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イタリアの旅行情報4
なお、これはわたしが個人的にテレビを見て書いたものであり、各テレビ局や番組とは全く関係はありません。
すべての文章の無断使用・転載を禁止いたします。
またここの情報を使って、何か問題が起こったとしても私は一切責任は持ちませんのであしからず。
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テレビ番組「世界びっくり旅行社」
2009年8月2日放送。児玉清、黒崎めぐみ、タカアンドトシ、小堺一機さんが司会。あき竹城、高木美保、森永卓郎、スザンヌさんがゲスト。NHK製作。
●「世界遺産に住もうツアー」
オーストリアのシェーンブルン宮殿は国家公務員であれば住める。家賃は1ヶ月100ユーロの人もいるが、部屋の広さなどにより異なる。窓辺に植物を飾ったり、洗濯物を干すことは禁止。ペットも禁止。
イギリスのダラム城は、ハリー・ポッターでも有名。住める条件はダラム大学の学生であること。食堂もある。城の入口から10m以内は全面禁煙。
オランダのキンデルダイクの風車群は、風車守なら住める。家賃は200ユーロ〜400ユーロ。風車守のコースの訓練を受けないといけないが、それからでも2年かかる。
スペインのカサ・ミラも住める。
アメリカのプエブロ・デ・タオスは、家は代々受け継がれているので、家賃はない。ここの中心にある建物には電気が通っていない。水は場所によってリオ・プエブロという小川から手作業で汲み取る。条件としては、先住民と結婚すること。先住民の伝統を大切にできる人。
●モロッコのマラケシュ旧市街
大沢あかねさんが訪問。11世紀にイスラム王朝の都として築かれた。建物を赤で統一しているのが特徴。ガイドはブルカイッド・ハッサンさん。
大沢さんが住みたい条件に合うのは、3.2万円の物件。100平方m以上の広さ、日当たり良好で、風通し良好、ルーフバルコニー有、セキュリティー有、水道代がタダ。
●アイト・ベン・ハドゥ
12世紀先住民ベルベル人によって築かれ、キャラバンの宿場町として発達した。敵の襲撃に備えるために、建物全体が要塞になっている。かつては100世帯が暮らしていたが、現在は10世帯に減少。何十年も放置してある物件は2.3〜3.5万円(2000〜3000DH)。最近まで住居として遣われていた物件は3.5〜5.8万円(3000〜5000DH)。建物の風化を防ぐために入居者を募集している。
村に行く前に川があり、それを越えるのにロバに乗る。生活を体験するために、エルカシール・エルケイヤさん一家を訪問。長女のエルカシール・ナイマさん(18歳)と水を汲みに行く。最近、水道が通ったそうですが、それまでは毎日3kmロバで運んでいたそうです。次は川で洗濯。ミントティーをいただいた。シルクロードから伝わった中国茶とミントの葉から作る。砂糖をたっぷり入れ、お湯を注いで出来上がり。入れ方は少し高い位置からグラスに注ぎ、戻し、注ぎ、戻し、注ぎと3回繰り返す。ミントティーを飲む時に、「息を吹きかける」のは行儀が悪い。ラクダが鼻で息を吐くことと同じとされる。
年間13万人の観光客が訪れる。それに対応することも住民の義務。また「日干しレンガ」を作るのも義務。土にわらを混ぜて型に押し込み、10日間乾かしてレンガを作る。モロッコ文化省のプサラ・モハメットさんが説明してくれましたが、工事はここの住民がしないといけないという規則がある。昔ながらの製法でできる「日干しレンガ」は5年しかもたない。便利さに囚われない伝統。夕陽はとても美しかった。
夕飯は「じゃがいもとチキンの煮込み」タジン料理で、みんなで食べました。お父さんはエルカシール・ハムーさん。長男のエルカシール・モハメッドさんは、日本人が来ても歓迎するそうです。3ヶ月くらい住むのも可能とか。
アイト・ベン・ハドゥには他にも禁止事項がある。車の乗り入れ禁止。大音量・振動を起こすものの持込禁止。外観を変えてはいけない。外面に新たな入口を作ってはいけない。
●台北
タカアンドトシさんが案内。日本から3時間。「饒河街夜市」に行く。「程班長・牛肉麺」でニュウロウメン80元(180円)をいただいた。麺はキシメン風。台湾では麺を食べる時にズルズルと音をたてることはマナー違反。マッサージ、小鳥占い、ペット・ショップ、臭豆腐などを満喫。
早朝6時、「青年公園」に行くが、人が多い。体操・踊りなどをしている人が多い。まず健康体操(ヤンジーダンス)に挑戦。次は屋外エアロビクス。
路上ではビデオを撮っている人がいる。ポイ捨ての取り締まりをしている人で、路上にたばこの吸殻や、ゴミのポイ捨てをしている人は、最高1.8万円(6000元)の罰金。車にビデオカメラを設置した「LPG環保電眼車隊」がポイ捨てをするドライバーなどを取り締まる。一般市民でもポイ捨て現場を撮影すれば、お礼金がもらえる。罰金の30%で、1080〜(360元〜)。紹介された陳さんは1ヶ月10万円以上の奨励金をもらっている。ちなみに大学卒の平均初任給は7.8万円。撮影するコツは、自分の姿を見られないようにすること、ポイ捨ての瞬間を必ず撮ること、同時に車のナンバーを撮ること。しかし観光ビザで入国した場合は、賞金は受け取れない。2008年には取り締まりを受けた人は、検挙数で21151件、罰金総額は7500万円(2500万元)。一般市民で取り締まりをした人は220人、奨励金は合計135万円(45万元)でした。
●世界のびっくり取り締まり
フィリピンでは、DVD探知犬のラッキーとフロー。偽造DVD業者がこの2匹に3万ドルの懸賞金をかけたという。
中国では眠気覚ましに警察が顔を拭かせたり、唐辛子を食べさせたりしている。
イタリアでは、スキー場で危険なスキーヤーには30ユーロの罰金が課せられる。あるコースではヘルメット着用が義務付けられている。着用していない場合は30ユーロの罰金。身分証明書を持参していないと警察と一緒に山を降りてもらう。公共の場では泥酔は禁止で、102ユーロの罰金。
フィンランドでは、悪質なドライバーを警察が追跡。ピイキマットを使用してタイヤをパンクさせる。
●ニューヨーク
今、屋台グルメが熱い。ニューヨークには3100を越えるフード屋台があると言われている。ホットドッグは1ドル。屋台選手権 Vendy Awards も開催されている。去年の審査員部門の優勝は、メキシコ料理をカリフォルニア風にアレンジした屋台 Calexico Carne Asada でした。主な出店場所はソーホーで、いつも長蛇の列。人気メニューは生地にチーズ、ライス、豆、牛肉をのせ、アボカドソースで仕上げた「ブリトー」8ドル。市民人気投票部門の優勝は、インド料理の屋台 The Biriyani Cart 。出店場所はミッドタウンのオフィス街(5番街&E50付近?)。カレー・ソースで炒めたライスに、チキンと野菜とタマゴをのせた「チキン・ビリヤーニ」6ドルが大人気。デザート部門の優勝は The Treats Truck 。出店場所はアッパー・ウェスト・サイドで、車です(アムステルダム&W65付近?)。キャラメル・クリームにチョコレートのサンドイッチ、中のバニラ・クリームが最高。ゴミのポイ捨ては禁止、公共の場でのルコール飲料は禁止。
セントラル・パークには美しい花々とリスなどの可愛い動物。ここに面白いツアーがある。草を摘んだり、根から掘り起こしたり。公園内の草木を勝手に採取してはならない。園芸などに遣われる道具を公園内で所持してはならないという法律がある。違反すると、最高1000ドル(10万円)の罰金、もしくは最高90日の禁固刑。このツアーの主催者で Wildman の愛称で呼ばれているスティーブ・ブリルさんは、1986年にセントラル・パークでタンポポを食べて逮捕されたことがある。その際公園のイメージ・ダウンになるので、公園側が取り下げ、それ以来、スティーブさんのツアーだけ採取が許可されている。スティーブさんは野草の食べ方やレシピ、薬草としての効能なども教えてくれる。
夜のツアー。9時30分にマンハッタン38丁目/3番街に集合する「ゴミから調達するグルメツアー」(参加費は無料)。5つの店を2時間かけて回る。ゴミからまだ食べられる食料品を選び出して持ち帰るツアー。ルールは、歩道をふさがないこと、収集した後はきちんと清掃すること。2軒目はベーグルの店。その後夕食会。
ニューヨークの生ゴミに関しての規則は、商業の場合、ゴミ収集車が、営業時間外に来る場合は、閉店の1時間前から出すことは可能。営業時間内に来る場合は、収集の2時間前から出すことが可能。家庭ゴミの場合は、収集の前日の夕方6時から出すことが可能。違反した場合は、100ドルの罰金。
日米での食品ロスを比較すると、米国は1年で4兆3000億円、日本は11兆円。
●ローマ
小堺さんが案内。「ローマの野良猫はあらゆる点で、ローマ市民とみなされる」(ローマ市動物愛護保護局)。動物写真家の岩合光昭さんは、イタリアのネコは他とは少し違うような気がすると語る。
コロッセオで1匹発見。「サンタマリア・イン・コスメディン教会」には有名な「真実の口」がある。「スペイン階段」では飲食は禁止。寝転ぶことも禁止。サンダルや靴を脱いでだらしない恰好でいることも禁止。
道路では、「ヘルメットをかぶらない、ストラップをきちんと占めていない、ヨーロッパの安全規格を満たしていないヘルメットをかぶっていることは違法」(道路交通法171条)。
ペットショップに行く。イタリアではショーウィンドーに生きている動物を見せてはいけない。「ショーウィンドーや店の前に取り扱っている動物を飾ることは禁止」(ローマ市動物保護条例20条2項)。
「ネコの道 via Della Gatta 」(フィオーリ広場の近く?)がある。しかしネコはいない。建物の上に大理石でできた等身大のネコの像がある。動物人類学者の獣医パルメリーノ・マショッタさんは、ローマ時代にローマ人はエジプトの神々を信仰した。中でもネコの姿で描かれる「女神バステト」は母性・多産・懐妊・子育ての女神。ローマに持ち込まれたバステトはローマではイシスと名前を変え、深く信仰された。「ネコの道」には最大級の「イシス神殿」が建っていた。ローマ時代ラテン語で、ネコを意味する名前が多かったこともわかっている。姓はFelis (ファリス)、cattus (カットゥス)、名はフェリクラ、フェリシア(小さな雌猫)、カッタ(雄猫)、カットゥーラ(小さな雄猫)など。ローマ動物愛護保護局のブルーノ・チニーニさんは、ローマは古代ローマ、ルネサンス期、中世、ネコとは縁が切れない関係にあると語る。聖なる動物だった時期もあるし、恐怖の動物であった時期もある。そこで2003年1月28日、ローマ市行政府報告で「猫はローマの生き物文化財産である」とされた。
「トーレ・アルジェンティーナ」(パンテオンの南?)は紀元前44年3月15日、「ブルータスお前もか!」と言って、シーザーが暗殺された場所。ここには猫が沢山いる。ここは「トーレ・アルジェンティーナ猫保護区」で、野良猫は230匹。この保護区はボランティアにより成り立っている。
「ピラミデ」(コロッセオの南)は紀元前1世紀に作られたローマ法務官のガイウス・ケスティウスの墓。ここに「ピラミデ猫コロニー」がある。野良猫は80匹。
「ヴェラーノ墓地」(テルミニ駅の東)は、学生街でもあるサン・ロレンツォ地区にある。広大な墓地の中には、映画「甘い生活」で有名な俳優マルチェロ・マストロヤンニの墓がある。映画「ひまわり」「自転車泥棒」を監督したヴィットリオ・デシーカのお墓もある。この墓地の中に「ヴェラーノ猫コロニー」がある。野良猫は425匹で、4人のボランティアが支えている。ローマ市動物愛護保護局のジョーシ・スカラビーノさんは、ローマにはペットの猫が18万匹、合計30万匹いるという。野良犬は群れをつくり危険だが、猫は自由な動物で、みんなそのままでいて欲しいと考えている。
イタリアでは野良猫は Gatto Randagio (迷う)、Gatto Libero (自由)、Gatto di Strada (道)という。2匹以上飼っている人はキャットカードをもらえる。これは猫コロニーを保護、管理していることをローマ市が公認、証明するカードで、ペットショップ等で提示すると、猫グッズ等が割引になる。
テレビ番組「THE 世界遺産 イタリアのオルチア渓谷」
2009年7月26日放送。トスカーナ州にはいつまでも見続けていたい美しい風景がある。
●オルチア渓谷
まるで一服の絵画。何世紀もかけて人が大地に描いてきた風景画。信じがたいことにオリーブやワインの産地として名高い惠みの大地は、かつては不毛の荒野だった。土を耕し、タネを撒き続けた無数の人々の努力が今の美しさを生み出した。何故、人々は不毛の地を耕したのか?
理由は中心都市シエナに眠っていた。5つの地域にまたがる田園が世界遺産に登録されている。
アミアータ山の麓、渓谷というよりも丘陵と呼んだ方がしっくりくるかもしれない。この牧歌的な風景は多くの画家にインスピレーションを与え、旅人の心を癒した。オルチア川。
町は丘の上に作られた。そんな町の一つが1000年の歴史を持つ「サン・クイリコ・ドルチア」。アルプスとローマを結ぶ街道上にあり、早くから栄えた。中世にはローマに荷物を運ぶ商人、巡礼者、騎士などで賑わった。
町を出ると道沿いに建ち並ぶ糸杉。畑の境界線、実りや魔除けのシンボルとも言われる。田園風景に心地よいリズムを与えるが、人の手による美の世界であることを無言で語る。
どの農家でもパスタは手作り。ここではピーチといわれるパスタ。農家の人たちは食事をたっぷり食べる。パスタは前菜で、肉はメイン。肉もワインも自作。しかし祖先たちは苦労を重ねてきた。みずみずしい緑の大地の下には意外な素顔が隠されていた。
「Toscana Bella 」(美しきトスカーナ)行き交う旅人たちが思わず口にした言葉が、いつしかこの地の代名詞となった。大地の下には「シエナの粘土」とよぶ粘土質の土壌がある。作物は容易に根をはることができない。耕してもすぐに乾いて干からびてしまう。秘密はシエナにあった。
13世紀、シエナ共和国は金融の都として成功を収め、黄金時代を迎えていた。当時の政治の中心が置かれたプップリコ宮の「平和の間」には、14世紀に描かれた壁画が残されている。ここによき政府がもたらす理想の暮らしが表わされた。よく耕された大地、緑の畑、馬や働く農民の姿。発展したシエナは人口が増えて、食料不足に悩まされていた。その解決方法が開墾だった。
「1349年2月19日、シエナに住む地主のボーロとネーリは、セッラヴァレの農夫ヴァンニーノにブドウ畑といくつかの建物、森を含む9区画の土地を貸し与えることとする、期間は1年間とする」というような契約書が今のシエナに2000通も保管されている。これは折半小作制といわれた。働けば働くほど、農民の食い分が増えることを意味した。しかし、自然との戦いは過酷だった。やがて家畜の糞を土地の栄養にする方法が採用され、オルチアは豊かな大地に生まれ変わった。
当時の絵画には、集落や会合、畑や家畜が盛んに描かれた。数々の傑作絵画の舞台となったオルチア渓谷。
霧が立ち込める朝、オルチア渓谷は様々な表情を見せる。丘の上にある5つの町で最も大きいのがモンタルチーノ。かつてはシエナ共和国の繁栄を支えたが、1559年フィレンツェ公国の攻撃を受けて陥落した。それから5世紀、人々はブドウやオリーブを栽培しながら、ひっそりと暮らしてきた。忘れられていたが、19世紀に再び光があたった。「ビオンディ・サンティ家のワイナリー」に1888年の赤ワインがある。ピンクがかったルビー色をしている。今残っているのはたった2本。この赤ワインがモンタルチーノの歴史を変えた。黒ブドウの品種の一つ「サンジョベール?」から、突然変異でやや大粒の黒ブドウができた。それを昔ながらの醸造法で醸造したところ、1888年、実に美味しい赤ワインが誕生した。「Brunello di Montalcino 」と名づけられ、トスカーナを代表する赤の一つとなった。今世界中で愛されている。5代目当主フランコ・ビオンティ・サンティさんが説明してくれました。
テレビ番組「THE 世界遺産 ヴェネチア」
2009年6月28日放送。
●ベネチア
海に面したレストラン「ハリーズ・バー」はヘミングウェイも常連客の一人だった。今から60年前、店の主は伯爵夫人のために即興で料理を作った。生の牛肉を薄く切っただけの一皿。その赤い様子を見て彼女は「まるでカルパッチョみたい」と叫んだ。ヴィットーレ・カルパッチョは16世紀に活躍した画家は、鮮烈な赤を好んで使っていた。
祝日、中心を流れる大運河でゴンドラ・レースが行なわれていた。リアルト橋。海の浅瀬ラグーナの上に築かれた街は、細い水路と橋でつながっている。近年ベネチアではアクア・アルタと呼ばれる高潮が頻繁に発生している。地球の変化にさらされる水の都。
13世紀、長い旅から帰ってきたのはマルコ・ポーロ。彼の旅行記は当時のヨーロッパ人のアジア観を一変させた。
この不思議な町の始まりは6世紀。イタリア本土にいた蛮族の侵略を恐れ、海の浅瀬ラグーナに逃げ込んで、町を築いた。まず唐松などの杭を深く打ち込み、杭は空気に触れないために腐らず、その上に建物を作った。
ベネチアの玄関口は海に向かっている。桟橋の前に15世紀に完成したベネチア共和国の総督の館「ドゥカーレ宮殿」がある。歴代の総督たちの館でも、武器庫でも、牢獄でもあった。中央には巨人の階段。宮殿の中で最も広い空間が「評議会の間」で、貴族や裕福な商人からなる評議員2000人が一同に会し、重要な法律を定めた。
すぐ隣にあるのがサンマルコ聖堂。東方貿易で得た巨万の富をつぎ込み、完成までに400年かかった。聖堂の内部に金色のガラス・モザイクで、聖書の世界が表現されている。ベネチアの1000年の繁栄は地上で最もきらびやかな聖書を作り上げた。
まわりに広がるラグーナは、イタリア本土から流れる川とアドリア海がぶつかる類稀な環境。驚くほど豊かな自然が残っている。漁業もベネチア人にとっては、大事な仕事。春から初夏にかけてはモエケと呼ばれる脱皮したばかりのカニが旬。
漁師の住む島はベネチアの北の小さなブラーム島。この島では、緑、黄、青、水色、ピンク色の建物が連続して並んでいる場所もある。おとぎの国を思わせる鮮やかな街並み。家を塗り替えるのは女たちの仕事だった。男たちが家路につく時、もやがかかった海上からでもハッキリわかるようにカラフルな色を塗ったといわれる。かつては女たちはレース編をして待っていた。細かやなレース編はヨーロッパ各地の王族や貴族たちに喜ばれた。かつて5000人以上いたレース編も、今は15人しかいない。83歳と93歳の老人がまだ現役で並んで作業していました。
ベネチアの北1kmにあるムラーノ島。8世紀の終わり頃、ここでガラス産業が産声をあげた。1291年、ベネチア本島のガラス職人たちは全員、この島に移住させられた。技術の流出を防ぐため、火事が広がらないためだった。以来ここはガラスの島として栄えてきた。ムラーノ島のガラス技術は17世紀〜18世紀にかけて頂点を極めた。次々とヒット商品が出る中で、特に成功したのがシャンデリア。鉛を含まないベネチアのガラスは、ロウソクの灯りに優しさと柔らかさを与えた。
大運河に面して建つ建物は貴族や裕福な商人たちの邸宅。数百年の歴史を持つフォスカリ?家。かつては総督まで輩出した名門一族の子孫が現在もここで暮らしている。アントニオ・フォスカリさんはベネチア建築大学の教授として教壇に立っている。専門は建築史。週末には昔からの貴族の習慣でベネチアを離れる。本土のプレンタ川を遡り、緑に囲まれたフォスカリ家の別荘「ヴィッラ・フォスカリ」に行く。当時の貴族や裕福な商人たちは内陸部に広い土地を購入し、別荘を建てた。当時新進気鋭の建築家アンドレア・パラーディオを起用した。パラーディオの名建築は世界遺産に登録されている。購入した土地を農家に貸し、賃料は卵や野菜などの物納として受け取った。外国からも野菜が入ってきて、農業経営は豊かな人々の流行になった。この周辺の別荘の多くはパラーディオに依頼された。
パラーディオはベネチアの教会でも腕をふるった。サン・ジョルジョ・マッジョーレ教会など。
10月から4月にかけて北アフリカから吹く風「シロッコ Scirocco 」はベネチアの表情を一変させる。この季節風により少しずつ海面の上昇が始まる。アクア・アルタと呼ばれる。さらに地下水の汲み上げによる地盤沈下。近年は地球温暖化による海水面の上昇で、町の被害が拡大してきた。アクア・アルタのサイレンがベネチアの町に響きわたる。かつてナポレオンが世界一美しい広場と絶賛したサン・マルコ広場は、世界一美しい池と化してしまう。サン・マルコ広場に面した16世紀のデジタル時計が時を告げる。アクア・アルタは数時間で潮がひくが、文化財へのダメージは甚大。
2003年からアクア・アルタを防ぐための工事が始まった。その計画は「モーゼ計画」と呼ばれる。ベネチアは3つの水路によってアドリア海とつながっている。この水路の海底にゲートとなる巨大な壁を沈め、アクア・アルタに従って、これを浮き上がらせようという計画。一時的に海面の上昇を防ぐことができる。
ラグーナにも少しずつ変化がある。最近少しだけ潮の流れが早くなったという。漁師のブルーノ・タリアビエトラさんは、昔はうなぎがよく撮れたけど、今はわずかしかいないという。その代わりにカニがいる。
テレビ番組「世界遺産への招待状 イタリア」
2009年6月7日放送。丘の上に点在する小さな村を巡る。ウルビーノ、シエナ、サンマリノ共和国。
●ウルビーノ
15世紀ルネサンス期に作られた街並みがそのまま残されている。建物はピンクがかった黄色。町の近くで採られた砂で作られている。壁などは再利用して景観を守ってきた。傾斜のきついラファエロ通りはラファエロが育った場所。手すりがついている坂道や階段も多い。お年よりにはお店の人が配達するサービスもしている。
繁栄したのは13〜15世紀で、独立した一つの都市国家だった。ドゥカーレ宮殿は15世紀に建設された。美術を学ぶソニア・パリアルンガさんに案内してもらった。「天使の間」では暖炉の上に天使の絵があるが、それ以外の装飾はない。これは君主の意向によるものだった。君主はフェデリーコ・ディ・モンテフェルトロ(1422-82)で、赤い帽子と被り、左を向いている絵が有名。歴史書では名君とされ、イタリア中で有名。人々から愛され読書を愛していた。
フィレンツェはフェデリーコをフィレンツェ軍の司令長官として雇うという契約書が残っている。つまり彼は傭兵隊長だった。イタリア中世史家のジョバンニ・ムラーノさんが説明してくれました。商人の街の人は戦うと負けるし、殺されると損だから、傭兵隊にまかせた。フェデリーコの膨大な蔵書は現在はここにはなく、ローマ法王庁?にある。ここでは動作一つで本を引き出してページをめくることができる。国立ウルビーノ本学校では本作りを目指す。生徒は500人、中学を卒業してから入り、5年間学ぶ。教師のアンドレア・パッサニーシさんが説明してくれました。
●丘の上の町
サン・ジミニャーノ、ピエンツァ、アッシジなどが紹介された。
防御だけでなくマラリアから市民を守るという意味もあった。水を確保しないといけなかった。
●シエナ
水の問題に徹底的に取り組んだ町。近くの土を使うので、ウルビーノよりも少し赤味がかった町。カンポ広場は美しい。中世では都市国家で、フィレンツェの最大のライバルであり、金融業で繁栄を極めた。シエナの近くには川がなく、水の問題は深刻だった。カンポ広場の一角に美しい泉がある。14世紀に作られた「フォンテ・ガイア」(歓喜の泉)と呼ばれている。泉が完成した時に、詰め掛けた市民から大きな歓声が沸いたことから、この名がある。理由は水。
観光客で賑わうカフェの一角に地下に降りる通路がある。ここに水が流れている。水路を管理する地下水路管理会社のピエロ・リガブエさんに案内してもらった。地下水路「ボッティーニ」はそこから12km先まで続いている。建設は12世紀に始まった。水は地下道の壁から落ちてきていた。土が多く水を含んでいるためだった。ボッティーニは全長25kmにも及ぶ。水を貯蔵している場所がある。ここで貯蔵しておくと石灰分が抜けていく。
フォンテと呼ばれる場所は水の取り出し口となった。「フォンテ・ヌオヴァ」などがある。フォンテ・ガイアの他、現在30ほど残されている。2段になっていて、最初は飲み水、次は洗濯に使われ、その排水は畑にまかれた。20世紀に水道が通った。
16世紀、神聖ローマ帝国皇帝カール5世は「シエナは地上も美しいが、地下はより美しい」と語ったという。
●サン・マリノ共和国
150年前まではイタリアは別々の国家だった。サッカーはその名残を残していて、現代の都市国家戦争とも言われている。そういう形態を残しているのはサン・マリノ共和国。まわりは全てイタリア。
人口は麓の町を入れて3万人。丘の上に3本の塔が立っている。消費税がないので、多くの観光客が訪れる。中でも人気は切手の店。この国の大事な国庫収入でもある。日本に関連した切手もある。2007年大阪世界陸上。
サン・マリノの中心はププリコ宮。日本の国会議事堂にあたる。建物の入口で衛兵交代の儀式が行なわれていた。国の起源は西暦301年。ププリコ宮の中にはキリスト教の聖人マリノの絵が描かれている。マリノが迫害を逃れるために、断崖で囲まれたこの地にやってきたのが始まり。マリノの言葉「あなたたちを何者からも解放する」を守ってきている。サンマリノは国の代表(執政)が2人いて、6ヶ月毎に改選される。独占を許さないため。元執政のクラウディオ・ムッチョリさんに話を聞いた。
領土を拡大する機会があったのに、広げなかった。サンマリノ国立公文書館のダニエラ・コンティさんが説明してくれました。18世紀ナポレオンはサンマリノが戦略的に重要と考え、接近を図った。領土まで与えようとしたが、拒否した。サンマリノは小さくても独立していくことを第一にしており、目立たないことで他から狙われないことを重視していた。
第二次世界大戦時、サンマリノは中立を守った。そのためイタリアから数多くの人が戦火を逃れてやってきた。その時10歳だったジョバンニ・リードさんに話を聞いた。流れ込んだ難民は10万人だったという。トンネルの中で多くの人が暮らした。サンマリノは住民にも難民にも1日50gの小麦を配給した。
サンマリノは日本と長寿を競う国でもある。2007年は81.7歳。
テレビ番組「THE 世界遺産 ピサ」
2009年6月7日放送。
●ピサ
ピサの斜塔は5度傾いている。それにより世界的に有名になった。傾き続けて800年。斜塔はドゥオモ広場の一角に3つの建造物と一緒にたたずんでいる。11−13世紀、ピサはヨーロッパに名を轟かせた海洋国家だった。そこで建設されたのがドゥオモ広場で、美しさから「奇跡の広場」と呼ばれた。16世紀、ガリレオが塔の上から2つの物質を落とした実験をした。20世紀にはその傾きが世界の心配の種になった。傾き続けるがそれでも倒れない不思議な塔の物語である。
ピサはアルノ川の辺に位置している。河口には港が築かれ、地中海の重要な拠点となった。それを20km遡った町がピサ。1063年、中央の大聖堂が着工してから完成までに300年の歳月がかかった。塔の建設が始まったのは1173年。3層目にかかった時に早くも傾き始めた。その後修正しながら建設していって、高さは55mと計画の半分の高さに抑えられた。細い列柱が並ぶ姿はピサ・ロマネスク様式の傑作と言われる。塔は時を告げる鐘楼として建てられた。
2009年4月12日復活祭の日。大聖堂ではミサが行なわれた。奥行き100m、天井の高さ30m、古代ギリシャ風の装飾を持つ68本の柱。北アフリカで買い集めたとも、シチリアのモスクで略奪したとも伝えられる。祭壇の天井を飾るのは、黄金に輝くモザイク画。膨大な数のタイルが使われている。異文化の粋が集められている。外壁のアーチの横に船のレリーフが描かれている。
もう1つの建物も着工した。外周107m、イタリア最大の洗礼堂。人々はここで洗礼を受け、キリスト教徒として生まれ変わる。この建物は200年かけられ、イスラムのモスクを思わせる。30分に1度係りの人が声を出し、反響をみている。
大聖堂の北には静かな空間がある。カンポ・サントという墓地で、600人が眠りについている。洗礼堂で生を受け、大聖堂で祈りを捧げ、カンポ・サンポで人生を終える。ドゥオモ広場にピサ人の人生が集約されている。
斜塔は真下から見るとそれほど激しい傾きには感じられない。全部で294段ある階段に興味深い跡がある。片側だけ磨り減っている。それは人が傾いている方へすり寄っている証し。最上階の鐘楼に鐘が7つ備えてある。現在は振動が傾きを促進するために、内部のスピーカーから音が出るようになっている。
地盤に柔らかい部分と堅い部分があり、その結果傾くようになった。そのために、傾いているのは斜塔だけではない。町のあちこちで傾いた塔や建物がある。ピサは海辺の湿地帯に建設された町だったから。かつてはラグーナと呼ばれる湿地が町のすぐ近くまで迫っていた。かつアルノ川が大量の土砂を運び、地形も変わり続けた。かつてはピサは海に出やすい場所にあったが、土砂の堆積により海岸線から離れていった。海から遠ざかるにつれ、海洋国家としての力は衰えていき、ついに1406年フィレンツェに屈した。フィレンツェは海への足がかりとしてピサを狙っていた。その後独立国家として再起することはなかった。人々を苦しめたのはアルノ川の氾濫だった。
メディチ家の命でアルノ川の流れを変えるように、レオナルド・ダ・ヴィンチは言われたが挫折した。
18世紀に斜塔の話が世界に広がった。それ以来観光客が増え、イタリア屈指の観光地となった。年間200万人が来る。1年におよそ1mm傾き続けた。中心から4.5mの傾きは限界で、1990年には一般公開が禁止され、改修工事が始まった。世界から1000もの修復のアイディアが寄せられていた。
改修工事はまず塔を太いワイアーで固定し、反対側に900トンの重りを置いて地盤を圧縮、管を差し込んで土を吸出し密度を減らした。これで50cm戻った。傾きは日々変化していて、観測もされている。
外壁の補修も行なわれていて、完了は2011年の予定。少なくとも300年は現在の傾きを維持できるという。
しかし、何故傾いたままにしておくのか?ピサ大学のヌンツイアンテ・スクエリア?教授は語る。元に戻すと堅い方の地盤を2mほど沈めないといけない。これは塔に相当の負担をかける。ある歴史家は「この塔の傾きは既に歴史の一部なのだ」と語った。
テレビ番組「ちょっと贅沢、欧州列車旅行 ヴェローナ」
2009年5月24日放送。イタリア、フランス、スペインを列車で巡る全6回のコース。パリ〜マドリッド〜バルセロナ〜ニース〜ヴェローナ〜ナポリ〜アルベロベッロ。今回はヴェローナ。JIC製作。
●ニースから
ニースからECでミラノを経由し、ICに乗り換えてヴェローナに向かう。ニースを出て50分、イタリアのヴェンティミリア駅に到着。観光地化していない小さな町。ここからミラノまで4時間。ニースからミラノに走るECの別名は「リビエラ」。リビエラとはイタリア語で「海岸」。カフェ車両の連結はないので、飲み物は購入する。
右手に見えるのはリブリア海。海辺に巨大な建物が目立ち始めたら、ジェノバに近づいたしるし。「ジェノヴァ・プリンチペ Genova P. Principe 」駅に到着した。列車はここから内陸に入る。リグーレ山脈を抜けると田園地帯。
●ミラノ
大きな川が見えたら、ミラノのあるロンバルディア州。やがて大きなアーケードのミラノに14:50に到着。年間1億2000万人の乗降客数はローマのテルミニ駅に次いで、国内2番目。駅舎は1931年の建築。様々な様式がミックスされたアッシロ・ミラネージェという建築方式。建築家フランク・ロイド・ライトが世界で一番美しい駅と絶賛したことでも有名。
ヴェローナには16:05発のベネチア行きインターシティで向かう。ヴェローナまでは1時間半。6人がけのコンパートメント内では、座席の後ろはクローゼットになっているので、席を前にひっぱると上着を入れるスペースがある。窓にはボタン一つで開閉するブラインドがついている。左手彼方にはアルプス山脈が見える。赤い屋根の家々が見えてきたら到着。17:40。
●ヴェローナ
ヴェローナは「ロミオとジュリエット」の物語が息づく町。街中のいたる所で二人に出会う。中世の面影を残すヴェローナには数々の遺跡が残されている。町は一面赤茶色。建物の一つ一つが美しい旧市街は2000年に世界遺産に登録された。
駅からまっすぐ歩くとヌオーヴァ門がある。ヴェローナは城壁に囲まれた町で、この門は16世紀に建てられた。その先に旧市街がある。駅から旧市街まではバスが便利で、5分で到着する。旧市街の入口はブラ門。これを入るとヴェローナ観光の中心のブラ広場 Plazza Bra がある。日中、旧市街では車の入場制限が行なわれている。地元の人々はよく自転車で訪れる。
観光する前に立ち寄りたいのは、「ヴェローナ観光案内所」。無料でもらえる市内マップを手に入れる。もう一つ便利なのはヴェローナ・カードで、1日券8ユーロ、3日券12ユーロ。主な美術館や博物館の入場料が無料になる。旧市街の観光はほとんど徒歩で移動できる。ブラ広場から北東に行くとエルベ広場があり、その東にロミオの家とジュリエットの家がある。ジュリエットの墓はブラ広場の東南東。
まずは「ジュリエットの家 Casa di Giulietta 」(住所:via Cappelo, 23 Verona )入口の上には説明板がある。れんが造りで、中庭の2階にはロミオがジュリエットに愛を告白した世界で一番有名なバルコニーが今も残っている。中庭にはジュリエットの像がある。「ロミオとジュリエットの物語 Storia di Giulietta e Romeo 」はSergio Pasetto作で、シエナ地方に伝わる民話が元になったという。その後、13世紀にヴェローナで対立していたモンテッキ家(モンタギュー家)とカプレーティ家(キャピュレット家)をモデルに小説家され、さらに16世紀ウィリアム・シェイクスピアが戯曲にした。今は修復され博物館として一般公開されている(3.1ユーロ)。1968年オリビア・ハッセーで映画化された際のセットの一部も展示されている。建物の1階にはギフト・ショップがある。
「ロミオの家」は現在は個人所有となっていて、内部の見学はできないが、外から雰囲気を味わえる。
「ジュリエットの墓 Tomba di Giulietta 」(住所:via Shakespeare ,Verona、入館料2.6ユーロ)があるのは、聖フランチェスコ・アル・プレッソ教会?。この教会は1230年に建てられたが、物語の人気で観光客が増えたので、教会はしめられ、後にコンサートや舞台も催されるようになった。明るい中庭に面した階段。その地下に礼拝堂がある。石でできたジュリエットの棺がある。お墓には文豪チャールズ・ディケンスやナポレオン皇妃なども訪れた。教会は現在、「フレスコ画博物館 Museo degli Affreschi 」になっている。内部にはヴェローナの古い教会にあったフレスコ画が展示されている。結婚式が行なわれる部屋もある。
町を囲んで流れるアディジェ川。アーチ型の橋に連なる建物は「カステルヴェッキオ Castelvecchio 」。14世紀に建てられた古城。カステルヴェッキオに通じるスカリジェロ橋。支配者が変わるごとに破壊され、再建された。最後に壊されたのは1945年。その後修復された。カステルベッキオから歩いて5分でブラ広場に戻る。
ブラ広場の周辺にはカフェやレストランが軒を連ねる。そのどこからでも見えるのは、収容人数2.2万人の古代円形劇場「アレーナ」(入場料は4ユーロ)。ローマ時代からここに存在している。外側も内部もほぼ完全な形で残っている。建造されたのは紀元前1世紀。現在も劇場として使用され、毎年7月〜9月には野外オペラが上演される。劇場の階段は50段以上。ローマのコロッセオに次ぐ規模を持つ。音響効果も綿密に計算された設計。
旧市街のメイン・ストリートはマッツィーニ通り via Mazzini 。通りの両側に華やかなショー・ウィンドーが並ぶ。これを抜けるとエルベ広場。この広場を囲む建物は美しく、特にマッツァンティ家は一見の価値がある。外壁のフレスコ画は16世紀に描かれたもの。近年修復された。広場の中心には市場がある。広場にはカフェやレストランが並ぶ。広場を見下ろすように立っているのは、高さ83mの「ランベルティの塔 Torre dei Lamberti 」(入場料4ユーロ)。1172年に着工し、100年以上かかって完成した。ランベルティの塔の下にあるのは、ロマネスク様式のコムーネ宮殿。美しい中庭を持つ。ゴシック様式の階段は15世紀につけ加えられた。
エルベ広場のまわりには是非訪れたいレストランがある。東にある「イル・デスコ Il Desco 」は静かな路地裏にある2つ星、ローマが誇る有名店。高級店で、20年以上もミシュランの星付きレストランとなっている。ランチの「Gamberi in tre modi 」は37ユーロ。「スパゲッティ・ポモドール」31ユーロ。「車えびとフォアグラのオニオン・ソース」41ユーロ。
http://www.ilbesco.com/
もう1軒は南の「アンティカ・ボッテガ・デル・ヴィーノ Antica Bottega del Vino 」(火曜:休み)も有名店で、ワインバーが特徴。ウィンのおつまみも充実。レストランはお店の一番奥にある。「馬肉のワイン煮込み」20ユーロで、黄色いのはトウモロコシのペースト。「ワイン?のリゾット」11ユーロ。どちらにも使われているのは「ヴェローナの宝石」ともうたわれているワイン「アマローネ」。レストランのオリジナル・ワイン「MASI」も作っている。レストランの隣にはショップが併設されている。レストランで使われているワインや調味料を購入できる。ワイン・メーカー「Domani Veneti 」が作ったこの店のオリジナル・ワイン「Siresol ?」。2003年物で、60ユーロ。オリーブオイル「バルデーラ?」は15.5ユーロ。モデナ産のバルサミコ酢は13ユーロ。
http://www.bottegavini.it/
史跡「ローマ劇場 Teatro Romano 」(入場料3ユーロ)は紀元前1世紀の後半に建設された野外劇場。19世紀半ばに発掘作業が開始され、近年ようやく修復が完了した。現在、ショーやコンサートなどが行なわれている。
隣接して建つのは、かつてここが土に埋もれていた時にできた教会。10世紀に建設され、17世紀に改築された。
ヴェローナ駅からローマ行きの電車(Eurostar Italia )に乗ってボローニャに向かう。
テレビ番組「THE 世界遺産 バチカン市国」
2009年5月17日放送。
●バチカン市国
ローマの中にあり、半径500mの円の中にすっぽりおさまる世界一小さな国。そこにあるのはサン・ピエトロ大聖堂。その美術館にはルネッサンスからバロック時代に活躍した天才たちの芸術品が残されている。ベルニーニの彫刻、ミケランジェロの彫刻「ピエタ」。システィーナ礼拝堂。
復活祭のミサには世界中から6万人が参加した。11億人もの魂を導くバチカン市国。その統治者であるローマ教皇。
朝8時、バチカンの扉が開く。軍隊を持たないこの国を警備しているのはスイスの衛兵。16世紀から500年以上忠誠心厚く教皇を守り続けてきた。
象徴はサン・ピエトロ大聖堂。サン・ピエトロとは聖ペテロのこと。ペテロはキリストから天国のカギを授けられ、教会を指導せよとの命を受けた。つまりペテロこそ、初代のローマ教皇。主祭壇を飾るのは大天蓋「バルダッキーノ」。ここでミサを行なうことが許されているのは、ローマ教皇だけ。バルダッキーノの下に地下へと続く階段がある。サン・ピエトロで最も重要な空間。そこにあるのは、ペテロの墓。大聖堂の地下には歴代の教皇が眠っている。真下にある「クレンメンティーナ礼拝堂」の下に聖ペテロが眠っていると言われている。わずかに見えるのは、地中に埋まった最も古い祭壇の柱。ペテロはここでローマ皇帝ネロの時代に処刑され、そのまま葬られた。一つの墓がやがてキリスト教の中枢になり、ここに世界最高峰の美が吸い寄せられた。
ローマ教皇専用の祈りの場として建てられたシスティーナ礼拝堂。その祭壇を飾る壁画がミケランジェロの「最後の審判」。高さ21m、壁の上の方が30cmせりだして手前に傾いている。見上げる人に覆い被さってくる印象を与える。深みのある鮮やかな青は、当時最も高価な石ラピスラズリによって描かれた。最後の審判とはこの世の終わりの様子。天から舞い戻ったイエスの下に、ラッパの音で蘇った死者が集まる。生前の行いにより、天国か地獄か最後の行き先が決められる。300以上の裸体の中に作者は自画像を描いた。皮をはがされた男、自らの罪深さに対する苦言をこめて「ルネサンス期の天才ミケランジェロ」と称した。彼は絵を描きたいのではなく、彫刻を彫りたかった。25歳という若さで完成させたバチカンでのデビュー作「ピエタ」。大聖堂の中で唯一二重のガラスで守られている人類の至宝。2年をかけて1枚の大理石から聖母マリアとイエスを掘り出した。ミケランジェロは完成した時の見事さに思わず自分の名前を彫ってしまった。
ピエタの後に取り組んだのがシスティーナ礼拝堂の天井画。長さ40mにも及ぶキャンバスにミケランジェロはたった一人で描いた。完成までに要した時間は4年。「太陽と月の創造」、「アダムの創造」など題材になっているのは旧約聖書。9つのフレスコ画で表現されている。20mの中空に浮かぶ傑作。37歳で完成させたミケランジェロは、精魂つきはてまるで老人のようだったという。
71歳のミケランジェロに舞い込んだ仕事は、サン・ピエトロ大聖堂のドームの設計。1546年、彼の設計は驚くべきものだった。直径42m、高さ136mの巨大ドーム。ドームの完成を待たずにミケランジェロはこの世を去った。完成は実に26年後のことだった。16もの天窓から差し込む光が、数多の天才たちが作り上げた作品を輝かす。
大天蓋バルザッキーノの作者はジャン・ロレンツォ・ベルニーニ。バロック期を代表する天才彫刻家。ベルニーニの代表作の一つである「ダビデ像」。わずか7ヶ月でこれを彫り上げた。静かなミケランジェロの作品に対して、ベルニーニは劇的。時間を止めたような躍動感がある。ベルニーニの最高傑作の一つ「プロセルピナの略奪」。大理石とは思えないような技術力。サンピエトロ広場はベルニーニの設計。楕円状に並ぶ284本の円柱。多くの人々が安らぎを求めて訪れる。
人口わずか1000人足らずのバチカン市国。観光客の数は年間1000万人を越える。スイス衛兵の交代式は観光の目玉。ベルニーニはこのブロンズのバルザッキーノを35歳の若さで完成させた。29mの高さにまで伸びる螺旋状の柱は天国につながる道筋を示す。柱にはミツバチが刻まれている。時のローマ教皇ウルバヌス8世のシンボル。教皇の実家のバルベリーニ家の宮殿の天井画にもミツバチは描かれている。教皇の庇護を受けるため、芸術家にとってミツバチは大切なモチーフだった。ベルニーニは17世紀に書かれたミツバチの研究書「アピアリウム」を利用したといわれている。そのメンバーの一人が当時異端とされていたガリレオ・ガリレイ。望遠鏡を発明し、月を観測。ガリレオは既にクレーターを発見していた。サンタ・マリア・マッジョーレ教会パオリーナ礼拝堂の天井画。マリアは月の上に乗っているが、ガリレオの親友だった画家によって月にはクレーターが描かれている。ガリレオはさらに科学アカデミーに顕微鏡を持ち込んだ。20倍の倍率を持つ顕微鏡によって、ミツバチの詳細な観察が行なわれた。ミツバチは光をもたらす蜜蝋を作る。それを元に生み出されたロウソクは神を崇めるための神聖なる道具。復活祭の前夜、人々はロウソクを手にキリストの復活を祈る。
テレビ番組「世界!弾丸トラベラー 平子理沙さんでカプリ島」
2009年5月16日放送。平子理沙さんは青の洞窟を絶対見てみたいという。ソレントでは農家ホテルを体験。エールフランス航空AF277便/2178便で日本から約16時間。1泊4日の旅。
●予定
1日目、21:55、成田国際空港発AF277便。
2日目、9:30、シャルル・ド・ゴール空港発AF1080便。11:40、ナポリ空港着。ナポリ市内へタクシーで移動。14:10、ナポリ中央駅発、Circumvesuviene 電車でソレントに向かう。15:17、ソレント駅着。駅で農家ホテルのお母さんと待ち合わせ。18:00、農家ホテルにチェックイン。20:30、夕食。
3日目、9:00農家ホテル発、ソレント港へ。9:40、カプリ島行きのフェリー発、11:00−青の洞窟を見る。13:30、カプリ島出発、14:15、ナポリ到着。タクシーでローマ空港へ。19:45、ローマ・レオナルド・ダ・ヴィンチ空港発AF1169便、23:35、シャルル・ド・ゴール空港発AF278便。
4日目、18:00、成田空港着。
●ナポリ
レストラン「ローシズ・スヴェニール」でピッツァをいただく。生地にたっぷりの地元のトマトをのせて、たっぷりのチーズとバジリコの葉、それにモッツァレラ・チーズをのせて5分焼いたナポリ名物「マルゲリータ」4.5ユーロ(630円)。時間がないので、箱を用意してもらって、持ち帰る。
電車で1時間なので、電車内で食べようとするが、匂いが広がるので無理。ポンペイ駅を通過するので途中下車。現在14:48分で、15:17に乗ればよいとわかり30分でポンペイ観光。入場料は11ユーロ。アポロ神殿、街並みを見学。7分前まで観光し電車に戻る。30分で目的地のソレントに到着。
●ソレント
「帰れソレントへ」で有名な町。カプリ島への連絡線がでている。駅に到着すると、農家ホテルの奥さんのイーダさん(64歳)が迎えに来てくれていた。まず町を観光。セサレオ通りにジェラートの店を発見。「プリマヴェーラ」は様々な種類のジェラートが味わえる地元の人に大人気のお店。レモン・クリームは2ユーロ。地中海の絶景を横目に車で15分、農家ホテル「イル・ジャルディーノ・ディ・ヴィリアーノ」に到着。16世紀に建てられたイーダさんの自宅。農家ホテルとは農園を抱える一般家庭がもてなしてくれる場所。ご主人のジュセッペさん(63歳)と長男のルイジさん(31歳)の家族経営。ここはレモン農家で、畑では無農薬のレモンを栽培している。ホテル代は35ユーロ〜。窓の向こうには地中海とカプリ島が見える。
夕食は他の宿泊者と一緒にいただく。この日は常連のドイツ人のご家族と一緒。レモン・ソースのパスタ。生クリーム、パルメザン・チーズにレモンを混ぜたソースにレモンを練りこんだパスタにからめる。次は「ポークのレモン・ソースがけ」。「レモン入り自家製カッテージ・チーズ」。「レモンチェッロ」は南イタリア特産のレモンのお酒。アルコール度数は30度。レモンの皮と砂糖をアルコールに漬け込んで作る。
●カプリ島
息子のルイジさんがガイドをしてくれた。ソレント港から高速船で30分。古代のローマの皇帝が「甘美な快楽の地」と称したカプリ島。マリーナ・グランデ港からオープンカーのタクシーで25分。ここからは小船に乗り換えて、青の洞窟に入る。波が高いと入れないことがある小さな穴の奥。高さ1mほどの穴を抜けると、そこは別世界。洞窟の入口から差し込んだ光が、真っ白な海底に反射して、美しい青の輝きになる。船頭さんがサンタルチアを歌っていた。
テレビ番組「旅サラダ2009年5月2日は筧利夫さんでシチリア島」
2009年5月2日放送。JALで行ったようです。
●シチリア島
イタリア最南端。地中海で最も大きな島。ギリシャの植民から始まって、ヨーロッパ各国の支配の下に置かれたため、様々な文化が入り混じっている。
●パレルモ Palermo
シチリア州の州都。イタリアでローマ、ミラノ、ナポリ、トリノにつぐ第5の都市。旧市街を歩いていると、バロック建築、ビザンチン建築、アラブ建築など様々な国の建築様式の建物が目に入る。シチリアがフェニキア人、ローマ、アラブ、ノルマンの支配を受けてきた歴史を感じる。
「マルトラーナ教会 Chiesa di martorana 正式名はSanta Maria Degli Ammiraglio 」(住所:Piazza Bellini Palermo, 3、Tel:+39 091 6161692 )は、1143年にシチリア王国の初代の国王ルッチェーロ2世の時代に建てられた。壁や天井は鮮やかなモザイク画で、アラブ建築。モザイクとは小さな石やガラスなどを貼りあわせて絵や模様を作る装飾技術。国王は教会をきらびやかに飾ることに多額の資産を費やした。
パレルモ最大の青空市場「バラロー市場 Mercato di Ballaro 」に行く。野菜、トマト、ズッキーニなどが並ぶ。新鮮な魚介類も。イタリアでは市場の売り単位がキログラム。男の人が夕食の買出しなど買い物するのが一般的だそうです。サンドイッチのお店があった。パニーノ「パーネ・カ・メウサ Pane ca' Meusa 」1.5ユーロは、スライスした牛の脾臓をラードで炒め、パンではさんだシンプルなサンドイッチ。最後にレモンを絞って完成。パレルモでは必ずといっていいほどの定番メニュー。
「マッシモ劇場 Teatro Massimo 」(住所:Piazza G. Verdi - 90138 Palermo、Tel:+39 091 6053111 )は、1897年に完成し、パリのオペラ座、ウィーンの国立歌劇場に続きヨーロッパで3番目に大きいとされる。1990年に公開されたコッポラ監督の名作「ゴットファーザー Part.3 」のクライマックス・シーンの撮影がこの劇場前の大階段で行われた。マッシモとはイタリア語で最大という意味。
バレエの「ロミオとジュリエット」の練習をしている人たちがいた。ここの舞台に立つオペラ歌手の山崎美奈さんに会って話をした。山崎さんは東京出身でローマ在住。イタリアは94年デビューで、イタリアを中心にソプラノとして世界のオペラ劇場で活躍している。
http://www.teatromassimo.it/
便利なのは「ワーグナー・ホテル Grand Hotel Wagner 」(住所:Via Riccardo Wagner, 2、Tel:+39 091 336 572 )が、マッシモ劇場まで歩いて5分。5つ星の最高級ホテルで、20世紀初頭に建てられた。少し手狭なエントランスの奥に、見事なシャンデリアがある。スタンダード・ツインで1泊1室179ユーロより。
http://www.grandhotelwagner.it/
宿泊は、「セントラル・ホテル Hotel Centrale Palace 」(住所:Via Vittorio Emanuele, 327、Tel:+39 091 336666 )で、旧市街の中心地にあり、パレルモの名所クワトロカンティー至近で非常に便利。18世紀の館を利用した優雅な空間。クラッシック・ツインで1泊1室120ユーロより。
http://www.centralepalacehotel.it/
●マルサラ
琥珀色のワインがあると聞いてやって来た。ワインの産地として世界的に有名な町で、最も歴史の古い「フローリオ・ワイナリー Cantina Florio 」(住所:Via Vincenzo Florio, 1 Marsala、Tel:+39 0923 781111、Fax:+39 923 982380 )を訪問した。マルサラ・ワインは醸造過程でアルコールを加えて度数を高めてある。甘いデザートワインとして有名で、広く親しまれている。ワインの製造工程も無料で見学できここでは格安でワインが購入できる。
一般の観光客には見学できないヴィンテージ・ワインの保管庫を特別に見せてもらった。170年前の創業当時のワインが残されている。お勧めのワインを死因させてもらった。「ドンナ・フランカ Donna Franca 」25ユーロは琥珀色に輝くワインで、これまでイタリアの有名な賞を数多く受賞している。アルコールは19度ある。
http://www.cantineflorio.it/
●マリネオ
内陸部の小さな村。野草のブラーニャを採っているカルメロさんというお父さんがいた。卵に入れて食べるそうです。これを食べられる自分のレストランに連れて行ってくれた。イタリアで始まったスローフード運動。これを農家で体験するアグリツーリズモというスタイルが人気を集めている。その土地ならではの料理がいただける。
「アグリツーリズモ・パルコ・ベッキオ Agriturismo Parco Vecchio 」(住所:C.da Parcovecchio - 90035 Marineo (PA)、Tel:+39 091 872 6304、Fax:+39 091 872 6053、携帯:+39 338 410 8945 - 328 581 5206 )。カルメロさんは5年前から始めた。1泊2食50ユーロ〜。カルメロさんの息子のシロさんがブラーニャを調理してくれました。溶いた卵に粉チーズをたっぷり入れ、茹でて刻んだブラーニャを混ぜ、オリーブオイルで両面をこんがり焼いて「ブラーニャ入りオムレツ(フリッタータ・コン・ブラーニャ)」の完成。一番気に入って料理は、茹でたパスタを挽肉とブリーンピースで和え、チーズをのせてオーブンで焼き、最後にトマトソースをたっぷりかけた「アネレッティ・アルフォルノ(パスタのオーブン焼き)」。
翌朝、カルメロさんが家で飼っているヤギの乳搾りを見学。次はリコッタ・チーズ作りを見学。
http://www.agriturismoparcovecchio.it/
●トラパニ Trapani
パレルモから70km、シチリア島の最も西に位置するのどかな港町。素晴らしいパスタを食べさせてくれる「カンティーナ・シチリアーナ Cantina Ciciliana 」(住所:Via Giudecca, 36 Trapani、Tel:+39 0923 28673 )は、この町で古くから地元の人に愛され続けてきた名店。崩れそうな横町にひっそりと立つ素朴な食堂。よく考えられたメニューで、丁寧な料理が評判。スローフード運動も積極的に取り組んでいる。「ブシアーテ・アル・ペースト・トラパネーゼ Busiate al Pesto Trapanese 」9ユーロは、辛くて美味しい。近くて採れた赤ニンニクでとても辛みが強い。小さく切った赤ニンニクをバジルの葉と一緒に磨り潰し、アーモンドの粉末とトマトを加え、ペースト状にする。これをこの地方独特のねじれたパスタにかけて、仕上げにオリーブオイルをかける。「かじきマグロのパスタ Casarecce con pesce spada e Melenzane :8ユーロは、シチリアの家庭で最も多く食べられているパスタ。最後は「クスクス Cous cous con brodo di pesce 」12ユーロは、もともとアフリカの伝統料理で、粗挽きの小麦粉を蒸したものだが、ここでは地中海で採れた白身魚を煮込んだスープをかけていただくのが特徴。ここはアフリカに近いので、アラブの習慣もあるため。
http://www.cantinasiciliana.it/
毎年春に行なわれるキリストの復活祭。イタリア各地でキリストの復活を祝う行事が行なわれる。トラパニで行なわれる復活祭 Pasqua の儀式ミステリ Misteri は、弟子のユダに裏切られ、囚われたキリストが十字架にかけられてから処刑されるまでの場面を聖劇にして、20の山車を担ぎ一昼夜町を練り歩く。キリストが処刑された金曜日を聖金曜日 Venerdi Santo としている。神輿は町の中心にあるプルガトリオ教会を出発する。教会から1つずつゆっくりと出発して、最後が出る頃は夕闇に包まれる。荘厳なイメージを与えているのは、神輿と一緒に出る音楽隊。行進の悲しいメロディーが沿道の人たちの気持ちを代弁しているかのよう。喪服で参加するのは、キリストの死に対する哀悼の意。
プルガトリオ教会の中には、19番目の神輿「キリストの棺」、20番目「キリストの死を嘆く母マリア」があった。20番目はウェイター、運転手、ドアマンたちの組合が担ぎます。
これ以降ビデオが調子が悪くてHPからの引用です。
●カザレ Casale
「カザレの別荘 Villa Romana del Casale 」(住所:Ctr. Casale, Piazza Armerina、入場料:大人も子供も3ユーロ)は、世界遺産で、3世紀に建てられたローマ様式の館。ディオクティアヌス皇帝との共同皇帝だったマルクス・アウレリウス・マクシミアヌス帝が所有していたと考えられている。12世紀の洪水で泥の下に埋もれたので、700年にわたって隠されてきた。1950年の道路工事のとき偶然発見され、その保存状態、規模が素晴らしかったため世界遺産となった。
●アグリジェント
「神殿の谷 Valle del Templi 」(住所:Strada Panoramica dei Templi, 92100 Agrigento、Tel:+39 0922621611、Fax:+39 092226438、入場料:大人も子供も8ユーロ)は世界遺産。町の周辺の小高い丘には神殿がある。
紀元前6世紀末までに建てられたヘラクレス神殿をはじめ数々の古い神殿、城壁が残る。
http://www.parcovalledeitempli.it/
●カターニャ
森本貴幸さんは、カターニャFC所属で、マレモート(津波)の愛称でサポーターに親しまれている。15歳でプロ入りし、「中学生Jリーガー」として注目を浴びた。2006年にイタリアのカターニャFCに移籍、背番号15。
「セルツ Selz 」0.8ユーロは、カターニャの人が立寄るキヨスク(ジューススタンド)にある炭酸水に塩を入れレモンを絞った名物ジュース。ミントなどで着色をした数種類がある。パッと立寄りコーヒーのようにグビッと飲む。住民に昔から愛されている飲み物。
http://www.calciocatania.it/
●タオルミナ
西側にエトナ山を望む壮大な景観を有する街。何世紀にもわたり作家、芸術家、貴族を惹きつけてきたリゾート地。9世紀にビザンティン帝国シチリアの首都だった。ほぼ完璧に中世の街並みが残されている。
宿泊は、「サンピエトロ・ホテル Grand Hotel San Pietro 」(住所:Via Luigi Pirandello, 50 Taormina, 98039 Taormina (Sicilia)、Tel:+39 0942 620711 )は、リゾート地らしい優雅なホテルで、フランスのホテル・グループ「ルレ・エ・シャトー」の一員。ジュニア・スイートで1泊1室400ユーロより。朝食は、Rotondo Su Mare にて個別に作ってくれた朝食。1人150ユーロ(2名より4名まで)+アラ・カルト・メニューからの夕食代。
http://www.grandhotelsanpietro.net/
●シチリアの青の洞窟
シチリアの「青の洞窟 Grotta Azzura 」も有名。カプリ島と大きく違うのは入り口の大きさで、少し大きいため、外光が差し込み美しく見られる時間は限られる。洞窟内の青さは本場に引けをとらない美しさ。洞窟までのボート代は船長との交渉だが、1艘120ユーロくらいが目安。
●ヴォルカーノ島 Isola di Vulcano
ミラッツオ Milazzo から40分。アリースカフォ(水中翼船)はウスティカ・ライン Aliscafo Ustica Line 。片道の値段:大人(オフシーズン)15.40ユーロより、子供(12歳まで)半額。
「泥温泉 Terumeterme di Fango 」を体験したのでしょう。
テレビ番組「知っとこ!世界の朝ごはん ジェノバ」
2009年4月25日放送。
●ジェノヴァ
ミラノから列車で2時間半。美しい海岸線が広がる、イタリア最大の港町。人口60万人。海の中に町を360度見渡せる展望エレベーターがある。中世以降海洋貿易で莫大な富を得て、美しい街を作ってきた。凱旋門もある。
フェラーリ広場 Plaza de Ferrari には立派な建物が並ぶ。コロンブスの銅像がある。コロンブスはジェノバの出身で、地元ではコロンボと言われる。青年時代を過ごした家が保存されている。
9月20日通り Via Vente Septembre は柱も天井も白と黒の縞模様。これは富の象徴で、この旧市街全体がこの縞模様だった。特に黒い石はエルデジアと呼ばれて高価だった。黒い石は今でもジェノバ近郊のチカーニャ Cicagna の山から採れる。今でも高級品で、暖炉や家具にも使われていて、人気とか。
アルベルト・カンパーニャさん(27歳)が紹介してくれたのは、ジェノバ発祥のおいしい食べ物「フォカッチャ」。塩とオリーブオイルで味付けした平たいパン。「Panificio Focaccia 」では一番人気はプレーン。これかな?1kg11.9ユーロ。もしかすると、アルベルトさんはここのオーナーかも?
オリエンタル市場。トマトもたくさん種類がある。魚も多い。有名な農産物は、ハーブのバジル。ジェノバでは若い葉だけを収穫するので、柔らかくて風味が豊か。1本1本成長の度合いが違うので、手作業で確認しながら収穫するそうです。バジル栽培を有名にしたのが、ジェノベーゼというペースト。専用のすり鉢で松の実、にんにくをつぶし、パルメザン・チーズ、岩塩、オリーブオイル、バジルを加えてしっかり磨り潰す。これを使ったパスタがとても美味しくて有名になった。
これを味わうために、地元で美味しいと評判のレストラン「Ristorante Europa 」(住所:Galleria Mazzini, 51, 16121 Genova )に行く。ジェノベーゼのパスタをいただいた。太麺でした。
新婚さんの朝ごはん。高級住宅街に住むバルバラ・ガッティさん(36歳)が作るのは、1品目「フォカッチャ Focaccia Genovese 」。少し柔らかめに作ったパン生地を器に入れ、発酵させる。充分ふくれたら軽くのばす。耐熱皿に移し、指で型をつけ、オリーブオイル、水、塩をかけ、プチトマト、オリーブの実をのせて焼く。
2品目「ジェノヴァ風サラダ Ensalada Genovese 」。プチトマト、リンゴ、パイナップルを刻み、レタスの上に盛っていく。乾燥させたフォカッチァ、アンチョビ、ツナなどをのせ、茹でたジャガイモ、インゲンをのせる。あとはジェノベーゼのペーストとオリーブオイルを混ぜたものをかけてからめる。
3品目「くるみソースのパンソッティ Pansotti al Sugo di Noci 」。パンソッティは中にリコッタ・チーズといろいろなものが詰まっている、この地方伝統のパスタ。塩水で茹でる。その間にソースを作る。クルミと松の実をミキサーに入れ、パルメザン・チーズとオリーブオイルをたっぷり加えて粉砕する。ペースト状になったら生クリームを加え、よく混ぜる。このクルミ・ソースはジェノベーゼと並ぶ、ジェノバの名物ソース。あとはパンソッティとからめる。
テレビ番組「にじいろジーン 世界まるごと見聞録 ナポリ」
2009年4月11日放送。
●ナポリ
ミュンヘン経由でフルトハンザ航空で15時間でカボティキーノ空港に到着。輝く太陽と青い海に囲まれた南イタリア最大の都市。タクシー・ドライバーのロ・ジュディーチェ・アルドさんの運転で20分で市街地に到着。
町を縦断する通りスカッパ・ナポリ。趣のある旧市街を2分している。狭い路地にかかる洗濯物は通称「ナポリの国旗」。
イタリア民謡にも歌われた港サンタ・ルチアは絶景。卵城からは「にじいろガイド」のスピーノ・エマヌエーラさん(30歳)がガイド。
ピッツァ発祥の地。創業200年の名店「ブランディ Brandi 」に行く。イタリア・ピザの代名詞でもある「ピッツァ・マルゲリータ」は、マルゲリータ王妃(1851-1926) の注文で、1889年にこの店で誕生した。小麦粉をベースに、酵母、水、塩を混ぜた生地をのばし、トマトソース、モッツァレラ・チーズ、バジルをのせて焼くシンプルなもの。これがイタリア国旗をイメージさせる。ピザ釜の温度は500度以上。1分で焼き上げる。900円。ナポリっ子が楽しんでいる食べ方は、その上にリコッタ・チーズをトッピングしたもの。これはメニューにはのっていない「ナポリ流」。レストランでピザを食べる時はナイフとフォークを使う。1人1枚食べ、取り分けないのがツウだとか。
町の屋台ピザは紙に包んで4つ折り。1枚1ユーロ(130円)!。
エマヌエーラさんの友人のフェスタ・ロベルトさん(33歳)がいろいろなジェスチャーを教えてくれました。美味しい時は「ボーノ」で人差し指をほほにつけてグリグリする。両手の人差し指をそろえると「仲良し」という意味。手の甲を上にしてひらひらさせるのは「まぁまぁだね」。顔の右側から前に親指を動かすと「カッコイイわ♪」。右手を水平にして人指指を噛んで、左右に顔を揺らすと「怒ったわよ」の意味。左手で右手の肘を持って、右手の指先を全てあわせてその場で回すと「バカじゃないの」。それに対して、バイオリンを弾くジェスチャーは「気にしないわ〜」。
キアイア地区。チョイ悪ファッションの男たちがあちこちにいる。お勧めのお店を聞いてみた。世界的に有名なネクタイの店「マリネッラ」は、1914年創業。最高級シルクを使用し、手作業で作っている。9つ折製法によりスーツの中で立体的に見えるように工夫されている。1本1.2万円など。利用者には、クリントン元大統領、オバマ大統領、サルコジ大統領などがいる。
数字を使った「ロトくじ」はイタリアが発祥で、ナポリの人は大好き。1口100円から楽しめるロトくじの売り場は大賑わい。今回の賞金は40億円でした。ナポリでは1から90までの各数字に意味がある。1はイタリア、2は女の子、19は大笑い、42はコーヒー、80唇、67ギターの中のタコ、71愚か者56転ぶ、とか。これにちなんで買うそうです。
人気No.1の海沿いのエリアにあるマンション。去年改装したマンションの最上階の2LDK45平方mのメゾネット形式。家具付きで1ヶ月1500ユーロ(23万円)。
●カプリ島
カプリ島に行く。メルジェッリーナ港からフェリーに乗り込み、1時間半の船の旅。片道2000円。有数の高級リゾートで、夏になるとヨーロッパ各地から観光客が訪れる憧れの場所。
カプリ島観光の目玉が「青の洞窟」。水を通した太陽の光線で神秘的な青い空間が広がる。
断崖をつづら折りに続くのが「クルップ通り」。細く曲がりくねっている。幅が1mもない自動車が走る。カプリ島名物の電気で走る「救急車」。
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