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なお、これはわたしが個人的にテレビを見て書いたものであり、各テレビ局や番組とは全く関係はありません。
すべての文章の無断使用・転載を禁止いたします。
またここの情報を使って、何か問題が起こったとしても私は一切責任は持ちませんのであしからず。


テレビ番組「美の巨人たち 450回記念 最後の晩餐」

 2009年4月4日放送。

●ミラノ
 15世紀に建てられた「サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院」。今から500年以上前、ここに描かれた。礼拝堂ではなく、かつて食堂だった場所。突き当たりの壁に1495−97年頃のレオナルド・ダ・ヴィンチの作品「最後の晩餐」。縦4.2m、横9m。漆喰の壁に直接描かれたイエス・キリストとその弟子の晩餐の様子。ある者は血相を変え、ただならぬ雰囲気が漂う。これはイエスが「あなたがたのうち1人は私を裏切るだろう。」と予言した時。
 当時、「最後の晩餐」は修道院の食堂に相応しいテーマとして多くの画家が描いていた。サンタ・ボローニャ修道院もその一つ。レオナルドの絵にはそれらとは決定的な違いがあった。他の画家はユダだけを机の手前に描いていた。聖人の頭上に輝いているはずの光輪がこの男にだけはない。レオナルドの絵には、誰にも光輪がなく、全員がテーブルの向こうにいる。裏切りの報酬としての袋を手に持つ男がユダ。紀元110年頃書かれた「ユダの福音書」ではユダは良い方に書かれている。紀元2世紀頃に書かれたエイレナイオス著の「異端反駁」には、「ユダの福音書は読む者を愚かにする」と書かれている。フィレンツェ中央図書館のカルラ・ビンザウティさんは、メディチ家がギリシャなどの文化・芸術を含め、異端書を集めていたので、レオナルドが異端書に触れる可能性が充分にあったという。
 1482年レオナルドは30歳でミラノに移った。当時のミラノの支配者スフォルツァ家に招かれた。アッセの間の天井画はレオナルドが描いた。無秩序にみえて複雑な編みこみの模様になっている。
 最後の晩餐はスフォルツァ家の依頼で描いた。スケッチではレオナルドも最初はユダをテーブルの手前に描いていた。教会のステファノ・ラバッキ神父に話を聞いた。ペテロはヨハネに「誰のことだ?」と聞き、イエスは「私がパンを与える人だ」といい、ユダにパンを与えようとする。その聖書の様子が忠実に描かれているという。
 ダ・ヴィンチ博物館のアレッサンドロ・ヴェッツォージ館長が語った。ユダをこちらに描くとバランスが悪くなるからだという。「最後の晩餐」では右の壁は明るく、左の壁は暗い。ユダのみがその明るさから逃れている。イエスの予言の真実をただ一人知る者のおびえと苦しみを影で示した。
 イタリア人は手や体の動きでいろいろなものを表現する。ヤコブは驚き激怒する。「私の言うことを何故信じない」と言われたピリポは両手を胸にとまどう。 1452年レオナルドはヴィンチ村に生まれた。絵を描くために、科学を学んだ。「最後の晩餐」を描く時になかなか描けなかった。その時頻繁に通ったのは、死体置き場だった。解剖に立会い、人体の仕組みをスケッチした。筋肉の動きまで正確に描こうとした。ユダの筋肉も細かく描かれている。それゆえに光輪を描かなかった。「偽りは役に立たず」。1999年20年かけた緻密な修復作業が終了した。


テレビ番組「THE 世界遺産 マテーラ」

 2009年3月29日放送。洞窟に身を潜め、長く暗い夜に耐えた人類の祖先。遠くはるかな記憶を辿るかのようにその町は。無数の洞窟で築かれた。

●マテーラ
 イタリア南部。長靴をしたイタリア半島の丁度土踏まずの位置にある。世界に2つとない珍しい町がある。崖の上の洞窟に住み着いた人々は、自らそれを掘り広げ、切り出した石を積んで家の入口とした。天空に浮かぶ洞窟都市がそうして作られていった。一見どこにでもありそうな石造りの家々。しかし、内部には窓のない穴倉が続く。全住民が政府の命令で強制退去を命じられた。町は廃墟と化した。
 マテーラへと続くグラヴィーナ渓谷。雨風による侵食で受けやすい凝灰岩の岩肌には、無数の洞窟が口を開けている。まるで天空の城のように街が姿を現した。険しい崖の斜面に何層にも積み重なる家々。
 この地に人間が暮らし始めたのは7000年前の新石器時代。人々は自然の中に無数に点在する洞窟を住みかと定めた。洞窟を住居とするそうした文化が地中海沿岸に広く見られた。しかし、その伝統を発展させ、洞窟都市と言われるまでに高めたのは、このマテーラをおいて他にはない。崖の上に独自の文化を刻んだマテーラ。
 洞窟住居の内部を覗いてみた。入ってすぐがリビング。煮炊きの煙の出る台所は窓に面した場所に作られた。地下へ続くスペースは家畜のため。その下には食料やワインの貯蔵庫。1950年代に住む人の去ったこの家には、暮らしがそのまま再現されている。
 洞窟都市として発展するきっかけは何だったのか?マドンナ・デッレ・トレ・ボルテ教会はかつてのキリスト教会。8世紀以降、この地に移り住んだ修道士たちが作り上げた。彼らはイスラム教徒の進入や偶像破壊主義者からの迫害から逃れ、現代のギリシャからこの地にやってきた。マテーラには洞窟を利用とした修道院や教会が次々作られ、その周辺に修道士たちの農地を耕す農民などが集まった。それが後に都市へと発展する土台となった。時代が下ると、洞窟教会の入口には、外観を立派に見せるファサードが加えられるようになった。サンタ・マリア・デッラ・ヴァッレ教会など。マテーラの洞窟教会の数は100をはるかに越える。
 マテーラ繁栄のシンボルドゥオモ(大聖堂)が創建されたのは13世紀。町の守護聖人を祀る教会が洞窟ではなく、最も高い丘に石を積んで組み立てられた。
 15世紀後半、最盛期を迎えたマテーラは330もの洞窟住居を利用し、人口は2万人にも達した。人口増加に対応し、生活基盤の整備も進んだ。

 雨が少ないので、水の確保は切実な問題だった。商人たちは潤ったが、庶民には何もなかった。貧富の格差は拡大し、巨大なスラムと化し、イタリアの恥と呼ばれるようになった。
 マテーラを覆った貧困は20世紀にピークに達した。洞窟住居は疫病の温床となり、飢えに苦しむ人々を襲った。国じゅうの注目を集めるきっかけを作ったのは、画家・小説家のカルロ・レーヴィだった。彼はマテーラの人々を描いた絵画「ルカーニア61」で、子供たちがマラリアや赤痢にかかっていたことを記した。この小説はイタリア第44代首相アルチデ・デ・ガスペリ。マテーラを救えという世論が時の首相を立ち上がらせた。視察した首相は1952年、全ての人に強制退去を命令した。1.5万人の住民たちが郊外の高台に建設された新市街に大移動した。家畜を飼っていた家族には一戸建てが提供された。
 小さなコミュニティ「ビジナート?」はその後も姿を変えなかった。かつては洞窟の前の広場に数家族が集まり、地域の交流をしていた。イタリアの多くの人々が失われた多くのことに気がつき始めた。政府は長年廃墟として放置された家々は希望者に貸与されることになった。条件は内部を完全にリフォームすること。モンテムーロさん夫妻は、次のように語った。「新しい人々は洞窟住居を愛し、独特の環境で暮らしたいと望んだ人々。既に入居者は5000人を越えた。死の町だったマテーラは今蘇りつつある。賑わいを取り戻しつつある町に、かつてのような地域の絆は復活するのだろうか。その答えはまだ誰もわからない。
 新市街と旧市街の境界にある「ヴィットリオ・ヴェネト広場」。以前住んでいた人たちは旧市街を散歩をする。彼らの目に蘇った町はどう映っているのだろうか。


テレビ番組「THE 世界遺産 ジェノバ」

 2009年3月15日放送。

●ジェノバ Genova
 豪華絢爛な大邸宅をパラッツォ Palazzo と呼ぶ。今から500年前に絶頂期が訪れた。手狭になった中世の市街地の隣に豪邸が建ち並んだ。そこに「新しい道 Strada Nuova 」を作った。当時のヨーロッパでは画期的な都市開発だった。贅の限りをつくした建物に各国から訪れた客人たちは驚いたという。
 なぜジェノバにこれだけの富みがもたらされたのか。クリストファー・コロンブスによるアメリカ大陸の発見が関係していた。
 古くからイタリアでは栄えた貿易港であり、今もジェノバはイタリア第一の貿易港。目の前に迫る地中海と背後に迫る急峻な丘。港周辺の限られた土地に密度の高い町を作り、ジェノバは発展してきた。
 16世紀半ば、町を見下ろす高台に1本の道路が敷かれた。それが「 Strada Nuova 」で、両側に大邸宅がつながる高級住宅街。幅7.5m、長さ250mの真っ直ぐな道。当時としては洗練された大通りだった。現在この道は「ガリバルディ通り via Garibaldi 」と名づけられている。今なお、ルネサンス様式やバロック様式の邸宅群が残るのはイタリアでも稀。世界遺産に登録されているパラッツォは42軒。それらは住居でもあり、客人をもてなす迎賓館だった。貴族たちは競うように贅沢な建築に財をつぎ込んだ。
 「A.J.スピーノラ邸」を見てみた。1578年に建てられたこの邸宅は、現在は会員制のクラブになっている。ジェノバでも選ばれた上層階級の人でしか利用できない。「旧バルビ邸」は完成間もないベルサイユ宮殿を模して造られた。金色の廊下が見事です。貴族たちはここで豪勢な食事会を開いた。後にこの建物はサヴォイア王家のものとなり、王宮となった。著名な画家を招き、肖像画を描かせることは貴族たちのステータスだった。「アントン・ジュリオ・ブリニョレ・サーレ騎馬像」はヴァン・ダイクが描いた。
 世界遺産であるパラッツォに、現在でも暮らしている数少ない貴族がいる。ドメニコ・パッラヴィチーニ氏。

 ガリヴァルディ通りからは中世の様子を残す路地が続いている。地盤が固いジェノバでは建物は垂直に伸びた。日が当たらない路地はまるで迷路。ジェノバはこの当時、イスラム地と海上貿易で栄えた。12−14世紀に建てられたサン・ロレンツォ大聖堂の白と黒の縞模様はイスラム文化の影響。黒い石材は遠くオリエントから運ばれた。商人たちの交易から、都市国家同士の熾烈な争いになった。その最大のライバルはベネチア。地中海の覇権争いで、最終的にジェノバはベネツィアに敗れた。敗れても衰退に向かわず、むしろ繁栄した。
 海洋国家から金融国家へと変容したためで、このきっかけとなったのがコロンブス。コロンブスはジェノバの出身だった。貧しい商家に生まれたコロンブスは少年時代から船乗りとして働いた。コロンブスはスペインに渡り、セビリアに住んだ。スペインの繁栄をジェノバの商人たちが支えた。コロンブスのアメリカ大陸発見を支えたのもジェノバの商人たちだった。これによりスペインは膨大な金銀を手にした。当時スペインの王家はヨーロッパ最大の勢力を誇っていた。オランダ、ベルギー付近、南イタリアなどを支配していた。ジェノバはスペイン王室のメイン銀行を引き受けた。聖地といわれたのが港にある「サン・ジョルジョ銀行」。ジェノバ海運局のダニー・カボーナさんが説明してくれました。銀を溶かすための釜がある。ここで銀貨が作られた。これでジェノバは莫大な利益を上げた。
 各国から訪れる来賓の泊まる場所が必要となった。実施されたのがユニークな都市整備だった。パラッツォを厳選して、来賓の宿泊先にした。選ばれたパラッツォは「ロッリ」と呼ばれるリストに登録された。美観や品位によって4つのランクに分けられた。「ジュリオ・スピーノラ邸」はレベル1。「ルカ・クリマルディ邸」はレベル1。「ロメッリーニ邸」はレベル2など。宿泊客のレベルに応じたレベルの中で、くじ引きで決められたパラッツォに宿泊した。「旧ニコロ・クリマルディ邸」(レベル1)は最高級と評された。重厚な大理石の門をくぐると洗練された建物。広々とした中庭を囲む回廊。天井を飾る豪華なフレスコ画。ここにはスペイン王の絵が描かれた。ロッリに選ばれ、国賓が滞在することはたいへんな名誉だった。貴族たちは最高のもてなしで客人を迎えた。
 この繁栄は世に広く伝わった。多くの芸術家がこの地に引き寄せられた。ルーベンスの建築画集「ジェノヴァの邸宿」にもパラッツォが描かれている。これが見本として各国の建築に影響を及ぼしたという。爛熟したジェノバの貴族文化はスペインの衰退と共にゆっくりとかげりを見せていった。
 近年、ジェノヴァは都市の再生に取り組みつづけている。歴史的な建物の修復にも取り組んでいる。ガリヴァルディ通りもかつての賑わいを取り戻しています。「旧ニコロシオ・ロメッリーニ邸」?。2002年隠れていた意義深い天井画が見つかった。天使に囲まれた女神。それはまさに新大陸の象徴。新大陸がジェノヴァの商人たちを貴族にした。


テレビ番組「世界!弾丸トラベラー 椿姫彩菜さんでミラノとペルージャ」

 2009年2月14日放送。椿姫彩菜さん(24歳)がバレンタインのチョコレートを作る。エールフランスAF277便/1212便でパリ経由でミラノに16時間。1泊4日の旅。

●予定
 1日目、21:55成田空港発AF277便。
 2日目、7:00シャルル・ドゴール空港発AF1212便。8:30、ミラノ・リナーテ空港着。9:45、バスでミラノ中央駅へ移動。10:15、地下鉄でドゥオーモ駅(Duomo )に移動。10:30、ドゥオーモ前でガイドと待ち合わせ。11:00、ミラノ市内でチョコレート屋巡り。15:30、ミラノ発の電車、17:39、フィレンツェ着。18:30、フィレンツェ発の電車、20:19、ペルージャ着。20:40、ホテルに到着。21:30、レストランで夕食。
 3日目、8:00ホテル発。8:45、エステ in ペルージャ。10:30、チョコ工房「アウグスタ・ペルージャ」へ。最高のバレンタイン・チョコを作る。14:30、空港に移動。16:30、ローマ空港着。18:50、ローマ空港発AF1904便。23:25シャルル・ド・ゴール空港発AF278便。
 4日目、19:00、成田空港着。

●ミラノ
 地下鉄で1ユーロでドゥオーモ駅に向かう。ドゥオーモはゴチック建築の最高傑作で、19世紀に完成した高さ108mの大聖堂は、ミラノのシンボルとして有名。ガイドはジャコモさん(26歳)。
 19世紀に作られたガラス天井のアーケードのガレリアに行く。チョコレートを作る参考のために、有名チョコレート屋さんを巡る。まず「アルマーニ・ドルチェ」。世界7都市に展開している。お勧めは「ペッパー&テキーラ」で、ビター・チョコをベースにテキーラを混ぜた赤唐辛子をトッピングしたオトナのチョコ。3.5ユーロ。
 次は「イル・ドルチェ・イル・サラト Il dolce il salato 」。33種類のホット・チョコレートが楽しめる店。ドリンクではないみたい。チョコレートの味をより楽しめるために、ミルク少な目のホット・チョコレートが人気の店。ホット・チョコレート(キャラメル)は5.2ユーロ。スプーンはミルク・チョコレート1ユーロ。カップはクッキーでできている。1.2ユーロ。サプライズが詰まったチョコでした。

●ペルージャ
 ミラノからユーロスターで48.6ユーロ。中田選手がいたが、サッカーでもチョコレートでも有名な街。毎年10月にはヨーロッパ最大のチョコレートの祭典「ユーロ・チョコレート」が開催される。
 宿泊はチョコレートずくしのホテル「エトゥルスカン・チョコホテル Etruscan Chocohotel 」部屋の中にもチョコがいっぱい置いてある。全て無料で、お持ち帰りも自由。今回は404号室?ホテル代はスイーツ・スイートで220ユーロ。
 夕食はホテルにあるレストラン。全ての料理にチョコレートが使われている。「ザ・チョコ・メニュー」。まずはチョコ・パスタで、カカオをふんだんに練りこんだフェットチーネで、ポルチーニ茸と地元のトマトをあわせてある。少し香りにカカオがあるかな?というくらいで甘くないそうです。メインは「野ウサギのもも肉とピスタチオ・チョコレート・ソースかけ」。デザートは「ユーロ・チョコケーキ」でチョコレートケーキの上からたっぷりのチョコをかけたもの。

 翌朝、まずエステ。「チョコエステ・コース(フェイス、ハンド)」で69ユーロ。チョコエステ・クリームを使用。カカオクリームには鉄分やカルシウムなどのミネラルが多く含まれ、保湿効果がある。手と顔にチョコを塗りました。これで10分間チョコを浸透させてお肌もしっとり。
 チョコ工房「アウグスタ・ペルージャ Augusta Perugia 」に行く。親子二代に渡ってチョコにこだわるチョコの名店。中田選手もたびたび訪れたという。パティシエの二代目ジョルダーノさん(33歳)にチョコ作りを教えてもらう。チョコレート教室を開いている1500年代に建てられたサンタマリア修道院に行く。チョコレート・レッスンは3時間100ユーロ(要予約)。
 椿姫さんのはハート型のチョコ。まず溶かしたビター・チョコをハートの型に流し込む。ポイントはチョコの中に気泡がなくなるまで型を机に打ち続けること。チョコが固まったら、ミルク・チョコを流し込む。冷蔵庫で冷やす間に、デコレーションの準備。まず絞り袋を作る。ホワイト・チョコで文字や絵を描くが、すぐ固まるので、ポイントは低めから一気に描くこと。その上に赤いチェリーをのせて、ピンク色のアクセントを入れて完成。ラッピングをして感性。


テレビ番組「男自転車ふたり旅 イタリア1200キロをゆく」

 2008年12月29日放送。猪野学(36歳)と蟹江一平(32歳)さんが北イタリアを自転車でローマまで旅した。二人の共通の趣味は自転車だった。フランスとの国境に近い町から地中海を目指し、内陸に入ってパルマを経て、トスカーナ地方を縦断し、オルビェートを経てローマに向かう。およそ1200kmを2週間かけて旅する。NHK製作

●クールマイユール
 10月末にフランスとの国境近くの町に二人は来ていた。標高1400m、天気がよければモンブランが見えるはず。ここで愛車を組み立てて、出発。寒いそうです。

●アオスタ渓谷
 出発から3時間(50km)で小さな石造りの町ペレス。バルでエスプレッソをいただく。
 イプレア(102km)を通過後、雨がひどくなったので、宿を探す。

●フォンタネット・ポー
 142kmで宿を見つけて宿泊。
 翌朝散歩に出かけてみると青空市場がある。マルコ・オルソーニャさんは歌が好きでCDを作っている。たくさん買うとCDをくれます。
 このあたりはイタリア有数の米の産地。稲刈り跡を通過。2日目は向かい風の中を133km走った。

●チカーニャ
 295km。山を越えると地中海というところまで来た。途中で斜度18%の山を越える。二人がかつて体験した箱根でも10%だった。のぼり続けて1時間で頂上に到着。海が見えました。祝福するように、太陽が始めて顔を出しました。

●ラパッロ
 315km。地中海に到着。ここで宿泊。

●モンテロッソ・アル・マーレ村
 4日目、411km。この村を起点に小さな村・ぶどう畑が海岸線に長く伸びている。街並みの美しさを見るには海からが一番。帰るついでということで船に乗せてもらった。絶壁に家が点在している。世界遺産のチンクエ・テッレを通過。世界遺産のポルト・ペネーレも通過。
 1時間の船旅後、レリチで下船。

●レリチ
 5日目、人口は1万人。美しさから夏には多くの観光客が訪れる。元は漁師町だったが、年々数が減り、今では8人。トーレ・パゾーネさんとニッコーロさんは親子で漁師。市場に付いて行く。並べてすぐに売り始める。自分たちで売ります。魚を食べに来なさいと言われて、夕飯を食べさせてもらう。シャコのカルパッチョ、魚介のフライなど。
 早朝、パゾーネさんが漁に出るのを見送ってパルマに向かいます。

●アペニン山脈
 標高2000m。雪をいただいて白い。イタリア半島を縦断しているので、イタリアの背骨と言われる。標高1000mの峠を一気に越えた。

●パルマ Parma
 6日目、526km。この日は115km走ってパルマに到着。

●ヴェドレ Vedole
 特産の生ハムを食べに行く。地元の人しか知らないこだわりの店「al Vedel 」。ワインのお店らしいが、生ハムが置いてある。蔵を見せてもらった。クラテッロ culatello といわれる3年熟成したもの。香りが高いのが特徴。6000個あるそうです。近くを流れるポー川の湿気がハムを育てるそうです。

●フェラーラ
 7日目、646km。東に走った町。ここから南へフィレンツェに向かう。

●アペニン山脈
 南へ80km、山道で迷って夜になった。宿らしきところを見つけたが、「カゾンチェッロの庭 Giardini del Casoncello 」と書いてありました。マリア・ガブリエッラ・プッチオリさん(68歳)のお宅で休ませてもらった。726km。
 翌朝、お庭を見せてもらいました。3000坪。農薬を一切使っていません。手入れは全てガブリエラさん一人でやっています。今はたくさんの人が訪れる。「風が運んだ庭」という本として出版もされている。セージは歯を磨くのにいいそうです。ミノトマトをいただき、ラズベリーも。
 旅の途中で何度もサイクリニストたちと出会った。アペニン山脈を再度越えて、フィレンツェに到着。

●フィレンツェ
 9日目、808km。フィレンツェ泊。

●カステルリナ・イン・キャンティ
 10日目、852km。ワインで有名な場所。お土産屋さんの絵葉書に面白いのを見つけた。聞いてみるとサトゥルニア温泉だという。
 行ってみました。しかし到着したのは、バーニ・サン・フィリッポ温泉。しかも誰も入った様子はない。周辺は温かくないが、一部温かいそうです。白い岩は温泉の石灰成分が固まったもの。ここに長く入っていると体も真っ白になるそうです。

●トスカーナ地方
 緩やかな丘の間をゆっくり走る。az.agrituristica 「Il Serraglio 」の標識を見つける。ご主人はトリュフを取りに行くところでした。採った場所を教えないという条件で連れて行ってくれました。1時間でトリュフの中でも最高級の白トリュフを1個目を発見。さらに1個。食べさせていただきました。
http://www.ilserraglio.it/

●オルビェート Orvieto
 1112km。中世の街並みが美しい街。秋から冬にかけて雲の上にぽっかりと町が浮かびあがる様子から「天空の城」とも呼ばれる。城塞都市として築かれた街で、2万人が暮らす。
 マンチネッリ劇場に寄る。1分だけ中を見せてもらった。1850年建造で伝統的な形。15年前にかつての姿を取り戻したそうです。
 町中でアンドレア・プルニェーラさんと日本人の奥さん奈津子さんに会う。二人のとっておきの場所に案内してもらった。夕陽が見事でした。さらに家に招いてもらいました。コメディア・デラルテという舞台はイタリアの伝統的な演劇で、日本の狂言と似ている。そのお面とかがありました。いきなり3人で即興劇をしました。

●ローマ
 1239km。ゴールはガリバルディ広場。山を越えたこと、イタリアの暖かい人たちのことなど思い出して涙がでました。


テレビ番組「地球街道 高島礼子さんでイタリアのカッシア街道」

 2008年12月20日、27日放送。前回はミラノからベネチアに行った。今回はフィレンツェからローマに向かうカッシア街道。

●フィレンツェ
 ルネサンス発祥の地。ダビンチやミケランジェロが活躍した。町のシンボル「サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂」は1296年に着工し、140年以上の歳月をかけて完成した。ゴシック様式と初期ルネサンス様式。ドゥオーモとは町を代表する教会堂のこと。高さおよそ100m、ドーム型の屋根には見晴らし台がある。バラ色の輝きとうたわれる街並みは世界文化遺産に登録されている。町の美観を損なわないよう、様々な条例が定められている。道路から見えるパラボラ・アンテナは屋根と同じ色にしないといけないとか。

 世界有数にしてイタリア最高の「ウフィッツィ美術館」がある。ルネサンス期の名作が数多く納められている。ルネサンスとは14世紀から16世紀に起こった古典古代の文化を復興しようという歴史的文化的な運動のこと。ミケランジェロ「聖家族」、レオナルド・ダ・ヴィンチ「受胎告知」、ボッティチェリ「ビーナスの誕生」。この美術館には知る人ぞ知る回廊がある。長い階段を降りた先には、「ヴァサリの回廊」。両側に自画像の絵画が並ぶ。レンブラント・ファン・レイン、ディエゴ・ベラスケスなど。この回廊はベッキオ橋の上を抜け、対岸のビッティ宮殿に至る。メディチ家が作らせた秘密の通路で、中からは外が見えるが、外からは中が見えないマジック・ミラーになっていた。1箇所だけガラスが取り替えられて見えるそうです。

 フィレンツェはルネサンス時代からめんめんと続く職人の町。工房「イ・モザイチ・ディ・ラストルッチ」に行く。オーナーはブルーノ・ラストルッチさんで、硬質の天然石を使うフィレンツェ・モザイクを作っている。油絵の具で描いた絵画のようにしか見えない。ジグソー・パズルのようにして作っていきます。蜜蝋を使い裏から接着していく。このモザイク技法は1400年代に始まり、メディチ家の庇護の下、現在までほとんど変わらずに受け継がれている。3年以上かかった作品は1億円以上の価値があるとか。色あせないため、永遠の絵画といわれている。安いものでも10万円するそうです。息子さんはヤコボさんかな?

●トスカーナ州モンタルチーノ
 町の南にあるローマ門を抜けカッシア街道 Via Cassia へ。現在は国道2号線。 キャンティ地方を抜け、モンタルチーノの老舗のワイナリー「コルトルチャ」に行く。オーナーはフランチェスコ・マローネ・チンザノ伯爵。エージング・セラーを見せてもらった。ここでは「ブルネッロ・デ・モンタルチーノ Brunello di Montalcino 」を作っている。ワインを樽で4年間熟成させる。このワインは樽で熟成させる期間がイタリアで一番長い。さらにボトルに詰め替えられても続き、今年やっと2003年ものが出荷された。ヒストリカル・セラーには歴史が詰まっている。一番古いのは1960年代。高島さんは1964年生まれで、同じ年のワインに出会いました。このワインは熟成すればするほどその本領を発揮すると称えられている。これをいただきました。

●ラツィオ州の天空の村
 雲海の中そびえるように建つ陸の孤島「チヴィタ・ディ・バーニョレッジョ Civita di Bagnoregio 」。4世帯18人が暮らす村。断崖の上に建つ静かで小さな村。谷を越える橋を渡る。不思議な気分。  ロッサンナ・メドーリさんが説明してくれました。1600年代に大地震があって、この村が地滑りを起こし、今の山上都市みたいな形になった。昔はここと近隣の町が一つの大きな町だったそうです。近年崖の崩落が続き、死にゆく村と呼ばれている。守るためにイタリアの資産家や文化人たちが家を借り、残った村人たちはお土産などの観光収入で生計をたてている。

●スートリ
 ローマまで50km。カッシア街道沿いにある数少ない古代ローマの遺構がある。2000年前に築かれた「スートリ円形劇場」。3000人収容できた。1枚岩で作られた壮大な劇場。今回のドライバーさんのピエロ・マージさんがオーソレ・ミオを歌ってくれました。

●ローマ
 カッシア街道の終点ミルヴィオ橋。日本でいえば日本橋なのだが、思っていたよりもさらりとしている。
 フォロ・ロマーノは19世紀の発掘以来、古代ローマ時代民主政治の中心地だったことがわかっている。ここにローマと主要都市間の距離が記載された黄金の碑「金のマイル表示石」がある。「全ての道はローマに通ず」それがこの場所だった。
 フォロ・ロマーノと通りをはさんだ反対側にはフォリ・インペリアーリがある。ローマ帝国時代に作られたもので、アウグストスのフォロなどがある。本格的に発掘が始まったのは1995年のことで、その半分は未だ土の中。

 「ジョリッティ」は大きなジェラート屋さん。種類も豊富で、人気の秘密はお店での手作りにある。まず新鮮なデザートをミキサーにかけ、食感が残る程度にまでつぶす。砂糖、レモン汁、牛乳、生クリームを加えジェラート・マシンで凍らせる。サクランボ、ライス、カキなどもある。今回はピスタチオ、ダークチョコ、ストロベリーでこれに生クリームをのせてもらって3ユーロ。老いも若きもやって来る。

 スペイン階段はオードリー・ヘップバーンが「ローマの休日」で印象的だった場所。アン王女が1日ローマで過ごした物語で50年経っても色あせない作品です。
 コロンナ宮は「ローマの休日」のラスト・シーン、アン王女の記者会見が行なわれた場所。ヨーロッパ各国を訪問し、印象を尋ねられたアン王女は「ローマは印象的だった」と答えた。ガイドのラファエッラ・シュッパさんは階段の上にある大砲の弾の説明をしてくれました。1849年にジャニコロの丘から誤って発射されたものだそうです。
 夜はローマはライトアップされていました。


テレビ番組「THE 世界遺産 ポンペイ」

 2008年12月14日放送。

●ポンペイ
 2000年前に火山の噴火により町がまるごと埋まった。18世紀半ば、発掘により眠りから覚めたポンペイは世界中を驚かせた。古の華麗な暮らしがそのまま残されていた。建物だけでなく、逃げ贈れた人々の様子まで生々しく残されていた。当時の人が壁に残した落書き。ポンペイの人々が何を考え、どう生きていたのか?
 ナポリの東30kmに位置するベスビオ火山。雄大な姿を見せるこの山は、西暦79年以来これまで十数回にわたって噴火を繰り返してきた。最近では1944年の噴火がすごかった。
 16世紀人々は歴史のいたずらに気付いた。建築家ドメニコ・フォンターナはこの地で灌漑工事のための調査をしていて遺跡を発見した。それがポインペイだった。かつてこの町は城壁に囲まれていた。人口は1.1万人で特別な町ではなかった。火山灰は噴火直後から18時間降り続き、一つの町と逃げ遅れた2000人の人々は厚さ5mの火山灰にうずもれた。町の4分の1がまだ地中に埋もれている。公共広場では神殿、市場、裁判所などが建ち並ぶ。ここを起点に大小の道が町中に張り巡らされていた。古代ローマ人の暮らしがいかに豊かだったかがわかる。道のへこみは馬車の通った轍の跡。道は既に車道と歩道に分かれていた。飛び石の横断歩道もあった。町のあちこちに公共水道も見られる。どの家からも3分以内にきれいな水を汲みに行くことができた。当時使用されていた水道管は鉛でできていた。クリーニング店もあり、仕事風景は壁画に描かれていた。
 最新の発掘現場は古代のパン屋。壁には落書きが残っていた。ポンペイ考古学監督局のアントニオ・ヴァローネさんが説明してくれました。売れたパンの数などを書いていたようです。当時は紙がなかったので、壁にメモとして書いたのだろう。
 1860年に最大の発見があった。地中に不自然な空洞があることに気付いた。逃げ遅れた人の遺体の跡だった。石膏を流しこんだところ、遺体の形の姿が現れた。ある家では一家4人が身を寄せ合うように亡くなっていた。幼い子供は4歳と推測されている。互いをかばい合うように亡くなっていた2人は夫婦だったのだろう。女性は妊婦だった。
 当時のローマ帝国は絶頂期を迎えようとしていた。トルコから北アフリカ、ポルトガルからイギリス、ドイツ、ルーマニアまでの勢力を誇った。国民に豊かな生活を実感させるために、パンとサーカスを編み出した。暮らしに必要な最低限のものをローマ帝国では無償配布していた。サーカスとして娯楽も市民に無料で提供された。円形闘技場で行なわれる闘士の戦いに人々は熱狂した。快適な暮らしを提供することで反乱を抑えた。豊かな暮らしは豊かな芸術を生んだ。ポインペイの町の壁にも鮮やかね壁画が描かれた。美しいモザイクが埋め込まれた空間は浴室だった。
 今から2000年前、ポンペイ周辺でもワインは作られていた。街の中に居酒屋が点在していた。大理石のカウンターに壷が埋め込まれている。この壷にワインや食べ物を入れて販売していた。値段が非常に安かったので、人々は朝から晩まで飲みつづけていたという。店の壁画から当時の様子が浮かびあがってくる。既にこの頃、おつまみとしてソーセージがあった。サイコロ・ゲームに興じる人々。ギャンブルが流行していたのかもしれない。クロスワード・パズルもある。「ワインをもう一杯くれ」、「冷たい水を少しくれ」という落書きもある。他には、「私はあなたの指輪になりたい」、「僕はあなたを追いかけて、この地にやってきた」、というものもある。選挙の立候補者の名前のリストもある。市長になるとローマ帝国からいろいろいいことがあったらしい。それで人を家に招いてパーティなどをしたらしい。壁には注意書きが書いてあった。「人の妻に色目を使うな」、「家に来たら足を洗え、テーブルクロスを汚すな」、「喧嘩をするな、守れないなら帰ってくれ」。人々は椅子に寝そべって食事をした。横には食べたものを吐くための穴がある。裕福な人は食べては吐き、吐いては食べて美食を極めていた。ポンペイの人の労働意欲は下がり、貧富の差が生まれた。そして金持ちをやっかむようになり、泥棒が増えた。ピアスや洋服を担保にして借金をする者も増えた。治安が乱れ、番犬が飼われた。心がすさんで、「お前に災いが降り注ぐことを切に願う」という落書きもある。
 西暦79年秋、ポンペイにはいつもと変わらない朝が訪れていた。午後1時、悲劇の幕が上がった。ヴェスヴィオ火山が噴火し、大量の火山灰が降り注いだ。階段で亡くなった人、首輪でつながれた動物。道ばたでしゃがみこみ息絶えた人。窯の中のパン。もだえ苦しむ1匹の犬。


テレビ番組「探検ロマン世界遺産 フィレンツェ」

 2008年12月13日放送。高橋美鈴アナウンサーが案内。

●フィレンツェ
 14〜16世紀にルネサンスの華麗な文化が花開いた。町の象徴は大きなドームの大聖堂「サンタ・マリア・デル・フィオーレ(花の聖母マリア)」。13世紀末に着工された。緑と白とピンクの大理石が使われている。直径40m以上の大きなドーム。当時これほど大きなものを作るのは技術的に不可能だといわれてきたが、15世紀の建築家が成功させた。
 フィレンツェは町全体が美術館といわれるほど、おびただしい数の芸術品が集まっている。ミケランジェロ、ラファエロ、レオナルド・ダ・ビンチなどの有名な作家がきら星のごとく現れた。ルネサンス美術の宝庫である。

 ルネサンスの出発点という絵を「サンタ・マリア・デル・カルミネ教会」に見に行く。祭壇の右手にあるブランカッチ礼拝堂の壁一面に描かれている絵。マザッチョ「貢ぎの銭」は、イエスと弟子が旅の途中、その土地の役人から税金を取り立てられる。弟子のペテロが役人にお金を払っている。
 手紙をくれたステファノ・コラッツィーニさんが案内してくれた。まず14世紀ルネサンス初期に作られた裕福な商人の家「ダヴァンツァーティ邸」。入口の天井には穴が数箇所空いていた。2階の床には取っ手がついていて開けると先ほどの穴に相当していた。石の玉も置いてあり、穴から落として侵入者を撃退していたようだ。
 フィレンツェは資源はないが、商人が活躍していた。有力な商人の家が200あまりあった。商売に対する熱意は激しく、サリンペーニ家の家訓は「眠るなかれ」。チェルタルト家の家訓は「今日できることを明日に延ばさないように」。「目の前にあることをおろそかにするな」。「怠けるな」。特産品も生み出した。羊の毛から作られた毛織物で、赤く染められたものが一番高価だった。13世紀から生産が増え、市場を席捲した。フィレンツェ大学のジャンピエロ・ニグロ教授が説明してくれました。商人は大量の記録を残していた。赤い染料はグラーナでトルコから輸入していた。金と同じ価値があった。情報を制したフィレンツェの商人は財を蓄えていった。
 大聖堂近くのマッシモ・ゼッキさんの画材店を訪ねた。奥の棚にあるのはフィレンツェ時代のもので、復元したそうです。ラピスラズリから作った青は、高価なので、聖母マリアの服などにしか少量使われるだけだった。カイガラムシの昆虫から取れる赤は毛織物の染料に使われた。お客として来たルイジ・ファライさんの工房を訪ねた。マリオ・パッサヴァンティさんが相棒。フレスコ画は下絵をきちんと描くことから始まる。しっくいを塗り、ぬれている時にその上から絵を再び描く。そのために長持ちする。乾くと修正が難しいので、早く描く必要がある。
 大聖堂の前のサン・ジョバンニ洗礼堂は12世紀でルネサンス以前に作られたもの。イエスが他より大きいなどの制約が多かった。背景は金色、顔の表情も均一で個性はない。服も平面的だった。15世紀初頭になると絵画に決定的な変化が表れる。さきほどのブランカッチ礼拝堂を訪れた。背景は風景が描いてあるし、人々の表情は個性があり、写実的だった。マザッチョは当時20代だった。さらに感情を表現させている。アダムとイブが楽園を追われる時の嘆きの様子を表現した。
 パラティーノ美術館にあるのは、ラファエロの「小椅子の聖母」。
 ヴェッキオ宮の近く。子供たちに絵を描かせる場所がある。1点透視法や遠近法を学ぶ装置がある。サンタ・マリア・ノヴェッラ教会に典型的な絵がある。マザッチョの「三位一体」。モレッリ家の処世訓には「実際に自分の目で見たものしか、信用してはならない」。ヴィッラーニ家「神は自分自身で努力している人を助けてくれる」など。
 最も力を持った者はメディチ家だった。毛織物業と銀行業で頭角を表わした。嫁いできたコンテッシーナ・デ・メディチの子孫のニッコロ・リドルフィさんは郊外に住む。その後メディチ家は直系が途絶えた。お皿に「人間は人間の神である」という家訓が書いてあった。人間は能力があるのだから、完璧を目指してがんばらないといけないという意味らしい。銀行業に進出し、フィオリーナ金貨は世界共通の通貨となったようだ。聖書では利子を取ることを禁じている。しかし、社会に役立っていることをメインに行動した。
 ウフィッツィ美術館。ボッティチェリ「ビーナスの誕生」は、古代ローマ時代の彫刻を参考にして作られた。「春」も古代の美を参考にしている。古代彫刻はまるで生きているかのように写実的だった。ルネサンスとは復興、再生の意味で、古代ローマやギリシャの美術を復興するという意味。
 ラファエロの「マッダレーナ・ドーニの肖像」は「モナリザ」の下絵を観て描いたのだろう。ルイジさんにも影響を与えたのは、旧サンタアポロニア修道院の15世紀に修道院の食堂に描かれたフレスコ画。アンドレア・デル・カスターニョによる「最後の晩餐」。一人一人の感情が描かれている。テーブルクロスはしわまで描かれている。ペテロとイエスとユダの背後の大理石の絵画だけが違う。これは3人の頭の中を示しているのだろうとルイジさんは言う。ルイジさんは10代の頃、進路を迷っていたが、この絵のおかげで絵画の表現力を感じて絵の世界に入ったという。
 メティチ家の邸宅「メディチ・リッカルディ宮」は中心部に建っている。コジモ・ド・メディチは人々から無用な嫉妬を買わないために、質素な宮殿にしたという。内部は豪華なフレスコ画で埋め尽くされている。ゴッツォリ「ベツレヘムへ向かう東方三博士」。博士について行く従者の中にコジモ・ド・メディチの姿もある。コジモが数時間も瞑想したという小部屋が残っている。商人の心の中にはいつも葛藤があり、罪の意識があった。いつも神に許しを請うていた。
 サンタ・クローチェ教会にはルネサンス期に富を築いた400家族の墓がある。商人たちは死後の世界を求めて寄進を重ねた。富のある人は個別に作り、富のない人は床に墓を作った。祭壇に近い方が高かったそうです。
 フィレンツェでも美味しいと評判のジェラートの店「Vivoli」。店の奥のフレスコ画はルイジさんが描いたベッキオ橋。依頼したのは、オーナーのシルバーナ・ビーボリさんと父親。
 旅の終わりに大聖堂のドォーモの上に登る。460段の階段。上から見る町は美しい。旅の終わりに高い所に上ると、行った場所を確認できる。


テレビ番組「地球街道 西村和彦さんでイタリア」

 2008年12月6日、13日放送。ローマ街道の一つアウレリア街道は、ローマとジェノバを結ぶ全長574kmの道。その道には日本とイタリアの意外な関係があった。

●ローマ
 早朝、コロッセオを訪問。サン・ピエトロ寺院。ローマ旧市街の西のはずれのサン・パンクラッツィア門からアウレリア街道は始まる。

●チヴィタヴェッキア
 ローマから70km。人口5万人ほどの港町。この港はローマに近いこともあり、地中海の港から豪華客船で観光客が来る。ここは日本と深い関係がある。侍の銅像・支倉常長像がある。今から400年前に通商を目的に伊達正宗の命により、遣欧使節団を率いた。1613年に太平洋を渡り、1615年にチヴィタヴェッキアに上陸した。ローマを訪れ、教皇パウロ5世に謁見した。しかし通商交渉は決裂した。失意のうちに8年間かけて帰国した支倉を待っていたのは、キリシタン弾圧という非業の死だった。
 もう一つ日本聖殉教者教会がある。中のフレスコ画は何と着物姿のマリア様でした。周囲の壁に描かれているのは、日本26聖人。慶長元年豊臣秀吉の命により、京大阪で捉えられ、長崎で処刑されたカトリック信者達。描いたのは長谷川路可さん。この教会は1862年創建、1951年に再建された。長谷川さんはたった一人で4年かけて仕上げた。この功績により1967年ローマ教皇パウロ6世に謁見したが、その5日後脳溢血でこの世を去った。しかし今、路可の絵に亀裂が入っている。

 次の部分のみHPからの情報です。

●グロッセート
 農業地帯、トスカーナ州のオリーヴ並木の先にある農園に立ち寄った。トスカーナ原産の、大きな角の牛がいる。その牛を追うのはイタリア版カウボーイの「ブッテロ」。彼らと「かかしゲーム」を楽しんだ。
 昔ながらの道具を使い、オリーヴオイルを作っているという農園ホテル「ポッジョ・オリヴェート」を訪ねた。約4千本のオリーヴを栽培している。良質のオリーヴオイルを作るには、完熟前に収穫し、その日のうちに加工しなければならない。農園のオーナー、エンリコさんに案内してもらい、オイル工場へ行く。大きな石臼でオリーヴをすり潰し、ペースト状になったものを丸いシートに敷きつめ、幾重にも重ねていき、それに圧力をかけて絞り出し、遠心分離機にかけると、エクストラヴァージンオイルが完成。
 商工会議所でオリーヴオイルの官能試験を担当している奥様のヴァレリアさんに、良いオイルの見極め方を教えてもらった。まずオリーヴの香りを感じること。そして味わうこと。トスカーナのオイルは、若々しい香りに苦みと辛みが良質の証し。
 その夜、エンリコさん一家のバーベキューパーティーに招待された。
 目的地ジェノヴァまでは、あと400km。

●ピサ
 トスカーナ州。ピサの斜塔は正しくはピサ大聖堂鐘楼。1173年の着工後、100年経って傾いていることが判明。傾きを修正しながら建築を再開し、1360年に完成した。その傾きはおよそ5度。現在も壁のひび割れなどの修復を行なっている。但し、予約を取れば観光客も塔の上に登ることができる。入場料は15ユーロ。階段は297段。なかなかスムーズに登れない。手垢もついています。鐘楼に到着。ここは平坦です。さらに上がある。最上階まで行った。

●カラーラ
 カラーラの山脈が見えてきた。山肌が白いのは雪ではなく、大理石。ここは世界屈指の大理石の産地。水たまりの水が白い。大理石の石切場に行く。こういう場所がカラーラには233箇所もある。およそ500年前にミケランジェロが作ったピエタもカラーラの大理石。石切場のオーナーのフランコ・パラティンニさんが昔からの話をしてくれた。カラーラの大理石の特徴は透き通るような白さです。

●チンクエテッレ
 ローマから450km。眼下にチンクエテッレが見えた。世界遺産チンクエテッレは「5つの村」という意味。リグーリア海に望み、険しい断崖にひっそりたたずむ宝石のように美しい村々。村に観光客の車は乗り入れ禁止。ここはリオ・マッジョーレという村。港へと通じる路地を抜けると、とても素晴らしい風景があった。
 ジェノバまで123km。

●ジェノバ
 西村さんは「母を訪ねて三千里」が好きだったそうです。
 あのクリストファー・コロンブスの生まれ故郷。ちなみにイタリアではコロンボと呼ばれている。両親と5人兄弟が過ごした小さな家も残されている。
 今ジェノバで一二を争う人気のレストラン「トラットリア・デッタ・デル・ブルーチャヴォスキ Trattoria detta del Bruxaboschi」(住所:Via Francesco Mignone, 8, 16133 GENOVA)。ここでジェノヴェーゼをいただく。「ピカッジェ・マッテ・アル・ペースト」はジェノベーゼと言われるバジリコ・ペーストのソースでいただく。リグーリア州ブラ産の最高級バジリコを使用。ひとかけらのにんにくと松の実をすりつぶし、バジリコの葉はたっぷりと入れて潰す。ちなみにペーストという言葉はイタリア語の潰すというペスターレが語源。羊の乳で作ったペコリーノ・チーズとパルメザン・チーズの2種類を加えて、最後にエクストラ・バージン・オイルを加え、粗塩で味を整える。これをピカッジェ(エプロンの紐)というパスタにかけた。
 シェフのマッテオ・ローシオさんに話を聞いた。この店は1862年創業で、マッテオさんは5代目。父親がパスタを作っていました。
 明治時代に日本から渡った人物がいた。エドアルド・キヨッソーネ東洋美術館はそのゆかりの場所。エドアルドさんが仏像などを収集していた。彼は画家で銅版印刷の権威。明治18年に来日し、大蔵省印刷局で新しい技術を指導した。紙幣や郵便切手のデザインの他、明治天皇をはじめ多くの肖像画を手がけた。西郷隆盛の絵も彼の作品。ただ、キヨッソーネさんは西郷とは面識がなかったので、西郷の実の弟と陸軍元帥大山巌をモデルに描いたという。彼は日本で亡くなり、青山霊園に眠る。美術館の隅にご先祖様の兜を見つけた。


テレビ番組「日本テレビ開局55年記念番組 古代ローマ 大発掘スペシャル」

 2008年11月24日放送。ローマで謎の地下遺跡が発見された。ローマ皇帝ネロの時代に作られた「伝説の黄金宮殿」の可能性が高いという。日本テレビが初めて公開した。古代都市ポンペイが19時間で完全消滅した謎を完全証明した。コロッセオに隠された驚くべきカラクリ。カリギュラ皇帝が2000年前に建造した超巨大船などを紹介する。日本テレビ製作。

●ポンペイ
 ベッキーが訪問。スオル・オルソラ・ペニンカーサ大学のウンベルト・パッパラルド教授が案内。ヴェスビオ火山は以前は標高が2000m以上あったといわれているが、紀元79年の大噴火以来、数十回に及ぶ噴火により標高は約1300mとなっている。今でも火口からは噴煙が上がる。ここから10km離れた所にあるのが古代都市ポンペイ。南北約700m、東西約1500m、噴火当時の人口は推定2万人。街は碁盤の目のように整然と区画され、ローマ帝国における海上貿易の拠点として活気に満ちていた。
 紀元79年8月24日、午後1時に大噴火が起こった。噴火したマグマとガスの温度は約900度。噴煙柱の高さは30km。風にのって10km離れたポンペイの街を飲み込んだ。大量の火山灰が降り、マグマが空気を含んだ軽石に変わり、19時間も降り注いだ。その結果、最大6m埋没した。
 特別に許可をもらって発掘現場に行った。100軒以上あったというパン屋さんらしく、かまどからは炭になったパンが発見された。粉をひくために飼われていたラバたちの遺骨が残っていた。次は街の有力者が住んでいた家。逃げようとしていた人の石膏像があった。逃げようとした人の上に火山灰が降り、肉体は消えて骨が残った。発掘中に空洞が見つかると、石膏を入れて型を取り、忠実に亡くなった人の石膏像を取った。現在までに型どられている石膏像は全部で67体。苦悶の表情の人もいる。うずくまった人。眠るような人。折り重なった二人の女性の方は妊娠していた。
 軽石と火山灰の層が見える場所に行く。軽石の層の上に1cmにも満たない細い層がある。これがポンペイの人の命を奪った「火砕サージ」の地層。これは噴煙の柱が崩壊し、火山灰などを含む熱風が山の斜面などを駆け下りる現象。軽いので時速200kmにもなる。その200度と思われるガスを吸い込んだ人は気道が焼け、酸素が吸えなくて窒息した。
 これらの遺体は、偉大な考古学者アメデオ・マイウリ教授が1963年に亡くなるまで全力を傾けた成果でもある。13人の遺体は3つの家族で構成されているという。父親が家族5人の姿を見守って亡くなっていた。
 その家族の姿をパンツェッタ・ジローラモさんが、演じた番組を放送した。

 夜の分は録画できなかった。


テレビ番組「びっくり法律旅行社 フィレンツェ」

 2008年10月30日放送。児玉清、黒崎めぐみ、タカアンドトシさんが司会。野川由美子、三田村邦彦、柴田理恵さんがゲスト。

●フィレンツェ
 アカデミア美術館も行列が絶えない。入場料6.5ユーロ。ここにはミケランジェロのダビデ像がある。
 ジェラートもフィレンツェからヨーロッパに広がった。「Vivoli ?」は創業80年の老舗で、伝統的な作り方を守り、カップのみの販売。レギュラー・カップ(チョコレート・クリーム)で2.5ユーロ。カントゥッチというお菓子は甘口のヴィン・サントというワインにつけて食べます。
 1911年創業のレストラン「il Latini」は連日多くの客で賑わっている。この店の人気は「キアナ牛のステーキ」。網で焼いて塩をかけているだけの「フィオレンティナ・ステーキ」1キロ45ユーロ。
 1575年建造のコルシーニ宮殿。リヴィア・ブランカ・コルシーニ伯爵夫人が説明してくれました。コルシーニ家はかつて法王や聖人を輩出した家柄。この宮殿は多くの人に公開され、今ではウェディング・パーティなども開かれる。内装も素晴らしいです。

 まず訪れたいのが、クーポラと呼ばれる丸屋根が特徴のドゥオーモ。150年以上の時間をかけ、荘厳かつ豪勢に作られた。ドゥオーモ管理責任者のパオロ・ビアンキーニさんが説明してくれました。壁に落書きなどしないで下さい。芸術に対して敬意を払って欲しいそうです。クーポラへの入場料は6ユーロ。狭い階段を登っていきます。463段で到着。世界遺産フィレンツェ歴史地区が一望できます。屋根やパラボラ・アンテナはオレンジ色?に統一することが法律で決められている。弁護士のアルド・フィッタンテさんが説明してくれました。パラボラ・アンテナは屋根の色と同じこと。大きさは直径1m、設置場所は公共の通りから見えない場所に設置することなどが決められたいる。フィレンツェ市町村建築法規第180−5条)。違反すると最高500ユーロの罰金。

 アルノ川には等間隔に4つの美しい橋がかけられている。中でも最も古いのが14世紀に作られたヴェッキオ橋。宝石店が数多く軒を連ねる。この橋で禁止されているのは、鍵を橋につけたりすること。公共の場所の商品や記念建造物の保護用品に写真・広告・ポスターその他堂種類のものを取り付けることを禁止(フィレンツェ都市法律4条3項)で、2008年7月24日に施行。違反すると50ユーロの罰金。また、午後8時から午前10時までの時間以外にお店の戸口、窓、ショーウインドを洗うことを禁止する(フィレンツェ都市法律16条)。違反すると最高500ユーロの罰金。

 フィレンツェ発スタンダール・シンドローム。美術観賞中にショック状態となり病院に担ぎ込まれる観光客が多い。フランスの文豪スタンダールの名にちなんでついている。スタンダールが1817年1月22日に初めて訪れたフィレンツェのサンタ・クローチェ教会のフレスコ画を観賞中にめまいに襲われ、ふらつきながらベンチに座ったとイタリア旅行記に書いている。症状はパニックになる、興奮状態で眠れなくなり、町を怖いと感じるそうです。グラツィエッタ・マゲリーニ先生はこの症候群になったら、何から自分の成長に役立っているのだと思ってくださいという。
 ダビデ像は1501年から制作を開始し、1504年9月8日に公開した。世界で一番美しい男性の裸体像とも言われている。

 ブランド品のニセモノは買わないように。2008年4月26日、デンマーク人の観光客がニセブランドの時計を20ユーロ(2900円)で購入した。捕まって、時計は没収され、1000ユーロ(14.5万円)の罰金となった。

 「ワイン奉納のお祭り La Festa di Bacco 」が開催されていた。ルネッサンス時代は郊外のルチナ?という町でワインが作られていた。昔は、ワインの守護聖人サン・ミケーレの日に毎年ツチナからフィアスコ入りのワインをカットマットという山車で運んでくるのが慣わしだった。旗振り隊も欠かせない。シニョリーア広場に到着し、旗振り隊のエクスビジョンが行なわれる。


テレビ番組「にじいろジーン 世界ぐるぐるジーン フィレンツェ」

 2008年10月25日放送。

●フィレンツェ
 今回はフランクフルト経由で行きました。フィレンツェは花の都。ルネッサンスの発祥の地。ドゥオーモ(大聖堂)はそのシンボルでもあり、140年の歳月をかけて完成した。大理石をふんだんに使ったゴシック建築の名作。シニョリーア広場。
 フィレンツェはレオナルド・ダ・ビンチやミケランジェロといった天才芸術家を数多く輩出した。町全体が美術館のような雰囲気がある。
 市内に住むアンジェラ・エルリコさん(42歳)の御宅を訪問した。2人の娘さんとの4人家族で、3LDK480平方m。ご主人はジュエリー・デザイナーで、クラシック・カーが好きで収集している。
 フィレンツェ紙は伝統工芸品。独特のマーブル模様は大理石をイメージしたもの。この紙は今でも1枚ずつ手作り。特殊な液体に絵の具を落とし、様々な曲線を組み合わせて模様を描く。紙をゆっくり浸して引き揚げるとできる。大理石を思わせる模様で、同じ柄のものは世界に2つとは存在しない。
 ジェラート専門店「パディアーニ」で、ブオンタレンティというジェラートをいただく。300円。ジェラートは400年前にフィレンツェ生まれだそうです。ブオンタレンティはジェラートを発明した建築家の名前で、卵と生クリームで作ったシンプルな味。フィレンツェで常に一番人気とか。
 サンタ・マリア・ノヴェッラ教会に隣接する薬局は、世界で一番古い薬局と言われている。800年の歴史を誇り、王侯貴族のために作られた香水や石鹸が古来より人気のアイテム。1221年に仲間のために薬を作り始め、1612年に販売するようになったそうです。今も昔と同じ製法で作った商品が手に入る。
 フィレンツェで最初にかけられた橋が、ポンテ・ヴェッキオ。橋のアーチに建物がのっている独特の形。橋の上は世界各地から来た人で賑わう。この橋の特徴は両側に並ぶ宝石店。ご主人がデザインしたジュエリーが並んでいるお店もあります。
 フィレンツェは川を渡った高台から夕陽に輝く街を見ると美しい。

 フィレンツェの街中には建物と一緒になったベンチがある。ムリチョーリと呼ばれている。ルネッサンスの時代は街中でおしゃべりを楽しむことが多く、このベンチを利用したそうです。
 ドゥオーモの裏手には色が明るいマンホールがある。ドォーモの上には球体がついているが、およそ400年前の雷で、落ちてしまってここに穴が開いたそうです。

 夕食。トマトスープの中に人数分の卵を落とし、お皿に入れた焼いたパンの上にチーズをふりかけ、スープを注げば、フィレンツェの定番家庭料理「アクアコッタ」の完成。ステーキは分厚いフィレンツェ風ステーキで、切り分けたら、バルサミコ酢とオリーブオイルをかけた食べる。


テレビ番組「知っとこ!世界の朝ごはん トリノ」

 2008年10月11日放送。

●トリノ
 人口90万人で、フランス国境に近い。イタリア建国時の首都だった。当時の美しい建物が数多く残っている。イタリアの穀倉地帯とも言われる。
 紫色の服を着た人が多い。今年の流行色らしい。
 町のシンボルのモーレ・アントネリアーナ「映画博物館 Museo Nazionale del Cinema 」は高い塔がある。トリノはイタリア映画発祥の地。120年前の建物を改装して作ったもの。古い映画が見られたり、古い映画グッズが展示されている。一番人気はエレベータで建物のど真中に作られていて、天井に吸い込まれていくように上昇する。上からは市街地が一望できる。
 ポルタ・パラッツォ市場は、色とりどりのテントが並ぶ。ナスが大きい。ポルチーニというキノコも並ぶ。
 名物料理の店「ダイ・サレッタ Dai Saletta 」で「フライの盛り合わせ」をいただいた。最後にはクッキーやケーキやリンゴの揚げたものもついています。  ジャン・ルカ・コッリエーロ?さんが紹介してくれたのは、Liquoreria「カフェ・プラッティ Cafe Platti 」で、中はとてもゴージャスな雰囲気。ホット・チョコレートとエスプレッソと生クリームを混ぜた「ビチェリン」。トリノはチョコレートで有名な町。ビチェリンは150年前にトリノで生まれた飲み物。5.5ユーロ。
 街中にはチョコレート屋さんが多い。観光案内所で「チョコパス ChocoPass 」を購入。15ユーロで市内のチョコ屋さん38店舗で試食ができる。地図もついているので便利。「Carlo Villarbotto?」などが紹介されました。ほとんどのお店が手作り。「ジェルラ Gerla 」では5ユーロ分のチョコをくれました。「グイド・ゴビーノ Guido Gobino 」などでもくれましたが、充分なお土産です。

 新婚さんの朝ご飯。古い建物に住むデボラ・ジョバニーニさん(28歳)が作るのは、1品目「グリッシーニ・コン・ラルド Grissini con lardo」。トリノで生まれたパン感覚で食べるグリッシーニを取り出す。半分に割り、ラルドという脂身の生ハムを先端だけに巻く。はちみつをかけ、上にくるみをのせて完成。
 2品目「ポルチーニのグラタン」。ポルチーニは水で洗うと風味が落ちるので、ハケで掃除する。傘以外の部分をみじん切りし、オリーブオイル、ガーリックで炒める。塩、パセリで味をつけ、ボウルに入れ、パン粉、にんにくなどと混ぜ合わせる。これをポルチーニの傘にのせて、オーブンで20分焼く。
 3品目「ズッキーニのミネストラ」。面白い形をしたズッキーニを輪切りにし、たまねぎ、人参とともにオリーブオイルで炒める。塩で味をつけたら、水を入れ野菜が柔らかくなるまで煮込む。パスタのうちディタリーニというスープによく合うパスタを入れ、パスタが柔らかくなったら、最後にバターとパルメザン・チーズを入れ、軽く混ぜて完成。


テレビ番組「イタリアで夢を追う!若き日本のTRY人 フィレンツェ世界遺産の街角で」

 2008年9月27日放送。イタリアで挑戦している人を鈴木杏樹さんが訪問した。TVQ九州放送製作。

●ミラノ
 ドゥオーモはゴチック建築の最高峰と言われる。1386年に着工し、500年もの歳月をかけて完成した。
 ジェラートの店「グロム Grom」は地元の人にも大人気。種類の多さと厳選された素材にこだわる。高級アイスの感じだそうです。バニラとブルーベリーとラズベリーで3ユーロ。
 ショッピングとして「ガレリア・ヴィットリオ・エマヌエーレ2世」に行く。ドームの下には4大陸をあらわしたフレスコ画が描かれている。帽子専門店「ボルサリーノ Borsalino 」は1857年創業。1970年にはこの店の影響を受けた映画「ボルサリーノ」が製作された。パナマは116〜1800ユーロ、クラシコは191ユーロ、ミス・ボルサリーノは600ユーロ。「ピュメッリ Piumelli 」は手袋の専門店。ヌボラーリは45ユーロなど。

●フィレンツェ
 靴屋「Stepano Bemer 」で修行しているのは井俣久美子さん(28歳)。オーナーのステファノさんは44歳で天才とも言われる。既製品で15万円、オーダーだと30−40万円する。採寸、デザインの相談など最低2度は訪れないといけない。素材が大事だそうです。全て手作りで1足3ヶ月半かかるそうです。
 工房に行ってみると坂東雅子さんという方もいた。坂東さんがこの店の第一号で、井俣さんをこの店に紹介したのも坂東さんでした。仕事後は自分のために作る靴を磨く。
 井俣さんは休日にカバン屋の「モナコ・メトロポリターノ」に行く。職人のディミトリ・ヴィッロレージさんが友人。1年前にお店はオープンし、少しずつ人気が出てきている。面白いバッグを作っています。
 おうちは日本風マンションで、コックの幸田彩さん、パティシエの青木崇さんと同居しています。4DKで家賃は900ユーロ、一人あたり5万円。この日は幸田さんが「フィレンツェ風トリッパのトマト煮込み、ポレンタ添え」、「ドイツ小麦のサラダ、シュノベーゼ和え」、「フォカッチャと3色のクロスティーニ」。
 鈴木さんはミソ、ほんだしに豆腐を混ぜて、水を適量加え、キュウリや大葉を加えてご飯にかけると「オリジナル冷や汁」の作り方を教えました。

 白井良磨さん(34歳)の自宅を訪問。ここが工房にもなっている。絵は依頼されたものを作成するが、1枚3日程度だそうです。ただ並行してやるので、実際にはかなりかかります。描き上げた絵は依頼主に直接持参します。今回は車で40分のトスカーナ州の「カステルフランコ・ディ・ソープラ」のアンティーク加工職人のダニエル・ナタリさんと絵師のシルビア・セルフィーノさんでした。アンティーク加工とは描いたばかりの絵をくすませたり、ヒビを入れたりするもの。
 白井さんの人生を変えた場所に案内してもらった。修復師のガブリエッラ・フォルクッチさんの工房で、傷ついた美術品を修復する。11年前にここで開催された修復に参加した白井さんはイタリア芸術の奥深さに気付かされた。修復にはハッチングという技法を使う。ブラックライト?を当てると修復個所がわかるように特殊な絵の具を使っている。
 町を散策した。大聖堂、シニョーリア広場、ヴェッキオ宮。ここでミケランジェロが後ろ向きで描いたかもしれないという顔を教えてもらいました。
 「イ・フラテッリーニ」で美味しいパニーノをいただく。「生ソーセージとナスのパニーニ」2.5ユーロと赤ワイン。
 最も思い出深い場所に連れて行ってもらいました。川の向こうからドォーモなどが見える場所でスケッチをしました。

 吉村順之助さん(28歳)は、ミシュランの3つ星の高級レストラン「エノテーカ・ピンキオーリ Enoteca Pinchiorri 」でソムリエ修行中。最初はシェフを目指していたが、デザートワインの美味しさに驚いてからソムリエを目指すようになったそうです。いつかは自分の店を持ちたいそうです。このお店のオーナーは世界三大ソムリエの一人として名高いジョルジョ・ピンキオーリさん。東京・名古屋にも支店があります。地下室には15万本のワインがある。1本1000万円以上するビンテージ・ワインも、100年以上前のものもある。
 訪問してみると、まずマネージャーのアレッサンドロ・トシベリさんが連れてきてくれました。「ポレンタを詰めたアニョロッティ、手長エビ、トマト、ブラックオリーブ、オレガノ添え」というパスタには、「エストロ、ピノビアンコ Le Vigne di Zamo Estro per Giorgio Pinchiorri 2005 」175ユーロという北イタリアの白ワイン。スパイシーな料理なので洗い流す作用を考慮したとか。「鴨とパイナップルのロースト、ローズマリー風味の麦添え」には、トスカーナ地方の赤ワイン「イル・カンナイオ 2001 モンテベルティーネ Il Cannaio 2001 Monte Vertine」225ユーロ。このワインはデキャンタージュして酸化をうながし、香りが開くようになる。ボトルに残っているオリが入らないようにロウソクでふかす?というプロの一手間が入る。ソースの香りとワインの香りが同じなので選んだそうです。
 帰宅は毎日深夜2時を過ぎるそうです。吉村さんのアパートはお店から徒歩1分。お店が借りている寮なので家賃も安い。帰宅してからもワインの本を読む。休日もトスカーナ州キャンティ地方のワイナリーを訪問したりしている。今回は「ポデレ・ポッジオ・スカレッテ」で、山の傾斜を利用したぶどう栽培をしている。農園オーナーのヴィットリオ・フィオーレさんは、今年は春に結構雨が降ったからいいぶどうができると思うと語る。ユーリ・フィオーレさんもここに足を運んでもらうことはとても大切と語る。

 サンタンブロージュ市場。インドのイチジク、グリーンフィグなどのフルーツ、肉、チーズなどがありました。


テレビ番組「探検ロマン世界遺産 ピサ」

 2008年9月20日放送。出田奈々アナウンサーが案内。

●ピサ
 ピサの斜塔は現在は南に5度傾いている。傾いているのは日々変化している。傾き始めて800年、倒れそうでいて倒れない。この斜塔を目指して世界中から年間200万人の観光客が押し寄せる。手をかざして塔を支える写真をみんなが撮っている。抱えている人もいる。手で持ち上げるのもある。
 ドォーモ広場には他にも重要な建築物がある。十字の形の大聖堂など。その美しさから奇跡の広場とも呼ばれ、広場全体が世界遺産に登録されている。
 斜塔は高さ55m、総重量1.4万トン。1173年に建設が開始され、200年かけて作られた。中は通路が狭いため、一度に入れる人数は制限されている。係員のジャコモ・ジェリさんは日本語でしゃべりかけてきました。螺旋階段を登ると独特の感じを感じる。体が壁に引き寄せられる。途中から体が重くなる。すぐに体が軽くなった。左に傾いている所では、みんな左を歩く。
 斜塔は元々は時を告げるためのものだった。大聖堂のミサの開始を知らせるものだった。現在は振動が塔の傾きを加速させるということで、鐘の中に設置されたスピーカーから音が出るようになっている。頂上に上がるとオレンジ色の街並みがきれいに見える。
 下に降りるとジャコモさんが見せたいものがあるという。4層目まで作った時に傾き始めたそうです。その後上にのる部分は湾曲させたそうです。ガリレオ・ガリレイも16世紀にこの町で育った。町の真中には広いアルノ川が流れている。この日年に1度のレガッタ・レースが行われていた。町の4つの地区の代表が競いあう。黄色い船の上の旗を最初に取ったチームが勝ち。
 造船技術に優れたピサは11世紀頃、地中海で最強と言われる海軍を擁した。イスラム勢力と争いながら、東方貿易などで莫大な富を蓄積した。イタリア海軍の船や商船などの旗に現われている。中央部分の4つのマークは、右上からジェノバ、ピサ、ベネチア、アマルフィの印である。ピサの人々はその旗を今でも誇らしげに掲げている。黄金期を迎えたのは11世紀で、その時ドォーモ広場の建設に着手した。
 大聖堂は1064年に着工され、ピサの信仰の中心となった。正面は大理石の細い柱で飾られている。建てた理由は長年闘ってきたイスラム勢力サラセン人に勝利したからと書いてあった。これで西地中海の覇権を握った。大聖堂の壁には船のレリーフがはめ込まれている。大聖堂の中には68本の柱があるが、近くで取れたものではない。赤いものは例えば北アフリカ産のものだったりする。特徴的なのは異文化の影響が強く見られること。壁面を飾る模様はイスラム美術の影響を受けている。主祭壇にあるイエスの黄金色の像はビザンツ帝国で発達していた美術。斜塔にも船のレリーフがはめ込まれている。洗礼堂は均整の取れた姿で、完成まで200年かかった。30分に1度係りの人が声を響かせる。いかに均整の取れた建造物であるかを表現するため。

 ジャモコさんが案内してくれたのは、San Francesco と書かれた場所で体を鍛えていた人たち。リーダーはアントニオ・ブッチャレッリさんで、戦闘のための訓練をしていた。毎年6月アルノ川の上流である試合が開催される。ジョーコ・デル・ポンテ(橋の上の試合)という名前がついている。12世紀頃始まったもので、河の北側の住民と南側の住民が競う。町を防衛するために市民の戦闘訓練として始まった。みんなすごい力を出して練習していました。ピサ人の力を見せる最大の機会だという。
 ピサは地盤が弱いので、傾いている建物が多いそうです。まわりは湿地帯で、海水面よりも低い場所が多く、町の15箇所に排出ポンプも設置されている。ピサ河川水道局長のサンドロ・ボルサットさんは、吸水ポンプがなければピサは水びたしだという。そのために中世の人が作ったのは、総延長1000kmに及ぶ水路だった。水路に物を捨てるなとか、火を使ってはいけないなどの法律ができたそうです。国立ピサ公文書館のクリスティン・ペニソンさんは、湿地では農業の生産性が上がらず、マラリアなどの感染症の原因にもなったという。11世紀には海につながっていたが、13世紀には土砂の堆積で海から5km以上町が遠ざかった。海洋国家としての致命的な欠点となった。さらにこの頃ジェノバに大敗北を喫した。その後フィレンツェに併合された。
 1990年ピサの斜塔に大規模な工事が始まった。担当したメンツィアンテ・スクウェリアさんは、当時集まったアイディアを見せてくれました。検討の末、浮き上がった方に900トン近い鉛のブロックが積み上げられた。下の地盤を治して傾きを治そうとした。さらに管が差し込まれ、土を吸い込む方法だった。工事により斜塔は0.5度傾きを戻した。

 6月29日、ジョーコ・デル・ポンテの日がやってきた。アントニオさんのチームは勝利しました。アルノ川は1年に1度輝く。各家が川べりにロウソクを並べる。


テレビ番組「世界!弾丸トラベラー 山崎静代・酒井若菜さんでローマとヴェネツィア」

 2008年9月13日、20日放送。山崎静代さん(29歳)、酒井若菜さん(27歳)が旅をした。酒井さんが行きたい場所を詰め込んだ1泊4日の旅。

●予定
 1日目、21:55成田空港発、エールフランス(AF)277便。
 2日目、7:15パリ、シャルル・ド・ゴール空港発AF1204便、9:20ローマ、フィウミチーノ空港着(パリ経由で15時間)。10:30タクシーでスペイン広場へ。11:30徒歩にて移動、12:00トレヴィの泉。12:30「ラ・ガッリーナ・ビアンカ」で昼食。13:00テルミニ駅からバスに乗る。13:10クイリナーレ宮殿。13:15ヴィットリオ・エマヌエーレ2世紀念堂、13:20フォロ・ロマーノ。13:25コロッセオ、13:45サンタマリア・イン・トラステヴァレ教会、14:15パンテオン、15:00カンピドーリ広場、15:15マルチェッロ劇場、15:45ファルネーゼ宮、16:15真実の口、16:45サンタマリア・マッジョーレ大聖堂、17:15ポポロ広場、17:20モンテサント教会、ミラコリ教会、17:45サンタンジェロ城、18:15サン・ピエトロ広場、18:45カラカラ浴場、19:15ローマ水道橋、20:00「カッシーナ・ヴァラディエ」にて夕食。23:00、ホテル「Ars Hotel」チェックイン。
 3日目、5:30ホテル発、7:30ローマ・フィウミチーノ空港発AZ1457便、8:35ヴェネツィア、マルコ・ポーロ空港着。9:15タクシーで市内に移動。10:00ローマ広場、その後ヴァポレットでリアルト橋へ。10:30リアルト橋周辺を散策。11:30レストラン「センピオーネ」で昼食。12:30サンマルコ広場に徒歩移動。12:45サン・マルコ広場で鐘楼に登る。13:30カフェ「フローリアン」でティータイム。14:15サン・マルコ広場のゴンドラ乗り場。ゴンドラに乗って、世界遺産の町をクルージング。サン・ジョルジョ・マッジョーレ教会→溜息の橋→マルコポーロ実家→リアルト橋。15:30空港へ水上タクシーで移動。17:55ヴェネツィア、マルコポーロ空港発AF1926便、23:35パリ・シャルル・ド・ゴール空港発AF278便。
 4日目、18:00成田空港着。

●ローマ
 9:20ローマ、フィウミチーノ空港着(パリ経由で15時間)。タクシーでスペイン広場へ40分、11:25着。1枚記念写真。11:50徒歩にて移動の予定が20分遅れ。12:00トレヴィの泉の予定が15分遅れ。コインは1枚だと「再びローマに戻ることができる」、2枚だと「恋が成就する」、3枚だと「恋人や夫、妻と別れられる」という。
 お昼は12:35ピザ専門店「ラ・ガッリーナ・ビアンカ La Gallina Bianca」で昼食。薄くのばした生地にモッツァレラ・チーズとトマトをのせて3分焼いた「マルゲリータ」8ユーロ。ゴルゴンゾーラ、モッツァレラなどを使った「4種のチーズのピザ」8.5ユーロはハート型。
 13:00テルミニ駅からバスに乗って観光する予定が20分遅れ。赤い2階建バスに乗る。1日乗車券は16ユーロ。13:30出発。バスの上から観光。まずクイリナーレ宮殿(大統領宮殿)で30分遅れ。ヴィットリオ・エマヌエーレ2世紀念堂で30分遅れ。フォロ・ロマーノを経て、13:25コロッセオで下車(30分遅れ)。入口を確認してタクシーで移動、ローマ最古の教会サンタマリア・イン・トラステヴァレ教会で写真1枚撮って、そのタクシーで次に移動。途中を飛ばして、15:00真実の口、15:40パンテオン、16:15双子教会、17:40サンタンジェロ城、18:05サン・ピエトロ広場。
 しずちゃんから140種類のジェラートがある「ジェラテリア・デッラ・パルマ」の希望があり行ってみた。140種類が日替わりで並ぶ人気店で、最大6種類まで選べる。酒井さんはグアバとチョコレートとレモンで2.5ユーロ。しずちゃんは6品10ユーロで、木の実のフルーツ、フルーツヨーグルト、リコッタ、トルタチョコ、ペペロンチーノチョコ、フォンタンショコラ。
 夕食は20:00「カッシーナ・ヴァラディエ」。庭園の中にあり、小さいお城みたいです。2階のテラス席からの眺望はとてもいい。サンピエトロ寺院もよく見えます。さらに沈む夕陽を見る。ローマ法王や各国の首脳も訪れるそうです。酒井さんは一番好きな食べ物が「カプレーゼ」で、これが16ユーロ。トマトが敷いてあって、その上にモッツァレラがのっていました。「仔牛のフィレ、パルメザン風」21ユーロ。中にトマト、チーズ、なすなどがはさんである。
 宿泊は貴族の別荘を改装して作った4つ星の「Ars Hotel」。1泊120ユーロでシンプルかつモダン。

●ベネチア
 9:15ヴェネツィア、マルコ・ポーロ空港着。9:50タクシーでローマ広場に到着。ヴァポレットでリアルト橋へ6.5ユーロの予定が、一つ手前のリアルト市場で下船。果物など6品購入。パッキーノトマトは、シチリア島名産のチェリートマトで、フルーティな甘さが特徴。しずちゃんは房になっているのをぶどうのように食べていました。細長いサンマルツァーノトマト、ブラックベリー、スグリの実、トレント産さくらんぼ、いちごを完食。迷っていたが、写真を撮っている人がいて、偶然リアルト橋の上にたどり着いていた。リアルト橋は1561年に完成した大運河の中心にある屋根付きの太鼓橋。近くのお店では仮面を多く売っている。ベネチアは世界三大カーニバルの1つ。仮面は1つ25ユーロ。色鮮やかなベネツィアン・グラスも有名で、女性に大人気。1つ22ユーロのを購入。
 11:30レストラン「センピオーネ Trattoria Senpione 」で昼食の予定が20分遅れ。テラス席で目の前を同じ高さでゴンドラが通る。「クモガニのパスタ」18ユーロはこの店自慢の一品。すごいイケメンのゴンドラを運転する人が通過。
 12:30サンマルコ広場に徒歩移動の予定が15分遅れ。ナポレオンが「世界で一番美しい空間」と言った広場。サン・マルコ寺院は町の守護聖人サン・マルコを祀るために建てられた。鐘楼はエレベータで一気に最上階へ。眼下にベネチアの町が広がる。青い海とオレンジ色の屋根。サンマルコ広場も沖の教会も美しい。
 13:30カフェ「フローリアン Florian」でティータイム。創業1720年の老舗で、世界最古のカフェ。名物はフローリアン・チョコラータ10.5ユーロ。少し苦味があるホット・チョコレートだそうです。フルーツ・タルト11.5ユーロ、アップルパイ11.5ユーロ、チョコレート・パフェ13.5ユーロを完食。
 14:15サン・マルコ広場のゴンドラ乗り場で、さきほどのゴンドラの人を発見!そのゴンドラに乗る。ゴンドラに乗って、世界遺産の町をクルージング。サン・ジョルジョ・マッジョーレ教会→溜息の橋→マルコポーロ実家→リアルト橋の予定。ここでビデオが切れました。しずちゃんは「もう結婚しかないんちゃうか?」と言っていました。


テレビ番組「憧れの都へ とっておきのヨーロッパ ベネチア」

 2008年8月4日放送。JP製作。

●ベネチア
 アドリア海の小さな島。空港から船でカナル・グランデ(大運河)を通過してサンマルコ広場に上陸した。ドッカーレ宮殿は、最高権力者の総督の住まいだった。「評議会の間」では多い時は2000人以上が集まって評議したという。幅25mの世界最大の油絵「天国」(ドメニコ・ティントレット&ヤコボ・ティントレット)がある。歴代総督たちの肖像画が掲げてあるが、ファリエルだけない。「総督ファリエルは裏切り者として処刑された」と書いてある。「溜め息の橋」は罪人が渡った橋。この牢獄を抜け出したのは、自由奔放に恋をしたカサノバだけと言われる。
 ベネチアはカフェ発祥の地。サンマルコ広場の「カフェ・フローリアン」は300年の歴史を誇る。音楽の演奏もあるが、四季を作曲したビバルディもベネチアの出身。紅茶と特製ティラミスをいただきました。ゲーテもカサノバもこのお店の常連だった。
 ゴンドラは昔は暗い中で衝突を避けるために、漕ぎ手は大声を出していたという。
 街には400を越える橋がある。車が使えないので、小船か自分の足で街を歩きます。アカデミア橋、ルゲータ・デル・ラヴァーノ通り Rugueta del Ravano など。路地も入り組んでいて、細い路地は3000本あり、迷路となっている。建物は日本でいえば、室町時代〜江戸時代のもの。街全体が博物館。
 ベネチアン・マスクの店「カ・マカーナ」。身分を越えてつきあい、相手を受け入れたら、仮面を外す。内面をみる交際をしていたんですね。
 ベネチアン・ガラスの店「パウリー Pauli」。薄くて軽い。

 ブラーノ島はベネチアの西に浮かぶ島。漁業が盛んでカラフルな建物が並ぶ。ガルッピ広場。16世紀から女性たちが続けているブラーノ・レース。ルイ14世の時代でもヨーロッパの上流社会で、金や宝石と並んで最高級の装飾品とされてきたブラーノ・レース。現代でも数多くのハリウッド女優が愛用している。ダイアナ妃もウェディング・ドレスにこれを選んだ。ブラーノ・レ−スの店「エミリア Emilia」を訪ねた。19世紀のウェディングドレスは20人の女性が7年かかって作成したという。
 ジューデッカ島の夏祭りの主役はレデントーレ教会。レデントーレとは救い主、つまりイエス・キリストのこと。ペストの終焉を神に感謝して16世紀に建てられた。当時4分の1の人が亡くなったそうです。リストランテ「セレニッシマ」で夏祭りに欠かせない料理「イワシとタマネギの酢漬(マリネ)」、「イワシのピコリパスタ」がある。後者にはいたまないように酢が使われている。
 7月第3土曜日、この祭りに際して「浮き橋」がかけられて祭りが始まる。リアルト橋周辺はたいへんなラッシュ。夜には花火が上がった。


テレビ番組「びっくり法律旅行社 ベネチア」

 2008年7月17日放送。児玉清、黒崎めぐみ、タカアンドトシさんが司会。渡辺正行、榊原郁恵、松井絵里奈さんがゲスト。

●ベネチア
 空から見ると魚の形をしている。縦2km、横3.5kmに6万人が住む。おなかの部分にあたるのがサンマルコ広場。年間200万人の観光客が訪れる。お土産屋も多い。サンマルコ寺院は守護聖人サンマルコを祀るために建てられた。ナポレオンが世界で一番美しい広場と言った。15世紀に建てられた時計塔は今も時を知らせている。広場のカフェに座ってゆっくり過ごすのもいい。
 自動車の入ることができない市で、大動脈はカナル・グランデ(大運河)で全長4km。
 ベネチアのカーニバルは仮面の祭り。たくさんの仮面屋さんがあるが、スタンリー・キューブリック監督の映画「アイズ・ワイズ・シャット」で使われた仮面を製作したお店。店長はシルヴァーノ・マッザリオルさん。貴族が仮面をつける風習は15世紀頃のベネチアが発祥。小さいマントを着て、マスクをかぶり、帽子でおさえる。17世紀頃に悪事を働く人がいて、カーニバル以外の時期での仮面の使用を禁止した。仮面をつけて武器を持つことは禁止。

 ベネチア自治体警察のアルフォンソ・ガルリーシさんが説明してくれた。2008年4月から、「サンマルコ広場でハトに餌を与えることは禁止」(ベネチア市条例153474)。違反すると500ユーロの罰金。「ゴミのポイ捨て」や「座ること」、「飲食」、「水着または露出度の高い服装」、「ボール遊び」、「自転車の乗り入れ」も禁止。違反すると50〜500ユーロの罰金。

 路地も狭い。ゲーテもここを楽しんだようだ。狭い道はカッレ・ストレッタで、幅は80cm。
 ベネチアには「オンブラ・エ・チケッティ Ombra e Cicheti 」(ワインとおつまみ)という言葉がある。お昼にはフィットチーネのパスタを食べる人やワインを飲む人で賑わう。イカスミのスパゲッティ、ビーゴリ・イン・サルサ(イワシとたまねぎの白ワイン・ソースの太麺パスタ)、トリッパ(牛の内臓のトマト・ソース煮込み)にパルミジャーノ・レッジャーノをかけて食べる。
 路地に青いリボンがあるが、男の子が生まれたマーク、女の子ならピンク。ラウラ・ビゴッツォさんのお宅を訪問した。
 広場での法律違反。「花の水やりで下に水を垂らしたら法律違反」。「公共の水飲み場の蛇口の下に、容器やその他のものを置くことを禁止」(ベネチア市条例)。ボール遊びもいいが、12歳以下の子供だけ。自転車の乗り入れは8歳以下の子供だけで、かつ時間帯の制限がある。「公共の土地、一般の通行の対象となる地域で、窓やテラスなどでカーペットや衣類などのほこりを払ったり、叩いてはいけない。但し、朝7時から9時までは行なうことができる。」という法律もある。

 ゴンドラの黒い色も法律で決められている。28年の経験のゴンドリエーレであるクラウディオ・ロヴェラットさんに運河を案内してもらった。ゴンドリエーレになるには試験がある。学校で1年勉強し、試験に合格したら、代理人免許試験を受ける。代理人免許があればゴンドリエーレの下で働くことができる。法律でゴンドリエーレは425人と決められていて、英語、フランス語、スペイン語をマスターしないといけない。ゴンドラのマークはゴンドラが進入してもいい場所を示す。交差点ではオーレと声をかける。左に行く場合は、オーレ・プレマンド、右はオーレ・スタガンド。
 基本料金は1艘6人までで、40分で80ユーロ。コースと時期によって値段が変わる。乗る前に交渉すること。イケメンのゴンドリエーレのカレンダーもある。


テレビ番組「名古屋めし!世界征服宣言!!イタリア・グランプリ」

 2008年6月22日放送。青木さやか、関根勤、辻よしなり、ひつまぶしチーム(スピードワゴン井戸田潤と小沢一敬、鈴木博)、味噌煮込みうどんチーム(パパイヤ鈴木、misono、市原忠治)、味噌カツチーム(金子貴俊、森下千里、廣野耕史)さんが出演。室伏広治、浅田真央、イチローなどの名古屋出身者が世界をリードしている。日本中を席捲する名古屋めしが世界に通用するのか?ひつまぶし、みそ煮込みうどん、みそカツをローマで試す。イタリア人50人に試食で対決してもらう。東海テレビ製作。

●名古屋
 ひつまぶしの鈴木博さんは、東京銀座「備長」で東京進出を果たした。天然うなぎを吟味し、備長炭でじっくり焼き上げる。
 みそカツの廣野耕史さんは昭和区「比呂野」で35年続く老舗の二代目。原泉した三河産の豚ロース肉をサラダ油でこんがりと揚げる。
 みそ煮込みうどんの市原忠治さんは、名東区「香流庵」でこだわりの小麦粉で手打ちで丹念に作る特製麺、八丁みそスープで濃厚なダシ汁を使う。

●試食
 ローマの高級レストラン「イル・コンヴィヴィオ」。審査員はここのシェフのアンジュロ・トロイアーニ、レストランガイド「ガンベロ・ロッソ」の評論家フェデリコ・ヤヴィーコリ、フェラガモの広報でセレブ美食家のラウラ・ヴオナコーレさん。
 味噌煮込みうどんは、麺はいいが、スープが甘すぎる、スープと麺がもっと絡んだ方がいい、煮込みすぎだという評価でした。
 ひつまぶしは、甘いソースのせいでうなぎの油が口に残るというので、ダシを入れてお茶漬けで食べてもらったら、改善された。
 味噌カツは、タレが甘い、タレが重いという評価でした。
 その結果、1位はひつまぶし、2位はみそ煮込みうどん、3位はみそカツでした。みそカツチームはここで帰国することになりました。

●レストラン
 「ケッコ・エル・カラッティエレ」(via Benedetta, 10-13)はテベレ川西のサンタマリア・トラステヴェレ教会の近く。約100年の歴史を持つ老舗レストラン。人気3大メニューはローマ発祥のカルボナーラ、黒胡椒とチーズのスパゲティ、トマトを使ったアマトリチャーナ。これに味噌煮込みうどんのヒントがあるのか?カルボナーラは日本ほどクリーミーではない。オーナーのステファーニアさんに話を聞いた。歯ごたえがある方がよくて、塩辛いくらいをローマっ子は好むそうです。
 リゾットの名店「ラ・カンパーナ」(via della Croce 81)は郷土料理の店でナヴォーナ広場付近。人気は新鮮な食材で丹念に作るイタリア定番のリゾットが人気。海の幸リゾット、きのこリゾット。濃厚な味で、お米は少し堅め。
 ナヴォーナ広場はローマの芸術家や若者で賑わう。ここで秘伝のタレと八丁ミソを味見してもらった。タレの方はダメで、八丁ミソはおいしいそうです。

●食材
 現地で50人分の食材を調達する。ヴィットーリオ市場で最高のウナギを買いに行く。死んだウナギはいたが、生きているウナギはローマにはいないという。天然のウナギは、ローマから北に50km離れたブラッチャーノ湖 Lago di Braccianoに行けば釣れるかもという。天然ウナギを捕獲することにした。湖畔のオデスカルキ城は、ハリウッド俳優トム・クルーズが女優ケイティ・ホームズと2006年11月に挙式した場所。
 城の近くの郷土料理の店「アル・フレスコ」でうなぎ料理をいただく。うなぎをぶつ切りにして油で揚げ、ローリエなどで香り付けした「うなぎのフライ、香草風味」。まずいそうです。うなぎ自体は悪くないそうなので、炭焼きで余分な脂を落として、香ばしくパリッと焼いたらいけそうだと鈴木さんは語った。
 オーナーに獲れるポイントを聞いてみたら、漁師のオズワールドさん(70歳)さんを紹介してくれた。4人乗りの手漕ぎボートで、1km先の仕掛けポイントに取りに行った。20匹必要だったが、ゲットできました。
 次はお米。スーパーではリゾット用しか置いてない。これだとふっくらと炊き上がらない。市場に戻ったが、既に閉まっていた。外国人用のお店を教えてもらいそこに行ったら、中国米があった。

 みそ煮込みうどんチームは、カンポ・デ・フィオーリ市場に行った。にんじん、ねぎ、白菜、卵、マッシュルーム(椎茸の代わり)、イタリアンパセリ(三つ葉の代わり)を購入。小麦粉を探すが、強力粉しかない。これで作ると麺がのびないそうです。うどんは中力粉を使う。ローマ市内にはないことがわかったが、「アルベロ・ディ・パーネ Albero di Pane」にあるかもしれないという情報をステファーニアさんからもらった。薄力粉しかなかったが、中力粉に近かった。それで薄力粉と強力粉を混ぜて使うことにした。
 トレビの泉でコインを投げ、スペイン広場でジェラートをいただきました。

●試作
 うどんを作ってみたらOKだった。ミソ煮込みにパルミジャーノ・チーズも入れてみた。うどんはアルデンテにした。
 ひつまぶしもうまくできました。

●決戦
 ローマから北へ30kmのリアーノという街。セレブの別荘地が多い。ここのヴィラ・キアラで決戦。50人に食べてもらった。甘くて塩味が足りないという声が多かった。27対23でひつまぶしチームが勝ちました。


テレビ番組「THE 世界遺産 アマルフィ海岸」

 2008年6月15日放送。

●アマルフィ
 1500年前、海に面したこの地に古代ローマの人たちが住みつくようになった。やがて彼らは一大海洋国家を作りあげた。背後に険しい岩肌を背負い、斜面を利用して開かれた海洋王国。ヨーロッパにおける海外貿易の拠点だった。ヨーロッパ屈指の美しさを誇るエキゾチックな街並み。遠い昔、東西の文化が行き交った証し。しかし、長くは続かなかった。
 ナポリの南ソレント半島の海岸線を形づくっているのは断崖絶壁。アマルフィは入り組んだ崖にある1本道の先にある。およそ30kmに渡る海沿いの道路はヘアピンカーブの連続。
 西暦500年頃から繁栄し、今は7000人が暮らす。窓の下は切り立った崖。家々を結ぶのは細くて急な階段で、網の目のように広がっている。郵便配達の人も階段だらけでしんどそう。高い所の家は籠を窓から下げて受け取る人もいました。
 71歳になるロサリーア・リッピーノさんの住まいは、この町の一番高い場所。270段の階段を登った先です。テラスからは絶景が見えます。紅茶を手にご近所さんと話しをします。
 5世紀にローマ帝国にゲルマン人たちが攻め込んだ。そこでローマ人たちはここに逃げ込んだ。以来独自の文化を創りあげてきた。10世紀に建立された聖アンドレア大聖堂。背後の鐘楼はイスラームの世界の雰囲気がある。幾度も改修を繰り返しているが、内部にも異国の影響がある。鐘の上の部分にはイスラームを思わせるアーチ模様がある。この大聖堂のドン・ルイジ・コーラリォルペ司教はこれらはイスラム世界の芸術を持ち帰ったものだという。「天国の回廊」もその影響がある。
 10−13世紀にはヨーロッパ隋一の海洋国家となった。ポルタ・デッラ・マリーナ(海の門)、海で働く者たちの教会「サンタ・マリア・ピアッツァ教会」。当時、彼らは類まれな航海術などを駆使した。アマルフィに造船技術が伝えられたのは9世紀頃と伝えられている。造船所跡も残っているが、他の国からの注文にも応じていたという。片隅に残っていたのは、さび付いた錨。アマルフィの船は大きなセイルを備えていた。スピードがあり遠くまで行けた。
 11世紀に定められた「アマルフィ航海法」は、世界最古の海運法。もう一つ活躍した理由は「羅針盤の導入」だった。東のビザンツ帝国やイスラム帝国との交易が莫大な富をもたらした。ベネチア、ピサ、ジェノヴァ、アマルフィの4つの都市は、中世イタリアの4大海洋国家だった。この中で最も早く繁栄を謳歌したのがアマルフィだった。キリスト教の十字架をアラビア語が囲む金貨が残っている。外敵を阻む迷路のような小道はイスラム圏の特徴。
 海を越えてやってきた文化で、今も受け継がれているものがある。街並みを見下ろす山肌に畑がある。黒いネットの下には大ぶりのレモン。6月がレモンの収穫期。イスラム圏との貿易でもってこられたもので、当時は胃腸薬として珍重された。もう一つは手すきの紙。中国からイスラム世界を経て、この地に持ち込まれた。アマトツルーダ・ロカ?のアントニエッタ・アマトツルーダさんは、アマルフィの紙は世界でも最高級と言われていて、バチカンの保存文書にも使われている、と語る。
 ピサを始めとする国々から狙われるようになった。12世紀にはノルマン人の進撃を受けた。歴史学者のジュゼッペ・ノルカーノさんは1343年の嵐で、港の大部分が地すべりで海中に沈んだという。そのために海運力を失った。そして忘れ去られていった。
 この街に住む人は「アマルフィは天国のような場所だ。私たちは生きながらにして、天国にいるんだ」と語る。


テレビ番組「THE 世界遺産 フィレンツェ歴史地区」

 2008年5月18日放送。1982年世界遺産。
 ダビデ像は足から頭まで4.1m。ミケランジェロが残した傑作。ルネサンスの動きはフィレンツェからイタリア全土へ、そしてヨーロッパへと広がっていった。しかし何故フィレンツェだったのか?ボッティチェリの「ビーナスの誕生」からその謎を考えてみた。絵画史上初めてだろうが、一糸まとわぬ裸の女性を描いた作品。

●フィレンツェ
 トスカーナ州の名産はワイン。ローマから車で3時間、列車で1時間半。ルネサンスの栄光を今に伝え、町全体が美術館。
 町の中心にひときわ高くフィレンツェのシンボルがそびえている。サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂。建設が始まったのは1296年、完成まで600年以上かかった。15世紀にできあがったという高さ107mの丸い屋根ドームは、当時としては画期的な手法で作られた。ミケランジェロがその美しさを絶賛した。
 ピッティ宮殿はフィレンツェの豪商が建てた。現在は美術館となっている。ラファエロの「小椅子の聖母」。
 ウフィッツィ美術館は16世紀にトスカーナ大公国の総合庁舎として建てられた。ウフィッツィとはオフィスという意味。代々の支配者が集めた傑作が並ぶヨーロッパ屈指の美術館。レオナルド・ダ・ビンチの20代の作品「受胎告知」などがある。
 13世紀頃から織物産業で豊かな経済力をつけた。商人は金融業に進出し、裕福な銀行家となった。当時のフィオニーナ金貨はヨーロッパで最も信用された貨幣だった。街角で建物を見上げると同じような紋章が目につく。メディチ家の紋章で、メディチ宮殿に住み、15世紀には町を支配した。バチカンの金庫番とも呼ばれ、時にはローマ教皇をも動かした。当主のコジモ・デ・メディチはサン・ロレンツォ教会などの宗教施設に財を投入した。教会や修道院に寄付をした。「50年もしないうちにメディチ家は追放されるだろう。だが、私が作った建物は残るはずだ。」と語っていた。
 ウフィッツィ美術館の「東方三博士の礼拝」には、イエスの前にコジモが膝まづき、メディチ家の主要人物が描きこまれている。サンドロ・ボッティチェリ自身も描かれている。イタリア公文書館には作者とメディチ家の関係を示す資料がある。ダビンチやミケランジェロらにも彼らはパトロンとなった。ちなみに「ダビデ像」の受注金額は400フィオリーナで、今の金額では1000万円。
 ボッティチェリの作品の多くはウフィッツィ美術館に収蔵されている。「ヴィーナスの誕生」はメディチ家の求めに応じて描かれたもの。くっきりとした線が鮮やか。15世紀の後半には一糸まとわぬ女性が絵画に登場することは一切なかった。
 現在も町に生き続けている工房にもポイントがあった。当時は200の工房があった。当時一番繁昌していたのは彫刻家ベロッキオの工房。若きボッチチェリはそこで助手として働いた。サン・ロレンツォ教会の「ピロロ・デ・メディチの墓」はベロッキオ工房が作った。ボッチチェリも製作に加わったという。ライオンの足は同じ工房にいたダビンチが作ったもの。
 もう一つの代表作「春・プリマヴェーラ」。この作品には彼が職人だったことがわかる。ペンダントに金細工職人だったことが物語られている。
 コジモの孫ロレンツォ・デ・メディチは自由奔放に生きた。「ヴィーナスの誕生」にはボッチチェリより4歳年下だったロレンツォの影響が大きい。彼は詩人でもあった。15世紀の後半には、ヨーロッパは各地で戦争や危機が起こっていた。人々は享楽的な生活を謳歌していた。キリスト教の厳格な世界観とは別の価値観が礼賛されていたフィレンツェ。芸術家たちが憧れたのは古代ギリシャ・ローマ時代だった。しばしば作品のモチーフとなったのはギリシャ神話の神々。中でもヴィーナス。ウフィッツィ美術館のクリスティーナ・アチディーニさんは「ヴィーナスの誕生」は芸術家が宗教から離れて歩みだした貴重な作品だと語った。
 1492年ロレンツォが亡くなると、領土拡大を狙うフランスが1494年フィレンツェに侵攻し、メディチ家は追放された。世紀末の不安もあり、人々は再びキリスト教に救いを求めた。狂信的なキリスト教徒が反キリスト教的な絵画や彫刻を破壊した。「ヴィラ・カステッロ」はフィレンツェ郊外にあるメディチ家の別荘。当時「ヴィーナスの誕生」はこの別荘に飾られていたので、破壊されずに残った。隣には「春」も置かれていた。一般に公開されたのは19世紀になってから。
 メディチ家が君臨した60年の間、彼らが作り上げた建物は残った。サンマルコ修道院には彼の部屋が残されている。扉には「コジモはいつか神によって、より自由に解放されるためにこの部屋を築いた」と書かれている。彼はここで懺悔をしていた。キリスト教の教義では高利貸しだった銀行業は最も罪深い職業だった。コジモは贖罪の思いもあり、寄付をした。


テレビ番組「探検ロマン世界遺産 イタリアのヴァル・デ・ノート」

 ヴァル・ディ・ノートの後期バロック様式の町々(シチリア島南東部) /ヴィッラ・ロマーナ・デル・カサーレ / シラクーザとパンタリカの岩壁墓地遺跡

 2008年5月3日放送。澗隨操司さんが案内。2002年、1997年、2005年、世界遺産に登録。ビデオが不調でHPからの引用。

●シチリア
 シチリアは、ヨーロッパにもアフリカにも近く、肥沃な土地を持っていたため、昔からギリシャ、フェニキア、ローマ、アラブ、ノルマン、スペインなど、東西南北からさまざまな民族が行き交った。そのため「文明の十字路」と呼ばれた。島には、壮麗な古代神殿、絢爛豪華なアラブ風の宮殿、バロック様式の華麗な教会など、各時代ごとの文化遺産がぎっしりと詰まっている。シチリアの豊かな食文化もその賜物。太陽の恵みをたっぷり受けたオレンジは日本でも有名。
 シチリアが、常に他民族の支配を受けてきたという歴史も表している。かの有名なマフィアの存在も、実はこの複雑な歴史の産物。
 さらに、シチリアは太古から自然の脅威にもさらされてきた。繰り返し地震が起こり、特に17世紀の大地震では一瞬のうちに30以上の街が消滅した。
 常に自然と人為の脅威にさらされてきたシチリア島。現在、シチリアには4つの文化遺産が世界遺産として登録されており、それぞれ、シチリアの歩んできた歴史を物語っている。今回は、複数の遺産を紹介し、様々な民族による島の支配の歴史と、翻弄され続けた島に生きた人々の思いを探った。

http://www.nhk.or.jp/sekaiisan/card/cardr110.html


テレビ番組「古代文明への旅 破壊と建築の国 古代ローマ」

 2008年4月17日放送。イタリアのインスティトゥート・ジェオグラフィコ・デ・アゴスティーニ製作。

 紀元前4世紀のイタリアは、強力な軍隊を構築した共和制ローマは、領土の拡大を目指した。制服した領土の人々がローマの生活様式になじめるように努めた。新しい領土には道路や橋を建築した。
 紀元前4世紀当時、様々な民族がイタリアには住んでいた。ローマの南東にはサムニウム人?、北部にはエトルリア人、ローマ周辺にはウンブリア人、東南の南ラティウムにはウォルスキ人など。当時は敵対関係にあった。
 当時のローマは征服すると人を移住させ農業を営ませた。土地はグローマという器具で正確に測量された。この方法は道路にも使われた。ローマにさらなる繁栄をもたらす領土となった。ローマ時代、男性のシンボルが描かれた門を通ると幸福をもたらし、魔除けにもなるとされていた。負けた側は奴隷にされたが、従う者には市民権が与えられた。
 道路が整備された。道路には排水施設が整えられた。道路の脇には馬に乗るための台が置かれた。ウンベリア人は貯水池などの水の施設を作ってろう城に備えた。
 フリジェリの遺跡?が発掘された。インプルウィウムという水の施設が残っていたが、家に華やかさを添えていた。食堂はトリクリニウム。
 ウラメニア?街道沿いの都市の一つがカースレー。今は遺跡のみ。カストールとオイデンケース?の神殿。テトラピオの門。中世に建てられたサン・ラディアーノ?と呼ばれる小さな教会も残っている。街の北にあるトラヤヌスの門が一番か。近くには水道橋のような橋が残っている。川底から30mの高さで、全長120m、幅も広くて2台の馬車が走れた。


テレビ番組「知っとこ! 世界の朝ごはん イタリアのボローニャ」

 2008年4月12日放送。

●ボローニャ
 アーケードが多く、全部つなぐと40kmにもなる。中世の時代に家が足りなくなり、道路の上に家を作ったのが始まり。ポルティコと呼ばれ、800年前から作られるようになった。天井には美しい絵もある。
 ボローニャ大学はヨーロッパで最も古い大学。1088年創立で、ガリレイ、コペルニクス、ダンテなども学んだ。現在は市内に学生は10万人いて、別名学生の街。世界で初めて人体の解剖をした解剖学教室は今もある。
 壁の張り紙も気になる。アパートの住人募集の張り紙で、3〜4万円が相場だが、一つのベッドで、たいていが共同生活するという。マッテオ・ダマリオさん(24歳)は5人で3室+共同1室で共同生活している。
 クラヴァトーレ通りはグルメ通りとも言われる。お肉屋さん、果物屋さん、お惣菜屋さん、チーズとハムのお店がある。ボローニャといえば、パルミジャーノ・レッジャーノで、チーズの王様とも呼ばれている。
 郊外のチーズ工場に行ってみた。パルミジャーノ・レッジャーノは1日1回しか作れない。2日水分抜いて、塩水に1ヶ月つけて、倉庫に2年間寝かせて完成する。最後の倉庫は専門の倉庫に預ける。ここでは世界一の風景が見られる。30万個あり、240億円に相当する。
 ジョバンニ・マリーノさん(31歳)が紹介してくれたのは、ボローニャ発祥のパスタ「ボロネーゼ」の店「リストランテ・ダ・ネッロ Restorante Da nello」。大量のにんじん、セロリ、ベーコンをたっぷりのオイルで炒め、豚肉、ワイン、トマトを入れ4時間煮込む。パスタとソースにパルミジャーノ・レッジャーノを加えて炒めて完成。9.5ユーロ。パスタはタリアテッレが合うとか。

 新婚さんの朝ごはん。アパートに住むシルビア・スタンニさん(34歳)の朝ごはん。1品目「パッサテッリのスープ Passatelli in Brodo」。鍋ににんじん、セロリ、たまねぎ、ぶつ切りの鶏肉を入れ煮る。その間にパルミジャーノ・レッジャーノを細かくしておいて、溶いた卵にパン粉を入れて軽く混ぜて手でこねて、ボール状に丸めておいておく。これを押し出し機にかけてパッサテッリというパスタになる。スープにこれを混ぜる。
 2品目「ボローニャ風カツレツ Cotoletta alla Bolognase 」。豚肉を包丁の背で薄く伸ばし、ころもをつけてバターで焼く。その上に生ハム、パルミジャーノ・レッジャーノをのせて、蓋をして煮込む。
 3品目「前菜盛り合わせ Antipasti misli??」。チーズ、ハムを切り分けてて前菜にしてパンにはさんで食べる。


テレビ番組「エプソン・スペシャル地球の歩き方 モナコ〜フィレンツェ 美の旅」

 2008年3月16日放送。黒谷友香、写真家の三好和義さんが旅をした。ルネサンス時代に描かれた「ウルビーノのビーナス」展が東京で開催されていた。コートダジュールはマチス、ルノワール、ピカソなどの画家が活躍した。地中海の真珠と言われるモナコに咲いたバラ「20世紀のヴィーナス」グレース・ケリー。世界遺産の断崖絶壁の村チンクエテッレの愛の伝説。芸術の都フィレンツェ。フェラガモの美にも迫る。「地球の歩き方」が全面協力。黒谷さんはヴィーナスになれるのか?テレビ朝日製作。

●モナコ
 国土は皇居の2倍ほどしかない。大公宮殿前で、正午前に行なわれる衛兵の交替式が行なわれていた。150年前に港と岩山しかない小さな国のために、時の大公シャルル3世はある賭けにでた。保養地にしようとした。豪華ホテルや国営カジノが次々と建設され、ヨーロッパ随一の高級社交場となった。レーニエ公とハリウッドのNo.1女優グレース・ケリーの出会いがモナコを世界的に有名にした。当時グレースはクール・ビューティと言われていた。1955年アカデミー主演女優賞を受賞し、カンヌ映画祭に招待された彼女はレーニエ公と会った。1956年4月19日モナコ大聖堂で結婚式を挙げた。
 映画界を捨てた彼女が求めたのはモナコ市民との触れ合いだった。彼女がよく買いに来たというパン屋さんには、レーニエ大公との写真が飾られている。店主のマドレーヌ・フィリップスさんは彼女はいつも自然体だったという。○○の店主のパトリック・ラトールさんは、彼女がやってきて国が変わったという。それまでは取るに足らない国と思われていたそうです。
 ホテル・エルミタージュのロビーはグレース公妃がパーティを抜け出してくつろいでいたという場所。天井のステンドグラスはグレース公妃もよく眺めていた。アトリウムはエッフェル塔を作ったエッフェルが作ったもの。エルメスの「ケリー・バッグ」は懐妊した時にこのバッグでお腹を隠したことがきっかけとなった。グッチのスカーフにもグレース公妃の好みの「フローラ」。後に復刻され、時計や財布なども登場した。
 アルル広場の朝市も公妃がでかけた。ホオズキが好みで、ホット・チョコレートをかけて食べていたという。「アカデミー・ド・ダンス・クラシック・プリンセス・グレース」は当時は別の場所にあって、小さかったが、今は大きい。国外からの研修者も多く、日本が誇るプリマドンナ森下洋子さんもここで学んだ。今年90歳になる校長マリカ・ベソブラツーヴァさんが思い出を語ってくれた。  超高級宝飾店「ヴァンクリーフ&アーベル」で彼女が身につけたものを見せてもらった。カロリーヌ公女の結婚式の際につけたティアラは、時価50億円。
 結婚式から4年後、1982年9月13日別荘からモナコに戻る途中、ヘアピン・カーブを曲がりそこねて転落して亡くなった。享年52歳、モナコ大聖堂に眠っている。亡くなる前の年にグレース公妃劇場が完成した。支配人のパトリック・ウルドカンさんが話をしてくれた。

●チンクエテッレ
 電車、船に乗って到着した。断崖絶壁に張り付くように建てられた家。チンクエテッレとは5つの家という意味。1997年世界遺産。ベルナッツァ村に到着。美しいパステル・カラーの家が迎えてくれた。急な坂道です。高台からは絶景が見えた。魚屋さんでリビエラの海の幸を見せてもらった。
 次はマナローラ村。クレーンで船を陸にあげていた。パステルカラーの家並み。隣村には断崖に作られた小道を歩いて行く。2kmの「愛の小道」と言う。中間に観光客が必ず立ち止まる場所がある。恋人たちは誓いのカギをかける。村のレストラン「ラ・グロッタ」で休憩。地中海の海の幸をいただいた。アンチョビーをパンにつけたオードブル。ホイルを開けると中からシーフード・パスタ。段々畑ではワインが作られている。地元特産のワインを飲ませてもらった。「シャケットラ」は摘み取ったブドウをさらに完熟させてから作るので糖度もアルコール度も高くなると、マリオ・アンドレオーリさん(80歳)は語る。甘いデザートワインです。これは売り物じゃなくて、大切な人をもてなすためのものだという。山の上まで一緒に歩いていった。復活祭の時に畑の上で光らせる飾り物を見せてくれました。マイロさんは村人のために47年も続けている。

●ピサ
 手前は大理石の産地。白い山が見えていました。ピサ中央駅で下車。白大理石で囲まれた世界遺産「ピサの斜塔」。高さ55m、南北の高さに70cmの差がある。この地に生まれたガリレオが物を落として落下運動の法則を証明した場所。支える写真はみんな撮るが、手の平の上にのせた写真も撮りました。

●フィレンツェ
 旧市街が世界遺産。15世紀に完成したドゥオーモ「花の聖母教会ドゥオーモ」。白、ピンク、緑の大理石を使って装飾されている。内部は3万人を収容できるが、完成には172年かかった。天井までの高さは91m、見上げると大きな絵が描かれている。上に登ることができる。案内人のエオナルドさんは463段あるという。途中で、天井画を見ることができる回廊がある。ジョルジョ・ヴァザールとその弟子たちによる「最後の審判」(1579年)。ここからは天井画の裏側の階段を登る。上からは絶景が見えました。
 シニョリーア広場には中世の彫刻が惜しげもなく置かれている。ミケランジェロのダヴィデ像のレプリカ。路上で絵を描いている人がいました。
 お勧めのレストランは「イル・カヴァッリーノ」でシニョリーア広場にテラスを突き出している。芸術作品を眺めながら食事を楽しめる。一見カフェだが、本格的なトスカーナ料理を作ってくれる。ここに来たら必ず食べないといけないという「トスカーナ牛のTボーン・ステーキ」。炭火で焼くと香りがいい。
 広場から歩いて5分、アルノ川を越えると職人街がある。外から中が見える。額縁職人、鉄の芸術家、バイオリン職人の店。マーブル紙の専門店「イル・パピロ」を訪ねた。マーブル紙は1枚1枚手作りで、1つとして同じものはない。職人のリッカルド・スクィツローニさんは400年前から変わらないやり方で作っているという。やらせてもらいました。

 町の各地で建物にメディチ家の紋章を見ることができる。丸い粒は丸薬で、ご先祖は医師か薬師問屋だったという説もある。13世紀後半から活躍し、14世紀の銀行設立からフィレンツェ一番の大富豪となり、以後300年この地を支配した。ダビンチやミケランジェロなど、ルネサンスを代表する芸術家たちもメディチ家がパトロンとなって能力を開花させた。18世紀に断絶した末裔がフィレンツェ郊外に住むという。キャンティワインで有名なキャンティに住んでいる。当主のロレンツァ・デ・メディチさん(80歳)と三男のグィードさん。建物は13世紀のもので、ナポレオンの時代に荒廃したのを購入した。建物の中には16世紀のフレスコ画もある。敷地は800ヘクタールで、1割をぶどう畑にしてワインを作っている。この建物はキャンティワイン発祥の地。キャンティ・クラシコ協会の会長も勤めている。「豚肉の香草焼き」を作っていただきました。サイド・メニューのクレープはカッテージ・チーズを包んで、トマトソースと蒸し焼きにした。
 宿泊は「ホテル・リージェンシー」。レストランも大人の雰囲気、客室はモダンな雰囲気。

 フィレンツェでメディチ家は秘密の通路を作っていた。今は予約をするとその通路に入ることができる。ピッティ宮とウフィッツィ美術館とベッキオ宮を結ぶ回廊で、「ヴァザーリの回廊」と呼ばれる。その一角にはヴァザーリの自画像も置かれている。
 フィレンツェ一番の観光ポイントとして有名なヴェッキオ橋。貴金属店が軒を並べ賑わっているが、この二階部分がヴァザーリの回廊。回廊は回廊美術館となっている。ウフィティ美術館で「ウルビーノのヴィーナス」の原点となったボッティチェリの「ヴィーナスの誕生」を見た。マリア・スフラメーリさんが説明してくれました。右手にいる女性が美しい服を着せようとしているが、ビーナスはその時代に最も流行っているファッションを身に付けるべきという考えがある。この2枚の共通点は、右手に衣装を準備する女性がいる。
 トルナヴォーニ通りのフェラガモ本店に行く。2008年の最新モードが並んでいた。地下は博物館になっている。オードリーなどの写真もあるし、足の木型も残っている。セレブのためのフィッティング・ルームも見学した。マウロ・ヴォルピーニさんが足を採寸してくれました。本店店長のアンナリーサ・バルベンシさんにみてもらって、金のサンダル、柔らかいドレスを選択し、21世紀のヴィーナスとして撮影してもらうことにした。
 撮影場所は元貴族の館「パラッゾ・カッポーニ・アッラ・アンタンツィアータ」。4時間かかって撮影しました。


テレビ番組「世界!弾丸トラベラー 島谷ひとみさんでフィレンツェ」

 2008年3月15日放送。島谷ひとみさん(27歳)はパスタが大好きなので、イタリアでパスタを食べつくしたいという。1万kmの1泊4日の旅。

●パスタ
 北イタリアはクリーム系、南イタリアはトマト系で、パスタも種類が豊富。今回は3人のシェフに聞いてみた。東京汐留「オリオリア」の横山亮平シェフは「ミラノ・ココパッツィは一皿で4種類のパスタが楽しめるパスタ・テイスティングがお勧め」という。南青山「リビエラ青山」の鈴木康司シェフは、「フィレンツェのオステリア・デル・チンギアーレ・ビアンコの今が旬の猪ラグーソースの手打ちパスタ」がお勧め。西麻布の「アルポルド」の片岡護シェフは「ヴェローナ 12 Apostoli のパスタのフルコース・メニュー」がお勧めという。

●予定
 1日目、21:55成田空港発エールフランスAF277便。
 2日目、7:00フランスのシャルル・ド・ゴール空港発AF9800便で合計18時間の空の旅。9:40ミラノ・マルペンサ空港からバスに乗る。11:00地下鉄でドウオモ駅に行く。11:30レストラン「ココパッツォ」でランチ。13:00ミラノ中央駅から電車に乗る。15:45フィレンツェのサンタ・マリア・ノヴェッラ駅着。17:30ホテル「アンティカ・ディモーラ」チェックイン。19:00レストラン「チンギャレ・ビアンコ」でディナー。
 3日目、フィレンツェ中央市場見学。10:50フィレンツェのサンタ・マリア・ノヴェッラ駅から電車。13:25ヴェローナのポルタノーヴァ駅着。14:30レストラン「ドゥーチチ・アポストリ」でランチ。20:55ミラノ・マルペンサ空港発AF2215便、23:25フランスのシャルル・ド・ゴール空港発AF278便。
 4日目、19:00成田空港着。

●ミラノ
 ドゥオモに感動しつつ、レストラン「ココパッツォ Cocopazzo」に向かう。横山シェフはミラノでは必ず立ち寄るという。ミラノっ子ご用達のリストランテで、定番から最新までのパスタが頂ける。自慢は最新のパスタ。「パスタ・テイスティング」は4種類のパスタを1皿で味わえる。トロフィエは手でひねって作るショートパスタでバジルソース。ミートソースのラヴィオリは、ラビオリの中にも挽肉がたっぷり。太めのマカロニのトマトソース。ミラノ風カルボナーラは、卵の代わりにサフランで色づけたミラノ独特のカルボナーラで、日本ではなかなかお目にかかれない。15ユーロでした。

●フィレンツェ
 トスカーナ地方の食の都。ポルチーニ茸、ラディッキオなどもある。1時間40分時間があるので、町を散策。ポプリの店を発見。「サンタ・マリア・ノヴェッラ薬局 Ufficina Profumo Farmaceutica di S.M.novella 」で、800年前に誕生した世界一古い薬局。もとは教会付属施薬院だった。ポプリは200種以上のハーブとオリジナル・エッセンスをブレンドしてある。9個198ユーロで購入。ホテル「アンティカ・ディモーラ」チェックイン。歴史ある民家を改装して作られたホテルで、1泊130ユーロ。可愛い部屋でした。
 「チンギャレ・ビアンコ」でディナー。チンギャレは猪のこと。鈴木シェフが修行時代に通い詰めた店。「ポルチーニ茸のフィットチーネ」はほうれん草を練りこんだ太麺と普通の太麺。地元特産のポルチーニは、甘い香りと歯切れのよい食感のきのこ。フィレンツェ独特の平打ちの太い麺のパッパルデッレを使用した「チンギャレ・パッパルデッレ(猪肉とトマトソースのパスタ)」。2皿で20ユーロでした。

 朝、フィレンツェ中央市場を見学。長期保存が効く乾燥パスタはイタリアでもポピュラー。お土産にいいかも。3パック7ユーロ。

●ヴェローナ
 ミラノからは近いが、フィレンツェからは2時間45分。電車代は26.5ユーロ。「ロミオとジュリエット」のモデルが実在した町で、バルコニーも現存する。
 「ドゥーチチ・アポストリ Dodici Apostol 」に行く。ミシュランで2つ星のレストランで、1750年創業。「パスタのフルコース」。ベローナ特産のカボチャとさっぱりしたリコッタチーズをパスタの生地に練りこんだ「カボチャのニョッキ」。ニョッキはショート・パスタの元祖といわれ、ヴェローナでは特産品のカボチャを使うのが一般的。ニョッキにはアーティチョークのソースと揚げた野菜をあしらってある。「黒トリュフのパスタ」は地元で取れた黒トリュフを削り、香り豊かなバターをのせたシンプルなソース。ヴィゴリとよばれる太めの手打ちパスタを使う。仕上げにさらにトリュフをトッピング。デザートは「リンゴジャム入りのラビオリ、カスタードクリーム添え」で、パスタで包んで油で揚げたもの。島谷さんはこれは好きだったみたいです。


テレビ番組「ヨーロッパ世界遺産の旅 ヴェネツィアとその干潟」

 2008年2月24日放送。Fauna Film/RNTV 製作。

●ベネチア
 水の都。イタリア北東部、アドリア海北部に位置するこの街は、運河とゴンドラ、美しい建物で世界的に有名。5月には祭りが盛大に行なわれる。市長はベネチアとアドリア海の結婚を高らかに宣言する。
 ベネチアの歴史は5世紀に遡る。異民族の侵略を恐れた北イタリアの人々が、アドリア海の干潟を開き、避難所を作ったことが起源だといわれる。現在120の島々に26万人が暮す。網の目のように運河が張り巡らされているベネチア本島では、自動車の乗り入れが禁止されている。人々は車の代わりに船に乗って移動する。ヴァポレットという水上バスでは運河下りを楽しめる。アドリア海の女王と呼ばれるベネチアには、イスラム、ルネサンス、バロックなどの様式の建築が集まっていて、街全体が博物館。
 大運河にかかるリアルト橋。この周りにはたくさんのお店やホテルが集まり、大勢の人でいつも賑わっている。橋の上には土産物の店が並び、ベネチアン・グラスが道行く人を楽しませてくれる。
 ベネチア本島から1.5km離れたムラーノ島はベネチアン・グラスの島として有名。長い間門外不出とされた高い技術は町の発展に一役買った。
 ベネチアは10世紀後半以降、イスラム諸国と交易を行い莫大な富を築いた。1204年には第4回十字軍とともにコンスタンチノーブルを占領し、クレタ島などの海外領土を得た。東地中海で最も強い海軍国家となった。
 サンマルコ大聖堂には交易で名を馳せたベネチアらしい異国情緒が漂う。ビザンチン建築が色濃く、街のシンボルとして親しまれている。聖マルコの像が見下ろす。正面を飾るブロンズ製の馬の像は、十字軍がコンスタンチノーブルから持ち帰ったものの複製。聖堂が面しているサンマルコ広場には、時計塔やため息の橋など、見所が沢山ある。広場の一角にはかつてベネチア共和国の政庁が置かれていたドゥカーレ宮殿がある。白とピンクが美しいこの宮殿はベネチア・ゴシックの代表的な建造物と称えられている。
 世界中の観光客が訪れるサンマルコ広場には、いつも人々の笑い声が溢れている。様々な店が軒を連ねるアーケードでは、ショッピングも満喫できる。18世紀に創業したという老舗のカフェ「フローリアン」。フランスの文豪スタンダールや、イギリスの詩人バイロンもこの店を訪れたという。優雅な雰囲気のカフェです。
 ゴンドラに乗れば中世にいるような気分になる。カ・レンツォーニコはかつては貴族の屋敷だった。17〜18世紀に建てられた美しいバロック様式の建物は、現在1700年代ベネチア博物館として一般に公開されている。
 ベネチアは多くの優れた画家を生んだ芸術の発信地だった。二階では18世紀の素晴らしい絵画を見ることができる。
 ベネチアには仮面を専門に扱う店がある。毎年2月に開催されるカルナバーレと呼ばれる謝肉祭には、人々は思い思いの仮装をし、仮面をかぶって街を練り歩く。12世紀頃に始まったこのカーニバルはナポレオンに占領された18世紀に一度途絶えたが、1979年に市民の手によって復活した。仮面作りを体験できる工房もある。
 街は明るい雰囲気に満ちている。おしゃべりに興じる人がいっぱい。運河の整備が重要な問題。政府から移管された業者が行なっている。
 海は富ももたらしたが、水害という苦しみも与えてきた。地盤沈下が著しく進んだ近年では、高潮の時期になると街中が水びたしになる。1966年11月にはかつてないほどの大洪水が街を襲った。水位は1.5mに達した。有名なカドールの建物やサンタマリア・デ・ラ・サルーテ教会も冠水し、深刻な被害を受けた。この大洪水をきっかけに、イタリア政府とユネスコが中心となり、街を守るために動きだした。その努力が実り、1987年ユネスコ世界遺産に登録された。


テレビ番組「ミステリアス古代文明への旅 フェニキア人」

 2008年2月24日放送。放送番組センター配給。イタリアのインスティトゥート・ジェオグラフィコ・デ・アゴスティーニ製作。

 5世紀地中海では様々な民族が覇権を争っていたが、文化交流もあった。ギリシャで見つかったエジプトのお守り、アフリカではギリシャの壷が見つかった。地中海を行き来したフェニキア人が関わっていた。彼らは航海術に長けていただけでなく、各地の特産物を熟知し、取引相手のニーズにも敏感だった。フェニキア人の航路を辿る。

●レバノン
 フェニキア人の起源は現在のレバノンにあった。中心都市はティール。地中海沿岸に多くの有力都市を築き、早くから海上貿易に乗り出していた。巧みに船を操り、商売のコツを心得ていた。海の商人として頭角を現した彼らは各地に港を作り、植民都市を建築し、交易網を張り巡らした。紀元前7世紀に制海権を手中に収めた。地中海だけでなく、スペインを越えて南はセネガル、北はアイルランドにまで達した。仲間同士で連絡を取り合う手段を持っていた。
 紀元前13世紀の王の墓にその秘密があった。それはアルファベット。フェニキア人が発明した。文字による情報の伝達と共有が組織力を強めた。

 レバノン北東部にあるバールベックで、船に必要なレバノン杉を調達した。天空と嵐の神バール・ハダドをはじめとする3つの神が崇拝されていた。後にこの地を征服したローマ人は彼らの最高神ユピテルとバール・ハダドを一体化させ、大神殿を捧げた。東側には明るい色の柱、西には暗い色の柱。大神殿を囲む列柱は高さ20m、直径180cm以上、ローマ帝国最大級の神殿だった。
 それ以外にも栄えた街がある。地中海沿岸の港町ビブロス?で、旧約聖書にゲバルという名で記述がある。海には危険がつきもので、フェニキア人は船出に際してはブロンズ像をオイリスク神殿?に奉納した。

●交易
 フェニキアの標準的な商船の大きさは長さ20m、幅5m。赤紫のフェニキア特産の高級織物も船に積まれた。フェニキアという名はこの織物をさすギリシャ語から生まれたという。紀元前7世紀から6世紀頃にギリシャで作られたクーロス(直立裸身の青年像)を次に積んだ。多くはロードス島で出土した。ロードス島では美しい陶器の壷も見つかっている。フェニキアはこの島を本拠地としてギリシャの島々と交易をしていた。イタリアのギリシャ植民都市ではクーロスのブロンズ像が作られた。
 当時はジブラルタル海峡は「ヘラクレスの柱」と呼ばれ、その先はこの世界の果てだと言われていた。彼らはセネガルで新しい交易相手を見つけた。金とクーロスや陶器を交換したようです。アイルランドやイングランドで錫を手に入れて、スペインのカディスに向かった。ここで鉄を手に入れ、サルディニア島に向かった。ここにも植民都市があった。その遺跡から金細工や宝飾品が大量に出土している。この地で金細工を加工したのだろう。ガラス製品を大量生産し、地中海世界に大量に普及させた。墓から悪霊を追い払う仮面も出土している。
 サルディーニャのタロス?は典型的なフェニキア人の都市遺跡。大きな建造物は残っていないが、都市の様子はよくわかる。宝飾品の一大生産地だった。鉄、鉛、錫、金の取引が行なわれた。先住民の「ヌラーゲの遺跡」も残っている。ヌラーゲは小さな丘を意味するサルディーニャの言葉ヌラ?に由来する。一つ一つ石を積み重ねたもので、高さは20mにも達した。その形は小高い丘のようだったのだろう。
 サルディーニャにフェニキア人が開いた街ノーラ。フェニキア人の港はたいてい岬の側にあった。広い船着場が確保できるため。娯楽施設はほとんどない。公衆浴場は支配者がローマ人に代わってから作られたもの。紀元2世紀に建てられた劇場も同じ。
 宝飾品などを積んだら、地中海の女王と呼ばれたカルタゴに向かった。ギリシャの歴史家アッピアモスはカルタゴの港に着いて「港は商港と軍港からなり、軍港の中央には小島があった」。港の所在は長い間不明だった。19世紀に訪れたフランスの作家シャトー・ブリアンは、ある湾が記述に似ていることを指摘したが、受け入れられなかった。1974年に証明された。カルタゴの規模と先進性は当時の地中海世界随一だった。どの船も商船用の港に入り、その奥にある軍港には軍艦だけ入れた。軍艦はガレー船だった。小島は提督の小島と言われ、直径は90m程度。軍港にはドックが整備されていた。提督の小島の一番上には提督の指示室があった。港の中では船はラッパと旗の合図に従って移動した。軍港の水路の幅は90m以上設けられていた。200隻以上の船が収容できたという。冬の軍港はほとんど満杯だった。海の荒れる冬は港に留まり船の整備をした。大きな軍艦は提督の小島のドックに引き揚げられた。ドックの入口はイオニア式の優雅な円柱で飾られていた。船には敵の恐怖を誘うためにへさきに大きな目玉が描かれていた。
 カルタゴの中心地ビュルサの丘?。ここでサルディーニャの宝飾品やガラス製品を売りさばくと、出航し、エジプトに向かった。
 エジプトではサルディーニャの宝飾品は大いに喜ばれた。ここでは船の帆に使うリネンの織物を手に入れた。ペルシャ人のためにサルやワニも買い、故郷のティールに向かった。ここで最後の商い。利益を得たのは、地中海世界全体を豊かにした。


テレビ番組「極速ツアー!世界をジャンプ 城咲仁の地球一周チャレンジ 100時間100万円」

 2008年2月16日放送。城咲仁、稲生美紀さんが1月下旬に映画「ジャンパー」を題材に旅をした。杉本彩さんが指令を出した。TVQ九州放送製作。

●ニューヨーク
 東京から10779km、12時間30分。この日はマイナス3度。「マンハッタンでNYらしいハンバーガーを食べてジャンプする」。セントラルパークまでタクシーで45分。聞き込みしたら、55丁目の「Five Guys 」を紹介してもらい、チーズバーガーを食べた。37丁目あたりの「ジョージーズ Josie's East」を紹介してもらい、ベジーバーガーというヘルシーなバーガーをいただいた。エンパイア・ステートビルの近くでジャンプした。NY滞在時間10時間55分でした。
http://www.josiesnyc.com/

●ロンドン
 ニューヨークから5533km、7時間。「ビッグベンの前で、イギリス紳士の象徴と共にジャンプする」。ヒースロー空港から市内まで1時間。ニュー・オックスフォードのTottenham Court Road にある「ジェームス・スミス&サンズ James Smith & Sons 」の傘の専門店。創業1830年の老舗。手作りの傘は一生ものと言われている。イギリス紳士は雨が降っていなくても傘を持つという。傘は柄の部分を右手の腕にかける。ソリッド・アンブレラの柄は1本の木です。今回特別に地下で傘の先を身長に合わせてカットする工程を見せてもらった。
http://www.james-smith.co.uk/
 ビッグベンは国会議事堂に附属する時計塔で、1日1回正午に鐘が鳴る。その前でジャンプしました。この時点で東京から34時間。ロンドン滞在時間4時間39分。

●パリ
 ヒースローから飛ぶよりもユーロスターを使う方が早い。ビッグベンから15分のセント・バンクラス駅から乗る。パリ北駅に346km、2時間22分で午後6時前に到着。イギリスとの時差は1時間。指令は「エッフェル塔の前で、パリの思い出と共にジャンプする」。
 中心地マドレーヌに行く。ワイン販売店「Lavinia 」は6500種類、18万本のワインを所蔵している。プロのソムリエが常駐している。有料の試飲コーナーがある。プリペイド・カードを購入し瓶に挿入すると試飲ができる。1977年生まれなので、その年のワインを飲もうとしたがなかった。稲生さんは1988年生まれなので、その年のにした。88ユーロでした。
http://www.lavinia.fr/
 スィーツの名店「ストレー Stohrer」は1730年創業。行列が絶えないパティシエ鎧塚俊彦さんがパリ時代に修行していたお店。ケーキを購入。フランボワーズとチョコレートのケーキ、フランボワーズをスフレでサンドしたユニークなスィーツ。
http://www.stohrer.fr/
 エッフェル塔に行く。夜の12時まで1時間毎に10分間、特別なイルミネーションを実施している。ここでジャンプ。東京から41時間10分。
 ホテル「オセアン Ocean」に宿泊しました。
http://www.paris-hotel-ocean.com/

●ローマ
 シャルル・ド・ゴール空港まで30分。飛行機で飛ぶ。1099km、2時間5分。「コロッセオの前でイタリアの伊達男にプレイボーイのイロハを学んだ後にジャンプする」。タクシーで市内に35分。まず「真実の口」。
 外に出るとローマ観光バスが止まっていた。ローマ市内の主な観光スポットを周遊するバスで2500円程度で1日乗り放題。サン・ピエトロ寺院を通過し、スペイン広場に行く。イタリアの伊達男を探した。数人見つけてインタビューした。一人にコロッセオまでついて来てもらった。コロッセオの前でジャンプ。東京出発から62時間。ローマでの滞在は9時間45分。

●ドバイ
 カタールのドーハを経由する便で到着。4376km、7時間。気温は25度だった。「砂漠でラクダをバックにジャンプする」。バージュ・アル・アラブは世界最高の7つ星。
 昼食は「Al Shandagha Public Kitchen & Restaurant」で、マカロニと鶏肉をトマトベースで煮込んだドバイの家庭料理、ラム肉と小麦粉を24時間コネて蒸し上げた料理、ラム肉の炊き込みご飯をいただいた。かなり美味しいそうです。
 近所のツアーデスクで砂漠ツアーに参加した。間違ってラリー体験するツアーでした。かなり揺れて気持ち悪いそうです。歩いているとラクダが休憩していた。乗らせてもらってジャンプしました。東京から81時間。ドバイ滞在時間8時間50分。東京に向かう。
 ところが成田までの直行便がない。香港を経由して成田に到着。99時間57分でした。


テレビ番組「水曜どうでしょう ヨーロッパの旅」

 2007年1月17日に北海道で放送。2008年1月20日関西で放送。あとは毎週放送。第3夜から第9夜は2006年1月31日〜3月7日北海道で放送、2008年2月3日〜3月16日関西で放送。まぁ、冗談旅行記ですね。札幌HTB製作。

 大泉洋、鈴井貴之さんが出演。2006年8月22日から12日間の行程。レンタカーで21カ国を走破する。1997年に8日間で21カ国に挑戦したが、13カ国しか回れなかった。99年リベンジしたが4カ国だけ。アイルランドは避けて、残りはバチカン市国、サンマリノ、ポルトガル。ゴールはロカ岬の予定。札幌HTB製作。

●ローマ
 8月23日午前9時35分。ローマのサンタンジェロ。サンピエトロ寺院が見える。
 バチカン市国に歩いていく。バチカン博物館には長い行列ができている。短パン、ランニングはダメだと書いてある。1時間並んで、サンピエトロ寺院に入った。

●第二回は録画ミス。以下は第三回。

●フィレンツェ
 2006年8月24日午前10時。ドゥオーモに行く。大きいのに驚く。内部は高さ91mの天井に描かれたヴァザーリによるフレスコ画「最後の審判」は一見の価値あり。展望台に並ぶ行列に並び、歩いて展望台に到着。

●サン・マリノ共和国
 山道を通ってサンマリノに向かう。山を越えたら平地。それから高速に入って、全部で4時間程度?で到着。
 標高755mのティターノ山を中心とした山岳小国家。宮殿を中心とした町は城壁で囲まれていて、内部は車両進入禁止となっているので、ロープウェーやエレベータで上げる。
 7時過ぎに出国し、ボローニャに行って泊まる。8時半に急激に暗くなった。すると雷がすごくなった。

●フィレンツェ
 2006年8月24日午前10時。ドゥオーモに行く。大きいのに驚く。内部は高さ91mの天井に描かれたヴァザーリによるフレスコ画「最後の審判」は一見の価値あり。展望台に並ぶ行列に並び、歩いて展望台に到着。

●サン・マリノ共和国
 山道を通ってサンマリノに向かう。山を越えたら平地。それから高速に入って、全部で4時間程度?で到着。
 標高755mのティターノ山を中心とした山岳小国家。宮殿を中心とした町は城壁で囲まれていて、内部は車両進入禁止となっているので、ロープウェーやエレベータで上げる。
 7時過ぎに出国し、ボローニャに行って泊まる。8時半に急激に暗くなった。すると雷がすごくなった。

●イタリア・フランス国境
 8月25日、移動3日目午後5時頃。長いトンネルを抜けフランスに入りました。

●エクス・アン・プロヴァンス
 セザンヌの生まれた町。9年前はバカンス・シーズンでホテルに泊まれなかった。午後8時、まだ明るい。街はライトで明るい。2006年6月〜9月はセザンヌ祭りで人が多い。6軒満室。大きな5つ星ホテルに行ってみた。かなり空いていた。外で食事して飲んで泥酔してホテルに帰りました。

 8月26日(土)午前9時半、バルセロナまで480km。午後2時にスペインに入った。昼食を抜いていた。

●バルセロナ
 午後4時半に到着したが、道に迷った。ホテルには7時半に到着。
 朝1時間早く出て、ポルトガルを目指す。車内で口喧嘩。山の白いのを見て大泉が「雪か?」と言ったのを聞いて、8月なのに「普通なら言う前に考えるだろ?」と言っていたが、「大泉がバカなのを忘れていた」という(笑)

●サグント Sagunt
 8月27日(日)。バレンシアの手前の町。日曜なのでお店は閉まっている。大型スーパーすら閉まっていた。

●バレンシア Valencia
 パエリアで有名な街。レストランなど軒なみ閉まっていた。40分探して1軒見つけ、おいしいパエリァをいただきました。

●クエンカ Cuenca
 河川の浸食によってできた断崖の上に作られた街全体が世界遺産。
 パラドール・デ・クエンカは16世紀に建てられた修道院を改装したホテルで、1泊1.4万円ほど。

●カンポ・デ・クリプターナ
 8月28日。風車の街。丘の上に今も残る10基の風車。ドン・キホーテはこの風車群を巨人と間違えて突進したと言われる。

●ウベダ Ubeda
 ラ・マンチャ地方。

●アルコス・デ・ラ・フロンテーラ
 8月30日。白い村。車で走るにはかなりきつい。ポルトガル国境まで300km、リスボンまで500km。

●ポルトガル
 9年かけて20カ国制覇。

●リスボン
 4月25日橋はリスボンと対岸を結ぶ全長2278mの吊り橋。橋の上からはスボンの街が一望できる。

●ロカ岬 Cabo da Roca
 リスボンから20km。ロカ岬にゴールしたつもりが、約20km南のラソ岬でした。


テレビ番組「地球街道 千住明さんで南イタリア音楽紀行」

 2008年1月19日、26日放送。

●ナポリ
 紀元前5世紀に作られ、世界遺産でも旧市街を一直線に貫く道がスパッカ・ナポリ。スパッカとは真っ二つにするという意味。道幅5mほどのスパッカ・ナポリは熱気と活気に溢れ、賑やかなナポリらしさが味わえる庶民の道。洗濯物も干してある。移動式の八百屋さんには柿も売っているが、イタリア語でもカキ。ビルの高いところから籠を下ろしてお金とトマト1kgを交換していた。ナポリはカンツォーネが生まれたところ。ナポリっ子にとって歌は日常会話。

●アマルフィ
 ナポリから車で1時間半。40km続くリアス式の海岸線と絶壁に築かれた古き街並みの美しさから1997年に世界遺産。アマルフィはかつてはベネチアなどと並んだ海運国家だった。
 イスラム諸国と交流が深く、8世紀頃、紙の製法が伝わり、純度の高い水に恵まれたこともあって、イタリア有数の紙の生産地となった。紙博物館に行く。入館料3.5ユーロ。館長のエミリオ・デ・シモーネさんが解説してくれました。昔ながらの手すきの紙作りを体験できる。現在アマルフィの紙はローマ法王庁でも使われている由緒あるもの。有名な音楽家も楽譜に使っているので、五線紙を作りたいと思った。町の印刷所「グラフィカ・アトラネーゼ印刷所」を紹介してもらった。オーナーのルチアーノ・エレファンテさんにお願いした。
 できるまで海岸線を探索。レモンの段々畑が広がっている。アマルフィはレモンの名産地でもある。ステファノ・ビントさんのお宅に行った。レモン・チェッロというリキュールの原料となる。家庭では料理にも使う。ニンニク、バジル、オリーブオイルを入れたパスタにレモン汁をかけた「レモン・スパゲッティ」はアマルフィに伝わるおふくろの味。ザンポーニャと呼ばれるバグパイプみたいなイタリアの民族楽器を演奏してくれました。
 五線紙ができていた。名前も入れてもらった。完璧だそうです。

●アルベロベッロ
 アマルフィから車で5時間東に向かった。トゥルッリと呼ばれる建物は15世紀にこのあたりの石で造られた納屋が始まりと言われている。屋根は釘や接着剤を一切使わず、ただ重ねただけ。昔、家に税金がかけられ、その徴収から逃れるために役人が取り立てにきたら、すぐに屋根を壊すようにと工夫された。
 路地で聴こえてきたのは、アコーディオンを弾きながらの「コンマーラ・マリア」の歌。マリア・マッタレーゼさんのお宅に入れてもらった。夏は涼しく冬は暖かいそうです。その秘密は壁で、幅が1.3mくらいある。夕食までご馳走になった。そら豆を使った伝統料理「そら豆のピューレ」。煮込んだそら豆を練り、オリーブオイルを混ぜてできあがり。野菜とつけあわせて食べる。

●マテーラ
 アルベロベッロの近くにある。7000年前の新石器時代に崖の洞窟に人が住み着き、それ以来ここに暮す人は岩をくりぬいたサッシと呼ばれる洞窟住居を築いてきた。教会も洞窟の中にある。壁にはフレスコ画などの他に9世紀頃のグレゴリウス聖歌の楽譜もあった。この聖歌が後に西洋音楽へと発展していった。当時の楽譜は五本ではなく四本でした。グレゴリオ聖歌は今でも綿々と歌いつがれている。聖フランチェスコ教会で聖歌隊が「主よ、あわれみたまえ」を歌うのを聴かせてもらった。

●シチリア島パラッツォ・アドリアーノ
 数々の映画が撮影された。国道188号線を行くと着く。1989年の「ニュー・シネマ・パラダイス」のロケ地。村の小さな映画館での、映画に魅せられた少年トトと映写技師の交流の物語。エンリオ・モリコーネの音楽が素晴らしかったと千住さんは言う。
 そのトト少年を演じたサルヴァトーレ・カシオさんと会った。今はスーパーマーケットの仕事をしているそうです。映画の短編も作っているとか。あの映画では村の人が多くエキストラとして出演したそうです。

●エンナ
 島の中央部、シチリアのへそと言われる町。広場では夜なのにシチリア民族舞踊団コーレが踊りの練習をしていました。千住さんも誘われました。

●タオルミーナ
 紀元前3世紀に建設されたギリシャ劇場。現在でもオペラなどで劇場として使われている。すり鉢状の客席は計算されている。いつかここでオペラを演奏したいというのが千住さんの夢です。
 1988年の映画「グランブルー」の舞台となった地中海。それを見下ろす絶景のレストラン「グランデ・アルベルゴ・カポ・タオルミーナ」がある。魚介類の「スパゲティ・アッロ・スコーリョ」20ユーロをいただいた。これは映画でも登場した料理。

●パレルモ
 地中海にあうメロディーといえば、1950年の映画「太陽がいっぱい」でしょうか。作曲したのはニーノ・ロータ。千住さんにとってニーノ・ロータは憧れの人。
 パレルモにはニーノ・ロータが音楽を手がけた映画のロケ地がある。17世紀の貴族の館「ガンジー宮殿」。カリーネ・ヴァンニ・マンテーニャ公爵夫人?が案内してくれた。没落する貴族を描いた1953年のヴィスコンティの名作「山猫」の舞踏会のシーンはここで撮影された。ガンジー家は小説「山猫」のモデルと言われ、シチリアを代表する貴族だった。またパレルモに現存するもので、最古のピアノがある。これは作曲家ロッシーニがガンジー家のために選んだものだそうです。サインもありました。
 マッシモ劇場は映画「ゴッドファーザー Part 3」のクライマックスでの銃撃で登場する。ニーノ・ロータのあのメロディーが響きます。

●バーリ
 ニーノ・ロータが晩年に過ごした町。ニコロ・ピッチーニ音楽院で1950年から26年に渡って学長を務めた。ディンコ・ファブリス教授が案内してくれました。譜面を見せてもらいましたが、几帳面です。資料室にはニーノ・ロータが愛用したピアノが残されていた。特別に許可をもらい、旅で感じた曲をアマルフィで作った五線紙に書いた。

●マテーラ
 ここのサッシと呼ばれる洞窟住居の崖の上で、ピアノで作った曲を弾きました。


テレビ番組「地球街道 高島礼子さんで北イタリア」

 2008年1月5日、12日放送。

●ミラノ
 ドゥオーモは135の尖塔、2245体の彫刻からなり、1386年から建設が始まり、500年かけて完成した。
 バールの看板はいたる所にある。立ち飲みが流儀。「アペロル Aperol 」という店では、カプチーノ1.3ユーロにはハートのマークにREIKO と名前を入れてくれました。

●クレモナ
 車で東南東へ90分、中世の趣を残す古都。レンガ色の建物が美しく、バイオリン造りで栄えた。アントニオ・ストラディヴァリという天才が生まれた。ストラディバリウスがクレモナの市庁舎に残されている。世界中に現存するストラディバリウスは600ほど。表面のニスがポイントだそうです。責任者のアンドレア・モスコーニさんが演奏してくれました。楽器は生命をもっているので、毎日弾いているそうです。

●ポー川
 北イタリアを横断する大河。ジベッロにある「カヴァリーノ・ビアンコ Cavallino Bianco 」にはクラテッロがある。クラテッロとは霧深いこの地域だけで作られるイタリアで最高においしい生ハムの一つ。霧の湿度により特殊なカビが表面を覆い、強い香りと味を生み出す。作り方は、刻んだにんにくにワインを加え、豚の尻肉に丹念にすりこむ。塩胡椒を丹念に全体にまぶし、1週間繰り返す。これを豚の膀胱に詰めて、糸で縛り整形し、1年以上寝かす。クラテッロは10ユーロから。手づかみで食べるそうです。手で口に運び、ゆっくりと食べることで、香りと味が広がるそうです。

●アルバ
 ミラノの南西。冬のイタリアで最も注目される町。「ラ・モーラ La Morra 」には白トリュフなどがある。その香りから世界三大珍味の一つに数えられるトリュフ。アレサンドロ・ボニーノさんが量ると318gだったので、2226ユーロ(37万円)でした。大きいものほど付加価値が上がるそうです。
 探してみたいというので、「トラ・アルテ・エ・クエルチェ Tra Arte e Querete 」に行く。エツィオ・コスタさんは小さなホテルとレストランを経営している。本業はトリュフ採り。品評会で何度も優勝した名人。トリュフは樫の木のまわりにできる。トリュフ犬は子供の頃からトリュフに興味を持つように育てるそうです。ジョリーが大きいのを見つけてくれました。
 奥さんのグレリオさんがリゾットを作ってくれました。生の米をバターで炒め、牛のスープを加える。白トリュフは加熱処理にはむかない。食べる前に上に削ってかける。白トリュフのリゾット。

●ヴェローナ
 古代ローマ時代は三本の街道が交差し、北イタリアの中心地として栄えた。ミラノとベネチアの中間。2000年に世界遺産に登録された。
 ジュリエットの館がある。名場面のテラスに立ってみました。

●ヴェネツィア
 リベルタ橋を渡って市内に入る。ラグーナ(潟)に逃れた人たちが9世紀に作った街。150の運河と400以上の橋が作られた。アドリア海の女王と謳われている。中心はサン・マルコ広場で、ナポレオンはこの広場こそ世界の大広間だと絶賛した。サン・マルコ大聖堂。ドゥカーレ宮殿はかつての総督の居城だった。中は広い。大評議の間の壁一面にはティントレット作「天国」。22mの横幅。
 徒歩で小道を歩く。映画「旅情 Summer Time 」(1955年公開)を思い出した。映画の中で赤いゴブレットを売る骨董屋が出てくるが、現実のお店は仮面を扱うお店に行ってみた。ロベルタ・アイッツァさんは3年前にこのお店を買ったそうです。
 船に乗って20分、ムラーノ島に行った。ここはベネチアン・グラスの島。「ロッサンナ・ロッサンナ Rossanna & Rossannna 」には素敵なガラス工芸が並ぶ。ガラス工芸はルネサンス期にベネチアに巨万の富をもたらした。13世紀の末には技術が他に漏れないように、この島をガラス職人の島にした。ロッサンナ・バルビーニさんは、ここの赤いゴブレットは「旅情」のものと同じ形だという。本当は1955年の映画のために作られたデザインだそうです。
 「DFグラス・ワークス」で作らせてもらった。マエストロはダビデ・フインさん。工房の特徴はピアッツァ Piazza と呼ばれる集団作業。マエストロは一言もしゃべらす、黙々と仕事をしている。1時間かけて窯に入れた。高島さんも作らせてもらいました。
 「カンティナ・ド・モーリ Cantina do Mori 」でグラス・ワイン1.8ユーロをいただいた。  地盤沈下と地球温暖化により水没の危機がささやかれている。アドリア海の女王の行く末は?
 夜、ゴンドラに乗りました。

●ミラノ
 サンタ・マリア・デッレ・グレツィエ教会に行く。その隣の小さな修道院の食堂にレオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」が描かれている。イエス・キリストと12人の弟子たち。1977年から1999年まで20年以上もかけて修復が行なわれた。


テレビ番組「知っとこ イタリア・ナポリ、カプリ島」

 2008年1月5日放送。松嶋尚美さんが出演。

●ナポリ
 行列のできている店はピザ屋さん「ダ・ミケーレ」。130年以上の歴史がある老舗のお店。マリゲリータとマリナーラの2種類しか売っていない。ピッツァ・マルゲリータは3ユーロで直径40cm以上と大きい。トマトソースとモッツァレラ・チーズとバジルだけのピッツァ。ピザ職人を目指す新添智久さんは修行中。
 タンバリンを使って踊るナポリの伝統的なダンス「タランテッラ」を習うダンス教室に行って、一緒に踊りました。
 「オステリア・ダ・トレド」に行く。伝統的な料理を教えてもらった。フレッシュトマトとタラを使った料理です。トマトをフライパンでオリーブオイルで炒め、魚をフライパンで揚げたもの?を入れて、イタリアンパセリを散らして完成。「バッカラ・アッラ・シチリアーナ」。夜のサンタルチア港。

●カプリ島
 青の洞窟に入れる確率はこの時期は10%程度。海鮮料理の店「ダ・ジョルジョ Da Giorgio 」で食事。海がきれいに見えます。茹でたラヴィオリをフレッシュ・トマトのソースに絡めてチーズをかければイタリアの定番セット。「ラビオリ・カプレーゼ」13ユーロ(2100円)は、カチョッタ?とモッツァレラの2種類のチーズが入っている。あと魚料理をいただきました。
 スィーツは「ピッコロバール」でカプレーゼ6ユーロをいただいた。シーズンオフだからあまりお店が開いてない。靴屋「カンフォラ」は靴のオーダーメイドもしてくれる。デザイン、サイズ、ヒールの高さをオーダーメイドできる。デザインを選べば、その場で作ってくれる。デザインは150種類以上。15分で完成しました。1足190−220ユーロ(約3万円〜)。
 カプリといえばレモン。「リモンチェッロ Limoncello 」でグラス、石鹸、香水もある。一番人気はレモン・リキュール4.5ユーロ〜。
 夕暮れ前、リフトに乗って山の頂上に行く。
 2日目、波が高いから青の洞窟に入れない。
 3日目、青の洞窟まで行ってみた。波が荒いから入れませんでした。

●アマルフィ海岸のエメラルド洞窟
 ソレントに移動し、バスで15分、その先はレンタカーでエメラルドの洞窟を目指す。2時間後に到着。
 船に乗って洞窟の中に入る。ゆっくり進むと洞窟の奥に蛍光緑色が見えた。


テレビ番組「世界の絶景 新世界七不思議」

 2007年12月30日放送。世界七不思議は定義は曖昧だったが、2007年7月7日に新世界七不思議財団により、全世界から1億票の投票で新世界七不思議が決定した。ペルーのマチュピチュ、メキシコのチチェン・イッツァのピラミッド、ヨルダンのペトラ遺跡、インドのタージマハル、イタリアのコロッセオ、中国の万里の長城、ブラジルのコルコバードのキリスト像。新世界七不思議財団のバーナード・ウェーバー会長が説明してくれました。
 司会は内藤剛志、久本雅美さん。審査員は橋田壽賀子、優香、さまぁ〜ず、船越英一郎、ベッキーさん。フジテレビ製作。

●タージマハル
 350年前、22年の歳月をかけて建てられたお墓は世界一美しいといわれている。全て大理石、2万人の職人が集められた。いたる所に金や宝石が施され、国が傾くほどの総工費だった。たった一人の女性のために建てられたお墓。
 成田からはデリーにJALが毎日飛んでいる。10時間の旅。ここから南南東へ車で9時間でアグラ Agra に到着する。酒井敏也、田中要次さんが旅をして、スワッティーさん(19歳)が案内。
 まずは東門。敷地面積5万坪。東京ドーム4個分。2つ目の門をくぐると見える。この正門も立派です。通りすぎるとタージマハルが遠くにある。荘厳。
 皇帝シャー・ジャハーンが36歳で亡くなった愛する妻ムムターズ・マハルのために建てたお墓。高さ65mのドームを中心に左右対称になっている。建築の際には、イタリア、フランスなどから職人が集められた。アーチには楽園をイメージした花が細やかに装飾されている。
 この白さを守るために、1500m以内は車では入れない。

 黒いタージマハルがあるという。デリーは人口1300万人。ここで情報を集める。ヨガをしている公園でヨガを体験。サロ・ジャニ・ナガル・マーケットの市場に行ってみた。インドのお札には17種類の言語で金額が書かれている。タージ・パレス・ホテルのマネージャーのカランジット・シンさんから話を聞いたところ、「アグラのタージマハルを建てた石彫り職人の末裔がそう言っていた」という。

 アグラに行って、職人に会い、妹さんに案内してもらった。小さな集落を抜けて15分車で走り、さらに林の中を歩く。夕陽の中に黒く見えるタージマハルが見えました。
 皇帝は自らの墓として対岸に黒いタージマハルを建てようとしたが、願いは反対されて叶わなかった。

●ヨルダンのペトラ遺跡
 ペトラはギリシャ語で岩を意味する古代都市。紀元前に築かれたという。長い間、世間から忘れさられていた。インディ・ジョーンズ「最後の聖戦」で宝が眠る神殿として使われた。ここに住んでいたのはベドウィンと呼ばれる砂漠の民。今もラクダや羊を放牧する生活を送っている。
 首都アンマンまではドバイを経由して成田から15時間。要潤さんが旅をして、ベドウィン族のサーレムさん(34歳)が案内。国土の8割が砂漠というヨルダンを車で1時間走る。目の前に死海が広がる。生物が住めない死の湖。広さは琵琶湖の1.5倍。要さんは泳いでみた。水温20度。普通の海の塩分は3%だが、ここは30%。波うち際には塩の結晶がある。

 3時間で岩山が見えてみた。岩だらけ。どこに遺跡があるかわからない。シク(割れ目)というペトラの入口がある。これが1km続く。高いところだと100mあるそうです。昔は川が流れていたためらしい。
 そしてペトラ遺跡エル・ハズネ El Khazneh が目の前に見えた。ビル10階建の高さがあり、紀元前1世紀頃にかつてこの地に住んでいた砂漠の民が作ったもの。エル・ハズネはアラビア語で宝物殿という意味。しかし宝の形跡は全くなかった。中央上の柱に小さな穴がある。盗賊が銃を撃った跡らしい。
 さらに奥にはまだいくつもの遺跡群がある。王家の墓(1世紀〜2世紀頃)。まだ発掘中のものも多く、謎が多い。最大の謎は「雨が年に数日しか降らない場所で、なぜ高度な文明が栄えたのか?」。
 崖に沿って溝が通っていた。これは水道管だった。町の外の6km先の泉からひいていたそうです。
 ろばにのって絶景を観にいく。階段をろばが登る。次は崖の横をろばが通る。1時間降りて、ここから歩く。1時間後、特別な場所に到着した。高いところからエル・ハズネが見えました。

●久本が選ぶロマンチックな絶景
 イタリアの青の洞窟。ネパールのエベレストを独り占めできるホテル。モナコの世界一セレブな絶景。スウェーデンのダイヤモンド・ダストが降り注ぐアイス・ホテル。ドイツの世界一ロマンチックなお城ノイシュヴァンシュタイン城。フィリピン・エルニドの誰も知らない秘密のビーチ。アイスランドの10年に1度の奇跡のオーロラ。

●メキシコのチチェン・イッツァのピラミッド
 ギザのピラミッド以外にも、先の尖ったものとしては、スーダンのゲベル・バルカル、イランのチョガ・ザンビール、ミャンマーのバガン、メキシコのティオティワカン、グアテマラのティカルなどがある。
 メキシコ周辺で4世紀〜10世紀頃に最も栄えたマヤ文明の遺跡。非常に高度な天文学の知識を持っていた。天文台の遺跡エル・カラコルがあり、非常に精密な暦を作り出した。
 日本からはカンクンまで15時間。上原多香子、紺野まひるさんが旅をして、グスタボ・フラボソさん(32歳)が案内。カンクンは白い砂のビーチとカンクン・ターコイズブルーのカリブ海。
 チチェン・イッツァまでは車で2時間半。ジャングルの中の1本道を飛ばす。遺跡の手前からは歩いて到着。
 何のために作られたのか?マヤ文明の神を祀る神殿だった。階段の一番下にはヘビの頭がある。ククルカンという神で、穀物の豊作を願った。頭しかない。階段は2年前に観光客が転落事故をして登ることが禁止された。特別に許可をもらい、角度45度の階段を登った。階段の段数にも秘密がある。91段あり、4つの階段があるから、364、これに最上段の1段があり365となる。18回の段差はマヤ文明の1年の月を表している。最上段から見たジャングルは絶景。
 秋分の日と春分の日に見られる秘密がある。エンカデナTV局のプロデューサーのダビ・コロナさんに貴重な映像を見せてもらった。ククルカンのヘビの姿が現れていました。これを見てマヤ人は種まきの時期を知ったそうです。

●コロッセオ
 2000年前に皇帝は民衆の支持を得るために、巨大な競技場を作り民衆を楽しませた。
 日本からはローマまで12時間。三船美佳、スティーブン・セキルバーグさんが旅をして、マルコ・ベルッティさん(38歳)が案内。コロッセオは元は白かったが、排気ガスで黒く見えるとか?中に入る。今は床がなくなっているが、当時は砂の床があり、アレーナと呼ばれていた。地下には剣闘士の収容施設や猛獣と剣闘士を地上に運ぶエレベーターもあった。トイレがないのも謎です。
 町に出る。スペイン広場。「ローマの休日」では男性が腰をかける前の時計台の時刻は2時40分だが、腰をかけた後は5時になっている。
 三船さんは18年前の7歳の時に家族で行ったレストラン「サバティーニ」に行った。オーナーのスルベストラ・サバティーニさんに会った。「手長海老のブリュレ」をいただいた。
 コロッセオの夜景。ライトアップされてきれいです。

●内藤が選ぶ困難の後の絶景
 バヌアツの青く輝く神秘の湖は、ラピスラズリが溶けたもの。アルゼンチンの崩壊する巨大なペリトモレノ氷河。スイスのアルプスの超パノラマをパラグライダーで体験。ロシアのカムチャッカ富士のイリンスキー山は、クマの群れの中を通ってみる。気象の変化が激しく滅多に全貌を見せない。ボリビアの天空4400mのエメラルドの湖ラグーナ・ベルデは、銅が溶けているため。ベネズエラのエンジェル・フォールの落差は979m。水は霧になってしまい、滝つぼは存在しない。

●万里の長城
 2500年かけて作られた全長6000kmの長城。騎馬民族の侵略を防ぐために作られた。東の果ての関所は山海関で海になっている。西の果ては川で終っている。年間観光客は1000万人以上。誰もいない万里の長城もある。
 成田から北京まで3時間。川合俊一、misonoさんが旅をして、殷銘さん(40歳)が案内。
 まずは八達嶺長城に行く。入場料45元(720円)。ロープウェーは片道40元(640円)。人気の理由は、1952年に最初に観光地化され、修復されて整備が進んでいて、北京から車で1時間のところにあるから。まずは北八楼まで行った。人が多いので、絶景とはいえないようです。一番人気は長城記念マグカップ40元で、写真を撮って、それを貼ってくれます。
 東に10km、山の中へ進んで行く。門番がいて説明して通過する。アジアを代表する建築家達が設計したリゾートホテルがある。一番人気のコテージは日本人による竹屋。吉永小百合さんのシャープのアクオスのCMで使われた場所でした。1泊料金は45万円。敷地内に長城があり、宿泊者以外は立ち入り禁止。
 午前6時に出発。マイナス9度で朝8時までに山の頂上に行く。がんばれ、は中国語で加油(チャーユ)。到着した。長城の人が歩いている部分には草木が茂っていました。修復前の長城で、誰もいない。さらにその向かいの山に絶景があるという。がれきの山を越えて8時までに到着。どこまでも続く絶景が見えました。

●マチュピチュ
 インカ帝国は15−15世紀に栄えた南北4000kmの大帝国。言語の違う80の民族、人口1000万人を50年で統一した。鉄製の道具がないので、全て石製のもので石を切り出し、車輪を持たないので、人力で山の上に運搬した。何故この場所に都市を作らないといけないのかわからない。インカ帝国は文字を持っていなかった。
 保坂尚希さんが旅をして、マチュピチュをさらに高い場所から見た。マチュピチュはコンドルの形をしている。人間の無限の力を見せた遺跡でした。

●ブラジルのコルコバードのキリスト像
 南米で最も有名な建造物。日本人は見たいという希望者は少ない。リオ・デ・ジャネイロのコルコバードの丘に建つ高さ30mの巨大な像。年間180万人の観光客が訪れるという。何のために建てられたのか?
 80年前にブラジル独立100周年を記念して建てられた。大量の石材をフランスに送って作った。それが分解され、また戻ってきて建てられた。のべ5年間かけて建設された。腕の部分を命綱をつけないで掃除することが、18年前にあまりにも危険なので中止された。


テレビ番組「うふふのぷ 地球家族スタイルはヴェネチア」

 2007年12月8日放送。

●ベネチア
 街中では車は禁止。自転車も禁止。主な交通手段は水上バス。大人1回約1000円〜。車がいないからイヌも安心。散歩はつながないみたいです。平均年収は1人あたり約340万円(東京は615万円)。新しい建物を建てるスペースがないから、みんな古い建物に住んでいる。
 今回はパトリシア・ルッピさん(46歳)のお宅を訪問。夫はルチアーノさん(46歳)で、ゴンドラを操縦するゴンドリエーレで、二人は結婚30年。子供二人は自立している。1LDK75平方mで、家賃は1ヶ月8.5万円(東京だと26万円)。洗濯物は平気で通りの上に干す。
 家庭にはエスプレッソを作る機械もある。紙ではダメだそうです。午前中に市場に行く。ウナギはトマトやにんにくと合わせて白ワインで煮込むとおいしいソースになる。果物は安くて1kgあたり、トマト420円(日本690円)、メロン340円(2400円)など。野菜売り場のウィリアム・スフリッツオさん(27歳)は長女ジャンナさんのご主人。午後はDVDを見ながらお昼寝。それから夕食を作る。今回は豆のスープパスタ。600円あれば5人分作れるので安いという。あとは自家製のソーセージ。2,3年前からわさびが流行しているそうです。午後6時から広場のカフェにでかけ、友人とお話。その後家に帰って娘夫婦と夕食。
 ベネチアは20年後に沈むかもしれないといわれている。サンマルコ広場はハトが多い。ゴンドリエーレは425人しかいない。語学、運河のチリ、歴史などを習得し、試験に合格する必要がある。あとは親からライセンスを受け継ぐ方法もある。

 ちょっとリッチな家族ヘイビー・コーさん(30歳)のお宅を訪問。暖炉があるが、法律で使えない。3LDK130平方mで2億円。ご主人ジョエル・ルマネッツさん(35歳)は老舗ホテル「フローラ」のオーナー。18世紀の建物をそのまま利用している。


テレビ番組「世界遺産 アッシジ」

 2007年12月2日放送。ピエトロ・ロレンツェッティ作「聖母子と聖フランチェスコと聖ヨハネ」は「たそがれの聖母」と呼ばれている。カトリックの中で最大級のフランチェスコ会、13世紀初頭、聖フランチェスコの意志を継ぐ人たちが聖堂を建立した。これが後のルネサンスの引き金となった。清く貧しい生活を自らに課し、愛と平和を説きつづけた偉大なる聖人、その生涯を今にとどめるアッシジのサンフランチェスコ聖堂と関連する建造物は2000年世界遺産に登録された。

●アッシジ
 ローマの北130km、スバシオ山の斜面に扇状に広がる町。バラ色の石で造られた建物が軒を連ねる街並みは中世以来の様子を今に伝えている。
 サンフランチェスコ聖堂は1228年、この町の西側に建てられた。バラ窓をファサードの中央に持ち、高い鐘楼を備えつけた。新しい聖堂建築のモデルとなった。山の斜面に建つ聖堂には、上と下の2層の空間が作られた。地下礼拝堂のような聖堂下堂、左右にはサンフランチェスコ聖堂に現存する最古の壁画群が残っている。壁画のモチーフはキリストの物語、キリストとほぼ同格に描かれているのがサンフランチェスコ。今やイタリアの国の守護聖人となった。
 アッシジの町の一角には、それのきっかけとなった場所が残っている。12世紀、この町の裕福な毛織物商の家に生まれたサンフランチェスコ。その家は今はピッコリーノ礼拝堂となっている厩だった。キリストと同じ厩で生まれたことからキリストとイメージを重ねられた。
 貧しいことが神の教えであると説いたサンフランチェスコ。下堂の天井に描かれている。画家たちの創作意欲をかきたて、次々と作品を作っていった。ヨーロッパ美術においてフィレンツェ派の開祖とされるチマブーエの作品「荘厳の聖母」に描かれたサンフランチェスコの絵は実像に最も近いといわれている。
 聖堂上堂は天井は高く、開放的になり、壁には壁画があふれる。ステンドグラスからは柔らかな光が呼び込まれる。イタリアで最古にして最大のステンドグラス。アルプスより北の国から職人を呼び寄せて製作された。チマブーエによるもう一つの傑作「キリストの磔刑」は、斬新な画面構成で知られている。磔にされた悲しみがまわりに強烈に放たれている。十字架によりそうサンフランチェスコ。聖堂で最も重要な意味をもつ28面のフレスコ画がある。サンフランチェスコの生涯を表わす聖フランチェスコ伝。手がけたのはシマブーエの弟子とされる天才ジョット。人物に生き生きした表情や存在感を与えた試みは、ルネサンス時に新たな絵画表現の出発点となった。
 サンフランチェスコが信仰の道を究めるきっかけとなった「神の声を聞くサンフランチェスコ」。ある日壊れかかった教会で、涙を流すフランチェスコ。教会の磔刑図から一つの啓示を受けた。その舞台となった教会は今もアッシジにあるサンダミアーノ教会。聖フランチェスコが見たという磔刑図も、現在はサンタキアーラ聖堂に厳重に保管されている。キリストは「荒れはてて、倒れかけている私の家を直しなさい。」と語ったという。聖フランチェスコは恐れおののいた後に、それが神の声だとわかった。彼は裕福な家を捨て、世俗の世界を後にした。聖フランチェスコが両親と暮らした一部がヌォーヴァ教会に残されている。息子が気がふれたと思った父親はここに監禁した。「家を直す」とは、キリスト教会全体を立て直すことだと気付いた。1209年サンフランチェスコは裕福な人々が住む山を降り、11人の同士と共に小さき兄弟会を作った。現在、サンタマリア・デリ・アンジェリ聖堂が建つ場所には、彼らの活動の拠点があった。4世紀にエルサレムからの巡礼者が建てたというボルツィウンコラ礼拝堂。ここでもサンフランチェスコは神の啓示を受けた。「靴を脱ぎ、布一枚だけをまとい、清く貧しい暮らしを実践する」こと。サンフランチェスコが奇跡を起こしたという場所がある。悪魔の誘いを振り切るためにバラ園に身を投げた。バラはトゲをなくし、後にはトゲのないバラが咲くようになったという。
 1210年当時の教皇イノケンティウス3世により、兄弟会は正式な修道会としての承認を受けた。サンフランチェスコを生涯慕い続けた女性最初の弟子サンタ・キアーラを祀るために1265年に作られたのがサンタキアーラ聖堂。裕福な家に生まれたが、19歳で同士となり、髪をおろした。

 サンフランチェスコを称えた聖堂に悲劇が起こった。セルジオ・フゼッティさんは32年間この聖堂を見守ってきた。天井の絵画はところどころ剥がれている。1997年9月26日、大地震により聖堂の天井が崩落した。セルジオさんは同僚を失った。ジョットーなどの名画が30万ピースの石のかけらと化した。壁画の断片はそれぞれ厚さが異なるので、より時間がかかった。奇跡的に2年で復元された。ジョットの描いたサンフランチェスコは再生した。

 何もかも捨て、普段ははだしでいたというサンフランチェスコ。ある時から毛織の履物が残されている。死の2年前、最後の奇跡が起こった。1224年9月14日、空に天使が現れた。キリストが負ったという両手両足の傷「聖孔」が現れた。履物はこれが人目に触れないようにするためのものだった。右胸にもキリストと同じように傷があったという。そこにあてていたカモシカ革片が残っている。1226年10月3日、サンフランチェスコは44歳の生涯を閉じた。サンタキアーラは夢の中で「また会える、次の夏が来て、バラの花が咲いたら」といわれた。


テレビ番組「ヨーロッパ夢紀行 ローゼンハイム〜ミラノ」

 2007年12月2日放送。JIC製作。

●ローゼンハイム
 ドイツとオーストリアの国境近く。ここからオーストリアを通過してイタリアのヴェローナを経由してミラノに行く。乗る列車は国際特急列車ECのローマ行き。雪の中を朝10時頃出発。  食堂車に行ってみた。ランチはパスタでした。

●イタリア
 イタリアに入ると景色の中で雪が消えてきた。窓から見えるのはコルチナダンペッツオ。ヴェローナに到着したので、列車を乗り換えて、急行列車ICでミラノに向かう。

●ミラノ
 中央駅に到着。ホームは24番線あって、1日500本が発着する。中央駅が完成したのはファシズム体制下の1931年。ムッソリーニは権力を誇示するためにお金をかけて立派な駅を作った。

●ソリーゾ Sorriso
 車でミラノから北西に1時間半。レストラン「Al Sorriso 」は、現在イタリアに4軒しかない3星レストランのうちの1つ。エントランスを入ると居心地のよさそうなバー・ラウンジがある。壁にはいくつものメダルや賞状が飾られている。オーナーはアンジェロ・ヴァァッツァ Angelo Valazza さん。噂の女性シェフは奥さんのルイーザ Luisa Maarelli Valazza さん。結婚後9年でアンジェロの長年の夢だったホテル&レストランをオープンした。蓄えがなかったので、シェフを雇えず、やむをえず、普通の奥さんのルイーザさんが専門書を片手にシェフとして働いた。1年後にミシュランから1つ星をもらった。7年後に2つ星となり、さらに7年後に3つ星となった。料理を作るのに一所懸命で1つ星になったことも気がつかなかったそうです。バリエーションを増やし、料理を進化させることが必要だったそうです。2つ星になって初めて、料理を作ることが自分の道だと思い始めたそうです。
 まず基本を知ること、技術を習得すること、そして材料についての知識を得ることが大事だそうです。

 前菜は「Icestino con gelato di carciofi d'allenga e passata di topinamlur con fefato grasso d'oca in salsa agra al piccoli frutti 」アルエンガ産アーティチョークのジェラートと、キクイモのフュレのバスケット、フォアグラの酸味フルーツ・ソ−ス添え。「La capesante e gherigli di noci con carciofi croccanti, olive glassate in salsa di uovo alla Piemontese 」ほたて貝、くるみとカリカリ・アーティチョーク、オリーブのピエモンテ風、卵ソースのグラッセ添え。「Crema di cavolfiovi con spuma fredda di acciuga e gamieri vossi lamelle di tartufo nero di Norcia, olio di oliva aromatizzato 」カリフラワーのクリーム、アンチョビとエビのムース添え、ノルチャ産黒トリュフのスライスと香草風味オリーブオイル・ソース。「La puntarette Romane e pomodori confit confit con medaglione di Astice alfolio di nocciolale sue chele in gelatina 」プンタレットとトマトのコンフィ、オマール海老のヘーゼルナッツ・ソースとハサミのゼラチン固め添え。プンタレッタはチコリの一種で、ローマの冬野菜。「Culo di tonno del Mediterraneo scottato a mezza cottura con sesamo e papavero, emulsione apil agrumi caramellati 」地中海産まぐろのサイコロ・ステーキ、ミディアム・ソティ、胡椒とケシの実風味、柑橘系果物のキャラメル・ソース。
http://www.relaischateaux.com/

 ワインセラーも1.3万本ある。特に豊富なのはイタリア・ワインの女王と言われるバルバレスコ。ソムリエが取り出したのは、バルバレスコ1999年のモンテ・ステファ。彼が使っているのは、フランス製のルキャンティング・クレイド。最初は古いポートワインの上澄みを上手にグラスに注ぐためにイギリス人が発明したものだが、今は主にオリのあるヴィンテージ・ワインに使われているらしい。ハンドルをうまく回すとオリがグラスに出ることなく注ぐことができる。

 2皿目は「La potato novella con uovo ticpide piccola gratinatura di xabaglione al parniglane e tartufe blanca dis silba 」新じゃがいもと完熟トマト、ペルメジャーノ・チーズと白トリュフのサバイオーネ・ソース。サバイオーネは卵黄に砂糖と卵を加えて、泡立てたもので、主にデザートに使われる。「Agnolotti di marroni di Piemonte zucca glalla e mostarda alle nocciole tostate spumeggianti 」ピオモンテ産の栗、かぼちゃとマスタードのアニエロッティ、ヘーゼルナッツ・ソース。緑が鮮やかな「Tortelioni verdi della tradizione con formaggio Bettelmatt al lurro d'alpe aromatizzato alla maggiorana 」レトロマット・チーズが入ったグリーン・トルトリオーニ、トラディショナル・スタイル、マジョラノ風味アルプス牛のバター・ソース。レトロマット・チーズはピエモンテ州で作られるトーマ・チーズの一種。「Gnocohetti di polenta e cipolie rosse con dadolata di fegato d'oca la sua salsa al gorgonzola dolce 」ポレンタと赤たまねぎのニョッキ、ゴルゴンゾーラ・チーズのソース、賽の目切りのフォアグラ入り。ポレンタは北イタリアでよく食べられるトウモロコシの粉のこと。

 このレストランのメインは年に平均8回変わるそうです。「Il petto di piccione rosolato al porto le coscette farcite alle frattaglie con confettura di indivia Belga al melograno 」鳩胸肉のポートワイン・ソテーと鳩もも肉の内臓詰め、ベルギー・チコリのザクロ・ジャム・ソース、ほろほろ鳥のもも肉の黒トリュフとフォアグラ詰め、黒ネギのフォンデュ入りソース。「La coscetta di gallina faraona riolena di tartufo nero e fegato d'oca la sue salsa con fonduta di porri 」乳飲み子羊の香草とにんにくのソテー、ポテトと芽セロリのアルナドラードのココット。アルナドラードは豚の脂身だけを使ったサラミのこと。「Fassone (Vitelione di razza Piemontese) con cardi golli di Nizza e flioni di vitelio, la sua salsa al Barolo "Marasco" 」ファッソーネ牛とミッツァ・モンフェラートのカルド・ゴッポ、仔牛の骨髄添え、マラスコシャ製バローロ・ワインのソース。ファッソーネ牛はピエモンテ産の牛の品種、カルド・ゴッポはアーティチョークの一種。「Branzino di lenza stufato con scorza di patate oroccante e asparagi salsa fruna di vitello al vino passito 」スズキの蒸し身、カリカリ・ポテトとアスパラガス添え、カンテレリア島産ペッパーのツバイオーネ・ソース。

 デザートです。「Limandarino confit con mousse di cioccolato amaro cialoe oroccanti e salsa al pistacchio 」ミカンのコンフォ、ビター・チョコレート・ムースと薄焼きビスケット添え、ピスタチオのソース。「Timlalio caldo di ananas e mele gratinato alla noce di cocco con sorletto al cioccolate Guanaja 」パイナップルとリンゴのココナッツ・ミルク煮の温かい愛、グアナラ・チョコレートのシャーベット添え。「Piramide di torrone al cioccolato caramello composta di arancini aonguato 」チョコレートとキャラメルのヌガーのピラミッド、コニャック風味オレンジのコンポート添え。「Le creme coffe al Caffe al cedro e alla liquirizia 」コーヒーとシトロンとカンゾウのパンナコッタ。デザートは全て娘さんが作っているそうです。

 ホテルとしての部屋は8室。こじんまりして落ち着く。オルタ湖が見える。そのまわりは小高い丘になっていて、清清しい景色。日本からの予約は、ルレ・エ・シャトーで。
http://www.relaischateaux.com/

 イタリアでは「テーブルでは年は取らない」という諺がある。テーブルについている間は楽しくて充実しているという意味らしい。「ボォナペティート」は料理をお楽しみください。Sorriso は微笑という意味らしい。星付きレストランは他にも沢山あるが、これほど無欲でお客さんを第一に考えている店を他に知りません。星の数に関係なくお客さんを楽しませてくれています。


テレビ番組「目指せ!世界一 ミラノvs南米のパリ」

 2007年12月1日放送。中西哲生、田中毅アナウンサー、矢吹春奈、橋本志穂さんが案内。クラブ・ワールドカップに出場するACミランとボカ・ジュニアーズの地元を取材する。日本テレビ製作。

●ミラノ
 ゴシック建築の最高傑作はドゥオモ。モンテ・ナポレオーネ通りはファッション・ストリート。「ディ・マガジーネ・アウトレット」はブランド品が格安で手に入る穴場スポット。ジョルジオ・アルマーニの服1898ユーロが799ユーロ(13万円)。フェンディのジャケットは88.8万円が21万円。グッチの男性用コートは45.2万円が20万円。

 「ホテル・プリンチペ・ディ・サヴォイヤ Hotel Principe di Savoia 」は1927年創業。ミラノ屈指の5つ星ホテル。最上階にあるセレブご用達の「クラブ10(ディエチ)」は会員制高級フィットネスクラブ。会員は100人限定(125ユーロから)。イタリアの著名人などが在籍している。ホテルの地下にはセレブ御用達の高級美容室がある。最新メイクを体験した。メークアップ2.1万円。

 ミラノのセレブが通う本格的なピザ店「プリマフィーラ」。ルチアーノ・パバロッティ、マリア・カラス、ACミランの会長ベルルスコーニ前イタリア首相ご用達の名店。水牛のモッツァレラチーズ・ピザ2100円が人気。ピザ・マルゲリータ1200円はハートの形でトマトがハート形に置いてある。注文の際に頼めば、どんなピザもハート形にしてくれる。

 ACミラン御用達の高級イタリア料理店「ジャンニーノ Giannino 」は創業100年の老舗。カカの大好物という「テナガエビとズッキーニのショート・パスタ」3200円を注文。
 「フィンガーズ」は日本、イタリア、ブラジルの料理をミックスさせたミラノで大人気の創作日本料理店。代表的なメニューは「ブラジルの哀愁」2000円で、イクラ、アボカド、サーモンの押し寿司。「上ウナギロール」2300円は、中にウナギ、外にマンゴーを巻いた裏巻き寿司。「カルパッチョのトマトソースかけ」2000円。「イカすみと梅干のリゾット」2300円。このお店のオーナーであるACミランの10番MFセードルフ選手がやってきた。セードルフ選手は味噌汁がおいしかったそうです。

 ACミランの本拠地「ジュゼッペ・メアッツァ(通称サンシーロ)は収容人数8.6万人。イタリア最大のスタジアム。ロッカールームを見学。
 練習をしているミラノ中心部から50km離れた練習場ミラネッロに行く。サッカー場が6面あるが、練習は通常は公開されていない。マルディーニ選手の展開するファッション・ブランド「スイート・イヤーズ」の服を着てきました。マルディーニ選手はなかなかサインしてくれないのですが、サインしてもらいました。ほかにもカカなどもサインしてくれました。

●ブエノスアイレス
 日本テレビから33時間で到着。色彩溢れる町で、南米のパリと呼ばれている。今は春で、桜に似た花ジャカランダ Jacaranda が咲いている。美女(ムイリンダ)の国で、クリスティーナ(54歳)次期大統領さえも美女。
 パレルモ・ソーホー Palermo SOHO は若者が集う流行発信地。アロマテラピーをしている人が多い。パタゴニアに咲いているお花を使った化粧品でオイルやクリームがあるという。
 高級ブティック「ウニベルソ・ガーデン・エンジェルス」には、この店のパタゴニア・フラワーのアロマがあった。ボディクリーム、オイル、ローションなど。パタゴニア・フラワーは野生のローズ・ヒップで、特にビタミンCが豊富。花の強さが疲れを癒し、順応性を高める効果があるという。お店の2階のエステでまずは金粉パックを体験。金粉がお肌にしみこんで、シワをのばすそうです。この「金のマスク」と呼ばれる金粉は1500円で、ローズヒップ、金、亜鉛、銅、マグネシウム、氷河の水からなる。30分後、しっとり潤って、むくんだ顔をすっきりしたそうです。

 タンゴを体験。ダンサーのフェルナンドさんと、一番人気のミロンガの店「グリッセル Gricel 」に行く。店内には500人。

 ガウチョ料理の店に行く。ガウチョはカウボーイを意味する。「ラ・ブリガーダ La Brigada 」はパリージャ(炭焼き)専門店で、ブエノスアイレスで一番人気。「牛、羊、ヤギの臓物盛り合わせ」2人前4000円。牛の甲状腺、ヤギの小腸、羊の小腸、チョリソーを完食。メイン・ディッシュはアルゼンチン牛リブロースとサーロイン各1人前1600円。フォークとスプーンで切れてしまうほど柔らかい。塩しか使ってないそうです。マテ茶をみんな飲んでいる。

 ブエノスアイレスで美女が集まるカフェ「クマナ Cumana 」では、みんなマテ茶を飲んでいる。瓢箪を意味するマテという容器に、アルゼンチン原産のイェルパ・マテの葉や小枝を乾燥させたものを入れてお湯を加えて飲む。食後にマテ茶を飲むのが常識。ビタミン、ミネラルが豊富で利尿作用を促すという。苦いそうです。

 ボカ地区はボカ・ジュニアーズの本拠地。色彩豊かな建物の数々、船の余ったペンキが使われている。ボカにはディエゴ・マラドーナが所属していた。
 聖地ボンボネーラに行く。ボカのFWパレルモ選手が優勝の原動力。

●イグアスの滝
 飛行機で2時間、車で1時間、歩いて30分で到着。悪魔の喉笛に到着。イグアスとは原住民グラニー族の言葉で「壮大な水の脅威」。世界遺産。落差80m、滝幅4km。
 ボート・クルーズ2000円に挑戦。TVカメラが初めて滝に突入した。


テレビ番組「2007年11月の旅サラダはさとう珠緒さんでイタリア 」


 函館と同じ緯度くらい。日本円は1ユーロ=165円(10月30日時点)での計算。JALで行きました。

●ローマ
 スペイン広場には人がいっぱい。南側にかつてスペイン大使館があったことから名づけられた。「ローマの休日」では、オードリー・ヘップバーン演じるアン王女がここでジェラートを食べていた。
 ジェラートのお店「バール・デッラ・パルマ Bar Della Palma 」(住所:via della maddalena , 20/23 Roma, Italy、Tel:39-06-6880-6752、営業時間:8:00〜25:00、定休日:無休)に行く。100種類もある。お店のお勧めはリコッタチーズにいちじくのソースがかかったもの。これにチョコレートとクランベリーの3種類+コーンで2.5ユーロ(410円)。

 街中で噴水が多く見られる。これは昔と現在の融合。トレヴィの泉は18世紀のダイナミックな彫刻も見ることができる。肩越しに投げるともう一度来れて、もう一度投げると素敵な人に会える。もう1度投げるとその人と結婚できるという。
 コロッセオは古代ローマ帝国の娯楽の場。圧倒的な存在感。2000年前から変わらないその姿は、人々をひきつけてきた。
 コロッセオに隣接するのは、ローマの政治、経済の中心だったフォロ・ロマーノ。現在もまだ発掘途中です。
 「クラウディーの水道橋」はローマの郊外にある最大級の建造物。2000年以上前に建てられたものとは思えない。ローマ帝国の繁栄と共に水の需要が大幅に増え、各地で上水道の建設が始まった。紀元前1世紀、数十km離れた山の水源地から一定の傾斜をつけて水がひかれた。この水道がローマ帝国を支えた。

 市内のレストラン「Baby アルドロバンディ・ホテル内レストラン」(住所:via ulisse aldrovandi, 15 00197, Roma, Italy、Tel:39-06-321-6126、営業時間:12:30〜14:30、19:30〜22:30、定休日:月曜日)で料理をいただいた。南イタリアのソレントにある三ッ星レストラン「アルフォンソ」の料理が味わえると食通の間で話題になっている。食材は全て契約農家で取れたもの。前菜は「なすのパルミジャーナ風」22ユーロ(約3630円)で、なすとモッツァレラチーズを交互に重ねた品。鮮やかな緑のバジルソース?が効いている。パスタは「グランニャーノのパッケリ、ペコリーノチーズとカサゴのソース」24ユーロ(3690円)は、小麦の質までこだわった自家製。メインは「プンタ・カンパネッラ産ラム肉、オレガノ風味」32ユーロ(5280円)で、骨付きのラム肉はバルサミコ・ソースとオレガノで味付けしてある。

 市場「トリオンファーレ市場 Mercato Trionfale 」は野菜や果物が多い。野菜を売っている「マルコ&パオラ Marco & Paola 」(Tel:39-06-3972-6534、営業時間:4:30〜14:00、定休日:日曜日)では、アーティチョーク1個1ユーロ、ズッキーニの花1パック1.5ユーロ、ズッキーニ1kg3.5ユーロで、ズッキーニの花は天婦羅にしたり、パスタのソースに使うそうです。サボテンの実1kg3.5ユーロで、シチリア産のもので真っ赤で甘くてとっても美味しいそうです。ポルチーニ1kg25ユーロ(4130円)でした。

 買物は外せない。有名ブランド・ショップが並ぶ。イタリア発の靴の店「レネ・カオヴィッラ Rene Caovilla 」(住所:10 Via Borgognona, Roma, Italy、Tel:39-06-678-3879、営業時間:10:30〜19:00 )をのぞいてみた。ホテルのロビーのような店内。丁度品のように靴が並ぶ。ジュエリー・シューズとも例えられる。ファーのついた「ゴールド」740ユーロ(12.2万円)、「シルバー、足首ロールつき」715ユーロ(11.8万円)、「ゴールド、カラフルビーズつき」1215ユーロ(20万円)、「赤、リボン付き」755ユーロ(12.5万円)。茶色のバッグ1295ユーロ(21.4万円)と茶色のブーツ1215ユーロ(20万円)。「ピンクゴールド」835ユーロ(13.8万円)でした。
http://www.renecaovilla.com/

 古くからの建物を利用したお店が多い。あまり知られていないカフェ「カッフェテリア・キオストロ・デル・ブラマンテ Caffetteria Chiostro del Bramante 」(住所:Arco della Pace 5 00186, Roma、Tel:39-06-6880-9035、営業時間:10:00〜19:30、定休日:月曜日)に行ってみた。16世紀に建てられた修道院だった建物を利用したカフェ。古の大理石によりかかり、静かにカフェを楽しめる。


●フィレンツェ
 トスカーナ州の州都。14世紀から16世紀におきたルネサンスの中心地で、町全体が世界遺産。
 「花の聖母教会 Santa Maria del Fiore」の「ドゥオーモ Duomo 」は、フィレンツェのシンボル。1296年に建設が始まり、170年かけてほぼ現在の形になったと言われる。中は広い。ステンドグラスも美しい。天井のドームは天国を想像させる。入場は無料だが、教会上部にあるドーム型天井の上(クーポラ)への入場は大人1人、6ユーロ(入場時間は 8:30〜19:00(土曜日は〜17:40)で、定休日:日曜)。463段の階段を上がる。20分で見晴らしのいいクーポラの到着。オレンジ色の屋根が続く街並みが、高さ100mから見られます。

 スネッサンスの名画が数多く収められている「ウフィッツィ美術館 Galleria degli Uffizi 」(住所:Piazza degli Uffizi 6、Tel:39-055-238-8651、開館時間:8:15〜18:50、定休日:月曜日)に行く。入館料6.5ユーロ。ルネッサンス期の芸術はそれまでの宗教画とは異なり、より人間らしい聖母やキリストが登場しはじめる。14世紀から16世紀に多くの名作が生まれた。フィリッポ・リッピ作「聖母子と二天使」など。一番見たかったのはサンドロ・ボッチチェリ作「春」。ラファエロ作「ヒワの聖母」。レオナルド・ダ・ヴィンチ「受胎告知」には画期的な遠近法が使われている。ミケランジェロ作「聖家族」。

 この町には数々の芸術が受け継がれている。「イ・モザイチ・ディ・ラストルッチ I Mosaici di Lastrucci 」(住所:Via dei Macci, 9-50122 Firenze、Tel:39-055-241-653、営業時間:9:00〜13:00、15:00〜19:00、日曜日 9:00〜13:00、定休日:なし)を訪問した。ここは様々な色の石を組み合わせて作るモザイク画のアトリエで、伝統技を見ることができる。
 そういう芸術作品をひきたてる重要なものは「ディッタ・ポリ・エウジェニオ Ditta Poli Eugenio & Co. 」(住所:Borgo Tegolaio, 41R, 50125 Firenze、Tel:39-055-292-059、営業時間:8:00〜12:00、14:00〜18:30、定休日:土・日曜)で、古い額縁の修復や、古い絵画にあうような額縁やオーダーメイドの額縁を作るお店。額縁に金箔を貼り付ける作業をしている人がいる。ヒゲで静電気を起こして金箔がつきやすくしている。
http://www.dittapoli.it/

●ピサ Pisa
 車で2時間半。「斜塔(鐘楼) Torre Pendente (Campanile) 」(住所:Piazza del Duomo 17、Tel:39-050-560-547、斜塔見学可能時間:季節によって異なる 11月〜2月は9:30〜17:00、定休日:なし)は、有名なガリレオの重力の実験が行なわれた場所。世界遺産。最初は大聖堂の塔として建設が始まったが、3層まで工事が進んだ頃、傾き始めたという。入場料15ユーロ。上に上がると眺めは素晴らしいが、傾きが一段とわかる。

●スカンディッチ
 緑が美しい。自然豊かなトスカーナの休日。フィレンツェから南西に10kmほど行ったスカンディッチという町。
 宿泊はB&B「ポデーレ・ヴァルディボッテ Podere Valdibotte 」(住所:Viuzzo di Triozzi n.8 50018 Scandicci Firenze、Tel:39-055-730-9748)。オーナーはジャンカルロさんとヘレンさん。イタリアではアグリツーリズモが盛ん。オリーブの木や杉の木が連なる緑の敷地内には、家庭菜園があり、収穫体験もできる。今回はガジョンデ?という豆、変わった形のかぼちゃを収穫しました。無農薬です。
 希望によって夕食も用意してもらえる。宿泊は3部屋のみなので、要予約。手作り感たっぷりで、料金は1泊朝食付きでダブルルーム80ユーロ。
 家庭料理を教えてもらいました。「料理教室」は要予約で、通常2名から可能で150ユーロ(夕食値段込み)。今回は「野菜とミンチの炒め物」、「豆と黒キャベツのペースト」、「パプリカソースのパスタ」など、自家製ワインと共にいただきました。
http://www.poderevaldibotte.it/


●ナポリ
 カンパーニャ州にあるヴェスヴィオ山(標高1280m)の活火山の麓にある人口100万人の美しい港町。自由で開放的。卵城、サンテルモ城などの城が残っている。様々な国の支配を受けてきた。
 中心地にあるスパッカ。ナポリは2km先まで見渡せるほど真っ直ぐ。ここは下町で、洗濯物が干してある。4階とかから籠を使って買物をする姿も見ることができる。
 本場ナポリで評判のピッツェリア「オ・スクニッツォ O'Scugnizzo 」(住所:Corso Novara 15, Napoli、Tel:39-081-206-867、営業時間:12:00〜15:30、19:00〜22:30、定休日:日曜、祝日)は、60年以上も愛され続けている老舗。ピザだけでおよそ30種類、パスタや海の幸を使った料理も楽しめる。写真があるので、選べます。今回は本場の「ピッツァ・マルゲリータ」4ユーロ(640円)をいただいた。マルゲリータはナポリが発祥の地。生地にトマトソース、モッツァレラ・チーズ、バジルをのせ、形を整えて専用の釜で1分。赤、白、緑、イタリア国旗の色。珍しいのは「ピッツァ・フリッター(揚げピッツァ)」4.5ユーロ(720円)で、中にはトマト、リコッタ・チーズ、豚肉などが入っている。

 イタリアのもう一つの定番はエスプレッソ。ナポリしかないという味を求めて訪れたのがバール「イル・ベロ・バール・デル・プロフェッソーレ Il Vero Bar del Professore 」(住所:Piazza Trieste e Trento, 46, Napoli、Tel:39-081-403-041、営業時間:6:00〜翌2:30、定休日:なし)。ノッチョラート Nocciolato が特別なコーヒーで、様々なフレーバーコーヒーが味わえる。自家製クリームとヘーゼルナッツ・クリームを加え、熱々のエスプレッソをかけた「ノッチョラート」1.6ユーロは、このお店で始まり、ナポリ名物となった。「クロカンティーノ」2.5ユーロ(400円)は、へーゼルナッツ・クリームとスライスとシェーカーにエスプレッソをかけたもの。「カフェ・デル・ノンノ(おじいちゃんのコーヒーという意味)」2.2ユーロは、エスプレッソのフローズンムース。アレンジ・コーヒーは63種類ある。

●アマルフィ海岸
 東西40kmに渡って続く世界遺産の海岸。切り立った断崖に13の町が存在する。

●アマルフィ
 かつてはジェノバ、ベネチア、ピサと並び海洋都市国家として栄えた。黄色いきれいな色が目立つ。有数のレモンの産地で1個がとても大きく、普通のレモンの2倍ある。
 大きな看板の店「ア・シュリア A'Sciulia 」(住所:via fra Gerard sasso 2, Amalfi、Tel:39-339-589-3608、営業時間:9:30〜24:00、定休日:クリスマス時期以外の冬季休業(11月30日〜3月1日))は、自家農園で栽培するアマルフィ・レモンを使ったアイスのお店。ヨーグルト、かき氷、クリーム、シャーベット。今回は、シャーベット、クリーム、ヨーグルトの3つで「ラージサイズ」4ユーロ(640円)。レモンの甘味がすごいそうです。
 中央の大きな通りを1歩外れると住宅街が迷路のようになっている。白い壁の階段を上りきると緑の山、白い建物、青い海が見える。すごく美しい。

 断崖に立つ5つ星のホテル「ホテル・サンタ・カテリーナ Hotel Santa Caterina 」(住所:S.S.Amalfitana 9, 84011, Amalfi、Tel:39-089-871-012 )に宿泊。庭園がリゾート気分にさせてくれます。建物の中は白い壁で、全室オーシャンビュー。今回は、ジュニアスイートで1泊405〜850ユーロ(税別・サ込)(約6.5万円〜13.6万円)。時期により異なる。海がとても美しく大きく見えます。

●ヴィエトリ・スル・マーレ
 アマルフィ海岸の一番東にある陶器作りが盛んな町。陶器の店が60軒あり、明るい雰囲気。
 アマルフィ海岸が描かれた陶器があるお店「チェラミカ・ロモロ・アピチェッラ Ceramica Romolo Apicella 」(住所:Corso Umberto 1, nr.166 Vietri Sul Mare、Tel:39-089-211-680、営業時間:10:00〜13:00 & 16:30〜21:00、定休日:無休だが、7月半ば〜8月末日までは午前中と日曜日が休み)に入ってみた。「リモンチェッロ・セット」132ユーロ(2.1万円)はレモンチェッロを飲むもの。「オリーブ入れ」33ユーロ(5200円)は絵が可愛い。明るい色調で描いてある。隣は工房で、オーナーのアンナリータさんが絵付けをしていた。この町の伝統的な色、オレンジ、青、緑、黄色、茶色を使っている。美しいアマルフィ海岸の景色を表現したいと思っているそうです。今回は特別に絵付け体験させてもらった。


●マテーラ Matera
 パシリカータ州。乾燥した大地が続く。映画のセットみたいな世界遺産。渓谷の斜面に4000もの洞窟住居「サッシ」が並ぶ。洞窟住居が並ぶ旧市街に向かう。岩なのか住居なのかわからない。旧石器時代から人が住み始めた。柔らかい石灰岩の建物に住み、牧畜をしていた。8世紀頃イスラム勢力の拡大から逃れたキリスト教の修道士たちが移り住み、洞窟には教会も作られた。「マドンナ・デ・イドリス教会、サン・ジョヴァンニ・イン・モンテッローネ教会 Madonna de Idris, San Giovanni in Monterrone 」(住所:Sasso caveoso, Matera、Tel:39-0835-319458、開会時間:9:30〜13:30、14:30〜16:30、定休日:なし)は、2つの教会が一緒になっている。入場料2.5ユーロ(400円)。この教会ができたのは約1000年前。マテーラには約100の洞窟教会がある。教会にうっすらと残っている壁画がある。マリア様のようです。
 20世紀初めの都市計画により、この洞窟住居に住む人は別の場所に強制的に移住させられた。1960年頃から居住を再認識され許可が下り、1993年には世界遺産となり、かつての住居を改装して住む人が増えた。

●アルベロベッロ
 プーリア州にはオリーブ畑が広がる。メルヘンの世界に来たように思えるのはトゥルッリが並ぶアルベロベッロ。旧市街には1400軒のトゥルッリが並ぶ。1996年に世界遺産に登録された。地面を少し掘るだけで建物の素材である石が大量に取れ、木材を使うよりも安くできたためにできた建物。セメントは一切使わず、石を積み上げるだけ。
 旧市街にあるレストランもトゥルッリの形をしている。「リストランテ・アラトロ Ristorante L'Aratro 」(住所:Via Monte S. Michele 25, Alberobello、Tel:39-080-432-2789、営業時間:12:00〜15:00、19:30〜23:00、定休日:月曜)では、プーリア州の郷土料理がいただける。まずは前菜「ブッラータ・チーズ」5ユーロ(800円)で、モッツァレラ・チーズの中に生クリームが入っている。プーリア州特産の耳たぶ型パスタを使った「カブの葉ソースのオレキエッテ」7.5ユーロ(1200円)。

●レッチェ Lecce
 長靴のかかと付近にある町。バロック様式の細かい彫刻が町の至るところに見られる。装飾だらけ。このあたりで取れる石が柔らかくて彫りやすいため。最も目をひくのは「サンタ・クローチェ・教会 Chiesa di Santa Croce」(住所:Via Umberto I-73100, Lecce、Tel:39-0832-241957、開会時間:9:00〜12:00、17:00〜20:00、定休日:なし)。正面の彫刻は細かい。鳥の顔まで異なる。これほど彫刻の多い教会はイタリアでも珍しいそうです。教会内にもバロック様式の彫刻が見られる。

●レッチェの郊外コリリャーノ・ドトラント
 農業が盛んで、広い農園の敷地を利用して宿泊できるようにしているマッセリヤが多く見られる。今回は農園ホテル「マッセリア・サンタンジェロ Masseria Sant'Angelo 」(住所:Contrada Sant-Angelo 10、73022 Corigliano d'Otranto, Lecce、Tel:39-083-632-0575)に宿泊。オーナーはロッコさん。宿泊料は朝食つきで、ダブル・ルーム1人35〜60ユーロ、2人60−80ユーロ。長期滞在タイプもある。B&Bと同じく宿泊と朝食がセットになっているが、希望があれば夕食も追加可能。
 広い敷地内にはオリーブなどの野菜畑、馬やヤギも飼育して自家製のチーズも作っている。ロッコさんがこの地に伝わる伝統音楽「ピッツィカ」をタンバリンで聞かせてくれた。お祭りや結婚式などに使うそうです。楽器はタンバリン、ギター、アコーディオンに似たオルガネットの3種類。
 夕食(要予約)は19ユーロ(3040円)。時と場合によるが、夕食時にはみんなで食べながら、この地に伝わる伝統音楽「ピッツィカ」のダンスを踊ったり音楽を聴いたりすることもある。自由で開放的な音楽です。


テレビ番組「世界の果てまでイッテQ」

 2007年10月28日放送。ベッキーが旅した。日本からの航空運賃を除いた予算10万円(606ユーロ)で、2泊3日で世界の芸術はいくつ見られるか?がテーマ。移動は公共の交通機関を使うのがルール。フランス、イタリア、スペインがよいと計画。

●フランス・パリ
 レオナルド・ダ・ヴィンチが描いたモナリザ。空港からSNCFと地下鉄で50分、ルーヴル美術館を目指す。地下鉄はテロ対策で走り抜けられないようになっていた。朝8時40分で電車は超満員。スリには注意。
 ルーヴル美術館に入る前に駅前の売店で MusiamPass を購入。これで60もの他の美術館も見ることができる。これを買うと並ばなくてもいい。2日券、4日券、6日券の3種類がある。30ユーロ。名前を書かないといけない。
 ルーヴル美術館は800年前の王宮を改装して、1793年開館、所蔵30万点。常時2.5万点の作品を展示している。美術館の前にあるガラスのピラミッドは著作権の関係で撮影はできない。撮ると2万ユーロ。中もテレビの撮影は不可でした。ルーヴル美術館は地下1階、地上3階。各分野年代順にスペースが別になっている。
 モナリザは1階奥。その途中で「サモトラケのニケ」(紀元前190年頃の大理石像)があった。船のへさきにつけられていたもので、タイタニックの有名なシーンもこの像をヒントにしたものだった。スポート用品のナイキ Nike はニケが由来。「ミロのヴィーナス」(紀元前130−100年頃の大理石像)。ウジェーヌ・ドラクロワの「民衆を導く自由の女神」(1830年)がある。アメリカに送られた自由の女神はこれをモチーフにしている。「モナリザ」(1503〜06年)がある。今にも動きだしそうな表情。どの角度から見ても必ず目が合うという。顔の左側は優しく笑っているが、右側は意地悪な表情。絵の大きさは縦77cm、横53cmで、実際に見ると小さい。371個見たそうです。

 歩いて10分、セーヌ川をはさんだ「オルセー美術館」にもアートが多い。ジャン・フランソワ・ミレー「落ち穂拾い」(1857年)。教科書で見た絵画が目白押し。ピエール・オーギュスト・ルノワール「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」(1876年)。クロード・モネ「青い睡蓮」(1916−19年)。ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ「医師ガシェの肖像II」、「オーヴェルの教会」(1890年)、「自画像」(1889年)。ゴッホは自殺するまでに売れた絵はたった1枚だったそうです。117個のアートを見ました。

 地下鉄で1駅(1.5ユーロ)でノートルダム寺院(1163年着工、180年かけて完成)。教会は1階は入場無料、撮影OKでした。ステンドグラスは見所。ステンドとは汚すという意味で、最初は光が入りすぎないように窓を汚していたのだが、そのうちに芸術になった。

 地下鉄1.5ユーロでエッフェル塔に行く。1889年完成。ベッキーは江戸時代と言っていたが、明治時代の間違い。高さ321m。
 地下鉄1.5ユーロで凱旋門。その前の通りはシャンゼリゼ通り。カフェ「フローラ・ダニカ Flora Danica 」はパリジェンヌに大人気。1つ星高級レストラン直営のカフェ。ポテトサラダ、ごまパン、キッシュを13.9ユーロ(2293円)で購入。

 電車(2.8ユーロ)と徒歩で40分で「ベルサイユ宮殿」(1682年完成)。総面積100万平方m、東京ドーム21個分。マリー・アントワネットも歩いた散歩道、庭園のあちこちに置かれた大理石の彫刻、湖とおとぎの世界。宮殿内部は撮影不可でした。

●イタリア・フィレンツェ
 午後6時50分発の飛行機でピサに向かった。118ユーロ(1時間半)。斜塔はあきらめた。電車でフィレンツェに乗る。駅の売店でサンドイッチ?を9.6ユーロ(1584円)で購入。  宿泊はB&B「Florence Toom 」。1泊50ユーロ。
 ウッフィッツィ美術館とアカデミア美術館が目標。どちらも開館前の朝7〜8時は撮影OKとの承諾を得ていた。深夜0時就寝だが、朝7時前には美術館前に来た。
 アカデミア美術館(19世紀頃開館、元は美術学校)。奥にミケランジェロ・ヴォナローティが26歳で作った「ダビデ像」(1504年)があった。高さ4m、台座を含めると5m。目はハート型で彫られている。
 開館前のウッフィッツィ美術館に急ぐ。入場料は6.5ユーロ。まず彫刻がすごいが天井がすごい。最大の目玉はサンドロ・ボッティチェリ「ヴィーナスの誕生」(1486年)。他にもサンドロ・ボッティチェリ「アテネとケンタウロス」と「春」などを見ました。

 8時からフィレンツェの町を散策。最古の橋「ヴェッキオ橋」(1345年)は橋の上は商店街。橋の中央から見た景色も素晴らしい。
 花の聖母寺「ドゥオーモ」(1296年着工、施工期間140年)は白と緑とピンクの大理石で装飾されている。

●バチカン市国
 電車で2時間。ローマ市内のバチカン市国。サンピエトロ広場は誰でも気軽に入国可能。140人の聖人が並ぶ。
 バチカン博物館は世界最大級を誇る。展示コースは7km、総面積は国土の10分の1。入場は1時間待ちになることもしばしば。テレビの撮影は不可。入場料12ユーロ。システィーナ礼拝堂の「最後の審判」、天井の「天地創造」が目玉。天才ミケランジェロが5年半かけて一人で書き上げた。絵葉書0.5ユーロ。合計アート数は1033となった。

●ローマ
 電車1ユーロでコロッセオに向かう。古代ローマの公共広場フォロ・ロマーノは、紀元前6世紀頃のもので、現在も発掘調査中。ローマの休日でおなじみの「真実の口」はサンタマリア・イン・コスメディン教会の1階にある。もとは古代ローマ時代に使われた井戸の蓋。ベッキーは鼻の穴に入れました(笑)
 電車1ユーロで「トレヴィの泉」(1734年)に向かう。起源は紀元前19年の水道。「ローマに戻りたいと思うなら、後ろ向きにコインを投げよ」と言われる。ちなみに1年間に投げ入れられるお金の総額は1億4000万円。
 午後5時30分、「スペイン広場」は17世紀スペイン大使館が広場前にできたことが名前の由来。ジェラートをいただいた。
 空港に電車で急ぐ。12ユーロ。飛行機代60.1ユーロでミラノに向かった。

●ミラノ
 午後11時22分到着。ホテルまでの電車代は6ユーロ。宿泊は「La Vignette 」。ここでは「最後の晩餐」を見る。夕食はバナナ3本2ユーロ。朝食は水のみ。
 電車代1ユーロで、「ドメニコ会の旧修道院」に行く。ここの食堂の壁にあり、毎週月曜日はテレビは写真の取材もOK。しかしその日は金曜日だった。絵葉書は1ユーロ。残りは144.2ユーロ。

●スペイン
 マドリードまで飛行機代129ユーロ。午後3時48分到着。電車代9ユーロ。「ソフィア王妃芸術センター」(1992年開館。元は治療院)にパブロ・ピカソの「ゲルニカ」(1937年)がある。入場料6ユーロで撮影は自由。ジョアン・ミロ、サルバドーレ・ダリ、アングラーダ・カマラサ、マンレイらの作品がある。ゲルニカはナチスドイツによる空爆によるスペインの惨劇を描いたもの。この絵には色彩がない。午後5時2分終了。合計で1202個のアートを見ました。


テレビ番組「知っとこ!世界の朝ごはん ベネチア」

 2007年10月27日放送。

●ベネツィア
 水の都で、88の島からなる運河の町。世界の大都市で唯一車が走ってない町。観光客がいっぱい。ゴンドラに乗る人が並んでいる。運河から見るベネチアの風景は観光客に人気がある。ベネチアのゴンドラは400艘。ゴンドラを造っている工房に行ってみた。ドルソドゥーロ地区 Setiere di Dorsoduro の「トラモンティン Tramontin 」ではペンキで塗っているところだった。腐食しやすいので、きれいに塗るのが大事とか。最初の年に6層塗って、その後は毎年3層ずつ塗るそうです。一つ造るのに2ヶ月かかる。最盛期には1万艘あったが、数が減ったので、工房も減ったとか。
 市場 Mercato del Pesce に行く。大根の輪切りみたいなのが水に浮かんでいる。これはアーティチョークの底の部分。ソテーにして食べるとほくほくしておいしいそうです。「フォンディ・ディ・カルチョーフォ」5枚3ユーロ。
 ロレンツォ・トンマセーオさんが紹介してくれたのは、ベネチアで一番有名な仮面のお店「カ・マカナ Ca' Macana 」。仮面を売る店は100軒以上あるが、ここは手作り。13世紀頃は2時以降は毎日つけていたそうです。
 サン・ポーロ地区 Sestiere di San Polo を歩いていると、チョコレートのお店がある。オーナー・シェフのマリー・アンジェラさんがフルーツや様々な食材を使って100種類くらい作っている。今は仮面のチョコを製作中。1個9.9ユーロ〜。

 新婚さんの朝ごはん。アパートに住むクラウディア・パンドルフォさんが作るのは、1品目「シーフード・リゾット Risotto ai frutti di mare」。たまねぎを適当に切り、みじん切りにする。フライパンに多くのオリーブオイルをいれて熱したら、にんにくのみじん切り、たまねぎのみじん切りを入れて、炒める。しんなりしたら、海老、イカなどのシーフードを入れ炒め、ブイヨンを入れて炒める。お米を入れて火が通ったら完成。
 2品目は「フォンディ・ディ・カルチョーフォの蒸し焼き Fondi di Carciofo」。フライパンにオリーブオイルを入れ、にんにくを3片炒める。フォンディ・ディ・カルチョーフォを入れ、水を全体が浸るように入れ、パセリのみじん切りを入れ、蓋をして全体を蒸し焼きにする。
 3品目は「フェガット・アラ・ヴェネチィアーナ Fegato alla Veneziana」。フライパンにスライスしたたまねぎを入れて、全体がしんなりするくらいまで炒める。一口大に切り分けた牛レバーを入れて炒め、表面が白くなったら味付けをする。塩を振りかけ、赤ワインをかけて炒める。


テレビ番組「週末のトラベラー 世界!弾丸トラベラー ナポリ」

 2007年10月21日放送。ソニンさんが挑戦。中川翔子、山崎静代、梨花さんが司会。ナポリ名物はポモドーロ Pomodoro (トマト)。トマトの王様と称されるのがサンマルツァーノ。それにこだわる5つ星レストランがある。1泊4日、トマトの王様を使ったイタリア料理を食べる旅。

●予定
 21:55成田発のエール・フランス277便で4:15パリ着。7:00発のエールフランスで9:05分レオナルド・ダ・ビンチ空港着。14:45分ローマ・テルミニ駅発、16:12ナポリ中央駅着。19:00「ピッツェリア・ソルピロ」で夕食。21:00、ホテル「コスタンチノポーリ104」宿泊。
 3日目は朝8時半野菜市場見学、9:42ガリバルディ駅発、10:50ソレント駅着。12:00〜イタリアで最高の5つ星レストランでランチ。13:30ソレント発。17:23レオナルド・ダ・ビンチ空港着。19:35発のエールフランスで4日目の18:00成田空港着。

●ローマ
 10時40分レオナルド・ダ・ビンチ空港からローマ・テルミニ駅まで電車で向かう。11ユーロ。レオナルド・エクスプレスで40分。
 バチカン市国に行く。広さは東京ディズニーランドと同じくらいの大きさ。12:50分サンピエトロ寺院。13:30分真実の口。13:50分コロッセオ。14:35ジェラート・ショップ「アラ・チェーリ」でバニラ、ピスタチオ、カプチーノ3点で3.7ユーロ。食べながらテルミニ駅に5分前に到着。

●ナポリ
 1時間半で到着。19:00ピッツェリア「ジーノ・ソルピロ」で夕食。マルゲリータは大きくて、3ユーロ。トマト、モッツァレラチーズ、バジルの葉。
 21時、ホテル「コスタンチノポーリ104」到着するが門が開かない。右上のボタン?を押したら開いた。今度は左。その先は見事な中庭。1800年代の貴族の別荘を改築したホテル。今回はメゾネット形式の部屋ジュニア・スイートで1泊245ユーロ。
 朝8時にホテルを出て、朝市にでかける。トマトは種類が多い。ベスビアーノ・トマトは小さくて長い。柔らかく甘い、サラダに使用する。コストルートは果汁が多く、ジュースに最適。ロッソトマトはコクのある甘さが特徴。インサラターロはお米を詰めてライスサラダに使用。人参みたいなのがサンマルツァーノ・トマト。このトマトの美味しさの秘密はベスビオ火山の恵をたっぷり受けた火山灰を含んだ土。水はけがよいので、実に糖分をたっぷり蓄える。
 電車に発車1分前に乗れた。ソレントへは運賃が3ユーロ。1時間でソレントに到着。

●ソレント
 民謡「帰れソレントへ」で有名な町。5つ星レストラン「ドン・アルフォンソ Don Alfonso 1890」にタクシーで向かう。イタリアでも指折りの最高のレストランだとタクシーの運転手は語った。オーナーのマリオ・ヤッカリーノさんが出迎えてくれた。ウェイティング・ルームでお店からのサービス料理とシャンパンが出た。「マダム、ランチの準備ができました」と言われて部屋に。
 白い屋根の太陽いっぱいの部屋。ここでは誰もがお姫様。「4種類のトマト(サンマルツァーノ、クオーレ・ディ・ブエ、ラマート、ベスビアーノ)」。まずは乾燥サンマルツァーノのマリネからいただきました。次は「バジルとアカザエビのサンマルツァーノ・ガスパーチョ」28ユーロは、トマトを濃厚な冷たいスープにしてある。「カチョッタチーズとマジョラム入りラヴィオリ」28ユーロ。「野菜のクスクスとベッツォーニャ(白身魚)レモンソース和え」38ユーロは、サンマルツァーノとレモンのソース。デザートは今回のシェフのエルネスト・ヤッカリーノさんが持ってきてくれました。「ジェラティーナ・ディ・ポモドーロ(トマトのゼリー)」で、3本のレンゲに盛り付けられている。香りはバジル。
 このレストランで使われているサンマルツァーノ・トマトは特別。ドン・アルフォンソ・ファームで作っている。加熱することでうまみが増す。


テレビ番組「びっくり法律旅行社 第二回 ローマ」

 2007年10月19日放送。児玉清、黒崎めぐみ、タカアンドトシさんが司会。石原良純、大沢あかね、山口もえさんがゲスト。

●ローマ
 石原さんはテベレ川沿いのお城セントアンジェロからサンピエトロ寺院を見て、その上の青い空が広がって、白い雲が流れていくのに感動したという。山口さんはイタリア講座終了後に行ったそうです。大沢さんは行ってない。秋のローマはベリッシモ Bellissimo(素晴らしい)。

 児玉トラベルのお勧めプランは「ローマの休日」みたいにローマの休日を過ごすローマの旅。スペイン広場、トレヴィの泉、ゴッド・ファーザーにも登場したシチリア島の伝統的なお菓子カンノーロは、リコッタチーズを使ったクリームとパリパリの皮が人気。ジェラートも人気。
 スペイン広場ではゴミを捨てたり、飲食は禁止。ジェラートを食べるのはできない。2004年に制定された。最高160ユーロの罰金。
 スクーターの二人乗り。ヘルメットをかぶらない、ストラップをきちんと締めない、ヨーロッパ規格のヘルメットでない場合は70〜285ユーロの罰金と60日の免停。コロッセオ、真実の口を訪問した。
 真実の口では、写真は1枚だけ。これは法律ではないが、並んでいる人が多いので礼儀。
 トレビの泉では、お金は禁止されていないが、ゴミのポイ捨て、騒ぎたてたり、歌ったり、落書きしたりすると、噴水地区への立ち入り禁止。泉の中に入るのも禁止で、最高586ユーロの罰金。毎朝回収され、福祉に寄付されている。

●買物
 コンドッティ通りはショッピングで人気。イタリアでは1998年に制定された法律で、バーゲン(Saldi)期間は決められている。その時期は州によって異なる。ラツィオ州ローマの場合、冬は1月の第二土曜日から最高6週間、夏は7月の第二土曜日から最高6週間。日本のようなクリスマス・バーゲンはない。割引率などバーゲン開始の5日前までに届けないといけない。破ると最高4万ユーロの罰金。
 偽ブランド品を購入した場合、買った方も売った方も罰金がかかり、最高1万ユーロ。

●動物
 パンテオンも人気。9月のローマの最高気温は26度。ジェラート以外にもスイカが人気。4月〜10月に太陽が当たっている車中に放置してはいけないものは、動物。違反したら最高500ユーロの罰金で、押収される。またショーウィンドに動物を飾って人目さらすことは禁止。違反すると200−500ユーロの罰金。動物を購入したりプレゼントしたりするのは18歳から。違反すると200−500ユーロの罰金。
 ローマ市内で労働中の馬には馬糞飛散防止の袋を取り付けないといけない。ジュゼッペ・ルチアーノさんの馬車は定員4名2時間で150ユーロ。馬は1日4回糞をするそうです。他にも1日6時間以上働かせてはならない、などの細かい法律がある。6月1日〜9月15日までの期間は午後1〜5時までは馬を働かせてはならない。

●遺跡
 コロッセオなどで石が落ちているのを拾った場合、考古学的見地から損害を与えたというので、最高3000ユーロの罰金。


テレビ番組「世界遺産 アルベロベッロのトゥルッリ」

 2007年10月14日放送。土地の言葉でキアンカレッレと呼ばれる石灰岩。わずかずつ傾斜をつけ、身近にある石を人々はそれを積み上げた。そこを訪れた人はまるでおとぎの国に来たようだと言う。アルベロベッロに建ち並ぶ民家はトゥルッリと呼ばれる。プーリア地方の田園に広がるトゥルッリは1996年世界遺産に登録。

●アルベロベッロ
 アルベロベッロとは「美しい木」。人々は樫の木を切り、開拓したが、そこに現れたのは石灰岩の大地だった。なだらかな丘に一面のオリーブ畑。人々はオリーブ、ぶどう、アーモンドの栽培でつましく暮らしてきた。
 アルベロベッロの町の始まりは15世紀。現在1万人が暮らす街の旧市街には、昔ながらのとんがり屋根のトゥルッリが1500以上も密集している。
 家々の構造はきわめてシンプル。石の壁で囲まれた部屋を1つ作り、その上に不揃いの石たちをモルタルなどで固定することなく、偶然のバランスを保ちながら積み上げ、円錐形の屋根を作る。これをトゥルッロと言い、1世帯では複数あるので、トゥルッリと呼ぶ。トゥルッリに必ず設けられたものは地下室。岩の大地を掘って地下室を作り、切り出した岩は石材として家の建築に使われた。地下室が作られたのは生活用水確保のため。雨を集めた貯水槽だった。
 農民はとんがり屋根に思い思いの装飾を施した。模様の起源な謎のまま。貧しい生活で、20世紀に入ってもわずかな農作物に頼る生活が続いた。
 車で1時間、400年変わらない田園風景が広がる。古くからの農園に暮すグラッツェーラ・タテオさん(83歳)は昔は水道がなかったので、屋内の雨水を使ったという。パスタは耳の形をしたオレキエッテ。最近は自家製のオレキエッテも作る人は減ったという。
 メルキオーネ城。トゥルッリを守り続ける人々が今も口にするエピソードがある。猛君として知られるジャン・ジローラモ2世は、17世紀ナポリ王国の支配下で、建物の数によって税金を払うシステムから、視察があるとすぐに壊せるようにトゥルッリには積んだ石にはモルタルを使うことを禁じたという。時代から取り残されたこの地に大きな変化が訪れるのは18世紀。アルベロベッロ解放のシンボル「カーサ・ダ・モーレ」は、1797年ナポリ王に封建王のことを直訴した。この家はモルタルだけが使われた初めての家。
 多くの住民が近代的な新市街に移る一方で、古いトゥルッリに住む人もいる。新市街でブティックを経営するマリア・リッポリスさんもその一人。1500のトゥルッリは全て国の文化財としての保存が義務付けられ、増改築は厳しく制限されている。アイア・ピッコラ地区?にリッポリスさんの家もある。屋根裏は彼女の寝室。外部はそのままで、内部だけ住みやすくリフォームされている。明かりを入れるための高窓は、本来は貯蔵庫への農作物の搬入口だった。
 町を一歩出ると農耕、牧畜の昔ながらの暮らしがある。ある農家のトゥルッリは現存する最古級のもの。ジュゼッペ・マージさんは400年前の当時のままで牛舎として使っていて、家畜には最適だと語る。
 モンティ地区には1000ものトゥルッリが密集し、多くが観光客目当ての土産物店など。ジュゼッペ・マフェイさんの家系はトゥルッリ作りだったが、新築の依頼は途絶えた。今は模型作りに専念する。ジューリオ・ヴェネツィアーノさんは最後の職人と言われ、修理を担当して50年。わかっているのは、アルベロベッロの名前である樫の木がトゥルッリの中で使われていること。起源についてはメソポタミアからギリシャを経て伝わったというものだが、確証はない。


テレビ番組「ソロモン流 イタリア料理研究家&ジュエリーデザイナーの岸魔弥子さん」

 2007年9月22日放送。船越英一郎さんが案内。岸魔弥子さんはイタリア料理研究家、ジュエリーデザイナー。イタリアの家庭料理のレシピの本が評判になった。テレビ東京製作。

●東京
 東京駅の前の新マルビルにある「イル・カランドリーノ東京」で辰巳さんと食事。ここのシェフはマッシミリアーノ・アライモさん。ランチは4500円〜。前菜は「軽い前菜、チケッティ」3種類。「烏賊墨のカプチーノスタイル」。「完熟トマトとバジルの冷製スパゲッティーニ」。メインは「伊豆沖の金目鯛、ケッパーと香草を加えたジャガイモのピュレ添え」。岸さんはフィレンツェに5年、北のヴァレンツァにも住んでいたそうです。
 広尾が自宅。パスタを煮るためのイタリアのラゴスティーナ社製パスタ鍋を使っています。マグネットがついているおたまは便利。ボダム社製取っ手付きまな板(現在製造中止)。モンタナ社製ナイフセット。パッサベルドゥーラは野菜のこし器。
 岸さんは1967年神戸生まれ、父親が転勤族だった。20歳の時に母が他界。1990年に一流商社「日商岩井?」に入社。ジュエリーが作りたいと思って、イタリアの彫金学校に1993年?に入学した。フィレンツェ、ヴァレンツァで語学とジュエリーを学んだ。イタリアの料理も習得した。1994年に愛知県の自宅にアトリエと料理教室Giardinoをオープンした。これが大評判となり、テレビの取材も数知れず。ジュエリーも話題となり、料理教室は東京にも進出した。地理を学んで初めて料理の奥行きがわかるという。
 広尾のナショナル麻布スーパーマーケットは外国食材の宝庫。大きなパルミジャーノ・レッジャーノのようなチーズ(パルメザンの名で世界中に知られている)もある。

 岸流アンチョビの作り方。材料はカタクチイワシ。お皿に岩塩をふり、イワシを置いて、さらに岩塩をかける。塩漬けにして冷蔵庫で1週間。その間にイワシは発酵する。瓶にイワシを入れたら、オリーブオイルに浸して冷蔵庫で半年かけて発酵させる。これでアンチョビの出来上がり。日本でいえば、味噌にも似た万能の調味料。これを使ったウルトラ簡単料理「バーニャカウダ」4人前。EXバージンオイル200cc、バター50cc、ニンニク6片、アンチョビ50g、牛乳250cc、季節の野菜(きゅうり、赤黄ピーマンなど)。まず臭みを取るために、にんにくを牛乳に入れて5−6分煮る。アンチョビをミキサーに入れ、にんにくをあわせたら攪拌する。さらにオリーブオイルを加えてよく混ぜる。バターとこのペーストをあわせて弱火で温めて絶品ソース。これに野菜スティックをつけていただく。

 赤坂の「ラ・スコリエーラ」は南イタリア魚介料理の店。本日の小皿前菜の盛り合わせ4100円(2人前)、アカハタの地中海風漁師煮込み6000円。岸さんも料理教室の生徒さんたちと訪問することが多く、必ず食べるのが、「自家製マグロのカラスミとアーモンド・フレッシュトマト・ソース」2300円なるパスタ。岸さんのメインでの一押しは「本マグロのホホ肉のタリアータ、カチョカバロチーズ添え」3200円。牛肉と間違えてしまう人もいるそうです。

●フィレンツェ
 ジュエリーの希望を日本で募って、工房で作ってもらう。シニョリーア広場には、ヴェッキオ宮殿などもある。700年前にできたヴェッキオ橋。橋の1階は今でも宝石店のアーケード。ここにはフィレンツェ彫りのすかし細工もある。橋げたには、ベンヴェヌード・チェッリーニ(ルネサンス期の画家、彫金師、彫刻家、音楽家)の像がある。岸さんが行っていたヴァレンツァの学校の名前にもなっている彫金の神様。工房で作ってもらっているが、フィレンツェでも職人の数が減ってきた。だからこそ貴重な作品を残していきたいという。
 かつての師匠マッシモさんの工房に行く。マッシモさんはフィレンツェ彫りを世界に広げるための親善大使もしている。宝飾学校の校長先生でもある。ルチルクオーツのまわりをフィレンツェ彫りとダイヤで囲むデザインを見せました。ベテランの職人ジャン・カルロさんもあわせて打ち合わせをした。2日で完成。予想以上の見事な出来栄えでした。
 アイスクリームはノッチョラ(ヘーゼルナッツ)が今のお気に入り。

●ジェノバ
 幻のパスタであるコルツェッティを作る機械を探す。オリエンタル・マーケットでパスタを探すと、生パスタ屋さんにコルツェッティがあった。ジェノバのシンボルの灯台のスタンプを押して作るそうです。このスタンプはどこで買えるか聞いてみたが教えてもらえなかった。1日歩きまわっても見つけることができなかった。最後に訪れたのはなじみのレストラン「ルーポ・アンティカ・トラットリア」。初めてコルツェッティと会った場所で、知らなければ入れない路地裏の名店。シェフのグイドさんが作り方を教えてくれました。パスタ生地は2mmの厚さ、それに型押しして丸く切り取る。それにスタンプを押したら完成。1つずつ押すのが大変なので、出さなくなった。地元の人もお祝いでしか食べなくなった幻のパスタ。ソースはジェノバ名産松の実のソース。「コルツェッティ・アッラ・サルサ・ディピノーリ(コルツェッティ松の実のソース)」
 最後の職人は大工職人の女性のパトリツィアさん。ここにコルツェッティのスタンプがあった。これを作っているのはイタリア全土でも2人だけ。彫りが深いほどソースがよく絡むという。彼女はMKのイニシャルを彫ってくれた。

●東京
 コルツェッティを作ってみた。「コルツェッティ・アッラ・サルサ・ディ・ノーチェ(コルツェッティのくるみソース)」。

●軽井沢
 別荘がジュエリーの工房。ワインカーブにはワインが250本。工房では原点に帰ったつもりでジュエリーを作る。


テレビ番組「欧州列車旅行 ベニス」

 2007年9月16日放送。ヨーロッパの8都市を列車で巡る。ウィーンを出て、ベネチア、ミラノ、サンモリッツからアルプスの絶景、ツェルマット、アルシー、パリを巡る旅を全6回に渡って紹介する。

●ベネチア
 ウィーンから特急寝台で20:34に出発、朝8:15分に12時間かけてサンタルチア駅に到着。  ベネチアは海に浮かんだ世界遺産の水上都市。運河に囲まれたわずか8平方kmの小さな都市。120以上の小島が400の橋で結ばれ、大小の170以上の運河が張り巡らされている。
 人々は共和国として発展し、地中海を制圧した。アドリア海の女王と言われたが、18世紀にナポレオンに侵略されて1000年続いた栄華は終った。その後カーニバルの都として世界有数の観光都市として発展した。
 サン・マルコ広場は、18世紀に侵略したナポレオンが世界で最も美しい広場と称した場所。11〜16世紀に建設された大理石作りの広場は中心地。周囲には歴史的建造物がある。ひときわ高い鐘楼は高さ98.6m。その見晴らし台からはベネチアの町が一望できる。
 サン・マルコ大聖堂はベネチアのシンボル。9世紀、ベネチアの守護聖人としてエジプトから運ばれてきたサン・マルコの棺が納められている。最初に建てられた聖堂は火災で失われたが、11世紀に再建され、15世紀まで改築を重ねて現在の姿になった。

 唯一の交通機関は船。ゴンドラは長さ11m、幅1.5mで、6人まで乗り込むことができる。料金は交渉性で、1艘40分で80ユーロ、60分120ユーロ程度。19時からは40分100ユーロ。かつては貴族の乗り物だった。ゴンドラ乗り場は町のあちこちにある。まずはサンマルコ広場から乗る。ホテル・バウアーの角を曲がって、サンマルコ運河から小運河へ。次第に水路の幅が狭くなる。無人のゴンドラが漂うが、ゴンドラはぶつからない。午後は水面が上がるので、乗るなら午前中がお勧めです。
 ゴンドラがカナル・グランデと呼ばれる大運河にでる。北から南まで約4kmに渡ってのびている。大きく右に進路を取り、リアルト橋を目指す。カナル・グランデには3つの大きな橋がかかっている。リアルト橋は12世紀にできた時は木製だったが、16世紀には大理石に作りかえられた。アーチ型で全長28m、木の杭で補強した地盤の上に建てられている。再び狭い運河に入る。マルコ・ポーロの家、カサノバの家、サンティッシミ・ジョヴァンニ・エ・パオロ教会(13世紀から200年かけて建築され、数多くの名士の墓があり、ベネチアの殿堂とも言われる)などの名所がある。サンタマリア・フォルモーザ教会は7世紀に聖母マリアを祀る最初の教会として建てられたが、幾度かの改築を経て現在の形になったのは15世紀末と言われる。このゴンドリエーレは花形の職業だが、狭き門。ゴンドラ・クルーズのクライマックスは「溜息の橋」。宮殿の裁判所とロングホール?を結ぶ橋。かつてここを渡ると二度と生きて帰れなかった。それで犯罪者たちは外を見て溜め息をついたという。そしてサンマルコ広場に戻る。

 ベネチア本島の内海には40ほどの小さな島が点在している。伝統工芸を受け継ぐ島、高級リゾートの島。水上バスは水上タクシーで移動する。
 サンジョルジョ・マッジョーレ島はサンマルコ運河に浮かぶ教会の島。サンジョルジョ・マッジョーレ教会は1576年ルネサンス後期の建築家アンドレア・パラーディオが初めて古典的な様式に従って設計した建物。

 路地を歩くと思わぬ風景が旅人たちを出迎える。陸路の旅もサンマルコ広場の角。一番有名なカフェ「フローリアン」は1720年創業、冬季は10-24時に営業する。水曜日休み。現存する中ではヨーロッパ最古のカフェという。カフェが流行し、一時は出店数を制限したほど。ワーグナー、モネ、ゲーテなどがしばしば足を運んだという。最初の目的地はカナル・グランデの向こうで、水上バスで5分で到着。サンタ・マリア・デ・ラ・サルーテ教会は17世紀に建てられた。ペストが流行した時に、当時の議会が町を救ってくれたら聖母マリアに捧げる大教会を作ると約束し、果たした。その教会に向かって右側の小さな橋を渡る。ベネチアは東西に4km、南北に2kmの小さな町だが、曲がりくねった路地を歩いていると永遠に続くかのような錯覚に襲われる。
 小運河の先はジュベッカ運河。運河を望む場所にテラスを出して営業しているレストラン「リネアドンブラ」(Dorsoduro,19, Zattere, tel:041-2411881 ?)があった。2004年にオープンして以来、主に地元の人が利用している穴場的なレストラン。営業は12:30-15:00 & 19:30-22:30 水曜休み。自宅のダイニングのようなこじんまりした部屋で、イタリアンカラーで統一され、ワインは650種類以上ある。マネージャーはソムリエの資格を持っている。魚料理の多いベネチアでは白ワインが好ま、値段が安く、上質。「スズキのバニラ風味ポテト添え」は29ユーロ、「海の幸スパゲティ」時価。「エビと新鮮野菜のサラダ」19ユーロ。
http://www.ristorantelineadombra.com/
 町の至る所に標識がある。本土と違って、通りやエリアに独特の呼び名がある。Calle カッレは細い道を表わす言葉。Sotoportego ソットポルテゴは建物の下をくぐるトンネルのような道。Fondamenta ファンダメンタは運河沿いに続く道のこと。運河と同じ名前がつくこともある。矢印をつけた黄色の標識は方角を示す。主要な観光スポットには、ほとんどこの標識が案内してくれる。CAMPO カンポは広場。
 アカデミア橋は大運河にかかる3本の橋の中で最も眺めのよい橋。1854年にかけられた。最初はまっすぐな橋だったが、水上バスが通れるようにと、1932年に高い橋に架け替えられた。急場しのぎの木造の橋が名物となり、補強工事だけを行なって現在に至る。橋のたもとから左に伸びた路地に入った。小さな商店も歴史のなごり。12世紀に定められた6つの地区で形成され、さらにそれが30の地区に分かれている。端から端まで歩いても1時間ほどの町だが、第二次大戦まではほとんどのベネチア人が隣の地域に行くことはなかった。どこの地区にも小さな商店が揃っていたので、行く必要がなかった。
 途中でベネチアの仮面マスケラを売るお店があった。マスケラの発祥は11世紀頃。謝肉祭(カーニバル)が行なわれるようになって、その間は誰もがマスケラをつけ、階級や貧富から解放された。18世紀にピークを迎えたカーニバルはベネチア共和国の消滅と共に消えたが、1980年に復活、現在も毎年2−3週間に渡って続く。グエリーノ・ロヴァートさん(Ponte dei Pugni, 3063 dorsoduro 30123, tel:041-5287344)はベネチアで随一の技術を持っている。中世から続く伝統的な技法で作られている。海外でも高く評価されているグエリーノさんの技術。オペラやミュージカルで使うマスケラの注文もあるそうです。
http://www.mondonovomaschere.il/
 路地を歩いていると中世にタイムスリップした感じがするという。18世紀から町はほとんど変わってないためだろう。歌声が聞こえる。スクオーラ・グランデ・ディ・サンロッコの前にある広場。カンツォーネを高らかに歌う男性。この建物は慈善団体として16世紀に建てられた。向かって左がサンロッコ大信者会で、入場料大人7ユーロ、グループだと3〜5ユーロ。内部にはベネチアを代表する画家ティントレットの作品が集められている。二階の大広間を埋め尽くしているのは、聖書を題材にした23枚の作品。ティントレットの最高傑作「キリストの磔刑」?は多くの画家達に影響を与えた。サンロッコ大信者会の隣にサンロッコ教会がある。教会に祀られたキリスト像のほかに、ペスト被害者たちの守護聖人たちの信者がいて、毎年守護聖人の日には厳粛なミサが行なわれる。内部も壮麗な宗教画で埋め尽くされていた。
 お土産物店が建ち並ぶ場所。マスケラ、ベネチアン・グラス、装飾品など。絵画や家具、アンティークショップなども人気がある。リアルト橋の周辺にも宝飾品や皮製品、絹製品などのみやげ物店が並ぶ。リアルト橋が最初に架けられたのは1180年、それから2回、より丈夫な木造の橋に架けかえられたが、1444年、群集の重みで崩落し、3年かけて大理石の橋が完成した。
 カナル・グランデに夕陽が映る。夜になって、人々が目指すのはバカリ?とよばれるベネチア特有の居酒屋。「バンコジーロ Bancogiro 」(Campo San Giacomello)は2000年にオープンした若者に人気のバカリ。白ワインとリキュールを炭酸で割ったカクテルが人気。オンブラはグラスワインのこと。バカリでは常連客の多くが、オンブラを注文する。常連同士で会話を楽しむのが地元の人。おつまみは、チーズの盛り合わせ、ソーセージ、魚のマリネなど。バンコジーロの二階はレストラン・スペース。石造りの中世的な雰囲気の中で260種類以上のワインとベネチアの家庭料理を楽しめる。「スズキのカルパッチョ」15ユーロ、「魚とキノコのスパゲティ Ficetto Di San Pietro Con Finfetti」14ユーロ。
 サンマルコ広場の路地裏にエレガントな雰囲気のレストラン「ドゥ・フォルニ Do Forni 」(San Marco, 457)があった。店内のインテリアはオリエント急行で使われたものをそのまま使用している。食材にはその日内海で採れたばかりの新鮮な魚介類だけを使用している。「エビとホタテガイとルーコラレモン風味」26ユーロ。「スズキのオーブン焼き」36ユーロ。
http://www.doforni.it/

 宿泊はジデッカ島の「ホテル・チプリアーニ Cipriani 」(giudecca, 10-304133, Venice, tel: 041-5207744 )で、夕陽が見事。サンマルコ広場から専用ボートで5分。1958年にオープンし、世界のVIPなどが訪れることで知られる。窓の外には絵画のようなベネチアの風景が広がる。楽園という言葉がぴったり。レストランは中世ヨーロッパの宮廷を思わせるデザインで、遠くにサンマルコ広場を望む。日本での問い合わせは、オリエント・エクスプレス・ホエルズ・ジャパン(Tel:03-3265-1200)。
http://www.hotelcipriani.com/

 サンタルチア駅。ここから高速列車に乗ってミラノを目指す。ESスターは2時間30分で結ぶ。午前10時22分出発。車内には売店や食堂車もついている。


テレビ番組「ポカポカ地球家族 イタリア・フィレンツェ」

 2007年9月1日放送。

●フィレンツェ
 花の都フィレンツェは、15世紀ルネッサンス発祥の地となった。また絶景の宝庫として、世界中の旅人が憧れる。日本からローマを経由して約13時間。ドゥオーモ「花の聖母教会」、ヴェッキオ宮殿などがある。ダビンチはミケランジェロに愛された街で、1982年世界遺産。
 この街で暮らす立枝チェライさん(41歳)、夫はステファノ・チェライさん(50歳)で有名な風景カメラマン。最近は結婚写真などの記念写真の撮影も始めた。長女は江玲奈さん(6歳)。一家は中心部から車で10分、築600年の元修道院に住んでいて、ステファノさんの兄弟4家族とともに笑顔の絶えない毎日を送っている。庭の広さは800平方m。総部屋数は25部屋。外観は文化遺産として保存するため、市が変えることを禁止している。次姉のロレッタさん宅は5LDK。兄のルイジさん宅は4LDK。奥さんのカテリーナさんはオーストラリア人で画家。長姉マーラさんとご主人のアンドレアさん宅は4LDK。ステファノさん以外は年金生活。立枝さん一家は4LDK、120平方m。一番大変なのは掃除で、毎日の掃除機以外に、3日に一度はモップで拭かないといけない。生活費は最低1200ユーロはかかるそうです。ガス代が高く、冬は暖房費で月に5万円もかかるとか。

 「サンタマリアロザーノ修道院」に行く。シスターが修道院で出来たオリーブオイルやワインを販売している。目の前のドアにのぞき穴のようなものがある。注文するとドアが回転して品が出てきて、確認したらお金を払う。オリーブオイルは10ユーロ、赤ワインは3ユーロ、オレンジジャム2ユーロでした。この修道院は、外の世界と接触をすることを禁じられているので、こういう方法をとっている。

 街はずれにある「サンタンブロージョ市場」は、地元の人で賑わう。この市場の中にあるレストラン「ロッコ」は日曜以外の昼12時から3時間だけの営業ですが、連日満員。人気の秘密は、値段の安さ、新鮮さ、美味しさ。街中にあるレストランの半額程度らしい。牛タンとトリッパ(牛の胃袋)のサラダは4ユーロ、「チェチ(ヒヨコ豆)」3ユーロ、トスカーナ地方の家庭料理「パンツァネッラ(パンのサラダ)」3ユーロは、ほぐしたパンとキュウリなどの野菜をビネガーとオリーブオイルと和えたサラダ。

 立枝さんとステファノさんが出会ったのは、今から11年前。イタリアに半年留学に来ていた立枝さんが3ヶ月目にパーティで会った。ステファノさんの2年に及ぶ猛烈なアプローチの後に、1998年結婚。

 江玲奈さんの誕生日。毎年、たくさんの人がお祝いに駆けつけてくれる。パーティーの料理はステファノさんの兄姉が協力をしてくれる。マーラさんは特に見事。6時半に開始。近所の人も気軽に参加。プレゼントは台の上に置かれます。午後8時、ケーキ。お祝いの歌。パーティは深夜12時過ぎまで続く。

●バーニョビニョーニ(緑の丘の温泉)
 イタリアのバカンスシーズン。ステファノさんが計画したのは、絶景を見ながら無料で足湯につかれる温泉。水着を着て入ることができる露天風呂もある。温泉の底にある粘土が美容に良いと評判で「美容の泉」と呼ばれている。

●ソラーノ
 旅の目的地。フィレンツェから車で3時間。断崖絶壁にそびえ立つ村で、人口は4000人。建物は1000年前のもので古代エトルリア人が作った村。坂になった狭い路地と階段が張り巡らされ、中心部には車が入れない。今回は1週間ほど知人の家を借りてバカンスを過ごす。岩山を50mほど掘ったトンネルがある。ワインなどの貯蔵庫として使われている。ステファノさんはこの村がとても気に入っている。

立枝・チェライさん家族のHPアドレス
http://www.photofirenze.com/index.htm

●パンツェネッラ(パンのサラダ)
 トスカーナ地方のパンは塩とバターがあまり入ってなくて、ポソポソしているので、4−5日すると硬くなる。もったいないから漬け込んで柔らかくして食べる。酢を入れた水や、ミルクなども使う。トマト、タマネギ、キュウリを小さく切って混ぜ、オリーブオイル、ワインビネガー、バルサミコ酢で味付ける。


テレビ番組「ハリセンボン&まちゃまちゃのセレブの休日 in ローマ」

 2007年7月29日放送。ハリセンボン(春野菜、はるか)、まちゃまちゃが出演。イケメン&セレブを探す。RKB毎日放送製作。

●ローマ
 スペイン広場ではジェラートなど食べてはいけない。春菜の夢はベスパに2人乗りしたいこと。ヘルメットがないから乗せてくれない。やっと一人捕まえてまちゃが乗りました。コロッセオの前も通過。トレビの泉に行って、願い事をしました。今はお願いをする場所になってしまったらしい。ベスパに乗せてくれた人はマッシモ・サントレッリさん(36歳)は、有名バッグ・ブランドで働くデザイナー。お店を訪問して、マリア・ピア・グッチさん(グッチ3代目夫人)と会った。現在はグッチ系列の「Giorgio」のオーナー兼デザイナー。最近ヨーロッパで人気。若い人向きだからそれほど高くないらしいが、3人が高いと思って選んだバッグは850ユーロ、600ユーロ、350ユーロだった。
 イケメンと「真実の口」に行きたい。何人かトライしたがダメ。仕方なくサンタマリア・イン・コスメディン教会に行く。入口に置いてある「真実の口」は古代ローマのマンホールらしい。ウソをついている人が手を入れると抜けなくなるという。今までのウソを告白して手を入れた。
 モンティ地区は、お洒落なセレクト・ショップ、パブ、カフェなどが多く、最近若者の間で人気の場所。女優ロッシーナ・ミサシさん(28歳)の行き着けのお店を紹介してもらった。一緒にいたフェデリコ・ポッラストゥリーニさん(38?歳)は映画・CM・テレビなどのコーディネイト会社の副社長。行ったお店「ロロ」のオーナーのファビオ・カセンティーニ(40歳)はモンティ地区に5軒のお店を持っているイケメン・セレブ。ファッション対決してはるかさんが勝ちました。
 バチカン近くのホテル「アトランテスター」の最上階にあるレストラン「レ・ゼトワール」の窓からはサンピエトロ寺院がきれいに見える。今回は特別メニューをいただいた。前菜は「スズキの気まぐれサラダ」25ユーロ。パスタは「ズッキーニのラヴィオリ」20ユーロで、クリームソース、リコッタチーズを合わせてある。メインは「かじきまぐろのトマトソース」39ユーロ。はるかさんが座っていた席はかつてローマ法王も座った席とか。
 モンテ・サクロ市場に行く。野菜、フルーツ、チーズ、洋服などを売っています。トマトは1kg1ユーロ。

 グッチ家に招待された。普段着で訪問してました。門から100m、庭園を通過して玄関。伸べ床800平方m、3階建。ロビーにはエミリオ・グレコ作の彫像。数億円らしい。1階リビングにはピアノ、グエルチーノの絵画もすごい。ダイアナ妃との写真もありました。庭も広く、敷地面積は6000坪。ジョルジオ・グッチさんにも会いました。2階のベランダからは庭の向こうにローマ市内が展望できました。セレブになるには、真似をせず自分のオリジナリティを出すのがいい、自分が人生をどう生きるかが大事と言われました。


テレビ番組「世界遺産 マルタの巨石神殿群」

 2007年7月22日放送。巨石建築は4600年前のエジプトのピラミッド、4400年前のストーンヘンジなどがある。人類は特別な思いを寄せてきた。1964年炭素による年代測定法は歴史を塗り替える事実を提供した。それまで模倣にしかすぎないといわれていた神殿が世界最古のものだった。マルタ島に5600年前から築かれた独自の巨石文化がある。農耕文化の中で古代人の叡智が秘められていた。4つの巨石群れは1980、1992年世界遺産。

●マルタ島
 出土した像「マルタのヴィーナス」は大地の女神だった。ふくよかな母の姿に人々は万物を育む神が宿ると信じた。
 首都ヴァレッタは世界遺産。「ヨーロッパ歴史の生きた書物」と呼ばれるマルタは様々な民族や文化が行き交う海の上の中継地だった。温暖な気候に恵まれ、3つの島に40万人が暮す。
 海底から隆起した剥き出しの石灰岩の島。ここに世界最古の巨石建造物がある。「巨大な体の女性が無数の石の塊を運んで築いた」そんな伝説から、その遺跡は、巨人を意味するジュガンティーヤ神殿と呼ばれてきた。紀元前3600年からあちこちに築かれたハジャーイム神殿、ターシエン神殿、イムナイドラ神殿などの30もの神殿。1000年後に忽然と姿を消す。
 石灰岩の大地は雨で分解され、肥沃な赤土を生み出した。ゴゾ島は穀物倉と言われるほど農業が盛ん。マルタの巨石神殿はそんな耕作地を見下ろす南斜面の上に建てられた。その構造は半円形の部屋が三つ葉のクローバーのように結びつき、それを大きく囲む外壁からなっていた。出土したものから、神殿がドーム状の屋根に覆われていたことがわかった。内部にはいくつもの祭壇が並ぶ。途方もない労力を費やし、時には数十トンもの巨石を積み上げた古代人。それは既に組織だった社会の存在を示す。
 マルタに人が住みついたのは7000年以上も前。川や湖もなく、水が乏しい島で人々はわずかに降る雨を貯め、農業を営んだ。岩盤に溝を切り、雨水を集める貯水槽は、神殿自体のものだと言われる。
 これらがなぜ神殿だとわかるのか?これまでの発掘では、人間が暮らした形跡はない。祭壇など、儀式に相応しい特徴が見られる。巨石神殿がどう使われたのか、それを知る一つの手がかりが残されている。ハジャーイム神殿?の壁にくり貫かれた穴は、夏至の日の太陽の位置を示す。農耕につながる天体の運行、出土品の中にも太陽や月が描かれたものがある。しかし文字は一切残されておらず、用途を知る手立てがない。
 イムナイドラ神殿は天体の運行を映し出すように建てられた。ルーベン・クルーマ?さんは、冬至の日〜春分の日〜夏至の日の太陽の光の入り方を説明してくれました。南側の海に向かって建てられた神殿は、農作業に欠かせない暦の役目を果たした。神殿の奥では、どんな儀式が行なわれたのか。巨石をくり貫いた入口には、内側からロックできるように閂が準備されていた。大地の実りを神々に祈る場だったということもわかる。
 巨石神殿を可能にしたのは、加工しやすい石灰岩だった。聖なる石を意味するハジャーイム。この神殿をはじめとして多数発掘されたのは、マルタのヴィーナスと呼ばれる女神像。豊満な体を誇示する女神、大半は頭が胴体と切り離されていた。豊穣への祈りを捧げたのかもしれない。遺跡からは男根の像も出土している。これも多産のシンボルだった。時代が下るにつれ、神殿の建築技術は進歩していく。ターシエン神殿には、2.5mはあったと思われる巨大な女神像が置かれた。さらに神殿は渦巻き紋などで飾られた。無限に繰り返される死と再生を表わしているだろうか?
 ハル・サフリエニ地下墳墓。石器時代のマルタでは黒曜石などの硬い石で岩を削り、地下にも神殿をそのまま再現した。考古学者たちが思わず息を呑んだ高度な技術。30を越える石室には、赤い文様で埋め尽くされた部屋もあった。地下10mを越える迷宮のような空間は、まさしく女神の体内だった。生あるものが地上の神殿に、死者は地下の迷宮に集う、そういう学説もある。
 国立考古学博物館には、地下墳墓から出土した7000体もの人骨がある。アンソニー・・・教授の話では、分析すると、人々はとても健康だったそうです。病気の割合が極端に少ない。その頭蓋骨は今マルタに住む人と異なり、長い頭をしている。争いの形跡はなく、差別も見られない。


テレビ番組「地球街道 財津和夫さんでイタリア」

 2007年7月14日、21日放送。フェデリコ・フェリーニの映画「道」(1954年公開)のテーマソングが印象的。ジェルソミーナは大道芸人のザンパノからひどい仕打ちを受けるが、耐えて二人で旅をする。30代でラストシーンに感動したという。その記憶に残る風景を探して旅をする。

●フレジェーネ Fregene
 ローマからほど近い町。海岸の砂浜は映画の冒頭のシーン。昔と変わっていません。

●ローマ
 スペイン広場に近いマルグッタ通り Via Margutta はフェリーニが愛した道。のんびりしています。壁も汚れて汚い場所もある。ジェルソミーナというジャスミンが咲いていた。フェリーニが住んでいた赤い壁のアパートがあった。壁にフェリーニの看板?がかかていました。妻は「道」でジェルソミーナを演じたジュリエッタ・マシーナだった。19歳から亡くなるまでの52年間ローマに住んでいたので、行きつけの店が多い。バブイーノ切手店 Filatelia Babuino には「道」の切手もあった。「アマルコンド」、「道」、「甘い生活」の3枚セットで5ユーロ。店主のリーナ・ジャーニさんもフェリーニとよく話をしたようです。ここで長時間電話をしていたそうです。
 トレヴィの泉でコインも投げた。

●バーニョレッジョ Bagnoregio
 車で北西に2時間の町。ガリアーノ・トゥルケッティさんは、大道芸人が綱渡りをするシーンが撮影されたという。アパートの最上階の部屋と教会の窓を結んでいたそうです。13歳の時に見たそうですが、とても興奮したそうです。昔は面白くない映画だと思っていたが、年を重ねて何度も見ると故郷の風景や家族や友人が映っているので、大事なアルバムだという。
 もう一箇所あるというので、町外れの修道院に連れて行ってくれた。雨宿りしたシーンがここだった。そしてラッパを吹きました。

●アッシジ Assisi
 丘の上に町がある。サンフランチェスコ聖堂 Basilica di San Francesco は世界遺産。祭壇の両側にはフランチェスコの生涯を描いた28枚のフレスコ画が並ぶ。作者は天才画家ジョット。普通の宗教画とは趣が違う。
 ここで平孝之さんが司祭をしている。ジョットは聖人を一般人と同じレベルだとして描いている。
 丘から見ると画と同じにウンベリア平原と丘が広がっていた。

●スポレート Spoleto
 アッシジ近くの町で、中世の趣が残っている。壁に日時計もある。レオナルド・スカラムッチさんは家具の製作や古い家具の修理をしている。

●途中で
 山を越える途中で白い雲海が下に広がっている風景になった。山がいくつか頭を出していて、とてもきれいでした。
 どうしてフェリーニが「道」というタイトルをつけたのか。人間の成長ではないか?と財津さんは言う。

●リミニ Rimini
 フェリーニの生まれ故郷で、1920年に生まれた。ローマの北東のアドリア海の町。フェリーニ財団の建物の中には「道」にゆかりの品が残されている。ジュゼッペ・リッチさんがポスター、使ったトランペットなどいろいろ見せてくれました。
 ルイジ・ベンツィさん(87歳)は中学高校とフェリーニと同級生で、生涯の友だった。ローマで14時間の手術をした後もここで療養したという。
 石畳のアウグスト通りは、フェリーニが通った映画館「フルゴール Cinema Fulgor」へ通じる道。

 ラストシーンで、ジェルソミーナの死を知ったザンパノが海岸の浜辺で泣き崩れる。このシーンはローマ近郊のフィウミチーノの海で撮影されたという。


テレビ番組「ポカポカ地球家族 イタリア・プーリア州」

 2007年7月14日放送。イタリアの南、靴の踵の位置にあるプーリア州は、食材の宝庫。素材そのものの味を生かした料理は、土地の伝統的な食を楽しむスローフードとして脚光を浴びている。美しい景色があり、人が親切なプーリアは、ローマを経由しておよそ13時間。人口は409万人。

●アルベロベッロ
 450m四方の土地に、とんがり屋根の1500軒のトゥルッリが軒を連ねる。

●カロビーニョ
 一軒家で民宿を営んでいるのは田中真喜(48歳)さん一家。夫はジュセッペ・ベッラノーヴァさん(34歳)、長女はエンリカさん(8歳)、次女はアシアさん(7歳)、祖父のピエトロ、祖母のカルメラさんとも暮す。家賃はかからないが、月収は17万円。裕福ではないが、一家はゆったりと暮らしている。広さは500平方mで1階と2階、半地下に10部屋がある。一泊の料金は朝食付きで1人40ユーロ、2人70ユーロで、6400円〜1万1千円。家族全員でお客様をお出迎えする。娘2人が看板娘。自宅から車で5分のところに1.5ヘクタールの農園を持っている。祖父とさやえんどうやいちじくなど20種類以上の野菜と花を育てている。
 真喜さんは、日本でイラストレーターの仕事をしていたので、今でも仕事を引き受けている。家の壁には真喜さんの描いた家族の絵皿、子ども達の絵がかけられている。他にも、子ども達の遊ぶ人形は全て真喜さんの手作り。子供たちもミシンでいろいろ作ります。

 週末はメルカートと呼ばれる朝市に行く。地元で採れた新鮮で味の濃い野菜や果物・花・洋服なども売っている。パプリカ1kg480円、アーティチョーク1個30円、ビワ1kg480円、オリーブ1kg570円。市場にはたくさんの種類のトマトがあり、それぞれの料理方法が違うそうです。トマトソース用は1kg160円、サラダ用の細長いのは1kg320円、一番高いプチトマト1kg480円。花束1束560円、子供服上下で2400円、カバン1600円など。掘り出し物もある。

 自宅から車で5分のところに、真喜さん夫婦のお勧めのチーズ専門店「カセイフィチョ・アルベルティ」がある。日本のお豆腐屋さんのような存在のチーズ専門店。毎朝新鮮なチーズを作っている。サラダなどに使われる、プリプリとした食感のモッツァレラチーズ(1kg860円)に、寄席豆腐のよう見えるリコッタチーズ(1kg400円)もお勧め。モッツァレラは切ってフォークで押さえると中からミルクが出てくるのがいいそうです。ジローラモさんはプーリア発祥のチーズ「ブッラータ・チーズ」がお勧めという。モッツァレラと一緒だが、中に生クリーム?ミルク?が入っているもの。とってもおいしいそうです。

 お気に入りの場所は家の近くのトーレ・ボッツェラ海岸。岩間に小魚、ウニがいる。砂浜もあります。

 2人の出会いは、1995年の日本。真喜さんが初めて訪れたレストランで、旅行で来てギターを弾いていたジュセッペさんと出会った。3年の交際を経て98年に結婚し、2人の娘に恵まれた。長女が生まれて2ヶ月後にプーリアへ移住した。日本は狭くて仕事も大変なので、家族との時間を大切にしたいとの想いからでした。

 祖父はパスタ作りの名人。オレキエッテは耳の形をしている。昼食に、オレキエッテのトマトソースにチーズをたっぷりかけていただく。魚介類も豊富で、ムール貝を使った家庭料理。貝の上にお米とパセリ、刻んだジャガイモとトマトをのせ、その上におろしたチーズをかけます。最後に、貝をあける時に出た汁をたっぷりかけ、オーブンで焼いて「ムール貝とポテトのオーブン焼き」の出来上がり。あとは「仔牛のカツレツ」、「仔牛のトマトソース煮込み」。週末は3時間かけて食事を楽しむ。

●オスティーニ
 白亜の都市。高台にあり、海からの侵略を防ぐために作られたという。

●ポリニャーノ・アマーノ
 車で30分の海沿いの町。古びた街並みと紺碧の海を気に入っている。

●かぶの葉和えオレキエッテの作り方(4人前)
 かぶの葉(400g)を塩湯に入れ、5−10秒で器にあける。同じお湯にオレキエッテ(320g)を入れて約12分茹でる。茹で上がる前にかぶの葉を入れ、すぐに出す。この2つをボウルに入れ、エキストラバージノイル(1/3カップ)とたっぷりのペコリーノチーズを混ぜる。黒胡椒で味を整えて完成。


テレビ番組「ピン子と壽賀子の世界遺産ふたり旅 後編 憧れのドブロヴニク」

 2007年7月15日放送。関東地区では6月17日に放送。橋田壽賀子(82歳)、泉ピン子(60歳直前)さんが出演。ギリシャ、クロアチア、イタリア、スロベニア、スペインを訪問。TBS製作。

●ギリシャのアテネ
 朝7時に到着。オリンピック・パラシナイ・コンスタジアムに行く。110年前に第一回オリンピックが開催された場所。アクロポリスがよく見える麓のカフェは観光客で大賑わい。パルテノン神殿を観光。馬車で市内観光。
 飛鳥と分かれて、MSC アルモニアというクルーズ船に乗り換えた。

●ギリシャのコルフ島(ケルキラ島)
 お昼に到着。オリーブ栽培が盛ん。17世紀の港の小さな教会に橋田先生は興味を持った。特別に鐘を鳴らさせてもらった。
 1850年にできたオリーブ・オイルのお店。100%の石鹸はべたべたしているがさっぱりするそうです。

●クロアチアのドブロブニク
 クロアチア最南端の町。6時間滞在。城壁で囲まれた旧市街が世界遺産。町は古くから貿易で栄え、アドリア海の真珠と言われた。クロアチア独立戦争の際はかなり被害があったようです。
 旧市街の街並みもきれいです。旧市街で城壁の上の散歩道を歩く。ボートに乗って海から町を見る。かなり揺れたみたいです。
 ランチは海鮮で、「手長エビのソテー、リゾット添え」、「カラマリ」などをいただいた。

●イタリアのベニス
 橋田先生は初めて来たのがここで、ユースホステルにずっと泊まっていて、青春がここにあったという。お金がなくて歩いたことを思い出して涙。
 ジェラート屋さんに行く。無料で試食させてくれました。ピン子さんは8本試食してバニラかバナナがいいとか。

●スロベニア
 世界遺産のシュコツィアン鍾乳洞に入る。1cm成長するのに30年かかる。カーバイド・ランプは水に浸して使う。ロウソク40本分の明るさがある。ずっと歩いて行くと滝がある。14階以上?250mの高さに橋があってそこから見える。5kmを進むと川の流れがハッキリ見える。地下を40km流れてきた川が外に流れ出す場所に出た。外に出る場所で緑がきれい。
 ヨーロッパ最大のポストイナ鍾乳洞に行く。ケーブルカーで上に上がる?1872年から運行を開始したトロッコ列車2kmはスリル満点。

●スロベニアのブレッド湖
 首都リブリャーナから車で1時間。景観が美しくリゾート地として愛されてきた。エメラルドグリーンに輝く湖の中にあるサンタマリア教会がある。モーターボートは禁止のため、船は全て手漕ぎ。サンタマリア教会に行くが、石段がかなりあります。湖には鴨が泳いでいました。
 湖岸にある500年前の印刷技術の工房に行く。お爺さんの服装も当時のもの?活字を組んで印刷して、最後に印を押します。
 お城でランチをいただいた。イカのカラマリは絶品の味だそうです。名物は鱒です。馬車で散策。人がいいそうで、スロベニアが気に入りました。

●クロアチアのプリトヴィッチェ国立公園
 プリトヴィッチェ湖は世界遺産。細い滝がいくつかあってきれいです。16の湖と100の滝がある。九塞溝のような感じですね。山壁を流れる滝も見事です。小さな遊覧船に乗る。小さな滝が続いている。特別に岸の近くを行ってくれたようです。次は湖畔を歩く。湖の中に木々が生えていて、その上にかかっている橋の上を渡ります。とてもきれいでピン子さん感動。200平方kmのほとんどが森林で、鴨も熊もオオカミも生息しているとか。

●スペインのバルセロナ
 飛行機で飛んだ。サグラダ・ファミリア聖堂に行く。ガウディはグエル公園も設計している。入口にはトカゲの噴水もある。
 82歳の誕生日パーティを開催した。


テレビ番組「探検ロマン世界遺産 イタリア・オルチャ渓谷」

 2007年6月30日放送。曽根優アナウンサーが4月上旬のオルチャ渓谷を案内。トスカーナ州。人々は不毛の大地と戦い、田園風景にした。イタリアには41件の世界遺産がある。美しさだけでないので、文化的景観として2004年世界遺産。

●オルチャ渓谷
 トスカーナ州の南部にある600平方kmの渓谷。トスカーナはワインで有名で、キャンティは日本でも愛飲されている。畑の中に伸びているのは糸杉。道に沿ったり、家の周辺に植えられているが、なぜ植えられたのかわからないものもある。緑が鮮やかで、海のようで、どこを切り取っても絵ハガキになりそう。小麦、ぶどうの畑、牧草地、森が広がっている。丘の上には石造りの農家がある。時には黄色が目立つ。菜の花やマーガレットに埋め尽くされていた。

●サン・クイリコ・トルチャ San Quirico d'Orcia
 田園の中に古い歴史を持つ街がある。13世紀に築かれた城壁に囲まれている。町の起源は9世紀に遡る。ローマへの巡礼者や商人が行き交った。
 自前の絵ハガキを売っている人がいた。町で写真館を営むパオロ・ナルディさん(58歳)。元は銀行に勤めていたが、趣味が高じて10年前に写真館を開いた。同じ場所に何度も通って、これは!という写真を撮っているそうです。
 朝8時、パオロさんの撮影に同行した。霧の中に幻想的な風景がありました。その光景は15分くらいしか見えないそうです。確かにすぐに霧が晴れてしまいました。

●オルチャ渓谷
 畑で作業している人がいる。ロレーノ・マシェッローニさん(61歳)と孫のアンドレア君(6歳)がぶどうの苗を植えたので、杭を打っていた。このぶどうから赤ワインが作られる。杭は本当に垂直になるように調整している。この畑の一帯は「風の丘」と呼ばれている。ロレーノさんはこの36ヘクタールの丘で、ぶどう、小麦、オリーブを育てている。190頭の羊も飼っていて、チーズを作る。セイヨウミザクラという桜も咲いています。赤ワイン、オリーブオイルをつけたパン、3種類のチーズ(3週間、6ヶ月、黒)もいただいた。チーズは人間に似ているとロレーノさんが言います。
 歴史的にはシエナの領土として開発されていった。ところどころ土が剥き出しになっている場所がある。オルチャの大地は元々は全部こういう大地だったそうです。土は粘土質で、雨が降ると硬くなり作物は根を張ることができない。乾燥するとひび割れて空間が広がる。かつ、500万年前は海だったので、土も塩っぱい。貝の化石も多い。数百年間、人々は塩分の少ない土地を開拓し、羊の糞で土壌を改良した。想像を絶するような努力だった。ロレーノさんは先祖にとても感謝していると語った。

●シエナ
 シエナは13−14世紀に都市国家として繁栄を極めた。金融業など商業が発達し、市民が国の政治を支配した。当時の政治の中心はプップリコ宮。平和の間に市民が集った。壁はフレスコ画が描かれている。町の外には田園風景のある絵だが、オルチャのような不毛の地が手つかずで残されていた。一方で国の人口が増加し、食料不足で悩んでいた。壁に理想の田園風景を描いたそうです。
 不毛の地を農地に変える画期的な方法が取られた。シエナ国立公文書館には2000もの契約書が残っている。農民と市民との契約書で、地主は農民を雇い、農民は作物の半分を得ることができた。パトリッツィア・トゥリーニさんが説明してくれました。働けば働くほど収入が増えたので、農民は不毛の地を開拓したという。
 近年、新たな問題が生じている。農村人口が減少し、過疎化が進んでいる。50年で人口は半減した。美しい景観が地元の人に認識されるようになったのは、ほんの数年前からのことだった。

●オルチャ渓谷
 1927年から粘土質の土を使ったレンガ工場が稼動している。その土を取るために景観が変わってきている。7年前に丘ひとつをまるごと削り取る計画を立てた。パオロさんたちは行政に訴えたが、止める法律がなかった。この工場では地元の人が100人以上働いている。相談の結果、糸杉は消えたが、丘は守られた。風景をなくすことは先祖の作ってきた証しを失うことだと言う。
 ロレーノさんは森の保護活動も行なっている。アンドレア君を連れて森の大切さを教えていました。
 5月初旬、ポピーの赤い花が咲きました。ぶどうにも小さな房がつきました。美しさを越えた風景の魅力を教えてくれました。


テレビ番組「世界遺産 イタリア・ヴァル・ディ・ノートの後期バロック様式の町々」

 2007年5月13日放送。

 シチリア島1693年大きな悲劇を体験した。大地震で東部の大部分が壊滅し、9.3万人が死亡した。ある司祭が壊滅前の様子を思い出して絵を描いた。町を復興させるために、当時の最先端のローマのバロック様式が取り入れられた。バロックとはカトリックの式典を劇的に演出するために、16世紀末にローマで誕生した芸術様式。シチリア南東部ヴァル・ディ・ノートの8つの町(カルタジローネ、ミリテッロ・イン・ヴァル・ディ・カターニア、カターニア、モディカ、ノート、パラッツォーロ・アクレイデ、ラグーザ、シクリ)は2003年世界遺産に登録された。

 バロックとして、外観を飾るのに注力され、街角のさりげない場所やバルコニーの彫刻に独創性が光る。ローマのような権威の象徴ではなく、市民の活力あふれるバロックだった。
 当時の市庁舎、サロンの天井は楕円。天井画はレリーフのように見えるが、だまし絵を使っている。  大階段の上にそびえる聖堂のドームの天井が、1996年突然に崩れ落ちた。崩壊はドームの柱が内側に倒れたためで、構造に問題があったので、修復した。聖堂前には巨大な空間が広がり、再建の場とした。
 独特の石組みで仕切られた農地はヴァル・ディ・ノートと呼ばれた地域を豊かな穀倉地帯にした。海に近く外敵の侵入を受けやすかったことから、町の多くは断崖や丘の上に作られた。その地形を巧みに生かして教会が建てられた。
 サン・ジョルジュ教会は最も美しいとされるバロック建築。視線は階段から、3層のファサード、鐘楼へと上へ上へと導かれる。設計したのは18世紀の建築家ガリアルディ(1744年)。コントラストの強い作品を残した。何故かドームだけは作られなかった。ドームの完成は200年近く後で、全く異なるデザインだった。
 一つの丘がそのまま町になったモディカ。ユダヤ、アラブ、ノルマンなどの民族が共に暮らしていた。アラブにバロックが融合してどこにもない街並みが生まれた。ここの聖堂もガリアルディの作品。こだわりは正面ファサードに最も強く現れた。地元で取れる石灰岩は時が経つにつれ黄金色の風合いを帯び、日差しによっても色が変わる。建物は2階しかなく、その倍ほどの鐘楼はかきわり?にしかすぎない。祭壇へとのびる空間はここで行なわれる儀式をよりドラマチックに見せた。
 陶器の町カルタジローネ。足元を彩るのはカラフルなマヨルカ焼きのタイル。登るにつれ、イスラム風、スペイン風など絵付けの変遷が見える。マヨルカ焼きはスペインからもたらされた。上薬をかけた陶器の上に絵付けすることで、きれいな色を出すことができる。青、黄色、緑はカルタジローネの色として知られている。

 カターニアは震災で人口の3分の2を失った。大地震にも耐える都市計画を実現した。いくつもの広場を造り、真っ直ぐな大通りをつないだ。
 2007年2月4日早朝4時半。町の守護聖人である聖アガタに会える3日間の祭りが始まる。3世紀にエトナ山の噴火で、アガタが聖女のベールをかざすと溶岩が止まったという。殉教した守護聖女アガタの頭蓋骨が納められた像が、130mのロープにひかれ、3日間にわたり町を練り歩く。町は巨大な劇場になる。市民一人一人が、その登場人物であり観客。重さ50kg、この町で作られたロウソクを担いで、聖アガタの行く手を照らす。200年変わることない光景です。


テレビ番組「憧れの都へ イタリア、水の都ヴェネツィア」

 2007年4月29日放送。カナル・グランデ(大運河)には小船が行き交う。サン・マルコ広場は町の守り神が見守る。JP製作。

 「ドゥカーレ宮殿」は歴代の総督たちの住居だった。アジアとヨーロッパを結ぶ交易地として繁栄を極めた。大きな油絵がある。「大評議会の間」では2000人の議員が意見を交わした。大きな絵画もあるベネチア人自慢の部屋。幅25mの壁を彩るのは、世界最大の油絵「天国」(ディントレット)。歴代の総督の肖像画もある。黒い幕がおろされているのは、総督ファリエルで、裏切り者として処刑された。「溜め息の橋」を罪人は渡り、牢獄に送られた。この牢獄を抜け出したのが、恋愛の魔術師カサノバ。5年間天井を掘り進んだそうです。
 ベネチアはカフェ発祥の地。「カフェ・フローリアン」は300年の歴史を持つ老舗。ヴィヴァルディもベネチアの出身で、ここで演奏が聴ける。コーヒーと特製ティラミスをいただきました。ゲーテをはじめ世界の文人が訪れたこのお店の常連だったのがカサノバだった。
 ゴンドラに乗る。水夫たちは衝突をさけるために大声を出していたが、歌を歌うのもその延長。サンタルチアを歌ってくれました。
 120本の水路に400本の橋がかかるベネチア。ここでは車は走れない。アカデミア橋、ルゲータ・デル・ラバーノ通りが紹介されました。小さな路地は3000本も複雑に入り組む。路地の入口などに道案内が出ているので参考にして歩いた。ベネチアン・マスクの店「カ・マカーナ」、ベネチアン・グラスの店「パウリー Pauly.C. 」などのお店がある。

●ブラーノ島
 ベネチアの西にある島。漁業を主としているが、建物はいろいろな色に彩られている。女性が16世紀から続けているブラーノ・レースという刺繍がある。ルイ14世の時代にヨーロッパの王朝で、金や宝石と並ぶほどの価値があったレース。「エミリア Emilia 」の19世紀のウェディング・ドレスが紹介されたが、20人の女性が7年かかって仕上げたもの。あのダイアナ妃もウェディング・ドレスにブラーノ・レースを使用したという。扇子もあります。

●ジューデッカ島
 間近に迫った夏祭りの主役となるレデントーレ教会を訪問した。レデントーレとは「救い主」。ペストの終焉を神に感謝して、16世紀に建てられた。ベネチアもペストにより人口の4分の1を失った。その後夏祭りは病魔を払うものとして今に受け継がれている。
 「リストランテ・セレニッシマ」で夏祭りに欠かせない料理をいただいた。「イワシとタマネギの酢漬け」は船乗りの食べ物。「イワシのヒコリ・パスタ」は独特のソース。
 7月第三土曜日はお祭りの日。この日はベネチアと長い浮き橋で結ばれ、多くの人が歩いてくる。教会で無病息災を祈願した。
 ベネチアの「リアルト橋」付近は船で大混雑。この島付近は大混雑。日暮れになると船の数が増えて、花火をみんな見学しました。


テレビ番組「世界の果てまでイッテQ! 24時間で何か国旅行できるか?」

 2007年4月29日放送。ベッキーが挑戦。日本人は一生のうち平均6.25か国行っている。条件は観光する、食事する、お土産を買う。西ヨーロッパは国が密集していて、パスポート・コントロールも厳しくない。最低でも7カ国を目指した。

●計画
 オランダから車でベルギーに移動、ウィーンに飛行機で飛んで、飛行機でバルセロナに飛び、車で南フランスを通過し、モナコ、イタリアに入る。松嶋さんなら、チェコ・スロバキア・オーストリア国境付近、フランス・スイス・ドイツ国境付近を回るそうです。

●オランダ(ネーデルランド王国)
 午前9時にアムステルダム西教会前からスタート。アムステルダムから北に15kmのザーンセ・スカンス(9時半)。緑色の風車、可愛い建物が並ぶ。
 チーズ店「カタリーナ・フーヴェ」でチーズを食べる。ゴーダチーズ。スモークチーズ、ハーブチーズ、マスタードを購入17.4ユーロ(2858円)。ポプラの木をくりぬいて作る木靴が名物。保温性に富み、水が入らないので、オランダでは現在でもガーデニング・シューズとして使われている。木靴2足、木靴製スリッパで63.5ユーロ(10433円)。

●ベルギー王国
 ザーンセ・スカンスから国境まで140km。12:42ブリュッセルに到着。EU本部がある。ブリュッセルはオードリー・ヘプバーンが生まれた町。ベルギー名所はジュリアンこと小便小僧。  ワッフルが名物。超巨大ワッフルが3ユーロ(493円)。お土産はチョコレート4ユーロ(657円)。
 空港に到着が遅れて14:10発のフランクフルト行きNZ4527便が搭乗手続きを終了していた。仕方なくジュネーブ(スイス)に変更。午後2時40分発でブルッセル航空?で飛びました。飛行機の中で予定変更し、スペインに飛べることが判明した。

●スイス
 両替し、電車でジュネーブ市内に6分で移動。ジュネーブは人口18万人。シンボルはレマン湖の大噴水「ジェッドー Jet d'Eau 」140m。行ってみると故障中でした。しかし、後に出てました。
 お土産はアーミーナイフ。5分で文字を彫ってくれるという。75スイスフラン(7778円)。
 食事はチーズ・フォンデュー専門店「エーデルワイス」。店内ではヨーデルの生演奏中。チーズ・フォンデュは30スイスフラン(3111円)。次いでアルプ・ホルンの生演奏。吹かせてもらった。  電車に乗り遅れた。タクシーで移動して間に合った。

●スペイン(エスパーニャ王国)
 午後9時20分バルセロナに到着。スペイン最大の港町。サグラダ・ファミリア大聖堂に感動。高さ107m。
 お土産はサッカーのFCバルセロナのロナウジーニョのTシャツ、バスタオル、レプリカ・ユニフォームで128ユーロ(21031円)。
 午後10時。パエリア19ユーロ(3122円)をいただいた。フラメンコの生演奏もあった。午後11時5分、予定より15分遅れでバルセロナを出発。フランス国境まで280km。

●フランス共和国
 カンヌには早朝4時50分到着。中心のクロワゼット通りには世界のセレブが宿泊する高級ホテルやブティックなどがずらりと並ぶ。カンヌ国際映画祭の場所を見学。映画スターたちの手形が周辺にある。
 開いているお店を探す。「マルシェ・フォーヴィル(朝市)」が開いていた。オリーブがずらり並ぶ。グリーン・オリーブの塩漬け3.5ユーロ(575円)購入。

●モナコ公国
 カンヌから54km。6時前に到着。バチカン市国に次ぐ世界で2番目に小さな国。税金が安いため、世界中からセレブが集う。
 高級ホテルで見る、食べる、買うを予定していた。部屋を予約していた。部屋に入ると、丁度朝日が出ているところでした。高級ルームサービス258ユーロ(42389円)。シャンパン65ユーロ(10680円)。ロシア産キャビア150ユーロ(24645円)。
 お土産は海岸にある小さな石(プライスレス:無料)。

●イタリア共和国
 国境から130kmのジェノバを目指す。午前7:08に入国。午前8時20分ジェノバに到着。イタリア最大の港町。コロンブスと「母を訪ねて三千里」のマルコの故郷。
 名所は港にあるネプチューン号。お土産は市場「メルカート・オリエンターレ」でバルサミコ酢4.2ユーロ(690円)を購入。
 名物はペストソースのパスタで、「リストランテ・ゼッフェリーノ Zefferino」がお勧めという。新鮮なバジルから作るペストソースで、「パスタ・ジェノベーゼ」の完成16ユーロ(2629円)。これで目的は達成しました。総移動距離2293km。総費用49万9645円でした。


テレビ番組「堺正章&ジローラモ 気まぐれイタリア者 撮れたて!大人のミラノ」

 2007年4月28日放送。パンチェッタ・ジローラモ、堺正章、東原亜希さんが出演。ジローラモさんが堺さんに本物のイタリアを見せる。フジテレビ製作。

●ミラノ
 宿泊は5つ星のパーク・ハイアット・ミラノ。堺さんは210号室。
 ガッレリア・ヴィットリオ・エマヌエーレ2世の牛の局部を踏んで、一回転して再度帰ってこれることを祈る。
 ドゥオーモは500年近い歳月をかけて建てられたイタリア最大のゴシック教会。後ろはあまり見ない人が多い。F1が飾ってあるスポーツ店がある。堺さんも意外と知ってます。

 モンテ・ナポレオーネ通りは世界でも有名なファッション・ストリート。ロゼッティという靴屋で堺さんは買っているそうです。この先に1817年創業の喫茶店「カフェ・コヴァ」がある。豊富な種類のブランド豆。一時戦火に巻き込まれて崩壊したが、1950年に再建された。この店にはパネットーレという美味しいお菓子がある。主にクリスマスで食べるものだが、この店にはいつも置いてある。マフィンみたいな感じですが、切ってもらって食べます。
 「エトロ ETRO 」にはメンズ・デザイナーのキーン・エトロさんがいた。創業者の息子です。キーンさんはエトロの伝統を保ちながら、革命を起こした天才デザイナー。重ね着のセンスは世界的にも有名。
 スピーガ通りはモンテ・ナポレオーネと平行しているが、お店を次から次に楽しめる。堺さんがよく来ていたカフェがなくなっていました。「セモネタ Semoneta gloves 」は手袋の店。

 運河沿いの下町ナヴィリオ地区は職人の町だが、最近はリストランテやナイト・スポットも登場。若者が集う新しいトレンドの発信地となっている。ニューヨークでいえば、SOHOみたいな感じ。ジローラモさんが若い頃食べにきていたパン屋さん「Il Forno de なんとか」がある。ここでキアッキエレを少しいただいた。これはイタリアのカーニバルのお菓子。1kg2700円。隣には家具屋さんがありました。新しいものを古いように見せるために炭を使うそうです。
 「ラ・トラディツィオナーレ」はナポリ風のピッツァ・レストラン。カルツォーネ・モッツァレラの中はとろとろのチーズ。ハート形のピッツァ・カプリチョーザ。カプリチョーザは「気まぐれ」。ピッツァの食材は全てナポリから取り寄せている。

 最後の夜はブレーラ地区の「クラブ・ドゥーエ」。

●ジローラモ特選最新ミラネーゼご用達スポット
 家具の店「イン・エ・アウト」はオリジナル。建築家とガーデン設計者が2年前にオープンしたお店。女性ならではのセンス。オーダーメイドも可能。男ものカバン15300円、イス24800円。
 路面電車にのってミラノでは知らない人はいないという「ディエチ・コルソ・コモ」。ファッション・アイテム、インテリア用品、コスメまでずらり。小さなランプ10.7万円。この店はヴォーグのイタリア版の元編集長が創業したらしい。この店に置かれたら必ずヒットするとか。Balenciaga バッグ12.3万〜22.8万円。

●郊外のオペラ地区
 「ロメオ・フェラリス」は車ばかり。外は汚いが、中はとてもきれい。ロメオ・フェラリスさんが社長?。A.C.Cobra (1963年)が最初のモデルだそうです。ここはレース用のエンジンを作っている。昔から「エンジンの魔術師」と呼ばれていた。最近は時計作りをしているそうです。どんな小さな部品も全部自分で作るそうです。元々時計作りの専売特許はイタリアとイギリスだったそうです。実際には1ヶ月に1個作るそうですが、1個3.8万ユーロです。古い機械を買い集めるために、苦労して集めた古い時計を全て売ったそうです。「本当に元気でいるには、創造性のある仕事をすることです。」と語っていました。

●ヴェローナの近郊
 ロミオとジュリエットで有名なヴェローナの周囲はワイン作りで有名。赤ワイン・アマローネで有名な「MASI」ワイナリー。「マアジ・コスタセラ・アマローネ・クラシコ MASI Costasera Amarone 2003」をいただいた。
 糸杉の並木道の先に住んでいるのは、「神曲」を書いたダンテ・アリギエーリの末裔、20代目の子孫のSerego Alighieri 伯爵。650年に渡り子孫が極上のワインを作り続けている。「アマローネ・ヴァルヴォリ・チェラ・セレーゴ・アリギエーリ 2000」をいただいた。陰干ししている期間が長いそうです。

●パンツァーノ
 ミラノから南東に車で3時間、パルマの先にあるエミリア州モデナ近郊の小さな街。古いお城のような建物がある。フランコ・マイノさんが連れて行ってくれたのは、マリオ・リギーニさんのお宅で、イタリアでも5本の指に入るというクラシックカーのコレクター。コレクションを見せてもらった。何と350台!一般公開されていません。Alfa Romeo GC1750 Gran Sport (1931)、Fiat Chiribiri (1918)、OM 665 Superba (1926)、Velo Benz、Ferrari 275GTB (1966)、Ferrari 500 Mondial Spider Pininfarina? (1953)、など。Auto Avio Costruzione 815 (1940)はフェラーリが初めて作った車で、世界に1台しかないとか。幻の車です。マリオさんはアルファロメオが好きだそうです。
 ミッレミリアとは、1920年代から50年代後半まで行なわれた公道を走る伝説のクラシックカー・レース。後にイタリアで復活してからは、堺さんも91年以降何度も参戦した。今は日本でも行なわれている。


テレビ番組「世界遺産 イタリア・エオリエ諸島」

 2007年4月22日放送。地中海シチリア島の北40kmの海底火山。エオリエ諸島は地中海に浮かぶ7つの火山島。ストロンボリ島 Stromboli、ヴルカーノ島 Vulcano の火山。今も地底のあちこちにはマグマが身を潜めている。イタリアでただ一つの自然遺産。

●ヴルカーノ島
 エオリエ諸島の一番南の島は大噴火を繰り返していた。人々は火の神ヴルカンの溶鉱炉があると信じ、島にその名前をつけた。英語で火山の語原となった。20世紀を目前にしたある日、ヴルカーノは突然噴火を止めた。
 世界の活火山の数は1500を越える。中でもエオリエ諸島は18世紀から研究が始まり、火山の噴火方法に学術上の名前が使われている。一つはヴルカーノ式噴火。大音響と共に噴煙を上げ、あたり一面に火山灰や火山弾を撒き散らす。火口から吹き上げ続ける火山ガス。マグマが地表から近いことを示す。この島のマグマは粘り気が強いので、噴火は爆発的になる。
 何故今噴火しないのか?研究者は火口表面の温度とマグマの関係に注目している。あらゆる数値からマグマの状態を読み取る。ルイジ・ロダートさんは火口温度の上昇が噴火とは関係ないのが難しいという。火山ガスの成分と濃度では、二酸化炭素とラドンが両方増えると大爆発の可能性が高くなる。この20年で3回高くなったが、噴火しなかった。

●海底
 地中海の海底深く、ユーラシア・プレートとアフリカン・プレートの境目に火山帯が走っている。その真上に位置するのがエオリエ諸島。海底から湧き上がる温泉。火山活動が盛んになるとマグマが出てきて固まり、2000mの深海から島に成長する。
 かつてのマグマの通り道は波に削られ、ストロンボリッキオ Strombolicchio のような岩山島、洗い出された奇岩となる。

●ストロンボリ島
 ことさら美しい円錐形を見せるストロンボリ山(標高924m)。記録に残る2500年前から、絶えることなく噴火を繰り返してきた。別名地中海の灯台。海底火山として発達し、10万年前に海面に姿を出した。海底から考えると3000m級の山となる。国立の火山監視センター。
 粘り気の少ないマグマを噴水のように空高く吹き上げるストロンボリ式噴火をする。毎日数十分に1度噴火が起きるので、火山研究の生きた実験室。何個所からも同時に噴火しています。夜は特別きれいです。
 黒々とした斜面は、火走り Sclara del Fuoco で、溶岩が流れ落ちた跡。

●リパリ Lipari
 最大の火山。22万年前に誕生した。マグマは沢山の資源をもたらす。山の白い部分は全て軽石。軽石や火山灰は古代ローマで建築材料として広く用いられていた。軽石はドーム建築に、火山灰はコンクリートの原料として都市建設には欠かせないものだった。
 奇妙なことに同じマグマから全く異なる岩石が見出せる。マグマは急に噴出せば軽石に、ゆっくりと流れ出せば黒曜石になる。この黒曜石のガラスで人類はナイフやヤジリなどを作り、ヨーロッパ文明の曙をもたらした。

●パナレア Panarea
 紀元前16世紀の青銅器時代の集落跡がある。紀元前3世紀の古代ギリシャの墓地遺跡からは当時の風俗を知るものが出土している。亡骸と共にギリシャ悲劇の仮面が副葬品として埋められた。素焼きの仮面に生き生きと写しとられた顔。リパリには紀元前に既に美術学校があり、その主席が絵付けしたという壷も出土している。
 火山はカオリナイトと呼ばれる質のよい粘土も生み出した。人々は陶器を作った。


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