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なお、これはわたしが個人的にテレビを見て書いたものであり、各テレビ局や番組とは全く関係はありません。
すべての文章の無断使用・転載を禁止いたします。
またここの情報を使って、何か問題が起こったとしても私は一切責任は持ちませんのであしからず。
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テレビ番組「世界遺産への招待状15 ピレネー山脈」
2009年7月27日放送。フランスとスペインの国境にあるピレネー山脈。フランス側の標高3000mの巨大な岸壁のペルデュ山、スペイン側のポイ渓谷、アンドラの町。
●ペルデュ山
フランス側からアプローチ。ピレネー一番の絶景と言われる「ガヴァルニー圏谷」。ヨーロッパのツウたちが集う絶好のトレッキング・スポット。「大地の行き止まり」とも言われる巨大な岸壁が目の前にある。壁は高さ1500m、幅1.2万m。すり鉢の形をしたガヴァルニー圏谷は、氷河が10万年かけて削ったもの。この絶景を求めて、毎年100万人が訪れる。ガヴァルニーの岩肌には無数の滝がある。水源は山頂の万年雪。ヨーロッパ最大の「ガヴァルニーの滝」は落差は423m。語源は「激流の巣」。ここは古くは作家や画家の訪れる芸術家の拠点だった。ヴィクトル・ユーゴーも大絶賛している。
ペルデュ山周辺には牧草地が広がる。代々暮らしている羊飼いのカルロ・クランプさんと父のシモンさん(75歳)を訪ねた。朝9時、羊の体調チェックから始め、迷子にならないように鐘をつける。羊は180頭。夏にはより美味しい草のある山の高い場所に羊を放す。この日は標高1700m。牧羊犬が助ける。最近ウヴリエという針葉樹が増えている。牧草地はほうっておくとこれに覆われてしまう。羊飼いは新しくできる木の芽を食べさせ続けることで、牧草地が失われるのを防いでいる。またイヌワシなどの天敵もいる。冬は山は10mの雪に覆われ、気温はマイナス20度にもなる。家族で作った歌集がある。
シモンさんは言う。「全てをもっていても、もってないのと同じ。持ってないと次々欲しくなる。」
アニメ「名犬ジョリィ」の主人公の白い犬はピレネー産の「グレート・ピレニーズ」。猛獣から羊を守る大型の番犬。最近は猛獣が減り、活躍しているのは、小回りのきく小型犬。最近、昔の生態系を取り戻すために、政府がピレネーにクマを放した。羊が次々襲われて、羊飼いは大迷惑。そこでまたピレネー犬が注目されている。エリック・ブノワトンさんもその一人。犬を飼うまでは夜中も見回りし、心配な夜が続いたそうです。
●ロランの狭間
フランスとスペインの国境。
●ポイ渓谷
スペイン側の1000人の小さな村。石造りの家が並ぶ。この小さな谷に中世に流行したロマネスク様式の教会が9つも密集している。教会の中には壁画や美術品も多い。そのどれもが傑作揃い。
12世紀に建てられた「サン・クリメン教会」には、「栄光のキリスト」という高さ8mの巨大な壁画がある。深みのある青が特徴で、ピレネー産の鉱石から抽出したもの。鮮やかな色彩と力強い輪郭。当時はレコンキスタの時代で、戦乱はピレネーにも及んだ。連勝で村は莫大な報奨金を得た。そのお金で教会や壁画を作った。毎日のように教会に通い続ける深い信仰心。
●山岳列車
ピレネーを横断する鉄道として100年以上前に開通した。今、ヨーロッパで注目を集めている大人気の列車。
●アンドラ
ピレネーで最も開発が進んで近代都市。税金がほとんどないので、町のあちこちに免税の高級ブランド・ショップが建ち並ぶ。ショッピングや観光に年間1000万人が訪れる買物天国。
町は2000m級の山々に囲まれている。平らな土地には隙間がない。人口は7万人、面積は琵琶湖よりも小さい。中世以降、ピレネーにある小さな国々はフランスやスペインに次々と吸収された。アンドラは話し合いの結果、共同統治となって生き延びた。
その発展は町外れにある世界遺産「マドリウ・ペラフィタ・クラロ渓谷」の入口。12kmに渡って石の道が続く。目的の世界遺産まで急斜面をひたすら歩く。アンドラ政府文化遺産課のダビッド・マスさんが案内。歩き始めて3時間半で到着。17世紀からここで取れる鉄鉱石を使った製鉄が盛んに行なわれていた。鉄は輸出され、巨額の富がアンドラ発展の基礎となった。「ロセイ製鉄所博物館」がある。重要な労力として利用したのは渓谷の川。水車を回し、鉄を叩き続けるハンマーを24時間動かし続けた。ピレネーの松ノ木を木炭にして利用した。18世紀後半、隣国に近代的な製鉄所が出現して、アンドラは次第に廃れていった。20世紀、アンドラが取った政策は、税金を抑えて免税品を売り、海外の客を寄せ集めること。安い税金は世界中の莫大な資本を引き寄せた。その多くはリゾート開発に向けられた。20世紀初頭は人口は5000人だったが、7万人に増えた。
もう一つ失われゆくものは、羊飼いの生活。ジョアキム・セイラさん(65歳)はこの渓谷に残る最後の羊飼いだが、今年で渓谷を去る。かつては5000頭もの羊がいた。見えてきたのは、150年以上前のカバナと呼ばれる山小屋。壁は石を積んだもので、天井には草や土。草が水をはじき、土が温度と湿度を保つ。
テレビ番組「にじいろジーン 世界まるごと見聞録 スペインのバレンシア」
2009年4月18日放送。
●バレンシア
エールフランスで日本からパリ経由で14時間の旅。1年を通して雨の日が60日、太陽がサンサンと降り注ぐスペイン第3の都市。空港からはタクシー・ドライバーのホルヘさんの運転で市街地まで20分。
中央市場に行く。農作物、魚介類が豊か。中でも世界的に有名なのがバレンシア・オレンジ。
一番有名なのは大聖堂にある「ミゲレテの塔」で、15世紀に建てられた歴史のある場所。2007段の階段を登ると、絶景が広がる。にじいろガイドはヌリア・ロペスさん(30歳)。
パエリアの名店「Restaurante La Rosa 」。パエジャはバレンシアが発祥の地。専用の鍋で米と具材を煮込み、オーブンで仕上げる。日本ではシーフードのパエリアが一般的だが、バレンシア伝統のパエジャに入っているのは、鶏、ウサギの肉、カタツムリなど、山で採れる食材ばかり。1人前2600円(20ユーロ?)。ツウは鍋から直接食べる。カタツムリは中身を吸い出して食べる。
夜、路上でパエリアを作っているたくさんの人がいる。この日は年に1度の町ごとにパエリア・コンテストが行なわれた。審査会場では、およそ30種類が出展され、優勝を決める。
この時期、「サンホセの火祭り」の真っ最中。サン・ホセはキリストのお父さんの名前。3月に入ると始まり、15−19日がハイライト。最終日におよそ70体の張子が燃やされてしまう。町では白と青のチェック柄のスカーフをしている人が多い。1枚1ユーロ(130円)で、伝統的なスカーフ。またこの火祭りの期間だけ許されているのは、町でいくら爆竹で音を鳴らしてもおとがめなし。爆竹専門店は大はやり。午後2時から見逃せないイベントが始まる。市庁舎広場前では、マスプレタ?と呼ばれる爆竹ショー。煙で何も見えません(笑)
最終日、町の80箇所で爆竹と共に、張子が燃やされた。人気のある大きな張子人形のまわりは大混雑。近くで見るには小さい方が狙い目。点火前には消防がまわりの建物に放水する。
カフェでちょっと一息。「Horchata Daniel 」に行く。バレンシア発祥の飲み物「オルチャータ」をいただく。夏の定番ドリンクで、カヤツリソウが原料。アーモンドと豆乳を混ぜたような感じとか。1杯310円。追加でファルトンという甘いパン(70円)。これをつけて食べる。
会話の中によく「ケーワイ」という言葉がでてくるが、「イケテる!」という意味。
プラサ・デ・トロス闘牛場に行く。闘牛を観戦するときは、レンタル座布団1枚2ユーロ(260円)を借りること。座席が冷たくて堅いからだそうです。常連はマイ座布団を持参するとか。2時間の間に6頭の牛が登場。場内には牛の重さが表示される。入場料は980円〜1.7万円。闘牛シーズンは毎年、火祭りと共に開幕し、10月まで。
不動産。旧市街の1940年代に建てられたマンションの3階。7年前に改装され、2LDK86平方m。浴室が2つ。すぐ近くに火祭りが行なわれる広場がある。価格は33万ユーロ。
テレビ番組「知っとこ!世界の朝ごはん スペイン王国のビルバオ」
2009年4月11日放送。
●ビルバオ
バスク地方にあり、独特の食文化や風習が残る。人口35万人。旧市街(Casco Viejo)には歴史と伝統を感じさせる建物が数多く建ち並ぶ。とても赴きがある。黒いベレー帽をかぶった人が多い。これはチャペラという伝統的な帽子。「ゴロステイアガ帽子店 Sombrero Gorostiaga 」に行く。チャペラはバスク地方の中でも地域によって色やかぶり方が違うそうです。ビルバオは黒で、後頭部をつぶしてかぶる。隣のサン・セバスチャンは青色で、横をつぶす。フランスのバスク地方は白色で前をつぶす。
川沿いのトマス・オラバリ通りを歩く。ゴンドラで人や車を運ぶ「ビスカヤ橋」がある。1893年に作られた世界初の運搬橋で世界遺産。一度に300人の人と車6台を運べる。
川沿いのボティカ・ビエハ通り Ribera Botica Vieja に銀色の建物がある。中には車が宙吊りでピカピカ光っている。世界的に有名な「グッゲンハイム美術館」でした。建物はアメリカの建築家フランク・ゲーリーが設計、車は中国のアーティストが作ったもの。ニューヨークの「グッゲンハイム美術館」の分館。鉄鋼などで栄えた町だが、80年代から町が活気を失った。この美術館を皮切りに、ビルバオは芸術の街として町おこしを始めた。今は町全体が美術館。
エンディカ・イグレシアスさん(21歳)が紹介してくれたのは、バル「ビクトール・モンテス Victor Montes 」。ピンチョスという料理がたくさん並ぶ。ピンチョスはバスク地方が発祥で、スペインじゅうにバスク風バルが広まっているそうです。バルははしごをしながら楽しむのがスペイン流。次は「ベルトン・ブコイ Berton Bukoi 」。
アバンド市場 Mercado Abando に行ってみた。そこでこの地方ならではの集まりがあるというので行ってみた。エプロンをつけたおじさんがいる。これは「美食クラブ」で、男友達が集まって、自分たちがいつでも使える厨房付きの部屋を借りている。バスク地方にはこういう「美食クラブ」が大小あわせて1500もある。「女性と食事するとお金は2倍かかり、楽しみは半分になる」ということわざがあるためらしい。
新婚さんの朝ごはん。住宅街に住むイランチュ・ララベ・アリチュムニョ?さんが作る1品目「小イカの墨煮」。たまねぎ、にんにく、西洋パセリを細かく刻み、圧力鍋に入れる。ここにヒビリヨネスというこぶりのイカをたっぷり加え、蓋をして10分煮込む。このイカを一度取り出し、残りを「こし機」で丹念につぶしてペースト状にする。瓶詰めのイカスミを加え、全体をよく混ぜてソースの完成。イカを鍋に戻し、ソースとからませる。
2品目「アサリのグリーン・ソース煮」。鍋に白ワインを入れ、アサリを加え、蓋をして蒸す。汁をボウルに移し、フライパンで西洋パセリ、にんにくを炒め、先ほどの煮汁を戻し、水で溶いた小麦粉を加えてとろみをつける。それをあさりにまんべんなくかける。
3品目「ツナ・サラダ」。たまねぎをみじん切りにして刻んだレタスの上に。その上に大ぶりのツナをたっぷりのせる。別にワイン・ビネガー、塩、オリーブオイルをよく混ぜてドレッシングを作り、サラダにかける。
テレビ番組「知っとこ!世界の朝ごはん スペイン王国のグラナダ」
2009年4月4日放送。
●グラナダ
グラナダの象徴がアルハンブラ宮殿。イベリア半島におけるイスラム王朝の最後の宮殿として建てられ、今は世界遺産。
カルデレリア・ヌエバ通り Calle de la Caldereria Nueva はアラブ風のお土産屋さんが並ぶ。アラビア文字で名前を描いてくれる人がいた。1枚2ユーロ(260円)。
レアル・デ・アルハンブラ通り Calle Real de la Alhambra のお店には、素敵なデザインの箱や壁飾りがある。これはタラセアという寄木細工で、材料は杉や黒檀、牛の骨など。これを組み合わせて棒状の部品を作り、これを薄く切り、デザインにあわせて1枚1枚手作業で貼り合わせて作る。サン・ホセ教会では、十字架にもタラセアが使われている。
目抜き通りのレージェス・カトリコス通り Calle Reyes Catolicos では頭に出前を載せて運んでいる。昔からの伝統で、最近は少なくなったとか。「ロペス・メスキータ Lopez Mezquita 」では「クアハダ・デ・カルナバル」という伝統的なお菓子を作っている。小麦粉、卵、ラードなどで作った生地を器に張りつけ、焼いたら、カスタード・クリーム、アーモンド、ジャム、砂糖水に浸したスポンジなどを重ね、再び生地をかぶせて焼き、粉砂糖を振りかけて完成。1個14ユーロ〜。冬から春にかけて食べるお菓子。
ホセ・マヌエル・ペレス・ラバシディラさん(29歳)が紹介してくれたのは、白い壁のレストラン「ミラドール・デ・モライマ Restaurante Mirador de Morayma 」。味だけでなく眺めもいい。「オジャ・デ・サン・アントン」は大きな壷ででてくる。具沢山な煮込み料理。豚肉をメインに、豚足、耳、尻尾などとひよこ豆を3時間煮込んだ料理。16ユーロ。豚のエキスやコラーゲンもでて濃厚なうまみが堪能できる。
●ベナルーア・デ・ラス・ヴィジャス Venalua de las Villas
山の斜面に等間隔で木が植えられている。これはオリーブの木。オリーブオイルの工場「サン・セバスティアン農業組合 San Sebastian S.C.A. 」を訪問。機械で絞り、水分や細かい果肉などを取り除いて、オリーブオイルが作られていた。この工場では、年間600万リットル作っているそうです。スペインはオリーブオイルの生産が世界一。
使い終わったオリーブオイルで石鹸を作っている人がいた。オリーブオイルに塩、小麦粉、苛性ソーダなどを加えてよく混ぜて2日置くとできる。傷口も早く治るそうです。
●グラナダ
アルバイシン Albaycin 地区。全て白い壁に統一されている。グラナダで最も古い街並みが残る場所。アラブ統治時代に発展した要塞都市で、1984年に世界遺産に登録された。
地下の洞窟を利用した老舗のフラメンコ・クラブに行く。
新婚さんの朝ごはん。アナ・ベレン・ラグナ・カルバージョさん(30歳)が作るのは、1品目「サルモレッホ Salmorejo 」。一口大に切ったトマトを鍋に入れ、にんにくとパンを加える。ハンドミキサーでペースト状にしたら、ワイン・ビネガーとオリーブオイルを加え、塩で味を整える。器に盛り、ゆで卵を添える。
2品目「レモホン・グラナダディーノ Remojon Granadino 」。オレンジを賽の目切りし、茹でたジャガイモを加え、タイム入りのオリーブオイルをたっぷりふりかけ、全体をよく混ぜてお皿に盛る。別にホットプレートでタラの切り身とネギを焦げ目がつくまでしっかり焼き、お皿に盛る。さらにオリーブの実をのせる。
3品目「アバス・コン・ハモン Habas con Jamon 」。フライパンでちょっとこぶりなそら豆を炒め、塩で軽く味をつけておく。別のフライパンでたっぷりのオリーブオイルに卵を入れ、油をかけながら、フライドエッグを作る。ハモン・フェラーノという豪快な生ハムを薄く切り、そら豆を敷いたお皿に盛り付ける。中央にフライド・エッグを置いて完成。
テレビ番組「探検ロマン世界遺産 スペインのアンダルシア」
2009年3月28日放送。番組の最終回。55歳になった松任谷由実さんが「スペインは50歳を過ぎてから行く」というので、スペインを旅した。旅のお供は中野に昔住んでいたフェデリコさん。NHK製作。
●セビリア
「セビリアを見ていない人は奇跡を見ていない人」という言葉がある。ガイドブックには次のように書いてあった。旧ユダヤ人地区のパリオ・サンタクルス地区を夏の夜に歩くと、その意味が実感として伝わってくる。月の光に青白く輝く白壁。夜の空気に甘く漂うジャスミンのオレンジの香り。セビリアの夜は官能的だ。しかし、今は冬。
セビリアはフラメンコ発祥の地。フェデリコさんに地元の人しか知らないフラメンコのお店を紹介してもらった。「ペーニャ・フラメンカ Pena Cultural Flamenca Torres Macarena 」。地元の人たちがお金をだしあって作ったフラメンコ版ライブハウス。ここはフラメンコの本場セビリアでも最も古いものの一つ。このペーニャから数多くの一流アーティストが誕生した。地元では熱狂的なフラメンコ・ファンのことをアキシナードという。この夜もファンが多く集まった。ショーの前にワイン。以前見たフラメンコは観光客用のものだった。この夜のフラメンコは強烈だった。「強烈な血のにおい」を感じたそうだ。その答えはアンダルシアという土地の歴史に関係あるのだろう。
その歴史を物語る「セビリア大聖堂」。大航海時代の16世紀、キリスト教徒によって作られたセビリアのシンボル。バチカンの「サン・ピエトロ大聖堂」、ロンドンの「セント・ポール大聖堂」と並び、世界三大聖堂といわれる。祈りを捧げる祭壇。その奥には、キリスト教カトリックの世界で最大規模の最大衝立が聳えている。高さ20m、幅13m。衝立には、聖書に書かれたキリストと聖母マリアの生涯が45の場面にわたって彫刻で描かれている。その全てが黄金で塗られている。完成には118年の歳月がかけられた。中世の時代、圧倒的なキリスト教の世界が広がっていたことを物語る。しかし、この大聖堂はイスラムのモスクだった。その痕跡が大聖堂のヒラルダの塔に残されている。元々はモスクの尖塔ミナレットだったものに、上にキリスト教徒が鐘楼をつけた。
西暦711年、イスラム教徒がジブラルタル海峡を越え、アンダルシアに侵入。ここに住んでいたキリスト教徒を支配下に置いた。1492年、キリスト教徒が再び奪い返した。レコンキスタ(再征服)。800年続いた、イスラム教徒とキリスト教徒の激しいせめぎあい。また、激しい交じり合いを経験していた。
それが隣にある「アルカサル(王宮)」。キリスト教徒によって作られた宮殿。キリスト教徒の王ペドロ1世が自分の住まいとして作った。しかしこの宮殿はイスラム芸術で埋め尽くされていた。文字や植物を複雑に組み合わせたアラベスク。「大使の間」の天井にもイスラム様式が取り入れられている。イスラムの民が砂漠で見た星空、想像した無限の宇宙を描いている。「乙女の中庭」のモザイク文様。ペドロ1世はアラビアの服装で過ごし、宮殿ではアラビア語を使っていた。また「アラー・アクバル(アラーは偉大なり)」という言葉も彫刻していた。
長年、アルカサルの管理責任者を務めてきたラファエル・マンザーノ・マルトスさんは、「芸術に関して、キリスト教徒は、イスラム文化の大ファンだった。キリスト教徒はイスラムの建築物に憧れ、賞賛していた。驚くほどに美しかったから。」と語る。宗教的には激しく対立していたが、文化は極めて友好的に混じり合っていた。そんな時代にアンダルシア地方に鳴り響いていた音楽を聞きたくなった。その音楽は今アフリカにあるという。
●モロッコのテトゥアン
スペインの対岸にある町。町の中心にある旧市街が世界遺産。アンダルシアの末裔たちが15世紀〜17世紀にわたって移り住んだ街。アンダルシアを思わせる白壁の家々。外敵から守るための迷路のような路地。テトゥアンはアンダルシアとモロッコの雰囲気を同時に味わえる街として人気がある。モスクにはアルカサルの入口で見た八角形の模様があった。ここに住んだ人たちは好きで移ったのではなく、追放されたという事実。1492年、アンダルシアでは、キリスト教徒によるレコンキスタ(再征服)が完了。キリスト教徒はイスラム教徒とユダヤ教徒をアンダルシアから追放した。
旧市街には追放された人々の望郷の思いを感じさせるものがあった。末裔で歴史家のアフメット・メガウさんに案内してもらった。家々の玄関(ドア)につけられた飾りは、アンダルシアのアルメリア県出身であることを示すシンボル。祖先がアンダルシアに郷愁を感じて作った。アンダルス人であることを誇りに思ってつけたもの。ハエン出身、グラナダ出身、多くの家々にシンボルがドアの左上や右上に付けられている。
家の中を見せてもらった。きれいなモザイク模様。住んでいたのは末裔ではなく、北西アフリカの先住民のベルベル人の家族だった。追放から500年も経ち、町に住む人々も変わり始めている。モロッコの公用語はアラビア語とフランス語。でもテトゥアンではスペイン語も使われる。
次の家はアンダルシアに対する望郷の思いを強く感じた。テトゥアンで最も古い家の一つ、ブレール家の住居だった。昔のお金持ちの家だった。アンダルシアの住宅中庭を再現していた。柱のアンダルス・モザイクは、何世紀も経っているのに元の色のままできれい。望郷の思いを感じる。
旧市街の隣に巨大な墓地が広がっていた。ここにはいつかはアンダルシアに帰ることを夢見ていた人々の亡骸が眠っている。墓地の一番上には、15世紀末、最初にテトゥアンにやってきたイスラム教徒たちの住まいが残されている。アンダルシアに戻るための仮の住まいと思わせる粗末なものだった。彼らの墓は地面に転がっていた。最近、墓石泥棒に荒されたという。
空気の澄んだ日、墓地からは海の向こうに遠くアンダルシアが見渡せるという。「アンダルス」という言葉を聞くと、思わず立ち止まってしまうと、メガウさんは語る。キリスト教徒が追放したからと言って、アンダルスの文化がなくなったわけではない。
松任谷さんがどうしても聞きたかった中世アンダルシアの音楽は、テトゥアンで大切に守られていた。今回特別に演奏を聞かせてもらうことになった。その音楽は追放をきっかけに一度途絶えてしまった。キリスト教徒に楽譜を燃やされたからだという。細々した記憶をたよりに子孫たちがこの音楽を蘇らせた。「アル・アンダルス音楽」 Nostalgia Hacia Andalusia 。この楽団の名前は「アル・アンダルス・ドゥ・テトゥアン」。この音楽を世界に広げようと世界中で演奏旅行を続けている。指揮者のアクラミさんは、「この音楽は一度破壊されたが、私たちの中に強く刻まれた。」と語る。「土地を失っても音楽は人の中に生き続ける」。松任谷さんは感動して涙。
アル・アンダルス音楽、歌い手のこぶし回しは確かにフラメンコと似ていた。しかし、最初に見たフラメンコとはまだ違いがある。
●グラナダ
世界遺産「アルハンブラ宮殿」は、イスラム教徒が最後まで抵抗を続けた場所。戦いに敗れ、この地を去っても忘れられなかった場所。14世紀、歴代のイスラムの王たちによって作られた宮殿です。アンダルシアで800年続いたイスラム王朝の繁栄ぶりを最も象徴する遺跡と言われている。アルハンブラを奪ったキリスト教徒の王もこの美しい宮殿に魅了され、ここを破壊せずそのまま住み続けた。松任谷さんはこの宮殿の美しさを見て、追放されたイスラム教徒の望郷の思いを少し理解できた気がしたそうです。
アルバイシン地区はかつてのイスラム教徒の住居。15世紀末、イスラム教徒と入れ替わるように、遠く西インドから新しい民族「ヒターノ」がやってきた。放浪・芸能の民ヒターノ。最近では一般に「ロマ」と呼ばれている(以前はジプシーと呼ばれていた)。インドから中東、東ヨーロッパを経由して、15世紀にアンダルシアにたどり着いたと言われている。芸能が得意な彼らはアンダルシアの歌や踊りを吸収し、新たな形へと進化させたという。確かにフラメンコ音楽でした。
男性の一人がこう言った。「フラメンコって、俺たちの中に持って産まれたものかもしれない。俺たちは神様のおかげで、それを生まれつき持っているんだ」。ヒターノたちは、最初、この地でも放浪生活を送っていたが、やがて定住し、集落を作り始めた。アルハンブラ宮殿のすぐ近くにある「サクロモンテの丘」もその一つ。
サクロモンテにある一軒のバー「Los Taroles ?」を訪ねた。店長のアントニオ・エレビア・ロス・ファローレスさん(通称キキさん)(62歳)。驚いたことに店の奥は洞窟になっていた。地元ではこうした坂の斜面に作る洞窟住居をクエバという。多くのヒターノたちがこうしたクエバで暮らしてきた。ここではたくさんのエコーがかかる。書斎の奥には、浴室、リビング、キッチンがある。キキさんの祖先たちは家族が増えるたびに穴を掘り、家を大きくしていったという。
ヒターノは、すんなりとアンダルシアに受け入れられたわけではない。15世紀〜18世紀にかけて、厳しい法律がいくつも作られた。放浪生活を止めないと鞭打ち。三回逮捕されると死刑。やがて、歌や踊り、そして「ヒターノ」の言葉を禁止する法律も作られた。しかし彼らは歌うこと、踊ることを決してやめなかった。アンダルシアの音楽を吸収し、やがて苦しい人生から生み出される強烈なスパイスを付け加えていった。そんな彼らの芸能はアンダルシアじゅうで評判になり、歌や服装を真似る民衆が大勢現われた。キキさんはギタリストだった。40歳の時に指を骨折してギターは弾くことができなくなった。
そして18世紀末、フラメンコは誕生した。それがどんなものだったのか、手がかりがアルハンブラ宮殿アルヒーベス広場にあった。1922年、この広場で「フラメンコの夜明け」ともいえるコンクール「カンテ・ホンド・コンクール」が開かれた。大会には4000人の観衆がスペインじゅうから集まった。カンテ・ホンド Cante Jondo は「深い歌」を意味する。大会のポスターには、骸骨、血がしたたる心臓、死刑台が描かれていた。大会で優勝したのは、100km離れた村から3日間歩いて参加したというディエゴ・ベルムーデスさん。「マヌエル・デ・ファリャ資料館」には、優勝した彼のカンテ・ホンドがレコートとして記録されている。彼はヒターノではなかった。音楽は民族や宗教の壁を軽々と乗り越え、人をひきつける。
フラメンコ専門家のホセ・ルイスさんは次のように語った。「様々な民族が通り過ぎ、全ての民族がこの地に何かを残した。そのおかげで、フラメンコは極めて優れた芸術になった。それぞれの民俗の音楽文化の中にある最良の物をフラメンコは吸収した。完成したフラメンコは、各民族が別々にやっていた音楽よりも優れたものになった。様々な民族がここで混じり合わなかったら、今とは違う音楽になっていただろう。アンダルシアでフラメンコは産まれなかったはずです」。
旅の終わりは強烈なフラメンコで締めくくりたい。代々フラメンコを受け継いできたヒターノであるペドロ・ペーニャさん(今年70歳)のフラメンコ一家のパーティに参加させてもらった。ペドロさんはスペインのフラメンコ界の重鎮で、フラメンコの生きる伝説と呼ばれている。来ていた家族もほとんどがプロ。ペドロさん一家にとって、こういったパーティはフラメンコを伝えるための大切な場。ペドロさんも生活の中で肌でフラメンコを覚えてきた。「フラメンコを通して、人々の記憶が受け継がれていく」。
ペドロさんは「フラメンコは人類の大切な遺産だ。感情、心がこもっている。これは、並外れた音楽で、世界の音楽でフラメンコが最高だと思っている」と語った。パーティ後、地下のスタジオで、どうしても聞いて欲しい曲があるという。息子のダビ・ペーニャ・ドランテスさんがピアノでこれまでにない新しいフラメンコ(ピアノ・フラメンコ)に挑戦しているという。ダビさんは「小さい頃から血の中にフラメンコがある。どんな楽器を選んでも私の音楽はフラメンコだ。最も大切なものは魂だ。」と語った。混じり合いは続いていく。
松任谷さんは語る。「世界遺産を旅してみることをお勧めします。美しさを堪能するのも、歴史を知るのもいいかもしれません。でも、一番大切なものは、人間の情熱や記憶にふれること・・・かもしれない。きっと何かを感じます」。
テレビ番組「地球街道 近藤正臣さんでスペイン」
2009年2月7日、14日放送。スペイン西部、イベリア半島を南北に走る道を「銀の道 via de la Plata」という。カンタブリア海に面すスペイン西北の港町ヒホンがこの道の起点。終点はアンダルシア地方のセビーリァで、およそ820kmの道のり。現在の国道630号線。古代ローマ人によって作られた道。5つの世界遺産と出会える。
●ヒホン
バルに入る。バルは気軽に立ち寄れるスペインの飲食店。人気のオリシオ Oricio は雲丹です。茹でてあります。丸ごと海水で茹でたものを食べるのがスペイン流。
●ブエニョ Bueno
ヒホンをでて1時間。人口130人の山間の小さな村。1軒に1つは必ずあるのがオレオと呼ばれる高床式の倉庫。ここは雨が多いためらしい。トウモロコシを干していた。ネズミ返しもある。
ラウダリーノ・ロドリゲスさんがはいていたのは、マドレーニャ(木靴)。雨が多いから便利だそうです。
ここからは道が険しくなった。さらに雨が雪に変わった。標高1200m。
●バリオス・デ・ルナ Barrios de Luna
「月の場所」という意味の湖がある。
●レオン Leon
旧市街は10世紀に作られた城壁に囲まれている。サンティアゴ・デ・コンポステーラに続く「巡礼の道」と「銀の道」の交差する町。
町のランドマークは「レオン大聖堂」で13世紀に建てられたゴシック建築の傑作。中のステンドグラスは700枚を越す。ただただすごいの一言。
マヨール広場にはプラサ・マヨール市場がたつ。焼き栗、オレンジ?などを購入。木靴を売っている店屋がある。内履をはいてから履くそうです。アベリーノ・フェルナンデス・フェルナンデスと作者の名前が彫ってありました。80歳の工作家です。1足100ユーロ。歩き心地もいいそうです。
●ビザーナ橋 Puente de la Vizana
石畳の橋があった。隣に現代の橋がある。誰も来ないが、いい感じ。
●サラマンカ Salamanca
古代ローマ人によって築かれた世界遺産の町。マヨール広場はスペイン一美しい広場とうたわれている。
●ポルトガルとの国境
銀の道から外れて、国境を目指す。1km程度で到着。セグラ橋 Puente de la Segura が国境。ここから見えるポルトガルの小さな村セグラを目指した。
小さな教会に行くと、夕陽が沈むところだった。
セビージャまで300km。
●銀の道
旧道に石の碑が建っていた。古代ローマ時代の道しるべ「ミリアリオ」。かつてイベリア半島の中心都市だったメリダから1マイル毎に置かれていた。ちなみに古代ローマの1マイルはおよそ1.5km。
●羊の村
羊の小屋の中にローマ時代の道標があった。この羊小屋は400年前に建てられたが、道標をあちこちからもってきて、柱に利用したらしい。
●カセレス Caceres
中世の貴族の住宅がそのまま残っている旧市街は世界遺産。
このあたりの名物を求めて、郊外の工房「ラ・ハリージャ La Jarilla 」に行く。ハビエル・ムニョス、ペレスさんの店は世界一美味しいチーズを作っている店。強い匂いと独特の味わいがある。乾燥させて朝鮮アザミの花から作った天然の凝固剤を使って、羊のミルクを固める。型につめ、2ヶ月熟成させたのが「トルタ・デル・カサール」。上の部分を切り取ると生クリームみたい。深い味わいだそうです。
カサレスが最も美しいのは夜かもしれない。道は迷路のようです。中心の広場では、大聖堂の塔の上にコウノトリがいました。冬はアフリカで過ごすはずですが。
●メリダ
車で1時間。小さなローマと呼ばれる。まるで遺跡のような町。6000人を収容できたという半円形のローマ劇場。
●モネステリオ Monesterio
樫の木の林(デエサ)がある。ドングリの実(樫の実)がなっている。イベリコ豚を養殖している。近藤さんは食べてみました。小さい食べた椎の実に近い味だそうです。
レストランテ「マジョルカ」で「ハモン・イベリコ・ベジョータ」をいただく。これは3年熟成したもの。生ハムを美味しく食べるには、その切り方が大事だそうです。ここのディトリオ・カルデロン・バラガンさんはスペインの生ハム切りで優勝したことがある。「てっさ」のような切り方と盛り付け方です。手で食べます。一人前14.5ユーロ〜。
●セビーリャ Sevilla
ローマ時代、大航海時代に拠点となった町。シンボルのヒラルダの塔がある大聖堂は世界遺産。
「カサ・アンセルマ」でフラメンコを見ました。ここはお客の間で踊ります。夜の1時過ぎだが、盛り上がったいました。
テレビ番組「探検ロマン世界遺産 スペインのビルバオのビスカヤ橋」
2009年1月31日放送。
●ビルバオ
スペイン北部のバスク地方。四国程度の面積に250万人が暮らす。普段はスペイン語を話すが、バスク語も話す。
ビスカヤ橋はワイヤー・ロープに吊られたゴンドラが人と車を運ぶ橋。100年前に建てられた。年間のべ600万人を運んでいる。
朝6時から橋をずっと撮影してみた。片道40円の切符を購入。いろんな人が渡ります。8時には混みあってきた。
午後、日がさすと、橋の近くは散歩する人で賑わう。
橋の近くには労働者の町。19世紀の産業革命で多くの労働者が移住してきた。近くで鉄鉱石が取れたことから、ビルバオは工業が発達した。川沿いには製鉄所や造船所が建った。
ビスカヤ橋は鉄の町ビルバオの繁栄を象徴する橋として、1893年バスク人建設技師ハラシオによって建設された。装飾を一切排し、鉄骨をシンプルに組み上げただけのモダンな美しさは、パリのエッフェル塔と並ぶ19世紀鉄製建造物の傑作とされる。鋼鉄製のケーブルが橋を支える。このアイディアは後に多くの橋のモデルとなった。今のゴンドラは電動モーダーで動いているが、建設当時は蒸気だった。
水先案内人のホセーラモン・マリンさんは、日に8度とか渡るそうです。運搬橋という構想は、船が通過するのを橋がジャマしないためのもの。マリンさんは橋の操縦者と連絡を取り合って船を通す。
第二次世界大戦前夜、スペインは内戦が起こった。1937年敵対するフランコ将軍の軍勢に総攻撃を受け、ビスカヤ橋も攻撃され、橋は崩落し、両岸の鉄塔だけが残った。バスクを象徴する都市ゲルニカがフランコに協力するナチス・ドイツによって攻撃されたのは1937年。1941年に橋は再建されたが、その後もフランコはバスクに対して制裁を加えた。35年にわたり、バスク語は使うことを禁じられた。1980年代になって、学校の授業でバスク語を教えることが復活した。
ビルバオには地元の人が熱狂的に応援するサッカー・チーム「アスレチック・ビルバオ」がある。1898年創設で、スペインで最も古いサッカー・チームの一つ。リーグ優勝8回、スペイン・カップ優勝28回を誇る名門。選手全員がバスク人であることが自慢。
この橋はバスク人を結ぶ橋でもある。
アフリカのギニアビサウから18年前に来たサーニャ・クリマさん(41歳)のお宅を訪問した。クリマさんは故郷でサッカー・チームを作ることが夢。「アスレチック・ビルバオ」のチームが故郷にユニフォームをプレゼントしてくれた。
この日は夜11時から朝5時まで5年に1度の補修作業の日、高さ45mの橋げたは遊歩道になっていて、歩いて渡ることができる。
翌朝7時、ミラグロス・フエルテスさんが朝市で野菜を売るというのでついて行った。週に3回市が開かれている。8時に最初のお客がやって来た。大型スーパーの品物よりも安心できるという。
橋の近くのバル通り。人々はピンチョスを食べながら、何軒もバルのはしごをする。みなバスク人であることを誇りに思い、人と人とのつながりを大事にする人たちでした。
テレビ番組「旅サラダ 2008年11月は小西美帆さんでスペイン」
エール・フランスで行きました。面積は日本の1.5倍、人口は4500万人。
●バルセロナ Barcelona
スペイン第二の都市。カタルーニャ地方最大の都市。地中海貿易で栄えた。ランブラス通りは「世界で最も美しい通り」と言われ、散歩する市民や観光客で年中賑わっている。バルセロナの中心にある1.5kmにもわたる目抜き通りで、活気がある。カフェや花屋さん等が建ち並び、大道芸人も沢山いて、歩くだけで楽しい。今回は悪魔がいました。
スイーツの店「ピダル・ポンズ Vidal Pons,S.A. 」(住所:Placa de la Bonqueria 08001-Barcelona、Tel:+34-93-318-2017 )は、ランブラス通りからすぐの所にある、ボケリア市場内のお菓子屋さん。お菓子はカラフルで量り売り。今回チョコレートを買ってみた。100g4.5ユーロ。スペインの人は甘いものが大好き。
今とても注目されているお店「エスパイ・スック Espai Sucre 」(住所:c/Princesa 53 Barcelona、Tel:+34-93-268-1630、営業時間:火水木 21:00〜23:30、金土 20:30〜23:00 )に行ってみた。このレストランは、スイーツのコースメニューだけを扱うユニークなお店。今回は、女性に人気のチョコレートのコース「メニュー・チョコラータ」37.5ユーロ+7%税金、をいただいた。全3品。1品目は前菜、ビネガー、ミント、胡椒が使われたお菓子の上にイチゴのアイスがのっている。創作デザートでいろいろな味をミックスしている。2品目はチョコレート・クリームにヘーゼルナッツやカカオが使われたもの。3品目はオリジナルのエネルギー・バー?の上にオクトーバーのアイスクリームがのったお菓子。
「サグラダファミリア教会」(住所:Mallorca401 Barcelona、Tel:+34-93-476-1011 )は、目の前にすると衝撃を受ける。1882年に着工、翌年に設計を依頼されたアントニ・ガウディは設計を一から練り直し、生涯を終えるまで、この教会の建築に夢中になり、生涯をかけた。現在も建設は続き、2005年世界遺産に登録された。正面は「生誕の門」で、キリストの誕生から物語は彫刻で描かれている。入場料は10ユーロ。エレベーターは2.5ユーロ。中に入ると天井が高い。白い壁と白い柱。エレベータで塔の上に登った。地上55mの地点では建設が続いていた。完成は20年後とも200年後とも言われる。
http://www.sagradafamilia.cat/sf-eng/docs_serveis/informacio.php
ガウディが残した作品は街中に点在している。広場にある街灯、舗道に敷かれたタイルまで。彼の芸術が街と共に日常に溶け込んでいる。グエル公園(住所:Calle Olot 7 Barcelona、Tel:+34-93-413-2400 )の中にもタイルで作ったトカゲがある。この公園は、イギリス風庭園住宅をつくろうと、ガウディが手がけた作品。ガウディが自然からインスピレーションを得たという曲線上のデザインに描かれたタイルが敷き詰められ、まるでお菓子の家のようです。上にのぼると、洞窟にいるような感じの斜めの柱の回廊。広場にはベンチは曲線からなる。画家のミロも創作のヒントを得たという波打つベンチ。今では市に寄贈され、市民の憩いの場となっている。入場料は無料。街が一望できる。
バルセロネータという海岸に行く。レストラン「バルセロネータ」(住所:L’Escar 22 Moll de la Pescadors, Barcelona、Tel:+34-93-221-2111、営業時間:13:00〜16:00 & 20:30〜1:30 )は、海産物レストラン。新鮮な魚介類が豪快に味わえる。今回は「魚介類の盛り合わせ」(時価)です。レモンを絞ってシンプルにいただく。
旧市街の中心にあるゴシック地区は、暗い色の古い建物が並ぶ。12世紀に海洋王国として栄華を極めた中心の街だった。毎週日曜日に13時から大聖堂の前で踊られるカタルーナ地方の民族舞踊「サルダーナ」。土曜日も夕方6時からあるらしい。スペインの中でもバルセロナは独自の文化と言語を持つ地方で、手とつないで輪になって踊る踊りはカタルーニャの団結の象徴として踊り継がれてきた。地元の人はもちろん、旅行者も気軽に参加できる楽しい踊り。
●モンセラット
バルセロナの北西50kmに位置する山。古くからカタルーニャの人々のキリスト信仰の聖地とされてきた。モンセラットとは「のこぎりで引かれた山」という意味。ロープウェイで片道5ユーロ、往復10ユーロで6分。絶景ポイントを目指す。刃物で削られたような、神秘的な形の山が続く。ガウディはこの山を見てサグラダ・ファミリアを設計したとも言われている。
モンセラット修道院(住所:08199Monestir de Montserrat、Tel:+34-93-877-7701 )は標高1235mの断崖絶壁に建てられている。毎日2回のミサが行なわれ、多くの人々がやってくる。「エスコラニア」と呼ばれる少年聖歌隊が、歌を歌う。厳粛な空気となり、心と体が浄化されていくような感じになり、多くの人が集まる。エスコラニアが歌うミサは毎日13時と19時の2回。週末だと時間が変わる。休みは7月と、12月26日〜1月6日)
●バレンシア
スペイン東部に位置する地中海の港町。太陽がサンサンと降り注ぐ、温暖な街で、バレンシア・オレンジでも有名。
「中央市場」(住所:Plaza del Mercado s/n, Valencia、Tel:+34-96-382-9101 )は1928年に建てられた。バレンシア・オレンジは1個1.5ユーロ。生ハムもぶら下げてある。バレンシアはお米の産地で、パエリアの発祥の地で鍋も売っています。1個3.25ユーロ〜
地元で人気のパエリアの老舗のお店「ラ・リウア La Riua 」(住所:C/Mar 27, Valencia、Tel:+34-96-391-4751、営業時間:14:00〜16:00 & 21:00〜23:00(日曜休み))は毎晩予約でいっぱい。壁一面にお皿が飾ってある。お店のお母さんピラール・ロサノさんがパエリアの作り方を教えてくれました。パエリア鍋に魚介類、お米を入れる。バレンシアのお米はデンプンが少ないので、洗う必要がないそうです。魚介類でとったスープを入れて、20分ほどで完成。「魚介類のパエリア」1人前18ユーロ。「魚介類のパスタのパエリア」1人前18ユーロ(2人前から注文可)。
バレンシアは陶器の町でもある。街の中にもスペインで唯一の陶器博物館「バレンシア陶器博物館」がある。「リヤドロ」(住所:Poeta Querol , 9 46002, Valencia、Tel:+34-93-351-1625、営業時間:10:00〜14:30 & 16:00〜20:00 日曜定休 )は、1953年から続く、ポーセリン(陶磁器)アートのブランド。紹介した陶器は、「花の街角」3790ユーロ(47.3万円)、「幸せの瞬間」926ユーロ(1.6万円)。日本の「雛人形2体セット」2530ユーロ(31.6万円)。「森の番人」3200ユーロ(40万円)、「森を照らす光」420ユーロ(5.3万円)。リアドロは1953年に創業のスペインのブランド。ホアン、ホセ、ビセンテの3人の兄弟が最高級の陶磁器ホーセリンで繊細な作品を作ろうと窯元を造ったのが始まり。商品は全て手作り。作品は1957年の「バレリーナ」や「モナギージョス」など。
その工場がバレンシア郊外にあるというので訪れた。住所は Ctra. de alboraya S/N. Ciudad de la Porcelana, Tavernes Blanques, 46016, Valencia、電話は+34-96-318-7008。アリシア・ゴンザレスさんが案内してくれた。特別に体験させてもらいました。丁寧で繊細な作業でした。「素敵な宝物」が紹介されました。
予約が要るが無料。工場見学は1時間半ぐらいのツアー。確認をもらってから見学可能。見学は、月〜金 9:30〜17:00、土 9:30〜13:00 (8月は 9:30〜13:30)。予約営業受付時間:月〜木 9:00〜18:00、金 9:00〜14:00(土日休み)。メールで予約も受付 museo-lladro@es.lladro.com。HPでも受付(英語で予約)
http://museo.lladro.com/sitio-museolladro-ENG/index.html
●セゴビア
古代ローマ時代の都市として栄えた。素晴らしい世界遺産がある。紀元1世紀にローマ人が建てた「水道橋」が街の中にある。接着剤をつかわず、石の重みだけで建てられた水道橋。ヨーロッパに数ある水道橋でも、最も美しいといわれている。15km離れたフエンフリア山脈から水を運び、およそ16年前まで人々の生活を支えてきた。
これをくぐると中世の街並みを残す旧市街。ここも世界遺産。
さらに街を抜けると素敵なお城が待っていた。スペインにあるお城の中で最も美しいと言われる「アルカサル」(Plaza de la Reina Victoria Eugenia, s/n Segovia、Tel:+34-92-146-0759、営業時間:4月〜9月 10:00〜19:00、10月〜3月 10:00〜18:00、入場料4ユーロ )。かつてウォルト・ディズニーの白雪姫のお城のモデルとなったという。スペインを統一した、女王イサベルとフェルナンドの座っていたというイスがある。断崖絶壁に建てられた世界遺産。
●ロア・デ・デュエロ
カスティーヤ・イ・レオン地方はワインの生産地としてスペインで最も名高い地方。ワイナリーを訪ねてみた。「ロペス・クリストバル・ボデガス」(住所:Crta. Bu-122, km 1.5 Roa de Duero、Tel:+34-94-756-1139 )は、世界中から評価されているという、原産地呼称「リベラ・デル・デュエロ」のワインを作るワイナリー。50ヘクタールのブドウ畑を持ち、年間20万本生産している。
10月中旬が収穫時期で、どこも多くの人が収穫に借り出される。当たり年だったという2004年のとっておきのワイン「Lopez Cristobal Crianza 2004」25ユーロ?(3150円)をいただいた。
●ブルゴス村
ほど近いブルゴス村にあるホテル「Palacio de Guzman パラシオ・デ・グスマン」(住所:Guzman de Duero, Burgos、Tel:+34-94-753-0129 )に泊まった。ファン・ルイスさんが出迎えてくれた。1600年代に司教が住んでいたという住宅を改装した全5室の小さなホテル。のどかでどこか懐かしい風景。妹のローザさんが作ってくれたのは「OXテールの煮込み」。スイート1泊:月〜金99ユーロ+7%税、土日は126ユーロ+7%税。夕食は30ユーロ+7%税。
●マドリッド
スペイン中央に位置し、スペインを代表する近代的な代表都市。オシャレな人も多い。
「王宮 Palacio Real 」はヨーロッパ随一の規模を誇る。歴代の王様が居城とした王宮で、約2800室もある。1700年代、白い御影石でできていて、必見です。国王は当時、宣誓式や結婚式などを国民に見せた。そのために1600年代に造られたのが、「マヨール広場」。4階建の集合住宅に取り囲まれたこの広場は、今では市民の憩いの場となっている。似顔絵を描いてくれる人がいたり、バルやカフェが建ち並んだり、常ににぎやかな広場。小西さんも描いてもらいました。8ユーロ?
建物の1階部分は回廊になっていて、多くのお店が並ぶ。バルに入ってみた「ラ・トーレ・デル・オロ La Torre del Oro 」に入ってみた。闘牛の剥製が飾られた店内は常ににぎやか。1日中開いている。ビール(おつまみ付き)で1.8ユーロ。ポテトはガーリックが効いていて美味しいそうです。
マヨール広場のすぐそばで、歴史あるレストランを見つけた。「ボティン本社」(住所:C/ Cuchilleros,17,28005 Madrid、Tel:+34-91-366-4217、営業時間:13:00〜16:00、20:00〜24:00 )は、世界最古のレストラン。1725年創業で、ゴヤが19歳のときにお皿洗いをしていたという歴史的なお店。ヘミングウェイの小説「日はまた昇る」で主人公に「ボティンは世界一のレストランだ」と言わせている。ワインの貯蔵庫だったという地下で、お勧めの「仔豚の丸焼き」1人前21.7ユーロをいただいた。生後間もない母乳しか飲んでいない子豚を丸ごと焼いたもので、意外と小さいです。どんぐりの木を薪にして、じっくりと焼く伝統料理。1匹で6人前。1人前を取り分けて出してくれます。
闘牛を見る。この日はお祭りの日。闘牛のよしあしはマタドールと呼ばれる闘牛士がいかにスマートで勇敢かで決まるといわれている。1試合の時間はおよそ20分。迫力に圧倒されます。
日々進化するマドリッドの今。地下鉄に乗ってショッピング街を目指した。マドリッドの地下鉄は一律料金で1ユーロ。どこまでも乗れる。扉はボタンを押して開ける。日本の車両よりもコンパクト。15分でフラノ?駅に到着。v
コロン広場。スペインには街のいたる所に広場がある。ここは、イサベルに出資してもらい、新大陸を発見したコロンブスの像がある広場。市民の憩いの場になっている。ここの東にあるのがショッピング・エリア「セラーム・ドール」です。
ヨーロッパで大人気という鮮やかな色使いのお店「アガサ・ルイス・デ・ラ・プラダ Agatha Ruiz de la Prada 」(住所:Serrano, 27, Madrid、Tel:+34-91-319-0501、営業時間:月〜土曜 10:00〜20:30 )は、マドリッド出身のスペインを代表する女性デザイナーが手がけたブランド。原色を使ったポップな色使いが特徴。ヨーロッパやアメリカでは大人気のブランド。洋服だけでなく、雑貨や寝具、子供服など幅広い商品がある。「カラフルなダウンジャケット」200ユーロ、「黄色のミニスカート」49ユーロ、「青のタンクトップ」36ユーロ、「ハート柄のワンピース」59ユーロ。
セラーノ通りにあるキャリア・ウーマンに人気のエステ・サロン「SAI TEI」(住所:General Ora, 19, Madrid、Tel:+34-91-562-4399 )で、スペインのファッション誌に何度もとりあげられている。「金箔フェイシャルエステ」90ユーロ。都会で働く女性のオアシスでした。
宿泊は「ホテル・プエルタ・アメリカ・マドリッド Hotel Puerta America Madrid 」(住所:Avenida de America, 41, Madrid、Tel:+34-91-744-5400 )は、オープン間もないホテル。設計を手がけたデザイナーや建築家が12のフロアによって違う。各階のエレベーターホールから始まる。ある階はキャサリン・フィンドレーというイギリスの建築家が手がけたフロア。部屋は宇宙船の中のような真っ白の空間が広がる。1泊219ユーロ。壁がなくてカーテンで部屋の中が仕切られている。テレビは天井から降りてくる。他にもバルセロナ・オリンピックを手がけたスペインの建築家ハビエル・マリスカルさんの部屋もある。日本人礒崎新さんが手がけた和モダンな部屋もある。
●トサール村 Tozar
アンダルシア地方の人口300人ほどの小さな村。オリーブ畑が続く。アンダルシア地方は日差しが強いため、日よけに壁を白く塗る伝統がある。
ルイス・バージさんのお宅を訪ねた。7人家族で、270頭のヤギを飼っていて生活している。子供が放牧しているのを手伝ってみた。お昼を食べたら、ブラインドを降ろしてシエスタ(昼寝)。午後はヤギの乳搾り。
●グラナダ
イスラム支配が最も長く続いた街。細い路地に小さいお店がたくさん並ぶ。アラブの雰囲気が漂う場所がある。「テテリア」と呼ばれるアラブ風喫茶店がたくさんある。そのうちの「アルファグアラ Alfaguara 」(住所:C/Caldereria Nueva 7, 18010-Granada、Tel:+34-95-8225-913、営業時間:12:00〜1:00 )に入ってみた。水たばこやミントティーなど、アラブ気分が味わえるお店。お勧めの「ミント・ティー」2.5ユーロをいただいた。生のミントの葉にお茶を注ぎます。甘いそうです。「フルーツ味の水タバコ」8ユーロ。
一番の見所は世界遺産「アルハンブラ宮殿」(住所:Patronato de la Alhambra y el Generalife C/ Real de la Alhambra s/n 18009 Granada、Tel:+34-90-2441-221 )。イスラム教徒達によって建設された王の居城。宮殿の要と言われる「アラヤヌスの中庭」、細かで優美に型どられた7つのアーチが絵画のように水面に輝く。その上に赤く輝く塔、真っ青なアンダルシアの空。アラビア語で「赤い城」を意味する「アルハンブラ」の一番の魅力は細かい装飾。「天使の間」などにも多く見られる。壁など至る所に施された細やかで精巧な装飾が魅力。キリスト教徒から逃れてきたイスラム教徒たちは、1238年、この地にグラナダ王国を建設した。王はやがて丘の上に城を建築し始めた。歴代の王の居城として、最後の楽園を夢みて作られた華麗な王宮。かつイスラム王朝の最後の砦でもあった。21代の王の手によって、14世紀に完成した宮殿。1492年この城の開城で、グラナダが陥落。キリスト教徒とイスラム教徒の戦いが幕を下ろされ、アルハンブラ宮殿はキリスト教徒の手に渡った。
少し丘をのぼると、王が夏の間だけ過ごしたといわれる夏の離宮が現れる。砂漠の民だったイスラムの王は、水が絶え間なく降り注ぐ中庭を造った。もう一つの庭に出ると、アルハンブラ宮殿で最も古いといわれる1本の老木が残っていた。
http://www.alhambra-patronato.es/index.php/Schedules/195+M5d637b1e38d/0/
宮殿の近くで面白いお店を見つけた。「ラグーナ Laguna 」(住所:c/Real de la alhambra 30, 18009 Granada、Tel:+34-95-8229-019、営業時間:月〜金 9:30〜18:30、土日 9:30〜14:00 )は、タラセアと呼ばれるグラナダの伝統工芸寄木細工のお店。実際に作業している所を見る事ができる。オーナーはゲール・ラグーナさん。「寄木細工」は22〜1.2万ユーロで、牛の骨や木、そして木の皮をはめこんでアラビア模様を造り、薄くカットしたものを一つ一つ手ではめていったもの。スペインを代表するイスラムの文化工芸品。アルハンブラ宮殿の装飾にも通じる繊細さが感じられた。
フラメンコを観にいく。「タブラオ・フラメンコ・アルバイシン Tablao Flamenco Albayzin 」(住所:crta. Murcia s./n, Granada、Tel:+34-95-8804-646 )は、フラメンコのショーを見せるお店。フラメンコは民族舞踊や民謡が融合してできた踊りで、アンダルシア地方が発祥の地。フラメンコのよしあしは、踊りや歌、ギターなどの音色に、魂が宿っているかどうかで決まるといわれている。「フラメンコは見て楽しむものではなく、魂を体感するもの。」。鑑賞料:28ユーロ(1ドリンク付き)。ショーの時間は21:15〜と22:30〜の2回公演(約40分程のショー)
テレビ番組「にじいろジーン 世界ぐるぐるジーン バルセロナ」
2008年11月8日放送。ルフトハンザで行きました。
●バルセロナ
人口150万人でオリンピックも開催された。首都マドリッドに次ぐスペイン第二の都市。ポルト・ベイのような港もあり、地中海に面した温暖な気候のスペイン最大の港町。町の中心部はローマ時代から中世、そして現代へと受け継がれた建造物が数多く建ち並び、この町の長い歴史を感じさせてくれる。ランプラス通り。中でもバルセロナのシンボルともいえるのが、世界最大規模の教会「サグラダ・ファミリア聖堂」で、アントニオ・ガウディが設計・建築を手がけた未完成の世界遺産。彼の死後80年経過した今も建設が継続されている。
郊外に暮らすマリア・デモラルさん(35歳)のお宅を訪問。この家は築500年以上の旧家で、ご主人の母と、子供は1男2女の6人暮らし。7LDK250平方mで自給自足の生活をしている。
スペインの住宅に欠かせないのは、パティオと呼ばれる中庭。ティータイムを楽しんだり、収穫した野菜を保管したりする。畑仕事の間、バルセロナで生まれた棒付きキャンディ「チュッパ・チャップス」をなめている。バルセロナのサッカーチームの監督が流行らせた禁煙グッズでもある。画家のサルバドール・ダリがデザインしたそうです。
木の下に網を敷いて、木を叩くとオリーブが落ちてきた。自家製オイルを作っているそうです。オリーブの生産量はスペインが一番多いそうです。
モンセラットに行きロープウェイに乗る。ここはバルセロナの人気スポット、標高1235mの岩山の中腹。修道院がある。バルセロナの人々の聖地で、ガウディもよくここに来て、建築のインスピレーションをわかせていたそうです。
夕食は自家製品で作る。野菜と肉は切って鍋の中へ入れ、伝統的なスープ「エスクデージャ」を作る。途中でスープを取り出し、別の鍋に入れ、パスタを茹でる。自家製ソーセージ2種類と卵を混ぜて小麦粉をまぶして丸めていく。ワインはポロンという、この地方独特のデキャンタで飲む。バルセロナではこれを使ってみんなで回し飲みをする。
家の前の川はデモラル川 riera del Morral といって家族の名前がついている。
ガウディが残した作品を巡ってみた。まずシンボルのトカゲが有名なグエル公園。独特の色彩と曲がりくねったデザインによっておとぎの国にいるような不思議な感覚になる。ガウディは自然界に存在する物は全て曲線でできているという発想をしていた。わざと割れた細かいタイルを使って微妙なカーブを作りあげた。実際にガウディが晩年に住んでいた家を見てみた。ガウディが設計したカサ・ミラは世界遺産に認定された建物の中に一般の人が生活しているという珍しい建造物。屋上には屋根や煙突までもが曲線美となっている。
レイアール広場。
テレビ番組「探検ロマン世界遺産 命の水が文明を生んだ」
2008年11月1日放送。今から2500年前、最初の哲学者と言われるタレースは「万物の根源は水である。」と語った。今回は水をテーマに世界遺産を見る。
●スペインのグラナダ
アルハンブラ宮殿にはミニ・バスで向かう。総面積は1.4万平方m。13世紀から15世紀にスペイン南部を統治したイスラムのグラナダ王国の王宮。中世イスラム建築の最高峰といわれている。アラヤネスの中庭は後にインドのタージマハルにも取り入れられた美しい水鏡で有名。
中庭に陽がさすと、壁に水面のゆらめきが反射した。壁の繊細な模様と水面のゆらめきが融合して幻想的な光景を作り出しました。
かつては王妃の住居だった「二姉妹の間」、天井は万華鏡のようです。石造りの複雑な模様は「鍾乳洞飾り」と呼ばれ、イスラムの人々にとっては特別な意味を持っている。予言者ムハンマドが神の啓示を得たとされる洞窟を表わす。壁にはアラビア文字が刻まれている。その周りを植物や幾何学図形がびっしり覆っている。アラベスクと呼ばれるイスラム美術に独特のデザイン。
8世紀スペインにイスラムの国を作ったのは、アフリカ大陸から海を渡ってきた人たちでした。しかし、11世紀以来、キリスト教徒が制圧し、最後に残ったのがアルハンブラ宮殿のあったグラナダ王国でした。
宮殿の美しさの秘密をガイドのエセキエル・ロドリゲスさんが説明してくれました。「二姉妹の間」のようにびっしりと模様が必要だったのは、元々砂漠から来た人々は、砂漠にないものを求めたからで、執念深く空間を埋め尽くし、全てを装飾品で飾りたいと考えたから。そして砂漠の民が最も憧れたものは水。
ヘネラリーフェ離宮は水の宮殿と言われる。水の階段には手すりに水が勢いよく流れている。宮殿は小高い丘の上にあり、近くに水源はない。どうやって水をひいてきたのか?アラブ文化高等研究所のルイス・ガルシアさんが連れて行ってくれたのは、東にある山の中。遠くの白い山は雪をいだいていて、そこから流れてくる川から用水路をひいている。全長6km。高低差20mを利用して水を運んでいた。谷を越えるには水道橋を作り、水はようやく宮殿に入る。そこから城の端まで城はわずかずつ低くなっている。その地形を利用して水が流されていた。ライオンの中庭。水は管を細くすることにより、水圧を高め水が噴出す。
この治水技術はスペイン南部のバレンシア地方を有数の農業地帯に変える働きも果たした。元々雨が少ないこの地方に、イスラムの技術によって水田耕作まで行なわれるようになった。スペイン料理の名物料理パエリアもこの地で生まれた。
●ヨルダンのペトラ
国土の8割が砂漠というヨルダン。5月は過ごしやすい気候だが、日中の気温は40度を越える。砂漠の中に巨大な岩が点在する奇妙な風景。高さ100mを越す岩の間を入っていくと、かつて幻の都と言われた都市ペトラがある。入口から1.5kmを歩くと目に飛び込んできたのは、ギリシャ神殿を思わせる壮大な建造物だった。「エル・ハズネ」と呼ばれるこの建物は王の墓だといわれている。高さ40m、岸壁を掘り込んで築かれている。
10分歩くと岩山に囲まれた壮大な空間が広がっていた。これがペトラの中心だった。岩肌に掘られた無数の穴はお墓。その数からペトラにはおよそ3万人が暮らしていたと推測されている。墓の壁の鮮やかな色彩。ペトラの岩山には様々な鉱物が含まれているため、神秘的な模様が自然に作られている。都市の中心部を貫く大通り。その周辺には王宮、神殿など重要な施設が建ち並んでいた。ペトラはローマ軍との攻防の末、3世紀に姿を消すまで、およそ500年豊かな都として繁栄を謳歌したと言われている。ペトラは文献には知られていたが、その場所などは長年、見つかっていなかった。1812年に見つかり、調査の結果、ペトラを築いたのはナバテア人と呼ばれる砂漠の遊牧民だった。キャラバンを組み商いをして富を蓄えた。富を狙う外敵から守るためにペトラを都とした。
水源はどうしたのか?岩に掘られた長い溝は水道管だった。表面と内側には白い塗料が塗られていた。シリカと呼ばれる防水効果のある鉱物だった。その管は近年ペトラ観光で賑わい始めた街「ワディ・ムーサ」に届いた。ここに古より湧きつづけている泉がある。泉からペトラまでの距離は6km。傾斜と水圧だけを利用した水利技術は、あのアルハンブラ宮殿で見られたもの。生命線である水源が都の外側でよかったのか?
それを解消する答えがペトラの近くの岩山にあった。母なる山と呼ばれるこの山にもう一つの水源があった。ペトラ発掘調査団のサミー・ナワファさんが案内してくれました。頂上には穴があいている。雨を集めるシステムでした。年間降水量は150mmで、水を1滴でも多く集めようと、188の貯水槽が掘られていた。
●カンボジアのアンコール・ワット
首都プノンペンから北西250kmにあるアンコール・ワット。町から密林を抜ける1本道がある。山本美希さんが案内。広さは1.5km四方、世界最大規模の広さ。12世紀カンボジアで繁栄を誇ったアンコール王国の王がヒンドゥー教の世界観に基づいて築いた寺院。3つの回廊に囲まれた中央の塔は、世界の中心にあるという聖なる山を表わしている。塔への向かう階段の角度は60度。かつては王をはじめ、限られた人間だけが登ることが許された場所。登れるのはそこまで。アンコール王国では王が即位すると、新たな寺院を作るものとされてきた。王は寺院で神々を迎える儀式を行なった。最盛期には王国はインドシア半島の大半を支配した。こうした繁栄はどうして築かれたのか?
アンコール・ワットの北40kmにあるクーレン山。アンコール遺跡の研究で世界的に知られる早稲田大学の石澤良昭教授。ここはアンコール王国の初代の王が建国を宣言した場所だと伝えられている。1時間歩いて到着した場所には石像などの石の彫刻が多くあった。ここはアンコール・ワットに流れ込む水源だった。アンコールの人々は水源地の底に神々の像を彫った。彫刻の上を流れた水は聖なる水となり、王国に繁栄をもたらすと信じられていた。生命の川はどこに流れるのか?衛星写真で見ると、アンコール・ワットの西の四角い影に到達していた。この影の正体はバライと呼ばれる広大な貯め池だった。東西8km。南北2km。これが人工の池だった。貯水池の真中に島メボンがあった。これも人工的に作られたもので、メボンとは「神の恵み」という意味。島には石で築かれた遺跡が残されていた。アンコールの王はこの島で水量を確認していたという。雨季には田畑が陥水し、乾季には田畑が干上がり荒地となった。巨大な貯水池は水をコントロールするために作られた。乾季には水を放流した。これにより米の三期作が可能となった。それで東南アジア一番の大国に成長した。
東の回廊に最も有名な浮き彫りがある。長さ50mに渡りヒンドゥー教の天地創造神話を描いたもの。神々が大蛇で綱引きをし、その力で海をかき回すと万物が生まれたという。中央にはヴィシュヌ神が描かれ、当時は王その人と同一視されていた。
●世界の現状
中国の黄河は1990年代から何度も川が干上がっている。上流で水をくみあげるため。
グランド・キャニオンのコロラド川では、下流80kmにあるモロレス・ダムから下流はか細い小川となる。海に至るまでに水はほぼ使い尽くされる。
水を巡る人類の叡智は今こそ試されているのかもしれない。
●トルコのパムッカレ
トルコの南西部にあるパムッカレは石灰棚。水に含まれる石灰質が結晶し、長い年月をかけて階段状の不思議な造形になった。空の色が映え、コバルトブルーに輝く水。実は温泉。古代ローマ時代、ここは温泉保養地として発達し、石灰棚の周辺に人口4.5万人を擁する都市が発達した。今でも1日3000人の観光客が訪れる。
原泉は水着姿の人たちで賑わう。ここから湧き出す毎分2万リットルのお湯が、2000年来の温泉郷を支えている。よく見ると水底に石の円柱が何本も沈んでいる。これは14世紀に地震で倒壊した神殿の遺跡。古代の人々は原泉に女神が宿ると信じ、大理石の壮麗な神殿で覆った。石灰棚に流れこむ温泉だが、見渡すと温泉の入っていない棚もある。水の出し入れは調節されている。1990年前後、観光ブームでホテルなどが建ち、湧き出る水が激減したため。以来、本当に必要な水の利用を検討し、水を管理するようになった。古来この水は地元の貴重な農業用水でもあった。先祖代々綿花の栽培をしてきた農家の人は水を待っている。パムッカレの綿花はローマ時代からの特産品。帝国に綿織物の文化をもたらした。水をたっぷり分かち合って使う。こうして人間は文明の苗木をしっかり育ててきた。
テレビ番組「ぴったんこカンカン スペイン・バルセロナの旅 Part.1」
2008年9月27日放送。安住紳一郎、泉ピン子さんが旅をした。TBS製作。
●バルセロナ
サグラダ・ファミリア教会に行く。
エスクデジェール通りの1835年創業の老舗「ロス・カラコレス」はスペインの王族も訪れているという。「イベリコ豚の生ハム」19.2ユーロ。トマトをすりつけたパン「パン・デ・トマテ」といただくのが地元流。「ムール貝の煮込み」10.5?ユーロ。にんにくの味も強いようです。「ガスパチョ」6.9?ユーロ。「エビの鉄板焼き」20.5?ユーロ。「ロブスターのパエリヤ」27.6ユーロ。
グランビア通りの「メンケス Menkes 」は1950年創業の貸し衣装屋。ドラエモンやクレヨンしんちゃんそっくりの被り物までありました。フラメンコの衣装を借りて、アリバウ通りの「ラ・ブレリア La Buleria 」に行く。レッスンをして踊れる。ショーもあるそうです。渡部純子さんが夫婦で経営するカフェ・バーでした。渡部さんは20年になるそうです。フラメンコは1を足で取り、2,3,4,5,6を拍手で取るのを繰り返す。横への足の動きは、1、2、1、2、3、4で、前後の足の動きは1、2、3、1、2、3で、前への動きは1、2、3、4で回ってポーズ。お店でのショーに参加しました。
テレビ番組「スペイン 遥かなる海ガリシア リアスの森へ」
2008年9月14日放送。佐々木蔵之介さんが案内。スペイン北西部のガリシア地方は日本人はほとんど訪れない。リアス式海岸は1200km続く。テレビ西日本製作。
●九州の有明海
干満の差が6mもある干潟で、川の水と海の水が交わる汽水は海の幸の宝庫。ムツゴロウ、シオマネキなど。ムツゴロウは「ムツかけ」という方法で釣り上げる。名人の岡本忠好さんに教えてもらった。これは蒲焼にして頭から食べる。
有明海では千年の森作り運動を行なっている。
●ア・コルーニャ
ガリシア第二の港町で、ガラスの町といわれる美しい街並み。魚市場に行く。ガリシアはスペイン一の水揚げ量を誇る。ロブスター、アンコウ、クラブ、青魚などが並んでいました。
「ヘラクレスの塔」は海岸にある104mの塔。バグパイプの一種のガイタの演奏者がいた。ガリシアはケルトの地で、紀元前600年に中央大陸からケルト人がここに渡ってきたので、今もケルト文化が残っている。やがてローマ人がやってきて、紀元2世紀に建てたのが「ヘラクレスの塔」。石段を上がってみると、大きな川と海とリアス式海岸が見えます。リアス式海岸は川によって削られてできた場所に海が入り込んだ「潮入り川」のこと。灯台は今も現役です。
「ワイン横丁」に行く。一軒の店に入り、白ワイン、かにのフライなどをいただいた。ムール貝もロブスターもおいしい。食べっぷりがよかったのか、日本人が珍しいのか、地元の新聞に写真入りで掲載されました(Una de centollo, pero con palillas)。
●エスタカ・デ・パレス Estaca de Bares
リアス式海岸の最北の岬にやってきた。北緯34度で札幌とほぼ同じ緯度。
●リラ Lira
漁村。スペインを代表する珍魚ペルセベスの産地として有名。漁師のドミンゴ Domingo Gonzales さんの漁船に乗って沖に出ると、イルカがいた。ペルセベスは波の荒い岩場にいて、危険なために、ライセンスを持った漁師にしか許可されていない。タコもたくさん取れていて、ガリシアのタコは日本にもたくさん輸出されているそうです。ペルセベスはフジツボの仲間らしく、日本では「亀の手」と呼ばれている。
美しい海ですが、2002年11月13日8万トンの重油を積んだプレステージ号が座礁転覆し、海岸は重油で真っ黒になり、「死の海」と呼ばれた。世界中からボランティアがやってきて、延べ10万人が9ヶ月に渡り除去作業を行なった。ペルセベスも全滅したそうです。今でもドミンゴさんは真っ黒になった海の夢を見るそうです。その後の努力で復活したが、漁獲量を制限しているそうです。
ペルセベスは簡単に茹でて白ワインでいただきましたが、とても美味しいそうです。
漁師仲間の集まるバルに行ってみた。ペペさん(通称ペピーニョ)に会っていろいろな話を聞いた。ペペさんの家に行った。
6月24日は「サンファンの祭り」の日で、大晦日にあたる。夏の到来を告げる日で、イワシを焼いて食べる。「イワシ祭り」とも言われている。日本酒を振舞いましたが、美味しいと言ってくれました。最後は古くなった漁船などを焼いて、新しい年を迎えます。焚き火を飛び越えると願い事が叶うと言われている。佐々木さんも挑戦しました。みんなで火を囲んで歌いました。
●カリール Carril
アローサ湾にあるあさり漁の盛んな漁港。漁師のカルロス Carlos Berride さんは水深80cmくらいの海で漁をする。2枚貝のベルベレチョスは日本にも輸出され、1個500円という高値で取引されている。豊かな川が流れ込み、植物性プランクトンが豊富なので、貝が多く育つそうです。2006年に山火事が頻発して、山が丸裸になり大漁の淡水が流れ込み、漁が危機に陥っている。ケルトの時代は山が豊富だったが、今は成長の早いユーカリが植えられている。ユーカリはパルプの原料になるため。
●エウメの森
アレス湾にはエウメ川が注いでいる。その上流にあるエウメの森には、植林に取り組む人々がいる。100年プロジェクトというらしい。
エウメの森の管理局長のルイス Luis Costaさんに森を案内してもらった。1万年かけて成長した森を40年で伐採して絶滅させてしまったので、植林をしているそうです。ユーカリを絶滅させるのも目的で、ユーカリから元のブナや栗などの広葉樹に植え替えた。これにより森を守り、川を守り、海を守るという。定期的に水質検査も行なわれている。サンティアゴ大学化学学部のアンテロ教授が説明しれくれました。
●バローニャ遺跡
西部にあり、かつてケルト人が住んでいた。今では家屋の石組みだけが残っている。
ケルト公園には石の造形が多くある。
プレステージ号の悲劇を忘れないように建てられた記念碑もある。そこには海を大切にしたケルト人の古代の生活が刻まれていた。
●宮城県の気仙沼市
牡蠣とホタテの養殖をしている畠山重篤さんに会う。10年前に日本人漁師としてガリシアを訪れた初めての人。「森は海の恋人」運動を進めている。40年前に赤潮が発生し、牡蠣が全滅したが、川の汚染が原因だった。そこで畠山さんは上流の森に木を植えるという運動を始めた。
今年も6月1日、第20回植樹際が行われた。これまで畠山さんたちが植えた木は3万本。また腐葉土は森の水を地下に浸透させる大切な役目を持っているそうです。塩水だけの海と、川が流れ込んでいる海とでは、プランクトンの発生量は30倍以上も違うそうです。気仙沼にはうなぎが戻ってきた。
テレビ番組「THE 世界遺産 スペインのセゴビア」
2008年9月7日放送。水は高い所から低い所に流れる。スペイン中部の小高い丘におとぎの国から抜け出たような街並みが出現する。
●セゴビア
カスティーリァ王国の都の一つとして繁栄した、海抜1000mに位置する街。人口5.5万人。石造りの重厚なアーチは2000年前に古代ローマ人によって作られた水道橋。現在残っているものだけで、全長800mを越え、高さは最高28m。この水道橋はスペインに残るローマ時代のものとしては最も優れたもの。積み上げられた石の数は2万個以上。石と石の間にセメントのような接合剤は一切使われていない。
セゴビアから東へ18km、緑深い山の中に清らかな水が湧き出している。この水を街に引き入れている。そこから水路が作られ、現在残る水道橋の始発点に到着する。水路の途中には「水の家」と呼ばれた建物がある。浄水場の機能を果たした場所で、長い貯水槽にまず貯められる。不純物などを沈殿させ、再び水路に流れ出た。安定した流れを作るために、水道橋は傾斜角0.4度で作られている。当時の水汲み場の跡も残っている。100年前まで現役で使われ続けた。
セゴビア市役所文化部のイサベル・マルケス・マルティンさんは、水道橋は水の補給とローマ帝国の権威の誇示だったという。
丘の上にある「アルカサル」はアラビア語で宮殿を意味する。スペインにある宮殿の中でも最も美しいといわれ、ディズニーの白雪姫のお城のモデルともなった。水道橋の流れ着く先もこのアルカサルだった。1474年、この城にいた女王がカスティーリャ王国の女王イサベルとなる宣言をした。彼女の夫フェルナンドがアルゴンヌ王国の国王に即位したために、スペイン統一となった。やがてスペイン繁栄の礎となる数々の事業が実現する。コロンブスの冒険、イスラム教徒を追い出して国土を回復。800年にわたるイスラム教徒との戦いに決着がついた。二人はカトリック領王という称号を受けた。
カスティーリャとは多くの城という意味。セゴビアは全長3000mにも及ぶ厚い壁に守られていた。市街地には中世の貴族の邸宅が今も数多く残されている。壁面を飾る繊細な紋様は漆喰も使っている。壁から突き出ている角はピコと呼ばれている。この中の一つに宝物があると言い伝えられている。
旧市街は巨大な船のように見える。船首はアルカサル、大聖堂はマスト、船尾に続くのが水道橋。この水道橋はイスラーム時代に破損していた。カトリック領王は修復して、水の流れを取り戻した。さらに人々を支配下に置くために、大聖堂を建築した。大聖堂は美しいので、貴婦人とも呼ばれた。
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