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なお、これはわたしが個人的にテレビを見て書いたものであり、各テレビ局や番組とは全く関係はありません。
すべての文章の無断使用・転載を禁止いたします。
またここの情報を使って、何か問題が起こったとしても私は一切責任は持ちませんのであしからず。


テレビ番組「今だから安くて快適!全てコミコミ、30万円で世界一周の旅」

 2010年12月19日放送。3名が関西空港から参加した。丘みつ子(62歳)は世界20カ国あまりの旅行経験を持つ。藤吉久美子(49歳)は、4カ国だが、どんな食べ物や体験でも自信あり。脇知弘(30歳)は3回海外経験だが、体力とどこでも寝られる図太さが自慢。15日間で格安航空会社(LCC)を利用して世界一周をする企画。
 格安航空会社は基本的にネット予約。金額は予約日、搭乗日によって変動する。航空運賃、サーチャージ含む、宿泊費、食費、交通費、観光&体験費を全て含んで30万円。お土産は個人負担。レートは12月10日のレートで計算。テレビ東京製作。

●予定
 1日目、関西空港17:00発⇒台北18:40着。2日目、台北15:55発クアラルンプール(マレーシア)20:35着。3日目22:00発⇒バンガロール(インド)23:30着。5日目、バンガロール4:00発⇒ジャルジャ(アラブ首長国連邦)6:35着。ドバイ泊。6日目、ジャルジャ発10:30⇒アレクサンドリア(エジプト)12:45着。7日目、カイロ発11:35⇒アテネ(ギリシャ)着13:35.アテネ発18:00⇒ミラノ(イタリア)着19:35。ミラノ泊。9日目、ミラノ発8:35⇒フランクフルト(ドイツ)9:55着。10日目、フランクフルト10:15発⇒カンクン(メキシコ)15:10着。12日目、カンクン発11:50⇒ニューヨーク16:32着。14日目、ニューヨーク発12:45⇒成田空港17:00着。

●台北
 ジェットスターで行きました。機内食は有料。台北までは3時間、運賃は16150円(サーチャージ4650円含む)。
 台北は人口261万人。通貨は元で1元=2.76円でした。言語は北京語、福建語、客家語。台湾北部にあるアジア屈指のグローバル都市。日本との時差はマイナス1時間。滞在予定は21時間。
 大有巴士のバスが台北駅まで90元。そこからホテルのある西門までは路線バスを勧められた。307、262、212、237番らしい。262番に乗るが、シーメンティンと言っていたら乗客が降りる場所を教えてくれました。車内放送はありません。
 宿泊は「国光大飯店 Good Ground Hotel 」。女性2人はツインで1人2465円でバスタブもついている。夜11時、西門駅からMRTで雙連駅に向かう。料金は20元で、プラスチックの硬貨のようなチケット。
 寧夏路夜市に行く。60年の歴史を持つ夜市。明け方までやっているお店もあるとか。大腸麺線(モツ入りラーメン)100元(約280円)。「猪肉餡餅」(豚肉入りお焼き)30元(約80円)。鶏唐揚げなどで、一人平均295円でした。
 エビ釣りをする。釣りざお7本で100元(280円)。尻尾から吊り上げるのがコツ。3匹しか釣れなかったので、3匹サービスしてくれて塩で調理して食べました。
 足裏マッサージのお店に行き、10分のコースはないが、無理やりやってもらった。200元(約550円)。

 朝食はホテルの近くで。湯豆漿15元、鮮肉包12元、蛋餅20元、油條で、一人約110円。  中正祈念堂までMRTで20元。朝9時扉が開き、中には蒋介石の像がある。1時間に1度、衛兵の交替式がある。
 MRTで雙連駅に向かう。20元。問屋街の油化街に行く。お土産は自己負担だが、藤吉さんは、乾燥ホタテ2個、花茶5袋、乾燥椎茸で2250元(約6210円)購入。「霞海城隍廟」はたくさんの神様が祀られている場所。イケメンガイドはボランティアで日本語で説明してくれました。義勇公像が旅の安全を守ってくれる神様。
 またMRTで中正祈念堂駅まで行き、小籠包で有名な鼎泰堂に行く。今回は普通の小籠包(10個190元)と贅沢なカニ味噌入り(10個330元)、野菜と豚肉入り蒸し餃子(10個180元)。以上一人約710円。
 リムジンバスで空港へ。90元(約250円)。ここまでの合計4998円で、累計21148円。

●クアラルンプール
 エアー・アジア2673便。かなりの行列で、2時間後にやっとチェックイン。3時間でサーチャージ1696円を含み14951円、合計36099円。
 人口180万人。通貨はリンギット(=26.73円)。言語はマレー語で、マレー半島南部にあるマレーシアの首都。LCC専用ターミナルに午後8時半に到着。台湾との時差はなし。滞在予定時間は25時間30分。
 エアーアジアのリムジンバスで市内へ。9リンギ(約241円)で、チケットは車内でも買えるが、航空チケットをネットで買うときに一緒に買うこともできる。ホテルのあるKLセントラル駅まではバスでおよそ1時間。
 宿泊は「ホテル・セントラル・クアラルンプール」。料金は1人2254円で朝食付き。11時に外にでて食べることにしたが、あまり開いてない。フロントで、モノレールに乗ってブキッピンタン駅で降りるといいと聞いた。モノレールは2.1リン(約56円)。深夜までやっている屋台街「ジャランアロー」がある。マレー料理、中華なども楽しめる。「スパイシー・チキンライス」7リンギ(約190円)。空心菜炒め、10リンギ(約270円)。焼きそば、6リンギ(約160円)。ライス・ポーリッジ(お粥)10リンギ(約270円)。飲み物を入れて、一人平均約410円。

 翌朝、電車でマスジット・ジェメ Masjid Jamek 駅に向かう。1.3リンギ(約35円)。KLセントラル駅から2つ目の駅でした。駅を出たところに身なりの禁止事項が書いてあるが、行った場所で借りることができる。
 モスクが美しい「マスジット・ジャメ」は、クアラルンプールで最も古いイスラム教の寺院。髪を隠して衣服をまとうと中に入れてくれました。通常は信者でないといれてくれないとか。メッカに向かって5回礼拝しました。

 ゾウに無料で乗れる場所があるが、そこにタクシーで行こうとすると、チャーターなら600リンギ(約1.6万円)といわれる。450(1.2万円)まで値切った。日本語ができる運転手でした。まずは「バトゥー・ケーブ」(ヒンドゥー寺院)。高さ43mの像がお出迎え。そこの足元に急な階段が272段ある。途中でサルがいた。遠くに街並みがきれいに見えていました。ここは自然の洞窟がそのまま聖地になっている。マレーシア随一のヒンドゥー教の聖地で、巨大な洞窟であり、奥の寺院には聖者スプラマニアンが祀られている。お布施は1リンギ(約27円)。第3の目に印をつけてもらった。神聖な儀式に参加。目の前で次々と香が焚かれていく。さらに階段を上がると空が見える場所にでた。灯明を捧げてお祈りをした。

 昼食は運転手さんに連れて行ってもらった竹の中にご飯の入っている料理の屋台。「レマン」6リンギ(約160円)は斧で割って出す。もち米をバナナの葉で包み、竹にココナッツミルクを入れて炊いたもの。他には野菜とバナナの天婦羅4個で、1リンギ(約27円)。豆カレー5リンギ(約130円)。一人約370円でした。

 ゾウの保護施設「クアラ・ガンダ・エレファント・サンクチュアリ」に行く。森林開発が進み、行き場を失って人里に降りてきたゾウを保護し、飼育している施設。ゾウに餌を与えることもできます。さらにゾウに3人で乗りました。ワキさんはゾウに川に落とされました。
 タクシーでメダン・トゥアンク地区に連れて行ってもらい、別れた。時刻は午後5時半。庶民的なお店を散策。スカーフを止めるピンが7個で10リンギ(約270円)。

 マスジット・インディア街で夕食。「ロティチャナイ」1リンギ(約27円)はカレーなどにつけて食べるインドのクレープ。「ナシチャンプル」6リンギ(約160円)。「イカンプジャ」9.5リンギ(約250円)は焼いたアジ。「ミースープ」4リンギ(約110円)は麺が入ったスープ。夕食は1人約380円でした。
 リムジンバスは1人9リンギ(約241円)で空港に向かう。以上8069円で、累計44168円。

●バンガロール(インド) Bangalore
 マレーシア航空でインド南部の都市バンガロールに向かう。サーチャージ8003円を含んで21889円。合計66057円。フライトは4時間。
 人口620万人。通貨はルピー(=2.03円)。言語はヒンディー語。インド第3の人口を誇る都市で、カルナータカ州の州都。到着は午後11時半。クアラルンプールとの時差は2時間半。滞在予定時間は28時間30分。リムジンは不便なので、タクシーを利用。市内までは1時間。料金は570ルピー(約1160円)。
 ホテルは「パイヴァイスロイ・ホテル」。455号室で少し匂うらしいが仕方ない。1人3495円、朝食付き。

 タクシーでシヴァジナガル・マーケットに行こうとするが、黄色のタクシーはなかなか止まらないし、言葉を理解してくれないのですぐに去ってしまう。オートリキシャが止まってくれた。運転が怖いそうです。100ルピー(約200円)でした。
 市場に入ると果物が多い。釈迦頭があるが、こちらではアテモヤと呼ばれている。羊の肉もあるし、魚もエビもありました。
 オートリクシャーに乗り、40ルピー(約80円)で、アーユルヴェーダ医院「ウヴァス Uvas 」に行く。アーユルヴェーダは単なるエステではなく、5000年の歴史があるインドの伝統医学。アーユルヴェーダ専門医プリア先生が担当で、1人1時間3500ルピー(約7100円)だという。問診を受けた後、肩のコリを訴えた藤吉さんはシロダーラ?という油を額に落とすもの。熟睡できないという丘さんは蒸気で発汗を促してから、伝統的なマッサージ。1時間後、丘さんは目つきが変化していました。
 ヤシの実からジュースを飲む。15ルピー(約30円)。

 アディガス・ジャイナガールで昼食。カレーを食べている人が多い。ドーサを注文。これは豆と米の粉で作った生地を焼き、カレー味のジャガイモを包んだクレープのようなもの。「マサラドーサ」セットで27ルピー(約55円)。あとは豆とカレーかな?飲み物を入れて、一人約90円。
 オートリクシャーで移動。30ルピー(約60円)。バンガロールで最も古いお寺の一つ、ビッグ・ブルー・テンプル(ブルー寺院)に到着。裸足の人が結構いる。ここはヒンドゥー教の寺院。週末には演奏会や結婚式が行なわれる人気スポット。入る前に裸足になる。寺院の奥には、ミカゲ石で作られた牛の神様「ナンディー」が祀られている。シヴァ神の乗り物を引く聖なる牛です。
 オートリクシャーで移動。40ルピー(約80円)。クリシュナ教という新興宗教のイスコン寺院は夜になると赤、緑などにライトアップされてきれい。クリシュナはヒンドゥー教の中でも人気の愛の神様。60年代にヒッピーたちが広め、ビートルズのジョージ・ハリスンなども信仰していた。左がクリシュナ、右が恋人、しかも人妻。ここではロウソクを回して祈るのが特徴。

 レストランMTRで夕食。ターリという南インドの定食。ライスと野菜を混ぜたもの。食べ放題です。「カレーセット」140ルピー(約280円)。最後にビニールに入った葉っぱが配布された。これは「スイートバーン」といって、食後の胃の消化を助けるもので、香辛料を包んだもの。チューインガムのように噛むそうです。
 以上、9521円、累計75578円。

●ドバイ
 ドバイにはLCCが飛んでいないため、お隣のシャルジャに向かう。午前2時に「エアー・アラビア」のカウンターにチェックイン。バンガロールからはサーチャージ6919円を含み16083円。合計81661円。4時間30分の旅。午前6時35分に到着。
 バンガロールとの時差はマイナス2時間半。滞在予定時間は28時間。ドバイまではタクシーで1時間。途中ラクダなどが砂漠にいました。料金は160ディラハム(約3770円)。
 ドバイは人口226万人。通貨はディラハム(=約23.54円)。言語はアラビア語。アラビア半島にある中東屈指の金融センターで、石油に頼っていない。
 宿泊は「マジェスティック・ホテル」。料金は1泊1人5507円で朝食付き。内装などはかなりいいです。
 タクシーでゴールド・スーク(金の市場)に向かう。30ディラハム(約710円)。金のお店がズラリと並び、金色に輝いています。
 スパイス・スークに歩いていく。丘さんはナツメグ1個5ディラハム(約120円)を購入。藤吉さんはカレーパウダー6個、ナグメグ10個、サフランを300ディラハム(約7060円)にまけてもらいました。

 ドバイの街中を流れる運河を渡る。1ディラハム(約24円)。渡った先はパキスタヤ地区で歴史的保護地区。ここの「ローカルハウス・カフェ&レストラン」で昼食を食べる。「ラクダ・バーガー」35ディラハム(約830円)は、食用に育てられているラクダで、味はシッカリしているとか。
 砂漠ツアーに参加。一人200ディラハム(約4693円)。4WDの車で砂漠を猛スピードで疾走するというもの。タイヤの空気を少し抜きました。かなり怖いらしくて、プライベート・ジェットコースターと言ってました。ラクダに餌をあげて、3時間のツアーが終了。
 世界一高いビル「バージュ・ハリファ」(高さ828m)は今回は行けなかったが、事前予約料金の入場料は100ディラハム(約2350円)。

 夕方、運河?に行くと既に人が集まっている。「ドバイ・ファウンティン」が始まる。ライトアップされた噴水と音楽で楽しみました。ラスベガスをしのぐ世界最大級の噴水ショーだそうです。
 「アルハンダール」で夕食。「ミックスグリル」はラムとチキンで、50ディラハム(約1180円)。これは美味しいそうです。
 横で水ハイプ(シーシャ)を吸っている人がいた。料金は30ディラハム(約700円)。飲み物を加えて1人1650円でした。

 ここまでで、16144円、累計107805円。

●アレクサンドリア
 シャルジャからエジプトに向かう飛行機が2時間遅延しました。4時間の旅で、サーチャージ4697円を含み、9279円。累計117084円。
 ドバイとの時差マイナス2時間。滞在予定時間は20時間。空港からアレクサンドリア駅までタクシーを利用。55エジプトポンド(以下EP)(約790円)。

●カイロ
 急行列車で3時間。一人35EP(約500円)。
 人口1100万人。通貨はエジプトポンド(=約14.41円)。言語はアラビア語。エジプトの首都で、ナイル河畔の交通の要所。地中海の香りと東洋の魅力がミックスした町。
 カイロからピラミッドまで1時間。到着すると暗くなっていました。しかし、ピラミッド・ナイトショーというのを発見し、行ってみることにした。スフィンクスと周辺がライトアップされ、音楽が流れていました。「ピラミッド光と音のショー」一人75EP(約1080円)。この日はフランス語でしたが、毎週木曜日には日本語で見ることができます。

 カイロ市内の「アルガファリ・コシャリ」で夕食を食べる。この店の名物「コシャリ」は、7EP(約100円)で、米、パスタ、ヒヨコ豆などを盛り合わせ、揚げたタマネギをのせ、トマトソースをかけていただくエジプト庶民の味。夕食はこれと飲み物で一人170円。

 宿泊は「ファラオドッキ・ホテル」。ツインなのに何故かベッドが3つ。1人2779円で朝食付き。
 ホテルからカイロ空港へはタクシーを利用。40EP(約580円)。藤吉さんは明るいうちにピラミッドを見たいと言ったが拒否されました。

 以上、5281円、累計122365円。

●ミラノ
 エージアン・エアーでアテネ経由で飛ぶ。機内食がでたので、1食浮きました。さらにミラノまでもエージアン・エアーだったので、もう1食節約できました。サーチャージ8673円を含めて18141円。累計140506円。
 ミラノは人口130万人。通貨はユーロ(=約112.42円)。言語はイタリア語。イタリア・ファッションの発信地で、ロンバルディア州の州都。マルペンサ空港に午後7時50分に到着。
 カイロとの時差マイナス1時間。滞在予定時間は37時間。市内の中央駅まではシャトル・バスで1時間、7.5ユーロ(約840円)。
 中央駅からホテルまではタクシーで12ユーロ(約1350円)。
 宿泊は、「フローレンス・ホテル・ミラノ」で、1人3712円で朝食付き、2泊します。

 翌朝、地下鉄ロレート Loreto 駅からドゥオーモに向かう。1日乗り放題券が3ユーロ(約340円)。赤い路線のM1に乗る。駅をでると目の前にドゥオーモがある。雨でも多くの観光客で賑わっている。1386年に着工してから500年かけて完成した。これはミラノのシンボルで、イタリア最大のゴシック様式の大聖堂。ドゥオーモの中はテレビの撮影ができないので、藤吉さんがカメラで撮影した。ステンドグラスが美しい。この日は日曜日で礼拝が行われていました。
 広場の北にあるガッレリアに行く。
 散策した後に「カフェ・デルオペラ」に入る。ジェラート(ピスタチオ)1.5ユーロ(約170円)。クロワッサン4ユーロ(約450円)。屋台?の焼き栗を3ユーロで購入。
 「サンタマリア・デッレ・グラッツィエ教会」に行く。2週間前に予約しないと見られませんというようなことが書いてあり、見ることができませんでした。仕方なく、絵ハガキで我慢。
 仕方なく、かつて運河があった場所に行ってみた。ナヴィリオ運河は、冬は水門を閉めてしまうので、水がほとんどなくなっていました。
 運河沿いに見つけたのは、デザイナーズ・ショップ。キットになっていて、素材を買った方が安い。かつミシンが置いてあるので、二人は購入して自分で縫っていました。1時間半後に完成。ハンドメイド・バッグは2個で70ユーロ(約7870円)。

 夕食はトラムのレストラン。一人65ユーロ(約7310円)。前菜は各々「サーモンのマリネと大根サラダ」、「フェタチーズとオリーブのトマトサラダ」、「チーズとベーコンのバルサミコソース添え」。これにシャンパンがつきました。メインは「アンチョビ・トマトソースのカジキマグロ三角パスタ」、「バジルソースのラザニアグラタン」、「バジルソースのラザニア・グラタン肉入り」。

 以上、20558円で、累計は161059円。

●フランクフルト
 ミラノ・ベルガモ空港から朝8時半のフライトなので、朝6時半に到着。ライアン・エアーで飛ぶ。サーチャージなし+538円+委託手荷物代など4497円で合計166094円。1時間半の飛行時間。
 人口67万人、通貨はユーロ、言語はドイツ語。ベルリンに次ぐ第2の都市で、ドイツの鉄道・金融の中心地。到着したのはフランクフルト・ハーン空港で、LCC専用の空港。ミラノとの時差はなし。滞在予定時間は23時間。リムジンバスはフランクフルト中央駅まで12ユーロ(約1350円)で航空運賃よりも高い。時間は2時間かかる。

 宿泊はホテル「エクセルシオール」で、午後1時にチェックイン。1人3630円で朝食付き。小さいながらバスタブがついている。夕食まで休憩。
 夕食はレストラン「アーシェル Atschel」(住所:Wallstrasse 7, 60594 Frankfurt)。お勧めを聞いたらわからないので、ウンウンと言っていたら、すごいのがでてきた。「グリルドハクセン(ナックルという豚の足?)」9.6ユーロ(約1080円)。ビーフソーセージ、フランクフルトソーセージの「フランクフルター・ベストシェン(キャベツの漬物の上にのったソーセージの盛り合わせ)」7.8ユーロ(約880円)。「グリーネソーセサラード(茹でたジャガイモのグリーンソース・サラダ)」7.6ユーロ(約850円)。飲み物をつけて、夕食は1人1610円。

 以上、7610円で、累計は173704円。

●カンクン
 コンドール航空で飛ぶ。サーチャージ10006円を含めて、41481円。累計は215185円。飛行時間は12時間。機内食は無料。
 人口57万人。通貨はペソ(=約7.73円)。言語はスペイン語。メキシコ南東部、カリブ海沿岸の一大リゾート。午後3時過ぎに到着。
 フランクフルトとの時差はマイナス7時間。滞在予定時間は45時間30分。ホテルまでのタクシー料金は1人15ドル(約1270円)。雲っているのに海は本当にきれいな青でした。
 宿泊は「カンクン・マヤフェアー・デザイン・ホテル」。元はショッピング・モールだったが閉店したので、安くホテルに改装したもの。入口のドアの横の壁はスリガラスだし、中は広いがトイレの扉はない。店の名前もそのまま残してある。宿泊費は1人1980円。

 夕食は向かいの高級ホテルにある有名レストラン「ラホーヤ」に行く。日本語のメニューもあるが、高い。サラダだけで1000円以上する。ただバナナとパンは無料で食べ放題なので、1品ずつ注文する。丘さんはシーザーサラダ135ペソ(約1040円)、脇さんは黒豆スープ130ペソ(約1010円)、藤吉さんはアーティーチョーク・サラダ135ペソ(約1040円)。このお店の呼び物は食事をしながらのショータイム。ショーチャージは一人5ドル。本場のマリアッチも目の前で演奏してくれる。ベサメ・ムーチョを歌った人の声に感動して藤吉さんはメロメロ。夕食は一人あたり約2295円。

 翌朝、カンクンから南に100kmのマヤの遺跡に向かう。バス料金はTulum まで86ペソ(約668円)。タコスを朝食にいただいた。20ペソ(約155円)。飲み物が約55円。
 トゥルムまではバスで1時間半。トゥルム遺跡入場料は1人51ペソ(約394円)。森の中に遺跡があるが、スペイン人はこの城壁を見て、この地に上陸したという。横には海があり、青色の見事がグラデーション。
 イグアナもいました。またバスでカンクンに帰る。86ペソ。

 カンクンでマリン・スポーツをしてみる。今回はパラセーリングで1人55ドルで2人。空から素晴らしい景色が見えました。海の色の変化もありました。
 夕陽が沈むのを見ながら食事をしたいというので、「ミスターパパ」に入る。テリヤキチキンがあるが、あきらめて、「ミスターパパ特製ベイクトポテト」89ペソ(約690円)、お酒のダメな脇さんはマンゴジュース、女性はラム・ベースのお酒。

 以上、14364円で、累計229549円。

●ニューヨーク
 ジェットブルーで飛びました。サーチャージ4766円込みで14617円。累計244166円。飛行機で3時間の旅。
 人口830万人。通貨はドル。言語は英語。ビッグ・アップルの愛称で知られ、アメリカ最大の都市。カンクンとの時差はプラス1時間。最大滞在時間は44時間で、JFK空港に到着したのは夕方。  シャトル・バンでホテルに向かう。料金は11.36ドル(約960円)。
宿泊はマンハッタンの外。今回はクイーンズの「クオリティーイン・ウッドサイド」。一人7121円、朝食付き。
 地下鉄で移動。料金は2ドルで、クイーンズの52ストリート駅からマンハッタンの103ストリート駅へ。ブロードウェイのジャズクラブ「スモーク」。ここはミニマム・チャージ40ドルなので、「バッファロー・チキン・ウィングス」$14、「パフパストリーピザ」12ドル、「ワイルド・マッシュルーム・ラビオリ」12ドルと飲み物を注文。音楽を楽しみました。

 翌朝は地下鉄1日券を8.25ドルで購入した。ユニオン・スクエアに行って、そこの朝市の有機野菜を見る。ニューヨークはリンゴの産地でもある。FUJIもありました。アップルサイダーは1.5ドル。
 「ル・パーカー・メリディアン・ホテル」に行く。このホテルの中に有名なハンバーガー屋さん「バーガー・ジョイント」がある。メニューはハンバーガーと「チーズバーガー」7.35ドルだけ。あとフレンチフライと飲み物で一人1130円。

 無料で自由の女神を見に行く。まず地下鉄でバッテリーパークに行く。「スタッテン・アイランド・フェリー」に乗る。これが無料。自由の女神の近くを通過します。確か帰りに25セント必要なはず。
 ブルックリン橋プロムナードに行って、夜景を見る。

 以上21905円。累計は?円。最後のニューヨーク、成田間はデルタ航空の格安航空券62401円を予約していた。サーチャージ14407円を含む。これが13時間の旅。
 今回の合計は328472円となり、若干越えてしまいました。


テレビ番組「世界遺産への招待状 スペシャル版 ベネチア」

 2010年11月20日放送。

●ベネチア
 ベネチアは沖合い3kmの場所にある。わずか7平方kmの町に運河が網の目のように走っている。建物は水の上にそのまま建っているかのよう。入り口も水に面している。ベネチアは今ではイタリアの一都市だが、18世紀後半まで「ベネチア共和国」という独立国だった。運河沿いの建物には、当時ベネチアの繁栄を支えた商人の館が並ぶ。
 ベネチアには車が入れないので、船が役割を果たしている。何故、水の上に造られているのか?路地の本屋のフランコ・フィリッピさんは、ベネチアの歴史なら何でも知っている。16世紀当時の地図を見せてくれた。ベネチアはラグーナと呼ばれる干潟の中にある。ラグーナには、潮の干満により浮いたり沈んだりする島が無数ある。運河は元は川であり、寄木細工のような都市となった。
 海に出てみると、杭が無数ある。その向こうは危険だという印。ラグーナは浅瀬のために、船が通れる場所は限定されている。杭の外側では、水深が10cmしかない場所もある。

 9世紀頃から地中海に乗り出したベネチアは、広範な交易網を作り上げた。東からは香辛料・染料・絹織物、ヨーロッパからは羊毛・毛織物・金属を運び、売買することで富を稼いだ。  「サンマルコの鐘楼」は高さ96.8m。昔は灯台の役目も果たしていた。その下には「サンマルコ広場」、カトリックの聖堂「サンマルコ寺院」がある。サンマルコ寺院は西洋と東洋の文化が融合した様式で、財力の大きさを今に伝えている。「ドゥカーレ宮殿」では、独特の政治システムが作られていた。
 宮殿の中に広さ1300平方mの部屋がある。ここに1000人以上の商人が集まった。ベネチアは王や君主をいただいたことは一度もない。一貫性として商人たちによる共和制をとっていた。壁には歴代の総督たちの肖像が飾られている。総督は、商人たちの間から、選挙で選ばれた。選挙では談合や陰謀を排除するための仕組みが作られた。まず1000人以上の貴族の中から抽選で30人選び、再度抽選し9人とし、その9人が投票して40人を選出し、ということを10段階繰り返して、最後に一人の総督を選び出す。「抽選」という偶然の要素を組み込んで、選挙の意図的な操作を不可能にした。例え総督に選ばれても、守るべき規則は100項目以上もあった。黒く塗りこまれた肖像は、14世紀の総督で、自らに権力を集中させようとして処罰された。「マリーノ・ファリエルは犯罪者として処刑された」と書かれている。

 こうして15世紀初めに黄金期を迎えた。それから100年経たないうちに危機が訪れた。オスマン帝国により商業拠点は奪われ、交易に大きな打撃を受けた。ここでベネチアは思い切った方針転換を図った。

 北へ1kmのムラーノ島。ここにはベネチアン・グラスの工房が集まっている。15世紀に複雑で斬新な技法が次々に生み出された。その技を秘伝とし、門外不出とした。地中海交易が停滞していたので、他の国の品を売り買いするだけでなく、自国の商品を開発することに活路を見出した。マエストロのダビデ・フィンさんが説明してくれた。国の経済を潤した。
 背後に広がる陸地でも、「陸のベネチア」として24のヴィラが世界遺産に登録されている。「パッラーディオ様式のヴィラ群」を設計したのはアンドレア・パッラーディオ。ギリシャ神殿のような壮麗な装飾を持っているのが特徴。オーナーのヴィットリオ・ダレ・オレさんは、黒澤明監督の助監督として、1980年代に日本に滞在していたので、日本語が達者。2階は公開されている。靴の上から履くスリッパは50個用意してある。
 部屋は一面フレスコ画で埋め尽くされていた。ヴィラ周辺には70ヘクタールの畑が広がっている。ここでワインやトウモロコシを生産している。ベネチア人にとってヴィラは農業生産の拠点だった。16世紀ヨーロッパでは人口が増大し、食料生産は大きな利益が見込めた。そうした中で「陸のベネチア」に商人が注目した。小麦やトウモロコシが生産された。米の生産を始め、今はイタリアはヨーロッパ最大の米の生産地となっている。ヴィラの建物は農作業に適した造りになっている。建物の右側は風がよく通るので、小麦を乾燥させる部屋にし、馬小屋が設けられた。左はワインの保存部屋が置かれた。裏の泉は山から水をひき、農業用水として水を貯めている。彫刻には豊かな実りへの願いが込められている。このヴィラから50km先のベネチアが見える。


テレビ番組「THE 世界遺産 世界最古の小さな共和国サンマリノ」

 2010年11月7日放送。

●サンマリノ
 イタリアの古都ベネチアから南におよそ300kmのところにあるサンマリノ共和国。国際空港も鉄道もないので、車かバスで向かう。イタリアとの国境では出入りは全くの自由。パスポートも不要。国土は60平方kmで、東京の世田谷区とほぼ同じ。世界で5番目に小さい国。ティターノ山に開かれた旧市街。山の頂きに聳える3つの塔が、国のシンボル。崖の上の城壁はこの国を守り続けてきた。
 旧市街はまるで中世で、街並みは13世紀から築かれた。主な収入源は観光。人口3万人の国に、年間300万人が足を運ぶ。彼らの目的の一つが切手を買うこと。サンマリノの切手が初めて世界に送られたのは、1877年。小さな国の切手という希少価値に世界のコレクターが飛びついた。今では国家の収入を大きく支えている。日本とサンマリノ同時発行の切手には歌麿の絵や日本の城も使われている。

 旧市街に建つプップリコ宮が、国会議事堂。サンマリノには武装した軍隊はなく、衛兵が儀礼や高官の警護をする。国の起源は伝説によると4世紀。ローマ帝国の迫害から逃れたキリスト教徒が、「聖マリノ」の下で生まれた共同体が国の始まりで、彼の名をとって「サンマリノ」となった。彼の最後の言葉が、「汝が他の人々より自由であることを望む」で、この国の進む道となった。
 大切な自由を守るために、13世紀にユニークなシステムが誕生した。議場の正面にはトップである執政の席が2つある。国会議員は60人で、執政はその中から2人選ばれる。人気は半年。二人の合議で政治が行なわれる。

 94年に執政を勤めたレンツォ・ギョッティさん(当時43歳)は、今は保険会社の社長。1人より2人の方がよい考えも浮かぶ。特に難しい問題の時にはよかったとか。権力を一人に長く与えないことで独裁を防いだ。
 2005年に執政を勤めたファウスタ・シモーナ・モルガンティさんは女性。女性としては8人目。ローマ法王の就任の際には、国を代表して参加した。

 バチカンとサンマリノには共通点がある。どちらもイタリア半島にあるが、独立国でもある。バチカン市国は人口およそ800人の世界で一番小さな国。半径500mの円にすっぽり収まるが、宝箱。大天蓋バルダッキーノは彫刻家ベルニーニの最高傑作。システィーナ礼拝堂には天才ミケランジェロが描いたフレスコ画がある。11億人の信仰を導くカトリックの総本山。

 どうしてイタリアが統一された時に、組み込まれなかったのか?一つは、切り立った山頂に築かれた要塞によって侵略の危機を退けてきたこと。「サンマリノ公文書館」には1通の手紙が大切に保管されている。18世紀末、フランス軍の総司令官だったナポレオンが、自由と独立を重んじるサンマリノに感銘を受け、手紙を送った。「わがフランスに税金を払う必要はない。大砲を4つ、小麦を100トン差し上げる。領土を与える。」と書いてあったが、サンマリノは拒否した。公文書館のミケーレ・コンティさんは「サンマリノは領土の拡大は国の危機を招く」と考えたのだろうと語った。

 第二次世界大戦の際、サンマリノは中立の立場を取ったので、屋根には白い十字が描かれた。イタリアから多くの難民が国境を越えてやってきた。難民だったピアンキーニ・フランチェスカさん(85歳)に話を聞いた。サンマリノは自宅や教会以外にもトンネルを作って、難民に開放した。サンマリノ市民だけでなく、イタリア難民にも同じ量を配給し、10万人の命を救った。

 「ヴァローニ宮殿」の壁一面には13世紀からの全ての執政の名前が書かれている。その数およそ3000人。1243年の始まりの二人の名前もある。それから800年。この国を2人の執政が導いてきた。

 人気のレストラン「カンティーナ・ディバッコ」では、「ピアディーナ」という名物料理が味わえる。小麦粉、塩、ラード、オリーブオイルを混ぜてこねて、丸く伸ばして焼く。これにチーズ、ハムなど好みの具をはさんで食べる。「ピアディーナ・セット」は3〜4人前で30ユーロ。古代ローマの時代からこの地方に伝わる素朴なグルメ。旅行者にも人気の味。


テレビ番組「知っとこ 世界の朝ごはん フィレンツェ」

 2010年11月6日放送。
●フィレンツェ  中世ルネッサンス発祥の地。人口約36、4万人。当時の面影を街の様々な歴史遺産から感じとることができる。市内が一望できる広場にやってきた。ここにダビデ像があるが、イメージが違う。ここはミケランジェロを記念して作られた広場だから、レプリカが置いてある。オリジナルは大理石だが、ここの像はブロンズ。オリジナルの像はアカデミア美術館においてあるけど、街中に行くと他にもレプリカがある。市庁舎前の広場にあるものはオリジナルが置いてあった場所。

 中央市場 Merceto Centrale に行く。キノコは大きい。ポルチーニ茸は今が一番美味しい時期。「皇帝のキノコ」という「オヴォリ」は古代ローマ時代に活躍したシーザーが好んで食べていたという。
 市場の中で人だかりを発見し近づくと、そこは牛肉をはさんだ「パニーノ」屋さんだった。5時間かけて煮込んだ牛肉を薄くスライスしたパンの上にのせ、クリームソースやチリソースで味付けした「牛肉のパニーノ」3ユーロ(約340円)。100年以上も前から親しまれている。

 「ベッキオ橋 Ponte Vecchio 」の上は宝石関連の店が多い。16世紀に政府の命令で貴金属や宝石の店がここに集められたため、現在も数多く存在している。宝石などの工房が今でもたくさんある。
 工房「ノイ・ジョイエッリ Noi Gioielli 」で、アクセサリー作りの工程を見学。レオナルド・キツレーリさん(48歳)はかつてはフィレンツェで最優秀職人賞に輝いた。金属に細かい穴をあけて、石を埋め込む技術はフィレンツェスタイルの特徴だという。高価な原材料に作っていくので緊張するという。

 フランチェスコ・プレスティアさん(43歳)が紹介してくれたのは、少し街のはずれにある「トラットリア13ゴッビ TRATTORIA DEI 13 GOBBI 」。 このお店の名物は「フィレンツェ風クレープ」。ほうれん草を混ぜ込んだリコッタチーズを生地でくるくる巻き、たっぷりのベシャメル・ソースやトマトソースをかけ、250度のオーブンでおよそ5分焼いたもの。
 フィレンツェの人はリコッタチーズが大好き。

 裏通りのサンディ・アポストリ通りを行く。フィレンツェには珍しいオリーブオイルの専門店「ボッテガ・デッル・オーリオ Bottega dell'Olio 」がある。 12年前に開店し、今ではオリーブオイルのみならず、食器や石鹸など約150種類のオリーブ関連商品を扱っている。オリーブの木で作った「まな板」は堅くて使いやすいとか。今年収穫されたオリーブオイルは11月に入ってから出荷されるとのこと。よい物はだいたい春頃までに売り切れてしまうという。

 新婚さんの朝ごはん。昔は修道院だった建物に住み、ホテルを経営しているというロッセラ・トマダさんが作るのは、1品目「鶏肉のオリーブ煮」。フライパンにたっぷりのオリーブオイルを敷き、にんにくとローズマリーを入れてから火をつける。香りがでてきたら、鶏のもも肉を入れ、ハーブの入った塩で味付け。両面に焦げ目がついたら、白ワインをたっぷりかけ、トマトとオリーブの実を入れ、30分じっくり煮込む。
 2品目「パッパ・アル・ポモドーロ Pappa al Pomodoro 」。堅くなったパンを手で細かくする。オリーブオイルを敷いた鍋にトマトをスライスしたものを入れ、パンも加える。塩胡椒で味をつけ、なじむように炒める。水を加え、根気よく混ぜるのがポイント。パルメザン・チーズを加えてかき混ぜて完成。
 3品目「ヴィンサントのムース Mousse di Vinsanto con Biscollin 」。卵黄に砂糖を入れ、よくかき混ぜる。火にかけ、「ヴィンサンド」というトスカーナ州のデザートワインを少しずつ加え、焦げ付かないようにしながら手早く、優しく混ぜる。火からはずし、生クリームを加えてムース状に仕上げていく。器に盛り付け、ビスケットを添える。


テレビ番組「THE 世界遺産 イタリアのドロミーティ」

 2010年10月10日放送。40を越える世界遺産のあるイタリアだが、自然遺産は2つしかない。

●ドロミーティ
 水の都ベネチアから内陸へおよそ100km。イタリア、アルプスの南東に位置するドロミーティは、奇妙な形をした岩が天をついている。巨大なオブジェが並ぶ。「チンクエトーレ(5つの柱)」は標高2361m。ここはロック・クライマーたちの世界的な聖地。彼らはその独特のシルエット・形に心を魅かれるという。ここには18もの3000m級を越える峰峰がそびえている。これらの山には石灰岩が変化してできた「ドロマイト」という岩で構成されている。これがドロミーティという地名の由来となった。
 コルティナ古生物学博物館のジョルジュ・ザルディーニ館長は、これができた理由は岩の中にあるという。「メガロドン」というハート型の化石がある。これは2億3000万年前に、このあたりに生息した二枚貝。2枚の貝はハートによく似た形をしている。大きなものは50cmにもなる。メガロドンは浅く穏やかな海を好んだ。これにサンゴもあって、海の底に炭酸カルシウムのような石灰岩が堆積した。外からマグネシウムを含んだ海水が入るが、環礁によって干潮の際に溜められて太陽により温められ、濃度が増す。このためにマグネシウムを含んだドロマイト(CaMg(CO3)2) へと変化した。こうして誕生した岩が、隆起したものがドロミーティだった。ドロマイトは石灰岩の仲間だが、石灰岩よりも固い。氷河や雨風に強く削られても、そそりたつ壁となって残った。
 ドロマイトの山としては、「クローダ・ダ・ラーゴ」(標高2701m)、「セラ」(標高3162m)、「トレチーメ」(標高2999m)が紹介されました。

 高原の町「コルティナ・ダンペッツォ」(標高1224m)は、20世紀初めから高級リゾート地として発展し、1956年には冬季オリンピックが開催された。ここがドロミーティ観光の拠点。
 ここにはトレッキングのコースが400もある。花々も多く咲いている。ピンク色の「アルペンローゼ」(ツツジ科)、「ゲンティアナクルシィ」(リンドウ科)、黄色の「ヨーロッパキンバイソウ」(キンポウゲ科)はバターボールの愛称がある。運がよければ、リスの仲間のマーモットなどの可愛い動物にも会える。

 標高3000mを越す奇怪な岩山「クリスタッロ」(標高3221m)。そのはるかな頂き近くに、天空の吊り橋がある。この山に男たちが挑んだのはほぼ100年前。今では赤や黄色のリフトが頂き近くまで運んでくれる。十字架の近くが出発点になる。ここからは特別な装備「ハーネス」と「ヘルメット」と「金具がついたロープ」を身に付けて歩く。山岳ガイドのパオロ・タッシィさんが説明してくれました。その先にこの岩山の峰と峰を結ぶ天空の吊り橋があった。それは今、ドロミーティで人気のスポーツ「フェラータ」と生まれ変わった。鉄のワイヤーを伝いながら、岩山を登る。誰でもできると聞いてスタッフも挑戦してみたが、滑るそうです。最初は足場が見つからずたいへんだが、慣れると簡単だそうです。ここは7kmのコース。ドロミーティには120ものフェラータのコースがある。そして吊り橋は足がすくみます。
 峰峰のいたる処に残る穴は塹壕の跡。第一次世界大戦の当時、ここはオーストリア領だった。塹壕はこの地に侵攻したイタリア軍が敵の砲撃から身を守るために造ったもの。ここは天然の要塞だった。この「鉄の道」は軍事目的で作られたものだった。
 ただ、ドロミーティは岩だけの山ではない。山裾には広大なモミの森が広がる。ここは古くから有名な木材の産地。海洋国家イタリアの造船業を支えた。モミの木は日光を充分に浴びないので、成長が遅く、年輪の幅が狭く、堅い。これを使ってバイオリンも作られている。ストラディバリウスの名器もここのモミで作られた。職人のジウリアーノ・ドリアナさんはドロミーティのモミは最高の素材だという。

 およそ6000万年前、ヨーロッパ大陸とアフリカ大陸が衝突し、ドロミーティは隆起した。岩盤が固かったため、大部分の地層が水平のまま持ち上がった。そのため、地層の成り立ちを知ることができた。ドロマイトの下の層には、古い砂岩の層があった。そこに地球のドラマが綴られていた。トリデンティーノ自然科学博物館のエリザベータ・デマティオさんが説明してくれました。2.6億年前の砂岩の層から、地質学者が大きな発見をした。それは爬虫類の足跡。全長3mにも及ぶ「パキペスドロミティクス」、今のトカゲに似た「リンコサウロイデス」
 「史上最大の大絶滅」が2億5000万年前に起きた。地球上の生物の9割以上が死に絶えた。地球の内部から大量のマグマが噴出し、地殻変動、酸素の欠乏などが起こった。そしてこの地も海に沈んだ。そして海の生物が繁殖し、ドロマイトができた。


テレビ番組「THE 世界遺産 イタリア・カゼルタの王宮、水道橋とサンレウチョ邸宅群」

 2010年9月18日放送。

●カゼルタ
 ポンペイを18世紀に発掘し、世界中を驚かせた人物がいた。カルロ7世はさらに「ベルサイユを越える」カゼルタの王宮の建築を命じた。
 市場にはたくさんの野菜が並ぶ。ナポリ料理といえばトマト。コロンブスが新大陸から持ち帰った野菜は、名物料理を生み出した。「ピッツァ・マルゲリータ」。「Brandi」という店の職人が王妃のために、イタリア国旗になぞらえて赤いトマト、白いモッツァレラ、緑のバジルをのせた。それに王妃の名をつけたのが始まり。
 イタリアの統一は1861年。それまでの国土はいくつもの国に分れていた。南イタリアにあったのがナポリ王国だった。

 ナポリの北28kmにカゼルタの王宮はある。海からの攻撃を避けるために、王宮は内陸に作られた。4つの中庭を持つ5階建。1200もの部屋がある。宮殿から長さ3kmの庭園がのびている。丘の斜面を生かした水の流れ。そこに泉や噴水が連なる。奥には鷹さ78mの滝がある。全てが人の手で生み出された水の世界。カゼルタの王宮は1752年から半世紀をかけて完成した。巨大な宮殿によって、王の絶対的な権力を示した。
 特に巨大な階段は恰好の舞台装置だった。正面からライオンに乗った王が、ひれ伏せ!と命じている像がある。階段は継ぎ目のない大理石が117段。わざわざ遠い産地から運ばせた。謁見を願う者は、「王座の間」の一番奥の玉座へと歩むが、距離が長い。若き王は天井に自らの姿を描かせた。18歳で即位したカルロ7世。ナポリ王国の初代の王であり、フランスを強国に押し上げたルイ14世のひ孫だった。
 ベルサイユ宮殿の「鏡の間」は特別豪華。18世紀にヨーロッパの王たちはベルサイユに憧れ、宮殿造りを始めた。オーストリアでは女帝マリア・テレジアが「美しい泉」の名を持つシェーンブルン宮殿を作った。ロシアではエルミタージュ美術館で、元は皇帝の冬の住まいだった。この宮殿の完成がロシアが大国となる足がかりとなった。
 カゼルタの宮殿に王は長い水路のある庭園を思いついた。それを実現するには、大量の水が必要だった。それをまかされたのが、建築家ルイジ・ヴァンヴィテッリ。彼は40km先の「水道の山」から水をひくという壮大な計画を思いついた。しかし問題は途中に立ちふさがる深い谷。それを超えるために巨大な橋を思いついた。長さ529mもある「カロリーノ水道橋」がこうして作られた。水を流すために、1mごとにわずか1mmという傾斜をつけた。水路はこの橋の中にあり、今でもカゼルタに水を送り続けている。
 庭園には水が流れ落ちる。庭園には様々な趣向が取り入れられた。泉に立つ彫像はギリシャ神話のワンシーン。躍動感に溢れる。
 東に広がるのは英国室庭園。その森の中に秘密めいた洞窟を作った。岩をくり貫いた回廊。その中にある8体の大理石像は古代ローマの彫刻。実はポンペイの出土品だった。ポンペイが地中に埋まっていることを知った王は、発掘を命じた。1748年、地中からポンペイが現れると、喜んだ王は掘り出した像を持ち帰り、自分の庭に飾った。
 しかし、王はこの庭園を自分のためだけに作ったのではない。多くの人に楽しんで欲しいと、ナポリ市民に開放した。
 王がもう一つ愛したものは、小さな人形だった。ナポリの町にも王宮がある。カルロ7世は庶民の生活に触れた。ナポリ市内の裏通りに人形の店が集まっている。キリストの生涯を表わしたこの人形は、プレセピオと呼ばれる。粘土を削り、素焼きした後、一つ一つ丁寧に色が塗られる。古くから伝わるナポリの工芸である。カルロ7世はこの人形に夢中だった。カゼルタの王宮にはプレセピオの部屋がある。彼は腕のよい職人を招いて、1200体もの人形を作られた。その大半が力強く生きる当時のナポリ市民の姿だった。しかし町には仕事もなく、家もない人が溢れていた。
 王は救貧院(横幅354m)を建て、貧しい人を救おうとした。この建物はヨーロッパで一番長い建物でもある。380の部屋に2000人が暮すことができる。職業訓練も行なわれた。
 カゼルタの宮殿の「秋の間」は、ナポリ王を継いだ息子フェルジナンド4世が作った食堂。壁一面には光沢のあるデザインで、絹の織物。これを作った工場は今も操業している。社長のアンドレア・サベッリさんが説明してくれたが、法皇が着ている服、ホワイトハウスに納めた物などもある。

 カゼルタ周辺のサン・レウチョに彼は王妃と過ごすために離宮を造り、「美しい眺め」ベルヴェデーレ離宮と名づけた。この地でフェルディナンド4世は夢を見た。父のように市民を救えないものか。考えた末に彼が思いついたものは、「労働者のユートピアを築く」ことだった。豊かな水で新たな産業を起こした。それがシルク工場だった。工場の前には労働者の住宅も用意した。それが「サン・レウチョ邸宅群」。1階はキッチンとダイニング、2階は寝室や作業部屋があった。働く者たちが暮す明るく広い家。
 王は独自の法律も作った。「フェルディナンド4世の成文法」。ここには、「住民はみな平等であり、無料で皆義務教育が受けられる」と書いてある。
 18世紀にフランス軍により占領され、王の夢はついえた。しかし、絹産業はこの地に根付いた。今、大きな機械で絹を織ることができるのは、チーロ・カローラさんただ一人。

 カゼルタの王宮から始まる物語を、ナポリの市民たちは今も愛している。


テレビ番組「にじいろジーン 地球まるごと見聞録 ベネチア」

 2010年7月24日放送。

●ベネチア
 エミレーツ航空で行きました。海に浮かぶイタリアの古都。町全体が世界遺産に登録され、世界中から年間2000万人の観光客が訪れる。ベネチア本島と100を越える島々から成り立っている。
 観光の起点はサン・マルコ広場で、かつての東方貿易の玄関口だった場所。ナポレオンもその美しさを称えたという。広場の一角には、ベネチアの守護聖人である聖マルコの「有翼の獅子像」が天空を見据える。
 ベネチアでは車はもちろん、自転車も通行禁止。船と自分の足に頼るしかない。その町をゆったりと蛇行し、大きく流れる「カナル・グランデ(大運河)」は水の都のメイン・ストリート。一番有名な橋はリアルト橋。

 にじいろガイドはジュリア・ザノンさん(20歳)。
 ヴァポレットと呼ばれる水上バスは、町の人々や観光客にとって外せない。運賃は1回券で50分約780円。
 ゴンドラは、スタンダードなコースだと1艘6人乗りで40分80ユーロ(約9600円)。モーツァルトが滞在した家もある。今回の船は「007カジノロワイヤル」でジェームス・ボンドが乗ったゴンドラでした。大運河に入り、アカデミア橋を通過。げんこつ橋は18世紀までは地域同士の決闘が行なわれていたそうです。橋の上には、戦いの前に足を置いた足型が今でも残っている。

 地元の人が多く暮らすエリアに行く。家庭的な郷土料理の店「リストランテ・ジョルジョーネ」。「イカスミのスパゲッティ」約1400円。「カレイとジャガイモのオーブン焼き」2人前約6000円。カレイはベネチアの主婦が家庭でよく使う料理の食材。サービスの仕上げはご主人の「ゴンドラの歌」。
 入り組んだ細い路地にあるバーカロ「ウンナ・モンド・ディ・ヴィーノ」。白ワインで、ピンチョみたいな「チケッティ(おつまみ)」がズラリと並んでいる。おつまみの値段は200円〜300円程度。イワシ、タコ、タラのペースト、ズッキーニのグラタンなどなど。ロゼみたいな飲み物はベネチアで流行している「スプリッツ」約240円。白ワインとオレンジ色のリキュールに炭酸水を加えたもの。

 「カ・デル・ソル」はマスケラ(仮面)の店。真冬に行なわれるカーニバルでは、仮面をつけた人々が町を埋めつくす。仮面の形にあわせて紙を貼っていく手作業。ベネチアは13世紀頃から仮面が作られ、仮面舞踏会発祥の地とも言われている。18世紀には特によく開かれたという。パーティの数にあわせて仮面職人も増えた。ペストが流行した頃につけていた医者の仮面、バウタと呼ばれる典型的な貴族の仮面などが長い歴史を感じさせてくれる。

 ベネチアで人気のセレクト・ショップ「ディエトロ・ランゴロ」は1年前に2人の女性が開いたお店。若いデザイナーの作品ばかりを扱っている。中でも人気は「メラ」というブランド。樹脂やガラスを使って、ポップなアクセサリーを作っている。メラのカチューシャは約4300円。

 伝統のスイーツの店「ローザ・サルバ」。伝統の焼き菓子「ブッソラ」は小麦粉、バター、卵から作られたもの。元々は漁師たちの保存食だった。他にも「エッセ」。これをカプチーノにつけて食べると美味しい。
 バーカロ「オステリア・アラ・ヴェドヴァ Vedova 」に行く。クッキーなどの焼き菓子セット「ヴィスコッティ・エ・ヴィン・ドルチェ」約600円。18世紀のベネチア貴族の女性は、焼き菓子を甘いワインにつけた食べたという。

 不動産屋さん「RentalInItaly」で紹介してもらったのは、1LDK75平方mの部屋。テラスに出ると目の前が大運河。対岸に市場があって便利。1ヶ月2500ユーロからで、シーズンによって値段が変わるそうです。

●ムラーノ島
 ベネチア本島から水上バスに乗って、およそ20分。この島を有名にしたのは、ベネチアン・グラス。その昔、ガラス製品はムラーノ島だけで生産されていた。ベネチアの街中で火事が起きないように、火を使うガラス工芸はムラーノ島に集中して作られた。製造技術の漏出を防ぐためにも、製造する人はこの島に集められた。
 「トッフォロ」に行く。ピンク色の可愛いワイン・グラスは約4.4万円でした。イタリアではベネチアン・グラスのことを「ムラーノ・グラス」と呼ぶ。


テレビ番組「知っとこ!世界の朝ごはん ミラノ」

 2010年7月17日放送。

●ミラノ
 イタリア北部の大都市で、世界的なファッションの都。人口およそ130万人でイタリア経済の中心地。町並みは中世の趣をそのまま残していて美しい。その美しさの集大成がシンボルとも言われているドゥオモ(大聖堂)。1313年に完成した世界最大級のゴシック建築。完成までに500年の歳月がかかった。
 古く新しい街を走っているのがトラム。100年前の車両も走っているとか。  メルカンティ広場に行く。オシャレの秘訣を聴いてみた。シューズとバッグという人。その時の気分に合った格好をすることという人。

 新しいオシャレ・スポットとして人気なのは、ファッション・ブランド「モスキーノ」がデザインしたホテル「メゾンモスキーノ」だった。2010年3月にオープンし、全85室全てデザインが異なる。モスキーノは奇抜なデザインや独特の色遣いが人気。家具や雑貨は全てショップで買うことができるそうです。レストランもユニークで、座席の背もたれがドレスになっている。ワインを入れるのがバッグ。店員が運んできた白い箱の中に朝食が入っていた。部屋毎にコンセプトが異なる。ジュニア・スイート「森」の部屋を見せてもらったら、ベッドの四隅が木になっていた。1泊320ユーロ(約3.6万円)。「赤ずきん」の部屋にはベッドにオオカミが待っていた。最もユニークだという「思い出の屋根裏部屋」は白い箱が多く置いてある部屋で、蜘蛛の巣のオブジェまである。思い出が入った箱が照明になっている。1泊350ユーロ。
http://www.moschino.it/

 街ではジェラートを食べている人が多い。ミラノの男性が勧めてくれた手作りのジェラート・ショップ「オデオン」に行く。30種類のジェラートは毎日お店で作っているとか。ショーケースには鮮やかな青色の「プッフォ Puffo 」があった。「プッフォ」とはベルギー生まれの青色のアニメのキャラクター(英語名はスマーフ)で、最近イタリアのテレビで放映されてブームになっているという。それをイメージして作ったのがこのジェラートなので、天然ミントとアニス?で、1カップ2.2ユーロ(約250円)。

 ピエール・フランコさん(40歳:弁護士)は車は何台か持っていて、アルファロメオのスパイダーが特にお気に入りとか。紹介してくれたのは、100年に一度の大きなイベント。会場には数多くのクルマが駐車されていたが、よく見るとレトロで格好いい車。このお祭りは「アルファロメオ」生誕100年を記念したイベントでした。この日は全国からアルファロメオ好きが集まって、ミラノ市をパレードするという。最新シリーズは「MITO」。アルファロメオには熱烈なファンが多くて、この日集まった車は3000台。この歴史的なイベントのために、街を封鎖したり、交通整理をしているという。この街で生まれたアルファロメオは我が子のような存在らしい。

 新婚さんの朝ごはん。ちょっと郊外に住むのは、シモーナ・フォロニさん(35歳)。1品目「ほうれん草のパイ」。たまねぎをみじん切りにし、たっぷりのオリーブオイルで炒める。ボイルしてから水気を取ったホウレンソウを入れ、塩胡椒で味をつけ、炒めたらボウルに移す。リコッタチーズ、卵を加え、カレー粉などで味つけ。最後にパルメザン・チーズを削ってしっかりと混ぜる。これをパイ生地に流し入れ、平らにならしてから、オーブンで40分焼く。
 2品目「チョコレートのケーキ」。クラッカーをフードプロセッサーで粗めに砕き、ボウルにココアパウダー、砂糖、卵、溶かしバターを加え、砕いたクラッカーを少しずつ入れて混ぜる。堅い生地になったら、アルミホイルにのせ、形を整える。アルミホイルでしっかり包み、冷凍庫で1時間以上かけて冷やす。
 3品目「ミラノ風リゾット」。たまねぎのみじん切りをオリーブオイルで炒める。ワインをたっぷり入れアルコールをとばしたら、お米を洗わずに入れる。スープを少しずつ加えながら、ゆっくりかき混ぜて、スープが減ってきたら継ぎ足す。お米がある程度まで柔らかくなるまで繰り返す。塩、サフランを途中で加えて味をつける。鮮やかな黄色になる。最後にパルメザン・チーズをお好みでふりかける。


テレビ番組「世界遺産への招待状43 イタリア・アッシジ」

 2010年6月12日放送。

●アッシジ
 この街はイタリアの人に人気で、この街を訪れるには、晴れた日の夕方がよい。丘の上に真っ赤に染まった町が出現する。この街は近くの山で取れたバラ色の石で造られている。この石の色が夕陽の中で街を赤く染め上げる。
 13世紀の建物が今も使われている。広場には古代ローマ時代の建物が残っている。今から800年前、この町の小さな織物商人の家に一人の男の子が生まれた。
 年間600万人の人が訪れる。お目当てはサンフランチェスト聖堂。これは聖フランチェスコのこと。聖堂は彼の偉業を称えて弟子たちが建造した。彼はイタリアの人たちにとても愛されている。彼の実際の姿を描いた絵も残っている。控えめな姿だが、彼は第二のキリストとまで呼ばれた。聖堂の壁に描かれた28点の絵画は、彼の生涯を描いたもの。ルネサンス初期のジョットーの名作。「小鳥への説教」は小鳥との話を描いたもの。彼は鳥や動物と会話ができたと言われている。彼はイタリアの守護聖人と言われている。
 アッシジにはフランチェスコの足跡がいたるところに残されている。サンタ・マリア・デッリ・アンジェル教会の礼拝堂の中には、もう一つの教会がある。ポルツ・ウンコラ礼拝堂。元々あったものをフランチェスコが一つ一つレンガを積み上げて修復した。人々はフランチェスコの手触りの残る礼拝堂をそのまま残している。何故イタリアの人はこれほどフランチェスコを愛するのか、アレッサンドロ・マンティーニ修道士に聞いてみた。フランチェスコはイエスと出会ったことで尊敬されている。イエスに呼ばれているという。通訳のモニカ・サルバトーニさんも通訳に困っていました。
 イタリアではフランチェスコを題材とした映画やドラマが数多く作られている。まずはフランチェスコの人生をみてみることにした。若い頃は裕福な商人の息子で好きなことをしていた。かなり遊んでいたようだ。その後180度彼の人生は変わる。20代半ばで、彼はアッシジの街の真中で裸になり、着ているものを父に返した。小学校の先生であるファブリツィオ・ベニンカンビさん(44歳)は自主映画を作っている。ハンセン病の患者の世話を始めた。全てを捨てて、病院や貧しい人の世話をし始めた。ロッカ・マッジョーレは街の防衛のために、中世に作られた城壁。20km向こうのペルージャの町が攻めてくるとすぐにわかったという。当初フランチェスコはペルージャと戦った。その戦いで捕虜となり、牢獄で生活し、病気になった。そこで本当の幸せとは何か、などを考えたようだ。ある日悩みつづけていたフランチェスコは、ポルツ・ウンコラ礼拝堂でキリスト教徒が出会いと呼ぶ体験をする。神父が読み上げていたマタイの福音書の一節、「病人をいやし、死者を生き返らせ、重い皮膚病を患っている人を清めなさい。あなた方もただでもらったのだかあら、ただで与えなさい。旅には袋も下着も履物も杖も持って行ってはならない。」。これは全てを捨てて他の人に奉仕していきなさいという意味です。まさに生涯貧しく、最後は十字架にかけられたイエスの生き方でした。フランチェスコはそういう生き方をすれば、イエスのようになれるのではないかと思ったのだろう。フランチェスコは何から何までイエスに習おうと思ったのだろう。
 フランチェスコが800年前に着ていた服が残っている。当時、金銭は受け取らず、托鉢だけをしていたそうだ。全てを捨てるとは、お金やものを捨てるというだけではない。アッシジ市内の商店主マウリツィオ・ズッポリさんを訪ねた。自分でデザインしたレターセットやブックカバーなどを売っている。それの題材はフランチェスコ。マウリツィオさんが好きなフランチェスコの物語は、オオカミに話しかけているというもの。オオカミと人を仲直りさせたという。オオカミだけを責めず、人からエサをあげることによってそれがなくなると人にも語った。
 またフランチェスコは十字軍の戦いの最前線に行った。その絵の先にいるのはイスラムのスルタン。エジプトのスルタンに丸腰で会いに行った。それにイスラム軍も驚いたという。戦いをやめるように言ったのだろう。同時に十字軍にも同じことを言ったと思われる。とマウリツィオさんは語る。「自分を捨て、小さき者になりなさい。忍耐と謙遜のある処には、怒りも心の乱れもない。
 聖フランチェスコ教会の天井のフレスコ画が剥がれ落ちている。1997年9月26日、アッシジの町を大地震が襲った。教会とフレスコ画が破壊された。すぐに人々が集まってきて、30万点の破片が集められ、元の絵に戻す作業が行なわれた。セルジオさんが陣頭指揮をして、22万個が元の場所に戻された。あの地震でみんなが感じたことは、フランチェスコがこの教会に生きているというか、生きていて欲しいとみんなが願っていることだった。残りの破片はまだ保管されている。将来、これがどこにあてはまるか、技術の進展に期待しているという。


テレビ番組「世界!弾丸トラベラー 矢野未希子さんで南イタリア」

 2010年6月5日放送。矢野未希子さん(23歳)が美食に挑戦。ナポリ出身のプロデュースはパンツェッタ・ジローラモさん(47歳)で、お勧めのお店ベスト4を巡る旅。1位「Villa Rina 」、2位「Il Pirata 」、3位「Remy Gelo 」、4位「AddO' Guaglione 」。エール・フランス277便/2378便で日本から約16時間でナポリ。

●予定
 1日目、成田国際空港発AF277便。13時間20分。
 2日目、9:35、シャルル・ド・ゴール空港発AF2378便で2時間15分。11:50、ナポリ空港着。12:40、「テラッツァ・サンアントニオ」にタクシーで向かう。13:15、ガイドと出会う。14:10、ジローラモお勧め4位「アッド・グアリオーネ」。15:30、ジローラモお勧め3位「レミージェロ」。車で移動。17:30、ポジターノ到着。船で移動。18:30、ジローラモお勧め2位「イル・ビラータ」。21:00、ホテル「ミラマルフィ」 チェックイン。
 3日目、8:30、ホテル出発。車で移動。ジローラモお勧め1位「ヴィラ・リーナ」。車でローマ駅へ。18:00、ローマ・フィウミチーノ空港着。19:55、ローマ・フィウミチーノ空港発。23:35、シャルル・ド・ゴール空港発AF。
 4日目、18:00、成田空港着。

●ナポリ
 「テラッツァ・サンアントニオ」はナポリの町を一望できる展望台。目の前にサンタルチアが広がっていました。ガイドはジローラモさんの実際の甥ロレンツォさん(34歳)。バイクで移動します。
 ジローラモお勧め4位「アッド・グアリオーネ Add'O Guaglione 」(住所:Via Consalvo, 101, 80125 Napoli、メトロの Fuorigrotta Ferrovia Cumana駅の近く)は、ピザのコンテストで何度も優勝しているピザの名店。ジローラモさんは4歳の頃からの常連。オーナー・シェフのサルバトーレさんが見事な技を見せてくれました。アクロバット・ピザの世界大会で優勝したそうです。「マルゲリータ」3.6ユーロ。地元では半分を三つ折りにして巻いて食べるようです。

 ジローラモお勧め3位はジェラートの店「レミー・ジェロ Remy Gelo 」(住所:Via F. Galiani 30, Napoli、Tel:081667304 )。1955年創業のナポリで最も古いジェラート専門店。レプップリカ広場の近くにある。常時30種類くらいは並んでいる。矢野さんはティラミスとレモンを注文すると、ロレンツォさんはピリオッシュ(パン)を注文。温めたブリオッシュにジェラートをはさんで食べるのがナポリ流。「ブリオッシュ・ダブル」は1.5ユーロ。

●ポジターノ
 車で移動。17:30、ポジターノ到着。美しい街並みと紺碧の海とのコントラストはまさに絶景。イタリア屈指の高級リゾート。港から漁船みたいな船で移動。18:30、ジローラモお勧め2位「イル・ビラータ Il Pirata 」に到着。ポジターノの南東5km、確かに船でしか行けない崖の下のレストラン。意味は「海賊」。お勧めは毎朝、漁師から直接仕入れる新鮮なシーフード。「旬のシーフード・パスタ(手打ち)」13ユーロ。

●アマルフィ
 宿泊はアマルフィ市街地の西の断崖に建つホテル「ミラマルフィ Miramalfi Hotel 」(住所:Via Quasimodo 3 - 84011, Amalfi )。1泊250ユーロ〜。テラスからアマルフィが見えました。

 翌朝、アマルフィを観光。教会、教会の前にある噴水「聖アンドレア像」にある女性の乳房を形どった水飲み場に食いつきました(笑)

 ジローラモお勧め1位「ヴィラ・リーナ Villa Rina 」(住所:amalfi - 84011、Tel:Tel. +39 089 831858、e-mail:nfo@amalfivillarina.it)は断崖道路の上にある白い建物で、そこに行くには歩くしかない。出迎えてくれたのは、オーナー・シェフのリーナさん。自分の畑で無農薬野菜を栽培している。テラスからは絶景が見えます。
 カゴを持って今日の料理に使う旬の野菜を一緒に収穫する。そら豆、ナス、ルッコラ、トマト、レモンの葉、イタリアンパセリ、ズッキーニなど。「旬の野菜たっぷりトマトパスタ」。最後に入れるモッツァレラ・チーズが効いているらしい。とっても美味しいそうです。ランチコースは要予約で35ユーロ。
http://www.amalfivillarina.it/


テレビ番組「2010年5月の旅サラダは長谷川理恵さんで南イタリア」

 日本の8割の広さで人口は5900万人。野菜ソムリエを持っている長谷川さんが「元気な野菜を探して」旅をした。

●ナポリ
 美しい景観を誇る南イタリアの玄関口。丘の上に13世紀に建てられたサン・エルモ城や、14世紀のサン・マルティーノ修道院がある。街の中心にあるかつての王宮跡「プレビシート広場」は今も市民の憩いの場。
 スパッカ・ナポリは庶民の街。洗濯物が窓に干してある。ナポリは食い倒れの町としても有名。市場を覗いてみた。魚介類も新鮮で豊富。バケツを吊り下げて食材を購入している人もいる。野菜も種類が豊富。春野菜の代表選手「アーティチョーク」、「フェンネル(ういきょう)」。「ズッキーニ」は実だけでなく、お花の部分にリコッタ・チーズを入れて揚げて食べたりする。「ベルザ」はチリメンキャベツ。お店のアントニオさんは調理方法を知らなかったが、70歳のお母さんのイマコラータさんはお米と一緒に炊くという。入れるのは、塩、にんにく、オリーブオイル、水だけ。

 ピッツァ専門店「フラッテッリ・ラ・ブファラ Fratelli la Bufala 」(住所:via Medina, 18 80133 Naples, Italy、電話:+39 081/5510470、e-mail: flb-medina@fratellilabufala.com )のシェフのジェッナーロさんはピザの勉強のために東京の新宿に行ったという。水牛のモッツァレラ・チーズがこだわり。チーズをピザの生地で巻いて角のようにして焼いて、生ハムとたっぷりのルッコラとパルメザン・チーズをのせた「コルネット・ディ・ブファラ」1枚7ユーロ(約875円)。定番の「マルゲリータ」1枚4ユーロ(約500円)。
http://www.fratellilabufala.com/flb/index.php

●サンタ・アガタ・スィ・ドゥエ・ゴルフィ
 ナポリ沿いにベスビオ火山を眺めながら、郊外に向かう。車で1時間以上かけていくレストランがある。南イタリアで初めてミシュランの3星を獲得したレストラ「ドン・アルフォンソ 1890 Sant' Agata sui due Golfi, Don Alfonso 1890 」(住所:Corso Sant'Agata, 11/13 80064 Sant'Agata Sui Due Golfi, Naples、電話:+39 081/878.00.26 - +39 081/878.05.61、FAX:+39 081/533.02.26、e-mail:info@donalfonso.com )。駐車場に元気になる野菜の絵が描かれている。オーナー夫人はリビアさんで、次男のマリオさんが出迎え。まずはテラスでウェルカム・ドリンク「レモンとオレンジのジュース」。マリオさんは東京に10回も行ったので、日本語は話せるみたい。ここはレストランにホテルも併設されている。ホテルの部屋にはハーブの名前がつけられている。8部屋全てを自分自身の部屋のように愛しているそうです。
 今回はレモンの香草の「ベルベ−ナ/Verbena 」室料・朝食付350ユーロ(約4.4万円)〜。ピンクのソファでした。ベッドはブーゲンビリアの花柄。クローゼットはピンクでラベンダーの香り。レモンの黄色をイメージした「ティ−モ/Timo 」室料・朝食付300ユーロ(約3.8万円)〜。若草色の部屋は「詩人の家 La Casa del Poeta 」室料・朝食付250ユーロ(約3.1万円)〜。

 クッキングスクールを開いている。食器もリビアさんがオーダーしている。近くにリビアさんがよくオーダーするという陶器の店があるというので行ってみた。
 陶器店「ラ・カンパネッラ La Campanella 」(住所:Via Campanella, 3 Termini, Massa Lubrense, Naples、電話/ファックス:+39 081 808 1848 )。緑や赤や青を使った食器が並ぶ。リビアさんが大好きなレモンの食器を作っているのは、オーナーでもあるモニカ・ガラーノさん。

 1997年にミシュランの3星を獲得した「アルフォンソ」の名の下で厨房で働く若いシェフたち。指揮をするのは、オーナー・シェフのアルフォンソさんの長男エルネストさん。伝統を守りながら、独創的な料理を支えるのは、この土地の新鮮な野菜。カプリ島を眺めることができる絶景の半島に20年前に広大な土地を買い、自ら耕したのがアルフォンソさん。食材作りから関わることで、料理が完璧になるという信念の下に、オーガニック農法で野菜を育てている。さやえんどう、アーティチョーク、そら豆など。この野菜が誇りであり、食べてもらうのが一番の幸せだという。その野菜で鶏も育て、卵も有機。
 料理。前菜は「イカのチーズ詰め、えんどう豆と生姜のソース」36ユ−ロ(約4500円)は、緑色のソースが鮮やか。パスタは「パッケリ・パスタ、そら豆とグリーンピース、アンチョビのソース」34ユ−ロ(約4250円)で、パッケリはこの地方のパスタ。緑、赤、黄色と鮮やか。グリーンピースの香りが強いそうです。メインは魚料理「メバルのケッパー焼き、ルッコラと赤ワインのソース」45ユ−ロ(約5600円)。緑のルッコラのソースと赤ワインの赤いソースは別々になってお皿の上にあります。ワインの多さもこのお店が3星に選ばれた理由の1つという。デザートは「茄子とチョコレートのミルフィーユ」26ユ−ロ(約3250円)で、ナスをチョコレートでコーティングしてある。ここの料理は一見モダンに見えるが、郷土への愛情心に満ちているそうです。
http://www.donalfonso.com/en/index.htm


●アマルフィ
 ギリシャ神話の英雄ヘラクレスが愛する妖精アマルフィの死を悲しみ、世界で最も美しいというこの地に葬ったという伝説からアマルフィという名前がついたという。海洋都市として栄えたアマルフィは「海の門」が玄関口。すぐ右手にはアマルフィ大聖堂がある。この聖堂にはかつて交易のあったビザンチンやイスラムの影響が大きい。鐘楼の部分のみ、黄色や緑のこの地方の色のタイルが使われている。
 広場から続くメイン通りを歩いた。レモンがもぎたての状態で置いてある。レモン・グッズも多く、レモンのお酒「レモン・チェッロ」もある。階段路地も多い。路地の上にも暮らしがあった。丘の上からアマルフィの街を眺めました。

 バール「アンドレア・パンサ Andrea Pansa 」(住所:Ditta Pansa di Gabriele Pansa s.a.s. Piazza Duomo 40, 84011 Amalfi、電話:+39(089)871065 )は、1830年創業。第二次世界大戦の時から常に人々の憩いの場であり続けたバール。アマルフィ名物のレモン色のケーキ「デリッツィア Delizia 」5.20ユーロ(約650円)。シフォン・ケーキ風で中にレモン味の生クリームがたっぷり。オーナー?はアンドレアさん。
http://www.pasticceriapansa.it/

 造船工房「アマルフィ工房 カメラ Cantieri Camera Amalfi 」(住所:Piazzale Dei Protontoni 84011 Amalfi、電話:+39(089)871524 )を訪ねた。船作り職人のジュゼッペ・カメラさんに話を聞いた。お祖父さんが作った船を海岸で見つけて、修復されていた。
 ジュゼッペさんが作った船でサンセット・クルーズができると聞いて行ってみた。

●ポジターノ
 かつてはポジターノには街を眺めることができる街の東の場所に1つの礼拝堂があっただけだった。ある時、この絶景を見ることができるホテルがあれば、どんなにいいだろうと思った人がいた。初代オーナーの故カルロ・チンクエさんはこの礼拝堂の下に景観を損なうことない夢のホテルを実現した。
 ホテル「イル・サン・ピエトロ・ポジターノ Il San Pietro Positano 」(住所:Via Laurito, 2-84017 positano、電話:+39(089)811 449、FAX:+39(089)811 449 )。料金は室料700ユーロ(約87500円)〜。海を見ながらお風呂に入れます。全ての窓から海が見渡せます。夕暮れはとても美しい。

 アマルフィ海岸を山の上から見ることができる「神々の道」というハイキング・コースを歩く。2−3時間くらいです。ガイドはマウリッツィオさん。山にはフェンネル、レモンタイム、ローズマリーなどがあった。ガイド料金は12名までで120ユーロ(約1.5万円)。幸運にもオフレス・ソコローバが咲いていた。この蘭(オーキッド)は1年で1ヶ月しか咲かないので、見つけるのが難しい。オルキス・イタリアという素晴らしい蘭もあった。男の人の恰好をしているそうです(笑)
 丘の上からカプリ島が見えました。最後に見せてもらったのは、昔の修道院「サンタ・マリア・カストロ教会」の跡。マウリッツィオさんのお父さんはここで21歳まで育ったそうです。昔は生活に困っていた人を教会施設が迎えてくれていた。

●プライアーノ
 ハイキングの後にマウリッツィオさんの自宅を訪問した。父のミケーレさん、母のジュゼッピーナさんが優しく迎えてくれました。回りにはレモンの木。海にはイルカが見えるそうです。レモンを取ってレモン・チェッロを作ってみた。皮を削り、ビンに入れ、95%アルコールを加える。
 「ローザ・マウリッツオ Rosa Maurizio 」(住所:Sul Sentiero deli Dei Passeggiate in Montagna Hiking Tours、電話:+39(339) 1718194 )。
http://sulsenfierodeglidei.it/


●ペストゥム Paestum
 ナポリから車で2時間。紀元前6世紀頃に建てられたギリシャ神殿がある。この土地が昔から豊かな土壌だったことがわかる。その遺跡のすぐ近くに、わざわざローマから買いに来る人もいるほど人気のモッツァレラ・チーズのお店がある。どこにもおろさずここでしか販売していないため、連日、長蛇の列。整理番号を渡され、みなさん辛抱強く待つ。9時からオープンなのに、7時過ぎから並んでいる人もいる。
 チーズ工房「ヴァンヌーロ TenutaVannullo 」(住所:Via Galileo Galilei - Capaccio Scalo, Salerno、電話:0828-724765 )。料金は、「モッツアレラ・チーズ」1キロ12ユーロ(約1380円)。
 水牛のミルクの成分に発酵成分を混ぜて固めたものをまず粉々にする。それに熱湯を注ぎ根気よく混ぜる。そのうちに滑らかになる。そして熱湯の中でちぎる。相当美味しいそうです。
 敷地内の牛舎を見学した。社長秘書のティーナさんが説明してくれました。牛にマッサージをして、マットで休憩。牛は自分の意志で自動搾乳機に並ぶそうです。データは全て機械に入っているので、牛は立っているだけ。オーナーは水牛の幸せを祈っているそうです。オーナーのアントニオさんに話を聞いた。
http://www.vannulo.it/home.html

●チェタ−ラ Cetara
 アマルフィ海岸の端にある小さな港町。「デルフィーナ」はイルカのマークのお店。オーナー夫人のジーナさんが説明してくれましたが、イワシで作った醤油「コラトゥーラ」2.5ユーロ(約290円)があります。オシャレなビンのコラトゥーラは1本10ユーロ(約1150円)。ローマ時代には「ガルム」と呼ばれていた。
 工房を見学させてもらった。樽の中でイワシを重ねる2000年前から伝わっている方法。コラトゥーラ職人のニコラさんに話を聞いた。琥珀色のお醤油がでてきます。イタリアではコラトゥーラにオリーブオイルと唐辛子を混ぜるのが一般的。

 ジーナさんとニコラさんのお勧めのリストランテ「サン・ピエトロ Ristorante San Pietro 」(住所:Piazza San Francesco, 2 84010 Cetara (Sa), Costa d'Amalfi、電話:089 261091 )で、コラトゥーラを使った料理をいただいた。パスタはトゥベッティーニ。「トゥペティーニ・パスタ・コラトゥーラ、アーティチョーク添え」16ユーロ(約1840円)はソースがにんにく、オリーブオイル、バジル、唐辛子、コラトゥーラで、そこに茹であがったパスタを入れる。シェフはブルーノさん。つけあわせはアーティチョークで、コラトゥーラとオリーブオイルで味付け。関西風味のダシの味に近いとか。「マグロのたたき」22ユーロ(約2530円)は、炙りガツオに似ているそうです。オーナーのフランチェスコさんが秋田の「しょっつる」を見せてくれました。日本とイタリアはお互いに知らずして同じ物を作っていました。
http://www.sanpietroristorante.it/

 僕はこのコラトゥーラを捜していたので、番組に感謝します。

●プーリア洲 チステルニーノ Cisternino
 アルベルベッロの玄関のバーリに近い場所。とんがり帽子の家もいくつか点在する「イトニアの谷」。チステルニーノの駅は可愛い。丘の上に家が並ぶ。白とベージュの壁が並ぶ。窓枠は緑色にするように決まっている。
 通り沿いに小さなお店が並ぶ。靴の修理屋さんに入ってみた。芸術家も多く住むという。
 アート・ショップに入ってみた。「アルテフェ−ロ Arteferro 」(住所:工房 C.da Pico, 126 / Show room- Piazza V.Emanuele 72014 Cisternino (Br)、電話:+39 080 444 4161、FAX:+39 080 444 1218 )は、アイアン雑貨のお店。
http://www.incudinemartello.com/

 ワイン・ショップ「カンティーナ・サン・マルツァーノ」に入ってみた。ボトルもあるが、お店の中にタンクが並ぶ。町の人はマイボトル持参でワインを買いに来る。1リットルで1.3ユーロ(約150円)。安くしてみんなに飲んで欲しいそうです。

 ちょっとした広場に面したバールがあった。「バール・FOD Bar FOD 」(住所:Piazza Vittorio Emanuele II N.5, 72014 Cisternino (Br)、電話:080/4448546、電話&FAX:080/4441006 )は、二人の息子が改造した。兄はフランチェスコさんで、弟はファビオさん。ラウンジの感じでした。アーティストと旅人が集まるそうです。彫刻家のハーマン・メイヤーさんがいました。
http://www.barfod.it/www.barfod.it/Contattaci.html

 彫刻家 ハーマン・メイヤーさんは農園もしているというので、お家を訪問してみた。アルゼンチンから移住し、トゥルッリを手に入れて住んでいます。ほとんどの彫刻に農園の土が使われている。オリーブの枝を燃やし、灰を肥料にしている。トマト、ズッキーニ、オレンジなども植えているとか。耳をすまして観察することが大事だそうです。
http://www.hermannmejer.com/

 トゥルッリに泊まれるというので、農園ホテルを訪ねた。「マッセリア・アプリーレ Masseria Aprile 」(住所:Contrada Grofoleo,53, 70010 Locorotondo、電話:+39 0804311205、FAX:+39 0804311649 )。オーナー夫人はアンナさん、娘はステファーニアさん。広大な農地を持つ。マッセリアとは、農主が敷地内に人を住まわせて、農作物を作らせていた組織体のこと。家の敷地内に教会もある。今回は洞窟ホテルみたいな部屋で、馬小屋を改造したもの。室料は64ユーロ(約7300円)〜。食品の貯蔵庫を見せてくれました。1年分作るトマトソースなど。パスタ作りも手伝った。この地方は耳たぶのような「オレキエッテ」。これにトマトソースをかける。上にチーズを巻いたお肉で、トマトソースで煮込んである。おかずはアーティチョークの天婦羅で、細かく切り、卵と小麦粉を混ぜる。暖炉に火に鍋をかけ、オリーブオイルで揚げる。パスタと野菜を交互に食べるのが普通だそうです。ラディッシュやチコリ、フェンネルなどをバリバリいただきました。
http://www.masseriaaprile.it/


●プーリア洲 サンタ・マリア・ディ・レウカ周辺 Santa Maria di Leuca
 イタリアを長靴とするとブーツの「かかと」にあたる場所。聖母マリアに守られた街。海岸には波が削った洞窟がいくつもあり、エメラルド色の海と、太陽の光でとても美しい。
 「グロッタ(洞窟)巡り」(問い合わせ:エスクルシオ−ネ・ラ・ト−レ Escursione La Torre、電話:+39 3383 079 911 )は、料金は4時間昼食付きで一人25ユーロ(約2900円)。
http://www.escursionilatorre.org/home.html

 リストランテ「イル・ヴィリーノ IL VILLINO 」(住所:Via Umberto I, 19 73030 Santa Cesarea Terme(LE)、電話:+39 0836 944 202 | 954 558 )で食事をしました。ウニもとても多い。目の前でお皿に入れてくれる。「ウニ7個」5ユーロ(約580円)。メスはひときわ赤く、パンにつけて食べる。甘いそうです。「ムール貝のワイン蒸し」10ユーロ(約1150円)。豪快に盛り付けてくれました。白ワインも合います。パスタは「ボンゴレ」12ユーロ(約1380円)。とても美味しいそうです。
http://www.ilvillinosrl.it/ilvillino/default.html

 宿泊は、ホテル「イル・タバッキフィーチョ IL TABACCHIFICIO 」(住所:IVia San Antonio,33 - 73034 Gagliano del Capo(LE)、電話:+39 0833 547328、FAX:+39 0833 791376、e-mail:info@iltabacchificio.com )は、1920年代のタバコ工場を利用して作られたホテル。外観はそのままで、内部はアーティスティックに改造されている。廊下もオレンジ色がかっている。素敵なアイディアは、各部屋のナンバーの横にこの周辺の美しい風景と地名がディスプレイされていること。今回は129号室で、室料は110ユーロ(約1.3万円)〜。暖色系の部屋で、外の写真と同じ写真の大きいのが内部にある。全ての部屋に違う写真が飾られている。80ユーロの部屋など、他のルームプランもある。この写真を撮っている人とバールで会って話を聞いた。
http://www.iltabacchificio.com/

 バール「マンハッタン Bar Manhattan 」で、写真家のアンドレアさんと会った。エスプレッソは0.7ユーロ(約80円)。バールでは必ず男性が女性におごるのが慣わし。この地方のお菓子「パスティチョット」は1つ0.9ユーロ(約103円)。中にはカスタード・クリーム。エスプレッソに甘いお菓子がイタリア人の朝食らしい。
 アンドレアさんに周辺を案内してもらった。まず、可愛い白い家が並ぶサリニャーノ。円い塔は中世に建てられた見張り塔だった。普通は海の側にあるが、街の中にあるのは珍しい。
 次は海沿いを歩く。次は田園地帯。光が奇跡を起こして、昔の街の姿が浮かびあがったことがあるそうです。1500年代まで住んでいた町です。


●カラブリア州 ボーヴァ
 イタリアを長靴に例えるなら、ブーツのつま先にあたる部分。小高い山の上にある街。天上にある街のようで、人は平穏に暮らしている。
 リストランテ「グレカニコ・サン・レオ Ristorante Grecanico San leo 」(住所:Via Polemo 89035 BOVA、電話:346.7159100、FAX:347.3046799 )に入る。菱形の模様が多く使われている。菱形はギリシャ文化のシンボル。ここでは古代ギリシャ文化の伝統を受け継いで生活している。オリーブの枝でできた人形もギリシャの女神をモチーフにしたもの。オーナーはアンドレアさん。ここではお客に必ず1杯のベルガモットのリキュールが振舞われる。みかんみたいなのが、伝統的な編み方の竹製のようなカゴに入っていた。この村の職人による手仕事だという。
http://www.naturaliterweb.it/home.htm

 ギリシャから移り住んだというホーヴァの人々は、この山の中の町で文化を守ってきた。職人のレオ・ダグイさんは通りでカゴを編んでいた。使っていたのは、野生のオリーブの幼木でした。親の木を守るために丹念に切り取っている。カゴの底も強くて長く丈夫に使えるオリーブの枝を使う。

 近くを流れる川。この川が運ぶ養分で豊かな農作物が育つ。そんな川沿いにある農園ホテルを訪ねた。
 「イル・ベルガモット IL Bergamotto 」(住所:Contrada Amendolea, 89030 Condofuri (RC) - ITALY、電話:0965−727213、e-mail:ugosergi@yahoo.it )。オーナーはウーゴさんと奥さんのティッツィアーナさん。ハイキングコースの中間地点にもなっているので、山小屋風の作り。屋根が高くベッドはオレンジに近い色。1人朝食付きで25ユーロ(約2900円)〜と安い!。窓からの眺めも最高です。ウーゴさんの家族は祖先の時代からここで農園を営んできた。香水の香りとして名高いベルガモットを栽培している。世界の生産量のほとんどをここで生産しているそうです。種を植えてもベルガモットはできないそうです。理由はベルガモットはオレンジの木から、ある日突然変異によっていきなりできたもの。ベルガモットの種を植えても、オレンジしかできないらしい。オレンジの木にベルガモットの枝を接木するしかない。
 皮から絞られるエキスは、ここではボディ・オイルになる。1本10ユーロ(約1150円)。実は「ベルガモットとオレンジのサラダ」などとしていただく。ベルガモットだけだと酸っぱいからオレンジと混ぜる。そのベルガモットのサラダを中心とした野菜の「ディナー(ワイン付き)」は15ユーロ(約1700円)。まずは「アーティチョークのトマト煮込み」、「豆のトマト煮」。「ナスのチーズ巻き」はナスにチーズを巻いて、油で素揚げしたもの。
 食後にはこの地方の伝統的な音楽の演奏がありました。そして伝統的なダンス「タランテッラ」。軽いステップの踊りは自由で、男女だけでなく、男同士でも踊ります。タンバリン、バグパイプのような楽器、トライアングル、太鼓などを使っています。演奏していたのは、伝統保存観光協会のジュゼッペさん。
http://www.bioeccellenze.org/index.php?option=com_content&view=article&id=111:azienda-agrituristica-ugo-sergi&catid=51:aspromonte&Itemid=9


テレビ番組「検索 de ゴー! とっておき世界遺産 第4回」

 2010年5月5日放送。南原清隆さん、首藤奈知子アナウンサーが司会。浅井慎平、森公美子、金子貴俊、Shelly さんが出演。世界遺産検索システム「さぐ〜る」を使って世界遺産を旅する。NHK製作。

 まず「発見」。発見といえばエジプト。
●エジプト
 これまでクフ王のピラミッドは10万人を使い、20年かかったという。巨大な石はスロープを使って運ばれたというが、完成時には1.6km先まで続く巨大なスロープが必要となる。それだと20年では到底無理だと考えた、フランス人建築家のジャン・ピエール・ウーダンさんは、ピラミッドの不可解な窪みに注目した。中には大きな空洞があった。これをトンネルの跡だと考えた。螺旋状のトンネルを作り、石を運び上げたという。角には方向転換する仕掛けを設置したという。労働条件に関しても、ピラミッド建設を指揮したという役人の墓からは、「王が労働者にパンとビールを与えた」という記録が見つかった。労働者の出勤簿からは、「二日酔いで休んだ」、「息子の墓参りのために欠勤」などという記述が見つかった。そのため、農閑期の公共事業だったという説もでてきた。
 ピラミッドの石は1.5mの高さで1個2.5トン。これが300万個使われている。ピラミッド全体で600万トン。
 現在の入口は高さ9mの所にあり、9世紀に開けられたもの。本来の入口はその10m上。
 作られた当初は全体が真っ白だった。化粧石という石灰岩で覆われていた。

 テーベでは、1922年イギリスの考古学者ハワード・カーターが30年かけて見つけた「ツタンカーメンの墓」。2007年、王の素顔が初公開された。死因についても、2010年2月DNA鑑定の結果、マラリアに犯された痕跡が見つかった。

 DNAといえば、ガラパゴス。
●ガラパゴス
 ダーウィンに進化論のヒントを与えた。ガラパゴスゾウガメ、グンカンドリ、リクイグアナとウミイグアナ。最近、この交配種がでてきて、鋭いツメで木に登れるようになった。2009年、ピンクのイグアナも登場した。こうして種を守っている。

 「守る」といえば、ゴール旧市街。
●スリランカ
 16世紀以降、アジア進出のためにヨーロッパ諸国が築いた要塞都市がゴール。周囲は高さ20mにも及ぶ城壁。街中では洋風建築が植民地時代の面影を留めている。
 このゴールを奇跡の世界遺産として認めさせたのが、2004年のスマトラ島沖地震。ゴール旧市街にも5mを越す大津波が押し寄せた。城壁が持ちこたえ、直撃は避けられた。街の裏から海水が入り込み、大洪水になった。しかし、植民地時代に作られた下水道により、排水された。これは忘れられていた。

 「穴」といえば、カナイマ国立公園。
●ベネズエラ
 絶壁のテーブル・マウンテンが100以上も聳え立つ。山の頂きから流れ落ちる「アンヘルの滝(エンジェル・フォール)」は落差979m。滝壷がない。その山頂(ロライマ山頂)は麓と全く異なる生態系。カエル(オリオフリネラ)には水かきがない。雨で流れ落ちないように、オタマジャクシにはならない。
 直径800m、深さ300mの巨大な穴がある。ここで新生物を発見。マツゲが生えたヤモリ。細いサシガメの仲間。高さ5mの堆積物を発見したが、これは植物の種で、アブラヨタカの食事のあとだった。

 次の検索は「黄金」。
●スペイン
 セビリア大聖堂は、大航海時代のスペインを象徴する世界遺産。高さ28m、上から下まで金の祭壇衝立には、3トンの金が使われている。アメリカから運ばれたもので、120年の歳月をかけて作られた。祭壇の傍らには、コロンブスの柩もある。

●ブラジル
 「オウロ・プレト歴史地区」は18世紀金鉱が見つかり栄えた。ピラール聖母教会は黄金で儲けた人が建てた。最盛期には世界中の金の6割がこの街で掘り出されたという。
 連れて来られた奴隷たちが働いていたが、彼らは祈ることを禁じられた。そこで、自分たちだけの「ロザリオ・ドス・プレトス聖母教会」を建てた。掘った金を少しずつ隠して持ち寄り、支度資金にした。

●オーストリア
 ザルツブルグ歴史地区。財力に恵まれ、芸術文化を育んできた。繁栄ぶりを今に伝えるのが「ホーエンザルツブルク城」。最上階は金箔で飾られた「黄金の小部屋」。しかし栄えたのは、司教ルーペルトの持った壷の中に入っている岩塩。塩は食物の保存にも重要で、貨幣のような価値もあった。モーツァルトのクリスマスのボーナスが、重さ60kgの塩の塊だったという記述も残っている。当時、北ドイツではこの岩塩5本で家1軒が買えたという。
 ザルツブルクは「塩の城」の意味。また給料のサラリーは、古代ローマ時代の給料は塩(サラリウム)で支払ったことが由来。

 「塩」といえば
●ポーランド
 「ヴィエリチカ岩塩坑」は13世紀頃から700年以上に渡って掘られたもので、坑道はのべ300km。部屋の数は2000以上。地下に豪華なシャンデリアで飾られた礼拝所がある。彫像までも岩塩でできている。危険が多かったので、坑夫たちは安全を祈った。
 1978年に世界で初めて世界遺産として登録された一つです。

 「料理」と「芸術」で検索すると、
●イタリア
 「サンタ・マリア・デレ・グラツィエ修道院」の食堂の壁に15世紀の末に描かれたのは、「最後の晩餐」。1970年代から一大修復プロジェクトが始動し、ダビンチの描いた当時の姿のみが浮かび上がった。NHKはさらにCGを使い、食卓の上に、ワイン、オレンジの添えられたウナギなども再現した。

 「料理」といえば
●フランス
 「モンサンミシェル」は干潟にそびえる修道院。年間300万人が訪れるこの世界遺産の名物料理は「オムレツ」。特大サイズですが、「前菜」らしい。

●メキシコ
 「テキーラ」はリュウゼツランが原料。この畑とテキーラの工場が世界遺産。葉を切り落とし、ビニャと呼ばれる中心部分にはデンプンがいっぱい。蒸して甘い汁を絞り取る。発酵させ蒸留し、テキーラができる。
 正統な飲み方は、グラスにライムと塩をつけて一緒に飲む。

●イタリア
 「ナポリ歴史地区」。卵城は12世紀にノルマン人が建てたもの。150年後にフランス王家が建てた城もある。そしてスペインの王宮。この時、新大陸が原産のトマトが持ち込まれた。1889年、イタリア王国の一員となったナポリに国王夫妻がやって来た。その時食事作りをおおせつかったのが、ピザ職人ラファエッレ・エスポージドで、新しいピザを考案した。生地に赤いトマトと白いモッツァレラ・チーズ、緑のバジルをのせて、イタリアの国旗を表わしたピザにした。王妃のマルゲリータはその美味しさに感激し、名前を聞いた。エスポージドは「マルゲリータ」だと答えた。

 人生のほとんどを世界遺産に関係している人は、カトリーヌ・ド・メディシス。
●イタリアとフランス
 生まれたのは「フィレンツェ歴史地区」で、フランスに嫁ぎ、当時の最新文化を伝えた。新婚生活と晩年は「ロワール地方」で、生涯の大部分は「パリのセーヌ河岸」だった。
 フィレンツェはダビンチ、ミケランジェロ、ラファエロなどの多くの芸術家を生んだ。カトリーヌが生まれたメディチ家はヨーロッパ一番の富豪一族だった。生まれた時に、産婆は「不吉な星の下に生まれた子」と言った。生後15日目に母が、21日目に父のロレンツォ2世、そして祖母、大伯父が死去した。14歳の時にアンリと婚約。しかしアンリは20歳年上の養育係ディアヌ・ド・ポワチエを愛人にしていた。夫を取り戻すために、カトリーヌはブロワ城で子宝を得るための薬草を使った。11年目にやっと第一子を授かり、後に12年で10人の子を出産した。しかしその子たちはディアヌに預けられてしまった。
 ニコル・ガルニエさんが貴重な資料を見せてくれました。子供たちの肖像画を鉛筆で描いて送ってもらていた。
 そのカトリーヌの前にノストラダムスが現れた。彼女の家族について、こう予言した。「若きライオンに組みふされて失明した老ライオンは、苦悶のうちに死す」。5年後に現実となった。騎馬試合に出場したアンリは若い騎士に目を突かれて重症を負い、死に至った。
 カトリーヌは若い王の摂政として政務に就き、ディアヌとの立場は逆転した。ディアヌからシュノンソー城を返還させ、派手なディアヌの庭園の向かいに、シンプルな新しい庭園を作らせた。愛人によって乱された国を文化によって建て直そうとした。
 イタリアの宮廷舞踏だったバレッティは、後にバレエとなった。料理はそれまで大皿に盛った料理をナイフで刻み、手掴みで食べていた。ここにフォークを持ち込み、優雅な食事のスタイルを持ち込んだ。今では大人気のシャーベットやマカロンなどの多くのデザートも持ち込んだ。これが今のフランス料理とつながっていく。
 次は宗教戦争の解決にも乗り出す。娘のマルグリットを敵であるプロテスタントのナバル国王アンリに嫁がせようとした。1572年8月24日、その結婚披露宴の最中、王家の家臣がプロテスタントの貴族を暗殺し、これを契機にして全国でプロテスタントの粛清が始まった。フランス史に残る大虐殺事件「サン・バルデルミの虐殺」に発展。政治の実権を握っていたことから、カトリーヌは事件の黒幕と噂された。それに喪服の印象が重なり、「黒い王妃」と呼ばれるようになった。
 その疑惑を晴らせぬまま、1589年ブロワ城で亡くなった。

 「発見」で最後に
●ドイツ
 2009年5月にニューヨークで化石「イーダ」についての記者会見が行なわれた。イェンス・フランツェン博士は人類の祖先の可能性があるという。ヒトとサルをつなぐ最古の生物ではないかと研究が行なわれている。
 イーダが発掘されたのは、ドイツのメッセル。「メッセルピットの化石発掘地域」は東京ドームのおよそ15倍。地下には無数の古代生物の化石が眠る。4700万年前の地球を覗ける窓だといわれている。
 恐竜が繁栄していた中生代の時代が終わると、哺乳類の時代「新生代」の時代となる。当時は地球全体が温かく、新しい種類の哺乳類が次々誕生した。馬の祖先の仲間「プロパレオ・テリウム」は今の馬よりも小さく、体長は70cm。「アメリカツヤタマムシ」。スッポンモドキのカメの仲間「アラエオケリス」。

 実はこの地域は巨大なゴミ箱になる運命にあった。1970年代初頭、ドイツは大量のゴミに頭を悩ませていた。当時のメッセルには大きな窪地があった。州政府はここに大規模なゴミ処理場を作ろうとした。地元の人は大反発。工事のためにその窪地から水を抜いたところ、新しい化石が次々と見つかった。オットーさんは人工樹脂を使って化石を壊れないようにした。絶滅した原始のハリネズミの化石「マクロクラニオン」。原始的なツバメの仲間「スカニアキプセルス」。原始的なキツツキの化石「プリモジゴダクティルス」の胃からは、ブドウの種が見つかった。1981年オットーさんは死去し、意志はメッセル化石郷土博物館に引き継がれた。ワニの化石には抗議の意味で「パリフラクタ・テポニアエ」という「ゴミ処理場」という名前が学術名に入れられた。世論の支持を集め、ゴミ処理場計画は中止された。


テレビ番組「知っとこ!世界の朝ごはん シチリア島カターニア」

 2010年4月24日放送。

●カターニャ
 イタリア・シチリア島東部の町。旧市街が世界遺産。人口約30万人。今から3000年前のギリシャ時代から地中海交易の中継地として発展した。旧市街はゴシック調の建物で統一されている。町の背後にはヨーロッパ最大の活火山エトナ山(標高3326m)が美しい姿で町を見下ろしている。
 ドゥオモ広場の真ん中にはゾウの像がある。町の至る所、建物の壁にもゾウのマークがある。ゾウはこの町を守ってくれる大切なシンボル。その昔、アフリカから連れてきたゾウが、町の門を守っていた。この像は300年以上前に、エトナ山の溶岩で作られている。

 町の人はフレンドリーで陽気。おみやげ屋さんに入ると、ゴッドファーザーが多い。可愛い陶器もある。栓抜きみたいなものがあるが、マランザーノというシチリア伝統の楽器。口に当てて、はじいて頭全体に音を響かせるという。演奏できることがシチリア男性のたしなみだとか。物思いにふける時に演奏するという。

 広場の屋台で、ジェラートを売っている。シチリアの名物は、パンを切ってその中にチョコレートのジェラートと生クリームを入れた「ジェラート・コン・ブリオッシュ」1.8ユーロ(約220円)で、町の人はこれを朝ごはんに食べる。

 おしゃれなお店もとても多い。イケメン?のデザイナーがいるという「JPNJ」に行く。ジャンピエーロ・ニチタさん(37歳)。おすすめはカターニァにしかないアクセサリー。エトナ火山の溶岩をベースに使っているもの。デザインしたのはこのお店の共同経営者アンナマリア・ブリージさん。溶岩に色つきガラスをのせて高温で焼いたら、とけていいものができるとか。イタリアで特許を取っているので、彼女しか作れないという。

 屋外でテントで営業しているラ・フィエーラ市場に行く。野菜や魚介類など。代表的なのはトマト。特に車で1時間のパキーノが産地で、トマトの職人がいるという。

●パキーノ
 ここの土壌がトマト栽培に最適とか。トマト・ブリーダー歴40年のマウロ・ポンフィリオーリさんたちが開発したトマトだという。甘みが多い、病気に強いなどの新しい品種を開発する人で、1品種に最低5年はかかるという。究極のトマトは、加熱するとうまみが増す料理専用のトマト「シシリアンルージュ」。グルタミン酸が普通のトマトの3倍もあるとか。日本でも市販されていて、トマトソースだけのパスタも美味しいとか。

●カターニャ
 新婚さんの朝ごはん。半年前に購入したという一軒屋に住むのは、ロレダーナ・ニコロズィさん(28歳)が作るのは、1品目「ノルマ風パスタ Pasta alla Norma 」。ナスを輪切りにし、塩をふって水分を少し抜いたら、オリーブオイルで素揚げする。シシリアンルージュを刻み、にんにくの風味をつけたオリーブオイルで炒める。味付けは塩のみ。あとはペンネを茹でて絡めるだけ。最後にナスとチーズをのせて完成。作曲家ベリーニの名作にちなんで名前がつけられた。
 2品目「タコのサラダ Insalata di Polpo 」。タコを豪快に丸茹で。何度も持ち上げて茹でるとタコが柔らかくなるという。これをぶつ切りにする。これにレモンとオリーブオイルをかける。野菜の総菜が酢やオリーブオイルに漬けてある。これをタコと混ぜて完成。
 3品目「カンノーロ Cannolo 」。リコッタチーズに砂糖を混ぜ、ビターにチョコレートを刻んで加える。ミキサーでクリーム状にする。専用のパイ生地にチーズのクリームを詰め、刻んだピスタチオをかけて完成。


テレビ番組「世界遺産への招待状36 イタリアのベローナ」

 2010年4月17日放送。

●ベローナ Verona
 恋愛についてジュリエットに年間5000通も手紙が届く。大きく蛇行するアリジュ川?に沿って広がり、昔から交通の要所として栄えてきた。街には2000年にわたる様々な時代の。1世紀の円形競技場は古代ローマ時代の遺跡で、ローマのコロッセオにも劣らぬ規模を誇る。街の中心のエルベ広場には中世、ルネサンス時代の建造物がぎっしりと建ち並ぶ。高さ84mの塔は12世紀のもので、その下の白い建物は19世紀のもの。それぞれが異なる時代に建てられたため、装飾や風合いが違う。ベローナが世界遺産に登録されたのは、古代以来、あらゆる時代の文化遺産が残されているから。

 2月、街に巨大なハートが出現した。地面に赤いシートが敷かれ、白いテントがハート型に並べられる。町の中はラヴラヴ・ムードが一気に全開した。バレンタイン・デーに関連した恋人たち用のイベントが次々と開かれている。夜空に5万枚の赤い紙が舞う。みなさんそれを掴もうと必死。1000枚に1枚の割合で、ピンク色のハートが混ざっている。見つけた人にはベローナ産のワインが贈られた。中世風の衣装を着た男女がチョコレートを街行く人に配っている。聞けば「ロミオとジュリエット」だという。ベローナは「ロミオとジュリエット」の舞台になった場所だった。シェイクスピアが14世紀の実話をもとに作ったと言われている。争っていたモンタギュー家のロミオとキャピレット家のジュリエットの恋の物語。
 ジュリエットの家は、中世の裕福な商人の家とされている。この家に世界中から韓国客が訪れている。みんなが取り囲んでいるのは、中庭のジュリエットの像。みんな右の胸を触るのは、素敵な恋愛ができるためらしい。
 この日不思議なイベントが開催されていた。ジュリエットに自分の恋愛を告げる手紙がいくつか公開された。朗読をしたのは、サンドロ・アベザーニさんで、ジュリエットに手紙を出すと返事が来ると語った。会いに行ってみると、家の中には女性が5人。みんな秘書だそうです。世界中から来る手紙を無視できず、市から頼まれて、ジュリエットの秘書として無償のボランティアが活動している。リーダーはジョバンナ・タマッシアさん。年間5000通を越える。韓国や日本からの手紙は韓国語や日本語で書いてありました。ウクライナの女性からの手紙は、結婚式の直前に恋人が事故で亡くなったというものだった。まだ愛しているので、「愛は死よりも強い」と書いてありました。ジュリエットが社会や制度に立ち向かった姿が、今の人たちの心の中に生きているとジョバンナさんは語りました。

 街の中には「ロミオとジュリエット」の時代、14世紀の建物が多く残っている。「カステル・ヴェッキオ」は要塞化された橋。イタリアは今でこそ1つの国だが、中世の頃は多くの独立国家に分かれていた。フィレンツェ、ミラノ、ヴェネツィアなどは互いに外国だった。ベローナもそういう都市国家の一つで、各都市国家は互いに血みどろの抗争を繰り広げていた。当時のヨーロッパ、特にイタリアの歴史は2つの大きな勢力によって翻弄されていた。一つは今のドイツを中心に力を持っていた「神聖ローマ帝国」であり、一つはカトリックのトップであるローマの「教皇庁」だった。2つはイタリアの都市国家を自分の陣営に引き込んでいった。これらが互いに抗争を繰り返していた。当時のベローナは両方が並存していた。ロミオの家は皇帝派、ジュリエットの家は教皇派だった。

 ベローナ市内にある「サンフランチェスコ教会」にはジュリエットの墓とされる棺が残されている。1937年、ジュリエットに宛てた恋の手紙がここに置かれていた。それに深く同情し、返事を書いたのが、教会の管理人エットレ・ソリマーニさんだった。これが手紙が届くきっかけになった。現在ジョバンナさんはポーランドから来た一つの手紙に悩んでいる。ネットで知り合ったシリア人と1週間イタリアを旅した。互いの国に帰ってから、男性が別れを切り出した。ネット上で知り合った男性は簡単には信用しない方がいいと言おうとしたが、簡単に言っていいことではないと思っているそうです。別れの原因が宗教上の問題だと思われたからです。女性はイスラムの一夫多妻制度に不安を持っていた。他にも黒人と白人の問題、政治的な問題など様々な悩みの手紙があった。結局ジョバンナさんは、後に後悔しないように、落胆することもあるかもしれないけど、会ってお互いの気持ちを確かめた方がいいと書きました。

 サンドロさんはバレンタイン・デーの日に彼女のフェデリーカ・マルゲッティさんに告白の手紙を贈りました。バラの花束の中に手紙を切り刻んで入れておきました。2人で完成させると、「あなたの視線は僕の心に甘く入り込む。同じような温かさで僕の家に来てください。愛しています」。そして封筒に入ったカギをフェデリーカさんにプレゼントしました。OKをもらいました。
 この日、1分間ずっと恋人とキスをし続けようというイベントが開催されました。

 なお、ジュリエットへの手紙の宛先は、
Dear Juliet
Club Di Giulietta, Via Galilei 3-37100, Verona ITALY

 最後に、ベローナの町は上空から見るとハート型をしている。


テレビ番組「にじいろジーン 地球まるごと見聞録 マルタ共和国」

 2010年4月17日放送。エミレーツ航空で行きました。

●マルタ島
 地中海に浮かぶマルタ島を中心としたマルタ共和国の首都バレッタ。まず街を囲む城壁のいかめしさが目をひく。16世紀キリスト教徒を守る騎士団により、要塞のような都市として築かれた。街全体が世界遺産。18世紀にはナポレオンの軍隊がマルタに侵攻。その攻防戦が観光イベントとして再現されている。その後独立するまでの160年間、イギリスに支配されていたので、マルタ語と英語が公用語。
 年間を通じて温暖な地中海性気候が続き、ヨーロッパのリゾートとしても発達してきた。

 街の中心に位置する聖ヨハネ大聖堂は、16世紀に騎士団によって建てられた。重厚な天井画には、騎士団の守護聖人ヨハネの生涯が描かれている。床には色鮮やかな墓碑が敷き詰められていて、その下に騎士たちが埋葬されている。
 今から5000年以上も前に建てられた巨大な石の神殿が数多くあり、世界中から訪れる考古学ファンが絶えない。タルシーン神殿、マルタの女神像などが紹介されました。

 鉄道のないマルタでは、バスが庶民の足として大活躍。ヴァレッタ・バスターミナルには形の違うレトロなバスがいっぱい。かつてイギリスやアメリカで使われていたバスにマルタの色を塗っているだけで、現役で働いている。バスの運賃は初乗りが約60円。ちなみにバスに扉はない。次の停留所で降りる時は、天井にある紐を引っ張って運転手さんに知らせる。
 にじいろガイドは、バレッタのブランド店に勤務しているアンジェラ・カサールさん(27歳)。

 周りが海なので、魚介類が豊富に獲れる。マルタの郷土料理が味わえるというメイン・ストリートに面したレストラン「アングロ・マルチーズ・リーグ」。「アリオッタ」約570円は伝統的な魚のスープで、にんにくやハーブを使った香り高い料理。スープに入れる具材は白身魚、エビ、タコ、ムール貝などで、トマト・ベースのスープで仕上げる。肉料理「ブラジオリ」約1300円は、マルタ人が毎日のように食べる料理。調理した牛肉のミンチを薄切肉で包み、ソーセージのように丸くしてソテーした後、トマトソースで煮込んで出来上がり。ハンバーグ好きの日本人にお勧めのグルメ。

 マルタの対岸にあるのは、16世紀に敵の侵入を防ぐために作られた監視塔のヴェデッテ。その壁には象徴的に耳のレリーフがある。
 同じ時期に作られたのが、「騎士団長の宮殿」。廊下に並ぶのは、甲冑。騎士団の団員の規律は厳しく、結婚することも認められていなかった。この甲冑のマスクを上げる仕草が、今の敬礼の仕草の元になったと言われている。館内の騎士団長の絵に見られるのが、8つに分かれた「マルタ十字」。騎士団を統制する8つの言語を話す騎士たちを表しているとか。
 マルタ十字を今に伝える伝統工芸がある。バレッタの中心街にある「ザ・シルバースミスズ・ショップ」は銀のアクセサリーを扱う店。伝統工芸品「マルタ十字のフィルグリー」がある。フィルグリーとは銀などを糸のように細くしたコイルに巻いて、模様を描いて作られる銀線細工と呼ばれるもの。全て職人の手作業で行なわれる。元々フィルグリーは中東から伝わったといわれている。1530年に騎士団によってマルタに持ち込まれた。ピアスは約2100円でした。

 オシャレじゃない小さなカフェ「クリスタル・パレス・バー Crystal Palace Bar 」に行く。店の中はおじさんばっかり。中には朝3時間、夜2時間ここにいる人もいる。定番のスナックが「パスティッツィ」1個約40円。サクッとした小ぶりのパイ。中身はリコッタ・チーズとグリーンピースのペーストの2種類だけ。
 裏通りにあるカフェ「ミュージアム・カフェ」に行く。「ティンパーナ」約400円は、分厚いパイ。中は大きなマカロニがギッシリ。トマトソースも使うので、多分イタリアから来た料理だと思われる。大きなプレートにマカロニを入れ、生地をかぶせてオーブンで焼き上げたもの。ティンパーナは小腹が空いた時の強い味方。この街は世界遺産なので、車が入れず、みんなよく歩くそうです。なのですぐにお腹が減って、カフェでこれを食べるのだそうです。

 お勧め物件は、バレッタの隣町のウォーターフロントにあるマンション。3LDK140平方mで、バルコニーから世界遺産のバレッタの街が見える。値段は46.7万ユーロ(約6200万円)。

●ゴゾ島
 マルタは主に3つの島からなる国。マルタ本島のおよそ6km西に位置する島。バレッタから車でおよそ1時間、さらにフェリーに乗って、約30分で到着する。美しい自然に恵まれている。海岸には波と風の浸食によって作られた「アズール・ウィンドー」という自然の岩のアーチも見られる。
 世界で一番古い遺跡と言われているのが「ジュガンティーヤ神殿」で、紀元前3600年に作られた。石灰岩の壁に囲まれていて、巨人が建てたという伝説がある。上から見た神殿は女性の体を表わしているという説もある。
 路地で名産品「ゴゾ・レース」を編んでいる女性を見かけて、話を聞いた。細長い糸巻きをおよそ70本も使って編む。繊細で、エリザベス女王にも献上されたことがある。この技術は16世紀から母から娘に代々受け継がれてきた。

 温暖なゴゾ島にはサボテンがいっぱい。これからジャムを作っている。「サボテンのジャム」2ユーロ(約270円)。サボテンの実の部分を絞ってジュースにした後、砂糖などを加えてジャムにする。ゴゾ島のお土産として定番の一品です。


テレビ番組「THE 世界遺産 レオナルド・ダ・ヴィンチ「最後の晩餐」」

 2010年4月11日放送。

●ミラノ
 最後の晩餐はミラノにあるサンタマリア・デ・レ・グラツィエ教会とドメニコ会修道院にある。レオナルドがこの街にやってきたのは、15世紀の後半、30歳の頃だった。弦楽器リラの名手だったので、音楽家として雇われた。リラはバイオリンの原型となった楽器。少しずつ絵の才能も売り込んでいった。
 42歳の時、ミラノ公が修道院の改修に際し、食堂の壁画をレオナルドに依頼した。こうして2年あまりの歳月をかけて完成したのが「最後の晩餐」。
 「最後の晩餐」はいろいろな人が描いている。「サン・タッポリナーレ・ヌォーヴォ聖堂」の作品は6世紀に描かれた最古のもので、モザイク画。15世紀には修道院の食堂に「最後の晩餐」を描くことが流行した。1333年にタッデーオ・ガッティによって描かれた、サンタ・クローチ修道院の作品など。
 処刑の前夜、イエスは12人の弟子達を前に「あなた方の一人が私を裏切ろうとしている」と語る。みんなが驚くが、裏切り者のユダだけは、テーブルの手前に座っている。1480年頃にギルランダイオによって描かれたサン・マルコ修道院の場合もそうで、頭の上にユダ以外には光の輪を描き、聖人であることを表現した。
 ダビンチは全く違う一瞬のドラマを捕えた。裏切り者の存在を静かに告げるイエス。ユダは他の弟子たちと同じ側に並んでいる。その手に握りしめているのは、密告して手に入れた金貨の入った財布。ユダの心理をうまく表現している。「許せない、裏切り者は誰だ」そんな声が今にも聞こえてきそうです。光の輪の代わりにあるのは、大きな窓。イエスには後光がさしています。

 ダビンチといえば、膨大なノートが有名。全て左右を反転させた鏡文字で書かれている。ノートは生涯で6000ページにも及ぶ。レオナルド・ダ・ヴィンチとは、ヴィンチ村のレオナルドという意味。ヴィンチ村には手稿に遺されたアイデアを製作した博物館がある。

 ダヴィンチは14歳からフィレンツェで絵の勉強を始めた。20歳頃のデビュー作「受胎告知」。リアリティにこだわる彼は天使の翼も飾りのようなものは嫌った。実際に空を飛ぶ鳥のような翼にした。いつもノートを持ち歩き、観察力と表現力を養った。さらに興味は人体の構造にまで及び、解剖まで手がけた。
 その完成品が「最後の晩餐」だった。縦4m、横9m。しかし完成直後から悲劇に見舞われることになった。完成直後から表面の絵の具がはがれ始めた。17世紀には厨房につながる通路を作るために、イエスの足元がくり貫かれてしまった。第二次世界大戦中には修道院が爆撃を受け、食堂は崩れ落ちた。壁画のある壁だけは奇跡的に残ったが、長い間風雨にさらされた。修復の名の下に加筆も繰り返され、ボロボロになっていた。それを救ったのが一人の女性だった。ピニン・ブランビッラさん。
 普通壁画にはフレスコ画が使用された。壁に塗った漆喰が乾かないうちに、水で溶いた絵の具をしみこませながら描く方法。絵は一気に仕上げなければならない。書き直しをしながら、じっくり完成させるタイプのダヴィンチには不向きな画法だった。そこで選んだのが、普通木の板に使う「テンペラ画法」。生卵にイチジクの実を混ぜ、更に植物油を加えたもので絵の具を溶く。乾いた壁の表面に絵の具の膜を作るので、絵の具が乾けば重ね塗りが可能。しかし湿度の高いミラノでは、壁の水分が絵の具の膜を押し上げてしまう。それで完成直後から絵の具が剥がれ落ち始めた。

 ブランビッラさんが、館長を務める「ベナリア・リナーレ国立修復センター」には、ヨーロッパ中から作品が集まる。現在主な修復は絵の洗浄。加筆された絵から余計な絵の具を取り除いていく。最新の科学技術を用いることで、加筆での重ね塗りを剥がして、極力オリジナルに近い状態にまで戻すことができるという。
 1979年から20年かけて修復された。1日に1cm四方進むのがやっとだったとか。新事実が明らかになった。一つは青い絵の具へのこだわり。鉱石ラピスラズリを砕いた輝く青と、ベースとなるアズライトの青、この2つの青を使っていた。最初にアズライトを厚めに塗り、その上から細かく砕いたラピスラズリを細かく重ね塗りしている。ラピスラズリには赤い漆の粒を混ぜて、絵の具の色を少しだけ紫っぽい色にみせている。一人の弟子の青い色は、アズライトを薄く塗った後、ラピスラズリを厚く重ね塗りしていた。彼は人物毎に青に変化を持たせた。そして弟子の中に一人だけラピスラズリが使われていない人物がいることもわかった。それはユダだった。彼は輝く青で、人間模様まで表現していた。
 もう一つ見つかったのは、イエスのこめかみの小さな穴。ダヴィンチがうったクギの跡だった。一点透視法の中心になるもので、絵に奥行きをもたせた。

 もう一つのダヴィンチの名作はモナリザ。終生持ち歩いたという3枚の絵はどうしてルーブル美術館にあるのか?それは、60歳を過ぎてからフランス国王に招かれ、ロアール渓谷で晩年を過ごしたため。1519年にこの世を去るまで手を入れ続けたのが、ルーブルにある3枚の絵。

 1999年、修復が終わり、ダヴィンチの絵が蘇った。


テレビ番組「世界の果てまでイッテQ! 武井が行く!イタリア、ストロンボリ火山」

 2010年3月28日放送。「超田舎に泊まろう!」武井俊祐さんが出演。世界中の絶景の写真を収めたマイケル・ブライトの著書「1001必ず見ておくべき世界の絶景」で武井がこの本のページをランダムに開き、指で指して泊まる場所を選んで決定。日本テレビ製作。

●イタリアのエオリア諸島ストロンボリ島
 ストロンボリ火山は活火山。火山がぽっかり海に浮いているような状態。2500年前から噴火し、10分に1度噴火する。武井と火山との距離は400m。これほど近づける火山は世界的にも珍しい。ここにテントを張って就寝。午前2時に大噴火で目が覚めた。

 翌朝、1時間かけて山を降りたら村があった。真っ白なお家ばかり。しかし人の気配がない。大きな声で呼んでいて、やっと1軒から声がかかった。事情を説明し、1人なら1泊OKと許可をもらった。
 ピザ屋を経営しているジョヴァンニさん(39歳)は、奥さんのオッターヴィアさん(37歳)、長男はピオ君(7歳)、次男のレニー君(5歳)の4人で暮らしている。
 夏はこの島はビーチと火山で観光客が来て賑わうが、冬はオフシーズンで島に来る人も少なく、ホテルもレストランも休業。ジョヴァンニさんは、家庭菜園で果物や野菜を育て、家族でのんびり過ごしている。
 翌日も島を案内してもらうなど、ストロンボリ島を満喫した。別れの時、武井さんはかなり泣いていました。


テレビ番組「美の巨人たち カラヴァッジオ」

 2010年1月16日放送。

●ローマ
 2000年の都。いつもどこかで修理や修復が行なわれている。例えば、サボナ広場の近くにある「サン・ルイージ・ディ・フランチェージ聖堂」も。ここで400年前にローマ中の市民がおしかけた事件があった。コンタレッリ礼拝堂に飾られた新作の絵を見るためだった。ヴァルドリーニ神父が説明してくれました。この絵は発表された当時、たいへんな反響を呼び、現在まで続いている。作者は「呪われた天才」と呼ばれた画家ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジオ。その絵は縦横3mを越える大作「聖マタイの召命」(1599-1600年)。テーブルにたむろする男たちが描かれている。お金を計算している人、突然の侵入者に驚く人たち、入ってきた二人のうち一人は人々を制していて、一人は右手で誰かを指している。頭上には金色の輪があるので、イエス・キリストを示す。「私に従うがよい」との言葉がある。後に聖マタイとなる人をキリストが示している絵である。
 カラヴァッジオほど人格と作品に激しい落差のある人はいなかったという。ローマ・サビエンツァ大学セルジョ・ロッシ教授が説明してくれました。彼は短気で乱暴で殺人事件まで起こした。光と影が生み出すリアリズムは絵画に革新をもたらした。特に口ほど物を言うのが、手。
 無名だった頃の自画像「悩めるバッカス」。1571年ミラノ近郊のカラヴァッジオで生まれ、21歳でローマにやって来た。画家の工房に雇われたのは1年後で、「果物籠を持つ少年」、「果物籠」などを描いた。水滴のみずみずしさ、リンゴの虫食い、伸びようとする葉、枯れていく葉など、生から死も見事に描いた。「トカゲに噛まれた少年」は光と躍動感が見事。「いかさま師」。彼は作品を依頼されると数週間篭って仕事をし、完成すると数ヶ月も弟子たちと遊んだという。その間は乱暴をしたらしい。
 彼の才能を見抜いたのは遊び好きのデル・モンテ枢機卿。1599年にカラヴァッジオに大きな仕事が入った。それがコンタレッリ礼拝堂の祭壇の絵。元々はカラヴァッジオがいた工房の主ガバリエ・ディ・マルティーノに依頼されたが、進行が遅すぎたので、カラヴァッジオに依頼された。通常はフレスコ画が当然だったが、経験がないカラヴァッジオはキャンバスに油絵で3部作を描いた。彼は下絵を描かず、モデルを集め舞台劇のように演出し、キャンバスに直接描いた。光は神の光で、キリストとペテロの指先が示すのは、金を数えている男。以前はヒゲの男だと思われていた。
 収税吏レリは聖マタイとして神の道に生きることを選択する。聖マタイは天使から霊感を受け、福音書の執筆に神経を注ぐ。やがてエチオピアで宣教し、国王の逆鱗に触れ、刺客により殉教する。カラヴァッジオにとってマタイとはどういう存在なのか?収税吏は裏切り者であり、憎悪と侮蔑の存在だった。カラヴァッジオは自分の性格を理解しており、描くことにより救われたいと願った。マタイの苦しみを自分以外には描かれない。聖マタイは福音書を書き、カラヴァッジオは絵を描いた。聖マタイは殉教し、カラヴァッジオは人を殺して逃げた。聖マタイが殺される絵にカラヴァッジオは自分を入れている。では画家は救われたのか?この絵は宗教画の概念を全く変えてしまった1枚となった。
 その後、「ロレートの聖母」、「エマオの晩餐」、「聖ペテロの磔刑」などの名作を描いた。1606年殺人を犯し、逃亡者としてその後の人生を送り、39歳で亡くなった。
 スペインのベラスケス、オランダのレンブラント、ベルギーのルーベンスのむさぼるように学んだ原点がここにあった。


テレビ番組「世界の果てまでイッテQ! マグネット同好会イタリア」

 2009年10月4日放送、2010年1月16日再放送。1泊2日で世界のマグネットいくつ集められるの?ローマ、フィレンツェ、ピサ、ミラノをまわる。日本テレビ製作。

●ローマは3時間
 午前10時に「トレビの泉」に到着ここで20分。1734年に紀元前19年の水道を利用して作った。ローマに戻りたいと願うなら、後ろ向きにコインを投げよ。といわれる。1年間に投げ込まれるコインは約9000万円。トレビの泉のマグネットは約650円など。
 次はコロッセオ。紀元80年頃、世界最大の円形競技場として建てられた。夜はライトアップされている。しかし、行かない。
 「真実の口」は「ローマの休日」でも有名。ウソをつくと噛まれるという。「サンタマリア・イン・コスメティン教会」の中にある。見物人は列をなしている。入口にお土産屋を発見し、マグネット約400円を購入。古代のマンホールの蓋で、水の神ポセイドンがあしらわれている。
 ヴァチカン市国。中にはヴァチカン美術館がある。以下はマグネットの値段。「ピエタ」約520円、「アダムの創造」約400円、「最後の審判」約400円。最後の審判はミケランジェロが1512年にシスティーナ礼拝堂の中に描いた、世界最大の壁画。描かれている人物は400人にも及ぶ。
 週に1度ローマ法王がお話をする機会に遭遇。行ってみたが、テレビ中継のみだった。マグネットは約720円。
 ミニチュア・マグネット専門店「キウラート」ではいろいろなマグネットがある。パスタのマグネットもある。このパスタは調理すれば食べられる。1個約1040円。
 以上46個収集。

●フィレンツェ
 電車で1時間半で移動。名物の「ランプレドット」をいただいた。牛の内臓(特に牛の4番目の胃)が食材のメイン。トマトスープに入れてじっくり煮込み、サクサクのパンにはさんで、ニンニク、バジルソースをかけたもの。美味しいそうです。
 ミケランジェロ広場からフィレンツェの町が一望できる。
 アカデミア美術館で「ダビデ像」を見る。1504年、ミケランジェロが26歳で作った不朽の名作。
 ウフィッツィ美術館で、「ヴィーナスの誕生」を見る。1486年ボッチチェリの作品。子孫繁栄を願うホタテ貝の上にのり、海からやってきたギリシャ神話の女神が、初めて地上に降り立つ瞬間を描いている。
 ダビデ像のマグネット約780円。
 午後7時に「Momoyama 」に集まって食事。
 フィレンツェでは23個収集。

●ピサ
 世界遺産「ピサの斜塔」は1173年建設。高さおよそ55m。大理石で作られた8層建の塔。塔に登ってみた。塔の上から町が一望できる。
 温度計付きマグネット約650円。ジブリ風約520円。木製約520円。 ピサでは16個を取得。合計85個。

●ミラノ
 車で4時間。予定は2時間半だったが、移動に時間がかかり1時間となった。まずミラノ風カツレツをいただく。薄く、コロモが金色でないといけない。レモンを絞っていただきます。
 ミラノ大聖堂「ドゥオーモ」。1813年完成まで500年かかった。ゴシック建築の大傑作。3500体の彫刻が施されている。
 歴史あるショッピング・アーケード「ガッレリア」に行く。およそ130年前に造られた。「最後の晩餐」のマグネット約650円、「イタリアの街並み」約780円。「スフォルツェスコ城」約780円。「ベネチア」約780円。「ドゥオーモ」約780円、「イタリア」780円で、100個制覇しました。

 よかったのは、1位ピサの斜塔、2位ローマ法皇、3位ダビデ像。


テレビ番組「世界遺産への招待状29 ベネチア」

 2010年1月11日放送。

●ベネチア
 イタリア半島の東、沖合い3kmに浮かぶ島。わずか7平方kmの町に無数の運河が走る。建物は水の上にそのまま建っているかのようだ。ベネチアには車が入れないので、船が使われる。水上バス、渡し舟は市民の貴重な足。
 18世紀末までは「ベネチア共和国」という独立国家だった。その歴史は1000年にわたって続いた。運河の両側には莫大な富を築いた商人たちの館。
 何故ベネチアが「地中海の女王」と呼ばれるまでに発展したのか?ある路地にベネチア関連の本ばかり集めている小さな本屋がある。オーナーのフランコ・フィリッピさんはベネチアの歴史なら何でも知っている。繁栄の源を知るために、16世紀の町の地図を取り出した。国営造船所「アルセナーレ」が大きな面積を占めていた。12世紀に作られ、100以上のドックが建ち並び、1日1隻の船を建造できたという。これと交易により地中海を制した。中東・アフリカ(コンスタンチノーブル、アレクサンドリア、ベイルート)からは香辛料・、ヨーロッパ(ロンドン、ブリュージュ)からは羊毛などを仕入れ、売買することで巨万の富を得た。
 サンマルコ広場は常に中心となってきた場所。96.8mのサンマルコの鐘楼は昔は灯台の役目も果たしていた。サンマルコ寺院のサンマルコはキリスト教の聖人の一人。9世紀にその亡骸を納めるために作られた。サンマルコはベネチアを守る聖人として、今でも町の人から慕われている。寺院正面に飾られているのは、翼のあるライオン像。ベネチアでは守護神のライオン像をあちこちで見ることができる。時計塔の上、サンマルコの鐘楼の上にもいる。ベネチア国際映画祭の「金獅子賞」もライオンに由来している。
 もう一つ大事なのは、政治体制。ベネチアは王や君主を一度も戴いていない。共和制によっていた。ドゥカーレ宮殿の「大評議会の間」に1000人以上の商人が集まり、選挙で総督を選んだ。絵が掲げられているのは歴代の総督(ドージェ)たち。選挙では談合や陰謀を防ぐための仕組みが作られた。まず1000人から抽選で30人選び、再度抽選し9人とし、その9人が投票して40人を選出し、ということを10段階繰り返して、最後に一人のドージェを選び出す。例え総督に選ばれても権力の独占は許されず、守るべき規則は100項目以上もあった。

 ベネチアの町はまるで迷路。細い路地や橋が複雑に入り組んでいる。ベネチアは実は100以上の小さな島から成り立っている。ベネチアが位置しているのは、ラグーナと呼ばれる干潟の中。何本もの川が流れ込んだ浅瀬。ラグーナの中には潮の干満によって浮いたり沈んだりする島が無数にある。
 6世紀頃、この湿地帯に住み始めた人々がいた。元々陸地にいたが、異民族に攻め込まれここに逃げ込んだ。人々は120の小さな島に町を築き始めた。これがベネチアの始まり。島は発展していって、やがて島は橋でつながれた。
 ラグーナは淡水と海水が混じり合い、独特の自然環境を作りだしている。

●世界遺産ヴィチェンツァ
 ベネチア共和国は14世紀頃から背後の陸地に領土を広げていった。これにより更なる発展をした。この地域は「陸のベネチア」と呼ばれた。その中ほどに位置する人口1.5万人の町が世界遺産ヴィチェンツァ。15世紀初頭、大国ベネチアの庇護を求めてベネチアの支配下に入った。街の中心にはサンマルコのライオン像がある。
 この町では建築物が目を奪う。キエリカーティ邸は古代神殿風で、左右対称で調和が取れている。ベネチア統治官邸。16世紀に古代神殿風の建物が次々作られた。設計したのはアンドレア・パッラーディオ。ヴィチェンツァは彼の建築の宝庫ということで世界遺産になった。古代神殿風は今では当たり前だが、パッラーディオ以前はほとんどなかった。彼はローマなどに残る古代遺跡に感動し、それを復興した。三角形のペディメントや列柱群を備えた建築は当時の人々に熱烈に支持された。彼の建築はパッラーディオ様式といわれ、後世に多大な影響を残した。ホワイトハウスやバッキンガム宮殿もパッラーディオ様式の流れをくんでいる。
 日本との意外なつながりもある。彼の作った劇場「テアトロ・オリンピコ」も古代の劇場を模して作られた。ここに1枚の絵が掲げられている。そこには「日本の大使たち」と書いてある。「天正遣欧少年使節」は、ヴィチェンツァに滞在し、できたばかりのこの劇場を見学したという。

 やがてベネチア本国からも依頼がくるようになり、郊外にヴィラという名で建築されるようになった。「パッラーディオ様式のヴィラ」として、24軒のヴィラがまとめて世界遺産に登録されている。
 ヴィチェンツァから北東に45kmのマゼール村に壮麗なビラ「ヴィラ・ディ・マゼール(ヴィラ・バルバロ)」が建っている。オーナーのヴィットリオ・ダレ・オレさんは、黒澤明監督の助監督として日本に滞在していたので、日本語が達者。このヴィラはヴィットリオさんの先祖が20世紀初めに購入した。ヴィラ周辺には70ヘクタールの畑が広がっている。ここでワインやトウモロコシを生産している。ベネチア人にとってヴィラは農業生産の拠点だった。ベネチアは常に食料の確保に悩まされてきた。地中海各地から輸入していたが、自給率が低いことは戦略上危険だった。しかも16世紀には人口17万人の大都市に成長していた。そうした中で「陸のベネチア」に商人が注目した。ヴィラの中央に主人が住み、横の建物には馬が住み、ワインが貯蔵された。廊下は長くし、雨の日でも農作業ができるようにした。日時計があり、戸外で作業する人に目安を示した。日時計の側面には穴が空いていて、鳩が飼われた。伝書鳩や食用として育てられた。このヴィラから50km先のベネチアが見える。ベネチアの本宅からのメッセージなどが送られた。
 ヴィラで作るものでベネチアの食文化に革命を起こしたものが米。イタリアはパスタの国と思われているが、実はヨーロッパ一番の米生産国。ベネチア共和国では16世紀前半から生産が始まった。ベネチア商人が東方から持ち込んだというのが有力な説。田んぼの中に建つヴィラ「ヴィラ・ピサーニ」は、ピサーニ家がパッラーディオに設計を依頼した。川に隣接して建てられたのは、収穫した米を船でベネチアに運ぶため。持ち主のマヌエラ・ベアスキさんが案内してくれた。建物のメインホールは広く、村人の結婚式や争い事の裁判が行なわれた。ヴィラの裏側には広い庭があり、村人総出で脱穀や乾燥が行なわれた。この地で米が作られたのは、水が豊富だったから。
 やがて「ドージェ(グリーン・ピース)のリゾット」が作られるようになった。ドージェ Dogi はベネチアの国の代表。毎年4月25日、サンマルコの日にこのリゾットを食べる義務があった。自分の国で取れた農産物を祝うという意味があった。米が作られるようになって500年、リゾットは今ではイタリア人の一般的なメニューになった。夫のカルロさんは機械部品を製造する会社を経営している。夫婦は10年前にこのヴィラを購入し、独特の方法で活用している。夫婦は意欲的なアーティストにヴィラを提供し、発表の場を作っている。

●世界自然遺産ドロミーティ
 ベネチアの北部に広がる山岳地帯。14万ヘクタールに及ぶ広大な地域が2009年世界遺産に登録された。3000m級の山が立ち並び、美しい渓谷や神秘的な湖が点在している。ここもベネチア共和国の領土だった。
 中でも「山のベネチア」といわれるのがベッルーノの町。15世紀初めにベネチアの支配下に入った。ベネチア統治官邸では、ベネチアから派遣された統治官が政治を行なった。彼が重要視していたのは森。森林監視隊のステファノ・コスタンさんが説明してくれました。この森のシンボルが「ドージェの帽子山」。山はニョキっと角が出ていた。

 ベネチアは木を大量に必要としていた。建物の下に木材が大量に使われている。ラグーナの上に建物を建てるために、使われた。泥の下には粘土と砂の混じった硬い地層がある。そこに10mを越える木の杭をたくさん打ち込み、その上に建物を建てた。支える木が多いことから、ベネチアの町を逆さにすると森になるとも言われた。
 ジルベルト・ペンゾさんの工房を訪ねた。昔の船を本物と全く同じ材質で模型を作っている。愛好家や博物館からも需要がある。
 ベネチアの国営造船所(アルセナーレ)では最も上質な木材を必要としていた。木材は企画が統一され、細かく分けられ、効率的に修理や建造ができるようになっていた。水に強いナラの木は船体に、柔軟性があるブナの木はオールに使われた。「唐檜の木」はマストに使われた。ドロミーティの唐檜は最高の品質だった。ドロミーティの「ソマディーダの森」には唐檜の森がある。森は現在イタリアの国有林となっている。この森は北向きで日が当たらないから、年輪が緻密で均質で木が硬い。1638年の森の管理簿も残っているが、区域にわけて厳格に管理されていた。ベネチアでは直径50cm以下のものは切ってはならないと定められていた。木は1本1本管理されていた。早い時期から森は保護されていた。1600年に書かれた本には、木を伐採しすぎると、ラグーナが汚染され伝染病が発生すると警告もされていた。


テレビ番組「たけしの新世界七不思議・第4弾」

 2010年1月1日放送。ビートたけしさんが決めている。今回はギリシャのパルテノン神殿とローマの円形闘技場コロッセオ。テレビ東京製作。

●トロイ
 ホメロスが書いた古代叙事詩「イリアス」には、神話をもとに描かれたトロイア戦争の物語。紀元前12世紀、スパルタに世界一の美女王妃ヘレンがいた。美しさに魅了されたトロイアの王子パリスはヘレンを略奪した。激怒したスパルタの王はトロイアをギリシャ軍として攻めた。10年続いたが、その結末はあっけなかった。ある日ギリシャ連合軍の船団が突然海から消え、浜辺には大きな木馬が残されていた。平和の象徴だった馬を置いていくことは、まさに降伏の意味があった。反対する者もいたが、馬はトロイアの城内に引き入れられた。その夜、木馬から兵士が出てきて、鉄壁の城門が内側から開かれた。島影に隠れていたギリシャ軍の兵士が一斉に城門になだれ込み、火を放った。
 それから800年後、この物語に心を打たれたのが、マケドニアの王アレクサンドロスだった。家庭教師だったアリストテレスにホメロスの作品を教わり、イリアスを一生の教科書とした。人間の心を捕らえるには何をすべきか、戦いに勝つにはどうすべきか。彼は世界初の大帝国を打ち立てた。
 1829年ドイツ北部の小さな田舎町アンケルスバーゲンで、ハインリッヒ・シュリーマン(1822年〜1890年)が7歳のクリスマス・プレゼントにイリアスをもらった。1844年(22歳)交易商に雇われて、残った時間と給料の半分を外国語の勉強に費やすようになる。商人として頭角を表わし、ロシアとの交易で大成功し巨万の富を築いた。1864年彼は世界一周の旅にでて、幕末の日本にも立ち寄っている。1866年(44歳)パリのソルボンヌ大学で古代史と考古学を勉強した。ギリシャやトルコに何度も足を運び、可能性のある場所を歩きまわった。アテネで16歳のソフィアに心を奪われ、後に結婚する。
 シュリーマンはトルコのチャナッカレの「ヒサルリックの丘」に目をつけた。多い時は150人の作業員を動員し発掘した。5年後の1873年、宮殿の跡だと思える場所から大きな銀の壷を発見した。その中には黄金の額飾り、耳輪、腕輪など8750個もの装飾品が詰まっていた。これらは現在はアテネ国立考古学博物館に収蔵されている。

●ツタンカーメン
 ハワード・カーターは誰もが見捨てた場所で頑固なまでに発掘を続けた。イギリスの資産家カーナヴォン卿と娘イブリンだけが彼の後押しをしてくれた。19年後の1922年11月26日、水汲みの少年がある階段の入口を見つけた。そこにはツタンカーメンの遺産が眠っていた。

●マチュピチュ
 標高2400mの尾根に空中都市マチュピチュがある。1911年、ハイラム・ビンガムは幻の都ビルカバンバを追い求めていて、発見した。

●アテネ
 人口300万人で、ギリシャの人口の4分の1が集中する。近代的なビルは車が行き交う。こういう中に古代をしのばせるものがあった。
 アゴラ(市場)は、2500年前の古代ギリシャ時代から栄えていた。アテネは海の交易の中心地だったので、古来から市が立っていた。フェタ(ヤギのチーズ)も昔から取引されていた。
 アクロポリスの丘にパルテノン神殿がある。アクロポリス公式ガイドのエリコス・プシホヨスさんが説明してくれました。人々は人口3万ほどの都市国家ポリスを形成していた。それぞれのポリスでは守護神を祭る神殿を小高い丘の上に建てた。アテネではディオニソス劇場なども作った。プロピレア門をくぐるとパルテノン神殿に到着する。

●パルテノン神殿
 オバマ大統領が就任演説を行なったリンカーン記念堂は、建築様式はパルテノン神殿をモデルにしている。これだけではなく、日本の国会議事堂、オーストリアの建物、フランスの建物、スペインの建物と全てパルテノン神殿をモデルにしている。パルテノン神殿は、時代を超えて人々から最も美しい建築物として称えられてきた。紀元前438年に完成した。プロピレア修復責任者のタソス・タヌウラスさんが説明してくれました。政治家ペリクレスに代表される民主制はアテネで産声をあげた。その象徴がパルテノン神殿であったので、各国の国会議事堂で使われているのだろう。紀元前5世紀、ペルシャ帝国はインダス川流域からギリシャまで勢力を拡大していた。この神殿はそのペルシャとの戦いに勝利して建てられたもの。かかった費用は当時のアテネの国家予算の2倍。
 考古学者ルウリ・デリヤリスさんが説明してくれました。ペルシャとの戦いに勝った後に、アテネはペルシャに近いサモス島、キオス島、レスヴォス島などとデロス同盟を結んだ。軍事資金をデロス島に蓄えていた。ペリクレスはそのお金をパルテノンの建築費用に注ぎ込んだ。

 考古学者ルウリ・デリヤリスさんは、フリーズと呼ばれる神殿上部に施されていたレリーフに暗号として刻まれていたという。アクロポリス博物館は去年オープンし、4000点が収蔵されている。特にフリーズという彫刻群には、古代アテネ最大の祭り「パンアテナ大祭の行列」が描かれている。当時はタブーだった。当時は神殿の彫刻は神話の神か英雄でなければならないとされていた。ペリクレスは祭礼に参加する一般市民が描かれている。その答えが描かれているという。南の面には、10に分かれた騎馬隊、馬車10台、牛10頭などが描かれている。北の面には、牛は4頭。4の数字は貴族支配の数字を表わしている。昔のアテネは4つの貴族が支配していたから。改革後、4の貴族階級は10に分裂させられ、権勢を失った。つまりペリクレスは貴族社会を分裂させ民主化を実現させたアテネ市民を讃えているという。ギリシャでいう市民とは戦争で戦う兵士を意味する。労働はその戦争で獲得した奴隷の役目だった。当時のアテネは約10万人の市民と奴隷約5万人の上に立っていた。しかしペルシャ戦争で市民が活躍したので、貴族社会を脅かし始めた。やがて下級兵士が市民としての力を持ってくると、その支持を集めた指導者たちが集まり始めた。ペリクレスは世界で初めて選挙により選ばれた市民で、民主主義を完成させた。
 エジプトで書かれた「アテナイ人の国政」という本の著者はギリシャの哲学者アリストテレス。そこにはアテネの政治制度が詳しく記述されていた。
 建設工事には、石工工事、大理石を運ぶ人など多くの市民が関わった。戦争後の多くの兵士に職を与えただけでなく、貧しい市民にも資金が支払われ、下層市民の政治的発言力も高まり、民主制が強くなっていった。黄金の女神像は金で作られ、別の意味で金が備蓄された。デロス同盟のお金はこうしてプールされた形となった。

 2009年ミス・ヤング・アテネのテリーナ・スクゥルリィさん(17歳)が案内してくれたのは、古代アテネ料理店「アルヘオン・ゲフシス」。2500年前に食べていたものが再現されている。メイン・ディッシュは「ヤギのもも肉のグリル」。「揚げチーズのベリー・ソース」。「ひよこ豆と赤カブの煮物」。「ルッコラとフェタのサラダ」。「ポークソテーのハチミツ・ソース」。当時はナイフとスプーンで食事をしていた。
 そんなアテネ市民の娯楽が演劇だった。アテネ市内にはディオニソス劇場がある。酒の神ディオニソスを讃える歌と踊りが始まり。コーラスやオーケストラという言葉は古代ギリシャの言葉。「人間はいかに生きるべきか」という哲学もこの時代に育まれた。プラトン、ソクラテスなどがこの時代に生まれた。

 パルテノン神殿は美しい。ピロピリア門から入った人はパルテノン神殿を必ず斜め30度くらいから見ることになる。正面から見た場合と感じが違う。斜め30度から見た方が奥行きや柱のバランスが整って見える。実は柱の間隔は一定ではなく、斜め30度から見た方がきれいに見えるように配置されている。パルテノン神殿は縦と横が4:9で建造されている。
 彫刻家フェイディアスが全ての彫刻をまかされたといわれている。彼はペリクレスの幼馴染だった。大理石はアテネの東20kmのペンデリ山。
 パルテノン修復責任者のニコス・トカニティスさんが説明してくれました。この神殿は直線と平面の組み合わせで作られているように見えるが、曲線で作られている。床の部分も中央に向かってわずかに盛り上がっていて、真中が痩せて見えるのを避けている。円柱はエンタシスというわずかなふくらみをもたせ、上にいくにつれ細くなっている。円柱はいくつものドラムが積み重なって1本の柱となっている。ドラムには穴があけられていて、上下で合うように補助の役割をしていたか、地震の際のズレを防ぐためのものだった。
 そして紀元前438年に完成した。奥行き69.5m、幅30.88m、円柱の高さ10.5m。全体が彫刻像や浮き彫りなどで飾られており、神殿内部には鷹さ12mの黄金と象牙からなるアテナ女神像が置かれていた。屋根には瓦が並べられていた。
 熊本大学工学部の伊藤重剛教授はギリシャの神殿には色がついていたという。元はパルテノン神殿も色がついていたという。CGで再現してみた。全体にクリーム色で、赤、青、金色の塗料が使われていた。黄金比率は(−1+ルート(5)÷2。

 ペリクレスが制度を整えた民会という議会で、一人の市民の発言をきっかけにアテネの発展は衰えていく。告発者は、それはアテナ女神像の楯「ストラングフォードの楯」に描かれている人の中央の二人がフェイディアスとペリクレスであると言った。フェイディアスは自分が彫ったと告白し、神への冒涜という罪で起訴され投獄された。ペリクレスも将軍の座から辞した。これがアテネと敵対していたスパルタを中心とするペロポネソス同盟国に有利となった。
 戦争によりアテネは劣勢となり、市民は再びペリクレスを将軍に選んだ。しかし戦い開始から2年目にアテネに原因不明の疫病が流行した。これで多くのアテネ市民が亡くなった。紀元前429年、ペリクレスは他界した。紀元前404年、ついにアテネはスパルタに全面降伏した。貴族が復活し市民権を剥奪した。紀元426年、アテネを支配したビザンティン帝国は神殿をキリスト教の聖堂に改宗した。アテナ像はコンスタンチノーブルに持ち去られた。15世紀半ばにオスマントルコが台頭してからは、神殿はイスラム教のモスクに改造された。1687年にトルコと敵対していたベネツィアがアテネに上陸し、トルコ軍は追い詰められ、アクロポリスに立てこもった。9月26日、ベネツィア軍の砲弾がパルテノンに命中し、トルコ軍はパルテノンを火薬庫として使用していたため、大爆発で神殿は崩れ落ち、炎に包まれた。1984年に修復が始まり、西面と東面の作業が終わった。現在一番難しい北面の修復にとりかかっている。全ての修復が終わるのは15年後。

●ローマ
 2008年ミス・ローマの女神アレッシア・フリシオさんが案内してくれた。古代ローマ料理の店「パパレックス」はローマの兵士姿のウェイターが給仕してくれる。紀元前8世紀にはローマは小さな都市国家にしかすぎなかった。イタリア半島統一後は破竹の勢いで北アフリカ、トルコ、スペイン、フランスまでも領土を拡大した(1世紀)。紀元2世紀にはヨ−ロッパのほぼ全土と北アフリカを手に入れた。古代ローマ史研究家のセルジョ・ヤコモーニさんは、ローマは組織力を強化したという。

●コロッセオ
 建設したのは、時の第9代ローマ皇帝ウェスパシアヌスで、日本ではあまり知られていない。ローマの財政が破綻しかけた時に就任し、有料の公衆トイレなどを設置した。そのため、イタリアでは公衆トイレはウェスパシアーノといわれている。
 コロッセオはアーチを横に80本。それを3段に重ね、その上のもう1段ある。5万人を収容した。使用された石材は30万トンに及ぶ。ネロ、ウェスパシアヌス、コンモトゥス、コンスタンティヌスという歴代の皇帝も理解しないといけない。

 ローマを支配するためには、民衆の人気も必要だった。そのためカエサルは「パンとサーカス」で民衆を味方にした。無料で闘技場を市民に公開した。しかし支配の拡大を恐れる反対勢力によって、紀元前44年に暗殺された。それを継いだのが、初代ローマ皇帝アウグストゥスだった。そのローマの衰退と繁栄は属州のユダヤに現れた一人の男と深く関わることになる。彼の教えは為政者への反逆行為とみなされた。紀元33年、ゴルゴダの丘でイエスは十字架に架けられた。その死後弟子たちの熱心な伝道活動が実を結び、ローマでも特に貧しい人々の間で信者が増えつつあった。

 キリストの死からおよそ20年後の紀元54年、第5代皇帝ネロが即位した。母と弟を刺し殺したが、バラと音楽を好んだ。自ら劇場に立ち歌を歌うこともあったという。ローマの街並みを大改造し、その中心に黄金宮殿を建築しようとした。そこで紀元64年、ローマで大火が起こった。ネロはキリスト教徒たちに放火の罪を着せ、1日何百人も猛獣の餌食にし、火あぶりにした。彼らの死を恐れない姿が人々に強い衝撃を与えた。ローマでは信者がさらに拡大していった。逃げ出したネロには4人の奴隷しかついてこなかった。そして自ら命を絶った。

 その後のローマは内乱状態になったが、それを鎮めたのはウェスパシアヌスだった。そして元老院により皇帝に選ばれた。彼は劇場でネロの歌の際に居眠りし、ギリシャに追放されていた。彼はカエサルの「パンとサーカス」を参考にし、コロッセオを建築させた。その完成を見る前に彼は亡くなった。その直後、ベスビオ火山が大噴火し、ポンペイが沈んだ。そして紀元80年、コロッセオが完成した。その翌年にはまたもローマは大火に見舞われ、その翌年には疫病が流行した。それでも市民の心は皇帝の心から離れなかった。

 コロッセオは周囲527m、外壁の高さ48.5mの楕円形。アーチで形成されているが、下からドーリア式、イオニア式、コリント式と異なる様式の柱がそれぞれの層を支えている。観客席は4層に分れていて、第1層はVIP専用席で、皇帝のための席もあった。第2層は一般市民、第3層は最下層市民の解放奴隷、第4層は女性専用席だった。アリーナはかつては白い砂で覆われていた。現代でも使われるアリーナとは、元々は白い砂のことだった。コロッセオの外側にある石が残っているが、これはホロを張るためのロープを止める石。かつては雨や強い日差しを避けることができる全天候型スタジアムだった。後にこれが面倒になったので、ドームを考えた。それで世界で初めて作られたドーム式の神殿が「パンテオン」(紀元前27年)。

 これを8年で作ることができたのは、道であった。古代ローマ史研究会会長のセルジョ・ヤコモーニさんが説明してくれました。全ては1本の道から始まった。道こそがローマ繁栄のカギだった。戦車や馬車など重装備の軍隊が通ってもビクともしなかった。旧アッピア街道など。
 ローマの道は通常は4層からなっている。最下層は1mほど掘り下げた基盤部分、およそ30cmの砂利を敷いて水が溜まるのを防いでいる。第2層は砂利と粘土を混ぜた層。第3層は砕いた石の塊を詰め込み、表面を緩やかな弓型にしている。第4層には一片70cmの大石を敷き詰めてある。イタリア政府公認修復師のフラヴィア・トゥッモロさんが説明してくれたが、全ての層はセメントによって固められていた。これがローマン・コンクリートの技術だった。
 これの作り方は、砂利にヴェスビオ火山などの火山灰を混ぜ、懐いたレンガを加え、石灰を水で溶いたものと共に混ぜ合わせる。固まるまでには60日かかる。
 コロッセオはアーチを横に80本、縦に3層重ね合わせている。アーチにより重量を分散させることができ、土台部分にもローマン・コンクリートが使用された。コロッセオでは、コンクリート、レンガ、大理石を場所によって使い分けるという高度な技術が使われている。ローマン・コンクリートは現在のコンクリートの倍以上の強度があったという。
 コロッセオでは敵味方に分かれて船で戦をする海戦まで行なわれていたという。
 次にローマでは水不足を補うために、水道橋も作られるようになった。今もクラウディア水道橋が残る。水道橋にはローマン・コンクリートが使用された。ローマの人口が100万人になった時、11本の水道橋があり、1日あたりの水の供給量は110万立方m以上だったという。現在の東京都と比べると、1人あたり倍以上使っていたことになる。セルジョ・ヤコモーニさんが説明してくれました。
 ネロは焼け野原となったローマにかねてからの夢だった黄金宮殿を建設した。その跡地に建てられたのがコロッセオだった。どうしてコロッセオと呼ばれるようになったかというと、宮殿の入口にあった太陽神の巨像「コロッサス」に由来する。その像の顔は皇帝ネロの顔だったという。その宮殿の庭に巨大な人工池があった。その池がコロッセオに使われたようだ。それを見つけたのが、地下の遺跡を調査するボランティア集団「ローマ・ソッテラネア」。その地底調査長のシモーネ・サントゥッチさんが説明してくれました。近くにある「サン・ジョバンニ・エ・パオロ教会」の地下から見つかったのが、全長4kmにも達する洞窟の入口。元々は神殿の建築資材を切りだすために掘られていたが、人工池に水を引くための貯水タンクとなった。

 「パックス・ロマーナ」は18世紀の学者エドワード・ギボンが作った、五賢帝時代の地中海世界の平和を表わした言葉。
 第16代皇帝マルクス・アウレリウスは慈悲と寛容に富んだ偉大な君主として知られる。この時代、天災や疫病、多民族からの進入が相次いだが、マルクスは自ら戦い、ローマの安定を図った。彼が犯した重大な失敗は、ローマ皇帝として初めて自分の息子を指名したことである。それが第18代皇帝コンモドゥスで、コロッセオで戦い、負け知らずだった。一人で100頭の熊を殺した。1.2万人の剣闘士を殺害したという記録もある。ローマ帝国最強にして最悪、暴虐帝とまで言われた。太陽神コロッサスの顔も自分の顔に似せて作り変えた。国政の重職を全て部下に委ね、乱暴と放蕩の限りを尽くした。宮殿には300人の妾と300人の青少年が常に囲われていた。暗殺未遂も頻発した。紀元103年12月31日の夜、最後に暗殺を計画したのは、親衛隊長ラエトゥス、侍従長エクレクトゥス、愛人マルキアで、暗殺に成功した。
 その後無政府状態となったローマは、紀元235年〜284年の間、軍隊に依存する「軍人皇帝時代」に突入した。およそ50年の間に26人の皇帝が入れ替わった。

 4世紀初頭、キリスト教と深い関係を持つコンスタンティヌスが皇帝となった。その前にコンスタンティヌスはローマ市の支配権を巡る戦いで、苦戦を強いられていた。ある日、太陽が西に傾きかけた頃、天空に光輝く十字架を見た。そして空に不思議な文字を見た。「汝、これにて勝て」。その夜、コンスタンティヌスの夢にキリストが現れ、「軍旗に十字架をつけよ」と言った。実際に十字架をつけたところ、戦いに勝利し、内乱を平定した。紀元313年、キリスト教を公認した。コンスタンティヌスもまた皇帝の継承権を息子に引き継がせたいと思っていた。元老院の貴族議員やローマ市民を納得させるために、皇位の継承は神が望んでいるということにした。司教たちを懐柔し、彼らの口から統治の権利を伝えさせた。さらに紀元330年、首都をローマからビザンティンに移し、名前をコンスタンチノーブルと名づけた。紀元325年、コロッセオでの野蛮な行為をやめるように勧告した。彼は死ぬ直前の紀元337年、キリスト教の洗礼を受けた。

 紀元395年、ローマは東西に分裂し、ローマを首都とした西ローマ帝国は異民族の侵略により、間もなく滅亡した。コロッセオは存在意義を失い、無用の廃墟となった。逆にバチカンに本山を置いたキリスト教はヨーロッパ世界の精神的支柱となった。間もなくコロッセオは良質の大理石の石切り場となった。この大理石はサン・ピエトロ大聖堂にも使われているという。

 18世紀、古代ローマの象徴は全壊の危機にさらされていた。時のローマ教皇は、コロッセオを聖地と定め、破壊を禁止した。この価値を評価したのは、エドワード・ギボンだった。

 最終的にパルテノン神殿が選ばれました。


テレビ番組「世界びっくり旅行社 冬の特別営業スペシャル」

 2009年12月21日放送。児玉清、黒崎めぐみ、タカアンドトシさんが司会。笹野高史、中山秀征、柳原可奈子さんがゲスト。NHK製作。

●ナミビア
 飯島直子さんが案内。ボランツーリズムはボランティアとツーリズム(観光)をあわせた言葉。ボランティアと観光の割合は、場所や目的などでその都度変化する。

●ナミビアの旅程
 旅程は、1日目、シンガポールを経て、ヨハネスブルグを経由してナミビアのナミビア・ホセア・クタコ国際空港に午前中に19時間かけて到着。車で1時間の「オカプカ動物保護区」に行く。空港の西にウイントフークがあり、その北にオカプカがある。午後に野生動物に会える!サファリ・ツアーに参加。ウイントフーク泊。
 2日目、午前はウィントフーク市内観光。午後はハーナス野生生物保護区へ移動。ハーナス泊。
 3日目、1日ハーナス野生生物保護区で動物保護のボランティア体験。
 4日目、午前はハーナス野生生物保護区で動物保護のボランティア体験。午後は帰国。

●ナミビアのオカプカ自然保護区
 オカプカ自然保護区は、1万ヘクタールに100頭以上の野生動物を保護している。えさを与えるのではなく、野生のまま生態系が保たれている。車で移動していると、キリンがいる。キリンは時速60kmで走るそうです。その先の沼にはクロコダイルがいる。スプリングボックの死骸があった。シロサイの親子がいた。

●ナミビアの首都ウィントフーク
 首都ウィントフークの市内観光。人口24万人のナミビア最大の都市。カトゥトゥラ・マーケットに行く。美容室もある。
 ナミビアの伝統料理のレストランに行くと「チャチャラ」という伝統的な踊りを踊って歓迎してくれました。食べる前に手を洗い、神様に祈り、声を出す。この声は「オククウィリラ Okukuwilila 」といって、食事に限らず結婚式などの祝い事の席で唱える喜び・歓迎・幸せなどを表現する発声。伝統料理は「ポリッジ」というトウモロコシの粉をふりかけたもの。「ンジュワ」は鶏のオイル煮込み。「ンボガ」は乾燥させたほうれん草を塩・胡椒でゆでたもの。「ビーンズ・スープ」は豆の煮込み。ナミビア伝統料理は食べ放題コースで80ナミビア・ドル(約960円)。店主のトゥワベラ・ヘレナさんが相手をしてくれました。

●ナミビアのハーナスでボランティア活動
 ハーナスはウィントフークから東に車で4時間。ほぼ一直線です。夜に到着。ハーナス管理責任者のジョー・ファン・デル・メーウェさんが出迎えてくれました。
 ハーナス野生生物保護区は1978年に創設、ナミビアでは人間の手による狩や密漁などにより野生生物の数が激減した。ハーナスでは野生保護を開始し、カラカル、ライオン、ハイエナ、クロコダイル、マングース、ヒヒ、ワイルドドッグ、ヒョウなど30種類400頭以上の動物たちを保護し、野生に帰す運動をしている。
 ボランティア・プロジェクト・マネージャーのフリッキー・ファン・ソルムスさんがまず説明。基本的にリスクが伴うことを覚えておくこと。予想外のことも起きるが、ルールさえ守れば動物達が攻撃的になることはない。動物たちはよくしゃべる人が苦手。静かにする方がよい。走らないで、ゆっくり歩くこと。香りの強い香水はつけないこと。ルーズな服装はしないこと。光るアクセサリーは身につけないこと。動物と長く目を合わせないこと。飲酒してはいけないこと。今まで大事故はなかったそうです。
 動物保護活動はグループに分かれてチーム毎に行なう。まずは餌作り。生後4ヶ月のライオン「マルタ」は母ライオンの育児放棄により、生まれてすぐに保護された。マルタにはミルクを与える。次は生後14ヶ月のライオンへの餌やり。高い台の上にいるライオンに肉を投げました。次はナミビアヒョウモンリクガメ。
 ランチは決まった場所で、当番が準備。今日はラザニアとマカロニ・サラダ。話をしてみると一人で来ている女性が多い。ハーナスでは5年前からボランツーリズムを開始。ボランティアはロッジで4人1組の共同生活。現在まで23の国と地域からおよそ3000人が参加している。2週間10500ナミビアドル(約12.6万円)の費用がかかる。空港からの送迎、宿泊費、食費、保険料を含む。最低2週間からの参加を募っている。動物の世話以外にも、施設の整備など様々な活動を行なう。参加対象年齢は18歳〜45歳。46歳以上に関しては活動内容を相談のうえ、参加可能。過去最高年齢の参加者は69歳イギリス人の男性。
 きっかけを聞いてみた。オーストラリアのニッキー・スティーブンソンさん(26歳)は獣医の勉強をしているため。イギリスのローラ・ジャクソンさん(18歳)は観光だと檻の中の世界を見るだけで、実際に接するためという。
 午後、檻にライオンを入れ、野生環境に慣れさせる作業。ライオン・ウォークをした。飯島さんはライオンの頭をなでていました。
 ナミビアには現在3000頭のチーターが生息している。90年代には10万頭いたのに、その数は年々減少しているので、ここではチーターの保護に力を入れている。「ゴーターズ Goethers 」という26歳オスは、平均10〜15歳の寿命のチーターの中では長寿。最近は心臓の発作を起こすので、餌に薬を混ぜている。餌を食べさせるのは警戒するので、アメリカ人ボランティアのアレクサンドラ・オーベック・ニルセンさん(19歳)が担当。明日野生に帰すプロジェクトをスタートする2頭のメスのチーター「クレオ(3歳)」と「ドゥマ(4歳)」を訪ねた。野生の中で狩をさせながら自然に帰していくという。首輪に発信機をつけている。チーターはライオンよりも仲良くなりやすく、猫に似ているとか。こちらから仕掛けない限り、チーターから襲ってくることはない。手をなめていましたが、全員にそうというわけではないそうです。
 夜、ウェルカム・パーティが開かれた。

 翌日、発信機を確認し、チータをセカンド地域に運び、放した。近くにいるとなかなか人から離れないので、一旦離れる。4時間後に行ってみると、野生のオスと出会って3頭で行動していました。車を見ると2頭だけは帰ってきました。アシスタント・マネージャーのマーナス・ルードボルさんが説明してくれました。

 ボランティアの場合は、参加目的を明確にして参加して欲しいそうです。またかなり疲れるので、ボランティア活動と観光の時間配分のバランスをとることも大事です。
 リピーターが多いというのはよくわかったそうです。


●世界の街歩き、路地裏情報
 ブラジルのリオ・デ・ジャネイロではショッピング街で横断歩道が5日間だけバーコードのデザインになった。とても人気だったので、また復活するかもしれないそうです。
 オーストラリアでは鉄格子にみたてた横断歩道で、スピードを出しすぎると鉄格子の中に入ってしまいますよというメッセージ付き。
 中国の成都には「I Love You 」と書かれた横断歩道がある。2009年2月にできて以来、記念写真を撮るカップルが増えた。結婚写真を撮るカップルも現れたとか。
 フランスのカンヌ駅の中には、エスカレーターに見えるただの階段がある。
 オランダのバス停では、座った人の体重が掲示される。フィットネス・クラブのキャンペーンだとか。
 イギリスのサリー州のThorpe Parkという遊園地には、「Say NO to BO 」と書いてある。気温が25度以上の時は、両手を挙げてジェットコースターに乗ることを禁止している。「BO]とは Body Odour で体臭のこと。
http://www.thorpepark.com/

●オランダのサイクリング・ツアー
 サムステルダムに登場した屋台のビア・ガーデン。22人乗りの「パブ自転車」で、週末は2時間で475ユーロ(6.2万円)、平日は3時間555ユーロ(約7.2万円)。観光案内をしてくれるドライバーと30リットルのビール付き。バンドルとブレーキはガイドを兼ねた運転手が操作する。
http://www.beerbike.co.uk/

●ハリウッド・セレブ・ランニング・ツアー
 上半身は黄色いTシャツで街を走る。映画「プリティ・ウーマン」に使用されたホテル、映画「ボディガード」で登場したレストランなどをランニングでまわるツアー。Tシャツ、フレッシュ・フルーツ、カップケーキ、ボトル・ウォーター付きで90分80ドル。このTシャツには「Running from the Paparazzi 」の文字があり、セレブになりきれる。

●南アフリカ・ワイルド・ゴルフ・ツアー
 リンポポ州にある「レジェンド・ゴルフ&サファリ・リゾート」には究極の19番ホールがある。高さ430mの断崖絶壁の上からの打ち下ろし。崖の上からはヘリコプターで移動。パー3としては世界最長642ヤード。ちなみにグリーンはアフリカ大陸の形。グリーンに届くまでの時間は24秒。今まで誰もなしえていないが、ホールインワンをすると賞金100万ドル(約9000万円)。ちなみに、1名だと4150ランド(約5万円)、2名だと5000ランド(約6万円)、3名だと5850ランド(約7万円)、4名だと6700ランド(約8万円)。

●フランスの小さな体験ツアー
 西部のナントにあるホテル。ハムスターのかぶり物をして、ハムスターの気分になれるホテル。ハムスターの回し車を回し、ひまわりの種を食べ放題。1泊99ユーロ。
http://www.uncoinchezsoi.net/#/villes/nantes/la_villa_hamster/

●世界遺産に住もうツアー
 イタリアのマテーラの洞窟住居は、1ヶ月800ユーロ(約10万円)。モロッコのアイト・ベン・ハドゥは1ヶ月約3万円。オランダのキンデルダイクの風車群、イギリスのダラム城、ウィーンのシェーンブルン宮殿の3階と4階は以前に紹介した。

●イタリアのアルベロベッロのトゥルッリ
 地元の石灰岩を積み重ねて作ってある。サンタントニオ教会もとんがり屋根、お土産屋さんもとんがり屋根。レストランでいただいたのは、「ミスト・ディ・フォルマッジョ(チーズのオードブル)」、「オレッキエッテ(プーリア地方で「耳たぶ」を意味するパスタ)」。
 トゥルッリ修復士のジョヴァンニ・ヴェネツィアーノさんと息子のドメニコさん。昔からの習慣で屋根は20〜30年に一度、壁は毎年修復しないといけない。屋根に使われている石灰岩が今では取りにくくなってしまったという。最近は違う種類の石灰岩を使うようになった。そのため景観が少しずつ変わってきている。
 千葉県出身のラエラ陽子さんは、ご主人のラエラ・フランチェスコさんとお土産屋をしながら暮らしている。アルベロベッロは標高420m、冬には雪景色も見られる。不動産屋さんのミンモさん(32歳)が柳原さんに結婚したら、ここに住めると言っていました。ほかには高校生のルーカさん(17歳)、ホテル・オーナーのディーノさん(52歳)も。
 フィスキエット(鳥笛)は、アルベロベッロに昔から伝わる素焼きの笛で、婚約時に男性から女性へ、お守りとしてプレゼントする習慣があった。現在では、アルベロベッロの人気のお土産品として、いろいろなデザインや形の笛が売られている。
 トゥルッリ専門の不動産屋さんに行く。1450軒の世界遺産のトゥルッリの中で空いている物件はほとんどないと、ガブリエッラ・ドラゴーネさんが説明してくれました。今ではトゥルッリの増築、新築は禁止。イギリス出身のスーザン・ガードナーさんも探していた。200年前に建てられた家具付き賃貸物件は、寝室のロフト付きで、1ケ月1050ユーロ(約14万円)。次の4寝室の物件は1人1050ユーロ(約14万円)なのだが、6人で住むと6300ユーロとなる。トゥルッリは日割りもOKで、今回紹介した2件は1人1日35ユーロ。賃貸物件を30日以上借りる場合は、届け出が必要になるので、賃貸登録手数料100ユーロ、敷金は家賃の1−2ヶ月分、不動産手数料(家賃の10%)が必要となる。30日未満の場合は、家賃は全て前払いで、不動産手数料は家賃の10%となる。
 規則はトゥルッリの新築、増築、改築、解体は禁止。エアコンやガスチューブなど、トゥルッリの壁に穴をあけるものの設置禁止。窓やドアを新しく取り付けることも禁止。1年に1回壁の塗りなおしをしなければいけない。


テレビ番組「美の巨人たち ミケランジェロのメディチ家礼拝堂」

 2009年12月19日放送。かつて無垢なる巨大な石に向かって、次のように言った男がいた。「真の芸術作品は大理石の中にひっそりと潜んでいる。ただ英知に導かれてノミを振るい、大理石の中からその作品を取り出すだけなのだ。」男が石から取り出したもの、それがピエタ。キリストの遺体を抱く聖母マリア。作者はミケランジェロ・ブオナローティ。

●フィレンツェ
 中央駅のほど近くに建つメディチ家の菩提寺「サン・ロレンツォ聖堂」。金を施した絢爛たる天井と荘厳なる祭壇が迎えてくれる。その背後に続く礼拝堂が、メディチ家礼拝堂。これをミケランジェロが作った。
 豪勢を極めたメディチ家にしては簡素に見える。若き侯爵が祀られている。ウルビーノ公ロレンツォの墓碑とヌムール公ジュリアーノの墓碑。その足元に置かれた棺の上には、男女の像がそれぞれ横たわっている。曙と名づけられた若く美しい女性の像は1日の始まりを憂いている。黄昏の像は年老いた男性の像は日が落ちるのを待っている。その向かいには昼の像で、若い男の筋肉の躍動があるが、その瞳のない目は何かにおびえるように虚空を見つめる。そして夜の像。
 研究家のアントニオ・フォルチェッリーノさんは、ミケランジェロがとても特殊な状況の中で製作したという。14年かかったのは、理由があった。

 シニョリーア広場には、ダビデ像のレプリカがある。サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂の階段を上がって、上から眺めると500年間ほとんど変化していないという。ただ支配者はコロコロ変わった。
 メディチ家礼拝堂の片隅に、今から30年ほど前に偶然発見された地下室がある。壁には爪跡のように描かれた絵がある。これはミケランジェロの悲痛な叫びだった。
 街角の建物ではメディチ家の紋章をよく目にする。1434年よりメディチ家によるフィレンツェ支配が続いた。豪華王と呼ばれたロレンツォ・イル・マニーフィコはメディチ家最盛期の当主。政治だけでなく芸術にもその手腕を発揮し、ボッティチェリの「プリマヴェーラ」、ダ・ヴィンチの「受胎告知」などルネサンス文化の花を開かせた。ミケランジェロの才能を見出し、最初のパトロンとなったのもロレンツォだった。しかしロレンツォの死とともに時代は大きく動いた。1491年メディチ家追放、1502年フィレンツェ共和国成立した。ミケランジェロは没落貴族の出身だったので、共和制は大賛成だった。
 ミケランジェロは40年放置されていた大理石に彫刻を依頼されたが、寸法も測らずいきなりノミを振るい作品を3年で作りあげた。それがダビデ像だった。巨人ゴリアテを倒し、イスラエルの民を解放した英雄の像は、メディチ家の支配から解放されたフィレンツェの象徴となった。ミケランジェロは共和国の英雄となった。
 1512年共和制は崩壊し、メディチ家がフィレンツェに帰還した。新たな支配者となったのは、教皇レオ10世。彼はメディチ家の霊廟「メディチ家礼拝堂」の建設をミケランジェロに命じた。最初の数年間は自ら採石場カラーラに足を運び、石選びに費やした。何枚もデッサンを描いて壮大な構想を練っていった。彼はこの礼拝堂で、建築と彫刻の融合という全く新しい試みを行なった。過度な装飾をせず、柱やドームには陰影を与えるための凹凸を施した。2人の侯爵の像は威厳と誇りを表わすことだけを考えたので、まるで似ていない。1000年も経てば、誰もその容姿を知る者はいないとミケランジェロは語った。
 しかし1527年、メディチ家追放、共和制復活。1529年、メディチ家と手を組んだローマ皇帝軍フィレンツェに進軍となり、礼拝堂の建設は中止。ミケランジェロはフィレンツェ防衛のための要塞建設総監督に就任したが、メディチ家のスパイではないかと疑われ、逃げた。メディチ家は再度街を支配したが、ミケランジェロにも暗殺の手がのびた。ミケランジェロは礼拝堂の地下室にじっと潜んでいた。その孤独と恐怖の中で壁に向かった。かつて衝撃を受けたギリシャ彫刻ラオコーンの姿を描き、志半ばで終わった礼拝堂のデッサンをした。15日後、メディチ家から恩赦を与えられた。命と引き換えの条件は礼拝堂を完成すること。そして「夜の像」が完成する。
 彼は4体の像を数ヶ月で一気に彫り上げた。しかし3体には何も書かなかった。曙とか黄昏とかは何もわからない。夜の像だけは夜の鳥フクロウが足元に宿っている。夢を意味する不気味な仮面を傍らに置いている。彼には夜という時間こそが希望だった。この礼拝堂は賞賛された。彼は「眠りはうれし。石なることはさらによし。災いと恥辱の続く限り。見ざる聞かざるは、わが大いなる幸い。されば我を起こすな。あぁ小さき声で語れ。」と答えた。
 彼はこれを作ってからフィレンツェを出ていき、二度と戻ってこなかった。
この礼拝堂にはもう1体、若き侯爵の見つめる先に幼きイエスを抱く聖母マリア像がある。


テレビ番組「にじいろジーン 地球まるごと見聞録 ミラノ」

 2009年12月5日放送。

●ミラノ
 カタール航空でドーハ経由で行きました。アルプスをのぞむイタリア北部最大の都市で、現代のイタリアを代表する画期的な街。街の中心に位置する大聖堂ドゥオーモは街の象徴。500年の歳月をかけた世界最大のゴシック建築。ドゥオーモのすぐ隣は、130年前に作られたアーケード「ガレリア」で、観光客でいっぱい。ここに20年以上住んでいたのが、ルネサンスの芸術家レオナルド・ダ・ヴィンチ。有名な「最後の晩餐」もこの街にある。
 にじいろガイドはアンナ・ヴォルベさん(35歳)。みんなドゥオーモの表側の広場に集まっているけど、裏側の広場も趣があるそうです。ドゥオーモのシンボルであり街の守り神の「黄金のマリア像」が近くに見える。
 スピガ通りは、中世の趣を残しながら時代の先端を行くお店が並ぶ。洗練されたファッションの発信地。ミラノの女性たちはそれぞれ自分らしさにこだわってオシャレしている。ミラネーゼたちは、定番の洋服を着て、小物で流行を取り入れる人が多いそうです。
 ミラノで最も古い老舗の帽子屋さん「ムチネッリ」で、120年にわたってミラネーゼたちにオシャレを支え続けてきた。女性向けの帽子と生地の数だけでも、それぞれ3000種類くらい扱っている。
 スピガ通りにある「スピガ46」は、手袋の専門店。今年はウールの長い袖が付いた手袋が流行っているという。1個1.1万円。
 文房具の店「ファブリアノ・ブティック」に行く。日頃使う文房具も赤い色で統一されている。イタリア人は愛を表すから赤が大好き。

 中世の街並みが残る通りを歩く。「オメノーニの家」は、400年以上前に建てられた建物。
 「ブレラ地区の朝市」に行く。生鮮食料品の隣には、衣料品の店が軒を並べている。流行のファッション・グッズもある。ブランドものの商品もあるので、サイズがあえば半額くらいとか。サンダル3.4万円、ドレス・パンプス2万円、カシミア・セーター1.8万円、カシミア・ワンピース2.7万円など。

 地元で人気のレストラン「アルフレード・グラン・サン・ベルナルド Alfredo Gran San Bernardo 」に行く。名物料理を2つ紹介してくれた。「ミラノ風カツレツ」は250g3800円。お肉を叩いて薄くして揚げています。調理に時間がかかるためらしい。ミラノではみんな「象の耳」と呼ぶ。もう一つは「ミラノ風リゾット」で、サフランを使って黄色くしたリゾット。ドゥオーモのステンドグラスの黄色い部分にサフランが使われていることから、名づけられた。1900円。このリゾットの上に、なかなか手に入らない高級食材「白トリュフ」をトッピングしていた。これで6800円。

●アルバ
 ミラノの郊外「アルバ」は、トリュフの名産地。トリュフを探すのが得意な犬と共にトリュフ狩りを体験できるトリュフ・ハンティング・ツアーが大人気。黒トリュフは10g270円、白トリュフは10g4000円。

●コモ湖
 ミラノから車でおよそ50分、有名人の別荘が並ぶ「コモ湖」。その昔シーザーやローマ皇帝にも愛されたという歴史ある保養地。湖を巡る遊覧船に乗る。30分730円。湖畔にはハリウッドスター達が別荘を構えているため、リトルハリウッドと呼ばれているとのこと。別荘を拝見するのは、湖の上からが一番。
 アンジョリーナ・ジョリーやシャローン・ストーンなどの映画スターやセレブがよく利用するのが、高級リゾート・ホテル「ザ・ヴィラ・デスト」。
 コモの町で案内されたのが、スカーフの店「イン・セータ」。コモ湖の周辺は昔から繊維産業が盛んで、特にシルクはミラノのファッションとして発達していった。流行色は先シーズンに引き続いて「パープル」で、「ブルー」もとても人気。紫のスカーフは約6200円。

 100年の歴史を持つ「リストランテ・サンタ・アナ70」。目玉はコモ湖で獲れた淡水魚の数々。コモ湖はヨーロッパで一番深い湖で、水が冷たく、魚の身がよくしまっている。淡水魚専門のレストランです。「ルチョペルカのカルパッチョ、白トリュフ添え」は、ルチョペルカという淡水魚のカルパッチョに白トリュフを添えた逸品。「ペルシコのピカタ、リゾット添え」。

●ミラノ
 ガレリアの中にあるお勧めのホテル「セブンスターズ・ガレリア」。PR室長のエリサ・ダル・ボスコさんが説明してくれました。イタリアの有名な建築家がデザインし、2年前にオープンした。セレブたちに人気を呼んでいる。エグゼクティブ・ジュニア・スイートで63平方m。このホテルはヨーロッパで初めて7つ星に認定された。1泊1760ユーロ(約23.8万円)。


テレビ番組「世界ふれあい街歩き ミラノ」

 2009年7月3日放送、2009年11月14日再放送。

●ミラノ
 地下鉄の駅を上がると目の前にミラノのシンボルのドゥオモ(ミラノ大聖堂)があった。かつてはミラノ公国と呼ばれた首都で、レオナルド・ダ・ビンチもたい。現在ではイタリア最大の工業都市としてだけでなく、モードやファッションの流行の発信地として有名。ミラノの中心はドゥオモ広場で、広場を囲んで幾重にも環状道路が走っており、街は同心円状に拡張、発展していった。またゴシック様式やルネサンスなど芸術の都としても栄え、かのレオナルド・ダ・ヴィンチが描いた「最後の晩餐」もある。

 高い門があるが、ガッレリアというアーケード。大きなガラスのドームの下に東西105m、南北197m、鉄とガラスでできていて、1867年に完成した。ミラノがイタリア王国に統一された時に作られた。朝10時だが賑わっている。人が集まっている。牛の絵の急所の位置で回ると幸運が訪れるといわれている(いのうえ注:これと全く同じものが大阪の地下街にもあります。)。ガッレリアを出る。
 スカラ座は世界中のオペラ・ファンの憧れ。横を通過する。道路が石畳になった。歩道は狭い。右手はブレラ美術館。黄色い貸自転車(バイクシェアリング)が並ぶ。登録すれば市内を30分間走ることができる。市民は無料。
 通過するとテントを使った市場があった。野菜、果物、ハチミツなど。ハチミツ屋さんのお勧めはスーパーハニーで、樹液を吸う虫の分泌物をハチが集めたミツ。ミネラルたっぷりで滋養強壮によい。この人はロンバルディア(北イタリア)から中央イタリアやトスカーナまでアカシア、ユーカリ、ヒマワリの咲く土地へ移動している。
 次の路地では幼稚園児たちが植物園を見学していた。みんなで木に触ったり抱きついたりしてました。以上は、ブレア美術館からvia S.Marco を北上し、via Sofferino を南下し、via Farebenefratelli を東に行って、ブレア美術館の裏の植物園を見て、西に移動したようです。Piazza del Carmine 付近の路面電車の走る通りを歩く。スフォルツェスコ城付近のメトロの駅のある広い場所(多分カステッロ広場)にある古本屋さんに寄る。ムッソリーニに関する19万円の限定本もありました。
 南西に移動。「サンタンブロージョ教会 Sant Ambrogic 」の横を12時に通過。町で一番古い12世紀の教会。
 ドゥオモ付近に戻ってきた。ミラノ通りの「FNAC」(住所:Via della Palla, 20123 Milano )の前を右折。古い遺跡「聖ロレンツォの列柱 Colonne di S.Lorenzo 」にでた。「聖ロレンツォ聖堂」の隣です。すぐ横を路面電車が走っているが、ここだけ単線で、信号で制御している。床屋のおじさんに話を聞いた。カットとシャンプーで17ユーロと書いてある。ここから南下した模様。
 午後3時半。ティチネーゼ門は昔はミラノの入口だった。そこから運河沿いに歩く。昔の洗濯場という瓦の屋根が続いている場所があった。
 4時半。可愛い橋があった。ピアノの調律と修理をしているお家があった。

 「サンタ・マリア・プレッソ・サン・サティロ教会」では、ルイージ・プレシャーニ神父が説明してくれました。1486年に完成した。設計を担当したのは、ルネサンスを代表する建築家の一人、ブラマンテ。彼はこの教会に、あっと驚く仕掛けが施した。中央の祭壇には奥行きのある豪華なアーチが続いているように見えるが、実際の奥行きは97cm。ブラマンテが遠近法を駆使して、壁や天井の装飾漆喰とアーチを工夫してデザインしたため、正面から見ると奥行きがあるように見える。ブラマンテは初め、この教会を上から見て十字架の形に設計したが、十字架上部の祭壇部分については、すぐ裏に道が通っていたため建築許可が下りず、奥行きがとれなくなった。そこでブラマンテは、教会に来た人が本来の設計に見えるよう、遠近法で奥行きを出した。この天才的なアイデアは同時代のレオナルド・ダ・ヴィンチにも大きな影響を与えたと言われています。例えば、「最後の晩餐」とか。

 「ミラノ風リゾット」をリゾット専門店のロベルト・フォンターナさんが紹介してくれました。ミラノっ子はリゾットが大好きで、この店では23種類取り揃えている。中でも昔から大人気なのが「ミラノ風リゾット」。「ミラノ風」と呼ぶ理由は、次の伝説による。16世紀ドゥオモの建設中、ステンドグラスを作るサフランというあだ名の職人がいた。サフランを使ってガラスをキレイな黄色に染めるのが得意だった。ある時サフランは、ガラス職人の親方の娘に恋をしたが、彼女は他の男と結婚したので、サフランは結婚式で花嫁にリゾットを差し出した。それは白い米を黄色く染めたリゾットで、リゾットに自分の名前・サフランを入れることで、若者は秘めた思いを伝えたわけです。

 「トラム」について、ミラノ交通局のラベルット・ラーリさんが説明してくれました。ミラノには、電車、地下鉄、バスなど色々な乗り物があるが、中でも愛されているのが路面電車(トラム)。とても便利で、簡単に利用できる。乗車券は地下鉄の駅などの券売機や、「T」のマークの付いた酒場・タバコ屋・路上の売店で買える。一枚1ユーロで、最初に乗ってから75分間は自由に乗り降りができる。乗ったらまず乗車券を検札機に通して乗車時刻を刻印すること。トラムは交通手段以外にも、貸し切りにしてパーティーを開くこともできる。


テレビ番組「旅サラダ 2009年10月は長山洋子さんでチュニジア&マルタ共和国」

 カタール航空で関西空港からドーハ経由でチュニスへ行きました。チュニジアは人口1020万人、面積は日本の5分の2。チュニジアでは毎日40度以上あったそうです。地中海をはさんでイタリアの対岸に位置するチュニジアは、古くから地中海交易の中心として栄えた国。いろいろな国との攻防があった。通貨はTD(チュニジアン・ディナール)で1TD=約70円。

●チュニス
 首都のチュニスはアフリカを代表する近代都市。アラブとヨーロッパの2つの文化が混在する。フランス門を隔ててヨーロッパ風の新市街とイスラムの雰囲気をとどめる旧市街の2つの雰囲気を持つ街。
 19世紀後半にフランス統治時代に作られた新市街地。ベンジャミンの並木が続く「ハビブ・ブルギバ通り」はチュニス1の繁華街。緑が多く、両側にオープンカフェが並ぶ。1つのカフェに立ち寄ってみた。「ル・グラン・カフェ・ドゥ・テアトル Le Grand Cafe du Theatre 」(住所:Avenue Habib Bourguiba, Palmarium Bulding, Tunis、Tel:71-336-344、営業時間:06:00〜24:00 )で、「カプチーノ」1.5TD(約110円)。

 西に進み、世界遺産に登録されている「旧市街(メディナ)」に向かう。境界にあるのは、「海の扉(ハブ・エル・ブハル)(フランス門)」。かつてはこの門から伸びる城壁が街を囲んでいた。メディナは7世紀のアラブ時代に建設が始まり、13世紀に最も栄えた。今も当時の姿を伝えている。どこからか祈りをうながす声(アザーン)が流れてきた。
 フランス門を越えると地元の人が「スーク」と呼ぶ市場がある。ここは生活用品が全てまかなえるという活気がある。ここは紛れもないアラブ社会。1000軒ものお店がある。
 お菓子屋さんがあった。試食してみた。「マクルード」は中はジャムのようなものが入っている。2TD(140円)。甘いジャムはチュニジアの特産品ナツメヤシの実。

 迷路のような路地を行くと、不思議な入口を見つけた。赤い扉の中はサウナのお店「ハマム・カシャシン Hammam Qashashine 」(住所:Rue de Qashashine Medina de Tunis, Tunis、Tel:なし、営業時間:5:00〜20:00 )。ハマムとは蒸気風呂で、ここは60度。じっくり汗を流してから垢すりやマッサージをする。入場料2TD(140円)、垢すり2TD(140円)。蒸気風呂に入る風習はオスマントルコ領土だった時代から庶民の間に広まった文化。1日の疲れを癒すと共に、社交の場ともなっている。現在ではジムや美容室と一緒になっているハマムもある。
 もう1軒のお店に行ってみた。しかしここはハマムのお店をカフェに改装したお店だった。「カフェ・ムラベト Cafe M'Rabet 」(住所:Rue Souk Trok, Medina de Tunis, Tunis、Tel:なし、営業時間:8:00〜19:30 )はアラブ風カフェで、チュニジア伝統のお菓子や水タバコを楽しむことが出来る。不思議な空間です。ミント・ティー2TD(140円)はかなり甘い。

 市場を抜けたあたりで聞こえてきた美しい音色。「ラシディア音楽学校」(住所:Rue DRIBA, Medina de Tunis, Tunis、見学時間:(午前)10 :00 〜12 :00 (午後) 15 :00 〜 20:00 )で、伝統音楽を教える学校でした。ウードという民族楽器の練習中でした。ウードはアラブ音楽の世界で音色と形の美しさから「楽器の女王」といわれている。弦をはじいて音を出す撥弦楽器で、バチは今はプラスチックを使っているが、以前はダチョウの羽を使っていた。弦の数は11本。しかも2本並んだ弦を一緒に抑える演奏方法。弾かせてもらいましたが難しいそうです。半卵形状の共鳴胴を持ち、竿の先が大きく反っている。長山さんは着物を着て三味線を弾きました。

 高級住宅街にあるレストラン「ダル・エル・ケイラート Dar El Hayrat 」(住所:Rue Dar Eljeld, Medina de Tunis, Tunis、営業時間:12:00 〜 15:30 & 19:30〜23:30 )に行く。ここは築200年余りの豪華な邸宅を改装した評判のチュニジア料理店。伝統的なチュニジア料理を堪能できるが、今回は最もポピュラーな料理を御願いしました。付き出しのオリーブと「ハリッサ」は無料。ハリッサは赤唐辛子とにんにくをペーストにしたもので、パンにつけて食べる香辛料。「ブリック」5TD(350円)は、クレープ生地に卵、ツナなどをはさんで油で揚げたもの。この料理はとても人気があるが、食べ方に注意しないと中から黄身がでてくる。チーズも入っていてバランスがいいとか。「クスクス」15TD(約1050円)は北アフリカを代表する料理。小麦粉を粒状にしたパスタと香辛料を使ったスープを混ぜ合わせ、子羊の肉や野菜を盛り付けたられたもの。チュニジア料理は特産品であるオリーブオイルをベースにして豊富なスパイスで味付けしたコクのある料理だった。

●カルタゴ遺跡
 チュニスの北東12キロにあるカルタゴは、紀元前9世紀頃に地中海貿易を独占し、海の民と言われた古代フェニキア人によって建設された。紀元前6世紀から紀元前2世紀にかけてカルタゴは地中海から西アフリカ海岸までの貿易を掌握し大いに栄えカルタゴは古代ローマと並ぶ強国となっていった。しかし、古代ローマとの3度にわたる戦いに敗れ、紀元前146年に滅亡した。ローマ帝国時代には、ローマ、アレクサンドリアに次ぐ第三の都市となった。
 「アントニヌスの共同浴場」(住所:Colline de Byrsa, BP33, 2016 Carthage、Tel:71-730-261、営業時間:夏季8:00〜19:00 冬季8:30〜17:00 )は2世紀に建設された広大な公共浴場。ここにはお風呂の他にも当時はサウナ、プール、談話室など100を超える部屋があったとされる。床には色鮮やかなモザイク画が敷き詰められ、華やかな柱と壁には大理石がふんだんに使われていた。入場料:カルタゴ遺跡共通券9TD(約630円)。
 7世紀にアラブの支配を受けた後は、次第に荒廃し、歴史の表舞台から姿を消した。現在では古代カルタゴの遺跡はほとんど見られず、わずかに残るのはビュルサの丘にある住居群やトフェの墓地である。残る遺跡群のほとんどはローマ帝国時代のもので、1979年に世界遺産に登録された。
 当時1万人もの観客を収容できたという「ローマ劇場」(住所:Colline de Byrsa, BP33, 2016 Carthage、Tel:71-731-332、営業時間:夏季8:00〜19:00 冬季8:30〜17:00 )復元された現在もコンサートなどの会場として使用されている。入場料:カルタゴ遺跡共通券9TD(約630円)。

●シディ・ブ・サイド
 チュニスの郊外にあり、カルタゴから車で10分。チュニジアで一番美しいと言われる街。人口は約5000人。青い空に、青い窓と扉、白壁が印象的な家並みが広がる。世界中から観光客が訪れる。ヨーロッパの芸術家たちが好んで訪れたという。この白壁と青い窓と扉のパターンはこの街からチュニジア各地に広がっていったという。
 そのきっかけになった邸宅を訪問した。アラブ地中海音楽の博物館画家であり、アラブ音楽の歴史をまとめた研究者であるフランス人のロドルフ・デルランジェ男爵(1872〜1932)の邸宅(住所:8, rue du 2 Mars 2026 Sidi Bou Said Tunis、Tel:71-740-102、営業時間:9:00〜13:00 & 15:00〜18:00、休館日:月曜 )。入場料3TD(約210円)。彼は地中海と空をイメージした青、そして白を建物に使うことを提案し、実践した。町もそれを賛同し、1915年8月28日付けの政令によってシディ・ブ・サイドの岬における無秩序な開発を禁止し、青と白の色を街の基調として課し、街の保護を図ることにした。現在はこの邸宅は「アラブ・地中海音楽の博物館」として公開され、演奏会の会場として使われることもある。白壁に生える青はいつしか「チュニジアン・ブルー」と呼ばれるようになった。
 この街は鳥かごや陶器などチュニジア名物の工芸品ショップが並び、景色だけでなく買い物も楽しめる。鳥かごがとても多い。名産品は鳥かご。鳥はチュニジアの人にとって自由の象徴であり、とても大切にされている。
http://www.asahi.co.jp/tsalad/monthly/20091003.html

●ナブール Nabeul
 チュニスから電車で約1時間。チケット代は6.3TD(約440円)。急行列車は全て自由席。里帰りするというご家族と同席した。
 陶器をはじめとする工芸で知られる地中海に面した街。ナブール陶器の歴史は古く、紀元前のバビロニア時代まで遡る。主要産業となったナブール陶器はチュニジア全土に広がっており、観光客だけでなくチュニジア各地からも買い物にやってくる人が多い。
 陶器街に行く。マブール焼きの特徴は鮮やかな色合いと豊富なデザイン。チュニジアで一番愛されている陶器で、お土産にもよい。大きな手の形のデザインがあった。チュニスでもよく見かけたデザインだが、いくつかの陶器が集まって、一つの手になっている。15TD(約1050円)。
 陶器作りを見学できるお店がいくつかある。陶器店「ラ・カラヴァン La Caravane 」(住所:Avenue Habib Bourguiba, Nabeul、営業時間:8:00〜17:30 (金土曜日は8:00〜13:00、定休:日曜 )は、その中でも評判の店。ナブール焼きを数多く取り揃えている。経営者のムハンマド・ジマーアさんに案内してもらった。奥に工房があり、色付けなど全て手作業で行っている。「スープ皿」10TD(約700円)、「クスクス用の皿(ふた付きのタジン鍋)」30TD(約2100円)。壁に「ファティマの手」と呼ばれる魔除けがかかっていた。これが先ほどの手だったわけです。ファティマは貧しい人を助けた慈悲深い女性の名前。イスラムの予言者ムハンマドの娘。困った時に彼女が手をさしのべてくれたというエピソードが伝説となり、手の形がお守りとして用いられている。

●ハマメット
 ナブールから南西15kmにある古くから「刺繍の街」として知られた街。列車で行けます。チュニスからは約60キロ。白い街並みと地中海を一望できる白いビーチが特徴のリゾート地。気候的にも恵まれ、のどかな田園風景が広がる。また、多くの芸術家にも愛され多くのレストランやホテルが立ち並び、ビーチではマリンスポーツが盛んに行われている。街の中心には城塞(カスバ)があり、海からの侵攻に備え、10世紀初頭のアラブ時代に建てられた。城塞の隣にあるメディナと呼ばれる旧市街を守るのが目的だった。長い歴史を持つメディナ。目の前に広がる白い空間。空は真っ青。

 伝統的な刺繍の店を訪ねた。「フェッラ Fella 」(住所:Boutique FELLA, Vieille cite, Hammamet、Tel:72 280 426、Fax:72 279 234、営業時間:10:00〜13:00 & 5:00〜18:30 )では、スタッフのタイシール・ハッマミさんが説明してくれました。青や赤の魚のデザインの刺繍が多い。チュニジアで魚は命と再生を象徴し、子宝や幸運をもたらすといわれている。これは古代フェニキア人が生みの民だったことに由来している。2800年の時が流れていても、お守りとしてとても人気がある。この店には、本のしおりから洋服や豪華な婚礼衣裳まで、伝統的な刺しゅうで作られた様々な色鮮やかな商品が並べられている。貴重なコレクションを見せてもらった。ナブール地方の伝統衣装で、ファティマの手、魚が織り込んである。この2つに鳥、植物などがこの地方に伝わる代表的な刺繍。ハマメット地方の伝統衣装もある。女性用の婚礼衣装には植物模様の刺繍が丁寧に施されている。最後に制作に2年間かかったドレスも見せてもらった。パッチワークのように見えるが、1枚の布に正方形の刺繍が3000箇所以上の施されている。6000TD(42万円)。

●サヘル地方
 世界遺産の街スースに向かう。チュニスから鉄道で2時間、オリーブ畑を抜ける。農業が盛んな中部地方サヘル。サヘルはアラビア語で「沿岸地方」の意味。古くから地中海貿易の重要拠点として栄えた。

●サヘル地方スース
 「サヘル地方の真珠」と言われるほど美しい町。8世紀に建てられた要塞やグランド・モスクなどの歴史的建造物が多く、旧市街は世界遺産に登録されている。

●サヘル地方ケロアン
 スースから車で30分。オリーブ畑を抜けると、もう一つの世界遺産の街ケロアンがある。チュニスの南、約165kmにあたり、絨毯の街としても有名で、交差点のモニュメントには絨毯が描かれている。真夏のケロアンは昼間の気温が40度を越えるので、外出を控えるために人影はまばら。古い街並みには時間が止まったような静けさが漂う。
 街のあちこちで見かけるのは、絨毯。カーペットの産地としても有名で、チュニジアで一番歴史の古い絨毯の生産地でもある。品質もデザインもとても優れている。鈴のような音に誘われて、小さな工房を訪ねた。ほとんどが家内工業で、代々女性に受け継がれてきた。母ヘンダさん(36歳)は8歳から絨毯を織り続けている。中学生の娘ウィジュダンさん(14歳)は4年目。1ヶ月かけて織り続けている絨毯は、完成まであと2ヶ月かかるそうです。
 世界遺産の街をご家族に案内してもらった。ケロアンは北アフリカにおけるイスラム教発祥の地といわれ、歴史は7世紀から始まる。歴代のアラブ王朝の首都として栄えた。その後、ベドウィンの侵入により衰退し首都がチュニスに移ったとされる。現在は、チュニジア第5の都市。
 「グランドモスク Grand Mosque 」(住所:Grand Mosque Okba Vielle ville Kairouan、Tel:77 270 452、営業時間:夏季7:30から14:00 冬季8:00から14:00、金曜日は12:00まで)は、9世紀に建てられたアフリカ最古のモスク。入場料は7TD、撮影料金は1TD。内部への門は9つあるが、イスラム教信者以外が入れるのはメインゲートからのみ。ミナレットと呼ばれる塔の高さは31.5mで、イスラム世界で最も古いものといわれている。礼拝堂へはイスラム教信者以外は入れない。

●ヤスミン・ハマメット
 チュニジアで最も人気のあるリゾート地。地中海に面したビーチ沿いに、50もの豪華な大型ホテルが建ち並ぶ。
 5つ星ホテルの「ハスドゥルバル・タラサ&スパ Hasdrubal Thalassa & Spa 」(住所:8057, Yasmin Hammamet BP 04 , Yasmine Hammamet 8050、Tel:72 244 000/914 )は、全ての部屋がスイートルームという豪華さで、チュニジアを代表する最高級ホテル。各国のセレブも美容と健康、極上の休暇を過ごすために訪れる。様々なタイプのスイートルームがあるが、世界一広いとギネスに認定されているスイートルームを体験。マライア・キャリーもここに泊まったとか。1542平方mで、ベッドルームが5部屋、リビングが5部屋、屋内と屋外のプール、プライベート・ビーチなどがあり1泊朝食付きで8000TD(約56万円)。
 またこのホテルの自慢は、5500平方mにも及ぶ「タラソテラピー・センター」。タラソは海、テラピーは治療という意味。海水を入れた温水プールは32度で、体をゆっくり動かすのに丁度いい温度。一番のお勧めは「死海」から取り寄せたミネラルたっぷりの「海藻パック他、最短4日コース」685TD(約4.8万円)。
 レストランでは美容と健康を考えた低カロリーの料理がいただける。スズキのグリル、ワインはロゼをいただきました。


●トズール Tozeur
 サハラの大砂漠を目指す。トズールはアルジェリアとの国境近くにある砂漠の中のオアシス都市。街の200ヶ所から湧き出す地下水が、このオアシスを潤している。この日の気温は43度。水の冷たさがとても心地よい。
 トズールはサハラ砂漠の玄関口として知られる街。ハビブ・ブルギバ通りは一番の繁華街。国際空港やリゾートホテルも充実しているため一年中を通して世界中から多くの観光客が訪れている。「カレーシュ」と呼ばれる観光馬車は、1時間15TD(1050円)で、なかなか快適で、日中暑いチュニジアを涼しく観光することが出来る。日干し煉瓦で造られた街並みや美しい幾何学模様はこの地方独特のもの。
 オアシスの町の特産品はナツメヤシ。40万本の木から最高級の甘い実が収穫される。

●塩湖「ショット・エル・ジェリド」
 トズールから南へ300km、サハラ砂漠に向かう。荒涼とした乾いた大地が続く。
 しばらく行くと、北アフリカ最大の塩湖「ショット・エル・ジェリド」が見えてきた。どこまでも続く白い大地で、かつてはここは地中海につながっていた。長さ55kmのまっすぐな道路の左右に広がり、面積は6000平方km。琵琶湖の約7.5倍で、千葉県とほぼ同じ広さで、西はアルジェリア国境近く、東は地中海沿岸まで及ぶといわれる。
 塩湖の中に一艘のボートが置いてあった。ピンク色の塩は幻想的です。塩の結晶はクリスタルのように輝き、まばゆい光を放つ。

●マトマタ
 チュニジア南部の町、トズールから100km。牛を飼っているようです。北アフリカの先住民族であるベルベル族が住む街。彼らは横穴式住居に住む。
 映画「スターウォーズ」のルーク・スカイウォーカーが育った家として、1977年に公開された第1作目からシリーズを通して、この横穴式住居は度々登場した。今は「エピソード3」で使われたままの姿が残され、世界中からたくさんのスターウォーズ・ファンが訪れている。
 ベルベル人のハジャ・ファトマさん(80歳)のお宅を訪ねた。クレーターのような大きな竪穴、その壁の部分に多くの横穴を掘り進めた住まい。部屋の奥はお昼でも涼しいそうです。ローズマリーのお茶をいただきました。ベルベル人は12世紀頃、遊牧民のベドウィンに追われてこの地に移り住んだ。敵から身を隠すために使用していた横穴が、今も受け継がれている。横穴型住居は粘土質で夏は涼しく冬は保温性に優れている。ベッドのマットの中にはアルファという植物の葉が入っていて涼しいそうです。アルファで作った麦を入れる籠も丈夫。
 横穴式のレストランやホテルもあり、観光スポットとしても人気が高い。
 スターウォーズロケ地マトマタで見られる撮影セットは「ホテル・シディ・ドリス Hotel Sidi Driss 」(住所:Centre Ville, 6070 Matmata、Tel:216 75 240 005 )など。世界中から多くの「スターウォーズ」ファンが訪れ賑わっている。

●砂漠
 マトマタから100km先、車で1時間半の場所に向かう。トズールを出発して9時間。途中から舗装された道がなくなるので、道なき道を行く。褐色の砂漠の中、途中で車を止めてもらって、サハラ砂漠を眺めた。息を呑むほど美しい赤の世界。

●クサール・ギレン
 ナツメヤシの林に囲まれた町。街中には太陽熱に暖められた天然の温水プールがあり、砂漠の旅の疲れを癒してくれる。
 チュニジア国内でも最も素晴らしい砂丘で、サハラ砂漠を見ることが出来る。赤い砂丘が地平線まで広がり幻想的な雰囲気が味わえる。チュニスからは直通の公共交通機関はなく、各旅行会社での4WDチャーターが最も一般的。
 宿泊は、砂漠の中に張られた60棟のテントでできた「パンシア Pansea 」(住所:Ksar Ghilane, 4200, Kebili、Tel:75 621 870 )。テントの中は意外と広くて、冷房が利いていて涼しい。壁はコンクリートらしい。シャワー・トイレ・エアコン完備の豪華ホテルで、シングル1泊朝食付で200TD(約1.4万円)、ダブル1人1泊朝食付で、258TD(約1.8万円)。夕食付きの場合は、追加29TD(約2100円)。小麦粉を練ったパンは、砂の上で表と裏を10分ずつ焼く。中はもちもちです。追加料金で40TD(約2800円)。
http://www.pansea.com/

 ここで夜月を見ていたら、ジャズの名曲「チュニジアの夜」を思い出した。 ♪いずれの空の月も同じ。冷たい夜の光を放ち、輝くことに変わりない。だが、チュニジアの月ほど明るく輝く月はない。夜ごとの安らぎの満ちる場所。それは素晴らしきチュニジアの夜。


●マルタ共和国 Malta
 地中海の真ん中に位置し、イタリアとアフリカ大陸に挟まれている国。シチリアの南に位置する。人口は41万人。面積は東京23区の半分ほどの小さな島。気候は地中海性気候。誇り高い騎士団が守った要塞の島。文明の交差路として、歴史溢れる街並みと美しい地中海を楽しむため、年間120万人以上の旅行客が訪れる。
http://www.asahi.co.jp/tsalad/monthly/20091024.html

●ヴァレッタ
 マルタ共和国の政治・経済の中心地、首都。16世紀半ば、聖ヨハネ騎士団によって作られた要塞都市。1980年に世界遺産に登録。
 街の入口「シティ・ゲート」からメイン・ストリートに向かう。観光客もリラックスしているし、街を歩いていてもとても自然な感じだそうです。どこに行くにも15分の距離というジョークがあるほど、小さな街。街のメインストリートの「リパブリック・ストリート」はわずか1kmで、古い建物がそのまま残り、多くのお店が並び賑わいを見せている。建物は黄色で、マルタ・ストーンというマルタ特産の石を使っている。断熱効果に優れている。バレッタにある300ほどの歴史的な建物に使われている。
 マルタはかつて様々な民族に支配された歴史がある。最も影響を受けたのは、16世紀から270年余り支配した聖ヨハネ騎士団。騎士団の団長が代々住んでいた宮殿の一部「騎士団長の宮殿と兵器庫」(住所:Palace Square Valletta VLT1191、Tel:356 21 249349 )が博物館として残されている。騎士団は16世紀から270年にわたりキリスト教を守るために組織された集団で、闘う兵士であり修道士だった。その多くはヨーロッパの富裕階級の出身だったため、財政的にも豊かで、マルタに豪華な建築物や美術品をもたらした。豪華な部屋が数々あるが、現在も大統領府と議会が置かれているため、見学出来るのは一部に限られている。兵器庫には聖ヨハネ騎士団の甲冑や武器など約6000点もの武具が展示され、当時の歴史を垣間見ることが出来る。
 入場料は一般10ユーロ、オーディオガイド付15ユーロ、学生12歳から17歳とシニア60歳以上は7ユーロ、子供は5ユーロ。宮殿がしまっている場合、武器庫のみで、入場料は一般6ユーロ、学生とシニア4.5ユーロ、子供3ユーロ。

 「聖ヨハネ大聖堂」(住所:St John’s Street,Valletta VLT10、Tel:356 21 220536 )は聖ヨハネのために建てられたもので、騎士団の心の拠り所だった。内部は豪華さで言葉を失う。天井から壁面の全てが金箔で装飾、柱や壁に聖ヨハネ騎士団の紋章が飾られている。賛美歌を歌っていたのは、アントニオ・バルトロさん(59歳)で、この教会の聖歌隊の一員で、教会の案内もしている。天井には美しいフレスコ画をマティオ・プレッティが描いている。それは聖ヨハネがキリストを洗礼している姿もあり、聖ヨハネの生涯を美しく描いたもの。天井の絵はマルタ・ストーンの上に直接、油絵の具で描かれている。赤い布をまとっているモチーフは、大理石の彫刻にも利用された。また、大理石の床一面には名前や紋章・碑文・絵など美しい模様が描かれた374もの墓碑が敷き詰められている。入場料は一般6ユーロ、シニア4.6ユーロ、学生3.5ユーロ。

 バルトロさんから騎士団が活躍した風光明媚な場所があると聞いて行ってみた。それは要塞の一角にある「アッパー・バラッカ・ガーデン」(住所:Castille Square Valletta、入場料:なし )。対岸のスリー・シティーズと呼ばれる街並みを一望できる公園。美しい景色に涙してました。毎日、12時を知らせる大砲が街に響く。

●イムディーナ
 バルトロさんのお友達が料理をご馳走してくれるので、ヴァレッタからバスで向かった。バス・ターミナルの売店でマルタ名物の「ハニーリング」1.5ユーロを見つけた。ハチミツがたっぷり入った人気のお菓子。
 バスは外国製の中古車がほとんど。イムディーナには17世紀初めにできた水道橋の脇をさりげなく通って20分程で到着。料金は47セント(60円)。ここはマルタ島のほぼ中央に位置する町。聖ヨハネ騎士団が到来する以前の16世紀にはヴァレッタに先立って首都が置かれていたため、オールド・シティとも呼ばれる。
 今も中世そのままの街並み。バルトロさんのお友達カルメン・ミカレフさんのお宅に伺う。お宅は築700年、マルタ・ストーンで建てられている。名物料理「ウサギの赤ワイン煮込み」。マルタは国土が狭いので、牛などが飼えず、昔からウサギを食べてきた。今では記念日などに食べる特別な料理。最後は45−60分煮込む。マルタは川がなく雨も少ないので、水がとても貴重。パスタを茹でるにも水は少ない。鶏肉に近い味だそうです。

●セント・ジュリアン
 宿泊は「ザ・ウエスティン・ドラゴナーラ・リゾート」(住所:Dragonara Road,St.Julian's、Tel:21-381000 )で、1997年にオープンした5つ星の大型高級リゾートホテル。広い敷地に6つのプールやダイビングセンターなどの施設も充実し、極上のひとときを過ごせる。今回は、ベイスイートで1人1泊朝食付で300ユーロ。長期滞在者用にキッチンも付いている。
http://www.westin.com/malta

●地中海クルーズ
 マルタ島からコミノ島のブルー・ラグーンと呼ばれるビーチまでの「地中海クルージング」(住所:Dolphin Court,Tigne Seafront Sliema、Tel:356 23 463333 )。ヴァレッタの南西にある港から出航する。船は100人乗りのフェルナンデス号。水着姿のお客も結構いて、甲板で日光浴。コミノ島まで30分、のんびりと2時間かけてクルージングを楽しむ。マルタ島には砂浜がないためらしい。心地よいそよ風、地中海の青い海。見ているだけで幸せな気分になる。
 コミノ島の「ブルー・ラグーン」は他に比べ物がないほどの青く透明な海。ここでは海水浴やマリンスポーツを楽しむことが出来る。
 料金は50ユーロでランチ付き
http://www.captainmorgan.com.mt/


テレビ番組「ズームイン・サタデー 賞味期限1日!幻のチーズ探し ナポリ」

 2009年9月5日放送。夢を叶えさせるという番組。北澤豪さんたちが出演。チリエッジーニという賞味期限1日のチーズがあり、大行列ができるという。それを10年以上前に見て、それを探しにイタリアに向かった。日本テレビ製作。

●ナポリ
 スパッカ・ナポリを歩く。撮影には警備が必要とのことで警察がついてくれた。伝統のお菓子専門店「ススイズィテッツェ・ナポリターナ Squisitezze Napoletana 」に行く。この店一番の人気は「ババ Baba 」1個2ユーロ(260円)。お姐さんもきれいでした。ラム酒で漬けてある。カフェ「Bar Nilo 」にはマラドーナの写真が飾られていた。80年代ナポリのサッカー・チームに参加していたためらしい。マラドーナの髪の毛も飾ってありました。パスタ屋さんで聞いてみたら、ペストゥムの「ヴァンヌーロ」にあるはずだという。

●ペストゥム
 ナポリから南へ100km。朝6時にナポリを出て列車で向かった。駅前には何もない。しかしお店「ヴァンヌーロ」の前には大行列。イタリア人は行列が嫌いだというが、それでも並ぶ。朝8時から売り出して、3時間後には売り切れるという。トリノから10時間かけて来た人もいた。店頭には置いてなくて、言ったら持ってきてくれました。普通のチーズが4−5日なのに、「モッツァレラ・チリエッジーニ」の賞味期限が1日なのは、ミルクの風味へのこだわり。まずは水牛にミルクの管理。自動搾乳機で外部の空気に触れることなく工房まで運べる。なので熱殺菌が不要。昔ながらの手作りで、保存料、添加剤は一切使わない。発酵させずに固形のミルクに熱湯をかけただけで作られる。濃厚で小さいので、熟成が早く、すぐに味が変わってしまうという。


テレビ番組「にじいろジーン 地球まるごと見聞録 ローマ」

 2009年8月22日放送。

●ローマ
 大韓航空で行きました。フィウミチーノ国際空港からはフランチェスコさんがタクシーで市内まで。初乗りは330円、市内まで45分。市街地に入るとコロッセオが見えてきた。スペイン広場では、映画「ローマの休日」が撮影された。映画ではジェラートを食べるシーンがあったが、今は禁止されている。食べたら罰金100ユーロ(1.4万円)。ローマでは歴史的建造物での飲食は禁止。
 にじいろガイドはエリザベッタさん(20歳)。青空市場は新鮮な食材が豊富です。
 ローマの伝統的なパスタ料理カルボナーラを「イル・ブカティーノ」でいただく。グラン・チョイレス?とよばれる豚の頬肉?にパスタの茹で汁を加え、スパゲッティではなく、大きめのショートパスタを使用するのが、ローマ・スタイル。生タマゴをといて入れ、2種類のチーズでしっかり混ぜ合わせる。日本のように生クリームは使わない。あとは塩胡椒のみ。1700円。
 ローマの伝統的な「イチジクのピッツァ」を「フロントーニ」でいただく。生地を半分にスライスして、イチジクと生ハムをはさむ。100g200円で、サンドイッチのようにしていただく夏の風物詩。
 お土産にピッタリなのは、手作りベネチアン・ビーズのお店「Kouki Vetri Soffiati 」。ビーズの種類は100種類以上で、アクセサリーは2800円。
 コルソ通りはファッションの中心地。お気に入りのお店を聞いてみた。「アッチェッソライズ Accessorize 」は、アクセサリー800円〜、ネックレス3000円〜、バッグ4200円〜、帽子3000円など。
 今年は古代ローマ時代の靴をアレンジしたサンダルなどが流行。一番人気はスレードのサンダル5600円など。

 観光は「ローマの休日」で使われていたスクーター「ベスパ」に乗って観光するベスパツアーの「ビチ・エ・バチ」。ガイドさんと1対1なので、誰にも気兼ねをせずにお好みの場所に連れて行ってくれる。4時間で2.5万円。細い路地も通り、渋滞もない。フォロ・ロマーノ、真実の口、サン・ピエトロ大聖堂、トレビの泉、コロッセオが紹介されました。
 コロッセオは入場料が1300円で、混んでいる時は2時間並ぶ。しかし、「Roma Pass 」(3日間3200円)を使うと並ばずにすむ。ローマ副市長マウロ・クトルーフォさんが「去年の12月に販売を開始した。コロッセオなどの入場料は無料で、専用の入口から簡単に中に入れる。」と説明。市内の観光案内所などで購入可能。3日間バスと地下鉄も乗り放題。

 ジェラートを食べる人が多い。「パラッツォ・デル・フレッド」は歴史ある名店の一つ。ジェラートに生クリームをトッピングするのがローマ流。パンにジェラートをはさんで食べる「プリオッシュ・コン・ジェラート」300円。
 最近若い子の間で流行しているのは、新感覚スイーツで、「ラ・カンノレリア・シチリアーナ」の「カンノーロ」350円。元々はシチリアのスイーツで、筒状のクッキーにリコッタ・チーズのクリームを詰めたもの。独特の甘さとクリーミーな味、サクッとした食感が受けている。

 不動産屋「San Carlo Consulting Studio Petrucci 」を訪ねた。滅多にない貴重な物件を紹介。ローマでは古ければ古いほど高いらしい。19世紀の有名な建築家の作品で、大きなサロンと3つの寝室に小部屋が1つの4LDK180平方mで、170万ユーロ(2.4億円)。


テレビ番組「世界びっくり旅行社 夏休みスペシャル」

 2009年8月11日放送。児玉清、黒崎めぐみ、タカアンドトシさんが司会。石田純一、多岐川裕美、多岐川華子、假屋崎省吾、松嶋尚美さんがゲスト。

●世界遺産に住もうツアー
 モロッコのアイト・ベン・ハドゥは賃貸での入居者を募集中。
 オランダのキンデルダイクの風車群も賃貸で入居できる。
 イギリスのダラム城は大学の学生寮。
 ウィーンのシェーンブルン宮殿は3階と4階がアパートになっている。

●マテーラ
 石田純一さんが案内。飛行機でバーリに向かい、そこから列車に乗る。運転手はニコーラ・リーンさん。マテーラ中央駅に到着。駅前は普通。そこから旧市街(サッシ地区)に行く。岸壁をくりぬいて作った洞窟住居の集落。旧石器時代から人が住んでいて、8世紀には宗教的な迫害を受けた人たちがこの地に街を作った。1993年に世界遺産に登録された。1945年当時の生活が再現されている「マテーラ歴史博物館」、狭い洞窟住居。1953年政府は2.3万人を強制移住させ、街は廃墟となった。1986年政府が洞窟住居の保存い乗り出し、電気や水道を整え、再び住める環境を作った。そこで現在約1万人の人々がサッシ地区に住んでいる。
 マテーラの不動産屋のアントネッロ・スリアさんがいくつか紹介してくれました。ドゥオモ広場から降りたところにある600平方mの家。玄関から入って中庭。庭に面した台所、リビング。2階に開放感のある部屋など。3階もある。11の部屋とバス・トイレが3つずつ。バルコニーからの眺めは絶景。55万ユーロ(7500万円)。
 次は家具付きの物件。ロフト付き。ベランダからの眺めも素晴らしい。35万ユーロ(4800万円)。これを賃貸にすると、1ヶ月800ユーロ(10.9万円)。
 建築家のアントネッラ・グィーダさんは、これらには多くの規則があって、原型を保ちながらリフォームしないといけない、新たに掘り広げてはいけない、昔から使用されてきた素材を使う、外壁の色は灰色か白色なので、専門家にまかせた方がいいと語る。また3月〜8月はハヤブサ(ヒメチョウゲンボウ)が子育てをするので、屋根の修復をしてはいけない。ハヤブサへの虐待をすると、最高2000ユーロ(27万円)の罰金と最高1年の禁固刑。前金は家賃の2ヶ月分。保証金は家賃の2−3ヶ月分。90日以上は滞在許可が必要。サッシ地区は国の保有分が70%、個人の保有分が30%で、その30%分が売りにでている部分にあたる。
 マテーラの理髪店には窓のプランターにハヤブサが住み着いた。
 マドンナ・ディ・イドリス教会は十字架がシンボル。教会近くで遊んでいたのは、ドリアーナ・ドメニキエッロさん(11歳)。お家に招待された。お母さんはロレッラさん。不便なのは、駐車場がないこと、階段が多いこと。雨が降ると湿気がすごいこと。そのために壁の塗料がはがれるので、5年に1度壁の塗り替えが必要だそうです。
 パン屋さんのマッシモ・チファレッリさんが焼いたパンは大きくてゴツイ(1kgで2.1ユーロ:290円)。これは12世紀から作られているもので、外は固いが、中はもちもち。窯の中は直径5m、2時間焼きます。IGPというEUの品質保証を受けているマテーラの特産品。
 夏はお昼は気温40度になるが、夜になると人々がでてきて、賑わう。

●グアム
 タカアンドトシさんが案内。「子供が楽しめる親子の旅プラン」がテーマ。日本との時差は1時間。3時間半で到着。
 5歳以下の子を15分以上放置してはいけない。違反すると最高500ドルの罰金。子供がビーチに遊ぶ程度はOKだが、ビーチに大きな穴を掘ってはいけない。違反すると500ドル以上の罰金。

 マンタというプールでの滑り台がある。かなり怖いみたいです。小学生のサンダー君(11歳)、ドレントン君(12歳)、ゼービヤー君(13歳)がジャンブルに遊びに行くのでついて行った。するとトレッキング探検隊のケン芳賀さん(60歳)が登場。グアムトレッキング協会の人で、現地の子供たちを中心に、ジャングルの楽しさを教える活動を行なっている。
 ニミッツ・ヒルに行く。ジャングルに入る前には、「森の精霊」たちに必ずお祈りを捧げる。またジャングルは神聖な場所なので、大声を出してはいけない。グアムでは椰子の木は「命の木」と呼ばれるほど貴重な植物。実はもちろん、殻は器に、葉は家の屋根に、木の皮はロープなどに使われる。40分歩いてフォンテ川の滝壷に到着。みんなで飛び込んで遊びました。
 ヤシの木の木登り名人トニー・ラミレスさんは、ココナツの実を刺身醤油で食べると美味しいという。食べてみるとイカの味だそうです。
 ヤシの木にバケツがぶら下がっている。グアム農林局のローランド・キィトゥグアさんがカブトムシを捕まえている。このサイカブトムシはヤシの木を食べてしまうので、グアムでは害虫。元々グアムにはいなかったので、グアムでは2007年から駆除の対象となった。森に駆除に出かけた。またこれは無断で外に持ち出してはいけないそうです。

●救急車
 日本は無料だが、世界は有料。アメリカはニューヨーク、ロス、ホノルルは基本料金が4.7万円〜7.2万円で、走行距離1マイルに付き1100円加算。グアムは1.8万円。ロンドンは2.5万円。パリは3.4万円で、30分毎に256ユーロ加算。フランクルトは5.4万円。ローマは無料。ジュネーブは6.1万円。マドリードは4000円。シドニーは1.3〜2.5万円。中国は北京が市内は1km毎に48〜68円。上海は1000円〜3000円、香港は無料。ソウルは無料。
 救急車の費用は、海外旅行保険でカバーされます。
 ブルガリアの救急車はクマなどの動物を運ぶ。ローマは夏は気温が30〜40度にもなるが、イタリア赤十字自転車救急隊が出動する。応急処置をしている間に、救急車が登場する。自転車救急隊のアレッサンドロ・セッラーノさんは2011年から本格稼動だという。

●ソウル
 多岐川裕美、多岐川華子さん母娘が案内。「女性がうれしい!夏・韓国ツアー」がテーマ。
 可愛い物が多い三清洞(サムチョン洞)。モダンなお店と伝統的家屋が混在する。靴屋さんにはフラット・シューズがズラリ。
 麺専門店で「キムチマリグクス(冷やしキムチ麺)」7000W(560円)。「ネンコングクス(冷やし豆乳麺)」8000W(640円)には塩を少し入れるとさらに美味しい。
 ソウル市庁。前の公園は市民の憩いの場。近くには世界遺産「昌徳宮(チャンドックン)」がある。
 「女幸道(ヨヘンギル)」の手前の道は路面は穴が多い。ハイヒールのかかとがはさまって困っていた。そこでソウル市はハイヒールで歩きやすいようにすき間をなくした道を作った。これをきっかけにソウル市は「ヨヘン・プロジェクト」を2007年に発表した。
 お茶を味わう。五味は甘い、辛い、苦い、すっぱい、しょっぱいの5つの味がある。五味子茶(オミジャ茶)。夏はアイスで飲むのがお勧め。
 女性のイ・ボクスンさんのタクシーで市内観光。ヨヘン・プロジェクトのおかげで女性専用タクシーができた。どうも「Yes Taxi! 」か「S Taxi 」で、電話は1577-0115。駐車場にもピンクの女性マークがある。女性専用駐車場「女幸駐車場」もある。設置基準や設置場所についても市の条例で細かく決められている。
 クァンジャン市場(広蔵市場)に入る。ノクトゥ(緑豆)のチジミ。マッコリもいただきました。韓国式のり巻き「キムパプ」。
 夜はチョンゲチョン(清渓川)もきれい。

 女性が嬉しい八百屋さんがある。店名が「独身男性の八百屋さん」。
 自分の似顔絵入りの派手なトラックで女性の部屋に到着する。フォーマルな恰好で、手には一輪のバラ。「イケメン引越し屋さん」でした。

●保寧(ポリョン)
 ソウルから車で2時間半。女性が嬉しいお祭りがある。街のあちこちに泥だらけの人たちがいる。その名も「泥祭り」。市が泥の化粧品を作っている。市長のシン・ジュンヒさんが説明してくれました。毎年7月中旬から下旬に開催。2009年は7月11日〜19日までで、世界中から217万人が参加した。泥祭りでは、海から採取した泥から不純物を取り除き、精製した泥を使用している。無料のセルフ泥エステもある。泥の持ち帰りだけは禁止。


テレビ番組「世界びっくり旅行社」

 2009年8月2日放送。児玉清、黒崎めぐみ、タカアンドトシ、小堺一機さんが司会。あき竹城、高木美保、森永卓郎、スザンヌさんがゲスト。NHK製作。

●「世界遺産に住もうツアー」
 オーストリアのシェーンブルン宮殿は国家公務員であれば住める。家賃は1ヶ月100ユーロの人もいるが、部屋の広さなどにより異なる。窓辺に植物を飾ったり、洗濯物を干すことは禁止。ペットも禁止。
 イギリスのダラム城は、ハリー・ポッターでも有名。住める条件はダラム大学の学生であること。食堂もある。城の入口から10m以内は全面禁煙。
 オランダのキンデルダイクの風車群は、風車守なら住める。家賃は200ユーロ〜400ユーロ。風車守のコースの訓練を受けないといけないが、それからでも2年かかる。
 スペインのカサ・ミラも住める。
 アメリカのプエブロ・デ・タオスは、家は代々受け継がれているので、家賃はない。ここの中心にある建物には電気が通っていない。水は場所によってリオ・プエブロという小川から手作業で汲み取る。条件としては、先住民と結婚すること。先住民の伝統を大切にできる人。

●モロッコのマラケシュ旧市街
 大沢あかねさんが訪問。11世紀にイスラム王朝の都として築かれた。建物を赤で統一しているのが特徴。ガイドはブルカイッド・ハッサンさん。
 大沢さんが住みたい条件に合うのは、3.2万円の物件。100平方m以上の広さ、日当たり良好で、風通し良好、ルーフバルコニー有、セキュリティー有、水道代がタダ。

●アイト・ベン・ハドゥ
 12世紀先住民ベルベル人によって築かれ、キャラバンの宿場町として発達した。敵の襲撃に備えるために、建物全体が要塞になっている。かつては100世帯が暮らしていたが、現在は10世帯に減少。何十年も放置してある物件は2.3〜3.5万円(2000〜3000DH)。最近まで住居として遣われていた物件は3.5〜5.8万円(3000〜5000DH)。建物の風化を防ぐために入居者を募集している。
 村に行く前に川があり、それを越えるのにロバに乗る。生活を体験するために、エルカシール・エルケイヤさん一家を訪問。長女のエルカシール・ナイマさん(18歳)と水を汲みに行く。最近、水道が通ったそうですが、それまでは毎日3kmロバで運んでいたそうです。次は川で洗濯。ミントティーをいただいた。シルクロードから伝わった中国茶とミントの葉から作る。砂糖をたっぷり入れ、お湯を注いで出来上がり。入れ方は少し高い位置からグラスに注ぎ、戻し、注ぎ、戻し、注ぎと3回繰り返す。ミントティーを飲む時に、「息を吹きかける」のは行儀が悪い。ラクダが鼻で息を吐くことと同じとされる。
 年間13万人の観光客が訪れる。それに対応することも住民の義務。また「日干しレンガ」を作るのも義務。土にわらを混ぜて型に押し込み、10日間乾かしてレンガを作る。モロッコ文化省のプサラ・モハメットさんが説明してくれましたが、工事はここの住民がしないといけないという規則がある。昔ながらの製法でできる「日干しレンガ」は5年しかもたない。便利さに囚われない伝統。夕陽はとても美しかった。
 夕飯は「じゃがいもとチキンの煮込み」タジン料理で、みんなで食べました。お父さんはエルカシール・ハムーさん。長男のエルカシール・モハメッドさんは、日本人が来ても歓迎するそうです。3ヶ月くらい住むのも可能とか。
 アイト・ベン・ハドゥには他にも禁止事項がある。車の乗り入れ禁止。大音量・振動を起こすものの持込禁止。外観を変えてはいけない。外面に新たな入口を作ってはいけない。

●台北
 タカアンドトシさんが案内。日本から3時間。「饒河街夜市」に行く。「程班長・牛肉麺」でニュウロウメン80元(180円)をいただいた。麺はキシメン風。台湾では麺を食べる時にズルズルと音をたてることはマナー違反。マッサージ、小鳥占い、ペット・ショップ、臭豆腐などを満喫。
 早朝6時、「青年公園」に行くが、人が多い。体操・踊りなどをしている人が多い。まず健康体操(ヤンジーダンス)に挑戦。次は屋外エアロビクス。
 路上ではビデオを撮っている人がいる。ポイ捨ての取り締まりをしている人で、路上にたばこの吸殻や、ゴミのポイ捨てをしている人は、最高1.8万円(6000元)の罰金。車にビデオカメラを設置した「LPG環保電眼車隊」がポイ捨てをするドライバーなどを取り締まる。一般市民でもポイ捨て現場を撮影すれば、お礼金がもらえる。罰金の30%で、1080〜(360元〜)。紹介された陳さんは1ヶ月10万円以上の奨励金をもらっている。ちなみに大学卒の平均初任給は7.8万円。撮影するコツは、自分の姿を見られないようにすること、ポイ捨ての瞬間を必ず撮ること、同時に車のナンバーを撮ること。しかし観光ビザで入国した場合は、賞金は受け取れない。2008年には取り締まりを受けた人は、検挙数で21151件、罰金総額は7500万円(2500万元)。一般市民で取り締まりをした人は220人、奨励金は合計135万円(45万元)でした。

●世界のびっくり取り締まり
 フィリピンでは、DVD探知犬のラッキーとフロー。偽造DVD業者がこの2匹に3万ドルの懸賞金をかけたという。
 中国では眠気覚ましに警察が顔を拭かせたり、唐辛子を食べさせたりしている。
 イタリアでは、スキー場で危険なスキーヤーには30ユーロの罰金が課せられる。あるコースではヘルメット着用が義務付けられている。着用していない場合は30ユーロの罰金。身分証明書を持参していないと警察と一緒に山を降りてもらう。公共の場では泥酔は禁止で、102ユーロの罰金。
 フィンランドでは、悪質なドライバーを警察が追跡。ピイキマットを使用してタイヤをパンクさせる。

●ニューヨーク
 今、屋台グルメが熱い。ニューヨークには3100を越えるフード屋台があると言われている。ホットドッグは1ドル。屋台選手権 Vendy Awards も開催されている。去年の審査員部門の優勝は、メキシコ料理をカリフォルニア風にアレンジした屋台 Calexico Carne Asada でした。主な出店場所はソーホーで、いつも長蛇の列。人気メニューは生地にチーズ、ライス、豆、牛肉をのせ、アボカドソースで仕上げた「ブリトー」8ドル。市民人気投票部門の優勝は、インド料理の屋台 The Biriyani Cart 。出店場所はミッドタウンのオフィス街(5番街&E50付近?)。カレー・ソースで炒めたライスに、チキンと野菜とタマゴをのせた「チキン・ビリヤーニ」6ドルが大人気。デザート部門の優勝は The Treats Truck 。出店場所はアッパー・ウェスト・サイドで、車です(アムステルダム&W65付近?)。キャラメル・クリームにチョコレートのサンドイッチ、中のバニラ・クリームが最高。ゴミのポイ捨ては禁止、公共の場でのルコール飲料は禁止。
 セントラル・パークには美しい花々とリスなどの可愛い動物。ここに面白いツアーがある。草を摘んだり、根から掘り起こしたり。公園内の草木を勝手に採取してはならない。園芸などに遣われる道具を公園内で所持してはならないという法律がある。違反すると、最高1000ドル(10万円)の罰金、もしくは最高90日の禁固刑。このツアーの主催者で Wildman の愛称で呼ばれているスティーブ・ブリルさんは、1986年にセントラル・パークでタンポポを食べて逮捕されたことがある。その際公園のイメージ・ダウンになるので、公園側が取り下げ、それ以来、スティーブさんのツアーだけ採取が許可されている。スティーブさんは野草の食べ方やレシピ、薬草としての効能なども教えてくれる。
 夜のツアー。9時30分にマンハッタン38丁目/3番街に集合する「ゴミから調達するグルメツアー」(参加費は無料)。5つの店を2時間かけて回る。ゴミからまだ食べられる食料品を選び出して持ち帰るツアー。ルールは、歩道をふさがないこと、収集した後はきちんと清掃すること。2軒目はベーグルの店。その後夕食会。
 ニューヨークの生ゴミに関しての規則は、商業の場合、ゴミ収集車が、営業時間外に来る場合は、閉店の1時間前から出すことは可能。営業時間内に来る場合は、収集の2時間前から出すことが可能。家庭ゴミの場合は、収集の前日の夕方6時から出すことが可能。違反した場合は、100ドルの罰金。
 日米での食品ロスを比較すると、米国は1年で4兆3000億円、日本は11兆円。

●ローマ
 小堺さんが案内。「ローマの野良猫はあらゆる点で、ローマ市民とみなされる」(ローマ市動物愛護保護局)。動物写真家の岩合光昭さんは、イタリアのネコは他とは少し違うような気がすると語る。
 コロッセオで1匹発見。「サンタマリア・イン・コスメディン教会」には有名な「真実の口」がある。「スペイン階段」では飲食は禁止。寝転ぶことも禁止。サンダルや靴を脱いでだらしない恰好でいることも禁止。
 道路では、「ヘルメットをかぶらない、ストラップをきちんと占めていない、ヨーロッパの安全規格を満たしていないヘルメットをかぶっていることは違法」(道路交通法171条)。
 ペットショップに行く。イタリアではショーウィンドーに生きている動物を見せてはいけない。「ショーウィンドーや店の前に取り扱っている動物を飾ることは禁止」(ローマ市動物保護条例20条2項)。
 「ネコの道 via Della Gatta 」(フィオーリ広場の近く?)がある。しかしネコはいない。建物の上に大理石でできた等身大のネコの像がある。動物人類学者の獣医パルメリーノ・マショッタさんは、ローマ時代にローマ人はエジプトの神々を信仰した。中でもネコの姿で描かれる「女神バステト」は母性・多産・懐妊・子育ての女神。ローマに持ち込まれたバステトはローマではイシスと名前を変え、深く信仰された。「ネコの道」には最大級の「イシス神殿」が建っていた。ローマ時代ラテン語で、ネコを意味する名前が多かったこともわかっている。姓はFelis (ファリス)、cattus (カットゥス)、名はフェリクラ、フェリシア(小さな雌猫)、カッタ(雄猫)、カットゥーラ(小さな雄猫)など。ローマ動物愛護保護局のブルーノ・チニーニさんは、ローマは古代ローマ、ルネサンス期、中世、ネコとは縁が切れない関係にあると語る。聖なる動物だった時期もあるし、恐怖の動物であった時期もある。そこで2003年1月28日、ローマ市行政府報告で「猫はローマの生き物文化財産である」とされた。
 「トーレ・アルジェンティーナ」(パンテオンの南?)は紀元前44年3月15日、「ブルータスお前もか!」と言って、シーザーが暗殺された場所。ここには猫が沢山いる。ここは「トーレ・アルジェンティーナ猫保護区」で、野良猫は230匹。この保護区はボランティアにより成り立っている。
 「ピラミデ」(コロッセオの南)は紀元前1世紀に作られたローマ法務官のガイウス・ケスティウスの墓。ここに「ピラミデ猫コロニー」がある。野良猫は80匹。
 「ヴェラーノ墓地」(テルミニ駅の東)は、学生街でもあるサン・ロレンツォ地区にある。広大な墓地の中には、映画「甘い生活」で有名な俳優マルチェロ・マストロヤンニの墓がある。映画「ひまわり」「自転車泥棒」を監督したヴィットリオ・デシーカのお墓もある。この墓地の中に「ヴェラーノ猫コロニー」がある。野良猫は425匹で、4人のボランティアが支えている。ローマ市動物愛護保護局のジョーシ・スカラビーノさんは、ローマにはペットの猫が18万匹、合計30万匹いるという。野良犬は群れをつくり危険だが、猫は自由な動物で、みんなそのままでいて欲しいと考えている。
 イタリアでは野良猫は Gatto Randagio (迷う)、Gatto Libero (自由)、Gatto di Strada (道)という。2匹以上飼っている人はキャットカードをもらえる。これは猫コロニーを保護、管理していることをローマ市が公認、証明するカードで、ペットショップ等で提示すると、猫グッズ等が割引になる。


テレビ番組「THE 世界遺産 イタリアのオルチア渓谷」

 2009年7月26日放送。トスカーナ州にはいつまでも見続けていたい美しい風景がある。

●オルチア渓谷
 まるで一服の絵画。何世紀もかけて人が大地に描いてきた風景画。信じがたいことにオリーブやワインの産地として名高い惠みの大地は、かつては不毛の荒野だった。土を耕し、タネを撒き続けた無数の人々の努力が今の美しさを生み出した。何故、人々は不毛の地を耕したのか?
 理由は中心都市シエナに眠っていた。5つの地域にまたがる田園が世界遺産に登録されている。
 アミアータ山の麓、渓谷というよりも丘陵と呼んだ方がしっくりくるかもしれない。この牧歌的な風景は多くの画家にインスピレーションを与え、旅人の心を癒した。オルチア川。
 町は丘の上に作られた。そんな町の一つが1000年の歴史を持つ「サン・クイリコ・ドルチア」。アルプスとローマを結ぶ街道上にあり、早くから栄えた。中世にはローマに荷物を運ぶ商人、巡礼者、騎士などで賑わった。
 町を出ると道沿いに建ち並ぶ糸杉。畑の境界線、実りや魔除けのシンボルとも言われる。田園風景に心地よいリズムを与えるが、人の手による美の世界であることを無言で語る。
 どの農家でもパスタは手作り。ここではピーチといわれるパスタ。農家の人たちは食事をたっぷり食べる。パスタは前菜で、肉はメイン。肉もワインも自作。しかし祖先たちは苦労を重ねてきた。みずみずしい緑の大地の下には意外な素顔が隠されていた。
 「Toscana Bella 」(美しきトスカーナ)行き交う旅人たちが思わず口にした言葉が、いつしかこの地の代名詞となった。大地の下には「シエナの粘土」とよぶ粘土質の土壌がある。作物は容易に根をはることができない。耕してもすぐに乾いて干からびてしまう。秘密はシエナにあった。

 13世紀、シエナ共和国は金融の都として成功を収め、黄金時代を迎えていた。当時の政治の中心が置かれたプップリコ宮の「平和の間」には、14世紀に描かれた壁画が残されている。ここによき政府がもたらす理想の暮らしが表わされた。よく耕された大地、緑の畑、馬や働く農民の姿。発展したシエナは人口が増えて、食料不足に悩まされていた。その解決方法が開墾だった。
 「1349年2月19日、シエナに住む地主のボーロとネーリは、セッラヴァレの農夫ヴァンニーノにブドウ畑といくつかの建物、森を含む9区画の土地を貸し与えることとする、期間は1年間とする」というような契約書が今のシエナに2000通も保管されている。これは折半小作制といわれた。働けば働くほど、農民の食い分が増えることを意味した。しかし、自然との戦いは過酷だった。やがて家畜の糞を土地の栄養にする方法が採用され、オルチアは豊かな大地に生まれ変わった。

 当時の絵画には、集落や会合、畑や家畜が盛んに描かれた。数々の傑作絵画の舞台となったオルチア渓谷。
 霧が立ち込める朝、オルチア渓谷は様々な表情を見せる。丘の上にある5つの町で最も大きいのがモンタルチーノ。かつてはシエナ共和国の繁栄を支えたが、1559年フィレンツェ公国の攻撃を受けて陥落した。それから5世紀、人々はブドウやオリーブを栽培しながら、ひっそりと暮らしてきた。忘れられていたが、19世紀に再び光があたった。「ビオンディ・サンティ家のワイナリー」に1888年の赤ワインがある。ピンクがかったルビー色をしている。今残っているのはたった2本。この赤ワインがモンタルチーノの歴史を変えた。黒ブドウの品種の一つ「サンジョベール?」から、突然変異でやや大粒の黒ブドウができた。それを昔ながらの醸造法で醸造したところ、1888年、実に美味しい赤ワインが誕生した。「Brunello di Montalcino 」と名づけられ、トスカーナを代表する赤の一つとなった。今世界中で愛されている。5代目当主フランコ・ビオンティ・サンティさんが説明してくれました。


テレビ番組「THE 世界遺産 ヴェネチア」

 2009年6月28日放送。

●ベネチア
 海に面したレストラン「ハリーズ・バー」はヘミングウェイも常連客の一人だった。今から60年前、店の主は伯爵夫人のために即興で料理を作った。生の牛肉を薄く切っただけの一皿。その赤い様子を見て彼女は「まるでカルパッチョみたい」と叫んだ。ヴィットーレ・カルパッチョは16世紀に活躍した画家は、鮮烈な赤を好んで使っていた。
 祝日、中心を流れる大運河でゴンドラ・レースが行なわれていた。リアルト橋。海の浅瀬ラグーナの上に築かれた街は、細い水路と橋でつながっている。近年ベネチアではアクア・アルタと呼ばれる高潮が頻繁に発生している。地球の変化にさらされる水の都。

 13世紀、長い旅から帰ってきたのはマルコ・ポーロ。彼の旅行記は当時のヨーロッパ人のアジア観を一変させた。
 この不思議な町の始まりは6世紀。イタリア本土にいた蛮族の侵略を恐れ、海の浅瀬ラグーナに逃げ込んで、町を築いた。まず唐松などの杭を深く打ち込み、杭は空気に触れないために腐らず、その上に建物を作った。
 ベネチアの玄関口は海に向かっている。桟橋の前に15世紀に完成したベネチア共和国の総督の館「ドゥカーレ宮殿」がある。歴代の総督たちの館でも、武器庫でも、牢獄でもあった。中央には巨人の階段。宮殿の中で最も広い空間が「評議会の間」で、貴族や裕福な商人からなる評議員2000人が一同に会し、重要な法律を定めた。
 すぐ隣にあるのがサンマルコ聖堂。東方貿易で得た巨万の富をつぎ込み、完成までに400年かかった。聖堂の内部に金色のガラス・モザイクで、聖書の世界が表現されている。ベネチアの1000年の繁栄は地上で最もきらびやかな聖書を作り上げた。

 まわりに広がるラグーナは、イタリア本土から流れる川とアドリア海がぶつかる類稀な環境。驚くほど豊かな自然が残っている。漁業もベネチア人にとっては、大事な仕事。春から初夏にかけてはモエケと呼ばれる脱皮したばかりのカニが旬。
 漁師の住む島はベネチアの北の小さなブラーム島。この島では、緑、黄、青、水色、ピンク色の建物が連続して並んでいる場所もある。おとぎの国を思わせる鮮やかな街並み。家を塗り替えるのは女たちの仕事だった。男たちが家路につく時、もやがかかった海上からでもハッキリわかるようにカラフルな色を塗ったといわれる。かつては女たちはレース編をして待っていた。細かやなレース編はヨーロッパ各地の王族や貴族たちに喜ばれた。かつて5000人以上いたレース編も、今は15人しかいない。83歳と93歳の老人がまだ現役で並んで作業していました。
 ベネチアの北1kmにあるムラーノ島。8世紀の終わり頃、ここでガラス産業が産声をあげた。1291年、ベネチア本島のガラス職人たちは全員、この島に移住させられた。技術の流出を防ぐため、火事が広がらないためだった。以来ここはガラスの島として栄えてきた。ムラーノ島のガラス技術は17世紀〜18世紀にかけて頂点を極めた。次々とヒット商品が出る中で、特に成功したのがシャンデリア。鉛を含まないベネチアのガラスは、ロウソクの灯りに優しさと柔らかさを与えた。

 大運河に面して建つ建物は貴族や裕福な商人たちの邸宅。数百年の歴史を持つフォスカリ?家。かつては総督まで輩出した名門一族の子孫が現在もここで暮らしている。アントニオ・フォスカリさんはベネチア建築大学の教授として教壇に立っている。専門は建築史。週末には昔からの貴族の習慣でベネチアを離れる。本土のプレンタ川を遡り、緑に囲まれたフォスカリ家の別荘「ヴィッラ・フォスカリ」に行く。当時の貴族や裕福な商人たちは内陸部に広い土地を購入し、別荘を建てた。当時新進気鋭の建築家アンドレア・パラーディオを起用した。パラーディオの名建築は世界遺産に登録されている。購入した土地を農家に貸し、賃料は卵や野菜などの物納として受け取った。外国からも野菜が入ってきて、農業経営は豊かな人々の流行になった。この周辺の別荘の多くはパラーディオに依頼された。
 パラーディオはベネチアの教会でも腕をふるった。サン・ジョルジョ・マッジョーレ教会など。

 10月から4月にかけて北アフリカから吹く風「シロッコ Scirocco 」はベネチアの表情を一変させる。この季節風により少しずつ海面の上昇が始まる。アクア・アルタと呼ばれる。さらに地下水の汲み上げによる地盤沈下。近年は地球温暖化による海水面の上昇で、町の被害が拡大してきた。アクア・アルタのサイレンがベネチアの町に響きわたる。かつてナポレオンが世界一美しい広場と絶賛したサン・マルコ広場は、世界一美しい池と化してしまう。サン・マルコ広場に面した16世紀のデジタル時計が時を告げる。アクア・アルタは数時間で潮がひくが、文化財へのダメージは甚大。
 2003年からアクア・アルタを防ぐための工事が始まった。その計画は「モーゼ計画」と呼ばれる。ベネチアは3つの水路によってアドリア海とつながっている。この水路の海底にゲートとなる巨大な壁を沈め、アクア・アルタに従って、これを浮き上がらせようという計画。一時的に海面の上昇を防ぐことができる。
 ラグーナにも少しずつ変化がある。最近少しだけ潮の流れが早くなったという。漁師のブルーノ・タリアビエトラさんは、昔はうなぎがよく撮れたけど、今はわずかしかいないという。その代わりにカニがいる。


テレビ番組「世界遺産への招待状 イタリア」

 2009年6月7日放送。丘の上に点在する小さな村を巡る。ウルビーノ、シエナ、サンマリノ共和国。

●ウルビーノ
 15世紀ルネサンス期に作られた街並みがそのまま残されている。建物はピンクがかった黄色。町の近くで採られた砂で作られている。壁などは再利用して景観を守ってきた。傾斜のきついラファエロ通りはラファエロが育った場所。手すりがついている坂道や階段も多い。お年よりにはお店の人が配達するサービスもしている。
 繁栄したのは13〜15世紀で、独立した一つの都市国家だった。ドゥカーレ宮殿は15世紀に建設された。美術を学ぶソニア・パリアルンガさんに案内してもらった。「天使の間」では暖炉の上に天使の絵があるが、それ以外の装飾はない。これは君主の意向によるものだった。君主はフェデリーコ・ディ・モンテフェルトロ(1422-82)で、赤い帽子と被り、左を向いている絵が有名。歴史書では名君とされ、イタリア中で有名。人々から愛され読書を愛していた。
 フィレンツェはフェデリーコをフィレンツェ軍の司令長官として雇うという契約書が残っている。つまり彼は傭兵隊長だった。イタリア中世史家のジョバンニ・ムラーノさんが説明してくれました。商人の街の人は戦うと負けるし、殺されると損だから、傭兵隊にまかせた。フェデリーコの膨大な蔵書は現在はここにはなく、ローマ法王庁?にある。ここでは動作一つで本を引き出してページをめくることができる。国立ウルビーノ本学校では本作りを目指す。生徒は500人、中学を卒業してから入り、5年間学ぶ。教師のアンドレア・パッサニーシさんが説明してくれました。

●丘の上の町
 サン・ジミニャーノ、ピエンツァ、アッシジなどが紹介された。
防御だけでなくマラリアから市民を守るという意味もあった。水を確保しないといけなかった。

●シエナ
 水の問題に徹底的に取り組んだ町。近くの土を使うので、ウルビーノよりも少し赤味がかった町。カンポ広場は美しい。中世では都市国家で、フィレンツェの最大のライバルであり、金融業で繁栄を極めた。シエナの近くには川がなく、水の問題は深刻だった。カンポ広場の一角に美しい泉がある。14世紀に作られた「フォンテ・ガイア」(歓喜の泉)と呼ばれている。泉が完成した時に、詰め掛けた市民から大きな歓声が沸いたことから、この名がある。理由は水。
 観光客で賑わうカフェの一角に地下に降りる通路がある。ここに水が流れている。水路を管理する地下水路管理会社のピエロ・リガブエさんに案内してもらった。地下水路「ボッティーニ」はそこから12km先まで続いている。建設は12世紀に始まった。水は地下道の壁から落ちてきていた。土が多く水を含んでいるためだった。ボッティーニは全長25kmにも及ぶ。水を貯蔵している場所がある。ここで貯蔵しておくと石灰分が抜けていく。
 フォンテと呼ばれる場所は水の取り出し口となった。「フォンテ・ヌオヴァ」などがある。フォンテ・ガイアの他、現在30ほど残されている。2段になっていて、最初は飲み水、次は洗濯に使われ、その排水は畑にまかれた。20世紀に水道が通った。
 16世紀、神聖ローマ帝国皇帝カール5世は「シエナは地上も美しいが、地下はより美しい」と語ったという。

●サン・マリノ共和国
 150年前まではイタリアは別々の国家だった。サッカーはその名残を残していて、現代の都市国家戦争とも言われている。そういう形態を残しているのはサン・マリノ共和国。まわりは全てイタリア。
 人口は麓の町を入れて3万人。丘の上に3本の塔が立っている。消費税がないので、多くの観光客が訪れる。中でも人気は切手の店。この国の大事な国庫収入でもある。日本に関連した切手もある。2007年大阪世界陸上。
 サン・マリノの中心はププリコ宮。日本の国会議事堂にあたる。建物の入口で衛兵交代の儀式が行なわれていた。国の起源は西暦301年。ププリコ宮の中にはキリスト教の聖人マリノの絵が描かれている。マリノが迫害を逃れるために、断崖で囲まれたこの地にやってきたのが始まり。マリノの言葉「あなたたちを何者からも解放する」を守ってきている。サンマリノは国の代表(執政)が2人いて、6ヶ月毎に改選される。独占を許さないため。元執政のクラウディオ・ムッチョリさんに話を聞いた。
 領土を拡大する機会があったのに、広げなかった。サンマリノ国立公文書館のダニエラ・コンティさんが説明してくれました。18世紀ナポレオンはサンマリノが戦略的に重要と考え、接近を図った。領土まで与えようとしたが、拒否した。サンマリノは小さくても独立していくことを第一にしており、目立たないことで他から狙われないことを重視していた。
 第二次世界大戦時、サンマリノは中立を守った。そのためイタリアから数多くの人が戦火を逃れてやってきた。その時10歳だったジョバンニ・リードさんに話を聞いた。流れ込んだ難民は10万人だったという。トンネルの中で多くの人が暮らした。サンマリノは住民にも難民にも1日50gの小麦を配給した。
 サンマリノは日本と長寿を競う国でもある。2007年は81.7歳。


テレビ番組「THE 世界遺産 ピサ」

 2009年6月7日放送。

●ピサ
 ピサの斜塔は5度傾いている。それにより世界的に有名になった。傾き続けて800年。斜塔はドゥオモ広場の一角に3つの建造物と一緒にたたずんでいる。11−13世紀、ピサはヨーロッパに名を轟かせた海洋国家だった。そこで建設されたのがドゥオモ広場で、美しさから「奇跡の広場」と呼ばれた。16世紀、ガリレオが塔の上から2つの物質を落とした実験をした。20世紀にはその傾きが世界の心配の種になった。傾き続けるがそれでも倒れない不思議な塔の物語である。
 ピサはアルノ川の辺に位置している。河口には港が築かれ、地中海の重要な拠点となった。それを20km遡った町がピサ。1063年、中央の大聖堂が着工してから完成までに300年の歳月がかかった。塔の建設が始まったのは1173年。3層目にかかった時に早くも傾き始めた。その後修正しながら建設していって、高さは55mと計画の半分の高さに抑えられた。細い列柱が並ぶ姿はピサ・ロマネスク様式の傑作と言われる。塔は時を告げる鐘楼として建てられた。
 2009年4月12日復活祭の日。大聖堂ではミサが行なわれた。奥行き100m、天井の高さ30m、古代ギリシャ風の装飾を持つ68本の柱。北アフリカで買い集めたとも、シチリアのモスクで略奪したとも伝えられる。祭壇の天井を飾るのは、黄金に輝くモザイク画。膨大な数のタイルが使われている。異文化の粋が集められている。外壁のアーチの横に船のレリーフが描かれている。
 もう1つの建物も着工した。外周107m、イタリア最大の洗礼堂。人々はここで洗礼を受け、キリスト教徒として生まれ変わる。この建物は200年かけられ、イスラムのモスクを思わせる。30分に1度係りの人が声を出し、反響をみている。
 大聖堂の北には静かな空間がある。カンポ・サントという墓地で、600人が眠りについている。洗礼堂で生を受け、大聖堂で祈りを捧げ、カンポ・サンポで人生を終える。ドゥオモ広場にピサ人の人生が集約されている。

 斜塔は真下から見るとそれほど激しい傾きには感じられない。全部で294段ある階段に興味深い跡がある。片側だけ磨り減っている。それは人が傾いている方へすり寄っている証し。最上階の鐘楼に鐘が7つ備えてある。現在は振動が傾きを促進するために、内部のスピーカーから音が出るようになっている。
 地盤に柔らかい部分と堅い部分があり、その結果傾くようになった。そのために、傾いているのは斜塔だけではない。町のあちこちで傾いた塔や建物がある。ピサは海辺の湿地帯に建設された町だったから。かつてはラグーナと呼ばれる湿地が町のすぐ近くまで迫っていた。かつアルノ川が大量の土砂を運び、地形も変わり続けた。かつてはピサは海に出やすい場所にあったが、土砂の堆積により海岸線から離れていった。海から遠ざかるにつれ、海洋国家としての力は衰えていき、ついに1406年フィレンツェに屈した。フィレンツェは海への足がかりとしてピサを狙っていた。その後独立国家として再起することはなかった。人々を苦しめたのはアルノ川の氾濫だった。
 メディチ家の命でアルノ川の流れを変えるように、レオナルド・ダ・ヴィンチは言われたが挫折した。
 18世紀に斜塔の話が世界に広がった。それ以来観光客が増え、イタリア屈指の観光地となった。年間200万人が来る。1年におよそ1mm傾き続けた。中心から4.5mの傾きは限界で、1990年には一般公開が禁止され、改修工事が始まった。世界から1000もの修復のアイディアが寄せられていた。
 改修工事はまず塔を太いワイアーで固定し、反対側に900トンの重りを置いて地盤を圧縮、管を差し込んで土を吸出し密度を減らした。これで50cm戻った。傾きは日々変化していて、観測もされている。
 外壁の補修も行なわれていて、完了は2011年の予定。少なくとも300年は現在の傾きを維持できるという。
 しかし、何故傾いたままにしておくのか?ピサ大学のヌンツイアンテ・スクエリア?教授は語る。元に戻すと堅い方の地盤を2mほど沈めないといけない。これは塔に相当の負担をかける。ある歴史家は「この塔の傾きは既に歴史の一部なのだ」と語った。


テレビ番組「ちょっと贅沢、欧州列車旅行 ヴェローナ」

 2009年5月24日放送。イタリア、フランス、スペインを列車で巡る全6回のコース。パリ〜マドリッド〜バルセロナ〜ニース〜ヴェローナ〜ナポリ〜アルベロベッロ。今回はヴェローナ。JIC製作。

●ニースから
 ニースからECでミラノを経由し、ICに乗り換えてヴェローナに向かう。ニースを出て50分、イタリアのヴェンティミリア駅に到着。観光地化していない小さな町。ここからミラノまで4時間。ニースからミラノに走るECの別名は「リビエラ」。リビエラとはイタリア語で「海岸」。カフェ車両の連結はないので、飲み物は購入する。
 右手に見えるのはリブリア海。海辺に巨大な建物が目立ち始めたら、ジェノバに近づいたしるし。「ジェノヴァ・プリンチペ Genova P. Principe 」駅に到着した。列車はここから内陸に入る。リグーレ山脈を抜けると田園地帯。

●ミラノ
 大きな川が見えたら、ミラノのあるロンバルディア州。やがて大きなアーケードのミラノに14:50に到着。年間1億2000万人の乗降客数はローマのテルミニ駅に次いで、国内2番目。駅舎は1931年の建築。様々な様式がミックスされたアッシロ・ミラネージェという建築方式。建築家フランク・ロイド・ライトが世界で一番美しい駅と絶賛したことでも有名。
 ヴェローナには16:05発のベネチア行きインターシティで向かう。ヴェローナまでは1時間半。6人がけのコンパートメント内では、座席の後ろはクローゼットになっているので、席を前にひっぱると上着を入れるスペースがある。窓にはボタン一つで開閉するブラインドがついている。左手彼方にはアルプス山脈が見える。赤い屋根の家々が見えてきたら到着。17:40。

●ヴェローナ
 ヴェローナは「ロミオとジュリエット」の物語が息づく町。街中のいたる所で二人に出会う。中世の面影を残すヴェローナには数々の遺跡が残されている。町は一面赤茶色。建物の一つ一つが美しい旧市街は2000年に世界遺産に登録された。
 駅からまっすぐ歩くとヌオーヴァ門がある。ヴェローナは城壁に囲まれた町で、この門は16世紀に建てられた。その先に旧市街がある。駅から旧市街まではバスが便利で、5分で到着する。旧市街の入口はブラ門。これを入るとヴェローナ観光の中心のブラ広場 Plazza Bra がある。日中、旧市街では車の入場制限が行なわれている。地元の人々はよく自転車で訪れる。
 観光する前に立ち寄りたいのは、「ヴェローナ観光案内所」。無料でもらえる市内マップを手に入れる。もう一つ便利なのはヴェローナ・カードで、1日券8ユーロ、3日券12ユーロ。主な美術館や博物館の入場料が無料になる。旧市街の観光はほとんど徒歩で移動できる。ブラ広場から北東に行くとエルベ広場があり、その東にロミオの家とジュリエットの家がある。ジュリエットの墓はブラ広場の東南東。
 まずは「ジュリエットの家 Casa di Giulietta 」(住所:via Cappelo, 23 Verona )入口の上には説明板がある。れんが造りで、中庭の2階にはロミオがジュリエットに愛を告白した世界で一番有名なバルコニーが今も残っている。中庭にはジュリエットの像がある。「ロミオとジュリエットの物語 Storia di Giulietta e Romeo 」はSergio Pasetto作で、シエナ地方に伝わる民話が元になったという。その後、13世紀にヴェローナで対立していたモンテッキ家(モンタギュー家)とカプレーティ家(キャピュレット家)をモデルに小説家され、さらに16世紀ウィリアム・シェイクスピアが戯曲にした。今は修復され博物館として一般公開されている(3.1ユーロ)。1968年オリビア・ハッセーで映画化された際のセットの一部も展示されている。建物の1階にはギフト・ショップがある。
 「ロミオの家」は現在は個人所有となっていて、内部の見学はできないが、外から雰囲気を味わえる。
 「ジュリエットの墓 Tomba di Giulietta 」(住所:via Shakespeare ,Verona、入館料2.6ユーロ)があるのは、聖フランチェスコ・アル・プレッソ教会?。この教会は1230年に建てられたが、物語の人気で観光客が増えたので、教会はしめられ、後にコンサートや舞台も催されるようになった。明るい中庭に面した階段。その地下に礼拝堂がある。石でできたジュリエットの棺がある。お墓には文豪チャールズ・ディケンスやナポレオン皇妃なども訪れた。教会は現在、「フレスコ画博物館 Museo degli Affreschi 」になっている。内部にはヴェローナの古い教会にあったフレスコ画が展示されている。結婚式が行なわれる部屋もある。

 町を囲んで流れるアディジェ川。アーチ型の橋に連なる建物は「カステルヴェッキオ Castelvecchio 」。14世紀に建てられた古城。カステルヴェッキオに通じるスカリジェロ橋。支配者が変わるごとに破壊され、再建された。最後に壊されたのは1945年。その後修復された。カステルベッキオから歩いて5分でブラ広場に戻る。
 ブラ広場の周辺にはカフェやレストランが軒を連ねる。そのどこからでも見えるのは、収容人数2.2万人の古代円形劇場「アレーナ」(入場料は4ユーロ)。ローマ時代からここに存在している。外側も内部もほぼ完全な形で残っている。建造されたのは紀元前1世紀。現在も劇場として使用され、毎年7月〜9月には野外オペラが上演される。劇場の階段は50段以上。ローマのコロッセオに次ぐ規模を持つ。音響効果も綿密に計算された設計。
 旧市街のメイン・ストリートはマッツィーニ通り via Mazzini 。通りの両側に華やかなショー・ウィンドーが並ぶ。これを抜けるとエルベ広場。この広場を囲む建物は美しく、特にマッツァンティ家は一見の価値がある。外壁のフレスコ画は16世紀に描かれたもの。近年修復された。広場の中心には市場がある。広場にはカフェやレストランが並ぶ。広場を見下ろすように立っているのは、高さ83mの「ランベルティの塔 Torre dei Lamberti 」(入場料4ユーロ)。1172年に着工し、100年以上かかって完成した。ランベルティの塔の下にあるのは、ロマネスク様式のコムーネ宮殿。美しい中庭を持つ。ゴシック様式の階段は15世紀につけ加えられた。

 エルベ広場のまわりには是非訪れたいレストランがある。東にある「イル・デスコ Il Desco 」は静かな路地裏にある2つ星、ローマが誇る有名店。高級店で、20年以上もミシュランの星付きレストランとなっている。ランチの「Gamberi in tre modi 」は37ユーロ。「スパゲッティ・ポモドール」31ユーロ。「車えびとフォアグラのオニオン・ソース」41ユーロ。
http://www.ilbesco.com/

 もう1軒は南の「アンティカ・ボッテガ・デル・ヴィーノ Antica Bottega del Vino 」(火曜:休み)も有名店で、ワインバーが特徴。ウィンのおつまみも充実。レストランはお店の一番奥にある。「馬肉のワイン煮込み」20ユーロで、黄色いのはトウモロコシのペースト。「ワイン?のリゾット」11ユーロ。どちらにも使われているのは「ヴェローナの宝石」ともうたわれているワイン「アマローネ」。レストランのオリジナル・ワイン「MASI」も作っている。レストランの隣にはショップが併設されている。レストランで使われているワインや調味料を購入できる。ワイン・メーカー「Domani Veneti 」が作ったこの店のオリジナル・ワイン「Siresol ?」。2003年物で、60ユーロ。オリーブオイル「バルデーラ?」は15.5ユーロ。モデナ産のバルサミコ酢は13ユーロ。
http://www.bottegavini.it/

 史跡「ローマ劇場 Teatro Romano 」(入場料3ユーロ)は紀元前1世紀の後半に建設された野外劇場。19世紀半ばに発掘作業が開始され、近年ようやく修復が完了した。現在、ショーやコンサートなどが行なわれている。
 隣接して建つのは、かつてここが土に埋もれていた時にできた教会。10世紀に建設され、17世紀に改築された。

 ヴェローナ駅からローマ行きの電車(Eurostar Italia )に乗ってボローニャに向かう。


テレビ番組「THE 世界遺産 バチカン市国」

 2009年5月17日放送。

●バチカン市国
 ローマの中にあり、半径500mの円の中にすっぽりおさまる世界一小さな国。そこにあるのはサン・ピエトロ大聖堂。その美術館にはルネッサンスからバロック時代に活躍した天才たちの芸術品が残されている。ベルニーニの彫刻、ミケランジェロの彫刻「ピエタ」。システィーナ礼拝堂。
 復活祭のミサには世界中から6万人が参加した。11億人もの魂を導くバチカン市国。その統治者であるローマ教皇。

 朝8時、バチカンの扉が開く。軍隊を持たないこの国を警備しているのはスイスの衛兵。16世紀から500年以上忠誠心厚く教皇を守り続けてきた。
 象徴はサン・ピエトロ大聖堂。サン・ピエトロとは聖ペテロのこと。ペテロはキリストから天国のカギを授けられ、教会を指導せよとの命を受けた。つまりペテロこそ、初代のローマ教皇。主祭壇を飾るのは大天蓋「バルダッキーノ」。ここでミサを行なうことが許されているのは、ローマ教皇だけ。バルダッキーノの下に地下へと続く階段がある。サン・ピエトロで最も重要な空間。そこにあるのは、ペテロの墓。大聖堂の地下には歴代の教皇が眠っている。真下にある「クレンメンティーナ礼拝堂」の下に聖ペテロが眠っていると言われている。わずかに見えるのは、地中に埋まった最も古い祭壇の柱。ペテロはここでローマ皇帝ネロの時代に処刑され、そのまま葬られた。一つの墓がやがてキリスト教の中枢になり、ここに世界最高峰の美が吸い寄せられた。
 ローマ教皇専用の祈りの場として建てられたシスティーナ礼拝堂。その祭壇を飾る壁画がミケランジェロの「最後の審判」。高さ21m、壁の上の方が30cmせりだして手前に傾いている。見上げる人に覆い被さってくる印象を与える。深みのある鮮やかな青は、当時最も高価な石ラピスラズリによって描かれた。最後の審判とはこの世の終わりの様子。天から舞い戻ったイエスの下に、ラッパの音で蘇った死者が集まる。生前の行いにより、天国か地獄か最後の行き先が決められる。300以上の裸体の中に作者は自画像を描いた。皮をはがされた男、自らの罪深さに対する苦言をこめて「ルネサンス期の天才ミケランジェロ」と称した。彼は絵を描きたいのではなく、彫刻を彫りたかった。25歳という若さで完成させたバチカンでのデビュー作「ピエタ」。大聖堂の中で唯一二重のガラスで守られている人類の至宝。2年をかけて1枚の大理石から聖母マリアとイエスを掘り出した。ミケランジェロは完成した時の見事さに思わず自分の名前を彫ってしまった。
 ピエタの後に取り組んだのがシスティーナ礼拝堂の天井画。長さ40mにも及ぶキャンバスにミケランジェロはたった一人で描いた。完成までに要した時間は4年。「太陽と月の創造」、「アダムの創造」など題材になっているのは旧約聖書。9つのフレスコ画で表現されている。20mの中空に浮かぶ傑作。37歳で完成させたミケランジェロは、精魂つきはてまるで老人のようだったという。
 71歳のミケランジェロに舞い込んだ仕事は、サン・ピエトロ大聖堂のドームの設計。1546年、彼の設計は驚くべきものだった。直径42m、高さ136mの巨大ドーム。ドームの完成を待たずにミケランジェロはこの世を去った。完成は実に26年後のことだった。16もの天窓から差し込む光が、数多の天才たちが作り上げた作品を輝かす。
 大天蓋バルザッキーノの作者はジャン・ロレンツォ・ベルニーニ。バロック期を代表する天才彫刻家。ベルニーニの代表作の一つである「ダビデ像」。わずか7ヶ月でこれを彫り上げた。静かなミケランジェロの作品に対して、ベルニーニは劇的。時間を止めたような躍動感がある。ベルニーニの最高傑作の一つ「プロセルピナの略奪」。大理石とは思えないような技術力。サンピエトロ広場はベルニーニの設計。楕円状に並ぶ284本の円柱。多くの人々が安らぎを求めて訪れる。
 人口わずか1000人足らずのバチカン市国。観光客の数は年間1000万人を越える。スイス衛兵の交代式は観光の目玉。ベルニーニはこのブロンズのバルザッキーノを35歳の若さで完成させた。29mの高さにまで伸びる螺旋状の柱は天国につながる道筋を示す。柱にはミツバチが刻まれている。時のローマ教皇ウルバヌス8世のシンボル。教皇の実家のバルベリーニ家の宮殿の天井画にもミツバチは描かれている。教皇の庇護を受けるため、芸術家にとってミツバチは大切なモチーフだった。ベルニーニは17世紀に書かれたミツバチの研究書「アピアリウム」を利用したといわれている。そのメンバーの一人が当時異端とされていたガリレオ・ガリレイ。望遠鏡を発明し、月を観測。ガリレオは既にクレーターを発見していた。サンタ・マリア・マッジョーレ教会パオリーナ礼拝堂の天井画。マリアは月の上に乗っているが、ガリレオの親友だった画家によって月にはクレーターが描かれている。ガリレオはさらに科学アカデミーに顕微鏡を持ち込んだ。20倍の倍率を持つ顕微鏡によって、ミツバチの詳細な観察が行なわれた。ミツバチは光をもたらす蜜蝋を作る。それを元に生み出されたロウソクは神を崇めるための神聖なる道具。復活祭の前夜、人々はロウソクを手にキリストの復活を祈る。


テレビ番組「世界!弾丸トラベラー 平子理沙さんでカプリ島」

 2009年5月16日放送。平子理沙さんは青の洞窟を絶対見てみたいという。ソレントでは農家ホテルを体験。エールフランス航空AF277便/2178便で日本から約16時間。1泊4日の旅。

●予定
 1日目、21:55、成田国際空港発AF277便。
 2日目、9:30、シャルル・ド・ゴール空港発AF1080便。11:40、ナポリ空港着。ナポリ市内へタクシーで移動。14:10、ナポリ中央駅発、Circumvesuviene 電車でソレントに向かう。15:17、ソレント駅着。駅で農家ホテルのお母さんと待ち合わせ。18:00、農家ホテルにチェックイン。20:30、夕食。
 3日目、9:00農家ホテル発、ソレント港へ。9:40、カプリ島行きのフェリー発、11:00−青の洞窟を見る。13:30、カプリ島出発、14:15、ナポリ到着。タクシーでローマ空港へ。19:45、ローマ・レオナルド・ダ・ヴィンチ空港発AF1169便、23:35、シャルル・ド・ゴール空港発AF278便。
 4日目、18:00、成田空港着。

●ナポリ
 レストラン「ローシズ・スヴェニール」でピッツァをいただく。生地にたっぷりの地元のトマトをのせて、たっぷりのチーズとバジリコの葉、それにモッツァレラ・チーズをのせて5分焼いたナポリ名物「マルゲリータ」4.5ユーロ(630円)。時間がないので、箱を用意してもらって、持ち帰る。
 電車で1時間なので、電車内で食べようとするが、匂いが広がるので無理。ポンペイ駅を通過するので途中下車。現在14:48分で、15:17に乗ればよいとわかり30分でポンペイ観光。入場料は11ユーロ。アポロ神殿、街並みを見学。7分前まで観光し電車に戻る。30分で目的地のソレントに到着。

●ソレント
 「帰れソレントへ」で有名な町。カプリ島への連絡線がでている。駅に到着すると、農家ホテルの奥さんのイーダさん(64歳)が迎えに来てくれていた。まず町を観光。セサレオ通りにジェラートの店を発見。「プリマヴェーラ」は様々な種類のジェラートが味わえる地元の人に大人気のお店。レモン・クリームは2ユーロ。地中海の絶景を横目に車で15分、農家ホテル「イル・ジャルディーノ・ディ・ヴィリアーノ」に到着。16世紀に建てられたイーダさんの自宅。農家ホテルとは農園を抱える一般家庭がもてなしてくれる場所。ご主人のジュセッペさん(63歳)と長男のルイジさん(31歳)の家族経営。ここはレモン農家で、畑では無農薬のレモンを栽培している。ホテル代は35ユーロ〜。窓の向こうには地中海とカプリ島が見える。
 夕食は他の宿泊者と一緒にいただく。この日は常連のドイツ人のご家族と一緒。レモン・ソースのパスタ。生クリーム、パルメザン・チーズにレモンを混ぜたソースにレモンを練りこんだパスタにからめる。次は「ポークのレモン・ソースがけ」。「レモン入り自家製カッテージ・チーズ」。「レモンチェッロ」は南イタリア特産のレモンのお酒。アルコール度数は30度。レモンの皮と砂糖をアルコールに漬け込んで作る。

●カプリ島
 息子のルイジさんがガイドをしてくれた。ソレント港から高速船で30分。古代のローマの皇帝が「甘美な快楽の地」と称したカプリ島。マリーナ・グランデ港からオープンカーのタクシーで25分。ここからは小船に乗り換えて、青の洞窟に入る。波が高いと入れないことがある小さな穴の奥。高さ1mほどの穴を抜けると、そこは別世界。洞窟の入口から差し込んだ光が、真っ白な海底に反射して、美しい青の輝きになる。船頭さんがサンタルチアを歌っていた。


テレビ番組「旅サラダ2009年5月2日は筧利夫さんでシチリア島」

 2009年5月2日放送。JALで行ったようです。

●シチリア島
 イタリア最南端。地中海で最も大きな島。ギリシャの植民から始まって、ヨーロッパ各国の支配の下に置かれたため、様々な文化が入り混じっている。

●パレルモ Palermo
 シチリア州の州都。イタリアでローマ、ミラノ、ナポリ、トリノにつぐ第5の都市。旧市街を歩いていると、バロック建築、ビザンチン建築、アラブ建築など様々な国の建築様式の建物が目に入る。シチリアがフェニキア人、ローマ、アラブ、ノルマンの支配を受けてきた歴史を感じる。
 「マルトラーナ教会 Chiesa di martorana 正式名はSanta Maria Degli Ammiraglio 」(住所:Piazza Bellini Palermo, 3、Tel:+39 091 6161692 )は、1143年にシチリア王国の初代の国王ルッチェーロ2世の時代に建てられた。壁や天井は鮮やかなモザイク画で、アラブ建築。モザイクとは小さな石やガラスなどを貼りあわせて絵や模様を作る装飾技術。国王は教会をきらびやかに飾ることに多額の資産を費やした。

 パレルモ最大の青空市場「バラロー市場 Mercato di Ballaro 」に行く。野菜、トマト、ズッキーニなどが並ぶ。新鮮な魚介類も。イタリアでは市場の売り単位がキログラム。男の人が夕食の買出しなど買い物するのが一般的だそうです。サンドイッチのお店があった。パニーノ「パーネ・カ・メウサ Pane ca' Meusa 」1.5ユーロは、スライスした牛の脾臓をラードで炒め、パンではさんだシンプルなサンドイッチ。最後にレモンを絞って完成。パレルモでは必ずといっていいほどの定番メニュー。

 「マッシモ劇場 Teatro Massimo 」(住所:Piazza G. Verdi - 90138 Palermo、Tel:+39 091 6053111 )は、1897年に完成し、パリのオペラ座、ウィーンの国立歌劇場に続きヨーロッパで3番目に大きいとされる。1990年に公開されたコッポラ監督の名作「ゴットファーザー Part.3 」のクライマックス・シーンの撮影がこの劇場前の大階段で行われた。マッシモとはイタリア語で最大という意味。
 バレエの「ロミオとジュリエット」の練習をしている人たちがいた。ここの舞台に立つオペラ歌手の山崎美奈さんに会って話をした。山崎さんは東京出身でローマ在住。イタリアは94年デビューで、イタリアを中心にソプラノとして世界のオペラ劇場で活躍している。
http://www.teatromassimo.it/

 便利なのは「ワーグナー・ホテル Grand Hotel Wagner 」(住所:Via Riccardo Wagner, 2、Tel:+39 091 336 572 )が、マッシモ劇場まで歩いて5分。5つ星の最高級ホテルで、20世紀初頭に建てられた。少し手狭なエントランスの奥に、見事なシャンデリアがある。スタンダード・ツインで1泊1室179ユーロより。
http://www.grandhotelwagner.it/

 宿泊は、「セントラル・ホテル Hotel Centrale Palace 」(住所:Via Vittorio Emanuele, 327、Tel:+39 091 336666 )で、旧市街の中心地にあり、パレルモの名所クワトロカンティー至近で非常に便利。18世紀の館を利用した優雅な空間。クラッシック・ツインで1泊1室120ユーロより。
http://www.centralepalacehotel.it/

●マルサラ
 琥珀色のワインがあると聞いてやって来た。ワインの産地として世界的に有名な町で、最も歴史の古い「フローリオ・ワイナリー Cantina Florio 」(住所:Via Vincenzo Florio, 1 Marsala、Tel:+39 0923 781111、Fax:+39 923 982380 )を訪問した。マルサラ・ワインは醸造過程でアルコールを加えて度数を高めてある。甘いデザートワインとして有名で、広く親しまれている。ワインの製造工程も無料で見学できここでは格安でワインが購入できる。
 一般の観光客には見学できないヴィンテージ・ワインの保管庫を特別に見せてもらった。170年前の創業当時のワインが残されている。お勧めのワインを死因させてもらった。「ドンナ・フランカ Donna Franca 」25ユーロは琥珀色に輝くワインで、これまでイタリアの有名な賞を数多く受賞している。アルコールは19度ある。
http://www.cantineflorio.it/

●マリネオ
 内陸部の小さな村。野草のブラーニャを採っているカルメロさんというお父さんがいた。卵に入れて食べるそうです。これを食べられる自分のレストランに連れて行ってくれた。イタリアで始まったスローフード運動。これを農家で体験するアグリツーリズモというスタイルが人気を集めている。その土地ならではの料理がいただける。
 「アグリツーリズモ・パルコ・ベッキオ Agriturismo Parco Vecchio 」(住所:C.da Parcovecchio - 90035 Marineo (PA)、Tel:+39 091 872 6304、Fax:+39 091 872 6053、携帯:+39 338 410 8945 - 328 581 5206 )。カルメロさんは5年前から始めた。1泊2食50ユーロ〜。カルメロさんの息子のシロさんがブラーニャを調理してくれました。溶いた卵に粉チーズをたっぷり入れ、茹でて刻んだブラーニャを混ぜ、オリーブオイルで両面をこんがり焼いて「ブラーニャ入りオムレツ(フリッタータ・コン・ブラーニャ)」の完成。一番気に入って料理は、茹でたパスタを挽肉とブリーンピースで和え、チーズをのせてオーブンで焼き、最後にトマトソースをたっぷりかけた「アネレッティ・アルフォルノ(パスタのオーブン焼き)」。
 翌朝、カルメロさんが家で飼っているヤギの乳搾りを見学。次はリコッタ・チーズ作りを見学。
http://www.agriturismoparcovecchio.it/

●トラパニ Trapani
 パレルモから70km、シチリア島の最も西に位置するのどかな港町。素晴らしいパスタを食べさせてくれる「カンティーナ・シチリアーナ Cantina Ciciliana 」(住所:Via Giudecca, 36 Trapani、Tel:+39 0923 28673 )は、この町で古くから地元の人に愛され続けてきた名店。崩れそうな横町にひっそりと立つ素朴な食堂。よく考えられたメニューで、丁寧な料理が評判。スローフード運動も積極的に取り組んでいる。「ブシアーテ・アル・ペースト・トラパネーゼ Busiate al Pesto Trapanese 」9ユーロは、辛くて美味しい。近くて採れた赤ニンニクでとても辛みが強い。小さく切った赤ニンニクをバジルの葉と一緒に磨り潰し、アーモンドの粉末とトマトを加え、ペースト状にする。これをこの地方独特のねじれたパスタにかけて、仕上げにオリーブオイルをかける。「かじきマグロのパスタ Casarecce con pesce spada e Melenzane :8ユーロは、シチリアの家庭で最も多く食べられているパスタ。最後は「クスクス Cous cous con brodo di pesce 」12ユーロは、もともとアフリカの伝統料理で、粗挽きの小麦粉を蒸したものだが、ここでは地中海で採れた白身魚を煮込んだスープをかけていただくのが特徴。ここはアフリカに近いので、アラブの習慣もあるため。
http://www.cantinasiciliana.it/

 毎年春に行なわれるキリストの復活祭。イタリア各地でキリストの復活を祝う行事が行なわれる。トラパニで行なわれる復活祭 Pasqua の儀式ミステリ Misteri は、弟子のユダに裏切られ、囚われたキリストが十字架にかけられてから処刑されるまでの場面を聖劇にして、20の山車を担ぎ一昼夜町を練り歩く。キリストが処刑された金曜日を聖金曜日 Venerdi Santo としている。神輿は町の中心にあるプルガトリオ教会を出発する。教会から1つずつゆっくりと出発して、最後が出る頃は夕闇に包まれる。荘厳なイメージを与えているのは、神輿と一緒に出る音楽隊。行進の悲しいメロディーが沿道の人たちの気持ちを代弁しているかのよう。喪服で参加するのは、キリストの死に対する哀悼の意。
 プルガトリオ教会の中には、19番目の神輿「キリストの棺」、20番目「キリストの死を嘆く母マリア」があった。20番目はウェイター、運転手、ドアマンたちの組合が担ぎます。

 これ以降ビデオが調子が悪くてHPからの引用です。

●カザレ Casale
 「カザレの別荘 Villa Romana del Casale 」(住所:Ctr. Casale, Piazza Armerina、入場料:大人も子供も3ユーロ)は、世界遺産で、3世紀に建てられたローマ様式の館。ディオクティアヌス皇帝との共同皇帝だったマルクス・アウレリウス・マクシミアヌス帝が所有していたと考えられている。12世紀の洪水で泥の下に埋もれたので、700年にわたって隠されてきた。1950年の道路工事のとき偶然発見され、その保存状態、規模が素晴らしかったため世界遺産となった。

●アグリジェント
 「神殿の谷 Valle del Templi 」(住所:Strada Panoramica dei Templi, 92100 Agrigento、Tel:+39 0922621611、Fax:+39 092226438、入場料:大人も子供も8ユーロ)は世界遺産。町の周辺の小高い丘には神殿がある。
 紀元前6世紀末までに建てられたヘラクレス神殿をはじめ数々の古い神殿、城壁が残る。
http://www.parcovalledeitempli.it/

●カターニャ
 森本貴幸さんは、カターニャFC所属で、マレモート(津波)の愛称でサポーターに親しまれている。15歳でプロ入りし、「中学生Jリーガー」として注目を浴びた。2006年にイタリアのカターニャFCに移籍、背番号15。
 「セルツ Selz 」0.8ユーロは、カターニャの人が立寄るキヨスク(ジューススタンド)にある炭酸水に塩を入れレモンを絞った名物ジュース。ミントなどで着色をした数種類がある。パッと立寄りコーヒーのようにグビッと飲む。住民に昔から愛されている飲み物。
http://www.calciocatania.it/

●タオルミナ
 西側にエトナ山を望む壮大な景観を有する街。何世紀にもわたり作家、芸術家、貴族を惹きつけてきたリゾート地。9世紀にビザンティン帝国シチリアの首都だった。ほぼ完璧に中世の街並みが残されている。
 宿泊は、「サンピエトロ・ホテル Grand Hotel San Pietro 」(住所:Via Luigi Pirandello, 50 Taormina, 98039 Taormina (Sicilia)、Tel:+39 0942 620711 )は、リゾート地らしい優雅なホテルで、フランスのホテル・グループ「ルレ・エ・シャトー」の一員。ジュニア・スイートで1泊1室400ユーロより。朝食は、Rotondo Su Mare にて個別に作ってくれた朝食。1人150ユーロ(2名より4名まで)+アラ・カルト・メニューからの夕食代。
http://www.grandhotelsanpietro.net/

●シチリアの青の洞窟
 シチリアの「青の洞窟 Grotta Azzura 」も有名。カプリ島と大きく違うのは入り口の大きさで、少し大きいため、外光が差し込み美しく見られる時間は限られる。洞窟内の青さは本場に引けをとらない美しさ。洞窟までのボート代は船長との交渉だが、1艘120ユーロくらいが目安。

●ヴォルカーノ島 Isola di Vulcano
 シチリア島の北部にある港町ミラッツオ Milazzo から船に乗って40分、温泉がたくさんあることで有名なヴルカーノ島に向かった。「アリースカフォ(水中翼船)」はウスティカ・ライン Aliscafo Ustica Line 社で、料金は片道・大人(オフシーズン)15.40ユーロより、子供(12歳まで)半額。
 「泥温泉 Terumeterme di Fango 」を体験。「テルメ・ディ・ファンゴ」(住所:ヴォルカーノ島イソラ・ディ・ヴォルカーノ Isola di Vulcano )で、入浴料は2ユーロ(約250円)。温度は冷たいそうです。前の日に雨が降って、水温がかなり下がったそうです。岩の前に座るとせ中に温風があたって温かいとか。


テレビ番組「知っとこ!世界の朝ごはん ジェノバ」

 2009年4月25日放送。

●ジェノヴァ
 ミラノから列車で2時間半。美しい海岸線が広がる、イタリア最大の港町。人口60万人。海の中に町を360度見渡せる展望エレベーターがある。中世以降海洋貿易で莫大な富を得て、美しい街を作ってきた。凱旋門もある。
 フェラーリ広場 Plaza de Ferrari には立派な建物が並ぶ。コロンブスの銅像がある。コロンブスはジェノバの出身で、地元ではコロンボと言われる。青年時代を過ごした家が保存されている。
 9月20日通り Via Vente Septembre は柱も天井も白と黒の縞模様。これは富の象徴で、この旧市街全体がこの縞模様だった。特に黒い石はエルデジアと呼ばれて高価だった。黒い石は今でもジェノバ近郊のチカーニャ Cicagna の山から採れる。今でも高級品で、暖炉や家具にも使われていて、人気とか。

 アルベルト・カンパーニャさん(27歳)が紹介してくれたのは、ジェノバ発祥のおいしい食べ物「フォカッチャ」。塩とオリーブオイルで味付けした平たいパン。「Panificio Focaccia 」では一番人気はプレーン。これかな?1kg11.9ユーロ。もしかすると、アルベルトさんはここのオーナーかも?

 オリエンタル市場。トマトもたくさん種類がある。魚も多い。有名な農産物は、ハーブのバジル。ジェノバでは若い葉だけを収穫するので、柔らかくて風味が豊か。1本1本成長の度合いが違うので、手作業で確認しながら収穫するそうです。バジル栽培を有名にしたのが、ジェノベーゼというペースト。専用のすり鉢で松の実、にんにくをつぶし、パルメザン・チーズ、岩塩、オリーブオイル、バジルを加えてしっかり磨り潰す。これを使ったパスタがとても美味しくて有名になった。
 これを味わうために、地元で美味しいと評判のレストラン「Ristorante Europa 」(住所:Galleria Mazzini, 51, 16121 Genova )に行く。ジェノベーゼのパスタをいただいた。太麺でした。

 新婚さんの朝ごはん。高級住宅街に住むバルバラ・ガッティさん(36歳)が作るのは、1品目「フォカッチャ Focaccia Genovese 」。少し柔らかめに作ったパン生地を器に入れ、発酵させる。充分ふくれたら軽くのばす。耐熱皿に移し、指で型をつけ、オリーブオイル、水、塩をかけ、プチトマト、オリーブの実をのせて焼く。
 2品目「ジェノヴァ風サラダ Ensalada Genovese 」。プチトマト、リンゴ、パイナップルを刻み、レタスの上に盛っていく。乾燥させたフォカッチァ、アンチョビ、ツナなどをのせ、茹でたジャガイモ、インゲンをのせる。あとはジェノベーゼのペーストとオリーブオイルを混ぜたものをかけてからめる。
 3品目「くるみソースのパンソッティ Pansotti al Sugo di Noci 」。パンソッティは中にリコッタ・チーズといろいろなものが詰まっている、この地方伝統のパスタ。塩水で茹でる。その間にソースを作る。クルミと松の実をミキサーに入れ、パルメザン・チーズとオリーブオイルをたっぷり加えて粉砕する。ペースト状になったら生クリームを加え、よく混ぜる。このクルミ・ソースはジェノベーゼと並ぶ、ジェノバの名物ソース。あとはパンソッティとからめる。


テレビ番組「にじいろジーン 世界まるごと見聞録 ナポリ」

 2009年4月11日放送。

●ナポリ
 ミュンヘン経由でフルトハンザ航空で15時間でカボティキーノ空港に到着。輝く太陽と青い海に囲まれた南イタリア最大の都市。タクシー・ドライバーのロ・ジュディーチェ・アルドさんの運転で20分で市街地に到着。
 町を縦断する通りスパッカ・ナポリ。趣のある旧市街を2分している。狭い路地にかかる洗濯物は通称「ナポリの国旗」。
 イタリア民謡にも歌われた港サンタ・ルチアは絶景。卵城からは「にじいろガイド」のスピーノ・エマヌエーラさん(30歳)がガイド。

 ピッツァ発祥の地。創業200年の名店「ブランディ Brandi 」に行く。イタリア・ピザの代名詞でもある「ピッツァ・マルゲリータ」は、マルゲリータ王妃(1851-1926) の注文で、1889年にこの店で誕生した。小麦粉をベースに、酵母、水、塩を混ぜた生地をのばし、トマトソース、モッツァレラ・チーズ、バジルをのせて焼くシンプルなもの。これがイタリア国旗をイメージさせる。ピザ釜の温度は500度以上。1分で焼き上げる。900円。ナポリっ子が楽しんでいる食べ方は、その上にリコッタ・チーズをトッピングしたもの。これはメニューにはのっていない「ナポリ流」。レストランでピザを食べる時はナイフとフォークを使う。1人1枚食べ、取り分けないのがツウだとか。
 町の屋台ピザは紙に包んで4つ折り。1枚1ユーロ(130円)!。

 エマヌエーラさんの友人のフェスタ・ロベルトさん(33歳)がいろいろなジェスチャーを教えてくれました。美味しい時は「ボーノ」で人差し指をほほにつけてグリグリする。両手の人差し指をそろえると「仲良し」という意味。手の甲を上にしてひらひらさせるのは「まぁまぁだね」。顔の右側から前に親指を動かすと「カッコイイわ♪」。右手を水平にして人指指を噛んで、左右に顔を揺らすと「怒ったわよ」の意味。左手で右手の肘を持って、右手の指先を全てあわせてその場で回すと「バカじゃないの」。それに対して、バイオリンを弾くジェスチャーは「気にしないわ〜」。

 キアイア地区。チョイ悪ファッションの男たちがあちこちにいる。お勧めのお店を聞いてみた。世界的に有名なネクタイの店「マリネッラ」は、1914年創業。最高級シルクを使用し、手作業で作っている。9つ折製法によりスーツの中で立体的に見えるように工夫されている。1本1.2万円など。利用者には、クリントン元大統領、オバマ大統領、サルコジ大統領などがいる。

 数字を使った「ロトくじ」はイタリアが発祥で、ナポリの人は大好き。1口100円から楽しめるロトくじの売り場は大賑わい。今回の賞金は40億円でした。ナポリでは1から90までの各数字に意味がある。1はイタリア、2は女の子、19は大笑い、42はコーヒー、80唇、67ギターの中のタコ、71愚か者56転ぶ、とか。これにちなんで買うそうです。

 人気No.1の海沿いのエリアにあるマンション。去年改装したマンションの最上階の2LDK45平方mのメゾネット形式。家具付きで1ヶ月1500ユーロ(23万円)。

●カプリ島
 カプリ島に行く。メルジェッリーナ港からフェリーに乗り込み、1時間半の船の旅。片道2000円。有数の高級リゾートで、夏になるとヨーロッパ各地から観光客が訪れる憧れの場所。
 カプリ島観光の目玉が「青の洞窟」。水を通した太陽の光線で神秘的な青い空間が広がる。
 断崖をつづら折りに続くのが「クルップ通り」。細く曲がりくねっている。幅が1mもない自動車が走る。カプリ島名物の電気で走る「救急車」。


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