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なお、これはわたしが個人的にテレビを見て書いたものであり、各テレビ局や番組とは全く関係はありません。
すべての文章の無断使用・転載を禁止いたします。
またここの情報を使って、何か問題が起こったとしても私は一切責任は持ちませんのであしからず。


テレビ番組「THE 世界遺産 セビリア」

 2008年7月13日放送。

●セビリア
 歌劇カルメンの舞台でもあるアンダルシア地方のセビリア。大聖堂はスペイン黄金時代の象徴。イスラムの支配者たちが建てた中世の宮殿アルカサルは、奪還されカトリックの拠点となった。大航海時代の歴史が保管されているインディアス古文書館。3つの建造物が世界遺産に登録されている。
 毎年、春分の日を過ぎてからキリスト教最大の祭りが始まる。セマラサンタは、復活祭の前に1週間に渡って行なわれる伝統行事。重さ数百kmもある山車が町の至る処を行進する。キリストが十字架に架けられるまでの7日間を聖なる1週間とし、人々は神の子が受けた苦しみに思いを馳せる。
 街の中心を流れるグアダルキビル川、大西洋岸から90km離れているが、この川のおかげで大西洋とつながっていた。15世紀以降、大きな歴史の揺れの中で大航海時代が始まった。中南米の国々で採掘された膨大な量の金銀は、大西洋を渡って、全てセビリアの港にやってきた。未曾有の繁栄は絢爛豪華な建造物として今も街に留めている。

 高さ、面積、全て並外れたセビリア大聖堂は、とにかくとてつもなく巨大なものを作ろうと議会で決議された。100年余りの歳月をかけて、16世紀の初めに完成。ローマのサンピエトロ、ロンドンのセント・ポールと並び、世界三大キリスト教会に数えられている。
 繁栄を物語るのは金色に輝く祭壇。キリストの生涯を描いた世界最大のもの。木を彫り込んだ無数の彫像には、全て金箔が施された。この大聖堂に使われた黄金の量は3トンにも及ぶという。当時、ポルトガルと激しく争ったスペインはローマ教皇が中に入り、驚くべき条約ができた。西経46度30分を境にして、各々の国は世界の半分の国を手に入れた。全ては一人の男クリストファー・コロンブスの命がけの冒険から始まった。彼は今もここに眠る。その棺を担いでいるのは、4つの王国の王たち。1492年を人々は奇跡の年とよぶ。セビリア大聖堂の門に1枚のレリーフ「レコンキスタ」(国土回復運動の理想)がある。そこには中世のキリスト教徒にとっての切実な願いがあった。主キリストの力でイスラム王朝を撃退すること。戦いは800年にも及んだ。それが完成したのが1492年だった。セビリアの街は1248年には奪還され、キリスト教徒の重要な拠点となっていた。このセビリア大聖堂はモスクを再利用して建てられた。

 アルカサル(宮殿)は元々イスラム王朝の宮殿だった。当時イスラム文化は最先端であり、キリスト教徒の王たちも憧れた。スペインの女王イサベルは唯一の男児をこの宮殿で出産した。1492年1月にグラナダを落とし、イサベルは国土の完全回復を成し遂げた。その7ヶ月後、コロンブスが航海に船出した。2ヶ月後に現在のバハマ諸島の一つに到着した。コロンブスを追ったスペイン人は多くの金銀を持ち帰った。
 大聖堂に建つヒラルダの塔は、カトリックの勝利のシンボルとなった。地上から75mまでがモスクの塔ミナレット、その上に高さ20mを越すキリスト教の鐘楼がのり、見事な調和を示している。

 セビリアでは、2つの宗教、2つの文化の融合が数百年に渡った続いた。さらにセビリア商人の活躍で新大陸との交易を独占した。3つ目の世界遺産インディアス古文書館は世界最大の古文書館であり、持ち帰った金銀の量が記載された資料まである。

 2人のコンキスタドール(王室の許可を得て、新大陸に渡った征服者のこと)に関する記述がある。一人はエルナン・コルテスで、1521年メキシコの地でアステカ王国を滅ぼした。もう一人はフランシスコ・ピサロで、1532年アンデスのインカ帝国を滅亡させた。キリスト教の伝導という名の下に、殺戮と略奪を行なった。16世紀初めからの100年間だけで、黄金18万トン、銀160万トンをスペインは得た。当時西洋諸国が保有した銀の3倍に相当した。
 グアダルキビル川のほとりに建つ「黄金の塔」はセビリアの繁栄を象徴するものだった。かつてはここに金銀財宝が山と積まれた。


テレビ番組「ホンモノの伊東親子は海外嫌い 第8弾 スペイン縦断の旅」

 2008年7月13日放送。伊東四朗(71歳)、伊東孝明(37歳)親子が出演。日本からはパリを経由して南スペインのマラガまで飛びました。テレビ朝日製作。

●コスタ・デル・ソル Costa del Sol
 太陽の海岸。セレブが集う憧れの高級リゾート。マルティーヤの海沿いの「ホテル・フエルテ Hotel El Fuerte」に宿泊。朝食はパン・コン・トマテとスペイン風オムレツ(トルティーヤ)。前者はトーストしたパンにオリーブオイルをかけミキサーでとろとろにしたトマトをのせたもの。トルティーヤはじゃがいもと卵で作る。宿泊料金は朝食込で2.7万円〜。

●タリファ
 マルティーヤから2時間。アフリカまで13−14kmなのでモロッコが見える。ヨーロッパ最南端の地図がある。さらに右が大西洋で、左が地中海と書いてある。
 タリファ港に行くとモロッコのタンジェ行きのフェリーがあった。片道35分で1日8往復。往復料金は9000円。距離は14km。

●タンジェ
 モロッコの観光ガイドのアブドゥル・カイトーニさんは青いスーツでお出迎え。ガイドさんお勧めのレストラン「アンダルス Andalus」でランチ。人気メニューは牛ひき肉のケバブ。秘伝の香辛料を入れてジューシーに焼き上げ、パンに包んで出来上がり。320円。カフェ「セントラル」でミントティー1600円をいただいた。乾杯はサハウ。甘いけど美味しいそうです。ガイドさんにお土産として伝統衣装「ジュラバ」をもらいました。
 以上2時間の滞在でした。

●タリファ
 レストラン「ラ・ペスカデリア La Pescaderia 」はシーフード料理が得意。ホタルイカのフリッター、エビ料理など。茹でタコとジャガイモのパプリカ風1600円、は塩とオリーブオイルをかけて完成。美味しいそうです。アサリのにんにくパセリソース1900円。これも美味しいそうです。
 宿泊はプチ・ホテル「ポサーダ・ラ・サクリスティア Posada La Sacristia」で、朝食込みで1.9万円。オーナーは日本大好きで盆栽もある。

●バルバテ
 タリファから車で西に30分。まわりは風力発電の装置が多い。闘牛を見に行くが、牧場でした。「ロス・デラマデロス Los Derramaderos 」は闘牛用の牛を育てているところでした。闘牛士のホアン・ロメロさんとアレハンドロ・カルモナさんが説明してくれた。この牧場は70年の歴史を持ち、優秀な牛を何頭も輩出している。オーナーのルイス・ヌーニェスさんも立ち会った。家には20世紀最高のマタドールと称えられた闘牛士マノレテの写真もあった。

●グラナダ Granada
 アウグスティン・ララの「グラナダ」という曲があります。またフランシスコ・タレガの「アルハンブラの思い出」。
 世界遺産のアルバイシン地区に行く。そのてっぺんに見晴らしのよいサン・ニコラス広場がある。迷路のような坂道で、かつて住んでいたイスラム教徒が敵の侵入を防ぐために迷路にした。登るのに1時間かかったそうです。ミニ・バスならすぐなのに。サン・ニコラス広場からは世界遺産のアルハンブラ宮殿が見える。ここでアルハンブラの思い出を演奏している人がいました。
 市庁舎近くの広場で、フラメンコバンドのルプリカン Lubrican というグループが日本語の歌詞の歌「郵便屋さん」を歌っていた。
 スペイン風居酒屋BAR 「ボデーガス・カスタニェダ Bodegas Castanieda 」でイベリコ豚の生ハムをつまむ。2人前2800円。生ハムは手で食べるのがイキで、フォークは使わない。赤ワインもいただいた。
 アルハンブラ宮殿を見学。ロドリゲス・川崎さんと息子のデビッドさんというガイドがついた。面白い人です。入場料1900円(要予約)。アルハンブラ宮殿は13世紀から建て始められたイスラム建築を代表する宮殿。5000人住んでいたそうです。アラヤネスの中庭は見事です。故郷の砂漠をしのんで作ったと言われています。水で鏡のようにして蜃気楼を作った。英語で鏡はミラーで、蜃気楼はミラージュ。向こうの建物は砂漠のオアシスに似ている。オアシスを再現したものです。座るイスもあるが、ラクダのイスに似せている?
 「大使の間」は王への謁見や公式行事などが行なわれていた場所。天井には星の姿が見える。「二姉妹の間」は鍾乳石で装飾された八角形の天井が特徴。通路からアルバイシンが見える。
 ヘネラリフェ庭園 Generalife は王族が暑い夏に避暑をした場所。
 ホテルが宮殿に併設されている。「パラドール・デ・グラナダ Parador de Granada 」で、修道院だった建物を改築し、贅沢な夢を味わえる国営のホテル。いつも予約がいっぱいで、今回は見学させてもらいました。1泊9万円。

 イベリコ豚のおいしいレストラン「ポエタス・アンダルセス Poetas Andaluces 」。放牧されドングリを食べて育ったイベリコ豚は、運動するので霜降り状に脂肪がつく。日本でも大人気の高級食材。ステ−キはロースを厚めに切って炭で焼き上げる本格派。イベリコ豚のステーキは2100円。かなり美味しいそうです。
 スペイン観光の癒し所「テルマス・ハポネス Termas Japonesas 」は銭湯です。入浴料2200円。
 宿泊は「ホテル・ロサンゼルス Hotel Los Angeles 」で、1泊1.3万円。

●マドリード
 早朝6時半、グラナダ発の列車に乗る。5時間かかるそうです。運賃は1等で1.6万円。お昼にアトーチャ駅に到着。
 建物も全てアンダルシア地方とは異なる。まずドン・キホーテ像がある人気のスポット「スペイン広場 Plaza de Espana 」。

●バルセロナ
 AVEで2時間半。1等で食事付きで2.6万円。今回はAVE 3151号。
 町全体が巨大な美術館のような街。多くの芸術家を生んだスペイン第二の都市。地中海の魚介を使ったグルメも有名。
 世界遺産「サグラダ・ファミリア大聖堂」は、1882年着工したガウディの生涯をかけた作品。今も建築が続くバルセロナの象徴。入場料1300円。完成後の収容人数は1.5万人。展望フロア入場料は3200円でエレベータで上がる。さらに140mの塔に階段で上がる。
 生誕の門を完成させたのは、外尾悦郎さん(55歳)。15体の天使の彫刻は外尾さんの作品。現場を見学させてもらいました。今はピナクルという部分を作っていました。素材はベネチアン・グラス。
 2010年にミサを開くのを予定しているそうです。

 サン・ジョセップ市場に行く。シーフードの定番は「ピノッチョ・バル Pinotio Bar 」で、「エビの鉄板焼き」2700円と「マテ貝の鉄板焼き」1900円で、美味しいそうです。
 スペイン各地で大人気の「サガルディ Sagardi 」の名物はピンチョス。小さく切ったパンに料理をのせた軽食。ピンチョスとは爪楊枝のこと。お皿に好きなだけとって食べる。会計は爪楊枝の本数で支払う。1本280円。今日のお勧めは「マグロのツナとねぎのピンチョス」、「カニと卵のピンチョス」。
 1992年のバルセロナ・オリンピックの会場「オリンピック・スタジアム」にやってきた。有森さんが銀メダルを取りました。ここで100mを走りました。
 バルセロナ港に行き、パエリアの名店「バルセロネッタ Barceloneta 」に行く。シーフードを強火で炒め、上から生の米を入れ軽く炒め、スープをたっぷり入れて強火で炊き上げる。「マグロのパエーリァ」3000円、「イカ墨のパエリア」2600円。

●パリ
 夜9時、フランサ駅から夜行列車でパリに向かいます。1等で5.4?万円。個室でシャワー完備で、食事付きです。「エビ入りスクランブルエッグ」、「ツナ、トマトとバジリコのラタトゥーユ添え」。食堂車から帰るとベッドができていました。
 12時間かけて朝9時にパリのオーステルリッツ駅に到着。
 そのままエッフェル塔、凱旋門、シャンゼリゼ通りを楽しみました。


テレビ番組「世界!弾丸トラベラー ギャル曽根さんでスペインのアンダルシア地方」

 2008年7月12日放送。ギャル曽根さん(22歳)がひまわり畑をかけ回りたい。プロフィットロールというおやつは美味しいそうです。

●予定
 1日目、10:30成田空港発エールフランス(AF)279便、18:15シャルル・ド・ゴール空港発2000便で日本から15時間。20:15マドリード・パラハス国際空港着。21:00シャトルバスでマドリード市内へ。21:25ホテルにチェックイン。22:00予約した夕食の店へ。23:00夕食。24:00ホテル着。
 2日目、5:45ホテル出発、6:30AVEでセビリアに。9:10セビリア市内へ、9:30観光名所「カテドラル」でガイドと待ち合わせ。9:50ひまわり畑へ。11:00ひまわり畑到着。かけまわる。14:45セビリア発、19:30マドリード・パラハス空港発AF1901便、23:35シャルル・ドゴール空港発AF278便。
 3日目、18:00成田空港着。

●マドリード
 夜8時半でも明るい。シャトルバス1ユーロでマドリード市内に行く。歩いてホテル「ビンチ・ソマ Vincci Soma 」に行く。室料は180ユーロ。
 マヨール広場は中世の建物が360度広がる。夜はみんな食事をしていました。途中でBAR「チャコリーナ」に入って手当たり次第に注文し、15分で5人前を食べた。20ユーロ。
 夕食は「コーラル・デ・ラ・モレリア Corral de la Moreria」に行くが、1時間遅れ。地元で最も人気のあるパエリァのお店。ここで一番大きな6人前のを注文。食べていると、フラメンコの踊りが始まった。1日2回不定期に生でフラメンコが見られる。パエリア+フラメンコ観賞料で112ユーロ。
 朝6時アトーチャ駅に行き、6:30発のAVEに乗る。運賃は67.1ユーロ。

●セビリア
 9:05、2時間半で到着。アンダルシア州の州都で、スペイン最大の大聖堂カテドラルがある。これは世界遺産。現地ガイドはダニエルさん(39歳)。

●ひまわり畑
 車で30分の郊外。ひまわりがずっと広がっていて感動。ガイドさんが自転車を貸してくれたので、これで一回り。すごい元気な1本のひまわりを発見。元気をもらいました。
 さらに元気をもらえる場所に連れて行ってもらった。10分後、宮殿のようなレストラン「ホテル・パラドール・デ・カルモナ」から眺めた景色はすごい!「イベリコ豚のヒレ、パテークリーム風味」17.5ユーロ。


テレビ番組「探検ロマン世界遺産 コルドバ」

 2008年6月28日放送。高橋美鈴アナウンサーが案内。

●コルドバ
 メスキータはモスクという意味。円柱の森と呼ばれる柱を通ると、白く光るドームの下には精緻な装飾の施された特別な場所がある。イスラムの聖地メッカの方角を示すもの。驚いたことに同じ建物の中にはキリスト教の祭壇がある。カトリックの礼拝堂。2つの宗教が同居する不思議な建物。
 1000年前は世界で屈指の大都市だった。当時、コルドバは45万人、パリは2万人、ロンドンは2.5万人だった。南スペインのアンダルシア地方にある。ベージュの屋根と白い壁。今回は5月に訪問した。現在は30万人余りの人が暮らしている。白い壁は日光を反射するので、家の中は涼しい。多くの窓に花が溢れていた。ロサリオ・ルセナさんのお宅の中庭を見せてもらったが、花がとてもきれい。これで憩いの空間を創る。これをパティオと呼ぶ。外よりも10度低いそうです。昔は1つのパティオを数家族が共有していた。花の小路の先からメスキータ大聖堂の塔が見える。

 メスキータ大聖堂は敷地2.2万平方m。それを囲む堅固な壁は1000年以上前建造された当時と変わらない姿を見せている。中には大きな庭パティオがある。司祭のマヌエル・ニエトさんが案内してくれました。中は柱が850本、うす暗い中に浮かびあがる。円柱の森。800年前まではモスクだった。4万人を収容できた。建物の奥には聖地メッカの方角をさすミフラーブがある。クローバーやブドウなど草花を描いた細工で覆われている。イスラムでは死後緑豊かな楽園に行くのが願いとされている。内部はドーム状になっている。ここでの声はメスキータじゅうに広がったと言われる。
 森の向こうにポッカリと明るい場所がある。天井が高くて、荘厳な白いドームがある。16世紀モスクだった場所に作られた大礼拝堂。これは13世紀にコルドバを支配下にしたキリスト教国カスティリャ王国の威信をかけて建築された。1523年に着工し、200年以上かけて作られた。以来ここではキリスト教徒がミサを捧げる。空から見ると、モスクの中に十字架形の礼拝堂が作られた。
 イスラム教ではみなコーランを暗記していたので、明るい必要はなかったが、キリスト教では聖書を読まないといけないので、明るい光が必要だった。そのために、明かりを入れる窓が作られた。また「光はキリストの象徴である」ということからも光は大事だった。
 5世紀、イベリア半島に西ゴート王国ができた。8世紀になるとイスラム勢力が占領し、後ウマイヤ王朝ができコルドバを都とした。11世紀にカスティリャ王国が領土を取り戻し、フェルナンド3世が1236年にコルドバを征服した。モスクは大聖堂に姿を変えた。しかし、近くのセビリアでは、モスクは破壊されセビリア大聖堂が作られた。メスキータ建設以前、ここはキリスト教の教会だった。8世紀にイスラム教徒はここをキリスト教徒と共有して使った。イスラムは異教徒から信仰の自由を奪うことはしなかった。当時は宗教の垣根は低かった。その後イスラム教徒が買い取ってメスキータとした。元々土地がやせていた場所にイスラムは灌漑技術を導入し、土地を一転させた。高い文化はイスラムが各地で吸収した異文化からなっていた。アル・アンダルス博物館には10世紀のイスラムの外科医が使った手術道具が残されている。アントニオ・アルホナさんが説明してくれました。針も熱してツボに刺していた。中国の技術だった。白内障の治療方法は古代エジプトの技術だった。
 メスキータの円柱の森のアーチ型は古代ローマの水道橋の技術が使われている。赤い部分はレンガで、白い部分は石灰岩。強度を保ちながら、軽いレンガを使い、アーチ全体を軽くしている。ミフラーブの装飾も金や銀のモザイクでできているが、1つ1つはガラスで覆って作った手のこんだもの。ピース1枚は5ミリ四方で、これらを作ったのはビザンツ帝国のキリスト教徒だった。キリスト教徒の若者たちがイスラム文化にひかれていった。フェルナンド3世は1236年にコルドバを征服した際に、メスキータの破壊を禁止した。16世紀に就任した司教が破壊しようとしたが、キリスト教徒は既に礼拝の場として使っており、1523年に参事会が立ち上がって阻止した。これほど高い完成度の建物は二度と作ることはできない、工事に参加した大工などは死刑にするとした。ベルギー生まれの国王はそれを無視した。建築家たちは円柱の森を最大に保ち、キリスト教の礼拝堂を作った。建築家のガブリエル・ルイスさんはこれほどまでにモスクの形を残しながら教会に生まれ変わった例はないという。
 メスキータの礼拝堂で結婚式が行なわれていた。年間50組の夫婦がここで誕生するそうです。


テレビ番組「びっくり法律旅行社 スペイン」

 2008年6月26日放送。児玉清、黒崎めぐみ、タカアンドトシさんが司会。中村玉緒、野々村真、森泉さんがゲスト。

●マドリード
 スペインといえば闘牛、フラメンコが有名。マヨール広場の周辺の建物は見事で、ゆっくり眺めて時間を過ごせる。スペイン広場にはドン・キホーテの銅像がある。チュロスはホット・チョコレートやカフェオレに浸して食べるのがスペイン流。
 スペインはピカソ、ゴヤ、ミロ、ダリなどの多くの芸術家を生んでいる。プラド美術館にはスペイン王家のコレクションを展示する。ベラスケスの「ラス・メニーナス」、ゴヤの「着衣のマハ」と「裸のハマ」など9000点の絵画がある。入館料は6ユーロだが、火曜日から土曜日の午後6時から8時までと、日曜日の午後5時から8時までは無料。月曜は休館日。
 プラド美術館では、水の入ったペットボトル、赤ちゃんを背負うベビー・キャリアは持ち込み禁止。美術館広報のマリ・パス・ソトさんは、これらは手前のクロークに預けるように言ってます。2006年10月から館内での写真撮影やビデオ撮影の禁止となった。他には傘または先のとがった物品の持ち込み禁止、ギャラリー内での飲食禁止、ペットの同伴禁止、館内での喫煙禁止、館内での携帯電話使用禁止、館内での写生禁止(許可制)などがある。

 サッカーのサンティアゴ・ベルナベウ・スタジアムはレアル・マドリードの本拠地。路上で行なってはいけないものを弁護士のダニエル・マルティン・ガルシアさんが説明してくれました。路上でグループになって他の歩行者が車道にはみ出すようなことは禁止。罰金はないが危険なので注意するように(マドリード交通条例51条)。
 レティロ公園は緑が多い。子供は操り人形を見てました。子供にしてはいけないのは、子供のお尻を叩くこと。2007年12月民法第7編第1条154項が、「親権は常に子供の利益のために行使し、子供の身体的・精神的保全を尊重しつつ行なわれる」と改正された。ほっぺたをつねるのはOK。

 バルは朝はカフェ、昼はレストラン、夜はバーになる。モーニングはホットチョコレートはカフェオレにチュロスを浸して食べる。バルでは座る場所によって値段が変わる。一番高いのはテラス席、次いでテーブル席、そしてカウンター席。コーヒー1杯の値段は、順に2ユーロ、1.5ユーロ、1.2ユーロ。11時頃は手軽のつまめるタパスが出る。床にゴミが散らかっているのは、お店が流行しているバロメータなので、掃除しない。午後2時にいよいよ昼食タイム。ランチはお得な日替わり定食「menu del dia 」を食べるといい。前菜、メイン料理、デザート、飲み物、パンがセットになっている。1400円程度。午後7時、夕食までのつなぎで、タパスをつまむ。オートロ!はおかわりの意味。夜10時、やっと夕食の時間。深夜0時からバーに変身。マドリードでは「午後10時から午前8時までの間、アルコール飲料の販売禁止(店内での飲酒は除く)」(マドリード州条例第5法)のため。

●名前の法則
 名字の多いのは、順にガルシア、ゴンザレス、ロドリゲス、フェルナンデス、ロペス。父フェリーペ・ロドリゲス・フェルナンデスと母ピラール・ゴメス・ディアスの娘はメルセデス・ロドリゲス・ゴメス。それと夫ファン・ファルシア・マルティネスの間の息子はペドロ・ガルシア・ロドリゲス、妻がファン・ガルシア・メリデスの間にできた息子はフェリーペ・ガルシア・ガルシア。「個人はその名前と両方の親の姓によって規定される」という登記に関する法律がある。


テレビ番組「知っとこ!世界の朝ごはん バルセロナ」

 2008年4月26日放送。ビデオの調子が悪くてHPからの引用です。

 新婚さんの朝ごはん。1品目「カタルニア風肉の煮込み」。牛肉を塩胡椒し、小麦粉を全体にまぶし、多めの油をしいたフライパンで軽く揚げ焼きにする。玉ねぎをすりおろし、にんにくを細かく切り、先ほどのフライパンで炒める。そこにトマトソース、コニャック、ブイヨンソースを加え、炒め、耐熱皿に入れた牛肉の上からかけ、ムシュルノンスを散らして、オーブンで30分焼いて完成。
 2品目「タラの冷サラダ」。塩抜きした塩ダラを手で細かく一口大にちぎり、上に細かく刻んだパプロカ、玉ねぎ、トマトをのせ、たっぷりのオリーブオイルを振りかけて完成。
 3品目「パンコントマテ&カタルニアソーセージ」。パンデパジェスを切り分け軽くトーストし、切ったトマトを表面にすりつける。その上にたっぷりのオリーブオイルをかけ、スライスしたハム、生ハム、サラミなどを添えて完成。

http://www.mbs.jp/shittoko/asa/08_04_26/index.html


テレビ番組「地球街道 いしだあゆみさんでスペインのカタルーニャ地方」

 2008年4月19日放送。26日放送分はビデオ不調のためHPから。バレンシア火祭り「ファージャス」を見たい。スペインの3大祭りのひとつで、20年前に映画の撮影でこの地を訪れたが、楽しむことのできなかった火祭り、その素晴らしさを感じたい、それが20年来の夢でした。

●モンセラット Montserrat
 バルセロナから北西に40km。ヨーロッパ中を旅した文豪ゲーテが「魔の山」と名づけた山がある。モンセラットとはスペイン語で「のこぎり山」という意味。その中腹、標高720mの地点に1000年の歴史を誇る「モンセラット修道院」がある。山と修道院のコントラストが面白い。そこの祭壇には人々の絶大な支持を得ている「黒いマリア像」がある。何故黒いのかは今もってわからない。午後1時おびただしい数の人が、少年聖歌隊を待っている。13世紀からヨーロッパ最古の歴史を持つ。

●ヴァルス
 モンセラットから南西40kmの小さな町。「マシア・ボウ Masia Bou」はスペイン料理「カルソッツ」発祥の地。ネギを豪快に焼いている。薪はブドウの木と決まっている。テーブルにでてきたのは、丸こげのネギそのまま。1人前20本17ユーロ。繊維の柔らかい中身だけをタレにつけて食べる。ホワイト・アスパラみたいです。

●タラゴナ Tarragona
 ヴァルスから南下、地中海に出た。一時はイベリア半島随一の繁栄を誇った。円形競技場もある。町中で楽しげな音楽がする。カタルーニャの民族舞踊ザルダーナ。1000年以上の歴史を持つカタルーニャ伝統の踊り。
 3月はアーモンド、さくら、すももの花が咲いていた。カタルーニャ民謡「鳥の歌」が好きだそうです。

●モンフェリ
 タラゴナの北北東の小さな村。小高い丘の上に建つ「モンセラット教会」は外観のデザインが可愛い。モンセラットの山がモチーフとなっている。設計したのはジュゼップ・マリア・ジュジョールで、ガウディの右腕として活躍した人。この教会は1925年に建築が着工し、資金難とスペイン内戦のために1931年に中断した。失意の中でジュジョールは世を去る。野ざらしのままになっていたが、1985年に工事が再開して完成した。工事を再開した時の村長のジョアン・マリア・ハネさんに話を聞いた。村人がボランティアで参加してくれたそうです。中にジュジョールと一緒に仕事をした人もいたとか。これは村の誇りだそうです。


●バレンシアに行く途中
 バルセロナを出発し、高速道路を1時間走ると世界遺産を見ることができる。車を降りて、2分、2千年前にローマ帝国時代に造られた水道橋がある。かつて水が流れていたところを、歩いて渡ることができる。最も高い所で27m。カーフェリーが待っていて、車1台でおよそ400円。3台まで載せることができます。川幅およそ150mを、ゆったりと、5分ほどで対岸に渡った。

●ペニスコラ
 海に突き出た岩山に築かれた古い城、ペニスコラ城。14世紀頃に地元の騎士団が築いたもので、見晴らし台からの眺めが素晴らしい。紺碧の海。
 ウナギの稚魚を使った料理は1人前約2万円ととても高価。ウナギの稚魚は、1年のうち3ヶ月ほどしか食べることのできない貴重な食材。シンプルに、にんにく、鷹の爪と共にオリーブオイルで炒めてあった。

●バレンシア
 スペイン第三の都市、バレンシア。毎年100万人もの観光客が集まると言われる「ファージャス」、スペイン三大祭りの一つの火祭り。およそ200年前、聖人ホセの祭りの中で、古い材木を燃やしたり、社会を風刺した人形を外に吊るしたりしたことが起源。20世紀後半には人形が大規模になり、ヨーロッパ有数の盛大な祭典へと発展した。通りのあちこちに立つ大小600もの巨大な人形は、主にポリウレタン製で、近隣の町がそれぞれ人形師に発注し、1年かけて作り、祭りの最後の夜にすべて燃やされる。
 祭りの最終日、人々の熱気は最高潮になる。クライマックスが近づくと、人々は思い思いの人形の前でその時を待つ。一旦火がつくと、後はもう身動きが取れない。午前1時、人形に点火するのはこの人形を作った地区でミス・ファージャに選ばれた女性。点火され、炎が人形たちを燃やす。いしださんは20年来の夢が叶いました。


テレビ番組「知っとこ 世界の朝ごはん スペインのバレンシア」

 2008年4月5日放送。

●バレンシア
 地中海に面して一年中穏やかな気候。人口80万人。中心には歴史ある建物が建ち並ぶ。スペイン三大祭りの一つ「サン・ホセの火祭り」が開催中だった。毎年3月12〜19日まで開催される。民族衣装の女性の献花パレードがある。献花者が持ってきた花束を集め、巨大なマリア像を飾る行事。
 マルケス・デ・ソテロ通りを歩くとものすごい人。フェンスで囲まれた広場があり、てるてる坊主のようなのがたくさん吊るされている。突然大爆発していった。爆竹でした。広場が一瞬にして煙に包まれた。毎日行なわれるマスクレターという爆竹ショーでした。
 トーレス・デ・セラーノには屋台が並ぶ。お菓子がずらり。ドーナツもある。コーヒー牛乳色の飲み物はバレンシア名物のオルチャタ。カヤツリ草の根のこぶに水を加えながらすりつぶし、こして砂糖を加えたもので、ビタミン、ミネラルなどが豊富。味はナッツ風味の豆乳という感じで、1杯2ユーロ。
 コシベント・ヘルサレン Convento Jerusalen には大きな人形がある。ファヤと呼ばれるはりこの人形で、街の交差点や広場にたくさん置いてある。大小あわせて街中に600もある。
 夜になると祭りのクライマックス。人形にヒモのようなものを巻きつけ、端を柱に固定して火をつけた。あっという間に炎上。

 アレハンドロ・マルティネスさん(36歳)が紹介してくれたのは、パエリアのお店「パラシオ・デ・ラ・ペジョータ Palacio de la Bellota」のフィデワ。魚介類がいっぱいで、お米でなくパスタで作ったもの。えび、いか、ムール貝を煮込み、フィデオという小さなパスタを加えて煮込んだもの。2人前30ユーロ。

 新婚さんの朝ごはん。郊外のマンションに住むベロニカ・アンドレスさん(29歳)が作るのは、1品目「パエリア Paella」。たっぷりと脂を敷いた鍋に鳥とうさぎの肉を入れ、きつね色になるまで揚げ焼き、一口大に切ったいんげん、トマト、パプリカ・パウダーを加え、水をたっぷり加えて煮込む。一煮立ちしたらカップ1杯のお米を加える。専用の黄色い調味料で色づけし、ふっくらと20分炊き上げる。
 2品目「プチェロ・バレンシアノ Puchero Valenciano」。人参、セロリ、じゃがいもをごろごろとした大きさに切り、お鍋に水をはり、牛肉、豚肉をごろごろした大きさに切って入れて煮込む。野菜、大根をまるごと加え、ブイヨンを加えて一煮立ちさせて、圧力鍋として40分弱火で煮込む。具材を最後に盛り付けて完成。残ったスープもいただきます。
 3品目「バレンシア風サラダ Ensalada 」。オレンジの皮をむいて、一口大に切り分け、パイナップルも切り、レタスの葉をお皿の上に敷き詰めたら、オレンジとパイナップルを並べ、オリーブオイルとひとつまみの塩をかけてサラダの完成。


テレビ番組「ヨーロッパ世界遺産の旅 バルセロナのグエイ公園、グエイ邸宅とカサミラ」

 2008年3月23日放送。グエル公園かと思っていたのですが、グエイなんですね。1984年に世界遺産。Fauna Film制作。

●バルセロナ
 グエイ公園はアントニオ・ガウディが20世紀はじめに作ったもの。かつてデザインが奇抜すぎると人々の嘲笑をかったが、今は人類の遺産となっている。19世紀に産業革命の影響から飛躍的な発展をしたバルセロナで、アール・ヌーボーの流れをくむモデルニスモが発達した。エウゼビオ・グエイは1878年のパリ万博で見たガウディの作品を気に入り、ガウディにいろいろ依頼した。グエイ邸は別邸として作ったが、本館とした。屋上の建造物は各々の部屋の空気を新鮮に保つためのもの。
 現在のグエイ公園は、都市と田園が調和する住宅地を作りたいというグエイの理想を実現するための60軒の住宅地を作る予定だった場所。注目されたが、事業としては失敗だった。完成したのは2軒だけだった。グエイの死後、市に寄贈されて公園となった。トカゲのような形をした噴水はこの公園のシンボル。中心にはホールが作られ、その上は住民の憩いの場が作られた。
 1906年ガウディはグエイ公園内の家に引越しした。
 1910年に完成したのはカサ・ミラ。巨大な岩のような建物はガウディの建物の中で最も完成度が高いという。大部分は現在も住居として使われている。ここでもアーチ状のデザインが使われている。屋上は海原を思わせる造りで、煙突や排気口が面白い形で並ぶ。
 カサ・バトリョは1877年に建造された建物をガウディが全面的に改築したもの。海をイメージした建物。今も住居として使われている。
 サグラダ・ファミリア聖堂は1883年以来建築されているが、まだ完成していない。聖堂は建設中のため、まだ世界遺産には認定されていない。1926年73歳でガウディは路面電車にはねられてこの世を去った。


テレビ番組「世界遺産 スペインのビルバオのビスカヤ橋」

 2008年2月24日放送。

●ビルバオ Bilbao
 スペイン北部、バスク地方の中心の川沿いの町ビルバオ。大西洋の入口にかかるビスカヤ橋には特別な工夫が施されていた。人が橋を渡るのに、動くゴンドラが人を運搬する橋。産業革命に湧いた工業都市の象徴。今も街の生活を支える近代のモニュメント、世界最初の運搬橋。2006年世界遺産。
 19世紀末、スペイン一裕福な都市となった。周辺で採れる豊富な鉄が理由で、イバイサバル川には他に例を見ない橋がかかった。作りかけのような橋げたが川をまたいでいる。不思議な鉄橋です。実は橋げたの下をゴンドラが往復している。常識を覆す世界初の運搬橋。片道およそ2分。一度の運べるのは50人と乗用車6台。8分毎に出発し、年中無休で24時間動き続ける。

 何故作られたのか?ビルバオは古くから栄えた町だったが、9世紀に船の往来が激増した。鉄の産地で、産業革命で大工業都市となった。川の両側には製鉄所や造船所が建ち並んだ。川には資材や工業製品を積んだ船が行き交い、その交通量は年間1200万トンとなった。川は経済の大動脈なので、船の交通を妨げない橋をかける必要があった。橋げたの高さは水面から45m。現在は遊歩道として解放され、街を見渡せる絶好の観光スポット。
 1893年建造。この街の出身者アルベルト・デ・パラシオが設計した。様々な橋を模索した後にいきついた。建造費が安くついた上に、建造中も船の交通に支障をきたさなかった。橋げたを往復するゴンドラは当時は蒸気ボイラーで動かしていた。今は電動。横揺れ防止もついている。ワイヤロープは軽量。今後軽量のワイヤーロープが必須となった。
 今も現役なのは、絶え間ない補修のおかげ。伝統文化を大切にするバスク人の風習。重量上げと薪割はバスクの伝統スポーツ。男たちは力自慢。しかし男女平等で、家事を男性も行なう。女人禁制の美食会もある。チョコと呼ばれる会員制の厨房に集まった男たちが、大いに食事を楽しむ。19世紀に始まった習慣だそうです。ビルバオで一番の由緒ある美食会を見学した。食事が始まると歌も始まった。
 ビスカヤ橋は1937年スペイン内戦時に一度破壊された。フランコ軍に東側が破壊され、橋げたが川に崩落した。内戦が終わり復興が始まり、昔通りに復興された。それは街の人が橋を愛していたから。街は構造不況で一時沈んだが、20世紀に再び生き返った。グッゲンハイム美術館は世界中から観光客を集めている。こういう建物の先駆けがビスカヤ橋だった。
 必ずひきあいに出されたのが、同時代に作られたエッフェル塔。鉄骨で、知識人や芸術家たちから無用の塔と言われた。一方この橋は最初から好意的に迎えられた。灰色の工業都市から観光都市へ美しく蘇ったビルバオ。その原点はビスカ7ア橋だった。
 多くの運搬橋がその後できたが、今も残っているものは少ない。一番古いこの橋が残っていることが重要。


テレビ番組「世界遺産 サンチァゴ・デ・コンポステーラ旧市街」

 2007年12月23日放送。巡礼者はピレネー山脈を越え、イベリア半島をさらに西へ。その先に聖なる人が待つ町サンチァゴ・デ・コンポステーラがある。9世紀にこの町でキリストの12人の使徒の一人聖ヤコブの墓が発見された。時にローマ教皇はヨーロッパ中に知らせた。これは奇跡である。以来、エルサレム、ローマと並ぶキリスト教の三大聖地とされた。1985年世界遺産。

●サンチァゴ・デ・コンポステーラ
 大西洋岸から内陸部へ70km、この町はガリシア州の州都。人口10万人。中心をなす石造りのまま建物が残された旧市街。建物や道路にはこの地方で切り出された花崗岩が使われている。石の持つ黄色がかった色が町全体に独特の雰囲気を与えている。
 この町を行き交う人々の多くは、重い荷物を背負い、杖をついている人。カトリックの巡礼者たち。彼らは1000kmを越す長い道のりを歩いてくる。こうした巡礼は13世紀頃にピークを迎え、1年に50万人もやってきたという。
 大聖堂が巡礼の終着点。聖ヤコブの墓が見つかったというので、13世紀に建てられた。大聖堂はその後、幾度かの増改築を経て、18世紀にロマネスク、ゴシック、バロックなどの様式が混じり合った堂々たる姿となった。
 かつてはヨーロッパの西の辺境にしかすぎなかったこの町。サンチァゴはスペイン語で聖ヤコブの名前そのものです。ダ・ビンチ作最後の晩餐で、イエスの右隣に描かれているのが聖ヤコブでした。イエスに最も近い存在だったが、西暦44年布教のさなかに捕らえられ、ユダヤ王の命により首をはねられた。聖書によれば、亡骸は弟子の手により、生前布教を行なった現在のガリシア州あたりに移された。およそ800年後、輝く星の導きによって信徒は聖ヤコブの墓を発見した。当時のこの地の支配者アルフォンソ2世は、墓が見つかったとされる場所に小さな礼拝堂の建設を命じ、それを中心に現在の町の原型ができた。

 旧市街の中央広場に面した大聖堂の西側のObradoiroのファサードをくぐると、12世紀のロマネスク様式の傑作、慶び溢れる天上世界を描いた「栄光の門」がある。そこで聖ヤコブが巡礼者を迎える。偉大な聖人が眠る聖堂は多くの巡礼者を集めるようになった。その信仰がやがて建築、芸術、音楽と結びついて、ヨーロッパのキリスト教文化を深める原動力となった。
 まばゆい光を放つ豪華な祭壇。金と銀をあしらい緻密に構成されていく美の意匠が、この地独特のバロック様式。過剰なまでの装飾の中に3体の聖ヤコブ像が祀られている。その中の白馬にまたがる戦うヤコブ像はイベリア半島からイスラム勢力を追い出すレコンキスタの象徴。異教徒たちと戦う人に聖人は勇気と希望を与えた。中央の司祭壇にあるのが巡礼姿の聖ヤコブ。巡礼者は祭壇の横から小さな階段をあがって、マントをつけた聖ヤコブ像の後ろにまわる。いとおしい家族に出会ったように聖ヤコブに抱擁し、マントに口づけをする。長い旅を終えた安堵感、喜びが満ち溢れる。
 レコンキスタは13世紀半ばにはポルトガル王国がイスラム勢力の排除に成功し、最終段階に入る。時を同じくするように、サンチァゴ・デ・コンポステーラへの巡礼はピークを迎える。大聖堂に隣接する建物は、年間50万人にもふくれあがった巡礼者のためにカトリックの王が整備させた宿泊所兼病院でした。現在は国営ホテルとなっている。15世紀に着工され、ルネサンス、バロックの彫刻が施されている。ガリシア州政府庁舎。
 この町はやがてヨーロッパの先端を行く学問の都となった。数多く点在する神学校は今もキリスト教の一大情報センターとして生き続けている。

 旧市街にももう一つ聖人ヤコブの奇跡が刻まれている。ほたて貝の伝説。聖ヤコブの亡骸が運ばれた時、海岸で乗馬に興じていたある王子が海に落ちて沈んだが、聖ヤコブの霊力で王子は海中から浮かび上がり一命をとりとめた。王子の体に付着していたのがほたて貝だった。巡礼者も必ず身に付ける聖ヤコブ信仰の象徴。その由来にはもう一つ説がある。貝殻に刻まれた線の模様が巡礼そのものを示すという。つまり線がひとつに集まる場所がサンチァゴ・デ・コンポステーラだった。
 巡礼路は主に4つが知られている。パリ、Vezeley?、アルル、ルピュイ。一つはフランス南部のルピュイ Lepuyからのおよそ1400kmの道。このルートの始まりは950年頃。当時のこの地方の司教オデスカルク?がサンチァゴ・デ・コンポステーラへの巡礼を行なった後に、ルピュイの丘にノートルダム大聖堂を建立し、ここを出発点として民衆に広く巡礼を奨励した。この世が終る時、キリストが現れて、天国に行ける者と地獄に行く者の2つに分ける。その不安から逃れ、神の祝福を得るために行なうのが巡礼だった。長く厳しい道のり。その間に人々は信じる心を強くする。その往来が途絶えかけた時期があった。
 14世紀、ペストがたびたび流行した。この地方はイギリスの脅威にさらされた。襲撃を恐れ、人々は聖ヤコブの棺を密かに移動させ隠した。棺はそのまま行方がわからなくなった。聖職者の必死の捜索により、再び発見される19世紀まで、巡礼の目的は失われていた。
 巡礼を終えた人がまず向かうのが、カサ・デル・アアンなどの巡礼証明書発行所。手帳に各町を通過したことを証明するハンコが押してあるものを見せて証明書をもらう。
 大聖堂でのミサ。汗にまみれた巡礼者たちのために、大聖堂では香を焚いて汗と匂いを消した。それがいつしか荘厳な儀式となった。香炉の重さは80kgで、ロープにつながれ空を舞う。

 ある者は神の国に近づくために、またある者は人生の答えを得るために、人々は巡礼の旅にでてこの地で安らかな一時を過ごす。


テレビ番組「ヨーロッパ世界遺産の旅 スペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラ」

 2007年12月9日放送。放送番組センター配給。Fauna Film/RNTV製作。

●サンティアゴ・デ・コンポステーラ Santiago de Compostela
 スペインの守護聖人、聖ヤコブが眠る町。信仰の厚いキリスト教徒にとって最も尊い聖地と言われている。中世から巡礼の人が絶えない。町は1985年に、巡礼路は1993年に世界遺産に登録された。エルサレム、ローマと並ぶキリスト教の三大聖地と言われる。
 中心にあるオブラドイル広場にはシンボルの大聖堂がある。1078年に建設が始まり、1128年頃に完成。その後も増改築を重ねた。大聖堂のまわりにはプラテリニアス広場、キンターナ広場、インマクラーダ広場がある。古い教会や修道院、宿泊施設を抱えている。
 この町の歴史は9世紀に始まった。ある夜、司教のテオドミンゴが明るく光る星に導かれ、聖ヤコブの墓を見つけた。そこに聖堂が建てられ、サンティアゴ(聖ヤコブ)といわれるようになった。

●巡礼の道
 巡礼の旅はプエンテ・ラ・レイナの町から始まる。「王妃の橋」という意味の町で、11世紀に当時の王妃が巡礼者のために建てた橋が残っている。フランスから続いているいくつかの道は、いったんこの町で合流し、サンティアゴ・デ・コンポステーラに続く。次のサント・ドミンゴ・デ・ラ・カルサ-ダは聖ドミンゴによって開かれた町。巡礼者のために町を作り、橋を作り、救護院を設けた彼は巡礼路の聖人と言われる。救護院は今は Casa de la Cofradia del Santo Albergue de Peregrinos というホテルとして旅人たちに親しまれている。
 カスティーリャ王国の首都して栄えたブルゴスの町には、世界遺産に登録されているブルゴス大聖堂がある。1221年に建設が開始され、何世紀にも渡って増改築がなされ、様々な建築様式が混じっている。多くの芸術家の手で美しい装飾が施されている。ゴシック建築の最高傑作の呼び声も高く、細部まで手のこんだ作りになっているため、全てをみて回るには膨大な時間が必要。
 当時コンポステーラへの巡礼者は年間数十万人を数えた。途中の町には救護院や宿場が作られた。16世紀に宗教改革が起こると、巡礼者は少なくなった。
 カスティーリャ王国とレオン王国の国境に位置したカリヨン・デ・ロス・コンデスの町には、12世紀に建てられたというマリア教会とサンティアゴ教会がある。ここまで来るとレオンの町まであと一息。
 レオンはレオン王国の首都が置かれた場所。現在は巡礼の旅の中間地点として多くの旅人が立ち寄る。巡礼者のために建てられたサン・マルコス修道院は、現在は国営のホテルになっている。レオンの町の名は西暦68年、ローマ軍の陣営が置かれたことに由来する。ラテン語で軍隊を意味するレオンがそのまま町の名前になった。ここには重厚なゴシック様式のサンタマリア・デ・レグラ大聖堂がある。
 巡礼者たちはサンティアゴ・デ・コンポステーラを目指す。何日もかけて700kmの道を歩く。
 最後の難所、セブレロ村への厳しい山道を越えればサンティアゴ・デ・コンポステーラは目の前。

●サンティアゴ・デ・コンポステーラ
 かつては聖ヤコブの墓に詣でれば、全ての罪は洗い流されると信じ、命がけでこの地を目指した。交通手段が発達した現在では、世界中から多くの観光客が詣でる。長く辛い旅をした巡礼者には証明書が渡される。聖ヤコブのシンボルであるホタテ貝がそっと見守っている。12使徒が守る栄光の門をくぐり、聖堂に入る。中央の柱に刻まれた聖ヤコブが旅人たちを出迎える。人々は柱に手をあてて、罪が許されるよう神に祈る。黄金色に輝く祭壇の中央に天使に守られた聖ヤコブがいる。祭壇の裏にまわり、聖ヤコブのマントにキスをするのが慣わし。
 遠くからやってきた人を歓迎してミサが行なわれる。この後巡礼者は海沿いのフィミステルまで足を伸ばし、旅のしめくくりに着ている服を燃やす。服と一緒にこれまで着てきた罪も灰にして、新たな人生の第一歩を踏み出す。


テレビ番組「世界の果てまでイッテQ」

 2007年10月28日放送。ベッキーが旅した。日本からの航空運賃を除いた予算10万円(606ユーロ)で、2泊3日で世界の芸術はいくつ見られるか?がテーマ。移動は公共の交通機関を使うのがルール。フランス、イタリア、スペインがよいと計画。

●フランス・パリ
 レオナルド・ダ・ヴィンチが描いたモナリザ。空港からSNCFと地下鉄で50分、ルーヴル美術館を目指す。地下鉄はテロ対策で走り抜けられないようになっていた。朝8時40分で電車は超満員。スリには注意。
 ルーヴル美術館に入る前に駅前の売店で MusiamPass を購入。これで60もの他の美術館も見ることができる。これを買うと並ばなくてもいい。2日券、4日券、6日券の3種類がある。30ユーロ。名前を書かないといけない。
 ルーヴル美術館は800年前の王宮を改装して、1793年開館、所蔵30万点。常時2.5万点の作品を展示している。美術館の前にあるガラスのピラミッドは著作権の関係で撮影はできない。撮ると2万ユーロ。中もテレビの撮影は不可でした。ルーヴル美術館は地下1階、地上3階。各分野年代順にスペースが別になっている。
 モナリザは1階奥。その途中で「サモトラケのニケ」(紀元前190年頃の大理石像)があった。船のへさきにつけられていたもので、タイタニックの有名なシーンもこの像をヒントにしたものだった。スポート用品のナイキ Nike はニケが由来。「ミロのヴィーナス」(紀元前130−100年頃の大理石像)。ウジェーヌ・ドラクロワの「民衆を導く自由の女神」(1830年)がある。アメリカに送られた自由の女神はこれをモチーフにしている。「モナリザ」(1503〜06年)がある。今にも動きだしそうな表情。どの角度から見ても必ず目が合うという。顔の左側は優しく笑っているが、右側は意地悪な表情。絵の大きさは縦77cm、横53cmで、実際に見ると小さい。371個見たそうです。

 歩いて10分、セーヌ川をはさんだ「オルセー美術館」にもアートが多い。ジャン・フランソワ・ミレー「落ち穂拾い」(1857年)。教科書で見た絵画が目白押し。ピエール・オーギュスト・ルノワール「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」(1876年)。クロード・モネ「青い睡蓮」(1916−19年)。ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ「医師ガシェの肖像II」、「オーヴェルの教会」(1890年)、「自画像」(1889年)。ゴッホは自殺するまでに売れた絵はたった1枚だったそうです。117個のアートを見ました。

 地下鉄で1駅(1.5ユーロ)でノートルダム寺院(1163年着工、180年かけて完成)。教会は1階は入場無料、撮影OKでした。ステンドグラスは見所。ステンドとは汚すという意味で、最初は光が入りすぎないように窓を汚していたのだが、そのうちに芸術になった。

 地下鉄1.5ユーロでエッフェル塔に行く。1889年完成。ベッキーは江戸時代と言っていたが、明治時代の間違い。高さ321m。
 地下鉄1.5ユーロで凱旋門。その前の通りはシャンゼリゼ通り。カフェ「フローラ・ダニカ Flora Danica 」はパリジェンヌに大人気。1つ星高級レストラン直営のカフェ。ポテトサラダ、ごまパン、キッシュを13.9ユーロ(2293円)で購入。

 電車(2.8ユーロ)と徒歩で40分で「ベルサイユ宮殿」(1682年完成)。総面積100万平方m、東京ドーム21個分。マリー・アントワネットも歩いた散歩道、庭園のあちこちに置かれた大理石の彫刻、湖とおとぎの世界。宮殿内部は撮影不可でした。

●イタリア・フィレンツェ
 午後6時50分発の飛行機でピサに向かった。118ユーロ(1時間半)。斜塔はあきらめた。電車でフィレンツェに乗る。駅の売店でサンドイッチ?を9.6ユーロ(1584円)で購入。  宿泊はB&B「Florence Toom 」。1泊50ユーロ。
 ウッフィッツィ美術館とアカデミア美術館が目標。どちらも開館前の朝7〜8時は撮影OKとの承諾を得ていた。深夜0時就寝だが、朝7時前には美術館前に来た。
 アカデミア美術館(19世紀頃開館、元は美術学校)。奥にミケランジェロ・ヴォナローティが26歳で作った「ダビデ像」(1504年)があった。高さ4m、台座を含めると5m。目はハート型で彫られている。
 開館前のウッフィッツィ美術館に急ぐ。入場料は6.5ユーロ。まず彫刻がすごいが天井がすごい。最大の目玉はサンドロ・ボッティチェリ「ヴィーナスの誕生」(1486年)。他にもサンドロ・ボッティチェリ「アテネとケンタウロス」と「春」などを見ました。

 8時からフィレンツェの町を散策。最古の橋「ヴェッキオ橋」(1345年)は橋の上は商店街。橋の中央から見た景色も素晴らしい。
 花の聖母寺「ドゥオーモ」(1296年着工、施工期間140年)は白と緑とピンクの大理石で装飾されている。

●バチカン市国
 電車で2時間。ローマ市内のバチカン市国。サンピエトロ広場は誰でも気軽に入国可能。140人の聖人が並ぶ。
 バチカン博物館は世界最大級を誇る。展示コースは7km、総面積は国土の10分の1。入場は1時間待ちになることもしばしば。テレビの撮影は不可。入場料12ユーロ。システィーナ礼拝堂の「最後の審判」、天井の「天地創造」が目玉。天才ミケランジェロが5年半かけて一人で書き上げた。絵葉書0.5ユーロ。合計アート数は1033となった。

●ローマ
 電車1ユーロでコロッセオに向かう。古代ローマの公共広場フォロ・ロマーノは、紀元前6世紀頃のもので、現在も発掘調査中。ローマの休日でおなじみの「真実の口」はサンタマリア・イン・コスメディン教会の1階にある。もとは古代ローマ時代に使われた井戸の蓋。ベッキーは鼻の穴に入れました(笑)
 電車1ユーロで「トレヴィの泉」(1734年)に向かう。起源は紀元前19年の水道。「ローマに戻りたいと思うなら、後ろ向きにコインを投げよ」と言われる。ちなみに1年間に投げ入れられるお金の総額は1億4000万円。
 午後5時30分、「スペイン広場」は17世紀スペイン大使館が広場前にできたことが名前の由来。ジェラートをいただいた。
 空港に電車で急ぐ。12ユーロ。飛行機代60.1ユーロでミラノに向かった。

●ミラノ
 午後11時22分到着。ホテルまでの電車代は6ユーロ。宿泊は「La Vignette 」。ここでは「最後の晩餐」を見る。夕食はバナナ3本2ユーロ。朝食は水のみ。
 電車代1ユーロで、「ドメニコ会の旧修道院」に行く。ここの食堂の壁にあり、毎週月曜日はテレビは写真の取材もOK。しかしその日は金曜日だった。絵葉書は1ユーロ。残りは144.2ユーロ。

●スペイン
 マドリードまで飛行機代129ユーロ。午後3時48分到着。電車代9ユーロ。「ソフィア王妃芸術センター」(1992年開館。元は治療院)にパブロ・ピカソの「ゲルニカ」(1937年)がある。入場料6ユーロで撮影は自由。ジョアン・ミロ、サルバドーレ・ダリ、アングラーダ・カマラサ、マンレイらの作品がある。ゲルニカはナチスドイツによる空爆によるスペインの惨劇を描いたもの。この絵には色彩がない。午後5時2分終了。合計で1202個のアートを見ました。


テレビ番組「地球街道 伊武雅刀さんでスペイン・アンダルシア」

 2007年8月25日、9月1日放送。20年前に40日間ここにいたのだが、どこも観光しなかった。それは「太陽の帝国 Empire of the Sun」という映画の撮影だった。上海の捕虜収容所を描いたスピルバーグ監督の作品だった。思い出のロケ地を目指す。

●コスタ・デル・ソル
 ヨーロッパのバルコニーと呼ばれる海沿いのテラス。目の前に広がるのは雲ひとつない空とコバルトブルーの地中海。
 ネルハは美しい海岸線にある町で、このあたりはコスタ・デル・ソル(太陽海岸)と呼ばれる一大リゾート。浜辺ではアントニオ・ガジャルドさんが串刺ししたイワシを焼いていた。砂に刺して焼きます。塩焼きでおいしいそうです。

●ミハス Mijas
 内陸の山の麓にある白い町。壁は白。絵の中を歩いているような感じ。人口7500人なのだが、お昼に全く人影がない。バコ・アニェスさんとバカ・アラコルンさんがいた。日差しが強いので、白い壁で光を反射しているそうです。石灰を毎年春が終る頃(5−6月)に塗りなおすそうです。建物の中は風が通って涼しいそうです。
 町はずれの闘牛場。マタドールの赤い布カポーテを持って写真を撮らせてもらった。夕食後、地元で買った野菜を切り、持参した味噌汁の素を加えて食べる。地元の食事に飽きたら、これを食べると、また翌日から地元の食事が食べられるそうです。

●アルコス・デ・ラ・フロンテーラ
 山間の町。今も残る城塞は、8世紀初頭から15世紀末までの南部のイスラム教徒と北部のキリスト教徒の戦いの跡。
 カザレスもその跡が残る。

●グラナダ
 アンダルシアの古都。イスラム最後の砦「アルハンブラ宮殿」がある。ナスル朝の王アル・アフマールによって築城されたイスラム芸術の最高傑作。 「大使の間」など素晴らしい芸術が続く。アラブの王は絨毯に座るため、壁や天井に嗜好を凝らしている。幾何学の精密な文様をアラベスクと呼ぶ。ライオンの中庭。「二姉妹の間」の天井の鍾乳石飾りの精密な美しさはまばゆいばかり。
 1492年カトリックによるレコンキスタ(国土回復運動)の攻勢を受け、アラブ民族は城を明渡したが、アラブ文化は破壊されず受け継がれた。
 午後9時、夕陽の中で一番美しいアルハンブラ宮殿が望める。人々は赤い宮殿と呼ぶ。

●セビーリャ
 アンダルシアの州都。市庁舎の前のスペイン広場。

●コリア・デル・リオ
 セビールャから10kmほど南下した町で、日本人になじみが深い。侍の銅像がある。仙台藩士支倉常長で、1613年伊達正宗の命を受け、30人の使節の代表としてローマ教皇にキリスト教布教と通商を望む親書を持参した。アメリカまわりで渡航し、1614年にここに到着した。しかし、返事を待つ間に、日本ではキリスト教が禁止され、帰国を余儀なくされた。何人かはこの地に留まり、今でもその子孫の人がこの地にいる。ファン・フランシスコ・ハポン、フランシスカ・カルババル・ハポン、マヌエル・ハポン・アシアンさんはその子孫。ファンさんは侍の末裔であることを誇りに思うと語る。今でもここには600人のハポンさんが暮らしている。

●プエルト・デ・サンタマリア
 海岸の町。20年前「プエルト・バイア・ホテル Hotel Puerto Bahia 」に映画の撮影時に泊まっていた。毎朝早く、ここから30分先のロケ地に向かって行った。レセプションのマヌエル・ブリドさんは当時を覚えていた。当時、ホテルを出て左側にバス停があった。ある日オリーブオイルがダメになって、街中のレストランでイワシ?の岩塩でくるんだ塩釜で作ってもらって食べた。思い出のレストランを探した。それは「カサ・フローレス Casa Flores 」っぽいと思った。オーナーのミゲル・アンヘル・フローレスさんに手ぶりで説明した。「クロダイの塩釜焼き」を注文。この店でも人気のメニュー。1kg40ユーロ(6200円)。オリーブオイルはなしでお願いしました。20年ぶりに食べて感激。

●トレブヘナ
 ロケ地があった町だが、ロケ地がどこにあったのかわからない。仕方なく、「バル・エル・レロッホ Bar el Reloj 」で聞くと、エスティネーテさんを訪ねるといいと教えてくれました。町外れの大きな農場主ホセ・マリア・ヌニョス・エスティネーテさんでした。連れて行ってもらいました。そこはホセさん一族の所有する放牧地だった。今は何もないが、トタンやブロックなどが少し残っていました。エキストラだけで2000人だったそうです。
 鉄条網の場所で、夕陽を見ながら家族のことを懐かしんでいたら、スピルバーグが見ていて、それを利用して映画を作っていったそうです。
 伊武さんはまた夕陽を眺めていました。


テレビ番組「ピン子と壽賀子の世界遺産ふたり旅 後編 憧れのドブロヴニク」

 2007年7月15日放送。関東地区では6月17日に放送。橋田壽賀子(82歳)、泉ピン子(60歳直前)さんが出演。ギリシャ、クロアチア、イタリア、スロベニア、スペインを訪問。TBS製作。

●ギリシャのアテネ
 朝7時に到着。オリンピック・パラシナイ・コンスタジアムに行く。110年前に第一回オリンピックが開催された場所。アクロポリスがよく見える麓のカフェは観光客で大賑わい。パルテノン神殿を観光。馬車で市内観光。
 飛鳥と分かれて、MSC アルモニアというクルーズ船に乗り換えた。

●ギリシャのコルフ島(ケルキラ島)
 お昼に到着。オリーブ栽培が盛ん。17世紀の港の小さな教会に橋田先生は興味を持った。特別に鐘を鳴らさせてもらった。
 1850年にできたオリーブ・オイルのお店。100%の石鹸はべたべたしているがさっぱりするそうです。

●クロアチアのドブロブニク
 クロアチア最南端の町。6時間滞在。城壁で囲まれた旧市街が世界遺産。町は古くから貿易で栄え、アドリア海の真珠と言われた。クロアチア独立戦争の際はかなり被害があったようです。
 旧市街の街並みもきれいです。旧市街で城壁の上の散歩道を歩く。ボートに乗って海から町を見る。かなり揺れたみたいです。
 ランチは海鮮で、「手長エビのソテー、リゾット添え」、「カラマリ」などをいただいた。

●イタリアのベニス
 橋田先生は初めて来たのがここで、ユースホステルにずっと泊まっていて、青春がここにあったという。お金がなくて歩いたことを思い出して涙。
 ジェラート屋さんに行く。無料で試食させてくれました。ピン子さんは8本試食してバニラかバナナがいいとか。

●スロベニア
 世界遺産のシュコツィアン鍾乳洞に入る。1cm成長するのに30年かかる。カーバイド・ランプは水に浸して使う。ロウソク40本分の明るさがある。ずっと歩いて行くと滝がある。14階以上?250mの高さに橋があってそこから見える。5kmを進むと川の流れがハッキリ見える。地下を40km流れてきた川が外に流れ出す場所に出た。外に出る場所で緑がきれい。
 ヨーロッパ最大のポストイナ鍾乳洞に行く。ケーブルカーで上に上がる?1872年から運行を開始したトロッコ列車2kmはスリル満点。

●スロベニアのブレッド湖
 首都リブリャーナから車で1時間。景観が美しくリゾート地として愛されてきた。エメラルドグリーンに輝く湖の中にあるサンタマリア教会がある。モーターボートは禁止のため、船は全て手漕ぎ。サンタマリア教会に行くが、石段がかなりあります。湖には鴨が泳いでいました。
 湖岸にある500年前の印刷技術の工房に行く。お爺さんの服装も当時のもの?活字を組んで印刷して、最後に印を押します。
 お城でランチをいただいた。イカのカラマリは絶品の味だそうです。名物は鱒です。馬車で散策。人がいいそうで、スロベニアが気に入りました。

●クロアチアのプリトヴィッチェ国立公園
 プリトヴィッチェ湖は世界遺産。細い滝がいくつかあってきれいです。16の湖と100の滝がある。九塞溝のような感じですね。山壁を流れる滝も見事です。小さな遊覧船に乗る。小さな滝が続いている。特別に岸の近くを行ってくれたようです。次は湖畔を歩く。湖の中に木々が生えていて、その上にかかっている橋の上を渡ります。とてもきれいでピン子さん感動。200平方kmのほとんどが森林で、鴨も熊もオオカミも生息しているとか。

●スペインのバルセロナ
 飛行機で飛んだ。サグラダ・ファミリア聖堂に行く。ガウディはグエル公園も設計している。入口にはトカゲの噴水もある。
 82歳の誕生日パーティを開催した。


テレビ番組「世界遺産 アントニ・ガウディの作品群」

 2007年7月8日、15日放送。

●バルセロナ
 カタルーニャ地方の中心都市。19世紀に産業革命に成功し、莫大な富を蓄積した。たくさんの才能を集めた。ガウディの作品は1984年、2005年世界遺産に登録された。

●アントニ・ガウディ
 バルセロナの南西100km、1852年レウス Reus というカタルーニャ第二の都市で生まれた。6歳でリューマチを患い、家で静養した。楽しみは外に出て自然を満喫すること。銅版職人だった父は、物の形を自在に操るのを見ながら育った。レウス周辺には豊かな自然が広がっていた。ローマ時代の水道橋なども残る。1873年バルセロナの建築学校に入学、独学と実践のアルバイトで専門知識を学んだ。20代の終わりでは、優れたデザインをすると教授たちは評価していた。卒業と同時に建築家の資格を取得した。
 カタルーニャ地方で古くから聖地されてきた山「モンセラー」。のこぎりの山を意味する。ガウディはモンセラーの山から多くのインスピレーションを得たといわれている。

●カサ・ビセンス
 初めて手がけた個人住宅。奇抜さやデザインが見られる。レンガや骨組みを作り、その上からタイルが貼られている。当時最新の流行だったネオ・ムデハル様式をいち早く取り入れた。タイルを貼る方法は人々を驚かせただろう。ガウディが思い描いたイスラム建築が斬新に再現されている。

●パリ万博
 1878年26歳で知人を介して依頼を受け、パリ万博に出品する「皮手袋のショーケース」を出品した。それを会場で見て才能を見て取ったのは、アウゼビ・グエル。当時、バルセロナ発展の立役者で、大実業家。邸宅の正門の建築を依頼した。

●グエル邸
 正門は有名なドラゴンの門。当時の新聞は工場で製作中のこのデザインを新聞は絶賛した。後にガウディの象徴ともなる、緩やかな半円を描いたパラボラ・アーチ。これは以前、マタロ労働組合社サラシ工場で木造で試していた。

●サグラダ・ファミリア
 拡大する貧富の差を憂い民間のカトリック団体が聖堂の建設を計画した。それが「サグラダ・ファミリア贖罪聖堂」。フランシスコ・ビリアールが設計し、1882年に着工したが、意見の対立からビリアールが辞任した。マルトレイに依頼したが、彼は引き受けずに弟子のガウディに回した。ガウディが引き受けたが、当時32歳の無名建築家だった。ただ彼は悩んだのは、一応洗礼は受けていたが、無宗教者に等しかった。聖堂を作ることは相当な名誉だが、作るためには一から学びなおさないといけない。ガウディは原点に戻ることの必要性を再認識した。1894年春断食をして、キリストが荒野で40日断食したことを追った。41歳で死の淵を彷徨った。一人の神父の「自分を虐げてはいけない。あなたには聖堂を建築するという神からの使命がある。」という言葉で、聖堂の建築に人生を捧げることを決めた。
 サグラダ・ファミリアとはヨセフ、マリア、イエスの聖家族を意味する。聖堂の東面に位置する「降誕のファサード」にはイエスの誕生と幼年時代が刻まれている。3方向にファサードを持ち、18本の大塔よりなる大聖堂。実はガウディが自ら手がけたのはその一部にすぎない。降誕のファサードと4本の塔をほぼ完成にこぎつけ、この世を去った。最初から聖堂の完成まで生きておれないのは知っていたので、死ぬまでにこのファサードと4本の小塔だけは完成させようとしていた。それらがほぼ完成した時に、ガウディは73歳だった。聖堂の北に位置する後陣?部分は将来、巨大な祭壇になる。
 そのファサードの真裏に完成間近の「受難のファサード」がある。人類救済のために処刑されるイエスの受難を表わす。
 南に位置するのが「栄光のファサード」で、イエス・キリストが再降臨して人類を裁くという最後の審判がメイン・テーマ。将来はここが大聖堂の入口となる。
 没後100年にあたる2026年の完成を目指している。

●コローニア・グエル教会堂
 1898年、アウゼビ・グエルがもう一つの聖堂の建築を依頼した。バルセロナの西20kmにあるコローニア・グエル教会堂。グエルの工場で働く労働者のためのものだった。半地下部のみが完成した未完の聖堂。
 断食を経て敬虔なキリスト教徒となっていたガウディは神に捧げる聖堂として最初から作った。教会を作るために作られた逆さ吊り実験。これでアーチの形を決めた。神の家である聖堂では、自然の摂理に逆らう一切の矛盾を取り除く努力をした。図面のほかに模型とスケッチを使い、口頭の指示だけでこの建物を作りあげた。地下部分ができた時点で工事は中断した。さらにグエルが死去したために、工事は再開されなかった。

●グエル公園
 それまで培った技術などの総決算。全てはグエルの発案によって始まった。市場や野外劇場までを備えた新しい分譲住宅の建築をガウディに依頼した。敷地の中心をなす斜面に作られた広大なテラス。丘の緑に囲まれ、眺めもいい住民のための広場。広場の淵には曲線を描いた壁とベンチ。その下には86本の円柱が林立する不思議な空間。ここは市場として使われる予定だった。荘厳でありながら、すがすがしさを感じさせる。1本1本の柱に見えない仕掛けを施していた。市場の地下には貯水タンクがある。雨水を使うことを考慮していた。遊歩道一つを取ってみても、森の中を歩くような空間を創った。柱の構造体の中はレンガで、大地から切り出した石でわざわざ覆っている。全てが先を行き過ぎていた。

●カサ・パトリョ
 1906年に完成したカサ・パトリョは海から発想した。意図に反して骨の家と揶揄する人もいた。1階と2階のモチーフになっているのは海底洞窟。エレベータに乗って上に向かうと、海底から海面に上昇する感覚になる。屋上には工夫をした。破砕したタイルを張り巡らし、ガラスをコーティングし、煙突を輝かせた。あまりの手のこみようにオーナー夫妻は納得がいかなかったという。

●カサ・ミラ
 独創性はここでさらに加速した。山と地中海をイメージしたという。バルセロナの人々は「石切り場」と呼んでいた。この頃はガウディは図面を最小限にし、10分の1の模型を作っていた。この手法はサグラダ・ファミリアでも実行された。最終的な設計段階で施主と対立してガウディは去った。

●グエル公園
 14年かけた宅地造成事業は失敗に終った。グエルの家を除いて60戸のうち売れたのは2戸。その1戸はガウディの家だった。今はグエル公園は人で溢れている。

●大聖堂
 1918年グエルが死去。妻を持たず全ての親族を失っていたガウディはたった一人になった。ガウディは新たな工事を全て断り、大聖堂に集中した。資金不足の時は、自ら募金に努めた。
 1926年6月7日、路面電車にはねられてガウディは死亡した。今は世界中から多くの職人が参加して聖堂を作っている。


テレビ番組「世界の果てまでイッテQ! 24時間で何か国旅行できるか?」

 2007年4月29日放送。ベッキーが挑戦。日本人は一生のうち平均6.25か国行っている。条件は観光する、食事する、お土産を買う。西ヨーロッパは国が密集していて、パスポート・コントロールも厳しくない。最低でも7カ国を目指した。

●計画
 オランダから車でベルギーに移動、ウィーンに飛行機で飛んで、飛行機でバルセロナに飛び、車で南フランスを通過し、モナコ、イタリアに入る。松嶋さんなら、チェコ・スロバキア・オーストリア国境付近、フランス・スイス・ドイツ国境付近を回るそうです。

●オランダ(ネーデルランド王国)
 午前9時にアムステルダム西教会前からスタート。アムステルダムから北に15kmのザーンセ・スカンス(9時半)。緑色の風車、可愛い建物が並ぶ。
 チーズ店「カタリーナ・フーヴェ」でチーズを食べる。ゴーダチーズ。スモークチーズ、ハーブチーズ、マスタードを購入17.4ユーロ(2858円)。ポプラの木をくりぬいて作る木靴が名物。保温性に富み、水が入らないので、オランダでは現在でもガーデニング・シューズとして使われている。木靴2足、木靴製スリッパで63.5ユーロ(10433円)。

●ベルギー王国
 ザーンセ・スカンスから国境まで140km。12:42ブリュッセルに到着。EU本部がある。ブリュッセルはオードリー・ヘプバーンが生まれた町。ベルギー名所はジュリアンこと小便小僧。  ワッフルが名物。超巨大ワッフルが3ユーロ(493円)。お土産はチョコレート4ユーロ(657円)。
 空港に到着が遅れて14:10発のフランクフルト行きNZ4527便が搭乗手続きを終了していた。仕方なくジュネーブ(スイス)に変更。午後2時40分発でブルッセル航空?で飛びました。飛行機の中で予定変更し、スペインに飛べることが判明した。

●スイス
 両替し、電車でジュネーブ市内に6分で移動。ジュネーブは人口18万人。シンボルはレマン湖の大噴水「ジェッドー Jet d'Eau 」140m。行ってみると故障中でした。しかし、後に出てました。
 お土産はアーミーナイフ。5分で文字を彫ってくれるという。75スイスフラン(7778円)。
 食事はチーズ・フォンデュー専門店「エーデルワイス」。店内ではヨーデルの生演奏中。チーズ・フォンデュは30スイスフラン(3111円)。次いでアルプ・ホルンの生演奏。吹かせてもらった。  電車に乗り遅れた。タクシーで移動して間に合った。

●スペイン(エスパーニャ王国)
 午後9時20分バルセロナに到着。スペイン最大の港町。サグラダ・ファミリア大聖堂に感動。高さ107m。
 お土産はサッカーのFCバルセロナのロナウジーニョのTシャツ、バスタオル、レプリカ・ユニフォームで128ユーロ(21031円)。
 午後10時。パエリア19ユーロ(3122円)をいただいた。フラメンコの生演奏もあった。午後11時5分、予定より15分遅れでバルセロナを出発。フランス国境まで280km。

●フランス共和国
 カンヌには早朝4時50分到着。中心のクロワゼット通りには世界のセレブが宿泊する高級ホテルやブティックなどがずらりと並ぶ。カンヌ国際映画祭の場所を見学。映画スターたちの手形が周辺にある。
 開いているお店を探す。「マルシェ・フォーヴィル(朝市)」が開いていた。オリーブがずらり並ぶ。グリーン・オリーブの塩漬け3.5ユーロ(575円)購入。

●モナコ公国
 カンヌから54km。6時前に到着。バチカン市国に次ぐ世界で2番目に小さな国。税金が安いため、世界中からセレブが集う。
 高級ホテルで見る、食べる、買うを予定していた。部屋を予約していた。部屋に入ると、丁度朝日が出ているところでした。高級ルームサービス258ユーロ(42389円)。シャンパン65ユーロ(10680円)。ロシア産キャビア150ユーロ(24645円)。
 お土産は海岸にある小さな石(プライスレス:無料)。

●イタリア共和国
 国境から130kmのジェノバを目指す。午前7:08に入国。午前8時20分ジェノバに到着。イタリア最大の港町。コロンブスと「母を訪ねて三千里」のマルコの故郷。
 名所は港にあるネプチューン号。お土産は市場「メルカート・オリエンターレ」でバルサミコ酢4.2ユーロ(690円)を購入。
 名物はペストソースのパスタで、「リストランテ・ゼッフェリーノ Zefferino」がお勧めという。新鮮なバジルから作るペストソースで、「パスタ・ジェノベーゼ」の完成16ユーロ(2629円)。これで目的は達成しました。総移動距離2293km。総費用49万9645円でした。


テレビ番組「世界の絶景100選 誰も知らない神秘の絶景スペシャル」

 2007年4月11日放送。フジテレビ製作。

●フィリピン・パラワン島エルニド
 水川あさみさんが案内。「テーマは断崖にある洞窟を抜けた所にあるシークレット・ビーチ」。日本からJALでマニラを経由してプエルト・プリンセサまで6時間。現地案内人はラリー・オカンボさん(55歳)。
 サバン Sabang という港町でカヤックの練習をする。揺れる船のリズムを体で覚えるのが大事。
 島に上陸。ジャングルを抜けるとエメラルド・グリーンの地底川がある。ここは世界遺産で、洞窟の中に川が流れこみ、その先に神秘的な光景が広がっているという。この地底川の全長は8.2kmで、世界最大。鍾乳石が出現。高さ20mのビッグ・キャンドルという大きな鍾乳石もある。洞窟から外に出る時に景色が美しく見えるという。

 エルニド港からラゲン島 Lagen Island に向かう。エルニド・ラゲン・アイランド・リゾートは水上コレージが並ぶリゾート。カヤックを練習する。
 夕食は海燕の巣のスープ。

 シークレット・ビーチの場所に到着するが、絶壁。そこにある洞窟を抜けるとあるという。抜けると縦横50mの、絶壁に囲まれたシークレット・ビーチがありました。

●ノルウェー
 高知東生、中山エミリさんが案内。北極圏にあるフィヨルドの世界は険しい。テーマは「世界最北の鉄道で行く、断崖の雪山山頂から見る、夕陽のフィヨルド」。日本からはストックホルムまで13時間。現地案内人はアンデシュ・バリエヴァルさん(44歳)。
 フィヨルドは山を覆っていた氷河により削られた谷間に海水が進入して形成された入り江。
 ストックホルムのエステルマルム市場に行く。スール・ストローミングという缶詰がある。これは世界一臭い食べ物。塩漬けにして発酵させたニシンが入っている。
 ストックホルム中央駅から寝台列車ベオリア号に乗り、午後5時、Lulea Narvk ?に向けて出発。ナルヴィックまで1500km、20時間かかる。
 食堂車で名物料理「トナカイの煮込み」(60クローネ:1000円)をいただく。お肉にはジャムをつけて食べる。10時就寝。朝、Polcirkeln 2015 という標識がある。2015年まではここの線が北極圏の南端という印。
 トルネ湖は雪で真っ白。そして18時間で国境を越えて、20時間でナルヴィック駅に到着。
 ファーゲルネス山から全てのフィヨルドが見えるという。標高1200m。この頂上が絶景の場所だという。山の裾野はスキー場となっている。ゴンドラを降りてから600mさらに、みんなアイゼンを履いて登る。気温はマイナス5度。さらに急な坂のところでは、お互いをロープで結ぶアンザイレンを施した。2時間経過。夕陽の中でフィヨルドを見ました。絶景でした。

●ニュージーランド
 テーマは「世界で一番美しい散歩道にあるニュージーランドで一番美しい山マイターピーク」。今から100年前世界で一番美しい散歩道として紹介されたのはミルフォード・トラック。原生林を守るために、ここを歩けるのは1日50人。その終着地には絶景がある。日本からニュージーランドは11時間。

●クィーンズタウン
 山本太郎さんが案内。南島にある。町の名前は、大英帝国の女王が住むのにふさわしいということでつけられた。

●ミルフォード・トラック
 現地案内人はジョン・ライトさん(55歳)。トレッキング歴35年。この絶景を見るには、この湖畔から53km歩かないといけない。この日はすぐに宿泊。ブレードローフ?。ミルフォード・トラックは1日50人なので、親交を深めるためらしい。夕食は「ニンジンのスープ」、「鹿の厚切りステーキ Thick slice Steak of Venison 」。食後は自己紹介タイム。
 2日目は8kgのリュックを担いで16km。長さ40mの橋を渡ると原生林の入口。川をウナギが泳いでいました。川は水温8度。9.6km地点の1200mの断崖クリントン渓谷 Clinton Valley も絶景です。ポンポローナ・ロッジには最後に到着しました。
 3日目は15km。世界一の名にふさわしい絶景があるが、雨でした。いたるところに滝が出現していました。これも絶景。その先に標高差1000mのマッキノン峠 Mackinnon Pass も絶景です。27.2kmのバルーン山 Mount Balloon からはサザン・アルプスの尾根を望むことができる。34km地点の湖の向こうには、世界第五位の高さ580mのサザーランド滝 Sutherland Falls があり、絶景です。天候が急変し、大雨、強風25m。1時間後にクインティン・ロッジに到着。
 4日目は21km。雨模様だが、午後7時までに着かないとボートがなくなるという。ところが、がけ崩れで道がなくなっていた。苦労して進み「Sandfly Point Milford Track 33.5 miles 」という看板がある場所に到着。ここがゴールでした。船に乗れました。本当は48km地点でのアダ湖 Lake Ada も絶景だそうです。
 翌朝、快晴。マイターピークが見えましたが、右側が絶壁、左も急な傾斜の山で、とても美しい。絵本ですと山本さんは言ってました。

●スペイン・ジブラルタル海峡
 成宮寛貴さんが案内。テーマは「アフリカ大陸を426mのザ・ロック山頂から見る」。日本からパリ経由でバルセロナまで16時間。
 バルセロナでは、サグラダ・ファミリア大聖堂の建物が目前に見える建物の屋上。現地案内人はディエゴ・ギラードさん(63歳)は元闘牛士。

●ロンダ
 ジブラルタル海峡の手前のロンダに到着。ここはディエゴさんの生まれ故郷。まず18世紀に完成したヌエボ橋 Puente Nuevo の上から下を見るが、深い渓谷の上にかかっています。40年かけて積み上げられた石は、高さ98m。人々が暮すのは崖の上で、白い家が建ち並ぶ。
 この町一番の名所に行く。ロンダ闘牛場でした。声がすごく響く。5000人の観衆が声援をあげる時の様子を想像しました。この闘牛場はスペインの闘牛の発祥の地。ロンダ闘牛学校を訪問し、教え子に会う。子供たちも連れて行くことになりました。
 お肉屋さんに行く。オリーブの塩漬はおいしいそうです。子供達のためにおにぎりを作りました。中にはオリーブを入れました。

●ジブラルタル Gibraltar
 ロンダから車で2時間。ザ・ロックと呼ばれる切り立った岩山が天を示し、力強い風景を作り出している。ここは国境で、パスポートが必要。建物に入ると、イギリスに入国。間もなく、歩道は閉められてしまった。すると飛行機が道路を横切っていきました。ここはジブラルタル空港の一部。ジブラルタルは6.5平方kmしかないので、1日に10回ほど町に続く道路を遮断して、飛行機を通している。滑走路が道路を横切っている。滑走路の上に立てました。
 絶景を見る秘密の場所とは、ザ・ロック(426m)の頂上のオハラズ・バッテリー。気温は20度。子猿がいたが、アフリカから渡ってきたというバーバリー猿。のぼり始めて1時間。山道のゲートが閉められていた。ディエゴさんが知人に頼んでみた。これで一般の人が立ち入り禁止の特別な場所から絶景を見ることができる。オハラズ・バッテリーから見るとアフリカ大陸がかすんでいました。時間が経てば晴れるだろうというので、おにぎりを食べてもらいました。気に入ってくれた子もいました。2時間後、アフリカ大陸が見えてきた。さらにモロッコのシディムサ山がきれいに見えた。

http://www.fujitv.co.jp/zekkei100/index2.html


テレビ番組「とっておき世界遺産 スペイン」

 2007年3月18日放送。15世紀、地中海と東と西でキリスト教徒とイスラム教徒の間で戦いがあった。西のイベリア半島では、8世紀以降イスラム教徒に支配されていたが、キリスト教徒が次第に国土を回復し、15世紀にはグラナダを残すのみとなっていた。東はビザンチン帝国が1402年にはオスマン帝国に包囲され、1453年にコンスタンティノポリスを残すのみとなった。

●イスタンブール
 4世紀からビザンツ帝国の首都だった。ボスポラス海峡を隔ててヨーロッパとアジアが向かい合う。ギリシャ正教の総本山アヤソフィアが置かれた。聖地は三重の城壁に囲まれ、異教徒の攻撃から守られてきた。
 1453年若きスルタンのメフメット2世は10万人で攻撃した。キリスト教徒側は湾の入口に錨を沈めて、艦隊の侵入を阻止した。しかし、艦隊は丘にあがり、コンスタンティノポリスは2ヶ月後に陥落した。
 直径31mのドームの大聖堂はイスラム教のモスクとなり、ミナレットという塔が建てられた。壁面を覆っていた壁画は漆喰で全て塗りつぶされた。そのために2つの宗教が混在することになった。10世紀のモザイク画には、中央の聖母子にコンスタンチノーブルを提供しているローマ皇帝コンスタンティヌス1世、アヤソフィアを差し出すのは6世紀に巨大なドームを築いたユスティニアヌス1世。

●セビリア
 キリスト教徒による国土回復運動によって、13世紀に再びキリスト教徒の町となった。100年以上かけて巨大な大聖堂を築いた。内部には世界最大の黄金のついたてが作られた。高さ20m、黄金は3トン使われた。45の場面でキリストと聖母マリアの生涯が描かれている。大聖堂の鐘楼は高さ98m。壁にはアラベスク文様が施されている。元々はミナレットだった。

●コルドバ
 8世紀のイスラム帝国の首都が置かれた。最盛期は人口50万人を数えた。旧市街にはパティオと呼ばれる中庭が多く見られる。花も美しい。ルーツは砂漠のオアシス。
 10世紀イベリア半島最大のモスク「メスキータ」が完成した。聖地メッカの方向を示す聖なるくぼみミセラブ。馬蹄形のモチーフはイスラム勢力がイベリア半島で8世紀以降に完成させた様式。850本の柱が並ぶ大空間。砂漠のなつめやしがモチーフ。レンガと凝灰岩を用いた柱にはローマの建築技法が生かされている。この柱の多くもローマ時代の遺構から運びこまれたもの。
 16世紀神聖ローマ帝国のカール5世はメスキータの中にキリスト教の聖堂を建設しようとしたが、市民の猛反対にあった。200年以上かけて聖堂は作られたが、円柱の森は残された。

●グラナダ
 15世紀末、イベリア半島で800年続いたイスラムの支配は終った。アルハンブラ宮殿はイスラム建築の最高峰と称される。1492年グラナダを包囲したキリスト勢力はイスラムの王を捕らえ、無条件降伏を迫った。この時、イサベル女王はイスラムの服装でアルハンブラ宮殿に入城したという。


テレビ番組「世界遺産 スペイン・サラマンカ旧市街」

 2007年3月11日放送。昔から言われている言葉「知を欲する者はサラマンカへ行け」がある。800年前にヨーロッパで最古の一つに数えられる大学が開かれた。文字の読み書きすら特別なことだった時代に、各地から多くの人が集まって街は発展した。数多くの科学者などを多く輩出した。1988年世界遺産。

 ローマ時代に起源を持つが、8世紀以降イスラムの支配を受けてきた。キリスト教徒が街を奪回したのは950年前。街の中心に大聖堂を作った。当時、文字を読み書きできる人は少なく、キリスト教では寓話を描いた絵が教えを説くための教科書だった。近年、フレスコ画の下にさらに絵があることがわかった。時代にあった絵を何度も描いていたのかもしれません。やがて大聖堂で読み書きを教えるようになった。
 1218年王立大学が誕生した。次代を担う若者が各地の教会から推薦され大学に集まった。オックスフォード、ボローニャ、パリ大学と並びヨーロッパ最古の大学に数えられる。医学、天文学や論理学を教える講義は高い専門性を持つものだった。机には落書きが残されている。
 現在の大学。Tuna と呼ばれるサラマンカ伝統の学生バンドが演奏する。かつては地方出身の生活費を稼ぐために歌を披露したのが始まり。
 大学の旧図書館には活版印刷が普及していない書物も含め、19世紀以前の蔵書6.5万冊が納められている。歴代の教授たちが世界中から集めた貴重な本が残されている。
 サラマンカ大学の名前を広く知らしめたのは天文学だった。イスラムの天文学を取り入れた講義には、ヨーロッパ中から学生が詰め掛けた。450年前に書かれた教科書「王のための天文学の教科書」。天文、地理の知識は航海術の進歩を促し、大航海時代を呼び寄せた。
 勉学を極めることと神への信仰を深めることは等しいと考えられていた。19世紀までは博士論文の審査がサンタ・バルバラ礼拝堂で行なわれていた。試験の前に聖職者の墓に触れると賢くなれるというジンクスも生まれた。合格した学生は校舎の壁に自分の名前を書いた。大学の正面の壁は威厳を示すために、国王の印章や絵などが描かれている。レリーフの中のカエルがのったドクロを見つけたら合格できるという。カエルは肉欲の象徴に例えられる。肉欲を求めると死に至るというモチーフ。今も新入生らは懸命にカエルを探す。
 黄金の都市とかつて呼ばれた。壁が酸化鉄を含み、太陽の光を反射するため。中世から近代へ街は拡大し、スペインの黄金時代を支えた。
 18世紀に作られたマヨール広場はきれいな建物で囲まれている。端正な空間はスペイン最高の美しさを目指して作られた。広場の周りを囲む回廊の柱には、セルバンテス、イザベル女王とフェルナンド2世などのこの町の歴史を語る賢人たちのレリーフが飾られている。中にコロンブスもある。ポルトガルで航海計画を拒否されたが、サン・エステバン修道院のディエゴ・メディッサ?が国王にコロンブスの後押しをしたという。航海はこの修道院で計画された。1492年にコロンブスは新大陸に到達し、スペインは日の沈まない国という黄金期を迎えた。高さ33mの祭壇の黄金のついたては大航海時代以降の繁栄の一つの象徴。中でも目を奪うのは柱を伝うぶどう。ワインはキリスト教の象徴でもある。この装飾様式は中南米に伝わった。


テレビ番組「ポカポカ地球家族 スペイン」

 2007年2月17日放送。スペインの北東部のバスク地方。「ビスケー湾の真珠」とも呼ばれるサン・セバスチャンは北大西洋を臨む海岸線や旧市街地など美しい景観で知られ、多くの観光客が訪れる。日本からパリなどを経由して約15時間。

●ビルバオ
 大西洋に面した港町。不思議な形をした美術館がある。ビルバオ・グッゲンハイム美術館で、現代芸術で有名なニューヨークのグッゲンハイム美術館の姉妹施設。10年前にできて、それまで工業都市だったビルバオの町が、世界的な観光地になった。

●ポルト・ガレッテ
 ビルバオの隣町がポルト・ガレッテで、去年7月に世界遺産に登録された橋がある。19世紀に作られたこのブエンテ・コルガンテという橋は、橋げたの下にあるゴンドラで車や人が運べる。一度に運べるのは車6台、人300人。幅160mの運河を1分半で渡る。高さ44mの橋げたの上を歩いて渡ることもでき、世界遺産に登録されてから人気が急上昇した。このポルトガレッテに住む日本人がいる。植松立身さん(60歳)、カルメンさん(56歳)で、結婚して36年目。長男の謙二さん(30歳)、次男の清さん(28歳)の4人家族。ここの教会で1973年に結婚した。
 植松さんは30年以上前からここに柔道場「ヤマブキ」を開いている。今は道場生は100人。スペインで有数の道場には植松さんの息子たち2人も所属している。2人はスペインを代表して、オリンピックにも出場し、世界的な強豪として日本の柔道界でも有名。2004年は兄弟で出場した。親子の夢は次の北京オリンピック兄弟一緒の出場とメダル。植松さんはスペインで4000人以上を教えている。しかし、オリンピック出場まではいろいろなことがあった。

 植松さん一家のマンション(4階)は世界遺産の運搬橋から500m、橋や古い街並みが一望できる。広さ120平方m、3LDK、27年前に約600万円で購入。現在は地価が高騰して6000万円はくだらないそうです。スペインのメインの食事はランチ。スポーツマンが3人もいるので妻のカルメンさんは体調管理に気を配り、メニューを考えている。野菜を多く使い、煮込み料理が多いそうです。この日のメニューは近海でとれた新鮮な「カツオのトマトソース煮込み」と「インゲンマメとジャガイモの煮込み」。スペインではほとんど食べられていない白いご飯も食卓に並ぶ。

 たつみさんがスペインに渡ったのは今から37年前。大学卒業後、1969年に一人旅でヨーロッパに行った際、学生時代熱中していた柔道で地元の人と交流をはかるために、旅先で道場を訪ねて行った。外国人とやった経験がないので、興味があったそうです。半年後スペインに渡り、サンセバスチャンに最初に入り、肌に合うと思った。人がいい住みやすいと思った。1970年、道場で教えていたこの地でカルメンさんに出会った。教えていた練習生だった。1873年に結婚した。結婚と同時に開いた道場ヤマブキは、カルメンさんとたつみさんとで33年間支えてきた。
 キヨシさんは小学校で子供たちを教えている。

●バサウリ
 一家は自宅から車で20分程離れたバサウリという街にやって来た。その日から9日間、豊作の祭が開催されていた。会場にはチャコリと呼ばれるバスク特産のワインや名産品が所狭しと並んでいる。羊の乳で作ったイディアサバル・チーズ(1kg2000円)をはじめ、アルビーアス豆(1kg780円)など、農家から直接買うことができる。祭りのメイン・イベントがデポルテ・ルラル・バスコという、木を切る競技、石を引っ張る競技、石つき競技、草刈競技など18種類の力比べの競技。

●サン・セバスチャン
 世界一「バル」が多い街。バルとはスペイン語でバーのこと。旧市街の路地裏を中心に約1000軒が軒を連ねる。店のカウンターいっぱいにタパスと呼ばれるおつまみが並べてあるのが、バルの特徴。タパスは一つ150円ほど。これのできが人気を左右する。

●カストロ
 人気の海沿いの別荘地で、自宅から車で30分。植松さんは8年前にここに素敵な別荘を購入した。広さ100平方mの3LDKで約2000万円。週末はここで料理を作ってのんびりしているようです。

●バスク料理イカの墨煮
 2人分の作り方。「ラプラーヤ」オーナーシェフの児玉徹さん。火をつけずにフライパンにオリーブオイル(大さじ1)を入れ、玉ねぎのみじん切り(大さじ1)、ピーマンみじん切り(大さじ1)、ニンニク(1片)を入れ、火をつけるが、決して焦がさないこと。ヤリイカ(2杯)を入れ、軽く炒め、白ワイン(少々)、匂い消しのパプリカ・パウダー(小さじ1)、トマトソース(1/2カップ)、イカスミ(大さじ1)、魚のダシ(1/2カップ)を入れて軽く炒めたら完成。


テレビ番組「地球街道 スペインのラ・マンチャ地方」

 2007年1月13、20日放送。高橋克美さんが案内。子供の頃に風車に憧れていた。1605年に発表されたミゲル・デ・セルバンテスの「ドン・キホーテ」聖書に次ぐ世界のベストセラーと呼ばれている。10月23〜30日に旅したようです。

●トレド
 かつての要塞都市。ギリシャ生まれの画家エル・グレコが愛した街で、16世紀で歩みを止めた町と呼ばれ、今でも中世の趣が残されている。旅人たちの間で言われるのは、「もし1日しかスペインにいられないなら、迷わずトレドに行くべきだ。」街は入り組んだ路地ばかり、まるで迷路のよう。高橋さんはスケッチをしました。

●サラマンカ Salamanca
 マドリッドの北西、サラマンカに続く道、ずっと平原が続く。サラマンカは学生の街で、1218年に創立されたスペイン最古の大学がある。セルバンテスもここで学んだとか。大学の門の前でみんなが何かを探している。建物のガイコツの上にのったカエルを見つけたら、学生はテストでよい点を取ることができ、観光客は再びこの地に戻ってこれるという。高橋さんは見つけました。
 大学の図書館は素晴らしい。1765年にチュリゲラ様式?で建てられた建物で、19世紀までの貴重な蔵書6.2万冊が納められている。一番古い本は1059年のもので、カスティーリャ王国の王女ルイナ・サンチャが所有していた聖歌の歌集。全てが手書きで、紙ではなく牛の皮。ドン・キホーテの初版ではないが、1780年に出版された本の第一巻を見せてもらった。印刷で挿絵も入っている。
 午後8時、マヨール広場はライトアップされていてとてもきれい。ヨーロッパで一番美しい広場だと言われている。夕飯は9時から。おなかが空いたので、バル「セルバンテス Meson Cervantes 」に行った。カウンターにはタパスというつまみが並ぶ。1品1.5ユーロ。イカリング、腸詰めの卵あえをいただいた。もう一つの楽しみはサラマンカ大学の楽団「トゥナ Tuna 」の演奏がある。起源は13世紀に貧しい学生たちが集まって夜な夜な街を歩き、お金を稼いだという。今は結婚式などで活躍している。メンバーの中に日本人がいた。宇都出孝太さん(26歳)で、バルの次はモンテジャノ女子大寮に向かった。外で演奏して中に入った。50人以上集まっていた。一般の人は入れないが、トゥナのメンバーだけは入れる。宇都出さんは尾崎豊の「遠い空」を歌いました。

●ラ・マンチャ地方
 赤茶けた大地に何もない平原が続く。しかし、北西部にはクエンカ山地の切り立った崖もある。山の頂上から大パノラマ。夕陽も素晴らしい。

●クエンカ
 この岩山の上に町がある。9世紀外敵から守るために断崖の上に街が作られた。圧巻なのが、「宙吊りの家」で、14世紀の建物。建物の一部はレストランになっており、今回特別にお願いしてバルコニーに立たせてもらった。かなり怖いそうです!隣は「スペイン抽象芸術美術館 Museo Dearte Abstracto Espanol 」となっている。最上階は真っ白な部屋で窓が額になっていて、景色が絵となっている。

●コンスエグラ Consuegra
 丘の上に白い風車が並ぶ。風車の丘に向かった。風車が建てられたのは、16世紀に国王カルロス1世がオランダの風車を真似て、当時の科学技術の粋を集めて作らせた。中で石臼が回り、小麦粉などの粉をひくのに使われた。現在は回ることなく丘の上に立っている。
 10月下旬はサフランの最盛期。1つの花に3本しかないめしべを集める。1万個の花から30gしかとれず、かつては金と同じ価値があった。日の出とともに花を咲かせるので、収穫は午前中に行なわれる。高橋さんが手伝った。家に持ち帰ると女性がめしべだけを取る。その日にしないと縮む。取っためしべは低温で乾燥させる。
 サフラン料理は、料理自慢の奥さんデメトリア・ディアスさん(47歳)のお宅で、「牛肉とジャガイモのサフラン煮」を作ってもらった。唐辛子を炒めたオリーブオイルで仔牛の肉を炒め、にんにく、たまねぎ、トマトを入れて炒める。湯を加えて圧力鍋で40分煮る。ジャガイモ、ニンジンを入れさらに15分煮る。サフランは細かく砕き、ニンニクを加える。これを鍋に加え、混ぜ合わせたら完成。黄色になりました。

 サフラン祭りの日、丘に向かった。男性は黒い服、女性はカスタネットを持って踊る。風車が回った。祭りの日にだけ回すそうです。夕焼けがきれいです。その中でおにぎりをいただきました。


テレビ番組「世界遺産 イベリア半島、地中海沿岸地方の岩絵」

 2006年12月3日放送。スペインの地中海沿岸に7000年前の人類の記憶が眠っていた。1998年世界遺産。

●バレンシア州バイトルク?
 乾燥が激しく、石灰岩の岩山が並ぶ、かつての川に今は水はない。この人が暮らしにくい環境が人類の遺産を守ってきた。
 内陸に60km、バレンシア州にあるレミヒアの岩陰。ほの暗い壁から浮かび上がるかすかな輪郭。約7000年前の岩絵。イノシシ狩などの狩の絵が多い。これ以前はイノシシならイノシシで単体で描かれているが、この絵は人とイノシシが両方描かれている。人の日常が描かれたものとしては、この岩絵が最古だろう。傷つきながら逃げる獲物の足跡まである。1903年一人の写真家の目に止まったことがこの発見になった。まもなくスペイン東海岸の各地で岩絵が見つかった。700を越える岩絵が世界遺産となった。絵の多くは自然の光で見ることができない。そのために危機的状況にあるものが多い。今、記録を取る作業が熱心に行なわれている。カバイス岩絵が紹介。7000年前から4000年間描かれ続けた。狩猟採集の時代から農耕と牧畜の時代へ、過渡期の生活が映しだされている。
 絵の多くは遠くからでも見える場所にあったので、縄張りを示す役割を果たしていたのだろう。または、人が集まったり、物々交換をする場所だったのだろう。よく使われた顔料は赤で、酸化鉄を多く含む石。粘着剤として鳥の卵を混ぜたという説もある。鳥の羽根やヤギや牛の毛を絵筆にしたと考えられている。

●バレンシア州ビコルノ?
 内陸部。限りなくゆるやかな生活の流れがある。この地では養蜂が盛ん。縄梯子でハチミツを取る女性の姿が岩絵に残っている。今でもアーモンドの採集は棒を使って実を叩き落とし拾っている。これも7000年前の岩絵がある。

 サルガ岩絵の不思議な模様は初期の岩絵で、収穫に対する何かの祈りをもって描かれたものだとアリカンテ大学のマウロ・エルナンデス教授は語る。両手を上げて祈る女性の姿もある。儀式用に使われた壷にも祈る女性が描かれている。1万年前に氷河期が終わり、動植物の分布も変化した。それが農耕や牧畜の文化が生まれた背景だといわれている。8000年前の「絵の具入れ」、骨製スプーン、土製スプーンもある。離乳食が発明され、女たちは乳を飲ませることから解放され、人口が増えた。

 幾度となく干ばつにあった場所は廃れ、岩絵だけが残された。


テレビ番組「美食・美容・美景天国!魅惑のスペイン、情熱のブラジル、64億分のロナウジーニョな旅」

 2006年12月2日放送。中西哲生、高部あい、セルジオ越後、森麻季アナが案内。人類64億人の中で一番のサッカー選手はロナウジーニョ(愛称ロニー)。トヨタカップで来日する。スペイン代表はFCバルセロナ、ブラジル代表はSCインテルナシオナル。日本テレビ製作。

●バルセロナ
 地中海に臨むスペイン第二の都市。サグラダファミリア大聖堂。ガウディが手がけたものが多い。カサ・バトリョは海がテーマ、カサ・ミラはテーマは山。15世紀に150年かけて建てられたカテドラルは工事中でした。旧市街ゴシック地区を歩く。
 バル「ラグナック」に行く。バスク地方のスタイルで、30種類の料理(ピンチョ)が並んでいて、爪楊枝の数で最後に支払う。これと別に小皿料理タパスは1皿1100〜1600円も充実している。次のバルは生ハム(ハモン)が天井から吊られているお店「バル・ハブーゴ」で、特にハモン・ベリョータが最高級品でおいしい。これは最高級のイベリコ豚の中でもトップランクの生ハムで、一皿7000円。

 メイン・ストリートのランブラス通り Las Ramblas を歩く。大道芸人が多い。真っ青な人、真っ白な人、ロナウジーニョのそっくりさんもいた。ロナウジーニョに関係する老舗のお菓子屋さん「エスクリバ Escriba 」は、大ヒット商品のキャンディー・リングなどがある。大物ハリウッド女優も来るという。FCバルセロナではクーマン、ロマーリオ、エトーも来る。ロニーの誕生日にはプレゼントもしたという。

●カルデス・デ・マラベーリャ
 車で1時間の天然水の街。スパ・リゾート「ビッチーカタラン Balneari Vichy Catalan 」は温泉を併設した総合リゾート・ホテル。究極のエステがある。チョコレートを顔に塗る。カカオの殻で作った特製品。次に温泉水を使って落とし、顔をパックして20分、顔があがった感じがするそうです。ホット・チョコレート(顔)は4700円、全身は7800円。老化防止やストレス解消に効果があるそうです。その後温泉に入りました。
http://www.balneariovichycatalan.com/

●バルセロナ
 シーフード料理「バルセロネータ」ではヨットハーバーを見ながら食べることができる。のいちおしメニューは塩ダラを使った「バカラオ・エスケシャーダ」(1800円)、ホタテのオーブン焼き「サン・ブリーニャス」(1950円)。カバ Cava というスパークリング・ワインがいい。これはバルセロナ郊外のサンサ・ドゥルニ・ダノイア(カバの村)で作られる。ボデガと呼ばれる醸造所が100箇所ある。ナヴェランもその一つ。カバはシャンパンと同じ製法で作られるが、独特の香りと風味がある。「アロス・ネグロ(イカスミのリゾット)」2200円は、にんにくとオリーブオイルを使ったアリオリ・ソースで食べる。メインは「ボガ・バンテ」3100円のロブスター焼き。

 カンプ・ノウ・スタジアムは観客9.8万人を収容する。最近は観光名所になっている。ミュージアムは入場料820円で、スタジアムの見学もできる。この日はロニーはスイスに遠征中でした。

 ロナウジーニョのスパイク新作発表会が開催された。高部さんのほほにキスをしてくれました。


●サンパウロ
 ブラジルの人口の1割の1500万人が住む南米最大の都市。町の中心のセー広場でも多民族国家だとわかる。ボールを蹴っていると人が集まってきた。スポーツ用品店でも一番人気なのはクラブのロゴ入りベビー服。
 ムニンシパル(市民)市場は荘厳な建物の中にあり、292店が並ぶ。ソーセージ屋、チーズ屋、肉屋、魚屋があり、ピラニアも1匹140円。フルーツ屋にはカシューナッツ・フルーツ1個25円で、マンゴーに似た味とか。コンデ200円、アテモイヤ200円もおいしいそうです。トウガラシ屋もある。一番の人気は「アサイー・ナ・チゲラ Acai na Tigela 」で小豆色をしたアサイー・ペーストに水とシロップを加えてミキサーにかけた「アサイー・ジュース」200円。アサイー・シャーベット400g、275円。アサイーはブラジル原産のヤシ科の木の実。ポリフェノールは赤ワインの30倍、鉄分は牛レバーの3倍で、奇蹟のフルーツと呼ばれている。サッカー元日本代表の中澤祐二選手は愛好者。

 ブラジル料理としては、串刺しした肉を丸焼きにして、テーブルで店員が切り分ける食べ放題のシュラスコが有名。高級住宅街にあるフレンチ・レストラン「ドム D.O.M.」はセルジオさんの友達のシェフのアレックス・アタラ Alex Atala さんがやっている。ヨーロッパのグルメ誌に南米で唯一世界のベスト50シェフに選出された。アマゾンは生存競争が激しいので、そこの動植物は身を守る成分が含むことがある。そのアマゾンの食材を料理したアマゾン・フレンチを味わえる。前菜は「ピンク海老・パパイア・マンゴーの冷製、アマゾンハーブ添え」または「タイラギのココナッツミルク・マリネ、パラナッツとマンゴーのカラメリゼ」。タイラギは二枚貝の一種、パラナッツはナッツ。メインは一見黄色いパスタか?と思わせるものだが、パオミットという植物で、堅い皮を除いて中側を使った「パオミットのカルボナーラ仕立て」。タケノコを連想させるヤシ科の植物。または、「フィリオーチの料理」。フィリオーチ(子供という意味)という魚で淡白で鶏のような味だそうです。成長すると300kgにもなるというピライーバ、アマゾン河で獲れる大ナマズの一種。デザートは「バナナのラビオリとタンジェリン・オレンジのソルベ」または、「ジャブチカーバ(木ぶどう)のソルベ、ワサビ風味」。

●ベントゴンサウベス
 ブラジル最南部のリオ・グランジ・ド・スウ州は、ヨーロッパからの移民が多く、故郷を偲んだ建築が残っている。飛行機と車を乗り継いで秘境の「ワインの谷」に来た。山肌にこびりつくように家並みがある。町のゲートがワイン樽のオブジェ。教会もワイン樽型。標高800m前五で昼夜の気温差が大きく、糖度の高いブドウができる。ワイナリーはDom Candido など20箇所ある。ワイン Vinhos Titton を製造しているところが紹介された。
 「シャンドン・ド・ブラジル」に出資しているのは、ルイ・ヴィトン。醸造責任者のフィリップ・メヴルさんが案内してくれた。ここでは「スプマンチ」というスパークリング・ワインを特殊な製法で造っている。タンクで6ヶ月間加圧して発酵させ、発泡性にするので、ボトルで発酵させるシャンパンとは違う製造方法。こちらのワインの銘柄は5種類。クラシック、エクセレンス、ブリュット、ルージュ、ドゥミセック。クラシックがお勧めで泡立ちもいい。ライチの香りがする。

●ポルト・アレグレ
 リオ・グランジ・ド・スウ州の港町。青い建物の家はロナウジーショの母の妹のコンセイソンさんの家。子供時代にサッカーをした場所「ペリキット(インコ)・サッカー場」がある。横ではサンバの音楽をしていた。この日はコンセイソンさんの55回目の誕生日だった。有名な「サンバ・トリー Samba Tri 」のメンバーが演奏していた。インテル・ナシオナルの服もプレゼント。
 インテルのホーム「ベイラ・リオ・スタジアム」に行くと熱狂しているサポーターがいた。迎えてくれた美女はレナタ・ファン Renata Fan さん(29歳)で、99年ミス・ブラジルで、現在はスポーツ番組の司会やラジオのDJをしている。インテルの伝統ガウショ魂(ガウショはカウボーイで、荒くれ男の意味)の熱い闘争心。レナタさんが観戦するとインテルは25勝無敗で、女神と言われている。この日も3−0で勝利。


テレビ番組「探検ロマン世界遺産 世界遺産と生きる人々」

 2006年11月25日放送。NHK製作。

●マダガスカル
 ツィンギ・ド・ベマラハ厳正自然保護区。生き物をよせつけない高さ100mに及ぶ岩の摩天楼。石灰岩の岩山が長年の雨水の浸食をうけて作られた風景。水沢蛍さんが案内。岩の隙間に素焼きの土器がった。ここにも人が住んでいた。ヴァジンバ族の人が今も麓に暮す。ツィンギからは50種類もの薬草が手に入る。マラリアも治すという万能薬もある。針山にはシファカと呼ばれる小さなサルが生息している。地下に洞窟があり、水が流れていて、乾季でも枯れることはない。

●カッパドキア
 石灰岩の侵食によって作り上げられた幻想的な光景。地中へと続く竪穴や横穴が無数にある。もっとも深いところでは地下80mに達し、地底都市は30を越えると言われる。今も岩山を掘った中で暮らしている人がいる。末吉美紀アナが訪問した。冬は寒いが、夏は涼しくて快適だそうです。
 アルカリ性なので、植物は育たないとされるが、ぶどうはそういう土地だから栄養を体内に貯めておこうとする。それで味わい深いぶどうができる。

●ボリビア
 標高3800mの高原にある都市遺跡ティワナクは紀元前2世紀から1000年以上に渡って栄えた壮大な古代文明。緻密な石組みの技術は後のインカ帝国に影響を与えた。伊藤雄彦さんが案内。古くから住むアイマラ族の村を訪ねた。じゃがいもは地面に置いたままにする。日中は15度、夜は氷点下で、気温差は最大30度にも達する。凍って溶ける、これを足で踏んで、じゃがいもの毒を出す。これから100年はもつという保存食チューニョができる。食べる時は水で戻し、スープに入れて煮込む。

 チチカカ湖の真中にあるのは島ではなく、草でできた浮島。この湖にはこうした島が58あり、2000人が暮らしている。浮島はトトラという植物でできていて、1ヶ月に1回新しいトトラを追加する。夜は寒さが防げるためのようです。魚の宝庫で、石の上で焼くのが伝統。

●ウィーン
 シェーンブルグ宮殿はハプスブルグ家が18世紀半ばに完成させた。部屋の数は1141もある。水沢蛍さんが案内。女帝マリア・テレジアは莫大な富と圧倒的な力を誇示した。舞踏会に使われた大ギャラリー。インゲボルク・リンデックさんが案内してくれた。観光客が入れない特別な場所は、宮殿の最上階にある部屋、ここにリンデックさんが住んでいる。1918年ハプスブルグ帝国の崩壊と共に宮殿はオーストリア新政府の手に渡った。その時に多くの部屋が住宅難に苦しむ市民に提供され、今でも250世帯が賃貸で生活している。マリア・テレジアが作った世界初の動物園も今でも人気。あとは庭園が住民の散歩コースとなっている。

●バルセロナ
 サグラダ・ファミリア贖罪教会は、天才アントニ・ガウディの代表作。1883年に建設が始まり、120年以上が過ぎた今も工事が続けられている。バルセロナではガウディが作った7つの建物が世界遺産、うち4つは住宅。石井麻由子さんが紹介。
 カサ・ミラは1910年に建築された地上6階の建物がアパートになった。地元の人は「ラ・ペドレラ(石切場)」と呼んでいる。洞窟のような入口。中には吹き抜けが作られている。一つとして四角な部屋はない。クレメンティーナ・リスカノさんのお宅を見せてもらった。打ち寄せる波のような曲線が天井にある。ガウディは家の環境が人を育てると信じていた。

●オランダ
 1平方kmの平原に19の風車がある「キンデルダイクの風車群」。高さ18m、250年前の創建当時と変わらない佇まい。風車の中では水車が回っていた。オランダは国土の4分の1が海面より低いので、水車は水位が上がって川の水が溢れそうになると汲み上げて排出し、農地や牧草地を守ってきた。岡田理江さんが案内。
 コック・ファン・デン・ベルクさんの風車(お宅)を訪問した。入るとすぐにキッチンと台所。5階建で、風車が回りだすと大きな音がするそうです。電気式のポンプは停電になると使えなくなるから風車は必要だそうです。風車の位置は360度回転する。布をかけるのも大変な作業。強すぎてもいけないし、弱くてもいけないそうです。

●ハバナ
 旧市街が世界遺産。ハバナは16世紀〜19世紀はスペインの支配下にあり、バロック建築が数多く残っている。かつての大邸宅を改造して20世帯の家族が住んでいた。1DKの細長い室内でした。岡田理江さんが案内。19世紀にアフリカから70万人の奴隷が連れて来られた。砂糖の生産のために強制労働させられた。その中で祈りの儀式が重要となり、太鼓の音楽が心を癒した。19世紀末にスペインの植民地支配が終結し、人々はハバナに集結し、新たな音楽が発生した。融合した音楽は「ソン」と呼ばれた。そこからさらに多彩な音楽が生まれた。

●インド・ダージリン地方
 ダージリン・ヒマラヤ鉄道は世界遺産。120年以上続く世界で最も古い山岳鉄道の一つ。わずか2両編成で高低差2000mを走る。19世紀末にイギリスが造った。当時は細く険しい山道を通るしかなかった。当時は牛車や籠に乗って行き来していた。イギリスは紅茶の栽培を始めた。これを安全に大量に運ぶために、1881年開通した。20世紀半ばインド独立後、車社会到来で、トラックに代わった。沿線の住民たちは思わぬ利用法を考えた。通学の際に子供たちは駅でもないところから飛び乗る。伝統を引き継ごうとしている若者はミラージュ・ビスワカルマさん17歳。


テレビ番組「ポカポカ地球家族 スペイン・カナリア諸島」

 2006年8月19日放送。アフリカ大陸の西に位置するスペイン領・カナリア諸島。日本から約18時間、7つの島からなり、ヨーロッパ人の憧れのリゾート。カナリア諸島の人口は81万人。

●テネリフェ島
 7つの中で最大の島で東京都とほぼ同じ面積。富士山ほどの高さのテイデ山(3718m)がそびえる火山島。1年じゅう温暖で、最大の魅力は一年中泳げるビーチ!で島の南側はリゾート地となっている。
 「テイデ国立公園」の標高2000m付近にはこの地でしか見られない植物「タヒナステ」が育ち、他にもカナリア諸島特有の植物がおよそ1000種類もある。ドラゴの木もその一つで、樹齢は800年、高さ15mで、樹液が赤いことから竜地樹と呼ばれる観光名所。
 16世紀頃の邸宅が残る街「ラ・ラグナ」は1999年に世界遺産に登録された。
 板垣奈緒さん(29歳)は、夫ビクトル・フライレさん(39歳)、海(かい)くん(1歳)と島の北のビクトリア村で暮す。広さ180平方m、4LDK、価格は2.1万ユーロ(300万円)で、築100年。屋上からの眺めがいい。快晴の日には隣の島まで見えるそうです。裏庭は50坪でドラゴの木やサボテンがある。ビクトルさんは日本で3年間暮らしていたことがある。
 テネリフェ島の良さを日本人に知ってもらおうと、自宅を日本人向けの民宿としている。広さ39平方mの部屋を改造し、朝夕2食付きで一泊一人5000円。この辺一帯は坂の途中に家が建っているので、全ての家から海が見渡る。

 実はカナリア諸島は日本と関係が深い。気仙沼などの日本からのマグロ漁船の拠点となっている。日本で消費されるタコの多くもここで買い付けられている。スペインでは日本ブーム。クレヨンしんちゃんが人気とか。カナリヤ相撲もあり、日本の相撲を見ている人も多い。
 日本の事をこの土地の人に知ってもらおうと今年1月、首都サンタクルスにカルチャーセンター「日本の家」をオープンした。ここでは日本語、華道、日本料理、書道など中心に10以上のクラスがあり、主婦を中心に100人の生徒が通っています。月謝は1.2万円。奈緒さんも講師として華道と料理に週二回参加。ビクトルさんは経営を主に担当し、現在は9月から始まる新学期のスケジュール管理に追われています。

 テネリフェ島北西部の港町、ガラチコ。今日は年に1度の伝統の「海祭り」の日。海祭りはマリア像を船に乗せ島の周りを回る。年に1度スペイン中の港町で行なわれている。教会のミサの後、マリア像を港まで運び、船で島を一周し、漁業の繁栄と漁師の安全を祈る。

 ビクトルさんは山羊のチーズやオリーブ、スペイン食材の日本への輸出業も行っています。輸出先は35店舗。カナリアヤギから造られるフレッシュチーズ以外に、3ヶ月間寝かせたパプリカ・コーティングチーズ、炒りトウモロコシ粉コーティング、スモークチーズの3種類のハードチーズがある。他の国のものよりもにおいが少なく食べやすいのが特徴。
 ビクトルさんは料理も得意で、山羊のチーズを使ったカナリア諸島で食べられている美味しい食べた方を教えてくれた。「イワシのチーズ挟み焼き」。イワシを開いて山羊のハードチーズをはさみ、オリーブオイルをかけ、パン粉をまぶす。フライパンで焼いてさらにオーブンで3分ほど焼けば出来上がり。ソースはハチミツとワインビネガーを煮詰めたもの。カナリア諸島では最近は料理に甘めのソースをかけて食べるのが人気。カナリアヤギのチーズは匂いが少ないため、イワシの味を損なわずに美味しく食べられるのだとか。

 近所の市場「マターサ市場」は、週末の午前中だけ開かれている。ナスは1kg180円、ズッキーニは1kg150円、バナナ1kg100円、黒ジャガイモ(粉ふきいも用)は1kg480円、ピンクのジャガイモ(煮込み、揚げ物用)は1kg160円、赤ジャガイモ(トルティーヤ用)1kg130円。

 1996年、奈緒さんは大学2年の時、スペイン・マドリッドに留学。友人の紹介でビクトルさんと出会った。ビクトルさんの一目惚れで、交際。帰国後も遠距離恋愛を続けました。2000年に、ビクトルさんは日本へ留学し、3年暮らした。2001年結婚。ビクトルさんの「仕事も大切だが、家族との時間をもっと大切にしたい」という願いからのんびりと暮らせるカナリア諸島に移住を決意した。

 スペイン伝統の家庭料理パエリアを作る。ビクトルさんが腕をふるう。一番大事なポイントはダシで、エビの殻メルルーサ、たまねぎ、ローリエを煮込んで作る。魚介類をオリーブオイルで炒め、野菜も一緒に炒める。お米、サフラン、パプリカ、ダシ汁を足して20分煮込む。火をとめてアルミホイルをかけたまましばらく蒸したら完成。スペインでは昼食が一日の食事のメインで、2時間かけて食べる。
 2人には今、計画中の夢「2年後くらいに小さなレストランを作ること」があり、夢を語りながら、子供と一緒に食事をする。ビクトルさんのささやかな夢はこの島だからこそ実現できたのでしょう。
 プラジャ・ハルディンビーチで3人で遊ぶ。

●カナリア諸島定番のモホソースの作り方
 ニンニク3片、コリアンダー2本をモーテル(すりこぎ)でつぶし、エキストラ・バージノイル(オリーブオイル)100cc、シェリービネガー25ccを少しずつ足しながら練るように混ぜる。タコや白身魚など魚介類によく合う。
 もう一つのモホソースはコリアンダーの代わりにチリパウダーを入れたモホ・ピコンで、暑い夏にはぴったり。

http://www.canary-stay.com/
http://www.teidefoods.com/


テレビ番組「タクシーでめぐる世界の街かど バルセロナ」

 2006年5月18日放送。旅人はマイケル・クラスさん。闘牛とシエスタはバルセロナには当てはまらない。タクシー運転手はヘスースさん。この地域ではカタルーニャ語を話し、カタルーニャ語の新聞もある。バルセロナは無政府主義者や分離主義者、国家主義者をひきつけ不穏な情勢が続いた。今でも分離独立を目指す動きが見られるが、路上のパフォーマンスが見られる。配給:放送番組センター(フジテレビで放送)。

 老舗のレストランを訪れ、アブ・ガルシア家の長男のハビさんに話を聞いた。ピーマンを何の料理にも使うが、温室栽培のものをオランダから輸入している。スペイン料理よりもカタルーニャ料理の方が魚を使った料理が多いとか。マスのマカロニ添えで夕食をしてから店を開けた。
 ピエール・メシュビッシュさんはフランス人のモザイク・アーティスト。お客には音楽家のスティング、ファッション・デザイナーのジャン・ポール・ボルティエなどがいる。
 グエル公園に行く。住宅地として建設が始まったのは1900年。国連の助けでよみがえった。カタルーニャ音楽堂の方が素晴らしいとピエールさんは言う。ドメニコ・モンタネールの設計で、アール・ヌーボー様式の作品。音楽の宮殿でもあり、モザイクの宮殿でもある。ここで使われている技法がピエールさんの使う技法に近いという。柱の上部にはモザイクが多く、エジプト様式、バラの花はビクトリア様式、曲線の使い方はムーア人の宮殿やインドのジャイプールの宮殿を真似ている。

 翌日は郊外へ。車で30分でジョルディ・ボイガスさんのぶどう園に到着。ここではスパークリング・ワイン「カバ」を作っている。1年の生産量は大手の1日分と同じくらいか?そんなのんびりした雰囲気がある。

 最後の夜はバルセロネータの祭りでした。龍が火を吹いて暴れています。カタルーニャの民話ではおなじみのテーマです。みんなで大いに飲み踊りました。


朝日新聞2006年4月25日「ロナウジーニョ情報」

 バルセロナ郊外の高級別荘地カステルデフェルスに母、姉、いとこと暮らす。2階の自室でサンバを大音量で聞くのが日課。時々出没するのが浜辺近くのパブ「Passion Brazil」。自宅近くの浜辺でのビーチサッカーに時折出没するが、一目につかない時間帯にやるそうです。


テレビ番組「世界の絶景100選。5回目」

 2005年10月10日放送。司会は内藤剛志、久本雅美さん。審査員は上戸彩、谷原章介、橋田壽賀子、船越英一郎、さまぁ〜ずさん。今回は、数ある絶景の中から「水辺で迎えるクライマックス」にこだわり、バリエーションに富んだ至高の絶景5カ所を紹介しました。フジテレビ製作。

●南太平洋ロタ島
 アンガールズが紹介。サイパンを経由して3時間半で到着。アメリカ合衆国の自治領北マリアナ諸島にある。テテト・ビーチ Teteto beach は真っ白な砂浜と透明に澄んだ海の美しい海岸。案内はジャン・A・バルシナスさん41歳。
 ロタ・リゾート&カントリー・クラブに宿泊。ここのプールでダイビングの練習をした。次に海で練習した。15mくらい潜るが、透明度の高いきれいな海です。その青さからロタ・ブルー Rota Blue といわれている。バーベキューをごちそうになったが、トカゲ Maniter Lizard だった(笑)
 岬の向こうのロタ・ホールに船で向かう。穴は海の中にあるという。ロタ・ホールは自然にできた洞窟で、L字型になっていて、Lの字の一方が、地上に口を開けている。そのため、太陽が真上にきた時に、洞窟の底まで光が差し込む。晴れた日だけ素晴らしい絶景が見られる。地上の穴は直径2mでわかりにくい場所にある。見られる時間は限られている。スコールの中を船出したが、雨があがったので、潜った。太陽のスポットライトがきれいに見えました。年に数十日しか見えないそうです。

●スイス・アイガー北壁
 杉田かおるさんが紹介。アイガー(3970m)の北壁は1800mの絶壁で、登山家の4人に1人が命を落としていて、悪魔の棲む山と呼ばれている。案内はローランド・ビエリさん33歳、イケメン山男独身。アシスタントの犬はパトラッシュ10歳です。人生を見つめなおすために杉田さんは来ました。
 ラウターブルンネン駅(スイス登山鉄道)Lauterbrunnen にやってきた。窓の外には牧歌的な風景が広がりました。メンヒ、ユングフラウなどの山々も目の前。案内人は2人乗りパラグライダーに乗って絶壁を越えようと提案した。アイガー北壁の西の麓から出て北壁を横断し、裏にまわってグリンデルワルドの三ッ星絶景を楽しむ。初めは走らなかったから飛べなかった。2時間走る練習をしてから休憩し、チーズフォンデュをいただきました。
 宿泊はグリンデルワルトのグランド・ホテル・レギーナ。鉄道で麓のクライネ・シャイデック駅からユングフラウ鉄道で麓の登山道入口の駅まで行き、パラグライダーが飛び立てる場所まで1時間北壁を歩いて登る。濃い霧が出て1時間待った。小石の多い牧草地の上で向かい風を待ち、駆け下りて飛び立ちましたが、とても落ち着いてお話していました。アイガー北壁の氷河を越え、目の前にグリンデルワルドの村が、向こうには高い山が広がっていました。素晴らしい景色に感動していました。全身がアルプスの山々に包みこまれる感じでした。

●カムチャッカ半島
 的場浩司さんが紹介。日本から北に1300km。新潟からウラジオストック経由で飛行機で約7時間で到着。カムチャッカとは「火の国」の意味で、面積は日本とほぼ同じ。手つかずの自然が色濃く残るこの地は、いわば絶景の宝庫。樹海の奥に眠る神秘の湖、クリル湖を目指すが、そこにたどり着くためには、ヒグマを越えないといけない。1万5000頭もいる。案内人はWGVCのガザエフ・ドミトリーさん42歳で、ロシア政府レスキュー隊の副隊長。息子のニキタ君9歳もサポートしてくれた。鉄砲を持参している。
 軍用トラックで移動し、ヘリポートから20人乗りの元軍用大型ヘリで200km先のカムチャッカ最南端のカムチャッカ富士を目指す。しかし、ヘリは180km地点に着陸。7人乗りのボートをふくらませて、ボートで川を行く。ここからはひぐまが多くいるが、川は入れ食い状態で、ニジマスが多く釣れた。熊が川の中を走った。次に40m先にひぐまが登場し、魚を採った。ヒグマ brown bear は体重400−500kgで体長は2.5〜3m。河原でキャンプ。特製カムチャッカ丼(サケ、イクラ、マスの卵)をいただいた。イクラはロシア語。夜中に熊が現れ、ガザエフさんは威嚇射撃しました。
 川の中にベニザケが多くなって川が赤くなっている。200万匹いるそうです。ゴールが近いが、熊が5頭登場。おっかないが、可愛い。目の前にカムチャッカ富士がクリル湖(Kurilskoye)の向こうに姿を現しました。イリンスキー山(標高1577m)で、気象の変化が激しいので、滅多に全貌を現さない山で、幻の山とも言われている。

●ペルー・ナスカ
 永作博美さんが紹介。世界の七不思議は「エジプト・ギザのピラミッド」、全長3500kmの「中国・万里の長城」、600体の「イースター島のモアイ像」、「カンボジアのアンコール・ワット」、700年以上傾いている「イタリアのピサの斜塔」、紀元前600年に存在したという「イラクのバベルの塔」と「ナスカの地上絵」。今から2000年以上前に描かれたもので、1個は全長100m以上に及び、その様子は上空からでしか理解できない。
 ロサンゼルス経由でペルーの首都リマに24時間かけて到着。リカルド・エストラーダさん64歳が案内。先祖がナスカの地上絵を描いたと言い切る。リマから450kmで車で7時間、Lineas de Naska の標識が見える。真中にいると言われてもわからない。溝が見えたが、ハッキリしない。溝の大きさは幅20cm、深さは10cm。酸化した黒い小石を取り除いて、白い地肌を露出させただけ。ドイツの学者が建てた高さ20mの「研究用観察やぐら」に連れて行ってくれた。全長70mの「手」が見えた。この先にもっとすごいのがあるという。1936年に地上絵が発見された。今はセスナを利用するのが一般的になったが、リカルドさんは絵を描いた古代人と同じ方法で見るという。夜は地元の人に一番人気のレストランでチキン丸々をいただいた(笑)。人気はチキンの炭火焼き(800円)。
 朝5時、地上絵のところに行って、気球に乗る。古代ナスカ文明は高度な織物技術を持っていて、現在のパラシュート程度の強度があって、充分気球の素材になりえたそうです。ナスカ周辺で出土した土器には、熱気球のような模様が描かれていたという。この熱気球説を唱えるのが、アメリカ探検家協会のジム・ウッドマンさん。彼は1975年、当時存在した材料だけで熱気球を作りナスカ上空を飛んだ。現在はこの地域は立ち入り禁止なので、「手」の横のところから飛び立って越えながら全貌を見て、着陸するようになった。今回の気球パイロットはデニ・バレットさん(マジカル・アドベンチャーズ代表)で、熱気球世界大会3年連続優勝のすご腕。
 朝6時に風船を飛ばし、風向きを調べ、飛び立とうとするが、気球が破れた。翌朝、再挑戦したが、強風で中止。その次の日に飛びました。上空は寒いからとリカルドさんが服を着せてくれました。上がると朝日が出ました。丘を越えると、ハチドリ Humming Bird、クモ Spider、コンドル Condorなどが見え、永作さんは感動で涙。

●スペイン・アンダルシア
 中尾彬・奥菜恵さんが紹介。アリタリア航空でイタリアを経由して飛びました。15時間。
 ブニョール Bunolの町は、バレンシア地方で人口1万人、気温41度。案内人はハビ31歳、プロのギタリストのアレハンドロ24歳の兄弟。総勢18人の大家族の家に招待して食事をしました。中尾さんがお祭りに行くことになった。静かな町だが、お祭りの日は竹下通りほどの通りに人がつめかけた。高いところから見る中尾さんの目には4万人の群集。上半身裸の人やゴーグルをつけた人が目立つ。号砲を合図にスタート。いきなりトラックからトマトが投げつけられるトマト祭りが始まった。トマトの量は140トン、トラック6台分、100万個。祭りの参加は自由で、ルールはトマト以外は決して投げないこと。中尾さんも参加し、1時間トマトを浴び続けた。
 グラナダ Granadaに到着。色がきれいなアルハンブラ宮殿 Palacio de la Alhambra が丘の上に見える。13世紀前半、イスラム王朝歴代の王が100年以上かけて築きあげた宮殿。2時間歩いて登る丘の上から見える宮殿が絶景だと言う。全長6kmを歩く。町には石畳でできた穏やかなユニークな上り坂が続き、細い路地も素敵。階段が多い。中尾さんは中国桂林で最後の部分でのサンシャインビルに相当する高さの階段登りで苦労した記憶がある。その後の1時間は整備されていない砂利道。2時間後、やっと到着。夕陽に染まるグラナダの町と赤い城、アルハンブラ宮殿が見えました。アレハンドロさんが「アルハンブラ宮殿の思い出」を演奏してくれました。自然に涙がでました。

http://www.fujitv.co.jp/zekkei100/index.html


テレビ番組「情熱大陸2005年7月17日はニースの料理人・松嶋啓介さん27歳」

●ニース
 20歳でフランスに渡ったが、三浦和良と撮った1枚の写真が気持ちを支えた。彼も独りでできたんだから、自分もできる!
 今は「ケイズ・パッション Kei's Passion」という店を開いていて、味にうるさい食通たちであふれている。彼は本場にいどんだ日本人の歴史を塗り替えようとしている。わざわざイタリアまででかけて探しだしたこだわりのトマトを使い、それにあわせるバジリコのアイスクリームをのせた?「手長えびのタルタル・ガスパッチョ仕立て」など、素材の風味を生かした若々しい生命力にあふれた料理を出す。「ハト胸肉のロースト・パスティア仕立て」。「パイナップルのカネロニ仕立て」。お客は素材の風味、新しい料理などに楽しみを持つ。
 彼は2006年ミシュランのエスポワールに選ばれた。エスポワールとは「期待の星」。これは無星から2つ星レストランの中で、最も昇格の可能性が高いと評価された店で、今年は18軒が1つ星に選ばれた。日本人でかつて星を取ったのは、わずか3人だけ。もちろん、20代で星を取った者はいない。
 料理ジャーナリストのフィガロ新聞社ジョン・ミヨ氏は、ミシュランで星を取ったら店は必ず繁盛するという。

 朝、市場で松嶋は野菜・肉などを買う。ニースに来て2年、みんなと顔見知りである。肉屋では冷蔵室の中にまで入る。
 海岸通りから1本入った路地にこじんまりした店がある。22席しかないが、隅々まで松嶋の美意識が貫かれている。厨房では松嶋が一番年下で、スタッフは評判を聞いて集まった人。彼の料理はシンプルでピュアで全てが揃っているという。11時半を過ぎるとランチのお客がやってくる。客が席に着いた頃、直感でその日の料理を組み立てる。白インゲンとジロール茸をお皿にのせる。クラシックなフランス料理ではあまりない組み合わせ。取れたての鯛はシンプルに焼き上げ、上にのせ、敢えて仔牛の煮汁のソース(トマトの酸味を加えてある)をかけた。「鯛のロースト・白インゲンとジロール茸のソテー」。前菜とメインで23ユーロ。安くないが、満員のお客となるのは、食材を生かす松嶋への信頼からである。
 松嶋の名を世に知らしめたのは「牛肉のミルフィーユ・ワサビ風味」。新鮮な牛フィレ肉にわさびをはさんで両面をさっと焼き上げた。デザートは「マンゴーのタルタルとココナッツのアイスクリーム、ジャマイカ産コショウのカラメル添え」で、胡椒の刺激がココナッツの香りを引き立てる。
 去年の秋に3回くらいミシュランの覆面調査員が来た。最初の人は会計の後に、ミシュランの印籠(笑)を出してそうです。ミシュランの評価基準は、料理、充分な座席や内装、サービスの質まで含まれるという。エスポワールに選ばれても、星を獲得できるのは4−5人と言われている。ここで気になるのはトイレが狭いことらしい。

 松嶋は1977年福岡県生まれ。筑陽学園高校時代は強豪チームでサッカーに明け暮れた。マリノスの久保竜彦の同僚で、自分の実力を知ったが、決して走り負けはしなかった。料理の専門学校で、初めて自分の才能を確信できた。渋谷のレストラン「ヴァンセーヌ」で働き始めた。元総料理長で今はビストロ・パラザのオーナーシェフ酒井一之は、よく見ていて、普通の人だとかなり勇気が要ることも若いからスラスラやってしまっていたという。1997年フランスに渡り、各地の有名レストランで修行を積み、自分の店を25歳で2002年に開いた。やっかみの声もあったが、実力で跳ね返した。
 自宅は店から歩いて5分。奥さんのまち子さん(国際線の客室乗務員)と2歳になる娘の杏実ちゃんが迎えてくれる。

 休んでいたレストランを松嶋にまかせようかという話がきた。以前は海沿いのお城だった場所で、110席あり、ミシュランの2つ星を狙える。しかし、考え方が違ってごわさんになった。

●スペイン・バルセロナ
 新たな味の開拓のために、スペイン・バルセロナに向かった。世界一のレストランと言われていた「エルブジ」でNo.2を勤めていた友人のカルロス・アベジャン(現在はコメルス24 Comerc24 のオーナーシェフ)に会った。お互いに刺激しあう仲である。市場を案内してもらい、フランスにはない食材に目を光らせる。ペルセベス(甲殻類)?は1分茹でるという。タラ、ピーマン、レンズ豆、キュウリ、トマトを煮込んだもの?はおいしいそうです。夜はカルロスのお店で「牛肉のミルフィーユ」の作り方を教える。中は火を通さず、わさびは熱を加えると辛さが飛ぶそうです。

●アヴィニョン
 アヴィニョンの友人を訪問した。シャトー・ベスキエのオーナーのポール・ショーディエール。よいワインを知るには、まずその土地を知ること。料理にも共通する考え方である。松嶋の料理には必然と確信がある。トリュフ探しをした。午後8時、さっき見つけた食材を使って料理を作った。ラベンダーを羊の背肉で包みこんだ。誰も作ったことがない味。人を驚かせることができるっていうのが楽しいそうです。「仔羊のラベンダートリュフ」はエロティックな香りになったそうで、ケイズ・パッションのメニューに加えられた。パン生地を割るとラベンダーの香りがいっぱいに広がった。

http://mbs.jp/jyonetsu/2003/list.html


テレビ番組「なるほど!ザ・ワールド、黄金の祭典スペシャル」

 2005年5月4日放送。爆笑問題が司会。和田アキ子、ユンソナ、石原良純、MEGUMI、ガレッジセール(ゴリ、川田)、堺正章、薬丸裕英、W(ダブルユー)(加護亜依、辻希実)さんがパネラーとして出演。テーマを選んで蔵出しと現在のものを両方お見せしました。フジテレビ製作。

●究極のチャレンジ
 「仁王立ち!」1994年9月27日放送。スイス・ベルナー・オーバーランド。メンヒという4099mの山がある。この山頂に安達祐実さん(当時13歳)がヘリでやってきたが空気が薄い。

 「爆走トラック!」1987年9月8日放送。フランス・ブルグイユで泉ピン子さん(当時39歳)がウィリーをするトラックに乗った。泉さんは号泣してました。

 「空中散歩」1986年4月15日放送。アメリカ・カリフォルニアで、益田由美アナ(当時31歳)が乗ったセスナから男性が飛び降りた。セスナは時速170kmで降下。男は飛行機に飛び移るつもりだった。そして捕まえて助かった。

 「サーフ天国」1991年9月30日放送。アメリカ・コロラド州で、田中義剛さん(当時33歳)の前に砂丘の上でサンド・サーフィンする人が集団で来た。一番下の川のところにみんな滑り込んだ。

●アメリカ・ミズーリ州スプリングスフィールド
 「究極のチャレンジ・危険な家族」。内藤剛志さんが行った。1901年にテキサス州のテイラー夫人がナイアガラを樽で落ち生還した。
 家族でチャレンジしているという人をシカゴの南西の方にあるミズーリ州の自宅に訪ねた。ディビッド・スミスさん一家。家の敷地は東京ドーム4個分。スミスさんはこの仕事でギネス記録を持っている。実は人間大砲で50m飛んでみせてくれましたが、家族みんなでやるそうです。長女レベッカさん(36歳)、長男デイビッドJrさん(27歳)、四女のステファニー(21歳)もやっていますが、今回、ディビッドさん、次女のジェニファーさん、四女のステファニーの3人同時に行ないギネスに挑戦し、成功しました。


●世紀の大発明
 「世界一巨大な自転車」。1990年5月1日放送。ドイツ・ベンリシュリッツで宮崎美子さん(当時31歳)が取材しました。

 「風力発電車」。1987年7月14日放送。益田由美アナ(当時32歳)がオランダで取材しました。トンネルも歩道橋もくぐれませんし、速度も歩くくらいの速さ。最高時速8km。

 「90度傾く船」。1986年4月15日放送。アメリカ・カリフォルニア州で益田由美アナが取材しました。海洋調査をするために90度傾きます。沈みそうで沈まない。

●フランス北部・ムルシャン
 ベルギーとの国境近く。ヒロシが行きました。フィリップ・エルメさん41歳は市役所の職員。庭には水車があり、恐竜が動いたり、ガイコツが音楽を演奏したりします。発明品は廃品を利用しているので格安。ミニチュアの人形のオーケストラを見せてくれた。製作期間は1年で、全て手作り。制作費は200ユーロ(2.9万円)。

●フランス西北部・ノルマンディー地方
 パリから西へ350kmのエコスビル?。田園地帯の中でジャン・ピエール・ダビッドさん38歳と出あった。長さ150m、高さ30mの巨大倉庫の中に発明品があった。携帯できる?一人乗りの人力飛行船。ヘリウムガスを1時間かけて入れていき(30万円)、全長11m、幅5m、体重制限90kgの飛行船になった。世界各地のイベントで飛んでいるが、どこでもみんなに喜んでもらえるそうです。手につけた翼で方向とかを制御する。

●世界の珍体験
 「留学先で」。1995年4月25日放送。福原愛(当時6歳)が中国・上海でみんなに愛嬌を振りまいていました。銅像に「お茶どうぞぅ!」って言いました(笑)卓球小学校に留学しました。

 「レストランで」。1984年2月21日放送。コロンビア・ボゴタで、益田由美アナ(当時29歳)が、アリのふりかけをご飯に食べて食べてみた。シャリシャリした不思議な食感だそうです。

「戦闘機で」。1990年4月2日放送。アメリカ・カリフォルニア州で堺正章(当時43歳)、薬丸裕英(当時24歳)が戦闘機に乗って、急旋回(最大6G)、宙返りして相手の後ろに回りこみミサイルを発射するなどの空中戦を体験できる。

 「ある家庭で」。1994年3月29日放送。イギリス・リンカーンで、和田アキ子さん(当時43歳)が、16人の子だくさんの家庭を訪問。全員が年子でした。

●マカオ
 世界の珍体験「新名物で」。乙葉、KABAちゃんが香港からジェットホイル(片道130香港ドル:1800円)で1時間、マカオに到着。セントポール大聖堂の前では舞龍(マオロン)の踊りをやっていた。
 リスボア・ホテルではカジノが楽しめる。エッグタルトはマカオが発祥の地。1個5.5香港ドル(80円)。新名物はマカオ・タワーで、高さ338m。エリック・ロウさんがガイドしてくれました。60階は展望レストランになっている。マカオ一の絶景が楽しめます。昼食は160香港ドル(2300円)でブフェ形式で、和食やインド料理も楽しめます。1時間で360度回転するので、眺めも変化する。
 ここでしか体験できないことは、地上233mの地点で、スカイウォークX(220香港ドル:3000円)で安全装置をつけてタワーの外を歩く。さらにてっぺんまで登れるそうで、残り105m。マストクライム1人900香港ドル(12600円)。12階分は塔の中をはしごで登りますが、303m地点から外に出て、外側のはしごを上ります。風が強いのが恐いですね。KABAちゃんは一番上まで上がりました。足場は30cmしかありません。揺れていて下りれないって言ってました。マカオタワーをオカマが制覇したと言ってました(笑)

●驚異の達人
 「空飛ぶ野菜炒め投げ」。2004年12月28日放送がありました。

 「巨大すもう達人」。1994年10月3日放送。ロンドン在住のトッド・コーディさん54歳。堺正章、薬丸裕英が背中に3mの力士をかついですもうをしました。会場に来てやってくれましたが、面白かったです(笑)
 爆笑問題の田中が挑戦して勝つかどうかを問題としましたが、あっけなく達人が勝ちました。

●カメルーン
 「田中が一番大きくなれる村」。ピグミー族の村がある。有坂来瞳さんが、身長154cmの田中の等身大のパネルを持参して、首都ヤウンデからピグミー族の村ロミエまでは、まず東北東のベルトアまで移動して、南南西のロミエに移動するという約800kmの旅。途中から車が通れないので、歩いて30分で到着。成人女性の平均身長は135cm、男性は145cm。有坂さんは162cmでかなり高いです。狩の時に体が小さい方がジャングルの中で素早く動けるから、長い時間をかけて小さくなったようです。ピグミー・ムフティ族はコンゴ共和国の北部に暮らし、ピグミー・バカ族はカメリーン南東部に暮す。バカとは現地語で「森に暮す人」という意味。ここで等身大の田中のパネルを出すと、一番高いようです。女性にももてていました(笑)
 村長のビリンバさんに挨拶して、お土産の羊羹を渡したが、とてもおいしいと言われました。お礼にご馳走してもらいました。マニョックはデンプン質を多く含む植物の根で、ピグミー族の主食の一つ。さつまいもの糖分がない感じだそうです。アルマジロを森で捕まえてきました。甘くておいしいそうです。女性が取ってきたのは、イモムシとサナギで、唐辛子のような香辛料と一緒に煮込む。貴重な蛋白源です。女性のオシャレは上の歯をとがらせること。男性もですが、とがらせるにはナイフを使います。男性が求婚して父親からのテストをクリアしないといけない。テストは木のぼりでした。狩の道具が作れることも大事です。あと、やり投げの腕が認められないとダメです。
 結婚後に最初に新婦がやることは、家を建てることで、木の枝で骨組みを作り、葉をのせていく。あとは魚を捕まえること、カゴが編めることができないといけない。夫婦喧嘩をすると、女性が家を壊してしまうそうです。

●太田遺産
 過去の分から後世に残したい太田光が選んだものは、1990年8月28日放送のもの。Mr.マリック(当時41歳)がフランスのパリで馬に乗っていたら、馬が車の騒音に驚いて転倒したというもの。

 1982年5月4日に放送。ギリシャのアテネにやってきた杉田かおる(当時17歳)が、謝肉祭の卵割の儀式を清純に取材した。

 1983年9月13日放送。アメリカ・ロサンゼルスに中井貴恵さん(当時25歳)が逆さ吊りで髪をカットする美容室を取材して挑戦した。

 1994年8月30日放送。アメリカ・カリフォルニアに柳沢慎吾さん(当時28歳)が取材した。1年に1度電車に向かってお尻を丸出しするイベント。柳沢さんも出しました。

 1984年11月20日放送。トルコで行なわれているレスリングを益田由美アナが取材した。体重差のハンディをなくすためにオリーブオイルを塗って闘う。益田さんは覆面レスラーとして参加した(笑)

 1986年10月14日放送。スペイン・サンチァゴで星野知子さん(当時29歳)が、スペイン空軍の所有する消火飛行機が水を撒くのを取材したが、星野さんとカメラマンに向かってかけていました(笑)

 1993年4月13日放送。ニューヨークで吉村明宏さん(当時35歳)が道路のトンネルを封鎖したのを取材した。象、馬、ラクダなどが歩いてきた。これは経費節約とPRを兼ねた大移動するサーカス団の動物たちだった。

●壮絶イベント
 「よくぞ集めた大群集」。1989年8月29日放送。アメリカ・オハイオ州で双子を集めた「ツインズ・デイ・フェスティバル」が開催され、よしざわたかアナ(当時29歳)が取材した。2200組でした。可愛い双子チャンピオンはセーラちゃんとジュリーちゃん。似てない双子チャンピオンはダグさんとジェフさん。

 「夜通し踊る大群集」。1990年4月17日放送。トリニダード・トバゴのカーニバルは50万人の大群集で、阿部知代アナ(当時26歳)が取材。中心になるのは、この国出身の太鼓スティール・ドラム。ラテンの音楽にのって夜通し踊りまくる。

 「危険な競馬の大群集」。1989年10月31日放送。イタリアのシエナの競馬祭りには5万人の大群集を工藤夕貴さん(当時18歳)が取材した。年に2回開催され、群集が真中と外で見て、馬がその間を走る。90度の急カーブもありとっても危険。今回は落馬した騎手のいない馬が優勝しました。

 「謎のタイヤの大群集」。1985年8月6日放送。コートジボアールのアビジャンのワンコー?川で益田由美アナ(当時30歳)が取材した。川にタイヤがたくさん置いてある。これは洗濯をするためのタイヤで、すごい数の人が川で洗濯をしている。それが全て洗濯屋さんでした。タイヤをもってくれば、誰でもプロの洗濯屋さんになれるという。中には体を洗っている人もいました。

●スペイン・バレンシア
 「巨大人形の大群集」。高知東生さんが取材した。市庁舎前広場 Del Ayuntamiento では歓迎の花火が上がり、1500発、火薬100kgが炸裂した。その火薬の煙で前が見えないほど。音がすごいそうです。バレンシアの巨大人形祭りは8日間で200万人を集めるお祭り。高さ20mの巨大人形は、木とボール紙でできた張りぼて人形で、プロの人形師が7,8人体制で1年かけて巨大人形を製作する。制作費は最高で約5000万円。人形はバレンシアの地域ごとに作られ、今年は385体が街に並ぶ。人形のテーマは社会風刺やパロディーで、セクシーなものもある。今年最大の人形は「スペイン出身の画家たちの作品がモチーフ」。ピカソの「アビニョンの娘たち」、エル・グレコの「胸に手を置く騎士の肖像」、ベラスケスの「マルガリータ王女」など。
 メイン・ストリートではパレードが始まった。最後尾を歩くのは女王様で、巨大人形を作った地域ごとに女王様が一人選ばれる。お祭りのフィナーレで行なう女王様たちの仕事は何か?が問題でした。答えは自分の地域の人形に点火して燃やすでした。人形には爆薬が仕掛けられていて、あっという間に燃えました。
 この祭りは別名「サン・ホセの火祭り」とも言う。キリストの父で大工の守護聖人サン・ホセを祝うために町の大工達が古い木材を燃やしたのがはじまり。女王様たちの中には歓喜のあまり涙する人も多い。


テレビ番組「片岡鶴太郎、世界を描く第7弾。炎の祭典!情熱のスペイン再発見」

 2005年4月24日放送。画業10周年の片岡鶴太郎さんが出演。ピカソの小さい頃の核になったもの、青森のねぶたにつながると思うスペインの火祭りへの期待を語った。パリ経由でスペインのマラガにまず飛んだ。TV朝日製作。

●マラガ Maraga
 鶴太郎さん憧れのピカソが1881年に生まれ、10年間住んでいた町。リゾート地コスタ・デル・ソルの玄関口でもある。カテドラルが紹介されました。ピカソ生家に行ってみた。今は博物館として開放されています。鶴太郎さんは「ピカソは生きるということに貪欲だった」と語っていました。幼少の頃に見た闘牛、鳩、女性などが後の作品に大きな影響を与えている。
 7時前に「カサ・アランダ」という店に行くが、みんな食べているのはおやつのチューロス。小麦粉を棒状に揚げたもの。夕食は9時からという。1本0.25ユーロ。チューロスはホットチョコにつけて食べるという。ホットチョコは1.4ユーロ。3時は昼食時で、12時はビール1杯とおつまみを食べるそうです。
 アラブ式公衆浴場「エル・ハマン El Hammam 」があったので、入ってみた。入浴料は21ユーロ。8世紀〜15世紀の間、スペインはイスラムの国として栄えていた。当時のイスラム文化を復活させようと、最近こうしたアラブ式の公衆浴場がスペインじゅうでオープンしている。ゾウリ、タオル、桶、赤い腰巻などを借りて入ると混浴でした。室内を40度にした低温サウナ。寝そべってリラックスする健康法が人気とか。鶴太郎さんは気持ちよくて寝てしまいました(笑)
 伝統的トルコ式マッサージは25分29ユーロ。

 フラメンコは見逃せないので、マラガで唯一のダンス学校「アカデミア・パソス・デ・ダンサ」を訪問した。スペイン人は生まれつきリズム感がよい。子供たちとはいえ、なかなかのものです。アナ・プジョール先生が鶴太郎さんの練習を許可しました。子供たちがセビジャーナスという祭りの時のフラメンコを見せてくれました。この基本的なステップを教えてもらった。

 本場のフラメンコを「エル・タブラオ El Tablao」に見に行く。タブラオとはフラメンコのライブ・ハウスのこと。クーロデ・マリアさんがギターを弾き、スサナ・ルピさんが踊りました。マラガとピカソへのオマージュの気持ちを込めて作ったフラメンコを見せてくれました。この曲はピカソが1936年45歳の時に作った詩を国民的フラメンコ歌手エンリケ・モレンデが歌ったもの。

 2003年10月、ピカソが生前から望んでいた「ピカソ美術館」がオープンした。16世紀にできた歴史的建造物ブエナ・ビスタ宮殿を修復した建物で、ピカソ親族から寄贈された様々な作品が展示されている。1954年の「座ったジャクリーヌ」、1946年「椅子の女」などがある。基調なコレクションを特別に見せてもらった。1942年のBUFFONという本もあった。世界の優れた45冊の本にも選ばれたこともあるもので、ピカソが生物学者に依頼されて絵を描いたもの。1943年に恋人アドラマのために1日で描いたスケッチ40カットを納めた画集もある。

●コスタ・デル・ソル
 1年のうち325日が晴天の海岸。朝の海岸を散歩していると、海岸名物「エスペト(とれたての)イワシの塩焼き」5匹4ユーロを焼いて売っていた。スペイン風の食べ方は、レモンをかけて、皮を取って身だけを食べ、骨は残す。鶴太郎さんはまるまる食べてしまって拍手をもらいました。  このイワシを絵に描くことにしました。「ピカソも食べたマラガのイワシ、ピカソに捧ぐ」とスペイン語で書き加えました。

●ミハス Mijas
 マラガから車で南西に30分、観光客に人気の白い村。暑さをしのぐために壁を白く塗った村が数多く点在する。壁にはお花も飾られていてきれいです。
 ミハス闘牛場に行く。ピカソが最も愛したモチーフ闘牛を知るため。闘牛とは、闘牛士が作法に従い牛をあしらい、最後に牛を仕留めるもの。最強の牛に立ち向かうマタドール(闘牛士)はスペインの英雄的存在。マラガ闘牛学校の生徒たちが練習をしていた。
 鶴太郎さんも1日体験入学してみた。牛をあしらうための布カポテ(重さ7kg)の使いかたを習った。口はとんがらせて息を吐きながら動かす。アドリアン・アバブ君(15歳)に体の使い方を教えてもらったが、フェルナンド・カマラ先生からダメだし。腕と足の使い方の指導を受けた。腕と腰にかなりの力が必要だそうです。学生は200kgの子牛で練習してました。これも描いてみました。学生さんは「闘牛は芸術と勇気の融合」だと言ってました。

●グラナダ Granada
 イスラム教徒のイベリア半島の支配の時の古都。カトリックのイサベル女王により1492年レコンキスタ(国土回復運動)が完了した。
 高台にあるサン・ニコラス広場に行ってみた。イスラム勢力の最後の砦だった世界遺産アルハンブラ宮殿。アルハンブラとはアラビア語で赤い城を意味する。200年以上かけて完成したイスラム芸術最高峰の建築物である。
 日本語ガイドはスペイン人のエセキエル・カワサキさん。メスアールの中庭の壁や柱には漆喰の浮き彫り彫刻が施されている。壁のいたるところにはアラビア語で、「神のみぞ勝利者なり」と書かれている。壁のタイルの装飾に鶴太郎さんは心を奪われた。二姉妹の間などのタイルには植物が描かれているが、イスラム教徒は砂漠の生活が多かったから、花や植物を愛でていたのでしょう。建物全てが神々への賛辞であり、祈りのようなもの。アラヤネスの中庭もきれい。大使の間は1492年イサベラ女王とコロンブスが出会った場所。広間の天井はイスラムの木工技術の粋を集めたもので、素晴らしい。杉の木?を8017ピース組み合わせて作っている。真中の大きな穴は神様の目を意味している。ライオンの中庭、ライオンの噴水も素晴らしい。

●フン Jun
 イスラム芸術に強烈な刺激を受けた鶴太郎さんは、グラナダ近くにその芸術を伝えるアーティストがいると聞いて訪問した。エンカルナシオン製陶工房の、ミゲル・ルイス・ヒメネスさん55歳。イスラムの芸術と伝統を独学で学び、アルハンブラの壷のレプリカなどを作っている。ミゲル美術館に案内してもらい、作品を見せてもらった。17世紀以降失われつつあったアルハンブラの芸術を蘇らせて見事な芸術です。高さ150cmのアダリーデスの壷には、イスラム教徒とキリスト教徒が戦おうとしている姿を描き、アラビア語で「戦争をしないことが、輝く勝利を手にすること」と書いてある。アラブ様式のタイルや、グラナダ焼きも扱っている。
 鶴太郎さんはミゲルさんをモデルにスペイン陶器に絵を描いて、プレゼントしました。

●バレンシア Valencia
 スペインの東北部。近代と中世の建築物がマッチしたスペイン第三の都市。バレンシア北駅に3月18日に到着。駅にはオレンジのモチーフがあった。駅を出ると人の波。サンホセの火祭りは毎年3月12日〜19日に開催される。町には話題の人物や社会への風刺の張子人形(ファージャ)が700以上も飾られている。サンホセとはキリストの父のことで、大工の守護聖人でもある。その昔、大工たちは3月19日に木を集めてたきぎをする風習があった。ある時張子の人形を火に入れると大いに盛り上がったので、それから3月19日に全てのファージャを燃やすようになったという。2005年一般コンクール第二位の「ファラオ」を見たが、大きい。1年かけて作成され、この作品では3300万円かかったという。
 3月17−18日にはカーネーションを持つ女性が街を彩る献花パレードが開催される。マリア様に献花する1年で最も大切なお祭りだという。バレンシアはスペインでも一番美人が多いという。今年は約9.2万人が参加。ビルヘン広場の高さ14mの守護聖母人形に献花しました。スペインではマリア信仰が厚く、マリア様が家族をいつも見守っていると信じている。ビルヘン・デ・ロス・デサンパラードス会にはバレンシアの守護聖母がある。献花する時に感動で涙する美女も多い。

 午後3時、レイナ広場の「パラシオ・デ・ベロータ(どんぐりの宮殿:Palacio de la Bellota )」というお店で、生ハムのお店に行く。どんぐりがおいしい生ハムの秘密だという。オーナーのエンリケさんは店内に700本吊るしているという。広大な自然の中で育てたイベリコ豚にどんぐりを食べさせているという。値段は1本425ユーロ。肉を塩で2−3日つけて、18ヶ月以上自然乾燥させると最高の生ハムができあがる。「ハモン・デ・ベジョタ(生ハム)」は17ユーロで、肉の赤身と脂身がうっすら輝き、これを手づかみで食べる。これは本当においしいそうです。この店はタパス(小皿料理)の中から自分で好きなものを頼んで食べるスペイン流立ち飲みスタイル。特にバレンシアは野菜が美味しいというので、エスピナカ・コン・ハモン(ほうれん草のニンニク炒め)4.5ユーロ(日本人に合うそうです)、ベレンヘーナス・レジェーナス(ナスのチーズと卵のせ)4ユーロを食べました。
 バレンシア闘牛場に行く。火祭りが始まるとスペインは闘牛シーズンの開始。入場料は50ユーロ。ガイドはパブロ・マルティネスさん。

 最終日の3月19日。朝8時、爆竹を鳴らして寝ている人を起こしていく。守護聖母人形は4.6万本のカーネーションで飾られていた。鶴太郎さんはバレンシア市役所広場などのファージャを見に行った。今年のオフィシャル・ファージャのテーマは「画家」で、ここにはピカソの「アヴィニョンの娘たち」をモチーフにしたファージャがあった。ダリもいました(笑)ファージャの下はスペインの歴史を過去から辿れるように作られていた。まずはアルタミラ遺跡の牛、スペインの政治家たち、ゴヤの「裸のマハ」、ピカソの「ゲルニカ」、ダリの肖像画、バレンシア近代美術館(最近の傾向はひどいと書いてありました!)。
 雑貨屋「ペタルドス」に行くが、実は爆竹の専門店。祭りに必須です。幼児用のかんしゃく玉1.6ユーロを買いました。地面に叩きつけるようにするようです。
 午後1時45分、広場は人でいっぱいになってきた。その中に埋もれて救急車もいた。午後2時、マスクレタ(爆竹ショー)が開始。空で爆発したかと思ったら、広場で約100kgの火薬を使って行なわれ、花火アーティストが爆音で音楽を奏でるように創作している。地上と空中で爆発が続き、煙ですごい。爆竹ショーは15分間続いた。真っ白で何も見えません(笑)

●アルブフェラ自然公園
 ファージャを燃やし始めるのは夜の1時からで、時間があるので、アルブフェラ自然公園に行ってみた。スペイン有数の米どころであり、パエージャ発祥の地でもある。地元の人お勧めの「ラ・マタンデラ」
 元々パエリアは農夫たちが仕事の合間に食べていた食事。バレンシア風の材料は鶏肉、ウサギ、白豆、緑隠元、カタツムリが入っている。最後にお米をとがずにそのまま入れる。美人のエレーナ・ガルベスさんが給仕してくれました。バレンシア風パエジャ(2人前)18ユーロ。カタツムリはつま楊枝で出して、爪で身を半分に切って、先端だけ食べる。後半はカカ(うんち)だという(笑)

●バレンシア Valencia
 午後10時、街のあちこちで炎が上がっている。町内会の人々が炎のまわりで踊っている。神戸のルミナリエに似た感じの場所もありました。
 鶴太郎さんは市役所広場に向かった。オフィシャル・ファージャ(子供部門)のテーマ「川のほとりへ行こう」が燃やされるという。ファージャの前では1年間様々な催しに参加していたグランプリのクリスティーナ・サンチェスちゃんが涙を流していた。午後11時、彼女が点火すると一瞬にして燃え上がった。
 0時30分過ぎ、大きな画家をテーマにしたファージャに火がつけられる。TVカメラマンとかも消防士のような装備でTVで生中継していた。クレマという花火?が上がり、いよいよ画家のファージャに点火される。下から火花が上がっていって、中に仕掛けられた爆竹が鳴り、一瞬にして火柱となった。「創造と破壊」という言葉が鶴太郎さんを強烈に捕らえたようです。

 3月21日、スペインのモチーフは闘牛だそうで、特別にお願いして、闘牛場で絵を描かせてもらうことにした。闘牛士の美しさと勇気を描きたいと思ったそうで、絵は完成した。


テレビ番組「愛・地球博協賛番組、地球大交流キャラバン」

 2005年2月19日放送。鶴田真由、「鼓童」の太鼓の金子竜太郎、笛の渡辺薫さんがアイルランド、フランス、スペインを環境に優しいエコ・カーに乗って5200kmを旅する。鼓童の目的はヨーロッパ各地の音楽との交流。世界的に活躍する「鼓童」は1981年創立、1年のうちの3分の1を海外で公演している。名古屋テレビ製作。

●アイルランド
 アイルランドは公用語はアイルランド語と英語。人口は390万人、国土は7万平方kmで、北海道とほぼ同じ面積。
 ジャイアンツ・コーズ・ウェイは世界遺産。岩が六角形をしている。溶岩が固まって六角形の岩が集まってできた場所。古代の人は「巨人が作った石の道」ジャイアンツ・コーズ・ウェイと呼んでいた。
 北部のドネゴール州は荒涼とした風景。畑に黒い四角いものが積まれているものは泥炭という燃料でした。寒さと酸素不足のために植物が腐りきらずに積み重なったもので、石炭への最初の段階。この地域では春に掘り出し、秋まで乾かし続ける。コニーさん宅に行く。泥炭は暖炉で燃やしていた。1個で30分持つとか。灰は地面に埋める。ドネゴール市はツィードの産地。
 さらに南のスライゴに夜に到着。地域のコミュニティになっているパブに行く。アイリッシュ・パブだと盛り上がるとお客さんと一緒に演奏もする。鼓童の2人も参加させてもらった。太鼓は左手で皮を押さえて音を調節していました。そのうちに家に楽器を取りに帰ってきた人もいて、次第に大演奏会になっていった。
 ダブリンに6日目に到着。1990年代から企業の育成や海外の企業を誘致して経済が急速に発展している。逆に国民は自国の文化に目が向かっている。ケイティ、ジェニファーちゃんはアイリッシュ・ダンスを学んでいる。上半身を動かさず、下半身だけの動きで表現する独自のダンス。学ぶ人はどんどん増えているとか。
 ロザレアという港町に到着。ここからアイリッシュ・フェリーに乗って、ヨーロッパ大陸に19時間で到着する。料金はフランスのシェルブールまで片道1人約3万円から。鶴田さんたちは金子体操を甲板で行ないました。

●フランス
 シェルブールに上陸。フランスは人口6040万人、国土は55万平方km。さっそく世界遺産のモンサンミッシェルに向かった。観光のために島と陸をつないだ道路の周りに大量の砂が堆積してしまった。満潮時に海に囲まれる幻想的な風景は今はなく、深刻な問題となっている。そこで道路を取り壊し、橋をかける計画が進んでいる。修道院の周辺にはいくつかのお店が軒を並べている。観光客が必ず行くと言われているオムレツ屋さん「ラ・メール・プーラール」。オムレツ作りを見せながら焼いてくれます。8個分の卵にバターを混ぜ、泡立てたものを焼き上げる。オムレツ2人分で4500円。甘くなく薄塩だそうです。
 ブルターニュ地方の海の町カルナックに行く。ローマ時代から続く牡蠣の産地。ステファンさんはおいしい牡蠣を作っている。この牡蠣は日本生まれ。フランスの牡蠣は1960年代から70年代にかけて二度にわたり、病原性の微生物に犯され、壊滅的な打撃を受けた。その時、世界中の牡蠣の中から抵抗性の強さと味の良さで日本の牡蠣が選ばれた。おいしい牡蠣をいただきました。
 4日目にヴァンヌの町に到着。城壁が続く。バグパイプの演奏が盛んで、120のチーム「バガッド」が活動している。子供たちはバガッドに参加するために練習をしている。バグパイプは袋に空気を入れて、少しずつ出しながら演奏している。口にくわえているのは、空気を送り込んでいるだけ。翌日、町の広場で練習をするので、40人のバガッドにジョイントさせてもらった。鼓童は大きな和太鼓で参加、見事に融合しました。感動!バガッドの人も2人に驚いていました。
 ボルドーに到着。シャトー・ル・ビュイのオーナーのジャン・ピエールのこだわりは無農薬。豊かな土壌を残すために無農薬にこだわる。だから雑草だらけです。16世紀から続くワイン・シャトーなので、相当の品が保存されている。1955年のワインを開けてくれました。値段はつけられないとか。「美味しいワインではなく、飲んだ人が幸せな気持ちになれるワインを作りたい」そうです。
 7日目はピレネー山脈。長さ435km、幅130km。国境を越える。

●スペイン
 人口3991万人、国土は50万平方km。
 ポイ渓谷は山あいにある村。9つのロマネスク教会群が世界遺産に登録されている。ロマネスクは11〜12世紀に広まった美術・建築上の様式。教会内部には壁画なども保存されている。村の小学校の分校を訪問した。生徒は3人。みんなで和太鼓を叩きました。
 マドリッドの南東モタ・デル・ウエルホ?。ラ・マンチャ地方に到着。ラ・マンチャとは「乾燥した大地」という意味。ドン・キホーテの舞台としても有名で、小高い丘の上に風車が並ぶ。風車が作られたのは16世紀後半。強い日差しに痩せた大地、過酷な環境の中にも風という地球からの贈り物があった。風車保存会のレミディオスさんが迎えてくれた。風車の角度を変えて風車の布を張り、固定すると回転し始めた。硬い豆が粉になった。これは連理草といい、ガッチャスという料理に使う。レミディオスさんが作ってくれた。まず豚肉を大きくぶつ切りにし、炒め、油に豆の粉を入れ、パプリカを加え、水を加えてスープ状にして、ジャガイモを加え、10分間煮詰める。パンにフォークを突き刺して、これに浸して食べる。お肉はパンの上にのせて切りながら食べる。現在、ラ・マンチャの風は風力発電として活躍している。

 アンダルシア地方の都市ヘレスに到着。フラメンコ発祥の地。金子さんはフラメンコと共演したいという夢を持っていた。練習場に行ってみたら、アントニオ・ピパさんが踊っていた。2日後の隣町とのお祭りに一緒にステージをやろうと言ってくれました。
 鶴田さんはフラメンコ教室を訪問した。8歳〜13歳の女性だが、すごい動きをしていました。メラニアちゃんに話を聴いた。
 鼓童の方は苦労した。フラメンコは5拍子や12拍子で、さすがの金子さんも慣れないほど、フラメンコのリズムはかなり難しい。逆に4拍子で踊れないかとも試してみた。
 アルコス・デ・ラ・フロンテーラという白い壁の家々の町でお祭りが開催された。フェリアと呼ばれるこの祭りは、年に1度でみんな着飾って、テントの中で踊り明かす。3人のステージは一番大きなテントで、アントニオさんの人気は高く、会場はいっぱいになっていた。鼓童の2人は途中で舞台に上がり、金子さんのソロからスタート、アントニオさんは和太鼓にあわせて見事に踊りました。お客さんは総立ちになりました。さらに路上で和太鼓と笛に合わせて女性がアドリブで踊ってくれました。

 カディスはスペインの南端。海辺で今回の旅を回想した。


テレビ番組「世界一周“食材の旅”トマトの不思議大紀行」

 2005年1月23日放送。陣内孝則、市毛良枝、森公美子さんが出演。トマトの年間生産量は2001年1億25万トンで、世界で一番多く食べられている野菜。トマトが日本で食べられるようになって100年、世界を巡り、トマトの知られざる物語やさまざまな謎を解き明かす。中京テレビ開局35周年記念番組。

●イタリア・ナポリ
 陣内孝則、森公美子はイタリアのナポリを訪問。イタリアではトマトはポモドーロ(黄金の果実)と呼ばれ、150種類以上もある。マラフロンテ・サルバトーレさん宅を訪ね、トマトソース作りやナポリ風ピザ作りに挑戦。まずトマトを洗い、沸騰したお湯に入れてトマトソースを作る。180kgで6人分の1年分で、甘くて酸味の強いローマ種を使う。洗濯機のモーターを再利用していた。トマトは食べるだけじゃなくて、美容にも使っているという。輪切りにしてパックにも使うという。瓶詰めにしてドラム缶の底から丁寧に積み上げていく。湯をはってじゃがいもを入れて熱していく。生のじゃがいもが煮えたら完成。
 お礼にピッツァ・ナポリターナを作ってくれた。生地にトマトソースをしいて、モッツァレラ・チーズとバジルの葉を散らし、釜で焼きます。ピッツァ・マルゲリータ。
 ほかにイタリアのトマト料理の誕生秘話やトマトの料理以外の活用法などを紹介する。

●ペルー
 市毛さんはペルーのアンデス山脈に行く。ここがトマトの故郷だと言われる。ここでトマトの野生種を発見するために案内してくれたのは、ペルー国立農業大学元教授のビンセンテ・ラズリ博士。ラペルラ・アルタ Laperla Alta という村から先は車で行く道がないので歩いて行く。標高2200mで乾燥した土地です。ここからはロバを使う。この時期は黄色い花が咲いているはずというのを目印に探して見つけた。リコペルシコン・ビルスータムといい、雑草みたいで、実は緑色で親指の爪ほどの大きさ約8mmほど。これで完熟しているといて、食べてみたらトマトでした。根に秘密があるそうで、地面が乾いているので、地中深く張り巡らしている。野生種は多年草で実、茎の毛から空気中の水分を吸収しているそうです。

●メキシコ
 もともとは小さな果実だったトマトがどのようにして世界中に広まったのかを調査するためメキシコへ向かう。鳥によってメキシコに運ばれたという。メキシコ・シティの中央市場でメキシコのトマト事情を探った。
 屋台では鉄板にザク切りトマトを置いて焼いて甘味を引き出し、唐辛子を焼いてモルカヘテという石臼でひき、さらにトマトを入れてつぶして混ぜ合わせる。「サルサ・デ・モルカヘテ」というサルサにして食べる。国立人類博物館には4500年前の遺跡から発掘されたモルカヘテがある。このサルサを使ったものがタコス。牛肉を焼いて、メキシコ人の主食、とうもろこしの粉から作ったトルティーヤにはさんで、サルサをかけて食べるのが伝統的な食べ方。「牛肉のサルサ」Tacos de Bistek 。
 有名なレストラン「アローヨ Arroyo 」に行く。ここでは100種類以上のサルサが用意してある。サルサはメキシコ料理の全てに使われる味の決め手。中でも最高傑作といわれているのがサルサモーレ Salsa Mole で、丸ごとトマトを焼いて、唐辛子とミキサーにかけ、仕上げにビターチョコを加えたもの。「鶏肉のモーレ・ソース」 Pollo en Mole は代表的。

 チャピンゴ自治大学の植物遺伝子学のヘスース・クエバス教授の話では、1万2000年前にトマトの栽培が始まり、アステカ時代(1300年代 -1524年)に大きくなったと考えられる。今では観光地として知られる水郷地帯ソチミルコにアステカ時代のハイテク農法が残っていた。

●メキシコ ソチミルコ
 ソチミルコ Xochimilco では、川の底の泥をすくって畑にもっていって育てる。アステカの都は今のメキシコ・シティだが、当時は沼地だった。アステカの人は高度な技術で沼の上に畑を作っていた。チナンパと呼ばれる人工の畑は、葦で編んだイカダで作られた。湖の水を吸い上げ、栄養分を取り込んだトマトは実が大きくなって進化していった。
 ここの畑でほおずきみたいなものを渡された。中には緑のトマトが入っていた。トマテベルデ(食用ホオズキ)という。

 1521年スペイン軍が侵略してきた。第三次探検隊長エルナン・コルテスが率いるスペイン軍がアステカ帝国を滅亡させた。こうしてとうもろこし、じゃがいも、唐辛子、トマトなどの食材はヨーロッパ大陸に運ばれた。

●スペイン
 500年前に入ってきたときには、当時の植物学者たちはマンドラゴラ(毒草)というナス科の植物の仲間だと判断していた。それで食べられることはなかった。貴族の庭園で赤色を増しながら、鑑賞用として栽培された。当時の庶民は飢えに苦しんでいた。庭師があまりの空腹に食べてから食べられるということがわかった。スペインでは長くて重量感があるベラ種が多く、実が実る頃に葉が枯れるので、茎ごと抱え上げて振って、トマトが落ちるので採取している。

●スペイン セビリア
 セビリアは、当時新大陸地域の独占貿易地。陣内孝則さんはバル Bar を訪問。ここの一番人気の料理マグロ・コントマテをいただく。マグロとはブタの赤身のこと。これをバジルで炒め、トマトソースでいただく。「豚肉のトマト煮込み Magro con tomate 」。次は「フラメンカ・エッグ Hucbosa la framenca 」で、野菜を炒め、それにトマトソースを加え、最後に生卵を2つのせて炒めたもの。たまごを潰して混ぜて食べる。半熟の卵がおいしさを引き立たせているようです。スペイン料理の90%以上にトマトが使われているとか。

●スペイン ブニョール
 アンダルシア地方のブニョール Bunol は人口1万人の小さな街。建物の壁をビニールシートで覆い、4万人が集まった。年に1度のトマトを投げ合う奇祭「トマト祭り」に参加。町が提供した120トンのトマトを投げる。みんな上半身ははだかです。喧嘩も起こり、ケガ人が毎年出るそうです。60年続いているとか。1時間後に花火の合図で終了。

●スペイン イスラ・クリスティーナ
 スペイン南部の大西洋に面した漁港イスラクリスティーナ Isla Cristina では、鍋にオリーブオイル、野菜、お米、水を入れて、トマトソース、シーフードをそのまま入れていって、揺すりながら熱を加えた、トマト味の炊き込みご飯。食前酒としてアルコール度25度のリキュールを飲んだ。次は取れたてのサバにトマトソースを加えて炒めた「サバとトマト煮込み Gaballa con tomate 」はサバの臭みが抑えられていた。

●イタリア・ナポリ
 ナポリでは黄金期を迎えた。森さんと陣内さんがナポリタンを食べる。「リストランテ・プレビッシート Ristorante Plebiscito 」では、生のトマトを切り、オリーブオイル、にんにく、バジルを入れて炒める。これにスパゲッティを加えて絡め、バジルをかける。「トマトのスパゲッティ Spaghettial pomodoro 」。パスタにトマトがからんだところでトマトの人生が変わったのだろう。
 1750年頃、ナポリの天才料理人ビンセンソ・コラード Vincenzo Corrado が料理にトマトを活かした。彼の書いた料理本がナポリの国立ヴィットリオ・エマヌエーレ3世図書館にある。1773年に出版されたその本「粋な料理人 Il guoco galante 」は今でもイタリアの料理人のバイブルとされている。彼はトマトはソースとすることで、パスタなどの食材と無限に組み合わせることができる調味料だと書いています。うまみ成分のグルタミン酸が多いトマトソースは肉や魚介類の旨みを引き出すという。
 2001年のトマトの年間消費量は日本人は一人あたり8.9kg、イタリア人は63.6kg。

●イタリア フォジア
 イタリア最大のトマト生産地フォッジア Foggio を訪問した。ローマ種は細長く、水気が少なく、甘味と酸味が強い。トマトは収穫車で収穫していた。トマトは加工用トマトの缶詰工場に集められた。水の中で洗い、高温の蒸気で蒸して皮をむく。4000人の人が皮をとったり完熟してないのを除いている。ジュースと缶詰にして、ロシア、南アフリカ、日本にも送られている。
 ここで日本人に出会った。元イタリア日本大使館料理長の石橋尚之さん。今は東京をはじめ全国19件のイタリア・レストランの総料理長。毎年イタリアのトマトの味を確認してきている。

●イタリア ソレント
 石橋さんのトマト料理の名店を紹介してもらった。ソレントの5つ星「リストランテ・ドン・アルフォンソ1890 Ristorante Don Alfonso 1890 」で、ここに世界中のシェフが一目を置く天才シェフがいる。野菜の魔術師イアッカリーノ・アルフォンソさん。トマトは海に面した日当たりのよい畑でシェフ自らが栽培している、細長い「トマトの帝王」サンマルサーノ種。サンマルサーノをタマネギ、ニンジン、セロリと一緒にワインで煮詰める。豚肉を叩いて薄くしたものにニンニクのミジン切り・松の実・干しブドウ・パセリなどをのせて巻き込んだものをオリーブオイルで焼く。これをトマトソースに入れて軽く煮る。「焼いた豚肉のサンマルサーノソース Braciola di majale con salsa di sanmarsano 」は普通のトマトだと水くさくなる料理が、見事においしいそうです。

●イタリア・シチリア島
 南部のパッキーノ Paccino ではイタリアで一番うまいというパッキーノ・トマトがある。石橋さんと森さんが訪問。真っ赤なプチトマトが大地に並べてあって太陽に当てられている。ドライトマト Pomodori Secchi で、EUで指定されていて、ニセモノも出回っている。収穫したトマトは切って、切り口を上にして、シチリア産天然塩を高いところから均一に振り(甘味を出し、殺菌効果がある)、天日に4日間干す。シチリアはマグロも名物で、伝統のマグロ漁はマッタンツァと呼ばれる追い込み漁。
 「リストランテ・ラジャーラ」Ristorante La Giara では入口にマグロとパッキーノ・トマトが置いてある。オーナー・シェフのバルバガッロ・カルメロさんはトマトとマグロ料理ならまかせなさいと言う。たまねぎを炒めてから生のパッキーノトマトを加え、魚からとったスープを加え、さらにドライトマトを入れてソースを作る。マグロは薄く切り、パン粉をつけて油で揚げる。これを先ほどの酢・砂糖・塩・胡椒などで味付けしたソースに入れて完成。「マグロとドライトマト甘酢風味」 Tonno Rosso Agrodolce 。

●世界のトマト料理
 フランスではトマトはポモダモール(愛のリンゴ)Pomme D'amour と呼ばれている。トマトの上を切り取り、中をくりぬいて、果肉は刻んで合挽き肉、パセリ等と混ぜ合わせてトマトの器に入れ、上にパン粉をまぶして、オリーブオイルをかけてオーブンで焼く。「トマトの肉詰め」Tomate Fareic 。

 トマトの生産量が世界一の中国では、トマトは西紅柿(フォンス)と呼ばれている。強火で炒めて豚の挽肉を入れ、火が通ったところで卵を炒めてトマトケチャップで味付けする。最後に紹興酒で香りづけ。「番茄肉○炒蛋(○は幺2つの下に横棒が1本)」トマトと豚肉と卵の炒め物。中国ではトマトは卵と組み合わせることが多い。中国人が大好物の家庭料理です。

 タイではまずトマトと野菜と魚介類とライス麺を炒め、オイスターソースとナンプラーで味付けし、最後にミニトマトを加えて、軽く炒めると完成。「パットキーマゥ」タイ風やきそば。

 アメリカでは、ホットドッグやハンバーガーにつけるケチャップ消費量が3億リットルとダントツの世界一。ケチャップは完熟トマトに酢と砂糖を入れたもので、ナポレオンが遠征の際に携帯したトマトの瓶詰がケチャップの起源だという。アメリカでは南北戦争や西部開拓時代に携帯食料として発展した。

 日本では、トマトは愛されている野菜の第一位。野菜の売上は1位トマト、2位キュウリ、3位キャベツ、4位ネギ、5位タマネギ。日本に初めて渡って来たのは17世紀。食べられるようになったのは1883年の鹿鳴館時代から。1908年にケチャップの国内生産がスタートしてから一般に広まった。チキンライスと共に有名となった。品種改良によって1981年最高傑作の「桃太郎」ができた。最近人気なのは「完熟トマト」。

●トマトの成分
 ヨーロッパではトマトが赤くなると医者が青くなると言われている。トマトの主な成分はリコピン、カルシウム、ビタミンA、ビタミンB1、ビタミンB2、ビタミンC,マグネシウム、鉄分。今注目されているのは、赤い成分でもあるリコピン Lycopin 。北里大保険衛生専門学校の井上正子教授はトマトの成分が医薬の上ではなくてはならない存在になっているという。


テレビ番組「旅サラダ」2004年11月は加藤紀子さんでスペイン

 ルフトハンザで行きました。

●マドリード Madrid
 首都。最も賑やかな広場プエルタ・デル・ソル Puerta del Sol に行く。公園の片隅(Hotel Europe の近く)にはマドリード市の象徴のクマの像を見ることができる。
 真っ赤な2階建て観光バス「マドリード・ビジョン」Madrid VISION で観光した。乗車料金は1日大人10.6ユーロ。ヘッドフォンでは日本語を含む8カ国の言葉での説明がある。
 まずは18世紀に建てられた王宮 Palacio Real 、ドン・キホーテの銅像があるスペイン広場 Plaza de Espania などの観光名所を1時間ほどでまわる。歴史的マドリード、現代的マドリード、モニュメントマドリードの3つのコースがあり、上記料金で3つのルートは乗り放題。通常は10〜20分毎に運行しているが運行時間は季節や祭事などにより変動する。
http://www.madridvision.es/

 スペインで有名なのはサッカー。レアル・マドリードの本拠地のサンチャゴ・ベルナベウ・スタジアム Santiago Bernabeu Stadium に行く。収容人数8万人。スタジアム・ツアーは大人9ユーロ。球場内にはメモリアル・コーナーやグッヅの販売店などもある。名前入りユニフォーム 上80ユーロ(約10,800円)。場内の青色の監督席にも座ることができる。
http://www.stadiumguide.com/bernabeu.htm

 買物として、トウス TOUS に行く。1925年の創業以来、スペイン王室に愛されたブランド。バッグや財布、アクセサリーなど可愛い小物が揃います。布製バッグ90ユーロ、革製バッグ222ユーロ。一番の注目はペンダント(チェーン付き)54ユーロで冬のソナタでヒロインがつけていた「女の子」のもの。熊のペンダントは48ユーロ。熊の時計は42ユーロ。熊のコインケースは35ユーロ。角型のコインケースは35ユーロ。水色の熊のマークの入ったマフラー51.5ユーロ、水色のくまの手袋46ユーロ。
http://www.spainnews.com/shopping.html

 蚤の市「ラストロ」 Rustro に行く。日曜日と祭日の 9:00-15:00 に開催されている。Ribera de Curtidoresを中心としたエリア。ティーポットは125ユーロなどでした。加藤さんが購入したアイリッシュ・コーヒーの絵は、50ユーロを28ユーロに値切った。「自分のネーム入りポスター」6ユーロ。筒に入れてくれます。

 パエリアといえば必ず名前が出てくるお店「ラ・バラッカ」 La Barraca は、バレンシア陶器が壁いっぱいに飾られた可愛いお店。まずは「シーフードパエリヤ」15.90ユーロ。新鮮な車海老やムール貝、アサリ、イカ、白身魚を使った定番のパエリヤ。次は「イカ墨のパエリヤ」12.15ユーロで、さっぱりしているそうです。最後は「パスタのパエリア」15.15ユーロで、細くて短いマカロニとシーフードを使ったもの。値段は1人前。注文はすべて2人前からのようです。
http://www.interocio.es/labarraca/

 フラメンコの教室「カサ・パタス フラメンコ音楽学院 Casa Patas Flamenco Foundation Concervavatorio 」に行ってみた。国内だけでなく、世界各地から生徒が集まってきている。中級のクラスに行ってみたが、最初はステップの練習からやっていた。加藤さんを指導したのは、アメリカ・ヴェガ先生で日本でフラメンコを教えたこともあるベテラン。手つきと足の練習を1時間やりましたが、ステップとなるとだいぶ難しかったようです。
http://www.casapatas.com/

 マドリードで一番レベルが高いと言われるフラメンコを見るために、タブラオ「コラル・デ・ラ・モレリア」 Corral de la Moreria に行ってみた。10時半から始まるショーにも店内は超満員です。1ドリンク&ショーで32ユーロ。8時半開店で、ディナー&ショーは73ユーロ〜。歌とギターと踊りが一体となって、人生の喜怒哀楽を表現するフラメンコは、様々な土地を流れてきたジプシー達がアンダルシアの伝統芸能をアレンジして作ったのが始まりだという。
http://www.corraldelamoreria.com/


●チンチョン Chinchon
 マドリードから南東へ車で40分、人口4000人。茶色の屋根と白い壁、景観保存地区に指定されている。中心にあるのがマヨール広場 Plaza Mayor で、お祭りの日は闘牛場にもなるし、まわりのカフェではマドリードから来た人たちもくつろいでいる。ろば馬車も通行するのどかな雰囲気。4階建風の建物で、壁は白く、屋根には黒や茶色の瓦のようなものが並ぶ。にんにくの屋台が多い。雨が少ないので、にんにくの産地としても知られている。1袋1.5〜3ユーロ。
 広場に面した3階建のレストランのバル「メゾン・デ・ラ・ヴィレイナ」 Meson de la Virreina でにんにく料理をいただいた。ちなみにレストランはスペイン語でタベルナ Taverna 。にんにくのスープは「ソパ・デ・アホ」で4.65ユーロだが、にんにく臭くなくて、パンの柔らかさもいいそうです。生ハムでダシをとりパプリカのスパイスをアクセントにしているそうです。食後には、チンチョンの名物で、セリ科のハーブから作ったリキュールのアニス酒Chinchon SECO(グラス)2ユーロをいただいた。アルコール度は43度で白く濁っています。
http://www.mesonvirreyna.com/

 宿泊は「パラドール・デ・チンチョン Parador de Chinchon 」で、国営ホテル。パラドールは古いお城や修道院などを改装して作ったものが多く、ここも17世紀の修道院を改装したもの。建物も中庭も素晴らしいです。スタンダード・ルーム1泊113.30ユーロ。
http://www.paradores-spain.com/spain/pchinchon.html

●バルセロナ
 スペイン第二の都市。古いものと新しいものが混在する芸術の街。アントニオ・ガウディの建築物はバルセロナのシンボル。中でも「サグラダ・ファミリア教会 Temple de la Sagrada Familia 」は1882年に着工されて建設中で、完成まで50年以上かかると言われています。3年前に見たのと比べて工事が進展しているのがわかるそうです。
 ガウディが晩年に設計した集合住宅「カサ・ミラ Casa Mila 」。入場料7ユーロ。波のように大きくうねった外観が特徴。屋上の煙突も個性的。
 また「カサ・パトリョ Casa Batllo 」もガウディの設計で、実業家パトリョ氏の依頼で海をテーマにガウディが設計した個人住居。2年前から内部を見ることができるようになった。入場料16ユーロ、7歳以下は無料。トアも窓枠も曲線、照明も面白い。
http://www.casabatllo.com/
 資産家グエル氏の都市開発プロジェクトの一環としてガウディに依頼したグエル公園 Parc Guell 。まるで不思議の国に迷いこんだ感覚が味わえる。世界中から観光客が押し寄せ、地元の人の憩いの場ともなっている。バルセロナの町を見下ろして芸術性に見入ってしまった。

 旧市街のカテドラルの前に大勢の人が集まって踊っていた。毎週日曜の正午に街の人が集まってサルダーナという踊りを踊る。サルダーナはカタルーニャ地方の伝統的な民族舞踊で、老若男女が輪になってステップを踏む。加藤さんも入れてもらいましたが、足の運びが意外と難しい。

 ランブラス通り las Lamblas は英国のサマセット・モームが世界で一番美しい通りと言った通り。多くの大道芸人がパフォーマンスを披露していた。

 ガウディ建築物がライトアップされる夜。3つ星レストランで修行したシェフが5年前に創業した創作料理の店「アバック Abac 」。シェフのお勧めコースをいただいたが、ディナーだと84ユーロ。但し、前菜2皿、メインディッシュ4皿、合計7皿が次々出される。前菜は「アンチョビのマリネ」、「カニとアボガドのシャーベット添え」。メインは「フォアグラの焼き梨添え」、「海老のサフランソース和え」、「ナマコのカボチャソース添え」、「子豚の丸焼き」。デザートはオリーブオイルを使った「イチゴのシャーベット」。
住所:Rec 79-89 08003BCN Tel:+34-93-3196600
http://www.restaurantabac.com/

●サラゴサ Zaragoza
 バルセロナとマドリードの中間で、ピレネー山脈に近い。代表的な建物はピラール聖母教会 Basilica de Nuestra Senora del Pilar 。
http://www.basilicas.org/basilicasespanazaragoza.htm
 ピラールとはスペイン語で、柱という意味。かつて聖母マリアが現れ、聖徒ヤコブに教会を建てるための1本の柱を渡したという伝説が残されている。その聖母マリアに感謝の意を捧げるために、毎年10月12日前後の1週間、ピラール祭りが開催される。大勢の人々が参加します。
http://www.fiestasdelpilar.org/
 その日がスペインの闘牛の最後の日になる。サラゴサ闘牛場 Plaza de Toros de Zaragoza は満員。まずはアホーテというマントを使って牛の気性やスピードを確かめる。馬に乗った闘牛士が槍で牛の力を奪い、3人の助手が牛の背中にモリを打ち込む。最後に主役の闘牛士マタドールが登場し、牛と1対1の対決をする。今回はエンリケ・ポンセ氏ですごく人気があり、伝統ある儀式にのっとった闘牛を見せました。
http://www.plazadetorosdezaragoza.com/
 ピラール祭りのもう一つのイベントがオフレンダ(献花)。アラゴン地方の民族衣装に身を包んだ人々が行列を作って聖母マリアの像のまわりに花を飾っていく。40万人が参加するそうです。加藤さんは民族舞踊グループ「セムブランテ・アラゴネス」の人たちと一緒に献花しました。途中で両手でカスタネットでリズムをつくったり、ワインを飲んだり、お菓子を食べたりしながら、楽しんで進みました。担当の人にお花を渡したら離れる。
http://www.zaragozacultural.es/web/pilar/paginas/detalle.asp?idcategoria=38
 次に行なわれたのはサラゴサ市のシンボル「ライオンのパレード」。ユニークなキャラクターの人にも注目でした(笑)夜は花火。スペインの人は祭りの間、2−3日寝ない人も多いそうです。
 祭りの期間中、闘牛場では朝8時バギージャという一般の人が参加できる闘牛がある。闘牛とはいえ、逃げているだけ。ほとんどの観客が徹夜明けの人が多い中、妙な盛り上がりがあるそうです。牛にできるだけ近づいた人が勇気がある人として観衆から拍手をもらえる。闘牛の牛と比べると3分の1の180kg程度で、怪我をしても軽いらしいので、毎年みんな参加する。3月のバレンシアの火祭りで始まった闘牛シーズンもこのピラール祭りで終了。


 3回目はビデオ不調のため、HPからの情報です。

●グラナダ Granada
 アルハンブラ宮殿 Palacio de la Alhambra 。料金は、一般10ユーロ、65歳以上7ユーロ、8歳以下は無料。開館時間は変更が多いので注意。だいたいが、冬は8:30-18:00 春〜秋 8:30-20:00 。金曜と土曜は20:00-21:30 なども開く。 宮殿内の寄木細工の専門店「ラグーナ Laguna 」。オルゴール17.5ユーロ。テーブル990ユーロ。トレー53.5ユーロ。

 イスラム統治時代には絹織物の取引所だった地区アルカイセリア Alcaiceria にはたくさんの土産物屋が所狭しと並ぶ。水玉のエプロン12ユーロ
 夕食は、モロッコ料理のお店「サルタン Restaurante Sultan 」イスラム文化の影響を受けたグラナダならではのモロッコ料理のお店。住所:Elvira,13 Albaycin Granada。Tel:+34-95-8222156。「野菜のクスクス」9.5ユーロ。「タジン」9.5ユーロ

●ミハス・マルベーリャ Mijas Marbella
 「ミハス闘牛場 Plaza de Toros (de Mijas)」入場料:3ユーロ、7歳以下は無料。Tel:34-95-2485248
 ロバタクシーに乗る。一人でロバにまたがる場合は、7ユーロ。二人乗り(15分程度)で14ユーロ。営業時間:10:00-18:00(年中無休)

 宿泊はリゾート・ホテル「ラス・デュナス Las Dunas (Marbella) 」。ジュニア・スィートで1泊350ユーロ(花、フルーツ、シャンパン付き)。スタンダートで1泊200ユーロ(シャンパン付き)。空港〜ホテル送迎120ユーロで要予約。
http://www.las-dunas.com/
 食事はホテル内のレストラン「リド Lido 」。地中海リゾット28ユーロ


●レオン Leon
 スペイン北部の交通の要として発達した街。中世では王国の首都だった。13世紀後半に建てられたゴシック様式のレオン大聖堂 Catedral 。外観だけでなく、内側もきれい。スペインで最も美しいといわれているステンドグラス。聖書の物語を描いている。たくさんの光に包まれて、次第に心が落ち着いていった。
http://www.catedraldeleon.org/

 宿泊は「パラドール・オスタル・サン・マルコス Parador Hostal San Marcos 」で、スペインの国営ホテルの中でも一番豪華な5つ星ホテル。16世紀の修道院を改装してできたホテルで、中は修道院というよりも、豪華なお城のような雰囲気。ジュニアスイートに宿泊しましたが、お姫様気分になれます?。1泊252ユーロ。スタンダード1泊144ユーロ。
http://www.parador.es/castellano/paradores/ficha.jsp?selparador=102
 食事はパラドール内レストラン「レイ・ドン・サンチョ Restaurante Rey Don Sancho 」で、煮込み料理「コシード・マラガド」9.62ユーロをいただいた。肉と野菜を煮込んだスープが、肉、野菜、スープの順番に出てくるアストゥリアス地方の料理。(1)肉(牛、子牛、腸詰、豚の脂・肩・耳・足、鶏)、(2)野菜(ヒヨコマメ、ジャガイモ、キャベツ)、(3)スープ。

 スペインを横断する800kmの道のりはサンチャゴ巡礼の道 Camino de Santiago と呼ばれる。ローマ、エルサレムと並ぶキリスト教三大聖地の一つ。9世紀にヤコブの墓が見つかってから、巡礼に訪れる人が増えた。歩くと30日くらいかかる。自転車でも可。到達すると全ての罪は許される。青地に黄色いホタテのマークは巡礼者の道標。レオンはその巡礼の中継地としても重要な町。
 お土産物屋さんも多い。その中の「フォトグラフィア・T・K Fotografia.T.K. 」には、「ホタテ貝」1.9ユーロ、「ひょうたん」2.8ユーロ、「つえ」7.4ユーロなどを売っていた。ひょうたんは昔の水筒、ホタテは巡礼のシンボルで、ヤコブの遺骨がホタテに包まれていたというような伝説がある。これらには赤い十字架がついている。住所:Calle Ancha,n。2 24003 Leon、Tel:+34-98-7249521。

●カストゥリロ・デ・ロス・ホルヴァザレス
 レオンから西へ50km。人口数十人の黄土色の石造りの町。古いままの中世の町でした。

●フォンセバドン
 頂上には有名な「鉄の十字架」がそびえ立っていた。巡礼者たちの様々な思いが品物として残されている。

●ビリヤフランカ・デル・ビエルソ Villafranca del Bierzo
 サンチャゴまであと180km。ここのサンチャゴ教会にある「許しの門」をくぐれば、サンチャゴに到着したのと同じ恩恵を受けることができる。その門の前にあるのは、巡礼者のための宿アルベルゲで、「アヴェ・フェニックス Ave Fenix 」。素泊まり6ユーロ。ご主人のヘズース・ハトーさんはやさしい人で、お金がない人、巡礼を証明できる人には無料で泊めているそうです。困った人には相談にのるそうです。アルベルゲとは巡礼者のための宿で、サンチャゴまでの約800キロの巡礼の道には約23キロ毎にこのような宿泊施設がある。コインランドリーやシャワー室があり、キッチン付きのところもある。 Tel:+34-98-7542655

●セブレイロ村
 標高1300mの最後の難所。紀元前3世紀まで住んでいたケルト民族の面影を感じる。

●メリデ Melide
 サンチャゴまであと40km。レストラン「プルペリア・エセクィール Pulperia Ezequiel 」は、海の幸が豊富なこの地方の名物料理を味わおうと巡礼者たちで賑わっている。ゆでダコを取り出してきて、ハサミで切り、岩塩、パプリカ、オリーブオイルをかけて食べる。1人前5ユーロ。住所:San Roque 48 MELIDE
Tel:+34-98-1505291 営業時間:9:30〜24:00(年中無休)

●サンチャゴ・デ・コンポステーラ Santiago de Compostela
 モンテ・ド・ゴッソ(歓びの丘)にやっと到達。ここには2人の巡礼者の像がある。そこから教会の塔が見えた。コンポステーラとは星の野原という意味。星に導かれた羊飼いがヤコブの骨を発見したことから名づけられた。徒歩で100km以上、自転車で200km以上自力で制覇した人にだけ「巡礼オフィス Oficina de Peregrino 」で巡礼証明書がもらえる。今年は7年に1度巡ってくる巡礼の年なので、通常の2倍以上の17万人の人がこの地を訪れた。住所:Rua de Villar 1。 Tel:+34-98-1562419 営業時間:9:00〜20:00(年中無休)
 この日到着したオーストリア女性ダニエラ・グリギエルさんのスタンプ帳を見せてもらった。7−8時間歩いて、30日かかったが、いい経験になったそうです。

 サンチャゴ・デ・コンポステーラ大聖堂に行く。大きい!バロック様式のカテドラルで、中に入った人は、まず「栄光の門」の柱に手をあてて祈りを捧げる。長年の人々の手のために大理石の柱に人の手の形が残っている。次に黄金に輝くヤコブ像との対面。後ろからヤコブの肩に両手を当て、長い旅が終わったことを報告します。下にはヤコブの棺が安置されている。普段は日曜だけミサが行なわれるが、巡礼の年は毎日正午に行なわれる。ミサの後、ボタフメイロと呼ばれる儀式が行なわれた。賛美歌にあわせ、1.6mの大きな香炉が左右に振られます。お香の香りに包まれて巡礼者たちの心が浄化され、神の前で新しい自分を発見すると言われています。荘厳な儀式に圧倒され、長く辛い道のりを歩いてくる巡礼者たちの心が少しわかったような気がしました。
http://www.archicompostela.org/


テレビ番組「ビバ!エスパーニャ! 太陽の国の極上時間」

 2004年9月18日放送。はなさんの一人旅。スペインに住む3人の日本人を訪ねながら、スペインを紹介してもらう。エール・フランスで行きました。TVQ九州放送製作。

●マドリード
 今年2月にオープンした大人気のファースト・フード店「Fast Food」。世界じゅうのセレブが訪れるという「エル・ブジ」が開いたファースト・フード店。エル・ブジは出てくる料理が衝撃的な傑作ばかりというのが評判で、数年先まで予約でいっぱいだとか。まずは「ガスパチョ(トマトと野菜の冷製スープ)」 Gazpacho suave con Albahaca 3.5ユーロ。「レタスとフルーツのサラダ(パルメジャーノがけ)」 Ensalada de Lechugas con Frutos y Parmesano 5.3ユーロは、オリーブオイルをかけて食べます。メインは人気のハンバーガー「イタリアン・バーガー」 Hamburguesa de ternera con rucola, tomate confitado y queso gorgonzola は、ルッコラにトマトソース、ゴルゴンゾーラがたっぷりのっていて、ポテトがついていて、8.10ユーロ。

 画家・堀越千秋さん56歳。留学してそのまま居着いてしまって、スペイン在住28年。スペイン人の情熱的で楽天的なところに魅せられ住んでいる。世界各地で個展を開き、気鋭の画家として活躍しています。「ゴッホなきあとのオーヴェールの麦畑」、「風の中のオリーブ」、「島々」など。スペインは時間がのんびりしているという。
 二人でバルに行きました。堀越さんの好きな「Bodegas Ricla 」という店で、一品だけの料理で勝負している。イワシ料理「イワシの酢漬け」 Boquerones en vinagre 4.5ユーロが自慢です。新鮮なイワシを酢と塩でしめて、ガーリックとオリーブオイルにつけたもの。これをポテトチップにのせて食べますがおいしいそうです。ビールはクリーミーだそうです。
 次のバルはマッシュルーム専門店「 Meson del Champinon 」。店の天井の装飾もマッシュルーム風。お客さんを迎える言葉は「マッシュルームを食べずに出ていってはならない」。「マッシュルームの鉄板焼き」 Champinones a la plancha 4.8ユーロの1品のみ。チョルソとニンニクを詰めたマッシュルームをたっぷりのひまわりオイルで焼き上げる。2本ずつ刺した楊枝がポイント。両手で食べるそうですが、おいしいそうです。
 堀越さんはフラメンコについている歌カンテが好きだそうです。アンダルシアに友達がいて、よく遊びに行くそうです。

●アンダルシア地方サンルーカル
 大西洋を望む町。昼間からなじみのバル「Taberna ases del arte 」に仲間たちが集まっていました。ここはフラメンコ好きが集まってくることで有名だそうです。シェリー酒の一種のマンサリージャという強いお酒が名物。海老は頭の部分は床に捨てて食べる。この頭の多さがおいしいお店の目安だとか。
 隣の庭でフラメンコをやり始めた。遠くから流れ着いた民族の悲しい記憶を哀愁をもって歌うのがカンテです。堀越さんも力強く歌いました。

●バルセロナ
 スペイン第二の都市。まずポケリア市場に行ってみた。野菜が色鮮やかに並んでいた。ナッツのお店に寄って、いろいろ買いました。

 料理研究家・赤地香菜子さん31歳。学生時代にスペインでホームステイした経験が忘れられずに、勤めていた食品会社をやめ、スペイン料理の極意を学ぶために4年前にバルセロナにやってきた。学校で学んでいること、調理方法、盛り付けなどを詳細にノートを取っています。
 カタルーニャのデザートを作ってくれました。「クレマ・カタラーナ」 Crema Catalana は冷やしたクレーム・ブリュレで、上にベリーがのっています。
 赤地さんはこちらにきて体調がよくなったという。水ではなく、料理と生活スタイル。スローライフ、スローフードの提案ができたらと言われていました。

●ペララーダ
 バルセロナの北東の町。ひまわり畑の中の丘の上にレストランがあった。ペララーダ城 Castell de Peralada 。隣に美術館や図書館もある。レストランは塔の部分にある。パンは固いけど、3つの角があって独特です。海の幸をふんだんに使い、フランス料理とスペイン料理のスタイルを融合させたのがカタルニア料理だという。このお店の総料理長ドミンゴ・ガルシアさんは赤地さんの通う学校の先生です。「冷製トマトスープとパルメザンチーズのムース」 Sopa fria de tomate con espuma de parmesana 。「オマール海老のサラダ」 Ensalada de bogavante aromatizado aceite de jengibre, lichis, rucula y aceite de curry 。まるで絵画のように色彩が鮮やかで、カレー味とジンジャーオイルの味付けの2種類が楽しめました。「フォアグラのレッドフルーツソース」 Foie gras a la plancha con sopa de frutos rojos aromatizados 。甘酸っぱいソースとフォアグラが絶妙な不思議な出会いです。今回はレシピまでいただきました。

●バルセロナ
 ピカソ、ミロが愛し、ガウディをはぐくんでいた町。バトリョ邸、ミラ邸などガウディの建築を町で見ることができます。建築家アントニオ・ガウディといえば、サグラダ・ファミリア大聖堂。1882年から建築を開始して、まだ完成していない。
 ここで働く主任彫刻家・外尾悦郎さん51歳。26年前大学の彫刻科を卒業してここを訪れ、人生を賭けてこの大聖堂の建築に明け暮れてきた。外尾さんが16年をかけて完成させた生誕の門。最初に手がけたのはハーブの彫刻でした。15体の彫刻も外尾さんは作りました。ここの建物の柱は全部斜めになっている。ガウディは建築も引力に逆らわない力で作ろうとしていた。地上を上にしておもりをつけて吊り下げて、それを現実にしようとした。外尾さんは一緒に作っている感覚になっているようです。キリスト教には欠かせないワインのブドウをかたどった彫刻、それを今作っている。中から作っていて、みんなは完成したら外から見る。中に魂が入っていると言われていました。
 旧市街・ペトリチョール通り。仕事を終えてここを散歩するのが外尾さんの極上のひととき。5月に閉じてしまった画材屋さんに来て、ついでに甘いものを食べていたそうです。洒落た雑貨店に立ち寄ってみました。Beardsley ではワイン入れ、帽子掛けなどがありました。
 美食家で知られる外尾さんのお勧めは「 La Cupula 」。空間も食事の一部と考えている味わいのあるお店です。「車えびのガスパチョ」Gazpacho con Langostinos 12ユーロ。ピンク色のガスパチョでした。「セップきのこのリゾット(フォアグラとトリュフ添え)」 Nuestro Rissotto de ceps con Foir y Fruta 15ユーロ。とてもおいしかったそうです。おいしいものがなかったら、サグラダで仕事はしてない!と外尾さんは言われていました。

 グエル公園に行ってみた。ガウディの作品はスペインの空にも合うと思いました。作品を通じて、ガウディの囁きを聞いたような幸福感をはなさんは味わっていました。

●バレンシア
 バルセロナの南の方、陽光降り注ぐ街。パエリア(パエージャ)はここが発祥の地。海辺のレストラン「La Rosa 」で「バレンシア風パエージャ(2−3人前)Paella Valenciana 13ユーロをいただいた。鶏肉、うさぎの肉、エスカルゴ、2種類の隠元豆などをトマトとニンニクで炒めて、サフランで仕上げた。

 バレンシアの火祭り「ファジャ」を見た。1年に1度バレンシアが燃え上がる。街中に700体のはりこの人形が設置され、炎につつまれる。人形は専門の職人が1年がかりで製作する。

 「リャドロ・ポーセリンシティ Lladro 」では磁器の伝統が稀代の芸術作品ポーセリン・アートを生み出した。白い宝石とも言われている。物語を秘めた命がその体内に宿っているかのような磁器の人形。花までも美しく作られている。半世紀前にホアン、ビセンテ、ホセのリヤドロ3兄弟がバレンシアに小さな工房を構えたのがリアドロの始まり。2002年リヤドロ・プリビレッジ・スピリット・アワード賞の第1回を外尾さんに贈った。工房を見せてもらった。広報のアリシア・ゴンザレスさんが案内してくれた。部分部分を作っていって最後にあわせるようです。組み上げてから特殊な絵の具で色づけをする。バラなども精巧に作っていっていました。
 作品をデザインするアーティストであるホアン・コデルクさんを訪ねた。さらに社長のホアン・ビセンテ・リヤドロさんともお話を伺った。


テレビ番組「道浪漫」2003年11月16日は溝口肇さんでスペイン

●サラマンカ
 マドリードの西。マヨール広場はスペイン一美しいと言われる広場。広場 を横に見ながら喋る年配の人がいるという溝口さん。見ていると、確かにぐ るぐる回っている。広場評論家がいてもいいという(笑)
 学生の街。1218年創立のスペイン最古の大学、サラマンカ大学は正門 をみんなが見上げている。「ガイコツの上にかえるがいる彫刻」は、自分で 見つけると学生はいい成績が取れ、恋人は結婚でき、観光客はまた来れると いう。右の柱の真中にあった。
 夜に広場の近くの「メゾン・セルバンテス」というバルにやってきた。 セルバンテスもサラマンカ大学で学びました。バルではノンアルコールの飲 み物も充実している。タパスという食べ物もよい。ドリンク+タパス1皿で 1.6ユーロ(200円)は安い。タパス1皿追加は1ユーロで。そこに奇 妙な一団が来た。大学のラ・トゥナという演奏家。ギター数本と他の楽器で 歌もうまい。その実力は折り紙付き。大学の女子寮に行くというので、溝口 さんもついて行った。まずバルコニーから見えるところで演奏し、中に入っ て、中庭で演奏した。

●サラマンカ県アルバ・デ・トルメス
 ドゥエーニャス工房は500年続く工房で、この土地特有の陶器を作る。

●ラ・マンチャ地方クエンカ
 ラ・マンチャ地方はスペイン中央部にあり、褐色の荒野で、ドンキホーテ の活躍した大地。ラ・マンチャとはアラビア語で「乾燥した土地」という意 味。
 クエンカはマドリッドの南東で、岩山の断崖絶壁に作られた町で、かつて は難攻不落だった。谷間にかかった橋を渡ると、バルコニーのせり出した建 物がある。14世紀建築の「宙吊りの家 Casas Colgadas 」で、レストラン だった。木製のバルコニーからは山と橋と町が展望できた。隣はモダンアー トの美術館だった。それぞれの窓が白い額縁で、当然中にはクエンカの山が 見える。
 宿は国営のパラドール・クエンカ。16世紀に建てられた修道院を改装し たもので、美しい回廊がアート。1泊109.96ユーロ。
http://www.parador.es/
http://www.castleshotels.com/Spain/

●ラ・マンチャ地方コンスエグラ
 ドンキホーテの舞台、コンスエグラは丘の上に静かにたたずむ風車のもと にある町。15世紀に作られたもので、現在使われていない風車は土産物屋 さんや観光店となっている。風車は3階建てで、木造の屋根と木造の大きな 歯車からなり、小麦をひく。
 畑には紫色の絨毯のサフランが広がる。この時期、わずか2週間だけ花を 咲かせる。香辛料に加工するために、花はしぼむ前に摘み取らないといけな い。摘んだ後を見たいというので、エウヘニオ・オルテガさんのお宅に行く 。花から赤いめしべを取り、これが香辛料になる。香辛料10gを作るのに 1500個の花、4500本のめしべを使う。その貴重さから、かつては金 と同程度に扱われていた。
 デメトリア・ディアスさん宅でサフランを味わうことになった。ラ。マン チャ風肉団子煮込みを作るのも手伝う。たまねぎを切る時に、爪楊枝を口に くわえていると、目が痛くないという。
 10月最終日曜日はサフラン祭り。年に1度賑わう日。めしべ取り競争に デメトリアさんは出場して、1位でした。
 風車の前で溝口さんはチェロを演奏しました。

●途中
 マドリードに帰る途中、帆のついた風車を見た。

http://mbs.jp/tv/michi/357/


テレビ番組「道浪漫」2003年11月2日は桜井幸子さんでスペイン・アンダルシア

●アンダルシアに
 マドリッドのアトーチャ駅からAVEというスペイン版新幹線でアンダル シアに向かう。到着が5分遅れたら、全額払い戻すという。セビージャには 2時間半の旅。車掌さん曰く、5年間で1回だけあったらしいです。1等車 で114ユーロで、車内サービスもすごくて昼食付き。アングーラス(ウナ ギの稚魚)の卵とじと牛肉のスパイス焼き。座席もいろいろな機能付き。
 セビージャのサンタフスタ駅に5分前に到着。

●ヘレス・デ・ラ・フロンテーラ
 セビージャからは車で南下した。ここの町はヘレスというシェリー酒で有 名。蔵元のゴンザレス・ピアスを訪問。アイルトン・セナのサインもある。 スピルバーグの樽、国王の樽などもある。シェリーと呼ばれるのは、ヘレス とその周辺で造られたものだけ。ワインと同様に造られるが、フロールと呼 ばれる酵母に発酵させることが違う。素晴らしいパフォーマンスでグラスに 注いでくれたが、これは意味がある。上から落とすと空気に触れるので、 風味が増すからだという。味はシャンパンのシュワシュワがないような感じ という。
 この蔵には常連がいる。80年前に管理人がネズミに与えたところ、気に いったらしくて、代々いつも来る。

●サハラ・デ・ラ・シエア
 アンダルシアには白い建物の村が多い。道は「白い村街道」と呼ばれてい る。絵よりも美しい。

●ロンダ
 今回はプチホテルのホテル・モンテリリオに宿泊。ジュニア・スィートで 1泊180ユーロ。シングルだと90ユーロ。翌朝、窓を開けてビックリ。 眼下には崖。ロンダは崖の町だった。
http://www.hotelmontelirio.com/
 朝食は町を歩いていてチューロス(スペイン版ドーナツ)2個1ユーロと ホットチョコレート。チューロスを造る際には、面白い器具から油に入れる ところが面白い。スペインの人は甘いものを朝食に食べる。

●カザレス
 白い建物で美しいカサレス。ここでファナ・マリ・フィル・ペレスさんに 連れられてフラメンコの教室を訪問。今日は5歳の子の練習日。たいていの 子は3歳から始める。桜井さんもカスタネットを練習しました。
 ファナ・マリ先生のお宅で昼食をいただいた。カサレス風ガスパッチョ。 ピーマンを炒めて、卵を入れてできたものを、パンにかけて、崩さずに煮込 む。真中にお皿?を置いて、みんなで小皿なしで食べる。

●ラガルテラ
 マドリッド南西の郊外で、刺繍の村と言われる。800年の伝統がある。 その中でも名人といわれるペピータ・ガルシアさんを訪問した。大きなもの で1年かかるという。鮮やかな色使いなどはスペインでも有名。客間には、 壁にビッシリとお皿が飾られていた。お客様をお皿で迎えるのが伝統だとい う。

●ドニャーナ国立公園
 スペイン南部のベタ・ラ・パルマ。1.1万ヘクタール(世田谷区2個分 )に3万羽のフラミンゴが生息している。豊かな湿地帯のおかげ。養殖して いる小さなエビが恰好の餌になっている。羽がうっすらと紅色のフラミンゴ です。養魚場ベタ・ラ・パルマでは見学ツアもあるが、要予約。
http://www.vetalapalma.es/

http://mbs.jp/tv/michi/355/


テレビ番組「道浪漫」2003年5月3日は渡辺典子さんでスペイン・バレンシア

 バレンシアは年に1度異様な活気に包まれる。3月に8日間かけて開催さ れるスペイン3大祭りの一つ火祭り Las Fallas のため。巨大な人形を一挙 に燃やす。
 ラ・ロンハはバレンシアの象徴の世界遺産。入場料は無料。15世紀に建 てられたもので、現在はコンサート会場などとして使われている。高さ11 mの螺旋状の柱が特徴。チュロス(ドーナツみたいなもの)に似ている。ス ペインの朝はこのチュロスにココアというのが定番。
 大聖堂の角に建つミゲレテの塔が目立つ。入場料1.2ユーロ、高さ70 mで、八角形の塔の上には螺旋階段で登ることができる。のぼりきると街並 みが一望できる。
 パエリアはバレンシアが発祥の地。パエリア鍋を売っている。直径1.5 mの大鍋があった。火祭りのスタッフ用に200人分のパエリア作りをして いたのを手伝った。鶏やウサギなどの肉を使う。塩とオリーブオイルで味付 けし、お米はナマのまま。均等にまくのがコツ。2時間かかって完成。

 火祭りは毎年3月12日〜19日。人口70万人に世界中から300万人 の観光客が訪れる。最終日に街に置いてあるファジャと呼ばれる張子人形を 燃やす。紙にろうづけして製作してあり、人気投票を行なっている。今では 専門家が1年かけて作っている。
 火祭りのメイン会場となるのが、市役所の前。高さ20mを越える人形が 並べられて、それは名誉なこと。今年はバンドという作品が選ばれた。
 名物のパレード「オフレンダ」が行なわれた。民族衣装をまとった女性た ちが聖母マリアにカーネーションを供えるパレード。供えられたカーネーシ ョンはマリア像に飾りつけられる。マリア像だけは燃やされない。
 最終日。人であふれかえっている。夜が更けるにつれて、人形のまわりに 人だかりができる。午前0時になると一斉に燃やされる。火つけ役の女性は 涙を流すほどの名誉だとか。人形はまたたく間に燃え上がった。15−20 分程度で燃え尽いた。午前1時、花火と共に、最後に残った市役所前の人形 が燃えた。

●マジョルカ嶋
 空港から飛行機で30分。年間300日以上晴れると言われているので、 地中海の楽園と言われている。ポルト・クリストのドラック洞窟に行く。 入場料は9ユーロ。龍が昔住んでいたという言い伝えがある。周遊1時間と いうコースの中で最大の見せ場は、マルテル湖は深さ9mの世界最大級の地 底湖。天井からは神秘的な多くの細い柱が!ボートに乗った楽団によるミニ コンサートが開かれる。
 ソジェールというところに1泊した。レモン畑がある。のどかな村です。 泊まったのはホテル・カン・クアトレ。小さなホテルで、スィート176ユ ーロに泊まった。3階にあり、広くてテラスもとても広い。イスに座って、 眺めているだけでもいい感じ。
 レトロな路面電車に乗った。遊園地のおサルの電車みたい。街の中心と3 km離れた港を結ぶ。運賃は0.75ユーロ。所要時間15分。ソジェール 港に到着。魚がたくさん取れている。ここで漁師鍋を食べさせてもらった。 そのまま煮込み、塩とパブリカで味付けするエルカルドは漁師さんたちのま かない。別の鍋でじゃがいもとにんにくを炒め、これに魚の煮汁を加えた。 煮た魚にはレモンを絞って加えた。


テレビ番組「突撃ほかほかごはん隊、情熱のスペイン珍道中」

 2002年8月25日放送、2003年1月25日再放送。石田純一、石 塚英彦、はしのえみ、坂本ちゃんが出演。日本のお米をもって海外に飛び出 し、ご飯にあうおかずを見つけることがテーマ。前回はタイだった。スペイ ン人は1日5回食事を取るという。中京テレビ製作。

●バルセロナ
 サグラダ・ファミリア教会がある。教会の前でご飯を炊く。

●バルセロネータ
 バルセロナの港町。ここのスペイン大衆食堂「バル(気軽に食事ができる 場所)」でおかず探しをする。スペイン風肉じゃが7ユーロ、肉だんごのト マト煮込み3.6ユーロ(とってもおいしいらしい)、魚介のサフラン煮込 み15ユーロ(とってもおいしいらしい)。揚げ物専門のバルとか、シーフ ード専門のバルとかもあった。ナバハス(マテ貝の鉄板焼き)にオリーブオ イルをかけたもの8.7ユーロ(これは甘辛でおいしいらしい)、ばくだん 揚げ1個1.5ユーロ(ゆでたジャガイモと牛・豚の挽肉を和えたコロッケ みたいなもの)、エビのフライ4.66ユーロ、

●バスク地方
 バスク地方がすごいグルメだというので行く。フランスとの国境の町。バ スク・スポーツは有名で、重い石とかを持ち上げる。会った人は130キロ の石塚さんを軽々持ち上げた。目の前で329kgの石を持ち上げた!お祝 いにご飯を炊くが、野菜がでかい!ネギも日本の大根くらい。マッシュルー ムのかさの部分にオリーブオイルをかけて、塩をかけて炭火で焼くとおいし かった。この地方にはミシェランの星のレストランが非常に多い。

 カルロスという有名なシェフのいるレストランを教えてもらった。サラウ スという街のKarlos Arguinano カルロス・アルギニャーノという店。彼は TV出演が多いので、代わりに若き天才シェフのミケル・マヤンさん(30)が 料理を作ってくれた。「フォアグラと牛ヒレ肉のカルパッチョ」(ハムのよ うに切ったヒレ肉に千切りしたフォアグラをよく混ぜて食べる。チョコレー トに近い味とか?)。最近はこのような新しいスペイン料理が世界的にも人 気らしい。「ココチャスのグリーンソースと小イカのイカスミソース」( ココチャスはメルルーサというタラの一種の魚のエラ近くの肉)。
 ご飯にあう料理をミケルさんが料理学校で作ってくれた。「メロンとアン チョビのビネガー・オリーブオイル・ソースかけ」、「豚の血の腸詰(モル シージャ)を使った大豆のクリームソースがけ」、「牛のほほ肉の赤ワイン 煮込み」。これら3品は本当においしいらしい。

●アンダルシア地方のバルバテ
 アンダルシア地方のマグロづくしの街。ジブラルタル海峡の西側。マグロ が大西洋から地中海に産卵に来る習性を利用してマグロを捕獲する。毎年、 スペインから日本に黒マグロを輸出しているとか。2001年度で475ト ンだった。
 マグロ専門店「ラ・パラーダ Parada」に行く。マグロのグリル8.5ユ ーロはパンにのせて食べる。トロのづけ9.5ユーロ。これは絶品らしい。

●アンダルシア地方の海辺の町アルヘシラス
 「海に咲く花」と呼ばれるアネモナという食材がある。地元のバルに行く と、フライにして食べるという。カキのような味らしい。アネモナ取りの名 人ペドロ・カマチョさんと共に、船に乗って取りに行く。
 さらに、怪獣の手みたいな「ペルセベス」というとっても美味しい海の幸 があるという。取りにくい場所にある。波の荒い岩場にある。フジツボみた いで、黒ベースに黄色のような爪が出ている。ホヤの上品な味らしい。

●アンダルシア地方のアラセナ
 白い壁の家の並ぶ街。生ハムレストラン「カサス」。スペイン名産の最高 級生ハム「ハモン・イベリコ」(豚の後ろ足)を食べられる。塩をすりこみ 20度に保たれた部屋で2年間熟成された最高級品。この中で一番グレード が高いものを食べさせてもらった。薄く切って、味と香りを楽しむ。

●ハブゴ地方
 豚はドングリを食べているらしい。

●マドリード
 Sirena Verde シレナ・ベルデというレストランをJCBプラザで紹介し てもらった。新鮮な魚介類が取り揃うシーフード・レストランで、「カニの 姿茹で」15.1ユーロ。

●バルセロナの南のタラゴナ
 カタルーニャ地方?。ここからバレンシア地方はスペインの米どころ。 カスティージャ(人間の塔)の組み立ての練習をしていた。通常は5−6段 だが、石田さんと石塚さんを2段目にして、一番上の3段目にエミさんを上 がらせるという。やってみて、完成した!
 お礼にご飯を炊いたが、彼らはそれ以上に料理を用意してくれた。さらに 巨大なパエリアが登場。直径1mに100人分!納豆・梅ぼし・海苔などの 日本料理も食べてもらった。

●最後にマイ・ベストおかず
 石塚さんは豚の血の腸詰・大豆のクリームソースがけ、坂本ちゃんはナバ ハス(マテ貝の鉄板焼き)、えみさんはバスク風マッシュルーム焼き、石田 さんはマグロの塩づけ。


テレビ番組「旅サラダ」2002年5月は川上麻衣子さんでスペイン

 スペインはお昼は2時頃から食べはじめて4時頃まで食べているらしい。

●バルセロナ
 サグラダ・ファミリアは工事が始まったのは150年前。入場料6ユーロ (700円)。誕生の門だけでも見てもすごい。観光客が顔を出しているけ ど絵になる。塔の高さは107m。横から見ると工事中だとわかる。最近は 収入も多いので、あと50年でできるかもしれないといわれている。地下の 資料室にはガウディが亡くなってから3年後の写真もある。外尾さんの彫刻 もある。逆にあるキリストの「受難の門」は切ない感じ。
 塔の上にはエレベータや階段で登れる。道が狭いのですれ違うのが大変。 塔の数は今は8本。完成すると18本。
 市内には他にもガウディの作品がある。マンション「カサミラ」。今年は 生誕150周年なので、無料で入れることもあるらしい。「カサビセンス」 などもある。ガウディが生きていた時代にはモデルニスモ建築というのが花 開いた時代。奇抜な建物が町のあちこちに見られる。
 モデルニスモ建築の最高傑作と言われるのはリュイス・ドメネク・イ・ モンタネール作のカタルーニャ音楽堂。ここはすごい。どこも可愛らしくて 優しい色使い。内部見学は5ユーロ。

 ランブラス通りは一番賑やかな通り。大道芸人が多く、週末には特に多い らしい。通りの中ほどにはサン・ジョセップ市場がある。アスパラも1kg で300円くらい。チーズやハムや魚介類も豊富。カラスミもある。
 サイロクという建築家によって建てられた建物の中にあるレストラン La Dama で食事。ガウディ風メニュー Menu Gaudiniano をいただく。まず、 タラバガニとレタスのマヨネーズ和え、ウニのスパークリングワイン和え( これはおいしかったらしい)、春キノコのフォアグラ詰め、スズキのグリル 、スペインロブスターの春キノコ添え、モザイク風チョコレートケーキ、 ラズベリーのシャーベットで87.5ユーロ(10300円)。季節によっ てメニューは変わるらしい。

●モンセラート Montserrat
 車で北西に1時間。ロープウェイ3.8ユーロでノコギリの形をした モンセラート山の中腹になる修道院を訪ねた。このノコギリの形からガウデ ィがサグラダファミリアの形を思いついたという。この修道院の大聖堂の祭 壇の後ろにマリア像がある。年間250万人が訪問するという聖地。

●カルドナ Cardona
 車でさらに40分。カルドナ塩山がある。入場料8ユーロ。今は採掘され ていなくて、観光用になっている。塩の鍾乳洞や大理石みたいな感じ。
 パラドール・デ・カルドナ。塩山で財産を築いた公爵のお城が今はホテル になっている。パラドールはスペイン各地の国営のホテルで、修道院や宮殿 を改造して作られたものが多い。スィートはピンク!で統一されていて、ベ ッドも広い。153.26ユーロ(18000円)。普通の部屋は1300 0円くらい。

●トレド Toledo
 1000年の間、スペインの政治・文化・経済の中心の地。三方を川に囲 まれ、残る一方には城壁が築かれている。新アルカンタラ橋、ピサグラ新門 (天使が出迎えてくれる)。人口は6万人で歩いて回れる。車は避けた方が いいかも。「ア・セラーノ」という陶器屋さんに入る。ヒゲを剃るためのお 皿もある(52ユーロ)。
 トレド名物のお菓子のお店「サント・トメ」。スィートポテトみたいな感 じのマサパン(1キロ)22.24ユーロ。アーモンドとハチミツと砂糖だ けで小麦粉は使わない。おみやげ用としてはウナギ型のマサパン16.23 ユーロ(ジャム入り)。
 伝統工芸の象嵌(ぞうがん)細工の店「シモン」。金や銀の糸を埋め込ん でいく。1枚4−7万円くらいのお皿を売っている。高いのは宝石箱で11 720ユーロ(138万円)。
 郷土料理の店に行く。「Cason de los Lopez de Toledo 」。16世紀の 古い居酒屋を改造したらしい。あさりのクリームスープ7.5ユーロ(中に はライスがある)。鹿の赤ワインソース19ユーロ。トリハスという揚げパ ン5ユーロ。

 旧市街から橋を渡って対岸の丘の上のパラドール・デ・トレドに宿泊。伝 統的な建築。二階に案内してもらった。展望テラス付きツインルームで12 8。74ユーロ(15200円)。高さのないところだと12000円くら いらしい。旧市街が全部見える。色が変わるので見ているだけでいい。 夜景がよかったらしい。

●カンポ・デ・クリスターナ Campo de criptana
 ラ・マンチャ地方。400年前のドンキホーテで有名。風車もある。鉄の 芸術家テノさんのアトリエ「エ・テノ」を訪問。ドンキホーテがモチーフら しい。おみやげに1個1万4000円くらい。
 丘を登ると風車が見えてきた。400年前は40基あったが、今は10基 のみで、使われてはいない。このうちの一つには中に入れる。
 風俗博物館 Museo Popular を訪問。風車の小さいのがある。小麦をひく のがわかる。風を捕まえるために羽根は屋根ごと動く。つっかい棒みたいな のは屋根を動かすためのものらしい。
 レストラン Cueva la Martina に行く。ドンキホーテの時代に人が住んで いたという洞窟を改造して作ったものらしい。羊飼いのミガス4.51ユー ロ(細かくしたパン、マスカット入り)。
 宿泊は風車の丘のプチホテル La Casa del Cano。オープンして1年、白 い壁で100年昔の民家を改造して作った。4部屋しかない。ルームチャー ジ60ユーロ。外には羊飼いの鈴の音が聞こえる。


●マヨルカ島
 マドリッドから飛行機で1時間。沖縄本島の3倍の広さ。パルマ・デ・マ ヨルカ(島の南)が玄関。島の半数がここに住む。ソーイェル鉄道に乗って 島の北川へ向かう。90年前の開通当時の車体で人気だとか。4.8ユーロ (570円)。景色はアーモンドやオリーブの畑。1時間で到着。そこから さらに車で10分でフォルナルッチ。

●マヨルカ島フォルナルッチ Fornalutx
 スペイン一きれいな村と言われる。建物もいいし、緑もいい。窓枠が緑色 で路地も石段もきれい。オレンジ畑に囲まれ、18世紀の屋敷を改造して作 ったホテル「カ・ナイ(Ca n'Ai)」に宿泊。アイさんのお宅という意味。全部 で13室しかないが家族経営でアットホーム。昔のカマドがロビーのくつろ ぎのスペース。部屋は明るくて景色もいい。白い壁。13室のうち11室が ジュニアスィートタイプで朝食付きで2人で24000円くらい。126. 21ユーロ(15000円)。畑のオレンジは食べ放題。甘くておいしいら しい。8月いっぱいまで食べられる。ここの自慢は、食事だけにでも訪問す る人がいるというマヨルカ料理。赤ピーマンのタラのすり身詰め。9.62 ユーロ。仔羊のロースト、ケッパーソース15.03ユーロ。オレンジの マスカットワイン漬け4.81ユーロ。これらはおいしいらしい。

●マヨルカ島ポルト・デ・ソーイェル port de soller
 ホテルから小さな電車で5分の街。遊覧船も出ていて、北海岸を走る。ソ ーイェル〜サ・カロブラ間10ユーロ。切り立った絶壁を見ながら45分。

●マヨルカ島サ・カロブラ
 サ・カロブラ Sa Calobra は200mの遊歩道がある。Torrent de pareis トレント・デ・パレイス(二つの小川という意味)という砂浜で日光浴して いる。水がいろいろな色をしている。

●マヨルカ島シネウ Sineu
 真中にある。毎週水曜日に教会前に市場が立つ。赤ピーマンがでかい!オ リーブも種類がたくさん。ソプレサダはブタ肉の腸詰。トゥロンというアー モンドの飴を製造販売している。
 風車が今も残っているし、お花畑がある。アマポーラ(ひなげし)が丁度 満開だった。
 ドルディオラのガラス工房に行く。青、赤で素朴な感じ。48ユーロ程度 が多い?お店のすぐ横では製造している。ネコでもすぐ作ってしまう(笑)
 山道では自転車に乗っている人によく会う。ヨーロッパの人はマヨルカを 地中海の楽園と呼んで何度も訪れるらしい。

●マヨルカ島フォルメントール半島
 北の端。海を見渡す展望台がある。断崖の上にあり、海が青くて、はるか 下をカモメが飛んでいてすごい景色。さらに15km先に灯台がある。夕陽 はとても思い出深いものとなったそうです。


●アルコス・デ・ラ・フロンテラ
 南部の白い村の一つ。人口3000人。白い壁は夏の暑さを和らげるため らしい。花もきれい。「ギャレリア・デ・アルテ」工芸品もあって、700 円〜3000円程度。
 展望台に行ってみた。すごい眺め。180度見える。高さ100mの絶壁 の上にある。

●ヘレス・デ・ラ・フロンテラ Jerez de la Frontera
 アルコスの西には、フランスのシャンパーニュ地方と同じような質の土が あり、ワイン造りが盛ん。大聖堂の近くにある老舗のワイナリー、Gonzalez Byass Jerez を訪問。見学は7ユーロ(830円)で遊園地のような乗り物 に乗って回る。有名人のサインのあるワインの樽がある。スピルバーグやロ ジャー・ムーアとかもある。川上さんもサインした。Tio Pepe とかが製品 名?
 アンダルシア王立馬術学校がある。世界一らしい。平日は見学ができて6 ユーロ。

●セビリア
 春祭りの直前なので、正装している人が多い。大聖堂の横から観光用の 馬車に乗れる。カルメンがドンホセと出会ったタバコ工場は現在セビリア 大学になっている。観光馬車は1時間で60ユーロ。この大聖堂はスペイン で一番大きい。
 サンタ・クルス街は白と黄色の壁で観光客に人気。オープンエアで食事が できる。オステリア・デル・ラウレル Hosteria del Laurel 。トマトや キュウリやタマネギなどをつぶして酢を利かせたスープはガスパッチョとい われる名物料理。5.56ユーロ(660円)。魚介類のパエリアは2人前 で32.46ユーロ(3830円)。お昼に食べた。
 シエスタでお勧めなのはスペイン広場。寝ている人が多い。それぞれの街 の話をタイルに描いてある。イスラム文化の香がする。1929年に万博が 開催された場所らしい。
 セビリアの春祭りは元は家畜の取引市だった。月曜日の深夜に始まり、6 日間続く。女性のドレスも華やか。盛り上がるとフラメンコを簡単にした セビリアの踊りをみんなが踊り始める。テントは300くらいある。カセタ という仮設テントには関係者しか入れない。観光客は一部の自治体のものに しか入れないが、中での踊りは見られる。深夜もライトアップしてあって 盛んです!




テレビ番組「道浪漫」10月は中村メイコさんでスペイン

●マドリッド
 プエルタ・デル・ソルという熊の銅像の広場が待ち合わせの定番らしい。 神津善之介さんが個展を開くというので今回は親子で登場。 セラーノ通りはブティックが並ぶ。その1本裏の道にある画廊パス・フェリ で個展が開かれている。かなり縦長の絵もあったり、空間で遊んでいるよう な絵が多い。東京でもやったとか。
 カフェ「エル・エスペホ」で一休み。田舎の可愛い町に行きたいというメ イコさんのリクエストを考える。メルカド・デ・ラパスという市場に行く。 ここで食材を買う。魚をさばくのにハサミを使う。息子の部屋で食事を作っ て食べさせる。

●周辺の街
 翌朝、南に向かう。まずはトレド、もし1日しかスペインにいないのなら トレドに行けといわれているくらいの古都。エル・グレコが数々の傑作を描 いた。
 コンスエグラは荒涼たる大地のラマンチャ地方。そしてあの風車が迎えて くれる。

●チンチョン
 小高い丘の小さな町。道が狭いので5cmの差で通過できた!闘牛場に車 を止める。マヨール広場は夏の時期だけ闘牛場となる。美しい場所。これを 見ながらレストランで食事もできる。教区教会の中の「聖母被昇天」はフラ ンシスコ・ゴヤの作品。現在、遺跡発掘中のために一般観光客は中には入れ ないらしい。
 街1番のパン屋による。アニス酒がある。食後に飲むリキュールである。 43度で軽い方なので、かなり強いお酒。ケシに近い匂いだが、アニスの匂 いだという。水を入れると濁る。
 ソパ・デ・アホを食べる。でっかいお椀で食べるスープ。アホとはにんに くのこと。チンチョン産のニンニクは小さいがおいしいらしい。一房500 ペセタ(350円)。
 恩師のムニョス・ベラ先生を訪問した。大豪邸に住んでいる。美しい中庭 (パティオ)を持つことはスペイン人の誇り。17世紀の建物を修復して使 っている。地下にはワイン部屋がある。

●セゴビア
 マドリッドから1時間。ローマ時代につくられたローマ水道橋は全長728 mで、一番高いところは29mもある。現在は世界遺産。アルカサルはこの 街のお城。ディズニーの白雪姫のお城のモデルになったらしいが、ちょっと 違うような感じもする。

●ペドラサ・デ・ラ・シエラ
 一番好きな風景を見せて欲しいと言われて連れていったのは、この街。 ペドラサ・デ・ラ・シエラ。水道橋もある。かわったオブジェがある。てっ ぺんにはコウノトリの巣がある。ここでたくさんの絵を描いている。風化さ れていく姿もいいという。
 ブーノという看板犬のいるレストラン「ボデゴン・マキシモ・マンリケ」 は何とも田舎風。中に入ると Comedor 「食べるところ」と書いてある。 メニューはない。子羊のローストしかないが、これに関しては天下一品のう まさの店。ワインで乾杯「サルー」。釜で焼くこと、3時間半。3000ペセタ (約2100円)。生後30日の子羊しか使わないというこだわりのある店 で、マドリードから車をとばしてわざわざ食べに来るという店らしい。メイ コさんは羊は食べられなかったのだが、食べられた!
 人口400人の可愛い村だが、可愛いお店も多い。「デ・ナトゥラ」とい うお店には、巨大亀型タワシを売っていた。靴をきれいにするものらしい。 6900ペセタ(4800円)だった。
 150坪の土地に連れていく。将来成功したら買いたいという。

●マヨルカ島パルマ
 スペイン極上のリゾートだが、東京都の1.5倍ある島。パルマ・デ・マ ヨルカをマリア・トレンツさんに案内してもらった。神津善之介さんが9年 前にスペインに来て、この島でホアキン・トレンツ・リャドに師事した。 ベラスケスの再来、現代印象派の旗手とも言われた天才だったが、彼は93 年に47歳で他界したが、その娘がマリアさん。
 ジャウメ1世通りを歩く。「コルマド・サントゴミンゴ」は一見何屋さん かわからないが、ぶらさがっているのがソプラサダという豚肉とピーマンを 練り合わせたもの。食感と味覚はアジとカラスミのソフト味だそうです。
 神津善之介さんが昔住んでいたアパートを撮影していたら、マリアナさん という同じアパートに住んでいた女性が見つけて、「連絡しないのは悪い子 だ」とかって抱きついてきた。
 「マノス・デ・マヨルカ」というお店は、可愛い手作りの小物・雑貨がい っぱい。星型のランタンは1490ペセタ(約1000円)。
 カテドラル。パルマでは是非紹介したい。中に入るとその美しさにため息 が出る。バラ窓は直径11m、世界で一位。輝くばかりの天蓋飾りは、あの 天才ガウディの作品。ルネサンス様式。休みは日曜と祝日。料金は600 ペセタ。
 そこの裏道を散歩すると、ある美しいおうちの中庭を見ることができる。

●マヨルカ島デイヤ
 山に向かう。斜面にへばりつくように広がっている美しい街。古きよきマ ヨルカの雰囲気を残している。「ラ・レジデンシア」というホテルは、あの ダイアナ妃も愛して、お忍びで来ていたというとっておきのホテルで4つ星 である。今回はダブルスタンダード36号室?29500ペセタ(21000円)。 スィートルームは12万ペセタ(84000円)。プライベートプールもあ るし、プライベートパティオもある。ここはパルマの北の方です。
 デイヤの入り江は絶景!透明度も高い!地中海の海の色も深い。小船も浮 かんでいていい感じ。そこの横のレストラン?

●マヨルカ島パルデモッサ
 パルデモッサ。ひなびた村だが、日本人は必ず来る。カルトゥハ修道院。 ショパンと作家ジョルジュ・サンドがパリから愛の逃避行をした場所。今で も二人が借りていた部屋( Celda Chopinと書いてある)が残されている。 3ヶ月間しかいなかったこの部屋でショパンは名曲「雨だれ」を書いた。
 両側に土色の壁、高さ1mの緑色の草の生えている道。この道が好きだと メイコさんは言う。ここはパルマの北の方です。

●マヨルカ島アンドラッチ
 アンドラッチはパルマの西の港町。レストラン「ミラ・マール」はスペイン 国王も船で乗りつけるほどの名店。カスエラ・デ・ランゴスターを注文した。 ランゴスターとは伊勢エビのこと。オリーブオイルで温めた鍋にトマトとニン ニクとペレヒール(ハーブ)と伊勢エビを入れて、塩コショウ、白ワインで味 つけをする。持ってきたら、客の前でコニャックを入れ火をつけた。マヨルカ 産のプリッとした伊勢エビ。6085ペセタ(4300円)。年に一度は食べたい と思い、そのためにがんばろうと思うような料理だと神津善之介さんは言う。
 パルマから車で30分。ポルトアンドラッチのレストランで、他にもイカス ミのパエリアなどの海の幸が美味。電話 (64)-971-671617

 神津善之介さんの個展は12月19−25日、銀座松屋本店、美術画廊にて 開催される。問い合わせは tel : 03-3564-6672 (松屋美術部)。


テレビ番組「秋吉久美子、石田純一、あやしいオトナのスペインほろ酔いグルメ旅」

 どこの制作?2000年12月9日関西では朝日放送で放送されました。 アリタリアでミラノ経由で行ったらしい。アンダルシア地方を紹介しました。

●マドリッド Madrid
 ミラノから到着。スペイン版新幹線のAVEに乗ってセビリアに向かう。

●セビリア Sevilla
 マドリードからAVEで2時間40分。空の青さが違う!「カルメン」で 有名な街。ここに暮らす女性の5人に1人がカルメンという名前だという!

レストラン「リオ・グランデ」でパエリアの作り方を教えてもらう。オリー ブオイル、赤&青ピーマン、トマトソース、サフラン、ブタ肉、塩、ニンニ ク、米、グリーンピースが原料で、強火で炒めて生の米をそのまま入れて、 サフランをドドッと入れて、塩を豪快に入れて、トマトソースをかける。ト ッピングは手長エビ、車エビ、アンコウ、タラ、アサリ、ムール貝、だし汁 (タラなどの魚の煮汁)、最後にオーブンに入れる。かなりおいしいらしい。

 シェルペス通り(ファッションの通り) Camper という靴屋さん、他には 皮のジャケットなどを見て歩く。
「タルパオ」というお店がフラメンコを見るにはよい。中でも El Patio Sevillano は一流のダンサーが出るので、有名。TVでやっていたのは、5 組の男女。お店が終わってから舞台の上で練習してみた。
 フラメンコダンサー養成学校に行く。放課後に子供たちに踊りを教えても らった。
 フラメンコの服を買いに行く。カラフルな服が並ぶ。水色のものでアクセ サリーや扇などを買って5.3万円。

●タリファ
 向こうにアフリカ大陸のモロッコが見える。左手は地中海、右は大西洋と いう境目にある街。

●コスタ・デル・ソル Costa del Sol
 太陽の海岸。特に Marbella マルベーリャは高級リゾート。高級なヨット が多い。アラブの王様なんかもいるらしい。Hermes の店で情報を入手でき る。Sinatora Bar でシナトラを聞きながら、おいしいコーヒーを味わえる。 別荘はすごいのが多い。最高級リゾートマンション Piso Lujoso を紹介し ていた。プール付2LDKで400m2の広さ。
 La Quinta Golf Club のクラブハウス La Dorada という有名なレストラ ンで、屋外で「ビルバオ風うなぎの稚魚にんにく炒め」を食べる。たかの爪 やアホ(にんにく)入りで、素材の味を大切にするために木のスプーン! この店一押しのメニューは「黒鯛の塩釜焼き」。またスペインのワインの中 でも最高の Vega-Sicilia Unico 1986 年を飲む。この店で1本2.5万 円でした。日本だと倍かな?

●グラナダ Granada
 アルハンブラ宮殿で有名。洞窟のような家がある。15世紀ここにやって きたロマ族(昔でいうとジプシー)の家がある。ロマ族の心の叫びがフラメ ンコとなったようだ。

●カサレス Casares
 別名「白い村」と言われ、観光地として人気らしい。

●アルコ・デ・フロンテラ Arco de Frontera
 車で2時間内陸に入ったところにある村。断崖の上に白い村が出現。中世 砦だった村で、白い門の下を見ると高さ400mの絶壁だった。
 村に流れる不思議な空気。村の人々は牧畜が主。闘牛用の牛もいる。朝は とてもゆっくりしている。朝食はバルという酒場で、「メンタポレオ」とい う体にいいお茶を飲む。これはミントに近いらしい。シェリー酒もいただく が、パンにはニンニクを塗ってオリーブをかける。おいしいらしい。

●カルモナ Carmona
 パラドールに宿泊。旧跡などを国営などにしてホテルなどとして提供して いるのがパラドール。Alcazar del Roy Don Pedro (国営ホテル)は12世 紀の要塞だった。1泊ツインで14000円より。バルコニーに出てみると 夕陽が素晴らしかった。
 メインダイニングで食事。3種類のガスパッチョ(トマト、メロン、ニン ニク&アーモンド)これにフルーツ。「アスパラガスと目玉焼き」、「うず らの白ワイン煮込み」

●コスタ・デ・ラ・ルス Costa de la Luz
 光の海岸。色が素晴らしい海岸沿いの建物。

●カディス Cadiz
 大西洋に面している。市場に行ってみた。アンコウ、エビ、舌平目、タコ 、ペスカディーヤ(タラの一種)、タラコ、シャコ、タイ、イワシ、など豊 富。ハモン・セラーノという生ハムは素晴らしい。

●アンフォラ村 Anfora
 オリーブは多くの種類がある。オリーブの収穫期だったので、農家を訪問 して手伝う。ガミスさん一家宅で料理を作る。まず、ゆでダコにパブリカ、 オリーブオイル、塩、ピメント(辛いパブリカ)をかけていって、最後に トマトを添える。他にはオリーブオイルでほうれん草とヒヨコ豆を炒める。 これはおいしいらしい。デザートはオレンジにオリーブオイルをかけて、砂 糖をまぶして食べる。おいしいらしい。

●バエナ Baena
 世界一のオリーブを作っている。Nanez de Prado 社を訪問。有機栽培オ リーブを使っていて、まず石臼でつぶして絞ってオリーブオイルを作ってい く。数々のコンテストで賞を取っているらしい。フルーティで草の香りがす るのが高級らしい。
 オリーブ取りを手伝う。女性一人働いて1日4000円らしい。ここで フラメンコを教えてもらった。

●ヘレス Jerez
 大西洋から36km入った美しい街。ここはシェリーが有名で、ヘレスと いう言葉がなまってシェリーになったらしい。本場では食前酒だけではなく て、味も甘口から超辛口まである。Fino Manzanilla Amontillado Oloroso Crema の5種類がある。訪ねたのは100年以上の伝統を誇る Real Tesoro 社。
 ヘレスでフラメンコを教えてもらう。プロが習いに来るというアンヘリー タ・ゴメスさん。カンテ・ホンドと呼ばれる嘆き節は日本の演歌に相当する らしい。飯塚真紀(29)さんが学んでいた。

 後はテープが切れてしまった。ごめんね〜。
確か、秋吉久美子が最初に紹介したお店で踊ったんだと思います。


テレビ番組・高見知佳・早坂好恵「情熱のアンダルシア紀行」と「カルメン」

 2000年9月2日放送、日本テレビ制作。10月7〜9日に大阪のフェスティバルホールで「カルメン」を行う。このカルメンは全世界で100万人が見たというオペラとミュージカルが合体したような作品。ストーリーはドン・ホセを虜にしながら、闘牛士ルーカスを愛したカルメンを闘牛場の前でドンホセが刺し殺してしまう、という実話に基づいたもの。

●アンダルシア地方
 ひまわり!プエブロ、フラメンコ、闘牛、カルメンで有名な場所。

●セビリア
 「この町を見ていない者はこの世の素晴らしさを見ていない」と言われるほどの街。まずスペイン広場でカルメン役のラロ・テハダさんを待つ。コルドバ帽を1000ペセタ(630円)で購入。待っても来ない。実は、体調を悪くドタキャン!仕方なく、馬車でカルメンゆかりの地を巡る。この時期暑いらしくて、気温は40度。シエスタ(昼寝)も理解できますね。
 セビリア大学法学部は、旧タバコ工場跡で、ここでカルメンとドン・ホセは愛し合っていた。次いで、カテドラル(大聖堂)。ここはローマのサンピエトロ寺院、ロンドンのセントポール寺院に次ぐ規模を誇る。1402年から1世紀かけて作った。次いで、マエストランサ競技場、スペイン最古の闘牛場である。この闘牛場の前でカルメンは殺された。

 お昼はラス・ピレタス。スペイン名物の生ハム・ハモンが吊るしてある。白豚からハモン・セラーノ、高級なイベリコ・ブタからハモン・イベリコ、薄く削ったものを食べる。ハモン・スライスという。ここは居酒屋なので、「タパス」が多い。ゆで蛸のオリーブオイル風味、プルポ・ア・ラ・ガジェーガ、など45種もある。二人とも20種類を食べてみてベスト3は、早坂はテールの煮込み(ラボ・デ・トロ)、タラのフライ(バカラオ・フリート)、そら豆のハム煮込み(アバ・コン・ハモン)、高見はテールの煮込み(ラボ・デ・トロ)、鶏のフライ(ベチューガ・デ・ポーリョ・コン・ベシャメル)、イベリコ・ブタのハム(カニャ・デ・ロモ)。

 サンタクルス街は石畳。旧ユダヤ人街。日陰を作るために路地は狭い。白や青の壁。陶器の店を出たところで一般のおばさんが急に踊りだして、そして消えた。暑さ対策というので、食事。Gazpacho は冷製のスープで、たっぷりの野菜とにんにくを潰して濾すだけ。750ペセタ(470円)。アサリのトマトソース仕立て(アルメハス・マリネーラ)1750ペセタ(1100円)。エビ料理のカンバス・アヒィーリョ1500ペセタ(950円)。全てにニンニクがたっぷり。トースト150ペセタ(75円)はパン・コン・アホ・イ・アセイテ・デ・オリーバ。
 庶民の街へ。フラメンコを踊っている。セビリアナスという踊りらしい。家を訪問した。みんな家の中を見せたがるらしい。昔フラメンコのダンサーだった夫妻だった。何故か日本語も少し知っている。カスタネットは各指で1本で順番に叩けないと高速では打てない?あとステップが難しい。

 タブラオ・エル・パティオ・セビリアーノという店。ワンドリンク付で、4000ペセタ(2500円)で90分、フラメンコを見る。日本人には、なかなかこの高速の12拍子にはついていけない。
 Artesania Textil という店へ行ってショールを買う。1.2mx1.2mくらい?でシルク地で9.5万ペセタ(6万円)。一番高いのは13万ペセタ(8万円)で大きくて重い。仕方なくマンティーリャ(レース編み)という闘牛を見に行く時にも使うというものを買った?使うときには、頭の後ろに髪飾りを使う必要がある。
 イホス・デ・エ・モラレスという居酒屋へ。ドライシェリーを飲む。シャンパーニュで作っているからシャンパン。ヘレスで作っているからヘレスという名前のついているシェリーを求めてヘレスへ向かう。

●ヘレス
 Jerez de la Frontera を通って?、1730年創業の Pedro Domecq 社を訪問。酒蔵 Bodega には10万樽が置いてある。このあたりのブドウには、ミネラルが多く、いくつかをミックスしているのがヘレスの特徴。長い柄杓ベネンシアで注ぐ。

●セビリア
 高級レストラン Rio Grande 黒鯛の塩釜 Dorada a la Sal 2500ペセタ(1600円)。魚のフライの盛り合わせ(ペスカイト・フリート・ミクスト)2000ペセタ(1260円)。Paella 4人前で3200ペセタ(2000円)。小イカのマリネ・サラダ Ensalada de Chopitos 1650ペセタ(1000円)。バルサミコスのエビ・サラダ Ensalada de Rio Grande 1650ペセタ(1000円)。

●サンルーカス
 ここでカルメンを見た。闘技場でやっている。ラロ・テハダさんは少し日本語が話せるが、話ができた。夜8時半からリハーサルが開始された。演出家はサルバドール・タボラさん。国王から賞を受けたこともある。白馬も出ます。夜11時半に開幕!ドンホセの踊り、カルメンの踊りから入る。アンダルシアの公演では、途中で闘牛も入った。


バルセロナのスリ

 ある人の体験です。昨年1泊2日で行ってスリに3度あったそうです。

 1回目、旅行者を装って道を尋ねる方法。「サグラダファミリアにはどうやって行くの?」ってスペイン語なまりで聞く。スペイン人に聞けばよいのに!と思いながら、おかしいことに気づいた。道を聞くつもりが全くない。そこで離れようとするが、離れない。No!と大声で叫んで、交差点で信号を待っている人の方へ走って振り返ってみると、別の男と話しながら遠ざかっていくところだった。

 2回目。グエル公園で地下鉄を降りて、出口に向かうエスカレータで上と下ではさむという方法。乗ろうとすると一人の男が突然前に割り込んできて、降りるところでわざとパンフレットなどを落として、拾うふりをして出口をふさいだ。その瞬間、ポケットに他人が手を突っ込んできた。すぐにしゃがんで、「ウワー!」と叫んだら、4人の男が逃げていった。他の乗客がポケットから出たものを拾ってくれた。

 3回目。カタルーニャ広場でお昼ご飯を食べようと歩道を歩いていたら、目の前にジプシーの女性が汚い紙を広げながら、何かしゃべりながら近づいてきた。もしや、と思って、後ろを振り返るとジプシー女がもう一人いた。反射的に横に飛び出して逃げた。ふりかえると、その二人が並んでこちらをにらんでいた。

 他にも、ペンキやジュースやトマトケチャップをかけて拭いてやりながら盗むという手や、電話中に早く代わってくれ!と声をかけている間に、相棒が盗むという手もある。
 危ない時には、ハンバーガーショップに逃げ込むとガードマンがいるそうです。そこまで追ってこないそうです。

 ちなみにスペイン語で泥棒は Ladron だそうです。


ABC創立50周年企画「たけし、所のサイエンス・アドベンチャー 〜 遥かなる人類への旅」


2000年11月4、5日放送。ABC創立50周年企画である。

●ナイロビ
ビートたけしは成田から全日空のファーストクラスでロンドン(12時間)経由でナイロビへ(さらに8.5時間)。朝6時40分着。標高1700mで、年平均気温は20度。大都会である。
 ここからグレートリフトバレーに行く。これはアフリカを南北に走る谷である。これが人類を作ったという仮説がある。古生物学のイヴ・コパン博士はアフリカ大陸が昔は森だったが、山ができ、谷ができて西からの雨を降らす雲は山でさえぎられ、東側は雨が降らなくなった。そして東側は乾燥し、東に人類が出現した。木がなくなったので、木をつかめなくなり歩くようになった。グレートリフトバレー展望台へ(2140m)。この谷は幅が最大60km、長さは4000kmもある。ワチラさんのヘリコプターで空から見る。すごい谷である。活火山もあり、温泉もあるし、巨大なクレーターさえある。湖も固体が出ているが、天然の石鹸になるらしい。小さな竜巻が何本も立っている。ここが人類のふるさとである。

●カイロ
 ナイル川を越えて、車で10分ほどでピラミッドが見える。合計、市内から車で40分でギザに到着した。吉村作治教授が案内をしてくれた。メシカウラー王・カフラー王・クフ王の3つのピラミッドとスフィンクスがある。スフィンクスはシェプス・アンクといい、復活の神である。昔は赤く塗ってあったらしい。クフ王のピラミッドは137m。この辺りはネクロポリス(死者の街)と呼ばれている。クフ王のピラミッドは石を300万個600万トン重ねていて、のべ1億人が28年かかって作った。昔はカフラー王のピラミッドの上に名残があるように、輝いていたようだ。
 カイロ博物館にはピラミディオンというピラミッドの頂上に置かれていた石がある。クフ王の像(7cm)もある。サルから魚までミイラにしていた。ラムセス二世のミイラは3500年前のもので、内臓の入っているカノープスの壷もある。脳は捨てられていたようだ。ツタンカーメンの棺は純金で187.5cm、110.4kgあった。マスクは純金。彼程度でこれほど金を使っているのだから、ラムセス二世とかクフ王だとどれだけすごかったのだろう。王妃はアンケセナーメン。この二人の物語をやりました。

●パリ
 人体は60兆の細胞からなる。その各細胞の中にDNAがある。DNAは塩基AGCTからできている。1953年ジェームズ・ワトソンとフランシス・クリックが二重螺旋のモデルを提案しノーベル賞を受けた。しかしその影の功労者のロザリンド・フランクリンのことはあまり知られていない。彼女のX線のデータを基に二人はモデルを作ったが、彼女は1958年に死去してしまった。この物語をやりました。
 Human Genome Project に参加している Genoscope を訪問。部門部長の松田文彦さんと Gabor Gyapay さんが案内してくれた。14番染色体の解析を担当している。1つのDNAの長さは2m、人のDNAは30億の塩基からなる。遺伝子地図の作り方を説明していた。
 Genethon という研究機関は8000の病気のうち3000種の遺伝病の患者のサンプルを血液の状態で保存している。ウィルスを使った遺伝子治療の話にも触れた。

●NASA
 フロリダ州のNASAケネディ宇宙センター。9月8日、スペースシャトル・アトランティス号の打ち上げを見る。前日、格納庫を見学。東京ドームが3つ入る大きさ!ディスカバリー号を真近で見せてもらう。37m、重さは70トン。関口和寛さんが案内してくれた。720トンの液体水素と酸素を充填していた。
 打ち上げ当日。検問は4つクリアして、マスコミ用の見学用スタンドに。ここから打ち上げの場所まで5キロあるが、安全を考慮しているとのこと。国際宇宙ステーションは43回のミッションでモジュールを組み立てていくのだが、今回は第4回。
 いよいよ打ち上げ。壮絶!バリバリとすごい音。地響きがすごいらしい。巨大な一筋の雲が残っていた。2分後にロケットを切り離して見えなくなった。燃焼したもののカスがボロボロ落ちてくるらしい。

●ハッブル天文台
 ストーンヘンジ、グリニッジ天文台、ハワイのマウナケアの4200mの天文台が紹介された。現在ハッブル宇宙望遠鏡は宇宙に出て写真を撮ってきている。エドウィン・ハッブルのエピソードを紹介していた。ウィルソン山天文台は1920年代世界一だったが、アインシュタインは理論の間違いをハッブルに指摘され、赴いてデータを確認し自論の間違いを謝ったという。訪問してみて、当時の配電盤が今でも使われている。直径250cmの反射鏡である。

●アリゾナ州ロウエル天文台
 将来、地球に衝突する可能性のある小惑星を観測している。エドワード・ボウエル博士は、毎日2000個の隕石が地球に衝突しているという。観測できないものも含めると数百万個か?という。
 フェニックスの空港から車で4時間。5万年前の宇宙からの贈り物、地球でここだけらしいが、隕石の衝突現場がある。直系30mのものがぶつかったらしいのだが、バリンジャー隕石孔は直径1300m、深さ170mもある。これを空から見るが、衝突した方向もわかった。バリンジャーは隕石だと思い、土地を買って隕石を探したという。

●ドーバー海峡
 飛行機で飛ぶと空港が街から遠いので、パリ市内とロンドン市内で5時間かかる。そこでトンネルを掘って鉄道をひいた。パリ北駅からユーロスターに乗る。最高運行速度300km/hは世界最高。飛行機の機内食をもっと広いところで食べられる。たけしはというと、前日の脱線事故の影響で停止などあって散々。イギリス国内は在来線を使っているので、スピードは出せない。

●バルセロナ
 スペイン第二の都市で、カタルーニャ地方にある。サグラダファミリア大聖堂。キリストの誕生が描かれている。降誕の門、その中央を彩るのは天上の音楽を奏でる6人の天使。それを彫ったのが日本人の外尾悦郎さん。あと100年かかる建設。人の視覚だと30度で仰ぎみるといいらしい。それを考えて設計してあるとか。受難の門の4本と降誕の門の4本だけしかできていない。他にガウディの作品はバトリョ邸、ミラ邸(屋上の像なども凄い)、グエル公園などがある。特徴的なのは、割れたタイルを使った彫像。降った雨をうまくためる仕組みにもなっている。ガウディは自然が一番美しいと思っている。
 モンセラ修道院はスペイン人の心の故郷。この修道院のまわりの山々は、何かに似ている。そうサグラダファミリアの塔である。モンジュウィックの丘は高さが200m。これを越えていけないという意識で、サグラダファミリアの一番高い塔の高さは175mに設定してある。
 このサグラダファミリア教会は、最初別の人が作っていたが、辞めたのでホセ・マリア・ボカベーリャが何の実績もないガウディを抜擢したことによる。1894年彼は断食を行った。それから彼の作品は変わったという。グセンス邸、グエル別邸などの建築も手がけた。彼はサグラダファミリアに泊まりこんで作っていった。1926年6月7日、列車にはねられて3日後に死亡した。ここの地下聖堂の脇で眠っている。
 塔に開いている小さな穴は何か?塔の真中に穴が開いている(吹き抜けだろうか?)が、この塔はピアノに変えたかったらしい。100mを越えるグランドピアノである。この塔の中に鐘を吊るして、音を出そうとガウディは考えていた。つまり楽器である。ガウディの壮大な計画に声も出ない。


テレビ番組「マチャミ&マルシアの「かっとびスペイン,すっぴん2人旅」

 2000年7月29日放送。日本テレビ製作。関東で?1999年7月25日放送した分らしい。

●パリ
 マチャミはパリ経由。ホテル・ド・ルーブルに宿泊し,フレデリック・トレジャンさんというデザイナーの店へ。あとシャンゼリゼ通りと凱旋門を見学した。

●バルセロナ
 サグラダ・ファミリア教会。これを作っている人に日本人もいる。外尾悦郎さん。
 ワインを飲む。ライマット・カベルネ・ソーベニヨン・レゼルヴァ’87は1998年にスペインでベストワインに選ばれたものとか。マシア・バックのロゼもフルーティでおいしいと言っていた。
 宿泊はバルセロナ郊外の高級リゾート地シッチェス Sitges の Subur Maritin というようなホテル。この街は芸術家の街,カーニバルの街。
 バルセロナの市場へ。ポケリア市場。豚がそのまま置いて売っている。バールで飲み物を売る人を手伝う。Bar Kiosco 。次に行ったのはラス・ランブラス通り。花を売っている。すごいパントマイムの人がいる。グエル公園に行く。ここもガウディが設計した。楽器を弾いている人がいる。エヴィア Hevia さん。バグパイプに近い音が出る電子バグパイプという。スペインで話題らしい。日本でも99年夏にCDが出たとか。
 レストラン Merendero de la Mari で昼食。パン・コン・トマテ(パンにトマトを塗ってある),エスケイ・シャーダ(タラとトマトのカタルーニャサラダ)をいただく。
 バール Ciudad Condal へ行く。オリーブやアンチョビなどをつまみながら,アルコールを飲む。
 カフェ・ミランダ Miranda は美しいダンサーが踊っているところ。実はみんなミスター・レディだった。

●コドーニュ社
 郊外のコドーニュ Codorniu 社を訪問。スペイン王室ご用達だった。16世紀創業のワイナリーで,CAVAを作った。1億本のCAVAが全長30キロの倉庫にあるとか。中で,コドーニュ・キュヴェ・ラベントスは日本ではメルシャンから出ているが,今年2000年だけ出る特別なCAVAもあり,マグナム・ミレニアムという。

●グラナダ
 アルカイセーリアで買い物。お昼過ぎだったので,急がないとみなシエスタ(昼寝)に入ってしまうというので焦っていた。マルシアはその時スペイン語?を話していた。
 アルハンブラ宮殿。名物ガイドのカワサキさん(スペイン人?:50歳くらい?)が案内してくれた。「天人花のパティオ」「ライオンのパティオ」を通って「ハーレム」へ。「二人姉妹の間」も。14世紀に作られた。イスラム文化の象徴。
 フラメンコを教えてもらう。まずタンゴと言われた。日本で言うタンゴとは違うようだ。タブラオ La Rocio というところで細長い場所。ホアン・アンドレス・マシャさんに教えてもらう。夜10時フラメンコを披露した。
 近郊のプルジェナPurullena ここでは山の斜面に家を建てて住んでいる。フェルナンダさん宅へカワサキさんに連れていってもらう。白い壁の建物。レンズ豆,トマト,サフランなどを鍋に入れて似る。キュウリ,ジャガイモ,いろいろな料理にサブロッソー(おいしい)を連発。ムイ・ボエノも!エレヴィア一家に感謝。心がきれいな人達に接してマチャミも涙していた。
 Plaza de Toros Granada は闘牛場。闘牛士Matadorのエンリケ・ポンセは華麗な技を見せた。
 この時は夜9時半に日没。グラナダ・フェリアという1週間に渡る祭りに夜に参加。フラメンコを踊る店もある。


テレビ番組「道浪漫」2000年5月28日,6月4日はスペイン


 前回の続きで,松山猛さんが1954年のヘミングウェイのベニスからマドリードへ闘牛を見に行った旅程を追う。前回はベニスからフランスのカルカッソンヌまでだった。今回はベアリッツからマドリッド。
 ヘミングウェイはバーで飲むのはドライ・マティーニだったとか。

●ベアリッツ(フランス)
 ホテル・デュ・パレはナポレオン3世のご用達のホテルだった。1954年にヘミングウェイもここに宿泊した。郊外に向かい侯爵家に行く。「アルカング侯爵」3万坪の屋敷。800年以上続くベアリッツの名門家。ナポレオン1世やヒトラーもここに泊まったとか。ここの侯爵(75歳)はヘミングウェイとナイトクラブに行ったのが楽しかったと言っていた。

●サン・セバスチャン(スペイン)
 バスク地方の中心地。ゲタリア港はスペイン有数。イワシの炭焼きを屋台というような店で売っている。一人前5尾550ペセタ(380円)。うまいけど熱いらしい。子供がペロータをやっている。(スカッシュの原形となったスポーツ)。ここの街は夜のバーが楽しい。100軒以上ある。「ディブルシオ」ではチャコリという白ワインを1m上の高さからグラスに注いでくれる。おつまみは大皿から好きなものをつまみ,会計は自己深刻。食べ終えた串は床に落とす。落ちた串が多いのは流行っている店。
 アングラス(ウナギの稚魚)の土鍋は5000ペセタ(3500円)で高価品。

●ブルゴス
 ヘミングウェイはここに立ち寄って,カテドラルを見に行っている。懺悔をしたらしい。ゴシック様式で,スペイン3大大聖堂の一つらしい。

●パンプローナ
 寄り道してみた。ヘミングウェイの銅像がある。サン・フェルミン祭(牛追い祭)は7月6日〜14日。毎年死者が出るが,ヘミングウェイは「陽はまた昇る」で書いている。「カフェ・イルーニア」も出ている。主人公たちの憩いの場である。ヘミングウェイもここへよく通っていた。チューロは150ペセタ(105円)。細長く揚げたドーナツでホットチョコレートをつけて食べる。ヘミングウェイがよく食べていたらしい。
 「日はまた昇る」の中でワインを入れる羊袋が出てくる。トレス・セタスというワイン袋の工場へ行く。メスヤギのを使うらしい。これに入れて口と袋の間を30センチくらいあけて押し出して飲む。コツが要るようだ。袋の先は細いので,押すと液が細く出てくる。

●ブルゲーテ
 もう一つ鱒釣りもよくしていたらしいので,車で1時間行ったピレネー山脈の中のブルゲーテへ行く。
 オスタル・ブルゲーテというホテルが常宿だった。18号室らしい。ツインルームで5800ペセタ(4100円)。イラチ川にてペドロ・ビスカウさんの指導でます釣りに挑戦。ヘミングウェイ同様チキンを食べ,食後にワイン。やっと釣れたが逃げた。

●ドゥエロ地方
 市場で買い物。1954年の旅で「誰が為に鐘は鳴る」に出てくるグァダラーマ山脈の中の地にピクニックに行く場面がある。
 「バルドゥエロ」地上部分はとても小さいが,500年前に造られた地下35mのところに1500mに及ぶ倉庫に3000個のワインの樽がある。ここでパンブローブで入手したワイン袋にワインを入れる。

●ヴァルダイン村
 グァダラーマ山脈中の小さなヴァルダイン村。ここにエレスマ川にかかる石の橋が小説のモデルになった橋として残っている。「メゾン・ラス・パロマス」という傍らにあるレストランで,ウサギのシチューを作ってもらった。まさに主人公が村娘のマリアと出会う場面で食べる料理である。「ウサギ肉とエジプト豆の赤ワイン煮」のシチューだった。当時可愛い娘がいたそうだが,今回出てきたのは年配の女性だった。

●マドリッド
 標高650m。人口300万人。ホテル・パラス(Palace)はヘミングウェイの常宿だった。
 ヘミングウェイ流のマドリッドの楽しみ方としては,
(1)プラド美術館。8000点以上の作品,ベラスケスやゴヤが人気であるが,1階フロアにあるアンドレア・デル・サルトの「ある女の肖像」にヘミングウェイは恋していた。この絵を「マドリッドの恋人」と呼んでいて,これだけを見に来ていたらしい。月曜休み,入場料500ペセタ(350円)。
(2)Restaurant Sobrino de Botin (ボチン)というレストランにもよく通っていた。1725年の創業。ヨーロッパで最も古いレストランと言われている。ヘミングウェイは「日はまた昇る」の中で,世界最高のレストランだと言っている。ここで唸らせたのは,子ブタの丸焼き(一人前2500ペセタ:1750円)は生後3週間のブタを,秘伝の調味料で味つけして,2時間半かけて焼きあげる。このレストランの隣のレストランには,Hemingway never ate here. と書いてありました。
(3)ホセ・ラミレスはギターの老舗。ヘミングウェイとは関係ない。松山さんの好み。5人の職人が年間100本作っていた。オーナーズコレクションとして,アントニオ・デ・トーレス(1862年作)がある。ギター界のストラディバリウスと言われるトーレス。彼の一番高いのは,1800万円くらいの値がついていた。
(4)Zapateria Tenorio は狩猟用ブーツの専門店。ヘミングウェイも靴を作っている。彼の足型も残っていた。185000ペセタ(13万円)。電話:91-366-4440 場所は Plaza de la Provincia 6 です。
(5)ホテルのバーで酒を飲み,部屋で闘牛雑誌を読んだらしい。そこで古本屋で El Ruedo という1950年代唯一の闘牛雑誌を見つける。1954年のもあった。松山さんはヘミングウェイのようにベッドに寝っころがって読む。
(6)闘牛。マドリッド闘牛養成学校」へ行く。12歳〜18歳の150名が学んでいた。いかに華麗に闘うかを学ぶらしい。授業料は年間300ペセタ(210円)。しかし,実際に正闘牛士になれたのは25年の歴史の中で40人。
(7)ベンタス闘牛場。入場料225〜7650ペセタ(160〜5400円)。シーズンは3月から10月。観客数はスペイン全土で6000万人とか。今回は雨の中だった。


テレビ番組「大使の国のおくりもの」2000年2月6日、13日はスペインの巡礼の道

●サンティアゴ・デ・コンポステーラ
 今から1000 年前にも世紀末の危機感があった。西部のガルシア地方のサンティアゴ・デ・コンポステーラはキリスト教の聖地とか。今から1000年前にここを目指す人はピークに達したとか。キリストの死後1000年に最後の審判がくると言われていたから。それ以前の聖地はエルサレムとサンピエトロ寺院のローマだった。聖ヤコブの骨が発見されたということで、ここがそれに次ぐ聖地となった。ここの街は中世の町並みが残っている。巡礼が始まった頃は、はるか遠い地と思われていた。聖ヤコブとはスペイン語でサンティアゴ。彼はイスラム教徒からスペインを守ったとして高く崇拝されている。エルサレムで亡くなった聖ヤコブの遺体は小船に乗せられてその弟子たちによってスペイン西部のガルシア地方に運ばれてきたという。9世紀に星に導かれた羊飼いによって、墓が見つけられた。お墓が移されて、その上に教会が建てられた。そして人々の信仰の場所となった。

●カミノ・デ・サンティアゴ
 いろいろなルートで来れるが、一番有名なのはフランスからピレネー山脈を越えるルートである。イバニェタ峠を越えて、ブエンテ・ラ・レイナの街で合流してあとは一つの道を通った。巡礼者のために、川を渡るための橋ができた。巡礼の道は教会や国によって保護され、宿場町ができ修道院なども作られた。中世の時代に20万人が巡礼をしたとか。詳しくはスペインの入口のロンセスバジェス〜ナパーラ〜リオハ〜レオン〜ガリシアと辿る。今でもこの道を歩く人はいる。当時ガイドブックも市販されていたらしい。スペイン国内だけでも800キロあるので、歩いて旅するのはたいへんだった。
 カミノ・デ・サンティアゴとはその巡礼の道。それを辿ると観光ガイドブックに紹介されていない小さな町もある。それで巡礼街道を辿る若い人も多いらしい。ホタテのマークがそれを示す。宿場町には1泊500円ほどの巡礼者用の宿もある。
 しかし当時多くの人が巡礼を行った理由は、他にもあった。ロンセスバジェスでローランはイスラム教徒と壮絶な戦いを行った。8世紀からイスラムと壮絶な戦いをしていた。9世紀頃には北部はイスラム教徒から奪回した。ローランの石碑にはそれらが書かれている。レコンキスタ(国土回復)とよばれていたが、その中でヤコブは人々の心の支えとなりヤコブは崇拝されていった。それでサンティアゴ・デ・コスポステーラは崇拝された。つまり対イスラムに対する意識だった。スペイン人はそのために聖地をめざした。今も巡礼者用のミサが行われている。ゴタクメイロ?とよばれる香を入れたも のが宙をブランコのように飛ぶ。

●ブルゴス
 ブルゴスはレコンキスタの前線基地として作られた街。豊かな緑に包まれた美しい街。ゴシック様式の建物が多く、カミノ・デ・サンティアゴのおかげで多くの芸術・文化がもたらされた。ブルゴスの大聖堂はセビリア、トレドに並ぶスペイン三大カテドラルの一つ。エル・シドの像がある。彼はレコンキスタの英雄。

●パンプローナ
 サンティアゴ巡礼 サンティアゴ・デ・コンポステーラを目指す巡礼でフランスからスペインに入って最初の大きな街。もともとローマの植民都市としてできて栄えてきた。古い路地が残り、城塞都市の雰囲気がある。牛追い祭りサンフェルミン祭で年に1度7月に盛り上がる。荒々しい牛と白い服に赤いスカーフの男たちの争い。この日は人口は倍にもなる。スタート地点の市庁舎から闘牛場までの800mを街路に放たれた牛を男たちが闘牛場まで追い込んでいく。Feria Del Toro という?これを有名にしたのはアメリカのヘミングウェイで祭りの様子は「陽はまた昇る」に描かれた。彼は何度も 訪問している。
 街の中心地にあるバル Bodegon Sarria はメインイベントの道に面している。この祭りはとっても怖いけど、勇気があれば誰でも参加できるらしい。馬鹿騒ぎの場でもあるらしい。牛と一緒に走らない人も多いらしい。家族のことを考えたら。アメリカ人が亡くなったこともあるらしい。店内にはスペイン特有のハムが並んでいた。

●エウナテ
 パンプローナから約20キロのエウナテの教会。巡礼者用の教会。11世紀になるとヨーローパでは聖堂建築が盛んになった。世紀末の10世紀を終えて、無事に11世紀を迎えることができた人々の神に対する感謝らしい。

●レオン
 さらに西に370キロ。巡礼の道の要所。当時の最大の都市の一つとして栄えていた。8世紀以来イスラムの勢力に対して11世紀には北は開放したが南部は15世紀までイスラムの支配下にあった。そこで南部の多くのキリスト教徒がここに移り住んだらしい。
 旧市街のカテドラルはゴシック建築の傑作として知られる。大部分は13世紀なかばから14世紀に作られた。フランスの建築様式を踏襲している。内部を飾る美しいステンドグラス、スペイン国内に二つと無いと言われる華麗な芸術。ステンドグラスは太陽の動きによって1日の間にその色合いを変えていく。
 街の一角に巡礼者用の旧サン・マルコス修道院があった。10世紀〜12世紀にピークに達したと言われるが、当時の宿であり傷ついた人を保護する病院として活躍した。現在は一部がパラドール(スペイン国営の宿泊施設)となっている( Hotel / Hostal de San Marcos )。こういうところに泊まるのも旅の一つの楽しみ。
 中心地にあるカザ・デ・ロス・ボディーネス。思いもかけない貴重な近代建築で、アントニ・ガウディの作。バルセロナのサグラダファミリア教会が有名で、彼はバルセロナを中心としたカタルーニア地方で活躍したので、そこ以外では彼の作品は珍しい。ここは彼のよき理解者であり、スポンサーであったグエル氏の友人のために設計されたもの。

●アストルガ
 さらに西にいったところにガウディの建築物があるという。アストルガの司教館である。ステンドグラスやモザイクがふんだんに使われている。設計を依頼した司教の死によってガウディは手をひいたので、彼の構想どおりには完成していないが、ディティールにはガウディらしさがでている。内部にはサンティアゴ巡礼に関する資料も展示されている。






テレビ番組「遥かなるカナリア、中村雅俊ふれあい紀行」

 2002年10月6日放送。中村雅俊さん51歳の夢の旅。
 カナリア諸島はスペイン本土から1800km、モロッコから100km 離れた大西洋に浮かぶ、大小13の島々からなる火山でできた風の島。大西 洋のハワイと言われ、年間1000万人の観光客が訪れる。沖縄とほぼ同じ 緯度にある。仙台放送製作。

●ランサロテ島
 島は火山活動で生まれた。ティマンファジャ国立公園はどこまでも続く溶 岩の大地。長年にわたる噴火の影響で300以上のクレーターが存在してい て、地下ではマグマが活動している。
 間欠泉があり、水を入れると一気に吹き上げる。火口のようなのがいくつ かある。山頂レストラン「テルネラ・パリジャダ」は火山の火力を利用して いる。地下3mにあいた穴(天然のかまど)で肉を地熱でゆっくり焼き上げ る。スペイン語で牝牛はバカ、ニンニクはアホなので、アホたっぷりのバカ を食べる(笑)。仔牛の網焼き9ユーロ。

 火山の島。古くから伝わるスポーツ「カナリア相撲」を体験。111のク ラブチームがある。直径16mの円の中で押し出しはなし、90秒の試合の 中で相手を地面に倒せばいい。子供たちと楽しみました。
 山肌の無数の石垣はワインを造るためのブドウ畑。数m掘り下げて肥沃な 土地を出してそこでブドウを作っている。ワイン・バー「エル・チュパデロ 」は白ワイン(マルヴァシーア・セコは1本7ユーロ)がお勧め。


●ゴメラ島
 野生のイルカが見えるという。この島は古きよきカナリアの面影を一番残 している。1492年コロンブスがこの島を訪れ、休養と水の補給をして西 に旅立った。コロンブスの家や井戸とかも残っている。ペレサ・デ・ベアト リスに会うためだったという。
 山岳の村チェヘリペスに昔の暮らしが残っている。プラシード・ラモスさ んは150頭のヤギを山に放牧に行く。指笛で「もっと先に行け」とかヤギ に指示できる。奥さんにも指図できるが、この指笛も今は消えようとしてい る。アスティアという棒を使って山からは飛ぶように降りられる。奥さんは ヤギの乳からのチーズを作っている。
 大自然の中で思い切りティンプレを弾きたいというので、山へ。崖と海と 山が見える絶景ポイントで「ふれあい」を歌った。

●イエロ島
 西の端にある島。イエロは鉄という意味。島が黒く見えるから。丘の上に 立つカンデラリア教会がこの島のシンボル。人口は8000人。
 サビノサは最も西にある村。さらに西に行くと岬がある。ヨーロッパの西 の果て。15世紀まではこの先は滝になっていると思われていた。
 崖のところで魚を釣っている人がいた。

●グラン・カナリア島
 政治経済の中心地。ここの浜辺はヨーロッパからの観光客で賑わう。ホテ ル「コスタ・メロネラス」に宿泊したらしい。

 ラス・パルマスの町は古きよきヨーロッパの街の面影を残している。ベゲ タ地区とか。15世紀にスペインに併合され、大航海時代にはヨーロッパと いろいろな国を結ぶ中継地として発達した。馬車30分コースは一人25ユ ーロ。
 テーマパーク「カナリア村」では伝統的な民族音楽が楽しめる。ウクレレ に似た5弦のティンプレという楽器が欠かせない。バニャデロという小さな 町にティンプレ作りの名人カルロス・フェリックスさんがいるというので会 いにいった。1つ製作するのに10日間?かかる。

 島の南に広がるマスパロマス砂丘。島に砂丘を作るために、サハラ砂漠か らわざわざ砂が運ばれたという。27年前の「俺たちの旅」で砂丘でのシー ンがあったのだが、それを再現してみた。

 ポソ・イスキエルド海岸にいく。島は風が強いので、ウィンド・サーフィ ンにはよく、世界三大スポットのひとつとなっている。中村さんは、ウィン ド・サーフィンを10年ぶりにやってみたが、流石でした。

 モガン港はスペイン一美しいといわれる港町。中村さんは宮城県の女川港 の出身で、ここの港と比較してみたら、こちらはカラフルだという。このあ たりではカツオとマグロが釣れるという。猟師のホセ・ジョベルさんと食べ る。ゴフィオはとうもろこしの粉を練ったもの。

 ラス・パルマスの港に日本の漁船がいた。宮城県気仙沼の船だった。日本 からも年間150隻集まり、中でも宮城県のが多い。日本から45日かけて きたという。マグロは300tのせることができるという。フランサリ倉庫 では日本食が置いてある。160人の日本人が暮らしているので、日本人用 の補習学校もある。
 レストラン「ふじ」で出航する人たちにティンプレを使って「俺たちの旅 」を歌った。翌朝、半年間のマグロなどの漁に大西洋へと向かっていった。


テレビ番組「旅浪漫」1999年8月29日、9月5日は熊本マリさんでカナリア諸島の旅

 ピアニスト熊本マリさんのカナリア諸島の旅でした。 マドリッドからカナリア諸島へは3時間。7つの島からなる。 砂の島,恵みの島,音楽の島,カナリアの島,風の島,火の島など。

●グランカナリア島
 ラスパルマスまでバスでいく。人口37万人。別荘が多くヨーロッパの人 の憧れのリゾートアイランドである。日本人のハワイにあたる。 ベゲタ市場にはフルーツが多い。ンバラグアイアやナツメなど。 オペラ座はテアトロ・ペレス・ガルロスで装飾のモチーフもフルーツ。 ここは1845年に誕生したスペイン最古のステージで,あの3大テノール もステージに立ったとか。 一歩路地を入るとヨーロッパの町並み。

 マスパロマス・ビーチはワイキキにあてはまる。年間300万人来るらし い。すぐ裏がマスパロマス砂丘。バスを乗りついでいくがグランカナリアの アルカス・バスターミナルに着くと,カルロス・ピエーダさんが楽器を見せ てくれるという。瓢箪型のウリからつくる。ティンプレというカナリア諸島 独特の楽器。
 モホソースをパンにかけて食べる。

 バスでアガエテへ。今日はお祭の日。朝5時からにぎやか。外に出てみる と大騒ぎしている。バンダ・デ・アガエテという祭り。町長まで踊り走って いる。朝8時,山から木を切ってきて雨請いの祭りの準備が整う。 朝10時,開始。笹のようなものをかざして踊りまくる。

 ムヒカさん。カナリアを鳴かせる名人のところへ行くが,鳴かない。 鳥かごを4重にしても鳴かない。
朝1時,花火を上げている!

●火山の島 ランサロテ島
 コロンブスが船を着けるところがなかったので素通りした島 山肌に並んだ巨大な穴が見える。ティマンファジャ国立公園らしい。 ウヴァというブドウがなっている。甘いらしい。ティト・グレーラさんの家 を訪問する。ここではワインを作っている。強い。ボルカン・ワインという らしい。ここでハレヤという魚の干物もいただく。
 交差点に奇妙な,風を利用して動いているオブジェがある。これはこの島 の出身であるセザール・マンリケの作品。彼の作品はハメオス・デ・アグア でまとまって見ることができる。ここでは,溶岩の下に洞窟がある。そこの 水の中には目が見えないカングレコ・シエゴという白い貝がいた。また,そ の洞窟の奥には,何とコンサート・ホールがあった。背景には滝!

●ゴメラ島
 1492年8月12日にコロンブスはゴメラ島へ寄港。9月8日に出航し 34日後に新大陸を見つけた。その1か月間,コロンブスはこの島のベアト リスという女性を愛したと言われている。
 サン・セバスチァンのポン・デ・コロンなどを訪問し,足跡を訪ねた。コ ロンブスはコロンと呼ばれているようだ。彼女の住んでいたという「ペラサ の砦」は今は島の資料館となっていて,残っているものはなかった。
 丘の上のパラドール・デ・ラ・ゴメラ(国営ホテル?)にベアトリスの絵 があるという。コロンブスの絵と対になって置いてあったが,作品はかなり 後世のものであった。このホテルは1泊11000円程度から。
 「王の谷」へ。途中山沿にある野生のアーモンドを食べる。見事な段々畑 があった。鳥の声が聞こえると思ったのが,指笛で,コミュニケーションの ツールだった。遠くから奥さんに連絡するのも指笛,羊を家に帰すのも指笛 を使っていた。

道浪漫HP


テレビ番組「1997年4月の「旅サラダ」は田中美奈子さんでスペイン」

 バルセロナのサグラダ・ファミリアは建設中でした。
スペイン南部のアルコス・デ・ラ・フロンテーラは白い街並みが美しい。ペンキの塗り替えを手伝いました。


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