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なお、これはわたしが個人的にテレビを見て書いたものであり、各テレビ局や番組とは全く関係はありません。
すべての文章の無断使用・転載を禁止いたします。
またここの情報を使って、何か問題が起こったとしても私は一切責任は持ちませんのであしからず。


テレビ番組「沸きかえる桃源郷 中国・雲南省観光ブーム」

 2010年12月30日放送。テレビ大阪製作。
 標高5596m玉龍雪山の姿がある。世界遺産「麗江」はナシ族の町で、チベットに至る交易の町として栄えた。町外れには明の時代に建てられた石橋が残っている。石畳は丸みを帯びて黒光りしている。チベットに運んだのは雲南省のお茶。その原産地ははるか南の西双版納(シーサンパンナ)の山々。それを代表するお茶の産地は基諾山。ここでは2000年以上にわたって、お茶の生産が続けられてきた。ジノー族の人々が従事してきた。この地方で取れるプーアル茶はジノー族の命の糧。そこに時代の波が押し寄せてきている。

●雲南省
 2010年5月上海万博で中国は世界に経済成長を示した。国民は観光やレジャーにお金を使うようになった。万博で雲南省は特に注目された。風景や文化が魅力的で、美人が多く、気候や風景がよく、観光スポットも多い。25の少数民族が住んでいる。

●西双版納タイ族自治州
 雲南省の最南端にある自治州で、亜熱帯地域。お茶やゴムの栽培が盛ん。ゾウなどもいて、中国全土から観光ツアーがやって来る。バスツアーに同行した。真っ先に行くのが「野象谷」で、野生の象のアトラクションが人気。野生のサルもいる。
 西双版納は2009年観光客数は約730万人で、年率15%以上の増加を続けている。
 そこで4年前にジノー族をテーマにした観光施設を作った。「基諾山塞」という人口2万人の少数民族ジノー族の生活や風習などを展示する観光施設。この基諾山が今、観光ブームに沸いている。しかし苦悩もある。陳建軍さん(33歳)は太鼓踊りを踊る。20歳の団員は、1日4回のショーにでて月4万円の収入がある。陳さんはもっと華やかにして団員を増やしたいと思っている。スカウトして回っているが、なかなか増えない。
 ジノー族の踊りとはいえ、他の民族も入っているし、他の民族の踊りの要素も入っている。アイニー族の人口500人の沙薬村を訪れたが、ほとんど出稼ぎに行っていた。3人いたがダメだった。
 半年後、8名メンバーが増えていた。陳さんは太鼓を教えてもらった百さんに相談した。出稼ぎに出る人が多いためか、お年よりが増えて踊りに参加しないと文化の継承者も減るだろうという。

●騰沖
 雲南省の西部にあり、ミャンマーと国境を接している。温泉地として知られている。ここに巨大なリゾートを建設している。世紀金源集団の普正中さん(26歳)は営業マン。広さは甲子園球場およそ70個分。雲南省第3の町にするために、2009年騰沖駝○空港(○は歯へんに祭)が開港した。
 この会社は今までもゴルフコース、高級別荘地を開発してきた。地元の農民の土地は奪われた。ホテルが開業する2011年5月にはさらに農地が減る。


テレビ番組「世界遺産への招待状60 中国・三清山国立公園」

 2010年12月11日放送。上海の南西にあり、その絶景から仙人が宿ると言われる標高1819mの岩山。中国古来の3人の神が座っているという言い伝えから、この名がついた。花崗岩の岩は風化により奇岩となった。今も道教の修行の場ともなっており、最近は薬草も注目されている。

●三清山
 奇岩が多い。女性の胸に似たなだらかな二つの山は「玉女開懐」。手の平の宝物を見つめているサル「猴王献宝」。「巨蟒出山」そそり立つ岩は高さ128mもあり、山から出てきた大きな蛇といわれている。この蛇は地上を破壊するために姿を現したという。その姿を見つめるのは、「東方女神」。女神は神通力で蛇の動きを封じている。

 麓の村に住む邵世兵さん(47歳)は薬草取の名人。葛根(かっこん)には、解熱、解毒作用がある。猴観喜(こうかんき)は、下痢止め。鼠刺(そし)は湿布薬。草珊瑚には解熱、鎮痛効果。この山に見られる植物は2500種で、そのうちの1500種に薬効があるという。15万年前に氷河に覆われた中国の高山では、多くの動植物が死滅したが、海に近い三清山では凍りつくことがなく、多種作用の植物が生き残ったという。
 邵さんは村の人とともに月に2回は山に登る。標高1500mに道教の寺「三清宮」がある。屋根は最近だが、建物は800年ほど前に先祖によって作られた石造り。山の木材を使わぬように、麓から石を運んだという。薬草にゆかりのある4世紀の道士「葛洪」が祀られている。彼は不老不死の丹薬を作ろうとした。その時に書き残した調合法が後の漢方薬に大きな影響を与えた。彼は木の精がいてしゃべるといった。朝4時半から修行が始まる。特に三清宮の近くの松は気を強く持っているという。その気を取り込むために座禅をする。日が昇ると気を丹念に体に取り込む。道士の常平さんが説明してくれました。天人合一を目的としているそうです。
 麓の村では1000年前に移り住んできた人たちが暮す。木を切ってはいけないとか、子供は山に入ってはいけないとか言われている。王厚炉さん(65歳)の祖先は道教の信仰心が厚く、村を作る中心となった。王さんは村の掟を書いて貼っている。「野外で焚き火」、「山火事」、「木の伐採」など。

 環境を守るため、見学コースを外れて観光することは禁止されている。世界遺産に登録されて、村人の生活は変わった。邵さんも今は自由に薬草が取れず、許可を取らないといけなくなり、あまり山に入れなくなったという。危険な岩場にある「石耳」というのぼせを押さえる薬効のある植物を採取しました。北京や上海に持っていくと1kg数万円で取引されるというが、今回は大切なお客に食べさせるためでした。今回は中山大学生命科学学院の郭徴准教授と大学院生でした。郭さんたちは新薬の材料を探していて、もう4年、邵さんはガイドをしているという。今回は紅豆杉というイチイの仲間の枝を取った。古来寿命を延ばす効力があると言われ、歴代の皇帝も探したという。郭さんはこれはガンの転移を抑えたり、免疫力を高める効果があるという。鉄骨人参は関節炎に効くといわれている。


テレビ番組「THE 世界遺産 印象派と山水画」

 2010年11月21日、28日放送。

 ヴィンセント・ヴァン・ゴッホはパリで印象派と出会い、色彩に目覚めた。まばゆい光の中のアルルで傑作を生み出した。印象派はアトリエを飛び出し、刻々と移り行く色、心に写る風景を描いた。モネ「印象 月の出」、ゴッホ「麦畑と糸杉」、ルノワール「ボート」。
 それより1000年前、中国で山水画家は仙人の住む景勝の地を墨で描いた。画家たちは険しい山に入り、モノトーンの世界を作り上げた。

●黄山
 3つの絶景で知られる。するどく切り立った岩山。岩の割れ目に根を張る樹木。そして雲海。
 ここに6万段の石段が造られた。1年に200日の雨が降る。雨が上がると沸き立つように雲海が現れる。こういう景色が仙人が住む山という伝説を生んだ。山水画の始まりは1000年ほど前。多くの画家が黄山を描いたが、戦火などで失われた。17世紀の石濤「黄山図巻」(1699年)。李白は太陽の光に輝く峰を見て、その美しさを称えた。金色に光る蓮の花のようだと。
 麓にある町「屯渓」には天下の絶景を描きたいと多くの画家が訪れる。顔世廣さんは15年前に移住した。下書きはしない。霧吹きを使い、雨を降らすのは、山水画の技法の一つ。雲の先「瀑布雲」に魅せられたという。真っ白な紙に向かって1時間で一つ完成。題して「黄山雲海」。山水画は余白の美しさを極めた。
 安徽省の南部に新安江という古い村がある。明から清の時代に塩の販売で大成功した豪商の村「黄山市 宏村」。「承志堂」は豪商江氏の邸宅で金箔が散りばめられている。この商人たちは新安派と呼ばれる山水画を保護した。そして墨の黒をベースにわずかに着色した絵は水彩画のような山水画が大成した。陶磁器の絵付けにも影響を与えた。査士標「晴巒暖翠図」(1675年)。
 この村で200年以上続く墨作りの工房。桐の木を燃やしたススにニカワを混ぜて固める。中国人は墨、硯、筆、紙を「文房四宝」と呼び、名品を生むため、心を砕いてきた。画家の張培武さんも黄山に魅せられた画家。しかし実際の姿を描くのは30%で、残りは心の目で見た印象。

●武夷山
 竹を組んだ独特の筏による清流下りが人気。今から2500年前に、論語の中で孔子は「知者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむ」と言った。古くから中国人は山水を愛してきた。

●蘇州
 水の都。文人や官僚たちは隠居生活を楽しむために、庭園を造った。14世紀、明の時代には有数の大都市だった。庭を遊ぶ巧妙なテクニックがある。四方に開けられた窓は自然を切り取る額縁。「留園」の奇怪な姿をした巨石は、太湖の底で取れたもの。この不思議な石が中国の庭園で最も珍重された。これは山水を庭に写し取った模型だった。
 「石湖図」を描いた文徴明は庭園造りにも参加したという。蘇州の古典庭園はいわば立体の山水画だった。

●龍安寺
 中国の山水画は鎌倉時代に日本に禅の教えと共に入った。枯山水が誕生した。山水画を石と砂で表現した。そこには「引き算の美学」がある。そして墨の代わりに石で水を表現した枯山水が生まれた。

●武稜源
 湖南省の奥に石の柱が聳える中国最後の秘境がある。高さ357mの2つの岩山にかかるのは、地球上で最も高い天然の橋。宝峰湖など中国人が心に描く絶景の全てがある。地下には鍾乳洞が広がる。洞窟はもう一つの理想郷。30年前に発見された武稜源は山水の魅力に満たされていた。

●泰山
 全ての始まりは泰山だった。伝説では山の頂きに立つと仙人になれる。歴代の皇帝さえも訪れた。
 麓の町に暮らす傅汝有さんは30年前に移住してきた。全体に墨を入れると色をつける。最後に入れたのは朱色の太陽。

●ルアーブル Le Havre
 パリから北西に80kmの港町。第二次世界大戦で徹底的に破壊された。この町は鉄筋コンクリートで再建された。サン・ジョセフ教会はひときわ高く聳えている。うちっぱなしのコンクリートの壁には1.2万枚のステンドグラスがはめられた。通りは碁盤の目。都市復興のモデルとなった。
 ルアーブルは印象派発祥の地とよばれる。港で描かれた1枚の絵、モネの作品「印象 日の出」がきっかけだった。

●パリ
 モネがパリで暮らした19世紀後半、町は急速に近代都市へと姿を変えていた。セーヌにはいくつもの別の橋がかけられ、密集した住宅を壊し、まっすぐな道路を走らせた。鉄道はパリのターミナル駅と地方を結んだ。新しいシンボルはエッフェル塔。町をふらふら歩くことが娯楽となった。
 オルセー美術館はかつては、パリ万博にあわせて作られたオルセー駅だった。この美術館を抜きに印象派は語れない。モネの代表作「日傘の女」。絵の具を混ぜず、筆のタッチを残した描き方は、全く新しい画風だった。
 印象派の始まりは1874年、パリの写真スタジオで開かれた第一回印象展。参加したのは若い画家たち。マネ、ルノワール、バジール、モネたち。この時33歳のモネが出品したのが、「印象 日の出」だった。批評家は「単なる印象」と揶揄した。それを逆手にとって印象派と名乗った。それまでは神話や聖書などの過去の世界を描いたものだった。モネの「サン・ラザール駅」、ルノワールの「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」、スーラの「グランド・ジャット島の日曜日の午後」など鉄道、カフェ、初夏の水辺などの今の日常だった。

 画家たちは一つの発明品「写真」に刺激された。モネは同じ大聖堂を何枚も描き、日によって変わる色を見極めようとした。「ルーアン大聖堂」。写真は単なる記録である。一瞬を描くことで写真を越えようとした。

 もう一つの大発明は「チューブ絵の具」。パリの古い画材店「セヌリエ Sennelier 」は1887年創業。ここで売っている。お店のソフィー・セヌリエさんは「これが売り出されるまで画家は、アトリエで絵の具を手作りしていた」と語る。鉱物を砕き、細かい粉にし、油を混ぜ、石やガラスの板の上でよく練り合わせていた。1つの色ができるまで3時間もかかった。絵の具を外に持ち出すには、豚の膀胱に詰めなおす手間もかかった。これの発明により画家は屋外で自由に絵を描けるようになった。
 印象派よりも前に屋外で風景画を描いた画家が、パリ近郊のバルビゾン村にいた。アトリエがジャン・フランソワ・ミレー記念館として保存されている。農民たちが働く姿を見つめ、自分が見たままの芸術を描こうとした。壁にミレー自身が撮影した3枚の写真が貼られている。学芸員のイアム・ファラットさんが説明してくれました。細かい部分が写っていなかったので、彼は写真をやめて、再び絵を描き続けたのだという。動きのあるもの、夕暮れの様子がよく写らなかったためらしい。

 1886年、ゴッホが画商としてパリで働く弟の下に転がり込んだ。彼はここで印象派の色に目覚め、日本の絵に衝撃を受けた。「タンギー親爺の肖像」などの作品の背景に浮世絵を描いた。歌川広重の「亀戸梅屋舗」も模写した。明るい光を求めて南に向かう列車に乗った。

●アルル
 南フランスのアルルは、紀元前1世紀にローマ帝国によって築かれた町。古くから伝わる祝いの踊り。円形闘技場をはじめ、古代ローマの建築や教会などが世界遺産。傑作として知られるロマネスク調のサン・トロフィーム教会。かつてこの町にはスペインに向かう巡礼者が集まった。
 1888年2月ゴッホは冬のパリを離れアルルにやってきた。ここに浮世絵にある明るい光があると信じていた。
 「種まく人」は手前に大きな木を置いたゴッホ流の浮世絵。「アルルの跳ね橋」を見て、日本に来たようだと手紙を書いた。「ひまわり」に情熱を黄色にこめた。
 伝統衣装に身を包んだ「乙女の祭り」。ゴッホも「アルルの女」を描いている。3年に1度女王が選ばれる。第20代「アルルの女王」のカロリンヌ・セールさんが説明してくれました。
 もう一つは「闘牛」。起源は15世紀で夏になると開催される。この地方は牛の角にある紐を手で奪い取るのが基本。みんな逃げて客席の手前でジャンプする。ゴッホはこれも描いた。「円形闘技場の観客」。
 夜、「夜のカフェテラス」も黄色に輝いていた。「ローヌ河の星月夜」。数ヶ月後にゴッホは「アルルに芸術家のユートピアを作りたい」と思った。
 町の一角にかつてゴッホが暮らした「黄色い家」があった。ここで画家たちが暮らすユートピアを夢みた。この部屋でアルルに誘う手紙を何通も出したが、誰も答えてくれなかった。答えてくれたのはゴーギャンだけだった。あの「ひまわり」はゴーギャンを迎える部屋を花で飾りたいために描いたものだった。
 二人は一緒に絵を描いている。アリスカン墓地は、ローマ時代からの古い墓地。人々は聖人の傍で眠りたいと願った。参道には石の棺が並ぶ。「アリスカンの並木道」(ゴッホ)と「レ・ザリスカン」(ゴーギャン)。目の前の風景を色彩で捕らえるゴッホと、想像力を膨らませるゴーギャン。強烈は個性は次第にぶつかり、ゴーギャンと暮す緊張に絶えられなくなったゴッホは、発作的に自分の耳の一部をカミソリで切り落とした。ゴーギャンはアルルを去り、心を病んだゴッホは入院した。「アルルの病院の中庭」も描いた。「僕は絵に人生を賭け、僕の心はその為になかば壊れてしまった」と最後の手紙を書くと自殺した。

●ジヴェルニー
 セーヌ川沿いの田舎町。モネはここで生涯、印象派の美を追い求めた。日本庭園を造り、太鼓橋まで作った。ここで200点もの作品を残した。モネは「自然こそが私のアトリエだ」と語った。


テレビ番組「世界遺産への招待状58 中国 四川の青城山と都江堰」

 2010年11月13日放送。9万人が犠牲になった2008年5月12日のM8の四川大地震からの復興にみんな努力している。

●青城山
 道教発祥の地。山の連なりが城を思わせるために、その名前がついた。ここに道教の寺院「道観」が点在している。ここは2世紀に道教が成立する時に中心となった。修行の場だったこの地に14の「道観」が建ち並ぶ。その中で最高の格式を持つのが、通称「天師洞」(古常道観)。ここには中国各地から道教の信者が訪れる。早朝と夕方に導士たちはお経をあげる。裾の長い装束は女性の導士たちの正装。青城山の導士は男女あわせて100人以上。共同生活をしながら修行を続け、山を訪れる人たちの世話もしている。
 震源地から20kmにある青城山も大きな被害を受けた。地震の直後もお経は絶えなかったという。導士の周信明さんはここを守らないといけないと語った。崖の下にある聖なる場所の一つ「天師殿」は、道教教団の開祖「張陵」が修行をした場所。彼の教えを現代に生かそうとしているのは、青城武術第35代伝承者の劉○浜さん(○は糸へんに妥)(46歳)で、青城山で28年間修行した太極拳の指導者。医師の資格も持つ劉さんは、張陵の教えが人々の暮らしに役立つと思っている。「洗心池」は張陵が病気の治療を行なった場所。これまでしてきた悪いことを紙に書かせ、二度と繰り返さないことを誓わせ、この池に流させた。病が精神的なものであれば治る。病気の大半は心の持ち方が影響しているからだという。太極拳を学んでいる間に、太極拳の極意は戦いではなく、自己を磨くことだと気付いた。道教でも仙人に至る大切な修行だとされている。教えの中の「上善は水の如し」。水は普段は敵と対立しないが、洪水となれば城壁も壊す。道教を学ぶことで最も大事なのは、この言葉を理解することだと気がついたという。他人と争うのではなく、人を癒す善き水となることを目指すという。

 老子が祀られている標高1200mの建物「老君閣」で儀式が始まる。「老君閣」は地震で屋根や壁が激しく壊れた。建物の再建に先立って、老子の新しい像が完成し、「開光の儀式」が行なわれた。都江堰市の潘祖龍さんが挨拶した。「魔を払い、世を清める」という仙人の水が撒かれる。大地震からの復興をみんなが願っている。

●都江堰
 近くにあるもう一つの世界遺産「都江堰」は、紀元前に造られた巨大な堤防は、命の水を四川盆地に送り続けている。大地震でも被害を受け、都江堰市では、3000人が亡くなった。2年半後も街のあちこちに仮設住宅が建つ。多くの人が不自由な生活を強いられている。「聚源地区仮設住宅」には農家の人を中心におよそ800人が暮らす。劉さんは月に1度はここで太極拳を教えている。太極拳には地震で傷ついた心と体を癒す力があると信じている。農家の許徳生さん(62歳)も毎回参加している。地震で家は全壊したが、太極拳のおかげで不眠症が解決したという。孫の許傑さん(10歳)も参加しているが、地震後の4日間は全く眠れなかったという。
 許さんの田に流れてくる水は震災後も変わらなかった。みんな都江堰に感謝している。紀元前3世紀の都江堰は今回の大地震でもびくともしなかった。

 突端にあるのは、魚嘴(ぎょすい)という分水施設。都江堰ができる前は、この地点で毎年川が氾濫していた。ここで流れを2つに分け、支流を四川盆地に向かわせた。これで氾濫を防ぎ、四川盆地に豊かな水を供給できた。
 川を龍に例え、降伏させた記念に建てられた「伏龍観」には、この偉業を成し遂げた「李○(○は二ずいに水)(りひょう)」で、秦の行政官(紀元前3世紀)。農民数万人を参加させ、12年で都江堰を完成させたという。四川盆地を整え、秦が中国を統一するための経済的基盤ともなった。
 都江堰では工夫がなされている。「飛沙堰」は支流に流れ込みすぎた水を本流に戻す仕掛け。これにより、支流は洪水から避けられた。水が充分に行き渡り、この四川盆地は「天賦之府」と呼ばれるようになった。

 許さんの稲刈りは久保田の機械を使っていました(笑)豊作だったようです。


テレビ番組「THE 世界遺産 明・清朝の皇帝陵墓群(北京、南京、瀋陽)」

 2010年10月3日放送。

●北京
 天安門は元は皇帝の住む宮廷の門だった。紫禁城は、今は故宮と呼ばれている。600年前に北京に都を移し、紫禁城を建てたのは、明3代皇帝「永楽帝」だった。北京から50kmの郊外に永楽帝は眠っている。
 中国では人は死んでも魂は死なず、生前と同じ暮らしが続くと信じられた。

●永楽帝陵墓「長陵」
 朱塗りの門「大紅門」から先は神聖な場所。門を越えると「神の道」。石一つ盗んでも死罪になった。獅子、ラクダ、ゾウなどの石像が並ぶ。この7kmの道の先にいくつかの建物がある。これらは紫禁城を思わせる、まさに宮殿。目をひくのは、楠の巨木を使った柱。これは四川省の山奥で苦労して探し、5−6年かけて北京まで運んだという。その先に土を盛り上げて造られた円形の丘「宝頂」があり、明楼から入る。これが陵墓を作る基本となった。

●明十三陵
 後の皇帝はこの周辺に墓を作った。13人が眠るため、「明十三陵」と呼ばれる。
 明14代「万暦帝」の「定陵」では大発見があった。秘密の入口が見つかり、内部の発掘調査が行なわれた。地下の大宮殿が見つかった。
 明代帝陵研究会の胡漢生さんが説明してくれました。門らしきものが見つかり、ためしに掘ったところ石が見つかった。そこには「此石至金剛壁前皮十六丈深三丈五尺(金剛?まで53m、深さ13m)」ということが書いてあった。掘り進むと入口の壁にたどり着いたという。金銀財宝から日常品まで3000点を越える品々が納められていた。玄室には皇帝と2人の皇后の棺が安置されていた。黄金の冠、金貨、木人俑などもあった。地下の宮殿には広々とした部屋が5つある。天井は美しいアーチ。皇帝の棺はその後、修復された。建設には国歌予算2年分が投じられた。

●南京
 14世紀、モンゴル民族の王朝「元」を、農民出身の朱元璋(洪武帝)が反乱を起こして打ち破り、1368年南京を都とした「明」ができた。すぐに始めたのは自分の墓の建設だった。「明孝陵」は完成までに30年かかった。使われたレンガの数はおよそ3億個。各地から献上させたので、地名がレンガに残っている。朱元璋を称える高さ9mの石碑。本当はさらに高いはずだった。計画したのは4男の永楽帝。かつての石切場「陽山」に、のべ10万人もの石工が集められたという。計画では石碑の高さは60m。切り出す途中の巨石が残っている。運ぶ方法が見つからず捨てられた。重労働で多くの石工たちが命を落とした。1402年に即位した永楽帝は、1421年、北京に都を移した。

●北京
 永楽帝は都を移した際に、南京料理の「金陵ダック」の調理法が伝わったという。「利群○鴨店(○は火へんに考)」の張立群さんが説明してくれました。庶民に広がり、いつしか「北京ダック」と呼ばれるようになった。

 陵墓だけでなく、皇帝たちはいろいろなものを残した。豪華庭園「頤和園」(いわえん)。大地を削って人工的に造った湖と、その土で造った高さ60mの山は、皇帝が愛する山水画の風情を生み出した。ここで晩年を過ごしたのが、西太后だった。
 「定東陵」は西太后の墓。「隆恩殿」は一度完成したものの、満足せず、13年をかけて改築した。室内全体に金箔が施された。しかし地下宮殿はとても質素だった。大国が中国侵略を狙っていた時代だったため。

●明十三陵
 「清東陵」の牌坊と呼ばれる門が陵墓の入口にある。17世紀、「明」から満州民族の「清」になっても、皇帝たちは同じような陵墓の建設を続けた。
 「清東陵」の裕陵(乾隆帝の墓)の地下宮殿内部に入ることができた。壁を飾る仏教の守護神である四天王の浮き彫りも見事。梵語やチベット文字で書かれた経文も壁に書かれている。清の皇帝たちはチベット仏教を保護し、中国を治めた。

 「清西陵」には4人の皇帝が葬られた。祟陵(明楼)は光緒帝の墓。彼は欧米諸国から中国を守ろうと、近代化に取り組んだ。30歳を過ぎてから、何者かにより1908年11月に毒殺された。八大菩薩の浮き彫りは見事。地下宮殿は盗掘にあい、棺が残るだけ。清朝第12代皇帝となる溥儀の墓の予定地がある。溥儀は数え年3歳で即位したが、1912年清は滅亡し、地下宮殿の建設は終わった。


テレビ番組「THE 世界遺産 中国の泰山」

 2010年9月12日放送。

●泰山
 一生に一度は登ってみたい。その絶景を中国の誰もが憧れる。かつて数万の行列を引き連れて皇帝でさえも登った。標高1500mだが、中国一の名山とうたわれる。
 中国東部、東シナ海に面した山東省にある。青島の近く。泰山の麓の町「泰安」という名前には、泰山の神様さえ安泰なら天下は安定という意味がこめられている。泰山は一つの山ではなく、いくつも連なる峰々の総称。一番は「王皇頂」で、頂までは9kmの山道に石段が敷き詰められている。難関は最後の部分で1kmにも満たない距離だが、標高差は400m、最大傾斜は45度。麓からの石段は6600段。5,6時間ののぼりに耐え、頂上を目指す。古来泰山は魂の帰る場所であり、不老不死の仙人の住処だった。
 まずは「一天門」から。孔子の来訪を記念した門で、2500年前。やがて孔子を祀る霊廟も建てられた。泰山は数え切れない文学者や画家を集めてきた。
 登る途中でいたる処で目につくのは、岩肌に刻まれた文字。泰山を称えた碑文は1000を越え、書道の世界に入ったよう。山の斜面や谷底にもある。金剛経が書かれた一枚岩もある。
 2時間経過。岸壁にも文字があるが、どうやって書いたのか。乾隆帝(清の高宗)の書だった。1文字の大きさは1m。泰山は皇帝たちの山でもあった。

 岱廟は泰山の麓にある。かつての皇帝達は登山に先立ち岱廟で詣でていたという。美睨殿は中国を代表する宮殿建築の一つ。聖殿には泰山の神様が祀られている。東岳泰山神は、人の寿命を司り、死者の生前の行いを裁くという。この建物は1000年前に建てられた。当時の皇帝による泰山詣でが壁に描かれている。大勢の家臣を引き連れ、一大国歌イベントだった。
 泰山を初めて詣でた王は「秦の始皇帝」だった。紀元前221年中国に初めて統一をもたらした。司馬遷がまとめた史記には「万里」の文字があるが、「万里の長城」を建造した。貨幣を統一し、漢字の原型を作った。死後の世界でも皇帝として君臨するために廟も作った。
 泰山は東の方角にあり、神聖な山とされた。五大夫松は、突然の豪雨にあった始皇帝が、雨やどりをした場所で、お礼に松に五大夫の爵位を授けたという。泰山詣での目的は秘密の儀式を行なうことだった。泰山学院の孟華院長は、始皇帝は「封禅の儀」を行なったという。これの手がかりは北京の天壇にあった。天壇は現在パワースポットとして人気で、パワーの源は丸い石「天心石」。明と清の皇帝が「封禅の儀」を行なった場所だった。封は「天を祀る壇」を意味し、禅は「地を祀る壇」を意味する。皇帝は丸い石の封で天命を授かり、地を祀る四角い壇で豊穣を願った。その他一般人はここで名実共に中国初の皇帝になったという。
 山頂で天を祀ったし皇帝は、ここで初めて名実ともに中国初の皇帝となった。以来泰山詣は皇帝の権威を示すために欠かせないものになった。唐代の玄宗が「封禅の儀」の際に訪れた時に記した書もある。こうして泰山の名声は国中に響きわたった。

 十八盤からは階段が急になる。最大斜度45度で1600段も続く。麓から強力が運んだキュウリ、トマト、スイカなどの野菜が並ぶ。
 黄家荘村は、通称「豆腐村」。泰山の名物といえば、清らかな水と豆腐造り。泰山の湧き水で作った「泰山豆腐」は、全て手造り。重石をのせて朝が来るのを待つ。昔ながらの硬い豆腐で、2丁で3円。全部売れると日本円で1000円程度になる。干風蓮さんが売っていました。レストランでは高級料理にも変身する。豆腐で作った巾着「有袋豆腐」の中身はエビ、ナマコ、キュウリ。コースで頼めば十数種の豆腐づくしが楽しめる。
 十八盤からの途中の「昇仙坊」の門を通過するとゴールの南天門が見えてきた。麓から4時間で南天門にやっと到着。門をくぐると「天街」がある。峰を伝う天空の先に寺がある。1000年?ほど前に建てられた道教の山岳寺院「碧霞元君祠」。道教の教えの中心は「山にこもり、仙人となって不老不死を実現すること」。晋の始皇帝は不老不死への強い願いがあったという。
 このお寺を越えると、いよいよ山頂。「泰山極頂」は1545m。日の出前に多くの人が集まる。天下第一の名山から拝むご来光。
 泰山は複合遺産で文化的価値が高く、登録理由6項目の全てを満たす稀なケース。始皇帝が建てたという石碑「無字碑」もある。2200年雨風にさらされ、文字はすっかり失われた。他には「ベネツィアとその潟(イタリア)」「敦煌の莫高窟(中国)」しかない。
 その昔、孔子は頂きに立ち思った。「泰山に登れば、人間の世界はなんて小さく見えることでしょう」。


テレビ番組「世界遺産への招待状52 中国の平遥古城」

 2010年9月11日放送。

●平遥
 北京の南西600km。明の時代に作られた城壁の街。19世紀、銀行が軒を連ね栄華を誇った。中国一風情がある街並み。
 町に入るには、大きな城門をくぐらないといけない。道が折れ曲がっているのは、戦争の際に敵の侵攻を遅らせるため。大通りは時代劇のセットのよう。両側には14世紀から19世紀の時代の建物が並ぶ。正面には町一番の高い建物「市楼」が4層?で聳える。かつてこの上には鐘があり、時を知らせた。歩いているだけで昔の中国にタイムスリップした気になる。
 年間110万人の観光客が訪れる。世界遺産になってから10倍以上増えた。「古城」という中国語は「古い街並み」という意味。
 古いデザインの装飾品を専門に手がけている工房がある。歴史的な街並みを守るために、新しい建物を建てる時も古い建築様式にするように条例で決めている。以前は高齢の職人の多かった職場だが、若い人が増えた。
 ホテルも増えた。かつて豊かな人が暮らしていた四合院という建物を改装した。四合院は中庭を囲んで4棟が建つ中国の伝統的な建築様式。かつて一家の主が北側の母屋を使い、中庭の東と西に家族、南を使用人が使用した。昔は中国のどの町にもあったが、今ではすっかり珍しくなった。ホテルの食堂は天井が高く、広々とした空間で、元はお客様を迎える応接間だった。客室はかつて家族の寝室だった。明や清の時代を思わせる調度品が置いてある。平遥に残る四合院の数は4000に近い。
 平遥でもとりわけ美しいという四合院に暮す劉広厚さん(65歳)と趙淑娥さん(64歳)。この建物は築200年。清の時代に銀行を経営していた趙さんの先祖が建てた。趙さんの自慢は代々受け継いできた装飾。ゾウを献上している図では、ゾウの上に花瓶がありめでたい意味がある。ガラスに「紅楼夢」の一場面の絵が描かれている。「楊家将」の透かし彫りもある。当時は芝居が最大の娯楽であり教養であった。

 平遥は700年ほど前、明の時代に町の骨格ができた。1辺が1.5kmの城壁で町をすっぽりと囲む県城。長い時を経てもその姿はほとんど変わらずに残ってきた。
 見事は家並は19世紀のビジネスの成功による。平遥県衛博物館は昔の裁判所の跡。観光客向けに清の時代の裁判を再現している。日昇昌という実在した銀行の支配人が登場する。日昇昌の本店跡は今は有名な観光スポットになっている。訪れた人に昔の小切手を書いてプレゼントしていた。平遥ならではのお土産として人気がある。180年前に日昇昌が始めたこの小切手ビジネスは大当たりした。多額の現金を持ち歩く危険から開放された。日昇昌は中国だけでなく、インドのコルカタ、ロシアにも支店を作り、遠くにいてもお金を引き出せる仕組みを作った。その成功を真似する銀行も次々に誕生し、平遥は中国一の金融拠点、東洋のウォール街といわれるまでになった。中でも日昇昌は清政府にも入りこみ、莫大な利益をあげた。平遥の銀行は最盛期には中国の小切手取引の半分近くを手がけたという。地下に金庫を持っていた。
 平遥の繁栄は様々な文化をもたらした。銀行の幹部たちは宴会の席に楽団を呼んで、音楽を演奏させていた。地方の民謡を洗練させたメロディだという。
 銀行は20世紀、清王朝の滅亡とともに衰退していくが、音楽は今も町の人に歌い次がれている。

 町を囲む高さ10mの城壁も世界遺産登録の一つ。四方を完全に城壁が囲む形で残っているのは、ほとんど他に例がない。土壁は黄土高原の土に粘土を混ぜたものをつき固めて築いたもの。雨にあたるともろくなるため、毎年大がかりな修復をしている。30年間修復に関わってきた王国和さんは、弟子に必ず「壁は生きている。何もしないと死んでしまうから修復しないといけない」と言っている。
 城壁の町はかつては1000はあったという。しかし次々に姿を消していった。日中戦争、第二次世界大戦、国共内戦で城壁が破壊されていった。平和な時代がくると、再開発のために城壁を取り壊し、道路や高層住宅を作った。平遥でも再開発の話が持ち上がったが、町は往時の姿を留めることができた。40年前の文化大革命で平遥の人々が町を守ったドラマがあった。趙さんの家でも、龍の彫刻にその時の傷跡が残っている。龍の鼻先がバッサリと切り取られた。古い物は必ず壊して燃やさなくてはいけなかった。特に裕福な家は紅衛兵に徹底的に家捜しされた。劉さんの機転で木製の文化財は守られ、二人は後に結婚した。趙さんのような金持ちの娘は普通は結婚できなかったそうです。
 最近、4000万円で売ってくれという話がきたが、子供たちが大反対したそうです。先祖代々の家はお金に換えられないという。


テレビ番組「魔法のレストラン、炎の上海スペシャル!7つの新発見」

 2010年7月19日放送。水野真紀、中川家、杉浦太陽、安田美沙さんが上海万博が開催されている上海を訪れた。1元は14円として計算。毎日放送製作。

●焼き小籠包
 市内に15店舗を展開する焼き小籠包のチェーン店「小楊生煎館」(住所:上海市黄浦区黄河路97号、電話:021−5375−1793)。「焼き小籠包」4個5元(約70円)。行列を見ない日はないという人気店。1日の売上個数は12万個。

●超激安の「朝ごはんストリート」
 静安区の襄陽北路には観光客の姿はない。予算は4人で500円。「朝ごはんストリート」は「粉もんパラダイス」だと判明。あるお店では、もち米に揚げパン、ザーサイ、魚をつぶして中に入れ、力いっぱいに握った「おにぎり」が、「粢飯団(もち米のおにぎり)」2元(約28円)。「油条(揚げパン)」1元(約14円)。他にも「ふわふわ卵パン、ぴり辛味噌を塗って」、中にニラを詰めたピロシキのような「おかずパン」もある。
 釜で焼くナンみたいな「甜餅」は8角(約10円)。別のお店では、クレープみたいな「山東煎餅(山東式クレープ)」2.8元(約40円)。生地の上にいろいろかけて、巻いたもの。美味しいそうです。
 上海名物の「おこわシュウマイ」は1個9円。豚まん?「鮮肉湯包(肉まん)」は1元(約14円)。「醤餅(味噌味ピザ)」は8元/500g(約110円)。「豆腐花」は1.2元(約16円)。
 以上4人で286円でした。

●ザリガニ
 上海の人はこれを食べる時は、「小さい伊勢エビを食べに行こう」というらしい。ザリガニ・ストリートにあるザリガニ専門店「香○島(○は口へんに巴)」(住所:上海市黄浦区寿○路20号(○はウかんむりに丁)、電話:021−6326−4431)は大人気。旬の5月には整理券も配るとか。40種類のスパイスは漢方の入ったスープで生きたザリガニを5時間煮込む。この店が5年前にブレイクしたことで、通りはザリガニを出す店が急増。今やザリガニ・ストリートとして地元では有名。「香辣龍」500gで30元(約420円)。頭を取って、足を取って「しょうが入りの??」につけて食べます。味が濃いそうですが、コクがあって、美味しいそうです。
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●麻辣湯(マーラータン)の店
 歩いていて偶然発見した店。店の右側部分で40種類の串に刺さった肉や野菜や麺の食材から好きなものを選んで、左側部分で「トンコツスープ」で茹でてもらう。四川省の屋台料理がルーツになっているという。店の名前も「麻辣湯」(住所:上海市黄浦区寿○路53号(○はウかんむりに丁)、電話:021−6326−0186)。串は肉類1本2元(約28円)、野菜・豆腐・麺1本1元(約14円)。

●ガイドブックに出ていないお店
 ロケのドライバーの武光福?さんが紹介してくれたのは、行列のできるお店「蘭心餐庁」(住所:上海市櫨湾区茂名南路・・路130号、電話:021−6253−3554)。創業24年、日本人がほとんど訪れない上海家庭料理の名店。妖怪が住んでいると言われている?黒い料理の店。でてきたのは、「紅焼肉(豚角煮)」30元(約420円)、「醤鴨(アヒルのモモ肉煮込み冷製)」18元(約252円)、「油爆蝦(川エビの甘から煮)」50gで10元(約140円)、「千焼昌魚(マナガツオの甘辛煮)」60元(約840円)(魚のサイズによる)、「草頭(クローバー)炒め」16元(約224円)。4人で全部で2156円でした。
 上海料理は、4つの文字で表現すると、「濃、油、醤、赤」だと言われている。濃い味で、油を多く使い、醤油と砂糖を使って赤黒く仕上げること。トウさんはこれを基本として、24年間、上海の味付けを守ってきた。

●新天地
 フランスの租界地の街並みが残っている。日本でいえば銀座。ここに日本人でお店を出している人がいる。「マグロ帝王」と呼ばれている島原慶将(37歳)が、6店舗のトロ専門店「天家」(住所:上海市櫨湾区太倉路68号、電話:021−5383−6886)を展開する。年商6億円。客単価は350元(約4900円)。上海での大卒の初任給が3000元(約4.2万円)なので、結構高いが、連日満席。1ヶ月でマグロ1.5トンを消費する。オーストラリア産のインドマグロを使用している。
 島原さんは28階建の21階に一人で住む。LEONを愛読し、ジローラモさんの真似をしている。会社が倒産し、28歳の時にニートだった。父はマグロの漁師だったので、上海に行ってからマグロ卸を立ち上げた。高いのでどこも扱ってくれなかった。仕方なく自分でやろうと2005年に天家をオープンした。マグロの解凍術を徹底的に検討した。その結果、30度の塩水で洗った後、ラップで包んだ後、常温で8時間、冷蔵庫で10時間熟成する方法だった。塩水で旨みを逃さず、熟成させて旨みを増した。日本人が訪れ、接待で日本人が中国人を連れてきた。いつしか客の8割〜9割が中国人となった。
 インドマグロの中トロ、大トロの盛り合わせ「まぐろざんまい」200元(約2800円)。大トロ刺身98元(1370円)。「頑固でマグロ親父コース」1人前280元(約3920円)、「頑固盛り」270元(約3780円)、「あぶり寿司」8個88元(約1240円)。目の前で炙って食べると美味しいそうです。「ぶっかけ寿司」98元(約1370円)。新天地店では、家賃が1ヶ月250万円くらい。

●四川料理
 上海は四川料理が人気となっている。「渝信川菜」(住所:上海市黄浦区九江路399号華盛大厦5F、電話:021−6361−1777)に行く。名物は水煮魚で客の9割が注文する。厨房スタッフほぼ全員が四川出身で、四川料理の味を伝えている。2003年に上海に進出。上海の人は辛いものは食べなかったが、スピードの速い時代を生きていくために、辛いものを食べてテンションを上げているようです。
 魚はレンギョ?という川魚を使用。四川省から取り寄せる甘しょうと唐辛子を高温に熱した油に入れる。これを下茹でしたモヤシとレンギョの上に豪快にかける。「渝信水煮魚」1kgで72元(約1000円)は辛いけど美味しいそうです。「麻婆豆腐」15元(約210円)、「担担麺(小)」3元(約70円)、「双椒仔鶏(鶏肉の山椒炒め)」48元(約670円)。
 日本では草食系、肉食系と言うが、上海では「牛蛙系女子」などと言うらしい。「マーラー蛙」68元(約950円)、蛙の足は美味しいそうです。最後は「中華ポテト」25元(約350円)。

●フートン地区
 高いビルが多い。上海で一番高いのは「上海環球金融中心」で、「森ビル」(住所:上海市浦東新区世紀大道100号、電話」021−6877−7878)。101階建で492m。構想から14年の歳月をかけて完成させた。ここには世界一高い展望台とレストランがある。エレベータには天井に高さが表示されている。95階まで66秒で到着。エスカレーターで100階474mに到着。展望台の床は一部が透明ガラスになっています。97階と100階がスカイウォークになっていて、全長55m、ガラス張り。150元(約2100円)。
 91階、地上400メートルにある「世界一高いレストラン」に行く。「世紀100」(住所:環球金融中心柏悦酒店91F、電話;021−3855−1428)。5つ星ホテル「パーク・ハイアット上海」のメイン・ダイニング。まず紹興酒「古越龍山紹興酒30年」1650元(約23100円)。総料理長イチオシの世界一高い料理「オーストリア産ロブスター1.5キロ」2450元(約34300円)。ロック・ロブスターです。

●屋台
 焼きそばを作っている店があった。火がボウっとでていました。麺にザーサイ、ナッツなども入れて炒めていました。5元(約70円)でした。

●珍しい風景
 雨が降っていると、自転車と人間を同時に覆う雨ガッパをみんな着用している。カラフルです。帽子にはあごにかかるバンド付き。ハンドルの上からかけるので、手でハンドルもしっかり握れる。

 串焼き屋台の串が重ねて突き刺さっている。シシカバブ1本2元(約28円)の串らしい。1日3000〜4000本くらい売れているという。1人10本程度。

●台湾スイーツ
 上海の女性に人気の台湾スイーツの店「小城故事」(住所:上海市徐匯区淮海中路1414号、電話:021−6431−8107)。一番人気は、「花生氷沙(ピーナツ・スムジー)」32元(約450円)。高さ20cmを越える「台湾かきごおり」32元(約450円)は、20cm以上になるように氷を盛り付け、あずき、タロ芋を盛り、コンデンス・ミルクをたっぷりかけたもの。「芝麻糊(黒ゴマの温スイーツ)」22元(約300円)は白髪に効くらしい。「雪蛤木瓜」58元(約800円)は、パパイヤ、ココナッツミルク、蛙の卵管の入った温かいスイーツ。

http://www.mbs.jp/mahou/shop/20100719.shtml


テレビ番組「にじいろジーン 地球まるごと見聞録 広州」

 2010年7月10日放送。EVA航空で台北経由で行きました。

●広州
 上海、北京に次ぐ中国第三の都市で人口1000万人。香港から北西に180kmの距離。中山記念堂などがある。1300年の歴史を持つ中国随一の貿易港。「沙面」の建物。「北京路」で朝から踊っている人が紹介されました。
 「食在広州」(食は広州にあり)といわれる中国一の美食の都市。食材と調理方法の多彩さから、広東料理は中華料理の中でも最高峰とされている。その代表格が「子豚の丸焼き」約7000円。皮だけをネギなどの薬味で味わう伝統料理。
 にじいろガイドは、ジオ・チェンチェンさん(26歳)。沙面公園では、みんなが思い思いに活動している。足でバドミントンの羽を蹴り上げる「チェンズ」をしている人たちがいる。これは広州で大人気のスポーツ。

 朝食を食べに「陶陶居」に行く。朝8時で満席でした。朝から飲茶を楽しんでいます。広州の人は1日に何度も楽しむとか。2000種類を越える点心とお茶を楽しむ飲茶は広州料理がルーツ。甘い点心もあるので、上手に組み合わせることが大事とか。昔から人気なのが「澱粉」約150円で、醤油をかけていただくお米のクレープ。中には牛肉も入っている。
 老舗レストラン「洋渓酒家」に行く。このお店では中国の国家資格「点心師」の巧みな技を堪能できる。「像型点心」は動物の形をかたどった遊び心に溢れたもの。黄色の羊?、ピンクの魚、白いウサギなど。「像型点心コース」は要予約で約2000円。どれも可愛くて、食べるのがもったいない。

 広東料理で最も重要視される料理がスープ。紹介されたのは、冬瓜のスープ「八宝冬瓜○」約2800円。広州ではファストフードもスープ。「達楊原味○品」というお店では、蒸し器の中にココナッツが並ぶ。「椰子○竹○○」(ココナッツ烏骨鶏スープ」約150円。食べた後はココナッツの実をはがしてスープを楽しむ。

 広州の人にとってスープは健康にも関係している。「西関国医館」という病院を訪れた。診察してもらって、その結果で飲むスープが決まるという。診察料は約150円で、処方箋を書いてもらう。隣がレストラン「食療居美食館」になっていて、処方箋を持ち込むと、症状にあったスープを飲むことができる。まさに「医食同源」。「西関国医館」には効能が書いてあるので、それを組み合わせてオーダーしてもらうという方法もある。

 「化林寺玉器広場」は天然石のアクセサリーを扱う問屋街は観光客に人気のスポット。日本と比べて、格安の値段で購入できる「水晶のブレスレット」は約1500円。紫水晶は健康、金発晶は金運、粉水晶は愛情に関係すると言われている。この問屋街で多いのはヒスイ。中国ではダイヤモンド以上に価値が高い。ヒスイは透明度が高い方が価値があるが、より高価なのは緑色が入って、なおかつ透明度が高い物。ライトに当てると透き通っているのがわかる。
 ヒスイの価値がわかる便利な場所がある。問屋街にある国営の「金銀珠宝検測中心」に宝石を持っていくと、格安の費用で鑑定を行ない、鑑定書を発行してくれる。鑑定書は1件約300円。ここでもらえる鑑定書は世界50カ国以上で通用する。

 中心地の不動産。38階建の高層マンション。プールはフィットネスなどの施設も充実している。2LDK124平方mで、家具なども備え付け、1ヶ月の家賃は1.5万元(約21万円)。

●肇慶
 高速バスに乗り、2時間走って到着したのは、近郊の肇慶。運賃は約400円。水墨画のような美しい水辺の風景を求めて、古くから多くの文人たちがこの地を訪れた。肇慶の石で作られる「端渓硯」は、中国で最も高級な硯。値段は高いもので数百万円にものぼる。
 肇慶には美容にいい特別な花もある。レストラン「肇慶新世紀漁港」を訪れ、美容効果があるという覇王花のスープ「覇王花○戊骨」約900円をいただいた。この中に入っている食材が花。この覇王花はサボテンの一種で、栄養たっぷりで、肌によいという。


テレビ番組「世界!弾丸トラベラーは舟山久美子、村田莉さんで成都」

 2010年7月3日放送。舟山久美子さん(19歳)、村田莉さん(18歳)が成都でパンダの赤ちゃんを抱っこしたい。成都までは中国国際航空422便などで日本から約7時間30分の旅。

●予定
 1日目、9:00、成田国際空港発CA422便。15:35、成都奴流国際空港着。16:20、錦里民族街へタクシーで移動。17;00、錦里民族街でショッピング。20;00、四川料理のお店で夕食。22;00、ホテル「圓和圓佛禅客桟」にチェックイン。
 2日目、7:30、ホテル発、ホテルの前でガイドと待ち合わせ。10:00、「雅安パンダ研究センター」着。12;00、パンダの赤ちゃんを抱っこする。13:00、空港へ移動。15;00、成都奴流国際空港着。16;30、成都奴流国際空港発CA427便。18:45、香港国際空港着。
 3日目、0:35、香港国際空港発NH1276便。5:45、成田国際空港着。

●成都
 空港から市内へタクシーで向かう。40分で60元(約900円)。錦里民族街は、19世紀の清の時代の街並みを再現した観光スポット。「坦坦麺」5元(約70円)をいただく。「パンダハウス」は、成都一番のパンダ・グッズのお店。可愛いアイテムが並ぶ。帽子と手袋が一体となったグッズ、スリッパ2足の合計3点で275元(約4000円)。
 「陳麻婆豆腐」店は成都で最も有名な四川料理の店。「麻婆豆腐」20元(約300円)をいただいたが、この店が麻婆豆腐の発祥の店で、148年前に店のオーナーの陳おばさんが考案した。最後に中国山椒をまぶしたら完成。とても辛いけど、とても美味しいそうです。
 ホテル「圓和圓」にチェックイン。215号室かな?。禅をテーマにした伝統的な建築様式のホテルで、1泊448元(約6700円)。

 2日目、ガイドはダイさん(29歳)。パンダツアーは1人360元〜(約5400円〜)。成都から車で2時間半「雅安パンダ研究センター」に到着。ここはパンダの保護や研究を行なう国の施設で、現在76頭が暮らしている。入場料は80元(約1200円)で、飼育員のシャオさんが案内。パンダの目のまわりが黒いのは、目を大きく見せて相手を威嚇するためと言われている。
 パンダのボランティアをしないか?と言われてやることにした。ボランティア寄付金は250元(約3750円)。服を着替えて、まず掃除。エサの笹運び。パンダは1日に20kgの笹を食べる。
 パンダ幼稚園に行く。ここには1歳未満の赤ちゃんパンダが16頭で生活している。衛生管理のために消毒されたビニールの服を着て、手には手袋を着用。静かに近づき、触った。「パンダと遊ぶ&記念写真」1000元(約1.5万円)は、じかに触れ合う時間は5分間と決められている。そして抱っこして記念写真。今回は運運(ユンユン)君で生後10ヶ月だが、20kg。


テレビ番組「旅サラダ 2010年4月は大路惠美さんで中国」

 JALで成田空港から上海まで3時間で行きました。通貨1元=13.5〜14円での計算。情報は取材時点のものであり、変更が生じる場合多数あり。

●上海
 浦東国際空港から上海の中心部までリニアモーターカー(上海磁浮列車)に乗る。浦東国際空港駅から龍陽路駅までの約30kmを、世界最高時速431kmで最速7〜8分でつなぐ。但し、431km/hが出るのは、9:00〜10:45と13:00〜16:45に浦東国際空港駅を出発する便のみで、曜日・時間帯によって運行速度や所要時間が変わる。
 「上海磁浮列車」(電話:+86-21-2890-7777、営業時間:6:45〜21:40 龍陽路駅 & 7:02〜21:42浦東国際空港駅、料金:普通席(Economy)片道50元(約680円)& 貴賓席(VIP)片道100元(約1350円))。

 浦東地区は1990年頃から開発が始まった新しい街並み。「上海環球金融中心(上海ワールドファイナンシャルセンター)」(住所:上海市浦東新区世紀大道100号、電話:+86-21-3867-2008、展望台の営業時間:8:00〜23:00、定休日:無休 )は、2008年にオープンした複合ビル。101階建て高さ492m、中国で一番高いビル。ショップやレストラン、オフィスなどが入る超高層複合ビルで、100階は世界で一番高い場所にある展望台(高さ474m)として人気がある。94階はグッズショップ、97階と100階は展望台。 料金は、展望台入場料(94階+97階+100階)150元(約20300円)。
http://swfc-shanghai.com/

 浦東地区には他に東方明珠塔など近代的なビルが並ぶ。川の反対側の外灘(ワンド)地区には100年前の洋風の建築物が並ぶ。1842年に開港した上海にイギリスは領事館や銀行を作った。その近くには、明や清の時代が残っている地区がある。

 「豫園商城」は土産物屋がたくさんあり、観光客で賑わっている。有名な庭園「豫園」を取り囲むようにして古い土産物店などが並ぶエリア。日本でいうと浅草の感じ。
 まず似顔絵の屋台風のお店「快速画像」には、似顔絵の扇子が並ぶ。この道30年のベテランの徐文忠さんに描いてもらった。1本150元(約2030円)。
 中心には美しい池がある。そこにかかるジグザグにかかる橋。
 人が並んでいるのは、「南翔饅頭店」(住所:上海市豫園路85号、電話:+86-21-6355-4206、営業時間:7:15〜21:00、定休日:無休 )は、上海一有名なお店。創業100年を誇る老舗の小籠包店。1階はテイクアウト専門、2階と3階では店内飲食が可。「鮮肉小籠(定番の小籠包)」は6個で35元(約470円)で、穴をあけてスープを吸ってから食べます。上海でポピュラーな「糯米焼売(もち米シュウマイ)」4個で12元(約160円)。

 宿泊は眺めのいいホテルということで、「ハイアット・オン・ザ・バンド」(住所:上海市虹口区黄浦路199号、電話:+86-21-6393-1234 )。上海を流れる黄浦江沿いにある景色が自慢のホテル。今回は2806号室「バンド・スイート Bund suite 」で、床から天井までの広い窓が6面。双眼鏡?もついていて、古い街並みの「外灘」、黄浦江、新しい街並みの「浦東」、すべての景色を見渡すことができる。リビング、寝室、浴室から眺めることができる。1泊4700元(約6.4万円)(税別・サ込み)。夜景も格別です。他の部屋では外灘ビューの部屋、または浦東ビューの部屋などもある。
http://shanghai.bund.hyatt.com/

 南京東路で上海万博までの日数を表示したものがあった。上海に5年住んでいる沢木美佳子さんが案内。クイズ番組「アタック25」で10年間出題者として活躍した人です。

 上海が活気づいているのは5月1日〜10月31日に開催される「2010上海世博会(上海万博)」のため。会場は、上海市中心黄浦江両岸、南浦大橋と盧浦大橋間の濱江地区。3月19日に今回、特別に入らせてもらった。328ヘクタールの広さは、(東京ディズニーランド+シー+駐車場)の倍の広さとか。目標入場者数は7000万人。万博のテーマは「Better City、Better Life(よりよい都市・よりよい生活)」。241の国と国際組織が参加する、史上最大規模の万博。各パビリオンでは独創的なデザインだけでなく、省エネや終了後のリサイクルにも重点が置かれている。紫色の日本館は川をはさんで東側にある。メインは中国館で真っ赤。高さ63mで、万博後もずっと残るそうです。
 上海万国博覧会事務局の電話は+86-21-2206-2010。
http://jp.expo2010.cn/

 4回目をここに書きます。
 朝7時、地元の人の生活の様子を見た。「魯迅公園」(上海市東江湾路146号)は、中国の有名な小説家“魯迅”もよく散歩に訪れていたという公園。市民の憩いの場としていつも賑わっている。太極拳をしている人もいるが、リボンを使ったダンスや、フォークダンスや普通の踊りをしている人もいる。
 奥には地面に文字を描いている人がいた。墨ではなく水を使った「地書」で、書道の練習をしているとか。水を入れたペットボトルをつけた自家製の筆で描いている人がいた。その陳中直さんに話を聞いたら、水は滑らかだが、墨だと粘度があって難しいそうです。
 グループで話をしている人たちがいた。高倉宏充さんは日本人と中国人が交流する会を開催している。中国の人は日本語に興味がある人で、「日語角」という交流の場。胡晶坤さんは5月から名古屋大学に1年交換留学するそうです。

 ○剛(○は非の下に衣?)さんが商店街を案内してくれました。彼は「チャゲ&飛鳥」が大好きだそうですが、中国でも「チャゲ&飛鳥」は人気とか。
 魯迅公園からも近い商店街、朝ごはんの店が並ぶ通り「江西北路」を歩く。朝6時半頃から開店しているところもある。忙しい時はここで買って、移動しながら食べるそうです。クレープみたいなものを焼いている店があった。「豆漿坊 DOU JIANG FANG 」(住所:上海市江西北路199号)の「鶏蛋煎餅(卵焼き)」。小麦粉の生地の上に卵、香草、甘酸っぱい味噌ダレを塗って、揚げパンをはさんで出来上がり。1枚2.5元(約35円)。
 焼き小籠包の店は、「金彪生煎王 JIN BIAO SHENG JIAN WANG 」(住所:上海市江西北路203号)で、「生煎(焼き小籠包)」が4個で4元(約55円)。まず穴をあけてスープを吸ってからいただきます。

 高層ビルの近くに古い上海が残っている。その一つが「田子坊」と呼ばれる地域。古い家屋を改装して作られた街で、今一番の人気スポット。200軒の店があるという。レンガ造りの店とか、洗濯物がかかっていたりとかします。いろいろな国の人がいる。「田子坊」にある中国シルク雑貨のお店「シェ・ルー Chez Lu 」(住所:上海市泰康路210弄7号大院4室、電話:+86-21-5465-6739、営業時間:9:30〜20:30、定休日:無休 )に入ってみた。可愛いピンクの靴は230元(約3100円)、子供の靴は95元(約1280円)、黄色のバッグは295元(約4000円)。他にもクッションやいろいろな小物がありました。

 古い洋館が残っている地域に行く。かつて中国には「租界」と呼ばれる外国人居住地が作られた。上海は「東洋のパリ」と呼ばれていた。
 淡いベージュの洋館は「宋芳茶館」(住所:上海市永嘉路227号甲、電話:+86-21-6433-8283、営業時間:10:00〜19:00、定休日:無休 )で、フランス人オーナー、フローレンス・サムソンさんが2007年に開いたカフェ(ミニ・サロン)。青い容器のお茶が70種類、きれいに並んでいました。フローレンスさんは日本に住んでいたので、日本語ができます。伝統的な中国茶だけでなく、フランスから輸入した紅茶や独自のアロマブレンドティーなどがある。1階はオリジナル茶葉や茶器のショップ、2階と3階はカフェになっている。日本語のメニューもあります。お勧めはミルクの香りのする烏龍茶(鉄観音)「○(女へんに乃)香烏龍」50g110元(約1500円)。一番のお勧めはフランスの紅茶にチェリーと忘れな草をブレンドした「上海ドリーム」50g90元(約1200円)。他には、「ナイシャン・ウーロン(バニラの香りがするウーロン茶)」50g110元(約1500円)。2階のカフェでいただいたのは、「上海ドリーム」45元(約600円)。

 人気の薬膳料理の店「百草傳奇」(住所:上海市興業路123弄新天地広場1号、電話;+86-21-6386-6817、営業時間:11:00〜24:00、定休日:無休 )は、漢方を取り入れた、体にいい美味しい薬膳料理が食べられるお店。店内は明るくモダンな感じですが、さりげなく漢方が置かれている。オーナーの楊紀昌さんに話を聞いた。美味しさにもこだわっているそうです。お勧めは「キノコとチシャの和え物」40元(約540円)。キノコは体の免疫力を高め、チシャは消化をよくする。「冬虫夏草とアヒルのスープ」168元(約2270円)。冬虫夏草という最高級の漢方や、朝鮮人参でアヒルの肉を煮込んだスープ。メインは「梅と鶏肉の甘酢炒め」70元(約950円)で、梅は体を温める効果がある。デザートは「亀ゼリー」45元(約600円)。カメの甲羅の粉末と生薬を煎じて作られていて、シロップと一緒にいただく。

 マッサージを体験しに行った。「上海商城」という多目的ビルにある「グリーン・マッサージ」(住所:上海市南京西路1376号、上海商城・西峰202室、電話:+86-21-6289-7776、営業時間:10:30〜24:00、定休日:無休 )は、上海市内に数店舗を展開している人気のマッサージ店。マッサージの前にハーブティーのサービスがある。今回は108種類のハーブや漢方をブレンドした薬草袋を使ったマッサージ「ハーバルボール・マッサージ」80分580元(約7800円)で、これが体験できるのは今回取り上げた上海商城店のみ。温かい薬草袋で体のツボを刺激し、凝りをほぐす。その後アロマ・オイルでマッサージしてくれます。
http://www.greenmassage.com.cn/

 旅の最後に「黄浦江クルージング」を楽しんだ。「上海風采航運公司」(住所:上海市虹口区東大名路700号、電話:+86-21-6324-8629、営業時間:13:30〜17:00、18:30〜21:30、定休日:無休 )で、1人1時間268元(約3600円)。古い街並みと新しい街並み、両方が一度に楽しめる。

●蘇州
 上海の西にある水の都。白い壁と黒い屋根瓦の素朴な街。およそ2500年前の春秋時代に都が置かれたことに始まる。昔からシルクの産地として知られ、輸送にも便利な水路が開発された。東洋のベネチアと呼ばれているが、こちらの方が歴史は古い。

 山塘街を「手漕ぎ船」(住所:蘇州市山塘街新民橋下、営業時間:8:00〜17:00 )で行く。ゆったりとした時間が過ぎていく。どこを切り取っても絵になる。料金は1人40分45元(約630円)。

 刺繍の技術も発達している。「蘇州刺繍研究所」(住所:蘇州景徳路272号、電話:+86−512-6522-2415、営業時間:8:30〜16:30、定休日:無休 )に行く。解慧珍?さんが日本語で説明してくれました。シルクの布にシルクの糸で刺繍する蘇州刺繍は繊細で上品です。レベルの高さは中国でも指折り。パンダのものもありました。猫のものなどはとても細かい。モナリザも素晴らしい。花と蝶のは裏表が作られていて素晴らしい。2階では作業工程が見学できる。糸は細かく裂いて使っていました。2000年の歴史があるそうです。

 世界遺産に登録されている庭園「留園」(住所:蘇州市留園路338号、電話:+86-512-6557-9466、営業時間:7:30〜17:30、定休日:無休 )は中国を代表する庭園。入場料は1人40元(約560円)。職員の陳雄さんが案内してくれました。300年以上前に、仕事を引退した役人が自分のために建てたもの。小さな庭園の先に、大きな庭園がある。自分の故郷をイメージして作ったもの。さらに奥にある建物は、宴を開いていた場所。客間から見える石はユニークな形をしている。郊外にある「太湖」で採れる「太湖石」。奥にあったのは、高さ6.5m、重さ5トンの自然石は、60km離れた太湖から20年かけて運んだそうです。この留園を含め市内にある9つの庭園が世界遺産。

 紹介されませんでしたが、「北塔報恩寺」(住所:蘇州市平門内人民路652号、営業時間:8:00〜18:00、定休日:無休 )は拝観料が1人25元(約350円)。

 中心部から少し移動すると、新市街とも呼べる街並みが広がっている。「蘇州工業園区」で、金鶏湖周辺に広がる。湖を取り囲むように、世界中の企業や金融機関が進出し、高層マンションやショッピング・モール、遊園地もある中国きっての大規模ニュータウン。
http://www.sipac.gov.cn/
 ここにはレストランなどが並ぶ「李公堤」と呼ばれるエリアがある。蘇州の伝統料理が味わえる人気の「呉地人家」(住所:蘇州市工業園区李公堤29号、電話:+86-512-6287-5888、営業時間:11:00〜21:00、定休日:無休 )に行く。名物料理は「松鼠桂魚(桂魚の丸揚げ、甘酢あんかけ)」168元(約2350円)で、桂魚とは淡水ハタ。形は松ぼっくりを表わしている。「蟹粉豆腐(上海蟹と豆腐の煮込み)」58元(約800円)。
 李公堤は夜景もいい。

 車で1時間、お茶の名産地「東山」に向かった。農家の査恩春さんは、最高級の緑茶「碧螺春(ピールーチュン)」作りの名人で、数々の賞も受賞している。茶葉は鮮やかな緑。収穫時期は春。一番の特徴は果物の木の下で育てること。そのために茶葉は果物のとてもいい香りがする。ビワ、梅、みかんなど、一年中果物を栽培することがポイントとか。春が一番美味しいとか。
 茶摘みに挑戦してみました。茶葉は小さいので、収穫はたいへんです。収穫した茶葉はすぐに30分煎る。

●海南島
 中国の最南端にある海南島。面積は九州と同じで、緯度はハワイと同じ常夏の島。中国のリゾート地でとても暑いそうです。年間の平均気温はおよそ25度。上海から飛行機で3時間。島の一番南にある三亜は中国国内外からも観光客が訪れるビーチリゾート。

 大東海ビーチで「パラセーリング」に挑戦した。「海域18°国際潜水倶楽部」(住所:三亜市大東海風景区、電話:+86-898-8821-2044 、営業時間:9:00〜18:00 )。船で沖に行ってから空を飛ぶ。景色が素晴らしいそうです。そして何故か急降下、海に足がつきそうな所まで降りたら、再度上昇。料金は15分で一人300元(約4200円)。それ以外にも、ダイビングやバナナボートなどさまざまなマリンスポーツを体験できる。

 三亜市内では、水着姿で街を歩く人もいる。屋台も並ぶ。小物、フルーツなど。マンゴーは1個あたり約140円(量り売り)でした。500gで10元(約140円)が相場だったらしい。マンゴーは1個約400〜500g。甘くて美味しいそうです。
 アイスの屋台「炒冰」(住所:三亜市大東海ビーチ付近、電話:+86-898-8867-5122、営業時間:13時〜夕方まで )は、フルーツを選べば、その場ですぐにアイスを作ってくれる。まずミキサーにフルーツと練乳とシロップを入れてフルーツジュースを作り、それを冷却板の上で約5分間、炒めるようにかきまぜてアイスにする。料金は1つ15元(約200円)で、フルーツは2種類まで選べる。今回はパイナップルとスターフルーツ。

 宿泊は、「リッツカールトン・サンヤ」(住所:三亜市亜龍湾・国家旅游度假区、電話:+86-898-8898-8888 )で、2008年にオープンした、海南島で最も美しいといわれる、亜龍湾に面した豪華5つ星リゾートホテル。まずはレイをかけてもらう。ヴィラのお客はロビーではなく、お部屋でチェックインする。専用カートで移動。広い敷地内に客室は450、ヴィラはそのうちの33室。今回は8005かな?一般家庭のような家です。リビングから落ち着いた豪華さです。今回は「シービュー・ヴィラ(麗海居)」で1泊6500元(税・サ・朝食別)(約8.8万円)。このヴィラ一番の自慢はテラスにある向こうに海が見えるプライベート・プール。屋根もあります。その先にはプライベート・ビーチ。そこにはビーチパラソルとベンチもある。他にもスパ、アクティビティなども充実しており、ゆったりと滞在を楽しめる。
http://www.ritzcarlton.com/en/Properties/Sanya/Default.htm

 夕食は海鮮料理の「東郊椰林海鮮城l(住所:Sanya Shi Yu Ya Lu 109 Hao、電話:+86-898-8821-0999、営業時間:17時〜22時、定休日:無休 )。ネオンの右側には、真正海南特色と書いてありました。店内の壁の水槽から魚を選び、調理法&味付けも指定できる。ホタテのお勧めの調理方法は、ニンニクや黒大豆トウチで蒸すことだそうです。「ホタテのトウチ蒸し」は2枚で33元(約450円)。面白い魚がいた。1匹1万円もする高級魚のサラサハタでした。塩と紹興酒で蒸して、醤油とゴマ油で香ばしく仕上げた「サラサハタの蒸し焼き」946元(約1.3万円)。

 ラフティングに挑戦。三亜市内から車で20分も山に行くとのどかな風景になる。熱帯雨林の大自然。その間を流れるのが、「万泉河」。ここでラフティング(漂流)をする。「万泉河漂流」(住所:Hainan Sheng Qionghai Shi Wanquanhe Shenao Xiagu Fengjing Qu、電話:+86-1370-7539-9866 )の李業文さんが説明してくれました。ラフティングの乗物は全てバナナ・ボート。パドルで漕ぐのではなく、モーターエンジンで動かす。料金は1人141元(約1900円)。最初は穏やかな川で、急流に来るとかなり揺れました。およそ15kmを2時間かけて下るコースでした。相当楽しかったそうです。

 次はリラックスできる場所「ナラダ・トロピカル・リゾート」(住所:海南省保亭七仙嶺国家森林公園、電話:+86-898-8388-8888 )。温泉地・七仙嶺にある、熱帯雨林の緑に囲まれた癒しの5つ星リゾートホテルで、全ての部屋に温泉がついている。ホテル内のどこでも森林浴ができる。部屋もナチュラルで温かみを感じる。今回は「デラックス・ヴィラ」で1泊7388元〜(税・サ・朝食込)(約1万円〜)。テラスにはマイお風呂付き。敷地内の温泉は水着着用で楽しめる。プールもリゾート風です。フィッシュセラピー用の足湯もある。68元(約900円)。小さな魚はドクター・フィッシュと呼ばれている淡水魚で、37度近い温水でも活動することができる。雑食性なので、人間の古い角質を食べてくれます。さらにマッサージ効果、リラクゼーション効果もあるという。相当くすぐったいそうです。
http://www.hainanparadise.com/


テレビ番組「世界遺産への招待状32 中国・明・清の皇帝陵墓」

 2010年3月1日放送。

●四川省
 この地方の言葉「1000人山に登れば、500人は帰れない」。滅多に人は入ってこない。山に入った人の半分は猛獣に襲撃されたり、病気で亡くなったという。ここに1000年経っても腐らないという中国最高級の木材「金絲楠木」がある。今はここに残るだけだという。大きいものは全て伐採され北に運ばれたという。

●北京の北・明十三陵
 14世紀から17世紀まで続いた明王朝の皇帝や妃の陵墓が集まる。日本の古墳に似た陵墓。中国にはこのような陵墓がいくつもあり、一つの世界遺産として登録されている。
 今回目指したのは、明十三陵の中でも一番大きな「長陵」。歩き始めて1時間、壮麗な建造物に到着した。横幅66mもある「陵思殿」。皇帝亡き後、様々な儀式が行なわれた。ここの柱や梁に「金絲楠木」が使われている。5年以上もかけて運ばれたという。600年経た今もきちんとしている。しかも「金絲楠木」は雨が少し降ると、いい臭いがするという。皇帝一族だけが使う贅沢品だった。「長陵」の主は第3代皇帝の永楽帝。即位して間もなく、数十万人を動員して「長陵」の建設を開始した。「金絲楠木」はさらに奥の小高い丘の皇帝が葬られている「宝城」にも使われている。この「宝城」の地下には宮殿があるという。ここではまだ発掘調査が行なわれていないため、見ることができない。
 明十三陵にある万暦帝の陵墓「定陵」は「長陵」と同じ造りをしている。ここの地下宮殿は1950年代に発掘され、公開されている。深さ27mにある地下宮殿は6年の歳月と2年分の国家収入を費やして作られた。棺は「金絲楠木」で作られた。
 明王朝の半ばまで、皇帝が死ぬと、妃なども一緒に殺されて葬られた。殉葬という。永楽帝の際は16人が殉葬されたという。陵墓の建設に関わった人も殺されたという。

●南京
 明の時代、初めに都が置かれたのは南京。明十三陵の模範となった陵墓がこの街にある。初代皇帝である太祖洪武帝朱元璋の陵墓「明孝陵」。造営に30年が費やされた。かつては周囲23kmが壁に囲まれ、1万人近い兵が、日夜警備を行なった。○定康(○は形の左側+邦の右側)さんに話をうかがった。周辺の国に対しても権力を誇示するために、こういうものを作ったらしい。また皇帝は死後の世界にも、現実の世界のような世界があると信じていた。そこでも今と同じように権力を奮いたいと思っていた。そのような野望は実現不可能な要求にまで達した。そこで案内してもらったのは、高さ9mの石碑。実は計画段階ではもっと大きかったが、採石場「陽山碑材」から運ぶことができず、この大きさになったという。
 「陽山碑材」に残っていたのは、3万トンを越える石碑。延べ10万人の石細工によって掘り出されたが、途中で投げ出された。地元の歴史に詳しい馬孝信さんに話を聞いた。今は横になっている石碑を立てて、さらにその横にある石の塊を乗せる予定だったという。この石材は長さ50m。当時亡くなった石細工たちが葬られているのは、墳頭村。馬さんが子供の頃には、石細工たちの多くの墓が残っていたという。

●清の時代
 17世紀、満州民族が万里の長城を越えて進入し、明王朝にとって代わった。人口わずか数百万の満州民族が清王朝をうちたて、1億近い人間が暮す中国を支配した。清王朝は政治や文化の面で明王朝を引き継いだ。

●清東陵
 北京から100kmにある。2500平方kmの敷地に5人の皇帝や妃の陵墓が並ぶ。「裕陵」は60年間皇帝の座に君臨した乾隆帝の陵墓。地下には乾隆帝の人間性が反映しているという。アーチをくぐり息を飲んだ。天井などの浮き彫りは、チベット仏教をテーマとしたもの。清王朝はチベット仏教を国教とし、手厚く保護した。陵墓は10万人の満州族によって守られた。皇帝の死後もその威光は失われることはなかった。
 河北省易県満族郷は280年前に陵墓建設のために移り住んできた満州族子孫たちが暮す街。彼らは今も皇帝を誇りに思っている。今なお陵墓を守り続けている人がいる。于績倫?さん(66歳)は先祖代々墓守を勤めてきた。特別に于さんの管理する陵墓を見せてもらった。乾隆帝の母である孝聖憲皇后の陵墓。仕事を始めて37年。45年前に始まった文化大革命の影響がかなりあったようです。古い文化が徹底的に破壊された。明十三陵にあった万暦帝の遺体は焼かれ粉々にされた。住民が満州族の人だったので、陵墓を破壊せず壁にスローガンを書くだけでおさまった。国からでる手当ては月6000円。

 翌朝、村人たちが満州族伝統の踊りを見せてくれた。250年前に時の皇帝から与えられ、絶やさず守ってきた「龍の舞」。龍が天の文字になった。次は下、次は大、最後は平。


テレビ番組「THE 世界遺産 中国広東省開平」

 2010年2月21日放送。19世紀後半、アメリカやカナダで大陸横断鉄道が開かれ、多くの中国人が働いた。彼らは中国の故郷で世にも不思議な楼閣を築いた。

●開平
 香港から西へ300kmにある小さな村。食文化で知られる広東省。
 美しい水田の風景の中に不釣合いな楼閣が聳えている。その数1800を越える。多くは4、5階建で、1900年からわずか30年間で建てられた。中世の城を思わせる。バロック風のドーム型の屋根、ギリシャ型の円柱など、西洋の建築が混じり合っている。
 村の一つ自力村には、60戸ほどののどかな村を有名にしたのは、水田を見下ろす15の楼閣。多くは1920年代に建てられた。一つの楼閣「銘石楼」に入ってみた。あらゆるものが外国製。コンクリートはイギリス、骨組みとなる鉄筋はドイツから取り寄せた。間仕切りには緑や青の色ガラスを使用。窓辺には蓄音機があり、インテリアも輸入品。
 開平一帯の村村にはこういう楼閣が1833戸もある。馬降龍村落群で一番古いのは「天禄楼」で1925年築。窓には鉄格子がある。無表情でいかめしい外観は、どこか監獄を思わせる。ここを使っていた黄さんが説明してくれました。家族のための部屋が29部屋あった。盗賊が来るとドラが鳴って、この楼閣にみんなが避難したという。村の周辺には強盗が横行していたので、住民はまず竹を植えた。そのトゲで自然の有刺鉄線とした。次に家は密集させ、馬に乗った盗賊が活躍できないようにした。最後がこの楼閣。最上階には、敵を撃つための設備があった。

 三門里村?の「迎龍楼」は450年前の明の時代のもので、ここから楼閣が始まった。以前は洪水で家や田畑が流されたし、盗賊もいた。そこで村人が入れるように楼閣が作られた。
 1936年に建てられた楼閣には盗賊から守るような形のものはない。管理人の黄さんが説明してくれました。どの階にも台所があり、大家族で暮らせる住居となっていた。最上階には先祖を祀る祭壇がある。伯父さんがカナダに出稼ぎに行って、そのお金でこの楼閣を建てたという。150年前開平の人々は仕事を求めて海外に出た。主な行き先はアメリカ、カナダ、オーストラリアで、大陸横断鉄道建設や、ゴールドラッシュの鉱山だった。低賃金で辛く苦しい労働を強いられた。
 開平の川沿いに当時の船着場が残っている。ここから70万人の人々が海外に向かった。その中から成功者が生まれた。しかし当時の法律では家族を呼び寄せることはできなかった。仕方なく彼らは宝石などを持って故郷に帰った。成功者の一人は7棟の豪華な楼閣「立園」を建てた。バスタブや水洗式のトイレもある。ミシン、自転車、扇風機が3つの回る物という憧れの品だった。他の成功者たちが建てたものは、適廬(1924年)、雁平楼(1923年)などだった。

 彼らが建てた建物はどこで知ったのか?香港は19世紀にイギリスの植民地となり世界に開かれた。そこに洋風建築が点在する。1910年に建てられた香港大学。中央の時計台にはドームやとがった塔があるが、これが開平の楼閣に影響を与えたという。さらに海外から送った絵ハガキを参考にして建てたという。
 1918年、村人がお金をだしあって「錦江楼」という楼閣を建てた。防御に徹している。1919年にはアメリカで成功した男が「昇峰楼」をフランスの建築家に依頼し、美しさを目指した楼閣を建てた。これは評判をよび、村一番の楼閣だともてはやされた。その4年後、1923年開平で最も高い楼閣「瑞石楼」が完成した。高さおよそ30m、9階建で農村の摩天楼となった。建てたのは金融業で成功した黄壁秀さん。9階にはサーチライトがあり、村から盗賊から守ったという。


テレビ番組「世界の果てまでイッテQ! ベッキーが行くワールド鍋ツアー」

 2010年1月31日放送。日本には和歌山の「たきたき」、山梨の「ほうとう」、秋田の「きりたんぽ鍋」、福岡の「もつ鍋」、愛知の「味噌おでん」などの鍋がある。韓国と中国の鍋を探る。

●ソウル
 この日はソウルは10数年ぶりの大雪。オウさんが案内。
 南大門市場にチゲの名店がある。「チゲ」とは1人前の鍋料理のこと。細い路地を入ったところにある「チゲ専門横丁」。「納豆チゲ(チョングッチャンチゲ)」のチョングッチャンとは、大豆を発酵させて作った味噌納豆のような刺激臭を放つもの。これがたっぷり溶かしこんであり、臭いがすごいらしいが、食べると美味しいそうです。

 ソウル・タワーに行く。韓国ではお寺や神社に初詣をする習慣がない。そこで若者はここに来て、カギをかけて願掛けするのが定番となっている。また夜はソウルNo.1の夜景スポットにもなる。

 一般家庭に行って、石鍋を使った料理をいただいた。コンさんのお宅。「ジョンゴル」はみんなで食べる鍋。今回いただいたのは、「マンドゥ・ジョンゴル」。「マンドゥ」は餃子。新年に幸せがぎっしり詰まるように、韓国ではお正月に餃子を食べる。餃子はキムチ味で、ゴマ油も入っているとか。食べた後はご飯を入れて「焼きご飯」をいただく。

 「タッカンマリ」を食べに行く。風呂桶みたいな鍋でいただく。鶏が1羽まるごと入っている。オウさんと食べる。まずハサミで豪快に切り、唐辛子ベースのタレにつけて食べる。人気の理由は薬膳スープ。

 チェ・ジウさんとプルコギをいただいた。普通は焼肉だけど、この店のはスープを入れるので、焼肉と鍋の中間。野菜はスープで煮込み、お肉は真中のでっぱりで焼く。お肉にコチュジャンをつけ、サンチュで巻いていただく。鍋が出っ張っているのは、肉汁をスープに誘うため。締めは麺。冷麺なんだけど温かい。

●ハルビン
 別名「氷の都」と言われる。この日はマイナス11度。ソンさんが案内。
 「炭火鍋」は炭さえあれば、どこでも鍋ができる。中国では古くから使用されている。真中に炭を入れ、煙などを避けるために、煙突をつける形。具材はこの地方の鍋料理に絶対に欠かせない「酸菜」。これは日本の白菜漬をより発酵させたような漬物。名物の「酸菜鍋」をいただいた。味噌ダレにつけていただく。酸っぱい鍋もいいそうです。

 ハルビンでは中国4大自然奇観の一つ「吉林霧氷」が見られる。目の前を流れる川の上流には水力発電所があり、暖められた水はこの気温でも凍らない。大気との温度差で霧がたちこめ、木々に凍りつき、この景観ができる。

 「ハルビンの氷祭り」を見る。夜はライトアップされて、とてもカラフル。全部氷でできている。毎年1月〜2月に開催される「ハルビン国際氷雪祭」。日本のお城、北京の天壇、塔林、秦の大殿、マーライオン、イギリスのウィンザー城、スフィンクス、コロッセオなどの建物が並ぶ。相当大きいです。この氷は人工的なものではなく、凍った川の天然のものを使用しているが、準備期間はたったの10日間。氷のすべり台などもあり楽しいようです。

 5つ星ホテル「シャングリラ」の中に「氷のレストラン」がある。天井と壁は全て氷で、店内の温度はマイナス10度以下。「アイス・パレス」と書いてありました。その中で食べる鍋が「汽鍋」。持ってきたのは、生の具材だけの入った鍋。次はお湯だけが来た。つまり蒸気で具材を暖めていただく。ここから食べるまで40分かかる。スープが特によいそうです。店の中は蒸気だらけ。


テレビ番組「世界の果てまでイッテQ! アワード2009」

 2009年3月1日放送。2010年1月24日再放送。放送開始から2年で訪問国と地域は77箇所。総移動距離は141万8985km。もう一度見たいものをランキングした。

●8位 大自然の神秘(中国・四川省)
 黄龍は玉翠山にある3400もの湖や沼の総称。最も有名な「五彩池」は一番奥にある。今はロープウェイで標高3400mまで行ける。色彩豊かなパレットのような景色が広がる。


テレビ番組「世界遺産への招待状28 中国・五台山」

 2010年1月4日放送。

●五台山
 標高3000m、氷点下45度にもなる山頂は仏教の聖地の「五台山」。2009年に世界遺産になった。
 山西省の省都の太原市から車で向かう。道沿いには柳の林が道路をトンネルのように覆っている。標高が上がっていくと黄土色の崖が現れた。中国の黄土高原の東端にあたる。
 五台山は台懐鎮と呼ばれる盆地とそれを囲む山々からなる仏教の聖地。寺院の数は68で、6000人の僧侶が毎日祈りを捧げている。
 五台山に入ってまず目をひくのが、塔院寺「大白塔」。高さ56mの巨大な塔で、中にはブッダの遺骨が納められている。インドから19粒の遺骨が中国にもたらされた。その1つを納めるために1600年前に建てられた。
 10月初めに大白塔に1000人の僧侶たちが集まった。五台山の高僧の誕生日を祝う法要が営まれた。もう一つの宝が「小白塔」。中には文殊菩薩の髪が納められている。文殊菩薩は五台山のほとんどの寺で祀られている。高さ9.8mで、文殊菩薩としては五台山最大の仏像。智恵の神様で、獅子に乗っている。仏典によれば、インドの北東の方角にある高くて涼しい山で、今も文殊菩薩は仏の道を教えているという。中国の人は五台山がそれにピッタリだと考えた。それで五台山は文殊菩薩信仰の聖地となった。

 台懐鎮を囲む3500m程度の5つの山、西台、中台、北台、東台、南台。そのうち西台は文殊菩薩が五台山で最初に道場を開いた頂きだといわれている。
 西台に向かう。中腹から雨が雪に代わり温度が急激に下がってきた。山頂は薄い雪で覆われていた。頂きに建つ「西台法雷寺」の入口にはチベット仏教のタルチョと呼ばれる旗のようなものがあった。とても寒い中で僧侶たちは回りながらお経を唱えていました。西台山頂で修行をすることは僧侶にとってこの上ない喜び。
 西台で僧侶たちが修行を始めたのは、西暦300年頃。以来、何年も下山せずに修行した僧侶は特別な尊敬を持って迎えられた。法雷寺の釈聖一法師(76歳)は、中国禅宗界の第一人者。文殊菩薩が昔から西台だけ祀られてきたので、西台は特別な存在だという。剣で煩悩を切り捨て、人に智恵を与える。
 朝4時半、氷点下15度の中で山頂の1日が始まる。食事は1日2食、肉は口にしない。真冬は氷点下45度にもなる。5ヶ月前に出家したばかりの果旭さんは、初めて山頂で冬を越す。欲に生きている今の社会が嫌だという。
 10月半ばで雪で山頂と下界との交流は半年間絶たれる。麓からこの年最後の食料600kgが運び上げられてきた。体力と気力が充実している僧侶6人が山に残る。釈法師は下山した。

●世界遺産「敦煌莫高窟」
 ここにある700の洞窟は仏像や壁画で覆いつくされている。その第61窟の内部には唐の時代の「五台山図」がある。五台山には350もの寺があったという。その後五台山は仏教の経典を学ぶ場所となり、インド、モンゴル、朝鮮など世界各地の仏教徒が心を寄せる聖地となった。日本からも円仁などが訪れた。その当時は5つの峰を回る回峰行が修行として行なわれていた。日本で行なわれている千日回峰行は円仁が持ち帰ったものの一つ。

●五台山
 台懐鎮の「普寿寺女子仏学院」では女性のみ16歳から34歳まで800人が学ぶ。あらゆることを6年間で学ぶ。学院が開校したのは20年前。授業料と生活費が無料なので、運営は楽ではない。企業の援助と人々のお布施で賄っている。学院生の増加で建物の増築もしている。建設資材の運搬など、学院生も作業を手伝う。戒律は最も大事な授業で、女性は男性の倍の500の戒律がある。院長は中国尼僧界の第一人者の釈如瑞尼。尼僧には人々から慕われるような人間になってほしいと語る。
 過去の行いや日常の心の悩みを打ち明ける授業。学院では全員が寄宿生活で、特別な許可がない限り、外出できない。元美容師の圓普さん(22歳)はここで暮らして1年が経った。俗世間では欲望によって穢れたという。それや本人の執着からも逃れるために仏にすがりたいという。

 中国仏教の4大聖地の中でも五台山はとりわけ高い人気を集めている。文化大革命で多くの寺院が破壊されたが、五台山の代表的な寺院は歴史的な価値が認められ、災難を免れることができた。また五台山は中国で唯一チベット仏教徒と中国仏教徒が一緒に祈ることができる場所でもある。また訪れる僧侶の種類として、雲遊僧が多いことも特徴に挙げられる。雲遊僧とは、一つのお寺に所属せず、各地のお寺で修行する僧侶のこと。今は中国では増えている。目覚しい経済発展で行き場を失った人が僧侶の道を選んでいる。
 格桑界美さんはチベット仏教僧侶の雲遊僧で、内モンゴルから出てきて16年前に五台山で出家した。山の頂きには、かつて天城寺というチベット仏教の寺があった。山頂と中腹に伽藍があったが、戦乱で破壊され、わずかに土台などが残されるのみ。格桑さんは天城寺を再建したいと考えている。しかし両親と妹家族は反対している。


テレビ番組「THE 世界遺産 黄龍」

 2009年12月6日放送。中国四川省の北西部は古くからチベットの人々が暮らし、聖なる山を信じてきた。深い霧の中に龍のいる寺院がある。かつて聖なる山に黄金の龍が舞い降り、この世ならぬ絶景を作ったという言い伝えがある。限りなく青く澄み切った伝説の池。

●黄龍
 標高およそ3000mを越える高地に美しい谷「黄龍」はある。3400あまりの小さな池がウロコのように重なりあい、大きな池を形作っている。あのような景観が4kmに渡って続く。少しの濁りもない水、透明な世界が広がっている。
 標高3500mを越える高地だが、深い森に覆われている。ここで目にするのは、深い緑色をした池。こうした色鮮やかな池を「彩池」という。黄龍に入って最初に出迎えてくれる池が「迎賓彩池」。さらに山道を進む、3400mを越えると、「争艶彩池」がある。ここには650もの池が、その色を競いあっている。形も変化に富んでいる。堰止める堤が曲がりくねっていて、奇妙な形となっている。1つ1つの池が世界にも稀な、小金色の階段を作っている。
 地肌は龍の背のような形をしている。岩の層が幾重にも重なった様子は龍のウロコを連想させる。谷あいに現れる黄金の大地は、まるで谷を駆け上がる龍のように見えることから「黄龍」と呼ばれるようになった。この景観を作ったのは、山の湧き水だった。水に含まれる石灰が、長い間かかって沈殿し、不思議な風景を生んだ。鮮やかな金色は岩の表面に発生した藻類のものだった。そして全体は龍の姿をしている。全長4kmの龍。その頭の部分に最も美しい池がある。青、緑、黄色、褐色、乳白色に彩られた五彩池。標高およそ3600mにありながら、冬も凍ることなく、同じ色をしている。

 池の中に不思議な物を見つけた。今から300年も前に作られたという石灯。今見えているのは先端の部分だけで、石塔の周りに新しい池が生まれた。
 不思議を解くカギは黄龍の周辺の森にあった。それは落ち葉。これはよどんだ場所に溜まっていく。その落ち葉に石灰が付着し、水を堰止め、池を作る。池はさらに落ち葉を溜め、それに石灰が付着する。水を堰止める堤は、現在でも1年に数mmずつ増加している。
 色の違いは何故?1つは池の深さ。浅い池だと太陽の光が底で反射してエメラルド・グリーンになり、池が深くなるほど、青が濃くなる。1つは、池の底に緑の藻が生えていると、黄緑色を帯びていく。1つは太陽の光。
 その色を際立たせているのが、透明な水。春、雪解け水は石灰岩の大地を削り、湧き水として地上にでてくる。地中にろ過された水は澄み切っている。この水をさらに透明にする仕組みがあった。今回、特別な許可を得て、池の中を撮影することができた。池の水は限りなく透明なブルー。水の中の木の枝には、白いブツブツのようなものがついている。これは「石灰華」という。石灰はチリやゴミなどの浮遊物をゴミなどと固めて、水の底に沈める。そのために池は透明な水で埋め尽くされる。そしてここに人々は神の存在を感じ、神として祀った。

 四川省の松藩は、黄龍の玄関口。四川省には多くの少数民族が暮らしている。白い帽子を被っているのが回教徒。美しい刺繍の服を着ているのは、チャンの人々。人々はいさかいを避け、共に生きていくことを心がけてきた。この周辺の人々は、黄龍を聖地として信じてきた。夏から秋へかけて金色に輝く谷。彼らが目指すのは、青い目と言われる「五彩池」。
 五彩池の辺に寺が建っている。「黄龍古寺」は600年以上の歴史を持つ。この寺には黄龍眞人という仙人が祭られている。洪水の治水をした皇帝を手助けした龍の化身だという。もう一つ「黄龍中寺」があるが、チベットの人々の信仰を集めるお寺。彼らが信じるのはチベット仏教よりもずっと古い梵教?。マニ車とゴタという経典を書いた旗が掛けられている。マニ車の中には経文が収められていて、1回回すと1回経文を唱えたことになる。信仰心が厚く五体投地を行なう。
 チベットの人たちに出会った。200km離れた村に暮らしていて、年に1度村を代表して黄龍を巡礼する。観光客の横を通り過ぎ、森の奥に進んでいった。そこには泉があった。その水で身を清め、口に含んだ。ここが黄龍の源泉の一つ「轉花泉」で、聖なる力を持つ特別な場所。そこで儀式が始まった。五色の紙を撒き散らし、五色の旗を張り巡らし、祈りの言葉を唱えた。色は大地、水、火、風、空を表わす。彼らは五彩池のまわりを順番にたどり、最後に向かった聖地は「黄龍古寺」だった。この寺は宗教が違っても祈ることができる特別な場所なのだと言う。民族や宗教は違っていても、みんな黄龍に神を感じている。


テレビ番組「THE 世界遺産 武夷山」

 2009年11月1日放送。

●武夷山
 福建省の北西部に位置する山地。岩山が聳え立ち、木々の間をぬって川が流れる。古来中国人がこの地を「奇山秀水の地」として称えてきた。ここには数千年前に遡る人の営みがある。古代人は断崖絶壁に船型の棺で死者を送った。そして1000年を越えるお茶の文化が息付いている。霧と岩が茶葉を育み、人の手が極限の美味しさを引き出した。「よいお茶は天と地と人が作る」という。究極の烏龍茶を生んだ究極の谷を訪ねる。

 山中に途切れることがない人の波。人々は長く急な階段を登っていた。目指す頂きまで840段。景勝地の「天遊峰」からは、巨大な岩の頂から、雲海に抱かれた雄大な絶景を眺めるために人々は登る。他にも美女に例えられる「玉女峰」、役人のかぶる帽子に似た「大王峰」など奇妙な形をした岩山を見ることができる。
 川の流れは岩を懐くように大きく9回湾曲し、「九曲渓」と呼ばれている。竹を組んだ独特の筏は、300年前から使われてきた。今では渓流下りの観光客を楽しませている。
 6000万年前に地殻変動により海から隆起し、砂岩はもろい部分から雨や風に削られていった。「晒布岩」は大きな布が晒されているように見える。長年にわたって、水が岩を伝って流れ落ち、水の跡がういた。渓谷は10kmに渡って続き、川を曲がる度に不思議な形の岩が現われる。赤茶けた岩肌と岩の裂け目から生い茂る緑、水の青などが独特の美しさを醸し出す。

 武夷山は銘茶の産地としても知られている。1000年前から茶作りが行なわれ、皇帝に献上するお茶も栽培されていた。さらなる美味しさを求める造り手が究極のお茶を開発した。それが烏龍茶。緑茶を発酵させ独特の風味を引き出した。この地で培われたお茶の文化が世界遺産に登録された一つの理由。

 岩肌には侵食で穴が開いている。そこに中国古代史の謎が眠っている。30年前にその穴から船の残骸の古い木片が見つかった。近くの穴から20箇所ほど同じようなものが見つかった。船に見えた木片は楠をくりぬいたもので、人の骨が発見された。棺だった。数千年前から古代人が暮らし、死者を棺に葬っていた。死者は船に乗ってあの世に渡るのだという。どうやって棺をそこに運んだのか、未だにわかっていない。

 渓谷に雲海が広がる山水の世界。奇岩が立ち並び、その間を川が大きく曲がりくねります。多くの詩人が歌を詠んだ。それを岩場に残した人がいる。400箇所にも及ぶ。今も大きな光を放つ人がいる。朱子学の祖「朱熹」が71年の生涯を学問に捧げた。朱熹は12世紀後半に「武夷精舎」という学校を開いた。儒教の教えを元に朱子学をまとめた。彼の教えは東アジア全体に大きな影響を与えた。

 武夷山の麓の町「武夷山市」には烏龍茶の専門店が軒を連ねる。お茶を飲む習慣は暮らしに深く根付いている。武夷山で一番高級なお茶は「大紅袍」。中国一の茶葉。農家の黄さん宅を訪ねた。黄さん一家は12代続く茶農家で、昔ながらの製法を守り、「大紅袍」を作っている。茶葉は母なる木の子孫から作っている。「大紅袍」は360年ここで生きてきた。その茶葉は国に宝。2004年には20gがおよそ250万円になった。木を守るために、茶摘も摘み木も禁じられた。今その味は子や孫の木が伝えている。
 天日で乾かし、竹のザルを使って発酵を促す。烏龍茶は茶葉を3割ほど発酵させたお茶。同じ茶葉を完全に発酵させれば紅茶になり、発酵させないと緑茶になる。茶葉を見て発酵のころあいを見る。200度に熱した窯に入れて発酵を止める。「揉捻」によって揉んで柔らかくし、味と香りを引き出す。できた茶葉はまだ緑色だが、2,3ヶ月熟成させると烏龍茶は完成する。茶葉がカラスのように黒く、龍の姿をしていることから、烏龍茶と名づけられた。

 武夷山から東へ6kmの下梅村は時が止まったような静かな村。17世紀、一人の男が武夷山のお茶を集め、この村でお茶の取引を始めた。それ以降、この村はお茶の交易地として繁栄した。莫大なお金を得て、贅をつくした邸宅を70棟も作った。しかし19世紀の中頃アヘン戦争の頃に終わりを迎えた。村に船着場の跡が残されている。最盛期には日に300艘が行き交ったという。
 18世紀のイギリスでもてはやされたのは、「ボヘア・ティー」。つまり武夷のことで、武夷山で作られたお茶だった。
 昼と夜の温度差が大きいこと、茶葉は香り高く育つ。深い霧は旨みを増す。武夷山のお茶だけの美味しさの秘密は、岩。美味しいお茶は岩と岩の間に育つ木だということから判明した。飲んだ後に残る深い余韻が岩の中に隠されていた。
 黄さんの烏龍茶は最終段階にあった。お湯を加えて香り、味、色を調べる。金色がかったお茶は合格。蘭の香りもハッキリでていれば合格だそうです。


テレビ番組「世界!弾丸トラベラー 水野美紀さんで万里の長城」

 2009年10月17日放送。水野美紀さん(35歳)が空から万里の長城を見たい。中国国際航空422便で日本から3時間55分。1泊2日の旅。

●予定
 1日目、9:00、成田国際空港発、中国国際航空422便。11:55、北京首都国際空港着。13:00、天安門広場へ電車で移動。エアポート・エクスプレスで東直門駅へ、ついで北京地下鉄に乗り換えて天安門東駅へ。14:30、天安門広場でガイドと待ち合わせ。15:30、大柵欄でショッピング。19:30、「利群○鴨店(○は火へんに考)」で夕食。ホテル「春秋圓賓館」にチェックイン。
 2日目、7:30、ホテルを出発。「八達嶺長城」に移動。9:00、「八達嶺長城」に到着。11:30、「司馬台長城」に到着。12:20、万里の長城を空から見る。13:00、空港へ移動。16:40、北京首都国際空港発、中国国際航空421便。21:00、成田国際空港着。

●北京
 エアポート・エクスプレスという電車で市内へ移動。電車代は空港から天安門東駅まで27元(405元)。
 天安門の前に広がる天安門広場は世界一広い広場とか。ガイドのロンさんは32歳。南北は880m、東西は500m。タクシーに乗る。1時間100元(1500円)。
 大柵欄でショッピング。ここは雑貨や中国茶など様々なものが売られているショッピング通り。土産・雑貨屋「老柵欄」で、「ヌンチャク」25元(375円)、「紙の帽子」10元(150円)を購入。
 逆バンジーに挑戦。どこかのデパートの前です。2名で?180元(2700円)。
 「利群○鴨店(○は火へんに考)」でペキンダックをいただく。この店に行く時は、左手にダックの絵がずらりと描いてあるので、それを頼りに行く。かなり怪しそうな場所です。でも世界中のVIPがその味を求めてやって来る。ここはリンゴ、梨、ナツメの木で焼き上げる。目の前で切り分けてくれます。「北京ダック・セット」190元(2850円)。ここでは皮と一緒にお肉も食べる。お肉をソースにつけて、生地に巻いて一口で食べる。
 ホテル「春秋圓賓館」にチェックイン。1泊1980元(2万円)。100年前、清の時代に作られた四合院造りの民家を改装したホテル。ベッドは天蓋付きで皇帝が寝るような感じ。

 翌朝、「八達嶺長城」に行く。北口から北八楼までロープウェイを使う。40元(600円)。入場料45元(675円)。ずっと万里の長城が見えました。世界最長の建造物。総延長は8800km。このあたりの城壁の幅は5.8m。騎馬体なら5列、兵士なら10列並んで歩ける。北の騎馬民族の侵入を防ぐために作られた城壁。
 「司馬台長城」に到着。空のガイドのシュさんがここから案内。山を30分登る。ここからパラグライダーで飛ぶ。練習なしですが、意外と簡単に飛びました。ここの景色は絶景でした。鳥の気分でした。30分の飛行後、着陸ポイントに到着。


テレビ番組「THE 世界遺産 ラサ」

 2009年10月11日放送。ポタラ宮の姿と信仰の姿を伝える。

●ラサ
 4000m級の山々に囲まれた街「ラサ(仏の地)」と呼ばれてきた。そこに人々は理想の地を夢見た。かつては商人や遊牧民が活発に交流し、異国の物が集まった。
 標高3660m。富士山の頂上とほぼ同じ高さにある。街角には早朝から巡礼が行き交う。大地に身を投げ出しひたすら祈る人々の姿がある。無数の祈りを集め続けるポタラ宮は、人々が観音菩薩と崇めてきたダライ・ラマのかつての住まい。今は博物館となっている。
 ポタラ宮は1300年の歴史を宿す。法王洞は7世紀にこの地を初めて統一したソンツェンガムポ王が祀られている。政略結婚によりネパールから嫁いできたのは王妃ティツン、大唐国からは文成公主。二人はチベットに仏教を持ってきた。遠いチベットに嫁いだので、仏教で心を慰めようとした。仏教を広めた王朝は200年後に内部分裂により崩壊した。宮殿はことごとく失われた。しかし信仰の炎は消えなかった。チベットにはいくつもの宗派が生まれた。その中から転生僧が現われ、信仰を集めるようになった。人々を救うために転生僧は何度も生まれ変わると人々は信じた。やがてそれはダライ・ラマの登場へとつながる。何度死んでもダライ・ラマは生まれ変わって、自分たちを救ってくれると人々は信じてきた。ポタラ宮には歴代のダライ・ラマの亡骸を祀る供養塔がいくつもある。最も豪華で大きなものはダライ・ラマ5世のもの。彼がポタラ宮の宮殿を建てた。純白なので白宮と呼ばれる。亡骸を納めるために、白宮に隣接して紅宮が建てられた。
 紅宮はそれ自体が悟りの境地を示す曼荼羅を立体的に表わしたものといわれる。巡礼者たちは時計周りに内部を巡り、神秘の世界へと導かれていく。
 最も神聖な場所は「観音殿」。菩薩たちのうちで、最も広く信仰されたのが観音菩薩だった。衆生を苦しみから救う観音、それこそが人々がダライ・ラマに求めたものだった。
 ラサの中心部から西へ3km。あまりの美しさに「宝石の園」と呼ばれる「ノルブリンカ」は歴代のダライ・ラマが夏を過ごした離宮。現在は博物館として公開されている。
 1959年、ダライ・ラマ14世がここからインドに亡命し、チベットは自治区となった。「タクトゥミンギョル宮」(ダライ・ラマ14世の宮殿)。

 人々の手にするマニ車には仏の心が納められている。1回転させると教典を1回読んだのと同じ功徳があると言われる。街で歩いている人は寺院の周りを時計周りに回っていた。祈りの輪の中心にある寺は「ジョカン」。人々は五体投地を繰り返す。体、言葉、心の行いを正し、仏に帰依する。
 門前にはバター売りが軒を連ねる。ヤクの乳のバターは人々の大切な栄養源。みんな大量に買っている。これは堂内の灯明を保つための「バター灯明」に使われる。仏に捧げ、祈りを託す。ラサの中心にあるジョカンはチベット仏教の総本山。壮麗な伽藍は木造建築としてはチベット最古。本尊は12歳の釈迦牟尼を等身大にかたどった像。長く辛い巡礼はこの仏像との出会いで喜びに変わる。
 僧侶たちはひたすら学問と瞑想に明け暮れる。生涯を独身で過ごし、人々を救うために功徳を積むことに励む。
 チベットの人たちはラサに向かうが、単なる観光ではない。五体投地は果てしなく繰り返す。しばしばそれは、遠く離れた自分の家を出る時から始まる。3歩進んでは大地に身を投げる。数週間、数ヶ月、ラサの街に到着するまで繰り返される。
 因果応報。良い行いは必ず果報となって報われる。人々はそう信じている。


テレビ番組「知っとこ!世界の朝ごはん モンゴルのウランバートル」

 2009年8月1日放送。

●ウランバートル
 日本から飛行機で4時間半。モンゴルの人口の4割100万人が暮らす。中心部から車で30分走るとのどかな大自然がある。原住民たちはゲルと呼ばれる住居で暮す。
 エンフタイヴァン通りは近代的なビルが並ぶ。しかしゲルが置いてある。中はブティックでした。生活雑貨、アート・ギャラリーのゲルもありました。
 バヤンゴル区では音楽が聞こえる。公園で楽器を演奏している人がいる。見たことがない楽器だが、馬頭琴といって、1000年の歴史を持つ伝統楽器。確かに馬の頭の彫刻が施されている。作る職人さんたちがこの公園で試し弾きをしていたようだ。お店は「バヤル&ブラザース・ワークショップ」で、全て手作り。弓や弦も重要な仕事で、馬の尻尾の毛が100本以上束ねられている。1つ18万トグリグ〜(約10800円〜)。インテリアにもなる。

 郊外には少し違うゲルが並ぶ。入口には甲冑姿の人がいる。ここは「13世紀村」というテーマパークで、モンゴル帝国時代を再現した村。ゲルの中は生活小道具もある。ただのテーマパークではなく、よりリアルな生活感を出すように、村人はここで実際に昔のモンゴル生活を再現しながら暮らしている。入場料(食事つき)は60ドル。

 ジャルハルナイハンキーン?・チンバトさん(20歳)が紹介してくれたのは、働いているレストラン?の「モンゴリアンBBQ」。デリカテッセン方式で、好きなものを取る。肉は生で、奥に持っていくと店員が焼いてくれる。店員はベニハナみたいにアクロバティックな演技を見せてくれました。食べ放題で、11800ドグリグ(約700円)。
 ナーダムのお祭りを紹介してくれました。車で3時間の隣町ダルハン。草原の中に屋台が並ぶ。モンゴル相撲をしていた。馬には子供たちが乗っていて、祭りのメイン・イベント。12歳以下の子供が25km走って競う。およそ30分でゴールイン。観客は優勝した馬に触り、汗を体に塗る。これで1年間幸せになれるという。

 新婚さんの朝ごはん。住宅地のマンションに住むトゥプタシントゥーヒーシ?・ハンダルマーさん(23歳)が作るのは、1品目「ボーズ(蒸し餃子)」。大きな羊のブロックを刻んでいく。みじん切りのたまねぎ、塩胡椒で混ぜあわせる。水を加えた小麦粉をよく練って生地を作り、切り分けたらら、円形にのばす。これで肉を包んで、油をつけて専用の蒸し器の中で20分蒸す。
 2品目は遊牧民料理「チャンスン・マハ」。羊肉を骨付きのまま鍋に入れ、にんじん、ジャガイモを加えて、30分煮る。その間に生地を大きな円にのばし、鍋に上からかぶせるようにのせたらさらに30分煮る。
 3品目「チンジューテイ・サラダ」。赤ピーマン、なす、たまねぎ、にんじんを細切にする。野菜はにんにくと一緒にフライパンで炒め、蓋をして蒸し焼きにする。塩胡椒とトマト・ペーストで味つけ、最後にパクチーを追加。


テレビ番組「にじいろジーン 地球まるごと見聞録 北京」

 2009年7月11日放送。

●北京
 台湾からエヴァー航空で行きました。去年の夏のオリンピック開催で、世界の近代都市の仲間入りを果たした。町の中心部には高層ビルが建ち並ぶ。
 空港からは文正新さんのタクシーで市街地へ。初乗りは140円、市街地までは50分。渋滞がひどいので、走ってはいけない車の番号が決まっている。毎朝新聞にもその番号が掲示される。例えば、末尾が4と9とか。毛沢東の大きな写真で有名な天安門広場を通りすぎ、オリンピックのメイン会場「鳥の巣」(北京国家体育場)は今は中に入れるようになっている。入場料は700円。平日だと1日6万人、休日だと10万人以上が来場する。
 にじいろガイドは泣品品(ウォ・ジンジン)さん(28歳)。北京の食事は小麦を加工したものが多い。北京は雨が少なくて、乾燥しているから米よりも小麦の方が育ちやすい。中国式のハンバーガー「肉来○(○は食へんに莫)(ロージャーモー)」40円は、肉をパンではさんであり、朝食で食べる人が多い。刀削麺は110円。麺料理の代表格は炸醤麺(ジャージャーメン)で、「一碗居」は安くて美味しい。9種類の薬味を目の前で手早く入れてくれる。最後に味噌ダレをからめる。140円。専門店には必ず生のニンニクが置いてある。ツウの人は生でかじってジャージャー麺を食べるのが当たり前。
 早朝は朝7時頃から体操をしている人が多い。太極拳、太極柔力球、ダンスをする人、楽器演奏をする人など。路面書道を楽しむ人もいる。路面書道用の筆も280円で売っているところもあった。
 公園で鳥の鳴き声が聞こえる。「画眉鳥」は昔の貴族の遊びで、みんなで持ち寄り、美しい鳴き声を楽しむ。鳥かごにはカバーをつけて、鳥に目隠しして、鳴くようにしている。鳥かごは必要以上に揺らすのが一般的。これで鳥の足の力がつく

 路地に入ると昔の家並みが残っている。「黒芝麻胡同」、「帽几胡同」などの胡同(フートン)がある。人力車1時間1400円で楽しむ。
 「南拶鼓巷(ナンルォグーシャン)」は胡同の中でもオシャレなお店が数多くある一番人気のショッピング・スポット。お土産も手ごろ。手作りノート専門店「興穗?手工」で、表紙に皮を使ったものなどがある。京劇を扱ったもの、自分の写真を入れたものなどがある。写真を使ったノートは1冊420円。雑貨店「石怡集」では、テディベア(大)2200円は中国の柄を使っているこの店の人気商品。中国らしいぬいぐるみもある。
 胡同の名物のスイーツの店「文字○(女へんに乃)酪店」には、地元の人が行列している。「○(女へんに乃)巻(ナイジュエン)」は、こしあんをカッテージ・チーズで巻いたもの。140円。開店2時間で完売することもしばしば。

 不動産情報。市内中心部の建物。下がホテルとオフィスで、上が賃貸マンションになっている。40階にマンション専用のロビーがあり、吹き抜けを中心に部屋が周辺に配置されている超高級マンション。41階でリビングは100平方m以上。寝室は3つ。3LDK235平方mで、家具は備え付き。この部屋には水道代、光熱費、インターネット、市内電話、週に2回の掃除、ロビーで毎朝の食事、クラブハウス使用料がついている。これで1ヶ月2.8万元(39万円)です。


●万里の長城
 市内からバスで90分。八達嶺長城は観光ポイントとして大人気。登城料は640円。急な坂は男坂、比較的緩やかな坂は女坂で、行き止まりまで2000m。多くは770m地点の中継地点まで行く。片道30分。
 登る時に北京の人が必ず持っているのが「清涼油(白色)」100円。これを塗るとすっとする。地元の人はこめかみに塗って涼を得る。


テレビ番組「知っとこ!世界の朝ごはん 北京」

 2009年6月20日放送。

●北京
 人口1600万人。オリンピックを機に町中で改修工事が行なわれ、今では美しい街並みが見られる。繁華街のワンフージン(王府井)は人も多く活気がある。食べ物の屋台が集まっている。ケバブもある。名物の「飴かけ」(4元〜:56円〜)はいろいろなフルーツを串に刺して飴でコーティングしたもの。意外と量があります。お土産屋さんが集まっている場所。
 この繁華街のど真中に「逆バンジー」がある。「高空弾跳」1人100元(1400円)で、すぐ横にはビルがあり、街の人たちも興味津々で見上げる。
 リューリーチャンは清の時代から続いている文房具の街。筆の店が多い。清の時代に国家試験を受けるために多くの学生が住んでいて、その学生向けに文房具を提供していたらしい。「ウェイ・ディオ」では、1円玉の半分の大きさのお守りにびっしりと文字を書いている人もいた。300文字?の般若心経らしい。頼めば絵のついたものや、お好みの文字を入れたものまで作ってくれる。価格は80元〜(1120円〜)。
 双秀公園(シュワンシュウゴシュアン?)に行く。大きな筆を持った人が多く、水をつけて地面に文字を描いている。この「地面書道」はどこでも楽しめるそうです。
 ルオ・ヒンさん(25歳)が紹介してくれたのは、「ダードンカオヤーディエン」(北京市東城区東四十条22)という北京ダックのお店。中は高級そうな感じ。目の前で切り分けてくれます。1羽198元(2800円)。普通北京ダックは40分くらいで焼きあがるが、このお店では2時間近くかけてじっくり焼き、余分な脂を落として、より香ばしくしている。昨年「北京No.1レストラン」に選ばれたそうです。北京ダックにザラメをつけて食べるのが大人気。

 端午節なので、郊外のイェンチンという町に行く。ここでは北京でも有名なお祭りが5月5日に行なわれている。赤い服を着た女性たちが「ちまきの早作り大会」に挑戦。10分間にいくら作れるかを競う。できた分だけ持ち帰ることができる。優勝者は36個でした。

 新婚さんの朝ごはん。住宅地の高層マンションに住むティユン?・ユアンさん(26歳)が作るのは、1品目「肉団子とキノコのスープ」。豚のもも肉を切り、トントン叩いてミンチにする。刻んだネギを加えしっかり混ぜる。細切したショウガを一煮立ちさせ、さきほどのミンチを団子状に丸めて入れる。平茸というキノコを加え、アクを取りながら10分煮込む。塩で味を整え、仕上げにネギを散らす。
 2品目「エビとハムのチャーハン」。ハムと色の違う2種類のパプリカを細かく切る。フライパンに油をひき、にんにく、ハム、パプリカ、大ぶりのエビ、ご飯を加えて強火でしっかり炒める。塩胡椒で味付け。
 3品目「マーボー豆腐」。豆腐を大きめに切る。豚肉をミンチにして、フライパンでにんにくと炒める。唐辛子などの調味料、豆腐を加えてさらに炒める。仕上げに片栗粉でとろみをつける。うつわに盛り付け、お好みでマージャオというピリ辛の調味料をかける。


テレビ番組「にじいろジーン 世界ぐるぐるジーン 上海」

 2009年3月21日放送。3月21日より、Air Macau が関西空港に就航し、これで行くことができる。

●上海
 世界的な港町。近代的な高層ビルの数々。経済的には中国でNo.1で、来年は万博も開催される。西洋風の美しい街並みも特徴の1つ。
 マンションに住むセン・フーカさん(33歳)のお宅を訪問。息子が一人。ご主人はチン・ペイさんで、3LDK、130平方mに住む。上海では結婚するときは家があるというのが基本らしい。
 中国風の絵柄がマッチしたオシャレな洋食器がある。「フレンチシノワ」と呼ばれるこのデザインは、今上海で大ブーム。それはファッション界まで広がっている。中国では金魚の絵柄は、「お金が儲かる」という意味の縁起のいいデザイン。
 小籠包の上手な食べ方。上の方を少しかじって、肉汁をすする。南翔饅頭店が紹介されました。16個入りで170円。カニ味噌スープが入ったものは、ストロー?をたてて飲みます。「カニ味噌スープ入り小籠包」は1個170円で、大人気。
 ほかにもおでんのようなものがある。さらに「たこ焼き」みたいなものもある。6個入り80円。中にはすりつぶしたタコが入っている。
 海鮮品が多い。「ゾウの鼻」と呼ばれている貝は、先は刺身で、貝に近い側はスープに入れて煮込み、ご飯と一緒に食べる。市場に併設されているレストラン「天鴻酒家」では持ち込み歓迎と書いてある。
 「面料市場」は外には「布」の文字が目立つビル。ここは基本はオーダーメイド。デパートと比べ、品質は同じで、値段は半分だそうです。
 朝、太極拳をしている人たちがいる。社交ダンスをしている人もいる。

●金山区の水郷
 車で2時間。あちこちの家の壁に様々な絵「農民画」が描かれている。

●上海
 豫園は上海でも有名な観光スポット。サンザシ飴は1本70円。イチゴ飴は140円。フルーツ飴は70円。上海で一番人気のあるスイーツは「珍珠女乃茶(チンジュナイチャ)」。ベースはミルクティーで、大粒のタピオカが入っている。発祥は台湾。
 上海雑技団を見る。
 夕食の準備。炒めたトマトに砂糖をかけ、卵とからめる。上海は川や海のエビが取れる。砂糖と醤油を使う甘辛い味付けは上海料理の特徴。
 昔は中国では結婚の前に、バケツとトイレを親からプレゼントしてもらう習慣があった。


テレビ番組「THE 世界遺産 中国・福建土楼」

 2009年3月7日放送。

●福建省
 中国・福建省の南西部の山岳地帯の山間。1軒の家という感じではなく、要塞のような建物がある。「四世同堂」かつて4世代の家族が一緒に住むのが普通だった中国で、多子多福と言われた。土楼と呼ばれるその大きな建物には、大きな場合800人が一つの屋根の下に暮らしたという。その土楼をアメリカの定説衛星はミサイルの発射サイトだと誤認したという。外敵から身を守る砦だった。
 2009年1月26日午前1時。土楼の村に1年で最も晴れやかで、やかましい1日が始まる。旧暦の1月1日。土楼に暮すのは主に客家(ハッカ)と呼ばれる人々。もともとはよそ者をさす言葉だった。遠い昔、彼らの祖先は漢民族の故郷、黄河流域を捨てて中国南部へと移住してきた。住める場所は山賊が出るような山間の場所。そのために身を守るために土楼が誕生した。
 「承啓楼」を取材。380年前に建てられた。土楼の真中には先祖を祀るための祖堂がある。最盛期には600人が暮らしたという。1階には世代毎の厨房や食堂が並ぶ。2階は食料や農機具などを収納する。3階から上は寝室。どの部屋も同じ広さだった。明かりは中庭に面した窓。
 世界遺産には10地域46の建物が対象となったが、実際には数千といわれる。中でも「二宜楼」は最高傑作とされ、土楼で唯一国の重要文化財に指定されている。この土楼は元々福建省に住んでいた漢民族が270年前に建てられたもの。入口には表札代わりに彫刻が施されている。内部は専用の階段などで1階から4階までがつながる。1世帯あたりの部屋数は厨房を含めて17、占有面積は500平方mにもなる。土楼の真正面には先祖を祀る祖堂がある。1階では葬式が、4階の祖堂は結婚式にも使われたという。4階には土楼をぐるりと一周する隠し廊下があった。
 5階建の「和貴楼」にも生活防衛のための工夫が見られる。門に対する火攻めを予想して、門の上から水が落ちる仕掛けもある。
 彼らは東洋のユダヤ人とも言われる。4世紀以降、幾度となく南へと流れてきた。貧しかったので、子供の教育に熱心となった。その結果、華僑、政治家、医者など、多くの立身出世物語が生まれた。
 「衛香楼」に住む蘇さんの一家。旧正月に備えて、門の周囲を赤い飾りで飾る。170年前に建てられ、4階建で136室もある。しかし今は5世帯10人が暮らすだけ。旧正月を待ちわびる理由がそこにある。蘇さんの一族はインドネシアで華僑として成功した人が多い。240km離れたアモイで働く長男が華族と帰宅した。科挙の試験に合格した偉大な先祖も祀られている。この半世紀だけをみても、一族からは博士などになった者が150人もでたという。門の外で紙を燃やすのは、亡くなった肉親がお金に困らないように、お金を燃やした風習の名残。
 土楼には大きく分けて3種類になる。「五鳳楼」は最も初期のスタイルで、故郷である北方の住宅の名残が見られる。「方楼」は外敵と戦うための土楼。全ての部屋は均等に割り当てられた。方楼がさらに発展した「円楼」は外敵から守るのに適していた。外壁に使われたのは粘土室の土。
 客家土楼建築技師の徐松生さんは、国の認定を受けたたった一人の土楼技師になってしまった。25%が目安で、それ以下だと壊れやすくなり、多すぎると、いくら突いても固まらないという。
 初渓土楼群は徐さんの出身地。10軒の土楼が世界遺産となっている。壁には竹が入れてあり、補強となっている。徐さんがいた頃は30世帯以上、200人以上がここで共同生活をしていた。今は2世帯。
 旧暦の大晦日の夜、里芋をすりつぶした生地で鳳凰の足をかたどった客家料理「鳳爪」を作る。
 新年の日、午前1時、爆竹が鳴る。魔を払い、神を迎えるという意味がある。開門の儀式がある。開門と同時に走り、福の方向に線香を最初に立てた男がその年の福男になる。


テレビ番組「関西テレビ放送開局50周年記念番組・地球・感じてミッション!」

 2009年2月21日放送。保坂尚輝、度紀政善さんがモンゴルのバヤンウルギーを訪ねた。度紀さんはボクシングをやめた。父との絆は切れた状態だった。アダイさん親子は、1000年の歴史を守り続けるカザフ族。鷹匠の文化を父から子へと引き継ぐ。2泊3日、一緒に寝泊りして、和田アキ子からのミッション「親子とは何かを感じること」の答えを探した。関西テレビ製作。

●モンゴル
 アダイさんのお宅を訪問。アダイさんの子供は3人。
 長男のリザベック君は鷹匠になろうとする。去年は80人中10位で、最年少特別賞をもらった。お父さんと一緒にいる時が一番楽しいという。
 12歳の次男のダニベック君は、去年学校をやめた。放牧民になりたいという。1000頭の家畜を所有すれば、優秀な遊牧民と認められる。現在ダニベックは150頭の家畜の世話をまかされている。  9歳の3男のベルネンベック君は警察官になりたいという。
 度紀さんは子供たちにボクシングの恰好を見せました。モンゴルでもボクシングは人気のスポーツで、子供たちは喜びました。

 その夜気温はマイナス40度。
 リザベック君は3km離れた学校に行く。カザフ族の言葉はカザフ語なので、学校で子供たちはモンゴル語を学ぶ。2時になると、リザベック君はタカの調教をする。
 次男のダニベック君は朝から晩まで放牧で働く。3軒分300頭。オオカミから羊たちを守る。銃は持ってないが、石などで撃退するという。
 9歳のベルナンベック君は牛の糞拾い。その後井戸から水を汲んで桶に入れる。桶に張った氷をきちんと捨ててから、水を入れていました。
 家の隣は小屋で、肉が置いてある。牛2頭と羊とヤギが10頭分。カザフ族の習慣として、お客さんには新鮮な肉を提供しないといけないから、1頭をその場で解体しました。
 夕方からは子供は自由時間。凍った川の上で子供たちがアイスホッケーをしていました。
 夕食にさきほどのお肉を食べました。カザフ族は必ず子供に耳の部分を食べさせるという。親の言うことをよく聞くようにという願いから。

 アダイさんと狩に出かけた。まず山の頂上に馬で登る。山に潜んでいるキツネやオオカミが、人の気配を感じて逃げ出した瞬間に、2頭のイヌワシを飛ばして狩をする。最初の山に獲物はいなかった。次の山に向かった。キツネがいましたが、2頭のイヌワシが捕まえました。お父さんと子供の絆を強く感じました。
 その日、アダイさんのお宅に別れを告げました。

 度紀さんは家に帰ってから父親との会話が増えたそうです。

 親子とは「尊敬と信頼」。これしか感じなかったそうです。


テレビ番組「東野・岡村の旅猿 プライベートでごめんなさい 中国の旅」

 2009年2月14日放送。関東地区では1月24日に放送。東野幸治、岡村隆史さんが案内。昨年は2人でインドのガンジス川に行った。今回はしっとりした景観の蘇州、杭州の旅。日本テレビ製作。

●杭州
 朝、成田空港からJALで杭州行きで出発。3時間で午前11時に到着。気温6度。バスで杭州駅に向かう。一人20元(300円)。1時間で到着。
 風光明媚な古都で、この地を訪れたマルコ・ポーロが地上の楽園と称した。西湖をはじめ、中国三大名泉である「虎○泉(○は足へんに包)」など観光スポットがいっぱい。さらに中国の最高級緑茶である龍井茶が栽培されている。
 杭州駅内の食堂街で肉まん1個2元(30円)をいただく。中身は少ない。「糯米○(○は米へんに羔)」(もち米の蒸し物:ロウミガオ)2元(30円)は、杭州ではポピュラーな食べ物。

 虎○泉(○は足へんに包:フーパオチュアン)に到着。ストールを100元(1500円)で購入。ここの名水で入れる龍井茶は香りがよく格別だという。ここの水はミネラルが豊富で水質も上質。山の中を30分歩いて、龍井茶が飲める茶館に到着。龍井茶100元(1500円)。3分待って茶葉が底に沈みだしたら飲み頃。

 5時が日没なので、西湖に行く。午後4時到着。中国十大風景名所の1つ。面積5.6平方km、周囲15km。100以上の見所が存在する。中国人には死ぬまでに一度は訪れたい場所として広く知られている。
 船頭さんにコースの説明を聞いた。70分コースで、1隻160元で4人で2隻で合計300元に値切った。波がない。30分後、かなり来ているが、風景があまり変わってない。三潭印月(サンタンインユエ)は石灯篭の燈火と月光により、湖面が金色に輝くという名所。途中で「楼外楼」で食事をしたいということになった。船頭さんに交渉。気温は4度。そこに連れて行ってくれました。

 楼外楼で杭州名物をいただいた。鶏肉を蓮の葉で包んで5時間窯に入れて蒸し焼きにした「叫化童鶏(鶏の包み焼き)」148元(2220円)。「東坡肉(豚の角煮:トンポーロウ)」13.5元(200円)は豚肉を紹興酒などで煮込んだもの。「西湖酢魚(魚の黒酢あんかけ)」277元(4200円)。いずれも美味しいそうです。ここは創業160年、孫文や魯迅なども訪れている。
 夜の西湖で世界的に有名な映画監督チャン・イーモウ監督の西湖湖畔で行なわれているショー「印象西湖」。15分歩いて到着。ダウンジャケットも無料貸し出しがあった。100人を越えるダンサー、色、音が西湖と融合しました。
 観光客で賑わう河坊街に行く。南宋時代の街並みを再現した観光スポットで、人気の茶館「太極茶道」がある。セーターを40元(600円)、コートとズボンを600元(9000円)で購入。
 「太極茶道」に入る。ちょっと変わったお茶の入れ方をする。パフォーマンスが素晴らしかった。お茶は蓋をして隙間から飲む。
 宿泊は「速8酒店」1泊228元(3400円)。

 翌日の予定は蘇州に行って、上海〜鄭州に行く予定だったが、人が少ないので欠航する可能性が高くなった。それで少林寺に行くか、蘇州・上海に行くかを決める必要ができた。

●少林寺
 翌朝9時、杭州空港から1時間半かけて鄭州新郷空港に到着。ここから少林寺へは車で1時間半。気温3度。現地ガイドの王雨林さんが案内。
 少林寺に到着する手前に学校などがあった。実際の少林寺はダメだったみたいです。


テレビ番組「探検ロマン世界遺産 中国・福建土楼」

 2009年1月24日放送。太田雅英アナウンサーが案内。1960年代の冷戦時代にアメリカの軍事衛星が撮影した謎の建造物。

●福建省
 福建省の山間部。かなり車で行ったところ。山の中に点在するどの村にも謎の建造物があった。しかしミサイル基地という感じではない。建物の中は空洞で、3万個以上あるという。
 5つ密集する集落「田螺坑土楼群」を訪問した。丸い形のもの、四角い形のものなどがある。「歩霊楼」と書かれた建物に入ってみた。中は中庭で、いろいろな家事をしている人がいた。3階建で、洗濯物が干してある。ここは巨大な集合住宅だった。100人以上住んでいるそうです。みんな同じ名字で同じ一族だそうです。3階から1階が一つの建物で一家族が住んでいる。部屋の中は涼しいそうです。
 長老の黄天腸さんに話を聞いた。どうしても教えたいことがあるという。景色のいいところから山を見た。先祖が北の方から戦乱を逃れてここに来た。ここの風景が気に入って、畑を開拓し、土楼を建てたという。
 醸豆腐(ニャンドウフ)を作ってくれた。豆腐を切り抜いて、そこに挽肉や野菜を詰める。油でよく炒め、焼き目をつければ完成。これにさらに炒めた野菜をかけて食べる。この地方では餃子の皮に使う小麦が取れない。米だけなので、豆腐を使いわざわざ餃子に似せた。
 土楼を作った人々は客家(ハッカ)と呼ばれた。よそから来た人々という意味。元々黄河流域にいた人々で、4世紀頃から戦乱や飢饉を避けて南に来たらしい。13世紀頃にたどり着いたと言われる。以来、人々は土楼を建てて暮らした。しかし土地がやせていて、食べていけなかったので、男は外に働きにでてお金を稼いできた。そして土楼を増やした。
 円形の円楼はなぜできたか?土楼の歴史に詳しい簡栄木さんが説明してくれた。山を登っていくと、頂上に土楼の壁がある。7−800年前にできた砦で、山をぐるりと囲むように作ってある。昔は治安が悪く、略奪や強盗をする敵がいた。そのための防御施設だった。山頂を拠点に抵抗したという。こうした土楼を真似して作ったのが円楼。18世紀に建てられた「錦江楼」も円形です。二重構造になっていて、中にも円楼がある。
 この砦を襲ったのは誰か?すぐ傍の海に連れて行ってくれました。明の時代は敵は海から来た海賊だった。その海賊は中国、東南アジア、日本からやって来たという。
 高い防御機能を持つ土楼。壁の厚さは1.5mにもなる。土楼建築の技法「版築」を再現してもらった。竹は鉄筋の役割。土をかぶせ、棒でつき固める。
 2008年7月に世界遺産に登録された。観光客が来るようになり、夜はライトアップされる。
 最初に訪ねた集落の「和昌楼」を訪問した。人があまりいない。みんな出ていったそうです。出稼ぎか、別の場所に家を買って出て行ったそうです。
 10月中旬、近くの「湖坑鎮」では3年に1度しか行なわれないお祭り「作大福」があった。5日間で3万人が集まったが、みんな李?さん。
 最初に訪ねた集落で、稲刈りを見せてもらった。すぐに米だけ取って家に持ち帰ります。客家の料理は芋料理、葉っぱの炒めなどだそうです。食事中、都会からの観光客が多くやってきた。黄徳明さんが結婚します。結婚式の前日、大騒ぎです。懐かしい餅つきの姿もありました。こねて「人」の形にします。二人がくっつくからだそうです。久しぶりに黄一族が集まりました。


テレビ番組「THE 世界遺産 黄山」

 2008年11月30日放送。6万段の石段が岩山にある。

●黄山
 上海から南西に350kmの安徽省にある。古くから唐の李白をはじめ文人墨客に絶賛されてきた。彼らの山水画で現存するものの大半は黄山を描いたものだという。墨の濃淡だけで描きだす山水画の美の世界。黄山の最大の魅力は千変万化する大海原「雲海」。
 「黄山を見ずして山を語るなかれ」と言われた。古来から文人墨客は中国屈指の景観に、俗世から遠く離れた理想郷を見た。南北40kmにわたり72の峰が連なる。現在険しい岩山には総延長50kmの登山道が築かれている。しかしかつては修行者が住むような、滅多に人が近づけない場所だった。今は年間200万人の観光客が来る。辿りついた山頂で人々を待ち受けるのは、昔から変わらない絶景。
 太古の時代、ここは海底だった。1億4000万年前の地殻変動で山脈になり、氷河や雨水に削られて奇岩を作った。飛来石、荷物を背負った老人、合掌峰など。摩訶不思議な天然の彫刻に出会った人々は、そこに様々なイメージを重ねた。「雲海を眺めて座る猿」という岩もあるが、実際にチベット・モンキーもいる。亜熱帯と温帯の境にあり、高低差の大きい山の地形は黄山を多種多様な動植物の宝庫にしている。山々を彩る1500種にものぼる植物。その中でも景観を語る上で欠かせないのは黄山松。世界遺産に登録されている黄山松は54本。その一つ一つにも人々は愛着を込め送客松などの名前をつけている。標高800m以上の高地にある高山松は盆栽のように一つ一つが独特な形をしている。土壌の乏しい断崖絶壁にも根をはる黄山松。根の先から有機酸を出して岩を溶かし、養分を吸収するそうです。また夏は40度、冬はマイナス20度という過酷な環境に適応している。まさに岩山のパイオニア。
 麓の町(徽州地区・屯渓老町)では黄山松を使ったものが名産品となっている。黄山松の枯れ枝を燃やして作ったススにニカワを混ぜてよくこね、型に入れ、乾燥させた墨。240年続く工房でした。文房四宝(墨・硯・筆・紙)は古来から珍重された。特に黄山の墨は徽墨と呼ばれ、名産品となっている。
 1日の中でも黄山は姿を変える。「黄山に3つの絶景あり」と言われる。奇岩、奇松、雲海。雨が多く、1年の大半は雲や霧に覆われる。
 雲海は日々刻々と変化する。山の稜線に沿って滝のように流れ落ちる雲は瀑布雲と呼ばれる。

 ここは複合遺産。文化的な価値も認められている。○○暖翠図などの山水画が紹介された。文人墨客の創作意欲をかきたてた。山水画家の顔世廣さん(39歳)は15年前に麓の町に移住し創作活動をしている。雲海は霧吹きを使用している。紙をぬらすことで雲の滑らかな動きが表現できるという。水をたっぷり含ませた筆で雲の陰影を描いていく。
 中国では古来より、優れた山水画は、一目みてそこに行きたくなるような絵だといわれる。さらにはそこに骨を埋めても悔いがない絵だという。


テレビ番組「さまぁ〜ずの世界温泉 とりあえずアジア版」

 2008年11月22日放送。さまぁ〜ず、バナナマン、ななめ45度、青島あきな、KONAN、つぶやきシローさんが出演。世界の温泉を紹介する番組。テレビ愛知製作。

●タイの秘境温泉
 「ななめ45度」が案内。成田からバンコクまで直行便で6時間。バンコク市内に夜7時に到着。「ロンポー・ムエタイ・ジム」に行く。美人ムエタイ・ボクサーのダオさん(25歳)が教えてくれたのは「有馬温泉」。しかし古式マッサージ店でした。しかしマッサージ後は温泉ではないが、大浴場でリラックスできる。
 夕食は「マンゴ・ツリー」で。「鴨肉のレッドカレー、パイナップル盛り」、「蟹と黄色いカレー粉炒め」、「エビのグリーン・カレー」などがお勧め。
 夜は「マンボー」でニューハーフ・ショーを楽しむ。

 ミャンマーとの国境付近のカンチャナブリに到着。映画「戦場にかける橋」の舞台となったクウェー橋がある。タイガー・テンプルに行くと10頭のトラが飼われていた。トラに直接触ることができる。サイヨーク象もいて、ゾウさんマッサージも受けられる。
 Hindat Hot Springs にやって来た。看板には Hot String と書いてありました(笑)山の中を1時間歩いていくと、吊り橋があった。川の下流に多くの人の姿を発見。ボートで下っていたら転覆した。川は泥色だが、川沿いにある温泉は緑がかった色。ここがヒンダー温泉。なぜかロシア系の観光客が多かった。実は駐車場のすぐ近くでした。硫黄泉です。

●中国健康温泉
 青島あきな、KONANさんが案内。北京には成田から3時間30分。空港からほど近い「チューリップ温泉花園リゾート」。250以上の客室があり、個室露天風呂も完備。屋外には大露天風呂もある。硫黄泉です。1泊16800元(25万円)の別荘タイプの部屋が人気で、ベランダには露天風呂が3つ。
 エステの店「漢方洲」に行く。ダイエット、美肌、免疫力UP、安眠、血液改善の5つのコースがある。「へそエステ」は壷からでる漢方薬の湯気をへそから体内に注入する。さらにヘソに壷をのせ20分。下半身、腹部を念入りにマッサージ。最後に漢方の丸薬をヘソに詰め、テープを貼って終了。
 北京ダックの名店「鴨王」で北京ダックをいただいた。
 宿泊は「華清温泉ホテル」で、北京市街地郊外のオリンピック公園そばにある。天然温泉大露天風呂で、含ケイ酸ナトリウム鉱物泉。古くなった肌の角質を食べてくれるドクター・フィッシュが泳ぐお風呂もある。
 天安門に近い前門大街。その一筋裏の通りにはお土産屋さんなどが多い。
 ランチは「国肴小居」で、クチコミ・サイト・レストラン・ベスト10にも選ばれた。名物料理は「燕の巣の清湯スープ」。次は「ふかひれスープ」。

 目的の温泉は「九華山荘」で、東京ドーム30個分の敷地に、客室数2400、70個の湯船がある。かつて皇帝の庭園だった場所を温泉施設としてリニューアルした。炭酸泉で、ラドンも含む。少し皮膚がピリピリする感じらしい。園内には20種類以上の漢方湯がある。このホテル一番のお勧めは「別荘スイート」で、1泊8300元(14万円)。

●台湾絶景温泉
 つぶやきシローさんが案内。まず空港近くの「ミラマー林口」はジャック・ニクラウスが設計した。
 「北投温泉」は川が流れているが、上流の温泉地の湯が流れこんでいるので、川で足湯ができる。北投親水露天温泉は公共浴場。週末はとても混む。天然ラジウム泉。
 台北市内でマッサージ。「布魯斯足部健康館(ブルース式足部健康)」は足健師の曽正良さん。キャビン・アテンダントなども多いという。「ブルース式肉タンクローラー」は、背骨間のゆがみが矯正され、リラックスできるという。
 夕食は地元の人が足しげく通うという穴場レストラン「大味小館」。「エビボールとパイナップルのマヨネーズ和え」、「蟹肉と卵豆腐とキヌガサタケのトロミ煮込み」などここでしか食べられないものが多い。中でも「いち押し」は豚の角煮。パンにはさんでいただく。店長は王鴻慈さん。
 夜市は「饒河街観光夜市」に行く。胡椒餅、濃厚チョコアイス、トマト飴などを物色。占いがあり、鳥占いをする「易矢軒命運」の悟明老師にみてもらった。今後運は上がるようです。
 宿泊は「遠東国際大飯店」。ホテル屋上(43階)には屋外プールがある。隣にはジャクージ。

 台東に飛行機で飛び、フェリーで温泉のある緑島に行く。人工3000人の島で、大自然に富み、ダイビングが盛ん。
 「朝日温泉」は海岸沿いにある。硫酸塩泉で、海底のマグマによって温められた地下水が原泉となっている、世界でも珍しい温泉。この温泉は、海から朝日が昇る絶景を見ながら入るのが最高なんだとか。翌朝挑戦しました。午前5時50分、太陽がでました。
 台湾観光協会のホームページで、温泉の入場無料チケットがもらえます。
http://www.go-taiwan.net/


テレビ番組「THE 世界遺産 麗江の旧市街」

 2008年10月19日放送。

●麗江
 中国雲南省、ヒマラヤ山脈の東の果てに1年中雪をいただく玉龍雪山(標高5600m)がそびえる。そこには北半球で最も南にある氷河。これが麗江を潤す一番の水源。その麓にどこまでも続く甍の波は、「静寂漂う湖」にたとえられる。
 少数民族ナシ族の都として13世紀に築かれた麗江。民族の文化であるトンパ文化をこの地で受け継いできた。多くの西洋人はこここそ「シャングリラ(理想郷)」だと信じたという。石畳の道とどこか懐かしい木の家々。
 北はチベットに位置する雲南省。麗江は標高2400mに位置する秘境の町。黒龍譚は雪解け水を集める湖。毎秒1トンもの水が麗江へと供給されている。町の入口で3本の流れに分けられた水は、町のすみずみまで流れていく。三眼井は3段階に分けて水を利用している。上から飲み水、野菜の洗い水、洗濯水。食事前だと野菜の洗い場は大混乱。家に水道が完備した今もここは小さな社交場となっている。
 ナシの女性は必ず衣服のどこかに青い色をあしらう。麗江の青い空、湖などを写す色だという。人々の多くは農業で生計をたてている。野菜や穀物を市場で売るのは女性たちの仕事。ナシの女性はよく働くことで知られ、昔から理想の花嫁として引く手数多だった。
 新築中の家があった。麗江のトレードマークともいえる青味がかった灰色の瓦が並べられていく。日本や中国のほかの地域では瓦と木枠の間に野地板と呼ばれる板を挟むが、麗江周辺ではそれがない。
 13世紀、麗江周辺を統一したのは木得一族だった。当時、中国にはもう一つのシルクロードがあった。チベットから馬、雲南からお茶が運ばれ、麗江はその中継地に位置した。「水さえあれば商人が集まる」と考えた木得一族が玉龍雪山から水を引き込んだのが始まりだった。そして町はおおいに栄えた。
 トンパ文化も絶やす事なく受け継いできた。その象徴がトンパ文字で、伝承を書き残すために使ったとされるのがトンパ文字。全部で1400字ある。世界で唯一の象形文字でもある。中国の文字、チベットの文字、トンパ文字が1枚の石碑に共存するものが見つかった。トンパ文字が記された石碑としては最も古く、1400年前の7世紀頃のものと思われる。黄さん夫婦はトンパ文化を残すための努力をしている。現在トンパ文字を完全に読める人は10人程度。みな70歳を越えている。
 小学校でも変化がでてきた。新学期が始まった日、子供たちは鮮やかな民族衣装で通学した。先生が書いたトンパ文字の文章を声をあわせて読み上げる。

 玉龍雪山は心中の聖地でもあった。古くからナシ族の結婚は親が決めてきた。口琴?というナシの楽器を使って、愛し合う二人は密かに思いを伝えあったという。トンパ文化研究院に、「遊悲」という名の民謡が残っていた。多くの恋人たちによって愛された悲しい恋の歌。歌詞の美しさゆえに心中を助長するとされ、長く歌うことを禁じられてきた。結婚を反対された男性が姿を見せなくなって、女性は一人で首を吊ったという物語。
 1960年代に起きた心中事件を機に、結婚の掟は見直された。しかし、かつての悲劇は伝説となり、今も語り継がれている。

 旅の終わりに木一族の末裔の木小安さん(88歳)の家を訪ねた。米寿のお祝いをしていた。宴に欠かせないのは長寿麺という長い麺。長生きして欲しいという願いが込められている。
 夜のとばりが降りると麗江の雰囲気は一変する。町はライトアップされ、伝統とのせめぎあいがある。
 麗江の繁栄を願う祈りは水のほとりで行なわれる。


テレビ番組「THE 世界遺産 中国南方カルスト」

 2008年9月14日放送。飛竜滝では滝が竜のように思え、雲南省石林では石の柱が続き、黄州省れい波では三角帽子のように尖った山が続く。この地方には少数民族が暮らしている。

●中国南部トラスト
 2億年前は海の底だった。地殻変動により地表に隆起し、分厚い石灰岩の大地となった。水に溶けやすい石灰岩は侵食により独特のカルスト地形を作り上げた。中国は国土の7分の1を石灰岩に覆われている。そのうち石林、れい波、武隆は世界遺産に2007年登録された。

●石林
 古くから類稀な景観で知られた。奇岩の連なりに人々は驚き、愛着を持って名前をつけた。ネズミ、ゾウ、ハスの花などが紹介された。岩の中にはここが海底だったという痕跡「サンゴの化石」を残すものもある。
 今も残る赤土は、この一帯がかつては火山灰に覆われていた証しでもある。養分や保水量に乏しく農耕には向かない赤土と、剥き出しの岩が支配する石林だからこそ、人々が暮らさずにこの景観が保たれたともいえる。
 少数民族イの村。人々の暮らしを支えているのは、中国で需要の高いタバコ。石林の赤土で試験的に栽培が開始されたのは、第二次世界大戦中だった。村に伝わる民族楽器「三弦」を弾いて、男達は陽気に踊る。
 景観は、雨が地中に染み込み掘りあげたもの。雨量が多くないので、侵食はそれほど進まなかった。

●れい波
 カルスト地形と言っても環境で姿は全く異なる。まるでピラミッドのような山々。熱帯、亜熱帯に特徴の円錐カルスト。元々は平らな大地だったが、雨が多いために侵食作用が進み、溶かされた。
 少数民族ヤオの村。中国では人口の9割が漢民族で、残りは55の少数民族。れい波から石林に続く高原地帯には、そのうち半数以上の異民族が住んでいる。「天に三日の晴れなし、地に三里の平地なし」と言われる。耕作には不向きだが、人々はわずかな棚田でお米を作ってきた。
 少数民族ブイの村。60日間水に浸していたのは竹。これで紙をすく。チン・ズファンさん(84歳?)が説明してくれました。文字を書くものではなく、人間の輪廻を表わす刻印を打つ。「生老病苦死生老」先祖供養の札です。一瞬にして燃やされる、ただそれだけのためにチンさんは紙をすく。
 豊穣を願う儀式が行なわれた。カルスト地形のために土地はやせている。


テレビ番組「THE 世界遺産 万里の長城」

 2008年8月10日放送。

●万里の長城
 16世紀に中国の東の渤海で倭寇が暴れた。それを戚家軍が撃退した。戚継光は中国のヒーローとなり、今でも尊敬されている。彼はもう一つの偉業、万里の長城の大改造に乗り出した。
 渤海に突き出した老龍頭という砦から始まる。現存するのはほとんどが明の時代のものであり、総延長は6000kmにもなるという。長城は西に砂漠まで続く。
 長城を本格的に建造したのは紀元前3世紀の秦の始皇帝。北の騎馬民族は収穫物を簡単に取って行った。歴代王朝は、石積みや土壁の城壁を築いた。
 蓬莱は中国・渤海に面した水運の街。かつて朝鮮半島や日本との交易で栄えた。戚継光は若くして倭寇を討伐した。それも地元の農民を鍛えて負け知らずの常勝軍団に仕上げた。手柄をあげ、北の守りを任された。
 戚継光は、長城は厚みがなく、崩れやすいこと、兵が隠れる場所がないことを指摘し、レンガによって補強した。また、「空心敵台」という砦の建設に熱心に取り組んだ。見張りだけでなく、軍団を常駐させることで襲撃を壁際で完全に食い止めようとした。30−50人の兵士を寝泊りさせた。「空心敵台」は数百メートルおきに設置され、のろしを上げれば敵台から敵台へとあっという間に敵襲を知らせることができた。
 北京南西の町「天津」では長城に使ったレンガを当時と同じ方法で作っている。2ヶ月かけて作られる。天日で1ヶ月干し、2週間窯で焼く。水を入れ4日間蒸す。さらに4日間焼いて完成。最盛期には1つの工場でレンガは週平均50万個も作られた。工場は数百あったという。普通のレンガの4倍も大きかったので、手間暇がかかり高価だった。レンガは1個20kgで壁の表面を覆い尽くした。1500kmの長城を改修し、1017個に及ぶ「空心敵台」を建設した。これが万里の長城の最後にして最強の完成形だった。
 2008年7月蓬莱において、戚継光生誕480年を祝う式典が開かれた。記念切手もある。研究会も発足した。戚継光の子孫で戚家の現在の当主も出席した。
 長城に修復により莫大な国費が使われ、明は疲弊し、戚継光も失脚した。まもなく、北方から満州族が入り清の国ができた。この時、明の武将自らが、長城の門を開き、敵を迎え入れたという。完璧な守りを手に入れた時、明は内側から滅びた。


テレビ番組「2008年7月の旅サラダは吉野公佳さんで中国・マカオ」

 JALで行きました。4000年の歴史の中国に、8月北京でオリンピックが開催される。

●北京
 交通渋滞がすごい。みんなわが道を行く感じ。昔の自転車のイメージはない。高層建築も多い。鳥の巣でみんな写真を撮っている。特に陸橋の上からよく見える。北京の町は空前の建設ラッシュ。
 宿泊は「ウェスティン北京フィナンシャル・ストリート」(住所:北京市西城区金融大街乙9号、Tel:86-10-6606-8866)で、特に目をひく存在。今回はエグゼクティブ・スイートで、1室11900元(18.4万円)で2寝室、最大4名まで利用可能。スパが自慢で「中式按摩」60分550元(8500円)は、伝統的な中国式マッサージをアレンジしたもの。まずは足湯、背中のマッサージなど。  新たなショッピング・エリアも次々に誕生している。その一角にある北京の最新ファッションを扱う店「布言布語」(住所:北京市朝陽区工体北路15−2号、Tel:86-10-64159442、営業時間:9:30〜22:00)は、最近北京で流行している伝統的なチャイナ服を現代風にアレンジしたファッションを扱う。店内を彩る服は、ほとんどが手作りという手の込んだものばかり。オシャレな若者の注目の的。水墨画風の木の枝が描かれた白のシャツは、1380元(2.1万円)。赤の女性用チャイナシャツ860元(1.3万円)。黒のワンピース680元(1万円)はチャイナドレス風で赤いのがポイント。

 「天安門広場」に行く。南北880m、東西500m、総面積44万平方mでとても広い広場。1949年10月1日に毛沢東首席がこの天安門楼上から中華人民共和国の成立を宣言した。現代中国の歴史を見守ってきた天安門は、歴代皇帝が政務を行い、政治を行なった巨大宮殿「故宮」への入口でもある。
 故宮は1420年の創建以来、明と清の時代、強大な中国を支配した皇帝たちの栄華の歴史が秘められている。入場料60元(930円)、開園時間8:30〜16:00。南の正門は子門。中央の入口を通れるのは当時の皇帝ただ一人。その奥には公的な行事を行なった空間が広がる。
 中央にある「太和殿」は故宮で一番大きな建築物。清朝最後の皇帝「溥儀」も3歳でここで即位式を行なった。「保和殿」にある「大石雕」といわれる龍が掘り込まれた石が目をひく。中国で龍は皇帝を意味するものとして崇められ、この大石雕の上を歩くことができたのは皇帝だけ。
 門をくぐると皇帝たちが寝室として使っていた「乾清宮」がある。

 故宮の周りの家々には、政治をつかさどった官僚たちが暮らしていた。リキシャ(三輪車)で回る。2時間80元(1200円)。細い路地を通って胡同(フートン)に行く。胡同とは、明や清の時代からなる伝統的な家屋の間を通る細い路地のこと。700年以上の歴史がある。当時は文官と武官が暮らしていた名残が残っている。門を見るとわかる。入口の前に置いてある石が丸い彫刻があると武官(戦いのための太鼓の形)、四角い彫刻は文官(本を形どったもの)。中を見せてもらいました。1つの門の中には27世帯入っていました。元々は1つの門の中に1つの平屋造りの家があったが、人口が増えたので、家を継ぎ足し継ぎ足しして今の形となった。多い時は100人以上暮らしている。

 そんな胡同で可愛いカフェ「三○樹(○は木へんに果)」を見つけた。胡同の一つの通り、南鑼鼓巷は、京都の町家のように古い街並を生かしたショップやカフェが増えている。「安渓鉄観音(ウーロン茶)」42元(650円)、チーズケーキ25元(390円)。

 故宮の北側にある景山公園を訪れた。かつて皇帝たちが北京の街を見下ろすために作られたもの。階段を登ると、北京の街を360度見渡すことができる。入場料5元(80円)。この日は風が強かったです。故宮もきれいに見えます。

 王府井(ワンフーチン)はかつては皇帝の親族が暮らしていた。現在は多くの市民で賑わう歩行者天国。その中にある王府井小吃街(シャオチーガイ)を歩いてみた。小吃とはおやつ類という意味で、屋台が並ぶ活気のある街。サソリの串刺し15元(240円)。北京のヨーグルト「蜂蜜酸牛○(○は女へんに乃)」は3元(50円)で、北京でしか食べられない伝統的なもの。

 故宮の南に位置する天壇公園に行く。多くの人が集まって踊りを踊ったりしている。トランプをしたり、歌を歌う人もいる。ここもかつては皇族しか入ることのできない神聖な場所だった。世界遺産で、かつて皇帝たちが天と交信をしたという場所。そのシンボル祈年殿は正月に皇帝たちが護国豊穣を祈った場所。入場料35元(550円)、開園時間は 6:00〜21:00(祈年殿の開門は8:00)。朝は空気も澄み渡り静か。祈年殿はクギを1本も使っていない明代を代表する傑作建築。中は鮮やかで、緻密に組み立てられたアーチ形の天井。外には園丘壇という巨大な祭壇がある。皇帝が冬至の日にその年の出来事を天に報告する儀式を行なった場所。中央にある天心石という石の上に皇帝が立ち、天に祈りを捧げたという。

 北京ダックは北京に都が遷都されたときに、皇帝に献上された食べ物だといわれている。「北京大薫鴨店」(住所:北京市東城区東四十条22号南新倉国際大廈、Tel:86-10-5160328、営業時間:11am〜10pm )は北京ダックの老舗。北京が誇る味の遺産とも言える北京ダックを扱う地元では1位2位を争うという人気の店。お勧めのアヒルを使った料理「アヒルの肉のレタス巻き」12元(190円)は2つ折りにして食べる。「北京ダック」1羽198元(3100円)は1羽1時間かけて焼き目をつけていく。出来たてを目の前で調理してくれて、準備ができたらお店の人が包んでくれる。

●万里の長城 (司馬台長城)
 北京から車で3時間、北東に120kmの場所に位置する司馬台長城。リフトは30元(470円)で20分。司馬台長城は、万里の長城の中でも、そのままの険しい姿と雄大さを残すことで知られている。断崖絶壁の上に建てられて、悪条件の地形を克服した当時の建築技術の高さを今に伝える。現在は第12楼までしか見学することができない。
 歴代皇帝が北方異民族の侵入を防ぎ国を守るために、2500年にわたり築いた万里の長城。人類史上最大の建築物で、総延長はおよそ6300kmにも及ぶ。各地に設けられてきた城楼には、常に10数名の兵士が待機していた。この城壁はずっと続いて、最後は砂漠の中に消える。


●青島
 飛行機で北京から1時間半。黄海を臨む町。北京オリンピックでセイリングが行なわれる。北京以外で決勝戦が行なわれる唯一の街。競技の際に風向きを見る風車も並んでいる。
 海を囲む10の丘に懐かれた街。19世紀後半にドイツが租借地としたので、今でも赤い屋根の家々が並ぶ。丘に囲まれているので、坂道が多い。みんな持ち運ぶ折り畳みイスを持っている。
 小魚山公園(開園時間:8:30-18:00、入場料:15元(240円))は丘の上にあり眺めがよい。青島の町が一望できる。ここから街を眺めると青島の街はたくさんの丘が連なって出来ていることがわかる。ここはかつて街の監視塔として使われていたという。

 ドイツの租借地だった頃、ドイツ人がビールの作り方を伝え「青島ビール」が誕生した。「小酒館」に行く。お客がビニールの袋にビールを入れていた。青島ビールは量り売りで、500mLから1.4元(22円)。ビニール袋に入れてストローで飲む。6〜8月の夏場が一番ビニールビールを飲む人たちが多い。ビールに合う食べ物は、「アサリの塩焼き」18元(280円)。

 夕方、海沿いの場所で夕焼けがきれいに見えました。


●広州
 北京、上海に次ぐ中国第三の都市、中国の南の玄関口。人口は1000万人を超え、広東語が飛び交う。食が目玉。「食は広州に在り!」といわれるほど広東料理は有名で、食材と料理法の豊富さで、他地域の料理を凌駕している。飲茶発祥の地でもある。
 「唐茄園」(Tel:86-20-8170-2228)で点心をいただいた。「エビ餃子」16元(250円)もすごく美味しいそうです。「エビシュウマイ」14元(220円)、「チャーシュー饅頭」7元(110円)。朝は1品5元〜16元、昼以降は6元〜17元で注文できる。机を人差し指でトントン叩くのは、「ありがとう」の意味。
 イギリスの租界地だったころの街並も残る広州は、1年中緑が絶えることなく冬でも肌寒い程度にしか気温が下がらない温暖な地域。四季を通して花が見られるこの都会は、「花城」という別名を持つ。

●桂林
 広州から北西へ500km、あの山水画で有名な場所「広西荘族自治区」の桂林。一番の特徴はなんといってもたくさんの奇妙な岩山。街のどこにいてもゴツゴツ、ニョキニョキの岩山が見える。桂林の街の真ん中を北から南へ流れる「漓江」は、山水画の世界を楽しめる川であり、生活の川でもある。

 「陽朔」は漓江下りの南の拠点で、中国で一番外国人が多く訪れる街。それで店の看板の中国語の下に必ず英語表記がある。お洒落なカフェもあり、中国で一番英語が通じる街だといわれている。
 レストランには「Beer Fish 」の看板が多い。陽朔名物ビール魚。漓江沿いにあるお店「謝大姐酒魚」で食べてみることにした。好きな川魚を店先で選んだら、その場でさばいて、たっぷりの調味料とビール1本で調理する。ナマズは身が柔らかくて骨も少ないので、おいしいそうです。
 選んだ魚をブツ切りにして野菜とよく炒め、そこに調味料とビール1本分をかけてよく煮込む。「ビール魚(ナマズ)1500g」240元(3700円)。ビールで煮ると川魚のどろ臭さが消えて、美味しく食べられるそうです。今回は1500gの量で作っていただいたが、500g80元から作ってもらえる。値段は選んだ魚によって異なる。

 桂林の景観を見るために、「漓江下り」(乗船料:380元(5900円)をする。最も中国的な山水画の風景をゆったり見られることで、人気を集めている。およそ2時間半の船の旅はのんびりゆったり心地よい。この光景に多くの詩人や画家たちが虜となった。まもなく20元札と同じ風景がでてくる。
 漓江沿いには豊かな竹林も見える。それを使った伝統工芸品「巨大扇子」がある。
 陽朔からほど近い福利村には、たくさんの工房があり、その作業風景を間近で見ることができる。村で一番大きな工房「?芸工画扇氏○(○は豊へんに多)」を訪れた。全て手作業。桂林の風景を描いている人もいる。少し描かせてもらって、頂きました。

 桂林は、中国有数の米どころとしても知られている。桂林市街地から車でおよそ2時間半、中でも「龍勝」と呼ばれる村の棚田は特に美しい。入場料50元(770円)。田植えの時期が最も美しいらしい。この棚田はチワン族の人々が600年以上かけて作りあげたもの。桂林には他にも様々な少数民族が暮らしている。チワン族の名前は広西チワン族自治区の名称にもなっている。

 桂林市街地から車で約5時間のトン族の村「広南村」を訪ねた。トン族は、桂林の山岳部に農耕を生活の糧にして暮すたくさんの少数民族の一つ。トン族は「建築の民」と言われ、高い建築技術を持つ。トン族が暮らす村には必ず「風雨橋」と呼ばれる屋根付きの橋と、村の中心に建つ「鼓楼」と呼ばれる美しい塔がある。どちらも一本の釘を使わずに建てられている。天井にはトン族の祈りや願いが書いてあるそうです。鼓楼の周りには築300年を越える民家が建ち並ぶ。
 トン族の人はお客さんを迎えるのが大好きで、招いてくれました。伝統料理を振舞ってくれました。三酸という料理は、アヒル、豚、魚を各々、塩と甘酒ともち米で2,3ヶ月漬け込んだもの。大切なお客が来た時でないと出さない料理だそうです。冷蔵庫はありません。さらにトン族の民族衣装を着せてもらいました。
 村の広場に行くと吉野さんを歓迎するために、みんなが集まって歓迎の踊りを踊ってくれました。とても歓迎されました。


●マカオ
 中国の返還されて9年。16世紀にポルトガル人が初めて上陸して以来、東洋と西洋の文化が交錯し、共存してきた。他にはない独特の空気が漂っている。440年以上統治したポルトガルの影響が色濃く残る。街並は2005年旧市街が、「マカオ歴史市街地区」として世界遺産に登録。

 「セナド広場」はコロニアル調で、マカオの旧市街の中心にある広場。マカオの旅の起点として、多くの人が日々集まる。
 1784年に建てられた「民政総署」はマカオで最もポルトガルらしいと言われている建物。壁には白と藍色のタイルが貼られている。アズレージョとよばれ、14世紀にスペインに持ち込まれ、その後ポルトガルに持ち込まれた。階段の上には図書館がある。3万冊にのぼるポルトガル時代の貴重な書物が保存されている。図書館の開館時間:13:00〜19:00で、休館日:日曜、祝日。
 「聖ポール天主堂跡」は、マカオのシンボルとも言える建築物で、大階段を登りきるとその大きさがいっそう際立つ。17世紀、建築に携わったのはマカオの職人と、キリスト教弾圧から逃れてきた日本人だったと伝えられている。かつてはマカオ半島のどこからでも見えたというこの教会は、数度の火災により現在は建物の側面の一部分が残るのみで、西洋建築の見事な彫刻をよく見ると、中には東洋的な図柄も残る。ポルトガルだけでなく日本とのつながりも生み出した当時はアジア最大のカトリック教会。

 東洋と西洋の融合として、「エッグタルト」がある。「マーガレッツ・カフェ・エ・ナタ」(住所:馬統領街17B 南湾金来大廈、Tel:853-710-032、営業時間:6:30〜20:00 & 日曜 10:00〜19:00、休業日:年中無休)は、マカオ名物エッグタルトの老舗。エッグタルトはポルトガルの伝統菓子のナタにカラメルをかけてアレンジしたもので、マカオで誕生したお菓子。エッグタルト1個7パタカ(90円)。あんまり甘くないし美味しいそうです。

 ホテルは建設ラッシュだが、マカオらしい特徴がある。「マンダリン・オリエンタル」(住所:友誼大馬路956-1110号、Tel:853-2856-7888 )は、特に独特の雰囲気が漂う。お勧めはマカニーズ・スパで、「マカニーズ・サングリア・リチュアル(2時間20分)で1650パタカ(2.2万円)は、マッサージを受けた後、ポルトガル・ワインを注いだお風呂で至福の一時を過ごせる。自慢のマカオ・スイート(1732号室)を見せてもらった。1室2.8万パタカ(37万円)。調度品は中国、ポルトガルなどのものが置いてある。

 マカオが注目されている理由の一つはカジノ。夜はライトアップがすごい。

 美味しい料理にも西洋と東洋の融合がある。老舗のレストラン「海湾餐応」(Tel:853-2896-7878)で、アフリカン・チキンというマカオ料理の代表格をいただいた。この店は、正統派マカオ料理で人気があり、店内はポルトガルの田舎の家をイメージして作ってある。「アフリカンチキン」は180パタカ(2400円)で、お肉に何種類ものスパイスが効いた手のこんだ料理。「カーリーハイ(50g〜)」12パタカ(160円〜)は、カニ料理。「ミンチー」118パタカ(1570円)は、ご飯の上にお肉とじゃがいもと目玉焼き。

 中国らしい場所がある。朝8時に旧市街にある公園「ロウリム・イオック庭園」に行ってみた。気功や体操をしている人が多い。
 活気の溢れる通り「大三巴街」に行ってみた。中国100%みたいな通りで、人が多い。マカオ一番の土産屋通りでもある。店の人たちの威勢のいいかけ声が飛び交う。干し肉と杏仁餅のお店が特に多い。干し牛肉(500g)59パタカ(780円)。
 路地に入ると中国っぽい通りがあり、静か。たくさんの神様が祀られていることに気がつく。信仰心がとても強いそうです。
 マカオ半島の南端に位置する「媽閣廟」は、マカオでは最も古い寺院で、航海の神様が祀られている。ここはポルトガル人が初めて上陸した時に、人々が一所懸命にここを崇める姿を見て、中国の人に訪ねたところ、媽閣廟(マーコウミュウ)が「マカオ」と聞こえ、この地を「マカオ」と呼ぶようになった。信仰深い地元の人だけでなく、中国本土からもたくさんの参拝客がやってくる。


テレビ番組「工藤夕貴、万里の長城を行く」

 2008年7月13日放送。工藤夕貴さんが案内。総延長6352km、2000年以上かけて作り続けられてきた。テレビ東京製作。

●万里の長城(金山嶺長城)
 北京から北東130kmに位置する長城。麓からのロープウェイで上がった。今から500年前の明の時代に建てられた長城。標高1000mを越える尾根に築かれている。全長47.5kmを2年で建築した。平均2トンの石と頑丈な自然の岩を基本として作られている。
 紀元前7世紀頃から長城は作られ始めた。当時は諸国が個別に築いた国境を示す城壁だった。これを1本にしたのが、紀元前221年に中国を初めて統一した秦の始皇帝だった。当時は北方遊牧民族と長く壮絶な戦いを繰り返していた。そのため、北側の壁のみ特別な仕掛けがしてある。騎馬隊を矢で狙う射撃孔と、爆薬を詰めた石を落とす投石穴、長城内での接近戦に備え、一人しか通れない場所を数多く設置した。階段の脇には障壁と呼ばれる防御壁を作り、敵を迎え撃ちやすいように設計されている。増改築してきたが、その長さの合計は5万kmにも及ぶといわれている。
 500年前の当時の指揮官の屋敷を喫茶店として利用している。経営者は周万萍さんで、このすぐ下の村で育ち、22年店を経営しているという。周さんはカメラマンでもあり、長城の写真を撮っている。自宅に行ってみると、地元料理をご馳走してくれました。周さんの祖先も山東省から建設のために来たという。麓には建設に従事した多くの庶民の骨が埋まっているとこの村では伝えられている。

●山西省大同市
 北方遊牧民族との戦いが特に激しかった場所。大同史学会研究員の王恆さんが案内してくれた。ここには関所、のろし台、駐屯地も作られた。敵の来襲を受けると100人で1本、500人で2本ののろしをあげた。北方民族との戦いに勝利した名づけられた「得勝堡」は得勝堡村となり、かつての兵士の末裔が暮す。この地域にはモンゴルとの交易ルートがあった。得勝堡村小学校校長の孫佃有さんが得勝口に案内してくれた。ここで北から馬、南から食料を持ち寄って交易をしていた。
 紀元5世紀に作られた世界遺産「雲崗石窟」がある。当時この地は北魏の都だった。支配していたのは北方遊牧民族のセンピ族だった。皇帝は自らの顔を仏像に模写し、漢民族の服装を仏像に取り入れた。
 明の時代に作られた住居がある。国道沿いの崖の上に入口らしき穴が見える。これは「ヤオトン」という横穴式住宅で、張徳華さん(76歳)はここに住んでいるが、500年前から住んでいるという。壁は全て土。オンドルは、台所の火がベッドの下を通り外に出る仕組み。去年の9月から電気がきたそうです。麺を作って、にんにくと山椒で作ったタレで炒めて、麺料理を作ってくれました。村共同の井戸からの水汲みを手伝いました。当時一緒に住んでいた人たちは、道路の反対側に家を建てて移り住んだ。

●甘粛省蘭州市
 街の中心を黄河が流れ、昔から交易で栄えてきた。イスラム教徒も多く、文化が融合している。食文化も豊かで、有名なのは牛肉麺。イスラム教徒の牛肉と中国の麺があわさって生まれたもの。ラーメンの元祖とも言われている。店で働く若者はイスラム教徒。1杯50円。

●甘粛省山丹県
 蘭州市から車で5時間。少しだけ盛り上がった万里の長城が続いている。このあたりはかなり風化している。山丹県長城博物館館長の韓建成さんが案内してくれた。
 さらに車で30分、万里の長城が一望できるのろし台に到着。2本の長城があった。手前が漢の時代のもので堀で、後ろが明の時代のもので壁。このあたりの長城はシルクロードを守るために漢の時代に作られた。明の時代には、土木技術が発達し、この地方の土を使って壁を作ることができた。隋の時代にはこのあたりで国際博覧会が開かれた。

 山丹新河村はシルクロードの宿場町だった。村長の朱立銘さんのお宅を訪問した。祖先は明の時代に長城を作るためにここに来て、守ってきたという。当時の「版築」という作り方を見せてもらった。土を選別するグループと固めるグループに分かれている。10cmずつ固めて3−5mにまで積み上げた。

●甘粛省嘉峪関市
 万里の長城の西の果て。門には明への入口を示す「天下第一雄関」の文字が今も掲げられている。この関所から西に伸びているのが、明の時代に最も西に作られた長城。西の果ては大河と出あって終わる。


テレビ番組「探検ロマン世界遺産 北京・頤和園」

 2008年7月12日放送。伊東敏恵アナウンサーが案内。四川大地震直前の5月初めに取材した。

●頤和園
 北京の中心部から北西に12kmの郊外にあり、広さは皇居の2.5倍。庭園には壮麗な宮殿や寺院が並ぶ。年間1000万人が訪れる。250年前、清王朝第6代皇帝「乾隆帝」が威信をかけて、皇帝の夏の離宮として築いたもので、1764年に完成。江南地方の穏やかな春を再現した一角がある。面積は290万平方m。湖の北側に主要なものが集まっている。

 伊東さんは朝7時、路線バス732番で向かったが満席でした。20分走って、門を通過。終点で下車。表玄関の東宮門から入る。もう一つ門がある。仁壽門で、その右に見たことがない文字が書いてある。これは満州族の文字。清は満州族の国家だった。次は頤和園で最も華やかな建物「仁壽殿」。皇帝が政治を行なう場所だった。ここを抜けると大きな舞台「徳和園大戯楼」があり、京劇「西遊記」を観光客用に実演していた。その前には皇帝一族専用の観覧席がある。ここを出ると周囲の景色が一変する。昆明湖が広がっている。その向こうの丘(高さ60mの万寿山)には高さ40mの「仏香閣」が見える。ここからは庭園全体が一望できるという。
 かつての皇帝たちと同じように仏香閣を目指した。つまり真中にある石造りの150mの橋「十七孔橋」を渡る。欄干には544体の獅子の像が彫られている。皇帝のための船着場から船に乗る。途中で石でできた船の形をした「石舫(せきぼう)」を通過した。中国の故事に、民衆を水、皇帝を船に例えて、「水は船を浮かべるが、時に船を覆す」とある。民衆により転覆させないという皇帝の決意の現われだそうです。元は小さな湖だったけど、人が何十年もかけて掘って広げたそうです。掘った土を盛って万寿山を作ったそうです。15分で対岸に到着した。門をくぐってから建物があり、そこから石段をずっと上がっていく。右折して建物を通過して、また先に階段。土台だけでも5階分のビルの高さがある。登り始めて20分で「仏香閣」に到着。朱が鮮やか。中には高さ5mの銅製の千手千眼観音菩薩像。仏香閣は時の皇帝が母の皇太后の還暦を祝い、健康と長寿を祝い建立したもの。

 北京社会科学院歴史研究所の劉仲華さんが案内してくれました。船でしか行くことができないある場所、仏香閣の裏側にあたるある水路に到着。柳の綿毛(柳じょ)が飛んでいる。少し先に行くと柳の並木が消え、建物が並び、橋が続く。ここは「蘇州街」という。江南地方を真似て作れたらもので300mある。商店街が続いている。清の財政基盤を支えたのが蘇州だったので、乾隆帝は6度訪問したそうです。ここに作ったのも、豊かな経済力が国を盤石にするという意志の現われだった。蘇州街の奥には、小さな庭園「諧趣園」は同じ江南の無錫と同じもの。池の周りと建物と橋で囲み、見る位置によって移り変わる池の表情を楽しむ。
 昆明湖の西側を南北に連なる堤防「西堤」は江南の杭州にある西湖の堤、11世紀の詩人「蘇東坡」が作った堤を模したもの。

 乾隆帝は周辺の部族との戦いを進めた。モンゴル、ネパール、ビルマ、ベトナム、台湾など、生涯に10回遠征をした。ジュンガル、ウイグル、チベットの支配を完成したのもこの時期。頤和園の中にチベット仏教寺院「四大部洲」を建築した。最も古い寺院の1つを模して作られた。パゴダという仏塔が4つそびえている。乾隆帝は熱心なチベット仏教の信者だった。当時モンゴル、ウイグル、チベットで信仰されていたので、乾隆帝はチベット仏教を厚く保護したので、彼らから信用を得た。「俗に因りて、以って治む」。チベットではチベット仏教の指導者がチベットを治めていた。聖地ラサを中心とした信仰の自由を受け入れたために、清王朝の支配を受け入れた。
 就任3年目で回族の寧夏で大地震が起きた。黄河でも堤防が決壊し、5万人の犠牲者がでた。乾隆帝は仮設住宅の建設、5ヶ月分の食料と生活費の支給、震災孤児の保護、3年間の税の免除などを実施した。
 頤和園の長さ728mの「長廊」には柱などに14000枚の絵などがある。ここは2000年にわたる漢民族の歴史が表現されている図書館のようなものだった。孫悟空、諸葛孔明などの絵の他に、金との決戦に赴く前の岳飛の絵も描いた。これは敵対していた漢民族の英雄だが、それも敢えて掲載した。乾隆帝は「華夷一同」という考えを推進し、広い国を一つに纏め上げようとした。
 1799年乾隆帝がこの世を去ると、清は衰退を始める。19世紀半ば以降、度重なる漢民族の反乱、欧米列強の侵略、日清戦争での敗北が重なり、1912年清は滅亡し、孫文による中華民国ができた。
 1913年チベットのダライラマ13世が独立を宣言したが、中華民国政府はこれを承認しなかった。1949年中華人民共和国が成立、1951年チベット進駐。1959年、チベット動乱が起こる。チベット問題は今も解決していない。
 仏香閣の近くに小さなお堂「宝雲閣」がある。チベット仏教の僧侶が国の平安を祈る場所として乾隆帝が築いた。正面の額には、4種類の文字が並んでいる。右からチベット文字、モンゴル文字、漢字、満州文字。全てが同じ大きさ。


テレビ番組「中国海南島丸秘リゾート旅」

 2008年6月15日放送。中尾彬、はしのえみ、金子貴俊、吉澤ひとみさんが出演。テレビ朝日製作。

 ビデオが調子がおかしくて、最初の20分程度は入ってませんでした。

●お茶
 ハイナン島最大のお茶専門店「三亜生態茶科苑」で、美容と健康にいい名物「苦丁茶」をいただいた。正しい飲み方は、ずずっとすすって、歯を出して「チュチュチュチュチュ」と舌打ちする。苦いそうです。苦丁茶はお茶の葉を1枚ずつ丸めて乾燥させたもの。煎じ終わった後は、額などに貼って美容アイテムとして使う。しわものばせるし、くまも取れるそうです。苦丁茶は1箱460元(7000円)、10年物普○茶餅茶(○はさんずいに耳)は560元(8400円)。
 夜は11時まで営業している街角にある「旺盛超市」。「超市」はスーパーマーケットの意味。ほとんどの店に、おみやげなどのほかに、本格的に中国茶を売るスペースがあり、苦丁茶も苦いものから苦味が薄いものまである。微?芽苦丁茶は500g300元(4500円)。

●チキンライス
 20km以上砂浜が続く。「海南鶏飯(ハイナン・チキンライス)」があるが、チキンライスは海南島が発祥の地。女性に人気のカフェ・タイプの「風車水岸」でいただいた。鶏を1羽丸ごと塩茹でた後に、氷水で引き締めたもの。32元(480円)。鶏肉はタレでいただく。鶏肉の煮汁で炊いたご飯がチキンライス。文昌鶏という鶏を使っているが、文昌は島の東北にある。脂がうまいといわれる文昌鶏をおいしく食べる方法として生まれた。昔は高級品だった。その評判はシンガポールをはじめ東南アジア全域に広まった。
 ホテル「クラウンプラザ三亜」にはショッピングモールにレストランが10店舗入っている。「三味軒」では一風変わったチキンライスが食べられる。鍋に鶏油に米、香辛料を入れ、じっくり炒めてオーブンで仕上げる。「海南鶏飯○○」は87元で、炒飯のような食感。タレは3種類あるが、チキンはピリ辛のチリソースがお勧め。

●亜龍湾ナショナル・リゾート
 中国が国を挙げてリゾート開発する場所で、5つ星ホテルが10軒並ぶ。まだ建設中のものもあるので、5年後にはハワイの高級ホテルと肩を並べるくらいになるかも。ここの砂は北京オリンピックのビーチバレーのコートに使用予定。
 ここのマリン・スポーツはまず「亜龍湾・海底世界」で、17種類楽しめる。まずは水上バイクで、10分180元(2700円)。バナナボート10分80元(1200円)。スキューバ・ダイビング1時間320元(4800円)。水中バイク1時間380元(5700円)。パラセイリング10分320元(4800円)。
 宿泊は「ヒルトン三亜リゾート&スパ」で、レストラン、スパ、プール、ビーチも充実。デラックス・ルームは1600元(2.4万円)〜。池に浮かぶのはスパ・パビリオンで、癒しの部屋。グリーンコーヒー・ボディラップ730元(1.1万円)。「アイズ・レストラン」はガラスのデザインで庭園に面して、最高級のシーフードがいただける。「○煎○蝦(ロブスターのワサビソース、インゲン豆添え)」1365元(18975円)。「生○三昧(牡蠣の三種風味)」173元(2595円)。ビーチでは波の調べを聞きながらトロピカル・ドリンク「ドラゴン・フルーツ・ジュース」48元(720円)、フルーツサラダ78元(1170円)。

●ハイナン料理
 三亜市街地から車で25分「海南人家」。海南4大料理は文昌鶏、東山羊、加積アヒル、和楽蟹。オープンエアで食事ができる。「○夢鴨○(アヒルの煮込みパイナップル風味)」58元(870円)。一番人気のメニューは「○鶏(○は火へんに考)文昌鶏の丸焼き)」88元(1320円)で、醤油だれに漬け込んだ鶏を丸焼きにしたもの。「炒和楽蟹(和楽蟹の香味炒め)158元(2370円)は、一度油で揚げて、野菜とスパイシーに炒めたもの。「山○○干○羊(羊肉のオイスターソース)」58元(670円)。お店の自慢の薬膳スープ「亀焼鳥鶏湯(草亀と地鶏の薬膳スープ)」388元(5820円)は、なつめ、くこの実、亀、地鶏を3時間以上煮込んだもの。中尾さんは今までで一番美味しいと言って「テンハオ」と言ってました。
 三亜市街にある「海亜餐庁」は家族連れに大人気。伝統的な4大料理がいただける。「清蒸和楽蟹(和楽蟹の姿蒸し)196元(2940円)は伝統的な食べ方。「紅燗東山羊(東山羊の醤油煮込み)35元(525円)。「白切文昌鶏(文昌鶏の塩茹で)53元(795円)
 「利国餐庁」は庶民の味。安くて旨い本場の家庭料理が楽しめる。「清炒四角豆(四角豆のさっぱり炒め)」12元(180円)。「酸爪燗○魚(サメとスイカの煮込み)45元(675円)

●市場
 三亜第一農業市場は一見普通のビルにあるが、ハイナン島最大の市民市場。水族館のような鮮魚売り場。大墨魚(紋甲イカ)、ウツボなどがいました。野菜。豆腐。肉加工品もある。ビルの外には、ハイナン島産南国果実市場がある。龍眼は東南アジア周辺で作られ、形も味もライチに似ている。透明な実に黒い種が入っているので、龍の目と言われる。1房30元(450円)。最もメジャーなフルーツはマンゴーで、1000年以上の歴史があり、60種類以上ある。スターフルーツは3個で20元(300円)。ドリアンは500g7.8元(117円)。世界最大のフルーツ「波羅蜜(バラミツ)」もあったが熟してなかった。
 日用品が買いたくなったら、三亜市街にある「○珠広場」(朝10:30-夜10:30)というショッピング・モール。値段も現地の生活価格。お土産もあるかも?

●海鮮料理
 夜になると熱帯魚の水槽?と思わせるディスプレイが続く。お客は水槽で魚介類を選んで、調理方法を指示する。海南島の名店「海港大酒楼」で、豪華個室は50室。名士は必ず利用するという。日本の車海老に似た大角蝦を炒め、大紅蟹(花蟹)を蒸し、百花魚を揚げてもらった。氷凍大和蟹(蒸し花蟹)は500元(7500円)。「○○百花魚(百花魚の唐揚げレモントマトソース)」168元(2520円)。蝦料理は目の前で総料理長の謝文平さんが調理してくれました。卵白とアスパラをからめて、美しく仕上げました。「蒸○大和蟹(大角蝦の卵白包み炒め)250元(3750円)。お店の看板料理「煮アワビとサツマイモの包丁細工」2000元(3万円)。これも今回の特別料理でした。「アワビー」と中尾さんが命名しました。
 「東郊椰林海鮮城」もVIPのお店。常時100種類以上揃うという品揃えが素晴らしい。大墨魚(紋甲イカ)500g75元などと値段が書いてある。これを刺身と炒め物でオーダーした。「○○大墨魚(イカ刺身&イカとピーマンの炒め)」225元(3375円)。「西芹炒爪螺(セロリと巻貝の炒め)」126元(1880円)。「清蒸三刀魚(三刀魚の醤油風味蒸し)」189元(2835円)。

●真珠
 海南島は真珠の名産地。「海南京潤珍珠博物館」に行く。入口の壁は42万個の真珠でできている。2000年前から続くという海南島の真珠の歴史が展示されている。世界最大級といわれている真珠のレプリカ、天然の黄色の真珠もある。併設されている巨大真珠売り場がある。真珠の値段は日本の半額程度。黒真珠のネックレスは750万円、白真珠のネックレス1800万円というのもありました。手作り真珠ネックレス・セットは缶詰で売っていて、中にアコヤ貝が入っている。その真珠をホルダーに入れて、ネックレスにする。38元(600円)。ジェンダ!(本当です)。真珠を使った化粧品は当たり前。古来より島で愛用されてきた「飲む真珠」87元(1285円)。

●お粥
 「長裕養生粥」に行く。2005年にオープンして以来、若者を中心に絶大な人気。14種類のお粥が揃う話題の専門店。男性に一番人気なのは、「天保乳鳩?粥(若鶏の薬膳粥)」10元(150円)。女性に人気なのは、「干し貝柱と銀杏のお粥」8元(120円)。お勧めのお粥鍋がある。「烏骨鶏のお粥鍋」26元(390円)で、これに他の具材を入れていく。スッポン48元(720円)、生ガキ28元(420円)、スルメイカ26元(390円)、キュウリ6元(90円)。まずは具だけをいただく。最後にスープというかお粥をいただきました。

●屋台
 「春園海鮮広場」は夜2時まで営業。1000人以上入る巨大屋台広場。美味しいものが安く食べられると観光客にも人気。まず市場で食材を購入し、お店に持ち込んで調理してもらう。3種類の貝を調理してもらったものは、38元(570円)。「海老のネギ・ショウガ炒め」は50元(750円)。「海鮮炒面(海鮮屋台焼きそば)」28元(420円)。
 海上屋台は船に乗って5分。着いたのは「海上人家」30艘の船をつないで作った屋台で、1000人は収容できる。水槽から食材を選んで発注するシステム。珍しい海鮮料理が食べられる。「海星○○(ヒトデのピーナッツ炒め)」70元(1050円)。「清蒸面○蟹(パン蟹の姿蒸し)」100元(1500円)はミソが濃厚だそうです。「海へびのスープ」173元(2600円?)はなつめ、くこの実、ショウガと煮込んだ薬膳スープ。淡白でおいしいそうです。

●温泉
 海南島は温泉天国で、30種類以上の温泉がある。市街地から車で1時間「珠江南田温泉接待中心」がある。入場料は198元(2970円)、露天風呂は30種類以上。アトラクション・プール型温泉もある。

●マッサージ
 「三亜国芸堂レジャー・センター」に行く。「足裏マッサージ」90分??元(1770円?)はまず生姜の汁に足をつけて血行をよくしてから。「生姜マッサージ」2時間268元(4000円)を足にすると温熱作用で汗がでてくる。新陳代謝とデトックスを促す。


テレビ番組「絶景アジア紀行 中国 心と体のセラピー」

 2008年6月15日放送。多部未華子さんが案内。中国の人たちは生物たちの動きから、私たちの体を整える仕組みを見つけた。それがカンフーであり、太極拳である。また植物から薬膳料理などを作り出した。中国には衣食同源という言葉がある。健康のためにお茶を飲むことも始まった。

●石柱
 雲南省にあるカルスト大地は、石灰岩が剥き出しになっている。岩はその形によって名前がつけられているものもある。象岩など。この下に鍾乳洞の洞窟がある。目が見えない鯉科の生き物がいる。コウモリも足で魚を捕まえる。
 中国では何でも食べた神農という神は120歳まで生きたという。森の中で薬草摘みをしている少数民族ジノー族(基諾族)がいる。森の蟹といわれるカニは貴重な蛋白源。

●北京
 薬膳料理専門のレストラン「薬膳料理・中衛御苑福膳」。「ジンジエのサラダ」はジンジエというシソ科の植物で、血行促進や美肌に効果。「フカヒレと長寿菜のスープ」の長寿菜は肝機能を整え、目にもよい。「アロエの甘酢あんかけ」は体の熱を下げ、デトックス効果と美容によい。「ヤマイモとナツメのスイーツ」で、コースは一人前100元(1500円)から。

●河南省
 禅寺の少林寺で動物の動きを真似て生まれたのが、少林拳。悟りの技術だったが、武術などとして広まっていった。カンフーの型の中には、鶴、サル、カマキリなど。カンフーから発展したのが太極拳。太極拳は禅宗の僧侶たちが始めた少林拳に、道教などの呼吸法をあわせたもので、動きの中に自然をつかさどる陽と陰のエネルギーを取り入れている。ヤン先生が教えてくれました。陽と陰のエネルギーを掴むことが大事という。基本型ダンビエンは毎日繰り返すと睡眠が深くなり、腰痛が治り、体のラインもきれいになる。

●雲南省
 自然保護区には野性のゾウが保護されている。


テレビ番組「絶景アジア紀行 雲南省 不老不死の理想郷を求めて」

 2008年6月7日放送。多部未華子さんが旅をした。TBS製作。

●雲南省
 シャングリラ伝説は世界中に翻訳されて紹介された一冊の本がきっかけだった。1933年、ジェームズ・ヒルトンの書いた小説「失われた地平線」の中に不老不死の村シャングリラが登場する。
 中国には古くから蓬莱伝説がある。蓬莱山という山のどこかに不老不死の仙人たちが暮らしているという。日本でも浦島太郎が訪れた竜宮城は不老不死の理想郷だった。
 シャングリラを求めて、旅は山岳地帯から始まった。高山植物と亜熱帯の植物が咲いている。中には高さ30mにも渡って花を咲かせる珍しい木もある。ベニジュケイという鳥のオスは求愛行動の際は、よだれかけのような皮膚がカラフルになる。
 5月にはインド洋から暖かい風が吹いて多くの雨が降る(モンスーン)。地域によっては250日も雨になる。中国では8000年も前から稲作が行なわれてきた。元陽では標高2000mで稲作が行なわれる。万里の長城よりも古いこの棚田は見るものを圧倒する。水牛を使って続けられてきた田起こし。
 雲南省では25の少数民族が暮らす。彼らは市場で野菜を売る。値段は日本の10分の1から20分の1。誰もが挨拶してくれる。タイ族の人は黒米で炊いたお赤飯を売っていた。1人前が15円。タイ族と日本人は同じルーツの祖先を持つといわれている。
 タイ族の村(鎮曼弄楓村マンエーツン?)を訪ねてみることにした。ゾウがいる。住居は木造、高床式の入母屋造り。標高3000mを越える場所を旅してきたので、ここが楽園のように思えた。ここで暮らしてもいいと思えた。バナナの葉で包んで蒸したお餅は、香りのいいチンズーパという花が塗りこまれている。タイ族の村は最近は夫が妻の家に入る婿入り婚が主流だった。4月には水をかけあう祭り(ボウスイジェ?)がある。この祭りも女性が主役。今では水をかけられると幸せになると信じられている。


テレビ番組「世界!弾丸トラベラーは小沢真珠さんで上海」

 2008年5月3日放送。小沢真珠さんが上海で中国四大料理を食べ尽くす。上海まで1800km、1泊2日の旅。

●予定
 1日目、9:40関西空港発、2時間40分で12:05上海国際空港着。リニアモーターカーで市内に移動。そこから地下鉄で、14:00、「人民公園」駅着。タクシーで四川料理「しょうこうなん」へ行く。15:30、上海最新スポット「田子坊」へ行く。2階建てバスに乗り、19:00、上海料理「上海老飯店」へ行く。食後、20:45、タクシーで移動し、ホテル「ハイアット・イン・ワイタン」チェックイン。
 2日目、8:30ホテル発、タクシーで広東料理「避風塘」へ行く。タクシーで移動し、13:00、北京料理「全聚徳」へ行く。タクシーで移動し、15:45、上海国際空港発で、2時間40分かけて19:25、成田空港着。

 ビデオの調子が悪くて録画できていませんでした。

http://www.ntv.co.jp/dangan/contents/broad/080503/main.html


テレビ番組「探検ロマン世界遺産 中国の開平の望楼群と村落」

 2008年4月26日放送。鎌倉千秋アナウンサーが案内。2007年、世界遺産に登録。ビデオが不調でHPからの引用。

●開平
 開平は、広東省中南部のデルタ地帯に位置する人口70万の都市。郊外15の村々に林立する奇妙な形をした高層建造物が望楼(中国語では○楼:○は石ヘンに周)。最も高いもので9階建て。下層部が鉄板や厚いコンクリート壁で覆われた要塞の様な形状をしている一方で、上層部には中国風、古代ローマ風、イスラム風の装飾が混じり合った形で施されているという風変わりな建造物である。最盛期には3000以上が築かれ、現在も1833が残っているが、一つとして同じ形のものがない。
 その大半が19世紀末〜20世紀初頭に築かれた。誕生の背景には19世紀半ば以降、西欧列強の侵略によって混乱を極めた時代状況の中で、自分や家族の生活を何とかしようと決死の覚悟で海外へ飛び出した人々、すなわち「華僑」たちの苦闘の歴史があった。2月上旬、春節(旧正月)を迎える時期に開平を訪ね、ユニークな建物の数々を探検。今も内部に暮らす人々を訪ね、人々の願いや、先祖を思う心、さらにそこにある中国近代史の知られざる物語を探る。
http://www.nhk.or.jp/sekaiisan/card/cardr109.html


テレビ番組「中国誘遊紀行 三峡クルーズ」

 2008年4月20日放送。辻村哲郎さんが案内。JIC製作。

●重慶
 長江上流に位置し、3000年の歴史を持つ。高温多湿の町。自由市場「大陽水農貿市場」に行く。香辛料の臭いがすごい。火鍋用の香辛料はみそ、唐辛子、花山椒、子sg方、浜納豆を加工したものが入っている。重慶は火鍋発祥の地で、雨が降ると食べたい人が増えるとか。曇り空が多く、春や秋には霧も多く、霧の都とも言われている。
 対岸に渡るロープウェーに乗ってみた。古い民家が残る地域も多い。路地が階段になっているので、自転車が見当たらない。床屋さんがあるが、散髪は7元(120円)。食事をしている人は戸口で食べて、近くの人と話をしながら食べている。

●三峡下り
 三峡ダムができてから川の流れが安定した。今回は豪華客船「世紀天子号 Viking Century Sky 」号に乗る。全長126m、総トン数:4200トン、キャビン数:153、乗員:157名、乗客:306名。夕方近くなって乗船。欧米からの観光客が多い。3泊4日の歓迎のセレモニー。まず夜を過ごしてから、船は港を離れる。重慶から豊都、三峡ダムのある宣昌まで行くが、2006年3月からこの船は就航している。杜甫や李白の詩にも三峡の景色がでてくる。
 スタンダードの部屋にも全室バルコニーがついている。ジュニア・スイートは北欧調。スイートは5つ星ホテルに匹敵するという。図書室というか閲覧室もあり、チャイナドレスもあつらえることができる。美容室もあり、ネイルアートは大人気とか。フィットネス・ジムもある。医務室には常にドクターが待機している。
 三峡ダムは1927年に孫文が構想を提案し、最終的には1992年に建設が始まった。過去には毎年数千人の人が被害をこうむっていたので、水没した村も遺跡もあるが、おおむね受け入れられている。

 重慶から170km、豊都に到着した。道教の総本山の町。乗客は自由に観光することができる。新しい町だが、水没した村の住民が移転してきたためらしい。人口は現在7万人。
 夕食は「肉団子と香菜の冬瓜スープ」、「ピクルス添え温菜サラダ」、「鶏の胸肉スパイシーソースがけ」、「鯛のひれ肉、四川風」。

 早朝、まわりの風景は山水画に描かれるような神秘的なものに変わってきた。いよいよ三峡。「瞿塘峡(ふとうきょう)」は最も雄大だと言われる。およそ8kmにわたって、切り立った峰が重なり合う。山がそのまま川に落ち込む。
 小三峡と呼ばれる場所を小さな船で訪ねた。まず龍門峡。水が青く澄み、川幅が狭くなってきて巴霧峡となる。奇岩の連なる峡谷として有名。いずれもっと水位が上がり看板が置いてある場所まで川になるという。さらに進むと滴翠峡。赤肌の崖と緑のコントラストが素晴らしい。崖に木でできたものがある。これは船棺で、この峡谷に住んでいた漁師が亡くなった人を棺に入れてここに置いた。400mもの高さがあって、どうやって棺を置いたのかがわからない。高い所から先祖に見守ってほしいという願いがあったようです。
 長江では自動操縦ができないので、船長は15年以上の経験が必要だそうです。
 そして船は三峡の中で最も美しいと言われる「巫山十二峡」に来た。それぞれの峰が自然が生んだ芸術。最後の夜、フェアウェル・ディナー。西洋料理のコース。「鴨の棟肉カシスソースがけ、セロリの根のピューレ、桃のソテー添え」、 宣昌に到着。三峡ダムは黒部ダムのおよそ200倍。発電量は年間800億キロワット以上。


テレビ番組「びっくり法律旅行社 上海」

 2008年4月17日放送。児玉清、黒崎めぐみ、タカアンドトシさんが司会。磯野貴理、彦摩呂、ローラ・チャンさんが出演。

●上海
 南京路は全長5.2kmで歩行者天国で、小籠包、最近話題のフルーツアイスなどの食べ物屋さんも多い。
 浦東(ホトウ)地区は高層ビルが多い。特に東方明珠塔は世界3位、アジア1位の高さ。外灘観光隧道は料金は片道35元(525円)、往復45元(675円)で、トンネルがイルミネーション。外灘(バンド)は西洋の古い建物が並ぶ。特にライトアップされる週末がお勧め。旧香港上海銀行の建物。  世界最速列車として知られる上海リニアモーターカーがある。料金は普通席で片道50元(750円)、往復80元(1200円)。最高速度は時速431km。30kmを8分で結ぶ。上海の地下鉄は初乗りが2元(30円)から。地下鉄の利用者数世界一と言われている。弁護士の袁園筆さんが説明。地下鉄はかけこみ乗車や無理な下車でドアの故障などが相次いだため、かけこみ乗車・下車禁止の法律ができた。違反すると最高100元(1500円)の罰金。車内での飲食は違反ではない。
 自転車の法律違反は、片手運転、自転車で荷物を運ぶ場合も高さが地面から1.5m離れてはいけないし、幅は左右15cm以内で、長さは前方は車体を越えず・後方は30cmを越えてはいけない。片手運転は5元(75円)の罰金。規定外の荷物運搬は警告または最高5元の罰金。
 京劇の法律違反は、口パクや吹き替えで歌を歌うこと。客をあざむく行為として、2005年にこの法律ができた。違反すると、最高で10万元(150万円)の罰金。

 今上海では、上海市民手帳が配布され、2010年の上海万博を意識して言葉遣い、食事、交通マナーなどが説明されている。髪形については、男性は真中分け、横分け、スポーツ刈りが好ましく、女性はストレートのおかっぱ・少しウェーブのかかったロングが好ましいそうです。

 中国茶は数千種類あるといわれる。上海国際茶城は上海最大のお茶市場。ここで一番高いお茶は「大紅袍」500g1.8万元(27万円)で、福建省の武夷山で年間1kg程度しか採れない希少なお茶。茶館がたくさんある。ここには資格を持ったお茶のソムリエがいて、茶芸師といわれる。藤下祐子さんはその高級茶芸師の資格を持っている日本人。龍井茶をいただきました。


テレビ番組「中国誘遊紀行 雲南省」

 2008年4月13日放送。辻村哲郎さんが案内。雲南省は中国で最も少数民族が多い。現在は飛行機などで行くのが便利になった。JIC製作。

●昆明
 ここは春の街と呼ばれ、1年中温暖。海抜1900mの高原の町。紀元前からの古い歴史がある。  明の時代からチベットと物々交換する貿易が盛んだった。チベットの馬や毛皮と交換していたものは、茶葉。昆明市内にある雲南民族茶道館では、茶葉が国の大きな財源だったことを知ることができる。黒く固められた茶葉はプーアール茶。一際目をひくのは、チベットまでのルートが描かれた地図。普○(○はさんずいに耳:プーアール)で取れたお茶を大理?、麗江、シャングリラを通って、チベットの拉薩、インドに運んでいた。茶葉古道と呼ばれていた。

●西山
 西に15km行くと雲南省最大の湖「○池(○はさんずいに眞:ペンチ)」がある。3万年前の旧石器時代から人が住み着いたという。この池を従えているのが西山。道教の聖地。龍門は断崖絶壁に作られた道教の石窟。山頂まではロープウェイもあるが今回は登る。岩を削って作られた階段を登るのはかなりたいへんです。この龍門に登るので「登竜門」と言う言葉ができた。龍門に触ると縁起がいいと言われている。龍門石窟は西山に12ある道教の石窟の中で一番有名。清の時代の1781年から72年間かけて掘られたという石窟の中には、道教の学問の神様「魁星」、関羽、文昌の像が祀られている。中国の受験シーズンである6月には多くの受験者が訪れる。合格するとお礼を言いにまたやって来るそうです。

●麗江
 昆明から北西に向かって600kmの山地にある古い街。世界遺産の街。趣たっぷりの屋根に木の魚がかかっていた。火事よけのお守りみたいなものだそうです。
 高台に上ると麗江古城が一望できた。木府も見える。川が幾筋も流れ、石畳の道が幾筋ものびる。朝早くに営業していた「四方茶庄」に入る。200年前のプーアール茶もありました。麗江ではプーアール茶を飲む人が多いそうです。
 道を歩いているとトイレの案内とかに変わった文字が描かれていた。ナシ族の文字で、東巴文化博物館を訪ねた。東巴(トンパ)文字は世界で唯一現在も使われている象形文字。現在はロートンパと呼ばれる人により継承されている。現在は和如○(○は鹿へんに某)さん。ロートンパはトンパ教の祭司。世襲制でナシ族の人にとっては尊敬されている人。
 かつて市場だった中心広場の四方街では、多くの人で賑わっている。その奥にはナシ族の人たちが住む民家が続く。木造で瓦屋根で何となく懐かしい風景。3つ並んだ井戸は「三眼井」とよばれる、麗江古城の名物。牛の内臓を洗う人もいます。少数民族の衣装を着た人が多い。幼稚園が終ると門が開いて、お爺さんやお婆さんが孫の手をひいて帰って行きました。
 四方街では毎日のように少数民族の人が集まり、踊りを披露している。東巴宮ではナシ族の伝統の音楽と踊りが毎晩楽しめる。夜の四方街ではかつては滅んだといわれていたナシ族の最も古い音楽「ナシ古楽」が演奏されていた。ゆったりした笛や弦の響きには日本の雅楽を思わせる哀調がある。
 宿泊は「麗江格蘭大酒店 Grand Lijiang Hotel ?」。スーペリアは1泊360元(5800円)〜で、126室。

●拉市海
 麗江から北に向かう。山を一つ越えた盆地にある。麗江古城の水源地。周囲には家畜を追う人の姿がある。長江上流の金沙江の流れが遠くから見える。その川が見える標高2250mの山の上には正覚寺があり、チベット仏教の祠が祀られている。金沙江は136度角度を変えて流れる場所がある。ここは長江第一湾と呼ばれる。諸葛孔明やフビライ汗が軍隊を率いて渡った場所でもある。十三雪山は麗江から見えるナシ族の聖山。玉龍雪山の裏側にあたる。

●虎跳峡
 麗江から50km北上した場所。景観が荒々しい姿を見せる。川の流れは激流となる。全長18kmの間に数え切れないほどの暗礁がある。

●香格裏拉
 街の入口にはチベット式の白い塔があるシャングリラに到着。平均標高3500mにある小さな街。人口のほとんどはチベット族。3つある市場で一番大きな「建塘鎮集貿市場」に行く。ヤクバターはヤクの乳でできていて、バター茶に入れる。キノコも多い。果物、野菜、米麺、米餅、生活用品などがある。チベットの人は銅製品が好きらしい。水を貯める甕もある。
 かつて桃源郷として紹介された村。納怕海(ナパハリ)という場所は雨季には湖となり、乾季には草原となる。
 街の中心の四方街には夕方になると人が集まり、踊りと歌で楽しむ。街の人にとって率先して参加する日々の楽しみらしい。
 近代化が進んでいるが、旧市街も残っている。

●松賛林寺
 山の向こうに見えたのは街ではなくお寺。17世紀に5世ダライ・ラマの発願により発足したお寺。シャングリラの人々は毎日ここにお参りにやって来る。


テレビ番組「中国誘遊紀行 大河と大地と古都をゆく 水の街・杭州」

 2008年4月6日放送。辻村哲郎さんが案内。浙江省は長江デルタの南部にあり、東には上海がある。古くから水運が発達している。JIC製作。

●西塘(シータン)
 杭州の北東。1000年の歴史を持つ水郷都市。歩けば9つある川のどれかにぶつかる。橋は100以上ある。
 「煙雨長廊」は代表的な建築で、ひさしが1000m以上続く。船で運んだ荷物を濡らさないためのもの。今でもお店がずらりと並ぶ。川沿いから横に入って街の中に入る。最も栄えたのは明から清の時代。人が一人歩けるくらいの狭い路地は両側は高い壁です。122本ある路地の中で最も有名なのが「石皮ろう(ろうは王の下に升)」で、わずか3cmの薄い石を敷いた道。
 船から街を見る。夜になると違う表情を見せる。赤いランタンが川面に浮かぶ。西塘料理の店「銭塘人家」。中国料理は色、味、香り、形を重要視するが、ここは味が特にいい。「老鴨○(○は食へんに昆)飩○(○は保の下に火)」(アヒルとワンタンの土鍋)40元(640円)。上海蟹は「清蒸六月黄(上海蟹の蒸し物)」75元(1200円)は小さいのが6杯程度。普通は10月とかに獲れるのだが、このものは6月なのでこぶり? 「干炸臭豆腐」5元(80円)は辛い味噌をつけて食べる。
 早朝、西塘集貿市場は海鮮もの、野菜、豆腐、漬物などが並ぶ。

●烏鎮(ウーチン)
 杭州の北東で、杭州と蘇州の間にある街。12世紀の宋の時代に戦乱を逃れた裕福な人が住み着いた町。地元の人の芝居好きは有名で、地元の人が毎日舞台に立つという。運河沿いは水の街だとわかる。東と西に分かれ、東をまず歩いた。「當」の字がある店は質屋。お客が感情的になって中の人を殴ることを防ぐために、棚は2mほどもある高さだったとか。
 「烏鎮皮影戯」は影絵芝居の劇場もある。皮でできた切り絵を使う。明の時代から続く伝統芸能。
 夕暮れ時がもっとも美しい。船に乗って運河を進む。古くからの江南建築が破壊されずに残っている。住居が運河までせりだし、石の柱に支えられる様子は水上楼閣?と呼ばれている。
 夜の運河も美しい。西側の運河沿いにホテル「烏鎮通安客桟」がある。清の時代に建てられた外観やつくりを残しつつ、中を全面的に改築されたホテルで、設備等は高く評価されている。ツインで1泊880元(1.4万円)〜。運河の絵も飾られている。中国の人にとっても水郷は憧れの地。

●杭州
 省都。銭塘江は南側を流れる川。海水の逆流現象が起きることで有名。10世紀後半に川を鎮めるために六和塔が建てられた。現在の塔は12世紀後半に再建されたもの。レンガと木による建築芸術の傑作と称されている。高さは59mもあり、長い階段を登って頂上に達する。灯台の役割も果たしていた。
 河坊街は繁華街だが、歴史の風情がある。都が置かれた12世紀の南宋時代から常に人が集まる場所だったらしい。店先ではお茶を入れるパフォーマンスが見られる。ここに中国2大薬局があるという。「胡慶餘堂」は立派な建物で、現役の薬局。併設する医院で出された処方箋をもとに漢方薬が調合される。調合には今でも天秤皿を使っている。
 河坊街は西湖のすぐ近くにある。呉山は朝早くから人でいっぱい。中には鳥かごを持った人もいる。公園の一角は鳥籠だらけ。これは名物の鳥市で、自分たちの鳥を持ち寄って、鳴き声などを競う。メジロがいい声で鳴いていました。ここの広場でも太極拳をしている人がいた。頂上に建つ7階建の「城隍閣」に上がってみた。景色が素晴らしい。中にある茶室では古典音楽を楽しめる。朝食セットは30元(480円)で、可愛い飲茶でした。お茶は「獅峰龍井」で、お茶の中で緑の茶葉が泳ぐのが目に鮮やか。高級のお茶、ロンジン茶(龍井茶)の栽培地に行くことにした。

●梅家塢
 杭州の南西すぐ。このあたりのお茶農家はレストランのようになっている。広い茶畑はのどか。丁度茶摘をしている女性がいた。お茶の農家に行くとロンジン茶を作っていた。ロンジン茶は蒸すのではなく、炒る。炒ることで発酵が止まり、お茶の成分が葉の中に残るらしい。20分炒たら、すぐに飲めるらしい。炒る時は手でかき混ぜます。
 「茶香居」でロンジン茶をいただく。簡単なガラスのグラスにお湯を注いで出してくれます。お茶の葉が沈むと飲めます。さっぱりしているそうです。

●千島湖
 杭州の南西160km。観光客を乗せたモーターボートは島と島の間を縫うように走る。リフトに乗って山の上にある展望台に行く。中国最大の森林公園「千島湖」で、大型水力発電所を作った時に生まれた人口の湖。

●富陽
 杭州の南西。龍門古鎮は山間の町。黒い屋根瓦に白い漆喰の壁。ここも水郷の街で、路地が入り組んでいる。この街に住んでいる人の90%以上がソンという名字を持つという。孫氏宗祠がある。1000年以上前から孫氏の一族が集まって住む町だった。先祖は3世紀の三国志の孫権。57代目にあたる孫文喜さんに宗祠の中を案内してもらいました。位牌の並び方は杭州湾に注ぐ銭塘江の流れを表している。

●杭州
 中国の湖の中で最も美しいと称えられる西湖。湖面に映る夕陽が素晴らしい。西湖の近くにある「知味観」で、杭州料理を発展させた料理を提供している。湖面に浮かぶ別棟でいただいた。艶やかな盛り付けの料理。「龍井蝦仁」(龍井茶と淡水エビの炒めもの)88元(1400円)。茶葉がエビの臭みを消しているのがポイント。通常は龍井茶は一緒に炒めたところが多いが、このお店では炒めると色が変わるので、一緒に炒めずに上から散らしているだけ。「金牌蟹汁○魚」(クイユーの蒸し物、カニソースかけ)98元(1570円)。「金牌扣肉?」(薄切りバラ肉の柔らか煮)48元(770円)。野菜で煮込んだ小麦粉の皮に包んで食べる。トンポーロの中には甘く煮たタケノコも入っていた。


テレビ番組「藤重政孝の大陸横断1万4千キロ 東京〜ロンドン浪漫鉄道の旅」

 2008年3月20日放送。藤重政孝さん。明治時代に東京からロンドンまでの切符が売られていた。昭和12年にも日本旅行協会で市販されていたという記載がある。東京駅を出て、翌朝、下関に到着。そこから船で釜山に向かい、満州、シベリアを横断してモスクワ、ベルリンを経て、ロンドンまでの2週間の旅があった。当時は船か陸路しかなく、船だと1〜2ヶ月かかった。欧亜連絡乗車券と言われ、運賃は1等795円、2等560円、3等390円。800円は当時の銀行員の1年分の給与に相当した。日本からシベリアまでは舞鶴、下関、門司からの3つのルートがあったが、下関ー釜山ルートが最短だった。それでも1.4万km。これに挑む。テレビ山口製作らしい。

●韓国
 下関から釜山までは夜行の船。ソウルまでは高速鉄道KTXを利用。フランスの技術を導入したもので、最高時速は300kmで、2時間50分でソウルに到着する。
 ソウルは韓国語で都の意味。ソウル駅は2004年にリニューアルされた。市場に行き、のり巻きをいただいた。2000W(240円)。
 ドラサンまでセマウル号で行く。9:25AM発、11:10着。韓国で最北端の駅。イムジンガン駅で強制下車。ソウルから52km、ピョンヤンまで209km。ここで荷物のチェックを受けるが、ドラサンからソウルへの帰りのチケットも必要。ここからドラサンまでの列車は1日3本。列車の横には有刺鉄線が続く。ここまでは1列車300人までという制限がある。
 ドラサン駅からバスで北に向かう。有料の人気観光ルートで、北朝鮮が見える展望台まで行ける。ここからの撮影は許可が必要。
 当時は北朝鮮を抜ける鉄道があったが、通れないので、北朝鮮と中国との国境の街タントン?まで船で行くことにした。東方明珠?という船でした。

●中国
 下関を出て5日目、北朝鮮との国境の町「丹東 DanDong 」に到着。鴨緑江に面していて、鉄橋がある。これは日本が占領時代に建設したもの。2本あるが、1本は途中で途切れていて鴨緑江断橋といわれる。朝鮮戦争の際にB29の爆撃によりこうなったと記されている。当時は真中が90度旋回して船を通すシステムだった。もう1本も爆撃されたが修復された。
 丹東駅からは列車の旅。沈阻北行きの快速列車。3時間半で瀋陽南駅に到着。この駅舎の設計は日本人。宿泊は遼寧賓館で1927年創業。当時は大和旅館という名前で、南満州鉄道直営ホテルだった。当時のセレブたちが滞在した記録が今も残っている。溥儀、松岡洋右の名前もありました。溥儀の泊まった部屋に泊まらせてもらいました。
 南満州鉄道が世界に誇ったスーパー列車が瀋陽蒸気機関車博物館に展示されている。青く塗られたアジア号は大連からハルビンまで1000km近い距離を12時間半で結んだ。最高時速110km。
 瀋陽北駅から高速列車で4時間でハルビンに到着。ここは100年前に帝政ロシアによって作られた街で、ロシア建築が今も多く残る。中央大街は欧風建築物が建ち並ぶ歩行者天国となっている。かつては東方のパリとよばれた。中央大街の端はスターリン公園。地面に絵を描いている人がいた。ユウ・キュウジンさんで、掃除用品で描く。
 国境を越える列車にはハルビンの駅ではなく、チケットはハルビンの旅行代理店で購入。かつ駅での荷物のチェックに相当時間がかかった。列車内では平井晶さんという北京在住の女性に会う。ロシアのチタル?で日本語を教えているそうです。午後4時シーツが交換されたが、ベッド・メイキングは自分でやる。

●ロシア
 朝、サバイカルスク駅に到着。入国審査があり、列車は線路の幅が違うので、台車の交換をするがこれに7時間半もかかった。列車内の食事は「キャベツのスープ」450円。
 次の日の朝、平井さんはチタル駅で下車。早朝なのに生徒さんが迎えに来ていました。慕われているのでしょうね。下関を出て10日目。バイカル湖に到着。大きさは琵琶湖の50倍、世界で最も深い湖で、透明度は40mで淡水では世界一。

 イルクーツク駅に到着。バイカル湖まで車で1時間。湖畔ではお土産屋さんが多い。ヴァルカンというブリヤードの楽器で口で音を出している女性がいた。バイカル湖にしか生息しないというホームリという魚の薫製を購入。薫製にすると一段とおいしくなるそうです。本当に美味しいそうです。フクースナ!
 バイカル湖に入ると元気になると地元では言われている。曇りでしたが、水温は11度。藤重さんは飛び込みました。
 イルクーツク子供芸術学校に行く。アレクサンドラ・クロバチョワさん(26歳)は3本の弦のバラライカの名手。バラライカの音色は人間の声に近いという。ボディは三角形です。
 イルクーツク国際言語大学の日本語学科の生徒と交流を深めた。

 12日目、ここからモスクワを目指すが、生徒さんたちが見送りに来ていた。5200km3泊4日の旅。食堂車でオーストラリアのツアーガイドのロッド・キャンベルさんと会ったが、日本語で話をした。ビーフ・ストロガノフ1125円をいただいた。
 13日目、クラスノヤルスク駅に到着。残り4100km。主要な駅では15〜20分停車するので軽い食べ物などを購入できる。車内では紅茶を注文すると部屋まで運んでくれる。これで朝ごはん。車内を散策。有料のシャワー室がある。かなり揺れるそうです。お昼はロシアのスープ「ソリャシカ」675円。
 14日目、スヴェルドロフスク駅でロッドさん一行は下車。モスクワまで1777km地点でアジアとヨーロッパの境がある。とても小さな白いイベリスクが建っています。有料のシャワーを利用。車窓は秋真っ盛り。
 15日目、夕方5時、モスクワ・ヤロスラーブリ駅に到着。

 ロシアの首都モスクワ。人口は約1000万人。モスクワ国際バレエ・アカデミーは世界じゅうからバレエを目指す人が集まる。現在は700人程度が学んでいる。日本人は37名在籍。学生寮に岩瀬まゆさん(21歳)を訪ねる。校長のマリナ・レオノワさんに話を聞いた。
 ベラルーシ駅を夜10時に出る夜行列車でベルリンに向けて出発。2泊3日の旅です。

●ドイツ
 フランクフルトオーダーで入国審査。夜1時半、ベルリンのオスト駅に到着。駅は当然閑散としている。v  1961年のある日、壁が一夜にしてでき、28年間き、1989年に壁は崩壊した。1621年創業ベルリン最古のレストラン「ツァ・レツデン・インスタンツ」は、ナポレオンも訪れたという。名物メニューは「アイスバイン(豚の肉)」2610円。
 ベルリンではマンガが大人気。コミック・ショップ「モダン・グラフィックス」には5000冊も並ぶ。ドイツのアーティストや漫画家はマンガのスタイルを学んでいるそうです。人気コミック作家マリー・サンさん(20歳?)に話を聞いた。似顔絵も描いてもらいました。
 1936年、日本が大人気を博したオリンピック・スタジアム。藤重さんと出身地が山口県岩国市と同じ田島直人さんが三段飛びで優勝していた。

 23日目、ケルンを経由してベルギーに到着。ロンドン行きのユーロスターに乗る。車内でフランス人のリズ・アナニさんと話をした。

●イギリス
 夜、ロンドンのウォータールー駅に到着。郷愁という曲が生まれました。


テレビ番組「路面電車紀行 アジア・オセアニア編 長春」

 2008年3月8日放送。番組放送センター配給。トーキョー・ビジョン製作。

●長春
 中国東北部の吉林省の省都で、人口690万人。大陸性の気候で四季の移り変わりがハッキリしている。夏は比較的過ごしやすい。1932年に満州国が成立し、1945年まで首都として新京と呼ばれた。市内には当時の建築物が多く残っていて、今もなお使われていて、長春の見所にもなっている。旧ヤマトホテルは春誼賓館。旧関東軍司令部跡もある。国内初の映画撮影所、国内最大の第一自動車工場もある。

 工農大路電停は路面電車の始発駅。路面電車はここから西安大路を結ぶ路線のみ。7.6kmで運行されている1両。運賃は約15円で、乗車の際に運賃箱に入れる。電停の周辺には飲食店や学校などがあり、混雑している。そのためになかなか運行できない。車掌も乗車していて、乗務員は女性の方が多い。路面電車は一時は営業が縮小され、廃止されるかと思われたが、2000年から本格再開されている。屋根付きプラットフォームも整備されている。環境に優しく、人に優しいので、見直されているのかもしれない。

 文化広場は天安門広場に次ぐ中国で2番目に広い広場。昼は凧あげ、夜は踊りを踊る人などで賑わう。
 新民大街には満州時代の国家機関の中で、最も素晴らしいと評価されている偽満州国務院、偽満州国司法部、偽満州国軍事部をはじめ、数多くの美しい建物がある。
 南湖公園は市民の憩いの場。市の南部に位置する市の最も大きな公園。70万本の木が植えられていて、総面積の半分を湖が占める。夏はボート、冬はスケート場として人気スポット。夜は散歩の人でいっぱいになる。
 黄色い電車は満州国時代に日本が持ち込んだ電車で、今でも現役でがんばっている。車内に今日の気温が書いてあった。
 西安大路電停には駅舎があり、車両の点検や清掃が行なわれる。駅の周辺には個人商店や宿泊施設が建ち並び、観光客などでいつも賑わっている。


テレビ番組「松嶋ブランド in 上海」

 2008年2月23日放送。オセロの松嶋尚美さんは自分のブランドを作って、ファッションショーを開きたいという。2008年1月26日の上海で公演される、日本最大級のファッション・フェスタで、年間2万人以上を動員する神戸コレクションに挑戦する。毎日放送製作。

●製作
 製作委員会事務局の高田恵太郎さんに真剣にやらないと他のアパレル・メーカーに迷惑がかかると要求された。2007年12月3日第一回ブランド会議。上海公演54日前。サポートしてくれるクークス&チェリカのチーフ・デザイナーの吉村優葉さんが相談にのってくれた。2パターンの依頼。1つはGIスタイルでスタジャンのワッペンをつけてフレアスカートで50年代ぽいもの。2つ目はトリコロール・カラーをメインにしたカフェ系で、ローラースケートを履く。ブランド名は NAVY cafe としたい。ロゴの下側には松島の座右の銘「笑う門には福来る」を英語にした「Laugh and grow fat 」の文字がある。
 ブランドコンセプトは、古き良き50年代の港町で、ロックンロールが大好きな女の子の溜まり場「Navy cafe」で繰り広げられるドラマチックなワンシーンをイメージ。トリコロールとセクシーGIスタイルをミックスしたエロエロ可愛い女の子を表現。
 12月17日、新山千春、森下千里、KABA、東原亜希、Mieさんと打ち合わせ。パティシエが水兵の格好をするのはKabaさん、ローラースケートを履いたトリコロール店員は東原さん、などなど決めました。松嶋さんは、ファッション・ショーでは横ではモデルさんがのっているのに、会場に出てくるとクールに歩いているのを、ノリノリと笑顔にしたいという。
 12月26日、30日以内となり中国の会社に服を発注。1月11日あと15日となって、ウォーキング・レッスンをした。歩き方は清水春名さんが指導しました。1月16日、追加メンバーとして加藤夏希さんにお願いした。1月17日、五反田の資生堂ビューティ・クリエーション研究所で、マキアージュを担当する黒木久美子、宮坂和典さんとショーのメイクを打ち合わせした。隈取メイクを納得してもらった。1月19日、サンプルを見て感激。ショーに使う音楽はセックス・ピストルズのカモン・エブリボディ、レッド・ホット・チリ・ペッパーズのギブ・イット・アウェイに絞った。1月20日、国内最後のレッスン。

●上海
 ルー大柴さんが案内。リンリーさんは人気があるタレントだが、日本語が話せる。シェラトン・ホテルで人気モデルのAyuki、王翔?、張子萱さんと会った。
 1月25日ショー前日。人民広場近くにある「上海Dモール・プラザ」に最新ファッションを見に行く。ここでの買い物の常識は値切り。意外と上級そうなお店で可愛いブーツが120元(1800円)で、ネギって90元。925銀のイヤリング99元も50元に値切った。ミニワンピースも130元が100元、ニット帽も150元を120元、エナメルブーツは200元を170元、ショートパンツ180元を150元、ベルト120元を90元、ブラジャーストラップ15元を10元などとなった。

 上海で最も人気がある日本人という小松拓也さんは、アイドル発掘番組で大ブレイクした。「Face Pudong」で夕食。「フカヒレのパパイヤ海鮮サラダ」一人前300元(4500円)。「鮑のトムヤムクン」1人前360元。「ワタリガニのシーフード・カレー」1人前600元(9000円)は中にカエルの卵巣が入っている。翌日は肌がプリプリになるそうです。「ツバメの巣のデザート」一人前600元。ツバメの巣は楊貴妃も食べていたという。以上「最高級食材を使った美容コース」は読めなかったが、要予約。
 「非常食客」は若者に人気のお店。名物の薬膳火鍋の「美容○顔女湯?」18元(270円)をいただいた。約20種類の調味料や薬味を自分たちで調合し、オリジナルのタレを作っていただく。お店の人が作ってくれた特製タレは、ねぎ、にんにく、パクチー、辛味噌、唐辛子2種、醤油ベース。「強身健体男湯?」18元の方にはタツノオトシゴが入っていました。

 中国のファッション・モデルは現在5万人。出身が多いのは東北の黒龍江省、吉林省、遼寧省で、背が高くスタイルがいいといわれている。東華大学にはファッション・モデル育成科がある。

 1月26日、17年ぶりの大雪。会場は浦東のテレビ塔の横にある百貨店「正大広場」の9階。会場には2000人入るそうです。朝8時半練習が始まっていた。9時40分からリハーサルさせてもらった。松嶋さんは「知っとこ!」?出演後に上海に向かい、午後3時に到着。
 午後3時開場、4時開幕。本番前に松嶋さん到着。本番は隈取が意外で、変身が劇的で格好よかったです。ルー大柴さんも登場しましたが、感激しました。


テレビ番組「探検ロマン世界遺産 中国」

 2008年2月16日放送。始皇帝陵と兵馬俑坑、万里の長城、故宮は中国の皇帝たちが造ったもの。3つの世界遺産から皇帝たちの夢を解き明かす。

●陝西省西安
 鎌倉千秋さんが案内。かつて長安と呼ばれた。信号機がない。

●兵馬俑坑
 西安の東30kmにある兵馬俑坑は、1974年に発掘が開始された。兵馬俑坑はドーム型の建物に覆われ、博物館として一般に公開されている。現在までに3つの兵馬俑坑が発掘されている。最大は一号坑。東西230m、南北62m、地下5mに掘られた空間に何千人もの兵士が整然と並んでこちらを向いている。総数は8000体で、土で作られた素焼き。全体の2割ほどしか発掘されていない。一号坑でも後ろの方では土に覆われていたり、倒れているものある。32年前に発見された当時もこういう状態だった。
 特別な許可をもらい修復現場に案内してもらった。顔や服装は一体一体細かく異なってかなりリアルに造られている。兵士の背丈は平均180cm、重量は200kg以上。髪の毛も1本1本彫られているものもある。色づけされていたこともわかっていて、本物の人間と見まごうほどの姿だった。
 秦の始皇帝は紀元前221年に即位。王に代わる新しい称号として皇帝を名乗った。

●秦の始皇帝陵
 兵馬俑坑から西に1.5kmにある始皇帝陵は、のどかな田園の中にあり、350m四方、高さ76m。始皇帝が13歳の時に建設が始まり、40年近い歳月をかけ、70万近い人が動員されたという。頂上から四方を見渡せる。発掘は未だ行なわれていない。史記には天井には天文(星がまたたく宇宙)があり、水銀で川を流し、長江や黄河や海まで作ったと書かれている。この記述は誰もが夢物語だと考えていたが、現実だった。4年前に墳丘の土壌調査が行なわれ、水銀だけは外部から観測できている。音の伝わり方で内部を見る方法により、中央に東西168m、南北141m、高さ15mの地下世界があることがわかった。陝西省考古研究所の段清波さんが説明してくれた。中国の国土が再現され、中央には棺おけがあり、金などで囲まれている。緑は翡翠が使われていると考えられている。始皇帝は地下帝国を作ろうとしていた。
 周囲からもいろいろ出土している。地下帝国は墳丘の外にも広がっていることがわかった。外側で発掘された力士俑という力強い俑は曲芸師だと考えられている。青銅製の水鳥も、座った座俑、琴を演奏している俑、銅製の馬車なども発掘されている。総勢8000体の兵馬俑坑も地下帝国の一部だったと考えられる。みな東を向いている。東は中国統一のために滅ぼした国々があった方角。兵馬俑は死後の皇帝を守る黄泉の国の軍団だった。実在した精鋭部隊をそのままモデルにしたからリアルなのだろう。
 始皇帝は今の中国の原型を数多く作った。その一つが文字の統一。共通の貨幣を作った。直径3cmの半両銭は穴があいていて運びやすくなった。最後は万里の長城で、頂点に達するのは14世紀の明の時代。人類史上最大の建造物。

●万里の長城
 曽根優アナウンサーが案内。北京から高速道路で北に1時間。八達嶺長城。山の尾根伝いに高さ8m、幅6mの城壁がどこまでも続いている。修復が重ねられ、500年前、明の時代に作られたものが原型を最もよく留めている。
 歩いてみると、いかに険しいところにできているかがわかる。最大傾斜は40度。ところどころに砦のような「敵台」がある。兵士たちが多数詰めていた場所。長城には軍隊を移動させる道路の役目もあった。兵士10人が横に並んで歩くだけの距離となっている。北京側の壁は低く、北側が高い。全ての距離をあわせると総延長は5万kmを越える。
 北京の北東120km、驚くべき姿を見せてくれる。ギザギザの尾根、万里の長城で最も険しい場所に作られたという「司馬台長城」。標高1000m、両側は断崖絶壁。最大傾斜は60度。歴代皇帝が各自で定めた北の国境ラインでもあった。
 北京の西800km。黄土高原には見渡す限り荒涼とした大地が続く。長城が土に埋もれるように残されたいた。さらに西に行った甘粛省の砂漠地帯を貫く長城がある。らくだに乗って訪れたのは一番立派な関所「嘉俗関」。城門の厚みは15m以上。レンガを幾重にも積み上げ、一際堅牢に作られている。4つの楼閣を備え、二重の城壁に囲まれた関所。異民族に対して明王朝が自分たちの力を見せつけるためのものだった。西に7km、切り立った絶壁で終っていた。

●故宮
 岡田理江さんが案内。明と清の時代に故宮は紫禁城と呼ばれた。映画「ラストエンペラー」は実際に世界遺産の故宮で撮影された。わずか3歳で即位した皇帝に数千人の臣下がひれふすシーンは圧巻。長い赤い壁を伝っていくと天安門に到達した。門の奥行きは27m。当時、故宮は紫禁城と呼ばれていた。この先には庶民は立ち入ることはできなかった。次の門は端門。次は午門で、これが正門。4つ目の門である太和門をくぐると皇帝が政治をつかさどった中心部。映画で使われたのは太和殿広場で、3万平方m(野球場が2つ入る)。
 正面には太和殿、高さ35m、幅60m、現存する中国最大の木造建築。玉座は金ではられていて、龍が彫られている。天井には龍がいて、龍の口には丸い玉がぶら下がっている。もし天命を受けていない皇帝が玉座に座ると、たちどころに龍が玉を落とし殺してしまうという伝説が残されている。屋根は瑠璃瓦で皇帝専用。軒先には不思議な形をした動物などが並んでいる。
 清朝第6代皇帝の乾隆帝は、故宮で暮らした26人の皇帝の中で最も絶大な権力を奮った人物。清は中国東北地方の民族が起こした王朝で、乾隆帝は10回に渡る大遠征を重ね、万里の長城を超える巨大国家を作り上げた。現在の中国+モンゴルほどの領土。文化や芸能も好み、宮廷に暢音閣という舞台を作った。ここで生まれたのが京劇。この時代に北京ダックが生まれた。アヒルを焼く炉は西域のもので、中央アジアから北京に伝わった。脂ののったアヒルは江南地方で盛んに食べられていたもの。食材を小麦粉の皮で巻くのは、山東省の伝統。これらが融合してできたもの。故宮の一角に乾隆帝が好んだという場所「三希堂」がある。わずか3畳ほどの小さな部屋。乾隆帝は宝物の収集にも取り組んでいて、三希堂はお気に入りの宝物を観賞する場所だった。明の時代の傑作の磁器「青花梵文大壷」には、仏や菩薩の名前がチベット文字で記されている。清の時代に作られた花瓶は、二重構造になっている。玉おう(おうは王へんに黄)は赤味を帯びた玉。国家清史編纂委員会の朱誠如さんが説明してくれました。
 1912年、辛亥革命により皇帝溥儀が退位し、清王朝は滅亡した。滅亡後、故宮博物院と名前を改めた。現在多い日には1日10万人の観光客が訪れる。

 現在、中国はGDPでフランス、イギリスを抜き去り、世界第4位の経済大国となった。


テレビ番組「黄山をゆく」

 2008年2月10日放送。黄山は神奇な山として人々を魅了してきた。1990年に世界遺産。黄山三奇は雲海、奇松と怪石。配給は放送番組センター(BSジャパン製作)。

●黄山市
 安徽省南部にあり、上海から350km、人口は142万人。宋や明や清代の遺跡が残り、観光都市として注目されている。
 老街は南宋時代の雰囲気をもつ古い商店街。何代も続く店が独特の軒を重ねている。

●宏村
 南西にある安徽省い県(いは黒へんに多)は最も古く、秦の始皇帝の時代まで歴史は遡る。宏村は桃源郷と称えられる古民家の村落。牛影村落は中国古来の建築思想に基づいて建てられた村落は牛の姿に配置されている。

●黄山
 「黄山を見ずに山を見たとは言えない」と言われる。1800mを越える三大峰を中心に72の峰からなる。黄山という名前は、唐の玄宗皇帝がこの地を訪れた際に、名づけたと言われる。不老不死の黄帝?がこの地で不老不死の薬を得たから、黄山とした。黄山には3ヶ所のロープウェイがあり、まずは東側のロープウェイで上がる。
 一瞬たりとも同じ風景を見せない。それは雲海と湧き上がる霧のせい。ロープウェイを降りると待ち受けているのは、雲海、奇松と怪石の三奇の世界。
 はるか遠くに見えるのは、「十八羅漢」という奇岩。羅漢とは最高の修行をした聖者。その厳しさが伝わる。「丞相観碁」うさ帽?という帽子をかぶった大臣が碁を見ている様子。見事な命名です。「猴子観海」はサルが海を見ている様子。
 全体の石段の数はあまりにも多く数万段といわれている。その石段を年間百万人という観光客が上り下りする。荷物などはポーターたちの人力で運びあげる。それも環境保全のため。石も黄山以外から運ばれて築かれた。
 唐代の詩人李白は黄山を蓮の花に例えた。「黄山四千仭、三十ニ連峰、丹崖挾石柱、○○金芙蓉」(○は草かんむりに園かな?、次の○は草かんむりに刀の下に白?)。芙蓉は美人のこと。なかなか姿を見せないのを美人に例えたのか?

 黄山の雲海は見ることはできるが、求めることはできないといわれてきた。まさに雲海に出会うのは運。雲海に出会った人は運のよさに心から感動する。昔は水墨画で描いた。昔から多くの画家をひきつける。明代には黄山画派という流派も創出した。王子江さんは現代の中国水墨画壇を支える。やはり黄山に魅せられたという。王さんは日本語も達者。

 黄山は2〜3億年前、海底が隆起して山になり、氷河期の終わりと共に山肌が削られ、風化しこの景色が現出したと言われている。その峰の頂上で空を見ているのが、「天狗望月」。天狗とは神話上の犬。「夫婦相談岩」。「仙人晒靴」は仙人が靴を逆さに干した様子。黄山で一番有名な岩は高さ12mの「飛来石」。天空に開いた穴を埋めるために仙人が投げた岩のかけらが落ちて突き刺さったという岩。
 登ってきた観光客が必ず足を止めるのが、「排雲亭」。ここの売店で一番人気は、錠前に家族の名前を彫ってくれるもの。これを手すりに止める「遠心鎖」には錠前がずらり。1個10〜20元。錠前を留めたら、カギは谷に投げる。

 黄山の気温は麓と山頂では10度くらいの差がある。麓は亜熱帯、中腹は温帯、頂上は寒帯と大きく変わる。それだけに様々な植物が観光客の目を楽しませてくれる。中でも目を奪われるのは奇松といわれる黄山松。他の地にはない松が岩の間に生えている。根から酵素を出して岩を溶かし、それを養分にしている。その松にも様々な名前が与えられている。筆の先に見える「夢筆生花」は、1970年代に枯れてしまい、プラスチックで修復している。
 黄山三奇はどれか1つが欠けても黄山の魅力を半減させる。

 黄山の北側奥深くには大平ロープウェイがあり、その先にある松谷風景区に行ける。黄山は北と南に流れる川の分水嶺になっていて、北に流れる川は揚子江に合流する。その源流近くにあるのが翡翠池で、岩肌を縫って流れる水は、この池で太陽の光を浴びると翡翠のような色に変化し輝くという。
 さらに北へと下ると、田や畑の広がる中国の原風景のような景色が広がる。
 黄帝源という新名所の誕生を祝う祭りに出会った。主役は黄山の名前の由来となった軒轅黄帝。不老不死の薬を手に入れた黄帝の像ができていました。


テレビ番組「世界ネイチャー紀行 新疆ウイグル自治区」

 2008年2月9日放送。ワールド・スタッフ製作。

●ウイグル
 中国最大の自治区。国土の6分の1を占める広大な大地がタクラマカン砂漠。砂漠は日本とほぼ同じ面積で世界第二位。東にウルムチ、トルファン、砂漠の北西にカシュガル、南西にホータンがあり、砂漠の南はコンロン山脈。東西貿易でシルクロードで栄えた。

●ウルムチ
 ウルムチは世界で一番海まで遠い都市といわれ、2500km以上離れている。馬車タクシーも現役。ロバが力を発揮し、駐ロバ場まである。民族衣装を着ている人が多い。漢民族、トルコ系のウイグル族、カザフ族などが暮す。

●ホータン
 最初の目的地はホータン。ポプラ並木が町の入口。シルクロードで名高い西域南道?最大のオアシス都市。三蔵法師も旅の途中に立ち寄ったという。町の中で一番賑やかな場所がバザール。日曜ともなると1万人の人で賑わう。シシカバブを焼いている。羊の肉はイスラム教徒にとって一番のご馳走。焼き卵のお店もある。肉入りのナンはみんなの大好物。路上の理髪店も大繁昌。古のシルクロードの面影を残す店もある。絹織物は品質も柄もいい。ホータン絨毯は2000年の歴史を持ち、色も柄もいい。

●大河沿
 ホータンからヘイア川?を北上し、タクラマカン砂漠にある村「大河沿」に到着。砂漠に生きる人の限界。住民は3家族15人ほど。家は砂漠に自生するタマリスク?という木の枝と泥で作られている。客用の布団は必ずある。土を掘ると水が出てくる。家畜も羊を飼っている。村の回りには畑にするような場所はない。晩御飯は羊の肉の塩茹。砂漠で大雲という漢方薬の原料を干している。貴重な収入源。村の周辺には「胡楊樹の森」もある。胡楊樹は乾燥に強い柳科の植物で、塩分を葉などに蓄えている。砂漠にはクモ、トカゲ、体重3gのコミミトビネズミなどがいた。

●コンロン山脈
 途中からは車が使えない。ロバの背に荷物を載せて進む。標高5000mを越える峠が最大の難所。ロバの死骸もある。ここを越えると幻の湖がある。標高4600mにある。時速100kmで走るというチベットガゼル、体重が500kgにもなるという野性の牛ヤク、ラサノウサギがいた。湖を囲むコンロン山脈は5年周期で大雨と大雪に見舞われる。その翌年は数多くの湖が姿を現す。湖畔には塩の結晶がでていた。かなりの塩分濃度だが、ヨコエビの一種などが生息している。渡り鳥たちの休憩地でもある。

 さらに下った標高2600mにある秘境の村プル。山岳民族の村で1000年以上住んでいる。ポプラを植林している。家は土でできている独特の住居。人口は1000人で、のんびりした村。滅多に外部の人が来ない。子供たちはハンチン帽のような帽子をかぶっている。女の子はスカーフ。羊の毛を刈って糸を紡いで機を織る。寒さを防ぐために土壁は厚い。家の前には用水路が流れている。体を洗うのも食器を洗うのもこの水。飲み水は一番上流で、女性が毎日運ぶ。1軒の雑貨屋では、人気商品は飴。学校はウイグル語で、外で行なうことが多い。イスラム教徒が多く、毎週金曜日は大礼拝の日で、夕方4時からの礼拝には多くの人が参加する。
 畑では小麦と野菜を作っている。脱穀は牛とロバを使う。一番の収入源は羊で、遠くまで何日間も放牧に行く。村人は歌と踊りが大好き。


テレビ番組「地球街道 村田雄浩さんで九寨溝、蜀南竹海」

 2008年2月2日、9日放送。

●成都
 朝、饅頭(マントウ)は小麦粉に酵母を混ぜ発酵させ蒸したものをいただく。1個5角(8円)。ゆで卵も5角。お粥もいただいて朝食としました。
 公園のような場所でアスレチックをしている人がいる。カラフルな器具です。路地を箱を持った人が自転車で移動している。同じ建物に入っていくので、入ってみた。茶館という喫茶店で、おじさんばかりいる。熊澤諭さん(54歳)が教えてくれたのは、みんな自分たちの鳥の声を楽しんでいるという。中国では小鳥を飼うのは、男性の高尚な趣味の一つ。毎朝、集まって小鳥たちの声を競わせている。中でも人気があるのは、画眉鳥で、目の周りが白い。中国では七色の声を出す鳥として古くから愛されている。熊さんは5年で70羽くらい飼ったそうです。

●路上
 成都をでると風景が一変する。山道を川沿いに走る。標高が2000mを越えた。湖のある景色が素晴らしい。

●茂県
 宿泊をした。広場にみんなが集まって、盆踊りみたいに踊っている。健康のためだそうです。

●路上
 チベット族の村が点在する。チベット仏教のお寺「○米寺(○は乃の下に小)」に寄ってみた。赤い衣を着たお坊さんです。マニ車もある。たくさんの経文が入っていて、1回回るとお経を1回読んだことになる。これで過去の過ちを清める。
 道路にヤクの群れがいた。

●九寨溝
 3つの大きな渓谷があり、114の湖と沼、17の滝が宝石のように連なる。1992年世界遺産。九寨溝の中で最も小さい湖、五彩池。見る位置や太陽の光によって七色に変化する。鏡のようでいて、湖の底が見える。
 雪解け水が長海に溜まり、そこが主な水源となっている。急な流れの中にどうして木々が生えるのかが不思議。九寨溝一美しいといわれているのが五花海。生い茂る藻や湖底に沈んだ倒木が幻想的な模様を作りだしている。五花海は神の池とも言われている。
 幅200mの水面を水が勢いよく流れ落ちる珍珠灘。珍珠とは真珠のこと。その水のしぶきが真珠のようにきらめくことからその名がついた。この斜面の先には、滝となっていた。幅163m、最高落差40mの珍珠灘瀑布。
 こういう物語のように続いて見せてもらえる風景は日本にはないかな。とても良質な物語を見せてもらったかなと村田さんは語った。
 入場制限、車両の制限など環境を保護しています。

●黄龍渓
 成都の南にある町。清の時代に作られて町並みが残されている。町外れの店の前にバーベルが置いてある。上げてもお金はあげないが、上げられなかったら、5角下さいと書いてある。40kgだそうです。挑戦したら5回上げろといわれたが、できました。66歳のおじいさんがやるから20元くれと言われた。
 喫茶店に行く。お茶「竹葉青」はガラスのコップに入ってきた。20元(300円)。表面を葉が覆っているので、飲みにくい。茶葉が沈んでから飲むそうです。その間に、「耳かきいかがですか?」と日本語。結構気持ちいいそうです。仕上げは音叉を使って、振動を耳かき棒に伝えるマッサージ。熟練の技。料金は5元(80円)。
 ここから竹の海までは300km。

●四川省南部の瀧頭鎮
 小さな村。みんな路上で商売しているのが面白い。床屋さんも。活気があるけど、みんな無表情。籠を担いでいる人が多い。

●宜賓
 長江の港町。夜の「自由市場」に行く。マネキンに驚く。魚屋さんには川魚、ザリガニ、カエルまで。四川省だから一番辛いものを食べたいと思った。「燃麺」が辛いそうです。麺と青菜を茹で、そこに唐辛子やラー油などをかけ、混ぜるだけ。3元(50円)。辛くなくて美味しいそうです。

●蜀南竹海
 宜賓の南。ガイドブックによると「中国最美的十大森林」と書いてある。ロープウェーで移動するが、下から向こうまでずっと竹の山。総面積120平方km。三県にまたがって竹が群生している。このあたりは夏は涼しく、冬は温暖、年間を通じて湿度が高く、竹の生育に適している。3000年も前からあることは知られている。「天下の翠」、「竹波の万里」と人々は称えた。
 絶景ポイントに行ってみた。竹の丘が亀の甲羅に見えることから、百亀拝寿といわれる風景。丘の間に田んぼが見えている。とても面白い風景です。
 竹のトンネルを車で通過。幻想的です。

●青龍湖
 対岸に人が住んでいる。竹の筏が並んでいる。自分で漕ぐようです。対岸に着いてから民家を訪ねた。竹でイスを作っていたのは、揚延召さん(55歳)。家具は全部竹でできている。寝室の壁も竹。床には竹で編んだ敷物。天井も竹。通気性がいいそうです。昼食をいただいた。冬に採れるタケノコは春のものより身が詰まっていて甘くて美味しいそうです。竹筒で焼いたご飯。お釜で炊くよりも美味しいそうです。おこげも美味しい。
 竹林の中を歩く。落ち着くそうです。空気も美味しい。


テレビ番組「うどん王子ナンチャンが讃岐うどんのルーツ、中国まで行っちゃいました」

 2008年2月2日放送。南原清隆、松本明子、ゴルゴ松本さんが旅をした。讃岐うどんの小麦粉のDNAと中国の分のDNAが同じらしい。ルーツは弘法大師が中国から持ち帰った麺料理にあるという。KSB瀬戸内海放送製作。

●讃岐うどん
 6つの条件を満たさないと讃岐うどんとは呼べないという。小麦粉は中力粉を使う。「土三寒六」は夏(塩1に対して水3)、冬(塩1に対して水6)の割合で小麦粉の塩加減を決めること。足踏みで腰がでる。数時間寝かせた後に麺棒で伸ばしながら切り、冷水でしめる。シルクロードならぬ麺ロードを訪ねる。

●西安
 城壁は1370−1378年に作られたもの。周囲の長さは東西14km。秦の始皇帝が紀元前221年に都を置いてからの中心地。麺料理は西安だけで30種類以上あるという。
 20年以上前からある市場。麺のお店「麺館」で一番人気の○麺(○は手へんに止)(ツァーメン)をいただいた。小麦粉が主原料で、うどんとの違いは麺の太さとコシ。辛くはないそうです。次の岐山麺はコシもあるし、光もいいが、少し細くて平たいそうです。ラーメンに使うかん水を使っているそうです。
 次の「老魏麺館」では、その日出す麺は全て手打ちで作る。作り方は見える。6種類作ってもらって、「手工麺(ぷどん)」が近そうに思えた。味は西讃岐地方にある「山下のうどん」に極めて近い味だそうです。ほんのわずか違うのは、塩水を使う讃岐うどんと、塩と水を別に使う手工麺の違いのためか、つなぎが違い、ツルツル感がないそうです。
 弘法大師が祀られている「西明寺」、三蔵法師が祀られている大雁塔に行くが見つからない。
 「西安桃季学院」は麺の専門学校で、2000人が学ぶ。讃岐うどんを食べてもらったら、ウルムチのラグマンや西安のマーチャンリャンピーに似ているという。
 自転車で10分の自由市場に行く。自由市場は長さ1km、約1500年前からあるという西安市民の台所。マーチャンリャンピーは似ているが、食感が違うそうです。お米が入っていた。
 別のところで、ウルムチの南山牧場にこの麺があるという。

●ウルムチ
 西安から飛行機で3時間半。中国で一番内陸にある都市。40を越える民族が暮らしている。
 南山牧場に到着。074番地?の家に行く。張樹貴(チョウ・シュウグイ)さんと姉の張メイ春(チョウ・メイシュン)さんがラグマンを作ってくれた。「水に塩を入れ、中力粉の小麦粉を使う」のは讃岐うどんと同じ。塩の量は寒くなると減らすそうですが、これも同じ。手でこねて10分寝かせます。待っている間に、隣の家の呉シュクランさんのお宅に行った。ラグマンの基本は、茹でる時も一度差し水を入れ、もう一度沸騰させてから指で上げる。これも全く同じ。最後に水の中に入れるとコシがよくなると言うのも同じ。
 味わってみた。全く同じだそうです。ラグマンの食べ方は、茹でた麺と様々な味付けの具材をお皿の上で混ぜながら食べるのがウルムチ流。讃岐うどんを食べてもらいましたが、同じと言われました。歌を歌ってくれました。


テレビ番組「探検ロマン世界遺産 中国の九寨溝」

 2008年1月19日放送。鹿島綾乃さんが案内。その水はどこまでも透明。棚田のように並んだ湖。上の湖からあふれ出た水が下の湖に流れていく。水と森の奇跡と言われる九寨溝。NHK製作。

●成都
 四川省の省都。三国志の時代には蜀の都が置かれた歴史ある町。九寨溝はここから北に450km。今回は道路を行った。バスで6時間半で半分。車はあえぎながら標高2000mまで一気に登る。14時間で入口の村に到着。

●九寨溝
 四川省にある。大小100余りの湖が棚田のように続く。自然保護区として守られているのは720平方kmで、東京23区よりも一回り広い。九寨溝とは九つの村がある谷という意味。チベット高原から移ってきた人たちの村が点在していたことから名づけられた。今でも谷のあちこちに少数民族の人々が暮らしている。
 村に到着すると川が2つ合流している。一方は九寨溝からの流れで透明度が高く、片方は白水江で少し濁っている。九寨溝の標高は2000〜4500m。総延長50kmほどのY字型に伸びた谷。  中に入ると低公害車で移動。「樹正群海」は海子(パイズ)と呼ばれる小さな湖が棚田のように続いている。紅葉が真っ盛り。錦繍(きんしゅう)の秋という言葉がぴったり。水は清く、湖の中の倒木が見える。上の湖からあふれ出た水は森を通って下の湖に流れる。漣(さざなみ)に太陽の光が反射して、火花のように見えたことから火花海と名づけられた湖。落差が大きく滝となっているところもある。「樹正瀑布」という滝。
 自然保護区管理局研究員のジェン・代君さんに話を聞いた。元は一つの湖だったが、地震で土砂が流れ込んだ。水には大量の石灰が含まれており、土砂に石灰が付着して長い年月をかけて成長し、湖を仕切る土手となった。土手の部分が白く見えるのは石灰のため。臥龍海は石灰部分が龍の姿に見える。
 谷の一番上流にある長海。標高は3000mで九寨溝で一番大きな湖。このあたりの山は石灰岩でできている。その山を氷河が削ってくぼ地ができ、そこに水が溜まったのが長海。これが九寨溝全体の水源になっている。長海のすぐ下にある窪地で毎年不思議なことが起こる。雨季の夏に長海の水面が上がると窪地のあちこちから水が湧き出す。秋には見事な湖に変化する。これは上季節湖、下季節湖と呼ばれる。さらに「珍珠灘」では水が緩やかな斜面を流れ下る。しぶきの一粒一粒が真珠のように見える。逆に鏡のような湖面から鏡海と名づけられた湖もある。鏡のように対岸の景色を映します。
 九寨溝の近くでは貝やサンゴの化石が見つかる。かつては海の底だった。貝やサンゴが石灰岩となり、地殻変動で押しあがったもの。氷河が流れては止まり、流れては止まりを繰り返し、土手ができた。水が流れ、土手にぶつかると水と石灰が分離し、土手となることを繰り返した。
 五花湖は石灰の影響がハッキリわかる。色が何種類にも見える。水底に生えている藻の種類が違う。九寨溝全体で300種類確認されており、この湖では100種類ある。湖の底に穴が見えるが、ここから石灰を含んだ水がどんどん湧き出している。7年前にNHKは世界で始めてこの湖の水中撮影をした。穴の中が真っ白なものがある。この白いのが石灰。倒木が横たわっていた。その表面を石灰が厚く覆っていた。これは石灰の花「石灰華」とよばれ、この倒木はサンゴのように見える。たくさんの魚がいた。嘉陵裸裂尻魚という魚一種類だけが九寨溝に住む。
 土手には落ち葉がひっかかっているが、流れない。張り付いたまま。石灰に取り込まれている。その結果、水は浄化され透明度を保つ。

 多くの新婚さんが写真を撮っている。行く手に村が見えてきた。流れの中に布がつかっていた。文字が書いてあるが、お経。小屋の中では水車が回っている。裸麦(チンクー)をひいている。マニ車も回っています。回転させるとお経を読んだのと同じ功徳があるという。さらに奥の村を訪れた。村長のマ・ツーさんのお宅でバター茶をいただいた。塩からいそうです。伝説では、「男の神様と女の神様がいた。喧嘩をして男が負けたので、怒って山を蹴飛ばした。崖崩れが起き、たくさんの湖ができた」そうです。
 山の斜面には様々な希少動物が暮らしている。センチクという竹が豊富なのでジャイアント・パンダも生息する。孫悟空のモデルとなったキンシコウもいる。絶滅に瀕している。

 「諾日朗瀑布」の諾日朗(ノーリラン)とはチベット語で大きいとか立派という意味。幅300m、落差25mの九寨溝最大の滝。
 森の木々はどうして生えているのか。研究員の朱忠福さんに教えてもらった。流れてきた種が「石灰か」の中にひっかかって、そこで成長したという。「石灰か」は空間が多いので、一旦根を張ると押し流されてしまうことはないそうです。さらにこの環境に適応するために、体の一部を変化させ、水中根という赤い根がでていて、養分を取り込んでいる。

 「五彩池」はとびきり透明度が高い。水の深さは30m。その底が手に取るように見える。大自然の芸術。太古の海の底で生まれた石灰。隆起し、氷河が削り、豊かな水と植物の力まで加わって完成された奇跡の造形。


テレビ番組「路面電車紀行 アジア・オセアニア編 中国の大連」

 2008年1月19日放送。番組放送センター配給。トーキョー・ビジョン製作。
●大連
 遼東半島の最南端に位置し、東に黄海、西に渤海を臨む大連。地の利を生かし、日本を始め多くの企業が投資し、北の香港として発展している。
 中山広場を中心として町のメイン・ストリートが放射線状に広がっている。広場の回りにはヨーロッパ風の建築物が多く、大連の見所となっている。市内にはロシアの占領時代に建てられた建物が多く見られる。2000年にはロシア街をオープンした。歩行者天国になっていて、両側にはレストランや土産物店が並ぶ。
 一番大きな海浜公園は日本統治時代の1909年に作られた。多くのモニュメントが点在している。周辺にはリゾート・マンションや博物館があり、市民の人気スポットとなっている。
 人民広場は大連を代表する広場。広場の北側に大連市人民政府がある。

 路面電車は昔の上野駅をモデルにしたといわれている大連駅を起点としている。路線は3系統あり、路線距離は14.7km?。運賃は約15円で、運転手はほとんどが女性。路面電車は日本の統治時代に敷かれたもので、今でも日本の車両が走っている。
 最近はヨーロッパ型新型車両が続々と登場している。近いうちに路線も延長されるらしい。最近は専用線路を走っている。
 今では大連は路面電車の成功例としてよく知られるようになった。最近は車体を明るい色にして、広告で収入を得ている。
 大連は中国のシリコンバレーと呼ばれている。


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