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なお、これはわたしが個人的にテレビを見て書いたものであり、各テレビ局や番組とは全く関係はありません。
すべての文章の無断使用・転載を禁止いたします。
またここの情報を使って、何か問題が起こったとしても私は一切責任は持ちませんのであしからず。


テレビ番組「今だから安くて快適!全てコミコミ、30万円で世界一周の旅」

 2010年12月19日放送。3名が関西空港から参加した。丘みつ子(62歳)は世界20カ国あまりの旅行経験を持つ。藤吉久美子(49歳)は、4カ国だが、どんな食べ物や体験でも自信あり。脇知弘(30歳)は3回海外経験だが、体力とどこでも寝られる図太さが自慢。15日間で格安航空会社(LCC)を利用して世界一周をする企画。
 格安航空会社は基本的にネット予約。金額は予約日、搭乗日によって変動する。航空運賃、サーチャージ含む、宿泊費、食費、交通費、観光&体験費を全て含んで30万円。お土産は個人負担。レートは12月10日のレートで計算。テレビ東京製作。

●予定
 1日目、関西空港17:00発⇒台北18:40着。2日目、台北15:55発クアラルンプール(マレーシア)20:35着。3日目22:00発⇒バンガロール(インド)23:30着。5日目、バンガロール4:00発⇒ジャルジャ(アラブ首長国連邦)6:35着。ドバイ泊。6日目、ジャルジャ発10:30⇒アレクサンドリア(エジプト)12:45着。7日目、カイロ発11:35⇒アテネ(ギリシャ)着13:35.アテネ発18:00⇒ミラノ(イタリア)着19:35。ミラノ泊。9日目、ミラノ発8:35⇒フランクフルト(ドイツ)9:55着。10日目、フランクフルト10:15発⇒カンクン(メキシコ)15:10着。12日目、カンクン発11:50⇒ニューヨーク16:32着。14日目、ニューヨーク発12:45⇒成田空港17:00着。

●台北
 ジェットスターで行きました。機内食は有料。台北までは3時間、運賃は16150円(サーチャージ4650円含む)。
 台北は人口261万人。通貨は元で1元=2.76円でした。言語は北京語、福建語、客家語。台湾北部にあるアジア屈指のグローバル都市。日本との時差はマイナス1時間。滞在予定は21時間。
 大有巴士のバスが台北駅まで90元。そこからホテルのある西門までは路線バスを勧められた。307、262、212、237番らしい。262番に乗るが、シーメンティンと言っていたら乗客が降りる場所を教えてくれました。車内放送はありません。
 宿泊は「国光大飯店 Good Ground Hotel 」。女性2人はツインで1人2465円でバスタブもついている。夜11時、西門駅からMRTで雙連駅に向かう。料金は20元で、プラスチックの硬貨のようなチケット。
 寧夏路夜市に行く。60年の歴史を持つ夜市。明け方までやっているお店もあるとか。大腸麺線(モツ入りラーメン)100元(約280円)。「猪肉餡餅」(豚肉入りお焼き)30元(約80円)。鶏唐揚げなどで、一人平均295円でした。
 エビ釣りをする。釣りざお7本で100元(280円)。尻尾から吊り上げるのがコツ。3匹しか釣れなかったので、3匹サービスしてくれて塩で調理して食べました。
 足裏マッサージのお店に行き、10分のコースはないが、無理やりやってもらった。200元(約550円)。

 朝食はホテルの近くで。湯豆漿15元、鮮肉包12元、蛋餅20元、油條で、一人約110円。  中正祈念堂までMRTで20元。朝9時扉が開き、中には蒋介石の像がある。1時間に1度、衛兵の交替式がある。
 MRTで雙連駅に向かう。20元。問屋街の油化街に行く。お土産は自己負担だが、藤吉さんは、乾燥ホタテ2個、花茶5袋、乾燥椎茸で2250元(約6210円)購入。「霞海城隍廟」はたくさんの神様が祀られている場所。イケメンガイドはボランティアで日本語で説明してくれました。義勇公像が旅の安全を守ってくれる神様。
 またMRTで中正祈念堂駅まで行き、小籠包で有名な鼎泰堂に行く。今回は普通の小籠包(10個190元)と贅沢なカニ味噌入り(10個330元)、野菜と豚肉入り蒸し餃子(10個180元)。以上一人約710円。
 リムジンバスで空港へ。90元(約250円)。ここまでの合計4998円で、累計21148円。

●クアラルンプール
 エアー・アジア2673便。かなりの行列で、2時間後にやっとチェックイン。3時間でサーチャージ1696円を含み14951円、合計36099円。
 人口180万人。通貨はリンギット(=26.73円)。言語はマレー語で、マレー半島南部にあるマレーシアの首都。LCC専用ターミナルに午後8時半に到着。台湾との時差はなし。滞在予定時間は25時間30分。
 エアーアジアのリムジンバスで市内へ。9リンギ(約241円)で、チケットは車内でも買えるが、航空チケットをネットで買うときに一緒に買うこともできる。ホテルのあるKLセントラル駅まではバスでおよそ1時間。
 宿泊は「ホテル・セントラル・クアラルンプール」。料金は1人2254円で朝食付き。11時に外にでて食べることにしたが、あまり開いてない。フロントで、モノレールに乗ってブキッピンタン駅で降りるといいと聞いた。モノレールは2.1リン(約56円)。深夜までやっている屋台街「ジャランアロー」がある。マレー料理、中華なども楽しめる。「スパイシー・チキンライス」7リンギ(約190円)。空心菜炒め、10リンギ(約270円)。焼きそば、6リンギ(約160円)。ライス・ポーリッジ(お粥)10リンギ(約270円)。飲み物を入れて、一人平均約410円。

 翌朝、電車でマスジット・ジェメ Masjid Jamek 駅に向かう。1.3リンギ(約35円)。KLセントラル駅から2つ目の駅でした。駅を出たところに身なりの禁止事項が書いてあるが、行った場所で借りることができる。
 モスクが美しい「マスジット・ジャメ」は、クアラルンプールで最も古いイスラム教の寺院。髪を隠して衣服をまとうと中に入れてくれました。通常は信者でないといれてくれないとか。メッカに向かって5回礼拝しました。

 ゾウに無料で乗れる場所があるが、そこにタクシーで行こうとすると、チャーターなら600リンギ(約1.6万円)といわれる。450(1.2万円)まで値切った。日本語ができる運転手でした。まずは「バトゥー・ケーブ」(ヒンドゥー寺院)。高さ43mの像がお出迎え。そこの足元に急な階段が272段ある。途中でサルがいた。遠くに街並みがきれいに見えていました。ここは自然の洞窟がそのまま聖地になっている。マレーシア随一のヒンドゥー教の聖地で、巨大な洞窟であり、奥の寺院には聖者スプラマニアンが祀られている。お布施は1リンギ(約27円)。第3の目に印をつけてもらった。神聖な儀式に参加。目の前で次々と香が焚かれていく。さらに階段を上がると空が見える場所にでた。灯明を捧げてお祈りをした。

 昼食は運転手さんに連れて行ってもらった竹の中にご飯の入っている料理の屋台。「レマン」6リンギ(約160円)は斧で割って出す。もち米をバナナの葉で包み、竹にココナッツミルクを入れて炊いたもの。他には野菜とバナナの天婦羅4個で、1リンギ(約27円)。豆カレー5リンギ(約130円)。一人約370円でした。

 ゾウの保護施設「クアラ・ガンダ・エレファント・サンクチュアリ」に行く。森林開発が進み、行き場を失って人里に降りてきたゾウを保護し、飼育している施設。ゾウに餌を与えることもできます。さらにゾウに3人で乗りました。ワキさんはゾウに川に落とされました。
 タクシーでメダン・トゥアンク地区に連れて行ってもらい、別れた。時刻は午後5時半。庶民的なお店を散策。スカーフを止めるピンが7個で10リンギ(約270円)。

 マスジット・インディア街で夕食。「ロティチャナイ」1リンギ(約27円)はカレーなどにつけて食べるインドのクレープ。「ナシチャンプル」6リンギ(約160円)。「イカンプジャ」9.5リンギ(約250円)は焼いたアジ。「ミースープ」4リンギ(約110円)は麺が入ったスープ。夕食は1人約380円でした。
 リムジンバスは1人9リンギ(約241円)で空港に向かう。以上8069円で、累計44168円。

●バンガロール(インド) Bangalore
 マレーシア航空でインド南部の都市バンガロールに向かう。サーチャージ8003円を含んで21889円。合計66057円。フライトは4時間。
 人口620万人。通貨はルピー(=2.03円)。言語はヒンディー語。インド第3の人口を誇る都市で、カルナータカ州の州都。到着は午後11時半。クアラルンプールとの時差は2時間半。滞在予定時間は28時間30分。リムジンは不便なので、タクシーを利用。市内までは1時間。料金は570ルピー(約1160円)。
 ホテルは「パイヴァイスロイ・ホテル」。455号室で少し匂うらしいが仕方ない。1人3495円、朝食付き。

 タクシーでシヴァジナガル・マーケットに行こうとするが、黄色のタクシーはなかなか止まらないし、言葉を理解してくれないのですぐに去ってしまう。オートリキシャが止まってくれた。運転が怖いそうです。100ルピー(約200円)でした。
 市場に入ると果物が多い。釈迦頭があるが、こちらではアテモヤと呼ばれている。羊の肉もあるし、魚もエビもありました。
 オートリクシャーに乗り、40ルピー(約80円)で、アーユルヴェーダ医院「ウヴァス Uvas 」に行く。アーユルヴェーダは単なるエステではなく、5000年の歴史があるインドの伝統医学。アーユルヴェーダ専門医プリア先生が担当で、1人1時間3500ルピー(約7100円)だという。問診を受けた後、肩のコリを訴えた藤吉さんはシロダーラ?という油を額に落とすもの。熟睡できないという丘さんは蒸気で発汗を促してから、伝統的なマッサージ。1時間後、丘さんは目つきが変化していました。
 ヤシの実からジュースを飲む。15ルピー(約30円)。

 アディガス・ジャイナガールで昼食。カレーを食べている人が多い。ドーサを注文。これは豆と米の粉で作った生地を焼き、カレー味のジャガイモを包んだクレープのようなもの。「マサラドーサ」セットで27ルピー(約55円)。あとは豆とカレーかな?飲み物を入れて、一人約90円。
 オートリクシャーで移動。30ルピー(約60円)。バンガロールで最も古いお寺の一つ、ビッグ・ブルー・テンプル(ブルー寺院)に到着。裸足の人が結構いる。ここはヒンドゥー教の寺院。週末には演奏会や結婚式が行なわれる人気スポット。入る前に裸足になる。寺院の奥には、ミカゲ石で作られた牛の神様「ナンディー」が祀られている。シヴァ神の乗り物を引く聖なる牛です。
 オートリクシャーで移動。40ルピー(約80円)。クリシュナ教という新興宗教のイスコン寺院は夜になると赤、緑などにライトアップされてきれい。クリシュナはヒンドゥー教の中でも人気の愛の神様。60年代にヒッピーたちが広め、ビートルズのジョージ・ハリスンなども信仰していた。左がクリシュナ、右が恋人、しかも人妻。ここではロウソクを回して祈るのが特徴。

 レストランMTRで夕食。ターリという南インドの定食。ライスと野菜を混ぜたもの。食べ放題です。「カレーセット」140ルピー(約280円)。最後にビニールに入った葉っぱが配布された。これは「スイートバーン」といって、食後の胃の消化を助けるもので、香辛料を包んだもの。チューインガムのように噛むそうです。
 以上、9521円、累計75578円。

●ドバイ
 ドバイにはLCCが飛んでいないため、お隣のシャルジャに向かう。午前2時に「エアー・アラビア」のカウンターにチェックイン。バンガロールからはサーチャージ6919円を含み16083円。合計81661円。4時間30分の旅。午前6時35分に到着。
 バンガロールとの時差はマイナス2時間半。滞在予定時間は28時間。ドバイまではタクシーで1時間。途中ラクダなどが砂漠にいました。料金は160ディラハム(約3770円)。
 ドバイは人口226万人。通貨はディラハム(=約23.54円)。言語はアラビア語。アラビア半島にある中東屈指の金融センターで、石油に頼っていない。
 宿泊は「マジェスティック・ホテル」。料金は1泊1人5507円で朝食付き。内装などはかなりいいです。
 タクシーでゴールド・スーク(金の市場)に向かう。30ディラハム(約710円)。金のお店がズラリと並び、金色に輝いています。
 スパイス・スークに歩いていく。丘さんはナツメグ1個5ディラハム(約120円)を購入。藤吉さんはカレーパウダー6個、ナグメグ10個、サフランを300ディラハム(約7060円)にまけてもらいました。

 ドバイの街中を流れる運河を渡る。1ディラハム(約24円)。渡った先はパキスタヤ地区で歴史的保護地区。ここの「ローカルハウス・カフェ&レストラン」で昼食を食べる。「ラクダ・バーガー」35ディラハム(約830円)は、食用に育てられているラクダで、味はシッカリしているとか。
 砂漠ツアーに参加。一人200ディラハム(約4693円)。4WDの車で砂漠を猛スピードで疾走するというもの。タイヤの空気を少し抜きました。かなり怖いらしくて、プライベート・ジェットコースターと言ってました。ラクダに餌をあげて、3時間のツアーが終了。
 世界一高いビル「バージュ・ハリファ」(高さ828m)は今回は行けなかったが、事前予約料金の入場料は100ディラハム(約2350円)。

 夕方、運河?に行くと既に人が集まっている。「ドバイ・ファウンティン」が始まる。ライトアップされた噴水と音楽で楽しみました。ラスベガスをしのぐ世界最大級の噴水ショーだそうです。
 「アルハンダール」で夕食。「ミックスグリル」はラムとチキンで、50ディラハム(約1180円)。これは美味しいそうです。
 横で水ハイプ(シーシャ)を吸っている人がいた。料金は30ディラハム(約700円)。飲み物を加えて1人1650円でした。

 ここまでで、16144円、累計107805円。

●アレクサンドリア
 シャルジャからエジプトに向かう飛行機が2時間遅延しました。4時間の旅で、サーチャージ4697円を含み、9279円。累計117084円。
 ドバイとの時差マイナス2時間。滞在予定時間は20時間。空港からアレクサンドリア駅までタクシーを利用。55エジプトポンド(以下EP)(約790円)。

●カイロ
 急行列車で3時間。一人35EP(約500円)。
 人口1100万人。通貨はエジプトポンド(=約14.41円)。言語はアラビア語。エジプトの首都で、ナイル河畔の交通の要所。地中海の香りと東洋の魅力がミックスした町。
 カイロからピラミッドまで1時間。到着すると暗くなっていました。しかし、ピラミッド・ナイトショーというのを発見し、行ってみることにした。スフィンクスと周辺がライトアップされ、音楽が流れていました。「ピラミッド光と音のショー」一人75EP(約1080円)。この日はフランス語でしたが、毎週木曜日には日本語で見ることができます。

 カイロ市内の「アルガファリ・コシャリ」で夕食を食べる。この店の名物「コシャリ」は、7EP(約100円)で、米、パスタ、ヒヨコ豆などを盛り合わせ、揚げたタマネギをのせ、トマトソースをかけていただくエジプト庶民の味。夕食はこれと飲み物で一人170円。

 宿泊は「ファラオドッキ・ホテル」。ツインなのに何故かベッドが3つ。1人2779円で朝食付き。
 ホテルからカイロ空港へはタクシーを利用。40EP(約580円)。藤吉さんは明るいうちにピラミッドを見たいと言ったが拒否されました。

 以上、5281円、累計122365円。

●ミラノ
 エージアン・エアーでアテネ経由で飛ぶ。機内食がでたので、1食浮きました。さらにミラノまでもエージアン・エアーだったので、もう1食節約できました。サーチャージ8673円を含めて18141円。累計140506円。
 ミラノは人口130万人。通貨はユーロ(=約112.42円)。言語はイタリア語。イタリア・ファッションの発信地で、ロンバルディア州の州都。マルペンサ空港に午後7時50分に到着。
 カイロとの時差マイナス1時間。滞在予定時間は37時間。市内の中央駅まではシャトル・バスで1時間、7.5ユーロ(約840円)。
 中央駅からホテルまではタクシーで12ユーロ(約1350円)。
 宿泊は、「フローレンス・ホテル・ミラノ」で、1人3712円で朝食付き、2泊します。

 翌朝、地下鉄ロレート Loreto 駅からドゥオーモに向かう。1日乗り放題券が3ユーロ(約340円)。赤い路線のM1に乗る。駅をでると目の前にドゥオーモがある。雨でも多くの観光客で賑わっている。1386年に着工してから500年かけて完成した。これはミラノのシンボルで、イタリア最大のゴシック様式の大聖堂。ドゥオーモの中はテレビの撮影ができないので、藤吉さんがカメラで撮影した。ステンドグラスが美しい。この日は日曜日で礼拝が行われていました。
 広場の北にあるガッレリアに行く。
 散策した後に「カフェ・デルオペラ」に入る。ジェラート(ピスタチオ)1.5ユーロ(約170円)。クロワッサン4ユーロ(約450円)。屋台?の焼き栗を3ユーロで購入。
 「サンタマリア・デッレ・グラッツィエ教会」に行く。2週間前に予約しないと見られませんというようなことが書いてあり、見ることができませんでした。仕方なく、絵ハガキで我慢。
 仕方なく、かつて運河があった場所に行ってみた。ナヴィリオ運河は、冬は水門を閉めてしまうので、水がほとんどなくなっていました。
 運河沿いに見つけたのは、デザイナーズ・ショップ。キットになっていて、素材を買った方が安い。かつミシンが置いてあるので、二人は購入して自分で縫っていました。1時間半後に完成。ハンドメイド・バッグは2個で70ユーロ(約7870円)。

 夕食はトラムのレストラン。一人65ユーロ(約7310円)。前菜は各々「サーモンのマリネと大根サラダ」、「フェタチーズとオリーブのトマトサラダ」、「チーズとベーコンのバルサミコソース添え」。これにシャンパンがつきました。メインは「アンチョビ・トマトソースのカジキマグロ三角パスタ」、「バジルソースのラザニアグラタン」、「バジルソースのラザニア・グラタン肉入り」。

 以上、20558円で、累計は161059円。

●フランクフルト
 ミラノ・ベルガモ空港から朝8時半のフライトなので、朝6時半に到着。ライアン・エアーで飛ぶ。サーチャージなし+538円+委託手荷物代など4497円で合計166094円。1時間半の飛行時間。
 人口67万人、通貨はユーロ、言語はドイツ語。ベルリンに次ぐ第2の都市で、ドイツの鉄道・金融の中心地。到着したのはフランクフルト・ハーン空港で、LCC専用の空港。ミラノとの時差はなし。滞在予定時間は23時間。リムジンバスはフランクフルト中央駅まで12ユーロ(約1350円)で航空運賃よりも高い。時間は2時間かかる。

 宿泊はホテル「エクセルシオール」で、午後1時にチェックイン。1人3630円で朝食付き。小さいながらバスタブがついている。夕食まで休憩。
 夕食はレストラン「アーシェル Atschel」(住所:Wallstrasse 7, 60594 Frankfurt)。お勧めを聞いたらわからないので、ウンウンと言っていたら、すごいのがでてきた。「グリルドハクセン(ナックルという豚の足?)」9.6ユーロ(約1080円)。ビーフソーセージ、フランクフルトソーセージの「フランクフルター・ベストシェン(キャベツの漬物の上にのったソーセージの盛り合わせ)」7.8ユーロ(約880円)。「グリーネソーセサラード(茹でたジャガイモのグリーンソース・サラダ)」7.6ユーロ(約850円)。飲み物をつけて、夕食は1人1610円。

 以上、7610円で、累計は173704円。

●カンクン
 コンドール航空で飛ぶ。サーチャージ10006円を含めて、41481円。累計は215185円。飛行時間は12時間。機内食は無料。
 人口57万人。通貨はペソ(=約7.73円)。言語はスペイン語。メキシコ南東部、カリブ海沿岸の一大リゾート。午後3時過ぎに到着。
 フランクフルトとの時差はマイナス7時間。滞在予定時間は45時間30分。ホテルまでのタクシー料金は1人15ドル(約1270円)。雲っているのに海は本当にきれいな青でした。
 宿泊は「カンクン・マヤフェアー・デザイン・ホテル」。元はショッピング・モールだったが閉店したので、安くホテルに改装したもの。入口のドアの横の壁はスリガラスだし、中は広いがトイレの扉はない。店の名前もそのまま残してある。宿泊費は1人1980円。

 夕食は向かいの高級ホテルにある有名レストラン「ラホーヤ」に行く。日本語のメニューもあるが、高い。サラダだけで1000円以上する。ただバナナとパンは無料で食べ放題なので、1品ずつ注文する。丘さんはシーザーサラダ135ペソ(約1040円)、脇さんは黒豆スープ130ペソ(約1010円)、藤吉さんはアーティーチョーク・サラダ135ペソ(約1040円)。このお店の呼び物は食事をしながらのショータイム。ショーチャージは一人5ドル。本場のマリアッチも目の前で演奏してくれる。ベサメ・ムーチョを歌った人の声に感動して藤吉さんはメロメロ。夕食は一人あたり約2295円。

 翌朝、カンクンから南に100kmのマヤの遺跡に向かう。バス料金はTulum まで86ペソ(約668円)。タコスを朝食にいただいた。20ペソ(約155円)。飲み物が約55円。
 トゥルムまではバスで1時間半。トゥルム遺跡入場料は1人51ペソ(約394円)。森の中に遺跡があるが、スペイン人はこの城壁を見て、この地に上陸したという。横には海があり、青色の見事がグラデーション。
 イグアナもいました。またバスでカンクンに帰る。86ペソ。

 カンクンでマリン・スポーツをしてみる。今回はパラセーリングで1人55ドルで2人。空から素晴らしい景色が見えました。海の色の変化もありました。
 夕陽が沈むのを見ながら食事をしたいというので、「ミスターパパ」に入る。テリヤキチキンがあるが、あきらめて、「ミスターパパ特製ベイクトポテト」89ペソ(約690円)、お酒のダメな脇さんはマンゴジュース、女性はラム・ベースのお酒。

 以上、14364円で、累計229549円。

●ニューヨーク
 ジェットブルーで飛びました。サーチャージ4766円込みで14617円。累計244166円。飛行機で3時間の旅。
 人口830万人。通貨はドル。言語は英語。ビッグ・アップルの愛称で知られ、アメリカ最大の都市。カンクンとの時差はプラス1時間。最大滞在時間は44時間で、JFK空港に到着したのは夕方。  シャトル・バンでホテルに向かう。料金は11.36ドル(約960円)。
宿泊はマンハッタンの外。今回はクイーンズの「クオリティーイン・ウッドサイド」。一人7121円、朝食付き。
 地下鉄で移動。料金は2ドルで、クイーンズの52ストリート駅からマンハッタンの103ストリート駅へ。ブロードウェイのジャズクラブ「スモーク」。ここはミニマム・チャージ40ドルなので、「バッファロー・チキン・ウィングス」$14、「パフパストリーピザ」12ドル、「ワイルド・マッシュルーム・ラビオリ」12ドルと飲み物を注文。音楽を楽しみました。

 翌朝は地下鉄1日券を8.25ドルで購入した。ユニオン・スクエアに行って、そこの朝市の有機野菜を見る。ニューヨークはリンゴの産地でもある。FUJIもありました。アップルサイダーは1.5ドル。
 「ル・パーカー・メリディアン・ホテル」に行く。このホテルの中に有名なハンバーガー屋さん「バーガー・ジョイント」がある。メニューはハンバーガーと「チーズバーガー」7.35ドルだけ。あとフレンチフライと飲み物で一人1130円。

 無料で自由の女神を見に行く。まず地下鉄でバッテリーパークに行く。「スタッテン・アイランド・フェリー」に乗る。これが無料。自由の女神の近くを通過します。確か帰りに25セント必要なはず。
 ブルックリン橋プロムナードに行って、夜景を見る。

 以上21905円。累計は?円。最後のニューヨーク、成田間はデルタ航空の格安航空券62401円を予約していた。サーチャージ14407円を含む。これが13時間の旅。
 今回の合計は328472円となり、若干越えてしまいました。


テレビ番組「旅サラダ2010年10月は知花くららさんでドイツ」

 ルフトハンザ航空で行きました。1ユーロ=115円(10月6日時点)での計算。今回は歩きまわりました。
 ドイツは首都はベルリン、人口は約8200万人。面積は約35.7万平方km。ドイツが統一されて20年。

●ベルリン
 「ベルリン・シティ・ツアー Berlin City Tour 」(電話:+49-30-68 30 26 41、営業時間:10:00〜18:00、出発地:テレビ塔、定休日:無休)。料金は15ユーロ(約1800円)。ベルリン市内の主な観光スポットを2階建ての屋根なしバスに乗って回るツアー。1周約2時間。
http://www.berlin-city-tour.de/
 このツアーでは、バスの屋上に座って観光しました。ソニー・センターのあるポツダム広場へ。ここは第二次世界大戦後は廃墟と化していた。今は高層ビルが並ぶ賑やかな場所。シュプレー川沿いにある、114mの高さのベルリン大聖堂。ホロコースト記念碑は、虐殺されたヨーロッパのユダヤ人を追悼するためのもの。ブランデンブルク門はベルリンのシンボル。緑の芝生の向こうにあるドイツ連邦議会議事堂は美しく、ガラス張りの丸屋根が特徴。ベルリン動物園は入口が中国風。第二次世界大戦の空襲で大部分が焼け落ちた「カイザー・ヴィルヘルム記念教会」は、過去の過ちを忘れないための記念碑。ベルリンで最も美しいといわれている広場が、「ジャンダルメンマルクト」。そこに昔の「ベルリンの壁」の一部がある。観光バスで長い間ベルリンに住んでいたというお爺さんと知り合いになった。高さ368mのテレビ塔は1969年建設だが、すごい存在感です。ここでバスを降りました。

 「テレビ塔 Fernsehturm 」は、旧東ドイツの通信網を発達させる目的と、政治的な、社会主義国家のシンボルとする目的で旧東ベルリンの中心地に建設された。このテレビ塔の建設には53カ月の歳月を費やしたそうです。

 近くの「アレクサンダー広場 Alexanderplatz 」(通称アレックス)はベルリンの東地区を代表する広場。「焼きソーセージ・サンド」の屋台があったが、すごく簡単な器具・鉄板で焼いている。背中にガス・ボンベを背負っていました(笑)1.2ユーロ(約150円)。
 広場に「世界時計 Weltzeituhr 」がある。円形の建物に数字が書いてあって、その上に星たちがクルクル回っていました。都市名が書いてあって、そこが今何時なのかがわかるシステム。旧東ドイツ時代に1969年に作られた。

 「オペルン・カフェ Operncafe 」または「Opernpalais Cafe」(住所:Unter den Linden 5、10117 Berlin、電話:+49-30-202683、営業時間:9:00〜24:00、定休日:無休)に行く。看板には65種類のケーキがあると書いてあった。寒くなるとチョコレート系が人気になるとか。今回は、「スコッチ・ラズベリー Schottische Himbeere 」で、4.9ユーロ(約600円)。意外と大きいです。
http://www.opernpalais.de/index.htm

 歴史の中心だった「パリ広場」を歩いた。「ブランデンブルク門 Brandenburger Tor 」は、ベルリンのシンボル。1791年プロイセン王国の凱旋門として建設された。ベルリンの壁があった時代は、正面側が東ベルリン、門の裏側は西ベルリンに属していた。正面部は「パリ広場 Pariser Platz 」の東に面して、ミッテ区に属している。門の近くには、ベルリンの壁の案内板がありました。ブランデンブルク門は、冷戦時は東西分断の象徴として、統一後は、統一の象徴となりました。この門をくぐってみた。ブランデンブルク門の裏側、壁があった場所「Berliner Mauer 」は今は道路になっている。

 信号がかわいい。東ドイツ時代の人の形のマーク(デザイン)が愛らしいので、現在はドイツ中で使われている。「信号(アンペ) Ampel 」。名前は「アンペルマン Ampelmann 」という。そのお店に行ってみた。
 「アンペルマン・ギャラリー・ショップ Ampelmann Shop am Gendarmenmarkt 」(住所:Markgrafenstrase 37, 10117 Berlin、電話:+49-30-400 390 95、営業時間;9:30〜20:00、定休日:なし)。東ドイツの歩行者用信号機のキャラクター「アンペルマン」をモチーフにしたグッズ専門店。「アンペルガラス」23ユーロ(約2800円)。グミは2.2ユーロ(約270円)。「キッチンスポンジ」1.9ユーロ(約230円)。「キャンディ」1.9ユーロ(約230円)。「パスタ」3.9ユーロ(約500円)。
http://www.ampelmann.de/

 ベルリンの壁が崩壊した時、長さ1.3kmに渡って、壁が残された場所がある。「イーストサイド・ギャラリー Eastside Gallery 」はオーバーバウム橋付近。世界中のアーティストが集まり、シュプレー川沿いの壁に平和への祈りを込めて絵を描いた。描かれたのは近づくこともできなかった東側の壁。

 「ベルリン大聖堂 Berliner Dom 」は、ベルリンで一番大きいと言われている高さ114mを誇る大聖堂。この周辺の公園には、休日にはのんびりすごす人が多い。
 世界遺産「博物館島」に行ってみると、「蚤の市 Flohmarkt 」が開催されていた。博物館島の前で毎週土曜日と日曜日に行われている。古本を見ていました。ベルリンでは週末になると、大小あわせて50ほどの蚤の市が催されるそうです。腕輪を1つ4ユーロを2つ6.5に値切りました。

 ベルリンの空にぽっかり浮かぶワイヤー付きの気球「ベルリン・ハイ・フライヤー Berlin Hi-Flyer 」(住所:Zimmerstr. 97、10117 Berlin、電話:+49-30-226678811、営業時間;10:00〜22:00(金・土は10:00〜0:30)、冬季は11:00〜18:00(金・土は11:00〜19:00)、定休日:天気が悪い日、風が強い日は運休)で、料金は19ユーロ(約2200円)、約15間分ベルリンを空から一望出来ます。地上150mの高さまで上昇しました。眼下には、ベルリンの街が見え、向こうにテレビ塔が見えました。
http://www.air-service-berlin.de/

●ロマンチック街道
 全長350km。中世の面影を残す町が点在する。

●ローテンブルク Rothenburg ob der Tauber
 メルヘンの世界に迷いこんだかのような素敵な町。中世の面影を完璧に残しているといわれている城壁の街。ロマンチック街道のハイライトのひとつで、「ロマンチック街道の真珠」とも言われる。観光客のための、レストラン・お土産屋さん・ホテルが多数並ぶ。あちこちで見ることのできるかわいい看板も街の特徴。
 通りを歩いていると、どこからともなくシャボン玉が飛んできた。飛ばしていたのは、市庁舎右斜のベアショップ「Teddys Love Rothenburg 」の二階の窓に置いてある熊にぬいぐるみ「Pustefix 」。
 この街には美しい看板がいたる所にある。石畳の道も特徴がある。

 入り口の前に銀色の甲冑が置いてあるお店がある。武器の店「ディ・ヴァッフェンカマー・イン・ローテンブルク・オプ・デア・タウバー Die Waffenkammer in Rothenburg ob der Tauber 」(住所;Obere Schmiedgasse 9, 91541 Rothenburg ob der Tauber、電話;09861 3713 )には、甲冑や、中世の武器、チェスが置いてある。甲冑はハンドメイドで、映画などに使われたこともある。品物は船便で世界中に送ることが可能。知花さんが気になったのはチェス。ローマ軍とエジプト軍の戦いなどという歴史に基づいたものもある。もしかすると119ユーロ。中にある甲冑は写真撮影禁止のマークがありました。
 ここの武器は本物ではなく、舞台・劇・映画・お祭りのためのもの。

 宿泊は、「アイゼンフート・ホテル Hotel Eisenhut 」(住所:Herrngasse 3-5、91541 Rothenburg ob der Tauber、電話:+49 (0)9861 / 705-0 )。中はシックなトーンのロビーで、絵画など歴史を感じさせる調度品の数々。今回はスイート・ルーム357番で、「Taubennest(鳩の巣)」。白い壁で、ソファーも含めてお花でいっぱい。朝食なしの1泊の室料は200〜250ユーロ(約2.3万円〜2.9万円)で、時期によって異なる。部屋からは町の赤い屋根、緑の木々が見えました。
http://www.eisenhut.com/

 町のお店に高さが1.8mくらいの熊のぬいぐるみがある。テディベアのお店らしい。
 美味しそうな匂いのするカフェ「ディラー・シュネーバレントラウム Diller Schneeballentraum 」(住所:Obere Schmiedgasse 7、91541 Rothenburg ob der Tauber、電話:+49(0)98 61-93 85 63、営業時間:冬:月〜日曜日は11:00〜18:00、夏:月〜木及び日曜日は9:00〜21:00、金と土曜日は9:00〜22:00 )に入る。ここにはローテンブルク名物のお菓子「シュネーバル(雪の玉)」がある。職人のクリストフ・シュミットさん(49歳)が作っています。生地に切れ目を入れ引き上げてからおろし、玉の形にして揚げる。このまま食べても美味しいが、数日寝かせるそうです。これに粉砂糖をかけます。
http://www.schneeballen.eu/startseite.html

 翌日は晴れて、マルクト広場もいい感じ。
 ローテンブルクを離れる前にクリスマスの飾りのお店に行く。「ケーテ・ヴォルファルト・クリスマス・ビレッジ Kathe Wohlfahrt Weihnachtsdorf 」(住所:Herrngasse 1、91541 Rothenburg ob der Tauber、電話:+49-9861-4090、営業時間:月〜土曜日 09:00〜18:30、日曜日 10:00〜18:00 )。1年中クリスマスのグッズを買うことができる。このお店の歴史はドイツが東西に分かれていた歴史と深くつながっていた。ベルリンの壁のできる前の1956年に社長の父親が東ドイツから西ドイツに逃げた。その時に持っていたオルゴールをアメリカの将校がほしいと言ったので、同じ品物を探しだし買い付けた。今の社長はハラルド・ウォルファルトさん(56歳)。今は東西の交流があり、品物が充実しているそうです。
http://www.wohlfahrt.com/jp/index.html


●フュッセン Fussen
 ローマ時代から2000年の歴史を持つ街。ドイツ南部バイエルン州に属し、南に1kmも行くとオーストリアとの国境がある。南4kmにあるノイシュヴァンシュタイン城に行く前の宿泊場所として人気が高い。日本人観光客もよく訪れる。
 通りでアコーディオンを弾いていた人のタンゴにあわせて、年配の人が楽器を演奏する真似をして、ほほえましい光景となった。また花嫁さんに会った。
 中心を離れて歩くと、ドナウ川の支流のレヒ川がある。

 ホテルの壁が黄色の建物を発見。1階がカフェになっているので、ちょっと休憩。「ホテル・クアカフェ Hotel Kurcafe 」(住所;Prinzregentenplatz 4, 87629 Fuessen、電話:+49-8362-930180、営業時間:8:30〜20:00 )。ここの名物は「シシートルテ」というチョコらしいので、いただいた。19世紀オーストリア・ハンガリー帝国のシシー(エリザベート)の名前がついたケーキ。この町でシシーは人気なんです。ドイツではケーキは切ったままではなく、横に倒してでてくることも多い。「Sissi-Torte シシー・トルテ」2.9ユーロ(約350円)は、シシーが大好きだったチョコレート・ベースで、クリームはバタークリームでした。
http://www.kurcafe.com/japanisch.html

 建物の前にフルーツがたくさん並ぶところに行く。看板には「消防署」と書いてあるらしい。中に入ってみると市場でした。「マーケットホール Markthalle 」(住所:Schrannengasse 12, 87629 Fussen、電話:+49-8362-941965 )で、ドイツパン・オリーブ・魚介類・果物などが買える市場で、消防署を改装して作った。入口ではオリーブのいい香りがする。簡単な料理も食べることが出来て、食料品も買える。ビール・ワインもカウンターで飲める。プレッツェルはビールのお供として有名。今回は「カボチャの種とゴマ付のプレッツェル」55セント(約65円)。ランチタイムだけど、みんな飲んでいる。あちこちで「プロスト(乾杯)」の掛け声がかかる。カウンターにいた女性が「乾杯」と言ってくれたが、このお店のオーナーでした(笑)リースリングというブドウから作られた白ワインを1杯いただきました。カウンターの男性とも仲良くなれました。

●ノイシュヴァンシュタイン城
 ノイシュバンシュタイン城がよく見える橋がある。よく写真にでている景色です。1869年から17年かけて、当時のバイエルン国王ルードヴィッヒ2世によって築かれた。全長350kmのロマンチック街道の最大の見所。

 アルプスの山々から美しい風景を見るために、ロープウェイに乗った。「テーゲルベルク・ロープウェイ Tegelbergbahn 」(住所:Tegelbergstr. 33、87645 Schwangau、電話:+498362/98360、営業時間:9:00〜17:00 )は往復で17ユーロ(約2000円)。お城もよく見えます。ちょうど夕日に照らされ、美しく輝いていました。ロープウェイが進むにつれて雲行きが怪しくなった。山頂は雲に覆われていました。とても寒いそうです。
http://www.tegelbergbahn.de/tegelbergbahn.html 

 「ノイシュヴァンシュタイン城 Schlos Neuschwanstein 」(住所:Neuschwansteinstrase 20、87645 Schwangau、電話:+498362-930830、営業時間:4月1日〜9月30日 9:00〜18:00、10月1日〜3月31日 10:00〜16:00、定休日:1月1日、12月24日と25日、12月31日 )。料金は、9ユーロ(約1000円)。
http://www.neuschwanstein.de/index.htm

●ミュンヘン Munchen
 南ドイツ、バイエルン州の州都。人口は135万人で、ベルリン、ハンブルグに次ぐ第三の都市。BMWなどが本社を構える大きな街。中心はマリエン広場。この日、ミュンヘンの町は盛り上がっていました。
 世界最大のビール祭り「オクトーバーフェスト Oktoberfest 」が始まった。2010年で200周年を迎えた。毎年この祭りに世界中から650万人以上もの訪問客が押し寄せる。会場では毎年500万リットルのビールが消費され、50万以上の鶏が食べ尽くされる。
 ビールを飲んで陽気にはしゃぐ人もいる。ミュンヘン中央駅にはヨーロッパ中からたくさんの人が集まる。14:25、イタリアのミラノから列車が到着する時間だった。駅にはオクトーバーフェストを盛り上げるために民族衣装で着飾った人たちが続々と集まってきた。

 1810年、バイエルン国の皇太子の結婚式をお祝いするために開催されたのがきっかけ。以来、ミュンヘンで9月下旬から10月上旬に開催されている。

 会場に行ってみた。ビールはミュンヘン市内の6つの醸造所で運営するビール・テントで飲むことができる。1番大きなテントで1万席もあるという。1リットル入りのジョッキが8ユーロ。おつまみは巨大プレッツェルやソーセージなど。若い人は民族衣装を自分なりにアレンジしていた。

●ライプツィヒ Leipzig
 ベルリンからおよそ130km南にある町。中世から商業や金融で栄えた街で、上品で落ち着いたたたずまい。ゲーテ・バッハ・ワーグナー・メンデルスゾーンなど、偉大な音楽家や文学者を輩出した。冷戦時代は、旧東ドイツに属していて、ベルリンの壁が崩壊したきっかけが起こった街でもある。

 この日は雨でした。
 ファウストの像の横にある階段を下りていくと、老舗レストラン「アウアーバッハス ・ケラー Auerbachs Keller 」(住所:Grimmaische Strasse 2-4、04109 Leipzig、電話:+49-341-21610-0、「大地下室レストラン」の営業時間:11:30〜24:00、定休日:無休、「歴史的ワイン酒場(Historische Weinstuben)」の営業時間:18:00〜24:00、定休日:日曜日)がある。ゲーテが青春時代に通っていたレストラン。いただいたのは、ドイツらしい一品「牛肉のロール(リンズルーラーデ Rindsroulade 」11.9ユーロ(約1350円)。中はにんじん、ピクルス、厚切りベーコン。お肉の中にお肉が入っていました。
http://www.auerbachs-keller-leipzig.de/

 バッハもライプチヒ。彼にゆかりのあるのが「聖トーマス教会 Thomaskirche 」(住所:Thomaskirchhof 18, 04109 Leipzig、電話:+49-341-22224-0、営業時間:9:00〜18:00、定休日:無休)で、彼はここでオルガン奏者として活躍していた。教会にバッハの曲が鳴り響いていました。65歳で亡くなるまでの27年間をライプチヒで過ごした。この教会にはバッハのお墓もある。
http://www.thomaskirche.org/

●ベルリン
 若者に人気のエリアに行く。ポップなアートが壁に踊る。この「シュレージッシェ通り」あたりはトルコからやってきた人々が移り住んでいて、異国情緒があふれる。ケバブ屋さんは楽しい。
 通りでカレーの文字を見て入ってみた。「カリー7 Curry 7 」(住所:Schlesische Strasse 7, 10997 Berlin、電話:+49-30-61654866、営業時間:月〜土 12:00〜22:00、定休日:日曜日)。ここはソーセージを切って、カレーとケチャップをかけた「カリーヴルスト Currywurst 」3.5ユーロ(約400円)。ちなみに「ヴルスト」とはドイツ語でソーセージの意味。

 落ち着いた場所にあるカフェ「カフェ・シビレ Cafe Sibylle 」(住所:Karl-Marx-Allee 72, 10243 Berlin、電話:+49-3029352203、営業時間:月〜金は10:00〜20:00、土日は11:00〜20:00 )は、東ドイツ時代からのカフェ。電光看板は当時のまま。注文したのは、「フランクフルター・クランツ Frankfurter Kranz 」2.2ユーロ(約250円)で、リング形の王冠のような形をしたケーキ。全体がバタークリームで塗られ、上部はクロカンと呼ばれる。クルミ入りのカラメルで覆われている。
http://www.union-sozialer-einrichtungen.de/index.php?id=84

 ベルリンの名物料理の店「ムッター・ホッペ Mutter Hoppe 」(住所:Rathausstrase 21, 10178 Berlin、電話:+49-30-2415625、営業時間:11:30〜24:00、定休日:無休)からは、テレビ塔が見える。東ドイツ時代から続くドイツレストラン。ベルリンではドイツ料理の名店として知られている。「アイスバイン Eisbein 」10ユーロ(約1150円)は、塩漬けした豚のすね肉を香草野菜などと煮込んだドイツ料理の代表中の代表。真中に骨があるが、コラーゲンが多い。ここのお店のビール「ベルリナー・ヴァイセ」2.6ユーロ(約300円)は感じがメロンソーダ。緑色の透明なビールで、シロップが入っているので甘いそうです。
http://www.prostmahlzeit.de/mutterhoppe/

 「ベルリンの壁」は点在する形で町に残っている。「ベルリナー・ヴァイセ Berliner Weisse 」2.6ユーロ(約300円)。ベルナウアー通りには、東側の壁と西側の壁と、その間の立ち入り禁止エリアが残る。「ベルリンの壁記念公園 Berliner Mauer Gedenkstaettenareal 」には、ベルリンの壁が残る公園。東西ドイツ時代、ベルリンの壁を越えようとして亡くなった人たちの写真がある。
 東ベルリン出身のアンドレアス・ゲーバウヤーさんにベルリンの壁とは何だったのか、話を聞いた。ベルリンの壁を超えて、西ベルリンに逃げた人はおよそ5000人。中には地下にトンネルを掘って、西に脱出した人々もいた。この記念公園の真中にあるモニュメントには、壁を越えようとして亡くなった136人の写真が並んでいる。
 アンドレアスさんの話では、東では職業もあったが、自分では好きな職業が選べない。自由に学問も選べない。パンとバターはあったが、それ以外の贅沢なものは手に入らない。壁の建設以降、約300万人の東ドイツ市民が西ドイツに渡ったと言われている。

 ベルリンの最後は、オーバーバウム橋。川沿いから夕日を見ました。


テレビ番組「知っとこ! 世界の朝ごはん ローテンブルク」

 2010年10月30日放送。

●ローテンブルク Rothenburg
 ロマンチック街道で最も人気がある町で、多くの観光客でにぎわう。人口1.1万人で、「中世の宝石」と呼ばれる。周囲を城壁で囲まれ、中世の雰囲気が残る。ロマンチック街道の代名詞とも言われる。御伽噺の世界。きれいな町並み。

 お店にまん丸いボールみたいなものが売られている。「ディラー」というお店に入って聞いてみた。これは「シュネーバル」という400年の歴史があるこの町の伝統のお菓子。卵と小麦粉の生地を薄く伸ばしたら、筋を入れ、丸い金属容器に入れて油で揚げる。シュネーバルとはドイツ語で、「雪のボール」という意味。最後に粉砂糖をかけると白くなるため。1個1.3ユーロ(約150円)。中世の時代には結婚式などのおめでたい行事で振舞われていたとか。今ではチョコをコーティングしたもの、お酒につけたものなど様々。

 マルクト広場 Marktplatz もロマンチック。自転車の後ろの車に乗せて観光ツアーしてくれる人がいる。30分10ユーロ(約1130円)。フロリアン・ディーツェルさん?
 彼が紹介してくれたのは、「ケーテ・ヴォールファールト Kathe Wohlfahrt」で、お店の中は暗いがキラキラしている。サンタさんが並んでいる。1年中クリスマス・グッズを売っている世界最初のお店。30年前にオープンした。3万点以上のクリスマス・グッズがそろっているとか。一番人気はドイツ伝統の「ケムリ人形」。中でお香を焚くと口から煙が出る人形。ドイツ伝統の「くるみ割り人形」のサンタさんも人気とか。
 寒い時期でも花を絶やさないなど、町の住民は努力しているようです。

 昼食は、先ほどの人に教えてもらったお店は、「メッツガライ・ハーン・マーティン Metzgerei Hahn Martin 」で、ソーセージなどがある。ここはお肉屋で、自家製のソーセージをはさんだ出来立てのホットドッグ。一番のお勧めは、50cmのソーセージ。これを長いパンにはさんで、ケチャップにマスタードをつけたもの。3.5ユーロ(約400円)。近くの店に30cmのものを作る肉屋があったので、それに対抗して作ったとか。地元の人にも観光客にも大人気とか。

 鍛冶屋さんがあった。町の風景に欠かせない看板を作っていました。これは中世から続く伝統的なもので、この町には欠かせないとか。この人はこの町で唯一の看板職人のミヒャエル・カストナーさん(45歳)でした。この町では伝統を守るため、伝統的なスタイル以外の看板は掲げてはいけないという法律があり、それ以外だと許可が必要。

 新婚さんの朝ごはん。邸宅の2階に住むシュテファニー・ディーツェルさん(28歳)が作るのは、1品目「ヌードル・スープ」。鍋に一口大の豚肉と香味野菜を入れことこと煮て、スープのダシを採る。その間に具材作り。ボウルに牛乳、卵、塩コショウを入れ、しっかりかき混ぜ、マグカップに注ぎ、お湯に入れ暖める。ふんわり固まると取り出し、ざっくりと刻んでおく。スープから肉と野菜を取り出し、塩、ブイヨンなどで味付けしたら、スープ用の麺を入れる。最後にさきほどの卵を入れると完成。
 2品目「レンズ豆とシュペッツレとソーセージ」。あら引きの小麦粉、卵などをボウルに入れ、しっかりかき混ぜる。容器に入れ、シュペッツレというドイツ伝統のパスタを作る。2,3分茹でると完成。これに欠かせないのが、レンズ豆の煮込み。炒めたタマネギとベーコンと共に柔らかくなるまで煮込む。これをお皿にもりつけ、茹でたソーセージをのせると「3つで1つ」の定番プレートの完成。
 3品目「焼きリンゴ」。クルミの殻を割り、中身は細かくする。これにアーモンド、レーズン、ハチミツ、砂糖を加え、しっかり混ぜる。中をくりぬいたリンゴに詰める。上にバターをのせ、リンゴの蓋をしたら、オーブンでじっくり焼く。全体がしんなりしたら完成。


テレビ番組「にじいろジーン 地球まるごと見聞録 ケルン」

 2010年8月14日放送。

●ケルン
 エミレーツ航空でドバイ経由でデュッセルドルフから行きました。ドイツの西部に位置し、紀元前にローマ帝国により築かれたという歴史の古い街。今も昔も町の真中をライン川が流れる。
 ゴシック建築としては世界最大といわれる「ケルン大聖堂」。その壁面は第二次世界大戦の空襲で真っ黒に焦げたまま。高さは157m、完成までに632年かかっている。目を奪われるのは重厚なステンドグラスの数々。13世紀に作られた最も古いステンドグラスも今なお、生き生きとした色彩を放ち、差し込む日の光が荘厳な雰囲気を醸し出す。ドイツ最高の現代アーティストと言われるゲルハルト・リヒター製作のステンドグラス(2007年)もある。モザイク状のデザインが特徴。大聖堂前は大道芸人たちで大賑わい。
 大聖堂に隣接したお土産物屋さん「ドゥムクロスター」には修復前に実際に使われていたステンドグラスが約3.5万円で販売されていた。
 ドイツで一番学生の数が多いという。ホーエ通りなどの繁華街は若者たちで活気に溢れている。テレビ局などが集まるメディアの中心地でもある。
 町を歩くと、アイスクリームのコーンが屋上に突き刺さったような建物がある。
 今回の「にじいろガイド」は、エヴァ・ブローマットさん(22歳)。

 アルター・マルクト広場にあるレストラン「ガッフェル・ハウス Gaffel Koelsch 」でビールをいただいた。ケルンのビールは「ケルシュ」と呼ばれ、味は軽くて、小さなグラスで飲むのが定番。グラスが空いたら、言われなくてもおかわりを持ってきます。1杯約190円。ケルシュは200ml入りのグラスが11個運べる専用のトレイで運ぶのが定番。飲んだ数だけコースターにラインが入れられる。要らない時は、コースターで蓋をして知らせます。
 酢や赤ワインの入った漬け汁で3日ほどマリネをした牛肉や豚肉を蒸し焼きにした「ザウワーブラウテン」約1600円。柔らかいお肉をレーズンの入ったブレービー・ソースで仕上げる。「鶏の半分(ハルフェ・ハーン)」約470円は、黒パンと大きなチーズなど。「チーズの半分が欲しい」というのを、ケルンなまりで鶏肉と勘違いされたという逸話から生まれたメニューでパンにチーズをはさんで食べます。他にも「天と地(ヒンメル・ウント・エルデ?)」約1100円は、空に向かって育つリンゴと大地に根付くジャガイモのカップリング。「ケルンのキャビア」約470円は、血を固めたソーセージ。

 「ファリナ・ハウス」に行く。「オーデコロン」は300年前にケルンで初めて作られた。イタリア出身のヨハン・マリア・ファリナが作り出したオリジナルの香りは、現代にも受け継がれている。「香水博物館」では、18世紀のロココ調の衣装を着た男性が、世界最古の香水工場を案内してくれた。オーデコロンとはフランス語で「ケルンの水」という意味。当時のオーデコロンはコルクの栓を湿らせておくために寝かせて保存されていた。この香りが気に入ったナポレオンは、毎日ボトル1本使っていたという。
 もう1軒有名なオーデコロンのブランドが「4711」で、お店の入口には蛇口から流れる透明な液体がある。世界的にも有名な「オーデコロン4711」200mLで約3700円。お店の名前はナポレオン軍がつけた番地の番号に由来している。オーデコロンは、手で香りをたてて、額と首筋につける。

 ライン川の船着場に行く。ライン川クルーズの船に乗る。のんびり4時間乗ったら、素敵な場所に到着。車で1時間の距離を4時間かけて楽しみます。ケルンからケーニヒスヴィンターでクルーズ料金は片道約2500円。

●ケーニヒスヴィンター
 山頂にお城のあるボンの近郊にある静かな町。約130年前に作られた「ドラッヘンフェルズ登山鉄道」に乗って、10分余りで山頂に到着。目の前に広がるライン川。山頂にはドラッペンフェルズ城がある。ドラッペンフェルズは「ドラゴンの岩山」の意味。ここは英雄ジークフリートがドラゴンを退治したという伝説のお城。ジークフリートはドラゴンの返り血を浴びて不死身になったそうです。
 そんな伝説にまつわる名産品もある。「イエーズィター・ホフ Jesuiter-Hof 」で「ドラゴンの血(ドラッヘンブルート)」1本約680円というワインをいただいた。この周辺はワインの産地。辛口で飲み心地が良いそうです。
 住宅街の一角にドラゴンを描いた白い壁がある。「トブフェライ・ディーツ」に入ってみると、全身緑色の服を着た女性が出てきた。建物の中にはドラゴンをモチーフにした陶器を市販している。

●ケルン
 オシャレでいけてるお店が多い「ベルギー地区」。ポップな雑貨を扱うお店「ブティック・フラウカイザー」には、ドイツの家でよく飾られるというフレームが置いてある。人生の教訓めいた言葉が刺繍されている。「なるようになるさ」、「失ったものはそれまで」など。
 ベルギー地区で特にお勧めなのが「アニーニ」。好きなデザインの布を選び、オーダーメイドでスカートを作ってもらえる。50種類余りの布地から選び、1時間余りで完成する。約7000円。

 不動産屋さんが紹介してくれたのは、緑に囲まれた賃貸マンション。メゾネット・タイプで、1LDK50平方mで、白を基調にしたデザイナーズ・マンションで、二階から屋上へ行くと、ライン川が一望できる。1ヶ月1600ユーロ(約19万円)で家具も付いている。


テレビ番組「欧州列車旅行 ベルリン」

 2010年5月30日放送。製作は旅チャンネル/JIC。

●プラハからベルリンに向かう
 プラハ北部にあるプラハ・ホレショヴィツェ Holesovice 駅からスタート。駅の構内は天井が低くて簡素。ブダペストからベルリンまでを結んでいるユーロシティでベルリンに向かう。12:40分EC174号は発車した。ここから5時間の旅。ファーストクラスは横3席で座席はピンク。コンパートメントは6席。セカンドクラスは横4席。
 左手に緑の山並みが見え、右側にはプルタバ川(モルダウ川)が流れる。この川はエルベ川と合流し、北海に流れ込む。
 出発して1時間半、チェコ最後の駅デチン駅に到着。ドイツ最初の駅はバード・チャンダウ駅 Bad Schandau 。この駅を出ると列車の中でパスポート・チェックが行われる。
 プラハを出て2時間半、ドレスデン中央駅に到着。新市街駅に止まると、あとはベルリンまでノン・ストップ。
 食堂車で食事を楽しめる。サラダ3.1ユーロ、チキンパプリカ9.9ユーロ、ビール(バドワイザー)3.4ユーロ。

●ベルリン
 プラハを出て5時間、ベルリン・ズードクロイツ駅に到着。この駅を出ると、列車は地下に潜る。午後5:20、ベルリン中央駅 Berlin Hbf に到着。近代的な建物で、2006年サッカー・ワールドカップ、ドイツ大会の際に開業した。駅にはSバーンと呼ばれる近郊列車も乗り入れている。
 駅の正面は意外と殺風景。ドイツのタクシーはクリーム色、初乗りは2.5ユーロで、メイン・ストリートのウンター・デン・リンデン Unter den Linden までは10分。ベルリンの中央部を東西に走るウンター・デン・リンデンにはブランデンブルグ門がある。今回は6.9ユーロでした。ホテルはウェスティンだったようです。

 ベルリンは人口340万人。ベルリン特別市、ベルリン州とも表記される。街が形づくられたのは13世紀。18世紀にプロイセン王国の首都として発展した。19世紀にはドイツ帝国の首都となった。世界大戦に敗れて悲劇の首都となった。
 ウンター・デン・リンデンの東には美しい彫刻が配されたシュロス橋がある。その先にはベルリン大聖堂。巨大なイタリア・ルネサンス様式の教会で、その起源は15世紀。18世紀にフリードリッヒ2世が現在の場所に移築し、ドームの拡張工事を行い、1905年ウィルヘルム2世の時代に完成した。1993年に修復を終えた。大人5ユーロ、学生3ユーロ。月〜土は9:00-19:00、日は12:00-19:00。4月〜9月は20時まで。パイプオルガンは1905年の製造で、7269本のパイプを持っている。パイプオルガンの下には、第2代プロイセン王のフリードリヒ・ヴィルヘルム1世の棺、ソフィー・ドロテーア王妃の棺が安置されている。高さ114mの天蓋。祭壇に向かって右手にあるのは、初代プロイセン王のフリードリヒ1世の棺。
http://www.berlinerdom.de/

 ベルリン大聖堂の前を流れるシュプレー川。19世紀にフリードリヒ・ヴィルヘルム4世が芸術と科学のための地域と定めた場所がある。ここは博物館島と呼ばれ、5つの美術館・博物館が集まる中州で、1999年世界遺産に登録された。

 ウンター・デン・リンデンは宮殿からティーアガルテンまでの道として、1647年にフリードリヒ・ヴィルヘルムが建設した通り。歩きはじめてまず現れるのは、18世紀の第3代プロイセン王フリードリヒ2世の騎馬像。芸術的才能により、周辺の美しい景観が作られた。フンボルト大学は19世紀に作られた名門大学。校舎はフリードリヒの弟だったハインリヒの宮殿だった建物。道をはさんだ反対側はベーベル広場。フリードリヒ2世が建てたオペラ座などに囲まれた文化的広場。ユダヤ人の書物が焼かれた焚書事件の舞台ともなった。
 路地を入ると「ジャンダルメン市場 Gendarmenmarkt 」。ジャンダルメンとはフランス語で近衛騎兵という意味。広場の両脇にはフランス教会とドイツ教会がある。
 ウンター・デン・リンデンを進んでいくと、パリ広場に出る。1734年、初代プロイセン王フリードリヒ1世が建設した。それを見守るように聳えるのがブランデンブルク門で、1791年第4代プロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム2世が建てた。アテネの神殿を手本にし、門の上の装飾は勝利の女神と4頭立ての馬車。ベルリンの西の街ブランデンブルクに続く門だから、その名がつけられた。
 ベルリン中心部の通りリーヤ・ガルテン?には、戦勝記念塔Siegessaude もある。第7代プロイセン王ヴィルヘルム1世時代の建設で、シュレースヴィヒ=ホルシュタイン戦争/1864年、普墺戦争/1866年、普仏戦争/1870−71年の勝利記念塔。ここからはティーア・ガルテンが一望できる。当時は狩をしていた。

 シュプレー川のイースト・サイド・ギャラリー。ベルリンの壁が1kmほど保存され、アーティストによる絵画がある。現在は痛みがひどいので修復も一部で行なわれている。
 ベルリンの壁 Berliner Mauer は1961年〜1989年。最初にできたのは、社会主義的な東ベルリンから西に労働力が逃げるのを防ぐためだった。西ベルリンを囲むようにしてできた壁は全長が155kmにも及んだ。
 壁はイーストサイド・ギャラリーからは、チェックポイント・チャーリー(国境検問所)、ポツダム広場、ブランデンブルク門、連邦議事堂、と続く。
 チェックポイント・チャーリー近くには当時の様子を示す写真が展示されている。ブランデンブルク門も修復されたのは2003年だった。連邦議会議事堂もベルリンに首都が戻ってから修復された。1999年天井にガラスのドームが完成した。連邦議会事務塔はシュプレー川をはさんで建てられている。東西の架け橋をイメージしたモダンなデザイン。
 ポツダム広場も生まれ変わった。19世紀にプロイセン王国の鉄道駅ができて、栄えたが、第二次世界大戦によって破壊され、さらにベルリンの壁によって分断された。今はプレートだけが残り、1998年にはダイムラー・シティ、2000年にはソニー・センターが完成した。複合施設のソニー・センターにはカフェ、レストラン、シアターなどがある。ドイツ現代工法の最先端と言われ、夜になると天井がライトアップされる。周辺には1963年建造のベルリン・フィルハーモニー、1965年の新ナショナル・ギャラリーが完成。それらの中心に文化フォーラムが作られた。ここの絵画館はヨーロッパ絵画が展示されており、大人8ユーロ、学生4ユーロ。火・水・金・土・日曜日が10-18時で、木曜が10-22時。月曜は休み。ラファエロ、ボッチチェリ、レンブラントなどの作品を見ることができる。
http://www.smb.museum/

 ポツダム広場には地下鉄や近郊への電車の発車するポツダム広場駅がある。冷戦時代は東ドイツにあったので、利用されなかった。1992年から営業を再開した。ベルリン市内への移動に便利なSバーンに乗ってみた。チケットは、言語を選択し、ベルリンを選択し、行き先を決める。何度も乗る場合は1日券が便利で大人か子供かを選択する。大人は1回券は2.1ユーロ、1日券は6.1ユーロ。子供は1.4と4.4。購入したチケットは券売機の後ろの赤い分で刻印する。北駅Nordbahnhof の「ベルリンの壁記念資料館」まで行くことにした。4駅で到着。ベルナウアー通り Bernauer Strasse に沿って壁があった。その正面に記念資料館がある。入場無料で月曜休み。4−10月は10-18、11−3月は10-17。
http://www.berliner-mauer-gedenkstaette.de/

 記念資料館の近辺は復興していて、ハッケシャーマルクト駅付近にあるハッケシャーヘーフェは注目されている。1907年にできたヨーロッパ最大の集合住宅。デザインの異なる可愛いアパートが連なる。内部には小さな中庭があり、1階部分にはオシャレなレストランやカフェが並ぶ。赤い看板が目印のアンペルマン・ギャラリー・ショップ。冷戦時代に東ドイツで生まれた信号のマークを商品化したお店。エコバッグ(3.9ユーロ)が人気だそうです。
http://www.ampelmann.de/

 ハッケシャーヘーフェの西に位置する、近くのヘックマンヘーフェ Heckmann Hoefe にも人気のお店が入っている。「ハットアップ・ベルリン HUT up Berlin 」(住所:Oranienburger Str. 32, Berlin)はフェルト製品の専門店。縫い目のない柔らかなデザインが魅力。ブラウス219ユーロ、スカート279ユーロなど。洋服のほか、小物類も充実している。
http://www.hutup.de/

 フレンツラウアーベルク地区は、並木道に沿ってレストランが並ぶ。新進デザイナーのショップやカフェが集まるオーダーベルガー通りの一角に人気のドイツ料理レストラン「オーダークヴェレ Oderquelle 」(住所:Oderberger Str. 27, Berlin)がある。ビールは500mLで3.4ユーロ。「子羊のリブ、タイム風味のポレンタ添え」18.5ユーロ。「マウルタッシェン」5ユーロは、コンソメスープの水餃子。
http://www.oderquelle.de/

 社交ダンスは「クレアヒェンズ・バルハウス Claerchens Ballhaus 」(August Str. 24, Berlin)で、1913年から営業している老舗で、2005年にリニューアルした。アルコールもドイツ料理も味わえる。

●ベルリンから
 中央駅からポーランドのクラクフ Krakow Glowny を目指す。ホームは地上3階で明るい日差しの中で列車を待つ。ユーロシティに乗りました。


テレビ番組「知っとこ!世界の朝ごはん フランクフルト」

 2010年5月8日放送。

●フランクフルト
 人口約68万人。古き町並みが印象的。ヨーロッパで最も多くの銀行が集まる金融経済の中心地。
 青空広場に人が多く集まっている。エルツォイガー・マルクトは週に2回開かれる食材豊富なマーケット。ビール、ワイン、などを飲んでいる人も多い。フランクフルト・ソーセージを焼いていた。地元ではただのソーセージと言います。「リンズウルスト」1本2ユーロ。
 大きなワッフルのお店もある。シュガーパウダーをたっぷりかけて食べる。1個1.7ユーロ。ほかにもフルーツのジャムを塗って食べるのも人気とか。

 シャウマインカイ Schaumainkai 周辺は静か。レンタサイクルの自転車が置いてある。「Call a Bike 」はドイツ国鉄が始めた乗り捨て自転車システム。青いランプがついているものは利用可能。069-427277-6577 に電話するらしい。クレジットカードの登録が必要。貸し出しは1分間8セント。登録は5ユーロ。

 ロッククライミングをしていたカイ・シュノールさん(24歳)が紹介してくれたのは、春祭り。遊園地みたいな感じ。3週間のみの「ディッペメス」。春の到来を祝うお祭り。本格的なジェットコースターから、子供の乗り物まである。期間中にはおよそ200万人がやってくるという。

 ツヴィンゲンベルグ Zwingenberg に行く。畑で作っていたのは、ホワイトアスパラガス。よいものは、穂先が白くてまっすぐ。穂先が変色しているものは、味が落ちているとか。道路沿いで直売もしている。1kg8.3ユーロ〜。

 新婚さんの朝ごはん。アパートに住むヴィタリア・ヘルマンさん(27歳)が作るのは、1品目「ザウアークラウト添え豚肉のスペアリブ Rippchen mit Sauerkraut 」。ひまわり油を敷いたフライパンで豚のあばら肉を炒める。塩、胡椒、ハーブで味付け。両面に火が通ったら、つけあわせ。ザウアークラウトという酢漬けのキャベツを塩、胡椒とオリーブオイルで炒め、軽く火が通ればよい。あとはマスタードを添えて完成。
 2品目「ホランデース・ソースで食べるホワイトアスパラガス」。ホワイトアスパラガスの皮をむいたら、沸騰した鍋に入れ、塩を軽くふり、およそ10分茹でる。その間に、じゃがいもを食べやすい大きさに切って、同様に塩茹でにする。ソースを作る。バターを溶かし、卵黄を加え、小麦粉、塩などを入れて加熱してよくかき混ぜる。そこにさっぱりした味付けにするためにレモンを絞る。
 3品目「ヨーグルト、ナッツ入りフルーツサラダ」。新鮮なフルーツを切り分け、ヨーグルトを上からかける。仕上げにナッツを切ってかける。


テレビ番組「検索 de ゴー! とっておき世界遺産 第4回」

 2010年5月5日放送。南原清隆さん、首藤奈知子アナウンサーが司会。浅井慎平、森公美子、金子貴俊、Shelly さんが出演。世界遺産検索システム「さぐ〜る」を使って世界遺産を旅する。NHK製作。

 まず「発見」。発見といえばエジプト。
●エジプト
 これまでクフ王のピラミッドは10万人を使い、20年かかったという。巨大な石はスロープを使って運ばれたというが、完成時には1.6km先まで続く巨大なスロープが必要となる。それだと20年では到底無理だと考えた、フランス人建築家のジャン・ピエール・ウーダンさんは、ピラミッドの不可解な窪みに注目した。中には大きな空洞があった。これをトンネルの跡だと考えた。螺旋状のトンネルを作り、石を運び上げたという。角には方向転換する仕掛けを設置したという。労働条件に関しても、ピラミッド建設を指揮したという役人の墓からは、「王が労働者にパンとビールを与えた」という記録が見つかった。労働者の出勤簿からは、「二日酔いで休んだ」、「息子の墓参りのために欠勤」などという記述が見つかった。そのため、農閑期の公共事業だったという説もでてきた。
 ピラミッドの石は1.5mの高さで1個2.5トン。これが300万個使われている。ピラミッド全体で600万トン。
 現在の入口は高さ9mの所にあり、9世紀に開けられたもの。本来の入口はその10m上。
 作られた当初は全体が真っ白だった。化粧石という石灰岩で覆われていた。

 テーベでは、1922年イギリスの考古学者ハワード・カーターが30年かけて見つけた「ツタンカーメンの墓」。2007年、王の素顔が初公開された。死因についても、2010年2月DNA鑑定の結果、マラリアに犯された痕跡が見つかった。

 DNAといえば、ガラパゴス。
●ガラパゴス
 ダーウィンに進化論のヒントを与えた。ガラパゴスゾウガメ、グンカンドリ、リクイグアナとウミイグアナ。最近、この交配種がでてきて、鋭いツメで木に登れるようになった。2009年、ピンクのイグアナも登場した。こうして種を守っている。

 「守る」といえば、ゴール旧市街。
●スリランカ
 16世紀以降、アジア進出のためにヨーロッパ諸国が築いた要塞都市がゴール。周囲は高さ20mにも及ぶ城壁。街中では洋風建築が植民地時代の面影を留めている。
 このゴールを奇跡の世界遺産として認めさせたのが、2004年のスマトラ島沖地震。ゴール旧市街にも5mを越す大津波が押し寄せた。城壁が持ちこたえ、直撃は避けられた。街の裏から海水が入り込み、大洪水になった。しかし、植民地時代に作られた下水道により、排水された。これは忘れられていた。

 「穴」といえば、カナイマ国立公園。
●ベネズエラ
 絶壁のテーブル・マウンテンが100以上も聳え立つ。山の頂きから流れ落ちる「アンヘルの滝(エンジェル・フォール)」は落差979m。滝壷がない。その山頂(ロライマ山頂)は麓と全く異なる生態系。カエル(オリオフリネラ)には水かきがない。雨で流れ落ちないように、オタマジャクシにはならない。
 直径800m、深さ300mの巨大な穴がある。ここで新生物を発見。マツゲが生えたヤモリ。細いサシガメの仲間。高さ5mの堆積物を発見したが、これは植物の種で、アブラヨタカの食事のあとだった。

 次の検索は「黄金」。
●スペイン
 セビリア大聖堂は、大航海時代のスペインを象徴する世界遺産。高さ28m、上から下まで金の祭壇衝立には、3トンの金が使われている。アメリカから運ばれたもので、120年の歳月をかけて作られた。祭壇の傍らには、コロンブスの柩もある。

●ブラジル
 「オウロ・プレト歴史地区」は18世紀金鉱が見つかり栄えた。ピラール聖母教会は黄金で儲けた人が建てた。最盛期には世界中の金の6割がこの街で掘り出されたという。
 連れて来られた奴隷たちが働いていたが、彼らは祈ることを禁じられた。そこで、自分たちだけの「ロザリオ・ドス・プレトス聖母教会」を建てた。掘った金を少しずつ隠して持ち寄り、支度資金にした。

●オーストリア
 ザルツブルグ歴史地区。財力に恵まれ、芸術文化を育んできた。繁栄ぶりを今に伝えるのが「ホーエンザルツブルク城」。最上階は金箔で飾られた「黄金の小部屋」。しかし栄えたのは、司教ルーペルトの持った壷の中に入っている岩塩。塩は食物の保存にも重要で、貨幣のような価値もあった。モーツァルトのクリスマスのボーナスが、重さ60kgの塩の塊だったという記述も残っている。当時、北ドイツではこの岩塩5本で家1軒が買えたという。
 ザルツブルクは「塩の城」の意味。また給料のサラリーは、古代ローマ時代の給料は塩(サラリウム)で支払ったことが由来。

 「塩」といえば
●ポーランド
 「ヴィエリチカ岩塩坑」は13世紀頃から700年以上に渡って掘られたもので、坑道はのべ300km。部屋の数は2000以上。地下に豪華なシャンデリアで飾られた礼拝所がある。彫像までも岩塩でできている。危険が多かったので、坑夫たちは安全を祈った。
 1978年に世界で初めて世界遺産として登録された一つです。

 「料理」と「芸術」で検索すると、
●イタリア
 「サンタ・マリア・デレ・グラツィエ修道院」の食堂の壁に15世紀の末に描かれたのは、「最後の晩餐」。1970年代から一大修復プロジェクトが始動し、ダビンチの描いた当時の姿のみが浮かび上がった。NHKはさらにCGを使い、食卓の上に、ワイン、オレンジの添えられたウナギなども再現した。

 「料理」といえば
●フランス
 「モンサンミシェル」は干潟にそびえる修道院。年間300万人が訪れるこの世界遺産の名物料理は「オムレツ」。特大サイズですが、「前菜」らしい。

●メキシコ
 「テキーラ」はリュウゼツランが原料。この畑とテキーラの工場が世界遺産。葉を切り落とし、ビニャと呼ばれる中心部分にはデンプンがいっぱい。蒸して甘い汁を絞り取る。発酵させ蒸留し、テキーラができる。
 正統な飲み方は、グラスにライムと塩をつけて一緒に飲む。

●イタリア
 「ナポリ歴史地区」。卵城は12世紀にノルマン人が建てたもの。150年後にフランス王家が建てた城もある。そしてスペインの王宮。この時、新大陸が原産のトマトが持ち込まれた。1889年、イタリア王国の一員となったナポリに国王夫妻がやって来た。その時食事作りをおおせつかったのが、ピザ職人ラファエッレ・エスポージドで、新しいピザを考案した。生地に赤いトマトと白いモッツァレラ・チーズ、緑のバジルをのせて、イタリアの国旗を表わしたピザにした。王妃のマルゲリータはその美味しさに感激し、名前を聞いた。エスポージドは「マルゲリータ」だと答えた。

 人生のほとんどを世界遺産に関係している人は、カトリーヌ・ド・メディシス。
●イタリアとフランス
 生まれたのは「フィレンツェ歴史地区」で、フランスに嫁ぎ、当時の最新文化を伝えた。新婚生活と晩年は「ロワール地方」で、生涯の大部分は「パリのセーヌ河岸」だった。
 フィレンツェはダビンチ、ミケランジェロ、ラファエロなどの多くの芸術家を生んだ。カトリーヌが生まれたメディチ家はヨーロッパ一番の富豪一族だった。生まれた時に、産婆は「不吉な星の下に生まれた子」と言った。生後15日目に母が、21日目に父のロレンツォ2世、そして祖母、大伯父が死去した。14歳の時にアンリと婚約。しかしアンリは20歳年上の養育係ディアヌ・ド・ポワチエを愛人にしていた。夫を取り戻すために、カトリーヌはブロワ城で子宝を得るための薬草を使った。11年目にやっと第一子を授かり、後に12年で10人の子を出産した。しかしその子たちはディアヌに預けられてしまった。
 ニコル・ガルニエさんが貴重な資料を見せてくれました。子供たちの肖像画を鉛筆で描いて送ってもらていた。
 そのカトリーヌの前にノストラダムスが現れた。彼女の家族について、こう予言した。「若きライオンに組みふされて失明した老ライオンは、苦悶のうちに死す」。5年後に現実となった。騎馬試合に出場したアンリは若い騎士に目を突かれて重症を負い、死に至った。
 カトリーヌは若い王の摂政として政務に就き、ディアヌとの立場は逆転した。ディアヌからシュノンソー城を返還させ、派手なディアヌの庭園の向かいに、シンプルな新しい庭園を作らせた。愛人によって乱された国を文化によって建て直そうとした。
 イタリアの宮廷舞踏だったバレッティは、後にバレエとなった。料理はそれまで大皿に盛った料理をナイフで刻み、手掴みで食べていた。ここにフォークを持ち込み、優雅な食事のスタイルを持ち込んだ。今では大人気のシャーベットやマカロンなどの多くのデザートも持ち込んだ。これが今のフランス料理とつながっていく。
 次は宗教戦争の解決にも乗り出す。娘のマルグリットを敵であるプロテスタントのナバル国王アンリに嫁がせようとした。1572年8月24日、その結婚披露宴の最中、王家の家臣がプロテスタントの貴族を暗殺し、これを契機にして全国でプロテスタントの粛清が始まった。フランス史に残る大虐殺事件「サン・バルデルミの虐殺」に発展。政治の実権を握っていたことから、カトリーヌは事件の黒幕と噂された。それに喪服の印象が重なり、「黒い王妃」と呼ばれるようになった。
 その疑惑を晴らせぬまま、1589年ブロワ城で亡くなった。

 「発見」で最後に
●ドイツ
 2009年5月にニューヨークで化石「イーダ」についての記者会見が行なわれた。イェンス・フランツェン博士は人類の祖先の可能性があるという。ヒトとサルをつなぐ最古の生物ではないかと研究が行なわれている。
 イーダが発掘されたのは、ドイツのメッセル。「メッセルピットの化石発掘地域」は東京ドームのおよそ15倍。地下には無数の古代生物の化石が眠る。4700万年前の地球を覗ける窓だといわれている。
 恐竜が繁栄していた中生代の時代が終わると、哺乳類の時代「新生代」の時代となる。当時は地球全体が温かく、新しい種類の哺乳類が次々誕生した。馬の祖先の仲間「プロパレオ・テリウム」は今の馬よりも小さく、体長は70cm。「アメリカツヤタマムシ」。スッポンモドキのカメの仲間「アラエオケリス」。

 実はこの地域は巨大なゴミ箱になる運命にあった。1970年代初頭、ドイツは大量のゴミに頭を悩ませていた。当時のメッセルには大きな窪地があった。州政府はここに大規模なゴミ処理場を作ろうとした。地元の人は大反発。工事のためにその窪地から水を抜いたところ、新しい化石が次々と見つかった。オットーさんは人工樹脂を使って化石を壊れないようにした。絶滅した原始のハリネズミの化石「マクロクラニオン」。原始的なツバメの仲間「スカニアキプセルス」。原始的なキツツキの化石「プリモジゴダクティルス」の胃からは、ブドウの種が見つかった。1981年オットーさんは死去し、意志はメッセル化石郷土博物館に引き継がれた。ワニの化石には抗議の意味で「パリフラクタ・テポニアエ」という「ゴミ処理場」という名前が学術名に入れられた。世論の支持を集め、ゴミ処理場計画は中止された。


テレビ番組「世界の果てまでイッテQ! 人は1日で何か国旅行できるの?」

 2010年3月28日放送。ベッキーが挑戦。ある調査によれば、日本人が生涯に訪れる国は海外旅行経験者で平均6.45か国(東京電力TEPORE調べ)。朝8時から翌日の朝8時までの1日で何か国旅行できるか、挑戦した。ただ、各国で旅の3要素(観光、食事、土産)を満喫すること。目標は6カ国を超えること。

●作戦
 ヨーロッパなら小さな国が密集し、EU加盟国ならパスポートチェックもない。お土産は視聴者にプレゼントする。

●コペンハーゲン
 デンマーク王国は人口551万人、通貨はクローネ。EU加盟国で、マルグレーテ2世女王が治める。人形姫の場所に行く。マーライオン、小便小僧と共に世界3大がっかりと言われる。小さくて地味。
 食事は、スモーブロー。魚や肉をパンの上にトップングしたもの。これはフォークとナイフで食べるのがマナー。
 お土産はロイヤル・コペンハーゲン。1枚で5万円でした。絵は1枚1枚職人さんが絵つけをしている。半分描かせてもらった。失敗作のように見えます。以上デンマークは45分で制覇。

●チューリッヒ
 スイス連邦の人口770万人。通貨はスイスフラン。EU非加盟国。スイス最大の都市チューリッヒ。お土産はスウォッチ。240CHF(約2万円)を3つ購入。
 ヨーロッパで一番大きい文字盤の聖ペーター教会の時計台がある。
 食事は「チョコレート・フォンデュ」20CHF(約1700円)。3年前にチーズフォンデュは味わったため。つけるものはパンではなく、フルーツ。

●リヒテンシュタイン
 車で1時間。人口3.4万人。通貨はスイスフラン。EU非加盟。貴族が代々国歌元首を務める国。世界では6番目に小さい国。切手が世界でも有名。高度な印刷技術とデザインは世界中の切手コレクターの注目の的。お土産は切手セット13.65CHF(約1200円)。
 料理は「キーセシュピッツェレ」15CHF(約1285円)。マカロニを細かく切ったものに、チーズを和えた感じだそうです。その上にフライド・オニオンがのせてある。
 観光はパラグライダー。75CHF(約6500円)。空気が冷たいから知覚過敏だそうです。このパラグライダーから国全部が見えるそうです。

●ノイシュバンシュタイン城
 ドイツ連邦共和国は人口8222万人。通貨はユーロ。EU加盟国。ベッキーが楽しみにしていた観光地は、ノイシュバンシュタイン城。お城は夜ライトアップされている。ところがこの日は休業でした。世界4大がっかりだと言っていました。
 ここはバイエルン国王ルードウィッヒ2世によって約150年前に建てられた白亜の城。紅葉の頃の写真はとても美しくて有名。
 お土産はテディーベア。耳にボタンがついているシュタイフ社のものが、世界で一番最初に作られたテディーベア。ルードウィッヒ2世のテディベアもあり、オルゴール付きだった。179ユーロ。
 食事は「ドイツ・ソーセージ」5ユーロ。

●ザルツブルグ
 オーストリアまでは車で2時間半。オーストリア共和国は、人口830万人、通貨はユーロ。EU加盟国。夜10時にはお店が閉まってしまう。
 あいているお店に入ったら、塩の店だった。ザルツブルグは「塩の城」という意味で、古くは岩塩の採掘で栄えた街。お土産は「塩のキャンドル・ホルダー」5ユーロ。
 観光はモーツァルトの像。彼は1756年にここで生まれた。
 観光と食事はそんなモーツァルトが通ったレストラン「シュティブツケラー・ザンクト・ペーター」で、803年創業のお店。店内では音楽と伝統的なオーストリア料理が楽しめる。いただくのは、モーツァルトの大好物「タフェールシュビッツェル(牛肉の煮込み)」20ユーロ。オペラの歌手がちょっかいをかけて、トライアングルを叩けという。途中で11時になり、出発しました。

●チェスキークルムロフ
 車で2時間半。チェコ共和国は、人口1043万人。通貨はチェココルナ。EU加盟国。この街は13世紀の街並みが今なお残り、街全体が世界遺産。  午前1時半に到着。街角で火を吹く男がいた。次は鎌をもった男。彼らは観光ガイドで「深夜のミステリーツアー」を催行している人たちだった。料金は300Kc(約1500円)。観光ツアーは45分。
 お土産は観光ガイドさんに家から持ってきてもらったボヘミアン・グラス。
 食事は深夜2時から、ビール40Kc(約190円)。チェコは一人あたりのビール消費量が世界一。ぐんぐん飲んだので、酔っ払った。

●ブラスチラヴァ
 スロヴァキアに向かう。スロヴァキア共和国は人口541万人。通貨はユーロ。EU加盟国。スロヴァキアは国土のほとんどが山岳地帯。チェコとは前は同じ国だったが、人種も違えば言葉も違う。残り1時間半でこの国ともう一つ行きたいところ。
 観光はブラチスラヴァ城。ここはスロヴァキアのシンボル。敵の侵攻に備えて改築を繰り返していたら、ヘンなデザインになったという。ひっくり返すとテーブルになる。目の前に流れているのがドナウ川。
 市場に行く。食事は伝統の編みこまれたチーズ。このチーズを男性が女性にタッチすると女性は幸せになるという。「編みこみスモーク・チーズ」1.5ユーロ。
 お土産は市場で売られていた、伝統柄のキルト。20ユーロ。

 残り67分。8カ国目のハンガリーまでは移動に40分かかる。

●ジェール
 ハンガリー共和国は、人口1002万人。通貨はフォリント。EU加盟国。午前7時30分に入国。
 市場でパプリカをがぶりと食べる。1個300フォリント(約140円)。
 お土産はパプリカの粉末。5個で2750フォリント(約1280円)。
残りは15分で観光。残り3分で気球に乗り込む。気球ツアーは4000フォリント(約1850円)。上空から街を眺めました。

 以上8ヶ国、2127km移動しました。


テレビ番組「THE 世界遺産 船でめぐるドナウ」

 2010年1月10日放送。ヨーロッパをつないだ2つの道があった。船と鉄道。2回に渡り特集する。ドナウ川はヨーロッパを東西に流れる2800kmの大河。ドイツを源に発し、10ヶ国を通って黒海に注ぐ。ドナウ川の岸辺には6つの世界遺産がある。

●ドナウエッシンゲン
 ドイツ南部の町。教会と宮殿の間に挟まれるようにある丸いもの。ここがドナウの源泉。18世紀、この地方の領主が湧き水を大理石で囲み、ここが水源であると宣言した。それ以来、ドナウの水源といえば、ここをさすようになった。辺には母と子の像。母は右手でドナウが流れていく東を指し、若い娘を旅に送りだそうとしている。そして宮殿の脇を流れるブリバッハ川へと注ぐ。そして次の流れと出あってから、ドナウ川と呼ばれる川になる。生まれたての川は「ユンゲドナウ」(若きドナウ)と呼ばれる。
 その後100mの断崖の険しい渓谷へ。ここでは小型の船でしか通ることができない。

●レーゲンスブルク旧市街 Regensburg
 源流から400km。最初の大きな都市。町のたたずまいは1000年前とほとんど変わらない。町の黄金時代に建てられた聖ペテロ大聖堂。塔の高さは100mを越える。
 ドナウの辺に建つ巨大な倉庫には、アルプスで採れる塩がある。塩は白い黄金と呼ばれるほど高価だった。ここから塩が各地に運ばれた。12世紀、富をつぎこんで建設されたのが、ドナウ川で最も古い石橋。昔のままで900年。未だに人と車が通れる。重い石を運ぶ職人のために、ドイツ名物「ソーセージ」が生まれた。ドイツで一番古いソーセージの店として観光客が必ず立ち寄る人気スポットとなっている店がある。
 ここから先、大型船が通れるようになる。19世紀に出版された旅行記に、「レーゲンスブルクとウィーンの間がドナウで最も旅人に愛された」と書いてありました。

●ヴァッハウ街道 Wachau
 オーストリアにある。ドナウで一番美しい渓谷。城と川と自然が織り成す風景はドナウではここだけ。ゆったりした時間を過ごせる。
 この渓谷で一際豪華な建物が「メルク修道院」。聖堂内はまるで地上に現れた天国。黄金に光輝いている。これを建築したのは、ハプスブルク家の皇帝だった。
 その皇帝に愛されたものはワイン。ワインの文化を育んだものは修道院。修道院は手作りのワインで巡礼者をもてなした。ヴァッハウ渓谷のワインは「王様」と呼ばれ、皇帝や貴族の食卓にも運ばれた。

●ウィーン歴史地区
 芸術や文化が花開いた街。19世紀後半、「美しき青きドナウ」を書いたのは、ワルツ王ヨハン・シュトラウス2世。
 もう一つの文化はカフェ。
 マリア・テレジアが情熱をかけて作りあげたシェーンブルン宮殿。その中心が大広間。彼女が特に好きだったお菓子は、薄くのばした生地にリンゴをくるんで焼くアップルパイの元になった「アプフェル・シュトルーデル」。宮殿のカフェで味わうことができる。

●ブダペスト Budapest
 ドナウは街の真中をゆったりと流れる。国会議事堂が美しい。19世紀末に建てられた自由と独立のシンボル。ヨーロッパ一豪華な議事堂として知られている。
 中央市場は100年前に鉄とガラスを使い、時代を先駆けた建築だった。ハンガリーは世界一のパプリカの名産地。16世紀にアメリカ大陸からスペインの船に乗って伝えられた。魚市場では川で取れた魚が並ぶ。鯉の仲間はクリスマスに食べるそうです。

●ドナウデルタ
 源流から2850km。河口にやってきた。デルタ状に広がり、広大な湿地となる。ここは野鳥たちの世界。およそ300種いて、渡り鳥の楽園としても知られる。湿原は見渡す限り葦で覆いつくされている。ここでは人の暮らしも葦とともにある。中に空気が保たれ、いい保温材となっている。
 ドナウデルタの小さな村。葦はすぐれた建築材料で、葦で屋根をふくと50年もつという。
 そして黒海。昔は多くの商人がドナウを目の前にして交易品と一緒に沈んだという。それでも人々はドナウを目指した。


テレビ番組「山口智子の時を旅し時を奏でる 〜音の巨匠をたどるヨーロッパ大紀行」

 2009年12月24日放送。バイオリン協奏曲を作曲したメンデルスゾーン生誕200年記念。彼はイギリス、スイスも訪れて、そこで出会った感動を美しい音楽に変えていった。結婚行進曲などの有名な曲を書いたのに、彼の名が消されそうになったことがあった。テレビ大阪製作。

●ライプツィヒ
 自由の気風をたたえた街。15世紀から文化と商業、印刷や出版で栄えた書籍の街でもあり、世界最初の日刊紙や音楽出版社もここで生まれた。ヨハン・セバスティアン・バッハの町としても知られてきた。バッハの活躍した教会の一つ聖ニコライ教会。後の東西分裂の時代には、ここに集う人々の平和を祈るエネルギーが大きな波を引き起こし、ベルリンの壁崩壊につながっていった。
 26歳でこの街にやってきたフェリクス・メンデルスゾーン。バルトルディの知られざる功績は、練習の時から指揮者として交響楽団の前に立っていたということだと、ゲヴァントハウス・ディレクターのアンドレアス・シュルツさんが説明してくれました。バイオリン奏者のグンナール・ハームスさんは、それ以前の指揮者は本番しか参加しなかったという。演奏者を育てることを始めた最初の指揮者だったといえる。
 通訳のローザ・フォルマーさん。
 アウグストゥス広場で2009年メンデルスゾーン音楽祭が開かれた。オープニングはゲバントハウス交響楽団による「序曲ヘブリディーズ諸島」。メンデルスゾーンはこの交響楽団の5代目の指揮者で、現在は19代目のリッカルド・シャイー。

 1809年メンデルスゾーンはハンブルグで生まれた。2歳の時ナポレオン率いるフランス軍から逃れるためにベルリンに移動した。ベルリンのブランデンブルグ門の上にあった勝利の女神は、ナポレオンがフランスに持ち帰ってしまったが、8年後にここに戻ってきた。そしてナチス時代はこの門が象徴として使われ、東西冷戦時代はこの門の上に境界線が引かれた。メンデルスゾーン一家はベルリンで銀行を立ち上げ、成功していく。その影にはユダヤ人に対する偏見が渦巻いていた。1989年、東西冷戦の時代が終わりを告げるまで、メンデルスゾーンの音楽と名声はユダヤ人という名の下に歴史から封印された。
 立教大学の星野宏美さんは、メンデルスゾーンの功績を世界に発信してきた。結婚行進曲が初めて公に使われたのは、ビクトリア女王の娘の結婚式だったという。それがブームになって使われることになったという。
 フェリクスが姉と始めた日曜コンサートは話題となり人が集まった。メンデルスゾーン家の紋章に描かれた、石を握る鶴と Ich Wach という文字は、私は目覚めて守っているという信頼と安心の印。一族は文化と経済の発展に力を尽くした。ドイツのソクラテスと呼ばれた哲学者モーゼス・メンデルスゾーンは祖父にあたる。メンデルスゾーン資料館館長のトーマス・ラックマンさんはモーゼスが文化と経済を結びつけたという。当時ユダヤ人への迫害を逃れるために、キリスト教への改宗が行なわれていた。メンデルスゾーンは洗礼によりバルトルディという名も得たが、メンデルスゾーンという名を使い続けた。

 フェリクス12歳の時、作曲の師はワイマールに住む文豪ゲーテに引き合わせた。ワイマールはかつてバッハも宮廷音楽家として活躍した町。フェリクスはワイマールの町とゲーテに会わなければ、私の人生は違ったものになっていたと後に語っている。ここに16日間滞在し、ゲーテに多くの曲をピアノで弾いたという。実際に彼が弾いたピアノが残っている。最後にゲーテは切り絵と詩をフェリクスに贈った。13歳、16歳と何度も訪れ、ゲーテの音楽に対する意識を変えていった。ベートーベンは苦手だと言っていたゲーテに、フェリクスは第5番の第一楽章を聞かせら、ゲーテはかなり興奮したという。
 ゴーリキ・シアター(旧シングアカデミー)で、20歳のフェリクスは歴史に残る偉業を成し遂げた。1829年3月11日、マタイ受難曲の公開演奏を100年ぶりに演奏した。しかし反対が多かった。それをわかりやすい演奏にして大成功した。得られたお金は恵まれない少女たちの裁縫学校に寄付された。

●エジンバラ
 20歳からの3年間、スコットランドのエジンバラ、ロンドン、パリ、ローマなど旅にあけくれた。20歳の夏にエジンバラにやって来る。フェリクスは何度もイギリスを訪問した。今年のエジンバラのフェスティバルでもメンデルスゾーンの曲が多く演奏されている。
 38歳の時に姉のファニーが急死した。その数ヶ月後に作曲されたのが「弦楽四重奏曲作品80」。ヴァイオリニストのフィリップ・セッツァーさんは、あまり知られていない曲だが、ロマン派の傑作でありながら、既存の自分を打ち破った作品ともいえる。
 エディンバラの小高い丘の上には「アーサー王の座」がある。彼はホーリールード宮殿を訪れ、交響曲3番「スコットランド」を書き始めた。完成は10年後で、ビクトリア女王に献呈された。メンデルスゾーンが訪れる約60年前の1768年に暴風雨により大被害を受け、以来廃墟となっている。
 友人とともにハイランドに足を踏み入れる。山口さんはハイランド地方ではバグパイプのパレードに遭遇した。ウェストハイランド地方のグレンコー「嘆きの谷」。迫力のある滝がある。これらの感動を美しい音楽に何年もかけて変えていった。音楽好きなヴィクトリア女王と仲良くなった。

●スイス
 父アブラハムが家族を連れてきて自然の美しさに触れた。ルツェルンは大いなる自然への入口となる街。ゲーテが住んでいた家もある。歴史家のチャールズ・カロさんと足取りを探した。ホーフ教会にもフェリクスはきっと訪れていたはず。4950本のパイプを持ちスイス最大級。このオルガンは嵐の音を作りだすことができる。
 山口さんは、ディエゴ・マテウス指揮の音楽界を聴いて感動しました。
 メンデルスゾーンの子孫トーマス・ヴァッハさんを訪ねた。ユダヤ人に対する迫害から逃れるために、一族はスイス、フランス、アメリカなどに亡命したという。メンデルスゾーンが描いた絵は、オックスフォード大学に寄贈されたそうです。
 ラウターブルンネン駅から登山ガイドのクルト・グラーフさんと電車でヴェンケンに向かった。ここに碑も立っている。メンデルスゾーンが訪れた村で、今では音楽祭が開かれるようになった。
 ヴェンゲン観光案内所のヅンヤ・トーマンさんが説明してくれた。
 ユングフラウ三山も素晴らしい。

●ライプツィヒ
 26歳でゲヴァントハウス交響楽団の音楽監督として招かれた。家族を養うために外国に行く必要がなくなった。ライプツィヒ・ザクセン科学アカデミーのクリスティアン・マルティン・シュミット博士が説明してくれました。
 リッカルド・シャイーさんに話を聞いた。
 最近、メンデルスゾーンの曲が発見され、今まで350曲だったのが、750曲の全集となった。東西ドイツ時代は情報が遮断されていたが、ポーランドで70作品3000ページの手書きの作品が見つかった。世界に散らばっていた楽譜や手紙が最近になって発見されている。
 MDR交響楽団音楽指揮者の準・メルクルさんに話を聞いた。メンデルスゾーンは楽団員の声を聞いて、曲を書き直したが、それが残っている。今の指揮者はそれを見て、彼がどう考えて直したのかを判断できるので有用だという。
 「カフェ・バウム」で話を聞いた。ユダヤ人とドイツ人、キリスト教とユダヤ教などの文化と文化の間に彼はいたという。
 ライプツィヒ音楽演劇大学では、多くの日本人が学んでいる。特別に指揮のクラスを公開してくれた。メルクルさんは、長崎貴洋、奥田惠悟さんたちの指揮にイメージを与えたり、力を抜かせたりしていました。テンポではなく、音楽を表わすのが大事だという。
 メンデルスゾーンの住んでいた家を訪問した。今も日曜コンサートが催されている。彼は初めての曲はここで公開し、修正していったようです。
 ベルリン・フィルハーモニ管弦楽団ヴァイオリン奏者のセバスチャン・ヘーシュさんと町田琴和さんに話を聞いたが、バイオリン協奏曲は宝物だという。35歳の時、幼馴染のバイオリン奏者フェルナンド・ダーヴィッドと手紙を交換しあいながら作り上げた名曲。ゲヴァントハウス管弦楽団コンサートマスターのフランク・ミヒャエル・エルベンさんは演奏時に優しさや友情を感じるという。ヴァイオリンとオーケストラが語りあうような楽曲は当時としては珍しいという。

 姉が亡くなって半年後、フェリクスも倒れた。1847年11月4日、突然亡くなった。ビクトリア女王をはじめ、彼の死を悼む人は多かった。彼の死後、ナチスの時代、ユダヤ人であったために彼の業績は葬られた。ゲバントハウス前の彼の銅像は撤去され、音楽の演奏は禁止された。
 ゲヴァントハウス管弦楽団名誉指揮者のクルト・マズーアさんは自分の人生だと語った。メンデルスゾーンは戦士、サムライだという。


テレビ番組「世界遺産への招待状21 ドイツ」

 2009年10月5日放送。ブレーメンの市庁舎、ローラント像、600年前に建てられた世界最古の市役所。ベルリンの近代集合住宅群。

●ブレーメン
 ドイツでは列車に自転車を乗せることができる。ブレーメンは自転車で回ると丁度いいという。ブレーメン中央駅の前にレンタ・サイクルの店があった。1日2800円で借りた。
 駅を出発して10分ほどで市役所前のマルクト広場に到着。マルクトは市場を意味し、広場は中世以来、市が開かれている場所。世界遺産「ブレーメンの市庁舎とローラント像」。市庁舎はルネサンス様式で1405年の建築。当時、ヨーロッパ最大級を誇る市庁舎だった。600年もの間、市庁舎として使われている建物はここしかない。
 広場で熱心に絵を描いているお婆さんに出会った。この街で一番好きな建物は市役所だという。祖父は市役所の模型まで作っていたという。
 歴史学者のコンラート・エルムスホイザー教授に市役所の中を案内してもらった。ホールは長さ40m、幅13mで、天井を支えている柱は1本もなく、建物全体で支えているという。この「柱のないホール」は中世のヨーロッパの中で最大級のホールだったそうです。ブレーメンは交通の要所だったが、海の魚、陸のワインや毛織物を取引する商人の街となった。14世紀にはハンザ同盟を結び、北海、バルト海貿易を独占し、ブレーメンは発展した。富を蓄えた市民はこのホールに集まり、決まりを決めていった。
 市役所で結婚式。立会い人は市の戸籍課の職員。みなさん普段着です。これが大人気で、この日も8組のカップルが式を挙げた。新婦のヴィープケ・ハイアーさんは30歳、ここで式を挙げるのが夢だったという。イェンス・ベールンゼン市長も祝福に訪れた。ここは誰でも入れる。

 ローラント像は1404年に建てられた、高さ5mを越える石像。ローラントは自ら犠牲となって人々を守った中世の英雄。「我、民に示したるは、自由なり」と書いてある。「ローラント像がある限り、自由は守られる」とブレーメンの市民は像を見上げる度に信じてきた。それ以前は、王とキリスト教の司教が勢力を持っていて、人々は力はなかった。時のカール大帝はブレーメンをキリスト教布教の拠点としたため、ブレーメンに居座った司教の力が絶大となった。初代司教ヴィレハドの権力は税金の徴収、裁判、商いの許可にまで及んだ。商人たちが司教の一方的な支配に声を挙げ始めた。司教はある実力行使に出た。当時は木造だったローラント像に火を放ち、人々の目の前で焼き尽くした。
 1404年、ブレーメン市民の代表者たちは石を材料に新しいローラント像を建てることにした。その費用は170ブレーメン・マルクと書いた紙が見つかった。ブレーメンでは良質の石はないので、人々は石を買って新たなローラント像を建てた。司教に対する市民の反抗であり、これを機に司教は町を去り、その後600年の間、市民の自由が守られることとなった。

 ところが20世紀に最大の危機を迎えた。第二次世界大戦で、1941年以降、連合軍により何度も空爆を受けた。中でも1944年の被害は甚大だった。街の62%が破壊された。
 ブレーメンの中心部から車で10分、ヴィルヘルム・オスメルスさん(94歳当時28歳)が語ってくれた。市役所にも焼夷弾が降り注いだが、その中を市民が屋上に上がり、40発もの焼夷弾を引っこ抜いて消火した。ローラント像は堅いレンガで覆われ、中に砂を入れて守られた。

 世界遺産になった市役所の地下には意外な空間が広がっている。「Bremer Ratskeller 」というレストラン。店の奥には1200種類12万本のドイツ・ワインが貯蔵されており、ドイツ一多い。中世から個人で所有せず、共同で管理していたが、市役所の地下に保管していた。1653年に作られた「バラのワイン」の樽がある。このワインはほんの少量でも2万ユーロもする。しかし売らない。その代わり今年お勧めのワイン「モーグル産白ワイン2008」を紹介してもらった。

●ベルリン
 ドイツ最大の都市。人口は350万人。街の中心部には現代的な高層ビルが建ち並ぶ。その中にかつて東西を分断していた壁の一部が今も建っていた。ベルリンの壁崩壊から今年で20年。
 「ベルリンの近代集合住宅群」は6つの団地がセットで登録されている。そのうち最も代表的な「ブリッツ」という団地に向かう。上から見てみると馬蹄形をしている。1925年建築。
 19世紀後半、ドイツは急激な経済化を推し進めた。既に産業革命を成功させたイギリスやフランスに大きく遅れをとっていた。首相ビスマルクが工業化によって軍事力を増強した。20世紀の初めには、ドイツは世界第二位の工業国になっていた。その結果起きたのは都市への人口の集中。ベルリンに農村から人が集まったが、街中の環境の悪い場所だった。太陽光が当たらず、トイレは階段においた桶を使っていた。リビングであり、台所であり、寝室でもある部屋に大家族が身を寄せていた。歴史学者のフーベルト・シュタロステ博士が説明してくれた。当時は建物の横に土地が少しでもあれば、不健康なアパートが次々に作られ、結核が蔓延していた。この悲惨な状況に立ち上がった一人の建築家「ブルーノ・タウト」がいた。タウトは「人間にとってどのような環境がいいのか?」を考え抜いた人物。タウトは理想の団地の設計を自らのテーマにした。それでベルリンに団地を築いた。
 建築家のヴィンフリート・ブレンネさんが説明してくれた。タウトは団地の住民に広い緑に囲まれて暮らしているように思わせる工夫をしている。丸くすることでその緑は平等になる。
 ヘルガ・シェーンフェルトさん(81歳)は建築当時からここに住む。65平方mの3K。お父さんが無理をして購入したもので、お父さんは第二次世界大戦でポーランドに行って帰ってこなかった。お母さんは19年前に亡くなった。ヘルガさんはこの世界遺産の保存メンバーとなった。

 もう一つのアルケンベルクを訪ねた。ここもブルーノ・タウトが手がけた。ここ20年の間に大きな変化が起きていた。西側に住んでいた人たちがこの団地に住むようになってきた。その数は全体の2割になるという。
 住民組織の委員会のメンバーのマックス・ラゾカートさんのお宅でも、住民の西と東の問題が話し合われた。


テレビ番組「にじいろジーン 地球まるごと見聞録 ドレスデン」

 2009年8月15日放送。

●ドレスデン
 ルフトハンザでフランクフルト経由で15時間の旅。空港からはベンヤミン・マヤーベネツィアさんがタクシーで市内まで。初乗りは350円、中心地までは約20分。東西ドイツ統一後、ドイツ有数の観光都市として人気。一番有名な場所は「ツヴィンガー宮殿」で、バロック建築で美しい。宮殿周辺は歴史的建造物が最も多く集まる。どの方向を向いても美しい。
 にじいろガイドはドルテ・スラヴィックさん(23歳)。まずはスイーツの店。ここで人気なのが「アイアシェッケ」350円で、チーズケーキのように見えるが、チーズは使われておらず、チーズになる前の水分を多く含んだ「凝乳」が使われている。「バウムクーヘン」は薄い!だいたい2−3mm。薄く切ることにより香りが際立ち、繊細な味が感じられるようになるそうです。

 ドレスデンは古くから芸術活動が盛んな街。音楽以外もいろいろある。「クンストホーフパッサージュ Kunsthofpassage 」はビルの中庭へと続く通路。くぐり抜けるとパステルカラー(黄色)のビル。外壁には様々なオブジェや絵が描かれている。現代アーティストたちの表現の場として使われている。元々は文化財として指定されるほどの古い街並み。修復する際に、通りから見えない部分が現代的に作り変えられた。また、ここを訪れる人たちのお目当ての一つが、旧東ドイル時代から続くアイスクリーム屋さん。一番人気はアイスクリームの上にたっぷりの練乳とたっぷりのクリームをのせた「アイスクリーム・パフェ」約650円。木のオモチャのお店の品物は可愛い。
 木のオモチャは、ドレスデンのあるザクセン州の伝統工芸品。ドレスデン近郊のザイフェン市は、オモチャの村と呼ばれ、木のオモチャは500年近い歴史を持つ。中でも一番人気があるのが「煙はき人形」。
 ある建物の壁にマイセンの磁器で作られた壁画がある。

●マイセン
 ドレスデンから車で45分。300年前にアウグスト強王は、東洋の陶磁器の奥深い魅力に強い憧れを懐いていた。ここに多くの研究者を集め、ヨーロッパ独自の磁器を生み出した。「マイセン磁器製作所」。磁器メーカー「マイセン」が今年8つのテーブル・セットを発売したが、「スシ・ドゥ・ルクス(寿司セット)」4万円はその一つ。ここではマイセンの食器を使ったカフェも併設されている。
 マイセンからの帰りはエルベ川の船を利用した。ドレスデン〜マイセン間の遊覧船は2時間で1700円。

●ドレスデン
 エルベ川沿いのビアガーデンに行く。500mLで400円、1リットルで750円。料理は豪快に炒めたポテト、鶏の丸焼きなどで、一番人気は伝統のソーセージのチュリンガー。クンメルというハーブが練りこまれた伝統的なソーセージで、15分間、表面がカリカリになるまで焼く。1日に2000本以上売れることもあるそうです。チュリンガーサンドは280円で、まずはパンからはみ出した部分を食べてから、残りはパンと一緒に食べる。バウツナーゼンフという伝統的なマスタードを搾り出してつけて食べる。

 不動産屋さん「Richert & Oertel 」を訪ねた。高級住宅街の9LDK515平方mで3階建。専用のサウナもある。庭が自慢。79.5万ユーロ(1.1億円)。


テレビ番組「THE 世界遺産 ヴュルツブルグ」

 2009年8月9日放送。

●ヴュルツブルク
 「バロック」は「ゆがんだ真珠」の意味で、元々はポルトガルの真珠商人が使っていた言葉。うねるような曲線を使った空間、あふれんばかりの装飾、そうした建築や芸術の様式は、やがてバロックと呼ばれるようになった。その頂点を極めた天才建築家バルタザール・ノイマンが18世紀ドイツに現れた。その生涯をかけた不朽の名作がある。
 マイン川の岸辺に広がる古き都ヴュルツブルク。ロマンチック街道にある。街の歴史はローマ・カトリック教会と共にあった。それをまとめていた司教の住まいが絢爛たる宮殿「レジデンツ」だった。ナポレオンがヨーロッパで一番美しい司教館だと称えた。マリア・テレジアは「宮殿中の宮殿」と絶賛した。
 「ブドウの房を分かち合う天使」の像。このあたりはワインの名産地としても知られている。蛇行した川が肥沃な土地を生んだ。「ヴュルツブルク司教館」の地下は広大なワインセラーになっている。直径5.5mの巨大な樽。普通のワイン樽の200倍以上。かつて働く人は給料の一部としてワインを支給されていた。この木で作られるワインは、爽やかな酸味の中にコクを持つ。文豪ゲーテもこよなく愛した。ここは晩餐会のホールでもあった。

 中世以来、ヴュルツブルクは堅固な壁に囲まれた城塞都市だった。丘の上のマリエンベルク城に歴代の司教は住んでいた。18世紀に野心を懐いた新しい司教ヨハン・フィリップ・フランツがやってきた。彼は司教の館を市街地の中に移す計画を立てた。もはやいかめしい城塞が必要な時代ではなかった。彼は芸術のパトロンとして名が高いシェーンボルン家の出身だった。豪華な宮殿を造るように命じた。建築を指揮したのは、32歳のまだ無名のバルタザール・ノイマンだった。ノイマンはヨーロッパで最高の宮殿を目指した。その外観はベルサイユ宮殿のようにコの字型に広場を囲む。部屋数は300室以上。床は単なる床ではない。床のモザイクも素晴らしい。視覚表現のキャンバスだった。壁から天井へも装飾が続く。
 「白の間」では陶器で作った暖房器具も部屋の装飾の一部となっている。建築、絵画、彫刻の境界を越えた魔術的な表現は、人の目を奪う。ゆがんだ真珠のような天井は、まさにバロック。だまし絵のようなものもある。ノイマンは最初から建築家ではなかった。教会の鐘や城の大砲を作っていた鍛冶職人だった。司教はイタリアやフランスに彼を派遣し、建築を学ばせて、宮殿を造らせた。

 しかし突然の悲劇が襲った。司教が世を去った。次の司教は人気のあった建築家ヒューレ・ブランコ?を招聘した。失意のノイマンは亡き司教のために教会建築に没頭した。レジデンツの南の端にその礼拝堂がある。新司教が目にしたのは神々しいほどに劇的な空間。美しく配置された柱の列は、奥行きのある礼拝堂にくつろぎを与えている。柱や壁には大理石の飾りが散りばめられた。18世紀ドイツ宗教建築の最高傑作とも言われる礼拝堂。才能を高く評価されたノイマンは再びレジデンツの建築を託された。そしてこの宮殿のクライマックス、奇跡のような空間を作り上げた。

 建設が始まって20年。玄関ホールを入って待ち受ける「階段の間」。階段を華麗な舞台に仕立てあげた。柱や梁の支えのない巨大な吹き抜け。見る者を天に誘うような世界最大の天井画。室内装飾はヨーロッパ中から集められた人々によって作られた。支えのない天井は完成時に物議をかもした。大御所の建築家ヒルデブランデ?はこの天井は設計ミスだと非難した。ノイマンは大砲を打ち込まれても耐えられると反論した。200年後、第二次世界大戦によりノイマンの設計が証明された。
 1945年3月16日、連合軍により爆撃されたビュルツブルクは一夜にして焼け野原となり、レジデンツも壊滅的な打撃を受けた。この屋根だけが焼け落ちなかった。ノイマンの設計には秘密があった。軽い凝灰岩を骨組みに使っていた。緊密に組み込み、火にも強かった。ノイマンはこの天井画ができた翌年の1753年にこの世を去った。実に33年間、レジデンスの建築を指揮し続けた。


テレビ番組「知っとこ!世界の朝ごはん ドイツのベルヒテスガーデン」

 2009年8月8日放送。

●ベルヒテスガーデン
 ドイツの南、オーストリアとの国境に位置する、人口8000人ほどの小さな町。自然と調和した建物が緑の中に建っていて、どこを見ても絵画のよう。
 ラムサウの老舗のパン屋さんは、200年も営業しているとか。1家庭ずつ袋に入れて毎日100軒以上の家庭に配る。昔のドイツのパン屋はこうだったそうです。
 中心部のシュロス広場にあるお土産屋さん。棚には美しい木箱が並ぶ。シュパンシャハテルという木工細工の箱。2階の工房ではお婆さん(82歳)が作製していました。農業が休みの時期の女性の仕事だったそうです。昔は100人いた職人が、今はこのお婆さんを含め3人しかいない。

 山間のケーニヒス湖。観光遊覧船に乗る。湖上から眺める山並みもきれい。船員の吹くトランペットが見事にこだまで返ってきて感動。山がU字型だからだそうです。

 マルク・ダイス?さん(21歳)が紹介してくれたのは、感動的なレストラン「ケールシュタインハウス」。トンネルを進み、エレベータで上がる。山の頂上にある、ヒトラーの山荘を改装したレストラン。テラスからの眺めは絶景。

 「バート・ラインヘンハル保養公園」の噴水の周りに、たくさんの人がイスに寝そべっている。この噴水の水は塩水になっていて、それが霧状になってノドの病気や喘息に効くという。
 近くの「ザルツベルクヴェルク」に入ると、みなさんツナギに着替え、トロッコに乗って、トンネルに入る。地下の空間は岩塩坑。ここに岩塩浴施設「ハイルシュトレン・ベルヒテスガーデン」がある。塩分を含んだ綺麗な空気と、静かな空間の中でゆっくり休むことで、アレルギーや睡眠障害などに効果がある。岩塩坑見学ツアーも行なわれている。作業員が移動のために使っている「滑り台」もある。大人14ユーロ。

 新婚さんの朝ごはん。住宅街の一軒屋に住むエリザーベト・ヒンターシュトイザーさん(28歳)が作るのは、1品目「オーバツダ」。バターとカマンベール・チーズを細かく切ったら、たまねぎと一緒にボウルの中に。地元の岩塩、パプリカ、胡椒、クミンを加え、隠し味にビールを少々。フォークの背でつぶしながら混ぜあわせる。
 2品目「ジャガイモ・サラダ(カルトフェルザラート)」。茹でたジャガイモとピクルスを一口大にスライスする。少量の湯にコンソメを溶いてスープを作り、ジャガイモにふりかける。ビネガー、オリーブオイル、岩塩で味つけし、ネギを加え、全体をざっくりと混ぜる。
 3品目「フライシュプランザール」。パンをスライスし、熱々の牛乳を注ぐ。合挽き肉に、タマゴ、たまねぎ、塩、マスタードなどを入れて、パンの牛乳を搾ってから加え、全体を混ぜる。食べやすい大きさに形を整え、フライパンで焼く。


テレビ番組「THE 世界遺産 ベルリン」

 2009年5月24日放送。「住居とは人間一人一人を映し出す鏡であり、どのように住んでいるかで、人柄が知れてしまう」と語った建築家ブルーノ・タウトが画一的な造りの共同住宅に個性を持ち込んだ。

●ベルリン
 黄金の1920年代、第一次世界大戦の敗北からようやく立ち直ったつかの間の繁栄。仕事を求める人の波が町に押し寄せた。ベルリンは時代の先端を行く前衛芸術の中心となった。
 ブルーノ・タウトの夢は都市で生活する人のために、未来を先取りした住宅を建設すること。100年近く前にタウトはどこにもない、巨大な集合住宅に挑んだ。勤労者のためのユートピア。
 タウトは展覧会などにガラスや鉄を使ったパビリオンを発表していた。そんな彼にベルリンから集合住宅の設計依頼がきた。集合住宅建築には前衛的な建築家が加わった。バウハウスの設立者グロピウスもその一人だった。
 ブルーノ・タウト通りの名前が残るファルケンベルクは、ベルリンでタウトが最初に手がけた集合住宅。一目見て型破りな色彩感覚に驚かされる。1913年の着工で、集合住宅にこういう鮮やかな色彩を用いたのは、タウトが初めてだった。勤労者のための集合住宅は価格を抑えるために、画一的にならざるをえなかった。タウトは色彩を多用することでコストを凍結し、同じ造りの建物に個性をもたせた。タウトは絵の才能に恵まれ、画家を目指したこともあったが、建築家の勉強をするうちに「色彩のある空間構成こそ、僕が個性的という道だ」という結論に達する。当時は軍服のような灰色が一般的だった。この色彩感覚は当時の人々の間に大きな波紋を投げかけた。建築家ヴィンフリード・ブレントさんは、その色彩において革命的だったという。逮捕に値すると書いた批評家もいた。
 ファルケンベルクが画期的だったのは、外観だけではなかった。浴室のないのが当然だった20世紀初頭に、広いキッチンとそこから独立した浴室を設けた。どの部屋にも大きな窓をつけ、明るく風通しのよい空間を作り上げた。現在の住民はここが好きだという。今はこの集合住宅は「パレット」の愛称で呼ばれている。
 彼の能力が開花するのは1920年代。鉄、ガラス、コンクリートを駆使し、同じ規格による大量生産の時代がはじまった。住宅供給公社の主任技師に抜擢され、カール・レギエンをはじめ、いくつもの集合住宅を計画した。そこにはイギリスの田園都市の影響が見られる。町の便利さ、自然に満ちた農村の魅力を合わせ持つカラフルな都市。人に快適な暮らしをもたらすのは、家の中の空間だけでなく、建物の形や大きさ、配置、道路や公園、店や病院などの施設。彼は生活の環境を考慮した、総合的な計画を練り上げた。住む人の暮らしの要求を想定し、具体的な解決策を見つけることが重要な仕事となった。
 そのうち21世紀の今も人々の暮す6ヶ所が2008年に世界遺産になった。シラー・パークを含む4箇所がタウトによるもの。1920年代に彼の手がけた集合住宅は総戸数1.2万戸にも及んだ。
 タウトの集大成ともいえるのが、ブリッツの集合住宅。1925年に着工された。田園地帯に元々あった池を生かし、その池を馬蹄形に取り囲む形にした。田園風景を築くために、そのために屋外居住空間というユニークな発想を持ち込んだ。池や中庭も家の延長。集会やパーティが開かれ、住民同士が絆を深めあった。どの家にも光が差し込み、造りは同じ。タウトが住民に期待したのは、住まいに対する新しい感性。シンプルで機能的な部屋に美しさを見出すこと。彼はモダン・リビングへの扉を開いた。シュトルブマンさん夫妻はベルリンという大都市の一角にありながら、まるで村に住んでいるようだという。
 しかし、時代が一変した。1929年世界恐慌により集合住宅の建築は頭うちとなった。大学教授となったタウトは建築への意欲を捨てきれず、モスクワへの移住を決意した。その1年の間にドイツではヒトラー政権が誕生していた。社会主義者のレッテルを張られる前に、タウトが脱出した先は日本だった。
 青年時代からの憧れの地で、タウトは桂離宮をはじめ日本の美を再発見した。しかし、建築家としては恵まれず、3年後トルコに渡り、そこで1938年、58歳の生涯を閉じた。その翌年ドイツは第二次世界大戦に突入。
 1990年ドイツは統一し、ベルリンが首都になった。現在、黄金の1920年代の空気が再び戻りつつある。
 タウトの作った集合住宅は、未来に向かうライフスタイルを世界中に発信した。それを今私たちは伝統として受け継いでいる。
 タウトは集合住宅の建設に、若き日の心に懐いた理想をこめた。互いの連帯を助け合いの上に、新しい共同体を築くこと。彼にとって建築家が目指すところは、ユートピアの実現だった。


テレビ番組「知っとこ!世界の朝ごはん ドイツのケルン」

 2009年3月14日放送。

●ケルン
 日本からフランクフルトまで11時間半。そこから電車で1時間。ローマ時代からの歴史がある文化都市。第二次世界大戦で市街地の9割が失われたが、ケルン大聖堂だけは戦火を免れ、人々に愛されている。高さ157m。13世紀から600年以上の歳月をかけて造られた。中はステンドグラスが目につく。
 旧市街のメロヴィンガー通り、カーニバルがあるので、みんな仮装している。カーニバルはドイツ最大で130万人がやってくるという。パレードに参加する人だけでなく、お客も仮装する。120グループの山車は有志の市民グループによるもので、6時間かけて市内をパレードする。山車からはチョコレートを投げている。昔からの習慣だそうです。あるグループは2000ユーロ(25万円)分のチョコレートを用意したとか。それで見物人は袋を持っている。
 ライン川の川沿いに変わった建物がある。世界でも最大規模の「チョコレート博物館」。中にはチョコレートを実際に製造する過程をわかりやすく見学できるコースもあって大人気。個人消費量はドイツが世界一で、日本人の5倍。
 ニコラス・アプスさん(25歳?)が紹介してくれたのは、伝統料理の店「ブラウハウス・ピュッツ Brauhaus Puetz 」。ここの料理「ヒメル・オンド・エルデ」はブラッドソーセージとマッシュ・ポテトの料理。ブタの血で作ったソーセージをソテーしてマッシュポテトの上に置いてある。これにリンゴのジャムをつけて食べる。マッシュポテトにもジャムをつけて食べる。8.9ユーロ。
 夜のニッペス Nippes では、カーニバルの最終日に行なう大切な儀式をしていた。1週間に渡り、飲めや歌えやの大騒ぎをした人たちの罪を、人形が代わりに負って燃やされる。
 オーベンマールス・プフォーテン Obenmarspforten にはロココ・スタイルの緑の服とカツラの男性がいた。香水博物館「ファリナ・ハウス Farina Hous 」のガイドでした。「オーデ・コロン」というのは「ケルンの水」の意味。今から300年前にケルンで初めてオーデ・コロンが作られた。この博物館は世界初の香水工場だった。300年前の香水ビンもある。ナポレオンやゲーテもここで作られた香水を愛用していたとか。

 新婚さんの朝ごはん。中心街に近いアパートに暮すアドリアーナ・グリシカさん(26歳)が作るのは、1品目「ライ麦パン(フォルコーン・ブロート)Volkorn Brot」。ボウルの中に小麦粉、ライ麦、ひまわりの種、黒蜜、酵母を入れミキサーで混ぜる。バターを塗った型の中に入れ、オーブンで2時間かけてじっくり焼く。
 2品目「ジャガイモのパンケーキ Reibekuchen」。たくさんのリンゴの皮をむき、小さく切る。熱した鍋に砂糖とリンゴを入れて、さっと炒める。軽く火が通ったら、アップル・ジュースを入れて煮詰める。木ベラでつぶしながら混ぜ、シナモンを加えてジャムの完成。これを添えるパンケーキを作る。ジャガイモをカッターに入れて千切りにする。たまねぎのみじん切り、卵、オーツ麦を入れてかき混ぜて、たっぷりの油の中に入れて揚げる。両面焼いたらジャガイモのパンケーキのできあがり。
 3品目「シュネレス・ベーレンアイス Schnelles Beereneis 」。「早くできるイチゴアイス」の意味。クアーク・チーズに凍らせたイチゴ、ラズベリー、ブルーベリーなどをあわせ、ミキサーでつぶしながらよく混ぜる。チーズが溶けすぎないよう、手早く混ぜるのがこのデザートのコツ。


テレビ番組「にじいろジーン 世界グルグルジーン ベルリン」

 2009年1月10日放送。

●ベルリン
 ドイツ連邦共和国の首都。勝利の女神ビクトリアの像が町を見下ろす。戦後、東ベルリンは東ドイツの首都、西ベルリンはアメリカなどに統治されていた。東西を結ぶブランデンブルク門は冷戦時代は閉鎖されていた。隔てていた壁の崩壊から今年で20年。
 壁に近い東ベルリン側に住むアネット・ホーヘンベルクさん(40歳)のお宅を訪問した。1男1女の子供を持つ4人家族で2LDK90平方m。白く輝く陶磁器が自慢。
 ベルリン名物は週末の「蚤の市」で、市内の50箇所で開催される。規模も小さくない。ヨーロッパでも有名。併合された時にタダ同然だった東ドイツ製品が今では高い値段で売られているとか。蚤の市も東ドイツエリアの方が多い。
 1月のベルリンの平均気温は0度。ベルリン名物のファースト・フードは「ケバブ・サンド」で、ドネル・ケバブで作るサンドは320円。1970年代に生まれたそうです。トルコからの出稼ぎの移民が多いクロイツベルク地区。ベルリン市内には1300店のケバブ・ショップがあって、その数はイスタンブールよりも多い。市電も細いがモダン。
 東ドイツ時代のデパートは廃墟となっていたが、今は芸術家が集まるアート・スペースになっている。家賃が安くて活動する場所が見つけやすいために、芸術家がこの町に集まるという。ご主人は写真家でスタジオを借りているが、1ヶ月の家賃は7万円。元々この建物は1868年に建てられたSarotti のチョコレート工場だった。
 ベルリンの青空市場でお買い物。オーガニックの商品が充実している。芽キャベツは1kg200円(日本は1300円)、シイタケ260円(日本190円)。ジャガイモは種類も豊富だが、女性の名前をつけるそうです。今回もリンダとヘラを1.5kgずつ注文。1kg1.4ユーロ?
 夕食。ピクルスとベーコンを細く切る。お肉は洗ってあらめのマスタードを塗り、ピクルスとベーコンを順番にのせて巻く。これをフライパンでこんがり焼いていく。ワインをまわしかけてオーブンで焼く。つけあわせにジャガイモと芽キャベツをのせて、ドイツの伝統料理・牛肉のロール巻き「ルラーデ」の完成。

 ベルリンの繁華街。デパートに入ると色とりどりのグミがある。形もさまざま。ドイツ発祥のお菓子で、ゴムの意味。子供の歯を強くするために生まれた。
 場所によって信号のデザインが違う。旧東ドイツの信号が残っているため。しかしデザインが可愛いので、アンペルマン・ショップ(信号くん)などという店もある。


テレビ番組「THE 世界遺産 ケルン大聖堂」

 2008年11月2日放送。

●ケルン
 ライン川のほとりにたたずむケルンの町に、21世紀の今もなお一番高い大聖堂。中世の面影を残す大聖堂。高さ157m。完成時には世界で最も高い建築物だった。着工は13世紀。当時ヨーロッパでは大聖堂の壮麗さを競う、建築競争が起きていた。世界一を目指したケルン大聖堂だったが、その規模があまりに大きすぎた。資金難に陥り、工事は中断。いつからか、大聖堂が完成したら世界は滅亡するという噂も出た。もしフランスにナポレオンが現われなければ、未完のままだったかもしれない。600年後に完成した。

 ケルンの名物といえば、長い歴史のケルショーというビール。フルーティな酸味が特徴で、細長いタンブラーで飲むのがここの流儀。この町の歴史は古く、ケルンという名前も古代ローマの植民地を示す「コロニア」が語源だという。しかしドイツ最大の都市へと発展させたのは、商人たちの力だった。10世紀以降、ライン川を物資輸送の大動脈に、ヨーロッパ各地と盛んな交易活動を展開した。当時、ドイツ最大の都市となったケルンには、その町にふさわしい大建築が必要だった。
 元々ケルンは古い時代の大聖堂があった。そこには町の発展に寄与したものが納められていた。大聖堂の最も奥、祭壇の後方に安置されたそれを見ようと世界各地から巡礼者たちが訪れる。「黄金の棺」には聖書に書かれている「東方の3博士」の遺骨が納められているという。聖母マリアの両脇に崇拝する博士の姿が描かれている。3博士の遺骨がケルンにもたらされたのは12世紀。それを納めるために作られた黄金の棺はサファイア、ルビー、真珠など1000個に及ぶ宝石で飾られた。当時、キリストや聖人たちの遺品「聖遺物」には奇跡を起こす力があると堅く信じられていた。ケルン大聖堂のマティアス・デーメルさんが説明してくれました。その遺物にふさわしい大聖堂が求められた。当時フランスを始めヨーロッパでは大聖堂の建設が進んでいた。パリのノートルダム大聖堂、ストラスブール大聖堂など。中でもストラスブール大聖堂は高さ142m、それぞれの町が大聖堂の高さを競いあった時代だった。その時、1248年古い大聖堂が火災にあい焼失してしまった。ただちに新たな大聖堂の建設が始まった。そこに建つ2本の塔は他を寄せ付けない世界一の高さになるはずだった。あまりに大規模な計画から、資金難で工事はしばしば中断した。そこに宗教改革、ペストの流行、コロンブスの新大陸発見による貿易航路の激変が起こった。ケルンは衰退への道を歩み始めた。大聖堂の建設は16世紀に完全に停止した。未完成の塔に工事用のクレーンを乗せたまま300年が経過した。
 そこにナポレオンが攻めてきた。その後ナポレオンが失脚し、ドイツは民族意識の高まりを背に、解放戦争に勝利した。時を同じくして、1つの奇跡が起きた。失われたはずのケルン大聖堂の建築開始当時の設計図が、200km離れた街のとある宿屋の屋根裏から偶然発見された。小国に分裂していたドイツが統一に向かう中で、ケルン大聖堂を完成させようとする気運が一気に高まった。ケルン大聖堂を祖国統一の記念碑に。ドイツ連邦が成立し、ゲーテなどの文化人の呼びかけにより、大聖堂の建設工事は再開された。40年近い工期の末、1880年ついに完成した。
 無限に多様に施された彫刻。大聖堂は天空を目指す。300年の中断のおかげで、後の時代の改変をこうむらず、中世そのままの姿を残すことができた。

 ケルン大聖堂にある工房では、修復を続ける60人の技術者が働いている。地上での作業が終わると、高さ100mを越す足場に行く。修復にはいろいろな地域の石が遣われているが、修復には年月が経過することを考慮して、同じ産地の石を使う。
 大聖堂を真上から見ると十字架の形をしている。その十字の形の先は朝日の昇る東を示す。太陽はキリストの象徴。建物の外観に驚いた人々は、建物の中でも不思議な感覚にとらわれる。見上げると天井までの高さは43m、ここにいるだけで天の高みへと引き揚げられるような神々しさに襲われる。祭壇横のキリスト像は10世紀に作られた「ゲロ大司教の十字架」。キリストの死を苦悶に満ちて描いた等身大の彫刻としては、ヨーロッパに現存する最古の作品。後の時代の磔像のモデルになったと言われる。全ての人を照らすまことの光。その光に特別な意味をもたせるのが壁一面のステンドグラス。聖書の場面が下から上へと描かれているといて、1260年頃に完成したらしい。中世のステンドグラスにはガラスは凹凸もあるし、気泡も多く、ガラスに不純物も多く、光の透過率が悪い。それが大聖堂に深く神秘的な光をもたらすことになった。そのため工房では昔のままに修復している。「バイエルン窓」バイエルン王ルードヴィッヒ1世が1840年代に寄贈したもので、色彩豊かな美しいステンドグラス絵。
 このゴシック様式は柱がまっすぐ伸び、天空へ人々を導いてくれる感覚がある。ゴシック様式が生み出した建築技術の一つが、フライング・バットレスと呼ばれ、大聖堂の高い側の反対側に使われている。薄い壁で建物を支えるために、建物の外側に支柱を出して建物を支えた。それまでは聖堂の壁は壁画で覆われた薄暗いものだった。ゴシックはそれを大きな窓とステンドグラスに置き換えた。壁自体が発光し、自分の力で輝いているような光の壁が実現した。

 ケルンは現在100万の人口を擁するドイツ第4の大都市。中央駅を出るとすぐに大聖堂が見える。1996年に世界遺産に登録されたが、2004年危機遺産リストに指定された。大聖堂の周辺に複数の高層ビルの建築計画があったからです。都市開発か景観の保護か?ケルン市は計画の縮小を決定し、周辺の建物に高さの制限を設けた。2006年大聖堂は危機遺産のリストからはずされた。


テレビ番組「THE 世界遺産 ドイツのフェルクリンゲン製鉄所」

 2008年9月28日放送。鉄の大聖堂と呼ばれている。

●フェルクリンゲン Woelklingen
 ドイツの西の果て、フランスとの国境に建つその製鉄所自体が鉄の塊だった。19世紀の末からドイツを世界の列強にした製鉄所。わずか20年前までは実際に稼動していた。最新の技術を導入し、世界の製鉄業をリードしてきた。第二次世界大戦という暗黒の時代もあった。ほかの製鉄所が爆撃を受ける中、この製鉄所は奇跡的に無傷だった。そのために先進国では唯一、19世紀時代の機械を残す製鉄所となった。
 フェルクリンゲンから100km、ルクセンブルグの南部は豊かな鉄鉱石の産地だった。今でもフォン・デ・グラ鉱山がある。イギリスで起こった産業革命の波にのり、創業は1873年。1981年の閉鎖まで、この鉱山の鉄鉱石はフェルクリンゲン製鉄所で使われていた。フェルクリンゲンのあるザール地方は、世界有数の石炭埋蔵地帯だった。この製鉄所は物言わぬ鉄のオブジェ。生産された鉄は国外にも輸出された。エッフェル塔建築にも使われた。ほかにはインドのダージリン・ヒマラヤ鉄道、スペインのビスカヤ橋、ベルギーの水力式リフトにも鉄が使われた。瞬く間にドイツで一番となった。中心に6個の溶鉱炉。1960年代の最盛期には、労働者は1.6万人。
 ヘルマン・レヒリングは戦争時の経営者だった。アメリカの大統領と仲がよかったから爆撃されなかったという説もある。戦後レヒリングは戦犯として裁かれ、禁固10年の判決を言い渡された。その時、製鉄所の技術者100人あまりが集まり、自分たちが1ヶ月ずつ刑務所に入りたいと言ったという。それは無理で、レヒリングは1955年に死去。


テレビ番組「2008年8月の旅サラダは酒井美紀さんでヨーロッパ・アルペン・ルート」

 9日は高校野球でなかったはずだが、HPには掲載。1ユーロ=167.6円で計算してある。フルトハンザとスイス・インターナショナルで行きました。

●ドイツ・ミュンヘン
 「ホーフブロイハウス」(住所:Wirtsleut' Familie Sperger Platzl 9 80331 Munchen、Tel:+49-8929-01360、営業時間:9:00〜24:00)は、「白ソーセージとプレッツェルのセット」4.4ユーロ(740円)、ヴァイツェン・ビール3.65ユーロ(620円)。

●ドイツ・ベルヒテスガーデン
 シュークリーム屋さん「ヴィントボイテルバロン」(住所:Scharitzkehlstrase 8 83471 Berchtesgaden/Obersalzberg、Tel:+49-8652-2577、営業時間:10:00〜18:00(11月12月は営業していない)、定休日:水曜)。ホイップクリームをたっぷり使い、チェリーのソースをかけた大きなシュークリーム「ヴァッツマン」5.3ユーロ(900円)。
 岩塩坑「ザルツベルクヴェルク」(住所:Bergwerkstrase83 D-83471 Berchtesgaden、Tel:+49-8652-60020、営業時間:9:00〜17:00(5月1日〜10月31日)、11:30〜15:00(11月2日〜4月30日))で、入場料は14ユーロ(2400円)、リラクゼーションーム(2時間利用)で25ユーロ(4200円)。他にも、もっと多くの場所があり、船に乗ってアトラクションも楽しめる。
http://www.salzzeitreise.de/

 「ケーニヒ湖」は「王様の湖」という意味で、フィヨルド湖。湖の環境を守るため、遊覧船は電動ボート。30分かけて聖バルトロメー僧院へ移動。料金は(聖バートロメー修道院まで往復で)8.5ユーロ(1500円)。特に美しいと言われる聖バルトロメー修道院の周辺を散策する。年に数十万人の人が癒しを求めてここに来る。湖畔の森には遊歩道がある。

 1834mの断崖絶壁の上にある「ケールシュタインハウス」は別名「ワシの巣」(Tel:+49-8652-64971)で、ヒトラーの50歳の誕生日を祝い贈られた山荘だった。無傷のまま終戦を迎え、今はレストランとなっている。ムッソリーニから贈られた暖炉の大理石は連合軍兵士により、戦利品として持ち帰られたと言われている。
 山道を車で登り、途中からはバスでしか上にあがれないようになっている。バスの往復と、ケールシュタインハウスまで続くエレベーターまでの料金は、15ユーロ(2600円)。
http://www.kehlstein.info/
 ここから山頂を目指した。

●オーストリアのインスブルック
 インスブルックはハプスブルグ家のゆかりの地。マリアテレジア、その娘マリー・アントワネット、映画エリザベートで有名になったシシーもハプスブルク家の人々。
 インスブルックに35kmの所にある山の中腹に、現在もハプスブルク家の子孫の方が住んでいるお城がある。「トラッツベルク城」(住所:Schloss Tratzberg A-6200 Jenbach/Tirol、Tel:+43-5242-63566、営業時間:10:00〜16:00、入場料:9ユーロ(1600円))に住むのは、ウルリッヒ・グラーフ・ゴエスーエンツェンベルク伯爵とカットリン伯爵夫人。マリア・テレジアの6代目の子孫にあたる。特別に伯爵夫妻にお城の中を案内してもらった。1508年に建てられて今年でちょうど500年になるお城はオーストリアの文化遺産。ハプスブルク・ホールには148人ものハプスブルク家の人々が描かれている。世界最大のハプスブルク家の家系図。結婚政策を始めたのが、マキシミリアン1世でした。プライベート・スペースのお庭でシャンパンをご馳走になった。
http://www.schloss-tratzberg.at/

 インスブルックは人口13万人、チロル州の州都。アルプスの古都と呼ばれるこの町は、古代ローマ帝国時代以来、ヨーロッパの東西南北を結ぶ交易の要所だった。マキシミリアン1世によって作られた黄金の小屋根が街のシンボル。自分の権力を誇示するためのものだったと言われている。
 看板の絵が特徴。あるホテルは1590年と書いてある。当時の人は文字が読めない人も多かったので、絵で示してある。
 宮廷教会にはマクシミリアン1世のお墓がある。その両脇には28体の黒いブロンズ像が並ぶ。ハプスブルク家の人や歴史上の強い人に守ってもらいたいという彼の希望だったという。
 かつての王宮前に人が集まっていた。社交ダンス教室「ポーライダンス教室 Tanzschule Polai 」で、約8000人の生徒がいるダンス教室。毎週のレッスンや、一ヶ月に一回など春だけの集中コース、プライベートレッスン、社交界マナーレッスンなど、色々なコースがある。校長のフェレンチ・ポーライさんはヨーロッパ社交ダンス界の重鎮中の重鎮。

 チロル州観光局日本担当オフィス
URL :http://www.tirol-info.jp
TEL :+43-512-565764

●オーストリア・インスブルック郊外
 ゼーフェルトに向かう途中に出会った緑色の奇妙なオブジェ。これは「スワロフスキー・クリスタルワールド Kristallweltenstrase 」(住所:A-6112 Wattens/Tirol, Austria、Tel:+43-5224-51080、Fax:+43-5224-51080-3831、E-mail:swarovski.kristallwelten@swarovski.com、営業時間:毎日9:00〜18:30、12月24日は14:00、12月31日は16:00まで、入場料:9.5ユーロ(1600円))というショッピング・スペースと体験型ミュージアムを併せ持ったテーマパーク。スワロフスキーは100年以上の老舗で、本店はインスブルックにある。
 広がっていたのは、摩訶不思議なクリスタルの世界。一番のお勧めは踏むとクリスタルの絵が浮かびあがる場所。子供の頃のように夢中で遊んだ。
http://www.swarovski-kristallwelten.com/

●オーストリアのゼーフェルト Seefeld
 アルプスの山々に囲まれた町で、人口3100人の高原都市。のんびりしてとても穏やか。時間の流れが緩やか。町はずれの草原を観光局のベアナテッテ・シュタウダーさんと散策した。草笛を体験。

 山登りハイキングに挑戦。ガイドはマーティン・クルックナーさんで、いきなり焼酎にあたる品で乾杯。頂上へはゴンドラとケーブルカーで行く。ゴンドラのみだとTalstation(タルスタシオン)⇒Mittelstation Rosshutte(ミッテルスタシオン ロッスヒュッテ)までで片道10.5ユーロ(1700円)、往復14.5ユーロ(2400円)。ゴンドラ+ケーブルカーだとさらに⇒Seefelder Joch(ゼーフェルダー ヨッホ)まで行けて、片道13.5ユーロ(2200円)、往復16.5ユーロ(2700円)。
 標高2080mから見渡せる風景は素晴らしい。ここからトレッキング。雪が残っていました。残りのお酒を飲みました。注意事項として、山の頂上にはお手洗いはないので、中間地点の「ミッテルスタシオン ロッスヒュッテ」のレストランなどの休憩所などですませておくことが大事です。
http://www.seefeld-bergbahnen.at/

 夜7時でも明るい。マーティンさん所有の山小屋でのパーティに誘われた。他にベアナテッテさん、ヨーデルの女王アンニ・イエーガーさん、アストリッド・バッハマンさんなど。マーティンさんはオーストリア国家公認の料理マイスターでもある。ベーコン、ソーセージ、流しそうめん、ラム肉の煮込みなどをいただきました。チロルの衣装を着せてもらいました。ヨーデルも歌いました。

●オーストリアのサンクト・アントン St.Anton
 ゼーフェルトから車で1時間、澄んだ渓流が流れ、緑が溢れる人口2300人の町。アルペン・スキー発祥の地として有名。クマの形をしたセルフ・サービスのアイスクリーム販売機もある。1.5ユーロ。まずはコーンが出てきて、それを別の場所に置くとクリームがのる。
 夜9時、「アールベルク・ホール」で夏の間に行なわれるショー「チロルの夕べ Tiroler Abend 」を見る。入場料17ユーロ(2800円)で1ドリンク付き。公演時間は9pm〜11pmで、6〜9月の火曜日と木曜日に行われる。チロル地方の伝統を守りたいという人たちが集まり開催されている。チロリアン・ダンスは3拍子で、ウィンナー・ワルツの元になったともいわれている。
 チケットの予約やお問い合わせは、「サンクト・アントン観光局 Tourismusverband 」(住所:A-6580 St. Anton am Arlberg、Tel:+43-5446-22690、E-mail:info@stantonamarlberg.com )。
http://www.stantonamarlberg.com/

●オーストリアのレッヒ
 カウベルの音がのどかに響く村。2004年にヨーロッパで最も美しい村に選ばれた。人口は1400人。王室の人々も滞在する高級スキー・リゾートとしてヨーロッパでは有名な村。ロープウェイで山頂に上がっていける。川で釣りをしている人がいる。鱒が取れるそうです。
 川沿いにある5つ星ホテル「ホテル・アールベルク Hotel Arlberg 」(住所:A 6764 Lech am Arlberg、Tel:+43-5583-21340、E-mail:info@arlberghotel.at )に宿泊。アールベルクスイート Arlberg Suite はかなり広い。1室あたり1泊2食付きで、529ユーロ(8.4万円)、冬はハイシーズンのため、800ユーロ(12.8万円)。アメニティはブルガリです。
http://www.arlberghotel.at/


●スイス・マイエンフェルト Maienfeld
 女流作家ヨハンヌ・シュピーリの名作「アルプスの少女ハイジ」の舞台になった場所。静かな村です。村の中心にハイジの村らしいお店を見つけた。「ハイジ・ショップ Heidi Shop 」(住所:Steckli9 CH-7304 Maienfeld、Tel:+41-8133-01912、Fax:+41-8133-01913、E-mail:info@heididorf.ch 、営業時間:9:30〜11:45 & 13:30〜17:00、休み:土日)。ハイジ・グッズがいっぱい。日本のアニメとは顔が違います。この店で絵ハガキを買うと、ハイジのスタンプを押してくれる。この村の中心以外のハイジ村という場所にもハイジショップがあります。
http://www.heidihaus.ch/
 牧草地にはハイジの世界が広がっていた。

●スイス・サンモリッツ St.Moritz
 晴れの日が年間322日と恵まれた気候。高級ホテルや有名ブランド・ショップが建ち並ぶ。冬季オリンピックが2度開催された。
 サン・マウリツィサス?教会は1890年に火事にあい、斜塔になったという名物の1つ。サンモリッツで一番最初に作られたという1856年開業の「クルムホテル・サンモリッツ Kulm Hotel ST.Moritz 」(住所:CH-7500 St.Moritz、Tel:+41-81-836-80-00、E-mail:info@kulmhotel-stmoritz.ch )は全部で173室で5つ星。料金は、ジュニアスイートで、夏のオフシーズン(2008年6月27日〜7月20日、2008年8月21日〜9月6日)は855SFr(8.6万円)、ハイシーズン(2008年7月21日〜8月20日)は970SFr(9.7万円)。冬はハイシーズン(2008年12月20日〜2009年1月15日、2009年1月29日〜3月1日)で1855SFr(18.5万円)、中間シーズン(2009年1月15日〜1月29日、2009年3月1日〜4月5日)で1330SFr(13.3万円)、オフシーズン(2008年12月5日〜12月20日)で1130SFr(11.3万円)。
http://www.kulmhotel-stmoritz.ch/

 サンモリッツ中心部にある「セガンティーニ美術館 Segantini Museum 」(住所:Via Somplaz 30 CH-7500 St. Moritz、Tel:+41-81-833-44-54、E-mail:info@segantini-museum.ch、入場料:10SFr(1000円)、開館日(2008年):5月13日〜9月14日、開館時間:10am〜12am & 2pm〜6pm )。イタリアで生まれスイスに移住したジョヴァンニ・セガンティーニの最後の作品となった未完の大作「アルプス三部作(生、自然、死)」が展示されている。彼はこのあたりに住む人々を描き続けた。
http://www.segantini-museum.ch

 セガンティーニが1892年以降晩年を過ごしたのは、サンモリッツから車で45分の小さな村ソーリオ Soglio。

●ベルニナ・エクスプレス Bernina Express
 ベルニナ特急とその周辺は2008年7月に世界遺産に登録されたばかり。サンモリッツから終点のティラーノまで往復した。一等車は96SFr(9600円)、二等車は58SFr(5800円)。今回の取材の時に乗ったのは二等車でした。右手に氷河が見えました。
 予約の際の連絡先は、レーティッシュ鉄道サンモリッツ駅 RhB-Bahnhof in St.Moritz で、Tel:+41-81-288-56-40、Fax:+41-81-288-56-31、E-mail:stmoritz@rhb.ch 。指定座席の予約には、サンモリッツ〜ティラーノまで片道7SFr(700円)が必要。途中下車した場合、乗車券は有効ですが、もう一度指定席予約料は払わなければなりません。
http://www.rhb.ch/

●氷河
 35分後にベルニナ・ディアヴォレッツァ Diavolezza 駅で途中下車した。駅のすぐ横にはロープウェイ乗り場があり、標高2093mの場所から2984mの山頂まで登ることができる。ロープウェイ往復は33SFr(3300円)。この氷河は3万年前の氷河期にできたもの。
 美しい雪山をバックに、「ベルガウス・ディアボレッツァ Berghaus Diavolezza ?」(Tel:+41-81-839-39-00、E-mail:berghaus@diavolezza.ch )にて、チーズ・フォンデュをいただいた。3人前で81.9SFr(8200円)。チェリーのお酒、にんにく入りのオリーブオイルにつけて食べる楽しみ方もある。アルコールが少しきついかもと言ってました。同感です。ワインは別料金。
http://www.engadin.stmoritz.ch/

●ベルニナ特急
 ベルニナ・ディアボレッツァから10分走ると、美しい湖に出る。湖畔を歩くために、オスピツィオ・ベルニナ駅で下車。ゆっくり散策していると、次の列車が通過しました。
 サンモリッツをでて2時間、最大の魅力の地点を通過する。半径70mのブルージオのオープン・ループ橋。高低差の克服と美しさを求めて作られた。
 イタリアのティラーノに到着しました。


テレビ番組「知っとこ! 世界の朝ごはん ミュンヘン」

 2008年8月30日放送。

●ミュンヘン
 ドイツ第3の都市。街ができてから今年で850年。バイエルン州の州都で人口135万人。ドイツとイタリアを結ぶ交通の要所だった。
 マリエン広場 Marienpl.は町の真中。みんなグロッケンシュピールという仕掛け時計を見ている。ドイツ最大の仕掛け時計で、人形たちは中世の結婚式の様子を表している。大きさは人間と等身大とか。
 ヴィクトリアリエン市場 Viktualienmarktに行く。ソーセージ屋さんが多い。ミュンヘン名物は白ソーセージで、仔牛肉でお湯で温めて、朝に食べる。ホットドッグの屋台では1個2.65ユーロ。
 ローレンツ・ワーグナーさんが紹介してくれたのは、「じゃがいも博物館 Kartoffelmuseum」で、アート、グッズ、食品にいたるまでが紹介されている。ジャガイモのハンドクリームは1個3.6ユーロ。
 プロミナーデ広場 Promenadepl. も街の中心部。最高級ホテル「バイエリッシャーホフ Bayerischer Hof」は1841年創業の伝統と格式のあるホテル。メゾネット形式で、寝室には3方向に窓があるパノラマ・スイートは2002ユーロ(32万円)。

 郊外のカルテンベルク Kaltenberg は畑だらけだが、車が多く止まっている。大きな門がある。これをくぐると中は人がいっぱい。カルテンベルク城の城主ルイトボルド・フォン・バイエルン伯爵が主宰するお祭りがある。15万平方mの敷地で、30年前から毎年夏のこの時期に開催されている。中世の儀式や暮らしを再現している。
 競技場では中世の騎士によるショーがある。曲乗りや馬のダンスもある。槍の試合は本気ですごいです。

 新婚さんの朝ごはん。閑静な住宅街に住むゾフィー・シュミットさんが作るのは1品目「キュービスズッペ(カボチャ・スープ)」。かぼちゃの皮をむき、サイコロ状にカットし、油を敷いた鍋にスライスしたしょうがを入れ、たまねぎもみじん切りしながら加え、カボチャを入れ軽く炒め、お湯をひたひたになるまで入れ、塩胡椒で味を整え、ミルクを加えて煮込む。仕上げにブレンダーでカボチャをつぶし、ポタージュ状になったら完成。
 2品目「ライベクーヘン、サワータルト」。じゃがいもの皮をむき、おろし金で丁寧に摩り下ろし、ニンジンも同様にする。塩胡椒で味付けし、少量の小麦粉を加えかき混ぜ、平らな形にして、油を敷いたフライパンで揚げる。同じフライパンでつけあわせのソーセージも炒める。
 3品目「キルヒェンクーヘン(チェリー・ケーキ)」。チェリーを半分に切り、種を取り除く。湯煎したバターに砂糖と卵を割りいれ、小麦粉とベーキングパウダーを加えて丁寧にかき混ぜ、生地をバターを塗った型に流し込む。チェリーをたっぷりとトッピングし、オーブンで50分焼く。


テレビ番組「びっくり法律旅行社 ベルリン」

 2008年8月28日放送。児玉清、黒崎めぐみ、タカアンドトシさんが司会。春風亭小朝、渡辺えり、藤本美貴さんが出演。

●ベルリン
 イーストサイド・ギャラリーは19年前、東と西に分けていたベルリンの壁が1.3km残されていて、世界各地のアーティストたちの壁画が見られる。
 ポツダム広場、ブランデンブルク門などが紹介された。街を歩くと、熊の像が各地にある。バディベアと言って、アーティストたちがペイントしたオブジェ。クマはベルリンのシンボル。市内に百数個置かれている。
 ヘーフェは中庭で、周りを囲む建物などにカフェなどのお店が入っている。ハッケシャー・ヘーフェは人も多い。郷土料理アイスバインを食べながらビールを飲む人もいる。
 ブランデンブルク門は18世紀末にプロイセン王国の凱旋門として作られた。両側の建物も同時に作られた。少し西の横断歩道付近に「ベルリンの壁」の跡が残っている。右側には「沈黙の間」というスペースが設けられている。ここの管理人のイングリット・フアマンさんが説明してくれました。「沈黙の間」は、世界中からくる人に静寂と平和を感じてもらうために、1994年にオープンした。開館:11am-6pmだが季節により変動、年中無休、入場無料。この部屋ではお喋りは禁止。
 ベルリン・フィルハーモニーは現在はサイモン・ラトルが首席指揮者・芸術監督。まずは1階の売店で軽く腹ごしらえ。フィルハーモニー名物はデカ・プレッツェル。演奏中禁止されていることは、「咳をすること」。ステージ・マネージャーのフランク・レヴァンドクスキーさんが説明してくれました。
 ベルリンっ子に嫌がられるマネーは、「鼻をすする」こと。ちゃんと鼻をかむこと、鼻くそをほじったりしてもいけない。
 犬税がある。1匹で120ユーロ、2匹目からは1匹につき180ユーロ。首輪には登録番号が付けられる。犬にはマイクロチップを埋め込むことが義務付けられている。これを断ると罰金は最高5万ユーロ。最近はフランクフルトの警察犬は足に靴を履いている。

 北海に浮かぶヘルゴラント島。大自然が楽しめるリゾート地。自家用車は禁止。ランゲ・アンナ岩が人気で、海鳥の生息地。島のガイドのロルフ・ブレーデルさんが案内。波打ち際にアザラシがいる。300頭の野性のアザラシが生息している。30m以内に近づくことは禁止されている。
 浜辺に信号機もある。飛行機が着陸するためのものでした。


テレビ番組「ヨーロッパ世界遺産の旅 ヴァイマールとデッサウのバウハウスとその関連遺産群」

 2008年4月6日放送。

●デッサウ
 「未来の新しい建物を共に作ろう」1919年〜1928年までバウハウスの校長グロフィウスの言葉。旧東ドイツだったデッサウにはバウハウスゆかりの建物が並ぶ。「機能的で美しい建築を作ろう」という理念が、近代の建築や芸術に大きな影響を与えた学校の遺産として、1996年世界遺産に登録された。1933年にバウハウスは閉鎖された。
 デッサウには教員用の宿舎だったマイスター宿舎も保存されている。バウハウスでは教授をマイスターと呼んでいた。現在は展示場となっている。バウハウスは第一次世界大戦後の1919年にドイツのヴァイマールで誕生した。しかし進歩的な考えが政府の反感を買い、閉鎖されてしまった。1925年バウハウスはデッサウに移り、新たな時代に入った。
 職業安定所も建築された。細部にわたり機能的に作られている。グロフィウスは使いやすいデザインの中にこそ真の美しさがあると考えていた。
 グロフィウスが自ら手がけた学生寮、スポーツ施設、学生用の食堂も残っている。建築は生活の造形であるというグロフィウスの意志が息づいている。
 資材を規格化し、予め工場で製造するシステムを導入した。


テレビ番組「にじいろジーン 世界ぐるぐるジーン ミュンヘン」

 2008年4月5日放送。ルフトハンザで12時間で行きました。

●ミュンヘン
 ベルリン、ハンブルグに次ぐドイツ第三の都市。ネオゴシック様式の新市庁舎とお昼時のドイツ最大の仕掛け時計が人気。12世紀以降バイエルン地方を治めていた王国の都だった。ニンフェンブルク城などの宮殿や美術品が数多く存在している。美人画ギャラリーにはルートヴィッヒ1世が描かせた36人の美人画がある。BMW本社がある。BMWとはバイエルン発動機製作所の略で、マークの青と白の四半円はバイエルン州のイメージカラー。
 世界的にもビールが美味しいと知られる街で、平日の昼間でも街のビアガーデンはビールを楽しむ人でいっぱい。法律では16歳から飲むことは認められている。
 高級住宅地に住むダニエラ・ペプケさん(41歳)のお宅を訪問。地上3階、地下1階の7LDK300平方m。ドイツでは子供たちに木のおもちゃを与える。朝食にはブレーツェルというパン、ミュンヘン名物の白ソーセージ。このソーセージは皮をむいて食べる。白ソーセージは傷みやすいので、新鮮な朝のうちに食べる。ドイツは幼稚園制度が生まれた国。
 ドイツでは環境保護のため、地面から1mの部分が周囲80cm以上の木は自宅の木でも許可なく切ってはいけないという法律がある。また洗車は自宅の前では禁止されているので、洗車場に行く。料金は1200円。
 ヴィクトアーリエン・マルクト市場に行く。有名なお肉屋さんが6軒並ぶ。豚肉は1kg1600円(日本は2400円)。ツヴィーヴェル・メット・ウルストは、生の豚挽肉に塩、胡椒、たまねぎを混ぜ合わせたものをパンにはさんで食べるもの。
 夕飯は豚のグリル煮。オクトーバーフェストというビール祭りのジョッキを使ってビールをいただきました。ドイツではビールの種類によってグラスやジョッキを使いわけるのが当然。
 ドイツではダンスをする機会が多いので、社交ダンスを踊れないと恥かしいので、先生に教えてもらっているそうです。14歳くらいからほとんどの子供たちが学ぶようで、ノイペックダンス学校が紹介されました。
 この家の紋章は13世紀から受け継がれている大切なものでした。

 ミュンヘン名物の「川サーフィン」。偶然できた川の急流を使っている。世界中のサーファーが来るという。
 地下鉄の駅では、改札がない。青いボックスでスタンプすること。無賃乗車をすると1万円くらいの罰金を取られる。街角の無人の新聞スタンドも0.5ユーロなどをきちんとみなさん入れている。「ルールはきちんと守る」


テレビ番組「藤重政孝の大陸横断1万4千キロ 東京〜ロンドン浪漫鉄道の旅」

 2008年3月20日放送。藤重政孝さん。明治時代に東京からロンドンまでの切符が売られていた。昭和12年にも日本旅行協会で市販されていたという記載がある。東京駅を出て、翌朝、下関に到着。そこから船で釜山に向かい、満州、シベリアを横断してモスクワ、ベルリンを経て、ロンドンまでの2週間の旅があった。当時は船か陸路しかなく、船だと1〜2ヶ月かかった。欧亜連絡乗車券と言われ、運賃は1等795円、2等560円、3等390円。800円は当時の銀行員の1年分の給与に相当した。日本からシベリアまでは舞鶴、下関、門司からの3つのルートがあったが、下関ー釜山ルートが最短だった。それでも1.4万km。これに挑む。テレビ山口製作らしい。

●韓国
 下関から釜山までは夜行の船。ソウルまでは高速鉄道KTXを利用。フランスの技術を導入したもので、最高時速は300kmで、2時間50分でソウルに到着する。
 ソウルは韓国語で都の意味。ソウル駅は2004年にリニューアルされた。市場に行き、のり巻きをいただいた。2000W(240円)。
 ドラサンまでセマウル号で行く。9:25AM発、11:10着。韓国で最北端の駅。イムジンガン駅で強制下車。ソウルから52km、ピョンヤンまで209km。ここで荷物のチェックを受けるが、ドラサンからソウルへの帰りのチケットも必要。ここからドラサンまでの列車は1日3本。列車の横には有刺鉄線が続く。ここまでは1列車300人までという制限がある。
 ドラサン駅からバスで北に向かう。有料の人気観光ルートで、北朝鮮が見える展望台まで行ける。ここからの撮影は許可が必要。
 当時は北朝鮮を抜ける鉄道があったが、通れないので、北朝鮮と中国との国境の街タントン?まで船で行くことにした。東方明珠?という船でした。

●中国
 下関を出て5日目、北朝鮮との国境の町「丹東 DanDong 」に到着。鴨緑江に面していて、鉄橋がある。これは日本が占領時代に建設したもの。2本あるが、1本は途中で途切れていて鴨緑江断橋といわれる。朝鮮戦争の際にB29の爆撃によりこうなったと記されている。当時は真中が90度旋回して船を通すシステムだった。もう1本も爆撃されたが修復された。
 丹東駅からは列車の旅。沈阻北行きの快速列車。3時間半で瀋陽南駅に到着。この駅舎の設計は日本人。宿泊は遼寧賓館で1927年創業。当時は大和旅館という名前で、南満州鉄道直営ホテルだった。当時のセレブたちが滞在した記録が今も残っている。溥儀、松岡洋右の名前もありました。溥儀の泊まった部屋に泊まらせてもらいました。
 南満州鉄道が世界に誇ったスーパー列車が瀋陽蒸気機関車博物館に展示されている。青く塗られたアジア号は大連からハルビンまで1000km近い距離を12時間半で結んだ。最高時速110km。
 瀋陽北駅から高速列車で4時間でハルビンに到着。ここは100年前に帝政ロシアによって作られた街で、ロシア建築が今も多く残る。中央大街は欧風建築物が建ち並ぶ歩行者天国となっている。かつては東方のパリとよばれた。中央大街の端はスターリン公園。地面に絵を描いている人がいた。ユウ・キュウジンさんで、掃除用品で描く。
 国境を越える列車にはハルビンの駅ではなく、チケットはハルビンの旅行代理店で購入。かつ駅での荷物のチェックに相当時間がかかった。列車内では平井晶さんという北京在住の女性に会う。ロシアのチタル?で日本語を教えているそうです。午後4時シーツが交換されたが、ベッド・メイキングは自分でやる。

●ロシア
 朝、サバイカルスク駅に到着。入国審査があり、列車は線路の幅が違うので、台車の交換をするがこれに7時間半もかかった。列車内の食事は「キャベツのスープ」450円。
 次の日の朝、平井さんはチタル駅で下車。早朝なのに生徒さんが迎えに来ていました。慕われているのでしょうね。下関を出て10日目。バイカル湖に到着。大きさは琵琶湖の50倍、世界で最も深い湖で、透明度は40mで淡水では世界一。

 イルクーツク駅に到着。バイカル湖まで車で1時間。湖畔ではお土産屋さんが多い。ヴァルカンというブリヤードの楽器で口で音を出している女性がいた。バイカル湖にしか生息しないというホームリという魚の薫製を購入。薫製にすると一段とおいしくなるそうです。本当に美味しいそうです。フクースナ!
 バイカル湖に入ると元気になると地元では言われている。曇りでしたが、水温は11度。藤重さんは飛び込みました。
 イルクーツク子供芸術学校に行く。アレクサンドラ・クロバチョワさん(26歳)は3本の弦のバラライカの名手。バラライカの音色は人間の声に近いという。ボディは三角形です。
 イルクーツク国際言語大学の日本語学科の生徒と交流を深めた。

 12日目、ここからモスクワを目指すが、生徒さんたちが見送りに来ていた。5200km3泊4日の旅。食堂車でオーストラリアのツアーガイドのロッド・キャンベルさんと会ったが、日本語で話をした。ビーフ・ストロガノフ1125円をいただいた。
 13日目、クラスノヤルスク駅に到着。残り4100km。主要な駅では15〜20分停車するので軽い食べ物などを購入できる。車内では紅茶を注文すると部屋まで運んでくれる。これで朝ごはん。車内を散策。有料のシャワー室がある。かなり揺れるそうです。お昼はロシアのスープ「ソリャシカ」675円。
 14日目、スヴェルドロフスク駅でロッドさん一行は下車。モスクワまで1777km地点でアジアとヨーロッパの境がある。とても小さな白いイベリスクが建っています。有料のシャワーを利用。車窓は秋真っ盛り。
 15日目、夕方5時、モスクワ・ヤロスラーブリ駅に到着。

 ロシアの首都モスクワ。人口は約1000万人。モスクワ国際バレエ・アカデミーは世界じゅうからバレエを目指す人が集まる。現在は700人程度が学んでいる。日本人は37名在籍。学生寮に岩瀬まゆさん(21歳)を訪ねる。校長のマリナ・レオノワさんに話を聞いた。
 ベラルーシ駅を夜10時に出る夜行列車でベルリンに向けて出発。2泊3日の旅です。

●ドイツ
 フランクフルトオーダーで入国審査。夜1時半、ベルリンのオスト駅に到着。駅は当然閑散としている。v  1961年のある日、壁が一夜にしてでき、28年間き、1989年に壁は崩壊した。1621年創業ベルリン最古のレストラン「ツァ・レツデン・インスタンツ」は、ナポレオンも訪れたという。名物メニューは「アイスバイン(豚の肉)」2610円。
 ベルリンではマンガが大人気。コミック・ショップ「モダン・グラフィックス」には5000冊も並ぶ。ドイツのアーティストや漫画家はマンガのスタイルを学んでいるそうです。人気コミック作家マリー・サンさん(20歳?)に話を聞いた。似顔絵も描いてもらいました。
 1936年、日本が大人気を博したオリンピック・スタジアム。藤重さんと出身地が山口県岩国市と同じ田島直人さんが三段飛びで優勝していた。

 23日目、ケルンを経由してベルギーに到着。ロンドン行きのユーロスターに乗る。車内でフランス人のリズ・アナニさんと話をした。

●イギリス
 夜、ロンドンのウォータールー駅に到着。郷愁という曲が生まれました。


テレビ番組「世界!弾丸トラベラーは優香さんのドイツ」

 2008年3月1日放送。全長350kmのドイツのロマンティック街道の終点にある、建設費が620億円かかったドイツのノイシュバンシュタイン城を旅した。ディズニーランドのシンデレラ城のモデルになったお城を空から見る。1泊3日の旅。

●予定
 1日目、13:15成田空港発フルトハンザ航空LH715便で12時間30分、17:45ミュンヘン国際空港着。20:00レストラン「ラーツケラー」で夕食。23:30ホテル「リューベツァール」チェックイン。
 2日目、8:30ノイシュバンシュタイン城を見学。9:30城を空から見る。16:25ミュンヘン国際空港発
 3日目、11:05成田空港着。

●ミュンヘン
 ミュンヘン空港からマリエンプラッツ駅にSバーンで移動。8.8ユーロ、50分。地上に上がると、マリエン広場。1867−1909年に建てられたネオゴシック様式のミュンヘン新市庁舎がある。1日2回11時と12時にドイツ最大の仕掛け時計「グロッケンシュピール」の等身大の人形が動き出すと多くの人が集まる。広場の前にあるレストラン「ラーツケラー Ratskeller 」は1874年創業のバイエルン料理を出してくれる人気店。ドイツ語でソーセージはヴルスト。お勧めの「ソーセージの盛り合わせ」14.25ユーロは4種類の自家製ソーセージをグレービーソースでいただく。ビール3.9ユーロで飲みやすいそうです。
 タクシーで2時間半、お城のすぐ近くのホテル「リューベツァール」チェックイン。木のお部屋でベランダからノイシュバンシュタイン城が眺められる。1泊115ユーロ。
 朝7:30ホテルをチェックアウト。2頭の馬車がいるので、これに乗ってお城に移動。5ユーロで、下りは半額です。

 ノイシュバンシュタイン城は真っ白な美しい外観から別名「新白鳥城」と呼ばれていると書いてあったが、ノイは新、シュバンはスワン、シュタインは城です。真っ白な城壁に囲まれた中庭に入る。次はお城の中。ルートヴィッヒ2世(1845〜1886)は第4代バイエルン国王で、総工費620億円をつぎ込んだお城。費用は国を傾け、国王の謎の死によって建設は中止され、未完成のまま現在に至る。王座の間はしろの中で最も豪華な広間。キリストの絵の下にできるはずだった玉座は完成しなかった。生涯独身だった国王のために作られたゴシック様式で作られた豪華な寝室。ベッドの装飾は14人の職人が4年がかりで製作した。
 急いで気球の場所に車で行って、9:30からの「バルーン・ツアー」199ユーロ(3.2万円)に参加。朝日の中、雪のノイシュバンシュタイン城を見ました。


テレビ番組「探検ロマン世界遺産 ケルン大聖堂」

 2007年12月8日放送。鎌倉千秋アナウンサーが案内。塔の高さは157m。1248年(当時の神聖ローマ帝国)に着工し、632年かけて完成した。最も神聖な場所に置かれた黄金の棺。

●ケルン
 ドイツ西部ライン河沿いに位置する。ドイツとカーニバルで有名。オーデコロンを世界で最初に製造した町。オーデコロンはフランス語で「ケルンの水」。
 大聖堂の鐘は1日に4回鳴る。カトリックの聖堂で、中世のゴシック様式。圧倒的な高さが特徴で、157mの塔は40階建に相当する。塔の先端部にあるものが地上に置いてある。先端部だけでも10mある。壁をびっしりと覆う彫刻は大聖堂が伝えるメッセージで、聖書の物語が描かれている。
 大聖堂は西を向いている。二つの塔には上から見ると十字の形をした教会堂が続いている。毎日ミサが執り行われる場所。今回はヨハネス・バストゲン主任司祭が案内してくれました。教会堂の天井の高さは43m。細長い柱が何本も束ねられ垂直に立ち上がっている。その様はまるで石の森のよう。高いというのには意味がある。入ると上を見上げ、自分の小ささがわかり、天上の無限さを感じる。普段私たちは神の大きさを実感できない。ここで体感できる。
 もう一つの特徴はステンドグラス。この光の中にいると神に包まれているのを感じるそうです。
 教会の外で赤いマイクを持っている人がいる。domeradio のシュテファン・バウアーさんがインタビューしていました。このラジオ局は大聖堂のことを報道している。このスタジオからの景色が最高にいい。窓一面に大聖堂が見える。この日はバストゲン司祭にインタビューがあった。土曜日に若者を集めてミサをしているそうですが、毎回1000人以上集まるそうです。バウアーさんは10曲以上大聖堂の歌を作っているそうです。

 大聖堂の建設のきっかけは、大聖堂の最も奥のところにある黄金の棺。高さ1.5m、横1.1m、奥行き2.2mのヨーロッパ最大の金細工で、13世紀に作られた。ルビー、エメラルド、サファイアなど1000個以上の宝石で飾られている。この棺には聖書に登場する東方の3博士。棺の中には王冠を戴いた3つの頭蓋骨が並んでいる。キリスト教ではこういうものを聖遺物と呼んでいる。有名な聖遺物としてはトリノの聖骸布がある。聖遺物は奇跡をもたらし、幸福をもたらすと信じられてきた。ナポリには聖ジェンナーロの血液がある。いつもは凝固している血液が祭りの時だけは溶け出すという。昔からこの奇跡が起こらないとナポリに悪いことが起きると信じられてきた。人々はこれを熱狂的に祝う。中世ヨーロッパの教会はこぞって聖遺物を収集した。1164年ケルンはミラノから戦利品として3博士の遺骨を獲得した。これが大聖堂建設のきっかけとなった。聖遺物の先の神を感じることができるから崇拝するそうです。
 大量の石はライン河上流の石切場から船で運ばれた。大聖堂の一角に中世から続く石工職人の工房がある。今は40人の職人が石像の修復をしている。石像は1つの大きな石を彫りぬいている。1つの彫刻を完成するのに1人で1〜2年かかる。職人のウーヴェ・シェーファーさんが説明してくれた。莫大な労力が大聖堂建設に使われた。
 中世、3博士の棺を見る人が後を絶たなかった。ライン河沿いにあるケルン最古のレストラン。オーナーのヴィルヘルム・ヴィヒャルトさんが案内してくれた。中世ではここは宿屋としても使われており、その部屋が残されている。ある部屋には12人の人が寝ていたという。彼らは大聖堂に献金するために、それ以外のお金を節約した。このレストランでは中世に巡礼者に出していた食事も再現している。ラム肉、人参、豆などがふんだんに入った温かいスープ。節約のために1皿で全てまかなえる食事を好んだそうです。
 他にも大聖堂は聖遺物を持っている。12使徒の一人で初代ローマ教皇となった聖ペトロの「錆びた鎖」。迫害を受け、牢獄につながれていた時、天使が舞い降り鎖を解いたという逸話がある。それが伝説の鎖。大聖堂建設の資金のうち、7割は聖遺物に対する献金だったという。
 200年が経過した15世紀、工事は何度も中断し、1560年には完全に中断した。中世のケルンを研究しているケルン市公文書館のマンフレット・フスケスさんは収入記録を詳細に研究している。50年前には聖遺物が各地を回り1万マルクを集めたのに、前年には1回だけで献金は1マルク10シリング2ペニヒだった。激減した理由はケッツァライの神。ケッツァライとは異教徒をさげすましたいい方。これはマルティン・ルターを意味していた。ルターの宗教改革により大聖堂の献金は完全に破綻した。ルターは「人が救われるのは、教会や聖遺物への寄進によってではなく、心の中で神への信仰を高めることだ」と主張した。この考えは聖職者の堕落など、教会へ不満をもつ人の間に瞬く間に広まった。熱狂的だった聖遺物信仰も次第に冷めていった。これから300年近く、未完成の姿で放置された。
 19世紀に転機が訪れた。偶然にも建設開始当時の設計図が発見された。極めて詳細に書かれた設計図は人々の興奮を誘い、再び大聖堂を完成させようという気運が盛り上がった。その頃ドイツには初めて統一国家が誕生し、大聖堂はそのシンボルとなった。急ピッチで工事は進められ1880年10月15日完工式の日を迎えた。
 20世紀、試練は続いた。第二次世界大戦でケルンの町はその9割が破壊された。大聖堂はかろうじて崩壊を免れたが、膨大な量の彫像やステンドグラスが失われた。壁面には今も戦争の傷跡が残っている。戦後60年、今も修復が続いている。年間10億円にのぼる資金のほとんどが市民からの寄付。今年8月に公開されたステンドグラスがある。新たなデザインで作り直した。ドイツ現代芸術家ゲルハルト・ディヒターによる作品。聖書の物語という伝統的なデザインではなく、モザイク。今、このデザインについて賛否両論が巻き起こっている。
 ラジオ局のバウアーさんは市民の声を集めている。マグダレーネ・イミヒさんは戦後焼け野原になったケルン市に、大聖堂だけが残ったのを覚えているという。それを見て市民は希望をもって復興に励んだという。前に進む気持ちを与えたという。バウアーさんは夢だった、大聖堂の前で自分の歌を歌いました。その後大聖堂の鐘が鳴りました。


テレビ番組「びっくり法律旅行社 ドイツ」

 2007年12月7日放送。児玉清、、黒崎めぐみ、タカアンドトシさんが司会。ゲストは細川茂樹、松本伊代、安田美沙子さん。NHK製作。

●フランクフルト
 ロマンチック街道の玄関口。旧市庁舎などがあるレーマー広場。文豪ゲーテのふるさとで、彼の生まれたゲーテハウスがある。一番人気のソーセージ屋さんでは、6段階の辛さを選ぶことができる。冬でも外でビールを楽しむ人が多い。ドイツのビールは約6000種類以上ある。
 フランクフルト警察のハラルド・ホルンエーベル氏とシルケ・ギュンテルさんが法律違反について説明してくれた。
 ビールについては、保護者と一緒なら14歳からビールを飲んでもいいそうです。16歳になったら友達同士でもビールを飲んでもよい。但し、ウィスキーやブランデーは18歳以上。ドイツの飲食店では計量法第9条により、コップに容量マークが入ったものを使い、その容量を満たしていないといけない。量を減らすなどのごまかしをさせないため。違反すると罰金35ユーロ、意図的だと1万ユーロ。これはコーヒー、紅茶、ココア等には適用されない。

 フランクフルトはリンゴの名産地。ライン川の南側のザクセンハウゼン地区では、リンゴを絞って発酵させたリンゴ酒を飲ませる居酒屋さんが吸う多い。週末になるとリンゴ酒を飲みながら市内を一周できる「リンゴ酒列車」が運行される。香りは甘いけど、味は甘くないです。児童公園でアルコールを飲んだり、泥酔状態でとどまっているのはフランクフルト市条例第7条に違反し、85ユーロの罰金。

 夜10時から朝6時まで、道で大声を出すと秩序違反法第117条に違反し、2人以上から苦情がくると最高5000ユーロの罰金。

 最近、フランクフルトではサイコロは小玉を使ったイカサマゲームが頻発している。こういう詐欺師には注意。

●ギーセン
 フランクフルトから北に45km、ギーセンは古い街並み。車を止めて携帯電話をするのはOK。決められた場所以外で洗車をするとギーセン市の法律違反になる。違反すると50ユーロの罰金。駐車する場合も2台入るところに1台しか入れないようにすると、道路交通規則第12条の法律違反で、10ユーロの罰金。カギをかけないで車から離れることも、同14条の法律違反で、15ユーロの罰金。友達を待つ時にアイドリングすることも、同30条の法律違反で、10ユーロの罰金。

 煙突掃除に関しても法律「煙突掃除法第50条」には、「煙突掃除人に煙突を掃除してもらう義務がある」ことが決まっていて、違反すると最高1000ユーロの罰金。利用料金は20ユーロ程度らしい。煙突掃除人は幸運をもたらす人と言われているらしい。


テレビ番組「世界遺産 ヴァイマール」

 2007年11月25日放送。「もっと光を」ドイツの文豪ゲーテが最後に残した言葉。およそ人生は次の2つから成り立っている。したいけれどもできない。できるけれどしたくない。ゲーテがその生涯の大半を過ごしたドイツの町がある。今もゲーテが暮らした家が残されている。ゲーテはこの町で政治家として活躍する傍ら、ファウストを始めとする世界に名だたる文学作品の数々を残した。18世紀終わりから19世紀にかけてゲーテの周りには多くの芸術家たちが集まった。自らの内面を見つめなおし、自由を獲得するという文学の潮流はこの町で生まれた。ドイツ古典主義の都ワイマールは1998年世界遺産。

●ヴァイマール
 清らかな水を表わすドイツの古い言葉。イルム川の美しさをたたえ、町はそう呼ばれてきた。
 ベルリンの南西230kmにワイマールはある。18世紀の終わり人口10万人の農業国ザクセン・ヴァイマール公国の首都だった。ゲーテがフランクフルトからこの街にやってきたのは、1775年11月。街にはゲーテの言葉が至る所にある。「古いものは優しく、しっかりと新しいものを抱きとめている。」
 バロック様式の3階建の黄土色の建物はゲーテが亡くなるまでの50年間を過ごした家。「なぜ立ち止まるのか?扉は開いている。気兼ねなく入りたまえ。」あらゆる人を迎え入れようという言葉。当時、ゲーテはベストセラー作家だった。「若きウェルテルの悩み」は結婚し、家庭を持つことが幸福とは限らないとうたい、ヨーロッパじゅうの人々の心を捉えた。
 君主カール・アウグストはゲーテをワイマールの相談役として招いた。ゲーテは行政官に任命された。ワイマールでは鉱山開発を担当した。
 ゲーテが20代で書き始め、60年近く書きつづけた大作「ファウスト」。悪魔メフィストと手を結ぶ孤独な学者ファウスト博士が没落していく姿を描いた。これは近代人の姿だった。一時もじっとしていることがなかったという。文章も立ちながら書いたという。彼の著述には自然科学のものもある。色にも造詣が深かった。部屋を様々な色に塗り分けていた。黄色は光に近いので、人を優しく迎える色とした。ここの部屋に多くの文化人を招いて共に語り合った。闇に一番近い色と考えた青の部屋には胸像のコレクションがある。
 盟友フリードリッヒ・フォン・シラーが晩年を過ごした家はシラー・ハウスと呼ばれる。ウィリアム・テルで知られる詩人、劇作家で、ゲーテに招かれた。ベートーベンの第九の「歓喜の歌」もシラーの作品。ゲーテとシラーは10年以上の親交で、シラーはファウストを書くように勧めた。
 文学以外にも偉大な芸術が生まれた。ヨハン・ゴットフリート・ヘルダーが司祭を勤めていた教会「聖ペテル・パウル教会?」がある。ヨハン・セバスチャン・バッハはワイマールは最も静かに作曲ができる町と言った近代音楽の父は、この街のオルガニストとして暮らした。聖堂にはルネサンス期の巨匠による祭壇画が残っている。キリストの血を頭に受けているのは、描いたルーカス・クラナッハ。ここワイマールはドイツ古典主義の文化の都として栄えた。
 1806年ゲーテ58歳の時、ナポレオン軍がワイマールにも入ってきた。二階の寝室にいたゲーテを2人のフランス兵が襲った。その時勇敢に彼を守った女性クリスティアーネ・ヴルピウスに心を動かされ、二人は正式に結婚した。しかしゲーテの心を大きく変えたのはシャルロッテ・フォン・シュタイン夫人。結婚前に愛した人の存在でした。ゲーテが最初に住んでいた森の中の家に住んでいた。7歳年上の夫人は彼の複雑な心を最もよく理解していた。この恋愛が後の文学作品を書く原動力となった。
 ファウストに関係するピアノの魔術師フランツ・リストも住んでいた。彼は聴衆の前で何かに取りつかれたように演奏したという。そのピアノの超絶的な技巧に指が6本あると言われた。悪魔メフィストがファウストを伴って居酒屋に現れる場面が、1860年ワイマールで作られたリスト全盛期の作品「メフィスト・ワルツ第一番」。
 ゲーテ最後の時。1832年3月22日83歳でゲーテは死んだ。いつものように肘掛イスに腰掛け、遅い朝食を食べながら最後に言った言葉は「もっと光を」。正午前でした。ゲーテの生まれたフランクフルト訛で言うと「全ては嘘」という意味にもなる。いのうえの考えですが、現実をフィクションで覆うというゲーテの言葉に関連するのか?


テレビ番組「知っとこ! 世界の朝ごはん ベルリン」

 2007年11月24日放送。

●ベルリン Berlin
 東京23区の1.5倍の面積に330万人が暮らすドイツ最大の都市。街路樹が見事に色づいている。
 パリ広場には大きな門がある。ブランデルブルグ門。18世紀にギリシャの神殿の門を参考に作られたもの。ベルリンの壁は全長155kmもあった。ブランデンブルグ門の近くにも道路に壁の跡が残っている。
 1989年まではベルリンを分断する門だったが、崩壊すると意味が全く逆となり、今は統一ドイツの象徴としてベルリン市民に愛されている。
 メーリングダム通りには人だかり。ソーセージのお店で、カレーブルストというベルリンの名物料理。焼きたてのソーセージを一口大にカットした上からカレー粉をかけ、秘伝のトマトソースをかけるだけで、1本1.4ユーロ。
 ローゼンターラー通りにも人が集まっている。中は緑と赤の可愛いキャラクターのグッズのお店。アンペルマンという信号機のマーク。元々は旧東ドイツの信号機に使われていたもの。アンペルはドイツ語で信号という意味。このお店は観光客にも大人気。
 バスティアン・ツェードリックさんが紹介してくれたのは、オシャレなバー「ムッター・ホッペ Mutter Hoppe 」のベルリーナ・ヴァイセ。赤いビールで、フワンボワーズのシロップをグラスに入れ、そこの酸味の強い専用ビールを混ぜ合わせて作る。1杯2.6ユーロで、少し甘め。緑色のものもある。ストローで飲みます。
 ウンター・デン・リンデンを歩く。立派な教会「ベルリン大聖堂」がある。中世をテーマにした人気のレストラン「ターフェルルンデ Tafelrunde 」がある。中は既に満席。ロウソクのほのかな明かり。料理は茶色のボウルの中身を飲んでいるが、これはスープ。次はメインの肉料理。フォークでなく、ナイフ1本で食べている。当時あまり使われていなかったスプーンやフォークを出していない。それでみんなマナーを気にしないで食べている。コースは1人前38ユーロ(約6000円)。最後はみんなで手を組んで歌を歌っていました。

 新婚さんの朝ごはん。住宅街のマンションに住むカタリーナ・アルベルトさんが作るのは、1品目ドイツでは人気の「ピクニック・パン Picknick Brot」。小麦粉にイースト菌、塩、カレー・パウダーを入れ、温めた卵と油を入れ、荒めにおろしておいた人参とズッキーニを加えて混ぜる。半分型に敷き詰め、その上にソーセージを並べ、残りの生地を重ねてオーブンで30分焼く。食べやすい大きさに切る。
 2品目「スタッフド・マッシュルーム Gefuelte Champignons ?」。大きなマッシュルームの軸を取り、細かく刻んでたまねぎのみじん切りと一緒によく炒め、サワークリーム、チーズを加えて混ぜる。できあがったものをマッシュルームの傘の部分につめてチーズをふりかけ、オーブンで20分焼く。
 3品目「カードとピーチのデザート Quaksoeise mit Pfisichen ?」。カードというチーズの一種にレモン汁、砂糖を加え、ホイップした生クリーム、細かく切った桃を加えて混ぜる。お皿に盛りチョコレートチップをかけるとデザートの完成。


テレビ番組「ヨーロッパ夢紀行」

 2007年10月21日放送。ブリュッセルの中央駅から、ザルツブルグに近いドイツのアッシャウという小さな村を目指す。JIC製作。

●ICE
 まずはICEでフランクフルトに向かう。446kmを3時間半で走る。6:25分発の列車。この時間帯は高速列車が並んでいる。タリスもいる。テレビモニターまで付いてまるで飛行機みたいです。イスも座り心地がいい。車内販売は飲み物は有料。
 ケルンに到着。時速は301km。外は雪景色になっていた。ICEには展望車両がついている。  フランクフルトに到着。インターシティに乗り換える。アッシャオまでは5時間の旅。バー車両も空いている。ソーセージもメニューにある。
 シュツットガルトに到着。ポルシェの本拠地。雪は次第に深くなっていく。
 ニュンヘンを経由して、15:17分 Prien 駅で下車。ここから目的地のアッシャウまで1駅。

●アッシャウ
 アッシャウに到着。無人駅。雪の中。
 宿泊は「Residenz Heinz Winkler 」3つ星を持つホテル・レストラン。1991年にオープン。建物は15世紀初頭に建てられたものを2年間かけて修復してホテルとして使えるようにした。紋章などが美しく、お菓子箱みたいです。お客さんの8割はドイツ人。ヨーロッパのロイヤル・ファミリーも訪れるらしい。まずはバーで温まる。レストランは中世ヨーロッパの香りがある。
 オーナー・シェフのハインツ・ウィンクラーは、イタリア生まれ。スイスからミュンヘンに渡り修行し、1983年33歳でミシュランの三ツ星を獲得した。このレストランも多くの賞をもらっています。ここはSchwingshackl Erich が厨房を担当している。彼は10年前からウィンクラーと仕事をしている。このレストランではフォアグラ料理が特徴。三種類あり、1つ目はプラリーヌ・フォアグラ。2つ目は小さなグラスにオレンジラグー、サバラン、フォアグラムースを順にのせたもの。3つ目は焼いたフォアグラで季節に応じてキウイ、洋梨、リンゴを添える。フォアグラの原料はイスラエルやフランスで購入する。それをさばいてきれいにし、赤ワイン、塩、マデイラ酒などで下準備しておく。前菜のフォアグラ3品、「ロブスターのカルパッチョ、レモングラス添え」。「タラと味つけキャベツ、赤バターソース添え」。キジやノロジカはバイエルンで調達する。「ローストダックのマスタードソース」。「鹿肉とセロリのムース包み」。デザートは評判が高い。「ドームショコラ」で赤いチョコレート、中には白黒のチョコレート・ムースが詰まっていて、真中にはさくらんぼが入っている。アイスクリームも見事です。
 部屋は中世のお城に迷いこんだような感じ。スイートタイプの部屋は、リビングは重厚感のある家具。寝室は明るい色調。大きな三面鏡がある。スタンダードの部屋も落ち着いた感じです。メゾネット形式の部屋もあります。日本での予約はルレ・エ・シャトーの予約(tel:03-3475-6876、fax:03-3475-3400)。
 スパ・リゾートとしての機能もある。様々なマッサージや入浴法。ホテル・ステイとのセットもあり、ご夫人方に密かな人気とか。
http://www.relaischateaux.com/


テレビ番組「ポカポカ地球家族 ドイツ・ミュンヘン」

 2007年9月8日放送。

 ミュンヘンはベルリン、ハンブルクに次ぐ大都市。日本から飛行機で12時間。130万人が暮らす。ミュンヘンといえば、世界的に知られるビールの都。ドイツ国内にある約1300あるビール醸造所の3分の2がミュンヘン郊外に集中していて、市内のビアホールは連日大賑わい。
 そんなミュンヘンで初となる串揚げ店「円」を今年2月にオープンしたのは、松原治郎さん(58歳)、祐子さん(50歳)夫妻。1年半前にドイツに移住。店内はカウンター席のみの12席。営業時間は12:00-15:00 & 18:00-22:30。アルバイトの女性があと1人いる。串揚げは7本、10本、14本とコース毎になっていて、食べるペースにあわせて揚げる。7本の雪コースは14ユーロ。食材は肉や野菜、エビなど、全て地元のものを使っているが、ソースや塩をつけて食べる「日本の味」にこだわっている。地元でのお店の評判は上々。半年で常連客もできた。二人は日本では店の経験もないし、ドイツ語もできない。「定年で老いてしまうだけではもったいない、チャレンジしてみた」と語ります。
 人気はグリーンアスパラ、2位はナス。ドイツの人は猫舌だそうです。

 退職金と日本のマンションを売った資金をもとに、1年がかりで準備をして、開店資金400万円で店を開いた。自宅は車で15分のアパートで、3LDL(90平方m)で家賃は月16万円。あちこち緑があり、リスもいる。
 午前10時、店への出勤前に、近くの公園に立ち寄ります。毎日市場が開かれていて、地元でとれた野菜や果物が売られていまる。店で使う食材を仕入れる。中でも、キャベツは種類が豊富で味も柔らかさも違い、料理に合わせて使い分けられている。白キャベツは1個300円だが、使えない。お肉は店の近所の精肉店「アントン・ビヒラ」で買っている。
 昼の営業が終わると、治郎さんは近くの公園「アルター・ネルトリッヒャー・フリートホーフ公園」へやって来ます。元々は墓地だったが、今は市民の憩いの場。ここで仮眠を取る。その頃、妻の祐子さんはドイツ語の勉強中。生活や接客の不便を少しでも減らそうと日々、努力です。
 何とかやっていけているのは、お客さんたちが優しいおかげだという。仕事が終るのは深夜0時。本当の人気店になるには、ここからが勝負です。

 週に一度の定休日にやって来たのは、人気の観光スポット、シュタインベルグ湖。フェリーに乗り(2160円)、3時間余りの遊覧観光を楽しめる。ホテルのような豪華な船内では、飲み物や軽食が売られている。プレッツェル150円、ソーセージ550円。そして、贅沢なひと時。
 市内中心部のレストラン「ラーツケラー」で食事。グレービーソースたっぷりのポークチョップ1800円。ミュンヘン白ソーセージ700円は、皮からはがして甘いマスタードソースをつけて食べる。
 松原さんご夫婦はホテルの同僚で、1977年に出会い、79年に結婚。そして、定年まであと数年という頃、治郎さんが突然、ホテルの仕事を辞め、串揚げ屋をやりたいと言い出した。今年の秋から娘の絵美さんもドイツに来るそうです。料理人の経験もないまま、ドイツで全くのゼロから店を始めた、ご夫婦に嬉しい知らせが届きました。地元で発行されるレストランガイドに、「円」が優良店として掲載された。ロマンティック部門の第3位。少しずつドイツの人たちに認められ、松原さん夫婦の挑戦はこれからが本番です。

 友人のマークスさん家を訪ねた。


テレビ番組「地球街道 ドイツ・ロマンチック街道」

 2007年6月30日、7月7日放送。山形由美さんが案内。のどかな田園や絵本のような町を過ぎて遥かなるアルプスの麓へと続く。全長およそ350km。第二次世界大戦でドイツは壊滅的な打撃を受けたが、奇跡的に被害を免れ中世の姿が残った。それを道で結びロマンチック街道と名づけられた。

●ヴュルツブルグ
 起点となる町。中世以降、司教が治める町として繁栄を続けてきた。その司教が住む宮殿がレジデンツ。ドイツ・バロック文化の傑作で世界遺産。天井いっぱいに描かれた壮大なフレスコ画。鏡の間は来賓をもてなすために作った部屋で金色。

●ローテンブルク
 南へ走るとレンガ色の町が見えてくる。絵本みたいな街並み。中世の宝石箱とも称えられる町。1000年以上の歴史を有し、中世には自治都市となった。まわりは城壁が囲む。
 中心はマルクト広場。中世のたたずまいを今に伝える。「メッツゲライ・ハーン」のホットドッグをいただいた。1/2メートル火のソーセージは3ユーロ。50cmの長さで、この店一番の人気メニュー。立って食べます。
 突き出し型の看板が特徴。看板を作っている鍛冶職人ミヒャエル・カストナーさん(41歳)を訪ねた。かなり凝った看板を簡単な鉄の棒から作ります。

 ここからはテレビ番組の延長に絶えられずに中断。

●ネルトリンゲン
 遠くから聖ゲオルク教会の塔が見える。強固な壁に囲まれている。教会の塔に番人が500年以上控えているという。塔の高さは89.9m、350段。門を開けると部屋になっている。そこに当時の服装をした塔の番人ラルフ・クルーゲさん(44歳)がいる。数人が24時間勤務で交代で務めているそうです。戦争中も続けていて、毎夜22時から24時まで塔の上から「ゾー・ゲゼル・ゾー So G'sell So 」(そうだよ、仲間、そうだよ)と叫ぶのが伝統。昔はそれを門の塔にいた番人が呼び返していた。眠っていないか、襲われていないかを確認した。塔の上から見る町はきれいです。

●ミュンヘン
 ロマンチック街道から外れた。今日のフルートを開発したテオバルト・ベーム(1794-1881)の故郷。その子孫が今でもミュンヘンに暮らしているというので、訪ねた。ルートヴィヒ・ベームさん(59歳)は玄孫(4代下)にあたる。ベームはそれまでの木製のフルートを金属製に変え、穴をふさぐと連絡キーをふんだんに用いて豊かな音量と広い音域が可能な今日のフルートを生み出した。1851年ロンドン万国博覧会・管楽器部門第一位になったフルートが残されている。現在のものよりも軽いそうです。作曲家のベルリオーズがこのフルートを見て、「これ以前のフルートは、もう縁日でしか使えない」と語ったそうです。

●ホーエンフルヒ
 30mくらいの高さの木の塔がいくつの町にもある。しかも両側にイラストのようなものが数十個出ている。パウル・シュラットさんが教えてくれましたが、メイポールだそうです。この村にどういう職人がいるかが分かるという。職業を掲げるものは、アルプスに近いエリアに多く見られるそうです。パウルさんのはライオンの看板で金細工をしています。
 ヴィア・クラウディア・アウグスタ街道は元々は通商路だった。このポールが道行く人々の案内版になっていた。

●ノイシュバンシュタイン城
 フュッセンに行く道からそれると、道の先、少し小高い丘に城が見えた。城(1869-1886)を建てたのはルードウィヒ2世(1845-1886)で、中世の城への憧れとワーグナーのオペラへの敬愛をこめた。優美な姿を見せる城です。
 城内でもひときわきらびやかな場所が「玉座の間」。玉座が置いてないのは、完成する前に王が急逝したため。テラスからは遠くにアルプスが見えて、バイエルンで最も美しい眺望と称えられた景色。寝室の豪華さも圧巻。壁にはトリスタンとイゾルデを描いた絵が何枚も掲げられている。極め付きはドアの向こうで、ワーグナーのオペラの一場面の洞窟を模したもの。最上階は「歌合戦の間」で、王がこだわった部屋。中世における歌合戦の姿を再現した。ここにもワーグナーのオペラ「パルジファル」を描いた絵が掲げられている。国王はここで一度も音楽を聞くことはできなかった。1886年6月13日、40歳の王は湖畔を散歩中、謎の死を遂げた。山形さんはこの部屋で「パルジファルの前奏曲」を吹きました。この曲は王がワーグナーに最後に会った際に聞いた曲だそうです。


テレビ番組「世界鉄道の旅 ドイツ、インターシティとライン河」

 2007年3月25日放送。放送番組センター配給。インターシティでライン河に沿って旅をする。製作はオランダのEO International Meskers Media Affairs.

●ケルン
 人口100万人の内陸の港町。ケルン駅はヨーロッパに行くための重要なターミナル。趣のある駅は蒸気機関車の時代に造られた。この町は「ケルンの水」という意味の「オーデ・コロン」発祥の地でもある。
 駅の反対側にはケルン大聖堂がある。高さ157m、幅86mで、ゴシック建築の粋を集めた傑作。ケルンが長年ドイツのキリスト教信仰の中心地であったことを象徴する。1248年から建設が開始され、1880年に完成した。
 中央駅で赤いインターシティに乗る。IC513はシュツットガルト行き。

●ボン
 旧西ドイツの首都。ライン河に沿って下流に34km、20分で到着。駅を出てライン川のほとりまで歩く。対岸にジーベンゲビルゲの美しい山並みが広がる。
 龍退治の伝説で有名な、龍の石「ドラッヘンフェルス Drachenfels 」が残る山の頂上を目指す。歯車式登山鉄道に乗る。かつては蒸気機関車だった。運行開始以来、3000万人を越える人が利用しているそうです。標高220mの目的地まで1.5km。傾斜がきついので登るのはたいへん。山の中腹には龍の城として有名なドラッヘンフェルス城がある。
 駅から山の頂上まで歩く。頂上からはボンの街並みが一望できる。
 川岸には、ボン生まれの偉大な作曲家ベートーベンにちなんだコンサートホールがある。コンクリートを何層も重ねて作ったベートーベンの像は観光客に人気。郵便局の前にも銅像がある。彼の生家は観光名所の一つ。
 旧市庁舎がひときわ目立つ。ドゴール大統領やケネディ大統領などの国賓を迎えた。首都機能はベルリンに移動したが、権威ある国家機関がボンに移ってきた。ケルン大司教の居城だった美しい住まいはボン大学に姿を変えた。大学の緑豊かな庭園は一般に開放されている。


テレビ番組「辰巳琢郎の新ドイツワイン紀行」

 2006年10月9日放送。辰巳琢郎、藁谷麻美アナが案内。辰巳さんは日本ソムリエ協会の名誉ソムリエ。銀座ではアラン・デュカスがシャネルとタッグを組んで日本ではじめての「ベージョ・アラン・デュカス東京」を出店した。ここのソムリエが辰巳さんと好みが合う。ダイニング・マネージャーの石田博さんは飲み易く軽やかでシンプルだけど余韻があるという。リースリングはドイツ固有のぶどう品種ワインに使われている。リーガロイヤルホテルのナチュラル・ガーデンのソムリエ立住次郎さんもドイツワインを数多く置いているという。12時間でドイツに到着。ドイツワインは100年前まではフランスのボルドー、ブルゴーニュと肩を並べ、世界中で愛されていた。戦争によるダメージや市場価格の崩壊などでダメージを受け、イメージが低下していた。テレビ大阪製作。

●リューデスハイム
 ライン川の真珠ともいえる町で、ワイン祭りが9月にある。みんなワイングラスを持っている。ドロッセル・ガッセなどが紹介されました。
 ここに孤高の醸造家ベルンハルト・ブロイヤーがいる。「ゲオルグ・ブロイヤー醸造所 Weingut Georg Breuer 」では20年前からドイツワインの復興に取り組んでいた。2004年5月にベルンハルトさんが急逝した後は、兄のハインリッヒさんが跡をついでいる。今ではフランスの三ッ星レストランのワイン・リストにも載ると言われている。年間生産量はたったの5000本。特徴はワイン・ケラーにある。ケラー・マイスターのヘアマン・シュモーランツさんが案内してくれた。スチールの樽と違ってオーク樽だとワインが呼吸できるのが大きく違う。酸素と触れあうことで、深みのある味わいとなる。天井に生えている苔は温度や湿度がいいという証明でもある。古いワイン棚は苔だらけでした。
 お店?のベルク・シュロスベルク Berg Schlossberg でヴィンテージ・ワインをいただきました。畑を見せてもらいましたが、坂はかなり急でした。北緯50度で太陽の光をもらうために坂が急になっている。さらに土壌には粘板岩とけいがんが多く含まれていて、それがリースリングに適しているという。

●バッハラッハ
 リューデスハイムの近くで、2000年の歴史がある町。シュタールエック城がある。古代ローマ人がぶどうを運んだとされる道がある。「ラッツェンベルガー醸造所 Weingut Ratzenberger 」にワインの魔術師ヨハン・ラッツェンベルガーがいる。ドイツ最高級スパークリング・ワインに輝いたゼクトが有名。スパークリング・ワインの作り方はいくつかあるが、ポイントはボトル内に炭酸をどう発生させるか。王冠キャップで栓をしているが、中にはオリがあり、それを後に抜く。時間と手間のかかるシャンパン方式の製法です。グルコースが分解してエタノールと二酸化炭素になるのを利用する。最後は1ヶ月の間、瓶を逆さにしてルミアージュと呼ばれる作業を繰り返す。クルクル回転させて酵母を栓の方に追いやる。今は機械で4日ほどで行なってしまうので、大きな醸造所では、高いものしか行なわれていない。本当は液体窒素につけて凍らせてオリを抜くそうです。開けたばかりのものはグルコースがゼロなので辛口。

●ブレム
 ライン川の西の山麓。「ラインホルト・フランツェン醸造所」のウルリッヒ・フランツェンさん、モーゼルワイン・プリンセスのソニア・クリストさん(21歳)が畑プレーマー・カルモントを案内してくれた。かなり急な坂をリフト(ザイルバーンと呼ばれるトロッコ)で移動するが、かなり怖いそうです。最大で70度の傾斜でヨーロッパ一番だそうです。かつ粘板岩が多いそうです。

●ぶどうの樹3本のオーナー
 ドイツワインを応援するために、ぶどうの樹のオーナーになり、栽培されたぶどうからできるワインを受け取るというシステム。日本からオーナーたちが来て、ぶどう畑で交流会が開かれていた。管理しているのは地元のバスツゲンさんの一家。奥さんのマリアンヌさんが説明してくれました。かつ売上の一部は地元の大学に寄付されました。

●シュロス・ヨハネスベルグ
 歴史的に有名な醸造所がある。ドイツで初めてシュペートレーゼという遅摘みのぶどうでワインを作ったドイツの中でも最も古いシュロス(城)の一つで、有名な銅像がある。1775年と書いてある。
 「シュロス・ヨハネスベルク醸造所 Weingut Schloss Johannisberg 」は元々は修道院だった。ワインケラーの中には300年前のドイツワインが今も大切に保存されている。オーナーのクリスティアン・ヴィッテさんが説明してくれました。

●ビンゲン
 1947年に設立されたドイツの最大手ワイナリー「レー・ケンダーマン醸造所 Weingut Reh Kendermann 」を訪問。アジア担当のフォルクマー・シュトックマンさんが説明してくれた。

●ベルンカステル・クース
 ワインのアカデミー賞マン・オブ・ザ・イヤーを受賞したエルンスト・ローゼンさんがいる。「ドクター・ローゼン醸造所 Weingut Dr. Loosen 」に行くと弟のトーマスが6つある畑を案内してくれた。ワインの特徴は甘口にある。甘口でも味わいは全く違うそうです。エルンストさんは世界中にリースリングを紹介している。
 昔ドイツワインは高値で取引されていたが、最近再度見直されているのは、料理のトレンドが変化してきたからだという。透明感がありピュアなワインが望まれているという。こってりしたものより、素材を生かした料理に合うそうです。だから日本料理にいいとエルンストさんは語っていました。

●料理
 ザワークラフトの酸味がリースリングの酸味にマッチすると辰巳さんは語る。昔は日本料理に合うワインはリースリングと言われていたそうです。世界最優秀ソムリエでマスター・オブ・ワインのマルクス・デル・モネゴ氏も和食との相性について、「日本料理の繊細さとリースリングのエレガントな味わいは非常に一致する。日本でもリースリングが拡張することを確信しています。」と語りました。
 大分県の「別府湾ロイヤルホテル」の和食「しろした」で和食をいただいた。料理長は小林政美さん。「松茸土瓶蒸し」にはカボスなどを使う。こういう酸味系を使うので、リースリングにますます合う。「関さば活造り」をいただいたが、ポン酢で食べるとリースリングが合うが、お醤油とわさびで食べるとロゼとか赤が合うそうです。ここのお店はドクター・ローゼンをハウスワインに使っています。


テレビ番組「ドイツからの贈り物 国境を越えた奇跡の物語」

 2006年1月22日放送。サッカーファンの勝村政信さん(42歳)が案内。90年前に広島の似島で撮影された写真がある。ここに捕虜収容所があった。ここで3年過ごしたのはドイツ人500人。1914年6月28日第一次世界大戦が起こり、日英同盟により日本は参戦し、中国の青島を攻略し捕虜を得た。1918年11月11日に大戦は終結した。日本に16箇所あった捕虜収容所の一つが似島で、ドイツ人捕虜により日本の歴史が変わった。
 その1919年1月26日の日本初の日独サッカー試合では、ドイツの近代サッカーに大きな衝撃を受けた。ある人はバウムクーヘンを伝え日本に永住した。32年目に届いたある手紙が人生を変えた。勝村さんはそのサッカーの試合を追跡した。試合は山田正樹により克明に記録されていた。2試合で5−0と6−0だった。当時は日本チームはトゥキックのみだった。写真の裏に名前が書いてあった。番組スタッフは遺族を探した。テレビ新広島製作。

●ヴュルツブルク
 ロマンチック街道の始発点。かつて大司教の住まいだったレジデンツは庭園ともに世界遺産。18世紀のバロックの傑作で、天井は見事なフレスコ画。シーボルトの故郷でもあり、シーボルト博物館もある。ここに日本に捕虜になった人の資料があるという。理事長のクライン・ラングナーさんが当時家族に送られた絵などを見せて説明してくれた。大正8年11月の宮島に遠足に行った時の写真もあった。捕虜だが給料をもらっていて自由だったそうです。所長の菅沼来が雰囲気を作った。

●ゲルゼンキルヘン
 今年6月からのワールドカップの試合会場の一つで、ボンの北にある。100年の歴史を誇るFCシャルケ04 (FC Schalke 04)のホームでもある。収容人員6.1万人のドーム・スタジアムがある。天然芝がそっくり移動する。博物館のエーレンタイトさんが説明してくれましたが、重さは1.1万トンで、移動は2時間かかる。使用しない時は太陽の下にある。

●デュッセルドルフ
 古くからビールで名高い街。イム・フュックスヘン・ビール醸造所を訪ねた。昔ながらの製法で作る地ビールは地元の人にも観光客にも愛されている。名物のアルト・ビール。時間をおかないで飲むのがいいそうです。

●ホルテン
 デュッセルドルフ郊外の町。当時27歳だったフリッツ・シューアマンさんのことが教会の記録に残っていた。歴史研究家のランゲさんが教えてくれたが、1919年4月6日似島で肺炎で死亡していた。レストラン「アルト・ホルテン」は彼の兄の一族が経営している。甥や姪の人と会って話をした。1918−19年にスペイン風邪が流行し、世界中で6000万人が死亡した。日本でも39万人が死亡している。お墓にお参りしました。

●ベルギッシュ・グラッドバッハ
 カフェ・クロッペンベルクは手作りケーキで人気の高いお菓子屋さん。クリスマスやイースターなどの特別な時しか焼かないそうです。手間がかかるので。特別に作ってくれました。塗って焼き、溝をつけ、塗って焼く。これを繰り返す。約1時間で完成した。仕上がりにまわりにチョコレートをコーティングした。

●捕虜その後
 捕虜たちは母国が賠償金支払いで貧窮しているのを知っていたので、帰国を考慮する者も多かった。
 ドイツ人捕虜カール・ユーハイムは日本にバウムクーヘンを広めた。南部カウプアムラインに1886年に生まれ、青島で菓子店を開店し、捕虜となった。収容所の中でパン屋、菓子屋などが開店していた。
 1919年3月捕虜による物産展が広島の広島県物産陳列館(現在の原爆ドーム)で開催された。当時の日本人にはドイツの技術はキラキラ輝いて見えた。バウムクーヘンは大人気だった。そこでユーハイムは帰国をあきらめ、1921年に横浜でドイツ菓子店を創業し、関東大震災後1924年に神戸に移転した。

 ゲオルグ・イデさんは20年に解放されインドに行き、22年ドイツに帰国し、消息不明。エルンスト・クラインベックさんは第二次世界大戦東部戦線で行方不明。アロイス・ホロナさんは解放後、行方不明。

●フランクフルト
 名物はアップル・ワイン(リンゴ酒)。ワインが大打撃を受けた時に作られたもの。土地っ子の食事に欠かせないそうです。その専門店「ツアー・ブーフシェア・リンゴ酒店」に行く。店主はテオバルトさん。あとは名物の「ハンドケーゼ・ミット・ムジーク」(音楽を奏でるチーズ)をいただく。たまねぎのみじん切りをのせたチーズは黒パンの上にのせて食べる。たまねぎを食べるとおならが出るかららしい(笑)
 ハインリッヒ・レーヴェン Loeven さんの息子フランツさん(77歳)がここに住んでいる。この名字の人はドイツに66人しかいない。

●神奈川県厚木市
 「ヘルマン」はハムやソーセージ作りの老舗。二代目のヘルマン・ウォルシュケさんも既に76歳。父はベルリンの南のゼンフテンベルク郊外のナウンという小さな村出身。1934年ベーブルースが来日し、ヘルマンは球場で初めてホットドッグを売ったら爆発的に売れた。戦時中は野尻湖で幽閉された。戦後、ドイツの風景に似ているからというので、軽井沢に移った。1957年、32年経ってやっと父の手に渡った友人からの手紙がある。当時、入国が難しかったが許可を得て帰国する直前の1963年3月27日心臓発作で亡くなった。

●チュービンゲン
 ドイツ南部のヘルマンヘッセが青春時代を過ごした街。フーゴ・クライバーの資料が保管されていた。帰国した時、21歳だった。隣町ヴァンバイルに移動し、サッカークラブを創立したという。現在700人の会員がいる「SV ヴァンバイル」のクラブハイスを訪問した。現会長のビンダーさんに話を聞いた。創立者で、32年に地区リーグで優勝した写真も残っていた。
 クライバーの親戚を教えてくれた。甥のエーリッヒ・ヴァルカーさん(82歳)に話を聞いた。
 サッカー場に行く途中に現在浦和レッズの監督のギド・ブッフバルトの生家があった。ブッフはブナの木という意味だそうです。ブッフバルトは8年ここで暮らしたそうです。ブッフバルトさんも創立者の話を知って驚きました。
 クライバーは妻が結核になったので、静かにこの街を去ったそうです。

●ジップリンゲン
 スイス国境に近い街。ここにクライバーさんの息子クラウスさん(67歳)がいた。晩年は再婚した妻と居酒屋を経営し、1976年に82歳で亡くなったそうです。


テレビ番組「ズームイン!世界の絶叫マシーン、一番怖〜いの決定戦 2005」

 2005年9月23日放送。世界の絶叫マシンは1万3000台。7つのエリア(USA、オーストリア、ニュージーランド、UAE、ドイツ、インド、フロリダ)にわけ、世界で一番恐いマシンを選ぶ。出演は極楽とんぼの山本圭壱、ペナルティ。司会は今田耕司、羽鳥慎一アナ、西尾由佳理アナ。審査員は江守徹、杉田かおる、花田勝、加藤夏希、ビビる大木。日本テレビ製作。

●オーストリア・ウィーン
 メリーゴーラウンドは本物のお馬さんが回っている!日テレの鈴江奈々アナが調査した。プラーター遊園地の初級編はボラーム。うつぶせのまま螺旋状で登り、猛スピードで走る。上級編はターボブースト。時計の針のように回転する。その先に乗るが、そこでも回転する。時速110km。このダブルくるくるでピスタチオがどうなるかを測定したら、全て豆から出ていました。これに乗ってみると、すごいくるくるです。さらに次のお客が乗る際は、一番高いところで止まったまま30秒とか。その後は逆方向にさらにすごいくるくる。着地前でさえすごく回転していました。

●アメリカ
 馬場典子アナが調査。世界一のブランコはカリフォルニアの「ナッツベリー・ファーム」にある「スクリーミング・スィング」で、高さ18mの塔が単に建っているだけに見えるが、振れ始めると時速100kmになる。オーマイゴッドと5回以上叫ばせるマシンが怖いマシンと思われる。90度になった時に時速100km、130度まで高くなりました。
 コロラド州の「ロイヤル・ラッシュ・スカイコースター」は、宙吊りで高さ30mの上空から振り子のように空中でブラブラと遊泳できる。どこが世界一かというと、目の前が高さ350mの断崖になっている。
 世界一のスピードはニュージャージー州の「シックス・フラッグス・グレート・アドベンチャー」に今年登場したマシン。3つの世界一を持つ。高さ139mと世界一(40階のビルに相当)、時速206kmで3.5秒で上昇したかと思ったら、落差127mで急に落ちる「キンダカ」。逸見愛さんが挑戦した。顔が変形していました。
 世界一のグルグルはラスベガスのストラトスフィア・タワーは350m。この塔の上の外側で横に回転しているマシン「インサニティ」がある。乗ると柵が外側に倒れ、マシンが外に出ていってから回転を始める。足元に何もない恐怖だけではなく、どんどん下を向いていき、ほとんど真下を見る格好になる。

●インド
 ペナルティが挑戦した。デリーから車で1時間の街にお祭り騒ぎになるという。8月15日はインドの独立記念日で、空には凧がクルクルとんでいた。そこの公園に絶叫マシン「メリーゴーラウンド」が置いてあったが、違った。そのオーナーのところにあるという。広場で翌日に組み立ててくれたのは、「バルチェ・ヒンドラ」という観覧車で、頼りない。屋根も安全ベルトもなくさびだらけ。人力で回すが、結構高速回転します。ペナルティも気分が悪くなりました。

●ドイツ
 山下美穂子アナが調査した。ドイツはジェットコースター界の革命王と呼ばれている。1975年世界初の1回転コースターを開発。今回は世界初の高所360度ひねり。畑の真中にそびえるマシン「スカイウィール」は「スカイライン・パーク」の中にある。地上48mで横に1回転ひねられている。しかもレールが風で揺れていて、支柱がない。ベルトは腰に当てるだけ。自由に動くちくわを置いて、どう変化するかも調べた。ゆっくり上がっていって、少しゆっくり目に360度ひねってから、勢いで急降下しました。あがってもう一度360度ひねってから急降下し、かなり登ったところから、逆方向に高いところまで登り、また前に進行して高いところで止まり、そこからゆっくりスタート地点に戻りました。

●フロリダ
 大気圏突入体験マシンはタンパベイの「ブッシュガーデン」にある「シェイクラ」で、ジェットコースターでは初めて2度も垂直落下する。全長は972mで、3分間の体験で、1回目は地上61mから、2度目は穴の中に突入し、最後は水を飛ばす。落ちる直前に止まり、落ちる時は4Gの力がかかる。
 山本圭壱さんが挑戦。オーランドらしいが、工事現場のように2本のクレーンが立っているが、その間が世界最強の逆バンジー「スリングショット」。高さ115mと世界一で、座席は完全な剥き出し状態。少し下に下がってからドーンと115mまで上がります。その後は何度か上下しますが、回転していました。

 宇宙体験マシーン「Zero Gravity」は1回約41万円。NASAの人と同じように青い服を着て行なう。まずホテルで説明会があり、40人が参加。次に全員に酔い止め薬 Dramamine が配布され、吐く場合の汚物入れも配布された。
 Zero-Gと書かれたジェット機が止まっている。1万mを目指して上昇していく。全員起立して、床に座って横になる。3分前。30秒前。急に地面に吸い寄せられる感じになり体が重たくなる。そして全員が空中を遊泳した。これが30秒続き、また機体が上昇し重力が2倍になり、床に押し付けられ、再度、無重力になる。山本さんは無重力状態で水を飲むことに挑戦。4度目の無重力状態で成功!

●ニュージーランド
 伝説のアナウンサー若林健治は、2003年にスタン・ハンセンが放送席のモニターを奪おうとしたのを阻止して伝説となった。
 クィーンズタウンの山奥の「キャニオン・スイング」は落差109mで、さらに時速150kmでスイングする。下はショットオーバー・リバー。頭からゴミ箱をかぶって落ちるコースもある(笑)場所に行くと「へい、いらっしゃい」と日本語で言われた(笑)
 残酷度No.1は「チェアー」で椅子に縛り付けられて、後ろ向きで落とされるもの。「おっさん、まだスペシャルあるで」と言われた(笑)それは
 「ファイブ・カウント」でロープを1本1本係員が切る。体重によって切れる時が変わるそうです。最後の1本まで残っていましたが、落ちました。

●アラブ首長国連邦UAE・ドバイ
 巨大リゾートランドができつつある。高級リゾートホテルなどが建設中。宮崎宣子アナが調査した。去年オープンしたばかりのマディナ・ジュメイラというホテルは東京ドーム10個分の広さで、運河が取り囲む。キーになるのは、モハメド・ビン・スレイヤム氏で、父は元大臣、王族との縁戚で、彼自身は実業家でレーサーでもある。1台7000万円のフェラーリ・エンツォなどの車が13台もあるが、ここはゲストハウス。
 5つ星ホテル「ジュメイラビーチ・ホテル」と7つ星ホテル「バージュアル・アラブ」のすぐ近くのウォーターパーク「ワイルド・ワディ」の中に絶叫マシンがある。世界最長レベルのウォータースライダーであり、超個性派。高さ33m(ビル8階分)でスライダーの長さは100m、段差が3つあり、第一の傾斜は70度で、ゴール直前ですべる人の速度は70kmにもなる。名前は「ジュメイラ・スケアラー」で「美しき恐怖」という意味。登っていくときに階段にすき間があり、下が見えて怖い。かつ風が強い。両手を胸の前で交差して、両足も交差して落ちます。ゴール直前は体が宙に浮いてアザができたそうです。

 優勝はフロリダでした。


テレビ番組「日比野克彦と竹内海南江の21世紀ベルリン都市探検 天使が舞い降りる町に」

 2005年7月18日放送。レポーターは竹内海南江、日比野克彦さん。7月〜10月に神戸市立博物館で「ベルリンの至宝展」が開催されるのにあわせてベルリンのアートを紹介する。TBS製作。

●ベルリン
 ベルリンは東西ドイツ統一後、新しい首都となった。特に変化しているのはポツダム広場。ソニーセンター・ビルの中庭はだ円形のドーム。これを建築するための条件は、残骸となっていたホテル・エスプラナーデを修復することだった。このホテルは1907年に作られた由緒あるホテルだった。かつての皇帝の間は今はレストランになっている。この部屋に皇帝ヴィルヘルム2世、チャップリン、グレタ・ガルボらが泊まった。
 ベルリンは元々プロイセン王国の首都として栄光に包まれていた。大ヒット映画「ベルリン・天使の詩」で、ポツダム広場がなくなって、天使が舞い降りることができなくなったというエピソードもそんな戦後の悲劇を象徴していた。
 カイザー・ヴィルヘルム記念教会の隣にもモダンな建物が建つ。
 もう一つのベルリンの象徴はダイムラー・クライスラー・シティ。内部は自然光が優しく、現代アートが展示されている。

●ベルリンの壁
 ブランデンブルク門は東西冷戦の象徴と言われてきたが、統一後は東西ヨーロッパを結ぶ門と言われている。

 ベルリンの街にところどころにある石のラインがベルリンの壁があった場所。1961年にソ連によって築かれた160kmの壁。その一部1.3kmに絵が描かれたが、イーストサイド・ギャラリーと呼ばれている。1980年代に西側の壁に芸術家が絵を描いた。最初に絵を描いたというティエエリー・ノアールさんのギャラリーを訪ねた。オーナーのパウル・ロシェさんが話しをしてくれたが、当時は壁は灰色だったが、カラフルなフレンドリーなものに変えたいという気持ちから描いたそうです。

●ミッテ地区
 ミッテ地区には多くのアーティストが住む。OONAギャラリーを訪ねた。氷の指輪(アイス・リング)もあるが、溶けるので、レストランに預けてある(笑)1個50セント(70円)、アイスリングの型は50ユーロ。作者はスザンネ・スースさん。指輪は代々受け継がれるもので永遠をあらわすものだが、この指輪ははかなく消えてしまう。かつての概念を壊すもの。
 ベルリンのギャラリーで目撃されるバナナのマークは、トーマス・ウムゲルテルさんが気に入ったギャラリーに描いているもの。ドイツ人はバナナが好きなので、いいもの=バナナという概念があるらしい。印のついているアンドレ・ブッツァーさんのギャラリーを訪問した。

●町中のアート
 町の中では世界的に有名なアーティストの作品が随所に見られる。政府の建物も芸術的で、連邦議会議事堂もガラス張りで、ドームもガラス張り?マリー・エリザベス・ルーダース・ハウスも芸術的。
 壁のないベルリンで目につくのはカラフルな熊。熊はベルリンの象徴。2003年に世界中のアーティストによりデザインされたのがきっかけ。平和交流が目的で、全部で数百体あるというバディー・ベア・ベルリン。

 貯水槽の中に入ってみた。ここで以前、アートパフォーマンスが開催されたという。古いレンガの建物です。
 タヘレスはアーティストが押し寄せてアトリエにしてしまったビル。世界で最初に建てられた鉄筋の建物でデパートだった。いたるところにアートが置いてある。建物の中は落書きだれけでした(笑)部屋や廊下?はアトリエになっていました。
 ハウス・シェヴァルツェンベルクに行く。変な像があって、お金を入れたら音が出て、羽を広げたり目が開いたり閉じたりした。

●現代アート
 どうしてドイツに現代アートがあるかというと、ヨゼフ・ボイス Joseph Beuys がいたからで、ハンブルガー・バーンホフ現代美術館(国立美術館)に作品がある。ドイツの現代アートの生みの親と言われ、カリスマ性に満ちた人物だった。ボイスは政党「緑の党」を結成した。日比野さんは学生の時に会いに行ったけど、会えなかったようです。映像を用いた作品も彼が始めた。

●ベルリン博物館島
 かつてのベルリンは一大アート都市だった。17世紀始めから約100年かけて作られた世界遺産「ベルリン博物館島」には5つの博物館があり、エジプト、ギリシャ、ローマなどの至宝は戦火を免れるために、一時東西に分散していた。統一後に博物館に戻せるように、博物館の修復が行なわれている。

 旧博物館はローマ美術を収蔵。ボッティチェリのヴィーナスもある。新博物館には古代エビプト美術と、ヨーロッパ先史時代の考古品が展示される予定。旧国立美術館は現在ドイツ最高峰の19世紀美術コレクションを誇る。エドワール・マネの作品もある。ドーム型が印象のボーデ博物館は国内最大級の中世ヨーロッパ彫刻が収蔵されている。最も壮大なものがあるのが、ペルガモン博物館で、トルコのペルガモンで出土した「ゼウスの祭壇」という石段がある。1830年のフリードリッヒ大王の王国の威信をかけた大事業としてスタートし、王はここに芸術と学問の聖域を作ろうとした。メソポタミアにあったバビロンを象徴する遺跡は素晴らしい回廊となっている。そこを抜けると、青色のバビロンのイシュタル門が現れる。ライオンの装飾煉瓦壁が特徴。2015年に大英博物館などに匹敵する巨大博物館に生まれ変わろうとしている。
 ベルリンの現代美術館は駅を改造して作られた。それが、ハンブルガー・バーンホフ現代美術館。現代アートの最大のコレクターのクリスチャン・フリードリッヒ・フリックのコレクションが公開されている。

●ユダヤ博物館
 ユダヤ博物館の新館では、アートで歴史を体感させるという試みがされている。設計はグラウンド・ゼロでも有名になったダニエル・リベスキンド。通路が傾いていて、ユダヤ人の苦難の歴史を物語っている。亡命の庭ではさまよえるユダヤ人を体感させるために作られた。ホロコースト・タワーは真っ暗な高い壁に囲まれて恐怖の瞬間を体験するようになっている。人の顔が描いてある鉄の板が何枚も敷いてある「春」は、その上を歩く。踏み越えて新しい春を迎えなければならないという作者の意図らしい。
 ユダヤ博物館の分館は、オットー・ヴァイト視覚障害者工房博物館で、ブラシを作っていた作業所跡。ここのブラシは非常に優れていたらしい。奥の部屋にはユダヤの人を隠していて、ベルリンのシンドラーと言われていたらしい。現代アートにブラシを取り入れ、不思議なイスを作ったフォクト・トヴァイツェネッガーさんとオリバー・フォクトさんに話を聞いた。Chair は hair という言葉を含むからだそうです。ベルリンで活動するメリットは、自由があること、真っ白なキャンバスだということらしいです。


テレビ番組「有名人癒しの旅 思い出の宿・懐かしの味」

 2005年4月3日放送。朝丘ルリ子さんがドイツを旅し、浅茅陽子さんが美空ひばりさんを熱演するが原点「雲のじゅうたん」に関係する松山を旅し、西条秀樹さんが雪の東北を旅し、十朱幸代さんは疎開先先の奈良を旅し、武蔵丸親方が鹿児島を旅し、日本の心を探した。テレビ東京製作。

●ドイツ・バイエルン地方ノイシュヴァンシュタイン城
 朝丘ルリ子さんは去年女優生活50年、念願だった古城ノイシュヴァンシュタインを訪ねる。出演した映画は153本、日活の看板女優だった。小さい頃から王子様を夢見て、ディズニーのシンデレラ城のモデルになったことでも有名。それでこのお城に行きたかったそうです。自宅の秘蔵ガラス・コレクションも紹介しましたが、光ものが大好きだそうです。まずミュンヘンへはルフトハンザ・ドイツ航空で成田から12時間の旅。
 雪の中、馬車で近づくと、日本人たちが歩いていた。中に入って階段を上がると青い天井とシャンデリアが素敵でした。この城を建てたのはバイエルン国王ルードヴィッヒ2世で、1864年に18歳で国王となった。この城以外にもリンダーホーフ城、ヘレンキームゼー城を建てた。洞窟の間で国王は瞑想にふけっていたそうです。岩に見立てた扉を開けると現実の城に戻る。白鳥の陶器?も置いてあった。ベランダに出てみるとまわりは白い山。

●フュッセン
 ミュンヘンから車で2時間。ノイシュバンシュタイン城とリンダーホーフ城への起点となる町。Kurcafe という店?に行く。ここでシシー・トルテ25ユーロをいただいた。真中にオーストリアのシシーの写真がある。ルードウィッヒが叶わぬ恋と思っていたオーストリア皇妃エリザベートをモチーフにしたトルテ。この店は王家ご用足のお店だった。このお店にエリザベートも来たことがあるという。ただ今は少し安っぽいカラフルなお店になっています。

●リンダーホーフ城 Linderhof
 車で1時間で到着。ルードウィッヒは真夜中に4−5時間かけてこの城にやってきたという。ここは隠れ家だった。しかし実際にベルサイユ宮殿を何度も見て、それを超えるものを作り上げた。
 右手に建物があり、その下に洞窟がある。そこに行きたかったが、雪のために閉鎖されていた。ヴィーナスの洞窟と名づけられた地底湖のような洞窟。壁にはワーグナーのオペラ「タンホイザー」の一場面が描かれている。機械仕掛けで扉が開閉し、照明も次々変化するように仕掛けられている。いろいろ工夫されたのでしょう。
 お城の中は「ルードヴィヒ 〜神々の黄昏〜」(ルキノ・ヴィスコンティ監督)の映画を観て、こういうお城に一度でいいから行ってみたいと、朝丘さんは思ったそうです。シャンデリアは500kgで朝丘さんの大好きなガラスでできていて、1個欲しいと言われていました(笑)
 鏡の間は豪華なお部屋です。マイセンの陶器、イタリアのベネチアン・グラス、あふれるほどの金箔の壁、見事です。ヴィスコンティは大きな鏡を使ってカメラが写らないようにしたそうです。

 近くのレストランで名物料理「シュヴィネ・ハクセ」9.5ユーロをいただいた。豚の詰め肉の料理で、ジャガイモ、ソーセージもついています。ここでジャガイモ料理に挑戦してみた。

●ミュンヘン
 3つの城への起点ともなるバイエルン地方の中心都市。南東のキーム湖湖畔にヘレンキームゼー城、南西にリンダーホーフ城、ノイシュヴァンシュタイン城がある。
 マルクト広場の青空マーケットに行く。朝からビールを飲んでいる人もいれば、春野菜も売っている。高級食料品店「ダルマイヤー」に行く。種類豊富なカナッペ類がドイツ人は大好き。名物料理は白ソーセージ(ヴァイスヴルスト)5ユーロ(3個)で、防腐剤を使わないので朝作ったら午前中に食べるそうです。
 食事は今ミュンヘンで一番と言われる高級レストランで、ケンピンスキー・ホテルのヤーレスツァイテン。おまかせにしたら、ターフェルシュピッツ(パテらしい)、シュモールブラーテン(牛の肩の肉にジャガイモ)で、おいしかったそうです。

●ヘレンキームゼー城
 ミュンヘンからアウトバーンを走って2時間。キーム湖が見えた。湖畔から船で15分。湖の中にある。城の責任者のヴェルナー・コッホさんが出迎えてくれた。110年前に使われていて、普段使われていない古い馬車でお城に向かった。人嫌いと言われたルードヴィッヒはこの離れ小島にどういう城を作ったのだろうか。
 天井がガラスで壁はマイセンの陶器?であまりにお金がかかって建設中に王位を追われ、謎の死を遂げたという。確かに贅の限りを尽くした城です。彼はここのベッドに9日間だけ眠ったという。鏡の回廊も素晴らしい!大きさと美しさで本家のベルサイユ宮殿のそれを超えたと言われている。特別にシャンデリアを降ろしてくれた。今でも1週間に1回磨いているそうです。ここで感激していたら、フランス人俳優のルノー・ベルレーさんが花束を持って来てくれた。34年前に「愛ふたたび」で共演しました。絵をプレゼントしてくれました。


テレビ番組「道浪漫」2004年2月29日は柴俊夫さんでドイツ

 伝統の世界を受け継ぐ職人の世界を訪れました。マイスターの匠の技に感 動しました。

●ベルリン
 日曜日の蚤の市を訪問。宿泊は、「キュンストラーハイム・ルイーゼ」で 、最近注目されている。全46室がベルリンのアーティストの作品として楽 しめるアーティストハウス。今回は「L-uise」という部屋で、吊りベッド。 調度品は飛行機の部品で、座席のイス、プロペラの棚。シングル1泊48ユ ーロ。ダブル85ユーロ。
Tel: +49-30-284480

●エルツゲビルゲ地方のザイフェン村
 チェコとの国境近くの3000人程度のおもちゃの職人が多く住む村。町 の中にも人形が多い。クリスチアン・ヴェルナーさんを訪問。「ライフェン ドレアーヴェルクシュタット・クリスチアン・ヴェルナー」。可愛い動物の 木彫りの人形を作っている。長さ25cm、直径30cmくらいの丸太を叩 いて、いきなり回転する機械で削っていきました。経験と手の感覚だけで作 っていくそうです。ライフェンドレーエンという200年前からの技法。イ ヌらしいのですが、直径30cmくらいのお皿に見える。一ヶ所縦に切ると 、金太郎飴のような状態が!さらに1つ1つを整形して色をつけ、これで6 0頭のイヌになるそうです。200種類作っているそうですが、希望にあわ せてどんなものでも作ることができるそうです。
Tel: +49-37362-8259

 次はフリードマー・ゲルネグロースさんのお宅。口にくわえたパイプが特 徴で口からは本当に煙が出る「煙だし人形」。胴の部分が香炉になっている 。もみの木も数ミリの長さのを作っている。すごい技です。さらにタンポポ はすごくて、水につけたら、花が咲きました!
 奥さんがジャガイモ料理を作ってくれました。すったジャガイモをフライ パンで焼き上げるカルヒェン。これにすりおろしたリンゴをかけて食べる。

●マイセン
 焼き物で有名な町。高級磁器は何億円の値がつくものもある。美しさは職 人たちの手作業で守られている。
 ミネラルの多い土壌で作られたブドウから作られるワインが隠れた名産で もある。ワイナリーの「ワイングート・シュロス・ブロシュヴィッツ・ブリ ンツ・ツァ・リッペ」を訪問した。生産量が少ないので、地元でしか味わえ ない。カビネットの白シュロス・プロシェヴィッツ2002年の白(10. 5ユーロ)をいただいたが、おいしいそうです。アプリコットに似ていると か。酸味がなくて、フルーティな味わいが特徴だとムラー・ウリッシュさん が説明してくれた。赤もいけるそうです。エディション・マイセン2002 年11ユーロ。

●ザルツヴェーゲル
 ベルリンの西のバウムクーヘンの街。「エルステ・ザルツヴェーゲル・バ ウムクーヘン・ファブリック」は発祥の地。1808年創業で、1807年 のレシピを今も守っている。
 オーブンの前で混ぜ合わせた生地を回転する横棒の上にかけて層を重ねて いく。20分ほどで完成です。黒いのは焦げ目なんですね。相当熱いそうで す。バウムクーヘンはおもてなしのお菓子。その食べ方は、「らせん状の形 に沿って、ナイフを水平に入れて切り、さらにリキュールをかけていただく 」。
Tel: +49-3901-32306

●ヴェルニゲローデ
 ベルリンの南西の、木組みの古い街並みが残る中世さながらの美しい町。 ヘルゲ・ゼンガーさんは煙突掃除人のマイスター。2000軒担当している そうです。1回の掃除で17ユーロ。経験が頼りの熟練の技です。25m登 らないといけないものや、立つ場所がないところもあるそうです。特にお城 の煙突。冬が終わる今頃が一番忙しいらしい。それだけに人々は彼の汚れた 手と喜んで握手します。ちなみにドイツでは「煙突掃除職人と握手すると幸 福が訪れる」と言われているそうです。

http://mbs.jp/tv/michi/372/


テレビ番組「旅サラダ」2002年11月は杉本彩さんでドイツ&ロマンチック街道」

●ヴュルツブルク Wuerzburg
 ロマンチック街道の起点。マイン川の両側に町が開けている。橋には12 人の聖者の像がある。ドイツの秋は葉っぱが黄金色に染まる。
 18世紀の宮殿「レジデンツ」。ナポレオンがヨーロッパで一番美しい司 教の住まいと絶賛した。600平方mの天井画は世界最大級で素晴らしい。 「皇帝の間」は豪華な部屋。天井のカーテンも彫刻。入館料は大人4ユーロ 、子供3ユーロ。庭も素晴らしい。
 ぶどう畑の上にたつ古城ホテル「シュロスホテル・シュタインブルク」の 部屋は愛らしい。ベッドには花が散りばめられているハネムーン・ルームは 1泊155ユーロ。テラスからは素晴らしい眺め。
 ホテルのテラスでドイツで一番おいしいと言われるフランケン・ワインを いただいた。ボトル23ユーロ。このワインはここのぶどう畑でできた。

●シリンクスフュルスト城
 ロマンチック街道を南へ向かう。途中、シリンクスフュルスト城による。 タカやワシの飛行訓練を見せてもらえる。29種類の鳥を調教している。顔 面めざしてくるので怖いらしい。ふくろうもいて、目がオレンジ色。見学は 7ユーロ。

●ローテンブルク Rothenburg
 城壁で囲まれた赤い屋根の街。建物が可愛い。街には可愛い看板も並んで いて、まるで芸術作品。パン屋さんによる。ソーセージ屋さんにも。お店の 中で焼いている。フランクソーセージ3.2ユーロは長さ50cm?
 エッチングの店「エルンスト・カイセンドルファー Ernst Geissendorfer 」は100年以上、手作業の仕事を行っている。気にいった絵に特別に絵の 具で色をつけさせてもらった。
 JALユーロエクスプレスはフランクフルトからローテンブルクなどを 結んで走っている。

●ネルトリンゲン
 周囲を城壁で囲まれていて、中世から形を変えてない。中世の頃の風車が そのまま残っていた。可愛い建物が多い。13−14世紀に建てられたまま で、リースクレーター博物館に行ってみた。入館料3ユーロ。1500万年 前に直径1kmの隕石が落ちて、そのくぼみの上にそのまま街が作られたと いう。その歴史が残されていた。
 市庁舎Rathaus は階段の色が違うが、隕石を使っているという。聖ゲオル ク教会も隕石を使っているらしい。路地の面もでこぼこで、家も傾いている が、地盤の固いところと柔らかいところがあって、13世紀に建てられたの で次第に傾いていったという。
 空から眺めてみたが、やはり円形だった。

●フュッセン
 ロマンチック街道の終点の街。ノイシュバンシュタイン城へ行く起点の街 でもある。ピンク色のホテル・ヒルシュに宿泊。可愛らしい部屋で、家具も 可愛い。ダブルルームで1泊137ユーロ(16700円)。

●ノイシュバンシュタイン城
 標高1000mに建つ。白鳥城とも言われる。ルートヴィッヒ2世が17 年かけて立てたという。中も豪華で、ワーグナーのオペラを自分の解釈で壁 画にしている。入館料7ユーロ。彼は近くの湖で死亡したらしい。
 ベランダで外を見ると霧がかかった景色。

●ミュンヘン
 12世紀以来の宮廷文化の中心地。19世紀に建てられた新市庁舎には力 強さを感じる。仕掛け時計が11時に動く。等身大の人形が32回回転して 最後は騎馬戦をする。1日に3回行われる。
 オクトーバーフェストは移動遊園地。ビール祭りが行われ、1年に16日 だけ開催。屋台がたくさんでてビールをみんなが飲む。Paulaner と書いた 建物の中で思いっきりビールが飲めるというので入ってみた。毎年700万 人が訪れて、消費されるビールは500万リットルとか。ジョッキは1リッ トル入り。ビール以外は飲んではいけないらしい。建物の外にもやまのよう に人が並んでいる。トイレが混み合っていてたいへんらしい。とにかくすご い人でした。
 2002年は9/21〜10/6だった。毎年10月の第1日曜から遡って 2週間前の土曜から始まる(16日間)。


●ハンブルグ Hamburg
 貿易港で、北の玄関口。開放感もある独特の雰囲気。フィッシュマルクト は日曜日の朝だけ港のすぐ側で開かれる市場。新鮮な魚のフライが食べられ る。タラのフライ3.5ユーロ。ひょうきんなおじさんがウナギの燻製を売 っていた。

 「うなぎの倉庫」という意味の Alt Hamburger Aalspeicher 「アルト・ ハンブルガー・アールシュパイヒャー」というレストランでうなぎを食べる ことにした。緑色の壁。うなぎの燻製に値札がついていて、選ぶ。目の間で 皮をむいてくれる。食べた後で、アルコールを持ってきてくれて手を洗って くれる。その蒸留酒を飲む。少し甘く消化がよくなるらしい。Deichstr.43 Hamburg。値段は約10ユーロ〜20ユーロ。

 エルベ川を遊覧船で行く。幅が広い川。川沿いの運河を入ると両側が赤い レンガの倉庫。大人9ユーロ。子供5ユーロ。
 市庁舎はドイツで最も美しいという。美しいアルスター湖の湖畔を散策。 13世紀にできた人造湖らしい。その周辺はショッピング天国。Unger とい う店はセレクトショップ。ジャケット4159ユーロ、パンツ459ユーロ 、ファーコート2198ユーロ、スカート459ユーロ、ロングドレス95 9ユーロを紹介。

 ヨーロッパ大陸に初めてミュージカルが上陸した街でもある。11月3日 から公演される ABBA を題材にしたミュージカル Mamma Mia! のリハーサル を特別に見せてもらった。Spielbudenplatz 1 の「ミュージカルシアター・ オペレッテンハウス」劇場。

 ホテルはデザインホテル「SIDE」に宿泊。マッテォ・トゥーンによって設 計された。吹き抜けが斬新、螺旋階段も斬新、廊下も赤と緑のライトが両側 から照らされている。今回は赤い部屋。イスもオブジェのような可愛さ。ベ ッドは真っ白。バスタブは真っ赤。スィートルーム530ユーロ。ラウンジ も丸いいすがごろごろ。プールも色鮮やか。スタンダードは175〜250 ユーロくらい。住所:Drehbahn 49

●リューデスハイム Ruedesheim
 ライン川沿いの小さな街。川と緑のブドウ畑に囲まれている。畑の上を可 愛いゴンドラが通っている。ゴンドラは二人乗り、片道4ユーロ、往復6ユ ーロ。きれいな眺めです。
 良質なブドウが取れる。ドイツは白ワインが主。つぐみ通り Drossel- gasse の両側にはワイン酒場がギッシリ。「リンデンヴィルト」という店。 ノイヤーワイン 250mL で3.3ユーロ。これは発酵途中のものなので、と てもフルーティ。店内では毎日演奏している。
 ライン川下りをする。穏やかな景色、きれいな古城。下半分が川の中にあ ってピンクで上は白のお城もある。1時間も行くと川幅が狭くなる。右手に 見える岩影がローレライ。132m。妖精の岩と言われる。乗船料は、ザン クト・ゴアールまでで13.8ユーロ。

●ザンクト・ゴアール
 可愛い街。伝統あるといわれるホテル「ツム・ゴールデネン・レーベン Zum Goldenen Lowen」に宿泊。400年前にできた。ダブルルームは一人使 用で105ユーロ〜、二人使用で160ユーロ〜
 窓から見渡せる風景はライン川。ロケのドライバーさんの御宅を訪問。 子供さんの誕生日でリンゴのケーキを作った。

●ケルン
 近くの駅コブレンツ Koblenz から列車に乗ってケルン Koln に到着。運 賃は13.5ユーロ。ライン川に沿って走る。
 ケルン中央駅の目の前に有名な大聖堂がそびえたっている。1248年か ら632年の歳月をかけて建造されたドイツで最も有名な建物。高さ43m の礼拝堂。ステンドグラスがすごい。祭壇の中央には棺が置かれている。こ の棺には100個以上の宝石がちりばめられている。その背後のステンドグ ラスは1300年頃から一度も修復されていない。入場無料。
 ライン川沿いを歩く。


テレビ番組「筧利夫が世界を駆ける,7日間世界一周!温泉めぐり46000kmの旅,珍道中」

 2003年3月17日?放送。関東では2002年に放送?筧利夫、楊原 京子さん。筧さんには旅程は知らされていなかった。スターアライアンスの 航空会社を利用して世界一周のチケットを利用する。通常は10日間以上の 滞在が必要なのだが、特別に許可してもらった。値段は33.5万円〜。 テレビ朝日製作。

●ニューヨーク
 入浴するというので、ANAで成田からニューヨークに!(笑)リッツ・ カールトン・ニューヨーク・バッテリー・パークに到着。オープンしたばか り。317号室のスィート。バス・バトラーがいて(US$30)、バラの お風呂に入れる。入ってシャンパンをいただいた。
 公園でホットドックをいただいた。1.5ドル。フランクフルトがおいし いって言ったので、もっとおいしいのを食べようというので、また飛行機に 乗った。ニューヨークの滞在時間はわずか3時間でした(爆)

●バーデン・バーデン
 ルフトハンザでフランクフルトに到着(笑)。車で2時間。バーデンバー デンに到着。古代ローマ時代からの温泉の町。バーデンは温泉という意味。
 トリンクハレに行く。豪華な美術館みたいな感じ。入場無料。ここは飲む 温泉だが、手で飲んではいけない。コップが有料。20セント(24円)。 胃腸にいいらしい。東京でてからパンツも履き替えてないらしい(爆)が、 ずっとお昼らしい。(笑)夜8時半でも明るい(笑)。
 カラカラスパ Caracalla Spa に行く。2時間11ユーロ。プールみたい なのもあり、室内の大きなプールもあるが、温泉!水着で入ります。入った ところが冷泉だった(爆)BGMは「♪恨みます」でした(激爆)
 真中に温水があった。風呂上りに2リットルのジョッキでビールを飲みな がら、ソーセージ盛り合わせ(10.5ユーロ)をいただいた。あとはハクセ (トン足:10.5ユーロ)とクネーデル(じゃがいも:2.5ユーロ)。
 やっと宿泊、ブレナーズ・ホテル Bernner's Park Hotel はハリウッドス ターなども訪れるという。ホテル内にも温泉はある。1泊170ユーロ〜、 SPA2日間で600ユーロ。
 朝、写真を撮った。「ハイ・チーズ!」って言ったので、チーズのおいし いところに行くことになった(笑)ドイツ・フライブルグ駅から電車でスイ スのフリブールに向かう。

●スイス・フリブール
 3年に1度のヨーデル・フェストの真っ最中だった。第25回連邦ヨーデ ルフェスト。中世の行軍の様子を再現したという勇壮な行進。行進の途中で グラッパという強いお酒も飲まされた。ムチを鳴らす行進もある。各地から この国特有の音楽の名手たちが集まってきていた。ヨーデルの発声を教えて もらった。人前で恥かしげもなく練習した(笑)アルトホルンの吹き方も教 えてもらった。
 谷の反対側から1100年頃できた、古い街並みを見た。ヌシャテル湖を 渡るフェリーに乗り温泉へ向かう。目の前に湯気をあげるディズニーランド のスペースマウンテンのようなパビリオンEXPO’02が見えてきた。1 日券大人CHF48(3840)子供は半額。雨ガッパをかぶって入る。雲 が湧いていて何かあるかと思いその上へ向かったが、それだけでした(笑) 人工の雲。EXPO’02はエコロジーをテーマにこの他に5つの会場があ る。
 老舗のグランド・ホテル・レ・バン Grand Hotel Des Bains に宿泊。 水着で室内プールに入るが、硫黄臭い。屋外プールもある。もしかすると イベルドンという地域?
 ローザンヌのオリンピック・ミュージアムにバスで向かう。入場料は大人 CHF14(1120円)子供は半額。高橋尚子さんが金メダルを取ったと きのシューズや清水宏保さんの服、カールルイスの靴などもあり、感動の 名場面も見られる。
 ワイン列車に乗り、世界で一番きれいなブドウ畑に来た。赤ワインだと ピノノワールなどがある。コンヌワイナリーで赤ワイン「ギオン」などをい ただく。
 氷河特急に乗って、ロープウェイを乗り換えて、標高3000m。目の前 に全長24kmのアレッチ氷河が見える。美しい世界遺産です。
 宿泊はリンドナー・ホテル・メゾン・ド・フランシェ。1泊CHF160 (12800円)〜。自慢は大絶景露天風呂「アルペンテルム」。岩山が目 の前にあります。入浴料大人CHF22(1760円)子供はCHF14。 今までで一番温かいらしい。お盆にジュースなどを載せていただく。こうい う風習は古代ローマの時代からあったとか。
 バスに乗って、ステファン教会に行く。16−17世紀の建物だが、塔は 12世紀のもの。カーテンを開けると3面のガイコツの壁があった。本物だ という。1983年の改修の時に発見されたという。一説によると、当時の ペストの大流行の時のものだという。バスに乗って移動していると、おなか が減ったという。英語で言って、ハングリー。そこでLauda 航空などでハン ガリーに向かう。

●ブダペスト
 ジュネーブからウィーン経由でブダペストに到着。ドナウの真珠と呼ばれ る美しい街。くさり橋 Lanchid やマーチャーシュ教会 Matyas Templom が 有名。
 宿泊は老舗の高級ホテル「ゲッレールト」Gellert 。ここには5つのツー ル?と36の温泉?がある。フルーク先生が温泉の入り方について指導して いる。運動が足りないという。市内の30を越える温泉の中でもゲッレール トは王様と呼ばれる。入浴料2600フォリント(1300円)。シャワー キャップをつけないと入れない。柱や壁が立派です。プールの形をしている が、冷泉(笑)。他に温かいのがあった。建物の外にもあった。
 もう一つ有名なホテルはテルマールホテルThermal Hotel Margitsziget。 さらに近代的な温泉療法に力を入れている。マッサージなどが用意されてい る。その後、橋を歩いて渡るが、気温40度とか(笑)
 郊外の温泉 Tofurdo に行く。湖があって、人が浮いている。東京ドーム 1個分入るくらいの湖。水深30mなので浮き輪を持って入る。入浴料大人 600フォリント(300円)子供は半額。温かいらしくて、いいらしい! 大満足。ヘーヴィーズ温泉湖 Heviz Gyocyto が大きさは世界一では?温度 は33度。湖畔のホテル「テルマルホテル・ヘーヴィーズ」Danubius Thermal Hotel Heviz で泥パック。3400フォリント(1700円)。 真っ黒で局所、局所塗り、布と毛布で覆う。この泥は湖の泥。むちうちの 治療も行なっている。風呂あがりに食事をしていると、踊りに誘われた。 のんびりくつろいでいて、コーヒーを飲みたいという。そこでオーストリア でウィンナーコーヒーを飲みに行く。ところが、60kmの渋滞で、国境で 足止め。

●オーストリア
 グランドホテル・サウワーホフ Grand Hotel Sauerhof で温泉にハーブの 干し草を入れたお風呂に入る。馬小屋にいるみたいとか(笑)硫黄泉の湯を 飲む。テラスでアインシュペンナー Einspanner (ウィンナーコーヒー)を いただく。切った茄子みたいなお菓子サウワーホフ・シュトレン Sauerhof Stollen 80g3.49ユーロをいただく。くるみが入っているとか。この ホテルにはベートーベンも泊まって、温泉にも入ったという。ベートーベン が下宿していたというお家 Beethovenhaus に行く。入場料大人2.5ユー ロ、子供1ユーロ。楽譜やデスマスクがある。マッサージしてほしいという ので、バンコクに飛ぶ。

●バンコク
 アマリ・エアポート・ホテルは1泊US$158。ここのテラスでマッサ ージを受ける。タイ式マッサージ30分US$30〜。次はパクチー風呂。 トムヤムクン290バーツ(870円)、カイ・パッド・メッド・マムアン 200バーツ(600円)。4時間だけバンコクにいて、次へ飛ぶ。

一句には笑いました。
「本当に身体によいのか、この旅は」

●ニュージーランド
 タイ航空でオークランドに到着。真冬でした。ニュージーランド・マオリ アーツ&クラフツ・インスティテュート The New Zealand Maori Arts and Crafts Institute は入場料大人NZ$18(1080円)、子供半額。 別府みたい!ポフツ・ガイザー Pohutu Geyser は高くお湯を噴出してい る。ポリネシアン・スパの庭園?で温泉に入る。入浴料大人NZ$30 (1800円)子供NZ$12.5。温かくて気持ちいいらしい。硫黄の 匂いがすごいらしい。
 宿泊は Royal Lakeside Rotorua がお勧めとか。ロトリア湖が一望できる 。ホテルの隣にはマオリ族のショーも楽しめるポリネシアン・レストラン。 Matariki Hangi and Concert は料金大人NZ$58(3480円)、子供 半額。マオリ族といえば、舌をベロンと出すしぐさ。マオリの人と3人で舌 を出してみた。
 秘湯に行ってみた。Hell's Gate。入場料大人NZ$12(720円)子 供半額。一般の人は入れないところらしいが、低木の森?の間に直径50m くらいの泥色の池があった。真中は湯だっていたが、周辺は38度くらい。 中に入ると急に深くなるらしい。ミネラルを吸収していく感じらしい。泥を 身体に塗った。マオリの戦士はここで傷を治していたそうです。
 宿泊は Novotel & Ibis Ellerslie Auckland で、イビスNZ$95( 5700円)〜、ホテルNZ$185(11100円)〜。
 翌朝、Air New Zealand で成田に到着。




テレビ番組「川島なお美&ダチョウ倶楽部の爆笑ドイツ!魅惑のワイン旅行」

 2002年2月9日放送。ルフトハンザで行った。成田からフランクフル トまで11時間半。マインツに移動。週3日朝市も開かれている。

●マインツ
 ハイアット・リージェンシー・マインツのレストラン Belpepper の目の 前にライン川が流れる。リヒャルト。ボナ−ルさんが案内。 市電で15分のラインヘッセン・ヘッヒツハイム。その中で評判のよいレン プさん宅を訪問。Walter Lemb Grauelstrasse 1 55129 Mainz-Hechtsheim ここではケルナー・アウスレーゼ1997が1本250円?アイスワインが あるのでいただく。
 ワイン専用のお店に一緒に行く。Heinz Lemb. Grauelstrasse 8. ゼクトというスパークリング・ワインをいただく。次に赤ワイン「ドルフェ ンダー・トロッケン 2000」。「ドルフェンダー ポルトキーザー ロートヴ ァイン リープリッヒ 2000」1本6マルク25(300円くらい?)。

●プファルツ地方
 マインツから車で1時間。ワインの産地。ワイナリー・フォルナー Gonnheimer Strasse 52 67158 Ellerstadt。アルゼンチンにもぶどう畑を 持ち、赤ワインもおいしい。ワイン作りを手伝う。樽の中も掃除をする。 ここの赤ワインはおいしいらしい。シュペートプルグンダー トロッケン 1998、アンデスで遭難して九死に一生を得て、建物を自分で建てたという。 毎年日本にも来られているそうだ。なかなか日本では手に入らないがおいし いので有名という。
 食事もいただいた。アルゼンチン牛のブルゴーニュ風煮込み。デザート ワインとしてトロッケンベーレン アウスレーゼ。世界三大デザートワイン の一つ。トカイ、フランスのソーベルヌ、それとこれ。今回は14%と濃い。

●バードデュルクハイム
 マインツから南へ車で1時間くらいのところ。世界一の大樽レストラン。 ギネスブックにも出ている。「空気清浄のための建物」がある。
 クア・センター Kuerzentrium Kurbrunnen Strasse 14 D-67098 Bad Duerkheim。トルコ式マッサージ風呂がお勧めらしい。皇帝風呂は金色 だが、中は熱い。女性は干草パック。終わったら塩水?を飲むらしい。
 カジノがある。

●エーベルバッハ修道院
 マインツの北西。Schwalbacher Str. 56-62 D-65343 Eltville am Rhein ショーンコネリの「バラの名前」が撮影された修道院。壁にはワインのカビ ?を思わせる感じ。
 近くには3kmにも及ぶ石壁に囲まれた石山と呼ばれるブドウ畑がある。 19世紀石山ワインはボルドーの10倍の値段がつけられていた。壁にブド ウがつたっている。温かさが残ってブドウが育つ。買えないが、オークショ ンでのみ飲める。その石壁ワインを飲ませてもらった。シュタインベルガー シュペトレーゼ リースリング 1998。

 ロバート・ヴァイル製造所。Muehberg 5 65399 Kledrich。ブドウ本来の 香りを出すために木でなくステンレス製の樽を使っている。オーナーの ヴィルヘルム・ヴァイルさんに話をうかがった。日本でも有名なワイン。 辛口ワインから試す。リースリング キードリッヒグレーフェンベルク キャビネット トロッケン 2000。Robert Weil。次はリースリング・キャビ ネット 2000。若いワインはリンゴの香りが少し強いという。
 リースリング キードリッヒグレーフェンベルグ トロッケンベーレン アウスレーゼ 1999 は若いワインにもかかわらず、5万マルク(25万円) の値段がついたという。

●リューデスハイム
 マインツの西。ワイン酒場がならぶ「つぐみ横丁」、ぶどう畑の中ゴンド ラを登っていくと、頂上にはニーダーヴァルドの記念碑がある。この丘から 眺めるライン川は絶景。
 つぐみ横丁の有名なレストラン「リューデスハイマー・シュロス」D-65385 Ruedesheim am Rhein-Rheingau。オーナーのハインリッヒ・ブロイヤーさん が挨拶。白アスパラガスのフルコースをいただいた。スープ、

 ごめんなさい〜、ここからビデオが不調。


テレビ番組「道浪漫」2002年5月4日は斉藤由貴さんでドイツ・ガラス街道バイエルン地方、6月2日は魔女を追う旅

 斉藤さんはペーパーウェイトをコレクションしている。ルフトハンザで行ったらしい。

●ミュンヘン
 ババリア州の州都。元は修道僧の町だった。ミュンヘンは修道僧の意味。 ロ−ランドさんが案内。花も咲いている。

●パッサウ
 ドナウ川、イルツ川、イン川の3つに囲まれた古都。チェコの国境にも近 く、ボヘミアングラスがある。パッサウ・ガラス・ミュージアムに行く。こ こにペーパーウェイトもあった。100年以上も前のアンティークばかりが ある。3個プレゼントしてもらった。入館料:4ユーロ(470円)。夏は 10am-4pm 冬は 1pm-4pm。

●レーゲン(ウィーゼル近郊)
 森には石英が多い。ツィーゼルのガラス祭りは有名で、製品をもって森の 中を歩く。噛みタバコをやっている。手の甲に乗せて鼻に入れて、鼻をこす る感じ。それをいれるためのガラスのスナッフボトルもある。
 スナッフボトル・ミュージアムに行ってみた。香水を入れるようなのが、 噛みタバコ入れ。お城の近くにはガラス・フォレストがある。ガラスのアー ト。

●レーゲンスブルク
 2000年の歴史を持つ街。世界最古のソーセージ屋さん、ヒストーリッ シェ・ヴルストキュッヘは1138年創業。ドナウ川を眺めることができる お店。ビールもある。ノンアルコールもある。ババリア地方のソーセージは リンゴの入ったマスタードでいただくのが決まり。この店は20人程度しか 入れないが、常連で賑わっている。浸水した時の水の位置を示すのが壁に貼 ってある。横の橋も860年前にできたもの。
 ポルタ・プレトリアという179年(古代ローマ時代)に建設された城門 をくぐってホテル・ビスコスホフに入る。今回の部屋は Porta Praetoria で古代ローマ時代の壁が残されている。1泊朝食付きで87ユーロ。
ポルタ・プレトリアというスィートは175ユーロ(20800円)

●プラウナウ
 ドイツ最古のグラス工房フライヘッル・フォン・ボシンカー・ガラス・ ヒュッテは500年以上の歴史を持つ。オーナーのベネディクト・フォン・ ポシンガーさんが自宅に招待してくれた。由緒ただしきガラスでワインなど をいただく。ババリア王からもらった家紋もある。家族の歴史とガラス製品 が強く結びついている。2400ヘクタールの庭には鹿がいる。
 テオ・セルナーさんはドイツを代表するガラス作家。斉藤さんとローラン ドさんを見て創作意欲をかきたてられたとかで、作ってくれてプレゼントし てくれた。


●ゲルンハウゼン
 「魔女の塔」16−17世紀に魔女狩の嵐がありそこで拷問が行われた。 その道具も展示されている。
1584から1633年の間に迫害されて命を失った人の慰霊碑もある。 地下牢もある。記念碑もある。

●ビューディンゲン
 ゲルンハウゼンから車で30分。ビューディンゲン城がある。ひとつの城 だが、建築様式の異なる建物からなる。右からルネッサンス様式(1601年完 成)、ゴシック様式(1499年完成)、ロマネスク様式(1200年完成)。そこの 博物館には住民の使ったものが保存されている。
 この城はホテルとしても完成している(ホテル・シュロス・ビューディン ゲン)。そのスィートルームに泊まれたのだが普通の部屋にしてもらった。 1泊1人朝食付き85ユーロ(9900円)〜。電話 49-6042-889212

●バンベルク
 街のいたるところに水路があり、小ベニスと言われる世界遺産。旧市庁舎 の壁面のフレスコ画の下には天使の足が(笑)
 Eis Cafe Bassanese でお茶をしていたら、隣で頭巾とマントの怪しそう な人物がバンベルクの歴史を語っていた。魔女の軟膏を10マルク(590 円)で売っていた。塗ると飛べるとか!(笑)
 ロマンチックに過ごすならホテル・メッサーシュミット。一人1泊朝食付 きで65ユーロ(7500円)〜。電話 49-951-27866

●シュタイナウ
 メルヒェン・ブルーネン(童話の泉)を訪問。子供であふれている泉の前 にはシュタイナウ・マリオネット劇場がある。1955年創立。人形劇を見 る。「ヘンゼルとグレーテル」舞台裏を見せてもらった。
 グリム兄弟の出身地で、住んでいた家(1791-1796年)もまだ残っている。 彼らは民話を集めて子供たちにわかるように書き直しただけらしい。他には 「赤ずきん」、「白雪姫」、「シンデレラ」。
http://www.sk96.de/smt.html

●ニュルンベルク
 ヒットラーに愛された街で、第二次世界大戦の軍事裁判が開かれた街。 またおもちゃの街としても有名。魔女のおもちゃもある。「おもちゃ博物館 」は1971年創設され、世界最大級を誇る。ヒットラーはおもちゃを好ん だというので、ナチスの軍隊のもあった。ドール・ハウスも可愛いが、16 世紀にババリア王が娘のために作ったのが最初とか。
 フラウエン教会の時計台は正午になると仕掛け時計が1日1回動く。教会 前で測量をしていた人にお願いしてクレーンに乗せてもらった。相当高いで す。その仕掛け時計も凝っているらしい。

●ミュンヘン
 ハーブショップ「クロイター・バラディース・リンディック」は創業18 87年。斉藤さんはハーブのオリジナル・レシピを持っている。オーナーは ハーブの歴史に詳しい。特別なものを見せてくれた。

●ロッテンブーフ
 ミュンヘンの南西。現在の魔女ラリータ・レ・フェーさん。魔女学校「 ディー・ヘクセンアカデミー」を開いている。ハーブの調合の仕方なども教 えている。24歳の息子がいるが、若く見えます〜!
 そこからアルプスを背にして緑の野原でハーブ・ココアを作った。ハーブ ティを濃い目に作り、牛乳に溶いたココアに混ぜるだけ。


テレビ番組「ドイツ夢街道、星野知子 〜王と皇帝の道〜」

 テレビ朝日製作。2001年3月4日放送。

●マインツ
 大聖堂。ボニファーティウスが大司教となってから、宗教都市として力を 持ち、神聖ローマ帝国首都となる。古代船博物館はローマ時代のモデルの船 がある(紀元1世紀頃の船)。ゲルマン人からの攻撃を食い止めていた場所 らしい。8世紀末に西ヨーロッパを統一するカール大帝はマイン川沿いを 制圧していった。

●フランクフルト
 マインツの北30km。カール大帝が名づけた。中心の大聖堂にはローマ の軍事基地の跡がある。考古学の庭と名づけられている。北20kmのザー ルブルクにもローマ軍の砦が残っている。ここにはローマ皇帝の彫像が保存 されている。1800年前のローマ人の暮らしの一部が保存されている。
 砦の跡は、ザールブルグから南へ伸びエリンゲンに、そしてドナウ川につ ながる、距離にして700km。ローマはオランダからギリシャまで支配し ていた(AD200年)。
 聖バルトロメウス大聖堂では神聖ローマ帝国の戴冠式が行われていた。 レーマーは旧市庁舎。レーマー広場は第二次世界大戦後再建された。カイザ ーザール(皇帝の広間)。52人の皇帝の等身大の像が描かれている。ここ フランクフルトの会議にボヘミアなどから各国の王が1000人程度の家来 を連れて参勤していた。

●アシャッフェンブルク
 フランクフルトから40km東。王侯貴族の宿泊地があった。マイン川の ほとりのヨハネスブルグ城は第二次世界大戦後再建されたが、弾痕の跡が なまなましい。今は美術館になっている。
 中心の広場にはシュティフト教会がある。ロマネスク様式。サクランボを 市場で買うが大きい!船に乗ってマイン川に出てみた。

●ミルテンブルク
 アシャッフェンブルクの南。マイン川の真珠と言われる。ドイツで一番古 いホテル、16世紀のハウス・ツーム・リーゼンは王侯貴族のホテル。屋根 裏部屋風のレストランのみが当時をしのばせる。

●ベルトハイム
 さらに35km上る。当時、馬が船を引っ張っていたらしい。小京都のよ うな風情がある。15−16世紀の雰囲気が残る。当時は活気があったのだ ろう。

●ヴュルツブルク
 741年に作られた街。司教たちが住む街だった。丘の上のマリエンベル ク要塞は、もともとゲルマンの神殿の跡で、今は一部が博物館。ミケランジ ェロと同世代の彫刻家リーメンシュナイダーの作品が置いてある。「アダム とイブ」は代表的傑作。神秘的静けさとやすらぎを感じさせる。
 レジデンツ。司教の宮殿を見ると、18世紀の司教の力がわかる。絵を見 ると平面に描かれているのにイヌが太ったりやせたりして見えるから不思議 である。礼拝堂も豪華。もっとも壮大なのは階段の間で、バルタザール・ノ イマンの設計で天井は600平方mあって、支柱がない。フレスコ画は世界 を表している。

●フォルカッファ
 バンベルクまで200kmを車で走る。フランケンワインの産地、フォル カッファ。ワイン畑。「ワイン畠のマリア教会」が丘の上にある。リーメン シュメイダー晩年の作品のマリア像もある。
 そしてバイエルン地方の森林が広がっている。森林を維持している人に話 を聞く。森を守るために努力をしていることを理解した。

●バンベルク
 バンベルクは小さなベニスと呼ばれている。遊覧船に乗ると岸辺に可愛い 家が並んでいる。ハインリヒ2世が1012年に建てた4つの尖塔を持つ大 聖堂が象徴的。そのハインリヒ2世と皇后グニグンデのお墓は、リーメンシ ュナイダーが作った。大聖堂の中は中世の遺物が多く、街は世界遺産。ここ は大戦の被害を受けなかった。
 市庁舎は中の島に立つ。皇后クニグンデの像がある。自転車を列車にのせ て移動する。バイエルン地方の景色を楽しむ。

●ニュールンベルク
 古びた城壁、落ち着いたレンガ造りの家、大戦で90%破壊されて、復興 された街。屋根付きの橋がペグニッツ川にかかる。聖ローレンツ教会は13 正規から200年かかって建てられた。この中には、ファイト・シュトス作 の「受胎告知」もある。

●エリンゲン
 南へ下ったところに国境防衛線リーメスが走っていた。それがそのまま 残っている。2000年前の砦ガステル・エリンゲン。ドイツ騎士団のキリ スト教布教の根拠地だった街。

●ワイセンブルク
 国境防衛線の西に位置する。1977年にローマの大浴場が発掘された。

●グラーベン
 フォッサ・カロリナ。静かな村。カール大帝が793年ドナウと結ぼうと 運河を作ろうとしたが、挫折した。1000年後、運河はできた。ニュール ンベルクからルドウィッヒ運河が1850年にできた。今はもう使われなく なった。運河沿いに自転車道がある。ロックは100箇所ある。全長173 km、幅16m。ロックは今閉鎖されている。

●ベルク
 ルドウィンイ運河の最高地点。釣りをしている人がいる。

●ベルヒンク
 出発点から100km。ここでルドウィッヒ運河は終わる。ここから全長 171kmのマイン・ドナウ運河につながる。自転車道も沿っていて、19 92年にバンベルク・ケルハイム間に完成した。これでドナウとラインが 結ばれた。

●ヒルポットシュタイン
 ロックは海抜406m、水位差は24.7m。水門の幅16m。1隻の 貨物船が通過するのに約20分かかる。全長90m。

●ベルヒンク
 城壁を利用した喫茶店は200年の歴史があるとか。南へ10km、リー デンブルクから船に乗る。観光客がマインドマン?運河を見る。険しい岩山 が姿を見せる。ヨーロッパ最長の木造の橋がかかっている。かわった形をし ている。Essing(エッシンク)で下船してその橋を渡った。また船に乗った。

●ケルハイム
 49の水門があるが、ここが最後。岸辺には羊がいる!そして終点。そし てドナウ川へ流れこんでしまう。ルドウィッヒ運河の港の跡もある。そして ドナウ川。

●レーゲンスブルク
 ドナウ運河沿いの街。王と皇帝の道の終着点。カール大帝の王宮の存在地 でもあり、旧市庁舎は今は帝国議会博物館である。ここで神聖ローマ帝国の 議会が行われた。17−18世紀には形式的な会議となっていった。アーデ ルハイトの十字架や、カール4世の王冠とリンゴの十字架もある。時代遅れ の船がある。外輪船ルトフ号。今は船の博物館となっている。ボランティア による。ライナー・ホームさんが責任者。


テレビ番組「旅サラダ」2000年10月は手塚理美さんでドイツ・オーストリア・チェコ

●ウィーン
 モーツァルトなどの音楽家が活躍した。国立オペラ座、シュテファン寺院が紹介された。ウィーン市街の南西にあるハプスブルグ家のシェ−ンブルン宮殿は世界遺産。大ギャラリー(大広間)にはすごいシャンデリア。1441室もある。百万の富をつぎ込んだと言われる「百万の間」、漆をはめこんだ「漆の間」、子供部屋も広いし、絵も多い。マリー・アントワネットも幼少の頃、ここで過ごした。壮大な庭園を散歩。並木道を越えると大温室。ここは1800年代の建築。放射線状に広がっているのは動物園。1859年作。真中に作られたレストラン。ここのテラス席でティー。皇帝はここで朝食をとって動物を見ていたらしい。

●ドナウ川
 Ms. オーストリア号でドナウ川を行く。乗船料200シリング(1400円)、デッキに座ってみる。船内のレストランでは季節のオーストリアの伝統料理が食べられる。今回は秋メニューで219シリング(1530円)でキノコのスープ、クリーム入り炭焼きローストビーフと白ワインソース、揚げリンゴ。見える山の斜面にはブドウ畑。

●デュルンシュタイン Durnstein (オーストリア)
 ワインの産地の村。可愛い町。窓に花が飾ってある。Alter Klosterkellerアルター・クロースターケラーというワイン・バーに行く。必ずワインバーには表にワラで作った飾りがある。今回はデュルンシュタイナー・スペリン70シリング(500円)1999白をテラス席で飲む。フルーティらしい。気持ちのいい山と緑。

●チェコのチェスキー・クルムロフ
 中世のたたずまいのひっそりした街。赤い屋根、白い壁の世界遺産。時折黒い屋根が見える。旧市街を見下ろすチェスキー・クロムロフ城は街のシンボル。12世紀には要塞として建てられた。城内を歩いていて、城の地下の洞窟を利用したギャラレーを見つけた。チェコ・ポーランド・ハンガリー・ルーマニアのアーティストの作品。マグカップなども売っている。7600円とか2000円とか。
 街を散策する。石畳がヒールだと歩きにくい。ホテル・ルージュ Ruze に宿泊。ロビーに二人の騎士の人形が迎えてくれる。212号室。アンティーク風のベッド、リビング、バスルーム。便器は木製の椅子の中にある!一番いい部屋(スィートルーム)で朝食付5760コルナ(21900円)窓からの眺めもいい。テラスも広い。紅葉も近く、家と融合している。ここは昔、学校だったらしい。

●プラハ
 黄金のプラハと言われる。中心に王の道がプラハ城まで2.5キロ。これを歩いてみる。石畳。建物には当時の紋章が各家に飾ってある。旧市街市場。時計台は天文時計、1年で1周するプラネタリウムと1日で1目盛動く。カレンダリウムがセットになっている。15世紀に作られた。1時間毎にキリストの12使徒が顔を出す。さらに行くとカレル橋。30体の先人の像がある。何度も修復されている。そしてプラハ城。石段上がって入り口。大統領府があり、お城の中にまた可愛い街がある。お城に仕える職人が住んでいた可愛い街。聖ヴィート大聖堂が一番迫力がある。ここのステンドグラスを アルフォンヌ・ミュシャが描いた。
 レストラン・Mucha へ。店内にはミュシャのポスターが多い。グラッシュ・スープ(牛肉)35コルナ(130円)、メインはミュシャ・プレート(牡蠣と豚肉の盛り合わせ)240コルナ(910円)、クネドリーキ(蒸しパンみたい。これにガーリックのついたほうれん草のソースをたっぷりつけて食べる)。チョコパンケーキ45コルナ(170円)。
 ホテルはホテル・サヴォイ。ロビーは開閉式の天井になっている。書斎風のラウンジ、ジムもある。806号室。木の造り。リビングとベッドルーム(シングル、キングサイズ)、ミニバー、朝食付のサヴォイ・スィートで660マルク(32350円)。
 「黄金の虎」Zlaty Tygr というビール酒場。午後3時でも混雑している。チェコの人はビールが大事らしい。マイ・グラスが置いてある!おいしく飲むビールの温度は6度とか。1ジョッキ約1リットル弱くらいで22コルナ(84円)安い!
 夜はライトアップ。ボヘミアン・グラスも買ってきていた。2個セットで2万円の分でした。

●マリアンスケー・ラーズニェ
 車で2時間。温泉街でゲーテやショパンも訪れたらしい。温泉と言っても入るのではなく、飲む。街の中心の繊細な建物はラーゼニェスカ・コロナーダで、その一番先に源泉の湧くところがあった。飲めるので、皆変なカップで飲んでいる。クロス源泉では、飲泉カップは160コルナ(608円)。皆カップを買って滞在中預けておく。炭酸水に鉄分ぽいのが混じっているという感じらしい。
 「ラーズニェスケ・オプラッキー」温泉せんべいの店。バニラ・チョコ・ココアの3種。皆焼きたてを待っている。直径20センチでチョコ5.6コルナ(21円)、バニラ4.2コルナ(16円)。

●ザクセン・スイス
 ドイツ東南部。渡し舟で川を渡って、山を登る。ブナの林?の中を通っていく。岩の崖の上に出る。目の前が川と平野と向こうに山。緑がとてもきれい。さらに岩を上がっていくと、バスタイ橋という石橋。岩が侵食されて100mの高さの岩が並ぶ。ロッククライミングしている人もいる。

●マイセン
 車で1時間。ヨーロッパの磁器の故郷。こじんまりした街。窓に花が置いてある。あちこちに磁器。
 マイセン磁器工場へ。博物館もある。3000点展示してあり、絵つけの見学もできる。工場内にお店もある。カップ&ソーサーで487マルク(25000円)のものが紹介された。白がきれいみたい。
 街はワイン祭りの日だった。ワインでも有名な街らしい。Konditorei Cafe Zieger というカフェでマイセン名物のパンを買う。マイセナー・フンメルといい、1個3.5マルク(175円)、クラッカーみたいな味らしいが、中はすかすか。マイセン磁器を運ぶ時に、磁器の無事を確かめるために作られたものらしい。メダル入りのパンは観光客用で、12.5マルク( 625円)割れずに持ち帰ると幸運があるか。中のメダルは磁器でできていた。

 ホテル・パティス Pattis は郊外のプチホテル。スィートルームで580マルク(29000円)朝食付。庭も広くて散歩にいい。
 夕食は宮廷料理をコースで、116マルク(5800円)。キノコとロブスターのテリーヌ、3種類のスープ(カニ味、うずら入りコンソメ、マッシュルームスープのカプチーノ風)、白身魚とロブスター・ソーセージ・牡蠣ソース添え、鹿肉と長ネギパイ・えんどう豆ソース添え、チーズのムース、デザート・インスピレーション。デザートが2つある。

●ポツダム
 サンスーン宮殿はロココ建築の最高傑作。18世紀にベルサイユ宮殿を模してつくられた。階段の両側には温室。円形に張り出した部屋の内部は大理石の広間で、晩餐会などが催された。300ヘクタールの敷地には、木が多い。中に18世紀大流行した東洋趣味の館「中国茶館」がある。金色!中国は赤でしょう。日本とごっちゃになっていたのでしょうね。中に書いてある絵にはサルが多い。サルは東洋のシンボルだったらしい。
 ユニグフェルン湖など森と湖が多い。ツェツィーリエンホーフ宮殿はイギリスのマナーハウスのような建物。ここでポツダム会議が行われたそうだ。

●グリーニッカー橋
 車で1時間。この橋の真ん中が東西ドイツの国境だった。スパイが多く渡ったことからスパイ橋とも呼ばれるらしい。今でも真中に白い線が残っていました。

●ベルリン
 中心に戦勝記念ジーゲスゾイレ(塔)。勝利の女神ビクトリアが金色に輝いている。高さ67mの塔に上がって街を見渡してみた。森の向こうにブランデンブルク門が見える。そこに行ってみた。観光バスが多い。東ベルリンを歩いてみた。
 1989年11月9日でした。10年前まであった壁は取り壊されて、今は新しいビルになっている。一部残っている。他にもいくつかあるが、East Side Gallery は1.3キロ続くが、もう芸術品となっていた。検問所だった Checkpoint Charlie は、ソ連兵とアメリカ兵の写真が置いてある。象徴的な場所だった。
 東ベルリンの赤の市庁舎、ベルリンで一番美しいと言われる Gendarmenmarct(広場)などが紹介された。
 一番注目されているのは、ソニー・センター。アミューズメントビルでIMAXや、マンションなども入っているらしい。
 Friedrichstadt Passage はアールデコ調のインテリアの巨大ショッピングモール。Zussa という帽子屋さんに入る。店長は新進のデザイナー。2万円〜5万円くらいの品。
 夜のベルリンを気球で楽しむ。風が強く、怖いらしい。


テレビ番組「月亭八方視察団,欧州エコロ路を行く」

 2000年4月6日放送。朝日放送製作。
 環境先進国のドイツとスイスを視察する旅。お供は橋詰優子アナ。

●フランクフルト
 miniMAL というスーパーに行くと,ここで買ったボトルを返却する機械があり,ボトルを入れると1本につき30ペニヒ(15円)のレシートが出てくる。これをレジに出すとお金が返ってくるというシステム。他にはトレーもある。また,袋入りの牛乳もある。過剰包装もない。果物はビニール袋をとって欲しいだけ入れる。包装していない。買い物袋もない。

●ローテンブルク
 赤い屋根だけでなく,城壁も特徴。市庁舎の塔から市内を眺めるとやはり赤い屋根ばかり。アメリカ軍の空爆で6割の家屋が壊されたとか。この街の店の看板がユニーク。
 名物のお菓子屋さん Friedel(ピンクの店)のシュネーバルというお菓子(雪の玉の意味)は小麦粉を油で揚げてシナモンや砂糖やチョコをかけたもの。チョコのは1つDM4(200円),普通のは2.70(140円)。ドーナツとパイの中間の味らしい。中心の広場の時計, meistertrunk の時計じかけを見る。占領した将軍が「ビールを飲み干したら助ける」と言ったので,市長が飲み干して市民を救ったという逸話を基にしている。

●ハイデルベルグ
 パーク&ライドを行っている。郊外のターミナル駅に無料駐車場を設置している。市電はHSB(路面電車)。道路の端の赤い部分は自転車道。段差もなく走りやすいらしい。
 ドイツ最古のハイデルベルグ大学。ハウプト通りの歩行者天国を皆楽しんでいる。学生が多く,ファーストフードが多い。チョコソフトクリームが,DM3.50(180円)。古城街道にあるハイデルベルグ城へ行く。バロックやルネッサンスなど様々な建築様式の城である。ここから街を見るととてもきれい。目の前をネッカー川が横たわり,向かいの右手に山がある。ネッカー川の両端には,自然がありビオトープとなっている。川の中洲は自然のままにしてあるし,船の通る水路とは別にしてある。小川の近くの道には蛙を踏まないための標識もある。繁殖期には車が通行止めとなる。
 1997年ヨーロッパの未来都市となった。一般家庭を訪問してみた。マルクスさん。自宅は自分で建てたらしい。ソーラーパネルもある。実費36万円(安い!)なので,12年で元が取れる。44万円が取りつけ費で,市の助成が8万円。溜めた雨水を庭の水やりに使う。自分で処理できないゴミはリサイクリングホーフに持っていく。分別する数が多い。瓶でさえ,緑透明・茶色というようにガラスの色で分ける。電気ゴミ,発泡スチロール,金属,紙,プラスチック,木材,コルク,庭木類,土などに分ける。
 Palmbrau Gasse というパブで,在独日本人女性の話を聞く。注文したのは,ピルスビール DM6.90 (350円)+ニュールンベルクソーセージとザワークラウト DM15.50 (780円)など。
 ドイツはデポジットでお金を取られていて,後で返す時に戻るからリサイクルが浸透しているのだろうか?

●バーデンバーデン
 黒い森の近く。バーデンは温泉という意味。ローマ人が造り18世紀から高級保養地となった。フランクフルトから電車で2時間。フリードリヒス浴場は最高級。1847年から30年かかりで造られたルネッサンス様式のお風呂。高い天井から柔らかい光が入っている。水温は28度。サウナで汗をかいてから入るためのものだろうか。36度のお風呂もある。ここでは裸で入るらしい。温度の異なるお風呂がいくつかある。ブラシを使ったマッサージもある(コース3時間半でDM48:2400円)。お勧めらしいです。
 カラカラ浴場。1985年に温泉プールがオープンし7種類,露天風呂もある。但し,水着着用。流れるプールもある。浴場から歩いて2−3分で自然がある。川もきれい。70年代「黒い森」も酸性雨で被害が出たので改善 したらしい。
 ホテルはブレンナーズ・パークホテル&スパで5つ星。215号室。スィート。バスルームは白で広い。アメニティはブルガリ!1泊DM2200(11万円)。ウェルカムフルーツもある。ベランダの目の前が公園?と川。聞こえてくるのは小鳥のさえずり。

●ベルン(スイス)
 アーレ川沿いの世界遺産の街。ベルンという名は熊に由来。1191年に作られたらしい。メインストリートの水は馬の飲み水や洗濯の水に使われていた。大聖堂は今修復中。時計塔は街のシンボルで,中にも入れる。
 チューラーという老舗の高級時計店には,オメガ,カルティエ,ジャガールクルトなどがある。
 全長6キロのアーケードがある。アーケードには地下もある。クロッツリケラーというワインバーに入る。昔は貴族の家のワインセラーだった場所らしい。Schafiser 「シャフィーゼ・チャセラ」はボトルDM34(1700円)無農薬のブドウを使ったワイン。口あたりがいいらしい。「紙のように薄くスライスしたホーベルチーズ」も一緒に味わう。DM17.5(880円)。

●インターラーケン(スイス)
 湖の間という意味。馬車に乗る。2人で30分CHF60(3750円)街を流れる川の水も澄んでいる。この川が他国へ流れるので,水質保全に努めているそうだ。街の中心はヘーエマッテという広大な芝生の広場。ここは300人が共同で買って,勝手に開発できないようにしている。自分の土地を守るんじゃなくて,街を守るという。
 その通りをはさんだホテルが5つ星のビクトリア・ユングフラウ。スイスの5つ星の中でも最高らしい。135年前にイギリスのビクトリア女王を迎えるために造られた。502号室(タワースィート,CHF3500:218600円)屋上テラス付。ラテルネというレストランでチーズ・フォンデュを食べる。CHF22(1380円)。使うチーズで多くの種類がある。マイルドなバシュラン・チーズのフォンデュ。牛フィレ肉の角切りを油で揚げるオイルフォンデュは200gでCHF42.50(2660円)。いい音がする。揚げたてをマヨネーズベースの4種類のソースでいただく。トマトケチャップ,にんにく,カレー粉,酢づけのキュウリみじん切りなど。

●ユングフラウ
 4158mのユングフラウに登ることにする。まず登山電車。8:35発ユングフラウ鉄道で片道2時間でグリンデルワルドへ着いた。グリンデルワルドから登山鉄道。ハイジの世界の風景が展開する。駅を出て10分経つと一山越えて,すぐ雪の世界となった。クライネシャイデックに着いた。ここの標高は2061m。ここから先は全長9.3キロでそのうち4分の3がトンネルという鉄道に乗り換える。ユングフラウ駅(ヨーロッパで一番高い駅)に到着。トンネルを歩いていくと,岩の中にスフィンクス展望台へ上がるエレベータがあった。一気に108m上がって展望台へ着いた。
 外に出るとまぶしい!雪が舞っている。ユングフラウが見えない。晴れたらきれいに見えるし,大パノラマが広がる筈だったとか。

●総括
 子孫のために自然を残すべきだ!

●宣伝
 JALがドイツとスイスには便利とか。JAL・ユーロエクスプレスはフランクフルト,ミュンヘン,ザルツブルク,ウィーン,ノイシュバンシュタイン,ローテンブルク,ザルツカンマーグートを結ぶ。


テレビ番組「大使の国のたからもの」5月14日,21日,28日はドイツ

●ベルリン
 1989年11月9日に壁が崩壊した。1990年10月3日に統一された。1991年首都に指定された。今,建設中の建物が多い。ボンから国会などが移ってきている。街の中心地が巨大な工事現場となっている。クレーンの森。新しい文化も生まれている。解決すべき問題も多く残っている。10年後はかつてのような文化と緑の街になるだろう。ベルリンは13世紀東西貿易の交差点として栄え,18世紀プロイセンの都として発展した。1920年代人口400万人で大ベルリンと呼ばれた。「黄金の1920年代」といわれる。森鴎外記念館もある。明治17年ベルリンに着いてから細菌学を学び,日本に帰ってから作家となった。
 ライヒスターク。統一ドイツ初の国会が開かれたビル?。チェックポイント・チャーリーハウスはベルリンの壁時代の悲劇を残している記念館。イーストサイドギャラリーは,街の片隅に残る壁の一部であり,かつて世界中の芸術家たちが平和を主張した屋外キャンパス。

 1998年秋,ダイムラーベンツがポツダム広場に巨大なアミューズメントシティをオープン。Arkaden。ダイムラーベンツの隣には6月にオープン予定のソニーセンター。IMAXもあるらしい。ハッケシャー・ホーフをはじめとするミッテ地区はベルリン・カルチャーの発祥の地(東ベルリン)。家賃が安いので,今若いアーティスト達が集まり,独創的なアートが生まれている。ギャラリーだけでも60以上ある。「タヘレス」は世界中のアーティストが占拠して有名になったビル。Yana Milev は日本に興味を持つ写真家。レビューも1920年以来の脚光を浴びつつある。

●ドレスデン
 17−18世紀に宮廷文化が栄えたドレスデン。エルベ川沿いにある旧ザクセン侯国の都。チェコとの国境に近く800年の歴史を持つ。ゼンパーオペラは300年を越えるドレスデン・オペラの伝統。ヘッセ,ワーグナーらの活躍の場となった。ビバルディ,モーツァルト,バッハもこの地に足をとめていた。昔はカメラ,今はコンピュータ生産で有名。ベルリン,プラハ,ウィーンから車で1時間のところにある!
 フラウエン教会はヨーロッパ最大規模だったが,1945年の空爆で破壊された。今修復作業が進んでいる。ツヴィンガー宮殿は,18世紀にアウグスト王が作ったもの。アルベルティーヌムは美術品を収める場所。レジデンツ城は,アウグスト王も住んでいた。空爆で破壊され,今も修復中。

●マイセン
 ドレスデンの西30キロのマイセン。「ドイツ・バロックの真珠」と呼ばれる。
 マイセン磁器も,アウグスト王が発展させた。東洋文化を取り入れていった。ピルニッツ宮殿も,アウグスト王が作ったが,東洋文化が入りこんでいる。当時は輸入するしかなかった東洋文化。磁器は金並みに高かった。そこでヨーロッパ初の磁器を完成させようとした。
 ヨハン・フリードリッヒ・ベドガーは練金術はできなかったが,白い黄金と言われる磁器を作ることに成功した。そのためアルブレヒト宮殿にベドガーは閉じ込められた。外に出してもらえず,酒におぼれ,40歳に至らず死亡した。製法は秘密にされた。カオリンと言われる粘土を発見したことからできた。書いてある模様はザクロなのだが,ドイツでは玉ネギに似ているので,オニオンとよばれる。コバルトブルーと白の絵柄はアウグスト王の時代から人気だった。ヨハン・ヨアヒム・ケンドラーは躍動感あふれる人物像,動物の彫像などで有名。絵つけ師ヘロルトは色をつける技術を編み出し,マイセン芸術の向上に寄与した。しかし,とても高級だったので,他国の王への贈り物に使われた。それで宮廷の人の絵や像が多いらしい。マイセン芸術は日本では札幌で見ることができる。
 郊外にはザクセンスイス。ホテルはシュロス・エクベルグ・ホテル。

●ハノーファー
 フランクフルトからICEで2時間。ドイツ北部の商工業の中心地の一つで,コングレスセンターもあり,メッセの街として知られている。18世紀のハノーバー王はイギリス国王だったので,イギリスとは関係が深い。王宮の庭園はとてもきれい。国際見本市なども開かれる街だが,旧市街に歴史が残る。ライプニッツもこの街で半生を過ごした。
 ドイツは世界をリードしてきた技術革新を行ってきた,シーメンスやライカなどがあった。今年6月1日にドイツ初のEXPO,かつ今世紀最後のEXPOが開催される。
 6月1日〜10月31日にハノーファー博覧会が開かれる。190もの団体が集結。170万ヘクタール。4000万人の参加が予想される。「人間・自然・技術」がテーマ。1日の入場者数を制限する。万博チケットを持っていると公共交通費は無料になる。
 番組ではスイス,イエメン,ネパール,日本のパビリオンが紹介された。エギーディエン教会は,戦争で破壊されたまま残されている。


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