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なお、これはわたしが個人的にテレビを見て書いたものであり、各テレビ局や番組とは全く関係はありません。
すべての文章の無断使用・転載を禁止いたします。
またここの情報を使って、何か問題が起こったとしても私は一切責任は持ちませんのであしからず。


テレビ番組「世界の果てまでイッテQ! 心に残る温泉ベスト5」

 2009年11月29日放送。森三中の世界の果て温泉同好会による、2年間で数々の温泉に入浴した中から心に残る温泉ベスト5を発表した。イモトさんも出演。日本テレビ製作。

●5位
 インド「美の温泉ツアー」。ラジェンダー・シンさんの案内で出発。まずヨガ。ヨガ歴50年のティラトゥラム・バトラさん(78歳)による指導。肩立ちのポーズ、笑うヨガ。笑うヨガは今インドで一番人気。鼻クリーニング。
 美のスペシャル・ドリンク。飲んだ後に紹介されたのは、「牛のおしっこ」。インドでは神の使いとされる牛の尿は、何にでも効く薬として珍重されている。お求めの方は、インドの薬局で買えます。
 ブンタルに行って、マニカラン温泉に行くバスは既に満席。バスの屋上が空いているというので、乗る。道路のすぐ横は崖。2時間で到着。
 マニカラン温泉広報担当のアラビンダル・シンさんが町外れの川湯に案内。

●4位
 メキシコ「激辛温泉ツアー」。36度でハバネロ入りの辛い料理をいただく。「豚肉のハバネロ・ソース煮込み」。「マンゴーとハバネロ」をいただいた。メキシコではフルーツに唐辛子を加えるのは一般的。
 メキシコでは、生のイモムシを食べるそうです。高級食材です。
 イルカと触れ合う体験もしました。
 川の中に温泉があった。滝の裏にまわると天然のうたせ湯もあった。

●ジャマイカの地獄温泉
 洞窟?の中の温泉に入るが、ぬるい。するとガイドがライターで水面に火をつけた。可燃性のガスが噴出する天然温泉でした。

●3位
 トルコの「うらやましくなる温泉ツアー」。ガイドはアリさん。まずハマムに行く。湯船がない。職人さんに体のすみずみまで洗ってもらえる。まず泡だらけにして、全身マッサージ。アカスリ。頭のてっぺんから足の先まで洗う。女性の場合は職人さんも女性だそうです。
 ベリーダンスのショーに出演。ナイトクラブ「スルターナス」です。まともな踊りではなかったが、お客にはうけました。
 世界遺産パムッカレに行く。トルコ語で「綿の宮殿」を意味する。幅1km、高さ200mにもなる。お湯は35度。青空の青によって青くなっている。夕暮れにはオレンジ色になりました。

●2位
 アメリカの「冒険温泉ツアー」。ラスベガスから自転車で荒野に行く。スカイダイビングの練習をする。インドア・スカイダイビングは下から吹き上げる風にのるもの。1回約7500円。
 スカイダイビングに挑戦。高度4500mから降下。時速200kmで垂直落下。
 とっておきの天然洞窟サウナ。温泉の流れ出す洞窟。90年前にトンネルを掘ろうとしたが、温泉が沸き、工事が中止されサウナになった。

●パプア・ニューギニアの大爆発温泉
 ガゼル半島のカブルブル火山は活火山。周囲は火山灰が降り積もって、枯れ果てた木々が立つ。まず温泉卵。そこを掘るとヘビの卵だと思ったが、ツカツクリという鳥の卵がでてきた。この卵は世界一美味しい卵といわれている。割ってみると9割が黄身で、半熟状態。甘くて濃厚だそうです。
 温泉は海岸沿いが熱い。海側に行くと温度が下がる。

●1位
 アイスランド「湯めぐりツアー」。まず青いサンゴ礁温泉「ブルーラグーン」。世界最大級の巨大露天風呂。源泉は地下2000mから汲み上げた高温の海水。温泉施設だけでなく、ビニール栽培や一般家庭の暖房用としても利用されている。温水マッサージは30分約5000円(入浴料込み)。
 洞窟温泉に入る。お湯がとても透明。50度以上らしいです。出川さんはこれに入りました。
 地球の裂け目「ギャウ」温泉。この場所は秘密。あまり立ち入ってほしくないかららしい。裂け目の崖の下15mらしい。青い色で39度。
 世界最大級のゲイシール間欠泉。間欠泉は地下に溜まったお湯が地熱によって噴水のようにある一定周期で吹き上がる現象。湯柱の温度は97度〜100度で、シャブシャブの温度と同じ。この間欠泉でシャブシャブに挑んだ。箸もマジックハンドもダメだったので、釣りざおでやってみたら、成功したが、熱水を頭からかぶりました。


テレビ番組「THE 世界遺産 タージマハル」

 2009年11月22日放送。

●アーグラー
 インドでは8割がヒンドゥー教徒だが、アーグラーにはイスラム教徒の方が多く住む。町の中心にある金曜モスク。イスラームの人は1日5回決められた時間に神を礼拝する。日々大気汚染が深刻な町なので、観光客の移動には電気自動車が用いられている。
 皇帝が亡き妻に捧げた証し。世界で最も美しい墓タージマハルがある。
 死者の魂がやがて生まれ変わるというので、インド人は墓を建てる習慣がなかった。墓を建てさせたのはイスラームの文化だった。インドに進出したイスラーム文化。ムガール帝国の第5代皇帝シャー・ジャハーンが、350年前に築きあげたタージマハルもそんな墓の一つ。

 まず出迎えるのは「門楼」。赤い部分は砂岩で、アーグラーの近郊で産出する。タージマハルを訪れる人は、毎年400万人。門をくぐると人々はみんな息を呑む。完璧な左右対称が醸し出す美的調和。さえぎる物のない視線の先に純白の巨大建築が聳える。これは白い大理石で作られた巨大な廟。墓の上に作られた建物を廟と呼ぶ。基盤だけで高さ7m、ドームの頂きまで67mある。
 タージマハルの両脇にはモスクと迎賓館がある。前面には十字の水路を持つ庭園がある。それを高い塀が取り囲んでいる。
 作られたのは、フランスのベルサイユ宮殿とほぼ同じ時期。建設には莫大な費用が投じられた。のべ2万人が集められ、15年を費やして庭園を含めた全体が完成した。
 墓の西側にある建物は、今も金曜日にはイスラム教徒が集まり、ここで礼拝をする。
 タージマハルは比べるものがない傑作として、1983年世界遺産に登録された。その特徴は、内部の美しさを大切にしたイスラーム建築がインド化し、類稀な外観の美しさを獲得したこと。墓には、機能的にはまったく意味のないもの、必要ではないものまで、外観の美しさを重視したあまり取り入れられた。例えば屋根としての巨大なドーム、墓の4隅にあるミナレットという塔。これもモスク以外には必要がない。もしこうした部分をなくしてみるとどうなるか?
 この建物は一人の女性に対するものだった。ムガール帝国の第5代皇帝シャー・ジャハーンと妻ムムターズ・マハルの出会いは年に1度開かれるバザールだった。この催しは日頃話ができない男女が気軽に話ができる唯一の楽しみだった。12歳のムムターズの前に立ち止まったのは、15歳の王子だった。彼はただのガラス玉を手に取り、黄金がつまった袋を渡したという。そして2人は結婚した。
 ムガール帝国の皇帝たちが暮らしたアーグラー城。赤い砂岩で築かれたこの城も、もう一つの世界遺産に登録されている。ムガール帝国はヒンドゥー教や仏教の教えなど、インドにあった伝統を巧みに取り入れ、独特なイスラーム建築を生み出した。ムガルとは「モンゴル」のこと。16世紀、中央アジアから攻め入ったイスラム教徒たちは、ムガル帝国を起こし、インドの大半を手中に収めた。シャー・ジャハーンはその絶頂期に皇帝になった。
 ムムターズのために、シャー・ジャハーンは赤一色だった城内に、華麗な神殿を建てた。使ったのは白い大理石。それは遠く離れた土地でしか取れない貴重なもの。さらに妻のために部屋を美しく飾りつけた。
 タージ・マハルのすぐ南に昔ながらの古い街がある。そこに暮すのはイスラム教徒たち。男性の多くは象嵌細工の職人。象嵌細工とは、大理石などに色とりどりの色や宝石をはめこんで、美しい絵や模様を表わすこと。これは気が遠くなるような細かい作業。そんな職人達がタージマハルの近くに暮すようになったのは理由がある。象嵌細工は建築にも使われた。
 イテイマード・アツダウラ。壁面を飾る幾何学模様「アラベスク」は、色のついた大理石を一つ一つはめ込み、描きだされた。こうした技術が最高峰に達したのがタージ・マハル。純白に輝く大理石にはめ込まれたのは、ヒスイ、水晶、ルビー、サファイア、トルコ石など。世界各地から取り寄せた宝石が花を添えたといえる。集められたのは宝石だけではない。職人たち。
 タージ・マハルに隣あった地で、象嵌細工を営むアビット・カーンさん。石を削るヤスリで、指はいつも深爪状態。しょっちゅう血がにじむとか。アビットさんの一族はタージマハルができた頃から、この地に移り住み、多くの仕事をしている。
 タージ・マハル近くに最近オープンした人気の劇場がある。ここでは毎日、皇帝と王妃の物語を劇で行なっている。2人は14人もの子供に恵まれた。妻を亡くした悲しみを墓を建設する情熱に換えた。妻との約束は、世界のどこにもない美しい墓を建てるというもの。1643年に完成したタージマハル。天文学的な建築費により、国の財政は逼迫した。シャー・ジャハーンは息子によってアーグラー城の一室に閉じ込められた。妻の墓とも引き離された。遠くタージマハルを眺めるだけの晩年を過ごすことになる。
 大理石の縁石が切られていた。タージ・マハルには白い大理石が使われた。建設中の寺院「スアーミ・バーグ」。インドのイスラム建築の技法を引き継いだイスラム建築は、その技法を持っている。美しい建物を建てようと、既に建築が始まっている。既に100年。タージマハルが建設された時代には、近代的な工具はなかった。スアーミ・バーグの完成には、それでもあと30年はかかる。
 幽閉されて7年後、シャー・ジャハーンは亡くなった。彼の亡骸は、タージマハルに眠るムムターズのすぐ横に埋葬された。二人にとってそこは永遠の愛を誓う安息の地となった。巨大な墓の前に広がる真四角の庭園。水路が交差するように作るのは、イスラームの理想の庭。タージ・マハルの庭も理想の庭を地上に再現したものと思われた。果樹や草花が生い茂っていたという。
 現在、芝生となっている庭は、イギリス植民地時代に植え替えられたもの。古い文献を手に、かつての庭園を復元する修復が2年前から始まっている。植え直されているのは、レモン、ザクロなどの果物の苗。


テレビ番組「THE 世界遺産 インドの花の谷」

 2009年10月25日放送。ナンダデヴィと花の谷国立公園。

●ナンダデヴィ
 インドと中国の国境地帯に一際リンと聳える山がある。標高7816mのナンダデヴィ(祝福された女神)。現在山への立ち入りは堅く禁じられている。そこには独自の生態系があり、絶滅が心配される雪生姜?などがある。
 麓の村にナンダデヴィを崇める山の民が暮らしている。標高3500mの「花の谷」は夏に高山植物が咲き乱れる。幻の花が咲く。

●花の谷への旅
 インド北部の古都「リシケシュ」から始まる。ここはヨーガの都。ヒマラヤへの玄関口として賑わう。ガンジス川では沐浴をする人が絶えない。ここからヒマラヤに向かう。
 道はたった1本。険しい山道しかない。ドライバーは地元出身のラメッシュ・シングさん。ヒマラヤの山道を走るには特別な免許が必要。花の谷までおよそ300km。運転席の窓の上に1枚の絵があった。シヴァ神と妻パールバティ神で、二人に見守られていると、安全に運転ができるという。ガンジスの流れはシヴァ神の頭から始まるとされている。パールバティこそがナンダデヴィに住むという神様。目指す「花の谷」はナンダデヴィから北西に20kmの山間にある。
 快調に走っていると、前方に車が何台も止まっていた。この先で崖崩れがあったという。しかしインドの人は慌てない。洗濯を始めた人もいるし、食事をする人もいる。1時間待って開通した。このヒマラヤ山麓にはヒンドゥー教の聖地が4つあり、毎日多くの巡礼者が行き交っている。崖の下にはガンジスの支流。
 山間の町「ゴビンダガート」に到着した。車が入れるのはここまで。ここから「花の谷」までは馬で5時間、さらに歩いて2時間の道のり。行く手には、ヒンドゥー教の一派シーク教の聖地があり、しばし巡礼と一緒になる。頭のターバンがトレード・マーク。道の途中に茶屋があった。インドの甘く濃厚なミルクティー「チャイ」をいただく。これで体を温めて、またひたすら歩く。標高4300mの地点にシーク教の聖地「ヘムクンド湖」があった。シーク教徒が次々と沐浴を始めた。水温は5度。体を清めてから湖畔の寺院で祈る。ここで礼拝をすることが彼らにとって何よりも喜び。
 そこからまだ歩く。今から70年以上前に、この山に分け入ったイギリス登山家フランク・スマイスが初めて「花の谷」を発見し、その感動を「The Valley of Flowers 」という本に出版し、谷の存在が世界に知れ渡った。

●花の谷
 標高3500m。幅2kmで10キロも続く広大な谷を600種の高山植物が埋め尽くす。後にスマイスは「今までに目にした最も美しい谷である。」と記し、「花の谷」と名づけた。ポリゴナム・モーレ?、インパティエンス?の仲間、リグラリア?の仲間、シレーネ・セディスペルマ?、カマエネリウム・プチフォリウム?。コドノプシス・ロダンティフィリア?などが紹介されました。
 谷には様々な環境がある。エリア毎に適した植物が根を張った。そして夏になると巨大なパレットが出現する。近くの村人は「妖精が住む魔法の園」と呼ぶ。トリカブトの仲間は強い毒を持つが、根をすりつぶした塗り薬は、この地方では神経痛などに効くといわれている。
 何故、花が溢れているのか?秘密は山にあった。谷を囲むのは6000m級の山々で、その氷河が4月下旬頃から溶け出して、谷に流れ込み、植物を養う。立ち込める深い霧が水分を補い、冬は谷を覆う雪が土の中の種を乾燥から守る。雪解け水はやがて大河ガンジスとなる。その源に世にも美しい花園があった。

 花の谷の麓に小さな村「ビュンダー村」がある。人々は牧畜を営みながら、穏やかに暮らしている。山の急な斜面に女性の姿がある。栄養たっぷりの草を刈り、ヒツジや牛に与えている。美味しいミルクをたくさん出す。人々は昔から女神パールバティが住むというナンダデヴィを愛してきた。
 毎年夏の終わりに「花の谷祭り」が開かれる。選ばれた村の男2人が籠を背負って裸足で飲まず食わずで2日間かけて幻の花を摘みに行く。村に帰るまでの間、誰から彼らの体に触ったら、また最初からやり直さないといけない。2人は標高4000mの荒れた山道をゆっくり登っていく。深い霧が立ち込めてきた。その霧の向こうに純白の花が咲いていました。彼らの使命は幻の白い花「ブラフマカマル」の中にいる女神パールバティを村に招待すること。白い部分は実は花びらではなく、葉が変化したもの。中は外より10度ほども温かく、温室のように中の花を守っている。高地には少ない虫を誘いこむことで受粉を助ける役目もある。籠上下いっぱいにして帰宅します。
 一方の村は祭りの最中。二人が帰ってきた。一気に村の寺院に駆け込む。祭壇に花が置かれ、女神パールバティが花から出てくるのを待つ。寺院の外では着飾った女性が歌と踊りで女神を迎える。すると手造りの女神が現われた。山や谷を作ってくれたパールバティを年に1度村に招き、感謝を捧げるのです。
 ヒンドゥーの神話には、パールバティが生まれた日には花が降ったという伝説がある。


テレビ番組「知っとこ!世界の朝ごはん デリー」

 2009年7月4日放送。

●デリー
 日本からは8時間半。インドは人口11億人の国。デリーは一段と近代化が進むニューデリーと、古くからの景色を今に残し、少しレトロなオールド・デリーに分かれる。
 オールドデリーのメイン・ストリート「チャンドニー・チョウク」を歩く。路上で散髪をしている。10〜20ルピー(20円〜40円)。路地裏では耳掃除をしている。5〜10ルピー(10〜20円)。
 ジャマー・マスジットには屋台が並ぶ。時計を水に入れて売っている。防水時計だからわかりやすいという。1個50ルピー(100円)。路上で腕に絵を描いてもらっている人がいる。明日の結婚式用だという。この絵はメヘンディというインドの伝統化粧法の一つで、掌などに描くと雲気を招くという。お祝い事の前に書いてもらう風習がある。柄は自由に選べて、所要時間は15分、100ルピー(200円)。
 屋台のお店に揚げ物などがある。ジャレビーはグニャグニャしているが、小麦粉の生地を直接油の中に直接入れて揚げたものに、表面がカリッと揚がったら、砂糖たっぷりのシロップにじゃぶじゃぶつけるだけ。インドの男性には大人気とか。
 アンクルシュ・ヤダフ?さん(20歳)が紹介してくれたのは、「カリム・ホテル Karim Hotel 」。中はレストランでした。インドではレストランのことを「ホテル」と呼ぶこともあるのだという。ここはカレー専門で、創業1913年の老舗。骨付きチキンを特製スパイスでじっくり煮込んだ「バター・チキン・カレー」170ルピー(340円)はとても美味しいそうです。つけあわせはナンではなく、ロティという食べ物。バターを使っていないので、ローカロリーで女性に大人気とか。
 女性に人気のお店「Sath Clinic 」のアーユルヴェーダの一つでシロダーラという脳のマッサージ。目隠しをして、額の中央に人肌より少し温かい薬用オイルを第三の目に垂らすことで、リラックス状態にし、疲労回復効果があるといわれている、インド発祥の健康法のひとつ。忙しい現代人にいいそうです。1回3000ルピー(6000円)。
 新聞配達のおじさんは新聞を2階とかだと投げている。インドでは大小で1500もの新聞が発行され、人口の6割以上の人が読んでいる。

 新婚さんの朝ごはん。閑静な住宅街に住むプージャ・ナイタニーさん(26歳)が作るのは、1品目「ポハ(インド風ドライカレー)」。細かく刻んだたまねぎを油でさっと炒めたら、角切りしたポテト、グリーンピースを入れさらに炒める。味付けは3種類の香辛料(レッドチリ、ターメリック、ガラハマリラ)。油で揚げたココナッツ、水洗いしたお米を入れ、強火で全体を混ぜる。最後にライムを絞りいれる。
 2品目「ラジマ(豆のカレー)」。フライパンにローリエの葉とシナモン、すりつぶしたにんにくとたまねぎ、トマトを入れぐつぐつ煮込む。香辛料を加え、キドニー・ビーンズという豆を加えて30分煮込む。最後にコリアンダーの葉を入れて完成。
 3品目「ラッシー」。ヨーグルトをミキサーの中に入れ、ローズシロップ、砂糖、水を適量加えてスイッチを入れる。


テレビ番組「世界!弾丸トラベラー 藤井リナ、マリエさんでインド」

 2009年6月27日、7月4日放送。藤井リナ(24歳)とマリエ(22歳)はカレーを食べて、エステをして、タージマハルを見たいという。キャセイパシフィック航空CX509便/CX751便で日本から13時間30分。1泊3日の旅。

●予定
 1日目、9:45、成田空港発CX509便、14:25、香港国際空港発CX751便、19:45、デリーのインディラ・ガンディー空港着。21:30、レストラン「ガラム・マサラ」で夕食。23:00、クラリッジ・ホテルにチェックイン。
 2日目、7:00、ホテル出発。7:15、「アマットラー・スパ」にてエステ体験。9:30、メイン・バザールで朝食&買い物。11:15、ニューデリー駅へ移動。11:30、ニューデリー駅発「ケララ・エクスプレス」でアグラに向かう。14:30、アグラ・カント駅着。駅でガイドと待ち合わせ。16:30、タージ・マハルを堪能する。19:30、アグラ発。
 3日目、3:30、インディラ・ガンディー空港発CX708便、16:10、香港国際空港発CX508便、21:25、成田空港着。

●デリー
 到着すると気温は43度。「ガラム・マサラ」ではカレーだけで24種類。今回は「バラック・バニール(ほうれん草とカッテージ・チーズのカレー)」270ルピー(540円)。「バター・チキン」499ルピー(1000円)はトマト・ベースで鶏肉とバターを加えて、たっぷりの生クリームを入れる。インドでも大人気のカレー。「ゴビ・マサラ(カリフラワーとジャガイモのカレー)」、「マライ・コフター(ひよこ豆とカッテージチーズ入りのカレー)」、「デラックス・ベジタブル・カダイ(野菜のドライ・カレー)」など全部で10種類2952ルピー(5900円)。
 ホテル「クラリッジ The Claridges 」にチェックイン。ロビーでは額にポチをしてもらって、レイをかけてもらった。ホテル代18412ルピー(3.7万円)。マリエさんのスーツケースには麦焼酎「兼八」の一升瓶が入ってました。

 翌朝、オートリキシャでホテル「ル・メリディアン Le Meridien」の「アマットラー・スパ Amatrra Spa 」に向かう。30ルピー(60円)。このスパはインドNo.1にも選ばれた超有名店。ここでアーユルベーダを体験。まず、目を閉じて合掌。「オームー、なんじゃらかんじゃら」と唱える。マントラを聞きながら瞑想から始まる。アビアンガと呼ばれるオイル・マッサージを体験。60分3100ルピー(6200円)。程よい温度に温めたオイルを全身に塗りリラックスさせる。10種類以上のハーブを調合した美肌効果の高い秘伝のオイル。
 メイン・バザールにオートリキシャで移動。ここは食料品や日曜品などが格安の値段で手に入る。露店で「チョーレー・バトゥレー(ひよこ豆のカレーと揚げパン)」をテイクアウト。25ルピー(50円)。揚げパンの中にはチーズと香草が入っていました。美味しいので、「カチョリ・サブジー(野菜カレーと揚げパン)」も追加で食べました。ひよこ豆の方が美味しいそうです。
 シャンパス通りのインド工芸店「マジック・クラフト」に入る。ショールは4枚で2500ルピー(5000円)を2000に値切る。次の店ではバングルを7点1000ルピー(2000円)に値切る。
 5分前にニューデリーの駅に到着。2分前に電車に乗れました。3等車(エアコンなし)はニューデリー〜アグラカント間が150ルピー(300円)。寝台列車でもあるので、昨夜あまり寝てなかったので、横になると3時間はあっという間。

●アゴラ
 気温43度。駅でガイドのツィシャールさん(23歳)と会う。オートリキシャで遺跡に。80ルピー(160円)。まず入場門で750ルピー(1500円)を払う。ここからは徒歩で、3分で右手に壮大な建物、これが正門。そこをくぐるとタージマハルが見える。およそ350年前に建てられたお墓。22年の歳月と天文学的な費用がかかった。総大理石造りの建物で、世界一美しいお墓とも言われている。
 別の場所でタージ・マハルが見られるという。ホテル「シャンティー・ロッジ」の屋上。少し離れていますが、よく見えます。夕陽に映えていました。ここはタージ・マハルが見られるという穴場レストラン「ルーフトpップ・レストラン」でもある。「バター・チキン」100ルピー(200円)は昨日のより美味しいそうです。「バラク・バニール」60ルピー(120円)。


テレビ番組「世界遺産への招待状12 インド」

 2009年6月22日放送。マハーバリプラムの建造物群、ブリハディーシュワラ寺院。

●マハーバリプラム
 南インドのチェンナイから車で南下。マハーバリプラムに向かう。1400年前に栄えた港町。町には32の遺跡があり、世界遺産に登録されている。バスターミナルは世界遺産を見たいインド人観光客でごった返している。子供たちが握手しにくる。南インドの人たちは人懐っこい。トゥクトゥクみたいな乗物で「アルジュナの苦行」に行く。高さ20m、幅37mの岸壁彫刻。ゾウの浮き彫りは実物大。7世紀に作られたヒンドゥー神話の世界。1本足で立つ老人がアルジュナ。戦争に勝つため、神様に武器を下さいと祈願し、苦行している場面。ゾウは武器を手にしたアルジュナを祝福するためにやって来た。ゾウの横には、何故かアルジュナと同じポーズをしたネコもいる。これはユーモアらしい。
 ガイドはミルナリニーさん。「クリシュナのバターボール」は直径5m以上の球状の巨大な岩が斜面でピタリと止まっている。イギリスが統治していた時代に7頭のゾウを使って移動させようとしたがダメだった。1400年前からずっとこの状態でここにある。クリシュナはとてもいたずら好きで、バターが好きな男の子の神様。クリシュナは一説には1.4万人の女性と愛しあったとも言われている。
 この地方の岩は花崗岩で、彫るのはたいへんだが、当為の人たちは果敢に挑戦し、いくつもの寺などを作っていった。その一つが「ヴァラーハ・ケイブ(石窟寺院)」。巨大な岩に深い穴を彫りぬいて作ったもの。この寺院の中にはヴァラーハの物語が描かれている。イノシシの姿をしているのがヴァラーハ神。愛する妻を悪魔から救った一場面。さらに技巧的な寺院は「ガネーシャ・ラタ(岩石寺院)」。直径8m以上の一つの岩をまわりから彫りすすみ、見事な形に削りあげた。中にはゾウの頭を持つ神ガネーシャが祀られている。ガネーシャはシバ神の長男で、幸運の最高神で、災いを取り除いてくれる。つまり父親は創造と破壊の神シヴァ神、母親は愛の神パールヴァティーで、弟はムルガン。ガネーシャは最初は人間の顔だったが、母親がお風呂に入る際に誰も入れないように言ったのを守り父親さえも拒否した。シヴァは逆上して首をはね、母親は元に戻すように頼んだ。そこで最初に会ったものの首をはねて継ぎ足したので、ゾウの頭になっている。
 どう生きるべきか神様が指針を与えてくれるのだとガイドのミルナリニーさんはいう。神様と同じ名前の子供も多い。小学校で聞いてみると、シャクティヴェール(ムルガン神)、ヴェンカテーシュ(ヴィシュヌ神)、ガネーシャが男性、ラクシュミー(ヴィシュヌ神の妻)、ババーニ(パールヴァティー)などクラスの3分の1がそうだった。ガネーシャ君のお宅を訪問した。姉はシャンカリ(パールヴァティー)、祖母はラクシュミー、母はヴァッリ(ムンガン神の妻)。
 ここの世界遺産で最高傑作といわれるのが「ファイブ・ラタ」。5つの寺院があり、別の岩で作られているように見えるが、実は一つの巨大な岩から削り分けられ、彫りぬかれたもの。5つの寺院は様式が異なり、当時の建築様式の見本市のようになっている。茅葺きのような屋根の「ドラウパティ・ラタ」。南インドでよく見られる階段状のトラヴィダ様式の屋根の「アルシュナ・ラタ」。横に長く、農村の家を参考にした「ビーマ・ラタ」。ゾウの姿を真似て作ったという「ナクラ・サハデーヴァ・ラタ」。これらはナラシンハ・ヴァルマン・パッラヴァ王が作らせた。それ以前は寺院はレンガや木で作られていた。パッラヴァ王朝は外からやってきてこの地を支配したので、権威を見せ付けたかったのだろう。岩の多いこの地に適したものとして、耐久性のある花崗岩を選んだ。この地で石を加工するのはたいへんだったはず。職歴40年のロガナタンさんに話を聞いた。当時の石工も服従で仕事をしたのではなく、神様の仕事として行い。作業中は集中し、完成したら喜んだはずだという。
 海岸にある寺院は8世紀に作られた。本尊はシヴァ神の省庁リンガ(男根)である。この寺院の特徴は「石積み」という新手法で作られている点。この画期的な技法の出現により、さらに壮麗な世界遺産が誕生することになる。

●カーンチプラム
 マハーバリプラムから車で1時間、パッラヴァ朝の都が置かれた町。インドのヒンドゥー教七大聖地の一つ。
 年に1度3週間に渡って、神様の結婚式が行なわれる。子供たちにひかれて山車に乗っているのはシヴァ神。その後ろに聖なる牛にひかれた山車に乗るパールヴァティ。

●タンジャプール
 マハーバリプラムから車で8時間のヒンドゥー教の聖地。驚くべき石造寺院がある。世界遺産「プリハディーシュワラ寺院」。パッラヴァ朝を倒したチョーラ朝の最盛期に王ラージャラージャ1世が建立した。当時のアジアでは比類のないスケールで、ドラヴィダ様式寺院の最高傑作。
 まずはオークラ?という高さ35mの門で、シヴァ神の彫刻で埋め尽くされている。何本もの腕を振ってシヴァ神がいさましく踊っている。破壊と創造の神のシヴァ神が踊っている間は宇宙は存続すると、古来からインドでは信じられてきた。第二の門をくぐると本殿ヴィマーナが見えてきた。高さ66m。その姿はシヴァ神の住まいのヒマラヤのカイラーサ山を表わしている。石を一つずつ積む「石積み」の技法で作られ、13層からなる。上を小さくして天まで昇るような感覚を見る人に与える。頂上には「シカラ」と呼ばれる冠石。重さは80トン。最初は1つの岩で作られていると思われたが、複数の岩を複雑に組み合わせて作られていることがわかった。
 ガイドはワーニー・チャンドラーシエカラム?さん。本殿の横にある祠は11世紀に建てられた。シヴァ神を熱烈に信じた聖人チャンデーシュワラに捧げられた祠。この時期ヒンドゥー教は知識層、富裕層だけでなく、社会の底辺にまで広がっていた。祠に祀られたチャンデーシュワラも身分の高くない男だった。自分の牛から聖なる牛乳を毎日搾り、シヴァのリンガに捧げていた。こうした行為により彼は聖人となり、本殿の横に祀られた。建築された当時、この寺院に自分自身を捧げる者も現われた。土台には400人の踊り子の名前がある。彼女たちは神を恋人のように考えていて、自らを捧げていた。その踊りはバラタナティヤム Bharatha Natya。
 海外にまで弟子がいるという踊りの師匠ヘランバナタン B.Herambanathan さんを訪ねた。父はバヴピライさん、母はサビスリさんで先祖は代々この寺院に仕えてきた。子供は女の子は踊り子として、男の子は音楽家として。不思議なことにバラタナティヤムを極めた踊り手は、踊っている時に神が天から降りてきたと感じることがあるという。バラタナティヤムの本質は神を賛美すること。神をすぐ近くに感じることで、神へのバクティが生まれる。バクティとは、神を親のように、身近な人を愛するように自然に愛する気持ち。ヘランバナタンさんの長男のスワミナータンさん(36歳)は最近アヌラダさん(27歳)と結婚した。
 トゥクトゥクのような車に乗っている運転手は窓ガラスに神の絵を貼っていた。これもバクティだという。
 ゾウがいてお金を捧げると鼻で頭を祝福してくれました。


テレビ番組「にじいろジーン インドのデリー」

 2009年1月31日放送。タイ航空で行きました。

●デリー
 インド最大の都市で人で溢れている。熱心なヒンドゥー教徒が多く、古くから動物は神聖とされている。サルやリスやコブラやゾウまでいる。
 郊外のリトゥ・シャルマさん(40歳)のお宅を訪問した。息子が2人の1LDK130平方m。朝6時からヨガをしている。朝の公園でヨガをしている人が多く見られる。4000年以上の歴史があり、公園で大笑いしている「笑いヨガ」もある。ヨガの後には「ネーム」という木は歯ブラシとなる。
 朝食は定番のパランター。つぶしたジャガイモにたっぷりのスパイスをふりかけ、小麦粉の生地にはさんで焼き上げるインド版ホットケーキ。スパイス・ボックスはインドの家庭には絶対必要。ヨーグルトにも大量のスパイスを入れる。

 みなさん意外と厚着。日本より少し温かい程度の気温。サリーはインド女性が正装として着る衣装。5mの長さの1枚布を様々な巻き方で身にまとう。ゆったりとしたパンツ姿が特徴のパンジャビ・スーツという民族衣装もある。額の「ビンディー」もオシャレの重要アイテム。かつては既婚女性を意味する印だったが、今はファッション・アイテムとなった。
 公園の中では剣を2本飲む男がいました。太い針金をのどにあてて曲げた14歳の少女もいました。

 人気の屋台がある。カレー粉を小麦を練った生地でくるみ、油で揚げたもの。インドの代表的なお菓子「サモサ」10円。隣はチャイの店で、冬はショウガを入れるという。8円。焼き芋には、レモンをかけて食べる。1個20円。
 路上では散髪している人がいる。1回20円。耳掃除は1回40円。
 町の市場(バザール)で買い物。すごい人ごみです。ジーンズを買う人が1095ルピー(2200円)と言われた。795に負けてって言う。結果1000で買ったようです。

 夕食の準備。トマトとたまねぎをミキサーですりつぶし、鍋に入れ、スパイスを調合して入れる。たっぷりチーズを入れる。たっぷり豆を入れたカレーを作りました。インドでは菜食主義者が多く、豆カレーは人気とか。一緒に食べるのはナンではなくチャパティ。ナンを焼くには窯が必要。チャパティは薄いからフライパンで作れる。
 シャルマさんは100年前のコインなど古いコインを集めています。


テレビ番組「知っとこ!世界の朝ごはん スリランカのコロンボ」

 2009年1月24日放送。

●コロンボ
 人口223万人。スリランカで一番の大都市。直行便で10時間。下町ペター地区はすごい人ごみ。脇には露店が建ち並ぶ。なじみのない野菜も多い。緑色のトゥンバカレーリラもダンバラもバナナの花もバナナもカレーに使う。どこの食材屋さんもカレーばかり。ご飯に何種類も選んでかけるのがスリランカ流。4種類のカレーは250ルピー(200円)。
 ゴール・ロード Galle Road には屋台がある。イッソワデェイというエビせんべい。1枚50ルピー(40円)で、カダナ?という豆で作ったせんべいにエビを3匹のせて素揚げしたもので、スリランカでは定番のお菓子。カクレア(カニせんべい)もお勧めだが、せんべいよりカニの方がはるかに大きい。80ルピー(65円)。

●ベントータ Bentota
 コロンボの南に位置するベントータ・ビーチ。観光客の姿も少なく、プライベート・ビーチ状態。スリランカの南西部には100km以上も砂浜が続いていて、ゴールデン・ビーチとも呼ばれている。
 男たちが地引き網漁をしていた。

●コロンボ
 ゴールフェイス・ホテルはスリランカで一番歴史があるホテル。英国植民地時代の1864年に建てられた。各国の要人が数多く宿泊している。日本の昭和天皇も宿泊している。デラックス・ルーム・ウイズ・オーシャンビューは1泊10396ルピー(8300円)。バルコニーからは美しいインド洋を一望できる。バルコニーには専用のジャクージまで完備。
http://www.gallefacehotel.com/

 モハメッド・ラムジーさん(32歳)が紹介してくれたのは、色鮮やかな伝統工芸品が見られるお店「ブラボー・バティック Bravo Batiks 」。バティックというろうけつ染めで、下絵にロウを塗っていました。さらにその上からロウで模様を書き込み、違う色を重ねていく。自然や宗教画をだいざいにしたものが多い。

 新婚さんの朝ごはん。市内の緑に囲まれた一軒屋に住むマヘーシュニー・コーダ・ゴダさん(26歳)が作るのは、1品目「ジャガイモ・カレー」。じゃがいも、唐辛子、たまねぎなどを刻み、カレーリーフと共に鍋に入れる。チリ、カレーパウダー、ターメリック、モルジブ・フィッシュといったスパイスを加え、絞りたてのココナッツ・ミルクを注いだ後に火にかける。野菜に火がとおるまでじっくり煮込む。仕上げにココナッツミルクをひとまわし、全体をまぜあわせれば完成。
 2品目「キリバット」。ラトハートと呼ばれる赤味のかかったお米をしっかり洗い、炊飯器で炊き上げる。7割ぐらい炊き上がったところで、ココナッツミルクを入れ、蓋をして20分。これでカレーにぴったりのココナッツご飯「キリバット」の完成。
 3品目「フィッシュ・カレー」。ぶつ切りのマグロ、たまねぎ、唐辛子を鍋に入れ、カレーパウダー、シナモンなどの香辛料を加える。マグロに味がなじむように全体を混ぜ合わせ、水を加えてじっくり煮込む。


テレビ番組「THE 世界遺産 インドのエローラ石窟群」

 2008年12月28日放送。数学に秀でたインド人が1200年前に奇跡のような建築を生んだ。

●エローラ石窟群
 1枚岩を掘り込んで寺院を作った。神に舞を捧げた。踊ることは祈ること。熱い信仰心が生んだ建築と彫刻の傑作。1983年世界遺産に登録された。
 インドには1000を越える石窟寺院がある。その白眉と名高いエローラはデカン高原の西側、ムンバイの東側にある。

●ムンバイ
 かつてボンベイと呼ばれたインド最大の都市ムンバイ。経済と文化の中心。街には人が溢れる。インド人口11億人のうち8割がヒンドゥー教徒。
 この沖のエレファンタ島にも石窟寺院がある。ここもデカン高原と同じ石灰質で、海の底を通して通じている。古来インドで洞窟は神々が宿る聖なる場所だった。石窟とは神を招くために人の手で掘りぬいた人口の洞窟。
 ヒンドゥー教で最も信仰されているのはシヴァ神。3面の顔はシヴァの顔のダイナミックな変化を表わす。優しさを表わす恵みの顔、瞑想にふける調和の顔、あらぶる破壊の顔。神々を祀るこうした石窟は各地に作られた。

●エローラ石窟群
 ムンバイから東へおよそ400km。デカン高原に向かう道の要所にエローラはある。なだらかな丘に点々と描かれた人工の洞窟。南北2kmに渡って34の石窟が連なる。インドに生まれた3つの宗教(仏教、ヒンドゥー教、ジャイナ教)が隣合うように寺院を構えていた。
 第10窟は仏教で、仏陀の像が鎮座する礼拝のためのもの。アーチが美しいが当時存在した木造寺院を参考にして作られたのだろう。第5窟(仏教)などは僧侶たちが暮らす簡素な修行の場だった。作られた頃は仏教は衰退する時期だった。
 第21窟(ヒンドゥー教)、第29窟(ヒンドゥー教)などは開放的になっており、空間のスケールが増している。
 第16窟のカイラーサ寺院は8世紀に建造されたハイライト。高さ32m、ヒンドゥー教芸術の金字塔は、他の石窟とは規模も作り方も著しく異なった。岩山を真下に深く掘り下げ、寺院を丸ごと削りだした。いわば世界最大の彫刻作品。中庭の奥行きは85m、150年の作業にかかわった匠たちは親子7代にも及んだという。カイラーサという名前は、ヒマラヤにあるヒンドゥー教の聖地カイラス山に由来する。カイラス山はシヴァ神の住む場所と信じられてきた。人々は岩山をくりぬき、神の家をその手で再現した。壁の上下に漆喰が塗られていた跡がある。山に降った雪を表現していた。壁や柱は優雅な彫刻で埋めつくされている。訪れた人々がこの寺院の中で神々の世界を体験する。
 最も好まれた彫刻のモチーフは「踊るシヴァ神」。シヴァが宿るリンガが安置されている「リヴァ・リンガ」が最も神聖な場所。男性器をかたどったリンガは女性器をかたどるミョウニ?と結合して祭壇にのせられている。1000年以上前の天井画が残されている。描かれているのは踊り。
 礼拝は神々との交流。神を迎えるために踊りが捧げられた。13世紀以降イスラーム王朝がインドに侵攻すると、エローラの寺院にも陰りが訪れた。最大のイスラム王朝ムガール帝国の支配、イギリスの植民地支配にもかかわらず、奇跡的に今に残った。
 10月インドではヒンドゥー教の大きな祭りが続く。今はダシェラ祭りの期間。勇敢なブルガ女神が悪魔を倒したことを祝う祭り。女性は美しいサリーを着て台所にたつ。近所の女の子をあたかも女神を招きいれるように歓迎する。女の子に捧げられる料理はまさにお供え。お祭りは信仰心の深さを示す時。
 エローラの石窟に掘り込まれたパールヴァティ女神の肖像。人間的な魅力に溢れている。
 エローラの近くには現在も石工がいる。彼らは石に神を彫りつづけている。それにしても何故こんな長い時間をかけてカイラーサ寺院を作ったのか。モーラ・ワーレホーカイルさんが説明してくれました。石は積み上げることができないから彫り出すことになっという。立体を把握する能力は計算力に裏打ちされていた。「寺院の寸法があらゆる面で完璧であれば、世界もまた完璧だろう」とインドの古典文献に書かれている。
 インド三大祭りの一つダシェラ祭りでは、最終日に女神が悪魔を倒したことを祝い、歌と踊りで終わる。


テレビ番組「THE 世界遺産 インドのダージリン・ヒマラヤ鉄道」

 2008年11月16日放送。ダージリン・ヒマラヤ鉄道の愛称がトイ・トpレイン。時には家々の軒先をかすめるようにして走る。目指すはヒマラヤの尾根に広がる、インド屈指の紅茶の里ダージリン。

●ダージリン・ヒマラヤ鉄道
 インド東北部のネパールに近い場所。開通は1881年。標高2000mの尾根をかけ登る。
 標高124mのヒマラヤ山脈の麓の町シリグリ駅が出発点。ホームの右側は主要路線の線路で幅167.6cm。左側はわずか61cmで、これがダージリン・ヒマラヤ鉄道の線路。標高の低いところではディーゼルで走り、高い所で蒸気機関車で走る。
 午前9時半、いよいよ出発。車内は横に3人がけ。平均時速は12kmと遅い。終点のダージリン駅までは走行距離88km。中腹のカルシャン駅まではディーゼル。そこで蒸気機関車に乗り換える。4時間半でカルシャン駅(標高1483m)に到着。1999年鉄道はディーゼルになり蒸気機関車の廃止が決まったが、反対があり、カルシャン駅からダージリン駅までの存続が決まった。
 午後3時、ここから蒸気機関車の旅が始まる。古い蒸気機関車は走らせるだけでも5人の人手が必要。石炭庫にいる 2nd ファイアーマン、窯にくべるのが 1st ファイアーマン、機関士、先頭にサンドマンが2人。サンドマンは急勾配では車輪が滑るので、砂を線路に撒いて滑らないようにする。
 イギリス人が鉄道を敷いたのは、紅茶のためだった。中国産の苗木を植えて成功したのは1841年のことだった。スイッチバック方式なども使われた。ダージリンは標高2134m。深い霧などにより気温差が激しい。1879年に建設が始まった。建設に手間のかかるトンネルを掘らず、当時使われていた山道を利用し、1881年に開通。雨季には脱線事故もよく起こった。機関士はラリッタ・ロータさん(55歳)で、熱心に後輩を指導する。列車は途中で給水する。最も高い所で2257m。ダージリン駅には午後7時に到着。シリグリから10時間の旅でした。
 ダージリンから望むカンチュンジュンガは、世界第三位のヒマラヤの明峰。


テレビ番組「世界!弾丸トラベラー 柳原可奈子さんでインド」

 2008年11月15日放送。柳原可奈子さん(22歳)はかつてのマハラジャの宮殿だったホテルでお姫様になりたい。キャセイ・パシフィック航空521便、753便、ジェット・エアウェイズ709便で日本から12時間30分。

●予定
 1日目、17:00、成田空港発CX521便、22:55、香港国際空港発CX753便。
 2日目、5:45、インディラ・ガンジー国際空港発9W709便、7:45ウダイプール空港着。8:30、チェータクサークルにバスで移動。9:30、本場インドの朝食。10:30、バザールにて買い物。14:45、ガーデン・ホテルで送迎車と待ち合わせ。15:15、「レイク・パレス・ホテル」チェックイン。23:00、就寝。
 3日目、6:00起床。7:00、最高の場所で最高の朝食を食べる。9:30、レイク・パレス・ホテル発、12:00、ウダイプール空港着。14:00、ウダイプール空港発IT2332便、19:35、インディラガンジー国際空港発JL472便。
 4日目、7:00、成田空港着。

●ウダイプール
 8:30、チェータクサークルにバスで移動。料金は12ルピー(25円)。小さいバスは車から人が出るくらいに乗っていた。
 到着してから町を歩く。サモサを売っている店がある。香辛料で味付けしたジャガイモを小麦粉の皮で包んで上げた定番メニュー。カレーパンのような感じの人気料理。辛いそうです(笑)
 10:30、バザールにて買い物。民族衣装の店に入る。パンジャビ代(ワンピース+パンツ+ショール)で680ルピー(1500円)。次はアクセサリーの店。ブレスレットは切れ目のあるもの以外はダメでした(笑)5種類買って725ルピー(1600円)。サンダル(ジューティ)400ルピー(900円)。
 オートリキシャでガーデン・ホテルに向かう。20ルピー(44円)。対向車とぶつかりそうで、ちょっとしたアトラクションの感じ。
 14:45、ガーデン・ホテルで送迎車と待ち合わせ。バトラーのスリーカントさんが案内。バトラーは以前は王様に仕えていた世話役で、今は宿泊客の送り迎えや案内をする執事。今回はクラシック・カーでお出迎え。途中で象とすれちがった(笑)
 「レイク・パレス・ホテル」に向かう船着場に到着。人工の湖ピチョーラ湖が目の前に広がる。右手の湖の中に白いレイク・パレス・ホテルの雄大な姿が見えた。1746年に時のマハラジャ「ジャガット・シン2世」により完成した白亜の宮殿。幾度となく改築・増築を重ねた。インドで唯一湖上に浮かぶマハラジャ・ホテル。日傘でお出迎え。歩く場所にはレッド・カーペット。すると屋上から花びらが舞い落ちてきた。「フラワーシャワー」。ロビーに入ると歓迎の儀式。額に印を入れる「ティッカ」。マハラジャ専用のプールだった場所を王様気分が味わえるように中庭として改装してある。部屋は窓がステンドグラスでベルギーから輸入したもの。グランドロイヤル・スイートで1泊10.7万ルピー〜(23.5万円〜)。室内のブランコに乗りました。
 プール・サイドでくつろぎ、シュレッシュ・フルーツのサービス。マンツーマンでヨガ体験。ビリヤードのレッスンもしました。次に船で別の船に移動して、レイク・パレス自慢の「ジヴァ・スパ・オン・ザ・ボート」で「チャンピー」という、インド古来の頭部中心のマッサージ。シャンプーの語源になったと言われている。スパ料金は3275ルピー(7200円)。
 レストラン「ジャローカ」で夕食。「タンドリー・プラッター」1125ルピー(2500円)は4種類のお肉を体験できます。タンドリーと呼ばれる窯で焼いたもの。定番「ダル・カレーとナッツ」675ルピー(1500円)。
 朝7時、最高の場所で最高の朝食を食べる。船に乗って行ったのは、湖上の浮島で、「ブレックファースト・オン・ザ・レイク」。湖上で食べる朝食プランは1日1組限定。朝食をしていたら、右手から太陽が昇りました。7種類の季節のフルーツの盛り合わせ、ジャガイモ・カレー(プーリー付)。


テレビ番組「世界の果てまでイッテQ 世界遺産100個100万円で見られるの?」

 2008年11月2日放送。オセロの松嶋尚美さんが挑戦。香港からロンドンまで1万キロを行く。世界遺産を見るごとに1万円支給される。移動費、食費、宿泊費は全て込み。その3回目。

●ラオスとタイ
 香港から陸路でハノイに渡り、ラオスとタイの世界遺産をルアンパバン、スコータイ、アユタヤ、カオヤイと全て制覇。8日間で5400km移動、現在の所持金は40450円。

●インド
 飛行機で8000ルピー(2万円)でバンコクからニューデリーに飛ぶ。
 早朝5時30分気温25度のニューデリー駅前でも人がすごい。チャイ屋さんが開いている。チャイはヒンドゥー語でお茶の意味。使うのはアッサムの茶クズ。水と牛乳に砂糖を加えたミルクティーの一種。5ルピー(12円)でとても美味しい。
 タージ・マハルに向かう。ニューデリーから列車に乗って南へ2時間。朝食付きで運賃は375ルピー(937円)。アーグラーに到着し、オート・リクシャーというインド名物バイクタクシーで移動。交渉すると80ルピーから70ルピー(175円)に値切った。途中からは廃棄ガスが出るものは進めないので、降りる。ここから人力車。20ルピー(50円)。それからは徒歩。
 タージ・マハルはインド史上最大のイスラム王朝のムガル帝国(1526−1858年)時代の遺物。入場料は250ルピー(625円)。インド遺跡めぐりには、考古学局にこれに別途1地区につき500ルピー(1250円)を支払う。厳しいX線の検査もあり、お菓子などの持ち込みも禁止されている。
 門の先にタージ・マハルがあった。ムガル帝国第5代皇帝のシャー・ジャハーンが製作したムガル帝国王妃ムスターズ・ハマルの墓。建築に使われたのは世界各地から集められた純白の大理石。22年の歳月と天文学的な費用をかけて完成されたという。途中からはビデオカメラは入れない。さらに途中からは靴を脱ぐ。靴の保管料として10ルピー(25円)かかる。番号紙をもらう。
 建物の裏側には川があり、その対岸に皇帝は自分の黒いお墓(黒タージ)を建てようとした。さらにその川に橋をかけようとしたが、かなわなかった。自分の息子にアーグラー城に幽閉されてしまったため。
 オート・リキシャーで20分、アーグラー城に到着。1565年に着工し、第3代アクバル皇帝が建設した。入場料250ルピー(625円)。全長2.5kmの城壁に囲まれた敷地内には数多くの宮殿が建ち並ぶ。見所はシャー・ジャハーンが幽閉されていた「囚われの塔」。たまねぎみたいな形の塔です。現在は塔は入場禁止。シャー・ジャハーンはこの塔で74歳で亡くなった。亡骸は息子によってタージ・マハルに埋葬された。

 昼食は定番の「ターリー」をいただいた。ミルク粥、3種類のカレー、可愛いピラフ、ヨーグルト、黒胡椒が効いたパパドゥ、チャパティというパン。8品で510円。

 幻の都、ファテープル・シークリー Fatehpur Sikri は、アーグラーの中心部からバスで1時間半。かなりの悪路です。遺跡近くで電気自動車に乗り換えた。入場料は250ルピー(625円)。ここはムガール帝国第3代アクバル皇帝が建設した都。保存状態がとてもよい。予言者が息子ができると言ってくれてできたので、予言者のいた場所に都を作ったが、14年しか住まなかった。水が不足していたからでした。

 午後11時にニューデリー駅に到着。格安のホテルを探すと300ルピー(750円)があった。Hotel Ganpat Palani ?トイレ付きでシャワーなし。

 翌朝、午前9時、気温30度。チャイを飲む。デリー市内の2つの世界遺産を目指す。目的地は「赤い砦、レッドフォート」で、オートリキシャで20分。ここはシャー・ジャハーンが生前の王妃と共に暮らしたお城。白タージ、黒タージに対して、赤。赤い砂岩が特徴のムガル朝最盛期の建築。ところが月曜日は閉まっている。しかし向かいの「チャンドニー・チョウク」という通りを探索しました。ここはデリーの浅草のイメージで、庶民の街。あらゆるジャンルの店が並ぶ。焼き芋「サカルカンディ」は8ルピー(20円)で、注文を受けると丁寧に皮をむいて一口大にカットしてくれ、そこにガラムマサラというインド料理定番の混合香辛料と塩で味付け、最後にライムをひと絞りする。マクドがあった。インド人は牛や豚を食べないから具がどうなっているか気になる。具は全部チキンでした。チキン・マハラジャ・マックなど?65ルピー(162円)。味はカレーです。

 「フマユーン廟」はタージ・マハルの建設に大きな影響を与えたという。入場料は250ルピー(625円)。これもすごい。確かにタージマハルの原型というのもわかる。ムガル帝国第2代フマユーン皇帝の墓(1565年〜)。たまねぎ型の屋根はイスラム建築の象徴でドームと呼ばれる。アーチ型の屋根は重さを分散し柱が少なくてすむため、内部には広い空間を確保できる。

●エジプト
 インドから1.6万ルピー(4万円)でエジプトに飛ぶ。通貨はポンド(1EGP=20円)。歴史の国エジプトには世界中の遺跡の3分の1があると言われている。午前3時カイロ空港着。現在の所持金は13360円。空港で時間をつぶす。
 午前8時、気温32度、タクシーで1時間、100EGP(2000円)でギザのピラミッドに向かう。タクシーの中からピラミッドが町の向こう、遠くに見えた。入場料は50EPG(1000円)。厳重な荷物チェック。
 クフ王のピラミッドが目の前にあった。世界最大の石造建築。高さ137m、底辺の長さは230m。積み石1個の重さは平均2.5トン。石の数は230万個以上。10万人の人間が20年かけて造ったという。
 内部を見学する権利は午前150人、午後150人に限定されている。現場にて先着順。内部見学料は100EGP(2000円)。「王の間」には現在は階段が利用できる。途中からは立って歩けるようになるが、それから身をかがめる通路があり、「王の間」となる。内壁の接合部分は空気も通さないほどの精巧さ。現在でもゆがむことなく、完璧な状態を保っている。奥には未完成の棺が置いてある。
 有名なビュー・ポイント「パノラマ」に行く。クフ王、カフラー王、メンカウラー王のピラミッドが一望できるスポット。向こうにはビル群が見える。暑いが、観光バスかタクシーしか乗るものがないらしい。
 タクシーで移動10EGP(200円)し、スフィンクスに。高さ20m、幅53m。数あるスフィンクスの中でもギザのスフィンクスは世界最大。建造目的には諸説あり、未だ解明されていない。

 ピラミッド周辺からタクシーで20分、川を渡ったところにカイロ歴史地区がある。7世紀以来のエジプトにおけるイスラム教信仰の中心地。入場料は40EGP(800円)。一際目をひく観光目玉が「ムハンマド・アリ・モスク」。天井の繊細な細工が見事な地区最大のモスク。入場の際には、土足、露出の高い服は禁止。入口を入ってすぐの中庭にあるのは「泉庭」という身を清める場所。中の礼拝堂の天井はすごい。ミンバルは説教師が説教する壇。中央のへこんでいる部分(ミフラーブ)はメッカのカーバの方角を示している。カーバはメッカにある聖殿のこと。

 夕食は「海老のフリッターのトマト・ケチャップご飯」みたいなもの35EGP(700円)。

 ルクソールに飛行機で向かう。479EGP(9580円)。空港は気温40度。古代エジプト人はこの地を神々が集う場所と呼んだ。神であるファラオの住居「神殿」が観光の目玉。
 まずはカルナック神殿。映画のセットみたいな広大な神殿の跡。今から3500年以上前からの神殿で、2000年にわたり大増築を繰り返した。100人の子供を残したといわれる大ファラオ、ラムセス2世像がある。オベリスクがあるが、先端に金を塗っておいて、朝日が昇ってきて光ったら礼拝の合図となっていたらしい。パリのコンコルド広場にもある。動物園と植物園の跡がある。一番多く戦争をしたトトメス3世は、古代エジプト最大の領土拡大を達成した。エジプトにない動物や植物を持ち帰った。その植物や動物の絵が描かれている。
 クレオパトラはエジプト文明最後のファラオ。絶世の美女と言われたが、遺物は少ない。ルクソールの下流60kmのデンデラにある「ハトホル神殿」はクレオパトラの壁画が残る女神の地。柱には顔が描かれているが、ハトホル神。ハトホル神は愛と喜びの女神。クレオパトラの絵は真裏にある。人物レリーフがいくつかあるが、その一番左端。クレオパトラは実際には世の中に7人いたらしい。一番有名なのはクレオパトラ7世。クレオパトラ7世の死によりエジプト古代文明は終わり、エジプトはローマの属州となった。

 以上、滞在日数4日、総移動距離7520km。使ったお金は86905円。


テレビ番組「探検ロマン世界遺産 スリランカのキャンディ」

 2008年10月25日放送。松田利仁亜アナウンサーが案内。

●キャンディ
 山間の聖地。黄金の容器に収められ、人々の崇拝の対象になっている。それは仏歯で、仏陀の歯だという。10年前仏歯が納められている「仏歯寺」に爆弾を積んだトラックが突入し、多くの犠牲者がでた。20年以上に渡って起こる民族対決。民族の垣根を越えたアジア屈指のペラヘラ祭りも行なわれている。その祭りの中心となるのが仏歯。
 8月に訪問した。とても賑やかな町。市場に行ってみた。バナナの花を売っているが、カレーに入れるそうです。唐辛子もあるが、カレーに使う。街中にコブラ使いの人がいた。コブラは毒が抜いてあるそうです。

 仏歯寺に入る。サンダルや靴を預けて中に入る。入口は男女別で、金属を感知する機械を通過して中に入る。庭の向こうにお寺が見えるが、意外と高い。2000年以上の歴史を誇るスリランカ仏教の聖地。日本語では寺だが、寺ではなく、王宮の一部。建物の中に入ると天井が2.5m程度の狭い通路を通って中に入る。天井や壁には花などが一面に描かれている。仏歯堂は歴史を感じさせる木造の建物。400年前にキャンディはスリランカを治めたシンカラ王朝の都だった。仏歯堂はその頃に築かれた。1日3回近くの寺の僧侶たちが入ってきて供養を行なう。そこでは仏陀がまるで生きているかのように、食事、歯磨き、水浴びをすると考えられ、儀式が執り行われるが、信者は見ることができない。その代わりに、仏歯堂の2階で待つ。儀式の最後に普段は閉められている扉が開き、仏歯の入った容器を見ることができる。みんな手を合わせて容器を見る。中に黄金色の荘厳な仏舎利容器が見える。
 今回特別に仏歯の入った舎利容器に近づくことができた。強化ガラスに守られていました。この中に仏陀の左の糸きり歯が収められている。舎利容器は七重になっており、金の他に、サファイア、ルビーなどがあしらわれている。歴代の王は国を治めるための権威としてこの仏歯を大事にした。仏歯がスリランカに伝わったのは4世紀。以来、この国は仏歯と共にあった。
 王に代わって仏歯を納める在家総代のプラディープ・ニランガ・デェーラさんは「歯であることが重要だ」と語る。特別な力があると信じている。理由は、お釈迦様が行なった8.4万回の説教に、この仏歯が直接触れているから。
 早朝から仏教徒が拝みに来る。

 1998年1月25日午前6時、爆弾を積んだトラックが検問を突破して仏歯寺の前で爆発した。建物は吹き飛び、10人以上が死亡した。爆弾テロだった。スリランカに暮らす2つの民族の争いだった。人口2000万の7割はシンハラ人でシンハラ語を話す仏教徒。タミル人は2割弱の360万人でヒンドゥー教徒。「タミル・イーラム解放の虎」がシンハラ人が多数を占める政府と対立し、北部を制圧し、独立を目指している。イギリス植民地支配からの独立後に、この対立が顕著となった。タミル人の自治要求闘争は武力闘争に発展し、スリランカは内戦状態となった。80年代以降、爆弾テロが横行した。1996年1月の中央銀行爆破事件では1000人以上の死傷者を出し、2001年7月には10機以上の航空機を爆破した。
 キャンディ市郊外には農村地帯が広がる。仏歯寺から車で20分、ワーウダ村は稲刈りが終わると、作物を仏歯寺に納めに行く習慣がある。いつものように行った村人8人がテロの犠牲になった。奥さんを亡くしたラーシャパクシャ・ジャヤスンダラさん(55歳)はショックでふさぎこみ、数年間は酒に溺れたそうです。テロリストは憎いけど、誰も死ぬことを望んでいないそうです。
 一般のタミル人は困惑している。キャンディにあるヒンドゥー寺院「カタラガマ神殿」には、キャンディ市民11万人のうちの5500人のタミル人が通う。職に就くだけでもタミル人というだけで敬遠される。アルムガム・ラヴィさん(32歳)は、キャンディを囲んでいる山の南側に住んでいる。両親はお茶畑で働いていたそうです。1日8時間立ちっ放しの重労働。村人のほとんどがイギリスの植民地時代にインドから移ってきたタミル人の子孫。ラヴィさんは各地で演奏するバンドマン。ラヴィさんはスリランカ最大のお祭りペラヘラ祭りのトランペッターに選ばれた。ラヴィさんは早く内戦が終わることを祈っています。ラヴィさんの奥さんのプリヤンティーさんはシンハラ人です。

 ペラヘラ祭りの日。昼過ぎには場所取りの人でいっぱいとなった。ペラヘラとはシンハラ語で「行列」のこと。夜、豪華なパレードがある。仏歯寺と4つのヒンドゥー神殿から出発する行列には、象が70頭、踊り手は2000人。民族を超えた一大行事です。手に機関銃を持った警備の中で行なわれた。
 夜7時過ぎ、パレードが町に出てきた。象もライトアップ。象の背中には黄金の舎利容器「仏歯」が乗る。人々は立ち上がり仏歯に祈りを捧げました。ラヴィさんも4時間の演奏が無事終わりました。


テレビ番組「絶景アジア紀行 インドと中国」

 2008年6月29日放送。インドを片瀬那奈さん、中国を多部未華子さんが案内。

●インド
 ヒンドゥー教の人々は輪廻を深く信じている。人は死んだら草となり、それを牛が食べれば牛の精子に入り、牛として生まれる。苦しみとされる輪廻を断ち切るために、人々は様々な修行をしてきた。その中から生まれたのが瞑想とヨーガ。ヨーガは瞑想に入るために体を整える手段。20歳を過ぎてサードゥーとなって28年になる人に話を聞いた。
 オームという音を発して、バイブレーションを感じる。これを3回。毎日繰り返すと声が頭だけではなく、全身に響くようになるそうです。まずワニのポーズ、コブラのポーズ、魚のポーズ。それから30分の瞑想。

●中国
 漢方薬、薬膳料理など。野性動物を観察することで武術が生まれた。カンフーから発展したのが太極拳。ダンピエンを学習しました。


テレビ番組「世界!弾丸トラベラー 堀越のりさんでインド」

 2008年6月7日放送。堀越のりさん(26歳)は、カレーを食べたいという。インド南部への1泊3日の旅。

●予定
 1日目、11:30成田空港発シンガポール航空637便で、20:40シンガポール発で、日本から11時間。22:05インド・チェンナイ国際空港着。23:30ホテル「タージ・コネマラ」着。
 2日目、7:10ホテル発オート・リキシャで移動。7:30カパレー・シュワラ寺院でガイドと待ち合わせ。7:45「ケージャパン」で朝食。9:00「タージスパ」でエステ。11:00オート・リキシャでポンティ・バザールに行く。12:00「ジリパラジバーパン」でランチ。14:30バスでコペロンに行く。17:00ホテル「フィッシャー・マンズ・コープ」でディナー。23:45インド・チェンナイ国際空港発SQ529便。
 3日目、9:45シンガポール国際空港発、17:35成田空港着。

●チェンナイ
 人口600万人の街。タクシーの運転手が「ビリヤニ」というおいしいお店があるという。庶民的な「ランス・ホテル Runs 」の中にある。ビリヤニを頼むと、真っ赤なピラフみたいなのがきた。45ルピー(120円)。これはインド風チキンカレー・ピラフで、家庭的な夜食。タクシーは300ルピー(810円)で、ホテル「タージ・コネマラ」に到着。
 朝7時、オートリキシャでカパレーシュワラ寺院に行く。リキシャは日本語の人力車からきている。途中でマンゴーを積んだトラックがいたが、頂戴と言ったら、走っている途中でいただきました(笑)オートリキシャは100ルピー(270円)。
 カパレーシュワラ寺院はシヴァ神を祀るチェンナイ最大のヒンドゥー教寺院。ガイドはアナンダさん(46歳)。「ケーシャバン」にオートリキシャで向かう。60ルピー(160円)。単なる屋台でテントの下に店があるが賑わってました。ケーシャバンはガイドの友人の名前でカレー専門店。「ドーサ」と「ワダカリ」を注文した。ワダカリはひよこ豆とクミン、青唐辛子、ショウガ、ニンニクをすり潰し、ペーストにしたものを油で揚げ、細かく砕き、トマトなどの野菜と混ぜて炒めたカレー。ドーサと呼ばれる、お米と豆の粉を水で溶いて焼いたパンと一緒に食べる。18ルピー(50円)とてもおいしいので、女性でも2枚くらいいけると堀越さんは言ってました。
 「タージ・スパ」に向かう。オートリキシャで70ルピー(190円)。ホテル「タージ・コロマンデル」の中にあるスパ。まずはハーブ・オイルでマッサージ。次はカレー粉を塗る「ターメリック・マッサージ」で、古い角質を除去し、毛穴の汚れを取り、美白効果のあるインド古来のエステ。
 12:00「ジリバラジ・バーバン」でランチなので、10:30からオートリキシャで向かう。70ルピー(190円)。ポンティ・バザールに到着。チェンナイ最大のバザールで、食品から日用品まで揃う。インドアクセサリーの店「エローラ」に入る。バングルは1個100ルピー(270円)で、5つ買って410ルピー(1100円)。
 「ジリバラジ・バーバン」は地元の人気レストラン。まずバナナの葉を敷く。向こうにカレーが並び、ライスで完成。「ミールス」は食べ放題の南インドカレー定食で、32ルピー(90円)。4種類のカレーで、「トマトと豆のスープカレー(ラッサム)」、「野菜の酸味カレー」、「挽き割り豆の煮込みカレー」、「赤唐辛子と野菜の酸味カレー(カーラサンバル)」。まずはご飯をおいて、カレーをかけて手で混ぜる。ラッサムは辛くなくて、しその香りがするという。カーラサンバルは辛いそうです。
 近くでチャイをいただいた。3ルピー(8円)。見事にコップからコップに移します。
 次はバスでコペロンに向かうので、ブロードウェイ・バスターミナルに向かう。目的地までは1時間半。

●コベロン India Kovalam
 チェンナイの南、海岸沿いの町。ここに絶品のカレーがある。5時から高級リゾート「フィッシャーマンズ・コーブ」でディナー。南インドで唯一カレーのフルコースが味わえる。今回は、バングルとビンディーをつけて、パンジャビドレスをまとってテラス席で「シェフ・オリジナルのカレー・フルコース」2380ルピー(6400円)をいただいた。インド・ベスト・シェフにも輝いた一流シェフのモハメド・シッデイクさんが調理する。まずは「ロブスター・ペッパー」(ロブスターのカレー風味ソテー)。メインは「ブラウン・マンゴー・カレー(エビとマンゴーのココナッツ・カレー)」で、エビをマンゴーと炒め、ココナッツミルクで煮込んだもの。南インドでしか食べられない。これは求めていたカレーだそうです。最後に「コベロン・フィッシュ・カレー(カジキマグロのトマトカレー)」はとても辛いそうです。ここではスプーンでいただけます。


テレビ番組「絶景アジア紀行 インド」

 2008年5月11日放送。片瀬那奈さんが案内。

●インド
 ガンジスの流れに触れると人生観が変わる、インドで哲学すると様々なものが見えてくるという。ガンジスは2500kmに渡った流れている。流域面積は173万平方kmで日本の5倍。野性動物の宝庫でもある。インドではあらゆる生き物が人間と同じように大切に扱われる。生き物は神様にもなっている。インドでは毎年5万人がコブラなどの毒蛇にかまれて死んでいるが、街中ではコブラがいても邪魔者扱いしない。村人の多くは自分には毒に打ち勝つ力が備わっていると信じている。ナーダといわれるコブラの神様もいる。畏敬の対象となっている。そのためにお肉もお魚も食べない。土の中の野菜を採ると、土の中の生き物が死ぬので、土の中の野菜を食べない人もいる。
 ガンジスでゾウが水浴びをしている。ゾウも神様ガネーシャとなった。サルの神様はハヌマーン、牛の神様はナンディン。ヒンドゥー教にはたくさんの神様がいて、人々は崇める神様を決めている。
 画家のモハン・ラル・ディマン?さんのお宅を訪問した。ガネーシャは顔はゾウで、手は4本、シバの息子で頭がよいとされる。新しい事を始める際に拝むという。ハヌマーンは悪と戦う神。

 インドの大平原に行った。まっすぐな地平線が続く。1km行って10cm低くなるだけ。閉所恐怖症とは逆の無限大の恐怖を感じる人もいるという。


テレビ番組「世界に嫁いだ日本女性 密着!仰天海外ライフ」

 2008年4月13日放送。テレビ東京製作。

●サイパン
 日本から飛行機で3時間。年間27万人の日本人観光客が訪れる。桂菊丸さんが案内。クロス・アイランド・ロードを行くと山の中腹の高級住宅街にあるお宅。真理子リザマさん(57歳)。敷地面積2000坪。サイパンは電気代が高く、ここでも10万円以上とか。リビング4つあり30畳・10畳・10畳など、キッチン・ダイニング30畳、寝室30畳など、全部で12部屋。次男の信さん(26歳)は数学の博士号を目指している。長女の暁子さん(33歳)は結婚してシリコンバレーに在住。長男の健さん(31歳)は日本人女性と結婚し、医師を目指してハワイに在住。次女の絵美さん(28歳)はNY在住。ご主人はサイパンの上級裁判所の裁判官のジョン・リザマさん(60歳)。
 カーメン・セーフウェイ・マーケットでお買い物。ローカルネギ1束2.16ドル。大根1本0.89ドル。
 ウイング・トラベル社の社長も兼ねている。月の平均売上は10万ドル程度。チーフ・マネージャーのエドワーズさんが説明してくれた。
 真理子さんは1950年山口生まれ。父は中国にも赴任していた外科医の柴田五郎さん。
 ご主人の還暦パーティを開催した。プールサイドに100席用意した。

●インド
 FM熊本からインドの坂田マルハン美穂さん(42歳)に電話でインドの最新情報を伝えてくれる。南部のバンガロールに住んでいるが、ここはITの街で、人口616万人。インドのシリコン・バレーと呼ばれている。山田誉子さんが案内。
 坂田さんはコックスタウンのマンションに住んでいる。インドでは人を迎えるとまずリビングに通して、水を出すそうです。ロビーのシャンデリアはインド製。香辛料が多い。二階の寝室にはローズ・ウォーターが置いてある。295ルピー(820円)は浴びるように使うとか。同じ会社の天然真珠パウダー配合の保湿クリーム440ルピー(1230円)。衣装もインドの民族衣装レンガー・チョーリーもある。
 美穂さんは1965年福岡生まれ。旅行雑誌などのライターとして世界じゅうを旅行した。30歳でニューヨークに移り住み、会社を立ち上げて成功した。7歳下のマルハンさんと出会い、5年後に結婚。
 ラッセル・マーケットで買い物。シーバス(ます)がお勧めとか。イタリア料理店のオーナーのアルジュン・サジナニさんが、今日は海老がお勧めと教えてもらった。タイガーブラウン1kg700ルピー(2000円)。運び屋のおじさんがいて、20−30ルピー(60円)渡すそうです。白菜は1個18ルピー(50円)。
 南インド料理店「ナンディニ」で食事。まずナプキンが汚れていたりするから、を軽く水でしめらせて紙で拭く。定食「ミールス」140ルピー(390円)をいただく。カレーをかけて混ぜて食べる。
 美穂さんはインドでライターとしても活躍し、日本に情報を発信している。取材のためにコマーシャル・ストリートに行く。日本でいえばアメ横。サリー・ショップ「アーンチャル」。ジュエリー専門店「クスマ・ハナラス・ジュエラーズ」では北インドのジャイプールのジュエリーが人気とか。これらは西日本新聞に掲載されている。
 世界のビジネスマンの間で昨年No.1に輝いた「ザ・リーラ・パレスホテル」で開催されたOWC(外国人女性ためのクラブで、生活の情報交換や慈善活動を行なっている)にも参加している。この活動の一環として訪れていたのは、リンガラジャプラム。ストリート・チルドレンだった子供たちを学校に通わせている施設「アガペ・チルドレン・センター」を訪問。
 夫のマルヴィンド・ナルハンさんが1週間ぶりに帰宅。プラウンカレー、ホワイトチキン、カリフラワーソテーなどを出した。
 翌日、絨毯を買いに工芸品店「エイジアン・アーツ・エンポリウム」に行く。パシュミナのショールもありました。

●イギリス
 ロンドンから車で2時間。コッツウォルズ地方はイギリスで一番美しい田舎と賞賛される街。コッツウォルズは羊小屋のある丘という意味。大東めぐみさんが案内。
 コッツウォルズ・ストラウドの街の中心部から車で10分。林の中の一軒屋。敷地面積18000坪。岡田聡子さん(46歳)は5年前から住む。この家はご主人が以前から所有していたもので、築400年。美観地域に指定されているので、まわりの雰囲気を壊さないように1年半かけてリフォームした。書斎は10畳、リビング30畳。ご主人のグラハム・トーマスさん(53歳)はロンドンに単身赴任中。一人息子の海(4歳)君の部屋は8畳。この建物は全部で6LDK。
 聡子さんは香川県丸亀市出身、25歳でロンドンに語学留学し、27歳で東京で英国系の広告代理店に就職。香港支店のグラハムさんと知り合い、35歳で結婚。海君は障害を持って生まれたが、がんばっている。聡子さんは毎日2時間足のマッサージもする。
 朝、海君を小学校に連れていき、ウィリアムズ・キッチンで魚介類やチーズなどを購入。隣町のミカエル教会に行く。ここでは日本人のお母さんたちの「こぐまの会」がある。子供達に日本の文化や日本語を教えるために、月に2回行っているイベント。ここでは英語は一切禁止。
 海君は同級生のルイス君と一緒に遊ぶ。ルイス君のお母さんニッキーはいい相談相手。
 土曜日はファーマーズ・マーケットを訪問。新鮮な野菜がお目当て。サリスファイは西洋ごぼう。これで作るキンピラゴボウはご主人の好物。土日は趣味の骨董品巡り。アンティークショップ「スプラウンシー」に行く。

●インドネシア
 北スラウェシ州のメナドは近年土地開発が進む町。そこから船で1時間のブナケン島は国立公園で、世界屈指のダイビング・ポイント。ここでリゾート・ロッジ「ブナケン・チャチャ・ネイチャー・リゾート」を経営している大場玲子・ダウニーさん(41歳)。9年前からご主人のラファエル・ダウニーさん(46歳)と経営。ここに到着したお客は桟橋がないので、海に入って上陸する。人柄にひかれてリピーターが多い。
 船に乗ってダイビングのポイントまで行く。船で6分。大きな魚が見られ、カツオ、サメ、海ガメなどがいる。ジンベイザメも出てくることがあるとか。数百mまで垂直に落ち込む崖と、そこに敷き詰められたサンゴ。サンゴは500種類以上、海洋生物は3000種類以上いる。
 昼食には親子丼とかも出すが、日本のみりんが手に入らないので、紹興酒とかで代用している。味噌汁も出したいが、味噌が手に入らないそうです。
 玲子さんは1966年東京生まれ。ダイビングに興味を持ち、1996年メナドでラファエルさんと出会った。3ヶ月後にシンガポールで再会しラッフルズ・ホテルの2階のロングバーで求婚されたという。イギリスで結婚し、ブナケン島の1650坪の土地を購入して移住した。2000年に2棟のコテージが完成してオープン。現在4コテージ10室。困っているのは人で、働きたい人がいないのが困るそうです。地元では魚は獲れるし、フルーツもあるのに何のために働くの?という感じらしい。1ヶ月分の給料をもらうと満足して辞めるそうです。スタッフは現在20名。
 村長のヤン・マレルさんに挨拶に行く。フルーツは地元のものを使う。水は船で運び、雨水も貯めておく。漁師さんは船で直接魚を売りに来る。
 週に1度はメナドの街を訪れる。Matahari スーパーマーケットに行き、食材を調達。ポークサラミ、スモークタン、ビリンジョ(木の実のスナック)165円など。
 夕食は浜辺で魚を焼きました。カツオを椰子の実の皮を燃やして炭の代わりにする。バナナの葉は料理を盛り付ける皿にする。

●ニューヨーク
 安井まみ子さんが案内。木村明恵さん(50歳)のお宅からはハドソン川が見える。AKTギャラリーという画廊スペースでもある。仕事は画商で、近代絵画を扱っている。スペインのジョアン・ミロ、ロイ・リキテンシュタインなど。ご主人はロンさん(70歳)で歯医者さん。和室もあるが、和食を出す時に使うそうです。アメリカ人はノリがいいので、すごく喜ぶそうです。プレイルームでは寝そべってテレビが見られる。ワインは200本保管されている。
 ジャクソン・ポロックの作品、12億円で交渉していた。明恵さんは「ブルーマン」のプロデューサーの一人として名前を連ねている。現在、日本の食文化をアメリカのテレビ番組に紹介する企画を考案中。既に熊本でロケをしてサンプルを売り込み中。番組のHPを立ち上げようと活動もしている。とうふハンバーグも。Ippodo 茶の湯にも出かける。
 1957年大阪に生まれ、25歳でNYに渡った。昼はダンススクール、夜はバーテンダーなどを経験し、5年目でステージに立てた。ヨーロッパに出かけ絵画に出合った。
 Citarella マーケットで買い物。サーモン、オイスター、チーズなどを購入して、パーティに備えました。Shizuka New York でエステ。
 週末は別荘で過ごす。マンハッタンから1時間のウェストチェスター。アメリカでは角には悪魔が宿るという言い伝えがあるので、円形が好まれるとか。


テレビ番組「冒険!感動!珍道中!世界 超豪華鉄道でGo!」

 2008年4月10日放送。佐野史郎、須賀健太、上田晋也、You、戸田恵子、山本耕史さんが出演。日本テレビ製作。

●南アフリカ
 世界一快適というロボス・レイル Rovos Rail。人口145万人の首都プレトリアのキャピタル・パーク駅から始まる。待合室も豪華で、乗客のほとんどはヨーロッパからやってきたセレブ達。ロボス・レイルは古きよき時代の蒸気機関車にこだわっている。1893年イギリス製で、南アフリカで最も古いもの。客車も1910〜30年製造のヴィンテージ・カーを復元して使用している。今回の機関車はプライド・オブ・アフリカ号(1938年ドイツ製)。今回は20両編成で全車両400m。
 2人の乗る車両にはコンパートメントがたった3つしかないデラックス・スィートで11平方m。冷暖房完備、シャワー、トイレ、冷蔵庫付きでケープタウンまで20万5000円。目指すは600km先のキンバリー。
 センターラウンジは飲み物は無料。ダイニング・カーは2つ。最後尾にはラウンジがあり、その奥にはオブザベーション・カー(展望車)がある。ほとんどがガラス張り。午後7時、食堂車がオープン、木琴?で案内してくれた。メインコースは4つ。スプリング・ボックという鹿のソテー、舌平目のグリルなどを頼みました。
 朝食はどれだけ食べても値段は一緒。午前6時15分、最後尾の展望デッキで朝日を見る。出発して18時間でキンバリーに到着。

 キンバリーはダイヤモンドで有名な町。最盛期には1万人以上が掘っていたという。深さ393m、周囲1.5kmのビッグ・ホールは手だけで掘られたものとしては世界最大。ダイヤや金のために鉄道が発達したという。

 クルーガー国立公園に行く。四国と同じ大きさ。生息する動物の種類は世界最多。ジャッカル・ベリー・ロッジは国立公園のそばにある。自然の中に溶け込むように設計されている。虫対策として蚊帳が吊られている。1泊3400ランド(5.5万円)〜。ジャクージもある。窓の外にはサルがいました。さらにイボイノシシなどもいた。
 サファリ・ツアーに行く。ビッグ・ファイブ(ライオン、ゾウ、サイ、ヒョウ、バッファロー)に会いに行く。案内人はヴァン・リーネンさん。「静かにしている必要はない。質問も写真もOKです。重要なのは座っていること!決して立たないように!」と語った。ライフル銃も携帯。
 出発して10分でバッファローの群れに会う。次はキリン、ゾウ。日が暮れて、シロサイがいた。
 翌日もサファリに出発。メスのライオンが車の横まで歩いて来ました。チーターが群れで寝ていました。池があり、ゾウの群れが水浴びをしていた。夕方になってオスのライオンが車の横を通過。

●フィンランド
 オーロラを求めて走るオーロラ・エクスプレスはヘルシンキから北へ1000km、13時間でコラリまで走る。12月から5月まで走る。

 ヘルシンキは人口56万人、バルト海の乙女と呼ばれる美しい街。市街地にはトラムが走る。1918年に完成したヘルシンキ中央駅からオーロラ・エクスプレスが発車する。この日の気温は0度。駅の中を日本のアニメに影響を受けたゴスロリ・ファッションの中学生くらいの子が歩いていた。北欧ではアニメやマンガが大流行中で、コスプレのイベントが各地で開かれている。
 9時30分8番線ホームから出発。自動車を乗せる車両もある。15両編成で7両が寝台車両。一般寝台は86.4ユーロ〜、今回は特別車両。1部屋に5つの個室がついて15人まで利用可能な車両。サロンもあり、専属の女性スタッフがいる。1両貸切で2600ユーロ(45万円)。食堂車はパンや飲み物を売店で購入できる。グリーンサラダ3.3、クリーミー・フランクフルト8.3、チキンパン8.6、ミートボール&マッシュポテト9.2、コーヒー2、リフィル1、紅茶1.9、ホット・チョコレート2、湯0.6、ビール3〜4など。
 翌朝、まわりは雪景色。サロンカーで朝食。11.2ユーロ。10時45分、コラリ駅に到着。マイナス20度近い。コラリからはバスで75km北のトラシエッピに向かう。途中でトナカイがいた。
 トラシエッピ・トナカイ牧場ではトナカイのソリは9ユーロから。オーロラの出る場所はアンリ・オヘンオヤさんが詳しいという。コーヒーを飲む際は、口に砂糖を加えて飲むという(笑)絶景ポイントはイエリスの湖から北の空を見るか、この辺りの湖か、パッラスの丘の上がいいそうです。ホテル・イエリス Jerisのコテージに泊まった。サウナも完備。1泊115ユーロ〜。夕食はライチョウのダークゲイムソース。38ユーロ。カモの肉に近いそうです。雪原を裸で走る大人が数人、そして湖の中で泳いだ。そしてサウナに入る。

 翌日はユッラスまで戻った。フィンランド屈指のスキーリゾート。大きなカマクラがあったが、これはアイス・ヴィレッジ。スタッフのサンドロさんが案内。外は氷点下20度、中は氷点下5度。寝袋で寝るが、下着のまま入るのがいいという。服を着た方が汗をかいて体温が下がり寒くなるそうです。スイート・ルーム1泊320ユーロ。アイス・バーがある。グラスも氷。ウォッカにクランベリーの「トナカイの涙」は7ユーロ。最後はグラスを床にぶつけて割る。アイス・レストランで食事。テーブルも氷。ディナーは57ユーロで、サーモンやキノコを使った料理。外でオーロラを待つ。4時間後、ついに現われた。
 翌朝、1年に数回しか出現しないという「真珠雲」がでた。

●インド
 世界遺産のデカン高原を走るデカン・オデッセイ。デリーの南のゴアが出発地。まず世界遺産ボム・ジェズ教会(1605年完成)、ポルトガル統治時代を語る貴重なもの。フランシスコ・ザビエルのミイラが置いてある。棺は10年に一度下ろされ、一般公開される。次回は2014年。
 マルガオ駅ではセキュリティ・チェックがある。4泊5日2000kmの旅で1人3800ドル(40万円)。ツアー客専用21両編成。途中での観光、食事など全て料金に含まれている。中に入ると冷たいおしぼり、ミント・ジュース。午後5時15分出発。プレジデンシャル・スィートで1車両に2部屋ある。浴室も寝室も別にある。枕元にはワインのサービスもある。
 デカン・オデッセイはゴアを出て、マハラジャのコラプールから内陸に入り世界遺産オーランガバード、ナジークを経て、ムンバイに至る。
 2時間後夕食。食堂車は2両。内装は豪華で、料理長はニトラ・ルパックスさん。ニュージーランド産のラムチョップなど。列車内にはジムもある。エステもあり、マッサージは2200ルピー(6600円)〜。アーユルベーダで額にオイルを垂らすものもやっている。ラウンジもあり、コーヒーからオリジナル・カクテルまである。
 15時間後、コラプールに到着。男性はオレンジのターバンを巻く。大道芸を見せてくれました。ヤシの実は頭で割る。クシュティというインド相撲をやっていた。相撲とレスリングの中間のような競技。
 オーランガバードから世界遺産へは、駅からバスで40分。デカン高原の岩山の中にある「エローラ石窟群」。1枚の岩をくりぬいて作っている。19世紀に発見されるまで1000年も放置されていた。
 サリー(2100ルピー:6300円)を着てディナー。男性はクルタ&パージャマー750ルピー(2250円)。フルコースで、お勧めはチキンとほうれん草のカレー。
 4日目、インド4大聖地の一つナジーク。ゴーダーヴァリー河はガンジス川と並ぶ聖なる川で、ガンジーの位牌も流されたという。ワイナリーがある。この周辺は標高が高く、水はけがよく、1日の気温差が20度あるので、よいワインができる。スーラ・ワインヤーズは2000年に営業開始したが、世界から注目されている。世界に衝撃を与えた白ワイン「シュナン・ブラン」395ルピー(1200円)。
 5日目にムンバイに到着。インド最大のターミナル駅で、1日利用客は300万人。その駅は世界遺産チャトラパティ・シヴァージー・ターミナスで1887年完成。宮殿か大聖堂を思わせるゴシック様式の建物。


テレビ番組「路面電車紀行 アジア・オセアニア編 コルカタ」

 2008年3月15日放送。番組放送センター配給。トーキョー・ビジョン製作。

●コルカタ
 インド西ベンガル州の州都。人口4500万人を抱えるインド第二の都市で、以前はカルカッタと言われていた。町はガンジス川の支流で東側と西側に分かれている。
 ハウラー駅は西側の町にあり、コルカタで一番大きな駅。駅の周辺にはたくさんの屋台がでている。東側の町には観光スポット、宿泊施設、オフィス、商店などの主な都市機能が集中している。州毎に公用語が異なり、ここではベンガル語が多く使われている。
 インドの唯一の路面電車が東側を走っている。19系統あり、路線距離は45km。運行時間は朝4時半から夜11時まで。1873年に道路に線路が敷かれた当時は、馬が客車を引いていた。1902年に電力化された。車両毎にカラフルなカラーペイントが施されている。走っている電車に人々は構わず乗る。車両は2両連結で、前の車両が1等で扇風機がついていて運賃は10円。後ろが2等で7円。乗車券は車掌から購入する。
 1947年のインド分離独立以後、難民の流入、人口増加により、貧困、疫病、犯罪、スラム化などの問題が増大し、第三世界の都市問題の象徴的存在としてクローズアップされた。その時献身的に奉仕活動をするマザーテレサも脚光を浴びた。アルバニアからやって来て、スラム街で無料授業をしたり、ホスピスや児童施設を開設したりして、貧しい人たちのために働いた。インド各地に広がり、世界規模で行なわれた。マザー・テレサが1997年に亡くなった時、その偉業を称え、インド政府によって国葬が行なわれた。
 1690年にイギリスの東インド会社がコルカタに拠点を置き、イギリス領として開発が進められた。1858年から1912年まではイギリス領インドの首都とされた。ヴィクトリア記念堂は当時インド皇帝を兼ねていたヴィクトリア女王を記念して作られたもの。コルカタのタージマハルと呼ばれている。17世紀には3つの小さな漁村があるだけにすぎなかった。
 路面電車は一度廃止が検討されたが、郊外に住む人たちの重要な足になっているし、貧しい人の貴重な交通機関となっているので、残すことになった。
 セント・アンドリュース教会の周辺は、高等裁判所、中央郵便局、銀行など大きな建物が建ち並ぶメイン・オフィス街。ほとんどが東インド会社によって建てられてもので、イギリス植民地時代の街の様子を今も残す。
 夕方になると、道路は多くのバスやタクシーで埋め尽くされ、路面電車もなかなか進めない。


テレビ番組「旅サラダ 2008年2月は加藤紀子さんでインド」

 日本から飛行機で8時間。インドは広さ世界7位、人口は2位。JALで行きました。

●デリー
 インド北部にある首都デリーは2つの顔を持っている。一つはニューデリーで、国会議事堂や中央官庁が集中する政治と経済の中心地。他方はオールドデリーで人々の熱気の街で、牛が歩く。臭いと音と人がぶつかりあう。路地を一つ入るとインド料理の屋台。狭い路地にはあらゆるお店が並ぶ。

 人気のサリー屋「ラム・キシャン・サリー Ram Kishan Sarees 」(住所:259 Katra Pyara Lal, Chandni Chowk, Delhi、Tel:+91(0)-11-23252947、営業時間:11:00〜20:00、定休日:日・祝祭日)を覗いてみた。1000種類以上あり、品質もよく値段も手ごろ。インド各地から足を運ぶ女性たちが沢山いる。サリーは5mにもなる1枚の布。正式にはブラウスとペチコートを着て、その上から体を包みこむようにまとう。サリーとレヘンガはオーダーメイドのみで、サリーは1枚の布からブラウスからペチコートまで作り、1週間程度かかる。値段は3000ルピー(1万円)〜。お店にあるのはサリー生地(1000種類〜)、レヘンガ生地(300種類〜)、パンジャビ・スーツ生地(300種類〜)、デザイナーズ・スーツ既製品(常時100点〜)。

 オールド・デリーから南へ15km、車で30分にインドに27ある世界遺産の一つがある。「クトゥブ・ミナールとその建造物群 Qutb Minar and its Monumentsi 」。(入場料:250ルピー(750円)、インド人は10ルピー。営業時間:日の出〜日没)。800年前にイスラム王朝が戦いに勝利した記念に建てた。壁は多宗教の寺院の石がそのまま使われている。中でも一際目をひくのは、天高く聳えるクトゥブ・ミナール。高さ72.5mで石造建造物ではインド一高い。元は100m近くあったが、地震で崩れ落ちた。壁面にはコーランなどが施されている。昔は入れたが、今は中には入れない。

 ニューデリーはオールド・デリーから2kmしか離れていないのに、全く別の世界。特にコンノート・プレイスは一番の賑わいを見せるオシャレなショッピング・エリア。
 行列のできるミルクセーキの店「ケベンターズ Keventer's 」(住所:17-A, Connaught Place, New Delhi、Tel:+91(0)11-23713573、営業時間:9am〜11pm )に寄ってみた。1本23ルピー(70円)で400mL程度。8種類の味(バタースコッチ、マンゴー、パイナップル、バニラ、コーヒー、チョコレート、ストロベリー)があり、加藤さんは一番人気のバタースコッチをいただいた。ミルクシェイクの味だそうです。
 コンノート・プレイスにはスーパースターも訪れたシタールの店もある。民族楽器の店「リキ・ラーム Rikhi Ram 」(住所:G-8, Marina Arcade, Connaught Circus, New Delhi、Tel:+91(0)11-23327685、Fax:+91-11-23316983、営業時間:12:00-20:00、定休日:日曜)にはシタールなど弦楽器、パーカッション、吹奏楽器、ハルモニウム、その他オリジナル楽器、ミニチュア楽器などがある。シタールは北インドの伝統楽器。胴体にはかぼちゃが使われ、弦は19本ある。ポール・マッカートニーとジョージ・ハリスンの写真もあります。店主のアジャイ・シャルマさんが演奏してくれました。シタールは約6500ルピー(2万円)からで、オーダーメイドも可能です。
http://www.rikhiram.com/home.php

 宿泊は女性に人気の「シャングリ・ラ・ホテル・ニューデリー Shangri-La Hotel, New Delhi 」(問合せは日本国内のTel:0120-06-7744、0034-800-40-7744で、住所:19 Ashoka Road, Connaught Place, New Delhi、Tel:+91-(0)11-4119 1919)はコンノート・プレースにあり、観光地へのアクセスもよい。プレジデンシャル・スイーツは白い壁の素敵な部屋で、1泊7.5万ルピー(22.5万円)。1泊朝食付き・税サ別で、シングルは1.6万ルピー(4.8万円)〜、ツインは1.7万ルピー(5.1万円)〜、デラックス・スイートは5万ルピー(15万円)〜。
http://www.shangri-la.com/jp
 一番楽しみにしていたのはスパで、5000年前に始まり病気を未然に防ぐといわれるインド・エステのアーユルベーダ。マッサージの後はインド伝統の「シローダーラ Sirodhara 」60分4000ルピー(1.2万円)。ゴマ油に10種類のハーブをブレンドしたオイルを額に垂らしていく。不眠や頭痛を解消し、ストレスを解消し、集中力や記憶力を高めるそうです。他には「アヴィヤンガ General Ayurvedic Body Massage- Abhyanga 」60分3500ルピー(1万円)。「アーユルヴェディック・バック・マッサージ Ayurvedic Back Massage 」60分3000ルピー(9000円)。予約した方がいいそうです。

 地元で人気の北インド料理の店「モティ・マハル Moti Mahal 」(住所:Netaji Subhash Marg, Darya Ganji, New Delhi、Tel:+91-(0)11-23273011、営業時間 11am-11pm、定休日:なし)で夕飯をいただいた。店の自慢のタンドリーチキン Tandoori Chicken は210ルピー(630円)でハーフサイズもある。タンドリー・チキン発祥の店として有名なお店です。これは香辛料やヨーグルトに漬け込んだ鶏肉をタンドールと呼ばれる窯で焼き上げたもの。そんなタンドリーチキンをじっくり煮込んだ「バターチキンカレー Butter Chicken Curry 」320ルピー(960円)だが、ハーフサイズあり。「ほうれん草とチーズカレー Paneer Saag 」110ルピー(330円)、「ヒヨコ豆カレー Chana Masara 」90ルピー(270円)。

●ヴィリンダーヴァン
 デリーから電車に揺られて2時間の小さな村。国民の80%を占める宗教ヒンドゥー教の街。この街では数多くの修行僧の姿を見かける。最近建てられたお寺から由緒ある寺院まで5000以上ある。インド各地から多くの巡礼者が訪れている。
 真っ白な大理石が美しいヒンドゥー寺院「イスコン寺院 Iskcon Temple 」(住所:Vrindavana, U.P. Krishna-Balaram Mandir, Bhaktivedanta Swami Marg, Raman Reti、インフォメーションセンターのTel:+91 (0) 565 2540 343、受付:10am-1pm & 5pm-8pm、拝観料:無料)を訪ねた。回廊に飾られた絵に目を奪われた。ヒンドゥー教の神様クリシュナが描かれている。クリシュナは聖典にはいたずら好きで女性に愛される神様として描かれている。恋人ラーダとの絵。クリシュナは実在の人物だそうです。本堂にはクリシュナ神が祀られていた。クリシュナとはサンスクリット語で「闇」。そのために顔が青黒く描かれている。お花が多く供えられている。

●マトゥラー
 ヴィリンダーヴァンから15km離れた街。クリシュナが生まれたとされるお寺がある。街の到る所に赤ん坊のクリシュナが描かれている。クリシュナ生誕の地・ヒンドゥー寺院の「ケーシャヴ・デーオ寺院 Keshav Dev Temple 」(住所:Keshav Dev Temple, outside Katra Masjid, Mathura, Uttar Pradesh )で、拝観料は無料。寺院に入ると、邪気を払い、空気を清めるために、まず鐘を鳴らす。本堂に祀られたクリシュナ神は1000年という長い期間、ここで見守ってきた。ティラックというヒンドゥー教ならではの「赤い印」を額につけてもらいました。悪霊から身を守る役目もあるそうです。汚れている石版のところで生まれたそうです。額をつけたり手をつけるので黒ずんでいます。さらに巡礼者はこの回廊を108周回る。1周回る毎に煩悩が1つ消え、108周回ると願い事が叶うと言われている。

 街に出ると楽しげな音楽が聞こえてきた。子供たちに伝統舞踊を教えるダンス教室だった。「ラス・リーラ Ras Lila Dance 」はクリシュナとラーダの愛の物語をダンスや歌にしたもの。もう一つ「カタック・ダンス Kathak Dance 」は、北インドで2500年の歴史を誇る古典舞踊。このダンスの基本姿勢は直立姿勢で、足にグングルと呼ばれる真鍮の鈴を100〜200個巻いて踊る。軽快なステップ、切れの良い旋回、アラベスク模様を象ったといわれる優雅な所作、口唱歌を特徴とし、題材とされるのはクリシュナ神の物語が圧倒的に多い。


●タージマハル Taj Mahal
 ニューデリー駅から早朝に急行列車に乗って、約2時間、アーグラー駅に到着。16世紀にムガール帝国の首都として栄えた町。町の象徴はタージマハル。ラクダ車でタージマハルに向かう。交渉が必要で、今回は1000ルピー(3000円)でした。タージマハルは大気汚染による変色などの問題を抱えているので、周囲500mは排気ガスを出す車の乗り入れが禁止されている。電気自動車や電気リクシャーはOK。入場券販売ゲートから約500mも禁止。東門に到着した。入場料は750ルピー(2250円)で、インド人だと20ルピー(60円)。時間は日の出から日没までで、満月の前後は夜間も公開。定休日は金曜。
 門の中に入ると右の方に見える。正門に到着。通り抜けると正面にタージマハル。人類が地上に残した一粒の真珠。高さ67m、真っ白な大理石に覆われた白亜の宮殿。毎日2万人が動員され22年かけて作られた。精密に計算された左右対称のデザイン。インドの象徴であり国民の誇り。世界中から年間250万人が訪れる。門を過ぎたところからテレビカメラは入れない。写真はOK。
 土足厳禁。靴カバーを履きます。美しい八角形の外観。大理石に刻まれた繊細な模様。素晴らしい壁面の装飾。大理石にいろいろな宝石が組み込まれた象眼細工で、今なお受け継がれるインドの伝統工芸。
 実はある女性のお墓。ムガール帝国5代目の皇帝シャー・ジャハーンは、18年連れ添った最愛の妻ムムターズ・マハルを病で失う。絶望の中で世界一美しいお墓を作ろうと決意し、こうして完成した。

 シャー・ジャハーンの愛の証しを意外な所で見つけた。タージマハルと川を挟んで向かい合う場所に自分のお墓を建てようとした。黒の大理石を使いタージマハルと同じ形で作ろうとした。しかしそれは叶わなかった。自らの息子に政権を奪われて失脚した。そこが「メヘタブ・バーグ Mahtab Bagh 」で、入場料は100ルピー(300円)、インド人は10ルピー。営業時間は日の出から日没。真正面にタージ・マハルが見える。
 シャー・ジャハーンはタージ・マハルから3km離れた「アーグラー城 Agra Fort 」(住所:Agra Fort, Agra, Uttar Pradesh、時間:日の出〜日没、定休日:なし)に幽閉された。ここも世界遺産。入場料300ルピー(900円)、インド人50ルピー。同日にタージマハルを見学の場合は割引あり。7年間暮らして74年の生涯を閉じた部屋が残っている。部屋の中からタージマハルを眺めていたそうです。今は一緒に眠っていると言われている。

 象眼細工は今でも受け継がれている。タージマハルを作った職人の子孫の象眼細工店「スバーシュ・エンポリアム Subhash Emporium 」(住所:18/1, Gwalior Road, Post Box No.1059, Agra Cantt-282 001、Tel:+91-2225828 +91 (562) 2225828, 2225829, 2225830、営業時間:11am〜8pm、定休日:10月2日)に行ってみた。大理石を彫り、宝石を埋め込む究極の芸術。道具や手法はタージマハルを作った時と全く同じ。まずデザインに合わせ大理石を彫る。出来上がったものに合わせ数mm単位で宝石を合わせ、丁寧に磨く。柄によってエメラルドやトルコ石などの宝石を好みの形に仕上げるために、全ての工程が手作業。ターマハルの模型もあった。お皿の値段は500USドル、260ドル、1.3万ドルなど多彩です。ステンドグラスのような輝きのものは1.5万ドル。見事な芸術作品に心が洗われました。店内には2000点以上の作品がありました。
http://www.subhashemporium.com/

 夜になると楽しげな音楽が響きわたった。パレードが行なわれていた。白馬に乗った王子様がいる。ライトが光るものもある。実は一週間も続いているインドの結婚式だった。この夜は最終日で披露宴も行われていた。その始まりはマーチング・バンドと共に街を練り歩くパレードだった。式場は広くてたくさんの屋台が並んでいた。招待客は新郎新婦の到着まで、野菜カレー、ピザなどを食事を楽しむ。加藤さんもレヘンガというお祝い用の民族衣装を着ました。
 2時間のパレードを終えて新郎ゴーウィンド?さんが式場に入ってきた。みんな踊っていました。新婦が到着するまでの間、インドのフライドポテト「アルーチャート」を試食した。辛いそうです。盛大な花火を合図に新婦ソナル?さんが入場。こうした結婚式の費用は新婦側が負担することが多いそうです。みんな踊りまくっていました。クライマックスはジャイ・マラと呼ばれる花輪の交換。インドでは事前に指輪は交換している。


●ジャイプル Jaipur
 デリーから南西に260km行った山に囲まれた街。北インドに行く人が必ず訪れる3つの都市がある。デリー、アーグラー、ジャイプル。マハラジャが築いた街。かつてインドはマハラジャと呼ばれる王様が分割統治していた。ジャイプルは280年前にマハラジャのジャイ・スイン2世によって築かれた街。彼の名前からジャイプルと名づけられた。マハラジャの名残がいっぱいある。
 風の宮殿「ハワ・マハル Hawa Mahal 」(住所:Hawa Mahal, Jaipur, Rajasthan、時間:9:00-16:30、定休日:祝日)は入場料が50ルピー(150円)、インド人は10ルピー。宮殿の女性は町の人と触れ合うことは禁止されていて、窓から外の様子を眺められるように建てられた。風の宮殿は通りから距離が近い。一般公開され、最上階まで上がることができる。風が気持ちいい。遠くまで見渡せます。
 風の宮殿の裏手には180年前にマハラジャが築いた天文台がある。石造天文台「ジャンタル・マンタル Jantar Mantar 」(住所:Jantar Mantar, City Palace Complex, Jaipur, Rajasthan、営業時間 :9:00-16:30)で、料金は100ルピー(300円)、インド人は20ルピー。石造りの天文台では世界一の規模を誇る。インド最大の日時計サムラート・ヤントラなど全部で16個の観測器は西洋と東洋の知識が融合して完成した。美術館のオブジェも多い。日本語ガイドのスインさんが案内してくれた。ガイド料は300ルピー(900円)。太陽の日時計ラグ・サムラート・ヤントラは、壁の影で時間がわかる。この時、10時5分、ジャイプルとの時差が15分なので加えて10時20分となる。昔は各都市でそれぞれ時間を決めていたそうです。1947年インド全土を統一する時間が制定され、ジャイプルの差は15分できたそうです。このほかに星の動きや惑星の位置を観測するものなど、多くは今でもちゃんと使える。

 マハラジャの影響は食べ物にも及ぶ。当時高級だった砂糖をたっぷり使ったお菓子はマハラジャの権力の証しだった。40年以上前からある人気のスイーツ店「LMB Laxmi Mishthan Bhandar 」(住所:Johari Bazar Jaipur-302 003 Rajasthan, India )は中がとても広い。日本では見られない珍しいお菓子がたくさんある。全部で300種類以上あり、うちスイーツのみ120種類以上ある。100%卵を使っていないので、ベジタリアンの人も安心。食べたのは、店の人気商品「豆のラッドゥー」で、1kgあたり480ルピー(1440円)、1個だと10ルピー(30円)。砂糖がたっぷり。マハラジャが好んで食べたという「ゲーヴァル」は1kgあたり240ルピー(720円)、1個だと140ルピー(420円)。今でも昔ながらの手法で作られている。牛乳とカッテージ・チーズを混ぜ、牛乳を発酵させた油で揚げていく。60回入れて完成らしい。5分ほどで油から上げ、甘いシロップに漬け込めば完成。甘いそうです。
http://www.hotellmb.com/SweetShop.htm

 マハラジャの権力の象徴はまだある。150年前からマハラジャに仕えてきた宝石店「ジェム・パレス」を訪問した。宝石や貴金属のまばゆい光。息を呑むそうです。ダイアナ妃も来たようです。マハラジャが実際に身につけていたものも多いそうです。それらは値段がつけられないそうです。中でもダイヤモンドの首飾りは目を奪われた。当時はカッティングせず、原石をそのまま使っていた。店主のカスリワルさんがつけさせてくれました。ズシリと重いそうです。ダイヤは小指の爪くらいの大きさがあったそうです。ダイヤと金が散りばめられたマハラジャのチョーカーは首元を彩ったようです。マハラジャのチェス・セットは一つ一つに無数の宝石が散りばめられている。豪華絢爛なマハラジャの生活が目に浮かびました。

 街の中心から車で30分。マハラジャが余暇を過ごした場所がある。水の宮殿「ジャル・マハル Jal Palace 」(住所:Jal Palace, Amer Road, Jaipur, Rajasthan)は湖に優雅に浮かぶ姿から水の宮殿と言われる。1799年に建てられ、マハラジャが船遊びや狩などを楽しんだ別荘。乾期は10月〜4月。3〜4月は水がほとんどない。10〜11月が気候も良く、水もまだある。水にあふれているのは7〜9月頃だが酷暑なので観光に向かない。

 ジャイプルから40km、車で1時間。山間にたたずむ宮殿に行った。およそ400年前に築かれた城塞を、20年前にホテルとして改築した宮殿ホテル「サモード・パレス Samode Palace 」(住所:Samode - 303806 Distt. JAIPUR−INDIA )に行ってみた。ミック・ジャガーをはじめ多くの有名人が訪れ、欧米の雑誌では世界のホテル・ベスト5に選ばれたことのあるホテル。世界中から観光客が訪れ、長期滞在する人も多い。謁見の間など、随所に当時の名残を見ることができる。貴賓漂うホテルです。ロイヤル・スイートは白壁に白いカーテン、赤いソファで1泊25000ルピー(7.5万円)。ベッドも優雅です。
 陽が落ちると晩餐会の始まり。かつてマハラジャたちはラクダに揺られて、晩餐会に向かったという。建物はライトアップされていて素晴らしい。ティラックを額につけてもらい、最初に通されたのは「鏡の間」。王様がお酒を振舞ったという。夕食は大広間「謁見の間」でいただく。ゴージャスな部屋で、ロイヤル・ハタリがまず出てきた。7種類のカレーがのった銀の食器。まずはチキンカレー、ダンドリーチキンなど。頭に壷をのせた6人の女性たちが舞い踊るチャリーダンス。一般には結婚式の民族舞踊だったが、マハラジャの世界ではゲストへの歓迎の意を表すもの。他にもこの地方を代表する伝統舞踊の数々が楽しませてくれました。最後は誘われて加藤さんも踊りに参加。「ダルバルイブニング」(ディナーコース)25名分で15万ルピー(45万円)からで、25名から受け付ける。
http://www.samode.com/home/palace/s-place.htm


●ハリドワール
 デリーから北に200km、ヒンドゥー教4大聖地の一つに数えられる聖地。ヒンドゥー教はインドの人の8割が信仰している。聖なる川ガンジスのほとり、ヒマラヤ山脈の入口に位置する街。街の名前は「神への門」の意味。
 駅からガンジス川までの1kmほどの道はバラ・バザールと呼ばれる繁華街。日本の門前町のような雰囲気。牛も歩いている。多くの修行僧や巡礼者で賑わう通り。ここならではの物を売っている。銀色や金色の容器が目立つが、ガンジス川の水を入れる容器。インド人にとってガンジス川は神様だそうです。ガンジス川の水はヒンドゥー教徒にとって聖なる水。これを故郷に持ち帰って、お寺に捧げたり、自らを清めたりする人が多いそうです。小さいのを50ルピー(150円)で購入しました。

 繁華街を抜けるとガンジス川は目の前。ヒマラヤ山脈から注ぐガンジス川は全長2500km。ヒンドゥー教では女神とされ、母なる川とされる。
 ガンジス川に面したハリ・キ・パイリーという場所に人々は集まっている。ここで沐浴している。沐浴は罪を洗いながし、徳を得られるという。加藤さんも入りましたが、結構冷たいそうです。全身を川に入れなくても、足を浸し、水を頭からかけるだけでも沐浴になる。沐浴の証しとして、先ほどの容器にガンジス川の水を入れる。
 陽が暮れる頃、「アールティ」という儀式が始まる。鐘の音が響き、2000人を越える人が集まる。毎日行なわれる儀式で、花籠に火を灯し、神と崇めるガンジス川に祈りを捧げる。アールティの最後は、祈りを込めた花籠をガンジス川に流す。加藤さんも流しました。

●リシケシュ
 翌朝、ボートで北に25km離れたヨガの故郷を目指す。ガンジス川のほとりで山に囲まれている。街中にはヨガの文字が多い。ヨガは5000年前のインダス文明の頃に誕生したそうです。
 1968年ビートルズがヨガ修行に訪れてから、リシケシュはヨガの故郷として名が広まり、世界中から多くの人が集まるようになったという。
 加藤さんもヨガを学ぶことにした。訪れたのは修行道場「シヴァナンダ・アシュラム」(住所:The Divine Life Society, P.O. Shivanandanagar 249 192, Distt: Tehri-Garhwal, Uttaranchal, Himalayas, INDIA、Tel:+91-135-2430040、E-mail:generalsecretary@sivanandaonline.org )で、川沿いにある。誰でも自由に入ることができるお寺や病院、ヨガ教室などがある修行道場でサルーと呼ばれる多くの修行僧が生活している。
http://www.sivanandadlshq.org/

 ヨガホールにて、いよいよ本場のヨガを初体験。指導してくれるのは、ヨーロッパで修行後、3年前インドに来たという日本人女性のニムラアナンダ先生。まずは呼吸法から。腹式呼吸を5分ほど繰り返す。続いて太陽礼拝のポーズ。この道場ではヨガの基本を丁寧に教えてくれます。女性ヨガクラスは毎日16:30分から。場所が限られているので事前確認が必要。本科(研修コース・2か月〜)では、精神修行やインド哲学の勉強と合わせ、修行の1つとしてヨガがある。詳しくは次のURL。
http://www.sivanandadlshq.org/yvfa_prospectus.pdf

 陽が暮れると食堂ダイニング・ホールが賑やかになる。修行僧のほか、誰にも無料で食事が振舞われている。この街の修行道場のほとんどで行なわれているそうです。加藤さんもいただきました。ゴザの上に座って、金属のお皿を前にしているとサフラン風味のお粥を配ってくれます。大盛は可能らしい。料理にはお肉やお魚が全く使われていない。この街ではヒンドゥーの教えが厳しく守られ、お酒も禁止されている。左手は不浄の手なので、右手でインド式に料理はいただきます。

●癒し
 究極の癒しを求めて、リシケシュから車で30分。ガンジス川とヒマラヤを望む最高級スパ・リゾート「アーナンダ・イン・ザ・ヒマラヤ Ananda in the Himalayas 」(住所:The Palace Estate Narendra Nagar, Dist. Tehri-Garhwal Uttaranchal-249175, India、Tel:+91-1378-227500、Fax:+91-1378-227550、E-mail:sales@anandaspa.com )に行く。貴賓と風格が漂うレセプション。かつてこの地を治めていたマハラジャの宮殿を改装したもの。2000年にオープンしたこのホテルは極上の癒しが体感できると、海外セレブに大人気。
 部屋は明るい。デラックス・バレー・ビュー・ルームで2.3万ルピー(7万円)〜。部屋じゅうにアロマが香り、デラックス空間が広がる。スパの料金なども含む値段のようです。
 ホテル最大の癒しはスパ。2005年にはワールド・ベスト・スパ賞を受賞。徹底的に心と体をケアするため、2週間以上宿泊する客も多いそうです。希望すれば、ホテル専属ドクターの問診を受け、体質に合わせたヨガ・メニュー、マッサージ、料理までプロデュースしてくれる。今回は特別にシュリーナラヤナン先生が1泊2日のプログラムを作ってもらった。加藤さんは体が冷えやすいので、サラダとかは食べない方がいいそうです。
 体質改善プログラムはヨガからスタート。ヨガをすることによって、心と体をリラックスさせ、溜まっている疲れを取り除いていく。続いてスパ・ルームで体のメンテナンス。今回は発汗作用のあるアビヤンガを勧められた。体質に合わせた薬草オイルを使い、2人で同時にマッサージするのが特徴。ゆっくりと全身を揉みほくしてもらった。その後ディナー。担当シェフのクンタル・クマールさんが説明してくれました。刺激的なものを避け、体を温める料理を用意したそうです。「温野菜の盛り合わせ」はトマト、チンゲンサイ、コーンミールなど消化を助けるという食材が使われていた。「レンズ豆のスープ」は血行をよくし、体を温めてくれるそうです。メインは「季節野菜の包み焼き」で、自家栽培された大根や人参などの根野菜をふんだんに使った料理。カロリーが低く、ビタミンが豊富なメニュー。翌朝はスパで5000年続いているというアーユルヴェーダ。ヒマラヤの麓から採れた薬草で作られたオイルを額に落とすシローダーラ。不眠や頭痛を解消し、ストレスを取り除いてくれます。プログラムの締めくくりはヨガ。
http://www.anandaspa.com/


テレビ番組「世界弾丸トラベラー 青田典子さんでインドのリシュケシュ」

 2008年1月26日放送。青田典子さん(40歳)が旅をした。インドのリシュケシュはヒンドゥー教の聖地。ビートルズも訪れたヨガ発祥の地。インドの聖地で見も心もキレイになる1泊3日、6500kmの旅。

●予定
 1日目、11:00成田空港発JAL471便、9時間半で19:00デリー国際空港着。20:00デリー国際空港からニジャムティーン駅にタクシーで移動。21:00ニジャムティーン駅に到着。23:10に2番ホームより寝台列車に乗車する。23:15ニジャムティーン駅発、寝台列車でハルドワール駅に向かう。
 2日目、6:00ハルドワール駅着。6:30リシュケシュの「アーナンダ・イン・ザ・ヒマラヤ」へタクシーで移動。7:40リシュケシュの高級スパ・リゾート「アーナンダ・イン・ザ・ヒマラヤ」着。アーユルベーダ・マッサージと朝食とヨーガを体験。12:20ホテルを出発し、リシュケシュの中心部にあるトゥルベニガート・バザールに行く。13:00トゥルベニガート・バザール着。徒歩でバザールを抜けて、ガンジス川に。13:30ガンジス川着。ガンジス川で身も心もキレイになる。14:15、ガンジス川出発。タクシーで移動。20:15デリー国際空港着。23:10デリー国際空港発マレーシア航空MH191便でクアラルンプールに向かう。
 3日目、7:00クアラルンプール着。11:00クアラルンプール国際空港発MH070便、18:35成田空港着。

●デリー
 人口1400万人。タクシーに乗るが、荷物は屋根に載せる。渋滞がひどくてクラクションが多い。21:15ニジャムティーン駅に到着。列車は盗難が多いから盗難防止用のチェーンとカギを売っている。45ルピー(135円)。寝台列車に乗る。2等車で列車代は900ルピー(2700円)。列車は8分遅れで出発。シーツ1枚が配布されたのみ。

●ハルドワール
 予定通り6時に到着。チェーンが外れずかなり格闘して壊したみたいです。山の中にある高級リゾート「アーナンダ・イン・ザ・ヒマラヤ」にタクシーで向かう。ようやく太陽が昇り始めた。真っ赤な朝日。1時間山道を走って、7:50にホテルに到着。メイン・ロビーの建物は1910年に建てられた当時リシュケシュを治めていたマハラジャの宮殿を改築したもの。世界のスパ10選にも選ばれたインド最大級のスパを併設している。室料は23100ルピー(7万円)。
 癒しのスパルームで、アーユルベーダ・マッサージを体験。20部屋のスパルームが完備している。最初にナマスカーラ「健康のためのお祈り」で精神統一。次は「アバヤンガ」というアーユルベーダ・オイルを使った全身マッサージ。100種類以上の薬草を調合したオイルで、全般的な健康促進に優れた効果を発揮する。2人でマッサージしてくれます。シロダーラという脳のマッサージは油を額に落とすもの。アーユルベーダ・マッサージは7700ルピー(2.3万円)です。
 10時からヘルシーな朝食。白いのはヨーグルトではなく、キールというミルクのお粥。ドーサはお米と豆の粉で作ったクレープで、3種類のソース(ミント、ココナッツ、トマト)でいただく。とても美味しいそうです。朝食は530ルピー(1600円)。
 11:30からヨーガ。先生はスシール・クマールさん。ハタヨガはリシュケシュの伝統的なヨガのスタイルで、リラックスして体の調子を整える。ハタヨガは様々なヨーガの中で源流ともいえるもの。体の動きと深い呼吸を組み合わせたもの。木のポーズ、英雄のポーズ、三角のポーズなどを体験。
 12:30ホテルを出発してガンジス川に向かう。車で40分。トゥルベニガート・バザールを歩いて抜ける。サリーを売っている店に寄る。サリーは時間がかかるので、同じ生地ではおるだけのストールにした。1500ルピー(4500円)。額にビンディをつける。30ルピー(90円)。祈りを捧げるためのディープ・ダン(花の燈篭)5ルピー(15円)を購入。
 ガンジス川に到着。花の燈篭にお香を灯し、ガンジス川に流した。川に入って、今日の日を感謝し、インドに来れたことを感謝。
 ここから6時間かけてデリー国際空港へ。それから成田空港に帰りました。


テレビ番組「山口達也のヒマラヤ紀行 天空の里ラダック」

 2008年1月2日放送。年末にTOKIOの山口達也さんが案内。もっと現代の日本人がより幸せに生きるためのヒントが隠されているのではないか?を調べるためにやってきた。TBS製作。

●ラダック
 インド北西部で中国チベットの国境近くのチベット仏教の町。チベットのどこよりもチベットらしさを残しているという。ラダックとはチベット語で「峠を越えた所」という意味。夜明けとともに読経の声が響く。標高4000mで乾いた空気。冬はマイナス20度にもなる。人なつこい笑顔の人々は日本人に似ている。
 山の頂きから頂きに万国旗のようにはためく旗が翻っている。布にはたくさんの経文と聖なる馬の絵が絵書いてあった。タルチョというもので、赤は火、白は風、青は空、黄は大地、緑は水を表している。旗がたなびいて馬が空をかけ、悪いものを蹴散らすという。また町の至るところにマニ車があり、1度まわすとお経を1回唱えるのと同じ功徳があるという。

 ラダックにはゴンパと呼ばれる僧院がある。ティクセ・ゴンパもその一つ。弥勒菩薩(チャンバ)の大仏がある。金色で鮮やかな色。チベット式のお参りの仕方を教えてもらった。頭、両肘、両膝をつける五体投地で最大級の敬意を表わしている。女性の顔ではないでしょうか。ここには100人以上の僧侶が暮らしている。ゴンパ周辺に僧侶たちが僧坊に住んでいる。
 チベット仏教は日本でいえば密教の流れにあたる。日本のものは初期の仏教だったが、チベット仏教はインドで成熟した仏教が7−8世紀に伝わったもの。壁画は「忿怒尊(ぶんどそん)」という神々が描かれていて、観音菩薩や文殊菩薩の化身。悪しき心を打ち負かすためにおどろおどろしい姿をしている。
 朝、ホルンが響き、お勤めが始まる。読経が始まる。日本では小学生くらいの子供が見習い僧(チュンジュン)として参加していて、勤行の際にお茶を注いでいく。チャンバ・ラクソク君(18歳)と話をした。出家した僧侶は結婚もしないし、女性には触れない、などの厳しい戒律がある。少年僧のための学校もある。ヒンディー語、英語なども覚える。昼休みにはペットボトルを使ったホッケー遊びをする。そしてお経を覚えます。ナワン・ラクチョク君(13歳)もその一人。午後4時に僧坊に帰ると、何度も水を汲みに行く。夕方に指導僧チャンパ・ティンレスさん(22歳)が帰ってきた。ナワン君の実兄です。夜もお経の勉強が続く。夜8時消灯。

 一般の人の暮らしを見る。ピャン村の農業・牧畜を営むソナム・ノルフェルさん(78歳)のお宅に行くと、カタと呼ばれる布をかけてくれた。4世代が一つの屋根の下に暮す。グルグル茶をいただいた。バターと塩が入っている。みんなマニ車を回している。朝ご飯はバターやチーズをお茶で煮込んだチャフルというスープ。この中に炒った大麦を粉にしたツァンパを入れて食べる。奥さんのタシ・パルモさん(71歳)の牛の乳搾りを手伝うが出ない。一家の主婦のプンツォグ・ドルマさん(44歳)の牛の小屋の掃除を手伝う。糞を集めて庭に干す。これは燃料になる。自家製バターを作るのを手伝う。2時間ひきました。昼食は、羊肉とツァンパーの粉のスープであるナムトゥク、乾燥野菜のヨーグルト漬けのタントゥル。小麦で作ったパンのタギ・カンビル。
 セワン・ツンドゥプさん(49歳)について上の村に行く。標高で1000m上でした。マイナス15度くらいだそうです。道端には白い塔のチョルテン(仏舎利塔)がある。必ずチョルテンを右に置いて回る。タシ・ラブゲスさんのお宅に到着。牛に似たヤクを飼っている。ヤクと牛をかけあわせたゾもいる。牛よりも強くて、ヤクよりも多くの乳を出すという。2人の娘はここから学校に通っている。地元の歌を歌ってくれました。
 帰ると、ソナムさん宅では糸紡ぎをしていた。山口さんは「質素=貧しい」というのではなく、自宅で取れたものを自宅で食べるという生活は贅沢かもしれないと語っていました。私たちは自然の一部であるという思い。ソナムさんも毎朝祈っている。村のみんなや家族の幸せを祈り、私が死んだらまた人間に生まれ変われるようにと祈っているそうです。人のためになることをしなければ、再び人間に生まれ変われないそうです。ゴンパには輪廻の教えを説いた絵が必ず描いてある。人間は死後に「りくどう」の世界に行く。また人間に生まれ善行を繰り返せば、輪廻の世界から解脱できるという。人をいたわり、人のためになろうという心を持つ事が大事だそうです。

 僧院サンカル・ゴンパの僧侶ロブザン・ルンドゥプさん(41歳)は「仏教ではこの世にあるものは互いに結びついている。人間も他のものから独立した存在ではない。」と語る。
 色とりどりの砂で曼荼羅を作っている。マンダラとは多くの仏たちで構成された密教の世界観を表わしたもの。砂曼荼羅は各寺で年に1度、様々な思いを込めて作られる。
 地元のラジオ局に勤めるセワン・ヌルプーさん(33歳)は母を亡くした。写真は残っていない。11月3日出棺の日、多くの人が集まってくれた。僧侶も20〜30人集まる。出棺の列に女性は参加できない。僧侶たちは「オン・マ・ニ・パド・メ・フム」と言っています。慈悲の心で人々を救う観音菩薩に対する真言。棺おけはプルカンと呼ばれる火葬場で荼毘にふされた。墓はない。灰はそのまま大地や川に流される。
 日本人は、神様が見ている、お天道さんが知っているという言い方が減ってきているような気がする。
 砂曼荼羅が10日かけて完成した。完成の儀式が始まった。世界の平和への祈りが世界中に届くように祈りが続いた。祈りの後に砂曼荼羅は粉々に壊された。祈りの結晶は形なき物へ帰る。砂は川に流された。祈りと共に自然界へ帰っていく。

 ラダックのレーの町。今年もあと5日となった日の夕暮れ。ゴンパからホルンの音を合図に家々に光明が灯される。ラダックではチベット暦の11月1日にお正月が祝われる。日本のお正月とほぼ同じ頃にあたる。この行事はガルダン・ナムチョットの祭り。灯明を灯す時に人々は「ブロー、ブロー」と言う。この灯りが人のためになりますように、という祈り。この日だけは夜が明るい。年末年始の日は見習い僧は家族の下に帰ることができる。
 大晦日の日の午前4時、火葬場のプルカンでシミという行事が行なわれる。この日だけはプルカンがお墓の役目を果たす。みんながお墓参りに来る。
 夜は年越しの儀式メトが始まる。山の頂上から松明行列が降りてきた。次に火の玉を振り回しながら街中を練りまわる。最後は投げ捨てる。今年の悔いを一緒に投げ捨てる。

 新年(ロサル)がやってきた。ソナムさん宅では、タルチェに新しい祈りの旗を縫い付ける。


テレビ番組「たけしの新・世界の七不思議2」

 2008年1月1日放送。ビートたけし、大江麻理子アナウンサーが司会。古代ギリシャのフィロンは数学者で旅行家だった。紀元前2世紀に世界で初めて七不思議を紹介した。この中でエジプトのピラミッドを除いて全て消え去った。2007年1月たけしは3つの不思議から第一の不思議を選んだ。つまり「マチュピチュ」、「楽山大仏」、ペルーの「ナスカの地上絵」の中から「ナスカの地上絵」を選んだ。
 今年選ぶのは、イースター島の「モアイ像」、マヤ文明「チチェン・イッツァ」、スリランカの「シーギリヤ・ロック」の中から1つ。

●イースター島
 南米大陸から3700km、タヒチから4000km。1000体のモアイ像、1個200トンを越えるモアイ像をどうやって運んで作ったのか。周辺の島や南米にもない文字を持っていた。ヨーロッパ人がやってきて文字の文化も破壊された。
 1722年4月5日イースターの日にオランダ人提督ヤコブ・ロッヘーフェンの率いる船が島にやってきた。彼はモアイ像に驚いた。木もなくロープも持たないこの島の人がどうやって建てたのかが不思議だと日記に書いている。
 パルパライン大学のホセ・ミゲル・ラミレス教授は、当時5000−1万人住んでいたという。12の部族に分かれ、それぞれの部族はその長が治めていた。食料はたっぷりあったという。その後、スペイン人探検家、キャプテン・クック、フランス人探検家たちがこの島に寄港している。1770年スペイン人ゴンザレスが寄港した際に、文字の文化を持っていることがわかった。ロンゴロンゴと呼ばれ、1500以上の形からなり、1行毎に上下逆さまにして読む。
 モアイ像はどうやって作られ運ばれたのか?10−16世紀に作られたというのがわかっている。ラノ・ララク山に作りかけのモアイが397体置いてある。数十km離れた場所いにどうやって運んだか?ノルウェーのトール・ヘイエルダールが地元住民に伝わる伝説に注目した。「彼らは海辺まで歩いた」。今回、高さ2.5mのモアイに対して、島民20名を6つのグループにわけロープで引っ張った実験をしてみた。1986年にヘイエルダールが実験した。京都橘大学の猪熊兼勝教授は、2艘の船を使って運ぶ方法を提唱した。しかし浜辺は2ヶ所しかない。しかし海に沈んだものもあるが、チリのダイバーが観光用に沈めた物でした。
 何故建てられたのか?ほとんどのモアイは海に背を向けている。1978年にうるしのようなものをのせたモアイが発見された。復元する際に初めて目が発見された。全てのモアイが目をもっていることがわかった。まわりはサンゴで中は黒曜石。18世紀の欧州人は「人々は石像の前で踊り、うやうやしく頭を下げていた」と書いていた。亡くなった部族の長や大切な人の名前がついていた。アフと呼ばれる台座から、人骨が丁寧に埋葬されて見つかっている。モアイは村を守るものだった。19世紀にはことごとく倒されていた。18世紀には食料争いが起きていた。そのために能力を持つモアイを倒すことが先決だと思われた。昔は豊かな森が存在していた。欧米人が奴隷を求めてやってきた。かつ天然痘という病気をもたらした。環境破壊が森を壊し、島が滅亡しかけた。
 ヘイエルダールは彼らがさつまいもを食べていたことから、アンデス地方から来たと考えた。またトトラと呼ばれる南米原産の葦のような植物が原生していて、それで船を作っている。巨石文明に通じるので、インカの末裔だと考えた。現在はポリネシアから来たと思われる。そのために、あやとりやコマがある。モアイ像に近いものがマルケサスやタヒチで発見されている。5000年前にアジアから太平洋に旅立った人だと思われている。
 ポリネシアのバヌアツで縄文土器が11年前に発見された。ミシガン大学教授のチャールズ・ローリング・プレイス4世が縄文人が先祖ではないかと考えた。頭蓋骨が酷似していることや、いれずみの風習が似ていることや、モアイのルーツも猿石などにあるという。マケマケという創造神はハート型の顔をしているが、埴輪などにハート型のものがあるという。モアイの中で正座しているものがあるし、ふんどしをしているものもある。

●チチェン・イツァ
 マヤはメキシコのユカタン半島に紀元前3〜紀元9世紀に繁栄し、突然消えた。発見された遺跡はほんの一部で、熱帯ジャングルの中に多くあると言われている。19世紀にフレデリック・キャザーウッドなどが多くの遺跡を見つけた。
 1922年11月26日イギリス人のハワード・カーターによってエジプト史上初めて見つかった未盗掘の墓からツタンカーメンの遺産が見つかった。その30年後にマヤで大発見があったことはあまり知られていない。
 1948年にアルベルト・ルスがパレンケの遺跡を訪れた。かつて欧米人によりユートピアに仕立てられたマヤの真実を探ろうとしていた。紀元7世紀頃に建てられた高さ35mのピラミッド(碑銘の神殿)に多数の碑文が刻まれていた。神殿の最上部にある瓦礫を取り除いていた時、穴が見つかった。そこには下へと続く階段があった。1952年、瓦礫を全て取り除いた後に、不思議な石版を見つけた。その奥には高さ7mの空間があり、彫刻を施した石があった。そこには宇宙船を操縦しているかのような絵と、マヤ文字が刻まれていた。石は5トンで、ジャッキで開けてみた。身長190cmを越える人物の骨があり、緑の光を放つ多くのヒスイのアクセサリーで飾ってあった。ヒスイと貝殻と黒曜石の仮面だった。値段がつけられないほどの貴重な品で、現在はメキシコ国立人類学博物館に展示されている。下の碑文が後に解読された。7世紀頃のパカル1世だった。他のピラミッドなどからも王の品が見つかった。
 13号神殿からも1994年にアルノルド・ゴンザレス博士が水銀が酸化されて赤くなった女性の遺体を見つけた。パカル王の碑文に11年前にツァクブ・アハウ王女が亡くなったことが書いてあるので、その王女だろう。1979年に亡くなったルスの墓はピラミッドを見上げる正面の場所にある。
 大河のほとりでもないのに、どうして文明が発展したのか?ここには3万人が暮らしていた。200m離れた場所にセノーテと言われる泉がある。直径60m、水面までは20mの泉。フリオ・セサル・ホイル研究員はユカタン半島にはこういうセノーテが大小あわせて2000以上あるという。ダイバーのロヘリオ・ミエル・オルテガさんの協力で潜ってみた。セノーテは洞窟のように横に広がっていた。鍾乳洞のような空間。10分泳ぐと地上の木の幹もあった。40分後、太陽の光が入る場所がある。別のセノーテだった。実はセノーテ同士がつながっている。セノーテは全長550kmの天然水路だった。
 6500万年前、巨大な隕石が地球に落ちた。その時開いたクレーターに土が堆積し、石灰質土壌になった。長い間かけてふった雨が地中にしみこみ、空洞の中に巨大な地下水脈ができた。一部が陥没してセノーテができたと考えられている。
 ククルカン神殿は巨大な暦になっている。4つの階段には18個の「きだん」があるが、これはマヤの月(ハアブ暦)にあたる。各面に91段の階段があり、神殿をあわせると、91x4+1=365段となる。春分の日と秋分の日に神と崇めるククルカンが姿を見せる。午後3時30分それは始まった。高度な天文学的知識と建築知識がないとできない技である。
 カタツムリ(カラコル)と名づけられた建物は天文台だった。屋根にあけた穴から星や太陽の動きを見ていた。マヤの暦では1年は365.2420日で、現代の365.2422日とほぼ一致している。ラモン・カラスコ博士は作物の種を植えたり、収穫する時期を知るために暦を利用したという。王が儀式を行なう時にも使った。新たに王につく時は日食の日などにしたのだろうという。また、5000年の暦も作っていた。
 生け贄の儀式があった。そのための特殊部隊があったという。捕虜は青く塗られ神殿の頂上に連れて行かれ、黒曜石のナイフで心臓を取り出され、心臓はチャック・モールと呼ばれる台座に置かれた。広場は球技場として使われていた。
 マヤによれば、かつて太陽は3度滅び、地球の文明は塗り替えられてきた。その弟4の太陽は紀元前3113年に始まり、5128年が経過するとその時代が終るという。それが2012年12月22日だという。マヤの長老フンバツメンは、人類が母なる自然を痛めつけてきたから、そのお返しがあるという。アステカ文明にも同じような言い伝えがある。アステカでは第一の太陽はジャガーに、第二の太陽は風に、第三の太陽は火の雨、第四の太陽は水によって滅びたが、第五の太陽は地震によって滅びるという。
 最近の本によると、フォトンベルト突入説が主流らしい。1910年にはハレー彗星の尾に入ると毒ガスで死ぬといわれていた。

●スリランカのシーギリヤ・ロック
 緑を敷き詰めた熱帯ジャングルに岩山がある。高さ200m、周囲420mのシーギリヤ・ロック。中腹には獅子の爪、頂きにはかつて建物があったことを示すレンガの基礎が残っている。これは1500年前に王が築いた宮殿。東洋のモナリザと称される壁画がある。
 最初に注目したのは1831年にイギリス軍人のフォーブスが、岩山の中腹に人工物と思われるものを見出した。日本の古事記に相当するスリランカの「マハーヴァンサ」には、歴代王の伝説が綴られており、岩山に宮殿を建てたカーサパ王のことも記録があった。これは架空の話にすぎないと思われていた。1851年再び岩山を訪れカーサパ王の宮殿であることを確認した。しかし、これは岩山だけではなかった。
 周囲を堀に囲まれた庭園は東京ドームの50個分以上。城壁は「蓮の水路」と呼ばれる堀で囲まれていた。ここにはワニが放たれていた。中には「水の庭園」があり、下水道施設があり、噴水が設置してある。ムーンストーン、アメジスト、金を贅沢に使った王妃のものと思われるイヤリングも見つかっている。庭園の中には1本の小道がある。奥は巨石庭園となる。昔はこの岩山には神が宿ると思われていて、麓には石窟寺院が数多く残されている。少し上がるとシーギリヤロックの発見につながった「ミラーウォール」と呼ばれる回廊がある。壁面は卵白、ハチミツ、石灰を混ぜたものが塗られて、鏡のような光沢をもっている。中腹の小さい広場にライオンの宮殿の入口がある。両脇には鋭いライオンの爪が鎮座している。以前はライオンの胴や頭部まであったという。急勾配の階段を上がる。王が使ったリフト跡も残っている。頂上には広さ4000坪の宮殿跡がある。レンガ造りの建築基礎が刻まれている。大臣や召使の住居も並んでいる。王の沐浴場や、王座の前にはダンス・ステージまである。
 1875年イギリス人役人のデイビットは、ミラーウォールの上に夕陽が当たり、洞窟に雲に乗った美女の絵が見えた。シーギリヤ・レディと呼ばれた。元々、人が近づける場所ではない。東洋のモナリザと称されるその微笑は、古代ギリシャ彫刻や日本の仏像に見られるアルカイック・スマイル。衣服を着た女性と裸体の女性がいる。裸体の女性が上の位らしい。現在は18人のレディが見られる。以前は500人のレディが描かれていたという。
 国立カラニヤ大学セーナカ・バンダーラナヤカ名誉教授に話を聞いた。10年前にミラーウォールに水をかけると現れた。ここにペンキが塗られたので発見されなかったようだ。調査隊長のチャンダナ・ヴィーラセーナ博士は、雲に乗っている黄金の肌の女性は雷、青い肌の女性は雨を表わすという。シーギリヤ・ロックに降る雨水は岩肌に刻まれた水路を通って下に下りて、庭園を潤していた。頂上には飲料水用の貯水池がある。極めて高度な灌漑技術があった。
 ミラーウォールはなぜ光るのか?これは未だ謎である。
 スリランカの町では獅子の姿が多い。国旗にも獅子がある。かつてはシンハラ王国と呼ばれていたが、シンハラとは「獅子の民」という意味。マハーヴァンサには紀元前5世紀、インドで獅子と姫の間に子供が生まれた。この子が親を殺し、子孫が開いたのがシンハラ王朝だった。5世紀、ダーツセーナ王は農業で国を富ませた偉大な王だった。2人の息子がいた。兄は身分の低い側室の子のカーサパで、弟はモッガラーナは正妻の子だった。王は弟に王位を譲るつもりだった。王と折り合いの悪かった将軍がカーサパを支持し、478年反乱を起こし、王を捕らえた。王に財産のありかを聞いたところ、王はカラー・ウェアという池に連れていった。これが農業の基になっていた。王はこれをカーサパに教えようとしたが、カーサパは王を堤防の壁に塗り固めて殺した。仏教では父親を殺すことは禁止されている。後に王の愛情が理解できたカーサパは悔いた。さらにカーサパは傀儡にすぎず、将軍が実権を握り、人民に圧制を強いた。カーサパ王は国民の反感を買い孤立した。ある日、夢を見た。父の意志を知りたいなら、父の道を辿れといわれた。辿ってみて、岩山にたどり着いた。ここに灌漑をしようと決意し、宮殿も造った。絵を描かせたのは、蓮の葉に乗り寺院にお参りに行く様子だといわれている。父親に対する懺悔の念を表わすものだった。11年後、インドに逃れていた弟が帰ってきて、都を制圧した。カーサパは自害した。シーギリヤロックは父親への深い愛情と畏敬の念をもったカーサパの償いだった。

 ということで、マヤのチチェン・イツァが選ばれました。


テレビ番組「超豪華!船と列車で巡るインド Silversea & Deccan Odyssey 」

 2008年1月1日放送。世界のベスト・シークルーズに選ばれるシルバーシー・クルーズはヨーロッパを中心に世界を巡る豪華客船の旅。アラビア海を北上し、コーチンからゴア、ムンバイまで豪華な船旅を満喫する。ムンバイからはインドの豪華列車デカン・オデッセイに乗りラトワギリを目指す。JIC製作。

●コーチン
 インド南東の町。ここからシルバー・ウィスパー Silver Whisper に乗る。
 Silver Whisper はシンガポールを北上し、プーケット、コロンボを経てコーチンに8日間かけて到着していた。これからゴア、ムンバイを目指す。グランド・スイートにチェックイン。この船では全ての客室がスイート仕様。この船は全長182m、2.8万トン。スタッフの数は乗客数に近い。デッキは7層構造。オブザベーション・ラウンジからの眺めもよい。日本での問い合わせはインターナショナル・クルーズ・マーケティング株式会社(Tel:03-5405-9213)。
 午後7時コーチンを出航。

●クルーズ
 朝日。バトラーのマヌさんがサービスしてくれました。食事代、サービス料金もクルーズ代金に含まれているので、ルーム・サービスで食事をしてもチップは不要。
 船長の Mino Pontillo さんに話を聞いた。モルムカオ(ゴア)には明日の朝8時に到着し、ムンバイに向かうという。今まで12年間世界中を航海してきたが、安全・治安面の問題は全く発生していないそうです。
 デッキのテーブル席での朝食は格別の味。ゲストは好きなスタイルで食事を楽しむ。
 マンダラ・スパでは最上階でリラクゼーションを提供している。ビューティ・サロンもある。フィットネス・センターのマシンは全て最新式。ブティックもある。Silversea オリジナル・ブランド商品が人気とか。カジノもあるが、18歳以上でないと使えない。ビジネスセンターにはインターネットも利用でき、ライブラリーにはDVDソフトもあり、自分の部屋で鑑賞できる。
 ランチタイムにはユニークなイベントがある。ギャレー・ビュッフェでは厨房を開放していて、シェフとの会話を楽しめる。この日はインド料理が並ぶ。
 イタリアン・レストラン「ラ・テラッツァ」で、ディナー。イカのトマト・ソース煮込み、パスタのブロッコリー風味。マグロのステーキ野菜添え。
 「ル・シャンパン」はワイン愛好家のための特別レストラン。シルバーシーは「ルレ・エ・シャトー」と提携している。ここの料理はワインに合わせて作られる。Cava Colet Assemblage NV には Tapas Ibericas 。Albarino Pedralonga Galicia 2004 には Zarzuela 。Gran Reserva Arzuaga Rivera Del Duero 1996 には Pechuga de Pato con Manzanas 。
 ディナーの後はシガー・バー「ザ・ヒューミドール」。究極のシガー・ブランド「ダビドフ」のシガーがある。
 「ザ・バー」はショーラウンジにつながる大きなバー。ピアノの生演奏をはじめ、ナイトライフを楽しめる大人の空間。

●ゴア
 3日目の朝8時にゴアに入港。16世紀の初頭にポルトガル領となり、東方貿易の拠点となった。ゲストは上陸してオールド・ゴアを訪ねる。
 ここはキリスト教布教の拠点としても栄え、多くの教会が建てられた。残っているものは1986年に世界遺産に登録された。セ・カテドラルは17世紀の建築。15の祭壇を持つオールド・ゴア最大の教会で、ポルトガル・ゴシック様式。聖カタリーナが祀られている。ボン・ジェズ教会は1605年の建築。ここにフランシスコ・ザビエルが眠る。

 午後4時、ゴアを出航。
 軽めのランチはプールサイドで楽しめる。アメリカン・スタイルでカジュアル。
 クルージング最後の夜に催されるフェアウェル・パーティ。フォーマル・ナイトです。歌のショーも開かれる。パノラマ・ラウンジで静かに過ごすのもまたよい。

●ムンバイ
 翌朝8時、インド最大の都市ムンバイに到着した。
 喧騒のムンバイ。各地からの移民が多く、人口は世界最大級。17世紀にイギリスに譲渡された時にボンベイと名前を変えたが、1995年再びムンバイとなり今にいたる。植民地時代のシンボル「インド門」は、1924年に完成し、ムンバイを訪れる要人の歓迎式典に使われた。背後に建つ「タージ・マハル・ホテル」はインドが誇る最高級ホテル。1903年にムンバイの大富豪によって作られた。
 世界遺産に登録された駅舎がある。チャトラパティ・シヴァージー駅 Chhatrapati Sihvaji Terminus R.S. で、1878年から10年かけて建設され、ゴシック様式とインド様式が融合した美しい駅舎。この駅を見守るライオンの門と虎の門。駅を設計したスティーブンスは30代の若さで、この大事業を成し遂げた。素材はレンガと石の組み合わせ。細部には念入りな彫刻を入れてある。

●鉄道の旅
 ここからは鉄道の旅。ムンバイから南下してラトナギリ、ゴア、北上してコラプール、ブーネ、オーランガバード、ジャルカオン、アジャンタ、ここから西に向かいナジークを経てムンバイに戻る7泊8日間の旅。マハラシュトラ州を一周するデカン・オデッセイの列車の旅。
 デカン・オデッセイは2003年に運行を始めた豪華列車。ファーストクラスのサービスを受けられる新しいインド旅行のスタイル。色鮮やかなサリーを着た少女たちが出迎えてくれる。全部で21車両で13両が客室で、全てコンパートメント。オリエント急行やブルー・トレインを参考に設計されている。スィートルームもある。浴室は全室完備。ツインルームもゆったりした空間。キャビンの後部には小さなラウンジがある。マッサージ・ルームではアーユルベーダなどが体験できる。サウナ、ジム、ビューティー・パーラー、ライブラリーもある。廊下には絵もかかっている。
http://www.maharashtratourism.gov.in/mtdc./DO/

 午後4時40分、ムンバイを出発。しばらくは複々線。市街地を抜けると景色が変わった。
 タージ・ホテル・グループから各車両に1名のバトラーが乗務し、ゲストをもてなす。ディナーは担当バトラーが知らせに来る。ダイニング・カーは2両あり、朝と夜異なる空間で食事を提供している。人気があるのはインド料理。
 バーラウンジでゆったりした時を過ごす。バーで人気が高いのはマンゴーなどのインドのフルーツを使ったカクテル。
 夜移動して、お昼の間に世界遺産などを回るように設計された旅。

●ラトナギリ
 朝食後、ラトナギリに朝8時に到着。ゲストは身軽な格好で観光ツアーに出かける。ツアーもデカン・オデッセイが企画しているもの。


テレビ番組「世界の絶景 新世界七不思議」

 2007年12月30日放送。世界七不思議は定義は曖昧だったが、2007年7月7日に新世界七不思議財団により、全世界から1億票の投票で新世界七不思議が決定した。ペルーのマチュピチュ、メキシコのチチェン・イッツァのピラミッド、ヨルダンのペトラ遺跡、インドのタージマハル、イタリアのコロッセオ、中国の万里の長城、ブラジルのコルコバードのキリスト像。新世界七不思議財団のバーナード・ウェーバー会長が説明してくれました。
 司会は内藤剛志、久本雅美さん。審査員は橋田壽賀子、優香、さまぁ〜ず、船越英一郎、ベッキーさん。フジテレビ製作。

●タージマハル
 350年前、22年の歳月をかけて建てられたお墓は世界一美しいといわれている。全て大理石、2万人の職人が集められた。いたる所に金や宝石が施され、国が傾くほどの総工費だった。たった一人の女性のために建てられたお墓。
 成田からはデリーにJALが毎日飛んでいる。10時間の旅。ここから南南東へ車で9時間でアグラ Agra に到着する。酒井敏也、田中要次さんが旅をして、スワッティーさん(19歳)が案内。
 まずは東門。敷地面積5万坪。東京ドーム4個分。2つ目の門をくぐると見える。この正門も立派です。通りすぎるとタージマハルが遠くにある。荘厳。
 皇帝シャー・ジャハーンが36歳で亡くなった愛する妻ムムターズ・マハルのために建てたお墓。高さ65mのドームを中心に左右対称になっている。建築の際には、イタリア、フランスなどから職人が集められた。アーチには楽園をイメージした花が細やかに装飾されている。
 この白さを守るために、1500m以内は車では入れない。

 黒いタージマハルがあるという。デリーは人口1300万人。ここで情報を集める。ヨガをしている公園でヨガを体験。サロ・ジャニ・ナガル・マーケットの市場に行ってみた。インドのお札には17種類の言語で金額が書かれている。タージ・パレス・ホテルのマネージャーのカランジット・シンさんから話を聞いたところ、「アグラのタージマハルを建てた石彫り職人の末裔がそう言っていた」という。

 アグラに行って、職人に会い、妹さんに案内してもらった。小さな集落を抜けて15分車で走り、さらに林の中を歩く。夕陽の中に黒く見えるタージマハルが見えました。
 皇帝は自らの墓として対岸に黒いタージマハルを建てようとしたが、願いは反対されて叶わなかった。

●ヨルダンのペトラ遺跡
 ペトラはギリシャ語で岩を意味する古代都市。紀元前に築かれたという。長い間、世間から忘れさられていた。インディ・ジョーンズ「最後の聖戦」で宝が眠る神殿として使われた。ここに住んでいたのはベドウィンと呼ばれる砂漠の民。今もラクダや羊を放牧する生活を送っている。
 首都アンマンまではドバイを経由して成田から15時間。要潤さんが旅をして、ベドウィン族のサーレムさん(34歳)が案内。国土の8割が砂漠というヨルダンを車で1時間走る。目の前に死海が広がる。生物が住めない死の湖。広さは琵琶湖の1.5倍。要さんは泳いでみた。水温20度。普通の海の塩分は3%だが、ここは30%。波うち際には塩の結晶がある。

 3時間で岩山が見えてみた。岩だらけ。どこに遺跡があるかわからない。シク(割れ目)というペトラの入口がある。これが1km続く。高いところだと100mあるそうです。昔は川が流れていたためらしい。
 そしてペトラ遺跡エル・ハズネ El Khazneh が目の前に見えた。ビル10階建の高さがあり、紀元前1世紀頃にかつてこの地に住んでいた砂漠の民が作ったもの。エル・ハズネはアラビア語で宝物殿という意味。しかし宝の形跡は全くなかった。中央上の柱に小さな穴がある。盗賊が銃を撃った跡らしい。
 さらに奥にはまだいくつもの遺跡群がある。王家の墓(1世紀〜2世紀頃)。まだ発掘中のものも多く、謎が多い。最大の謎は「雨が年に数日しか降らない場所で、なぜ高度な文明が栄えたのか?」。
 崖に沿って溝が通っていた。これは水道管だった。町の外の6km先の泉からひいていたそうです。
 ろばにのって絶景を観にいく。階段をろばが登る。次は崖の横をろばが通る。1時間降りて、ここから歩く。1時間後、特別な場所に到着した。高いところからエル・ハズネが見えました。

●久本が選ぶロマンチックな絶景
 イタリアの青の洞窟。ネパールのエベレストを独り占めできるホテル。モナコの世界一セレブな絶景。スウェーデンのダイヤモンド・ダストが降り注ぐアイス・ホテル。ドイツの世界一ロマンチックなお城ノイシュヴァンシュタイン城。フィリピン・エルニドの誰も知らない秘密のビーチ。アイスランドの10年に1度の奇跡のオーロラ。

●メキシコのチチェン・イッツァのピラミッド
 ギザのピラミッド以外にも、先の尖ったものとしては、スーダンのゲベル・バルカル、イランのチョガ・ザンビール、ミャンマーのバガン、メキシコのティオティワカン、グアテマラのティカルなどがある。
 メキシコ周辺で4世紀〜10世紀頃に最も栄えたマヤ文明の遺跡。非常に高度な天文学の知識を持っていた。天文台の遺跡エル・カラコルがあり、非常に精密な暦を作り出した。
 日本からはカンクンまで15時間。上原多香子、紺野まひるさんが旅をして、グスタボ・フラボソさん(32歳)が案内。カンクンは白い砂のビーチとカンクン・ターコイズブルーのカリブ海。
 チチェン・イッツァまでは車で2時間半。ジャングルの中の1本道を飛ばす。遺跡の手前からは歩いて到着。
 何のために作られたのか?マヤ文明の神を祀る神殿だった。階段の一番下にはヘビの頭がある。ククルカンという神で、穀物の豊作を願った。頭しかない。階段は2年前に観光客が転落事故をして登ることが禁止された。特別に許可をもらい、角度45度の階段を登った。階段の段数にも秘密がある。91段あり、4つの階段があるから、364、これに最上段の1段があり365となる。18回の段差はマヤ文明の1年の月を表している。最上段から見たジャングルは絶景。
 秋分の日と春分の日に見られる秘密がある。エンカデナTV局のプロデューサーのダビ・コロナさんに貴重な映像を見せてもらった。ククルカンのヘビの姿が現れていました。これを見てマヤ人は種まきの時期を知ったそうです。

●コロッセオ
 2000年前に皇帝は民衆の支持を得るために、巨大な競技場を作り民衆を楽しませた。
 日本からはローマまで12時間。三船美佳、スティーブン・セキルバーグさんが旅をして、マルコ・ベルッティさん(38歳)が案内。コロッセオは元は白かったが、排気ガスで黒く見えるとか?中に入る。今は床がなくなっているが、当時は砂の床があり、アレーナと呼ばれていた。地下には剣闘士の収容施設や猛獣と剣闘士を地上に運ぶエレベーターもあった。トイレがないのも謎です。
 町に出る。スペイン広場。「ローマの休日」では男性が腰をかける前の時計台の時刻は2時40分だが、腰をかけた後は5時になっている。
 三船さんは18年前の7歳の時に家族で行ったレストラン「サバティーニ」に行った。オーナーのスルベストラ・サバティーニさんに会った。「手長海老のブリュレ」をいただいた。
 コロッセオの夜景。ライトアップされてきれいです。

●内藤が選ぶ困難の後の絶景
 バヌアツの青く輝く神秘の湖は、ラピスラズリが溶けたもの。アルゼンチンの崩壊する巨大なペリトモレノ氷河。スイスのアルプスの超パノラマをパラグライダーで体験。ロシアのカムチャッカ富士のイリンスキー山は、クマの群れの中を通ってみる。気象の変化が激しく滅多に全貌を見せない。ボリビアの天空4400mのエメラルドの湖ラグーナ・ベルデは、銅が溶けているため。ベネズエラのエンジェル・フォールの落差は979m。水は霧になってしまい、滝つぼは存在しない。

●万里の長城
 2500年かけて作られた全長6000kmの長城。騎馬民族の侵略を防ぐために作られた。東の果ての関所は山海関で海になっている。西の果ては川で終っている。年間観光客は1000万人以上。誰もいない万里の長城もある。
 成田から北京まで3時間。川合俊一、misonoさんが旅をして、殷銘さん(40歳)が案内。
 まずは八達嶺長城に行く。入場料45元(720円)。ロープウェーは片道40元(640円)。人気の理由は、1952年に最初に観光地化され、修復されて整備が進んでいて、北京から車で1時間のところにあるから。まずは北八楼まで行った。人が多いので、絶景とはいえないようです。一番人気は長城記念マグカップ40元で、写真を撮って、それを貼ってくれます。
 東に10km、山の中へ進んで行く。門番がいて説明して通過する。アジアを代表する建築家達が設計したリゾートホテルがある。一番人気のコテージは日本人による竹屋。吉永小百合さんのシャープのアクオスのCMで使われた場所でした。1泊料金は45万円。敷地内に長城があり、宿泊者以外は立ち入り禁止。
 午前6時に出発。マイナス9度で朝8時までに山の頂上に行く。がんばれ、は中国語で加油(チャーユ)。到着した。長城の人が歩いている部分には草木が茂っていました。修復前の長城で、誰もいない。さらにその向かいの山に絶景があるという。がれきの山を越えて8時までに到着。どこまでも続く絶景が見えました。

●マチュピチュ
 インカ帝国は15−15世紀に栄えた南北4000kmの大帝国。言語の違う80の民族、人口1000万人を50年で統一した。鉄製の道具がないので、全て石製のもので石を切り出し、車輪を持たないので、人力で山の上に運搬した。何故この場所に都市を作らないといけないのかわからない。インカ帝国は文字を持っていなかった。
 保坂尚希さんが旅をして、マチュピチュをさらに高い場所から見た。マチュピチュはコンドルの形をしている。人間の無限の力を見せた遺跡でした。

●ブラジルのコルコバードのキリスト像
 南米で最も有名な建造物。日本人は見たいという希望者は少ない。リオ・デ・ジャネイロのコルコバードの丘に建つ高さ30mの巨大な像。年間180万人の観光客が訪れるという。何のために建てられたのか?
 80年前にブラジル独立100周年を記念して建てられた。大量の石材をフランスに送って作った。それが分解され、また戻ってきて建てられた。のべ5年間かけて建設された。腕の部分を命綱をつけないで掃除することが、18年前にあまりにも危険なので中止された。


テレビ番組「世界秘境列車の旅 標高8000mのヒマラヤから、地球最南端のパタゴニアまで」

 2007年11月18日放送。片岡鶴太郎、池上季実子、賀来千香子、村上弘明、佐藤江梨子さんが出演。テレビ東京製作。

●コルカタ
 インドまでタイ航空で9時間。インド第二の都市。かつてイギリスが東インド会社の拠点を置いたことから、カルカッタの名前で親しまれた町。人口4600万人。インドの文化や産業の中心地でもある。ヘビ使いがヘビを壷から出していいた。
 シアルダー Sealdah 駅。夜でも気温は30度を越える。長距離列車が出るのは深夜。それまではみんなどこででも寝ている。突然赤い服を着た一団に囲まれて、20ルピーでどうだという。1つ60円で荷物を運ぶポーターだった。列車の中は涼しい。1台に40台の扇風機が設置されている。キッチンには注文しておくと温かい食事を席まで届けてくれる。今回乗ったのはダージリン・メール号 Darjeeling Mail 2343up で、かつてはダージリンまで郵便物を届けていた列車。22時5分?発のニュー・ジャルパイグリ New Jalpaiguri 行き。座席は一覧表で発表される。予定より30分遅れて出発。注文していた夕食が届いた。カレー弁当で35ルピー(100円)。
 8時間、コルカタから580km、ニュージャルパイグリ駅に到着。

●シリグリ
 ヒマラヤ方面、ネパール、ブータンに向かう人の中継地点。標高150m、人口65万人。この町の中心にあるシリグリ駅がヒマラヤへの玄関口で、ダージリン・ヒマラヤ鉄道が出発する駅。

●ダージリン・ヒマラヤ鉄道
 全長88km、標高差2000mを走りぬける。その歴史は126年で今でも現役。トンネルひとつない急勾配を10時間かけて登る。ダージリンでできた紅茶を麓の町まで運ぶことを目的に1881年開通。その後役目は車にとって代わられ、何度も廃線の危機に瀕した。地元の人や世界中の鉄道ファンの援助により今でも走り続けている。1999年世界遺産に登録された。
 ダージリンまでの乗車料金は一等車で大人一人270ルピー(800円)。可愛い3両編成の列車です。列車の線路幅は60cmと短い。高さ2mほどの小さな機関車。オモチャのトイ・トレインと呼ばれ親しまれている。列車は Queen of Himalaya 号。
 運転手はガタニーさん(57歳)。この列車は125歳。愛情たっぷりのメンテナンスのおかげだが、来年が定年だそうです。車両は1列に3席。時速20km、ゆっくりした速度で進みます。線路上にあった市場のお店も汽笛がなると撤退します。走るためには多くのスタッフが必要。石炭を燃えやすい大きさに割るセカンド・ファイアーマン、坂を登る際に車輪が滑らないように砂をまく2人のサンドマン、釜に石炭を入れるファイアーマン。一人前の運転手になるには15年以上かかるそうです。

 1時間でスクナ Sukna 駅(標高162m)に到着。駅に着くと水を補給。一回に補給される水は1800リットル。10時間の旅で必要な石炭は3トン。その間に沿線で有名なカレーの店に行く。55ルピーでした。別の店では、サモサは1個5ツピー(15円)。サモサはパンの中にカレー味のじゃがいもを入れて油で揚げた庶民的なもの。鶴太郎さんは途中で降りて走りながら写真を撮ってましたが、それでも飛び乗ることができました。
 途中でスイッチバック方式で登る場所もある。途中で故障。ガタニーさんはそこから近くのティンダリア修理工場に向かう。修理士のモターイさんの話ではシャフトのねじが折れてしまった。作り置きがないので、手作りで作る。ここのおかげで全部で12台の機関車が動いている。遊び道具のトロッコは子供たちの手作り。修理に1日かかるというので、モターイさんのお宅に伺う。インドでは家や食器をきれいにしていると、幸せがやってくると信じられている。
 翌朝ティンダリア駅(標高860m)には新しくなった列車がいた。高度が上がるにつれ霧が出てきた。標高1000mに一番の難所のオメガ・ポイントがある。線路がΩの形になっている。ここを作るのに何人もの命が失われたそうです。
 カルシオンは、沿線で一番大きな町。標高1482m。商店街ギリギリに列車が走り抜ける。チベット仏教の祈りの文字が書かれた旗タルチョがたなびく。このあたりにはチベットの人が暮らしている。

 ソナダは標高1997m。ここにぜひ立ち寄りたかったチベット仏教のお寺「サンジュク・ダルジュ寺院」がある。子供も赤い服を着ている。200人の僧侶たちが修行している。そのうち少年僧は60人。本堂入口の壁画に描かれた輪廻転生の絵。本堂には金箔で施された台座の上にはミイラがある。21年前この寺の最高位にあった僧侶カルマ・ランジュン・クンチュブさんがミイラとして残された。チベットはミイラを作る技術が世界最高といわれている。塩で元の状態を保ち、金箔を張り表情を整える。その高僧の生まれ変わりが活仏と言われる少年僧。同じく生き仏として洞窟の中で修行している。

 グーム Ghum 駅(標高2257m)からダージリン駅を目指すが、ここの町の人は日本人に似ていて、インドであることを忘れてしまう。子供たちが乗ってきて、ダージリン・ヒマラヤ鉄道の歌である「ダージリンの小さな列車」を歌ってくれました。
 ヒマラヤ鉄道一番の絶景ポイント「バタシア・ループ」にさしかかった。晴れていたら向こうにヒマラヤのカンチュンジュンガが見えるそうです。
 機関車は茶畑にさしかかった。まもなく目的地。
 ダージリン駅(標高2076m)に到着。ここでトイ・トレインとお別れ。

●ダージリン
 人口11万人。世界に紅茶の名前で有名。斜面にへばりつくように家が建ち並ぶ。日本の軽井沢とよく似た気候で、避暑地として賑わいを見せている。
 標高2000mに広がる茶畑を訪問。1年を通して霧が多く、その湿度が紅茶の栽培に適している。年に3回収穫する。茶畑から歌声が聞こえてくる。「一芯二葉」を摘む。ヒマラヤのサンダクプー?という所に、車で6時間かけて行くと絶景が見られるという。

●マニバンジャン
 標高2134m。ネパールとの国境に位置する町。町の人が国境に案内してくれた。単なる溝が国境になっていて、兵士が守っている。
 町が続いているが、ネパールに入っている。郵便局では餃子を作っていました。餃子屋もやっているそうです。

●サンダクプー
 ここからサンダクプーまで車を乗り換え4時間。岩の道なのでかなりガタガタです。100年前の石畳。標高3000mまで上がってきた。目の前に一軒の家が見えた。高地に暮すシェルパ族の家。たった2軒の家の村。家の中を見せてもらった。ヤクという牛を飼育して暮らしている。

 サンダクプーまでは足場の悪い道を歩いて3時間。暗くなると危険が伴う標高3600mの登山。暗くなりました。
 ダンダクプーに到着。標高3680m。山小屋に1泊した。ここからは名峰カンチェンジュンガ(標高8586m)が望める。
 翌朝、あいにくの天気となった。あたり一面に霧。あきらめかていたその時にカンチェンジュンガが見えた。これを見ながら最高のダージリン・ティーをいただく。手もみで丸く加工された「パール・ボールズ」は豊かな香りと風味の紅茶。一芯二葉のみで作られた「パール・ホワイト」は薄い色です。芯の部分のみで作られた「シルバー・ニードル」を味わいました。


●アルゼンチン
 500頭ものミナミセミクジラが出産のために集まるパタゴニアのバルデス半島。浜辺では60万頭のゾウアザラシが子育ての季節を迎えている。体長3mを越すオスは家族を守る。35万羽のマゼランペンギンが集まるプンタ・トンボは世界最大の産卵場所。
 目指す場所に向かう列車は「オールド・パタゴニア急行」。荒涼とした大地を駆け抜ける。過酷な開拓の歴史を持つ「地の果て列車」。2つの鉄道を乗り継いで南米大陸を縦断する。先住民の人々の暮らしを見る。

●エスケル Esquel
 アンデス山脈沿いにある町に飛んだ。荒涼とした大地。マゼランによってパタゴニアという名前はつけられた。南極大陸から吹き付ける風。
 オールド・パタゴニア急行(トロチータ:小さな汽車)始点の町。かつて羊毛の産地として賑わった街の高台にある小さなエスケル駅。線路の幅は75cmと短い。黒い機関車はそれほど大きくない。1922年ドイツで生まれたこの汽車は今年で85歳。燃料はかつては石炭だったが、今はガソリンとなった。水の補給は大事。23年の工期をかけ、今から63年前に開通した。

●オールド・パタゴニア急行
 大草原地帯に入る。この日はナウエルパンを経て、レレケ駅まで121kmの旅。いつもよりも長く走る。今は赤字経営で生き残りをかけている。元々羊毛や家畜を積みやすいように、牧場を囲むように線路が敷かれた。そのために今でも広大な牧場の中を走る。
 突然銃声がして山賊が襲ってきた。観光客を増やすために町の有志が行なっているイベントだった。さらに進むと「我らパタゴニア人」という歌をエドワルド・パイリャカンさん一家が歌ってくれた。
 最初の駅がナウエルパンで、ここで給水。20kmなのに水はほとんどなくなっていた。9000リットルの水が必要。こっそり蒸気機関車の釜の上に肉を置いていた。
 レレケ駅に向かう。車窓にはグアナコというラクダ科の動物が走る。ダチョウの一種ニャンドゥーの姿も見えた。レレケ駅に到着。まわりには牧場と2、3軒の家があるだけの小さな駅。
 さっき焼いていた仔牛の肉とソーセージをパンにはさんでいただいた。さらに村上さんは少しだけ運転させてもらいました。

 エスパンシアという大牧場を訪問した。羊を追うのはガウチョ。オーナーはビビアン・ウィリアムスさん(51歳)。投げ縄の技などを見せてくれました。村上さんも挑戦してみました。
 パサード・コン・クエロという「牛のヒラキ?」をいただきました。仔牛1頭を皮つきのまま開き、肉に岩塩や特製ソースをかけて焼く。皮つきだと肉がジューシーに焼きあがるそうです。焼きあがるまでに6時間かかる。パンに包んでいただくが、ほとんどレアだそうです。仔牛の丸焼きは1頭で100人前。

●ペリト・モレノ氷河
 飛行機でエスケルからカラファテに行く。船に乗り込んで世界遺産の氷河に向かう。青っぽい。アンデス山脈に降った多大な雪がやがて氷河となって湖に流れこんでくる。全長35km、幅5km、高さ60m以上ビルの20階に相当する。温暖化のために、かつてこの地を旅したモンゴロイドたちが見た野生の大地が大きく姿を変えようとしている。
 アイゼンを履いた二人が氷河の上を歩いた。至る所に裂け目がある氷河の上はスペシャリストのガイドが必要。ある場所の氷河は削ってもいい。これをグラスに入れてウィスキーを注いで飲みました。

●ウスアイア
 さらに南下してウスアイアに飛ぶ。世界最南端の町。いたる所にある難破船の残骸が南から吹いてくる強烈な風を物語る。木は風で曲がっている。アルボル・バンデーラ(旗の木)と呼ばれる。過酷な大自然を物語る。
 アルゼンチンとチリを隔てるビーグル水道はセントージャと呼ばれる南極ガニの宝庫。海水で茹で上げた後にまた海水に入れて冷まして食べる。カニ漁師のカルカモ・カルロスさんのお宅で食べさせてもらう。あっさりしているが、おいしいそうです。

●地の果て列車
 世界最南端の鉄道「地の果て列車」に乗る。刑務所の囚人を檻へ送り込む、切り倒した木材を運びだすために105年前に作られた鉄道。ところが刑務所が閉鎖され廃線に追い込まれた。しかし、1994年町の有志の力で復活した。蒸気機関車は1994年に作られたイギリス製。草木の育ちにくい荒涼とした大地を走る。復活させたエンリケ・ディアスさん(52歳)は、服役囚たちは屋根も囲いもない列車にはだしで乗せられていたと語る。凍傷にかかりながら作業させられていた。車窓から見える景色で眼につくのは切り株。100年前に切ったものらしい。全行程8km1時間の旅でした。

●モンゴロイド
 日本人と同じモンゴロイド。1万年前にベーリング海を渡り、アメリカ大陸を南下し、パタゴニアまで到達した人たちはヤーガと呼ばれる。しかし、もう一人しか生き残っていないという。
 翌朝、出入国管理事務所に行きチリに向かう。ビーグル水道の荒波を越えて高速ボートで30分。対岸のナバリノ島に到着。
 世界最南端の先住民族ヤーガン最後の一人がこの島のウキカに暮らしているという。クリスチーナ・カルデロンさん(79歳)。最後の一人となったことに、悲しみを感じるそうです。日本人との共通点は、赤ん坊のお尻にできる青い蒙古斑など。私たちは従姉妹同士みたいですね。と語った。村上さんは笛で「ふるさと」を吹きました。クリスチーナさんは一族の事を思い出したそうです。


テレビ番組「探検ロマン世界遺産 インドのナンダ・デヴィと花の谷国立公園」

 2007年11月10日放送。田中洋行アナウンサーが案内。世界の屋根ヒマラヤ山脈。ガンジス川の源流域の近く、標高7816m、インド第二の高峰ナンダ・デヴィ。女神が住むというこの山のほど近く、天国のように美しい場所がある。600種類の花が咲く広大な花園。標高3500mにある谷には7−8月にお花畑が出現する。観光客はまだ少ない。

●ナンダ・デヴィ
 デリーから北東へ300km。深い谷、険しい山道の旅はかなりスリリング。崖崩れの跡がある。ナンダ・デヴィに一番近いという村に到着。今では国立公園への立ち入りは禁止されている。出迎えてくれたのはかつて登山のポーターをしていたクンダン・ラワットさん。登山が禁止されて25年、ナンダ・デヴィを身近で見た数少ない人です。女神の姿に見えたそうです。村の一角には女神ナンダ・デヴィを祀ったお寺がある。伝説によると年に1度村に女神が下りてくるので、村では盛大にお迎えをする。
 山が見えるという峠に登ってみた。はるか向こうに白い山が見えました。雨季に入ると雲に覆われているのに、この夏一番という姿を見せてくれました。1936年イギリス人の登山家が初めて登頂した。1983年に登山が禁止され、1988年世界遺産に登録された。

●花の谷
 断崖の道を走り、村から20km離れた花の谷の入り口に向かう。標高1700mの登山口。目ざす場所ははるか向こう。ここからはプラターノ・チョワンさんが案内をしてくれる。ガイドを初めて20年のベテラン。今日は標高差1300mを一気に登る。提案で馬で行く。ガンジス川の源流は強烈な水の量。雨季の真っ最中で、雪解け水も加わっている。
 標高2500mではまだ豊かな緑が広がる。野生の猿がいた。顔が黒くて毛が白いハヌマンラングールで、葉を食べる。インドでは神の化身と呼ばれる。直径1mの円盤があるが、ヒマラヤ・オオミツバチの巣でした。世界最大級のミツバチで、1つの巣に5万匹が暮す。
 標高3000m、4時間で村に到着。明日の朝、花の谷に向かうという。村のメイン・ストリートは賑やか。夏の間、インドのシーク教の巡礼者が山の上の聖地を目指してやってくる。近くのお寺でお祈りをしていました。お坊さんが花のつぼみを振りかざし、祭壇に供えた。女神ナンダ・デヴィが宿るという聖なる花で、花の谷に咲いているという。

 翌朝、雨季には珍しく晴れた。谷に入る時は地味な色の服を着ることが大切。まっすぐ行くと巡礼の道、左は花の谷。ここから国立公園に入る。入山者はここで名前を登録し、必ずその日に帰ってこないといけない。キャンプは禁止されている。切り立った狭い谷の間を抜けて歩く。谷の両側は大岸壁。土砂崩れに遭遇して、細い道を注意しながら進む。大量に雪が残っている場所がある。春先の6月には30mの厚さだという。2時間で谷を抜けて、目の前が明るく開けた。ここが世界遺産「花の谷」。とても開放的。
 まず目を奪うのはピンクの花の大群落。ツリフネソウの仲間。花の背丈は1.5mくらいある。大きな岩に登ってまわりを眺めた。標高3500mの草原で、長さ10kmに渡って続いている。真正面には標高6000mを越える雪山。氷河がこの地形を作った。
 7〜8月に一斉に花の季節を迎える。およそ600種類の花が咲き乱れる。この数は日本の高山植物の数よりも多い。赤いキジムシロの仲間、白いイチリンソウの仲間、ツルニンジンの仲間、ピンクのサクラソウの仲間。紅色のネギの仲間、紫のキキョウの仲間。花たちは環境によって、住み分けている。平らな部分には背の高いもの。紫のホタルブクロの仲間、シラタマソウなど、背は高い。水辺では黒いセンダイハギの仲間、ピンクのサクラソウ。岩の多いところでは土がすくないが、イブキトラノオの仲間、ピンクのシオガマギクの仲間、ウスユキソウの仲間(エーデルワイス)。地元の人が大切にしていた花を教えてくれた。高さ40cmほどのピンク色のハクサンチドリの仲間。ヒマラヤ各地で絶滅が予想されている。昔は毒消しとして使われていた。淡いヒマラヤユキノシタの仲間、ウルップソウの仲間。
 草原を2時間ほど歩いたところで小さな沢に出た。ここの水は飲める。谷の中にいく筋もの雪どけ水が流れこんでいる。
 太陽がかげると気温は20度から一気に10度近くにまで下がる。ロイルナキウサギがいた。岩の隙間に暮らし、夏に花や葉をたっぷり食べて冬を越す。これを狙って上空にハゲワシが現れた。ヒマラヤタールというカモシカ?が岩山にいた。女神の花を探しに、谷の奥に入る。気温は12度。目の前の岩場に幻想的な風景が広がった。岩の間に白い花が咲いている。これが聖なる花「ボンボリトウヒレン」。世界でもヒマラヤだけに咲く花。ふくらんだ白い部分は花ではなく、葉が変形したもの。小さな虫が出入りしている。中は温かく、10度以上高い時もある。これで虫が入ってくる。葉は半透明で光を通す。

 ヒマラヤ山脈ができて、東には湿った風が山にあたり雨が多い。そのために高山植物が生えた。花の谷は西に近い。温かい空気は谷に入ると霧になる。そのために花が咲きやすいようだ。
 1931年イギリス人のフランク・スマイスが発見し、花の谷と名づけた。スマイスはここで特別な花に出合った。「ヒマラヤの青いケシ」。悪天候にはばまれなかなか会えない。田中さんは再度、花の谷に向かう。青いケシは高い場所にあるというので、急斜面を登る。標高3800m。酸素の量は平地の6割しかないが、緑が多い。登りきると氷河が削った谷がある。ここは標高5000mにつながっている。あたりには下の草原にはない、高さ10cmほどの小さな花々が咲いている。ドライフラワーのような乾いた花。白いヤマハハコの仲間、ピンクのキケマンの仲間、黄色のイワベンケイの仲間、白いシャクナゲの仲間。さらに登る。青いケシは岩場に1本ずつ咲き、色も淡いので、遠くからは見つけにくい。プラターノさんが見つけました。メコノプシス・アクレアタ。透き通る薄い青色。茎や葉はトゲがある。ヒマラヤの花の女王と呼ばれている。スマイスはこれを「たそがれの空の色」と例えた。花の谷は穏やかで完全な美しさに満ちている。地元の人は自分たちの手で、花の谷を守ろうとしている。


テレビ番組「世界遺産新たなる旅へ バングラデシュ人民共和国バゲルハットのモスク都市」

 2007年11月3日放送。

●ジュンドルボン
 国土の大半はガンジス川など3本の大きな川が作る巨大な三角州。南部に広がる湿地帯には世界最大のマングローブの森ジュンドルボンがある。マングローブの種類は80以上。マングローブの根は地面から突き出ている。呼吸根が空気中から二酸化炭素を直接取り入れる。

●バゲルハット
 首都ダッカの南西130kmにあるダケルハット。稲作地帯にある小さな地方都市。ここは15世紀の前半にマングローブの森を開拓して作られた。別名モスク都市と呼ばれ、レンガ作りのモスクが数多くある。12世紀の終わりにデリーに誕生したインド初のイスラム王朝は、その後勢力を拡大し、15世紀には仏教が盛んさったこの地方もイスラム教徒の支配化に置かれた。
 バゲルハットを作ったのはイスラムの将軍カン・ジャハーンで、トルコまたはベルシャ出身で、町の建設に尽くした。カン・ジャハーン廟もある。最初に行なったのは道路の整備。レンガを敷き詰め舗装した。当時の都デリーまでつながっていたこの道は物資の輸送や人の移動に役立った。
 レンガはこの地方の土で、大量の土を取った後は雨水を貯める池となった。水は飲み水や稲作に使われた。カン・ジャハーンはモスクも建設していった。最初に建てられたシャイト・ゴンブズ・モスジットはバゲルハット最大のもの。幅48m、奥行き32.6m、高さ9m。その建設には道と同様にレンガが使われた。シャイト・ゴンブズとは60のドームを持つという意味で、実際には77のドームが作られた。ドームはモスクの音響効果を高める役割も果たす。モスクの四隅に立つ高さ12mの塔。礼拝を呼びかける声アザールが流される。天井を支える柱には石が使われている。大きな石が取れないこの地方では石は貴重品。モスクの正面の壁に作られたミフラープという窪みで、聖教者がコーランなどの説教を行なうが、ここにも貴重な石が使われている。
 現在バゲルハットの人口の9割がイスラム教徒。カン・ジャハーンは生涯に360のモスクを建てたと言われている。モスクはベンガル地方の気候風土に合わせて設計された。ベンガル地方は世界的にも雨が多いことで知られている。レンガの屋根には雨水がたまらないように、ゆるやかなカーブがつけられた。ドームが一つしかないモスクは、石の柱を使わずにレンガだけで作ることができるので、バゲルハットにはこの形のモスクが多い。
 カン・ジャハーンが瞑想した小屋が残っている。内部は装飾を施した手焼きの陶器テラコッタで飾られている。イスラムの教えに従った草花を様式化したアラベスク模様。カン・ジャハーンは約30年間この町に尽くし、この町で亡くなった。彼は聖者としてバゲルハットの人に崇められている。廟の横にあるタクル池には、バングラデシュの国の花である水蓮が一年中咲いている。
 コーランはアラビア語で書かれ、ベンガル語が主流のこの地でもアラビア語で語られる。


テレビ番組「菅野美穂 インドヨガ 聖地への旅」

 2007年10月26日放送。菅野美穂さんが7月に訪問。3年ぶり2度目のインド。前回はおなかを壊してたいへんだった。1年前からヨガを始めた。何か体にいいことをするために始めたが、すっかりはまったので、またインドに行こうと思った。いろいろなヨガを体験してみたが、もっと自分に合うヨガがあるのではないか?と思った。ヨガはサンスクリット語で「肉体と精神を結びつける」という意味。NHK製作。

●オールドデリー
 サリーの店にやってきた。お店の人がヨガの先生だった。

●マジュドゥールハトラ公園 Mazdoor Hathora Park
 デリー郊外の公園。朝5時台なのに公園でヨガをしている人がたくさんいた。各自絨毯を敷いてやっている。誰でも無料で参加できるという。両手を上げて笑っている集団があったので、参加した。ラーマという神様の名前を何度も繰り返す。最後に108回やる。これも笑うヨガだという。両手を叩くと血行がよくなる。笑うヨガは最近デリーでとても流行っているそうです。

●デリー
 3年ぶりだが、かなり変わった。地下鉄もできた。肥満に糖尿病も増えたので、見直されているのがヨガらしい。
 自宅でテレビ・ヨガが大人気らしい。夜インドのビバリー・ヒルゾという場所を訪問。ここにセレブの人の行なうヨガ教室がある。入会金は10万円。東京のヨガとあまり変わらないらしい。このスタイルは欧米から逆輸入されたもの。

●ハリドワール Haridwar
 ニューデリー駅からシャタブディ特急で、ヒンドゥー教の聖地に北に向かう。ガンジス川で祈りを捧げるために、インド中から多くの人が集まってくる。駅の店ではヒンドゥー教の聖典「バガヴァッド・ギータ Bagavad Gita」を売っている。このギーターにはヨガとは何か、ということが書いてある。一番大きなギーターの本にはクリシュナ神、ガネーシャとグルの絵が描いてあった。
 川で祈りを捧げるために年間1億人を超える人がこの街を訪れるという。ハリは神様、ドワールは扉の意味。3年前、バラナシという町で初めてガンジス川を見た。ハリドワールはその700km上流。7月雨季のガンジス川は水が増水していて流れが早い。ヒンドゥー教の人にとって女神ガンガーそのもの。大切な願い事をする時、亡き人を弔い遺骨を流すのもガンジス河。
 雨が強くなった。小さなお寺がたくさんある。こうしたお寺には一族の名を書き印した過去帳がある。このお寺には20万家族の過去帳が残されている。
 夜7時河辺には多くの人が集まっていた。ガンジスに灯明を捧げるアールティという儀式が始まった。祈りを捧げる人たちはとても美しい。お祈りが終ると花籠を流し始めた。三度回してから川に流す。「母なるガンガーに栄光あれ」とみんなが叫びました。

●リシケーシ Rishikesh
 ガンジスの上流の町。ヨガを習いはじめてからいつかは訪問したいと思っていた町。1968年ビートルズがここを訪問して以来ヨガの聖地として有名。象に乗せてもらった。あちこちにヨガ教室がある。期間も値段もいろいろ。インドではヨガを学ぶ場所はアシュラム(修行道場)と呼ばれている。
 古くから中心的なアシュラムとなっているのがシバナンダ・アシュラム Sivananda Ashram。70年前の設立以来、欧米を中心にヨガを広めるのに役立ってきた。ここにはヨガ道場、お寺、瞑想ホール、食堂がある。ガンジス川の辺りには先生たちの住まいもある。修行僧がアシュラムの施設を案内してくれた。まずマントラ堂 Bajan Hall で、お祈りを捧げるためのホール。バガヴァッド・ギーターなど一日中お祈りの言葉マンテラが捧げられている。奥にはサラスバティというヒンドゥの女神が祀られていたが、キリスト、仏陀、イスラムのアラー、マハトマ・ガンジーなどもあった。ガンジーは左手にバガヴァッド・ギーターを持っている。あらゆる神が祀られているので、いろいろな宗教の人が来ることができる。全ての人間が平等で、正しい行いをすることを願う場所。
 午前11時食事の時間。修行僧たちが作っている。金属のお皿をもらって座って待つ。無料で誰でも食事をいただくことができる。ご飯、2種類のカレー、甘いミルク、チャパティが次々と配られていく。もちろん、肉や魚は一切使われていない。これを右手でいただく。町で食べるカレーよりも辛くないそうです。おかわりもくれるそうです(笑)食後はお皿などを洗って返します。
 ガンジス川に面した女性ヨガ教室に参加した。呼吸法プラーナーヤームから始める。指導してくれるのは日本人のミルマラナンダ先生?。ヨーロッパで長年修行した後に、2年前にこのアシュラムにやってきた。続いて太陽礼拝。逆立ちのポーズ Sirsasana、先生には何度もリラックスと言われる。2時間もヨガをしていたのに、全く疲れを感じない。心地よさが残った。ネガティブなことを考えると力が入るそうです。体を忘れるためにヨガをするそうです。ヨガはポジティブに生きるための手段なようです。
 現在ここで修行しているのは約100人。教頭のヨガスワルバナンダ先生にお話を聞いた。目に見える体と見えない精神を結ぶ力をプラーナという。呼吸のことです。嬉しいと呼吸はゆっくりで、怒ると早くなる。呼吸をコントロールして意識をコントロールする。ヨガの意味は体と呼吸と意識を調和させること。どんな時でも冷静で幸せでいられる。バガヴァッド・ギーアーの第6章にヨガの定義が書かれている。ヨガはどんなことにも同様しない意識の状態。ヨガは苦しみからの解放。その意味では仏陀もキリストも、みんなヨガをやっていたと言える。ヨガを続ければ、健康で幸せになるだけでなく、他の人や全ての生き物の役に立てる。
 このアシュラムを作ったのはスワミ・シバナンダ(1877-1963)。西洋医学を学び医者として活躍していたが、体の医学だけでは人を救えないと思って出合ったのがヨガ。ガンジス川のほとりで修行を積み重ね、1936年このアシュラムを開設した。シバナンダと共に過ごし、ヨガの教えを受け継いだのがスワミ・チダナンダ(現在92歳)で現在に至るまで総長となり、ヨガの教えを広めている。体調が思わしくないということで会うことはできなかった。
 アシュラムには町の人を受け付ける診療所がある。診察も薬代も全て無料。寄付金で運営されている。ヨガに関する出版も行なっている。
 毎晩7時半からアシュラムで開かれるサットサンガの集いでは、バガヴァッド・ギーターに基づいたヨガの講義と祈りが行なわれる。およそ2000年前に書かれたヒンドゥーの教典の第6章には、「風のない所に置いた灯火が決して揺らぐことがないように」と書かれている。「大きな困難にもどうようすることなく、全ての苦しみから解放される。それがヨガと呼ばれるものである。このヨガをひるむことなく、決然と修めよ。」古来ヨガは出家した修行僧たちによって伝えられてきた。世俗を離れ、自分の内面に向き合う。

●ナレンドラ・ナガル Narender Nagar
 ガンジスの上流にある桃源郷「ガンゴートリー」に向かう。途中の城下町に立ち寄った。200人の子供たちが通っている小中学校がある。先生は全て女性で7名。額の髪の分け目に赤い色を塗っている人は結婚している。インドでは見合い結婚が多いそうです。

●ウッタラカンド地方 Uttarkhand
 リシケーシから5時間、空気が涼しくなってきた。風景も平野部とはかなり違う。田植えをする姿があちこちに見られる。このあたりに住むパハリー族 Pahari 族は、昔ながらの方法でおいしいお米を作ることで知られている。

●ウッタルカシ Uttarkashi
 リシケーシから車で12時間。ウッタラカンド地方の中心地に夜8時に到着した。ヒマラヤ登山の拠点の土地で、巡礼者で賑わっていた。街の商店街で目につくのは靴屋。歩きやすいパンジャビ・ドレスを買うためにお店によった。まず生地を425ルピーを390に値切って買ってから、隣の家で仕立ててもらう。
 選んでくれたビジャヤさんのお宅を訪問した。ガンゴートリー寺院の写真を見せてくれました。
 雨季には巡礼の道が封鎖されることもあるという。2時間で40kmまで登ってくると青空が見えてきた。路肩がかなり崩れていて、土砂崩れがあった。車は通れない。そこからガンゴートリーまで60km。ダイナマイトで落石を砕いたが、その日のうちの開通は無理。ここで撤収しました。
 ガンゴートリーは聖地。シバ神がガンジスを天国から大地に降ろしたという場所。ここで沐浴すると願いは全て叶うという。

●リシケーシ
 チダナンダさんに会えないかと訪問してみた。病状が悪いようですが、会ってくださいました。太陽の礼拝「スーリヤ・ナマスカル」を勧めてくれました。「ヨガはインドだけのものではない。古代科学であり、この世界の全ての国の人々を助けるためにある。」と語ってくれました。
 最後に太陽礼拝 Surya Namaskaar をガンジス川で行ないました。ヨガを始めた時に最初に習ったものに戻ってきたが、チダナンダさんに会う前に行なっていたものとは違う。


テレビ番組「地球街道 田尾安志さんでスリランカ」

 2007年10月20日、27日放送。インド洋に浮かぶスリランカ。スリランカとは光輝く島という意味。日本人に馴染み深いのはカレー、紅茶、宝石。田尾さんは釣りにきた。日本と同じ左側通行。

●ニゴンボ
 スリランカ最大の漁港。この魚市場に行ってみた。マグロ、ボラとかがある。カレーの材料にするそうです。

●国道2号線のマードゥ Maduwa
 マードゥ川のマングローブ林をクルーズできる。「プリヤンサ・ボート・サービス Priyantha Boat Service 」(tel:091-225-8928、)。
 マングローブは淡水と海水が混じった河口に茂る。船頭はWタランガ・ナヤナジスさん。この川で特別な場所が小さな島。シナモンを作っている。デヘンガ・メンディスさんがシナモンの木から作る工程を見せてくれた。幹を削り、皮をむき、1日乾燥させてシナモン・スティックができる。胃腸にいいそうです。このような手作りのシナモンは日本では100g2000円する高級品。
 町に戻って食堂「センカダ・フードコート Senkada Food Court 」に行った。20種類を越えるカレーが並ぶ。ココナッツ、ムルンガ(ドラムスティックの葉)など。1皿177ルピー(178円)。食べ方は全て混ぜて食べる。

●ゴール
 海上貿易で栄えた町で、城壁で囲まれた旧市街は世界遺産。16世紀に始まり400年近く続いた植民地時代の建物がある。中でも古いのがポルトガル支配時の砦(16世紀)。現在この敷地は警察署として使われている。署長のジャヤンタ・ガマゲさんが案内してくれた。海から来る敵を迎え撃つ砲台でした。ポルトガルの支配は40年で終了した。

 南に向かうと海岸沿いに棒に登って釣りをしていた。スティルト・フィッシング Stilt Fishing。いつ始まったかは定かではないが、少なくても200年は続いている。餌をつけずに魚をひっかけて釣る。漁師のベルティ・ガニミさんは2000匹くらい連れる時もあるという。棒は海底に1mほど突き刺してあり、海水で木が傷むために、半年で交換している。もちろん、各棒は使う人が決まっている。
 田尾さんもやらせてもらいました。たくさんいるが、釣れない。棹の動かし方にポイントがあるようです。1時間40分で初めて釣れましたが、落としてしまいました。無念のリタイア。G.H.ウィジェ・バーラさんは今日はイマイチだったというが、たくさん釣っていました。売値は全部で100円ほど。カレーにして食べるそうです。浜辺で作ってくれました。ランパ、青唐辛子、カレーリーフ、赤唐辛子などのハーブを入れて15分煮て完成。

●ラトゥナプラ Ratnapura
 南部の山間地。手には宝石を持っている。ラトゥナは「宝石の」、プラは「町」という意味。サファイアなどがある。売りたいのは5万ルピー(5.1万円)だという。
 採掘は町から10分ほどの郊外で行なわれている。採掘場があちこちに点在している。深さ25mの井戸の底に原石が眠っている。この採掘場では売値の3%が支払われているが、売れないと収入はない。ある籠からは6個見つかった。イエローサファイア3個とブルーサファイア3個で7.5万ルピー(7.7万円)かな?と言う。彼の取り分は3%なので、2300円。
 町に戻って「ラズビ&ナザル宝石店 Razvi & Nazar Gems 」に行く。猫目石、ホワイト・サファイア、イエロー・サファイア、ブルー・サファイア、$3000のスター・ルビーを見せてもらった。

●ヌワラエリヤ Nuwara Eliya
 ラトゥナプラの北東50kmに位置する。標高1800mに達する山間で、紅茶の生産地。年間通して気候の変化が少ない。紅茶になるのは若葉の部分。朝8時〜午後4時頃までで、1人1日18kg摘むそうです。集めた茶葉は工場に持っていく。グレンロッチ紅茶工場Glenloch は19世紀から続く名門。12時間乾燥させ、4時間毎にかき混ぜる。水分を抜いたら丁寧にもみつぶし、90分間発酵させる。最後に熱風で乾燥させ、品質毎に仕分けされる。様々な部分が混じったダストは主にティーパック用になる。新芽の部分が多く含まれたブロークン・オレンジ・ペコーは最も高価。スリランカでは標高1200m以上の高地で採れた紅茶を High Grown Tea として珍重している。Glen Tea は100g80ルピー(81円)。田尾さんは最高級のブロークン・オレンジ・ペコーをいただきました。

●それよりもずっと南
 道路沿いに気になる屋台があった。スリランカ名物の水牛ヨーグルト「カード」。売っているのはR.P.ダハールマダサさんで、1個75ルピー(75円)。椰子の花から取った蜜をかけると格別おいしいとか。
 ウダ・ワラウエ湖で1mぐらいの魚が釣れるという。

●ウダ・ワラウエ国立公園
 東京23区の半分くらいの面積で、主に野生の象を保護している。公園内を走ることができる特別仕様の車で湖を目指す。象がいました。ガイドのパラディープ・セーラシンハさんの話では、公園内で象に餌を与えることは禁止されているという。400頭以上の野生のアジアゾウが暮らしている。体長1mを越えるベンガルオオトカゲがいる。
 湖で地元の漁師のK.P.スレンドラさんのガイドで魚を釣る。この湖は50年前、乾燥地帯の貯水のために作られた人造湖。ここが絶好の釣り場。前日に釣った魚を見せてくれた。体長60cmのミリガルは鯉の仲間。目指すは1m。小船に乗って5分、ポイントに到着。日本から持参したルアーで狙ったがダメだった。椰子の枝で作った手作りの棹で、ミミズを餌にして木の根元を狙った。水面にしぶきをかけるとよいらしい。最大20cmのが釣れました。

●インド洋
 豪快に1本釣りに挑戦。スマ(ヤイト)25cm程度を釣りました。


テレビ番組「世界遺産新たなる旅へ インド・サーンチーの仏教建造物群」

 2007年8月25日放送。

●サーンチー
 インドの首都デリーから南へおよそ580km、デカン高原西部にある。深い樹木に覆われていたが、1818年イギリス軍の将校が偶然発見するまで忘れさられた存在だった。現在ここには仏塔や大小50の寺院や僧院などの仏教遺跡が残されている。
 サーンチーは古代インドのマウリア王朝のアショーカ王によって仏教の聖地となった場所。仏陀入滅から100年、凄惨な戦いを繰り返していたアショーカ王は自らの行いを改め、深く仏教に帰依した。仏陀の遺骨を納め、供養する仏塔ストゥーパを全国に8.4万基も建立したと言われる。ほとんどが破壊されたが、サーンチーには奇跡的に紀元前のストゥーパが残されている。高さ16m、直径36m最大規模を誇る第一ストゥーパは、紀元前3世紀に創建されたインド最古のストゥーパ。創建当初は現在の半分の大きさだったが、紀元前2世紀、石で包み込むような現在の姿になった。
 ストゥーパも人々の崇拝の対象になった。仏塔信仰である。東西南北に建てられた塔門は、砂岩石でできていて、門の表と裏には、緻密な浮き彫りが施されている。マンゴーの木にたたずむ豊穣と多産の女神ヤクシニーなど、インド土着の神々が門を守っている。仏陀の生涯を描いた仏伝図どの説話も表わされている。仏陀の母のマーヤ夫人が見たという白い象が体内に入っていく夢。インド最初の仏教寺院建立の様子を表した竹林書?当時の人々は仏陀を人間の姿では現せないと考えていたので、仏伝図で表されている仏陀はストゥーパや菩提樹や蓮の花で表現されている。仏陀が白馬に乗って城を出ていく場面「出城」。出て行く時は傘がある。「降魔成道」は仏陀が悟りを開いた際に妨害を企てた魔王を追い払った様子を描いている。仏陀がシャルナール?で最初の説法をする様子を描いた「初転法輪」。仏陀の教えが行き渡る様が車輪として描かれている。金持ちが仏陀とその弟子たちのために建てた「祇園精舎」は、仏陀が最も説法を多く行なった場所。
 ストゥーパの周りには、他にも数多くの建造物などが残されている。第一ストゥーパの下にある貯水池の奥には、僧侶たちが居住した僧院跡も残されている。アショーカ王の王子と王女が修行したという僧院跡。二人は後にスリランカに伝道師として渡っていく。ルンビニやサーンチーなどにも記念碑が建てられている。彫刻を施したのは、ギリシャーという町の象牙職人であると刻まれている。サーンチーの北9kmにあるギリシャーはアショーカ王の妃の出身地で、商業で栄えていた町。商人の名前が多く刻まれてもいる。
 紀元1世紀にガンダーラ地方でヘレニズムの影響の下、仏像が製作された。仏塔信仰から仏像宗拝へ。ここには仏教が広まっていった各時代の建造物が今も残されている。


テレビ番組「【元祖あばれ寿司 握って握って in スリランカ】 Sri Lanka」

 2007年8月12日放送。過去、ブルネイ、イタリア、モロッコ、パプア・ニューギニアでオープンした。今回は森野熊八、森公美子、原口あきまさ、長谷川理恵、星ひとみさんが出演。世界遺産の場所で店を開いた。ミヤギテレビ製作。

●スリランカ
 スリランカには、成田から Sri Lankan 航空で直行便が週1便で9時間、経由便が週2便で12時間。紅茶は輸出量は世界一。宝石も有名でダイアナ妃も愛したブルー・サファイアの産地。スパイス天国でカレーが多い。ビーチリゾートもある。

●コロンボ
 最大の都市。市庁舎、ヨークストリート、ガンガラーマ寺院などがある。まず海沿いのカレー・レストラン「ラジャ・ボジュン Raja Boujun」に行く。ここはカレー・ビュッフェを採用し、お好みの米とお好みの具が味わえる。赤米は白米より栄養価が高い。マンゴーのカレー、インゲンのカレー、フィッシュカレーもある。野菜と魚が多い。いろいろなスパイスが入っているのがわかるそうですが、おいしいそうです。

●途中の海辺
 コロンボからゴール市まで行く間の4割くらいの場所。プチオープンし、近くのカルタラ市場で宣伝してみた。マグロ、えび、ホタテを出してみた。全くダメだった。生がダメみたいです。歩みよる方法を考えました。
 屋台でリズミカルに焼き飯のようなのを作っている人がいた。一応カレー味の「コット・ロティ」。

 ウィジェセカラさん宅の朝食を見学させてもらった。サプナ・ナナヤカラ(19歳)、マドゥシャニ(16歳)、サダマリ(14歳)の美人姉妹と従姉妹、息子のサンギース(12歳)と奥さんのルパ・ウィクラマシンハさん。チキンカレー、サツマイモカレーを食べていた。朝の授業は7時半からで、子供たちは両親の足元にひざまずきお祈りを捧げた。この習慣に森さんはとてもいいと言う。
 ストゥリング・ホッパー(赤米のビーフン)にチキンカレーをかける。さらにエッグ・ホッパーという目玉焼きの一種をかけて食べる。エッグ・ホッパーは小麦粉とココナッツミルクと卵を鍋に入れ、薄く焼いたクレープのようなもの。これは丸めて手で食べるようです。ココナッツのカレーとココナッツミルクライスもおいしいそうです。バナナカレーの作り方を教えてもらった。バナナをスライスし、カレースパイスを加える。このカレースパイスは各家庭で異なり、この家では8種類混ぜているそうです。スパイスを混ぜて細かくすりつぶして作る。魚はパラオという名前の魚を使うそうで、スリランカの人はみんな好きだそうです。

●ゴール Galle
 世界遺産の美しい街並みとヨーロッパの人のリゾート地としても有名。高級ホテルが建ち並ぶ。中dめおライトハウス・ホテル&スパは設備も充実。料金は1.7万円〜。
 1km100円のトゥクトゥクに乗り、ゴール魚市場に行く。マグロもあるが、保存の仕方が問題。パラオは波が高いから漁師が漁に行かないのでなかった。次はゴール野菜市場に行く。唐辛子は辛く、バナナの花も売っている。
 城壁の内側の旧市街は世界遺産。ゴール・フォート(旧市街)を歩いて探索し、お店を開く場所を探す。「ベアフット」はオリジナルのバッグや洋服を扱うお店。色鮮やかな布製品が特徴。ここでお店で使う服を購入。
 城壁の先では少年たちがジャンプして海に飛び込んでいる。高さ20mはある。突然スコールがきました。

 アーユルベーダを体験。ニリアリオイルはマグティヤ(植物)、ココナッツオイル、ガーリック等が主成分、身体を冷却する作用がある。これを額に落とし続ける。

 熊八さんが料理に挑戦。スパイスのままだと苦味が残るので、少し炒めた。まず鯛にカレーと塩をふって焼いてみた。次は軍艦巻きとして、カレーをまずのせ、その上に焼いた鯛をのせた。次は生の魚のヌルッとした食感を消すために、塩をふり、カレー粉をまぶした。また米もカレーを加えたものを使用することを考えてみた。
 カナンガラ・ビデダャラヤ・ゴール小学校で子供たちに試食してもらうことにした。全体がカレー風味が一番人気だったが、前進していました。
 しかし2004年12月のスマトラ沖大地震による津波で悲劇があった。ゴールでは6人の生徒が両親を亡くし、86人の生徒の言えが全壊した。小学校も流されたそうです。プレマラル・パティラナ校長は、あの津波の後に学校を守るために、強い壁を作った。そこには子供たちの海に対する思いが描かれていた。

 原口と星さんはパラオを取るために漁村に行った。みんな沖で棒の上に立って魚を取っている。ストルト・フィッシングという伝統漁法。えさをつけずに取るそうです。2時間がんばったが取れなかった。仕方なく、別の方法を探る。
 地元の人の協力で、地引網に挑戦。1時間半引いたが、全然取れない。

●高原地帯キャンディ Kandy
 スパイスと野菜を取ってくる。130km離れているので、Sri Lankan Air Taxi という小型飛行機で40分で飛ぶ。途中で見えてきたのは、聖なる足跡の山スリー・パーダで、仏教、ヒンドゥー教、イスラム教、キリスト教の聖地として崇められている。紅茶畑を臨みながらキャンディに到着。
 キャンディは過去300年間、都として繁栄した。町全体が聖地キャンディとして世界遺産となった。仏歯寺には仏陀の犬歯が納められていて、今でも参拝者が訪問する。
 市場に行くと新鮮な野菜が多い。インゲン1kgRs50(55円)、ライム40個、玉ねぎ5個、パクチー数束、トマト8個、キュウリ5本、青トウガラシ10本、ニンニク2個を購入。スパイス専門店「ニュー・ピーエムエス・スパイス・センター」では、生のナツメグもある。コリアンダー、ターメリック、トウガラシ、シナモン、カルダモンもすりつぶす前のもの。
 ゾウの大群が通過した。近くの施設「ピンナワラ象の孤児院 Pinnawala Elephant's Orphanage 」で飼育されているゾウ125頭が、水浴びをするために河に向かって歩いていたもの。最近は入場料で食費をまかなっている。地雷で足をなくした象もいた。毎日午前10時と午後2時の2回、約2時間の水浴びを楽しみます。

●ゴール
 オープン当日、投網の名人マヒンダソマさんのところに行く。マラッドという魚をゲット。地元の漁師さんが長さ80cm程度?のパラオを捕まえた。それを持ち帰った。
 厨房では香辛料をつぶして、調理に入った。
 今回の勝負寿司は3品。1つ目はマグロで、塩胡椒、トウガラシなどをふりかけ、直火で表面を炙る。外でカレーリーフを使ってマグロを20分間スモークした「炙りマグロのスリランカ寿司」。薄焼きタマゴと紅茶ゼリー、トマトとトウガラシのペーストを上にのせた。2品目はピーナッツオイルでソテーしたホタテで「ホタテのサフラン、ココナッツ寿司」。ソテーしたホタテとココナッツミルクのソース。新鮮なキュウイで軍艦巻きにし、インゲンも加えた。3品目はパラオを使った料理。鯛よりも少ししっかりした味らしい。3枚におろし軽く炙った。様々なスパイス、トマト、ショウガ、たまねぎで作った特製カレーソースを使った「漬けパラオのカレー寿司」。

 世界遺産の中で100人に寿司をふるまう。まず象が登場。政府観光局チェアマンのレントン・ドゥ・アロウィスさんが最初に食べた。とてもいいそうです。パラオを使った味噌汁も好評だった。ウィジェセカラ一家も来てくれた。最後にご飯で作ったデザート「お米のスウィーツ、スリランカ風」。。炊き上げた赤米と白米に砂糖シナモンを加え、ココナッツ風味のシナモンで巻き、チョコレートをかけた。これはココナッツミルクライスとホッパーがヒントになった。みんな美味しいと言って食べてくれました。


テレビ番組「世界遺産新たな旅へ インドのコナーラクの太陽神寺院」

 2007年6月30日放送。放送番組センター配給。

●コナーラク
 13世紀ベンガル湾に面したオリスタ地方に巨大な石の寺院が建立された。正確に東を向いてたつこの寺院はスーリヤ?が祀られていた。スーリヤは七頭だての馬車に乗って天空を駆け、太陽の運行を司る。拝殿の高さは38m、壮大な寺院はスーリヤの操る馬車にかたどられていた。日の出と共にこの場所から天空へと駆け上ると思われていた。この巨大な寺院はこの湾を航行する船乗りの目印になった。
 当時オリスタ地方はヒンドゥー王朝の支配下にあり、コナーラクは港湾都市として栄えた。太陽は古くからインドの人々に神としてあやかられてきた。親は子供にはスーリヤの名前をつける。
 拝殿は真東に向いていて、朝日が差し込むように設計されている。その光はかつてその後ろにそびえていた本殿に達し、内部に安置されていた本尊を照らしたとされる。馬車をひく七頭の馬はそれぞれが一週間の七つの曜日を表わす。直径3mの車輪は12軸で、1日の24時間を表わす。車輪には貴族の1日の生活が刻まれている。当時の王はこの寺院の建立に、自らの体重の1000倍の金と20年の歳月をかけたという。
 この王朝はイスラム王朝の影響でまもなく衰退し、14世紀には歴史の表舞台から姿を消した。いつスーリヤの本尊が失われたのかも不明。
 19世紀にインドを統治したイギリスにより復興が始まった。現在はインド政府により行なわれている。壁面に施された細密彫刻で世界に有名になった。その姿は愛し合う男女の姿を描いたミトゥナという彫像。寺院の壁は数百体に及ぶミトゥナで覆いつくされていた。歓喜に溢れる男女の姿は繁栄と豊穣の印。
 崩壊した本殿の3つの壁面には、それぞれ1体ずつスーリヤ像が残され、失われた本尊の姿をしのばせている。3体の像は1日の太陽神の姿を現すと信じられている。日の出のスーリヤ、正午のスーリヤ、日没のスーリヤ。
 本殿の正面に残された舞楽殿は、スーリヤに捧げる歌や踊りを催す場所だったと思われる。舞台を支えた石の柱には200体を越える楽隊や踊り子の姿が残されている。
 20世紀の初頭、神に捧げるオディッシー・ダンスが蘇った。動き、リズム、表情、それが神に捧げられ、それ自身が神に近づく悦びだった。「歓喜と享楽のあるところ、愛の願望の満ち足りたところ」インドの古代神話に書かれた言葉です。人々は神話に描かれた神の楽園をこの寺院に見たのです。


テレビ番組「世界遺産・新たなる旅へ スリランカ・ゴール旧市街とその要塞群」

 2007年6月2日放送。かつてセイロンと呼ばれた島。豊かな自然に恵まれ、人々は漁業や農耕で暮す。7世紀、香辛料などを求めてアラビア商人が住み着き、インド洋沿岸は交易で繁栄した。ポルトガル、オランダ、イギリスの支配の影響が残っている。製作早稲田大学など。

●ゴール
 1505年ポルトガルの船団がスリランカ南西の入り江に流れ着いた。長い岬に囲まれた入り江が港に適していたので、要塞を築いた。ゴールとはスリランカの言葉で岩を意味する。富と繁栄は17世紀オランダの植民地時代に頂点に達した。今でもゴール旧市街にはオランダの影響が残っている。
 オランダはヨーロッパの都市計画にのっとって町を造った。町の入口には東インド会社の紋章が掲げられている。ポルトガル時代の要塞を再建し、岬を城壁で囲んだ。城壁には大砲も備えられた。
 城壁に囲まれた町の中心は碁盤の目のように復活された。城壁の下に開けられた穴は下水溝。干拓の技術が発達していたオランダは、潮の満ち干を利用して画期的な下水溝を作った。オランダ時代の建物はテラスがあるのが、コロニアル調の特徴。当時のオランダ軍の兵舎は今は郵便局。オランダ時代の集会所は仏塔を持つ寺院に改装された。17世紀の鐘楼が建つゴールの高台にはオランダ時代の総督府がある。現在はゲストハウスとして使われている。
 ゴールの女性たちの間では、レース編みが伝えられている。オランダが伝えたベルギーのレース編みの技術で、現在はスリランカの伝統となっている。
 18世紀の末、イギリスがゴールの支配者となり、灯台を建築した。城壁を強化し、町に入る新しいゲイトを作った。ゴール・セインツ教会はゴールの教会の中でも最も美しい。今でも150人の信者が通っている。イギリスは水路などを建設した。学校教育にも力を入れ、イギリスにより創設された学校「セント・アロシアス・カレッジ」は、今も名門校として優秀な人材を輩出している。ココヤシ、香辛料、ゴムなどのプランテーションも起こした。特に紅茶はセイロン・ティーとして世界に有名となった。
 旧市街のそばにある漁村の市場には、毎朝賑やかな売り手の声が響く。これはポルトガルが来る遥か前から続いていたもの。漁師たちの多くはカトリックに改宗した。現在城壁の中には500世帯の家族が住んでいるが、多くはイスラム教徒。この地区にポルトガル時代の建物が残っている。100年前にカトリック教会からモスクへと改装された。


テレビ番組「世界遺産 インド・タージマハル」

 2007年5月6日放送。放送番組センター配給。

●アーグラ
 デリーから南へ約200km、ガンジス川の支流ジャムナ川。この大河のほとりに17世紀タージ・マハルが建てられた。川の西側に建つこの建物はインド・イスラム建築の最高傑作。20世紀の詩人タゴールも称えている。タージ・マハルは一人の皇帝が愛する妃のために建てた墓だった。
 アーグラは16〜17世紀にかけてインド歴史上で最も繁栄したイスラム王朝ムガール帝国の都だった。この時代に建立されたモスクには「ジャーマ・マスジット」などがある。インドには現在1億人を超えるイスラム教徒が暮らしていて、繁栄の基礎となったのがムガール帝国だった。
 ジャムナ川に沿って続く赤い城壁。1565年帝国第三代の皇帝アクバルはアーグラに都を定め、赤い城と呼ばれる城塞の建造を始めた。赤い砂岩を使った城壁は周囲2.5kmに及ぶ。それ以後1世紀増改築が繰り返された。アマル・シング門から入る。中にはアクバルが息子ジャハーンギールのために建立した宮殿「ジャハーンギーリー・マハル」がある。左右対称のイスラムの建築に加え、梁と柱を用いたヒンドゥーの伝統的な様式が用いられている。ひさしの張り出した屋根も雨の多いインドの屋根の特徴。アクバルは支配下においたインドのヒンドゥー教徒の文化を認め、イスラム文化との融合をはかりインドに絶対的な支配を確立した。
 この赤い砂岩の城塞を白い大理石で再現したのが、第5代皇帝シャー・ジャハーンの「ハース・マハル」。この時代にムガール帝国は最盛期となり、北インド全体を支配する大帝国となった。アーグラ城内にゴールデン・パビリオン、ナギーナ・マスジッドなどの白亜の建造物を作った。

 最後に完成させたのがタージ・マハルだった。名前は妃の名前ムムターズ・マハルによる。17歳で嫁ぎ、14人の子をもうけ、36歳の若さで亡くなった。1631年に建造を開始した。水と緑、完璧なシンメトリーな世界。これはイスラム教徒にとって天上の楽園を意味するものだった。シャー・ジャハーンは1万トンを越える大理石、のべ2万人の職人、16年の歳月を費やした。建物から柩にいたるまで全てが白い大理石。アラビアのサンゴ、ペルシャのアメジスト、中国のひすいなどの世界各地から集められた宝石がちりばめられた。白い大理石は太陽の動きとともに、刻々と表情を変える。
 シャー・ジャハーンの栄光の時代はタージ・マハルで終った。後に息子がクーデターを起こし失脚し、アーグラ城の一角に幽閉され、亡くなるまでの7年間、タージ・マハルを眺めながら暮らしたという。


テレビ番組「世界遺産新たなる旅へ スリランカ・古代都市ポロンナルワ」

 2007年3月25日放送。放送番組センター配給。

 19世紀の末まで人々に忘れられていた古代都市。スリランカ北東部のジャングルに眠っていたその都は11世紀から200年間、シンラハ王朝の都として栄えたポロンナルワ。スリランカの仏教はインドに次いで長い歴史を誇る。紀元前にインドから伝わった仏教は、シンラハ王朝の最初の都アメラーダプラを中心に広がった。この街には樹齢2000年と言われるスリー・マハー菩提樹がある。仏陀が悟りを開いたブッダガヤの菩提樹をここに挿し木したと伝えられる。スリランカの人々は仏陀につながるこの菩提樹を厚く信仰する。
 口伝だった仏教の教えはスリランカでパーリ語の教典として残された。仏教はこの経典とともにビルマ、タイなどの東南アジアに伝わった。

 スリランカで仏教が栄えたのは、都がポロンナルワに移されてから。都の西には南北9kmの巨大な湖がある。12世紀の王パラークラマバーク1世?によって造られた貯水池「パラークラマの海」。800年以上経た現在でも灌漑用水として使われている。灌漑によって米が多く生産され、輸出されている。
 宮殿はかつては7階建だった。1000を越える部屋があり、きらびやかに飾られていたという。王族の専用寺院「ダラダーマルワ寺院」は聖地の中の聖地と言われ、境内に仏塔をはじめ12の建物が並ぶ。仏教建築を代表する円形の仏塔「ワタダーゲー」。この寺院の中で最も古い。昔は木造の屋根で覆われ、4体の仏像が仏塔を囲んでいた。入口にあるムーンストーンは参拝の前に足を清めると思われている。それの両側に立つガードストーンは悪魔の侵入を阻む。聖堂を支えていた風に揺れる蓮の茎をあらわした8つの柱。その中央には仏塔。4世紀頃、仏陀の糸切歯「仏歯」がもたらされ、王家の宝、象徴として代々伝えられた。「アタダーゲー」は仏歯が祀られた。王は人々が集まるハタダーゲーに移され、王朝の権力を示した。
 シンラハ王朝はインドの南にあるヒンドゥー教徒から度々侵略を受けていた。不安な人々を救うために仏教の普及に努めた。都には巨大な寺院や仏塔が次々に建てられた。歴代の王はサンガと呼ばれる僧侶の組織を支持した。僧侶たちが身を清めた沐浴場は蓮の花を形どっている。僧侶は世俗を捨て、戒律に従って修行をする。輪廻の鎖から解き放たれ、涅槃に至ることを目指す。信者は僧侶に布施などして功徳を積む。
 一枚岩に仏像を彫った寺院「ガル・ヴィハーダ」。ポロンナルワの仏陀はみな柔和な顔をしている。ティワンカ・ピリマゲ寺院のフレスコ画も柔和。釈迦に生まれかわる前の仏陀の姿。ランカーティブカ仏堂は、かつては5階建の仏堂でしたが、現在は2階までしか残っていない。ヒンドゥー教徒によって破壊され、人々は島の南部に逃れた。南には朽ち果てた仏塔跡がある。小高くなった山そのものが仏塔の一部で、完成はしなかった。
 島の南西には「スリ・ジャヤワルダナプラ・コッテ」という仏教地がある。


テレビ番組「地球街道 夏木まりさんでインド、華麗なる三都」

 2007年3月10日、17日放送。
 北西部アンベール。16世紀にマハラジャによって築かれた要塞アンベール城を訪問。内部の装飾は素晴らしい。庭園もきれいだし、風が吹き抜け五感が気持ちいいそうです。王妃の部屋もある。
 北西部のラジャスタン州には数多くのマハラジャの国があった。マハラジャが築いた3つの都、ピンク・ブルー・ホワイト(ジョドプール、ジャイプール、ウダイプール)を訪れる。

●ジャイプール Jaipur
 デリーから南西260kmを国道8号線を行くと、サファリのような荒野を過ぎて、ジャイプールに着く。18世紀にジャイ・シン2世によって作られた街。旧市街には華やかなピンク色の建物が建ち並び、ピンク・シティーと呼ばれる。現在200万人の人々が暮らすラジャスタン州の州都。
 シンボルは1799年に建てられた5階建、メイン・ストリートを見下ろすように建つ「風の宮殿」。王妃などが民衆に見られることなく街の様子を見ることができるように建てられた。裏側は意外と質素。
 西側にはマハラジャが作った巨大な三角形の日時計がある。天文学に興味があり、天文台を作ったそうです。12星座の位置を知る12個の装置もある。正確な位置を知るために、占星術師により利用されていた。
 有名なバンディット・シャルマさんにみてもらった。生年月日時、場所の正確な情報が必要です。まず良い日、良い年齢を教えてくれましたが、ズバリだったそうです。恋愛のチャンスは少ないそうです。
 夏木さんはインドの音楽に興味があり、古くから伝わるインドの音楽を聴いてみたいいう。ジャイプールでも屈指の楽団の演奏は、独自の楽器で奏でられるリズムで、砂漠で聞いて満喫しました。

●バグルー
 南西に1時間走ったところにある小さな村。色とりどりの布が風に舞う。華やかな柄のインド更紗の産地。色づけした布を洗っていた。ブロックプリントの手法も見ました。染料作りが大変。例えば、黒い染料は、水の中に黒砂糖と焼いた鉄を入れ15日以上放置して作る。歴史はとても古く、紀元前には既に始まっていたという。とてもきれいな布になりました。

●ジョドプール
 ピンクシティから南西に330km。ラジャスタン州第二の都市。15世紀、ラオ・ジョーダによって建設された。街中が青く塗られ、「ブルーシティー」と呼ばれる。

●村訪問
 特に個性的な色彩豊かな村を訪問。村の女性たちはみな、美しい民族衣装を身につけていて、夏木さんも着せてもらった。

●ウダイプール
 16世紀、ウダイ・シンによって建てられた街。川をせき止めて湖を作り、水の確保につとめた。ボートから、その湖に建てられた白亜の宮殿レイク・パレスの外観を眺めた。その後、現在ホテルとして使用されている宮殿「シティ・パレス」は、歴代のマハラジャたちによって建てられた、ラジャスタン州最大の宮殿。美しい景色を眺めながら、ゴージャスな気分でゆったりとくつろぐことができる。
 ウダイプールが一望できる丘の上へ行った。


テレビ番組「探検ロマン世界遺産 世界遺産と生きる人々」

 2006年11月25日放送。NHK製作。

●マダガスカル
 ツィンギ・ド・ベマラハ厳正自然保護区。生き物をよせつけない高さ100mに及ぶ岩の摩天楼。石灰岩の岩山が長年の雨水の浸食をうけて作られた風景。水沢蛍さんが案内。岩の隙間に素焼きの土器がった。ここにも人が住んでいた。ヴァジンバ族の人が今も麓に暮す。ツィンギからは50種類もの薬草が手に入る。マラリアも治すという万能薬もある。針山にはシファカと呼ばれる小さなサルが生息している。地下に洞窟があり、水が流れていて、乾季でも枯れることはない。

●カッパドキア
 石灰岩の侵食によって作り上げられた幻想的な光景。地中へと続く竪穴や横穴が無数にある。もっとも深いところでは地下80mに達し、地底都市は30を越えると言われる。今も岩山を掘った中で暮らしている人がいる。末吉美紀アナが訪問した。冬は寒いが、夏は涼しくて快適だそうです。
 アルカリ性なので、植物は育たないとされるが、ぶどうはそういう土地だから栄養を体内に貯めておこうとする。それで味わい深いぶどうができる。

●ボリビア
 標高3800mの高原にある都市遺跡ティワナクは紀元前2世紀から1000年以上に渡って栄えた壮大な古代文明。緻密な石組みの技術は後のインカ帝国に影響を与えた。伊藤雄彦さんが案内。古くから住むアイマラ族の村を訪ねた。じゃがいもは地面に置いたままにする。日中は15度、夜は氷点下で、気温差は最大30度にも達する。凍って溶ける、これを足で踏んで、じゃがいもの毒を出す。これから100年はもつという保存食チューニョができる。食べる時は水で戻し、スープに入れて煮込む。

 チチカカ湖の真中にあるのは島ではなく、草でできた浮島。この湖にはこうした島が58あり、2000人が暮らしている。浮島はトトラという植物でできていて、1ヶ月に1回新しいトトラを追加する。夜は寒さが防げるためのようです。魚の宝庫で、石の上で焼くのが伝統。

●ウィーン
 シェーンブルグ宮殿はハプスブルグ家が18世紀半ばに完成させた。部屋の数は1141もある。水沢蛍さんが案内。女帝マリア・テレジアは莫大な富と圧倒的な力を誇示した。舞踏会に使われた大ギャラリー。インゲボルク・リンデックさんが案内してくれた。観光客が入れない特別な場所は、宮殿の最上階にある部屋、ここにリンデックさんが住んでいる。1918年ハプスブルグ帝国の崩壊と共に宮殿はオーストリア新政府の手に渡った。その時に多くの部屋が住宅難に苦しむ市民に提供され、今でも250世帯が賃貸で生活している。マリア・テレジアが作った世界初の動物園も今でも人気。あとは庭園が住民の散歩コースとなっている。

●バルセロナ
 サグラダ・ファミリア贖罪教会は、天才アントニ・ガウディの代表作。1883年に建設が始まり、120年以上が過ぎた今も工事が続けられている。バルセロナではガウディが作った7つの建物が世界遺産、うち4つは住宅。石井麻由子さんが紹介。
 カサ・ミラは1910年に建築された地上6階の建物がアパートになった。地元の人は「ラ・ペドレラ(石切場)」と呼んでいる。洞窟のような入口。中には吹き抜けが作られている。一つとして四角な部屋はない。クレメンティーナ・リスカノさんのお宅を見せてもらった。打ち寄せる波のような曲線が天井にある。ガウディは家の環境が人を育てると信じていた。

●オランダ
 1平方kmの平原に19の風車がある「キンデルダイクの風車群」。高さ18m、250年前の創建当時と変わらない佇まい。風車の中では水車が回っていた。オランダは国土の4分の1が海面より低いので、水車は水位が上がって川の水が溢れそうになると汲み上げて排出し、農地や牧草地を守ってきた。岡田理江さんが案内。
 コック・ファン・デン・ベルクさんの風車(お宅)を訪問した。入るとすぐにキッチンと台所。5階建で、風車が回りだすと大きな音がするそうです。電気式のポンプは停電になると使えなくなるから風車は必要だそうです。風車の位置は360度回転する。布をかけるのも大変な作業。強すぎてもいけないし、弱くてもいけないそうです。

●ハバナ
 旧市街が世界遺産。ハバナは16世紀〜19世紀はスペインの支配下にあり、バロック建築が数多く残っている。かつての大邸宅を改造して20世帯の家族が住んでいた。1DKの細長い室内でした。岡田理江さんが案内。19世紀にアフリカから70万人の奴隷が連れて来られた。砂糖の生産のために強制労働させられた。その中で祈りの儀式が重要となり、太鼓の音楽が心を癒した。19世紀末にスペインの植民地支配が終結し、人々はハバナに集結し、新たな音楽が発生した。融合した音楽は「ソン」と呼ばれた。そこからさらに多彩な音楽が生まれた。

●インド・ダージリン地方
 ダージリン・ヒマラヤ鉄道は世界遺産。120年以上続く世界で最も古い山岳鉄道の一つ。わずか2両編成で高低差2000mを走る。19世紀末にイギリスが造った。当時は細く険しい山道を通るしかなかった。当時は牛車や籠に乗って行き来していた。イギリスは紅茶の栽培を始めた。これを安全に大量に運ぶために、1881年開通した。20世紀半ばインド独立後、車社会到来で、トラックに代わった。沿線の住民たちは思わぬ利用法を考えた。通学の際に子供たちは駅でもないところから飛び乗る。伝統を引き継ごうとしている若者はミラージュ・ビスワカルマさん17歳。


テレビ番組「カレーで綺麗?魅惑のインド紀行」

 2006年7月17日放送。奈美悦子、森下千里さんが出演。インド人女性には2000年のミス・ユニバース、ミス・ワールドなど主要な世界大会の優勝者がいる。成田から8時間半、JALでは週3回デリーに飛んでいる。RKB毎日放送制作。

●デリー
 ラジュパット・ナガル市場 Lajpat Nagar Market に行く。ハンドバッグ895ルピー(2250円)、ブレスレット・セット250ルピー(630円)、ブレスレット・セット500ルピー(1260円)、巻きスカート250ルピー(630円)、靴400ルピー(1000円)。  アーユルヴェーダ・ケンドラ Ayurveda Kendra でアーユルヴェーダを体験。アーユルヴェーダはインドでは5000年の歴史を持つ民間医学。まずお医者さんのK・スダ・アショカさんから問診を受け、50種類のオイルからその時の体調に合ったものを選んでくれる。森下さんはセサミをベースに天然ハーブを加えたもので、人の持つ自然の治癒力を高める効果がある。まず神様に祈りをささげ、シロダラ Shirodhara を体験。額に落としていきますが、抜け毛、消化不良、頭痛にも効果があるとか。とまどっていましたが、15分後に熟睡。奈美さんは疲れているというので、2種類のオイルで、アビヤンガー Abbiyanga を体験。天然ハーブにマスタード・パウダーを加え、火で炒る。白い布に8種類包んで、ブレンドオイルを混ぜて背中をゆっくりとパッティングする。疲労回復などに効果がある。2100ルピー(6300円)〜。

 カレーは「ラディソン?」内にある?「グレート・カバブ・ファクトリー Great Kabab Factory」がインドで一番おいしいという。インドの料理界で知らない人はいないというシグス・カルラ Jiggs Kalra さんがプロデュースしたお店。彼は前の首相のアタル・ビハリ・ハジパイさんの専属料理人であり、先年米国で開催されたワールド・グルメ・サミットではインド人で初めて殿堂入りを果たした。まずタンドリー・チキン675ルピー(1450円)、ジャガイモのカバブ525ルピー(1320円)、シークカバブ575ルピー(1450円)。ダールというカレーは255ルピー(640円)で豆。一番人気のバター・チキンは415ルピー(1050円)は、トマト・ベースのカレー。ブラック・ペッパーとエビのカレー595ルピー(1500円)。
 カルラさんに二人がカレーを作って食べてもらった。森下さんのチキン・ベジタブル・カレーは味はいいが、辛さが足りないそうです。奈美さんは昔懐かしいおばあちゃんカレーは好みのカレーでパーフェクトだそうです。

 通りを歩いているとシャカシャカ音がする。マンションに入ってみると、毎週第3金曜日の地区の女性が集まり、その家の女性が幸せになるように祈るキールタンというものだった。部屋には20−30人の女性がいました。月毎にもちまわりで行なわれている。するとある女性が額にティラクという歓迎をあらわす印をシンドゥールでつけてくれた。次いで踊りが始まり、合計4時間あった。その後食事のサービス。

●ジョドプール
 デリーの南西のラジャスターン州の州都。かつては城塞都市として栄え、別名ブルーシティと呼ばれ、観光地でもある。青く塗られている建物が点在している。砂漠に近いので、日差しを少しでも和らげるため。
 宮殿ウメイド・バワン・パレス Umaid Bhawan Palace に宿泊。現在もジョドプールのマハラジャ「ガジ・シン2世」が住んでいる正真正銘の宮殿。20年かけて完成したという建物と広大な敷地。建物の半分はホテル。赤いカーペット、超豪華なロビーです。今回の部屋はマハラジャの奥様が使っていた「マハラジャ・スィート」で、すごいスィートでした。ソファ室が3つ?、ピンク大理石をくりぬいて作ったお風呂(1000万円)、バルコニーにブランコ。1泊US$3675(44万円)。特別にマハラジャが使っている部屋も見せてもらったが、専用のプールも豪華、クラシックカーも豪華、専用列車まである。
 中庭でマハラジャ・ディナーをいただいた。ターリンと呼ばれる大きなお皿に小皿がいくつものっている。サンガリヤンは野菜などのお惣菜。アルゴビはジャガイモとカリフラワーのカレー炒め。タンドリーチキンはパクチーが効いている?ランブミート(マトン)はトマトが効いている。他にはジョドプーリダール、ガッタカレーなどで、合計US$56(6700円)。
 地元の音楽団ランガーズ Langas の歌と踊りもプレゼントしてもらった。この楽団は世界的に活躍しているという。

●デリー
 メヘタさん家を訪問し、サリーを着てインド美人になれる場所を紹介してもらった。朝食をいただいたが、カレーはバジー?というスープカレー。これに合うのは、小麦粉の生地を油で揚げたプーリー。マンゴー・アチャールはマンゴーで作ったピクルスは酸っぱいが癖になりそうだとか。ティンダーという小さなウニに似たものの煮物。バターミルクというヨーグルト・ドリンク。朝と夜は必ずみんなで食べるそうです。
 「ニュー・ブロッサム・ビューティ・コーナ New Blossoms beauty Corner 」というお店で赤いサリーを着て、メイクをして、アクセサリーをつけて、記念写真を撮った。


テレビ番組「世界の絶景100選、春のNo.1絶景フェスティバル」

 2006年3月30日放送。司会は内藤剛志、久本雅美さん。審査員は高橋英樹、中尾彬、石原良純、さまぁ〜ず、羽田美智子、ユンソナ、坂下千里子さん。フジテレビ製作。

●インド
 ヒマラヤ山脈の世界遺産ダージリン鉄道を赤井英和さんが案内。1500年前、三蔵法師がたどり着いたのは天竺。そこにはヒマラヤがあった。
 ニューデリーまで成田からJALで8時間。サルップ・シンーギルさん(50歳)が案内。ネパールとの国境ダージリンはインドを代表するお茶の産地。麓の町ニュージャルパイグリ Jewjalpaiguri からダージリン・ヒマラヤ鉄道に乗る。レール幅は61cmで、トイトレインという愛称で呼ばれている。青色で、全長7m、幅2.43m、高さ3.95m。日本の蒸気機関車は全長20mで大きさはほぼ3分の1。1880年に開業、1999年に世界遺産に登録された。客車2両つないだValiant 号は午前8時に出発。軒先をかすめるように走る。全長80kmで高低差2000mを8時間かけて登る。平均時速は10kmで午後4時に到着予定。先頭にはブレーキマンが乗っていて、滑らないように線路に砂をまいている。線路に牛が入って列車は止まった。4時間後に家族から弁当の差し入れがあった。マトンカレーとジャガイモのカレー。バタシアループ Batasia Loop という見所を通過。登りだと左側に座るといいみたいです。無理がたたってネジが緩んだので、1時間半ほど修理に時間がかかった。ダージリン駅に17:55到着。夕陽は見えませんでした。月が見えていましたが、月がきれいに見える翌朝は朝日がきれいに見えるそうです。駅員を集めて、日本から持参したカレーうどんをふるまったら、うまいと言われました。
 翌朝5時半から待つ。朝日が昇り、真中に高くそびえ立つインド最高峰カンチェンジュンガ(8586m)が朝日を浴びていた。山肌は刻一刻と色を変えていった。年に数日しか見えないというエベレストも見えました。

●スウェーデン
 アイスホテルを青木さやかさんが案内。スウェーデンの北部にあります。柱やテーブル、ベッドまで氷でできている。元旦に出発して行ったそうです。夜9時にスウェーデンに到着。トーマス・シャルステッドさん(24歳)が案内。翌朝7時に湖の横を歩くが寒い。車でも行けるのだが、犬ぞりで11時に出発。雪原はきれいですが、超寒く、おしりが痛いそうです。1時40分はかなり暗くなっている。冬の12月から2ヶ月間、日中でも地平線より上に太陽が昇らない「極夜」になる。1時間歩いて、途中の村のニルスさん宅に一泊する。トナカイ肉のシチューまでいただいた。
 翌朝は1時間歩いてホテルに向かう。建物は全て平屋建。敷地面積は7000平方m。中に入ると氷の世界です。氷のシャンデリアもまぶしい。素敵です。室内も素敵だが、温度はー5度。寝る時はトナカイの毛皮と寝袋で寝る。ホテルのアイス・バーは氷のグラスを使用。
 魔法のベールに包まれる絶景が見られる。夜中に暗闇にホテルが光るダイヤモンド・ダストが見られる。マイナス15度以下の時に、空気中の成分が凍り、光を受けたら光る現象。幻想的な景色でした。青木さんも感動してました。

●アラブ首長国連邦(UAE)ドバイ
 広末涼子さんが案内。思っていたイメージが大きく違っていたそうです。国土の大半がルブ・アル・ハリ砂漠が占める。空白の4分の1という意味。アラビア半島の4分の1を占めるからである。日本からドバイへはエミレーツ航空で11時間。ドバイ市内はアラブの国と思えない街並み。ジュメイラビーチJumeirah Beachも美しい。ジャリール・アブドル・アルサードさん(50歳)が案内。相棒のラクダのアリババと登場。レッド・デューンという赤い砂漠があり、夕陽に染まるそれを見せたいという。
 絶景ホテルは「バージュ・アル・アラブ Burj Al Arab」。宿泊者名簿に名前が入っている人以外は立ち入ることができない。エッフェル塔がすっぽり入るという建物で、高さは321m。各部屋には専属の執事が付く。全室スィートルームで、メゾネットになっていて、2階が寝室。1泊44万円。浴室が2つ。アメニティはエルメス。窓から見えるのは絶景のアラビア湾。
 車で2時間走り、オマーンとの国境に到着。ディバ港に到着。エメラルド・グリーンに輝く海の洞窟に行く。小さいボートに乗り換え洞窟「ケイブ The Cave 」に入る。中は広くて、中から見ると、海面がエメラルド・グリーンに輝いていました。船に戻ると、船長お手製のアラビア料理が待っていました。
 砂漠に行くが、車のタイヤの空気を抜いている。途中からラクダのアリババに乗り換えて1時間、さらに30分歩いて山に登る。赤い砂でした。次第に傾斜が急になって、一部は立って歩けない程度でした。頂上では左側と右側で景色が違いました。夕陽になって、どんどん砂漠も空も赤くなりました。

●ベトナム
 ガレッジセール(川田、ゴリ)が案内。日本からハノイまで約5時間半。グエン・ヴァン・ハン君(12歳)が案内。ハノイから車で3時間のバイチャイ港がハロン湾 Ha Long Bayへの入口。モーターボートで30分、きれいな海が見えてきた。大小3000以上の絶壁の島々が並ぶ。世界遺産にも指定された奇岩群で、海の桂林とも呼ばれている。海の上に浮かぶクワバン村に到着。127軒650人が暮す。陸地から20kmの沖合い、世界遺産ハロン湾のど真中にある。長老のバン・ティ・マイさん(73歳)に挨拶。床下が養殖場となっていて、トイレは穴があり、海に落ちるようになっている。小学校を訪問。夜はイカと太刀魚やシャコを釣ってきて、それを早速食べました。
 翌朝、バン君の案内でボートで20分の場所に連れて行ってもらった。ある島に上陸し、25階建のビルと同じ高さまで登った。ハロン湾の島々が重なりあい、水墨画の世界が広がっていました。

 一番人気はアイスホテルでした。


テレビ番組「ズームイン!世界の絶叫マシーン、一番怖〜いの決定戦 2005」

 2005年9月23日放送。世界の絶叫マシンは1万3000台。7つのエリア(USA、オーストリア、ニュージーランド、UAE、ドイツ、インド、フロリダ)にわけ、世界で一番恐いマシンを選ぶ。出演は極楽とんぼの山本圭壱、ペナルティ。司会は今田耕司、羽鳥慎一アナ、西尾由佳理アナ。審査員は江守徹、杉田かおる、花田勝、加藤夏希、ビビる大木。日本テレビ製作。

●オーストリア・ウィーン
 メリーゴーラウンドは本物のお馬さんが回っている!日テレの鈴江奈々アナが調査した。プラーター遊園地の初級編はボラーム。うつぶせのまま螺旋状で登り、猛スピードで走る。上級編はターボブースト。時計の針のように回転する。その先に乗るが、そこでも回転する。時速110km。このダブルくるくるでピスタチオがどうなるかを測定したら、全て豆から出ていました。これに乗ってみると、すごいくるくるです。さらに次のお客が乗る際は、一番高いところで止まったまま30秒とか。その後は逆方向にさらにすごいくるくる。着地前でさえすごく回転していました。

●アメリカ
 馬場典子アナが調査。世界一のブランコはカリフォルニアの「ナッツベリー・ファーム」にある「スクリーミング・スィング」で、高さ18mの塔が単に建っているだけに見えるが、振れ始めると時速100kmになる。オーマイゴッドと5回以上叫ばせるマシンが怖いマシンと思われる。90度になった時に時速100km、130度まで高くなりました。
 コロラド州の「ロイヤル・ラッシュ・スカイコースター」は、宙吊りで高さ30mの上空から振り子のように空中でブラブラと遊泳できる。どこが世界一かというと、目の前が高さ350mの断崖になっている。
 世界一のスピードはニュージャージー州の「シックス・フラッグス・グレート・アドベンチャー」に今年登場したマシン。3つの世界一を持つ。高さ139mと世界一(40階のビルに相当)、時速206kmで3.5秒で上昇したかと思ったら、落差127mで急に落ちる「キンダカ」。逸見愛さんが挑戦した。顔が変形していました。
 世界一のグルグルはラスベガスのストラトスフィア・タワーは350m。この塔の上の外側で横に回転しているマシン「インサニティ」がある。乗ると柵が外側に倒れ、マシンが外に出ていってから回転を始める。足元に何もない恐怖だけではなく、どんどん下を向いていき、ほとんど真下を見る格好になる。

●インド
 ペナルティが挑戦した。デリーから車で1時間の街にお祭り騒ぎになるという。8月15日はインドの独立記念日で、空には凧がクルクルとんでいた。そこの公園に絶叫マシン「メリーゴーラウンド」が置いてあったが、違った。そのオーナーのところにあるという。広場で翌日に組み立ててくれたのは、「バルチェ・ヒンドラ」という観覧車で、頼りない。屋根も安全ベルトもなくさびだらけ。人力で回すが、結構高速回転します。ペナルティも気分が悪くなりました。

●ドイツ
 山下美穂子アナが調査した。ドイツはジェットコースター界の革命王と呼ばれている。1975年世界初の1回転コースターを開発。今回は世界初の高所360度ひねり。畑の真中にそびえるマシン「スカイウィール」は「スカイライン・パーク」の中にある。地上48mで横に1回転ひねられている。しかもレールが風で揺れていて、支柱がない。ベルトは腰に当てるだけ。自由に動くちくわを置いて、どう変化するかも調べた。ゆっくり上がっていって、少しゆっくり目に360度ひねってから、勢いで急降下しました。あがってもう一度360度ひねってから急降下し、かなり登ったところから、逆方向に高いところまで登り、また前に進行して高いところで止まり、そこからゆっくりスタート地点に戻りました。

●フロリダ
 大気圏突入体験マシンはタンパベイの「ブッシュガーデン」にある「シェイクラ」で、ジェットコースターでは初めて2度も垂直落下する。全長は972mで、3分間の体験で、1回目は地上61mから、2度目は穴の中に突入し、最後は水を飛ばす。落ちる直前に止まり、落ちる時は4Gの力がかかる。
 山本圭壱さんが挑戦。オーランドらしいが、工事現場のように2本のクレーンが立っているが、その間が世界最強の逆バンジー「スリングショット」。高さ115mと世界一で、座席は完全な剥き出し状態。少し下に下がってからドーンと115mまで上がります。その後は何度か上下しますが、回転していました。

 宇宙体験マシーン「Zero Gravity」は1回約41万円。NASAの人と同じように青い服を着て行なう。まずホテルで説明会があり、40人が参加。次に全員に酔い止め薬 Dramamine が配布され、吐く場合の汚物入れも配布された。
 Zero-Gと書かれたジェット機が止まっている。1万mを目指して上昇していく。全員起立して、床に座って横になる。3分前。30秒前。急に地面に吸い寄せられる感じになり体が重たくなる。そして全員が空中を遊泳した。これが30秒続き、また機体が上昇し重力が2倍になり、床に押し付けられ、再度、無重力になる。山本さんは無重力状態で水を飲むことに挑戦。4度目の無重力状態で成功!

●ニュージーランド
 伝説のアナウンサー若林健治は、2003年にスタン・ハンセンが放送席のモニターを奪おうとしたのを阻止して伝説となった。
 クィーンズタウンの山奥の「キャニオン・スイング」は落差109mで、さらに時速150kmでスイングする。下はショットオーバー・リバー。頭からゴミ箱をかぶって落ちるコースもある(笑)場所に行くと「へい、いらっしゃい」と日本語で言われた(笑)
 残酷度No.1は「チェアー」で椅子に縛り付けられて、後ろ向きで落とされるもの。「おっさん、まだスペシャルあるで」と言われた(笑)それは
 「ファイブ・カウント」でロープを1本1本係員が切る。体重によって切れる時が変わるそうです。最後の1本まで残っていましたが、落ちました。

●アラブ首長国連邦UAE・ドバイ
 巨大リゾートランドができつつある。高級リゾートホテルなどが建設中。宮崎宣子アナが調査した。去年オープンしたばかりのマディナ・ジュメイラというホテルは東京ドーム10個分の広さで、運河が取り囲む。キーになるのは、モハメド・ビン・スレイヤム氏で、父は元大臣、王族との縁戚で、彼自身は実業家でレーサーでもある。1台7000万円のフェラーリ・エンツォなどの車が13台もあるが、ここはゲストハウス。
 5つ星ホテル「ジュメイラビーチ・ホテル」と7つ星ホテル「バージュアル・アラブ」のすぐ近くのウォーターパーク「ワイルド・ワディ」の中に絶叫マシンがある。世界最長レベルのウォータースライダーであり、超個性派。高さ33m(ビル8階分)でスライダーの長さは100m、段差が3つあり、第一の傾斜は70度で、ゴール直前ですべる人の速度は70kmにもなる。名前は「ジュメイラ・スケアラー」で「美しき恐怖」という意味。登っていくときに階段にすき間があり、下が見えて怖い。かつ風が強い。両手を胸の前で交差して、両足も交差して落ちます。ゴール直前は体が宙に浮いてアザができたそうです。

 優勝はフロリダでした。


テレビ番組「吉村作治インド大紀行、ガンジス祈りと永遠の2500キロ」

 2005年2月13日放送。吉村作治、西山繭子さんが出演。インドの人にとってガンジスは川であるだけでなく神様である。多神教のヒンドゥ教をインドの人の8割が信仰している。RKB毎日放送製作。

●アラハバード
 ガンジス川とヤムナ川の合流するヒンドゥ教の聖地。午前5時夜明け前からみんな歌を歌いガンジスの祈りが始まる。合流地点(サンガム)には船が並び、みんなが沐浴をしている。サンガムで沐浴すると、魂が清められ、罪が洗い流されると信じられている。ガンガシャリーというガンジスの川の水を入れて持って帰る壷を売っている。出産や結婚などの際にこの水を使う。水は濁っているが、インドの人にとっては大事な水。アレール村から来たグリヤ(10歳)とムケーシュ(16歳)は毎日沐浴している。母親のミーナさんが小麦粉を焼き上げるキャパティという料理を作っていた。ムケーシュ君は船で巡礼者たちをサンガムに送ること。
 旧市街はすごい人で、自転車、シクロが多く、牛が路上で休んでいる(笑)。アラハバードは紀元前3世紀から行政や経済の中心都市として栄えたが、今は宗教都市。
 ここから西山さんは山の方へ向かい、吉村さんは海の方へ向かう。

●リシケシュ
 600km上流の谷あいの聖地。上流に向かうと次第に水の色はきれいになる。この町はヨーガの聖地として有名。ダーラムシャラ・ヨガ道場は1960年代にビートルズが修行をした。
 ここの水は冷たく、沐浴をするには勇気がいるが、沐浴後はすがすがしい気持ちになれる。みんな心の中の悪いものを洗い流し、幸せになれるように祈るようです。西山さんが沐浴することは構わないとみんな言ってくれました。ミーナとスミタさんにサリーを選んでもらった。975ルピーだというのをみんなが値切ってくれた。夕方河辺でプシャ(礼拝)が始まった。男性が松明をもって明るくし、女性たちが祈り、灯篭を流した。結婚式の前にガンジスにお祈りにきた男性に会った。
 翌朝日の出前、西山さんもミーナさんたちと沐浴しました。気温4度。日の出前後に沐浴すると願い事が叶うそうです。西山さんは人の暖かさを感じたそうです。

●プシュカル
 ガンジス川から離れて、デリーの方の西部の砂漠地帯プシュカルのラクダ市に行く。年に1度開催される。ラクダはメイクしたり鼻に花を飾っていたりする(笑)11月末に開かれるプシュカル祭りはブラフマーを祭り、20万人の観光客が来る。この祭りのイベントがラクダ市。歯ぐきを調べて健康状態を調べ、買い手は値切る。不況のせいで最近は安く、1.5万ルピー(4万円)くらいらしい。バルメール産のものが高い。
 この地方は歌や踊りが盛んで、今は観光客に見せる。町にはコブラ使いがいて、笛を吹いてカゴをつつくとコブラが立ち上がっていた。エサはチキンとミルク。砂漠にラウンタの楽器による音楽が流れていました。

●ガンゴトリー
 ヒマラヤの麓、標高3140mで、「ガンジス川が天から降りた場所」という意味の門前町。渓谷をバスで到着。冬の時期は観光客もいないし、お店も閉まっている。空気は気持ちよいが寒い!。川はひすい色。ここからは歩いていく。30分、山あいに牛?がいた。太陽が顔を出すと途端に気温が上がる。ガイドのラナ(27歳)は、岩山から流れる氷が溶けた水を飲んで、山を訪れるたびに神の存在を感じるという。氷の下に湧き水もありました。3時間、ヒンドゥ教の聖なる山バギラティの3つの白い山が見えてきた。ある地点から先は冬は入ってはいけないという。神様が自由に山を動き回るためだそうです。人間は神と自然には決して逆らってはいけないとラナは言う。標高3500mの別の源流の一つにも行く。雪の中から川が流れていて、冷たい水を飲みました。この氷が溶けて2500km、人々の願いをのせて流れていく。西山さんは川の流れの音の中で神に包まれているという感覚を持ったようです。

●コルカタ市
 かつてはカルカッタと呼ばれていたコルカタは生活のエネルギーに溢れた町。130年の歴史を持ち、アジア最大の花市場と言われるマリファート花市場には250軒5万人以上の売り手がいる。
 川沿いの沐浴場に行く。洗濯したり体を洗っていて、川にはいろいろなものも流れている。沐浴場ではカーリー女神の像を川に帰していたが、年に1度らしい。ガンジス川の河口は世界最大のデルタ地帯。河口を目指す吉村さんは支流のフグリー川に行く。肥沃な田園地帯が広がり、米の二毛作が行なわれている。住民の大半はベンガル人でベンガル語が中心。

●ダイヤモンド・ハーバー
 ガンジスの河口に面した港町。市場にはミカン、ザクロ、バナナなどがある。川魚は1キロ40ルピー(100円)。
 フェリーボートの港があり、そこから最後の聖地ガンガサガル島へ向かう。巡礼者にとってこの島への渡航は一生に一度の大仕事。潮が引くとフェリー港にフェリーが着かないので、手こぎ舟が登場する。

●ガンガサガル島
 ガンジス川の流れの果ての聖地。ここでガンジスの水は天に昇りまた降ってくるという輪廻思想がある。穏やかな田園風景が広がる島。朝7時には学校が開いていた。子供たちは電気も水道もない状態で、家族と元気で楽しく暮らしていました。

 一神教と多神教があるが、一神教はぎすぎすしてないだろうか?


テレビ番組「道浪漫」2004年3月21日は宮本亜門さんでインド

●ガンガーサーガル
 聖なる川ガンジスが、2500kmの道のりを終えるとベンガル湾に注ぐ 。そこもまた聖地となる。コルカタの南。ガンガーサーガルとは「ガンジス の海」という意味。ガンジスに祈りを捧げるのは、天界につながるという海 に流れつくということも目的としている。全ての祈りを受け入れる海です。
 自転車につけた板の力車(テラス)ドーリーに乗る。

●コルカタ
 インド第二の都市。パジャマの発祥はインド。普段着のズボンのことです 。パーヤマと言っていました。上着のクルターと組み合わせると400ルピ ー(1000円)。

●ベナレス
 コルカタの東インド鉄道ハウラー駅から列車に乗る。10時間の旅で1等 車で2155ルピー(5200円)。19時40分発急行デリー・カルカ・ メイル。一等車に乗る人はホームに名簿が張り出されている。夜にチキンタ ーリーを50ルピー(125円)で購入して食べる。チキンカレーですが、 とっても辛いそうです。
 ベナレスはガンジス川中流に位置するヒンドゥー教最大の聖地。インド中 から訪れる人の最大の目的はガンジスの水を持ち帰ること。ポリタンクや水 の入った小さい壷も売っている。ガンジスの水は腐らないそうです。この缶 詰は12ルピー(30円)。

 ガンジス川の岸はガートと呼ばれる階段で、みんな自由に好きなことをし ている。ある人は石鹸で体を洗い、ある人は祈り、水を採る。絶えず煙があ がっているガートであるマニカルニカ・ガートは火葬場です。ベナレスで死 を迎え、ここで荼毘にふされて、その灰を流してもらうことが至上の喜びだ とヒンドゥー教の人は信じています。この世で最後に求めるのは一人100 kgの薪です。ある種火から起こした火で荼毘にふされる。5000年間絶 やされていないという種火は全ての人に平等に渡される小さな火です。
 夜明け前にガンジス川に向かう。日が昇ると同時に祈りが始まる。亜門さ んも沐浴をしてみた。冷たくなくて気持ちいいそうです。誰もが生きて死ぬ んだ、自分たちは自然の一部だという意識をくれたそうです。
 青空床屋で髪を切ってもらった。20ルピー(50円)。

●リシケシ
 デリーの北東250km。ヨーガ発祥の地でガンジスの聖地。その山の頂 にかつての王家の別荘を利用したホテルがある。デリーから車で8時間。 アーナンダ・イン・ザ・ヒマラヤで、アーナンダとは至福という意味。ヴァ イセレガル・スィートは1300USドル(約14万円)。通常は300U Sドル。柱の模様もきれい、しつこくなくエレガントです。ベッドも天蓋付 きです。テラスからはガンジス川も含む壮大な景色が見えた。ここではヨー ガ教室を含む健康教室がある。亜門さんは「シロダーラ」というハーブ入り ごま油を額に垂らすアーユルヴェーダを体験した。目の上にはタオルをのせ て、額の中央だけでなく、まんべんなくかけていました。額にある第三の目 を刺激して集中力を高めることができるとドクターが言っていました。
http://www.anandaspa.com/

●ハリドワール
 神の門と呼ばれる聖地でリシケシの近くで、ガンジス川が初めて山から平 地に出てくる場所にある。神々の住む山への入口でもある。ここでは苦行者 サドゥーや隠遁者サンニャーシーたちをよく見る。インドでは神の世界に近 づこうとしている彼らを尊敬し受け入れている。川べりにいたモニババさん は17年しゃべらないという苦行を実行しています。間違ったことを言うこ ともないから平和な気持ちだそうです。集中力を高めるための首飾りをくれ ました。球?が胸腺付近にきています。「苦行者の勤めです。与えなければ ならないのです。私を訪れてくれた人みんなに」、と書いてくれました。あ と5年続けるそうです。

●デーオプラヤーグ
 ガンジスをさらに上っていくと青みを帯びてくる。さらに70km先の聖 地デーオプラヤーグ(神の合流地という意味)に向かった。ガンジス川とい う名前が初めて与えられる場所。泥色のバーギーラティー川と青色の アラクナンダー川が合流する地点。亜門さんは大胆にも川の水を飲みました 。冷たいそうです。シヴァ神の髪の毛から流れ出たというガンジス川は、こ こから2500kmの旅を始める。

●ジュー・ラーナー村
 さらに流れを遡る。チャンドラバドニー(月の化身)と呼ばれる天空の聖 地を目指す。その麓にあるジュー・ラーナー村は棚田があり、菜の花がきれ いに咲いています。宿がないので、サバール・シン・ビシュトさん宅に泊め てもらった。砂糖たっぷりのインド式ミルクティー(チャイ)でもてなして もらった。夕食も一緒にいただいた。カリフラワーとジャガイモのカレー。
 夜明け前に出て山頂に向かった。はだしで石の階段を上ります。朝日を拝 みました。はるか先に見えるヒマラヤ山脈。

http://mbs.jp/tv/michi/375/


テレビ番組「道浪漫」2004年3月7日は宮本亜門さんでインドの三都物語

 タイ航空で行きました。結婚式の先頭を歩く象は顔とかに絵を描いてもら ってお化粧をしていました。宮本さんは乗せてもらいました。

●デリー
 首都であり、政治の中心ニューデリーと昔の顔オールドデリーの2つの顔 を持つ。宮本さんはオートリキシャ(上はオレンジ、下は緑色の車)で、ラ ール・キラーまで行くが、すごい渋滞に巻き込まれた。
 オールド・デリーの中心にあるのが、赤い砦と呼ばれる城ラール・キラー 。別世界のように静かです。17世紀のムガール帝国が最も栄えた時代の第 5代皇帝シャー・ジャハンの玉座が残っている。かつては絢爛たる宝石がち りばめられていたが、今は何もない。赤い石で作られた城は、19世紀イギ リスの台頭で力を失いました。貴賓謁見の間は大理石で作られていて、「も し地上に楽園があるなら、それはここなり」と刻まれている。
 オールド・デリーのもう一つの中心のチャンドニー・チョウクは人ごみ。 貸衣装屋さんに入った。インドの古典劇専門の衣装が揃っていた。宮本さん はラーマ王子の衣装にして、R.K.Studio という写真スタジオで記念撮影を した。インド古代の物語「ラーマーヤナ」の悪魔のラーヴァナーの衣装なの で、顔のメイクもきちんとしてもらった。映画「パイレーツ・オブ・カリビ アン」の主人公の頭と胸と腕の部分をオレンジ色にしたような感じです(笑)

●コルカタ
 インド第二の都市カルカッタ。今はベンガル語のコルカタと呼ばれている 。全てを受け入れてしまうようなエネルギーがある。
 ベンガル料理店「スルチ」でカレーをいただいた。スルチとはおいしいと いう意味。駅の待合室のような感じがすると宮本さんは言いました。ベジタ リアン・カリー・ランチは40ルピー(100円)で、豆カレー、じゃがい もカレー、カリフラワーカレー、ヨーグルト、ナン。右手で熱いのを混ぜて 食べます。地元名物は魚カレーで、コイ科のイルシャという魚でした。

 イギリスのインド統治と深い関係にあるコルカタの、旧インド総督府(東 インド会社)の向かい側に歴史を見つめてきた古いホテルがある。グレート ・イースタン・ホテルです。今は雑踏の中にあるが、1840年創業のイギ リス人向けのホテルでした。スパーデラックス・スィートを予約してあった 。入口に金色の置物があり、広い部屋。コルカタで一番古くて広い部屋だそ うです。家具も今ではお洒落なアンティークと言えます。トイレには卓球台 が置ける広さ。26脚のイスがありました。値段は1室5000ルピー(1 2500円)と超格安!普通の部屋で1650ルピー(4100円)。

 アジア人として初めてノーベル文学賞を受けた詩人タゴールの生家は今は 州立ラビンドラバハラティ大学となっている。タゴールの言葉はインドの心 です。学生が詩集「ギーターンジャリ」の一部を朗読してくれましたが、ベ ンガル語の音の響きが心地よかったです。タゴールハウスはタゴールが生ま れ、亡くなった場所で、そのまま残されている。
 特別にタゴールの自画像を見せてもらった。描かれた3000枚の絵の一 部を見せてもらった。主にインクで描かれていたようです。彼は60歳から 絵を描き始めたそうです。

●ベナレス
 ガンジス川中流にあるヒンドゥー教の聖地。ガンジス川で沐浴すれば、全 ての罪を清められるという3000年の歴史のある町。その旧市街の路地裏 では牛も平等に通行している。
 日没とともにガンジス川でアルティー(夕べの祈り)という祈りが捧げら れる。インド中からやってくる人々は祈り、葉の上にオレンジ色のものがの っていて、その上にロウソクがのっているものをもらい、ガンジス川に入っ て流す。願い事をするのではなく、ひたすらに祈るのです。

●コーイーラージブル村
 ベナレスサリーは最高級品。赤紫色のような色の絹製品で、男性が織って いたが、女性には重労働だからだそうです。一生に数枚しかもてない憧れの 品です。一反を編むのに25日ー30日かかるという。絹糸に金糸が織り込 まれている。6mの布を身にまとうサリーは、インドの女性にとっての正装 です。中でも赤地に金糸のサリーはお嫁に行く娘のために奮発するのだそう です。

●サールナート
 ベナレスの北東に10kmの仏教の聖地。紀元前5世紀に苦行の末に悟り を開いた釈迦が、初めて悟りを語った場所(鹿野苑)として知られる。サー ルナート博物館はインドの誇りです。入館料5ルピー(12円)、休館日は 金曜日。紀元前3世紀に作られたアショカ王の石柱(3頭のライオン)は、 お札や公文書などにインドのシンボルとして描かれている。けだかく、強く 、誇らしく、インドのライオンです。
 さらに奥には、茶色の紀元前5世紀の作品「初転法輪の仏像」がある。仏 教美術の集大成です。日本には1000年の歳月を経て伝わった。ここにそ の源流を見ることができます。

●パテルワ村
 ベナレスの近くの村で味わいたいものがあったので、立ち寄った。苦行を していたお釈迦様がスジャータという娘からもらったミルク。キールのこと だという。水牛のミルクを壷に入れ、香辛料のカルダモンを砕いてミルクの 中に入れ、お米、大量の砂糖を入れた。牛糞の燃料に火をつけて、壷を温め た。キールという乳粥でした。宮本さんはライス・プディングの原型じゃな いかという。

http://mbs.jp/tv/michi/373/


テレビ番組「すばらしい地球紀行」2004年3月7日はスリランカ

 100km以上続くビーチや1000mを越える山々など、変化に富んだ 地形では象なども見ることもできる。仏教王国で、仏教遺跡も多い。。
 シンガポール、タイ航空、エアランカが運行している。観光が目的なら1 ヶ月以内ならビザは不要。制作はAMS。4年くらい前のものかな?

●コロンボ
 空港から市内のバスターミナルへはヤシの林の続く道路を1時間。植民地 時代のエキゾチックな香りを残す港町。中心はシンボルの時計塔クロックタ ワー。以前は灯台としても使われていた。ポートトリルと呼ばれている。
 16世紀にポルトガル人がここに砦を築き、コロンボと名づけた。インド 洋に面した海岸には大砲が残っている。17世紀にはオランダの時代となり 、1796年オランダを破ったイギリスにより植民地政策が進められ、紅茶 の栽培が進められた。

 食事はカレー。市内の「 Seafish Restaurant 」では好みの魚を選んでカ レーを作ってもらう。スリランカはスパイスの国と言われる。他には野菜の カレー、肉や魚のカレー、ダールといわれる豆のカレーがある。この店はち ょっと変わっていて、ストリング・ホッパーと言われるビーフンのようなも のが主食。お米以外の主食には、ホッパーと呼ばれるお米の粉とココナッツ ミルクを焼いたものや、小麦粉で作るドキ?などがあります。
 お土産は Lakmedura というビルで、木彫り、陶器、バティック、紅茶など がある。宝石も多く、政府認定の店や国営宝石公社で品質保証書のあるもの がよいと言われる。アレキサンドライト、サファイヤ、キャッツアイ、ルビ ー、がスリランカの石として代表的。

●キャラニー
 コロンボの東11km。シャカライトウの伝説を持つ聖地ナジャマハ・ ビハーラがある。本堂の隣に立派な菩提樹があり、人々はお花やお線香を供 え、よりよい来世を願う。20世紀初めに建造された本堂の内部には木彫り の仏像やフレスコ画が一面に広がる。正面には金色の輝きの仏像がある。
 寺院の中でも特に有名なのは壁面のフレスコ画で、幾何学的な模様と釈迦 の生涯の出来事からなる仏陀の出来事が描かれている。

●ゴールデンビーチ
 リゾートホテルにはレンタル用品が用意されている。コロンボからゴール にかけての南西海岸はゴールデンビーチと呼ばれ、ヤシの林と純白の波が寄 せる100km以上にわたるビーチが続いている。
 インド洋の海中を覗くグラスボートも、観光客に人気のあるレジャーの一 つ。インド洋のサンゴ礁が手にとるように見えます。時には大きな海ガメが 顔をのぞかせる。
 リゾートホテルは明るくて清潔。


テレビ番組「すばらしい地球紀行」2004年3月?日はスリランカ

 1972年の新憲法公布と同時にセイロンという名前からスリランカに変わった。スリランカとは光輝く島という意味。島内の移動は鉄道、バスで、時には路上でヤシの実を売る女性も出ます。幹線道路の脇で、籐やわら細工製品を販売する店もある。

●ケーナズラ
 キャンディの西30kmに、親をなくした象の孤児院がある。観光客に人気があるのは、小象へのミルクの時間で、観光客もあげることができます。大きくなった象は寺院などに引き取られる。

●アウカナ
 アウカナの森の中を歩いていくと寺院がある。岩の階段の近くで靴と帽子を脱ぎ捨て、はだしで進むと、スリランカの仏像でも有名なものの一つ、アウカナの仏陀の仏像がそびえ立っている。高さ15mで1600年前の作品で、グラネイトという石を材料としているので、今でもひびなども見当たらない。右腕を折り曲げたプレスチン・ポーズと言われ、平和を祈る姿だと言われる。1986年に仏像を保護するために、赤レンガの囲いが建てられた。

●国営のレストハウス
 プールも備わっていて、食事も豊富。日本語専用ガイドのスミルさんが解説。じゃがいものカレー煮、ナスの炒めもの、ダールという豆。牛肉、鶏肉、胡椒、唐辛子など。食事の際には、濃い目のビール。

●ミヒンタレー
 仏教の聖地。参道の入口には花屋、香木屋、お土産屋さんが軒を並べる。参道の階段には仏陀の花とも言われるクリミベアの甘い香りがたちこめる。ここはスリランカで最初に仏教が伝えられたという聖地で、1934年にジャングルで眠っていた遺跡が発掘されて以来、最も重要な聖地となった。丘の上の大きな白い大仏はインドの仏教王アショカ王のマヒンダ王子のお墓。ミヒンタレーの遺跡の中心ともいわれるアムパストラダボカ?。参拝者はここで靴を脱ぐ。ここから先は全て聖地。岩山の展望台には手すりのついた石段を登っていく。頂上からはマハセヤダボカの美しい姿が見られる。仏教伝来の日と伝えられる6月から7月にかけては、スリランカ人はミヒンタレーの岩山に登り、満月を拝むまでたいへんな混雑となる。
 ミヒンタレー美術館の近くにある古代の病院の跡。人間の型に彫られた薬草風呂は、毒ヘビにかまれた人が入って治療したそうです。


テレビ番組「知られざる医学史!」

 2003年12月28日放送。TV朝日製作。

インドでアーユルベーダを体験した。
 星野さんの悩みは慢性の頭痛。脈診2分。これで原因がわかるという。 頭痛は肩こりと首の痛みからきているので、全身をオイルマッサージして、 リロダーラという治療法を採用。額に油を垂らし、効果を実感した。
 同じ病気でも薬は違う。薬草を使う。乾燥させエキスを取る。 シダラム・アーユルベーダ病院に行く。西洋医学では治らないパーキンソン 病の治療をしている。2週間前には立ち上がることができなかった人が、今 は6割方回復していた。ミバラキリという牛乳に穀物を入れたものを混ぜ、 全身に塗る。血行をよくして体力をつけて、よくなってきている。患者の全 体をよくすることが大事だという。体質をよくする。
 アーユルベーダの権威のナラエネン・ムース医師を訪問した。

 「ヒューマン・サイエンス」の立場から下河辺淳さんが星野さんを支持し ている。20世紀初頭、山極勝三郎がガンを人工的に発生させたウサギの耳 が東京大学に残されている。欧米では高い評価を受けている。当時ノーベル 賞を受ける可能性があったが、1926年にはデンマークのフィービゲルが 受賞した。後に来日したフォルケ・ヘンシェン博士は当時、東洋人にノーベ ル賞を与えるのは時期尚早だという差別があったと告白した。

 1944年、陸軍少佐稲垣克彦はペニシリンの論文を読んだ。当時、戦争 で弾に当たって死ぬ兵隊よりも、病気で亡くなる兵隊の方が多かった。日本 でも独自に研究しようとした。チャーチルがペニシリンで命を救われたとい う記事が入ってきて、陸軍でもOKが出た。
 各分野の専門家を集めて、抗菌性のあるカビを見つける。1944年10 月梅沢濱夫の研究室から高純度のペニシリンを抽出した。

 1949年宇治達郎は胃カメラを開発しようと思い立ち、オリンパス光学 の若い技術者に依頼した。患者に苦痛を与えない、超小型で、管が柔軟で、 診断に使える画像が鮮明なことなどの条件をクリアしないといけなかった。 食道の直径は14mmなので、そこを通過しないといけない。1950年5 月に動物実験をしたが失敗した。10月に人間で実験し、胃壁の潰瘍を鮮明 に映し出して成功した。

 滝澤利明は1963年脳神経外科医となった。血管が切れる恐れが多く、 腫瘍を取りきれないことが多かった。1969年のアポロ11号の月の映像 を見て、レーザーメスを思いついた。1975年に完成。レンズの焦点をあ わせれば、鋭く切れた。炭酸ガスレーザーは水を含んだ綿は切れないので、 安全だった。

 浅島誠。1989年誘導物質Activin の濃度を変えることによって、細胞 をいろいろに変化させることを見つけた。再生医療への扉を大きく開いたの で、ノーベル賞の候補である。シュペーマンの伝記を読んで、誘導物質を見 つけることに没頭した。ティーデマン教授に留学し、横浜市立大に戻ってき た。粘り続け、1988年ヒトの白血病の培養液からActivinを見つけた。

 放射線医学総合研究所。重粒子線ガン
これまでの放射線治療では患部以外を傷つけてしまうことが多かった。
周辺部位をすりぬけて、ガン細胞のみを破壊できる。
X線はボクシングではジャブを数多く打つウメージで重粒子線はヘビー級の ボクサーが相手の急所にストレートを1発打つようなもの。

 埼玉県川越市帯津三敬病院。院長は帯津良一先生。朝は道場での気孔から 始まる。免疫力を高める代替療法を行なっている。患者の8割がガン患者。 東京大学医学部を卒業し、順調に食道がんの権威として活躍していたが、4 0を過ぎたある日、再発する人、亡くなる人を見ていて、自分の治療方法に 疑問をもった。43歳の夏、中国で身体全体を見ていく中国医学に出会う。 愛情をもってその人自体を見つめなおす医療を目指す。治療過程も一歩から 半歩前進するっていうのが大事。必ず触診をして声をかける。


テレビ番組「道浪漫」2003年10月12日は油井昌由樹さんでスリランカ

●コロンボ
 人口230万人。街中での交通手段スリーウィーラーという三輪タクシー はだいたい一地区50円くらいが目安で、あとは運転手さんと交渉次第。感 じとしては東南アジア。
 一番のにぎわいはバザール(市場)。ウッドアップル5ルピー(6円)が 珍しい。味は柿の甘味がないようなもので、渋みも少しあり、殻が硬い。

 スリランカの主食はカレーなので、スパイスは欠かせない。コリアンダー やカルダモン(生姜系)などもある。
 それでカレーが食べたくなって、行ったのは Upawansa Hotelで、Hotelと はスリランカではレストラン。最初にフィンガーボールが出る。いろいろ食 べることにした。ボル・サンボール、ポロスなど、8種類のを食べても30 0円ちょっとだった。とってもおいしかったらしい。ここは地元でも有名な カレー屋さん。住所は Borella, Colombo。tel:94-12-692551 年中無休で、 営業時間は 5:30am - 11:30pm

●南の町コスコダ
 海沿いの町で、椰子の木と木の間を綱渡りしている人がいた。椰子の花を 切っていて、開く前に縄で縛り、切り口から出てくる果汁を集める。これは 自然に発酵してラーというお酒になる。香ばしくて、アルコール度はビール 程度。ラーはアラックというスリランカを代表するお酒の原料にもなる。 それで高さ30mのところを移動していた。
 水につけておいた椰子の実を叩いてつぶし、その繊維を取っていた。椰子 の葉も使い道がある。シルバさんはそれでほうきを作っていた。大は50ル ピー(60円)小は25ルピー。日本の竹ぼうきのような感じ。シルバコア ・インダストリーズはコスコダのhiddaluaa にある。日曜と満月の日が定休 日で、8am - 5:30pm が営業時間。
 海に竿を立てて、そこに座って釣りをしている人がいた。擬似餌を使って いるスティルト・フィッシングという。ライゾフォーラーという竿は1mほ どサンゴに突き刺して固定している。油井さんもさせてもらったが、本当に よく釣れました。

●山間の町ラトゥナプラ
 宝石の街で、街中で宝石の売買が行なわれている。ルビーやサファイアは 特に良質。ルビーサファイアが3万ルピー(3.6万円)だった。大きなト パーズもあった。
 街の周辺には採掘所があるが、全て露天堀り。トルマリンが取れた。

●キャラニン川
 コロンボ周辺を流れる川。ラジャ・マハー・ヴィハーラという寺院に入る が、スリランカでは寺院に入る時は裸足になる。お釈迦様が訪れたという地 に立っている寺院。本堂の壁にはお釈迦様の生涯が描かれている。スリラン カの人々は静かにゆっくりと、この地で時間を過ごす。

●ベントタ
 宿泊はリゾート地のホテル「タージ・エキゾチカ」
http://www.tajhotels.com/

●ゴール Galle
 コロンボのずっと南の町。夕陽評論家としてインド洋に沈む夕陽を見た。


テレビ番組「旅のこころ、魅惑のインド、ダージリン・ヒマラヤ鉄道の旅

 2003年1月4日放送。伊原剛志、新山千春さん。日本からAir India で10時間。九州朝日放送製作。

●デリー
 人口1400万人。イギリス統治時代に計画された南側の地域をニューデ リー、古い方をオールドデリーと呼ばれている。フマユーン廟。
 オールドデリーのバザールに行く。コブラを笛で躍らせている人もいる。 ある通りはカレーに匂いがすごくて歩くだけでくしゃみが出る。
 チャイを飲む。インドは紅茶の消費量は世界一とか。但し、チャイに使う 紅茶は比較的値段が安くアッサムやゴハティ産のものが多く、ミルクティが 多い。
 ちょうど訪問したときが、ディワリというお祭りの最中だった。インド3 大祭りのひとつで、ヒンディー暦の正月にあたり、サンスクリット語で「光 の列」という意味をもつ。爆竹風の花火をしたりする。

●西ベンガル州のシリグリ
 ネパールのすぐ東。紅茶畑が広がっているが、良質のダージリンはもっと 標高の高いところで栽培されたものを言う。シリグリから80kmいったと ころにダージリンがある。ニュー・ジャルパイグリ駅からダージリン行きの 列車が1日1本出ている。ダージエリン・ヒマラヤ鉄道で61cmという幅 の狭い線路で、世界遺産。平均時速は10km程度で8時間かけて走る。毎 朝9時に出発する。車なら3時間で到着するらしい(笑)全区間は82.1 kmで標高差は2000m。最初は平地だが、次第に傾斜が急になる。スイ ッチバック方式で登っていく。5時間でカルシャン駅に到着。
 ここで下車して街を散策。1881年に完成した鉄道だが、古い蒸気機関 車が現役で活躍している(80年以上使っている)。翌日朝7時、この蒸気 機関車でダージリンに向かう。トイトレインと呼ばれているらしい。地元の 人が多く乗っている。時間通りには動かない。機関車も線路もその場その場 で修復している。標高2257mのグーム駅を過ぎて、標高2076mのダ ージリンに午前10時に到着した。

●ダージリン
 イギリス統治時代は観光と避暑地として発展した。様々な人種がいる。こ こから世界3位のカンチェンジュンガ山8598mが見える。
 ハッピーバレー農場のクスムさんが「お茶を飲んでいかない?」と言って くれた。娘さんは美人。飲ませてくれたのは最高級品で、 Super Fine Tippy Golden Flowery Orange Pekoe 。入れ方は5秒だけ煮てろ過するという方法 で、3回お茶の葉はつかえるという。クスムさん宅に行く。最低33人の家 族だという。みんなで伊原さんの39歳の誕生日を祝ってくれた。

●カンチェンジュンガを目指す
 マニバンジャンという町から山道をジープで5時間、標高3638mのサ ンダクプー山頂を目指す。ここからカンチェンジュンガがよく見るという。 悪路で、歩くと3日かかるという。結局7時間かかりロッジで宿泊して、 朝日を見た。


テレビ番組「旅サラダ」2000年1月は高樹澪さんでインド縦断の旅


●デリー(まずはオールドデリーから)
 人力車に乗る。牛も車も人も道を通っている。すごく人が多い。

●ニューデリー
インド門。ここからニューデリー。放射状の町でスッキリしている。 Perfection という店は高級サリー店で有名。ここでサリーを買う。手で折 っていって,プリーツをつくって着ていく。7850ルピー(約2万円)。 つまりブラウス部分だけを2日くらいでつくってくれるが残りは布1枚。 各地で巻き方や生地が違うらしい。
●ハリドワール
 翌朝6時前にニューデリー駅へ行き,特急に乗ってハリドワールへ。 列車の中では朝食のサービス。モーニングティ,コーンフレークにミルク, そしてメインはカレーかオムレツ(冷房が効いていて朝食代も込み)。5時 間でハリドワール駅へつく。北へ200キロのところ。まずガンジス川を望 む山の上のお寺へロープウェイで行く。チャンディ・デビィ・テンプルで, まずお供えを買う。そこで靴をぬぐ。インドでは神聖な場所では履物を脱ぐ ことになっている。お寺の偉い人にお供えを渡す。おかえしにお米をもらう。 額にティラクという印をつけてもらう。

●ハリ・キー・ポウリー
 という町へ。ガンジス川のそばで川の流れは意外と速い。きれい。毎夕, サンセットの後にガンジスの女神に捧げるお祈りがなされている。このお祈 りのためにインド全土から人が集まってくる。亡くなった人の遺灰と赤やオ レンジ色の花をつけて,緑の葉でつくった舟に乗せて流す。しょうろう流し の原点か?お祈りが始まる。相当感動するらしくて,みな涙ぐんでいたらし い。
 翌朝。すごく寒いらしい。気温5度くらい。沐浴は日の出る前にするのが 正しいそうだ。高樹さんも足首程度までつかっていた。

●ジャイプール
 ピンクの都と言われる。デリーから南へ200キロのところ。 風の宮殿 Hawa Mahal は下界へ出られないお姫様たちが覗いていたというピ ンクの宮殿である。当時,夫以外の男性に顔を見せることは禁じられていた から。
 宝石でも有名な街で,Silver and Art House へ。好きな石を選んでオーダ ーできる店。ジャイプールで取れるスタールビーも有名。ここの店は日本語 が可能で,2か月くらい勉強したらしゃべれるそうだ。円やドルで払うと, 少し安くしてくれるらしい。35カラットのダイヤもあるし,マハラジャの お后がしていたネックレスも置いてある。
 水の宮殿 Jal Mahal はマハラジャ一族の宮殿で,水の中にある。きれい。 山の上にあるアンベール城。完成までに100年かかったという。象のタク シーで行く。象は顔にお化粧しているみたい。よく揺れるみたいで15分で お城の門へ。きれいな庭。ガネーシャポールはきれいな模様である。ここの は幸福の神様らしい。部屋には水を流して涼をとっていたそうだ。12人の お后の遊び場のマハラニも紹介された。
 王宮ホテル・ランバーグパレス。マハラジャ一族の別荘だった。宮殿内に めぐらされた白い回廊が美しい。Prince's suites は1泊28000ルピー(約 7万円)。とても広い。5部屋以上?である部屋には部屋の真ん中に噴水が あった。スタンダードルームは9600ルピー(約2.4万円〜)。庭もすばら しい。それを見渡せるガーデンテラスで,アフタヌーンティが楽しめる。
 山の上のナハールガル城。12人のお后用の部屋もある。ジャイプールの 街を全て見渡せる。それに街からの生活音が聞こえてくる。夕陽がきれい。 夜,鏡の間というのがあって,鏡が埋めこまれていて,蝋燭をともすと満天 の星に囲まれたような感じになり愛を語り合うという部屋もある。また,別 に新婚さん用の部屋もある。出窓になっていて,ベッドから下界を見ること ができるらしい。

●エローラ
 南へ700キロ。世界遺産エローラの石窟寺院。高さ35メートルの断崖 から下を見ることもできる。ここはひとつの岩山を上から掘っていって,ヒ ンドゥ教のシバ神の神殿をつくったもの。どうやって総合的に掘っていった のだろう。ものすごさである。岩でできた彫刻はあとでくっつけたのではな く,全て一つにつながっているのである。他に仏教,ジャイナ教など3つの 宗教が混在している。全てで34の石窟があるらしい。仏陀が掘ってある洞 窟の中では音がすごく響いていた。

●ムンバイ
◎観光船に乗って、インド門を見る。イギリスの国王を迎えた1911年 に建てられた。その後ろに見えるのが、

◎タージマハールホテル 電話:202-3366
 歴史的建造物である旧館と22階建の新館からなる。日本語可なのはカ イザードさん。新館の1007号室かなぁ?でもだいぶ高い位置。カーテン は遠隔操作で開閉。スタンダードルームが8000ルピー(2万円)。ベラ ンダもある。海がよく見えて、インド門もよく見える部屋でした。
 旧館はゴジック建築ですごくきれい。当時の最高級のホテルで、今では 観光客も見に来る。真ん中の吹き抜けがすごい。創業者のタタさんが住んで いたという Tata Suite はすごい。世界中の逸品を集めてここに置いていた らしい。スィートルームは32000ルピー(8万円)。

◎その他
 ヴィクトリア・ターミナス駅も堂々としたもの。2階のレトロなバスも走 る。ラージャパーイ時計塔が敷地内に立つムンバイ大学。その前の庭では、 クリケットをやっていた。
 映画の街、ムンバイ。ファッションの街ムンバイ。ジーンズをはいている 娘もそこのファッション街には多い。聞くと生まれてからサリーは着たこと がないらしい。インドでもここだけらしい。もう少し年齢があがるとサリー とカジュアルが半々となり、年配はサリーだけ。半年前にできたクロス・ ロードというデパートも人気。デザイナーの店「アンサンブル」でパーティ ドレスを購入。6800ルピー(17000円)。
 太陽が沈む頃、海岸線に沿って明かりがともる。

◎タンドール
 そのドレスでタージマハールホテル内のレストランのタンジョールへ。 古典舞踊を見ながらインドの伝統的な料理が楽しめる店。680ルピー (1700円)。白いカレー(ミルク入り、おいしいらしい)、緑のカレ ー(ほうれん草とカッテージチーズ入り)

●コーチン
 南へ1200キロ。飛行機で1時間45分のところ。運河の街。 タージ・マラバール・ホテル。鮮やかな花やきれいなプール。ここでは、 インディアン・スィートを使用。12800ルピー(32000円)。 南インドの伝統的な家具。長イスのぶらんこ付き。
 運河沿いのクルーズツアーが多い。みんな手を振ると手を振ってくれる。 船長の家に寄って、食事をつむ。そしてクアラコムへ。

●クアラコム(運河をあがったところ?)
 リゾートでガイドブックにも載っていない。着くと額に○を貼ってくれ て、花輪もかけてくれた。
 クアラコムのタージ・ガーデン・リトリート・クマラコムというリゾート ホテル。部屋の目の前が運河。5600ルピー(14000円)。プール もきれい。ヨーロッパの人が多いらしい。
 ここでアーユルベーダのアロマテラピーなどを受ける。700ルピー( 1700円)安い!! お祈りから始まる。また男性もやってもらえる。 ココナッツオイル、ゴマ油、とハーブを混ぜて作ってある。これを背中や 脚に塗っていく。チャクラを開くらしい。
 夜は船のバー(10mくらいの船)で2人以上で貸し切り可能。
 高木さんの話では、喜びと感謝を表すしぐさは、デンスケ人形のように、 顔だけフリフリする状態。

●テッカディ
 緑の絨毯を敷き詰めたような紅茶畑。ニルギリティを栽培。その茶畑をぬ けて秘境のテッカディ。動物保護区の中にあるタージ・ガーデン・リトリー ト・テッカディ。豪華なホテル。敷地内にコテージが存在する。コテージに 行くのに迷いそう。山の中とおんなじ。ルームチャージ5600ルピー(約 14000円)。
 動物ウォッチングのツアーへ。霧が深かった。枯れた木の上に鳥が見える くらい。しかし川の向こうに猪や象も見えた。次第に霧も晴れてきて、象が たくさん見えた。運がよいと豹や虎も見えるらしい。

●スパイス・ガーデンへ。
 スパイスやオイルも多い。安い!1袋50ルピー(約125円)くらい。 スパイスが実際になっているところを見たくて店長の家へ行く。シナモンの 葉をかじって甘い!タピオカも。カルダモンの実も(高級品)すっぱいらし い。
 ペリヤール・ルームで踊りを見ながら食事。エラチ・ウンダ・ポーリ・チ ャットゥー は150ルピー(375円)で牛肉の料理。カッパ・ニラチャッ トゥー160ルピー(400円)タピオカらしい。コージ・ポリチャットゥ ーは160ルピー(400円)チキンらしい。エラッキ・プディングは70 ルピー(150円)カルダモン入りプリン。すっきりした喉ごし。マサラ・ チャイは35ルピー(87円)でやみつきになる味らしい。


テレビ番組「旅のこころ、魅惑のインド、ダージリン・ヒマラヤ鉄道の旅」

 2003年1月4日放送。伊原剛志、新山千春さん。日本からAir India で10時間。九州朝日放送製作。

●デリー
 人口1400万人。イギリス統治時代に計画された南側の地域をニューデ リー、古い方をオールドデリーと呼ばれている。フマユーン廟。
 オールドデリーのバザールに行く。コブラを笛で躍らせている人もいる。 ある通りはカレーに匂いがすごくて歩くだけでくしゃみが出る。
 チャイを飲む。インドは紅茶の消費量は世界一とか。但し、チャイに使う 紅茶は比較的値段が安くアッサムやゴハティ産のものが多く、ミルクティが 多い。
 ちょうど訪問したときが、ディワリというお祭りの最中だった。インド3 大祭りのひとつで、ヒンディー暦の正月にあたり、サンスクリット語で「光 の列」という意味をもつ。爆竹風の花火をしたりする。

●西ベンガル州のシリグリ
 ネパールのすぐ東。紅茶畑が広がっているが、良質のダージリンはもっと 標高の高いところで栽培されたものを言う。シリグリから80kmいったと ころにダージリンがある。ニュー・ジャルパイグリ駅からダージリン行きの 列車が1日1本出ている。ダージエリン・ヒマラヤ鉄道で61cmという幅 の狭い線路で、世界遺産。平均時速は10km程度で8時間かけて走る。毎 朝9時に出発する。車なら3時間で到着するらしい(笑)全区間は82.1 kmで標高差は2000m。最初は平地だが、次第に傾斜が急になる。スイ ッチバック方式で登っていく。5時間でカルシャン駅に到着。
 ここで下車して街を散策。1881年に完成した鉄道だが、古い蒸気機関 車が現役で活躍している(80年以上使っている)。翌日朝7時、この蒸気 機関車でダージリンに向かう。トイトレインと呼ばれているらしい。地元の 人が多く乗っている。時間通りには動かない。機関車も線路もその場その場 で修復している。標高2257mのグーム駅を過ぎて、標高2076mのダ ージリンに午前10時に到着した。

●ダージリン
 イギリス統治時代は観光と避暑地として発展した。様々な人種がいる。こ こから世界3位のカンチェンジュンガ山8598mが見える。
 ハッピーバレー農場のクスムさんが「お茶を飲んでいかない?」と言って くれた。娘さんは美人。飲ませてくれたのは最高級品で、 Super Fine Tippy Golden Flowery Orange Pekoe 。入れ方は5秒だけ煮てろ過するという方法 で、3回お茶の葉はつかえるという。クスムさん宅に行く。最低33人の家 族だという。みんなで伊原さんの39歳の誕生日を祝ってくれた。

●カンチェンジュンガを目指す
 マニバンジャンという町から山道をジープで5時間、標高3638mのサ ンダクプー山頂を目指す。ここからカンチェンジュンガがよく見るという。 悪路で、歩くと3日かかるという。結局7時間かかりロッジで宿泊して、 朝日を見た。


テレビ番組「空飛ぶコンシェルジュ」1999年11月25日はインドのムンバイ周辺

●映画
インドの人は平均年間100本みるらしい。ムトゥが紹介された。
●エレファンタ島
石窟入場料5ルピー(13円)。シバ神の彫刻がある。
●レザーファーム
レザージャケットなどが安いらしい。電話:285-6654
●プラビ・ビラ
銀製品を売っている。安いらしい。電話:202-5375
●シャマー・エンタープライズ
オリジナル香水を作れる。電話:202-9252
●ハリーラム
民族衣装 電話:284-5996
●タージマハールホテル 電話:202-3366
そこのレストランのタンジョールもよいらしい。

●ムンバイ
食べ物が露店にあふれている。パコーラー(小魚のかきあげのような もの)、ベルプーリー(カレー味)などが紹介された。 また、マクドにそっくりな店では、ベジタブルバーガーもあるし、 84ルピー(210円)でマトン肉を使ったマハラジャバーガーが有名。

●ケララ・アーユルベーダ
http://www.kerala.ayurvedic.com/
を体験。暖かい油を額にずっとかけていく。5分もすると寝てしまう。 目にはふたをする。
●クロフォード市場
香辛料100グラム程度を15ルピー(38円)程度で売っている。

●キャビンアテンダントの知恵
冷たいものを買う場合は、保冷袋を持参する。


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