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なお、これはわたしが個人的にテレビを見て書いたものであり、各テレビ局や番組とは全く関係はありません。
すべての文章の無断使用・転載を禁止いたします。
またここの情報を使って、何か問題が起こったとしても私は一切責任は持ちませんのであしからず。


テレビ番組「知っとこ! 世界の朝ごはん ミャンマー」

 2010年12月4日放送。

●ミャンマーのバガン
 6時間半で到着。仏教の聖地。ボロブドゥール遺跡、などと並んで世界三大仏教遺跡といわれている。ここには昔王国の都が置かれていた。
アノーヤター Anowrahta にはずいぶん立派な石の建物「タビィニュー寺院」がある。「オールド・バガン Old Bagan 」には、13世紀頃までに建てられた寺院や仏塔が今も残されている。その数は何と2000以上。この雄大な眺めを見るために、世界各国から観光客がやってくる。
 ニャンウー市場 Nyaung Oo Market に行く。女性は頬に何か塗っている。これは日焼け止めのタナカ。木を切ったもので、表皮に近い部分をすって頬に塗る。タナカは500チャット〜(約40円〜)。吹き出物やあせもにも効果があるそうです。
 シュエジゴン・パヤー Shwezigon Paya は町の中心部。金網の中にみんな紙のようなものを投げ入れている。「願いのツボ」にお賽銭を入れているそうです。真ん中の金色のものが回転しているが、これは仏塔の先端部分。35年前に大きな地震があって、先端の部分が崩れ落ちてしまった。せっかくなので、それを再利用して作ったもの。
 境内でお坊さんが列をなしているところがあった。この日は11月下旬の満月の日に行われる年に1度のお祭り(托鉢の日)なので、みんなたくさんのお供え物を寄進するという。
 「バガン・ティリピセヤ・サンクチュアリ・リゾート Bagan Thiripyisaya Sanctuary Resort 」はもともとは政府の迎賓館として建てられたホテル。ミョ・カインさん(31歳)が紹介してくれたのは、リバービュー・スイート・ルームはウッド調で、1泊330ドル〜。
 シュエライン Shwehlaing は郊外の村。牛が同じ場所をぐるぐる回っている。ピーナッツの油を絞っているそうだ。11月〜12月がピーナッツの収穫の最盛期とか。
 町の中心部のサウン・ヨー Saung Yoe に戻る。女性が空き瓶を数本縦にきれいに並べている。夜のお祭りのパフォーマンスのための準備をしているらしい。上に片足で立って、片足でサッカーのリフティングをしました。これはチンロンというミャンマーの伝統的なスポーツらしい。6人1組で足技を見せる国民的スポーツ。スー・スー・ラインさん(29歳)は、チンロンを一人でパフォーマンスするラフィーダイ?という競技の第一人者。彼女は普通のリフティングなら1万回はできるという。

 新婚さんの朝ごはん。郊外のお宅に住むティ・ティ・リエさん(25歳)が作るのは、1品目「豚肉のポンイェンジー・カレー」。豚肉に塩やターメリックで下味をつけたら、もみこんでからしばらく置いておく。にんにくも石臼でしっかりとすりつぶしておく。鍋に油を敷き、唐辛子、にんにく、たまねぎのスライスを入れて炒める。たまねぎが狐色になったら、豚肉を加え、水を加えて煮ていく。別にチョコレートのような大豆を発酵させたペーストをボウルに入れ、お湯でとく。お鍋に大豆のペーストを加えて、さらに煮込む。
 2品目「ラペットゥ(茶葉のサラダ」」。キャベツを千切りにする。トマトも薄くスライスする。ミャンマーでは一般的な「食べるお茶」に、ピーナッツ油を加え、手でよくもみ込んだら、切った野菜の上にのせ、ピーナッツやフライド・ガーリックをのせて、ナンプラーで味付け、手でよく混ぜる。
 3品目「レンズ豆のスープ」。鍋に油を敷き、にんにくとたまねぎのスライスを炒め、少量のターメリックを混ぜる。レンズ豆を洗ってから鍋にいれ、軽く炒め、たっぷりと水を加え、塩と鶏がらスープを加え、アクをとりながら煮込む。最後に水でもどした春雨をいれ、ひと煮たち。


テレビ番組「アジア熱風街道 横断 東西回廊1500キロの旅」

 2010年7月19日放送。大塚寧々さんがインドシナ半島を貫く1500kmを旅した。ベトナム中央の港町から、ラオス、タイを抜け、ミャンマーの港町をつなぐ幹線道路は、東西回廊と呼ばれている。RKB毎日放送制作。

●ベトナム
 蓮の花などの写真を撮った。

●ラオス
 国境は午後6時に閉まる。国境近くには宿泊施設がないので、それまでに通過しないとたいへん。
 国境には大きな門がそびえていた。5時59分に門を通過。ラオス側の門を通過してラオスに入った。

●ラオスのルアンパバーン
 国境にある緑豊かな小さな町。歴史は古く、世界遺産。東南アジア最大の川メコン川が流れる。
 早朝、僧侶たちがゆっくりと町を歩く。托鉢が始まった。修行の様子を特別に見せてもらった。1日1日修行を積み重ね、人々を救う僧侶へと育っていく。修行をしている寺院は「ワット・シェントーン」。ラオスの寺院の中で最も美しいと言われる由緒ある寺院。ルアンパバーン様式と呼ばれる幾重にも重なり、湾曲した屋根。壁に描かれたモザイク画「生命の木」には、仏教に関する物語がモザイクで描かれている。
 このルアンパバーンが注目を集めている。ニューヨークタイムズ紙が「世界で訪ねるべき場所」の1位に取り上げた。イギリスでも旅行雑誌の人気投票でトップとなった。

 観光客のお目当ての一つがラオス・コーヒー。ガラスのコップに入っていて、底には白く砂糖?があった。すごく甘いそうです。
 境内では子供たちが裸足でサッカーをしていた。大塚さんが近づくと逃げていったが、お坊さんは女性と近づいてはいけないかららしい。

 オシャレなレストラン「エレフェント・レストラン」も人気。伝統的なラオス料理が味わえる。メインは豚肉ですが、野菜がふんだんに使われている。メコン川で取れた海苔もありましたが、日本の海苔の味とは違うそうです。
 メコン川を船で行ってみると、海苔の養殖をしている人たちがいた。

 翌日、ツゥクトゥクで隣の村に向かった。生まれたばかりの赤ん坊を祝う儀式があるという。住民は100人ほどの小さな村。生まれて12日目の赤ちゃんがいました。まず銀の器に水を注いで洗う。清めたら部屋の中に移動し、卵とお金とお米を用意し、祈りながらこれらを頭にのせる。大塚さんも抱かせてもらいました。お爺さんがロウソクに火をつけ、集まった人の手首に白い糸がつけられる。みんなが大塚さんにも糸を巻いてくれました。全員で赤ん坊の幸せ、人々の幸せを祈りました。

 タイとの国境の近くにある大きなお寺を訪問。お寺に入るにはある決まりがある。女性は巻きスカートをはかないといけない。願い事があったら、3回ドラを鳴らす。叩くものがかなり重いそうです。当たってもボソッ、ボソッとしか音がでません。オミクジをひく。斜めにして振ると、1つ飛び出る。今回は4番でした。

 国境近くには高さ4m程度のゾウの像があった。それがいくつもありました。ここは5つ星の豪華ホテル「サワン・ベガス・ホテル&カジノ」。スイートルームは1泊およそ15万円。ホテルにはカジノも併設。毎日2000人もの客で賑わっているそうです。そのほとんどがタイからやって来た観光客。2006年に国境の川に第2メコン国際橋が完成すると、タイの人々がカジノに押しかけるようになったという。

 国境近くの村を訪問。第2メコン国際橋の建設工事に従事していて、5年前に事故で亡くなったダート・サマイさん(当時26歳)の自宅を訪問、母親に話を聞いた。子供は2人いました。大塚さんには同じ年頃の子供がいる。かける言葉が見つからず、オリガミで鶴を折った。家の窓からは橋が見えた。
 第2メコン国際橋の中ほどには、工事中に亡くなった人たちの名前が刻まれていた。日本人の名前も3人あった(田中さん、田中さん、沢田さん)。この橋の完成で人や物の交流が生まれた。虹がでていました。

●タイ
 タイに入ると雷と大雨でした。仮面をかぶった人たちのお祭りが行なわれていました。年に一度5月〜7月の満月の日に行われる「ピー・ター・コーン祭り」でした。雨乞いと豊作を祈願する祭りで、踊っているのはオバケたち。興味深い伝説が残っている。王子は王の大事にしていた「幸福をもたらす白いゾウ」に乗ってある村を訪れた。そこでは雨が降らずに、みんなが困っていた。このゾウを人々にあげたので、王は怒り、王子は山に追放された。王子は山でオバケと仲良くなり、王に許されて国に帰る時にオバケたちもお供をして王子に従った。これがこの祭りとなった。周辺にもこういう祭りはない。

●タイのカオヤイ
 日本人が経営する農園「ハーモニー・ライフ・オーガニック・ファーム」を訪問した。ここでは農薬を一切使わずに、ハーブを育てている。加瀬由美子さんと大なさんに広大な農園を案内してもらった。レモングラスなど。山の中にブッダの大きな像が見えました。農場の守り本尊だそうです。地下から汲み上げられるミネラル・ウォーターをハーブたちに与えられていました。
 農園の一角ではハーブを刻んで、乾燥させ布で丸くくるんでいた。ハーバルボールがタイの女性たちに熱く支持されている。

●バンコク
 バンコクにある「アジア・ハーブ・アソシエイション」にはハーブから生まれた商品がいっぱい。この店を経営しているのが加瀬さん。ハーバルボールを蒸し器で温めるマッサージがとても人気。パッティングも押し上げる感じとか、人によってはおなかに置くとか、足の裏に置くそうです。これでハーブの成文が浸透していくとか。タイの古式マッサージでは使われていたが、長い間忘れ去られていた。それを加瀬さんが試行錯誤の末に復活させた。
 以前タイを訪れた時に腰の痛いのをハーバルボールで克服し、今ではタイに4つのお店を開いている。最初から順調だったわけではないそうです。

●ミャンマー
 ヤンゴンに到着した。市場に行ってみた。町を歩いて目につくのは、頬を白くした女性たち。これはタナカと言って、日焼け止め。タナカの木をすってこれを額や頬につけていました。
 東西街道が通って変わったのは、ミャンマーかもしれない。運ばれた品々が大量に並んでいた。生活雑貨はタイからやってきた。
 ミャンマーの象徴のパゴダ。一番大きなお寺「シェエダゴン・パゴダ」を訪問した。金ぴかです。パゴダはお釈迦様の遺骨を安置していると言われる聖地。八角形になっていて、土曜日生まれの人が土曜日のコーナーで祈るそうです。水曜日は午前と午後生まれに分れて8つになるという。1000年前からそうらしい。結婚相手もこれで決まるそうです。
 大塚さんは金曜日生まれなので、金曜日の神様に水をかけて祈った。天竺ネズミにも水をかけました。


テレビ番組「世界遺産の招待状37 アンコール遺跡群」

 2010年4月24日放送。世界遺産にはアンコールワットの周辺部分も登録されている。

●アンコール遺跡
 シェムリアップから地元の乗物トゥクトゥクで15分、遺跡群の中で最も雄大で美しい「アンコール・ワット」に到着。世界最大級のヒンドゥー教寺院。12世紀インドシナ半島を支配していたアンコール王国が、その威厳を示すために作った。寺院を埋め尽くす精緻な浮き彫り。そこには王の絶大な権力が表わされている。ヒンドゥー教の神として自分の姿を描いている。アンコール王国が最も繁栄を極めた時代、その名残を今に伝える傑作として世界遺産に登録された。
 3月上旬、アンコール・ワットには多くの外国人が訪れていた。子供たちが遺跡の中で遊んでいた。王が忠誠を誓うために、胸を叩かせて音を確かめた場所。浮き彫りの場所では、子供達はそれぞれお気に入りがあるという。

 門前の駐車場の一角で、土産物を売る子供達がいる。4歳から18歳の子供およそ40人がしのぎを削る。子供たちのリーダーは16歳のリァプ・ブンライさん。1ドルで仕入れたガイドブックを少しでも高く売ろうとする。10ドルというと、4000リエル(1ドル)なら買うと言われた。不況で観光客が減った今年は全く稼げない日もある。
 彼の住む村は自転車で30分の距離だが、世界遺産に登録されたエリアの中にある。村には電気、ガス、水道が通ってない。日中は学校、放課後はガイド売り、帰宅するとすぐに豚小屋の掃除、夜7時から夕食。夜8時、村の子供たちが集まってきた。ブンライさんは毎晩無料で英語教室を開いている。その後1時頃まで勉強する。将来は英語の先生になりたいそうです。
 翌朝は日曜日で、朝から働いていたが、警察が登場。場所代として2ドル支払わないといけない。売れないので、アンコールワットに行ってみた。カンボジア人なら誰でも無料で入ることができる。商売がうまくいかない時や、夢がくじけそうな時は、ここに来るそうです。結婚式をしていました。人々を幸福に導くという「タ・リェチ像」。アンコールワットができてから800年間、カンボジア人の信仰を集めてきた。ブンライ君もここに来ると必ず祈る。アンコールワットにある1500体ある女神の中で、口を開けて笑っているのは1体だけ。そこでブンライ君は本を読んでいる。後ろ向きになった気持ちを前向きに変えてくれるという。

 アンコール遺跡群の中でも個性的なのは、大木がからみつく「タ・ブローム」。遺跡群はずっとジャングルに埋もれていた。150年前に発見されてから、、この遺跡でも子供たちが遊んでいる。歌を歌ったりしてお金をもらいますが、警察官が来ると逃げます。彼らは学校にも通っていない。
 この周辺には10万人が暮らすが、そのほとんどが農業を営み、月収3000円以下。その貧しさは国の政情不安が一つの原因。アンコール遺跡群にも不安定な政治状況に翻弄された場所がある。12世紀末に作られた「バンデアイ・クディ」。800年前に多くの仏像が破壊された。ヒンドゥー教勢力による攻撃の爪あとが、寺院の至る所に残されている。子供たちを見守るのは、村の長老のチアー・チャットさん(71歳)。子供たちを集めて一緒にお参りする。かつて40年前に悲惨な事件があった。1970年にカンボジアは内戦になった。アンコールは目標となったので、みんなバンデアイに隠れた。ところが5年後、ポル・ポト政権が誕生し、極端な共産主義政策により、親から子は引き離され、各地に労働力として使われた。飢えや病などで多くの子供たちの命が失われた。大人たちは子供たちは元気で帰ってくると信じ続けた。そして4年後にそうなった。
 南スラスラン村。村では長い間途絶えていた成人式が復活した。14歳の少女が大人の仲間入りをする大切な儀式。小さい頃から伸ばしつづけてきた前髪を切る。当たり前の暮らしが戻ってきた。
 バンデアイ・クデイの前にある大きな池では、子供たちがいつものように水浴びをして遊ぶ。


テレビ番組「知っとこ!世界の朝ごはん カンボジアのシェムリアップ」

 2010年3月13日放送。

●シュムリアップ (カンボジア)
 ホーチミン経由でベトナム航空で5時間。カンボジア王国の古都。人口約100万人。日本でいえば京都のような町。世界遺産アンコール・ワットが近くにある。
 世界遺産の寺院「タ・プローム」もある。長い年月によってガジュマルの木が、遺跡を壊すほどに成長してしまった。植物と建造物の織りなす不思議な光景がある。
 市内のソッカー・アンコール Sokha Angkor の信号機には横断歩道の残り時間が秒単位で表示される。
 ルー・マーケット Leu Market という市場に行く。野菜、焼き鳥、果物などが並ぶ。茶色で豆のお化けの大きさのものがある。リンドウ豆で、干しぶどうのような味だとか。観た目は悪いが味はよい。
 赤いドラゴン・フルーツを探している人がいた。今の時期はないみたいです。これを使ってまんじゅうを作っている人がいた。ドラゴン・フルーツを一口大に切り、粉の中に入れ、練り込んで、中に豚肉の餡を入れて餃子のような感じにする。ドラゴン・フルーツを入れると生地に甘みがでて、肉まんの旨さが増すんだそうです。
 お店では娘さんが売っていましたが、普通のだと白いのでダメ。雨期には中身が赤くなって肉まんが赤くなる。赤い方が売れて人気があるとか。1個1000リエル(約20円)。

 郊外の町。椰子の木の上で液体を集めている人がいる。椰子の樹液で、奥さんが煮つめてヤシ砂糖を作る。椰子の土産物屋さんをしている。

 町中の小学校で子供たちが校庭で格闘技の練習をしている。イケメンのサイ・テーブン先生(22歳)で、古くから伝わるボッカタオ Boxkator いう武術。

 新婚さんの朝ごはん。中心地の建物に住むのは、ロン・サルーム・ソッチェさん(24歳)。1品目「チャークヤイ・サッチモアン(鶏肉のしょうが炒め)」。ショウガを千切りにし、タマネギは食感が残るように、少し大きめにカット。にんにくはみじん切りにして、鶏肉は骨ごとブツ切りにする。熱したフライパンでショウガを炒め、色が変わったら鍋から取り出し、鶏肉をにんにくと炒めて、ニョクマム、塩で味付けし、タマネギを入れて痛める。
 2品目「ニョアム・サッチ チュルーク(豚肉のサラダ)」。ピーナッツを炒て、皮をむき、石臼で細かく砕く。春雨を湯で戻し、昨晩煮ておいた豚肉を細かく切る。クーラーボックス内の野菜を取り出す。砂糖とうまみ調味料を溶かしたお湯にライムを絞り、にんにくと紫タマネギのスライスを入れる。
 3品目「ソムロー・カリー・クマエ(カンボジア・カレー)」。レモングラスや香味野菜などを石臼ですりつぶし、赤唐辛子をペースト状にしたものを油で炒め、石臼で作った香辛料を加える。ココナッツミルク一匙と発酵したエビの調味料を加え、ぶつ切りの鶏肉を加え、たっぷりのココナッツミルクと大きめに切ったサツマイモとタマネギを入れて煮込む。


テレビ番組「にじいろジーン 地球まるごと見聞録 プノンペン」

 2010年3月13日放送。ベトナム航空で行きました。

●プノンペン
 素朴でどこか懐かしい思いを感じさせてくれる。発展途上の溢れるエネルギーも魅力の一つ。近年では観光客も増え、近代化に拍車がかかっている。街の中心に建つ金色に輝く美しい王宮は、観光の定番スポット。
 にじいろガイドはトン・バニダさん(23歳)。

 フルーツが並ぶ屋台街に行く。ここで人気なのは、「フルーツシェイク」で、1杯90円。好みのフルーツにシロップ、練乳をかけ、カキ氷と一緒にシェイクする。自分の好みでフルーツを組み合わせることもできるのも魅力。
 カボチャが並んでいるが、少し違う。これは「カボチャプリン」で、昔から人気のある伝統スイーツ。カボチャの種の部分をくり抜き、砂糖・ココナッツミルクを入れた卵を流し込み、蓋をしたら蒸すだけ。一般家庭でも頻繁に作られる庶民派スイーツの代表格。できあがったら、好みの大きさに切り分け、シロップ、ココナッツミルク、たっぷりの氷をかけて食べる。1杯約50円。かぼちゃ本来の甘味とココナッツミルクの甘さが最高の組み合わせ。

 敬虔な仏教徒が多いので、街のいたるところで祈りを捧げている人がいる。ここで生きた鳥を放している人がいる。仏教の教えからきているが、囚われた生き物を逃がすことで、自分の「業」を軽くする意味がある。

●アンコール・ワット
 東京ドーム15個分の広さを持ち、およそ900年前の12世紀、ヒンドゥー教の寺院として建築された。王朝の後期には仏教の寺院に変わったという。
 遺跡を見る最高のスポットは気球。風がない日は高さ140mまで上がる。アンコールワットが一望できる。「アンコール・バルーン」は15分約1400円。

●シェムリアップ
 この日は遺跡近くの町「シェムリアップ」に宿泊。プノンペンから飛行機で1時間の距離にある。遺跡観光の拠点として、夜遅くまで観光客で大賑わいしている。
 周辺にはアンコールワット以外の遺跡も数多く存在している。それらを含めたアンコール遺跡群全体が世界遺産となっている。バイヨン、タ・プロームなどがある。数日かけて遺跡巡りをするのが一般的。タ・プロームでは遺跡の上に巨大な木が生い茂っている。

●どっちの街?
 街の市場に行く。お手ごろ価格のシルク製品が売られている。シルクのスカーフは約500円。「カンボジアン・シルク」は、カンボジア産のシルク。しかしほとんどが輸入した生糸を使っている。カンボジア産の特別なシルクも存在する。カンボジア産のシルクは、はじめから糸が金色という世界的に珍しいシルク。カンボジアの蚕は天然の黄金色だという。「カンボジアン・シルクのショール」約9000円。

 お土産屋さんに必ず置いてあるのが、胡椒。カンボジアは良質なコショウが取れることで世界的に有名。一般的な黒胡椒(熟した実を乾燥させた定番商品。辛さ、香りがバランスよく味わえる)100g約70円。白胡椒(皮をむいて乾燥させた最も辛い胡椒)100g約110円。他に食料品市場では、緑胡椒(生の状態の胡椒)もある。これは肉や魚と一緒に炒めて具材として食べると美味しいそうです。さらにスーパーに行くと、日本ではあまりなじみのない赤胡椒(完熟した胡椒を使い、香りが強く、辛さが控えめで人気だそうです)100g約110円。

●プノンペン
 レストラン「Raksmey Bayon Soup 」(多分)で、古くから人気のある定番メニューの鍋料理「チュナンダイ」1人前約370円、をいただく。牛の肉と内臓からダシをとったスープに様々な具材を入れて作られる。味の決め手がツケダレで、黒コショウと塩にライムをかけている。

 最近カンボジアで最近流行っている肉料理が「牛の丸焼き」。切ってから焼くよりも丸焼きのほうが肉が柔らかくなるということで人気。1皿約270円。街のいたるところで目にするそうです。臭みを消すために、ハーブをおなかに詰め、お昼頃から炭火でじっくり焼いていく。切り分けて暖めなおし、胡椒ダレにつけて食べるそうです。

 街の不動産屋さん「Bonna Realty Group 」に行く。郊外の閑静な住宅街に建つお家。8LDK350平方mで、2階建の大豪邸。家具もついて14億リエル(約3200万円)。
http://www.bonnarealty.com.kh/home.php?inc=phnompenhguide.php


テレビ番組「たけしの世界の七不思議、第3弾」

 2009年1月1日放送、2009年12月30日再放送。ビートたけしさんが選んだ。今回のエントリーはカッパドキア、アンコール遺跡群、モン・サン・ミッシェル。テレビ東京製作。

●世界の七不思議
 紀元前200年頃、ギリシャで1冊の本「世界の七不思議」(フィロン著)が出版された。オリンピアのゼウス像、バビロンの空中庭園、エフェソスのアルテミス神殿、ロードス島の巨像、ハリカルナッソスのマウソロス王の墓碑、アレクサンドリアの灯台、エジプトのピラミッド。この中で今も残るのはピラミッドのみ。

●新世界の七不思議
 第1弾では、マチュピチュ、楽山大仏、ナスカの地上絵からナスカの地上絵が選ばれた。第2弾では、モアイ像、チチェンイツァ、シーギリヤ・ロックの中から、チチェンイツァが選ばれた。

●カッパドキア
 アンカラは1929年に首都となった。古代ローマ時代から栄えていた歴史有る町でもある。今も当時の遺跡が数多く残されている。ここからカッパドキアまで車で5時間。途中にはトルコを代表する塩の産地「トゥズ湖」がある。さらに1時間で岩場が目立つようになり、峠を越えると奇岩が出現する。
 海抜1200mを越える高原に、東京都よりも広い総面積2500平方kmに渡って広がる奇岩地帯。1985年世界遺産。「妖精の煙突」と呼ばれるキノコ型の奇岩が立ち並ぶ。キノコ岩は高いもので、約20m。中にはラクダ、群れをなすオットセイ、金魚、キスをする2人、ナポレオンの帽子などと名づけられた岩もある。夕暮れ時に驚くべき絶景に変わるのはローズ・バレー。
 この岩ができたのは、富士山にも似た名峰「エルジェス山」(標高3916m)にあった。数千万年前にこの付近の火山は噴火を繰り返していて、100mを越える凝灰岩の層ができた。さらに最後の大噴火が起きた時に、その上に「メッサ」と呼ばれる鉄分を多く含む硬い岩が降り注いだ。雨や風による侵食により、凝灰岩が削られた。
 ネヴ・シェヒル考古学博物館館長のハリス・イェニブナル博士が説明してくれた。キノコ岩は侵食され、やがて傘の部分が崩落する。ローズバレーのような波うつ奇岩となる。
 1965年、「デリンクユ地下都市 Derinkuyu Yeralti Sehri 」が発見された。昔から地下にもう一つの都市があるという話はあったという。しかしそれは誰も信じなかった。郷土史家オメル・テミルさんは調査することにした。そこにドイツ人考古学者マーティン・ウルバン博士がやってきた。以来2人で調査を開始した。昔から人々は地下に穴を掘り倉庫として利用していた。そこから調査を開始した。地下3mの倉庫は今も利用されている。そこに地下都市への入口があるのではないかと調べていた。ウルバン博士が汲み上げられた石に隙間があることを見つけた。取り除くと、その先に通路が出現した。石版があり、それを取り除いたら、地下へと続く通路が出現した。その先には数十人が入る広い空間がいくつも出現した。最深部に到達すると、そこから地上につながる竪穴があり、光が差し込んでいた。これは地下45mまで続いていた。ウルバン博士は「アンダーグラウンド・シティ」として1冊の本にまとめた。
 オメルさんが案内してくれた。地下8階まで掘られ、1.5万人が生活できたという。こういう地下都市が他にも200以上確認されている。これは人類最後の日「ハルマゲドン」に備えた、100万人規模の地下シェルターだという説もある。
 次に「カイマクル地下都市」の中に入った。穀物の保管庫があり、小麦粉でパンのようなものを焼いていた跡があった。台所では天井にススがあった。

 巌窟住居に住んでいるズィアー・アタイさんのお宅を訪ねた。壷や瓶の大きさにあわせて岩を削って棚を作る。リビングも岩の上に絨毯を敷いていた。夏は涼しく、冬は暖炉に火を入れるととても温かいという。
 今でも巌窟住居がホテルとして利用されている。「アルゴス・イン・カッパドキア」。スイートルームは1泊600ユーロで、中にはプールも完備されている。
 地下の奥深くでも人は暮せたのか?調査をしている東海大学海洋学部のアイダン・オメル教授に話を聞いた。たった1本の45mの立孔により、ほぼ完璧に空調システムができていたという。自然の空気の流れを作るために、立孔から地下都市に空気が流れるようなシステムになっていた。

 最初に地下都市を築いたのは誰か?「トカル・キリッセ」に見られるように、3世紀頃からこの地に移り住んできたキリスト教徒だというのが最も有力。ハリス博士はこれまでの定説を覆す重要な手がかりを発見したという。田園地帯の中の碑文は、紀元前730年頃に書かれたものだが、後期ヒッタイトの王が戦いに勝利したことが書かれている。ここがヒッタイトの勢力範囲だったことがわかった。ヒッタイト人はアナトリア半島に紀元前2000年頃に王国を築き、世界で最初に鉄を使用した民族。博士は鉄を使って彼らが最初に地下に暮らし始めた可能性が高いという。近くに地下1階の建物があったが、それをキリスト教徒が参考にした可能性があるという。
 デリンクユ地下都市でも、オメル氏は最初の入口はヒッタイトの時代に作られたものだろうと語る。構造がヒッタイトの有名な遺跡「ハットゥーシャ遺跡」にある形によく似ているという。穴の掘り方にも特徴があるという。ヒッタイト人は鉄のつるはしのようなものを使い、地上から数mのところにこうした地下空間を作ったと考えられるという。
 ハリス博士は石版が地下通路の要所要所に仕掛けられていたことから、地上に敵が現れた時に人々が避難する場所ではなかったか?と考えられた。理由はイスラム教徒などから避難するため。または、キリスト教徒にとってここが特別な場所だったという説もある。地下7階に教会があり、100人が毎日礼拝していたと思われる。形が上から見ると十字架の形となっている。または、キリスト教徒たちが復活の日を待つ大規模なシェルターだったという説もある。そもそも3世紀頃にキリスト教徒たちがこの地に暮らし始めたのも、この荒涼たる土地が、ヨハネの黙示録に登場するこの世の終わりの光景に酷似していると考えたからか?カッパドキアの修道士たちは、いつか訪れる終末を考えていたのか?

●アンコール遺跡群
 カンボジアのうっそうとした密林の中にアンコール・ワットがある。そのまわりに大小700もの石像遺跡がひっそりとたたずむ。2001年、上智大学による新たな発掘が歴史を覆した。274体もの仏像を発掘した。そのほとんどが首が切断されていた。
 1860年、フランス人博物学者アンリ・ムオは未開の地に生息する動植物を調査することだった。その過程でアンコール遺跡を発見した。しかし、その200年前に日本人がアンコール・ワットを訪れていた。ある柱に書いてあるのは、1632年、森本右近太夫が墨書をしている。「父義太夫の長寿を奇岩し、また亡き母のぼだいを弔うため御堂を参拝し、四体の仏像を奉納した」とある。祇園精舎がカンボジアに実在していると、当時東南アジアには朱印船貿易により日本人町がいくつも存在していた。祇園精舎の噂は海を渡り、森本の耳にも届いたのであろう。
 水戸の徳川家に代々伝わる「祇園精舎図」はアンコールワットの図面とピタリと一致する。当時の日本人はアンコールワットのことを祇園精舎だと思い込んでいたようだ。元の図面を持ち帰ったのが、森本右近太夫らしい。
 彼は元は加藤清正の部下だった。

 京都市下京区の乗願寺に森本右近太夫のお墓が見つかった。月桂院殿が彼の戒名だとわかったのは、そこに森本佐太夫の名が書かれていたから。お寺の庭の墓石に彼の名前があった。右近太夫15代目の子孫の森本信一さんは消息を探していた。右近太夫が参拝した翌年の1633年、幕府は海外渡航禁止令を出した。帰国者にはキリシタンの疑いがかけられた。容赦のない弾圧があり、右近太夫は名前を変え消息を絶つことで、子孫を守ったと思われる。
 1970年代から90年代のカンボジア内戦はアンコール研究を途絶えさせてしまった。90年代に復活し、上智大学学長の石澤良昭教授率いる調査団が、現地で修復や発掘を教え始めた。そして2001年274体の仏像を発見した。しかし半数以上が首を落とされていた。

 アンコールワット付近の田園では年に3回収穫ができる。乾季には水がなくなるのに、この地はどうして水を湛えることができたのか?彼らが考えたのは、「バライ」という灌漑施設だった。バライとは貯水と排水を考えた巨大な人工池だった。
 アンコール・ワット北東部の「バンテアイ・クデイ寺院」を建築学の三輪悟さんに案内してもらった。アンコールの建物は石だけでできているわけではなく、大量の鉄が「かすがい」として使われていた。1.5kgの鉄を700本程度使っているようだった。では、どこで作っていたのか?
 アンコール遺跡の北東にある「タニ村」では、今でも鉄を使い農具や日曜品を作っている。カンボジアの人々は昔から鉄の加工を日常的に行なってきたという。王朝を訪れた中国人が、王は鉄の鎧を着ていたと記述している。王朝はタイやベトナムまでも領土を広げていた。

 王朝末期に50年にもわたって君臨したジャヤヴァルマン8世(在位1243年〜1295年)は全く寺院を建造していない。それまでの王は即位するとすぐに寺院を建立していた。中でも父のジャヤヴァルマン7世はアンコール・トムの中にあるバイヨン寺院を建立し、今でも偉大な王としてカンボジアの人の尊敬を集めている。このバイヨン寺院は仏教寺院なのか、ヒンドゥー教寺院なのかが不明であった。仏教徒の7世が建立したにもかかわらず、その壁面はヒンドゥーの神々で覆いつくされていた。近年、意図的に改宗されたという証拠が見つかった。バイヨン寺院に多くあったブッダの像が全てはがされていた。重い蓋の下に観世音菩薩像が埋められていたなどがわかった。つまり8世は王になりたかったが、仏教勢力により阻まれた。ヒンドゥー教徒がそそのかして8世を仏教徒嫌いにさせ、血で血を洗う勢力争いの後に8世が王となり、仏教徒を駆逐した。捨てるだけでは生ぬるいというので、仏像の首も切られた。その仏像が274体2001年に見つかった。しかし仏の顔を傷つけないように切られていた。
 8世はアンコールワットも大改造をした。宗教的な意味をそぐために、アンコールワットを金で覆った。橋も金にした。見つかった仏像のうち、首と胴体が一致するものは274体のうち数個しかなかった。まだ残りは埋まっているのだろう。
 8世の時代は滅亡へ向かう衰退した時代とみなされていたが、どうもそうではなさそうだということがわかってきた。

●モン・サン・ミッシェル
 世界で最も美しい世界遺産。海上の岩山にそそり立つ70mもの高層建築。中世の巡礼地だった。モンサンミッシェルとは「大天使ミカエルの山」の意味。尖塔に立っている大天使ミカエルは天の軍勢を率い、悪魔と闘う最強の天使として崇められている。
 現在は堤防で陸と結ばれ、車に乗ったまま行ける。島の周囲はおよろ1km。教会は高さ80mの岩山に建っている。観光客は年間320万人。中でも人気なのが参道に店を構える「ラ・メール・プラール」の巨大なオムレツ。仕上げにリンゴの蒸留酒でフランベし、砂糖をふりかけてある。これは元々は巡礼者に素早く栄養のあるものを提供するために準備したもの。実に100年以上も人々に愛されつづけている。グランド・リュー通りは土産物店などが軒を連ねる。ここを通って20分、急な階段を登ると修道院の建物が見えてくる。そして入口に。
 内部はミサが行なわれていた。8世紀にキリスト教の聖地となった。修道士と修道女は以前と同じように厳しい戒律を守り続けている。

 1337年、イギリスとフランスの間に100年戦争が始まった。この島は要塞として改造された。また1789年フランス革命が起こると、政治犯を収容する牢獄に変えられた。その陰惨なイメージのために誰からも忘れられた。19世紀に文豪ヴィクトル・ユゴーは誰も見向きもしないこの島に注目した。
 1831年ユゴーは愛する妻が友人と恋に落ちたので、失意の中にあった。その時女優ジュリエット・ドルーエに一目ぼれした。それから半世紀に渡って2人はフランス各地を旅しては愛しあった。出会いから3年後の1836年、モンサンミッシェルを訪れた。ユゴーはその美しさに感動し、フランスの至宝が荒廃し、誰からも忘れ去られていることを嘆いた。ユゴーは何枚もデッサンを描き、美しさをアピールした。中でも「モンサンミッシェルは、フランスにとって、エジプトにとってのピラミッドに値する」という言葉をきっかけに、一目見ようという人たちが集まるようになった。1863年、ナポレオン3世はモンサンミッシェルを牢獄として使用することを中止し、歴史的建造物として保存することも決まった。
 この地を取り巻く環境にもユゴーは魅了されていた。大潮の日にそれは起こった。日の出とともに干潟に大量の海水が流れこみ始めた。毎分60mで潮が満ちてきた。この急な潮の流れは浅瀬を渡ろうとした巡礼者の命を奪った。大潮の日の干満の差はおよそ15m。これほどの差は世界最大級。瞬く間に干潟にあったモンサンミッシェルは海の孤島となった。そして1時間後、潮が急激に引き始めた。これはモーゼの出エジプト記を彷彿とさせた。そこでキリスト教徒はこの光景を奇跡として伝えてきた。

 8世紀にキリスト教徒が聖堂を建設し始めた。どうやって建造したのか?アンリ・ドカンさんが説明してくれました。ノートルダム・スーチール聖堂の壁の下から1960年の修復時に古い石組みが出てきた。調査の結果10世紀頃のものだとわかった。当時いかに苦労して石組みを造ったかがわかった。30km離れた砕石場から船で運び、岩盤の上に一つ一つ積み上げていった。11世紀には修道士が暮すようになり、彼らの手により建て増しされていった。12世紀〜13世紀に「西洋の驚異」と呼ばれる建築が行なわれた。最も困難を極めたのは祭壇のある「内陣」と呼ばれる場所で、何度も崩れたという。11世紀には支柱の根元まで崩れたという。これを現在の形として完成させたのは、ギョーム・テストゥートヴィルで、500年を経ても崩壊していない。12世紀のフランスで始まったゴシック建築では、ノートルダム大聖堂・ルーアン大聖堂・シャルトル大聖堂のように、外壁を外側から支えることで、建物の高層化が可能になった。またある部分の天井は柏の木で作られているが、船の底をひっくり返した構造になっている。元々この地方では船造りが盛んだったので、軽くて丈夫にすることができ、建物を高層化できた。またラ・メルヴェールの最上階には、修道士たちが瞑想するための回廊と庭園が作られた。土地をセーブするために、通常は1階にあるものを最上階に作った。
 しかし、14世紀には百年戦争が勃発し、要塞に改造された。15世紀には城壁が作られ、イギリスの攻撃を食い止めた。1789年、フランス革命により政治犯を収容する牢獄に改造された。地下に当時牢獄として使われた場所が残っている。直径6mの大車輪は中に囚人を入れて歩いて回転させ、外の食料を引き揚げるのに使っていた。

 8世紀以前は死者を葬る「モン・トンブ」と呼ばれる山だった。対岸のアヴランシュという町に住むオベール司教の夢に、大天使ミカエルが現れ、「かの山にわが名を讃えし聖堂を建てよ」と言った。オベールは信じなかったので、ミカエルはオベールの頭に指を突き刺した。夢から覚めて穴が開いていたので、オベールは夢を信じ、708年、モントンブにミカエルを讃える聖堂を建てた。しかし、これは事実だったということが、保管されているアヴランシュのサン・ヴェルジュ教会にオベールの頭蓋骨に穴が開いている。ここを訪れた巡礼者に奇跡が多く起こったという。巡礼に訪れた妊婦は、急激に満ちてきた潮のために命を失いかけた。妊婦は大天使ミカエルに祈ったところ、彼女の近くだけは潮が引いたという。また百年戦争でイギリスの攻撃を防げたというのは、城壁が丈夫だったという理由だけではないという。

 今、重大な危機が訪れている。昔からこの地方では漁業が盛んに行なわれてきた。干満の差が激しいこの地で活躍するのは水陸両用車。ムール貝の養殖に適している。年間1万トンとフランスの生産量の7分の1を生む。漁港のカンカルのレストランではそんなムール貝を堪能することができる。中でも人気は「ムール貝のマリニエール」で、蒸したムール貝をホワイトソースやトマトソースで食べる。しかし近年かつてのような豊富な魚介類が取れなくなっているという。養殖業のディディエさんは魚の量も減ったという。モンサンミッシェルは大潮の日でもない限り、完全に海に沈むことがなくなってきている。
 モンサンミッシェル観光局長のアラン・コナンさんは、19世紀になって観光客が増え、1879年に2年かけて堤防が築かれ、鉄道が敷かれた。その堤防が海に悪い影響を与えているという。調査によると130年前に比べ、水深が70cmくらい浅くなったという。これで自然の海流の流れを止め、砂が堆積するようになった。島のまわりは牧草地が広がった。やはり巡礼者たちは海の中に立っているのを見たいと思っているのではないか?モンサンミッシェル湾開発プロジェクト・ディレクターのフランソワ・グザヴィエ・ド・ボーランクールさんに話を聞いた。このままでは2042年にも島のまわりは雑草で埋まってしまうことがわかった。まずは川にダムの建設と人工運河を作る工事を始めた。引き潮の際に一気に沈殿物を流す作戦。第二段階として堤防や駐車場を撤去し、橋をかける。これには車を通さず人のみの歩道にする。2億ユーロかかるそうです。


テレビ番組「知っとこ!世界の朝ごはん ラオスの首都ビエンチャン」

 2009年10月24日放送。前半はビデオが不調でHPから。

●ビエンチャン
 「ワット・シームアン」は仏教寺院。
 「フォークア市場」は、屋台。ハスの実やスパイスなど様々な食材が売られていた。
 お勧めのガーデン・レストランは「ポイシアン」。中でもお勧めなのは「シンダット」というラオス式の鍋。
 メコン川は、ラオスを流れる川。この日は、ボートレースや灯篭流しなどが行なわれていた。

 新婚さんの朝ごはん。ブンハン・タシマシンさん(24歳)が作るのは、1品目「」。まず炭の準備。もち米を洗い、専用の籠に入れる。これを水を入れた鍋の上に置き、蓋をして蒸していく。40分でご飯が完成。一度広げて荒熱を取り、形を整えたら、籠のお櫃「ピップカオ?」に入れておく。
 2品目「ケーンノーマイ(筍スープ)」。水煮のたけのこを一つ一つ包丁で叩いて、鍋に入れる。バイヤナンという葉をすり鉢ですりつぶし、水を注ぎ入れ、ザルでこして鍋に入れる。切ったかぼちゃやウリも入れ、ナンプラーで味つけする。
 3品目「モックカイ」。バナナの葉を30cm切り、レモングラス、たまねぎなど小さく切ったものをすり鉢に入れて、ゴリゴリとする。次にブツ切りの鶏肉をあわせ、ネギなどの香味野菜を加え、ナンプラーや調味料で味つけした後、よく混ぜて全体をなじませ、できた具をバナナの葉にのせて、一つ一つ包んでいく。籠の中に入れて、40分蒸す。
 4品目「ラープ・ムー」。インゲンをなるべく小さく切る。みじん切りのにんにくとたまねぎを炒めたところに、小さく切った豚肉を加え、さらに炒め、塩やナンプラーで味付けし鍋からおろす。インゲンをあわせ、唐辛子を入れてピリ辛の味にし、カオックワ?という煎った米の粉を加え、よく混ぜ、最後にミントを加えて混ぜると完成。


テレビ番組「にじいろジーン 世界ぐるぐるジーン ラオスのビエンチャン」

 2009年3月14日放送。

●ビエンチャン
 ベトナム航空でハノイ経由で到着。東南アジアで唯一海に面していない内陸国家。高層ビルがないので、のどかな感じ。4月頃までが乾季。パトゥーサイ(凱旋門)。黄金の仏塔が輝くタートルアンはラオス仏教最高の寺院でラオスの象徴とも呼ばれている。国民の9割が仏教徒。フランス統治時代の影響が今も残り、店先にはフランス・パンが目につく。東南アジアではフランスパンが一番美味しいという評判。
 市内で売店を開いているセリー・スィーソンカームさん(45歳)、ご主人はウィラパン・スパワティさんで、子供は1男1女で母親を加えた5人家族。4LDKと店舗で280平方m。
 ラオスの女性はシンという巻きスカートをはく。公務員や学生の制服にも定められている。
 町で人気のサウナに行く。男女を区切るのは壁1枚で、開放的。ライム、レモングラスなど5種類の薬草を使っている。入浴料は90円。元々はお寺の信者向けの漢方療法だったとか。その後ゆっくりお肌の手入れをするそうです。
 人気のスイーツは「黒い仙草ゼリーが入った豆乳」50円。
 ブッダ・パーク(ワット・ジェンクアン)に行く。公園にいろいろなブッダの像が並ぶ。仏像の中にヒンドゥー教の神々も祀られているとか。ラオスで最大級の涅槃像もある。
 店先で大きな鍋?をぐるぐる回している人がいる。アイス・キャンディを作って売っている人。
 夕方、大音響でエアロビクスをする人たちがいる。参加料は35円。途中で出たり入ったりしてもOK。誰でも参加自由。
 市場に行く。魚屋さんにはライギョ、ナマズ。人気なのはトマト、にんにく、ゴマをまぶした「川海苔(カイ・ペーン)」。あぶったり、揚げたりして食べる。
 メコン川が流れていて、対岸はタイ。その間の橋は「友好橋」という。タイ側に沈む夕陽は絶景。

 夕食の準備。ナマズを切り、東南アジアではよく食べられる小さな緑色のナスを加え、煮立てて作る「ナマズの煮物」。ライギョを焼いた後に、骨を取り、レモン、ライム、パクチーなどを混ぜて和えたものが「ライギョのハーブ和え(ラープ・パー)」。丸めた餅米におかずをつけて食べる。


テレビ番組「THE 世界遺産 アンコールワット」

 2009年3月1日放送。

●アンコール・ワット
 1860年あるフランス人の手によって蘇った。昔、森林の中に600年に渡って栄えたアンコール王朝は石の芸術を多く残し、消えた。2001年日本の発掘チームが遺物を発見した。首を切り取られた仏たち。この地でいったい何が起きたのか?
 カンボジア第二の都市シェムリアップが遺跡への玄関口。アンコール王朝は9世紀に始まった。600年にわたり君臨した王の数は26人。王座はいつも実力で勝ち取られた。王は即位する度に新しい寺院や王宮を造営した。特に栄えたのは12−13世紀。
 アンコール・ワットを築いたのは、第18代の王スーレア・バルマン2世。12世紀始めに伯父を殺害して王位に就くと、権威を見せつけるべく、この大寺院を建立した。南北1300m、東西1500m、アンコール・ワットが表わすのはヒンドゥー教の世界観。幅200mの堀に満たされた水が意味するのは、無限の大海原。その真中にそびえたつ寺院は神々が後輪する山、須弥山を表わす。のべ1万人が30数年に渡り建設に携わったという。
 寺院は周囲を3重の回廊で取り巻かれている。壁という壁が浮き彫りで埋め尽くされているので、「彫刻劇場」ともいわれる。第一回廊の一角に描かれているのが、世界の始まりの物語「乳海攪拌図」。海をかき混ぜることで得られるという不老不死の薬を求め、善の神デーヴァ(88体)と悪の神アスラ(91体)が大蛇で綱引きをしている。やがて海から太陽、月、女神たちが次々飛び出し、世界が誕生する。中央にいるのがヒンドゥーの神のヴィシュヌ神で、建立した王に似せて描かれたという。さらに中に入ると、中心に進むにつれピラミッド状に高くなっていく。高さ65m、中央神殿には神々が降り立つと信じられた。神殿の周囲ではデヴァターと呼ばれる女神たちが、神々を迎える舞を踊る。彫刻のモデルになったのが、かつて王宮にいた舞姫たち。その踊りはアプサラ・ダンス(天女の舞)と呼ばれた。アンコール・ワットでは2000もの美しい女神たちが舞う。

 バンテアイ・スレイ寺院は990年頃完成した。ここの彫刻は傑作の誉れが高く、アンコールの宝石箱と称えられている。
 アンコールは美の都でもあった。アンコール王朝を支えたものは水だった。この地に都を置いたのは、プノン・バケンの山並を聖なる山ヒマラヤに見たてたため。プノン・パケンに源を発するシェムリアップ川はガンジス川に例えられた。川床に彫刻を施した。こんな例は他のヒンドゥー教にはない。カンボジアの人々は水の精霊を信じる土着の宗教と、ヒンドゥー教を長い時をかけて、溶け合わせてきた。
 西バライ(人工貯水池)は1050年頃50年かけて完成した。人々は水の利用にも長けていた。この貯水池は東西8km、南北2km。雨季に降る雨を巧みに堰止めたことで、米の収穫は倍増、国力は飛躍的に向上した。最盛期には世界屈指の60万人の人口を養った。彫刻には水辺の情景も数々描かれていた。その水辺はアンコール・ワットの南側にあった。カンボジア最大の湖トンレサップ湖。雨季になると湖は増水し、周囲の林を完全に飲み込む。人々は湖の上に村を作り暮らしている。高床式の家を建てる人もいる。水上村のコンポン・クリャン村にもある。湖に直接ボートを浮かべ、その上で暮す人もいる。小学校も水に浮かんでいる。子供たちも実に器用にボートをこぐ。
 水上村に住む漁師の一人ヌアン・コムさん一家を訪ねた。昔この湖は国の運命を変える激戦の舞台にもなった。その名もトンレサップ湖の戦い、1181年。アンコール王朝には一時期隣国のチャンパー(今のベトナム)に占領されていた時代があった。しかしこの戦いで勝利し、アンコール・ワットを奪い返した。その軍を率いた人物こそ、アンコール王国最強の王と言われた第21代王のジャヤヴァルマン7世で、王国は黄金時代を迎えた。
 タプローム寺院は1186年完成。ジャヤヴァルマン7世が最初に築いた寺院。王朝が始まって以来の仏教徒の王。王は数多くの仏教寺院と100を越す病院を建てた。ここタプロームを中心に薬などの必需品を無料で配布したという。
 石に刻まれた観世音菩薩。クメールの微笑みとも言われるその表情はジャヤヴァルマン7世の顔を写したものだといわれる。王が新しい都として創建したアンコール・トム。その中心のバイヨン寺院の塔という塔には、200余りの観世音菩薩の顔が刻まれた。タプローム碑文には「王を苦しませるのは、民の薬見なればなり」とある。慈悲深い王の下で、王朝は繁栄し、タイ、ラオス、ベトナムにまで勢力が及んだ。一方で戦争、寺院建立に多くの民衆がかり出され、国力は次第に衰退した。王が死ぬと王朝は一気に弱体化した。それが今までの定説だった。
 バンテアイ・クデイ寺院での発掘で定説が覆った。2001年日本の調査チームが発見したのは、274体もの仏像。奇妙なことに首は全て切り取られていた。それはジャヤバルマン7世以降にも強大な権力が存在し、国家的事業として、7世の時代を葬り去ろうとした証し。上智大学の西澤良昭教授が、そう考えている。
 もう一つ息を吹き返したのが、伝統の舞アプサラ・ダンス。カンボジアでは1970年代以降内戦が相次ぎ、ポルポト政権の下、多くの知識人や文化の継承者の命が奪われた。舞の伝承者に関しても9割の人が亡くなった。1980年代になってやっと復活の兆しが見えた。その時振り付けの参考にされたのが、アンコール遺跡に刻まれたアプサラの舞だった。


テレビ番組「知っとこ!世界の朝ごはん カンボジア」

 2009年2月14日放送。

●プノンペン
 ベトナム航空で7時間で到着。人口131万人。メコン川など3つの川に面した町。
 メイン・ストリートのモニボン通りの信号はカウントダウン方式で数字が大きい。みんな守るそうです。歩行者用ももちろんカウントダウン方式。
 バイクタクシーはバイクの後ろにトゥクトゥクのような車両を引いている。シソワット通り Sisowath は川沿いの通りで、オシャレなカフェなどが並ぶ。一番人気の雑貨屋さんに入ってみた。カラフルで可愛い。一番人気はカンボジア・シルクを使った製品。今でも手織りで、近くの村で作っているところも見ることができる。
 メコン川を10分さかのぼったダッチ島でカンボジア・シルク製品を作っている。豊かな自然が広がる。高床式の家の下で女性が機を織っていました。

 お昼に屋台に行く。お肉の炭火焼き、焼きそばなど。どんぶりに紫の花「ホテイアオイ」(地元ではブカー・コンブラオック)がいっぱいのったものがでてきた。麺料理で、刻んだ野菜、お米の麺に熱いスープをかけ、食べられるお花をたっぷりのせた伝統料理「ノゥム・バンチョック」。

 コン・レットさん(28歳)が紹介してくれたのは、郊外の「伝統芸術文化保護協会」で、親がいなかったり、貧しい子供たちに伝統の踊りや音楽を無料で教えている教室。楽器を演奏する人、踊りを練習する子、ヨーガみたいなことをする子がいました。芸術大学の先生が自費を投じて3年前に立ち上げた。現在60人の子供たちが学んでいて、有名な踊りの先生も教えている。歓迎の踊りを披露してくれました。1000年の歴史のある宮廷の舞踊で、完全にマスターするのに10年かかるという。観光客も近所の人も見学自由。

 新婚さんの朝ごはん。一軒屋に住むボル?・リダさん(24歳)が作るのは、1品目「カンボジア・カレー」。ほとんどの家庭に冷蔵庫がないので、毎日の食材は市場でその日に買ってくる。鶏肉をブツ切りにし、たまねぎ、じゃがいもも一口大に切る。にんにく、ショウガ、ローリエを炒め、レモングラスを茎と一緒に細かくつぶし、油をたっぷり入れたフライパンでにんにく、唐辛子と炒める。ココナッツミルクと鶏肉を入れて味を染み込ませる。たまねぎ、じゃがいもを加えて1時間煮込んで完成。スープ・カレーとも呼ばれていて、パンにつけたり、麺につけて食べる。
 2品目「トゥッククルーン・アンルック」。白身の魚を茹で、骨をはずし、唐辛子、にんにくと共にすりつぶす。魚を茹でたお湯に小魚を発酵させたパラボック?と、椰子砂糖、塩などを加えてしばらく煮詰めたら、丁寧にこす。魚の身を入れ、レモン汁、ピーナッツを加えてトゥッククルーンの完成。これは茹でた野菜や生野菜につけて食べるソース。
 3品目「フルーツのかき氷」。梨、リンゴ、ぶどうなどの皮をむき、薄く切った人参などときれいにお皿に盛り付ける。砕いた氷をのせ、練乳と卵黄を1つのせて完成。


テレビ番組「びっくり法律旅行社 カンボジアのアンコール・ワット」

 2009年1月22日放送。児玉清、黒崎めぐみ、タカアンドトシさんが司会。寿美花代、千秋、陣内智則さんがゲスト。

●アンコール・ワット
 成田からホーチミン経由で8時間。平均気温28度。時差2時間。
 買い物では絹の織物がよい。カンボジアシルクを用いた品。クロマーと呼ばれるカンボジア式スカーフ。頭に巻いたり、鉢巻風に巻いたり、首にまいたりする。腕にくぐらせるのがフォーマルなスタイル。
 16世紀頃、カンボジアから伝わったことから名前がついたカボチャ。「Angkor Cookies 」ではデザートとして出している。カボチャの中にココナッツ・ミルクと卵を流しこんで、丸ごと蒸した「ラパウ・ソンクチャー(カボチャのプリン)」はよく冷やして、ココナッツアイスを添えていただく。
 世界遺産。500年以上栄えたクメール人による王朝によって建てられたアンコール遺跡群。名前が知られているものだけでも26以上ある。アンコール・トム、ラ・プローム、中でも一番インパクトがあるのがアンコール・ワット。

 観光するならシェムリアップに滞在するのが便利。フランス植民地時代の雰囲気が今なお残るカンボジア第二の都市。観光客に人気のギャラリー・ストリートは全長150mほどで、カンボジア料理店、イタリア料理店、バーなどの飲食店が並ぶ。
 市長のテープ・ボンチャーイさんは、遺跡の景観を残した町造りをしているそうです。フランス植民地時代の建物は勝手に壊してはいけないとか、全ての屋根は30−60度傾斜していなければならない、などの法令がある。逆に古い建造物と同じであってはならないという法律もある。「建物に(遺跡に使われている)灰色砂岩を使ってはいけない」。「僧院に用いられる黄金色をは使ってはいけない」。  シェムリアップで是非見て欲しいのは、伝統芸能の影絵「スバエク・トム」。民話やインド神話を演じる。スクリーンの前と後ろで演じている。スクリーンの後ろが遠く、前が近いという設定。舞台の前にはバナナを供える。組長のチエン・ソパーンさんが説明してくれました。バナナは捨てるところがないし、人々の生活に必要だかららしい。市場では一房30円程度で売っている。焼いたバナナは子供たちのおやつの定番。葉は食材を包む際に使われる。花も食べるし、スライスして薬味として使われる。茎はかがり火の土台に使われる。

 カンボジアでは妊娠中は動物の映像をテレビなどで見てはいけない。生まれる赤ちゃんがその動物の顔に似るからだそうです。生まれたばかりの赤ちゃんにはビールをかける。中でもABCはライオンの絵が描かれているので、ライオンのように強くなれという願い。TIGERはトラのように強くということ。
 カンボジアではホクロ毛を切ると金運が逃げてしまうという。どうしてもきりたい場合は家族会議で決める。

 アンコール・ワットはシェムリアップの中心地から北へ3km。チケット・チェック・ポイントで券を購入。1日券US$20、3日券US$40、7日券US$60。その場で写真を撮り、5分程度で完成。不携帯や期限切れが発覚したら、US$100の罰金。
 総面積は皇居の7倍。中心を貫く石畳はおよそ350m。観光客が多い。アンコール地域遺跡整備機構のガイ・ヴォッティ代表が説明してくれました。観光客がここ数年で急増しているそうです。
 禁止事項は、彫刻を触る、石を持ち帰るなど。違反した場合は基本的には厳重注意だが、損害の大きさによって罰則が決まる。トゥール・ソピアさんが説明してくれました。石に座るのはいいが、神聖な大蛇神ナーガ像には座ってはいけない。今でも僧侶をはじめ、多くの人が参拝に訪れている。一つだけ願ってもご利益がないというものがある。祈っていけないのは、縁結び。
 第一回廊はヒンドゥー神話が浮き彫りで描かれている。法律では禁止されていないが、神聖な場所なのでタブー行為はたくさんある。イチャイチャすること、冗談を言うこと、オレンジ色の服も。
 中央祠堂の急な階段は現在は修復工事のため入れない。
 外にはアンコール・バルーンがある。地上180mの場所からアンコール・ワットの大パノラマを楽しめる。朝5時半〜18時頃まで営業していて、料金はUS$15。天候により中止もある。


テレビ番組「探検ロマン世界遺産 命の水が文明を生んだ」

 2008年11月1日放送。今から2500年前、最初の哲学者と言われるタレースは「万物の根源は水である。」と語った。今回は水をテーマに世界遺産を見る。

●スペインのグラナダ
 アルハンブラ宮殿にはミニ・バスで向かう。総面積は1.4万平方m。13世紀から15世紀にスペイン南部を統治したイスラムのグラナダ王国の王宮。中世イスラム建築の最高峰といわれている。アラヤネスの中庭は後にインドのタージマハルにも取り入れられた美しい水鏡で有名。
 中庭に陽がさすと、壁に水面のゆらめきが反射した。壁の繊細な模様と水面のゆらめきが融合して幻想的な光景を作り出しました。
 かつては王妃の住居だった「二姉妹の間」、天井は万華鏡のようです。石造りの複雑な模様は「鍾乳洞飾り」と呼ばれ、イスラムの人々にとっては特別な意味を持っている。予言者ムハンマドが神の啓示を得たとされる洞窟を表わす。壁にはアラビア文字が刻まれている。その周りを植物や幾何学図形がびっしり覆っている。アラベスクと呼ばれるイスラム美術に独特のデザイン。
 8世紀スペインにイスラムの国を作ったのは、アフリカ大陸から海を渡ってきた人たちでした。しかし、11世紀以来、キリスト教徒が制圧し、最後に残ったのがアルハンブラ宮殿のあったグラナダ王国でした。
 宮殿の美しさの秘密をガイドのエセキエル・ロドリゲスさんが説明してくれました。「二姉妹の間」のようにびっしりと模様が必要だったのは、元々砂漠から来た人々は、砂漠にないものを求めたからで、執念深く空間を埋め尽くし、全てを装飾品で飾りたいと考えたから。そして砂漠の民が最も憧れたものは水。
 ヘネラリーフェ離宮は水の宮殿と言われる。水の階段には手すりに水が勢いよく流れている。宮殿は小高い丘の上にあり、近くに水源はない。どうやって水をひいてきたのか?アラブ文化高等研究所のルイス・ガルシアさんが連れて行ってくれたのは、東にある山の中。遠くの白い山は雪をいだいていて、そこから流れてくる川から用水路をひいている。全長6km。高低差20mを利用して水を運んでいた。谷を越えるには水道橋を作り、水はようやく宮殿に入る。そこから城の端まで城はわずかずつ低くなっている。その地形を利用して水が流されていた。ライオンの中庭。水は管を細くすることにより、水圧を高め水が噴出す。
 この治水技術はスペイン南部のバレンシア地方を有数の農業地帯に変える働きも果たした。元々雨が少ないこの地方に、イスラムの技術によって水田耕作まで行なわれるようになった。スペイン料理の名物料理パエリアもこの地で生まれた。

●ヨルダンのペトラ
 国土の8割が砂漠というヨルダン。5月は過ごしやすい気候だが、日中の気温は40度を越える。砂漠の中に巨大な岩が点在する奇妙な風景。高さ100mを越す岩の間を入っていくと、かつて幻の都と言われた都市ペトラがある。入口から1.5kmを歩くと目に飛び込んできたのは、ギリシャ神殿を思わせる壮大な建造物だった。「エル・ハズネ」と呼ばれるこの建物は王の墓だといわれている。高さ40m、岸壁を掘り込んで築かれている。
 10分歩くと岩山に囲まれた壮大な空間が広がっていた。これがペトラの中心だった。岩肌に掘られた無数の穴はお墓。その数からペトラにはおよそ3万人が暮らしていたと推測されている。墓の壁の鮮やかな色彩。ペトラの岩山には様々な鉱物が含まれているため、神秘的な模様が自然に作られている。都市の中心部を貫く大通り。その周辺には王宮、神殿など重要な施設が建ち並んでいた。ペトラはローマ軍との攻防の末、3世紀に姿を消すまで、およそ500年豊かな都として繁栄を謳歌したと言われている。ペトラは文献には知られていたが、その場所などは長年、見つかっていなかった。1812年に見つかり、調査の結果、ペトラを築いたのはナバテア人と呼ばれる砂漠の遊牧民だった。キャラバンを組み商いをして富を蓄えた。富を狙う外敵から守るためにペトラを都とした。
 水源はどうしたのか?岩に掘られた長い溝は水道管だった。表面と内側には白い塗料が塗られていた。シリカと呼ばれる防水効果のある鉱物だった。その管は近年ペトラ観光で賑わい始めた街「ワディ・ムーサ」に届いた。ここに古より湧きつづけている泉がある。泉からペトラまでの距離は6km。傾斜と水圧だけを利用した水利技術は、あのアルハンブラ宮殿で見られたもの。生命線である水源が都の外側でよかったのか?
 それを解消する答えがペトラの近くの岩山にあった。母なる山と呼ばれるこの山にもう一つの水源があった。ペトラ発掘調査団のサミー・ナワファさんが案内してくれました。頂上には穴があいている。雨を集めるシステムでした。年間降水量は150mmで、水を1滴でも多く集めようと、188の貯水槽が掘られていた。

●カンボジアのアンコール・ワット
 首都プノンペンから北西250kmにあるアンコール・ワット。町から密林を抜ける1本道がある。山本美希さんが案内。広さは1.5km四方、世界最大規模の広さ。12世紀カンボジアで繁栄を誇ったアンコール王国の王がヒンドゥー教の世界観に基づいて築いた寺院。3つの回廊に囲まれた中央の塔は、世界の中心にあるという聖なる山を表わしている。塔への向かう階段の角度は60度。かつては王をはじめ、限られた人間だけが登ることが許された場所。登れるのはそこまで。アンコール王国では王が即位すると、新たな寺院を作るものとされてきた。王は寺院で神々を迎える儀式を行なった。最盛期には王国はインドシア半島の大半を支配した。こうした繁栄はどうして築かれたのか?
 アンコール・ワットの北40kmにあるクーレン山。アンコール遺跡の研究で世界的に知られる早稲田大学の石澤良昭教授。ここはアンコール王国の初代の王が建国を宣言した場所だと伝えられている。1時間歩いて到着した場所には石像などの石の彫刻が多くあった。ここはアンコール・ワットに流れ込む水源だった。アンコールの人々は水源地の底に神々の像を彫った。彫刻の上を流れた水は聖なる水となり、王国に繁栄をもたらすと信じられていた。生命の川はどこに流れるのか?衛星写真で見ると、アンコール・ワットの西の四角い影に到達していた。この影の正体はバライと呼ばれる広大な貯め池だった。東西8km。南北2km。これが人工の池だった。貯水池の真中に島メボンがあった。これも人工的に作られたもので、メボンとは「神の恵み」という意味。島には石で築かれた遺跡が残されていた。アンコールの王はこの島で水量を確認していたという。雨季には田畑が陥水し、乾季には田畑が干上がり荒地となった。巨大な貯水池は水をコントロールするために作られた。乾季には水を放流した。これにより米の三期作が可能となった。それで東南アジア一番の大国に成長した。
 東の回廊に最も有名な浮き彫りがある。長さ50mに渡りヒンドゥー教の天地創造神話を描いたもの。神々が大蛇で綱引きをし、その力で海をかき回すと万物が生まれたという。中央にはヴィシュヌ神が描かれ、当時は王その人と同一視されていた。

●世界の現状
 中国の黄河は1990年代から何度も川が干上がっている。上流で水をくみあげるため。
 グランド・キャニオンのコロラド川では、下流80kmにあるモロレス・ダムから下流はか細い小川となる。海に至るまでに水はほぼ使い尽くされる。
 水を巡る人類の叡智は今こそ試されているのかもしれない。

●トルコのパムッカレ
 トルコの南西部にあるパムッカレは石灰棚。水に含まれる石灰質が結晶し、長い年月をかけて階段状の不思議な造形になった。空の色が映え、コバルトブルーに輝く水。実は温泉。古代ローマ時代、ここは温泉保養地として発達し、石灰棚の周辺に人口4.5万人を擁する都市が発達した。今でも1日3000人の観光客が訪れる。
 原泉は水着姿の人たちで賑わう。ここから湧き出す毎分2万リットルのお湯が、2000年来の温泉郷を支えている。よく見ると水底に石の円柱が何本も沈んでいる。これは14世紀に地震で倒壊した神殿の遺跡。古代の人々は原泉に女神が宿ると信じ、大理石の壮麗な神殿で覆った。石灰棚に流れこむ温泉だが、見渡すと温泉の入っていない棚もある。水の出し入れは調節されている。1990年前後、観光ブームでホテルなどが建ち、湧き出る水が激減したため。以来、本当に必要な水の利用を検討し、水を管理するようになった。古来この水は地元の貴重な農業用水でもあった。先祖代々綿花の栽培をしてきた農家の人は水を待っている。パムッカレの綿花はローマ時代からの特産品。帝国に綿織物の文化をもたらした。水をたっぷり分かち合って使う。こうして人間は文明の苗木をしっかり育ててきた。


テレビ番組「探検ロマン世界遺産 ラオスのルアンパバーン」

 2008年7月5日放送。太田雅英アナウンサーが案内。ラオスは5カ国に囲まれ、広さは日本の本州くらい。人口は580万台。最も暑い季節4月に訪問しました。

●ルアンパバーン
 ラオスの古都。朝6時、僧侶たち300人の托鉢の列が続く。通りに並ぶ人は、3000日毎日続けるとお寺を建てるくらいの功徳がつめるという。600年にわたり仏教への熱い信仰がある。ラオスの最初の王朝の都があった。王が仏教を保護したので、この地は仏教の信仰厚い地となった。
 チベットに源を発する母なるメコン川の中流にあり、2kmほどの細長い市街地。ここの数々の歴史的建造物が集まっている。ラオスは50年前までフランスの植民地だった。そのためにメイン・ストリートは西洋風の白い壁のものが多い。この街を訪問する外国人は年間15万人。そのうち10万人が欧米人。アメリカのメディアで2008年お勧めの外国の観光地でラオスが1位となりますます人気が上がっている。
 市場があった。菜の花がお勧めとか。スルメ、豆腐、川海苔などがある。川海苔はメコン川で獲れ、1品2.5万キープ(300円)。
 最大の見所は80以上ある葬礼な仏教寺院。最も古くラオス一美しいと言われるワット・シェントーンを訪ねた。屋根がとても大きくて、急角度で何重にも重なっている。強い風を意識し、建物が倒壊しないように工夫してある。壁面にはかつてここにあったという巨大な菩提樹の模様。中には金色の釈迦坐像。天井は細かい装飾がされている。随所に金箔があしらわれ、荘厳な空間を作りだしている。
 ラオスに仏教が根づいたのは14世紀半ば。悟りを開いた仏陀と同じ修行をする厳しいもの。上座部仏教といわれる。男性は一生に一度は出家するのが当然と考えられている。一時的に出家して、その後社会に戻るのも極めて普通のこと。この街で1200人の出家した僧侶が修行している。うち900人が10代。15歳の修行僧プーワンさんの1日を追った。3人部屋で、お昼ごはんはインスタント・ラーメン。先生になるために英語を勉強しています。
 19世紀初めに建てられたワット・マイ。壁には金箔で覆われた浮き彫りがある。仏陀の前世の物語。散歩中の女性ゲオマニワン・チャンパケオさん(78歳)に出合った。お坊さんには道を譲るのは当たり前。ルアンパバーンの歌を歌ってくれました。午前3時半に起きてお布施をするために、もち米を一度に2升炊きます。仏教徒は嘘を言わない、悪口を言わないなどの戒律を守る。子供たちのためにも日々の功徳を積んでいるそうです。僧侶は午前4時から仏堂でお経を唱える。僧侶は生き物を殺さない、女性には触らない、昼以降は食事を取らないという227個の戒律がある。住職のオンゲオ・シティボンさん(44歳)のお説教がある。

●サーンハイ村
 郊外にある村で、高校3年生の若者がバイク事故で命を落とした。兄弟や親族が集まり棺を作った。ラオスでは死者は一度天に赴き、その後生まれ変わると信じられている。兄のフーペン・ポンマチャックさんの回りでは、酒を酌み交わして賑やかに送り出す。葬儀の前に兄は出家した。医療が整っていないので、子供の死亡率はとても高い。トラックで音楽を流しながら村はずれの火葬場に向かう。200人が後ろの続いた。村人たちが木を汲み上げ、棺を置いた。参列した人々が木の枝を置いた。

●ティン洞窟
 メコン川沿いにある洞窟を訪ねた。すごい高さの崖にある。仏教が盛んになる前は精霊信仰が盛んだった。この洞窟にはかつては川の精霊が祀られていた。ここに16世紀に時の王が仏像を置き始めた。この洞窟は仏教の聖地となった。

●ルアンパバーン
 4月13日、今年のラオス正月を向えた。この日、相手の無病息災を祈って、水をかける。メコン川の中州に多くの人が集まっていた。顔に白い粉を塗りあって楽しむ祭り。塗られても感謝の笑顔。中州に来る一番の目的は砂の仏塔を作ること。通りでは市民により盛大なパレード。かつての精霊、ミス・ルアンパバーンたちもパレードしました。
 ゲオマニワンさんは市場で鳥を買い、これを放した。これが功徳になるためです。


テレビ番組「うふふのぷ 地球家族スタイル プノンペン」

 2008年3月1日放送。タイ航空で行きました。

●プノンペン
 きらびやかな仏教寺院が目をひく。国民の90%以上が敬虔な仏教徒。街を行き交う車とバイク。川沿いに出てみると、ピンクの花が咲いている。地元ではサクラと呼んでいるが、プカー・トロバイ・プレイという別の種類の花。プノンペンの平均年収は一人あたり12万円(東京は615万円)。

 ピールム・ソッピアさん(28歳)のお宅を訪問した。お客さんを迎える時の正式な座り方は男性も横座り。正座は友達といる時など、気を使わない時。6人が暮らすお家は2階建62平方m2LDKで、2006年に110万円で購入した。土地代なしで、60平方mの建物はプノンペンで130万円、東京は1400万円。親子でサイという羽根を蹴るカンボジアの伝統的な遊びをする。女性はパジャマで出歩くのがオシャレとか。
 バイクは去年9月から免許が必要になったそうです。それまでは不要だった。また二人乗りも禁止されたが、まだやっている人も多い。
 朝の市場は人が多い。カリフラワーは1kg70円(日本650円)、バナナ55円(日本240円)、マンゴー220円(日本3000円)。ミルクフルーツは白い果汁で甘くておいしいそうです。
 学校は午前と午後にわけて、どちらかに出席する。トゥールスレン小学校に行ってみた。授業が終ると校庭にお店が出てみんな食べています。
 夕方、夕食の準備。空心菜の下ごしらえ。これの炒め物。あとはカリフラワーと豚肉の炒め物。魚の酸っぱいスープ。
 宝物は家族の写真。

 リッチなお宅に住むイエン・プンルゥムさん(71歳)は投資家。7人で住んでいて、9LDK500平方mで、現在の評価額は1億5400万円。日課は王宮前の散歩。小鳥を売っているが、買って逃がしてやりました。小鳥を逃がすことにより、徳が得られるという。
 夜はレストランで夕食。食べる順番が決まっていて、お父さんたち、娘さんたち、最後は孫たち。食事中はあまりおしゃべりをしません。


テレビ番組「世界弾丸トラベラー 森下千里さんでアンコール・ワット」

 2008年2月2日放送。行ってみたい世界遺産でアジアでいつもトップ。12世紀に隆盛を極めたアンコール王朝の代表的建築。シェムリアップまで5000kmの1泊3日の旅。

●予定
 1日目、10:30成田空港発ベトナム航空951便、6時間で14:55ホーチミン国際空港着。16:30ホーチミン空港発、ベトナム航空879便、17:30シェムリアップ国際空港着。19:00レストラン「ロム・ドゥル・シェムリアップ」にて夕食。20:30「ラッフルズ・グランド・ホテル・ダンコール」にチェックイン。
 2日目、9:00ホテル出発。10−16:15アンコール・ワット観光。16:45−17:30アンコール・ワットを空から見る。19:15シェムリアップ国際空港着。21:15シェムリアップ国際空港発ベトナム航空820便、22;15ホーチミン国際空港着。
 3日目、0:05ホーチミン国際空港発ベトナム航空950便、7:30成田空港着。

●シェムリアップ
 空港で道を聞いたら、なぜか日本語が通じた!1台5ドル(2万リエル)と決まっている。バンだと7ドル、バイクは1ドル。
 レストラン「ロム・ドゥル・シェムリアップ」に行くと、勝手に鍋が出てきた。チュナン・ダイという牛骨スープの土鍋専門店。具は湯葉、麺、牛肉、卵、野菜など。煮込んでできあがり。料金は6万リエル(1600円)。
 ホテル「ラッフルズ・グランド・ホテル・ダンコール」にチェックイン。ランドマーク・ルームで1泊164万リエル(43500円)。美しくライトアップされたプールサイド。
 ゆったりできる「ラッフルズ・アムリタ・スパ」。「トキシクレンズ・マッサージ」は樹木のエッセンシャル・オイルでの全身マッサージ。「エンジマティック・ボディ・ラップ」は海藻植物ペーストでの全身パック。血行促進と美肌効果がある。エステ代は32万リエル(8500円)。

 朝9時、バイク・タクシー「トゥクトゥク」に乗ってチケット売り場に行く。チケット購入には写真撮影もある。80万リエル(2100円)。またトゥクトゥクに乗ってタ・ブローム遺跡に行く。12世紀後半に件せうされたヒントゥー教の寺院。建物から木が煙突のように突き出ている。40mはある巨木の根が建物を掴んでいた。自然の力を感じられるように修復せず、1860年発見された当時そのままを残されている。
 次はバイヨンで、12世紀後期に建てられた仏教寺院。神々の住む聖域とも宇宙の中心とも言われる。遺跡のいたる処に壁面に観世音菩薩の顔がある。すごいを連発していました。
 最後はアンコール・ワット。幅190mの堀が周囲を囲む。塀を越えて中に入っても350m先にある。宗教建築としては世界最大。1辺300mの壮大な建物。エントランスは十字回廊。完全な対称形です。周囲760mを飾る第一回廊。アンコールワットを作った王や神々の姿が描かれている。2階に上がると、高さ65mの中央の塔がアンコールワットの中枢部分。最上階の塔は修復工事中でした。
 空から見るポイントに向かう。アンコール・バルーンという気球で、6万リエル(1600円)。予約なしでも乗れる。ロープがついているので、飛んでいきません。遠くにアンコールワットが見える。反対側にはカンボジアの夕日。


テレビ番組「知っとこ! 世界の朝ごはん カンボジアのシェムリアップ」

 2008年1月26日放送。

●シェムリアップ
 カンボジア北西部の人口1.5万人の小さな町。手つかずの自然が残る。周辺に数多くの遺跡群がある。近年リゾートホテルも次々建てられている。
 ルー・マーケットに行く。トロピカル・フルーツがいっぱい。サトウキビもある。エンジンを動かして潰す。汁を集めてビニールに入れてジュースとして売っている。1袋500リエル(14円)。大人から子供まで大人気。
 町の道路はバイクがすごい。3人、4人乗りが当たり前。車にも多くの人が乗っている。子供たちが手をつないで道路を封鎖した。小さい子を安全に渡らせるために6年生がそうするそうです。

 南に位置するトンレサップ湖。数多くの船が行き交う。対岸が見えないので、海みたい。東南アジア最大の湖で、季節により大きさが変わる。乾季は4000平方km、雨季だと8000平方kmになる。乾季で東京都の2倍です。
 船に乗って移動してみると、水上家屋がいくつもある。赤い建物は小学校でした。登下校は船。一般家庭を訪問した。床下は雷魚やなまずの養殖場。乾季で水が少ないので、家を引っ越すそうです。4月が一番水が少ないそうです。

 クェイン地区にオレンジ色の大きな気球がある。上に上がるとアンコール・ワットが見える。

 アンコール・ワットに行ってみた。南北1.3km、東西1.5kmの大きなお堀に囲まれている。クメール寺院。観光客がいっぱい。自分の胸を叩いている人がいる。空間の壁際で胸を叩くと反響する。それで悪いものが外にでていくといわれているそうです。

 ハシ・チャンターさん(20歳)が紹介してくれたのは、自然のすごさを感じる遺跡タ・プローム。修復されていなくて崩壊している。木が遺跡の上に生えている。自然のすごさを見せるために修復していないそうです。木の根の間に仏像もありました。

 新婚さんの朝ごはん。郊外のゲストハウスを経営しているチエン・ラタナーさん(19歳)が作るのは、1品目「クイ・ティウ」。骨付きの豚肉を熱湯の入った鍋に入れ、にんじん、だいこん、スルメ、じゃがいもなどを入れて煮込む。グイテン?というお米で作った麺をゆがいたら、お皿にもり、お肉など具材をのせ、さきほどのスープをかける。
 2品目「揚げ春雨のシーフード・サラダ」。細切りしたにんじん、たまねぎなどの野菜と、ボイルしたエビとイカをボウルに入れたら、酢だちとにんにくを利かせたドレッシングを回しかけ、よく混ぜる。春雨を高温の油に入れ、サクッとした感じになったら、お皿に敷いたレタスの上にのせる。そこに先ほどの野菜などをのせ、ピーナッツを上からふりかける。
 3品目「カボチャ・プリン」。カボチャの中身を取り出す。とき卵にココナッツミルクを加え、たっぷりの砂糖を入れて溶かす。これをカボチャに入れて蒸し器の中で1時間蒸す。


テレビ番組「知っとこ! 世界の朝ごはん ラオスのルアンパバーン」

 2008年1月12日放送。

●ルアンパバーン
 世界遺産。豊かな自然(山と川)に囲まれた人口1.6万人の町。やたらと目につくのがオレンジ色の衣をまとったお坊さん。朝になると托鉢に並ぶ長蛇の列。主婦は毎朝4時に起きて托鉢の準備しているそうです。ラオスは国民に90%が仏教徒。街中には80もの歴史ある寺院がある。
 朝のシーサワンウォン通りの市場。野菜、果物、大きな川魚。緑色の固まりはメコン川で取れた海苔。乾燥したものは袋に詰めてある。ゴマ、にんにく、トマトと一緒の乾燥させている。カイページといい1枚3000キツプ(85円)塩味が効いていて、ご飯に欠かせないそうです。

 サンコーン村に行く。紙すきをしている。草花を散らしてきれいな紙にしている。象のフンを入れているが、繊維を混ぜ込むことでできあいがよくなるとか。ノートはUS10ドルでした。
 ヴィニッサイ・チャンダハックさん(18歳)が紹介してくれたのは、流行っている遊びペタン。元々はフランス発祥のペタンク。

 メコン川に行く。救命胴衣とヘルメットをつけてボートで飛ばす。時速80kmだそうです。
 ボートで20分、コックワー村。年に1度のモン族のお正月だった。みかんやテニスボールを男女に分かれてキャッチボールをしている。お見合いの席ということみたいです。

 新婚さんの朝ごはん。郊外の立派な一軒屋。アッカリン・モゥシマさん(21歳)。まずご飯の準備。カオニャオというお米を水洗いし、外に用意しておいた七輪で、籠に入れて蒸しあげる。
 1品目は「オラーム」。水牛にお肉を一口大に切り、ネギと一緒に鍋で煮込む。木の幹のようなハーブ「サカーン」を切る。食べられないが、噛むと独特の辛味がでる。サカーン、なす、唐辛子を鍋に入れ、中火で30分煮込む。ナスと唐辛子を取り出してすり鉢でつぶす。さらに煮込んだ鍋にキクラゲやインゲンを入れて、パーデークという魚を発酵させた調味料で味付ける。つぶしたナスと唐辛子を戻して完成。
 2品目は「タム・マークフン」。熟していない青いパパイヤ。包丁で切れ目をいれ、ササガキ状にスライスする。トマト、ナス、にんにく、唐辛子をすり蜂で潰し、パーデークを加え、切ったパパイヤを入れて混ぜ合わせて完成。
 3品目は「カイペーン」。川海苔を乾燥させたものをハサミで切り、低温の油にさっと通す。お好みで川味噌をつけて食べる。


テレビ番組「世界遺産新たなる旅へ ラオスのチャンパサック県」

 2007年12月15日放送。「チャンパサック県の文化的背景にあるワット・プーと関連古代遺産群」が世界遺産。全長4200kmのメコン河に沿って南北にのびるラオス。その最南端にあるコーンの滝。この一帯は熱帯モンスーン気候に属している。雨季に起きる洪水が乾いた大地に水と養分をもたらす。この地はラオスで指折りの穀倉地帯。この周辺は多くの民族の攻防が繰り返されてきた。400平方kmにも及ぶ広範囲の地域が2001年世界遺産に登録された。

●チャンパサック
 後にアンコール・ワットなどを建設したクメール民族の遺跡がこの地にもいくつか残されている。中でも最も重要な遺跡が、聖なる山プー・カオの山麓に東向きに建てられたヒンドゥー教寺院「ワット・プー」。現存するワット・プーは7世紀から12世紀にかけて作られたと考えられている。聖なる山に向かって西にのびる参道。つきあたりにある階段はヘビの神ナーダのうろこと言われている。山の中腹、階段を登りきったところにワット・プーの本殿がある。外壁に使われているのは、粒子が細かく彫刻に適している砂岩石。偽窓と呼ばれる飾りの窓、ヒンドゥー教の神々の浮き彫りなどは、クメール建築の特徴。
 北宮殿、南宮殿がある。宮殿の東に広がるパライと呼ばれる大きな池。聖なる山から湧き出る水を貯めて作った池。この水で沐浴すると穢れを落とすことができると信じられていた。

 1950年代の始めに新たな遺跡がパイロットによって発見された。高さ1−2mの土手に囲まれた周囲8kmの巨大都市がメコン川沿いにあった。都市の周辺に用水路があったことから、高度な治水事業を持つ民族がこの地にいたことがわかった。その地から5世紀後半の碑文が見つかった。サンスクリット語で「男がリンガパルバータの助けを借りて王位についた」と刻まれている。リンガパルバータはリンガの山という意味で、ワット・プーの背後にそびえる山プー・カオを指していると考えられる。山頂にそそり立つ巨大な岩をヒンドゥー教の神であるシヴァの象徴であるリンガとみなし、古くからプー・カオを信仰の対象としていた。

 ワット・プーの本殿の後ろの部分はクメール以前の先住民族によって7世紀より前に作られた可能性がある。かつてはここにリンガが祀られていた。正面にある大きな穴は水を引き込むためのもの。水は本殿の裏にある岩の割れ目から湧き出ていた。古代の人はこれを聖なる水として、本殿まで引き込み、祀ってあったリンガにかかるようにしていた。
 歴代のクメールの王はこの地を聖なるものとして、ワット・プーを崇拝した。14世紀以降クメールは衰退し、ワット・プーは仏教寺院となった。チャンパサックの人々はほとんどが仏教徒。古来ここでは山や森などの自然、多くの生き物に精霊が宿っていると信じられている。精霊信仰。


テレビ番組「地球街道 清水美砂さんでカンボジア」

 2007年7月28日、8月4日放送。プノンペンからは国道5号線を北上し、シェリムアップ州国道6号線に入るとアンコール・ワットに続く。

●5号線
 道路脇でゆでとうもろこしを売る屋台がある。1本200リエル(6円)で、1日に100本ほど売れるそうです。

●ウドン
 プノンペンのすぐ北。かつてのカンボジアの首都で、王宮があった(1618-1866年)。山の上に数本の塔が見える。山頂にはかつての王のお墓(仏塔)がある。近づく際は靴を脱いで敬意を表する。かつての都は田園になっている。

●コンポンチュナン
 さらに50km北にある「さとう椰子」の並ぶ村。ドック・ソーさんは壷を作っている。ろくろは使わず自分が回転する。形ができたら半日天日で乾かす。それを1時間程度焼く。上手に焼くと次が売れないから、あまり上手に焼かないのがコツだそうです。

●フェリー乗り場
 6号線にのるためにフェリーに乗る。売り子がたくさんいる。コオロギの素揚げを売っている。おやつとして人気があるそうです。10分で対岸に到着。これで6号線に入る。

●6号線
 王道と呼ばれる道。かつてはインドシナ半島を征服していたので、都に続く道を王は作らせた。それの名残が6号線。

●シェムリアップ
 かつての王朝の都はシェムリアップの北にあった。遺跡に入るには入場パスが必要。1週間チケットで60ドル、写真を撮って、パスに貼ります。

●アンコール・ワット Angkor Wat
 12世紀後半にスーリャヴァルマン二世の命によって作られた寺院。一周5000mに及ぶ水路に囲まれている。アンコールは王都、ワットは寺院を意味する。かつて50万を越える人が暮らしていたという都にあった寺院です。完成には30年以上を費やした。
 中心部は3つの回廊によって成り立っている。第一回廊は一周750m、壁面は美しいレリーフ「乳海攪拌」で覆いつくされている。「乳海攪拌」は、神々と阿修羅が大蛇を引き合い、海をかき回すと、不老不死の薬が得られたという神話。ヒンドゥー教における天地創造の物語。第二回廊の手前には参拝者が身を清めた沐浴場の跡がある。神聖な第三回廊の手前に、6mの階段がある。地上から50mの高さに第三回廊はある。壁面に刻まれているのは、美しき女神デヴァダーの姿。中心には中央祠堂。形は須弥山(仏教宇宙観における世界の中心的な巨山)を模している。その聖なる山をぐるりとめぐる水路は無限の海を表わしている。アンコール・ワットとは王が描いた宇宙の姿を地上に表わしたもの。
 夜明けが荘厳さが一番際立つ。

●アンコール・トム
 アンコール・ワットの北北西。偉大なる王が築いた都アンコール・トムに向かうアンコール・トム・サウスゲート・ロードを進む。アンコール王朝は802-1431年に栄えた。最盛期の王ジャヤヴァルマン七世(在位1181-1218年頃)が築いたのが、大いなる王都の意味のアンコール・トム Angkor Thom 。通り沿いにある木はスポアンの木で、日本でいえはガジュマルの仲間。南大門から入って北に向かうと、正方形のアンコールトムの中心にバイヨン Bayonがある。12世紀末にジャヤヴァルマン七世によって築かれた仏教寺院。その中心には全部で49の塔が建ち並んでいる。塔に刻まれているのは観世音菩薩。この顔を四方を向いているのは、仏の慈悲がこの世界の隅々まで届くようにという王の願いがこめられているため。
 バイヨンのほど近くにもう一つの寺院がある。タ・プローム Ta Prohm で、ジャヤヴァルマン七世が母のために建てたもの。樹齢300年を越えるという巨大なスポアンの木が覆っている。根が遺跡に取り付いている。カンボジアの人々は切ることはしません。

●シェムリアップ
 アンコールワットから南へ5km。
 クメール伝統織物研究所に行く。看板は日本語でも書いてある。所長は森本喜久男さん。アンコール時代から作られているカンボジア・シルクを作る。内戦で伝統が消えようとしていたのを、京友禅の職人だった森本さんが移住して、この研究所を作った。糸が特徴で、黄色。繭からつむいだ糸を、バナナの葉を燃やしたアクで煮込むのが、昔ながらの絹糸の作り方。この工房では160人の女性が働いている。2階はシルクを売る店で、ハンカチ$6、ショール$90。今年、このシルクをシハモニ国王に献上しました。
 プサー・ルー市場に行く。新鮮な野菜や果物が売っている。カニはスープのダシにするという。淡水魚の魚売り場が特に目立っている。

●トンレサップ湖
 トンレサップ湖は東南アジア最大の湖。乾季で3300平方kmで琵琶湖5個分、雨季だと11600平方kmとなる。清水さんが訪れたのは雨季の始まった頃でした。雨季は5月下旬〜10月下旬。
 シェムリアップから南西へ、淡水魚が取れる湖を目指したが、道はガタガタでした。無数のボートが並ぶ。泥色の湖で、水面に浮かぶ家が並ぶ。5000人以上が水上生活をしているらしい。湖で採れたエビを乾かしていた。料理のダシにするそうです。教会、雑貨店、ビリヤード場、学校もある。
 チュンクニュッ小学校を訪問してみた。


テレビ番組「世界遺産新たな出会い ラオスのルアン・パバンの町」

 2007年4月21日放送。放送番組センター配給。

●ルアン・パバン Luang Prabang
 ラオス北部の古都。メコン川の上流。14世紀にラオス初の統一王朝ラーンサン?王朝が都をここに置いた。19世紀末から20世紀にフランスの植民地だった。その名残が今も残る。
 どの家庭も餅米を炊く。托鉢僧の列が朝もやの中に現れる。ルアン・パバンとは「聖なる黄金の仏像」という意味。14世紀半ば、王はクメール王国から仏教の僧侶を招き、その教えを国に広めた。仏教伝来と共にスリランカで作られたという黄金の仏像がもたらされた。それでこの地をルアン・パバンと呼ばれるようになった。托鉢は600年以上も続いてきた朝の光景。
 街には屋根の特徴のあるルアン・パバン方式と呼ばれる寺院が80以上もある。どの寺院もきらびやかな黄金の装飾で彩られている。美しい五層の屋根のワット・マイ?。14世紀にもたらされた黄金の仏像は、19世紀まではここに祀られていた。最も古い寺院は「ワット・シェントーン」。16世紀に再建された本殿は3層で美しい。ラオス建築の最高峰と言われている。涅槃仏が納められている涅槃堂。壁にモザイクが描かれている。多くの仏像がある。両手を前に出しているのは、平和を祈る仏像。両手をまっすぐ下に下げているのは雨乞いの仏像。この2つが代表的な仏像。壁の黄金の浮き彫りはインドの叙事詩「ラーマーヤナ」を題材にしている。ラーマーヤナは14世紀から続く古典舞踊の主要な演目。
 ラオスでは伝統が大事にされている。人生の節目や祝い事で行なわれるバシーと呼ばれる儀式。ラオスに伝わる精霊信仰にバラモンや仏教の儀式が混ざり合ったものと言われている。ラオスにはシンと呼ばれる伝統的な巻きスカートがある。シンは古くから伝わる染色技術によって作られている。かすり模様に使われる動物の題材はラオスで古くから信じられている精霊信仰を表わしている。
 ラオスでは仏教が入ってくるずっと以前から、自然に精霊が宿ると信じられてきた。
 ルアン・パバンからメコンを遡ったところにある「タムティン洞窟」には、精霊信仰の場所だった。16世紀頃から人々が仏像を安置しはじめ、その数は数万体になったという。


テレビ番組「笑いの金メダル・スペシャル 出張ヒロシ in カンボジア」

 2007年2月18日放送。ヒロシがカンボジアを訪問し、自虐的なモノを探す。日本から飛行機で10時間。世界遺産アンコールワットを訪問。テレビ朝日製作?

●アンコール・ワット
 壁かと思ったら階段だった。頂上からはきれいな景色が見えると思って登った。足場がない場所もあるが、傾斜がきつくて絶壁。1時間かけて登ったが、怖くて景色が見えない。降りるのに2時間かかった。

●どこかの町
 おじさんが観覧車に乗れという。乗ると相当速く回転していました。

●郊外の村
 特殊な能力を持つお坊さんがいるという。この人に祈祷してもらうと幸せになるという。上半身裸になって、祈っていると、後ろから熱湯を葉っぱにつけて頭をはたきました。次にうつぶせにさせられて、熱い槍をお坊さんが足のカカトで踏んでから、背中をカカトで抑えてくれました。

●市場
 屋台のイカ焼きがあった。おいしいと言ったら、キンスワイという町のレストランにはもっとおいしいものがあると教えてくれた。

●キンスワイ
 でてきたのはスープ・ベースのカンボジア料理。中にはお米やお肉が入っていた。豚肉っぽい味だったのだが、コウモリでした。カンボジアではコウモリの肉は最高級のグルメで、庶民にはなかなか手が出ない。

●バイクタクシー
 乗ると数人が乗ってきた。バイクに免許は必要ないので、何をしてもよくて、6人乗りは当たり前とか。

●腹芸
 カンボジアで一番人気のスター芸能人がいる。おなかを膨らませることができる能力がある。おなかに張り金を21本巻いたが、一気にワイヤーを切りました。

●陸軍駐屯地
 日本からテレビが来たので、特別に訓練を見せてくれたが、銃撃してました。ロケット・ランチャーを右肩に乗せて撃たせてくれました。終ると放心状態でした。


テレビ番組「世界の絶景 VIII。聖夜に見たいステキな絶景クリスマスSP」

 2006年12月24日放送。司会は、内藤 剛志、久本 雅美、ゲストは橋田壽賀子、泉ピン子、船越 英一郎、真矢みき、さまぁ〜ず。フジテレビ製作。

●ネパール・エベレスト
 谷原章介さんが案内。以前紹介したモナコのオテル・ド・パリはベルサイユ宮殿を模していた。スウェーデンのアイスホテルは全て氷でできていた。今回はエベレストを望む絶景ホテル「エベレスト・ビュー」。
 ネパールまではタイで乗り継いで9時間。案内人はアンツェリン・シェルパーさん(35歳)。ルクラ Lukla (標高2830m)という町から30km、標高差1132mを3日間歩いていったところにあるホテル。
 ルクラからゲートをくぐって出発。荷物運びは牛。初日はパクディン Phakding (標高2652m)まで10kmで下りが多いが、4時間でゴツゴツした岩場での上りが続く。6時間でロッジが見えてきた。ここではロッジではなく、テントで泊まることにしていた。
 2日目はナムチェ・バザール Namche Bazar (3440m) までの13km、標高差800mを登る。高い滝があり、空気が気持ちがいい。見える白い山はタムセルク Thamserku (6623m)で、登山家も思わず足を止めて見とれるという。谷原さんもきつくて足が止まり始めた。酸素発生装置は粉を水に溶かすだけで酸素が発生する。これで酸素を補給して復活。出発して10時間でナムチェ・バザールが見えた。ここは100軒以上の家が建ち並ぶエベレスト街道最大の町。
 3日目は距離7km、標高差516m。町の食堂でスッチャという塩とバター入りのお茶をいただいた。疲労回復に効果がある。塩バターラーメンのスープの味に近いそうです。出発して2時間で富士山の高さに到着。あっという間に悪天候になり、霧の中を歩く。最後にきれいな広い石段を上がるとホテルがあった。日本語で「いらっしゃいませ」と言われ、お味噌汁をいただいて「美味しい!」。
 実はホテルのオーナーは日本人の宮原さんで、エベレストの景色に感動し、Hotel Everest View (3962m) を建ててしまった。全12室からエベレストを見ることができる。夕食は鶏肉のしょうが焼き、じゃがいもと椎茸の煮物、茶碗蒸しでした。
 4日目の朝は青空が広がっていた。谷原さんは正装してカーテンを開いた。目の前にエベレストの雄姿が広がっていました。窓にはめこまれた絵画のような絶景でした。

●ハワイ・フラダンスの聖地
 松阪慶子、内田恭子さんが案内。オアフ島まで7時間。ワイキキビーチに到着。案内人はオラナ・アイさん(48歳)はクム・フラと呼ばれるフラの達人。聖地を見るにはフラを踊れないといけない。カピオラニ公園 Kapiolani Park で練習。フラダンスは歌と踊りが両方できないといけない。でっかい瓢箪のような太鼓でハワイ語で歌の練習をする。
 昼食は「ウィローズ・レストラン The Willow's Restaurant 」で本格的なハワイ郷土料理のランチプレートをいただいた。アヒポキ Ahi Poki はマグロの刺身みたいなもの。
 2日目はクアロア Kualoa Ranch は荒削りな緑の大自然が残る場所で、フラダンスはこういう雄大な大地と一体となって踊るもの。ここはジュラシック・パークのロケ地にもなった。上手く踊れたので、聖地に行けることになった。
 聖地はハワイ島のキラウエア火山。火の女王ペレが棲んでいると言われる場所。ペレに捧げる踊りがフラダンスであった。オアフ島から飛行機で50分。
 聖地に到着。松阪さんはムームーでフラダンスの歌い手の正装。内田さんはパウスカートで、フラダンス独特のスカート。無事フラダンスを捧げました。
 それから誰もいない火山の麓を歩いて、溶岩台地 Lava Plateau に到着。真っ黒な溶岩しかない。今回特別な許可を得て歩くことができた。1時間歩いて、溶岩の見える場所に到着。さらに溶岩が流れ出る場所に行けました。

●カンボジア・アンコールワット Angkor Wat
 アンガールズ(山根良顕、田中卓志)が案内。バンコクを経由して8時間で到着。案内はワン・ノップさん(47歳)。今回はアンコールワットを発見した時に、探検家が辿った道で、ジャングルを通る。150年前まで密林の中で眠っていた。
 まず東南アジア最大の湖トンレサップ湖を行くが、家は水上に浮かんでいる。1400世帯7000人が漁業で暮す。乾季と雨季との間に家は船で引っ張って移動する。まず錨を上げるのが必要で手伝う。潜るけど濁っていて見えない。
 ジャングルを歩く。1時間後、田中さんの体温は38.3度で、湖の水を飲んだのであたったらしい。ヤシの実ジュースを飲んでお腹は痛いが復活。セミの声だけが響く。深さ10cmの沼を通過して、合計4時間で到着。
 アンコールワットとはアンコール王朝の寺という意味。12世紀に造られた寺で、王家の墓であったとも言われている。西に向いて建っているので、西陽を浴びる時が一番美しい。西にある沼?池の先まで行って振り向いたら、池にも映っていて、絶景でした。

●ニューヨーク
 石原さとみ、勝村政信さんが案内。JALで12時間で到着。案内はフリー・ジャーナリストのマーク・ドレアさん(48歳)。大統領のそっくりさんブレント・メンデンホールさんは全米でも人気。彼を使って3人で会食し、スープをこぼすというドッキリをする。
 五番街は有名なショップが建ち並ぶ。世界遺産の自由の女神を観光。NYにしかないテディベアのぬいぐるみもあります。
 どっきりの後は、エンパイア・ステートビル(高さ443m)でエレベータに乗り80階に行く。歩いて85階に行き、世界一のNYの夜景を見ました。普段は観光客でごった返していますが、この時は貸切にしました。さとみさんは24日が誕生日だったので、みんなでお祝いをしました。

 一番人気はエベレストでした。


テレビ番組「世界で見つけた! 感動レストラン物語」

 2006年10月1日放送。内藤剛志、東貴博、山口もえ、田丸麻紀さんが案内。シェフたちの絶品料理には感動という隠し味があった。日本ハム提供。よみうりテレビ製作。

●フランス
 南西部の町サン・ジュニアン Saint Junien は小さな町。リモージュ空港から市内へ。町の中心から外れた丘にあるレストラン「ローリーヴァン Lauryvan 」は町でも人気。パリの三ッ星レストランでサービスをしていたオーナーのローラン・ブルイユさんが11年前にオープンし、連日大盛況。ここで働くのが杉本敬三さん(27歳)で、今年3月に総料理長として迎えられた。楽しそうに仕事をしていました。
 料理は「モリーユ茸とリ・ドォ・ヴォーとフォアグラの軽いクリーム煮込み、小さな気球仕立て」は殻のついた卵の上にパイがのったもので、パイの中にはフォアグラやリ・ドォ・ヴォー(仔牛の胸腺)とトリュフと一皿目から贅沢。これを目当てに来る人も多いとか。「手長えびのカリカリ・ジャガイモ巻き、バジルのソース」は色鮮やか。サクサクの衣もプリプリのエビが愉しみ。「牛フィレ肉とフォアグラのロッシーニ風、黒トリュフを使ったベリグー・ソース」。リムーザン地方は肉牛が有名で、これを170g使った料理には、フォアグラをあわせ、トリュフをふんだんに使う。「りんごのキャラメル・カリカリタルト、カルヴァドスのソース」。コースは64ユーロから。この地方の伝統を守りながら、いつも楽しませてくれるとお客さんは語った。サン・ジュニアンの市長のピエール・アラールさんもファン。

 杉本さんは小さい頃からお母さんの手伝いをしていた。京都・福知山の「すぎや」?。食べ歩いた一流レストランの記録もつけていた。高校クッキング選手権に3年連続出場し優勝した。24歳の時にミシュラン1つ星レストランの総料理長に就任していた。20代としては日本人として2人目の快挙。しかし、あっさりその地位を捨ててここに来た。フランス料理を極めるために、自分で星を取りたいと思ったそうです。

 市場に行き、白いんげん、ヤギのチーズなどを見てまわりました。レストランの庭には無農薬の野菜や果物やセップ茸がある。出張料理をしました。ヤギのチーズは衣をつけてチーズ・コロッケにした。ジャガイモは日本料理伝統のかつら剥きにして糸のようにスライスしてエビに巻いて揚げた。「豚肉のポルト酒煮込み、フォアグラのポワレ添え、根セロリの軽いクリームソース」はフランスの家庭料理。ここでも「煮こぼし」という日本料理のテクニックを使っていた。これは沸騰したお湯に肉を入れ、軽く2回水洗いしてアクと余分な脂を取る方法。ワインは特別なサンテミリオン・グランクリュ1999。白いんげんにオマール海老をのせ、トリュフのソースで仕上げた「オマール海老のサラダ仕立て、トリュフ風味、白インゲンとジロール茸のマリネ」。最後は「リ・ドォ・ヴォーと仔牛の頭のマリアージュ、セップを添えて」。仔牛の頭のカルパッチョと胸腺。杉本さんの話では、出張料理は1%のひらめきと99%の努力が必要だそうです。

 父の則行さんと母の妙子さんが来店した。「子羊の背肉のロースト」は1週間かけて作ったシンプルな料理で、脂は口の中で溶け、皮はできるだけパリパリにする。ソースも子羊で5時間煮込んで作った。味は「おいしい」、どう思うか?と聴かれたら「幸せです」とお父さんは語っていました。

●南アフリカ
 ケープタウンに日本の定食屋さんがある。東貴博さんが訪問。ヨハネスブルグ経由でケープタウン空港に到着。目の前にはテーブル・マウンテン。近代的な大きな町でヨーロッパ人のリゾート地。郊外に出ると野生動物の宝庫。デイジーやガーベラなどの野生植物も多い。
 ケープタウン港の一角に「ニッポン・ハウス」がある。全国漁業協同組合連合会ケープタウン事務所(tel? 92/04784/07)とも書いてある。魚田洋喜さん(50歳)は日本のマグロ漁船のエージェントもやっている。船員休養室もある。ラーメン50ランド(900円)、うどん50ランド、焼うどん60ランド、ベーコン定食30ランド、野菜炒め定食50ランド、ウィンナー定食30ランド、焼そば60ランド、焼き飯40ランド、ライス15ランドなど。一番人気は野菜炒め定食。
 自宅を訪問した。奥さんのフィシアさん(47歳)は陽気な人。長女アスカ(25歳)、次女のタツミさん(18歳)。魚田さんは17歳でマグロ漁船に乗り、立ち寄ったケープタウンでフィシアさんに出会った。しかしアパルトヘイトのために日本人が白人を妻として日本に連れて帰ることができなかった。留まれば結婚できるというので、魚田さんは留まることを選択し、1985年に結婚した。以来1度帰国した。釧路の母ミヨシさん(87歳)を気にかけていた。東さんはお母さんのビデオレターを持参していました。
 これに刺激されて魚田一家4人は9月2日女満別空港に帰ってきた。感動しました。

●ニューヨーク
 行列のできるデザートのフルコースを出すレストランのお店。山口もえさんが案内。ニューヨークで開店するレストランのうち90%が1年以内に閉店してしまうという。その中で開店して3年行列が絶えない店「チカリシャス ChikaLicious」を経営するのは千加ティルマンさん(44歳)。
 「ジャスミンティーのジュレにすいかのソルベ」。メインに合うワイン「オレンジマスカットのデザートワイン」はシャンパン・ゴールドの甘いワインで、ご主人のダン・ティルマンさんが持ってきてくれました。。メインは「季節のネクタリン、バニラ・アングレーズとバジルのソルベ添え」。完熟したモモの一種ネクタリンの皮をむいて黒砂糖をかけ、表面をバーナーで炙るとアメ状になる。デザート?は「プチフール Petit Fours 」。デザート・コースは「マスカルボーネ・チーズとグレープのタルト」。「ココナッツのマシュマロ」。「トリュフ」には中華で使う八角が入っている。もう1周したい人のために、メインのデザートは日替わりで数種類あり、好きなものを選べる。今度のメインは「フロマージュ・ブラン・アイランド・チーズケーキ」。デザート・プリフィックス・コースは12ドル。
 デザート専門の店がない。おいしいデザートを食べるには三ッ星などのレストランに行かないといけない。デザートを食べる前におなかがいっぱいになってしまうから、300ドルの後となる。ハンバーガー1個食べた後においしいデザートを食べて安くしたいという人の希望に沿って、こういう店を出そうとしたそうです。
 千加さんは20歳でダンさんに出会い、23歳で結婚を機に渡米。24歳でニューヨークの銀行で働いた。料理を学び、主席で卒業。新しくオープンしたレストラン「グラマシー・タバーン」のスタッフとなった。お店はザガットでニューヨークで一番の人気店と評された。2001年新しくオープンした店のチーフをまかされた。しかし、オープン翌日に9.11の同時多発テロが勃発し、友人も亡くし、お店は閉店した。自分のデザートのお店を持つことを考えた。

 千加さんのデザートには幸せがトッピングされていた。
 最大4人までのグループでどうぞ。場所は1番街と2番街の間&East 10th. street です。
http://www.chikalicious.com/

●カンボジア
 アンコール・ワットの近くでお店を開いた。田丸麻紀さんが案内。ボートに乗って進んでいくと、水上で生活している人々がいる。抜けると視界が広がり東南アジア最大の湖トンレサップ湖にでた。大きさは琵琶湖の10倍以上、魚の豊富さは世界一だといわれている。ここに水上レストラン「ヴィミアン・タマイ・レストラン」がある。出迎えてくれたのは養殖のワニとヘビ。希望者はクビに巻いて記念撮影ができる。名物料理は「蒸しライギョ」で、香草などに包んで甘酸っぱいタレにつけて食べる。もう一つの名物は「川エビのボイル」。

 シエムリアプ Siem Reap はカンボジア第二の都市。最近急激に人口が増加したという。アンコールワットは1992年に世界遺産に指定され、世界中から観光客がやってきて、カンボジア復興のためのボランティア活動をする長期滞在の日本人も増えている。アンコール・トムやタ・ブロームもある。
 ここに日本レストラン「米咲(まいさ)」がある。津野朱實さん(70歳)が経営する。若い頃は宝塚少女歌劇団に所属し、退団後も悠々自適な生活をしていた。3年前にオープンしたが、従業員には厳しい。米咲の清潔さは町でも有名。来店する人にはママと呼ばれている。日本にできるだけ近い料理にしてあるそうです。カレーライス5ドル、肉じゃが3.5ドル、カツ丼5ドル、天婦羅盛り合わせ6ドル、寄せ鍋20ドル。かつて割烹料理店をしていたからダシの取り方から本格的。食材はオールド・マーケットで上質で少しでも安いものを購入している。お店にはアンコール・フレンズ募金箱も置いてある。

 1999年か2000年にアンコールワットを観光に来たが、小児病院で地雷で怪我をした子供たちが担ぎこまれ、貧困で死んでいく子供たちを見た。子供たちを救うために67歳で決心し店を開いた。ところが小さいガンが見つかった。手術してすぐに復帰した。「この命いただいたのだから、何かやらないといけない。」と語っていました。病院からは感謝状が贈られていた。
 アンコール小児病院 Angkor Hospital for Children に行ってみた。写真家の井津建郎さんが寄付を呼びかけ、1999年に設立した。初診料は30円。他の病院に行けば3000円以上かかるので、外来患者数は1日450名。中には自転車に子供を乗せて3日かけて辿り着く家族もいるという。赤尾和美さんはここで働いている。付き添いの家族のための共同の炊事場もある。


テレビ番組「ポカポカ地球家族 カンボジア」

 2006年8月26日放送。約800年の歴史を誇る世界遺産アンコールワットがあるカンボジア。日本からタイ経由で8時間でプノンペン。内戦が終って13年、復興を目指し、ここ10年で観光客も10倍以上増えている。日本にはカンボジアからはカボチャが入ってきている。カボチャは「カンボジアのウリ」というポルトガル語が省略されたもの。日本には16世紀の始めにポルトガル人によって伝えられた。

●シアヌークビル
 プノンペンから陸路で3時間のリゾート地。町のシンボルはライオンで、富の象徴である玉を咥えている。5つ星ホテル「ソッカー・ビーチ・リゾート」もオープンしたが、1泊160ドル〜。プライベート・ビーチとしてのソッカービーチもある。誰でも100円程度で利用できる。
 新井智貴(33歳)、有子(33歳)夫婦、雄登(1歳)君はこの町の将来性にかけてやってきた。

 ビーチから歩いて10分のところに、日本料理店「空海」を経営している。ここの美しい海と空にちなんで名づけた。20席のお店。
 朝8時、新井さんは仕入れに出かける。自動車より原動機付自動車のほうが多く使われている。町の中心街にあるルー市場。カンボジアでは生魚を食べる習慣がないので、刺身にできる新鮮な魚を探すのには大変苦労している。日本料理屋を経営しているため、刺身は欠かせない。白身魚のバラクーダは1尾1.8万リエル(500円)。ツバメウオは1尾1.2万リエル(330円)で、刺身だとおいしい。
 自宅はお店の2階で、広さワンルームの50平方m、家賃はお店も含めて6.5万円。朝9時に朝食。

 夕方5時、「空海」の営業開始。店の看板料理は新鮮な刺身3種盛3ドル。バラクーダ、ギンガメアジ、ホシカイワイ。小エビの唐揚げ1.5ドル。日本で長年修行した経験を生かし魚介類を使った料理が豊富。口コミで人気が広まり常連さんも増えて来た。
 空海と同じ屋根の下で営業をしているのは鉄板焼き屋の「ハッパ」。一番の人気はお好み焼き。ドイツ人のイルファン・アーントさんと日本人の妻・景・アーントさん。渡りガニのバター炒め2.25ドル。イカのカンボジア風炒め1.25ドル。カンボジアの調味料を取り入れている。2組の夫婦で互いに協力し合い、経費などを削減するために、ビールサーバーなど共有できるものは使った量などをチェックして後で精算している。閉店後はお互いのお店で出た残り物で一緒に食事をとっている。元々は景さん夫妻が空海の常連だった。景さんらは2004年にカンボジアに来て、ゲストハウスをしていたが、あまりに忙しいので、昨年からお店にした。

 イルファンさん一家と新井さん一家はプライベートでも仲良し。買い物はいつも奥さん同士で出かけます。買い物へ出かけると立ち寄るのはデザート屋さん。お目当ては「白玉」500リエル(15円)。小豆ともち米の上に練乳をかけるので、まるで「氷あずき」のような「小豆ともち米のスィーツ」は500リエル(15円)。もう一つはカンボジアで定番のデザートで一番人気の「かぼちゃプリン」。500リエル(15円)。
 両方のお店が休みの日に、土鍋料理の店に行った。チュナンダイは4人前で4万リエル(1100円)。血流がよくなって体調がよくなるそうです。卵をからませた牛肉を、香草がたっぷり入った鍋でしゃぶしゃぶ風に食べるスタミナ鍋です。

 新井さん夫婦は今から7年前に出会った。2人は同じバスで乗客がほぼ欧米人のなか日本人だったので話す仲になった。有子さんは旅行を終えて日本へ帰国したが、新井さんは2004年に、お店の場所も見つかり開店をする際、スタッフとして日本に帰国した有子さんに電話して再びカンボジアへ来てもらった。お店が繁盛して、生活の基盤が見えたことで有子さんの両親を説得し、2005年に結婚した。

 カンボジアは5月から10月まで長い観光客も減る雨季に入る。イルファンさんはこの日「ハッパ」の新メニューを試みた。カンボジアの牛肉の炭火焼き。イルファンさんは新井さんに新メニューの相談をしていました。甘味があっておいしいが、固いのが難点。色々考えた結果、サラダ油に3日間漬け込むことで、「牛肉の炭火焼」1.5ドルが新メニューとして加わることになった。お客もおいしいと言ってくれた。

 観光船を借り切ってクルージングをした。半日借りても15ドル。港を出て好きな場所に行ける。

●暑さ対策の料理
 カンボジア料理専門店「アンコールワット」(代々木)のゴ・ワンデさんが教えてくれた。「牛肉とレモングラスの激辛鍋」。鶏ガラスープにレモングラス、ライムの葉、ご飯、ナンプラー、唐辛子、炒めたにんにく、炒めた牛肉を入れて完成。レモングラスは食べないそうです。

●カボチャプリン
 生のカボチャを種を除いて、よく混ぜた卵10個、ココナッツミルク大さじ6杯、砂糖100gをよく混ぜて、カボチャに入れ、カボチャが割れないようにボールに入れ、フキンで包むのがポイント。2−3時間蒸して、冷蔵庫で冷やしたら完成。8人分。


テレビ番組「ポカポカ地球家族 ラオス」

 2006年8月12日放送。海がないので、全長4000km以上のメコン川の恩恵を受けて生活している。国民総生産は世界179カ国中142位。最近素朴な魅力で観光客が増え始めている。平均月収4000円。小学校を卒業できる子は40%程度。

●ビエンチャン
 日本からはタイなどを経由して約8時間。首都ビエンチャンには、ラオスの人口の10分の1の50万人が暮らす。パトゥーサイ(凱旋門)などの19世紀フランス統治時代の建物が現在も残っている。  シンボルの黄金の寺院「タートルアン」は全体が黄金に塗られたラオス仏教中心となる寺院。ラオス国民の90%が仏教徒。
 ビエンチャンの生鮮市場「タラート・トンカムカム」にはインドシナ半島ならではの野菜や果物をはじめ、国中から新鮮な農作物が集まる。ドリアンも1kg120円。メコン川からの新鮮な魚もとっても豊富で、ピンパー(ティラビアの塩焼き)は1串120円。市場で多く見かけるのはお米の店で、米が主食ですがもち米(1kg40円)が中心。カオニャオという蒸したもち米をひき肉と香草で辛めに炒めたラープという料理(440円)や、魚とナスの煮込み料理ポンパ(385円)などといっしょに食べる。

●チャムバーサック地方
 世界遺産がある街で、ビエンチャンから飛行機で南東に1時間半。タイやカンボジアとの国境に広がる静かな田園地帯。
 岩月祐二(37歳)、妻マニチャン(28)、太郎(2)の3人家族。岩月さんは結婚した3年前からここのワットアマート村(人口300人)に住む。自宅は2階建で広さは207平方m、マニチャンさんの実家の敷地に価格は70万円で建てたもの。
 ラオスでは基本的に結婚の際に夫が婿入りする。マニチャンさんの母と妹2人とも暮らしている。家の前の道を散歩するのが日課。豆乳(ナム・トウフー)+シロップ+ゼリーは20円。
 車で15分のところの水田地帯に5年前に認定された世界遺産がある。「ワットプー遺跡」は、カンボジアのアンコールワットを築いたクメール人が7世紀頃建てた寺院で、クメール文化を伝える貴重な遺跡。現在日本をはじめ世界各国がこの遺跡に援助をしている。本殿のある100mほどの高台が岩月さんの一番のお気に入りスポット。
 料理は中庭で、ガスがないので炭火で行なう。夕食はケーンノーマイ(タケノコのスープ)、モッカイ(鶏肉の蒸し物)、トムカイ(地鶏の煮込み)。

 1999年に、岩月さんは青年海外協力隊の一員としてラオスにやって来た。2年の任期を終える頃ラオスの魅力に惹かれて、2001年に移住し現地スタッフとして働いている。ワットプー遺跡の修復も手伝っている?
 自宅でインターネットの利用サービスを2年前に始めた(8am - 6pm)。他にはコピーサービス(1枚5円)もしている。

 朝5時に起きて御飯を炊く。ラオスの人達が毎朝必ず行う大切な事は托鉢(修行僧が鉢を持って食物を受け、糧とする修行で、人々は托鉢することで、功徳を積むことができる)。近くの寺で修行する僧侶達が家を回り、最低限の食事を集める。托鉢の風景はどの地域でも見られます。僧侶に渡しているのは蒸したもち米やお菓子。おかずは持ち回りの当番が寺に届ける。

 5年前、日本から調査団を率いて訪れたワットプー遺跡で、観光客相手に入場券を売っていたマニチャンさんと出逢った。半年後、首都ビエンチャンに戻ったが、岩月さんは750kmを2日かけてバイクで行った。遠距離を経て、2003年に結婚。

 ある朝、女性たちがたくさんの料理を作っていた。三日後、仕事で村を離れる岩月さんの為にラオスの伝統行事「バーシー」が行われる。バーシーは親戚や友人が自宅に集まりその人の幸福や繁栄を祈願する儀式で、新年や出産でも事あるごとに開かれる。部屋の中央に祭壇、バナナの葉や蝋燭で色どられ、最後にもめん糸(ファーイ)が飾られる。
 祈祷師によるお祈りでバーシーが始まり、15分続いた。お祈りの後に、もめん糸が参加者全員に結ばれる。それから料理が振舞われた。料理は縁起のよい数字の7種類か9種類に決まっている。コーイ・パー(切り身魚の香草和え)、オ・カイパー(魚の内臓煮込み)、トムカイ(魚のスープ)など。ラオラオというラオスのお酒は40−50%で、一気に飲み干すのがマナー。

●メコン川の中洲トンデーン
 買ったばかりのボートで渡った。まるでプライベート・ビーチ。少し濁っていますが。

●伝統料理ラープ
 3人前の作り方。ナンプラーに1時間つけた牛もも肉(100g)を10秒程度茹でて、ナンプラーを大さじ3杯、ライム汁(大さじ2)を入れる。ミント(10枝)、唐辛子(大さじ1)、万能ネギ(4本)、赤タマネギ(1/2個)、切ったプチトマト(4個)を入れて混ぜる。カオクワ(もち米のふりかけ)をかけて完成。もち米と混ぜて一緒に食べる。もち米は日本のもち米に3分の1ほどお米を混ぜれば同じような感じになるそうです。

●万能調味長カオクワの作り方
 もち米をフライパンで色がつくまで炒め、ミキサーで細かく砕くだけ。

http://www.tv-asahi.co.jp/chikyukazoku/02_story/2006/backnumber.html


テレビ番組「2005年5月の「旅サラダ」はいとうまい子さんでベトナム・カンボジア」

 日本から飛行機で5時間。ベトナム航空で行きました。

●ホーチミン Ho Chi Minh
 道路はバイクで洪水。道路を渡ってみた。びびらないで渡るとよけてくれるらしい。
 一番活気のある市場、ベンタイン市場に行ってみた。食料品から日曜品まで何でも揃う。バイクに乗る時の必需品マスクを購入。5000ドン(35円)。女性は口紅がつかないし、うまく作ってありました。
 キムビン市場の横では屋台みたいになっていた。路上でデザートのチェーを売っていた(7−12時)。バナナゼリーにココナッツミルクをかけゴマをふりかける。2000ドン(14円)。
 雑貨屋「オーセンティック(Authentique)」に行く(6 Dong Khoi District1 , Ho Chi Minh City:tel:84-8-823-8811、9時〜21時:年中無休)。可愛い雑貨が多く、紫ポーチ 6ドル、小物入れ 3ドル、CDケース 7ドル。カラフルなバッグは2000円程度。家具もとってもオシャレ。

 チョロン Cho Lon は中国から移り住んだ華僑の人が文化を守り続けている川沿いの地区。フランス映画「ラ・マン」の舞台にもなった。漢字の看板もあるし、漢方薬通り、文房具通りもある。「富記」という店ではオーダーで木や青銅、ゴムなどでオリジナルのハンコを1時間で作ってもらえる(146 Phung Hung P.14 - Q.5 TP HCM、Tel: 84-8-8577022、10時〜17時:年中無休)。ウサギのが可愛かったけど、まい子さんは天秤棒をかついた人のハンコを作ってもらいました。8万ドン(560円)。

 ティエンハウ寺(天后宮)は18世紀(1760年)に建てられた華僑のお寺。航海安全の守り神ティエンハウ(天后聖母)が祀られていて、線香の煙がすごい。天井からつり下げられた大きなうずまき線香が印象的。

●カントー Can Tho
 ホーチミンから南西にいきメコン川を渡ったところにある町。朝6時、この町が最も活気づく時間。船から町を見てみた。水上生活をする人々に圧倒されたそうです。
 水上マーケットは朝5時頃からたくさんの舟が集まる(10時半頃まで)。船につきさしたような棒にカボチャやパイナップルが売っているものも目印。スイカ1個1万ドン(70円)で、甘くておいしいそうです。

 宿泊はヴィクトリアカントーホテル Victoria Can Tho Hotel (Cai Khe Ward, Can Tho City, Vietnam、Tel:84-71-810-111、Fax:84-71-829-259)で、フランス風で純コロニアル形式?。今回は219号室のヴィクトリアスィートで、250ドル(税サ別・朝食付き)。川の流れもよく見えて素晴らしい。
http://www.victoriahotels-asia.com/

 独創的なフォーを作っている工場を訪問してみた。俗名「BA BAY」といい、見学無料。住所:Ap Loi Vu B, P. An Bonh, Quan Ninh Kieu, Can Tho、電話:071-847488。フン・ティー・ウットおばあちゃんの工場。
 まず、水とお米を混ぜて砕き、ミルク状にする。余分な水を除いたものをクレープみたいに薄く焼き、3時間天日干しにする。生春巻きの皮にもなる。特別に牛肉の料理フォー・ボーを作ってもらった。


●ダラット Dalat
 ホーチミンから北東へ300kmの標高1500mの高原のリゾート。素朴な色合いの駅が印象的。フランス人が避暑地として愛した。公園の花がきれい。ダラット市場に行ってみた。野菜が山なりだが、ピーマンは長さが20cmくらいあってでかい!大根は小さい(笑)
 ダラット大教会はピンク色でロマンチック。この町のシンボルは美しく輝くスアンフォン湖。この湖の浮かぶレストラン「トゥイータ(Thuy Ta )」(01 Yersin St., Dalat 02-04 Tran Quoc Toan St., Dalat、tel:063-822-288、fax:063-510-649、6時30分〜22時30分、年中無休)。「ピーマンサラダ」4万ドン(280円)は、ピーマンの中にマヨネーズで味付けした高原野菜が入っている。じゃがいも、砂糖大根、いちごも入っている。「サバのトマトソース」5万ドン(350円)は、トマトソースが少しピリ辛。

 宿泊は白亜の宮殿のようなエントランスのホテル「ソフィテル・ダラットパレス」(12 Tran Phu Street Dalat、Tel:84-063-825-444、Fax:84-063-825-666)。ロビーはすごくシックで趣きがある。アイボリーがベースの色で、アンティークでゴージャス。今回はスィート・ジュニア・レークビューで、2人345USドル。ダラットの空港から約40分。1922年に建てられたホテルを改装し、1995年に再オープンした。
http://www.sofitel.com/sofitel/fichehotel/gb/sof/1744/fiche_hotel.shtml

●ニャチャン Nha Tiang
 ベトナムの最高級のビーチ・リゾート。ダラットから車で5時間。高台には町を見守っている巨大な白い大仏がある。ロンソン寺は、大乗仏教のお寺です。
 ホンチョン岬に行ってみた。潮の満ち引きによって形を変え、眺めも素晴らしい。
 アナマンダラ・リゾート(Ana Mandara Resort、tel: 84-58-829-829、fax: 84-58-829-629)は海に面して立つ高級リゾート。客室は全てビラ形式。今回はアナマンダラヴィラで、2名利用で、US407ドル。プライベート・ビーチが自慢。

●タイハイ村
 ニャチャンの東南にある漁村で、朝5時半に漁に出た人を待つ元漁師、グエン・バン・バンさん(68才)は息子たちが漁をしていた。

●フエ Hue
 北上し古都フエに向かった。ベトナム最後の王朝グエン朝の都(1802年から143年間続いた)として栄えた。華やかには見えるが、フランスの支配で苦しい現実もあった。入場料5.5万ドン(390円)。色鮮やかな廟門からは当時の華やかさも感じられる。歴代の皇帝と皇后が奉られている世廟は朱色に金色の縁取り。2003年に世界遺産に登録された宮廷音楽。グエン朝の末期に皇帝の前で演奏した人が現役だった。ルー・フー・ティーさん(95歳)。今では息子や孫に教えて宮廷音楽を守っている。本物の宮廷音楽「ニャニャック」を聞かせてもらった。9時〜11時、14時〜16時。年中無休、入場料2万ドン(140円)。
 世界遺産の王宮を中心とした旧市街、そしてクオン川?。人々もゆったりしているように見えた。船から見ると何となく懐かしい感じがした。川下りは、センチュリーホテルの横から出発。料金は1隻1時間あたり10万ドン(700円)。最少催行人数なし。


●ハノイ
 首都。大都市だが緑が多い。バイクが多い。カラフルな建物が多く、どことなくフランスの感じがするレトロな街並み。
 ハノイ名物のブンチャー Bun Cha を「ダック・キム Dac Kim」(1 Hang Manh Str, Hanoi、tel:8-285022)に食べに行った。春巻きを揚げ、豚肉を網焼きにする。ヌクマムの入った甘めのスープにブンというお米の麺を入れ、パクチーなどを好みで加えていただく。唐辛子の辛味もついている。次は豚肉を入れ、揚げ春巻きも食べる。2.5万ドン(175円)。

●ドンホー村
 車で1時間半。ドンホー版画という木版画で有名な村。グエン・フー・サムさんは村に2人しかいないアーティストの一人。住所は Thon Dong Ho - Xa Song Ho , Thuan Thanh -Bac Ninh、tel:0241-865-482。
 赤色はレンガから作る。花の実から黄色を作る。貝殻から白色を作る。黒は落葉の笹を集め焼いて水をかけ炭にして作る。ゾウという木から作ったベトナム紙に描く。一枚づつ色を重ねてつくる木版画で独特な色合いと素朴なデザインで人気。

●ハロン湾バイチャイ
 ドンホー村から車で3時間、ベトナムで最も幻想的な場所と言われる。ハロン湾沿いの小さな港町、バイチャイ。
 宿泊は「ハロンプラザホテル Halong Plaza Hotel 」(No 8 Ha Long Road, Bai Chay, Ha Long City, Quang Ninh、Tel:84-33-845810、fax:84-33-846-867)。ハロン湾を一望できる、落ち着きのあるホテル。ロビーは優雅でとても開放的。部屋はシックで落ち着きがある。今回は、エグゼクティブスイートで、US300ドル。部屋からハロン湾が一望できました。

 奇岩の多いハロン湾クルーズ「Huong Hai Junk」に参加(住所:No.1 Bai Chay, Ha Long、Tel: 84-033-845-042、携帯:095-333-9666)。乗船料1隻(3時間コース)45万ドン(3150円)、入場料1人3万ドン(210円)。ハロンとは降龍の意味で、龍の母と子がこの地に舞い降り、岩となって国を守ったという伝説に由来している。海はヒスイ色で、霧がたちこめて神秘的でした。切り立った岩が迫ってきて迫力がある。クルーズは約3時間〜5時間で時間によって値段がかわる。今回乗った船の番号は QN-3248H でした。夕陽もきれいでした。
 海に浮かぶ市場で、魚介類を購入し船で調理してくれる。調理代金は乗船料に含まれている。ビール蒸しにして食べるのが一番おいしいそうです。シャコ1匹US1ドル、カニ1匹1ドル、伊勢エビ1匹10ドル、エビ1匹1ドル。何をつけなくてもおいしいそうです。

●カンボジア シェムリアップ
 今から1000年前にアンコール王朝の王たちが広大な密林を切り開き、600を越える寺院を築きました。伊藤さんはずっと来たかったので、40歳にして来れたというのが嬉しいという。18世紀にフランス人によって発見された。

●アンコール・トム Angkor Thom
 1辺が3kmで高さ8mの城壁、幅113mの堀で囲まれた王都アンコール・トム。その中心にバイヨン Bayon寺院がある。積み上げられた石が宇宙を凝縮したような感じを受ける。アンコール王朝にかげりが見え始めた12〜13世紀初頭に建てられ、永久に繁栄が続くことを祈って建てられた仏教寺院。アンコール遺跡入場料(アンコールワットなど複数の遺跡の共通券)は、1日券20ドル、3日券40ドル。遺跡への道の途中のゲートで入場券を買う。すべての遺跡に有効で、それぞれの遺跡の入り口に係員がいて、その都度提示を求められる。アンコール・ワットをしのぐスケールだと言われている。迷路みたいになっている。
 神の降臨するバイヨンの頂きには、どこを見ても顔、顔、顔。四方に向けられた仏の微笑み。慈愛が世界に向けられている。全部で196あるがいろいろな顔がある。

 影絵芝居(スバエク・トム)を見に行った。白い布がスクリーンで、木琴や太鼓を鳴らし、ココナッツの殻を盛大に燃やす。みんなが全身でリズムを取りながら人形を動かして、インドの叙事詩の物語がすすむ。この人形はなめした牛の皮にデザインを描き彫ったもの。12世紀頃から伝えられている。内戦のためにずっと途絶えていたが、10年ほど前から復活しているそうです。
 注意としては、番組中で紹介された大規模なものは通常見ることができず、レストラン「バイヨン1」などで見ることができる。住所は、Wat bo Road, Siem Reap、Tel:012-614-040。値段は食事代のみ(夜19:30より影絵)。


 4回目はビデオ不調でHPからの転載です。
●アンコールワット
 12世紀前半に建てられたヒンドゥー教の寺院。クメール建築の頂点ともいわれる、世界遺産。西向きに建てられているので、午前中は逆光になるので、午後からがおすすめ。入場料は1日券がUS20ドル、3日券がUS40ドル。遺跡ゲートで入場券を買う。すべての遺跡に有効で、それぞれの遺跡の入り口に係員がいて、その都度提示を求められる。

 市場に行く。オールド・マーケットは、町の南側のメインストリートであるシヴァタ通りとシェムリアップ川の間にある市場で、営業時間は8時〜21時頃までで、店により異なる。魚や肉、野菜の生鮮食品や雑貨までいろいろある。

 宿泊は、「ヴィクトリア・アンコールホテル Victoria Angkor Hotel 」(Central Park, Siem Reap, Kingdom of Cambodia、tel:855-63-760-428、fax:855-63-760-350)で、2004年にオープン。クメールの伝統的な建築様式をベースにしたフレンチコロニアル様式の館内。今回は、ヴィクトリアコロニアルスイートで、2名US440ドル。「マハラジャスイート」と「タプロムスイート」も見学した。
 食事はホテル内のレストラン「レ・スカール L`Escale 」。「ローファの焼き春雨」はUS5ドル。「シーフードアモック(クメールスチームカレー)」US10.2ドル。

●アンコール遺跡のタ・プローム
 発見されたときの状態で残されている。樹木の除去や修復をしないまま、据え置かれており、自然の脅威を感じさせる遺跡。入場料はアンコールワットなどと共通券。


テレビ番組「モモコ一家の夏休み 2004 in ゴールデントライアングル タイ&ラオス&ミャンマーの国境」

 2004年8月29日放送。ハイヒール・モモコ、小林政仁、仁一郎9歳、政之助5歳、紗音琉(さとね)1歳10ヶ月が出演。やってきたのは、ミャンマー、ラオス、タイの国境の川が合流している「ゴールデン・トライアングル」。かつては麻薬の生産地として知られていたが、最近は高級リゾートホテルが立ち並ぶ。ここでアジア最強のカブト虫を探す。関西テレビ製作。

●子供用の旅行用品
 ムーニーマンの使い捨てタイプの幼児用の水着の中のおむつ「水あそび」420円、おむつ付きの水着3360円〜も紹介されました。日焼け防止用の帽子、日焼け止めクリーム3990円、ベビータッチパウダー1890円。子供用のお箸1050円、315円、1260円。プラスチックのコンパクトカップ262円(ケース付き)はガラスを割らずにすむので便利。チャイルド日よけ1365円。ふしぎなお絵かきペン1659円は落書きした時のために便利。食事中に汚れないように「お食事だいすきエプロン」1260円、「フードタイムブブスモッグ」504円。

●タイ料理
 トムヤムクンは世界三大スープの一つ。屋台の料理のカオマンガイは蒸し鶏のせご飯。タイカレーはココナッツミルクの甘さと唐辛子の辛さがほどよくマッチしている。ネームはタイ北部の料理で、生肉のソーセージ。豚肉、もち米、にんにく、唐辛子入りで、生姜とピーナッツを一緒に食べるのがポイント。メコン川名物の高級魚プラーブックのニンニク揚げ。大きいものは全長3m、重さ200kgとか。

●タイのフルーツ
 ドラゴンフルーツは見た目はごまのお菓子に見えるが、味がないそうです。龍眼、ランブータン、マンゴスチンは中華料理でもおなじみ。後者は10−15個で60円くらい。  バイボアボックのジュースは大腸ガンに効くというのがわかった。少し飲みにくいようです。

●タイのチェンライ
 バンコクまでタイ航空で5時間半、チェンライまで1時間。13世紀の初頭、ランナー王朝の首都として定められた。タイのオアシスとも呼ばれている。タイ北部ではチェンマイに続く第二の都市として、着実に成長を遂げている。空港の近くには新しい家が立ち並んでいる。庭付き1戸建住宅は、530坪で444万バーツ(1330万円)。但し、外国人は一戸建て住宅購入はダメ、マンションはOK。

●タイのルアミット村
 チェンライから車で1時間。エレファント・キャンプがある。象に乗って村の中を歩きまわることができる。その前に象たちにえさをやる。サトウキビは6−7本で20バーツ(50円)。象の上にイスを乗せて3人で乗った。エレファント・トレッキングは150バーツ(450円)。

●タイのファイヒンフォン温泉
 チェンライから車で30分。地元の人にもあまり知られていない温泉。チェンコーン・メーサイ通りにある。2年前にオープンした新しい温泉。熱湯が噴水のように噴出していました。お湯がたまっていますが、熱いそうです。温泉棟で温泉に入った。入浴料大人30バーツ(90円)、子供20バーツ。まわりには食事処も充実。うずらの卵は10個10バーツ(30円)。ヘビスープ120バーツ(360円)は鍋になっています。

●ラーメン屋
 チェンライから車で40分。TV取材が激しいラーメン屋さん。チェンライ・メーサイ通り沿いにある「カオソイアノン」。タイ料理を独自にアレンジしたメニューで、西洋人にも人気らしい。お米で作った麺。カオソイ・ラーメン(タイ風カレーラーメン)20バーツ(60円)で日本人もうまい!という味です。ナンミョー(トマト入りイタリアンラーメン)は20バーツ。

●ショッピング
 タラートテサバーン通りにある「サハータウィーティ・プラザ」で買物。Tシャツやパンツ、靴が豊富できれいです。2階ではパンツが200バーツ、Tシャツが50バーツ。
 テオバーン市場はそのショッピング・モールの向かい。新鮮な野菜や魚介類が並ぶ。ひときわ目をひくお店が「ネンノーイ」で、目の前で唐揚げを揚げてくれる。鶏17バーツ(51円)、ブタの皮8バーツ(24円)。開店から2時間で売り切れになるらしい。

●宿泊
 町の中心から車で5分のところにあるクラインラシット通りの「デュシット・アイランド・リゾート・チェンライ」。中州を利用して建てられたホテルでチェンライ一。外国からの宿泊客に高い支持を得ている。今回はアイランド・スィート1泊1室1.5万バーツ(4.5万円)〜。12歳以下は無料。これだけでも豪華でしたが、プリンセス・スィートは王室関連とかが宿泊する特別室で1室2.6万バーツ(7.8万円)〜。プールも豪華です。
http://www.dusit.com/
 昼食はここのホテルのレストラン「チャイナタウン」。11時から2時までは飲茶の食べ放題。258バーツ(770円)、子供は半額。
 ここの「ヨギ」でエステも体験。タイ古式マッサージで2時間+ハーフサウナ30分で900バーツ(2700円)

●食事
 ファンコークチャーン通りの「スーパーク」。一人39バーツ(120円)で豚鍋「ムーガタ」が食べ放題。真中で肉を焼いて、その汁が溜まったところで野菜を焼く。食べ残しは100gに付き10バーツの罰金がある。
 夜、町の中心にある時計台から少し行ったところにある屋台のお店で「ロティ」(タイ風クレープ)を食べる。プレーン6バーツとバナナ入り15バーツ(45円)がある。ロティを焼いて20年のチャンさんがお店をやっている。練乳もかかっていて甘いそうです。
 時計台から南へ300m行ったところにあるパホンヨーティン通りの「ムァントン・レストラン」は24時間営業。「カオムーデン」(豚のケチャップライス)は25バーツ(75円)。「ラートナー」(豚肉入り野菜あんかけ麺)は25バーツ(75円)。

●夜店
 ナイト・バザールに行く。パホンヨーティン通り。欧米の人が多い。Tシャツ150バーツを「ペーン」(高い)と言って、100バーツに値切った。


●ラオス
 ゴールデン・トライアングルから船で渡った。貸切船1隻で5人乗りだと300バーツ(900円)、40人乗りだと800バーツ(2400円)。川の色は少し赤みがかった泥色です。パスポートがないので、入国はできないが、上陸はいいそうです。
 ラオスのドンサリオ村。入村観光料は一人20バーツ(60円)で、お土産の店が並ぶ。コブラが瓶に入って売っていた。何となくのどかです。操り人形も売っていた。ポストがあったので、絵葉書を買って投函しました。切手は40バーツ(120円)。

●ゴールデン・トライアングルの昼食
 ゴールデン・トライアングル(チェンコーン・メーサイ)にある「アナンタラ・リゾート&スパ」に行く。アイ北部の建築様式を緑生い茂る自然の中に取り入れた格式高いホテル。ここのレストランではゴールデントライアングルを眺めながら、タイの伝統的な料理を味わうことができる。カオパットクン(タイ風エビチャーハン)180バーツ(540円)、パッタイクン(タイ風エビ焼きソバ)190バーツ(570円)、サテールオム(鶏・豚・牛の串焼き)180バーツ(540円)。エレファント・オレンジジュースは250バーツ(750円)だが、リンゴが象さんの形に切ってあって、目がついていて、葉が耳となっている。
http://www.farangs.com/anantara-resort-spa.htm

●タイのメーアーイ地方
 チェンライから車で1時間半。タイ北部ミャンマーとの国境にほど近いヤパー村。ここにはアカ族、カレン族、ラフー族が住む。お土産のお店が並ぶ。子供ははだしだけど元気。カレン族の女性は首に金色の輪を巻いていて首がみんな長い。首輪の重さは3kg程度らしい。子供たちが絵を描くことにして、女性にモデルになってもらった。首長族の女性が踊りを披露してくれた。

●昆虫採集
 エレファント・キャンプのあったルアミット村で虫採り名人のラーさんに手伝ってもらう。注意するのは、ヘビで、トンボやバッタは簡単に取れる。雨がやんだ後は虫たちが集まりやすい。虫かごには手は入れない。
 ヒメカブトムシは、東南アジアを中心に広く分布し、世界一戦闘好きなカブトムシ。オスは興奮すると「キューキュー」と音を立てる。日本には生息していない。竹の新芽に生息しているが捕まえられなかった。
 番組の最後に、チェンライ県庁広報担当のパタヤポンさんが1時間かけて採ってくれたカブトムシを見せてくれました。


テレビ番組「モモコ一家の夏休み 2004 in ゴールデントライアングル タイ&ラオス&ミャンマーの国境」

 2004年8月29日放送。ハイヒール・モモコ、小林政仁、仁一郎9歳、政之助5歳、紗音琉(さとね)1歳10ヶ月が出演。やってきたのは、ミャンマー、ラオス、タイの国境の川が合流している「ゴールデン・トライアングル」。かつては麻薬の生産地として知られていたが、最近は高級リゾートホテルが立ち並ぶ。ここでアジア最強のカブト虫を探す。関西テレビ製作。

●子供用の旅行用品
 ムーニーマンの使い捨てタイプの幼児用の水着の中のおむつ「水あそび」420円、おむつ付きの水着3360円〜も紹介されました。日焼け防止用の帽子、日焼け止めクリーム3990円、ベビータッチパウダー1890円。子供用のお箸1050円、315円、1260円。プラスチックのコンパクトカップ262円(ケース付き)はガラスを割らずにすむので便利。チャイルド日よけ1365円。ふしぎなお絵かきペン1659円は落書きした時のために便利。食事中に汚れないように「お食事だいすきエプロン」1260円、「フードタイムブブスモッグ」504円。

●タイ料理
 トムヤムクンは世界三大スープの一つ。屋台の料理のカオマンガイは蒸し鶏のせご飯。タイカレーはココナッツミルクの甘さと唐辛子の辛さがほどよくマッチしている。ネームはタイ北部の料理で、生肉のソーセージ。豚肉、もち米、にんにく、唐辛子入りで、生姜とピーナッツを一緒に食べるのがポイント。メコン川名物の高級魚プラーブックのニンニク揚げ。大きいものは全長3m、重さ200kgとか。

●タイのフルーツ
 ドラゴンフルーツは見た目はごまのお菓子に見えるが、味がないそうです。龍眼、ランブータン、マンゴスチンは中華料理でもおなじみ。後者は10−15個で60円くらい。
 バイボアボックのジュースは大腸ガンに効くというのがわかった。少し飲みにくいようです。

●タイのチェンライ
 バンコクまでタイ航空で5時間半、チェンライまで1時間。13世紀の初頭、ランナー王朝の首都として定められた。タイのオアシスとも呼ばれている。タイ北部ではチェンマイに続く第二の都市として、着実に成長を遂げている。空港の近くには新しい家が立ち並んでいる。庭付き1戸建住宅は、530坪で444万バーツ(1330万円)。但し、外国人は一戸建て住宅購入はダメ、マンションはOK。

●タイのルアミット村
 チェンライから車で1時間。エレファント・キャンプがある。象に乗って村の中を歩きまわることができる。その前に象たちにえさをやる。サトウキビは6−7本で20バーツ(50円)。象の上にイスを乗せて3人で乗った。エレファント・トレッキングは150バーツ(450円)。
●タイのファイヒンフォン温泉
 チェンライから車で30分。地元の人にもあまり知られていない温泉。チェンコーン・メーサイ通りにある。2年前にオープンした新しい温泉。熱湯が噴水のように噴出していました。お湯がたまっていますが、熱いそうです。温泉棟で温泉に入った。入浴料大人30バーツ(90円)、子供20バーツ。まわりには食事処も充実。うずらの卵は10個10バーツ(30円)。ヘビスープ120バーツ(360円)は鍋になっています。

●ラーメン屋
 チェンライから車で40分。TV取材が激しいラーメン屋さん。チェンライ・メーサイ通り沿いにある「カオソイアノン」。タイ料理を独自にアレンジしたメニューで、西洋人にも人気らしい。お米で作った麺。カオソイ・ラーメン(タイ風カレーラーメン)20バーツ(60円)で日本人もうまい!という味です。ナンミョー(トマト入りイタリアンラーメン)は20バーツ。

●ショッピング
 タラートテサバーン通りにある「サハータウィーティ・プラザ」で買物。Tシャツやパンツ、靴が豊富できれいです。2階ではパンツが200バーツ、Tシャツが50バーツ。
 テオバーン市場はそのショッピング・モールの向かい。新鮮な野菜や魚介類が並ぶ。ひときわ目をひくお店が「ネンノーイ」で、目の前で唐揚げを揚げてくれる。鶏17バーツ(51円)、ブタの皮8バーツ(24円)。開店から2時間で売り切れになるらしい。

●宿泊
 町の中心から車で5分のところにあるクラインラシット通りの「デュシット・アイランド・リゾート・チェンライ」。中州を利用して建てられたホテルでチェンライ一。外国からの宿泊客に高い支持を得ている。今回はアイランド・スィート1泊1室1.5万バーツ(4.5万円)〜。12歳以下は無料。これだけでも豪華でしたが、プリンセス・スィートは王室関連とかが宿泊する特別室で1室2.6万バーツ(7.8万円)〜。プールも豪華です。
http://www.dusit.com/
 昼食はここのホテルのレストラン「チャイナタウン」。11時から2時までは飲茶の食べ放題。258バーツ(770円)、子供は半額。
 ここの「ヨギ」でエステも体験。タイ古式マッサージで2時間+ハーフサウナ30分で900バーツ(2700円)

●食事
 ファンコークチャーン通りの「スーパーク」。一人39バーツ(120円)で豚鍋「ムーガタ」が食べ放題。真中で肉を焼いて、その汁が溜まったところで野菜を焼く。食べ残しは100gに付き10バーツの罰金がある。
 夜、町の中心にある時計台から少し行ったところにある屋台のお店で「ロティ」(タイ風クレープ)を食べる。プレーン6バーツとバナナ入り15バーツ(45円)がある。ロティを焼いて20年のチャンさんがお店をやっている。練乳もかかっていて甘いそうです。
 時計台から南へ300m行ったところにあるパホンヨーティン通りの「ムァントン・レストラン」は24時間営業。「カオムーデン」(豚のケチャップライス)は25バーツ(75円)。「ラートナー」(豚肉入り野菜あんかけ麺)は25バーツ(75円)。

●夜店
 ナイト・バザールに行く。パホンヨーティン通り。欧米の人が多い。Tシャツ150バーツを「ペーン」(高い)と言って、100バーツに値切った。


●ラオス
 ゴールデン・トライアングルから船で渡った。貸切船1隻で5人乗りだと300バーツ(900円)、40人乗りだと800バーツ(2400円)。川の色は少し赤みがかった泥色です。パスポートがないので、入国はできないが、上陸はいいそうです。
 ラオスのドンサリオ村。入村観光料は一人20バーツ(60円)で、お土産の店が並ぶ。コブラが瓶に入って売っていた。何となくのどかです。操り人形も売っていた。ポストがあったので、絵葉書を買って投函しました。切手は40バーツ(120円)。

●ゴールデン・トライアングルの昼食
 ゴールデン・トライアングル(チェンコーン・メーサイ)にある「アナンタラ・リゾート&スパ」に行く。アイ北部の建築様式を緑生い茂る自然の中に取り入れた格式高いホテル。ここのレストランではゴールデントライアングルを眺めながら、タイの伝統的な料理を味わうことができる。カオパットクン(タイ風エビチャーハン)180バーツ(540円)、パッタイクン(タイ風エビ焼きソバ)190バーツ(570円)、サテールオム(鶏・豚・牛の串焼き)180バーツ(540円)。エレファント・オレンジジュースは250バーツ(750円)だが、リンゴが象さんの形に切ってあって、目がついていて、葉が耳となっている。
http://www.farangs.com/anantara-resort-spa.htm

●タイのメーアーイ地方
 チェンライから車で1時間半。タイ北部ミャンマーとの国境にほど近いヤパー村。ここにはアカ族、カレン族、ラフー族が住む。お土産のお店が並ぶ。子供ははだしだけど元気。カレン族の女性は首に金色の輪を巻いていて首がみんな長い。首輪の重さは3kg程度らしい。子供たちが絵を描くことにして、女性にモデルになってもらった。首長族の女性が踊りを披露してくれた。

●昆虫採集
 エレファント・キャンプのあったルアミット村で虫採り名人のラーさんに手伝ってもらう。注意するのは、ヘビで、トンボやバッタは簡単に取れる。雨がやんだ後は虫たちが集まりやすい。虫かごには手は入れない。
 ヒメカブトムシは、東南アジアを中心に広く分布し、世界一戦闘好きなカブトムシ。オスは興奮すると「キューキュー」と音を立てる。日本には生息していない。竹の新芽に生息しているが捕まえられなかった。
 番組の最後に、チェンライ県庁広報担当のパタヤポンさんが1時間かけて採ってくれたカブトムシを見せてくれました。


テレビ番組「道浪漫」2004年2月1日は日比野克彦さんでカンボジア

●ソンヴォー村
 プノンペンとトンレサップ湖の間の村。この季節カンボジアの村で最も賑わう村があるという。村の中では生臭い匂いがする。川べりはすごい混雑。1年に1度魚の最盛期で漁師から魚をみんな買っている。その横ではカゴに小魚を入れて川の中で踏んでいる。踏むと内臓とウロコが落ちるそうです。また身を柔らかくするのが目的とか。それから塩漬けにして半月寝かすとプラホックになるそうです。細かく刻んで味噌のように使う。つまりこの季節、作ったプラホックを全国から買いにくるわけです。一人分で1年間で30kg。ここの人は月明かりの中、夜を徹して作業する。
 満月の夜に奇妙な声が聞こえた。カンボジアの伝統芸能スバエク・トム(大型影絵)のリハーサルだった。内容は古代インドに伝わる神話の世界で12世紀以前からのもの。特徴はスクリーンの裏と表を使うので、表の時ははみだして使うというか、人間が全面に出て踊ります。裏では多くの子供たちが舞台の動きにあわせて必死に練習していた。
 翌日、影絵を作る職人のナップ・パウさん77歳を訪問した。5歳から始めたそうです。牛の皮に掘られる細かい模様。演目によって100を越えるデザインがあるそうですが、全ての芝居と図柄が頭に入っているそうです。

●カンドル村
 プノンペンの北。どこか懐かしい風景はサトウヤシの木々。イア・ソックモーンさんがお弁当を畑に持っていくところに出会った。兄?が木に登ってジュースを取っていた。花に容器をつけておくとジュースが取れるという。このジュースが砂糖の原料となる。
 家に持って帰ると、まずこして、1時間煮詰める。冷えるまでかき混ぜて型に入れて完成。上品な甘さだそうです。パンにのせて食べるのが地元の流儀。
 サトウヤシの並木道にショットバーがある。さきほどのジュースにスラインボアの木の皮を入れておくとお酒になるそうです。

●シェムリアップ
 アンコールワットのある観光の町。目につくのはくつろぐ人たち。国民の9割がマイ・ハンモックを持っているという。カンボジアではポピュラーなハンモック・レストランに行ってみた。通路の両側にハンモックが並んでいる。料理は茹でたトウモロコシ1本と漬物で350リエル(10円)で、これが定番。食べる時は座る。
 ハンモックなどを売っているお店。シェムリアップじゃないかもしれませんが、ハンモック5ドル、ハンモック専用台11ドル。
 日本語学校「山本日本語教育センター」を訪問。ここは1996年に作られた学校で、授業料は無料。カンボジア全土から選ばれた61人が勉強している。

 宿泊は三角屋根のアンコールビレッジは、カンボジア有数のリゾートホテル。緑の庭にコテージが並ぶ。三角屋根はカンボジア伝統のスタイル。今回はデラックスルームで1泊131ドル。庭もいいし、眼下には蓮の花が咲く水辺。通常は1室82ドル〜。
 気球に乗って、200mの高さからアンコールワットなどの遺跡が見た。「アンコール・バルーン」は昨年12月からのサービスで、大人11ドル、子供5.5ドル。

●アンコールワット
 バイヨンに行ってみた。12世紀に建てられた仏教寺院。四方に観世音菩薩が彫られた54の塔は、その慈悲が全ての人々に届くように建てられた。いつでもどこでも菩薩さんに守られているという意識になるようです。
 タ・プロームは12世紀に王の母に捧げる菩提寺として建てられた。発見された当時のままにしておいて修復しないのが、タ・プロームのテーマ。木が石にのめりこんでいて、この遺跡の最大の破壊者が木であり、カンボジアの人々はこの姿こそ美しいと考えたから。さらに奥に進むと、木のまだれがあった。木と石の歳月が生んだ偶然のアート。

http://mbs.jp/tv/michi/368/


テレビ番組「道浪漫」2004年1月18日は日比野克彦さんでカンボジア

●アンコールワット
 神々の住む世界遺産アンコールワットはクメール建築の象徴。そびえ立つ 塔の頂上まで32段の階段を登った。

●プノンペン
 今は確実に復興しつつある。朝食は「スック・サン」でクイッティウとい う定番が評判の店。エビ入りクイッティウは2500リエル(65円)。砂 糖とライムを加えて食べるのが地元流。プノンペンの暮らしの中心はプサー ・トゥメイ(中央市場)。生鮮食品からお土産まで全てが揃う。営業時間は 、7時頃〜17時頃。
 チャン・キムさん経営の露店のアイスクリーム屋さんで1本100リエル (3円)のアイスクリームを食べる。1本買うと現金いただきルーレットを させてくれた。最高500リエルが当たる。キムさんのパラソルに日比野さ んは絵を描きました。さらに「おいしいアイスクリーム、500リエル当た るかも?」と書いて、売上倍増!と言ったが、どうでしょう?街に繰り出し ました。
 プノンペンの強烈な交通事情。信号がないけど、何とかなっている。プノ ンペンを一歩出ると、庶民の足はバイクタクシー。多い時はリアカーに20 人程度乗っていて、それをバイクが引っ張っている。行き先、料金は交渉次 第で、このタクシーで北へと向かう。
 スクンに向かう途中にマスク専門店があった。プノンペンの若者に人気で 、マスク1枚が400リエル(10円)。都会の子はクロマーでなく、マス クをするらしい。

●チョンコック村
 プノンペンの北東60km。クロマー織物の里。家々には織り機がある。 ピック・セーンおばあちゃんはこの道60年。クロマーはカンボジアの暮ら しには欠かせない生活必需品。頭からアゴにかけてターバンのように巻く。 お寺に行く時に被るそうですが、60種類以上の使い道があるという。

●スクン
 国道6Aを北に向かう。街に入ると黒い固まりをもった女性が近づいてき た。土ぐもの一種で、塩や砂糖で下味をつけて、ニンニクと一緒に素揚げし たもの。卵を持つこの時期が一番おいしいとか。さらに関節痛に効くとか。 ここのバス停には、カンボジア全土から人が買いに来るという。10匹45 00リエル(120円)。お正月の田作りだと思えば〜っていう感じの味だ そうです。お酒につけて、薬用酒にもします。

●トンレサップ湖
 カンボジア最大の湖。今は乾季なのであまり水がないが、雨季になると、 乾季の約3倍の大きさになる。この湖の上で暮す人は6000人。警察、役 場、教会もある。村の家は全て船。だから、乾季は沖合いへと家ごと引越し する。止める時は3mの水深のところに杭を打って船を留める。船の上に自 転車が見えた。3月になるとこの辺も陸になるから、それで学校に通うとい う。一人の子が一寸法師のようなお椀のような船で移動していた。船の上で 養豚もしていた。揺れる船の上でビリヤード場があった(笑)やっぱり玉は 動くそうです。

 小学校4年生のチョン・ソッピア君の家に泊まらせてもらうことにした。 テレビもあるし、立派なベッドもある。警察からの指示で、乗ってきた船を 横付けするように言われ、そのために船頭さんが泊まることになった。ソッ ピア君の作った食事を食べた。
 翌日、ソッピア君のボートで学校に行く。1時間かけてチョン・クニッ小 学校に7時頃到着。水上小学校で、日比野先生・特別授業をした。持ってき た絵の具で、いろいろな色を作って、52人の子供に絵の具を持たせて、一 人一人が船の絵を描いた。
 メイ・ウォーンさんは、ポルポトの時代に土地を失ってここに来て30年 。ここも魚が減ってきているという。

http://mbs.jp/tv/michi/366/


テレビ番組「片岡鶴太郎、神々の楽園アンコール遺跡の旅、森と水の王国カンボジア」

 2003年6月22日(日)放送。人口の9割が仏教徒。テレビ朝日製作。

●プノンペン
 プノンペンは平和の訪れと共に発展を続けている。プノンペンの名の由来 となったワット・プノンは市街地の小さな丘に敬虔な信者ペン夫人が寺を建 立したことから始まった。国立博物館でクメール王朝の芸術品を見る。ここ は手に触れることができる。
 フンセン遊園地は4年前にできた。各乗り物は大人1000リエル(30 円)子供は半額。

 オールドマーケットに行く。ジャックフルーツがあった。ドリアンに似て いるが、味は違う。昔のフルーツガムの味だという。ハスの実もある。一束 500リエル(15円)。この中の小さな実を食べる。柔らかいナッツのよ うな味とか。
 セントラル・マーケットのフルーツデザートの店。ここでは10種類の果 物を盛り付け、蜜をかけ、かき氷をかけて、最後に卵とミルクを載せる。 ブライトゥクロップモック3000リエル(90円)で若い女性に人気があ る。龍眼、にんじんも入っていた。ほかには塩水を塗って軽く焼いた、焼き バナナもある。1串200リエル(6円)。
 午前7時に絵のモチーフを探すために魚市場チュランチャムレに行った。 魚はおいしい?って子供に聞いたら、おいしくないという(笑)。おいしい のはチャカインだという。描くために選んだのは長さ40cmくらいの代表 的な魚チュダウク。ほかにはクマンを買って、ホテルで絵を描いた。

 プノンペンで大人気のレストラン鍋料理「ダララスマイ」。カンボジア 名産の油揚げも入ったスーププラハットは4人前で13000リエル(39 0円)!
 高床式レストラン「ソーポンダントロイ」に行く。高さはビルの3階分。 板の幅が狭いので少し怖いかも。雨季になると床下まで水が来るとか。この 時期は草が見える。カンボジア料理はタイ料理ほど辛くないが、似ている。 トムヤンクンスープ12000リエル(360円)。川魚のから揚げ1万リ エル(300円)。でも長さ30cmくらいあります。これにマンゴーの漬 物が付いてきた。カンボジア風のカレー1.5万リエル(450円)。

 164通りは通称塾通りという。学習塾がズラリと並ぶ。授業料は1時間 15−30円。英語塾、日本語塾(チェスダー先生)に行ってみた。さらに ラッチャナー芸術大学にも行ってみた。350人。絵画の教室に行った。 ペーン・パウ先生の絵は外国人に人気とか。カンボジアでは評価されてない ので生活が苦しいとか。
 大学の近くの屋台ではソムローマチュー(酸味のあるスープ)を食べてい る人がいた。川魚のスープ。

 夕刻、メコンクルーズに行く。貸切1時間US8ドル。何人乗ってもOK だという。メコン川の夕陽がきれい。
 宿泊はホテル・カンボジアーナ。各国の大使などが利用するホテルで日本 人スタッフも常駐。宿泊料はUS105ドル〜(税金サービス別)。川沿い という立地条件もいい。

 郊外のキエン・スワーイ、伝統織物が盛んな村、チョロイ・アンビル村に 行く。クロマーと呼ばれる1枚2000リエル(60円)の布を織っていて 、タオルにもスカーフにも帽子にもなる。スラソーという米の発酵酒をいた だいた。焼酎に味が似ているとか。みんなはちびちび飲まずに一気飲み。こ れのおつまみがマンゴーの浅漬。
 さらに先に自然動物園があった。入場料US2ドル。ライオンも虎も熊も いた!山犬ワイルドドッグは小便で動物の目を見えなくしてを殺すという。 ここで絵を描く象に出会った。「ピカ象」(笑)ダイナミックでした。
 動物園の近くの庶民的なレストランを発見。女主人チャン・パラさんが鶏 の中に臭み抜きの香草を入れて塩を入れて、焼いた。地鶏の素揚げ、スープ ライス付きで11000リエル(330円)。

 プノンペン郊外にアンコールワットよりも半世紀ほど早い歴史の建物があ ある。プノン・チソールは仏教寺院の遺跡。丘の上にあるので、絶景ポイン トがあった。目の前には茶色の畑が見えた。雨季だと大地は緑に見える。

 ムエタイよりも歴史があるというカンボジアのキック・ボクシングを見に 行く。英雄はエー・プートーンという。彼がトレーニングしたジムで練習さ せてもらった。

●古都シェムリアップ
 飛行機で40分。プノンペンに次ぐ第二の都市。世界遺産の巨大遺跡アン コール・ワットには観光客が増えつづけていて、高級ホテルなどが建ってい る。ヨーロッパからの観光客も多い。
 アンコール・センチュリー・ホテルに宿泊。1泊US120ドル。朝食付 き(税サ込み)。
 サマピップというレストランでア・モックという料理を食べる。白身魚と 野菜とココナッツミルクと香辛料で炒め、ココナッツの殻に入れて10分ほ ど蒸す。US3ドル。目にも鮮やかな伝統料理でおいしいらしい。

 市内から車で南へ30分、トンレサップ湖に行く。ここは魚が多く取れる ので有名。アジア最大の淡水湖。水上生活をする人がいる。でも、湖は土色 です。水上動物園もある。なまずなどの魚がいる。ほかにもウサギやカメや ニシキヘビもいた。プラーという魚を養殖していた。でかい!小魚を入れる とすごい勢いで食べた。

 アキラの地雷博物館があった。アキー・ラーさんはボランティアで地雷撤 去をすすめている。既に2万を越えたという。まだ600万個残っている。 今でも1ヶ月に100人地雷を踏むという。

 多くの古典芸能が残されている。影絵人形スバイクというのがある。作っ ているチェンクーン・ハウポックさん(72歳)を訪問した。ポルポト時代 はさせてくれなかったという。弟子たちがスバイクを見せてくれた。
 ホテルでクメール文化の花と呼ばれる伝統舞踊アプサラ(天女)の舞を見 る。1000年以上も前に生まれたもの。

●アンコールワット
 午前5時、出かけていく。朝焼けの瞬間が一番美しいという。6時15分 に日の出。
 壁画の回廊は浮き彫り、いたるところに美しい女神像。あまりにすごすぎ て言葉にならない。アンコール・トムの南門、バイヨン、「クメールの微笑 」で知られる観世音菩薩(四面仏)などがある。光が変わるとその表情が変 わる。寺院を覆っている樹木もある!
 プノン・バケンに登る。この山の向こうに太陽が沈む。みんなが登って 待っている。夕陽は噂通り綺麗だった。

 バイヨンでアプサラ(天女)の像を見つけた。3人のアプサラもある。午 前8時から、スケッチを開始。午後2時には炎天下で50度、日陰でも40 度を越えた。三人のアプサラの絵が完成した。

 最終日、気球に乗ってアンコール・ワットを眺めた。


テレビ番組「空飛ぶコンシェルジェ」1999年12月2日はヤンゴン


全体の感じとしてヤンゴンってバンコクに感じが似ていますね。 紹介してくれたCAは河野さん。この街は19世紀初頭に英国人によって 統治され、都市計画された。
●スーレーパゴダ
男性は20歳までに得度しないといけない。
●シェエダゴンパゴダ
ヤンゴンで一番大きい。金箔で覆われた高さ99メートルの塔。
●誕生日の曜日
ヤンゴンに行く時は生年月日(誕生日)の曜日を知っておく方がよい。
月曜:トラ 嫉妬深い
火曜:ライオン 正直
水曜の午前:牙有り象 短気
水曜の午後:牙無し象 冷静
木曜:ネズミ 温厚
金曜:モグラ 話し好き
土曜:竜(ナーガ) 怒りっぽい
日曜:鳥(ガルーダ) 欲深い
その対象の神様?を祈ることになる。
●ザ・ソース・ビューティ・スパ
Inya Road。シャンプーしながら頭のツボを刺激する。tel:512-380
●ストランド・ホテル
1901年建設。贅沢な雰囲気。アフタヌーンティもある。2-6pm
で14ドル。電話:243-377
●イラワジ・ドリーム
Taw Win Road。庭に置くものとしてよいものがある。シルバーのブレス レットのようなものもある。$50。シルバーのピアス $10、スカートも。
電話:221-695
●長いフライト後のホテルの過ごし方
香を焚いて読書するそうです。河野さんは。
●ヤンゴン川を渡るフェリー
結構川は濁っています。マモメが船のまわりを飛んでいる。 子供たちは日焼け止めの「タナカ」を塗っている。木の根らしい。
●ボージョーマーケット
月曜と満月の日が休み。ハート型のルビーのペンダントトップ(台座22 金)で$80。若者に人気のシルバーの指輪2000円。 買う時に高いね、という時は、ゼイチーデェ。
安くしてくださいは、ショウペーバァ、と言う。
シルバーのペンダント、5000円と3500円で、後者を2500円で購入。
ミャンマーシルクのロンジー(スカートみたいなもの)を購入。
●カラウェイ・パレス
KabaAya Pagoda Road。湖に浮かぶレストランで、デートスポットとして 有名。湖上に浮かぶ竜宮城みたいで、ライトアップされている。演劇を見 て、ビュフェ形式で食事ができる。これで2000チャット(600円)。 食事はディーリーフ・サラダ(お茶の葉を醗酵させたものにいろいろ混ぜ あわせて食べる。ビールによく合うらしい。電話:290-546

後半は村井智子さんという現在住んでいる人が紹介。
●タムウェイプラザ
Thameinbayan Road。ミャンマーのトップモデルのティン・モエ・ルゥイン さんが社長の会社で働いている。ミャンマーは世界有数の美人の多い国だ ということです。
●エスターギター
Mahabandoola Garden St.。演奏を見ながら楽しむ場所。ミャンマーの 女性はアルコールは飲まない。
●代表的なビール
マンダレー、ミャンマー、ダゴン、タイガーの4種類が人気。
●国際見本市会場でのファッション・ショー
イ・チョウ・ルゥインさん(17歳)とム・トゥラ・モーレイさん(16歳)
●なんちゃってショップ巡り
ミスターJドーナツ ドーナツ6個で100円! ここはミスタードー ナツのぱくり。
マクドナルドのぱくりのマック・バーガー
●ボージョー・マーケットでミャンマーの女性に一番人気なのは資生堂 だけども、値段が高いので手が出ない。それで出てきたのが、 ペンシルタイプの口紅のShe-Shadow とか鉛筆タイプの口紅の D-Shadow という名前をひっかけたもの。250チャット(80円)程度。


テレビ番組「道浪漫」1999年9月は宮本亜門さんでアンコールワット

●手前の街シェムリアップ
 ダーサイの遊び。古代の蹴鞠に似ている。屋台村で牛スープのクイティウ 1500リエル(45円)。他にも卵付焼き蛇もあったが,魚に似た味との ことだが,飲み込むのは大変だった感じ。
 宿泊はグランド・ホテル・ド・アンコール。1929年創業2年前にラッ フルズホテルの傘下に入った。エレベータの古さもいい。スタンダードツイ ンで1泊$390。プールもすごい。違う意味での楽園のようである。アン コール観光で疲れた体を休めるのによいともいえる。

●バンテアイ・スレイ
 遺跡に行くのにひどい道を車で2時間。アンコール一美しいと言われる寺 院バンテアイ・スレイへ。10世紀半ばに建てられたヒンドゥー教の寺院。 「東洋のモナリザ」の像もある。これにはアンドレ・マルローも魅せられた とか。ヒム・トゥールさんの工房バンテアイ・スレイを訪問。

●アンコール・トム
 12世紀末に作られた。バイヨンという建物。確かにガウディの建物みた いな感じがある。観世音菩薩の顔がいたるところにあり,四方を向いている。

●アンコール・ワット
 12世紀前半に30年かけて建造。中央の5つの山は須弥山をイメージ。 中央神殿は傾斜45度の階段を上がらねばならない。さらに中央塔は高さ 65メートル。天女アプサラの彫刻がいたる所にある。今でも女性がアプサ ラダンスを踊っている。伝統を守るためにアプサラダンス・スクールをやっ ているシェムリアップの○○さんを訪ねる。


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