アジア

ハワイ・グアム・サイパン・フィジー・ニューカレドニアなど

北アメリカ

中央・南アメリカ

ヨーロッパ

オーストラリア・ニュージーランド

アフリカ

いのうえの海外旅行記

いのうえの海外旅行写真記

日本の宿

日本のレストラン

トップ

ペルー・エクアドルの旅行情報


なお、これはわたしが個人的にテレビを見て書いたものであり、各テレビ局や番組とは全く関係はありません。
すべての文章の無断使用・転載を禁止いたします。
またここの情報を使って、何か問題が起こったとしても私は一切責任は持ちませんのであしからず。


テレビ番組「THE 世界遺産 ペルーのワスカラン国立公園」

 2010年9月26日放送。

●ワスカラン国立公園
 アンデス山脈の中央にある「ワスカラン国立公園」。6000m級の峰が30近くも連なる。赤道近くにありながら、頂上近くには分厚い氷河がある。温暖化で氷河が減る中で、ここには熱帯の氷河の3割が集中している。
 標高3028mの町「ワラス」はワスカラン登山の玄関口。この町ならではの名物は「かき氷」。片道8時間かけて氷の山から取ってきた氷。標高6768mのワスカランは赤道付近では世界で一番高い。大小600もの氷河が点在する。国立公園の面積は3000平方km。熱帯にこれだけの氷河が集中する国立公園は他にはない。例えば、キリマンジャロ国立公園(タンザニア)は早ければあと10年で消えるという。ルウェンゾリ山地国立公園(ウガンダ)、ロレンツ国立公園(インドネシア)なども、急速にその姿を消しつつある。
 そもそも氷河とは、山に積もった雪が氷となったもの。自分の重みでゆっくりと山をすべり降り、流れていく。氷の川に削られてできた谷は幅が広いUの字の形をしている。バロン谷が紹介されました。氷に削られた鉱物が流れ込み、エメラルド色に輝く氷河湖。公園内にはこうした湖が300も点在している。「南米のスイス」とうたわれる夢のような景観がある。

 日頃食べている野菜の多くが、アンデスで生まれたものが多い。カボチャ、トウガラシ、トマト。中でも重要なのがジャガイモ。ヨーロッパに伝わったジャガイモは飢えに苦しむ多くの人々の命を救った。今も4000種類のジャガイモが栽培されている。
 保存食の紹介。幾晩も外で凍らせ、溶かし、ブヨブヨになったジャガイモを足で踏んで、水分を出して乾燥させる。この堅い乾燥イモはチューニョと呼ばれる。これを使った伝統的なスープは毎日の食卓にあがる。

 標高4300m、アンデスの高地で奇妙なものに出会った。100年に1度咲く花。斜面に槍のように立つのは、パイナップルの仲間「プヤ・ライモンディ」で、世界一背の高い高山植物。高さ10m以上にも成長する。球形の葉は、直径4m。かつては巨大なウニのような丸い形をしていた。動物に食べられないよう、葉にはさらに尖ったトゲがある。「高山では背の高い植物は育たない」という常識は通用しない。
 サンマルコス大学のメリー・スンニ教授が説明してくれました。球状で100年かけて成長するが、最後の1ヶ月で大変身して、花を咲かせるために、背を伸ばし始める。わずか1ヶ月で10mにまで成長し、茎?の中に100kg近いデンプンが貯蔵されている。これを糖に変え、そのエネルギーで一気に背を伸ばす。そして100年に1度きりの花を咲かせる。一斉に1万もの花が咲き、ハチドリがやってきた。受粉を受けたプヤは開花から2ヶ月後に茶色にひからびて枯れる。枯れたプヤからは70万もの種子が作られ、風によって運ばれる。
 4000mを越す高地には幻の動物もいる。ビクーニャは内気で臆病、滅多に人前に姿を見せないラクダの仲間。パーク・レンジャーのマキシム・ゴンザレスさんが説明してくれました。彼らの毛は「アンデスのダイヤモンド」と呼ばれている。その毛を使った織物は、インカの皇帝も使った。
 代わりに家畜化に成功したのが、アルパカ。ビクーニャの親戚で、アンデス原産。彼らの毛は衣類の材料として欠かせない。

 乾燥したペルーの大地は、人が暮らすには過酷。でも力強い隣人「氷河」がいた。この水は飲み水となり、畑や牧草地を潤す。ウチュバンバ村の村長のエルネスト・キラーレスさんは、アンデスの水がないと生きていけないという。しかし、2010年4月巨大な氷河が崩れ、氷河湖に崩落し、高さ23mの津波があたりを飲み込み、4人が死亡した。氷河に何が起きているのか、調査に同行した。熱帯の氷河は地球の気候の変化を最も受けやすい。出発から4時間、標高5000mの氷河の末端に到着した。氷河研究所のヘスス・ゴメスさんが説明してくれました。観測記録では、最低気温が0度を上回る日が年間200日を越え、降る雪の量も大幅に減少している。4ヶ月で150cm分の氷が溶けていた。1980年、87年、97年、2008年と写真が提示されたが、氷河は後退するだけでなく、焼失してきた。40年間で30%消えた。これが深刻な水不足を引き起こすことになる。
 ワスカランの麓にはかつてユンガイという村があった場所がある。今は十字架が並ぶ。1970年5月31日、マグニチュード7のアンカシュ地震が発生。この村では1.8万人が生き埋めになった。犠牲者のほとんどは氷河に押し潰された。幅500mの氷河が崩れ落ち、時速300kmの土石流となって村を直撃した。今も残る巨大な岩は、氷河が山から運んだもの。助かったのは、わずか240人だった。ユンガイ村の生存者アルマキオ・オルテガさんは、当時23歳。家族10人を失った。故郷に踏みとどまり、悲劇を伝え続けている。震災後、生き残った人々は新しい村に移り住んだ。自分の家があった場所に戻り、暮らし始める人もいる。カルミナ・ロサリンさんは、氷河の水がある場所でないと暮らしていけないという。


テレビ番組「珍獣ハンター・イモト ガラパゴス・スペシャル」

 2010年4月3日再放送。日本テレビ製作

●エクアドル
 赤道記念碑があるが、ここが赤道と制定されたのは1736年。以来200年の間に大陸が動いてしまった。本当の赤道は250m離れている。
 その場所では様々な現象が生じている。(1)体重が軽くなる。赤道では重力が小さいため、体重50kgの人は約250g減る。(2)バランスがとりやすい。赤道では遠心力が働いているため。そのため、ここの場所には、クギの頭に簡単に卵が立てられるというクギが置いてある。

 東部のアマゾン川のジャングル地帯に世界最小のサル「ピグミー・マーモセット」がいる。2008年にアマゾン川にきた時にナマケモノを捕まえてきたり、素手でワニを捕まえると言って、ライトでワニの目を幻惑してイモトに捕まえさせたターザンさんがいた。今回はシャーマン民族の人たちが協力してくれた。キチュア族の長のシルベリオさん。普通に日本人みたいな服装で、金色の時計をしていました(笑)ミスター・ドミンゴさんが30分かけて、イモトの悪い部分を頭から吸い出して清めてくれました。キチュア族の女の子が歓迎のダンスをしてくれました。伝統料理の「蒸しバナナ」をいただきました。イモトは伝統のイモ虫をいただきました。最近のキチュア族の女の子は食べないそうです(笑)
 翌朝、サルを探しに出発。ある木の樹液が好きだというので待ち伏せ。すると体長10cmほどのサルが登場。クビを180度回転させて周りを注意しながら、樹液を舐める。夕方、木に傷をつけて樹液が溜まる場所を作り、朝溜まった樹液を舐める。事前に食事の準備をする動物は極めて珍しいという。写真を撮るが、大きさの感じがつかめない。

 動物園にも行ったら?というので行ってみたがいません。グアヤキルという街の動物園にいた。体長14cmで、顔の大きさは500円玉ほど。

●動物図鑑で面白い動物
 メガネザル、水面を走るバシリスク、横っとび猿ベローシファカが紹介。

●ガラパゴス
 エクアドルの沖にある13の島からなる火山群島。首都キトのマリスカル・スクレ国際空港から飛んだ。生物が住むには極めて厳しい環境にある。ダーウィンはこの地に足を踏み入れ、当時の常識からは異常とも思える進化論を生み出した。
 サンタクルス島に上陸。ガイドはエドワード・ロセロさん。いくつかのルールがある。政府のガイドをつけること。動物は触ったり抱いたりしてはいけない。ゴミ捨ては禁止。排泄物などいかなる物も島に残してはいけない。島から島に移動する際は、靴を海水で洗い、砂つぶ一つも移動してはいけない。  ガラパゴスから持って帰っていいのは、思い出だけ。残していいのは足跡だけ。
 「ガラパゴ」はスペイン語でカメの意味。体長150cm、体重250kgの世界最大のリクガメ「ガラパゴスゾウガメ」。甲羅の重さは40kg。どうして進化論を思いついたかというと、島ごとにカメの形が違うためだった。エスパニョラ島になると、甲羅の高さが低くて、極端にクビが長い。サンタクルス島は地に生えている草が多いので、首は短くてもいいが、エスパニョラ島は乾燥していて、草が生えていないために、木の葉を食べないと死んでしまう。ダーウィンは、元々は同じカメだったに違いないが、環境が違うので、15種類になってしまったと考えた。
 ノースセイモア島。リクイグアナの食べ物はサボテンだった。このままでは絶滅するというので、サボテンは背を高く進化した。イグアナの届く範囲に葉はない。幹はツルツルで登ることができない。イグアナは葉やつぼみが落ちてくるのを待つしかなくなり、数が減っていった。ところがイグアナの中に進化するものがでてきた。島には食べ物がないが、海はどうだ?そこで海に入ってみたら、底に緑の楽園があった。しかしイグアナは息が続かない。心拍数を落とすことで軽く10分は潜れるようになり、爪が鋭くなり流れの中でふんばりが効くようになった。海藻は生長が早く、いくら食べても尽きることがない。それがウミイグアナ。現在リクイグアナ2万頭に対し、ウミイグアナ70万頭もいる。
 砂浜にウミイグアナが集団で寝ていた。海に入ると体温が冷えるので、太陽を浴びるのだそうだ。光を吸収しやすくするために、体の色を黒く進化させている。海藻は塩分が高いので、余分な塩分は鼻から吐き出し調節する機能も備わった。
 最近さらに進化したハイブリッド・イグアナが生まれたという。島で2、3頭のみ確認されている。ウミイグアナを父とし、リクイグアナを母とした交配種。一見リクイグアナのようだが、爪は鋭い。これを使ってサボテンの木に登れる。しかし、ハイブリッド・イグアナには繁殖機能がない。

 ダーウィン研究所を訪ねた。ここに世界的に有名なゾウガメの「ロンサム・ジョージ」。かつて15種類いたゾウガメの中のビンタゾウガメの一種だが、ビンタゾウガメはもう彼しかいない。子孫を残そうとしたができなかった。彼はもう70年も生きている。かつてゾウガメは油の原料として種を問わず捕獲された。彼は40年前に保護された。既に15種類のうち4種類は絶滅している。


テレビ番組「ワンダー・ワンダー ベネズエラのキアナ高地とペルーのワスカラン」

 2010年3月27日放送。断崖が続く。巨大な滝を持つアウヤンテプイ山。滝に初めて挑戦した。アンデス山脈にそびえる熱帯の最高峰ワスカラン。氷河の巨大なクレバス。

●キアナ高地
 テーブル・マウンテンと呼ばれる台地状の山々が100以上もある。中でも最大級なのは、アウヤンテプイ(標高2560m)。この山は世界で最も落差のある滝があることでも知られている。この滝に向かった。1937年にアメリカ人のジミー・エンジェルさんによって発見された。
 「悪魔の谷」をカヌーで目指した。川には巨大な岩があるが、これは落ちてきたものらしい。狭い水路を巧みなオールさばきで通過した。川を遡ること4時間でエンジェル・フォールが見えた。高さは979m。東京タワー3つ分。船を降りて山道を進む。3時間で目の前に見える場所に到着。滝の水は途中で風に流され霧状になるので、滝壷がない。歩いていると突然、滝の水が暴風雨に変わった。滝を見上げると所々で、激しく渦を巻いている場所がある。これが暴風雨の正体だった。
 これまで下から登ってその落ち口に到達するのは不可能とされてきた。最近になって可能とするルートが開拓された。滝の反対側から崖をのぼって、60km歩いて到着するというもの。地元のガイドと歩いた。麓から3日をかけて断崖の下に到着。崩れた岩の後ろが歩けた。割れ目を登りきると、岩が崩れてできた洞窟があった。さらに6時間で頂上台地の一角に辿り着いた。
 台地の上は驚くべき姿があった。東京23区よりも広い台地の上に、いくつかの山があり、川が流れていた。ここから60kmを10日かけて進む。川の色は濃い紅茶の色。植物のタンニンの色。胴の長さが3cm以上もある大きなバッタ「カマドウマの仲間」がいた。「オリオフリネラ」はギアナ高地にだけ生息する原始の姿を留めたカエル。骨格が未発達で、跳ベない。手足に水かきがなく泳げない。また卵から直接カエルの姿で生まれてくる。
 深いヤブの中を10日進んだ。滝の落ち口近くに到着。滝の横の断崖を回って落ち口をのぞむ場所に到着。岩があって下が見えないので、一段下に降りてみたら全部見えました。落ち口は岩の間からでした。

●熱帯の最高峰ワスカラン
 ペルーのある最高峰ワスカランは標高6768m。2つの頂きをあおぐ山麓は世界遺産。
 まずはサンタクルス谷。お供はアンデス原産のラクダの仲間リャマ。サントス・デクストレさんがガイドで、インカの末裔。アンデスでは軽い荷物で山を歩く姿が一般的。標高4200mくらいで雪が登場。
 タウリラフ(標高5830m)は世界のクライマーの憧れの山。熱帯にあるので氷は溶けては凍るを繰り返し、美しいヒダ模様を織りなす。石畳の道ができている。雪がない。谷を登りつめた場所は標高4750mのウニオン峠に到着。ここは太平洋と大西洋の分水嶺になっている。ガイドが面白いいわれをもつ花リマリマ(キンポウゲの仲間)を見つけた。子供の言語発達が遅い時にこの花を口に入れるとか。ペンカペンカという白い花もある。リンドウの仲間。この花に「ペンカペンカ」と話しかけると、刺激で花が閉じるそうです。ペンカペンカとは「恥かしがり屋」という意味らしい。
 トレッキング・コースの途中にあるサントスさんの村ワリパンパに立ち寄った。ここには100人余りが暮らす。チャクララフ東峰(標高6001m)は村のシンボル。昔ながらの農法で、ジャガイモを植えていた。音楽が演奏され、村の人がサントスさんの麦の刈り入れの手伝いをしてくれた。その後、畑に馬が連れて来られた。麦を踏んで脱穀をしている。16世紀にスペイン人から伝えられたという。
 プヤ・ライモンディという世界最大の高山植物がある。パイナップルの仲間で、全長10m。100年経って大きくなり、たった1回だけ1ヶ月間、花が咲いて枯れる。

 山岳ガイドと山頂を目指す。麓から山頂までの標高差は3800m。山頂までは5日間。登山3日目、標高5000mを越えると氷河に覆われた雪と氷の世界。クレバスの間を縫うように登っていく。4日目、標高5900mのキャンプに到着。陽が暮れると山は幻想的な姿を見せてくれた。月の光と雲が異様な模様になりました。
 5日目、キャンプから頂上まで往復12時間以上もかかるため、午前2時に出発。クレバスが多い。午前6時、夜明け。標高6000mを越えると酸素は平地の半分以下。頂上に到着しましたが、平地でした。標高6768m。360度絶景でした。


テレビ番組「世界の果てまでイッテQ! 床屋さんでおまかせ」

 2009年10月4日放送、2010年1月16日再放送。世界の床屋さんでおまかせで頼むとどうなるの?日本テレビ製作。

●ペルーのウロス島  ディレクターの石崎史郎さん(30歳)。島で一番器用な、ウル族のイルマさんが切ってくれたが、ハサミがよく切れないし、手つきも危なっかしい。お坊ちゃんヘアになりました。


テレビ番組「世界の果てまでイッテQ! 南米ペルー大紀行」

 2009年10月4日放送、2010年1月16日再放送。イモトアヤコさんが案内。日本テレビ製作。

●ペルー
 アマゾン川流域の町プエルト・マルドナード Puerto Maldonado に行く。「コンドルは飛んで行く」を地元の人と演奏した。この曲は100年前に作られた。ペルーの見所は3つ。「珍獣の宝庫アマゾン」、「奇跡の絶景チチカカ湖」、「アンデス山脈・幻の生物」。
 まずアマゾン川。ガイドは動物学者のルーチョ・トゥデラ氏。今回はアルマジロを捕まえる。まずは野生のインコ「アケボノインコ」は木ではなく壁に止まっている。壁から栄養を吸っているとか。アルマジロの巣の近くでペルーオオムカデを発見。世界最大で大人は60cmくらい。パインスネークを首にもかけてもらった。
 池でピラルクのつかみ取りが体験できる。1回およそ1000円。体長1mのものを捕まえました。ピラルクは成長すると3mを越える。沼の中ではピラニアが足を噛んでいたそうです。この高級魚ピラルクを炭火焼きでいただいた。
 近所のおじさんが作った?ジャングルジムがあり、誰でも無料で楽しめる。10mの2本のワイヤーを渡って楽しむ。
 結局アルマジロは見つからなかった。

●チチカカ湖
 ペルー南部のプーノ州に行く。空港の標高は3600m。自転車タクシーで約150円で、絶景の場所に行ける。チチカカ湖にすぐに到着。面積は琵琶湖の12倍。標高は3890m。船が運航する湖としては世界最高所。水上で暮す不思議な民族「ウル族」がいる。
 ウロス島に宿泊。この島は草で作った人工の浮島。約60個の浮島に約700人が暮す。今回はウル族のハコポさん一家を訪問。お父さんはトトラという水草を刈り取っている。浮島はこのトトラの根っこを並べ、その上にトトラの葉を敷いて作られている。ちゃんとした島を作るには半年くらいかかる。家も家具も全てトトラで作られている。もちろん燃料や船の材料にもなる。さらに食べられるが苦いそうです。トトラの弱点は頻繁に起こる火事。電気がないからロウソクを使うために火事になるらしい。浮島には病院もあれば学校もある。トラニ小学校が紹介されました。お父さんに島と家を作ってもらいました。食料の魚を釣ったので、ハコポさんに調理してもらった。水汲み場は湖で、トイレも同じ場所。生のカエルをミキサーにかけてできたジュースをいただいた(笑)
 浮島にフラミンゴも来ていました。羽根は赤く背中は真っ白。ペルーの国旗はこれを参考に作られているとか。
 午後7時、横になったが、2時に就寝できた。その時、島をつないでいた綱が切れた。一晩でどれだけ流されるのか?午前6時起床。40m流されていました。

●マチュピチュ
 クスコ空港。市内から豪華列車「ハイラム・ビンガム号」は往復6万円、観光客に人気の「ビスタドーム号」は往復1.5万円、格安列車「バックパッカー号」は往復約1万円。今回は豪華列車でマチュピチュに向かう。
 まずウェルカムドリンク。次にペルーの伝統舞踊でお出迎え。ハイラム・ビンガムさんはマチュピチュを発見した人で、インディ・ジョーンズのモデルになった人。ポロイ駅〜マチュピチュ駅まで3時間15分の旅。バー車両では、好きな飲み物が飲み放題。展望車両では、車窓から絶景が楽しめる。
 マチュピチュ駅に到着。前にはお店が並ぶ。子供用の服は約1000円。ポンチョ約2000円。アルパカのマフラー約1200円。手袋と帽子のセット約1000円。
 マチュピチュは石造りの家がおよそ200軒。700人ほどが暮らしていたという。インカ文明の繁栄は14〜16世紀、最盛期にはエクアドルからチリまでの南北4000km、1600万人の帝国を築いていた。巨大な石を使った建築、すぐれた金の精錬技術を持っていた。2007年に世界7不思議に登録された。インカ帝国の中で聖なる儀式を行なう場所であったろうと言われている。
 石を組み合わせる技術が素晴らしくて、カミソリの刃も入らない。自然の石の隙間に加工した石を敷き詰めた技術も素晴らしい。現在の技術を持ってしても、造るのが困難といわれている。
 文字を持っていなかったが、8km毎に情報を伝達する飛脚を配置し、通信網を確立していた。
 さらに水が流れているが、現在でもその水源が解明されていない。
 1533年、人口1600万人のインカ帝国がわずか168人のスペイン人に侵略された。

●アンデスの珍獣ビクーニャ Vicugna
 2年に1日だけ触れる日がある。列車で2時間、さらに車で8時間かけて、チヨマ村に朝6時に到着。標高は4000m。お世話になるのはキスペさん一家。ビクーニャの毛は「繊維のダイヤモンド」と呼ばれ、カシミアの数十倍の値で取引される。ストール1枚がカシミアで2−3万円、ビクーニャで50万円。ビクーニャはラクダの仲間だが、人には懐かない。家畜にできないので、毛の価値が高い。毛はとても細く、動物界で最も細い100分の1mm。1頭から取れる毛は300gで、約1.2万円で専門業者に卸される。これが加工され海外に行くと数十倍になる。
 この日は野生のビクーニャを捕まえて毛を刈るイベント「チャクの日」だった。普段は政府が厳重に保護している。山岳民族以外の人がチャクを行うと、最長15年の禁固刑となる。
 チャクは谷あいにV字に網を張り、山頂グループがビクーニャを驚かす。サイドに隠れた村人が軌道を修正しながら網へと追い込む。今回110頭を捕獲した。傷つけないように素手で捕獲し、毛を刈る。


テレビ番組「びっくり法律旅行社 ペルーのナスカ」

 2008年12月4日放送。児玉清、黒崎めぐみ、タカアンドトシさんが司会。美川憲一、高嶋ちさ子、つるの剛士さんがゲスト。

●ナスカ
 ロサンゼルス経由でリマまで20時間。リマからナスカには6時間。平均気温20度。時差はマイナス14時間。
 まずはセスナに乗って世界遺産を空から見る。フライトは空気が澄んでいる朝か太陽が傾く夕方がお勧め。飛行時間は30分。セキュリティ・チェックではハサミ類、ナイフ類、ペンチ、ドライバー、鍵は持ち込み出来ない。パイロットのベンハミン・パンドゥロさんが説明してくれました。飛行機の中には「吐いてはいけない」のマークがある。みんなが楽しめたいから、吐くようなことはしないようにということらしい。
 大きいものでは100mを越える巨大な絵が地上に描かれている。クモ、ハチドリ、サルなどがある。60mほどの丘に描かれていたのは、宇宙飛行士。イヌは死者の魂を運ぶという。コンドルは山の神と言われていて、全長が136m。ハチドリのクチバシの方向は夏至の日の日の出の方向なので、地上絵が当時のカレンダーだったという説もある。巨大な手は指が4本。木は逆さからみると根をあらわしているという人もいる。
 地上からも地上絵が見られる場所もある。ミラドールは観測塔。すぐ前が木でした。文化庁のマリオ・オラエチェアさんが絵の修復をしていました。足跡を残さないようにしていました。溝にたまった砂を丁寧に除去していました。
 地上絵の上を車で走って絵を消してしまったり、勝手に家を建てて住んでしまったりする人がいるそうです。弁護士のフアン・ラミレスさんが説明してくれました。5年間、国有地や個人の所有権が明確でない土地に移住した者は、居住地の所有権を得ることができる(物件 所有権の移行代950条)。この場合は裁判などを経てからになる。10年だとまわりから文句は言われない。しかし文化保護区域は別。かつて遺跡を壊してしまった例もある。1億円以上の賠償金の例もあります。

 食事も変わっている。ゼリーを食べている人が多い。1個1ソル(35円)で赤や黄色をしている。アイスも1個1ソル(35円)。40度を越えることがあるので、アイスやゼリーの露店が人気。
 砂漠のアトラクションといえば、サンドバギー。日ごろのストレスを発散したい女性に大人気とか。その後砂漠のオアシス「ワカチナ」。この泉には人魚が住んでいるという。
 ナスカ市長のダニエル・マンティヤさんが説明してくれました。古代の井戸があり、ナスカ時代の墓地跡もあり、神秘的な文化を感じることができるそうです。
 おみやげにエケコ人形もある。自分の欲しい物をミニチュアにして持たせ、その入手を奇岩するアンデス地方の人形。

 ペルーでは国民の指が青くなる日がある。選挙の投票日当日で、投票すると青にして、不正をしないようにするため。選挙では投票率が80%。

●チチカカ湖
 インカ皇帝が生まれたという伝説のあるチチカカ湖。11月にはそのお祭りがあり、世界各国から人々が集まる。アルパカがいる。チチカカ湖は富士山よりも高い標高3800mで、兵庫県と同じ大きさ。41の島が点在する。
 船で2時間でテキーレ島に到着。人口2000人。今も古代文明が息づいている。民族衣装で独身か既婚者かがわかる。独身女性はカラフルなスカートと大きなボンボン。既婚女性は黒いスカートに小さめなボンボン。独身男性は白と赤の帽子。既婚男性は赤い帽子。腰に巻いている帯の織物の技術は世界無形遺産にも認定されている。
 タキーレ島の人は握手代わりにコカの葉を交換する。子供が始めて髪の毛を切る時、子供の幸せを願って「髪切りの儀式」をする。この儀式までは髪を切ることも櫛でとかすこともできない。まずコカの葉を出して、パドリードという後見人によって髪の毛が切られていく。豊かな人生を送れるように、コカの葉、穀物、お金、髪の毛を備えて終了。
 掟は、離婚してはいけない。盗みをしてはいけない。嘘をついてはいけない。怠けてはいけない。カルロス・ママニーさんが説明してくれましたが、けんかは禁止されています。島の風紀が乱れると大地の神パチャママが怒り、大地に災いが起こるとされている。けんかをした場合、話し合いの結果、鞭打ちの荊が課せられる。傷害事件になった場合、最高で200ソル(7000円)の罰金。


テレビ番組「探検ロマン世界遺産 インカ帝国」

 2008年9月13日放送。太田雅英アナウンサーが案内。

●インカ帝国
 インカ帝国は鉄器も車輪も持っていないのに南北4000kmにわたる大きな帝国を築いた。しかし繁栄は100年続かなかった。建物も破壊つくされた。痕跡を留めるがクスコとマチュピチュ。文字を持っていなかったので、滅んでしまったが、帝国の詳細はわかっていない。

●クスコ
 標高3400m。6月冬至、南米3大祭り「インティ・ライミ(太陽の祭り)」で賑わう。野外劇が人気だが、観客はほぼ観光客で外国人が多い。全席指定で1席90ドル。スペイン統治時代は禁止されていて、独立後に祭りは再開されたが、最近は観光化してしまった。劇が最高潮に達した時、観客席に入れなかった地元の人たちが高台に押し寄せた。インカは滅亡してから500年経っているのに、今なお人々の心を捕えて離さない。
 サント・ドミンゴ教会は土台の石組みにインカの名残がある。あとは全て建て直された。クスコ大聖堂はインカの神殿が壊され、その上に大聖堂が建てられた。17世紀スペインはキリスト教を広め、植民地支配を広めていった。今でもペルーの国民の9割はカトリックの信者。祈りを捧げた人は聖堂の片隅に向かい、高さ60cmの石に手を触れて、石への祈りを捧げた。インカの末裔だから石に宿る神に祈りを捧げているそうです。かつて大聖堂はこの石を撤去したことがあるが、クスコ市民の抗議により元に戻したそうです。

●マチュピチュ
 列車とバスで2時間。標高2400mにある空中都市。高台から遺跡を見て太田さんはゾクゾクしたそうです。面積は東京ドームの2.5倍。スペイン人は山深いこの都市の存在に気がつかなかったために、マチュピチュは奇跡的に破壊を免れた。500年前の都市の姿がほぼ完全な形で残っている。
 石と石の間は隙間がない。水路も作られている。水汲み場は16箇所設けられている。居住区には壁の岩だけが残っている。食生活を支えたのは、アンデネスと呼ばれる段々畑だった。ここでは約750人が暮らしていたと思われる。
 クスコ文化庁のピエダ・チャンピさんが説明してくれました。トレオン(太陽神殿)は冬至と夏至の日の出を観測するためのものだそうです。上にある窓から光が差し込むそうです。この日は冬至の日で、真っ直ぐに太陽の光が差し込んでいました。この日を過ぎてから種を撒いたりした。
 去年の発掘調査で新たな事実が見つかりました。ある草原は太陽への儀式を行なう祈りの場だった。置いてある石は各村が寄贈したものらしい。
 標高3070m、マチュピチュとワイナピチュを一望できる山に登った。

●オリャンタイタンポ
 インカの伝統を今も守っている人たちが住む町。かつてスペイン軍に追われたインカの人々が立てこもり、抵抗した拠点。人口1.1万人。その多くがインカで、町の道路や水路などはインカの時代に作られたもの。アリシア・フローレンスさんのお宅を訪ねた。壁のへこみはニッチといい、色々な物を置くそうです。丸い石が飛び出ているのは、屋根を縄で縛るためのもの。茅葺屋根が風で吹き飛ばされないように、縄でくくりつけていた。クイ(テンジクネズミ)を部屋の中で飼っている。これは食用だそうです。甕の中にはチチャというトウモロコシを発酵させて作った醸造酒がある。まずチチャを地面に垂らし、空にまいてからいただく。地面は大地の神パチャママ、空は山の神アプに感謝するためのもの。インカの人は必ず神に感謝するそうです。チチャは酸っぱいが飲みやすいそうです。アルコール分は低いようです。
 山、大地、石、洞窟、雷、泉など自然のあらゆる物に神が宿るとインカの人は信じていた。

●段々畑
 マチュピチュの東40kmの所にアンデネス(段々畑)がある。高低差は200m。石段の数は900を越える。全てインカの人が手作業で築きあげたもの。麓と頂上で温度は5度近く違った。温度差を利用し、上と下で違う農作物を作っていた。

●マラスの塩田
 大地に白い幾何学模様が刻まれている。インカの時代に作られた塩田。塩分を多く含んだ湧き水が出る極めて珍しい土地。6〜8月の乾季の間だけ、水分を蒸発させ塩を取ることができる。よく調べてみると塩田は石組で作られていた。

●インカ道
 スペイン人を最も驚かせたのは道だった。総延長は5万km。帝国全土に網の目のように張り巡らされ、人の往来や物流を盛んにし、繁栄の礎となった。

●ワラワラ村
 マチュピチュの東100km。インカの伝統が色濃く残る村。村の子供たちの色鮮やかな衣装。インカの織物の文化を受け継いでいる。学校の授業はスペイン語で行なわれてきた。しかし、1975年、インカの言葉ケチュア語も公用語として認められた。教室でもケチュア語でインカの文化を教えられるようになった。


テレビ番組「THE 世界遺産 ペルーのマヌー国立公園」

 2008年7月26日放送。1987年世界遺産。

●マヌー
 アマゾン川は南米大陸の3分の1を潤す。支流の数は1000を越える。世界最大の流域面積を誇る大河。流域には原始の熱帯雨林が広がる。人を寄せ付けないのに、多くの種が絶滅の危機にさらされている。
 クスコが玄関口。標高4000mのアンデスの峠を越える。アンデスイワドリのオスは頭が真っ赤です。メスは地味です。
 クスコを出て10時間、アマゾンの源流域が広がる。ここからはボートに乗り換える。ベニヘラサギ、ナンベイアオサギなど、マヌーの森に生息する鳥はおよそ1000種。
 なぜ最古の森は残されたのか?クロクモザルは木の上で暮す。シロガオオマキザル、アカホエザル、コモンリスザル、ダスキーティティ?、フンボルトツーリーモンキー、フサオマキザルなど個性的な9種類のサルがいる。その多さこそが森の古さの証しだという。それはこの森が氷河期を越えたから。アマゾンの各地から森を失ったサルたちがここに移動してきた。マヌーは食べ物と進化を与えてくれた。フサオマキザルは知能が高く、アメリカでは介護ザルとして活躍している。ホセ・フェリックスさんはこの森が原生林だから、世界中の研究者が魅力を感じるという。森が新しくなると生物は生活様式を変えるためだという。
 アマゾンはゴムの木の一大原産地だった。19世紀末から20世紀にかけて、天然ゴムの需要が増えたが、マヌーの手前で急流になることなどから、マヌーは開発を免れた。

 不思議なガケがある。緑色のアケボノインコはここの土を食べている。次に赤と緑のベニコンゴウインコがやってきて、土を食べた。ここの土にはミネラル分が多く、補給しているのだろうと考えられている。
 三日月湖はコチャと呼ばれる。ゴチャ・オトロンコなどでは生き物たちの楽園となる。ツメバケイという鳥は南米だけにしか生息していない。彼らは飛ぶのが苦手で、成長するとつめが抜ける。ミドリヤマセミ、ナンベイレンカクが紹介されました。

 マヌー国立公園には1万種を越える植物がある。1970年代に作られた研究用のステーションが「ゴチャ・カシュ?研究所」。アンヘリカ・ガルシアさんが案内してくれた。1本の木にまとわりつく植物は「絞め殺しの木」と言われる。取り付かれた木はジワジワ枯れていって、跡形もなく消える。ツッリバーサス・アメリカーナ?という木の周りには植物が生えてない。タンガラーナとも言われていて、中にタンガラーナというアリがいる。周りの草や木を食べ尽くすために生えてない。ドゥロイアは葉の付け根の膨らんだ節に、無数のシロアリが住み着いている。黒い塊はシロアリの巣。コウモリはこの巣に出たり入ったりする。
 人を寄せ付けないのに、動物たちが滅んでいく。メガネカイマン、クロカイマン、フンボルトウーリーモンキーなど13種の生き物が絶滅しかけている。フンボルトウーリーモンキーは乱獲された。オセロットは美しい毛皮がアダになった。オオカワウソの皮は水を通さないので、防寒具として珍重された。ジャガーも滅多に目にすることはない。


テレビ番組「THE 世界遺産 ナスカ」

 2008年6月22日放送。1930年代、この上空をはじめて飛んだパイロットは不思議な絵を発見した。450平方kmに無数に点在する絵や紋様。そこにこめられた古代アンデス人の祈り。

●ナスカ
 ペルーの首都リマから南へ400km、内陸の砂漠地帯に地上絵が描かれている。モチーフになっているのは周囲に生息する生物でした。例えばコンドル、ペリカン、海藻、クジラ、シャチ、クモ(全長46m)、サル(全長110m)、ハチドリ(全長50m)など。読み解くのに苦労する絵もある。オウム、イヌなど。ペリカンは全長285mもある。広げた手を描いたような意味不明の絵もある。木などもある。
 では、なぜどうやって?1940年代から研究が開始された。ドイツ人マリア・ライヘは小屋を建て、半世紀に渡って研究した。彼女は地上絵を星座に見立て、ある種の天体図では?と思った。例えば、サルは北斗七星、クモはオリオン座など。しかし1980年代以降のコンピュータを用いた研究で無理があることが判明した。
 謎を解くカギは地上に残されていた。フマナ平原に入る許可をもらえた。線は幅10cmで、地上から見ているだけでは、どういう図柄なのかがわからない。クジラの一部だった。石をどけると下には白い砂地がある。これが上から見ると1本の線に見える。古代の人は石をどけ、石で縁取りをして線を描いた。
 地上絵が描かれたのは、今から1300年以上も前。渦巻きは、杭とヒモだけで描いた。線は基準点からの距離で描いてある。多くの絵が一筆書で描かれている。ポスエ・ラントス?博士は、当時ナスカにあったいくつかの集落の神では?と考えている。一筆書の細い道は人が歩くために道だったという。つまり歩く行為自体が神への祈りだったのだろうと考えた。つまり壁のない神殿だった。
 ナスカには直線や幾何学図形もたくさんある。よく見ると直線は動植物の絵の上に描かれている。後の時代に作られたのだろう。謎を解き明かすために、ナスカ時代の後期に作られた土器に注目している。
 唯一残る神殿遺跡、地上絵の周辺などからナスカ時代の儀式用の土器が見つかった。土器には地上絵と同じ、ハチドリやクモの絵を描いたものが数多くある。地上絵の周辺にあった土器はことごとく割れていた。意図的に割ったのだろう。子供のミイラが発見された。これから当時の食生活がわかる。ナスカの西にあるサンフェルナンド海岸から取れる魚、陸地の産物としてとうもろこしも重要だとわかった。平原に接する渓谷には当時の名残「地下水路」があった。これもナスカ時代に作られたもの。アンデスからの水脈をつきとめ利用した灌漑施設。
 バラバラに描かれたと思われた直線は、ある1点に集まっていた。こうしたポイントは60以上見つかっている。多くの場合、そこには石が積み上げられていた。ポイントは山の麓やかつて水が流れた形跡のある場所に見られた。人々はそこを聖なる儀式の場と定め、村村からその直線に乗って、その聖地を目指した。そして祈りを捧げながら、土器を1つ1つ割ったのだろう。
 ナスカの北西50kmのチチクタラの岩山には、地上絵のルーツとも言われる岩絵がある。岩に刻まれた人の姿は、祭祀を司る神官と考えられている。岩絵から巨大な動植物の巨大絵へ、そして直線へ。水への祈りだったのだろうか。ナスカの人々はここを捨て、アンデスから流れる川の上流へと移り住んでいった。それは西暦700年頃のこと。


テレビ番組「びっくり法律旅行社 マチュピチュ」

 2008年4月10日放送。児玉清、黒崎めぐみ、タカアンドトシさんが司会。森口博子、ビビる大木、森下千里さんが出演。

●リマ
 アルマス広場はセントロと呼ばれる旧市街の街並み。1988年、1991年に世界遺産に登録。16世紀のカテドラルは荘厳。入場料は大人10ソル(350円)。カテドラルの中では、軽いおしゃべりはOK、読書もOK、カメラでフラッシュ撮影はダメだがフラッシュなしならOK。露出度の高い服装や派手なものはダメ。飲食禁止、ペット禁止、泥酔者の入場は禁止。
 シェフのミゲル・アドルフォ・ベーレさんがペルーの代表的料理「セビーチェ」を紹介。ヒラメ、タコ、イカ、エビ、唐辛子、たまねぎ、香草、レモン、塩を鍋に入れて混ぜてできあがり。
 リマは夏は海水客で賑わう。ドミンゴさんはネコとサーフィンする。
 ペルーには観光・環境警察がある。インディアン・マーケットに行ってみた。ホセ・ポルトガレーロさんが解説してくれました。みやげ物と言って盗掘品を売っている人が時折いるので注意。文化財を許可なく国外に持ち出してはいけない。最高7万ドルの罰金。
 ペルーではコカが人気。コカの葉はコカインの原料。ペルーの空港ではお茶やクッキーまで売っているが、コカのものは日本には持ち込み禁止。違反すると7年以下の懲役もしくは最高3000万円の罰金または両方。

●クスコ
 リマからは飛行機で1時間のクスコに到着。標高3500mで、1983年世界遺産に登録。民族衣装の女性が時折いる。アトゥンルミヨク通りはカミソリの刃1枚も通さないという石壁がある。十二角の石がある。この壁に触ってはいけない。変色する可能性があるため。
 サン・ペドロ駅から列車に乗ってオリャンタイタンボに到着。インカ時代の灌漑用水路が今なお使われている。入口にある赤い風車みたいなものは、チチャというお酒があるという印。とうもろこしを発酵させて作る。飲む時のマナーは、少しこぼしてから飲むこと。大地の女神パチャママに捧げる。

●マチュピチュ
 2400mの山頂にあるために、貴重な動植物に会える可能性がある。真っ赤なペルーの国鳥カジート・デ・ロカス、ハチドリ、赤い花のワカンキ(You will cry)、ピンクの花のウィニャイ・ワイナ(Forever Young)。メガネグマはパディントン・ベアのモデルになった。
 ウルバンバ河を眺めながら、オリャンタイタンボから1時間半でマチュピチュ駅に到着。駅前ではお土産屋さんが並ぶ。温泉もある。
 確かに横になって見ると、マチュピチュの遺跡は人の顔になっている!バスで15分で遺跡に到着。トイレは1回1ソル(35円)で、遺跡の中にはトイレはない。荷物保管料は5ソル(175円)。入場料は122ソル(4270円)。石段を登るとリャマがいた。1983年に世界遺産に登録されたマチュピチュを一望する場所に到着した。
 太陽の神殿は直線が美しい。現在の技術をしても再現は困難という。その隣は王女の宮殿。水くみ場があるが、水の管理は徹底している。
 遺跡保全警察官のレネ・ママニ・キスペさんが案内。遺跡の中では、杖をつくのはダメ。先がとがっていなかったらOK。お化粧直しはOK。携帯電話はOK。食べ物はダメだが、飲料はOK。遺跡に上ったり、寝そべったりするのは禁止。タバコなどのポイ捨ても禁止。崩れる可能性のある場所への侵入も禁止。文化遺産に影響を与えた場合は、37.5万ドルまたは62.5万ドル、または最高で125万ドルの罰金。


テレビ番組「赤道大紀行」

 2008年1月26日放送。西村雅彦さんが旅をした。アマゾンからアンデスを越え、ガラパゴス諸島まで。中部日本放送製作。

●ロカ岬
 「ここに地果て、海始まる」500年前の大航海時代に多くの冒険家たちが目の前に広がる大西洋を越え、赤道を越えて新しい世界地図を書き加えていった。赤道を旅する。

●ブラジル・ベレン
 アマゾン河の玄関口。高層ビルも建ち並ぶ人口130万人の大都市。この日の気温は38度、アスファルトの上は50度を越える。街路樹としてマンゴーが植えてある「マンゴー並木の町」。落ちた実はそのまま食べるそうです。
 ベレンは1616年ポルトガル人が入植した街。目の前にあるのはアマゾン川の支流のガマ川。アマゾン川の面積は日本の19倍。支流は無数に枝分かれしている。
 魚が一同に集まるのがベレン名物のヴェロペーゾ朝市。珍しい魚がいっぱい。夜明け前から人ごみがすごい。ドラーダというのが多いが、なまずの仲間。ボドーは鎧なまずの一種。ペスカータはイシモチの一種。
 毎日お昼過ぎになると、突然スコールが降る。すぐやむのがわかっているので、誰も傘を持っていない。スコールは10分でやみ、マンゴーが落ちる。並木の下では屋台がオープンし、タカカというスープを売っている。420円。イモのスープに塩辛いエビが入っている。ジャンブーというしびれる野菜が入っている。

●メシアナ島
 飛行機で向かうと、巨大な川と熱帯雨林が見える。1時間で到着。アマゾン川の中州です。出迎えてくれたのは地元の青年ヴィラさん。乗物として用意してくれたのは水牛。世界最大のネズミであるカピバラをはじめ、数多くの野生動物が暮らしている。
 世界最大の淡水魚ピラルクは大きいのだと70kgくらいある。まず餌となる魚を取る。アカリという鎧ナマズの一種を捕まえたが、長さ30cm程度。次はタマタという鎧ナマズの一種などが数匹獲れました。ピラルクがいるという沼に向かった。臆病なので少しの音にも敏感なピラルク。長さ1m以上のが釣れましたが、逃げました。小さいけど重さ6kg長さ70cm程度のが釣れました。
 赤道の位置に行ってみた。
 満月の日は特別なことが起きるとこの地方の人は言う。早朝4時半に船で移動。アマゾンに昇る朝日を拝んだ。ライフジャケットを着て、すぐにスピードボートに乗り換え、下流の方向にある「カナル・ペリゴーゾ(危険な運河)」に向かう。ポロロッカが見られるという。これは満月と新月の日に津波のような波が起きる現象で、大逆流する。木をなぎ倒す。これを船に乗って逃げながら見ようという。ポロロッカとはインディオの言葉で「鳴り響く轟音」の意味。高さは3mを越す巨大な泥色の濁流が轟音と共に迫って来た。河口から300kmは遡るという巨大津波。

●アウテール・ド・ション
 河口から800km。ビーチパラソルなどが並ぶ砂浜がある。タバジョス川(アマゾン川の支流)で、透明度が高く、水中でも3m先が見える。

●サンタレン
 古くからアマゾン川を行き交う船の交通の要所として栄えた港町。人が多くの品を運ぶ。パイナップルの箱も50kgある。船の二階にはハンモックが並ぶ。アマゾン川の移動にはハンモックは必需品。心地よい揺れが眠りを誘う。
 この近くにも森林伐採の実態がある。木のない原野が続く場所がある。4年前まではジャングルだった。伐採された高級木材は世界各国へ輸出されている。そこに植えられているのは大豆。アメリカの巨大穀物会社がここに大規模な輸出基地を建設し、森林伐採の速度は加速した。

●マナウス
 さらに上流に向かった。アマゾン川の河口から1600km。人口170万人の高層ビルの街並みが突如現れる。この町が世界に誇る自慢の建物は、町の中心に建つオペラハウス「アマゾナス劇場」(1896年完成)。全ての建築材はヨーロッパから持ち込まれた。100年前に自動車が普及に、タイヤに必要な天然ゴムを求めて世界中から人々が押し寄せた。
 市内を流れるのはアマゾン川の支流ネグロ川。コーヒー色に近い色。川を泳ぐアマゾンカワイルカがいる。上流に行くと川の色が違う2つの流れがある。片方はコーヒー色、片方はソリモンエス川でカフェオレ色で濁っている。マナウスで違う2つの巨大な川が交じり合う。ネグロ川はエクアドルやコロンビアの水没林をゆっくり流れてくるので色が黒く透明に近い。ソリモンエス川はアンデス山脈から激しく流れ落ちる冷たい雪解け水。水温や流れの早さが違うので、色がくっきり分かれる現象が起きている。これは「ソリモンエスの奇跡」と言われている。測定してみるとネグロ川は28度、ソリモンエス川は22度だった。

●ペルーのイキートス
 河口から4000km。かつてはゴム景気で栄え、マナウスとは双子の町と呼ばれている。今までの南米の町とは雰囲気が全く違う。オート三輪が数多く走る。
 活気があるのはベレン市場。イモムシも食べている。おいしいそうです(笑)。野菜や魚、ワニの口?などもある。SVSSという飲み物は男性に元気をつける飲み物とか(笑)ジャングルに自生する7種類の植物などを蒸留酒に漬け込んだ精力剤。
 ここから船で上流を目指した。ここでは季節によって表情を変える。乾季と雨季では水位が10m違うとか。雨季では日本の本州ほどの広さの林が水没林となる。
 ジャングルを歩くとナマケモノがいた。サル、ワニなどがいます。ジャングルの奥地に昔ながらの生活をするというインディオがいるというので訪ねた。まず顔に墨を塗ってボラ族の印をつける。ボラとは「耳飾りをしない人々」の意味らしい。10数家族が自給自足の生活をしている。ユカというジャングルのイモで作った歓迎の飲み物をいただいた。聖なる葉を使ったお清めの踊りをしてもらった。祖父の時代には別の場所にいて、奴隷としてひどい扱いを受けたという。白人により村は襲われ、ゴム労働させられたそうです。ゴムを50kg集めないとムチで殴られ手足を切り落とされ、30kg集めないと容赦なく殺されたらしい。それが自分たちを虐待した人であっても「村を訪れた人は誰でも丁寧にもてなす」のが村のルール。

●アンデス山脈
 全長7500km、7カ国にまたがるアンデス山脈。標高4000mまでは車で一気に駆け上がる。景色が変化していく。標高2500mまでは段々畑が続く。それからは緑がなくなる。標高3800m、高原地帯が広がる。ここを抜けると雄大なアンデス山脈が姿を現した。4300mの地点。ペルー最高峰ワスカラン山(標高6768m)などが連なるコルディレラ・ブランカ(白い山脈)は世界で最も美しい風景の一つ。標高4000mを越えたところから、奇妙な植物を目にする。巨大なつくしが天に向かっているかのような姿。プヤ・ライ・モンディは数十年かけて成長し開花する。一度花を咲かせると必ず枯れるという謎に満ちた植物。高さは5−10m?。
 たどり着いたのは標高4200mのアンデスに囲まれた小さな村。平原が広がる。楽器の音色が響き、楽しそうな踊りの輪があった。結婚式らしい。新郎新婦は接待役で忙しく働いていました。ジャガイモ、スープ、クイの肉。クイはモルモットに似たネズミの仲間。
 標高4800mにアンデスの氷河がある。馬に乗り換え、標高5000mのパストルリ氷河まで移動する。周囲には何もない。馬で連れて行ってくれた人は、子供の頃は、馬に乗った場所まで氷河があったが、今はここまで退行しているという。あと10年持つかどうからしい。水がなくなると生活していけなくなるという。

●エクアドルのキト
 国の名前はスペイン語で「赤道」。キトはスペインの植民地時代に築かれた歴史ある街並みで世界遺産。標高は2850mで、赤道からわずか23km南だが、年間平均気温は13度。フルーツ王国としても有名。ジュース屋さんは大人気。
 世界遺産の街並みの中でも目をひくのは「ラ・コンパーニャ教会」で、南米で最も美しいと言われる。内部の装飾は全て金。160年の歳月をかけて作られ、使われた金は1トンとも言われる。キトは教会の建ち並ぶ教会の街でもある。
 赤道の場所に行ってみたら、立派なモニュメントが建っている。赤道記念碑はヨーロッパの測量チームが赤道を見つけたのにちなんで建てられた。地面には目に見えないはずの赤道がハッキリ刻まれている。でもGPSで見るとゼロじゃなかった。10分歩いたら本当の赤道に到達した。

●ガラパゴス諸島
 西に1000km、太平洋上のあるガラパゴス諸島は、火山の爆発で起きたいくつかの小さな島々からなる。独自の進化を遂げた固有の野生動物が数多く暮す野生動物の楽園。
 まず出迎えてくれたのは、ガラパゴス・アシカ。逃げません。リクイグアナなど平気で歩いています。ガラパゴス・ゾウガメ、アオアシカツオドリ、グンカンドリ、ガラパゴス・ペンギン、シュモクザメなど。海藻を餌にするウミイグアナは世界で唯一海に潜ることができるイグアナ。海で冷えた体を陸に上がったら仲間の所に戻って、集団で体を温めるという。
 ゾウガメのロンサム・ジョージは孤独です。人間に島の仲間を殺され、最後の1頭になった。ガラパゴスとはスペイン語でゾウガメのこと。多くのゾウガメが暮らしていた。19世紀に簡単に捕まえられて食料や油になるゾウガメを乱獲した。結果として3つの島でゾウガメが絶滅した。ガラパゴスの自然を守るために作られたダーウィン研究所は、ロンサム・ジョージを守り、ゾウガメの人工繁殖を行なっている。イボンヌ研究員は自然を守ることなどが課題だという。1978年の世界自然遺産の第一号に登録された。観光客が増え、動物が自分で餌を捕まえなくなった。空港と町を結ぶ道は舗装され、村は町へ変貌を遂げた。そして去年6月、ガラパゴスは世界危機遺産リストに加えられた。


テレビ番組「2007年12月の旅サラダは中島史恵さんでペルー」

 成田からヒューストン経由でペルーのリマにその日のうちに到着できるコンチネンタル航空で行きました。ペルーは日本の3.4倍の広さがあり、人口は2615万人。先住民インディアナ?とスペイン人との混血メスキーソ?が52%を占める。

●ナスカ Nazca
 首都リマから444km。アルゼンチンの南まで続くパン・アメリカン・ハイウェイを飛ばした。ナスカは1年中ほとんど雨が降らないコスタ?という海岸地域。誰もいない砂漠では、太陽の周りに虹がかかっていた。
 ペルーを出て9時間で到着。人口3万人の街。街の中心の公園には地上絵の像があった。絵や看板もあります。
 「ホテル・カンタヨ Hotel Cantayo Spa & Resort 」(住所:Hacienda Cantayo S/N −NAZCA, Peru、Tel:(51-56)522-264、Fax:(51-56)522-283)。広大な敷地を擁する砂漠の中のオアシスのようなホテル。女性オーナーはイタリア人のルチア・サバディン・デストロ Lucia Sabadin Destro さん。ベネチアに自宅があるが、1年の半分をこのホテルで過ごすという。庭のピンクの木にはハチドリ?がいた。白い壁のホテルで、調度品は世界中からルチアさん自身が集めたそうです。エグゼクティブ・ルームはUS$250で、天蓋付きのベッド。他にもダブル$175、トリプル$220、スイート$300などがある。
 滞在するお客に開放されている1万平方mの庭。動物好きなので、ダチョウまで飼育している。孔雀は放し飼い。

 地上絵が存在する450平方kmのナスカの大平原。1939年に発見された。空から地上絵を見る。セスナは「Aero Condor」(住所:Panamericana Sur Km,447 Hostal Nido del Condor、Tel:(51-56)25-6230、予約:(51-1)614-6014、営業時間:月〜金 8:00〜20:00、土 8:00〜18:00、日 8:00〜14:00)。今回のパイロットはマヌエル・モラレス Manuel Morales さんで、格好よくて腕利きです。料金は一人US$120で、空港税が別に10ソル(約360円)かかる。
 まずはコンドル(全長136m)、サル(110m)、クモ、ハチドリ、宇宙飛行士、クジラ、木などの動物、魚、虫、植物などは30個。線と幾何学模様などは300個。絵の大きさは10mから大きなものは300mある。滑走路と呼ばれる絵のところでは着陸するかのように低空飛行になりました。ナスカの地上絵は紀元300−800年頃に描かれたと推定されている。
http://aerocondor.com.pe/new/z_default.asp

 ナスカの北、数十kmパルパにも地上絵がある。150平方kmに渡って、「パルパの地上絵」がある。帽子をかぶった人、日時計などナスカよりもさらに古いのではないか?といわれている。

 ミラドールに登れば地上からも絵が見えます。料金1ソル(36円)。牛が見えました。地上絵は石をどけて白い地面を出すだけで描かれています。地上絵を石に描いている人がいました。1つの絵につき3ソル(108円)。彫刻師はエクトル Hector さん。30年以上ここで地上絵を彫っています。営業時間は8:00〜18:00、休みなし。

●サカコ
 南に100km。砂漠の中に「Museo Sacaco 」と書いてある看板があった。さらに車で中に入っていくと小さな建物があった。オーナーのカルロス・マルティン Carlos Martin さんが開けてくれた。「クジラの化石博物館 MUSEO de SITIO "SACACO"」(住所:Carretera Panamericana KILOMETRO 546、Tel:(51-54)488-800、営業時間:7:30〜18:00、休み:なし)で、入館料は5ソル(約180円)。
 ここにはクジラの化石がある。生きていたのは500万年前。当時ここは海の底だった。化石は100年前にスペインから渡ってきたオーナーの祖父が、この場所でオリーブ畑を作ろうとした時にでてきたもの。他にもサメの歯や貝の化石なども出土している。建物の外にもプランクトンやサメなどの化石がゴロゴロしています。
 ここから1時間南に走ると海が見えてきた。鳥の群れが海岸線に沿って飛んできました。


●アレキパ
 リマから南東に1030km。アンデス山脈の麓シエラという山岳地域に属する標高2400mの世界遺産の街。周りにはチャチャニ山(標高6075m)、ミスティ山(標高5822m)がある。人口90万人のパルー第二の都市。旧市街地区は2000年に世界遺産となった。1612年に建てられたローマ・カトリック教会のカテドラルの前にはアルマス広場がある。
 ヨーロッパ風の建物が並び、壁は白い。アレキパの別名は「白い町」。壁は火山岩で作られているから白い。雨も少なく、太陽の照り返しでより白く輝く。
 「サンタ・カタリナ修道院 Monasterio de Santa Catalina 」(住所:Calle Santa Catalina N:301 Cercado-Arequipa、Tel:(51-54)229-798、営業時間:5:00〜17:00、火・木は8:00〜20:00 )。料金は一人30ソル(約1100円)。アルマス広場から2ブロック離れている。1579年に建てられて以来、多い時で500人の修道士・修道女たちが暮らしていた。修道女は裕福な家庭の女性が多かったらしい。洗濯場には面白い工夫がある。今でも25名くらい修道女がいるそうです。

 修道院の近くのケーナスに行く。ケーナスとは民族音楽を楽しむことができるレストラン。ここで民族料理とフォルクローレを堪能する。「ラス・ケーナス Las Quenas 」(住所:Santa Catalina 302、Tel:(51-54)281-115 or (51-54)206-440、営業時間:10:00〜翌1:00、休み:日曜)で、フォルクローレが聞けるのは20:00頃〜翌1:00。カクテル「ピスコ・サワー Pisco Sour 」8.5ソル(310円)は、ブドウのリキュール「ピスコ」に卵白、レモンを混ぜてシェイクしたもの。ペルーの名物です。スープ「ソパ・ア・ラ・クリオヤ Sopa a la Criolla 」9.5ソル(350円)は、ミルク風味で優しい味。牛肉、たまねぎ、トマト、半熟卵、「天使の髪の毛」と呼ばれる細い麺が入っている。ジャガイモとロコトという大きな唐辛子の料理「ロコト・レジェーノ Rocoto Relleno 」11ソル(400円)。ソースは卵とチーズを茹で合わせたもの。牛肉、たまねぎ、トマト、オリーブの実が入っている。ケーヤクーナ(働かない人)という6人組のグループがフォルクローレを演奏してくれました。彼らは週に2回演奏するそうです。CDも出しています。

●カバナコンデ
 ガイドはイグナシオさんで、アレキパから車で5時間、コンドルを見るために、標高5000mのコルカ渓谷に向かう。標高4000mにさしかかった時に珍しい高山動物を発見した。ビクーニャは標高4000−6000mの高山にしか生息しないラクダの仲間。細くて柔らかい毛で覆われている。標高4200mの小さな休憩所で、高山病の予防のためにコカ茶をいただいた。2ソル(72円)。ペルーでは日本のお茶のように日常的に飲まれている。チャチャコマはコカ茶に優しい香りを加える。休憩所に白いアルパカの群れがいました。羊、牛、ロバなどをあちこちで見ました。夕方やっとコルカ渓谷に近いカバナコンデという小さな町に到着した。コンドルが飛ぶのは早朝。広場にはコンドルの像がある。
 宿泊は広場からすぐの小高い丘にある「クントゥル・ワシ Kuntur Wassi Colca Hotel 」(住所:Street Cruz Blanca 195-197, Cabanaconde-Caylloma-Arequipa-Peru、Tel:(51-54)812-166 )のオーナーはマリア・レアテイ Maria Reategui さん。ホテルの名前はケチュア語?で「コンドルの家」という意味。部屋の入口に大きな石がある。今回はスイートで1泊朝食付きでUS$70。お風呂はロウソクをつけて入るもの。他にもシングルは$40、ダブルは$50、トリプルは$60、Matrimonial は$50です。

●コルカ渓谷
 コバナコンデから車で30分。朝6時にやってきた。谷底まで3000mあり、コルカ渓谷はグランド・キャニオンよりも深い。7時過ぎにコンドルが谷底から上がってきた。黒と白で翼を大きく広げて旋回します。羽根を広げると3mにもなるとか。中島さんは感動しました。
 お土産を探していると、アレキパで出会ったケーヤクーナのメンバーと出会った。中島さんのためにここで演奏するために来たそうです。コンドルは飛んで行くを演奏してくれました。その時コンドルが空を舞っていました。


●クスコ
 標高3400mの街。インカ帝国の都だった。15世紀半ばから16世紀前半に、現在のコロンビアからチリ北部まで南北4000kmの地域を支配していた。第9代皇帝ハチャクティが君臨した16世紀初頭、栄華を極め、クスコの町は黄金であふれていたという。1534年スペイン軍の侵攻によりクスコの町は破壊され、インカ帝国は滅亡し、スペイン風に街は変えられた。1983年世界遺産。ロレト通りは破壊を免れた石組が残っている。サント・ドミンゴ教会(コリカンチャ)はスペイン人により作り変えられたもので、元々はインカの神殿だった。インカ帝国をしのぶ新しいモニュメントがある。インカで神聖とされたピューマ、ヘビ、コンドルが描かれている。

 宿泊は5つ星の最高級ホテル「ホテル・モナステリオ Hotel Monasterio 」(住所:Calle Palacio 136, Plazoleta Nazarenas, Cusco, Peru、Tel:(51-84)241-777、予約番号:(51-1)610-8300 )。1595年に建築された元修道院。貴重な建築物で、改築などには国の許可が必要。最高級の部屋は別棟にある。離れですね。プレジデンシャル・スイートは1泊朝食付きでUS$1025。修道院時代は図書館だったとか。縦長に部屋が並んでいます。部屋には1日30ドルで酸素が噴出すサービスもある。それで標高が1000m下がったのと同じ状態になれるそうです。シングルとダブルは$435〜、ジュニア・スイートなどは$560〜。他にもロイヤル・スイート$1240もある。

 夜、街を散策した。屋台がありアンティクーチョ Anticucho というペルーを代表する串焼きみたいなのがある。1ソル(36円)、大きいので2ソル。牛の心臓だそうです。ペルー原産のじゃがいもと一緒にいただく。

 クスコ北部。巨大な石がジグザグに360m続いている遺跡「サクサイワマン遺跡 Saqsaywaman 」がある。入場料は一人40ソル(1500円)。石は巨大なもので高さ5m、360トン。使われた石は90km離れた場所から運ばれたそうです。車輪を持たなかったインカの人々がどうやって運んだのか?この遺跡は1日3万人を動員し、完成までに80年を要したという。

 郊外には畑がモザイク模様になっている。ジャガイモ、とうもろこしの畑。インカの時代から自然の中に神様が宿ると信じていた。
 ワイポ湖はペルーの中でも神聖な場所として名高い。クスコ周辺にはクランデーロと呼ばれる呪術師が多く住んでいる。今でもクスコの人たちは何か困ったことがあったり、叶えたい願いがあるるとグランデーロに祈ってもらう。グランデーロのセサルさんに祈ってもらった。まず今までしてきた悪いことを思い起こして反省しなさいと言われた。祈りは大地の神パチャママに捧げる。祈りは個人的な願いの前に、世の中の全てがよくなることを祈る。自分を見つめなおし、世の中のことを考える。ワインを大地の神に捧げ、祈りは終った。

●オリャンタイタンボ
 クスコから車で2時間の小さな村。インカ帝国時代の要塞ともいわれていて、インカ時代の水路が今でも使われている。マチュピチュを思わせる段々畑の遺跡が目の前にある。隠れた観光スポットでもある。
 幼稚園 Institucion Educativa Inicial 654 に行ってみた。アルマス広場から歩いて5分。オリャンタイタンボの遺跡が目の前に見える。園長先生はエルネスティーナさん。3〜5歳の子が学んでいる。インカ時代に残っている建物をそのまま使っている。


●マチュピチュ Machu Picchu
 クスコからアグアス・カリエンティスまで Peru Rail で向かう。料金は往復で1人US$113。3時間40分かかります。中島さんは中間のオリャンタイタンボ駅から乗車。
 ここからバスで30分。料金は1人US$12。このアグエス・カリエンティスの村は夜遅くまで賑わっている。街にはパチャクティの像がある。
 朝一番5時30分のバスに乗り、つづら折の道を登る。観光客は世界中から集まっている。入園料は、1人120.5ソル(4600円)。入って山を15分登る。目の前にマチュピチュが見えた。
 16世紀にインカの都市は多くが破壊されたが、ここは破壊されずに残った。発見されたのは1911年。インカの人は文字を持たなかったので、各建物の作られた理由はわからない。インティワタナは日時計と言われている。3つの窓の神殿。太陽の神殿の下は一枚岩でできている。石臼の部屋。生け贄を使った儀式の場所、コンドルの神殿。
 野生のリャマが住んでいる。珍しい植物もある。チョクロチョクロ、アチョクチャ、赤いチンプチンプ、ピンク色のベゴニア。天候は変わりやすく、急に雨になりました。ミステリアスです。雨の後は信じられない光景が待っていた。霧の中からマチュピチュがでてきました。空中に浮かんでいるという感じがしました。

●リマ
 人口720万人の大都会。1532年にインカ帝国は滅びた。その中心人物フランシスコ・ピサロ。インカの都市をことごとく破壊し、スペイン風の建物を建て、リマを首都とした。カテドラルには部下に暗殺された彼が眠る。
 「カテドラル Catedral 」(住所:Jiron Carabaya cuadra 2 s/n、Tel:(51-1)427-9647 )。入場料は一人10ソル(380円)。


テレビ番組「世界の絶景 新世界七不思議」

 2007年12月30日放送。世界七不思議は定義は曖昧だったが、2007年7月7日に新世界七不思議財団により、全世界から1億票の投票で新世界七不思議が決定した。ペルーのマチュピチュ、メキシコのチチェン・イッツァのピラミッド、ヨルダンのペトラ遺跡、インドのタージマハル、イタリアのコロッセオ、中国の万里の長城、ブラジルのコルコバードのキリスト像。新世界七不思議財団のバーナード・ウェーバー会長が説明してくれました。
 司会は内藤剛志、久本雅美さん。審査員は橋田壽賀子、優香、さまぁ〜ず、船越英一郎、ベッキーさん。フジテレビ製作。

●タージマハル
 350年前、22年の歳月をかけて建てられたお墓は世界一美しいといわれている。全て大理石、2万人の職人が集められた。いたる所に金や宝石が施され、国が傾くほどの総工費だった。たった一人の女性のために建てられたお墓。
 成田からはデリーにJALが毎日飛んでいる。10時間の旅。ここから南南東へ車で9時間でアグラ Agra に到着する。酒井敏也、田中要次さんが旅をして、スワッティーさん(19歳)が案内。
 まずは東門。敷地面積5万坪。東京ドーム4個分。2つ目の門をくぐると見える。この正門も立派です。通りすぎるとタージマハルが遠くにある。荘厳。
 皇帝シャー・ジャハーンが36歳で亡くなった愛する妻ムムターズ・マハルのために建てたお墓。高さ65mのドームを中心に左右対称になっている。建築の際には、イタリア、フランスなどから職人が集められた。アーチには楽園をイメージした花が細やかに装飾されている。
 この白さを守るために、1500m以内は車では入れない。

 黒いタージマハルがあるという。デリーは人口1300万人。ここで情報を集める。ヨガをしている公園でヨガを体験。サロ・ジャニ・ナガル・マーケットの市場に行ってみた。インドのお札には17種類の言語で金額が書かれている。タージ・パレス・ホテルのマネージャーのカランジット・シンさんから話を聞いたところ、「アグラのタージマハルを建てた石彫り職人の末裔がそう言っていた」という。

 アグラに行って、職人に会い、妹さんに案内してもらった。小さな集落を抜けて15分車で走り、さらに林の中を歩く。夕陽の中に黒く見えるタージマハルが見えました。
 皇帝は自らの墓として対岸に黒いタージマハルを建てようとしたが、願いは反対されて叶わなかった。

●ヨルダンのペトラ遺跡
 ペトラはギリシャ語で岩を意味する古代都市。紀元前に築かれたという。長い間、世間から忘れさられていた。インディ・ジョーンズ「最後の聖戦」で宝が眠る神殿として使われた。ここに住んでいたのはベドウィンと呼ばれる砂漠の民。今もラクダや羊を放牧する生活を送っている。
 首都アンマンまではドバイを経由して成田から15時間。要潤さんが旅をして、ベドウィン族のサーレムさん(34歳)が案内。国土の8割が砂漠というヨルダンを車で1時間走る。目の前に死海が広がる。生物が住めない死の湖。広さは琵琶湖の1.5倍。要さんは泳いでみた。水温20度。普通の海の塩分は3%だが、ここは30%。波うち際には塩の結晶がある。

 3時間で岩山が見えてみた。岩だらけ。どこに遺跡があるかわからない。シク(割れ目)というペトラの入口がある。これが1km続く。高いところだと100mあるそうです。昔は川が流れていたためらしい。
 そしてペトラ遺跡エル・ハズネ El Khazneh が目の前に見えた。ビル10階建の高さがあり、紀元前1世紀頃にかつてこの地に住んでいた砂漠の民が作ったもの。エル・ハズネはアラビア語で宝物殿という意味。しかし宝の形跡は全くなかった。中央上の柱に小さな穴がある。盗賊が銃を撃った跡らしい。
 さらに奥にはまだいくつもの遺跡群がある。王家の墓(1世紀〜2世紀頃)。まだ発掘中のものも多く、謎が多い。最大の謎は「雨が年に数日しか降らない場所で、なぜ高度な文明が栄えたのか?」。
 崖に沿って溝が通っていた。これは水道管だった。町の外の6km先の泉からひいていたそうです。
 ろばにのって絶景を観にいく。階段をろばが登る。次は崖の横をろばが通る。1時間降りて、ここから歩く。1時間後、特別な場所に到着した。高いところからエル・ハズネが見えました。

●久本が選ぶロマンチックな絶景
 イタリアの青の洞窟。ネパールのエベレストを独り占めできるホテル。モナコの世界一セレブな絶景。スウェーデンのダイヤモンド・ダストが降り注ぐアイス・ホテル。ドイツの世界一ロマンチックなお城ノイシュヴァンシュタイン城。フィリピン・エルニドの誰も知らない秘密のビーチ。アイスランドの10年に1度の奇跡のオーロラ。

●メキシコのチチェン・イッツァのピラミッド
 ギザのピラミッド以外にも、先の尖ったものとしては、スーダンのゲベル・バルカル、イランのチョガ・ザンビール、ミャンマーのバガン、メキシコのティオティワカン、グアテマラのティカルなどがある。
 メキシコ周辺で4世紀〜10世紀頃に最も栄えたマヤ文明の遺跡。非常に高度な天文学の知識を持っていた。天文台の遺跡エル・カラコルがあり、非常に精密な暦を作り出した。
 日本からはカンクンまで15時間。上原多香子、紺野まひるさんが旅をして、グスタボ・フラボソさん(32歳)が案内。カンクンは白い砂のビーチとカンクン・ターコイズブルーのカリブ海。
 チチェン・イッツァまでは車で2時間半。ジャングルの中の1本道を飛ばす。遺跡の手前からは歩いて到着。
 何のために作られたのか?マヤ文明の神を祀る神殿だった。階段の一番下にはヘビの頭がある。ククルカンという神で、穀物の豊作を願った。頭しかない。階段は2年前に観光客が転落事故をして登ることが禁止された。特別に許可をもらい、角度45度の階段を登った。階段の段数にも秘密がある。91段あり、4つの階段があるから、364、これに最上段の1段があり365となる。18回の段差はマヤ文明の1年の月を表している。最上段から見たジャングルは絶景。
 秋分の日と春分の日に見られる秘密がある。エンカデナTV局のプロデューサーのダビ・コロナさんに貴重な映像を見せてもらった。ククルカンのヘビの姿が現れていました。これを見てマヤ人は種まきの時期を知ったそうです。

●コロッセオ
 2000年前に皇帝は民衆の支持を得るために、巨大な競技場を作り民衆を楽しませた。
 日本からはローマまで12時間。三船美佳、スティーブン・セキルバーグさんが旅をして、マルコ・ベルッティさん(38歳)が案内。コロッセオは元は白かったが、排気ガスで黒く見えるとか?中に入る。今は床がなくなっているが、当時は砂の床があり、アレーナと呼ばれていた。地下には剣闘士の収容施設や猛獣と剣闘士を地上に運ぶエレベーターもあった。トイレがないのも謎です。
 町に出る。スペイン広場。「ローマの休日」では男性が腰をかける前の時計台の時刻は2時40分だが、腰をかけた後は5時になっている。
 三船さんは18年前の7歳の時に家族で行ったレストラン「サバティーニ」に行った。オーナーのスルベストラ・サバティーニさんに会った。「手長海老のブリュレ」をいただいた。
 コロッセオの夜景。ライトアップされてきれいです。

●内藤が選ぶ困難の後の絶景
 バヌアツの青く輝く神秘の湖は、ラピスラズリが溶けたもの。アルゼンチンの崩壊する巨大なペリトモレノ氷河。スイスのアルプスの超パノラマをパラグライダーで体験。ロシアのカムチャッカ富士のイリンスキー山は、クマの群れの中を通ってみる。気象の変化が激しく滅多に全貌を見せない。ボリビアの天空4400mのエメラルドの湖ラグーナ・ベルデは、銅が溶けているため。ベネズエラのエンジェル・フォールの落差は979m。水は霧になってしまい、滝つぼは存在しない。

●万里の長城
 2500年かけて作られた全長6000kmの長城。騎馬民族の侵略を防ぐために作られた。東の果ての関所は山海関で海になっている。西の果ては川で終っている。年間観光客は1000万人以上。誰もいない万里の長城もある。
 成田から北京まで3時間。川合俊一、misonoさんが旅をして、殷銘さん(40歳)が案内。
 まずは八達嶺長城に行く。入場料45元(720円)。ロープウェーは片道40元(640円)。人気の理由は、1952年に最初に観光地化され、修復されて整備が進んでいて、北京から車で1時間のところにあるから。まずは北八楼まで行った。人が多いので、絶景とはいえないようです。一番人気は長城記念マグカップ40元で、写真を撮って、それを貼ってくれます。
 東に10km、山の中へ進んで行く。門番がいて説明して通過する。アジアを代表する建築家達が設計したリゾートホテルがある。一番人気のコテージは日本人による竹屋。吉永小百合さんのシャープのアクオスのCMで使われた場所でした。1泊料金は45万円。敷地内に長城があり、宿泊者以外は立ち入り禁止。
 午前6時に出発。マイナス9度で朝8時までに山の頂上に行く。がんばれ、は中国語で加油(チャーユ)。到着した。長城の人が歩いている部分には草木が茂っていました。修復前の長城で、誰もいない。さらにその向かいの山に絶景があるという。がれきの山を越えて8時までに到着。どこまでも続く絶景が見えました。

●マチュピチュ
 インカ帝国は15−15世紀に栄えた南北4000kmの大帝国。言語の違う80の民族、人口1000万人を50年で統一した。鉄製の道具がないので、全て石製のもので石を切り出し、車輪を持たないので、人力で山の上に運搬した。何故この場所に都市を作らないといけないのかわからない。インカ帝国は文字を持っていなかった。
 保坂尚希さんが旅をして、マチュピチュをさらに高い場所から見た。マチュピチュはコンドルの形をしている。人間の無限の力を見せた遺跡でした。

●ブラジルのコルコバードのキリスト像
 南米で最も有名な建造物。日本人は見たいという希望者は少ない。リオ・デ・ジャネイロのコルコバードの丘に建つ高さ30mの巨大な像。年間180万人の観光客が訪れるという。何のために建てられたのか?
 80年前にブラジル独立100周年を記念して建てられた。大量の石材をフランスに送って作った。それが分解され、また戻ってきて建てられた。のべ5年間かけて建設された。腕の部分を命綱をつけないで掃除することが、18年前にあまりにも危険なので中止された。


テレビ番組「びっくり法律旅行社 世界一周の旅スペシャル」

 2007年12月28日放送。児玉清、黒崎めぐみ、タカアンドトシさんが司会。井上順、麻木久仁子、高橋ジョージ、三船美佳、高田万由子、金子昇、ザ・たっちさんが出演。NHK製作。

●ニューヨーク
 条例10条−125項「公共の場での飲酒の禁止に加え、飲む目的があると思われる口の開いた容器に入ったアルコールを持ち歩くことが禁じられている。」。違反した場合は最高25ドルの罰金。
 条例24条ー218.1項「公演会場での携帯電話使用を禁止」。ミュージカルなどの劇場では切らないといけません。最高50ドルの罰金。
 スタテン島フェリーは無料で自由の女神を見ることができる。しかし、船の中などで音楽を聴いている場合、条例24条234項では「イヤフォンからの音声が5フィートを越える距離でも明白に聴こえる場合、あらゆる高速鉄道、バス、フェリー上、もしくは同輸送の手段内部での音声再生機器の使用および利用は違法とする。」。違反した場合は70−175ドルの罰金。
 樹木を傷つける行為も違反です。

●ハワイ
 ホノルルでは歩行者の事故がとても多い。Jウォークする人が多い。ミッチ・オノ巡査部長は、ハワイでは「歩行者は横断歩道以外のいかなる場所においても横断してはならない。」というハワイ州議会制定法291C−73があるという。信号が赤の場合ももちろん禁止(同291C−33)。違反した場合は130ドルの罰金。
 ビーチでは日本人が危機管理がおろそかになっている。泳ぎに行っている間に、置き引きされるケースが多いそうです。
 飲酒またはアルコールを買う場合、21歳以上の年齢に達していなくてはならない。公園(ビーチを含む)公共の遊び場、学校の運動場などでアルコール飲料を所持してはならない、というホノルル市現行制定条例第40−1.2もある。最高1000ドルの罰金または最高30日の禁固刑です。
 「ビーチではコートがない場合は、ボール遊びは禁止」だとマーカス・ランスバーグ弁護士は語る。あと子供の管理が甘いそうです。アメリカでは常に子供を監視しておかねばならない義務がある。こんな例もあったそうです。子供が寝てから夫婦でバーで飲んでいて、子供が両親がいないというのでホテル内で泣いていた。警察に連絡されて、夫婦は逮捕されたそうです。ハワイ州現行制定法第709−904では、「親保護者は子供の安全を守る必要がある。子供を残して遠くへ離れるなど、危険な目にあわせることは違法である。」。
 市長のムーウィー・ハンネマンさんが歓迎の話をしてくれました。

●アルゼンチン
 仕事おさめの日に窓から不要になった書類をばらまく。市の職員が清掃するのがたいへんだとか。

●ペルー
 黄色いパンツをはいて新年を迎えるといいというので、みんな購入する。

●香港
 弁護士の陳忠輝さん。法令第1328C章では、「公園内のベンチ及び建物内において寝そべったり、横になることは禁止」。違反すると禁固2週間、または最高2000香港ドル(3万円)の罰金。

●北京
 毎月11日を「きちんと並ぼうデー」と決めて、列を作っている。トイレも清掃員が常駐しているところもある。紙も1元(15円)で市販している。「文明北京人」というマナーブックも市販されている。
 弁護士の王さん。新しい法律ができたそうです。北京市観光条例第34条「都市の道路あるいはガードレール、電信柱、木、等に洗濯物や他の物をつるすことは禁止」とある。違反すると20−50元の罰金。
 北京市天安門広場管理条例第7条では、「北京市天安門地区管理委員会の許可がなく、自動車、自転車、人力三輪車などの進入、横断は禁止。」。違反すると20元の罰金になります。
 ガソリン・スタンドでは、携帯電話の使用が禁止されている。北京市ガソリンスタンド管理規範代73条では、「携帯電話の電波が原因で、誘発事故が起こる可能性があるため、ガソリン・スタンド内での携帯電話の使用は禁止」となっている。違反するとスタッフから注意されて、他の場所へ移動するように要請される。


テレビ番組「謎の文明 神秘の至宝 インカ、マヤ、アステカ」

 2007年7月16日放送。8年前アンデス山脈でミイラが発見された。まるで眠るような姿。かつてアンデスで栄えた文明の様子がわかってきた。今から500年前、中南米には3つの文明があった。インカ、マヤ、アステカ。蘇った至宝からその文明を探る。NHK製作。

●ペルーのケウエ村
 毎年村人総出で巨大な綱を作る。断崖にかけたつり橋を修復するため。ここに初めて橋を渡したのはインカ。15世紀にインカ道を作った。マチュピチュから続く断崖絶壁。インカ道で使われたのはキープと呼ばれる縄の束。文字を持たないインカでは、結び目の数や位置で実情を皇帝は入手した。また食料も行き来した。各地に貯蔵庫があった。
 砂漠で発見されたのはミイラ。

●マヤ
 2000年に渡って栄えた。70ほどの都市国家が作られた。チチェン・イツァーには王がまつりごとを行なったピラミッドがそびえる。3月21日にはマヤがピラミッドに施した壮大な仕掛けを見るために多くの人がやってくる。夕陽を浴びて大蛇ククルカンが姿を現した。これで正確に春分の日がわかった。まもなく雨季が来るので、農民は種を撒いた。
 マヤの古代都市ティカルで発見された王の墓にはおびただしい数の宝が埋められていた。ヒスイはマヤ全土の都市国家から発見された。貝を使った装飾品も見つかった。密林の中に都市を作った人々が互いに共存しようした姿が見える。

●アステカ
 メキシコシティーの中心にある教会の地下からアステカの中央神殿(テンプロ・マヨール)の跡が見つかった。14〜16世紀に繁栄した。元々湖だった場所に都を築いた巨大な王国だった。メキシコシティの郊外に当時の面影を残す場所がある。一面に見える畑はかつてアステカが湖の上に作った人工の農地。湖の上に草を敷き詰め泥を積み上げて造成した。泥は良質の肥料となり、今でもとうもろこしなど大きな収穫をもたらしている。
 近年の調査で、アステカでは中央神殿で人々がある儀式を行なっていたことが明らかになった。生け贄の心臓を取り出し、動いている状態で太陽の神に捧げた。当時太陽は命のエネルギーで動いていると信じられていた。生け贄になったのは捕虜だった。
 神殿にはチャックモールという像が残されている。神の使いで、その手に抱えた器に供物を捧げた。神殿で発掘された美しい壷「トラロック神の土製壷」は雨の神様をかたどっている。豊穣神の像には豆やとうもろこしの装飾が施されている。


テレビ番組「NHKスペシャル 失われた文明インカ・マヤ」

 2007年7月8日放送。

●マチュピチュ
 ペルーの山にはウッフという名の精霊が住むという。100年前、精霊に導かれるように探検家ハイラム・ビンガムが山を登った。黄金が眠る伝説の街を見つけるためだった。不思議な遺跡を見つけた。500年前に栄えたインカの都市マチュピチュだった。数ある世界遺産の中で最も美しいと言われる。標高2400m、迷路のような石の町が山頂に1kmばかり続いている。
 インカは四大文明と異なり山の上に文明を築いた。今のペルーを中心に南北に4000kmの広大な領域、言葉の違う80の民族をわずか50年で統一した。山々で分断された場所をどうして統一できたのか。

●クスコ
 マチュピチュの東に80km。標高3400の町クスコがインカ帝国の中心だった。15世紀にここに石積みの首都を築いた。100年後にスペインに征服された。インカには鉄も文字もない。インカ出身の画家ワマン・ポマの「新しい記録と良き統治」にはインカの暮らしを500枚の絵で再現した貴重なもの。1000万人いたが、飢えで亡くなる者はなかったという豊かな国だった。

●マチュピチュ
 15世紀に突如出現した。500mの断崖に立つ空中都市。建築したのは第9代皇帝パチャクティで、インカ皇帝の冬の都と言われ、皇帝は冬にこちらに移った。石はハンマーと青銅ののみだけで加工された。トレオンのところに皇帝は住んでいた。ここで重要な儀式をしたという。石の下に階段があった。まだ発掘は続いている。彼の暮らしもだいぶ判明してきている。
 考古学者のアルフレド・バレンシアさんが説明してくれた。当時は石の上に赤い漆喰が塗られ、わらぶきの屋根で覆われていた。およそ1000人が暮らす街だった。

●ケウエ村
 東200kmに険しい谷と山に囲まれた村がある。村人は断崖につり橋を架けて行き来してきた。毎年綱を張り、痛んだ橋を架けかえてきた。15世紀、こうした言葉も違う村をインカはつないでいった。インカ道を築いていった。

 マチュピチュにも、このインカ道が作られていた。断崖の途中に幅80cmのインカ道があった。インカはあらゆる手段で他の街とマチュピチュをつないでいた。調査隊を率いるアルフレド・モルモントイさんはうずもれたインカ道を掘り出した。土台に段を刻んで滑らないようにしていた。また水はけをよくする技術もあった。全部で8本の道があったと確認されている。また首都クスコを中心にも作られていた。インカ道は人が越せなかった6000mの山も越えた。インカ道の総延長は4万km。これがインカ帝国が栄える基盤となった。

●マラス村
 マチュピチュとクスコの間のインカ道の村。どういう物資を運んだかというと、ここに手がかりがある。村の長老パウリーノ・シンチロカさん(77歳)は最後のインカと呼ばれている。標高3500m。昼は30度弱、夜は氷点下。インカ第二代皇帝がシンチロカといった。石を支配する者という意味。
 謎めいたインカの「モライ遺跡」は円形。農業の儀式をした場所と考えられている。一面白の不思議な世界は「マラスの塩田」。山で取れる塩は貴重な資源だった。塩、薬草、金銀などが運ばれた。情報を届けるルートでもあった。10km毎に宿場があり、飛脚チャスキが置かれていた。1日に280kmを駆け抜けた。キープという縄目で伝言を伝え、キープカマヨクが読んだ。
 今も物々交換の市が立つ。シンチロカさんも甕を買った。市を見下ろす丘の飢えにインカ時代の物流センター「コルカ」(貯蔵庫)が建設されている。腐らさない知恵があり、5−7年は貯蔵できたので、飢饉の時も飢えからしのげた。「奪って豊かになるのではなく、与えて豊かになる」。パチャクティはそれまで紛争が多く、土地の拡大ができなかった土地で、食料などを与えて味方を増やし、インカは拡大した。パチャクティは1471年王座を子に譲った。

●食料
 食料を確保するために、精霊ウッフに対して祈りを捧げる。現在でもウッフの姿をして、お互いに縄で打ち合う儀式がある。痛みにより食料を得るというものである。
 クスコ文化庁ではインカの人骨を保管している。骨の調査で住民の健康状態や食料状態がわかった。健康状態は完璧に近かったようです。
 マチュピチュの下にインカの段々畑アンデネスが掘り起こされた。断崖を農地にしていた。500年前の水路も復活した。この畑では20種類の作物が作られていたことがわかった。アンデス原産のトウモロコシ、唐辛子、トマト、ジャガイモはその後世界の食料を変えた。
 高さ200mのアンデネスが現存し、今でも農作物を作っている。気温は上下で5度以上違うという。違う種類の作物を同時に作っている。上はジャガイモ、下はとうもろこしなど。
 調査隊はインカが自然の変化を観測した場所を発見した。マチュピチュでも見つかっている。半円形のトレオンにも太陽観測の跡がある。いつ種まきをして、いつ収穫するかがわかった。

●スペイン
 1532年スペインの船が出現した。上陸した168人のスペイン人はインカ道とたくさんのコルカに驚いた。4000人の皇帝を守る親衛隊も半分が鉄砲で死んだ。囚われたのは、パチャクティのひ孫アタワルパ。スペイン人は金6トン、銀60トンを奪い、アタワルパを処刑し、インカ帝国は滅びた。

●マチュピチュ
 水路が土器でふさがれていた。スペイン人が攻めてくることを考えて、この町を放棄したのだろう。
 下にアンデネスがどんどん見つかっている。マチュピチュはかなり大きな都市だったことがわかってきた。


テレビ番組「プレミアム10 地球と出会う旅、体感!これがエコ・ツアーだ」

 2007年6月1日放送。地球を体で感じる旅。ガイドに誘われ砂漠やジャングルを歩く。NHK製作。

●ボルネオ島
 マレーシア・サバ州に広がるうっそうとしたジャングル。参加したのはフリー・クライマーの平山ユージさん。今回のツアーには8人が参加。ガイドはセッド・プルデンテさん。まずはボートで全長560kmのキナバタンガン川を上がる。野生生物の保護区を行く。指さした先にはボルネオだけにしかいないテングザルがいた。鼻が大きい。泳げるし、情報交換するために川べりにいるのだろう。対岸に渡る時は高い木に登って川に飛び込む感じ。
 雨季はかなり水につかっている。むっとする湿気。ワイングラスのような赤いキノコ。鳥がいたが、セッドが口笛を吹くと返事が返ってきた。
 大きなイチジクの木に実が赤く熟している。そこにオランウータンがいた。見られるのは珍しいそうです。野生のオランウータンはスマトラ島北部とボルネオ島にしかいなくて、絶滅が心配されている。その原因はアブラヤシ農園が増えているため。
 セピロク・オランウータン・リハビリテーション・センターを訪問した。保護されたオランウータンの子供を自然に戻す訓練をしている。遊び場兼食堂でリンゴとバナナを5個ずつ、ミルクも与える。オランウータンは喧嘩が大嫌いだそうです。その後は訓練。次の2次施設ではさらに訓練を受け、さらに次の段階に進み、3−6年で野生に帰る。

●タンザニア
 世界自然遺産「ンゴロンゴロ自然保護区」はサバンナを自分で歩く。参加したのは、アルピニストの野口健さん。
 アルーシャは観光の拠点。サファリツアーが人気で外貨獲得の手段。その中でもエコツアーが増えている。ガイド歴10年のレミ・ファランジェさん(42歳)が案内。2泊3日食事付きで450ドル、2日目はまる1日歩く。
 1990年代に登場したエコツアーは3つの定義がある。「自然を敬い、自然から学ぶ旅」、「環境保護に貢献する旅」、「地域社会に利益をもたらす旅」です。
 「ンゴロンゴロ大クレーター」は、大地溝帯の上にできたカルデラ。南北16km、東西19kmで世界最大級のカルデラ。このクレーターの中は動物の数も多く危険性も高いので歩けない。イボイノシシ、セグロジャッカル、ライオン、ピンク色のフラミンゴなどがいる。
 2日目のウォーキング・サファリは25kmを歩く。ライオンが出てきたら、レンジャーのピーター・モマルッサニャさん(通称パパ)にまかせる。午前9時半に出発。インパラがいる。1頭のオスが多くのメスを連れている。クチブエアカシアという木は、風が吹くと口笛のような音が出る。穴が音を出すが、実はアリの住みか。動物が食べにくるとアリが攻撃する。足元にゾウの糞があった。ゾウは50%しか消化できないので、イボイノシシなどが糞を食べるそうです。マサイ族の少年が牛を追っていた。出発前に教えてもらった方法で挨拶した。ここには5万人のマサイ族の人が住んでいる。村を訪問した。
 12時半に昼食。サンドイッチなどが配られました。お昼は雨が降り始めました。雨がひどくなるとウォーキング・サファリは中止して、無線で車を呼ぶ。空をハゲワシが展開していた。ここから先はライオンなどもいて危険なので、集団になって歩く。チータがいたので迂回して進む。行く手にヌーの死骸があった。チータは歩けないようにしてから首を噛んで窒息させる。一方ヒョウは首の骨を折る。今回のはチータの仕業だとわかった。ヌー、ガゼル、シマウマの群れがいた。エンデュレンを出発してから9時間で、ナビパタットの丘の麓のキャンプ場に到着。

●オーストラリア
 オーストラリアの北部にあるトップエンドと言われる地域は先住民アボリジニの人々が暮らしてきた。千葉すずさんが参加。エコツアーはジョナサン・モグリッジさんが案内。
 まず川に入ってスィミング・ボードを使って、川を上がっていく。滝の下でランチ。今日はメキシコ料理トルティージャ。6時過ぎに宿に到着。ツアーの間は同じ寝袋とテントを使う。密閉されていたテントは蒸し風呂状態なので、風を通すことから始める。夕食はバラマンティというオーストラリアで採れる白身魚のホイル焼き。ロウソクの明かりで食べる夕食。
 2日目。カカドゥ国立公園の南にあるマニュアラルックはアボリジニの居住区。50人のアボリジニが住んでいる。通常国立公園以外での居住区は、一般の人は入れないが、マニュアラルックの人たちは、開放した。10年前にアボリジニの文化に触れるツアーを始めた。
 まずはブッシュ・タッカーに出かけた。野生のニンジンを食べる。木の上にツムギアリの巣があった。これを手で潰して食べます。みんな意外と平気です。レモンみたいな味だそうです。風邪薬として喉の痛みにも効くし、水の中にアリを入れて飲むと翌朝には元気になるそうです。パッショングラスは絵を描く時の筆になる。

●ペルー
 世界遺産「マヌー国立公園」はアマゾンの上流で蛇行している。1週間かけて船で旅するエコ・ツアーがある。沿岸の木に3匹の赤毛ザルがいた。ガイドはペルー政府公認ガイドの鈴木智子さん。鈴木さんは17歳でタスマニアに留学、大学卒業後コスタリカでガイドとして修行した。河辺にキャップト・ヘーロン(シロゴイサギ)という白と黄色い鳥がいる。ブラック・スキマー(クロハサミアジサシ)は下のクチバシの長さが上より長い。水面すれすれに飛んで小魚を採る。他にもジャビル(スグロハゲコウ)、パイド・ラップウイング(マダラゲリ)、カラカラなどがいた。マヌーにいる鳥は1000種で、全世界の9分の1がいる。1度のツアーで200−300種見ることができる。カピバラは世界最大のげっ歯類。土の色と同化していて、隠れているが、自分は見えていないと思っている。
 川岸にはオリガミのような蝶が集まっていた。動物の尿のミネラルを摂取するそうです。そういうのは産卵用にメスが多いそうです。
 森に上陸した。幹にトゲが生えている木「ハカラテイアビヒタ」(パパイヤ科)がある。中の成分が甘くて動物に狙われるからだそうです。にんにくの匂いがする「ガーリック・トゥリー」は匂いで自分を守る。ウォーキング・パームというヤシの木は光のある方向に移動する。イノシシがいたが、森で最も危険な動物です。出会ったらとにかく木に登るのがいいそうです。
 お昼は船内で食事。ホアンさんが料理を作る。今回はチキン・サラダでポテトとアボカドが添えられていた。
 アマゾン河は蛇行しているので、三日月湖ができる。それによって独自の生態系が構築される。オオカワウソは三日月湖の王様。体長1.5m、体重は30kg以上。1頭以上1日8kgの魚を食べる。彼らの毛皮は防水性に優れているので、乱獲されたそうです。1976年保護地区での狩が禁止された。現在は70頭の生息が確認されている。

●ナミビアのナミブ砂漠
 レーシング・ドライバー片山右京さんが参加。世界最古の砂漠。赤い砂に近い。刻々と形を変える大地だが、生き物たちが暮らしている。虫がいたが、オナマクレス・プラナという昆虫で、昆虫の中で最も早く走ることができる(時速4.2km)。羽根を広げて貴重な水分を失わないように走る。レペトステスタス・ワルトニは危険を感じると死んだフリをするが、トカゲの餌食になる。サイド・ワインディング・アダーは砂漠に住むヘビで、砂丘を登ることができる。
 砂漠を抜けると広大な草原地帯が広がっている。ここでオコンジュマ Okonjuma の開催するAfricat の施設を見て歩くエコツアーに参加した。オコンジュマには現在70頭のチータが保護されている。ほとんどが野生に戻るが、保護地区には元には戻れないチータ6頭がいる。2日に一度牛や馬の肉を与える。車の荷台にある肉を取っていきますが、目の前です。スムージーという名前をもつチータはペットとして育てられたので、野生に戻れない。
 翌日、4頭を野に帰すことになったので、片山さんも同行した。スタッフはデイブ・ハウトンさん(44歳)。麻酔をかけて、目が乾燥しないようにオイルを入れる。血液を採取し、発信機をつけて、翌日広さ4000ヘクタールのリハビリテーション・キャンプに放つ。

●ニュージーランド
 南西部にあるフィヨルドランド国立公園。鎌倉千秋アナウンサーが参加。氷河によって削られた場所に海の水が流れこんでできたフィヨルド。船で巡るエコツアーがある。バンドウイルカの群れがいた。先にはニュージーランド・オットセイのコロニーがあり、一緒に泳げる。小船で近づく。オットセイたちが食べる魚のいる海藻群で待っているとオットセイがやってきた。かつては脂を採るために乱獲されて、絶滅しかけたが、政府の保護政策が守った。

●チリ
 世界遺産「パイネ国立公園」。パイネは先住民の言葉で青いという意味。風と氷の大地パタゴニアを行くエコ・ツアー。参加したのは登山家の田部井淳子さん。
 ツアーの一行は湖に流れ込むグレイ氷河を見る。1日2回遊覧船が出ている。湖には強い風が吹いている。パタゴニアの強い風は、雨を凍らせて雪に変え、こんな低い土地にグレイ氷河を作った。青く輝く氷の塊が流れている。風によって氷の中には多くの空気の粒が入りこみ、光が反射して青く見える。触っても不思議に冷たくない。しかし、氷の世界にも異変が起こっている。昔はかなりの部分に氷が見えたが、だいぶ岩肌が見えてきている。このペースだと、あと80年足らずで、グレイ氷河は消えるだろう。
 上陸して氷河の上を歩く。力を入れて踏みつけないと滑る。氷に裂け目がある。太陽の光で溶けていき、最後は崩落するそうです。横に滑るように崩落していく姿が見えました。

テレビ番組「ランキンの楽園 世界のナンバー1スペシャル」

 2007年5月20日再放送。毎日放送制作。

●パンダ
 「世界の動物園、パンダに何cmまで近づけるか。ランキン」7カ国、40カ所から回答をもらった。パンダは世界に1500頭。動物園にいるのは300−400頭。
 3位は神戸市立王子動物園。オスのコウコウがいる。ガラスに密着した場合、33.5cmでした。
 2位はオーストリア・ウィーンのシェーンブルン動物園。2頭いて、オス6歳のロングウィと2cmまで。

 1位は中国成都。ここに宮川大輔さんが訪問。臥龍中国パンダ保護研究センター。サービス部長の韓洪応さんが歓迎してくれた。パンダ100頭以上を飼育している。入場料30元(510円)。育てたパンダを森に帰してもいる。記念碑があり、黒柳徹子さんの名前もある。里親になった人の名前が書いてある。年間500ドルで里親になれる。
 去年生まれた子パンダが生まれて育っている場所も多くのパンダがいる。そこに入らせてもらった。触らせてもらったので、距離は0cm。
 一人500元(約8500円)でパンダと写真撮影が可能。一人1000元で(約1.7万円)でパンダと5分間遊べる。

●絶景温泉
 「絶景、世界の高い所にある温泉、ランキン」。高いところの温泉に入って眺める景色は絶景に違いない。
 3位、ペルーのバーニョス・デル・インカ温泉。標高2800m。
 2位、エクアドルのパパジャクタ?温泉。標高3500m。
 1位はペルーのパクチャンダ村の温泉。クスコ(標高3312m)に20時間で到着。パクチャンタ村はクスコから200km離れている。ティンキ村のホテル・アウサンガテに宿泊。1泊1770円。標高3730m。ここから先は馬に乗って6時間。岩だらけの道がいくつかある。
 パクチャンタ村は人口100人。ジャガイモ・トウモロコシ栽培や、動物の毛を売って生活している。4mx6mくらいのプールになっている。アンデス山脈の雪解け水が温泉となって40度で湧いている。標高4325m。入浴料は100円。アンデスの雪山を見ながら温泉に入れる。

●絶景列車
 「世界の高い所を通過する絶景列車ランキン」高いところを走る列車からの眺めは絶景だろう。ちなみに日本で一番高いのは、JR小海線の清里駅〜野辺山駅で、標高1375mで、列車から見る八ヶ岳は素晴らしい。
 3位ペルーのアンデス高原鉄道。標高4319m。
 2位ペルーのアンデス中央鉄道。標高4787m。現在は旅客運行していない。
 1位、2006年7月に開通した中国チベット鉄道。ラサの標高は3650mで、ポタラ宮などの世界遺産がある。チベット鉄道は16車両あり、8両が寝台車両。ラサから青海省ゴルムドまで1142kmを走る。上野〜札幌間とほぼ同じ距離。列車は空気の薄いところに耐えられるように、カナダの航空機メーカーが作っていて、車両内の気圧や温度を一定に保っている。寝台車はラサ〜ゴルムド間で一人9400円。窓の外は絵画のよう。食堂車もある。人気メニューは3位「小エビと白菜の塩炒め」。2位は「トマトと牛肉の具沢山炒め」。1位は「スーシー肉団子」。しばらくすると、乗務員が「酸素吸引チューブ」を配布した。車内販売のお弁当もある。日替わり弁当で、320円。お豆腐と野菜の豆板醤炒め、鶏もも肉のローストなどが入っていた。タングラ駅を通過(標高5068m)、世界一高い地点標高5072mを通過した。
 次の駅で車をチャーターし、この地点に600kmを戻った。タングラ駅には列車は現在は止まらない。酸素は平地のほぼ半分。石碑には「世界鉄路海抜最高点5072米」と書いてありました。

●サラリーマン
 「命がけ!世界の高い所で働くサラリーマン、ランキン」。
 3位アメリカ・コロラド州「ロイヤル・ゴージ・パーク」のジョン・オデルさん(29歳)。ケーブルカーの安全点検で、高さ359mで、下は谷底。
 2位ロシアで一番高い塔「オスタンキノ・テレビ塔」のタミセフ・ロマンさん(59歳)。高さ540mの地上360mポイントで地上に指示をする。
 1位台北。東野幸治さん(39歳)も挑戦する。台北101は現在世界一のビル。高さ508m。これの窓拭き、標高438m。遅同泰(ツートンタイ)さん(45歳)。帰ってくるのは関係者しか入れない90階。作業は風の弱い午前中にすることが多い。通常はゴンドラの上で5時間過ごすこともある。風速20m以上の場合は中止だそうです。
 東野さんはゴンドラに乗って、20分間窓拭きをしました。


テレビ番組「探検ロマン世界遺産 ペルー・チャンチャン遺跡」

 2007年2月24日放送。鎌倉千秋アナが案内。1000年前南米に独自の文明を築いた人々チムー。その歴史は謎に包まれている。リマから北に560kmの砂漠地帯にチムー王国のチャンチャン遺跡 Ruinas da Chan Chan がある。チャンチャンとは偉大な太陽という意味。建物は全て泥の日干しレンガで、刻まれているのはユニークな鳥や可愛い動物の姿。遺跡近くの村に1000年近く続く昔ながらの漁がある。

●トルヒーヨ
 人口76万人のペルー北部の交通の要所。ここから乗合バスで遺跡まで20分。声をかけて降ります。

●チャンチャン遺跡
 入口は何もない。24平方km、東京ドームが500以上も入る。15万人が暮らしたという都に、城壁で囲まれたのは王様の宮殿シウダデラ。20分歩いて城壁に到着。高さ10mの泥の日干し煉瓦製。入口は狭い入口1箇所だけ。壁の厚さは7m。中に入ると広大な広場(6000平方m)はサッカー場と同じ広さ。儀式や祭りを行なった広場だと考えられている。壁には動物のレリーフがある。広場の外側の壁にもレリーフがある。魚が階段を登るように描かれている。
 ガイドはミゲール・オロルテギさん。最も不思議な場所は、アウディエンシア。穴の開いた筒のようなものがたくさん積まれている。元は3mの高さの壁の跡だった。砂漠の暑さを和らげるために通気性をよくするための工夫だそうです。海鳥のレリーフをたどっていくと海鳥の部屋になった。王の献上品を捧げた場所だそうです。海産物が捧げられた。向かいの部屋には月のレリーフで、黄金などが捧げられたようです。
 500年前の立体模型が出土している。大きな土偶は王様、演奏する楽隊、酒の壷がある。王様は神の子と思われていた。100以上の倉庫の跡があるが、献上品を置いていたらしい。毛織物も出土しているが、鮮やかなエンジ色です。儀式に王がまとった衣装もあるが、アマゾンから運ばれたインコの羽飾りがある。儀式用に作られた特殊な土器もある。サメのデザイン、タコの足を象った土器。壷が2つつながった土器は、片方に酒を注ぎ、傾けると音が出る。

 魚介類と船に乗った人のレリーフがある。チャンチャン遺跡から海岸までは800m、ある漁村にはレリーフに描かれた船に似たカヌーがある。漁師のメルセデス・ワマンチュモさんに話を聞いた。トトラという草を自分で編んで作っているそうです。チムーの時代から続く伝統の漁だそうです。漕ぐのは竹でできたオール1本。絶対沈まないそうです。みんな正座をして船を漕ぐ。ここは遠浅でエンジン付きの漁船ではうまくいかないそうです。1km沖で1本釣りの漁と追い込み漁を開始。取れた魚は塩漬にして、付近の農村と交換したり市場に売りに行く。満潮では漁をして、干潮では女性たちが浅瀬でモコーチョという海藻を取る。モコーチョは天日に干して乾燥させる。
 毎月1月にはお祭りがあって、干したモコーチョなどをもっていって、山の産物と交換しているという。トルヒーヨの市場では、スズキの仲間、鯛、鯵、サメがある。

 遺跡近くに畑がある。年間降水量10mmだが、農業をしている。アグスティン・カスティーヨさん一家に話を聞いた。トマトなどを作る。雨は降らないが、地下を地下水が流れているので、食物が育つそうです。スイカもあり、食べてみると甘いそうです。地下水がミネラルを多く含んでいるからだそうです。水源は数百km離れたアンデス山脈。
 考古学者のビクトル・ピミンチュモさんが案内してくれたのは。チムーの王が築いた巨大水路の跡。幅10mで石で築かれている。全長74km。当時の畑の跡も残っている。綿花やトウモロコシが作られたと考えられている。

 王の宮殿シウダデラの一番奥に最も神聖な場所がある。墓。こういうシウダデラが9つも築かれている。700年の間栄華を誇り続けた。最後に遺跡全体を見渡せる丘にやってきた。

 今、チャンチャン遺跡を危機が襲っている。エルニーニョにより大きな水害が発生している。1986年危機遺産となった。去年発掘中のシウダデラから18体の木像が見つかった。


テレビ番組「たけしの新・世界七不思議」

 2007年1月3日放送。ビートたけし、大江麻理子アナが案内。荒俣宏、織作峰子、市川森一さんがアドバイザー。紀元前2世紀頃、ギリシャで1冊の本「世界の七つの景観」(フィロン著)が出版された。フィロンは数学者にして旅行家。オリンピアのゼウス像、バビロンの空中庭園、エファソスのアルテミス神殿、ロードス島の巨像、ハリカルナッソスのマウソロス王の墓廟、アレクサンドリアの灯台、エジプトのピラミッド。このうちピラミッド以外は歴史から消え去った。もしフィロンが生きていたら何を7つの不思議に選ぶだろうか?発見、智恵・技術、情念というキーワードを元に新・世界七不思議を決定する。今回は3つのエントリーがある。現在世界遺産は2006年7月時点で830個ある。テレビ東京製作。

●マチュピチュ
 ペルーの空中都市。日本人の旅行会社で人気No.1。クスコから列車で向かう。アグエス・カリエンテス駅からバスでつづら折の山道を30分行くと高台に到着する。そして霧が晴れた時、姿を現した。
 1922年11月26日にハワード・カーターが見つけたツタンカーメンの墓が20世紀最大の発見といわれているが、マチュピチュの発見もそれに匹敵する。1911年7月1日、アメリカ人ハイラム・ビンガム(エール大学教授)はインカ帝国の最後の都ビルカバンバを探していた。ウルバンバ川はインカの聖なる谷と呼ばれていた場所で、この辺りにあるのではないか?と予想した。7月23日、険しい渓谷の間に小さな開墾地を見つけた。主はアルアテガで向こうの山の上にあるという。今までもこういう情報はあったが、行ってみると落胆することが多かった。途中で2人のインディオ(リチャルテ、アルバレス)に出会う。2人は教えなかったが、パブロという子がいつも遊んでいると答えた。マチュピチュとは老いた峰、ワイナピチュとは若い峰を意味する。山道を歩いていると石段になった。上がった場所からマチュピチュが見えて、ビンガムは息を呑んだ。
 区画が分かれていて、神殿区域、貴族の居住区域、庶民の居住区域・倉庫群に約700人が暮らしていた。1911年には蔦や樹木が生い茂り廃墟と化していた。少年に最初に連れて行かれたのは「太陽神殿」と名づけた。クスコ文化庁のベルタ・ベルムーテスさんが説明してくれた。冬至の日に北の窓、夏至の日に横の窓から太陽が真中の石を照らすように設計されていた。また3方を壁に囲まれて、4.5mの石が置かれた場所を「主神殿」と名づけた。ビンガムは石の技術に興味を持った。祭壇の上にミイラを置いたのだろうと考えた。中央に向かって手を叩くとエコーが起こるので、主神殿だと思ったのだろう。インカの王たちは3つの窓から誕生したという伝説があった。「3つの窓の神殿」は聖地だと思ったが、今では冬至に日が差し込むことから、太陽神殿と同じ働きだと考えられている。「コンドルの神殿」、広大な段々畑「アンデネス」などを記した。
 200以上の段々畑では神に捧げるチチャというお酒をつくるとうもろこしが栽培されていたことがわかっている。チチャはとうもろこしを石臼で砕き、煮立てた後に発酵させて作るお酒。アンデスの人は今でもチチャを飲み、お祭りなどではチチャをふるまう。飲む前には天と地の神様に感謝するための決まった儀式を行なっている。とうもろこしの栽培を可能にしていたのが、灌漑技術だった。先に住居群を通り段々畑に流れるようになっていた。近くに石切り場があり、そこから切り出して建物を作っていたこともわかっている。現代の技術をもってしても難しいという緻密な石と水の技術を持つが、彼らは街を捨てた。
 クスコ大学のルイス・バレダ・ムリョ教授はインカ第9代パチャクティ皇帝が作ったということがわかったと語る。パチャクティはクスコのコリカンチャ(太陽神殿)を作った人としても知られている。石を切る石斧は隕石を使っていたかもしれない。
 ビンガムは2回発掘を行い、163体の遺骨を発見したが、ほとんどが女性のものだった。そこで女性達の都だったのではないか?と考えた。アクリャとは太陽の処女を意味し、神の使いとしてチチャ酒を作らせた。後に遺骨の半分は男性だとわかり否定された。アマゾンに対する要塞説もあったが、武器が出てこないので否定された。太陽が関係しているので、太陽に対する神殿都市だったとするのが最大の説。一番高いところにあるのが「インティファタナ」で巨石を加工したもので、「太陽をつなぎ止める場所」という意味。この石は日時計の役割をしているが、一つ重要な意味があった。太陽が消えてしまわないようにつなぎとめていた。太陽が軌道を外れないように祈っていた。実はインカには驚くべき神話が残されていた。クスコ・ケチュア保存会のエンリケ・パクニさんは「過去に大洪水があり、全てを消滅させた。太陽は消えたまま姿を現さなかった。それで太陽を失うことがないようにというので、太陽を祈るようになった。」と語った。将来大洪水が起こった時に避けるために山の上に作ったのだろう。パチャクティという王の名前も復活を意味する。では、どうしてみんなはマチュピチュを捨てたのか。
 クスコ大学ジュリニョ・サパタ教授は、神聖な神殿が32もあるマチュピチュは宗教的に意味がある場所だった。そこにスペイン人が入ってくることを嫌がって、自ら焼いたのだろうと語る。人々はマチュピチュの存在を隠し、ビルカバンバに逃げたのだろう。遺跡の下からは焼けた跡が見つかっている。倒れた壁の一部は漆喰のようなものを塗り、黄色や赤の色がつけられていたが、焼けた際に失われたのだろうという。


●楽山大仏
 中国四川省楽山市にある高さ世界一の大仏。高さ71m、肩幅28m、頭部15m、耳の長さ7m、幅8mの足の甲には100人が座れる。21階建のビルに相当する高さがある。中国各地から年間200万人が訪れ、60万人が線香をあげている。この大仏が作られたのは民衆のためだった。○雲山(○はさんずいに陵の右側の部分)の麓、岷江、大渡河、青衣川の3つの河がぶつかるこの場所には水難事故が多かった。建立後は事故が減った。
 チョンライ山脈の南にある峨眉山(がびさん)は中国仏教の4大聖地の一つで、以前は報国寺など170を越える寺院があった。今も金頂という3099mの山の頂きに建つ永明華蔵寺には多くの仏教を信じる中国人が一生に一度は来たいという。最初に作られ始めたのは713年、唐の玄宗皇帝の時代。717年に第8次遣唐使団が557名が渡った。その中の安倍仲麻呂は50数年を唐で暮らした。西安で2004年に遣唐使の墓が見つかり、姓は井、字は真成が志半ばで亡くなり、玄宗は官位を贈った。743年聖武天皇が奈良に大仏を建立を始め、752年に完成した。楽山大仏は803年に完成した。完成時は肌は金箔に覆われ、法衣は朱色に塗られていて、13層の木造の楼閣で覆われていた。完成した翌年に唐に渡った僧侶が2名いる。最澄と空海である。土木技術を学んでいた空海が見逃す筈はないと思われる。完成から1200年後の1986年に一人の観光客が驚くべき発見をした。○雲山の姿を対岸から撮影し、涅槃仏が横になっていて、楽山大仏はその胸にあたる部分に掘られていたことがわかった。
 ではどうやって作ったのか。楽山市の東60kmにある仁寿県高家鎮にある磨崖仏が残っている。仁寿大仏と呼ばれるその大仏は30mを越える岩肌に6mの頭だけが彫られた未完の大仏。そのおかげで磨崖仏の製作が頭部から下に向かって進められたことがわかった。仏教の衰退により製作が中止されたが、完成していれば、楽山大仏に次ぐ大きさになっていたはずである。
 四川省楽山市文化局の唐長寿さんは大仏を守るための工夫がなされていたという。雨が多いので、雨と岩からの湧き水を排水するために耳と首の後ろに排水路が作られている。頭部に対しては螺髪(らはつ)と呼ばれる頭の巻髪の4層目、18層目に雨に対するトイが作られ、顔に雨水がかからないようになっていた。法衣にかかる分も排水されていたという説もある。
 大仏ができて事故が減ったのは、大仏のご利益だと多くの人は信じた。作者は大仏を削った岩で流れを浅くし、穏やかにするという治水工事を行なっていた。ただ、最近黒くなっているのは、酸性雨のせいらしい。
 1986年大仏を作った時の石版「大弥勒像記」が出た。計画を進めた若い僧は海通で、水難に苦しむ人を救うために作ることを考えたという。当時、玄奘が戻りバーミヤン西の大仏(全長55m)があることを伝えた。これにより作られた大仏は黄河沿いに10を越えたが、ほとんどが権力者によって建立されたものだった。長江にも作れないことはないと思って、30年かけてお金を集め掘り始めた。すると役人が来て、賄賂を要求したが、目を与えたという。743年に彼は亡くなったが、意志を継いだ人々により作り続けられた。土砂で川が埋められ事故が減った。
 13世紀に楼閣が炎上し、金箔も失われた。以来風雨にさらされ、雑草に覆われ、人々から忘れられた。1962年に修復が開始された。胸に明の時代に埋められた石があることがわかった。中には空洞があった。そこには魂や教典を入れるのが普通だった。


●ナスカの地上絵
 オーパーツとは Out Of Place Artifacts (場違いな加工品)の略。コロンビアで見つかったスペースシャトルに似ている黄金製品。16世紀に当時発見されていなかった南極大陸が描かれたピリ・レイスの地図などが代表的なものとされている。その中で最も巨大なものはペルーのナスカの地上絵。地上からでは見ることができない。セスナで高度500mから撮影した。年間降雨量10mmの地で、ハチドリ、コンドル、宇宙飛行士、クモ、渦巻き模様などがある。1辺が10kmの十字は宇宙衛星からでないとわからなかった。
 飛行機は1903年のライト兄弟から。ペルーの上空にも民間の飛行機が飛ぶようになった。砂漠地帯を飛ぶパイロットにより1930年代に発見された。1000平方kmの間に数えきれないほど描かれていた。たちまちパイロットの間で話題になった。その後の調査で、動植物が30点、幾何学模様が220点、直線が750点以上が確認されている。2006年日本人の研究チームにより新たな地上絵が見つかった。見つかったのは外れにある平原地帯。全長65mの絵だった。見つけたのは山形大学の坂井正人助教授。幾何学模様以外の発見は1980年代以降では久しぶりだった。今回パイロットが新しいのを見つけたというので飛んだ。40m四方の大きさで、膝を抱えた女性のように見える。屈葬されたミイラが多く出土している。ニセモノも多いというので、専門家のペルー文化庁のマリオ・オライチェアさんに見てもらったが、石で縁取りがしてあるのでナスカ期のものではないと言う。しかし、中心部には墓が発見された。本物の墓だが、地上絵の中に墓は今までなかった。もしかするととんでもないものかもしれないと語った。石のない部分はナスカ期と同じようだった。墓の部分は女性の子宮のところに来ていた。
 地上絵は2〜7世紀に描かれたもの。地上絵の保護のために一般人は中に入れないが、特別な靴を履いて特別に入らせてもらった。ナスカの人々は太陽によって焼けた黒い表面の石とそれを取り除いた時にできる白い土の表面を利用して地上絵を作った。ナスカ平原では雨が降らないから保たれている。ではどうやって描いたか?国立人類学博物館のカルメン・タイスさんは、保存されているものに描かれている空飛ぶ人から、鳥人説があるという。国際探検協会のジム・ウッドマンは気球を利用して描いていたという気球説を唱えている。ナスカ期のミイラが長さ50mの布に包まれていたことから考えた。分析したところ、軍事用パラシュート以上であることがわかった。1975年気球を実際に作って飛ばして確認したところ高度130mまで上昇できた。縮尺拡大説は実験してみたが、6人がかりで縦横20mのハチドリが描けた。しかし幾何的な絵とかに限定される。
 何のために描かれたのか?中でも衝撃的だったのは、スイス人エーリヒ・フォン・デニケンが述べた宇宙人説。ドイツ人技師ゲオルク・フォン・ブロイニッヒは古代のオリンピックのスタジアムだと思った。チャスキという飛脚がいたが、足の速さを競いあっていたという。ロングアイランド大学のポール・コソックは冬至の日に太陽が沈む方向をラインが示しているのを見てカレンダー説を唱えた。マリア・ライヘはそれを発展させ幾何学的な意味を与えた。ペルーのトリビオ・メヒーア・ヘスペは巡礼説を唱え、人が歩くものだと考えていた。アンデスにはコイヨリッティという、道の上を踊りながら3日3晩踊り明かす。実際にナスカでは楽器が発見されている。雨に関係している動物が描かれている。コンドルもハチドリもそうだった。それの跡を歩き雨を祈った。みんなが同じところを歩くから踏み固められたし、一筆書きになった。

 新・世界七不思議はナスカの地上絵でした。


テレビ番組「世界遺産 ペルー・リマ」

 2006年10月22日放送。アンデスはインカの故郷。山の民が畑を耕し、石を築きあげて造った王国。あまりに早く王国は滅亡した。「黄金郷を探せ」とフランシスコ・ピサロは一攫千金を狙った。ペルーの首都リマは500年前に町を築いたのは、スペインの征服者だった。その基地となったリマは広大な南米の植民地の首都へと発展した。街並みもカテドラルもスペイン人が自らの文化を誇示する場所だった。未開で野蛮な先住民に文明と信仰をもたらすという大義名分の下に行なわれた搾取と虐待。インカとスペインの衝突は一体何をもたらしたのか?植民地支配の光と影に彩られた町リマ歴史地区は1991年世界遺産。

●リマ
 800万人が暮らす町。近代的な顔と共に植民地時代の顔が今も入り乱れている。闘牛場は南米で初めてできた。征服地でスペイン人がまず取り組んだのは、都市の建設。1535年にリマの建築宣言にピサロのサインがあり、彼から全てが始まる。インカの財宝を探し求めたピサロは、186人の兵で奇襲攻撃を敢行し、インカを征服した。土着の文明には目もくれず、新大陸にもう一つのスペインを作りあげた。
 トーレ・タグレ宮殿は植民地時代の建築を代表する傑作。現在は、ペルー外務省の高官、外国使節との会見や調印式の場として使われている。通りに張り出したバルコニーから令嬢たちは表を眺めたが、外から見えないように木彫りの格子で覆われている。貴族屋敷のバルコニーは今も面影を残す。
 先住民の心の征服に最大の役割を果たしたのはキリスト教。新大陸への展開は異教徒にキリスト教を広めるという大義名分だった。リマ市内には新天地で冨を得た者たちの寄進した教会が無数立ち並んだ。完成までに100年以上をかけたサンフランシスコ教会は1988年世界遺産となり、登録範囲が旧市街へと拡大された。ここの回廊は絶品の一つで、セビリアで粋を極めたアラベスク文様のタイルが彩り豊かに溢れる。キリスト教では死者は教会に埋葬したが、カタコンペ(地下墓地)にも多くのスペイン人が葬られていて、人骨が並ぶ。
 自ら建てたカテドラル(大聖堂)にピサロは眠っている。20世紀に入ってから考古学者の手で柩は検査された。首と背骨には刃物による傷が残っている。彼は暗殺者に刺し殺された。分け前にあずかれなかったスペイン人に反感をかっていた。彼がインカの皇帝を処刑した8年後だった。胸の骨には文字が書かれているが、意味は不明。
 ペルーが独立したのは1821年だった。この町は、インカのスペインが衝突して失われたものを永遠に語り続けます。アルマス広場。

●クスコ
 内陸の都市。かつてはアンデスに君臨したインカの都だった。ピサロは遠征中のインカ軍を奇襲して、皇帝を処刑し、クスコに入ったのは1533年だった。帝国内部における王族の対立を巧みに利用し、都を占領したピサロは、宮殿や神殿をことごとく破壊し、そこに新たにスペイン風の町を築きあげた。
 サント・ドミンゴ教会はインカの信仰の中心「太陽の神殿」の上に作りあげられた。裏手に回ると神殿の石組みが教会にそのまま使われていることがわかる。かつて黄金で埋め尽くされた太陽の神殿の、神の像や装飾品などはピサロの略奪により、跡形もなく消え去った。およそ8トンの純金は全て溶かされ延べ棒にされた。

●サンチェーロ村
 ひとたび都市を離れると、畑を耕す人の姿がある。標高の違いにより異なる作物を作り、物々交換が行なわれていたが、今もその風習は残っている。
 山の民が使う言葉は今もインカ帝国時代と同じケチュア語。逐一翻訳されて伝えられる。


テレビ番組「世界遺産 ペルー・チャビンの考古遺跡」

 2006年9月3日放送。インカ帝国から遡ること数千年、アンデスには高度な文化があった。ティワナクは紀元前3世紀頃からのもので、自在な石の文化はインカ帝国に大きな影響を与えた。地上絵で知られるナスカは紀元前2世紀〜紀元7世紀。紀元前1200年、奇妙な神殿が作られた。チャビン遺跡 Chavin には壮麗な神殿がそびえ、数多の巡礼者を迎えた。地下こそがチャビンの真髄だった。1985年世界遺産に登録。

●チャビン村
 ペルー北部のアンデス山脈の標高3200mの村。その神殿は村の一角にあった。今から3000年以上前に誕生し、古代アンデス文化の基礎となった。チャビンとは「へそ」を意味する。チャビン遺跡は紀元前1200〜紀元前400年。地震やがけ崩れにより、昔の面影は失いつつある。
 門は左右違う石でできていて、創建された時は白と黒の鮮やかなコントラストだったらしい。無残に崩れかけた古代の神殿がある。ここが注目されたのは地下にあった。入口から入ると、闇の中で石組みの回廊が続く。総延長2km。最初の発掘が行なわれたのは1919年、以来この遺跡は世界の注目を集めた。2001年スタンフォード大による発掘で、地下回廊の一つから興味深いものが発見された。28個のホラ貝だった。楽器ではないかと考えられている。地下では大きく響いただろうとジョン・リック準教授は語る。ホラ貝ははるか北から運ばれた。

 海岸に沿った砂漠にも神殿があった。セロ・セチン遺跡。当時は国や組織という考え方はなく、社会は神殿を中心に成り立っていた。力を持っていたのは神官だった。神官は神に生け贄を捧げ、収穫を祈ることだった。そういう神殿は数多く見つかっているが、それを束ねていたのはチャビンだった。神殿の中の神殿だった。
 最盛期の影響力はアンデスの広い範囲に及んだのだろう。オフレンダス回廊は捧げ物と名づけられた回廊で、700点近くの石器や土器が納められていた。チャビンから500km離れた土器だった。高い地位の人が訪れ、地下で秘儀を学び、権威を高める方法を授けられたのだろうとリック博士は語る。神殿の奥まった場所、ランソンの回廊には、光と闇を利用した巧妙な演出もあった。光輝く場所にご神体「ランソン像」があった。高さ4.5m。ヘビの髪の毛、ジャガーの顔、体は人間。

 重要な儀礼を行なったとされるのは大小様々の広場だった。広場の一つから見つかったのは、巨大な「テーヨのオベリスク」Obelisco de Tello 。ここにもジャガーがいる。当時は人智を越える象徴として崇められた。大きな柱は雨をもたらす天と植物に恵みをもたらす地を結ぶものとして地上に据えられたと考えられている。キャッサバ(マニオク)、トウガラシなども描かれている。広場の壁にはレリーフが描かれている。ホラ貝を吹く神官、儀礼を行なう神官は手にはサボテンを持ち、口からジャガーの牙を剥いている。サボテンはチャビンの儀礼には欠かせないものだった。サン・ペドロ・サボテンから幻覚作用を持つ飲み物ができる。今でも呪術師は特別な日に使っている。古代の神官たちはこの汁を儀礼や病人の治療などに効果的に使い、人々の尊敬を集めていた。神官はこの汁を飲んでジャガーへと変化して、神と一体となる。満月の夜に今でも彼らは古の神とつながる。


テレビ番組「探検ロマン世界遺産 2006年7月22日 絶景これが見たいベスト30」

 あなたにとって絶景の世界遺産は何ですか?進行は三宅民夫、塚原愛アナ。3月から投票をよびかけてきた。22070の回答からランキングを発表。

 ジャルパックの旅客サービス部の鶴崎由美子さんはキャリア24年のベテランで、160箇所の世界遺産を訪問したが、今回はビクトリアの滝(ザンビア、ジンバブエ)を挙げた。幅1.7km、水煙は500m上空まで立ち上る。雨季の4月ー5月は台風の中を歩くような気分だったそうです。乾季の6月〜10月は崖がゴツゴツしていて差がすごい。川の上流はクルーズができて、カバやワニ、キリンやゾウも見える。
 写真家の織作峰子さんは、ここ2年くらいスイスが気に入っていて、アレッチ氷河を挙げました。全長24kmで、アイガーやユングフラウなどと共に世界遺産。ヨーロッパ最大の氷河。湖が多くミラーレイクとも言われる。

30位 180票 ギリシャのメテオラ、断崖の上の立つギリシャ正教の修道院で、現在は6つある。14世紀オスマン帝国の支配を逃れて来た。現在も祈りの場である。
29位 192票 カナディアン・ロッキー。氷河が大地を削ってできた険しい地形。針葉樹の森には滝や湖が点在する。
28位 193票 ヨルダンのペトラ。紀元前3世紀、遊牧民のナバケア人?が築いた伝説の都。映画「インディ・ジョーンズ」の撮影が行なわれたことでも有名。
27位 195票 アメリカのヨセミテ国立公園。サンフランシスコから車で5時間。4000m級の山々が連なる。山頂に横たわるのは氷河。山間を清らかな小川が流れ、釣りも楽しめる。生命の宝庫でもあり、毎年400万人を越える人々が訪れる。
26位 201票 イタリアのミラノのサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院。レオナルド・ダ・ヴィンチが描いた「最後の晩餐」。

25位 204票 イタリアのアルベロベッロ。トゥルッリといわれるとんがり屋根が並ぶ。17世紀、接着剤を使わず、石を積み上げただけで作った住居。重税に苦しむ農民たちの智恵でした。おとぎの国のような街並みに苦難の歴史が秘められている。
24位 206票 トルコのカッパドキア。気球に乗ってみる奇岩地帯はまさに絶景。奇岩の下に巨大な地下都市も見つかっていて、学校、家畜を飼う部屋、ワインの醸造所もあった。いつ誰が作ったのか未だ謎。
23位 208票 イタリアのローマの歴史地区。フォロ・ロマーノなど2000年に渡る様々な歴史の建造物が共存している。トレビの泉、紀元80年に作られたコロッセオは5万人を収容する巨大な競技場。現在の建造物が2000後に残っているかどうかを考えると、古代遺物の素晴らしさがわかる。
22位 218票 ベネズエラのギアナ高地にあるカナイマ国立公園。地球最後の秘境。岩山には生き物たちが独自の進化をしている。滝の落差は979mで、あまりの高さに水は全て霧になる。
21位 227票 日本の屋久島。周囲132kmの島に1000m級の山がそびえる。1年を通して雨が多く、島の9割は深い森に覆われている。屋久杉は島のシンボルで、中には樹齢7000年を越えるものがある。海岸はウミガメの産卵地としても知られている。

20位 229票 アメリカのイエローストン国立公園。面積は東京都の1000倍。青い湖は60万年前に火山の噴火で生まれた。マグマが地下5kmに迫っているため、噴き上がる熱水や蒸気を真近で見ることができる。広大な森と渓谷には、60種およそ4万の動物が生息している。
19位 251票 中国の万里の長城。人類史上最大の建造物。長城といえば、北京に近い八達嶺が有名ですが、もっといろいろな顔を持っている。東の海の東海に突き出た部分「老竜頭」もあるし、西の砂漠地帯には今に残る関所の「嘉峪関」もある。断崖絶壁に築かれた「司馬台」。みなさんも自分の足でスケールを味わってみては?
18位 256票 中国の黄龍。段々畑のように連なるエメラルド・グリーンの3400の池。池の色は様々に変化する。標高は3000mを越えているので、高山病には気をつけてください。
17位 258票 スペインのアルハンブラ宮殿。13世紀、キリスト教徒に追われたイスラムの人はグラナダに最後の王朝を築いた。歴代の王たちがイスラム芸術の粋を集めて作った。スペインが誇る美の結晶。
16位 261票 スペインのバルセロナ・ガウディ建築群(7つ)。建築したのはアントニオ・ガウディ。独創的で奇抜な造形の数々。未完の大聖堂サグラダ・ファミリアは偉大な彫刻作品のようです。モチーフは人々の心を癒す森。ガウディの夢を受け継ぎ、死後80年経った今も建設が続いている。

15位 269票 オーストラリアのウルル(エアーズ・ロック)。高さ350m、周囲10kmの一枚の大きな岩。地層が縦に走っているのは400年前の地殻変動で垂直に隆起したため。日没には夕陽を浴びて岩肌が燃えるように赤く染まる。
14位 287票 オーストラリアのグレート・バリア・リーフ。日本の本州と同じ面積に2500以上のサンゴ礁が連なっている。島々に滞在しながらダイビングやクルーズが楽しめる。グレート・バリア・リーフに住む海洋生物は1000種類以上。
13位 296票 エクアドルのガラパゴス諸島。独自の生態系が保たれた動植物の宝庫。19世紀、ここにやってきたダーウィンが進化論を唱えた。食料など環境に変化を与えるものは持ち込めない。体についた植物や昆虫も洗い流す。そうして初めて生き物たちを真近で観察できる。
12位 336票 チリのイースター島・ラパ・ヌイ国立公園。石像モアイで知られる。チリ本土から西へ3800km。絶海の孤島で見つかったモアイは約900体。石切り場では作る途中や、運ぶ途中で置き去りにされたものがある。モアイは一体誰が何のために作ったのか・・
11位 359票 イタリアのフィレンツェの歴史地区。ルネサンスが花開いた芸術の都は、街全体が美術館のようです。ミケランジェロのダビデ像、ダビンチの絵画、ボッティチェリの「ビーナスの誕生」などの傑作が生み出された。夕暮れのフィレンツェは涙が出るほど美しい。

10位 377票 イタリアのベネチア。浅い海に大小120の島が点在し、中世以来地中海交易の拠点として栄えてきた。車が走る道路がなく、150の運河と400の橋がある。ゴンドラに乗ったり路地を散策するのが楽しみ方。
9位 383票 インドのタージ・マハル。17世紀ムガール帝国の皇帝が若くしてこの世を去った王妃のために作った大理石の帝廟。中島侑三さんは会社を退職してから14年、200箇所近い世界遺産を旅した。趣味は絵を描くこと。全体のバランスのよさ、水と緑の調和、青い空のバックに浮かぶ白、水に映る影が揺らいでいるところが絵になるそうです。暑さが柔らぎ、乾季に入った11月〜1月が最も適しているそうです。
8位 434票 チリのナスカ地上絵。1世紀〜6世紀に描かれたハチドリやコンドルやクモの絵。幾何学模様が800以上見つかっている。地上絵のある場所は立ち入り禁止なので、パラグライダーで超低空飛行で見ました。地上絵の線は幅30cmほどで浅く掘っただけ。千数百年の間、消えずに残った不思議を思わずにはいられない。
7位 476票 アメリカのグランド・キャニオン国立公園。コロラド川が大地を削って作った大渓谷。長さは450km。川までの深さは約1600m。20億年前の地層も見られる。深い谷底に下りてコロラド川の激流下りも楽しめる。スリル満点の大冒険ですが、かなりすごいです。
6位 484票 カンボジアのアンコール遺跡群。12世紀に建てられたヒンドゥー教の寺院「アンコール・ワット」は王が神々を迎えるための場所だった。中央にそびえる塔は高さ65m。世界最大級の石造寺院です。大小700に及ぶ遺跡群の中には仏教寺院や都の跡もある。「アンコール・トム」などもある。

5位 534票 エジプトのピラミッド。4000年以上前に造られたエジプトのピラミッド群。ナイル川流域では60あまりが確認されている。有名なギザのピラミッドはカイロから車で30分の距離にある。最大のものは高さが147m、間近に立てば、その巨大さが実感できる。ラクダの背中から見た三角形と夕陽は忘れることができませんというメッセージがありました。
4位 566票 中国の九塞溝。桃源郷と称えられる。標高2000mを越える石灰岩の大地に棚田のように120の湖が点在している。山からあふれる水で溢れ、湖はお互いに繋がっている。湖の底に見えるのは倒れた木で、表面を水に溶けた石灰が覆い、白い真綿のように見える。
3位 615票 ブラジルのイグアスの滝。世界最大の滝。アルゼンチンとブラジルの国境にあり、大小270を越える滝が連なる。イグアスとは先住民の言葉で巨大な水のこと。毎秒6.5万トンの水が流れ落ちる。滝壷を走る遊覧ボートに乗れば、その迫力を体感できる。水しぶきは森に降り注ぎ、豊かな生態系を作っている。天敵から逃れるために滝の裏の崖そ住みかにする珍しいオオムジアマツバメというツバメもいる。満月の夜には月の光が水しぶきに反射して大きな虹を描く。幻想的な絶景です。
2位 742票 フランスの モン・サン・ミシェル。フランス・ノルマンディー地方の海に浮かぶ小島。8世紀初め、キリスト教の司教が天使ミカエルのお告げに従い島に小さな礼拝堂を建てた。その後、修道院となり、800年に渡って増築が繰り返された。潮が引くと広大な干潟が現われ島は陸とつながる。訪れるなら春と秋の大潮の日。干満の差が最も大きくなる。19世紀に堤防が築かれるまで巡礼の方法は干潟を歩くことでした。大波にのまれ、命を落とす人も少なくはなかった。夕映えに浮かびあがる漆黒のシルエット。海上のピラミッドと例えられる神秘の世界遺産。
1位 1786票 ペルーのマチュピチュ。クスコから列車で5時間、さらにバスに乗り換えてつづら織りの道を進み徒歩で行ったところ。標高2400mの断崖にそびえる空中都市。15世紀インカ帝国の時代に築かれた。インカの皇帝は神とあがめる太陽に近づくためにここを選んだと考えられている。建物は全て石造り。隙間なく積み上げる高度な技術が使われている。斜面には200段以上の段々畑。神に捧げる酒を造るためのトウモロコシが栽培されていた。ここまで来ればチャレンジして欲しいのが北にそびえるワイナピチュへの登山。1時間をかけ急な岩場をよじ登る。人一人がやっと通れる隙間を抜けたどり着いた。マチュピチュは周囲の山と見事に溶け合っていました。自然と調和したその姿が、多くの人々の心を捉えてやまないマチュピチュの魅力なのです。

 私たちの手に託された世界遺産という宝物が、いつまでも絶景であり続けますように。


テレビ番組「世界遺産 マチュピチュ Machu Picchu」

 2006年5月7日放送。その昔、アンデスの山々にスペインの征服者がやってきたが、彼らはその町を見つけることはなかった。何故何の目的でこの空中都市は作られたのか。
 アンデスは6000年もの農耕の歴史を持ち、とうもろこし、じゃがいも、とまとなどの栽培植物がここから全世界に広がった。マチュピチュには氾濫する川などもない。1983年世界遺産に登録された。

●チチカカ湖
 南米最大の湖。この湖に浮かぶ島に、太陽の神によって生み出されたインカ帝国の創始者が降り立ったと人々は信じていた。インカとは「太陽の子」を意味した。

●クスコ
 かつての都で、街並みはスペインにより破壊されたが、土台に見事な石組みが残っている。カミソリの刃一枚も通らないという。神聖な場所になればなるほど、石はより精緻に磨きあげられた。彼らにとって石は単なる建築材料ではなかった。

●ケンコー遺跡
 クスコ郊外の遺跡。ここで崇め恐れられたのは、地表に頭を突き刺した巨石だった。人々は岩や洞窟など、自然界の様々なものに神が宿ると考えた。

●マチュピチュ
 インカ帝国はスペイン人の征服により最後の帝国となったが、マチュピチュだけは唯一破壊を免れた。インカの人は口を閉ざし、誰もその存在を明かさなかった。綿密な都市計画に基づき、大きな広場のまわりに石造りの建物が並ぶ。神殿もある。動植物から自然現象まであらゆるものに神を見たインカの民。その中でも太陽を皇帝の生みの親として、特別に崇めた。
 お昼にかけて上がってくる霧は植物を育てた。インカの人は石に特別な文化を持っていた。マチュピチュは周囲と一体化している。人々は山を削り、新たな山を作り上げた。遺跡の中心の小高い岩場が採石場だった。石の表面を滑らかに削るために手の平大の丸石を使った。インカの民は鉄の文化を知らなかった。
 インカの民にとって山も神聖なもののひとつだった。それをマチュピチュの中でもいくつか祀ってある。巨大な奇岩を祭っている神殿は、その形からコンドルの神殿と呼ばれている。自然の石と人工の石の造形が素晴らしく、シュールレアリズムを感じさせるその風景に人々は神を感じた。
 遺跡の中でもひときわ高い場所に聖なる石が残されている。自然石を削って作られたインティワタナ「太陽をつなぐ石」。冬至の日に逃げ去る太陽をこの石につなぎとめようと集まった。太陽神の復活を祈る場としてマチュピチュは作られた、空中都市の謎にそう答える人もいる。なぜならここは太陽に最も近い場所だから。

●ピサック Pisaq
 クスコ近郊の遺跡で、同じく山の上に築かれ、太陽をつなぐ石も祭られている。インカ帝国をつなぐいくつもの空中都市、わくわくするような想像が膨らみます。


テレビ番組「探検ロマン世界遺産 エクアドル・ガラパゴス諸島 Galapagos」

 2006年4月20日放送。リポーターは鬼頭あゆみさん。1978年世界で最初に世界自然遺産に登録された。エクアドルから1000km、55個の島々からなる。火山活動は今も続いている。陸に住む動物のうち、半分以上がこの島でしか生息していない。イグアナ、体重100kgを越すゾウガメ。1835年博物学者チャールズ・ダーウィンはこの島を訪れ、ゾウガメとイグアナから進化論の発想を得た。生き物たちは島の環境にあわせて体の形や暮らしぶりを変えているのに気がついた。「種の起源」は1859年に発表された。
 サボテンフィンチはサボテンの蜜や花粉を食べる。大きな鳥の血を吸う、吸血フィンチもいる。空を飛ばなくなり羽根が退化したコバネウは水中を泳ぐことができるようになった。
 空の玄関口はバルトラ空港で、TAMEという飛行機で到着。飛行場にリクイグアナがいた。年間10万人の観光客がやってくる。検疫が厳しい。まずサンタクルス島のプエルトアヨラ港に向かう。ここが島巡りの拠点。桟橋にガラパゴスアシカがいた。
 ガラパゴス国立公園局ガイドのエドワルド・イノホッサさんが夜中に船で案内してくれた。島ではキャンプが禁止されているので、船で生活する。まずエスパニョラ島で5時間の船旅。

●エスパニョラ島
 上陸はゴムボートで。周囲は30kmの無人島で、大きな木はなく、潅木が多い。最も乾燥が厳しい島の一つで、ゴツゴツした岩場が続く。地面の温度は50度を越える。1時間歩くと緑が見えた。奇妙な恰好をした木で、ウチワサボテンの仲間で、高さ5m。ウチワのように見えるのは葉っぱではなく茎。サボテンの下にガラパゴス・ゾウガメが20匹いた。甲羅の長さは大きなもので1.5mにもなる。ウチワサボテンの茎が落ちてきたらそれを食べるようです。サンタクルス島のカメとエスパニョラ島のカメの頭の部分の甲羅の形が全く違う。鞍型と呼ばれるが、下草がないので、上の方にある緑を食べるから進化したようだ。サボテンも食べられないように他の島よりも背が高いようで、進化している。

 ガラパゴスでは島を離れる時に服に着いた昆虫や植物などを洗い落とさないといけない。

●イサベラ島
 一番大きな島。中央にはアルセド火山(1128m)があり、雨が多く降るので、下草が多い。ドーム型の甲羅。

●サウスプラザ島
 この島の周囲は3km。海岸には荒々しい岩が目立つ。桟橋付近では、ガラパゴスアシカが迎えてくれた。サボテンが生えている岩場に向かうと、サボテンの下にリクイグアナが集まっていた。大きなもので頭の先から1m以上ある。イグアナは後ろ足2本で立ち上がって前足でサボテンを握ったりして食べる。痩せたイグアナの死体も見られる。

●サンチャゴ島
 周囲100kmの大きな火山島。ガラパゴスペンギンがいる。世界でただ一種類、熱帯に暮すペンギン。120年前に噴火があって、溶岩が流れたままの形が残っている。海岸の緑の多いところにウミイグアナがいた。食べ物は潮溜まりに生えている海藻。海の中も長い尻尾をうまく使って泳ぎ、海中の海藻を食べている。

 受難の時代は16世紀でゾウガメは航海の保存食として乱獲され、かつては25万匹いたが今は1.5万匹に激減した。

●サンタクルス島
 チャールズ・ダーウィン研究所ではゾウガメの繁殖が研究されている。ファウスト・ジェレーナさんが案内してくれた。甲羅が20cm以上になると鷹に襲われる心配がないので、島に放されるそうです。

●エスパニョラ島
 40年前ゾウガメは14匹まで激減したが、今は1500匹まで回復した。この日は58匹が放された。


テレビ番組「探検ロマン世界遺産 新大陸・謎の古代文明」

 2006年3月23日放送。アメリカ大陸にはコロンブス以前にも、いろいろな文明があった。アンデス山脈に突然姿を現す空中都市マチュピチュ、ペルーの大地に巨大な鳥や動物の絵を刻んだナスカ地上絵、メキシコの平原にピラミッドがそびえ立つテオティワカン。最新の研究ではアジアやヨーロッパ世界の常識をくつがえす一つの文明の姿が浮かびあがってきた。知られざる新大陸、古代文明の謎に迫る。NHK制作。

●ナスカの地上絵
 報告は住吉美紀さん。猛烈な砂嵐の歓迎を受けた。Lineas de Nasca の標識がある。東京23区がすっぽり入るという平原に散らばっている。飛行機に乗って見る。離陸して5分、まずハチドリ(全長96m)、コンドル(全長136m)、サル(全長110m)、イヌ、クモ、渦巻き、迷路、滑走路(長さ5km)などの700以上の絵が描かれているが、驚くべきは一筆書きです。
 発掘も行なわれていて、周辺からは骨や遺品が見つかった。出土品から割り出すと描かれたのは1〜6世紀。ナスカ古代史研究家のホスエ・ランチョさんに話を聞いた。小高い丘に連れていって、大きな三角形の地上絵を見せてくれた。差している方向は山。一つは水田の山としてナスカの人々に厚い信仰をもつセロブランコ山。逆方向には畑の中に奇妙な穴が開いている。山からの水路への井戸。横でトンネルで結ばれている。井戸に続く水はセロブランコ山から地上絵の下を通って流れているこ伏流水であることがわかった。地上絵は水と関係がある。地下水脈のありかを示す地図である。ナスカの語源のナマスカは「辛く過酷な土地」という意味。コンドルが山から飛んできて海の方へ行くと雨が降るという古い言い伝えがあるそうです。
 水を得るための儀式のために描かれた絵で、地上の神のためではなく、天上の神に捧げるために描かれた。ペリカンも飛んでくると雨が降るといわれた。

●インカの人々
 アンデスに残るミイラのDNAを調べると何とモンゴロイドだった。仮説では、2万年前にアジアの人々が移動を始めた。当時、陸つなぎだったアラスカを経てアメリカ大陸に渡った人がいた。チリまで到達して、独自の文化を花開かせた。

●マチュピチュ
 レポーターは藤井康生アナ。麓の村から高度差400mをつづれ折りに登った山の上にある。バスを降りてからもかなり山道を歩かないといけない。マチュピチュの標高は2400m。15分ほど登ると急に視界が広がった。最盛期の人口は500人以上と考えられている。全て石造り。
 遺跡の一番高い場所には、奇妙な形の石が置いてある。インディワタナ(太陽をつなぎ止める石)と呼ばれ、朝日の昇る方向を観測し、暦を作る儀式が行なわれていた。コンドルの神殿は豊作を祈願したと考えられている。
 マチュピチュの東70kmにあるカルカという村を訪ねた。インカ帝国時代から続く農村。ここのシュプリアン・フィゲロアさんに話を聞いた。ここのアンデレス(段々畑)で栽培されているのはトウモロコシ。これで作るチチャという酒がある。フィゲロアさんのお宅では40リットルのチチャを週に3回作るそうです。特に農作業の合間にたくさん飲むそうです。飲む際には、チチャを数滴大地に落とす。これは神に捧げる神聖な酒でした。
 山の斜面に整然と築かれた段が並んでいる。200以上もあるが、アンデネスと呼ばれる段々畑がある。ここではトウモロコシが栽培され、チチャが作られていたに違いない。
 マチュピチュの北側にそびえる山の頂ワイナピチュの標高は2690m。ここにも段々畑があり、そこに至る道がある。頂上にはチチャを捧げたと思われる祭壇が築かれていた。
 トウモロコシの先祖のテオシントレは1つの穂に10粒しか実をつけていない。古代の人はそれを品種改良していったようだ。
 町の中心に壁のない奇妙な建物がある。一つの壁がない建物は建設の途中で放棄されたものだった。さらに高い所に建設途中の建物もあった。人々はさらに山の奥に都市を築こうとしていた。

●テオティワカン
 レポーターは一柳亜矢子さん。今から2200年前の紀元前2世紀に建設が始まった古代都市の遺跡。太陽のピラミッドは高さ65m、底辺の長さは220m。エジプトのクフ王のピラミッドに迫る遺跡最大の建造物。月のピラミッドは高さ46m。7世紀にテオティワカンが滅亡すると、2つのピラミッドの意味は忘れられてしまった。テオティワカン遺跡復元プロジェクト主任のアレハンドロ・サラビアさんは太陽のピラミッドの調査を行なっている。発掘用のトンネルに特別に入れてもらった。王の墓も通路も全く発見されていない。これらのピラミッドは神殿をいただく台座だった。だから登るための階段がある。ピラミッドの表面はしっくいで固められ、頂上には神殿があったと考えられている。最近、そこで人間の頭蓋骨が見つかっている。この骨の分析をしているのが、愛知県立大学の杉山三郎教授。生け贄にされて打ち首にされたのだろうと予想している。後に、日食の際に人々は悲しみ、終ると神に感謝し生け贄を捧げた。

 今から10年前、標高6300mのアンデス山頂でも少女の遺体が発見された。これも山の神に捧げられたものらしい。

●ソチミルコ
 ここも世界遺産で、水路が発展している。浅い沼を少しずつ埋め立てて、自然の恵みを生かした独特の農業が営まれてきた。土に太陽の恵みを与えるチナンパと呼ばれる農法です。水路の土は肥沃な土で、陸にあげると太陽の光で微生物が活発に働き、より肥沃になる。トウモロコシの収量は1.5倍になるという。

●テオティワカン
 遺跡の隣に人々の暮らしを描いた壁画が残されていて、チナンパ農法も描かれていた。


テレビ番組「伊藤英明インカを歩く、天空から秘境へ!幻の「王の道」8000キロの旅」

 2006年1月28日放送。伊藤英明が出演。標高2400m、ペルー・ウルバンバ地方の山々は霧におおわれて、鋭い尾根が独特のシルエットを映し出していた。その中に「王の道」が見えた。今から500年前、広大なインカ帝国に4万キロにわたって張り巡らされていた。わずか200人のスペイン人によりインカ帝国は滅びた。王の道は山から海へ、海から湖へ、湖から天空の遺跡へ通じる。中部日本放送制作。

●マチュピチュ
 王の道からマチュピチュにアプローチした。芸術的な石の建築物。遺跡を歩くうちに、どんな人たちがこんな遺跡を作り、忽然と消えたのかと思った。すごくバランスが取れている。

●クスコ
 標高3500mの500年前のインカの都。日本から飛行機を乗り継いで24時間。人々はスペイン語を話すが、民族衣装の人はケチュア語(インカ時代の言葉)を話す。クスコはケチュア語で「へそ」の意味。石畳やバルコニーはスペイン人によって付け加えられた。石組みの壁はインカの名残。12角形の石はちゃんとはまっているが、誰も説明できない。
 コリカンチャ(太陽の神殿)には、黄金で埋め尽くされた部屋があったという。スペイン人は黄金を根こそぎ持ち去り、神殿の上に教会を建てた。

 丘の上には「サクサワマン遺跡」がある。防衛のためのインカ時代の要塞。高さ6m近い石もある。4万キロの王の道は全てここにつながっていた。当時のインカ帝国は南北4000kmの地を支配していた。彼らは自分たちの地をタワンティンスーユ(4つの地方)と呼んでいた。

 クスコの南にあるティポン遺跡。特別なインカ時代の道が残されている。当時は石が敷き詰められ、並木が植えられていた。
 クスコ周辺にはインカの名残が多い。アンデスの語源となったアンデネス(段々畑)がある。時に2000mの高度差に渡って作られることもあり、上下で作物が変わるほど気温が違う。
 モライ遺跡はその段々畑が不思議な円形をしている。段と段の間の畑は約10mで、段差は1.5m。農業の実験場だったという説もあるが、祭壇の役目を果たしていたのでは?という説もある。
 マラス塩田は昔海だったので、山から流れ出す水には良質の塩が含まれている。濃い味だそうです。500年以上前から同じ方法で作られている。

●チチカカ湖 Lago Titicaca
 クスコの南東400kmにある標高3800mの湖で富士山よりも高い。水温は12度、深さ270m、面積は琵琶湖の12倍。湖に浮かぶいくつかの島に昔ながらの生活をする人が住んでいる。
 港から船で30分、ウロス島に到着。民族衣装の娘たちが迎えてくれた。この島はトトラ葦の根の部分を束ねて1m重ねて、その上に1mの土台をのせ、その上にできている。1年毎に作り変えているそうです。ウロスには約40の島があり、大きな島には300人以上が住んでいる。家もトトラでできていて、アイマラ語で話をする。
 男たちはカラチという独特の魚を捕まえて、女たちが市場で売っている。またトトラの上でジャガイモやネギを栽培している。ウロス・トゥリブーナ Uros Tribuna 小学校を訪問した。初代インカ皇帝のマンコ・カパックのことを教えていた。トトラは食べられるが、子供たちはトトラを食べてくれたのが嬉しいみたいでした。

 王の道は物資の移動以外にも、情報伝達として重要だった。当時はチャスキ(飛脚)が行き交った。インカ以前のモチェ時代にも鳥の形をしたチャスキの姿らしきものが描かれていた。文字を持たないので、キープという紐が利用された。結び目は10種類の数字を意味し、3ケタの数字であらゆる情報を伝えることができたという。

●クスコとチチカカ湖の間の村
 あるレストランでカンカチートをいただいた。カンカチョは羊の肉にニンニク、塩、秘伝の香辛料を加えて、トウガラシを加えてすりつぶして水を加えて肉に塗りこんで蒸し焼きしたもの。羊はスペイン人が持ち込んだもの。昔のインカの人はクイ(モルモット)を食べていた。今でも好きだそうです。焼いた姿は、ちょっと〜でしたが、鶏肉と豚肉の間の味だそうです。

●ナスカ
 インカ以前のプレインカ時代のもの。1500年くらい前?。人骨も多い。当時はネクロポリス(死者の町)つまり墓場だった。博物館には1000年以上も前のミイラが置いてある。
 地上絵を空から見た。インカの象徴でもあるコンドル、ハチドリ、クモザルなどがある。

 パレドネス遺跡は、らせん状の穴。うずまきの下にはアンデスからの地下水が流れている。これを灌漑に使って農作物を作っていた。穴は水路がつまった時に掃除するためのものらしい。雨季に降った雨は何百kmも移動し、砂漠の人々を潤していて、今でも利用されている。

●チクラヨ Chiclayo
 クスコの北2000km。モチェ時代の海岸の町。子供たちはトトラで作った葦船で遊んでいた。ホセ・ニコラス・ガラン・ディアスさん(52歳)が葦船を作るところを見せてくれた。
 伊藤さんは朝5時に地元の人と海に出て、葦舟漁で猟をした。海が荒い。沖ではペリカンが海に飛び込んでいた。寒流なので冷たい。シャコの切り身で釣る。横ではフンボルトペンギンが泳いでいた。いくつか釣れました。夕方に浜辺で売っている。ロブスターは20ソーレス(700円)。
 この地はかつてインカ時代に黄金製品を作っていた。9年前に3−7世紀に栄えたモチ文化の遺跡シパンから数多くの手付かずの黄金の埋葬品が発見された。シパン博物館に置いてある。ここから黄金がクスコに運ばれたという。

●クスコ周辺コタバンパス村
 コンドル・ラチというお祭りがある。一種の闘牛で、背中にはコンドルが乗っている。コンドルはインカの象徴、雄牛はスペインの侵略者の象徴とも言われている。儀式が終るとコンドルは山に返される。

●アウサンガテ Nevado Auzangate
 クスコの東南東で、車で7時間の霊峰(標高6390m)。行く途中で、12歳と9歳の子が羊の放牧をしていた。トウモロコシとそら豆の塩茹でのお弁当を持っていました。

 パクチャンタ村(4200m)に到着。エンリケ・マンドゥラ・メルマさん(33歳?)が出迎えてくれた。人々はアウサンガテに日々の祈りを捧げることで、日々の糧を手に入れることができると信じている。祈りを捧げるための特別な場所に連れて行ってもらった。家畜を放牧するために絶妙な石垣が築いてあった。馬で2時間、アウサンガテがきれいに見える湖(4500m)で、音楽を奏でながら祈りを捧げた。村人たちは祈る時にコカの葉を使う。コカの葉を口元にかざして願い事を声に出して祈る。祈りが終るとコカの葉を口に含む。
 村に戻ってアルパカの毛を刈り、山の神に感謝した。じゃがいもを育てる。女性はアルパカの毛で編物をする。夕食はじゃがいものスープ。「アイニ」という労働による相互の助け合いシステムがある。インカ時代には国レベルで行なわれた。
 降るような星空の下で温泉?に入りました。夏が近いとはいえ、気温は氷点下になることも少なくない。
 エンリケさんの父は毎週日曜に徒歩2時間の町の「市」にアルパカの毛を売りにでかける。家畜市場は一番人気。野菜も多い。パカイというフルーツもある。海藻(コチャユーヨ)もある。みんな助け合い、補いあっている。
 エンリカさんの三女マグノリアちゃん(4歳)が髪切りの儀礼(ウマ・ルトゥーチ)を行い、伊藤さんは彼女の代理の父(パドリーノ)、将来に渡って子供の成長を見守る第二の父親になった。これ自体はキリスト教の風習。みんなが将来にわたり贈り物をしてくれます。人生は一人で生きていくものではなく、みんなで助け合って生きていくもの。


テレビ番組「世界の絶景100選。5回目」

 2005年10月10日放送。司会は内藤剛志、久本雅美さん。審査員は上戸彩、谷原章介、橋田壽賀子、船越英一郎、さまぁ〜ずさん。今回は、数ある絶景の中から「水辺で迎えるクライマックス」にこだわり、バリエーションに富んだ至高の絶景5カ所を紹介しました。フジテレビ製作。

●南太平洋ロタ島
 アンガールズが紹介。サイパンを経由して3時間半で到着。アメリカ合衆国の自治領北マリアナ諸島にある。テテト・ビーチ Teteto beach は真っ白な砂浜と透明に澄んだ海の美しい海岸。案内はジャン・A・バルシナスさん41歳。
 ロタ・リゾート&カントリー・クラブに宿泊。ここのプールでダイビングの練習をした。次に海で練習した。15mくらい潜るが、透明度の高いきれいな海です。その青さからロタ・ブルー Rota Blue といわれている。バーベキューをごちそうになったが、トカゲ Maniter Lizard だった(笑)
 岬の向こうのロタ・ホールに船で向かう。穴は海の中にあるという。ロタ・ホールは自然にできた洞窟で、L字型になっていて、Lの字の一方が、地上に口を開けている。そのため、太陽が真上にきた時に、洞窟の底まで光が差し込む。晴れた日だけ素晴らしい絶景が見られる。地上の穴は直径2mでわかりにくい場所にある。見られる時間は限られている。スコールの中を船出したが、雨があがったので、潜った。太陽のスポットライトがきれいに見えました。年に数十日しか見えないそうです。

●スイス・アイガー北壁
 杉田かおるさんが紹介。アイガー(3970m)の北壁は1800mの絶壁で、登山家の4人に1人が命を落としていて、悪魔の棲む山と呼ばれている。案内はローランド・ビエリさん33歳、イケメン山男独身。アシスタントの犬はパトラッシュ10歳です。人生を見つめなおすために杉田さんは来ました。
 ラウターブルンネン駅(スイス登山鉄道)Lauterbrunnen にやってきた。窓の外には牧歌的な風景が広がりました。メンヒ、ユングフラウなどの山々も目の前。案内人は2人乗りパラグライダーに乗って絶壁を越えようと提案した。アイガー北壁の西の麓から出て北壁を横断し、裏にまわってグリンデルワルドの三ッ星絶景を楽しむ。初めは走らなかったから飛べなかった。2時間走る練習をしてから休憩し、チーズフォンデュをいただきました。
 宿泊はグリンデルワルトのグランド・ホテル・レギーナ。鉄道で麓のクライネ・シャイデック駅からユングフラウ鉄道で麓の登山道入口の駅まで行き、パラグライダーが飛び立てる場所まで1時間北壁を歩いて登る。濃い霧が出て1時間待った。小石の多い牧草地の上で向かい風を待ち、駆け下りて飛び立ちましたが、とても落ち着いてお話していました。アイガー北壁の氷河を越え、目の前にグリンデルワルドの村が、向こうには高い山が広がっていました。素晴らしい景色に感動していました。全身がアルプスの山々に包みこまれる感じでした。

●カムチャッカ半島
 的場浩司さんが紹介。日本から北に1300km。新潟からウラジオストック経由で飛行機で約7時間で到着。カムチャッカとは「火の国」の意味で、面積は日本とほぼ同じ。手つかずの自然が色濃く残るこの地は、いわば絶景の宝庫。樹海の奥に眠る神秘の湖、クリル湖を目指すが、そこにたどり着くためには、ヒグマを越えないといけない。1万5000頭もいる。案内人はWGVCのガザエフ・ドミトリーさん42歳で、ロシア政府レスキュー隊の副隊長。息子のニキタ君9歳もサポートしてくれた。鉄砲を持参している。
 軍用トラックで移動し、ヘリポートから20人乗りの元軍用大型ヘリで200km先のカムチャッカ最南端のカムチャッカ富士を目指す。しかし、ヘリは180km地点に着陸。7人乗りのボートをふくらませて、ボートで川を行く。ここからはひぐまが多くいるが、川は入れ食い状態で、ニジマスが多く釣れた。熊が川の中を走った。次に40m先にひぐまが登場し、魚を採った。ヒグマ brown bear は体重400−500kgで体長は2.5〜3m。河原でキャンプ。特製カムチャッカ丼(サケ、イクラ、マスの卵)をいただいた。イクラはロシア語。夜中に熊が現れ、ガザエフさんは威嚇射撃しました。
 川の中にベニザケが多くなって川が赤くなっている。200万匹いるそうです。ゴールが近いが、熊が5頭登場。おっかないが、可愛い。目の前にカムチャッカ富士がクリル湖(Kurilskoye)の向こうに姿を現しました。イリンスキー山(標高1577m)で、気象の変化が激しいので、滅多に全貌を現さない山で、幻の山とも言われている。

●ペルー・ナスカ
 永作博美さんが紹介。世界の七不思議は「エジプト・ギザのピラミッド」、全長3500kmの「中国・万里の長城」、600体の「イースター島のモアイ像」、「カンボジアのアンコール・ワット」、700年以上傾いている「イタリアのピサの斜塔」、紀元前600年に存在したという「イラクのバベルの塔」と「ナスカの地上絵」。今から2000年以上前に描かれたもので、1個は全長100m以上に及び、その様子は上空からでしか理解できない。
 ロサンゼルス経由でペルーの首都リマに24時間かけて到着。リカルド・エストラーダさん64歳が案内。先祖がナスカの地上絵を描いたと言い切る。リマから450kmで車で7時間、Lineas de Naska の標識が見える。真中にいると言われてもわからない。溝が見えたが、ハッキリしない。溝の大きさは幅20cm、深さは10cm。酸化した黒い小石を取り除いて、白い地肌を露出させただけ。ドイツの学者が建てた高さ20mの「研究用観察やぐら」に連れて行ってくれた。全長70mの「手」が見えた。この先にもっとすごいのがあるという。1936年に地上絵が発見された。今はセスナを利用するのが一般的になったが、リカルドさんは絵を描いた古代人と同じ方法で見るという。夜は地元の人に一番人気のレストランでチキン丸々をいただいた(笑)。人気はチキンの炭火焼き(800円)。
 朝5時、地上絵のところに行って、気球に乗る。古代ナスカ文明は高度な織物技術を持っていて、現在のパラシュート程度の強度があって、充分気球の素材になりえたそうです。ナスカ周辺で出土した土器には、熱気球のような模様が描かれていたという。この熱気球説を唱えるのが、アメリカ探検家協会のジム・ウッドマンさん。彼は1975年、当時存在した材料だけで熱気球を作りナスカ上空を飛んだ。現在はこの地域は立ち入り禁止なので、「手」の横のところから飛び立って越えながら全貌を見て、着陸するようになった。今回の気球パイロットはデニ・バレットさん(マジカル・アドベンチャーズ代表)で、熱気球世界大会3年連続優勝のすご腕。
 朝6時に風船を飛ばし、風向きを調べ、飛び立とうとするが、気球が破れた。翌朝、再挑戦したが、強風で中止。その次の日に飛びました。上空は寒いからとリカルドさんが服を着せてくれました。上がると朝日が出ました。丘を越えると、ハチドリ Humming Bird、クモ Spider、コンドル Condorなどが見え、永作さんは感動で涙。

●スペイン・アンダルシア
 中尾彬・奥菜恵さんが紹介。アリタリア航空でイタリアを経由して飛びました。15時間。
 ブニョール Bunolの町は、バレンシア地方で人口1万人、気温41度。案内人はハビ31歳、プロのギタリストのアレハンドロ24歳の兄弟。総勢18人の大家族の家に招待して食事をしました。中尾さんがお祭りに行くことになった。静かな町だが、お祭りの日は竹下通りほどの通りに人がつめかけた。高いところから見る中尾さんの目には4万人の群集。上半身裸の人やゴーグルをつけた人が目立つ。号砲を合図にスタート。いきなりトラックからトマトが投げつけられるトマト祭りが始まった。トマトの量は140トン、トラック6台分、100万個。祭りの参加は自由で、ルールはトマト以外は決して投げないこと。中尾さんも参加し、1時間トマトを浴び続けた。
 グラナダ Granadaに到着。色がきれいなアルハンブラ宮殿 Palacio de la Alhambra が丘の上に見える。13世紀前半、イスラム王朝歴代の王が100年以上かけて築きあげた宮殿。2時間歩いて登る丘の上から見える宮殿が絶景だと言う。全長6kmを歩く。町には石畳でできた穏やかなユニークな上り坂が続き、細い路地も素敵。階段が多い。中尾さんは中国桂林で最後の部分でのサンシャインビルに相当する高さの階段登りで苦労した記憶がある。その後の1時間は整備されていない砂利道。2時間後、やっと到着。夕陽に染まるグラナダの町と赤い城、アルハンブラ宮殿が見えました。アレハンドロさんが「アルハンブラ宮殿の思い出」を演奏してくれました。自然に涙がでました。

http://www.fujitv.co.jp/zekkei100/index.html


テレビ番組「パカポカ地球家族2005年7月16日はペルー・クスコに住む八幡さん」

 世界で活躍する日本人を放送する番組。クスコはアトランタ、リマを経由して24時間以上かかった。クスコは16世紀までスペインに征服されるまでは、インカ帝国の首都して繁栄していた。現在は街並みが世界遺産に指定されている。カミソリの刃も通さない石壁は、今も作り方が謎の高度な技術です。標高3360mの高地。
 ここに住むのが八幡征治さん(46歳)一家で、奥さんはユセフさん(43歳)、長女は玲子さん(11歳)、長男は陽君(8歳)、次男は清次君(5歳)。自宅はスペイン統治時代の住宅を改造したもので、築100年、敷地750平方m、価格15万ドル(1600万円)、手入れはしていない。クスコの街並みを一望できるベランダが自慢。庭には500年前の石壁があり、遺跡。八幡さんは自転車で世界を9年間に8万キロを走破したバックパッカーだった。今は自宅の隣にペンション八幡を営んでいる。17ベッドで1泊食事なしで1人6ドル。洗濯機の使用は無料。
 奥さんのユセフさんは中心街アルマス広場でお土産屋「トップアート」を経営している。金のペンダント225ドル、銀の指輪25ドル〜などペルーの特産品を売っている。毎晩10時まで店に立ちます。
 中央市場では、ジャガイモが1kg0.5ソル(20円)〜で売っている。種類は20種類以上でここが原産地。パパ・アマリージャは1kg20円〜で、中が黄色。トウモロコシもアンデスが原産で、淡白な味のものは5個1ソル(30円)。紫トウモロコシは1kg1.8ソル(60円)。
 紫トウモロコシは実をほぐし、20−30分茹でる。煮汁に砂糖やレモンを入れて冷やし、好みでバナナやパイナップルのスライスを浮かべる。出来上がったのが、ペルーの国民的飲み物チチャ・モラーダ。高地なので85度で水が沸騰する。ご飯も圧力釜で炊く。クスコの一家だんらんはお昼で、昼食は「チキンの野菜ソース煮込み」、スープは「ソパ・デ・リサ」というクスコの伝統的なスープでした。
 八幡さんは築150年の民家700平方mを10万ドル(1100万円)で購入。現在本格的なホテルに改造していて、今年9月オープンします。

 クスコで一番人気がある料理は豚肉料理で、「ロス・ムンディアリスタス」という豚肉料理専門店に行く。「アドボ」は豚の煮込みで7ソル(230円)。中には辛ピーマンが入っていて、ガブリといくと飛び上がるくらい辛いそうです。辛い味はスープに出ていますが、とうもろこしから作るどぶろくを使って作るそうです。
 「パパ・ア・ラ・ワンカイナ(ジャガイモのチーズソースかけ)」も一般的。カッテージチーズ、イエローホットペッパー、牛乳、にんにく、卵、エバミルク、クラッカー、サラダ油で作る。

●周辺の見所
 クスコの近くにあるのは、マチュピチュ、チチカカ湖、ナスカの地上絵。

●マチュピチュ
 ここに行くには、クスコの駅から観光列車ビスタドームに乗る。マチュピチュ入場料も含めて往復125ドル〜。2年前まで観光ガイドをしていた八幡さんにマチュピチュを案内してもらった。クスコから3時間。ブエンテ・ルイナス駅に到着。バスに乗り換えて20分、終点で降りて、山道を15分歩くと目の下にいきなり空中都市が現れる。標高2800m、発見されてまだ100年経っていない。トウモロコシの段々畑もある。

http://www.tv-asahi.co.jp/chikyukazoku_2003/frameset/02_program.html


テレビ番組「世界の絶景100選!3回目」

 2005年1月29日放送。司会は内藤剛志、久本雅美さん。審査員は田中美佐子、高橋英樹、橋田寿賀子、さまぁ〜ず、船越英一郎さん。フジテレビ製作。

●アイスランドのオーロラ
 石原良純、篠原ともえさんが旅をした。幸運が重ならないとなかなか見られない。アイスランドは北海道を一回り大きくしたくらいの大きさで、火山の島。島のあちこちで温泉が湧き出している。ブルーラグーンは世界最大の露天風呂。アイスランドはオーロラが発生しやすいオーロラ帯に国全体がすっぽり入っている。
 レイキャビークからオーロラガイドの専門家シグマル・ホイクソンさんが案内してくれた。オーロラを見るには「北風が吹くこと」が条件だそうです。まずゲイシールに行く。間歇泉が5分に1度の間隔で噴出しました。西風で、前線が南下するというので、北へ向かう。途中、溶岩の大地を発見。アポロ11号のアームストロング船長たちが月面歩行の練習をした場所。4時間かかってオーロラ観測ポイントに到着。テントを張ったけど、風が強くて飛びそうになった。夕食は魚介盛り合わせとラム盛り合わせ。これを焼いた溶岩の上に置いて焼く。深夜12を過ぎて氷点下10度以下になった。午前5時、雲が切れなくてダメ!
 宿泊はレイキャビィーク・グランド・ホテル。翌日は雪。「オーロラ観測ステーション」を訪問。オーロラ発生の仕組みを教えてもらった。太陽の爆発によって起こる太陽風の粒子が地球の地場に引き寄せられ、酸素・窒素などにぶつかって発光する現象。地上数百kmで発生する。E・ヨハネソンさんが太陽活動のグラフを見せてくれた。2日前に大規模な爆発があったので、今晩、地球に届くという。10年に1度の大規模なもので、大規模なオーロラが見れるという。晴れている場所を探して、テントを張った。
 撮影は特殊高感度カメラを使用。夜10時、空が白くなってきて緑色に変化してきて、カーテンのようなオーロラが出現しました。360度に広がるオーロラでした。

●イタリアのフィレンツェ
 井上和香、辰巳琢郎さんが旅をした。500年前のルネッサンス時代のたたずまいを今も残し、「街全体が美術館」の瞬間がある。
 まずはピサに行って、ピサの斜塔を見た。1990年〜2001年は入場禁止になっていた。今は人数制限をしているが中に入れる。ここの頂上はガリレオ・ガリレイが落下の実験を行なった場所。ここでガイドのフランチェスコさんが声をかけてきた。もっときれいなフィレンツェに行きましょう。
 竹野内豊さん主演の映画「冷静と情熱のあいだ」の舞台ともなったフィレンツェは、ピサから60km。ヨーロッパで一番美しいと言われる街並み。建物が世界遺産で、パラボラアンテナまでがレンガ色に塗られている。夕方の4時半に「街全体が夕陽と同時に鐘の音色の魔法に包まれる奇跡の絶景」がある。
 プラダやカルティエ以外にも食事などの誘惑も多い街。ポンテ・ヴェッキオ(古い橋)に行く。500年前の姿を見せているフィレンツェで最も古い橋。美観を守るために、橋の上に店を構えることができるのは、貴金属店のみ。その先にはミケランジェロやレオナルド・ダ・ヴィンチも歩いた細い路地が多くある。サルヴァトーレ・フェラガモ本店に行く。1927年創業の老舗です。井上さんは靴を購入。
 次はサンタンブロージオ市場 Sant' Ambrogio Market に行く。市場の中で食べられる、行列のできる店「ダ・ロッコ da Rocco Trattoria 」に行く。車えびのリングイネ(950円)、ポルチーニ茸のソテー1100円、ジェラート650円をいただいた。イタリアン・ジェラートはフィレンツェが発祥と言われている。
 サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂 Santa Maria del Fiore は街の中心にある。高さ116m、幅153mで約3万人を収容でき、ゴシック建築物ではイタリア最大の高さと大きさ。直径42mの屋根の部分の丸天井には壮大なフレスコ画「最後の審判」(ジョルジョ・ヴァザーリ作)が描かれている。それを上回る絶景がその絵の上に待っている。頂上まで106m、463段の階段を登る。眼下には一面の赤色が広がっています。そして鐘が鳴りました。でも、私の感想だと、画面の色は実際のオレンジ色とは違っていました。

●アルゼンチンの大氷河
 片瀬那奈さんが旅をした。パタゴニアは荒涼とした風景。ロス・グラシアレス国立公園 Parque Nacional Los Glaciares はグラシアレスとは「氷河」という意味。そのクライマックスは青い氷河の尖端が湖に崩れ落ちる瞬間。そこにはミラノ経由でブエノスアイレスに向かい(30時間)、さらにカラファテ El Calafate の町に3.5時間飛んだ。案内人はペドロ・ガラハンさん(48歳)で、氷河の研究家です。
 まずは氷河が溶けて出来た「アルヘンティーノ湖 Lago Argentino 」に行った。氷河が動く時に削った岩石のミネラル成分が混ざるために、エメラルドグリーン(レイチェ・グラシアールと言われる)〜乳青色に濁った独特な色をしている。さらに太陽の光を反射して美しく色を変える。出航から1時間、湖の中に青い氷山が姿を見せた。クルーズ船の3倍。しかし、湖の上のものは3割以下で、水の中に7割以上隠れている。氷河の氷は、透明度が高いので、青以外の色を吸収し、青だけを反射するので青く見える。そして、目の前に世界一美しいと言われる全長35キロの「ペリト・モレノ氷河 Glacier Perito Moreno 」が巨大な姿を現しました。高さ60mは、20階建のビルに相当し、幅は約5km。ペドロさんが「あの辺が崩れそうだな」と言った場所が崩れた!地球が氷河期だった1万年前と変わらない姿をしていると言われています。生きている氷河と言われ、活発に動くと言われるこの氷河は1日に2mも動く。
 氷河の上に行くために、横に船を着けて、林の中を歩く。サイズもすごいが、青色もすごい。滑り止めのアイゼンを履かないと、氷河の上を歩けない。クレバスができて氷河が崩れていくという。氷河の中には青くておいしそうな水があった。氷河の上に立つと、まぶしいが360度のパノラマが広がっていた。かき氷を作って食べましたが、他の観光客もいただいて好評でした(笑)
 青い氷河の崩壊が見られるという展望台に行く。アンデス山脈に降った雪が数万年後に崩壊する時を見る。まわりの気温が高くなってきたら次第に大きな崩落を起こすようになった。待つこと2時間程度。何度も大きな崩落を見ることができました。

●ペルーのマチュピチュ
 保坂尚輝さんが旅をした。幻の天空都市。500年以上前に黄金で栄えたインカ帝国の都市で、95年前に発見された。ロスを経由してクスコに到着した。クスコはインカ帝国によって栄えた町で、500年前にスペインにより滅ぼされた。案内人はラミロ・ペレスさん68歳。愛称は「マチュピチュのパパ」。クスコが標高3360m、ここのサンペドロ駅 Estacion San Pedro から列車に乗る。一番前の特等席を用意してくれた。この列車には酸素ボンベが積んである。ここからアグアス・オリエンテス駅まで100km、3時間30分の旅。車窓にはアンデスの絶景が見える。谷に沿って列車は登っていく。到着したらバスに乗ってくねくね登っていく。道は舗装されていないし狭い。マチュピチュの発見者にちなんで名づけられたハイラム・ビンガム・ロード Hilam Bingham Road という狭く曲がりくねった坂道。昔、ここをグッバイ・ボーイが駆け下りていた。そこから登って、マチュピチュ Machu Picchu の上に到着した。いつ何のために作ったのかわからない謎の都市。
 遺跡は、山から切り出された石でできている。太陽の神殿 Tempio del Sol は位の高かった人のミイラが安置されていたと考えられている。隣の鋭い山ワイナピチュ Huayna Pichu の上からマチュピチュを見た者には幸運が訪れるという。マチュピチュは頂上から見るとコンドルの形をしている。コンドルが幸運を運んでくるという。ラミロさんの代わりにロナルドくん(9歳)が山に連れて行ってくれた。しかし、その道の険しさは想像を絶するもので、薄い空気の中で、高さ300m、最大斜度は60度を越える山を登った。45分で中腹に到着。子供は平気で上って行きました。1時間30分でやっと到着。眼下には右手にマチュピチュの遺跡、真中には棚田のような段、左手にハイラム・ビンガム・ロードが見えた。上から見ると確かにコンドルの形に見えました。そして左手には虹が見えました。

●南アフリカの希望峰
 菊川怜、宇梶剛士さんが旅をした。日本から遥か1万5000kmもの地にある、世界中で最も有名な岬「希望峰 Cape of Good Hope」がある。冒険家バスコ・ダ・ガマが初めてその岬を越え、インド航路を発見した偉業を称えて名付けられた。彼は到着した時上陸できなかったそうです。バスコ・ダ・ガマが憧れていた大西洋とインド洋の2つの大海が出会う喜望峰からの絶景を目指す。二人は香港経由で20時間でケープタウン Cape Town に到着。アフリカ大陸一の発展を遂げた奇跡の街で、テーブル・ベイ・ホテル Table Bay Hotel に宿泊。案内人はレラーニ(32歳)とデービッドさん(43歳)。
 菊川さんは4WDで「インド洋周り」、宇梶はバイクのサイドカーで「大西洋周り」と、別々のコースに分かれて喜望峰を目指した。
 「インド洋周り」の菊川さんは、まず南アフリカで一番美しいと言われるビーチ「ミューゼンバーグ Muizenberg 」に到着。カラフルなおもちゃ箱のようなビーチハウス(海の家?)が並んでいるが、その先はきれいな砂浜が10km続き、海はエメラルドグリーン。さらに車を走らせると「ペンギン注意」の標識。ボルダーズ・ビーチ Boulders Beach に降りてみると、砂浜にペンギンの大群が休んでいました。アフリカ・ペンギンで、体長およそ80センチ。次にペンギンと一緒に泳げる、地元の人しか知らない超穴場の素敵なビーチに連れて行ってもらいました。次にレストランで「ダチョウの卵の目玉焼き」3000円をいただいたが、直径60cmとでかい!大きさ20cm程度の卵は殻の厚さが2mm程度ある。
 「大西洋周り」の宇梶さんは、まず2万羽というケープ・カツオドリ Cape Gannet のいる「ランバーツ・ベイのバード・アイランド Lambert's Bay Bird Island 」に行く。地面が白く見えます。豊富な魚を食べて育つので大きく、全長90cm、羽根を広げると2m近くになるという。次にハウト湾 Hout Bay に到着し、この半島で一番シーフードがおいしいと言われるお店でシーフードを堪能。「ロブスターのキャビア添え」9匹、「大西洋産の生がき」15個をたいらげた。
 どちらも喜望峰の入口に到着。両側は平原な場所を走り抜け、希望峰に到着。岬の上に上がると、岬全体が見えるという。30分?登ると岩場となった。それを登りきると、目の前にはインド洋と大西洋という2つの大海が出会う絶景が広がっていた。

http://www.fujitv.co.jp/zekkei100/


テレビ番組「世界一周“食材の旅”トマトの不思議大紀行」

 2005年1月23日放送。陣内孝則、市毛良枝、森公美子さんが出演。トマトの年間生産量は2001年1億25万トンで、世界で一番多く食べられている野菜。トマトが日本で食べられるようになって100年、世界を巡り、トマトの知られざる物語やさまざまな謎を解き明かす。中京テレビ開局35周年記念番組。

●イタリア・ナポリ
 陣内孝則、森公美子はイタリアのナポリを訪問。イタリアではトマトはポモドーロ(黄金の果実)と呼ばれ、150種類以上もある。マラフロンテ・サルバトーレさん宅を訪ね、トマトソース作りやナポリ風ピザ作りに挑戦。まずトマトを洗い、沸騰したお湯に入れてトマトソースを作る。180kgで6人分の1年分で、甘くて酸味の強いローマ種を使う。洗濯機のモーターを再利用していた。トマトは食べるだけじゃなくて、美容にも使っているという。輪切りにしてパックにも使うという。瓶詰めにしてドラム缶の底から丁寧に積み上げていく。湯をはってじゃがいもを入れて熱していく。生のじゃがいもが煮えたら完成。
 お礼にピッツァ・ナポリターナを作ってくれた。生地にトマトソースをしいて、モッツァレラ・チーズとバジルの葉を散らし、釜で焼きます。ピッツァ・マルゲリータ。
 ほかにイタリアのトマト料理の誕生秘話やトマトの料理以外の活用法などを紹介する。

●ペルー
 市毛さんはペルーのアンデス山脈に行く。ここがトマトの故郷だと言われる。ここでトマトの野生種を発見するために案内してくれたのは、ペルー国立農業大学元教授のビンセンテ・ラズリ博士。ラペルラ・アルタ Laperla Alta という村から先は車で行く道がないので歩いて行く。標高2200mで乾燥した土地です。ここからはロバを使う。この時期は黄色い花が咲いているはずというのを目印に探して見つけた。リコペルシコン・ビルスータムといい、雑草みたいで、実は緑色で親指の爪ほどの大きさ約8mmほど。これで完熟しているといて、食べてみたらトマトでした。根に秘密があるそうで、地面が乾いているので、地中深く張り巡らしている。野生種は多年草で実、茎の毛から空気中の水分を吸収しているそうです。

●メキシコ
 もともとは小さな果実だったトマトがどのようにして世界中に広まったのかを調査するためメキシコへ向かう。鳥によってメキシコに運ばれたという。メキシコ・シティの中央市場でメキシコのトマト事情を探った。
 屋台では鉄板にザク切りトマトを置いて焼いて甘味を引き出し、唐辛子を焼いてモルカヘテという石臼でひき、さらにトマトを入れてつぶして混ぜ合わせる。「サルサ・デ・モルカヘテ」というサルサにして食べる。国立人類博物館には4500年前の遺跡から発掘されたモルカヘテがある。このサルサを使ったものがタコス。牛肉を焼いて、メキシコ人の主食、とうもろこしの粉から作ったトルティーヤにはさんで、サルサをかけて食べるのが伝統的な食べ方。「牛肉のサルサ」Tacos de Bistek 。
 有名なレストラン「アローヨ Arroyo 」に行く。ここでは100種類以上のサルサが用意してある。サルサはメキシコ料理の全てに使われる味の決め手。中でも最高傑作といわれているのがサルサモーレ Salsa Mole で、丸ごとトマトを焼いて、唐辛子とミキサーにかけ、仕上げにビターチョコを加えたもの。「鶏肉のモーレ・ソース」 Pollo en Mole は代表的。

 チャピンゴ自治大学の植物遺伝子学のヘスース・クエバス教授の話では、1万2000年前にトマトの栽培が始まり、アステカ時代(1300年代 -1524年)に大きくなったと考えられる。今では観光地として知られる水郷地帯ソチミルコにアステカ時代のハイテク農法が残っていた。

●メキシコ ソチミルコ
 ソチミルコ Xochimilco では、川の底の泥をすくって畑にもっていって育てる。アステカの都は今のメキシコ・シティだが、当時は沼地だった。アステカの人は高度な技術で沼の上に畑を作っていた。チナンパと呼ばれる人工の畑は、葦で編んだイカダで作られた。湖の水を吸い上げ、栄養分を取り込んだトマトは実が大きくなって進化していった。
 ここの畑でほおずきみたいなものを渡された。中には緑のトマトが入っていた。トマテベルデ(食用ホオズキ)という。

 1521年スペイン軍が侵略してきた。第三次探検隊長エルナン・コルテスが率いるスペイン軍がアステカ帝国を滅亡させた。こうしてとうもろこし、じゃがいも、唐辛子、トマトなどの食材はヨーロッパ大陸に運ばれた。

●スペイン
 500年前に入ってきたときには、当時の植物学者たちはマンドラゴラ(毒草)というナス科の植物の仲間だと判断していた。それで食べられることはなかった。貴族の庭園で赤色を増しながら、鑑賞用として栽培された。当時の庶民は飢えに苦しんでいた。庭師があまりの空腹に食べてから食べられるということがわかった。スペインでは長くて重量感があるベラ種が多く、実が実る頃に葉が枯れるので、茎ごと抱え上げて振って、トマトが落ちるので採取している。

●スペイン セビリア
 セビリアは、当時新大陸地域の独占貿易地。陣内孝則さんはバル Bar を訪問。ここの一番人気の料理マグロ・コントマテをいただく。マグロとはブタの赤身のこと。これをバジルで炒め、トマトソースでいただく。「豚肉のトマト煮込み Magro con tomate 」。次は「フラメンカ・エッグ Hucbosa la framenca 」で、野菜を炒め、それにトマトソースを加え、最後に生卵を2つのせて炒めたもの。たまごを潰して混ぜて食べる。半熟の卵がおいしさを引き立たせているようです。スペイン料理の90%以上にトマトが使われているとか。

●スペイン ブニョール
 アンダルシア地方のブニョール Bunol は人口1万人の小さな街。建物の壁をビニールシートで覆い、4万人が集まった。年に1度のトマトを投げ合う奇祭「トマト祭り」に参加。町が提供した120トンのトマトを投げる。みんな上半身ははだかです。喧嘩も起こり、ケガ人が毎年出るそうです。60年続いているとか。1時間後に花火の合図で終了。

●スペイン イスラ・クリスティーナ
 スペイン南部の大西洋に面した漁港イスラクリスティーナ Isla Cristina では、鍋にオリーブオイル、野菜、お米、水を入れて、トマトソース、シーフードをそのまま入れていって、揺すりながら熱を加えた、トマト味の炊き込みご飯。食前酒としてアルコール度25度のリキュールを飲んだ。次は取れたてのサバにトマトソースを加えて炒めた「サバとトマト煮込み Gaballa con tomate 」はサバの臭みが抑えられていた。

●イタリア・ナポリ
 ナポリでは黄金期を迎えた。森さんと陣内さんがナポリタンを食べる。「リストランテ・プレビッシート Ristorante Plebiscito 」では、生のトマトを切り、オリーブオイル、にんにく、バジルを入れて炒める。これにスパゲッティを加えて絡め、バジルをかける。「トマトのスパゲッティ Spaghettial pomodoro 」。パスタにトマトがからんだところでトマトの人生が変わったのだろう。
 1750年頃、ナポリの天才料理人ビンセンソ・コラード Vincenzo Corrado が料理にトマトを活かした。彼の書いた料理本がナポリの国立ヴィットリオ・エマヌエーレ3世図書館にある。1773年に出版されたその本「粋な料理人 Il guoco galante 」は今でもイタリアの料理人のバイブルとされている。彼はトマトはソースとすることで、パスタなどの食材と無限に組み合わせることができる調味料だと書いています。うまみ成分のグルタミン酸が多いトマトソースは肉や魚介類の旨みを引き出すという。
 2001年のトマトの年間消費量は日本人は一人あたり8.9kg、イタリア人は63.6kg。

●イタリア フォジア
 イタリア最大のトマト生産地フォッジア Foggio を訪問した。ローマ種は細長く、水気が少なく、甘味と酸味が強い。トマトは収穫車で収穫していた。トマトは加工用トマトの缶詰工場に集められた。水の中で洗い、高温の蒸気で蒸して皮をむく。4000人の人が皮をとったり完熟してないのを除いている。ジュースと缶詰にして、ロシア、南アフリカ、日本にも送られている。
 ここで日本人に出会った。元イタリア日本大使館料理長の石橋尚之さん。今は東京をはじめ全国19件のイタリア・レストランの総料理長。毎年イタリアのトマトの味を確認してきている。

●イタリア ソレント
 石橋さんのトマト料理の名店を紹介してもらった。ソレントの5つ星「リストランテ・ドン・アルフォンソ1890 Ristorante Don Alfonso 1890 」で、ここに世界中のシェフが一目を置く天才シェフがいる。野菜の魔術師イアッカリーノ・アルフォンソさん。トマトは海に面した日当たりのよい畑でシェフ自らが栽培している、細長い「トマトの帝王」サンマルサーノ種。サンマルサーノをタマネギ、ニンジン、セロリと一緒にワインで煮詰める。豚肉を叩いて薄くしたものにニンニクのミジン切り・松の実・干しブドウ・パセリなどをのせて巻き込んだものをオリーブオイルで焼く。これをトマトソースに入れて軽く煮る。「焼いた豚肉のサンマルサーノソース Braciola di majale con salsa di sanmarsano 」は普通のトマトだと水くさくなる料理が、見事においしいそうです。

●イタリア・シチリア島
 南部のパッキーノ Paccino ではイタリアで一番うまいというパッキーノ・トマトがある。石橋さんと森さんが訪問。真っ赤なプチトマトが大地に並べてあって太陽に当てられている。ドライトマト Pomodori Secchi で、EUで指定されていて、ニセモノも出回っている。収穫したトマトは切って、切り口を上にして、シチリア産天然塩を高いところから均一に振り(甘味を出し、殺菌効果がある)、天日に4日間干す。シチリアはマグロも名物で、伝統のマグロ漁はマッタンツァと呼ばれる追い込み漁。
 「リストランテ・ラジャーラ」Ristorante La Giara では入口にマグロとパッキーノ・トマトが置いてある。オーナー・シェフのバルバガッロ・カルメロさんはトマトとマグロ料理ならまかせなさいと言う。たまねぎを炒めてから生のパッキーノトマトを加え、魚からとったスープを加え、さらにドライトマトを入れてソースを作る。マグロは薄く切り、パン粉をつけて油で揚げる。これを先ほどの酢・砂糖・塩・胡椒などで味付けしたソースに入れて完成。「マグロとドライトマト甘酢風味」 Tonno Rosso Agrodolce 。

●世界のトマト料理
 フランスではトマトはポモダモール(愛のリンゴ)Pomme D'amour と呼ばれている。トマトの上を切り取り、中をくりぬいて、果肉は刻んで合挽き肉、パセリ等と混ぜ合わせてトマトの器に入れ、上にパン粉をまぶして、オリーブオイルをかけてオーブンで焼く。「トマトの肉詰め」Tomate Fareic 。

 トマトの生産量が世界一の中国では、トマトは西紅柿(フォンス)と呼ばれている。強火で炒めて豚の挽肉を入れ、火が通ったところで卵を炒めてトマトケチャップで味付けする。最後に紹興酒で香りづけ。「番茄肉○炒蛋(○は幺2つの下に横棒が1本)」トマトと豚肉と卵の炒め物。中国ではトマトは卵と組み合わせることが多い。中国人が大好物の家庭料理です。

 タイではまずトマトと野菜と魚介類とライス麺を炒め、オイスターソースとナンプラーで味付けし、最後にミニトマトを加えて、軽く炒めると完成。「パットキーマゥ」タイ風やきそば。

 アメリカでは、ホットドッグやハンバーガーにつけるケチャップ消費量が3億リットルとダントツの世界一。ケチャップは完熟トマトに酢と砂糖を入れたもので、ナポレオンが遠征の際に携帯したトマトの瓶詰がケチャップの起源だという。アメリカでは南北戦争や西部開拓時代に携帯食料として発展した。

 日本では、トマトは愛されている野菜の第一位。野菜の売上は1位トマト、2位キュウリ、3位キャベツ、4位ネギ、5位タマネギ。日本に初めて渡って来たのは17世紀。食べられるようになったのは1883年の鹿鳴館時代から。1908年にケチャップの国内生産がスタートしてから一般に広まった。チキンライスと共に有名となった。品種改良によって1981年最高傑作の「桃太郎」ができた。最近人気なのは「完熟トマト」。

●トマトの成分
 ヨーロッパではトマトが赤くなると医者が青くなると言われている。トマトの主な成分はリコピン、カルシウム、ビタミンA、ビタミンB1、ビタミンB2、ビタミンC,マグネシウム、鉄分。今注目されているのは、赤い成分でもあるリコピン Lycopin 。北里大保険衛生専門学校の井上正子教授はトマトの成分が医薬の上ではなくてはならない存在になっているという。


テレビ番組「さらば征平!最後の挑戦」

 2004年5月15日生放送。桑原征平アナが35年間のアナウンサー人生に別れを告げて5月14日、関西テレビを定年退職した。昭和44年150倍の難関を勝ち抜いて入社したが、アナウンサーと言うよりも体をはった仕事が多かった。定年を迎えて、最後の挑戦に挑んだ。八代亜紀、坂東英二、香坂みゆき、桂ざこば、室井祐月、桂きん枝、山口もえ、笑福亭笑瓶、関西テレビアナウンサー一同が出演した。西川きよし、桂南光、やしきたかじん、金村義明、小倉智昭、小島奈津子、徳光和夫、杉本清、桂米朝さんが祝辞を言われました。昔の番組をビデオでいろいろ紹介していました。今後は大阪芸術大の客員教授だそうです。関西テレビ製作。

 征平の挑戦、体当たりランキング。昭和50年阪急ー広島の日本シリーズ直前に、阪急ファンを探しに広島に乗り込むという企画を実行したのが最初。これから10年以上に渡り、挑戦した数は200以上。ランキングを発表。10位は裸でスキー。9位は荒馬!おまんと祭り(愛知県高浜市)。8位は殺人拳。7位は寒中みそぎ。6位はタイボクシング。5位はアメリカで人間大砲(15mくらい)。4位はトド・ロディオ。3位はメキシコの闘牛。2位は本場スタントマン。一番すごかったのは、背中に火をつけられた分。1位はライオン。昭和58年、自宅で猛獣をかっているアメリカのお宅を訪問。虎とライオンに少しガブリといかれました。他にも木下サーカスでの18mブランコや、アカプルコの飛び込みとかがあったそうです。
 人生を振り返ってみましたが、省略します(笑)が、水泳では国体にも出場したそうです。

●ペルー
 最後の挑戦はペルーでのグッバイボーイ。観光バスがつづら織りのカーブを降りてくるが、子供たちがもっと急な坂を駆け下りてバスに向かってグッバイと言う。これを9回やったので、チップをあげた。これで10年前に見て感動した。これをやりたい!と言ったら、グッバイボーイは去年、法律で禁止されたという。市長に頼み込んで、やっとOKをもらった。
 マチュピチュには500年前に1万人の人が住んでいた。標高2280mにある世界遺産。16世紀に栄えたインカ帝国の遺跡。全て石に囲まれた謎の高山都市。まずは麓のアグアス・カリエンテスの駅に降り立った。現地の人にグッバイボーイを紹介してもらった。アメリコ・ゲバラ君12際。まずはアメリコ君の走りを見せてもらった。
 キャスプという赤い民族衣装を着て、虹色のバンダナをして走る。標高2800mから一気に1000mを駆け下りる。少年は右手を右から左に回しながら「グゥッ、バァ〜〜〜イ」と言う。これを9回繰り返す。バスに同乗していた外国人も大拍手でした。実際には17分で降りるそうです。
 練習。空気は薄いし、石段が急で、征平さんの顔から笑いが消えた。

 夜、アメリコ君の家で夕食をご馳走になった。お母さんはトマサ・アンカイクーロさん、お父さんはイヒディオ・ゲバラさん。2日目は朝から厳しい特訓が始まった。最後の9回目は橋を渡ってから。死にそうな顔になっていました。途中で黒ヘビがいたら注意しろ!と言われていました。さらに蚊が刺すと大きくふくれるらしい。

 マチュピチュの麓にある温泉を教えてくれた。川沿いの大きなプールのような温泉で、たくさん人が入っていました。お湯は少し緑色かな?二人で入ってお話をしました。彼は世界中の人に会えるからグッバイボーイはやりたいという。
 前夜、アメリコ君の家族から征平さんにグッバイボーイ用の緑色の衣装がプレゼントされました。

 まずアメリコ君の家族が乗ったバスを見送ってから、坂を下った。第一、第二、第三、第四、第五、第六、第七ポイントはクリアした。バスの中ではみんなが心配していました。第八ポイントはギリギリでいけたが、最後のポイントの前の橋のところで見えなかった。アメリコ君は迎えに行った。最後は二人で走って橋を渡った。酸素マスクを受け、最後のポイントはクリアできなかったが、みんなが祝福してくれました。感動でした。
 翌日、家族に「グゥッ、バァ〜〜〜イ」と言って別れました。


テレビ番組「道浪漫」2000年3月頃は高嶋ちさ子さんでペルーの旅

●マチュピチュへの旅
 クスコからウルンバンバ川沿いに列車で3時間の旅。2時間止まらないで、オリャンタイタンボ駅についた。停車中の3分間で駅の外に出て、ゆでただけのとうもろこしを購入。味はあまりしないらしい。列車が開通して6周年。アグアス・カリエンデスへ到着。そこからバスで約30分?

●マチュ・ピチュ
 1911年アメリカのハイラム・ビーラムによって発見。スペイン人によりクスコを追われたインカの人が築いた都。ここの不思議はある日突然に住人が消えてしまったこと。入場料10ドル。
 水洗トイレもあった。太陽神殿のインティ・ワタナは日時計?。ここでバイオリンでバッハの無伴奏ソナタ1番を演奏。

●パジェスタス島
 リマから車の旅でナスカに向かう。パンアメリカン・ハイウェイを砂漠の中を南へ飛ばす。砂漠があるのは、フンボルト海流のせい。しかし冷たい潮の流れが雨を少なくしているから。しかし海の生き物にとっては恵みの雨らしい。途中のパラカス沖のパジェスタス島へボートで向かう。
 ここはアシカの一大コロニー。アシカには寒流にのってくる魚がいい餌。ここにはフンボルト・ペンギンもいる。暑いペルーで生息できるのも寒流のせい。

●リオ・グランデ
 道の横にカビの生えたサボテンがある。カビじゃなくてコチニーアという貝殻虫の一部で日本の口紅になっている。

●ナスカ
 大地を登ると砂漠から石の世界に一変する。パンパと呼ばれる黒い地表が地上絵が描かれている場所。地上からだとわからない。セスナで空から見る。1920年代に国内線のパイロットによって発見された。クジラ45m、宇宙飛行士50m、手59m、花55m、三角形2キロ、ハチドリ110m、サル80m、クモ50m。遊覧飛行は40分で50ドル。
 1500年前に描かれたと言われるが、その数は絵と直線を合わせると300近くにもなる。ミラドールと呼ばれる丘から放射線状に出る直線は以前は太陽の出る方向と一致していると言われていたが、今はそうではないと言われているそうだ。特別な許可をもらって地上絵の中に入る。地上絵の線はただ石をどけただけ。雨が降らないので、地上絵が保存されていたようだ。
 古代のナスカ人の知られざる遺跡があるという。途中水が多く出た川のようなところがあり歩いて渡る。その後は砂地を登る。1時間でやっとマッホイロスに着く。
 人骨があるだけ。古代ナスカ人たちの最大の墓地だった。文字を持たなかったナスカ人は、地上絵だけでなく、穴も残している。
 プーキョと呼ばれる井戸である。らせん状の穴。汲みやすいようになっている。この井戸の中を流れている水は100キロ先のアンデス山中からひかれていて、中を流れているので、かれないらしい。今も役立っていて綿花畑をうるおしている。
 パチャマンカと呼ばれる料理。焼いた石の上にじゃがいも、ゆーかいも、さつまいもなどを載せて、また焼いた石を載せる。その上に羊の肉と鶏肉をおき、紫馬ごやし、バナナの葉をかけて、とうもろこし、そら豆や香草に包んだチーズなどをのせて、さらに葉をのせて蒸す。さらに最後には砂で覆い隠して2時間。パチャは土、マンカは鍋。おいしいらしい。
 最後にミラドールで「コンドルは飛んでいく」を演奏。


http://mbs.co.jp/tv/michi/176/index.html

SEO [PR] カード比較  冷え対策 温泉宿 動画無料レンタルサーバー SEO