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なお、これはわたしが個人的にテレビを見て書いたものであり、各テレビ局や番組とは全く関係はありません。
すべての文章の無断使用・転載を禁止いたします。
またここの情報を使って、何か問題が起こったとしても私は一切責任は持ちませんのであしからず。


テレビ番組「世界!弾丸トラベラー BENI さんとCrystal Kay さんでギリシャ」

 2010年10月9日、16日放送。中学時代から同級生だったBENIさん(24歳)とCrystal Kay さん(24歳)がギリシャでエーゲ海と遺跡を見る。AF277便/1232便で日本から約16時間30分の旅。

●予定
 1日目、21:55、成田国際空港発エールフランス277便で13時間20分。
 2日目、7:20、シャルル・ド・ゴール国際空港発AF1232便で3時間15分。11:35、アテネ、エレフテレリオス・ヴェニゼロス国際空港着。13:00、タクシーでアテネ市内へ移動。13:30、ギリシャならではの場所を見学。14:30、手軽に食べられる昼食。15:30、ショッピング。16:30、ホテルのバーで休憩。19:30、タベルナで夕食。20:30、タクシーで空港へ移動。22:35、アテネ発OA328便。23:30、クレタ島イラクリオン空港に着。タクシーでホテルに移動。24:30、ホテルにチェックイン。
 3日目、7:50、ホテルの前でガイドと待ち合わせ。8:30、エーゲ海クルージング。10:00、イラクリオン街歩き。12:00、クノッソス宮殿見学。13:00、ガイドお勧めの絶景の丘。14:00、空港へ移動。15:35、クレタ島発OA505便。17:45、アテネ・エレフテレリオス・ヴェニゼロス国際空港発AF1833便。23:35、シャルル・ド・ゴール国際空港発AF276便。
 4日目、18:00、成田国際空港着。

●アテネ
 タクシーで市内に移動。40ユーロ(約4400円)。目の前の丘の上にはパルテノン神殿がある。入場料は12ユーロ(約1300円)。階段を上がって到着。これは2500年前に建てられた古代ギリシャ建築の最高峰といわれる遺跡。15年の歳月をかけ、腕利きの技術者により全て大理石で造られた。
 昼食は、タベルナ「バイラクタリス」で、一番人気「ギリシャ料理スブラキ」の人気店。「スブラキ」1.8ユーロ(約200円)はビタパンにチキン、トマト、玉ねぎ、ポテトを挟み、ジャジキ(ヨーグルト・ソース)をかけたお手軽フーズ。チキンはトルコのドネル・ケバブのようにして回転している。とても美味しいそうです。

 パンドロッソ通りは雑貨店が集まる。レザーシューズ店「コカ・ショップ」など、ギリシャは安くて良質な革製品が有名。サンダルは39ユーロ(約4300円)はお揃いで購入。
 ギリシャは世界有数のオリーブオイルの産地で、品質が良いので有名。「Oto ????? ???? in the old mosque 」で、お勧めの「イリアダ Iliada 」というオリーブオイル&はちみつ、28.3ユーロ(約3100円)を購入。
 古代のかぶりものの店「ミソス Mythos 」で甲冑の一部を物色。ビヨンセの「シングル・レディース」の踊りを真似ていました。

 ホテル「アテネズ・ゲート」の屋上のバーからパルテノン神殿と夕陽が楽しめる。カクテルは11ユーロ(約1200円)。

 夕食はタベルナ「アクロポール」。ギリシャの民族舞踊を見ながら食事ができる。エーゲ海の新鮮な魚貝類をオリーブオイルと塩だけで調理した海鮮料理が有名。「エーゲ海のシーフードミックス」130ユーロ(約14300円)。2人は踊りました。

●クレタ島
 エアジアン・エアライン328便でアテネから1時間の旅でクレタ島へ。深夜にイラクリオン空港に到着。タクシーでホテルに移動。ホテルは5つ星の「アルデマール・ロイヤル・マーレ」で、エーゲ海に面したギリシャの街並み風のホテル。今回は1017号室?可愛い部屋です。緑と青のチェックのカーテン。窓の外にはライトアップされた青いプール。宿泊代は332ユーロ(約36500円)。部屋を出てすぐにプールに入ることができる部屋でした。
 伝統的な白い家が建ち並ぶ。

 ガイドはバビスさん(33歳)で日本語もうまい。ヘルソニソス港に行くと、港から見える家々も可愛い。数人乗のヨット「ファンタジア号」で、エーゲ海クルーズ。船長のコズマスさんは恰好いい。BENIさんは操縦させてもらいました。そのうちにシャンパンのサービス。「ヤマース(乾杯)」。

 イラクリオンの町に行く。昔ながらの美しい街が残る。約1100年前のビザンティン時代の「聖ティトス教会」もある。中ではきれいな男性合唱団の声。この「ビザンティン聖歌」は、世界最古の聖歌といわれ、約1700年間、歌い継がれている。30分聞いていました。
 クノッソスの文化はヨーロッパで一番古い文化なので、「クノッソス宮殿」に向かう。30分しかない。紀元前2000年(約4000年前)の、ミノア文明の宮殿跡。地上3階、地下4階建で、部屋数は1300以上あったといわれる。当時としては最先端の建築技術が結集されていた。古代の水道・排水溝跡もある。次の場所は地下4階が見える場所で、130部屋あったという。迷路のようになっていて、英語のラビリンス(迷宮)という言葉は、この宮殿から生まれたもの。
 車は細い山道を抜け、景色のよい丘にやってきた。二人は「いつもありがとう」と叫びました。感動して涙していました。


テレビ番組「にじいろジーン 地球まるごと見聞録 アテネ」

 2010年6月19日放送。トルコ航空の直行便を利用してイスタンブール経由でいきました。

●アテネ
 古代ギリシャの都市としても栄えた。第一回近代オリンピックもここで開催された。遺跡がたくさん残り、過去と現在が交錯する。
 アテネの名所の一つがアカデミー。地名のゆかりともなった女神アテネの像がある。
 にじいろガイドはアンジェリーナ・デラクーラさん(21歳)。
 街角の屋台で「クルーリー」(約70円)という丸いゴマのパンを売っていて、食べながら歩いている人も多い。ギリシャ人は家で朝食を食べない人が多いため。
 アテネの街中で賑わっているのは、「タベルナ」という食堂。ギリシャの郷土料理を楽しめる。ギリシャは世界一のオリーブオイル消費国。タベルナ「スコラリオ」に行く。「ムサカス」(約700円)は、オリーブオイルが特徴で、パイ生地にはさまれた挽肉と野菜が絶妙のコンビネーション。海産物の宝庫でもあるので、シーフードも多い。一番の人気メニューは「塩タラのフライ」(約700円)で、にんにく風味のマッシュポテト・ソースをかけて食べる。美味しい時は、右手を手の平を上に向けて、指先をあわせ、反時計回りに回転させる。
 この時期にもってこいの夏のメニューがある。「ゲミスタ」(約450円)は、オーブン料理だが、普通はさましてから食べる。くりぬいたパプリカやトマトの中に香草が効いたお米を入れて、トマトベースのスープを流しこみ、オーブンで焼いたもの。香草とオリーブオイルの香りが口の中に広がる。

 スイーツの店「クリノス」は大人気。「ルクマデス」(6個約280円)という小麦粉を発酵させた生地を、ドーナツ状に揚げたもの。上からハチミツをかけて食べる。
 カフェの店「ハジ」。「トリゴーノ」10個?約460円は、ギリシャに昔からあるスイーツ。ギリシャのスイーツにはハチミツかシロップがたっぷりかけてあるという。こういう甘い物を食べる時に、ギリシャ人がほとんど注文する飲み物がある。ギリシャのアイスコーヒー「フラッペ」で、砂糖、インスタントコーヒーに少量の水を加え、専用の泡たて機できめ細かい泡を作ったもの。これに氷とたっぷりのミルクを入れ、水をグラスいっぱいに入れたら完成。泡がポイントだそうです。

 ハーブの店「エリクシー」は生活に欠かせない店。古代からハーブは薬として使われてきた。ここの店には600種類くらい置いている。タラザーコなどのように、ほとんどがお湯で煎じて飲む。カモミール、ディクタモス、ダフニ(ローリエ)などが紹介されました。一つだけ特別なハーブ「マスティハ」がある。「マスティハ・ショップ」に行く。マスティハはギリシャにあるヒオス島の一部にしかない珍しい木の樹液が固まったもの。昔から殺菌やピロリ菌を殺す効果があるという。マスティハ自体には味がないので、いろいろな食品と組み合わせて売っている。キャンディもある。よく食べるのは、「マスティハ水飴」約370円だそうです。お客さんをもてなす際に出すそうで、水につけて出す。

●ミコノス島
 アテネから飛行機で30分で到着。白い壁の建物が並ぶ。島のシンボルの風車も並んでいる。昔はこれで麦を挽いていた。
 ここで島のマスコットのペリカンが登場。同じ時間にやって来て、観光客と一緒に記念撮影しているそうです。
 ミコノス島は海産物が美味しい。中でもタコがおいしいとか。「フィッシュ・タベルナ・コーネラス」では、あがったばかりのタコを炭焼きにしてくれ、香りに誘われて、多くの人たちが店にやって来る。「タコの炭火焼き」1本約1300円。
 ミコノス島は結婚式の舞台としても大人気。
 「イワナ」は伝統的なミノノス織を作っている。昔は多くの女性が織れたが、今は2人だけだそうです。ギリシャの隠れたお土産です。

 宿泊するなら、「ロイヤル・ミコニアン・ホテル」。エーゲ海を見下ろす高台に位置し、眺めがとてもよい。プールもいい感じ。全ての部屋は海向きで、心地よい風が入ってくる。部屋の中も白の部屋もあり、ダブル・デラックス・ルームは25平方mで、テラスにジャクージ付きで、1泊640ユーロ(約7万円)でした。


テレビ番組「知っとこ!世界の朝ごはん ギリシャのテサロニキ」

 2010年5月1日放送。

●テサロニキ
 アレキサンダー大王が町を作り、妹の名前が町の名前になった。人口約38.5万人。ギリシャ第二の都市。教会がたくさん目につくが、ヨーロッパで最初にキリスト教が広まった場所でもある。町の中心部だけでも100近い教会があり、歴史的に重要なものが多い。「ホワイトタワー」と呼ばれる古いお城は、テサロニキのシンボル。

 「オ」を左右対称にした文字の看板がある。これは銀行のマーク。約2500年前の古代ギリシャのコインに描かれていた模様を使っているという。テサロニキは経済の中心地でもあるので、いろいろな銀行が集まっている。

 町中に手相を観る機械がある。ローマの「真実の口」に似たマークの口に手を入れると今日の運勢がわかる。

 名物を探す。「クルリ」はテサロニキ発祥で、ギリシャ本土で人気の定番の朝ごはん。正式な名前は「クルリ・テサロニキス」で、ドーナツの形のパンです。1個0.5ユーロ(約60円)。

 海沿いの道を歩く。散歩、ジョギングしている人も多い。オープンカフェも多い。「タベルナ・ウズ・メラトロン」で名物料理をいただくことにする。味のついたライスにハンバーグというイメージ。「スズカキア」6.5ユーロという料理で、香辛料たっぷりのミートボール。胡椒、クミンやオレガノなどの香辛料、ハーブを多く使うのがテサロニキ風。ミートボールには、にんにく、たまねぎ、パセリ、オリーブオイル、生クリームまで加える。これを最後に揚げる。トマトソースにも香辛料たっぷり。この町はかつてトルコ領だったので、香辛料をたくさん使うようになったとか。

●ルトラキ
 カーテン屋に勤めるテオドロス・ツェデメイディスさん(29歳)が紹介してくれたのは車で1時間の山の中の場所。
 露天風呂がある。川で打たせ湯をしている人もいる。水着を着て入ります。 37度、入湯料は2ユーロ(約240円)。川マッサージ(打たせ湯)が人気とか。身体が熱くなったら、普通の川で冷やす。

●テサロニキ
 新婚さんの朝ごはん。両親の家を譲り受けたハルラ・カリジースさん(30歳)が作るのは、1品目「ピザ・エロテヴメノン(ギリシャ人の恋人ピザ)」。トマトを切り、パプリカ、オリーブオイルの実を刻む。ギリシャ料理には欠かせないペタ・チーズを細かくほぐしておく。寝かせておいた生地をプレートにのせ、薄くのばす。まんべんなくトマトソースを塗り、溶けるチーズとペタチーズをのせる。野菜をトッピングしていく。これは「ギリシャ人の恋人」という名前のピッツァ。最後にオレガノをたっぷりふりかけて、オーブンで焼く。
 2品目「ズッキーニの肉詰め」。ズッキーニの皮をとり半分に切ったら、中をくりぬく。オリーブオイルでたまねぎを炒める。たっぷりの挽肉を入れ、胡椒などの香辛料を加えて炒める。肉の色が変わったら、生のお米をそのまま加える。水を加えて、お米が柔らかくなるまで煮詰める。水分がほとんどとんだところで、ズッキーニに詰める。この状態で鍋に入れ、水を加えて煮込む。
 3品目「ピカンディキ・サラダ(辛いサラダ)」。キャベツ、パプリカ、にんじんを千切りにし、少し多めに塩を入れて塩もみにする。ワインビネガー、オリーブオイルを加え、唐辛子の種を入れる。


テレビ番組「たけしの新世界七不思議・第4弾」

 2010年1月1日放送。ビートたけしさんが決めている。今回はギリシャのパルテノン神殿とローマの円形闘技場コロッセオ。テレビ東京製作。

●トロイ
 ホメロスが書いた古代叙事詩「イリアス」には、神話をもとに描かれたトロイア戦争の物語。紀元前12世紀、スパルタに世界一の美女王妃ヘレンがいた。美しさに魅了されたトロイアの王子パリスはヘレンを略奪した。激怒したスパルタの王はトロイアをギリシャ軍として攻めた。10年続いたが、その結末はあっけなかった。ある日ギリシャ連合軍の船団が突然海から消え、浜辺には大きな木馬が残されていた。平和の象徴だった馬を置いていくことは、まさに降伏の意味があった。反対する者もいたが、馬はトロイアの城内に引き入れられた。その夜、木馬から兵士が出てきて、鉄壁の城門が内側から開かれた。島影に隠れていたギリシャ軍の兵士が一斉に城門になだれ込み、火を放った。
 それから800年後、この物語に心を打たれたのが、マケドニアの王アレクサンドロスだった。家庭教師だったアリストテレスにホメロスの作品を教わり、イリアスを一生の教科書とした。人間の心を捕らえるには何をすべきか、戦いに勝つにはどうすべきか。彼は世界初の大帝国を打ち立てた。
 1829年ドイツ北部の小さな田舎町アンケルスバーゲンで、ハインリッヒ・シュリーマン(1822年〜1890年)が7歳のクリスマス・プレゼントにイリアスをもらった。1844年(22歳)交易商に雇われて、残った時間と給料の半分を外国語の勉強に費やすようになる。商人として頭角を表わし、ロシアとの交易で大成功し巨万の富を築いた。1864年彼は世界一周の旅にでて、幕末の日本にも立ち寄っている。1866年(44歳)パリのソルボンヌ大学で古代史と考古学を勉強した。ギリシャやトルコに何度も足を運び、可能性のある場所を歩きまわった。アテネで16歳のソフィアに心を奪われ、後に結婚する。
 シュリーマンはトルコのチャナッカレの「ヒサルリックの丘」に目をつけた。多い時は150人の作業員を動員し発掘した。5年後の1873年、宮殿の跡だと思える場所から大きな銀の壷を発見した。その中には黄金の額飾り、耳輪、腕輪など8750個もの装飾品が詰まっていた。これらは現在はアテネ国立考古学博物館に収蔵されている。

●ツタンカーメン
 ハワード・カーターは誰もが見捨てた場所で頑固なまでに発掘を続けた。イギリスの資産家カーナヴォン卿と娘イブリンだけが彼の後押しをしてくれた。19年後の1922年11月26日、水汲みの少年がある階段の入口を見つけた。そこにはツタンカーメンの遺産が眠っていた。

●マチュピチュ
 標高2400mの尾根に空中都市マチュピチュがある。1911年、ハイラム・ビンガムは幻の都ビルカバンバを追い求めていて、発見した。

●アテネ
 人口300万人で、ギリシャの人口の4分の1が集中する。近代的なビルは車が行き交う。こういう中に古代をしのばせるものがあった。
 アゴラ(市場)は、2500年前の古代ギリシャ時代から栄えていた。アテネは海の交易の中心地だったので、古来から市が立っていた。フェタ(ヤギのチーズ)も昔から取引されていた。
 アクロポリスの丘にパルテノン神殿がある。アクロポリス公式ガイドのエリコス・プシホヨスさんが説明してくれました。人々は人口3万ほどの都市国家ポリスを形成していた。それぞれのポリスでは守護神を祭る神殿を小高い丘の上に建てた。アテネではディオニソス劇場なども作った。プロピレア門をくぐるとパルテノン神殿に到着する。

●パルテノン神殿
 オバマ大統領が就任演説を行なったリンカーン記念堂は、建築様式はパルテノン神殿をモデルにしている。これだけではなく、日本の国会議事堂、オーストリアの建物、フランスの建物、スペインの建物と全てパルテノン神殿をモデルにしている。パルテノン神殿は、時代を超えて人々から最も美しい建築物として称えられてきた。紀元前438年に完成した。プロピレア修復責任者のタソス・タヌウラスさんが説明してくれました。政治家ペリクレスに代表される民主制はアテネで産声をあげた。その象徴がパルテノン神殿であったので、各国の国会議事堂で使われているのだろう。紀元前5世紀、ペルシャ帝国はインダス川流域からギリシャまで勢力を拡大していた。この神殿はそのペルシャとの戦いに勝利して建てられたもの。かかった費用は当時のアテネの国家予算の2倍。
 考古学者ルウリ・デリヤリスさんが説明してくれました。ペルシャとの戦いに勝った後に、アテネはペルシャに近いサモス島、キオス島、レスヴォス島などとデロス同盟を結んだ。軍事資金をデロス島に蓄えていた。ペリクレスはそのお金をパルテノンの建築費用に注ぎ込んだ。

 考古学者ルウリ・デリヤリスさんは、フリーズと呼ばれる神殿上部に施されていたレリーフに暗号として刻まれていたという。アクロポリス博物館は去年オープンし、4000点が収蔵されている。特にフリーズという彫刻群には、古代アテネ最大の祭り「パンアテナ大祭の行列」が描かれている。当時はタブーだった。当時は神殿の彫刻は神話の神か英雄でなければならないとされていた。ペリクレスは祭礼に参加する一般市民が描かれている。その答えが描かれているという。南の面には、10に分かれた騎馬隊、馬車10台、牛10頭などが描かれている。北の面には、牛は4頭。4の数字は貴族支配の数字を表わしている。昔のアテネは4つの貴族が支配していたから。改革後、4の貴族階級は10に分裂させられ、権勢を失った。つまりペリクレスは貴族社会を分裂させ民主化を実現させたアテネ市民を讃えているという。ギリシャでいう市民とは戦争で戦う兵士を意味する。労働はその戦争で獲得した奴隷の役目だった。当時のアテネは約10万人の市民と奴隷約5万人の上に立っていた。しかしペルシャ戦争で市民が活躍したので、貴族社会を脅かし始めた。やがて下級兵士が市民としての力を持ってくると、その支持を集めた指導者たちが集まり始めた。ペリクレスは世界で初めて選挙により選ばれた市民で、民主主義を完成させた。
 エジプトで書かれた「アテナイ人の国政」という本の著者はギリシャの哲学者アリストテレス。そこにはアテネの政治制度が詳しく記述されていた。
 建設工事には、石工工事、大理石を運ぶ人など多くの市民が関わった。戦争後の多くの兵士に職を与えただけでなく、貧しい市民にも資金が支払われ、下層市民の政治的発言力も高まり、民主制が強くなっていった。黄金の女神像は金で作られ、別の意味で金が備蓄された。デロス同盟のお金はこうしてプールされた形となった。

 2009年ミス・ヤング・アテネのテリーナ・スクゥルリィさん(17歳)が案内してくれたのは、古代アテネ料理店「アルヘオン・ゲフシス」。2500年前に食べていたものが再現されている。メイン・ディッシュは「ヤギのもも肉のグリル」。「揚げチーズのベリー・ソース」。「ひよこ豆と赤カブの煮物」。「ルッコラとフェタのサラダ」。「ポークソテーのハチミツ・ソース」。当時はナイフとスプーンで食事をしていた。
 そんなアテネ市民の娯楽が演劇だった。アテネ市内にはディオニソス劇場がある。酒の神ディオニソスを讃える歌と踊りが始まり。コーラスやオーケストラという言葉は古代ギリシャの言葉。「人間はいかに生きるべきか」という哲学もこの時代に育まれた。プラトン、ソクラテスなどがこの時代に生まれた。

 パルテノン神殿は美しい。ピロピリア門から入った人はパルテノン神殿を必ず斜め30度くらいから見ることになる。正面から見た場合と感じが違う。斜め30度から見た方が奥行きや柱のバランスが整って見える。実は柱の間隔は一定ではなく、斜め30度から見た方がきれいに見えるように配置されている。パルテノン神殿は縦と横が4:9で建造されている。
 彫刻家フェイディアスが全ての彫刻をまかされたといわれている。彼はペリクレスの幼馴染だった。大理石はアテネの東20kmのペンデリ山。
 パルテノン修復責任者のニコス・トカニティスさんが説明してくれました。この神殿は直線と平面の組み合わせで作られているように見えるが、曲線で作られている。床の部分も中央に向かってわずかに盛り上がっていて、真中が痩せて見えるのを避けている。円柱はエンタシスというわずかなふくらみをもたせ、上にいくにつれ細くなっている。円柱はいくつものドラムが積み重なって1本の柱となっている。ドラムには穴があけられていて、上下で合うように補助の役割をしていたか、地震の際のズレを防ぐためのものだった。
 そして紀元前438年に完成した。奥行き69.5m、幅30.88m、円柱の高さ10.5m。全体が彫刻像や浮き彫りなどで飾られており、神殿内部には鷹さ12mの黄金と象牙からなるアテナ女神像が置かれていた。屋根には瓦が並べられていた。
 熊本大学工学部の伊藤重剛教授はギリシャの神殿には色がついていたという。元はパルテノン神殿も色がついていたという。CGで再現してみた。全体にクリーム色で、赤、青、金色の塗料が使われていた。黄金比率は(−1+ルート(5)÷2。

 ペリクレスが制度を整えた民会という議会で、一人の市民の発言をきっかけにアテネの発展は衰えていく。告発者は、それはアテナ女神像の楯「ストラングフォードの楯」に描かれている人の中央の二人がフェイディアスとペリクレスであると言った。フェイディアスは自分が彫ったと告白し、神への冒涜という罪で起訴され投獄された。ペリクレスも将軍の座から辞した。これがアテネと敵対していたスパルタを中心とするペロポネソス同盟国に有利となった。
 戦争によりアテネは劣勢となり、市民は再びペリクレスを将軍に選んだ。しかし戦い開始から2年目にアテネに原因不明の疫病が流行した。これで多くのアテネ市民が亡くなった。紀元前429年、ペリクレスは他界した。紀元前404年、ついにアテネはスパルタに全面降伏した。貴族が復活し市民権を剥奪した。紀元426年、アテネを支配したビザンティン帝国は神殿をキリスト教の聖堂に改宗した。アテナ像はコンスタンチノーブルに持ち去られた。15世紀半ばにオスマントルコが台頭してからは、神殿はイスラム教のモスクに改造された。1687年にトルコと敵対していたベネツィアがアテネに上陸し、トルコ軍は追い詰められ、アクロポリスに立てこもった。9月26日、ベネツィア軍の砲弾がパルテノンに命中し、トルコ軍はパルテノンを火薬庫として使用していたため、大爆発で神殿は崩れ落ち、炎に包まれた。1984年に修復が始まり、西面と東面の作業が終わった。現在一番難しい北面の修復にとりかかっている。全ての修復が終わるのは15年後。

●ローマ
 2008年ミス・ローマの女神アレッシア・フリシオさんが案内してくれた。古代ローマ料理の店「パパレックス」はローマの兵士姿のウェイターが給仕してくれる。紀元前8世紀にはローマは小さな都市国家にしかすぎなかった。イタリア半島統一後は破竹の勢いで北アフリカ、トルコ、スペイン、フランスまでも領土を拡大した(1世紀)。紀元2世紀にはヨ−ロッパのほぼ全土と北アフリカを手に入れた。古代ローマ史研究家のセルジョ・ヤコモーニさんは、ローマは組織力を強化したという。

●コロッセオ
 建設したのは、時の第9代ローマ皇帝ウェスパシアヌスで、日本ではあまり知られていない。ローマの財政が破綻しかけた時に就任し、有料の公衆トイレなどを設置した。そのため、イタリアでは公衆トイレはウェスパシアーノといわれている。
 コロッセオはアーチを横に80本。それを3段に重ね、その上のもう1段ある。5万人を収容した。使用された石材は30万トンに及ぶ。ネロ、ウェスパシアヌス、コンモトゥス、コンスタンティヌスという歴代の皇帝も理解しないといけない。

 ローマを支配するためには、民衆の人気も必要だった。そのためカエサルは「パンとサーカス」で民衆を味方にした。無料で闘技場を市民に公開した。しかし支配の拡大を恐れる反対勢力によって、紀元前44年に暗殺された。それを継いだのが、初代ローマ皇帝アウグストゥスだった。そのローマの衰退と繁栄は属州のユダヤに現れた一人の男と深く関わることになる。彼の教えは為政者への反逆行為とみなされた。紀元33年、ゴルゴダの丘でイエスは十字架に架けられた。その死後弟子たちの熱心な伝道活動が実を結び、ローマでも特に貧しい人々の間で信者が増えつつあった。

 キリストの死からおよそ20年後の紀元54年、第5代皇帝ネロが即位した。母と弟を刺し殺したが、バラと音楽を好んだ。自ら劇場に立ち歌を歌うこともあったという。ローマの街並みを大改造し、その中心に黄金宮殿を建築しようとした。そこで紀元64年、ローマで大火が起こった。ネロはキリスト教徒たちに放火の罪を着せ、1日何百人も猛獣の餌食にし、火あぶりにした。彼らの死を恐れない姿が人々に強い衝撃を与えた。ローマでは信者がさらに拡大していった。逃げ出したネロには4人の奴隷しかついてこなかった。そして自ら命を絶った。

 その後のローマは内乱状態になったが、それを鎮めたのはウェスパシアヌスだった。そして元老院により皇帝に選ばれた。彼は劇場でネロの歌の際に居眠りし、ギリシャに追放されていた。彼はカエサルの「パンとサーカス」を参考にし、コロッセオを建築させた。その完成を見る前に彼は亡くなった。その直後、ベスビオ火山が大噴火し、ポンペイが沈んだ。そして紀元80年、コロッセオが完成した。その翌年にはまたもローマは大火に見舞われ、その翌年には疫病が流行した。それでも市民の心は皇帝の心から離れなかった。

 コロッセオは周囲527m、外壁の高さ48.5mの楕円形。アーチで形成されているが、下からドーリア式、イオニア式、コリント式と異なる様式の柱がそれぞれの層を支えている。観客席は4層に分れていて、第1層はVIP専用席で、皇帝のための席もあった。第2層は一般市民、第3層は最下層市民の解放奴隷、第4層は女性専用席だった。アリーナはかつては白い砂で覆われていた。現代でも使われるアリーナとは、元々は白い砂のことだった。コロッセオの外側にある石が残っているが、これはホロを張るためのロープを止める石。かつては雨や強い日差しを避けることができる全天候型スタジアムだった。後にこれが面倒になったので、ドームを考えた。それで世界で初めて作られたドーム式の神殿が「パンテオン」(紀元前27年)。

 これを8年で作ることができたのは、道であった。古代ローマ史研究会会長のセルジョ・ヤコモーニさんが説明してくれました。全ては1本の道から始まった。道こそがローマ繁栄のカギだった。戦車や馬車など重装備の軍隊が通ってもビクともしなかった。旧アッピア街道など。
 ローマの道は通常は4層からなっている。最下層は1mほど掘り下げた基盤部分、およそ30cmの砂利を敷いて水が溜まるのを防いでいる。第2層は砂利と粘土を混ぜた層。第3層は砕いた石の塊を詰め込み、表面を緩やかな弓型にしている。第4層には一片70cmの大石を敷き詰めてある。イタリア政府公認修復師のフラヴィア・トゥッモロさんが説明してくれたが、全ての層はセメントによって固められていた。これがローマン・コンクリートの技術だった。
 これの作り方は、砂利にヴェスビオ火山などの火山灰を混ぜ、懐いたレンガを加え、石灰を水で溶いたものと共に混ぜ合わせる。固まるまでには60日かかる。
 コロッセオはアーチを横に80本、縦に3層重ね合わせている。アーチにより重量を分散させることができ、土台部分にもローマン・コンクリートが使用された。コロッセオでは、コンクリート、レンガ、大理石を場所によって使い分けるという高度な技術が使われている。ローマン・コンクリートは現在のコンクリートの倍以上の強度があったという。
 コロッセオでは敵味方に分かれて船で戦をする海戦まで行なわれていたという。
 次にローマでは水不足を補うために、水道橋も作られるようになった。今もクラウディア水道橋が残る。水道橋にはローマン・コンクリートが使用された。ローマの人口が100万人になった時、11本の水道橋があり、1日あたりの水の供給量は110万立方m以上だったという。現在の東京都と比べると、1人あたり倍以上使っていたことになる。セルジョ・ヤコモーニさんが説明してくれました。
 ネロは焼け野原となったローマにかねてからの夢だった黄金宮殿を建設した。その跡地に建てられたのがコロッセオだった。どうしてコロッセオと呼ばれるようになったかというと、宮殿の入口にあった太陽神の巨像「コロッサス」に由来する。その像の顔は皇帝ネロの顔だったという。その宮殿の庭に巨大な人工池があった。その池がコロッセオに使われたようだ。それを見つけたのが、地下の遺跡を調査するボランティア集団「ローマ・ソッテラネア」。その地底調査長のシモーネ・サントゥッチさんが説明してくれました。近くにある「サン・ジョバンニ・エ・パオロ教会」の地下から見つかったのが、全長4kmにも達する洞窟の入口。元々は神殿の建築資材を切りだすために掘られていたが、人工池に水を引くための貯水タンクとなった。

 「パックス・ロマーナ」は18世紀の学者エドワード・ギボンが作った、五賢帝時代の地中海世界の平和を表わした言葉。
 第16代皇帝マルクス・アウレリウスは慈悲と寛容に富んだ偉大な君主として知られる。この時代、天災や疫病、多民族からの進入が相次いだが、マルクスは自ら戦い、ローマの安定を図った。彼が犯した重大な失敗は、ローマ皇帝として初めて自分の息子を指名したことである。それが第18代皇帝コンモドゥスで、コロッセオで戦い、負け知らずだった。一人で100頭の熊を殺した。1.2万人の剣闘士を殺害したという記録もある。ローマ帝国最強にして最悪、暴虐帝とまで言われた。太陽神コロッサスの顔も自分の顔に似せて作り変えた。国政の重職を全て部下に委ね、乱暴と放蕩の限りを尽くした。宮殿には300人の妾と300人の青少年が常に囲われていた。暗殺未遂も頻発した。紀元103年12月31日の夜、最後に暗殺を計画したのは、親衛隊長ラエトゥス、侍従長エクレクトゥス、愛人マルキアで、暗殺に成功した。
 その後無政府状態となったローマは、紀元235年〜284年の間、軍隊に依存する「軍人皇帝時代」に突入した。およそ50年の間に26人の皇帝が入れ替わった。

 4世紀初頭、キリスト教と深い関係を持つコンスタンティヌスが皇帝となった。その前にコンスタンティヌスはローマ市の支配権を巡る戦いで、苦戦を強いられていた。ある日、太陽が西に傾きかけた頃、天空に光輝く十字架を見た。そして空に不思議な文字を見た。「汝、これにて勝て」。その夜、コンスタンティヌスの夢にキリストが現れ、「軍旗に十字架をつけよ」と言った。実際に十字架をつけたところ、戦いに勝利し、内乱を平定した。紀元313年、キリスト教を公認した。コンスタンティヌスもまた皇帝の継承権を息子に引き継がせたいと思っていた。元老院の貴族議員やローマ市民を納得させるために、皇位の継承は神が望んでいるということにした。司教たちを懐柔し、彼らの口から統治の権利を伝えさせた。さらに紀元330年、首都をローマからビザンティンに移し、名前をコンスタンチノーブルと名づけた。紀元325年、コロッセオでの野蛮な行為をやめるように勧告した。彼は死ぬ直前の紀元337年、キリスト教の洗礼を受けた。

 紀元395年、ローマは東西に分裂し、ローマを首都とした西ローマ帝国は異民族の侵略により、間もなく滅亡した。コロッセオは存在意義を失い、無用の廃墟となった。逆にバチカンに本山を置いたキリスト教はヨーロッパ世界の精神的支柱となった。間もなくコロッセオは良質の大理石の石切り場となった。この大理石はサン・ピエトロ大聖堂にも使われているという。

 18世紀、古代ローマの象徴は全壊の危機にさらされていた。時のローマ教皇は、コロッセオを聖地と定め、破壊を禁止した。この価値を評価したのは、エドワード・ギボンだった。

 最終的にパルテノン神殿が選ばれました。


テレビ番組「知っとこ!世界の朝ごはん ギリシャのサントリーニ島」

 2009年10月31日放送。

●サントリーニ島
 サントリーニは火山の島でギリシャを代表する観光地。港から荷物をあげるのにラバを使っていた。今はロープウェイができたので、ラバは観光客用になった。
 フィラは中心街で、海賊の侵入を防ぐため、細く入り組んだつくりになっている。お土産物屋さんの通り。陶器、溶岩を使ったアクセサリーなど。一番人気は島の風景。それを作っている人がいる。型に白い液体を入れて固め、色づけしている。これが置物になっている。実際の建物を置物にしています。

 ニコラス・ザルセンタス?さんが紹介してくれたのは、「マックダニエルズ」のスブラキ。これはトルコのケバブに似ている。地元の人はもちろん、観光客も必ず食べるという。
 真っ白で素敵なお宅が多い。「ペリヴォラス・ラグジュアリー・ホテル」は、白い壁で、全てが曲線で、ぬくもりを感じる。元々は住居として使われていた洞窟を使っているため。このホテルには、この島で最も美しいといわれている部屋がある。「ペリヴォラス・スイート」で1泊1500ユーロ(20万円)。ここから見える夕陽は世界一とも言われている。町の白い建物の上に夕陽が沈みました。

 新婚さんの朝ごはん。島の住宅街にある一軒屋に住むクリスティーナ・ヴァンなんとかさん。1品目「トマト・ケフテ」。トマトを切り、ブッシュバジルを細かく刻み、たまねぎをみじん切り、トマトに加え、オリーブオイルで揚げる。両面がしっかり色づいたら完成。
 2品目「ティロピタキ」。フェタ・チーズを手で細かくし、胡椒とナツメグを加え、薄いパイ生地の上にのせる。三角形になるように包む。オーブンで焼いてもおいしいが、さきほどの油を有効利用して、揚げる。
 3品目「ファバ」。ファバ豆を茹でる。オリーブオイル、みじん切りのたまねぎなどを加えて煮込む。これをパンにつけて食べる。


テレビ番組「Love Your Life 最高の夏休み あなたの夢叶えます」

 2009年9月5日放送。藤井フミヤ、名倉潤、佐藤良子アナウンサーが司会。夏に叶えたい夢を応募し、5048件の中から選ばれた人が夢を叶える旅。日本テレビ製作。

●ギリシャのコルフ島
 金子貴俊さんが出演。三重県の奥山幸司さん(24歳)の夢。「イリヤマ陶苑を経営しているおじいさん圦山成月さん(87歳)が急須・陶器を作っているが、30年くらい前にギリシャに行った時に、コルフ島のオリンピア美術館に自分の作品を3点置いてきた。その急須をお爺さんにもう一度見せてあげたい。」。圦山さんは世界で唯一木型を使って陶器を作る伝統工芸師で、「万古焼」を作っている。13年前に自宅が火事で全焼し、思い出は全て失った。

 アテネから380km離れたギリシャの西部イオニア海に浮かぶ島。美しい海と温暖な気候に恵まれ、世界各地からバカンス客がやって来る。
 パレオ・フルリオ(旧要塞)に上がると、眼下には世界遺産「ケルキラ旧市街」。島随一の観光スポット「アヒリオン宮殿」は、名前がギリシャの英雄アキレスに由来する。庭にアキレスの像がある。オリンピア美術館を聞いても誰も知らない。この島にはなくてアテネではないか?という。
 島にただ一つあるという「コルフ・アジア美術館」に行くが、閉館の時間を過ぎていた。翌朝に行ってみた。アジアを代表する作品をたくさん展示・保管しているという。ただ10万点くらいあって、数が多すぎるという。昨年写楽の幻の肉筆画が昨年見つかったのもここ。甲冑なども展示してあった。しかし中国の品が多い。日本の芸術品コーナーが別にあった。そこに3点ありました。美人画が描かれているが、これは今は亡き奥さんを描いたものだった。

●ライオンキング
 札幌の小山内まりなさん(12歳)の夢。劇団四季のライオンキングを見て、「ハクナマタタ」(スワヒリ語で「何とかなるさ」という意味)という言葉が印象に残った。小さい頃から演劇に打ち込んできたが、先天性の病気により体の成長がある時期で止まってしまった。落ち込んでいたら、「舞台の上では体が小さいことは個性だ」とアドバイスされて、救いになった。まりなさんの夢はライオンキングの舞台に立つこと。
 稽古場を見学した。まりあさんのために1回限りの特別ステージが用意された。クライマックスであるラストシーンで全てのキャストが勢ぞろいするその舞台に、まりなさんもカイトを飛ばす鳥の役で舞台に立つことを許された。まりなさんは練習をした。四季劇場で特別ステージが開かれて、舞台に立ちました。最後に勇気ある者しか登ることを許されない「プライドロック」の頂上に立たせてもらった。

●コロラド州
 嶋守洋さん(41歳)は20年勤めた会社を辞め、転職活動中。CMで馬で荒野を走る姿を見て、自分もやってみたいと思った。夢は「アメリカ大陸でキャトル・ドライブに挑戦し、今後の人生に役立てたいこと」。キャトル・ドライブとは、馬で牛の群れを追い牧草地へ移動させること。千葉県九十九里浜「サンシャイン・ステーブルズ」で練習した。
 コロラド州の「コロラド・キャトル・カンパニー」の牧場のオーナーのトム・カーさん(47歳)、カウボーイを束ねるフランク・ウォーフォードさん(62歳)が出迎えた。この牧場の広さは東京の江東区とほぼ同じ。フランクさんが乗り方を指導した。馬に乗るのを怖がっているので、手綱を通して馬に伝わるそうです。乗客ではなく、お前がボスなんだという。
 朝6時、60頭分の餌やりの手伝い。牛の体調管理も大事。怪我をしたら、抗生物質を口から入れるが、嫌がって顔をかなり動かす。15分格闘して口に入れた。
 牧場の牛の出荷日で、牛をあおり、移動させるのを手伝った。その時、嶋守さんは後ろに牛に数多く逃げられたが、何もできなかった。落ち込んだ。

 キャトル・ドライブの日がやってきた。20kmの行程を280頭を2日間かけて移動する。ルート上にはガラガラヘビやコヨーテがいるから、銃が必要。午前8時に出発。嶋守さんの仕事はプッシャーという、牛の群れを後ろから追い上げる役割。おなかの底から声を出し、牛をあおらなければならない。恐怖心を克服し、仲間について行くだけで精一杯。根気強く道なき道を進む。ガラガラヘビを発見したが、カウボーイがすぐに退治した。噛まれると死に至る。1頭1000ドルの貴重な財産が失われる。お昼は暑く、喉が渇く。午後5時に目的地の水場に到着した。嶋守さんの足腰は限界に達していた。
 食事の用意。手が汚れているのを気にしていたが、みんな気にしていない。きれい好きなカウボーイなんていないという。豆の煮込みを作り、ソーセージを焼いた。共に牛を追い、食事を囲めば仲間の証。トムさんも元はサラリーマンで、収入は前の方がよかったそうです。だけどカウボーイは仕事じゃなく、生き方だという。フランクさんは人生は短いから、自分の好きなことをやれという。仕事を探すのではなく、生き方を探せという。
 朝7時、出発。嶋守さんは昨日までと違って、大声を張り上げ、荒野を駆け回った。列の最後尾からはぐれた牛を見事に戻した。7時間後、目的地に到着した。フランクさんに立派なカウボーイだ、いい仕事だったといわれた。


テレビ番組「世界夢紀行 ギリシャ幻想紀行」

 2009年8月14日放送。2004年に製作されたもの。JIC製作。

●アテネ
 人口320万人で、ギリシャの3分の1が住む政治、経済、文化の中心地。ヨーロッパの都市のように統一された雰囲気もなく、温かみを感じる。2004年にオリンピックが開催される。
 ギリシャ神話ではゼウスはヘラという妻がありながら多くの浮気をし、その相手や子供たちが神となっている。
 街中から見上げるとパルテノン神殿がある。街中にも教会がいくつかある。みんな信仰心が強い。
 街中で困るのは路上駐車。新しい駐車場が作れないため。もう一つで困るのは地下に埋まった遺跡。工事をするとでてくることが多いので、工事もよく止まる。シンタグマ駅では、遺跡が発掘され、駅構内に展示されている。
 国会議事堂は、トルコからの独立を機会に新しい国旗がデザインされて掲げられている。白は平和、青はエーゲ海、十字架は独立戦争を支えた修道士、9本の線は自由を表すギリシャ語が9文字であることを意味する。観光客のお目当ては衛兵と写真を撮ること。衛兵は1時間交替で、その間は身じろぎ一つしてはいけない。着ている服はエグゾネス?と呼ばれる独立戦争当時の衣装。この衣装には自由と平和を願う祈りがこめられている。赤い帽子は独立戦争で流された血、格子の黒い房は流した涙を意味する。靴の先の黒いボンボンはトルコに征服されていた時代に刃物を隠すためのものだったと言われている。

 街で一番高い所に上ってみた。「リカビトスの丘」は標高277mの岩山で、歩けば20分だが、ケーブルカーで上がれる。眺望は素晴らしいカフェがあります。
 女神アテナと海神ポセイドンがアテネ地域を巡って激しく争っていた。住民によりよい贈り物をした方にするとされ、ポセイドンは塩水の泉、アテナはオリーブに木を贈った。その結果、アテナが守護神となり、アクアポリスの丘に祀られた。
 1987年に世界遺産に登録された。急斜面を上がると、「ブーレエの門」がある。抜けると紀元前430年に完成したパルテノン神殿。当時は46本の純白の大理石の柱が並んでいた。直径2m、高さ19mにも及ぶ柱のデザインはドーリス式。真中から上にいくにしたがい、丸みを帯び細くなる。わずかながら内側に傾けて建てられている。これは、遠くから仰ぎ見た時に美しく見えるような設計になっている。神殿のいたるところに神話をモチーフとしたレリーフがはめこまれている。
 ここはアテナとポセイドンが争った場所で、その奥には「エレクティオン神殿」がある。いくつかの神々が祀られ、美しい6体の少女像がある。柱は繊細な装飾が施されたイオニア式で、柔らかな優美なデザイン。
 ヘロド・アティクス音楽堂。古代は音楽会、演劇、朗読会などが開かれていた。2500年前はアテネはあらゆる文化の中心地だった。酒の神ディオニソスを信仰する人々が、酒の力で魂を解放し、踊ったのが演劇の起源といわれている。今でも毎年夏に行なわれるアテネ・フェスティバルの時にのみ入ることが許されている。5000人の観客が入れる。

 アテネ市街地にはネオ・クラシック様式の家が建ち並ぶ。モナスティラキ広場は、太陽の光を浴びながら、爽やかな風を感じていたい人に向いている。新鮮なフルーツやギリシャ名物のナッツ類を売る屋台が並ぶ。地下鉄の駅も近いので、待ち合わせやちょっと一息という時によく利用される。オープンテラスのカフェも軒を連ねている。流しの演奏家たちもいる。
 この広場でお勧めのお店は「タベルナ・バイラクタリ Taberna Bairaktaris 」。ギリシャ伝統料理のスブラキを食べるならここ。スブラキは牛や羊や豚の80kgもの肉をぐるぐる回しながらじっくりと時間をかけ焼き上げる料理。焼きあがったお肉の表面をナイフでそぎ、やきあがった部分をそのままいただく。お肉をピタ?と呼ばれるパン生地にのせ、トマト、たまねぎ、にんにく入りヨーグルトなどを入れて、歩きながら食べる。本格的に食べたい人は店内で「グリーク・サラダ」、「ジャジキ」など。ヤギの乳からできたチーズや、キュウリの塩もみなどが入ったヨーグルトなどで自分好みの味にして食べられる。芸能人やスポーツ選手、政治家なども多く訪れている。オーナーの Spiros Bairaktaris さんは新鮮な肉を使い、祖父の代から伝わる焼き方を守ることが大事だという。
 イフェストゥ通りはモナスティラキ広場から西にのびる。鍛冶の神フェファイストスの名にちなんでいる。毎週日曜日には「蚤の市」が開かれる。売っている品々も銅や真鍮を使ったものが目立つ。自分だけの宝物を見つけるというのが蚤の市の醍醐味。
 エルムー通りはもっとオシャレなお店に行きたいという人に向いている。ナイキの店もあるが、ナイキとは勝利の神ニケを英語読みにしたもの。彫像では羽を持つものもあるが、ギリシャ神話では翼はない。アテネ市民がニケが逃げないように翼を切り落としてしまった。
 アティナス通りは最も活気にあふれた通り。中央市場では新鮮な食材を求めるアテネの人々でいつもごった返している。オリーブのお店も多い。オリーブは100種類以上の種類がある。あるお爺さんは3kg買っていたが2週間でなくなるそうです。精肉市場ではいろいろな肉もある。鮮魚売場。隣にはそれらを食べることができるお店もある。
 地元の人が好んで飲むのは「ウゾ Ouzo 」で、アルコール度数は46度。ブランデーにアイリス?という薬草をつけこんで作った香りの強い飲み物。氷を入れると白濁します。

 アクアポリスの丘の麓に「古代アゴラ」がある。古代の市場は買い物だけでなく、政治・経済・学問などのあらゆる活動の拠点で、議論をしていた。「ゼウス・エリテイオスの柱廊」では、ソクラテスが論議を交わしていたという。「トロス」はアテネの政治を司る評議員たちの「詰め所」。紀元前460年に建てられた。今は小さな石しか残っていない。
 新聞の種類の多さも、政治に対する関心が高いことの表れ。投票率は90%を越えることもザラとか。

●アポロン・コースト
 南東に向かう道は「アポロン・コースト」と呼ばれ、人気がある。道路沿いにビーチやヨット・ハーバーが並ぶ。
 30分で到着した場所は、海が美しい。
 道に沿って多くの別荘が建ち並ぶ。それをあてにして多くの高級店が軒を連ねる。中でも人気なのが、「カジマテ Kazimathz 」。地上に3階、地下に2階に、オーナー自らがセレクトしたセンスのよい家具がギッシリと並んでいる。マネジャーの Bibh Anatoaith さんは、スペインやイタリアの家具を扱っているという。家具の色や素材をお好みにあわせて変えることができる。

●スニオン岬
 岬は海に突き出たようになっていて、そこに建っているのが「ポセイドン神殿」。紀元前440年に建てられた。ポセイドンは海の守り神。柱は直径1m、高さ6mのドーリス式。通常20本?だが、16本。
 海抜60mの岬から望むエーゲ海。ポセイドンは嵐を呼ぶ乱暴な神とも知られる。

●ピレウス Piraeus
 アテネ駅から西南?に20分でピレウス駅に到着。目の前に大きなピレウス港がある。エーゲ海への島々への出発点でもある。ここから235km離れたサントリーニ島に向かう。他の島々にも寄るので、9時間かかる。

●サントリーニ島
 島に近づくと、切り立った断崖が聳え立っている。また白い街並みがその上に並ぶ。
 オールドポートは港が小さいために、大型船は接岸できない。乗客は小型ボートに乗り換えて上陸する。海抜270mにも及ぶ断崖が港にも迫ってきている。ここからは2通りの移動の仕方がある。
 1つはテレフィリックというゴンドラに乗り3分で街を目指す。もう一つは昔ながらのロバの背中に乗る方法。ロバの背中はかなり揺れるそうです。600段で所要時間はロバの機嫌次第。30分で「フィラ」の街に到着。
 白い壁の家々が並ぶ。屋根が時折青い。断崖に作られているので、街の至る所が絶景ポイント。海の青、空の青、建物の白が楽しめる。
 お土産店もある。3月〜4月は街全体が化粧直しの時期で、建物を白く塗り直していく。
 海を見渡せるカフェ「レム Rembh Cafe 」に行く。テラス席からは素晴らしい景色が見える。飲み物は赤いカンパリソーダなどが青に合っていいかも。「タラモサラダ」は淡いピンク色。
 このカフェから見えるサントリーニ島の目の前の島がネア・カメニ島。15世紀の大爆発で、元々は丸かったサントリーニ島の大部分が海に沈み、サントリーニ島は現在の三日月型になった。
 一説には、サントリーニ島が伝説のアトランティスではないか?とも言われている。その証拠が「アクロティリ遺跡」。紀元前15世紀の大噴火で埋められた都市の跡が、今も生々しく残されている。

 アトランティスの謎解きをするのにピッタリのクルーズがある。Glass Bottom Boat 、サンセット・クルーズなどがある。
 今回のクルーズに参加。まずネア・カメニ島。海岸線は黒い溶岩、海の色は硫黄で緑色に変色している。上陸すると木が生えていない。観光客はひたすら歩き火口に向かう。この火山はまだ活動を続けている。次はバレア・カメニ島。みなさん水着に着替えて泳いで入り江に向かう。ここには温泉が湧いていて、水は茶色。温度が高いそうです。

 次は1日クルーズに参加。Saronic Dolphins ツアーか?Anna Maru の船内は意外に豪華で、オシャレなブランド。ショップも入っていることもある。Dolphin Bar なるバーもある。ショーもある。ちなみにプレスリーのニセモノも出演していたとか。アテネから90分でエギナ島に到着。

●エギナ島
 古代にはポリスがあった。1827年にはこの島にギリシャの最初の首都が置かれた。港には都会で味わうことができないのんびりした空気が流れている。港の片隅では漁師がタコを叩いていた。また船上市場も賑わっている。フルーツも売っている。
 メイン・ストリートを少し入った裏通りで、名産物ピスタチオ・ナッツを売るお店「Moyptzhi 」を見つけた。ギリシャではピスタチオをエギニオと呼ぶくらいエギナ島のは美味しい。ピスタチオには3種類ある。1つは何もしないで殻が開いたもの(1kg10ユーロ)。次は塩水で味付けし、自然に殻が開くのを待ち、ローストしたもの(1kg、10.5ユーロ)、機械で殻を開いてローストしたもの(1kg6ユーロ)。
 もう一つ裏通りでお勧めなのが、魚市場?を抜けたところにあるひっそりしたレストラン「Taberna Yapo 」。地元の人が集い語り場となっている。タコを焼いてレモンだけで食べる。またはタコをパンにのせている。
 エギナ島の郊外に向かった。ピスタチオの実にはオスとメスがある。他にはブドウ、イチジクなどが栽培されている。山にはアフェア神殿が聳えている。ここには妖精から女神になったアフェアが祀られている。アフェアとは目に見えないという意味。この神殿はアルカイック後期の神殿の中でも最も優れた神殿だといわれている。柱はドーリス式で、エギナ島産、ほとんどが一枚板でできている。建てられた時は柱は化粧漆喰で白く塗られていた。

●サントリーニ島
 第二の都市イアも断崖の斜面にある。新進気鋭のデザイナーたちがお店を出している。そういう人気のお店「Wave sculpture 」。白を基調とし、ガラス素材の作品が並べられている。オーナーは実用的ではないものを作るのが好きだという。青い色が印象的な教会のドーム。ギリシャ国民の97%が熱心なギリシャ正教徒。
 午後5時を過ぎると、イアの西の端に、エーゲ海に沈む夕陽を見るために、人々が集まる。海に突き出るようにして作られた展望台。海が赤く染まった。空がピンク色に染まり、家の壁もピンク。


テレビ番組「世界遺産への招待状 ギリシャ春のエーゲ海」

 2009年4月20日放送。ギリシャ神話の時代から春は特別な季節。アテネのアクロポリス、デロス島、パトモス島。ギリシャとトルコの間に横たわる海。ここに5つの世界遺産がある。NHK製作。

●アテネ
 アクロポリスは古代の人々がギリシャ神話の神様を祭っていた聖なる場所。紀元前5世紀に建てられた。入口には高さ10mの巨大な門。門をくぐると白亜のパルテノン神殿。幅30m、奥行き70mの巨大な神殿。使われた大理石は全部で3万トン。中には戦いの女神アテナが祀られていた。ガイドはマリア・チョーチさん。中にはアテナ像があったが、中に入ることができたのは神官たちだけだった。多くの人は外で儀式を行い、外から眺めていた。威厳を保つために隅々まで工夫が施されている。その一つが彫刻。パルテノン神殿の正面一番左上には、半身半馬のケンタウロス、右上には女神アテナの誕生に駆けつけた酒の神ディオニソス。正面の床を横から見ると、中央の部分が7cmほど膨らんでいる。この7cmによって建物は正面から見ると美しく真っ直ぐに見える。柱にはエンタシスというふくらみをもたせ、均整の取れた姿を表現。このような錯覚の理由がパルテノン神殿の秘密だという。古代建築の最高傑作と言われる。アクロポリスで確立した美はヨーロッパ建築様式の源となった。このための修復作業が20年にわたり続いている。この丘からエーゲ海がきれいに見える。

●ミコノス島
 ミコノス島に行き、デロス島行きの小型の船に乗り換える。ミコノス島は夏は各地から観光客が訪れる。しかし春は穴場。地元のペリカンが出迎えてくれた。トラックの荷台がそのまま魚屋さんになっていた。

●デロス島
 ミコノス島から40分。アポロンの生まれた島。そのため、ギリシャで最も晴れる日が多いという。古代ギリシャではアポロンを祀った聖域でもあった。現在この島に一般人は住むことができない。ガイドはエリコス・プシホヨースさん。島の入口から長さ80mに渡って伸びる参道の跡。両側にはかつての石の建築物の跡が並ぶ。デロス島が栄えたのは紀元前8世紀から紀元前1世紀まで。ギリシャ中から巡礼者がやってきていた。進んで行くと、ライオン像が立ち並んでいた。縦横およそ3mのアポロンの像の台座が残っている。100m先に高さ9mあったアポロンの巨大像の一部が残っていた。おなかと胸の胴体部分らしい。肩にかかる髪の毛と背骨はハッキリわかる。当時2.5万人が暮らしていた。住居の跡が多く残っている。
 海上輸送に使われていたアンコラ?という壷には、オリーブオイルやワインが入っていた。交易の拠点でもあった。モザイク芸術も発達していった。その技術はその後ローマ帝国に受け継がれていった。
 花は春。6月からは枯れ始めるという。デロス島の山に登った。高さ150mのヤマには頂上まで石畳が敷かれていた。

●サモス島
 マスカット・ワインで有名な島。ギリシャ神話の女神ヘラが生まれた島。2500年前に作られたヘラ神殿の跡が残っている。縦110m、横60mとパルテノン神殿のおよそ4倍あった。現存するギリシャ神殿では最大と言われる。
 ピタゴラスが生まれた町ピタゴリオンもある。この2つが世界遺産。

●クレタ島
 エーゲ海の南の端にある。エーゲ海最大の島。肥沃な土地のおかげで、オリーブやブドウ、アーモンドなどの栽培が盛ん。2000m級の山々が連なるクレタ島は、全能の神ゼウス誕生の地。ゼウスが生まれたというディクティ洞窟は、古代ギリシャの神の息吹が感じられる。

●パトモス島
 エーゲ海の東の端。トルコとの国境近くにある島。アテネから船で7時間。この島の世界遺産は山の上に広がるホラ歴史地区。1900年前、キリスト教の神が舞い降りたという。
 要塞のような聖ヨハネ修道院を訪ねた。修道院は「エーゲ海のエルサレム」とも呼ばれ、今も世界中からキリスト教徒が集まる巡礼地。独特の旋律で祈りをあげる修道士たち。原始キリスト教の儀式をとどめているギリシャ正教の祈り。この修道院は聖ヨハネを記念して建てられた。紀元1世紀、ヨハネは晩年パトモス島で暮らしていた。身を置いていた洞窟がある。当時90歳だったヨハネはこの洞窟で神の声を聞き、「ヨハネの黙示録」を残した。ハルマゲドンと呼ばれる終末の様子、最後の審判。「はじめに言葉あり。言葉は神と共にあり」。壁にはそんなヨハネが頭を置いて休んだ窪みも残されている。
 食堂に案内された。マルティニアノス神父が説明してくれました。中央にある大理石のテーブルはこの修道院が建てられた時からずっと使われてきた。イスはなく、高さの低い台だった。現在修道院では25人が暮らしている。
 ホラの町は壁が真っ白。修道士たちを支える農家や石工たちが住み着き広がっていった。中世エーゲ海の海賊はこの町を襲った。そのために町のあちこちにカマーレスというアーチを作り、道は迷路となった。人々はカマーレスを伝って万が一の時は修道院に逃げ込んだ。
 修道院の壁の高さ15m、幅70m。町の人々の避難場所ともなっていた。修道院には現在50以上の部屋がある。
 住民は春先には野原にでかけて山菜を採る。お湯で茹でた後、オリーブオイルとレモンだけで味付けした食べる。キリスト教の復活祭にむけて、40日間肉を食べない日が始まった。それに備えるための春のお祭りがある。みんな仮装してました。


テレビ番組「知っとこ!世界の朝ごはん ギリシャのヒオス島」

 2009年1月17日放送。

●ヒオス島 Xloc
 アテネ経由で17時間の旅。ギリシャ本土よりもトルコに近く、人口6万人。中世には島全体に要塞が築かれていた。迷路のような路地や石造りの建物がそのまま残っている。温暖な気候なので夏にはヨーロッパからの観光客で賑わう。
 中心街のヒオス・タウンはのんびりした雰囲気。年配の人が多い。冬でも暖かいらしい。レモンもオレンジも実っている。別名「ミロポロス(いい香りの島)」とも呼ばれている。ラテルナという派手な楽器を演奏している老人がいた。100年以上も前の品らしい。
 「シトラス」はオレンジの伝統的な料理「スプーン・スイーツ」をいただける店。スプーンにのせてだされるのでその名がついた。オレンジを薄く皮を削って1時間茹で、水に1日浸し、透明になるまで数時間砂糖で煮たもの。
 旧市街のメスタ村に行く。マスティハという白いものをお母さんたちがよりわけていた。この島でしか取れなくてあまりに貴重なので、「キリストの涙」と呼ばれている。ピロリ菌や歯周病菌などを殺菌する効果があるという。これは木の樹液で、木の下の方に傷をつけて数日おくと樹液が出ている。同じ木はこの島の周辺にもあるが、樹液を出すのはこの島の木だけだそうです。2000年以上前から薬として利用されている。今ではとてもオシャレな専門店もできている。ガムやチョコレートにも入っているものがある。美容効果もあるというので、石鹸やコスメにも使われている。
 ヴァシリス・ダルュグルさん(24歳)が紹介してくれたのは、島で一番人気のスイーツ。喫茶店?「マナラ Manapa 」の「ルクマデス」でドーナツみたい。でも生地には砂糖が入ってない。小麦粉、水、イースト菌のみで生地ができている。これに真中に穴をあけて揚げてハチミツをかけたもの。5個3ユーロ。

 島の中ほどにあるピルギ村に行く。きれいな街並み。白と黒の模様でビッシリの建物が続く。教会までもクシスタという伝統の模様が描かれている。500年の歴史がある。1軒1軒デザインが違う。描き方は、まず壁に黒い色のセメントを塗り、乾いたら真っ白い漆喰を塗り、乾いたら分度器・コンパス・定規で線を引き、白い部分を削る。今ではこの景観を守るために、銀行までもクシスタを描くことになっている。観光客で夏は賑わうそうです。

 新婚さんの朝ごはん。2世帯住宅に住むピネロピ・アルギラキスさん(23歳)が作るのは、1品目「茄子と牛肉のトマト煮」。ぶつ切りの牛肉をひとくち大に切り分け、たっぷりのオリーブオイルで揚げ焼き。カリッとなるまでじっくり揚げたら、いったんお皿にとっておく。オリーブオイルに切ったナスを入れ、タマネギとニンニクも入れて炒める。ナスがオリーブオイルを吸うので、ドライトマト、トマト・ピューレ、水を加えて、先ほどの肉を戻して煮込む。マスティハを塩胡椒とともにパラパラとふりかけ、1時間煮込む。
 2品目「マーマレード・パイ」。ミキサーにたっぷりのバターと砂糖、卵黄、リキュールを入れ、しっかりかき混ぜる。小麦粉とベーキングパウダーを加え、手でこねてパイ生地を作る。お皿に広げ、オレンジで作ったマーマレードを上に敷いて、オーブンで30分。デザートの完成。
 3品目「ホルタ」。ホルタという野草をたっぷり茹でる。その間にドレッシングを作る。レモンを絞り、オリーブオイル、塩、胡椒、マスティハをひとつまみ加え、ホルタにかける。風邪予防にたくさん食べるそうです。


テレビ番組「にじいろジーン 世界ぐるぐるジーン アテネ」

 2008年12月6日放送。

●アテネ
 過去と現在が調和する観光都市。町中に点在する古代ギリシャ文明が生んだ遺跡の数々。中でも守護神アテナを祭ったというパルテノン神殿は、アテネの中心アクロポリスと呼ばれる丘から、歴史を見守り続けてきた。
 今回はイリーニ・パパデミテリュウさん(38歳)のお宅を訪問。2人の娘との4人家族、4LDK160平方m、マンションのメゾネット形式の建物に住む。朝食にはチーズにもたっぷりのオリーブオイルをかけて食べる。オリーブオイルは年間一人30リットル程度消費するといい、世界一です。薬にも使われていたそうです。今でもスプーン1杯飲むと便秘に効くという。
 ギリシャ神話は国民の誇りだそうです。アテナが一番人気みたいです。
 ギリシャで車を止める時は注意が必要。ギリシャでは手の平を見せるのはダメ。掌を見せるのは「地獄に落ちろ」という意味のため、止める時は手を水平にするか、2本か1本の指を出す。
 毎週土曜日に開催されるという青空市場「ライキ」に行く。スーパーよりも安くて質がいいそうです。一週間分の食料をまとめ買いする人が多い。ジャガイモは1kg90円(日本は280円)、バナナは200円(日本290円)。この場所は日頃は路上駐車であふれているが、ライキが開かれる時だけは車が移動させるそうです。
 休日のお昼過ぎ、にぎわうのは「タベルナ」。みなさんが弟さんのネームデーのために集まった。ギリシャの97%の人がキリスト教の聖人の名前を持っている。その聖人の記念日を自分のネームデーとして祝う習慣がある。ギリシャ人にとって、誕生日よりもネームデーの方がより重要な意味がある。

 町の公園にはノラ犬ばかり。アテネ市がこの犬たちを飼っている。餌もボランティアの人たちが与えている。2000匹いるそうです。
 自動販売機みたいなものは市が設置しているリサイクルBOX。ものを入れて緑のボタンを押すと、スーパーなどで割引をしてもらえるレシートが出てくる。黄色のボタンだと寄付になります。1個2セントくらい?
 夕陽の中でリカヴィトスの丘に行く。ここはアテネで一番高い丘で、最高の景色が見られる。特に夕陽が素晴らしい。
 ギリシャ人は夜に遊ぶのが好きで、ご主人はフットサルをしていました。
 ギリシャの伝統料理「パスティッチョ」。オリーブオイルで挽肉を炒めた後は、つぶしたトマトを入れ、スパゲッティを入れる。ペシャメルソースといって、牛乳と卵、バター、小麦粉で作ったソースをここに加えて焼き上げる。仕上げにオーブンで40分。


テレビ番組「びっくり法律旅行社 ギリシャ」

 2008年10月16日放送。児玉清、黒崎めぐみ、タカアンドトシさんが司会。八代亜紀、松崎しげる、山田花子さんがゲスト。

●ギリシャ
 成田からローマ経由で17時間。平均気温は18度、時差はマイナス7時間。本土は日本の3分の1、エーゲ海には3000の島々が浮かぶ。ギリシャには昔から「よそから来た人を手厚くもてなす」というフィロクセビア?という言葉がある。

 アクロポリス遺跡は開館時間は8時〜19時、料金12ユーロ。午前中は団体のツアーが多いので、お勧めはお昼過ぎからだそうです。パルテノン神殿は後世に大きな影響を残した建築物。ここには金と象牙で作られた12mのアテナ像が祀られていた。遺跡の横には文化省職員が監視をする小屋がある。遺跡に腰掛けることはOKだが、登ることは禁止。笛で注意されます。ヘロド・アティクス音楽堂は今でも使われている。古代アゴラは開館時間8時〜19時、料金12ユーロでアクロポリスと共通。単独券は4ユーロ。ソクラテスもここで演説していたそうです。アタロスの柱廊。国立考古学博物館には、各地で発掘されたものが展示してある。例えば「アフロディテと牧神パンとエロスの像」は、言い寄られたアフロディテが左足のサンダルで叩こうとしている場面。博物館の中では写真撮影は許可されているが、像と同じポーズで記念撮影するのは禁止。考古学者のクリストプゥールゥ・アレクサンドラさんが説明してくれました。さらにみだらなポーズも禁止。像や古代ギリシャの人々を侮辱しているのと同じことだから。係員はそのような写真を抹消する権利がある。
 国会議事堂では衛兵の交替式が1時間に1度ある。衛兵のものまねをして撮影するのは禁止です。
 ギリシャで初めて商店街ができた通り「風の通り」にはカフェやお土産屋さんが多い。青い目玉のようなものは、「マティ」でギリシャのお守り。目がいつも見守ってくれるという意味。赤ちゃんを守るという意味で、乳母車にマティをつける習慣もある。パレオファリロ税務署署長のヴァンゲリス・スクラスさんが説明してくれました。店は必ず、店の登録番号の入ったレシートを発行しなければならず、買い物をした客もそれを受け取る義務がある。脱税防止のため厳しく取り締まっている。受け取らなかった場合は、買った人も法律違反。罰金は購入した金額による。
 地下鉄にはメトロ・ミュージアムといって美術品が置いてある。迷惑駐車が多い。ストリート・パンサーズという市民団体が立ち上がり、シールを貼る。「私はロバ。どこでも好きな所に駐車します。」と書いてある。ギリシャでは無法者を意味する動物がロバ。

 スブラギはトルコのドネル・ケバブ。パンに肉、たまご、トマトなどを挟んで、ヨーグルトソースをかけて巻いた「スブラギピタ」は1.8ユーロ。夜になるとタベルナ(ギリシャの大衆食堂)で食べる。この時、強いお酒ウゾ(ブドウの蒸留酒)に水を入れると白濁する。

 サントリーニ島は人気。300mの崖の上に立っている街。ここに行くには600段の階段を上がらないといけない。そこでお勧めなのがロバタクシーで片道4ユーロ。

 ミコノス島はトルコとの間にある、白い建物が建ち並ぶ人気の島。シンボルの白い風車は昔、麦をひいていたもの。建物の壁は白に統一しなくてはいけないという法律がある(ギリシャ法令N336/1976・N721/1995)。景観を保つためと、家の中の温度を低く保つため。他にも、建物の高さは7.5mまで、雨戸は木材のみ使用、建物の出入り口に裸電球禁止という法律がある。違反すると電気を止められてしまう場合もある。
 ビーチはエーゲ海で一番美しいと言われている。街は迷路のよう。迷うことも楽しんで欲しい。昔海賊に襲われていたので、これで撃退したという。階段が家の外にあるのも特徴で、近所とのコミュニケーションを取るため。

 お家に入る時は、来客者が右足から家に入ると縁起がいいというので、実践すること。ニコス・チェヴェレキスさんのお宅を訪問しました。飲み物を運ぶ際に、中身がこぼれたらお金が溢れるという意味で、縁起がいいとされる。

 人の前に手の平を広げることは「地獄に落ちろ」という意味。5つを意味する場合は、掌を裏返すこと(掌を自分に向ける)。かつて炭を手につけて相手につけた動作によるものらしい。


テレビ番組「知っとこ!世界の朝ごはん ギリシャのパロス島」

 2008年8月16日放送。

●パロス島
 アテネの南東100kmにあり、白い街並みで、人口8000人。ファランガスの浜辺はリゾート地として人気上昇中。
 パリキアは島で一番賑やかな町。土産物屋が軒を連ねる。食料品のお店の冷蔵庫には「ケファロティリ」という島特産のチーズがある。製造している「ティロコミオ・パル」を訪問、牛乳で作っていました。ギリシャはヤギのチーズ「フェタ・チーズ」が有名だけど。50年前にギリシャ政府が島の特産品を作るために工場を建てたことで牛乳に変えたらしい。1kg10.9ユーロ。
 レフケスは山間の村。白壁と真っ青な空と石畳の村。青い屋根と白壁の教会がある。この島には100以上の教会がある。古代から宗教の中心地だったそうです。
 島の南側にあるアグリアにある白い壁の建物はホテル「リファ・ヴィレッジ」で、2007年開業のコテージ・タイプのホテル。室内は白と水色でまとめられさわやかでシンプル。キッチンも完備。部屋からはエーゲ海が見える。1泊13−ユーロ〜。
 島の東部のコストスには茶色の壁の建物の工房「イリア」があり、壷がたくさんある。古代ギリシャの時代から作られている陶器で、オリーブオイルなどを保存している。島の土が陶器に良質だそうです。
 漁港ピソ・リバディに行く。おじさんがタコを地面にたたきつけている。これでタコの繊維がつぶれて身が柔らかくなるという。日本では歯ごたえを重視するが、ギリシャでは柔らかいのが好みとか。
 コスタス・ルソスさんが紹介してくれたのは、シーフード・レストラン「ムラヨ」。サバの開きの「グナ」がお好み。内臓を取り、よく洗った後に天日に干して、たっぷりとの塩とオレガノをふりかけ6時間干し、オーブンで焼いて完成。たっぷりとレモンを絞っていただく。7ユーロ。

 新婚さんの朝ごはん。高台にある一軒屋に住むスタグルラ・パンデラ?さんが作るのは、1品目「ブリアム(野菜のオーブン焼き)」。ジャガイモの皮をむき、薄くスライスする。同じようにした茄子、ズッキーニを大きめの土鍋にいれ、その上にジャガイモをのせる。タマネギ、にんにくを細かく切ってミキサーに入れ、ミキサーにかけ、これに切ったトマトを入れ、もう一度ミキサーにかける。これを鍋に加え、オリーブオイルをたっぷりかけ、塩胡椒で味を整え、オーブンで1時間焼く。
 2品目「ティロクロケテス(チーズ・コロッケ)」。チーズの「ケファロティリ」を削り、フェタチーズと混ぜあわせ、卵を落とし、パン粉をたっぷり加えて、しっかり混ぜる。これを手の平で一口サイズにして団子状にしてオリーブオイルでカラッと揚げる。卵のふわふわ感があるチーズ・コロッケ。
 3品目「ダコス」。パクシマド・クルラという非常に堅いパンを水に浸して柔らかくし、手で細かく砕く。お皿に盛り付け、上からフレッシュトマトを2個摩り下ろし、カットしたトマトをさらに盛り付け、チーズをトッピング。ケッパーを散らして、オリーブオイルをかけてサラダの完成。


テレビ番組「THE 世界遺産 オリンピア」

 2008年8月3日放送。

●オリンピア
 2800年前にオリンピックが開催されていた場所。アテネの西200km。2000年のアテネ・オリンピックの際は、ここで砲丸投げの試合が開催された。かつてのオリンピックも4年に1度5日間の開催で、時期は農閑期に入る8月下旬だった。神聖な満月の夜に幕を下ろす。観客は数万人、持参したテントで野営する人も多かった。当時は農閑期には戦争が起こっていた。アテネをはじめとするポリスはオリンピックを開催することにした。オリンピアは1000以上あるギリシャのポリスの崇拝を集めた聖地だった。ゼウスを祀ったゼウス神殿がある。ゼウスの妻ヘラの神殿。現在のオリンピックでは、ここで聖火の採火式が行なわれる。ここでゼウスの子ヘルメスの大理石像が発掘された。
 紀元前776年に始まった。最初は1スタディオン(192メートル)を走るスタディオン競争だけだった。スタジアムの語源でもある。審判席もあり、ルール違反するとムチで打ったという。女性は参加できず、巫女だけは見学できた。時代が経るにつれ、スタディオンを往復する競技、12往復する競技などができた。円盤投げ、やり投げ、走り幅跳びなども誕生した。当時の選手は片手に石や鉛を持ち、反動を利用して投げた。参加資格としては、祖国で10ヶ月に及ぶ特訓を受けることがあった。パライストラは練習場となった。競技は全裸で行なわれた。ストレンギスという部屋は体に塗ったオイルをこそぎ落とすためのものだった。格闘技は人気で、ボクシングでは片手同士を結び、殴りあった。戦車競走も人気でオリンピックの花と歌われた。5日目の最終日は表彰式が行なわれた。勝者に与えられたのは、オリーブ。まさしく、栄誉をかけて彼らは戦った。1170年間もオリンピックは続いた。最後の競技会は西暦393年。ローマがキリスト教を国教としたことで、ギリシャの神々に捧げる祭典は終わりの時を迎えた。
 オリンピアの町にある書店。ご主人のアポストロス・コズモプリロス?さんが説明してくれた。日本の古新聞も見せてくれた。この人は東京オリンピックで聖火ランナーとして走ったそうです。クーベルタンの墓もオリンピアにある。1896年にオリンピックは復活した。


テレビ番組「世界!弾丸トラベラー 山田花子さんでギリシャのサントリーニ島」

 2008年6月15日放送。山田花子さん(33歳)が、世界中のカップルが結婚式を挙げたい場所として大人気のサントリーニ島に行って、結婚式の下見をする。9500kmの旅。

●予定
 1日目、21:55成田空港発、エールフランス277便でシャルル・ド・ゴール空港へ。
 2日目、7:20パリ発、AF1232便で、3時間15分、11:30アテネ着。12:30、アテネ市内観光。地下鉄で移動し、モナスティラキ駅に。13:30パルテノン神殿観光。15:45アテネ市内発、空港へ。17:45アテネ空港発、エージアン航空3358便で50分。18:30サントリーニ空港着。日本から13時間20分。19:00ホテル「ポルトフィラスイート」にチェックイン。20:00レストラン「ペトロス」で夕食。
 3日目、8:30ホテルにてヘアーメイク。10:00サントリーニ島で結婚式の下見をする。14:20サントリーニ空港着。19:45アテネ空港発、AF1833便。23:35シャルル・ド・ゴール空港発、AF278便。
 4日目、18:00、成田空港着。

●アテネ
 11:30、エレフテリオス・ヴェニゼロス空港に到着。空港でバゲッジを預けて地下鉄に。6ユーロでモナスティラキ駅。パルテノン神殿を目指す。2500年前の神殿で世界遺産。入場料12ユーロ。神様に結婚相手のお願いをしました。
 街中で豚のスブラキの店があった。トルコでいえばドネルケバブ?。これを薄く切って、ピタという生地にはさみ、たまねぎ、トマト、ポテトを包み、にんにくを入れたヨーグルトのソースでいただく、ギリシャ名物ギロピタ。1.7ユーロ(300円)。美味しいそうです。ウゾというお酒が合うというので飲んだら、たいへんでした。ウゾはブドウから作られる蒸留酒で、アニス(香草)が特徴。アルコール度数は40度のお酒。水で割ると白く濁る。ウゾは5ユーロ。
 パンドロスウ通りで買い物。伝統楽器「パグラマス」の専門店「ポリドロウ」で、物色。一番安いもので80ユーロ。

●サントリーニ島
 エーゲ海に浮かぶ、断崖絶壁の島。白い建物と青い海がコントラストを生む。午後6時半に到着。ガイドさんはキリヤコスさん(30歳独身)。
 フィラにある「ポルトフィラスイート」に到着。真っ赤なベッド、白い壁。夜8時日没前。日没が見えた。オレンジ色です。この夕陽を恋人同士で見ると、永遠の愛を手に入れることができるという伝説がある。みんな自然と拍手してました。
 レストラン「ペトロス」で夕食。魚介類が炭火焼きででている。ロブスターの炭火焼32ユーロが一番。タコの炭火焼は9ユーロ。明日の結婚式の下見の花婿はどうするの?と聞かれて、キリヤコスさんになって欲しいと頼むと、OKがでました。
 10時に準備ができた。音楽隊が部屋の前まで迎えに来てくれました。ホテル前で花婿と落ち合い、パレードを開始。専属カメラマンが付いている。島中の人が祝福してくれた。何か投げてくれますが、痛いそうです(笑)
 車に乗り込んで、山の上の絶景の教会に行く。フラワーロードを通り、結婚式の会場「プロフィティス・イリアス教会」に行く。白い壁と青いドーム屋根の教会で可愛い。サントリーニ市役所の人が式の進行と立会人になってくれる。まずは誓いの言葉。そして誓いのキス。
 以上、「サントリーニ・ウェディング」はウェディング・セッティング、楽団、写真撮影、ケーキ、その他で合計2925ユーロ(47万円)。


テレビ番組「地球街道 草刈正雄さんでギリシャ」

 2007年11月17日、24日放送。

●アテネ
 首都アテネは人口340万人で国の3分の1が暮す。シンボルは世界遺産アクロポリス。世界で最も有名な遺跡のパルテノン神殿は紀元前5世紀に建てられたが、ヨーロッパ建築に多大な影響を与えた。神殿の高さと幅の比率、電柱やレリーフなどの比率、などが計算された美しさは建築の理想と呼ばれている。アクロポリスはアテネ栄光の証し。

●エーゲ海
 市街地を離れ車で走ること30分。エーゲ海に出た。絵に描いたような海。 アテネの南10kmにあるプレウス港はエーゲ海の玄関口。朝6時半にフェリーに乗船し、7時35分朝焼けと共に出航。

●ミコノス島
 円を描くように島が並んでいるキクラテス諸島の中にある島。キクラテスは英語のサークルの語源。
 プレウス港から6時間、アテネの南東95kmにある島で、エーゲ海を代表する美しい島。
 草刈さんは町に到着すると延々と歩くそうです。見渡す限り真っ白な町。ドアや窓や手すりが青。白い迷路といった趣。幅50cmくらいの道もある。
 パン屋さんに寄ってみた。入口にBakery と書いてあります。ここの釜は500年前から使っている。オーナーのニコス・ヴァムヴァクウリスさんは1日250キロ焼くという。1個1.6ユーロ(260円)。毎日7時半と11時半の焼き上がり時間には島の人が買いにやってくる。

 かつては小さな漁村だったこの島。魚を売っている露店がある。パトリックさんは船を岸につけたが、朝からタコを捕ってきたという。パトリックさんはこの島一番のタコ取り名人。タコを岩に叩きつけて身を柔らかくする。22 Patrick と書かれた家に行く。「タコとマカロニ」を作る。まずタコを茹でる。一口大に切り、鍋に入れ、刻んだトマトとたまねぎを入れ、トマトピューレ、オリーブオイル、塩胡椒で味つけし10分煮込む。そこにさくっとマカロニを加え、煮えたら完成。
 パトリックさんがもっとすごいご馳走があるというので、行ってみた。エーゲ海に沈む夕陽でした。

●ディロス島
 すぐ近くに訪れるべき島がある。小さな観光船に乗って出発。30分で島が見えた。島全体に紀元前の遺跡が広がるために、島全体が世界遺産。
 この島が栄えたのは紀元前5世紀以降のこと。キクラテス諸島の中心に位置するため、エーゲ海の貿易港として発展した。太陽神アポロン、月の女神アルテミス兄弟の生誕地として信仰を集めた。
 アポロン神殿は土台だけしか残っていない。アテネを中心としたポリス国家は他国の侵略に対応してディロス島で同盟を結んだ。アポロン神殿はその同盟の豊かな財力によって作られた。島の繁栄を支えた。古代の住居跡も残されている。島には租税や関税がなかったので、地中海全域から船主や商人が集まった。
 大富豪「ディオニソスの家」の床にはモザイク画がある。ペルシャ猫らしい。色鮮やかなのは修復をしているため。敷地内には排水溝がある。紀元前のこの島には水道が設けられていた。しかし度重なる略奪や海賊による襲撃により紀元前1世紀後半には廃墟と化した。
 1873年フランス人調査団による発掘が開始されるまで遺跡は埋もれていた。遺跡が復旧したのはつい最近のこと。

●デルフィ遺跡
 ギリシャは国土のほとんどが山に覆われた山岳国。山を抜けたところにある世界遺産デルフィ遺跡。アポロンの神託が行なわれたという古代ギリシャの聖地。まず入口にあたるアテナ・プロナイアの聖地には、智恵や戦争を司る女神アテナが祀ってある。ここで何が行なわれていたのかは未だ不明。
 次にデルフィ遺跡の最も神聖な場所、アポロン神殿。土台と柱だけが紀元前4世紀の姿を今に伝えている。アポロン神殿の地下には大地のへそとされた石があり、世界の中心であると信じられていた。かつてこの地で告げられたアポロンの神託をもとに都市国家の統治者は国の大事を決定していた。博物館に大地のへそやアポロン神の絵が残る。
 古代の遺跡に必ず作られたのは古代劇場。

●温泉
 デルフィ遺跡のほど近くにある温泉。川湯の温泉です。ギリシャは知られざる温泉大国で、ギリシャでは医師の診断書をもらい適した温泉に入りに行くそうです。
 その帰り道、羊の群れに遭遇しました。

●テッサリア平原
 ギリシャ中央部に広がる平原。内陸部です。道はどこまでも真っ直ぐ。延々田舎道が続く。テッサリア平原はギリシャでも屈指の穀倉地帯。
 畑でいんげんを取っているヴァシリス・チアンティスさんと奥さんのパラスケヴィさんがいた。10月半ばはきゃべつが収穫の最盛期でした。キャベツは町の青空市に出すそうです。家でキャベツ料理をご馳走してもらいました。「フィロクセニア」おもてなしを意味する言葉が古代より綿々と受け継がれてきた。
 鍋に豚肉とタマネギをオリーブオイルで炒める。次にキャベツを適当な大きさに切り、鍋に山のように入れる。すりおろしたトマトを加え、15分程煮込む。塩で味付けし、さらに30分煮込んで完成「キャベツと豚肉の煮込み」。

●世界遺産メテオラ
 翌日、巨大な岩肌が目の前に迫ってきた。世界遺産。低いもので20m、高いもので400mに達する岩の塔。2500万年前の地殻変動や絶え間ない雨風の侵食により、この奇妙な奇観が誕生した。
 岩山の頂上に建てられた修道院。麓には岩をくりぬいた穴が作られている。ここで元々は修行をしていたらしい。11世紀の初めにはここに人が住んでいたという。14世紀、トルコの襲撃から逃れるために岩の頂上に修道院を作り共同生活を始めた。現在では4つの修道院が残っている。1922年になってようやく階段が完成した。
 頂上に作られた理由は、ローマ・カトリックが慈善や救済を重視しているのに対し、ギリシャなどの東方正教会は社会との関係を絶ち、より神に近い場所で修行をすることを重んじた。
 ヴァルラアム修道院は14世紀半ば頃の創立。現在は7名の修道士が修行の日々を過ごしている。断崖に立つために、樽に雨水を貯め生活用水としていた。修道士のヴェネディクトスさんは下界との行き来は、綱を使って昇り降りしていたと語る。2人がかりで30分かけて巻き上げていたそうです。今は電動になって必要な物資の運搬に使われている。
 礼拝堂の撮影は通常はできないが、今回は特別に撮影させてもらった。アキオス・ステファノス修道院は1367年創建、1961年から女子修道院となった。礼拝堂はイコンで埋め尽くされていた。右にキリスト像、左に聖母マリア、壁にはキリストの生涯と聖人たちが描かれている。丸天井にはイエスの絵が描かれている。
 メテオラの夕陽を岩の上から見た。幻想的な風景です。


テレビ番組「探検ロマン世界遺産 ギリシャ アクロポリス」

 2007年11月17日放送。鬼頭あゆみさんが案内。アクロポリスは頂上都市を意味する。パルテノン神殿がある。これは後に大英博物館やアメリカの公文書館などにその様式が用いられている。古代ギリシャの科学、政治制度などは現在でも多く使用されている。

●アテネ
 空港からアテネに向かう途中、車窓に見えているのはオリーブの木?モナスティラーキ駅はアクロポリスの最寄駅。世界中から観光客が訪れるアクロポリス。道沿いにはお店が並ぶ。お店には丸いもので、真中に黒いものが描かれたものがある。これはマティと言って、ギリシャ語で目の意味。悪い魂を追い出し、幸運を呼ぶもの。
 アクロポリスは標高150m、広さ4万平方m、自然の岩山の上に築かれた。アテネの町の中心にある。修復が続くアクロポリス。パルテノン神殿が見えてきた。近くで見ると存在感、迫力がある。パルテノン神殿は紀元前432年に作られた。まわりを取り囲む46本の大理石の柱。高さ10m、直径は2mある。表面に刻まれた溝は柱の太さを感じさせないようにする工夫。均整と調和の美。パルテノン神殿は古代建築の最高傑作とたたえられた。
 最初は柱に目がいくが、柱の上に細かい彫刻が施されている。元々92の浮き彫りがあったが、ほとんどが破壊や略奪によって奪われた。
 隣にはきれいな彫刻のあるエレクテイオン神殿。パルテノンと同時期に作られた。流れるような衣のひだなど、繊細な彫刻の技法はこの時代にギリシャで確立された。紀元前5世紀、アクロポリスにはこの他にも4つの美しい建築物があったことが確認されている。
 塀のところから町が一望でき、その先に海が見える。すぐ下には1.7万人を収容できたディオニュソス劇場の跡がある。どこからでも見られる劇場は、古代ギリシャで生まれた民主制を形にしたものだと言われている。

 紀元前5世紀、ギリシャに統一国家はなく、ポリスという独立都市がそれぞれ政治を行っていた。アテネは最も有力なポリスだった。アクロポリスには当時の社会情勢がよく反映されている。

 アクロポリス修復プロジェクトのロザリア・フリストドゥロプルウさんが案内してくれた。高さ11m、屋根の下に彫刻が並んでいたところ。浮き彫りにされていたのは神話にされていたトロイ戦争のこと。パルテノンの神殿の彫刻の一部が大英博物館に残されている。モチーフにされていたのは「ラピタイ族とケンタウロスの戦い」で、ケンタウロスに立ち向かった英雄たちの姿。
 パルテノン神殿?には高さ11mの町の守り神アテナの像があったという。アテネの国立考古学博物館には神殿内部にあったという巨大なアテナ像を10分の1の大きさで忠実に模倣した像がある。鎧とかぶとで武装している。とぐろを巻くヘビがあしらわれた鎧の中央に、神話の怪物メドゥーサの生首がある。その目に睨まれると石になるという。右手にはニケと呼ばれる勝利の女神が翼を休めている。勝利を導く戦いの女神だった。
 復元したモデルによると、中央にアテナの像があり、二世紀の文献によれば、衣服や鎧かぶとは金で、顔や手は象牙の彫刻だった。女神像が置かれた部屋は壁で仕切られ神官たちしか入れなかった。アテネ市民は戦いの彫刻で飾った神殿を外から眺め、アテナの存在に思いを馳せた。パルテノンは「戦いの女神のための戦いの神殿」だった。

 ギリシャの人々はまず自分たちの住む土地と戦った。石灰岩の多い地層で、農地としては痩せていた。そのためポリス同士の戦争が多かった。生き抜くには努力が必要だった。「我々は貧しさを恥としない。努力しないことを恥じとする。」と語っている。そこで目をつけたのは海で、地中海世界最強の軍船を生み出した。こぎ手を上下3段にわたって配置した三段階船。200人が一度にこぐことができるこの船は圧倒的な速度で敵艦に当たり破壊した。これによって政治も代わった。漕ぎ手はアテネ市民だった。アポロポリスの麓にある広場アゴラで市民たちは平等に政治に参加する民主制を確立した。これで決まったことは神の意志だとしたので、反対派は黙った。
 アクロポリスでは羊などを生け贄として女神アテナに捧げた。こういう儀式は1年に120日以上行なわれていた。
 「アクロポリスには1本だけオリーブの木が生えている。」ギリシャ神話に登場するオリーブの伝説。「女神アテナは大地に槍を突き刺し、そこからオリーブの木を生んだ。」今もあるオリーブの木がアテナのオリーブの木だと信じられている。オリーブは乾燥に強く、ギリシャの大地に適した植物。実はビタミンや脂肪酸が豊富で、栄養価の高い食べ物。ギリシャ料理にオリーブは欠かせない。オリーブオイルは味の決め手となる調味料。

 紀元前8世紀の像は木でできているのに、紀元前5世紀のはエレクテイオン神殿のように繊細な彫刻。その300年の間に何があったのか。水中考古学者のヨルゴス・クチュフィラキスさんは、アテネの東40kmにある海域で、水深35mの海の底に、紀元前5世紀の壷が150個ほど見つけた。交易船の積荷だと考えられる。これらの壷はアンフォラと呼ばれていて、主に液体を運ぶために作られた。中にはワイン、オリーブオイルが入っていた。ギリシャ人たちは紀元前8世紀以前から周囲の国と交易をしていた。壷の発見場所を手がかりに交易ルートも明らかになった。遠くは黒海、ペルシャ、エジプト、イタリア、スペインにまで及んでいた。船の先端には魔よけの目をつけていた。これがマティ。求めていたのは貴金属や食物だった。各地の先進的な知識や技術も持ち帰った。紀元前8世紀のものは単純な幾何学模様。紀元前5世紀になるとスフィンクスなど各地のものが描かれるようになった。

 エーゲ海の東に端に位置するサモス島。ここにはギリシャ彫刻の源となる彫刻が描かれている。紀元前6世紀に作られたクーロス像は高さ5m。この頃から巨大で動きのある石像を作るようになった。パルテノンが完成したのは紀元前5世紀。交易で得た情報などから技術なども輸入した。
 紀元前480年ギリシャ世界に激震が走った。巨大帝国ペルシャが軍船1200隻を連ね攻め込んできた。ペルシャ戦争です。ギリシャはアテネを中心として三段階船350隻で迎え撃ち勝利した。アテネはギリシャ世界の盟主となった。パルテノン神殿が作られたのはこういう時代だった。しかし衰退の予兆もあった。パルテノン神殿の1層内側に彫られていた。ここには英雄や神々ではなく、アテネに生きた市民たちだった。人間を神々と同じ高さに置いた。このような神殿は他にはない。アテネは同盟を組んでいたほかのポリスに対しても力で支配しようとし始めた。それが仇となった。パルテノン完成の翌年の紀元前431年、アテネに反抗する軍が連合軍を組織し、ギリシャ世界を2分する大戦争が発生し、アテネは敗北した。その後ギリシャはイスラム帝国などの支配化になった。
 ギリシャが独立を果たしたのは1830年頃。現在ほとんどのギリシャ人はギリシャ正教徒。洗礼式の聖水にはオリーブオイルが使われている。全身を浸す。ギリシャでは子供が生まれると最初に送るプレゼントがある。それがマティ。古代ギリシャを守り続けた青い目。ギリシャ正教もこれは認めている。
 今から50年前、アテネ沖に沈んでいた交易船から一体の銅像が引き揚げられた。紀元前4世紀に作られた女神アテナの像。ビレウス考古学博物館にあるが、青い目をしていた。


テレビ番組「知っとこ! 世界の朝ごはん アテネ」

 2007年9月22日放送。まばゆいばかりの太陽の光。

●アテネ
 ギリシャ文明の中心地で、3000年前から栄え、多くの遺跡がある。代表格はパルテノン神殿で、2500年間町を見守ってきた。
 道路を機関車みたいな白い乗り物が走る。トレナキという市内を1時間で回る観光列車1人6ユーロ(960円)。ミトロボレオス大聖堂、国会議事堂などが外から見えて、観光客に大人気。
 中央市場は魚などある。バカヤロ(たら)は魚の名前。
 プラカ地区は古い街並みが残る。お土産屋さんが軒を連ねる。ギリシャ戦士の兜、ハーブ入りオリーブオイル、オリーブオイル石鹸などがある。ギリシャのオリーブオイル製品は質がいいそうです。暇な人はコンボロイというものを人差し指で回している。イライラ解消にもなる。お土産にもいいそうです。
 旧市街ではお店の前で食べている人がいる。スプラキは、串に刺した肉を炭火で焼いて、ピタと呼ばれるパンにはさんで野菜を加えたもの。2.5ユーロ。
 ギョルゴス・リグノース?さんが紹介してくれたのは、「キング・ジョージ・パレス」ホテルの最上階のロイヤル・ペントハウス・スィートルーム。グレース・ケリーやケネディ大統領などが愛用したとか。ここのテラスにはプールがあり、その向こうにはパルテノン神殿が見える。1泊1万ユーロ(160万円)。

●イドラ島
 ピレウス港からエーゲ海の島に行く。1時間でイドラ島に到着。白く統一された家並みが特徴。ろばに乗った人もいる。車の乗り入れができない島なので、ロバが活躍している。ギターを演奏している人もいる。のんびりしている。

●アテネ
 新婚さんの朝ごはん。郊外に住むナターシャ・プレチウ?さん。1品目「タコのトマト煮」。大きなタコの足を一口大に切り、オリーブオイルを入れた底深鍋で炒めたピーマンに加えて炒める。軽く火が通ったら、トマトの水煮をたっぷり加え、塩、胡椒、ローリエ、シナモンで味付けして煮込む。仕上げにワインを加え、20分さらに煮込む。
 2品目「チーズ・パイ」。ヤギの乳から造ったフェタ・チーズをフォークでつぶし、卵と塩、ハーブを入れ、しっかり混ぜる。薄くのばしたパイ生地の上にのせ、半分に畳んで、端をしっかり密閉し、オーブンに入れて20分焼く。
 3品目「ダコスのオープン・サンド」。干したパン「ダコス」に水をかけ柔らかくし、刻んだトマトにハーブと塩をかけ混ぜる。これをダコスにのせ、フェタ・チーズ、ペッパーの実と葉をのせる。最後にオリーブオイルをたっぷりかける。


テレビ番組「ピン子と壽賀子の世界遺産ふたり旅 後編 憧れのドブロヴニク」

 2007年7月15日放送。関東地区では6月17日に放送。橋田壽賀子(82歳)、泉ピン子(60歳直前)さんが出演。ギリシャ、クロアチア、イタリア、スロベニア、スペインを訪問。TBS製作。

●ギリシャのアテネ
 朝7時に到着。オリンピック・パラシナイ・コンスタジアムに行く。110年前に第一回オリンピックが開催された場所。アクロポリスがよく見える麓のカフェは観光客で大賑わい。パルテノン神殿を観光。馬車で市内観光。
 飛鳥と分かれて、MSC アルモニアというクルーズ船に乗り換えた。

●ギリシャのコルフ島(ケルキラ島)
 お昼に到着。オリーブ栽培が盛ん。17世紀の港の小さな教会に橋田先生は興味を持った。特別に鐘を鳴らさせてもらった。
 1850年にできたオリーブ・オイルのお店。100%の石鹸はべたべたしているがさっぱりするそうです。

●クロアチアのドブロブニク
 クロアチア最南端の町。6時間滞在。城壁で囲まれた旧市街が世界遺産。町は古くから貿易で栄え、アドリア海の真珠と言われた。クロアチア独立戦争の際はかなり被害があったようです。
 旧市街の街並みもきれいです。旧市街で城壁の上の散歩道を歩く。ボートに乗って海から町を見る。かなり揺れたみたいです。
 ランチは海鮮で、「手長エビのソテー、リゾット添え」、「カラマリ」などをいただいた。

●イタリアのベニス
 橋田先生は初めて来たのがここで、ユースホステルにずっと泊まっていて、青春がここにあったという。お金がなくて歩いたことを思い出して涙。
 ジェラート屋さんに行く。無料で試食させてくれました。ピン子さんは8本試食してバニラかバナナがいいとか。

●スロベニア
 世界遺産のシュコツィアン鍾乳洞に入る。1cm成長するのに30年かかる。カーバイド・ランプは水に浸して使う。ロウソク40本分の明るさがある。ずっと歩いて行くと滝がある。14階以上?250mの高さに橋があってそこから見える。5kmを進むと川の流れがハッキリ見える。地下を40km流れてきた川が外に流れ出す場所に出た。外に出る場所で緑がきれい。
 ヨーロッパ最大のポストイナ鍾乳洞に行く。ケーブルカーで上に上がる?1872年から運行を開始したトロッコ列車2kmはスリル満点。

●スロベニアのブレッド湖
 首都リブリャーナから車で1時間。景観が美しくリゾート地として愛されてきた。エメラルドグリーンに輝く湖の中にあるサンタマリア教会がある。モーターボートは禁止のため、船は全て手漕ぎ。サンタマリア教会に行くが、石段がかなりあります。湖には鴨が泳いでいました。
 湖岸にある500年前の印刷技術の工房に行く。お爺さんの服装も当時のもの?活字を組んで印刷して、最後に印を押します。
 お城でランチをいただいた。イカのカラマリは絶品の味だそうです。名物は鱒です。馬車で散策。人がいいそうで、スロベニアが気に入りました。

●クロアチアのプリトヴィッチェ国立公園
 プリトヴィッチェ湖は世界遺産。細い滝がいくつかあってきれいです。16の湖と100の滝がある。九塞溝のような感じですね。山壁を流れる滝も見事です。小さな遊覧船に乗る。小さな滝が続いている。特別に岸の近くを行ってくれたようです。次は湖畔を歩く。湖の中に木々が生えていて、その上にかかっている橋の上を渡ります。とてもきれいでピン子さん感動。200平方kmのほとんどが森林で、鴨も熊もオオカミも生息しているとか。

●スペインのバルセロナ
 飛行機で飛んだ。サグラダ・ファミリア聖堂に行く。ガウディはグエル公園も設計している。入口にはトカゲの噴水もある。
 82歳の誕生日パーティを開催した。


テレビ番組「旅サラダ 2007年6月は羽田美智子さんでギリシャ」

 エールフランスで行きました。

●シフノス島
 アテネから船で3時間で渡る小さな島。輝く青い海に映える白い家。夏を前に自分たちの家を白く塗りなおす。ドアや窓が青く塗ってあるが、少しずつ色が違う。こんにちは、乾杯、さようなら、全て「ヤーサス」という言葉。
 2時間で島を一周できるタクシーに乗る。運転手は Apostolis Karavis さんで、電話は 6944936111。島には全部で365の教会があり、人口は2100人。全ての家庭にブドウとオリーブの畑がある。行く手に白い町がある。カストロで昔の城塞跡がオールドタウンとして残されている。青が色々な表情を見せている。手作りの感じがある。路地が多い。ネコがいました。青い海が一望できる高台で海の青さに感動。
 屋根の上に陶器の煙突が置いてある。ヤニス・レペェシさんの工場「 Keraamika Lembesi 」(場所:Artemonas, Sifnos、電話:22840-32010 )に行ってみた。息子はニコスさん。煙突が少なくなった今では照明用の飾りとしても使われている。
http://www.keramica-lembesi.com/

 宿泊は「ホテル・ペタリ Petali 」(住所:Ano Petali-Sifnos、電話:22840-33024 )で、ここにも素焼きの壷が並べてある。白い壁のホテルです。室料は132?ユーロ〜。庭からも海が見える。

 タクシー運転手のアポストリスさんの生まれた家の隣に小さな教会がある。聖ソスティス教会で、壁じゅうに飾られた聖なる絵。

 夜8時、アポストリスさんお勧めのレストラン「ト・リオトゥリビ To Lyotrivi 」(場所:Giannis G. Georgoulis, Artemonas Sifnos T.K.84003、電話:22840-31246,22840-32051 )で夕食。まず「グリークサラダ」4,5ユーロは、野菜にオリーブとペタチーズ?。「ヒヨコ豆のハンバーグ」4ユーロ。「ドマタ・イエミスタ」5.5ユーロは、ライスが中に入った詰め物で、トマトの酸味が効いたリゾットみたいで、とてもおいしいそうです。

 海岸で石を拾っている人がいる。アントニス・トルゥルゥさんで、お店に連れて行ってもらった。拾った石に人の顔を描いた作品。石は家のお守りで、コレクションを見せてもらった。奥さんのエレミさんがお菓子を作ってくれましたが、ヨーグルト味がおいしいので、作り方を教えてもらった。
 チーズになる前のミズィスラをまず潰し、黄身を入れ、ハチミツ、砂糖を入れ、シナモンをふりかけ、よく混ぜてオーブンに入れる。それから3回十字を切る。窯の中に壷を入れて一晩置いておく。  昨夜入れておいたひよこ豆の料理をいただいた。

 その夜、島のある教会(聖ホリカルボス教会)で儀式が行なわれた。1年間聖なる絵を預かっていた家族が、教会に絵を返す儀式。こうして聖なる絵は島の各家庭を回る。ギリシャ正教では、神や天使が書かれた絵がとても重要。みんなキスを捧げ、フォークで皿を叩いた後に食事会。ギリシャの伝統的な楽器の演奏で、ダンスが始まった。

 朝日が海から上って来るのを見て元気になった気がしました。


●クレタ島
 ギリシャ最大の島。エーゲ海最大の島。紀元前1900年ミノワ王朝時代には高度な文明が開花していた。それを物語るのは、クノッソス神殿。復元された壁画からもわかる。当時1.3万平方mの広さに部屋数が1200以上あったという。ミノタウルスを閉じ込めるために作ったのがこの迷宮だという。
 王の間は朝の光が入るように設計されていて、海を愛した妃の部屋には海の動物の絵がある。上下水道も完備されていた。オリーブオイルをいれていた壷が残っている。

 クレタはギリシャにおける農業発祥後としても知られている。クレタの伝統的な村を再現しているホテル「アロリソス・クレタン伝統村 Arolithos 」(住所:11th km.of Old National Road, P.O.Box 2032 N.Stadium, 710 02 Heraklion-CRETE、Tel:+30-2810-821050 & 821051、Fax:+30-2810-821051、E-mail:arolithos@otenet.gr )に行く。まずは昔ながらの暮らしを伝える博物館。オーナーのヨルゴス・サロストロスさんの両親が使っていた部屋、寝台、機織機、ゆりかご、馬の鞍などが残されている。木に石がはさんであるものは脱穀機。
 ヨルゴスさんは自分が生まれた村全体を当時のままによみがえらすことを夢見てきた。再現した村には教会、鍛冶屋さんなどがある。昔風の民家では、伝統的なパンの作り方を教えてもらえた。
 泊まる部屋は青いドアで、青いベッドカバー。家具も古いもの。窓・テラスからは緑が見える。室料は132ユーロ。アロリソスというのは岩穴に集まる穴水という意味らしい。

 カベタニアナ村の伝統的な機織をしているアンナ・スタマタキスさんを訪ねた。母親から譲られた古い機織機で昔ながらの機織をしている。ご主人のコスタスさんも、機で織ったカバンを使っている。ミツバチの巣箱から蜜を集めるのもアンナさんの仕事。クルミに巻いて食べるのがギリシャ風。

 ブレベリのダイナミックな景観を案内してくれたのは、ハイキング・ガイドのフォンタスさん。高い崖の上からエーゲ海を見てから渓谷沿いにハイキングした。

 食事は「Paeti 」(住所:Olymipioniron 37 therissos Hraklion、Tel:2810 - 263194 )でいただいた。まずはムサカ5.8ユーロ。チーズの下に野菜がたっぷり詰まっている。「温野菜のサラダ」3.3ユーロ。

 翌朝マスタバ青空市場に行った。トマトも手よりも大きい。見たこともない野菜が並ぶ。カルダモス。甘い人参。ズッキーニは花の部分を調理するそうです。子供が果物を売っていました。きれいなお姉さん(ヨアンナさん)のお店では、タイム、カモミール、オレガノも売ってます。オレンジをくれて、アンナさんが作っているハーブの畑を見せてもらった。オレガノ、マジョラム、アブシィスィア、アンベローザ、アピカノス、ティクタムノスなど。ティクタムノスはアンナさんはハーブの女王だと呼んでいます。
 お父さんの家で、クレタ料理を教えてもらった。オリーブに浸した生米にトマトを摩り下ろし、ミントの葉を入れ、タイム・オレガノの粉をまぶす。これをズッキーニの花の中に詰める。トマトにも詰める。ぶどうの葉にも包む。オリーブをたっぷりかけ、水を加えて45分煮る。


●ロドス島
 ほぼトルコの南西の海岸に近いところにある島。太陽の島ロドス島。胸を出している年配女性も多い。
 絵の具を垂らしたかのような青い海。紀元前3世紀に太陽神アポロンを祀るために建てられたアポロン神殿。
 カリテアハスは古代から湧き出る温泉がある。道はモザイクでできていて、100年前にイタリア人が作ったというスパ施設があり、修復中で7月に完了。ここでは飲む温泉が主流だった。白い壁の道を通って休む施設に行く。そこからの風景は何ともいえず素晴らしい。
 コシキスという村を訪ねた。黄色、青、緑の壁の建物がある。門の飾りが可愛い。庭は石のモザイクになっている。石は海から持ってくるそうです。元民家だった家をギャラリーにして開放している店があった。床、壁もきれいでお皿が壁に飾ってある。
 中世の城塞都市としても知られている。城壁は5kmに渡って作られている。14世紀は十字軍の戦いの場だった。オスマントルコとの攻防戦を繰り広げた。十字軍の騎士団は国毎に住んでいたらしい。自分の国の紋章が家に掲げてある。1522年聖ヨハネ騎士団は降伏し、シチリアに逃れた。

 ロードス島の旅は、Beleon Tours の Andreas Andreadis さん。Tel:+30-22410-85599,85530、Fax:+30-22410-85955、E-mail:andreas@baleon.gr
http://www.beleon.gr/

●ティロス島
 ほぼトルコの南西の海岸に近いところにある島。ロドス島から船で行く。14世紀には十字軍の要塞があった。ピルゴスと呼ばれる見張り塔の上には鏡が置かれ、ロードス島と交信していた。  要塞の一つミクロホリオをハラランボスさんが案内してくれた。村は1967年から廃墟になっています。今は鳥が住んでいる。ハルコクルーナ?、ファルコン・エレオノラ、
 NGOのボランティアで運営されるティロス・パークのテリスさんが鳥の説明をしてくれました。ロングレッグド・ヘザート?は島に7ペアが確認されている。彼らは傷ついた鳥を助け、自然に帰す。世界的に数の少ないホネリス・イーグル?も住んでいる。彼らは鳥の観光ガイドもしてくれる。ホワイト・ヘロンがいた。1本足で立つスクアソコ・ヘロンもいた。バードウォッチングは、Konstantinos Mentzelopoulosさん。「Tilos Park Association 」は住所:Livadia, GR-85002 Tilos で、Tel:+30-22460-70880、Fax :+30-22460-70892、E-mail:tilopark@otenet.gr。

 海岸に移動した。港の周りに可愛い家並の町リヴァティアがある。美しい花々に色どられた「ホテル・イリニ Hotel Irini 」がある。Tel:+30-22460-44293, Fax:+30-22460-44238, E-mail:info@tilosholiday.gr 。アンティークで飾られたロビー。お部屋も明るくて開放的な雰囲気。室料60ユーロ。テラスからの眺めも素敵でした。

 地元でも評判のレストラン「エンプロ Restaurant enplo 」(住所:Nitsa Beach, Studios & Apartments、Tel:+30-22460-44176,44093)のオーナーシェフはマリノスさん。お勧めはイソギンチャクでカンディラプラ?の料理となる。夏に10cmくらいになったのが食べごろとか。小麦粉をつけてフライにする伝統的な料理。エンプロ特製サラダ5ユーロ?。カバリ、トゥーシー(ピクルス?)、魚の薫製とか全て自家製です。ヤギのトマトソース煮6ユーロ?、ナスをトマトソースで煮込んだゲ?ミスティメリガーノ・メクレアス?5ユーロ?など。イソギンチャクはイカの味がするそうです。

 伝統的なロウソク作りをしている人がいた。コキナティという植物の赤い根を鍋で熱し、ひもを浸して余分な蝋を落とし、また鍋に入れてというのを繰りかえす。シーズンに1000本作るというおじさん。赤いロウソクは復活祭の時に白いロウソクに巻きつけて使うそうです。  ハンテレイモン・モナステリィは島で一番古い修道院。ここにマノリス神父が祈りを捧げに来る。後ろの部屋は女人禁制で、天井には三位一体の文字が刻まれていた。20年前の地震で壁が壊れ、古いフレスコ画が出てきた。地下から紙幣を印刷する機械も出てきたので、近隣の聖地だったのだろうと思われている。

 夏だけ要塞のミクロホリオがバーに変身する。


●シミ島 Symi
 トルコの南西部の海岸にとても近い島でとても可愛い島。黄土色と白色の壁の家が並ぶ。
 ホテル(貸し別荘)「カロドゥカス・ホリディ・ヨッティング・サービス Kalodoukas Holiday & Yachting Service 」(住所:Kalodoukas Holidays, 85600, Symi, Dodecanese, Greece、Tel:00 30 2246 071077、Fax:00 30 2246 071491、E-mail:kalodouka@forthnet.gr )は島の旅行会社。オーナーのヨルゴスさんは古い家を改装し、観光客に貸している。お客が気に入るまでいくつも案内してくれる。ただ階段が多い。室料は110ユーロ。メゾネットタイプでした。もっと小さい部屋はピンクのベッドでラブリーな部屋で77ユーロ。伝統的な部屋は92.5ユーロ。重厚な石造りの家は75ユーロで、景色はとてもよい。いつまで見ていても飽きない。1912年の頃の写真と家並みがほとんど変わっていない。法律によって守られているようです。
http://www.kalodoukas.gr/

 ニコラオスさんは本物の帆船作りをしてきた(大小で1500)が、今はミニチュアを作っている。お孫さんのために作っているそうです。

 漁船が帰ってきた。魚、ロブスター?も取れている。みんな日本語で「心痛い」と言ってくれました。日本人の女性に教えてもらったそうです。

 街から離れた穏やかな入り江にある小さなパルミティス修道院。ここは船乗りを守護する天使「聖ミハエル」で知られている。多くのミニチュアの船がある。多くの航海の時に災難にあった船乗りたちが手紙などを瓶に詰め、海に流した。無事に帰れたらミニチュアの船を奉納したそうです。
 鐘はアナスタシオスさんの作品。81歳の孫のアナスタシオスさんが鐘作りを続けている。工房を見せてもらった。二重の型の間に青銅を入れて作るそうです。

 レストラン「マノス・フィッシュ・レストラン Manos Fish Restaurant 」(住所:By the Symi Memorial, harbour、Tel:22460 72429 )はオーナーがマノスさん。素材を選んで調理してもらう。名物の「シミの小エビ」12ユーロ?はオリーブオイルで揚げるだけ。手で食べろと言われた。ギリシャ版焼酎「ウソ」は水を入れて白くして飲むが、40度近くある。「カラス貝のチーズ・トマト煮」は10ユーロ?「キドニア」は15ユーロ?「ウニ」12ユーロ。「タコのガーリック・ソティ」10ユーロ。「バルブニのフライ」25ユーロは近郊で取れた魚。
http://www.symivisitor.com/manos.htm

 ヨルゴスさんのもう一つの顔「マラソンダ・オーガニック・ファーム Marathounda Organic Farm 」という農園を訪ねた。有機農法で育てられた元気な野菜。ピーマン、アーティチョーク、セロリ、ナスなどを作っています。この農園が夢だったそうです。
 この夏から観光客が農業体験をしながら滞在できるように、宿泊施設も作っている。室料150ユーロ。庭が海。ヤギも飼っている。
 家庭料理も教えてもらった。ズッキーニ、ナス、ピーマンを切り、トマトソースをかけ、オリーブオイルをたらして軽く炒め、弱火で30分煮込む。

 最後にエーゲ海の夕暮れを船の上から体験した。「愛はギリシャに生きている。」エコロジーは古代ギリシャ語で「家から整える」という意味みたいです。


テレビ番組「地中海沿岸紀行 ギリシャ」

 2007年4月1日放送。渋谷亜希さん(29歳)が案内。近代と古代が混じり合う町ギリシャ。エレフテリオス・ヴェニゼロス国際空港に到着。空港駅 (Suburban Railways)からオリンピック開催時に作られた鉄道でダウンタウンに向かう。

●アテネ
 人口340万人の首都。世界中の観光客を虜にしている。街の名の由来にもなった女神アテナ、その像に町は見守られている。アドリアヌス門、ゼウス神殿、アテネ競技場、エレクティオン神殿、ディオニソス劇場、ミケーネ遺跡、パラミディ城跡など、多くの文化遺産が残される。
 アクロポリス(ギリシャ語で「高い町」の意味)を目指す。ディオニシウ・アレオパギトゥ通りを歩いて丘の上に向かった。丘の途中で人だかりがあった。右下にはイロド・アティコス音楽堂があった。現在も夏の夜にはオペラやコンサートが開催される。アテネも緑の多い町だというのがわかる。

●アクロポリス
 丘を登りはじめて10分でアクロポリスに到着。前門(プロピレア)は過去2度の戦争で大破している。紀元前432年ムネシクレスの作品。現在修復中でした。
 パルテノン神殿は古代アテネ繁栄のシンボル。15年かけて紀元前438年に完成した。アテネの守護神アテナを祀った神殿。思わず息をのむドリア式の荘厳な高さ10mの柱。雄大さの中に柔らかさを感じる。その秘密は建築方法にあった。直線に見えるが、中央にふくらみをもたせてある。神殿脇からの眺めも素晴らしい。下にはディオニソス劇場。パルテノン神殿の左側は改修工事の真っ最中。19世紀から始まってまだ続いている。
 次に同じアクロポリス内のエレクティオン神殿。アクロポリスで最も神聖な場所とされてきた。様々な神々が祀られ、伝説の王の墓としても使われてきた。神殿の南には6人のお供の女性の石柱がある。神殿の裏にはアテナが与えたとされるオリーブの木が今でもある。
 ディオニソス劇場は収容人数は1.7万人。紀元前5世紀頃からアイソキュロスやソフォキュレスの演劇が演じられてきた。改築により様々な装飾をつけた大劇場となったのはローマ時代。

●コリントス
 アテネから80km西の半島の入口の町。巨大な建造物、コリントス運河は橋の上から見る。全長6.8km、幅24.6m、紀元後1世紀に完成した。
 アクロコリントス山を右手に見ながら車を走らせる。

●ナフプリオン
 半島の東。海の神ポセイドンの息子ナフプリオスが建設したという海沿いの町。町外れの丘にあるパラミディ城跡。18世紀ベネチア人が築いたというこの要塞は、今は風光明媚な観光地となっている。お城を抜けるととてもきれいな青色の海。断崖です。遠くに見えるのはペロポネソス半島。壁を覆う白い石と茶色の土。城の頂上へは約1000段の階段。

●ミケーネ遺跡
 内陸に車で15分の世界遺産。ホメロスの叙事詩にも描かれた紀元前1000年の遺跡。獅子の門から入ると右手には円形墳墓。ここからは14kgもの黄金も見つかっている。シュリーマンの発掘以降も多くのものが見つかっている。
 山肌を30分登ると頂上。昔と同じ風が吹いていました。帰りに遺跡監視員のアルバイトをしている地元の大学生に出会った。

●鉄道
 ここからはコリントス駅からクシロカストロ駅まで列車に乗る。1時間に1本ののんびりペース。多くの国の人が乗っていました。運転席にも座らせてもらいましたが、時速100kmでした。
 クシロカストロ駅は温かいそうです。ここから車でオリンピアを目指す。果物の即売所でアプリコットを買った。袋いっぱいで2ユーロ、甘くておいしいそうです。

●オリンピア
 日暮れから3時間、深夜0時過ぎに到着。宿泊は「オリンピア・パレス」。高級ホテルです。
http://www.olympia-palace.gr/
 古代オリンピック発祥の地。人口は約1000人。メインストリートの端から端まで歩いても50分。

 世界遺産のオリンピア遺跡を訪問した。紀元前776年に最初の競技会が開催された。聖火はここで採火されている。古代の運動場跡(パレストラ)が残されている。中でも目をひくのがゼウスの妃を祀ったヘラ神殿。現存する世界最古の神殿と言われる。紀元前5世紀に建てられたゼウス神殿もあるが、崩壊していて、その後の修復で1本の柱だけが立っている。かつては金と象牙で作られた13mを越えるゼウス像が立っていたそうです。世界七不思議のうちの一つ。
 スタディオンという競技場。幅30m、長さ192mのトラックが残る。

●エギナ島
 アテネの沖にある島で、アテネの人に人気の保養地。1時間で到着。周囲30km、海洋貿易の中心地として栄えた。裏道はどこか懐かしい雰囲気の街並みが続く。海鮮料理を出す屋台があった。タコをいただいた。


テレビ番組「ポカポカ地球家族 ギリシャ・クレタ島」

 2007年3月17日放送。エーゲ海の最南端に浮かぶギリシャ最大の島クレタ島は、兵庫県とほぼ同じ面積をもつ。神々の王ゼウスが生まれたという伝説もあり、多くのギリシャ神話の舞台になっている。美しい海岸線と温暖な気候で知られるクレタ島はヨーロッパでも人気のリゾート地。紀元前1900年頃に建てられたクノッソス宮殿は、最大の観光スポットで、1500の部屋があり、迷宮ラビリンスと呼ばれていた。
 日本からはアテネを経由して約14時間。およそ50万人の人が暮らしている。イラクリオン市はクレタ島の北東部にある商業の中心地。亜希子・スクルダスキさん(41歳)、夫のメネラオスさん(50歳)、長男の健さん(14歳)、長女のクリティさん(13歳)、次女の恵理さん(9歳)も暮す。自宅は繁華街から2km離れた一軒屋。150平方m、2LDKで10年前に4000万円で購入した。広さ3500平方mのオリーブ畑も所有している。クレタの人は長寿が多いのは、オリーブが良いかららしい。ネコは26匹飼っている。

 市民市場に行く。毎週土曜日の朝6時から午後2時まで開かれる。温暖な気候、自然豊かなクレタ島で作られた新鮮な野菜や果物などが並ぶ。タマネギは1kg120円、トマト1kg80円、ミカン1kg50円。キャベツ1kg160円は日本の数倍以上の大きさで、ロール・キャベツにして食べるそうです。イワシ1kg950円、エイヒレ1kg1260円、エビ1kg1580円、タコ1kg1580円。

 亜希子さん夫婦は市内で食堂「イラクリオン・チキン・ハウス」を経営している。客席数は30席。営業時間は 11:30am - 12pm で、従業員は14名で、店内での食事はもちろん配達もやっていて、売上の半分以上を占めている。夫のメネラオスさんがシェフで、亜希子さんは接客担当。店一番の人気は「鳥の炭火焼」で1羽1.5kgの鶏肉を45分かけて焼いて、1kg1280円。地元ではスグヤキ?といわれている串焼きも人気で、鳥串は160円、豚串は190円。ドネルケバブみたいなのを切ってギリシャパンに包んだギロピタは、240円。オリーブオイルと実を使ったギリシャ風サラダは400円。ニンニク入りヨーグルト240円は、デザートとしてではなく、にんにくやキョウリなどを混ぜ、肉や魚やパンなどにつけて食べる。一日1000食分も出る人気店です。

 友人のマリアさん宅を訪問。クレタ織は女性たちの間で受け継がれてきた伝統的な織物で、娘が結婚する際は母親が織ったクレタ織をもたせる風習が古くからあるそうです。カーテンやテーブルクロス、ベッドクロスなど様々なものがあり、観光客にも人気。縦に線が入っているのが特徴。

 週末は家族みんなで食事の準備をするが、レモンは庭にあるものを使う。この日はカカビアという魚のスープ。熱したオリーブオイルにセロリの葉を入れ、水を足しながらジャガイモ、タマネギ、ニンジンを加える。茹で上がったら、金目鯛みたいな魚を加えて、塩胡椒で味付けする。最後にレモン汁を加えて完成。具は別の皿に取り分けておいて、好きなものをスープに入れながら食べる。
 次はイカのスミ煮。刻んだタマネギ、イカをワイン、胡椒で味付けし、20分炒め、イカスミをたっぷり加えて完成。

 亜希子さんは1990年にヨーロッパやアフリカを一人旅していた。偶然立ち寄った丘で初めて会話をしたギリシャの男性と恋に落ち、1年後には結婚、同じ年に鳥炭火焼の宅配専門店をオープンした。2005年に鳥インフルエンザの影響で客が激減し、2006年に現在の店をオープンした。

 2週間に一度、メネラオスさんの実家の両親の家を訪問する。南に40キロ離れたパナヤという町で、祖母のエレーニさんは78歳、祖父のコンスタンディノスさんは93歳。元気の秘訣は「毎日食べたいものを食べたい分だけ食べて、地元のぶどうの焼酎「ラキ」を毎日一杯飲む」こと。お客さんが来た時はまずラキとお菓子でもてなす。子供たちにはハーブティ。

 ギリシャの代表的な家庭料理「ムサカ」は、ジャガイモとナスを重ねて、ホワイトソースをかけ、オーブンで焼いたもの。香辛料が効いているようです。あと田中美奈子さんが印象に残った食べ物は、「ぶどうの葉の詰め物」で、といだお米などをぶどうの葉に包んで、主に前菜として食べるもの。


テレビ番組「世界遺産 テッサロニキの初期キリスト教とビザンティン様式の建築物群」

 2006年12月24日放送。イコン Icon は神の国に開かれた窓。ギリシャ第二の都市テッサロニキ Thessaloniki に町が築かれたのは2300年前。その後東ローマ(ビザンチン帝国)の下で商業の中心として絶頂を迎えた。他ではほとんど失われた幻のイコンが残されている。1988年世界遺産。

 エグナティア街道は古代ローマの忘れ形見。ローマと東方世界を結んだ交易の道で、テッサロニキはそこで栄えた。紀元前4世紀にアレキサンダー大王の妹にちなんでテッサロニキと名づけられたことに始まる。ガレリウスの凱旋門は古代ローマによる支配により町が発展したことを物語る。
 4世紀、ローマ帝国は東西に分裂し、この町は東側のビザンティン帝国の第二の都へと成長した。ビザンティン時代の建築物は今でも15残っている。アギオス・ディミトリウス教会(5世紀)はギリシャ最大。ビザンティン帝国は正しい信仰に由来する正教を特徴とした。15世紀にオスマントルコに支配され、イスラム教徒により支配されたが、町の人は正教を捨てなかった。アヒロビイトス教会(5世紀)のモザイクやフレスコはビザンティン美術を物語る。初期のキリスト教では象徴的な表現が使われた。偶像崇拝を戒める声が根強くあったため。
 オシオス・ダヴィド教会(5世紀末)など、ビザンティン帝国の支配下で芸術が花開いた。キリストの像が聖堂の中心を占めるようになったが、ローマ美術の影響が伺える。二次元の色彩芸術と言われるビザンティン芸術。キリストはふくよかに描かれている。これまではフレスコ画が多かった。
 アギア・ソフィア教会(9世紀)。神々の姿に人間を越えたものをにじませるようになった。この時のキリスト像は聖骸布の影響が見える。やがてモザイクが主流となった。色あせないので、永遠の絵画と言われる。
 アギオス・ニコラオス・オルファタス教会(14世紀)を埋め尽くすのはフレスコ画。ビザンティン美術が最後のきらめきをみせた14世紀の作品。壁一面に描かれたキリストの生涯。ギリシャ語でエイコーンという像を意味する言葉に由来するイコンは、神や聖人と交流する術であり、これも崇められるものとなった。イコンとは神に達するための窓だと人々は信じ、聖像を描き続けた。
 アギオス・ディミトリオス教会では、人々はイコンに十字を切り、口づけをする。数多く見られるのは、町の守護聖人のイコンで、聖ディミトリオスのイコンなどがある。この教会は世界的にも稀な7世紀以前のイコンが残ることでその名を知られる。イコンの特徴はどの角度から見ても、こちらをまっすぐに見ているように見える神秘的な眼差し。その神秘性が大事件を引き起こした。
 8世紀初め、都コンスタンチノーブルから「全てのイコンは偶像なので破壊せよ」という皇帝の命令が出た。イコノクラスム(聖像破壊運動)の始まりだった。目に見えない神の姿を人間に描かれるはずがない、答えが模索された。アヒロビイトス教会など。「イコンへの礼拝は偶像崇拝ではなく、神そのものに向き合うことだ」という答えにいきつくまでに100年かかった。その間に聖堂のモザイクははがされ、イコンは幾何学的な文様に変えられた。その中でイコンを守り通した人がいた。ビザンティン文化博物館のアナスタシア・トゥルタ館長は「テッサロニキの人々は様々な手段を使ってイコンを守ろうとした」と語る。人々はイコンの上になめし皮、漆喰を塗って隠し通したそうです。そしてイコンは復活した。
 15世紀オスマン・トルコの侵攻によりビザンティン帝国は幕を閉じた。壁画に残るノミの傷跡は、偶像を好まないイスラム教徒には嫌われた。1912年にオスマン・トルコから解放され、イコンの修復は今も進む。
 アギイ・アポストリ教会(14世紀)にもイコンは残る。芸術家の個性は美を生み出すという言葉は近代のもの。これらはかつては信仰のためにあった。


テレビ番組「NHKスペシャル・千年の帝国ビザンチン」

 2006年6月2日放送。

●イスタンブール
 かつてはコンスタンチノーブルと言われたキリスト教のビザンチン帝国。アヤ・ソフィア(聖ソフィア大聖堂)は1500年前に建てられたキリスト教の大聖堂。皇帝の命によりのべ50万人以上が動員されたという。当時はここが世界のキリスト教の中心だった。その後帝国はイスラム勢力に攻め滅ぼされ、聖堂はモスクに変わった。宮殿を始め、都の多くは破壊され帝国の記憶は遠ざかっていった。
 ビザンチンの名が再び注目された。2004年トルコのEU加盟交渉が始まった。フランスのシラク大統領はトルコもヨーロッパもビザンチン帝国の子孫だと語った。ヨーロッパの各国はビザンチンの遺跡の発掘に資金を提供している。イスタンブール考古学博物館のアスマン・デンキャル研究員が地下の宮殿の遺跡を紹介してくれた。金細工などに進んだ技術が見られる。帝国は1000年も生き長らえた。
 アヤ・ソフィアはつくば大の日高健一郎教授がレーザーでドームの詳細を測定している。地上50m、直径31mの巨大なドーム。当時としては相当進んだ技術である。先生は柱がドームを支えているという。ドームの下の窓は強度を低下させているが、入る光によって天から鎖で吊り下げられているように感じられたるという。皇帝は神の代理人を名乗った。

●エジプト
 シナイ半島の砂漠の中にビザンチン時代の6世紀に建設された現存する世界最古の修道院「聖エカテリニ修道院」がある。ベドウィンと呼ばれる砂漠の遊牧民がいる。砂漠のあちこちにキリスト教徒が住んでいた集落の跡がある。シナイ山はモーゼが神から十戒を授かったというキリスト教の聖地。「聖エカテリニ修道院」はその麓にある。まるで城塞のような分厚い壁に囲まれている。主聖堂の中の正面には金の飾りを施された聖障(せいしょう)がある。シナイ山に立つモーゼの姿がある。モーゼはこの敷地の中で神のお告げを聞き、シナイ山に登ったと伝えられる。午前4時、聖体礼儀が主聖堂で始まった。キリストの血と体として聖なるパンとワインを拝領する。1500年間毎日欠かさず行なわれてきたビザンチン伝来の儀式。儀式を代行する第123代修道院長ダミアノス大主教、あと20人の修道士。ほとんどがギリシャ人です。3時間に及ぶ儀式は朝日が出るとクライマックスとなる。金色のキリストのモザイクは朝日を受けて輝く。最後の晩餐のイエスの言葉「取りて食らえ、わが体。」が唱えられるとパンは体に、ワインは血に変化すると言われている。大主教によりパンをつけたワインが修道士や出席者の口に入れられる。
 ビザンチン帝国の旗である「双頭の鷲の旗」がひるがえる時がある。4世紀末に古代ローマは東西に分裂し、西はまもなく滅びたが、東ローマ帝国は1000年の長きに渡って続いた。東ローマ帝国は首都ビザンチウムにちなんでビザンチン帝国と言われた。キリスト教は正教として西のカトリックとは別に発展していった。聖エカテリニ修道院は正教の聖地として、その正教の伝統を厳格に伝えてきた。修道院の中で働くベドウィンの人でイスラムの祈りをしている人もいた。頭蓋骨がある部屋がある。ここに1500年間の修道士の遺骨がある。3000冊の蔵書もあるが、バチカンに続く規模だと言われている。
 7世紀にアラビア半島にイスラム国家ウマイヤ朝が誕生し、砂漠の民を一つに束ね、巨大な宗教国家となり、ビザンチン帝国を侵略していった。聖エカテリニ修道院周辺は一番に攻撃された。その防衛のために分厚い壁ができた。上の方の小さな櫓を出入り口にしていた。ここに滑車を置いてものを運んでいた。時にはイスラムに何百人も殺害されたという。修道院はイスラムとの共存を選んだ。建物の中に「アッラーの偉大さは極まれり」と書かれているところがある。敷地の中にイスラムのモスクを作った。修道士はイスラムのメッカに向かう人を泊めたという。

 ビザンチン帝国はアヤ・ソフィアにイスラムの国使を招いて懐柔しようとした。

●イタリアのラベンナ
 ビザンチン文化を代表する技術「モザイク」が伝えられているのは、学校。しっくいの上に精密な下絵を描き、その上に色ガラスを埋め込んでいく。古代ローマでは石だったが、ビザンチンでは色ガラスだった。色ガラスを割って、割った面を使用する。光を反射して輝くから。国立モザイク学校のッフェリーチェ・ニットロさんは、ビザンチンの人はモザイクを「永遠の絵画」と考えていたという。6世紀に建てられたサン・ヴィターレ教会には、世界で最も美しいと言われるモザイクが残されている。帝都ビザンチンから来た職人が作成した。天井の中心にはキリストを象徴する子羊。そのまわりの絵画は日の光によって輝き、今も失われていない。祭壇には天上の楽園が描かれている。ビザンチン帝国の最盛期を築いた皇帝ユスティニアヌスも巧みに陰影をつけて描かれている。皇妃テオドラと従者達のモザイクのところどころには真珠母貝があしらわれている。

●シリア
 首都ダマスカスにはウマイヤ朝の都があった。その中心に建つウマイヤ・モスクは現存する世界最古にして最大級。ここにモザイクがあるが、ラベンナのモザイクと同じ。シリア考古学会会長のムハンマド・クッチ教授は、ビザンチンとウマイヤ朝の間には戦争があったが、職人が招かれたのだという。8世紀にビザンチンの女帝エイレーネがイスラムのハールーンと高価な贈り物を交換しあい、和平を結んだ。

●エジプト
 ダミアノス大主教は自ら車を運転して周囲の村を訪れる。薬剤師の資格を持つので、ベドウィンたちから信頼を勝ち得ている。
 修道院が大切にしてきた文書がある。ムハンマドがこの修道院を訪れた際に、修道士たちの歓待を受け、盟約書を残した。キリスト教徒を守り、彼らの安全と財産を保証せよと書かれている。
 11世紀にこの修道院に十字軍が立ち寄った。壁には今も十字軍が彫ったエンブレムが残っている。彼らは聖地に平和をもたらすと言っていたが、破壊と混乱をもたらしたのは十字軍自身だった。次第に目的が領土の獲得になった。1204年に十字軍は矛先をビザンチン帝国に向け、コンスタンチノーブルに攻め入った。多くの人が殺され、宝物が盗まれた。これ以降、帝国は滅亡に向かう。

●イタリア・ベネチア
 十字軍のコンスタンチノーブル攻略に多大な役割を果たしたのはベネチアだった。サン・マルコ寺院には黄金のモザイクがある。11世紀にビザンチンの職人を招いて制作が始まった。ベネチアはかつてはビザンチンの属国だったが、交易により11世紀にはイタリア一の海洋国家となっていた。このモザイクも最後はベネチア人により完成した。サンマルコ寺院の宝物室はビザンチンの美術品の最大の宝庫といわれている。10世紀頃に描かれた聖ミカエルは幅1mmの金の装飾。天使の羽根はしっぽう焼きでできている。「メノウのせいかい」は赤く輝き、キリストの血を想像させたという。4頭の馬の像もある。

 1453年ビザンチン帝国はオスマン帝国の侵略によって滅亡した。

●キプロス島
 世界遺産のランパディスティス修道院は11世紀ビザンチン帝国によって建てられたが、聖人たちの目は全てかき消されている。オスマン帝国に占領された時の傷跡だという。1974年、イスラムを信仰するトルコ系住民とギリシャ正教を信じるギリシャ系住民との間に内戦が勃発した。今、北キプロスはトルコ系、南はギリシャ系で分裂したまま。

●エジプト
 ダミアノス大主教は各国の首脳に次のように語っている。「互いの信仰を尊重しあえば、共に暮らしても何の問題もない」と。


テレビ番組「地球の絶景スペシャル」

 2005年7月21日放送。毎日放送?製作。前半はビデオ不調で後半のみ。

●ビクトリアの滝
 六平直政(むさか)さんが旅した。ジンバブエの5つ星のビクトリア・フォールズ・サファリ・ロッジに宿泊。庭にはイボイノシシがいた。入口前では一人の若者がンデベレ族の歓迎の踊りをしてくれた。ロビーは天井が高いが椰子で作られている感じ。アフリカらしいワイルドな感じを体験できる。デラックス・スィート(シングル:3.9万円)に宿泊。スタンダードだとシングルで3.2万円。ベランダからは水辺に集まる動物たちを見ることができる。象がいました。ドアを忘れずに閉めないとサルが入ってくるそうです。と言っていたら、ベルベット・モンキー3匹が窓辺にいました(笑)

 滝はまず公園を通過したところから見た。次に岩ばかりのデンジャー・ポイントに行った。目の前に巨大な瀑布が姿を見せていた。幅1.7km、最大落差118m、最大水量毎分55万トン。1855年にイギリスの探検家リビングストンが発見。滝は西がジンバブエ、東がザンビアに属し、それぞれに異なった風景を見せてくれる。下流は狭い川(ザンベジ川)となってインド洋へ流れていく。
 一番近い町の市場に行く。真っ赤なトマトがある。黒砂糖みたいなのは、砂で、食べるらしい。食べてみたがまずいそうです(笑)ミネラルを取りたい人は食べるそうで、特に妊婦が食べるそうです。その土の「畑」に行ってみた。

 ホテルのレストランでランチ。食前酒はトウモロコシで作った地酒「チブク」。前菜はザンベジ川で取れた「ワニの尻尾の薫製」で、さっぱり味らしい。次に土鍋みたいなのが出てきた。いも虫をボイルした料理「モパニ」。生焼けで中からぬるっと出る感じがおいしいそうです(笑)

 渓谷から滝壷に向かう。高さ100mの断崖の階段を降りる。そこから先は歩行不能でボートで滝壷に向かう。滝に向かうと大雨状態。どこまで進んでも水しぶきしか写らない(笑)

 ビクトリア大橋を渡ってザンビアに入る。この橋は1905年に完成した。眼下には100mの断崖が続く。国境でバンジー・ジャンプをしていた。まず流れ落ちる滝のすぐ上に行った。素晴らしい虹がかかっていた。さらに先に行くと、快晴なのに、滝しぶきが雨となって下から上に吹き上げていて、大雨状態。デンジャー・ポイントもよく見えました。また色が濃い虹を初めて見たという。

 午前11時頃がベストの世界一の虹が見える。さらに先に行くと小さな橋がある。ここの橋から滝の反対を見ると、橋にいる自分の影を中心にして円形の奇跡の虹が見える。丸い虹が見える条件は、背後に低い太陽、前方に深く広い谷、滝のしぶき(細かい水滴)が豊富、人の下を光が通過ということらしい。

 彫刻家メヤーさんに2日前に自分の顔の彫刻を彫ってもらっていた。真っ黒でプレーンですが、いい感じにできていました(笑)題名は Happy Actor 。

 上空にハングライダーのようなものが飛んでいた。風が強いと飛行できない六平さんは最終日にやっと飛べた。バトカスカイ飛行場に行く。マイクロライトというもので、ハングライダーにエンジンが付いたような飛行機。南アフリカ製、900ccのエンジンを搭載し、滝の上空1350mまで飛行可能。15分9500円、30分1.9万円。体重制限があり100kgまで。飛んでいるというより、浮かんでいるという感じ。ザンベジ川、2匹の象、ボートで進んだ渓谷、ビクトリアの滝、デンジャーポイントと飛んだ。

 満月の夜に素晴らしい景色が特別に見られた。ビクトリア・フォールズ国立公園の監督官ジュラさんが特別に案内してくれた。満月の光でできた虹がかかるという。ルナ・レインボー(月虹)という。月に1度しか見られないし、雲のない晴れた日でなければならない。

●ギリシャ
 エーゲ海で一番美しい海岸で、新婚旅行にピッタリ。高樹沙耶さんが旅した。ギリシャの西に位置するイオニア諸島のザキントス島は、ベネチア人が東方の花と呼んだ。雨が多いため、緑に恵まれた島。この島の北側にギリシャで一番美しい海岸があるという。そこには船で行くしか手段がない。漁師のセオドリスさんに頼んで連れて行ってもらった。船で2時間。道中の景色も岩、白い断崖、青い海と格別でした。アーチ型の岩の下もくぐった。そしてナヴァイオ海岸に到着した。
 石灰岩の白が混ざり合った独特の青い海。海の色は少し乳緑色がかっていたかも?その奥に難破船が流れついたナヴァイオの白浜。上陸してみると、沖に向かって青色の変化も美しく、いつまでも見飽きることがない。ナヴァイオとはギリシャ語で難破船という意味。30年前タバコの密輸船が漂着して以来、ギリシャ一美しい海岸と評判になった。まわりの断崖は100m以上。陸沿いには近づけない秘密の景観。

 宿泊はホテル・ルベラ・ヴィラス。あまり知られていない隠れ宿。オーナーは55歳の女性のヨータさんで、古い民家を改造した。石でできた伝統的な建築で一人で経営している。今回は「美の女神」と名つけられた2フロアのスィート。壁は白い土と岩?そこに木の階段やドアとかがある。スィートは6名まで泊まれて、200ユーロ(2.7万円)。ベランダからの景色もいい。

 島の南側をクルージング。アカウミガメの世界一の生息地。産卵のために7月〜8月にやってくる。高樹さんは海の中に入って一緒に泳いだ。
 ホテルで昼食。鶏肉のレバーをトマト、たまねぎ、にんにくとともにオリーブオイルで炒め、ライス、パン粉を加えてひと煮炊きする。さらに手作りの羊とヤギから作ったチーズを加えて炒める。これを内臓をくりぬいた鶏のおなかに詰め、オーブンで1時間半焼いた「ザキントス風チキンの詰め物」。濃厚でおいしいそうです。レバーとチーズがよく合うそうです。全てここで作られた自然のものです。

 ナヴァイオの海岸は上から見た方がきれいという。断崖絶壁の上を歩いた。10分歩いて到着。上から見ると、青い色、白い色が混ざってとてもきれいでした。地元の人の話では、ここ30年で白い色が増したとか。


テレビ番組「エーゲ海の風に吹かれて 岸恵子 輝きのギリシャ紀行」

 2004年7月25日放送。岸恵子さんが出演。長くトルコの支配下にあったが、1840年独立し、アテネに首都が置かれた。テレビ朝日製作。

●キタイロン
 アテネの北西50kmにある山。ギリシャの悲劇「オイディプス王」の舞台としても知られている。14年前のドラマ「水の女」で岸さんはここを訪問した。

●アテネ
 アクロポリスの丘には、古代民主政治の象徴でもあるパルテノン神殿が鎮座している。今でもこの神殿はアテネ市内から見ることができる。神殿のすぐ脇にあるアクロポリス博物館には、出土した貴重な美術品の数々が納められている。ここでは紀元前8世紀〜6世紀のアルカイック期のものがほとんど。スフィンクスを見ると同じ形で、アルカイック・スマイルが見られる。日本の弥勒菩薩に近いと言われる。あとコレー像と言われる少女の像が多く見られる。透明感の強い大理石で自由に表現されている。セーターを着た姿も印象的です。岸さんは戦いに勝った女神が右足のサンダルを脱ごうとしている像がすごく好きだそうです。

 市街地のコロナキ地区はブランド・ショップが並ぶ。宝石店「フォリフォリ」に行く。オーナーのケティさん自身がデザイナーとして活躍している。

●テオ・アンゲロプロス監督
 映画界の巨匠。枠にはまることを嫌い、映画学校を捨て、独特の映画手法で描く。フランスでヌーベルバーグの最盛期をパリで過ごし、映画「旅芸人の記録」で世界的な名声を得た。岸さんとの対談で、マルチェロ・マストロヤンニ、ジャンヌ・モローとの演技の話、戦争に行った父の話からはじまって家族の話、作品の中の国境の話などをしました。

●クレタ島
 ゼウスが育てられたという島。アテネから南に300kmのギリシャ最大の島。ミノス文明の発祥地として、独自の文化をはぐくんできた。勇猛で誇り高く、素朴で暖かい気質。オリーブの原産地でもある。ギリシャの3分の1のオリーブがここで生産され、紀元前1600年頃、かなり高い技術のワイン製造を行なっていた。
 クノッソス遺跡(紀元前1900年頃)は、クレタ島の王ミノスが怪物ミノタウルスを取り込むために、二度と出ることができない迷宮として作った。1500の部屋と2.2万平方mの広さがある。450年後に忽然として消えてしまった。西暦1900年にイギリスの考古学者により発掘された。排水溝や上水道のための水路が数多く見受けられるが、文明の高さを物語っている。「王妃の間」の壁にはイルカの青い絵があり、その上には菊の花のような飾りがある。数多くの壁画は修復され、イラクリオン考古学博物館に所蔵されている。古代の楽器、牛跳びという祭りも読み取れた。パリジェンヌと呼ばれる美女の壁画は女性の神官・巫女の立場だったと読み取れた。古代劇場は長方形でした。

 市場に行く。ジャガイモは11kgで100円くらいで売っている。隠元豆の一種はすごく大きい。

●クレタ島 スマリ村
 人口240人。オリーブとチーズ作りで暮らしている。その男ゾルバを思い出すような風景です。夕方には街角で主婦が野菜を持ち寄って食べていました。あるお宅で夕食をいただきました。

●クレタ島 イラクリオン
 レストラン「ペトゥーシス」でクレタ郷土料理をいただいた。クレタ風ダイエットと呼ばれるオリーブ・オイルをふんだんに使った料理です。ギリシャ・サラダはトマト・キュウリ・ピーマンなどにヤギのチーズを添え、たっぷりとオリーブオイルをかけていただきます。ザジキは羊のヨーグルトをベースにすりおろしたニンニク、キュウリなどを加えて混ぜ合わせたもの。ドルマダキャはブドウの葉で、米・パセリ・たまねぎ・挽肉などを包んだもの。
 クレタの人が健康で長生きしているのは、オリーブオイルのためでしょう。それと山を歩くとカモミールが山のようにあるそうで、主婦はこれを取ってきて、1年間乾かすんだそうです。

●ミコノス島
 エーゲ海の真珠と呼ばれる島。青い海、白い建物が続く。アテネから南東に100kmにある。素朴な人情が残っているのも魅力です。迷路は風を防ぐという意味と海賊から守る意味があったようです。ペリカンが道を歩いている。
 聖エレニ・コンスタンティノス教会。ギリシャでは人口の9割がギリシャ正教の信者である。信者はイコン(聖画)の前でロウソクを灯し、十字を切り、イコンに口づけをする。教会の儀式と結びついているので、宗教的にも重要だが、美術的にも価値が高い。
 ミコノスタウンでは観光客がじっさいにイコンを買うこともできる。イコン・ショップ「アボカリブス」に行ってみた。描くのに4日程度かかるそうです。神の光に満ち溢れているので、聖画には影というものはないそうです。
 ミコノス織りの店「ヨアナ」に行く。昔はこの島では、機を織る音が辻々から聞こえていたそうです。木綿とモヘア?を組み合わせて作られているそうです。90歳の女性が織っていました。岸さんはストールを買われました。

●デルフィ遺跡
 アポロンのご神託が行なわれたデルフィ遺跡は世界遺産です。アテネの北西170kmのカルノソス連山の麓にある。1829年フランスの考古学者たちにより、紀元前12世紀頃のミケーネ時代から神を奉る聖地となっていたことが明らかになった。古代の人々は地球は平らな円盤状の世界で、自分たちの住むギリシャはその真中にあり、中心にデルフィの聖地があると信じていた。国家の運命を左右した巫女がご神託を告げる部屋は、アポロン神殿の前室の地下にあり、その部屋には「大地のへそ」と呼ばれる巨石も安置されていたという。
 真っ赤なコクリコ、青紫のアザミ、黄色い野花の中を歩きました。岸さんは40年前にここを歩いて、小さな命が宿ったような気がした。デルフィーヌと名づけたその子も今は二児の母となった。


テレビ番組「道浪漫」2003年11月9日は松山猛さんでギリシャ

●メテオラ
 ギリシャ中部のカランバカ。その背後の岩の上に秘境メテオラがある。「 天空に浮かぶ」という意味のメテオラはギリシャ正教の聖地。垂直の400 m−500mの断崖絶壁の上に9世紀に修道院を建てたのは、少しでも神に 近づきたかったから。昔、海の底だったが、隆起して侵食された。
 アギア・トリアーダ修道院。一度谷に下りてから石段を上がる。この石段 は20世紀に作られたもの。入ると、黒い服を着たイオアニス・バランジャ ス修道僧が歓迎してくれ、ルクミというクルミの入った歓迎の砂糖菓子をく れた。まず、十字を切って、鐘の代わりであるタランドを叩く。世界の人々 に神様が平和を与えてくれるように祈り、ロウソクを亡くなった人に捧げる 。建物の中はフレスゴ画が天井まで描かれていて、ろうろくの灯りで見える が、素晴らしい。彼らは厳しい戒律を守り、俗世を断って、生涯を神に捧げ た。ここでは生きること全てが修行。ゴンドラは岩の上と岩の上をつなぐ。 食料などは巻き上げ機で下から引き上げている。昔は人もこれで上げたらし い。

●カランバカ
 麓の町。この地方独特のチーズパイを焼く。薄くした生地にオリーブオイ ルとヤギのチーズから作るフェタチーズと卵黄を混ぜたものをのせて、筒状 に巻いて、鍋につめて、オリーブオイルをかけて、家の外にある炉で炭火で じっくり30分焼く。おいしいらしい。この町の人はメテオラの崖を見て暮 らしている。
 自然を生かした仕事がある。豊富な川の水を利用して、高いところから落 として渦を作り、毛布を中に入れて洗濯している。洗濯機の原理ですね。 毛布1枚600円。
 小川から湯気が上がっている。お風呂とした(笑)自然の滝の打たせ湯も あった(笑)

●サントリーニ島
 アトランティス伝説が残るエーゲ海の中の火山島。港からはロバに揺られ て断崖絶壁の580段の階段を登って町に到着。眺めはいい。火山の大爆発 でカルデラが海に沈み、残った外輪山が島になった。白い壁と一部にある青 い屋根の建物が続く。
 ホテル・ポート・フィラ・スイーテスに宿泊。地震の多い島ならではの洞 窟型の部屋。戸の外は青い海。このホテルでは定番のグリーク・コーヒーを いただく。1杯ずつ鍋で作り、フィルターを通さず、上澄みだけを飲む。入 れてくれたディミトラ・コチファさんはきれいな女性です。
 挽肉とナスやジャガイモなどの野菜にベシャメルソースとミートソースを からめて焼いたムサカは伝統の味で絶品です。
電話:+30−22860−22849
 秋は収穫の季節。ヤーニス・ノミコスさんはファーバと呼ばれる豆の一種 を収穫していた。サントリーニのファーバがギリシャ一おいしいらしい。風 を利用して、宙に放り投げて実だけを集める。実についた殻は石臼で取って いく。
 ファーバは塩水に入れてじっくり煮て、オリーブオイルをたっぷりかけて 、たまねぎなどと共に食べる。
 ピスタチオの産地としても有名。10日ほど天日に干して、塩とレモン水 を加えてなじませていく。日本で食べるものと全然違い、風味満点だそうで す。

●パレア・カメニ島
 サントリーニ島に囲まれた島。火山の噴火口にあたる島で、今なお活動し ている。船で渡れる。伝説のアトランティス大陸は紀元前1400年頃に起 こった大爆発で沈んだと言われている。この島なのでしょうか?火口に行っ てみた。
 また海中温泉ホット・スプリングスもある。夕暮れの島としても名高い。 絶景です。
http://mbs.jp/tv/michi/356/


テレビ番組「道浪漫」2003年10月26日は城戸真亜子さんでエーゲ海

●ミコノス島
 エーゲ海の白い宝石。白い壁で白い迷路となっている街並み。ドアは青や 赤もある。海賊と風を避けるために入り組んだ路地となっている。路地を曲 がる度に教会がある。壁を塗りなおしている人に会った。暑さを避けるため の白いペンキは年に一度塗りなおす。潮風やカビから壁を守るミコノスの白 いペンキには石灰が入っている。
 ロバが荷物を運んでいた。市場には新鮮なトマト、ナスなどがある。市場 の横にペリカンもいた。ここに住み着いている4羽は島の人気者。
 豚肉を長さ1mくらいの金属の串棒にさして、ゆっくり焼き上げていく料 理「スブラキ」(トルコのケバブのようなもの)のレオニーダスという店で 、小麦粉と塩水だけで作られたビタにスブラキをのせていく。ヨーグルト・ ベースのスパイシーなソースをかけて、トマトと野菜をのせればスブラキビ タができあがる。
 城戸さんは水彩画を描いた。

●ティノス島
 聖母マリアの奇跡の島と言われる。多くのギリシャ正教徒が、丘の上に立 つエヴァンゲリストリア教会を目指してやって来る。奇跡を信じる人々が願 いをかけに、巡礼に訪れる聖地である。膝まづいて、足と膝で這っている。 足の裏を地につけることは不浄だという。ご主人の手術がうまくいったので 御礼に這っている夫婦に出会った。
 山間部には小さな村が点在している。ヴォーラクス村も岩だらけの中にポ ツンとある。周りの荒野に比べて、白い建物に青いドアが印象的。40人の 住民の村で、スタバーヤの木で編んだ籠を作っている。丈夫で壊れないとい う籠は、村の人たちの誇り。
 山間部のピルボス村は、大理石の産地。パルテノン神殿やミロのヴィーナ スも代理的でできている。ミハリス・サルタマニーコスさんは大理石彫刻の 職人で、手伝ってもらって、城戸さんは大理石彫刻に挑戦した。大理石は何 千年も残るのが魅力だとミハリスさんは言う。エーゲ海を泳ぐ魚の彫刻が完 成しました。

●クレタ島
 ヨーロッパ最古のミノワ文明を生んだ島。建物の感じが違う。ベネチア風 と表現しました。色づいた建物です。自然も豊かな島。島のあちこちでザク ロを見かける。ウチワサボテンの赤い実もパパイア風の味がするという。ま た山間の草地にはカタツムリがいる。ヨルゴス・ロザキスさんはカタツムリ 採りの名人で、栄養のあるハーブを食べているからおいしいんだ!という。 茹でたカタツムリを丁寧に水洗いする。タマネギ、トマト、ニンニクをすり つぶして、オリーブオイルをかけて火にかける。ペースト状になってほどよ く煮えたところでカタツムリを入れ、カタツムリのリゾットの完成。貝の味 だけど、磯の香りがしないという。
 調理したご飯をトマトに詰め、オーブンで焼いたスタッフド・トマトはエ ーゲ海の味わいです。
 ステファナーキス楽器店のアンドーニス・ステファナーキスさんはクレタ 島にしかない楽器リラを作る名人。弦は押すのではなく横から爪を当てる。 3弦ですが、バイオリンの原型みたいな感じです。マンドーラという竹で作 った笛もクレタ島にだけしかない。5つの音階の笛で、紀元前5000年前 からあるという。この笛を吹けるのはアンドーニスさんだけ。インドのコブ ラ使いのような音色でした。
 スティヴァーニアという靴は農作業に最適なブーツ。

●デロス島
 ミコノスから南西4キロ離れた、キクラデス諸島の中心に位置する遺跡の 島。島全体が遺跡。この島に人が住み始めたのは紀元前3000頃、紀元前 1580年から1200年のミケーネ時代にはすでに文明が栄えていたと言 わる。

http://mbs.jp/tv/michi/354/


テレビ番組「旅サラダ」2003年6月は田中美奈子さんでギリシア

 来年オリンピックが開催される。ギリシアにはスイス航空で行った。青く 輝くエーゲ海の島々。

●アテネ
 アクロポリスの丘に行く。入場料12ユーロ。パルテノン神殿がある。紀 元前5世紀頃に権威を示すために作られた。神々の彫刻が施されている。荘 厳さとけだかさが圧倒的に迫ってくる。トルコによる支配とベネチア人によ る破壊が行なわれた。現在、修復作業が進められている。
 アクロポリスの丘の麓は遺跡の宝庫。古代アゴラ、イロド・アティコス音 楽堂などがある。
 アテネで最も新しいものは地下鉄。アクロポリ駅からシンタグマ駅へ行く がコンパクトな改札。入ったら、工事の時にでてきた古代の品が飾られてい る。アテネの中心シンタグマまで0.7ユーロ。
 到着した駅前広場は市民の憩いの場。国会議事堂があり、1時間おきに衛 兵の交代式がある。赤い帽子にベージュの服。
 宿泊したのは、「グランドブラターニュ」。1972年に建てられたアテ ネで一番古く、格式があるホテル。カフェもエレガント。泊まるお部屋は明 るくて広く、シックな家具。壁はベージュ系。グランドスィートで、1泊、 1200ユーロ〜。
 夜はパルテノン神殿はライトアップ。
 パンドロス通りは賑やかな商店街。「アンフィトゥリオン」はオリンピッ クグッズのお店。マスコットはフィボス君とアティナちゃん。伝統の人形の テラコッタを参考にしてマスコットが作られたらしい。テラコッタは1個が 37ユーロでした。
 アテネ中央魚市場。タコもある。ピスタチオをたくさん売っている。50 0gで4ユーロ。

 旧市街のプラカを訪問した。19世紀の落ち着いた街並が残されている。 250年前に建てられた建物の中にある、アートギャラリー「モライティス 」は絵画のお店。地下の作業場も見学させてもらった。

 スニオン岬にあるポセイドン神殿から夕陽を見た。とてもきれい!

●オリンピック用の競技場
 現在、建築中だった。次に訪れた場所は、第1回近代オリンピックが開催 された「パン・アテナイ・スタジアム」。こちらも来年に使うために工事中 だった。5万人入り、座席は大理石。マラソンのゴール地点となるらしい。

●オリンピア遺跡
 紀元前776年から1200年間行なわれていた古代オリンピック発祥の 地。美しい緑。古代オリンピックはゼウスの神を称えるために行なわれてい た。一番貴重なのはゼウス神殿。今は崩れ落ちた石が残されている。かなり 巨大だったようだ。ゼウスの妻ヘラのヘラ神殿。紀元前7世紀頃の柱が残っ ている。ここで近代オリンピックの聖火の点火が行なわれる。
 スタジアムに続く入場門も残っている。スタジアムは細長く、端から端ま では192m(1スティディアム)。スタートラインには石が敷いてある。
 格闘技場(パラエストラ)には柱が残っている。ボクシング、レスリング などが行なわれていたようだ。

●ミコノス島
 アテネから飛行機で1時間。青い海に白い建物。3000の島の中で白い 家がもっとも映える島。階段の手すり、窓、ドアは青でした。6年前までは 法律で白い壁にすることが定められていた。白は石灰らしい。
 海沿いにはシンボルの6つの風車がある。島のマスコットはペリカンのペ ドロ。

 海の側のタベルナ「アレフカンドラ」で食事。店の奥まで入って料理を選 び、気に入らないとでていく風習らしい。カマスは60cmもある!イクラ の前菜(8ユーロ)は、パンにつけて食べる。カマスの炭火焼き1匹78ユ ーロ。オレンジがのっていたが、レモンとオリーブオイルをかける。

 ロイヤル・ミコニアン・ホテルに宿泊。ゆったりとしたロビー。海沿いの プールも人気。部屋はモダン風で、白が基調。ジュニア・スィート(5x3 mくらいのプール、ブランコ付き)で370ユーロ〜。目前は真っ青な海。

 400を越えるギリシア正教の教会がある。自宅と併設して教会を建てる 人も多いらしい。アギオス・アルテミオス教会 Agios Artemios に行ってみ た。中は可愛らしい感じ。宗教画のイコンが左右にある。イコンは神の分身 であり、聖書の代役でもある。安心感があって、温かみがある。
 アポカリプス Apocalypse というイコンを製作しているお店を訪問。ギリ シアではこういうイコンを家庭に置いて、お祈りをするとか。コットンに金 粉を張り付け、その上に鉱物+卵の黄身+酢でつくった絵の具で色をつける ために塗っていく。


●クレタ島 Crete
 アテネから飛行機で1時間。イラクリオンが最大の町。400年以上ベネ チアに支配されていた。青空市場は2km以上にわたってお店が並ぶ。色が きれいな野菜が並ぶ。オリーブは1kg3ユーロ。酢づけを食べた。エスカ ルゴを売っていた。
 クノッソス宮殿。ミノア文明の中心で、4000年前に作られたという。 1200以上の部屋があったという迷宮。穀物やオリーブを貯蔵していた貯 蔵庫もあるが、かなり豊かな暮らしがあったというのがわかる。入場料4ユ ーロ。当時の女性の様子がわかる壁画もある。洗練されたデザインの壁画が 多く、イルカの絵もある(笑)

 車で1時間半。あたりはオリーブ畑。島の南にあるマタラ。海岸沿いの険 しい断崖には洞窟のような穴が空いている。海や風による侵食でできたらし いが、古代に人が住んでいた。一部はお墓としても使われていた。

 マタラから車で2時間。ハニア Chania。クレタ島で2番目に大きな町。 ロカ・カーペットという店は500年の伝統を持つ織物の店。クレタでは 6000年の織物の歴史がある。男性のミハリスさんが織っています。リュ ックは440ユーロ。彼の祖母が彼のために作ってくれたもの。
 賑やかな音楽が聞こえる。クトゥカキとういお店では、民族楽器の演奏し ながら、踊っていた。クレタ島にしかない蒸留酒ラキは40%で1カレフェ (200ml)で3ユーロ。

 翌日、車で1時間半ミリャーと呼ばれる村にある変わったホテルに行く。 オーナーは昔、自分が住んでいたお家を改造したもの。電気やガスもないの で、独自のソーラーシステムを活用。水は川の水。野菜はここで栽培したも の。ズッキーニもある。薪を燃やしてシャワー用のお湯を作っている。 オーナーのタソス・グルグーロスさんはチャーミングです(笑)ジョージ・ クルーニーを可愛くしたタイプかも(笑)
 石造りの温かみのあるスィートルームは1泊朝食付きで80ユーロ。部屋 の屋上でランチをいただいた。全て自家製。サラダ4ユーロ。あとパンと ジャムがつく。スタッフドトマトは5.5ユーロ。トマトに詰め物をしてオ ーブンで焼いたもの。


●サントリ−ニ島
 断崖の上に真っ白な建物。3500年前までまわりの4つの島とつながっ っていた。火山の爆発で5つの島に分裂してしまった。その中の一番大きな 島。一番大きな町イアは、白い建物の中にピンクやブルーなどのカラフルな 色の建物が溶け込んだ町。
 宿泊はファナリ・ヴィラスで、崖の上に立つモダンなホテル。部屋は赤い 扉で、床は白と黒とベージュのタイル?が組み合わさっていてカラフルで、 壁が白で可愛い感じ。ベッドの下が白い石だった。スィートルームは1泊 260ユーロ〜。テラスやプールもぜいたくな可愛い空間がある。プールの 横を歩いて奥に行くとジャグージがあり、バーがある。
 夕陽もきれい。

 車で15分のアクロティリ村でお祭りがあった。ギリシャ正教の聖人エピ ファミオスのお祭りで、全国各地から親族などが帰ってきていた。アギオス ・エピファミオス教会ではミサが行なわれていた。その後村を歩いてまわり 、教会に戻ると宴の始まり。豆をすりつぶした料理とパンをいただいた。

●サントリーニ島の近くのネア・カメニ島
 50年に1度噴火する活火山がある。船をチャーターした(1時間200 ユーロ)。入り江に変わった温泉がある。小さい岩からなるところにあり、 岩の色が赤くなっていて、海が温かい!硫黄のにおいがすごいらしい。植物 がないから異様です。

●カルパソス島
 ありのままの自然が残されている。崖と青い海の景色がいい。でも道はデ コボコ。車で2時間、伝統を守り続けているというオリンポス村に行く。約 600年前に建築された可愛い建物が崖沿いに並ぶ。女性はある年齢に達す ると、民族衣装を着て過ごすという風習がある。若い人は出稼ぎに行ってい て、残っているのは既婚者と小さい子だけで、廃墟になった建物も数多く存 在している。崖の上でパンを焼いていた。ここでは共同で日替わりでパンを 焼いている。
 ペンション・オリンポスに宿泊。村で唯一の若い女性マリーナさんが迎え てくれた。22歳の美人です(笑)可愛い建物で、高い位置にベッドが置か れていて、その上には色とりどりの手作りのお皿が置いてあって、とても可 愛い。ギリシャのドルマーレ?という伝統料理を一緒に作った。野菜とトマ トを煮て、お米を加えて15分煮る。これをブドウの葉で包む。これを15 分煮込む「ブドウの葉で包んだピラフ」。最後にみんなでいただきました。 1泊25ユーロ(3400円)!


テレビ番組「地中海三都物語〜アテネ・ローマ・フィレンツェ」

 2000年1月3日放送。KBS京都制作。
 案内は藤扇里さん。
●アテネ
 ギリシア・ピレウス湾に入るところから。アテネにはギリシアの人口の半分の400万人が住む。アクロ(高い所)ポリス(都市国家)は城壁を意味する。パルテノン神殿は知恵の神アテナイの女神が街の守護神として祭られている。全長12mの巨大な像は戦争で燃えてしまって今はアテネの考古学博物館にある複製で見るしかない。パルテノン神殿は今でも修復されている。ローマ時代にはキリスト教、イスラム教時代はモスクとしても使われていた。丘のふもとに広がるのはアゴラ(集会)、裁判所、図書館、劇場もあったところである。
 アテネ市内で生活に溶け込んだ神話を見ることができる。ヘビのマークで、薬局などにある。アスクレピオスはヘビの毒を麻酔の代わりに使って多くの人を助けたので、それが印となっているらしい。
 日本でも人気のアクセサリ・ショップ Folli Follie は古代からのデザインと現代のを融合させたもの。
 プラカ地区は雨が降らないので、カフェも外に出ている。デミタスカップに入った独特のコーヒー。浮かんだ泡までコーヒー色。砂糖をたくさん入れて飲む。最後は粉が口の中に残る。トルコのコーヒーと同じなのは、占領されていた時のなごりだから。この地区は旧市街でトルコの時代の雰囲気などが残っている。無名戦士の墓はトルコからの独立戦争で亡くなった人。ここの衛兵になることはたいへんな名誉らしい。スカート風の変わった服と木靴。
 食事の中にもトルコの影響が多い。タベルナ「ギエロス・トゥ・モリア(モリアの老兵)」での食事。オリーブオイルとトマト。サラダにはヤギの乳からつくったペタ・チーズが欠かせない。通称グリーク・サラダ(フォリヤティキ・サラダ)、ナスと挽肉を重ねて焼いたムスカ、アルニ・メ・コロキサーキヤとかザジーキ(にんにく、きゅうり、ヨーグルトのペースト)。ブズキヤというレストランでは、民族楽器ブズキを聴くこともできる。ギリシアでは夜9時から2時間かけて食べる。
 街角にいる動物に注目。繁華街だけでなく、遺跡を住処にしている犬や猫が多い。
 ギリシア人は敬謙なキリスト教徒(ギリシア正教)。アテネの首都大主教座「ミトロポリ大聖堂」すぐ横に12世紀建造のミクリ・ミトロポリ教会がある。歴史的にも芸術的にも高い評価を受けている。「イコン」という多くの像も修復している。願いがかなったら金色のお札をイコンにつけるらしい。

●サントリーニ島
 青い海に白い家。夏には観光客が多い。昔は島が円形だったが火山島なので今は三日月形。ここがアトランティスだという人もいる。「アクロティリ遺跡」。
 イヤの街は夕陽を見るのに一番きれいに見えるところとして有名。実際にとてもきれいな夕陽が見えた。

●ローマ
 7つの丘に囲まれている街だった。ロムルスとレムスと狼の像は街のあちこちで見られる。最初はパラティーノの丘から始まった。
 スペイン広場。ローマ市内にSPQRの文字をよく見る。これのオリジナルはフォロ・ロマーノのサトゥルヌス神殿に書かれている。Senatus Populus Que Romanus (元老院とローマの人民)の意味らしい。
 カピトリーノの丘。テヴェレ川の中のティベリーナ島にアスクレピオスの神殿が昔あったらしい。ヘビのマークがやはり街中に見られる。
 サンピエトロ広場とサン・ピエトロ大聖堂(30万人収容できるらしい)。柱は284本。
 ローマ料理とは、前菜はアーティチョーク、ズッキーニの花、タラのフライの盛り合わせ、メインは羊や子牛の内臓料理、Trippa Alla Romana(ローマ風胃袋の煮込み)。

●フィレンツェ
 オリーブとブドウの名産地であるトスカーナ州にあり、ルネッサンスの都。ユリの花が当時多く咲いていたので、花の都フィレンツェと言われた。市章は白ユリ。もうひとつよく見えるのはメディチ家の紋章。ジョットの鐘楼、サン・ジョバンニ洗礼堂(天国の門がある)、メディチ家礼拝堂(ミケランジェロの設計)、アカデミア美術館内のダビデ像は見上げるとちょうどいいくらいに作ってある。ドゥオーモのバルコニーが途中までしかないのはミケランジェロが批判したので途中で中止となったからだそうです。ここの天井の絵がきれいに見えていた。(ちなみに私が訪問したときは修復中でした)。
 レストラン「Paoli」は人気の店。贅沢な食材の数々。
 ステンドグラス修復グイド・ポッローニ。修復だけでなくオリジナルも制作している。有名な Opificio Delle Pietre Dure E Museo (修復研究所)。

 この番組はアテネに力を入れていて、アテネが40分、サントリーニ島が10分、ローマが15分、フィレンツェが25分でした。


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