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なお、これはわたしが個人的にテレビを見て書いたものであり、各テレビ局や番組とは全く関係はありません。
すべての文章の無断使用・転載を禁止いたします。
またここの情報を使って、何か問題が起こったとしても私は一切責任は持ちませんのであしからず。


テレビ番組「THE 世界遺産 ルワンダのブウィンディ原生国立公園」

 2010年4月25日放送。赤道直下のルワンダの南西部にある。首都カンパラはビルの建ち並ぶ人口120万人の大都市。南西におよそ500km。10時間走ると玄関口のプトマ村に到着する。村の子供たちがゴリラの恰好をして音楽で迎えてくれた。草を食べて胸を叩くとゴリラたちは森に帰っていった。

●ブウィンディ原生国立公園
 ここはゴリラの楽園。真っ黒な毛で覆われた森の巨人「マウンテン・ゴリラ」は地球上のわずか700頭。その半数がブウィンディに暮らしている。狂暴な動物と誤解されたゴリラだが、実際は優しい草食系。
 ここの森は標高1200mから2600mに広がる熱帯雨林。撮影隊は霊長類学者の調査に同行した。マーサ・ロビンスさんはゴリラの観察を12年間行なってきた。まずゴリラに出会ったら、「ンンー、ンンー」として、ゴリラに危害を加えるつもりはないことを伝える。マスクをして人間の病気がゴリラに移らないようにする。まず母子に遭遇。彼らは10頭前後の群れを作り、森の中でひっそりと暮らしている。

 アフリカは氷河時代の後に、草原が広がった。そして西と東に分かれ、ニシゴリラとヒガシゴリラが発生した。ニシゴリラは数万頭が生息していて、毛は短く、頭の毛は茶色。ヒガシゴリラは全身が真っ黒な毛で覆われていて、総数は6000頭程度。ヒガシゴリラの中でも高い山に住むのがマウンテン・ゴリラ。700頭なので、絶滅が危惧されている。雨が多く、水に恵まれた森には120種類の哺乳類が生息している。

 マウンテンゴリラは草食系で、森の草は1年を通して豊富にあるため食物を奪い合う必要がない。草を一日に20キロも食べるという。そのために腸はとても長い。食後はお腹がぽっこり膨れます。草の繊維を消化する時にガスも溜まり、森に気持ちよさそうな音が響く。そして眠る。ゴリラは大人しい性格になりました。
 同じようにインドネシアに住むオランウータンは群れを作らない。アフリカに暮らすチンパンジーは食べ物は主に果物だが、狩をして動物の肉も食べる。類人猿は人と同じ祖先を持ち、DNAもほんの2%程度しか違わない。
 背中が銀色なのは、グループのリーダーのシルバーバック。オスゴリラは13歳くらいから背中の毛が銀色に変わり、シルバーバックと呼ばれる。体重200kg、胸囲は1.6mにもなる。足の大きさは30cm以上、身長は180cm。シルバーバックは周囲の異変に気付くと、胸を叩くドラミングをする。無用な戦いを避けるサインでした。19世紀の探検家はその姿を密林の悪魔だと言った。長い間、そのイメージは変わることがなく、数多くのゴリラが殺された。

 ゴリラ・ツアーが催行されている。参加者は1グループ8名、1日6組。観察にはルールがある。近づける距離は7mまでで、ストレスを与えないため。ゴリラと対面できるのも1時間だけ。このお金は森の保護や周辺の人々の暮らしに役立っている。
 世界遺産となり、名産のバナナやお茶は森の外側で作られるようになった。地元の小学校では、子供たちが木彫りのゴリラを作っている。

 ある群れは、シルバーバックのルキナが父、メスが5頭、8頭の子供からなっていた。母は子供が生後1年は離さないが、次第にシルバーバックに子供を預けるようになる。父の周りで自由に遊び、父の行動を真似るようになる。普段の生活の中で子供たちの見本となってさまざまなことを教えていく。


テレビ番組「THE 世界遺産 ウガンダ ナイル源流への旅「幻の月の山」」

 2010年4月4日放送。ナイルとは古いエジプトの言葉で「川」の意味。ナイル川沿いには、ピラミッド、テーベ、アブ・シンベル神殿、ケベル・バルカルなどがある。最初の1滴が見たい。深津絵里さんがナレーター。

●ルウェンゾリ山地国立公園
 19世紀後半、多くの探検家がナイルの上流を探したがことごとく失敗した。河口から6000km上流で一人の探検家が滝の音を耳にした。そこに源流があると考えたが、入口にすぎなかった。3つのキーワード「幻の月の山」は2世紀のギリシャの科学者プトレマイオスの描いた古地図にナイル源流として記されていた。探検家たちはその「月の山」を探したが、いずれも失敗。幻の山とされた。そのナイル源流の山には、高さ10mの草が生い茂るという。1889年スタンレーという探検家が「月の山」が実在することを確認した。それがルウェンゾリだとわかった。

 ルウェンゾリの麓の小さな村。ナイルの河口から6650km上流。山の民バコンジョの人たちが森と水の惠を得て暮らしている。雲に隠れ山頂は滅多に見えない。雨季が長いため、山に登ることができるのは、1年の半分だけ(1−2月と6−7月)。10日間の登山が始まる。サポートしてくれるのは、バコンジョのポーター35人。額の紐で荷物を背負います。ルウェンゾリの最高峰は5109m。山小屋をたどって、5日目に山頂近くの氷河を目指す計画。標高2100mより上の世界遺産に登録されたエリアを進む。

 赤道直下とはいえ、氷河からの流れは冷たい。あたりは熱帯雨林で緑がとても濃い。最初に会った森の住民はジョンストン・カメレオン。体長は25cm。バコンジョは注意するのは、「下を見て歩け」。巣を作らず移動しながら獲物を探すサスライアリの大群がいるから。大きな牛さえも食べ尽くすという獰猛なアリです。
 標高3000m。森にはうっすらと霧が立ち込めている。木を覆っているのは苔。こうした森は「熱帯雲霧林」と呼ばれている。湿度はほぼ100%。
 アフリカで一番高いのはキリマンジャロ(火山)、次はケニア山(火山)、3番目がルウェンゾリで、土地が隆起してできたもの。湿った暖かな風がインド洋から流れてきて、山にぶつかって上昇し3000m付近で霧に変わる。
 標高3500m。岩場からいくつもの滝が流れる。泥の中を歩くしかないが、間違えると腰まで沈む。ここに高さ10mにもなるヤシの木のような巨大な草があった。人々はそれを「高山の幽霊」と呼ぶ。これはキク科の「草」が巨大化した「ジャイアントセネシオ」で、数千本も群生している。茎が変化して幹のようになった。夜の気温は氷点下になるので、1日のうちに夏と冬があるイメージ。寒さを防ぐために枯れた葉を落とさず、幹にまとって温かい服にしている。滅多に咲かないという花を見つけた。巨大化したわけはハッキリわかってはいない。東アフリカの高山だけに見られる特異な光景。他にも、「ジャイアントロベリア」は高さ3,4mに達し、全身が白い毛に覆われている。寒さや紫外線から花を守るために葉が変形したのだとか。高山に住む鳥サンバードの体についた花粉で受粉する。
 標高4000m、ダイカーがいた。また、この地で初めて見つかった幻の鳥ルウェンゾリトラコが紹介されました。これらもあわせて1994年に世界遺産に登録された。

 3日目の夜は満月だった。ポーターが踊りだした。バコンジョの人たちは月の下で踊る人々と呼ばれている。森で暮らしていた頃、狩の成功を祈り、聖なる山に踊りを捧げた。

 ナイルには湖が点々と存在する。魚も多く獲れる。おじさんが持っていたのは、ナイルパーチ(スズキの仲間)で大きなものは2m200kgにもなる。ナイルパーチ料理の店がある。湖に持ち込まれたこの外来魚はナイル川に広がり、今では高級な魚として取引されている。大鍋でナイルパーチを塩とトマトとで煮込んでいる。「ナイルパーチの煮込み」1500シリング(約65円)。

 19世紀ヨーロッパの探検家たちの間で、ナイルの源流探しが競われた。イチリス人探検家スピークは「ビクトリア湖こそナイルの源流だ」と主張した。世界第三位の大きな湖からは確かにナイルが流れだしている。しかしその先にある源に辿り着ける者はいなかった。

 5日目の朝、標高は4000mを越えた。徐々に植物が減っていき、標高4500mでは岩ばかり。空気は平地の半分ほど。岩は雨にぬれ、足場は悪くなる一方。冷たい雨は体力を奪う。強く風が吹いて、初めて山頂がクッキリ見えた。
 標高5000m。滑る岩場を横に歩く。やっと氷河にたどり着いた。ここの最初の1滴を探す。2時間歩いて、氷河が溶け出す先端を見つけた。氷河から滴る滴。これがナイルの最初の1滴。


テレビ番組「自然が奏でる交響曲 地球オーケストラ」

 2010年2月14日放送。山口智充、川島海荷さんが案内。地球はたくさんの音で満ちている。環境破壊により少しずつ音がなくなりつつある。地球の音を集めて、ボレロを演奏する。トンガでのザトウクジラのラブソング、タンザニアの原住民の音、パタゴニアの氷河の崩壊の音。中京テレビ開局40周年記念。

●トンガ王国
 ケイン・コスギさんが旅をした。ザトウクジラの音楽は1曲30分。一時は絶滅が危惧された。2009年10月ニュージーランド航空でトンガに向かった。ババウ諸島には毎年7月〜10月にザトウクジラが出産、子育て、求愛のためにやってくる。
 ケインさんを迎えてくれたのは、トンガの伝統的な音楽「ラカラカ」で、世界無形文化遺産。手拍子とコーラスの混合芸術。
 ザトウクジラの待つ海に向かう。海洋研究員のポール・ストーンさんは5年前にババウ島に移住し、ザトウクジラを研究している。音を録音するのは難しいという。クジラは潮を吹いた時が一番見つけやすいという。出航して30分、息継ぎ(潮吹き)をするために海面に現れたクジラを何頭も見た。
 シンガーの歌声を間近で録音したいなら、海に潜って一緒に泳ぐしかないという。3時間後、2頭が一緒に泳いでいるのを発見。水中カメラマンの中山和明さんはこのパターンが一番近づけるという。潜ってみると母と子でした。母親は15m、子は5mでした。子の方はケインさんに近づいてきた。結局歌は取れなかった。歌を歌うのは大人のオスだけらしい。
 2日目、歌を歌うのを見つけるには、海の中の音を探るのがいいという。クジラの歌声は50km先まで届くという。マイクを海中に入れると音を捉えた。10kmくらい先だという。天候が悪化して中止。
 3日目、船の後ろにオスが突然登場。音が出ていました。潜ってみてみると、尻尾を上、頭を下、海中で停止して歌っていました。曲には、毎年流行があるそうです。
 島に戻って、子供たちに聞かせました。

●タンザニア
 Exile のUSAさんが旅をした。世界の2500の言語が消えつつあるという。その一つがタンザニアの現地の言葉。
 セレンゲティ平原のマサイキリンの大移動を見ることができた。ヌーの150万頭の音、ハイエナが食べる音、アフリカゾウの威嚇音などが録音できました。この大平原の先に「ハッザ族 Hadza 」がいる。National Geographic に掲載されていました。彼らは太古の暮らしを守り、様々な分野で研究されている。セレンゲティから車で5時間かけて、エヤシ湖周辺にやってきた。彼らは移動しながら暮らしている。
 現地ガイドはイサさん。バオバブの木のある近くまで歩いていくと、声が聞こえてきた。彼らの生活を見せてもらった。サルの尻尾を頭に巻いてくれました。ハッザ族は30人くらいで1つの集団を作って生活している。年月や日の感覚がなく、自分の年齢も知らない。狩で獲物を採り、みんなで分け合って食べる。獲物がいなくなると、次の場所を求めて移動する。これを数千年続けている。世界で最も神秘的な言語といわれ、文章の間に「舌打ち(クリック音)」が入る。かつて1万人いたハッザの人々は、今は数百人にまで減少している。
 USA を歓迎する儀式が始まった。みんなで輪になって踊りました。彼らはUSA さんは踊りがうまいから一緒に住めと言われました。
 翌朝、弓矢を一緒に作る。狩に出かけましたが、獲物が減っていてなかなか見つからない。50m先の鳥を彼らは射止めました。
 闇夜に行なう儀式で、歌で先祖と会話をする「エペメ」というものがある。これを見学した。口笛と鈴で儀式が始まった。男性に舞い降りた先祖の霊に、女性が歌いかけた。
 翌朝、「ヌベア(ありがとう)」と言ってお別れしました。

●アルゼンチン
 元宝塚歌劇団の倉田亜味さんが旅をした。ブエノスアイレスからパタゴニアのエルカラファテまで2700kmを飛んだ。地球上で最も南極に近い最果ての地。風が強い。
 世界一美しい氷河というペリトモレノ氷河がある「ロス・グラシアレス国立公園」。国立公園のレンジャーのマルティン・シャジャさんが案内。アンデス山脈から続くペリトモレノ氷河は30km以上の長さ。水面からの高さは60m。地上20階建のビルに相当する。氷河は動いていて、その時に音を出す。
 氷河の上を歩きました。ガイドはロサーナ・レチェクさん。氷河の上に湖がありました。この氷河は不純物がなくてとてもきれいなので、青の光だけを反射するという。シュワシュワ、パチパチ音がするのは、氷河の氷が解ける音で、中に閉じ込められた空気がはじける音です。
 下流の方に歩いていくと、ムーランと呼ばれる氷河に点在する縦穴があった。そこは深い青色で、ゴーッという滝の音がしていた。
 さらに下流に行くと、セラックと呼ばれる氷の柱が多く見られるようになった。崩落前の最後の姿でもある。ここで船に乗り換えて近づいた。氷河までは200mまで近づくことができる。小さな崩落を繰り返し、大きな崩落になる。2時間後、500m先で、3時間後に1km先で崩落がありました。6時間後、また1km先で崩落。7時間後、狙っていた部分が崩落しました。雷が落ちたような音でした。

●ボレロ
 ボレロの地球オーケストラ・バージョンを担当したのは、作曲家指揮者の青島広志さん。ボレロは同じリズムが126回繰り返される。ザトウクジラの音は最後にでてくるトロンボーンの部分に似ているという。サウンドを構成するのは、`島邦明さん。80種類の音が集まりました。


テレビ番組「夢の聖地アフリカへ ジミー大西 絵描き修業の旅」

 2009年12月23日放送。ジミー大西さんが新たな絵を描くために、アフリカにやってきた。絵のアイディアが浮かばない時に彼が思い出す絵は、「ティンガティンガ」アートで、野生動物をデフォルメし、エネルギッシュに描ききるアフリカを代表するポップ・アート。はみだしている、というのは岡本太郎がジミーの才能を認めながらも、まだ足りないものがあると喝破して言った言葉。そしてティンガティンガの師匠の下に飛び込んだ。NHK製作。

●タンザニア
 ジュリアス・ニエレレ国際空港に到着。首都ダルエスサラームの郊外にジミーの憧れの地「ティンガティンガ村」のアトリエがある。創始者エドゥワジ・サイディ・ティンガティンガは1972年5月に不慮の事故で40歳で亡くなった。貧しかった彼は身近にあったペンキで絵を描き、街で売り始めた。大胆にデフォルメされた絵は、美術教育を受けた画家にはない魅力に溢れ、反響を生んだ。彼の死後作風は弟子たちに受け継がれ、展覧会が世界で開催された。誕生から40年、今やアフリカを代表するポップアートに成長した。現在このアトリエには流れをくむおよそ100人の画家たちがいる。使う絵の具は白、赤、黒、緑、青、黄色の6色のみで、創始者の時代から変わらない。キャンバスも手作り。
 ジミーはまず弟子入りする師匠を探した。画家暦13年のズベリ・ダイムさんは魚を描く。画家暦11年のアムリ・ワシアさんはマサイ族伝統のダンスを描く。画家暦37年のオマリ・アモンデさんはティンガティンガ本人に教えてもらった人で、今存命なのはオマリさんだけ。ティンガティンガには6人の直弟子がいた。アモンデさんは最後の弟子で、ティンガティンガの画風を最も受け継いでいると言われている。ジミーが最近描いた作品を見せたら、素晴らしいといわれた。しかも絵を3日で描いたというアモンデさんに師事することに決めた。
 早速修行が始まった。キリンを描いた。下書きしないですぐに中心に絵を描き始めた。最初に下書きして納得いくまでイメージを固めて絵を描くが、オマリさんは迷わずいきなり描く。うまく描こうと思わず大胆に描けと言われた。描き方を覆されたという。今回描いたキリンの首は異様に短かった。
 ジミーは子供の頃から絵が好きだった。28歳の時、テレビ番組のために描いた絵が評判になった。岡本太郎は面識のないジミーに手紙を送った。「まだ紙の大きさを気にしている」。はみだすために、人の手や体がはみだしたものを描いた。1枚に多くのテーマを描いてもみた。そして立体的なはみだしへの挑戦。
 ミクミ国立公園に4時間かけて行く。300種類以上の動物を観察できる。ゾウ、およそ100頭のバッファローの群れなどを見た。
 絵の背景のグラデーションの使い方を教えてもらった。全体の色がなじむように塗れるようになった。ある程度どういう動物をどう描くかを決めてからグラデーションに取り掛かるのがよいという。大事な色は黒だという。
 翌日、自由に描いていいと言われた。デッサンは日本では描けないものとなっていたが、何か足りないという。海の中にも入った。
 2日目、雲に黒ではなく白を使ってグラデーションを描いた。下書きなしで、そこに動物を描く時に黒を使った。躍動感あふれる造形になった。その上に白いペンキを塗り始めた。
 4日目、その上に色を重ねてグラデーションをつけ、夜遅くまで描いた。
 5日目、アモンデさんはジミーと一緒に見たバッファローの絵を描いていた。キリンを中心に、バッファロー、楽器などを加えたものが描けた。


テレビ番組「THE 世界遺産 タンザニアのヌーの大移動、ビッグ・キャットたちの生態」

 2009年7月12日、19日放送。

●セレンゲティ国立公園
 タンザニアとケニアにまたがる草原地帯。この国立公園はタンザニア側に広がる大平原。
 マサイの伝説。「神様はいろいろな生き物を作った後、アイディアが尽きた。牛の角、ヤギのヒゲ。馬の尻尾を寄せ集めて、作ったのがヌー」。鳴き声からヌーと呼ばれるようになった。
 「果てしない平原」、これをマサイの人は「セレンゲティ」と呼ぶ。豊かな草原は300万頭の野性の大型哺乳類60種を育んでいる。世界最大といえる。大半は草食獣。中でもズバ抜けて多いのがヌーで150万頭。ヌーの大群は生き抜けるために歩き続けてきた。
 ヌーは一つの群れが1000頭にも達する。大量の草が必要なので、移動する。ヌーは50km先の雨の香りをかぎ分けるという。それで移動する。川を渡る時は、ワニの餌食になったり、溺れ死ぬので、時に川は赤く染まるという。行く先々で待ち構えている肉食獣。そのなわばりを避けて通るわけにはいかない。草原には隠れるところが少ないので、群れを作る。誰かが気付けば、助かる可能性が高くなる。草原とは、雨が少ないので、木々が育つには足りない場所。

 アフリカ大陸を南北に割る裂け目「大地溝帯」がアフリカの環境を激変させた。4000万年前、激しい地殻変動が始まり、大地に深い亀裂が走った。その両側で土地が隆起、西から吹く湿った風を遮った。長い年月を経て、東側の大地は次第に乾燥し、森は草原に変わった。雨が降れば一斉に緑が燃える。ヌーは乾季と雨季を知り、同じコースを年間3000kmも移動する。その移動にはシマウマなども同行し、総勢200万頭にも及ぶ。この移動範囲にあわせて、国立公園の区域が決められた。
 2月、南部の平原で出産する。1日5000頭も生まれる。一斉に生むことで肉食獣の攻撃を避けられる。ヌーの子はすぐに立ち上がり母親の乳を吸う。生まれてから、餓死したり天敵に食べられるヌーは半数に達する。
 肉食獣は夜行性。ライオンの視力は闇夜でも変わらない。しかしライオンもヌーの大群には恐怖を感じる。イボイノシシはライオンの大好物。だが、ライオンは足が遅いので、昼間の狩はあまり得意ではない。食べると去る。その残りをハイエナがいただく。空にはハゲワシが飛ぶ。その下には必ず何かの死体が横たわっている。
 ヌーの群れは40kmに及ぶこともある。ヌーの母親は自分の子供以外には乳をやらないので、はぐれた子は非常に危険。特に水場は肉食獣が狙っている。雨も体温を奪うのでこごえ死ぬ子も多い。

 ビッグ・キャットと呼ばれるネコ科の肉食獣は独自の進化を遂げた。足が速いチーター、忍び寄るヒョウ、群れをなすライオン。
 生まれたばかりのチーターの子供。それを育てるために母親は獲物を狙う。食うものと食われるものの絶え間ない攻防がある。
 開いた傘のように枝を広げるアカシアの木。これはキリンの大好物。グラントシマウマ、ヌーなどの草食獣が多い。古い蟻塚の上でチーターの親が周囲を見回す。ヌーの群れを発見。チーターは止まった状態から、わずか数歩で時速60kmに到達する。最高時速は110kmにもなる。トップスピードを保てるのは、わずか15歩。突入が早すぎると息切れする。子供が飛び出したが息切れした。見透かしたヌーはすぐ横を歩く。母親が登場し、群れが動揺した。ハンティングの名手とはいえ、成功率は1割程度。体重50kgほどなので、狩ができる獲物は限られている。子供のヌーを捕えた。一度の食事で自分の体重の2割ほどを食べる。チーターは昼間に活動することが多い。子育て期間は1年半。チーターの子供は生後2ヶ月までに半数が死ぬ。セレンゲティに生息するチーターの数は500頭。チーターは非力なために仕留めた獲物を奪われることが多い。
 水場にたくさんの動物たちが集まる。アフリカゾウ。そこを占拠するライオン。セレンゲティには2800頭いる。メスが狩をして、オスが最初に食べる。ライオンはネコ科にしては珍しく、プライドという群れをなす。これは血のつながったメスたちの子育て共同体。自分の子以外にも母親は乳を与える。ライオンのオスとメスは2週間ほどのハネムーンをする。ライオンは妊娠の確率が低い。
 ヒョウはセレンゲティには1000頭いる。川筋の木立に生息する。獲った獲物は木の上や茂みに蓄える。また、母と子の絆が強く、子離れせず、一生涯面倒を見続けることもあるという。容姿はチーターに似ているが、模様も違うし、チーターのように鼻の横に黒い線がない。ヒョウは夜、物陰に隠れ狩をする。


テレビ番組「世界!弾丸トラベラー 田中美保さんでビクトリアの滝」

 2009年7月11日放送。田中美保さん(26歳)は前回、2008年1月19日の放送で、カナダでオーロラを見ることができなかった。今回は、ビクトリアの滝に美しい虹が出るので、それをくぐりたいという。南アフリカ航空SA7139便、SA287便、SA0048便で日本から25時間。1泊4日の旅。

●予定
 1日目、18:40、成田空港発SA7139便。23:50、香港国際空港発SA287便。
 2日目、10:40、ヨハネスブルグ国際空港発SA0048便、12:30、リビングストン空港着。13:15、タクシーでジンバブエ・マーケットに移動。14:00、ガイドと待ち合わせ。15:15、ビクトリアの滝を観光。18:30、「ロイヤル・リビングストン・ホテル」で夕食。21:00、「ウォーターフロント・ロッジ」チェックイン。
 3日目、7:30、ホテル出発。8:30、ビクトリアの滝で奇跡の虹をくぐる。10:30、ビクトリアの滝を出発。12:15、リビングストン空港発SA0049便、16:30、ヨハネスブフグ国際空港発SA286便。
 4日目、15:10、香港国際空港発SA7138便、20:15、成田空港着。

●ザンビア・リビングストン
 ジンバブエ・マーケットはリビングストンで一番賑わっている場所。ガイドはニャミニャミの杖を持っていたケンさん(34歳)。ニャミニャミは川の神様で、ドラゴンの形をしている。これをもつと幸運が来るという。

●ビクトリアの滝
 ザンビアとジンバブエのにまたがる世界三大瀑布のひとつ。幅1.7km、落差110m、流れ落ちる水は水煙になる。近づくとびしょぬれになるので、レインコートを借りる。5000クワチャ(100円)。橋を越えるが、雨のように水しぶきがかかる。振り返ると大きな虹が見えた。奇跡の「ダブル・レインボー」。超感動していました。
 「ロイヤル・リビングストン・ホテル」で夕食。食事以外にも楽しみがある。デッキからは滝も一望できるし、「サンセット・リバー・デッキ」では沈みゆくアフリカの夕陽を堪能できる。空はオレンジ色でした。夕食は「ポーク・フィレ」7.5万クワチャ(1500円)。食事中にシマウマが目の前を横切りました。また感動。
 ガイドがさらにスペシャルな場所に連れて行ってくれた。ビクトリアの滝に戻ると、夜の滝に虹が・・・月明かりによってできた虹で、「ルナ・レインボー」という。満月とその前後3日間のみ見ることができる。また感動。
 「ウォーターフロント・ロッジ」にチェックイン。1泊75万クワチャ(1.5万円)。お姫様のような蚊帳の中で寝ました。

 翌朝、ヘリコプターに乗るかと思ったら、マイクロライド。30分132万クワチャ(26400円)。パイロットはジョンさん。飲み込まれそうな迫力。虹が見えました。虹は近づくと一緒に動くので、くぐれません。悲しんでいたら、「まんまるの虹」が見えました。これは「エンジェル・キス」と呼ばれている。背後から光が差した時、光が散乱し、自分の影の周りに虹状の光輪ができるため。まるで天使が追いかけてキスをしてくれるような幻想的な光景です。すごいの一言しか出ません。

 とてもいい旅でしたね。


テレビ番組「THE 世界遺産 オシ・オア・トゥニャ/ヴィクトリアの滝」

 2009年6月14日放送。

●ヴィクトリアの滝
 今から150年前、この地に西洋人として初めて到達したイギリスの探検家リビングストンは「空を飛ぶ天使さえ、この光景には目を釘付けにされるだろう」彼は感動の余り、時の女王ビクトリアの名前をこの滝につけた。
 ザンビアとジンバブエの国境に位置する。ザンベジ川の夕焼け、エサを求めてアフリカゾウなど野性動物が集まる。幅1700mの川は、雄大に流れた後に、落差100mの滝に一気に飲み込まれる。滝を境に川の表情は激変する。
 複雑に入り組んだ渓谷が残っているが、これは実は滝の化石。およそ1億8000万年前、大陸移動に続くすさまじい火山活動が起こった。やがてその上をザンベジ川が流れ、巨大な滝が生まれた。玄武岩がむき出した荒々しい絶壁。かつてはここが滝だった。滝は岩のもろい部分をえぐりながら、ジグザグ状に後退していった。7つの大きな滝の痕跡を残し、現在の状態に辿り着いた。およそ30万年かかって後退したと推定されている。
 4月、雨季の終わり、ザンベジ川が一番水量が多い季節。ものすごい水煙を上げる。落下する水量は毎分50万トン。
 ザンベジ川の上流を遡る。滝から400kmの町モング。雨季の終わりには川から水が溢れ出し、大地を覆う。ザンベジ川は幅80km、長さ250kmにも及ぶ湿地帯となる。300年前に移り住んだロジ?の人々は伝統を重んじ、今も川と共に暮らしている。魚も豊富で、溢れた水がひいた後には、肥沃な土地が残る。
 4月9日、ロジ?の人々にとって大事な儀式が行なわれた。太鼓が打ち鳴らされ、クオンボカというザンビア最大の祭りが始まった。
 リアルイの王宮も周囲が冠水するので、王は乾いた高台にあるもう一つの宮殿に引越しをする。その行事がクオンボカの祭り。クオンボカとは「乾いた土地への引越し」という意味。乾季には道になる水路を王の船「ナリクワンダ」がパレードする。王家のシンボルはゾウ。ロジの人々にとって王の船を漕ぐことは最大の名誉。まずは身の周りの品が乗せられ、ルボシ・イムウィエ2世?王が登場。200年前から続くクオンボカの祭り。王の力を示し、民の結束を高める意味があった。王の船は124人が漕いだ。100艘にも及ぶ大移動。
 サマルンガでは王宮への運河で5万人の観衆が見る。船がやってきて観衆は熱狂した。開始から6時間。王が上陸する。イギリス国王から与えられた軍服に着替えて王が登場。

 滝の西?の端に深く切り込まれた亀裂がある。新しい滝の兆候で、2万年後には新たな滝がこの地に誕生するだろうと言われている。


テレビ番組「THE 世界遺産 タンザニアのンゴロンゴロ保全地域」

 2009年4月12日放送。

●ンゴロンゴロ保全地域
 アフリカ大地溝帯の一角にあるタンザニアの火山帯。標高2960mの活火山のオル・ドイニョ・レンガイ山(Ol Doinyo Lengai)などは地下深くから吹き上げたマグマの造形。大地溝帯に連なる「エンバカーイ・クレーター」などの様々な噴火の爪あと。その中で破格の大きさを誇るのが、2億年以上前の噴火で誕生したカルデラ「ンゴロンゴロ・クレーター」。猛烈な噴火で陥没した火口の直径は約18km。クレーターの底までは深さ700m。面積は山手線の内側とほぼ同じ。その巨大な火口に、豊富な草が生い茂る広々とした草原、中央には枯れることのない水辺がある。崖のすそ野に森も点在する。ここは野性動物のゆりかご。この外輪山に囲まれた不思議な大自然の魅力に、世界中から観光客が訪れている。
 アフリカゾウの親子。ゾウの大人は毎日およそ200kgの草を食べる。ヒョウは夜行性で、昼間は木の上で休んでいる。オグロニーは群れで生活する。鹿に似たイランド。カバは日差しで肌が乾燥するのを避け、水場から離れ、夜陸上の草を食べる。コガタフラミンゴの餌は湖に繁殖する藻。フラミンゴが桃色なのは、藻の赤い色素が体内に吸収されるから。
 様々な動物を関連づけているのは、食べること。その頂点にたつのがライオン。ライオンはのんびりしているのは余裕。ネコ科の動物には珍しく群れを作って生活する。プチハイエナは狩の匂いを察知する。チーターは狩の名手で、トムソンガゼルの群れにゆっくり近づく。チーターは地上最速のハンターで、最高時速は110kmにも達する。しかしそれは300mしか続かない。名手チーターでも狩の成功率は1割。体が小柄なので、大きな獲物は狙わない。母は子に狩の作法を教える。喉笛に噛み付いて息が絶えるまで待つ。

 人類は東アフリカから発生した。その学説を導いた発掘現場が「オルドヴァイ渓谷」。クレータの北西にあり、数百万年前の地層がむきだしになったこの場所から、次々と人類の化石が見つかった。周辺の遺跡では350万年前の人の足跡が化石となって発見された。親子の足跡が降り積もる灰に覆われて残った。クレータの北東に位置し、現在も活動するオル・ドイニョ・レンガイ山。マサイ語で「神の山」という意味。
 マサイの村で神の山を崇める祭りが開かれていた。数年に1度各地のマサイが集まる特別な儀式。マサイの戦士は同じ部族の人と家畜を守るために闘う。マサイは遊牧の民で、家畜が草を食べ尽くさないように、かつては移動して暮らしていた。マサイにとって牛は神から預かった大切な財産。ステータスであり栄養源であり全てである。マサイはンゴロンゴロ公園内で放牧する許可を得ている。700年前から暮らしていて、自然と共存する術を知っている。そのために「保全地域」とされた。国立公園内に人が住むことは許されない。

 キリンはンゴロンゴロ・クレーターの中にはいない。好物のアカシアがあまり生えていないから。キリンの子供は生まれた時で既に身長が2m近くある。
 1980年代には世界危機遺産に登録されるほど重大な危機に見舞われた。未だやむことのない密漁が原因だった。動物を守るレンジャー隊が特に注目しているのは、絶滅の危機にあるクロサイ。サイの角は工芸品や漢方薬として珍重されている。この地で生まれたマサイは、足跡や糞で動物が追跡できるので、レンジャーの力強い味方となっている。レンジャーの一人が説明しました。現在29頭確認しているが、実際はもっといると思う。クロサイは臆病で、視力が弱く、嗅覚が強く、音に敏感。妊娠期間は15ヶ月間身ごもり、出産後は2〜5年は子供を作らない。そのために、一旦個体数が減ると回復が難しい。レンジャーたちの苦労が実り、最近は増加傾向にあるという。


テレビ番組「感動地球スペシャル 宮崎あおい 心にしみるアフリカ 生命輝く大地ルワンダ」

 2009年3月1日放送。宮崎あおい(23歳)さんには大きな夢がある。2005年19歳の時に中国雲南省である物乞いの少女と出会ったのがきっかけ。この人のために何かしたいと思った。2008年10月、アフリカのルワンダ共和国に飛んだ。長野県の2倍ほどの小さな国。人口は900万人。千の丘の国と呼ばれるほど、山や丘が多く、斜面は隅々まで耕されている。人口の9割は農民。テレビ静岡製作。

●ヴィルンガ火山群
 コンゴとルワンダの国境にある。道はぬかるみ車はかなり揺れた。ルワンダのシンボルとも言われる動物に会うために、ジャングルに入った。2時間歩いてゴールデン・モンキーの鳴き声が聞こえた。マウンテン・ゴリラの17頭の群れ「アマホロ・グループ(平和の群れ)」がいた。この群れには4頭の子供もいる。今は野性のマウンテンゴリラの生息域が狭められ、700頭が生息するのみ。密漁者の罠でやられるものも多い。ゴリラは人を襲うことはない。成熟したオスは背中が銀色に染まり、シルバー・バックと呼ばれる。体重200kg近いオスがボス。この時期の一番のご馳走はタケノコ。

●首都キガリ Kigali
 100万人もの民衆が虐殺された15年前の事件を描いた映画「ホテル・ルワンダ」が衝撃が忘れられない。
 キミロンコ市場に行く。野菜、果物、日曜雑貨などの店がある。ルワンダ伝統のカゴ「アガセチェ」は籠の中に籠がある。ネギって1800フラン(360円)で購入。近くにアガセチェの工房があるというので訪ねてみた。いろいろな境遇の女性たちが集まって共同で作っている。麻の糸を螺旋状に編んでいく。宮崎さんも挑戦し、うまいという評価を得た。

 郊外の「ニャマタ虐殺記念教会」を訪ねた。人口の多数を占めるフツ族と、支配階級にあったツチ族との間で政治的な対立が繰り返されてきた。その背景にはアフリカを植民地として支配してきたヨーロッパ各国の存在があった。15年前、政権を握っていたフツ族の強硬派がツチ族の民衆を組織的に虐殺した。この教会でも助けを求めて逃げ込んだ1万人の民衆が容赦なく皆殺しにされた。遺体がつけていた衣服が今も残されている。虐殺はルワンダ各地で100日間に及び、およそ100万人の命が奪われた。殺された人たちの頭蓋骨がズラリと並ぶ。当時10歳だったダディブさん(24歳)が説明してくれました。

●丘の上の村落
 標高2000mの村落を訪ねた。斜面はずっと耕されている。ハシャキマーナさん(24歳)のお宅を訪ねた。日干しレンガを積み上げて家を作ったという。奥さんのチザニエ(22歳)が料理を作っていた。畑仕事にでかける。耕してさつまいもの蔓を挿し木にして植える。お昼は芋と豆をふかしたもの。子供には教育を受けさせて、畑だけの生活はさせたくないと言ってました。

●ギセニ
 ルワンダの西の果て、コンゴとの国境近く、キブ湖 Lake Kivu のほとりにある。向こうにコンゴ共和国の町ゴマが見える。湖の幸「サンバザ(イワシの仲間)のフライ」をいただいた。キブ湖で泳いでいる人がいる。
 しかし、国境の向こうのコンゴではツチ族を主体とする反政府勢力と、コンゴ政府勢力の間で内戦が勃発していた。
 撮影許可を得て、国境の様子を見にやって来た。ゴマでは買えないので、キャッサバという芋の粉や肉はゴマからルワンダに買いにやって来ていた。女の人が多く働いているように思えた。
 周辺の村村とギセニを結ぶ定期船が到着した。船底はキブ湖で獲れた魚でいっぱい。

 「キブエ虐殺記念教会」は、すさまじい虐殺が行なわれ、再建された。ここでも1万人以上の民衆が犠牲になった。キブ湖の湖畔は虐殺の血で染まったそうです。
 漁師さんのお家を訪ねた。奥さんのウィシェマさん(24歳)。ご主人のパトリックさん(26歳)のサンバザ漁につきあった。船を3艘つないだ伝統的な漁法で行なわれる。夜を徹して行なわれるのでランプが必需品。午後6時出航。手漕ぎで漁場まで9名で向かう。網を仕掛けて、さとうきびで腹ごしらえ。魚が集まるまで3時間待つ。そして網を上げる。60kgの収穫だった。パトリックの給料と仲買人の奥さんの年収は10万円以下。今日は300円の利益がでた。夫が自分の船を持てればもっと良くなるという。船は50万円。2人とも虐殺の時はコンゴに難民として逃げたそうです。

●首都キガリ
 町にたむろする子供たちが増えている。青年海外協力隊の加藤悦子さん(34歳)は3年前からストリート・チルドレンの保護施設に赴任している。たむろする子に声をかける。職場に行った。宮崎さんの夢は貧困の人たちのための学校を建てたいこと。カトリック教会が運営するNGOの資金で成り立っている施設を見学した。

●アカゲラ国立公園
 ルワンダの東の果て。風景は一変した。キリン、シマウマなどがいた。

 宮崎さんは自分が生きている間にやるべきことをやれたらと言います。


テレビ番組「赤道大紀行」

 2009年1月24日放送。西村雅彦さんが旅をした。前回はポルトガルを出発し、アマゾンからアンデスを越え、ガラパゴス諸島までを旅した今回はアフリカを旅する。中部日本放送製作。

●ケニアのワタム、モンバサ
 飛行機を乗り継いで日本から26時間。白い砂浜の町。アフリカの東海岸は歴史上でも重要な役割を果たした。マリンディにはバスコ・ダ・ガマが到着したことを記念する十字架バスコ・ダ・ガマ・クロスがある。ここからインドのカリカットに向かった。これが西洋史上でも重要な1498年の「インド航路の発見」である。しかし、600年以上前の9世紀にはこことアラブやインドでは交易が行なわれていた。だからモンバサにはアラブ風のものが多く、コーヒーもアラブ・スタイルが大人気で、生姜を入れる。これは「カハワ」5シリング(10円)。

●ケニアのマキノ・マーケット
 ケニア東海岸はインド洋に開けたアフリカの玄関口。マキノ・マーケットには様々なものが海を渡ってやってくる。カラフーは殺菌作用のある香辛料。別名クローブ・丁子で、苦いそうです。フルーツもサウジ・アラビアなどから入ってきていました。

●ケニアのギリアマ族
 昔ながらの伝統を守るギリアマ族の集落を訪ねた。料理の時も食事の時も踊らずにはいられない。いつも音楽と共にある。83歳の村一番の長老ムゼーランドさんは何かを飲んでいる。韓国のマッコリを水で薄めたものの感じだとか。これはヤシ酒で、椰子の樹液を集めておくだけで自然に発酵する。ンゴマというのは、太鼓で歌い踊るギリアマ族の伝統。踊りのうまい人が尊敬される。83歳の長老は一番最後に登場。激しい踊りをしてくれました。最後に奴隷として強制的に働かされる、こんな生活はやめようという歌を歌った。
 15世紀頃から東海岸では奴隷市場が開かれていた。多くのギリアマ族が奴隷として海外に連れていかれた。悲しい過去をしっかり若い人に伝えていきたいと長老は語った。

●マサイマラ国立保護区
 ケニアの国立保護区。数多くの野性動物が暮らしている。アフリカゾウ、水浴び場のカバ、シマウマ、ダチョウ?、キリンなどが生息している。一番会いたかったライオンにはマサイマラでも会えるかどうかはわからない。前日見かけたという場所に行くといました。20m程度の距離。クロサイは6頭しかいないそうです。サイの角は薬として珍重されるので、多くのサイが殺された。
 ジャンプすることで有名なマサイ族の村を訪ねた。牛をどれだけ持っているかが豊かさを示す。モセス君の家を訪問した。壁は牛の糞に泥を混ぜて塗り固めたもの。瓢箪の中に炭を塗りこむと牛乳を入れても1ヶ月以上腐らない。4日目の牛乳はヨーグルトのようになっていた。
 森の中に蜂の巣を見つけた。火を起こして蜂が嫌がる煙をたく。蜂を弱らせた後に巣を落としました。これを食べたら美味しかったそうです。
 その夜、月の横に木星と金星。朝5時起床し、気球に乗る。森の上をギリギリで飛んでいく。アフリカの日の出を拝んだ。カバ、シカ、キリンなどが気球を見つけました。

●大地溝帯(グレート・リフト・バレー)
 人類の誕生した場所と言われている地球の裂け目。地面が数百メートルも急激に落ち込んだ場所。長さ7000kmに渡って続き、アフリカ大陸を東西に切り裂いている。人類誕生のメカニズムに大きく関係している。周囲の雲は何故か地球の裂け目にはやってこない。
 マントルが地面を押し上げたが、その力に耐え切れず陥没した。その穴が大地溝帯。そのため雲は高くなった部分を越えられず、雨は地球の裂け目には降らなくなった。森が草原に変わった。木の上に住んでいた祖先はつかまる木がなくなり、二足歩行を余儀なくされた。

●ナイロビ
 東アフリカ最大の都市。人口は400万人。経済の発展に伴って、年々人口が増加している。赤道直下に位置しているが、標高が1700mと高いために、年間平均気温は17度と、一年を通して過ごしやすい気候。日差しが強い。近郊ではキリンが高層ビルを見上げていました。
 近郊の町では子供たちがビー玉遊びをしていました。

●キベラ
 ナイロビでは仕事にあぶれる人が増加している。この町はそういう人たちが暮らす東アフリカ最大のスラム街。狭い場所に100万人以上が暮らす。線路があるが、みんな線路の上を歩いている。1日に1度だけ列車が通る。
 大都会に憧れて、ケニア中から人が集まるが、ここの町の8割以上が仕事がない。キベラにある小学校を訪問した。子供たちは絵を描いていました。

●スブキア
 ナイロビから北へ3時間。東アフリカにある赤道直下の町。赤道を示す看板がある。その看板の下にあるもので面白い実験ができる。コリオリの力を利用するという。地球の自転によってできる力のことで、台風が南半球と北半球で反対を巻くことで証明される。バケツに穴が開いていて、水を入れると北半球は反時計周りに渦を作り、南半球は時計周りに渦を作る。赤道証明書US$45を購入した。GPSでは20kmずれていました。先ほどの実験は容器の傾きを利用した手品みたいなものだったそうです。
 西村さんは3つ看板を見つけたが、3つともずれていました。多分、商売するためなのでしょう。本当の赤道の上には何もありませんでした。

●ナクル湖
 ケニアの赤道直下の湖。ここに鮮やかなピンク色のフラミンゴが100万頭以上いる。ここに生息する植物プランクトン「スピルリナ」を食べているからピンクなのだそうです。この色素による。

●マガディ湖
 同じケニアのマガディ湖はスピルリナの色素が湖に溶け出して、湖一面がピンク色。

●ケニヤ山
 赤道直下にありながら万年氷河に覆われる山。標高は5199m。そのティンダル氷河も10年前と比べて明らかに小さくなっている。


●エチオピアのアディスアベバ
 アディスアベバの人口は300万人。エチオピアはアフリカで唯一独立を守り続けていたため、他の国にはないエチオピア独自の文化を数多く持っている。ここにないものはないという東アフリカ一のマーケット「マルカート」。新品だけでなく、使い古したポリタンク、ペットボトルなども売っている。金製品も売っている。ジーンズの店ではウエストを測定せずに、首まわりであわせている。首の2倍がウエストだそうです。西村さんの場合は合ってました。
 アジスアベバは標高2300m、年間平均気温は16度で過ごしやすい気候。エチオピアン・ミレニアム2000のポスターが飾られている。エチオピアは去年2000年になったため。キリストが生まれた年は、エチオピアでは西暦より7年9ヶ月遅いと考えられているため。みんなエチオピア正教を信じている。
 驚く光景は、大人の男性同士が手をつないで歩いていること。

●エチオピアのラリベラ
 アジスアベバから北へ320km。山岳地帯の町。人口2万人足らず。この町に世界各国から人々がやってくる。大きな穴の中にすっぽりと隠れるように建つ「聖ジョージ教会」。エチオピア正教の教会で、穴の中に建っているように見えるが、実は一枚の岩をくり抜いて作っている。内部の壁もきれいにくりぬいてあり、天井までの吹き抜けになっている。5000人の信者が28年の歳月をかけて作ったらしい。ラリベラには11の岩窟教会があり、世界遺産。燃えないために岩をくりぬいて作ったらしい。

●エチオピアのジンカ
 エチオピア南西部の町ジンカ。ここからさらに悪路を2時間。暮らしているのはムルシ族。日本のチャンバラのようなことをしているが、収穫を祝う儀式。
 女性は下唇の大きな陶器のお皿をためている。奴隷貿易のために、皿をはめて醜くすれば奴隷にされないと考えたため。しかし皿はいつしか美しさの象徴へと変わった。

●エチオピア
 住んでいる人の8割が農業をしている。藁を空に放り投げている人がいる。一度牛に踏ませて、これで実と藁を分けている。デフというイネ科の穀物。エチオピア自慢の料理インジェラの材料になる。インジェラはデフを水で溶き、数日寝かせてクレープのようにして焼く。この上に辛いシチューをのせて一緒に食べる。エチオピアではお互いに食べさせあうのが食事のマナー。親しい人から3回食べさせてもらうのが決まり。デザートはポップコーンで、外に飛び出すのもお構いなし。相手に投げつけるのも、相手の幸せを祈ってのこと。


●ウガンダのカンパラ
 首都カンパラは、緑豊かな丘にイギリス風の住宅が立ち並ぶ美しい町。その美しさから「アフリカの真珠」とも呼ばれている。

●カリンズの森に向かう道路
 ここの赤道の看板はほぼGPSと一致していた。赤道証明書はUS$5。

●カリンズ森林保護区
 赤道から車で5時間。世界的には絶滅の危機にある野生のチンパンジーが450頭住む保護区。ここでチンパンジーを研究している京都大学霊長類研究所の橋本千絵助教。カリンズは数時間の短いトレッキングで野生のチンパンジーに出会える世界的にも珍しい場所。地面にはチンパンジーが餌として食べるサスライアリ。木の上に枝で作ったチンパンジーのベッドを見つけた。26歳のオスがいました。集団行動はほとんどしない。時折吠えます。するとどこからか返事がある。家族の確認らしい。カリンズでは、すぐ隣に人間が暮らす村がある。世界でもここだけ。暮らし振りを拝見した。イメルダさんのバナナの収穫を手伝った。ウガンダでは主食。青いうちに皮をむいて蒸して食べる。ウガンダのバナナ生産は世界2位。
 チンパンジーを見学するツアーを研究者と村の人で計画。7年前からしていて好評。これで村も潤う。しかし違法に木を切る人がいる。

●ビクトリア湖
 アフリカ最大の湖で、琵琶湖の100倍。
 ボートででて赤道を目指すが、出発から2時間で到着の予定が、あと5kmでエンジンがトラブル。3時間半漂流して船がきた。
 さらに進むと、全長6700kmの世界一長い河ナイル川の源流があった。

●ブウィンディ国立公園
 ウガンダにある国立公園。世界に生息しているマウンテンゴリラの半数にあたるおよそ340頭が暮す。その森を歩いて訪ねる。出発から1時間で2度めの休憩。目の前には小さな建物。ここからが辛い道のりのスタートだった。道なき道、やぶをかきわけかきわけ進み、歩きはじめて3時間以上。やっとマウンテン・ゴリラとご対面。きれいな毛並みでした。背中に赤ちゃんをのせていました。大人のオスは背中が銀色になることから、「シルバー・バック」と呼ばれている。マウンテン・ゴリラが急に集まって一家団欒でのんびりしていました。


テレビ番組「探検ロマン世界遺産 タンザニアのザンジバル島のストーン・タウン」

 2008年11月15日放送。井上二郎アナウンサーが案内。アフリカともインドともアラビアとも違う文化がある。9月に訪問したが、イスラム教徒の多い島ではラマダンの時期になった。ザンジバル島はアフリカ大陸から40km、インド洋に浮かぶ。

●ザンジバル島
 サンゴ礁が隆起してできた美しい島。ストーンタウンには1.6万人が住む。土壁が主流のアフリカとは違いサンゴ石でできた建物は異彩を放つ。
 飛行機で到着前、空から見るとサンゴ礁が美しい。空港からは市内まで乗合トラックで向かう。料金は30円程度。乗客は宮殿とブルースみたいな音楽がいいと言います。15分で到着。ストーン・タウンの広さは東京ドーム32個分。入口には町で一番大きな市場。魚市場ではイワシ(キグワ)などが並ぶ。
 町の中は車が入れないので、自転車とバイクが大活躍。住宅のドアには壮麗な彫刻が施してあった。アラブの様式で、上にはコーランの文字も彫ってあるそうです。扉についている突起は銅でできていて、悪魔(シタニ?)が入ってこないそうです。500以上残るザンジバル・ドアは、昔ここ周辺にアラブ人が住んでいたためらしい。かつての商人たちが富の象徴として築いた。扉には上が四角いアラブ様式と半円形のインド様式がある。ここにはインド商人も多く暮らしていたため。
 子供たちが港に案内してくれました。時計塔のある迎賓館「ハウス・オブ・ワンダー(驚嘆の館)」で、1883年建造。王様は世界各国の商人たちを招いていた。ガイドのサリム・アブダラさんに案内してもらった。驚嘆の家と呼ばれるのは、ザンジバル初の巨大建築だったため。中央のホールでは式典や儀式が催されていた。築いたのはオマーン王家の血をひくバルガッシュ・ビン・サイード王。1861年にザンジバル王国を築いた。バルガッシュは2代目の王で、アフリカで交易する承認から税を取ることで富を蓄えた。かつて宮殿のバルコニーからは行き交う船が全て見渡せたという。今も多くの船が見渡せます。当時はアジア、アフリカ、ヨーロッパを結ぶ海の十字路だった。
 伝統音楽。音符のマークの看板がでている建物の3階。タアラブ奏者のイディ・ファラハンさん(82歳)が説明してくれました。ウードと呼ばれる弦楽器はマンドリンみたいな感じ。夜9時に楽団の練習がある。始めは宮廷音楽として19世紀に作られた。アラブの楽器を奏で、アラビア語で歌った。次第にインドやアフリカの音楽も混じり、西洋の楽器も使われるようになった。歌も島の言葉であるスワヒリ語に替わった。
 何故この島が繁栄したのか?ダウ船という船に特徴があった。ダウ船を作っている船大工のハミシ・アリさんを訪問した。島にアラブ人により造船技術が渡ったきたのは1800年前。3000年前からある手動のドリルで船に穴をあける。ビルニ?という人が作ったという。今も風の力だけで走るダウ船の最大の特徴は三角形の帆。逆風でもジグザグに走ると風上に走ることが可能。この帆の形が世界中の船に波及した。かなり高速に走ります。ザンジバル島からアラビア方面に向かう南西季節風は4月〜9月に吹き、反対の北東季節風は11月〜3月に吹く。当時は象牙はストーンタウンの市場で取引された。
 市街地に1903年建築のイギリスの国教会大聖堂がある。ゴシック様式の塔とイスラム風の装飾を持った独特の建物。タンザニアの内陸部から連れて来られた奴隷たちが売られた場所だった。ここで買った奴隷はアラブ人や西洋人が働かせた。祭壇のある場所には、かつては1本の木があった。奴隷はそこにくくりつけられ、商人たちの前でムチで打たれた。我慢強い奴隷ほど高値がついた。祭壇にはその場所を示す印が今も残されている。教会の横には奴隷のモニュメントが作られている。首にかけられている鎖は、当時実際に使われていたもの。イディさんは自分たちと同じ兄弟だから、悲しくなるという。東アフリカから奴隷として送られた人は330万人。その最大の市場がストーン・タウンだった。島の中でも奴隷は働かせられ、その数は全体の6割を超えた。奴隷制が廃止された後も、この町を支配していたのは、少数のアラブ人だった。宮廷音楽のタアラブはアラブ人のものだった。解放された奴隷たちが変化を起こした。女性のシティ・ビンティ・サアドさんが、それまでアラビア語で歌われていたタアラブを島の言葉であるスワヒリ語で歌い始めた。
 1964年ザンジバルで革命が起こり、王国は滅んだ。多くのアラブ人は島を追われた。イディさんの妻もアラブ人だったので、結婚して27年目だったが、家を出ていった。4年前、イディさんは風の噂で妻の死を知った。
 9月30日、ラマダンの終わりの日。ラマダンを終えた人たちの楽しみはタアラブ。夜9時半から演奏が始まった。


テレビ番組「探検ロマン世界遺産 タンザニアのセレンゲティ国立公園」

 2008年5月31日放送。鬼頭あゆみさんが案内。かつてセレンゲティの動物は欧米人たちのハンティングによって危機に陥った。その後人々の努力によって世界一の動物の楽園に復活した。1981年世界遺産。

●セレンゲティ国立公園
 セレンゲティとは現地のマサイの言葉で「果てしなく続く平原」の意味。広さは四国全土に匹敵する。ライオンは3500頭、ハイエナ6500頭、アフリカゾウ1850頭、マサイキリン6000頭、オグロヌー130万頭など哺乳類135種類が暮らす。

 日本からキリマンジャロ国際空港まで30時間以上かかった。アフリカ最高峰、標高5896mのキリマンジャロが目の前に見える。タンザニア第二の都市アリューシャがセレンゲティの入口。女性が売っていたのはキビシという果物。スモモのような味。女性は腰にカンダという布を巻いている。服が汚れないようにするためのもの。
 翌朝、大量の荷物を車に積み込んで出発。アリューシャからセレンゲティ国立公園まで300km。3時間で山道に入る。峠を越えると、大草原が見えてきた。木の影にキリンが5頭。ゲートを通過して公園に入った。建物の中で入場料を払う。1人1日$50。大きな許可証をくれました。

 360度地平線が広がっている。案内してくれるのはベテラン・ドライバーのトム・アヨさん。ヌーがいました。大きな群れを作ってセレンゲティの中を移動している。1月〜3月は出産の季節で、赤ちゃんは茶色です。近くにシマウマ、トムソンガゼルがいました。雨季の後のセレンゲティは緑の草で覆われる。特にこの季節は栄養が豊富。
 ハイエナとハゲワシがいたが、プチシマウマが餌食でした。その向こうにセグロジャッカルがいた。動物を探すのはそれほど簡単ではない。
 チーターがガゼルの前にいた。ここの動物は車の中のにんげんは襲わないので、近づいてみた。
 他のドライバーからの情報で、その先にレオパード(ヒョウ)の食べかけの肉があるという。木の上に獲物を置いていました。狩をする時以外はほとんど木の上で生活しているそうです。あまり見つけられないとか。
 アフリカゾウがいた。痒いのか、木に体をこすっていました。この日、合計7時間で9種類の動物が見られました。

 この草原はどうやってできたか。かつては熱帯雨林が広がっていた。1000万年前に大規模な地殻変動が起きて、アフリカ大陸に幅50kmもある大きな溝ができた。さらにその両側は標高3000mの高地になった。それで劇的な気候変動をもたらした。西から来る湿った風がこの高地にさえぎられ、東側には乾いた風が吹き渡ることになった。乾いた風は木々を枯らし、熱帯雨林は徐々に少なくなり、広い草原が出現した。

 セレンゲティを空から見ると、ひときわ濃い緑の部分がある。川が流れている。雨季以外には乾いてしまう川が多いが、何本かは乾いていない。2つの大きな川が合流している地点にはカバの群れがいた。1頭2トンもあるが、ほとんど動きません。皮膚が弱いので、昼間は強い太陽の日差しを避けて水の中で暮す。近くには体長6mのナイルワニ(クロコダイル)もいる。あのヌーでさえ倒してしまう恐ろしい動物です。
 獲物を倒したチーターがいたが、その向かいにナイルワニがいた。チーターが後ずさりをして、ワニが獲物をいただいて川に帰っていきました。

 朝6時、気温12度。今日はライオンを探す。動物たちは朝早くから動き出すため。ライオンがいたが、メスはオスに食べ物を譲った。ライオンはメスが獲物を獲り、オスが群れを守る。ライオンは夜行性なので、日が高くなると寝てしまう。同じネコ科でも、ヒョウなどは単独で行動するが、ライオンはプライドという群れを作って生活する。
 ライオンの生態調査をしている「セレンゲティ・ライオン・プロジェクト」のインゲラ・ヨンソンさんに話を聞いた。メスなどに発信機をつけている。今回はバブラーというメスを見つけました。個体の数が増えていたら、よい環境だとわかる。ライオンは動物たちの頂点にいるので、ライオンの状態を知れば、公園全体の動向がわかるという。

 マサイの長老のオルケトゥロ・ロレナマヤイさんに話を聞いた。槍は野性動物から自分と家畜を守るためのもので、動物を殺すためのものではない。はるか昔、野性動物を食べて病気になった者がいた。それ以来、マサイは一切食べていないそうです。マサイは狩猟民族ではなく、遊牧民族。
 20世紀初頭には危機があった。欧米の人の趣味や狩でライオンなどが殺されていった。1回の旅行で50頭のライオンが殺されたという記録もある。1950年代に転機が訪れた。ジュリアス・ニエレレ氏がタンザニアの初代大統領に就任し、アリューシャ・マニフェストには野性動物を子々孫々まで保護すると決意している。保護するためには、アフリカ以外の国の協力も必要だと記した。それ以来保護されてきた。

 セレンゲティ・ビジター・センターに公園を管理している監督官ゲネス・シャヨさんを訪ねた。監督官とレンジャーが250人いて、ステーションが19箇所ある。レンジャーは密猟者を捕まえるためにパトロールしている。木に罠を仕掛けているそうです。

 2頭のチーターを発見。その向こうにヌーの群れ。3時間待って狙いを定めて襲いましたが、失敗しました。9時間後、群れの中に入り、逃げ惑う群れから2頭倒しました。1頭はハイエナが来て横取りしそうになったのを追い払いました。

 この大自然はそれを守る人の手に委ねられている。


テレビ番組「知っとこ! 世界の朝ごはん ケニア共和国ナイロビ」

 2008年5月24日放送。

●ナイロビ
 東アフリカでは最も経済的に発展している。スーツを着ているビジネスマンが多い。勤勉なサラリーマンが多い。バスにはドアから外に人がはみでている。
 最大の市場はキコンバ・マーケット Kikomba Market で、トマト、オレンジ、マンゴー、焼きとうもろこしなどがある。食堂は肉をさばいてすぐに焼いている。
 郊外はのんびりしている。

●ナイバシャ湖 Lake Naivasha
 観光ガイドのブティア・スティーブさんが紹介してくれたのは、湖に浮かぶ島で歩いて野性動物が見られる場所。車で1時間半、さらに船に乗り換えて島に到着。カバがいました。上陸するとシマウマ、ヌー、インパラ、マサイキリンなどがいます。肉食動物がいないので、こちらが悪いことをしない限りは襲ってこないそうです。

●マガディ湖 Lake Magadi
 ナイロビから車で4時間。浅い池がある。ここは温泉になっている。湖底から50度の湯が湧き出していて、湖の水と混ざって丁度よくなる。風景はワイルドです。アルカリ性の塩水だそうです。
 湖は塩の湖でピンク色。塩の結晶でした。濃い塩水にのみ生きるバクテリアが赤い色をしているから。この湖の塩はきれいに精製されて、ナイロビなどケニア中で使用されている。

●ナイロビ郊外
 新婚さんの朝ごはん。ルース・ムロニ・シブルさん(26歳)が作るのは、1品目「ムキモ Mukimo 」。とうもろこしの粒を取り、水の入った鍋に入れ、外の七輪で炭火で1時間煮込む。バナナとじゃがいもの皮をむいて、30分煮る。とうもろこしを入れ、カボチャの葉ももせる。豆も入れて30分煮込む。その後ヘラでつぶして完成。
 2品目「キャベツの炒め物」。ムキモに必ずついてくるつけあわせ。キャベツを千切りにし、油でたまねぎを炒め、キャベツを加え、塩で味付けする。
 3品目「ケニア風ビーフシチュー」。牛肉を一口大に刻み、鍋に入れて塩と水を加え、蒸し焼きにする。適当な大きさに切ったたまねぎとトマトを入れて煮込む。水に溶いたカレー粉を入れて煮込む。


テレビ番組「アフリカ縦断 114日の旅 前編 灼熱の砂漠を越えて緑の大地を行く」

 2008年5月6日放送。6月〜9月、緑色のトラックの荷台でアフリカを北から南に走る旅。NHK製作。

 ビデオが不調で、途中からです。

●スーダンのヌビア砂漠
 400kmも続く砂の大地。トラックが南に向かって走る。道しるべは砂漠に敷かれた鉄道で、国境の町と首都ハルツームを結ぶ。19世紀末にイギリス軍がエジプトから作ったもの。線路脇には電柱が並ぶ。
 砂漠にはところどころ車の轍が残っている。タイヤが柔らかい砂にはまったらたいへんです。旅人全員が協力して砂かき。
 10時に出発して7時間、合計8回スタックして、110km進んだ。男性は砂漠で用を足していました。夜は10度以下になり、寒暖の差は40度以上。テントを建てずにゴザの上で雑魚寝。
 翌日はすごい強風。近くの駅の人たちとサッカーの試合をした。近くを通りかかったトレーラーの人がミネラル・ウォーターを差し入れしてくれました。
 3日目は舗装道路に入った。
 4日目、紀元前に栄えたクシュ王国のメロエ遺跡があり、100のピラミッドが並ぶ。高さ10m程度で、正面に礼拝室がある。内部には様々な壁画。牛の放牧図もある。当時は牧草が茂っていたのでしょう。ワインも作っているので、ブドウの産地だったのでしょう。
 右側に川が見えてきた。車体を叩くと車が止まる。ひさしぶりにナイル川。底は泥だそうで、川は濁っています。一週間ぶりの入浴をすませました。
 テントの傍にサソリ、ムカデもいた。しばらく行くと緑が増えた。

●ハルツーム
 カイロから3600km、ハルツームに到着。青ナイルと白ナイルの合流地点で、人口500万人。国を南北に分断し20年以上続いた内戦は2005年に終結した。西部地域の紛争はまだ終っていないが。ハルツームは建設ラッシュ。
 モスクにスーフィー(イスラム神秘主義)の人が集まる。人々は祈り、歌い、踊り、回る。外国人も自由に見学できる。
 2日後に出発した。

●エチオピア
 7月2日に入った。国境の町は商品でいっぱいで、物価も安い。地元の人に水をわけてもらった。6月〜9月の雨季に入って1ヶ月。緑も多い国。平均標高は1600mを越える。
 エチオピアは広さは日本の3倍、7300万人が暮らす。

 標高4000m級の山々が連なるエチオピア高原に入った。世界自然遺産のシミエン国立公園で1泊2日のトレッキング。まず標高3100m地まで3時間かけてのぼる。草原でゲラダヒヒの群れに合った。午後4時半にキャンプ場に到着。気温は8度。翌朝9時半にキャンプ場を出発し、幻の滝を目指して山を上る。4時間後、標高3255m、雨季だけに現われる幻の滝が見える場所に到着。落差800m。正式な名前はない。
 道路が冠水していたので、ルートを変更した。エチオピア最大の湖ナタ湖が見えてきた。青ナイルの水源。岸辺にはパピルスが群生していた。ほとりにある村を訪問。村人たちがパピルスの茎を集めて乾かし、いろいろな物を作っている。屋根、壁、家具、筏。余ったら薪になる。
 2日後タナ湖のキャンプ場を出発した。道沿いに戦車があった。1980年代後半〜1991年の内戦に使われた戦車が放置されている。この一帯には地雷もまだあるという。

 首都アディスアベバに到着。現地の言葉で「新しい花」という意味。
 夜の酒場に繰り出した。アズマリという伝統的な歌い手が、マシュンコというバイオリンみたいな弦楽器と手拍子にのせて即興で歌う。4日間滞在。

 モヤレはエチオピアとケニアの国境の町。この街は国境線で南北2つの国に分かれている。

●ケニア
 入国すると武装警官が2名添乗してきた。北部ケニアを走る場合は2名添乗することが義務づけられている。エチオピアから強盗団がやってくるためらしい。狙いは牛などの家畜、外国人観光客のお金。武器を持ち殺人時間も起こすという。160kmをできるだけ早く通り過ぎます。強盗団は丘の上や茂みから突然遅いかかってくるそうです。3時間で危険地帯を通過した。みんなで武装警官に感謝。
 北部の熱帯草原サバンナを走る。ケニアは面積58万平方km、日本の1.5倍。人口は3500万人で、85%は穏やかな気候の南部に集中している。
 3日目、赤道を通過。通過証明書を発行している人がいる。
 首都ナイロビに到着。東アフリカの中心都市。宿泊するキャンプ場には他の旅行会社のトラックも休憩している。テント修理士もいる。

 7月30日、後半戦のスタート。ここから西に進路を取る。旅人は25人で5人増えた。「ナイバシャ・ヒッポ・キャンプ公園」で、この旅初のサファリに挑戦。ライオンなどがいないので、歩いてサファリが楽しめる。まずサバンナシマウマ、キリンなど。
 「ナクル湖国立公園」に行く。大きな湖がうっすらとピンク色に染まっている。100万羽以上のフラミンゴの群れ。塩分が多く、植物プランクトンが大量に繁殖している。

 以上56日、8200kmを走った旅でした。これから南アフリカの喜望峰を目指す。


テレビ番組「地球46億年冒険の旅 アース・オデッセイ ”地球とは何だ!?”」

 2008年3月1日放送。伊藤英明、上野樹里、Shiho さんが地球を体感する大冒険。かつて地球には双子の惑星ティアがあった。かつて地球が完全に凍ってしまった時代があった。何故地球は青い海と生命がいる惑星なのか。イギリスBBCの制作協力を得て、地球46億年の壮大な営みに迫る。伊藤英明さんがハワイでザトウクジラと奇跡の出会いをする。上野樹里さんがタンザニアで火山が作り出した楽園、動物を見る。Shiho さんはアリゾナ州を旅する。TBS製作。

●青い地球
 1969年アポロ11号が月面に着陸し、地球を見た。ところが、1960年8月16日、ジョー・キッテンジャーは気球を使って高度31kmまで到達した。彼は青い地球を見た。撮影した地球の映像が残っている。そこからその高さから飛び降りた。その間もカメラを回し続け、15分後にパラシュートで地上に帰還した。彼はまるで「エデンの園」にいるようだったと語った。
 地球には200万種類の生物がいる。どうして地球だけが命で満たされているのか?考えられないほどの奇跡の連続によって命がある。
 46億年前は単なる塊だった。それが次第に大きくなっていった。表面が冷え始め、熱や物質が内部に入っていった。核の温度は4500度。やがて冷えて固まった表面から溶岩が噴出し、地中に閉じ込められた物質を外に出した。水は水蒸気となって外に出て雲となった。雨となり現在の海の半分ができた。彗星は氷や二酸化炭素からできていて、毎日何千もの彗星が地球に落ち、海の半分の水は彗星から得られたものと考えられている。
 誕生時の原始地球にはティアという双子の惑星があった。同じ軌道上にあったので、衝突したが、地球はティアの一部を取り込み大きくなって生き残った。これで引力が強くなったのが幸運だった。これで大気、海を留めておくことができるようになった。太陽からの距離が絶妙な位置にあり、生命に欠かせない水が生命の活動に絶妙な状態にある。例えば火星だと水は存在するが表面温度はマイナス120度にもなる。逆の金星は表面温度は460度。水だけを集めて球にしてみると、地球の直径の10分の1の大きさになる。このわずかな水が地球の表面を覆い、生命誕生につながった。

●ハワイ諸島
 海底火山の影響で作られたのがハワイ諸島。地球の表面は7割が海。伊藤さんはマウイ島のホノルア湾でサーフィンを楽しんだが、この波は日本の北東アリューシャン列島近くで発生した低気圧からやってきた波がうねりとなってやって来ている。生物は最初の生命から38億年という長い年月をかけて進化してきた。その最大の生物がクジラ。
 マウイ島ラハイナ港からハワイ・クジラ研究財団のダン・サンデン博士、ジル・ミケルソンさんとクジラの調査にでかけた。ザトウクジラは現在絶滅危惧種として登録されており、ハワイの海域は特別保護区となっている。12月から4月にかけて多くのザトウクジラが集まり、繁殖や子育てをする。肺活量は自動車の体積くらい、体重30トン、体長15mにもなる。サンデン博士は写真を撮って個々のクジラの行動をDB化している。アメリカでは一般の人がクジラに近づくことは禁止されている。今回は研究チームの一員に加わることで特別な許可が下りた。今回は水中で写真を撮るが、リブリーザーという特別な訓練をしてきた。通常のスキューバは泡を出すが、リブリーザーは泡は出ないので静か。器具は30kg。クジラの真上に行って顔も見えた。次はクジラが頭だけ出していたが、これはスパイホップといって、様子を見ている状態。潜ってみたら近くに寄ってきました。
 ここで4月まで過ごしたクジラたちはアラスカに向かう。メキシコや日本からもアラスカに集まってくる。アラスカの雪解け水は栄養豊富でプランクトンが多くなり、海水が濁っている。それを食べに魚が集まり、それを食べにトド、シャチ、クジラが集まる。ザトウクジラの餌はニシンなどの小型の魚。夏に食べられるだけ食べて、4000kmを旅して冬にハワイに帰ってくる。あるクジラを検査してみると、ハワイに現れるのは3月1日〜3月5日の間に固定されている。カレンダーでも持っているかのようだとサンデン博士は言う。
 1992年コンテナを満載して貨物船が太平洋で嵐に巻き込まれ、積荷がばらまかれた。2.9万個のアヒルのオモチャが海に放り出された。このアヒルが海流に乗り、7ヶ月をかけハワイ、アラスカ、北極、大西洋に行った。海流は地球規模で熱を循環させている。メキシコ湾流はヨーロッパを人が住みやすい温暖な土地にしている。深海にも巨大な海流が存在していることがわかった。およそ1000年で地球を一周する海洋大循環と呼ばれるもので、生物が生きていくのに必要な酸素や栄養分を含んでいる。北極海の重い水が深海まで潜り海洋大循環を起こしていた。地球温暖化で北極の氷がなくなると、この循環が止まる。地球は2.5億年前にこの海の死を経験している。
 親子のクジラが船に近づいてきた。生後1ヶ月の赤ちゃんで、海に入って写真を撮っていた。しばらくすると親子で潜っていったが、赤ちゃんだけ浮かんできた。目的は伊藤さんでした。母親が割って入って終わり。下にはエスコートというオスがいました。別のオスがやってきてバトルが展開されました。ヒレで叩いたり、泡を出し続けました。母親の尾ビレはシャチにかじられた跡がありました。
 次に別の2頭が来ました。オスとメスで伊藤さんのまわりを離れないので、リブリーザーをつけて潜りました。5歳のメスは自由奔放に泳ぎ、オスがついていました。
 動かない1頭のクジラをレーダーで捕らえた。シンガーと呼ばれる歌うクジラかもしれない。歌は船の上でも聞こえた。頭を少し下げた状態で静止して歌います。低音から高音まで出します。オスだけが歌う。この音は20km先まで届き、歌は時代とともに変化していることがわかっている。そして去っていった。水中カメラマンの古島茂さんも感動してました。その後海上で何度もジャンプしてくれました。一生忘れられない体験となりました。伊藤さんの人生観が変わったそうです。

●タンザニア
 上野樹里さんが旅をした。早朝6時、地平線が見え始めた頃、気球の準備が完了した。バルーン・サファリで空からアフリカの大地を見る。気球に乗っているが安心感がある。ファンタジーの世界に来た感じだという。カバ、サーバル、キリンなどがいました。
 タンザニア北部は100を越える火山のある世界有数の火山地帯。火山は地球を変える力があるという。高さ300mの崖があるが、数千キロの彼方まで続いている。地元のガイドのエイブラハム・マチェンダさんはこれはアフリカ大陸を東西に分離する崖で、同じものが数十キロ東?にもあるという。見えている大地は巨大なひび割れの底。これはアフリカ大地溝帯で6000kmに及ぶ。エチオピアのアファール地方では2005年新しいひび割れが発生した。幅は10mで比較的規模は小さい。タンザニアでは向こうが見えないほど。これは地球内部の核がもたらしたもの。2億5千万年前には巨大な一つの大陸が存在していた。それが地球内部の熱エネルギーにより引き裂かれ5つの大陸になった。現在も2cmずつ広がり続けている。数百万年後にはアフリカ大陸は引き裂かれてしまうと言われている。

 ンゴロンゴロ・クレーターは周囲山に囲まれている。直径は14kmを越える。クレーターは火山の噴火などでできた大地の窪みのこと。200万年前ンゴロンゴロは標高6000mを越えるアフリカで一番高い火山だったが、大爆発が起きて、山は元の姿がわからなくなるほど吹き飛んだ。落差600mの外輪山を下りクレーターに入った。豊かな場所で、クロサイ、シマウマ、ダチョウ、フラミンゴ、ジャッカル、ライオンなどが暮らしている。
 タンザニア北部には大小合わせて100以上のクレーターが存在する。火山やクレーターを神と崇める民族がいる。自然保護区監視員のゴッドフリー・ゴイカイさんの案内でマサイ族と会った。マサイのダンスが始まった。長老のオレ・モコさんが火山と神について話をしてくれた。人力ではどうしようもなくなった時はクレーターに祈りに行くそうです。マサイの人は壁を作らない。
 森の中にマサイの「神の穴」エンパカイ・クレーターがある。直径は1.5km、標高3000m以上で大きな湖となっている。湖の色は絶えず変化している。聖なる木は1本の木にいくつも植物がからみあった集合体。聖なる木の枝や葉はお守りの役目を果たす。枝を腕に巻くと子宝に恵まれるとか。白いなめくじがいた。苔が生えているのは、霧などが多い証拠。湖畔に着いたらフラミンゴの群れがいた。ひどい干ばつの時でも水がなくならない。

 ナトロン湖は真っ赤。1匹の魚もいない。赤いのは湖に住むバクテリアのナトロノモナス・ファラオニスのせい。湖のほど近くには活動中のレンガイ山がある。有毒な成分を含んだ摂氏52度の熱水が湖に湧き出ている。バクテリアはこの有害成分を栄養にして生きている。こういう環境の中で生命は生まれた。火山は生命を生み出すきっかけとなった。

 セレンゲティーは火山によって生み出された大平原で、マサイ語で「果てしない平原」という意味。かつては険しい山岳地帯だったが、ンゴロンゴロが噴火して火山灰が山を埋めてしまい大平原が生まれた。ところどころ出ている岩はかつての山頂だった。ガイドのアナエリ・ウキオさんが不思議な色い岩を見せてくれた。叩いてみると鉄板みたいな音がする。通信道具だったらしい。ゴングロックと呼ばれるが、フォノライトと呼ばれる特殊な溶岩。横に奇岩もあります。昔マサイが描いた壁画も残っている。
 アフリカゾウ、トムソンガゼル、バッファロー、シマウマなどの草食獣の宝庫となっている。オスのゾウが2頭力を競っていました。弱いオスはメスから相手にされないそうです。水場には必ず動物がいる。ある水場にはカバが群れでいました。特別な許可をもらって近づいてみた。別のカバの群れが一列でやって来ました。ここだとライオンなどの肉食獣にはやられないので安全。
 草原のはるか先に黒い点々が見えるが、ヌーの群れだった。時に300万頭が群れを作り移動する。リーダーがいるわけではない。極地的に降る雨による新芽を求めて大移動する。3000kmを1年かけてセレンゲティーを一周する。ライオンやチーターなどもそれを追う。2頭で捕えた獲物を食べていましたが、1頭は周囲を警戒していた。自分で獲った物を自分で食べられるという確約はない。その後ハゲワシたちがやってきておこぼれをいただく。
 最終日、キリンがいた。車の横を堂々と数頭通過して行きました。

●アリゾナ州
 今から7億年前、赤道の下まで氷が覆いつくした。陸地を覆った氷の厚さは3000m。地球全体が凍った。全球凍結「スノーボール・アース」と言われている。この状態が数百万年から数千万年続いた。火山が氷を突き破った。火山から吐き出された二酸化炭素が地球全体を包みこみ、温室効果で氷を溶かした。もし二酸化炭素がなければ地球はマイナス18度になっている。大気と海の間で二酸化炭素は循環している。大気は下から対流圏、成層圏、中間圏、熱圏の4つに分かれている。全ての大気を球にしてみると地球全体の5%にしかならない。さらに大気は宇宙からやってくる危険なものを守ってくれている。
 Shiho さんが旅をした。アリゾナ州にはそれがどれだけ影響があるかわかる場所がある。バリンガー隕石孔は5万年前に隕石が落ちてできた巨大クレーターで、直径1.5km、深さ200m、歩いて1周するのに2時間以上かかる。これほど完全に残っているのは世界でもここだけ。バリンガー隕石の破片もあるが、90%以上が鉄でできている。実は直径30mの隕石だったと予測されている。これらから地球を守っているのは中間圏で、ここで燃えているのが「流れ星」。6500万年前、バリンガー隕石の300倍もの隕石が地球に衝突した。メキシコのユカタン半島の地下洞窟にある地底湖がつながっていることが判明した。これをつないでいくと驚いたことに円を描いており、海の中まで続いていた。隕石によってできたクレーターで直径は300km。地球最大のクレーターだった。隕石は直径10kmと想定されている。この隕石衝突により恐竜時代が幕を閉じたと考えられている。
 グランド・キャニオンは地球上最大の渓谷。早朝5時から朝日を拝みました。コロラド川が600万年かけて削った場所。20億年前の地層を削り取っている。今度はヘリコプターでアプローチした。全長446kmで東京と岩手の距離に匹敵する。最も深い場所は1600m。20億年分の地層を一望できる場所はここしかない。最上部は標高2300mの地点で、2億5000万年前にできた地層。国立公園レンジャーのアンディ・ピアースさんが案内してくれた。最上部の地層からは貝の化石がゴロゴロある。内臓まで化石になって残っているものもある。2.5億年前はグランド・キャニオンは海の底だった。7000万年前の地殻変動で数千メートルまで押し上げられた。それをコロラド川が削り取ってグランド・キャニオンができた。
 全長2339kmもあるコロラド川の川下りに挑戦した。リバー・ランニングはコロラド川460kmを1週間かけて下る大アドベンチャー。出発点は東地点のリーズ・フェリー。大地はまだ少ししか削られていない。下流では20億年前の地層を削っているところです。ラピッドという激流にやってきた。ものすごい激流で何人も命を落としているそうです。そこをやっと通過したが、過去はもっと流れが激しかったそうです。レッド・ウォール・キャバーン(赤い壁の洞窟)は激流に削られてできた洞窟。洞窟の奥までは200m。出発から4日目、最も古い地点に到達。マグマが冷えて固まった岩が続く。まさに地球ができつつあった時期のものです。

 同じアリゾナ州には地球の未来を暗示させる場所がある。グランドキャニオンからヘリコプターで北東に2時間。モニュメント・バレーがある。ビュートという垂直に切り立った崖は高さおよそ300m、侵食されながら大地に残ったもの。グランドキャニオンも侵食が続くと、モニュメント・バレーのような景色になるのだろうといわれている。最も有名なメリック・ビュートに向かい、特別な許可をもらって頂上に着陸した。木の化石がありました。かつてはビュートはつながっていた。モニュメントバレーは平らな大地だった。
 この地に長く住んでいる先住民族ナバホ族のロバート・トーヒィさんは、「私たちは地球をマザー・アースと呼ぶ。食べ物、水、あらゆるものを与えてくれる。地球は一つの生命体である。」と語る。
 アリゾナ州北部にあるバーミリオン・クルプス国定公園は奇妙な形の岩がせめぎあう不思議な空間。景観保護のために、1日に入れる人数を20人に限定している。目的地に到達するためには、40度の中、乾燥した大地を歩き続けないといけない。最低でも3リットルの水を持参することが義務づけられている。砂から岩へ回りの景色が変わってきた。目的地まであと6マイル(10km)。2時間半後、絶景が砂漠の景色の中に現れた。謎の迷路、異次元空間への入口。巨大な生物の体の中。オレンジ色の縞模様の壁が続く。そして最も不思議なエリアに到達。大地が壁が波のようにうねっているので、「The Wave」と呼ばれる。地球上の光景とは思えない。この奇跡の景観は生まれたのか?風でした。壁は細かい砂粒で、ちょっと触れただけで崩れる。1億9000万年前の砂の層でした。昔は果てしなく続く砂漠だった。砂漠の砂が岩に変化し、風が削り取って不思議な世界を作った。


テレビ番組「南部アフリカ大陸大自然紀行」

 2008年2月3日放送。ビクトリアの滝からナミブ砂漠までの1500km4カ国を紹介する。JIC製作。

●ザンビア共和国
 7ヶ国に囲まれる内陸の国で人口は1000万人、国土は日本の2倍。国の名前は南部を流れるザンベジ川にちなんでつけられた。1964年イギリスから独立した。治安は比較的安定しており、紛争が続く周辺地域とは異なる。銅の生産への依存度が高く、農業や観光開発に力を入れているが、人口の6割が1日100円以下で生活している。エイズ感染率も16%。
 リビングストン国際空港。市内に向かうとすぐに滝から吹き上がる水煙が見えてくる。リビングストン・シティは滝観光の中心となる町。
 ビクトリアの滝は1855年イギリス人の探検家リビングストンによって発見された。4月〜8月が水量が多く、水煙は高さ150mにもなる。国境にかかるビクトリア・フォールズ・ブリッジは全長250m。国境越えは鉄道かバス、歩いても渡れる。ジンバブエに入る時はパスポートが必要。橋の中央にバンジーのジャンプ台があり、高さ110mで世界一らしい。
 最大幅1.7km、落差108m。ナイアガラの滝、イグアスの滝と共に世界三大瀑布と言われ、イグアスの滝とビクトリアの滝は世界遺産。

●ジンバブエ
 ジンバブエは内陸の国で、人口は1300万人、面積は日本とほぼ同じで39万平方km。元イギリスの自治領ローデシアで、1980年に独立。人種対立も残り、白人中心だった大規模農業システムが崩壊。欧米との関係も悪化している。
 観光拠点はビクトリア・フォールズ。市場は品数も多く活気があった。ビッグ・トゥリーと呼ばれているバオバブの木。悪魔が大木を引っこ抜いて逆さまに突っ込んだといわれる。「星の王子様」では星を破壊する悪者にされた。果実は形がへちまに似て食用になる。
 アンゴラの奥地から流れだしたザンベジ川。ビクトリアの滝に次いで人気のリバー・ボート・クルーズに乗ってみた。アフリカン・ダンスが観光客を迎えてくれる。ムビラと呼ばれる親指ピアノは、フライパンみたいなのに、鉄で作ったキーが並び、親指ではじいて音を出す。船内はフリー・ドリンクで2時間、水辺の動物たちを見ながらクルーズ。世界各地からの人が乗っていた。まずカバ、ゾウ、ムビラを聞きながら、アフリカの大地に沈む夕陽を見た。
 ボマ・ディナー。ボマとは食べる処という意味。焚き火を囲んでいかにもアフリカらしい夕食。ブフェ形式で、牛肉、鶏肉、豚肉、羊肉のほかに珍しい野性動物の肉が数種類。好きな肉を焼いてくれる。踊りのライブが始まった。太鼓の音にみんな踊りました。

●ボツワナ
 国境を越えると道路はきれいに舗装されていた。ボツワナはアフリカで最も豊かな国。ムーディーズでも日本の国債がボツワナ以下とされ話題になった。
 人口170万人、面積は日本の1.5倍。ボツワナは「ツワナ族の国」という意味。1966年イギリスから独立し、ダイヤモンド、銅、ニッケル、牛肉などの輸出で経済成長している。エイズ感染率は40%。
 チョベ国立公園はボツワナ観光のハイライトのサファリ。ゾウは5万〜10万頭で、数多くの動物を間近で見ることができる。インパラ、キリンなどがいた。ワシントン条約で絶滅危惧種として保護されているアフリカゾウですが、1頭のゾウが食べる1日の草などは150kg。周辺の農業に深刻な影響を与えている。夕方になるとチョベ川を越えてナミビアからボツワナに戻るゾウの群れがいる。食事はナミビアで寝床はボツワナらしい。アフリカ大陸独特の赤く大きな夕陽が沈んでいく。
 リゾート・ホテル「モワナ・サファリ・ロッジ」。入口にはシンボルのバオバブの木がある。ボツワナにはバックパッカー向けの安いホテルは見かけない。このロッジもチョベ観光のための高級ホテル。部屋の設備もレストランも充実していた。テレビの上には、カバやゾウが出現するので、日が暮れてからは出歩かないようにと書いてありました。
 小さな船でチョベ川のボート・サファリに出かけた。水辺の鳥や、水を飲みに集まる動物たちを近くで見ることができる。陸のサファリとは一味違う。ゾウ、カバ、たくさんの鳥がいました。

●ナミビア
 鉄分のために赤い砂漠のある国。西は大西洋に面している。かつてはドイツの植民地で南西アフリカと呼ばれていた。1914年南アフリカに占領された後、1990年に独立。人口200万人、日本の2倍の広さ。
 ウィルベスベイ空港に到着。港町ワルビスベイ郊外の干潟。ここはよく蜃気楼が見られる。フラミンゴの群れがいた。海のすぐそばまで砂漠が迫ってきている。大西洋に面したこのあたりは高級リゾート地で、別荘も並ぶ。独特の雰囲気の美しい街並み。ダイヤモンドやウランなどの豊富な地下資源と、水産資源に恵まれている。
 砂漠を東に向かう。しばらくすると、ウィルウィッチアという植物が生えていた。直径は3mを越えていた。枯れているように見えて生きている。ウィルウィッチアとは「奇想天外」という意味。大気中の水分を葉から吸収して育つ。樹齢は1000年を越えているそうです。
 ムーンランド・スケイプは月の表面のような景色。風?と砂で作った不思議な風景。モルモットに似たハイラックス(こちらではダーシーと呼ばれる)がいた。ゾウやジュゴンに近い原始的な哺乳類。大阪の天王寺動物園で見ることができる。

 ナミビアに住む日本人はわずかに10数人。オマルルで日本人の女性がドイツ人と結婚してガイドをしていると聞いて訪ねた。オマルルの川は枯れているように見えるが、実は伏流水となっていてあたりの緑を育んでいる。オマルルは砂漠のオアシスだった。街道沿いのレストラン「サンド・ドラゴン」で千晴・ローゼンバーグさんと夫のマーティンさんに会った。お店のご主人はモービルを作っている。ヤーク・ゲンツマーさんのお宅を訪問した。ガラス・ビーズを細工していろんなものを作っています。
 採れた石を道端で売っている。いい石でも2000円程度。食べ物や洋服との物々交換も可能。トパーズのでっかいのがありました。
 最後に二人のお気に入りの場所に連れて行ってもらった。シュッツピッツ・コッペで変わった岩がバランスよく重なっている。花崗岩です。こういう場所に水晶が多い。昔は水があって動物がいて、ブッシュマンが狩をしていたそうです。絵画も残っています。岩の上に登ってみました。


テレビ番組「知っとこ 世界の朝ごはん タンザニアのダルエスサラーム」

 2008年2月2日放送。タンザニアは国土は日本の2.5倍だが、ほとんどがサバンナ。

●ダル・エス・サラーム Dar es Salaam
 インド洋に面した港町で、人口は250万人。ダルエスサラームとはアラビア語で「平和な町」。のどかな町です。子供たちが川に飛び込んでいた。
 中心のソコイネ通り Sokoine Drive の交通量はすごい。ほとんどが日本車で信号機も日本製。中古車には日本語も書かれている。横断歩道は誰も信号を守らないので、使われていないそうです。
 インディラ・ガンディー通り Indira Gandhi St. などヤカンを持って歩いている人が多い。コーヒーでした。ヤカンの下には炭が入ってました。キリマンジャロなどが安くておいしいから、みんな買うそうです。1杯10円。

 海岸に行ってみた。船からは魚をバケツで下ろしている。魚市場は人がいっぱい。鯛もかなり大きい。エビなど、フライを隣の建物で食べられる。素揚げにして塩をかけて食べるのが一般的。骨まで食べるようです。
 通りで太鼓に合わせて踊っている人がいた。音楽教室らしい。

 バオバブの木の下で休憩。星の王子様で有名。幹の太さが13mある木は樹齢200年でした。木に登っている人がいた。実を採っていた。乾燥して食べるそうです。酸っぱくてパサパサしているそうですが、砂糖やハチミツにつけて食べるようです。

 ココ・ビーチ Coco Beachはきれいな砂浜でした。アペンダーエ・アリさん(19歳)が紹介してくれたのは、カラフルな絵が並んだ店。ティンガティンガと呼ばれる絵で、大胆な色使いとデフォルメされた動物がいかにもアフリカ。40年前にタンザニアで生まれたペンキで描くアート。アフリカじゅうに広まっているそうで、お土産で買う人も多いとか。アペンダーエさんも人気のアーティストだそうです。

 新婚さんの朝ごはん。教会のそばに住むヘレン・ヂテモさん(22歳)。1品目は「バナナと肉の煮込み Ndizi Nyama」。冷凍された牛肉を一口大に切り鍋に入れ、水を少々と塩をたっぷりふり、茹でる。青いバナナの皮をむき、大きめに切り分ける。味も食感もジャガイモにそっくりとか。トマト。ピーマン、タマネギを切り、茹でたお肉を加えて、塩をふって、煮込む。
 2品目は「サマキ・ザ・マヤイ Samaki za Mayai 」。切り身の白身魚に、レモンを叩いて絞った汁をかける。塩も加え魚になじませる。小麦粉に塩、水、卵を加えてよくかき混ぜる。魚にからめたら、カリカリになるまで油で揚げる。
 3品目は「炒めご飯 Wali 」。みじん切りした人参、たまねぎ、ピーマンを多めの油で炒め、洗ったお米をたっぷり入れて炒める。ひたひたになるほど水を入れて塩を入れ、蓋をして20分。お米はタンザニアでは主食らしい。


テレビ番組「世界の村で発見!こんなところに日本人」

 2008年1月2日放送。久本雅美、千原ジュニア、千原せいじ、松嶋尚美、高橋英樹、YOUさんが出演。海外には日本人は100万人以上住んでいる。1000人以上住んでいる国は非常に多いが、全く住んでいない国は7つ。アメリカには37万人。

●カナダのイヌピック Inuvik
 北極圏に住む日本人。城咲仁、猫ひろしさんが訪問。バンクーバーからホワイト・ホースに飛ぶ。人口は2.5万人。北部カナダ観光の玄関口。イヌピックまでは明日の朝8時に飛ぶという。ドーソン・シティ経由で5時間半かけて到着。悪天候のためにホワイト・ホースに引き返した。さらに翌日、16席の飛行機で飛んだが、ドーソン・シティ空港止まり。ここから車で行くことにした。ユーコン川は凍結していた。ドーソン・シティは19世紀にはゴールド・ラッシュで湧いた町。冬はホテルやレストランも休業状態。スーパーで聞いてみたら、レンタカーはないという。イヌビックに住んでいるバスの運転手トム?さんの車に乗せてもらったので、1人2.3万円。700kmを車で北上した。この時期は日照時間は3時間。22時間後に北極圏の入口を示す看板を通過。午後3時に日没。27時間目、凍結したマッケンジー川に到着。気温はマイナス37度。氷の厚さは1m以上で、12月上旬から5月上旬まで川の上を通行可能。30時間後、イヌビックに到着。気温はマイナス40度。
 元々はイヌイットという先住民が暮らしていた町で、伝統と文化は息づいている。人口3500人。永久凍土の上に作られた街。スーパー?の店員は半袖でした(笑)小泉英昭さん(33歳)の家を訪ねた。マッサージ師の仕事をされています。奥さんはキャトリンさん、娘は雪さん。夕食をご馳走になった。カリブーの肉、スープ、ハム。
 午前1時、家の外で2時間待っていると、オーロラが出た。
 小泉さんのお気に入りの場所に行く。車で30分、高いところから寒寒した平原が見えました。地球の上に立っているという感じがあって、360度回りが見渡せる。

●アルゼンチンのウスアイア Ushuaia
 世界最南端に一人で住む日本人女性。堀越のりさんが旅をした。飛行機で30時間、ブエノスアイレス郊外のエセイサ国際空港に到着。この日は30度。
 ブエノスアイレスは人口272万人で、南米のパリと言われている。町中でタンゴを踊っている人がいる。一般の人はマテを飲んでいる。これは飲むサラダで、ビタミン、ミネラルが豊富で回し飲みするのが習慣。市内は昔の日本の電車が走っていました。
 飛行機で2100km南のリオ・ガジェゴスまで飛ぶ。人口7.5万人。気温は15度。夜9時でも明るい。ホテルに宿泊。朝9時、長距離バスに乗る。料金は4600円。はねる小石をガードする金網がバスに張ってある。町を出ると何もない広大な大地。グアナコというラクダの仲間が見えた。ある町でパスポートと荷物を持って降りろといわれた。実はアルゼンチンから一時チリに入り、またアルゼンチンに入るルートである。ずっと家は見えない。出発から3時間でやっと建物が見えた。フェリー乗り場からマゼラン海峡を渡って、フェゴ島に向かう。しかし人の住む気配はない。日本を出て51時間の午後0時15分島に到着した。ここからは舗装されていない道を進む。再びアルゼンチンの国境。遠くに残雪の山々、海が見えてきた。日本を出て60時間、午後9時にウスアイアに到着した。
 町を一望できる小高い丘に登る。7万人が暮らす世界最南端の町。南極からの強い風が木の形を変えている。マゼラン・ペンギンが3000頭以上、子育てのためにやってきていた。
 5分バスに乗って到着。午前11時、「上野山荘」に到着。上野綾子さん(85歳)が一人で住んでいた。上野さんが来た昭和38年は、ご主人の信隆さんと63日かけて船で来たそうです。ご主人は柄物のTシャツを作って売ったそうです。昭和57年にウスアイアに移住した。6年前にご主人が他界した。
 素泊まりで1泊660円(18ペソ?)。バックパッカーなどが利用するそうです。名物は狭いけど五右衛門風呂。セントージャという大きなカニをいただいた。カニを使った炊き込みご飯も。堀越さんがお礼にお雑煮を作った。

●ケニアのマサイ族の村
 千原せいじさんが旅をした。たった一人で暮らしている日本人女性がいる。ドバイを経由して27時間でナイロビに到着。高層ビルが建ち並ぶ。人口200万人。意外と日本語を知っている人が多い。YKKは有名?マタトゥという乗合バスで7時間で行けるという。夜は危険なので、ナイロビで1泊。
 朝8時、マタトゥに乗る。マサイ村までは料金1100円。かなりきついです。道端で手を上げている人がいると、どこでも乗せる。鶏も乗りました(笑)。マサイマラまで190km、7時間。マタトゥならマサイ・マラ国立公園の入口まで行ける。郊外は道はどんどん悪くなる。でも車の中は歌で盛り上がる。
 国立保護区の中はサファリカーに乗り換える。野生のマサイキリン、アフリカゾウ、インパラ、トッピ、水牛、ライオンがいる。500種類以上の動物たちがのびのび暮らしている。テントロッジ「キチュワ・テンボ・テント・ロッジ」に宿泊。1泊2.2万円。シャワー、水洗トイレも完備している。動物の鳴き声がしてましたが、カギはない。
 朝6時、朝日は素晴らしい。マサイの村に向かう。揺れ方はすごい。1時間でカワイ村に到着。マサイの人はマサイ・チェックの赤い布をつけている。マサイ族は牛を放牧し、糞と泥で家を作っている。ルングという道具は身を守るためのもの。みんな携帯電話を持っている。靴と靴下を履くのがブームらしい。時計もしています。村にはいくつかの集落がある。
 森を越えた8つめの集落に日本人女性がいた。滝田明日香さん(32歳)は獣医さんで、きれいな人です。イヌに予防接種をしていて、イヌの先生と呼ばれている。ペットの犬7匹と暮らしています。普通のアパートの感じです。水は雨水を専用のタンクに貯め、電気はソーラーで発電している。マサイ・マラに来るために獣医になったそうです。
 夕食はマサイの人にご馳走になった。焼き肉は羊を焼いたニャマ・チョマで、おめでたい時に食べるもの。男の人が先に食べ、残ったものは女性が食べる。滝田さんのお気に入りの場所に連れて行ってもらった。多分、グレート・リフトバレーです。滝田さんはずっとアフリカに住むそうです。


テレビ番組「地球街道 野村真美さんでケニア」

 2007年12月1日、8日放送。数千頭のヌーによる川渡りを見たい。

●マサイマラ国立公園
 ナイロビから西に300km。タンザニアと接するマサイ村のサバンナ。早くもシマウマたちのお出迎え。国立保護区オロオロロ・ゲートは人の活動が制限された野生動物たちの楽園。ここからは熟練のガイドさんの車に乗り換える。ガイドはジェイムス・モリンテさん(47歳)。大阪府と同じ広さを持つ保護区で動物は多いが、果て無きサバンナで動物を見つけるのは容易ではない。
 トビがいた。トビはサバンナの警備員で敵が来たら声を発して仲間に知らせる。とても目がいいそうです。ライオンがいたが、チーターがライオンのテリトリーに入ったらしい。チーターはマサイマラに40頭しかいないので、滅多にお目にかかれない。トムソンガゼルがいた。
 ヌーの大群がいた。若草を求めてケニアとタンザニアの間を毎年移動する。ヌーは日本ではウシカモシカと呼ばれている。ヌーは神様が残り物で創ったといわれている。角は水牛、ひげはヤギ、尻尾は馬、胴体は牛、足はアンテロープ。
 15kmほど続く道はたった1軒のホテルを作るためだけに作られた道。「ムパタ・サファリ・クラブ」。

 ここから先は前の番組がずれたので、なし。ヌーの大移動を見ることができたようです。

●マサイのタラミ村
 サムエル・ナイカダさん(30歳)が出迎えてくれた。野生動物がやってこないために、村は垣根で囲まれている。さっそく歓迎の踊りで迎えてくれました。家はわらぶきの屋根に土壁。中はまず家畜の部屋、居間・台所、寝室と分かれている。ナイカダさんは妻のノーララミ・ガサキさん(25歳)と子の3人で暮らしている。ヨーグルトは欠かせない。作り方は、オリーブの燃やし、その炭を瓢箪の内側で砕いてこすりつける。これに牛の乳を入れるだけ。こうすると日持ちがよいそうです。

●グレート・リフトバレー
 ナイロビの北西、人類発祥の地。500万年前にヒトはここからスタートした。今は原野だけになっている。この谷をヘルズ・ゲートまで車で走った。そこから専門のガイドさんと歩く。ガイドはジャクソン・セレウさん。すぐに谷底に向かう。オル・ジョロワ峡谷。最南端。さらに進むと小さな滝がある。藻が張り付いている。40度くらいの温泉でした。

 ヘルズ・ゲートを出て、ナイバシャ湖の方に向かって、高級ロッジ「チューイ・ロッジ」に到着。広大な敷地を有しています。庭にイボイノシシを飼っていました。あらゆるものがヒョウ柄をモチーフにしている。マネージャーはデヴィット・サットンさん。敷地内にはヒョウが暮らしている。チューイとはスワヒリ語でヒョウのこと。部屋の中もヒョウ柄。1人1泊3食で$450。
 翌朝、車に揺られてチューイ・ロッジ自慢の朝食に行く。お出迎えは小鹿のように何とも可愛いディクディク。湖にはカバがポッカリ並んでいた。湖のほとりで朝食。エジプトガン(鳥)がいた。

●ナイバシャ湖
 チューイ・ロッジの近くの湖にとっておきのスポットがある。湖の中にあるクレッセント・アイランドでは、歩いていってもマサイ・キリンが見られる。ガイドのモーゼス・オメさんが案内。このキリンは前足と後ろ足は同じ側を同時に出します。この歩き方は側体歩という。モーゼスさんは顔なじみなので、すぐ横まで行けます。餌はアカシアを食べるが、先端は柔らかいが、そうじゃない部分には固いトゲがある。先端を舌で巻いて柔らかい部分だけを食べる。

●ナクル湖
 グレート・リフト・バレーの真中にあるソーダ湖。ここに百万羽のフラミンゴが湖をピンクに染めている。フラミンゴは水中の藻類を食用にしている。その成文によって体が染まるらしい。


テレビ番組「世界遺産 氷河」

 2007年11月11日放送。火山が地球を作り、氷河が風景を生む。

●ニューヨーク
 マンハッタン島は巨大な1枚岩。その真中に迷子石と言われる巨石がいくつも転がっている。この石は氷河によって北から運ばれてきた。2万年前、北米大陸はほとんどが氷の世界だった。原始、ごつごつとした岩の塊でしかなかった地球。それに美しい風景を作ったのは氷河だった。

●アラスカ・カナダ
 アラスカとカナダの国境にある大氷河は、地球が氷の大地だということを認識させてくれる。氷河は計り知れない力で大地に爪あとを残していく。氷が溶けるとむきだしの岩山が現れる。そこに苔が生え、緑が映える大地になる。

●フランス
 ヴェゼール渓谷の装飾洞窟群。2万年前、全陸地の3分の1が氷河に覆われていた頃、ここに生きていたのはクロマニヨン人。彼らは美しい存在の証しを残した。洞窟に描かれた岩絵。マンモスの長い毛がこの地の厳しい寒さを伺わせる。クロマニヨン人は洞窟や岩間に生活し、氷河期に生きた動物を狩した。

●スウェーデン
 サーミ人地域にはトナカイと過ごす人々がいる。地球は何度も寒い時代と熱い時代を繰り返してきた。1万年前に氷河期は終了した。その穏やかな時代に今の時代は誕生した。私たちの世界は、地球46億年のうちのたった1万年にしかすぎない。人は氷河期があったことさえ、19世紀までは知らなかった。

●アルプス
 絶景を作ったのは氷河。U字谷が残された。

●ニュージーランド
 大フィヨルド「テ・ワヒポウナム」。1万年前に陸地を覆っていた氷河が溶け、陸地が急激に隆起して誕生した。そこでわが家とし生きる動物がいる。森で子育てをするフィヨルドランド・ペンギン。その数は次第に減少し、絶滅が心配されている。地球が温暖化で環境が変わりつつある。

●アルゼンチン
 パタゴニアには乾いた風が吹く。太平洋からの湿った西風がアンデス山脈にあたり雪を降らせ、乾いた風となる。大量の雪は氷の川となり、1日に2m進む。20階建のビルほどの巨大な氷の壁が氷河湖へと流れ落ちる。ペリト・モレノ氷河は世界の氷河が後退する中で、例外的に成長を続ける生きている氷河。

●キリマンジャロ
 アフリカ大陸のような灼熱の地にも氷河が存在する。その頂きには雪と氷が存在する静寂の世界。直径2kmのクレーターを覆うのは氷河。最も古いものは1万年以上前のもの。それが急速に減ってきている。キリマンジャロの氷河は2020年頃までに全て消滅するという予測もある。
 太陽光線を反射する氷河は地球の冷却装置でもある。氷河が溶けると温暖化がさらに加速する。

●オハイオ州立大学
 氷河を通して未来を見つける研究が熱心に進められている。マイナス40度の部屋に並ぶのは氷の柱のサンプル。キリマンジャロの氷河から採取したものもある。氷河には年輪があり、年毎の雪の量で幅が変わる。さらに含まれる大気から過去の気候がわかる。4200年前にエジプトを苦しめた干ばつを、氷が黒い土となって記憶していた。ロニー・トンプソン教授は、キリマンジャロの氷河の面積を表した地図を作成している。1912年にはかなり氷があった。100年で80%を失い、いかに氷河が後退したかがわかる。

●フランス国立科学研究所
 南極から氷河のサンプルを取りだし気候を研究している。80万年前の氷は深さ3200mの地点から採取に成功した。今突き止められる最古の気候データが閉じ込められている。
 地球は10万年毎に激しい温暖化を繰り返している。さらに驚かされるのは、現在よりももっと熱い時期があったこと。なぜ温暖化するのか?

●グリーンランド
 南極に次いで第二の氷の原野を持つ島。イルリリット・アイスフィヨルド。ここの氷が全て溶けると地球の海面は7mも上昇するという。この氷がかつてない速度で溶けている。イヌイットの数少ない糧であるアザラシも少なくなったそうです。北の国の異変は地球の未来を考える上で、見過ごすことができないシグナルである。
 ここ30年で北極圏の氷の5分の1が消滅した。増えつづける世界の人口。地球のカレンダーの上で、初めて人の営みが無視できなくなった。もし全ての氷が溶けてしまったら、地球はどんな風景を見せるのでしょう。

●カナダ
 カナディアン・ロッキー自然公園群。

●氷河
 地球46億年。この星に絶景を与え、数多の命を支えたのは氷河の見えざる手でした。氷河を知ることが地球を知ること。


テレビ番組「世界!弾丸トラベラー 黒谷友香さんでケニア」

 2007年11月3日放送。黒谷友香さん(32歳)が挑戦。中川翔子、山崎静代、梨花さんが司会。マサイマラ国立公園で動物が走る姿を気球から見たいというので、1泊4日の旅。

●予定
 11:00成田空港発、キャセイパシフィック(CX)501便14:50香港空港着。18:25香港発、CX731便20:45ドバイ国際空港着。
 2日目は夜中の1:55ドバイ国際空港発、ケニア航空311便6:00ナイロビ・ジョモ・ケニヤッタ国際空港着(ガイドが車で迎えに来ている)。10:00ナイロビ・ウィルソン空港発、11:00マサイマラ空港着。13:00マサイの村を観光。16:00「フィグ・ツリー・キャンプ」にチェックイン。
 3日目は6:00「フィグ・ツリー・キャンプ」発、野生動物を空から見る。11:00マサイ・マラ空港発、12:00ナイロビ・ウィルソン空港着。17:15ナイロビ・ジョモ・ケニヤッタ国際空港発、23:15ドバイ国際空港着。
 4日目は夜中の2:35ドバイ国際空港発、17:20関西国際空港着。18:35関西国際空港発、19:45羽田空港着。

●ナイロビ
 予定より遅れて7:15分に外に出る。ここは標高1700mで赤道直下だが意外と涼しい。車を見つけたのは8:15分。ここからツアーバス30分でウィルソン空港に向かう。

●マサイ・マラ
 飛行機が去るととても静か。車でマサイ族の村に行く。途中キリン、トムソンガゼル、ヌー、サバンナシマウマ、バッファロー、ライオンがいた。大はしゃぎ。
 13〜15時にマサイ村を観光。マサイ族の人は、東アフリカのサバンナに昔から住む人々で、原色の衣装はムダな動物たちとの衝突を避けるため。村長のシリナ・オレ・セイルワさんに挨拶。歓迎のダンス、歓迎のマサイ・ジャンプをしてもらった。ダチョウの毛で作った大きなアクセサリーがある。村の長老・祈祷師のキシリ・ケティカイさんが壷に入った小石を使ってあらゆることを占う。明日は気球が飛んでゾウが見えるという。
 フィグ・ツリー・キャンプの目印はバッファローの骨。ここは1泊3食で19500ケニア・シリング(35500円)。サバンナの真中のリゾート・ホテル。だが、部屋はテントです。シャワー、トイレがある。夕食は17時からコンチネンタル・ブフェで、20種類から選ぶ。

 朝6時、熱気球の受け付けがロビーで始まっていた。バルーン・サファリ Balloon Safaris は日本から予約が可能。6:20頃には少し明るくなってきた。空は快晴。直径25mの気球。6:30出発。しばらくして朝日が出ました。森と川もありました。動物たちが通る道がいくつもある。しばらくは動物が見えなかった。7:30になって、いきなりゾウが見えた。次にアミメキリン、サバンナシマウマ、アフリカスイギュウ、ダチョウ、ヌーの大群などがいました。
 女性パイロットがわざわざヌーの群れのど真中に着陸した。みんなが集まっていて、シェフなどもいる。シャンパンで乾杯して、「シャンパン・ブレックファスト」をいただいた。まわりに柵はない。
 バルーン・サファリは朝食付きで、一人2.5万ケニアシリング(45500円)。


テレビ番組「プレミアム10 地球と出会う旅、体感!これがエコ・ツアーだ」

 2007年6月1日放送。地球を体で感じる旅。ガイドに誘われ砂漠やジャングルを歩く。NHK製作。

●ボルネオ島
 マレーシア・サバ州に広がるうっそうとしたジャングル。参加したのはフリー・クライマーの平山ユージさん。今回のツアーには8人が参加。ガイドはセッド・プルデンテさん。まずはボートで全長560kmのキナバタンガン川を上がる。野生生物の保護区を行く。指さした先にはボルネオだけにしかいないテングザルがいた。鼻が大きい。泳げるし、情報交換するために川べりにいるのだろう。対岸に渡る時は高い木に登って川に飛び込む感じ。
 雨季はかなり水につかっている。むっとする湿気。ワイングラスのような赤いキノコ。鳥がいたが、セッドが口笛を吹くと返事が返ってきた。
 大きなイチジクの木に実が赤く熟している。そこにオランウータンがいた。見られるのは珍しいそうです。野生のオランウータンはスマトラ島北部とボルネオ島にしかいなくて、絶滅が心配されている。その原因はアブラヤシ農園が増えているため。
 セピロク・オランウータン・リハビリテーション・センターを訪問した。保護されたオランウータンの子供を自然に戻す訓練をしている。遊び場兼食堂でリンゴとバナナを5個ずつ、ミルクも与える。オランウータンは喧嘩が大嫌いだそうです。その後は訓練。次の2次施設ではさらに訓練を受け、さらに次の段階に進み、3−6年で野生に帰る。

●タンザニア
 世界自然遺産「ンゴロンゴロ自然保護区」はサバンナを自分で歩く。参加したのは、アルピニストの野口健さん。
 アルーシャは観光の拠点。サファリツアーが人気で外貨獲得の手段。その中でもエコツアーが増えている。ガイド歴10年のレミ・ファランジェさん(42歳)が案内。2泊3日食事付きで450ドル、2日目はまる1日歩く。
 1990年代に登場したエコツアーは3つの定義がある。「自然を敬い、自然から学ぶ旅」、「環境保護に貢献する旅」、「地域社会に利益をもたらす旅」です。
 「ンゴロンゴロ大クレーター」は、大地溝帯の上にできたカルデラ。南北16km、東西19kmで世界最大級のカルデラ。このクレーターの中は動物の数も多く危険性も高いので歩けない。イボイノシシ、セグロジャッカル、ライオン、ピンク色のフラミンゴなどがいる。
 2日目のウォーキング・サファリは25kmを歩く。ライオンが出てきたら、レンジャーのピーター・モマルッサニャさん(通称パパ)にまかせる。午前9時半に出発。インパラがいる。1頭のオスが多くのメスを連れている。クチブエアカシアという木は、風が吹くと口笛のような音が出る。穴が音を出すが、実はアリの住みか。動物が食べにくるとアリが攻撃する。足元にゾウの糞があった。ゾウは50%しか消化できないので、イボイノシシなどが糞を食べるそうです。マサイ族の少年が牛を追っていた。出発前に教えてもらった方法で挨拶した。ここには5万人のマサイ族の人が住んでいる。村を訪問した。
 12時半に昼食。サンドイッチなどが配られました。お昼は雨が降り始めました。雨がひどくなるとウォーキング・サファリは中止して、無線で車を呼ぶ。空をハゲワシが展開していた。ここから先はライオンなどもいて危険なので、集団になって歩く。チータがいたので迂回して進む。行く手にヌーの死骸があった。チータは歩けないようにしてから首を噛んで窒息させる。一方ヒョウは首の骨を折る。今回のはチータの仕業だとわかった。ヌー、ガゼル、シマウマの群れがいた。エンデュレンを出発してから9時間で、ナビパタットの丘の麓のキャンプ場に到着。

●オーストラリア
 オーストラリアの北部にあるトップエンドと言われる地域は先住民アボリジニの人々が暮らしてきた。千葉すずさんが参加。エコツアーはジョナサン・モグリッジさんが案内。
 まず川に入ってスィミング・ボードを使って、川を上がっていく。滝の下でランチ。今日はメキシコ料理トルティージャ。6時過ぎに宿に到着。ツアーの間は同じ寝袋とテントを使う。密閉されていたテントは蒸し風呂状態なので、風を通すことから始める。夕食はバラマンティというオーストラリアで採れる白身魚のホイル焼き。ロウソクの明かりで食べる夕食。
 2日目。カカドゥ国立公園の南にあるマニュアラルックはアボリジニの居住区。50人のアボリジニが住んでいる。通常国立公園以外での居住区は、一般の人は入れないが、マニュアラルックの人たちは、開放した。10年前にアボリジニの文化に触れるツアーを始めた。
 まずはブッシュ・タッカーに出かけた。野生のニンジンを食べる。木の上にツムギアリの巣があった。これを手で潰して食べます。みんな意外と平気です。レモンみたいな味だそうです。風邪薬として喉の痛みにも効くし、水の中にアリを入れて飲むと翌朝には元気になるそうです。パッショングラスは絵を描く時の筆になる。

●ペルー
 世界遺産「マヌー国立公園」はアマゾンの上流で蛇行している。1週間かけて船で旅するエコ・ツアーがある。沿岸の木に3匹の赤毛ザルがいた。ガイドはペルー政府公認ガイドの鈴木智子さん。鈴木さんは17歳でタスマニアに留学、大学卒業後コスタリカでガイドとして修行した。河辺にキャップト・ヘーロン(シロゴイサギ)という白と黄色い鳥がいる。ブラック・スキマー(クロハサミアジサシ)は下のクチバシの長さが上より長い。水面すれすれに飛んで小魚を採る。他にもジャビル(スグロハゲコウ)、パイド・ラップウイング(マダラゲリ)、カラカラなどがいた。マヌーにいる鳥は1000種で、全世界の9分の1がいる。1度のツアーで200−300種見ることができる。カピバラは世界最大のげっ歯類。土の色と同化していて、隠れているが、自分は見えていないと思っている。
 川岸にはオリガミのような蝶が集まっていた。動物の尿のミネラルを摂取するそうです。そういうのは産卵用にメスが多いそうです。
 森に上陸した。幹にトゲが生えている木「ハカラテイアビヒタ」(パパイヤ科)がある。中の成分が甘くて動物に狙われるからだそうです。にんにくの匂いがする「ガーリック・トゥリー」は匂いで自分を守る。ウォーキング・パームというヤシの木は光のある方向に移動する。イノシシがいたが、森で最も危険な動物です。出会ったらとにかく木に登るのがいいそうです。
 お昼は船内で食事。ホアンさんが料理を作る。今回はチキン・サラダでポテトとアボカドが添えられていた。
 アマゾン河は蛇行しているので、三日月湖ができる。それによって独自の生態系が構築される。オオカワウソは三日月湖の王様。体長1.5m、体重は30kg以上。1頭以上1日8kgの魚を食べる。彼らの毛皮は防水性に優れているので、乱獲されたそうです。1976年保護地区での狩が禁止された。現在は70頭の生息が確認されている。

●ナミビアのナミブ砂漠
 レーシング・ドライバー片山右京さんが参加。世界最古の砂漠。赤い砂に近い。刻々と形を変える大地だが、生き物たちが暮らしている。虫がいたが、オナマクレス・プラナという昆虫で、昆虫の中で最も早く走ることができる(時速4.2km)。羽根を広げて貴重な水分を失わないように走る。レペトステスタス・ワルトニは危険を感じると死んだフリをするが、トカゲの餌食になる。サイド・ワインディング・アダーは砂漠に住むヘビで、砂丘を登ることができる。
 砂漠を抜けると広大な草原地帯が広がっている。ここでオコンジュマ Okonjuma の開催するAfricat の施設を見て歩くエコツアーに参加した。オコンジュマには現在70頭のチータが保護されている。ほとんどが野生に戻るが、保護地区には元には戻れないチータ6頭がいる。2日に一度牛や馬の肉を与える。車の荷台にある肉を取っていきますが、目の前です。スムージーという名前をもつチータはペットとして育てられたので、野生に戻れない。
 翌日、4頭を野に帰すことになったので、片山さんも同行した。スタッフはデイブ・ハウトンさん(44歳)。麻酔をかけて、目が乾燥しないようにオイルを入れる。血液を採取し、発信機をつけて、翌日広さ4000ヘクタールのリハビリテーション・キャンプに放つ。

●ニュージーランド
 南西部にあるフィヨルドランド国立公園。鎌倉千秋アナウンサーが参加。氷河によって削られた場所に海の水が流れこんでできたフィヨルド。船で巡るエコツアーがある。バンドウイルカの群れがいた。先にはニュージーランド・オットセイのコロニーがあり、一緒に泳げる。小船で近づく。オットセイたちが食べる魚のいる海藻群で待っているとオットセイがやってきた。かつては脂を採るために乱獲されて、絶滅しかけたが、政府の保護政策が守った。

●チリ
 世界遺産「パイネ国立公園」。パイネは先住民の言葉で青いという意味。風と氷の大地パタゴニアを行くエコ・ツアー。参加したのは登山家の田部井淳子さん。
 ツアーの一行は湖に流れ込むグレイ氷河を見る。1日2回遊覧船が出ている。湖には強い風が吹いている。パタゴニアの強い風は、雨を凍らせて雪に変え、こんな低い土地にグレイ氷河を作った。青く輝く氷の塊が流れている。風によって氷の中には多くの空気の粒が入りこみ、光が反射して青く見える。触っても不思議に冷たくない。しかし、氷の世界にも異変が起こっている。昔はかなりの部分に氷が見えたが、だいぶ岩肌が見えてきている。このペースだと、あと80年足らずで、グレイ氷河は消えるだろう。
 上陸して氷河の上を歩く。力を入れて踏みつけないと滑る。氷に裂け目がある。太陽の光で溶けていき、最後は崩落するそうです。横に滑るように崩落していく姿が見えました。

テレビ番組「日本の人気マジシャンが世界のみんなに驚きを!秘境でマジック」

 2006年10月21日放送。マギー審司、ふじいあきら、プリンセス天功&天功組がマジックを見たことのない人にマジックを見てもらう。フジテレビ製作。

●インドネシア・ニューギニア島
 マギー審司が挑戦。ダニ族はイモを中心とした自給自足の生活をしている。特徴は「コテカ」という男性のペニス・ケース。飛行機を5回乗り継いで、車に乗って30時間で到着。途中から案内人のアグスさんが連れて行ってくれた。入口の門は敵の侵入を阻害するために狭い。赤い服を警戒しているのか逃げていく。耳を大きくしたが反応はない。ラッキーちゃんの登場にみんなパニック状態になり、隠れてしまった。果物の空中浮揚は反応なし。口からテープを出すのも反応なし。飴を配るとハノーン(おいしい)となり、みんな踊り始めたら、家からみんな出てきた。コーヒーの瓶から物が飛び出すもので驚いた。
 イトゥガン・イットライ村長の御宅を訪問。ラッキーちゃんを出すと槍を出して刺した(笑)。村長に耳をプレゼントしたらやってくれました。空のフライパンに土を入れふたをするとボールが登場したら、少し喜んだ。村長に1個ボールを渡して手を開いたら2個になっていて村長が喜んだ。
 晩御飯に招いてくれた。一番のご馳走の「豚の丸焼き」をいただいた。村の人もご機嫌な村長を見るのは初めてだという。
 コイン・マジックは受けた。指先が光るマジックも喜んだ。笑わないおじさんオンタさんも耳で少し笑った。
 ウェア・マベルさんから相談を受けた。1年前に恋人のルルカ・ダビさんが町のお金持ちと結婚してしまったので、マジックを見せて、元彼女を喜ばせたいという。2時間練習して町に出発。3種類見せて彼女は喜んでくれたが、ウェアさんには幸せになってほしいと語った。嬉しいが悲しいそうです。
 帰りに村人からコテカを、女性たちからは手作りのネックレスをプレゼントされました。

●ケニア・マサイマラ
 ふじいあきらがたった1日だが挑戦。マサイ族は赤い衣装をまとい、時には槍だけでライオンと戦うという勇敢で誇り高い民族。空港から陸路で8時間で到着。みんな明るい。
 みんなに「口からトランプ」を披露したが受けない。ボールがグラスの中に入ることを見せると「怪しい奴」と思われた。種あかしをすると大爆笑。人参が増えるマジックは受けたら、子供たちが見たいという。風船を食べるマジックを披露すると、驚いた子供たちが逃げ出した。長老のトンボイさんがやってきた。ロープマジックをすると驚いたが、受け入れない。そこで、コーラ・マジックをしたら長老がやっと大爆笑。夜は酸っぱいお酒をくれました。
 翌朝サバンナに連れて行ってくれた。ライオンとか来ても静かにしていれば大丈夫だという(笑)マサイの内緒の場所に連れて行ってくれた。生後1週間のチーターの赤ちゃんがいた。

●インドネシア・ニューギニア島
 プリンセス天功の天功組(団長とカイト)が挑戦。ラニ族の住む村まで装置150kgを運ぶ。4時間歩いて到着。村長はあまり騒ぎを起こさなければいいという。顔が白、青、赤、黄色と変化するのにみんなが驚く。ギロチンで野菜を切って示し、ルーベヌスさんに手伝ってもらったが、自分の腕が落ちると思って涙。夜にビデオを見せて、ルーベヌスさんはイリュージョンをやる気になった。
 翌朝、サーベルの首刺し、マントから人が出てくること、インビジブルというガラスの外と内の人間が入れ替わるイリュージョンを特訓した。
 村人を集めてショーを開始。まずマントの中からルーベヌスさんが登場するとびっくり。首にサーベルを刺すとみんな驚き、村長も立ち上がったが、生きているのを見てびっくり。インビジブルも大成功!村人も大盛り上がり!ルーベヌス・コールが続いた。


テレビ番組「世界の絶景100選VII」

 2006年10月1日放送。飯島直子、川島なお美、安田大サーカス、佐々木健介・北斗晶夫妻、大友康平さんが出演。内藤剛志、久本雅美、中村仁美、渡辺和洋が案内。審査員は橋田壽賀子、船越英一郎、さまぁ〜ず、速水もこみち、釈由美子さん。フジテレビ製作。

●ジンバブエ・ビクトリアの旅
 ビクトリアの滝に飯島直子さんが挑戦。現地の言葉でジンバブエは「石の館」。ナイアガラの滝、イグアスの滝と並ぶビクトリアの滝がある。日本からは香港、南アフリカを経由して約25時間で到着。タカナカは「おいしい」の意味で、歓迎された。ブラウン・シビンディさん(31歳)はビクトリアの滝の管理官だが、案内。滝の手前でアミメ・キリン、サバンナヒヒ、ウォーター・バックがいた。アフリカゾウに乗って観光。橋を渡るとザンビアになる。
 かつて滝だったバトカ渓谷 Batoka Gorge の上には切り立った崖を利用したフーフィースライド Foofie Slide というアトラクションがある。全長400m、高さ110m、最高時速100kmで滑るのに挑戦した。
 「雷鳴とどろく水煙」のビクトリアの滝が目の前。水煙は150mの高さに及ぶ。乾季の間だけの数週間にしか行けない島がある。
 絶景ポイントは「滝壷から見る天使も見とれる」ビクトリアの滝。まず垂直に近い急な階段を降りる。ボートに乗って中の島に到着。巨大な岩ばかりの島。途中から猛烈な勢いの水しぶき。

●中国・華山
 川島なお美・安田大サーカスが案内。勇気と智恵を授かるという山頂からのご来光が絶景。西安にまず到着。安遠門に三蔵法師とお供の格好で登場。玉泉院で案内人の王道士さん(41歳)と待ち合わせた。Hiro君は雨男で、ここから華山が見えない。ここは中国一険しいという山。
 まず700mの高さのロープウェーで標高1500mまで行く。山頂は2100mで、水墨画のような風景が広がる。6000段の階段があり、難所が4箇所ある。まず擦耳崖(さっしがい)で、怖いので崖に耳をこするほどにして歩くことから名前がきている。次は天梯(てんてい)で、天にまで届くようなほぼ垂直な階段。次は龍が天に昇る姿にも見えるような蒼龍嶺で、勾配のきつい両側が急な崖の場所。幅1m、角度43度、階段370段。ここでHiro君は脱落。
 晴れてきて頂上が見えた。仙人が手の平を立てたように見えたことから仙掌崖(せんしょうがい)と呼ばれる崖が見える。山頂の手前に絶景がある。その崖の中腹に木で桟橋が作ってある。最後の難所「長空桟道」で、その先に赤い紐を結び願いをかければ、必ず叶うと言われる。しかし、横幅30cm、標高2000m。一歩踏み外すと奈落の底。川島さんが安全ベルトをしめて挑戦した。まず垂直な梯子を降りて、30cm幅の道を歩く。結んで安田大サーカスのことを祈って帰りました。とっても怖かったそうですが、川島さんには感心しました。
 山頂近くの寺院に到着。しばらくしてHiro君が追いついた。登山開始から20時間、山頂に到着した。山頂には東峰絶頂と書いてありました。気温5度の中4人揃って朝日を待った。朝日に照らされる秦嶺山脈とご来光を拝みました。
 川島さんは「勇気と智恵」以上のものをもらった気がすると語って、涙していました。

●フィジー
 佐々木健介・北斗晶夫妻が「幻の島」を案内。フィジーまで8時間。案内人はアルフレティ・ナイノザさん(33歳)。
 ナワキ村でみんなが「ブラ〜」と歓迎してくれた。カバの儀式を行なう。これは結婚・葬式・成人などの人生の節目に行なわれる。液体を飲まされる。これはカバ汁でコショウ科の植物と水を混ぜ合わせたもの。
 ヘリコプターでフィジーの海を見る。タバルア島 Tavarua Island はハートの形をしている。マナ島 Mana Island に到着。バタフライ・フィッシュはいつも仲良く寄り添って泳ぐという。ボートで10分、シュノーケリング・ポイントに到着。バタフライフィッシュを発見。サメがいるというので船に戻った。次はヌクンバティ島 Nukubati Island で宿泊。ホテルのガーデンディナーは「伊勢エビ、ガーリック炒め」と「マッドクラブのマヨネーズ和え」。
 翌朝6時に佐々木さんはハッピー・ドッキリ大作戦開始し、バラ色の夫婦生活の復活を期する。船で30分行くと海の中。案内人は海の中にイス、パラソル、クーラーボックスなどの荷物と二人をおろして、船は去った(笑)胸まで海面があったが、次第に減っていく。2時間後、虹が現われた。二人は海の中に立っていましたが、あっという間に浜辺になりました。普段は海面の下にあるが、干潮になると現われる。ここでシャンパンをいただいて、子供たちからの絵手紙を読みました。奇しくもその日10月1日は二人の結婚記念日で、北斗さんは涙。

●アラスカ
 ハウンドドッグの大友康平さんがアンカレジから2000kmを旅して最北端の町バローを紹介。日本からシアトルを経由してアンカレッジに12時間で到着。東京まで3460マイルと書いてある。ジョセフ・クラークさん(51歳)が前半を案内する。アンカレジ駅から1日1本のアラスカ鉄道で移動。車窓には一面のパノラマ。食堂車で名物のトナカイのソーセージをいただいた。フェアバンクスまで600km、12時間。食後は展望車(オープンデッキ)に行くと、マッキンレー山が見える。アンカレジ駅を出て3時間、タルキートナ駅で20分停車するので、案内人と走って絶景ポイントに行くと、北アメリカ大陸最高峰の白いマッキンリー山(6194m)がきれいに見えました。地元ではデナリ(白く偉大なもの)と呼ばれている。大友さんは言葉を忘れていました。また走って駅に着いたら、列車は出ていた。ヒッチハイクにすることにして車をゲットして、フェアバンクスまで送ってもらった。  フェアバンクスから車を借りて大友さんが運転。舗装されていない道が700km続くアラスカ一過酷な道ダルトン・ハイウェイを走る。ユーコンまで200kmを走る。夜中の2時に起こされてオーロラを見て感動。
 途中で北極圏の表示のところで休憩。ここからは植物もあまり育たない。さらに2時間走るとコールドフット飛行場に到着。ここでジョセフとお別れして、セスナでバローに到着。

 バローは人口4500人で、イヌイットの土地。人々はアザラシやクジラなどの野生動物を採って生活している。夏が終ったばかりなのに、気温は既にマイナス2度。案内人マサック・リービットさん(52歳)は裸足(笑)みんなでトランポリンを持ってジャンプさせて歓迎してくれた。これはブランケット・トスと呼ばれるクジラの収穫を終え、春の訪れを祝う儀式。地下4m、永久凍土の冷蔵庫で食料を保存する。
 案内人の自宅で食事をご馳走になった。奥さんが用意してくれたのは、カリブー(シカ科)のスープ、チャー(サケ科)のグリル、クジラのボイル。みんな自然と共に生きているとマサックさんは語った。
 1時間かけて16kmを車で走った。手前で車を降り、自分の足で北の果てを目指した。北極から流れついた流氷が点在している。風景を見て「この世に生まれたからには、しっかり地に足をつけて、真っ直ぐ前を見て生きていけ」って言われている気がすると語って、涙していました。ROADという曲を歌いだしました。


テレビ番組「なな色のアフリカ、豪華サファリトレインで行く、南アフリカ縦断旅行」

 2005年9月19日放送。片瀬那奈さんが出演。香港から直行便が毎日飛んでいる。ネルソン・マンデラ氏が大統領の民主国家となって10年。様々な人種が暮らす多民族国家。首都はプレトリア。2010年にはサッカーのワールドカップが開催される。今回の旅は豪華列車ロボス・レイルでまずザンビア、最後にケープタウンを目指す。RKB毎日放送製作。

●ロボス・レイル Rovos Rail
 世界一の豪華列車として名高いロボス・レイルで、アフリカ南部を縦横に走る豪華列車。古きよき時代のゆったりした旅を味わえるように、19世紀から20世紀の大旅行時代にヨーロッパで使われていた車両を最新設備に改造して使用している。人気の蒸気機関車の他、ディーゼル車などでも牽引している。Pride of Africa の名に恥じない、まさにアフリカの誇り。走る5つ星ホテルとも言われる。1つの車両に客室は3つだけ。ドブラン?織のベッドカバー、磨きあげられた木製の調度品。冷暖房完備で、シャワーはもちろん、バスタブのついている部屋もある。列車内のランドリーやアイロンがけのサービスもある。

●南アフリカ
 ピータースバーグのポロクワネ駅、一人一人名前を呼ばれ、自分の客車へと案内される。8050室はMs. Katase と書いてある。キングサイズのベッド付きの部屋で、ウェルカムドリンクはシャンパン。太陽が沈んだ頃、列車は出発しました。
 食堂がオープンしているのは、可愛い打楽器?でお知らせします。食堂車はみんなお洒落をしてきています。日本語のメニューも常備されています。南アフリカは高品質のワインの産地としても有名。メインは野生動物「インパラのステーキ」を選択。牛肉に近い味だそうです。部屋に帰るとシャンパンと花のサービス。安眠のために深夜は止まっていますが、夜明けに走り出した。
 起きるとサバンナが広がる。

●ビクトリアの滝
 世界三大瀑布の一つ。150年前にリビングストンによって発見された。途中下車してホテル「ロイヤル・リビングストン」にチェックイン。ここから歩いていける。ホテルのゲートを通るとホテルで飼われているシマウマが歩いていて、庭の草を食べている。世界のセレブ御用達の5つ星ホテル。広大な敷地内にはコテージ風の客室が並び、部屋まではカートに乗って移動する。お猿さんがたくさんいる。部屋はコロニアル風で、窓の外にはサルがいて、ビクトリアの滝の上流のザンベジ川が目の前。ホテルからビクトリアの滝までは歩いて10分。モシ・オア・ツンヤ国立公園の中を歩いていけます。水の音が聞こえてきた。ものすごさに声が出ません。ビクトリアの滝は、現地語で「モシ・オヤ・ツンヤ」(雷鳴の轟く水煙)と呼ばれる。ザンビアとジンバブエの2つの国にまたがる。最大幅1700m、毎分5億リットルもの水が流れ落ちる。川の水は滝壷に落ちた後に150mもの水煙となって立ち上る。滝へと続くザンベジ川の長さは2560kmで、日本の最北端から最南端までの距離と同じ。大きな丸い虹が出ました。七色の虹の端に手が届きそうな感じ。
 夕涼みを兼ねてのリバー・サファリが始まった。川で暮らす動物たちと出会えるかもしれない。カバが3頭いた。さらにさかのぼると、ゾウが4頭川を渡っていました。
 エンジン付きハングライダーに乗って空からビクトリアの滝を眺めました。

●サファリ
 ロボス・レイルの中には誰でもくつろげるラウンジがある。ここで絵ハガキを書いて車内のポストに投函した。サファリとはスワヒリ語で「旅」という意味。野生動物を観察するアフリカの旅を意味するものに変化した。自然動物公園がたくさんある。片瀬さんの目標はビッグ5と呼ばれる水牛、ライオン、象、サイ、ヒョウに出会うこと。カパマ自然動物公園に到着。ここからゲーム・ドライブ(動物を観察しながらドライブすること)に出発。案内はレンジャーのサイネット・モナレンさんで野生動物の生態に詳しい、この道15年のベテラン。視力は7.0だと言いましたが、嘘だそうです(笑)
 まずシロサイに遭遇。次に年老いたバッファローを発見。キリンやシマウマはたくさん見ることができた。ライオンがいました。大勢の人間に囲まれても威厳にあふれていました。アフリカゾウの大群とも遭遇。残りのヒョウは夜行性なので、サーチライトを使って探したが見つけられなかった。
 保護区内の5つ星のカパマ・ロッジに宿泊。ゲーム・ドライブとセットになっている。ロッジの夕食はたき火を囲んでのバーベキューだった。

 翌日、たくさんのゾウが来た。エレファント・バック・サファリの象たちで、よく訓練されている。象の背中に乗ってサファリを旅する。かなり高いそうです。ゾウは運動神経がよくてすぐ走ろうとするそうですが、ゾウ使いが一緒に乗っているので大丈夫。ゾウたちは50もの命令を聞き分けるそうです。トレーナーのポール・コーツィさんが実演してくれました。孤児だった象が多いそうです。密漁で親が殺されたそうです。
 チーターも絶滅に近い状態だそうです。チーターの保護区に行ってみました。動物学者のジュリエット・アードルシークさんが説明してくれました。1歳の子には触らせてもらえました。美しい毛皮を狙った密漁が後を絶たないそうです。特にキング・チーターが標的で、アフリカ全土で30頭、南アフリカに3頭しか残っていない。

●ンデベレ族の村
 ケープタウンに向かう前にちょっと寄り道。独特の模様で家を装飾している。外だけでなく内部にも絵が描いてある。主婦によって各家庭で絵が違うそうです。今はペンキですが、かつては石や動物のおしっこなどを使っていたそうです。とてもカラフルです。村で一番絵がうまいフランシナ・ンディマンデおばあちゃんが、30年前に描いた教会は白地でとてもカラフルでした。

●ケープタウン
 冬が終ったばかりのケープタウン駅に到着。これでロボス・レイルとお別れ。喜望峰への道は冷たい雨。喜望峰は当初「嵐の岬」と名づけられた。波が荒く、多くの船が沈んだ。切なくなる感じでした。最近、ここがアフリカ最南端ではないことが判明した。ケープペンギンの生息地でもある。
 テーブルマウンテンは台形の山で、ここにかかる雲はテーブルクロスと呼ばれる。人類が誕生するずっと以前に神々が作ったという花園がある。南アフリカは世界で最も多い植物、2.1万種の花々が生息する。ケープタウン周辺は世界有数の植物保護地区。春の長雨の後に暖かい日が差すと花々は一斉に咲き始める。花の絨毯が見られるのは、8月下旬から9月へのたった1週間程度。片瀬さんはラッキーでした。
 古代の植物の話を聞くために「カーステンボッシュ植物園」を訪問した。テーブルマウンテンの東斜面のこの植物園は世界遺産。南アフリカの国花キング・プロテアが咲いていた。花びらがベルベットみたいだと、植物学者のディー・スニーマン博士が説明してくれました。プロテアは8000万年前から存在しているそうです。もっと古い花もある。生きた化石といわれるソテツの仲間は2億8000万年前から存在している。ここでも2万1000種の植物のうち15%が絶滅の危機に瀕している。エリカ・パターソニアやエリカ・バーティシラータは野生ではもう存在していない。新しく生まれた花もある。7種類の花をかけあわせて1994年に初めて咲いた極楽鳥花はマンデラ・ゴールドと名づけられた。
 宿泊は「セラーズ・ホーヘンノート・ホテル」で、オーナーのリズ・マグラウさんが出迎えてくれました。このホテルのテーマは花。庭は14年かけて作った。ブロック毎に色などを決めて作っている。部屋も花と自然がテーマで、一部屋一部屋異なる。建物の前には樹齢200年の巨木もある。これはレストランから見てもシンボル。シェフお勧めのメニューは黒鯛のムニエル「黒鯛のカルバドス・フランペ、自家製野菜添え」。


テレビ番組「地球の絶景スペシャル」

 2005年7月21日放送。毎日放送?製作。前半はビデオ不調で後半のみ。

●ビクトリアの滝
 六平直政(むさか)さんが旅した。ジンバブエの5つ星のビクトリア・フォールズ・サファリ・ロッジに宿泊。庭にはイボイノシシがいた。入口前では一人の若者がンデベレ族の歓迎の踊りをしてくれた。ロビーは天井が高いが椰子で作られている感じ。アフリカらしいワイルドな感じを体験できる。デラックス・スィート(シングル:3.9万円)に宿泊。スタンダードだとシングルで3.2万円。ベランダからは水辺に集まる動物たちを見ることができる。象がいました。ドアを忘れずに閉めないとサルが入ってくるそうです。と言っていたら、ベルベット・モンキー3匹が窓辺にいました(笑)

 滝はまず公園を通過したところから見た。次に岩ばかりのデンジャー・ポイントに行った。目の前に巨大な瀑布が姿を見せていた。幅1.7km、最大落差118m、最大水量毎分55万トン。1855年にイギリスの探検家リビングストンが発見。滝は西がジンバブエ、東がザンビアに属し、それぞれに異なった風景を見せてくれる。下流は狭い川(ザンベジ川)となってインド洋へ流れていく。
 一番近い町の市場に行く。真っ赤なトマトがある。黒砂糖みたいなのは、砂で、食べるらしい。食べてみたがまずいそうです(笑)ミネラルを取りたい人は食べるそうで、特に妊婦が食べるそうです。その土の「畑」に行ってみた。

 ホテルのレストランでランチ。食前酒はトウモロコシで作った地酒「チブク」。前菜はザンベジ川で取れた「ワニの尻尾の薫製」で、さっぱり味らしい。次に土鍋みたいなのが出てきた。いも虫をボイルした料理「モパニ」。生焼けで中からぬるっと出る感じがおいしいそうです(笑)

 渓谷から滝壷に向かう。高さ100mの断崖の階段を降りる。そこから先は歩行不能でボートで滝壷に向かう。滝に向かうと大雨状態。どこまで進んでも水しぶきしか写らない(笑)

 ビクトリア大橋を渡ってザンビアに入る。この橋は1905年に完成した。眼下には100mの断崖が続く。国境でバンジー・ジャンプをしていた。まず流れ落ちる滝のすぐ上に行った。素晴らしい虹がかかっていた。さらに先に行くと、快晴なのに、滝しぶきが雨となって下から上に吹き上げていて、大雨状態。デンジャー・ポイントもよく見えました。また色が濃い虹を初めて見たという。

 午前11時頃がベストの世界一の虹が見える。さらに先に行くと小さな橋がある。ここの橋から滝の反対を見ると、橋にいる自分の影を中心にして円形の奇跡の虹が見える。丸い虹が見える条件は、背後に低い太陽、前方に深く広い谷、滝のしぶき(細かい水滴)が豊富、人の下を光が通過ということらしい。

 彫刻家メヤーさんに2日前に自分の顔の彫刻を彫ってもらっていた。真っ黒でプレーンですが、いい感じにできていました(笑)題名は Happy Actor 。

 上空にハングライダーのようなものが飛んでいた。風が強いと飛行できない六平さんは最終日にやっと飛べた。バトカスカイ飛行場に行く。マイクロライトというもので、ハングライダーにエンジンが付いたような飛行機。南アフリカ製、900ccのエンジンを搭載し、滝の上空1350mまで飛行可能。15分9500円、30分1.9万円。体重制限があり100kgまで。飛んでいるというより、浮かんでいるという感じ。ザンベジ川、2匹の象、ボートで進んだ渓谷、ビクトリアの滝、デンジャーポイントと飛んだ。

 満月の夜に素晴らしい景色が特別に見られた。ビクトリア・フォールズ国立公園の監督官ジュラさんが特別に案内してくれた。満月の光でできた虹がかかるという。ルナ・レインボー(月虹)という。月に1度しか見られないし、雲のない晴れた日でなければならない。

●ギリシャ
 エーゲ海で一番美しい海岸で、新婚旅行にピッタリ。高樹沙耶さんが旅した。ギリシャの西に位置するイオニア諸島のザキントス島は、ベネチア人が東方の花と呼んだ。雨が多いため、緑に恵まれた島。この島の北側にギリシャで一番美しい海岸があるという。そこには船で行くしか手段がない。漁師のセオドリスさんに頼んで連れて行ってもらった。船で2時間。道中の景色も岩、白い断崖、青い海と格別でした。アーチ型の岩の下もくぐった。そしてナヴァイオ海岸に到着した。
 石灰岩の白が混ざり合った独特の青い海。海の色は少し乳緑色がかっていたかも?その奥に難破船が流れついたナヴァイオの白浜。上陸してみると、沖に向かって青色の変化も美しく、いつまでも見飽きることがない。ナヴァイオとはギリシャ語で難破船という意味。30年前タバコの密輸船が漂着して以来、ギリシャ一美しい海岸と評判になった。まわりの断崖は100m以上。陸沿いには近づけない秘密の景観。

 宿泊はホテル・ルベラ・ヴィラス。あまり知られていない隠れ宿。オーナーは55歳の女性のヨータさんで、古い民家を改造した。石でできた伝統的な建築で一人で経営している。今回は「美の女神」と名つけられた2フロアのスィート。壁は白い土と岩?そこに木の階段やドアとかがある。スィートは6名まで泊まれて、200ユーロ(2.7万円)。ベランダからの景色もいい。

 島の南側をクルージング。アカウミガメの世界一の生息地。産卵のために7月〜8月にやってくる。高樹さんは海の中に入って一緒に泳いだ。
 ホテルで昼食。鶏肉のレバーをトマト、たまねぎ、にんにくとともにオリーブオイルで炒め、ライス、パン粉を加えてひと煮炊きする。さらに手作りの羊とヤギから作ったチーズを加えて炒める。これを内臓をくりぬいた鶏のおなかに詰め、オーブンで1時間半焼いた「ザキントス風チキンの詰め物」。濃厚でおいしいそうです。レバーとチーズがよく合うそうです。全てここで作られた自然のものです。

 ナヴァイオの海岸は上から見た方がきれいという。断崖絶壁の上を歩いた。10分歩いて到着。上から見ると、青い色、白い色が混ざってとてもきれいでした。地元の人の話では、ここ30年で白い色が増したとか。


テレビ番組「南光&小枝のぶっとびケニア!爆笑大紀行」

 2005年3月20日放送。桂南光、桂小枝さんが出演。関西テレビ製作。
●ナイロビ
 高いビル、車も多く大都会。しかし信号がない。車はスピードを落とさない。暑いそうです。スーパー案内人はダグラス・ワキウリさんで、87年世界陸上金メダル、88年ソウル五輪銀メダルなどを得て、日本に6年住んでいた。

●マサイマラ
 大阪府がすっぽり入る大きさ。マサイ族の村サテラに行くと、小枝にそっくりなロディさんがいた。女性たちが歌で出迎えてくれました。24軒の家100人が暮らす。牛の糞で生活品を作っている。2人は古タイヤのサンダル履きで、マサイ族の服を着ました。みんなすごい時計を持っているし、村長の息子のエマニエルさんは携帯電話を持ってました(笑)羊を売って買ったそうです。でかける時は自転車らしい(笑)牛などを放牧して生活している。ゾウの糞を燃やしてハチを追い出し、ミツを取る。かなり強引で、いっぱい刺されていました。
 アカシアの木を煮て、煮汁に砂糖を加え、ハチミツの塊を潰していれてよく混ぜ、4−5日置いておくと発酵して、白く透き通ったお酒ムラティナになる。
 マサイは1日2食。夕食はヤギの肉を焼いてくれました。畑を作っても動物に食べられてしまうから。朝は牛乳、夜はお肉。まずは男が食べて女性が食べる。調味料はなく、ただ焼くだけ。刀で切りながら食べます。みんな刀を振りながら食べるので恐い(笑)肉は硬いそうですが、2人ともよく溶け込んでいました(笑)ムラティナは酸いような甘いような味だそうです。3杯飲むと酔うそうです。

 朝5時から熱気球に出発。空から動物たちを見るバルーン・サファリに挑戦。下には密林と草原が広がる。木にはハゲタカがとまり、草原にはインパラやシマウマが群れで、ほかにもイボイノシシやトビなど、川にはカバがいました。しばらくすると太陽が出ました。

 車でサバンナを見ていった。イボイノシシ、シマウマ、地上最大の生物アフリカゾウ、ヌー、インパラ、ホロホロチョウやアフリカトキコウやミナミジサイチョウの鳥、あまり飛ばないヘビクイワシ、チータの親子の別れの直前の様子などを見ました。

●エルドレット Eldoret
 ナイロビの北西ののどかな田舎町、ここに世界一の人がいる。エルドレットのランガスという場所。ケニアの揚げパン「マンダジ」は三角形で1個7.5円。1個買ってみたが、香ばしくてモチモチしてまぁおいしいそうです。
 カプケンデュイヨ小学校のジェーン・オビンチュ校長と挨拶して、84歳の世界最高齢の小学生2年生キマニ・ンガンガ・マルゲさんを見に行った。ギネス認定されています。2002年小学校が無料になったため。ただ教科書や制服は無料ではありません。聖書を読んで、お金を数えられるようになりたいそうです。休憩時間に話を聞きました。将来は牛を治療する獣医さんになりたいそうです。子供たちは短いエンピツを使っていました。もらえるのは入学した時に1本だけ。2人も体操の時間に参加しました。綱引きもしてましたが、綱が短い。スタッフが持参していたロープをプレゼントした。男の子チームが勝ちました(笑)
 マルゲさんのお宅を訪問した。8年前に奥さんも亡くなり、一人暮らしでした。2004年5月5日の入学式の時の写真があった。英語も勉強しています。毎日ハチミツを食べているそうですが、見せてもらったら蜂の巣でした(笑)
 昼食は子供たちも集まってみんなで食べました。つぶしたジャガイモにトウモロコシを混ぜたモッキモ、茹でたサツマイモとふかしたジャガイモ。50年前の独立戦争で足が不自由になり、子供を失ったそうですが、イギリス軍を許しているそうです。
 マルゲさんに料理を食べてもらおうと、2人は牛肉500g230円で買った。タマネギとジャガイモとニンジンを切って肉じゃがを作った。大変おいしかったそうです。南光さんは手ぬぐいをプラゼントしました。
 金曜の朝の朝礼は全校800人で行い、賛美歌から始まる。次に国旗掲揚。この日は特別にみんながダンスを披露してくれました。ノリのよい音楽でした。次に2人がみんなにお話してワキウリさんが通訳しました。小枝さんの声の調子がおかしかったようです。最後は賛美歌でしめました。
 ほのぼのしたいい番組でした。


テレビ番組「あいのり外伝!司会者だって恋したい海外ひとり旅スペシャル」

 2005年1月3日放送。TV番組「あいのり」の司会者が一人旅をする。司会の久本雅美(44歳:A型)、今田耕司(38歳:O型)、加藤晴彦(29歳:O型)が「真実の愛」を探しに海外へ出掛ける。相手を見つけてその部屋にピンクの歯ブラシを置いてくるのが命令。代打司会は柴田理恵、藤井隆、佐藤隆太。フジテレビ製作。

●カリブ海プエルト・リコ
 プエルトリコのサンファン国際空港に降り立った久本は、ピンク色のラブ・セダン(1963年型シボレー)発見。ドライバーのエリオット・ロペス(25歳)はボディビルが趣味。まずは人気No.1のビーチに行くが、ほとんどがカップル。一人者もいるが、なかなか声はかけられない。女性のビキニはTバックに近い。
 エル・モロ要塞は歴史的建造物。おじいさん(イスマエルさん:73歳)が絵を描いていた。友達を探しているって言うと、45歳の弁護士の息子を紹介してくれた。居住者専用のゲートもあり、金持ちらしい。室内の絵はとても上手い!1つ5万ドルとか。先に孫が帰宅、驚くが、バツ1とわかった。孫は3人でセルヒオ(15)、エステバン(14)は美男子、ナタリア(12)も美人。ナタリアが作ってくれたチキンの料理をいただいた。立派な人でした。子供たちとも仲良く遊びました。「いい友達」でありたいと言われた。でも、これは久本さんの勝手な思い込みで、いけたと思います。
 翌日はオールド・サンファンで恰好いい男性を発見。「メサカ・フォト?」と言って写真を撮ってもらい、次に一緒に写真を撮った。30歳、plastic artistで先生。時間がなくダメ。探して見つけた!イワン Ivan Biyes ?さん。いきなり「結婚してください」と言ったが、「無理だ」と言われてしまった。
 次は昨日の弁護士のママに会って話をした。恋愛中は相手が見えてなかったそうです。子供たちにお好み焼きをご馳走した。子供たちの話だとパパとママは別れてから仲良くなったそうです。歯ブラシを置いていっていいって言ってくれて、セルジオとナタリアが歯ブラシを日本に行ったらいくからと言って渡してくれた。涙の別れでした。
 おじいちゃんがあの絵の中に家族としてマサミも描いて入れてくれました。

●パリ
 今田にはピンク色のラブ・スクーター(経費節減)。パリ5区のサンミッシェルに行く。ここにはソルボンヌ大学があり、若い女性が多いが、なかなか声がかけられない。日本でも一人でナンパしたことはないそうです。仕方なく声をかけ続けること1時間。2人連れを狙う。北野タケシを知っていますか?から始まって、一緒に写っているデジカメの写真を見せた。コメディアンだとわかって何かするように言われたが何もできなかった。
 どうしても無理なので、日本文化に興味のある人に的を絞った。最近は漫画やアニメが大ブーム。お店を教えてもらって店員さんに紹介してもらった。パン屋さんで働いているシャルレンヌさんは、ソルボンヌ大学の学生。少女漫画が好きだとか。アパートに行くが、17平方mの部屋にはアニメのポスターなどがビッシリ。小さい頃からキャンディ・キャンディを見て知っていたそうです。夜は友達4人と会った。一人はK−1のファンだった。みんなにせんだみつおゲームを教えた。ピアノ演奏もした!
 パリ7区のエッフェル塔の下の北東?のカフェで、昨夜会った子に会った。petits d.. というカフェで働いている、西部ブルターニュ出身のエイブ・グラモンさん23歳を訪ねた。エッフェル塔広場で待ち合わせ。パリ4区のサンルイ島に行く。地元の人は雑貨が好きなので、こういう場所によく来るとか。セーヌ川が光るのがきれいで、水の中に宝石をちりばめたみたい。夜のエッフェル塔は夜の衣装を着てきれいとか、宝石の近くに行ってみようとか詩人みたいです。今田のピアノがよかったという。セーヌ沿いで話をして仲良くなれて、料理を食べてもらうことになった。パリ11区のアパートの4階へ。Saint Preux ?というパン屋さんはツケがきくとか(笑)二人でリゾットを作って食べました。エプロンを記念にもらいました。歯ブラシを置かせてもらった。

●ケニア
 加藤さんは満席の乗合バスに揺られて30分、ナイロビ一番の下町マシ・モニ地区へ。80万人がいて、その一番奥の場所で、水道もガスもない、日本の戦後の闇市みたいな感じ。案内人が既に女性を探していたという。リリアン・ワガラさん32歳の3人の子持ちで、13人の大家族。10人兄弟の長女で弟たちを育てあげた。水を買いに行くのを手伝ってもらった。20kg入り。次はお店に荷物を持っていって売る。バーゲン状態でみんな買っていった。小学校で子供と日本の遊びを楽しみ、夕食のための皿洗い。そしてみんなで夕飯。歯ブラシは木で塩をつけて磨く。台所の片隅に寝た。
 海を見たことがない子供達と学校の先生の妹のスコラ(18)に海を見せることにした。夕方ナイロビ駅から汽車で13時間500kmの旅。汽車の中ではトランプをした。スコラは法律を勉強して弁護士になりたいそうです。午前8時寝台列車を降りて、車に乗ってモンバサの海に到着。子供たちと楽しみました。スコラは加藤さんと別れるのが辛くて静かにしていました。ナイロビに帰ってからスコラが愛を告白しました。長い手紙を渡しました。加藤さんが経験したことがないくらい親切にしてくれたことなどを感謝し、彼のことを忘れないと書かれていました。特に「今日よりも明日がいい日であることを、私は毎日、神様に祈っています」っていう部分はよかったです。加藤さんも涙ぐんでいました。そして別れの時。みんな涙ぐんでいました。歯ブラシを置いていきました。みんなきれいな心を持っていました。


「めざましテレビ、ワールドキャラバン、木村佳乃さんのケニア編」

 2003年12月31日にまとめて放送した一部。フジテレビ製作。

●サファリ
 ジープに乗ってサバンナを行く。ヘビ等を食べているヘビクイワシが木の 上にいた。シマウマの群れもいた。チーターを発見。その狙った先にはガゼ ルが二匹がいた。その背後からチーターが襲って一匹を仕留めた。そしてチ ーターはキャ、キャ、キャっと高い声で鳴いて、家族と思われる2頭のチー ターが現れて食べた。自然界のありのままの姿を深く心に刻み込むことがで きた。

●アンボセリ国立公園
 アフリカ象の群れがいた。目が優しい。

●ナイロビ
 Nairobi Animal Orphamage という施設を訪問。獣医として一人の日本人 が働いていた。在住20年の神戸俊平さん56歳。傷ついた動物を救ってき た。親のチーターが子供を置き去りにして獲物を狙う。そのみなし児を野生 に帰れるようにしている。神戸さんに母親よし子さん81歳からの手紙を渡 した。
 神戸さんからのメッセージは「アフリカの諸国は内戦で銃が氾濫している 。その銃が密猟者の手に渡って象を一網打尽に殺して、象牙を取っている。 (防いで欲しい)」

●マサイマラ国立公園
 ケニアの南西。マサイ族が村人総出で、歌で歓迎してくれた。歓迎の儀式 (アイトゥーム・ロモン)はお酒で身体を清めて村の中に入る儀式だが、口 に含んで額に吹きかけてくれる(笑)
 マサイ族は40人ほどで集落を形成していて、牧畜を糧として、時給自足 の生活をしている。家は拾ってきた木の枝と牛の糞の壁で作られている。家 が古くなると違う場所へ集落を移動させる。家の中は暗い。牛の皮のベッド 。いろりのある部屋が台所兼リビング。お母さんがマサイ族を毎日飲むとい う飲み物オルトメをふるまってくれるという。鍋に入れたのは象の糞。サバ ンナのいろいろな植物を食べているので、栄養があるという。それを20分 煮込んで、取り出すと、牛のミルクを入れて再び煮込む。それをろ過して飲 む。木村さんはすごくおいしいという。ロイヤルミルクティーの感じだとい う。
 マサイ族の男性の仕事は牛やヤギの放牧、狩。女性は水汲みとか。水を汲 みに行く途中で、赤い木の実を採ってつぶして顔に塗る。お化粧です。30 分で泉に到着。1日2回水を汲みに来るという。帰りは1つ5kgの水をポ リタンクに入れて持ち帰る。女性はさらに家を建てる。3ヶ月かかるという。
 男性がジャンプする。高くジャンプするのは、女性へのアピールだという 。好きな男性の前に女性がヤリを立てるという。木村さんもやってみた(笑)
 木村さんは2日暮らしました。

●マサイマラ
 タンザニアに移動するヌーの大移動は1年に1回見られる。ヌーはウシ科 の草食動物で、普段は草と水のある場所で暮らしている。食料が不足してく ると、夏と冬にエサを求めて移動する。
 草原でヌーの大群(5万頭)を見つけた。ガケの下の川を渡ろうとしてい た。なかなか渡ろうとしない。ワニがいたので、引き返した。最初の一頭が 川を渡れば、残りが渡るという。3時間待ったところで、ヌーが川に行った が、また引き返した。さらに3時間後、6度目の挑戦で一頭のヌーが川を渡 った。そして5万頭のヌーが一斉に川を渡り始めた。ガケを落ちながらヌー が川に向かい、川を必死で渡った。川を渡りきると家族を探して、次の旅に 向かう。木村さんはすごく勇気づけられたという。


テレビ番組「旅サラダ」2003年3月18日は高樹沙耶さんでケニア&タンザニア

●アンボセリ国立公園
 キリマンジャロと象の大群に出会った。
 宿泊は「トーティリス・キャンプ」Tortilis Camp。1泊3食付き・サファリ付きで一人US$212。
http://www.chelipeacock.com/camps/tortilisabout.html
http://www.timeforafrica.com/kenya/tortilis.htm

●マハレ山塊国立公園
 湖岸のリゾート&チンパンジーを楽しむ。 宿泊は、「グレイストーク・キャンプ」Gracetalk camp で、3泊4日<全食事・飲物/アクティビティ付き>で、一人US1855(約20万円)。ただし、ナイロビからの往復航空運賃含む。
http://www.afrospace.info/

●マサイ・マラ国立保護区
 サバンナの中の優雅なリゾートの「バテラ・キャンプ・キチュワ・テンボ」Bateleur Camp Kichwa Tembo に宿泊。1泊3食付き・飲物・サファリ付きで、1人US380。
http://www.ccafrica.com/

 旅のお問い合わせは、ジャパンネットワークツアーまで。
http://www.jnt.co.jp/


「旅サラダ」2001年4月は4月は森下涼子さんでケニア・タンザニアの旅
●ナイロビ
 ケニア。Emirates 航空でシンガポールからドバイ経由で到着。

●マサイ・マラ国立保護区
 ケニア。草原の中に飛行場がある。迎えの車でホテルに向かう。向かう途 中にダチョウ、キリンがいた。ホテルは Mpata Safari Club 。デザインが 面白くてどこからでも自然光が入る。モダンなレストランでプール付き。コ テージタイプでカギも棍棒くらいの大きさ。部屋の中はすごくお洒落。ジャ グージ付き!3食・2回ゲームサファリ付きで1泊一人 US$195〜。外の眺 めもすごい!92年にできた。ユーミン、伊集院静、シェフのミクニさんな どが出資してできているホテルらしい。
 サファリツアーに出る。まずマサイキリン(アカシアが好みとか)、アフ リカゾウ、シマウマ、トムソンカゼル、カンムリツル、ライオン。
 夕方はバブーンバーでカクテルタイム。400シリング(600円)。
 夕食はフレンチ。シュリンプカクテル、ほうれん草のクリームスープ、フ ィレステーキ・赤ワインソース、パッション・ムース(おいしいらしい)。 レストランもモダン。

 翌朝、ジャグージに入って日の出を見る!
 マサイの戦士たちに会いに行く。マサイ・ヴィレッジ。窓からの光の中で 明るい室内。うちを見せてもらったお礼にビーズの飾り物を買うのが礼儀ら しい。値段は交渉だけど、200円程度かららしい。
 朝6時半、気球に乗る。しばらくして日の出。象、キリン、ハイ エナがいた。カバが草原を走っていた。ライオンのいるサバンナに着陸。朝 食のテーブルをセットして、ここで調理して、シャンパンで乾杯。近くを トピという鹿のようなのが通過した。バルーン・サファリ(朝食付き)一人 US$ 385。

●ナクル湖
 ナイロビに戻り、大地溝帯を北へ。ピンク色に見えたのはフラミンゴ! 鮮やかなピンク。多い時は200万羽。この時は70万羽。ペリカンも飛ん でいた。シロサイもいた。滅多に見られないらしい。野生動物の水飲み場に なっているので、多くの動物が来る。鹿のようなインパラの親子がいたが、 ヒョウに狙われていた。

●大地溝帯
 さらに北に向かうと赤道の線上に来た。「赤道にようこそ」と日本語で 言われた。水の渦巻き方向が逆になる。チップが必要で至るところにいる。 北と南では反対になり、赤道上では止まっている。
 さらに行くと先が尖ったケニア山が見えてきた。5199m。このあたり の人々は手を振ってくれる。学校に立ち寄ると子供が大興奮!大歓迎! 紙で飛行機を作ってみんなで飛ばしたが、大さわぎ!
 ケニア山のふもとのSweetwaters Game Reserve は格式あるサファリロッ ジで、プールもある。コテージタイプのテント!中は広い。ダブルベッドで それ以外に小さい部屋がある。水洗トイレ、シャワー付き。1泊3食付き1 人 US$133〜。近くにキリンが来て食べていた。昼食はバイキング形式。お いしいらしい。シマウマも来て食べていた。毎朝、毎晩、コーヒーでモーニ ングコールをしてくれる。自分のテントでコーヒー片手に朝日を眺めた。
 チンパンジーの孤児院 Chimpanzee Sanctuary に行く。ジェーン・グドー ルさんが主催。

●ダル・エス・サラーム
 タンザニア。平和な港という意味。日差しが強いが、都会。ゆったりした 時間が流れる。Jewelry Shop が多い。タンザナイト・ジュエリーに行って みた。Tanzanite Jewellers 5段階のレベルがある。色が濃くて傷がないの がよいらしい。最近人気だとか。ブルーの石 Tanzanite 18カラットで US$ 7428 (93万円)〜。仕方なく165ドルのを値切って120から100 にした。海もきれいで、海岸線はきれい。

●マコンデ村
 モザンビークから移住してきた彫刻師たちが黒檀を彫っている。彫刻店「 サンガンゼル」Sanganzelu (平屋の小屋みたい)に行く。掘り出し物がい っぱいで、マサイ族の顔のもある。キリンの置物もある。オーダーメイドも 可能。自分の顔とかも!彫刻代15万シリング(2万円)
 夕陽もきれい。港の早朝、バケツを持った人が集まる。魚が並んでいる。 でかいのもいる。

●マフィア島
 飛行機で40分。熱帯植物の島。Kinashi Lodge (キナシロッジ)コテージ 式のリゾート(穴場です)。緑も多く、芝生もきれいで、木の間に海が見え る。かやぶき屋根で、ハンモック付き、天蓋付きのベッド。濃いブルーのシ ーツ、1泊3食付き1人 US$82.5 〜安い! プライベートビーチもある。 ワイルドな船で釣りをする。ガイドはトーマスさん。バラクーダが釣れると か。海の色は緑に近い?
 引き潮の時だけ現れる幻の浜辺もあるくらいすっごい遠浅。カニしかいな い。そしてまた外洋へ。色は濃いブルーになってきた。1mくらいのが釣れ た!帰りはゆっくりセーリングで帰った。ボート1隻1時間 US$60
 タマゴと小麦粉をつけたバラクーダをバターで焼いて、ワインを注ぐバラ クーダ・ワインはムニエルのような味らしいです。マスタードとライムジュ ースをつけたバラクーダを炭火で焼く。バラクーダ・スティック。バラクー ダカレーも。

●ンゴロンゴロ自然保護区
 タンザニア。世界遺産にも指定されているクレーター。264平方kmで 山の手線がまるまる入る。このクレーターを見下ろすホテル「ンゴロンゴロ ・ソパ・ロッジ」Ngorongoro Sopa Lodge 。入口は豪華。コテージタイプ? で1つの三角屋根に4つらしい。部屋が2部屋。お菓子と飲み物も置いてあ る。1泊3食付き一人US$140〜。浴室も広い。クレーターが一望。ロッキン グ・チェアもある。バーで夕陽に染まるクレーターを楽しむ。朝晩は寒い。

 高低差700mのクレーターの壁を降りて、サファリに向かう。野生動物 の楽園。牛のようなのがヌー Wildebeest 。シマウマは太っている。二頭が 頭をお互いの背中に乗せているのは重たいかららしい。クロサイ、カバ、イ ボイノシシ。イボイノシシは親が向くと子も向く、止まると止まる。バファ ローが食べられている。ライオンだった。車の陰を日よけにするらしい。 絶対に降りてはいけない。ゾウと遭遇した。

●セレンゲティ Serengeti 国立公園  すごいヌーの量。出産のためにケニアからタンザニアに140万頭が大移 動する。それにつれてシマウマも移動する。
 テントを借りてキャンプをした。3泊以上宿泊の場合、1泊3食付きで一 人US$200〜。テントの中にはベッドが2つとトイレ室とシャワー室がある。 専用のコックさんもいる。ワインを飲みながら、ヤギの炭火焼きはすっごく おいしいらしい。食後はキャンプファイアー。

 以上問い合わせはジャパン・ネットワークツアー tel:03-3274-1158
http://www.jnt.co.jp/


「福山雅治・西川貴教のオールナイトニッポンTV」

2001年9月30日?放送。フジテレビ制作。

 ニッポン放送のオールナイトニッポンでリスナーの夢をかなえるというも の。オランダ経由でケニアに向かった。次いでイタリア、ロシア、シアトル を回る、18日間世界一周。9月30日?放送。フジテレビ制作。

●ケニア
 岐阜県の大屋さんのリクエストは「キリンに飛び乗る」。トライしたがダ メだった。茨城県の蜷川さんのリクエストは「パラグライダーでケニアを飛 びたい」。早朝出発して、写真家のサイモン・コックスさんの案内でキジャ ベヒルというナイロビから70km離れたところに行く。レストランでコー ヒーとチャパティというパンを食べる。荒れた山道を2時間かけて登る。 標高2670m、高低差600m。東アフリカを南北に縦断している大地溝 帯である。サポート用の車が300m落下してしまった。仕方なく翌日は メイヤーズファーム(標高2300m)に行く。高低差660m。今回は 地元の人に祈ってもらう。しかし風が強くなってフライトはキャンセルされ た。3日目のトライ。男の方がケガをして、3年看護して結婚して、初めて 夫婦で飛んだ。風速3m、着地点はマサイ族のサッカー場だった。
 Great Lift Valley Lodge に宿泊。ダニが多いらしい。
 愛知県のくみこさんから「ヌーの写真を撮ってきてほしい」。西に160 kmのマサイマラ国立保護区に飛行機で行く。土の滑走路。高級リゾートホ テルに宿泊。カバがいた。向こうにはナイルワニ。オグロヌーがいた。数百 kmを移動してきている。噂では何万頭の大群がいるはず。川にワニがいる ので足止めされていた。ヌーは非常に用心深いので、川渡りは地元の人でも 一生に一度見られるか見られないかくらいらしい。それが見れた!2列に なって川に飛び込んで渡っていた。

●イタリア・ミラノ
 東京都の平井さんからイタリア料理を学びたいという夢。ドウォーモ広場 で待ち合わせ。平井さんは5年前にイタリアで修行したが、言葉の壁で挫折 して帰国していた。ミシュランの2つ星「Aimo e Nadia」という店へ。取材 の約束はランチのみ。後は3人で交渉する必要があった。オリーブ、新鮮な 野菜、ハーブとミントを使って独創的な料理を生み出してきた。「バジリコ のパスタ、トマトのピューレとリコッタチーズのせ」「ピエモンテ産子牛の カツレツ、アスパラ添え」など。世界中から料理人が集まってくる。3時間 に及ぶランチの後に、Aimo さんにお願いする。「厨房が狭いし、日本人も いるし、働くのは難しい。」ということだったが、「1日だけでも働かせて くれ」とお願いしたらOKが取れた。朝9時からテストを受けることになっ た。Westin Palace に泊まったらしい。
 朝9時。まずパスタ作りから。塩加減から全部やらされて作ったのは「 モンテロッソ産アリーチ(ひしいわし)のパスタ」アンチョビとイタリア・ サラダを使った。Aimo さんは塩が少し足りないという。しかし、可能性を 秘めているから今年中にまた戻ってきたら働けるという。
 東京都、佳美さんから「ミラノの日本人学校へ手紙を届ける」。磯先生に 渡す。荘厳な校歌も聞いた。
 兵庫県の吉田さん。「イタリア人でパスタが嫌いな人を探してほしい」。 プラカードを下げて探した。47人目に見つけた。20年前から食べてない らしい。
 埼玉県の鈴木さん「ローマ近郊のバレンタイン聖堂でロウソクに火を灯し て欲しい」。日本から持参した赤いロウソクに火を灯した。
 ミラノとローマからオールナイトニッポンを放送した。

●モスクワ
 シェレメチェボ空港。何と38度だった。東京の駒井さんは「ロシア女性 をモデルに写真を撮りたい」という希望。赤の広場、マネージ広場で駒井さ んと待ち合わせ、モデルを街でスカウトしてヌード写真を撮りたいという。 断られるので「クラシーバ」攻撃をする。
 ショッピングモールに移動。ガードマンに撮影中止と言われた。弁護士を 連れていたからOK。国立建築大学で現像するための場所を借りる。明日の 撮影のために花を購入したが、レストランではしゃぎすぎて置き忘れてしま った。仕方なく同じ花屋さんに行って、花を買った。
 ボリショイ劇場の前で待ち合わせ。アンナ・ロマノフさん。アレクサンド ラ・ポジャルスカヤさんの2名。撮影場所はツァリツィノ史跡公園。許可さ れているのは3時間。撮影途中で、たまたまとおりかかった警察の指示で 撮影中止。弁護士の活躍で許可が取れた。ぎりぎりで撮影終了した。フィル ムは10本。古い機材で現像した。福山さんは2時間現像タンクを振り続け た。撮影は大成功だった。それで駒井さんに番組のプロモーション用の写真 を撮ってもらうことになった。
 もしかしたら Sheraton Palace に泊まった。

●シアトル
 宮城県の岩嶋さん「メジャーリーグの佐々木投手と対戦したい」。 小学校の時に最後に勝ったけど、対戦した打てなかった。佐々木の通算300 セーブのかかっていた日だった。相手はミネソタツインズで5対1で勝った 日。佐々木投手と直接交渉する。試合終了後、1時間して登場。しかし、 投げられないとのこと。仕方なく、逆に岩嶋さんが投げて佐々木投手が打つ ことになった。2−3から三塁に打った。ブーン選手のサイン入りバットを プレゼントしてもらった。


「道浪漫」2001年2月25日、3月4日は高嶋ちさ子さんでケニア

 ケニアは女性でも気軽に旅ができる。2年前、新婚旅行で来たそうです。 この時期がよいというのでまた来たとのこと。ロンドン経由でBAで行った みたいです。ロンドンからだと8時間。夢は動物たちの中でバイオリンを弾 くこと。

●Equator
 ナイロビの北140kmの赤道のマーク Equator があるが、どうしても 行ってみたかったらしい。北半球側に10m行って容器に水を入れて棒を入 れると渦が右回り、南半球側に10m行って、同じことをすると渦が左回り となる。ラインの上だと止まっている!渦ができないらしい。不思議! これはコレオリの法則という。そこにいる人にチップが要ります。

●グレート・リフト・バレーとマサイ・マラ国立保護区
 アフリカの大地溝帯で、地球の割れ目。大地が裂けている。マサイ・マラ 国立保護区はこの中にある。ナイロビの西、国境近く。シマウマがいる。車 から降りての観察は禁止されている。広さは大阪府並。マサイキリン、ダチ ョウもいる。ヌーの大移動は7月〜9月に見られる。ライオンもいた。
 ムパタ・サファリ・クラブは新婚旅行の時に泊まったホテル。コテージ・ タイプでサバンナを上から見える。スィート・ダブル3食付で一人US$ 195.今年正月に中田英寿も泊まったとか。デラックスダブルだと一人 US$145。スィートのジェットバスからの眺めは絶景だとか。 tel:03-3546-2298 ヌパタ・インターナショナル。
 朝5時にホテルを出て、6時気球の場所バルーン・サファリに着く。ケニ アでここだけ許可されている。早朝しか飛べない!川にカバがいた。6時半 に太陽が出た。真っ赤でした。絵のような美しさ。7時、サバンナの真中に 着陸した。着陸時は横倒しになった。朝食。シャンペンで乾杯。朝食付バル ーン・サファリUS$385。できたてを食べられる。パン?を油で焼いて ソーセージも焼いて食べる。帰りは車でサファリをしながらホテルまで送っ てくれる。

●ケリチョー Kericho
 マサイ・マラの北。独特の風景で、新緑でまぶしい紅茶畑!世界でも 最高級の紅茶の産地。一人で70kg摘むらしい。紅茶を飲むならお勧めは ティーホテル。紅茶一人60ksr(120円)

●マサイ・マラ
 マサイの保護区がある。ソバ(こんにちは)、7家族100人の住んでい るところに行った。行くのは誰でも行きたい人は交渉すれば行けるらしい。 歓迎してくれた。マサイの戦士のジャンプ!家は牛の糞でできている。糞は 乾くと匂いもなくて土と同じ。中は暖かいらしい。ベッドは牛の皮。3−4 年毎に村を移動するらしい。
 マサイ族の視力検査をしてみた。通常5mのところを10mにしても2.0 が見えていた。すごい!
 一生大切なものは牛。何頭持っているかが大切。肉は食べずに牛乳を飲ん でいる。食事は牛乳に牛の血を混ぜて飲むこと。高嶋さんはソバを持ってき ていて、食べてみせた。みんな食べてくれない。仕方なくバイオリンで「 故郷」を弾いた。

●キリマンジャロとアンボセリ国立公園
 5895m。そのふもとのアンボセリ国立公園は野生動物の宝庫。トーチ リス・キャンプはマサイ族の住居をモチーフにしたコテージ式のホテル。 入口はテント風で、これが客室でもある。1泊3食付・ゲームドライブ付で 一人US$212。中は一流ホテル並の快適さ。シャワー、トイレ付。今は 乾季のはずなのに、雨季なみの大雨が降った。
 雨の中をサファリに出た。アフリカ象がいた。年老いたメスをリーダーに 群れをつくる。カバを見に行ったのだが、道がぬかるんで車が無茶苦茶。ス タックしたらどこからか人が出てきて助けてくれた。チップが必要。雨の時 は2台以上の車で行くことをお勧めします。

●ムジマ・スプリングス
 ここは50km離れた丘の上に降った雨が湧いてできた泉。カバがいた。 水面に顔を出して息をして5−6分水中に潜る。

●アンボセリ国立公園
 に戻ってきてウォーキング・サファリ。ここは歩くことができる。動物の 歩いているところを歩ける。US$35。象の足跡を発見。ガイドのジャコ ブ君がオレイとうと言われる木がある。歯ブラシにしているとか。
 到着した丘の上にはホテルのサービスがある。ホテルのバーの出張サービ スで、つまみもあり、飲み物もある。目の前はアニマル・シアターで、運が よければ夕陽を背にして歩く象を見られるとか。

●東海岸のワタム
 ケニアで一番海がきれいな場所。ジャンボ(こんにちは)と言う。荷物は 頭に載せて運ぶ。手に持つよりも楽だという。インド洋でクルージングをし た(ダウ船クルーズUS$10)。バスコダガマはここからインドに向かっ たという。サバンナもよし、海もまたよし。

●アバテア国立公園
 森林の国立公園で、エリザベス女王の愛したロッジがある。ツリー・トッ プスは元々は動物の観察小屋だったロッジ。「ルール」がある。
(1)チェックインすると翌朝まで外に出ることはできない。
(2)ロッジ内は大声禁止。
今日は Princess Elizabeth Suite というスィートルームに泊まる。3食付 きでUS$388。とってもシンプル、エリザベス女王が何度も来る秘密が ある。それはベランダのすぐ下に象がいるということ。ロッジの前の池に 動物が来るので、それを観察することができる。鼻から息をかけてファミリ ーを確認する。象はファミリー意識が強く、1頭で行動している象は意味が ある。つまり死ぬ前は群れから離れて静かに1頭で死ぬ。

●ナクル湖(北西160km)
 湖一面がピンク色に染まっている!フラミンゴの大生息地で、プランクト ンを求めて来る。かつては200万羽を超えていたという。ここで高嶋さん は岩代太郎による「愛の香り」を演奏した。
 宿泊はレイク・ナクル・ロッジで、シングルUS$150−。ナクル湖を 見下ろせる丘にある。

●ナイロビ
 ナイロビ国立公園の動物孤児院に行く。迷子になった小象を24時間体制 で育てている。大きくなったら野生に戻すらしい。


ABC創立50周年企画「たけし、所のサイエンス・アドベンチャー 〜 遥かなる人類への旅」

2000年11月4、5日放送。ABC創立50周年企画である。

●ナイロビ
ビートたけしは成田から全日空のファーストクラスでロンドン(12時間)経由でナイロビへ(さらに8.5時間)。朝6時40分着。標高1700mで、年平均気温は20度。大都会である。
 ここからグレートリフトバレーに行く。これはアフリカを南北に走る谷である。これが人類を作ったという仮説がある。古生物学のイヴ・コパン博士はアフリカ大陸が昔は森だったが、山ができ、谷ができて西からの雨を降らす雲は山でさえぎられ、東側は雨が降らなくなった。そして東側は乾燥し、東に人類が出現した。木がなくなったので、木をつかめなくなり歩くようになった。グレートリフトバレー展望台へ(2140m)。この谷は幅が最大60km、長さは4000kmもある。ワチラさんのヘリコプターで空から見る。すごい谷である。活火山もあり、温泉もあるし、巨大なクレーターさえある。湖も固体が出ているが、天然の石鹸になるらしい。小さな竜巻が何本も立っている。ここが人類のふるさとである。

●カイロ
 ナイル川を越えて、車で10分ほどでピラミッドが見える。合計、市内から車で40分でギザに到着した。吉村作治教授が案内をしてくれた。メシカウラー王・カフラー王・クフ王の3つのピラミッドとスフィンクスがある。スフィンクスはシェプス・アンクといい、復活の神である。昔は赤く塗ってあったらしい。クフ王のピラミッドは137m。この辺りはネクロポリス(死者の街)と呼ばれている。クフ王のピラミッドは石を300万個600万トン重ねていて、のべ1億人が28年かかって作った。昔はカフラー王のピラミッドの上に名残があるように、輝いていたようだ。
 カイロ博物館にはピラミディオンというピラミッドの頂上に置かれていた石がある。クフ王の像(7cm)もある。サルから魚までミイラにしていた。ラムセス二世のミイラは3500年前のもので、内臓の入っているカノープスの壷もある。脳は捨てられていたようだ。ツタンカーメンの棺は純金で187.5cm、110.4kgあった。マスクは純金。彼程度でこれほど金を使っているのだから、ラムセス二世とかクフ王だとどれだけすごかったのだろう。王妃はアンケセナーメン。この二人の物語をやりました。

●パリ
 人体は60兆の細胞からなる。その各細胞の中にDNAがある。DNAは塩基AGCTからできている。1953年ジェームズ・ワトソンとフランシス・クリックが二重螺旋のモデルを提案しノーベル賞を受けた。しかしその影の功労者のロザリンド・フランクリンのことはあまり知られていない。彼女のX線のデータを基に二人はモデルを作ったが、彼女は1958年に死去してしまった。この物語をやりました。
 Human Genome Project に参加している Genoscope を訪問。部門部長の松田文彦さんと Gabor Gyapay さんが案内してくれた。14番染色体の解析を担当している。1つのDNAの長さは2m、人のDNAは30億の塩基からなる。遺伝子地図の作り方を説明していた。
 Genethon という研究機関は8000の病気のうち3000種の遺伝病の患者のサンプルを血液の状態で保存している。ウィルスを使った遺伝子治療の話にも触れた。

●NASA
 フロリダ州のNASAケネディ宇宙センター。9月8日、スペースシャトル・アトランティス号の打ち上げを見る。前日、格納庫を見学。東京ドームが3つ入る大きさ!ディスカバリー号を真近で見せてもらう。37m、重さは70トン。関口和寛さんが案内してくれた。720トンの液体水素と酸素を充填していた。
 打ち上げ当日。検問は4つクリアして、マスコミ用の見学用スタンドに。ここから打ち上げの場所まで5キロあるが、安全を考慮しているとのこと。国際宇宙ステーションは43回のミッションでモジュールを組み立てていくのだが、今回は第4回。
 いよいよ打ち上げ。壮絶!バリバリとすごい音。地響きがすごいらしい。巨大な一筋の雲が残っていた。2分後にロケットを切り離して見えなくなった。燃焼したもののカスがボロボロ落ちてくるらしい。

●ハッブル天文台
 ストーンヘンジ、グリニッジ天文台、ハワイのマウナケアの4200mの天文台が紹介された。現在ハッブル宇宙望遠鏡は宇宙に出て写真を撮ってきている。エドウィン・ハッブルのエピソードを紹介していた。ウィルソン山天文台は1920年代世界一だったが、アインシュタインは理論の間違いをハッブルに指摘され、赴いてデータを確認し自論の間違いを謝ったという。訪問してみて、当時の配電盤が今でも使われている。直径250cmの反射鏡である。

●アリゾナ州ロウエル天文台
 将来、地球に衝突する可能性のある小惑星を観測している。エドワード・ボウエル博士は、毎日2000個の隕石が地球に衝突しているという。観測できないものも含めると数百万個か?という。
 フェニックスの空港から車で4時間。5万年前の宇宙からの贈り物、地球でここだけらしいが、隕石の衝突現場がある。直系30mのものがぶつかったらしいのだが、バリンジャー隕石孔は直径1300m、深さ170mもある。これを空から見るが、衝突した方向もわかった。バリンジャーは隕石だと思い、土地を買って隕石を探したという。

●ドーバー海峡
 飛行機で飛ぶと空港が街から遠いので、パリ市内とロンドン市内で5時間かかる。そこでトンネルを掘って鉄道をひいた。パリ北駅からユーロスターに乗る。最高運行速度300km/hは世界最高。飛行機の機内食をもっと広いところで食べられる。たけしはというと、前日の脱線事故の影響で停止などあって散々。イギリス国内は在来線を使っているので、スピードは出せない。

●バルセロナ
 スペイン第二の都市で、カタルーニャ地方にある。サグラダファミリア大聖堂。キリストの誕生が描かれている。降誕の門、その中央を彩るのは天上の音楽を奏でる6人の天使。それを彫ったのが日本人の外尾悦郎さん。あと100年かかる建設。人の視覚だと30度で仰ぎみるといいらしい。それを考えて設計してあるとか。受難の門の4本と降誕の門の4本だけしかできていない。他にガウディの作品はバトリョ邸、ミラ邸(屋上の像なども凄い)、グエル公園などがある。特徴的なのは、割れたタイルを使った彫像。降った雨をうまくためる仕組みにもなっている。ガウディは自然が一番美しいと思っている。
 モンセラ修道院はスペイン人の心の故郷。この修道院のまわりの山々は、何かに似ている。そうサグラダファミリアの塔である。モンジュウィックの丘は高さが200m。これを越えていけないという意識で、サグラダファミリアの一番高い塔の高さは175mに設定してある。
 このサグラダファミリア教会は、最初別の人が作っていたが、辞めたのでホセ・マリア・ボカベーリャが何の実績もないガウディを抜擢したことによる。1894年彼は断食を行った。それから彼の作品は変わったという。グセンス邸、グエル別邸などの建築も手がけた。彼はサグラダファミリアに泊まりこんで作っていった。1926年6月7日、列車にはねられて3日後に死亡した。ここの地下聖堂の脇で眠っている。
 塔に開いている小さな穴は何か?塔の真中に穴が開いている(吹き抜けだろうか?)が、この塔はピアノに変えたかったらしい。100mを越えるグランドピアノである。この塔の中に鐘を吊るして、音を出そうとガウディは考えていた。つまり楽器である。ガウディの壮大な計画に声も出ない。

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