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なお、これはわたしが個人的にテレビを見て書いたものであり、各テレビ局や番組とは全く関係はありません。
すべての文章の無断使用・転載を禁止いたします。
またここの情報を使って、何か問題が起こったとしても私は一切責任は持ちませんのであしからず。


テレビ番組「知っとこ! 世界の朝ごはん ローマ」

 2007年4月7日放送。年間680万人の観光客が来る。トレヴィの泉は観光客がいっぱい。みんなコインを投げている。スペイン広場も人気。テスタッチョ市場 Mercato di Testaccio には新鮮な魚介類、フルーツが多い。トマトも種類が多い。トマトの専門店では作る料理を言うとおじさんがぴったり合うトマトを20種類の中から選んでくれる。スパゲッティにしてもアサリを使うかムール貝を使うかでトマトが違う。
 黄色い花を持っている男性がいる。ミモザという花で、女性解放の日で、女性は1日好きなことができる。男性が家でお留守番。「シャンゴ Shango 」という店は女性限定入場だという。300人がクラブで踊る。
 「バルトリッチ Bartolucci 」はピノキオを中心とした伝統的な木工製品を扱う。ピノキオはフィレンツェで生まれたという。手作りなので、1体作るのに4時間かかる。
 ロベルト・カルリーニさん(26歳)はローマ大学の大学院生。チョコレートのお店「ショコラ・チョコラティニ・ダウトーレ Chocolat Cioccolatini D'autore」を紹介してくれた。生チョコレートが食べられる。チョコで作った器にチェリーを入れて、たっぷりの生チョコを入れる。イースターの時は卵形のチョコレートをプレゼントするそうです。
 テビレ川にかかるミルビオ橋 Ponte Milvio には錠前が多くかかっている街灯がある。カップルが永遠の愛を誓うそうです。現在公開中の映画「あなたが好きです」という映画にそういう場面があるので、流行し始めているとか。

 新婚さんの朝食。クリッツァ・ヤコベッリさん(33歳)。ボールの中でヨーグルトと卵をよく混ぜ合わせ、砂糖をたっぷり加え、小麦粉を入れてかき混ぜる。だまにならないように、ゆっくり。新鮮なリンゴをスライスし、たっぷりの砂糖をふりかけながらフライパンでソテー。飴色になったら、さきほどの生地とあわせて型に流す。その上にリンゴを重ねて、オーブンで50分焼く。
 「ブルスケッタ Bruschetta 」は3種類。プチトマトのヘタを取り、食べやすい大きさに切り、オリーブオイルと塩で味付け、パンににんにくをすりつけ、このトマトを置く。パンにクリームチーズをたっぷり塗り、アンチョビーをトッピングする。ゴルゴンゾーラ・チーズを塗り、ほうれん草をのせてヘルシーにする。
 「サルティンボッカ Saltimbocca 」はヨーロッパの伝統料理。仔牛の薄切り肉に小麦粉をまぶし、香りつけのセージをのせ、イタリアの生ハムのプロシートを薄切り肉の上におき、爪楊枝を使って生ハムが取れないようにして、フライパンにオリーブオイルをひいて焼く。裏返さないで仕上げるのが、この料理のポイント。


テレビ番組「地中海沿岸紀行 ナポリ〜カプリ島〜アマルフィ」

 2007年3月18日放送。石井あみさんが案内。製作協力Score。

●ナポリ
 イタリア第三の都市。交通量が多く、渋滞は日常茶飯事。まずお菓子専門店「ラ・スフォリアテッラ・マリィ La Sfogliatella Mary 」(ウンベルト1世のガッレリア内)。Sfogliata Rieeia 1.2ユーロ?が有名で温かいクロワッサンという感じで、中にスポンジ風のパンが入っていて、オレンジ風味。
 ウンベルト1世のガッレリアは明るくて気持ちいい。ひろびととした空間は市民の憩いの場。19世紀に建築され、高さは58m。十字に伸びた通りをガラスと鉄でできた美しい装飾が覆う。中心から自分の星座の方に行って、3歩歩いて一周回ったら幸運が訪れるそうです。
 ナポリを代表する料理ピッツァのマルゲリータをいただく。発祥の店「ブランディ Brandi 」はオレンジ色の看板。創業1780年で、お昼には満席となる。お店の前には音楽隊が現れ、賑やか。マルゲリータという王女にピッツァを捧げたことが由来。Margherita は4.7ユーロ、2階でいただきました。とてもジューシーだそうです。
 周辺を散策。ケーブルカーの駅に到着。90分乗り放題は1ユーロ、1日乗り放題は3ユーロ。ずっとトンネルの中を走って、到着したのはトレドの丘。20分歩いて、サンテルモ城の前にあるナポリを一望できる広場にある絶景ポイントに到着。お城の入場料は2ユーロ。お城の上から見るナポリとナポリ湾は絶景です。

●ポンペイ
 車で1時間。南イタリア屈指の名所、1997年世界遺産。観光客は年間150万人以上。歴史は紀元前7世紀にまで遡る。ローマ時代は貿易都市、商業都市として興隆を極めた。西暦79年ヴェスビオ火山の噴火により、街は火山灰の下に埋没した。1594年に発券され、発掘作業は今も続いている。

●ソレント
 車で1時間で到着。人口2万人。たくさんのホテルが点在していて、もの静かで落ち着いた雰囲気。飛び込みでホテル・ローレライに宿泊を決定。1泊朝食付きでシングル70ユーロ、ダブル80ユーロ。
 港のマリーナ・ピッコラはナポリはカプリ島への船が行き来する、海上交通の拠点。ここからフェリーと高速船が1日20便カプリ島に向かう。フェリーは往復7.8ユーロ。40分程度で到着。

●カプリ島
 多い日には1日5000人が上陸するという。青の洞窟へは、ここで船を乗り換えて向かう。20分程度のクルージング。海の色が青い。ここから小船に乗り換える。入口が狭いので、天候や潮の干満で入れない時も多い。入場料4ユーロ、船代4.5ユーロ。15分後に小船に乗り換えた。「帰れソレントへ」♪の音楽にのせて、頭を下げてとか、って言われました。中に入って、後ろを振り返ると、素晴らしい神秘的な青色!元々は開口部はもっと大きかったが、地盤沈下で現在の大きさになったという。日によって色も見える面積も違うそうです。洞窟の中の時間はほんの数分ですが、一生忘れない光景です。船頭さんがフニクリ、フニクラを歌ってくれました。
 カプリ島一周ツアー(ボート)に参加。13ユーロ。大きな岩などの自然の美も多い。海の色が緑色の場所もある。底も見える。海の中にあるアーチ型の岩もある。中をくぐりました。岩の上に銅像の少年がいました。約1時間半で終了してマリーナに到着。とても素晴らしくて、全然酔わなかったそうです。ここまでで完全に満足したそうです。

●アマルフィ海岸
 ソレントからサレルノに50km続き、世界で最も美しい海岸で世界遺産。
 ポジターノには、崖っぷちに家が並ぶ。

●アマルフィ
 2時間走って到着。有数のリゾート地。かつてはベネチア、ジェノバなどと競うほどの港町だった。地震と津波により街の大半は海の中に沈んだとされる。
 街中を散策。顔くらい大きなレモン1個3ユーロ。リモンチェッロなども売っている。広場にある「カフェ・アンドレア・パンサ」でアマルフィ名物の「プロフィッテロール」をいただいた。シュークリーム?の上にチョコとレモン・クリームがたっぷり。お酒も入っているらしい。レモンのスィーツ「デリツィア・アル・リモーネ」はブッセ・ケーキ?のような中にレモン・クリームが入っている。
 広場には大聖堂がある。10世紀前半に建てられたもので、アマルフィの守護聖人が祭られている。内部は主にバロック様式。壁画は歴史を感じさせる。祭壇には立派な彫像がある。彫刻も柱から天井まで施されている。

 ソレントへの海岸線で、地中海に沈む黄金色の太陽を見た。


テレビ番組「憧れの都へ!イタリア感動”音”紀行」

 2007年2月10日放送。筧利夫、ヴァイオリニストの宮本笑里さんが出演した。TVQ九州放送製作。

●ミラノ
 ローマに次ぐイタリア第二の都市。世界三大教会であるドゥオモがある。イタリアを代表するルネッサンス建造物スフォルチェスコ城などがある。世界最先端のファッションを発信する。
 ドゥオモは天井までの高さ45m、幅93m、奥行き158mで、イタリア最大最高のゴシック建築の傑作。現在でも祈りを捧げている教会でもある。1386年にミラノ君主ジャン・ガレアッツォにより創作が開始され、完成までに500年を有した。
 屋上に上がると、山とミラノの街並みが見える。一番高いところは高さ108mで、先端には「黄金の聖母マリア像(マドンニーナ)」がある。
 世界一美しいと言われる「ヴィットリオ・エマヌエーレ2世のガレリア」を歩く。天井にアーチ型の優美なガラスを採用している。床にはトリノ市の紋章「トーロ・ディ・トリノ」である牛の絵がある。牛のマークを踏みながら3回まわると願い事が叶うと言われる。

 バーが軒を連ねるナヴィリオ・エリアに行く。「シミエ Scimmie 」は生演奏が楽しめる店で、ワインをいただいた。「ネーラ・ターヴォラ Nera Tavola (シシリー系)」のワイン?。

 ブルガリのハンドバッグや香水、サングラスなどを扱うアクセサリー専門ショップがスピーガ通りに2006年9月にオープンした。「レッテレのバッグ」はそのオープン記念で限定品。材質は綿。ミラノ限定商品の「アビエイター・ハットとサングラスのセット」は素材はミンク。
 有名ブランド店以外もお洒落。ジュエリー・ショップ「エモツィオーニ Emozioni 」は表に青地で「 Saldi 」のマークがある。幸運を呼ぶ「ぶどうのペンダント」がありました。

 レストラン「クラッコ・ペック Cracco - Peck 」は高級食料店「ペック Peck 」のお店。総料理長はイタリアで最も脚光を浴びている一人カルロ・クラッコ Carlo Cracco 。ミラノの伝統料理と最高級食材を独自の感性でアレンジ、まるでアートのような作品に仕上げる。イタリア・レストラン連盟協会最優賞など数々の賞を獲得している。「黒トリュフとカブのマヨネーズ・ソースのラヴィオリ」に感激したら、お店の看板料理の特製卵料理「インゲン豆とパプリカ・ソースのオリジナル卵料理、ブロッコリ添え」を作るところを見せてくれた。インゲン豆のペーストにマリネは塩と砂糖を加え、豆のピューレを作り、これを型に入れてベースにする。これをたこ焼き機のような穴に入れ、ここに卵の黄身を入れ、さらにソースをかけて4時間マリネにする。ブロッコリーの葉っぱとパプリカで作った緑色のソースの上にパプリカ風味のパンをのせる。そのパンの上に卵をのせる。卵の白身をオーブンで薄く焼いたものを周りに盛り付ける。
 さらにメインのミラノの代表的な料理「ミラノ風カツレツ、アーティチョークとかぼちゃとホウレン草添え」も形が違う。

 サンタマリア・デレ・グラツィエ教会にレオナルド・ダ・ヴィンチが描いた「最後の晩餐」がある。縦4m20cm、横9m10cm、完璧な遠近法で描かれた世界遺産。

 スフォルツェスコ城は14世紀以降ミラノを統治していた君主たちの居城。城内の楽器博物館には、世界各国の貴重な楽器が600点以上も展示されている。女性のリチェッティさんが案内してくれた。まずは見たこともない横笛「フラウティ・バストーネ」は杖としても使われたそうです。「アルモニカ・ア・ビッキエーリ」は水槽があり、指先を濡らすための水が入っていた。ガラスを回転させ、縁に指をあてて音を出した。「ダブル・ヴァージナル」はピアノ・フォルテの祖先。「オルガノ・ポシティーヴォ」もある。アジアやアフリカなど世界各国の楽器も展示されている。一番大事なものは、1650年のクレモナ派のバイオリンで、とても美しい音で今でも演奏している。

 レストラン「ナブッコ Nabucco 」で食事。ジュゼッペ・ベルディが作ったオペラの名作と同じ名前。店内には肖像画や楽譜、オペラのポスターなどヴェルディに関する物が飾られている。「フィレステーキのホイル包み焼き、ポテトとフンギ添え」。イタリア国民は国歌を「マメーリ」から「ナブッコ」にすべきだという。

 スタディオ・ジュゼッペ・メアッツァはインターミラノとACミランのホームスタジアムで、インターミラノとエンポーリの試合が前日の夜にあった。観客はベルディのアイーダを歌っていた。日本も一緒だが・・(笑)

 ベルディゆかりの場所である音楽家のための養老院「音楽家憩いの家」を訪問した。元オペラ歌手のステファニア・シーナさんが案内してくれた。ベルディが実際に使用していたテーブルとイスもある。アイーダの初演にエジプトから贈られた家具もある。ベルディが実際に使っていたピアノもある。中庭の中にある建物にベルディが家族と眠っている。みんなのいるところで乾杯の歌を歌いました。

●クレモナ
 バイオリンの聖地。宮本さんはジオ・バッタ・モラッシィさんに楽器作りを学ぶ。ジオさんは国際バイオリニスト・コンクールでも審査員を勤める超一流の職人。夕飯は水牛のモッツァレラ・チーズに生ハム、パスタ、メインはお肉。
 翌日から楽器作り、まずはヴァイオリンのネックの部分の製作を学びました。初日だけで6回作り直した。
 ストラディバリ博物館 Museo Stradivariano がある。バイオリンの原型を現在の形にまで発展させたアントニオ・ストラディバリ(1644-1737)は伝説の名匠。彼が製作し、今もなお現存するバイオリンは600点で、国宝級。
 モスコーニ教授がクレモア市庁舎を案内してくれました。ストラディバリウス「クレモネーゼ」(1715年)は数々の有名な演奏家の手を経て、1961年にクレモナに戻った。このクレモネーゼは彼の生涯の中で最高作品と呼ばれ、市の宝物となっている。このストラディバリウスは館長以外は弾くことが許されていない。
 バイオリン製作国際学校を紹介され、行ってみた。年齢制限なし。学生たちがオーケストラでパッヘルベルのカノンの演奏を聞かせてくれました。宮本さんはスラブ幻想曲を弾きました。
 一番難しい部分であるネックの部分を完成させました。四月の涙を演奏しましたが、心の中で何かが変わったようです。

●ミラノ
 サン・マルコ教会で宮本さんが「秘めた思い」を演奏しました。


テレビ番組「探検ロマン世界遺産 マルタ島バレッタ」

 2007年2月3日放送。伊藤雄彦アナウンサーが案内。ヨーロッパ一美しく、堅固で、住みやすいといわれた町。16世紀に築かれたバレッタはルネッサンスの理想都市と言われた。440年前、強大な敵から町を守りぬいた人々。マルタ島の広さは淡路島の半分以下。島は城壁に囲まれていて、外からの人を受け入れないような感じ。

●バレッタ
 城壁の上に上がってみた。分厚い城壁は大砲の砲撃にも耐えられるといわれ、10m以上ある。城壁の上で畑を耕している。ベニー・カルアーナさんは土地を借りて野菜と果物を作っているという。サボテン、バナナも育つ。サボテンの実はとても甘くておいしいそうです。
 440年前に町が築かれた。現在の人口は6000人。城壁の上から眺めるととても美しい。ハチミツ色に輝く街並み。16世紀に築かれた当時の街並みをほぼ完全な形で残している。繊細で優美な建物が並ぶ。壁は淡い黄色でできている。この石灰岩はマルタストーン。道は一直線で、海まで見える。道路は碁盤の目のように区画されている。
 16世紀に貴族が暮らしていたという家「Casa Rocca Piccola 」を訪問した。今はニコラス・デ・ピーロさんが暮す。当時のバレッタにはヨーロッパ中の貴族が集まり、莫大な冨が集まっていた。秘密の場所は中庭で、地下に下りる道がある。地下5mのマルタストーンを掘った石切り場の跡があった。切り出した跡は貯水池や倉庫として利用されたという。これらは隣とつながっていて、非常時の避難ルートにもなっていた。

 華やかな衣装を身にまとった男たちのパレードがあった。聖ヨハネ騎士団で、バレッタを築いて世界中にその名を知らしメタ。バレッタのシンボル「聖ヨハネ大聖堂」に向かった。中はとても豪華。上下左右からきらびやかな美しさが降り注いでくる。1578年この大聖堂を築いたのが聖ヨハネ騎士団で、キリスト教徒を守るために12世紀に聖地エルサレムで作られた騎士団。ヨーロッパ中の貴族が参加した。彼らの莫大な寄付で築かれた。ルネサンスの巨匠カラバッジョの傑作「聖ヨハネの斬首」がある。意志を貫いたために斬首された聖ヨハネの姿に騎士の理想があった。聖ヨハネ騎士団には厳しい掟がある。「清貧、貞潔、従順」全て神に捧げることが求められた。
 大聖堂の床にはびっしりと絵が描かれている。色のついた大理石で、寄木細工のように細かく描かれている。騎士団が戦っていた様子が記されていて、相手はイスラムの覇者オスマン帝国だった。16世紀にオスマン帝国はヨーロッパへの勢力拡大を図っていた。これを食い止める最前線となったのがマルタ島だった。聖ヨハネ騎士団はヨーロッパの楯としてオスマン帝国に立ち向かった。
 大聖堂の床はお墓も兼ねていた。学芸員のシンシア・デジョルジョさんが説明してくれた。どくろのマークがある。死後も魂は天国で生き続けると言われていたので、騎士は命を捨てて戦った。騎士の墓の数は380にも及ぶ。騎士たちはヨーロッパの楯としてこの地を死守した。
 マルタ十字架は8つの先端を持つが、これは騎士団が用いた8つの言語を意味する。騎士たちを率いたのが騎士団長で、英雄として名高いのがジャン・ド・ラ・バレッテだった。彼の名がバレッタの町の由来となっている。

 オスマン帝国との戦いの前に騎士団はどういう準備をしていたのか。マルタ共和国大統領府には歴代の騎士団長が居を構えた宮殿で、総面積は7700平方mに及ぶ。武器庫に甲冑が保管されている。一段と豪華なのが騎士団長のもので、ミラノでデザインされた。マイケル・ストラウドさんに甲冑を着せてもらった。重さは全体で30kg。槍で刺されても滑るように作られている。かつ、動きやすいように作られている。剣術師範のホアン・フォルモーザさんが剣術の型を見せてくれました。一人前の騎士になるために子供の時から鍛えられたという。
 1565年オスマン帝国の大船団4万人がマルタ島を襲った。戦いの様子を描いたフレスコ画がある。9000人が砦に立てこもった。半島の先端に築いた聖エルモ砦は最大の激戦地だった。40kgの砲弾が飛んできたようです。歴史家のアルベルト・ガナードさんは、オスマン軍は予期せぬ行動に出たという。砲弾がどう飛んだかを示す絵が残っているが、オスマン軍は陸に上がり砦を攻めていたようです。その半島の付け根部分に強固な要塞を築いた。高低差24mの長さ800mの壁・堀を作った。これでバレッタの町が島から切り離された。堀に入った敵をあらゆる角度から攻撃できるようにしていた。
 結局オスマン軍は島を攻め落とすことができなかった。奥行き155mの広大な部屋がある。2000人の患者を収容するヨーロッパ最大級の病院がある。医学の知識がある騎士が無料で診察した。

 今は新たな問題に直面している。アフリカの人が毎年1000人以上マルタ島にやってくる。支援施設を立ち上げた聖ヨハネ騎士団のフィリップ・カレイヤ神父。現在マルタ島で騎士の称号を受けている人は82人。みんなが慈善活動に従事している。神父は国を離れる際にわかれわかれになった人を再会できるように手助けしている。


テレビ番組「探検ロマン世界遺産 ベネチア」

 2007年1月6日放送。守本奈実アナが案内。不毛の湿地に町ができた。中世に海上貿易で巨万の富を得て、地中海の女王と言われ、繁栄は1000年続いた。年間1800万人が訪れる。町が作られたのは9世紀。アドリア海の最も奥まった場所にある。周囲にはラグーナという干潟が広がり、淡水と海水が混じり、独特の自然環境を作りだしている。7平方kmの面積に6万人が住む。目につく塔は教会の鐘楼で80以上ある。町の中は複雑に運河がはりめぐらされていて、信号も一方通行もある。

 中心はカナル・グランデという大運河で、逆S字型。水上バスが通る。車は入れない。リアルト橋は白い巨象と呼ばれている。高い鐘楼の隣にピンク色の壁を持つ建物はドゥカーレ宮殿。中世に政治を司っていた。
 サンマルコ広場に上陸する。奥には石畳の広場が続く。ナポレオンが世界で最も美しい広場と称えた。後ろにはカトリックの聖堂、サンマルコ寺院。西洋と東洋の建築が融合した様式。サンマルコはキリスト教の聖人の一人で、9世紀に亡骸をおさめるために造られた。壁から天上まで黄金が使われている。

 道に迷ってしまい、カッセレリア通りの本屋さんに行くが、迷ってください!と逆に言われた。フランコ・フィリッピさんでした。ベネチアは100以上の島からなっているので、わかりにくいのだという。ベネチアにある橋の数は400以上だという。運河は元々は自然の水路だった。数多くの鐘楼があるのは、それぞれの島に教会が建てられたためだった。一番細い通りはバリスコ通り Calle Varisco 。人が横にならないと通過できない。
 とっておきの場所はアルターナと呼ばれる場所。フランコさんの知人の家を訪問した。5階建の建物の屋根の上にアルターナが設けられている。洗濯物を干す場所だが、住む人だけが味わえる隠れた絶景です。

 本屋さんに本を配達に来たのはフランチェスコ・グアダルピさん。ラグーナに連れて行ってもらった。全体的に浅く、船が乗り上げるので、入れない場所にはマークがある。つまり道がある。とても複雑なので、杭で示されている。敵の船が攻めてくると、杭を全て抜いて船がベネチアに来れないようにしたという。さらに潮の干満により姿を変える。ことごとく座礁するのを狙えるという。船から下りても泥の中で自由を奪われた。「水は城壁のように守ってくれている。許可なく触るものは許されない。」
 都市はどうやって作ったか。まず10mの杭を多くうちこみ、その上に石の土台を置き、その上に建物を建てた。ベネチアの町をさかさまにすると森になると言われる。

 9世紀以降めざましい発展をした。それまでは魚や塩を近所で売っていたが、当時はビザンチン帝国の支配化にあった。12世紀には交易で関税を免除してもらっていた。コンスタンチノーブルにベネチアの居留地を作ってもらっていた。何故特権を持っていたか?ベネチア市内のアルセナーレ(造船所)跡に残っていた。12世紀に建築された。最盛期には100隻余りも船が並んでいた。中世に世界一の設備を誇ったという。工員は3000人以上いて、大型船を1日1隻作るだけの能力があったという。木材やネジも規格が統一されていた。ベネチアは特にガレー船の建造に力を入れた。ビザンチン帝国からアドリア海を警護するように依頼されていたようだ。
 交易はアレクサンドリア、ベイルート、コンスタンチノーブル、その奥の黒海、ロンドンにまで及んだ。シェークスピアの「ベニスの商人」のイメージが強いが、実際はどうだったのか?
 商館を訪ねてみた。15世紀に建てられたピサーニ家のピサーニ・モレッタ邸に末裔のマウリツィオ・サンマルティーニさんに話を伺った。2階は華やかな装飾の部屋が続いている。バルコニーからは商人の館が一望できる。ベネチアではある特定の一族が突出するのを抑えていた。みなが同じ船に乗っているという意識があった。権力の独占を排除していたので、ユニークな政治を行なっていた。ドゥカーレ宮殿では1000人以上が集まり、政治を行なっていた。それは商人だった。当時は総督を選ぶのには抽選と選出を9回繰り返したりした。総督へ宛てた手紙も一人で開けてはいけなかった。14世紀のマリーノ・ファリエル総督は権力を集中しようとして、処刑された。そして15世紀に繁栄のピークを迎える。16世紀に17万の人口の1割が外国人だった。
 15世紀末にビザンチン帝国はオスマン・トルコに滅亡され、ベネチアの関連都市はトルコに攻められた。図書館には当時、各地に散らばっていた外交官からの報告書が集められた。サンマルコ寺院の宝物庫には、一角獣の角が3つ収納されているが、オスマン帝国の宰相パシャはこれを欲しがっていた。ベネチア公文書館のミケーラ・ダル・ボルゴ学芸員が説明してくれた。さらに15世紀末にポルトガル人がインドへの新しい航路を発見した。それまでインドからの香辛料は多くの関所を通過するので、関税を多く払っていた。またスペインはアメリカ大陸に到達し、銀などを持って帰った。

 ムラーノ島はラグーナに点在する島の一つ。いろいろなガラス製品を入れたショー・ウィンドーがある。ここにはベネチアン・グラスの工房が集まっている。ベネチアは自家製品の販売に乗り出した。レース・グラスは人気となった。マエストロのダビデ・フィンさんもその技術者。素晴らしい製法でした。
 地中海貿易が低迷する中でベネチアン・グラスは国の経済を支えた。しかし、17世紀になると、オランダやイギリスが世界の海に進出し、18世紀にナポレオン軍の前に降伏し、1000年の幕を閉じた。

 ベネチアは水害に悩んでいる。秋から冬にかけてのアクアアルタ(高い水)という現象で、1966年には水位は2mにも達したことがある。10月のある日、石畳の隙間から水が溢れてきて、あっという間に水没した。
 それと同時に地盤沈下も起きている。傾いているマリア像もある。ある教会の鐘楼も。サン・ステファノ鐘楼は、建築途中から傾いていたが、20世紀に支える壁が増築された。今はセンサーで監視している。

 路地に後ろにある広場などがベネチアの歴史である。最初にサンマルコ広場を訪れて満足してもらいたくないとフランコさんは語る。さらにラグーナのよさを船のエンジンを切って教えてくれた。


テレビ番組「フィレンツェ・ルネッサンス」

 2007年1月2日に生放送。1月2日午前10時のフィレンツェを野村正育アナ、上田早苗アナ、国際日本文化開発センターの井上章一教授、愛知産業大学の石川清教授、中越典子さんが案内。NHK製作。

●フィレンツェ
 サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂(ドォーモは15世紀)。8角形のサン・ジョバンニ洗礼堂(12世紀)、ジョットの鐘楼(14世紀)の3つの建物が世界遺産。ジョットの鐘楼は白、赤、緑の石で外側を貼られているが、緑はじゃもん岩、赤と白は大理石。ドォーモは直径45m、地上からの高さが100m。市民のための大聖堂なので、ルネッサンスの象徴とも言われる。
 大聖堂は長さ120m、当時市民3万人が入れたという。大聖堂の中、ドォーモの内側に天井画がある。最後の審判を描いたもので、ジョルジョ・ヴァザーリが描き始め、弟子のズッカイが完成させた。天に向かう空間を描いたと思われる。ミサの時に参加する聖歌隊に「アリア・ディ・フィオレンツァ」を歌ってもらった。ドォーモの屋上からは街のオレンジ色の屋根と、素晴らしい景色が広がっています。
 ウフィツィ美術館は8時15分開館だが、既に2時間待ちの行列。中庭にはダビンチの彫刻もある。非公開の部屋の中にはボッチチェリの「受胎告知」がある。
 ヴェッキオ宮殿前のシニョリーア広場では新年を迎えた時は大賑わいだった。オーケストラの演奏もあった。ドナウ川のさざなみなど。この広場で有名なのがミケランジェロのダヴィデ像のレプリカ。この街のシンボルでもある。イベルティ?家があった場所で、ここに建物を建てることを嫌ったために結果的に広場になった。サボナローラの火あぶりの処刑もここで行なわれた。ヴェッキオ宮殿は今は市役所になっている。
 広場に面した雰囲気のある一番古いカフェでホット・チョコレートをいただいた。クリームを入れるとよりおいしい。創業1873年頃だそうです。斜め向かいのリストランテでフィレンツェの伝統のお正月料理をいただいた。店長のマルコさんに話を聞いた。レンズ豆と豚肉(ソーセージ)の煮込み。ナイフとフォークもフィレンツェで生まれた。
 元日はボートレースが開催され、ヴェッキオ橋では観客も多い。1887年から始まった。何人かは川に飛び込んでいました。復活祭の日に山車を爆発させる祭り。12世紀聖なる火を奪ったことに由来し、ルネサンス期に盛んになった。華やかな衣装を着ています。
 フィレンツェには140の教会、40を越す美術館がある。サンタ・マリア・ノヴェッラ教会はルネサンス様式で、すぐれた美術品を収納している。その一つが十字架上のキリスト。ジョットは禁じられていたキリストを人間らしく描くことに初めて挑んだ画家だった。

●美の回廊
 ヴェッキオ宮殿、ウフィツィ美術館。ボッチチェリのビーナスの誕生、フィリッポ・リッピの聖母子像、ダビンチの受胎告知。普段は非公開の回廊には世界の巨匠たちの自画像がある。終点のピッティ宮殿。イタリアが統一され、玉座が置かれたのもこのピッティ宮殿だった。パラティーナ美術館にはラファエロの描いた美しい女性像を見ることができる。「ヴェールの女」はラファエロの恋人がモデルだと考えられている。「大公の聖母」。


テレビ番組「地球街道 日比野克彦さんでアッピア街道」

 2007年1月1日放送。テレビ東京製作。

●ローマ
 2000年以上前に作られた道「アッピア街道」が今も残っている。「コロッセオが滅びる時ローマは滅び、その時世界も滅びる」と言われた。ローマ帝国は紀元117年頃にはイギリス、ポルトガル、モロッコからエジプト、トルコ、ルーマニアまで支配していた。紀元2世紀にはローマの人口は150万人を超え、大理石でできた100以上の神殿や記念碑があった。
 フォロ・ロマーノは公共広場。フォロは英語のフォーラムの語原。20世紀まで土砂に埋もれていた。ヴェスタの神殿は6人の巫女たちが聖なる火を守っていた。元老院は共和制ローマの象徴。20mの高い天井だが、狭い。600人も元老院議員が集まったという。床面は破砕式の大理石が当時のまま。「ローマの元老院と民衆 Senatvs Popvlvs Qve Romanvs」でSPQRで示した。マンホールの蓋、水道などに今も使用されている。
 「金のマイル表示石 Golden Milestone」があった台がある。全ての道はローマに通ずというのがこの場所。南側にあるアッピア門「サン・セバスティアーノ門」からアッピア街道 via Appia Antica はローマの外に伸びている。途中から石畳となる。できるだけ一直線に作られたのが今までの道と違う。さらに本格的な基礎工事と排水処理まで施されている。紀元前312年時の監察官アッピオ・クラウディオの提唱で始まった、世界最初の舗装道路建設工事だった。その美しさから「街道の女王」と呼ばれてきた。3枚の絵を描きました。

●アッピア街道
 緑の平原の中にある水道橋「アッピオ・クラウディオの水道橋」も美しい。90kmの長さのものも作られた。
 ローマから南へ24kmのアルバーノには当時の大貯水庫がある。安定供給が図られていた。弾圧を受けていたキリスト教徒を祀る地下墓地カタコンベもある。「聖セナトーレのカタコンベ」でジュゼッペ・キアルッチさんが説明してくれた。採石場でできた穴をキリスト教徒が利用した。
 ネミ湖は古代ローマ時代からの皇帝、貴族の避暑地。そのほとりにあるアリッチャはぶどう畑に囲まれた丘の上の街。レストランは休日はローマからやってくる人で賑わう。「アル・グロッティーノ Al Grottino」でも名物料理が食べられる。ジョヴァンニ・チョーリさんはこれはポルケッタ(豚の丸焼き)だという。骨と内臓を取り除いて、塩・胡椒・にんにく・ローズマリーで味付けし、元の形にしてオーブンにして4時間焼いたもの。古代ローマ時代からの伝統料理で、スライスしていただく。
 アスファルトの道が新アッピア街道で、以前の街道の上にできている。マイルストーンは1マイル毎に柱が建っていた。
 テラチーナの山の上に「ジュピターの神殿」が建っていた。土台の部分だけが残っている。地中海が見える。眼下にはアッピア街道の笠松並木が見える。
 100kmで岩山があった。当初迂回する予定だったが、街道敷設から400年後に切り崩してしまった。ピスコ・モンターノで高さ36mの断崖が残る。
 テラチーナの街から山の中に入っていく。アッピア旧街道の向こうには舗装された道に車が走る。

●マテーラ
 3日目に到着。岩の上にあり、岩肌をそのまま利用したサッシ(洞窟住居)が広がる世界遺産。かつては一度廃墟となった。街を歩いてみた。ピエロ・コラピエトロさんのお土産屋さんに鶏の形をした笛があった。ほら貝くらいの鶏笛もある。男性が女性に愛を告白する際に使われたそうです。のどかな音がでます。1950年代を再現した洞窟住宅を見学した。家畜が家の中にいたのは、温度を上げるためだった。衛生状況が悪く1952年に法律により強制退去となった。旧市街の修復が始まったのは1986年。レストランやホテルもある。

●ブリンディシ
 アドリア海に面した小さな港町。劇場「ヌーヴォー・テアトロ・ヴェルディ」の建設が始まったのは今から40年前。その時、驚くべきことに古代ローマの遺跡があった。そこにはアッピア街道の道もあった。
 終点の高さ19mの古代ローマの円柱が階段の上にあった。向かいはアドリア海。


テレビ番組「世界ふれあい街歩き マルタ島の街々」

 2006年12月31日放送。NHK製作。

●バレッタ
 世界遺産の首都は9000人が暮らす城壁の街。マルタは古代フェニキア語で「安全な場所」の意味。海沿いの道をバスが走っている。波止場からビクトリア・ゲートをくぐって街に入る。立派な紋章が2つ。左の細い道を通って中に入る。ハチミツ入りのマルタ・ストーンで作られた町。重い鎧をつけて兵士が走れるようにしてある。階段を上がるとカフェがある。城壁の上は道になっている。右手に行くとはちみつ色の建物、出窓がある。
 中心街のリパブリック通りは賑やか。碁盤の目のような街。16世紀にオスマントルコのヨーロッパ進出を食い止めるために、騎士団が作った街で、城壁の中に320の建物がある。出窓はアラブの文化。揺らすと鳴く小鳥のかごを売っている。3ユーロ?
 街路樹が影を作る。左に大砲があるヨハネ大聖堂がある。マルタ騎士団ゆかりの教会。壁や柱は多くの彫刻が彫られている。館長のシンテア・デ・ジョルジョさん(女性)は、この教会で地中海で最も重要なバロック様式で、地下にマルタ騎士団が眠っているという。床は素晴らしい墓碑が刻まれている。騎士団はフランス・スペインなど8カ国。1565年4万人のトルコ軍が包囲した。バレッタ将軍は4ヶ月の攻防の末、町を死守した。それでバレッタと呼ばれる。
 展望台は最も高い場所。オリーブの木が繁る。天然の要塞だというのがよくわかる。眼下には大砲、街、海と素晴らしい景色。船着場から向かいの町ヴィットリオーザに行ける。12時には大砲が撃たれる。まず黒色火薬。
 城門を出るとバスがいっぱい。みんな黄色。馬車も走る。マルタは淡路島の半分の面積で人口30万人。博物館から出てきたようなバスもあるが、古いのにピカピカ。マルタ製で手作りだそうです。バス会社はいくつかあるが、政府が黄色に統一したそうです。
 海岸線を歩く。ジュ夏騎馬からの船は6人乗り程度。今は観光用なので一人1500円。昔は2000艘あったが、今は50艘。船に乗ると対岸の岬の上がセングリア・ポイントで騎士団が監視した砦がある。向こう岸まで5分で到着。
 観光ガイドのジョーン・ディレーさんは街中だけでなく、地中海の風景、先史時代の遺跡などを見たらいいという。ダイビングのインストラクターもしていて、沈没船の探検も面白いという。

●スリーシティ
 向かいの町で、セングレア、ヴィットリオーザ、コスピークア。ローマ時代に築かれた。セングレアの公園の先に監視塔があった。目と耳の彫刻もある。青空に黄色に輝く建物。騎士団の象徴のマルタ十字が各建物に飾られている。築900年の建物の中を見せてもらった。屋上からの景色は素晴らしい。
 午後5時、黄色に輝く町。港でレガッタレースのための練習をしていた。


テレビ番組「新イタリア発見 偉大なる故郷ウンブリア」

 2006年12月31日放送。仙台放送柳沢剛アナ、ボローニャ大学学生のマルタ・ベルズィエーリさんが案内。ウンブリア州は形が心臓に似ているので、「緑の心臓」と呼ばれる。8割以上の人は農業に従事する。州都はペルージャ。ここには外国人のためのペルージャ外国人大学があり、80カ国から集まっている。仙台放送製作。

●スポレート
 古代ローマ帝国の時代に作られた街で、古いが若々しい活気が溢れる町。文化財復興の祭りが行なわれていた。一部の人は古代ローマ人の姿をしている。

 山の斜面にはオリーブ畑がある。標高が高いので、害虫が少なく農薬を使わないですむ。郊外の400年続いているピアンチャーノ農場を訪問した。農場主はアントニオ・バッケットーニさん。80ヘクタールあり2つに分かれている。1つは1600年代、もう一つは1985年のもの。「ブルカトゥーラ」という古い手摘みの方式で採取した。収穫したオリーブは工場でオイルにする。正しい味見の仕方は、掌の上にコップを置いて別の手で口をふさぎ、両手で温める。温まったら、香をかぎ、口に入れて味わう。その時スィッと空気を吸い込む。

 トリュフ Tartufi ?の店?「フォルトゥナーティ・アルフォンソ Fortunati Alfonso 」(tel:0743-521124)に行く。クラウディオ・フォルトゥナーティさんが説明してくれました。世界でよく知られているのは、ノルチャやスポレートの黒トリュフで、特においしいと有名なのは、ノルチャの黒トリュフ。薄切りした時に最もおいしいのは白トリュフだそうです。試食するとキノコの味だそうです。取れるのは、トリュフが育つ木のある森で、この黒トリュフはカシの木にできる。表面がザラザラしているのは、そばにあった木の表面に似るため。弟さんのロベルトさんと犬のゾロとサラとで森に行った。黒トリュフは深さ10cm程度、白トリュフは深さ80cmのところにあるそうですが、ちゃんと見つけました。6−7月なら1日に5kg見つけたこともあり、冬場は200g程度とか。ここでトリュフをいただきました。

 リストランテ「ロカンダ・デッラ・スィニョリーア」(tel:0743-46333)で、郷土料理ストランゴッツィというパスタをジャンナ・リソルディさんが作っていた。うどんの感じです。トリュフのソースをまずかけて、次に生のトリュフのスライスを削ってかけ、仕上げはオリーブオイル。メインはウサギのフィレのグリルと子羊のフィレのグリルで、ハーブとオリーブを利かせてある。

 宿泊は「ヴィッラ・ミラーニ」(tel:0743-225056)で、お城を改築したホテル。1920年建築家ミラーニが購入し、増築、装飾を施した。彼は「自然の中で安らぎを見つける」と語った。

 隠者の宿と呼ばれるホテル「エレーモ・デッレ・グラーツィエ」(tel:0743-49624)がある。5世紀頃から洞窟の中などで隠者が瞑想などをしていた。ミケランジェロもこの聖地に5週間ほど滞在したという。

 スポレート市立美術館を訪問した。ウンブリアには芸術家、音楽家が数多く暮らしている。「スポレート・オペラ劇場」では毎年「ヨーロッパ声楽コンクール」が開催される。優勝者らは練習してさらに別のオペラに出演できる。今回は、1660年に建てられた「カイオ・メリッソ劇場」で開催されたロッシーニの「アルジェのイタリア娘」だった。

●ベットーナ村
 アグリツーリズモの乗馬に挑戦した。カントリー・ハウス・オーナーのアルヴァーノ・スファーシャさんに話を聞いた。600ヘクタールの敷地で、マウンテン・バイクやつり橋などアスレチック施設がある。木に隠れてイノシシを観察しました。

●ノルチャ
 人口5000人の町で、トリュフで有名だが、豚肉も有名。20数軒の肉屋がある。数十種類のハムやソーセージが並ぶ。「豚肉のカルパッチョ、黒トリュフ添え」

●スペッロ
 町の中心にあるサンタ・マリア・マッジョーレ教会は、画家ピントリッキオが描いたフレスコ画があまりにも有名。

●パニカーレ
 子供たちの遊ぶ姿が似合う町。この町には世界で2番目に小さいと言われる劇場「Teatro Ccaporali 」がある。

●モンテ・カステッロ
 丘の上にある城下町で、眺めがいい。世界で一番小さい劇場「コンコルディア劇場」(tel:075-8780737)がある。立派な桟敷席があります。エドアルド・ブレンチさんが説明してくれました。1800年に9つの家族が資金を出して文化交流の場、公演の場として作ったという。平土間席が37、全部で99席。事前に申し込めば外国人が結婚式を挙げることも可能。

●トラジメーノ湖
 イタリア随一の美しい湖で、季節により様々な表情を見せてくれる。

●アッシジ
 ウンブリアで最も有名な観光地。12世紀の聖人フランチェスコゆかりの地。アメリカのサンフランシスコは彼の名前からきている。聖フランチェスコ大聖堂がある。信仰にとってとても大きな意味のある場所です。ヴィンチェンツォ・コーリ司教に話を聞いた。教会が太り、民衆が飢えていた暗黒の時代、1182年の冬にアッシジの裕福な家に生まれた。若い頃に神の声を聞き、両親も財産も捨てて修行をし、鳥にまで教えを説くようになったという。44年の生涯で、キリスト教を民衆のものに戻した功績で、宗教画家ジョットの絵で世界中に伝えられた。
 ゲーテがイタリア紀行で書いた「ミネルバの神殿」が残っている。

●デルータ
 通りの店には色鮮やかな陶器が並ぶ。全て伝統的な手作り。ウンブリア伝統の色彩が旅情を彩る。

●ペルージャ
 城塞都市の中でもウンブリア最大級の都市。エトルリア門の別名はアウグストゥスの門。元はエトルリア人の作ったものだが、紀元前1世紀にローマに破れ、当時の皇帝アウグストゥスが門を修復したので、そう呼ばれる。
 ペルージャ外国人大学は独立大学。教授は100人、学生は5000人。日本人は200人くらいで7番目。田中信二朗、高野章・史子、講師の東城健志、主任の中澤昭憲さんに話を聞いた。


テレビ番組「グランドグルメ ヨーロッパ食材紀行 イタリアのハムの王様」

 2006年11月26日放送。北イタリアのパダノ平野は秋から春にかけてしばしば霧に覆われる。霧を生んでいるのはポー川で、東に流れてアドリア海に注ぐ。この霧がハムに適度な水気を与える。NHK製作。

●ジベルロ Zibello
 人口2200人の小さな古い町。これ以外に全部で7つの町でハムの王様クラテルロ Culatello が作られている。7つの町で14人がリベルロで協会を作っている。ロベルト・メッザードリさんは(66歳)は14人の生産者の一人。早朝に豚のもも肉の皮をはぎ、肉を骨から外し、筋を取り、これを縛ってからたっぷりと塩をまぶす。縛った肉は8日マ貯蔵庫に保管し、4日目に一度出して、赤身の部分をもむ。脂肪の多い部分と大たい部には血が残っているので、絞り出す必要がある。血管を縛ってさらに血を出す。よくもみこんで、もう一度塩をかけ、さらに4日間貯蔵庫に寝かせる。寝かした間に膨張したらいいものにならないそうです。豚の膀胱の皮を使って肉を包み、袋を縫いこむ。これで乾燥せず、不純物から守れる。この上からさらに網目状にしっかり縛る。これを12〜18ヶ月寝かせて熟成する。人工的に温度調節するとよくないそうです。できたてのパンやスパークリング・ワインと一緒に食べるのが一番だと語る。
 14世紀頃から贈り物として珍重されてきた。15世紀の末に建てられた聖ジェパーソ・聖プロターソ修道院は当時の栄華を今に伝える。ここに当時の絵も残っている。

●ブセット
 ジベルロから南東に8km、イタリアが誇る音楽家ジュゼッペ・ヴェルディの生まれ故郷。ヴェルディもクラテルロを好み、当時通ったという店も残っていて、店の中に絵やピアノ?が残っている。元々700年前に旅人相手にオープンしたというこの店は、クラテルロを始めとするつまみと、ワインを楽しめる店として常連客の溜まり場でもあった。店の主人のリノ・バラッタさん(87歳)も毎日店に出る。ブセットはパラヴィチーノ家の土地だった。店はヴェルディの思い出を大切にしている。ヴェルディの足跡を訪ねてやってくる音楽家も少なくないといい、店に写真が飾ってあります。店では近所のローザさんがクラテルロを使ったパスタを作ってくれました。クラテルロをキューブ状に切る。脂肪を除き、堅い部分だけを使う。バターとクリームをフライパンでかき混ぜて、クラテルロを加え、強火にかけ、煮立つと弱火にしてクリームを全部加えた。卵をたくさん使ったタリアテッレの生地を丸めて麺の形に切り、茹でて、全て混ぜた。最後にお皿の上でパルメザン・チーズをかけて完成。(厚めのクラテルロ4枚、バター50g、生クリーム1カップ、タリアテッレ300g)で2人前。

 ポー川に沿って有名レストランが数多くある。こうしたレストランでもクラテルロは食材の中心。

●Rastignano - Pianoro?
 ジベルロの町から2km、クラテルロに対する徹底的なこだわりで有名なレストラン「 Al Cavallino Bianco 」がある。シェフのマッシモ・スピガローリさん(42歳)はこの地方の出身。国際的なシェフの賞も獲得している。徹底的に食材にこだわり、牛や豚も育てている。城の地下室を使ってクラテルロを熟成させている。熟成で大事なのは、床を地元の赤ワインで常に湿らせておくこと。その赤ワインはクラテルロの試食の時に飲むワイン。熟成のチェックは馬の前足のスネの骨で作ったもの。熟成が終ると布に包まれ、白ワインがかけられる。
 料理は、チーズ、卵、クラテルロを使ったパスタにアスパラガスを添えたもの。リコッタ・チーズとパルメザン・チーズと卵1個をよく混ぜ、スライスしたクラテルロの上にのせ包み、皿の上に並べて置いておく。5cm角にパスタを切り、クラテルロを包み、沸騰しているお湯に入れ、6−7分茹でる。お皿にパルメザン・チーズをまぶし、パスタを中央に囲むように並べる。アスパラガスのためにバターを焦がさないように炒め、茹でたアスパラガスを入れる。軽く焦げ色をつけ、パスタの中央部分に入れる。溶けたバターの液をかけ、最後にクラテルロを皿の周辺に並べる。クラテルロの赤、パスタの黄色、アスパラガスの緑ときれい。リコッタチーズ300gmパルメザン・チーズ150g、卵1個、クラテルロ32枚(パスタ)と12枚(飾り付け)、バター100g、グリーンアスパラガス100g、パスタ400gで4人分。
http://www.ristorantealcavallinobianco.com/ristorante.htm


テレビ番組「ぴったんこカンカン」

 2006年11月25日放送。関東では1月24日放送。1月10日はパリ編を放送したが、今回はイタリア。泉ピン子、安住紳一郎アナが案内。TBS製作。

●ローマ
 トレビの泉の東南の方向?のお土産屋さん「オリジナル・ムジノグラス?」(via Lavatore 878, tel:06-678-9860?)でミケランジェロのパンツ「ダビデ・プリント・トランクス」を購入するが、TVでは出せないようです。他にガラス細工品を購入したが、次の店で大理石のものを見て返品した(笑)
 「マルミ・ライン・ギフト Marmi Line Gift」(via del Lavatore 28, Tel:06-678-6347?)は大理石ギフトの専門店。大理石のフルーツは6〜69ユーロです。次にメルカートに行く。
 「ピンコ Pinko 」(Via due Macelli 92/93/94, tel:06-6920-2091?)最先端のデザインで若い女性に大人気。バッグは39−59ユーロ。キャップ30ユーロ。タンクトップ84ユーロ。Tシャツ90ユーロ。

 ピザ「オ・パッツァリエッロ O' Pazzariello」(via Banco di S. Spirito 19, Tel:06-68192641)は有名店。自慢のピザ生地にモッツァレラ・チーズとトマトをのせオリーブオイルをかけて焼く。一番人気は、仕上げにオリーブとルッコラをのせたプリマウェーラ(春のピッツァ)13.6ユーロ。店内でピザ生地を投げています。ピザ作りに挑戦しました。

 スペイン広場はローマの休日で有名。「バール・バルカッチア Bar Barcaccia 」(Piazza di Spagna 71、tel:06-6797497 ?)はカフェテリア。2階のテーブル席では階段を眺められる。ジェラートは1.6ユーロで種類も多い。ここでローマの休日を再現して、ベスパという二輪車に乗る。しかし、日本人観光客には大人気でした。
 ペットショップ「メンディッロ」(via della Mercede 19、tel:06-6794228)で買物。
 「真実の口」はサンタ・マリア・イン・コスメディン教会 Chiesa di Santa Maria in Cosmedin にある。

●ミラノ
 サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会の「最後の晩餐」を見るつもりが許可がでなかったので、外で撮影(笑)


テレビ番組「モーツァルト生誕250年目の真実」

 2006年11月3日放送。平成18年度文化庁芸術祭参加作品。東山紀之、雨宮塔子さんが案内。第一生命105周年記念番組。日本テレビ製作。

●モーツァルト
 ウォルフガング・アマデウス・モーツァルト Walfgang Amadeus Mozart(1756−1791)は生誕250年。35年の生涯に800曲を残す。5歳の時の「メヌエット」K.1、8歳の交響曲第一番(K.16)、11歳の交響曲6番(K.43)、アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク(K.525)、ピアノ協奏曲第20番(K.466)、フィガロの結婚(K.492)、交響曲第40番(K.550)などの名曲を作った。ブラームスは「すべて私には奇蹟だ。これほど完璧な音楽を生み出す人間がいるなんて理解できない。あんな作品は誰にも書けなかった。ベートーベンにさえ」と語っている。アインシュタインは「彼の音楽は、宇宙に昔から存在して彼の手で発見されるのを待っていたかのように純粋だ。」と語っていた。内田光子さんは「惹かれる理由は優しさだ」と語る。

●ウィーン
 10月13日、ウィーン最古の劇場アン・デア・ウィーン劇場では、215年前に初演されたモーツァルトのオペラが新たな装いで現代に蘇った。K620「魔笛」だった。

●ザルツブルグ
 中世の香りを残すモーツァルトの誕生の地。18世紀は新生児の2人に1人は死んでいく劣悪な衛生状態で、モーツァルト家も7人のうち生き残ったのは、5つ上の姉ナンネルと末弟のウォルフガングだった。1756年1月27日に誕生。ザルツブルグ大聖堂で洗礼を受けた。洗礼名簿にはテオーフィルスとなっているが、後にギリシャ語のテオーフィリスをラテン語に読み替えてアマデウスと自ら名乗るようになった。アマデウスとは「神に愛されし者」という意味。ゲトライデ通り9番地に生家がある。今は博物館となっているが、17歳まで過ごした部屋がある。

●モーツァルト
 天才の条件とは何だったのか?母マリア・アンナは楽天的だったという。父レオポルトの家系は製本?の職人で、宮廷楽師となった父レオポルトが突然変異に近かった。しかし、楽師仲間は凡庸な人物だったと思っていた。楽師としての生活は豊かではないが、家庭には音楽が溢れていた。頻繁に家庭でヴァイオリンの練習や音楽界が開かれていた。レオポルトは姉に教則本を書いているが、彼の友人は「教育者としては稀に見る天分の持ち主だった」と語っている。レオポルトは昇進できなかったので、情熱を子供の教育に向けた。父から姉がクラヴィーアの手ほどきを受けるのを横で見ながら、モーツァルトが弾き始めたのは3歳の時だった。4歳から本格的なレッスンを受け、見る間に能力を発揮した。5歳で作曲し、父は世間にモーツァルトの姿を見せることを決めた。
 ハプスブルグ家の都ウィーンで、目隠しをしてクラヴィーアを演奏し拍手喝采を得た。6歳の時鏡の間でマリア・テレジアに演奏を見せた。8歳で交響曲を書き、11歳でオペラの第一作「アポロとヒュアキントス」(K.38)を書いた。後に多い時は年間60曲作曲した。妻コンスタンツェは「私が手紙を書くよりも早く曲を書いた」と語っている。楽譜数は推定2.5万葉(表・裏)で、CDは180枚分、総演奏時間184時間分。
 まるで最初から曲が頭の中でできあがっていたかのような自筆の楽譜は、書き直しの形跡がない。小さい時から褒められたことが効果が大きかったのかもしれない。さらに「100回の練習より1回の本番」というように、現場で演奏をしていたというのが大きかったかもしれない。

●ローマ
 ヴァチカンにもエピソード残っている。サンピエトロ寺院のシスティーナ礼拝堂で1770年、14歳のモーツァルトは人々を驚嘆させた。カサナテンセ図書館に残っている楽譜は、聖歌「ミゼレーレ」の楽譜で、システィーナ礼拝堂でしか歌うことは許されなかった。モーツァルトの時代は外に持ち出せなかった。9つの音階の合唱が続く複雑な楽譜で、何人もの音楽家が挑戦して誰もなし得なかった。モーツァルトはたった1度聴いただけで、全曲を譜面に書き写してしまった。全曲12分以上。

●現代のモーツァルト
 アメリカのジャズ・シーンで天才と呼ばれる少年がいる。マット・サヴェッジ(14歳)は6歳でピアノを弾きこなし、7歳で作曲、8歳でプロデビューし、既に8枚CDを出している。チャカ・カーン、チック・コリア、ケニーGなどともセッションしている。
 北東部の町マンチェスターに彼の家を訪問した。両親は牧畜業。1日8時間ピアノの前に座っているそうです。両親は子供の才能に気が付き、ボストンのニュー・イングランド音楽院に通わせた。ここでジャズと出会い、7歳で作曲の方法も学んだ。当時の担当教師だったエラン・カッツエレンバーゲンさんは天才と言えると語った。8歳で書いた Forty-seven は幼い譜面だが、書き直しがない。今はコンピュータを使って作曲している。日本の曲「花」を1度聴いてもらって、ピアノで再現できるか試してもらったが、ちゃんとできました。

 ハーバード大医学部ゴットフリード・シュラーグ教授は、優秀な音楽家と普通の人の脳の違いをみると、音楽家はまず左右の脳をつなぐ脳梁の前方が大きくなっているという。メロディーの理解という情緒的な作用を右脳、リズムや拍子の分析を左脳で行なう。モーツァルトがミゼレーレを聞いて覚えたのは、絶対音感ができていたからだという。絶対音感は音楽教育の開始が早ければ早いほど出て来る。3−4歳で始めると絶対音感を得る可能性は50−60%だが、8−9歳では5−10%でしかない。音楽家は聴覚をつかさどる側頭葉の内側の側頭平面が左右非対称で、左が大きく、右が小さい。訓練がもたらした結果としか言いようがないそうです。
 天才的な面は、「どんな小さな子供であっても、自分から進んで練習するという特質」、「自分の技術を卓越したものにしたいという強い衝動」だそうです。ドーパミンによる強化学習だろう。

●モーツァルトの旅
 旅は17回、期間は10年2ヶ月に及ぶ。父レオポルトはこの町にいたのではダメだと思い、ヨーロッパ各地を渡り、子供にいろいろな音楽を聞かせ、いい就職先を探した。ミュンヘン、フランクフルト、ブリュッセル、パリ、ロンドンと移動した。13歳の時、母にはこの旅が面白いと書いている。パリでは世界的なピアニストのヨハン・ショーベルトから最先端の鍵盤演奏法や作曲法の教えを受けた。産業革命の始まったロンドンでは大バッハの息子ヨハン・クリスチャン・バッハから旋律法の手ほどきを受けた。しかし延べ2万kmの旅は過酷だった。当時の旅で最も恐ろしいのは、劣悪な衛生状態からくる病気だった。リューマチは彼を死ぬまで苦しめた。
 マサチューセッツ大学の心理学部のセリア・ムーア教授は、「旅により脳はその環境の変化に適応しようと活性化する。主に脳内の海馬や扁桃体だと言われている。新しい神経回路ができ、それが創造性につながる。さらにひらめきが生まれる。」と語る。さらに旅によりいろいろな地で受け入れられる普遍的な音楽になったと思われる。
 14歳から17歳くらいの3回の旅は、ザルツブルク、インスブルック、ヴェローナ、ミラノ、パルマ、ボローニャ、フィレンツェ、ローマ、ナポリへの旅だったが、就職はままならなかった。そのことが微妙な旋律への陰影になったようだ。17歳で作曲した交響曲第25番(K.193)もその例で、映画「アマデウス」のテーマとして使われた。特に15歳で帰国した際に、音楽活動に理解のあったシュラッテンバッハ大司教が急逝し、新たに就任したヒエロニムス・コロレド大司教は音楽に全く興味を示さず、モーツァルト親子は冷たく扱われた。
 イタリア・ボローニャで最大の師と出会った。聖ドメニコ教会に14歳でやってきた。演奏を披露し、本場の音楽家たちをあっと驚かせた。その時モーツァルトが弾いたオルガンが今も残る。アカデミア・フィラルモニカ(楽友協会)の会員でもあったマルティーニ神父は天才ぶりを見抜き、様々な音楽理論を手ほどきした。アカデミアの認定試験に最年少で合格した。マルティーニ国立音楽学院は神父ゆかりの学校で、東山さんは日本からのの留学生・太田有香さんに話を聞いた。
 イタリアのミラノのスカラ座の前身では念願だった、14歳で作曲した「ポント王ミトリダーテ」(K.87)が公演された。
 旅の終わる頃に小さなサロンで演奏するような「ディヴェルティメント、ニ長調K.136」(16歳)などが生まれた。
 17歳〜21歳までは田舎の宮廷楽師として郷里に縛られた。17歳からはザルツブルグの旧市街のタンツマイスターハウスに住んだが、最近修復された。この4年間にモーツァルトらしい名曲が作られ始めた。20歳のセレナード第7番「ハフナー」(K.250)など。
 1778年?コロレド大司教から次の就職旅行の許可が下りた。母とドイツからパリに旅立った。ドイツのアウグスブルグで運命的な楽器に出会う。ピアノフォルテ(ハンマークラヴィーア)で、音色や音の強弱などを改良したピアノの前身。21歳でピアノソナタ第8番(K.310)などを作曲した。ここで従姉妹のマリア・アンナ・テークラ(通称ベーズレ)と出あった。旅先から手紙をたくさん書いているが、このベーズレ書簡はモーツァルトの尊厳を壊すという意味で長く封印されていた。マンハイムで出会ったオペラ歌手アロイジア・ウェーバーに恋に落ち、母も捨ててイタリアに旅した。父は怒り、モーツァルトは父の忠告を受け入れパリに向かった。しかし、15年前とは違っていた。社交性がないためだったようだ。1778年旅先で病気になった母が亡くなった。葬儀は聖トゥスタンシュ教会で行なわれた。音楽はこの頃のは、交響曲第31番ニ長調「パリ」(K.297)のように明るい。

●ザルツブルグ
 内田光子さんは「彼は人間の喜怒哀楽を本当に音に移し変えることができた。」と言う。ギャップがあるのが天才かもしれない。モーツァルトは映画アマデウスに見られるような性格だった。長嶋茂雄はプレーは天才的だが、言語がおかしい。そういうのがあるのではないか?と茂木健一郎さんは語る。

 旅から帰ってザルツブルグの宮廷楽師となり、作曲に力をこめた。トルコ行進曲(K.331)などがある。そして25歳で、コロレド大司教とウィーンのドイツ騎士団教会で会談し、決別した。
 オーストリア国王ヨーゼフ2世に認められた。ウィーンのブルク劇場でオペラ「後宮からの誘拐」(K.384)などを上演した。アロイジアの妹コンスタンツェと1781年26歳で結婚した。1782年には60曲作った。日に4時間しか机に向かっていなかったと言われている。交響曲第38番「プラハ」(K.504)はわずか4−5日で書き上げた。映画「みじかくも美しく燃え」のテーマとして使われたピアノ協奏曲第21番(K.467)、ピアノ協奏曲第23番(K.488)などがある。子供も4人恵まれた。住まいの一つはモーツァルト・ハウスと呼ばれている。ここで30歳での歌劇「フィガロの結婚」(K.492)が生まれた。許す、許してほしいという願いがこめられていると内田光子さんは語る。指揮者の金聖響さんはモーツァルトの音楽には思想、哲学的な話が盛り込まれているのに、多くを語らないと言う。

 1783年長男ライムント、86年には3男ヨハネ・トーマスが死去。1787年5月父レオポルトが死去。1988年悲しみを越えてオペラ「ドン・ジョヴァンニ」(K.527)が生まれた。父の終生の期待に応えられず、裏切ってしまった罪悪感が出ている。地獄にひきずりこもうという騎士長は死の影であると言われている。貴族たちはモーツァルトの音楽は自分たちを馬鹿にしていると反発した。時期はフランス革命前夜。88年長女テレージア、89年次女アンナが死去。90年最大の保護者の国王ヨーゼフ2世が死去。妻コンスタンツェが病で精神のバランスを崩し、療養を必要としていた。友人にはお金をたくさん無心していた。療養中のコンスタンツェは浪費を重ねた。ピアノ協奏曲第27番変ロ長調(K.595)は演奏会ができなかった。
 1791年夏に主人の使いだと言う男がレクイエムの作曲の依頼に来た。匿名にしてほしいという依頼にモーツァルトは自分の死の影を予感する。9月歌劇「魔笛」(K.620)が完成した。あとはレクイエムの作曲だった。
 「私は自分の才能を十二分に楽しむ前に終わりにたどり着いてしまいました。人生は何と美しかったことでしょう。でも人は自分の運命を変えることは叶いません。」と最後の手紙となった、劇作家ダ・ポンテへの手紙に書いている。
 レクイエム(K.626)の第3曲「涙の日」(ラクリモサ)の途中でペンが止まった。1791年12月5日35歳で亡くなった。亡骸は馬車で聖マルクス墓地に運ばれ葬られた。


テレビ番組「世界ミステリー紀行、真・聖杯伝説、キリストの暗号」

 2006年10月13日放送。中村獅童、水川あさみさんが案内。ダ・ヴィンチ・コードは全世界で44言語に翻訳され5000万部以上を売り、今年映画化もされた。このヒットは小説の冒頭にある「この小説における芸術作品、建築物、文書、秘密儀式に関する記述はすべて事実に基づいている。」という言葉による。キリストにまつわる秘密と陰謀による。キリストはマグダラのマリアと結婚していて、子供がいた。秘密結社シオン修道会はこの血筋を人知れず守っており、レオナルド・ダ・ヴィンチがその総長を務めていた。彼は秘密を自分の作品の中に暗号として残した。それを真っ向から否定する幻の絵が発見された。それが「ダ・ヴィンチ・コード」の嘘とマグダラのマリアが娼婦だったという正体を暴く。もう一つの「最後の晩餐」があり、フランス司法当局が捏造されたものだと真相を暴露した。本当の聖杯は何か?TV東京製作。

●ダ・ヴィンチ・コード
 ダ・ヴィンチ・コードの嘘を暴く絵は1949年以来、公開されなかった。ダ・ヴィンチが描いたという幻の絵が57年ぶりに公開された。それまでは弟子の絵だと言われていたが、よく見ると質が高く、ダ・ヴィンチの筆が入った絵であると判断された。縦58cm、横45cmの小さな板に描かれた女性。ダ・ヴィンチと弟子の共作ヌード「マグダラのマリア」。
 バチカン美術館「ラファエロの間」修復主任のパオロ・ビオリーニ氏はダ・ヴィンチの筆が入っていると語る。さらに空気遠近法やスフマート(透明な顔料を塗り重ね、顔などの輪郭を煙のようにぼかす手法)が使われている。
 この絵は当時マグダラのマリアが娼婦であるということを考えられていたことを表わしている。後に彼女は心を入れ替えてキリスト教に改宗するが、ダ・ヴィンチは改宗する前の娼婦として描いている。ダ・ヴィンチがシオン修道会の総長であったなら、娼婦としては描かなかっただろう。「最後の晩餐」では聖ヨハネがあまりに女性のように描かれていて、「ダ・ヴィンチ・コード」ではマグダラのマリアだとしている。この女性とキリストの輪郭を結ぶとMの形となるが、これは結婚を意味するマリッジ、マグダラのマリアの Mary Magdalene のMでもある。この二人の位置を交換すると寄り添う形になるという。

●フィレンツェ
 ドゥオモ、ヴェッキオ宮殿、ヴェッキオ橋などのある歴史の町。「サンタ・ポッローニア修道院」は駅から歩いて東に10分、11世紀に建てられた。ここの食堂に、縦4.6m、横9.8mのアンドレア・デル・カスターニョ作の「最後の晩餐」(1447年)がある。ダ・ヴィンチが描いたのは1498年。ここでも聖ヨハネは女性的に描かれている。ドメニコ・ギルランダイオ作の「最後の晩餐」(1482年)でも、聖ヨハネは女性のように描かれている。
 絵画修復家のフランチェスコ・キーナ氏は、聖ヨハネは12使徒の中で最も若く、ダ・ヴィンチ以前の画家達も聖ヨハネにはヒゲを描かず、中性的に描いている。さらに、ダ・ヴィンチは磔にされるキリストの孤独を表わすために両サイドを空間にしたのだと語った。むしろ文字が隠れているとすればWだろう。

●シオン修道会
 今から900年前にゴドフロワ・ド・ブイヨンという創設者により設立された世界最古の秘密結社だという。その総長にはニュートンなども名がある。総長リストは第27代総長ピエール・プランタール氏により存在が明らかになったとされている。しかし、1988年ミッテラン元大統領を巻き込んだ金融スキャンダルがあり、それにシオン修道会の総長リストにあるロジェ・パトリス・ベラ氏が関与していた。フランスの司法当局がプランタールを取り調べた時のテイエリ検事による調書には「シオン修道会は全て彼の妄想だった。」と書かれていた。

●アメリカ・エバンスビル
 南インディアナ州立大学のダン・スカボニ教授は「シオン修道会」は存在しないと言う。プランタールにより3名で1956年に作られたもの。プランタールは詐欺などの罪で人生の大半を刑務所で過ごしている。シオンという名もプランタールが住んでいた処の近くの丘の名前。

●聖杯
 バチカン市国はキリスト教カトリックの中心地で、中心は聖ピエトロ大聖堂。西暦64年に当時のローマ帝国によるキリスト教に対する迫害の戦いで殉教した聖ペトロの墓の上に建てられた大聖堂。ローマ帝国の兵士ロンギヌスはキリストの死を確認するために、右のわき腹を槍で刺したと言われるが、彼の像もある。その時血がほとばしり出たという。その聖槍(せいそう)には神秘の力が宿っているとされ、世界を支配できるというので、多くの権力者を魅了した。西ローマ帝国を支配したカール大帝はいつも戦場で聖槍を手にしていて、47回の合戦全てに勝利した。しかし48回目で槍を落とし戦死したと伝えられる。ナポレオンもこの槍を手に入れようとしたという。その前にハプスブルグ家は槍を回収していた。ヒトラーも秘密組織アーネンエルベにキリストの遺物を集めさせた。聖槍をハプスブルグ家から取り上げ、最後の晩餐で使われ、磔のキリストからその血を受けたといわれる聖杯を手に入れようとしていたという。かつベルリンに聖ピエトロ大聖堂の17倍の容積、15万人収容の聖杯神殿を建設しようとしていた。

●聖なる遺物
 ローマの西部にある聖十字架教会は、世界で初めてキリスト教を公認したコンスタンチヌス帝の母ヘレナの住居跡に建てられた。ヘレナは熱心なキリスト教徒で、自らエルサレムに赴き、数々の聖なる遺物を発見し、ローマに持ち帰ったと伝えられる。ジュゼッペ神父が説明してくれました。祭壇の奥の長い通路の先の祭壇に、キリストにかぶせられたイバラの冠についていた2つの棘で、今は銀でコーティングされている。ガラス製の十字架の中に納められているのは、キリストがかけられた十字架の本物の木片。十字架の上に打ち付けられた板もある。
 聖槍、聖杯、キリストを打ちつけた聖なる釘、キリストが着ていたという聖なる衣、磔にされた十字架などが聖なる遺物。ローマの中心部に位置するサン・ジョヴァンニ・イン・ラテラーノ大聖堂はローマの四大聖堂の一つ。その向かいは、エルサレムを統治し、キリストの処刑を命じたピラト総督の館にあった階段が移築されている。キリストはこの28段の階段「スカラ・サンタ」を降りて、十字架への第一歩を踏み出したと言われる。人々は膝立ちの苦痛を感じながら1時間近くかけて28段を登る。現在は木で覆われており、直接キリストが歩いたとされる階段を見ることはできない。
 このような聖なる遺物は世界各地に点在している。聖杯は確認されているだけでもイタリア、スペイン、アメリカに3つある。十字架は細かく砕かれ世界各地に分散している。
 トリノの聖ヨハネ大聖堂は1498年に建築されたルネッサンス様式。左側に異質なガラス張りの祭壇がある。ギベルティ神父が説明してくれた。この中の大きなアルミニウム製の棺の中に聖骸布が納められている。これは酸化により劣化しないために施されたもの。聖骸布の人物の姿は白と茶色のコントラストで現われており、酸化によってコントラストが消える恐れがあるから。
 聖ヨハネ大聖堂から西に1kmに聖骸布教会 Chiesa Confraternita S.S.Sudario がある。18世紀に聖骸布に強い思いを抱く人々のために作られた。中央の祭壇に聖骸布を精巧に写し取った布が飾られていた。トリノの聖骸布は長さ4.5m、幅1.1mで、素材は亜麻(リネン)で厚さは0.3mm。2度大きな火災に遭い、24カ所穴が開いている。真中に一人の人間の姿がぼんやり浮かびあがっている。聖骸布の存在が一般に知られるようになったのは、1353年フランスのリレで、1898年セコンド・ピアが撮影した写真のネガから人物像が明らかになった。1988年炭素14による年代測定を行い、1260−1390年の間のものだと判明した。ではどうやって聖骸布を作ったか?ダ・ヴィンチだと言う人もいるが、元北海道大の竹村伸一博士はピンホールカメラでは情報量が少ないから違うという。さらにダ・ヴィンチの誕生する100年前には既に公開されていた。ガエタノ・コンプリ神父は聖骸布は中世よりもっと前から「マンディリオン」(キリストの顔だけを布に映したもの)という姿で知られていたという。マンディリオンは聖骸布を8つに折りたたんだもの。
 紀元30年頃キリストは処刑され、50年頃にエルサレムからマンディリオンが今のトルコにあった王国の首都エデッサに運ばれ、時の王アブガルズ5世の手に渡ったという。西暦525年にエデッサの川が氾濫し、城壁の修復中に発見され、後にコンスタンチノーブルに移された。1204年に十字軍に参加した兵士の記録によると、「コンスタンティノポリにブラケルネの聖母マリア修道院がある。そこには我らが主が包まれた亜麻布があり、毎金曜日に真っ直ぐに立てられ主の姿がよく見えた。しかし町が陥落した後、その布の行方についてギリシャ人もフランス人も誰も知らない。」その後リレで発見され、シャンペリーを経由してトリノに伝わった。

 ナポリから車で30分内陸に入ったところに、アッピア街道沿いのカプア Capua という小さな町がある。1080年に建てられた「サンタンジェロ・イン・フォルミス修道院」はロマネスクとビザンティン様式を併せ持った修道院で、ドゥオンノロ神父が説明してくれた。正面には大きなキリストの姿がある。マンデリオンが出た時よりも前に描かれたキリストの絵はかけはなれたものが多い。額には2本の髪の毛が垂れているが、聖骸布には額に血が流れていた。10世紀から11世紀にかけて描かれたキリストの絵はほとんど共通して額から2本の髪の毛がでている。
 トリノのグラデニーゴ病院の法医学部長バイマ・ボローネ教授は、この聖骸布の人物は十字架にかけられているという。120箇所ムチで打たれていて、そのムチには先に金属がついていて、よりダメージを与えていた。当時のムチはフラグルムと呼ばれ、先に2つに分かれた金属がついていたという。頭には先の尖った円形のものをかぶせられた跡があり、出血している。膝と足の裏からエルサレムの岩の成分と同じアラゴナイトが検出されている。さらにこの人物は右の第五肋骨と第六肋骨の間から出血しているが、生きている時のものではなく、死後につけられたもので傷口と血の流れ方でわかるそうです。法医学の点からみると不自然なところはないそうです。現代の知識を持たない中世の人がこの布を作ったとは考えられないそうです。
 炭素14の測定を覆す発見があった。アメリカ・サンアントニオの元テキサス大微生物学のガルツァハルデス博士は、聖骸布の表面に微生物が作り出したバイオ・プラスチック膜ができていて、その膜のせいで年代測定が間違ったという。名古屋大・年代測定総合研究センターの中村俊夫教授は、10年程度の誤差で推定できるので、1000年以上間違うというのは、検査する物に、より若い炭素が半分以上混ざっている場合だろうという。イスラエルのヘブライ大学植物学のアビノアム・ダニン教授は聖骸布についた花粉を解析し、2種類の花粉(カイテンソウとビーンケーパー)が付着するのはエルサレム以外はないと断言した。2005年アメリカのロス・アラモス研究所のレイモン・ロジャース博士はバニリンによる年代測定を行い、ユダヤの古い文書である「死海文書」(紀元前2世紀〜紀元1世紀)と同じ年代だとわかった。
 しかし、どうやってキリストの像が写ったのか?2002年に行なわれた調査で新事実が判明した。聖骸布には当て布が施されていた。その当て布をはがしたところ、裏には人物像は映っておらず、裏は血液の染みだけだった。トリノ司教委員会の繊維の専門家ピエロ・ベルチェッリ氏は、聖骸布は絵の具で描かれたという説に、「この亜麻布に描ける絵の具はアクリルの絵の具しかないが、亜麻布は水分を良く吸収するので、裏側にもすぐ染みてしまう。だが聖骸布の裏側には血液だけが染みていて人物は映っていない。だから絵の具では再現できない。」と語った。
 パドバ大学機械工学のジュリオ・ファンティ教授によると聖骸布はコロナ放電により生み出されたもので、キリストに間違いないという。大量のラドンで空気がコロナ化し、コロナ放電が起きたという。つまり天然コピーによるという。富士ゼロックスで実験してみたら、ホコリ(トナー)が人体に移って、亜麻布から抜けた。これは逆の現象だったので、時間の経過を示すために紫外線を当ててみると、トナーのついていない場所が変色し、洗うと聖骸布と同じ状態になった。さらに裏には像が写っていなかった。
 聖書には「十字架にかけられ、遺骸は亜麻布にくるまれ、裕福な議員だったアリマタヤのヨゼフという弟子により埋葬された。」そこが聖墳墓教会で、十字架が立てられていた場所や、キリストの亡骸に香油が塗られた場所があり、教会の中心にある祭壇がキリストが埋葬された墓の跡で、岩の上に聖骸布にくるまれた遺体が置いてあったという。埋葬された時に大きな地震が起こっていた。
 岩石は圧縮されると電気が発生することがわかっている。花崗岩は圧縮すると5V以上の電気を発生する。それが実際に起きたのだろう。数学者デ・ゲール氏の計算によると、ムチ、十字架、いばらの冠、ひざのすり傷、、右のわき腹に傷がある人物がキリストではない可能性は250億分の1だという。
 元テキサス大学のガルツァバルデス博士は1988年の聖骸布の科学的調査が行なわれた時のサンプルが回収されないまま放置されている。その中には後頭部から採取されたものもある。そこに血の塊があり、AB型だとわかった。さらにDNAも抽出したという。トリノの枢機卿はサンプルの返却を求め、さらに全ての実験を禁止する声明を発表した。クローンを作ろうとする動きもあるらしく、2000年に Clone Jesus の記事が新聞を賑わせた。
 トリノの「神の大聖母教会」の入口にはグラスを掲げる一人の女性の像がある。この像が見つめる先に聖杯が隠されていると信じる人が多い。
 Clone Jesus の記事を書いたコンコルディア大学のロバート・マスターソン教授は、秘密結社「第二の到来」がキリストのクローンを作ろうとしていた。計画通りなら2001年12月25日に誕生していることになる。


テレビ番組「地球街道 イタリア」

 2006年9月23日、30日放送。星野知子さんが案内。まずはワインとチーズを食べる旅。次は文房具の旅です。

●トスカーナ・フィレンツェ
 ひまわり畑。500年前ルネッサンスの発祥の地だった。10年前に起きた食のルネッサンス「スローフード」の発祥の地ともなってきた。スローフードとは、伝統的な食物や郷土の食材、生産者を守り、ゆっくりと食事を楽しむという運動。
 中央市場にはいろいろな果物・野菜がある。細長い大きなセイヨウ・カボチャ Zucca Grande もあるが、大きいほど甘いそうです。チーズも多い。お店の主人はお勧めはトスカーナの洞窟で熟成されたペコリーノ・チーズだという。羊のミルクで作られ洞窟の中で1年熟成されたグロッタ Grotta は独特の香りと味だそうです。ハチミツをつけて食べるのがいいそうです。

 サンタ・マリア・ノヴェッラ教会はレオナルド・ダ・ビンチがモナリザを描いたといわれる。この教会の一角にレストランがある。13世紀の始めに教会の修道僧たちが始めたと言われるサンタ・マリア・ノヴェッラ薬局は、現存する世界で最も古い薬局。昔ながらのレシピで作られた石鹸や香水など、全てがオリジナル商品。その中にハチミツを見つけた。全てオーガニックで、ひまわりの花粉をたっぷり含んで栄養価も高い。250g7ユーロ。ペコリーノ・チーズにつけるハチミツはこれに決まり。

●キャンティ
 フィレンツェから南に30km、トスカーナを代表するワインの産地。その中心の街グレーヴェ・イン・キャンティ。創業1700年という老舗のお肉屋さん「ファロルニ」には、昔ながらの製法にこだわる生ハムやサラミがある。野生のイノシシ Cinghiale のものもあるが、毛がかなり生えていました(笑)ハムなどはまわりに白いペニシリンがついていれば、サラミも生きていて美味しいそうです。味の決め手は中に入っているフェンネル(ウイキョウ)の種。イノシシのサラミは1本8.05ユーロ。
 「ガレリア・チヴェッタ」という店はコルク・スクリュー(ワイン・オープナー)などを売っている。氷割りハンマー型は1900年頃のもので85ユーロ。自転車の部品で作られたものは185ユーロ。1700年代製造携帯ワイン・オープナーは80ユーロ。

 「カステロ・ディ・アマ」は世界に誇るキャンティ・クラシコを生産するワイナリー。ロレンサ・セバスティさんが説明してくれました。メルローはスーパー・トスカーナに使っているが、新しいので格付けはまだ低いが、世界的な注目を集めている。

 キャベツの浅漬けをポン酢で作り、ダニエル・ビュラン作「視点:ブドウ畑に向かって」というオブジェの前で赤ワイン「キャンティ・クラシコ、カステロ・ディ・アマ」、ハチミツをつけたペコリーノ・チーズ、いのししのサラミ、キャベツの浅漬け、赤のスーパー・トスカーナ「ラッパリータ」をいただいた。


●フィレンツェ
 どこも美術館みたいな街。ウフィッツィ美術館の前には大道芸人がいた。星野さんはいつも絵葉書を出すらしいのですが、とっておきの文房具で手紙を書くことにした。

 「イルパピロ Il Papiro 」はフィレンツェの代表的工芸品マーブル・ペーパーで有名な文房具店。17世紀にフランスで完成されたというが、皮より軽く、本の装丁紙としてヨーロッパ中に普及したが、現在はフィレンツェにしか残っていない。虫食いを防ぐので、現在でも装丁紙に使われている。小物入れにも使われている。手紙に封をするためのロウであるシーリング・ワックスもある。17世紀以降ヨーロッパの王家などが重要な書類に封をする際に使い始めたもの。自分のイニシャルのものがありますが、シーリング・ワックス&スタンプで29ユーロ。工房ではクラウディオ・ヴィアーニさんが特製品の便箋を作ってくれた。まずは海藻を混ぜた溶液の上に水彩絵の具を振り落とし、金属製のクシで繰り返し模様をつけ、この上に紙をのせ模様を写しとれば完成。職人として20年かかるそうです。この紙を切り取り便箋を作る。

 ベッキオ橋近くの万年筆の店「ヴィスコンティ Visconti 」は万年筆のコレクターによって設立されたお店。1本1本手作りにより作られ、世界でも高い評価。神曲は3000ユーロ。蒔絵「四季」8300ユーロは東洋の美を取り入れている。錬金術 alchemy は3300ユーロ。ヴァン・ゴッホ・シリーズもあり、1本170ユーロ程度。

●サンマリノ
 フィレンツェから車で3時間。国境には検問などない。人口3万人、広さは世田谷区ほど。政府官邸の前にも衛兵は1人。この国の財源の一つは切手。サンマリノ観光局で入国スタンプを押してもらった。2.5ユーロ。郵便局に行く。毎年ユニークな切手が発行されている。2005年の津波被害者救済チャリティーでは、葛飾北斎の浮世絵が使われていた。今回は2005年の「イタリアの偉大なワイン」のシートを購入。有名なワイン・ラベルがそのまま切手になっている。

 小高い丘のレストランで、とっておきの文房具で手紙を書いて、投函しました。


テレビ番組「ぶったま イタリア・ミラノ」

 2006年9月16日放送。くまきりあさ美さんが流行発信地ミラノを案内した。関西テレビ製作。

●観光
 ドゥオーモ広場で日本語ができる案内人のポーラストゥリーニ・フェデリコさん(38歳)と待ち合わせて、ショッピング・アーケードを見学。鉄とガラスを使い12年の歳月をかけて作られたもの。通りにはプラダやルイ・ヴィトンもあり、カフェ、レストランもある。雄牛の絵が描かれている場所では、急所にかかとをのせて3回転すると願いが叶うという。大阪の梅田の地下にもこれのコピーがありますね。

●チーズとワイン
 レトロなトラムに乗って移動。トラムはミラノの中心街から郊外にかけて広いエリアをカバーしている。やってきたのはイタリア屈指の高級食料品店「ペック Peck 」本店。肉、100種類のチーズなど豊富。試食もできます。パルミジャーノ・チーズの貯蔵庫を特別に見学。太鼓の大きさのが600個ありましたが、5度で36ヶ月保存されているそうです。1ホール40kgで800ユーロ(13万円)、1kg24.2ユーロ(3630円)。
 別の厨房では香り高いバジルと香ばしい松の実をフレッシュなマスカルボーネ・チーズでサンドした、トルタ・アル・バジリコが完成。きれいな層状になっていました。100g1313円。
 地下1階のワイン・カーブも品揃えが素晴らしい。イタリア産を中心に3000種類1万5000本のワインが並び、ワインバーもすぐ横にある。レモ・ストパーニさんに、いいワインをいただきました。Solata 720mLで135ユーロ(2万円)。ぐるぐるグラスを回して、内側に広がらせて風味が引き出され、空気に触れさせて味がまろやかになるそうです。

●バール
 バールは朝早くから夜中まで開いていて、バーとしてカクテルなどのお酒も楽しめるし、カフェのように朝食やカプチーノもいただける。「ペック・バール Peck Itarian Bar 」に行く。「カフェ・シェグラート」は2.8ユーロ(420円)のカクテル、「カプチーノ」は1.4ユーロ(210円)。ドリンクを注文すれば、カウンターに並んでいるトマト、オリーブ、ケーキ、フルーツなどの「おつまみ」は食べ放題。フェデリコさんのお勧めはカクテル「ロッシーニ」7.25ユーロ(1010円)で、ストロベリー・リキュールをスパークリング・ワインで割ったもの。
 バールの奥には地元でも評判の「クラッコ・ペック Cracco Peck 」というレストランがある。ミラノ名物「ミラノ風仔牛のカツレツ」15ユーロ(2250円)、「いわしとフェンネルのトマトソース」11.5ユーロ(1730円)。

●ピッツァ
 「フラテッロ・ラ・ブーファラ Frtelli La Bufala 」はミラノで一番と言われていて、石窯を使っている。水牛のモッツァレラ・チーズをたっぷり使って、250度の石窯でじっくり焼いた「マルゲリータ」6ユーロ(900円)が定番。他にもマッシュルーム・ブロッコリー・ソーセージなど8種類の具材をトッピングした「コルネット・ディ・ファーゴ」8.5ユーロ(1280円)など、充実している。フェデリコさんのお勧めは、たっぷりのモッツァレラ・チーズに、イタリアン・ハーブのルッコラをたっぷり盛り付け、ナポリの小さいトマトを散らした「アマルフィターナ」7ユーロ(1050円)。


テレビ番組「とっておき世界遺産・とんがり屋根の物語」

 2006年7月29日放送。NHK制作。

●南イタリア・アルベロベッロ
 おいしいオリーブオイルで知られる。1500軒を越えるトゥルッリがある。16世紀に領主が土地を開墾させるために農民たちを強制的に住まわせたのが始まり。石灰岩の大地に農民は苦労した。あふれる石を丁寧に築きあげてドームを築いた。屋根の厚さは80cmあり、円形に積むことで外からの圧力に強くなるようにしてある。夏の熱気も冬の冷気も通さない。
 住まいの中は中央の居間を中心に、30平方mの家。水不足が問題で、川も湖もなく、雨もあまり降らない。屋根を利用して雨水が集めて、地下に貯蔵している。そこは元々石があった場所。さらにアルベロベッロ自体の谷の位置にある広場に3つの貯水槽があり、各家庭の水が枯れたらここの水を自由に使える。

●ルーマニア・マラムレシュ地方
 ルーマニアの最北部のカッパドキア山脈。生活の中心は教会で、高さ53mの世界一高い木造教会のシュルデシチ教会。使われているのはヨーロッパトウヒ。もみの木に似た常緑樹。釘は一切使われていない。一面の宗教画は木に描かれている。世界遺産だけど、住民は日常的に訪れている場所。
 人々はトウヒを森の王様と呼ぶ。家の前に建つ立派な門は魔よけで、そこには天にも伸びるトウヒの姿がある。墓地にもトウヒが使われていて、ヨーロッパには珍しい木のお墓で、カラフル。生前の様子が描かれている。
 日曜は礼拝の日。この村は他の都市から隔離されている。村人が寄り添って生活していて、教会は大事な場所。説教は3時間以上続く。教会に入りきれない人も外で聞く。

●岐阜・白川郷・五箇山
 合掌造りで、20−30人の大家族が生活してきた。雪がすべりやすいとんがり屋根。萱を通ってくる蒸気は雪を溶かす。雪の重みで家が壊れないように、圧力を分散するように作ってある。江戸時代の後半から明治時代に建てられた。萱の寿命は40−50年。村人は農閑期に村人総出で行なわれる。萱は1.2万束。代々請け継げられた方法で縄を縛り、つちで叩く。助け合いで絆が深まる。これを「ゆい」と呼んでいる。


テレビ番組「探検ロマン世界遺産 チンクエテッレ」

 2006年7月15日放送。鎌倉千秋アナが報告。険しい海岸線に立つ5つの町。チンクエテッレとは「5つの土地」の意味で、総称でもある。1997年に世界遺産に登録された。人々はここで1000年以上暮らし続けてきた。平らなところはわずかもない。びっしり建てられた家々。断崖には数百年をかけて築いた段々畑がある。ここで育ったぶどうは貴重なイタリア・ワインを生み出す。
 南からリオマッジョーレ、マナローラ、コルニリア、ヴェルナッツァ、モンテロッソ・アル・マーレの村々。交通手段は昔から船しかなかったので、中世のたたずまいがそのまま残っている。

 イタリア半島の付け根。ローマから350km北にある。道路も鉄道も整備していない時代は、船でアクセスしていた。船で近づいていくと赤や黄の建物の可愛い町です。

●リオマッジョーレ
 10年前に世界遺産登録されて、訪問する観光客が増えている。石段を上がっていくと、飛び出す絵本みたいにカラフルな建物が見えてきた。わずかな土地に家屋がひしめきあっている。人口900人。細い急な坂道が迷路のようになっている。いたるところに入口があり、いろいろな階から出入りできるようになっている。建物の隙間から見える空の狭いこと。洗濯物は向かいの建物にロープを張って干している。町で一番広い道に出ると初めて車がいた。老人に配達する車でした。75歳以上の老人には無料です。こういう車だけ町の中に入ることが許可されている。配達員はしばらく世間話をしていく。

 要塞は12世紀に制海権を争うために作られた。最初はジェノバの支配下にあり、ピサやイスラム勢力の動きを監視していた。

●マナローラ
 急斜面に畑を開き、600人が暮す。

●ヴェルナッツァ
 チンクエテッレで最も美しいと言われている。「チンクエテッレの真珠」と称えられる。人口600人。石段を上がると段々畑が目の前。数百年かけて段々畑を開いてきたという。中腹あたりに作業している人がいた。上がっていくと、とっても細い石段です。バルトロメオ・レルカーリさん、父のエルコレさん(85歳)、奥さんのリーゼさん(デンマーク出身)。ここでブドウができるが、やせた土地と強い海風のために、低く育てているが、数が少ないので、ブドウの味が凝縮して味わい深いワインができるそうです。元々は岩山のようですが、そこを削って、岩を積んで石垣にしたようです。石垣の総延長距離は6700kmにもなります。リーゼさんは村一番の石垣作りの名人と言われている。コンクリートだと雨水がたまるので、石垣が壊れてしまうそうです。
 自宅を訪問した。5階建の家の4,5階に住んでいる。毎年、秋に収穫したブドウで3000リットルのワインを作り出荷している。芳醇で、古くからジェノバの商人によって広く輸出されていた。1537年のジェノバ年代記には記載があります。「多くの国の王たちがそのワインをテーブルに置くことを大きな誇りにしている。」、「名声は世界中に届いている」だったようだ。

 5月半ばに風速15mを越える強風が吹いた。毎年4分の1が強風でぶどうは折れるそうです。リーゼさんは午後に友人のルジェーロ・モッジャさんの畑に行って、修復を手伝った。隣の畑のマルコ・フェネッリさんは大きな石を持ってきた。チンクエテッレでは大きな石は金と同じくらい重要だと言われている。こうやってみんなで助けあっている。
 バルトロメオさんの船で釣りにでました。餌はカタクチイワシで250mの長い糸に3m毎に針をつけて釣る。白いバーガローが釣れました。子持ちでしたが、海に返すのがルールなので返しました。ほうぼうの一種ガリネッラが釣れましたが、地元では一番人気の魚。スープで煮込むと最高のご馳走です。
 夕方にはモッジャさんが自家製ワインを持参してきた。まろやかで美味しい。バルトロメオさんのライバルだという。マルコさんも持参した。モッジャさんは「ワインをみんなで飲むために段々畑でがんばる。」と言い、バルトロメオさんは「世界遺産は、これまでがんばってきた先祖に贈られたものだと思う。彼らは厳しい環境の中でこの町を守るためにがんばってきた。だから自分たちもがんばる。」と語った。
 高齢化が続くチンクエテッレでは農家を継がない人が増えている。5年前からリーゼさんらは、荒れた畑を買い取り、再生している。


テレビ番組「NHKスペシャル・千年の帝国ビザンチン」

 2006年6月2日放送。

●イスタンブール
 かつてはコンスタンチノーブルと言われたキリスト教のビザンチン帝国。アヤ・ソフィア(聖ソフィア大聖堂)は1500年前に建てられたキリスト教の大聖堂。皇帝の命によりのべ50万人以上が動員されたという。当時はここが世界のキリスト教の中心だった。その後帝国はイスラム勢力に攻め滅ぼされ、聖堂はモスクに変わった。宮殿を始め、都の多くは破壊され帝国の記憶は遠ざかっていった。
 ビザンチンの名が再び注目された。2004年トルコのEU加盟交渉が始まった。フランスのシラク大統領はトルコもヨーロッパもビザンチン帝国の子孫だと語った。ヨーロッパの各国はビザンチンの遺跡の発掘に資金を提供している。イスタンブール考古学博物館のアスマン・デンキャル研究員が地下の宮殿の遺跡を紹介してくれた。金細工などに進んだ技術が見られる。帝国は1000年も生き長らえた。
 アヤ・ソフィアはつくば大の日高健一郎教授がレーザーでドームの詳細を測定している。地上50m、直径31mの巨大なドーム。当時としては相当進んだ技術である。先生は柱がドームを支えているという。ドームの下の窓は強度を低下させているが、入る光によって天から鎖で吊り下げられているように感じられたるという。皇帝は神の代理人を名乗った。

●エジプト
 シナイ半島の砂漠の中にビザンチン時代の6世紀に建設された現存する世界最古の修道院「聖エカテリニ修道院」がある。ベドウィンと呼ばれる砂漠の遊牧民がいる。砂漠のあちこちにキリスト教徒が住んでいた集落の跡がある。シナイ山はモーゼが神から十戒を授かったというキリスト教の聖地。「聖エカテリニ修道院」はその麓にある。まるで城塞のような分厚い壁に囲まれている。主聖堂の中の正面には金の飾りを施された聖障(せいしょう)がある。シナイ山に立つモーゼの姿がある。モーゼはこの敷地の中で神のお告げを聞き、シナイ山に登ったと伝えられる。午前4時、聖体礼儀が主聖堂で始まった。キリストの血と体として聖なるパンとワインを拝領する。1500年間毎日欠かさず行なわれてきたビザンチン伝来の儀式。儀式を代行する第123代修道院長ダミアノス大主教、あと20人の修道士。ほとんどがギリシャ人です。3時間に及ぶ儀式は朝日が出るとクライマックスとなる。金色のキリストのモザイクは朝日を受けて輝く。最後の晩餐のイエスの言葉「取りて食らえ、わが体。」が唱えられるとパンは体に、ワインは血に変化すると言われている。大主教によりパンをつけたワインが修道士や出席者の口に入れられる。
 ビザンチン帝国の旗である「双頭の鷲の旗」がひるがえる時がある。4世紀末に古代ローマは東西に分裂し、西はまもなく滅びたが、東ローマ帝国は1000年の長きに渡って続いた。東ローマ帝国は首都ビザンチウムにちなんでビザンチン帝国と言われた。キリスト教は正教として西のカトリックとは別に発展していった。聖エカテリニ修道院は正教の聖地として、その正教の伝統を厳格に伝えてきた。修道院の中で働くベドウィンの人でイスラムの祈りをしている人もいた。頭蓋骨がある部屋がある。ここに1500年間の修道士の遺骨がある。3000冊の蔵書もあるが、バチカンに続く規模だと言われている。
 7世紀にアラビア半島にイスラム国家ウマイヤ朝が誕生し、砂漠の民を一つに束ね、巨大な宗教国家となり、ビザンチン帝国を侵略していった。聖エカテリニ修道院周辺は一番に攻撃された。その防衛のために分厚い壁ができた。上の方の小さな櫓を出入り口にしていた。ここに滑車を置いてものを運んでいた。時にはイスラムに何百人も殺害されたという。修道院はイスラムとの共存を選んだ。建物の中に「アッラーの偉大さは極まれり」と書かれているところがある。敷地の中にイスラムのモスクを作った。修道士はイスラムのメッカに向かう人を泊めたという。

 ビザンチン帝国はアヤ・ソフィアにイスラムの国使を招いて懐柔しようとした。

●イタリアのラベンナ
 ビザンチン文化を代表する技術「モザイク」が伝えられているのは、学校。しっくいの上に精密な下絵を描き、その上に色ガラスを埋め込んでいく。古代ローマでは石だったが、ビザンチンでは色ガラスだった。色ガラスを割って、割った面を使用する。光を反射して輝くから。国立モザイク学校のッフェリーチェ・ニットロさんは、ビザンチンの人はモザイクを「永遠の絵画」と考えていたという。6世紀に建てられたサン・ヴィターレ教会には、世界で最も美しいと言われるモザイクが残されている。帝都ビザンチンから来た職人が作成した。天井の中心にはキリストを象徴する子羊。そのまわりの絵画は日の光によって輝き、今も失われていない。祭壇には天上の楽園が描かれている。ビザンチン帝国の最盛期を築いた皇帝ユスティニアヌスも巧みに陰影をつけて描かれている。皇妃テオドラと従者達のモザイクのところどころには真珠母貝があしらわれている。

●シリア
 首都ダマスカスにはウマイヤ朝の都があった。その中心に建つウマイヤ・モスクは現存する世界最古にして最大級。ここにモザイクがあるが、ラベンナのモザイクと同じ。シリア考古学会会長のムハンマド・クッチ教授は、ビザンチンとウマイヤ朝の間には戦争があったが、職人が招かれたのだという。8世紀にビザンチンの女帝エイレーネがイスラムのハールーンと高価な贈り物を交換しあい、和平を結んだ。

●エジプト
 ダミアノス大主教は自ら車を運転して周囲の村を訪れる。薬剤師の資格を持つので、ベドウィンたちから信頼を勝ち得ている。
 修道院が大切にしてきた文書がある。ムハンマドがこの修道院を訪れた際に、修道士たちの歓待を受け、盟約書を残した。キリスト教徒を守り、彼らの安全と財産を保証せよと書かれている。
 11世紀にこの修道院に十字軍が立ち寄った。壁には今も十字軍が彫ったエンブレムが残っている。彼らは聖地に平和をもたらすと言っていたが、破壊と混乱をもたらしたのは十字軍自身だった。次第に目的が領土の獲得になった。1204年に十字軍は矛先をビザンチン帝国に向け、コンスタンチノーブルに攻め入った。多くの人が殺され、宝物が盗まれた。これ以降、帝国は滅亡に向かう。

●イタリア・ベネチア
 十字軍のコンスタンチノーブル攻略に多大な役割を果たしたのはベネチアだった。サン・マルコ寺院には黄金のモザイクがある。11世紀にビザンチンの職人を招いて制作が始まった。ベネチアはかつてはビザンチンの属国だったが、交易により11世紀にはイタリア一の海洋国家となっていた。このモザイクも最後はベネチア人により完成した。サンマルコ寺院の宝物室はビザンチンの美術品の最大の宝庫といわれている。10世紀頃に描かれた聖ミカエルは幅1mmの金の装飾。天使の羽根はしっぽう焼きでできている。「メノウのせいかい」は赤く輝き、キリストの血を想像させたという。4頭の馬の像もある。

 1453年ビザンチン帝国はオスマン帝国の侵略によって滅亡した。

●キプロス島
 世界遺産のランパディスティス修道院は11世紀ビザンチン帝国によって建てられたが、聖人たちの目は全てかき消されている。オスマン帝国に占領された時の傷跡だという。1974年、イスラムを信仰するトルコ系住民とギリシャ正教を信じるギリシャ系住民との間に内戦が勃発した。今、北キプロスはトルコ系、南はギリシャ系で分裂したまま。

●エジプト
 ダミアノス大主教は各国の首脳に次のように語っている。「互いの信仰を尊重しあえば、共に暮らしても何の問題もない」と。


テレビ番組「イタリア特選グルメ旅、超お得なツアー作っちゃいました!」

 2006年5月28日放送。今いくよ、くるよ、末成由美、小藪千豊さんが出演。まずJTBの藤田めぐみ、金谷里歌さんに相談し、JTBのツアーの下見に行くことになった。

●ピサ
 イタリア中部のトスカーナ州にあり、東方貿易で栄えた。奇跡の広場 Campo del Miracoli には世界遺産のピサの斜塔 Torre di Pisa がある。ここでツアー・コーディネータの女性はジュリアナ・コンド Giuliana Condo さん。ピサの斜塔は建設始めに地盤が緩く、建物が傾いた。200年の年月を経て、1350年に完成。高さ55m、傾きは約5.5度。ここは予約をしていないと登れない。15ユーロ(約2250円)。1日限定300人。細い階段を294段登るとガリレオが球を落として「落下の法則」の実験をしたという頂上に到達。眺めもいい!がちょっと怖そうです。ツアー参加者はピサの斜塔に登れます。
 斜塔の前のお土産屋さんで買物。「ピッシォ・ロザリア Pizzo Rosaria 」にはハンバーガーE3、サンドイッチE2.70、ピッツァE1.70 などが並ぶ。「生ハムのピアディーナ La Piadina con il Prosciutto crudo 」E3.5 (525円)は、クレープ状の生地に野菜、生ハム、チーズなどをはさんで焼いて食べるもので、イタリアのファーストフード的な食べ物。「モッツァレラのピアディーナ La Piadina con la Mozzarella 」もE3.5。

●花の都フィレンツェ Pirenze
 JTBのバスで移動。景色もいい。トスカーナ地方の中心都市で、街全体が美術館。メディチ家の保護の下でルネサンスが花開いたことでも有名。中心街は世界遺産で、ヴェッキオ宮殿 Palazzo Vecchio 、コシモ1世像、ウッフィッツィ美術館 Galleria degli Uffizi 、ミケランジェロ像、レオナルド・ダ・ヴィンチ像などがある。街中は馬車が走っている。
 まずドゥオモ広場 Piazza di Duomo に行く。「サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂 S.Maria del Fiore 」は花の聖母教会という名前で、1296年に着工、140年の歳月をかけて完成した。大理石を幾何学的に装飾した外壁は素晴らしい。奥行きは153m、最大幅90m、世界で3番目に大きな教会で、世界遺産。聖堂の中丸天井に描かれているのは、旧約聖書にあるヴァザーリ作の「最後の審判」。1437年に作られたステンドグラス。
 「ジョットの鐘楼 Campanille di Giotto 」が大聖堂の隣にある。1387年に完成した414段、高さ84mの塔。6ユーロ(900円)。頂上では眺めは素晴らしいです。  パスタの店を探すが、街角でアコーディオンを弾いている人がいた。ドゥオモの南東で、「日本語メニューあります」と書かれたお店がある。「レ・ボッテューゲ・ディ・ ドナテッロ Le Botteghe di Donatello 」でミートソースのスパゲッティ「ボロネーゼ風ミートスパゲッティ Spaghetti alla bolognese 」(7ユーロ:1050円)をいただく。強火でうまみをぎゅっと閉じ込めた牛肉に、トマト、ワインを加えてじっくり煮込んだもの。「ドナテッロ風うすいパスタ Sfogliatelle alla Donatello 」は8ユーロ(1200円)で、薄くて広いパスタと、ヨーロッパの松茸と言われる人気のポルチーニ茸、ホワイトソースとトマトソース。
 女性に人気のブランド街「トルナブォーニ通り Vin de Tornabuoni 」に行く。プラダ、ブルガリ、グッチ、トラサルディ、ヴェルサーチ、フェラガモなどがある。
 「ヴェッキオ橋 Ponte Vecchio 」に行く。アルノ川にかけられたフィレンツェで最も古い橋。かつては橋の両側に生鮮食料品店が並んでいたが、回廊を建築する際に撤収され、現在は宝飾品の店が軒を連ねている。
 カフェやレストランの多いという「シニョリーア広場 Plazza della Signoria」でおいしいお店を探す。周辺にある「デ・キャステラーニ de 'Castellani 」にはパスタも揃っている。砂を吐かせたあさりを蒸し、白ワインを入れてパスタと混ぜ合わせた「ボンゴレ・スパゲッティ Spaghetti alla Vongole 」は9ユーロ(1350円)。ニョッキは、じゃがいもと小麦粉を練り上げたパスタで、団子状でもっちりした歯ごたえ。「トマトとペコリーノチーズとベストソースのニョッキ Gnocchi al Pomodoro Pesto e Pecorino 」7ユーロ(1050円)。
 裏道を散策。昔の子供の歌を演奏していた。

 夕食は「リストランテ・ディーノ Ristorante Dino 」に行く。三田村邦彦さんなどの写真も貼ってあった。トスカーナ地方の郷土料理が味わえる。ワインのこだわりも相当。オーナーのマッシモ・カシーニ Massimo Casini さんに話を聞いた。「パンを入れて煮込んだ野菜スープ Ribollita 」7ユーロ(1050円)。キアナ牛のTボーン・ステーキ「フィレンツェ風Tボーン・ステーキ Bistecca alla Fiorentina 」40ユーロ。パスタはピーチというシエナ伝統の強力粉を使った太めのもので日本のうどんみたいな感じ。「手打ちパスタの豚肉ソース Pici al sugo 」13ユーロ(1950円)はトマトを使っていません。ツアーの特典として、このお店で手料理を食べると、2人で1本、ハウスワインをプレゼント。

 2日目は「中央市場 Mercato Centrale 」に早朝から行くが、そこまでのお店もすごい。市場にはうさぎの肉なども並ぶ。チーズ屋さんも種類が多い。ハムを試食しました。パスタも種類が多い。だいたい1kg4.5ユーロ(675円)。ショートカラー・パスタは250g1.8ユーロ(270円)。
 ドゥオモ広場の南西?すぐにあるお洒落なレストラン「ビガロ B.Gallo 」で、「ビガロ・オリジナルのカネロニ Cannelloni B.Gallo 」9ユーロ(1350円)は、リコッタ・チーズ、ほうれん草、パルメザン・チーズを1枚のパスタで巻いてホワイトソースをかけて焼いたもの。「ラザニア Lasagne al forno 」は9ユーロ(1350円)は、薄く板状に延ばしたパスタにミートソースとチーズを交互に重ねてオーブンで焼いたもの。「シーフード・スパゲッティ Spaghetti allo scoglio 」10ユーロ(1500円)は、漁師風という意味を持つフェスカトーレ。エビ、イカ、ムール貝などが入っている。天井の絵が美しい。
 レプブリカ広場も散策。

●シエナ Siena
 幻の豚がいるという、中世の面影が色濃く残る街。カンポ広場など歴史地区は世界遺産。レストラン「スパーダ・フォルテ Spadaforte 」は15世紀に建てられたお店で、当時の趣きを残している。幻の豚とはチンタセネール?というシエナ近郊で育てられた「シエナ豚」。肩口のあたりに桃色がかったベルトのような模様があるのが特徴。飼育が難しく、一時は絶滅の危機にあり、現在でも希少なため、幻の豚と呼ばれている。脂身に独特の芳醇な香りを持ち、食通をうならせるという。まず「生ハム・サラミミックス Affetatl miste di einta senese」。次に「シエナ豚のエトルリア風ステーキ Arista di einta senese all etrusca 」にはトマトとオリーブがかけてある。ツアーの特典でシエナの豚を食べてもらうそうです。

●ローマ Roma
 夜のローマもきれい。サン・ピエトロ大聖堂 Basttica di San Pietro、コロッセオ Colosseoなどもライトアップされていた。
 レストラン「パパ・レックス Papa Rex 」に行く。カンツォーネが聞けるお店。パパレックス・ディナーコース Ppa Rex dinner をいただいた。オンブリーナと手長エビ・小エビのグリル焼き Grigliata ombrena scampi Mazzancolle など。食事を楽しんでいる場所に男性2人、女性2人が歌いに来てくれた。サンタルチアを歌いました。ツアーの特典は、この店でのカンツォーネ、ディナー、ハウス・ワイン飲み放題。

 3日目。古代ローマ帝国の遺跡などが残る世界遺産の街。フォロ・ロマーノ Foro Romano。トレヴィの泉 Fontana di Trevi は18世紀のバロック芸術の傑作で、ポーリ宮の壁を利用した噴水で、1732年から30年かけて完成。肩越しにコインを投げると願いが叶うと言われている。ヴィットリオ・エメヌエーレ2世記念堂 Monumento a Vittorio Emanuele II も見た。
 コロッセオに行く。古代ローマ時代の紀元80年頃に建てられた演習527m、高さ約50mの巨大闘技場で、当時約7万人を収容したと言われている。

 ナヴォーナ広場 Plazza Navona に行く。古代ローマ時代の競技場跡にできた広場で、似顔絵描、大道芸人などがいる。バロック様式の分類が広場の特徴。躍動感あふれる彫刻は見事。ここでパスタの店を探す。「クアットロ・フィウーメ 4 Fiumi 」は広場に面していて、テラス席は食事を楽しむお客で賑わっている。「タリアテッレ」は平打ち麺のきしめん風パスタで、ポルチーニ茸とエビとオリーブオイルと特製のスープとトマトで作った「エビとキノコのポルチーニ・パスタ Fettuccine with prawas and mushrooms 」12ユーロ(1800円)。「ラビオリ」はチーズなどが入るワンタン風パスタで、「トマトとバジルのラビオリ Ravioli tomato and vasil 」11ユーロ(1650円)のラビオリの中には、ほうれん草とチーズが入っていました。
 ナヴォーナ広場周辺にも水が出る蛇口が多い。これは大きな花という意味でナゾーナ?と呼ばれていて、いつでもおいしい生水が飲める。蛇口の下を手で抑えると上から出てきます。

 ナヴォーナ広場近くのレストラン「パッセット Ristorante Passetto dal 1860 」は林繁和シェフお勧めのレストラン。シェフのマルチェロ・フィオラヴァンティ Marcello Fioravanti さんがお勧め料理を説明してくれました。「イカ墨のパスタ」はイカ墨を麺に練りこんだ真っ黒なパスタで、サーモンとタラを細かく切ったものにバター、たまねぎを混ぜて炒め、白ワイン、オリーブオイル、塩、を加えて、サーモンとタラを追加して作ったソースを使う。「サーモンとタラ、イカ墨入りフェットチーネパスタ Fettuccine nere con salmone e cernia 」14ユーロ(2100円)。「トロフィエ」はニョッキを伸ばし、指先でねじって作るパスタで、トマトとシーフードのソースでいただく「シーフード・トロフィエ・パスタ Trofie al frutti di mare 」は14ユーロ(2100円)。「リガトーニ」は太い筒状で外側に縦の溝があるパスタで、「トマトとベーコンのパスタ Bombolotti all'amatriciana 」は9ユーロ(1350円)。「エッグパスタ」は水の代わりに卵を練りこんだパスタで、麺の色が黄色。混ぜ合わせるのは大きな伊勢エビで、オリーブオイルで炒めた後、ブランデー、白ワイン特製のスープで味付けした「伊勢エビのパスタ Tonnarcili all'aragosta 1kg 」104ユーロ(15600円)。ここのオーナーのフランコ・フィオラヴァンティ Franco Fioravanti さんと深いかかわりがある人物が大阪にいるそうです。

 映画「ローマの休日」で有名になったスペイン広場。スペイン広場で飲食はできないが、座るのはOK。向かいのジェラート屋さん「バルカッチャ Baracaccia 」で、オードリー・ヘプバーンが食べたのと同じ、バニラとチョコレートのジェラートを2階の座席に座っていただいた。ここからスペイン広場が眺められます。ツアー特典として、ジェラートのプレゼントがある。

 コロッセロとテルミニ駅の中間付近にあるナポリ風のピザ屋さん「ラ・スコリオ・ディ・フリシオ Lo Scoglio di Frisio 」に行く。小藪がピッツァ作りに挑戦した。トマトソースを敷いて、アンチョビを細かくして散りばめ、なす、ほうれん草、チーズをかけて2分焼いた。
 お店からは「マルゲリータ&野菜と生ハムのモッツァレッラのチーズ・ピザ Pizza "Al Metro"」25ユーロ(3750円)の長くてものすごく量の多いのが出てきました。昔は1mにも及んだので、Metro というそうです。

 サン・ピエトロ広場 Plazza di San Pietro に行く。ここにはカトリックの総本山で世界で一番大きな教会、サン・ピエトロ大聖堂 Basilica di San Pietro が望める。右から2番目の窓から週に1度、ローマ法王が姿を現す。毎週日曜日の午後はローマ法王が巡礼者の間に姿を現すのが恒例で、多くの人が集まる。そして法王ベネディクト16世が登場しました。一同大興奮。

 サンタ・マリア・イン・コスメディン教会 Chiesa di Santa Maria in Cosmedin には「真実の口 Bocca della Verita 」がある。

 行列ができるジェラートの店「ジオリッティ Giolitti 」で特別メニューを注文。「ワールドカップ Coppa Mondiale」という名前で1990年のイタリア大会の時に考えだされたもの。バニラアイスをベースにチョコレートをかけ、生クリームをたっぷりかけ、色ものを散りばめている。これだけ大きくて9ユーロ(1350円)。もう一つは生クリームをベースにイチゴとキーウィなどを切ってのせ、その上に生クリームをのせ、さらにフルーツ、最後にイチゴとキーウィのソースをかけてつくる「トロピカル Tropicale 」5.8ユーロ(870円)。「ティラミス Tiramisu 」は3.8ユーロ(570円)。

 フォロ・ロマーノ Foro Romano に行く。紀元前509年から約1000年間、ローマの政治や経済の中心として栄えた場所。3本の柱は神殿の跡。ここを歩いてみました。

 ツアーの特典として、参加者全員にパスタ、オリーブオイル、本皮小銭入れをプレゼント。これは Look JTB 「今度の週末はフィレンツェ、ローマ6」で期間は6月16日〜10月27日の金曜日出発。費用は一人約19万円から。
http://www.lookjtb.com/


●大阪
 「Colosseo」(中央区南船場3-2-6、大阪農林会館B1F)は、イタリア政府が公式に認定した西日本で唯一のお店。総料理長の井上和広さんにニョッキの作り方を教えてもらった。(1)じゃがいも、小麦粉、チーズ、卵を練り合わせ生地を作る。(2)生地を2cmくらいの円柱状に伸ばし、一口サイズ(2cm)に切り分ける。(3)フォークにのせ、少し指で抑えながら、転がすようにして型をつける。「じゃがいものニョッキ」は、茹で上げ、トマト、バター、バジリコ、塩、胡椒で作ったソースにからめ、最後にモッツァレラチーズを粉状にしてかけてできあがり。1470円。こちらの店の人気は、ほうれん草を練りこんだ手打ち麺にマッシュルームを混ぜたクリームソースのパスタ「コロッセオ風ほうれん草入りフェットチーネ、ポルチーニ茸のクリームソース」1780円。

 大阪で買えるパスタとしては、天満橋にある帝国ホテル大阪の地下1階に去年12月にオープンした「イル・メルカンテ」。宗像奈美さんが説明してくれました。パスタだけでなく、いろいろな調味料も並んでいる。例えば、シチリアの岩塩は100g105円、エクストラ・オリーブオイル 150g675円、バルサミコ 150g1125円。

 ローマ・ナヴォーナ広場近くのレストラン「パッセット」で修行していたシェフ(総料理長:米田裕道さん)がお店を出している。「Sogni di Sogni 」は中央区心斎橋2−1−6。家庭で簡単にできるパスタ「トマトソースパスタ」を教えてもらった。パスタ100g、ファーストトマト2個、バジルの葉だけ。水に酢を入れると麺にコシがでる。トマトには最初に切れ目を入れてから、ボイルすると皮むきが簡単。30秒ボイルして氷水にひたすと簡単。エキストラ・バージン・オイルはたっぷり入れる。バジルをちぎっていれ、塩を入れてから、トマトの形がなくなるまで煮る。チーズを入れて完成。ここのお店のお勧めパスタは「リガトーニ」で、太い筒状で外側に縦の溝があるパスタで、これに鮎とそら豆を組み合わせた「ペコリーノ・チーズ香るリガトーニ・トルキオの鮎と空豆、ドライトマト和え」2000円。羊のチーズを使っている。


テレビ番組「世界遺産、2006年5月28日放送はレオナルド・ダ・ヴィンチ」

 約500年前に一人のイタリア人がフランス・ロワールの地で息を引き取った。彼の名は Leonardo da Vinci。世紀の天才画家と言われたが、彼が残した絵はほんの十数点でしかない。生涯のほとんどを旅に費やした。

●バチカン市国
 選ばれた芸術家だけが招かれ、究極の美を神に捧げた。ラファエロが描いた「アテネの学堂」の絵の中の真中の二人はミケランジェロとレオナルド。ミケランジェロは23歳でピエタを作成し、時代の寵児となり、バチカンに愛された。

●ミラノ
 その時レオナルドはミラノにいた。スフォルツァ城で「誰にも真似できない戦争の器具を作り、平和の時は絵画を描く」と売り込んでいた。チャンスは42歳の時にやってきた。サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院の食堂に壁画「最後の晩餐 Ultima Cena 」を描いた。レオナルドは6000ページ以上の手稿 Codex を残している。全て左右が反転した鏡文字で書かれている。中でも水を熱心に観察した。ミラノにはレオナルドが設計したという運河が残っている。人体にも興味があり、解剖も行なった。
 最後の晩餐では、一点透視図法のために糸を張った釘の跡がある。また遠くのものほど曖昧に描いて遠近感をだし、輪郭をぼかすことで自然な立体感を出した。

●フィレンツェ
 ルネサンスの時代だった。ルネサンスとは「人間が人間らしく生きることを取り戻す」という文化の気運だった。15世紀、人々は初めて人間の美しさや芸術を鑑賞する喜びを知る。1452年フィレンツェ近くのビンチ村に生まれ、両親の愛に恵まれず、いつも一人、自然を相手に遊んでいたという。14歳のレオナルドは大きな工房に入門した。初めて一人で描いたのは「受胎告知」。天使の翼は本物の鳥のように精緻。ほかにも「東方三博士の礼拝」。彼には自論があった。「自然は全ての見えるものを作り、そこから絵が生まれる。絵画こそが最もすぐれた芸術である」。それに噛み付いたのはミケランジェロだった。「彫刻こそが至上の芸術である」。それがルネサンスをより高みに引き揚げる原動になったのかもしれない。

●バチカン
 61歳で職を与えられた。絵を描くよりも科学に熱中したという。「座る老人」を描いている。当時ミケランジェロはシスティーナ礼拝堂の天井画を描いた直後だった。完成した大作を老いたレオナルドは見たはずです。

●ロワール渓谷
 世界遺産。王や貴族が建てた城を舞台に華やかな宮廷生活が繰り広げられた。晩年レオナルドはこの地でモナリザなど死ぬまで手元に置いた3枚の絵を携え、最後のパトロンであるフランスの王の下に身を寄せた。シャンポール城が紹介された。二重螺旋の階段はレオナルドのアイディアによるもの。既に右手はマヒしていた。
 晩年のレオナルドが描き続けたのは、全てを飲み込む水。大洪水のデッサンだった。この世の終わりはキリストの裁きではなく、荒れ狂う水によってもたらされる。それがレオナルドの最後の審判だったのだろう。
 1519年67歳でこの世を去った。残されたのはたった十数点の絵画。未完成も少なくない。万物を知り尽くし、完璧に描きたかったのだろう。死の少し前にレオナルドは言いました「足りないのは時間だけだ」。


テレビ番組「世界遺産、イタリア、デルモンテ城」

 2006年2月12日放送。シチリアのパレルモ大聖堂に中世ヨーロッパの歴史を塗り替えた神聖ローマ皇帝フリードリッヒ2世が眠る。この世を去って750年前、意外な事実がわかった。多くの謎に包まれている彼はあまりにも早く生まれすぎた天才だった。

●南イタリア・プーリア地方 Puglia
 なだらかな丘と平原が続く。海抜540mの小高い丘の上に不思議な城がある。フリードリヒ2世自らが設計にかかわったデルモンテ城は真上から見ると王冠のようです。中世の城塞に共通する特徴が欠けている。城壁やがない。教会建築やイスラムの様式を取り入れ、見事に融合した城。独特な光を放つ。1996年世界遺産に登録された。

 トラーニは地中海貿易で栄え、かつてユダヤ人街があった。ユダヤ人がいると栄えると知っていたのはフリードリヒ2世で、歴史学者ブルクハルトは彼を「玉座に座った最初の近代人」と称した。フリードリヒ2世はこのプグリア地方を愛した。

●パレルモ
 パレルモはフリードリヒ2世の本拠地で、モスクなどのイスラム文化もある。フリードリヒ2世は神聖ローマ皇帝の息子とシチリア国王の娘の間に生まれ、3歳でシチリア国王となった。礼拝の間はコンスタンチノーブルから一流のモザイク職人が招かれたという。金のモザイクでイエスが描かれている。キリスト教技術の最高傑作の一つ。天井や床はイスラムの幾何学模様で飾られている。地中海文化の様々な世界がここに集約されている。動物を描いたモザイク画もあり、王族のための動物園となっている。
 当時は地中海から優秀な学者・芸術家が集った。王宮の中では3ヶ国語(ギリシャ語、アラビア語)が公用語であった。

●プーリア地方
 拠点をプーリア地方に移し、ルチェーラ Lucera に城を築いた。巨大な城壁を持ち、元々は四角形だった。城の内部には華麗な中庭があり、イスラム式の噴水を設置した。シチリアにいた2万人のアラブ人を強制的にこの町に移住させ、モクスが建った。次に建てたのがデルモンテ城だった。

 王冠を思わせる8角形の不思議な城。イタリアの硬貨にも描かれている国の象徴の1つだが、知られていることは少ない。築城の目的ですら定かではない。8角形は聖地エルサレムにある岩のドームと同じ。キリスト教で魂を再生・復活させる洗礼堂と同じ形。角にそれぞれ八角形の塔がある。塔の内部には浴室・トイレ・物置がある。しかし、使用人用の馬小屋などの設備はない。目的として考えられるのは鷹狩。彼は鷹狩を好んだ。
 1229年に建築が始まり21年後に完成した。内部は全く同じ8つの部屋が並び、廊下はない。部屋は小さなドアで繋がっている。オリエントからはるばる運ばせた大理石の柱は、当時鮮やかな朱色に塗られていた。城の1階と2階は急な螺旋階段で結ばれているが、当時とは逆の左回り。当時聖地エルサレムを異教徒から奪回する十字軍が盛んだったが、フリードリヒ2世はローマ教皇からの要請を受け入れず1227年に破門された。しかし破門されたままエルサレムに向かい、巧みな交渉術で武力を用いずに聖地エルサレムを回復した。しかしローマ教皇は血を流さない回復に激怒した。
 床に埋め込まれたモチーフは六角形でイスラムの職人の手による。

 アルタムーラ Altamura はプーリア地方の南部にあり、良質の小麦を生産し、2000年前からパンの町として知られている。ここにフリードリヒ2世が1232年にローマ教皇と和解した後に建てた教会、アルタムーラ大聖堂がある。

 フリードリヒ2世は狩をしている時に亡くなったと言われている。遺体はパレルモに運ばれた。750年後にパレルモ大学で柩を開けてみたら、スペイン国王と女性も入っていた。異端扱いされてきたので、肖像はほとんど存在しないし、厚いベールに被われている。早く生まれすぎたルネサンス人とも言われている。彼は二つの文化圏を越えて世界を見ていた。


テレビ番組「2005年10月1日の旅サラダは浅野ゆう子さんでローマ」

 JALで行きました。直行便で12時間40分。浅野ゆう子さんはゆっくり見たことがなかったそうです。

●コロッセオ
 巨大円形競技場コロッセオ。収容人数は立ち見も入れると7万人だったとか。猛獣が飼われていた檻もあった。入場料10ユーロ。住所:P.za del Colosseo 、Tel:06-39967700、営業時間:9:00-19:30 無休(季節で変更あり)。大理石でできているが、いたる処に穴が空いている。青銅などでできていた部分が戦争で使われたためだそうです。「コロッセオが滅びる時、ローマは滅びる。その時、世界は滅びる。」という言葉があった。

●フォロ・ロマーノ
 コロッセオから歩いて10分程度。公共広場があったところ。紀元前6世紀頃、下水道の整備が進むと、人々の暮らしが一変した。神殿や凱旋門が立ち、政治経済の中心地として発展していった。4世紀の末に侵略などで荒廃していった。その後、牧草地や採石場などの数奇な運命をたどり、19世紀になって再び日の目を見ることになり、本格的な発掘が始まった。「火のかまど(ヴェスタの神殿)」。神殿から図書館となり教会となっている建物もある。住宅街跡も紹介されました。住所:Via del Fori Imperiare、Tel:06-39967700。営業時間:9:00-19:30 無休(季節で変更あり)。入場料:無料。

●噴水
 市内に2000ある。

●宿泊
 ローズガーデン・パレス。デザイナーズ・ホテルで、シンプルで暖かいインテリアで統一されていた。住所:Via Boncompagni,19、Tel:06-421741、スタンダードは350ユーロ。壁の絵はアンリ・マチスでした。ハンド・シャワーもある。スイートは490ユーロで、白がベースで天井が高くて明るい。アンリ・マチスのリートグラフ?もかかっている。

●食事
 「ダンテ・タベルナ・ディ・グラッキー Taverna de Gracchi 」は住所:Via Dei Gracchi 266/268、Tel:06-3213126、営業時間:12:30-15:30 19:30-23:30 日曜休み。お店の名前がついた料理がお勧めで、これをいただくと帰りにおみやげがいただける。「小エビ・ズッキーニ・サフランのパスタ」20ユーロ(お皿つきパスタ)。黄色いパスタで、最後の仕上げはリコッタチーズを削ってのせてくれて香りが豊かでした。塩分が強めで、サフランとシーフードの香りがするそうです。お土産はお店の名前の入ったお皿でした。毎年変わるそうです。

 カジュアルなシーフードのおいしいお店「イル・ガレオーネ・コルッセティ Il Galeone 」は、住所:Piazza s.cosimato,27、Tel:06-5809009 、営業時間:12:00-14:30 18:30-24:00 月曜休み。オーナーが船乗りだったということから船がモチーフ。「シーフード・カルパッチョ」22ユーロは、9種類の魚介類(スズキ、カジキマグロ、サーモン、いわし、エビ、手長エビ、カキ、メバル、アサリ)。「シーフードスープ」35ユーロは、カサゴ、車エビ、タコ、イカ、アサリ、ムール貝、手長エビでおいしかったそうですが、量が多かった。

 今ローマっ子に人気なのが「モッツァレラバー・オビカ」で、メニューはモッツァレラ・チーズのみ。住所:Via dei prefetti、Tel:06-6832630 、営業時間:12:00-23:30 無休。「トマトとモッツァレラ」8.5ユーロには、まるまる1個で、バジリコ・ソースでいただきました。「スモークハムとモッツァレラ・ロール」11ユーロは薫製で、スモークハムに巻いてある。モッツァレラはナポリ地方の水牛のチーズですが、ひきちぎるというイタリア語からきています。

 人気のフォンデュの専門店「タベルナ・ルシフェロ」住所:Via del cappellari,28、Tel:06-68805536。営業時間:20:00-24:00頃 無休。果物でいただく「チョコレート・フォンデュ」1人前5.5ユーロ。バナナ、イチゴ、リンゴなどをチョコレート・フォンデュに入れて食べる。カロリー考えたら食べにくいのかも(笑)バナナが一番おいしいそうです。

●スペイン広場
 1953年の「ローマの休日」のオードリー・ヘップバーンのように現在はジェラートを食べながら階段を移動するのは禁止になっている。17世紀に近くにスペイン大使館があったので、スペイン広場と呼ばれる。現在、階段の上にあるトリニタ・デルモンティ教会?は修復中。

●ジェラート
 ジェラートのお店「ブルーアイス」住所:Via dei Baullari 13、Tel:06-42011029、営業時間:10:00-23:00。ここには50種類のアイスがある。低脂肪でヘルシー。イタリアン・カラーの赤ラズベリー、白ココナッツ、緑チョコミントを依頼した。お姉さんがマンゴー、ベリーも載せてくれました。3ユーロ(コーンにのるならアイスは何種類選んでも良い)。イタリアの人は老若男女を問わず朝、昼、晩と楽しんでいるとか。

●トレヴィの泉
 後ろを向いてコインを投げると再びローマに戻って来られるという。右手で持って左肩越しに投げる。18世紀に作られたバロック芸術の傑作。

●バチカン市国
 浅野さんはダン・ブラウンの作品を読み、コンクラーベもあったので、とても来てみたかったそうです。世界で一番小さな国。国境があるが、道路の横の白い線です。広さは皇居の約3分の1。世界に11億人の信者がいるカトリック教会の総本山サンピエトロ寺院(営業時間:8:00-18:00 ミサなどで入場制限がある)。内部は荘厳で、ミケランジェロのピエタがある。キリストとその死を嘆く聖母マリアの像。

 ヴァチカン美術館は29の部屋に分かれて展示されている。入場料12ユーロ。住所:Viale Vaticano,100、Tel:06-69884947。営業時間:8:45-16:45 日曜祝日休み。最終日曜のみ開館。是非、見ていただきたいのがシスティーナ礼拝堂の天井画。ミケランジェロの作品で、神がアダムに命を吹き込む瞬間など、旧約聖書を題材に、天地創造から預言者の誕生、すなわちキリストの誕生までの人類の長い歴史が描かれている。その壁にはミケランジェロの最高傑作「最後の審判」が描かれている。中央には聖母マリアにつきそわれたキリストが、この世の終末における神の審判を表しているというもの。この聖バルトロミョが持っている皮はミケランジェロの自画像だそうです。

●マンマと料理を作る
 クリスティーナさん(57歳)と料理を作る。日本語がよくわかる人だそうです。まず市場に買物。リオナーレ・デイ・プラティ市場は住所:P.za Bocca della Verita、営業時間:9:00-17:00。マンマのお家で料理を作る。ズッキーニの真中をくりぬいて、その中にミンチを入れて「ズッキーニのお肉詰め」。トマトを砕いて、挽肉団子にかけ、ズッキーニの肉詰を加えて炒める。別にベーコンとトマトのスパゲッティを作成。近所の人といただきました。その後ダンス・パーティとなりました。
 どうもJALのI'LL だとこれがパックになったのがあるみたいです。

●サンタマリア・イン・コスメディン教会「真実の口」
 住所:P.za Bocca della Verita、営業時間:9:00-17:00、料金:無料。海の神様トリトンの顔がモチーフになっている。手が抜けないっていうのはお約束。マンホールの蓋だったとも言われている。

●テヴェレ川クルーズ
 ディナー・クルーズもあるが、窓も開かないし、3000円以上するのだが、この船は1ユーロで最長1時間乗れる。サンピエトロ寺院も望める。住所:Isola tiberina Castel sant’angelo ほかにも停船所あり。Tel:06-6789361。営業時間:8:00-18:45 約1時間おきにある。

●マルタ騎士団の館
 入口の建物の鍵穴からサンピエトロ寺院が見えます。

●ロッターヴォ・コッレ(気球)
 新しい人気スポット。ローマには高い建物が全くないので、市内を高いところから一望できるのがこの気球。30人乗りで、150mまだ上がるが、ヒモつきなので安心。上空からはサンピエトロ寺院、コロッセオ、古代ローマ時代に取り囲んでいた城壁まで見えました。住所:Galoppatoio di Villa Borghese 、Tel:06-32111511 無休。平日は15ユーロ、土日祝は18ユーロ。

●雑貨屋
 「スパッツォ・セッテ Spazio Sette 」住所:Via dei barbieri 7、Tel:06-68804261。営業時間:月 15:30-19:30、火-土 10:00-13:30 15:30-19:30。1000点の雑貨がある。黄緑のプラスチックのベンチは435ユーロ。


●アウトレット「カステル・ロマーノ・アウトレット」
 ローマから車で40分。イタリアのお店は長いお昼休みと日曜日お休みがほとんどだが、ここはお昼休みなし、日曜もやっている。住所:Via Ponte di Piscina Cupa-Room 、Tel:インフォメーション 06-5050050、営業時間:月-木 10:00-20:00 金-日 10:00-21:00。
 まずは「エトロ Etro 」。黒のスカート186ユーロ、250ユーロ。皮の茶色のスカート194ユーロ。橙色のカシミア・セーター80ユーロ。
 日本にもファンが多い「ディーゼル Diesel 」。青いTシャツ25ユーロ。皮のグレーのパンツ189ユーロ。女性用の40の靴(26.5cm?)70ユーロ。


●アッシジ Assisi
 車で3時間。JALユーロ・エクスプレスで移動。中世の町。1200年代に外敵から守りやすいように小高い岡の上に作られました。当時と街並みは変わっていないそうです。
 アッシジは聖者サン・フランチェスカの生誕地とも言われている。世界遺産「サン・フランチェスコ聖堂」には世界中から多くの信者が集まり、今も昔も信仰の聖地となっている。教会の壁に描かれたサン・フランチェスコの生涯のフレスコ画が人々を魅了する。天井に白くなっている部分は1997年の地震でフレスコ画が剥がれ落ちてしまった部分。地震で崩れた時の映像も紹介されました。
 階段状に折り重なる街並みで、歩いて移動できる。

 古代ローマの遺跡をそのまま使ったという評判のレストラン「メディオエヴォ」は、住所:Via arco dei priori 4/B、Tel:075-813068。営業時間:12:00-14:30 19:15-21:45 水曜休み。紀元前3世紀に広場の道だった場所で、壁などはそのままの石畳。歴史に腰をおろして料理をいただきました。「黒トリュフとポルチーニ茸のリゾット(リゾット・アイ・フンギ・ボルチーニ・エ・タルトフォ)」12ユーロ。これはおいしいようです。「ホロホロ鳥のぶどうソース煮」12ユーロは、コラーゲンの多いホロホロ鳥を生ハムでくるんで、ぶどうと一緒に2時間煮込んだもの。ぶどうの球もそのまま20個くらいのっています。

 年間200万人以上の観光客が訪れる。浴槽グッズの店「ソープ・ヴィレッジ」に行く。住所:Via fortini 16/A、Tel:075-8040541 。営業時間:10:00-20:00 水曜休み。200種類以上の石鹸と100種類以上のバス・グッズがある。「豚のシャワーキャップ」9.5ユーロ。あひるのシャワーキャップもあります(笑)オリーブ・キャンドル、オリーブのボディ・オイル、オリーブの石鹸もある。


テレビ番組「世界遺産イタリア縦断1200キロ・1、海洋都市アマルフィ」

 2005年7月18日放送。8日間の旅。イタリアには世界で一番多い40の世界遺産がある。今回のルートはアマルフィから北上し、ローマ、トスカーナのピエンツァ、古都シエナ、百塔の町サン・ジミニュアーノ、城塞の町ポルトヴェーネレ、トリノ、湖畔の信仰の町オルタ。
 住吉美紀アナウンサー、建築学が専門の法政大学・陣内秀信教授。時差は7時間。17日にBSハイビジョンで生中継したものを18日朝1時から放送。NHK製作。

●アマルフィ
 ヨーロッパ中の人が憧れる街。人口6000人、イタリア最古の海洋都市。かつての人々が海からアプローチしたので海からアマルフィを眺めた。60kmに渡って切り立った崖の地形と張り付いた建物が続く。その間にレモン畑が続く。半島で年間8000トン生産している。最近はレモンの皮から作るレモンチェッロというお酒が大ヒットしている。
 6月5日海岸通りを中世のいでたちをした人々が行進した。4大海洋都市と言われたピサ、ジェノバ、ベネチアの人も参加。クライマックスは2000mの直線レースで争われる海洋レガッタ・レース。前日に前夜祭が開催され、最大のライバルのピサからアマルフィの選手に「おめでとう」という挨拶があった。イタリアではレース前に「おめでとう」と言われるのは最も不吉。そこでアマルフィのチームも「7年豊作が続いた後に7年凶作が続くことがある」と聖書からの引用を用いて、「おめでとう」と言った。7万人ものサポーターが見守るレースで、1位はベネツィア、2位ピサ、3位アマルフィ、4位ジェノバでした。

 北からの異民族の侵入から守るためにここに都市を作った。10−11世紀に繁栄した。当時は7万人もいたという。世界最古の海事法典もある。世界で初めて羅針盤を使ったという。湾に向かって右手にはビーチがあり、みんな泳いでいました。中心の高い鐘楼がある。港に上陸し、城壁のマリーナ門をくぐって町に入る。大聖堂の広場がある。10世紀に作られたロマネスク様式だが、アーチ型や黒と白などアラブの影響が強い聖堂。階段は18世紀に作られたらしいが、結婚式の時には人気らしい。大聖堂の入口の上には海の守り神・聖アンドレアの絵がある。門はコンスタンチノーブルから持ってきたものらしい。内部は18世紀のバロック様式で荘厳。一番奥に聖アンドレアの絵、手前に十字架のキリストがある。地下には13世紀にコンスタンチノーブルから運ばれてきた聖アンドレアの遺骸が眠っている。大聖堂のルイジ・コラヴォルペ神父に話を聞き、子供聖歌隊の「聖アンドレア聖歌」を聴いた。陣内教授お勧めの「天国の回廊」が左手裏にある。
 陣内教授は7年かけてフィールドワークを行なっている。レモンを売っている店があるが、グレープフルーツくらいの大きさ。皮のまま食べられて、渋くなくておいしい。レモンチェッロは35度で冷やして飲むそうです。メインストリートを少し登って、右手に海の品を売っている店がある。さらに上にはアマルフィ独自のパスタを売っている店がある。少し先にメインストリートの上を横切るような建物がある。ここの3階に住んでいるオズヴァルド・フロリオさん宅を訪問し、窓から通りを眺めさせてもらい、3階からの買物も体験した。
 アマルフィは渓谷の町で、このメインストリートの下に川が流れている。上流には「水車の谷」がある。13世紀に伝わった綿からの製紙作りが行なわれている。19世紀に機械化によりこの技術は途絶えてしまった。しかし、ルイージ・アマトゥルーダさんが10年に渡る試行錯誤の末に、半世紀後に復活させた。ルイージさんは27年前に亡くなったが、技術は伝達された。
 右手に入って狭い路地を歩いてみた。エミッディオ・パッラディーノさん宅を訪問した。レモン・トルテ、レモネード、レモンの皮の砂糖漬、などをいただいた。まわりのお家もテラスで食事されていました。
 この町は坂がきつい。早朝4時、ジェラルド・アメンドラさんは家庭から出たゴミを回収して回る。またお昼には、パスクアーレ・ジョルダーノさんはレモンを籠に入れて運ぶ。レモンは6月〜10月に収穫する。この日800kgを運びました。ロセッラ・ボンソステンニさんはお年よりから頼まれた品々を買って、坂の上のお年よりに届けている。
 東側の高い所に上ると景色がいい。ジャコモ・ヴィラリッカさん宅を訪問した。景色が素晴らしいです。

●南イタリアの他の世界遺産
 シチリア島にはギリシャの大神殿がのこされている。アグリジェントの考古地区(紀元前6〜4世紀)。当時の詩人により最も美しい町と歌われた。コンコルディア神殿はギリシャ建築の美がある。
 ポンペイは18世紀に見つかった。西暦79年のヴェスヴィオ火山の大噴火の跡が残されている。復元された町からは都市計画の見事さがわかった。人口1万人。
 マテーラの遺跡。8世紀にイスラム帝国の侵略からギリシャ正教の修道僧たちが渓谷の洞窟に移り住んだ。岩山に洞窟を作り、その中に住んだ。教会もできた。まわりに羊飼いたちが住んで町ができた。しかし20世紀初頭には、この地帯はイタリアでも特に貧しい地域となってしまった。第二次世界大戦後に、政府は遺跡を保護するために住民を移住させ、環境整備に乗り出したが、93年に世界遺産となり、状況は一変した。
 ナポリは様々な異民族に支配された。12世紀に支配したノルマン王国が作ったのが卵城。城の基礎に置かれた卵が割れると災いが訪れると言われる。13世紀に支配したフランスはサンタ・キアラ聖堂を建造し、ゴシック様式の建築が溢れた。15世紀にはスペインが支配し、王宮を建造した。大理石の間・大使の間など、贅を尽くした造りとなった。
 アルベロベッロにはトゥルッリ(とんがり屋根の家)が現在も1400軒もある。石灰岩を積み重ねて作られている。厚さ数cmの平らな石がその上にのせられ、固定するセメントやクギは一切使われていない。石の屋根は約30年に1度修復される。農民たちが発展させた最も安上がりな建築方法だった。

http://www.kanshin.jp/italia/index.php3?mode=keyword&id=204079


テレビ番組「世界遺産イタリア縦断1200キロ・2、ローマ、ヨーロッパの礎」

 2005年7月18日放送。住吉美紀アナウンサー、法政大学・陣内秀信教授、アコーディオニストのCobaさんが案内。Cobaさんは18歳でイタリアに来て、4年勉強した。その後も40回くらい来ている。この日は気温37度。NHK製作。

●ローマ
 2800年の歴史を持ち、ヨーロッパの礎となっている。ローマにはバチカンもあるので、憧れの町でもある。
 重要な建物の紹介。コロッセオは古代ローマ帝国の象徴、パンテオンは神々を祀るために作られた。トレビの泉はルネサンスやバロックの様式。近代イタリアを代表する建造物ヴィットリオ・エマヌエーレ2世記念堂はイタリア統一を記念して建てられた。サンピエトロ大聖堂はバチカン王国の聖堂で、ミケランジェロが製作した。

 マルチェッロ劇場は紀元前1世紀に建築された古代遺跡。当時は1万5000人を収容する大劇場だった。その後貴族の館や城塞として利用されてきたが、現在は住居や事務所として使われている。ここに3年前から住んでいる建築家のファビオ・レベッキーニさんのお宅を訪問した。1年3ヶ月かけて修復したそうです。ローマ時代の壁も残してある。

 フィオーリ広場には屋台が30軒くらいあって、歴史的には140年くらい続いている。トマトはS.Mareano が1.5ユーロ。シチリア産のが小さいがとてもおいしいそうです。南イタリア産のいちじくもありました。Biliegino というトマトは2.52でチェリーみたいな味で濃いそうです。お肉屋さんの3人のおじさんは兄弟。焼き豚みたいなのもおいしいそうです。ハンバーグを揚げたようなプロペッテ?も、ソーセージもおいしい。スパイス屋さんには Arrabbiata などを売っている。Carbonara はカルボナーラに必要なスパイスで4.13ユーロで、E4.13 L'etto と書いてありましたが、パスタ毎に入れたらいいスパイスを売っている。
 この広場は午前5時から準備が始まる。8時には70以上のテントが埋め尽くす。12時に人が減り、1時になると観光客を中心に人が増える。2時を過ぎると片付けが始まり、4時には跡形もない。夜には近くのバーが人気。
 その近くの美少年広場に行く。美少年というのは大きな蛇という意味もあるが、そこにあるベージュ色の建物。これは紀元前55年に作られた古代ローマ時代の劇場ポンペイ劇場の跡地。観客席の跡地に沿って建物を作ったので、カーブしている。そこに建てられたサティーリ劇場は、現在も使われている。200席程度の細長い劇場。
 フィオーリ広場からvia dei Cappellari カッペラーリ通りを行く。この通りは帽子職人が多く住んでいた。左手には陶器を作っている女性の工房がある。陶器の絵付けの教室もしている(Lezioni dii pittura su porcellana.)。
 その近くのお店が扉の修復工房で、マリーノ・サルヴァトーリさんの工房。300年前の扉の上に10層も塗られていたものを剥ぎ取って、オリジナルのものを出現させていた。
 最近、職人志望の若者が増えているので、文化協会リグナリウスのような学校が増えてきている。ここは中央駅の近くで、美術品や装飾品の修復を手がける専門学校で、絵画、モザイク、ステンドグラス、家具などの14のコースがあり、80人が学んでいる。

 フォロ・ロマーノはシーザーの時代の遺跡。フォロはフォーラム、広場という意味。神殿跡は高さ30m程度の柱が未だに残る。右には下の部分が公文書館で上の3階分が現在の市庁舎。煉瓦造りの円柱(高さ1m)は、「全ての道はローマに続く」と言われた起点。セプティミウス・セヴェルスの凱旋門も残っている。多目的ホール(バシリカ)もある。最盛期には100〜150万人の人がいたそうです。
 拡大したローマ帝国は内乱により体力を消耗し、異民族の侵入により衰えていった。貴重な建物が壊されて城壁にされた。滅亡後はフォロ・ロマーノは荒れ果て土砂が堆積し、中世には「雌牛の野」と呼ばれた。

 カンピドリオ広場はミケランジェロが設計した広場。フォロ・ロマーノの手前に新しい広場を作ろうと教皇庁は考えた。ミケランジェロはあとローマの東の城門も設計した。この広場は上から見ると美しい。10の星座を表していて、宇宙の中心にこの広場があるという。そこにある像は右はローマを示し、左はエジプトのスフィンクスを示し、かつてはエジプトを支配していたことを示している。また、この広場に上がってくる道もうまく人間の心理を考えて作ってある。


テレビ番組「世界遺産イタリア縦断1200キロ・3、教皇が描いた夢の町ピエンツァ」

 2005年7月19日放送。住吉美紀アナウンサー、法政大学・陣内秀信教授が案内。NHK製作。
●ピエンツァ
 トスカーナの宝石と呼ばれている人口3000人の町。トスカーナ地方ののどかな田園地帯の真中にぽつんと存在している。第210代ローマ教皇ピオ2世が1405年にここで生まれ、1458年に教皇に就任し、政治ルネサンスを目指した。当時はオスマントルコの脅威におびえていた。その時故郷に帰り、故郷の中に理想郷の姿を見た。「ウルビーノの理想都市」を生まれ故郷に実現しようとした。ピオ2世の名前をとってピエンツァと名づけられた。
 町を歩くとチーズの匂いがする。お店に入ると羊の乳で作ったペコリーノ・チーズがあった。パルミジャーノの味に近いそうですが、かなりおいしいそうです。ピオ2世広場周辺は理想都市のそのままらしい。秋分の日と春分の日の正午には教会の頂上の部分の影が広場の○の位置?にくるそうです。チーズ転がしという競技は9月に地区対抗で行なわれるが、標的がこの○の印。副市長のペトレーニ・ニノさんに話を聞いた。
 宮殿の3階のテラスから、田園風景がきれいに見える。

●オルチャ渓谷
 ピエンツァの周辺にあり、10年前に走り始めた自然列車に乗って訪ねてみた。出発駅はアッシャーノ駅で、まず「アッソの谷」をゆっくり通過、続いて広がる田園地帯。オルチャ渓谷にある集落には文化遺産も多く残っている。
 バーニャ・ビニョーニは古代から温泉が湧き出ている町。お湯の温度は49度。巡礼者や商人には大事な休息場所だった。温泉の下には清らかな水をたたえた水色の湖があった。
 途中の駅、モンテアミアータ駅でも、5kmのところに文化遺産がある。サンタンティモ修道院で、カール大帝によって創建されたと伝えられるロマネスク形式の美しい修道院。毎日7回ここで暮す8人の修道僧によって毎日グレゴリウス修道歌が捧げられる。
 列車が牧草地帯を通過する。地元の農家が経営するアグリツーリズモ「La Crocina」がある。宿泊の他、農業体験もでき、この地方の食材を使った料理が人気がある。「トスカーナ風ミートソース」、「いんげん豆と黒キャベツのスープ」、ウサギ・鶏・豚などを赤ワインで煮込み唐辛子を利かせた「オルチャ渓谷風煮込み」。


テレビ番組「世界遺産イタリア縦断1200キロ・4、世界一美しい広場の町シエナ」

 2005年7月20日放送。住吉美紀アナウンサー、法政大学・陣内秀信教授が案内。NHK製作。

●シエナ
 13−14世紀頃に栄えた。銀行はここの町で生まれた。当時からフィレンツェと張り合っていたので、町をきれいにしている。さらに地区内のコントラーダ(自治会)があって、それ同士でも今でも張り合っている。全部で17あり、動物がモチーフになっている。ふくろう地区の教会にお邪魔した。アンドレア・ムラトーリさんたちに話を聞いたが、この地区は800人いるという。
 このコントラーダが激しく争うお祭りがある。毎年7月と8月にあるカンポ広場で開催されるパリオで、地区対抗の競馬。聖母マリアが描かれた優勝旗を巡って激しいレースが繰り広げられる。1周333mの広場を3周してゴールイン。優勝旗だけが与えられるが、これが名誉。
 カンポ広場は世界一美しいと言われる。1288年から20年以上かけて作られた。正面にあるのは市庁舎。真中にある太陽のマークはシエナの守護聖人。当時の最先端のゴシック様式で、フィレンツェの市庁舎よりも立派。左の塔はマンジャの塔で120mある。下は赤で上部は白。広場のまわりの建物もまとまりのよさを示している。世界初の景観条例ができた町でもある。これを空から見るとよくわかる。
 真中に泉があるが、この下には地下水道がある。クランクという曲がり角が作ってあって、速度を落として、石灰分を沈殿させている。泉や井戸で現在も使われていて、誰でも使えるが、個人の家庭で使う場合は有料で、年間20ユーロ。
 この広場は市庁舎に向かって傾斜がついている。舞台と同じような感じ。線で区切られた9つの扇になっている。上から見ると貝殻のように見える。ここは何となく落ち着くという。


テレビ番組「世界遺産イタリア縦断1200キロ・5、サン・ジミニャーノ」

 2005年7月22、23日放送。住吉美紀アナウンサー、法政大学・陣内秀信教授、アコーディオニストのCobaさんが案内。NHK製作。

●サンジミニャーノ
 13−14世紀に建てられた塔が14本残っているが、多い時は70本建っていた。一番高いのはグロッサの塔で、当時の長官が建てたもの。その後、この塔よりも高い塔を作るのを禁じたので、この塔よりも高いものがない。丘の上に都市があるのは、交易をするための道が丘の上を通っていたから、城壁で囲んで安全な町を作るにもよかったから、マラリアなどの疫病からも人を守るのに適していたからなどが挙げられる。15世紀以降町が衰えてしまって、そのおかげで塔などが残っている。
 町の外から来ると、城壁が圧倒的な存在感で向かえてくれる。中央の通りは人通りも多い。各家庭の庭で菜園をしている人もいる。

 5世紀に町を荒廃から救ったという聖人サン・ジミニャーノ。12世紀の「悪魔の塔」は、悪魔が雷を落とした時にこの塔に亀裂が入ったという。「サルビッチの塔」は別名「双子の塔」と言われ、2本をつなぐとグロッサの塔よりも高くなるという。「ベッチの塔」は根元に家屋があり、4世帯が塔を共有している。所有者の一人シルビア・ベゲさんを訪問した。寝室の壁は塔の壁だった。建物が塔を3方から囲むようにして作られていて、夏は涼しく、冬は暖かいそうです。塔の修復は4世帯で持っている。
 サン・ジミニャーノ市立美術館館長のアントネッロ・メンヌッチさんにグロッサの塔を案内してもらった。町の人には、鐘の音が聞こえる範囲が自分たちの町だという意識があるそうです。塔の上から町を見ると、遠くに田園が広がりとてもきれいです。ベルナッチャという白ブドウの畑がある。糸杉が点在している。ローマに続く街道もきれいに見えます。田園の中の町は不便なので、こういう町は取り残されていたが、最近見直されている。


テレビ番組「世界遺産イタリア縦断1200キロ・6、ポルト・ヴェーネレ」

 2005年7月22日放送。住吉美紀アナウンサー、法政大学・陣内秀信教授、アコーディオニストのCobaさんが案内。NHK製作。

●ポルト・ヴェーネレ
 北イタリアのジェノバの近くの港町。海で泳いでいる人も多い。12世紀にジェノバのピサなどに対する海の守りの拠点としてできた要塞都市で、イタリア語で「ビーナスの神様」という意味で、赤や黄色の建物が並ぶ現在ではリゾート観光都市。7階建の家がかつては城壁で、窓もなかった。城壁の外側には最近作られたプロムナードという歩道があって、楽しめるようになっている。
 城壁の裏側には城門の入口があり、入口に監獄もあった。城壁の左には城門を通る際にワインやオリーブオイルの量などを測定するための石の容器が置いてある。75歳のジュリアーナ・カルヴェッリーニさんに話を聞いた。城門をくぐると「城塞の住宅」を象徴するような圧迫感のある建物が両側に並ぶ。ジュリアーナさんのお宅を訪問。間口が狭くて奥行きがある。昔は裏の通りの方がメインだったが、みんな城壁の方へ進出していって窓を付けたようです。窓の外には港が見えるが、窓の壁の厚さは50cmくらいある。
 ジュリアーナさん宅のすぐ近くの城壁側に Olioteca というオリーブの店がある。リブリア州はオリーブが有名。石灰岩系の地質がいいのかもしれない。畑毎に地質が違うので、取れるオリーブが違う。28歳の店長のマリア・デ・マルロさんに話を聞いた。この地方のオリーブがおいしいそうです。軽い味〜濃い物までオリーブオイルも揃えている。

 海ではムール貝の養殖をしている。イタリアでも1,2の高値で売買される貝らしい。44年やっているアンジェロ・マイオーリさんに話を聞いた。海がきれいだからということですが、養殖している海の中まで見えました。アンジェロさんは1日2回養殖場に向かう。面積は5.4万坪で、アンジェロさんは600坪の担当。貝の大きさに応じて大きな網に移し変え、海に戻して成長を待つ。これを14ヶ月繰り返し、5cmに成長したら出荷する。ここで取れる貝は肉厚で香りもよいと評判。車の通りのレストラン「J.C.Mitili ?」でいただいた。「ムール貝のレモン蒸し」、「茹でたムール貝をオリーブオイルに漬けたもの」、「ムール貝のフライ」、極めつけの「トマトとムール貝の煮込み」などがある。生でレモンをかけて食べさせてもらいましたが、甘くておいしいそうです。

 向かいにある島も世界遺産として登録されている。この島のおかげで湾の波が静かになっている。湾の先端にはサン・ピエトロ教会がある。13世紀に作られたゴチック様式で、元は神殿があって、そこでビーナスが祀られていたので、それが町の名前になっている。
 教会の庭からチンクエテッレの方向に家屋がきれいに見える。

●チンクエ・テッレ
 ポルト・ヴェーネレから北西に伸びる海岸線、厳しい崖の上に集落がある。その中に世界遺産に登録されている5つの村がある。チンクエ・テッレ(5つの土地)という村で、南からリオマッジョーレ、マナローラ、コルニリア、ヴェルナッツァ、モンテロッソ・アル・マーレの村々。交通手段は昔から船しかなかったので、中世のたたずまいがそのまま残っている。

●リオマッジョーレ
 ひしめきあう家並が実にカラフル。元々は船から自分の家が一目でわかるように塗り分けられた。港のまわりにぐるりと家が並びます。
 この町を過ぎると要塞が見える。12世紀に制海権を争うために作られた。

●コルニリア
 海面から100mの崖の上にある村。谷をはさんだ向かいの丘にはぶどう畑が広がっている。強い日差しと海面からの強い照り返しで、糖分の多いぶどうができる。ぶどうの収穫は9月〜10月はじめ。

●ヴェルナッツァ
 チンクエテッレで最も美しい村と言われている。リオマッジョーレと比べて余裕のある家屋が港のまわりにぐるりと建っている。かつては争いの中心だったこの村は、現在は観光の中心である。路地を一歩入ると人々が暮す空間が広がっている。


テレビ番組「世界遺産イタリア縦断1200キロ・7、トリノ・近代イタリア幕開の町」

 2005年7月23日放送。住吉美紀アナウンサー、法政大学・陣内秀信教授、アコーディオニストのCobaさんが案内。NHK製作。

●トリノ
 2006年冬季オリンピックの開催地。マスコットはNeve(ネーベ)とGliz(グリッツ)。アルプスの山並みを背景にした街並み。パリやウィーンよりも100年早く美しい街並みを実現した町でもある。カステッロ広場は計画して作った広場だというのがよくわかる。周辺には王宮がある。建物の高さ、窓の高さなどもよく計画されている。マダマ宮も正面は広場にあわせてバロック様式となっており、裏はローマ時代の城門であり、中世にはお城になり、レーフ人の家になっていた。このような劇場空間を作ったのは、王宮に住んでいたサヴォイア家で、その後1861年にイタリアを統一した。1864年には首都はフィレンツェに移動した。

 サヴォイア家は11世紀に起源をもち、13世紀にはトリノを中心としたサヴォイア公国を興した。16世紀半ばに当主エマヌエレ・フィリベルトがトリノを首都に定めた。起源は紀元前29年トリノに軍事拠点となる城が築かれた。この時初代ローマ皇帝アウグストゥスにより碁盤の目状に整備された。パラティーナ門が今に残る。そこにはアウグストゥスの像もある。中世になってもローマ時代の街並みはそのまま残された。1630〜1710年の間に町は大きく広げられていった。トリノ市歴史資料館には17世紀の後半の町の地図や建物の解説などが描かれた「サヴォイア劇場」という本が保管されている。王がヨーロッパの他の国に招待された時に持参したという。18世紀の初めに王国はサルデーニャ王国と改められた。貴族から広大な土地を没収し、新たに建築した4階建の建物に移住させた。1階は馬小屋、2階は貴族の一家、3階には奉公人、4階にはおかかえ職人が暮すようにした。こうして確保した土地を実業家などに売り、中産階級を育てようとした。19世紀半ばにイタリア各地で国家の統一を目指す紛争が巻き起こった。確固たる基盤を持っていたサルデーニャ王国が次第に中心となり、ヴィットリオ・エマヌエーレ2世はついに1861年に統一を果たした。その時に首都となったのがトリノだった。
 1641年に建築され200年以上住んだのがサヴォイア王宮で世界遺産。広場を含めた王宮という概念を持っていた。外観はシンプルだが、中は素晴らしい。入ると迫力ある騎馬像、背景の貝殻も美しい。大理石の名誉の階段を上がりながら天井を見ても、サヴォイア家の歴史を見せながら、素晴らしい芸術がある。2階が大広間で、天井が18mと高く、壁は緑色の大理石で、その上の壁はフレスコ画。大理石の暖炉もある。隣の部屋の天井には各都市の金色のレリーフ。あと2つくらい間があるが、王に会うためにはかなり長い間、こういう場所で待たされたらしい。最後は「王座の間」で、床は寄木細工になっている。
 宮殿の中に17世紀の建築家フィリッポ・ユヴァッラが作成したという階段がある。最初は1本、2階から3階へは2本、3階から4階へは1本の階段となっているユニークなもので、劇場効果を狙ったもの。貝殻や花などの装飾もエレガント。そんな階段はできないという悪口を言う人の舌をハサミで切ってしまうぞというレリーフも作っていて、この階段は「ハサミの階段」とも言われる。

 トリノの特徴はアーケード(イタリア語でトルティ)で、市内に20kmある。街並みを飾っているので、散歩したりカフェテラスを出したりして居心地のいいスペースになっている。

 中心のガリバルディ通りは歩行者天国。トリノはジェラートを世界に広げていった町。トリノに9年住んでいる池本志穂さんも案内してくれた。職人さんたちが住んでいたバルバル通りを歩いてみた。スカートを広げるものを作っていた職人などの旗が残っている。カーテンなどの装飾品を納めていたお店「Massia Vittorio 」というお店を訪問した。1843年創業の老舗で、オーナーの5代目ヴィットリオ・マッシアさんに話を聞いた。自慢の品も見せてもらい、工房も見せてもらったが、1780年代の機械を今でも使っていて、4代目、6代目で共同作業をしていました!

 さらにバルバル通りの先の方に、王室ご用達の食材の店があった。グリッシーニの店で、最近は日本のレストランでも長い棒のようなのが置いてあるところが多い。お店は「Bersam ? , pane & grissna 」という店で、この店が元祖。店主のピエトロ・カルヴィオさんがいくつかくれましたが、ゴマ味、たまねぎ味などがある。17世紀の王子様がおなかが弱くて、イースト菌を含まないパンを食べたらいいというので生まれたという。このお店には特別なものとして、1m以上のものもある。これは幸運をもたらすもので、パーティなどでひきたつという。さらに中が空洞で、ワイングラスにさしてワインを飲むのにも使えるという。

 トリノはグリッシーニ以外にも多くのお菓子の産地でもある。アーケードでチョコレートを売っているお店のチケットを見ている女の子がいた。これは ChocoPass という地図で10枚のクーポン券がついている。これを持って、Caffe Platti, Confetteria Stratta, Cioccolato Peyrano, Geria, Guido Gobino, La Peria di Torino などのお店で割引で買える。チョコレートの町トリノをアピールしようと去年から始まった企画。創業170年という老舗のお店「Stratta ? 」に行ってみた。特徴は王冠型のチョコで、サヴォイア王家ご用達の店だった。一番豪華な詰め合わせは2kgで2.2万円。ジャンドゥイオッティというチョコはとても柔らかいので唇でちぎって食べるが、三角屋根の形のデザインも特徴的。神聖ローマ皇帝からチョコをもらったサヴォイア王家のエメヌエレ・フィリベルトが虜となり、19世紀には世界初のチョコレート工場が誕生、トリノはチョコレートのパイオニアだった。
 チョコレートだけでなくドルチェ(デザート)の都でもある。ザバイオーネは17世紀末に国王の料理人が考えたと言われる。パンナコッタは1900年代、近くに住んでいたご婦人が作ったという。王宮近くに行列を発見、行ってみるとジェラートだった。「Pepino」というこのお店は1884年創業で、当時と変わらぬ手作りの味が人気。Gelati Pepino が創業間もなく王家の目に留まり、事あることに注文が来るようになった。それが馬を形どった高さ20cmを越えるジェラートだった。
 トリノにはイタリアに唯一の国立のお菓子学校がある。

 もう一つトリノの特徴がカフェ文化。「Caffe dei Guardinfanti」というお店の前には当時の写真もある。「ビチェリン」という飲み物を頼んでみた。これはコーヒーとチョコレート・ソースとリキュールとを混ぜたもの。このお店のはラム酒でした。

●トリノ郊外
 ユヴァッラはトリノ市を王冠に見立てて、周囲の4箇所に建物を作った「歓喜の王冠」プロジェクトを実施した。東西南北に配された4つの建物は特に重要だった。東は標高670mの山頂にあるスペルガ聖堂は、古代ローマのパンテオンを模して1717年から14年の歳月をかけて建設された。その地下にはサヴォイア家の霊廟がある。西はリヴォリ城で、13世紀に建てられた要塞をパリのヴェルサイユ宮殿を真似て改修・増築したもの。貴族たちに最も愛されたといい、サヴォイア家の王位継承者の生まれる家でもあった。東に王家の先祖が眠り、西に継承者が生まれるという図式。南の田園地帯にはストゥピニージ宮殿が作られ、数あるサヴォイア王家の建物の中でも最も華麗な建物として知られる。狩の宮殿とも言われる典型的なバロック様式の宮殿で、狩猟をモチーフとした装飾が随所に施されている。大広間は4本の柱の上に立ち上がったアーチが見事。ドームは多くの装飾で埋め尽くされている。北は別荘ヴェナリア王宮で、1660年から3年の歳月をかけて作られた。現在ここではヨーロッパ最大規模と言われる修復が行なわれている。長さ80m、幅12m、高さ12mを誇るガレリア・グランデはユヴァッラの最高傑作で、窓が多いことから光の劇場とも呼ばれる大広間で、現在修復の真っ最中。1960年代に塗られた色を抜いて、元の壁の色に戻している。

●ポー川
 イタリア最大の川で、トリノ市の東を流れる。豊かな水量で肥沃な大地を育み、豊富な食材をもたらしてきた。アンチパスト(前菜)が食卓にはたくさん並ぶ。チーズをナッツ入りのハチミツにひたして食べる地元ならではの前菜もある。生の豚肉ソーセージ、ズッキーニと茄子の酢漬など。前菜をゆっくり時間をかけてたっぷり食べるというのがトリノの食生活の基本。
 水力発電によりミラノに次ぐイタリア第二の工業都市として発展してきた。特に自動車産業が盛んで、1899年9人の貴族と実業家によってイタリア初の自動車会社ができた。1920年代にはオートメーション化を実現し生産性を向上させた。Ferrari, Maserati, Lamborghini, Fiat など、トリノは国内自動車生産の90%を占める。ここで生産されたもののとっておきモデルを紹介した。Fiat MDD.4HPはイタリア産自動車の1号機は馬車を真似たもの。Fiat MDD.500 は庶民でも手が届く自動車として開発された。トリノには設計やデザインを行なう大小さまざまな工房があり、世界の注目を集める新しいモデルを次々と発表している。

●トリノ五輪
 トリノの中心地から南へ4kmに第一次世界大戦後に建てられた自動車工場がある。全長500m、建物の5階は自動車のテストコースになっていた。建物の内部は螺旋状のスロープが設けられていて、下から上に上がっていくについて自動車が組み立てられていっていた。工場は1982年に役目を終えた後に、関西国際空港の設計で名高い建築家エンゾ・ピアーノ氏の手で多目的施設に生まれ変わった。ホテルの客室には工場時代の窓がそのまま使われている。新たにデザインされたのは屋上のたまねぎ状のドームで、VIP用の会議室。全面ガラス張りでアルプスを見ながら会議ができる。国際オリンピック委員会の会議が開かれる予定。
 来年2月に冬のオリンピック開催を控えていて、関連施設の建設が進む。これらの建築にはトリノのデザインセンスが活かされている。広報目的のアトリウムはガラスと木材でてきていて、正面から見ると三角形、横から見るとチョコレートにそっくり。これをデザインしたのはファブリツィオ・ジュジャーロさん。世界的に有名な自動車デザイナーの父ジョルジェット・ジュジャーロさんとの共作。彼らは自動車だけに限らず、鉄道車両、エスプレッソ・マシン、スニーカー、歯医者のイス、パスタまで手がけている。アトリウムはまわりの空間を大切にしたそうです。
 トリノの人は控えめだが、新しい物好きな人が多いそうです。


テレビ番組「世界遺産イタリア縦断1200キロ・8、オルタ・聖なる信仰の山」

 2005年7月24日放送。住吉美紀アナウンサー、法政大学・陣内秀信教授、アコーディオニストのCobaさんが案内。NHK製作。

●オルタ
 ピエモンテ州オルタ湖。山の向こうはアルプスがあり、その向こうはフランス。オルタ湖は長さ13km、幅2.5kmで、真中にサン・ジュリオ島で4世紀にできた教会がある。ここにはサクロ・モンテという聖なる山が9つあり、世界遺産に登録されている。そのうちの一つを今日は紹介する。標高は400mの山で、16世紀から200年くらいに渡って作られた礼拝堂が20あり、年間6万人が世界じゅうから来るという。
 16世紀でアルプスの北側で宗教改革が起こり、カトリックが批判された。カトリクも反省し、もう一度民衆の心を取り戻すために聖なる山を作り、みんなに訪ねてもらってカトリックの素晴らしさを体感してもらうショールームのような形のものにした。
 北イタリアの9つの山は、オルタ・サン・ジュリオ、その南西のヴァラッロ、その南のオローバ、トリノの東のセッラルンガ・ディクレア、オローパの西のヴァルベルガ・カナヴェーゼ、オルタの北西のドモドッソラ、その東のギッファ、オルタのずっと東のヴァレーゼ(ミラノの北)、その北東のオッスッチョとなる。

●ヴァラッロ
 一番目の聖なる山がヴァラッロで、標高450mの渓谷にある。人口8000人足らずの小さな町だが、いつも大勢の観光客で賑わっている。町はずれの川をはさんだ山の頂きに白い壁に黄色い屋根の44の礼拝堂や聖堂が並ぶ。北イタリア最古のサクロ・モンテ。ヴァラッロのサクロ・モンテの建設が始まったのは15世紀後半。入口の門にはラテン語で「新しいエルサレム Nova Hyervsalem 」の文字が刻まれている。門をくぐると2人の人物像が巡礼者を迎える。左のガウデンツィオ・フェッラーリは芸術的価値を高めた画家、右のサクロ・モンテの生みの親ベルナルディーノ・カイミ神父。カイミ神父はエルサレムでキリストの聖墳墓の護衛を勤めたこともあり感動した。オスマン・トルコの勢力が拡大し、エルサレムへの巡礼が脅威にされされていたこともあり、ヴァラッロに聖堂などを作ることにした。礼拝堂43が最初に作ったもので、感銘を受けた聖墳墓を模したもの。ここに詣でることでエルサレムへの巡礼の代わりにしようということを考えた。16世紀にフェッラーリが参加し、芸術的価値を飛躍的に高めた。巡礼者たちは44の礼拝堂と聖堂を巡り、キリストの生涯を体験できるようになった。そこにあるのは等身大の彫像で作られた劇場さながらの空間で、実際の衣服もつけ、フレスコ画にも凹凸をつけて立体感を出した。キリストの受難の様子が圧倒的な存在感で迫ってくる。フェッラーリは礼拝堂までの坂をきつくしてキリストに感情移入しやすくした。フェッラーリは20年以上かけて作成した。その後も多くの芸術家によって建築が続けられ、500年後の19世紀末に完成した。

●オルタ
 オルタのサクロ・モンテは聖フランチェスコを祀っているが、彼はジオット作の「小鳥への説教」の絵の中の人としてもおなじみで、小鳥にさえ説教できたと言われている。清く貧しく美しく生きることを説いた聖人で、イタリアではキリストの再来のように思われている。ここにある20の礼拝堂を回ると聖フランチェスコの生涯がわかるようになっている。ここのサクロ・モンテのアンジェロ・マンズィーニ神父に案内してもらった。まず小さなチャペルの奥に覗き窓がある。立体絵画があり、飛び出す絵本のような形で紹介している。ここの絵画は聖フランチェスコが生まれた時を示していて、家畜小屋で生まれた。2番目の建物の絵画はバロック風で、聖フランチェスコが教会に入ると十字架が「この教会を建て直してください」と言ったのを聞いた。3番目のチャペルは古代の神殿のモチーフで、絵画は聖フランチェスコが興味のあるものを捨てて神様の元へ向かう。13番目の礼拝堂は聖フランチェスコが社肉祭の時期に裸足になって町を歩く姿。サマンタ・バッティオーニさんが修復をしていた。もう10年されているそうです。
 聖フランチェスコにまつわる物語をボランティアでやっているアヴェッラーノ劇団の団長ダヴェリオ・ヴィットリオさん、娘のマルチェッラさんに話を聞いた。

 オルタ湖畔のサン・ジュリオのモッタ広場。湖畔の爽やかな風が吹いている。イタリア在住の建築家の西村清佳さんが案内してくれた。モッタ広場の隣に旧市役所があり、壁には絵が描かれている。かつての湖の周辺の8つの町の紋章を表している。中も見せてもらったが、木材も16世紀のまま。
 サクロ・モンテを先祖から支えてきた人の一人ステファノ・ウベルティーニさんを訪問した。4代前にここに来たそうです。
 町の石の屋根も特徴がある。職人は今は一人しか残っていない。ラニョーリ・ジャコッベさん69歳と息子のアンドレアさん29歳。サクロ・モンテの礼拝堂などの屋根も同じように作られている。

 オルタの町や歴史などをもう一度見直してみようという動きがある。観光客用のバスができ、走る道沿いの壁に絵を毎年描いている。市役所で8つの町の長がアイディアを出し合っている。民間からも様々なアイディアがでてきていて、ある会社は木工技術を使ってピノキオの人形作りを行なっている。
 湖では、国立生物研究所の3人乗りの船がでていて、24時間体制で湖の水が汚れていないかどうかを検査している。釣り人もいて30cmの鱒が釣れていました。

●サン・ジュリオ島
 聖ジュリオが4世紀に建てたというサンジュリオ教会がある。いまの教会は9世紀と11世紀に増築されたもの。説教台は12世紀にオルタ周辺で採掘された石で作られた。神話に登場する動物や聖人が精密に彫刻されている。聖堂の地下には聖ジュリオの亡骸が安置されている。その顔は銀で作られたマスクで被われている。聖ジュリオは今でも人々の精神的な支柱です。
 この島には一般家庭は3家族住み、女子修道院マテル・エクレジェ修道院がある。現在75人のシスターがここで生活している。聖具修理室では北イタリアじゅうの織物、細工、刺繍などを修繕修復する。最近、隣接した建物を利用した宿泊施設の運用を始めた。宿泊者は礼拝や祈りの儀式に参加するということを条件に格安で泊まれる。観光客用のお土産屋を開いているのは、マリア・ヴィッラさん。不便なのは毎朝、オルタの町に買物に行くので手漕ぎボートで行くこと。この島の住民のみがサン・ジュリオ教会で結婚式が挙げられる。エリザ・タッローネさんは静けさを求めて移り住んできたピアニスト。父はミラノで世界的なピアノの製作者として活躍していたチェーザレ・アウグスト・タッローネ氏が別荘として購入したもの。


テレビ番組「探検ロマン世界遺産・バチカン市国」

 2005年7月21日放送。水沢螢さんが案内。4月ヨハネ・パウロ2世が亡くなり、ベネディクト16世が就任し、世界の注目を浴びた。周囲をぐるりと歩いても40分で歩ける。何故、ここに中心があるのだろうか。サンピエトロ寺院はミケランジェロの設計。NHK製作。

●パチカン市国
 3月27日、イースターの日、サンピエトロ広場で10万人の信者が「viva! papa」などと叫んでいる。毎年、この日に教皇が全世界に対して祝福の言葉を発することになっている。喉を手術した教皇には言葉を発することができなかった。12〜17歳の少年がミサを手伝う侍者となる。その子たちも取材しました。
 何故、サンピエトロ大聖堂が中心となっているか?建物の中にいるが、建物の中にいる気がしない。ミケランジェロの「ピエタ」、ベルニーニの「ブロンズの天蓋」などの芸術品が並ぶ。子供がちがマンホールみたいなところを下に覗いていた。下には隠し入口のような階段で降りる。ここには歴代の教皇たちの100体近くの柩が置いてある。その先には小さなクレメンティーナ礼拝堂がある。さらにその下にも地下空間がある。ここは1〜4世紀の古代ローマ時代のキリスト教徒たちのお墓だったことが50年くらい前に見つかった。さらに一番奥から小さなお墓が見つかったが、これが聖ペトロの墓だった。キリスト教徒の間で、サンピエトロ大聖堂の下にあると信じられてきたものだった。ペトロはイエスの最初の弟子で、サンピエトロのピエトロはペトロのイタリア語読み。聖ペトロの墓を守るようにしてサンピエトロ大聖堂は作られていた。
 ペトロはキリスト教を熱心に布教したが、西暦64年ペトロは捕らえられ処刑された。場所はバチカンの丘、キリストと同じでは恐れ多いとして、逆さ十字架にかけられた。313年キリスト教は公認された。カトリック教徒はペトロがいたからその後のキリスト教の発展があると信じられている。キリストの言葉からペトロが最初の教皇であると思われている。
 現在のサンピエトロ寺院は16〜17世紀に120年かけて建設された。ドームの高さは132m、直径は42m。ドーム付近にまで登れます。このドームはミケランジェロが設計したもの。バチカン機密文書館にはミケランジェロの直筆の文章が残されている。「サンピエトロ寺院に対する愛のために」と書かれている。ドームの16個の窓は作るのが困難。それを敢えて作った。システィーナ礼拝堂にはその答えがある。最後の審判、アダムの創造などの聖書の始まりと終わりを描いている。中央のキリストから光が出て、その光が礼拝堂の全ての影の原因になっているように作図した。ミケランジェロには、キリストからの光がとても大事だった。ドームから入る光は移動し、祈る人々を包み込む。

 1861年イタリアが統一された時、バチカンはイタリアに組み込まれることに反対した。宗教が一国の支配化に置かれることを嫌い、対立が長く続いた。1929年ラテラン条約が締結され独立を承認された。
 普通は入れない場所に日本人の枢機卿の濱尾文郎さんが案内してくれた。衛兵はスイス人で、約100人いる。この国に住んでいるのは500人。郵便局、スーパーまである。
 バチカン市国は教皇を元首とする国家で、行政機関の役割を果たしているのは教皇庁。中を案内してもらいました。

 4月2日、教皇が亡くなった。世界中から400万人がやってきた。大聖堂までたどり着くまで20時間かかることもあった。葬儀の10日後、次の教皇を選ぶコンクラーベが始まり、ベネディクト16世が誕生した。


テレビ番組「世界の絶景100選!3回目」

 2005年1月29日放送。司会は内藤剛志、久本雅美さん。審査員は田中美佐子、高橋英樹、橋田寿賀子、さまぁ〜ず、船越英一郎さん。フジテレビ製作。

●アイスランドのオーロラ
 石原良純、篠原ともえさんが旅をした。幸運が重ならないとなかなか見られない。アイスランドは北海道を一回り大きくしたくらいの大きさで、火山の島。島のあちこちで温泉が湧き出している。ブルーラグーンは世界最大の露天風呂。アイスランドはオーロラが発生しやすいオーロラ帯に国全体がすっぽり入っている。
 レイキャビークからオーロラガイドの専門家シグマル・ホイクソンさんが案内してくれた。オーロラを見るには「北風が吹くこと」が条件だそうです。まずゲイシールに行く。間歇泉が5分に1度の間隔で噴出しました。西風で、前線が南下するというので、北へ向かう。途中、溶岩の大地を発見。アポロ11号のアームストロング船長たちが月面歩行の練習をした場所。4時間かかってオーロラ観測ポイントに到着。テントを張ったけど、風が強くて飛びそうになった。夕食は魚介盛り合わせとラム盛り合わせ。これを焼いた溶岩の上に置いて焼く。深夜12を過ぎて氷点下10度以下になった。午前5時、雲が切れなくてダメ!
 宿泊はレイキャビィーク・グランド・ホテル。翌日は雪。「オーロラ観測ステーション」を訪問。オーロラ発生の仕組みを教えてもらった。太陽の爆発によって起こる太陽風の粒子が地球の地場に引き寄せられ、酸素・窒素などにぶつかって発光する現象。地上数百kmで発生する。E・ヨハネソンさんが太陽活動のグラフを見せてくれた。2日前に大規模な爆発があったので、今晩、地球に届くという。10年に1度の大規模なもので、大規模なオーロラが見れるという。晴れている場所を探して、テントを張った。
 撮影は特殊高感度カメラを使用。夜10時、空が白くなってきて緑色に変化してきて、カーテンのようなオーロラが出現しました。360度に広がるオーロラでした。

●イタリアのフィレンツェ
 井上和香、辰巳琢郎さんが旅をした。500年前のルネッサンス時代のたたずまいを今も残し、「街全体が美術館」の瞬間がある。
 まずはピサに行って、ピサの斜塔を見た。1990年〜2001年は入場禁止になっていた。今は人数制限をしているが中に入れる。ここの頂上はガリレオ・ガリレイが落下の実験を行なった場所。ここでガイドのフランチェスコさんが声をかけてきた。もっときれいなフィレンツェに行きましょう。
 竹野内豊さん主演の映画「冷静と情熱のあいだ」の舞台ともなったフィレンツェは、ピサから60km。ヨーロッパで一番美しいと言われる街並み。建物が世界遺産で、パラボラアンテナまでがレンガ色に塗られている。夕方の4時半に「街全体が夕陽と同時に鐘の音色の魔法に包まれる奇跡の絶景」がある。
 プラダやカルティエ以外にも食事などの誘惑も多い街。ポンテ・ヴェッキオ(古い橋)に行く。500年前の姿を見せているフィレンツェで最も古い橋。美観を守るために、橋の上に店を構えることができるのは、貴金属店のみ。その先にはミケランジェロやレオナルド・ダ・ヴィンチも歩いた細い路地が多くある。サルヴァトーレ・フェラガモ本店に行く。1927年創業の老舗です。井上さんは靴を購入。
 次はサンタンブロージオ市場 Sant' Ambrogio Market に行く。市場の中で食べられる、行列のできる店「ダ・ロッコ da Rocco Trattoria 」に行く。車えびのリングイネ(950円)、ポルチーニ茸のソテー1100円、ジェラート650円をいただいた。イタリアン・ジェラートはフィレンツェが発祥と言われている。
 サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂 Santa Maria del Fiore は街の中心にある。高さ116m、幅153mで約3万人を収容でき、ゴシック建築物ではイタリア最大の高さと大きさ。直径42mの屋根の部分の丸天井には壮大なフレスコ画「最後の審判」(ジョルジョ・ヴァザーリ作)が描かれている。それを上回る絶景がその絵の上に待っている。頂上まで106m、463段の階段を登る。眼下には一面の赤色が広がっています。そして鐘が鳴りました。でも、私の感想だと、画面の色は実際のオレンジ色とは違っていました。

●アルゼンチンの大氷河
 片瀬那奈さんが旅をした。パタゴニアは荒涼とした風景。ロス・グラシアレス国立公園 Parque Nacional Los Glaciares はグラシアレスとは「氷河」という意味。そのクライマックスは青い氷河の尖端が湖に崩れ落ちる瞬間。そこにはミラノ経由でブエノスアイレスに向かい(30時間)、さらにカラファテ El Calafate の町に3.5時間飛んだ。案内人はペドロ・ガラハンさん(48歳)で、氷河の研究家です。
 まずは氷河が溶けて出来た「アルヘンティーノ湖 Lago Argentino 」に行った。氷河が動く時に削った岩石のミネラル成分が混ざるために、エメラルドグリーン(レイチェ・グラシアールと言われる)〜乳青色に濁った独特な色をしている。さらに太陽の光を反射して美しく色を変える。出航から1時間、湖の中に青い氷山が姿を見せた。クルーズ船の3倍。しかし、湖の上のものは3割以下で、水の中に7割以上隠れている。氷河の氷は、透明度が高いので、青以外の色を吸収し、青だけを反射するので青く見える。そして、目の前に世界一美しいと言われる全長35キロの「ペリト・モレノ氷河 Glacier Perito Moreno 」が巨大な姿を現しました。高さ60mは、20階建のビルに相当し、幅は約5km。ペドロさんが「あの辺が崩れそうだな」と言った場所が崩れた!地球が氷河期だった1万年前と変わらない姿をしていると言われています。生きている氷河と言われ、活発に動くと言われるこの氷河は1日に2mも動く。
 氷河の上に行くために、横に船を着けて、林の中を歩く。サイズもすごいが、青色もすごい。滑り止めのアイゼンを履かないと、氷河の上を歩けない。クレバスができて氷河が崩れていくという。氷河の中には青くておいしそうな水があった。氷河の上に立つと、まぶしいが360度のパノラマが広がっていた。かき氷を作って食べましたが、他の観光客もいただいて好評でした(笑)
 青い氷河の崩壊が見られるという展望台に行く。アンデス山脈に降った雪が数万年後に崩壊する時を見る。まわりの気温が高くなってきたら次第に大きな崩落を起こすようになった。待つこと2時間程度。何度も大きな崩落を見ることができました。

●ペルーのマチュピチュ
 保坂尚輝さんが旅をした。幻の天空都市。500年以上前に黄金で栄えたインカ帝国の都市で、95年前に発見された。ロスを経由してクスコに到着した。クスコはインカ帝国によって栄えた町で、500年前にスペインにより滅ぼされた。案内人はラミロ・ペレスさん68歳。愛称は「マチュピチュのパパ」。クスコが標高3360m、ここのサンペドロ駅 Estacion San Pedro から列車に乗る。一番前の特等席を用意してくれた。この列車には酸素ボンベが積んである。ここからアグアス・オリエンテス駅まで100km、3時間30分の旅。車窓にはアンデスの絶景が見える。谷に沿って列車は登っていく。到着したらバスに乗ってくねくね登っていく。道は舗装されていないし狭い。マチュピチュの発見者にちなんで名づけられたハイラム・ビンガム・ロード Hilam Bingham Road という狭く曲がりくねった坂道。昔、ここをグッバイ・ボーイが駆け下りていた。そこから登って、マチュピチュ Machu Picchu の上に到着した。いつ何のために作ったのかわからない謎の都市。
 遺跡は、山から切り出された石でできている。太陽の神殿 Tempio del Sol は位の高かった人のミイラが安置されていたと考えられている。隣の鋭い山ワイナピチュ Huayna Pichu の上からマチュピチュを見た者には幸運が訪れるという。マチュピチュは頂上から見るとコンドルの形をしている。コンドルが幸運を運んでくるという。ラミロさんの代わりにロナルドくん(9歳)が山に連れて行ってくれた。しかし、その道の険しさは想像を絶するもので、薄い空気の中で、高さ300m、最大斜度は60度を越える山を登った。45分で中腹に到着。子供は平気で上って行きました。1時間30分でやっと到着。眼下には右手にマチュピチュの遺跡、真中には棚田のような段、左手にハイラム・ビンガム・ロードが見えた。上から見ると確かにコンドルの形に見えました。そして左手には虹が見えました。

●南アフリカの希望峰
 菊川怜、宇梶剛士さんが旅をした。日本から遥か1万5000kmもの地にある、世界中で最も有名な岬「希望峰 Cape of Good Hope」がある。冒険家バスコ・ダ・ガマが初めてその岬を越え、インド航路を発見した偉業を称えて名付けられた。彼は到着した時上陸できなかったそうです。バスコ・ダ・ガマが憧れていた大西洋とインド洋の2つの大海が出会う喜望峰からの絶景を目指す。二人は香港経由で20時間でケープタウン Cape Town に到着。アフリカ大陸一の発展を遂げた奇跡の街で、テーブル・ベイ・ホテル Table Bay Hotel に宿泊。案内人はレラーニ(32歳)とデービッドさん(43歳)。
 菊川さんは4WDで「インド洋周り」、宇梶はバイクのサイドカーで「大西洋周り」と、別々のコースに分かれて喜望峰を目指した。
 「インド洋周り」の菊川さんは、まず南アフリカで一番美しいと言われるビーチ「ミューゼンバーグ Muizenberg 」に到着。カラフルなおもちゃ箱のようなビーチハウス(海の家?)が並んでいるが、その先はきれいな砂浜が10km続き、海はエメラルドグリーン。さらに車を走らせると「ペンギン注意」の標識。ボルダーズ・ビーチ Boulders Beach に降りてみると、砂浜にペンギンの大群が休んでいました。アフリカ・ペンギンで、体長およそ80センチ。次にペンギンと一緒に泳げる、地元の人しか知らない超穴場の素敵なビーチに連れて行ってもらいました。次にレストランで「ダチョウの卵の目玉焼き」3000円をいただいたが、直径60cmとでかい!大きさ20cm程度の卵は殻の厚さが2mm程度ある。
 「大西洋周り」の宇梶さんは、まず2万羽というケープ・カツオドリ Cape Gannet のいる「ランバーツ・ベイのバード・アイランド Lambert's Bay Bird Island 」に行く。地面が白く見えます。豊富な魚を食べて育つので大きく、全長90cm、羽根を広げると2m近くになるという。次にハウト湾 Hout Bay に到着し、この半島で一番シーフードがおいしいと言われるお店でシーフードを堪能。「ロブスターのキャビア添え」9匹、「大西洋産の生がき」15個をたいらげた。
 どちらも喜望峰の入口に到着。両側は平原な場所を走り抜け、希望峰に到着。岬の上に上がると、岬全体が見えるという。30分?登ると岩場となった。それを登りきると、目の前にはインド洋と大西洋という2つの大海が出会う絶景が広がっていた。

http://www.fujitv.co.jp/zekkei100/


テレビ番組「世界一周“食材の旅”トマトの不思議大紀行」

 2005年1月23日放送。陣内孝則、市毛良枝、森公美子さんが出演。トマトの年間生産量は2001年1億25万トンで、世界で一番多く食べられている野菜。トマトが日本で食べられるようになって100年、世界を巡り、トマトの知られざる物語やさまざまな謎を解き明かす。中京テレビ開局35周年記念番組。

●イタリア・ナポリ
 陣内孝則、森公美子はイタリアのナポリを訪問。イタリアではトマトはポモドーロ(黄金の果実)と呼ばれ、150種類以上もある。マラフロンテ・サルバトーレさん宅を訪ね、トマトソース作りやナポリ風ピザ作りに挑戦。まずトマトを洗い、沸騰したお湯に入れてトマトソースを作る。180kgで6人分の1年分で、甘くて酸味の強いローマ種を使う。洗濯機のモーターを再利用していた。トマトは食べるだけじゃなくて、美容にも使っているという。輪切りにしてパックにも使うという。瓶詰めにしてドラム缶の底から丁寧に積み上げていく。湯をはってじゃがいもを入れて熱していく。生のじゃがいもが煮えたら完成。
 お礼にピッツァ・ナポリターナを作ってくれた。生地にトマトソースをしいて、モッツァレラ・チーズとバジルの葉を散らし、釜で焼きます。ピッツァ・マルゲリータ。
 ほかにイタリアのトマト料理の誕生秘話やトマトの料理以外の活用法などを紹介する。

●ペルー
 市毛さんはペルーのアンデス山脈に行く。ここがトマトの故郷だと言われる。ここでトマトの野生種を発見するために案内してくれたのは、ペルー国立農業大学元教授のビンセンテ・ラズリ博士。ラペルラ・アルタ Laperla Alta という村から先は車で行く道がないので歩いて行く。標高2200mで乾燥した土地です。ここからはロバを使う。この時期は黄色い花が咲いているはずというのを目印に探して見つけた。リコペルシコン・ビルスータムといい、雑草みたいで、実は緑色で親指の爪ほどの大きさ約8mmほど。これで完熟しているといて、食べてみたらトマトでした。根に秘密があるそうで、地面が乾いているので、地中深く張り巡らしている。野生種は多年草で実、茎の毛から空気中の水分を吸収しているそうです。

●メキシコ
 もともとは小さな果実だったトマトがどのようにして世界中に広まったのかを調査するためメキシコへ向かう。鳥によってメキシコに運ばれたという。メキシコ・シティの中央市場でメキシコのトマト事情を探った。
 屋台では鉄板にザク切りトマトを置いて焼いて甘味を引き出し、唐辛子を焼いてモルカヘテという石臼でひき、さらにトマトを入れてつぶして混ぜ合わせる。「サルサ・デ・モルカヘテ」というサルサにして食べる。国立人類博物館には4500年前の遺跡から発掘されたモルカヘテがある。このサルサを使ったものがタコス。牛肉を焼いて、メキシコ人の主食、とうもろこしの粉から作ったトルティーヤにはさんで、サルサをかけて食べるのが伝統的な食べ方。「牛肉のサルサ」Tacos de Bistek 。
 有名なレストラン「アローヨ Arroyo 」に行く。ここでは100種類以上のサルサが用意してある。サルサはメキシコ料理の全てに使われる味の決め手。中でも最高傑作といわれているのがサルサモーレ Salsa Mole で、丸ごとトマトを焼いて、唐辛子とミキサーにかけ、仕上げにビターチョコを加えたもの。「鶏肉のモーレ・ソース」 Pollo en Mole は代表的。

 チャピンゴ自治大学の植物遺伝子学のヘスース・クエバス教授の話では、1万2000年前にトマトの栽培が始まり、アステカ時代(1300年代 -1524年)に大きくなったと考えられる。今では観光地として知られる水郷地帯ソチミルコにアステカ時代のハイテク農法が残っていた。

●メキシコ ソチミルコ
 ソチミルコ Xochimilco では、川の底の泥をすくって畑にもっていって育てる。アステカの都は今のメキシコ・シティだが、当時は沼地だった。アステカの人は高度な技術で沼の上に畑を作っていた。チナンパと呼ばれる人工の畑は、葦で編んだイカダで作られた。湖の水を吸い上げ、栄養分を取り込んだトマトは実が大きくなって進化していった。
 ここの畑でほおずきみたいなものを渡された。中には緑のトマトが入っていた。トマテベルデ(食用ホオズキ)という。

 1521年スペイン軍が侵略してきた。第三次探検隊長エルナン・コルテスが率いるスペイン軍がアステカ帝国を滅亡させた。こうしてとうもろこし、じゃがいも、唐辛子、トマトなどの食材はヨーロッパ大陸に運ばれた。

●スペイン
 500年前に入ってきたときには、当時の植物学者たちはマンドラゴラ(毒草)というナス科の植物の仲間だと判断していた。それで食べられることはなかった。貴族の庭園で赤色を増しながら、鑑賞用として栽培された。当時の庶民は飢えに苦しんでいた。庭師があまりの空腹に食べてから食べられるということがわかった。スペインでは長くて重量感があるベラ種が多く、実が実る頃に葉が枯れるので、茎ごと抱え上げて振って、トマトが落ちるので採取している。

●スペイン セビリア
 セビリアは、当時新大陸地域の独占貿易地。陣内孝則さんはバル Bar を訪問。ここの一番人気の料理マグロ・コントマテをいただく。マグロとはブタの赤身のこと。これをバジルで炒め、トマトソースでいただく。「豚肉のトマト煮込み Magro con tomate 」。次は「フラメンカ・エッグ Hucbosa la framenca 」で、野菜を炒め、それにトマトソースを加え、最後に生卵を2つのせて炒めたもの。たまごを潰して混ぜて食べる。半熟の卵がおいしさを引き立たせているようです。スペイン料理の90%以上にトマトが使われているとか。

●スペイン ブニョール
 アンダルシア地方のブニョール Bunol は人口1万人の小さな街。建物の壁をビニールシートで覆い、4万人が集まった。年に1度のトマトを投げ合う奇祭「トマト祭り」に参加。町が提供した120トンのトマトを投げる。みんな上半身ははだかです。喧嘩も起こり、ケガ人が毎年出るそうです。60年続いているとか。1時間後に花火の合図で終了。

●スペイン イスラ・クリスティーナ
 スペイン南部の大西洋に面した漁港イスラクリスティーナ Isla Cristina では、鍋にオリーブオイル、野菜、お米、水を入れて、トマトソース、シーフードをそのまま入れていって、揺すりながら熱を加えた、トマト味の炊き込みご飯。食前酒としてアルコール度25度のリキュールを飲んだ。次は取れたてのサバにトマトソースを加えて炒めた「サバとトマト煮込み Gaballa con tomate 」はサバの臭みが抑えられていた。

●イタリア・ナポリ
 ナポリでは黄金期を迎えた。森さんと陣内さんがナポリタンを食べる。「リストランテ・プレビッシート Ristorante Plebiscito 」では、生のトマトを切り、オリーブオイル、にんにく、バジルを入れて炒める。これにスパゲッティを加えて絡め、バジルをかける。「トマトのスパゲッティ Spaghettial pomodoro 」。パスタにトマトがからんだところでトマトの人生が変わったのだろう。
 1750年頃、ナポリの天才料理人ビンセンソ・コラード Vincenzo Corrado が料理にトマトを活かした。彼の書いた料理本がナポリの国立ヴィットリオ・エマヌエーレ3世図書館にある。1773年に出版されたその本「粋な料理人 Il guoco galante 」は今でもイタリアの料理人のバイブルとされている。彼はトマトはソースとすることで、パスタなどの食材と無限に組み合わせることができる調味料だと書いています。うまみ成分のグルタミン酸が多いトマトソースは肉や魚介類の旨みを引き出すという。
 2001年のトマトの年間消費量は日本人は一人あたり8.9kg、イタリア人は63.6kg。

●イタリア フォジア
 イタリア最大のトマト生産地フォッジア Foggio を訪問した。ローマ種は細長く、水気が少なく、甘味と酸味が強い。トマトは収穫車で収穫していた。トマトは加工用トマトの缶詰工場に集められた。水の中で洗い、高温の蒸気で蒸して皮をむく。4000人の人が皮をとったり完熟してないのを除いている。ジュースと缶詰にして、ロシア、南アフリカ、日本にも送られている。
 ここで日本人に出会った。元イタリア日本大使館料理長の石橋尚之さん。今は東京をはじめ全国19件のイタリア・レストランの総料理長。毎年イタリアのトマトの味を確認してきている。

●イタリア ソレント
 石橋さんのトマト料理の名店を紹介してもらった。ソレントの5つ星「リストランテ・ドン・アルフォンソ1890 Ristorante Don Alfonso 1890 」で、ここに世界中のシェフが一目を置く天才シェフがいる。野菜の魔術師イアッカリーノ・アルフォンソさん。トマトは海に面した日当たりのよい畑でシェフ自らが栽培している、細長い「トマトの帝王」サンマルサーノ種。サンマルサーノをタマネギ、ニンジン、セロリと一緒にワインで煮詰める。豚肉を叩いて薄くしたものにニンニクのミジン切り・松の実・干しブドウ・パセリなどをのせて巻き込んだものをオリーブオイルで焼く。これをトマトソースに入れて軽く煮る。「焼いた豚肉のサンマルサーノソース Braciola di majale con salsa di sanmarsano 」は普通のトマトだと水くさくなる料理が、見事においしいそうです。

●イタリア・シチリア島
 南部のパッキーノ Paccino ではイタリアで一番うまいというパッキーノ・トマトがある。石橋さんと森さんが訪問。真っ赤なプチトマトが大地に並べてあって太陽に当てられている。ドライトマト Pomodori Secchi で、EUで指定されていて、ニセモノも出回っている。収穫したトマトは切って、切り口を上にして、シチリア産天然塩を高いところから均一に振り(甘味を出し、殺菌効果がある)、天日に4日間干す。シチリアはマグロも名物で、伝統のマグロ漁はマッタンツァと呼ばれる追い込み漁。
 「リストランテ・ラジャーラ」Ristorante La Giara では入口にマグロとパッキーノ・トマトが置いてある。オーナー・シェフのバルバガッロ・カルメロさんはトマトとマグロ料理ならまかせなさいと言う。たまねぎを炒めてから生のパッキーノトマトを加え、魚からとったスープを加え、さらにドライトマトを入れてソースを作る。マグロは薄く切り、パン粉をつけて油で揚げる。これを先ほどの酢・砂糖・塩・胡椒などで味付けしたソースに入れて完成。「マグロとドライトマト甘酢風味」 Tonno Rosso Agrodolce 。

●世界のトマト料理
 フランスではトマトはポモダモール(愛のリンゴ)Pomme D'amour と呼ばれている。トマトの上を切り取り、中をくりぬいて、果肉は刻んで合挽き肉、パセリ等と混ぜ合わせてトマトの器に入れ、上にパン粉をまぶして、オリーブオイルをかけてオーブンで焼く。「トマトの肉詰め」Tomate Fareic 。

 トマトの生産量が世界一の中国では、トマトは西紅柿(フォンス)と呼ばれている。強火で炒めて豚の挽肉を入れ、火が通ったところで卵を炒めてトマトケチャップで味付けする。最後に紹興酒で香りづけ。「番茄肉○炒蛋(○は幺2つの下に横棒が1本)」トマトと豚肉と卵の炒め物。中国ではトマトは卵と組み合わせることが多い。中国人が大好物の家庭料理です。

 タイではまずトマトと野菜と魚介類とライス麺を炒め、オイスターソースとナンプラーで味付けし、最後にミニトマトを加えて、軽く炒めると完成。「パットキーマゥ」タイ風やきそば。

 アメリカでは、ホットドッグやハンバーガーにつけるケチャップ消費量が3億リットルとダントツの世界一。ケチャップは完熟トマトに酢と砂糖を入れたもので、ナポレオンが遠征の際に携帯したトマトの瓶詰がケチャップの起源だという。アメリカでは南北戦争や西部開拓時代に携帯食料として発展した。

 日本では、トマトは愛されている野菜の第一位。野菜の売上は1位トマト、2位キュウリ、3位キャベツ、4位ネギ、5位タマネギ。日本に初めて渡って来たのは17世紀。食べられるようになったのは1883年の鹿鳴館時代から。1908年にケチャップの国内生産がスタートしてから一般に広まった。チキンライスと共に有名となった。品種改良によって1981年最高傑作の「桃太郎」ができた。最近人気なのは「完熟トマト」。

●トマトの成分
 ヨーロッパではトマトが赤くなると医者が青くなると言われている。トマトの主な成分はリコピン、カルシウム、ビタミンA、ビタミンB1、ビタミンB2、ビタミンC,マグネシウム、鉄分。今注目されているのは、赤い成分でもあるリコピン Lycopin 。北里大保険衛生専門学校の井上正子教授はトマトの成分が医薬の上ではなくてはならない存在になっているという。


テレビ番組「システィーナ礼拝堂修復10周年記念作品 ルネサンス時空の旅人」

 2004年11月3日放送。原田美枝子さんが案内。損保ジャパン提供、日本テレビ製作。

●ヴァチカン市国
 毎年世界じゅうから何百万人の巡礼者や観光客が訪れる。9億人の信者を抱えるカトリックの総本山であり、キリスト教初代教皇が眠る聖地でもある。
 世界最大の教会「サン・ピエトロ大聖堂」は6万人を収容でき、用いられている柱は500本。ここは神が住む天と人が住む地を結ぶカトリック教徒の信仰の象徴です。
 ここにはまた歴代の法皇が収集してきた美の蔵「バチカン美術館」があります。人々が目指すのは13年の年月をかけて修復し、500年前の色彩が蘇ったミケランジェロ・ヴォナローティの大壁画。
 500年前は神聖ローマ帝国としてドイツの支配下にあり、スペインやフランスも職種をのばしていた。法皇は2つの決定を行なった。一つは世界的に布教すること。これによりフランシスコ・ザビエルなどがアジアに向かったりした。もう一つは不滅の祭壇を製作すること。60歳になったミケランジェロにシスティーナ礼拝堂に最後の審判を描かせた。高さ140mのサン・ピエトロ寺院はミケランジェロの設計。1981年に、20世紀最大の文化事業と言われた壁画修復が開始された。雨漏りやすす、後世の間違った修復で汚れていた。
 ミケランジェロはナヴォーナ広場、トレヴィの泉、パンテオンなどミケランジェロはいろいろなものを残している。

●フィレンツェ
 ミケランジェロ、ラファエロなどが活躍したが、メディチ家が資金を提供したから。ミケランジェロは1475年に生まれた。当時はロレンツォ・ディ・メティチが統治していた。繁栄する都市生活は人々の生活を変えていった。ウフィッツィ美術館にはルネッサンスの名品が並ぶ。レオナルド・ダ・ヴィンチの「受胎告知」、ボッティチェルリの「ビーナスの誕生」など。
 14歳のミケランジェロはロレンツォに見出され、芸術だけでなくギリシャ哲学、古典文学も学んでいった。15歳の処女作「階段の聖母子」は薄い浮き彫りで、深みのある表現を見せた。16歳の「ラビタイ族とケンタウロスの戦い」には肉体の乱舞を通して、見事なヒューマニズムの精神が表現されている。17歳の時、1492年ロレンツォが亡くなり、コロンブスがアメリカ大陸を発見、イベリア半島南端で最後のイスラム王朝の滅亡があり、ヨーロッパの情勢が急変した。1494年フランス軍はフィレンツェを攻撃し、修道士サヴォナローラが政治を支配したが、後に彼は刑場の露と消えた。
 ピエタは25歳の時のローマでの作品。悲しみのマリアの姿にミケランジェロの名前はイタリアじゅうに轟いた。1501年ミケランジェロは新しい共和国となったフィレンツェに戻った。1504年フィレンツェのシンボルとしてのダヴィデ像を完成させた。ダビデは初めて民族を統一したと旧約聖書にあった。敵に向かう若きダビデを描いて、フィレンツェ市民に勇気と希望を与えた。

●ローマ
 1505年ローマ法皇ユリウス2世によってローマに呼び戻された。最初は40体以上にも及ぶ巨大な彫刻からなるユリウス2世の霊廟の製作だったが、システィーナ礼拝堂に巨大な壁画を描くように命令した。
 壁画を修復したフレスコ画修復の世界的権威ジャンルイージ・コレルーチさんは、ミケランジェロの色彩と筆使いが素晴らしいと言う。ルネサンスの精神、ミケランジェロの芸術性に圧倒された13年間だったという。

 システィーナ礼拝堂は奥行き40m、幅13m、高さ20m。これは3000年前ソロモン王が建てたと言われる神殿と全く同じサイズで作られた法王の聖なる礼拝堂です。33歳から4年の歳月をかけて作製したルネッサンス最高作品。それまで1000年続いていた中世の価値観を変え、新たな時代の幕開けを告げるものだった。あまりに有名な「アダムの創造」をはじめ、「楽園追放」、ロダンの考える人に霊感を与えたといわれる「預言者エレミア」。人間が考えることはこんなにも素晴らしかったのか、ミケランジェロは思考する自我の発展と重要さを高らかに美しく表現した。疑ってみること、解釈してみること、それがルネサンス、それが人間なのだと。ミケランジェロの作品は謎が多く、今でもその信念が充分には解明されてないといわれる。人類の崇高な物語と並んで、神を裏切った貧しい人間たちを、時の権力にひるむことなく堂々と礼拝堂に登場させ描いてみせた。「ノアの大洪水」には滅びる悪人であるはずなのに、子供への愛、家族への愛、人間全てへの愛が画面いっぱいにひしめくように表現されている。

 壁画が完成した翌年、ユリウス2世は亡くなり、継いだのはメディチ家出身のレオ十世で、彼もローマの発展に力を注いだが、資金集めのために免罪符を発行した。ミケランジェロはフィレンツェに追われた。免罪符を買えば、この世の罪は許され、天国への道が近くなるという。人々の生活が貧しくなり、ドイツのマルチン・ルターは宗教改革の口火を切った。カトリックの一枚岩は破壊され、法皇の威信は揺らいだ。1519年神聖ローマ皇帝カール5世がドイツとスペインを統合し、フランスではフランソワ1世が絶対王制を確立した。1521年レオ十世が亡くなり、クレメンス7世が即位したが、1527年5月6日、神聖ローマ帝国にローマが略奪された。多数のルター派からなる兵士により、システィーナ礼拝堂は対象となり?、数万人が殺害された。2年後、ドイツ皇帝とローマ法皇との間に和睦が成立し、フィレンツェはメディチ家に戻されることになった。

●フィレンツェ
 フィレンツェの防衛軍の司令官としてミケランジェロは防衛した。サン・ミニアートを攻めてくると思い、難攻不落の城壁を構築し、メディチ家と戦った。
 今は美術館となっているミケランジェロの家「カーサ・ヴォナローティ」には当時の図面が200点残されている。学芸員のエレナ・ロンバルディさんが説明してくれたが、星の形をした要塞は当時としては斬新なもので、どこからでも攻撃できるとして、後世に影響を与えた。函館の五稜郭もその一つ。しかし、攻撃が早く設計は実現しなかった。
 1530年8月フィレンツェは降伏した。占領軍指揮官バッチョ・ヴァローリの報復は残虐なものだった。逮捕されたミケランジェロの友人や仲間たちは公衆の面前で処刑された。ミケランジェロはサン・ロレンツォ教会の地下室に隠れていた。その場所も発見されたのは29年前で、観光客が増えたので、新たな出口を作ろうとして壁をきれいにしようとして壁土を削っていたらデッサンが出てきたという。クレメンス7世は子供の頃、ミケランジェロと遊んだ幼なじみだったので、罪を許した。権力者に屈した屈辱感、友達を犠牲にしたという罪悪感にさいなまれ、流れ行く時を象徴するものとして、メディチ家礼拝堂の建設をした。横たわる4体の像、曙、昼、たそがれ、夜は1日も人生も示している。
 1535年、反宗教改革の中で、新法皇パウルス3世は人々の魂をゆさぶる祭壇「最後の審判」を製作するように言う。カトリック教会の命運をフランシスコ・ザビエルに託し、世界布教を命じた。

●ローマ
 ザビエルは日本人を高く評価した最初の西洋人だという。ジェズ聖堂にはザビエルの右腕が安置されている。古代の使徒パウロにも劣らないとされている。イエズス会本部にはザビエルの資料が保管されている。トーマス・レディ神父が説明してくれた。ザビエルが出した手紙は137通にも及んだ。2年の日本への滞在の間にいろいろな技術(土木技術、印刷技術、時計、めがね、ぶどう酒)を日本へ伝えた。ザビエルは中国に渡り、風土病に犯され、40年あまりの短い生涯を閉じた。

 「最後の審判」は地獄の口が祭壇の上で大きく開いているような恐るべき光景。キリスト教徒にとっては刑罰の日でもあり、慈悲と救いの日でもあった。宗教改革の中で、ミケランジェロは今までないような絵を描いた。ヘラクレスのような英雄キリスト。何人もひきこまれ、誰が地獄に落ち、誰が天国に行くのか。何が真実であり、何が真実でないのか。剥ぎ取られた生皮はミケランジェロだと言われてきた。
 62歳のミケランジェロは未亡人ヴィットリア・コロンナと出会う。二人はひかれあい、ミケランジェロは多くの詩を残している。彼は「最後の審判」の聖母マリアにヴィットリア・コロンナの面影をとどめた。最後の審判はあまりにも多くの裸体のため、誰が天国に行き、誰が地獄に行くのかわからないということ、若く力強いキリストに対して、最初から非難を浴びていた。
 15世紀にできたカンポ・ディ・フィオーリ(花の広場)は元は花咲く草原だったという。16世紀から17世紀にかけては反宗教改革者に対する処刑場でもあった。「最後の審判」は異端の疑いをかけられた。パウロらの使徒も恐れの表情で描かれている。マリアでさえなす術もなく、顔をそむけている。人間は誰でも後ろめたさを持っている。聖人でも普通の人でも神への恐れは同じではないか?というのがミケランジェロの考えだった。非難の中でパウルス3世のみかばった。ペテロはパウルス3世がモデルだった。その顔を見てパウルス3世は「私は罪びとなのだ」と語ったという。後世には相当修正が入れられていたが、今回の修復で元に戻された。高さ15m、横13mの最後の審判ははるか遠く、宇宙への広がりを感じさせてくれます。

 「私はおおいなる罪びとだ、そして人間は誰でもそうなのではないか?」というミケランジェロの悲痛な声がこだましているように思われた。

 カンピドーリオ広場。ローマの都市計画の責任者となり、70歳を過ぎてからこの広場を設計した。斬新で優美な星型の模様。続いて城壁の門、古代遺跡を利用した大聖堂などを設計した。サンピエトロ大聖堂のクーポラの設計が完成したのは72歳の時。50年前から試みられていたが、それ以前のラファエロらの4人の芸術家はクーポラにことごとく失敗していた。
 1564?年2月18日、89歳で亡くなった。孤独感と罪悪感、悲痛なまでの神への渇望が彼の芸術を高く押し上げていったのではないでしょうか。ミケランジェロとの出会いは自分を見つめ、自分を出会うことでもあるのです。

 1994年4月9日システィーナ礼拝堂修復完成。修復とは、偉大な過去の芸術を回復させ、未来へ責任を持って伝えることです。


テレビ番組「世界の絶景100選U」

 2004年7月31日放送。前回は1月31日で、スイス・マッターホルン対アメリカ・モニュメント・バレー。中国・桂林対イタリア・ベニス。ドイツ・ノイシュバンシュタイン対フランス・モンサンミッシェルでした。フジテレビ製作。

●ナポリ・青の洞窟
 森久美子さんが「世界一神秘的な洞窟」として紹介。24年前にイタリアに留学してカプリ島を目指したが、一度も見てない。ナポリのホテル・パラディッソに宿泊。アルベルト・カプーロさん42歳が案内してくれた。彼のひいおじいさんはオ・ソレ・ミオの作詞者ジョバンニさん。
 30km離れたカプリ島に1時間かけて行くと、マリーナ・グランデでは満潮だからダメだと言われた。仕方なく589mのソラーロ山にリフトで登る。約10分で山頂に到着。港から青の洞窟に行ってみた。入れる条件は、晴れた日で、引き潮の時間で、波と風が穏やかな時です。5年前から水位が上がってきていて、なかなか中には入れない状況になっているそうです。波が高くて、今日は無理でした。と言っても、この10日間天候が悪く、誰一人として入ってなかったそうです。
 「ダ・ジェルソミーナ」というレストランで食事。「車えびのオリーブオイル・ソテー」。翌朝9時に再度挑戦して内部に入れました。感涙して、オー・ソレ・ミオを歌いました。太陽の光が海底の石灰岩に反射して、洞窟が青く輝いているのです。

●ヨセミテ・世界一の岩
 アメリカ合衆国には57箇所の国立公園があり、アメリカの全国民が世界一美しいというカリフォルニアの国立公園。内山理名さんが紹介した。サンフランシスコから自分が車を運転して5時間で到着。案内人はマイケル・ロスさん52歳。
 世界一大きな一枚岩「エル・キャピタン」が背後にあった。高さ1095mで、世界中のロッククライマーの憧れ。頂上まで3日かかるそうです。「ミラーレイク」は大きな2つの岩・青い空・緑の木々が湖面に写っています。春の雪解け水の時に可能だそうです。夏は水垢で見えなくなるそうです。最後の絶景は2時間のトレッキングが必要。カリフォルニア・ジリスがいた。1時間登ったところからは手をつかないと登れないくらいになった。ポイントに到着。右にハーフドームがあり、谷がそちらにひとつ、左側にも谷があり、目の前には大きな滝がありました。

●オリエント急行
 イタリアのベニスから1泊2日で、オーストリア、リヒテンシュタイン、スイス、フランス、イギリスへの旅をする。中尾彬、小沢真珠さん。サンタルチア駅で見てみると青い車体です。案内人はブルーノ・ジャンセンスさん40歳。タオルはアメニティもオリエント急行オリジナル。午前11時10分出発。
 早速フランス料理のランチ。前菜は「スモークサーモンのアボカド添え」、メインは「鴨のレモングラス風味生姜添え」、デザートは「フレッシュマンゴとお米のココナッツミルクプディング」でした。午後1時半に国境を通過。左側の窓にアルプスの絶景が見えた。車内にはオリジナル・グッズを売るお店もある。小物入れは1.9万円、時計は9.5万円、人気のホイッスルは2800円。午後7時にリヒテンシュタインを4分で通過して、スイスに入った。
 夕食には中尾さんから小沢さんに花束のプレゼントがあった。乗車する際に注文したそうです。前菜は「石もちとアンチョビのサフラン・リゾット添え」、メインは4時間じっくり煮込んだ「牛肉のトスカーナワイン煮、フォアグラ添え」、デザートは「3種のチョコレートとオレンジリキュールカスタード」。ディナーの後は、サロンカーで一杯やりながら、ピアノ演奏を聞いた。オリジナル・カクテル「アガサ・クリスティ」をいただいた。部屋に帰るとベッド・メイキングしてあった。
 午前5時フランスに入り、午後1時25分にカレーヴィルに到着。ここで列車とお別れして、バスに乗りかえ、これがコンテナに入って、ドーバー海峡を越える。イギリスでは茶色と黄土色のプルマン車両に乗り換える。オードリー号はエリザベス女王のお気に入りの車両です。ロンドン・ビクトリア駅に午後5時に到着。約1800kmに及ぶ絶景の旅でした。費用は一人26.9万円です。

●エジプトのピラミッド
 勝俣州和、金子貴俊さんが紹介。ピラミッドは町から目と鼻の先にある。宿泊はル・メリディアン・ピラミッドだったが、ここからもピラミッドが望める。歩いて行けます。案内人はナスル・A。アールさん38歳。
 2004年一押しの絶景は、ケンタッキー・フライド・チキンとピザハットのお店の3階。ここからは、正面にスフィンクス、後ろに3つのピラミッドが見える。
 次は140年前の1864年に日本人が初めて写真を撮った場所に行く。スフィンクスの右肩の位置で幕府から派遣された使節団26名?が写真を撮ったという。二人は武士の姿になって観光客を斬りました(笑)
 クフ王のピラミッドは底辺230m、高さ147m、石の数300万個。西暦820年にアル・マムーンという王様がピラミッドの中に初めて入ったときの入口からみんな中に入っています。昔はなかった入口です。入ると階段を登り、大回廊と呼ばれる高さ8m長さ50mの通路があります。その先が王の間。
 4500年前と同じ風景を見る。街がピラミッドまで近づいた現在のエジプトでは建物を見ずにピラミッドだけを眺めるのはとても難しい。車も多い。全く見えなくなる場所がある。そこは気温40度以上の砂漠の中。2時間歩くと、その場所があった。小さいピラミッドのその先のようで、大きさがほぼ均等に見えました。手前に小さいのが3つあって、その後ろに3つのピラミッドが見えました。街は見えませんでした。

●中国・泰山 世界一の大階段
 中国の人が一度は見てみたいというご来光。そのためには7412段の石段を登らないといけない。MEGUMI、KABAちゃんが紹介した。上海経由で済南へ5時間、さらに車で1時間で泰安市に到着。案内人は劉剣さん27歳。サンシャイン60ビルで階段が1204段なので、6個分(笑)最初の2000段は傾斜は急ではない。泰山せんべい5元(70円)を売っている。中国版クレープ風で具はネギ(笑)ネギの効能は乳酸を分解して疲労を回復する。1時間で1000段通過。2500段に中天門がある。ここの人気のお店は刀で麺を削る刀削麺20元(280円)。
 ここからは1500段の最大の難所「十八盤」。これを越えて、心臓破りの階段。最後は最大斜度50度を越える難所。8時間で6500段南天門に到着。この時、夕陽が沈みかけていました。残り900段は暗闇の中を登った。10時間で到着。山頂の食堂でご来光を待つ。
 午前4時、500人以上の人がご来光を待つ。5時、茜色に染まり、太陽が昇った。

●ベネズエラ エンジェルフォール 世界一の落差を誇る滝
 高すぎて、水が霧となってしまい、滝壷がない。地図に記載されていない秘境「ギアナ高地」にある幻の滝「エンジェルフォール」を有坂来瞳さんが紹介。カラカスからカナイマまで飛行機で行く。案内人はマターソンさん36歳。
 まずジャングルの中を川まで車で移動。横幅100mのアチャの滝も絶景ですが、土色に濁っています。この頃は水量が多いそうです。日本を出てから4日目やっとボート乗り場に到着。ここからボートで川を80km上ります。川の両岸はジャングルで、水量も多く、急流が多い。5時間で休憩。上陸し、最後の村で昼食。ベモン族の村で、バナナの皮の屋根に土壁の家。白アリのローストを食べさせてくれたが、有坂さんは食べられませんでした(笑)
 目の前にテーブル・マウンテンが見えてきました。100以上もあって、2000m級の高さです。気温は33度。エンジェルフォール直前の宿営地に到着。しかし、トタン屋根だけ(笑)ハンモックで寝ました。
 翌朝、5時間のトレッキング。川も渡り、ジャングルの中を歩きました。世界一の滝エンジェル・フォールが目の前にありました。落差977m。滝の落ちる場所ははるか雲の上でした。

http://www.fujitv.co.jp/zekkei100/index.html


テレビ番組「イタリア式街の愛し方」

 2004年7月18日放送。イタリアには毎年5000万人の人々が訪れる。どこに街の魅力があるのか?それを見つけるために、安藤忠雄、奥田碩さんがイタリアを訪問。NHK製作。

●ローマ
 スペイン階段。観光客はみんな腰をおろし、ひと時、ローマの町を眺める。ここからの景観は建物に厳しい規制があるからできている。イタリアの首都でありながら、近代的なビルはなく、歴史的な建物で成り立っている。第二次世界大戦後に、住民は周辺に住み、中心は住民が減り、治安が悪化したので、街並みを保存するという試みがなされた。建物の取り壊しや建て替えは一切禁止し、外側を修復し、中は新しくするようにした再生建築を奨励し、外観の改築などについては、厳しく規制された。商店の看板なども厳しく規制され、ネオンサインも使えない。
 シーザーの時代に建てられたマルチェロ劇場を訪問した。15世紀に貴族が住宅として使用していた。ここを3年前に再生工事して人が住んでいる。ファビアーノ・レベッキーニさん宅。屋上からの景観は素晴らしいものでした。

 ローマ市中心街・住民協会では、住民が住みやすい街づくりに努めている。ローマ市は個性ある商店街を作ろうとしている。ショッピングも観光の目玉になっている。パンテオンに近いパスティーニ通りでは、4年前から再開発され、今ではお土産通りとして観光客に人気がある。コンドッティー通りは、高級ブランド店を集めたブランド街。トマチェッリー通りは、再開発中で、若者向けのブティック街を目指している。
 また、店員の腕前が売上に貢献している。

●ベネチア
 街の中に出かけたくなる仕掛けがたくさんあると安藤さんは言います。サンマルコ広場は、ナポレオンが世界で最も美しい空間と賛美した場所。カーニバルが開催されます。またこの広場はカフェ発祥の地であり、ドイツの詩人ゲーテなどの多くの著名人がカフェの常連でした。
 フェニーチェ劇場は8年前に火災で焼けたが、修復工事が行なわれた。総工費330億円、本物の金を使い、職人芸を駆使した豪華絢爛のオペラ劇場です。この劇場はベネチアの人々にとっては宝物だと言われている。
 迷路のような細い路地を散歩すること。足の向くままに歩くのがベネチア風の散歩。

●キオッジャ
 ベネチアの南にある町。午後5時から8時まで、車の進入が規制される歩行者天国が実施されるが、どこに行くともなく、数往復している人も多い。この散歩はパッセジャータと呼ばれる古くからの習慣です。みんな人と出会うのが楽しいという。

●まとめ
 パーク・アンド・ライドやパーク・アンド・ウォークの仕組み作りが大切だという認識になりました。
 それぞれの街でプライドを持てる街づくりができるかどうか、自分の町はこういうのがいいんだ!と言えるかどうかが、ポイントになるのでは?と安藤さんは言ってました。


テレビ番組「エコウィークエンド・スペシャル〜水に抱かれた楽園」

 2004年6月6日放送。田中美佐子、伊達公子、相田翔子さんが出演。水をテーマに、水がもたらす恩恵や不思議さ、知られざる性質などを世界各地を訪ねながら紹介する。フランスからは伊達公子が、水の町として有名なビッテルを訪れ、ヨーロッパと日本の「水」に対する考え方や価値観の違いを検証する。イタリアのファラ・サン・マルティーノからは相田翔子が、世界一と名高いパスタと、そのおいしさの裏にある水の硬度について探る。また、田中美佐子は静岡県の伊豆下田から"バーチャル・ウォーター"に頼る日本の現実と、世界各地で起きている水不足の問題を伝える。日本テレビ製作。

●食と水 イタリア
 ローマから東に車で3時間、アグレッツォ州の山間の小さな町、ファーラ・サン・マルティーノ。国の保護地区の指定した自然公園の中にある町。世界一おいしい幻のパスタが作られているという。相田翔子さんが訪問したのは、ジュゼッペ・コッコ Giuseppe Cocco の工場。職人技による少量生産にこだわっているので、イタリアでも入手しにくい。工場長のジュゼッペ・コッコさん76歳が案内してくれた。パスタを作り続けて50年。味の秘密は水だという。標高2800mのモンテ・アクア・ヴィーヴァ Monte Acqwua Viva (生きている水の山)を流れるヴェルデ川(緑の川)の湧き水である。長い間かかってろ過した湧き水が流れている。川は透明で緑色にも見える。水温は10度で、さらに含まれるミネラル分(MgやCa)が良質のパスタを作るのに欠かせない。これがグルテンの劣化を防ぎ、コシのある食感と小麦本来の風味を引き出す。
 長さ1mのスパゲッティ・エキストラが特徴がある。表面がザラザラしている。それがソースを絡みやすくしている。1本1本均等に押し出されて、1mに切られ、45度のドライルームで2日間低温乾燥される。
 工場の隣町のレストラン「サンタ・キアラ Santa Chiara 」でパスタをいただいた。茹でるときもモンテ・アクア・ヴィーヴァの水が使われていた。ミネラル分が豊富でないと、パスタが余分な水分を吸ってしまい、アルデンテの食感は生まれないと、シェフのスコッティ・デルグレーコ・ドメニコさんは言う。これにオリーブオイルとパルメザン・チーズだけであえたスパゲッティ・コン・オーリオ・パルメッジャーノ。噛めば噛むほど、粉の風味が広がるそうです。

●フランス ヴィッテル村
 伊達公子さんは選手の頃から、ヨーロッパで食器を洗うと手がカサカサになることを体験していた。これは硬水が原因。スーパーでもミネラル・ウォーターは飲みやすい水を探すのがたいへんだそうです。伊達さんは表示を利用して軟水を選んでいる。硬度100以下は軟水、100−300は中硬水、300以上は硬水です。日本ではミネラル・ウォーターは360種類、フランスは63種類。フランスでは一つの水源から、1種類のミネラル・ウォーターしか作れないように法律で定められている。
 そこで、フランスの北東部ロレーヌ地方のヴィッテル村に行ってみた。ここは国の水源保護区域に定められている。水汲み場は無料で水が持っていけるので、みんな利用している。水道の水はみんな飲まない。
 ヴィッテル工場に行ってみた。源水をそのままボトリングしていた。工場内にはプロダクト・テクノロジー・センターがあり、ミネラル分や微生物の検査が行なわれている。周囲の村の5000ヘクタールの土地は保護区域で、土壌の汚染が起こらないように、厳しい規制が設けられていて、許可なく建物を建てることはできない。道路もガソリンがこぼれても地中に染み込まないように、アスファルトの下に特殊なシートを敷いてある。除草は農薬を使わず、熱で処理している。また、テントウムシを使い、アブラムシなどの害虫駆除を行なっている。

●家庭料理
 土地ごとの名物料理。フランスの伝統的な家庭料理の味、野菜と肉をコトコト煮込んだポトフ Potaufeu 。スペイン料理といえば、サフランたっぷり、魚介類たっぷりの炊き込みご飯パエリア Paella 。イタリアではチーズの香り豊かなリゾット Risoto 。これらヨーロッパを代表する家庭料理は共通点を持っている。

●イタリア カンパリア地方
 ローマ郊外カンパリア地方。昔ながらの家庭料理を提供するリストランテ「イル・ポスティリオーネ Il Postiglione 」。ローマ郊外にも関わらず、お客さんがたくさん来る。イーダ・ナタルッチさん78歳、この道50年の大ベテラン。共通点はビーフスープ、野菜スープ、チキンスープだという。水道水を使うとせっかくの肉が硬くなったり、お米がパサパサになってしまうという。だから水を一度スープにしてから料理をする。アクが出るのでそれを取れば、軟水になるという。リゾットは野菜のスープ・ストックを使うが、それでお米に野菜のうまみが染み込んでいくという。北イタリアの伝統的な家庭料理、仔牛の煮込み料理スペッツァティーノは、下味をつけた仔牛の肉を玉葱や人参とオリーブオイルで炒め、ほどよくなったところで、ビーフ・ストックを入れる。それから2時間炒めて、口の中でとろける仔牛料理となる。イーダさんの自慢料理、スペッツァティーノ。

●日本
 日本は軟水。豆腐は90%が水なので、水が大事。京都の地豆腐「久在屋」のご主人・東田和久さんは、丹波産の大豆に最もあう軟水の「愛宕の水」があるから、ここで豆腐作りをしているという。京都の西の愛宕山は水温12−13度の軟水。この地下水を利用している。まず6−7時間かけて大豆に水を含ませることが最も大事。この時カルシウムが多い硬水を使うと豆腐が硬くなるために軟水が欠かせない。愛宕の水のいいところは、豆の香りを邪魔しないことだそうです。
 ご飯も軟水で炊くとおいしい。おいしさの指標は、炊き上がったご飯の水分量がある。比較してみると、軟水だと62%、硬水が54%だった。カルシウムがお米が水分を吸収するのを妨げるからだそうです。
 日本茶も同じ。渋みと苦味のバランスだが、タンニンという成分がポイントで、硬水だとカルシウムがタンニンと結合してうまく溶け出さない。軟水はよく溶け出す。ウーロン茶も紅茶も軟水の方が風味豊かな味わいとなる。

●イギリス
 ヨーロッパでは珍しい軟水の国なので、イギリスだけで紅茶の文化が花開いたと言える。ちなみに、コーヒーは軟水の方が苦味・香織を引き出しやすいと言われているが、実際には、どちらでもあまり差がないそうです。

●日本
 昆布やカツオ節に含まれる旨み成分イノシン酸やグルタミン酸は硬水で炊くと煮汁にうまく溶け出さないという。関西は硬度が31−50だが、関東は81以上なので、差が出るらしい。そのために、関東では煮汁に醤油をたした濃い口の文化が育ったという。
 秋田県六郷町。江戸時代から奥羽山脈からの湧き水が多く出る。六郷湧水(ゆうすい)群と呼ばれる。ご飯をざるで湧き水で洗う「さしまんま」と呼ばれる郷土料理がある。残りものの冷やご飯を水で洗い、お新香などと一緒にお茶漬けのようにして食べるのが、この土地の昔からの風景。
 福島県会津若松市。創業31年のそば処、桐屋「夢見亭」ここには、そば粉と水に自信がなければ出すことができない特別なメニューがある。おつゆはただの水の「水そば」。その水は飯豊山が長い年月をかけてろ過した湧き水。ミネラル分が少ないため、クセがなくまろやかな口当たりが特徴。

●水の危機
 世界水フォーラムは3年に1度開催され、さまざまな水問題について討論する。第3回は2003年3月16−23日に京都・滋賀・大阪で開催された。ウィリアム・コスグローブ副会長は日本に対して、警告を発した。世界の水不足問題を解決するために先進国が協力すべきだ。日本は水が豊かな国だと思っているが、それは違う。「世界一の水輸入国である」という自覚を持ってほしいと言う。東京大・生産技術研究所の沖大幹助教授は「日本は大量の穀物や畜産物を輸入しているが、それらを作るのに大量の水資源が必要である。海外で作っているので、日本は自国の水資源を使わずにすんでいる。」ということらしい。工業製品についても同様である。バーチャル・ウォーターという概念を言っていました。例えば、大豆は1kg生産するのに水を2500リットル必要としている。納豆1パックに125リットル使っていることになる。牛肉1パック300gには水が6000リットル、豚肉で1800リットル、鶏肉で1300リットル必要とのこと。卵1個でも190リットル。
 例えば、天ぷらそばの場合、そば粉はカナダ・中国から、醤油の原料の大豆も米国・中国など、小麦もエビも輸入で、1杯で920リットルとなる。牛丼は2000リットルとなる。合計すると、日本は工業製品、農業製品で640億トンの水を輸入している計算になる。ちなみに、国土交通省によると、日本国内で使用される水の量は、工業用水134億、生活用水164億、農業用水572億、合計870億リットルである。

 日本の年間降水量は1700ミリで世界平均の1000ミリよりは多いが、国民一人当たりでみると、日本は5200トン、世界平均は27000トンで5分の1となってしまう。しかも日本は、梅雨や台風の時期に集中しているし、傾斜が急なので、水が貯まらずに海に流れてしまう。
 OL一人の生活で1日320リットル程度使う。特にトイレは1回10リットル程度。浴槽に溜める湯は180リットル。シャワーは1分10リットル程度だそうです。洗濯1回で120リットル。2000年の国土交通省のデータでは日本人は1日322リットル、ヨーロッパ280リットル、アフリカ63リットル、オセアニア305リットル、アメリカ425リットルだそうです。
 1日50リットル未満の水で生活する人が、世界で25億人もいる。

 日本の食料は自給率が40%で、先進国で最低。問題はアメリカ中西部や中国で水不足が心配されていること。アメリカ中西部はオガララ帯水層という世界最大の地下水脈でもっている。今、地下水の汲み上げのために、そのオガララ帯水層の水が急激に減ってきている。センターピボット方式という地下から水を汲み上げてそれを土地にまくという方法を採用している。そのために、空から見ると円形の農場が続いているように見える。テキサス州ではこの10年間に地下水位が平均3.5m低下した。中国では人口増加と急激な工業化で水不足になりかけている。黄河では、川の水が河口まで届かない「断流」という事態が起きている。97年には8ヶ月の間断流が起きた。農業用水を工業用水に転化しているので、農業が低下している。中国が食料不足になると、人口が多いので、食料輸入国になる可能性がある。

 ボリビアのパブロ・ソロンは次のように言っています。「例えば、飛行機の乗れなければ船に乗ればいいし、電気料金が払えなければ風車を使えばいい。しかし、水を得られなければどうなるでしょうか。人は命を失います。水は生命であり、人は誰でも命を奪われることがあってはなりません。水は偉大な力を持っています。私たちはこの水の惑星地球を火星にしてはならないのです。


テレビ番組「究極の裏グルメ!まかないメシ食べまくり!イタリア編」

 2004年2月7日放送。中尾彬、清水ミチコ、おさるさんが「まかないGメン」を結成、まかないメシを求めてイタリアを旅した。服部幸應さんが解説してくれた。福島中央テレビ製作。

●ローマ
 リストランテ「バイア・キア Baia Chia」は人気で予約も入りにくい店。オーナーのイラリオ・マーシャさんがサルディニア島のまかない「ムール貝とラディッシュの葉炒め」を作ってくれた。ムール貝(あさり、はまぐりで代用可能)とラディッシュ(大根で代用可能)の葉で作る。オリーブオイルとにんにくと鷹の爪に、ラディッシュの葉(みじん切り)を入れて炒め、ムール貝を入れて蓋をして、貝の蓋が開いたら、あと30秒炒めて、塩こしょうなしで完成!
 材料は4人分で、ムール貝30個 、ラディッシュの葉1束分、オリーブオイル 適宜、鷹の爪1個。
 次の一品は、ボールにリコッタチーズと卵・砂糖・小麦粉(薄力粉)をよく混ぜ、そのままスプーン2個分くらいの大きさに分けて、180度できつね色になるまで揚げるとドーナツに!モッツァレラでもパルメザンでも代用可能。
 材料4人分(20〜25個):リコッタチーズ300g、卵1個、砂糖大さじ2、小麦粉大さじ3、サラダ油適宜、薄力粉大さじ1/2。

 次の店は超人気カリスマ・スーパーシェフのパトリシア・マッティさんのいる、家庭的なリストランテ「アンティコ・アルコ」は、中田選手も大ファンだとか。小さな牛肉の塊(フィレ肉を2mm程度の薄切りにしたもの)にオリーブオイルをたらして、オーブンシートにのせて、塩こしょうしてフライパンで叩いて伸ばす。フライパンをよく熱して、お塩を入れ、これに肉をのせて裏面だけ焼いた。中尾さん「これが本当の表なし」(笑)これを皿に盛り、上にルッコラ、塩、胡椒をして、最後にバルサミコ酢をかけて出来上がり。
 材料4人分:牛フィレ肉の固まり約20cm、オリーブオイル適宜、塩少々、胡椒少々、ルッコラ適宜、バルサミコ酢適宜。

 次の一品は、「イタリア風肉じゃが」。鶏の皮をはがし小さく切り、キューブ状に切り1分茹でたジャガイモと、ローズマリーとにんにくとオリーブオイルに加えて一緒にフライパンで炒め、コンソメスープを加え、塩こしょうで味を整えて、カレー粉を加え、ジャガイモを半分だけつぶす。熱したフライパンで塩だけで、鶏の皮をカリカリになるまで炒め(上に次のフライパンをのせて縮まないようにする)、ペーパータオルで余分な油を取り、細切りにする。お皿の上で2つを一緒にする。コンソメスープは水に玉ねぎ、セロリ、人参を入れ1時間煮込んだ野菜スープまたは、コンソメキューブで作ったスープを使う。
 材料は4人分で、オリーブオイル適宜、ニンニク1片、鳥のもも肉2個、ジャガイモ2個、塩少々、胡椒少々、カレー粉大さじ1、ローズマリー少々、ブロード(コンソメスープでも代用可)適宜。

 カンポディフィオーリ市場。ブロッコリーも両手で持つくらいにでかい。シチリア産のトマト、超激辛トウガラシなども味見した(笑)面白い器械を売っている人がいた(笑)

 ローズガーデンパレスは高級ホテル。ここに新しくできたレストランの女性シェフのロッサーナ・モンデキアーリさんは、朝食ブフェの残り物と冷ご飯でイタリア風ちらし寿司を作る。つまり冷ご飯を冷水に通し、残りものを次々混ぜていく(チーズをキューブ状に切る。セロリは、小口切りにし、お湯に通し、氷水に取る。ジャガイモは皮ごと茹で茹で上がったら皮をむき、1cm角のキューブ状に切る。トマトは、湯むきし、小さめのくし状に切る)。さらに、コーン、ツナ、グリーンピース、黒オリーブを加える。それに特製ドレッシングを混ぜて完成。オリーブも入っていて、おいしいそうです。特製ドレッシングはレモン汁にオリーブオイル、塩、白こしょうを混ぜて細かく刻んだパセリ、バジリコを加えて作る。「お花畑の寿司」と名づけられました。
 材料4人分:あまりご飯250g、プロセスチーズ150g、黒オリーブ適宜、グリンピース150g、コーン缶詰1個分、ツナ缶詰1個分、ジャガイモ2個、トマト2個、セロリ1本、レモン1個、バジルの葉3枚、イタリアンパセリみじん切り大さじ1、塩少々、胡椒少々、オリーブオイル少々、あとは他の残りもの。

 長寿食で有名なレストラン「イル・マルグッタ」の「トマトと卵のオーブン焼き」。フライパンにオリーブオイル、ニンニク、鷹の爪を入れ炒める。薫りがたったところでニンニク、鷹の爪を取り除く。プチトマトを半分に切って加えて炒め、塩を加え、1cm角に切ったモッツァレラ、卵、バジル、パルメザン、胡椒を加えて炒める。180のオーブンで5分加熱して完成。
 材料4人分:プチトマト15個、オリーブオイル適宜、ニンニク1片、鷹の爪1個、塩少々、バジルの葉5枚、モッツァレラチーズ小1個、卵1個、胡椒少々。

 レストラン「イル・レオナルド」の若手注目No.1シェフのジャンルーカ・ベッルッチさんは、ウォッカを使い濃厚なソースをスッキリ仕上げる。ペンネをゆでる。オリーブオイルににんにく、たかのつめ、ローズマリーを入れて弱火で炒め、ベーコンのみじん切りを加える、ウォッカを入れて、火を入れてアルコールを飛ばしたら、生クリームをたっぷり加え、トマトベーストを加え、塩、こしょうで味を整えて、パスタソースとする。これにペンネとペコリーノチーズを加えて完成。ウォッカは焼酎でも代用可能らしいが、香りの問題は別ですが。「炎のパスタ」と命名。
 材料4人分:ペンネ320g、オリーブオイル適宜、ニンニク1片、鷹の爪1個、ローズマリー適宜、ベーコン薄切り3枚、ウォッカ50cc、生クリーム100cc、トマトペスト大さじ2、ペコリーノチーズ大さじ2を目安にお好みで。

 ベッルッチさんの話では、にんにくの匂いはコーヒー豆を口に含むと消えるそうです。

 フェミチーノ漁港に行って、秘伝の漁師鍋に期待。ローマ漁師組合の会長?のサルバトーレ・アッゾリーナさんが船の中で作ってくれました。エビは手で食べていました。まずイカのゲソを引き抜き、中を洗い、ゲソと身を一口大に切る。魚の内臓、エラ、うろこを落とす。次にオリーブオイルでニンニク、タマネギを炒め、イカを加え、白ワインを鍋1回分回して入れ、色が変わる程度に炒める。別にオリーブオイルでニンニク、タマネギを炒めトマトソースを加え、これにさっきのイカを入れて、好きな魚介類(白身魚、エビ)を10分程度煮込んで完成。
 材料4人分:ボタン海老or車海老4匹、白身魚4匹、イカ3匹、たまねぎ1個、にんにく2片、白ワイン適宜、オリーブオイル大さじ2、トマトソース市販のもの1缶、お好みの魚介類。

 ベジタリアンの「アランチャブルー」では、「アスパラガスのプリン」。お湯に塩少々、オリーブオイル少々を加えたものに、ちょっと固いアスパラガスの茎の部分を入れ約30分間弱火で煮て、アスパラガスと少々のゆで汁を加えミキサーにかける。別にフライパンにバターを入れ溶かしたら、薄力粉を加えて焦がさないよう混ぜ、温めた牛乳を加え、木べらでとろみが出るまでかき混ぜてベシャメルソースとする。ベシャメルソースを加え、弱火にかけながらよく混ぜ合わせる。 火を止めて冷ましたところに卵を加えて混ぜる。プリン用の型にバターを塗り、パン粉を少しつけて、さきほどの分を入れる。お湯を入れて鉄板に並べて、180度?150度のオーブンで20−30分蒸し焼きにして出来上がり。
 材料4個分:アスパラガス25本(100g)、卵2個、バター少々、パン粉(細かくしたもの)少々、オリーブオイル適量、塩少々、牛乳200cc、バター30g、薄力粉30g。

 スペイン広場の近くの隠れ家的名店「アランチャ・ドーロ Arancio D'oro」は幅広い層に支持されている。料理長のリーノ・チャルフィさん。前日に余ったご飯1カップに水少々と1cm角に切ったチーズを5.6個加え、火にかけて混ぜてチーズを溶かし、お皿の上に置いて、あら熱を取る。冷ましたらパン粉をうちながらボール状に丸めて、つぶして円盤状態にして、トマトソース(トマトの水煮おおさじ2に塩とオリーボイルを入れて混ぜたもの)とモッツァレラと具とオリーブオイルをのせて「ライスのピザ」にした。これを250度のオーブンで軽く焼いて(15分?)完成。焼くのはオーブントースターで充分らしいです。「黄金の米」と命名。
 材料4人分:あまりご飯1カップ、とろけるチーズ、トマトの水煮大さじ2杯、塩少々、オリーブオイル少々、モッツァレラチーズ細かくしたもの大さじ2杯を目安にお好みで。

 チーズとハムの店「ボルペッティ Volpetti」には300種類のチーズがある。おしゃぶり型チーズ(3ユーロ)まである。パルメザンチーズ3年もので1kg16ユーロ。すごく味のいいオッキャート3年熟成は1kg40ユーロ。生ハムは上から垂らすようにして鼻で匂いを感じながら食べるのが正しい食べ方だという。

 パスタがおいしくて、オードリー・ヘップバーンも来たという「アルフレッド1907 Alfredo」は、シックな感じ。有名人の写真が貼ってある。オーナーはウバルド・サルバトーリさん。ここの伝説のパスタは元々がまかないだったという。お皿にバターを塗って、それに湯を切らずにフェッチチーネをのせて、パルメザンチーズをかけてよく混ぜていると2分で完成。3年の修行が必要だそうです。「バターとパルメザンチーズのパスタ」。初代オーナーの奥さんが妊娠中に食べて気に入ったという。「2分で大きな愛を」と名づけました。
 材料4人分、うすいフェットチーネ250g、バター大さじ6、パスタのゆで汁大さじ7、パルメザンチーズ大さじ8。
 ついでにローマの休日で訪問した「真実の口」も訪問。

 「ジューダ・バッレリー」でも「ごはんで作るカルボナーラ」。厚手の鍋 にオリーブオイルを引き、ニンニクとエシャロットのみじん切り、ローリエ、バター、ベーコンを入れ炒める。これに残りご飯を加え、塩、胡椒で味を調え、野菜スープを加え、焦げないように水分がなくなるまで1〜2分煮込む。これをラードの薄切りを引き詰めたボールに入れる。これを皿に逆さまにして中味を出す。これの上にパルメザンチーズ、ペコリーノチーズをかけ、3つ穴を開け、生のうずらの卵を落とし、オリーブオイルをかけて出来上がり。食べる時は混ぜて食べてください。
 野菜スープ:水、ポロ葱、セロリ、人参、玉ねぎ、ズッキー二、黒胡椒粒、塩、エストラゴを弱火で1時間かけて作ったもの。
 材料4人分:あまりご飯カップ3、オリーブオイル小さじ3、ニンニク1片、エシャロット半分、ローリエ1枚、バター大さじ1、ベーコン薄切り3枚、パルメザンチーズ大さじ2、ペコリーノチーズ大さじ2、ウズラの卵3個、ラード薄切り4枚、塩少々、こしょう少々、野菜スープ70cc(コンソメスープでも可)。

 「ラルトロ・マスタイ Laltro Mastai」は伝統の味を極めたシェフのファビオ・バルダッサーレさんがいる。3日前の固くなったフランスパン(バケット)を1cm幅に切って使う「固パンで作るフリット」。たまねぎとジャガイモを千切りにして、フライパンでオリーブオイルで炒め、途中で水を加えながら、ジャガイモに火を通し、塩こしょうで味を整える。卵をといたものを塩を加えてものに浸して、パンにからめてオリーブオイルで焼く。焼き上がったらキッチンペーパーにあげ、余分な油を落とす。パンにたまねぎとジャガイモをのせ、ペコリーノチーズをふりかけて完成。サンドイッチにして食べました。
 材料4人分:ジャガイモ2個、赤玉ねぎ1個、オリーブオイル適宜、固くなったフランスパン8スライス、卵2個、塩少々、胡椒少々、ペコリーノチーズ大さじ2。

 次いで「固いパンをデザート」にした。フライパンに砂糖をひいて、水を加えてカラメルソースを作る。1cmに切ったバケットを砂糖水に濡らしてフライパンで炒める。カスタードクリームを出してきて、そのカスタードの上にパンを並べる。その上にもカスタードクリームをかけて、パン、干しぶどう、カスタードクリーム、パン、干しぶどう、松の実と順に重ねて、最後に粉砂糖を振って完成。パンは食パンで代用できる。クリームの代わりにはヨーグルトやフルーツカクテルはどうでしょう?「余りパンの甘い誘惑」と名づけられた。
 クリームの作り方:溶いた卵2個に小麦粉(薄力粉)15gを混ぜ、砂糖40gをいれて温めて加える。牛乳200ccを少しずつ加え、こしながら鍋に戻し強火にかける。とろみが出るまで混ぜながら火にかけ、あら熱をとって完成。ボールやバットに移し、表面にバターを広げてラップをかけて冷ます。

●カストロガンドルフ湖
 子豚の丸焼きの写真の入った赤いトラックがある。名前は di Luciana と書いてある。屋台のようになっていて、パニーニを買った。
 カリスマ・スーパーシェフのパトリツィア・マッティさんのお宅に伺う。冷蔵庫の残りものを蘇らせるニョッキを作ってくれた。まずカンパリを使った食前酒をいただく。
 ニョッキの作り方:ジャガイモを皮付きで水から約20分茹でる。茹で上がったら水を切り、皮をむき、ボールに入れフォークで細かくつぶす(マッシュにする)。卵、オリーブオイル、小麦粉、塩を加え、香り付けにナツメグを入れてねる。生地を30分ねかした後、少しずつ棒状に伸ばし、ナイフで1cm程度に切る。その際、うち粉をし、切ったものがくっつかないようにする。
 ナス、ズッキーニ、ピーマン、トマト、タマネギを0.5cm角に切って、オリーブオイル+ニンニクと炒めて、塩で味を整える。ニョッキを加えて、軽くなじませたら、パルメザンチーズをかけて、さらに炒めて完成。
 みんなの思い出の家庭料理を紹介した。
 材料4人分:<ニョッキ>はジャガイモ500g、小麦粉250〜300g、小麦粉打ち粉用適宜、卵1個、ナツメグ少々、塩少々、オリーブオイル少々。
<野菜ソース>ナス1個、ズッキー二1個、赤ピーマン半分、黄色ピーマン半分、トマト1個、にんじん半分、玉ねぎ半分、オリーブオイル適宜、ニンニク一片、塩少々、パルメザンチーズ適宜。

 詳しいレシピは
http://www.fct.co.jp/makanai/


テレビ番組「地中海の楽園、南イタリア・シチリア、欲張り旅」

 2004年1月17日放送。島田陽子、沢村一樹さんが出演。シチリアは グランブルー、ゴッドファーザー、ニュー・シネマ・パラダイスなどの舞台 となった。グルメも充実。映画の舞台裏とおいしいものを徹底追求。テレビ 朝日製作。

●パレルモ
 ローマから飛行機で1時間。シチリア州最大の都市。アラブやノルマンな どの影響を色濃く受けた文化を持つ。観光馬車カッレット・シチリアーノに 乗る。昔舗装されてなかった時代に作られた車輪の高い馬車を装飾したもの で、かなり派手です。19世紀に活躍した騎士や城などが描かれている。王 様、お姫様気分で町を回れる。ゲーテは世界一美しいイスラムの都市と賞賛 した街。歴代のノルマン王が眠るカテドラーレ、壮麗なバロック様式のサン ・ドミンゴ教会、凱旋門を思わせるポリテアーマ劇場など美しく神秘的な建 築が見られる。
 マッシモ劇場は19世紀に建てられたヨーロッパ屈指の大きさの設備を持 つオペラの殿堂。この劇場の入口の階段はゴッドファーザー3のクライマッ クス・シーンで娘が射殺される場面で使われた。

 カーポ市場はシチリアで最も歴史のある市場。ほとんどが男性のお客。買 物はご主人の役目だとか。バジル、オリーブ、アーモンドの殻付きの実(1 kg1ユーロだが、味がついてないそうです)などがある。あるお店でシチ リア人の大好物パニーニ・カ・メウサを1ユーロで食べる。茹でて臭みを除 いた仔牛の内臓を、タマネギのみじん切りと一緒にラードと炒め、これを素 朴な味わいのパレルモ名物ごま付きパンにはさんで、リコッタチーズと塩を 少しふったらできあがり。この内臓バーガーは量もあって、そんなに癖がな くて、おいしいそうです。

●パラッツォ・アドリアーノ
 シチリア島のほぼ中央西の小さな町。ここはニューシネマパラダイスとい う映画の撮影が行なわれた町。今でも映画のシーンそのままの世界が広がる 。主人公のトト・カシオ君が通った映画館は映画のセットだったので、今は ない。噴水の水は冷たいが、これでお茶を入れるとおいしいそうです。
 映画館にそっくりな建物は「ニューシネマパラダイス」インフォメーショ ン・センターで、メイキングの場面とかの写真が残っている。エキストラで 出ていた女性にインタビューした。

●ピアッツァ・アルメリーナ
 シチリア島のほぼ中央東の小さな町。今、イタリアではアグリツーリズモ という、田舎の農家での生活を体験しながら、その土地で作られた新鮮な材 料を使った料理やワインを楽しむという滞在の形が人気。
 小高い丘の上の立派な農家ジリオット・アグリツーリズモ Arienda Agrituristica Gigliotto で、オーナーはエリオ・サヴォカさんとラウラ・ ロプレシティさん。畑や果樹園や牧場もあり、広さは東京ドームの42個分 。敷地内にはレストランもあり、ここで取れた食材を使った料理が楽しめる 。宿泊施設はホテルのようで、1泊1部屋35ユーロ。天蓋付きのベッドと 暖炉付き。ゲストに人気なのはラウラさんの料理、オリーブのマリネ。オリ ーブは敷地に4000本あり、とり放題とか(笑)、ワインも自作でラベル には Savoca と書いてありました。続いてはモッツァレラ・ロール。採れた てのトマトとレタスをチーズで包んだもの。リコッタチーズのフライ。羊の ミルクで作ったリコッタチーズは家庭料理には欠かせない。おいしいそうで す。リコッタチーズとズッキーニのパスタは本当においしいそうです。パス タが乾燥したものでなく、手作りだかららしい。

 翌日、まずはヤギの乳搾りから。300頭以上のヤギが飼育されていて、 ヨゼフさんがやっていた。沢村さんもさせてもらった。チーズ工場では、 チコッタチーズを作っているところを見学させてもらった。熱いうちにひき ちぎるのがポイントで、モッツァレラとは「ひきちぎる」という意味。お餅 みたいな感じです。牛乳を食べているような感じだとか。
 リコッタチーズの作り方。人肌に温めたミルクに牛の内臓から抽出した酵 素(凝固液)を混ぜいれる。30分寝かせた後に、かき混ぜ、固まった物と 水分が分離するまで寝かせる。分離した水分を別の鍋に移し、固まった物は ペコリーノなどの簡単なチーズとして完成する。この塊に黒胡椒の実を入れ てプリーモ・サーレ・チーズとなる。分離した液は80度に温め、牛乳、塩 を入れる。リコッタとは「再び煮る」という意味。まず最初に浮いてきたア クを丁寧に取り除き、浮いているチーズはゆっくりすくって容器に移し、水 気を切ればリコッタチーズの完成。甘い茶碗蒸しのような味だそうです。

 沢村さんは乗馬に挑戦。初体験。トレッキングをしましたが、気持ちいい そうです。サボテン畑にサボテンを取りに行く。パスタルドーニと言い、 サボテンの葉はパスタ料理、ジャム、テンプラ、リキュールなどの様々な料 理に使われている。サボテンの実もおいしい。
 島田さんは「リコッタチーズ&茄子入りトマトソースのパスタ」作りを教 えてもらう。パスタの生地を平らに伸ばす。生地を5mm毎に切る。ナスは メロンくらいの大きさ。皮をむいて少し置いて、ブロック状に切る。ナスに 少し塩をかけておくと水分がぬけて脂っぽくならないという。ナスをオリー ブオイルで揚げる。火が弱いとべたつくので、強火でカラッと揚げる。ナス を器に移し、特製ソースを温める。特製ソースはチェリートマト、バジル、 にんにくを加えた風味豊かなトマトソース。隠し味のハーブ(オレガノ)を 加える。トマトソースに塩を加え、素揚げしたナスを加え、手早く混ぜる。 リコッタチーズをたっぷり加える。2分だけ混ぜて、茹であがったパスタを 加えて混ぜる。自分たちで大切に作ったものをおいしく食べるというのがス ローフードの原点でしょうと言われていました。
 サボテンはオリーブオイルでフリットにした。苦くなくておいしいそうで す。少し酢っぱいらしいです。

●メッシーナ
 シチリア島の北東の港町。フェリーの玄関口。魚介の宝庫。カジキマグロ は名産。マカジキ科の魚ですが、マグロに似た味のために、カジキマグロと 呼ばれている。淡白な味わいが人気で、シチリアでは高級魚です。メッシー ナではこのカジキマグロの漁が盛ん。メッシーナ海峡では約400年間、も り打ち漁が行なわれている。船の上35mくらいに見張り台があるユニーク な形をした船で、フェルーカ船と呼ばれる。船の先端のモリ打ち台までのア ームの長さは50m。これは警戒心の強いカジキマグロをモリで打つため。 時には4mの大物にもあうことがあるという。
 沢村さんがシモーネ号で漁に挑戦。朝7時、漁に出発。2時間後、犬が鳴 いて知らせる。打ってみたが失敗。透明度が高いので、マグロに悟られない ようにアームも青い。沢村さんは35mの見張り台に登った。風向きが変わ る時に一度海面に顔を出す習性があるというので、それを見張っている。次 にアームの先端のモリ打ち場に行ってみた。と、突然、カジキマグロが現れ たので、プロと交代した。打ち込むとヒット!漁師たちは数百m泳がせて弱 ったところを捕獲した。1.9m、45kgでした。ヒットさせたシモーネ ・アレーナさんに憧れた。

●タオルミーナ
 映画グランブルーの舞台となった。美しい島という名のイソラ・ベッダを 囲む高級リゾート地。深く、青く、透き通った海がどこまでも続く、天国の ような風景。ダイナミックなギリシャ劇場も見逃せない。お菓子屋さんも多 い。リコッタチーズを使ったカンノーロは1.7ユーロ。おいしいそうです。
 4月9日広場のサン・ニコロ教会で島田さんは友人と待ち合わせしていた 。ジャン・フランコ・シモーネさん。1980年頃、赤いバラをプレゼント して島田さんを口説いた時からの仲らしい。お勧めのお店「モカンボ・バー ル」に行く。シチリア名物のデザートがあるという。グラニータとはフルー ツやカフェなどのドリンクを凍らせてシャーベット状にしたもの。グラニー タ・ピーチは3.3ユーロ。グラニータ・レモン3.3ユーロ。夏のシチリ アには欠かせない。シチリアでは夏の朝食はグラニータとブリオッシュ(パ ン)1.7ユーロが定番。このグラニータ・ピーチは本当においしいとか。 シチリア流の食べ方は、ブリオッシュのトップをちぎって、グラニータにつ けて食べる。ジャムがわりにつけて食べるということです。

 映画グランブルーは、素潜りの世界チャンピオンを競うために集まったラ イバル、ジャック・マイヨールとジャン・レノ演じるエンゾ・マイオルカ( モリナーリ)の戦いを描いた作品。この映画では2つのホテルがロケ地に選 ばれた。一つは、Grande Albergo カーボタオルミーナ。このホテルのレスト ランでジャックの恋人役ジョアンナ・ベーカーがエンゾと出会うシーン。こ の時、エンゾが食べたシーフード・スパゲッティは今でも人気メニューだと いう。さらにレストランの隣にあるプールもロケに使われた。
 もう一つのホテルはサン・ドメニコ・パレス・ホテル。二人はシチリアに 住むジャン・フランコさんに案内してもらった。赤い車でエンゾが急ブレー キで止まるところ。中世の修道院を改造したクラシックな雰囲気が漂うホテ ル。パーティシーンが撮影された中庭も健在です。ジャン・フランコさんが ピアノを弾いていた親友を紹介してくれた。何とチコ・シモーネというお父 さん91歳でした。チコさんはこのホテルで75年間ピアノを演奏し続けて いる。たいていのリクエストには答えられるという。ゴッドファーザーの音 楽も一部製作を助けたという。マーロン・ブランドが死ぬシーンで使われた 部分で、テーマ曲につながる部分です。お父さんはグランブルーでエンゾに トロフィーを渡す役で映画にも出た。お父さんはエンゾが75歳でシラクー サに住んでいると言うので会いに行く。

●シラクーサ
 エンゾさんは58歳で101mの潜水記録を作った世界的なダイバー。フ ランス人のジャック・マイヨールさんと20年間に渡り、素潜りの記録を次 々と塗り替えた。1961年には50mで世界新記録を達成。ジャックとの 戦いは今も語り継がれている。
 庭から海が見える。賞状を飾っている部屋もある。1988年に101m を潜水した時の優勝トロフィーもある。潜るのに3分かかったそうです。海 に潜っている間は、海に対する尊敬と愛、自分の体の安全を思っているそう です。緑豊かな庭を案内してもらった。対岸にシラクーサの町が見える。初 めてでも楽しく潜れるスポットがあるから、孫たちと一緒に行きましょうと 誘われた。
 エメラルドブルーの美しい海に連れて行ってくれた。沢村さんは泳ぎが苦 手だった。エンツォさんが石を投げて、孫娘が潜って取りに行った。うまい もんです。沢村さんは挑戦したが、潜れませんでした。見かねたエンツォさ んは自ら海に入って指導した。最後の挑戦で5mくらいの海底まで届いた! 今度は島田さんが挑戦しましたが、なかなか沈みませんでした。最後はエン ツォさんが手を取って一緒に潜りました。その間に沢村さんはかなり上達し ました。そこでエンツォさんが大事なトロフィーを海底に置いて、それを沢 村さんが簡単に取ってきた。上達のしるしにエンツォさんはそのトロフィー をプレゼントしました。


テレビ番組「旅サラダ」2003年12月は詩音さんでイタリア

 オーストリア航空で行きました。

●ローマ
 古代から水と芸術を大切にしてきたローマなので、まずトレビの泉。豪華 でダイナミックな姿に感動。右手にコインを持って、左肩の方に投げると、 1枚だと「もう一度ローマに戻って来れる」、2枚だと「好きな人と戻って 来れる」。
 ジョリッティ Giolitti は100年以上続くジェラート屋さん。50種類 以上あるが、全て手作り。チョコレート、クッキー&クリーム、イチゴを注 文。2.4ユーロでした。
 ナヴォーナ広場は古代には3万人を収容する競技場があった。今は陽気で にぎやかな広場。ストリート・パーフォーマーが多い。焼き栗は10個で5 ユーロ。絵描きさんも多い。似顔絵は10ユーロ。

 夕食は日本にも支店を出している Sabatini。本格的なローマ料理をいた だける。前菜は伝統アンティパスト20.5ユーロ。「かぼちゃの花にモッ ツァレラとアンチョビを詰めたフライ」、「カルチョーフイ・アラ・ジュデ ア(ユダヤ風アンティチョークのフライ?)」、「ブルスケッタ(ガーリッ クトースト)」、生ハム。この店一番のお勧め「エビと貝類で和えたリング イネ」17.5ユーロ。横でギターで歌を歌ってくれました。
http://www.sabatini-fratelli.com/

 フォロ・ロマーノ。紀元前6世紀から1000年にもわたって栄華を極め た場所。古代にタイムスリップしたような感じになる。入場無料。ここから 見えるのは紀元80年に完成した巨大な円形競技場コロッセオ。直径188 m、高さ57m、5万人を収容した場内では剣闘士と猛獣との決闘には古代 ローマ市民は熱狂した。入場8ユーロ。
 他にも歴史的建築物はたくさんある。ヴィットリオ・エマヌエーレ2世記 念堂もある。ミケランジェロが設計したカンビドリオ広場は左右対称の広場 。計算された空間と美しい幾何学模様が印象的。聖アゴスティーノ教会は、 15世紀に完成したルネッサンス初期の教会。中には装飾が多く、美しい。 天井からの光も優しい。カルバッジョの美しい宗教画「ロレートの聖母」が ある。コインを入れてボタンを押すとライトがついて、カラバッジョの絵が 現れる。

 テベレ川を渡ると、トラステベレというローマの下町に入る。メルカート (市場)に行くと野菜が多い。柿はCachiって書いてある。ナスもピーマンも 日本のよりも3倍くらいでかい。トマトも1kg3ユーロ。チーズも多い!
 かつて職人が多く住んでいたので、面影が残っている。アルテ・デル・モ ザイコはモザイクの店。モザイクは石やガラスなどを散りばめて芸術作品に したもの。この石は大理石だった。壁掛けモザイクは120ユーロなどだっ た。
 夜のローマはライトアップされて別の顔を見せた。

●ローマの郊外
 クラウディオの水道橋 Aqua Claudia 。古代ローマの巨大な遺跡。200 0年以上も前に造られたとは思えない。

●ミラノ
 人口130万人のイタリア第二の都市。ドゥオモは修復中でした。187 7年に完成したイタリア最大のドォオモ。隣は世界で一番美しいアーケード と言われるヴィットリオ・エマヌエーレ2世のガッレリア。壁の彫刻も素晴 らしい。およそ200mの十字型に交差するガラスの天井は芸術的。ここで 人気なのは、床のモザイクでできた牛。牛の股にかかとを合わせて一回りす ると幸せが訪れるという。
 ガイドブックにも載っていない素敵な教会、サン・マウリツィオ教会。壁 は全て素敵な絵。アーチ型の壁にはフレスコ画。もう一つの見所は細い通路 からつながるもう一つの部屋があること。そこは太陽の光が輝いていて、金 の装飾がある部屋。言葉を失う綺麗さ。元々は修道院だったので、一般の人 と接触できなかった修道女は、こちらの部屋でミサを行なっていた。

 ショッピングはスピガ街のSermoneta gloves は手袋屋さんで大人気。 ジーンズ地の手袋は反対が皮で暖かくて59ユーロ。赤の可愛いのは51ユ ーロ、ボタン付きは51ユーロ、ネコの手みたいなのもある。
http://www.sermonetagloves.com/
 Fabriano ファブリアーノは老舗の文房具屋さん。13世紀かららしい。 紙は伝統を守って手作りで、木綿でできている(16ユーロ)。聖母子像の 透かしの紙は14.5ユーロ。

 夕食は伝統料理の店 el Brellin エル・ブレリン。ミラノ風リゾット(サ フランの香り、パルメザンチーズがたっぷり)、ミラノ風カツレツ(仔牛) 。ナヴィリオ運河沿いにある。

●クレモナ
 ミラノから車で東に2時間。人口7万人の小さな街。世界に誇れる弦楽器 の工房がある。バイオリンの現代の名工のステファノ・コニアさんの工房を 訪問。作成には半年かかり、30種類のニスを順番に塗っていく。詩音さん は出来たてのチェロを弾かせてもらいました。
http://www.digicolor.net/ali/conia/
 アントニオ・ストラディヴァリ(1644-1737)は93歳で亡くなるまで、こ の町で作り続けた。銅像もあるし、市立博物館の中にストラディヴァリ博物 館がある。彼自身が使っていたバイオリンの型も置いてある。入館料7ユー ロ。彼の作品「イル・クレモネーゼ」も展示されている。時価7億円程度ら しい。他の製作者のものが年代毎に並べられている。生き物のバイオリンは 毎日演奏しないといけないというので、館長さんが演奏してくれた。詩音さ んは感涙しました。部屋じゅうが振動しているように感じたという。

●トリノ
 19世紀にイタリアが統一された時の最初の首都。お洒落な街で、ポルテ ィコと呼ばれる素敵なアーケード内にお店がある。老舗のカフェが多く、こ れらがイタリア統一に重要な役割を果たした。ここで統一の会談をしていた らしい。「カフェ・ムラッサーノ」は豪華な店内の装飾。イタリアの貴族が 毎日飲んでいたというビチェリン(エスプレッソ、チョコラータ、牛乳を泡 立てたクリームを三層に重ねた飲物)を頂いた。とてもおいしいらしい。
 自動車産業も発展していた。自動車博物館には200台ある。カロッツァ が一番古くて、石炭で走ったり、馬車につないでいた。レーシングカーもあ る。ミヒャエル・シューマッハーが1996年にスペイングランプリで優勝 した車に乗せてもらった。入館料5.5ユーロ。パオラ・マゼッタさんが案 内してくれた。
http://www.museoauto.org/
 フィアットの元工場(リンゴット工場)を改造したホテルで宿泊。関西空 港を設計したジェノバ出身の建築家レンゾ・ピアノ氏が再開発した。吹き抜 けも印象的で、部屋は天井が高い。アート&....という部屋はXXユーロ。 インテリアにも車のパーツを使っている。
http://www.lemeridien-lingotto.it/

●アルバ
 トリノから車で1時間。人口3万人。この日は雨だった。トリュフ市に行 く。10月から12月にかけて週末に開催される。タルトゥーフィ・モーラ というお店に行ってみた。264gで16万円。
http://www.tartufimorra.com/

 翌朝トリュフ狩に行った。1グループ60ユーロ。昔はブタも使っていた が、ブタは食べてしまうので、犬が多い。今回の犬は羊みたい(笑)白トリ ュフを見つけました。
http://www.tuber.it/

 アグリツーリズムと呼ばれる農家「Il profumo delle rosa」に宿泊した。 今回はトリュフにあうリゾットをヴァンナ・ベッリーノさんに作ってもらっ た。朝食付きの2人利用で1人50ユーロ〜。一人だと40ユーロ〜。

 フォンタナ・フレッダというバローロというワインを作っているワイナリ ーに行った。ヴィットリオ・エマヌエル2世の別荘地だった。ダニーロ・ ドロッコさんが案内してくれた。まず王様のワインを作っていた樽を見せて もらった。バリックという樽はフランスのオークから作っている。1974 年の詩音さんの生まれた年のワインを飲ませてもらった。この年は最高の年 だったので、値段がつけられないくらいに高いそうです。
http://www.fontanafredda.it/


●サルデーニヤ島
 壮大な自然と美の宝庫。伝説によれば、神様が地中海で最初に作った島と 言われている。4000年前に作られたヌラーゲという石造りの建造物があ る。地中海の外敵から島を守るためのもので、城壁が島を囲んでいた。石の 積み重ねが残っているが、住居跡だという。島には7000のヌラーゲが残 る。ヌラーゲ・ローザは入場料3.5ユーロ。

●サルデーニャ島オルゴソロ
 内陸部の街。標高620mの山の麓にあり、昔から変わらぬ独自の文化が 今でも息づいている。街を歩いていると、いたるところで見かけるのは壁に 描かれている絵ムラーレス。絵の中には、口が排水溝になっているのもおか しい。
 もとは羊の放牧地が軍隊の練習場になることに抗議を絵にして始まった。 その後、政治的メッセージや日常生活が描かれるようになった。
 山間部に羊がいる。出産シーズンで可愛い子羊たちがたくさんいた。

 リストランテ「スープラモンテ」。羊飼いの人々がふるまう、この地方の 伝統料理が食べられる。この日は100名の団体客で盛り上がっていた。最 高級のもてなしの料理、豚の丸焼きがあった。包丁で豪快に叩いてカットす る。「羊飼いとのランチ」と呼ばれ約15ユーロ〜(要予約)。食後は音楽 と楽しいダンスの時間があり、最後は伝統音楽テノーレス。耳を押さえて歌 います。大地をゆさぶるような低い声の音楽でした。アボリジニの音楽にも 似ています。
http://www.supramonte.net/
e-mail:rist.supramonte@tiscali.it

●サルデーニャ島アルゲーロ
 島の中でも有数の港町。海は心を癒す安らぎの場となっている。かつては スペインのカタルーニャ地方の支配下にあったので、小さなバルセロナとも 呼ばれていた。細い路地と鉄格子はその影響を色濃く残している。
 宿泊は、海に突き出た「ヴィラ・ラス・トロナス」。入口からロマンチッ クで、お洒落なレストラン。かつてはイタリア王家の住居だったので、ゲス トルームもとても豪華な造りです。イスとかも繊細で可愛らしい。ランプも きれい。寝室もシックで貴賓がある。家具は全てオリジナルで温かみがあり ます。スィートで朝食付き1泊420ユーロ。ベランダがとっておきで、海 とプールがきれいに見える。吸い込まれるような青い海が自分のものになっ たような感じ。
e-mail:info@hvlt.com
 ホテルで自転車を借りてサイクリングに出かけた。水飲み場があるが、ボ タンを押して下に出ているところの蛇口を押さえると、水が上向きに出る仕 掛けになっている。青い空と青い海、それに木々の緑。素晴らしい風景でし た。
 カポカッチャ半島に到着。石灰岩でできた半島。海岸の先には「ネプチュ ーンの洞窟」というのがある。階段は急で怖い。絶壁に850段の階段があ ります。入口近くだと音が響く。洞窟の中は鍾乳石の柱がたくさんある。床 の部分は海水。見学料8ユーロ。イタリアで見る最後の夕陽を見ました。


 阪急交通社が一人11.98万円でイタリアハイライト8日間の旅を企画 している。出発日は1月30日(金)、2月6日(金)、2月24日(火) 先着200名。連絡先は0120−989−521。


テレビ番組「道浪漫」2003年12月28日は真野響子さんでローマ

 真野響子さんは噴水が好きらしい。今回はいろいろな噴水も紹介。アリタ リア航空で行ったらしい。

●ロトンダ広場
 パンテオンのロトンダ広場の噴水。イルカとほほを寄せ合っている像があ る。ローマは水を大切にしていて、欧州でも水がきれいだからいいという。

●カンピドッリオの丘
 3000年前のローマ発祥の地。カンピドッリオとは首都を意味するキャ ピタルの語源。真野さんのお気に入りの散歩コースは Via Giulia ジュリア 通りで、橋が素敵だという。垂れ下がった蔦も手が届きそうで届かない。自 然の緞帳(どんちょう)のようだという。

●コロンナ宮殿
 次の場所は、ピロッタ通りに入って10m左の小さい入口で、とてもわか りにくい。ピロッタ通りとコルソ通りの間にあるコロンナ宮殿。映画「ロー マの休日」の最後のシーンで、アン王女が記者会見するのが、このコロンナ 宮殿の勝利の柱の間。真野さんの娘さんが来たいと言っていた場所だそうで す。
 真野さんが以前から気になっていたのは、5段の階段の真中に埋めてある 鉄の玉。美術ガイドのローザ・カヴァラーロさんの説明では、1849年の ローマ共和制時代のナポレオン3世のフランス軍の攻撃による大砲の弾だと いう。ローマ法皇がいたクイリナーレ宮殿に向けたものがここに落ちたらし い。

●カンポ・ディ・フィオーリ広場(花の市場)
 ここに真野さんが大好きなレストランがある。「ラ・カルボナーラ」。広 場に面しています。自慢は自由に選べる野菜たっぷりの前菜。注意しないと 山盛りになってしまうと言いながら、山盛りでした(笑)アーティチョーク から頂きました。落としてしまいましたが、すぐに食べました。「本当はこ ういうことはしてはいけないのですが、3秒以内に落としたものは食べるこ とにしています」と真野さんが言ってました。名物ペンネのカルボナーラは 9ユーロ。カルボナーラはローマで生まれたパスタです。ペンネの中にベー コンが埋まっているが、それが名物。ランチにお勧めだそうです。
 営業時間:12:15〜15:00 & 19:15〜23:30 定休日:火曜日

●ジョリッティ
 ローマ一番の老舗。夜中まで開いている。スーツ姿の中年の紳士も、平気 でジェラート片手に歩いていました。50種類もあるジェラートは全て自家 製。真野さんの一押しはザバヨーネ。エッグノッグに似ているが、日本には ない味。オレンジ色です。他にカフェ、ピスタチオ、緑色のものをのせて、 ミディアムで2.4ユーロ。量は多いですよ。何種類でも値段は一緒だそう です。日本人の4人女性がいました。
 オーナーのナザッレノ・ジョリッティさんが厨房に案内してくれました。 ザバヨーネは卵黄から作ります。味の決め手はシチリア産のマルサラ酒。さ らに牛乳と生クリームを加えて、10分機械で攪拌してできあがり。そりゃ ぁ、おいしいでしょう。

●モンテマルティーニ美術館
 とんがったサンパオロ門から伸びる、オスティエンセ通りにある美術館。 現在ローマで最先端をいく美術館と言われている。1912年に建設された ローマ初の公営発電所だった。その黒い機械群の間に黄土色の古代アートが 並べてある。不思議な空間です。真野さんの心の恋人、ローマ五賢帝の一人 ハドリアヌス帝の彫像が置いてある。本当の人のような彫像なのも好きらし い。唇も理知的に見えます。開館時間:9:30〜19:00、定休日:月曜日、 料金:4.13ユーロ

●ナヴォーナ広場
 100以上あるローマの噴水の中で傑作と名高い「四大大河の噴水」(1651 年ベルニーニ作)。ローマの豊かさの象徴。

●バブイーノ通り
 スペイン広場からポポロ広場に行く道にある、不思議な噴水の一つ「バブ イーノ(ヒヒ)の噴水」。変わった妖精のように見える。元々は男性の人魚 の噴水だったのだが、今はすっかりヒヒの噴水となっている。表情がおかし い。でも、今はバブイーノ通りと言われている。

 この通りには、真野さんが必ず立ち寄るという19世紀から続く老舗の帽 子屋「ボルサリーノ」がある。フェルト製の帽子。女性用もあります。ここ の特徴は折りたためることです。「ボルサリーノ・クラシック」176.5 ユーロをお買い上げになりました。

●カラビニエーリ Carabinieri
 イタリア軍事警察を訪問した。世界でたった一つの美術盗難品特殊部隊。 1969年に盗まれたカラヴァッジョの作品もあった。世界中の盗難になっ た作品(200万件以上)が検索できる。特別に盗難美術品倉庫を見せても らった。全てが回収された宝で、持ち主に返す手続き中のものが置いてある 。世界の美術品の6割があるというイタリアの責任と誇りです。
 検挙率というか、回収率は48%で、マフィアが持っていると懸念してい る作品も多いという。真野さんは感謝していました。

●真野さんお勧めの噴水
 夜の光の中で見せたい、とっておきの噴水があると紹介してくれた。パン テオンの南西(ナヴォーナ広場側)にある。まわりは工事中。お昼だと通り すぎてしまうような噴水。トンネル工事の時に地下から発見された古代ロー マの大理石の噴水。一段高いところに上がって、噴水のふちに肘を置いて、 水面を見ると、街灯の光が鏡のように水面に映っていました。今までで一番 お気に入りの噴水だそうです。

●夜
 他にもライトアップしている場所はある。コロッセオやフォロ・ロマーノ。

●HPからの情報
 ナヴォーナ広場にある「カフェ・ベルニーニ」というカフェの朝食の定番は クロワッサンとカプチーノ。ここのカプチーノは泡をハートの形にしてくれる そうです。クロワッサンも両側がくるんと丸まっています。
 フィオーリ広場のカルボナーラというレストラン前の噴水もきれいですが、 水面に花が浮かべてある。お花屋さんが茎のとれた花をここに浮かべているか らだそうです。

http://mbs.jp/tv/michi/363/


テレビ番組「道浪漫」2003年11月30日は真野響子さんでシチリアからマルタ

●ローマ
 ナボーナ広場近くのサンタゴスティーノ教会は真野さんのお気に入り。こ こには1603年のカラヴァッジオの「ロレートの聖母」がある。ローマに 来る度に見に来るという。ローマで一番好きだという。光と影を巧みに生か した画家の足跡を辿る。殺人まで犯し、38歳までの死ぬまでの4年間は地中 海を逃亡した。

●シチリア島シラクーサ
 かもめの岩という意味の古都シラクーサ。旧市街のベッローモ宮殿美術館 には彼がシチリアで最初に描いた1枚が残されている。「聖ルチアの埋葬」 は1608年の作品。大胆に上半分を空けた構図。手前の二人が大きく描か れていて、見る人が実際に見ているような感じになっている。入場料は2. 5ユーロ。月曜休館。
 この絵のモチーフになった場所はサンタルチア教会の実際の埋葬場所。こ この地下墓所は25年間、ずっと誰にも公開もしなかったそうですが、真野 さんには見せてくれました。真野さんは「真実主義」と言っていた。

●シチリア島ピアッツア・アルメリーナ
 山間部の町。世界最大規模のモザイクが残っている。1700年前のロー マ皇帝のカサーレ荘は世界遺産。42部屋の床は3000万個のモザイクが 埋め尽くしている。自然の石を組み合わせた芸術。「大狩猟の廊下」は世界 じゅうから動物をローマに運ぶ場面を描いている。真野さんが見たかったの は「ビキニ姿の十少女」でしたが、一人一人は等身大程度でした。入場料は 4.5ユーロ。

●シチリア島ノート
 南部の町。お菓子の店「ラ・ヴェッキア・ファンターナ」に寄ってみた。 マルトラーナ菓子「インドイチジク」があった。緑とオレンジのお菓子で、 アーモンドと砂糖で作ってあり非常においしいとか。工房も見せてくれた。 カタツムリの姿のお菓子もありました。
 エマヌエーレさんのお宅に行ってみると、豪華。貴族の館だった建物を5 年前に改築したという。ここで本物のインドイチジクをいただいた。これは アメリカ大陸が原産で、500年前にシチリアにやってきたサボテンの実。 甘いけど種だらけだそうです。

●シチリア島パレルモ
 シチリア貴族は誇り高い。アイユータミ・クリスト宮殿は男爵の館。ピア ・カレファーティ、ディ・カナロッティ男爵夫人が迎えてくれた。ご主人は ヴィンチェンツォ・カレファーティ、ディ・カナロッティ男爵。400年前 に建てれらた屋敷には、神聖ローマ帝国のカール5世が滞在したこともある とか。一番大きな舞踏の間は今でも舞踏会が開かれているという。
 曽祖父のマルタ騎士団の制服も見せてくれた。その騎士になることはカル ヴァッジョのあこがれだった。

●マルタ共和国
 城壁の町。淡路島の3分の1の大きさ。首都はヴァレッタ。公用語はマル タ語と英語。名物はバスで世界じゅうから集められた中古車が使われている 。赤いポストはイギリスの中古。
 騎士団長の館は現在は国会議事堂・大統領府となっている。ヨーロッパじ ゅうの貴族の師弟が集まっていたマルタ騎士団にカラヴァッジョが参加でき たのは絵の腕のおかげだったのだろう。騎士団長の絵も描いている。マルタ 騎士団に名を連ねた3ヶ月は輝かしい日々だった。騎士とのトラブルで投獄 された場所が今でも残っている。サンタンジェロ砦の騎士専用の牢獄で、深 さは3m。彼はトラブル常習犯だったので、騎士団長が逃がしたという噂が 残っている。
 聖ヨハネ大聖堂はマルタ騎士団の聖地。騎士たちが眠る教会。ここに彼の 最高傑作、「聖ヨハネの斬首」(1608年)が飾られている。赤が効果的 に使われている。下の方にフラ・ミケランジェロという彼自身の唯一の署名 もある。


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