブレスレットは、760ペソ(約4800円)を購入。
 カンクン最大のお土産物屋さん「プラザ・ラ・フィエスタ Plaza la Fiesta 」には、メキシコ雑貨がずらり。グラス、ミニ帽子4個、お皿、お皿で合計8点で570ペソ(約3700円)。

 ディナーは、メキシカン・レストラン「ラ・パリージャ」。テキーラ「カサドーレス」をいただく。正しいテキーラの飲み方を教えてもらった。まず、左手の親指のつけねにライムを絞り、塩をかけ、なめてからテキーラを飲む。メミートさんが頭の上に4つのグラスをのせて登場。お酒を運ぶパフォーマンスが人気のウェイターです。メインは「豚肉のタコス(6個)」110ペソ(約720円)で、ケバブのようなお肉を削り、タコスにのせたもの。食事中にマリアッチの楽団が乱入。「♪グアダラハラ」を演奏。そしてテキーラ・タイム。「Arriba!(上に)」、「Abajo!(下に)」、「Al centro! (真中に)」で台を2回ドンドン叩いてから、「Para dentro! (体の中に)」と誘う。飲んだら、口をタオルで押さえて、顔を横にシェイクしました。みんなで輪になって踊りました。
 宿泊は、「ル・ブラン・スパ・リゾート Le blanc spa resort 」で、オール・インクルーシブ。宿泊代は583ドル〜で、レストランの食事代など様々なサービスが料金に含まれている。

 2日目、セノーテに行く。ここは本当に透明で、世界一だとガイドは言っていました。石灰岩質で濾過された雨水が溜まった天然の泉。世界一の透明度(約100m)を誇る。洞窟があり、中に入ってみたら、鍾乳洞がある。神々しい光の光線がある。

 チチェン・イツァに行く。「エル・カスティージョ」は、9世紀、マヤ文明時代に造られた全能の神を祀る神殿で、全体で365段の階段があり、太陽暦の1年を表している。正面のある場所から拍手をすると、音が返ってきた!古代マヤ族は投じから音響の知識があり、ピラミッドからの反響を計算して設計したといわれている。こうしてお祈りしてエネルギーをもらうそうです。ピラミッドから反響する音は、マヤ族が古代より崇める神様の蛇「ククルカン」の声と言われている。


テレビ番組「THE 世界遺産 メキシコシティーの歴史地区とソチミルコ」

 2010年8月8日放送。

●メキシコシティ
 5000m級の山々に囲まれた盆地にあり、碁盤の目のように広がるメキシコシティ。現在の人口は2000万人で、スペインの植民地として発展したが、かつては湖に浮かぶ島だった。15世紀、ここにアステカ王国が築かれた。メキシコシティの地下に人口30万人の古代都市が眠っていた。発見されたのは、高さ45mの神殿ピラミッド。水に浮かぶ農園があった。アステカ人が見つけたエコ農法があった。

 憲法広場の周りには、大統領官邸や庁舎などが集まっている。通りには、建物に埋もれた彫刻が目につく。広場に面した大聖堂はアメイカ大陸で最も歴史があるもの。この教会の地下から500年前の廃墟が発見された。教会裏手の階段を下り、さらに奥に進むと、古い石垣があった。そこには太陽を表わすアステカの紋様が描かれていた。電力会社が地下ケーブルの工事を行なっていた30年前、大聖堂の近くで見つかったのが最初。直径4mのアステカの石盤には、アステカの「月の女神」が描かれていた。とても重要な神だったので、神殿に置かれたものではないかと推測された。円盤のまわりで発掘が始まり、4年後に見つかったのは、大きな神殿ピラミッドの跡。大神殿を意味する「テンプロ・マイヨール」と命名された。他にも「臓器をぶら下げた死神」、「ワシの衣装をまとった戦士」、「頭蓋骨で作ったマスク」なども出土した。
 遺跡に刻まれた大きなヘビが発見され、ここが神殿であると確認された。7回にわたって増改築されたこともわかった。1辺82m、高さ45m、一番上に2つの神が祀られていた。太陽の神と雨の神。大聖堂の壁にアステカ建国の由来が掲げられている。神のお告げ「サボテンに止まったワシのいる場所に居を構えよ」。アステカ人は長い旅にでて、1325年、この地でお告げの光景に出会い、神殿を作り、都を建設した。メキシコシティの中心は湖に浮かぶ島だった。アステカ人は島にテノチティトランという水上都市を築いた。しかも鉄の道具を使わずに石器だけで作った。

 メキシコではアステカ以前に優れた都市文明が生まれていた。紀元前5世紀に山の頂上を切り開いて作られた「モンテ=アルバン」は、最盛期には人口2.5万人にもなった。地下の墓からは、金の装飾品が発掘されている。
 チチェンイツァはマヤ文明の中心的な都市だった。巨大な建築物は王の権力を正当化するためのシンボルだった。春分の日には、神殿ピラミッドにヘビの姿が現れた。ピラミッド自体がいわばカレンダーだった。
 テオティワカンは66世紀最大の都市。高さ64mのピラミッド。神殿や住居が全長3kmあまりの大通りを中心に整然と配置されていた。これを石の道具と人力だけで築いた。
 アステカはこれらの古代文明を集大成した。

●ソチミルコ
 メキシコシティから南へ20kmの水郷の町。ここにはアステカの生きた遺跡が残されている。王国の時代から、トウモロコシ、カボチャ、豆などの農作物が作られていた。水路を使って王の都テムチチトラン?に運ばれた。

 アステカ王国時代に湖を畑にした。湖の一角を杭で囲い、盛り土のような畑チナンパを作った。土が流れないように、まわりには木を植えた。今チナンパが残っているのはソチミルコだけ。泥を汲み上げる作業は続いている。底の泥には多くの養分が含まれている。泥を定時的にすくい上げることによって畑に栄養がいく。これで収穫が2倍以上になる。ヘナロ・チャベスさんは永久にこの畑を手放さないという。

 この時期、ソチミルコはマリーゴールドの黄色に染まる。毎年「死者の日」にあわせて花が開き、メキシコ各地に運ばれる。

●メキシコシティ
 アステカ王国では生け贄が捧げられることがあった。テンプロマヨールの頂上にあるチャックモール?と呼ばれる像。神官は生け贄の胸を生きたまま切り裂き、石のナイフで心臓を取り出し、チャックモールの上に置く。生け贄は戦争で囚われた捕虜だった。生け贄に生首が、ガイコツが彫られた台の上に並べられることもあった。
 18世紀に発見された石の円盤「太陽の暦石」がある。これにはアステカの運命を知らせる5つの太陽が描かれていた。彼らの神話では、太陽は4回滅んだ。この世は5番目の太陽の時代で、いつか滅ぶ運命にあるという。空に上る太陽に力を与えるには、生け贄を捧げなければならない。滅亡の時を少しでも先に延ばそうとした。
 アステカ王国は次々と戦争をしかけ、16世紀始めには、メキシコ湾岸から太平洋側まで広大な土地を支配した。1519年、500人のスペイン兵が都テモジキトランに乗り込んだ。アステカ9代目の王は彼らを宮殿に迎えた。スペイン人はアステカと敵対する周囲の先住民を味方につけて、2年でアステカ王国を滅ぼした。そして人々にキリスト教への改宗を迫った。スペイン人は大神殿を破壊し、わざとその上に教会や大聖堂を建てていった。そして湖を埋め立てて、新しいスペインを作った。

 1821年にメキシコはスペインから独立した。国旗にはアステカ建国のシンボルが描かれた。
 食の世界でもアステカは生きている。神々の食べ物と呼ばれたカカオや、青唐辛子。アステカ料理も数々ある。憲法広場を見下ろすレストラン「PURO CORAZON」で、名物は少し酸味のある黒いスープ。原料はトウモロコシに生える黒いカビ。抗生物質の成分が含まれているため、体が弱った時に食べるとか。

 毎年11月1日と2日、アステカの信仰が蘇る。年に1度の「死者の日」。町のいたるところに飾られているのはガイコツ。人は死ぬので、ガイコツを怖れることはないという。
 郊外の墓地、メキシコ人はマリーゴールドの花を持ってお墓参りにする。アステカ王国の時代には、収穫を祝い、お供え物や花で先祖の霊を迎える行事だった。
 メキシコを征服したスペイン人は、アステカを隠したが、人々はキリスト教を取り入れながら、ひそかに伝統を守った。夜、一斉に火が灯される。死者が舞い降りる時に、自分の墓がわかるように。みんな墓の周りで死者の霊を祀る。アステカは心の中で生きていた。
 2006年さらに発見があった。石に彫られた大地の女神。1辺が4mもあり、これまでで最大のもの。


テレビ番組「THE 世界遺産 バハカリフォルニア、エルビスカイノのクジラ保護区」

 2010年7月4日放送。エクトル・トレドレサ

●バハカリフォルニア
 メキシコのバハカリフォルニアには、コククジラが2000頭も毎年12月にやってきて、入り江で冬を過ごす。ビスカイノ湾は亜熱帯。ここで出産と子育てをする。コククジラにとって世界最大の繁殖地。
 ガイドのレベッカ・コベルコスキーさんは15年以上、この海を見てきた。北太平洋の水鳥の3割がこの地で冬を越す。コククジラは灰色の大きな体で、体重は30トンもある。人が呼ぶ声を聞いてコククジラが近づいてくるという。そしてコククジラが近づいてきました。海の中で人の声がよく聞こえ、気になると自分から近づくという。その時大きなヒレに手で触れることもできる。ここでは触れ合うことは認められている。
 アフリカにクジラの遠い親戚がいる。カバとクジラの祖先が同じだと遺伝子の研究でわかった。昔はクジラの鼻も口先にあった。潮を吹く孔が以前のクジラの鼻だった。泳ぎながら呼吸がしやすいように、頭の上にずらした。
 海から頭を突き出しているコククジラがいる。これで海の上にいる人間を見ているという。体長14mでジャンプもする。
 コククジラは夏はエサの豊富なベーリング海で過ごし、冬はエルビスカイノで過ごす。往復2万キロで、哺乳類としては最長の回遊距離。
 エルビスカイノの入り江は波がおだやかで、遠浅。安全に出産し子育てをするには最高の条件。
 コククジラが昼寝をしていた。
 入り江は外海と比較して塩分濃度が1%程度高い。この地方は雨がほとんど降らない。風も強いので、水分も蒸発しやすく、塩分濃度が高くなっている。またエル・ビスカイノ湾域では、塩作りが盛んで、「ゲレロネグロ塩田」が現地にある。年間700万トンもの塩も生産している。日本が輸入する塩の半分はここから来ている。塩田の面積は東京23区と同じくらい。2年がかりで塩の結晶としている。海水を深さ60cmほど貯めた塩田は、鳥たちにとって小魚を取るのに適した場所。塩田が鳥たちの楽園を蘇らせた。
 塩分が多いので、泳ぎが未熟の赤ちゃんクジラに浮力を与えている。クジラは歯を持つか、ヒゲを持つかで大きく2つに分けられる。
 歯クジラはマッコウクジラ、シャチ、イルカなど71種類。ヒゲクジラはザトウクジラやコククジラなど14種類。ヒゲクジラには歯はないが、薄い板状のヒゲを持つ。コククジラは海の底を砂ごと口の中に入れ、エサを食べ、砂などをヒゲの間から吐き出す。

 バハカリフォルニア半島の内陸・サンフランシスコ山地は標高2000m級の山が連なる。そこの渓谷に点在する洞窟からおよそ250点の岩絵が発見された。紀元前12世紀から2000年以上に渡って、原住民が描き続けた。「ピンターダ洞窟」にある岩絵にクジラの姿が見られる。「ピンターダ洞窟」の岩絵は世界遺産「シエラ・デ・サンフランシスコの岩絵群」となっている。

 ここではホエール・ウォッチングが盛ん。 19世紀半ば、イギリスの捕鯨船がこの入り江に迷い込み、偶然コククジラを発見した。それから乱獲が始まった。北太平洋に2万頭以上いたコククジラは数百頭にまで減った。丈夫なヒゲは女性用コルセットの材料として求められた。子供までも殺したので、母は怒り、船に体当たりした。そんな姿からコククジラは「悪魔の魚」と呼ばれた。20世紀になり、この場所から保護活動が始まり、コククジラはやっと元の数まで回復してきた。


テレビ番組「にじいろジーン 地球まるごと見聞録 カンクン」

 2010年5月15日放送。コンチネンタル航空でヒューストン経由でいきました。

●カンクン
 メキシコが誇るリゾート。コバルトブルーのカリブ海とラグーンにはさまれ、20kmにわたって大型リゾートホテルが並ぶ。世界で一番美しいと言われる純白のビーチ。世界中から観光客が訪れ、陽気なメキシカンが迎えてくれる。
 セントロでのレストラン?では飲み物を頭の上に4つ重ねてのせた人もいました。
 にじいろガイドはエレナ・アラヤノさん(22歳)。ドルフィン・ビーチなどの真っ白な砂浜は砕けたサンゴの粒からできている。熱くなりにくいから日中でもはだしで歩ける。

 食堂?「ラ・パリージャ」に行く。先住民とスペインの影響を受けて独特の文化を築いたメキシコ。主食はトウモロコシを練って焼いたトルティージャ。焼いた牛肉を細かくカットして、トルティージャで巻けば、定番の「ブリトー」約650円の完成。油で揚げたトルティージャをチップス状にして細かく刻み、アボカドと共にカップの中に入れ、トマトベースのスープをかけた「ツパ・デ・アステカ」約350円。牛肉や豚肉を上にのせて食べる「タコス」約980円は、味の決め手となるのが、ソースの「サルサ」。アボカドベースのマイルドなものから、スパイシーなものまである。サルサの味はメキシコでチレと呼ばれる唐辛子によって決まる。「ハバネロ」は世界一辛いから要注意。「サルサ・デ・チレ・ハバネロ」は激辛。辛味を和らげる時は塩をなめるといいそうです。

 「ベインテオーチョ市場」で買い物。民族衣装をはじめ、メキシコならではのカラフルな品物が並ぶ。中でも人気なのが、メキシコ中西部の山岳地帯に住むウィチョル族が作る「ウィチョル・ビーズ」という鮮やかなビーズ・アート。さらにネックレスやピアスなどのアクセサリーもあって、とても可愛い。
 新たなファッションブランド「ピネダ・コヴァリン PINEDA COVALIN 」が注目されている。伝統的な柄をモチーフにしたいろいろなアイテムがズラリ。個性的でカラフルなデザインはまさにメキシコならでは。
 変わったアイテムのお店「デル・ソル Del Sol 」に行く。お店の中では2色だったのに、太陽に当たるとカラーになるTシャツなどがある。紫外線に反応し、色が変化する仕組み。

 レジャー・スポットの紹介。カンクン周辺に数多く点在する「シカレ」は入場料約500円で、様々な動物と触れ合える。カラフルなインコもいました。イルカの飼育技術の高さで世界的に有名で、一緒に泳げるプログラム「ドルフィン・スイム」は1時間約1.5万円。イルカがキスもしてくれます。足裏を押してくれるのもある。
 ここではメキシコの様々な文化も学ぶことができる。男達が高い棒に登って演技するのは、「ボラドーレス」。メキシコのベラクルス地方で1400年に渡って行なわれている儀式。30mの高さからロープだけを足に巻きつけて回転する。

 マヤ文明の時代から続く伝統の儀式に参加。厳粛な雰囲気の中で不思議なカマクラみたいな洞窟「テマスカル」1時間約4000円に入る。かつては心と体を清める神聖な儀式として行なわれていた。熱した火山岩の上に薬草入りの水をかけ、熱い蒸気を室内に充満させる。「さぁ、生まれ変わりましょう」と言われた。数十分ででてきて、水?をかけてもらう。デトックス効果が抜群のサウナです。仕上げは水に飛び込んでクールダウン。

 お勧めのホテルは、カンクンに近いリビエラ・マヤに位置する「マローマ・リゾート&スパ」。目の前に純白のプライベート・ビーチが広がる。ヴィラ形式?の66部屋のリゾートホテル。シアン・ナ・スイートは170平方mで、トレーニング・ルーム、浴室、寝室、リブングからなる。インテリアは全て手作り。テラスにはハンモックもある。オプションとして、希望すればビーチでロマンティック・ディナーもある。宿泊料金は1泊1.8万ペソ(約12.5万円)。

●チチェン・イツァ
 中心地から車で2時間半。古代マヤ文明の遺跡。メキシコ南東部を中心に紀元前から10世紀頃まで栄えた文明の壮大な建造物を見ることができる。中でも圧巻なのは、ピラミッド型の神殿「エル・カスティージョ」。それぞれ4方向にある91段の階段に頂上の1段を加えると、365段になる。
 入場料は大人約800円、12歳以下は無料。まだ解明されていない点も多く、半年前から新たな発掘作業が始まっている。
 最も大事な役割を担っていたのが、セノーテ。石灰岩の穴に地下水がたまった泉で、「雨神チャック」が住むといわれている。日照りの時は貢物を投げ入れたという。
 遺跡に近い「イク・キル」という場所に行く。ここでは天然のセノーテで泳ぐことができる。石灰岩の隙間からは、地下水が湧き出ている。


テレビ番組「世界の果てまでイッテQ! 床屋さんでおまかせ」

 2009年10月4日放送、2010年1月16日再放送。世界の床屋さんでおまかせで頼むとどうなるの?日本テレビ製作。

●メキシコのカンクン
 身長157cmのディレクターの長田昌之さん(37歳)。お店はカンクンで一番の人気店「ジャデリ Jadelle 」。サイドを刈り上げました。


テレビ番組「世界の果てまでイッテQ! 森三中の温泉同好会スペシャル メキシコ」

 2009年10月4日放送、2010年1月16日再放送。メキシコには200種類以上の唐辛子がある。温泉と唐辛子を体験する。日本テレビ製作。

●カンクン
 気温は36度。メキシコは気温が高く、生の食品は腐りやすい。そのために殺菌効果のある唐辛子を大量に使う。案内人はレネさん。まず体重測定で、村上60kg、黒沢72kg、大島82kgだった。
 死ぬほど辛いのはハバネロ。その料理を食べる。野菜のようにみじん切りし、油で炒めたら、極上の豚肉とあわせ、ハバネロから取った激辛スープをかけた「豚肉のハバネロ・ソース煮込み」。デザートは「マンゴー with ハバネロ」。メキシコではフルーツに唐辛子をかけるのは一般的。

●シカレ
 イルカと泳ぐことができる。3人のまわりを回ったり、一緒に踊ったり、足の裏を2頭が押して、水面上に立たせてくれたり、3人を飛び越えたりしました。結局、体力を消耗しているのはイルカだけでした。

●イダルゴ州
 山岳地帯に温泉がある。生のイモムシが高級食材という。レモンを絞り、塩をかけて朝食に食べました。味はないそうです。
 ロバに乗って1時間で川が温泉になっている場所に到着。とっておきの場所は洞窟の中で、天然うたせ湯がある。温度は38度で、ゆっくりつかれます。しかし川は流れが早いので、ご用心。
 マヤ族のお宅に泊まる。夕食は「牛ひき肉のハバネロ煮込み」。ドーム型のマヤ族のサウナも体験。
 結果として3人の体重は増えた。そういえば、メキシコの人は太っている人が多い。


テレビ番組「THE 世界遺産 マヤ・スペシャル」

 2009年11月29日放送。5つの古代都市からマヤ文明を解き明かす。

●マヤ文明
 16世紀、この地を征服したスペイン人がジャングルの奥深くで驚くべき遺跡を発見した。マヤ文明は紀元前6世紀に始まり、2000年以上に渡って繁栄した。彼らは石の道具と人の力だけで、洗練された文明を築いた。彼らの文字は美しく、とてもユニークだった。同時にゼロを発見し、数学を高度に発展させた。天文台を持ち、優れた観測技術を手にした。そして、正確な暦が最後の日を導いた。
 2012年12月21日、マヤの暦は最後の時を刻む。この日は、5126年の歴史の中で初めて暦が一巡する、いわば区切りの日。

 マヤ文明は統一した国は存在せず、多い時は70もの都市国家がゆるやかにつながり、文化を共有していた。様々な環境に対して、地方色豊かな都市を作った。
 北部には天文学を極めたチチェン・イツァ。聖なる山を築いたウシュマル。密林が覆う中部には摩天楼が聳えるティカル。美しい芸術の都パレンケ。南部には渓谷の辺で繁栄したコパン。マヤ文明とは何か?5つのキーワードで解く。

 マヤの人々は鉄の道具を使わなかった。石の道具だけで摩天楼を作った。当時の都市は赤く彩られていた。
 小川の辺に作られた都市パレンケは、マヤ文明の中で屈指の美しさを誇る。そこのピラミッド。王は華やかに着飾って崖のような階段を登った。そこで王は儀式を行なった。時には自らを傷つけ、その血を神に捧げた。神殿の床に地下に向かう階段があった。そこに石の棺があり、赤い死体が横たわっていた。ヒスイの首飾りとヒスイの仮面に飾られたパカル王だった。巨大なピラミッドは偉大なる王を葬る墓でもあった。
 さらに、ユカタン半島の北部のウシュマルでは、平らな屋根を持つ宮殿と壁に施された彫刻で知られている。一際目をひくのが、魔術師の名を持つピラミッド。その壁面には長い鼻と大きな目を持つ山の神。ピラミッドが聖なる山として築かれた証しだった。マヤでは天と地を結ぶ舞台でもあった。
 もう一つ権力の象徴が残されている。マヤ南東部のコパンは、3万点を越える浮き彫りや王をかたどった石碑で知られている。そこにコパン細大の宝が眠っていた。8世紀中ごろに建造された「神聖文字の階段」。マヤで最も長い2200以上の文字が書かれ、コパン王朝の栄光を語っていた。現在6割が解読されている。1990年、ピラミッドの奥底で太陽神の壁が現れた。近くの石碑にはマヤ文字が無傷で残されていた。西暦437年、2代目の王が初代王である父に王家の墓を捧げたことが書いてあった。初代王のキニッチ・ヤシュ・クック・モの姿をかたどった像も発掘されています。長い間、マヤ文字は解読不能だった。その文字はヘンとツクリからできていた。
 そして彼らは時を記すために空を見上げた。チチェン・イツァは、最盛期には3.5万人が暮らしたという大都市。中央に建つ「ククルカン・ピラミッド」は彼らのカレンダーだった。4つの斜面にそれぞれ91段の階段があり、合計すると364段。それに頂上の1段を加えて365段という、巨大なカレンダーだった。春分の日、夕刻太陽が傾き、階段にククルカンが現れる。この都市には天文台があった。このカラコルは内部が渦巻き状に作られている。上部には天体観測用の窓がある。3つある窓は基準となる方向にきちんと開けられている。「ドレスデン絵文書」はマヤの人々が残した観測の記録。彼らは金星の動きに注目していた。マヤの都市には必ず球技場がある。球技は神に捧げるスポーツであった。硬いゴムのボールを打ち合い、石の輪に通すゲームをしていた。球技の球は太陽を意味していた。生ける太陽神である王は、試合の勝敗に国の行く末を見ていた。時には球技で負けた者たちが生け贄にされることもあった。勝者には、歯にヒスイをつけたドクロが美しいトロフィーとして贈られた。
 マヤの人達が農耕民だったため。
 メキシコの町に興味深い儀式が残されていた。高さ30mの柱の上に5人の男が上がり、太陽の恵みが地上に届くことを願う「ポラドーレス」。4人がロープに逆さに吊られ、一人が頂上で笛を吹く。4人が回る回数は13回=52週で回る太陽の1年と同じ。マヤが使った暦は太陽暦だけではない。1年が260日の暦もあり、2つの暦を日本の干支のように組み合わせていた。もう一つの暦は、マヤが始まった日から数えて5126年という長い周期で一巡する。暦は5つの桁で示された。「9xバクトゥン」は、点が1、棒が5、右側の文字の部分が400年を表し、合計8x400=3600年。「16xカクトゥン」は16x20年=320年を表し、「10xトゥン」は10x360日=10年。「0xウィナル(20日)」=0日。「0xキン(1日)」=0日。これを全て加え、始まりからの日数を出す。マヤの人々は暦が一巡する毎に祝いの儀礼を行なっていた。2012年12月21日、この暦が初めて一巡する日が来る。それは5126年に1度の祝祭の日。新たな時代が始まる。

 マヤ文明は多様な自然環境の中で育った。水が不足していた。岩盤のほとんどが石灰岩で、雨が降ってもほとんど土が吸い込んでしまう。ティカルでは雨水を貯めるために、漆喰で固めた。水路を作り、傾けられて貯水池に流れこまされた。雨を無駄なく使うために、この都市は設計されていた。雨を地下から取る都市もあった。セノーテという泉を利用していた。そこに生まれた都市がチチェン・イツァだった。今も800万人ともいうマヤの末裔がその伝統を受け継ぎ暮らしている。


テレビ番組「世界の果てまでイッテQ! 心に残る温泉ベスト5」

 2009年11月29日放送。森三中の世界の果て温泉同好会による、2年間で数々の温泉に入浴した中から心に残る温泉ベスト5を発表した。イモトさんも出演。日本テレビ製作。

●5位
 インド「美の温泉ツアー」。ラジェンダー・シンさんの案内で出発。まずヨガ。ヨガ歴50年のティラトゥラム・バトラさん(78歳)による指導。肩立ちのポーズ、笑うヨガ。笑うヨガは今インドで一番人気。鼻クリーニング。
 美のスペシャル・ドリンク。飲んだ後に紹介されたのは、「牛のおしっこ」。インドでは神の使いとされる牛の尿は、何にでも効く薬として珍重されている。お求めの方は、インドの薬局で買えます。
 ブンタルに行って、マニカラン温泉に行くバスは既に満席。バスの屋上が空いているというので、乗る。道路のすぐ横は崖。2時間で到着。
 マニカラン温泉広報担当のアラビンダル・シンさんが町外れの川湯に案内。

●4位
 メキシコ「激辛温泉ツアー」。36度でハバネロ入りの辛い料理をいただく。「豚肉のハバネロ・ソース煮込み」。「マンゴーとハバネロ」をいただいた。メキシコではフルーツに唐辛子を加えるのは一般的。
 メキシコでは、生のイモムシを食べるそうです。高級食材です。
 イルカと触れ合う体験もしました。
 川の中に温泉があった。滝の裏にまわると天然のうたせ湯もあった。

●ジャマイカの地獄温泉
 洞窟?の中の温泉に入るが、ぬるい。するとガイドがライターで水面に火をつけた。可燃性のガスが噴出する天然温泉でした。

●3位
 トルコの「うらやましくなる温泉ツアー」。ガイドはアリさん。まずハマムに行く。湯船がない。職人さんに体のすみずみまで洗ってもらえる。まず泡だらけにして、全身マッサージ。アカスリ。頭のてっぺんから足の先まで洗う。女性の場合は職人さんも女性だそうです。
 ベリーダンスのショーに出演。ナイトクラブ「スルターナス」です。まともな踊りではなかったが、お客にはうけました。
 世界遺産パムッカレに行く。トルコ語で「綿の宮殿」を意味する。幅1km、高さ200mにもなる。お湯は35度。青空の青によって青くなっている。夕暮れにはオレンジ色になりました。

●2位
 アメリカの「冒険温泉ツアー」。ラスベガスから自転車で荒野に行く。スカイダイビングの練習をする。インドア・スカイダイビングは下から吹き上げる風にのるもの。1回約7500円。
 スカイダイビングに挑戦。高度4500mから降下。時速200kmで垂直落下。
 とっておきの天然洞窟サウナ。温泉の流れ出す洞窟。90年前にトンネルを掘ろうとしたが、温泉が沸き、工事が中止されサウナになった。

●パプア・ニューギニアの大爆発温泉
 ガゼル半島のカブルブル火山は活火山。周囲は火山灰が降り積もって、枯れ果てた木々が立つ。まず温泉卵。そこを掘るとヘビの卵だと思ったが、ツカツクリという鳥の卵がでてきた。この卵は世界一美味しい卵といわれている。割ってみると9割が黄身で、半熟状態。甘くて濃厚だそうです。
 温泉は海岸沿いが熱い。海側に行くと温度が下がる。

●1位
 アイスランド「湯めぐりツアー」。まず青いサンゴ礁温泉「ブルーラグーン」。世界最大級の巨大露天風呂。源泉は地下2000mから汲み上げた高温の海水。温泉施設だけでなく、ビニール栽培や一般家庭の暖房用としても利用されている。温水マッサージは30分約5000円(入浴料込み)。
 洞窟温泉に入る。お湯がとても透明。50度以上らしいです。出川さんはこれに入りました。
 地球の裂け目「ギャウ」温泉。この場所は秘密。あまり立ち入ってほしくないかららしい。裂け目の崖の下15mらしい。青い色で39度。
 世界最大級のゲイシール間欠泉。間欠泉は地下に溜まったお湯が地熱によって噴水のようにある一定周期で吹き上がる現象。湯柱の温度は97度〜100度で、シャブシャブの温度と同じ。この間欠泉でシャブシャブに挑んだ。箸もマジックハンドもダメだったので、釣りざおでやってみたら、成功したが、熱水を頭からかぶりました。


テレビ番組「世界!弾丸トラベラー 小倉優子さんでメキシコ」

 2009年11月14日放送。小倉優子さん(26歳)がメキシコの「太陽のピラミッド(ティオティワカン)」でパワーをもらいたい。大韓航空001便/メキシカーナ航空919便で日本から16時間。1泊4日の旅。

●予定
 1日目、14:55、成田国際空港発KE001便、10:45、ロサンゼルス国際空港発MX919便。16:35、ベニート・ファレス国際空港着。17:30、タクシーでソカロ広場へ移動。18:00、ガイドと待ち合わせ。18:30、市場でショッピング、19:15、レストランで夕食。23:00、ホテルにチェックイン。
 2日目、10:00、ホテルをチェックアウト。11:30、世界遺産テオティワカンに到着。12:30、「太陽のピラミッド」でパワーをもらう。14:00、空港へ移動。18:55、ベニート・ファレス国際空港発AM644便、23:30、ロサンゼルス国際空港発KE006便。
 3日目、(機上)
 4日目、9:15、インチョン国際空港発KE701便。11:30、成田国際空港着。

●メキシコ・シティ
 海抜2200mの高地。世界遺産「ソカロ広場」はメキシコシティーの中心部。150m四方の石畳の周りには、カテドラル、国立宮殿などが建ち並ぶ。
 ガイドはホルヘさん(50歳)は佐藤蛾次郎さん似。日本語はあまり得意じゃないみたいです。まず買い物というのでシウダデラ市場にタクシーで行くが、18:50到着。19時に閉まるそうです。アクセサリーや小物から衣類・織物まで民芸品や雑貨など、約200軒の店が並ぶメキシコ・シティー最大のお土産市場。パペルマチェは架空の動物をモチーフにした木彫りの人形。「悪夢を食べてくれる」とメキシコでは信じられている。枕元に置いて寝ると悪い夢を見ないといわれている。アヒルは1個120ペソ。100(700円)しかないと言うとOK。小さいアヒルのおまけまでつきました(笑)
 同じ市場のシルバー製品の店「イルミナシオン・イ・アルテ」。メキシコは世界有数の銀の産出国。シルバー・アクセサリーを安く手に入れることができる。小倉さんは銀製品が好き。幸運な人生をもたらすといわれている「マラキタ」という石を使っている純銀のバングル。380ペソをネギって350に(2450円)。
 タコス専門店「ショテピンゴ」に行く。「セシーナ・デ・レス」(ビーフの干し肉)38ペソ(230円)をアボカドをのせ、サワー・クリームをかけていただく。
 ガリバルディ広場は民族衣装を着た楽団「マリアッチ」がメキシコ音楽を毎晩奏でている。広場に面したバー「テナンパ Tenampa 」でテキーラをいただく。1杯目「ドン・フリーオ」74ペソ(520円)。2杯目「トレス・ヘネラシオネス」65ペソ(460円)。3杯目「コメモラティーポ」46ペソ(320円)。4杯目「1800」65ペソ(460円)。そこにマリアッチの楽団がやってきて「ショリト・リンド」を演奏。
 宿泊はホテル「カサ・ビエハ」。全ての部屋のデザインが違うデザイナーズ・ホテル。ドアを開けるといきなりキッチンの部屋でした。1泊4800ペソ(3.4万円)。

●ティオティワカン
 メキシコ・シティーから車で1時間。世界三大ピラミッドの一つ世界遺産「テオティワカン」。「太陽のピラミッド」は高さ65mで世界第3位。頂上は太陽の力が全て集まるパワー・スポットと言われている。頂上まで248段、22階のビルとほぼ同じ高さ。途中から角度が急になります。20分で頂上。360度の大パノラマ。太陽が出るのを30分待って、太陽に一番近い角で肘を脇をつけ両手を広げて、太陽のパワーに願い事をする。「浮気っしないで、優しくて、私だけを見てくれるステキな人と結婚できますように!」。


テレビ番組「知っとこ!世界の朝ごはん グアダラハラ」

 2009年9月19日放送。

●グアダラハラ
 メキシコシティに次ぐ大きな町で、日本から飛行機で16時間。メキシコシティの西にある。その昔、都が置かれていて、現在は人口100万人。穏やかな気候。
 「自由広場」は歴史を感じる建造物で囲まれている。メキシコを代表する建物がたくさんある。16世紀に建てられたものが多くある。
 路地裏に1歩足を踏み入れる。カバーニャスなどは庶民的な街並みが広がる。みんなに何を食べるか聞いてみると、「ビンボ」だという。「Binbo 」と書いてある車が止まっているので聞いてみると、有名なパンのメーカーで、お店でも棚は「ビンボ」だらけ。パンだけでなく、お菓子もバリエーションが豊富。サッカー・チームのスポンサーにもなっている。
 街で最大の市場「リベルタ市場」に行く。フードコートでは、トルティージャが人気。あるお母さんは1日1000枚は作るという。「中島」と書いてあるお店があり、焼き飯、巻き寿司、寿司などと書いてある。日系4世の中島さんがオーナーで、オリジナル日本料理が自慢。一番人気は「ケマキスシ」。ご飯にチリソースとマヨネーズをかけ、エビとアボカドをのせて、具をおにぎり状に包み、小麦粉、タマゴ、パン粉をつけて揚げる不思議な料理。寿司のイメージは全くありません(笑)こちらでは油で揚げたスシが人気なんだそうです。60ペソ(410円)。

●テキーラ
 カルロス・メヒアさん(20歳)が紹介してくれたのは、世界的に有名なこの地方の名物テキーラ。
 中心部から車で1時間走ったテキーラ村は、畑が続く。巨大なパイナップルみたいなものを切っている。これはテキーラの原料になる「アガベ」を収穫しているところ。今収穫しているものは、7年以上育てた「青アガベ」で、根元の部分がテキーラの原料になる植物。メキシコ原産で立派に育つとトゲが鋭くなるので、長い道具で茎の根元だけ残して削り取っている。大きいものだと50kgになる。テキーラの村には大小100以上の工場がある。
 「コルンピオ」を訪問。アガベを切って窯でまる2日蒸し焼きにし、茶褐色に変化する。これはデンプンが糖分に変わった証拠とか。これを巨大な石のお皿に敷き詰め、ロバがひく石臼で細かくし絞る。これを発酵することで、糖分がアルコールに変わる。あとは大きな窯で蒸留する。テキーラは2回繰り返すことが特徴。10kgのアガベから1リットルのテキーラが取れるそうです。あとは数ヶ月寝かせれば完成。

●グアダラハラ
 新婚さんの朝ご飯。郊外に住むクラウディア・イレペ・ムニョス・パディジャさん(31歳)が作るのは、1品目「ビリア」。水をはった深めの鍋にトマトとミラクル?と呼ばれる大きな唐辛子を入れて火にかける。これに7種類の香辛料を加えてミキサーにかけ、サルサソースを作る。一口大に切った牛肉をソースに入れ、ひたひたになるまで水を加えて、コンソメと塩で味をつけ、圧力鍋で40分煮込む。
 2品目「ワカモレ」。青唐辛子、トマト、たまねぎをみじん切りにする。アボカドの種を除いて実を取り出して、加え、スプーンでアボカドをつぶしてペースト状にする。塩とレモン汁で味を整える。
 3品目「ウエボス・ランチェロス(メキシカン・フライドエッグ)」。油を敷いたフライパンにトルティージャを入れ、軽く温め、油の中にタマゴを割りいれてフライドエッグにし、卵が半熟の時にトルティージャの上にかけ、トマトとたまねぎをすりつぶしたソースをかけて完成。


テレビ番組「世界遺産への招待状13 カリブ海」

 2009年6月28日放送。テーマは水。メキシコのシアン・カアンのセノーテ、ベリーズの世界2位のサンゴ礁、海の中の巨大洞窟、火山のドミニカ島。

●メキシコのシアン・カアン
 面積は5300平方kmで、広大な湿原や森に多様な自然が存在する。中米最大で釧路湿原の10倍の広さがある。湿原の中に続く1本の水路。15kmにもなる。古代マヤの人は交易魯として利用した。海に近くなると、マングローブの林で覆われる。その根元には様々な魚が泳いでいる。
 海にはマングローブで覆われた小さな島が点在している。この島は水鳥たちの繁殖地となっている。真っ赤な喉のアメリカグンカンドリのオス。ベニヘラサギ、ブラウンペリカンなどがいる。ブラウンペリカンの巣があった。ヒナは1日に5kgも魚を食べるので、親はそれを獲ってこないといけない。
 熱帯雨林の中に入ってみた。石灰質なので、雨はすぐに地中に吸い込まれ、大きな川がない。時折、セノーテと呼ばれる池が存在する。古代マヤの人々はこの泉の奥に神の住む世界があると信じて、儀式を行ない、生け贄を捧げてきた。
 潜ってみると、水はきれいで透明度は50m。カメ、いろいろな魚がいる。内部にはいくつも洞窟があった。一つに入ってみると、鍾乳石が天井を埋めつくす。まさに水中の鍾乳洞。巻き貝やサンゴの化石が壁にあった。かつては海の底だった証しでもある。
 太古の昔、海の底だったシアン・カアンは、氷河期に陸地となった。雨水が少しずつ石灰岩を溶かし、地中に洞窟ができて、鍾乳石がいくつも延びていった。再び地盤が沈下し、洞窟の天井の一部が崩れてセノーテができた。
 洞窟をどんどんいくと、明かりが見えてきたが、透明度が落ちてきた。そこはサンゴ礁の海だった。セノーテは海とつながっていた。

●ベリーズのバリア・リーフ保護区
 シアン・カアンのサンゴ礁をずっと南に下っていくと、ここになる。全長300kmのサンゴ礁。オーストラリアのグレート・バリアリーフに次いで世界第2位の大きさ。
 沖合いにでて30分、白い波が見えてきた。ここがサンゴ礁の口淵。海底ツアーに出かけた。水深10mの海底、きれいな海です。サンゴは大きく分けて2つのタイプがある。海藻のようにゆらゆら揺れる軟体サンゴと、堅い骨格で覆われているのが石サンゴ。種類は500以上ある。ベリーズには70種類の石サンゴがある。柱のような形をしているのが「ピラーコーラル」。岩一面についているのが「スターコーラル」。人間の脳のような形をしているのが「ブレインコーラル」。鹿の角のような形の「エルクホーンコーラル」。石サンゴの表面をみると火山の噴火口のようなものがたくさんある。これはポリプと呼ばれている。その中には褐虫藻という光合成をする植物が住んでいる。これが二酸化炭素を吸収し、酸素をサンゴに提供している。その半分を海中に放出するので、いろいろな生き物が住み着く。イバラカンザシというゴカイの仲間も共生している。
 ノコギリイッカクガニは面白い顔をしていて、ハサミ?を使って器用に何でも食べるので、海の掃除屋と呼ばれている。乱獲によって絶滅が危惧されているウミガメのタイマイもいた。
 「ブルー・ホール」は空から見るとよくわかる。サンゴ礁の中にぽっかり開いた大きな穴。直径300mという巨大な洞窟。潜ってみると、水深は100m以上ありそう。突然大きなメジロザメの仲間が出現。横に洞窟があり、中には鍾乳石があった。ここもシアン・カアンと同じ過程でできた鍾乳洞。
 ブルーホールの底を撮影するために、深海用のカメラを沈めてみた。水深120mは泥の海底。4時間待っても何の生物も出現しなかった。

●ドミニカ島
 小アンティル諸島は、カリブ海の東に南北に連なる。多くは火山島で噴火により隆起してできた島で、その中の島の一つがドミニカ島。
 面積は奄美大島と同じくらい。カリブ島にある16の火山のうち9つがこの島にある。また貿易風の影響で雨も多い。年間7600mm。火山特有の風景と熱帯雨林の景色が楽しめる。国土の80%以上が森林で、平坦な陸地はほとんどない。
 カリブ海に面した町から13km行った所に広がっているのが、「モーン・トロワ・ピトンズ国立公園」。広さは68平方kmで、東京の山の手線の内側と同じくらいの面積。ここが世界自然遺産に登録されている。公園の意味は「3つの峰を持つ山」で、標高は1342m。いつも雲に隠れ、山頂は滅多に見ることができない。山頂まではきつい上りで3時間以上かかる。道は玄武岩の岩も多く険しい。両側にはトゲのある葉が多いので、ナタで払いながら登る。1000mを越えたところで晴れてきて、遠くにカリブ海が見えた。ここから山頂までは低木が多く、かなり歩くのが面倒。山頂からは雲がかかり何も見えなかった。国立公園内には365本の川が流れる水の王国でもある。
 熱帯雨林の森をしばらく歩いていると、小さな滝が見えた。この滝「エメラルド・プール」が人気があるという。緑の苔がいっぱい生えて、岩や木を覆う。その緑が光の反射によって、滝壷の水面に映り、エメラルド色に輝いて見える。ガイドはエルビス・ステッドマンさん。岩の間に「シリック」という名前のカニがいた。
 ドミニカで一番大きな滝には車の後にトレッキングで向かう。赤い植物「ヘリコニアカリバエア」が多い。赤い部分は花ではなく、葉。花は葉ホウ?の中に白く咲いている。ブルーワックスは青いホウ?の葉の中に白い花が咲いている。ピカピカに見えるのでブルーワックスという名前がついた。他にも小さな可憐な花が多い。ドミニカ最大の滝ミドルハム滝に到着。落差83m。
 煙が立ち上がっていた。行ってみると、温泉だった。「ウォットン・ウェイブン」で、別府の地獄のようにボコボコと湧き出していた。下の方に行ってみると、露天風呂があった。3種類の湯船はそれぞれに温度が違う。川を見ながらゆっくり湯につかるのは風情がある。
 一番の景観は「ボイリング・レイク」で、険しい山々の間にある。ここに到達するためには、2つの峰を越えていかねばならない。鳥の鳴き声が聞こえてくる。ドミニカには175種類の鳥が生息しているという。コクロムクドリモドキ。ヒラハシハチドリは昆虫が少ないこの島では植物の受粉にとても重要な役割を果たしている。2種類のオウムはこの島の固有種で、アカノドボウシインコは変わった声で鳴く。ハリケーンなどで島の食性が変わり、今ではなかなか見つけにくい。絶滅が心配されている。世界最大のカブトムシ「ヘラクレスオオツノカブト」は体長18cm。森のアチコチで見かけるトカゲ。アノールトカゲの一種がいた。危険を感じると、喉の部分が赤くなってふくらむ。
 山頂から遠くに湯煙が見えた。3.2km地下にある溶岩の影響で、荒涼とした地形になっている。泥と岩の山肌を降りると、「バレー・オブ・デコレーション?」。あちこちで蒸気が噴出している。歩き始めて3時間で「ボイリング・レイク」に到着。湖面はほとんど見えない。直径63m、沸騰する湖としては世界で2番目に大きい。水温は95度以上。周期的に水位や色が変化する。
 どうしてできたのか?火山の下には空洞があり、雨水などが溜まる。そのすぐ下に溶岩があり、熱されて沸騰し、水蒸気となって表面に噴出する。これを繰り返しているようです。
 ドミニカ島は宝島とも呼ばれている。


テレビ番組「THE 世界遺産 メキシコのシアンカアン」

 2009年5月31日放送。

●シアンカアン Sian Ka'an
 ユカタン半島密林の奥深く、泉の奥底は神秘のベールに包まれていた。面積53万ヘクタール、東京都の2.5倍。湖、熱帯のジャングル、大湿地帯、北半球最大のバリアリーフへと連なるサンゴの海。水辺のマングローブの林は鳥たちの楽園。しかし最大の神秘は泉などの地下。シアンカアンとはマヤ語で「空が生まれた場所」。
 レンジャーのエクトル・アルフレッド・マルティンさんは15年のベテランで、パトロールを続ける。マングローブには大きなワニがいるという。沖に出るとイルカが追ってきた。シアンカアンの海岸線は長さ120km、25人のレンジャーが互いに無線で連絡を取りながら、広大な地域に目を光らせる。1日の入場者数や立ち入りエリアは厳格に制限されている。
 海面が白く濁っていたが、アメリカ・マナティが海底の砂をまきあげて泳いでいった跡。海底の水草を食べて生活している。おとなしい性格で、以前は食用として乱獲された。シアンカアンでは今では100頭程度が生息。
 シアンカアンに生息する鳥の種類は339。沖にあるマングローブの島など、鳥たちの楽園。ただ一つのグンカンドリのコロニーにマルティンさんが案内してくれました。オスのアメリカグンカンドリは赤い喉を風船のように膨らませていました。頭の白いのは幼鳥。グンカンドリは他の海鳥を空中で襲い、採ったエサを横取りする。ブラウン・ペリカンは空中から海の中の魚を狙う。他にもユカタン・ウッドペッカー、ハグロムクドリなどがいました。
 かつてはここにマヤの人々が住んでいた。トゥルム遺跡は新大陸を発見してやってきたスペイン人が最初に見たマヤの文化。唯一の川がある。ユカタン半島は地盤が石灰岩なので、雨水は地下に吸い込まれ、大きな川はない。下流の湿地帯で川幅を広げ、海へと注ぐ。この川を利用したマヤの人々は船を使って交易活動をしていた。その建物が残っている。川の両側にはマングローブが生い茂る。

 酸素ボンベを背負って森の中を歩く人がいる。彼らは聖なる泉「セノーテ」から地底世界に入る。水中カメラマンのアルベルト・フリシオーネさんはセノーテの魅力に取り付かれて15年。しかしセノーテでは危険が伴う。事前講習を受け、必ず3人以上のチームで行動するのがルール。余りに澄んでいるので、水中であることを忘れる。
 かつてサンゴなどで石灰岩層ができ、氷河期に海面が下がり、雨水で侵食されて洞窟ができた。氷河期が終わり、海面と共に地下水が上昇し、鍾乳洞は水で覆われた。その地底世界の全貌は今も謎。まるで母の胎内にいて、自分探しをしている気分になるとフリシオーネさんは語る。
 15年前にセノーテに魅了されるキッカケとなった場所。水深30mまで潜った時、水中にたなびく雲のようなベールのようなものがあった。その下にはまた澄んだ水がある。さらに30mに泉の底があった。そこには木の残骸などがあった。それらからタンニンなどが染み出して水中で雲になっているのでは?とフリシオーネさんは説明する。1つだけ確かなのは、ベールの上は淡水で、下は海水。比重が違うので交じり合うことはない。


テレビ番組「世界遺産への招待状8 メキシコのカリフォルニア半島」

 2009年5月25日放送。1万匹のエイが泳ぐ豊穣の海、サンフランシスコ山地の岩絵、エル・ビスカイノのクジラ保護区。

●ラパス
 世界遺産のカリフォルニア湾は1100kmにも及ぶ細長い湾。出発点は人口20万の港町ラパス。魚市場には色鮮やかな魚たちが並ぶ。船で海にでる。案内役はラパス在住17年の伊藤玄さん。船の両側をイルカの大群が囲む。泳いでいたのは1000頭のマイルカ。イルカたちは急にスピードをあげた。エサを見つけたらしい。船が追いつかない。カリフォルニア湾は世界でも有数のエサの豊かな海。
 小さな岩山とよばれているロス・イスロテス。ここを埋め尽くしているのは、カリフォルニア・アシカの大群。周囲100mの小さな島に200頭いる。10数頭のメスにオス1頭の割合で群れを作っている。海の中ではアシカはジャレてくる。まるで子犬のようだ。一緒に遊べる海の動物は珍しいという。
 海の中では魚の大群に遭遇した。ヨスジフエダイの仲間。海底には砂から頭を出しているガーデンイールがいる。その横には海底に穴を掘って巣にしているジョーフィッシュがいた。口にタマゴを詰め込んでいるのはオス。タマゴを口に入れて守っている。オスは卵がかえるまで飲まず食わずでがんばる。
 地球の海生哺乳類の4割、クジラ類の8割が種がこの海に生きている。
 夕方、伊藤さんが棹にライトをくくりつけている。ライトをつけると海の色が変化してきた。オキアミの仲間がライトに集まる。体長1cmの小さなエビの仲間。これをめがけてサバが突進してきた。このサバを狙って大型のダツの仲間が集まってきた。夜だというのに、ペリカンまで飛来してきた。
 カリフォルニア湾のオキアミ。その秘密は湾に注ぎこんでいる川にあった。コロラド川がカリフォルニア湾に栄養を運んでくる。川はグランド・キャニオンを作り出した。さらに上流はロッキー山脈。この豊かな森がオキアミを大量発生させている。
 珍しい生き物を紹介。夏になるとやってくるのは、体長4mものアメリカオオアカイカ。腕を広げてオキアミをかきこむ。大集団を作っているのはイトマキエイ。その数は1万匹。交尾のためにこの湾にやってくる。砂浜を覆いつくしているのは、イワシの仲間のグルニオン。大潮の時、産卵のために大量に浜辺に乗り上げる。体を立てたメスにオスが巻きつく。砂の中にタマゴを生んでいる。
 珍しいことにシロナガスクジラがいた。体長30m、体重200トン。地球最大の生き物。この生物もオキアミが養っている。クジラは回遊しているが、年に1度出産のためにこの湾に集まってくる。クジラは浮上と潜水を繰り返す。シロナガスクジラは時速30kmで泳ぐ。

●サンフランシスコ山地
 カリフォルニア半島には2000m級の山々が連なっている。山に入ると空気が涼しく感じる。かつて半島に住んでいた先住民は夏になるとこの山に移動したという。
 到着したのはサンフランシスコ村。まるで西部劇でもありそうな雰囲気の村。ここが岩絵を見に行く玄関口。地元のカウボーイのラモン・アルセさんの案内で岩絵を目指す。車では行けない。日帰りは無理で、ラバで移動し、荷物はロバで運ぶ。総勢11人、25頭の大キャラバンになった。サボテンの生えた荒野を進む。この体験が新鮮だというので、岩絵ツアーが人気。目前には深さ400mの大渓谷。ラバでこれを降りていくが、ラバは道を踏み外さないという。歩くよりも安全で、落ちそうになったらタテガミを掴むという。道の下は断崖絶壁。しかしラバは着実に山道を進む。渓谷の谷間に下りた。涼しさと水を求めて、3000人もの先住民がここに移動してきたという。川沿いの椰子は夏に実をつける。出発して5時間。巨大な洞窟が口を開けている場所に到達。ピンタータ洞窟。
 山中には先住民が描いた200あまりの岩絵がある洞窟が点在している。洞窟の壁や天井が巨大なキャンバスになっている。目をひくのは2mを越える巨人たちの絵。鮮やかな赤と黒のツートンカラーが強烈な印象を残す。最長のものは4mもある。椰子で大きな脚立を作って描いたというのが学問的な定説。巨人の頭の飾りは儀式の時にもの。ここの岩絵はアメリカ大陸で最も古く、7000年前頃から描き継がれてきた。1500年代のスペイン人の侵入により、岩絵を描いた先住民は絶滅した。動物はオオジカ、オオツノヒツジ、ヒメコンドル、クジラがあった。シャーマンはクジラやオオジカと重なりあって描かれていた。クジラの中に自分から近づくクジラがいるという。
 峠を越えるとはるか先に太平洋が見えた。

●エル・ビスカイノ
 クジラの骨で作られた家がある。サン・イグナシオ湾が見えてきた。ここはエル・ビスカイノのクジラ保護区の一つ。コククジラの出産、育児の場として保護区に指定されている。ホエール・ウォッチングの出発点。ツアーのガイドはマルガリータ・アギラルさん。湾を望む小高い丘の上に案内してくれた。ここで湾に来るたくさんのクジラが見られるという。一斉にクジラが潮を吹くそうです。冬の間アラスカ半島からやってくる。ここで交尾して出産するので、クジラのゆりかごと呼ばれる。
 湾に船ででた。体長15mのコククジラ。皮膚ははがれ、フジツボがところどころについている。海面で起き上がる「スパイ・ホッピング」をしていた。上半身を海面に出し、まわりの状況を観察しているのだという。母クジラは赤ちゃんを守るためにホッピングする。コククジラはパシャパシャする水尾とに惹かれるという。母子クジラが近づいてきた。マルガリータさんが水をかけた。マルガリータさんは母にも子にもタッチした。なでられて嫌がる気配もない。柔らかく温かかった。コククジラの母は子を背中にのせて、呼吸の仕方を教える。その後も赤ちゃんは背中で遊ぶ。
 もう一つの生態。胸ビレが海の上にでている。海面には砂が浮いている。顔の右側を砂にこすりつけて、口から砂を吐き出す。歯茎あたりでこして、砂を出し、生物を口の中に残して食べる。他のクジラと違うエサ場を開発することで生き残ってきた。肌がこすれているのは、砂にこするため。フジツボは傷に根を生やしている。赤ちゃんもこの方法をここで覚える。
 かつて絶滅に瀕したこともあった。18世紀に大量殺戮があり、コククジラは2万頭から200頭にまで激減した。子供を殺されて、母クジラが船に体当たりした。それ以来、クジラは「悪魔の魚」と呼ばれた。今は2万頭にまで回復した。
 ある砂浜に案内してくれた。ここにはクジラの頭の骨があった。貝でまわりを囲み、東西南北に季節を象徴するものを置いていく。西に秋の象徴のカメ、北は冬の象徴の鳥の羽根、東に春の象徴の火、南に夏の象徴の水を置く。これはサンフランシスコ山地の岩絵で、先住民が死者を弔うために描いた儀式の場。
 マルガリータさんはみんながクジラに触って欲しいという。これでクジラを保護したいという気持ちになってほしいという。


テレビ番組「びっくり法律旅行社 メキシコ」

 2008年9月11日放送。児玉清、黒崎めぐみ、タカアンドトシさんが司会。片岡鶴太郎、宮崎美子、はるな愛さんがゲスト。

●メキシコシティ
 成田からロサンゼルス経由で16時間。平均気温は15.6度。マリアッチはメキシコ大衆音楽を奏でる楽団。屋台ではタコスが人気で、5ペソ(50円)と安い。茹でたてのトウモロコシにマヨネーズを塗って、粉チーズをつけ、唐辛子をまぶした「エローテ」10ペソ(100円)もある。
 メキシコの国旗の中央に描かれたワシのマークは、16世紀に100年以上かけて建てられた「メトロポリタン・カテドラル」のシンボル。教会の横にはアステカ時代の中央神殿跡「テンプロ・マヨール」が残っている。アステカの教えの「ヘビを加えたワシが最初に止まったサボテンのある場所に都を作りなさい」というお告げがシンボル。
 ガリバルディ広場では、夜、陽気なマリアッチの音楽が鳴り響く。1曲800円〜1000円で演奏してくれます。みんな陽気にお酒も飲む。テキーラ、ビールも種類が多い。路上でお酒を飲むのは法律違反。弁護士のマルコ・アントニオさんが説明してくれました。「公共の場でアルコールを飲むことは禁止」(メキシコ連邦区条例第1章25条)。違反すると最低賃金の21〜30日分の罰金または25〜36時間の拘留。観光バスの中もダメだそうです。夜中に騒ぐのはOKだそうです。
 「国家の記章・シンボルを侮辱してはならない」(メキシコ合衆国、国家記章に関する法律、第6章56条)があるので、国旗をプリントしたTシャツは法律違反になる。最低賃金の250倍の罰金または最低36時間に拘留。
 グアダルーペ・マドリガルさんは、2004年「国歌の歌詞を間違えて歌った」ので、国家のシンボルに対して敬意を欠いたとして、1.5万円の罰金。
 マリアッチ「アリソンテ・デ・メヒコ(メキシコの地平線)」は10人組で、リーダーはトーマス・サンドバルさん。ジョナサンさんはこれを連れて朝6時に恋人ジェシカさんのところに行って愛を告白する。恋人が出てくればOKのサインだそうです。

●ティオティワカン
 メキシコシティの北東50km、車で1時間。近づくと大きなピラミッドが2つ見える。入場料は48ペソ(480円)。ビデオカメラの持込はさらに35ペソ(350円)かかる。ペットの持ち込み、音響機器、自転車は禁止。武器の持ち込みも禁止。
 中央には「死者の大通り」が4km続く。横には高さ65mの「太陽のピラミッド」、奥には高さ46mの「月のピラミッド」がある。2200年前にティオティワカンはこのピラミッドの建設から始まったと言われている。頂上には神殿が建てられていた。現在、月のピラミッドの頂上には登れないが、太陽のピラミッドの頂上には登れます。20万人が暮らしていたという巨大都市を一望できます。太陽のピラミッドの石段は全部で248段。海抜2400mでもあるので、しんどいそうです。
 ティオティワカン遺跡管理員のアルベルト・ガルシアさんが説明してくれました。「三脚の持込は禁止」(ティオティワカンのルール)。三脚を使ってビデオ撮影したものを許可なく使用されたことがあったため。「食事・飲酒禁止」もある。
 ポラドーレスは空を飛ぶ人で、棒の先端から回りながら降りてくる。


テレビ番組「世界!弾丸トラベラー 吉川ひなのさんメキシコのバハ・カリフォルニア」

 2008年5月31日放送。吉川ひなのさん(28歳)は幼い頃からクジラに会うのが夢。

●予定
 1日目、14:55、成田空港発大韓航空001便で日本から9時間45分。11:10、ロサンゼルス国際空港発、デルタ航空7681便で2時間、14:10ロレート国際空港着。15:00タクシーでロレート市内へ。15:30港でガイドさんと待ち合わせる。17:00タクシーでホテルに。18:00夜のメキシコへ出発。地元で人気のレストラン「Tio Lupe」へ。22:00タクシーでホテルに帰る。
 2日目、7:00ホテル発、タクシーで港へ。7:15港を出港。8:00クジラを間近で見る。10:00港へ帰港。12:30タクシーで空港へ。15:00ロレート国際空港発デルタ7680便。  3日目、0:30ロサンゼルス国際空港発KE012便。
 4日目、9:15仁川国際空港発、KE701便。11:30成田空港着。

●ロレート Loreto
 現地気温30度。港でガイドのニッキーさんに会う。クジラが見られるのは、海が穏やかな早朝から正午まで。
 ガイドさんお勧めの場所に船で向かう。15分で島に到着したら、アシカがいた。50頭がコロニーになっている。
 ホテルは「デザート・イン Desert Inn 」。コロニアル調で、オーシャン・ビューの部屋で室料1522ペソ(1.5万円)。
 人気のメキシコ料理店「ティオ・ルーペ Tio Lupe」で食事。地ビールのネグラ・モデロ25ペソ(250円)。人気の「コンボ・メヒカーナ」280ペソ(2800円)は一皿でいろんなメキシコが楽しめる。肉を焼きたてのトルティーヤにのせて食べる。マルガリータ(テキーラ・オレンジ・リキュール・レモン)はでかい!40ペソ(400円)。かつ濃いそうです。マリアッチの生演奏は200ペソ(2000円)。
 バオ「マイクス・バー Mike's Bar 」に行く。昼間のガイドさんがいて、ハイテンション。

 翌朝、7時にホテルを出発。一発勝負でクジラが見られる確率は約30%。45分走ると、クジラのいるポイントに到着。ポイントは水深が深く(100−200m)、エサが豊富にある場所。
 ボートのまわりに100頭ほどのイルカが登場。並行して走ってくれました。ひなのさんは涙が止まらない。イルカがいるとクジラがいる確率が高い。と、クジラを発見。ザトウクジラでした。全長30mありました。一度潜った後に、3頭出ました。尻尾も顔も見ることができました。


テレビ番組「The 世界遺産 メキシコのチチェン・イツァーの古代都市」

 2008年4月27日放送。1988年、世界遺産に登録。ビデオが不調でHPからの引用。

●チチェン・イツァー
 メキシコのユカタン半島のマヤ文明の遺跡。マヤ文明は紀元前4世紀から高度な発展を遂げてきた。金属物を一切使わない巨大建造物。全貌が解明されていない独自の文字体系など、謎に満ちている。マヤ文明自体、環境の異なる広い範囲で栄えた。そのため、変化に富んだ多彩な文明が生まれた。中でもここチチェン・イツァは10世紀頃全盛を迎え、11世紀に衰退したマヤ文明を代表する国際都市であった。

 メキシコ・ユカタン半島の森の中には岩盤が落ち込んで地下水が湧き出たセノーテと呼ばれる聖なる泉が数多くある。実はユカタン半島には大きな川が無い。それでもかつてこの地域に文明が生まれたのはこの聖なる泉「セノーテ」のおかげ。

 ククルカンのピラミッドは、チチェン・イツァを代表する建造物。高さ30メートル、幅60メートル。ククルカンとは、豊穣の神である羽毛の生えたヘビの事。このピラミッドの北側面にの最下部にはこのククルカンの頭の彫像がある。春分の日に、このククルカンの階段に沿ってククルカンが出現する。

 カラコル(天文台)とは、スペイン語で巻き貝。かつて、この天文台は内部が螺旋状に成っていたことからこの名前が付けられた。この天文台でかつてのマヤ人は、月・太陽・金星の動きを観察していた。やがてその観測データから高水準な天文学が生まれた。

http://www.tbs.co.jp/heritage/archive/20080427.html


テレビ番組「世界!弾丸トラベラー 西川史子さんでメキシコのテキーラ」

 2008年3月22日放送。西川史子さん(36歳)は楽しいお酒が好き。古いテキーラ工場と原材料の畑の景観が2006年に世界遺産となった。1万kmを1泊4日の旅。

●予定
 1日目、14:55成田国際空港発、大韓航空001便、11:00ロサンゼルス国際空港発、アエロメヒコ航空471便、16:15ミゲル・イダルゴ国際空港着(合計16時間)。20:30ホテル「モラレス」にチェックイン。21:30「レストラン「La Tequila」で夕食。
 2日目、9」15ホテル出発、11:30世界遺産「テキーラ村」見学。16:00最高の場所で最高のテキーラを飲む。21:25ミゲル・イダルゴ国際空港発アエロ・メヒコ航空466便。
 3日目1:10ロサンゼルス国際空港発大韓航空016便。
 4日目9:20ソウル国際空港発大韓航空701便で、11:30成田空港着。

●グアダラハラ
 メキシコは気温20度。太陽の明るさが違う。西川さんは最近は飲むと泣くのだそうですが、人の温もりに飢えているのだそうです。
 18時にグアダラハラに到着。馬車があったので、観光馬車に乗る。45分200ペソ(2000円)。リベルタ市場はグアダラハラで最も大きな市場。民族衣装の店では、服350ペソ(3500円)のとか、ソンブレロとか持ってこられて、全部で600ペソだという。これを530に値切った。
 ホテル「モラレス」にチェックイン。100年以上の歴史を持つ老舗で、市の文化遺産にも指定されている。

 オシャレをしてレストラン「ラ・テキーラ」に行く。200種類のテキーラが楽しめる人気店で、2階にはバーも併設されている。「テソロ・デ・ドン・フェリペ」1杯69ペソ(690円)を注文。ライムに塩をのせ、かじった後にテキーラを飲むのがメキシコ流。喉を痛めないでおいしく飲める。「サルサ・デ・カサ」は無料で、食事に欠かせないトマト味のソース。これの辛さを聞いてきます。チーズをテキーラで溶かしたフォンデュ「トレス・ケソス・フンディード(テキーラ入りのチーズ入・フォンデュ」84ペソ(840円)。これにサルサ・ソースをかけていただく。
 2階に行って、女性に人気のテキーラ「ドンフリオ・アニェホ」1杯90ペソをいただくが、まろやかで「30代の女性」のイメージだそうです。次は最近流行りのテキーラ「レセルバ・デ・ロス・ゴンザレス」1杯70ペソ(700円)で、20代の男性のイメージだそうです。お店で一番高価なテキーラ「セレクション・スプレマ」1杯415ペソ(4150円)。これは「酸も甘いも知り尽くした男性」のイメージだそうです。テキーラの入ったショートグラスを大きなグラスに逆さまに入れ、そこにビールを入れ、ビールの中にテキーラを沈めたカクテル「スプマリーノ」52ペソ(520円)。隣の席で「クカラーチャ」というカルアとテキーラのカクテルに火をつけているのを見る。表面を暖め火をつけたもので49ペソ。火が消えないうちに飲むそうです。隣の席の「テキリブリオ」もいただいた。刻んだパイナップル・オレンジジュース・ライムジュース・グレープフルーツの炭酸ジュース・シロップ・テキーラから作ったカクテルで、59ペソ。「グアダラハラ」はバジル、ライム、こけももジュース、テキーラでここでしか飲めないオリジナル・カクテルで59ペソ。「マルガリータ・タマリンド」はチリパウダー、すり潰したタマリンド(木の実)、オレンジジュース、ライムジュース、シロップ、テキーラのカクテルで55ペソ。
 隣の席の人たちとレストラン・バー「カサ・マリアッチ」に行く。本場のマリアッチが生で聴ける。「ハリット」はピンクグレープソーダとテキーラのカクテルで40ペソ。マリアッチのリクエストは1曲300ペソ(3000円)。かなり西川さんは酔っていて、いろいろ騒いで踊りました。これが朝5時まで。

 朝8時半に起こされて、9時15分のツアーバスに乗り込み、テキーラ村に出発。ツアーバスは250ペソ(2500円)。1時間半でテキーラ村に到着。

●テキーラ村
 11時半、テキーラ村を見学。メーカーの「ホセ・クエルポ」は村で最も古いテキーラ工場で、工場や農場の見学ができる。料金は150〜250ペソ。ヘルメットをかぶるのは規則。アガベが転がっている。アガベはリュウゼツランの一種。葉を落とした茎の部分が原料になる。これを蒸し搾り取った汁を発酵させる。熱して蒸発させて純度を高めて完成。できたてを試飲。さらに樽で熟成させる。これで工場見学は終了。
 16時からの予定が14時半から最高の場所で最高のグラスで最高のテキーラを飲むことになる。ショットグラスは3個で55ペソ。テキーラグラスは1個240ペソ。紫色の「ラ・コフラディア」(1本99ペソ)に決定。場所は村を見渡せる場所に決定。そこに行くのに30分かかる。行ったのはアガベ畑のど真中で、テキーラ村が見える。ここでテキーラをいただいた。


テレビ番組「探検ロマン世界遺産 メキシコのテキーラ」

 2008年2月2日放送。曽根優アナウンサーが案内。カリブ海のリゾート地のバーに集まった観光客のお目当てはテキーラ。地元メキシコ人の集まるレストランでもテキーラ。塩を手にのせてレモンをかじり、塩をなめてからテキーラを飲む。10月下旬に訪問しました。

●テキーラ地方
 テキーラのアルコール度数は40度。ジン、ウォッカ、ラム酒と共に世界4大蒸留酒に数えられる。原料はリュウゼツラン(龍舌蘭)。尖った葉と人の背丈ほとの高さ。
 テキーラ地方はメキシコシティから北西に600km。第二の都市グアダラハラから車で1時間。
 リュウゼツランは荒れた土地でも育つが、かなり痛いそうです。テキーラ村には工場が20以上あり、煙を出している。村は16世紀に開かれた。歴史ある建造物が今も残っている。ここで暮す人の半分がテキーラで生計をたてている。試し飲みさせてもらいました。テキーラは250種類くらいあるようです。樽での熟成の仕方で風味が変わるそうです。

 長い歴史を持つ酒造工場「エラドゥーラ社 Tequila Herradura」を訪問。敷地内の建物全てが世界遺産。レンガ作りの最初の工場がある。博物館として保存され、一般公開されている。ガイドのシルビー・トーレスさんが案内してくれました。
 畑で取れたリュウゼツランはカマドで蒸し、大きな窪みの中に入れ、大きな石で絞る。石には太い棒がついていて、馬やロバに引っ張らせていた。深さ2mの穴に絞った汁を入れて天然のバクテリアによって自然発酵させていた。奥には蒸留器がある。これで蒸留する。管を通って石の冷却器に入る。管の中で液体に戻る。
 19世紀に描かれた絵がある。酒造会社は独特の大農園アシエンダを営んでいた。アシエンダは一つの小さな村みたいなものだった。エラドゥーラ社にも労働者の長屋があり、今も住んでいる。1軒の家を訪問した。フェリックス・サンチェスさんは90歳。牛の角のコップで飲んで味見をしたそうです。ガラスでは臭いが逃げるが、角だと集まって鋭いそうです。今でも香りにはこだわりがあるそうです。

 朝7時、畑ではリュウゼツランを収穫している。巨大な丸い茎が原料で、パイナップルに似ていることからピニャと呼ばれる。ピニャには澱粉がたっぷり入っている。リュウゼツランに必要なのは、年間300日以上の晴れの日、乾燥した大地。収穫までに8年かかる。掘ってみたが、1個掘るのに相当疲れました。ピニャは半分に割るが、これで20kg。
 収穫されたピニャは巨大なカマドに入れ低圧でじっくり26時間蒸す。澱粉がゆっくり糖分になる。色が茶色になると蒸しあがった証拠。柔らかくなっていて食べると甘いそうです。粉砕して水を加えて糖分を絞り出す。続いてタンクで72時間寝かせ、天然のバクテリアによって醸造酒になる。ビールみたいな味だそうです。これはスペイン人が来る前までに先住民が作っていたもの。ワチモントネス遺跡は3世紀から10世紀のもの。墓からリュウゼツランの繊維のついた皿が発見された。別の場所ではピニャを背負った人の像が発掘されている。3世紀の遺跡です。
 グアダラハラ大学のアナ・バレンスエラ教授はリュウゼツランはテキーラの原料とは違う種類のものが生えているという。先住民のお酒プルケを造るためのもの。昔ながらの方法でプルケを作っているアポリナール・ロペスさんに話を聞いた。ペニャに相当する部分には液体が入っている。プルケを取り出して飲んでみたら甘い。鉄分が入っていて、古代の人には欠かせないものだった。特に授乳中の母親がよく飲んだ。
 スペインは19世紀までメキシコを支配した。メキシコとは、Metl Xietli Coの略で、「リュウゼツランのヘソの場所」という意味。固い葉は腐りにくく家の屋根に、葉の繊維は布にとメキシコの文化の中心だった。
 最後は蒸留。蒸留器は元はアラビアの方から持ってきたもの。起源は5000年前のメソポタミア。やがて蒸留技術は世界に広がる。スペインではブドウからブランデーが生まれ、オランダでとうもろこしからジン、アイルランドやスコットランドでは大麦からウィスキー、北欧ではアクアビット、東にのびたルートで生まれたのが焼酎や泡盛。スペインにより新大陸にもたらされ、カリブ海でラム、メキシコでテキーラとなった。
 1821年メキシコは独立した。しかし変化はなかった。アシエンダでもスペイン人が支配を続けた。工場の一角にスペイン系の経営者たちだけが知っていた秘密の場所がある。螺旋階段の下には今でも使われている井戸がある。これはカムフラージュで実は地下道で、逃げ道だった。メキシコ革命では30年間に150万人が犠牲となった。この地方のアシエンダも解体されたが、農園主の抵抗もあり、混乱が起こった。農民はテキーラ関連で働くことをやめた。100年前に950万リットルだった生産量が10分の1に激減した。しかし、作り続ける人もいた。テキーラに対する思い・誇りが留まらせた。
 11月2日孫たちが訪ねてきた。2つの文化が融合した死者の日。みんな墓参りする。先住民の踊りから始まり、夕方にはミサで終る。メキシコ革命後に、政府は二つの文化の融合を目指した。そこにテキーラがあった。第二次世界大戦中に転機が訪れた。アメリカのウィスキー生産量が激減し、テキーラの需要が高まった。さらに1968年にメキシコ・オリンピックが開催された。テキーラは世界中から来た人々を魅了した。テキーラ地方は再び活気を取り戻した。
 テキーラ・エクスプレスはテキーラ地方を巡る観光列車。一昨年世界遺産に登録されて以来、人気を博している。テキーラは飲み放題。マリアッチの演奏もある。


テレビ番組「うふふのぷ 地球家族スタイル メキシコシティ」

 2008年1月19日放送。コンチネンタル航空で行きました。

●メキシコシティ
 2000万人が暮らす標高2200mを越す町。アステカ帝国を滅ぼしたスペインによって築かれた街。カテドラル(大聖堂)、国立宮殿(大統領官邸)。町にはカラフルな建物があちこちにある。画家公園はアート・スポット。毎週日曜日にはアーティストの作品が所狭しと並ぶ。信号待ちの度に様々な商品を売る人が登場するので、風船の束とかが見える。
 サッカーのワールドカップを2回開催した。他にはど派手なマスクが有名なプロレス「ルチャ・リブレ」が人気。平均年収は1世帯あたり124万円。東京は617万円。一戸建ては東京が7900万円、こちらが2500万円。
 ラテン・アメリカ・タワー。地元の人が愛用する緑色のトレードマークのタクシーは初乗りが60円。

 マリア・ルイサ・アラゴンさん(36歳)のお宅を訪問。夫はビクトルさんで7人の大家族。3LDK112平方mの二階建てで現在の評価額3000万円?。部屋にはドアがない。洗濯は洗濯機はあるが、基本は手洗い。
 市場で買い物。タマネギ1kg70円(日本は200円)、アボカドは170円(日本870円)、サボテンの葉4枚100円。サラダにするとおいしい。生のサボテン・ジュースも体にいい。激辛唐辛子ハバネロ100g60円。メキシコではフルーツには唐辛子をかけてくれます。
 義父はイスラエルさんでアカプルコ市長などを歴任した名士。夕食はタコス。唐辛子、トマトを炒め、すり潰す。豚肉を茹で、サボテンに塩を振り鉄板で焼いて細く割く。食事前は必ずお祈りをして、トルティーヤに巻いて食べました。

 セレブなお宅を訪問。サラ・マルティネスさん(40歳)は4人家族。ご主人は内務省に勤めるミゲールさん。4人家族で平屋の一戸建てで4LDK(250平方m)で現在の評価額は4000万円。


テレビ番組「たけしの新・世界の七不思議2」

 2008年1月1日放送。ビートたけし、大江麻理子アナウンサーが司会。古代ギリシャのフィロンは数学者で旅行家だった。紀元前2世紀に世界で初めて七不思議を紹介した。この中でエジプトのピラミッドを除いて全て消え去った。2007年1月たけしは3つの不思議から第一の不思議を選んだ。つまり「マチュピチュ」、「楽山大仏」、ペルーの「ナスカの地上絵」の中から「ナスカの地上絵」を選んだ。
 今年選ぶのは、イースター島の「モアイ像」、マヤ文明「チチェン・イッツァ」、スリランカの「シーギリヤ・ロック」の中から1つ。

●イースター島
 南米大陸から3700km、タヒチから4000km。1000体のモアイ像、1個200トンを越えるモアイ像をどうやって運んで作ったのか。周辺の島や南米にもない文字を持っていた。ヨーロッパ人がやってきて文字の文化も破壊された。
 1722年4月5日イースターの日にオランダ人提督ヤコブ・ロッヘーフェンの率いる船が島にやってきた。彼はモアイ像に驚いた。木もなくロープも持たないこの島の人がどうやって建てたのかが不思議だと日記に書いている。
 パルパライン大学のホセ・ミゲル・ラミレス教授は、当時5000−1万人住んでいたという。12の部族に分かれ、それぞれの部族はその長が治めていた。食料はたっぷりあったという。その後、スペイン人探検家、キャプテン・クック、フランス人探検家たちがこの島に寄港している。1770年スペイン人ゴンザレスが寄港した際に、文字の文化を持っていることがわかった。ロンゴロンゴと呼ばれ、1500以上の形からなり、1行毎に上下逆さまにして読む。
 モアイ像はどうやって作られ運ばれたのか?10−16世紀に作られたというのがわかっている。ラノ・ララク山に作りかけのモアイが397体置いてある。数十km離れた場所いにどうやって運んだか?ノルウェーのトール・ヘイエルダールが地元住民に伝わる伝説に注目した。「彼らは海辺まで歩いた」。今回、高さ2.5mのモアイに対して、島民20名を6つのグループにわけロープで引っ張った実験をしてみた。1986年にヘイエルダールが実験した。京都橘大学の猪熊兼勝教授は、2艘の船を使って運ぶ方法を提唱した。しかし浜辺は2ヶ所しかない。しかし海に沈んだものもあるが、チリのダイバーが観光用に沈めた物でした。
 何故建てられたのか?ほとんどのモアイは海に背を向けている。1978年にうるしのようなものをのせたモアイが発見された。復元する際に初めて目が発見された。全てのモアイが目をもっていることがわかった。まわりはサンゴで中は黒曜石。18世紀の欧州人は「人々は石像の前で踊り、うやうやしく頭を下げていた」と書いていた。亡くなった部族の長や大切な人の名前がついていた。アフと呼ばれる台座から、人骨が丁寧に埋葬されて見つかっている。モアイは村を守るものだった。19世紀にはことごとく倒されていた。18世紀には食料争いが起きていた。そのために能力を持つモアイを倒すことが先決だと思われた。昔は豊かな森が存在していた。欧米人が奴隷を求めてやってきた。かつ天然痘という病気をもたらした。環境破壊が森を壊し、島が滅亡しかけた。
 ヘイエルダールは彼らがさつまいもを食べていたことから、アンデス地方から来たと考えた。またトトラと呼ばれる南米原産の葦のような植物が原生していて、それで船を作っている。巨石文明に通じるので、インカの末裔だと考えた。現在はポリネシアから来たと思われる。そのために、あやとりやコマがある。モアイ像に近いものがマルケサスやタヒチで発見されている。5000年前にアジアから太平洋に旅立った人だと思われている。
 ポリネシアのバヌアツで縄文土器が11年前に発見された。ミシガン大学教授のチャールズ・ローリング・プレイス4世が縄文人が先祖ではないかと考えた。頭蓋骨が酷似していることや、いれずみの風習が似ていることや、モアイのルーツも猿石などにあるという。マケマケという創造神はハート型の顔をしているが、埴輪などにハート型のものがあるという。モアイの中で正座しているものがあるし、ふんどしをしているものもある。

●チチェン・イツァ
 マヤはメキシコのユカタン半島に紀元前3〜紀元9世紀に繁栄し、突然消えた。発見された遺跡はほんの一部で、熱帯ジャングルの中に多くあると言われている。19世紀にフレデリック・キャザーウッドなどが多くの遺跡を見つけた。
 1922年11月26日イギリス人のハワード・カーターによってエジプト史上初めて見つかった未盗掘の墓からツタンカーメンの遺産が見つかった。その30年後にマヤで大発見があったことはあまり知られていない。
 1948年にアルベルト・ルスがパレンケの遺跡を訪れた。かつて欧米人によりユートピアに仕立てられたマヤの真実を探ろうとしていた。紀元7世紀頃に建てられた高さ35mのピラミッド(碑銘の神殿)に多数の碑文が刻まれていた。神殿の最上部にある瓦礫を取り除いていた時、穴が見つかった。そこには下へと続く階段があった。1952年、瓦礫を全て取り除いた後に、不思議な石版を見つけた。その奥には高さ7mの空間があり、彫刻を施した石があった。そこには宇宙船を操縦しているかのような絵と、マヤ文字が刻まれていた。石は5トンで、ジャッキで開けてみた。身長190cmを越える人物の骨があり、緑の光を放つ多くのヒスイのアクセサリーで飾ってあった。ヒスイと貝殻と黒曜石の仮面だった。値段がつけられないほどの貴重な品で、現在はメキシコ国立人類学博物館に展示されている。下の碑文が後に解読された。7世紀頃のパカル1世だった。他のピラミッドなどからも王の品が見つかった。
 13号神殿からも1994年にアルノルド・ゴンザレス博士が水銀が酸化されて赤くなった女性の遺体を見つけた。パカル王の碑文に11年前にツァクブ・アハウ王女が亡くなったことが書いてあるので、その王女だろう。1979年に亡くなったルスの墓はピラミッドを見上げる正面の場所にある。
 大河のほとりでもないのに、どうして文明が発展したのか?ここには3万人が暮らしていた。200m離れた場所にセノーテと言われる泉がある。直径60m、水面までは20mの泉。フリオ・セサル・ホイル研究員はユカタン半島にはこういうセノーテが大小あわせて2000以上あるという。ダイバーのロヘリオ・ミエル・オルテガさんの協力で潜ってみた。セノーテは洞窟のように横に広がっていた。鍾乳洞のような空間。10分泳ぐと地上の木の幹もあった。40分後、太陽の光が入る場所がある。別のセノーテだった。実はセノーテ同士がつながっている。セノーテは全長550kmの天然水路だった。
 6500万年前、巨大な隕石が地球に落ちた。その時開いたクレーターに土が堆積し、石灰質土壌になった。長い間かけてふった雨が地中にしみこみ、空洞の中に巨大な地下水脈ができた。一部が陥没してセノーテができたと考えられている。
 ククルカン神殿は巨大な暦になっている。4つの階段には18個の「きだん」があるが、これはマヤの月(ハアブ暦)にあたる。各面に91段の階段があり、神殿をあわせると、91x4+1=365段となる。春分の日と秋分の日に神と崇めるククルカンが姿を見せる。午後3時30分それは始まった。高度な天文学的知識と建築知識がないとできない技である。
 カタツムリ(カラコル)と名づけられた建物は天文台だった。屋根にあけた穴から星や太陽の動きを見ていた。マヤの暦では1年は365.2420日で、現代の365.2422日とほぼ一致している。ラモン・カラスコ博士は作物の種を植えたり、収穫する時期を知るために暦を利用したという。王が儀式を行なう時にも使った。新たに王につく時は日食の日などにしたのだろうという。また、5000年の暦も作っていた。
 生け贄の儀式があった。そのための特殊部隊があったという。捕虜は青く塗られ神殿の頂上に連れて行かれ、黒曜石のナイフで心臓を取り出され、心臓はチャック・モールと呼ばれる台座に置かれた。広場は球技場として使われていた。
 マヤによれば、かつて太陽は3度滅び、地球の文明は塗り替えられてきた。その弟4の太陽は紀元前3113年に始まり、5128年が経過するとその時代が終るという。それが2012年12月22日だという。マヤの長老フンバツメンは、人類が母なる自然を痛めつけてきたから、そのお返しがあるという。アステカ文明にも同じような言い伝えがある。アステカでは第一の太陽はジャガーに、第二の太陽は風に、第三の太陽は火の雨、第四の太陽は水によって滅びたが、第五の太陽は地震によって滅びるという。
 最近の本によると、フォトンベルト突入説が主流らしい。1910年にはハレー彗星の尾に入ると毒ガスで死ぬといわれていた。

●スリランカのシーギリヤ・ロック
 緑を敷き詰めた熱帯ジャングルに岩山がある。高さ200m、周囲420mのシーギリヤ・ロック。中腹には獅子の爪、頂きにはかつて建物があったことを示すレンガの基礎が残っている。これは1500年前に王が築いた宮殿。東洋のモナリザと称される壁画がある。
 最初に注目したのは1831年にイギリス軍人のフォーブスが、岩山の中腹に人工物と思われるものを見出した。日本の古事記に相当するスリランカの「マハーヴァンサ」には、歴代王の伝説が綴られており、岩山に宮殿を建てたカーサパ王のことも記録があった。これは架空の話にすぎないと思われていた。1851年再び岩山を訪れカーサパ王の宮殿であることを確認した。しかし、これは岩山だけではなかった。
 周囲を堀に囲まれた庭園は東京ドームの50個分以上。城壁は「蓮の水路」と呼ばれる堀で囲まれていた。ここにはワニが放たれていた。中には「水の庭園」があり、下水道施設があり、噴水が設置してある。ムーンストーン、アメジスト、金を贅沢に使った王妃のものと思われるイヤリングも見つかっている。庭園の中には1本の小道がある。奥は巨石庭園となる。昔はこの岩山には神が宿ると思われていて、麓には石窟寺院が数多く残されている。少し上がるとシーギリヤロックの発見につながった「ミラーウォール」と呼ばれる回廊がある。壁面は卵白、ハチミツ、石灰を混ぜたものが塗られて、鏡のような光沢をもっている。中腹の小さい広場にライオンの宮殿の入口がある。両脇には鋭いライオンの爪が鎮座している。以前はライオンの胴や頭部まであったという。急勾配の階段を上がる。王が使ったリフト跡も残っている。頂上には広さ4000坪の宮殿跡がある。レンガ造りの建築基礎が刻まれている。大臣や召使の住居も並んでいる。王の沐浴場や、王座の前にはダンス・ステージまである。
 1875年イギリス人役人のデイビットは、ミラーウォールの上に夕陽が当たり、洞窟に雲に乗った美女の絵が見えた。シーギリヤ・レディと呼ばれた。元々、人が近づける場所ではない。東洋のモナリザと称されるその微笑は、古代ギリシャ彫刻や日本の仏像に見られるアルカイック・スマイル。衣服を着た女性と裸体の女性がいる。裸体の女性が上の位らしい。現在は18人のレディが見られる。以前は500人のレディが描かれていたという。
 国立カラニヤ大学セーナカ・バンダーラナヤカ名誉教授に話を聞いた。10年前にミラーウォールに水をかけると現れた。ここにペンキが塗られたので発見されなかったようだ。調査隊長のチャンダナ・ヴィーラセーナ博士は、雲に乗っている黄金の肌の女性は雷、青い肌の女性は雨を表わすという。シーギリヤ・ロックに降る雨水は岩肌に刻まれた水路を通って下に下りて、庭園を潤していた。頂上には飲料水用の貯水池がある。極めて高度な灌漑技術があった。
 ミラーウォールはなぜ光るのか?これは未だ謎である。
 スリランカの町では獅子の姿が多い。国旗にも獅子がある。かつてはシンハラ王国と呼ばれていたが、シンハラとは「獅子の民」という意味。マハーヴァンサには紀元前5世紀、インドで獅子と姫の間に子供が生まれた。この子が親を殺し、子孫が開いたのがシンハラ王朝だった。5世紀、ダーツセーナ王は農業で国を富ませた偉大な王だった。2人の息子がいた。兄は身分の低い側室の子のカーサパで、弟はモッガラーナは正妻の子だった。王は弟に王位を譲るつもりだった。王と折り合いの悪かった将軍がカーサパを支持し、478年反乱を起こし、王を捕らえた。王に財産のありかを聞いたところ、王はカラー・ウェアという池に連れていった。これが農業の基になっていた。王はこれをカーサパに教えようとしたが、カーサパは王を堤防の壁に塗り固めて殺した。仏教では父親を殺すことは禁止されている。後に王の愛情が理解できたカーサパは悔いた。さらにカーサパは傀儡にすぎず、将軍が実権を握り、人民に圧制を強いた。カーサパ王は国民の反感を買い孤立した。ある日、夢を見た。父の意志を知りたいなら、父の道を辿れといわれた。辿ってみて、岩山にたどり着いた。ここに灌漑をしようと決意し、宮殿も造った。絵を描かせたのは、蓮の葉に乗り寺院にお参りに行く様子だといわれている。父親に対する懺悔の念を表わすものだった。11年後、インドに逃れていた弟が帰ってきて、都を制圧した。カーサパは自害した。シーギリヤロックは父親への深い愛情と畏敬の念をもったカーサパの償いだった。

 ということで、マヤのチチェン・イツァが選ばれました。


テレビ番組「世界の絶景 新世界七不思議」

 2007年12月30日放送。世界七不思議は定義は曖昧だったが、2007年7月7日に新世界七不思議財団により、全世界から1億票の投票で新世界七不思議が決定した。ペルーのマチュピチュ、メキシコのチチェン・イッツァのピラミッド、ヨルダンのペトラ遺跡、インドのタージマハル、イタリアのコロッセオ、中国の万里の長城、ブラジルのコルコバードのキリスト像。新世界七不思議財団のバーナード・ウェーバー会長が説明してくれました。
 司会は内藤剛志、久本雅美さん。審査員は橋田壽賀子、優香、さまぁ〜ず、船越英一郎、ベッキーさん。フジテレビ製作。

●タージマハル
 350年前、22年の歳月をかけて建てられたお墓は世界一美しいといわれている。全て大理石、2万人の職人が集められた。いたる所に金や宝石が施され、国が傾くほどの総工費だった。たった一人の女性のために建てられたお墓。
 成田からはデリーにJALが毎日飛んでいる。10時間の旅。ここから南南東へ車で9時間でアグラ Agra に到着する。酒井敏也、田中要次さんが旅をして、スワッティーさん(19歳)が案内。
 まずは東門。敷地面積5万坪。東京ドーム4個分。2つ目の門をくぐると見える。この正門も立派です。通りすぎるとタージマハルが遠くにある。荘厳。
 皇帝シャー・ジャハーンが36歳で亡くなった愛する妻ムムターズ・マハルのために建てたお墓。高さ65mのドームを中心に左右対称になっている。建築の際には、イタリア、フランスなどから職人が集められた。アーチには楽園をイメージした花が細やかに装飾されている。
 この白さを守るために、1500m以内は車では入れない。

 黒いタージマハルがあるという。デリーは人口1300万人。ここで情報を集める。ヨガをしている公園でヨガを体験。サロ・ジャニ・ナガル・マーケットの市場に行ってみた。インドのお札には17種類の言語で金額が書かれている。タージ・パレス・ホテルのマネージャーのカランジット・シンさんから話を聞いたところ、「アグラのタージマハルを建てた石彫り職人の末裔がそう言っていた」という。

 アグラに行って、職人に会い、妹さんに案内してもらった。小さな集落を抜けて15分車で走り、さらに林の中を歩く。夕陽の中に黒く見えるタージマハルが見えました。
 皇帝は自らの墓として対岸に黒いタージマハルを建てようとしたが、願いは反対されて叶わなかった。

●ヨルダンのペトラ遺跡
 ペトラはギリシャ語で岩を意味する古代都市。紀元前に築かれたという。長い間、世間から忘れさられていた。インディ・ジョーンズ「最後の聖戦」で宝が眠る神殿として使われた。ここに住んでいたのはベドウィンと呼ばれる砂漠の民。今もラクダや羊を放牧する生活を送っている。
 首都アンマンまではドバイを経由して成田から15時間。要潤さんが旅をして、ベドウィン族のサーレムさん(34歳)が案内。国土の8割が砂漠というヨルダンを車で1時間走る。目の前に死海が広がる。生物が住めない死の湖。広さは琵琶湖の1.5倍。要さんは泳いでみた。水温20度。普通の海の塩分は3%だが、ここは30%。波うち際には塩の結晶がある。

 3時間で岩山が見えてみた。岩だらけ。どこに遺跡があるかわからない。シク(割れ目)というペトラの入口がある。これが1km続く。高いところだと100mあるそうです。昔は川が流れていたためらしい。
 そしてペトラ遺跡エル・ハズネ El Khazneh が目の前に見えた。ビル10階建の高さがあり、紀元前1世紀頃にかつてこの地に住んでいた砂漠の民が作ったもの。エル・ハズネはアラビア語で宝物殿という意味。しかし宝の形跡は全くなかった。中央上の柱に小さな穴がある。盗賊が銃を撃った跡らしい。
 さらに奥にはまだいくつもの遺跡群がある。王家の墓(1世紀〜2世紀頃)。まだ発掘中のものも多く、謎が多い。最大の謎は「雨が年に数日しか降らない場所で、なぜ高度な文明が栄えたのか?」。
 崖に沿って溝が通っていた。これは水道管だった。町の外の6km先の泉からひいていたそうです。
 ろばにのって絶景を観にいく。階段をろばが登る。次は崖の横をろばが通る。1時間降りて、ここから歩く。1時間後、特別な場所に到着した。高いところからエル・ハズネが見えました。

●久本が選ぶロマンチックな絶景
 イタリアの青の洞窟。ネパールのエベレストを独り占めできるホテル。モナコの世界一セレブな絶景。スウェーデンのダイヤモンド・ダストが降り注ぐアイス・ホテル。ドイツの世界一ロマンチックなお城ノイシュヴァンシュタイン城。フィリピン・エルニドの誰も知らない秘密のビーチ。アイスランドの10年に1度の奇跡のオーロラ。

●メキシコのチチェン・イッツァのピラミッド
 ギザのピラミッド以外にも、先の尖ったものとしては、スーダンのゲベル・バルカル、イランのチョガ・ザンビール、ミャンマーのバガン、メキシコのティオティワカン、グアテマラのティカルなどがある。
 メキシコ周辺で4世紀〜10世紀頃に最も栄えたマヤ文明の遺跡。非常に高度な天文学の知識を持っていた。天文台の遺跡エル・カラコルがあり、非常に精密な暦を作り出した。
 日本からはカンクンまで15時間。上原多香子、紺野まひるさんが旅をして、グスタボ・フラボソさん(32歳)が案内。カンクンは白い砂のビーチとカンクン・ターコイズブルーのカリブ海。
 チチェン・イッツァまでは車で2時間半。ジャングルの中の1本道を飛ばす。遺跡の手前からは歩いて到着。
 何のために作られたのか?マヤ文明の神を祀る神殿だった。階段の一番下にはヘビの頭がある。ククルカンという神で、穀物の豊作を願った。頭しかない。階段は2年前に観光客が転落事故をして登ることが禁止された。特別に許可をもらい、角度45度の階段を登った。階段の段数にも秘密がある。91段あり、4つの階段があるから、364、これに最上段の1段があり365となる。18回の段差はマヤ文明の1年の月を表している。最上段から見たジャングルは絶景。
 秋分の日と春分の日に見られる秘密がある。エンカデナTV局のプロデューサーのダビ・コロナさんに貴重な映像を見せてもらった。ククルカンのヘビの姿が現れていました。これを見てマヤ人は種まきの時期を知ったそうです。

●コロッセオ
 2000年前に皇帝は民衆の支持を得るために、巨大な競技場を作り民衆を楽しませた。
 日本からはローマまで12時間。三船美佳、スティーブン・セキルバーグさんが旅をして、マルコ・ベルッティさん(38歳)が案内。コロッセオは元は白かったが、排気ガスで黒く見えるとか?中に入る。今は床がなくなっているが、当時は砂の床があり、アレーナと呼ばれていた。地下には剣闘士の収容施設や猛獣と剣闘士を地上に運ぶエレベーターもあった。トイレがないのも謎です。
 町に出る。スペイン広場。「ローマの休日」では男性が腰をかける前の時計台の時刻は2時40分だが、腰をかけた後は5時になっている。
 三船さんは18年前の7歳の時に家族で行ったレストラン「サバティーニ」に行った。オーナーのスルベストラ・サバティーニさんに会った。「手長海老のブリュレ」をいただいた。
 コロッセオの夜景。ライトアップされてきれいです。

●内藤が選ぶ困難の後の絶景
 バヌアツの青く輝く神秘の湖は、ラピスラズリが溶けたもの。アルゼンチンの崩壊する巨大なペリトモレノ氷河。スイスのアルプスの超パノラマをパラグライダーで体験。ロシアのカムチャッカ富士のイリンスキー山は、クマの群れの中を通ってみる。気象の変化が激しく滅多に全貌を見せない。ボリビアの天空4400mのエメラルドの湖ラグーナ・ベルデは、銅が溶けているため。ベネズエラのエンジェル・フォールの落差は979m。水は霧になってしまい、滝つぼは存在しない。

●万里の長城
 2500年かけて作られた全長6000kmの長城。騎馬民族の侵略を防ぐために作られた。東の果ての関所は山海関で海になっている。西の果ては川で終っている。年間観光客は1000万人以上。誰もいない万里の長城もある。
 成田から北京まで3時間。川合俊一、misonoさんが旅をして、殷銘さん(40歳)が案内。
 まずは八達嶺長城に行く。入場料45元(720円)。ロープウェーは片道40元(640円)。人気の理由は、1952年に最初に観光地化され、修復されて整備が進んでいて、北京から車で1時間のところにあるから。まずは北八楼まで行った。人が多いので、絶景とはいえないようです。一番人気は長城記念マグカップ40元で、写真を撮って、それを貼ってくれます。
 東に10km、山の中へ進んで行く。門番がいて説明して通過する。アジアを代表する建築家達が設計したリゾートホテルがある。一番人気のコテージは日本人による竹屋。吉永小百合さんのシャープのアクオスのCMで使われた場所でした。1泊料金は45万円。敷地内に長城があり、宿泊者以外は立ち入り禁止。
 午前6時に出発。マイナス9度で朝8時までに山の頂上に行く。がんばれ、は中国語で加油(チャーユ)。到着した。長城の人が歩いている部分には草木が茂っていました。修復前の長城で、誰もいない。さらにその向かいの山に絶景があるという。がれきの山を越えて8時までに到着。どこまでも続く絶景が見えました。

●マチュピチュ
 インカ帝国は15−15世紀に栄えた南北4000kmの大帝国。言語の違う80の民族、人口1000万人を50年で統一した。鉄製の道具がないので、全て石製のもので石を切り出し、車輪を持たないので、人力で山の上に運搬した。何故この場所に都市を作らないといけないのかわからない。インカ帝国は文字を持っていなかった。
 保坂尚希さんが旅をして、マチュピチュをさらに高い場所から見た。マチュピチュはコンドルの形をしている。人間の無限の力を見せた遺跡でした。

●ブラジルのコルコバードのキリスト像
 南米で最も有名な建造物。日本人は見たいという希望者は少ない。リオ・デ・ジャネイロのコルコバードの丘に建つ高さ30mの巨大な像。年間180万人の観光客が訪れるという。何のために建てられたのか?
 80年前にブラジル独立100周年を記念して建てられた。大量の石材をフランスに送って作った。それが分解され、また戻ってきて建てられた。のべ5年間かけて建設された。腕の部分を命綱をつけないで掃除することが、18年前にあまりにも危険なので中止された。


テレビ番組「世界遺産 メキシコ・サカテカス歴史地区」

 2007年11月18日放送。16世紀のメキシコはスペインに支配された。地下には銀がたくさん埋まっていた。そこに町ができ繁栄した。スペインの栄光を支えた植民地の銀鉱山。その陰では先住民が力尽きるまで働かされていた。銀がもたらした功罪について考える。

●メキシコシティ
 人口2200万人。町を行き交う顔にこの国の歴史が見える。先住民、ヨーロッパ人、アフリカの血が混じった混血の人が国民の大半を占める。スペイン人は先住民の文化を根こそぎ壊し、その上にカトリックの文化を植え付けた。ソカロ広場は、アステカの神殿があった。破壊した石などを用いて天空の都市は作られた。

●サカテカス
 メキシコシティから北へ530km。通称「銀の道」の行き着く場所はメキシコの運命を変えた。1546年スペイン人は突如足を築いた。理由は銀の鉱脈を発見したから。次々見つかる宝の山となり、サカテカスは美しい都へと変化した。500年経過する今も銀が町を支えている。植民地時代には本国スペインに送られ繁栄の源になった。膨大な量はヨーロッパの経済を左右した。
 標高2300m、鉱山の谷間にあるサカテカスは坂道の町。「マラ・ノーチェ宮殿」は銀で巨万の富を得た貴族の豪邸。建物には周辺で取れる赤味がかった火山岩がふんだんに使われている。サカテカスはピンク・シティという愛称がつけられた。
 必ず豪勢な教会が建てられた。最も古い歴史を持つサント・ドミンゴ教会。教会は植民地支配の要でした。カトリックの重要な資金源となった。メキシコ北部からカリフォルニア州、テキサス州にまで布教活動が及んだ。礼拝堂の壁を覆いつくす黄金のレタブロ。贅の限りを尽くした装飾に人はみな息をのんだ。支配者の強大な力も示した。
 1993年世界遺産に登録されたが、その裏には残酷な歴史もあった。現在もメキシコは世界最大の銀産出国であり、その半分以上はサカテカスで発掘される。銀の大半は工業製品への利用で、宝飾品や硬貨への利用はわずか。以前は写真フィルム、最近ではパソコンなどのハイテク製品に多く使われている。
 ブファの丘。サカテカスの象徴がここにある。最初の鉱脈はここで見つかった。シルバー・ラッシュが巻き起こった。しかし、どうやってスペイン人は銀山を見つけたのか?現地の歴史研究によれば、彼らは鉱脈は赤土の下にあると信じていたという。サカテカスの岩山はそれで目をつけられた。銀山の穴が多く残る。エル・エデン銀山は300年は採掘が続いた。固い岩盤は今も銀を含んで怪しく輝いている。
 当時の銀の精製法は、細かく砕いた銀の石に水銀を加える。しばらくすると水銀に銀が溶けていき、これから銀を抽出する。とても危険な方法だった。暗く深い穴の中での労働は苛酷だった。先住民が労働させられた。働かせるために、重要な役割を果たしたのが、カトリックの布教活動だった。メヒカパン礼拝堂が建てられた。先住民を強引に洗礼させたケースもあったという。魂までも制服させることに激しい抵抗もあった。褐色の肌のマリア像、伝道師たちは工夫しながら、粘り強く改宗させた。
 「イグナシオ・ペルナルデス荘園」のような貴族の荘園で奴隷のように働かされた。さらにスペイン人が持ち込んだ伝染病が蔓延した。先住民は10分の1に減った。スペイン人は道具を取り替えるかのように、アフリカ人を連れてきた。先住民の作ったマスク。邪悪なものを表わすマスクに白人の顔を模したものがある。征服されてからも頑なに拒み通した部族もいた。ウイチョールと呼ばれるこの地域で最後の先住民族は、山奥にいたため難を逃れた人々の末裔。ロベルト・パラ?さん一家は5年前に山を降りて町で暮らし始めた。民芸品を売って生活するが、貧しい生活を送っている。山は彼らにとって神聖な場所なので、掘り返して売る行為は許されないという。最近では彼らの村でもカトリックへの改宗が進んでいるという。
 町の中心にそびえる大聖堂「サカテカス大聖堂」はメキシコの歴史を象徴する見事な建築。巨大な扉にカトリックには珍しいシンボルが見られる。自然崇拝を意味する月と太陽。これはキリスト教の布教が土着の信仰を取り込みながら行なわれたことの証し。ゴシック建築の上に圧倒的な数のレリーフに覆われたファサード。部分だけに目をやれば先住民の古代神殿と見まごう人もいるかもしれない。キリスト教の聖像が彫られていても、メキシコ人の宇宙観が表現されている印象を受ける。先住民の衣装をまとったカトリック伝道師の姿も見える。
 20世紀初めにサカテカスは没落する。銀山が次々閉山された。主な理由は地下水による水没だった。歴史研究家のカルロス・アラトーレさんもそう語る。一度は衰退した銀産業。21世紀に入ろうとする頃から復活した。コンピュータ部品による需要が増え、採掘を再開した。


テレビ番組「世界遺産 メキシコ・リュウゼツラン景観とテキーラの伝統的産業施設群」

 2007年10月28日放送。メキシコ人に欠かせないのがテキーラ。火山の砂に果てしなく続く畑。リュウゼツランがそこに咲く。テキーラが生まれたのは歴史の皮肉なめぐり合わせだった。スペイン人が現地人の酒を蒸留酒に変えた。その産業施設と景観は2006年世界遺産に登録された。

●ハリスコ州 Jalisco
 メキシコの中央高原。テキーラの故郷は、標高2000mを越える丘陵地にある。円形のピラミッド「グァチモンドネス遺跡」は2000年以上前にこの地に暮らした先住民が建てた物。このあたりの地層は加工しやすいふくよう石?をふんだんに含んでいる。そのために先住民たちは石で様々な道具を作り豊かな生活を送っていた。
 テキーラとは先住民の言葉で「収穫する場所」を意味する。人々はこの地でリュウゼツランを栽培してきた。60年もかけて栽培し、やっと花が咲く。厳しい乾燥地帯で暮す人は、この生命を女神アヤウェル?として崇めた。貴重な資源として生活の中で様々に活用してきた。葉から取れる汁はぬり薬や解毒剤、繊維は布、紙、丈夫な葉は建築材料などになった。リュウゼツランには古い言い伝えがある。ある日雷が鳴り、甘い匂いがしてきた。そしてアルコールの素になると気がついた。

 雨季の6月の満月の日にリュウゼツランの種の植付けが行われる。その日に植えると健やかに育つと信じられている。一方で収穫時期は決まっていない。育ったものから1年を通して刈り取られていく。火山のすそ野の荒れた地が緑となるまで人々は気の遠くなるような歳月をかけて耕してきた。水分を少ししか与えなくても育つリュウゼツラン、その中でもテキーラの原料にできるのは、この地独特のウェーバー変種と呼ばれるものだけ。根元の成分が酒作りに使われる。コアという独特の桑を使って手作業で収穫する。これは300年前から変わらない。葉を落としたものはピニャと呼ばれる。その意味はパイナップル。運ぶのはラバで1個が50kgにもなる。
 ピニャはすぐに酒造所に持ち込まれる。エル・コロンピオ? El Columpio 醸造所はホセ・クルスさんが経営する。この道35年。昔ながらのやり方でテキーラを作り続けている。ピニャは約30時間かけて蒸す。蒸して寝かせて糖分が生まれる。これを砕いて汁を絞ると6日目でアルコール発酵が始まる。これを蒸留してテキーラとする。純度100%の贅沢なテキーラ。
 収穫する場所というテキーラという名がつけられた町。トラックでピニャが運ばれてくるが、品質が悪いと全て返却される。テキーラという名前が付けられるのは、この地と周辺で造られるもので、ウェーバー変種が使われたものだけ。同じ原料でも他の土地で生産したものはテキーラとは呼べない。
 町にはとびきりのテキーラを出すバーがひしめいている。「カンティーナ Cantina 」は町で最も歴史のある店で、ここの常連たちに正しいテキーラの飲み方を教えてもらった。まず左手に塩を振り、テキーラを飲み、塩をなめ、ライムを口に含み、さらに飲む。ライムと塩を使うのは、喉が焼けてしまうのを防ぐ昔からの智恵。オーナーのドン・ハビエルさんの自慢はオリジナル・カクテル「バタンガ」で、40年以上前に考案し、メキシコ中で人気を博した。ライム1個、テキーラとコーラを1対1。美味しさの秘密はライムを切ったナイフで混ぜること。口の周辺に塩をつけている。
 様々な種類があるテキーラは蒸留後の仕上げ方で、種類が分かれる。極上の1品は、かつては貴族たちだけの楽しみだったアニェーホという名の高級テキーラ。蒸留した後にさらに樽詰めし、長期間熟成したもの。無色透明だったものが琥珀色に変わり、濃厚で丸みを帯びた味に変わる。
 16世紀、メキシコはスペインに征服され、ヨーロッパの文化がもたらされた。以前は先住民はリュウゼツランを発酵させただけのお酒を飲んでいた。蒸留法によりスピリッツが生み出された。これがブームとなった。貴族たちは自分たちの領地でこぞってこの酒を作った。そして町が繁栄した。19世紀から続く名門の蒸留酒会社「ヘラドゥーラ?社」。ここでは荘園時代のものが今でも現役で使われている。90歳になるフェリックス・サンチェスさんはこの会社に60年も勤めていた。退職後も敷地内に暮らしている。
 19世紀のゴールドラッシュ、20世紀のメキシコ・オリンピックでテキーラの名前は世界中に広まった。最近は外国資本による買収の手が伸びている。テキーラ醸造所の「エル・コルンピオ?」のホセ・クルスさんはお金ではなく、自分の道を選んだ。


テレビ番組「地球街道 城戸真亜子さんでメキシコ」

 2007年9月22、29日放送。

●フリーダ・カーロ
 今から100年前フリーダ・カーロ(1907-54)という偉大な女性画家がメキシコに生まれた。城戸さんは彼女の絵を見るためにメキシコにやってきた。ここで絵を描きたい。
 フリーダはすごく人気があった画家のようです。彼女は生涯、自画像を描いた。メキシコの人に愛される理由はその生き様にある。18歳の時、事故で脊髄などに深刻なダメージを受けた。その後遺症は重く、唯一の希望はベッドの上で絵を描くことだった。22歳で画家ディエゴ・ビエラと結婚したが、夫の度重なる浮気が彼女を苦しめた。悪化する病状に30回を越える手術。自分と戦いながら、彼女は自分自身を描き続けた。今年はフリーダの生誕100周年。芸術宮殿では盛大な回顧展が開かれた。城戸さんは代表作「折れた背骨」の実物をこの目で見た。自らの秘密を暴露する画家の悲しい眼差し。

●メキシコシティ
 宿泊は「カサ・ビエハ Casa Vieja」。ここはスペイン統治時代のコロニアル調のホテル。フリーダの絵が描かれている壁、冷蔵庫などがある。これは自画像の模写。
http://www.casavieja.com/

 「青い家 Casa Azul 」は鮮やかな青で塗られた平屋建の家。フリーダの生家であり、晩年を過ごした家。アトリエは気持ちが部屋にも染み付いているような気がする。ベッドの真上には鏡があった。痛んだ背骨を支えていたコルセットもあった。ダイニングには先住民族の様々な民芸品が飾られている。フリーダは欧米のファッションが流行していた時代でも、好んで先住民族の衣装を身にまとっていた。

●サン・パブリート San Pablito
 メキシコシティの北東。マヤ・アステカ文明の時代から紙を作り続けている村。数ある工房のうちの一軒「ファン・サントス&ファウスト・サントス・ロハス」を訪問。アマテ紙は木の皮みたいな感じ。色や模様も木の質感を出している。材料は樹皮を長時間煮込んだもの。白い紙を作る場合は漂白する。しかし和紙のようにすくことはしないで叩く。仕上げにはオレンジの皮で拭く。皮の表面が自然のやすり代わりになる。城戸さんもやってみました。80点くらいの出来らしいです。

●テオティトラン・デル・パジェ
 南東400kmの太平洋沿岸の町。古代サポテカ族が一大文明を築いた地。毛織物業に携わっている人が多い。そのうちの「ラ・グラナ織物」を訪問。機織の機械が並ぶ。ベニート&ロサリオ・エルナンデス夫妻が案内。飾られていたのは鮮やかな様々な赤色の織物。この赤色の原料はウチワサボテンに寄生するコチニーヤ(エンジムシ)という虫。外から見ると白いが、潰すと真っ赤。コチニーヤは乾燥させてから潰す。黒い粉末。レモンの汁などの酸性を入れると赤くなり、アルカリを入れると黒くなる。植物の藍から取るインディゴ(青)、黄色はカレー粉。これらの染料を混ぜ合わせながら織物を染めている。

 どこか不明ですが、ふさわしい場所を見つけて、アマテ紙にコチニーヤの絵の具を使って絵を描きました。山の影はインディゴの青、日の当たる場所を染めるのはコチニーヤの赤。

●メキシコシティ
 市内にカバの像があり、ベンチになっている。面白い格好をしたものがあるが、それもベンチ。建築家やデザインアーによる企画展示。

●ソチミルコ
 世界遺産。派手な屋形船がズラリ。ここは水郷で、かつての湖の名残で、今は市民の憩いの場。農家のアルベルト・チャベスさんに水郷の奥地を案内してもらった。畑には高さ4mの巨大なトウモロコシ。水郷の中の泥を畑の土とする。あとは種をまくだけで肥料は要らない。ここに古代アステカ文明発展の歴史が隠されていた。ここの土地は湖を埋め立てた小島。かつてはメキシコシティも湖だった。アステカ族はここに杭を打って囲い、チナンバ(浮き棚)を造り、泥を汲み上げて畑とした。チナンパというこの農法で生産量は飛躍的に増大した。湖の小島はやがて、世界有数の都市テノチティトラン(現在のメキシコシティ)となった。今も水郷の際に杭が打ってあるのは、柔らかい土の崩れを防ぐため。古代農法のさることながら、この水郷の眺めもよい。

●グアナファト
 メキシコシティの北西。カラフルな町で、入口には長いトンネル。奥には隙間もないほど多くの縦列駐車。横にもトンネルがある。抜け出るとまたトンネル。車を止めて、上に上がってみると、町の中心部だった。
 16世紀、銀鉱脈の発見とともに生まれた町。銀の採掘がわずかとなった今日は、観光と学問の町として賑わっている。
 ある建物の壁に「Inundacion 1.Jul.1905」と書いた青い札が多くある。これは1905年の大洪水の時の水位を示している、と店主のマリアノ・アルフェレス・ゴンザレスさんは語る。地下道になっている部分が川だった。実はあのトンネルは過去は川だった。密集してきたので、1950年代に川に蓋をして車道とした。
 町で一番の眺めはある高台。メキシコの中でも指折りのカラフル・シティといわれている。夜になると、町のあちこちから歌声が響く。グアナファト名物の楽団エストゥディアンティーナ(学生の音楽隊)。元々はスペインが発祥の地で、週末には地元の人も観光客も一緒になって練り歩く。

●レアル・デ・カトルセ
 もう一つの銀の町。その途中に、とても大きな虹が出ていました。今はメキシコは雨季。ここに世界で最も長い石畳の道かもしれない、全長24kmの道があった。
 石畳の道は果てしなく続く。道はやがて深い山間へと続く。たとぢ着いたレアル・デ・ガトルセの町はひっそりと静まりかえった町だった。
 18世紀後半、銀の発見と共にできた町。一時はメキシコ第三の銀の発掘量を示し、人口は2万人となった。しかし、急速に産出量は落ち込み、1940年代には人口はわずか200人となった。最も近年はそのさびれた町が人気となっている。
 ホルヘ・キハノさんはこの町で何代にも渡って暮らしてきた。一番気に入っている場所「闘鶏場」。ホルヘさんが8歳の時に鉱山が閉鎖され、人々は去っていったという。
 さきほどの石畳は1965年に市長が立派な石畳の道を造ることを思いついた。元々は銀を運ぶための鉄道が敷かれていた。その後砂利道になっていたのを石畳にした。車がゆっくり走るように、石畳にしたそうです。


テレビ番組「探検ロマン世界遺産 メキシコシティー」

 2007年8月4日放送。廣瀬智美アナウンサーが案内。メキシコ・シティーは人口2000万人を抱える巨大都市。古代文明の栄華、スペインによる植民地支配、独立後の光と影などの数奇な運命の中でも、メキシコの人は独自の文化を育んできた。

●メキシコ・シティー
 現在の街並みは16世紀に植民地にしたスペインによって造られた。当時の面影を残す旧市街の一帯が世界遺産。国土の1%に満たないこの街に国民の20%が暮す。
 街の中心の「中央広場」はぽっかり穴が空いたような広さ。国旗以外には何もない、150m四方の巨大な空間。大道芸人もいるし、政治集会もある。周辺には植民地時代の建物が数多く残されている。高さ67mのラテン・アメリカ最大級のカトリックの大聖堂。この大聖堂は16世紀から250年の歳月をかけて築かれた。メキシコ国民の90%が信仰するカトリック。その頂点に立つ大聖堂。祭壇は高さ24m、「諸王の祭壇」。スペインから著名な画家が呼ばれ、メキシコで取れた大量の金が使われた。1521年、スペインはメキシコを征服した。布教の拠点となった大聖堂を豪華にして、先住民に権威を見せつけた。

 路地裏に入ってみると、薬草や生薬の市場がある。ガラガラヘビは煎じて飲めば血がサラサラになるし、ガンにも効くそうです。スカンクは喘息や気管支炎に効くそうです。市場の奥にひっきりなしに人が訪れる場所がある。お店の二階に上がると、悩みを抱えた人がお祓いを受けていた。そして床にまいたアルコールに火をつけた。

 絢爛豪華な大聖堂よりも人々が多く訪れる寺院がある。グアダルーペ寺院で、30年前には新しい礼拝の場も建てられた。ミサは朝6時から夜8時まで1時間おきにある。そのたびに5000人収容の座席は一杯となり、立ったままの人も多い。祀られているのは聖母マリア。グアダルーペの聖母と言われている。マリアは黒い髪と褐色の肌。ミサの後に人々はマリアの近くに近づく。混雑を避けるために、動く歩道が造られている。祭壇の裏にある絵の周りにも人の波が絶えない。祈りを捧げるために、国中から人々が集まってくる。一生に一度は訪ねたい聖地。様々な問題を抱える人に救いを与えてくれる。
 スペイン征服後の1531年の冬、ファンビエゴ?という名の先住民が丘の上を歩いていたら、聖母の姿が見えた。ディエゴは大司教に伝えたが、信じてもらえなかった。冬に咲かないバラを持っていって信じてもらえと言われ、大司教の前で見せると、聖母の姿だった。

 大聖堂には意外な秘密が隠されている。メキシコ文化芸術審議会のフリオ・バレンシアさんが案内してくれた。階段で地下に降りると、歴代の大司教が眠っている部屋がある。壁には彼らの遺骨が納められていた。初代大司教の像もある。ドクロの彫刻もある。他の部屋にはアステカ帝国時代のピラミッドの石垣もあった。つまり大聖堂のある場所はアステカ時代も都の中心だった。数多くの神殿や学校、球戯場があったという。上下水道も整っていた。スペイン征服の前には人口は20万人だった。都の周囲には巨大な湖が広がっていた。都は小さな島に築かれた水上都市だった。アステカ帝国は200年に渡って繁栄を極めた。太平洋岸からメキシコ湾岸に及んだ。
 テンプロ・マヨール(大神殿)遺跡。別の一面もある。チャックモールというの手に持っている入れ物には人の心臓を入れたという。大神殿では頻繁に生け贄が捧げられた。生け贄を手に入れるために、他の国との戦争も行なった。
アステカは森羅万象に神々が宿ると信じる多神教の社会だった。神々は常に恵を与えてくれるわけではない。洪水や干ばつももたらした。人々は最も大切なものを犠牲にすることで願いを叶えてもらおうと考えた。シベ・トテックの仮面が残っているが、作物の実りを司る神。口の下にもう一つの口があるが、捧げられた生け贄の皮をかぶっているため。太陽の石。
 16世紀はアステカ帝国の繁栄は絶頂にあった。中央広場に面して石造りの巨大な建物が面している。国立宮殿。アステカの都の中枢の宮殿があった。ここの建物の中には巨大な壁画が描かれている。ディエゴ・リベラの「メキシコの歴史」。1519年、突如海の彼方からスペイン人がやってきて、鎧、鉄砲、騎馬軍団によりアステカは破れた。スペイン人はこの地を「新スペイン(ヌエバ・エスパーニャ)」と呼び、300年支配した。壁画には「エルナン・コルテスの上陸」という壁画もある。ムチで先住民を酷使し、金や銀を採掘した。都は徹底的に破壊され、その石を使って大聖堂や宮殿が造られた。アステカの神々はうち捨てられ、半ば強制的にカトリックへの改宗が行なわれた。メキシコ文化芸術審議会のフリオ・バレンシアさんは、征服により混血の子が生まれた、それが今のメキシコ人で、征服という暴力によって生まれたという。彼らはどちらの社会からも受け入れられず、差別を受けた。
 1821年メキシコ独立。毎年9月16日の独立記念日前夜には盛大な行事が行われる。現在、国民の80%が複数の血を受け継ぐと言われるが、まだ傷口は癒されていない。メキシコは貧富の差が激しい。路上で火を吹いてお金を稼ぐ大人もいれば、車の窓拭きをしてお金を稼いだりする子供がメキシコシティだけで数万人いるという。街外れの岩肌にへばりつくように建ち並ぶ家々。この国では肌の色が濃い人ほど底辺に置かれるという統治時代の構造が未だに尾をひいている。

 グアダルーペ寺院はとりわけ貧しい人々から絶大な信仰を得ている。この聖母マリアの絵を目指し、人々は痛みをこらえて70mを膝をついて歩く。聖母にお願いしたら奇跡が起きたので、感謝でそうしているそうです。膝が擦り切れ血がにじむ人もいるが、歩みは止めない。願いを叶えてもらった人は必ずこういう風に御礼に来るという。グアダルーペ寺院の神父ファン・オルティスさんは、「願いを叶えてもらったら自分も犠牲を払う必要があると考えている。アステカ以来の先住民の血が流れている。混血の子たちは身寄りのない状態だった。聖母は彼らの命に意味を与えた。」という。
 ミサが終った後の寺院前の広場では、郊外の村からやってきた一団は、年に1度、村に伝わる踊りを披露する。270km離れた村からやってきた一団は、「羽根飾りの踊り」という民族舞踊を行なう。アステカの貴族が身につけたような鳥の羽根の飾りを頭につけている。別の一団は羽根飾りをつけ、スペインから伝わった弦楽器を弾く。輪の中に置かれた幼子イエスの頭にも羽根飾りがある。メキシコ人の歴史が他では見られない独特の信仰の形を生み出していた。
 祖父の時代から踊りを奉納してきたフェリペ・アギラさん(60歳)の自宅を訪ねた。苦労の末に手に入れた平穏な日々。孫と毎日欠かさず行なうのは、寝室に飾られたグアダルーペの聖母へのお祈り。ある日グアダルーペ寺院の礼拝堂で行なわれる特別なミサに参加した。仲間が特別な衣装で踊りを踊っていた。アステカの羽根飾りをつけたカトリックの神父と共に、踊りを踊った。
 教会は1週間に1度、アギラさんたちの意見を取り入れて、アギラさんたちのやり方でミサを行なうことを決定した。500年の歴史の中で初めてのことでした。スペイン人でもなく、アステカ人でもなく、メキシコ人として誇りを持っています。


テレビ番組「謎の文明 神秘の至宝 インカ、マヤ、アステカ」

 2007年7月16日放送。8年前アンデス山脈でミイラが発見された。まるで眠るような姿。かつてアンデスで栄えた文明の様子がわかってきた。今から500年前、中南米には3つの文明があった。インカ、マヤ、アステカ。蘇った至宝からその文明を探る。NHK製作。

●ペルーのケウエ村
 毎年村人総出で巨大な綱を作る。断崖にかけたつり橋を修復するため。ここに初めて橋を渡したのはインカ。15世紀にインカ道を作った。マチュピチュから続く断崖絶壁。インカ道で使われたのはキープと呼ばれる縄の束。文字を持たないインカでは、結び目の数や位置で実情を皇帝は入手した。また食料も行き来した。各地に貯蔵庫があった。
 砂漠で発見されたのはミイラ。

●マヤ
 2000年に渡って栄えた。70ほどの都市国家が作られた。チチェン・イツァーには王がまつりごとを行なったピラミッドがそびえる。3月21日にはマヤがピラミッドに施した壮大な仕掛けを見るために多くの人がやってくる。夕陽を浴びて大蛇ククルカンが姿を現した。これで正確に春分の日がわかった。まもなく雨季が来るので、農民は種を撒いた。
 マヤの古代都市ティカルで発見された王の墓にはおびただしい数の宝が埋められていた。ヒスイはマヤ全土の都市国家から発見された。貝を使った装飾品も見つかった。密林の中に都市を作った人々が互いに共存しようした姿が見える。

●アステカ
 メキシコシティーの中心にある教会の地下からアステカの中央神殿(テンプロ・マヨール)の跡が見つかった。14〜16世紀に繁栄した。元々湖だった場所に都を築いた巨大な王国だった。メキシコシティの郊外に当時の面影を残す場所がある。一面に見える畑はかつてアステカが湖の上に作った人工の農地。湖の上に草を敷き詰め泥を積み上げて造成した。泥は良質の肥料となり、今でもとうもろこしなど大きな収穫をもたらしている。
 近年の調査で、アステカでは中央神殿で人々がある儀式を行なっていたことが明らかになった。生け贄の心臓を取り出し、動いている状態で太陽の神に捧げた。当時太陽は命のエネルギーで動いていると信じられていた。生け贄になったのは捕虜だった。
 神殿にはチャックモールという像が残されている。神の使いで、その手に抱えた器に供物を捧げた。神殿で発掘された美しい壷「トラロック神の土製壷」は雨の神様をかたどっている。豊穣神の像には豆やとうもろこしの装飾が施されている。


テレビ番組「NHKスペシャル 失われた文明インカ・マヤ」

 2007年7月15日放送。中央アメリカに広がる熱帯雨林。広大なジャングルがどこまでも続く。今から300年前、一人のスペイン人神父がジャングルの中を迷っていた。何日も歩き続け、水も食料も尽きようとした時、巨大ピラミッドを見つけた。マヤ文明の発見である。マヤ文明が始まったのは2500年前で、16世紀にスペインによって攻め滅ぼされるまで2000年栄えた。メキシコ、グアテマラ、ベリーズ、ホンジュラス、エルサルバドルに渡っていた。主要な都市が70あり、それぞれが国家として独立してきた。言葉も文字も同じだったが、一度として統一されなかった。ジャングルの中にあり、大きな川もない。

●ティカル
 世界遺産。17世紀に神父が見つけた遺跡で、遺跡の周囲15kmには今も誰も住んでいない。ひっそりたたずみ、マヤの象徴と言われた。ピラミッドの高さは最大で64m。金属を知らなかったマヤの人は石の道具だけで作り上げた。王がまつりごとをした場所でもあり、王の墓でもあった。中央広場を中心に周囲に遺跡は広がる。広さは約4km四方で、大部分は今だに密林に覆われている。1956年から発掘調査が始まった。今はまだ1割にしかすぎない。考古学者オズワルド・ゴメスさんが説明してくれた。

 ピラミッドの裏側にはほら穴が残っている。古いピラミッドの上に新しいものが重ねて作られていた。増築する度に大きくなったようです。
 最大の発見はピラミッドの中央の岩盤の中から、8世紀に君臨した王ハサウ・チャン・カウィールの墓が見つかったこと。ヒスイの飾りが相当あった。
 中央広場から少し離れたジャングルからは一般庶民の住居跡も見つかっている。家の作りもだいぶわかってきている。壁は石、屋根は植物の葉で作られた40平方mの建物で、8−10人住んでいたようだ。住居から推定すると人口は6万人程度。多くは農民で、王を崇拝しながら農作業に従事していた。

 毎年5月雨季を迎える。その雨もさっとひく。大地が石灰岩でできているせい。そのために大きな川もなく、地下水位も低く井戸も掘れない。シンシナティ大学ベルノン・スカルボロー教授は漆喰がポイントだと言う。漆喰の材料は石灰岩を焼いて作った白い粉。これに水を加えて丁寧に混ぜ合わせると漆喰ができる。漆喰は水を通さないのが特徴。中央広場の地面にも厚さ7cm?の漆喰が塗られていた。漆喰の表面は照り返しがまぶしくないように、赤く塗られていた。ほぼ全ての建物は真っ赤だったと思われる。広場は微妙な高低差がついている。1mの差がある。これによって雨水を75m先の貯水池などに貯めていたようだ。
 国際日本文化研究センターの安田喜寛教授はスカルボロー教授と水利用に関する共同研究をしている。今注目しているのは3つの貯水池で、広場に近い貯水池の堆積物を調べている。貯水池の底は厚さ10〜30cmの漆喰で塗り固められていた。一番離れた貯水池は土の色が違っていて、汚染度が高いことがわかった。昆虫の羽根も見つかったが、作物につく害虫だとわかったので、家庭菜園などに使っていたようだ。しかし、食料を確保するのが大変である。

●マヤ北部
 ここはティカルとは環境が違った。セノーテという泉がある。地下水位が高いために地表近くに泉ができている。しかし農地の確保は難しかった。地下10mのセノーテに潜ると水深15m。底には人骨がかなりある。118体が見つかっている。人骨には不自然な傷がついている。神に捧げられた生け贄だった。石のナイフで皮をはがされたこと、頭を強打して殺されたことがわかっている。水中考古学者のカルメン・ロハスさんは生け贄は雨と深い関係があるという。

●チチェン・イツァー
 セノーテの近くにある世界遺産チチェン・イツァー。4万人が暮らしたマヤの古代都市。いつ雨季に入るのか、いつ種をまけばいいのか、知るための巨大な仕掛けを作った。3月21日春分の日。チチェン・イツァーに人々が押し寄せる。ピラミッドの階段に彫られているのは、豊穣の神大蛇ククルカン。この日この階段にククルカンが天から舞い降りるという。午後3時30分大蛇の姿が出始め、4時30分、階段に巨大な大蛇の姿が見られた。東西南北から17度だけわざとずらしてピラミッドが立っているためにできる。農民たちはこれを見て雨季の近いのを予測し、農作業に取り組んだ。
 ここは古代から焼畑農業が盛ん。一度焼くと少し間を置いて、森を維持する。いよいよとうもろこしなどの種を撒く。とうもろこしはチオシンテという稲科の雑草だった。粒は10個程度。これを古代の人は、品種改良し500個以上のものにした。食べ方は古代から同じ。石灰を入れて煮て柔らかくして、粉にし、練って焼いてトルティーヤにする。この焼畑農法が都市の限界を決めていた。そのために巨大な統一国家はできなかった。各都市は緩いネットワークを作っていた。
 ヒスイを使った宝物が珍重された。ヒスイはマヤ南部の限られた地方からしか生産されないが、ヒスイは各地から出土している。交易ネットワークを通してあらゆる都市に浸透していた。都市間の交易は時として争いを起こした。都市と都市の間には深い密林が広がっていた。大軍団で移動することは難しいので、小さいものが多かったと予想される。ボナンパットという遺跡で見つかった壁画がある。1200年前の戦争の様子が克明に描かれている。王と重臣が戦うだけで、一般の人は戦わなかった。敵の王を捕まえたら終了していたようだ。戦の日も限定されていた。
 チチェン・イツァーにある天文台は、1200年前に作られた。天空を360度観測できるように丸い形をしている。天文考古学者エド・バーンハートさんはマヤの人は1年を365.241年とし、金星を重視していたという。マヤの戦争には金星が大きく関わっていたという。明けの明星か宵の明星の日だけが戦いができる日だという。ペンシルバニア大学のロバート・シャーラー教授も説明している。

 8世紀に巨大都市ティカルが出現した。安田教授はティカルの巨大化が環境に及ぼした影響について調べている。30km離れた湿地帯の土を調べた。詳しく分析すると花粉の量が変化していた。8世紀には森が消えたことを意味していた。栄養が流れやすくなり、食料が減ったはずだという。

●アグアテカ
 ティカルから150kmほど離れた遺跡。ここにもその影響が見られる。作りかけの石段は建設途中で放棄されたピラミッド。戦争によって徹底的に破壊された。2年前までの発掘調査で、焼けた跡が残る笛と人形などが出土している。一般庶民まで被害にあっている。焼かれて町を追われたようだ。ティカル周辺では破壊と略奪が起きたようだ。

●ティカル
 9世紀では内部でも激しい破壊が行なわれた。考古学者のオズワルド・ゴメスさんは、この町が唐突に終ってしまったのだという。巨大化の果てに自滅したのだという。シャーラー教授も何事にも限界があるということを知るべきだという。「我々は限界を意識しないといけない」。

 しかし1519年、スペインの艦隊が中央アメリカにやってきた。近代武器を持ったスペイン軍のために、マヤの都市は征服されていった。最悪だったのは伝染病で、侵略から100年間でマヤの人の9割が疫病で亡くなった。

 毎年春、ティカルの遺跡に農民たちが遠くから集まってくる。焼畑をして豊かな実りを祈る。


テレビ番組「2007年4月の旅サラダは秋本祐希さんでメキシコ」

 成田からヒューストン経由で、コンチネンタル航空で行きました。

●メキシコシティ
 標高2240mの高地に広がるメキシコの首都。1950年代の急速な経済成長に従って人口が増え、周辺まで含めると2000万人を越える世界最大級の都市。賑やかな街中は旅の心をかきたてる。
 「シウダデラ市場」(住所:Plaza de la Ciudadela y Balderas No.1 y 5、Tel: 5510-1828 (代表) ,営業:毎日 10:00〜19:00)は、様々なメキシコならではの民芸品が買える市場。330店舗ある。青いソンブレロは120ペソ(1200円)、パンチョは380ペソ(約3800円)。メキシコの人に親しまれているプロレスのマスクは100ペソ(約1000円)、プロレスTシャツは85ペソ(約850円)で大人気。
 メキシコ人の好物タコスのお店「レストラン タコス ベトゥリニ Restaurant Tacos Beturini 」(住所:Sur 105 Esq. Lorenzo Beturini Col. 24 de Abril、Tel:5764-4420)では、1枚5ペソ(50円)。店頭にはケバブみたいなのがある。パストールは、まずとうもろこしでできたトルティージャという生地を焼き、ケバブを削ってのせ、ケバブの上に置いてあったパイナップルを落とす。コリアンダーとたまねぎをのせれば完成。ライムを絞ってサルサソースをかける。少し経ってから、サルサソースに入った青唐辛子が効いてくる。

 街中を巡って気がつくのは、独創的な建物やオブジェがたくさんあるということ。現代建築にヒントを与えた世界的に有名な芸術家や建築家の貴重な作品や建物を見ることができる。彼らはメキシコの歴史や自分たちのメッセージを、壁画や彫刻という形で表現し、人々に伝えてきた。「子馬のモニュメント」、「シケイロス文化ポリフォルム」、「ファン・オゴルマンの壁画」、フェリックス・キャンデラの「サンタ・モニカ教会」などが紹介された。
 中でもひときわ目をひくのは、1957年にルイス・バラガンにより建てられたモニュメント「サテライト・タワー」。色とりどりの三角柱?が青空に伸びている。日向と日陰など、見る角度によって見えるものが違う。
 建築家リカルド・レゴレッタによる「カミノ・レアル・メヒコ」はこれらに大きく影響を受けて1968年に作られたホテル(住所:Mariano Escobedo No.700 Colonia Anzures、Tel:5255-1222、Fax:5255-5260)。全712室あり世界最高の設計に数えられる最高級ホテル。ここでも光と影がうまく使われている。今回の部屋はピンクの壁、紫の絨毯でメゾネット。今回はチャプルテペック・スイートで1泊540ドル〜、スタンダードだと1泊165ドル〜。さらなるこだわりはブルー一色のバー・ラウンジ。水の音を聞きながら、優雅にお酒を楽しめる。時間によって光の入り方が違うので、1日じゅういても飽きない。
http://www.caminoreal.com/

 中心部は広場ソカロ。風が強いみたい。大きな宮殿、大聖堂、大きな国旗がある。ここは14世紀頃のアステカ帝国の中心地だった場所。アステカ族がダンスをしている。長さ15mの大きな国旗の掲揚は毎朝6時から、降納は毎日18時からで、楽団の演奏もある。14人がかりです。
 元々はメキシコシティはアステカ族の湖に浮かぶ水上都市だった。16世紀頃には数百万人いたが、スペイン人の侵略によって埋め立てられ、現在のメキシコシティになった。

 夕食は伝統的なメキシコ料理の大人気の店「ヴィラ・マリア Villa Maria 」。高級住宅地区にあり、アットホームなサービスで、手軽な値段で美味しい料理が食べられる。フローズン・マルガリータは顔と同じくらいの大きさで、79ペソ(790円)。爽やかなライムの風味と冷たいサハーベット。メインは鶏肉の料理「モーレ・ポブラーノ」(鶏肉のチョコレートソースかけ)89ペソ(890円)。ソースはチョコレートにクルミやピーナッツ、胡椒や唐辛子などを加えたもの。毎日7時からパロチョ?とよばれるハープとギターとマラカスの演奏。「グァンタナメラ」、「コーヒー・ルンバ」を演奏してくれました。

●ソチミルコ
 中心部から車で1時間。かつてメキシコシティが水上都市であったことを思わせる世界遺産の町。ソチミルコはアステカ語で「花の咲く場所」の意味。町は美しい花であふれている。野菜もきれに並べられている。サボテンもある。焼いたり、煮たり、サラダにする。ゴーヤの苦味があまりない感じで少し酸っぱいそうです。
 船に乗って水路を散策する。船には Mexbus と Leonor と書いてありました。屋形船は相乗り1時間20ペソ(200円)、貸切だと12〜14人乗りで1時間160ペソ〜(1600円〜)、18〜20人乗りで1時間200ペソ〜(2000円〜)。
 みんな船の中で飲んだり食べたりしている。マリアッチの楽団の乗った船もある。市場もある。リンゴ飴もある。茹でたトウモロコシにはマヨネーズを塗りたくり、チリパウダーをたっぷりかけて食べる。1本12ペソ(120円)。辛くしてほしくない場合は、ちょっとというポエンテと言えばいい。  マリンバの二重奏の船もいた。


●プエルト・バジャルタ
 太平洋岸のリゾート。白い壁とオレンジの屋根。落ち着いた雰囲気。アメリカやヨーロッパの人に大人気。笛と太鼓の音に合わせて、浜辺で30mの柱の上に4人が登っている。ロープを巻いて、自分の足に結び4人が回転しながら地上に降りてくるボラドールスという豊穣祈願の儀式。4人は雨と恵を鷹として表わしている。
 メキシコ北部に暮すウィチョール族の工芸品のお店「ウィチョール・コレクション Huichol Collection 」というお店。住所:Morelos No.490、Tel: 322-223-2141。ビーズ細工「サボテンの置物」70ペソ(約700円)、ビーズ細工で木製の「宝箱の小物入れ」75ペソ(750円)。お面もある。店内では製作風景を見ることができる。木に接着剤をつけて、ビーズをはりつけていく。

 宿泊は「アシエンダ・サン・アンヘル Hacienda San Angel 」(住所:Miramar 336 Col.Centro、Tel: 322-222-2692)で、白い壁とオレンジの屋根に溶け込んだ可愛いブティック・ホテル。中庭が気持ちがいい。テラスがとても広くて、青い海と空、白い壁とオレンジ色の屋根が見渡せる。サン・ミゲルという部屋?で1泊US665ドル。
http://www.haciendasanangel.com/

 大人気のアクティビティ「キャノピー」を体験する(Tel: 322-223-0504)。まずは準備としてハーネスを足に取り付け、階段を上がって、滑車を持てば準備完了。木々の間に張られたケーブルを滑車を滑らせ渡って行く。気分はまるでターザン。ケーブルは全部で14本。およそ4時間のスリル体験。体験料金1人825ペソ(8250円)。中でもブラック・ダイヤモンドは長さ400m、高さ160m。スピードがでますが、景色がきれいだそうです。アドレナリン大放出。
http://www.canopytours-vallarta.com/

 夕暮れは太平洋に太陽が沈む。金色に輝く。街もオレンジ色になり美しい。

 夕食はレストラン「ビスタ・グリル Vista Grill 」(住所:Pulpito377 Colonia Alta Vista、Tel:322-222-3570、18:00〜23:30 )で、スペイン語で「眺めのいいグリル屋」の意味。眺めのいい高台にあり、太平洋で獲れた新鮮なシーフード料理もたくさんある。前菜は「海老とタラのすり身、フルーツソース」で、120ペソ(1200円)で、マンゴー、パパイヤ、アボカドなどのうまみを集めたソース。メインは「スズキのグリル」310ペソ(3100円)で、パイナップルにハラペーニョという唐辛子が効いたソース。
http://www.vistagrill.com/

●テオティワカン
 首都メキシコシティから車で1時間。畑の中に出現する。紀元前2世紀に誕生し、その900年後に突然消えてしまった謎の都市。多くの神殿が築かれ、様々な神が祀られた。広さ20平方km、最盛期には人口20万人の巨大都市だったが、誰がどう支配していたのか、など多くの謎が残っている。標高2000mを越える高地にある。テオティワカンとは、「神々の集う場所」という意味。

 「死者の道」は、道幅40m、長さ2kmの道。当時は5kmあったらしい。この道の周りには、ピラミッドをはじめ、600もの神殿や宮殿、住居があったとされる。

 神殿の下に階段が見える。人々は52年周期の歴を使っていて、52年毎に神殿を壊し、その上に神殿を作ったので、神殿を掘り起こせば、いつ頃のものなのかだいたいの予想がつくそうです。
 神殿のすぐ側には住居の跡がある。トイレの跡もあり、水洗だったこともわかる。貯水や灌漑設備も整っていたので、農耕が生活の基盤だった。

 「ケツァルコアトルの神殿」は、水と農耕の神といわれる羽毛のある蛇神ケツァルコアトルや、雨の神トラロックの頭部石彫像が飾られている。いずれもテオティワカンを代表する神。水や雨をモチーフにした神殿が多い。

 「ジャガーの神殿」は、オリジナルのジャガーの壁画が残っている。色も残っている。雨に関係の深い羽根のあるジャガーがホラガイを吹いているので、雨乞いを表しているという。
 「羽ある貝の神殿」では、オウムが大量の水を口から出し、植物を潤している壁画が残っている。水の恵が重要視されていた。

 最大の遺跡が「太陽のピラミッド」で、1辺が222mx225m、高さ63mの巨大ピラミッド。248段の階段があり、かつて頂上に建っていたとされる神殿では、豊穣祈願や雨乞いの儀式が行われていた。農作物の出来が都市の存続に大きく関わっていた。

 「月のピラミッド」は1辺140mx150m、高さ46mのピラミッドで、長さ2.3kmの大通り「死者の道」の一番端に建っている。当時、一番大切だと考えられていた神殿。都市はこの神殿を中心に発展していったとされる。重要な宗教儀式も執り行われていた。傾斜は急で、まっすぐに死者の道が見渡せる。神秘的です。

 3月21日「春分の日」。毎年春分の日には、メキシコ各地から白装束を着た人々が集まり、「太陽のピラミッド」に上りお祈りをする。この日に白い服を着てピラミッドに登ると、太陽の恵みやパワーを得られるという太古からの言い伝えがあるため。みんな太陽に向かって両手を掲げ、パワーを受け、お祈りを捧げていた。


●グアダラハラ
 メキシコシティから500km西側、人口160万人、ハリスコ州の州都。メキシコ第二の都市。洗練されたお洒落な街。1530年代に新天地を求めてやってきたスペイン人によって作られた街。コロニアル風という建物を多く作った。17世紀に建築された「ハリスコ州庁舎」は、とても有名なのは、壁画の巨匠、ホセ・クレメンテ・オロスコの壁画「立ち上がる僧侶イダルゴ」で、中央階段の壁いっぱいに描かれている。圧倒的な迫力で迫ってくる力強い絵です。メキシコ独立の父、イダルゴ神父が奴隷解放を宣言した場所。オロスコは字が読めない人にもメキシコの歴史をわかって欲しいので一生涯絵を描き続けた。会議場の天井にもオロスコの壁画がある。入場は毎日 9:00〜20:30 。

 「オスピシオ・カバーニャス」は1829年に完成した、カバーニャス司教が建てた、孤児や病人、老人の救済施設。現在は州の文化センターとなっているが、ここにもオロスコの壁画がある。テーマは「スペインのメキシコ侵略」。中でもドーム天井に描かれた「炎の人」はオロスコの代表傑作。燃えたぎる炎は苦しみや悲しみ、しいたげられた人々の怒りのようでもあり、ここで療養した人を勇気づけてきた。ここでのお勧めは横になって絵を見ること。入場は火〜土曜日で、10:15〜17:45、日曜日 10:15〜14:45。料金10ペソ(100円)。日曜は無料です。

 「チャレアーダ会場」では、伝統的な競技「チャロ」と呼ばれるメキシカン・カウボーイが、馬術「チャレアーダ」を競い、ダイナミックな技を見せてくれる。牛を捕まえる競技、ロデオ、投げ縄で馬の脚にひっかける競技、白い馬への移動など。開催は毎週日曜日で、入場料は30ペソ(300円)。

 夕食はレストラン「サント・コヨーテ Santo Coyote 」(住所:Calle Lerdo de Tejada 2379, Guadalajara, Halisco、Tel:33-3616-6978 )で、地元の人や観光客に大人気の高級メキシコ料理店。伝統的な味が楽しめる。サルサソースは無料で、目の前で作ってくれる。唐辛子はハバネロを含めて3種類、赤トマト、青トマト、ニンニク、岩塩などを加えて、たまねぎとコリアンダーをトッピングすれば出来上がり。なので、辛さはお好みに合わせて調整してくれる。これをトルティージャ・チップにつけて食べる。メインは「牛フィレ肉のテキーラソース」157ペソ(1570円)で、ヤギのチーズとテキーラを温めたソースがかかっている。お楽しみはマリアッチ。8−9人の楽団でした。チップは帽子か何かに入れるみたいですね。
http://www.santocoyote.com/

●トラケパケ
 グアダラハラから車で20分の古都。グアダラハラに住んでいた大富豪たちの別荘地だった。今は工芸品やインテリアの店が並ぶアートの街になった。
 吹きガラス工房「ビトロ・ディセーニョス・アルテサナレス Vitro Disenos Artesanales 」(住所:Contreras Medellin No.173,Tlaquepaque Halisco、Tel:33-3657-5775 )がある。可愛いお店で、カラフルな吹きガラスのコップやお皿などが手に入る。隣の工房で手作りしている。デザートをのせるのにぴったりのものは3.5ペソ?(350円?)。

●テキーラ
 グアダラハラの北西、テキーラ山の麓に広がる村、テキーラ。 テキーラの原料、アガベ・アスール・テキラーナが一面に広がる美しい景観は、2007年に世界文化遺産に登録された。村の人口は2.7万人。通りはテキーラのお店だらけです。3リットル程度で120ペソ(1200円)のペットボトルもある。
 テキーラ蒸留所「エル・コルンピオ蒸留所 Destiladora El Columpio 」(住所:San Martin No.76 Tequila Halisco、Tel/Fax:01374-742-0529 )は、昔ながらの製法で、家族みんなでテキーラを作っている蒸留所。ご主人のホセ・クルスさんの一家。人よりも大きなアガベの収穫を見せてもらった。コアという道具を使って尖った葉を落とす。パイナップルみたいなのがでてきた。1個50kgで、この大きさになるのに7年かかる。太陽の下で充分に乾燥させ、約3日蒸し焼きにする。細かく砕き、石臼でひいて樹液を絞りだす。抽出した液は約8日間発酵させる。そして蒸留する。75度だそうです。これを40度まで下げたら完成。色が違うのは、樽詰する期間の違い。
 すぐに瓶詰する「ブランコ」をメキシコ流に味わってみた。トマトジュースに塩、ライム、唐辛子、ウスターソースを少し入れてつくった「サングリータ」と「ブランコ」を交互に飲む。「ブランコ(樽詰めをしない無色の種)」は、70ペソ(700円)、「レポサード(樽詰め期間3ヶ月)」80ペソ(800円)、「アニェホ(樽詰め期間1年)」180ペソ(1800円)。


●カンクン
 ユカタン半島の東部にあるリゾート地。幅400m、長さ23kmという細長い形から、カンクンはマヤの言葉で「蛇」を意味する。世界中が憧れる夢の楽園。海の色がとてもきれいです。カンクンを代表するドルフィン・ビーチは、真っ白な砂が約1km続く。年間500万人を超える観光客が訪れる。サーフィンやパラグライダーなどのマリン・スポーツの聖地としても有名。
 船で沖に出て、「水中スクーターBOB(ボブ)」を体験。ヘルメットに空気が送られてくるので、泳ぎが苦手な人でも安心して水中散策が楽しめる。料金は30分75ドル。カラフルで珍しい魚が多い。ブルー・クロミス、スポットフィン・バタフライ・フィッシュ、クィーン・エンゼル・フィッシュ、フレンチ・エンゼル・フィッシュ、トランペット・フィッシュ。30cmくらいの黄緑色の横線の入った魚の大群に遭遇。ダイバーが餌を与えるとさらに寄って来た。住所:Blvd. Kukulkan km4.5 Z.H. Embarcadero. Local E-3, Cancun、Tel: 998-849-4440 / 849-7284、eMail: bobrecepcion@msn.com

 カンクンは1970年代にリゾート化が進み、今ではホテルは100以上。今回は、2005年にできた「真っ白」という意味のホテル「ル・ブラン・スパ・リゾート」(住所:Blvd Kukulcan KM-10, Zona Hotelera Cancun, Quintana Roo 77500、Tel: 998-881-4740、Fax: 998-881-4741)に宿泊。ロビーも真っ白で、向こうには海が見える。部屋数260。チェックインの際につけるブレスレットを提示すれば、ホテル内のすべてのレストランやバーでサービスされる食事やドリンク、お酒までもがタダで楽しめる。ホテル内にレストランは4つ、バーは3つある。ミニバーやルームサービス、チップなどもすべて宿泊料金に含まれている。電話料金、インターネット料金、スパは有料。海に面したプールに浮かぶバーでカクテルを注文しプールサイドでいただけば、贅沢が味わえる。
 今回は800号室?で、部屋の中も真っ白、キングサイズのベッド。大きなジャクージもある。デラックスルーム1室で、「ハイシーズン」は760ドル(single)、690ドル(twin)、「ローシーズン」は、472ドル(single)、502ドル(twin)。
http://leblancsparesort.com/

 夕食はカンクンで大人気のレストラン「プエルト・マデロ Puerto Madero」(住所:2da etapa de Zona Hotelera, Km 14.1, Cancun Q.ROO、Tel: 998-885−2831)で、カンクン内海側に位置するステーキ&シーフードグリルのレストラン。店内は木の重厚な雰囲気で、船室を思わせるような趣き。内海に向かってオープンデッキのお席も用意されていて、デッキで海風に吹かれながら食事が楽しめる。カンクン名物のロブスターを注文。塩胡椒とチリパウダーで軽く味付けし、炭火で豪快に焼く。最後にガーリックバターのソースをかけた「ジャンボ・ロブスター」520ペソ(5200円)。

●トレス・レイジェス
 紀元前2世紀に起こったマヤ文明。ユカタン半島には多くの遺跡が残り、その周辺ではマヤ民族が昔ながらの生活を送っている。マヤ民族は今ではメキシコの全人口の10分の1にも満たない。「こんにちは」はマロキン。お宅を見せてもらいました。椰子の葉の屋根と木を壁とする伝統的な家。台所の向かい側が寝室で、ハンモックを使う。
 伝統料理をいただいた。トルティージャを作る。次は名物料理「コチニータ・ヒビル」。オレンジ・ジュースにたまねぎ、にんにく、黒胡椒などを混ぜ、豚肉に絡め、バナナの葉の上にのせていく。上にもバナナの葉をかぶせたら、土に埋めて、熱々の石をかぶせて蒸し焼きにする。3時間温めた石の熱気でサウナ状態。2時間で料理は完成。たまねぎのピクルスをトッピングしてトルティージャに巻いて食べる。スパイスが効いているそうです。おいしいのは「アチキ」。
 以上の「マヤ村観光ツアー All Tour Native 」(住所:Ave.38 Norte, Lote 3, Manzana 200 Entre 1A Y 5A Av, Playa Del Carmen、Tel: 984-873-2036)のツアーには、マヤ遺跡 Coba とセノーテ(地下泉)観光も含まれている。料金は、大人109ドル、子供(6ー12歳)99ドル。

●シカレ
 巨大マリン・パーク(住所:Km282 Carretera Chetumal-Puerto Juarez Solidaridad, Playa Ddel Carmen、Tel: 984-871-5200、営業時間:冬期は9:00am〜9:00pm、夏期は9:00am〜10:00pm、入園料:大人59ドル、子供30ドル)で、カンクンの旅行者に大人気。シカレとはマヤ語で「入り江」という意味。自然を利用した海洋公園で、この地区に生息する珍しい動物や植物を見学できる。人魚の原型のマナティ、カラフルなグァカマヤ(インコ)、ユカタン半島北部のピンク・フラミンゴ、ジャングルに生きるピューマ、トラ、ブラックジャガー。アクティビティにも挑戦。イルカと一緒に遊べる。まずはイルカからのキス、握手、抱っこ。時にはやんちゃもします。鼻の先で足の裏を押してもらってすごいスピードで水面を滑ったりします。ドルフィンスイム「ドルフィネス」は1時間149ドル。
http://www.xcaret.com/

 夜は大迫力のショーが2時間ある。1部はマヤとスペインの世界で、侵略に来たスペイン人、戦いがあり、キリスト教が受け入れられ、マヤとスペインの文化が融合するという内容。2部はメキシコ各地の踊りと歌で、スペインの影響を受けたものとなっている。会場からも人が参加し、秋本さんも踊りました。
 マリンアクティビティーも豊富で鍾乳洞での川下りや入り江でのシュノーケリング、スヌーバーからドルフィンスイムも楽しめる。


テレビ番組「世界遺産 メキシコ古代都市ウシュマル」

 2007年4月8日放送。メキシコ南東部ユカタン半島。その街から人影が絶えて1000年経った。マヤの人々は石の道具だけを頼りに、壮大なピラミッドや王宮を建設、石器による人類史上最も洗練された都市文明を築いた。2000年もの長い間、栄枯盛衰を繰り返したマヤ人たち。1996年世界遺産。

●ユカタン半島北部プーク地方
 雨が少ない上に大きな川もないこの地方で人々の暮らしを支えてきたのはとうもろこし。コロンブスがこれをヨーロッパに持ち帰った。その後、スペイン人による征服が行なわれるが、当時既にウシュマルは廃墟だった。調査が開始されるのは19世紀から。

●ウシュマル遺跡
 ウシュマルが栄えた時代は8−10世紀。最盛期の人口は2.5万人とも推定される。
 都市の中核をなす建造物。広場を建物が囲む様子にキリスト教の修道院を連想したスペイン人によって、尼僧院と名づけられた。碑文を解読したところ、9世紀末〜10世紀初頭のチャーク王の宮殿だった。建物の上部を装飾で覆い尽くす独特の様式は、プウク様式と呼ばれる。
 ウシュマルは規模と装飾の精緻さで他を圧倒し、マヤ建築の中でも最高傑作の一つとされる。外壁にわずかに残る赤い色は、かつて宮殿を彩った艶やかな色彩の名残。
 マヤ・アーチ。屋根や天井を作る建築方法として、独特のアーチを採用したマヤ文明。頂きを三角形にしたのが大きな特徴。あらゆるものに神の力を感じたマヤ人は、神々をモチーフとした彫刻で建物を飾った。神々の像のうち、最も多く見かけるのは、長い鼻と大きな目を持つ神。最新の研究はこれまで雨の神とされた定説を覆し、それが山を表す神ウィツ Wits だと明かした。
 2つの建物に囲まれた庭はマヤには欠かせない球技場だった。石のリングにゴム製のボールを通して競うゲーム。人々は神話にある英雄たちの姿を重ねて熱狂したようだ。国家的な宗教儀式だったようだ。
 最大級のスケールを誇る、通称「総督の館」。プーク様式がその頂点を極めた美の殿堂。マヤ・アーチの形状を持つ部屋は政治を執り行う会議室だったと考えられている。230を越えるウィツの顔が刻まれている。
 広場?の中心には石の「双頭のジャガーの玉座」。王権の偉大さを強調するように、超自然の力を持つとされたジャガーが2つの頭を持つ姿で描かれている。
 庶民の住居跡も見つかっている。マヤ文明を支えたのは、とうもろこし、豆、かぼちゃなどの農作物の栽培だった。この地方は雨が少なく、大きな川もない。そのために水路をはりめぐらし、わずかに降る雨を必死で集めた。チュルトゥンと呼ばれる地下貯水池の跡がある。こうした穴が都市の周囲に数百箇所も掘られた。農耕生活の必要から、マヤの人々は天体の運行を熟知し、独自の暦を完成させた。しかし、天候は制御できなかった。
 人々はピラミッドの頂上に上る王に全てを託した。祖先や神々と交信する祈りの場。マヤのピラミッドとは人工的に再現された聖なる山だった。

●カバフ遺跡 Kabah
 ウシュマルから南東に18km。かつて支配下にあった場所。ここの都市遺跡もウィツで溢れている。世界中の多くの民族にとって、山は先祖の霊や神々の住まいであり、天と地を結ぶ軸だった。マヤにとっても同じ。飽きることなく、人々が刻みつけたウィツは、そこが神聖な場所である証しだった。

●ウシュマル
 王は都市の中核に山に見立てたピラミッドを築き、その聖なる力で王権を強化した。小人が一夜にして築き上げたという伝説から「魔術師のピラミッド」と呼ばれるピラミッド。目もくらむような急勾配の階段が、独特のシルエットをもたらす。高さ35m、階段の頂きにある神殿は、神々と交信する聖なる場所だった。ピラミッドの正面にあたる西側斜面は、シンプルな東面に比べて、念入りに装飾が施され、ウィツが階段の両脇に列をなす。かつてこの階段を正装した王が登る様を広場の群集は見守った。大地の神が飾られた神殿の入口は神々の世界へ通じる洞窟、王だけが入ることを許された聖なる場所だった。
 人々の祈りを集め、ピラミッドは国家的なイベントの舞台となった。

●マヤ
 スペイン人が征服して500年。マヤ文明はマヤの言葉を話す800万人の人により、受け継いだ神話や現象?を暮らしに息づかせている。


テレビ番組「世界遺産 メキシコのルイス・バラガン邸と仕事場」

 2007年2月18日放送。ルイス・バラガンは「空間の魔術師」と言われる。メキシコ・シティーの端に摩天楼を思わせる不思議なオブジェがある。このサテライト・タワーを作った。メキシコの画家チューチョ・レイエスは次のように記す。「美しい家が欲しいのなら、あなたの建築家はバラガンです。」彼の自宅には静けさ、安息感がある。画一化に陥った近代建築に新たな生命力を吹き込んだ建築家。光と色彩が織り成す彼の世界を、彼の残した作品の数々を辿る。

 アシエンダ(大農園)にはかつては大きな屋敷があった。ルイスも地主階級の家だった。彼の作品の根底には、牧歌的な少年時代の思い出がある。メキシコシティーに多くの作品を残した。晩年の傑作「ギラルデイ邸」。色彩と空間を追い求めた建築家が最後に到達した世界がここにある。プールのあるダイニング・ルームには鮮やかな赤と青。「色は建築を完全なものにする。色は空間に魔法をかけることができる。」。この建物が完成した2年後、1980年建築界のノーベル賞といわれるプリツカー賞を受賞し、世界的に有名になった。

 かつては低所得者が多く住んでいたメキシコ・シティーのタクバヤ地区。第二次世界大戦の途中から、宅地開発にのりだしたバラガンはこの地区を開発し、自分の家を建設する。一見何の変哲もないこのバラガン邸が後に世界遺産として大きな注目を集めるとは、当時誰にも想像できなかった。バラガンが住まいに求めたものは、外見の豪華さではなく、内部にあった。暗く狭いアプローチから、光溢れる玄関ホールに。空間の変化が開放感を高める。リビングルームは落ち着いた緑色。一部屋毎に最もふさわしい光と影で表わした。最も大切な場所である書斎も明るく喧騒から遮断されている。吹き抜けの天井で階下の書斎と一つに溶け合うゲストルーム。この部屋に上がる階段からは、建築家の強い個性が読み取れる。片側だけが壁に固定された階段。バラガンの階段は上がり降りだけ以上のものだった。ルーフテラスも壁と鮮やかな色彩だけでリズムを刻むバラガン建築の真髄を最もシンプルに示している。
 壁の鮮やかな色彩は思い出の色、メキシコの色彩の鮮やかさを示す。1955年に完成したガルベス邸。当時バラガンの名を知る者は国内にごくわずかだった。この邸宅のオーナーは訪問してあまりの気持ちのよさに契約したそうです。バラガン邸のような家が欲しい。リクエストはただそれだけだった。鮮やかな赤が印象的。彼はスケッチにイメージを起こすだけ。彼の能力は図面にはならない、生活のあらゆるシーンが思い浮かべられていた。空間にあった家具やオブジェまでが、彼によって選びぬかれた。彼の作品に欠かせないものの一つに水がある。「建築とは空間的であると共に、音楽的である。その音楽的なものが水によって奏でられる」。空間の魔術師と呼ばれた建築家。彼は現代において建築が失ったものを取り戻そうとした。

 近代建築に新たな生命力を吹き込んだバラガンは国際的に認められるのは1980年以降だった。それと共にバラガン風の建物が世界中に登場した。
 86歳で他界するまで、彼は住まうことの原点を探し求めた。バラガン邸は2004年に世界遺産に登録された。庭園はそれ自身の中に宇宙を持つ。彼にとって庭は自然との語らいの中でなくてはならないものだった。バラガンが建築に使わなかった色が緑だった。自然の生きた緑を取り入れ、それに最も調和するメキシコの色を建物に配した。
 彼の作った家には、必ず2つダイニング・ルームがある。一つは来客と語らうためのフォーマルなもの。もう一つは個人用の小さなもの。生涯独身を貫いたバラガンは毎朝ここでたった一人で朝食をとった。皿には「孤独」と書かれていた。人が最も長く過ごす家に、建築家として何が必要か問いつづけた。
 バラガン邸を訪れた誰もが感じる静けさこそ、彼が見つけた答えだったのかもしれない。プリツカー賞の授賞式で彼が残したのは、「静けさは人間の苦悩や恐れを癒してくれる真の薬である。現代における建築家の使命は、静けさにあふれた住まいを作ることなのだ。」という言葉。


テレビ番組「スーパートラックの旅第4弾 バハ・カリフォルニア編」

 2007年2月11日放送。山本太郎、佐田真由美さんが出演。サンディエゴからバハ・カリフォルニアを目指す。テレビ朝日製作。

●サンディエゴ
 市街地から30分のカジノ「ヴィエハス・カジノ Vjejas Casino 」でスロットとブラックジャックをやって5.5万円負けました。

●国境
 2時間検査されてOK。

●ティファナ Tijuana
 大きなアーチが向かえてくれる。行列のできているシーフード・タコス店「マリスコス・マサテーニョ」で、チーズいっぱいのエビタコス13ペソ(140円)。いっぱいライムをかけた方がおいしいそうです。
 夜、マリアッチを奏でる人たちが集まってきた。1曲演奏してもらった。

●バハカリフォルニア半島
 全長1680kmの半島を進む。この日は800km南のグレロネグロまで、荒涼とした砂漠を走る。サボテンの森がある。高さ20m程度にもなる世界最大のハシラサボテン。

●ゲレロネグロ付近
 アスファルトが切れて、砂道を走ることになる。左に赤っぽい湖がある。白いものが地面を覆っている。世界最大の塩田でした。赤いのはバクテリアで、塩濃度が高くなるとバクテリアが繁殖して赤く見えるそうです。塩を運ぶトラックに乗せてもらった。塩田は東京23区に匹敵するくらいの広さで、年間700万トン生産している。
 港の桟橋?では釣りをする人がいた。ハタ(の仲間のカブリーア)や舌ヒラメが釣れるそうです。次々と魚が釣れました。塩をつけて、気温38度の中で干物を作った。労働している人に食べてもらったがおいしいそうです。

●ビスカイノ国立自然保護区
 110種類の多くの野鳥が集まる。子供が袋を持ってゴミを拾っている。ゴミを捨てることが悪いことだと認識させるためらしい。ビスカイノ自然保護区協会のガブリエル・アルトゥーロさんに、子供におもちゃをあげたいと提案した。

●ロレト
 高低差のある山間の大地を400km南下した。5時間で視界が一気に広がった。コルテス海。穏やかな海面です。どこかアジアを彷彿とさせる港町。
 海岸でバーベキューをしていた。ハマグリを焼いたタテマダという料理はお祝いの時に食べるという。この日は丁度太郎さんの誕生日だったので、一緒にお祝いしてもらった。ライムを絞ってかけて食べる。

●ラパス Lapaz
 古くからのリゾート地、都会です。スペイン語で平和という意味。メキシコ人の多くがハネムーンで訪れる。気温36度。
 海老の人形が立っているシーフード料理店「マリスコス・ロス・ラウレレス Mariscos Los Laureles 」で、店のお勧めの「セビーチェ」70ペソ(770円)をいただいた。トマトの角切り、タマネギのみじん切りにトマト・ピューレを加え、ライムを絞った後、タコなどの魚介類をたっぷり入れ、エビのコンソメ・スープを入れたら完成。これをとうもろこしで作ったチップス?の上にのせて食べる。「海鮮スープ」90ペソ(990円)。「魚タコス」4個40ペソ(440円)。
 夕陽がとてもきれい。市街地では夜に民族衣装で踊っている人がいた。フィナーレはお客さんと一緒に踊る。メンバーのアラセリさん(21歳)の母のアレハンドリーナ・オロスコさん宅のホームパーティに参加しました。「サボテンと卵炒め」、「豚肉のグリル」、「チキンの煮込み」などの伝統的な家庭料理がでた。その後みんなでダンスをしました。
 夜の海岸で佐田さんとシャンパンをいただき、寝袋で寝ました。

 ルチャリブレ・プロレス学校「プロモトラ・サタレイン」に行く。日本人もルチャリブレ Lucha Libre を学びに行くそうです。ルチャリブレは善玉と悪玉に分かれて戦い、人前ではマスクを脱がないのが原則。試合後はファン・サービスで子供たちに自作のおもちゃをあげる。孤児院や病気の子供たちを招待した時もお金は取らないそうです。グアダループ聖母教会に「ラパスの子供達の町」という孤児院があることを教えてもらった。
 神父のフェルナンド・コウアルビアさんに話を聞いた。小学生から大学生までの62人の孤児達が保護されている。一人一人違った問題を抱えているので、心のケアが大事だそうです。子供たちの生活を見せてもらった。オリガミをみんなでしました。校庭でみんなにサッカーボールなどのプレゼントをしました。


テレビ番組「世界遺産 メキシコ・グアダラハラのオスピシオ・カバーニャス」

 2006年8月20日放送。今から30年前サフアヨ Sahuayo から10歳のアウロラ・バジェホ Aurora Vallejo さんが旅立った。連れて来られたのはメキシコ第二の都市グアダラハラで、弱者たちが連れてこられる都市。

●グアダラハラ Guadalajara
 16世紀から始まるスペイン統治時代の面影を残す。孤児や病人、障害者などの救済に150年貢献した建物がある。内部で圧倒されるのは、ドーム天井の壁画。文字の読めない人にわかるようにというメキシコ壁画運動の傑作。「炎の人」はルネサンス美術にも匹敵する。オスピシオ・カバーニャスは1997年世界遺産に登録された。
 街中ではわずかな日銭を稼ぐために横断歩道で、大道芸人たちがパフォーマンスを見せる。この街が発展すると周辺から人が流れ込んだ。さらに飢饉や日照りが続いても人が流れ込んだ。1821年、こうした人たちを救うために作られたのが、オスピシオだった。救いの手を差し伸べたのは、赴任してきたカバーニャス司教だった。20年かけて建てられた160m四方の巨大建築のオスピシオ・カバーニャスには、23もの中庭があり、全ての部屋に日差しが差し込むように設計された。建物は全て平屋建で、体の弱い老人のためだった。既にバリアフリーの思想があった。かつては500人以上の孤児や老人が生活していた。シスターやボランティアに支えられ、病院も併設された。運動場として使われていた中庭には、子供たちの元気な声が響いていた。アウロラさんも10歳〜16歳にここにいた。学問をし、裁縫、靴の修理などの手に職をつけるための訓練を受けた。

 20世紀に入るとここの壁におびただしい数の絵が描かれた。メキシコ壁画運動を代表する巨匠ホセ・クレメンテ・オロスコの作品が礼拝堂にある。芸術が世界を動かし、変えていくことを夢見た壁画運動は、収容された者を癒し、勇気づけた。礼拝堂のドームにあるのが、彼の最高傑作「炎の人」。この炎こそ、しいたげられた農民や労働者の希望の火だった。オロスコがテーマにしたのは、スペイン人によるメキシコ侵略だった。この作品は置いてあるベンチに横になって、上を見上げて見るようです。
 ここ以外にも巨大スペースに壁画が描かれた。ハリスコ州政府庁舎の階段のところにオロスコの傑作「戦うイダルゴ神父」がある。19世紀初頭はメキシコは植民地支配で自由はなかった。農民や労働者を率いて独立運動をしたのがイダルゴ神父だった。しかし、独立後も底辺に生きる人たちは貧しいままだった。貧しい民は立ち上がり、独裁政権を倒した。革命直後から国家の独立から、メキシコ独自の歴史を誰が見てもわかる形で残そうと、多くの壁画が描かれた。これが壁画運動。オロスコの描いた壁画の中で異様なのは、馬の姿。馬を持たなかったメキシコでは、侵略者たちの使う馬がまるで怪物のように映った。

 オスピシオ・カバーニャスは孤児院などの役目は終わり、今はメキシコの歴史を伝えている。しかし、孤児がいなくなったわけではない。1980年、シンスティトゥート・カバーニャスが建設された。現在500人の子供達が暮らしている。ここでは子供達一人一人にぬいぐるみが支給される。子供達は心に何らかの傷を持っているので、話し掛けることによって傷が癒される。ヒメナちゃんは、生まれた翌日に預けられた。14歳の母親には育てられないから。現在は過剰な労働や、親からの虐待により、ここで暮す子の数が増えている。アウロラさんもここの倉庫で働いている。


テレビ番組「探検ロマン世界遺産 新大陸・謎の古代文明」

 2006年3月23日放送。アメリカ大陸にはコロンブス以前にも、いろいろな文明があった。アンデス山脈に突然姿を現す空中都市マチュピチュ、ペルーの大地に巨大な鳥や動物の絵を刻んだナスカ地上絵、メキシコの平原にピラミッドがそびえ立つテオティワカン。最新の研究ではアジアやヨーロッパ世界の常識をくつがえす一つの文明の姿が浮かびあがってきた。知られざる新大陸、古代文明の謎に迫る。NHK制作。

●ナスカの地上絵
 報告は住吉美紀さん。猛烈な砂嵐の歓迎を受けた。Lineas de Nasca の標識がある。東京23区がすっぽり入るという平原に散らばっている。飛行機に乗って見る。離陸して5分、まずハチドリ(全長96m)、コンドル(全長136m)、サル(全長110m)、イヌ、クモ、渦巻き、迷路、滑走路(長さ5km)などの700以上の絵が描かれているが、驚くべきは一筆書きです。
 発掘も行なわれていて、周辺からは骨や遺品が見つかった。出土品から割り出すと描かれたのは1〜6世紀。ナスカ古代史研究家のホスエ・ランチョさんに話を聞いた。小高い丘に連れていって、大きな三角形の地上絵を見せてくれた。差している方向は山。一つは水田の山としてナスカの人々に厚い信仰をもつセロブランコ山。逆方向には畑の中に奇妙な穴が開いている。山からの水路への井戸。横でトンネルで結ばれている。井戸に続く水はセロブランコ山から地上絵の下を通って流れているこ伏流水であることがわかった。地上絵は水と関係がある。地下水脈のありかを示す地図である。ナスカの語源のナマスカは「辛く過酷な土地」という意味。コンドルが山から飛んできて海の方へ行くと雨が降るという古い言い伝えがあるそうです。
 水を得るための儀式のために描かれた絵で、地上の神のためではなく、天上の神に捧げるために描かれた。ペリカンも飛んでくると雨が降るといわれた。

●インカの人々
 アンデスに残るミイラのDNAを調べると何とモンゴロイドだった。仮説では、2万年前にアジアの人々が移動を始めた。当時、陸つなぎだったアラスカを経てアメリカ大陸に渡った人がいた。チリまで到達して、独自の文化を花開かせた。

●マチュピチュ
 レポーターは藤井康生アナ。麓の村から高度差400mをつづれ折りに登った山の上にある。バスを降りてからもかなり山道を歩かないといけない。マチュピチュの標高は2400m。15分ほど登ると急に視界が広がった。最盛期の人口は500人以上と考えられている。全て石造り。
 遺跡の一番高い場所には、奇妙な形の石が置いてある。インディワタナ(太陽をつなぎ止める石)と呼ばれ、朝日の昇る方向を観測し、暦を作る儀式が行なわれていた。コンドルの神殿は豊作を祈願したと考えられている。
 マチュピチュの東70kmにあるカルカという村を訪ねた。インカ帝国時代から続く農村。ここのシュプリアン・フィゲロアさんに話を聞いた。ここのアンデレス(段々畑)で栽培されているのはトウモロコシ。これで作るチチャという酒がある。フィゲロアさんのお宅では40リットルのチチャを週に3回作るそうです。特に農作業の合間にたくさん飲むそうです。飲む際には、チチャを数滴大地に落とす。これは神に捧げる神聖な酒でした。
 山の斜面に整然と築かれた段が並んでいる。200以上もあるが、アンデネスと呼ばれる段々畑がある。ここではトウモロコシが栽培され、チチャが作られていたに違いない。
 マチュピチュの北側にそびえる山の頂ワイナピチュの標高は2690m。ここにも段々畑があり、そこに至る道がある。頂上にはチチャを捧げたと思われる祭壇が築かれていた。
 トウモロコシの先祖のテオシントレは1つの穂に10粒しか実をつけていない。古代の人はそれを品種改良していったようだ。
 町の中心に壁のない奇妙な建物がある。一つの壁がない建物は建設の途中で放棄されたものだった。さらに高い所に建設途中の建物もあった。人々はさらに山の奥に都市を築こうとしていた。

●テオティワカン
 レポーターは一柳亜矢子さん。今から2200年前の紀元前2世紀に建設が始まった古代都市の遺跡。太陽のピラミッドは高さ65m、底辺の長さは220m。エジプトのクフ王のピラミッドに迫る遺跡最大の建造物。月のピラミッドは高さ46m。7世紀にテオティワカンが滅亡すると、2つのピラミッドの意味は忘れられてしまった。テオティワカン遺跡復元プロジェクト主任のアレハンドロ・サラビアさんは太陽のピラミッドの調査を行なっている。発掘用のトンネルに特別に入れてもらった。王の墓も通路も全く発見されていない。これらのピラミッドは神殿をいただく台座だった。だから登るための階段がある。ピラミッドの表面はしっくいで固められ、頂上には神殿があったと考えられている。最近、そこで人間の頭蓋骨が見つかっている。この骨の分析をしているのが、愛知県立大学の杉山三郎教授。生け贄にされて打ち首にされたのだろうと予想している。後に、日食の際に人々は悲しみ、終ると神に感謝し生け贄を捧げた。

 今から10年前、標高6300mのアンデス山頂でも少女の遺体が発見された。これも山の神に捧げられたものらしい。

●ソチミルコ
 ここも世界遺産で、水路が発展している。浅い沼を少しずつ埋め立てて、自然の恵みを生かした独特の農業が営まれてきた。土に太陽の恵みを与えるチナンパと呼ばれる農法です。水路の土は肥沃な土で、陸にあげると太陽の光で微生物が活発に働き、より肥沃になる。トウモロコシの収量は1.5倍になるという。

●テオティワカン
 遺跡の隣に人々の暮らしを描いた壁画が残されていて、チナンパ農法も描かれていた。


テレビ番組「さんま・玉緒・美代子の、知ってた?こんなメキシコの旅」

 2005年9月19日放送。明石家さんま、中村玉緒、浅田美代子さんが出演。メキシコ合衆国は国土は日本の5倍、人口は1億330万人。25箇所の世界遺産が登録されている。9世紀最初から栄えたエル・タヒン遺跡、古代アステカ帝国の経済の要と言われた美しい水郷ソチミルコ、メキシコ・シティの歴史地区、メキシコ文明の源となったティオティワカン遺跡(Teotihuacan 月のピラミッド:太陽のピラミッド)などがある。コンチネンタル航空で14時間で到着しました。フジテレビ製作。

●ティオティワカン遺跡
 ガイドはジャナ・イシバシさん。その遺跡の端の駐車場でショーをやっていた。「ボラドーレス Voladores」と言って、高さ30mのポールの上に登ったダンサーたちがロープ1本で地上に降りてくる。笛と太鼓の音と共に、4人が足に巻きつけたロープを利用して13回転で降りてくる。4人で合計52回転となり、トトナカ族の一周期(年の束)を表す。
 この遺跡から車で5分のところにあるお土産屋さん「カレンダリオ・アステカ Calendario Azteca」には、人気者のロバがいる。コカコーラを一気飲みしました(笑)

●メキシコ・シティ Mexico City
 標高2140mの高地にある人口860万人の大都市。近大的なビルとスペイン植民地時代の建物が乱立し、色とりどりの様々な壁画をみかける。いいことも悪いことも壁画にしている。
 赤テント市場 Tianguis では日用品、野菜が豊富。その市場の中のソノラ市場Mercado Sonoraは魔術や占いのグッズの市場となっている。占い師カリーナ・ペレス・ロペスさんが、お金持ちになる香水Destrancadera や、お金持ちになる石鹸、モテモテになる香水 Miel de amor (para el) 、ベッドが壊れるくらいに強くなるものなどを紹介してくれました。彼女は玉緒さんから何か悪いエネルギーを感じるので、取り払う必要があるという。彼女は10歳くらいから霊力を持ち、1日数10組を占うソノラ市場随一の占い師で祈祷師で、玉緒さんに悪霊払いをしてくれました。美代子さんは再婚できるかどうかタロット占いで聞いたら、来年できるそうです。気持ちで動いているから頭で動いてくださいと言われました。さんまさんの女性運を見てもらったら、もっと自信を持つように言われました。一人に決めてつきあうように言われました。

 有名なレストラン「ビジャ・マリア Villa Maria 」に5時に行くが、満席。メキシコでは午後5時頃まではお昼ご飯の時間。メキシコ人は朝と夜は軽くすませ、お昼を時間をかけて食べる。「ソチミルコ風サボテンサラダ」、「北部地方風アラチェラ・ステーキ」、「鳥皮のカリカリ風タコス」、メキシコ名物の「鶏モモ肉のモレソースがけ」。モレソースはチョコレート入りで、甘くはなくとてもコクがある。ハヤシライスの感じです。

●チワワ Chihuahua
 チワワ犬は発祥地がメキシコだった。チワワ州はメキシコ最大の州で、北部にあり、大部分は砂漠だが、一方で広大な森林を持つ。チワワ市が中心。メキシコ・シティからジェット機で約2時間で、ヘネラル・ロベルト・フィエロ・ヴィジャロ空港 General Roberio Fierro Villalo に到着。メキシコ人ハーフのフジテレビの政井マヤ・アナウンサーが登場。1976年にここチワワで生まれた。おばあちゃんのロサ・マリアさん(87歳)のお宅を訪問した。庭には大家族が集合していた。30人以上?メキシコでは毎日のようにホームパーティが開催されている。10人くらいのマリアッチも登場。ピニャータという、キャンディ・おもちゃなどが入っているくす玉を棒を使って割って落とす、メキシコの子供たちのためのお祝い行事もあった。子供たちはとても可愛い顔でしたよ。
 チワワには会えませんでした。あまりいないようです。

 メキシコ流愛の告白はマリアッチで行なう。セレナータと言って、男性が愛の告白や記念日を祝うときに使う。アルフォンソ・バティスタさんは49年目の結婚記念日に、奥さんのためにこれを選んだそうです。びっくりさせるために、突然にやるそうなのですが、その現場に立ち会わせました。

●メキシコシティ
 宿泊はシェラトン・チェントロ・ヒストリコ・ホテル Sheraton Centro Historico Hotel Mexico City。

●ナウカルパン Naucalpan
 メキシコシティからほど近い小さな町。ルチャ・リブレ Lucha Libre はメキシコで大人気のスポーツの一つであるプロレス。善と悪が完全に分かれている。ここで活躍する日本人がいる。「闘龍門 Ultimo Dragon Gym」で、日本人の為にプロレス学校を開き、その校長をしている。15人くらいの日本人がトレーニングをしていました。校長はウルティモ・ドラゴンという覆面レスラーで浅井さんという。メキシコ人も熱くさせる人気のレスラーで、1987年にメキシコに来た。

●メキシコ・シティ?
 「アレナ・コリセオ Arena Coliseo」に行く。スタジアムではすごい熱気。まずは堀口選手の試合があり、ウルティモ・ドラゴンの試合になった。さんまさんがさんま仮面で登場した。ドラゴンは大人気で、恰好よく勝ちました。

●カンクン
 メキシコ・シティからジェット機で2時間。ククルカン・プラザは大型ショッピング・モール。フォーラム・バイ・ザ・シーではおなじみのカフェ(ハードロック・カフェなど)も軒を連ねている。
 カンクン一美しいと言われるドルフィン・ビーチ Playa Delfines にガイドのアントニオ・ニシザワさんが案内してくれた。バラクーダ(オニカマス)もいるとか?
 宿泊はウェスティン・リゾート&スパ・カンクン。プライベート・ビーチをはじめ、いくつものレストランとプールを持つ。海のアクティビティも楽しめる。ウェスティンのセシリア・オロスコ・アンドラーデさんが迎えてくれた。ホテル内のスパ・ナイザック Spa Nizuc で体を癒した。
 アクア・ワールド Aqua World に行く。そこにはジェットスキーがあり、これで絶景レストランに行くという。海を越えてマングローブのジャングルを越えて到着した。3人ともビショビショになりました。レストラン「リオ・ニズック Rio Nizuc」はカンクンで大人気のレストラン。エメラルド・グリーンの海を見ながらのシーフードは絶品。漁師さんが朝採ったものを出すお店。「ロブスターテイルの炭火焼き」。このレストラン一押しの一品は「シーフード・セビーチェ(レモン風味のマリネ)」。「ティキンシック(ユカタン風白身魚の蒸し焼き)」は魚を蒸し焼きにした豪快な料理。ハバネロ(唐辛子の20倍の辛さの唐辛子)をかけて食べるとうまいという(笑)


テレビ番組「安達祐実のクジラに会いたい。極上リゾート!メキシコ・ロスカボスの旅」

 2005年3月12日放送。2003年5月11日に関東地方で放送されたもの。安達祐実、弟の大、お笑いコンビ「どーよ」のテルとケンキさんが出演。祐実さんは小さい頃から海の動物が好きで、イルカと泳いだことがある。今回はクジラに会いたいという。テレビ朝日製作。

●ロス・カボス
 バハカリフォルニアはくじらが子育てをしにくるし、鳥たちがのびのび暮らす地上の楽園。バハとは下にという意味で、カリフォルニアの下に続く全長1700kmの半島。姉弟で成田からANAでロスを経由してロスカボスに到着。
 バハカリフォルニア半島の先端にあり、2002年にはAPECが開催された。ハリウッド・スターなどの世界の大富豪が別荘を構えるメキシコが誇る最高級リゾート地。

●ホテル
 宿泊はウェスティン・レジーナ・ゴルフ&ビーチ・リゾート Westin Regina Golf & Beach Resort。世界で最もドラマチックなホテルとして賞を受賞したこともある。全室オーシャン・ビューで外見は赤茶色系。プレジデンシャル・スィートは世界のVIPが使用する。1泊2600ドル。
 夕食はレストラン・アレシフェス Arecifes 。乾杯はサルー!「白身魚のオランデーズソース Filete de Huachinango Gratinado con Salsa Holandesa al Pimiento Morrou Rojo 」ワチナンゴとはスペイン語で鯛のこと。ソースに唐辛子を使うのもメキシコ流。サブロッソ!はおいしい。「バハカリフォルニア産ロブスターのグリル Langosoa Roja de Baja California a la Plancha 」、「香ばしい海老のオレンジソース Camarones Orujienties al Asiole con Salsa de Naranja 」。最後にシェフ特製の「クジラのチョコレートケーキ Especial de Ballsna 」メキシコはチョコレート発祥の地。次に暗くして、テキーラとコーヒーリキュールをグラスに入れて、炎であぶると青く燃えた。これを別のグラスに移したりして、クリームをのせてメキシカン・コーヒーの完成!最後に炎のついた原液を追加した。コーヒー牛乳みたいに甘いそうです。
 ここのホテルには7つのプールがある。目の前のコルテス海に同じ高さに設定されていて、プールで泳いでいると、海で泳いでいる雰囲気になれる。飛び込み禁止です(笑)
 ホテル内にANAハローツアーデスクがあり、市内の人気スポットやお得情報を教えてくれる。

●ロス・カボス市内
 市内を散策。一番人気のカボ・サン・ルーカスに行く。メキシコは銀の生産が多く、銀製品が安く手に入る。クジラはballena で置物もあった。腕輪もあったので聞くと10ドル。マス・バラト!マス・バラト!で5ドルまですぐまけてくれました(笑)
 タコス・バー「Las Quesadillasss 」に行く。お昼なのにオルガン?の演奏がある。タコスはトウモロコシの生地に具をのせたもので、シーフードやビーフなど、いろいろな種類の具がある。今回はシーフードタコスで5ドル。

 メキシカングラスの専門店 Glass Factory Asteca に行く。ここは工場が隣にあるので、他のお店よりも安く買える。サボテン風のものもある。作ってみたいと言うと、スケッチブックに描いてみるように言われた。職人さんに見せて、ガラスを膨らませるのを体験し、後は全部作ってもらった。コップの中にクジラがいるもの、ボウルの中にサボテンがあるもの。

 サンドバギーに挑戦。砂よけのバンダナを口に巻いて疾走。一人乗りだと1台US66ドル。2人乗りだと90ドル。主催は Jaja's Water Sports 。免許がなくても乗れるそうです。
http://www.bajasmotorent.com/
 ちなみにサンドバギーよりは、beach buggy または dune buggy の方が一般的らしいです。

 マルガリータ・ビラ Margarita Villa という地元で安くておいしいと人気のレストラン。アボカドをすりつぶした絶品のソース「グァカモーレ Guacamole 」、トウモロコシ・チップスの「トスターダス Tostadas 」、ピリッと辛いサラダ?「サルサ・メヒカーナ Salsa Mexicana 」。ウェイトレスのジェシカさんが唐辛子(チレ chile )を持ってきた。アバネロ habanero は世界一辛い。どーもの二人は挑戦してひどい目にあいました。「牛フィレ肉のステーキ Arrachera 」は人気メニュー。「チレのチーズ詰め Chile Relleno with Cheese 」はほとんど辛くなくてピーマンみたいな感じ。
 そこにマリアッチの演奏者9人が登場し「グアダラハラ Guadalajara 」を演奏してくれた。マリアッチ Mariachis は8−12人で構成されるメキシカン・オーケストラ。演奏後「マラビジョソー!」(素晴らしい)の声。次に何故か「おさかな天国」を演奏。どーものケンキさんはあの曲にあわせて踊っていた踊りのお兄さんでもあった。

●メダノ・ビーチ
 ホテルはメリア・カボ・レアル・ビーチ&ゴルフ・リゾートに移動。オーシャン・ビュー、ガーデン・ビュー、ゴルフ場・ビューがある。メリア・ロス・カボスのような高級ホテルなどもロス・カボスにはある。
 メダノ・ビーチ Playa el Medano はロス・カボスでも最も人が集まる地域。浜辺には商品をおじさんたちが並べて売っている。ビーチバレー、パラセイリング、ジェットスキーなどもやっている。
 グラスボート・ツアー(往復45分:10USドル:主催はTio Water Sports)で、船の下も見ることができるし、岩の続く場所を見ることができる。ペリカンが止まっているペリカン・ロックを通過すると、砂浜が見える。ラバーズ・ビーチと呼ばれている。片方がコルテス海、反対側が太平洋。イグアナがいた!地元の人がイグアナを肩にのせてくれた。さらにグラスボートに乗っていくとアシカのコロニーがあった。アーチロックという不思議な形の岩をくぐると向こうは太平洋。恐竜が水を飲んでいるように見える岩です。その先に小さな岩の島があり、ここが半島の最南端になります。ペリカンがのっていました(笑)
http://www.tiosports.com/
http://www.travelguidemexico.com/cities/cab/ads/tiosports.html

 ここの海はトローリングも有名です。
http://www2u.biglobe.ne.jp/~LosCabos/

 祐実さんは「ドルフィンズ・ヘッド」(ホテル・プラザ・ラス・グロリアスの1階)の石渡隆之さんのサポートで、シュノーケリングをした。祐実さんは得意だそうです。シュノーケリング・ツアーは2時間35ドル。海の中はエメラルド・グリーンで目の前にはミゾレフグ、ツノダシ、キングエンジェル・フィッシュ、イエローテール・サージョン・フィッシュなどいろんな熱帯魚がいました。塩分濃度が高いので、いつまでもプカプカ浮いておれます。
http://www2u.biglobe.ne.jp/~LosCabos/sab1/DivingShop/DolphinsHead.htm

 メリア・サン・ルーカス・ホテルで喫茶したら、海も一望できてました。Tio Water Sports のクジラに詳しい人に話を聞いたら、ラパスの方にいっぱいクジラがいるという。

 夜も盛り上がる街で、「ザ・ギグリング・マーリン The Giggling Marlin 」というロス・カボスいちおしのお店に行く。笛を合図にテキーラ・ボンバーが開始。一気に飲ませてソンブレロをかぶせて頭を揺すります(笑)祐実さんはテキーラを飲んで?3人で踊りを踊っていました。逆さ吊りテキーラ・ボンバーにテルさんが挑戦し、撃沈しました(笑)
http://www.gigglingmarlin.com/home.htm

●ラパスに向かう
 ロスカボスの北200km。車で移動しましたが、ずっと道路とサボテンが続く。穴が開いていたので、ガラガラヘビかも?って言ったら、カメラさんが「この辺はガラガラですよ」。ケンキさんは「さぼてん1枚」と言ってました(大笑)

●トドス・サントス
 ロス・カボスの130km程度北。イーグルスの「ホテル・カリフォルニア」のモデルになったホテル・カリフォルニアがある。祐実さんはバスの中で真田広之さんが好きだと言ってました。

●ラパス La Paz
 入口に巨大な白いクジラの尾のモニュメントがある。ラパスとは平和という意味。世界的なダイビング・スポットとしても知られている。クジラのTシャツもたくさん売っている。
 国立工科大学附属研究所・海洋学センターのクジラに詳しいダニエル教授に聞いてみた。バハカリフォルニアの海には4種類のクジラがいる。代表的なのはコククジラ(グレーホエール Gray Whale )で13m以上になり、フジツボを全身につけていて、黒い体が灰色に見えるが、絶滅が叫ばれている。ここで子育てをしている。7−8人乗りくらいのボートで近づくとボートの下をくぐってくれたりするそうです。触ると神秘的な感覚になるそうです。一番いい場所はサンカルロスのマグダレーナ湾だそうです。

●サンカルロス San Carlos
 さらに3時間車で移動してマグダレーナ湾に到着。人口3000人の漁師町。人々の多くは海老を取っている。コククジラの骨が広場に飾ってあった。
 小さなホエール・ウォッチング・ボートに乗ってホエール・ウォッチング・ツアーに行く。期間は1月〜3月、料金は6人乗りボート2時間で120USドル。たくさんのコククジラが来るクジラの保護区で、近づくには免許が必要で、赤い旗が許可された印。今回の船長さんはラモンさん(24歳)。くじらを見た時に片方に寄ると転覆するので寄らないように!と指示していました。30分でウォッチング・ポイント。クジラを驚かせないようにエンジンを切って待ちました。すると何頭も登場。ウォッチング・ボートは3時間と決められている。

 船長宅に行ってタコスとバーベキューをご馳走になりました。牛肉をトルティーヤにのせ、グァカモーレ、サルサ・メヒカーナをのせてタコス・ビステック Tacos Bistec としていただきました。普段は海老を取る漁師だけど、取れないこの時期だけ、クジラを見るウォッチング・ボートを出しているんだとか。

 翌日、クジラに触るために朝7時から再挑戦。エンジントラブルがあったけど、目的の場に到着。既に潮を吹いていました。たくさんいて、数mの近さまで来ましたけど、触れませんでした。


テレビ番組「世界一周“食材の旅”トマトの不思議大紀行」

 2005年1月23日放送。陣内孝則、市毛良枝、森公美子さんが出演。トマトの年間生産量は2001年1億25万トンで、世界で一番多く食べられている野菜。トマトが日本で食べられるようになって100年、世界を巡り、トマトの知られざる物語やさまざまな謎を解き明かす。中京テレビ開局35周年記念番組。

●イタリア・ナポリ
 陣内孝則、森公美子はイタリアのナポリを訪問。イタリアではトマトはポモドーロ(黄金の果実)と呼ばれ、150種類以上もある。マラフロンテ・サルバトーレさん宅を訪ね、トマトソース作りやナポリ風ピザ作りに挑戦。まずトマトを洗い、沸騰したお湯に入れてトマトソースを作る。180kgで6人分の1年分で、甘くて酸味の強いローマ種を使う。洗濯機のモーターを再利用していた。トマトは食べるだけじゃなくて、美容にも使っているという。輪切りにしてパックにも使うという。瓶詰めにしてドラム缶の底から丁寧に積み上げていく。湯をはってじゃがいもを入れて熱していく。生のじゃがいもが煮えたら完成。
 お礼にピッツァ・ナポリターナを作ってくれた。生地にトマトソースをしいて、モッツァレラ・チーズとバジルの葉を散らし、釜で焼きます。ピッツァ・マルゲリータ。
 ほかにイタリアのトマト料理の誕生秘話やトマトの料理以外の活用法などを紹介する。

●ペルー
 市毛さんはペルーのアンデス山脈に行く。ここがトマトの故郷だと言われる。ここでトマトの野生種を発見するために案内してくれたのは、ペルー国立農業大学元教授のビンセンテ・ラズリ博士。ラペルラ・アルタ Laperla Alta という村から先は車で行く道がないので歩いて行く。標高2200mで乾燥した土地です。ここからはロバを使う。この時期は黄色い花が咲いているはずというのを目印に探して見つけた。リコペルシコン・ビルスータムといい、雑草みたいで、実は緑色で親指の爪ほどの大きさ約8mmほど。これで完熟しているといて、食べてみたらトマトでした。根に秘密があるそうで、地面が乾いているので、地中深く張り巡らしている。野生種は多年草で実、茎の毛から空気中の水分を吸収しているそうです。

●メキシコ
 もともとは小さな果実だったトマトがどのようにして世界中に広まったのかを調査するためメキシコへ向かう。鳥によってメキシコに運ばれたという。メキシコ・シティの中央市場でメキシコのトマト事情を探った。
 屋台では鉄板にザク切りトマトを置いて焼いて甘味を引き出し、唐辛子を焼いてモルカヘテという石臼でひき、さらにトマトを入れてつぶして混ぜ合わせる。「サルサ・デ・モルカヘテ」というサルサにして食べる。国立人類博物館には4500年前の遺跡から発掘されたモルカヘテがある。このサルサを使ったものがタコス。牛肉を焼いて、メキシコ人の主食、とうもろこしの粉から作ったトルティーヤにはさんで、サルサをかけて食べるのが伝統的な食べ方。「牛肉のサルサ」Tacos de Bistek 。
 有名なレストラン「アローヨ Arroyo 」に行く。ここでは100種類以上のサルサが用意してある。サルサはメキシコ料理の全てに使われる味の決め手。中でも最高傑作といわれているのがサルサモーレ Salsa Mole で、丸ごとトマトを焼いて、唐辛子とミキサーにかけ、仕上げにビターチョコを加えたもの。「鶏肉のモーレ・ソース」 Pollo en Mole は代表的。

 チャピンゴ自治大学の植物遺伝子学のヘスース・クエバス教授の話では、1万2000年前にトマトの栽培が始まり、アステカ時代(1300年代 -1524年)に大きくなったと考えられる。今では観光地として知られる水郷地帯ソチミルコにアステカ時代のハイテク農法が残っていた。

●メキシコ ソチミルコ
 ソチミルコ Xochimilco では、川の底の泥をすくって畑にもっていって育てる。アステカの都は今のメキシコ・シティだが、当時は沼地だった。アステカの人は高度な技術で沼の上に畑を作っていた。チナンパと呼ばれる人工の畑は、葦で編んだイカダで作られた。湖の水を吸い上げ、栄養分を取り込んだトマトは実が大きくなって進化していった。
 ここの畑でほおずきみたいなものを渡された。中には緑のトマトが入っていた。トマテベルデ(食用ホオズキ)という。

 1521年スペイン軍が侵略してきた。第三次探検隊長エルナン・コルテスが率いるスペイン軍がアステカ帝国を滅亡させた。こうしてとうもろこし、じゃがいも、唐辛子、トマトなどの食材はヨーロッパ大陸に運ばれた。

●スペイン
 500年前に入ってきたときには、当時の植物学者たちはマンドラゴラ(毒草)というナス科の植物の仲間だと判断していた。それで食べられることはなかった。貴族の庭園で赤色を増しながら、鑑賞用として栽培された。当時の庶民は飢えに苦しんでいた。庭師があまりの空腹に食べてから食べられるということがわかった。スペインでは長くて重量感があるベラ種が多く、実が実る頃に葉が枯れるので、茎ごと抱え上げて振って、トマトが落ちるので採取している。

●スペイン セビリア
 セビリアは、当時新大陸地域の独占貿易地。陣内孝則さんはバル Bar を訪問。ここの一番人気の料理マグロ・コントマテをいただく。マグロとはブタの赤身のこと。これをバジルで炒め、トマトソースでいただく。「豚肉のトマト煮込み Magro con tomate 」。次は「フラメンカ・エッグ Hucbosa la framenca 」で、野菜を炒め、それにトマトソースを加え、最後に生卵を2つのせて炒めたもの。たまごを潰して混ぜて食べる。半熟の卵がおいしさを引き立たせているようです。スペイン料理の90%以上にトマトが使われているとか。

●スペイン ブニョール
 アンダルシア地方のブニョール Bunol は人口1万人の小さな街。建物の壁をビニールシートで覆い、4万人が集まった。年に1度のトマトを投げ合う奇祭「トマト祭り」に参加。町が提供した120トンのトマトを投げる。みんな上半身ははだかです。喧嘩も起こり、ケガ人が毎年出るそうです。60年続いているとか。1時間後に花火の合図で終了。

●スペイン イスラ・クリスティーナ
 スペイン南部の大西洋に面した漁港イスラクリスティーナ Isla Cristina では、鍋にオリーブオイル、野菜、お米、水を入れて、トマトソース、シーフードをそのまま入れていって、揺すりながら熱を加えた、トマト味の炊き込みご飯。食前酒としてアルコール度25度のリキュールを飲んだ。次は取れたてのサバにトマトソースを加えて炒めた「サバとトマト煮込み Gaballa con tomate 」はサバの臭みが抑えられていた。

●イタリア・ナポリ
 ナポリでは黄金期を迎えた。森さんと陣内さんがナポリタンを食べる。「リストランテ・プレビッシート Ristorante Plebiscito 」では、生のトマトを切り、オリーブオイル、にんにく、バジルを入れて炒める。これにスパゲッティを加えて絡め、バジルをかける。「トマトのスパゲッティ Spaghettial pomodoro 」。パスタにトマトがからんだところでトマトの人生が変わったのだろう。
 1750年頃、ナポリの天才料理人ビンセンソ・コラード Vincenzo Corrado が料理にトマトを活かした。彼の書いた料理本がナポリの国立ヴィットリオ・エマヌエーレ3世図書館にある。1773年に出版されたその本「粋な料理人 Il guoco galante 」は今でもイタリアの料理人のバイブルとされている。彼はトマトはソースとすることで、パスタなどの食材と無限に組み合わせることができる調味料だと書いています。うまみ成分のグルタミン酸が多いトマトソースは肉や魚介類の旨みを引き出すという。
 2001年のトマトの年間消費量は日本人は一人あたり8.9kg、イタリア人は63.6kg。

●イタリア フォジア
 イタリア最大のトマト生産地フォッジア Foggio を訪問した。ローマ種は細長く、水気が少なく、甘味と酸味が強い。トマトは収穫車で収穫していた。トマトは加工用トマトの缶詰工場に集められた。水の中で洗い、高温の蒸気で蒸して皮をむく。4000人の人が皮をとったり完熟してないのを除いている。ジュースと缶詰にして、ロシア、南アフリカ、日本にも送られている。
 ここで日本人に出会った。元イタリア日本大使館料理長の石橋尚之さん。今は東京をはじめ全国19件のイタリア・レストランの総料理長。毎年イタリアのトマトの味を確認してきている。

●イタリア ソレント
 石橋さんのトマト料理の名店を紹介してもらった。ソレントの5つ星「リストランテ・ドン・アルフォンソ1890 Ristorante Don Alfonso 1890 」で、ここに世界中のシェフが一目を置く天才シェフがいる。野菜の魔術師イアッカリーノ・アルフォンソさん。トマトは海に面した日当たりのよい畑でシェフ自らが栽培している、細長い「トマトの帝王」サンマルサーノ種。サンマルサーノをタマネギ、ニンジン、セロリと一緒にワインで煮詰める。豚肉を叩いて薄くしたものにニンニクのミジン切り・松の実・干しブドウ・パセリなどをのせて巻き込んだものをオリーブオイルで焼く。これをトマトソースに入れて軽く煮る。「焼いた豚肉のサンマルサーノソース Braciola di majale con salsa di sanmarsano 」は普通のトマトだと水くさくなる料理が、見事においしいそうです。

●イタリア・シチリア島
 南部のパッキーノ Paccino ではイタリアで一番うまいというパッキーノ・トマトがある。石橋さんと森さんが訪問。真っ赤なプチトマトが大地に並べてあって太陽に当てられている。ドライトマト Pomodori Secchi で、EUで指定されていて、ニセモノも出回っている。収穫したトマトは切って、切り口を上にして、シチリア産天然塩を高いところから均一に振り(甘味を出し、殺菌効果がある)、天日に4日間干す。シチリアはマグロも名物で、伝統のマグロ漁はマッタンツァと呼ばれる追い込み漁。
 「リストランテ・ラジャーラ」Ristorante La Giara では入口にマグロとパッキーノ・トマトが置いてある。オーナー・シェフのバルバガッロ・カルメロさんはトマトとマグロ料理ならまかせなさいと言う。たまねぎを炒めてから生のパッキーノトマトを加え、魚からとったスープを加え、さらにドライトマトを入れてソースを作る。マグロは薄く切り、パン粉をつけて油で揚げる。これを先ほどの酢・砂糖・塩・胡椒などで味付けしたソースに入れて完成。「マグロとドライトマト甘酢風味」 Tonno Rosso Agrodolce 。

●世界のトマト料理
 フランスではトマトはポモダモール(愛のリンゴ)Pomme D'amour と呼ばれている。トマトの上を切り取り、中をくりぬいて、果肉は刻んで合挽き肉、パセリ等と混ぜ合わせてトマトの器に入れ、上にパン粉をまぶして、オリーブオイルをかけてオーブンで焼く。「トマトの肉詰め」Tomate Fareic 。

 トマトの生産量が世界一の中国では、トマトは西紅柿(フォンス)と呼ばれている。強火で炒めて豚の挽肉を入れ、火が通ったところで卵を炒めてトマトケチャップで味付けする。最後に紹興酒で香りづけ。「番茄肉○炒蛋(○は幺2つの下に横棒が1本)」トマトと豚肉と卵の炒め物。中国ではトマトは卵と組み合わせることが多い。中国人が大好物の家庭料理です。

 タイではまずトマトと野菜と魚介類とライス麺を炒め、オイスターソースとナンプラーで味付けし、最後にミニトマトを加えて、軽く炒めると完成。「パットキーマゥ」タイ風やきそば。

 アメリカでは、ホットドッグやハンバーガーにつけるケチャップ消費量が3億リットルとダントツの世界一。ケチャップは完熟トマトに酢と砂糖を入れたもので、ナポレオンが遠征の際に携帯したトマトの瓶詰がケチャップの起源だという。アメリカでは南北戦争や西部開拓時代に携帯食料として発展した。

 日本では、トマトは愛されている野菜の第一位。野菜の売上は1位トマト、2位キュウリ、3位キャベツ、4位ネギ、5位タマネギ。日本に初めて渡って来たのは17世紀。食べられるようになったのは1883年の鹿鳴館時代から。1908年にケチャップの国内生産がスタートしてから一般に広まった。チキンライスと共に有名となった。品種改良によって1981年最高傑作の「桃太郎」ができた。最近人気なのは「完熟トマト」。

●トマトの成分
 ヨーロッパではトマトが赤くなると医者が青くなると言われている。トマトの主な成分はリコピン、カルシウム、ビタミンA、ビタミンB1、ビタミンB2、ビタミンC,マグネシウム、鉄分。今注目されているのは、赤い成分でもあるリコピン Lycopin 。北里大保険衛生専門学校の井上正子教授はトマトの成分が医薬の上ではなくてはならない存在になっているという。


テレビ番組「片岡鶴太郎、世界を描く。メキシコ・マヤ文明に挑戦!」

 2004年12月26日放送。コンチネンタルでヒューストン経由で14時間、メキシコのユカタン半島に到着。カンクンから州都メリダまで、320kmの旅。メキシコはさらに食の王国で4000種類以上の料理がある。テレビ朝日製作。

●カンクン
 青く澄み渡ったカリブ海に面した全長20kmのキンタナ・ロー州のリゾート。30年数前まではジャングルだったが、今は年間300万人の観光客が訪れる。ハイアット・カンクン・カリベ・ヴィラ・アンド・リゾートが紹介された。

 主な交通手段はバスで均一料金6.5ペソ(80円)。これでダウンタウンに向かう。高さ100mの大きな国旗がはためいていた。緑は希望、白は純粋、赤は革命戦士達の血を意味している。鶴太郎さんが国歌を歌うとみんな歌った。ボクシングの選手だというと、ポーズを見せてくれと頼まれた。メキシコにはチャベスがいる。降りる時は「パラダー(停まって)」と言う。

 23番市場。バナナが曲がってなくて大きい。男性バナナという。唐辛子はチレといい、チレ・アバネロは世界一辛いというが、試してみた。白と赤と緑の野菜を集めて、モチーフとして考えてみた。
 チャヤ(La Chaya)というお店は、地元のサラリーマンやOLに人気。ほとんどの人が飲んでいる抹茶色のチャヤ・ジュース16ペソ(190円)は、淡いスイカの味がするそうです。これはマヤの時代から飲まれている。日替わり定食は50ペソ(600円)でおいしくて安い。スープとメインで、メインはトルティージャの揚げたものに、目玉焼きやハムややアボガドや揚げた男性バナナなどをのせたウェボス・モトレーニョ。
 占いグッズのお店があった。赤い缶があったが、フェロモンが足りないと自分にかけると、好きな人をその気にさせることができるスプレーらしい。恋人にふられた時に名前を書いて仲直りできるというロウソクはペアで4ペソ(50円)。メキシコは離婚率が高いので、喧嘩をしたらこういうお店に来るそうです。究極の仲直りグッズは、Regreba a mi と書いてある香水、ハーブティーみたいな袋に入った Legitima Polvo Atrayente 、Jabon Aleman という石鹸などです。
 ホテルで作画してみた。コバルトブルーの海を背景に野菜・果実を散らばめた。

 プロレス(ルチャ・リブレ)をアレナ・バレンケに見に行ったが、練習中だった。メキシコには5000人以上のレスラーがいて、ほとんどが覆面している。アラニャ・ネグラ選手、オンブレ・アギラ選手がマスクをプレゼントしてくれた。

 夕食は1975年創業のレストランバー「パリージャ La Parrilla」。まずはテキーラの「メスカル」30ペソ(360円)。塩をかけたライムを口に含み、ぐいっといく。テキーラと比べると甘いそうです。中にはイモムシが入っていて、食べることもできるそうです。メインはウチワサボテン・ステーキ、チレの肉詰め、100ペソ(1200円)。メカブとオクラの味がするそうです。食事の途中でマリアッチの楽団が来た。マリアッチはトランペット、バイオリン、ギターなどの楽器からなるメキシコの伝統音楽を演奏する楽団。ベサメ・ムーチョを演奏してくれた。次はムラヴェ・タバティド(踊りましょう)という有名な曲で一緒に踊った。

 翌朝、カンクンで一番おいしいというタコス専門店「リゴ Rigo 」に行く。1988年小さな屋台から始まったお店。アル・パストール(豚もも肉とパイナップル)6ペソ(70円)、トリビッタ(牛の腸)、テセソ(牛の脳みそ)6ペソを頼んだ。タコスはライムをかけ、お好みのチリソースをかけていただく。この店の味の決め手はいつも新鮮な肉を使うこと。脳みそは白子の味だそうです。店員さんは牛タンが好きというので、テ・レングア6ペソも頼んだ。塩をかけてライムとチリソースでいただいたが、日本人に合うそうです。

 カンクン文化センターに行く。子供たちにメキシコの文化を体感させ、絵画やハリスコ州の民族舞踊などを教えている。この民族舞踊はカラフルでダイナミックでした。基本的な踊りのパターンを子供に教えてもらいました。

●トゥルム遺跡
 カンクンから南へ車で1時間30分。カリブ海の岸壁にそびえ立つ。ボートを借りて海から見る。16世紀にスペイン人が最初に見た遺跡だろう。エル・カスティージョとは城を意味し、灯台としても使われていた。紀元前1500年頃から展開されていたマヤ文明の最後の頃に作られた。上陸して遺跡を歩いた。イグアナが城壁の上にいて、ハイビスカスをイグアナに出したらみんな集まってきて食べました。トゥルムはマヤ語で城壁を意味する。マヤは密林の中で暮らしてきたが、このトゥルム遺跡は海に出てきた遺跡でもある。エルカスティージョは神官が住んでいたと言われる。この向かいのステージは通常は立ち入り禁止だが、特別に入らせてもらい、エルカスティージョに向かって両手を広げて太陽を感じてみた。
 入口の広場では太陽に捧げられる豊作の儀式が行なわれていた。男たちが30mのポールを上り始めた。これはポラドーレスと呼ばれる儀式で男たちは鳥となり、宇宙に向かい祈りを捧げながら、回転しながら地上に舞い降りてきた。

●ナランハル
 カンクンから南西に車で2時間。人口128人の村。電気は通っているが、電話は使えない。マヤの暮らしを守っている。何となく懐かしい感じがする。2−4歳のクラスに行ってみた。おじいちゃんたちが孫の授業を見学に来ていた。村の奥にはお母さんたちの台所兼作業場があって、とうもろこしからトルティージャを作っていた。白地にカラフルな絵がついた民族衣装を作っていた。ミネリアさんがキスもしてくれました。そこに夫のバスコアルさんが登場。
 村人たちはおもてなしの料理を作ってくれました。村長のグレゴリオさんが説明してくれた。クリスマスと聖なる日の年に2回作る料理で、あとは特別な人が来た日に作るそうです。前の日から準備していた。焼いた唐辛子にシナモンとにんにくを加えて作ったネグロペーストがスープのベース。鍋に七面鳥や鶏肉を入れ、トマト、たまねぎを入れて豪快に煮る。最後に香りをつけるためにバナナの皮をのせてまる1日蒸し火にする。「レジェーノ・ネグロ(七面鳥の煮込み)」という料理で、こくがあるそうです。黒はマヤ人にとって死、ご飯は死、緑は未来を表している。

●メリダ
 州都。カンクンから西へ320km。野口英世が足跡を残した街で、野口の名前を知らない人はいない。像もある。ハイアットリージェンシー・メリダに宿泊した。中世の面影が残る街はヨーロッパの人に人気が高い。馬車に乗って街を散策してみた。街の中心まで150ペソ(1800円)。木蔭だと涼しいが、直射日光だと熱い。白い建物が多いので、白い都と呼ばれる。かつてはマヤの町だったが、1542年にスペイン軍に占領させた。占領者がマヤの人の頭を踏みつけているモンテホの家の彫刻は過去の歴史を生生しく感じさせる。昼下がりの公園ソカロはカップルが多い。
 ユカタン料理の店「ロスアルメンドロス Los Almendros 」に行く。ゲソ・レジェーノ(チーズのひき肉詰め)84ペソ(1000円)。チーズにひき肉を詰め、クリームソースで煮込んだもの。おいしいそうです。コチニータ・ビビル(豚のアチョーテ・ソース焼き)68ペソ(820円)。アチョーテとはベニの木の実をペースト状にした調味料で、アチョーテとオレンジでつけた豚肉をバナナの葉で蒸し焼きにした料理で、トルティージャに包んでいただきます。マヤ人はアチョーテを染物に使っていたので、絵に使えるのでないかと市場に向かった。小さい1袋?2ペソ(25円)だった。

 週末はソカロや広場では屋台が軒を並べる。特に人気なのは、エスキッテ・コンチレ・イ・リモン(茹でトウモロコシ)10ペソ(120円)で、地元で採れた茹でトウモロコシにマヨネーズとチレをかけたもの、酸っぱさと辛さがマッチしている。マルケシータス(クレープ)は12ペソ(150円)で、チーズをクレープで包み、パリッとした食感がたまらない。

 州庁舎を訪ねた。マヤ朝の誕生からスペインに制服されるまでを描いた壁画が飾られている。メキシコを代表する作家パチェコーによって描かれた「マヤ人の起源」。マヤ人はとうもろこしから生まれたと言われている。全部で27あり、他にも「メリダの歴史」、「征服者に反撃するマヤ人」などがあった。

●セレストゥン
 メリダから西へ100km行った海岸。入り江観光は1時間400ペソ(4800円)。ボートの船頭はホセさん22歳。渡りガニが獲れていた。ここはピンクのフラミンゴの群生地になっている。夏場にやってきて、別の場所に向かい、秋から冬にかけてセレストゥンに卵を産みに帰ってくる。

●ウシュマル遺跡 Uxmal
 メリダから西へ80km。世界遺産。7世紀始めに栄えた都市。ジャングルの中に作られ、今でも神秘的な存在。まずは丸みを帯びた魔法使いのピラミッド。卵から生まれた魔法使いが1夜で作ったという伝説がある。高さ38mのピラミッドに登ったが、通常は登れないそうです。古代の人たちの心の豊かさと豊かな感性を感じる。雨水が水として頼りだったので、ウシュマルでは雨神チャックが崇拝され信仰の中心となっていた。マヤ・アーチの中に遺跡の建設者の手形が残っていた。赤い色はアチョーテの色だった。尼僧院はかつては宮殿として使われていたという。壁はプウク様式という形で作られている。壁一面に彫刻を施した石を組み合わせ、複雑なモザイク模様で装飾されているのが特徴。庭には男性のシンボルを表す柱が、女性を表す大地につきささっているものがあるが、この土地の繁栄を祈って作られたもの。
 高さ37mの大ピラミッドに登ってみた。素晴らしい景色が展開していた。緑の中に遺跡が点在していた。人工物と自然がマッチしていた。絵のモチーフとしてはすごすぎるという。今まで風景画を描いてこなかった鶴太郎さん。
 空があかね色に染まる風景の中で尼僧院とその左にある緑の木々と赤い1本の木を描いた。緑の部分の下絵として奥深さを出そうとして黒のベースを塗り、乾かしていたら、風で吹き飛び、角の部分が破れたので、ここでの作画は断念。

●ナランハル
 マヤの村に大きな忘れ物をしたという気が強まり、予定を変更してナランハルまで4時間かけて戻ることにした。マヤの人たちの精神的な部分に触れたいというので、生きていること、死について聞いてみた。死を恐れていない。家族を大切にする、人をねたまないという気持ちは昔から受け継いでいるし、子供たちにも伝えていきたいという。マヤの人たちを描きたいと思い、キャンバスに描いた。

●日本にて
 作画の最後の部分はウシュマル遺跡を完成させた。破れた部分は補修した。アチョーテをつぶして、この赤色ににかわと混ぜて手作りの絵の具として、尼僧院の横にあった1本の赤い木にした。


テレビ番組「日本のタクシー大冒険U…地球縦断26000キロ南米最南端〜ニューヨーク100日間奇跡の旅」

 2004年7月18日、19日放送。乗客は大鶴義丹。前回の東京〜ロンドンに続く第2弾。南米の南端からニューヨークまでの2.6万kmの旅。使用ガソリン2359.547リットル、給油回数74回、最高気温37度、最低気温ー2度、乗車時間637時間、越えた国境11ケ所。
 2003年8月5日、ドライバーを決めるオーディションをした。全国から61組の応募があり、練馬区大泉学園に住む父65歳佐久間侃さん、娘39歳の綾子(日生交通)さん親子が選ばれた。テレビ東京製作。

●アルゼンチン・フエゴ島
 日本から飛行機で37時間。2003年12月22日にウシュアイア国際空港に到着。ここから1000km南下すれば南極。空港のすぐ南のビーグル水道はダーウィンが乗っていたビーグル号にちなんで名づけられた。アシカ科のオタリア、ズグロムナジロヒメウなどが生息している。
 ウシュアイア(アルゼンチン:南緯55度)は世界最南端の町。先住民は日本人と同じモンゴロイドだが、今は純粋な先住民は誰もいない町、南極観光の拠点として世界中から観光客が集まってくる。

 12月27日午前9時、世界最南端、国道3号線の終点からスタート。2ヶ月かかってタクシーは船で先に到着していました。グアナコという鹿みたいなのが道路の横をはねていました。

●チリ・フエゴ島 ⇒チリ本土
 12月28日、アルゼンチンからチリへの国境越え。フエゴ島は九州よりも少し大きいくらいで、島の真中を縦に国境がある。国境を出ると何もない緩衝地帯が10km続く。チリに入って395km、11万円。ポルベニール港から本土へ渡ろうとしたが、満車で乗れなかった。仕方なく、バイア・アスール港のフェリー乗り場から南米大陸に渡る。12月は百夜。巨大な虹がかかりました。海の底から照明を当てているようなすごい虹でした。午後10時半にフェリーに乗り、マゼラン海峡を20分で渡る。

●チリ
 3時間走って、プンタ・アレーナス Punta Arenas (岬の先端という意味)という町に到着。夜中の2時。プンタ・アレーナスはマゼラン海峡の入口にあり、マゼランによる発見により栄え、その衰退とともに静かな町に戻った。マゼランのブロンズ像があるが、その足元には、マゼランによって滅ぼされた先住民の姿がある。足が異様に光っているのは、ここにキスをすると再度帰って来られるという伝説があるからだという。

●チリ・パタゴニア
 1年を通じて強風が吹く。海沿いの陸上にマゼラン・ペンギンがいました。海にえさを取りに入っていきました。巣の中には卵からかえって2ヶ月の、大きな子供がいました。パタゴニアは冬が長く野生動物が暮らすには適している。
 12月30日、美しい場所の一つパイネ国立公園が見えてきたところで、車がスピン。路肩の岩にぶつかって止まりました。右側の前輪と後輪がパンクしたが、お父さんが交換しました。怪我はなかったのですが、綾子さんはショックが大きすぎて、静かになってしまいました。1220kmしか走ってないし、お客を乗せていただけにショックだったようです。
 12月31日、アルゼンチンに入国。やけに明るい職員で綾子さんも笑う。1350km、40.6万円。

●アルゼンチン
 パタゴニアの広大な風景が広がっていた。コンドルが悠々と飛んでいました。カラファテの町で1泊し、新年を迎える。1月1日6時半、朝日に佐久間さん親子は、安全を手をあわせて祈りました。
 アンデス山脈の上に広がる、ペリト・モレノ氷河。高さ60m幅5kmの巨大な氷河の壁。崩れて川に落ち込む様子を見て、滅多に感動しない大鶴さんも感動しました。氷河って生きているみたいです。
 パタゴニアは日本の2倍の広さ。1月3日、大西洋に出ました。1月5日バルデス半島、オタリアというアシカとオットセイに似た動物がいました。南米大陸しかいません。オスはSea Lion と呼ばれていて、1頭がメスを10頭くらい従えている。1月6日、費用が100万円になりました。3403km。

 1月8日ブエノスアイレスに到着。人口300万人で、南米のパリと呼ばれています。移民たちが作り上げた町です。ブエノスアイレスで一番という喜納自動車整備工場で修理してもらった。沖縄出身の日系移民がオーナーです。休日も修理をしてくれました。本来は部品交換をするのですが、部品がないので、叩きだしという技術で対応しました。
 その間に、おいしいと評判のレストラン「ロス・プラティトス」で食事をした。アルゼンチンは牛肉の消費量世界一を誇ります。ベイビー・ビーフを注文。800gで20ペソ(600円)。
 アルゼンチンには日系移民が3.5万人暮らしている。ブエノスアイレス郊外の渡辺よしのさん(90歳)宅を訪問。昭和10年にアルゼンチンに来て68年。最初は苦労ばかりでしたが、花の栽培をはじめてから生活が楽になったそうです。妹さんが東京・足立区の五十嵐すみえさん(82歳)で、ビデオレターを見て、涙していました。
 1月12日に当初の予定よりも3日早く、タクシーが新品同様に直っていました。
 南米のきれいなひまわり畑が広がっていた。

 1月16日イグアスの滝。世界三大瀑布の一つ。悪魔ののど笛を含め300近い滝が流れ落ちます。圧倒的なスケールに人間は立ちすくむのみです。あまりに量が多すぎて、水の動きが奇妙なんだと大鶴さんは言います。

●ブラジル
 1月17日ブラジル国境を越える。6230km、180万円。ブラジル側からもイグアスの滝を見ました。ブラジル国内を走るが、お父さんも大鶴さんも爆睡。
 1月20日サンパウロに到着。人口1500万人、南米最大の町。異なる文化を持った移住者の街。かつての日本人街、今のリベルタージュ(東洋人街)に行ってみた。サンパウロには37万人の日系人が暮らしている。日本のタクシーを見て、いろいろ聞いてきた人がいました。
 1月24日、マウリシオ・ジョペル橋を渡る。パウナ川を渡る全長13kmの橋で、渡りきるのに10分以上かかった。ここで自然渋滞に巻き込まれた。ここでお父さんがイライラし始めた。その夜カンポ・グランジのホテルで、スタッフが親子の関係について聞いてみた。やはり亀裂ができていた。

 パンタナール湿原。日本の本州と同じくらいの面積、パンパジカという鹿などの80種類の哺乳類、トゥユユ(ズグロハゲコウ)という白鳥などの650種類の鳥類が確認されています。中でもスミレ色をしたスミレコンゴウインコはここにしかいない。そして、ジャカレ・ド・パンタナール(パラグアイ・カイマン)というワニのような50種類の爬虫類。
 1月29日パラグアイ川で釣りを楽しんだ。ピラニアが釣れますが、ワニもいます。地元の人が川に飛びこんだ。この時期、パンタナールは雨季で、毎日バケツをひっくり返したような雨が降った。
 1月31日、300万円到達。ボリビアとの国境に近い、カセレスに到着。ここにも日本人移民が住んでいます。中本仁平さん68歳。昭和34年に23歳で単身ブラジルに渡った。その半生は壮絶を極めるものだった。戦時中は満州に家族で行っていて、日本に帰れたのは兄と妹だけだったそうです。農地を切り開き、木材などの伐採などもしていた。体長2mのジャガーも食べたが、おいしくなかったそうです。1968年アルミで雨どいをつくる工場をつくり、これがあたって、生活が楽になった。叔母さんの北村時子さん(87歳)のビデオレターを見て涙しました。3人は日本食をおいしくいただきました。刺身はパクーという魚でした。
 2月5日アマゾン縦断道路 BR319 を600km、マナウスに向かって走っていましたが、道路のぬかるみにはまりました。抜け出しましたが、退却することに決定しました。346万円で撤退。川で行くことを提案され、農作物を載せる船に船長に頼んで、マデイラ川から船に3台乗せてもらって、マナウスに2泊3日で向かいました。途中で、10kmに渡り黒い川と白い川が分かれて流れているのを体験しました。2月11日午後8時マナウス上陸。マナウスは19世紀に天然ゴム景気に湧いた町です。
 2月12日、道はあてにならないので、船がメインの町。中央市場に行く。一部は魚専用市場になっています。でかい魚が並び、さばき方も豪快で輪切りです。タンパキ、アロワナ、ピラルクなどもでかいです。アカリというナマズの一種が一番人気。炭焼きして、塩とレモン汁をかけて食べますが、おいしいそうです。
 2月13日、赤道を通過。赤道モニュメントもありました。

●ベネズエラ
 2月18日ベネズエラの国境を越えた。13277km、384.6万円。最近クーデターがあったばかりで政情が不安定なので、ピリピリしていた。
 大鶴さんはギアナ高地へ来るのが夢でした。1000mの絶壁です。ヘリコプターを使い、1000m上の太古の大地に上がりました。下を見ながら、いろいろなことを思いました。2月21日、目の前にカリブ海が広がりました。ここから船でパナマに渡ります。ところが船がキャンセルされた。
 カラカスのシモン・ボリーバル国際空港から3人は飛行機でパナマに飛び、ディレクターはタクシーをパナマに運んでくれる貨物船を探します。

●パナマ
 3人はホテルでディレクターからの連絡を待っていました。タクシーはコロンビアからパナマまでは道がないので、飛行機で空輸してもらいました。パナマのトクメン国際空港で、ディレクターからカギを受け取りましたが、ディレクターは泣いていました。いろいろあったのでしょう。

●コスタリカ
 3月1日コスタリカ入国。17099km、452万円。人口は350万人たらず。山下鉄郎さん89歳、長女和子さんがコスタリカ人と結婚したので、18年前に一緒に来たそうです。次女裕子さん、三女泰子さんのことはいつも忘れないと言います。事業に失敗し、奥さんと離婚し、和子さんには迷惑をかけたと言います。三女のビデオレターに和子さんと鉄郎さんは涙しました。

 3月5日、お父さんが突然、体調を崩しました。長い間、風邪ひとつひいたことがないというお父さんでしたが、咳と熱がでました。

●ニカラグア
 18199km、483万円。コンセプシオン火山(標高1610m)が見えてきた。富士山に似ていました。病院どころか町がありません。
 グラナダという町があり、日本からの資金協力で作られた日本ニカラグア友好病院があり、入院した。39度になった。ちょうどこの頃、中米ではデング熱というのが流行していたので、それかもしれなかった。原因不明でした。3日連続して寝ていました。黄熱病やマラリアなども考えられていましたが、3月8日復活しました。
 ガソリンの値段の値上がりでトラックの運転手がストライキをしていて、道路が閉鎖されていた。みんなが農道を教えてくれたが、橋のない川を何度も渡りました。

●グアテマラ
 3月12日、19197.5km、511.9万円。
 3月14日、世界で最も美しいという湖、アティトラン湖に到着。ここにも富士山に似た火山が3つある。サンペドロ火山(標高3020m)も見事な火山です。
 湖畔には、先住民族カクチケル族が暮らしています。日本人にとってはどこか懐かしい風景です。男たちが漁から帰ってきました。サンタ・カタリーナ村。カクチケル族は古代マヤ文明の衣装と同じです。
 ある一軒の家を訪ねてみた。カタリーナ・ミマカチさんのお宅です。マッチだけで火がつく木があります。トウモロコシの粉をこねて作る、中南米代表の食材トルティーヤを作るのを綾子さんは手伝った。各家庭には石、水を加熱した石で作った部屋がある。サウナで、みんな毎日入るそうです。男性はサウナに入りました。中はかなり煙いそうです(笑)
 湖で獲れたモバラという魚を油で揚げた。今晩のメニューはトルティーヤに魚が1匹ずつ、それにチキンが入ったスープにライス。

●メキシコ
 3月15日。19849km、530.7万円。日本の5倍の面積の国、メキシコに入りました。
 3月19日、ティオティワカンが見えてきた。メキシコ最大の宗教都市遺跡、死者の道と呼ばれる全長4kmのメイン・ストリートを中心に、太陽のピラミッド、月のピラミッドがある。謎多き遺跡ティオティワカン。太陽のピラミッドは、全部で248段ある急な階段、高さは65m。世界でも3番目に大きいピラミッドです。紀元前2世紀に作られて、最盛期には20万人が暮らしていた。
 突然、ピラミッドの頂上にいた人が両手を上にあげ、逆立ちしている人も出ました。この日は丁度春分の日。年に2回、太陽の位置が一番高くなる日だった。太陽のエネルギーを得るためだそうです。

●アメリカ合衆国
 3月22日、22446km、606.1万円。テキサス州に入りました。 あとはゴールのニューヨークに向けてつき進むだけ。
 3月23日、サンアントニオ市。観光都市としても知られ、水路が走っています。満枝・マクダニエル(旧姓川島さん)さん70歳は、両親のとまどいを押し切って、リチャードさんと1959年結婚した。両親との仲を修復したいという思いはあったが、ちゃんと言えないままに逃げていて、両親は亡くなった。妹さんの大川由子さんからのビデオレターを見て、涙しました。

 3月27日、ミシシッピ川の河口のニューオーリンズに到着。ここで日本人観光客に囲まれました。
 500km北東に進み、アトランタのストーン・マウンテンが見えた。世界最大の花崗岩。レリーフは南北戦争の南軍の英雄3将軍。ケーブルカーで山頂にも上ることができます。眼下にはアメリカ南部の風景が見えましたが、タクシーが目に入りました。
 ここで The long and winding road が流れました。3月31日、ワシントンDCを通過しました。満開の桜が向かえてくれました。ホワイトハウスも見えました。

 4月2日、午前5時、フィラデルフィア。気温0度。とても寒い日でした。朝6時に最後の洗車・給油をしてから、200km先のニューヨークに向けて8時に出発しました。7108420円からのスタート。最後は綾子さんがハンドルを握りました。
 ブルックリン橋を渡り、プラザ・ホテルの前に向かう。1907年10月2日に新装オープンしたこのホテルの前で、アメリカで初めてメーター付きのタクシーが使われた。それで、プラザ・ホテルの前に向かう。エンパイア・ステートビルの横、タイムズスクエアを通過し、60丁目の角を左折しました。しばらくするとクラクションの音がすごい。イエローキャブが迎えてくれました。鳩も飛んでいて、綾子さんはとっても嬉しかったようで、涙にくれていました。
 2004年4月2日、12時57分ゴールしました。全走行距離26368.6km。プラザホテル前には、お母さんと綾子さんの子供たちが待っていました。しっかり抱き合って、感動しました。改めて家族の大切さを感じた旅でもありました。
 料金は716万1860円でした。


テレビ番組「ジミー大西、ああ驚いたメキシコ旅!憧れの地で描く極彩色作品」


 2004年1月31日放送。画家として鮮やかな色彩感覚が評価されているジミー大西が、以前、飛行機を乗り換える短い時間だけこの国に立ち寄った時に、空港で見た鮮やかなデザイン、強い印象をモチーフに感動した。その色を求めてメキシコに来た。ジミーは北部のチワワ州から南部のユカタン半島までを縦断。旅の経験を基に1つの作品を完成させる。 JALでバンクーバー経由で15時間で行ったようだ。国土は日本の2倍で人口は1億人。中部日本放送制作。

●オアハカ
 メキシコシティの南へ飛行機で50分の高原都市。16世紀にスペイン人によって作られた街。サント・ドミンゴ教会も440年前のもの。天井を覆いつくす立体的な彫刻。「生命の樹」といわれている。古い通りの壁はいろいろな色に塗られている。
 街の中心にあるベニート・フアレス市場には色鮮やかな果物や花を売り歩く人が行き交う。トマト、唐辛子、とうもろこしはメキシコから世界中に広がった。ウチワサボテン、アボカド、カカオ豆などもある。
 チーズも料理には欠かせない。トルティーヤで包んで焼いたケサディージャはメキシコ風ホットサンド20ペソ(200円)。チャブリネスはイナゴのメキシコ風佃煮で100g10ペソ(100円)で、辛いそうです。賑やかにお話しながら食事を楽しむのがメキシコ流らしい。市場の屋台で食事をした。お肉もその場で焼いてくれる。中でもセポジータというメキシコの小玉ねぎは最高に絶品らしい。細かく切ったサボテンの葉を一緒にトルティーヤとまいたりして食べる。カルド・デ・ボーヨ・コン・アロスはメキシコ版チキン雑炊35ペソ(350円)で、コンソメスープをご飯に入れ、ライムを絞っていただくとアッサリとした旨みが口の中に広がる。若い女性に大人気なのがモレ・ソース料理。モレとは甘くないチョコレートのことで、チキンにかけて食べる。一度味わうと忘れられない味となる。

●テオディトラン・デル・バジェ村
 オアハカの東北東。とある絨毯の工房にたどり着いた。1枚6ヶ月かかるという。作るのに欠かせないのはサボテン。1枚1枚の葉にコチニールというカイガラムシが着いている。このコチニールから得られる鮮やかな赤色は非常に高級。昔は金や銀と交換されて、ヨーロッパに送られたという。コチニールはライムなどを使って、色の濃さを変えることができる。庭?には小さい花がのひまわりが咲いていたので、早速スケッチした。

●アラソラ
 オアハカの南西。鮮やかなメキシコのおもちゃがある。男性が木を掘り、女性が色をつけている。ジミーさんもやらせてもらって、エリマキトカゲ(アレブリヘス)を作った。880ペソ(8000円)。

●メキシコシティ
 人口は2000万人で、世界一。その中心ソカロ(中央広場)には大きな国旗。旗の日陰で休んでいる人もいる。側にあるメトロポリタン・カテドラルは傾いている。昔、湖を埋めて作ったので、地盤がもろく建物の重みで傾いたという。ガリバルディ広場はマリアッチ広場としても有名。演奏代は1曲100ペソ(1000円)。
 人が集まるところには屋台が並ぶ。チチャロンは豚の皮をカリカリに揚げたもので、メキシコのスナック。20ペソ(200円)。トルティーヤは1枚10ペソ(100円)。

 メキシコシティの南のソチミルコは世界遺産で、ど派手なペインティングの船が並ぶ。休みになるとメキシコの人は船を借り切って大騒ぎしている。焼きトウモロコシは1本12ペソ(120円)で、塩とレモンがつけてある。

●ティオティワカン
 メキシコシティの北に車で1時間。1200年前に滅亡した都市。ほろんだ理由は不明。都市のシンボルはそびえ立つ太陽と月のピラミッド。昔は頂上に神殿が建っていたため、上がとんがっていない。標高2000mを越えるので、登るのも一苦労。春分の日に太陽のピラミッドの頂上で太陽を浴びると幸せになれると信じられています。そのため、毎年100万以上の人がこの地を訪れた、日の出前から太陽を待ちます。気球が飛んでいました。

●チワワ
 北部の町。朝5時にチワワ駅から列車に乗る。現在メキシコに唯一現存する鉄道である、チワワ太平洋鉄道の出発点で太平洋に面して港町ロス・モチスまで走っている。西部劇を思い起こす雄大な景色、スリル満点の岩肌スレスレを通過する風景、それらを車窓から楽しめると世界中の観光客から大好評。
 1999年にウィンクという作品をジミーさんは描いた。これがメキシコのイメージだそうです。もっと深いところを見たいという希望でやってきている。路線全長653km、39の橋と大小86のトンネルがある。平原をずっと走った後に、グリールに着いた。

●グリール
 チワワから列車で5時間の標高2300mの街。色鮮やかな衣装をまとう人たちは、この近くで暮らすタラウマラ族の人たち。全部緑の服の女の子とか、ピンクの服の子とかもいた。
 村に行ってみた。太鼓とか、楽器が好きな人が多い。自然の洞窟を住まいとしている。今でも道具を一切使わずに、走って動物を追いかけて狩猟するらしい。24時間連続で300km以上を走りきる人もいるとか。足で玉を蹴りながら走るゲーム?をした。日本から持ってきたボールとグローブでキャッチボールをしてみた。

●カンクン
 チワワから飛行機で飛んだ。ユカタン半島にはハバネロという世界一辛い唐辛子がある。少しかじっただけだが、すごかったそうです。
 浜辺で海を見る。色が飛び込んでくるという。タラウマラ族の小さい太鼓をもらってきて、それに色をつけた。

 今回の旅は楽しかったというよりも、新たな発見があったという。


テレビ番組「道浪漫」2003年6月22日は日比野克彦さんで、メキシコ


●メキシコシティ
 緑色のフォルクスワーゲンのビートルのタクシーが目立つ。今、世界中で メキシコでだけビートルを生産しているから。ちょっと乗ったら70円だっ た。安い!
 宿泊はカーサ・ビエハという隠れ家的なホテル。各々の部屋にはメキシコ が誇る芸術家の名前がつけられている。カラフルな色彩の「フリーダ・カー ロ」の部屋。壁の色も各々違っていてすごい!冷蔵庫には各々の人の自画像 などが描かれている。1泊1室(2名)390ドル〜。
TEL:+(52)-55-5218-4317
 民芸品市場。仮面があるが、顔に虫がついているものが多い。昆虫は食料 だと考えられていたから。
 ウィチョル族というシャーマニズム信仰をもつメキシコ山岳地帯の先住民 族のお店があった。カラフルなビーズを貼った仮面でした。色彩の万華鏡。

●中央高原
 奇妙な村が点在している。アラソラ村は独特の木彫りで有名。空想の動物 アレブリーヘスを題材としたもの。色彩と形は自由なので、個人で違う。ア ルマジロも色彩豊かでした。ここはオアハカから車で30分。
 マタトゥラン村。アガベ(竜舌蘭)の畑がある。テキーラの一種メスカル の原材料。10年くらいのものの葉を落とすと、日本の門松くらいの大きさ になる。株を蒸し焼きにして、馬の力を借りて細かくして、2回蒸留。グサ ノという虫が入っている。竜舌蘭を食べているイモムシを入れるとコクが出 るといわれている。唐辛子と虫をすりつぶしたものが入っている塩をライム につけてかじるのだが、まずメスカルを飲む。そしてライムをかじる。

●ユカタン半島
 カリブ海に面している。海岸線なのに、60cmくらいの黒い魚がうじょ うじょ泳いでいる!シュノーケリングしている人間も相当数だった(笑)
 ユカタン州マニ村。自転車タクシーがある。乗る場所は自転車の前の方! お勧めのユカタン料理店「トゥトゥルー・シゥ」。ユカタン料理は豚肉が多 いが、ここは味付けは塩だけ。大人気のポックチュック55ペソ(660円 )はブタ肉トルティーヤで、シンプルな味付けは真似できないとか。
 先端に近いイサマルは、建物の壁は黄色!町じゅうが黄色です。黄色はマ ンゴの色、トウモロコシの色らしい?教会も黄色!スペインによって16世 紀に建てられたサン・アントニオ修道院が黄色だったので、それにあわせた らしい。広い教会です。3つの文化が交わる町。

 ウシュマル。マヤ文明が栄えた地で、世界遺産。一夜で作られたという「 魔法使いのピラミッド」。傾斜60度の急な階段を上る。10世紀頃に栄え たというウシュマルだが、今はジャングルの静けさの中にある。「魔法使い のピラミッド」は大きな鼻を持つ「雨の神チャック」のレリーフが重なって いる。雨はとうもろこしを育てるのに重要。正確な暦やゼロの概念が既に 存在していたという。「総督の宮殿」も立派。入場料85ペソ(1020円 )。入場時間は8時〜17時。ユカタン州メリダから車で1時間。

道浪漫


テレビ番組「旅サラダ」2003年5月は森下涼子さんでメキシコ

●メキシコシティ
 ソカロ(憲法広場)は500年前は巨大な湖に浮かぶアステカ帝国の首都 の跡。スペインに滅ぼされて宮殿を壊して埋め立てられた?。当時のものが いろいろと残っている。チャプルテベック城は独立した時の大統領夫妻が住 んでいたところ。湖だった頃を思い出させるような張り巡らされた水路( ソチミルコ)。そこの船に乗って観光する。乗船料(貸切)400ペソ( 4400円)。パーティの場所として若者にも人気。5−10人乗り? マリアッチの船もあった。
 市街地を歩く。下が緑、上が白のVWのタクシーがやたら目立つ。昔は 盗難品が売られていたので、泥棒市と呼ばれるマーケットに行ってみた。プ ロレスの国なので、マスクも多い。おじさんの人形とかも多い。

●プエブラ Puebla
 メキシコシティから車で2時間。世界遺産の街。16世紀にスペインから わたった宣教師たちによって建設された町で、たくさんの教会があるが、中 でもきれだというサント・ドミンゴ教会に入ってみた。豪華できらびやかな 金のバロック様式の装飾。メキシコでは多くの人が敬虔なカソリック教徒。
 お菓子の産地として有名な街。派手な色が多い。サツマイモのお菓子は1 個12ペソ(130円)。このCamotes のお菓子はメキシコ人は大好物らし い。もうひとつ有名なのが、このお菓子屋さんにも使われている陶器のタイ ル。街のいたるところにタイル装飾が見られる。
 陶器の専門店「ウリアルテ・タラベラ」。色鮮やかな商品がぎっしり。大 皿1400ペソなど。最初はスペインから渡ってきて、藍色が主流だったけ ど、地元でいろいろな色が展開されたらしい。2階の工房を見学。
 骨董通りに行く。ここの一角に泊まるホテルがある。古い屋敷を改装し、 アンティークなものを散りばめた、異様な空間。メソン・サクリスティア・ デ・ラ・コンパニア。タイルで飾られた階段を上がり、全部で8つの客室へ 行く。それぞれインテリアが異なる。部屋全体がアンティークのモデルハウ スみたいなホテル。家具は全部売り物で、値札付きです。室料はUS$17 5.
 ホテル内のレストランでディナー。ここはレストランも有名らしい。まず は牛肉のチャルパス28ペソ(310円)。コンソメ・パラ・ウン・エンフ ェルモ32ペソ(352円)は青豆やアボガドやライスなど入っていて、ラ イムをしぼるのがみそで、基本的には鶏雑炊。メインはメキシコ人誰もが好 物だという、鶏料理モーレ・ポブラーノ70ペソ(770円)。プエブラが 発祥なのだが、黒いソースにはチョコレート、ごま、シナモン、唐辛子が入 っているが、おいしいらしい!


●サン・ミゲール・デ・アジェンテ
 標高1849mの山あいの静かな街。メキシコで一番美しい街。この時期 に咲く紫色のジャカランダがきれい。石畳の町を歩く。絵本の世界みたい。 使ってある色がオレンジ、水色、朱色など。窓辺の飾りも趣向が凝らしてあ って同じものがない。ドアの奥にも素敵なテラスが見える。たまに見える教 会もいい感じ。昔から多くの芸術家やお金持ちが住む街だが、人々の素朴さ が伝わってくる。ラパロキア教会は街のシンボル。教会の前ではマリアッチ を楽しむ人で賑わっている。夕焼けもきれい。
 ショッピングも楽しめる。近くに銀鉱山があるので、銀製品も多く、アク セサリー製品も多い。アスル&プラタ Azul & Plata というお店に行ってみ た。銀と石をうまく組み合わせているのが特徴。トルコ石のチョーカーは9 750ペソ(10.7万円)。蝶のブレス1400ペソ(15400円)、 ネックレス2000ペソ(2.2万円)で石はメキシカン・トパーズ。メキ シコを感じさせるヒスイのチョーカー&ブレスで1350ペソ(1.5万円 )を購入されました。
 夕食は教会の隣の修道院を改装して作られたレストラン「ラ・カピージャ 」。前菜は「ヤギのチーズとクイトラコチェのクレープ」85ペソ(930 円)、メインは「豚肉のパイナップル&メキシカンライス添え」170ペソ (1870円)。これはこのお店のお勧めで香辛料も香ばしい。デザートは 「マンゴーとキウィのババロアケーキ」50ペソ(550円)。

●コスタ・カレイジェス Costa Careyes  太平洋岸のリゾートで、美しい海岸。椰子の木もあるし、ペリカンも飛ん でいて水の中に飛び込んでいた。砂浜の幅は短い。潮の香りが濃いらしい。 1棟貸しのホテルが並ぶ。一番目立つオレンジ色のカーサ・ソル・デ・オリ エンテに向かう。中は暗いけど、噴水があって、暗い模様が描かれていて、 壁はオレンジ色で写真集の中に飛び込んだようだという。そこを抜けると向 こうのプールがあり、断崖の下に海!境目がわからない!すっごくきれいで 森下さんは相当感激していました。ここは1棟貸切で12名まで泊まれる。 US$3000。専属のコックさんが心のこもったサービスでもてなしてく れる。ブラピ、エルメスなどの有名人もお忍びで来るとか。部屋は水色系で おしゃれで5部屋ある。お風呂はまた別の色。4泊以上のこと!
 今回は、同じ系列だが別のホテルに泊まった。エル・タマリンド El Tamarindo。広い敷地で、緑の木々の中に点在するコテージ。こちらは落ち 着いた感じ。ドアを開けると、寝室さえオープンルームになる。室料は US$559。

 テマスカルという古代アステカ帝国から伝わるアロマセラピー。シャーマ ンのフランシスコさんがやってくれた。まずはオレンジ、マンゴーなどをす りつぶし、灰を溶かした泥の中に入れて、それを体全体に塗る。これで体を 清め、泥を海水で洗い流す。ほら貝を使ったお祈りの後で、ムロの中に入っ て、熱した石が入れられる。これにハーブ水がかけられてすごい蒸気が出て 音楽と蒸気の中で1時間。ムロを出て、ほてった体を冷やしながら軽いマッ サージを受けて終了。900ペソ(9900円)。
 その後マッサージしてもらって、部屋に帰ってきれいな海のすぐ隣の ジャクージに入って天国のような時間を過ごしました。


●オアハカ Oaxaca
 メキシコ南部。行く途中には山いっぱいのサボテンの山!サボテン公園 Jardin Botanico では80種類見られる。ウチワサボテン、ビズナガ・アシ エント・デ・スエグラ(姑の椅子)という丸いとげとげのもの、キャンドル サボテンなどなど。一番大きいのは高さ12mで、年齢は350歳。小さい サボテンが群生しているように見えるビズナガ・ビニータは年齢1000年!

 山の中の街。街の中心は薄緑色の石でできたサント・ドミンゴ教会。穏や かな気候のためにメキシコ国内でも人気の街で、お洒落。若い人が多い。で も、先住民の文化が色濃く残る街。サボテカ族の民芸品を多く売っている。 そういう民芸品を安く売っているというベニート・ファレス・マーケットに 行ってみた。籠を作っていた。小さいのは200円程度。民族服も多く売っ ている。色鮮やかで、トゥクステベック村、サン・アントニート村、サン・ フェリペ・デ・ウシラ村など村によって模様が違う。値段は交渉次第で、 2000円〜1万円。食料品も売っているが、屋台みたいなのもあって、 お肉を例えば250g(20ペソ220円)頼んで焼いてもらって、トルテ ィージャ(7枚:10ペソ:110円)で巻いて、ライムを絞って食べる。 少し固いがおいしいらしい。これをビール(セルベッサ)で胃に流し込む。

 村の周辺にも見所が多い。ヒラソル Girasol という店は色鮮やかな置物 アルブリヘがある。空想の動物などを家に飾って魔よけとする風習らしい。 今ではいろいろなものがありオアハカ名物の民芸品として観光客にも人気。 ここのお店は兄弟で運営していて、自由に絵を描いている。椅子にオーダー メイドで絵を描いてもらった。120ペソ(1320円)

 メスカルというお酒の工場カサ・チャゴヤCasa Chagoyaに行く。アガベか らつくるお酒で、テキーラと同じ原料。テキーラはテキーラ村で作られてい るからテキーラというが、テキーラもメスカルの一種。今も昔ながらの方法 で造られる。まず、10年くらいのアガベの葉を刈り、幹の部分を土の穴に 入れて3日間蒸し焼きにして、5時間馬にひかせて果汁を絞る。しぼりかす を食べてみたら、甘いフルーツ。これを蒸留して樽に寝かせてメスカルがで きる。できたては120ペソ(1320円)、1年ものは160ペソ(17 60円)。中にはイモ虫が1匹ずつ入っている。これが入るとコクが出るら しい。飲み方は、イモ虫をつぶして唐辛子と混ぜた特製の粉を左手の親指と 人差し指の間の甲の方にのせて、口に入れて、右手でメスカルを飲み、そし てレモンをかじる。

 さらに山沿いに行って、サボタガ族が昔ながらに暮らすサン・バルトロメ ・ギアロラナ村に到着。ロバも日常の中で活躍している。小学校に行って、 子供たちと遊んだ。髪の長い子は三つ編をしていて、髪の短い子はスカーフ をしていた。みんなピアスをしていて、美人の子が多いらしい。
 トルティージャを焼くフライパンでお好み焼きを作ってみた。好評でさら に5枚も焼いた。みんな元気で人なつこかった。


●ウシュマル
 ユカタン半島には、トゥルム遺跡などの石造りのマヤ遺跡(紀元前から1 0世紀頃まで)が点在している。その中でもウシュマルは特に洗練された建 築様式で、整然とした中にマヤの人々の美意識を感じる。7世紀初頭に建築 された?「魔法使いのピラミッド」は魔法使いの息子が一日で造りあげたと 言われている。傾斜がかなりきつい。下から見上げると絶壁のように思える 111段の石段は現在は登ることは禁止されている。神殿の頂上にはあんぐ りと開けた口と見据える2つの目。それを美しいモザイクが囲んでいる。こ れは雨神チャックと呼ばれる神様。象の鼻のようにも思えるが、下を向いて いる鼻は大地の豊穣を、上を向いた鼻は雨の恵みを表す。
 大ピラミッドに登ってみた。何もない森の中に忽然と存在する遺跡。

●セレストゥン自然公園
 ジャングルの中に広がる湿原を船で探検。船チャーター料400ペソ( 4400円)。300種類の鳥が生息している。数百程度だが、フラミンゴ がいた!赤みが濃く体調1.5m。無茶苦茶多くはないが、とてもきれい!
 マングローブのトンネルの中に入る。木漏れ日がキラキラしてきれい。き れいな湧き水の泉があったので、泳いだ。緑青っていう感じでした。

 ジャングルの中の素敵なホテルに宿泊。アシェンダ・サンホセ Hacienda San Jose。門をくぐると秘密の花園のような感じ。アシェンダと呼ばれる 19世紀の農園を改装したホテルで、今密かなブームになっているとか。 今回はブーゲンビリアに囲まれたコテージタイプ。ベッドは天井から吊られ ていた!ハンモック付きのテラス、石造りのジャクージがあり、室料US$ 417.ほかにも様々な部屋があり、US384〜だが、全ての部屋には、 石造りのバスタブが外にもついている。無料で乗馬体験ができる。その後プ ールの上のハンモックでお昼寝。
 オープンテラスのレストランでディナー。ボージュ・ティビオ90ペソ( 990円)、コチニータ・ビビル(豚肉の蒸し焼き)80ペソ(880円) はトルティージャにのせて、アボガドや豆をつぶしたものをのせて食べる。 デザートはマメイのシャーベット50ペソ(550円)。

●カンクン
 カンクンとはマヤ族の言葉で「ヘビの巣」という意味。青い海が素晴らし い。ドルフィン・ビーチでは朝早いとイルカが見られることもあるという。 地元の人が七色の海と呼んでいて、愛する七色のグラディエーション。 砂浜の砂はサンゴが細かくなったもので、温度があまり上がらないので熱く ない!ビーチが熱くならないのはそのせいらしい。ビーチにじかに寝ている のもそのせいらしい。
 パラセーリングを体験。10分US$45。想像していたよりも快適だっ たそうです。二人乗りで、スカイライダーって言うらしい。
 インストラクターの村上頼子(Solo Buceo)さんとダイビング。体験ダイ ビングはUS120.グレー・エンジェル・フィッシュ、クィーン・エンジ ェル・フィッシュ、イエロー・テイル・スナッパー、フレンチ・グラント、 バージャック、マダラトビエイなどがいた。


テレビ番組「道浪漫」2003年6月1日は日比野克彦さんでメキシコ


●ユカタン半島メリダ
 マヤ文明のウシュマル遺跡などがある。マヤ文明としては、トマト、とう もろこし、セメント、ハンモック、唐辛子などが世界じゅうに広がっていっ た。かのコロンブスもハンモックには驚いたと日記に記している。
 ラ・ファーマというのが、ハンモック発祥の地にある専門店。値段は25 0ペソ(3000円)くらい?2000円程度からある。
 ウシュカツカプの市場にはハバネロという世界で一番辛い唐辛子がある。 ユカタン半島の民家は萱ぶきです。ハンモックは畳んで天井のハリに結んで ある。ハンモックに寝るときは斜めに寝るといいようだ。
 夕方になると聞こえてくる蝉の声は非常に不思議な音。初夏の紫色の花 ジャカランダ。花が散ると、乾季から雨季に変わる。

●メキシコシティ
 ソノラ市場では、スカンクのミイラを売っていた。ジャングルに落ちてい るコロリン豆、エネルギーを集める砂鉄、聖なる木で作った十字架をまとめ てお守りに入れてあるのが人気。ソノラ市場は呪術通りと呼ばれる。幸運が 早く来る石鹸、女性のもてる石鹸、お金持ちになる石鹸とかいろいろ売って いる。
 ロス・アルティスタス公園。メキシコ版モンマルトルで、毎週日曜には、 100人を越える画家が集まってくる。サロンのようなのがある。アマテ紙 はいちじくの木などから作られ、マヤ時代からのもの。既に絵が描いてあっ たけど、描いてないのを730ペソ(8700円)分購入されました。

●カンクン
 海の色が素晴らしい。パラセーリング・サーフィンをしている。

●トゥルム
 カンクンよりも素晴らしい隠れ家的リゾート。カンクンの南140kmに あるキンタナ・ロー州トゥルム。ホテル・ディアマンテ・カーは美しいプラ イベート・ビーチに萱ぶきのコテージ。1室2名で350ペソ(4200円 )でカンクンの5分の1の値段。天蓋付きのベッドだが、天蓋の先端は1箇 所で、天井から吊り下げられていて、かなり揺れます(笑)プレジデンシャ ル・スィートで1500ペソ(18000円)。部屋に冷房はなく、シャワ ー・ルームの屋根も木の葉っぱ。電気も1日5時間で、夜はろうそくの灯り で過ごす。
http://www.diamantek.com/

 セノーテと呼ばれる泉に行く。シュノーケリング・スポットとして人気を 集めている。水がきれいなので、水の中から見る光線がとてもきれい。水中 鍾乳洞もある。

●オアハカ
 中央高原の町。先住民の文化と西洋の文化が融合した美しい街。街の真中 にあるベニート・ファレス市場の食堂はユニーク。野菜を取って、肉を取っ て食べる。好きな量を買って、炭火で焼いてトルティーヤに巻いて食べる。
 中心には世界遺産の聖ドミンゴ教会がある。中には生命の樹という独特の レリーフが特徴。1575年から100年かけて建てられた。スペイン人の 指導の下にメキシコ人が作ったという建物だから、文化の融合が見られる。 平面でなく、立体的な天井というか、壁です。
 郊外は一面のサボテン畑。持ち主のベニート・エルナンデスさんの家を訪 問。伝統の織物を作っている。化学染料を使わず、天然のを使う。サボテン につくコチニージャというカイガラ虫から染料を作る。干してすりつぶす。 コチニール色素はかつては世界中に輸出され、口紅などに使われていた。

道浪漫


テレビ番組「サボテンの国で和食に挑戦!仰天グルメ旅 in メキシコ」


 2002年8月3日放送?浅野ゆう子、神田川俊郎、野々村真さん。テレ ビ朝日製作。カンクンに行った。30年前から開発されている。

●ホテル
 今回はヒルトン・カンクン・ビーチ&ゴルフ・リゾートに宿泊したらしい 。巨大ホテル!426室全てオーシャンビュー。日本人スタッフも大勢いる ので安心。屋上は秋篠宮さまやロナウドらも宿泊したというプレジデンシャ ル・スィート。1泊26万円(4月〜12月)。ここはヴィラもある。ブー ゲンビリア・ヴィラ(ヴィーチクラブマスター・スィート)。1泊9.7万 円。寝室は2つ。
 和食のお店もいい。バー・ガリレオで一杯。プールも豪華。そこにミス・ キンタナ・ロー州(96年度)のアナ・セラジャさんがいた。料理人対決の 約束をした。

●料理
 料理研究家のお宅を訪問。アナマリ・イラヴィェン・デ・ノベロさんで、 数々の賞を受賞しているとか。芸術にも造詣が深い。でも、家と土地で50 00万円らしいが、プールもついて豪華な家。メキシコの伝統料理をいただ く。「赤玉ネギの酢漬」これをスープに入れて食べる。次は「ブチェロ」。 牛・豚・鶏の肉を野菜とコンソメスープで煮込んで作るユカタン半島の伝統 的な家庭料理。アボカドなども入れる雑炊みたいな感じ。日曜日の夕食に食 べるらしい。特別な料理「ウイトラコチェのパイ包み焼き」。ウイトラコチ ェはとうもろこしに生えるキノコ。真っ黒です。神田川さんは、玉じめあん かけ、ウィトラコチェのさっぱり炒め(ロブスターとあわせた)などを作っ た。

 レストラン「マリア・ボニータ」に行く。チレ・ポプラーノのシーフード 詰め225ペソ(2250円)、カスティージア風カボチャのクリームスー プ58ペソ(580円)、4種のチリで焼き上げたフィレステーキ198ペ ソ(1980円)、オアハッカチーズフォンデュ92ペソ(920円)。あ などれない味らしい。食べているところにマリアッチの演奏。 アンヘル・イバラ・マルケスさんという料理長が勝負をしようと言った。

 タコス料理店「Rigos 」は一番人気。中に入れる具もいろいろ。パストー ル(豚肉)1つ4ペソ(40円)。普通の人は20個食べるらしい。アバネ ロという世界一辛い唐辛子を食べてみた。辛いというよりも痛いらしい。

 朝食はムチョ・グーストで「デグスタシオン」というスペイン式の小皿料 理を注文。バッタを食べました。イモムシのす揚げも。スープ3種はライム と黒豆とエビ。
 ここでハープを演奏していたホセ・トレス・レジェスさんのお宅に行って メキシコの家庭料理をいただく。「カキとマッシュルームのスープ」、「パ ルゴ(魚)のホイル包み焼き」、「炭火焼き牛肉入りタコス」。トルティー ヤ(とうもろこしの粉)料理が美味しかったので、神田川さんが作った。 Michel という店で蒸したソーセージ、ほかの店でも食材をゲット。して、 餃子の要領で包んだトルティーヤの五色包み。麺トルティーヤを作った。こ れはうどん風。とってもおいしかったということです。

 ロブスター専門店「ロレンシージョス」でロブスターをいただいた。

●買物
 カルメンビーチ。銀製品の店が並ぶ。Santa Prisca という店。19万円 が14万円に、最後は13万円へ。
 Plaza Caracol に行く。カルティエなどがある。

●テキーラ
 ラ・イスラ・ショッピング・ビレッジでテキーラを見る。「マルガリータ 」は専門店。瓶を宙に投げている。正しい飲み方は、(1)テキーラを飲む 、(2)サングリータ(トマトジュースに香辛料を入れたもの)を1口飲む 、(3)ライムをかじる、(4)テキーラを飲む、(5)チリのついた大根 をかじる。
 ここの店の名物を3つ。フローズン・マルガリータ(テキーラ、ホワイト キュラソー、ライムジュースで作ったカクテルを半分凍らせた飲み物)で、 酸っぱいらしい。テキーラ・ボンバーは炭酸ジュースの入ったテキーラを一 気に飲んだ後に、タオルを口にあて頭をぐるぐる回して酔いを早めるのみ方 。最後はテキーラ・ボンバー・バージョン2で、ファイヤー・ドリンキング という。飲んだ後に、ライターで火をつける。これは嫌だというので、ルチ ャっていうのにしたら、メキシコで活躍中のシャチホコマシン壱号さんがミ ル・マスカラスのような恰好で登場した。ルチャとは、リチャリブレで、プ ロレスのことらしい。

●水族館
 ラ・イスラ・ショッピング・ビレッジにある。野々村はサメの餌付け体験 をした。料金8000円。

●豪邸
 ホテル・オーナーの家へ遊びに行く。 Plaza Caracol の近くのアベラル ド・リビエラさんと元ミス・カンクンの美人の奥さんのマリア・ロウルデス ・パラさん。ボキネテ(タイの一種)のシカティック(唐辛子の一種)・ソ ースかけをいただいた。さらにイグアナのスープ。地鶏の味に近いとか。今 回はイグアナ料理を神田川さんが作る。イグアナのカラピリ炒め、イグアナ の石焼ごはん(ビビンバ)。とってもおいしかったらしい。

●イスラ・ムヘーレス島
 小さな島で、船で1時間。海賊が美女を集めてハーレムにしたという島。 ナ・バラン・ホテルの厨房を借りてサボテン雑炊を作る。ウチワサボテンを 使う。まず茹でてから雑炊を作った。とき卵を最後に加えて、刻みネギも加 えて完成。これをビーチの外国人に振舞う。市長も気に入ってくれた。

●ガラフォン自然公園
 長さ110m、高さ30mのティロレサ(ワイアー下り)1回1000円 を神田川さんが行う。断崖の上を通過する予定だったが、途中で止まった。 ブレーキをかけすぎたらしい。
 イルカとふれあうドルフィンスイム、一人15000円。イルカが神田川 さんに口にキスしました。次はイルカと泳いで、最後は、フットプッシュ! 足の裏を二匹に押してもらって海上を移動!これは感動したという。

●カリブ海でダイビング
 アルベルト・エウヘニオ・フリッシオネさんと潜る。メキシコの大統領な どのダイビング・インストラクター&プロの水中カメラマン。透明度がすご い!が、サメが登場!がダイバーになついていて、サメを抱いていました。

●マヤ
 海洋公園シカリーは巨大なプール。フェゴ・デ・ペスタはマヤ人が行った 競技を再現したもので、マヤ文明も見学。
 ラ・アビチュエラというレストランでマヤ料理とマヤ・コーヒーをいただ く。グラスの淵についた砂糖を火で溶かした後に、ブランデーとハチミツの リキュールを混ぜながら炎のパフォーマンス!きれい!これにカフェコマ? というコーヒーを入れて、アイスクリームをのせる。1杯50ペソ(500 円)のマヤ・コーヒー!味は甘い。
 カンクン市立芸術劇場で、マヤなどの民族舞踏を見る。
 音の出る木の実を拾う。マラカスの代わりに使っていたという。

●料理対決
 アンヘル・イバラ・マルケスさんと。高級魚「クエ」を使う。90分以内 でアシスタントなしで3品作る。審査員はアナ・セラジャさん、ヒルトンの ホルヘ・グティエレスさん、メキシコ政府観光事業団のミゲル・ボルヘさん 、浅野ゆう子さんでした。
 アンヘルさんのは「クエのレモン漬けマンゴのタルタル」、「クエのつみ れ入りコンソメスープ」、「クエのおおぎ焼きパシジアソースかけ」。内容 は見事だったそうです。
 神田川さんのは、「クエのあら汁」、「クエのタコスライス」(卵をまぜ たトルティーヤで巻寿司風)、「クエの塩釜焼き」(ソースはアボガドソー スとユカタン・ソース?とポン酢)でした。
 評価は、神田川3、評価不能が1でした。


テレビ番組・藤井フミヤの「情熱の国メキシコ探検」


 テレビ朝日制作、2000年10月1日放送。

●ラ・パス
 人口16万人。1680kmのカリフォルニア半島の南端。たった一人の日本人・伊藤玄さん(36)ダイビングショップを経営している。ラパスに来て6年。男性的な海中の魅力に魅せられたとか。毎年11月〜3月にコククジラはアラスカから南下してくる。そこでマグダレナ湾へ行く。オスで15mくらい、メスで13mくらい大きい。好奇心が強いので、ボートの傍に来ることもある。
 朝5時出発。3時間でマグダレナ湾。ボートで沖へ。潮が見える!親子のクジラに遭遇。バハカリフォルニアには1万頭来るらしい。感動!
 民族音楽を現地の音楽家に演奏してもらった。

●グアダラハラ
 人口500万人。メキシコ第二の都市。標高1500mで「メキシコの真珠」と呼ばれている。1542年建設された。メキシコ一美人の多い街と言われている。今回はカルドッソ家にホームステイと言っていたが、実際はヒルトンに宿泊したようだった。長女マルセロが中心街(セントロ)に連れて行ってくれた。バスは一人2.5ペソ(30円)で、よく揺れる。ガラスも割れている。運転手も何も言わないので、慣れてないと無理。カテドラル(大聖堂)1561年から60年かけて外装ができた教会。デコジャード劇場はカテドラルの向かいにある罪滅ぼしの教会。ハリスコ州政庁舎には、オロスコ作「立ち上がる僧侶イダルゴ」のすごい壁画がある。独立に関係したようである。路上でマリンバを演奏している人がいる。
 レストラン「フォン・ダ・サンミゲル」に行く。元修道院を改装したレストラン。ウィトラコーチェ(トウモロコシにつくマッシュルーム)とカボチャの花入りコーンスープを飲む。あと鶏肉のチョコレートソース(おいしいらしい)、エビのテキーラソース煮。

 テキーラの飲み方は、レモンを荒塩につけてかじる、そして「サルー」と言って口に含んだレモンと塩とテキーラを胃に流し込む。赤い飲み物は「サングリーダ」といってテキーラに付き物。テキーラの作り方は、メキシコ原産の龍舌蘭の葉を刈り取り、球根を蒸し、これをほぐして液体を抽出し、数日発酵させて蒸留する。これがホワイトテキーラで、さらに樽に入れて、寝かすとゴールド・テキーラとなる。

 リベルタ市場へ。4000軒入っている!巨大市場。アラヤンというスモモ系の実、ジュースを味見した。1杯約35円。ビニール袋に入れて飲む!イチゴと米のコナ・砂糖ジュースが一番おいしいとマルセラは言う。トロンドロネス(ココナッツに黒砂糖を溶かしてからめたお菓子)の味はサツマイモチップに似ているとか。サボテンのサラダなどの夕食の材料を買う。赤のトマトはヒトマテ、緑のトマトはトマテという。トマテの小さいのからグリーンサルサをつくるらしい。チレ(唐辛子)はメキシコ原産らしい。マサはトルティージャのもととなるとうもろこしの粉。
 お母さん特製のテキーラのジュース割。大きめのグラスにテキーラを適量入れ、レモン(ライム)を絞る。少量の岩塩を入れ、炭酸入りグレープフルーツジュースを入れて混ぜる。「フラウタ」は長いトルティージャを巻いて揚げたもの。中に豚肉などを入れる。ポソレというスープは豚の頭の各部分とジャイアントコーンのスープ。夕食前にはお祈りがある。

 2時から2時間休憩して、7時まで働いて夕食は軽くするのがメキシコ人らしい。今メキシコNo.1の人気歌手はグアダラハラ出身のアレハンドロ・フェルナンデス。
 夜のマリアッチ広場へ。マリアッチは8−10人くらいの楽団。ここが発祥と言われている。

●トラケパケ
 グアダラハラからバイクでトラケパケに行く。南東へ6km。200棟の民芸品が並ぶ街。家具、大きなロウソク(直径30cmくらいで6万円)。昨日のレストランのオーナーのマリオ・ガルシアさんはゲイだけど、ホームパーティーをするというので訪問する。アーティストでもあるので、アーティスト仲間が多い。車の塗料でペイントしている人もいる。

●カンクン
 年3分の2が晴天の街。平均気温27度。豪華なホテルが並ぶ。透明度の高い海。アメリカ人の観光客が多くて7−8割。ハードロックカフェやオールスターカフェもある。今回はシーザーパーク・カンクン・ビーチ&ゴルフリゾートに泊まった。日本人スタッフも常駐している。ゴルフ場の池にはワニもいる。
 ダウンタウンに行く。メキシコ特産の銀製品の店へ。デザインに関係なくグラム15ペソ!飲みに行く。「テキーラ」という曲をやっている。フミヤがテキーラ!と言うと、3人の男が来て、テキーラと炭酸で割った赤い飲み物を顔を押さえて突然口に入れさせ、タオル?で口をふさいで頭を両手で持って左右にシェイクしてくれて飲ませてくれた(爆笑!)。

●マヤ遺跡
 朝2時、マヤ遺跡のチチェン・イッツァに向けて出発。車で3時間。ククルカン(羽毛のヘビ)のピラミッドの夜明けを見る。別名はカスティージョ(城)高さ23m。階段91段。頂上で夜明けとなる。マイクなしでも響くように設計してあるとか。それはピラミッドの手前で手を叩くと2回響くことからもわかる。柱や壁には絵がほどこされている。6−13世紀のマヤ文明である。91段が4面あって、最後に真中に1段あるので、365日を意味するらしい。9層が2面あって18は、マヤの1年は18ヶ月だったかららしい。
 戦士の神殿チャックモール。チャック・モール像の真中に戦いに勝利した勇者の心臓が置かれ神に捧げられたという。「千柱の間」の柱も当時はカラフルだったのだろう。ガイコツの画が並んでいるところは生け贄らしい。

●マヤの末裔の村
 マヤの末裔の住んでいるという村へ行く。テレビはあるが、自給自足。木彫りの工芸を売って生計をたてている。トウモロコシの神様の木彫りの人形は6日かかったそうだが、450ペソ(5500円)。春分の日と秋分の日には大きな祭りがあるとか。これがマヤの時からの残りらしい。
 イッキルの泉へ。階段以外は人間の手が加えられていない。そんな穴ができている。フミヤは泳ぐ。川のないマヤでは泉は命の源。

テレビ番組「道浪漫」2000年5月14日,21日は中西俊博さんと伍芳さんでメキシコ

 ヴァイオリニストの中西俊博さんと古箏奏者の伍芳(ウーファン)さんがメキシコを訪ねた。メキシコにはノースウェストでロス経由でハリスコ州のグアバラハラから入国した。

●グアバラハラ
 まずここの木陰で演奏。音が違うらしい。この場所での3つの目的はテキーラ,マリアッチ,チャーロである。この街は人口500万人。メキシコ第2の都市。
 アガベという植物の葉をナタのようなので切って,根っこというか茎の部分を取り出す。これからてきーらをつくる。テキーラ・クエルボ社。最古で最大の会社。205年前の工場で同じように製造している。蒸したアガベを絞り,絞り汁を醗酵させて2度蒸留する。さつまいもも入れる?
 「カンティーナ」という店へ入ると,すぐテキーラが出てきた。Salud! (乾杯!)。飲み方は,まず1口テキーラを口に含み,塩をかけたライムをかじる。ウーファンさんは涙が出てきた。最後はサンゴリッタという少しスパイシーな野菜ジュースでお口直し。
 カンポ・リエンソ・チャーロという競技場に行く。チャーロはアメリカのカウボーイの原形(ルーツ)である。16世紀スペイン人がメキシコにもたらしたもの。今でもメキシコ人の憧れである。女性版チャーロはアデリータという。メキシコ一のアデリータはペルラ・サンチェスさん(18歳)。

●トラケパケ市
 クアバラハラから車で20分。「パリアン」に行く。マリアッチをやっている。ギタロン3本,ペット3本,バイオリン3本,歌1人,1曲100N$(約1130円)〜。マリアッチの発祥地。もとは結婚式に使われていた(マリアッジからきている)。ギタロンはギターよりも少し大きい。La Banbaをしようとするが,テンポが早くてウーファンさんがついていけない。音階も違う。メキシコシティでの再開と共演を約束。

●パックアロ市
 メキシコ・シティに向かう道にある。14世紀プレペチャ族の帝国があったという。ある一軒のお家に入る。狭い間口だが,中庭はカラフル。ポサダ・デン・ドン・ヴァスコ・パクツアロは街で一番大きいホテル。かわいい造りで,全103室。1087N$(12300円)〜。毎週土曜日に,先住民のダンスショーがある。
 ここでマリアッチの共演のための練習をする。
 近くの湖に散歩。マリポーサという網でプレペチャ族の子孫が漁をしている。その中のカニッツォ島のアントーニョさんのお宅へ伺う。トルテージャにチャラル・フリート(新鮮な魚の揚げもの)を巻いて激辛のサルサソースで食べる。ウーファンさんは地元の服を着せてもらった。カラフルで可愛い服である。アントーニョさんは linda Muchacha という曲を歌ってくれた。

●メキシコシティ
 人口2000万人。
 午後6時半にセッションの約束をしていたのに,遅れて8時に着いた。ガリバリディ広場ではみながマリアッチをやっている。リーダーのデルガードさんが待っていてくれた。ハープの音はこういう感じという音を聞く。ウーファンさんの中国の楽器(古筝)の出ない音が多いし,音階も違う。明日の午後2時のセッションしかない。音が合わないのでウーファンさんは不安。
 ガリバルディ広場の向かいのレストランで皆練習をしている。マリアッチ・レヒオ・インテルナショナルのメンバーと午後2時に初めて出会う。「ラ・バンバ」をやる。テンポがかなり速い。小節のイメージなしにバンバンやっている。個人練習することにして,午後6時に会うこと約束をして,別れる。ウーファンさん猛練習。午後6時,広場の中央に楽器を設置して, 演奏をする。一発本番!見事成功!
 ガリバルディ広場は毎週20組以上のマリアッチが集う広場である。曲のリクエストは1曲80N$(900円)〜。周辺のレストランで食事をしながら生演奏が楽しめる。

●オアハカ
 車で30分行ったオアハカ。中心に「ソカロ」と呼ばれる広場がある。ゲラゲッツァの前祝いで盛り上がっている。本番の3か月前らしいのに。「サント・トマス・ハリエッサ」という村に行く。サポテカという部族がいる。バレンティンさん一家の家を訪問。民族衣装を作っている。1500年前から変わらぬ衣装。食べ物の中にチョコレートが入っている。メキシコが原産地らしい。3か月後のゲラゲッツァのための練習をやるというので参加した。お礼に「夕焼け小焼け」を演奏した。ゲラゲッツァの祭りは先住民が収穫を祝うフェスティバルで,2000年は7月17,24日に開催。
 最後にウーファンさんはサント・ドミンゴ教会(世界遺産)の中で古筝を演奏した。中西さんはメキシコの荒野で,この旅の間に作った曲を,演奏した。


道浪漫のHP


テレビ番組「旅サラダ」2000年2月は田中広子さんでカンクン・ロスカボスなど

●カンクン
 カンクンにはコンチネンタル航空でヒューストン経由で14時間。カリビアンブルーの海、数字の7に似た細長い地形。最高級といわれる、フィエスタ・アメリカーナ・グランド・コーラル・ビーチに宿泊した。ロビーの吹き抜けも大きい。どこを歩いても緑色が目に入ってくる。906号室。とてもきれい。床はじゅうたんではないので、意外な感じだけど。マスタースィート1泊553ドル。新婚旅行のお客に大人気らしい。ベッドのところへは2段あがる。2人がはいれる大きなジャグジー。ベランダは広い。景色もすごい。全ての部屋が海に面し ている。

 砂は真っ白。小麦粉の上を歩いているような感じとか。ここはカンクンの中でも波がおだやかなところなので、ビーチがとてもきれい。全長200mという大きなプール。
 アクアワールドでジャングルクルーズ2時間30分で38.5ドル。まずはジェットスキー(免許がなくても乗れる)。一人で乗る。マングローブの原生林があって、その中に入っていく。最後には外海に出てシュノーケリングもする。海の中はすごくきれい。
 コーラル・ネグロ・フリーマーケットでショッピング。みんなしつこく誘う。アメヨコヨリヤスイヨって言っている人もいる。ソンブレロ400ペソと言うのを200ペソ(2200円)にして買う。

 夕食は地元の人にも人気の「レストラン・エル・メヒカーノ」中の雰囲気はよい。ビールはソルが人気。ライムをたっぷり絞っていれて、塩を入れるのがメキシコ流。前菜はアボガドの海老詰め、チリとマヨネーズのドレッシングあえ54.50ペソ(約600円)。アボガドが濃厚でエビが淡白で、あるらしい。黒豆のクリームスープ41ペソ(450円)。中にはとうもろこしなどが入っている。カリブ産シーフードのミックス蒸し320.5ペソ(3530円)。ロブスターがプリプリで日本人にもあう。そのうちにマリアッチが始まる。一緒にカメラを写す人も。マリアッチのあとは民族舞踊の本格的なショー。白い服。

 翌日はシカレーという自然公園。カンクンから車で1時間。古代のマヤの人が使っていたものを使ったマリンスポーツのテーマパーク。入場料大人39ドル。アンダーグラウンドリバーは自然に地下にできた洞窟の河。全長800m。水がきれいだし、泳げない人も大丈夫。ドルフィンスイムでイルカと泳ぐ。イルカが頭の上を越える分とか、2頭のイルカが鼻で足の土踏まずを押してくれて水上を移動するのは楽しいらしい。1時間80ドル。

 小さなホテルだが人気なのはカサ・トゥルケサはハリウッドの大スターにもファンが多い。33室。石の彫り物がすごい。大邸宅のロビーのような雰囲気。ハネムーン・スィートの部屋はいきなり階段。1泊850ドル。上がると木の床。ジャグジーにはバラの花が浮かべてある。しかしドアはないよ。ここにも階段があり、3階にベッド。ベッドの上にはお花とチョコレート。窓の外にはまたジャグジー。シルベスタースタローンも泊まったとか。

●チチェン・イツァ
 マヤ・モリテカ文明。ククルカン・ピラミッドがある。すごい急角度。上に立ってみると怖い!頂上の壁にはいろいろ彫ってある。降りるのが大変。ロープが張ってあるので、これにつかまって降りる。
 バスケットとサッカーがあわさったような競技をしていたらしい。勝った人が生け贄になるらしい。戦士の神殿にはチャック・モールの像があり、ここに生け贄の心臓を置いたとか。カラコルという天文台もあり、窓は季節にあわせ てある。尼僧院は何をしていたかわからない場所。入場料平日75ペソ(830円)。
 マヤの人たちの家を訪問。ファン・カルロスさん宅。台所ではトルティーヤを作っていた。

●メリダ
 ユカタン半島を西に行った。大きな大聖堂もあった。ユカタン半島を占領したモンテホの家。スペイン風の建物。野口英世が黄熱病の研究をしていた街。彼の銅像もあった。
 レストラン・ロス・アルメンドロス。ユカタン料理の高級レストラン。前菜はパヌーチョ(35ペソ:390円)。ライムスープ25ペソ280円。これらにはトルティーヤが入っている。メインは七面鳥の黒くこがした唐辛子煮込み54ペソ(590円)。すごく辛いが癖になる味らしい。
 メリダは夜になるとライトアップ。3人の流しがきて音楽を。

●サカテカス
 標高2500m。銀の鉱脈を見つけたスペイン人の街。建物の色はピンク色。雨がほとんど降らない街で、世界遺産。カテドラルはメキシコのバロック彫刻の最高傑作、かつピンク色。サントドミンゴ教会もきれいで、左右に8つの金の祭壇の彫刻は繊細で豪華。
 ブーファの丘から街を見る。ロープウェーで7分大人片道10ペソ(110円)。街がピンク色なので上から見るととても奇麗。
 キンタ・レアルというホテル。家庭的な感じの入り口だが、中には闘牛場がある。昔は闘牛場だったから。1泊1450ペソ(15950円)で落ちつく色調。洗面場のかわいいランプ。シャワーカーテンも可愛いし、ジャグジータイプのお風呂。

●グァナファト
 坂の多い街で、今は芸術や学生の多い街。街の建設が人口の増加に追いつかなかったので、地下道が発達しているが、迷路みたい。もとは水路だったらしい。
 イダルゴ市場へ。ウチワサボテン(食べられる)、バナナ、スイカ、パパイヤ(1キロ7ペソで7キロあった:頭の大きさくらい)49ペソ(540円)とかも売っている。

●テキーラ村
 テキーラの故郷。このあたりで作られたお酒がテキーラ。原料はアガベというランの一種、サボテンじゃない!葉を落とした真ん中の部分を使う。1つ30キロ。
 ラ・ロヘーニャ工場。1800年代から作っているらしい。まず6時間蒸して糖分を出す。それからつぶして、しぼり汁を充分に醗酵させて2回蒸留してアルコール分を取り出す。アルコール80度らしい。工場見学20ペソ(220円)。樽に入れて熟成させるとよいマイルドになる。アルコール度の高いのは、パンと飲むのがいいらしい。チビチビ飲むものじゃないと神田さんが言っていた。

●ロス・カボスのカボ・サン・ルーカス
 ロス・カボスはカボ・サン・ルーカスと○○という街からなる。メキシコの新しいリゾート。アメリカの富豪がクルーザーでバカンスで来る。ペリカンが多い。午後にフィッシング・ボートがカジキ・マグロを釣って帰ってくる。青い旗をつけて帰ってくる船は釣ったという印。計量所では人が多く集まってくる。気取ったところがない街。普通の人々が普通に暮らしている。

 地元の人が新鮮でおいしいと言っているシーフード・レストラン「マリスコス・エル・チビー」。ミックス・シーフード・カクテル50ペソ(550円)エビ・タコ・ホタテ入りのトマト味のシーフードのスープ。辛いものは好みで入れる。
 ロス・カボスで一番人気の四輪車のバギーでのライドは3時間で$45。免許がなくても乗れる。ヘルメットをしてハンカチで口を覆ってゴーグルをしている。気分はラリーのドライバー。少し郊外に出るとサボテンと砂漠。砂丘を越えて海辺まで行く。
 水上タクシー$8で Lovers Beach へ。反対側は太平洋に沈む太陽が見えた。

●ウェスティン・レジーナ・ロス・カボス
 ホテルはカボ・サン・ルーカスから車で20分。ピンク・黄色・茶色と派手な色。赤土の丘と一体化したデザイン。ロビーはサボテンのオブジェがある。メインビルの部屋はロイヤルビーチクラブ1泊415ドル。派手な色。ロイヤル・ヴィラは1泊475ドルで、キッチン・ダイニングやソファ付きのリビング、窓の外は海で、寝室にはジャグジーがついている。想像しちゃいますね。ジャグジーに入って海が見える。日本人のスタッフがいる。

●マグダレーナ湾
 ロス・カボスから?のホエール・タッチング・ツアー(飛行機・船・昼食付き)$330.クジラの名所カブータ・レイ・ナバル(聞き取れない!)まではセスナで1時間。冬はクジラが子供を産んで育てる時期なので、多く見ることができる。セスナからもたくさん見えた。コククジラ?の群れ。船に乗る。海水が濃いので浮きやすい。それで子クジラの泳ぎの練習をするのには最適な場所。かなりの確率で触れるとか。クジラにフジツボが付いていた!親子クジラが船にじゃれて遊びにくるから。

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