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なお、これはわたしが個人的にテレビを見て書いたものであり、各テレビ局や番組とは全く関係はありません。
すべての文章の無断使用・転載を禁止いたします。
またここの情報を使って、何か問題が起こったとしても私は一切責任は持ちませんのであしからず。


テレビ番組「ちょっと贅沢、欧州列車旅行「伝統と芸術の都ウィーン」」

 2010年8月14日放送。BSで放送。

●宮殿
 オーストリアの首都。音楽の都、芸術の都。ヨーロッパ全体に影響を与えた文化の都でもある。ハプスブルグ家を中心に栄えた都。13世紀から19世紀にわたってヨーロッパの大半を支配してきた。シェーンブルン宮殿は18世紀の女帝マリア・テレジアの居城だった。夏の離宮として建てられた。ロココ様式の内部には1400以上の部屋がある。6歳のモーツァルトがマリア・テレジアの前で演奏した「鏡の間」や、1815年ウィーン会議で舞踏会が開かれた大広間などが公開されている。最後のオーストリア皇帝と言われ、58年にわたって国を治めたフランツ・ヨーゼフ1世は1848年に18歳の若さで即位した。政治の道は苦難の連続だった。イタリアとプロシアに破れて領土を失い、ドイツの統一によりオーストリアは取り残された。さらにオーストリア、ハンガリー二重帝国が設立され、オーストリア帝国は実質上弱体化していった。サラエボ事件がおきてハプスブルグ家は終焉を迎えた。
 フランツ・ヨーゼフ1世の実直な姿勢は国民に愛された。最後の皇帝が命をかけて愛した女性がエリザベート、通称シシィ。16歳で嫁いだシシィは格式を重んじる宮廷での暮らしになじめず、やがて療養という名目で宮廷から離れた。世界一の美女と称えられた美貌を誇り、徹底的に美を追究した。食事制限も厳しく行い、徹底した体重管理をしていた。

●芸術
 芸術の都、ウィーンのシンボルと言われる「美術史博物館」。ここではハプスブルグ家がヨーロッパじゅうから買い集めたコレクションがある。建物の正面の像はマリア・テレジア。1階では、エジプト、古代ギリシャ、ローマの彫刻などがある。絵画は2階に展示されている。特にブリューゲルの作品が有名で、世界最多の点数を所蔵している。代表作「バベルの塔」。
 中央が吹き抜けになった二階のホールにはハプスブルグ家御用達だったカフェ「Cafe Gerstner 」の支店があった。現在もそこここに息づいているハプスブルグ家の足跡は、過去の遺物ではない。
 国会議事堂は19世紀後半に建てられたギリシャ古典様式の建物。マリア・テレジア像が中央に据えられた自然史博物館と美術史博物館。一年中広場でイベントが開かれる市庁舎は、ゴシック様式の建造物。国立オペラ座はパリ、ミラノと並んで世界三大歌劇場の一つに数えられている。

●路面電車
 路面電車はリンクを1周35分で巡回。時計回りは1番、反対周りは2番が表示されている。(いのうえのコメント:最近は一周しなくなったようですが、どうなんでしょう)。

●カフェ
 中心街ケルトナー通りにある「カフェ・ケルストナー」は1847年の創業。ハプスブルグ家ご用達のカフェとして知られ、かつては宮廷で開かれる晩餐会の料理なども取り仕切っていた。ゲルストナーの名物の一つはシシィの肖像画がパッケージになっている「シシィのスミレ花砂糖漬菓子」10.8ユーロ?で、シシィの大好物だったという。

 王宮東門前に広がるミヒャエル広場の近くには高級店などが多く、食事などにもたいへん便利。ミヒャエル広場からコールマルクト通りを入ったところにある「カフェ・デーメル」は、1786年創業。ハプスブルグ家ひいきの店として知られ、世界中から観光客が立ち寄る。デーメルのケーキのレシピは365種類。毎日そこから選ばれた70−80種類が店頭に並ぶ。厨房はガラス張りになっていて、ケーキ作りの様子を見ることができる。ケーキと並ぶデーメルの自慢はチョコレート。ここでもシシィの肖像画は人気のパッケージ。伝統的な「アッフェル・シュトゥルーデル」3.45ユーロ?は薄い生地にリンゴを巻いて焼いたウィーン風のアップルパイ。

●刺繍
 王宮の中に1932年創業のプチ・ポワン petit point の専門店「マリア・シュトランスキー」がある。フランス語で「小さな点」を意味する緻密な刺繍製品。1平方cmあたり200針から300針必要でバッグ1つを作るのにおよそ5ヶ月かかる。プチポワンをあつらった刺繍は見た目の美しさだけでなく、熟練した職人が時間をかけた贅沢品として貴族の女性たちに好まれた。プチポワンの図案は宮廷時代の絵画をもとにしたものが多い。同じ図案でも刺繍の針数が多いものが高価。2500針?で1年かかったものは834ユーロ?、1500針のものは525ユーロ?秋篠宮様が購入されたのと同じポーチも1600針で1925ユーロ。

●陶磁器
 シュテファン寺院と通りを隔てて陶磁器専門店の「アウガルテン」がある。ハプスブルグ家が育てた高級陶磁器。ウィーンの各家庭でも使われている。1718年マイセンに続いて西洋に誕生した陶磁器で、マリア・テレジアに見いだされた。現在、全ての製品にハプスブルグ家の紋章が描かれている。紫色の絵柄のものは皇后美智子様も購入された。ウィーンだと日本の半分以下の値段で買えます。

●市場
 通りで音楽を演奏している人がいる。ウィーン市民の胃袋と言われているのが食料品市場「ナッシュマルクト」。ナッシュには食い道楽という意味がある。平行する二本の通りに挟まれたマッシュマルクトには、八百屋、肉屋、パン屋を中心に店が並ぶ。駅に近い野菜は見栄えもよく値段も高め、駅に遠いと不揃いで値段も安い。トルコ料理の店もある。

●建物
 ナッシュマルクトの周囲には壮麗で芸術的な建物が並ぶ。「マジョリカ・ハウス」はアール・ヌーボーの建築家オットー・ワーグナーの作った集合住宅。
 ウィーンには100年以上前から回り続けている「プラーター遊園地」の大観覧車がある。1897年イギリス人技師ウィリアム・バフェットがヨーロッパとアメリカに作った5大観覧車のうちの1つ。今も現役なのはここだけ。

●レストラン&カフェ
 ミヒャエル広場から北へ5分ほど歩いたところにある老舗のレストラン「ツム・シュヴァルツェン・カメール」は、「黒いラクダ」という意味のカフェ。1618年の創業以来、地元の人々に愛され続けている。店に入ってすぐのところにはスタンド式のカフェがある。ガラスケースの中には20種類以上ある人気のオープンサンドが並ぶ。1つ0.95〜2ユーロ。カレー味の卵、ネギとクリームチーズなどなど。

 宮殿の中で営業しているカフェもある。ペルステル宮殿内の「フェントラル」は1887年の創業。入り口近くに座っている等身大の人形は、この店の常連だった作家のペーター・アルテンベルク。19世紀末、ここは芸術家・文化人たちのたまり場だった。店内ではピアノの生演奏が行われていた。ハプスブルグ家の時代、カフェではピアノの生演奏があったが、現在、この名残があるのは2軒だけ。
 ウィーンのカフェは17世紀に誕生し、独自の文化を育てた。ウィーンのカフェは、カフェハウスと菓子店を兼ねるカフェ・コンディフライ?の2つを意味する。
 カフェではレストランよりも手軽な値段で食事をすることもできる。ウィーンの名物の「ウィーン風仔牛のカツレツ Wiener Schnitzel 」は17.5ユーロ。「ビーフブイヨンでゆでた牛肉 Tafelspitz 」は16.9ユーロ。
 もう1軒芸術家たちに愛されたカフェは、1880年創業の「カフェ・シュペール Cafe Sperl 」。19世紀末の雰囲気を色濃く残す。当時ここには、作曲家のデハール、カールマン、建築家のヨーゼフホフマンなど。ヨーゼフホフマンがこのカフェでウィーン分離派(セセッション?)を結成したと言われている。ここでもウィーン料理が手軽に味わえる。「仔牛のパプリカ煮込み」7ユーロ。「クヌーデル入りチキンスープ」3.2ユーロ。常連がよくオーダーするという「ワインの炭酸割」3.2ユーロ。

●ホイリゲ
 夕方、19区にあるウィーンの森のはずれでは、ホイリゲに明かりが灯り始める。「ツァーヘル Zahel 」はおよそ120年前にオープンしたホイリゲ。ホイリゲとはぶどう栽培農家が自家製の1年未満の新酒を飲ませる居酒屋のことで、市内でワインを製造されるウィーン独特の文化。ホイリゲの歴史は18世紀に始まった。マリア・テレジアの息子フランツ・ヨーゼフ2世が、1789年、ウィーンのブドウ農家に年間300日以内に限って、自家製ワインを小売りし、簡単な食事をだしてもよいという許可を出したのが始まり。ツァーヘルはホイリゲの代名詞とも言われるほどで、25ヘクタールのぶどう園で20種類以上のブドウを生産している。ホイリゲにはもう一つ「今年のワイン」という意味がある。ツァーヘルのホイリゲはオーストリア航空のビジネスクラスでもサービスされている。「2004 Gemischter Satz 」は店内だと8.5ユーロ、購入だと5.5ユーロ。料理はいたってシンプル。ホイリゲのワインには、ホワイトチーズ、ハム、サラミなどの盛り合わせが合うと言われている。食べ足りない時は、肉料理などの暖かい料理を注文するのが一般的。
 ホイリゲは農繁期には休業となる。営業時間も決まっていないので、ホテルのコンシェルジュなどであらかじめ確認するのがよい。

●ホテル・インペリアル
 ハプスブルグ家ゆかりのホテル「インペリアル」。各国の国賓が滞在する高級ホテル。1863年ハプスブルグ家が侯爵の館として建てた宮殿をウィーン万博の時にホテルとして改装した。1873年のオープニング・セレモニーには当時の皇帝フランツ・ヨーゼフ1世も参加した。ワーグナーが長期滞在し、マーラーが好んで昼食をレストランで取ったという。バーンスタインの仕事場としても使われた。
 ロイヤル・スイートは国賓級が滞在するために用意されている。2002年には天皇皇后両陛下が宿泊された。スタンダードの客室も豪華で品格がある。日本人スタッフも常駐している。
 「バー・マリア・テレジア」ではオリジナル・カクテル「マリア・テレジア」10ユーロがある。
 シシィの肖像画が飾られたレストラン「インペリアル」。「牛肉ジェリー、葉野菜のサラダ添え」18ユーロ?、「エビのグリル、アジア風サラダわさびソース添え」23ユーロ。「仔牛のフィレ・ステーキ、ヤマドリダケ・ソース」28ユーロ。「桃のトルテ」10ユーロ。「パンケーキ」12ユーロ。
 ロビーの隣に「カフェ・インペリアル」がある。1873年に誕生した「インペリアル・トルテ」が重要。ウィーン万博を控えて、見習い中のシェフがこっそり焼き上げたのがチョコレート味のトルテだった。皇帝はこれを晩餐会のデザートに選び、以来皇室と国賓だけに捧げられるデザートとして、特別レシピとして伝えられてきた。現在はザッハートルテと肩を並べるウィーンの人気スイーツとして、海外にも発送されている。

●鉄道
 ウィーン西駅はヨーロッパ各国からの国際列車をはじめ、国内外の様々な列車が行き交うウィーンの表玄関。夜行列車も発着するため、深夜も人の流れが途絶えない。ここから寝台列車に乗ってベネチアへと向かう。ベネチアまではおよそ12時間の旅。乗り込むのは「アレグロ・ナイト・トレイン EN237 」西駅を20時34分に出発する。


テレビ番組「知っとこ! 世界の朝ごはん ウィーン」

 2010年6月26日放送。

●ウィーン
 ハプスブルグ王朝の都として640年もの間、栄えた。旧市街は世界遺産に登録されている。
 グラーベン地区 Graben に行く。広場にカフェがある。ウィーンには1000軒以上もカフェがある。「カフェ・デーメル Cafe Demel 」は創業200年の老舗。ウィーンのスイーツは王朝時代に世界各国から犯し文化が伝わり、街に広まり、この街で洗練された。「カフェ・ザッハー Cafe Sacher 」や「カフェ・インペリアル」も紹介されました。

 シュテファン広場に行く。中世のモーツァルトのような格好をした人がいて、コンサートのチケットを売っていた。その日はシェーンブルン宮殿でもコンサートがあるという。
 シェーンブルン宮殿は、ハプスブルグ家の夏の離宮として使われた世界遺産に登録されている。実際にモーツァルトも演奏したことがある部屋で行われた。「シェーンブルン・シュロス・コンサート」チケット40ユーロ(約4440円)〜。

 ケーゲルガッセ Kagelgasse に行くと、壁の色が青、白、橙色の建物があった。よく観るとつぎはぎだらけ。これはフリーデンスライヒ・フンデルトヴァッサーという建築家が作った市営住宅「フンデルトファッサー・ハウス」。1986年に完成した市営住宅で、色彩と曲線を多様した不規則なパターンが特徴。ほかにもゴミ処理場、クンストハウス・ウィーンなどの作品がある。

 モーリッツ・シュティーベニッツさん(30歳)が紹介してくれたのは、ボリューム満点のウィーン料理。路地裏にある「エスターハージーケラー Esterhazykeller 」の「シュヴァインズブラーテン」。豚肉の塊に塩、にんにく、香辛料をすりこみ、少量の水を加えて、オーブンで2時間蒸し焼きにするウィーンの伝統料理。その上に肉汁をかける。その間につけあわせの団子作り。ゼンメルというパンに卵、パセリ、牛乳を混ぜて作る「ゼンメルスクヌーテル」。これで9ユーロ(約1000円)。
 もう一つのおすすめは超豪華ホテル「ホテル・インペリアル」。ロビーは豪華。ここは元貴族の館だった建物を改装した5つ星ホテル。ロイヤル・スイートを見学した。元々貴族のすまいだったので、とてもゴージャス。1泊4700ユーロ(約52万円)。

 クヴェレンシュトラッセ Quellenstrasse に行く。ここの「パムッカレ・スーパーマーケット」に入る。ここで勝手に飲み物をあけて飲んでいる人がいた。オーストリアでは会計の前に飲み食いするのが当たり前とか。

 新婚さんの朝ごはん。ウィーン市内のアパートに住むエリザベート・ヴィンクラーさん(36歳)が作るのは、1品目「ターフェルシュビッツ Tafelspitz 」。牛肉のブロックを大きめに切って、油を敷いた鍋で表面の色が変わるまで軽く焼く。ここに切った野菜とたっぷりのお湯を加え、柔らかくなるまで煮込む。その間に薬味作り。西洋わさびとリンゴをすりおろして、よく混ぜあわせる。お肉は厚めに切ったらお皿に盛りつけ、薬味とほうれん草のピューレなどをつける。
 2品目「フリタッテンズッペ Fritattensuppe 」肉のゆで汁はスープにする。スープは小麦粉に牛乳、卵などを混ぜて薄いパンケーキを作る。それを丸めて細く切り、スープの具にし、塩胡椒で味を調える。
 3品目「オプスト・ヨーグルト Obstjoghurt Parfait 」クッキーを細かく砕き、カクテルグラスに入れ、ヨーグルト、細かく切ったフルーツをのせ、交互に重ねていく。


テレビ番組「世界遺産への招待状42 オーストリアのグラーツ歴史地区」

 2010年6月5日放送。

●グラーツ
 明日を恐れぬ中世の町と言われている。ウィーンの南西150km。中央駅のロビーの天井は赤と白の奇抜な内装。人間の筋肉と骨をあらわしているという。今回のガイドはミヒャエル・シスコヴィッツさんで、グラーツが生んだ世界的な建築家。

 歴史地区には路面電車で行くのが便利。目印の教会の塔が見えてきた。川を渡ると世界遺産の地区。両側にはいろいろな時代の建物が建ち並ぶ。正面に見えてきた建物は華麗な漆喰で装飾されている。18世紀のバロック様式。
 市庁舎前広場で下車。ここには15世紀から役所が建てられていた。今の市庁舎は20世紀初めに建てられたもの。当時は真似が流行していた。市庁舎の三角形の切妻部分はギリシャ・ローマ様式を真似たもの。ドームはバロックを変形させたもの。尖塔は古代エジプトのオベリスクを真似ている。調和しているとはいえないとミヒャエルさんは切って捨てた。
 金の装飾のある建物「Hofbackerei 」は皇室ご用達のパン屋さん。黄金の飾りはハプスブルグ家の紋章「双頭の鷲」。フリードリヒ3世が建てた王室専用の教会は、15世紀のゴシック様式。外観は50点、内部は90点だという。天国への憧れを象徴しているという。300年後にバロック様式が荘厳だとなると、追加された。この教会の中で最も素晴らしいのは、ゴシックとバロックがうまく調和していることだという。

 州政府議事堂「ラントハウス」はルネサンス建築。3階建で、中庭が特徴で、各階にアーチ型のものがある。幾何学的な直線や曲線が建物に美しいハーモニーを与えている。ルネサンス様式は15世紀にイタリアで生まれた。この建物はイガリア以外にある最も重要なルネサンス建築の一つ。神学校、ドイツ騎士団の中庭などルネサンス建築が残っている。ただ、寒い場所はルネサンス建築には不向き。理由は1480年にグラーツ地方を襲ったオスマン帝国。残虐行為により街中が怖れた。グラーツはヨーロッパを守る防衛の最前線だったので、街を要塞化した。城山に城を築いた。石灰岩でできている。エレベータで城山の頂に行ってみると、目の前に巨大な時計塔が見えた。時計塔には見張り第を兼ねていた。グラーツの起源は12世紀で、この城山に砦が築かれたことに始まる。グラーツという名前は砦を意味する言葉からきている。
 オスマン帝国がウィーンを包囲すると、ハプスブルグ家はグラーツの要塞化を決定した。当時、イタリアではミケランジェロが要塞の設計でも革命を起こしていた。反撃できるように出っ張りを作った星型のもの。そしてイタリア技術者により砦が改造された。時計台もこの時作られた。街は堀を作り、張り出し部分は星型に加工した。つまりグラーツ歴史地区はイタリア・ルネサンスを導入することにより作り上げられた。これはグラーツ市民に強く支持された。寒くてもいいものはいい。
 「武器庫」では、実際に使用された鎧などが保存されている。その数3万で、世界最大級。市民はオスマン軍に対して、自ら武器を取って闘った。城山の時計を見るたびに、市民たちは、「自主独立の精神」と「新取の気質」を心に刻んできた。

 街では小学生にこうした街に成り立ちを教えている。そして最先端の驚くべき建物を誕生させた。「クンストハウス」は異様な形と色。中は現代美術を集めた美術館。街に活力を与えているという住民が多かった。高さも大木さも街に馴染んでいるようです。バランスがいい。窓からは街のシンボル時計塔が見える。歴史地区保存委員会では、みんなが納得するまで議論している。古い建物を壊して新しいのを作る場合は、現代的なものでないといけないという。
 最後に100点という建物を案内してくれました。「ハプスブルク家の王宮」で、ゴシック建築だが、ほとんど改築されている。それでもゴシックの痕跡が残っている。ゴシック時代の階段で、2つの螺旋階段が特徴的。今から200年前の最先端だという。


テレビ番組「にじいろジーン 世界まるごと見聞録 ウィーン」

 2010年5月8日放送。カタール航空でドーハ経由で行きました。

●ウィーン
 ドナウ川の豊かな自然と共に芸術が育まれてきた町。音楽の町とも言われる。シュテファン大聖堂などに代表される重厚な歴史的建造物がある。
 市立公園に行く。ヨハン・シュトラウスの像がある。
 にじいろガイドはソーニャ・フロシェルさん(24歳)。

 美味しい伝統料理は、伝統料理の専門店「プラフッタ」でいただく。「ウィナー・シュミッツェル」約2700円は、有名なカツレツ。お肉は叩いて薄くしてある。食べやすくて香ばしくて美味しい。「ターフェル・シュビッツ」約2300円は、ステーキの煮込み料理だが、食べ方が変わっている。スープが美味しいので、細い卵の麺と一緒に食べるのが一般的。スープを楽しんだ後にお肉を食べる。お肉を別のお皿に移し、付け合せのポテトや、キャベツとほうれん草のペーストはお好みで食べる。お肉にはタルタルソースか、リンゴと西洋ワサビのソースで食べる。

 欠かせないのは、王家の存在。「ウィーン王宮」はハプスブルグ家の一族が住んでいた。中世から20世紀初頭まで強大な勢力を誇り、ヨーロッパ随一の名門王家と言われている。マリア・テレジアなどが名前を残す中で、フランツ・ヨーゼフ1世の妻となったエリザベートは、ヨーロッパ一番の美貌の誇り、その名は今でも語り継がれている。「大広間」はエリザベートが当時住んでいた部屋。エリザベートは体型を維持するために、「化粧の間」で毎日欠かさず運動していたそうです。吊り輪も残っています。身長170cm以上あったが、ウェストは50cmだったそうです。寝る時も体型を維持するために、鉄の硬いベッドで寝ていたそうです。

 ウィーンでは社交界の伝統が受け継がれている。オペラ座での舞踏会は有名。他でもいろいろな舞踏会が開催されている。ほとんどの舞踏会は誰でも基本的には参加可能。参加費用は約2500円〜数万円でした。
 1日レッスンが受けられるダンス・スクール「ドルナー Dorner 」に行ってみた。簡単なワルツのステップならわずかな時間でマスターできる。50分で約5400円です。

 高級食器のお店「アウガルテン」。オーストリア人にとっては特別なもの。金色の横線の入ったものは、エリザベートが好んでよく使っていたもの。カップ&ソーサーで約1.5万円。

 ウィーン在住のクリエイターたちが持ち寄って作っている人気のお店「ヴィヴィーン」。店で一番人気のエプロンが紹介された。これに同じ色のポシェットを合わせれば、キュートなファッションのできあがり。

 スイーツも多くの店がある。中でも一番有名なのが、ケーキ店「デーメル」の「ザッハ・トルテ」約550円。クリームをつけて食べる。
 もう一つウィーン生まれの有名なスイーツ「カイザー・シュマーレン」約980円がある。生地にメレンゲをあわせ、フライパンで焼いたパンケーキで、フライパンの上で豪快に切り刻み、食べやすい大きさにする。酸味のあるベリーソースがよく合う。これはエリザベートの夫のフランツ・ヨーゼフが大好きだったスイーツ。でもエリザベートはあまりすきではなかったらしい。
 エリザベートが好きだったのは、老舗「ゲルストナー」の「スミレの砂糖漬け」約1400円。

 不動産物件。マルクス・スウィツダレクさんに紹介してもらいました。トラムの駅にも近い町の中心部にあるマンション。ドナウ運河にも近い。1ルーム44平方m、ベッドやソファー、テーブルなどの家具は全てついていて、インターネットと電気、水道などの光熱費もついて1ヶ月の家賃は、1900ユーロ(約24万円)。


テレビ番組「世界遺産への招待状35 オーストリアのゼンメリング鉄道」

 2010年4月10日放送。

●ゼンメリング鉄道
 ウィーン駅は3月だがスキー支度の人たちでいっぱい。1時間でスキー場に到達できるそうです。40分後、グログニッツ駅から山岳鉄道のゼンメリング鉄道に入る。列車は一路アルプスを目指す。ゼンメリング鉄道はイタリアのトリエステに抜けるアルプス越えのうちの全長41kmの区間をいう。終着駅はミルツツーシュラーク駅。
 この鉄道が完成したのは、日本ではペリーが来航した年。その年に技術の粋を集めて、高架橋やトンネルなどを作っていた。崖をくり貫いて通したヴァインゼッター大岩壁などの厳しい地形に入った。そして沿線随一の絶景。オーストリアの人々が愛し続けている風景です。ここの景色はオーストリアの旧20シリング札にも利用されていた。景観を守るため、カルテリンネ橋などは自然石とレンガを積み上げて作られていた。鉄やコンクリートなどは風景を壊すという理由で使われなかった。

 列車がスキー場のあるゼンメリング駅に到着した。海抜895m。建設当時は鉄道で行ける世界で最も高い場所だった。ゼンメリング鉄道と共にスキー場も発展してきた。アルプスで最も古いスキー場の一つ。
 150年前から駅周辺は発展してきた。斜面に別荘やホテルが並ぶ。ウィーンの上流階級の人々が近くて景観のよいこの地に競い合うように訪れた。こうしたリゾートの発展はゼンメリング鉄道あってのことだった。

 この鉄道の本来の目的は観光のためではなかった。19世紀、オーストリア帝国は、首都ウィーンから港のあるトリエステまで物資や兵士を送る手段を必要としていた。ゼンメリング鉄道は戦略物資輸送のために作られた。しかし、そこにはアルプス越えという最大の難関を抱えていた。オーストリアは当時2万人を投入し、当時不可能といわれた工事をわずか6年で完成させた。
 この難工事を指揮したのは、イタリアの天才技師カール・リッター・フォン・ゲーガでした。設計図からは苦心の跡が読める。特徴的なのは線路の傾斜。1km走って25m登るという緩い傾斜になっている。日本の典型的な登山鉄道なら60m登れる距離。かつゲーガは蒸気機関車の性能もあげた。コンテストを開き、能力や性能を上げさせた。そして開発されたのが特別な機関車。カーブが多いので、前輪を小さくした。カーブが多いので、線路に多く負担がかかった。
 保線班のリーダーのオスカー・クライムさん。3月のある日、線路に異常があった。氷が線路を持ち上げ、列車が走るときに折れるらしい。こういう努力でゼンメリング鉄道では、大きな死亡事故は起きていない。
 しかし鉄路には悲しい記憶が刻まれている。クライムさんは年に数回、建設当時に起こった事故の現場を訪れる。ヴァインゼッター大岩壁をまわるように最初は設計されていた。壁を爆破しようとしたら加減を調整できず、大崩落が起きた。14人が亡くなったそうです。そこで変更され、トンネルとなった。投入された2万人のうち、事故で1000人が亡くなったという。この鉄道は多くの犠牲の上に成り立っているので、この鉄道を守っていく責任があると語った。
 終着駅のミルツツーシュラーク駅。ベテラン運転手の一人カールハインツ・ベルナツキさん(59歳)はゼンメリング鉄道の全てを知り尽くしている。20年前から運転手たちの指導教官をしている。運転士のトーマス・メラハーさんは新人で、一人前になったら、ベルナツキさんは引退することを決めている。ベルナツキさんは100年以上続く鉄道一家の4代目。170人以上の運転士を育てた。この日、メラハーさんの試験も兼ねていた。無事合格し、ベルナツキさんの引退が決まった。仲間が引退のセレモニーをしてくれました。
 150年前に走った蒸気機関車を定期的に走らせている。作った人たちの意思を確認するためでもある。


テレビ番組「世界の果てまでイッテQ! 人は1日で何か国旅行できるの?」

 2010年3月28日放送。ベッキーが挑戦。ある調査によれば、日本人が生涯に訪れる国は海外旅行経験者で平均6.45か国(東京電力TEPORE調べ)。朝8時から翌日の朝8時までの1日で何か国旅行できるか、挑戦した。ただ、各国で旅の3要素(観光、食事、土産)を満喫すること。目標は6カ国を超えること。

●作戦
 ヨーロッパなら小さな国が密集し、EU加盟国ならパスポートチェックもない。お土産は視聴者にプレゼントする。

●コペンハーゲン
 デンマーク王国は人口551万人、通貨はクローネ。EU加盟国で、マルグレーテ2世女王が治める。人形姫の場所に行く。マーライオン、小便小僧と共に世界3大がっかりと言われる。小さくて地味。
 食事は、スモーブロー。魚や肉をパンの上にトップングしたもの。これはフォークとナイフで食べるのがマナー。
 お土産はロイヤル・コペンハーゲン。1枚で5万円でした。絵は1枚1枚職人さんが絵つけをしている。半分描かせてもらった。失敗作のように見えます。以上デンマークは45分で制覇。

●チューリッヒ
 スイス連邦の人口770万人。通貨はスイスフラン。EU非加盟国。スイス最大の都市チューリッヒ。お土産はスウォッチ。240CHF(約2万円)を3つ購入。
 ヨーロッパで一番大きい文字盤の聖ペーター教会の時計台がある。
 食事は「チョコレート・フォンデュ」20CHF(約1700円)。3年前にチーズフォンデュは味わったため。つけるものはパンではなく、フルーツ。

●リヒテンシュタイン
 車で1時間。人口3.4万人。通貨はスイスフラン。EU非加盟。貴族が代々国歌元首を務める国。世界では6番目に小さい国。切手が世界でも有名。高度な印刷技術とデザインは世界中の切手コレクターの注目の的。お土産は切手セット13.65CHF(約1200円)。
 料理は「キーセシュピッツェレ」15CHF(約1285円)。マカロニを細かく切ったものに、チーズを和えた感じだそうです。その上にフライド・オニオンがのせてある。
 観光はパラグライダー。75CHF(約6500円)。空気が冷たいから知覚過敏だそうです。このパラグライダーから国全部が見えるそうです。

●ノイシュバンシュタイン城
 ドイツ連邦共和国は人口8222万人。通貨はユーロ。EU加盟国。ベッキーが楽しみにしていた観光地は、ノイシュバンシュタイン城。お城は夜ライトアップされている。ところがこの日は休業でした。世界4大がっかりだと言っていました。
 ここはバイエルン国王ルードウィッヒ2世によって約150年前に建てられた白亜の城。紅葉の頃の写真はとても美しくて有名。
 お土産はテディーベア。耳にボタンがついているシュタイフ社のものが、世界で一番最初に作られたテディーベア。ルードウィッヒ2世のテディベアもあり、オルゴール付きだった。179ユーロ。
 食事は「ドイツ・ソーセージ」5ユーロ。

●ザルツブルグ
 オーストリアまでは車で2時間半。オーストリア共和国は、人口830万人、通貨はユーロ。EU加盟国。夜10時にはお店が閉まってしまう。
 あいているお店に入ったら、塩の店だった。ザルツブルグは「塩の城」という意味で、古くは岩塩の採掘で栄えた街。お土産は「塩のキャンドル・ホルダー」5ユーロ。
 観光はモーツァルトの像。彼は1756年にここで生まれた。
 観光と食事はそんなモーツァルトが通ったレストラン「シュティブツケラー・ザンクト・ペーター」で、803年創業のお店。店内では音楽と伝統的なオーストリア料理が楽しめる。いただくのは、モーツァルトの大好物「タフェールシュビッツェル(牛肉の煮込み)」20ユーロ。オペラの歌手がちょっかいをかけて、トライアングルを叩けという。途中で11時になり、出発しました。

●チェスキークルムロフ
 車で2時間半。チェコ共和国は、人口1043万人。通貨はチェココルナ。EU加盟国。この街は13世紀の街並みが今なお残り、街全体が世界遺産。  午前1時半に到着。街角で火を吹く男がいた。次は鎌をもった男。彼らは観光ガイドで「深夜のミステリーツアー」を催行している人たちだった。料金は300Kc(約1500円)。観光ツアーは45分。
 お土産は観光ガイドさんに家から持ってきてもらったボヘミアン・グラス。
 食事は深夜2時から、ビール40Kc(約190円)。チェコは一人あたりのビール消費量が世界一。ぐんぐん飲んだので、酔っ払った。

●ブラスチラヴァ
 スロヴァキアに向かう。スロヴァキア共和国は人口541万人。通貨はユーロ。EU加盟国。スロヴァキアは国土のほとんどが山岳地帯。チェコとは前は同じ国だったが、人種も違えば言葉も違う。残り1時間半でこの国ともう一つ行きたいところ。
 観光はブラチスラヴァ城。ここはスロヴァキアのシンボル。敵の侵攻に備えて改築を繰り返していたら、ヘンなデザインになったという。ひっくり返すとテーブルになる。目の前に流れているのがドナウ川。
 市場に行く。食事は伝統の編みこまれたチーズ。このチーズを男性が女性にタッチすると女性は幸せになるという。「編みこみスモーク・チーズ」1.5ユーロ。
 お土産は市場で売られていた、伝統柄のキルト。20ユーロ。

 残り67分。8カ国目のハンガリーまでは移動に40分かかる。

●ジェール
 ハンガリー共和国は、人口1002万人。通貨はフォリント。EU加盟国。午前7時30分に入国。
 市場でパプリカをがぶりと食べる。1個300フォリント(約140円)。
 お土産はパプリカの粉末。5個で2750フォリント(約1280円)。
残りは15分で観光。残り3分で気球に乗り込む。気球ツアーは4000フォリント(約1850円)。上空から街を眺めました。

 以上8ヶ国、2127km移動しました。


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