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なお、これはわたしが個人的にテレビを見て書いたものであり、各テレビ局や番組とは全く関係はありません。
すべての文章の無断使用・転載を禁止いたします。
またここの情報を使って、何か問題が起こったとしても私は一切責任は持ちませんのであしからず。


テレビ番組「堺正章のパリ〜モナコ最旬紀行 フランスで輝く日本人たち」

 2007年12月16日放送。堺正章、ユンソナ、中村江里子さんが出演。フランスで働いている日本人を訪問して応援する旅。関西テレビ製作。

●オペラ
 唐沢まゆ子さん。神戸女学院を卒業しフランスに来て10年、ヨーロッパで活躍中。夢はオペラ座ガルニエ宮で歌うこと。オペラ座に行ってみました。天井はシャガールが描いた絵。客席は5層に分かれ2100席あまり。劇場としては世界最大級。オペラ座の設備担当ジルさんの許可が下りて、2人の観客を前にステージで歌わせてもらいました。

●フランス料理
 青木姉弟は三代子、誠さん。パリ8区?の真っ赤な壁のお店「Makoto Aoki」(19 rue Jean Mermez, 75008)。実家は東京・銀座の老舗すし屋「青木」。この日は、三ッ星レストラン「ギ・サボア Guy Savoy」のソムリエをしている染谷文平さんも来ていた。そこで染谷さんもよく行くリカーショップ「ラヴィーニャ Lavinia」でワインを見る。赤外線ロックで管理されている特別な部屋には、ひときわ高いワインがある。レローグランド・シャンパーニュ1802」を見せてもらいました。1万ユーロです。同じワイナリーでも新しいものが酸味が強かったみたいです。
 前菜用のシャンパンは「ルイ・ロデレール Louis Roederer 2000 」40ユーロで、パリジャンに人気。前菜は「新ポロネギの暖かいサラダ、ニシンのキャビアのドレッシング、ラングスティーヌ添え」。「赤カブのブルテ」。次のワインは「ドゥマーニ Domaine 2004 」60ユーロ。メインは「ジャガイモをまとった舌平目のロースト、セップダケとアンティチョーク添え」。中にポルチーニ茸が入っている。

●中村江里子
 フリーアナウンサー。2001年9月シャルル・エドワード・バルトさんと結婚。モンパルナスは芸術家たちが集まる街。モンパルナス・タワーの展望台からは市内が一望できる。
 アレクサンドル3世橋の近くはよく中村さんが散歩しているそうです。グランパレはイベントが開催されるホールで、その中に最近お勧めのレストラン「ミニパレ」ができた。古い建物で天井が高く癒しの空間となっている。「木いちごのいためもの、ヨーグルトのアイスクリームと焼きたてのマドレーヌ添え」、「レモンのタルト」、コーヒーなどをいただきました。
 フランスではワインや水をグラスに女性が注ぐことがないそうです。たいてい男性がやる。

●精神分析医
 那須・ディビエルジュ・恵里子さん。パリ6区在住。悩みを持つ人の心を開いて、学術的に問題を解決していく専門家。フランスは精神分析で最先端を行く。20数年前に恋愛に悩んで精神分析を受けて、面白いので勉強したそうです。

●車のデザイン
 山本卓身さん。ドゴール空港とパリ市内の中間。プジョー・シトロエンで働く。ここでは唯一の日本人で、働いて6年になる。案内してくれたのは部外者立ち入り禁止の場所で、シトロエンの歴代の名車を保管している「社外極秘ミュージアム」。車が好きな堺さん用の見学コースでした。堺の父もシトロエンに乗っていたそうです。Citroen 7B 1934年製のようです。ごつい車です。
 山本さんは日本の美術大学を出て、自動車デザインではヨーロッパ随一といわれるイギリスのコヴェントリー大学大学院に入学。そこでプジョー・シトロエン・グループにスカウトされた。
 外の芝生に昔の車が並んでいた。Citroen C2 1922年製に乗せてもらった。山本さんの憧れは1948〜1990年まで製造された独特のフォルムの2CV。

●モナコ
 畑中由利江さん。日本とモナコの文化交流コーディネータとして活躍している。ご主人はジョン・タメンヌさん。モナコでの社交界の経験を生かし、プロトコール(外交マナー)に冠する著書を出版している。自宅近くがF1グランプリのスタート地点で、ベランダからの眺めもいい。愛用の車は1960年代型英国王室使用のダイムラー。モナコは皇居の2倍ほどの広さしかないので、20分ほどあれば、車で1周できる。モナコ大公宮殿。セレブご用達高級ブランド店も数多い。
 食事の際は手はテーブルの上に置くのが常。下に置くと中世の頃は暗殺があったので、信用されなかったせいらしい。お肉は一口大ずつ切って食べるなど、マナーを教えてもらいました。
 身だしなみとしての下着。ランジェリー・ショップ「フィフィ FiFi 」では、服と下着のコーディネートを考えている。紫のブラジャーは187.5ユーロ、フェミニンなブラジャーとショーツ197ユーロ、ナイトウェアでのブラジャーとショーツで200ユーロ。


テレビ番組「世界遺産 ボルドー、月の港」

 2007年12月9日放送。ワインの女王の故郷はボルドー、月の港。5000もの品種があるというヨーロッパ・ブドウ。しかしグランバー?と呼ばれる極上のものになるのはごくわずか。現在でも最高のワインを作り続けるのがフランス南西部のボルドー地方。

●ボルドー Bordeaux
 中心都市ボルドーは三日月状に蛇行するガロンヌ川に面し、月の港の名で親しまれてきた。フランスで最も古い都市の一つ。市内で最も多く目にすることが多い建物は18世紀のもの。その繁栄の中心にはワインがあった。2007年世界遺産に登録された。
 かつては帆船が港を行き交った。その表玄関がブルス広場。鉄道も自動車もない時代には船が最も重要な手段で、ここからボルドー・ワインが世界に広まった。大航海時代をきっかけとして、ワインが出ていき、砂糖や香辛料などが取引された。

 古代ローマ時代にさかのぼる古い街が生まれ変わったのは18世紀。フランス国王直属の地方長官に推し進められた都市改造。それはボルドーを王国で最も美しい都市にする夢の計画だった。変貌した町について、ある旅行記にはパリに負けないくらい素晴らしい町だと書かれていた。古代ギリシャ、ローマへの憧れから、当時流行した新古典主義風の街並みに、今は最新鋭のトラムが走る。ブルゴーニュ門、カイヨー門、ディジョ門、カンコンス広場が紹介された。
 18世紀に人口10万人で、フランス最大の地方都市となり、人々の誇る建物が建てられた。1773年に着工、7年の歳月をかけて完成したグラン・テアトル(大劇場)。エントランス・ホールの大階段など、パリのオペラ座をモデルにした。19世紀から第二次世界大戦にかけて、わずかな期間、フランスの首都となった。臨時政権が置かれたのが大劇場だった。

 2000年の歴史を宿し、数多の経験をしたボルドーで変わらないのはぶどう栽培。元々古代ローマから進出したローマ人がワイン作りを伝えた。今では総面積12万ヘクタール。同じく高級ワインで知られるブルゴーニュの3倍にあたる。手摘みによる収穫が現在も主流。実だけを取り出して醸造する。1ヶ月かけてじっくりと発酵させ、真新しい樽に詰めて1年以上熟成する。フランスでは品質に基づいてワインを格付けしている。厳しい検査を通過したものだけが、ボルドー・ワインを名乗れる。
 かたくなに守られる伝統の味と香り。欠かせないのがシャトーの存在。ボルドーではぶどうの栽培から醸造、瓶詰めまで一貫して行なわれる場所がシャトーと呼ばれる。シャトー・マルゴーのワインは格付けの中でも最上級。エレガントできめ細かい。10年寝かせても保管の条件がよければ、数十年経ても寿命を保ち熟成を続ける。ポール・ポンタリエ副社長?は「ワインとボルドーの成功は互いに依存していて、ボルドー港の力がなければボルドーワインがこれほどまでに成功することはなかった。グラン・ヴァンによって生み出された富がなければ、ボルドーは決してこれほどまでには豊かになっていなかった。」という。その繁栄の陰にはイギリスの力があった。
 市内のサン・ミッシェル教会と鐘楼。その鐘楼はエッフェル塔に次いでフランス第二の高さを誇る。サンタンドレ大聖堂はスペインの聖地サンチァゴ・デ・コンポステーラの巡礼路の一部として、世界遺産に二重に登録されている。この教会が着工された14世紀、ボルドーはイギリスの領地だった。1137年ある十代の男女がこの大聖堂で結婚させられた。新郎は後のフランス国王ルイ7世、新婦は当時ボルドーを治めたアキテーヌ公国の女性君主アリエノール。政略結婚によりボルドーはフランス領になるはずだった。アリエノールは離婚し、年下の青年貴族と再婚。その青年はヘンリー2世としてイギリス国王に即位したので、イギリス領となった。これによりボルドー・ワインは多くのイギリス人を魅了するきっかけとなった。300年に及ぶイギリスの時代。港から大量のワインが搬出され、町は栄えた。かつての市庁舎にはぶどうの収穫の始まりを伝えるための鐘(現在の大鐘楼)が残っている。コルクの栓が使用され始めた17世紀以降、瓶詰めされたワインは、その市場をイギリスからさらに世界各地へと拡大していった。
 その栄光は町の多くの建物に記憶を留めている。18世紀に建てられた大司教の住まい「ロアン館」は、贅をつくした宮殿風の建築は現在はボルドー市庁舎として使われている。食堂の壁を飾る装飾は彫刻のように見えるが、全て平面に描かれた絵画。つまりだまし絵。
 ボルドーの繁栄は長く続かなかった。ガロンヌ川を渡る唯一の橋としてナポレオンの命により完成したピエール橋。その後、19世紀後半になるとボルドーの港の灯は次第に消えていった。工業の発展や船舶の大型化に取り残され、歴史の第一線から静かに身をひいた。ボルドー生まれのノーベル賞作家モーリアックは「たそがれの中に巨大な町の全景を見渡す時、私はそこに、幸福や苦痛や罪や夢想の場所を探し求める。」と書いている。ブルス広場は今は人工的な霧のベールに覆われている。


テレビ番組「豪華絢爛 女のPARIS パリ国立オペラ世界最高峰の芸術をあなたに」

 2007年12月8日放送。11月26日にグランドパシフィック・メリディアン東京に黒田知永子、知花くららさんが在日フランス商工会議所主催のガラ・パーティに出席した。料理はアラン・デュカスによるもの。2008年7月に四大歌劇場の一つ「パリ国立オペラ」が初来日することが発表された。2人はパリに向かった。関西テレビ製作。

●パリ国立オペラ ガルニエ宮
 立派な建物。オペラ座として親しまれている。建物の歴史は1669年にまで遡る。ナポレオン3世の第二帝政を称える記念碑的な建物として1875年に完成。その壮麗さから、世界で最も美しい劇場と言われる。正面には音楽家の彫像が並び、中央はモーツァルト。
 中に入ると豪華な中央階段。「オペラ座の怪人」のマスカレードの場面でも使われた。大広間グラン・フォワイエは見事!金色で長い廊下がシャンデリア、飾り、天井の絵画で圧倒されます。客席のシャンデリアや天井の絵も豪華。これはシャガールの作品で、ベートーベンやチャイコフスキーなどの14名の音楽家をモチーフに描かれている。以前の天井画が変えられた時は批判も多かったが、今はこの絵が顔となっている。かつて18世紀の作家ボルティエールがオペラのことを妖精たちの世界だと語った。
 裏口に行き、技術顧問のジル・モドロさんが特別な場所に案内してくれた。ナポレオンがオペラを見る時に使っていた特別室。次は「オペラ座の怪人」ファントムの部屋。ファントムが指定したという5番ボックス席。地下にはオペラ座の怪人の伝説のもとになった地下道がある。地下水道が流れている。ガルニエ宮の地下には地下水道が張り巡らされている。それで怪人が住んでいるというので映画やミュージカルになった。次は舞台の真下。いろいろな装置が並ぶ。517個の舞台背景を動かすことができるそうです。次は最上階。舞台の真上で40mの高さ。下はメッシュ状態で舞台が見えました。

●パリ国立オペラ バスティーユ劇場
 現在はこちらがオペラの本拠地。ガルニエ宮では主にバレエが上演されている。フランス革命200周年を記念してミッテラン政権が計画し、1989年に完成した。
 舞台と客席は全体の5%にしかすぎない。他は美術工場、アトリエなど。地所面積2.2万平方m、総床面積は16万平方m。

●パリ国立オペラ
 舞台の特徴は現代演出。総裁のジェラール・モルティエ氏は「物語の本質を伝える方法として、現代的な舞台にして伝わりやすくしている」そうです。この7月に来日する時はワーグナー「トリスタンとイゾルデ」、バルトーク「青ひげ公の城」&ヤナーチェク「消えた男の日記」、デュカス「アリアーヌと青ひげ」が予定されており、総勢300人の引越し公演。「トリスタンとイゾルデ」は映像効果がすごくて、フランス音楽批評家協会でグランプリを受賞した。「青ひげ公の城」はカーテンを使った演出が素晴らしい。
 パリ国立オペラの美術倉庫には既に日本公演用の衣装がある。
 「アリアーヌと青ひげ」で初演を黒田さんと知永さんが見ることになった。青ひげ公はヨーロッパ人にはポピュラーなものらしい。演出はアンナ・ヴィーブロック、指揮はシルヴァン・カンブルラン。

●オルセー美術館
 ミレー「落穂拾い」、ゴッホ「自画像」、ルノワール「ピアノに寄る娘たち」などが有名。床がガラス張りになっていて、パリの町が空から見えるような感じになっている。その先にガルニエ宮の模型がある。

●ケーキ
 「ダロワイヨ Dalloyau 」には1955年に作られたケーキ「オペラ」がある。チョコレート・ケーキの代名詞にもなっている。パティシエの奥さんが「このケーキはオペラのようね」と言ったことから、その名がつけられた。金の板はガルニエ宮をイメージ。値段は25.6ユーロ/4pers 。最近東京の支店25周年を記念して「オペラ・ギンザ」をここで発売している。値段は6人分?で32.6ユーロ/TU-6 persommes 。ここでいただきました。

●料理
 ホテル・プラザ・アテネパリでアラン・デュカス氏と会った。彼の料理はまさに芸術品。2004年に日本にも進出した。「ブノワ」、「beーブーラン・ジェビシエ」、「ベージュ アラン・デュカス」。このホテル内に「アラン・デュカス オ・プラザ・アテネパリ」がある。
 「ブルターニュ産オマール海老、桃、スパイシーワイン」は赤が特徴的。「ブレス産の鶏肉、ザリガニとセップダケのフリカッセ」は絵画のようです。

●ドレス
 「ルイ・ヴィトン・シャンゼリゼ」本店に行く。ここでドレスを購入。

●パリ国立オペラ
 ガイドのパトリック・ゴンザレスさんが案内。舞台に行ってみたが、後ろに舞台裏が5つあります。一般の人が入れるフォワイエはゆったりした場所。ここで女性指揮者の西本智実さんに会って話をした。2002年ロシア・ボリショイ交響楽団ミレニウムの首席指揮者に就任している。
 「アリアールと青ひげ」は、青ひげの住む館に花嫁としてやってきたアリアール。7つの部屋に青ひげ公の財産があり、アリアールが一つ一つ探していく。青ひげと心を通わせるが、青ひげに囚われている女性たちを救うという目的があった。そんな中で民衆の怒りが爆発した。民衆によって傷つけられた青ひげが帰ってきてから物語は終幕を迎える。
 終演後に主演のデボラ・ポラスキ、ヴィラード・ホワイトにインタビューした。


テレビ番組「知っとこ!世界の朝ごはん フランスのストラスブール」

 2007年12月1日放送。パリからTGVで2時間20分。

●ストラスブール
 フランスの北東部、アルザス地方の表玄関で、古い街並みが残る。人口26万人。ストラスブールとは「交通の町」を意味するラテン語。トラムは市民の足として重宝されている。郊外にはEUの本会議場もある。この建物が未完成に思えるのは、EUに全ての国が参加していないことを意味しているとか。
 世界三大珍味のフォアグラを初めてフランスで作り始めた都市でもある。
 リューデ・タイユール・ドゥ・ピエール Reudes Tailleues de Pierres ?の通りには鳥のぬいぐるみが多い。これはアルザス地方のシンボルであるコウノトリ。野生のコウノトリが多く生息している。昔からコウノトリが家に巣を作ると子供が授かるという言い伝えがある。

 リュー・デゥ・ビェ・マルシェ・オ・プワゾン Rue du Vieux Marche aux Poissons は石畳が素敵な場所。楕円形の大きな樽がある。アルザス地方はフランス有数のぶどうの産地で、おいしいワインも作られている。少し郊外に足をのばすと、ぶどう畑がある。この道は「ワイン街道 Route des vins d'Alsace 」と呼ばれている。楕円形だと狭いスペースに多く置けるかららしい。1472年に作られた世界最古の白ワインもある。貴重すぎて値段がつけられないそうです。「ヴァン・ヴラン・ド・アルザス Vin Blanc d'Alsace 」

 ミカエル・シュワプさんが紹介してくれたのは、1988年に世界遺産になった旧市街。15世紀に作られた建物がそのまま残る。コロンバージュという木組みの建物が特徴。ストラスブールのシンボルは大聖堂で、142mの高さを誇る。内部を彩るステンドグラスは11世紀のもの。

 隣町のコルマール Colmar に行く。「自由の女神」像がある。作者のオーギュスト・バルトルディがこの町で生まれたかららしい。最初に作られた試作品は今とはずいぶん違っていたそうです。バルトルディ博物館に残っている。

 新婚さんの朝ごはん。町の郊外の伝統的な作りの一軒屋に住むロザリー・ユムレールさんが作るのは、1品目「たまねぎのタルト Tarte a l'oignon」。たまねぎの皮をむいて薄切りにしたら、あめ色になるまで炒める。ベーコンを食べやすい大きさにカットして茹でる。卵、牛乳、生クリーム、小麦粉を容器に入れて、よく混ぜ合わせる。生地が固まりになったら、固めて耐熱容器に伸ばす。そこにたまねぎをのせ、茹でたベーコンをのせ、卵などで作った生地をかけ、塩胡椒で味を整え、オーブンで20分焼いて完成。
 2品目は「ビブレスカス Bibeleskass 」。フロマージュ・ブランというクリームチーズと砂糖の入っていないプレーン・ヨーグルトを混ぜ合わせ、塩胡椒とナツメグで味つけをする。キッチンで栽培しているシブレット(あさつき)という野菜を切り、摩り下ろしたたまねぎ、パセリ、にんにく、シブレットをよく混ぜる。生野菜やパンにつけて食べる。
 3品目は「フィブラ・スープ Riewele Supp 」。小麦粉に卵を割り入れて、なつめぐを擂り入れ、みじん切りしたパセリを加え、よく混ぜ合わせる。全体に粘りがでてきたら、ひとつまみずつ棒状の伸ばし、カットしていく。あとはコンソメスープで煮るだけ。具材が表面に浮き上がってきたら完成の合図。寒い時期にはぴったりとか。


テレビ番組「世界の果てまでイッテQ」

 2007年10月28日放送。ベッキーが旅した。日本からの航空運賃を除いた予算10万円(606ユーロ)で、2泊3日で世界の芸術はいくつ見られるか?がテーマ。移動は公共の交通機関を使うのがルール。フランス、イタリア、スペインがよいと計画。

●フランス・パリ
 レオナルド・ダ・ヴィンチが描いたモナリザ。空港からSNCFと地下鉄で50分、ルーヴル美術館を目指す。地下鉄はテロ対策で走り抜けられないようになっていた。朝8時40分で電車は超満員。スリには注意。
 ルーヴル美術館に入る前に駅前の売店で MusiamPass を購入。これで60もの他の美術館も見ることができる。これを買うと並ばなくてもいい。2日券、4日券、6日券の3種類がある。30ユーロ。名前を書かないといけない。
 ルーヴル美術館は800年前の王宮を改装して、1793年開館、所蔵30万点。常時2.5万点の作品を展示している。美術館の前にあるガラスのピラミッドは著作権の関係で撮影はできない。撮ると2万ユーロ。中もテレビの撮影は不可でした。ルーヴル美術館は地下1階、地上3階。各分野年代順にスペースが別になっている。
 モナリザは1階奥。その途中で「サモトラケのニケ」(紀元前190年頃の大理石像)があった。船のへさきにつけられていたもので、タイタニックの有名なシーンもこの像をヒントにしたものだった。スポート用品のナイキ Nike はニケが由来。「ミロのヴィーナス」(紀元前130−100年頃の大理石像)。ウジェーヌ・ドラクロワの「民衆を導く自由の女神」(1830年)がある。アメリカに送られた自由の女神はこれをモチーフにしている。「モナリザ」(1503〜06年)がある。今にも動きだしそうな表情。どの角度から見ても必ず目が合うという。顔の左側は優しく笑っているが、右側は意地悪な表情。絵の大きさは縦77cm、横53cmで、実際に見ると小さい。371個見たそうです。

 歩いて10分、セーヌ川をはさんだ「オルセー美術館」にもアートが多い。ジャン・フランソワ・ミレー「落ち穂拾い」(1857年)。教科書で見た絵画が目白押し。ピエール・オーギュスト・ルノワール「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」(1876年)。クロード・モネ「青い睡蓮」(1916−19年)。ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ「医師ガシェの肖像II」、「オーヴェルの教会」(1890年)、「自画像」(1889年)。ゴッホは自殺するまでに売れた絵はたった1枚だったそうです。117個のアートを見ました。

 地下鉄で1駅(1.5ユーロ)でノートルダム寺院(1163年着工、180年かけて完成)。教会は1階は入場無料、撮影OKでした。ステンドグラスは見所。ステンドとは汚すという意味で、最初は光が入りすぎないように窓を汚していたのだが、そのうちに芸術になった。

 地下鉄1.5ユーロでエッフェル塔に行く。1889年完成。ベッキーは江戸時代と言っていたが、明治時代の間違い。高さ321m。
 地下鉄1.5ユーロで凱旋門。その前の通りはシャンゼリゼ通り。カフェ「フローラ・ダニカ Flora Danica 」はパリジェンヌに大人気。1つ星高級レストラン直営のカフェ。ポテトサラダ、ごまパン、キッシュを13.9ユーロ(2293円)で購入。

 電車(2.8ユーロ)と徒歩で40分で「ベルサイユ宮殿」(1682年完成)。総面積100万平方m、東京ドーム21個分。マリー・アントワネットも歩いた散歩道、庭園のあちこちに置かれた大理石の彫刻、湖とおとぎの世界。宮殿内部は撮影不可でした。

●イタリア・フィレンツェ
 午後6時50分発の飛行機でピサに向かった。118ユーロ(1時間半)。斜塔はあきらめた。電車でフィレンツェに乗る。駅の売店でサンドイッチ?を9.6ユーロ(1584円)で購入。  宿泊はB&B「Florence Toom 」。1泊50ユーロ。
 ウッフィッツィ美術館とアカデミア美術館が目標。どちらも開館前の朝7〜8時は撮影OKとの承諾を得ていた。深夜0時就寝だが、朝7時前には美術館前に来た。
 アカデミア美術館(19世紀頃開館、元は美術学校)。奥にミケランジェロ・ヴォナローティが26歳で作った「ダビデ像」(1504年)があった。高さ4m、台座を含めると5m。目はハート型で彫られている。
 開館前のウッフィッツィ美術館に急ぐ。入場料は6.5ユーロ。まず彫刻がすごいが天井がすごい。最大の目玉はサンドロ・ボッティチェリ「ヴィーナスの誕生」(1486年)。他にもサンドロ・ボッティチェリ「アテネとケンタウロス」と「春」などを見ました。

 8時からフィレンツェの町を散策。最古の橋「ヴェッキオ橋」(1345年)は橋の上は商店街。橋の中央から見た景色も素晴らしい。
 花の聖母寺「ドゥオーモ」(1296年着工、施工期間140年)は白と緑とピンクの大理石で装飾されている。

●バチカン市国
 電車で2時間。ローマ市内のバチカン市国。サンピエトロ広場は誰でも気軽に入国可能。140人の聖人が並ぶ。
 バチカン博物館は世界最大級を誇る。展示コースは7km、総面積は国土の10分の1。入場は1時間待ちになることもしばしば。テレビの撮影は不可。入場料12ユーロ。システィーナ礼拝堂の「最後の審判」、天井の「天地創造」が目玉。天才ミケランジェロが5年半かけて一人で書き上げた。絵葉書0.5ユーロ。合計アート数は1033となった。

●ローマ
 電車1ユーロでコロッセオに向かう。古代ローマの公共広場フォロ・ロマーノは、紀元前6世紀頃のもので、現在も発掘調査中。ローマの休日でおなじみの「真実の口」はサンタマリア・イン・コスメディン教会の1階にある。もとは古代ローマ時代に使われた井戸の蓋。ベッキーは鼻の穴に入れました(笑)
 電車1ユーロで「トレヴィの泉」(1734年)に向かう。起源は紀元前19年の水道。「ローマに戻りたいと思うなら、後ろ向きにコインを投げよ」と言われる。ちなみに1年間に投げ入れられるお金の総額は1億4000万円。
 午後5時30分、「スペイン広場」は17世紀スペイン大使館が広場前にできたことが名前の由来。ジェラートをいただいた。
 空港に電車で急ぐ。12ユーロ。飛行機代60.1ユーロでミラノに向かった。

●ミラノ
 午後11時22分到着。ホテルまでの電車代は6ユーロ。宿泊は「La Vignette 」。ここでは「最後の晩餐」を見る。夕食はバナナ3本2ユーロ。朝食は水のみ。
 電車代1ユーロで、「ドメニコ会の旧修道院」に行く。ここの食堂の壁にあり、毎週月曜日はテレビは写真の取材もOK。しかしその日は金曜日だった。絵葉書は1ユーロ。残りは144.2ユーロ。

●スペイン
 マドリードまで飛行機代129ユーロ。午後3時48分到着。電車代9ユーロ。「ソフィア王妃芸術センター」(1992年開館。元は治療院)にパブロ・ピカソの「ゲルニカ」(1937年)がある。入場料6ユーロで撮影は自由。ジョアン・ミロ、サルバドーレ・ダリ、アングラーダ・カマラサ、マンレイらの作品がある。ゲルニカはナチスドイツによる空爆によるスペインの惨劇を描いたもの。この絵には色彩がない。午後5時2分終了。合計で1202個のアートを見ました。


テレビ番組「探検ロマン世界遺産 パリ」

 2007年10月6日放送。パリに住む18歳のイゼー・ケルフィ・ゴートゥラ Isee Kheroufi Gautherat さんが案内。パリ大改造の秘密に迫る。NHK製作

●パリ
 中心をセーヌ河が流れる。エッフェル塔、凱旋門、オペラ座、ルーヴル美術館、モンマルトルの丘のサクレクール寺院などの魅力のある名所がある。
 ノートルダム大聖堂の前にフランス人なら誰でも知っているゼロ地点がある。金色になっている。ここを起点にフランス全土の距離を測る。
 セーヌ河にかかるポン・デ・ザール(芸術橋)。ベンチで寝ている人もいる。車が通らないので憩いの場となっている。セーヌ河を観光する船が通過する。

 紀元前3世紀パリシイ人が住みついたことから始まる。パリは船の町で、市の紋章は帆船が描かれている。6世紀フランスの都となった。ノートルダム大聖堂は12世紀から200年の歳月をかけて築かれた。聖母マリアに捧げられたこの聖堂はゴシック建築の傑作。聖書の教えを描いたステンドグラス。光を取り込むバラ窓の直径は13mある。
 ルーブル美術館はかつてはフランス王家の宮殿だった。グランドギャラリーは長さ450m、37万点の収蔵品を誇る。レオナルド・ダ・ヴィンチのモナリザ、ラファエロの聖母子像、ミロのヴィーナスなど。
 コンコルド人場では国王ルイ16世とマリー・アントワネットが処刑された。そして革命100周年を記念して建造されたのはエッフェル塔。イゼーさんはエッフェル塔が単なる観光名所ではなく、町に溶け込んでいる姿が好きだそうです。サン・ミッシェル大通りは賑やかだけど、ずっと先にはサント・シャペルの尖塔が見える。中のステンド・グラスがとてもきれいで、総面積は600平方m。13世紀に国王の礼拝堂として作られた。角を曲がる度に歴史的建造物に出会える町。パンテオンがあります。太陽が沈む時に光がドームに落ちる。街角から見えるオレンジに光るパンテオンはとてもきれいで大好きだそうです。
 一番好きなのはカフェ。人がいなかったらただの町。この町は人が主人公だとイゼーさんは言う。パリの市庁舎。その塔の下の時計の下にある言葉「自由、平等、博愛 Liberte, Ecalite, Fraternite 」がフランスでは大切にされている。18世紀のフランス革命を経て、フランスはこの3つの言葉を国の理念にしている。この理念の下でパリには様々な国から人が来て生活している。
 モンマルトルの丘にのぼるとサクレクール寺院がある。美しい。イゼーさんが最も美しいと思うここからの眺め。ここからイゼーさんの家まで歩いて2分。アパルトマンの6階。母のエマニュエル、妹のエヴ、弟のアシル、義理の父のマルクさんが迎えてくれた。家からサクレクール寺院が見える。父のファリッドさんはアルジェリアの出身でイゼーさんが2歳の時に離婚した。
 セーヌ河沿いに店を構える古本屋(ブキニスト)さん。現在250軒あり、17世紀から続く。それぞれが専門分野の本を並べる。ジェローム・カレーさんはコントラバスの奏者だったが、転身した。歩いて10分ほどの自宅に案内してくれた。20万冊あるという。デュルゴーの地図は18世紀のフランス革命前に描かれたパリの地図で、今とは全く違う。小さな建物が密集している。セーヌ河の橋の上にも家があり、ルーヴルの中庭にも家がある。カレーさんの自宅近くに、昔からある道「passage dela trinite トリニテ小道」がある。狭くて下水道が整っていなかったので、壷にしてそれを道に捨てていたらしい。不潔で匂いもひどくてコレラなどの疫病が大流行した。1682年、ルイ14世は不潔な町を嫌いベルサイユに宮殿を移してしまった。パリは貧しい人で溢れ、衛生状態はますます悪化した。1789年7月14日、バスティーユ襲撃が起こり、フランス革命が始まった。この革命でブルボン王朝が終わりを告げた。4年後にルイ16世はコンコルド広場で処刑された。革命で大事なのは、人権宣言が発せられたこと。第一条に自由、平等が書かれた。コンコルド広場の下にある地下鉄の駅に面白いものがある。壁のタイルには人権宣言が書かれている。
 その後、フランスは共和制、ナポレオンの下で帝政、復古王制、共和制、1852年からのナポレオン3世による第二帝政と変わる。

 ナポレオン3世がパリにとってもは重要で、壮大な都市計画を実行した。凱旋門の屋上に上ると意味が理解できる。12の大通りが凱旋門を中心にして星の形になっている。国立古文書館に古い地図が残されている。ジャン・シャルル・カプロニエさんが説明してくれました。衛生的な都市を作るのが急務だった。
 パリを南北に横断するセバストポール大通りは光に溢れ、並木が植えられ、地下には下水が完備された。第二帝政の17年間の間にパリは明るく衛生的な町に大変貌を遂げた。1860年に作られた馬車で街を巡った。当時、馬車からきれいに見えるように設計されたという。違う眺めだとイゼーさんは語る。歩道からはよく見えないオペラ座が馬車からだとよく見える。パリ大改革ではモニュメントが見えるように通りが作られた。通りには天井を高く、窓を大きくとった新しいアパルトマンが建設された。アパルトマン建設には、建物の3階が最も重要で、6階のバルコニーにはひとつながりの柵を作り、屋根裏部屋の角度は45度にするという。新しく建物を作る場合は、隣の建物と水平の線を合わせる。当時は幌なしの馬車に乗り、町めぐりをすることが流行したという。
 ルノワールの「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」は19世紀の様子を最もよく表しているという。オルセー美術館の学芸員のアンメ・ロックベールさんは印象派の芸術家がパリをインスピレーションの原泉として選んだという。パリこそが光の町だった。モネの「サン・ラザール邸」、ロートレックの「踊るジャンヌ・アヴリル」、ドガの「カフェのテラスの女たち」、マネ「バルコニー」などがある。夜はガス燈に照らされ、町中には25000軒のカフェがあった。都市を描いた絵では、パリが世界一。
 革命100周年を祝う万国博覧会でエッフェル塔が建設された。時代を超えた300mの塔はパリのシンボルになった。
 オペラ座の屋上にやってきた。こんな美しいパリは見たことがないという。ここに住んでいることに誇りを感じるとイゼーは言う。

 セーヌ川の南にあるパリ14区のある場所。階段を地下に降りていくと、「止まれ、ここは死の帝国だ」と書かれている。ここはカタコンブ(地下墓地)で、人口が増えて場所が足りなくなった18世紀から埋葬されている。大改造の際にセバストホールからでてきた遺骨もここにある。ジェローム・カレーさんも地下の魅力に取り付かれた一人。ジレ・トマさんが書いた「Atlas du Paris souterrain 」がいいという。イゼーさんはトマさんとガスパイユ駅で待ち合わせ、一緒に下りてみた。真下に20m梯子を降りた。気温は13度、湿度は90%以上。地下の総延長は360km。サン・ミッシェル大通りと記されたプレートがあった。これで確認して進む。ルエスト通りと書いてあるのはリュクサンブール公園の下。この地下道は採石場の跡。12〜19世紀末まで石が掘り出されていた。ノートルダム大聖堂もこの石が使われた。パリの町は石灰岩の岩盤の上にある。12世紀は町の郊外に採石場があったが、町が発展し、元の採石場の上に建物が建設された。
 第二次世界大戦の時に重要だった場所がある。上はモンテーニュ高校がある。当時ドイツ軍の作戦基地があった。ここはナチスドイツの防空壕が作られた場所。配電盤やドイツ語の文字が残っている。地下ではドイツに抵抗するレジスタンスも利用した。ユダヤ人も隠されたという。日曜には多くの人が歩いている。地下では誰かが何かを持っていたら、分けることになっている。8時間半も中にいたそうです。

 7月14日革命記念日。218年前のこの日に共和制への第一歩を印した。ガオワン君はイゼーさんの同級生で3年前に中国から来た。両親は政治亡命を主張するが、政府は認めていない。これで人権宣言が実行されているのか、疑問に思っている。他の人に迷惑をかけない限り、誰でも自由であるべき。現在移民の数は490万人、不法移民は30ー40万人という。イゼーさん自身もアルバイトをするために150通の履歴書を出したが、アルジェリア系というので採用されなかった。母はそれなら立ち上がらないといけないという。フランス人は社会を変えるために戦うんだと信じているという。7月に政府の移民政策に対するデモが起きた。5000人を越えた。デモのことをフランスでは「通りに出る」という。
 ガオワン君の判決の日、高校生が数十人裁判所を取り囲んだ。3時間後、勝訴だった。イゼーさんが集めた署名はガオワン君がフランスに馴染んでいる証明の一つになった。
 街角に建つ小学校の壁に見せたいものがあるという。門の上に船が荒波の中にある「たゆたえども沈まず Fluctu at me Agitur(?)」と書いてある。自由は転がっているわけじゃない、自由は道を作り辿り続けないといけないという。
 バスティーユ広場で毎年恒例のコンサートが開かれた。例年はフランス系のミュージシャンが演奏するが、今年はアフリカ系のミュージシャンが演奏した。テーマは多様性の評価。集まった人は10万人を越えた。


テレビ番組「知っとこ! 世界の朝ごはん パリ」

 2007年10月6日放送。

●パリ
 ルーブル美術館、ノートルダム大聖堂、エッフェル塔、凱旋門などの名所がある。凱旋門の上に登れるが、地下道から行きます。シャンゼリゼ大通りを歩く。今年オープンしたばかりの公衆トイレはグッズ売り場になっている。1回1.5ユーロかかります。
 カルチェ・ラタンはパリの下町。ムフタール通りは市場になっている。手作りのジェラート屋さん「ジェラート・アルベルト Gelati d'Alberto 」がある。盛り付けがおしゃれ。バラの花が咲いているように見えます。40種類のジェラートがあり、2色3ユーロ、3色4ユーロ。
 デパート「ボン・マルシェ Au Bon Marche 」は創業1852年で、パリで最も古く、格式がある。お寿司の弁当、お茶もある。パリは最近日本ブームらしい。日本製品は質がよくてデザインがいいかららしい。
 ロマン・カルビさんが紹介してくれたのは、日本文化の発信地。去年できたマンガ・カフェで8000冊あるという。中はほとんどフランス語。ドリンク飲み放題というのが人気らしい。1時間3ユーロ。

 新婚さんの朝ごはん。アパートに住むミレナ・ブルスルーさん。1品目は「フレンチ・サラダ Salade francaise 」。レタスを洗ったら、しっかり水を切って、トマト、アボカドを切り、レタスとボールに入れる。ドレッシングはマスタード、塩胡椒とオリーブオイルをたっぷり加えてクリーム状にする。
 2品目は「きのこのキッシュ Quiche aux girolles 」。キノコを刻み、ベーコンと共にフライパンで炒める。それを型に敷いたタルト生地の上にまんべんなく広げる。別の器に卵を割り、ハーブミックス、塩・胡椒・生クリームを加えてよく混ぜる。タルト生地に流し、上からチーズをたっぷりかけたら、オーブンで焼く。
 3品目は「ハチミツとジャムのクレープ Variete de crepes 」。小麦粉に卵、牛乳、砂糖を入れクレープの生地を作り、2−3時間寝かせる。フライパンに流し薄く焼いていく。最後はジャムとハチミツを塗り、おしゃれに盛り付ける。


テレビ番組「ポカポカ地球家族 フランス・プロヴァンス」

 2007年9月29日放送。

●プロヴァンス地方
 南フランス。1年のうち300以上が晴れの日で、季節毎の花やハーブが香るのどかな風景。世界的なラベンダーの産地としても知られ、夏の開花シーズンには一面鮮やかな紫色に染まる。色とりどりの日よけ窓が特徴的なプロヴァンス風建物。ゴッホ、ゴーギャン、セザンヌなどの多くの有名画家が憧れ、今もヨーロッパ有数の別荘地として愛されている。
 日本からは14時間。450万人が暮らす。

●ソー Sault
 ソーという村に暮すのは橋本俊介さん(48歳)、妻のイザベルさん(41歳)、長男の俊平さん(15歳)。17年間パリに住んでいて、2001年に移住した。
  週末に開かれる地元の朝市は楽しみの一つ。南フランスの強烈な日差しを浴びた色鮮やかな野菜や果物はその味も濃厚。ナス1本0.4ユーロ、赤カブ1束230円、モモ1個150円、シロップ1本790円。他にも、プロヴァンスハーブ100g480円は、5種類のハーブをブレンドした地元料理には欠かせない香辛料。
 自宅は村の中心部から車で5分。160平方mの6LDK、1800坪の庭付きで6000万円。2001年にローンを組んで購入した。ここでペンションを経営している。1泊朝食付きで1.2万円。夏は月に30人訪れる。庭が特徴で、好きな場所で読書や日光浴が楽しめる。庭にはキイチゴはサクランボの木を植えていて、散歩の途中で食べることもできる。デザートやジャムにもなる。今度はリンゴとカリンに挑戦とか。メンテが大変みたいです。
 イザベルさんが最近凝っているのは、庭で採れた果物などのジャムを作る事。南仏に来て買ったことがないそうです。朝食はテラスで取る。レモン&スイカ、サクランボ、野イチゴなど、必ずテーブルの上に置かれる。ポテトのオーブン焼きは塩、胡椒、プロバンス・ハーブで味付けしオーブンで30分焼いたもの。

 俊介さんは1984年にプロのカメラマンとしてフランスに渡航し、イザベルさんとパリの公園で86年に出会い、91年に結婚。長男・俊平君が誕生し、2001年までパリで暮らした。南仏プロヴァンスに移り住み、2002年からペンションを経営した。

●フェラシエール村
 車で10分ほど。ラベンダーの産地として有名で、開花が最盛期の時期に、盛大なラベンダー祭りが開かれる。地元産のラベンダー製品が軒を連ねる。花束は1束80円、石鹸は2個で710円。鮮やかな黄色と地元の野菜柄が特徴のプロヴァンスプリントのテーブルクロス1枚2200円。ラベンダー・ハチミツは500g930円、1kg1500円で特に人気。ラベンダー・アイスクリーム1個310円は、ラベンダー味がきついそうです。

●ゴージュ・デ・ラ・ネスクの渓谷
 プロヴァンスの絶景ポイントの1つで、現在世界遺産に申請中。家族3人で訪れる、お気に入りの散歩スポット。こだまがすごい。

●ソー
 この日、ペンションに日本からの観光客が到着。希望があれば夕食も提供する。その日は、プロヴァンスの定番家庭料理「ナスのオーブン焼き」。ナスをオリーブオイルで炒め3時間寝かせる。その間に刻んだベーコンとたまねぎを塩胡椒、プロバンスハーブで炒める。オリーブオイルをひいた器に、ナス、炒め物、トマトを何層も重ねてオーブンで1時間焼く。ハーブの香が食欲をそそる、野菜たっぷりでヘルシーなプロヴァンスのお袋の味。前菜には「アンチョビのペーストとチーズ」をのせたサラダ。デザートには「モモと野イチゴのティラミス」。ディナー料金は一人3600円。

 近所のレストラン「オステルリー・ドゥ・バルドゥツー」で昼食。「ラベンダーの花コース(チーズ&デザート付)7100円。「トマトのガスパッチョ、ラベンダーのシャーベット仕立て」、「ハーブのフライ」、「ソーの子羊、カシスとラベンダーのワインソース」。

●ラタトゥーユの作り方
 レストラン「ル・シャボン」の川崎博幸さんが説明。ポイントは大きめの鍋で強火で炒めること。まず多めのオリーブオイルでニンニク1片を炒める。ナス2本を炒め、タマネギ1個を炒め、赤黄緑各1個のパプリカを追加して炒める。塩胡椒で味をつけ、オリーブオイルをかけて完成。

 橋本ペンション「Maison du Bon Accueil」のHP
http://www.hashimoto.freesurf.fr/


テレビ番組「ポカポカ地球家族 世界の本場で頑張ってますスペシャル」

 2007年9月15日放送。過去に紹介してきた、4家族を選出して近況を報告する。スタジオゲストは、初めてのスタジオの宮崎美子さん。ドイツでヨーデル歌手をしている人、スペインの柔道の先生が印象強かったそうです。

 最初の家族は、2004年1月17日放送、インドネシア・バリ島でオリジナルのバリ雑貨を作っている中務朋親さん(当時38歳)・妻の妃呂子さん(当時38歳)、長男の武尊君(6ヶ月)一家。雑貨を薫製にして色をつける。ティッシュボックス5700円など。2003年にオープンしたお店「アチュ・タ・アチュ」も順調にいき、2005年12月に4倍の大きさの2号店が出来た。水草のバッグは4500円で、月に50個売れるとか。お香立て2000円は、灰がきれいに落ちるもので月に80個売れる。アタのバッグ12500円。家族とともに、もっとオリジナルバリ雑貨を広めようと頑張っている。食材は近所のインタラン市場。

2組目の家族は、2005年12月25日に放送、デンマーク・コペンハーゲンで日本人唯一の絵付師大石彰さん(当時47歳)・妻リン(当時42歳)ご夫婦。1986年にデンマークに渡り、2001年に日本人唯一の絵付け師となった。17世紀に作られたデンマーク植物図鑑の挿絵を原画として使っている。まず輪郭を描き、薄く1度目の色をつける。焼いたら2回目は濃く色付けをする。1枚の絵を描くのに8時間かかる。2年が経った今でも日本人唯一の絵付師として頑張っている大石さん。花だけでなく新たなキノコ・シリーズの作品も任されるようになっています。本店に作品が展示されることは職人にとって名誉なこと。大皿27300クローネ(当時54万円)。フローラ・ダニカ・プレート2万円。
 中国人のリンさんは学童施設「ヘレラップ・フリーティス・センター」で先生をしている。

 3組目の家族は、2005年1月29日放送、フランス領ポリネシア・タヒチで黒真珠の養殖をしている中川浩嗣さん(当時45歳)、妻のメラニー(25歳)、長男:天地君(5歳)、長女:浩美さん(4歳)一家。黒真珠はタヒチが全世界の95%を生産する。珠が大きく、形が整ったものが高級品。ネックレスやイヤリングなどに加工される。1990年にタヒチに渡った。養殖場は自宅から船で1時間の別の島で広さ3ヘクタール。年間2000珠を生産する。黒真珠は高級品で盗まれる恐れがあるので、離れられない。真珠の核を黒蝶貝に入れ、水深3−10mで1−2年育てる。当時は幼かった長男と長女も今では、仕事を手伝ってくれるようになり、家族4人で黒真珠作りを頑張っている。宝飾品にならないものを使った指輪2700円、ハートのネックレス1.9万円、チョーカー1.3万円は、近所の露店市や家に来てくれた人に販売している。

 最後に紹介する家族は、2003年12月13日放送、フランス・パリでパティシエの修業をしていた猿舘英明さん(当時29歳)、妻佐智子さん(当時27歳)ご夫婦。知らない人はいない老舗洋菓子店「ストレー」は創業1730年、パリで最初の洋菓子店。25人のスタッフで、修行中の間は給料はもらえなかった。佐智子さんはチョコレート専門店「ラトリエ・ドゥ・ショコラティエ」で働いた。その後3つの店で修行し、ショコラティエとしても腕を磨いた。現在は、日本に戻ってきていて、2006年8月に自分たちのお店「マ・プリエール(私の願い)」を三鷹市に開いた。店内には、猿舘さんが朝7時から作った30種類のケーキに焼き菓子、18種類のチョコレートが並び、夫婦で頑張っています。マ・プリエールは400円。チョコレートにはパリでお世話になった人の名前をつけている。ジルベール、ジョジアンヌなど。


テレビ番組「爆笑!ジャガー横田夫妻の新婚旅行再び パリコレで愛の雄たけび?!」

 2007年8月25日放送。ジャガー横田、ご主人の医者の木下博勝さんが出演。2004年7月1日に結婚し、2006年11月に長男大維志君を45歳で高齢出産。過去3回の新婚旅行(沖縄、タイ、サイパン)はあまりよくなかったらしい。今回は愛を深めるラブラブ旅行に徹する。パリコレを取材する。関西テレビ製作。

●エッフェル塔
 1889年パリ万国博覧会のために建築された。今ではパリのシンボルとなっているが、当時は景観を損ねると避難を浴びた。

●凱旋門とシャンゼリゼ大通り
 ナポレオンが建築を指示した高さ50m、幅45mの巨大な門。シャンゼリゼ大通りの顔として人気がある。ここを中心として12本の大通りが広がるパリ。世界で最も美しいと言われる全長2kmの大通りがシャンゼリゼ大通り。ショップも多く世界中の観光客でいつも賑わっている。ルイ・ヴィトン・シャンゼリゼ本店、シャネル・モンテーニュ店、ディオール・モンテーニュ店。またデポバントと呼ばれる高級ブランドを扱うアンティークを扱うショップがある。「スカーレット」(モンテーニュ近く Et Vente?:tel:01 56 89 03 00)には、シャネルやエルメスなどの服やバッグやアクセサリーなどを専門に扱うお店。店のお勧めはエルメスのバーキン・バッグで、6000ユーロ(100万円)。掘り出し物が見つかる例もある。値段も様々。

●パリコレ
 年に2回、数日間かけて行なわれる世界最高峰のファッション・ショー。出演するモデルも世界のトップクラス。モデルを目指す女性には憧れの舞台。番組では、パリコレ出演モデルの募集を街頭でも行なうことになった。
 関西テレビで5月16日に53人のオーディションを行なった。乙守三千代、Ahn Mikaさんが審査員。12名が二次オーディションに進出した。特技を披露し、小林よしえ、小林千絵、西尾麻紗子、宮崎、益田知子、飯田紘子さんの6名が選ばれた。デザイナーのエイメリック・フランソワ Eymeric Francois さんが京都の犬鳴山・七宝瀧寺で審査した。エイメリックさんは今回は京都とパリの文化を融合させた西陣織素材のウェディング・ドレスを製作している。このお寺では犬鳴山修験道1日修行体験を行なっている。1人1200円で、毎月第3日曜日、予約はtel: 072-459-7101 。これに参加して精神力を強化した。まずは滝修行、次に山修行を行なった。ウォーキングを練習し、最終審査は階段を降りる姿。小林よしえさんが選ばれた。松井大輔さんの指導を受けた。

●市場(マルシェ)
 パリ市内に70ヶ所以上あると言われるマルシェ。スーパーに比べて営業時間は短いが、新鮮な物が豊富。基本は量り売りなので、おまけもある。kg表示が多いが1個や100gでも購入可能。  ラスパイユ市場では、トマト1kg4.5ユーロ(770円)、青かびのチーズ(フルム・オーヴェルニュ)1kg12.9ユーロ(2040円)。フランスパン1ユーロ〜。

●子供服
 「ボントン Bonton」(サン・ジェルマン・デ・プレ)は高級住宅街にあるので、値段は少し高めだが、よい品が多い。男女の区別はしていない。セール期間中だったので、40−50%オフのものがいっぱいあった。フランスではバーゲンセールの期間は法律で定められていて、年2回夏のバカンス前と冬のクリスマス前後で知事が決める。違反すると罰金が科せられる。購入したのは、シャツ50ユーロ(25で)、ズボン45ユーロ、オーバーオール53ユーロ(32ユーロで)。

●食事
 モンマルトル通りで肉料理を得意とする「ル・タンブー Le Tambou」でテラスで食事。すごいヒゲのギャルソンがいると思ったら、名物オーナーのアンドレさんでした。「ラムのアバラ肉のタイム風味焼き」16ユーロ(2700円)、「牛フィレ肉のペッパーソース・ステーキ」18ユーロ(3000円)。
 魚を使った料理は「ラ・ガゼッタ La Gazzetta 」(バスティーユ)で、「塩マリネしたタラのグリル、ペッパー風味、トマト添え」22ユーロ(3740円)、「アンコウのロースト、タイム風味、インゲン豆のムース添え」28ユーロ(4760円)。

●スィーツ
 チョコレートの店「ジャン・ポール・エヴァン」(サントノレ通り)は天才ショコラティエの絶品チョコが味わえる。スタッフの竹添歩さんが説明してくれます。人気は今年のサロン・ド・ショコラで賞を取った「ソフィーユ」で、ヘーゼルナッツのクリーム。試食してみました。チョコレートは量り売りで100g9.1ユーロ(1540円)。チョコレートが大好きなパリッ子はクリスマス、誕生日、結婚祝いなど記念日にチョコレートを贈るのが習慣になっている。
 マカロンの老舗「ラデュレ Laduree?」(シャンゼリゼ大通り)は有名。マカロンは外はサクサク、中はしっとりとしたフランスでは定番の焼き菓子。茶色、橙色、緑色などカラフル。1862年創業で、常時15−20種類置いてあり、6個11ユーロ〜(1870円〜)。1日1万個以上売るそうです。このシャンゼリゼ店では、スィーツと紅茶を楽しめる「サロン・ドゥ・テ」がある。カフェよりお店は少ないが、優雅にくつろぐ場所として人気。

●ワイン
 パッシー地区にある「ワイン博物館」は元々はワイン貯蔵庫として使われていた場所。道具なども展示され、工程も学べる。試飲もできる。マリーリズ・カラブフさんがテイスティングのマナーを教えてくれました。グラスは必ず細長い脚(ステイ)か底を持つ。白いナプキンの上でワインの色を見る。濁りがなく澄んで明るく、色調が輝いている物が良い。グラスに鼻を近づけてワインの香り(アロマ)を嗅ぐ。グラスを揺すって、ワインを空気に触れさせ、その香り(ブーケ)を嗅ぐ。ワインを口に少量含んで、ゆっくりと味わう。クチュクチュしますよね。口に空気を入れて、フレーバー(口の中の香り)もチェックする。

●天気
 この時期、パリは急に雨が降りだす事があるので、折り畳み傘は必需品。でもすぐに止む事が多い。

●セーヌ河
 遊覧船「バトームーシュ」は1949年創業、世界遺産セーヌ河のシンボル的観光客船で、一人8ユーロ〜(1360円〜)。1時間かけてクルージングする。エッフェル塔、ルーヴル美術館、ボン・ヌフ橋、ノートルダム大聖堂、自由の女神像などを見ることができます。

●カフェ
 パリコレ出演の前日、小林さんはジャガー横田夫婦と待ち合わせしたのは、「カフェ・グランド・コロナ」(アルマ広場)。励まされました。

●パリコレ
 エイメリック・フランソワのパリ・オートクチュール・コレクション7月3日。小林さんはアジアン・ビューティの顔が受けて、モデル控え室ではカメラマンに写真を多く撮られていました。今回のコンセプトは、モデルがランウェイを歩くファッションショーではなく、ドレスを間近で見てもらうために、服を着たモデルが歩いて来るのではなく、ゲストが部屋をまわってドレスを見ること。手書き京友禅、染めの伝統技法を施してデザインされたドレスをモデルさんが着て展示されているという感じでした。酒井彩名、小林よしえさんもいました。


テレビ番組「新しい住まいへの挑戦 安藤忠雄と訪ねるル・コルビュジエ建築」

 2007年8月5日放送。安藤忠雄、しまおまほさんが案内。ル・コルビュジエの造った作品を訪ねる。NHK製作。

●東京
 六本木の森美術館で20世紀最大の建築家ル・コルビュジエ Le Corbusier の展覧会が開かれていた。自分たちが住んでいる住まいの原型を作った人で、近代建築の父と呼ばれる。彼は1920年代から活躍し始めた。彼は集合住宅も作った。南フランスに50年前に造ったユニテと呼ばれるアパートの個室も再現されていた。窓が大きく取ってある。彼の残した有名な言葉がある。「家は住むための機械である。」

●パリ近郊
 安藤さんは20歳の頃ル・コルビュジエの作品にショックを受け、その時のことが現在でも作品を生む原動力になっているという。生涯戦っていることで、生き方も面白いと思った。パリに着く1ヶ月前に彼は亡くなっていた。その時に訪れた建物がパリ近郊ポワシー?に残されている。
 当時石やレンガでしか作っていなかったので、サヴォア邸に人々は驚いただろう。サヴォア夫妻の別荘として建てられた。ピロティと呼ばれる支柱が特徴で、壁を取り払い、柱には鉄筋コンクリートを採用した。それまでは重いので、窓を大きく開けることができなかった。この邸宅では、壁一杯に水平な窓を作った。二階に上がるのはスロープ。階段と違い空間の移動の様子が見える。お風呂から窓の外を見えるようにしてある。屋上は三角屋根でなく、庭園に生まれ変わった。

●生涯
 1887年フランス国境に近いスイスの山間の町ラ・ショー・ド・フォンに生まれた。父は時計の文字盤に絵付けをする職人、母はピアノの教師でした。13歳に美術学校に入った。教師の勧めで建築に道を変えた。最初の作品は17歳の時に依頼を受けたファレ邸(1907年)で、アール・ヌーボー調。後世の作品の面影は少ない。小さな吹き抜けが最初の挑戦だろう。1911年頃、イタリア、ギリシャ、トルコを旅し、教会から民家まで見て歩いた。
 21歳の時、パリのオーギュスト・ペレの下で働いた。ペレが設計したパリで最も古い鉄筋コンクリートのアパート(1903年)がある。当時は橋などの土木工事にしか使われていなかった。この手法を用いることにして、故郷にシュウォプ邸を建築した(1917年)。しかし、この斬新な設計は理解されず、設計図の支払いさえ拒絶された。これで故郷を離れパリに住むことにした。
 この時代技術革新により、都市の近代化が進んだ。ピカソやマティスが活躍し、新しい芸術も誕生した。ル・コルビュジエも新しい芸術に参加した。ル・コルビュジエ財団のミッシェル・リシャールさんが、コルビュジエが出した雑誌「エスプリ・ヌーヴォー」を出した。車などが進化していくのに、家はどうして進化しないのか?と問題提起した。
 ラ・ロッシュ・ジャンヌレ邸は二世帯住宅。ラ・ロッシュが絵画の収集家で独身だったので、大胆な設計をした。吹き抜けが大きいが、空間を立体的に使いたいと思っていたのだろう。
 集合住宅にも強い関心をよせていた。一部屋ずつ庭園がついているものを考えていた。彼は都会の一戸建て住宅はかえって自然環境を破壊すると考えた。集合住宅にすれば、土地を有効に活用でき、周囲に緑豊かな公園が作れる。

 マルセイユの「ユニテ・ダビダシオン」はフランス政府の依頼を受け、設計した。17階建物、今も337世帯1600人が暮らしている。コルビュジエはユニテの建設にあたり新しい方法を提案した。鉄筋コンクリートの骨組みを現場で組み立て、工場で作ったプレハブの住居を差し込むという方法。しかし、建設中からユニテは激しい反対にあった。着工から5年で完成した。この建物ができてから55年間暮らしているシュザンヌ・レリソンさんのお宅を見学した。キッチンも機能的にできている。正面の窓は高さ4,8mで一面全部窓。窓ガラスは半分折りたたみ式。吹き抜けを造るためと、東と西から採光するために、上と下の家をL字形と逆L字形で組み合わせた。スライド式の黒板で子供部屋を仕切ることもできた。ユニテの屋上庭園は住民たちの共有スペースとなっている。換気口も工夫され、イベント会場となるステージもある。
 1965年77歳で彼は生涯を閉じた。

 南フランスのカップ・マルタンの休暇小屋を訪ねた。縦横3.6mの小さな小屋。世界で一番有名な窓から地中海が見える。
 ル・コルビュジエが追い求めていた世界をどれほど我々は実現しているのだろうか?


テレビ番組「森泉の美に誘われて フランス魅惑な旅」

 2007年7月21日放送。ゴッホの南フランスからモンサンミッシェルまでの旅。テレビ大阪製作。

●アルル
 円形競技場などローマ時代の面影を多く残す。スペインにも統治された。ゴッホが描いた風景が今もそのまま残っている。ヴァン・ゴッホの橋「はね橋」がある。ゴッホは「アルルは日本の風景のように美しい」と友に手紙を送っている。ラマルティーヌ広場の一角に部屋を借りたゴッホは、「黄色の家」と呼んだ。実際の家は第二次世界大戦で空爆を受けて焼失している。カヴァルリ門、円形競技場、レビュブリック広場などゴッホの足取りを追った。ローヌ河を描いた名作「ローヌ河星月夜」がある。「夜のカフェテラス」の場所もある。
 ランチはブイヤベース専門のレストラン「レ・スカラドゥ L'Escaladou」。ジャン・シャルル・シニョレさんがサーブ。ベースとなるブイヨンは10種類の魚、3種類の貝類、トマト、タマネギなどの野菜を4−5時間じっくり煮込み、こして作ったエキスがたっぷり。これに旬の魚を3種類、さらにじゃがいもを入れて軽く煮て完成。アルル地方は、ガーリック、アイオリ、チーズをのせたパンにブイヨンをかけて食べる。その後魚をいただくが、カサゴ、タイ、ホウボウなど季節によって使う魚が違う。ワインはロゼが合うそうです。
 ゴッホは友人のゴーギャンを呼び寄せたが、共同生活は2ヶ月で破綻した。ゴーギャンは南太平洋に移住し、ゴッホは耳を切り落として病院に入った。ここはエスパス・ヴァン・ゴッホとして今は総合文化センターになっている。アルルにいた1年3ヶ月の間に190点もの作品を描いた。

●エクス・アン・プロヴァンス
 多くの印象派の画家を魅了したプロヴァンス地方。セザンヌは故郷でサント・ヴィクトワール山を描いた。

●サン・トロペ
 ここも画家たちが愛した港街。シニャックは「サントロペの波止場」を描いている。今も映画人やクリエイターたちを魅了する街。ブランド・ショップが並ぶ。最近オープンしたのが、ブティック・レオナール Leonardで、チーフ・デザイナーでプリントの魔術師と呼ばれるダニエル・トリブィヤールさんは森泉さんとは旧知の仲。印象派の画家と同様に日本文化の影響を受けているとダニエルさんは語る。黒には漆の影響もあるそうです。

●サンレミ
 1889年5月8日、サンレミにある精神病院「サン・ポール・ド・モゾール修道院」に移ったゴッホは、糸杉などの絵を描いた。人々は狂気だと言った。
 退院後にパリにゴッホは向かった。

●ブルゴーニュ地方ボーヌ Beaune
 ワインで有名な地方。オテル・デューの艶やかな屋根はこの地方独特の色彩を放ち、建物は「神の館」と呼ばれている。
 ドメーヌ・ダヴィッド・デュバン Domaine David Duband というワイナリーを訪ねた。彼のワイン作りの才能は独立する前からフランス全土で有名だった。「オート・コート・ドゥ・ニュィ2005」を試飲させてもらった。バランスがいいそうです。2005年は最高にいいと語りました。次は「ヴォーヌ・ロマネ 2005」で、あのロマネ・コンティと同じ村のぶどうで作られたワイン。こちらは芳醇で、あと数年熟成させた方がいいと語りました。ニュイ・サン・ジョルジュ?という村で作られた2本のワインはブドウが北と南に違うだけで香りも味も相当違うとか。お父さんが1985年に植えたぶどうで、違うのは石灰分だけだそうです。17ヘクタールのぶどう畑で年間11万本のワインを作っている。ぶどうをできるだけ自然に近い状態で育てたいといい、有機栽培にこだわっている。発酵が違うそうです。お気に入りの場所に連れて行ってもらいました。
 この地方はエスカルゴが有名。「オーベルジュ・ドゥ・ラ・ミオット」でいただいた。バターとエシャロット、パセリ、ニンニクのみじん切りに塩胡椒を混ぜたソースを詰め、オーブンで焼いたもの。オリーブオイルも?。メインは「ブルゴーニュ風牛肉の赤ワイン煮込み」。

●ヴォーヌ・ロマネ村
 ロマネ・コンティが作られるぶどうがある。

●パリ
 ゴッホは弟のいるパリに戻った。
 サンマルタン運河は200年前にナポレオンが作った。芸術橋は歩行者専用の美しい橋。白亜の大聖堂サクレ・クール寺院がそびえるモンマルトルの丘。ユトリロは生涯モンマルトルを描き続けた。ユトリロ通りがある。「コタンの小径」はユトリロの味わい深い作品。ユトリロはシャンパン酒場「ラバン・アジル」も好んで描いた。テルトル広場では画家の卵たちが絵を描き売り生活費を稼いでいる。森泉さんも描いてもらった。それを画家の藤澤典隆さんに見せた。藤澤さんは青を基調とした絵で欧州で評価されている。パリ16区の高級住宅街にあるアトリエに伺った。朝3−4時頃に描いて、夕方は歩いてカフェに寄って仲間たちとビールなどを飲むのが楽しいそうです。

 8区にある日本人女性パティシエ渡辺美幸さんの開いたショコラティエ「ラ・プティット・ローズ La Petite Rose 」が話題。一番人気なのがローズ。2003年10月に店をオープン、女性ならではの感性でスィーツを作り続けている。「アレクサンドラ」、「コスタ・リカ」もお勧め。6人のスタッフは全部日本人。
 今パリで人気なのがヴィンテージ・ショップ。中でもパリ9区のアパートメントの一角にある「アヌーシュカ Anausehki?」は世界中から注目されている。80年代のトップモデル・アヌーシュカが集めたというヴィンテージ・アイテムの数々。ディオール、シャネルなどのコレクションが70年代を中心に並ぶ。
 「イヴ・ドローム Yves Delorme 」はフランスを代表する家庭用リネン・ショップで、160年以上の歴史を誇る老舗。

 格式の高いレストラン「ラ・トゥール・ダルジャン La Tour d'Argent 」はパリで最も古い4世紀に渡り世界の国賓をもてなしてきたお店。支配人にエスコートされて歴史を感じさせるエレベータで向かったのは4階。白く大きな窓からパリの町が一望できる大パノラマ。まずぶ厚いワインリスト。ここでは唯一の日本人カヴィストの林秀樹さんが働いている。既に21年働いているそうです。全部で45万本あるそうです。今一番高いのがオー・ブリオンの45年もので、2.8万ユーロだそうです。
 ここのお店は鴨料理が有名。伝統的な幼鴨のローストである「カザール・オー・サン canard au sang 」。オーブンで軽く焼かれた子鴨は香ばしい。ギャルソンは巧みに切り分ける。残りのガラは、特製圧縮機にかけて、汁をベースにブランデーやマデラ酒?を加え、軽く煮詰めてから特製ソースを作る。味の決め手は4種類の胡椒。これに切り身を入れて軽く和える。つけあわせはポテトのスフレ。次の「腿のグリルとサラダ」も人気の一品。最後に渡されるのが開店以来鴨につけられた通算ナンバーの証明書。

 サンジェルマン・デ・プレ教会。オートクチュールの傘の店「アレクサンドラ・ソジュフェール」に行く。1834年の創業以来変わらぬテーマはエレガンス。遊び心もある。
 キュートなアクセサリーで人気の「ローズ・ハイランド」。花びら1枚1枚を立体的に作りアレンジした大きな花のブローチ。最近は日本をテーマにしたものもあるそうです。全て手作り。
 「カカオ・エ・ショコラ」はチョコレート・フォンデュのお店。最近、少しビターなチョコをフルーツにつけて食べるのが人気だそうです。テイクアウトもできます。歩きながらも食べられます。
 映画「ダビンチ・コード」で一躍有名になった「サン・シュルピス教会」で、今でもファンが後をたたないという。

●オーヴェル・シュル・オワーズ
 1890年5月20日、パリに戻ったゴッホはわずか3日後にオーヴェル・シュル・オワーズに到着した。ラヴー亭に滞在した。「オーヴェルの教会」などの作品が残っている。しかし絵は売れない。弟からの送金もなくゴッホは追い詰められた。何枚か描いた麦畑の作品の1枚に群れ飛ぶカラスを描いた。これは死のイメージだった。7月27日麦畑近くの雑木林で自らの胸に銃弾を撃った。死に切れず、弟テオの見守る中、7月29日に亡くなった。弟も半年後に病死。ゴッホの墓の隣に弟テオも眠る。

●ジヴェルニー Giverny
 パリからノルマンディーに向かう途中、セーヌ河のほとりにある街。モネはここに残るアトリエで40代後半からの晩年を過ごした。花々が咲く中庭をモネは絵の具箱と呼んだ。浮世絵の影響を受けて、庭に睡蓮の池と池にかかる太鼓橋を作った。この橋をル・ジャポネと名づけた。ここから名作睡蓮の連作が発表された。ついには失明寸前にまでなった。晩年の睡蓮の絵は現代絵画に大きな影響を与えた。
 モネはこの地を歩いていると、妖精や妖怪を感じるからここを選んだと語っていた。ダイニング・ルームの壁一面には浮世絵がかかっていた。当時パリで開催された万国博覧会で浮世絵を見てショックを受けたモネは、葛飾北斎、歌川広重の版画を好んだ。その二百数十枚にも及ぶという。

●オンフルール
 印象派の画家が頻繁に訪れたノルマンディーの美しい港街。オープンカフェで気軽に味わいたいのが、名物「ムール貝の白ワイン蒸し」。

●ドーヴィル
 映画「男と女」の舞台となった有名なリゾート。浜辺を歩くとそこはまさにフランス映画の世界。

●モン・サン・ミッシェル Mont St. Michel
 潮が満ちれば海上に浮かび、潮が引けば砂地に浮かぶ島になる。今やヨーロッパで最も人気がある世界遺産。中世芸術の粋を集めた建築美は神秘的でさえある。古来より信仰の聖地だったこの岩山は、8世紀、大天使ミカエルを祀る小さな礼拝堂が建てられてから、キリスト教の祈りの場として知られるようになった。ここは巡礼の地、要塞、監獄の3つの顔がある。つまり、キリスト教徒にとっての重要な巡礼の地。14世紀の百年戦争でイギリスの侵略から守るための要塞。16世紀の宗教戦争でもカトリックの堅固な要塞となった。3つ目の顔は監獄で、フランス革命の時にナポレオン1世は1.5万人をここに幽閉した。
 王の門、大通り、城壁。回廊は修道士たちの重要な場。


テレビ番組「新日曜美術館 ル・コルビュジエ」

 2007年6月17日放送。装飾のない明快なデザイン、自由で機能的な構造で建築家ル・コルビュジエは世界に大きな衝撃を与えた。「住宅は住むための機械である。」(1923年)。彼はまた絵筆を持ち続けた画家でもあった。今年は生誕120年にあたる。NHK製作。

●日本
 日本でも見ることができる。上野の国立西洋美術館は晩年のコルビジェが設計し、日本人の弟子たちが1959年に完成させた。柱によって建物を持ち上げるピロティ?という構造。中心には大きな吹き抜けの空間。そこを中心に螺旋状に広がっていく。

●フランス
 当時は豪華な重々しい装飾の建物が多かった。重いために窓は小さかった。パリ郊外のサヴォワ邸(1928-31)はスイス人銀行家の別荘として建てられた。人や車が通ることができるピロティ。まだ新しかった鉄筋コンクリートを多用した。水平に連なる窓は人々を驚かせた。明るい室内。屋上庭園は欠かせないものとした。

 建築家の青木淳さんは励まされるという。多くのそれまでの常識を打ち破ったという。20代で最初に壁で建物を支えるのではなく、床と柱と階段で大量生産で作るという概念を提唱した。ヴァイセンホフの住宅(1027)、ペサックの集合住宅(1925)などを作ったが、なかなか受け入れられなかった。やっと受け入れられたのは、1945年。マルセイユのユニテ・タビタシオン(1945-52)で、戦後の住宅難を解消するため、フランス政府は大規模な集合住宅を計画した。17階建337戸。各住居は吹き抜けのある二階建ての構造で、狭さを感じさせない。大きな窓、開放的な空間。1900人が暮らした。
 大成建設の林美佐さんは「住宅は住むための機械である。」という言葉だけを取り上げるのは足りない部分が多いと指摘する。太陽、空間、緑がコルビュジエのキーワード。

●ル・コルビュジエ
 1887年にスイスのラ・ショー=ド=フォンで生まれた。時計作りの盛んな街で、父親は文字盤の装飾をする職人だった。彼は後継するために美術学校に通った。1911年頃、ギリシャ、トルコを旅した。1917年パリに出た。画家のオザンパンと出会い、ピカソのキュビズムが複雑になりすぎたことを批判し、ピュリズムの世界を展開した。しかし認められなかった。白い住宅というモダニズム建築の時代がはじまる。ラ・ロッシュ・ジャンヌレ邸(1923-25)。しかし、機能性だけでは説明できない世界がある。ピュリズム絵画で描かれた世界があった。ナンジェセール・エ・コリ通りの集合住宅(1933)に自宅がった。東の大きな窓があるのが、従来の画家のアトリエとは違った。ここで午前中を過ごし、絵を描いた。午後は設計事務所に出ていた。言葉にできないもやもやしたものを形にするという作業は重要だったのではないか。1920年代の後半から絵に大きな変化が出た。開いた扉からでてくる大きな物体。貝とも動物の骨とも言われる。シュールレアリズムへの接近が感じられる。やがて豊かな肉体を持つ女性たちが登場する。「水浴婦と舟」(1934)では、幾何学的な厳密さは姿を消した。40年代に入ると彫刻も手がけるようになった。「オゾンオーパス」(1947)。色は鮮やかさを増している。
 マルセイユの集合住宅についで挑戦したのは、宗教建築。「ロンシャンの礼拝堂」(1950-55)はまたも世界を驚かせた。有機的な線を描いて湾曲する屋根。モダニズムの第一人者として信じた人は戸惑った。水平な窓はないが、強く柔らかい光が入る。窓には絵や言葉が書き込まれた。「あなたや丘を上ってくる人々に感動を呼び起こすことを願いながら、かなり向こう見ずに、そして勇敢に?誠意を持って作り上げたこのコンクリートの礼拝堂をお渡しします。」と司祭に伝えたそうです。この時68歳でした。
 レアという作品は横棒を2本、縦棒を2本、斜めの棒を4本ひくと理解しやすい。牡牛というモチーフがよく出るようになり、20点描いている。牡牛は古くから生命力の象徴とされてきた。手も多い。
 リヨンの近郊にある「ラ・トゥーレットの修道院」(1953-60)は遠くから見ると四角いコンクリートの箱だが、内部は斜めの線が多く、巨大文明を思わせる不思議な中庭、建物の中から飛び出したものが明かり取りの窓などがある。光と闇の対話を使っている。
 南フランスのカップ・マルタンで休息した。青年時代から地中海に魅了されていた。海を見下ろす丘に休暇を過ごすための小屋「小さな休暇小屋」(1951-52)を建てた。モデル出身の妻イヴォンヌへのクリスマス・プレゼントだった。8畳ほどの最小限の建物。ここにも牡牛がいる。5年後、妻は世を去った。1965年8月休暇小屋から見える海で泳いでいたコルビュジエは、心臓発作で亡くなった。
 「ル・コルビュジエ展・建築とアート、その創造の軌跡」は9月24日まで、六本木の森美術館で開催。


テレビ番組「プレミアム10 フランス料理世界一決定戦「ボキューズ・ドール」」

 2007年5月25日放送。2年に1度行なわれる国際料理コンクール「ボキューズ・ドール Bocuse d'Or」は、世界24カ国から国内予選を勝ち抜いた代表シェフが技をふるう。5時間半で肉料理と魚料理をおいしく作る。審査するのは世界の一流シェフ。今回の日本代表は長谷川幸太郎さん(33歳)。NHK製作。

●リヨン
 美食の都として知られている。コンクールを始めた「ポール・ボキューズ Paul Bocuse 」の店もある。彼の独創的な料理はフランス料理の歴史を変えたと言われる。現在彼は81歳。料理の真髄は素材のよさを生かすこと。フォアグラとトリュフのスープ「黒トリュフのスープ」。豚の膀胱に鳥をまるごと入れて蒸し焼きにした「メール・フィリュー風 ブレス鶏の豚のぼうこう包み」は、割れる音も五感を刺激する。新たな才能を発掘するために、フランス料理に新しい風を入れるために、20年前にこのコンクールを開始した。
 今年は肉は「ブレスの鶏」が素材。このブレス地方の鶏は、とさかが赤、体が白、足が青で、フランスの国旗と同じ。えさには脂肪分の多いヤギの乳を与える。これで筋肉に適度な脂肪が入り旨味が増す。魚はノルウェーのカレイの一種「オヒョウ」が選ばれた。フィヨルドの聖なる魚と呼ばれている。コンクールで使われるのは、長さ70cm、重さ5kgのもの。

●東京
 長谷川さんは3年前から丸の内のレストランでシェフをしている。フランスの三ッ星レストランで修行した経験もある。伝統的なフランス料理に現代的なセンスを取り入れている。40人近いスタッフを率いている。
 日本は20年前から参加しているが、成績は低迷していた。日本ボキューズ・ドール委員会の平松宏之さんだった。平松さんは日本人で初めてミシュランの星を獲得したフランス料理の第一人者。
 まずはフランス人のシェフをコーチにつけることをした。パリの高級ホテルにある三ッ星レストランのヤニック・アレノさんは、ボキューズ・ドールで2位に入った実績がある。2番手シェフのフィリップ・ミルさんもコーチを勤める。アレノさんは採点基準を考えた。料理の見栄え、味などのほかに、各国の特徴をどう生かすかで点数が決まる。独自性を評価するという。長谷川さんが日本の独自性を出せば優勝する可能性があるという。長谷川さんは答えが見つからなかったという。
 鶏の中心にだし汁とコンソメを寒天で固めたジュレを使い、ほうれん草で巻き、海苔の佃煮を混ぜ込んだリゾットを巻き、肉の外側はスライスした椎茸で覆う。焼きあがった肉には、フランスのフォン・ブランというだし汁と日本の焼き鳥のタレを混ぜ合わせたものを使う。ミルさんは海苔の味が強すぎるので、やめた方がいいという。

 11月中旬に墨田区の佐京隆雄さんの町工場でコンクールで使うつけあわせ「豆腐のポトフ」用の器を注文した。材料には牛の骨を使う。骨をくりぬき、中に炭を入れ、小型火鉢とした。
 長谷川さんは10時過ぎからコンクール用の練習を始める。日本人らしい繊細さを出したいと考えていた。メニューは「オヒョウのガトー仕立て」を考えていた。ケーキのように幾重にも材料を重ねる。今回は柚子を使い、ストローを使いジュレを一つ一つ固めていく。柚子のジュレとさやいんげんは交互の並べ、オヒョウと同じ大きさに形を整える。重ねると一口で3つの味が味わえる。上には赤いニンジンと黒いイカスミをあしらった。
 制限時間が決まっているので、全ての作業時間を書き出し、並べた。ジュレ+ブーレ・ガルニ(30分)、フレタン下ろし+ムース(25分)、ブーレデゾセ(30分)、ブーレ巻き(25分)、ブーレ+椎茸(25分)、ポトフ切り出し+仕上げ(10分)で、各々が6−7個に分かれる。出場者には22歳以下のアシスタントがつけられる。今回は大原正雄さん(22歳)で、主につけあわせを担当する。オーブンで火を通した蟹の身をとろろ昆布ときしめんで丁寧に巻く。

●パリ
 10回のうち5回優勝している今回のフランス代表シェフはリュクサンブール宮殿にある上院議長の公邸で働いているファブリス・デヴィーニュさん(33歳)。海外からの要人をもてなすフランス料理を作っています。職場の3人の先輩シェフが指導した。3人とも国が認定したMOF(国家最優秀職人)で、ジェローム・ルミニエさんなど。この日はグリーンピースのソースの練習。炒めたタマネギ、ベーコンにグリーンピースを混ぜあわせる。新しい器具も開発したのは、MOF(金属加工)のパトリック・スフレヴィルさん。

 長谷川さんも1か月前にパリに渡り、アレノさんに料理をみてもらった。コンクール本選では14人分の肉を焼かなければならないので、それの練習も兼ねたが、今回肉料理だけで11時間もかかってしまった。ジャガイモのつけあわせはよくないので、野菜にしろという。長谷川さんは門松をイメージしたものに改めることにした。

●ノルウェー・スタバンゲル
 過去3回の優勝を誇るノルウェーの代表はスヴェン・エリク・レーノさん(35歳)は料理学校の講師。オヒョウは通常、ソテーやムニエルにするが、今回は油につけてから薫製にした。

●スウェーデン
 過去優勝もしているスウェーデンは、代表はマークス・オジョレーさん(35歳)。スミレなどの花を使った色彩豊かな料理にしようとしている。肉料理が得意で、秘訣は温度管理で、温度計も使う。野菜を多く使う料理が得意。

●中国
 居類輝さん(36歳)は上海のフランス料理のレストランで働いている。中国の食材や調理法を積極的に取り入れた。

●リヨン
 郊外のレストランの「フェルナン・ポワン」は現在のフランス料理を完成させた人。料理の簡素化と素材の風味の尊重。ポワンに共感した若いシェフたちがフランス全土から集まった。ポール・ボキューズやトロワグロ兄弟もいた。その流れをくむ料理は今もフランスのシェフたちに受け入れられている。「イチョウガニのクリームスフレ、キャビア風味」は、エシャロットやハーブをふんだんに使い、香りや食感のハーモニーが楽しめる。「サーモンのスカンポ風味」は、軽く火を通したサーモンをスカンポという酸味のある葉で包んだ。ミシェル・トロワグロさんもその流れを汲む。料理の大前提は自由だという。

 1月24日、世界最大級の食の見本市「シラ Sirha 」のメイン・イベントがボキューズ・ドール。日本からも100人以上の応援団が声援を送った。午前9時50分に日本はスタート。オーブンの温度管理に失敗したようです。
 魚料理の特別賞はノルウェーで全体で4位、肉料理の特別賞はスウェーデンで全体で5位。最優秀アイデンティティ賞は日本で全体で6位でした。3位はスイスのフランク・ジョバンニニさん。2位はデンマークのラスムス・コフォードさん。優勝はフランスのファブリス・デヴィーニュさんでした。


テレビ番組「地球街道 紺野美沙子さんで南フランス」

 2007年5月19日、26日放送。南フランス・プロヴァンス地方ブーシュ・デュ・ローヌ県の県道27号線。「美しいものをこの目で見たい。心を耕すような時間を持ちたい。」紺野さんが目指すのは、カマルグ Camargue という大湿原。アヴィニヨンから南西に50kmの地中海沿いの場所。

●アルル
 アルルの郊外の運河にかけられたラングロワの橋 Pont de Langlois が見えた。高さ4mほどのはね橋だが、ゴッホの描いた橋。ゴッホははね橋のある風景に惹かれ描いた。しかし、ゴッホが実際に描いたはね橋は戦争により壊れた。現在の橋は焼け残った部品を元に再現されたもの。
 アルルは積み重なった時間を感じる町。円形闘技場は古代ローマ時代に建築されたもの。闘技場は60個のアーチによって囲まれている。アーチは2階建てで、高さ21mにも及ぶ。かつては2.5万人の人々が集まったという。繰り広げられていたのは、人間同士による決闘。現在も闘牛場として使われている。高い場所からアルルの街並みが展望できる。

●カマルグ
 広大に湿原になった。植物が全く変化した。マナルグ湿原は2つの川と地中海に囲まれた三角湿原。かつて海だった場所に川が土砂を運んで湿原となった。土の塩分が強いため、葦のような限られた植物しか育たない。1927年野生保護区の指定を受けた。850平方kmで、東京23区の1.5倍で、人口は7000人。象徴は野生のフラミンゴ。保護フラミンゴがいる地としては最も北にある地域である。
 白い山が見えた。その麓には地中海からの海水が流れこんでいた。塩田でした。カマルグは古くから製塩で栄えた。塩田の面積は100平方km。世田谷区2個分です。塩田の側にカマルグの塩を売る小さなお店「フルール・ド・セル」の店 La Boutique Fleur de Sel があった。袋入りは2ユーロ。箱入りは特別な天然の塩で125g5ユーロ。これは天気が良くて、湿気のない時に塩田の表面から手作業で集めたものだと店主のデズリ・ジョエルさんが説明してくれた。蓋にはこの塩を集めた人の名前が記されている。

 宿は湿原の中に建つ「オーベルジュ・カヴァリエール」。白く塗られた練り土の壁、葦でふいた屋根はカマルグ地方の伝統的な建築。1泊160ユーロ。
 白い馬が歩いていた。この地方で牧畜に使われていた馬。宿の近くの海岸を白い馬に乗って散策してみた。海の中で何かしている人がいる。ミカエル・シャルパンティエさんでテリーヌというカラフルな二枚貝を採っていた。漁師さんだけが採ることができる貝。1日40kg取るが、小さいものは海に返す。妻のナタリーさんが選別すると、20kgしか残らないそうです。食べ方はニンニクとパセリで炒めたものに、クリームを入れるとおいしいそうです。今回はオリーブオイルで炒め、開いてきたら、パセリとガーリックで味付けし、生クリームを入れる。


●国道7号線
 コート・ダジュールの断崖をうねるように続く。断崖の上に「鷲の巣村」が見える。コート・ダジュールとは紺碧の海岸という意味。

●ニース
 海岸の遊歩道「プロムナード・デ・サングレ」を歩くと、薄いグレーのかかった独特なブルー。ニースをこよなく愛すイギリス人たちによって作られたプロムナード。
 旧市街の市場は活気がある。茄子も大きい。丸いズッキーニは中をくりぬいて、肉を詰めて食べるそうです。Keisuke Matsushima のお店はミシュランで1つ星を取った日本人シェフの店。ランチメニューは、つきだし、前菜、メイン、デザートで35ユーロ。松嶋啓介さんは20歳でフランスに渡り、フレンチを修行、25歳でニースで店「Kei's Passion 」を開き、開店3年目で一つ星を獲得した。南フランスの野菜のおいしさにひかれて、この地にお店を開いたという。この日のランチコースのメインはズッキーニをあしらったもの「ほうぼうのポワレ、ズッキーニのヴァリエーション」。ズッキーニをみじん切りにして炒めたものも添えられていた。

●サン・ポール・ド・ヴァンス Saint Paul de Vence
 通称「サン・ポール」。中世の昔、敵の侵入を防ぐために、険しい崖に身を隠すように作られた村。グルドン Gourdon、トゥーレット・シュル・ルー Tourrettes sur Loupなど100以上の鷲の巣村が今も残っている。
 サン・ポールは数ある「鷲の巣村」の中でも、中世の街並みがそのまま残る美しい村として有名。村を囲む堅牢な外壁は16世紀に作られたもの。村に入る道はかつては1箇所だけだった。門の横には大砲がある。
 かつてこの村は中世には靴や馬具などの職人たちが暮す村だった。美しい装飾が施された石畳も中世の遺産。道は迷路のようになっていました。
 12世紀に建てられた教会。メインストリートのグランド通りは、現在ギャラリーが建ち並び、多くの観光客が訪れる。「フレデリック・ゴート・ファイン・アート」を訪ねた。オーナーのフィリップ・マートンさんは、サン・ポールには70軒あるという。フランスではパリに次いで2番目に大きな芸術のマーケットだそうです。この町の旧市街には375人が生活しているそうです。フィリップさんもこの村で暮らしている。アパートを訪問した。ベランダからの眺めは素晴らしい。

●エズ
 もう一つの鷲の巣村。海抜400mの岩山の上に作られた村。コートダジュール唯一の絶景が見られる。「シャトー・ド・ラ・シェーヴル・ドール Chateau de la chevre d'O 」はシャトー・ホテル。海側の部屋は1泊450ユーロ。テラスからの眺めは絶景です。
http://www.cote.azur.fr/hotel_chateau-de-la-chevre-d-or-eze_298.htm


テレビ番組「世界の果てまでイッテQ! 24時間で何か国旅行できるか?」

 2007年4月29日放送。ベッキーが挑戦。日本人は一生のうち平均6.25か国行っている。条件は観光する、食事する、お土産を買う。西ヨーロッパは国が密集していて、パスポート・コントロールも厳しくない。最低でも7カ国を目指した。

●計画
 オランダから車でベルギーに移動、ウィーンに飛行機で飛んで、飛行機でバルセロナに飛び、車で南フランスを通過し、モナコ、イタリアに入る。松嶋さんなら、チェコ・スロバキア・オーストリア国境付近、フランス・スイス・ドイツ国境付近を回るそうです。

●オランダ(ネーデルランド王国)
 午前9時にアムステルダム西教会前からスタート。アムステルダムから北に15kmのザーンセ・スカンス(9時半)。緑色の風車、可愛い建物が並ぶ。
 チーズ店「カタリーナ・フーヴェ」でチーズを食べる。ゴーダチーズ。スモークチーズ、ハーブチーズ、マスタードを購入17.4ユーロ(2858円)。ポプラの木をくりぬいて作る木靴が名物。保温性に富み、水が入らないので、オランダでは現在でもガーデニング・シューズとして使われている。木靴2足、木靴製スリッパで63.5ユーロ(10433円)。

●ベルギー王国
 ザーンセ・スカンスから国境まで140km。12:42ブリュッセルに到着。EU本部がある。ブリュッセルはオードリー・ヘプバーンが生まれた町。ベルギー名所はジュリアンこと小便小僧。  ワッフルが名物。超巨大ワッフルが3ユーロ(493円)。お土産はチョコレート4ユーロ(657円)。
 空港に到着が遅れて14:10発のフランクフルト行きNZ4527便が搭乗手続きを終了していた。仕方なくジュネーブ(スイス)に変更。午後2時40分発でブルッセル航空?で飛びました。飛行機の中で予定変更し、スペインに飛べることが判明した。

●スイス
 両替し、電車でジュネーブ市内に6分で移動。ジュネーブは人口18万人。シンボルはレマン湖の大噴水「ジェッドー Jet d'Eau 」140m。行ってみると故障中でした。しかし、後に出てました。
 お土産はアーミーナイフ。5分で文字を彫ってくれるという。75スイスフラン(7778円)。
 食事はチーズ・フォンデュー専門店「エーデルワイス」。店内ではヨーデルの生演奏中。チーズ・フォンデュは30スイスフラン(3111円)。次いでアルプ・ホルンの生演奏。吹かせてもらった。  電車に乗り遅れた。タクシーで移動して間に合った。

●スペイン(エスパーニャ王国)
 午後9時20分バルセロナに到着。スペイン最大の港町。サグラダ・ファミリア大聖堂に感動。高さ107m。
 お土産はサッカーのFCバルセロナのロナウジーニョのTシャツ、バスタオル、レプリカ・ユニフォームで128ユーロ(21031円)。
 午後10時。パエリア19ユーロ(3122円)をいただいた。フラメンコの生演奏もあった。午後11時5分、予定より15分遅れでバルセロナを出発。フランス国境まで280km。

●フランス共和国
 カンヌには早朝4時50分到着。中心のクロワゼット通りには世界のセレブが宿泊する高級ホテルやブティックなどがずらりと並ぶ。カンヌ国際映画祭の場所を見学。映画スターたちの手形が周辺にある。
 開いているお店を探す。「マルシェ・フォーヴィル(朝市)」が開いていた。オリーブがずらり並ぶ。グリーン・オリーブの塩漬け3.5ユーロ(575円)購入。

●モナコ公国
 カンヌから54km。6時前に到着。バチカン市国に次ぐ世界で2番目に小さな国。税金が安いため、世界中からセレブが集う。
 高級ホテルで見る、食べる、買うを予定していた。部屋を予約していた。部屋に入ると、丁度朝日が出ているところでした。高級ルームサービス258ユーロ(42389円)。シャンパン65ユーロ(10680円)。ロシア産キャビア150ユーロ(24645円)。
 お土産は海岸にある小さな石(プライスレス:無料)。

●イタリア共和国
 国境から130kmのジェノバを目指す。午前7:08に入国。午前8時20分ジェノバに到着。イタリア最大の港町。コロンブスと「母を訪ねて三千里」のマルコの故郷。
 名所は港にあるネプチューン号。お土産は市場「メルカート・オリエンターレ」でバルサミコ酢4.2ユーロ(690円)を購入。
 名物はペストソースのパスタで、「リストランテ・ゼッフェリーノ Zefferino」がお勧めという。新鮮なバジルから作るペストソースで、「パスタ・ジェノベーゼ」の完成16ユーロ(2629円)。これで目的は達成しました。総移動距離2293km。総費用49万9645円でした。


テレビ番組「フランス 花と芸術の都 華麗なるヴェルサイユを訪ねて」

 2007年4月15日放送。

●パリ
 シャンゼリゼ通りは、18世紀のマリー・アントワネットの時代でも、既に流行の最先端を行く通りだったという。凱旋門は19世紀にナポレオンが戦に勝利した際に作られた。幅45m、高さ50m、近くで見ると大きさに圧倒されます。
 モンテーニュ通りもブランド品のお店が勢ぞろい。セリーヌ、ブルガリ、ディオール、カルティエ、シャネル、ルイ・ヴィトンなど、ここが本店です。
 コンコルド広場の中央には、3300年前にエジプトで作られたものを移築したオベリスクがある。かつてはこの広場は革命広場と呼ばれていて、処刑台が置かれていた。
 小さな路地もパリの香り。パッサージュと呼ばれるアーケードや商店街。デパートが登場する19世紀以前に作られたパッサージュは当時のお洒落ストリート。レトロ・モダンな雰囲気がある。
 ボン・ヌフ一帯には古本屋さんが多いが、400年前からあったそうです。パリを描いている人もいた。
 高さ300mのエッフェル塔が見下ろすセーヌ川の岸辺。多くの船が停泊している。人が住んでいる。中はアンティークな感じ。電気、ガス、水道完備で、パリにいくらかの停泊料を払えばいいそうです。

 ルーヴル美術館には、長い廊下の先にミロのヴィーナスがある。紀元前130年頃に作られたという。ナポレオン3世の部屋もある。ここは元王宮だった。ダイニング・ルームも残っている。「モナリザ」もある。
 シテ島は中州にあり、パリで最も歴史がある。14世紀に完成したノートルダム大聖堂。王家の洗礼式や結婚式、国の重要な行事がここで行なわれていた。ノートルダムとは「私たちの貴婦人」。何とも優雅です。14世紀に作られた中世の古城「コンシエルジュリー」も華麗です。革命時には牢獄として使われた。ここから処刑台に運ばれた人は2780人。ルイ16世、マリー・アントワネットも含まれていた。マリーはここで2ヶ月半質素に暮らし、1793年10月15日革命裁判によって死刑を言い渡され、翌日、天国に旅立った。

 サン・ラザール駅からローカル列車で30分、ヴェルサイユ宮殿に向かった。食品市場に寄ってみた。ほんの郊外の町でしかなかったヴェルサイユに、太陽王ルイ14世が17世紀に壮大な城を完成させ、世界中に有名になった。当時2万人が華やかな宮廷生活を送っていた。
 王室礼拝堂では、マリー・アントワネットも1770年に14歳で結婚式を挙げた。ルイ16世は趣味に時間を費やしたので、マリーは豪華な食事、ファッション、美容などにお金を使った。鏡の間では、1万人が集まり舞踏会が開催された。当時は真っ赤な頬紅をつけるのが流行したそうです。
 宮殿の敷地面積は東京ドーム180個分。広大な庭園がある。多彩な彫刻もあり、「アポロンの泉水」など大小あわせて1400の噴水があしらわれたという。セーヌ河から汲み上げて、ここまでひいたそうです。庭園の花も美しいが、今も100人以上の庭師たちが支えている。マリーは香水に花の香りを入れて、それが流行したという。
 グラン・トリアノンは宮廷の格式ばった生活に息苦しさを感じたルイ14世が新たに作った離宮。当時、自然志向が流行し、子宝に恵まれたマリーも田舎家を見つけて、家族でそこに住んだそうです。


テレビ番組「地球街道 柴俊夫さんでパリ〜アルザス」

 2007年4月7日、14日放送。パリ14区カンパーニュ・ブルミエール通り。50年前に映画「勝手にしやがれ」のラストシーンは壮絶で、この道を一人の若者が走り倒れた。
 シャンゼリゼ通りで、ジーン・セバーグ演じるパトリシアと、ジャン・ポール・ベルモンド演じるミシェルが出会った。セット撮影の多かった時代にジャン・リュック・ゴダール監督はパリの街並みの中で撮影するというヌーベルバーグの傑作。その映画の撮影現場を巡る。

●パリ
 撮影道具をレンタルする「レジフィルム Regifilm 」社(tel:43-55-52-55)を訪問。憧れのベルモンドの着ていた服を着てみた。
 セーヌ河の南の「アンヴァリッド Hotel des Invalides 」を過ぎて、映画館「マク・マオン Cinema Mac Mahon 」がある。警官に尾行されたパトリシアが逃げ込んでトイレの窓から逃げる場面の現場を見学した。トイレの窓は本当はなかったようです。
 美容院「エドガーアー EDGAR a 」。パトリシアのショートヘアーはセシルカットという名前で大流行した。その反響の大きさを美容師のエドガー・アンドレさんに聞いた。今でも15−6歳の娘が、シャロン・ストーンよりもセバーグを参考にするという。セシル・カット以前はブリジット・バルドー風の髪型が流行していて、週に何度も美容室に通ってもらっていた。
 映画の中ではベルモンドの空虚なものの言い方がポイントだという。

 柴さんがどうしても訪れたかったのは、モンパルナス大通りとラスパイヨ大通りに挟まれた200mほどのカンパーニュ・ブルミエール通り。ラストシーンの撮影を偶然見ていたルネ・アンドレ・アルトズルさん(81歳)に話を聞いた。最後に柴さんはベルモンドの演技と同じ演技を道の上で行なってみました。
 ここから300m先のモンパルナル墓地にジーン・セバーグ Jean Seberg のお墓がある。1979年に40歳の若さで亡くなった。

●アルザス地方
 オーラン県の県道1号線は通称マイン街道。ここに夢のような「ロンシャン礼拝堂」が建っている。奇妙な形だが、設計は20世紀最高の建築家と言われたル・コルビュジエ。
v ●ポワシー
 パリ郊外の一軒の邸宅「サヴォワ邸 Villa Savoye 」(1931年)。コルビュジエが44歳の時に建てた代表的な作品。特異なのは外観だけでなく、緩やかなスロープ、視界が中庭にも広がるリビング。「住宅は住むための機械」だというのが彼の理念だった。直線と曲線のおりなす無駄のないフォルム。

●ストラスブール
 アルザス州の州都。パリの東500km。ひときわ高く聳えるのは15世紀に完成したノートルダム大聖堂。高さ142m、完成までに260年を要したゴシック建築。中世ヨーロッパで最も高い。彫刻もすごいが、ステンドグラスもすごい。特にバラ窓は直径が13m。階段をあがり高さ66mのテラスから町を見る。ゲーテがあまりの眺望のよさに、何度も足を運んだという。

●ベブレンハイム Beblenheim
 アルザス地方は道が縫うように走っている。人口900人ほどの小さな村。1階は石造り、2階以上は木組みと漆喰というのが伝統的な建築。
 フランス版の民宿であるシャンブル・ドット「アンヌ&パトリス・ブルッパシエ」に宿泊。1部屋1泊39ユーロ〜。
 家族とともに食事を楽しむ。夕食はベッカオファ Baeckaoffa で、パン屋さんの窯という意味。昔は前日に食材を器に詰め、翌日パン屋さんに持って行った。窯で煮てもらっている間に、洗濯ができるからだそうです。日本の肉じゃが風です。

 白ワインの産地でもある。訪れたのは「ジャン・シップ Jean SIPP 」で、13代350年にわたりつくってきたワイナリー。今年のワインの国際大会で金賞を獲得したそうです。リースリング・キルチベルグ「グラン・クリュ 2004」14ユーロ。

●ロンシャン
 山に朝霧がかかっていてとてもきれいでした。ロンシャンは人口3000人ほどの町。その小高い丘の上に夢の礼拝堂がある。それまでは石やレンガで作られていた時代に、コルビュジエは鉄とコンクリートを駆使して装飾のない、合理的な建物物を建てた。サヴォワ邸、ユニテ・ダビダシオン、小さな家。そんな彼が67歳にして、自らの理念をくつがえすかのような礼拝堂を建てた。
 「ロンシャンの礼拝堂」は漆喰が施された屋根は斜めに傾き、窓はふぞろえにしつらえてある。天に向かって反り返るコンクリートの屋根は、蟹の甲羅からヒントを得たという。東西南北全ての面が異なる姿を見せる。
 巡礼者のための教会が昔からあったが、戦争でダメージを受けた。1955年にコルビュジエの礼拝堂が建てられた。
 元町長のジャン・マリー・メールさん(61歳)は当時から礼拝堂を眺めてきた。
 内部は溢れるほどの光が降り注いでいた。赤い光もある。ゆがんだ天井に、傾斜した床、何か大きなものに包まれているような安らぎがある。訪れた人々は簡素な祭壇の上のマリア像を見上げ、祈る。コルビュジエはそれまでの幾何学的建築を置き去りにし、安らぎと慈愛に満ちた空間を造りあげた。
 他の何ものでもない、祈りの空間なのです。夜はライトアップされていました。


テレビ番組「世界鉄道の旅 フランスのニース、コルシカ島」

 2007年4月1日放送。放送番組センター配給。製作はオランダのEO International Meskers Media Affairs.

●プロヴァンス鉄道
 コートダジュールの美しい海岸線に位置するニースから、プロヴァンス鉄道 Chemins de fer de Provence に乗り、内陸の小さな町サンタンドレ・レザルブを目指す。107km。建設に20年をかけ、1911に完成したが、大洪水で壊滅的な被害を受けた。
 約2時間半でサンタンドレ・レザルブ駅に到着。標高900mでパラグライダーの人気スポットとなっている。美しい風景の中、湖畔を散策する人も多い。

●ニース
 プロムナード・レザングレは海岸に沿った美しい通りで、この名前は最初に訪れたイギリス人にちなんでつけられた名前とか。ニースの魅力はビーチだけではない。街中も。

●コルシカ島
 ニースの港からコルシカ島に渡る。3時間の船旅で、カルヴィ Calvi に到着。西海岸にあるカルヴィは丘の上にある城塞がひときわ目立つ。ここを支配していたジェノバ共和国によって作られたもの。城壁に守られた道は静けさに満ちている。
 誰も住んでいない家がある。この壁はコロンブスが生まれた家の一部だったという。島の名物はワイン。
 駅からコルシカ鉄道に乗り込み、海岸線を20km走り、リル・ルース Ile-Rousse に向かう。車窓からは6km続く砂浜の美しい眺めが楽しめる。リル・ルースに到着。駅舎の2階は駅長の住まい。
 リル・ルースは観光地でもある。浜辺が美しい。山間の村では伝統工芸が受け継がれ、アーティスト達が大勢活躍している。村では自動車が見られない。まるで時間が止まっているみたい。
 さらに内陸を目指す。


テレビ番組「知っとこ! 世界の朝ごはん マルセイユ」

 2007年3月24日放送。毎日放送制作。
 15世紀にプロヴァンス地方がフランスに併合されるまで、いろいろな国に属していた。港近くではアンコウなどの魚を朝6時から売っている。
 ジュリアン通り Rue Julien は通りの落書きアートがいっぱい。その先にはトロンブルイユというだまし絵がある。だまし絵は15世紀頃からあるらしい。
 旧市街のサント通り Rue Sainte にはパン屋さんが多い。マルセイユで最も古いパン屋「フール・デ・ナベット Four des Navettes 」の創業は1781年。主力商品はナベットという小船の形をしたパン。元々は近くにある教会に来る巡礼者に配るために作られた。1日に1万本売れるそうです。1本80セント(125円)。
 郊外のプラド通り Avenue du Prado にはコルビュジェが作った集合住宅「ユニテ・ダビダシオン Unite d'Habitation 」がある。中にはコルビュジェの名前の入ったホテル・バー・レストランがある。この330戸のうち21戸をホテルとして使用している。836号室はジュニア・スィート1泊120ユーロ。50年前の割にモダンです。
 フミュー・ヨアシさん(25歳)がブイヤベースの店を紹介してくれた。「ル・ルバン・ブルー Le Ruban Bleu 」。まずはスープを楽しむ。にんにくなどで作ったルイルをつけて食べる。半分スープを残すと、魚などを追加してくれる。

 郊外にある新婚のアガタ・プリゼさんの朝食は、1品目はトマト・ファルシ Tomates Farcies 。豚のひき肉に塩胡椒で味をつけながらよく練り、マスタードを加えて混ぜる。新鮮なトマトをくりぬいて、豚肉を入れるための容器にする。蓋をしてオリーブオイルをかけて、オーブンで30分焼く。トマトファルシと呼ばれる伝統料理。
 ホワイトアスパラ、パプリカなどを切り、レタス、コーン、ツナなどを加え、オリーブオイル・マスタード・塩胡椒で作ったドレッシングをかけて混ぜて、プロヴァンス風のサラダが完成。
 ソムネット Saumonette というサメの一種の頭を落とし、皮をはいで、胴体を半分に切る。沸騰したお湯で煮る。お皿の上にあけ、ヤギのチーズをたっぷりお好みでかける。オリーブオイルをかけ、塩で味付け。


テレビ番組「地中海沿岸紀行 ニース〜モナコ」

 2007年3月11日放送。石井あみさんが出演。

●ニース
 ホテル・ネグレスコは19世紀のベル・エポックと言われる時代を代表する建物。当時のヨーロッパの王侯貴族が建てたもので、冬の間の宮殿として使われていた。ベル・エポックの建物の中で特に目をひくサン・ニコラ大聖堂は17世紀のように作られ、きらびやかでおとぎ話に出てきそうなお城のような姿。
 ニースの東には港があり、それを囲むように街が形成されている。ビーチは日光浴を楽しむ人で賑わう。中にはトップレスの女性もいる。ニースの浜辺は砂浜でなく玉砂利。風で砂が飛ばないので、日光浴には最適。
 レンタカーを利用しているが、ガソリン・スタンドはほとんどがセルフ・サービス。海沿いを走るが、とても海が青い。
 旧市街ではみんなカフェテラスでお茶している。たくさんの店が軒を連ねる。1本外れると静かな生活の街。建物の壁の色もきれい。
 花の市場に行く。その先は魚や香辛料、野菜、フルーツを売っている。La Socca という看板が出ている。ソッカはニースを代表するお菓子で、豆の粉でできている。2.5ユーロ。クレープとオムレツの中間的な味だとか。
 宿泊はホテル・アンバサダー。美味しいラクトゥイユが食べられるお店を紹介してもらった。市場のあった広場にある Chez Freddy に行く。レストランだらけです。まず、ニースを代表する料理「サラド・ニソワーズ」11ユーロ。キュウリ、アンチョビ、パプリカなどが入っている。「ラクトゥイユ」12ユーロ。とってもおいしいそうです。

●ヴィルフランシュ・シュルメール
 ニースから峠を一つ越えた街。ル・ヴェルサイユというホテルはテラスもよさそうなので、寄ってみた。眺めもとてもいい。サラド・ニソワーズ15ユーロをいただいた。ツナ、アンチョビ、トマト、キョウリなど。

●モナコ
 ニースからだと寄り道をしなければ1時間で到着する。小さな国は世界中から観光客やセレブが訪れる。リゾートに求められるものは全て揃っている。
 F1のルートを走ってみた。モナコ・グランプリの直前だったので、準備がされていた。ホテル・フェアモント・モンテカルロの下のトンネルが有名。狭いコースだが、選手は250kmの速度で駆け抜ける。

 海洋博物館を訪問。重厚な雰囲気。アルベール1世によって1910年に建てられた建造物としても貴重なもの。中には水族館も併設されている。入館料は11ユーロ。

 「オテル・ド・パリ」の中にある三ッ星レストラン「ルイ・キャーンズ Le Louis XV 」で食事。内装も素晴らしい。マグロで、まわりは焼いてあって中は生で、野菜が多く添えられている。デザートの前にはマスカットのお酒。純白なシャーベットに真っ赤なイチゴ。これに温かいソースとイチゴをかける。コースは90ユーロ〜

 オテル・ド・パリから地下通路でつながっている「レ・テルム・マラン・ド・モンテカルロ」はタラソテラピー・センターで、通常の数日のコースだけでなく、1日コースや短時間のコースが用意されている。オイル・マッサージをしてもらいました。その後、リラクゼーション・ルームでは港を眺めながら、優雅な一時を過ごせる。

 グラン・カジノは町の中心部にある。入場料10ユーロ。1800年代後半に建てられたエントランスには伝統と秩序が感じられる。古いスロットマシンも置いてある。ここは一攫千金を狙う場所ではなく、雰囲気を楽しむところ。先の方にはプライベート・セクションがある。そのたたずまいが特別さを感じさせる。ここにはさらに10ユーロ必要。グランカジノの中でも最も美しい部屋の一つで、レストランが用意されている。その先はスーパー・プライベート・ルームがある。ミニマム・ベットは500ユーロです。

 「ホテル・フェアモント・モンテカルロ」の前は有名なヘアピン・コーナーである。大理石と木目の調和が美しいエントランス。6088号室に宿泊。1泊400ユーロ。テラスの下は地中海。スィートは1泊1000ユーロだが、F1開催時は1泊2500ユーロで最低5泊必要。別のスィートはジョージ・ルーカス氏が毎年借りるそうです。1泊1100ユーロ、F1時3000E。
 ホテルのプールでは泳ぐ人がいない。みんなプールサイドでくつろぐ。フェアモント・ホテル内のカジノで楽しんだ。

 昔ながらの街並みの残るモナコビルを歩く。細い路地、レストラン、お土産物屋さんがある。抜けると広場に出る。モナコ大公宮殿の前に出た。現在も王宮として使われている。宮殿の横はモナコが一望できる展望スポット。


テレビ番組「地中海沿岸紀行 プロヴァンス、コート・ダジュール、マルセイユ」

 2007年3月4日放送。石井あみさんが案内。マルセイユやコート・ダジュールはプロヴァンス地方にある。

●マルセイユ
 レンタカーを借りるが、オートマチックが少ないので、乗りたい場合は日本から予約しておくこと。今回はベンツ。
 高層ビルはなく、昔ながらの建物が並ぶ。港もクルーザーやヨットが並ぶ。旧港には漁師さんたちが魚をさばいている。チョコレート菓子は15ユーロもした。港の近くのお店ではブイヤベースが食べられる。噴水のある広場の近くの店「ル・パピヨン Le Pavillon 」で、まずブルスケッタ。焼いたパンにガーリックをすりこみ、いろいろな具をのせて楽しむ料理。そしてブイヤベース。4種類以上の魚を煮込んだだし汁に、たくさんのハーブや野菜を加えて作る料理。アイオリ・ソースをつけて食べる。最後はデザート。これで18ユーロ。
 高台の上にあるのは、「ノートルダム・ド・ラ・ギャルド・バジリカ聖堂」で、鐘楼の上には10m近い聖母マリア像がある。景色は壮観です。
 7ユーロの地図を購入した。

●エクス・アン・プロヴァンス Aix en Provence
 マルセイユから北に15km。緑の多い町で、ドゴール広場の噴水は大きい。湧き水が豊富な町。セクスティウスの水の街と呼ばれたので、エクスという名前になっている。ミラボー通りはメイン・ストリートだが、噴水もある。上品で美しい街。噴水や湧き水が出ている場所は100箇所以上ある。4匹のイルカの噴水もある。
 市場がでている。1792年にできたカフェがミラボー通りにある。カフェ・ド・フラッペは6ユーロだが、かき氷ではなく甘いアイスコーヒー。
 最も歴史のあるお店「レオナール・パルリ Leonard Parli 」はカリソンのお店。10個入り12ユーロのカリソンは細かく砕いたアーモンドにメロンを中心としたフルーツのシロップを混ぜ、菱形の形にはめて砂糖ではさんだもの。17世紀初頭だったようです。
 夜は中華料理をいただきました。

 セザンヌはこの町で生まれ育った。観光案内所に行くと、日本語で書かれたスザンヌの足跡を追ってというガイドがもらえる。これを元にゆかりの地を訪ねる。歩道にはセザンヌと書かれたプレートが埋めてあるので、そういう場所に行きやすい。
 車でゆかりの地を巡る。サンクト・ヴィクトワール山にも行った。

●カンヌを目指す
 マルセイユを経て300kmの海沿いの旅。美しい青い海です。4時間で到着。

●カンヌ郊外ムージャン村
 車で15分。ロジェ・ベルジェの有名なレストラン「 Le Moulin de Mougins 」に行く。現在はAlain Llorca が跡を継いでいる。外観は田舎の家だが、中はとても洗練されている。ランチをいただいた。前菜は一見サラダかと思うほどにたくさんの野菜が入ったスープ。お魚入りで酸味が効いているそうです。メインはスズキのグリル。小骨も背骨も抜いてあり、中に詰め物がしてある。デザートはチョコのドームで、オレンジのソースをかけると溶けていった。中にはサクサクのクッキーやアイスなど。さらにもう一皿のデザート。これで約2万円。

●カンヌ
 街のあちこちで映画をモチーフにした建物がある。華やかさと穏やかさをあわせ持つ街。
 カンヌ国際映画祭の会場に行く。公園には有名俳優や監督の手形が埋め込まれている。黒沢明監督のもありました。大道芸人も多い。


テレビ番組「ポカポカ地球家族 パリ」

 2007年3月3日放送。  芸術の都、フランス・パリ。日本からは直行便で12時間。毎年60万人の日本人観光客が訪れる。900万人が暮らす大都市では車の渋滞が問題。今話題なのが70年ぶりに復活した路面電車「トラム」で、現在運行しているのは9駅ですが、徐々に拡張される予定で渋滞緩和が期待されます。島根好子さん(37歳)は、ゲイトンさん(32歳)、長女の美稲ちゃん(10ヶ月)と暮す。ゲイトンさんは耳が悪く補聴器をしていてもほとんど聴こえない。
 ある日、一家がやってきたのはモンマルトル広場。多くの画家が集まり、似顔絵や絵の販売を行っている。美稲ちゃんの誕生記念に家族全員の似顔絵を書いてもらった。  一家が住んでいるのは、郊外のカシャン。映画「アメリ」に登場した水道橋がある。その近くのアパートの3階で、55平方m、2LDKで家賃は13万円。ゲイトンさんはバイオリンなどの弓職人で、自宅内の工房で作っている。木材と馬の尻尾で作る弓は全て手作業なので5日かかる。彼の弓は日本でも売られていて、1本50万〜60万。弓の修理も多いので、新しいのは年間15本とか。作り始めたのはバイオリン職人の父のジェロームさんの影響が大きかった。父の工房が日本にあって好子さんはそこでアルバイトをしていた。出会ったのは10年前。2003年にフランスに渡り、ゲイトンさんと再会し、2005年に結婚した。
 毎朝9時に家を出て好子さんはパリ市内ローマ通りの工房に向かう。オーナーのジャン=フランソワ・ラファンさんは世界的に有名な弓職人。修理、新作以外にも鑑定書の作成も行なう。子供は月10万円の託児所に預けるが、月に6.5万円の援助金をもらっている。

 週末のある日、街のカフェ「シーニュ」にやってきた。この店の店員がほとんど聴覚に障害をもつ人たちで、お客とは手話でコミュニケーションをとる。テーブルには手話で注文できるようパンフレットが置かれている。フランスは手話の発祥の地といわれ、1760年に手話が確立したという。経営者のマルティーヌさんも「障害をもたない人と架け橋になれたらいい」と思って始めたそうです。好子さんたちもまたこのようなお店が増えてくれることを願っている。

 「バティニョルの有機食品市場」は毎週土曜日の午前9時〜午後2時まで開かれている青空市場。キャベツ1個400円、トマト1kg760円、ムシュー・ロマネスコ(ブロッコリの一種)1個470円。街にあるスーパーより少し高めですが、有機農法の新鮮です。ゲイトンさんのお気に入りは「ジャガイモとタマネギのガレット」で1個350円でチーズもたっぷり。
 友人を招いて食事をすることになった。ゲイトンさんの大好きなムール貝のワイン蒸し。ムール貝は1kg3ユーロ!オリーブ・オイルでにんにくを炒め、タマネギを加え、しんなりとしたらムール貝と白ワインを加えて貝が開いたら完成。あとは、「ズッキーニとショウガのスープ」で、ゲイトンさんのお母様から習ったもので、炒めてからミキサーにかける。食後のデザートはアーモンドクリームのパイ菓子「ガレット・デ・ロワ」。パイの中には「フェーブ」という小さな陶器が入っていて、当てた人は1年間幸運が続くといわれている。ゲイトンさんが当てました。
 二人の夢は将来一緒に働いて、お店を持つこと。

●美味しいマドレーヌの作り方
 洋菓子店「ル・ポミエ」のフレデリック・マドレーヌさんが紹介。卵2個、グラニュー糖125gを常温にしてから泡立てないように優しく混ぜる。牛乳25g、小麦粉170g、牛乳25gの順番に入れ、ベーキングパウダー5g、溶かしバター80gを混ぜる。木いちごジャム40gを加え、あまり混ぜすぎないのがコツ。2時間置く。プレートに塗るバターは同じ方向に隙間なく塗り、生地は空気が入らないように絞り袋で入れる。180度のオーブンで15分。黒はココアパウダー、緑は抹茶かピスタチオペーストでつけることができる。


テレビ番組「情熱大陸 パリ」

 2007年2月25日放送。パリ7区住宅街の一角にレストラン「あい田」がある。フランス経団連G・サルコジ副会長、元サッカー選手、フランス文化功労賞シェフ(三ッ星シェフ)のドミニク・ブシェ氏、現代美術家F・イベール氏などのそうそうたる顔ぶれが訪れる。君はあい田に行ったか?と言われている。料理人は相田康次さん(38歳)。旬の食材に魔法をかける男。たかが鉄板焼きとあなどってはならない。特別の料理にしてしまう。食通という人でさえ口に入れるとしばし言葉をなくす。スマイリー・ワールドのF・ルフラニ社長もそう。日本的洗練の極み、音楽のような料理という極めて高い評価を得ている。レストランガイド「プドロ2007年度版」では最優秀外国料理人賞に選ばれた。料理評論家のG・プドロフスキー編集長は表彰式にも出なかったのはいいという。ブルターニュ産オマール海老など。
 店と自宅は目と鼻の先に独身の住まい。午前10時半にはランチの準備が始まっている。従業員は相田を含めて5人。カウンター、テーブル、座敷をあわせて20席。毎朝取れたての魚が送られてくる。ブルターニュ近海の1本釣りすずきなど。ブルターニュの魚はブルターニュの塩で扱う。サバの刺身はこの季節絶品だそうです。「百合根まんじゅう、昆布だし仕立て」にはほのかに柚子の香り。週に2度は通うというグルメ評論家E・ロンコ弁護士。この店を通じて日本料理の味を知った人は少なくない。「鯛のかぶら蒸し」。旬の生がきをブルターニュの海藻バターで炒め、そこにポン酢をひとさじ「牡蠣の海藻バター焼き、クレソンにのせて」。極上の牛肉も調理される。「リムザン産シャトー・ブリオン」。客の中にミシュラン2つ星シェフのM・マルティネス氏もいる。難しい食材もこなしてしまうそうです。
 午前2時に帰宅。フランス料理を目指す若者とそれから話をする。コレーズ産の仔牛(生後4ヶ月)の切り方を考えていた。ある方向から切ると柔らかいが、味のよさがでてこない。ラロッシュ産の牡蠣とあわせることも検討した。パリでしか食べられない日本料理を目指した。
 19年前相田さんは「笑っていいトモ」のスタッフ?だった。夜に母親の経営する料理屋を手伝い、店を持つことを決意。20歳でタレント活動に終止符を打ち、パリを訪れた。8年前に移り住んだ。
 日本人として馬鹿にされたくないという気持ちが強いようです。ある日はミシュランの星を取ろうとしているライバルの2人が来ていた。オマール海老の料理は予約してないと出さない。マルティネス氏はオマール海老を要求した。
 京都吉兆の徳岡邦夫、祇園ささ木の佐々木浩氏は新作料理「リムザン産仔牛と牡蠣のたたき、昆布ジュレをあわせて」を食べて、おいしいと言ってました。ふろふき大根はシャトー・ブリオンを使い、たっぷり10時間は煮込んである。同じ世界の大先輩が認めてくれた。


テレビ番組「プレミアム10 パリ・世界一のチョコレートの祭典」

 2007年2月12日放送。毎年秋に開催されるチョコレートの見本市 Salon du Chocola では世界中の130店が参加する。ファッションショーも開催。ショコラティエ Chocolatier と呼ばれる人が5つの部門で、 Award of chocola チョコレート大賞を狙ったドキュメンタリー。

●パリ
 ジャン=ポール・エヴァン Jean-Paul Hevin さん(49歳)は、MOF(フランス国家最優秀職人賞)を持つ天才ショコラティエ。パリ1区のサントノーレ通りの高級ブティックなどが並ぶ一角にお店がある。世界の観光客で賑わっている。店の奥に並ぶのは、最高級品。照明を落とし、温度も18−21度に保ち、味と香りを保つ。宝石のように見せている。女性は花束よりもここのチョコの方が好きという人も多いらしい。食べる人に感動を与えたいそうです。
 店からバイクで30分のところに工場がある。アワードのための試作品を作り始めて2週間目であと1ヶ月。ローストしたナッツ、砂糖、チョコをブレンドしたもので争うプラリネ部門に参加する。甘味を抑えるのがポイントだという。イタリアのピエモンテ産の最高級ヘーゼルナッツを使う。コクがあり強い味だという。少し皮を残し香ばしさを出すが、残しすぎると苦くなる。悪い豆を除くことが大事。砂糖を熱しナッツを10倍量加えたが、通常は2倍量らしい。できあがったものを砕き、ローラーを使ってつぶす。ローラーを何度も繰り返し、ペースト状にする。カカオ、カカオバター、砂糖でできたチョコレートにミルクを加えたチョコレートを使った。カカオの繊細な味が出ているかどうかがポイントだそうです。これらをある比率で混ぜあわせ、ビスケットドンテル(レース状のビスケット)を入れ、サクサクとした食感を出す。型に入れる。商品の場合は一晩寝かせるが、今回は2時間で味見をする。悪くないが古典的すぎる、創造性が足りないと語る。
 フランスではセーヌ川の河辺の恋人が食べていたり、カフェでもチョコレートとエスプレッソなどの組み合わせで食べる人が多い。
 1週間前、上にまぶすものを試すが決まらない。前日、ピスタチオのペーストをヘーゼルナッツのプラリネに混ぜ込む。ピスタチオを加えると味に深みが増すが、えぐみもでる。えぐみを消すためにアーモンド入りのプラリネの層を重ねて二層にすることにした。それをミルクチョコレートでコーティングし、上から空気をふきかけ、なるべく薄くする。それで日もちは悪くなるが、舌ざわりがよくなり、口溶け感もよくなる。名前は「サファイア」とした。
http://www.jphevin.com/

●ロアンヌ
 ガナッシュ Ganache 部門で優勝を狙うのは、フランソワ・プラリュさん(47歳)。代表作は「熱帯のピラミッド」は、カカオの産地、Papouasie、Indonesie、Sao Tome、Trinidad、Venezuela、Tanzanie、Ghana、Madagascar、Colombie、Equateurの10種類の板チョコを積み重ねて、産地毎の色、味わいを楽しめる。ヨーロッパ、アメリカでも大好評。自宅の庭にあるマルメロはカリンとよく似たもの?、ムスロンというキノコも採取。これらでチョコレートを試す。ガナッシュは生クリームとチョコレートを溶かして作る口溶けのよいチョコレート。キノコを切り、生クリームで煮立て、自作のクーベルチュールというチョコレートの塊を加えて完成。とてもおいしいそうです。
 プラリュさんのところには世界15カ国からカカオが集まるが、一番注目しているのはマダガスカルだという。板チョコ1枚作るのに28個のカカオ豆が必要だそうです。1つの実には30−40のカカオ豆が入っている。豆のまわりについている果肉部分がおいしいそうです。渋みやえぐみを取るために、発酵させた後、天日で15日間乾燥させる。マダガスカルに20ヘクタールの自分の農園を持っている。
 カカオの起源は紀元前2000年頃のメキシコを中心とするメソ・アメリカだったと推定されている。マヤ文明を代表するティカル遺跡では、神に祈りを捧げるために使われた人形の形をした灯篭には、カカオの実の飾りが全身につけられている。マヤの人はカカオを神の飲み物として崇めてきた。学術名はテオブロマ・カカオ。焼いたカカオをすりつぶし、水と唐辛子などを加えたものがチョコレートの始まりの「飲むチョコレート」で、今でもグアテマラでは飲まれている。栄養価も高く、ミネラルも豊富なカカオは万能薬としても知られている。
 ロアール川のほとりにある工場では、クーベルチュールを作る。まずカカオ豆を100度で焙煎し、酸味をなくし、香りと風味を増す。酸味が残っているとアルコールのような匂いがする。その日は30分、豆により焙煎の温度と時間が違うそうです。皮をむいた実を粉砕し、熱しながら混ぜる。やがて脂分でドロドロになる。約6時間後にカカオバターを加えて、まろやかになり、口溶けもよくなる。その後砂糖を入れて3日間練り上げる。次にチョコレートの結晶を安定させる。温度が49度になっているチョコレートを28度にし、次に32度にまで温める。これを調温(テンパリング)と言う。結晶が安定しないと、脂が浮いたり、白くなったり、口溶けが悪くなるそうです。
 庭のキノコで作ったチョコの試食会に三ッ星レストラン「トロワグロ」の三代目ミッシェル・トロワグロ氏も参加したが、よいそうです。

●ブルターニュ地方キブロン Quiberon?
 海に突き出す半島の先端にある小さな町で、夏はリゾート地として賑わう。港の近くにお店があるアンリ・ルルーさん(64歳)は板チョコ部門で優勝を目指す。フランスのチョコレート専門雑誌で最高の5つ星、5本の指に入ると言われている。地元の素材にこだわっている。塩バター・キャラメル入りのチョコ、ハーブ・チョコなど。
 毎月開催される朝市でチョコに合う素材を探す。大きなオマール海老、牡蠣、ここの名物のそば粉のクレープ。貧しい土地なので、小麦が育たず、そばが育ってきた。あとの特産品はリンゴ。ブドウが育たないので、リンゴの発酵酒シードルが有名。今回のチョコにはリンゴを使うことにした。  車で2時間のゲランドの塩田に行く。ここは1000年前から塩職人の手で守り続けられてきた。大西洋の海水を干満の差だけを利用して塩田に取り込む。夏の間は太陽と風の力でゆっくりと蒸発させ、結晶化させる。この塩を使う。
 まずは調温で、ベネズエラ、ガーナなどカカオ66%のクーベルチュールを混ぜる。全体の1%ゲランドの塩を加え、均等にならないように混ぜる。口の中で花火があるような味にしたいという。次にリンゴ・キャラメルを作る。種を除く。熱した銅鍋に砂糖を入れキャラメル状にする。水は使わない。リンゴは輪切りにしていくつかの種類を混ぜる。香りの強いもの、甘いものなど。色が濃くなるまで煮詰めるが、リンゴは全部は潰さずにおくと、食感が残り、旨みが増すそうです。1時間でベースが完成。これにグルコース、砂糖、レモンを入れ、さらに煮込み完成。
 塩入りチョコレートを流しこんだ型に切ったリンゴ・キャラメルを入れ、チョコをかけて型を叩いて、空気を抜いて、2時間固める。今回は塩の味がわからない、リンゴの味が埋もれていて、チョコがキャラメルの味を邪魔していて、爆発するような味わいがないので、失敗だそうです。
 時折散歩に来るという海岸で新しいチョコレートを思いついた。岩が重なっている感じから、カリカリと噛むチョコのアイディアが浮かんだ。アーモンドのカリッとした感じと、香り、固い板チョコ、クレープドンテルのサクサクした感じ、海岸に座っていると潮の味がする。キャラメル化したアーモンド、塩入りチョコを混ぜあわせ、食感を高めるために薄いブルターニュの特産品クレープドンテルを加えた。食べていると噛みたくなるチョコ。海岸の名前を取って「ゴヴィロン」と名づけられた。このチョコは喜びのチョコだそうです。

●パリ
 渡辺美幸さん(40歳)はパリにお店を持つ唯一の日本人ショコラティエ。8年前にパリにやってきた。苦労の末、3年前にオフィスに囲まれたパリ8区に「ラ・プティット・ローズ La Petite Rose 」(小さなバラ)というお店を開いた。人気はコーヒー・ガナッシュ Ganache Cafe、ミント Ganache Menthe?。今では他の地区からのお客も増えてきた。渡辺さんは加古川市で生まれ、
 今回はバラのチョコレートを考えている。インド食料品店で、バラのつぼみ、花を乾燥したものを買った。チョコに負けないバラの香りが問題。お店の厨房は地下にある。アシスタントのスタッフはみな日本人。今回、アリアランス部門に挑戦する。これはガナッシュに香り、スパイス、フルーツなどを加えた創作的なチョコレート部門。チョコの中身を、上はバラのガナッシュで、下は甘くないガナッシュと、上下二層にする試み。
 バラの花びらを生クリームに入れて煮出す。花びらのエキスを入れたが香りが弱い。カカオで香りが消えないようにカカオバターをベースにしたホワイト・チョコを使う。ホワイトチョコは甘いので、下の層で甘さを押さえてバランスを取る。バラの花の砂糖漬けを加えたものも試した。結局後者を選択。
 下の層はビターチョコに紅茶の香りをつけたガナッシュに、バラの花の砂糖漬けが入ったガナッシュを加えた。紅茶のガナッシュと紅茶なしのガナッシュの2つに絞った。前者に決めて、さらに上にバラ色の??をまぶした。名前は「ローズ」にした。
 まかない食でカレーを作りましたが、隠し味でチョコを入れたら、味にコクが出るそうです。

●フランスのチョコレート事情
 あるレストランでは、チョコレートを使った料理が有名。メインは「子羊のモモ肉、カカオ煮込み」で、ローストしたカカオ豆を子羊の肉と共に7時間以上煮込んである。カカオは肉の苦味を消し、甘味を引き立てる。デザートは「ビターチョコのフワフラ・ケーキ」でナイフを入れると中からトリュフ入りの温かいチョコレートが出る。そのままでもアイスをつけて食べてもおいしい。
 アパルトマンでのちょっとアートな人たちのシャンパン・パーティーでは、つまみはチョコレートだけ。

●ベルギーのチョコレート事情
 元々チョコレート王国はベルギーで、一口チョコレートの発祥地としても有名。ビクトル・ユーゴーが世界で最も美しいと言った世界遺産グランプラス広場の周りには世界的に有名な Godiva、Neuhausなどのチョコレート店が連なっている。1976年創業のGaller?も王室御用達。ショコラティエはジャン・ガレーさん(52歳)。新商品のテーマは日本の心で、「香 Kaori」で柚子、サフランなど6本をそのまま食べるのではなく、抹茶やオレンジなどのソースにつけて食べる。自分で味を変えることができる。

●東京のチョコレート事情
 デパートの一室では世界中から買い集めたチョコレートの試食会が開催されていた。日本人の1人当たりのチョコの年間消費量は2.2kgでドイツの5分の1、ベルギーの4分の1、フランスの3分の1。大人の味わい方を普及させたいと熱意を持つのは百貨店の石亀佳幸さん。パリに乗り込み探索する予定。
 日本からも参加する店「マダム・セツコ」がある。アリアンス部門に「抹茶のガナッシュ」で勝負する。製品開発室の清水裕子さんが説明。抹茶の香りを消さないように用意したのがヨモギとそば粉。生クリームに混ぜて香りを出す。もうひとつ用意したのは緑茶と日本酒を隠し味にしたもの。「吟味」と名づけたチョコで優勝を狙う。

●サロン・ドゥ・ショコラ
 10月28日〜11月1日にパリの南15区にあるパリ・エキスポ・ホールで開催。5日間の開催中13万人が訪れた。入場料は大人12ユーロ。子供は半額。12回目の今回は37カ国、130店が参加。試食は無料。珍しいチョコも多く、ロシアからの人形のチョコも驚き。チョコ・エステも人気。カカオバターには肌の再生効果を高める作用があるそうです。残ったら食べてもOK。お客の反応を間近で見られるのがいいそうです。日本の「マダム・セツコ」も人気。石亀さんはアルノー・ラエールさんのブースを訪問。2年前のガナッシュ部門で優勝しているが、今回は板チョコの「サプライズ」で優勝を狙う。プラリネが入っていて塩も入っている。次はプラリューさんを訪問。キノコのチョコは完成しなかったので、やめて、マダガスカル産のカカオ豆だけのガナッシュにしたそうです。
 第一次審査はチョコレート業界関係者、ジャーナリストなどの5名。上位2名だけ選ばれ、決勝戦がある。一般の200人が参加して名前を伏せてままで決める。
 結果はアライアンス部門はフランスのジャン・ドリン・ゲル?さん。プラリネ部門はジャン=ポール・エヴァンさんなどでした。

http://www.chocoland.com/uk/index2.php


テレビ番組「徹子のわがままフランス珍道中」

 2007年1月21日放送。黒柳徹子さんが2006年5月にフランス大使公邸で日仏フレンドシップ・パートナーに就任し、パリとアルザスを紹介することになった。カルーセル麻紀、山咲トオルさんが出演。エール・フランスでパリに到着。テレビ朝日製作。

●スィーツ
 サン・ジェルマン通りを散策。有名なLes Deux Magots のお店がある。カルーセルさんは年に3ヶ月はパリにいるという。映画「マリー・アントワネット」で使われているのはパリの1862年創業の老舗「ラデュレ Ladurec 」のお菓子。パリに4店舗あり、一番人気のカラフルなマカロンは映画のイメージ・カラーにも使われている。マカロンは卵白とアーモンドパウダーを使った生地にクリームをはさんだお菓子。ここでは100g(約6個)6.5ユーロ。このお店ではバニラ、フランボワーズ、キャラメルなど15種類の味が楽しめる。マリー・アントワネットが好きだったのは、クグロフ Kougelbopf で1個2.6ユーロ。

●レザー
 カルーセルさん御用達のレザー・ファッション「ジャン・クロード・ジトロワ Jean-Claude Jitrois 」。マドンナを始めハリウッド・スターも愛用している高級店。

●ノミの市
 パリ北部クリニャンクールにあるヴェルネゾン地区のノミの市で、最も古くからある。徹子さんが気に入ったのはアンティック・ドールのお店「マイテ・プペ Maite Poupecs 」。アンティーク衣装の店「フランソワーズ・シュレール Francois Schuler 」には本物の貴族の衣装がある。1784年に作られた男性貴族の衣装。貴族の愛したレースのハンカチ2枚60ユーロ、マルコポーロの時代から作られているというガラス細工のお守り6個35ユーロ、絹入りの中国服480ユーロでお買い上げ。

●高級ジュエリー
 ヴァンドーム広場は高級ジュエリー・ブランド店が並ぶ。「ディオール・ジュエリー」の「ディオレット」はカラフルで可愛い。125万円。作っているのはアーティスティック・ディレクターはヴィクトワール・ドゥ・カステラーヌさんで、お話させてもらった。「アンクロワイアー・ブルクルヌイユ?」は883万円で、エメラルドを惜しげもなく使っている。ハリネズミの指輪の製作を依頼したら、ちゃんと作ってくれました。

●宿泊
 モンテーニュ大通りの5つ星ホテル「ホテル・プラザ・アテネ・パリ」。このホテルにはアラン・デュカスのレストランがある。料理は「コレクションコース5品」320ユーロで、エキゾチックなイメージのココナッツとタピオカを添えたホタテのグリル、スパイス入りホット・ワイン・ソースがけのオマール海老。案内された部屋は素晴らしいスィートで1泊1900ユーロ。

●市場
 土曜日の朝、中村江里子さんと逢う。3月には2人目のお子さんが誕生予定。夫はシャルル・エドワード・バルトさん。今人気の2人乗りの車でエッフェル塔の近くの市場に行く。普段は駐車場だが、週2回はマルシェ(市場)に早変わりの「プレジドン・ウィルソン通りとイエナ広場に出る朝市」。パンティー付きストッキングを5足30ユーロで購入。野菜も購入。

●中村邸
 天井の絵はジャン・コクトー。廊下は赤と白。台所からエッフェル塔が見える。ここでランチをいただいた。

●塩ラーメン
 オペラ地区でカルーセルさんと「来々軒」で塩ラーメン6.5ユーロをいただいた。ある果物を使った透明度が高いスープが絶品。美川憲一、神田うのさんも常連だとか。

●シャンソン
 シャルル・アズナブールは82歳の現在も精力的に活動しているシャンソンの神様。エディット・ピアフと同世代で、詩も提供している。ホテルでアズナブールさんと会って話を聞いた。


●アルザスのストラスブール
 パリ東駅から列車に乗って4時間半、500km東南へ。6月にはTGVが開通して2時間強で行ける。アルザスの州都で、ドイツとの国境。ノートルダム大聖堂は1176年に250年かけて赤色砂岩を用いて建てられた。マリー・アントワネットがオーストリアから持参したものをこの街で全て捨てて、フランスの服に着替えたという。

●コルマール
 ストラスブールの南西バスで40分の可愛い街。ドイツ文化が強く、言葉、料理、家も独特。サンドリーヌ、エルミーヌ母娘に案内してもらった。店頭にクグロフという帽子みたいなアルザスの伝統菓子があった。マリー・アントワネットの大好物のクグロフはアルザスの名物料理だった。コウノトリはアルザスのシンボル。
 プチト・ヴェニス Petite Venise という運河周辺もホテルなどが並び可愛い人気スポット。ゴンドラに乗って運河を移動した。本当に可愛い街です。レストラン「カヴォー・サン・ピエ−ル Caveau St. Pierre 」では、ウェイトレスのヴェロニック・シェールさんが民族衣装を着ている。骨付き牛、豚、ラム、ジャガイモなどの野菜を重ねてオーブンで煮込んだ伝統料理ベックオフ Bakeofe は、「パン屋のかまど」という意味。2人前28.6ユーロ。
 画家アンシ(1837-1951)はコルマール生まれ。アルザスの子供達を描き、人気がある。美術館(入場料2ユーロ)に行くと、アンシの子孫のジャック・フェゲールさんが案内してくれた。黒柳さんは美術館でお皿を購入。

●リクヴィル Riquewihr
 小さな村。ブドウ畑がある。アルザスではワインは7種類作られている。白ワインはフランスの3大産地の一つ。ワイナリー「ドープフ&イリオン Dopff & Irion 」で試飲させてもらった。リースリングの白「Dopff & Irion Riesling 2002 」は2年前の世界最高賞に輝いた。ミネラル分を感じる。ソムリエのピエール・アドリアン・ジョフレさんが隠し蔵で特別なワインをいただいた。徹子の部屋は1976年2月2日が第一回の放送だった。1976年のワインをいただいたが、ピエールさんはまだ子供だと言ってました。いいワインは白ワインでも熟成すべきだとピエールさんは語った。
 ミネラル・ウォーターVittel はヴォージュ山脈を水源としている。水の硬度は1リットル中のカルシウムとマグネシウムの含有量で表示され、100以下が軟水で、300以上が硬水。Vittel は307なので飲みやすい。

●イルハーゼン Illhaeusern
 40年に渡って3つ星を取り続けている格式の高いレストラン「オーベルジュ・ド・リル Auberge de L'Ill 」。アルバ産の白トリュフをテイスティングするかどうか聞いてきました。「じゃがいものスープ、白トリュフがけ」特別料金。前菜は「フォアグラのテリーヌ、オーベルジュ・ド・リル風」46ユーロ。フォアグラのテリーヌはアルザスが発祥の地と言われていて、コンソメとポルト酒?のジェリー寄せでいただきます。魚料理「カエルのムース、ポール・エーベルラン」45ユーロは、先代のシェフのポール・エーベルランが考案したもの。赤ワインは「アルザス・ピノノワール 2003 」で特別料金。ここのソムリエのセルジュ・デュプスさんは89年度世界最優秀のソムリエで、フランス・ソムリエ連盟会長。給仕さんも世界一クラスだとか。肉料理「青首鴨のロティー、赤キャベツとイチジクのコンフィ、エビス風味」2名分86ユーロ。デザートは特別製で、徹子の部屋30年お祝いデザート。飴細工の鳳凰が舞うもので、「チョコレートケーキ、徹子スペシャル」特別料金。最後にシェフのマルク・エーベルランさんに挨拶しました。
 エーベルランさんは「レストランひらまつ」の平松宏之さんと提携して3月にオーベルジュ・ド・リル・名古屋が名古屋のミッドランド・スクエアビルにオープンする。
http://www.auberge-de-l-ill.com/

●ミュールーズ
 コルマールのさらに南。クリスマス・ツリー発祥の地で、クリスマス市が開催される。世界中から150万人が訪れる。お店のキャンドルがきれい。パン・デピス Pain d'epices 12ユーロは、大きなパン。メリー・ゴーラウンドに乗って楽しみました。

●ニーデルモルシュヴィル村 Niedermorschwihr
 アラン・デュカスさんの紹介してくれたジャムの妖精のお店「メゾン・フェルベール Maison Ferber 」のジャムは5.25ユーロ、200種類。年間10万個も売れるという。ジャムの妖精クリスティーヌ・フェルベール Christine Ferber さんは天才菓子職人と言われている。ちょっとふっくらされています。アラン・デュカスはイチジクやサクランボのジャムを料理にあわせて使うという。黒柳さんはイチジクが好きだそうですが、「イチジクとシナモン」、「イチジクとフランポワーズ」など8種類のイチジクのジャムがある。ここのジャムの特徴は果肉そのままの食感が楽しめること。
 自宅でいろいろ食べさせてもらった。まずはジャムと塩辛いものを組み合わせて食べる。クリスマスのジャムはアンズ、イチジク、プラム、オレンジ、レモンなどのドライ・フルーツとアーモンド、クルミ、スパイスなどが入っている。まずはフォアグラのテリーヌにあわせてみた。次はチーズにジャム。最後に黒柳さんがお煎餅を出してきて、合うかどうか聞いてみた。イチジクとアルザスの白ワインで作ったジャムとフォアグラを載せてみたら、東洋と西洋の融合とかじゃなくて、大きな山が崩れてくるぐらいの衝撃だったそうです。
 「サクランボとリンゴのフレッシュ・ミント風ジャム」を作ってみた。サクランボの砂糖づけ650g、グラニュー糖650g、リンゴ400g、レモン1個、ミント20枚。リンゴの皮をむいて切って、サクランボと鍋に入れ、レモン汁を入れてかき混ぜたら、強火で加熱する。洞鍋で作ると火の通りが早くフルーツの食感を損なわずにジャムが作れる。丁寧にアクを取り、とろみがでたらミントを入れる。20分で完成。蓋をしたら空気を出し、保存のためにひっくり返して一晩置く。最後の仕上げはラベル。
 フェルベールさんの夕食会にも呼ばれました。


テレビ番組「美の巨人たち フランス 印象派のパラダイス」

 2006年12月16日放送。小林薫さんが案内。テレビ東京製作。

●パリ
 オランジュリー美術館は6年間の改修を終えて、今年6月に再オープンした。印象派を代表するクロード・モネの大作「睡蓮」がある。楕円形の部屋を飾るのは4枚の睡蓮を描いた大作。「朝」と名づけられた睡蓮の池、縦2m、横12mで光を受け水面が輝いている。「緑の反映」には木々の緑が映りこんでいる。「雲」は水面に沸き立つ雲が描かれている。「日没」は思わず見入ってしまう。隣の部屋にももう4枚。並べると横90mにも及ぶ大作。「明るい朝の柳」、「二本の柳」、「朝の柳」は柳越しの池を描いている。最後は「樹々の反映」で、緑を映しこんだ水面。
 モネは43歳の時に郊外にいい場所を見つけた。ゴッホなども続々パリを巣立っている。1874年写真家ナダールのスタジオで、若き画家達の展覧会「第一回印象派展」が開催された。批判されたがルノワール、セザンヌ、彼らに影響を受けたゴッホは後の美術史を書き換える巨匠となる。中心人物の一人がモネだった。

●ジヴェルニー
 その頃、居を構えたのがパリの西50kmのジベルニーだった。モネは様々な花を庭に植え、育て、睡蓮を池に育てた。みんな睡蓮に興味を持った。光の画家と言われたモネは水面に光を追い求めた。晩年のモネは白内障にかかったが、12年かけて睡蓮を作成した。

●アルル
 パリから電車を乗り継いで5時間。ゴッホはここで自分のスタイルを確立した。ゴッホの住んでいた建物は第二次世界大戦で空爆にあい破壊された。
 「アルルのゴッホの寝室」はオルセー美術館にある。暗い絵ばかり描いていたゴッホはパリで印象派の絵を見てから明るい絵を描くようになった。画材屋のタンギー爺さんに出会って運命が変わった。日本の浮世絵を見せた。日本を影のない強烈な光のある国だと思ってしまった。パリよりも光の多い南フランスを目指した。「アルルのゴッホの寝室」にも浮世絵の影響がある。アルル滞在中に「マダムお菊さん」をゴッホは夢中で読んだ。この中には日本の部屋は「細かい清潔さと白いうす寒い空虚」だとある。本当の日本間とは無駄な装飾のない清潔にして簡素な空間である。これがゴッホには驚きだった。ジャポニズムの流行した19世紀末のヨーロッパでは、日本間といえば豪華な屏風や敷物で飾られ、骨董などで溢れていた。ゴッホは15ヶ月の間に200枚の油絵を描いた。ひまわりも多く描いた。
 ゴッホがよく描いた糸杉も残っている。ジャン・ルーケットさんの祖父はゴッホのアトリエの建物に住んでいて、ゴッホの話をよく聞いたという。アルルの人が昔から食べていた「豚肉と野菜の煮込み」をいただいた。ゴッホはゴーギャンをここに呼んだが、争いを繰り返し、耳を切った。入院した病院は今は文化センターになっている。心は癒されずアルルを去った。

●エクス・アン・プロヴァンス
 アルルから車で東に1時間。ポール・セザンヌは「サント・ヴィクトワール山」を描いた。山の上はピンクなどの柔らかな色、左には盛り上がる緑の松の木。あのピカソもこの山が好きだったけど、描かなかった。なぜならあの山はセザンヌのものだったから。
 パリに出たセザンヌはピサロにならい、明るい色彩の風景画を描くようになった。しかしピサロ以外の画家とは意見があわず、失意のうちにプロヴァンスに戻った。市街地から少し離れた小高い場所にアトリエがある。管理人のクリスティーヌ・バルビエさんが説明してくれた。理由はここから山が見えたから。サント・ヴィクトワールとは聖なる勝利という意味。古代ローマ軍がゲルマン民族に勝利したことから名づけられた。セザンヌは60枚以上描いた。文学者のエミール・ゾラもここに来て、将来を語ったそうです。場所により、雲や光により印象が変わる山。アトリエから車で10分の場所でよく描いたそうです。画家アラン・ロベールさんが描いていた。セザンヌは山の持つ普遍の光を描いた。キュービズムの原型となるような絵も描いていた。

●ニース
 老舗のオリーブ専門店「アルジャーリ Alziari」に寄る。ここで隣の町にある樹齢1000年というオリーブの古木を教えてもらった。

●カーニュ・シュル・メール
 ニースの近くの小さな町。コレット荘にピエール・オーギュスト・ルノワールはオリーブの古木を買い取り、アトリエを開いた。ルノワールの「浴女たち」には柔らかな色で女性の裸が描かれている。以前は滑らかな輪郭線で描かれていたが、ここでは震えるようなタッチで描かれている。この時ルノワールの肉体はリューマチに冒され、指先は曲がっていました。曽孫のジャック・ルノワールさんがいる。ここに来て亡くなるまでの10年間、そこのアトリエで絵を描いた。晩年は歩けなかったそうです。何度も筆を押し付け、色を重ねるしかできなかった。さらにこの絵の左下には垂れてしまった滴り落ちる赤色がある。最後は筆を手に縛り付けていたそうです。ルノワールが力をもらったのはオリーブの木。


テレビ番組「世界遺産 南フランス ローマの水道橋ポン・デュ・ガール」

 2006年12月10日放送。ローマ帝国は道路網、神殿、大浴場、円形闘技場などのインフラ整備に力を注いだ。中でも国家事業の双璧をなしたのが水道の建設だった。後世に悪魔の建築と呼ばれる巨大建造物を完成させた。南フランスの水道橋ポン・デュ・ガールは1985年世界遺産。

●ニーム Nime
 2000年以上前に古代ローマ人が都市を築いた。道路網の要は南フランスのニームだった。紀元前1世紀にアウグストゥスは帝国のいたるところにローマと同じ都市を作っていった。徹底したインフラ整備が行なわれ、市民は「ローマの平和」と呼ばれる時代を謳歌した。ニームでも新たな水源が必要となった。ユールの泉のような豊かで濁りのない良質の水をローマ人は求めた。泉から町までは迂回すると総延長50kmの水路が必要だった。ポンプのない時代には水路に勾配をつけて設計するしかなかった。水源とニームの標高差は17m。1kmあたり僅か34cmの精密な傾斜が求められた。それを可能にしたのが、水準測量器だった。2つの地点の僅かな高さの違いを測った。地形に合わせ、時には水路は地面の下を通った。幅1.2m、深さ1.8m、水流を一定に保つために、水路の大きさはどこでも同じに設定された。
 途中どうしても避けては通れない難所が2ヶ所あった。一つは山で、セルナックのトンネルを作って解決した。しかし狂いが生じた。両側から削り始めて、60cmずれていた。
 最大の難関は全長273mの水道橋ポン・デュ・ガール。2000年前の高層建築。1つ6トンもの石を積み上げただけのアーチ。それが3層に積み重なった高さは49m。14階建のビルに匹敵する。水路は橋の最上部にあり、石版で蓋がされていた。4万個という石を積み上げたのも、この幅1m余りの水路のためだった。壁に残る赤い色は2000年前の防水用のニスで、ワインにイチジクと牛の皮を加えて煮詰めて作られた。さらに下地にはセメントを用い、水漏れを防いだ。
 ニーム水道の終点はニーム貯水槽 Castellum。丸く開いているのは水道管をつないだ穴。当時は鉛の水道管が使われた。銅製の蛇口が使われた。通常は水質維持のために流しっぱなしで、蛇口は修理などで水を止める際に使われた。疫病を予防し、衛生的な都市生活を可能にし、入浴の楽しみをローマ人に与えた。インフラを整備して快適な生活をさせることが平和を長く続けるポイントだとローマ人は知っていた。「ローマの平和」と呼ばれた。

 2002年フランス大水害でもポン・デュ・ガールは微動だにしなかった。橋脚につけられた三角の柱で水圧を分散させていた。この水害で石材運搬のための船着場が姿を現した。石切り場の一つが数百m上流に残っている。切り石は隙間なく積み上げただけ。刻まれたローマ数字は積む時の順番。アーチは木組みの上で互いに支えあう形で作られた。ローマ人が発明したアーチ工法は後の西洋建築の基本となった。ニーム水道のヴェルマル橋 Pont de Velmale など、途中の水路では建築の容易な石材が使われた。
 ニーム水道の水は多量の石灰質を含んでいたので、水路のメンテナンスを怠るとどうなるか、教えてくれるものがある。考古学者のカトリーヌ・ビィタンディールさんは水漏れの部分を紹介している。そこで大きな塊ができている。原住民が密かに水を盗んで、生活したりオリーブを育てていたようです。

 しかし最後に水路を止めたのは自然の力ではなく、人間だった。9世紀にノルマン人が水道を破壊した。

●サン・ボネ・デュ・ガール村 Saint Bonnet du Gard
 住民は水路の石材を使って建物に使用した。


テレビ番組「地球新世紀 月尾嘉男の文明大冒険」

 2006年11月23日放送。月尾嘉男、草野満代さんが案内。地球が危機にさらされている。洪水、砂漠化、森林破壊。つき進む崩壊へのカウントダウン。このままいくと森は400年後に消滅するという。水は50年後に70億人分が足りなくなる。採掘可能な石炭は164年後、石油は41年後に全てがなくなる。1000年後全ての生き物が地球上から消し去るという試算もある。
 東大名誉教授・環境学の月尾嘉男氏は、過去に崩壊した文明を紐解けばヒントがあるという。日本人とケルト人の生活に地球を救う鍵があるという。TBSテレビ製作。

●森
 森は1990年から2000年にかけて地球上で毎年1000万ヘクタール近い森林が消滅した。日本の国土面積の4分の1にあたる。このままいくと400年後に全ての森が消滅する。それが文明の崩壊をもたらす。

●イースター島
 絶海の孤島。周囲58km、小豆島と同じ面積で、荒涼とした大地が続く。世界的に有名にしたのはモアイ像。毎年4.5万人の観光客が訪れている。1774年この島に上陸したキャプテン・クックは、「島の東側で廃墟に出会った。巨大な像の多くは倒壊し、倒れていた。」と書いている。現在立っているモアイは近年修復されたもの。
 ハンガ・ロア Hanga Roa を中心に3900人が生活している。はるか昔、伝説の王ホツマツアが神様のお告げで一族と共に大海原を船でやってきた。5世紀頃、ポリネシアの民が海を渡り、この島に辿りついで文明を起こしたというものが有力な説となっている。タヒチやフィジーにも石像を作る文明の形跡が残されている。
 モアイ像は5−7m、重さは20トン。様々な装飾が施されている。背中にはふんどしらしき文様もある。頭の上にはプカオと呼ばれる石の帽子をかぶる。アフと呼ばれる祭壇に建てられている。精巧な石組みは高度な文明であったことをうかがわせる。モアイの研究をしているセルヒオ・ラプさんは「モアイ像は人々を見守るご先祖様。亡くなったご先祖様を崇拝するために作られた。」と語る。アフの下から発掘された頭蓋骨がある。当時の人々はモアイ像の前に集落を作っていた。だいたい20人くらいが石の住居の中で暮らしていた。畳50畳分程度の空間で、天然の洞窟を利用していた。入り口付近には石のテーブルのようなものがある。奥には新鮮な空気を得るための風穴もあった。主に食べていたのは、魚、海鳥、タロ芋などだった。
 彼らはロンゴロンゴという奇妙な文字を使っていたが、未だ解明されていない。最盛期は50の部族1万人が暮らしていたと考えられている。

 ラノララク山(標高200m)でモアイが作られた。山肌には作りかけのモアイが397体あり、文明崩壊が突然だったこともわかる。高さ21mの島最大のモアイはその雄姿を一度も見せることもなく風化を待っている。
 ラノララク山は山全体が柔らかい凝灰岩でできている。石斧などで直接切り出してモアイが作られている。まず頭、体、脇腹の順に作られていた。30人が1年間かけてようやくモアイ1体ができた。1000体もあったモアイから15世紀には人口が1万人程度と考えられている。モアイを運ぶために木材のコロを使ったので、森林破壊に拍車をかけた。ニュージーランドのマッセイ大学?のジョン・フレンリー教授は農業を行なうために、森林を全て破壊したと語る。花粉分析により、3万年前から1000年前まで島にはジャングルのような深い大きなヤシの森があったことが判明した。国際日本文化研究センターの安田喜憲教授は土の記録「年縞」に森が消えていく様子が書き込まれているという。紀元1000年頃から急激に森が消え始め、1200年頃にはほぼ消滅、1550年頃に文明が崩壊した。森がなくなり、土壌が流出、肥沃な土は海に流され、土地は痩せ衰え、食料難になったのだろう。わずかな食料を巡って戦争が起こり、モアイは倒された。
 セルヒオ・ラプさんは島の西側にある「アナカイタンガタ?(人を食べる洞窟)」を説明してくれた。食料難で島では食人が行なわれていたようだ。最盛期1万人いた人口は1872年にはわずか111人にまで減ってしまった。
 トロミロの木はヨーロッパ人に持ち帰られていたが、今戻ってきた。今島ではトロミロの森を復活させようとしている。ヤシの木も植林されている。

●ケルト文明
 ケルト文明の専門家の鶴岡真由美さんは「ユーラシア大陸の両端にある文明が大事だ」と語る。  フランスのロリアンでは毎年夏にケルト民族フェスティバルが開催されるが、毎年大きな盛り上がりを見せている。ヨーロッパ全体がケルト民族の精神・考え方を見直そうという気運が色濃く感じられる祭りである。1993年に生まれたEUにはヨーロッパ共通の精神が必要で、それこそがケルトだった。
 2500年以上前のヨーロッパは大地は森に覆われ、美しい景観を作っていた。フランスのブルターニュ地方のブロセリアンドの森のような森がかつてはヨーロッパ全土を覆っていた。ケルトの民は森を大切にしていた。文字は持たず、背は高く、色白で目は青く金髪だった。国を作らず部族単位で暮らしていた。金細工、青銅器、鉄器など金属の加工技術はずば抜けていた。ケルトの精神は自然との共生の中にあった。木は神々が宿るものとして敬愛してきた。特にオークの木、実のどんぐり、それを猪が食べる。人はこの神聖な猪を与えられ、人の排泄物が森を豊かにした。ドルイドと呼ばれる神官が祭儀を取り行なうのもカシやブナの巨木の下と決められていた。紀元前1世紀に始まるローマの侵攻によりケルトに危機が迫った。ケルトの民はスペイン北西部、フランスのブルゴーニュ、イギリス北部と西部、アイルランドで生き残る。キリスト教が入ってくるとケルトの精神が発揮された。多神教のケルトは排除せず融合した。「ケルズの書」、ケルト十字架などが例。

●日本
 一方日本も豊かな自然を守ってきた。長野県の諏訪大社の祭でもモミの大木に神が宿るとしている。山形県大蔵村でも山の麓に田を開き、森林の恵みと共に暮らしてきた里山という原風景。樹齢250年以上と言われる杉の木は村の御神木。祠には「さんじんさま」が祀られている。かつては木を切ったら、植林していた。はるかに遠い山は奥山と呼び、畏敬の念を抱いてきた。八百万の神が住む神聖な場所だと考えている。

 「エコロジーとエコノミーの統合」を月尾さんは提言したいという。ヨーロッパでよく読まれている絵本「木を植えた男」を紹介しました。
 次回はマヤ文明を例に土と水をテーマに1月2日送ります。


テレビ番組「情熱大陸 パリのデザートの化学者」

 2006年10月22日放送。シェフ・パティシエ長江桂子さん(32歳)のチョコレートのミルフィーユはパリっ子をうならせた。ミルフィーユを切る時にいつも潰れてしまうのが気になっていた。フランス人好みのしっかりした甘さ、見た目から想像できない軽さ、奇をてらわないポピュラーな素材を初めて食べる味に変えた繊細な技術が、エスプリの国の住人を驚かせた。パリで最も信頼されると言われる料理雑誌「チュリエス・マガジン Thuries Magazine 」2006年7−8月号でも16ページに渡って大特集を組んだ。料理ジャーナリストのベネディクト・ボージェさんは「抑制の効いた甘味がとてもエレガントで、味が繊細だ。」と語る。母校でもある名門の「ル・コルドン・ブルー」が特別講師として招いた。

 凱旋門から近いパリの一等地の「ホテル・ランカスター Hotel Lancaster」が職場。彼女がここに来たのは2年半前。レストランのデザートをメインに、サロンやルームサービスに使われるお菓子の全ての責任者。このデザートが評判の一つ星レストラン「ラ・ターブル・ド・ランカスター La Table du Lancaster」のスーパーバイザーは天才三ッ星シェフのミシェル・トロワグロ。トロワグロは3代にわたる屈指のブランド。祖父のジャン・パティスト、父のピエールとジャンのトロワグロ兄弟。38年間三ッ星を獲得し続けている「トロワグロ本店 Maison Troisgros」(ロアンヌ)。ミシェルに長江さんは見込まれた。女性はお菓子作りで大成しないといわれているが、彼女は非常に良いシェフ・パティシエになる可能性があるが、まだ勉強が必要だという。
 長江の代表作な「チョコレートのミルフィーユ」は、デザートには重すぎるチョコレートを軽くするために、パイ生地をできるだけ薄くする。織り込む作業に5日間かける。トロワグロの料理に酸味が必ず入るので、それも調整しているようです。確かに料理は酸味の種類毎に分かれている。「ワインや酢を使ったさわやかな酸味」、「野菜、ハーブ、果物を使った酸味」、「トマトのエスプリ風の酸味」、「レモン、柑橘類のピカッと光る酸味」から前菜からメインの料理を組み合わせて選ぶ。伝統的なフレンチに常に新しい味を加えるのがトロワグロ流。「蒸しタラの醤油味。昆布だしがけ、コシヒカリ添え」、「仔羊の骨付き肉のハーブロティ、フメイユのサフラン煮、ヨーグルト添え」などがある。チョコレートに合わせる酸味は新種のかんきつ類の皮をシロップで煮詰め乾燥させた粉。一口できれいに食べられるように、ミルフィーユを切って縦に置き、パン生地の間には、紅茶風味のチョコクリームを置いた「1枚1枚はがれるショコラとベルガモットのミルフィーユ」。サクサクして甘いのに酸っぱい。また出来たてが命のデザート「ココナッツのスフレとピナコラータのソルベ」。「チョコレートとミントの冷たいババロア」。1皿16ユ−ロの芸術品。抹茶やゴマといった日本的な素材は滅多に使わない。

 長江さんは1974年千葉県船橋市生まれで、実家はレストランを経営。学習院大学法学部を卒業し、語学留学し、折角パリにいるから菓子作りを学んだことが仕事の転換になった。コルドン・ブルー時代のノートを改めてきれいに書き直したという。性格が表われています。卒業後に1862年創業の老舗洋菓子店「レデュレ」で本格的なパティシエ修行が始まった。

 レストランでは年に4回季節に合わせてメニューを変更する。秋は7種類だが、そのうちの5種類は長江のオリジナルの新作を出すことに決まった。その全てをトロワグロが試食してOKを出さないと、客の前には出せない。「モンブラン」は3種類の栗のクリームを混ぜ合わせ、微妙な甘味を調節。酸味にはカシスを使った。見たことがない形です。何が足りなくて、何が余分なのかを調整する。信頼できるシェフに食べてもらう。メレンゲ、生クリーム、カシス、栗のクリームとアイスクリームに歯ごたえのあるものがないから、追加したい。
 土曜日の朝はプレジダン・ウイルソン市場に行く。8月29日に試食の会が開かれた。味はたいへんいいが、ミルフィーユのような形は変えた方がいいと提案された。10月11日、秋メニューに変わる日、キャラメルを使った板を少し反らせた以外は自分の意見を通した。トロワグロはこのカシス入りマロンムースを「モン・フジ」と名づけた。


テレビ番組「世界で見つけた! 感動レストラン物語」

 2006年10月1日放送。内藤剛志、東貴博、山口もえ、田丸麻紀さんが案内。シェフたちの絶品料理には感動という隠し味があった。日本ハム提供。よみうりテレビ製作。

●フランス
 南西部の町サン・ジュニアン Saint Junien は小さな町。リモージュ空港から市内へ。町の中心から外れた丘にあるレストラン「ローリーヴァン Lauryvan 」は町でも人気。パリの三ッ星レストランでサービスをしていたオーナーのローラン・ブルイユさんが11年前にオープンし、連日大盛況。ここで働くのが杉本敬三さん(27歳)で、今年3月に総料理長として迎えられた。楽しそうに仕事をしていました。
 料理は「モリーユ茸とリ・ドォ・ヴォーとフォアグラの軽いクリーム煮込み、小さな気球仕立て」は殻のついた卵の上にパイがのったもので、パイの中にはフォアグラやリ・ドォ・ヴォー(仔牛の胸腺)とトリュフと一皿目から贅沢。これを目当てに来る人も多いとか。「手長えびのカリカリ・ジャガイモ巻き、バジルのソース」は色鮮やか。サクサクの衣もプリプリのエビが愉しみ。「牛フィレ肉とフォアグラのロッシーニ風、黒トリュフを使ったベリグー・ソース」。リムーザン地方は肉牛が有名で、これを170g使った料理には、フォアグラをあわせ、トリュフをふんだんに使う。「りんごのキャラメル・カリカリタルト、カルヴァドスのソース」。コースは64ユーロから。この地方の伝統を守りながら、いつも楽しませてくれるとお客さんは語った。サン・ジュニアンの市長のピエール・アラールさんもファン。

 杉本さんは小さい頃からお母さんの手伝いをしていた。京都・福知山の「すぎや」?。食べ歩いた一流レストランの記録もつけていた。高校クッキング選手権に3年連続出場し優勝した。24歳の時にミシュラン1つ星レストランの総料理長に就任していた。20代としては日本人として2人目の快挙。しかし、あっさりその地位を捨ててここに来た。フランス料理を極めるために、自分で星を取りたいと思ったそうです。

 市場に行き、白いんげん、ヤギのチーズなどを見てまわりました。レストランの庭には無農薬の野菜や果物やセップ茸がある。出張料理をしました。ヤギのチーズは衣をつけてチーズ・コロッケにした。ジャガイモは日本料理伝統のかつら剥きにして糸のようにスライスしてエビに巻いて揚げた。「豚肉のポルト酒煮込み、フォアグラのポワレ添え、根セロリの軽いクリームソース」はフランスの家庭料理。ここでも「煮こぼし」という日本料理のテクニックを使っていた。これは沸騰したお湯に肉を入れ、軽く2回水洗いしてアクと余分な脂を取る方法。ワインは特別なサンテミリオン・グランクリュ1999。白いんげんにオマール海老をのせ、トリュフのソースで仕上げた「オマール海老のサラダ仕立て、トリュフ風味、白インゲンとジロール茸のマリネ」。最後は「リ・ドォ・ヴォーと仔牛の頭のマリアージュ、セップを添えて」。仔牛の頭のカルパッチョと胸腺。杉本さんの話では、出張料理は1%のひらめきと99%の努力が必要だそうです。

 父の則行さんと母の妙子さんが来店した。「子羊の背肉のロースト」は1週間かけて作ったシンプルな料理で、脂は口の中で溶け、皮はできるだけパリパリにする。ソースも子羊で5時間煮込んで作った。味は「おいしい」、どう思うか?と聴かれたら「幸せです」とお父さんは語っていました。

●南アフリカ
 ケープタウンに日本の定食屋さんがある。東貴博さんが訪問。ヨハネスブルグ経由でケープタウン空港に到着。目の前にはテーブル・マウンテン。近代的な大きな町でヨーロッパ人のリゾート地。郊外に出ると野生動物の宝庫。デイジーやガーベラなどの野生植物も多い。
 ケープタウン港の一角に「ニッポン・ハウス」がある。全国漁業協同組合連合会ケープタウン事務所(tel? 92/04784/07)とも書いてある。魚田洋喜さん(50歳)は日本のマグロ漁船のエージェントもやっている。船員休養室もある。ラーメン50ランド(900円)、うどん50ランド、焼うどん60ランド、ベーコン定食30ランド、野菜炒め定食50ランド、ウィンナー定食30ランド、焼そば60ランド、焼き飯40ランド、ライス15ランドなど。一番人気は野菜炒め定食。
 自宅を訪問した。奥さんのフィシアさん(47歳)は陽気な人。長女アスカ(25歳)、次女のタツミさん(18歳)。魚田さんは17歳でマグロ漁船に乗り、立ち寄ったケープタウンでフィシアさんに出会った。しかしアパルトヘイトのために日本人が白人を妻として日本に連れて帰ることができなかった。留まれば結婚できるというので、魚田さんは留まることを選択し、1985年に結婚した。以来1度帰国した。釧路の母ミヨシさん(87歳)を気にかけていた。東さんはお母さんのビデオレターを持参していました。
 これに刺激されて魚田一家4人は9月2日女満別空港に帰ってきた。感動しました。

●ニューヨーク
 行列のできるデザートのフルコースを出すレストランのお店。山口もえさんが案内。ニューヨークで開店するレストランのうち90%が1年以内に閉店してしまうという。その中で開店して3年行列が絶えない店「チカリシャス ChikaLicious」を経営するのは千加ティルマンさん(44歳)。
 「ジャスミンティーのジュレにすいかのソルベ」。メインに合うワイン「オレンジマスカットのデザートワイン」はシャンパン・ゴールドの甘いワインで、ご主人のダン・ティルマンさんが持ってきてくれました。。メインは「季節のネクタリン、バニラ・アングレーズとバジルのソルベ添え」。完熟したモモの一種ネクタリンの皮をむいて黒砂糖をかけ、表面をバーナーで炙るとアメ状になる。デザート?は「プチフール Petit Fours 」。デザート・コースは「マスカルボーネ・チーズとグレープのタルト」。「ココナッツのマシュマロ」。「トリュフ」には中華で使う八角が入っている。もう1周したい人のために、メインのデザートは日替わりで数種類あり、好きなものを選べる。今度のメインは「フロマージュ・ブラン・アイランド・チーズケーキ」。デザート・プリフィックス・コースは12ドル。
 デザート専門の店がない。おいしいデザートを食べるには三ッ星などのレストランに行かないといけない。デザートを食べる前におなかがいっぱいになってしまうから、300ドルの後となる。ハンバーガー1個食べた後においしいデザートを食べて安くしたいという人の希望に沿って、こういう店を出そうとしたそうです。
 千加さんは20歳でダンさんに出会い、23歳で結婚を機に渡米。24歳でニューヨークの銀行で働いた。料理を学び、主席で卒業。新しくオープンしたレストラン「グラマシー・タバーン」のスタッフとなった。お店はザガットでニューヨークで一番の人気店と評された。2001年新しくオープンした店のチーフをまかされた。しかし、オープン翌日に9.11の同時多発テロが勃発し、友人も亡くし、お店は閉店した。自分のデザートのお店を持つことを考えた。

 千加さんのデザートには幸せがトッピングされていた。
 最大4人までのグループでどうぞ。場所は1番街と2番街の間&East 10th. street です。
http://www.chikalicious.com/

●カンボジア
 アンコール・ワットの近くでお店を開いた。田丸麻紀さんが案内。ボートに乗って進んでいくと、水上で生活している人々がいる。抜けると視界が広がり東南アジア最大の湖トンレサップ湖にでた。大きさは琵琶湖の10倍以上、魚の豊富さは世界一だといわれている。ここに水上レストラン「ヴィミアン・タマイ・レストラン」がある。出迎えてくれたのは養殖のワニとヘビ。希望者はクビに巻いて記念撮影ができる。名物料理は「蒸しライギョ」で、香草などに包んで甘酸っぱいタレにつけて食べる。もう一つの名物は「川エビのボイル」。

 シエムリアプ Siem Reap はカンボジア第二の都市。最近急激に人口が増加したという。アンコールワットは1992年に世界遺産に指定され、世界中から観光客がやってきて、カンボジア復興のためのボランティア活動をする長期滞在の日本人も増えている。アンコール・トムやタ・ブロームもある。
 ここに日本レストラン「米咲(まいさ)」がある。津野朱實さん(70歳)が経営する。若い頃は宝塚少女歌劇団に所属し、退団後も悠々自適な生活をしていた。3年前にオープンしたが、従業員には厳しい。米咲の清潔さは町でも有名。来店する人にはママと呼ばれている。日本にできるだけ近い料理にしてあるそうです。カレーライス5ドル、肉じゃが3.5ドル、カツ丼5ドル、天婦羅盛り合わせ6ドル、寄せ鍋20ドル。かつて割烹料理店をしていたからダシの取り方から本格的。食材はオールド・マーケットで上質で少しでも安いものを購入している。お店にはアンコール・フレンズ募金箱も置いてある。

 1999年か2000年にアンコールワットを観光に来たが、小児病院で地雷で怪我をした子供たちが担ぎこまれ、貧困で死んでいく子供たちを見た。子供たちを救うために67歳で決心し店を開いた。ところが小さいガンが見つかった。手術してすぐに復帰した。「この命いただいたのだから、何かやらないといけない。」と語っていました。病院からは感謝状が贈られていた。
 アンコール小児病院 Angkor Hospital for Children に行ってみた。写真家の井津建郎さんが寄付を呼びかけ、1999年に設立した。初診料は30円。他の病院に行けば3000円以上かかるので、外来患者数は1日450名。中には自転車に子供を乗せて3日かけて辿り着く家族もいるという。赤尾和美さんはここで働いている。付き添いの家族のための共同の炊事場もある。


テレビ番組「世界遺産 フランス・アルケスナンの王立製塩所」

 2006年9月24日放送。塩の確保は人類史上重要課題だった。18世紀ルイ王朝家のフランスでも塩は重要だった。ベルサイユ宮殿に来た美貌のデュ・バリー夫人はルイ15世の寵愛を受けた。クロード・ニコラ・ルドゥーはデュ・バリー夫人の邸宅の建築で名前をあげ、国王のお抱えの王室建築家となった。新たな製塩所の設計が彼に命じられた。型破りの建築が建築界に論争を起こさせた。

●サラン・レ・バン Salins-les-Bains
 フランス東部でスイスとの国境に近い人口3000人の温泉保養地。山間の町で今人気なのはタラソテラピー。本来は海水を使った自然療法だが、この町は岩塩の地層の上でできており、地下水には多量の塩分が含まれている。若い女性は美容のため、リューマチ患者は処方箋を持って全国からやって来る。
 1000年以上続いたサラン・レ・バン製塩所はフランス一の生産量だった。直接岩塩を採掘する代わりに、200m以上の地下から塩水をポンプで汲み上げ、それを煮詰めた。岩塩が溶け出した塩水には1リットル当たり300gの塩が含まれていた。ガイドのヴァンサン・ルッフィノーニさんが案内してくれた。
 ヨーロッパで塩の需要が急増したのは、14世紀の塩漬けによる食料保存の発明だった。コロンブスによる大航海時代、長い航海が可能だったのも塩による食料保存が可能になったから。
 サラン・レ・バンでも新しい工場の建設が望まれていた。候補地は燃料を確保するために20km離れた森だった。そこに塩水を運んだパイプがある。1.5万本のもみの木をくりぬき、パイプラインとした。経済の柱となる塩の生産は国王が独占し、何ヶ所も監視所が設けられた。

 そこにできたアルケスナンの王立製塩所は、それまでの建築の常識を覆すものだった。彼の建築は現代デザインの先駆けとも言えた。ルドゥーは「建築は人の思想を育てる」と語る。根底にあったのは、当時流行していた啓蒙思想で、建築こそが来るべき時代をリードすると信じていた。
 正門はグロッタで飾られた。洞窟を意味し、異次元への入口だった。門を入ると、幾何学的で、美しい弧を描き、煙突一つない工場。敷地内にはここが一つの町として機能するように、設計された。従業員用の社宅は、ルドゥーの「労働者がいきいきと暮らせる理想都市の建設」を目指していた。現在ここは訪れる人の宿泊施設として使われている。住宅の外には自給自足用に畑が作られた。建物が半円形だったのは、どの家も等しく太陽の恵みを得られるようにという配慮だった。全ての住宅から見えるのは、中心に建つ「監督官の館」。丸窓がイメージするのは目で、これは時代がルドゥーに強いた矛盾だった。現在ここに暮す唯一の住人ジャン・ドゥドランさんはルドゥーの研究者である。実はルドゥーの設計では製塩所は完全な円形になる予定だった。しかし革命の嵐が来た。彼も監獄につながれた。余生を執筆に専念した。
 天窓が煙突の代わりとなった。建設は途中で止まったまま、操業を開始した。未完の工場を本の上では完成させた。
 その後、アルケスナンの製塩所はルドゥーを慕う人たちにより、ユニークな文化活動を担う未来センターとなった。1982年世界遺産に登録された。

●パリ
 当時パリでは門を作って通行税を徴収していた。ルドゥーはこの門を55箇所も設計した。一つ一つが独創性に溢れた門。「ラ・ヴィレットの門 Tollhouse of la Villette 」、「シャルトルの門 Rotunda of Chartres 」。門は圧制のシンボルでもあり、フランス革命で多くが壊され、わずかに4箇所が残っている。生まれるのが100年早すぎた。それが彼の不運だった。

http://www.tbs.co.jp/heritage/archive/20060924/access.html


テレビ番組「ポカポカ地球家族 フランス・リヨン」

 2006年9月23日放送。日本から12時間。パリの南東部のフランス第3の都市(45万人)。ミシュランの星付きレストランから庶民的なお店まで、約1000軒のある美食の町。世界的に有名なブレス鶏など豊かな食材が地元にある。ローマ時代から2000年の歴史を持つ。絹織物や印刷などの産業で栄えた旧市街地は最も美しいルネサンス建築として、1998年世界遺産に登録された。ノートルダム・ド・フルヴィエール・バジリカ聖堂、サン・シャン大司教教会が紹介されました。夜景もきれいです。各地に見られるのがレンタル自転車置き場。200箇所に2000台のレンタル自転車が設置されている。登録料は150ユーロで、あとはパスを購入すれば、1回30分以内は無料。1時間150円で、どこの置き場に返してもいい。

 石田克巳(43歳)、淑姫(すっき)(41歳)、晃巳ちゃん(4歳)さんが暮らす。ここでレストラン「オンメフェ・スキルトゥプレ」を7年前に開業した。営業時間12-14 & 20-24。席数25。名声よりも、おいしいものを食べる、自分のやりたいようにするレストランにしたいという。ランチは前菜「サーモンの炙り焼き」、メイン「ブレス鶏のポンパドール添え」、パン、デザート付きで3900円。片付けを終えると2時を過ぎるとか。
 住んでいるのは、店から5分。広さ50平方mの1K、家賃は5.3万円。
 ソーヌ市場で買物。アプリコットは1皿300円、パティソン(カボチャの一種)1kg210円。トマトは種類が豊富で、「牛の心臓」は1kg900円は形が牛の心臓に似ている。ゼブラ1kg(480円)は緑だが熟している。サンマルツァーノ1kg480円は酸味が強く、煮詰めて使う。他にもグラップ1kg400円など120種類あると言われる。
 ブレス鶏はリヨンから車で1時間の「クリストフ・ブイヨ養鶏場」の早朝に買いに行く。ブレス鶏は日本に月1000羽しか出荷されない。ここの鶏は口の中が肉汁でいっぱいになるそうです。
 車で2時間、ボジョレー村の有機農法ワインの第一人者マルセル・ラピエールさん宅を訪問した。日本の雑誌リアル・ワイン・ガイド2006年夏号にも取り上げられるほど有名な有機農法ワインの第一人者。からも一目置かれた存在。

 リヨンの楽しみ方。広場にはメリーゴーランドが置かれている。1回300円。150のだまし絵がある。お昼はリヨンで一番広いテット・ドール公園を訪れた。広さは2.5ヘクタール。湖や動物園もあり、誰でも入れる。
 2時過ぎにレストランで昼食。親が作るのを見せるが大事だという。また野菜は混ぜないで調理し、ドレッシングも毎回作るそうです。
 フランス革命祭の日は午後11時に花火が上がった。

 石田さんは1992年にフランスに渡った。93年に同じレストランで働いていた淑姫さんと会い、98年結婚、99年レストランをオープンした。最初はかなり心配だったそうですが、地元の人が増えていって、今では満席の日が多い人気店となった。

●トマトの肉詰め
 ビストロ・リヨンの堂下浩さん。トマト2個のヘタを取り、容器になるように2つに切る。中をくりぬく。オリーブ油、タカの爪、ニンニクでタマネギ半分を炒める。炒めたらトマトの中身を入れ、合挽きミンチ100gを炒める。強火で汁気がなくなったら、塩胡椒、砂糖、ビーフコンソメで味付け。最後にパン粉20g、粉チーズ20gを混ぜて粘りを出す。トマトにごはんを入れてから、肉をたっぷり盛る。パン粉、粉チーズ、オリーブオイルをかけて180〜200度で5−8分焼く。トメトに詰めて、オリーブオイルをかけて完成。


テレビ番組「極上のパリへようこそ」

 2006年9月9日放送。森英恵さんの孫の森泉、リサ・ステッグマイヤーさんが案内。古くからの遺跡や街並みがある中で新しいものも多い。ファッション、宝石、グルメなど一流が多い。その秘密に迫る。テレビ大阪製作。

●セーヌ川
 セーヌ川の遊覧船 Bateaux-Mouches に乗る。大人8ユーロ、子供・シニアは半額。見えてきた、ルーブル美術館には、モナリザやミロのヴィーナス、ナポレオンの絵など世界的にも有名。完成までに200年かかったノートルダム寺院はジャンヌ・ダルクの裁判など、いくつもの歴史の舞台となってきた。アレクサンドル3世橋を越えると、1889年パリ万博のモニュメントとして建築されたエッフェル塔(高さ321m)が見える。

●宿泊
 ウェスティン・パリ(3 rue de Castiglione )に宿泊。19世紀の建造物で、風格は圧倒的。日本語でお出迎えしてもらった。パリ万博を迎えるために、インターコンチネンタルホテルとして1878年に開業。グレース・ケリーなどの著名人に愛された。オペラ座を設計したガルニエが手がけ、1880年には自由の女神製作に向けて、国際会議も開かれた。700人収容可能なサロン(400平方m)は当時の姿がそのまま残されていて、歴史的建造物として重要文化財に指定されている。1055、1056号室は「スィート・ヴィクトル・ユーゴー Suited Victor Hugo 」と呼ばれ、名作が生み出されたのだろう。438室のうち78室がスィート。

●喫茶
 二人は Ryoyal Cambronne と書かれた建物の Cafe Brasserieで待ち合わせ。

●日本人シェフ
 吉野建(たてる)さんは鹿児島県出身の53歳。1979年フランスに渡り修業を積み、97年パリの一等地に「ステラマリス Stella Maris Paris」(4 rue Arsenc Houssayc ?)を開店。世界屈指のシェフのジョエル・ロブションをも唸らせた。2006年2月ミシュランの星を獲得した。フランス人よりもフランス料理を知っているシェフと言われる。
 料理をいただいた。「グリンピースのカプチーノ仕立て Cappuccino de petits pois 」。前菜の「アスパラガスのエチュヴェ、ラングスティーヌ添え Etuvee vertes langstines croustillantes 」は、手長エビを春巻の皮で巻いて揚げたもの。「フォラグラのフォンダン仕立て Vondant de foie gras de eanard et carotte, truffe, pictache 」は、まわりを人参で飾り、フォアグラの中に潜ませたトリュフが人参の甘味と絶妙に溶け合う。「ブルターニュ産オマールエビのロースト Homard bleu roti creme de fevelles, asperges ver les de saison 」は独特の工夫が施されている。珍しいエピス(スパイス)としてタンドーリを使っている。吉野シェフを98年に有名にしたのが、「仔牛の頭の煮込み ウミガメソース風 Tete deveau en cocotte, crete de coq, aeuf frit, jus en #toutue"」で、脳ミソも鳥のトサカも入っている。デザートは「チョコレートのストゥルーゼル仕立て Streuzel de mousse au chocolat des Caralides, sauce praline 」で、「おまかせコース Le Grand menu Degustation 」は130ユーロ。和を入れるのはこれから用に取ってあり、今はピュアでいたいそうです。

●市場
 ボーヴォー・サントワーヌ市場 Marche Beauvau St-Antoine に3人で向かった。庶民的で安く新鮮。吉野シェフ行きつけの店は市場の中にある「Marche Couvert Beauvau 」のポール・ヴォートランさんの「シュル・レ・ケ Sur Les Quais 」で、調味料の店。南フランスの「アンチョビのオリーブ・ペースト」(100g2.5ユーロ)は吉野さんの話ではパンにつけると絶品だとか。「ドライトマトのオリーブ・ペースト」(100g3.5ユーロ)もある。オリーブオイルも樽から量り売り(200mL5ユーロ〜)です。吉野さんはコップ半分くらいグイッと飲むそうです。ティスティングさせてもらいました。オリーブオイルは体によく、日本酒やワインを飲む前に飲むと胃が守れるとか。他にも、「Hile de sicile au citron 」レモン風味(200mL7.5ユーロ)は魚料理に最適で、臭みが数滴で消えるとか。

●ファッション
 レオナール Leonard は華やかなプリントは、世界一美しいと絶賛されている。代表されるものは花柄。生み出したのは社長のダニエル・トリブイヤール Daniel Tribouillard 。1960年にセーターに直接プリントする技術を発明し、20−30種類の色を使った花柄のプリントは世界で注目を浴びた。細かい色づけ作業はアトリエで行なわれていた。デッサンができたら、全て保存され、洋服になる日を待つ。この技術は特に日本から影響を受けているという。日本人形の着物がアイディアの素らしい。最初はバラだったが、アジアの蘭の花を中心に東洋のエッセンスを加えながら、国際レベルで40年間に渡り事業を展開してきた。リヨンで開かれるレオナール展への招待状ももらった。

●生け花
 流行の発信地として注目されているサンジェルマン通りに、ひっぱりだこの日本人夫婦がいる。「リュウクボタ Ryu Kubota 」(40 Boulevard Raspail 」の花屋さんを営んでいる窪田龍策、浩美夫妻。12年前に開店し、その噂はたちまち広まり、今はヨーロッパ各地でフラワー・アレンジメントを教える。日本の雑誌でも特集されることがしばしば。ヨーロッパのフラワー・アレンジメントに日本の生け花を加えた独自のスタイルで、エキゾチックな感覚でパリの人に新鮮な驚きを与えている。
 お客にはミシュランの2つ星「アストランス Astrance 」がある。ここは1ヶ月先まで予約がいっぱいだが、オーナーのクリストフ・ロアさんが気に入っている。成功している花屋は多いが、ゴタゴタと飾りすぎる、窪田はすっきりしていると言ってました。
 自宅を訪問した。抹茶ロール(4.4ユーロ)、タルト・ブリュイ・ルージュ Tarte fruits rouges (4ユーロ)をいただいたが、これは今話題のケーキで、作っているのは、青木定治(サダハル)さん。

●ケーキ
 青木定治さん(奥さんは雨宮塔子さん)のお店「 Patisserie Sadaharu Aoki Paris 」(35 rue de Vaugirard ) は、2001年開店以来、季節のフルーツを生かしたスィーツは人気で、中でもマカロン?をあしらった芸術作品のようなケーキはパリの著名人たちから高い評価を得ている。「沙綾 Saya 」4ユーロ、「どうも!抹茶・小豆 Duomo macha azuki 」4ユーロなどがある。

●中華
 中華はパリのモデルたちに評判。体型維持のために食べる人、黒酢の料理が体調にいいという人がいる。大統領官邸エリゼー宮近くにある中華レストラン「シェ・リー Chez Ly 」(5 rue des Saussaies)は政治家や映画スターにも人気が高く、カトリーヌ・ドヌーブは大ファンだとか。オーナーのアラン・リーさんが用意してくれたのは、「酸辣湯(スーラータン) Potate Pekinois 」6.8ユーロで、酸味と辛味が食欲をそそる。「京都排骨(豚のスペアリブ) Travers de porc a la mode contonis 」12.6ユーロは、隠し味に酢が使われている。「鍋貼(ギョウザ) Raviolis vietnamiens 」8.6ユーロは、酢と生姜をあわせたソースをかけていただく。健康によい黒酢を多く使っている。黒酢は1988年の「パリ食品博覧会」で「鎮江香醋」が金賞を受賞してから密かなブームとなった。ここでもそれを使っている。日本の米酢の10倍のアミノ酸が含まれていて、疲労回復、老化予防など、体によいと言われる。

●宝石デザイナー
 白川晴美さんは30歳と若いが、2003年アントワープ・ダイヤモンド・ハイカウンシル・アワードで920点中3位に輝いた。受賞作品は「レ・ザネモン・ドゥ・メール Les Anemontes de Mer 」はあわせて31.58カラットで750個のダイヤを使った豪華な首飾り。以来パリを拠点にジュエリー・デザインを手がけている。
 バー「チュイルリー Bar Tuileries 」でお話を伺った。海の生き物を使ったイメージが多いみたいです。「フェエリコ Feerico for Salviati 」は80−90ユーロは、ミンクの毛、ベネチアン・ガラスでイソギンチャクをイメージ。「ラクリマ Lacrima for Salviati 」70ユーロもイソギンチャク。着物、家紋のモチーフを取り入れているようです。バーのジル・Bさんからスペシャル・カクテル「イズミ」をいただいた。ブルーキュラソとリンゴジュースに白、パイナップルとイチゴを添えたもので青色です。


●リヨン
 フランス第3の都市リヨンに、パリ・リヨン駅 Gare de Lyon からTGVに乗って向かった。絹の街、美食の街と呼ばれている。ミシュランの星を獲得した店がひしめきあっており、そのうちの一つが「テラス・ド・リヨン Les Terasses de Lyon 」(villa Florentine 25 mantec Saint-Batholomy )でテラスから見えるリヨン市街地の展望が自慢。店内は太陽の光を多く取り入れて、開放感いっぱい。1993年にオープンし、2つ星。リヨンでは最もホットなレストラン。カリスマ・シェフと言われるダヴィ・ティソ Davy Tissot さんは、2004年30歳の若さでフランス国家最優秀職人賞に輝いた。シラク大統領も足を運ぶという。「ホタテのポワレ、3種の薬味添え Noix de Saint-Jacques d'Erquy poelee aux trois condiments 」は、ブルターニュの漁村から仕入れた新鮮なホタテを使用。カキ、鴨の胸肉、エシャロットを添えている。「ブレスさんの鳩、コフル仕立て pigeon de bresse ruti sur coffre 」は2種類の鳩が楽しめる。最も上質なブルゴーニュ産の鳩をローストし、トリュフが香りを引き立てる。「ブルターニュ産オマール海老、アスパラガス添え Homard Breton euit minute fricasse de pointes d'asperges vertes 」は味の濃いグリーン・アスパラガスの先端部分だけを使って、旨みを閉じ込めたもの。おまかせコース(8品)は、125ユーロ。

 スィーツの有名店「ベルナション Bernachon 」( 42, cours Franklin Roosevelt)の宝石のようなケーキはどれも絶品。中でもお勧めはチョコレートで、伝統の品質を維持するため、カカオ豆から製品までの全ての作業をお店で行なっている。決してお店は増やさないのがオーナーの哲学なので、リヨンでしか味わえない。「パレドール Les palets d'or 」300g34.25ユーロは、金箔を散りばめてある。チョコレートの工房をファブリス・フランダンさんに案内してもらった。2.5キロの塊が置いてある。パレドールは熱々のチョコを素手で金箔の上に並べていた。

 旧市街は世界遺産。ヴェロヴェ Velo'v と書いてある赤いポストで自転車が借りられる。定期カードは1週間1ユーロ、1年5ユーロ。好きなヴェロヴェ置き場の場所に返却が可能なので、市民の足としても使われている。

 ケーブルカー Funiculaire (1.4ユーロ)に乗って、フールヴィエールの丘の上にそびえる大聖堂 Basilique Notre-Dame de Fourviere は、1872年から24年間かけて建てられた市民の奇跡のシンボル。内部はネオロマネスク・ビザンチン様式でシチリアの聖堂をモデルに建築された。中央には祈りのマリア像、周辺はきらびやかなステンドグラス。ジュアム神父が説明してくれました。聖堂ができる1000年前に、既にここは礼拝の場所だった。1643年にペストが大流行し、15万人の市民のうち5万人が亡くなった。リヨンの人々はこの丘に登り、ペストが治まるように祈った。そして金貨とロウソクを聖母マリアに捧げるようになった。1870年のプロシアとの戦争で、プロシア軍が攻めて来ないように教会を建てようと女性たちが訴えた。プロシア軍は攻めて来なかったので、祈りが通じた証として、市民がお金を出し合い、聖堂が建てられた。

 レオナ−ルのプリント工場MIG(Manufacture d'Impression de Gillonnay )を見学した。生地のプリント柄に色を塗り重ねていく工程を見た。30色以上の色を1色ずつ重ねていくシルクスクリーンというプリント手法が特徴。昔は手でやっていたが、今は機械で1mmの誤差もない。毎年20種類のパターンの中から、25種類のバリエーションを作るそうです。それをパリで選択するという。同じ柄で違う色のサンプルが何パターンも作られてから選ばれる。

 レオナール展は「リヨン織物・装飾美術館 Musee des Tissus et des Arts decoratifs de Lyon 」(34 rue de la Charite )で開催。最初にデザインしたバラの柄のセーターが展示してあった。黒地でカラフルな花柄の洋服に吸い寄せられました。「Short busier dress with pointed skirt, silk printed muslin. Victorie design (Autumn -Winter 2000-2001」は絵画、本物の花以上でした。日本の着物っぽいもの「Details from the Kimono, Ikebana design 」もある。京都で1ヶ月学んだそうです。

 レオナールのパーティに参加。セレブが多い。リュウ・クボタさんの花の写真をトリブイヤールさんにプレゼントしました。


テレビ番組「世界遺産 フランス・シャンパーニュ地方の中世市場都市プロヴァン」

 2006年8月13日放送。

●プロヴァン
 プロファンは大きく2つの地区に分かれている。商人や毛織り物の職人が多く住んでいた下町、それを見下ろす高台には領主や役人・聖職者などが生活していた。
 高台の上に900年前に建てられたセザール塔は、プロヴァンのランドマークだった。封建領主が土地を治めた中世、プロヴァンはシャンパーニュ伯の下で繁栄を謳歌した。シャンパーニュ伯は交易を奨励し、定期的に毎年5月に開かれた交易市は大きな賑わいをみせた。11世紀から13世紀にかけて、北と南の地中海を結ぶ交易路の大動脈の上にあった。いろいろな変わった品が手に入り、いろいろな通貨がやりとりされ、銀行業の先駆けの店も多かった。
 莫大な商取引により生み出された冨はサン・キリアス参事会教会などの壮麗な建物ができた。サン・キリアス参事会教会は初期ゴチック建築。大伽藍は200年かかったが、シャンパーニュ伯が没落すると、教会は未完成のままになっていたが、完成したのは17世紀。
 街角には1270年創業の宿屋 Hostellerie de la Croix D'or も残る。通りに立ち並ぶのは中世の商人の家。商人の家には立派な地下室があった。商品の貯蔵庫で、こういう家は今でも300軒残っている。いろんな商人がいた。毛皮や毛織物を商うクランドル商人、東方の絹や香辛料などを運んでくるイタリア商人など。
 シャンパーニュ伯は商人たちに特権を与え、税金を優遇し、取引の安全を保証した。今でもシャンパーニュ伯チボー4世の館が残る。図書館にはシャンパーニュ伯が出したお触書が残っている。
 秋の定期市は高台の広場ではなく、下町の教会前のサン・タュール広場で行なわれるのが決まりだった。下町の住民にも利益がいくようにという配慮が伺える。
 北のはずれにひっそりたたずむのがフランシスコ会修道院。13世紀にシャンパーニュ伯の命により建てられたもの。今は古文書の収蔵庫として使われていて、訪問者はほとんどないが、中世のたたずまいをそのまま残している。

●トロワ Troyes
 中世ではシャンパーニュ地方の都として栄えた。ここもシャンパーニュ大市の舞台となった。大市はプロヴァン、トロワ、バール・シュル・オーブ、ラニー・シュル・マルヌを移動しながら年に6回行なわれていた。

●バル・シュル・オーブ Bar Sur Aube
 セーヌ川の支流オーブ川に面する。サンピエール教会は当時の名残を留めている。アラワ?と呼ばれる木のひさしは商品の置き場として使ったもの。

●プロヴァン
 年に1度の祭り「中世祭 Fete Medievale 」がある。中世の衣装を身にまとった人が詰め掛ける。この祭りでかつての活気が蘇る。大道芸人も多い。
 祭りが終るとまた静けさがやってくる。14世紀を過ぎるとプロヴァンから賑わいは消えた。海上輸送が盛んとなったため。歴史に忘れられた町はそのままの姿を残したまま今に至った。
 かつての商人の家は市民楽団の練習場となっている。


テレビ番組「グランドグルメ ヨーロッパ食材紀行 フランス・マルセイユ カサゴ」

 2006年7月30日放送。NHK制作。地中海で採れるカサゴを使った料理。かさごの蒸し煮、ブイヤベースなどを紹介する。赤い大きな体。背びれに毒があるので「海のサソリ」と呼ばれている。カサゴはよく採れ、美味しい。

●マルセイユ
 地中海に面して2500年前から栄えてきた。入り組んだ地形、15kmも続く海岸線。フランス第二の都市ながら、港町らしい素朴さがある。港には毎日魚を扱う市が開かれる。

●バロン・デ・ゾーフ
 マルセイユの中心の港からボートで30分。マルセイユの下町。昔ながらの漁が行なわれている。ジョー・ロッシさん(78歳)は一番長老の漁師で、今でも毎日漁に出る。かつては16人漁師がいたが、今は8人。カサゴ漁は夜沖に網をしかけ朝に採る。カサゴは深さ100mの海に住んでいる。近くのレストランに売り、残った分は自宅に持ち帰る。
 名物料理「カサゴの蒸し煮」。奥さんのジョージェットさんはまず背びれに刺されないようにウロコを取り、はらわたを取り出し、たっぷりの水で洗う。厚めに輪切りにしたトマトを皿に並べ、塩胡椒し、予め炒めておいたタマネギをのせて、輪切りにしたジャガイモをのせ、グラス1杯の白ワインをかけ、プロバンス産のういきょうをカサゴのおなかに詰め、少しおいてからオリーブオイルをたっぷりかける。スライスしたレモンをカサゴの上にのせ、30分ほど熱したオーブンに入れて200度で1時間弱煮込む。骨に沿って身をはがし、お皿にのせ、つけあわせの野菜をのせ、スープをかける。
 ジョーさんの趣味はペタンクで、ギヨーム・スーリオさんと楽しんだ。

●マルセイユ
 マルセイユの人の多くはカバノンというセカンド・ハウスを持っている。週末にこの家で過ごす。元々は漁師の避難所だった。ここで生み出されたのがブイヤベース。マルセイユ出身の画家ティエリー・ミラモンさんはこの町に風景を描き続けている。
 最も古い地区パニアにあるバー「Bar des is Loins ?」で、主人のジュネット?さんと、名産の酒パスティスを楽しむ。

●ブイヤベース
 ティエリーさんは料理も得意で、ブイヤベースを作る。スープのよしあしで決まる。1kg分の小さな煮魚、ブイヤベース用のあんこう。鍵を握るカサゴは830gで115フラン。
 鍋にオリーブオイルを注ぎ、刻んだタマネギを炒める。ネギを加え、タマネギがほどよくキツネ色になったら、人参を加える。数種類の煮魚を加え、タネを抜いたトマトとニンニクを加える。これを高温で15分間煮込む。4人分だとワインと水を1リットルずつ加える。塩を加え、とろ火で30分間煮込む。これを細かく砕いて、こす。こせばこすほど深い味になる。こしたスープは魚の入る鍋に入れ替え、アンコウやアナゴなど身の固い魚を鍋に入れ火にかける。カサゴ、トラキス、マトウダイなどの身の柔らかい魚は10分ほどしてから加える。全部の材料が鍋に入ったら、10分以上火にかけてはいけない。盛り付けの時に魚の身が崩れるから。魚をお皿にとりわけ、魚とスープは別々のお皿に盛る。最後にサフランを入れる。スープのお皿に魚を入れて食べる。
 ここでルイールを作る。オリーブオイル、にんにく、チリペーストを混ぜあわせる。これはつけあわせのパンにのせて食べる。

 素朴な漁師の料理だったブイヤベースがマルセイユの名物になった。安易な方法で作ったものを観光客に出すお店も出てきたので、現在では選ばれたレストランだけにブイヤベースの看板をかける許可が与えられている。

●創作シーフード料理
 ギヨーム・スーリオさんのレストラン「L'Epuisette ?」は海岸線に面している。漁師さんと仲良くなっている。カサゴはよく使うそうです。「カサゴと野菜・パニッセのティアン」を作ってくれました。
 薄切りしたタマネギをオリーブオイルでキツネ色になるまで炒め、青と赤ピーマンを加えて炒める。ニンニクは1かけつぶしてから使う。1−2分炒め、細かく刻んだナスを加え、刻んだズッキーニを加える。
 パニッセはひよこ豆の粉に水・塩・胡椒を混ぜたもの。これを薄切りしてフライパンで焼き、吸い取り紙の上に置く。型の中に置いて、ハーブと野菜を上にのせる。おろして小骨を取り除いたカサゴを薄切りにして、その上にカサゴを置き、200度のオーブンで焼く。
 ソースを作る。にんにく、オリーブオイル、卵の黄身から作ったアイオリと、チリペーストをベースにしたルイールをスプーン2杯ずつ混ぜ合わせる。泡立て器を使い、中身を混ぜ、ゆっくりと魚のスープを加える。この魚のスープはブイヤベースを作る際のものと同じ。にんにくの粒を取り除くためにこし器でうらごしする。
 盛り付け。オリーブ、ケイパー、タマネギを混ぜ、タプナードをパンの皮に塗り、上にパンの皮をのせ、帆の形に切り、皿ののせる。コンカッセは鍋にオリーブオイル、タマネギのみじん切り、トマトを混ぜ、バジル、オリーブオイル、にんにくのペーストを大さじ2杯加え、全体をむらなく混ぜて作る。焼いたカサゴはのせて型をはずし、コンカッセはスプーンで団子状にして添える。ソースを全体にかけ、帆を2つのせ、タイムの葉をのせて完成。


テレビ番組「世界遺産 フランス縦断の旅 1」

 2006年7月16日放送。世界遺産はフランスに30ある。8日間かけてフォンテンブロー、パリのセーヌ川岸、プロヴァンの中世の市場、ヴェズレーの教会と丘、リヨン歴史地区、オランジュのローマ遺跡など、アビニョン歴史地区、マルセイユと1000kmを旅する。バカンスの時期で人々の動きに合わせて南に向かう感じ。昨年のイタリア縦断の旅に続く企画。富山大学教授の伊東順二教授、加藤紀子さん、住吉美紀アナ、鎌倉千秋アナが出演。フランスとの時差は7時間。NHK制作。

●修復
 フランスでは、75億円の国家予算が世界遺産の修復に当てられている。それに寄付などが加わる。ストラスブール旧市街に聳え立つノートルダム大聖堂。華麗な彫刻で知られている。700年経過したので、老朽した部分を修復している。当時の石を使い、のみだけで修復する。市民の寄付によって40人の職人が雇われている。
 シャルトル大聖堂もステンドグラスの美しさで知られている。その窓の数は176。ほとんどの修復は、ガラス1枚1枚を交換していく。

●フォンテンブロー宮殿
 馬車に乗って登場。ノートル?の設計した宮殿。12世紀に建築され、19世紀まで増改築が繰り返された。森と池などあわせて1.7万ヘクタールある。華麗な王朝文化が花開いた場所。フランスの権力と栄華を示すベルサイユとは違い華やかさはないが、時間がゆっくり流れている感じ。王様がゆったり生活するための場所だった。神聖ローマ帝国のカール5世なども訪問した門をくぐる。馬車が着いたのは、馬蹄形になった宮殿の正面玄関入口。16世紀に作られた独特のデザイン。庭が広い。
 この宮殿をこよなく愛したのはナポレオンで、「ヨーロッパ中を探しても、これほどくつろぎを覚え、幸せを感じられる場所はない。」と語ったようだ。門の部分は以前は門だったが、ナポレオンは鉄柵に替えて、民衆が入れるようにした。この馬蹄形の上で、1814年に退位してエルバ島に向かう時にここで最後の演説をした。ここから見ると左右の建物は対象なのが多いが、ここはちょっと違う。できた時代が違うらしいし、自分の好きな建物を建てたかららしい。

 29人、600年に渡って、多くの王様が住んだ。元々狩をするための滞在するための建物だった。ルイ6世が最初に飾りも少なく堅い石で作った無骨な建物だった。以下、ルイ7世、フィリップ2世、ルイ8世、ルイ9世、フィリップ3世、フィリップ4世、ルイ10世、フィリップ5世、シャルル4世、フィリップ6世、ジャン2世、シャルル5世、シャルル6世、シャルル7世、ルイ11世、シャルル8世、ルイ12世。そして20番目のフランソワ1世は宮殿に替えた。フランソワ1世は芸術が好きで、城を壊し、ルネサンス様式の宮殿を作るように指令した。その後アンリ2世、フランソワ2世、シャルル9世、アンリ3世、アンリ4世、ルイ13世、ルイ14世、ルイ15世、ルイ16世と宮殿を豪華に替えていった。中でも太陽王ルイ14世は自らの寝室を黄金で飾り、1年のうち3ヶ月間も過ごした。馬蹄形の玄関の入口の上にフランソワ1世の像がある。元々正面玄関ではなかった。

 中に入ると豪華な廊下がある。フランソワ1世の回廊で、16世紀の半ばに作られた。壁の上は漆喰、下の部分は木彫。フランソワ1世のFという文字が彫られている。当時最高の文化を誇っていたイタリアの文化を取り入れたかったという。廊下のフレスコ画の絵の中に描かれているルッソ・フィオレンチィーノというイタリア人が設計をしたという。ここでフランスで初めての絵画のフォンテンブロー派という流派ができた。ベルサイユ宮殿は権威を誇るためのもので、こちらは文化を楽しむための宮殿となった。そのためにベルサイユ宮殿の鏡の間は落ち着かない感じ。廊下の青いドアは青空が描いてあって、一種のだまし絵になっている。開けるとコンクリートの壁でした。宮殿施設長のザビエル・コランさんが説明してくれましたが、ルイ16世の時代に窓だった部分をつぶしたためだという。途中の壁も開けると白い扉が出てきて、中に部屋があったが、ショートカットとして利用していたようです。特にナポレオン1世が使ったそうです。
 今回は特別にテラスにも出させてもらった。目の前に鯉の池がある。王が生活した空間がある。左側は切り込みが美しいルネッサンス様式の建物。
 下に降りて、また馬車に乗った。フランソワ1世は子供のためにメディチ家からお嫁さんをもらった。彼女がナイフやフォークやフランス料理の原型を持参したそうです。それまでは手で食べていたとか。

 フォンテンブロー宮殿の館長のアモリー・レフェビューレさんに、アンリ4世の頃の館は修復の最中で、案内してもらった。下士官の宿舎などもあった。NATOなども使っていたので、17世紀の初めに戻しているそうです。修復した後に、室内楽のヨーロッパのセンターにするそうです。

 フランスの庭園は整然としているので、これの手入れも大変です。大運河は長さが1200mあり、橋から遠くまで眺めてみると遠い。湧き水を使っていて水を貯めるのに1週間とかかかるそうです。


テレビ番組「世界遺産 フランス縦断の旅2 パリ・セーヌ河岸」

 2006年7月17日放送。富山大学教授の伊東順二教授、加藤紀子さん、住吉美紀アナ、鎌倉千秋アナが出演。フランスとの時差は7時間。NHK制作。

●セーヌ河岸
 ここが世界遺産。1889年に完成した高さ324mのエッフェル塔が近い。パリ万博用に作ったが、当時はパリで最も醜い建物だと言われていた。エッフェルは自由の女神も設計した人。
 世界遺産の川にかかる橋は23本。さらに進むと中州のシテ島がある。ここがパリ発祥の地で、今日のゴールはここにあるノートルダム大聖堂。
 セーヌ河岸は過去も今もパリの経済、文化を支えている。河岸の緑が美しい。見える建物の高さも揃っている。散歩や水遊びをしている人もいる。

 セーヌ河を上っていくと、左手に1900年のパリ万博の会場で、ガラスで輝いているグランパレ。正面に1855年のパリ万博にあわせて作られたアンバリット橋。万博は1802年にナポレオンが博覧会を開催してから頻繁に開催されるようになった。
 次は1900年の万博にあわせて作られたアレクサンドル3世橋で、ワン・アーチの形はフランスで初。ロシアとの融合を表す。橋の真中に見事な装飾の紋章がある。1800年代まではパリはゴチャゴチャした町だったが、2つの万博を経て、建物をきれいにし、道路や橋を含めて街の設計をきちんと行なった。

 コンコルド橋から加藤さんらが中継。加藤さんはパリに2年留学していた。橋の端には国民議会があるが、革命記念日のすぐ後なので、トリコロール?斜めのリボンがかかっている。
 川岸に郵便受けがある。これは船で河に暮らしている人のもの。建築家のジャック・ルジュリー Rougerie さん宅を訪問した。赤い車が乗っている。地下は建築のオフィスになっていて、数人がPCなどで働いている。

 次の橋を越えると右手にオルセー美術館が見えてきた。昔は真っ黒だったが、70年代のポンピドー時代に改装し、年間500万人来るという。建物は1900年のパリ万博の際に建てられた駅だった。時計の下にはまだパリーオルレアン行きって書いてある。時計と時計の間にもボルドーなどの行き先が今でも書いてある。
 その反対には次の橋とルーブル美術館が見えてきた。ダ・ヴィンチ・コードで有名になった。グランド・ギャラリーにはラファエロ、カラバッジョなどの傑作が壁一面に展示されている。モナリザなど35万点の展示がある。オルセー同様に500年前はフランス国王の小さな宮殿だった。アンリ4世はフランスの国力を内外に示すために、宮殿を大きくし、500m離れたもう一つの宮殿を回廊で結んだ。しかし孫の代のルイ14世により廃墟になってしまった。はるかに大きなベルサイユ宮殿を造って引っ越してしまった。この古い宮殿にパリ中の浮浪者が入りこんでしまった。これが100年続き、ナポレオンは世界各地から貴重な美術品など2000点を持ち帰った。これらを民衆に見せるために、廃墟となった宮殿をさらに広げて美術館とした。ナポレオンはこういうものを公開したというだけでも人気がある。

 芸術橋に来た。音楽も聞こえてきた。橋の上に大道芸人がいる。橋の歩く部分は木でできていて、ベンチが置いてある。ゆったり時間が過ごせる公園のような場所で、端にはルーブル美術館がある。橋の上には音楽家や画家も多い。ヴァレリー・ジメルマンヌさんにインタビューした。

 次はシテ島が見えてきた。パリ発祥の地で、ここが第一区。2区からはエスカルゴのように螺旋状に番号がつけてある。アンリ4世の住んでいたところがあり、映画によく出てくる場所も多い。橋の右手を進む。ボン・ヌフは新しい橋だが、古い橋。この橋ができるまでは橋というのは両側に建物が並んでいた。この橋で初めてセーヌ河を見ることができるようになった。
 この河の上からの風景は素晴らしい。ルネサンス以降、人間が造ることができる最高のものを作るという姿勢がある。これらは人工物だという意味でも素晴らしい。右手には古本屋さんの通りがある。

 橋をくぐるときれいな景色が見えた。ノートルダム大聖堂。青空に2つの塔が伸びている。以前は真っ黒だったが、修復されてきれいになった。反対の河岸から見るときれいに見える。左手が正面になる。正面に行くと鷹さ69mの大聖堂。12世紀に作り始められ、200年かかって建築された。真中に王たちのギャラリーがあり、キリスト教のユダヤ・イスラエルの国王の像が並ぶ。正面入口は最後の審判を表わしている。悪魔が天秤を持っている。大きなバラ窓は直径10mのステンドグラス。6500人ミサに入れる大聖堂。ナポレオンも戴冠式はここで行なった。水上交通の守り神もこの大聖堂に納められている。
 塔の上からの絶景も紹介されました。

 同じ時期にフランス各地に同じ名前の大聖堂ができている。世界遺産に登録されているだけでもアミアン、ランス、ストラスブール、シャルトル、パリの5箇所がある。聖母マリアに対する畏敬の念に満ち溢れている。シャルトルには12世紀にできたステンドグラスの最高傑作がある。アミアンの聖廊?の床の迷路。ストラスブールは高さ140mの塔。ランスは歴代26人のフランス国王が戴冠式を行なっている。
 ここは単なる観光地として見ないでほしい。フランスの人の心の支えになっている場所でもある。

 ノーロルダム大聖堂の近くのマンションのジェラール・ド・ラ・フルリエさん&ミシュリーヌさん夫妻のお宅を訪問した。ここに50年住んでいるそうです。屋根裏からテラスに抜けると、お花がきれいに飾られていて、パリが展望できる。ここから右手にノートルダム大聖堂が見え、目の前は警察、手前には河、左には橋も見える。1968年の5月革命の時は街の動きがよく見えたそうです。

 パリには景観を守るフュゾー規制という法律がある。視界の中に貴重な建物の景観を邪魔するものを規制している。セーヌ川の景観も規制されている。コンコルド広場から凱旋門を見るとその向こうにビルが見えるが、パリ市の外側なので、規制には含まれなかった。


テレビ番組「世界遺産 フランス縦断の旅3 中世市場都市 プロヴァン」

 2006年7月18日放送。富山大学の伊東順二教授、加藤紀子さん、住吉美紀アナ、鎌倉千秋アナが出演。フランスとの時差は7時間。NHK制作。

 パリから南東に車で1時間。小麦畑が広がる。並木道を抜けると城門が見えてきた。城壁は堅固で、ジュイ門の中に入ると、ジュイ通りに沿って中世の街並みが続く。人口は13000人。中世は国際交易都市として賑わった。パン屋さんがあるが、パンも違う感じ。メインストリートを抜けると中心のシャテル広場。セザール塔は12世紀にできた塔砦の塔で、手前は緑が多い。塔の頂上は八角形になっているが、技術的に難しいそうです。かなり細い階段を上がって頂上に到着した。塔の頂上は木で作られている。塔の頂上からは街も市外も見渡せる。
 メイン・ストリートに13世紀の病院跡がある。その隣のフランシス・ブリエさん宅を訪問した。庭を見せてもらった。1階は石で、2階はロフト形式で木造。外は記念物なので、替えてはいけないそうですが、内部は好きに替えてもいいそうです。

 町外れのレストランは、フランスで一番古いレストランで1270年開店した「Hostellerie de la Croix Dor 」で、店内は13世紀当時の雰囲気。シラク大統領なども来ている。オーナーシェフのエルヴェー・プリジャンさんに人気の中世の料理「ホロホロ鳥の煮込み、アーモンド風」を作ってもらい、話を聞いた。特徴はスパイスを大量に使うことで、この料理もコリアンダー、カルダモン、クローウ、ナツメグとその種、ショウガ、カンゾウを使っている。当時はスパイスは相当高価だったので、たくさん使うのが贅沢だった。作り方は、赤ワインをベースに香味野菜を入れ、7つのスパイスを加え、ホロホロ鳥をひたし、1晩寝かせた後に、フライパンでローストする。スープは味を整えてからアーモンドを入れる。

 メインストリートから右側に外れたナオコ・マルベックさんのお宅を訪問した。12世紀に建てられた家に住んでおられる。地下はもっと古くて、年間14−15度で、倉庫として使われていた。

 サン・キリアス聖堂は12世紀に建てられた。入口にジャンヌ・ダルクのことが書いてあるが、1429年にフランスからこの地に来たそうです。ロマネスクからゴチック様式に変わる時の建物。バラ窓がないのは、完成しないままになっているからだそうです。14世紀になり交易が衰退し、ペストが流行して没落した。そのために街の景観がそのまま残ったそうです。
 6月にはバラが咲く。13世紀に十字軍のシャンパーニュ公が持ち帰ったバラは薬の原料に使われた。この新鮮なバラを使って、バラはちみつが作られている。中世の頃からあったそうで、カルラ・ルノーさんが作っていて、聖堂のすぐ近くのお店で売っています。5000平方mの花園を持っていて、200kgの花びらを6月中に集めているそうです。

 6月に中世祭りが2日間開催される。道路標識などは中世の布で覆い隠される。バグパイプの鳴る中、街の人はほぼ全員が中世の姿で練り歩く。観光客は7万人だった。ミシェル・ガティノーさんは23年前から開催し、運営に携わっている。中世のダンス・パーティも開催される。
 川沿いにあるミシェルさんのお宅を訪問した。ご主人はクロードさん。角や剣などを集めているそうです。また、中世のワインを作っていて、ショウガやスパイスが入っているそうです。中世は暗黒の時代と言われているが、14世紀がそうであって、13世紀は明るく楽しかったそうです。

 ミシェルさんたちの町起こしの運動が広がっていて、1日3回の鷹匠のショーもある。担当のヴァレリー・ナルシュさんに話を聞いた。馬なども使っています。

 メイン・ストリートの大きなパンを売っているパン屋さんに行く。ヤギのチーズも売っているので、ヤギの看板がある。8日目、10日目、3ヶ月のもので味も形も違うそうです。
 そこから広場の方に行く途中にある右手の家には、1451年にジャン・ボロが熱意を持って建てたと書いてあります。
 最後は広場で4人出会いました。ここに水道の蛇口があります。


テレビ番組「世界遺産 フランス縦断の旅4 聖なる丘 ヴェズレー」

 2006年7月19日放送。富山大学の伊東順二教授、加藤紀子さん、住吉美紀アナ、鎌倉千秋アナが出演。フランスとの時差は7時間。NHK制作。

 ブルゴーニュ地方にはブドウ畑がある。1979年に世界遺産に登録された。永遠の丘、聖なる丘と呼ばれる。周囲1kmで500人住んでいるが、中世には1万人?20万人?くらい住んでいたそうです。小さな船に例えられる街。聖地となったのは、今から2000年前に聖女となった「マグダラのマリア」の亡骸がヴェズレーに運ばれたという。12世紀に十字軍の出発の地となった。また同じ頃、聖地を巡る巡礼が流行し始め、ここを起点として、巡礼者はスペインの聖ヤコブを祀っているサンティアゴ・デ・コンポステラに向かった。

 上がっていくと城壁が築かれていて、門の上にはハリネズミが描かれていて、聖なる丘を痛めつけると傷つけるぞ!という印らしい。
 門を入ると街並みが続くが、左手を上がっていく。これが古の巡礼の道。今年は暑いらしく37度。年配の女性が街の外をずっと見ていた。冬だと雪が降り輝いているそうです。
 年間80万人の巡礼者が訪問する。ガイドのシルヴィア・フィッシャーさんに巡礼の姿をしてもらった。大きなリュックを背負っている。1000km以上歩いてくるそうです。巡礼者が必ず持参するのは、ホタテ貝で聖ヤコブの象徴。ホタテの印は巡礼の道標にもなっている。街のいろんなところにもホタテが飾られている。道路にも掘られている。
 門を右に上がると新しい巡礼の道。ワインの店が多い。赤い看板に「Caves du Pelerin (巡礼者の地下室)」と書いてあるお店に入る。店長のダミアン・ゲローさんに話を聞いた。ブルゴーニュだとシャブリだが、ここはVezelay でサント・マドレーヌ聖堂の絵が描かれている。軽くてシャープでミネラルが多いそうです。庭に出ると丘の上からの南側の絶景が見えました。地下室に下りてみると、ワインも置いてあるが、中世の時の巡礼宿だった跡がある。暖炉の跡もあります。

 巡礼宿「ソントル・パドレーヌ?」のオーナーのファヴィエンヌ修道女に話を聞いた。オランダからサンティアゴ・デ・コンポステーラに100日かけて行く人に会った。ここまで25日かかったそうです。

 サント・マドレーヌ聖堂に到着した。正面は非常に変わっている。下の部分はロマネスク様式、真中の部分と塔がゴシック様式。半円形のアーチがスムーズに曲がっているのがロマネスク。ノートルダム寺院と同様に塔を2つ建てる予定だったが、途中で止まっているので、非対称。19世紀に再建されている。真中に6人の聖人が並んでいる。入口は最後の審判の彫刻。入口の左の柱の下にネズミの彫刻がある。これはドブネズミのような悪いものはここから先に入れないよ、という意味だそうです。
 玄関の場所はロマネスク様式で、巡礼にでかける人の待合所でもあり、悪いことをした人は中に入れないので、ここでお祈りしたという。扉口の上の方には半円形の彫刻「タンパン」がある。復活から精霊降臨を示している。キリストの衣服に4つのうずまきがあるが、光を強く感じさせる効果がある。ここから先はイエス・キリストに会える場所であると巡礼者は思って参拝した。扉が開いて中に入ると広く明るい聖堂。夏至の正午には太陽の光が通路の真中に落ちるように設計されているそうです。入って右の奥の柱に中世美術の傑作がある。柱の上の彫刻は「神秘の粉ひき」と言われる二人の人物が描かれている。麦を入れているのはモーゼで粉になっているのを聖パウロが受け止めている。柱頭彫刻は100以上あるが、うずまきが描かれている。ここから美術的技法も他の地方に伝播していったのがわかる。

 7月22日、さらに60年前の7月22日に4万人の人が平和を祈って集まるという歴史的な出来事があった。第二次世界大戦の後に一人の司祭がヴェズレーの丘で国を越えて平和を祈ろうと訴え、平和の十字軍が行進した。巡礼者の中には十字架を担いで来た人もいた。ドイツ人の兵士も軍服で十字架を担いで入ってきた。その十字架は、空爆で壊された家屋の木で作られたもので、今でも教会の中の左側に飾られている。その平和のための行進に参加したアンリ・リヴィエール神父に話を聞いた。住吉さんも胸がいっぱいになりました。
 今年6月11日には「平和を祈る合唱祭」が開催された。合唱祭最後の曲はロマン・ロランの「平和のカノン」でした。

 地下にマグダラのマリアの遺骨と言われているものがある。グレゴアール修道士に案内してもらった。地下に下りて左側の鉄扉がある場所。物を言わずに静かにお参りしました。

 聖堂の裏から見た景色も絶景です。井上靖の「化石の中のヴェズレーの丘」という小説もあるそうです。みんな涙で中継を終りました。


テレビ番組「世界遺産 フランス縦断の旅5 リヨン歴史地区」

 2006年7月20日放送。富山大学の伊東順二教授、加藤紀子さん、住吉美紀アナ、鎌倉千秋アナが出演。フランスとの時差は7時間。NHK制作。

 フランス第二の都市リヨン。ヴェズレーから車で30分南下したところ。サンジャン大聖堂は12〜15世紀に建てられた。フランス国王のアンリ4世が結婚式を挙げたそうです。この大聖堂のまわりが旧市街。大聖堂の裏がソーヌ川で、その向こうが新市街、その向こうがローヌ川。丘の上には19世紀にできた真っ白なプルビエール聖堂がある。

 2000年前にプルビエールの丘のまわりに街ができた。石造りのローマ劇場が残っている。15世紀に交易都市として発展した。丘の上の街はそのふもとへ、そして川の流域へと広がっていった。変化にとんだ街並み。長い間、繁栄の原動力になったのは絹織物。絹商人を目当てに通りには多くのレストランが開業した。その頃の伝統を残すのが「ブション bouchon 」と呼ばれる家庭風の居酒屋で、今でも数十軒が残っている。料理はローヌ川で取れる魚や近郊の野菜。ギニョルという19世紀に誕生した人形劇があり、今でもフランス中で人気。
 15世紀に定期市が開かれ、当時ヨーロッパで最も人口が多い都市となった。繁栄を支えたのは、二つの川。水路を伝いヨーロッパじゅうの物資が集まった。旧市街に絹の丘と呼ばれる場所がある。18−19世紀に絹織物の工房が数千軒を連ねていた。その中の1軒が今も残されている。リヨンの絹織物は繊細な色使いと華麗なデザインで知られる。マリー・アントワネットに献上されたものもある。ナポレオンが着た軍服もそうだし、イニシャル入りのタペストリーも作らせた。

 絹織物のお店に行く。ルドヴィッチ・ド・ラ・カールさんに話を聞いた。パリのオートクチュールも作っているそうです。金の糸を入れたものも作られています。機織機がありましたが、1日に10−50cmくらいだそうです。ベロワとよく似ているけど、違う感触だそうです。

 この日は34度でした。ローヌ川から歩くと、目の前に大きな建物がある。300mを越える長さの病院。さらに歩くとベルクール広場に到着した。ここは街の中心で、ルイ14世の騎馬像があるが、ローマ風です。まわりの建物は19世紀にナポレオンが建てさせたという。高さと階の高さを揃えているそうです。
 リヨン名物ケネルの店「Giralidet 」に行く。練り物で、いろいろな種類がある。川カマスのものがオリジナルらしい。イカスミもある。
 ソーヌ川のたもとにまで来た。リヨンの美しさは丘の美しさ。ここから見える旧市街と丘は夜間にライトアップしていて、リヨンの人も好みの場所らしい。ここでワインをいただきましたが、フランスでは女性がお酌をしてはいけない、女性のグラスを空にしてはいけないそうです。ワインのボトルの底は分厚い。
 ソーヌ川沿いに朝の市場にはいろいろな食材が並ぶ。100軒くらい並ぶ。こういう市場は市内に数箇所ある。リヨンは名物ソーセージ「ロゼット」の産地でもある。野菜やナッツを混ぜ込んである。チーズも多いが、細かく切ったチーズをエシャロットと共に煮込み、にんにくを加えて数ヶ月間熟成させたものもある。二つのチーズを融合したようなものも開発していました。魚介類の店もある。レマン湖で採れたラパネという魚もあった。

 レストラン「Commanderie des Antonins ?」に行き、オーナーのオリビエ・スタンさんに話を聞いた。アーチがある部分は13世紀の建物。アントナン修道会の病院だった場所をレストランに改装している。シェークスピアの時代にラブレーが「ガルガンチュア・パンタグリュエル物語」を書いたのだが、グルメという言葉はここからでてきた。ここのレストランは斬新なオープン・キッチンになっている。料理をいただいた。前菜はリヨン名物の「冷たい豚と鳥のレバーのテリーヌ」。メインは「豚の網焼き、赤ワインソース」。最後は2000年前から続いているケネルの料理。水トンとハンペンをあわせたような味だそうです。オリビエさんのレパートリーは1000くらいあるそうです。


 丘の方からメイン・ストリートを歩くと、右手にパン屋がある。ミレイユ・プラスさんに案内してもらった。その先の左手の「9」の建物のドアを開けると、トラブール「渡り通路」で、歩くと中庭に出た。柱はねじられた形になっている。通路を抜けるとローヌ川に出た。今度はレストランとレストランの間のドアを開けてトラブールを通ると旧市街のメインストリートに出た。こういうのが300個あるそうです。昔は鍵がかかってなかったが、今は鍵がかかっています。
 喫茶店でミントが入っているディアグロミント?という飲み物、レモンプレッソ?という飲み物をいただいた。留学生の時にフランス語があまりうまくできなくてもしゃべれば、と加藤さんは語っていました。ミレイユさんのお勧めのお店はメインから右に入ったところにある4つ星ホテル「Sour des Loges Hotel ?」の中にある中庭。白い壁は17世紀、交番みたいなのは18世紀、ピンクの壁は15世紀の建物で、ミレイユさんが住んでいた場所だそうです。2000年にホテルになりました。
 15世紀に作られた、ミレイユさんのお友達のソフィー・ジャンドゥル・マングさんのお宅を訪問した。きれいなお花の咲く庭を見せてもらった。

 ケーブルカーに乗って丘の上に上がるつもりが別のに乗ってしまって、サンジャン大聖堂の前に戻りました。


テレビ番組「世界遺産 フランス縦断の旅6 オランジュのローマ遺跡など」

 2006年7月21日放送。富山大学の伊東順二教授、住吉美紀アナ、鎌倉千秋アナが出演。フランスとの時差は7時間。NHK制作。

 気温は35度を越えている。リヨンから南へ来て南仏プロヴァンスに入った。オランジュの市庁舎の上に鐘がある。建物の上にRFと書いてあるが、フランス共和国という意味。その下にオレンジが3つある彫刻があるが、オランジュのマーク。カフェ?では名産のロゼを飲んでいる人がいる。イタリアに近いので、ピッツェリア、ブラッセリー(ビールが飲めるところ)などもある。
 路地から左に入ると Magnan & fils と書いてある骨董品と家具屋さんがある。伝統の家具を作っているジャン・ピエール・マニャンさん。花などのモチーフが特徴。家具を作った残りの木で、この地方名産の笛ガルベを作っている。3つしか穴がない。ジャンさんは地元の音楽演奏家でもある。

 丘の上から町を一望すると、古代ローマ劇場が見える。1981年に世界遺産に登録されたが今も現役。7月に音楽祭が開催される。町はオレンジ色の街並み。古代ローマ時代は劇を見るのは誰でも無料だったが、身分毎に座る席が決まっていた。多い時は1万人収容した。ローマ帝国にとって劇場は人心掌握に重要だった。スペインにはタラゴナ遺跡、シリアにはパルミラ遺跡、イギリスのセント・オールハンズ遺跡など広く分布していた。

 劇場に来ると、迫力がある。真中の壁の上の方に皇帝アウグストゥスの像がある。アウグストゥスが劇場建設を推し進めた。壁は横幅が103m、高さは36m。ステージは横幅51m、奥行き13m。こういう壁が残っているのは、オランジュとトルコとシリアの3ヶ所だけ。ステージの上には昔は木があって音響効果を出していたが、今はプラスチック?座席では42度だったが、野球場の外野席の裏のように裏に入ると27度で涼しい。オランジュ市技術部員のフィリップ・ユーゲさんに特別なところを案内してもらった。壁と壁の間に通路があり、抜けると皇帝が見ていた場所に出た。アウグストゥス像のところでした。

 劇場でジャン・ピエール・マニャンさんらの楽団レ・ゾンフォン・ド・アラシオの舞踏をしてもらいました。曲はラ・ムワソン(麦の刈りいれ)でした。


テレビ番組「世界遺産 フランス縦断の旅7 アビニョン歴史地区」

 2006年7月22日放送。富山大学の伊東順二教授、住吉美紀アナ、鎌倉千秋アナが出演。フランスとの時差は7時間。NHK制作。

 ローヌ川にかかる石橋は途中で切れている。「アビニョンの橋の上で」は15世紀から伝わる有名な民謡。橋の本当の名前はサン・ベネゼ橋で、ベネゼという人がお告げを聞いて橋を作らねばならないと言って、とても大きな岩を自分一人で運んだという奇跡の場所でもある。橋の途中にベネゼの礼拝堂がある。聖ニコラの礼拝堂。聖ニコラは嵐の中で人を助けた人で、サンタ・クロースのこと。橋はよく流されて、以前は22個の橋脚があったが、今は4つ。17世紀には既に壊れていたそうです。
 橋の手前に城門があり、周囲4kmの城壁で街は囲まれている。街の中心には14世紀にローマ教皇が居を構えた教皇宮殿。その当時キリスト教世界の首都となっていた。70年に渡るフランスとの戦いに敗れた教皇側がわびの意味で、ここに立てた宮殿らしい。最初に作ったのはベネディクス12世、初めて住んだのはクレメンス5世。
 教皇宮殿は左からノートルダム大聖堂、そこに砦もある。ロマネスク様式の塔の右は新宮殿でゴシック様式で、楕円形の尖った窓が特徴。新宮殿を建てたクレメンス6世は芸術に造詣が深かった。
 内部はローマの教皇庁に近づけるためにイタリアから芸術家を招いた。南聖具室は衣装部屋で、現在は教皇の柩が祀られている。すぐ隣は大礼拝堂で、奥行き52m、幅15m。中世ゴシック様式の中で最も美しいと言われる。当時はこの壁は豪華なタペストリーや壁掛けなどで飾られていた。天井が黒い汚れで覆われた部屋は台所があった場所。宮殿には裁判所や税務署などの官庁が入っていたが、働く300人の食事が作られた。教皇の寝室は簡素だが、壁には生き物の姿が描かれている。年間55万人が訪れる。教皇宮殿の前の広場でも演劇祭のイベントが開催されている。

 中心街はプラタナスの並木道で人が多い。道沿いの建物は17−8世紀の裕福な人の邸宅だった。この時期街灯はポスターで彩られている。7月は演劇祭があり賑わっている。今年で60周年。
 市庁舎前の広場は演劇祭の中心で、昔は市がたっていた。演劇祭で見出された俳優や演出家もたくさんいるそうです。今年の招待公演は45個、自主公演も122の会場で900個、行なわれている。広場で宣伝してお客を呼び込んでいる。本当の結婚式も行なわれていた。自主公演の取り締まりをしているプロデューサーのジャック・マサクレ・マルサさんに話を聞いた。前衛芸術に力を入れているようです。自主公演には年間60万人が訪れる。コンパニー・パンドール?、コンパニー・キャシュキャシュ?の芸術を見て、演出家の人に話を伺いました。コンパニー・パスコリ?のコンテンポラリー・ダンスを見ました。メンバーの梶原あきこさん?に話を伺った。


テレビ番組「世界遺産 フランス縦断の旅8 マルセイユ」

 2006年7月23日放送。富山大学の伊東順二教授、住吉美紀アナ、鎌倉千秋アナが出演。フランスとの時差は7時間。実はマルセイユは世界遺産ではないが、旅の最後をまとめました。NHK制作。

 高台のノートルダム・ド・ラ・ギャルドバジリカ聖堂は13世紀に最初の聖堂が建ち、フランソワ1世が砦を造り、最終的にはナポレオン3世が現在の姿にしたという。頂上には9.7mの金色の聖母マリア像がある。
 この聖堂からはマルセイユが見下ろせる。右手が北で、パリの方向になる。地中海が広がり、左手正面には島があり、その向こうはアフリカになる。
 マルセイユはトルコやギリシャの植民地時代からの港になる。飛行機のない時代には、日本からもフランスとしてはここに到着していた。

 旧港は16世紀頃に今の姿になった。今はヨットがひしめいている。今日は旧港付近はお祭りになっている。ツール・ド・フランス・ドラボワールという大会が開かれていて、選手のヨットが今朝到着した。
 31チームあり、マルセイユのチームもいる。その中の「Defi Partage Marseille (みんなでチャレンジ、マルセイユ)」の技術サポートのアラン・コシェーさんに話を聞いた。実は6区間すんで現時点で1位だそうです。

 旧港の向かいのアーケード内のお店に寄ってみた。元はリグリア人の住民が住んでいたところで、ジダン選手の出身地としても有名。「La Maison du Pastis 」の看板のお店はとても強い食前酒「パスティス」(45度)のお店。焼酎みたいなもので、ハーブが入っている。赤かぶにつけこんだものらしい。テイスティングもできます。氷や水に触れると真っ白になる。昔の方法で作ったものなので、香りなども全く違う。
 隣は「Le savon de Marseille」で石鹸のお店。昔は100%オリーブオイルだったが、今は72%植物油で40%はオリーブオイルでないといけないとなっている。12世紀から作っているそうです。購入は600gのブロックが基本。数kgのものを切らせてもらった。いろいろな石鹸のお試しもできます。この石鹸は元々はシリアで作られたものらしい。
 その隣の隣は La Souk (市場)というレストラン。

 伊東さんは長い間フランスに住んでいて日本が大好きになったという。違う文化を理解して初めていろいろなことがわかると語っていました。


テレビ番組「探検ロマン世界遺産 神秘のモン・サン・ミシェル」

 2006年6月24日放送。青木希久子アナがリポート。NHK制作。

 フランス北西部ノルマンディー地方はのどかな風景が広がる。観光ガイドはマルク・ル・ムールさん。パリから車で4時間、草原の彼方に見えた。この地方は雨と晴れが10分毎にやってくる。20kmに渡る広大な干潟「モン・サン・ミシェル湾」にある。神秘的な景観から海上のピラミッドと称えられてきた。真中にはキリスト教の修道院があり、8世紀から800年の歳月をかけて建てられた。周囲950mの小さな島。春と秋の大潮の日は景観が一変する。この干潟が全て海水に囲まれ、絶海の孤島となる。
 現在、島には道が作られ車で渡ることができる。島は城壁に囲まれ家々が密集している。目指すは高さ150mの塔がそびえる、モン・サン・ミシェル修道院。有名なオムレツを作っている。中世の時代は巡礼者があとを絶たなかったといわれるモン・サン・ミシェルには、今は年間100万人の観光客が訪れる。修道院に繋がる1本道には宿屋なども連なる。元は巡礼者のためのものだった。家と家の間に細い道がある。道が渋滞した時の地元の人の裏道です。多い時は250人がこの島で暮らし、巡礼者を迎えたという。

 8世紀から16世紀にかけて全て石で作られた堅牢な建物、修道院に到着した。中世史研究家のアンリ・ドゥカーンさんが案内してくれました。
 まず中央にある聖堂。ステンドグラスから差し込む光が柔らかい。聖堂は16世紀に完成したゴシック建築。次は鍵のかかっている特別な場所で、螺旋階段を上がったところにある高さ120mの見張り台。干潟を歩いてきた人は、季節によっては急な満ち潮で命を落とした人もいたそうです。
 修道院で最も美しい場所と言われる回廊。13世紀にフィリップ2世の寄付で築かれた。その洗練された姿を人々はラ・メルベイユ La Merveille (驚嘆すべきもの)と言って称えた。かつてはここに薬草が育てられていた。
 最後に修道院の地下に行った。下ほど時代が古い。鍵のかかっている特別な場所、10世紀の教会を見せてくれた。ここに8世紀の礼拝堂の名残がある。

 正午ミサの始まりを告げる鐘の音が鳴り響いた。祈りの場所は11世紀に築かれた小さな礼拝堂。今も修道士と修道女11名がここで暮らしている。
 中世には悪を倒す正義の味方は絶大な人気だった。特に天使ミカエル。当時、貧困や流行病が起こると天使に救いを求めた。修道院の塔の先端には金色の大天使ミカエルの像がある。

 サン・ジョルベ教会には8世紀に最初の礼拝堂を作ったオベール司教の頭蓋骨が置いてあるが、金色です。この頭蓋骨の後ろに穴が開いているが、これが奇跡の証しだと言われている。ある日オベールの元に天使ミカエルが現われ、島に礼拝堂を設けよと言った。オベールは夢としか思わなかったが、ミカエルは頭に指を差し、天使が舞い降りたことを伝えた。奇跡を信じたオベールは礼拝堂の建設を始めた。
 モン・サン・ミシェルの沖合い30kmにあるショゼー諸島は石切場で、ここで石を切って島に運んだ。人間技ではないので、天使ミカエルの奇跡だと信じられた。12世紀に修道院が完成し、16世紀にはほぼ現在の形となり、まわりに村が作られた。この800年の間に天使ミカエルの奇跡が何度も起きたという。一人の目の見えない女性が訪問して、祈りを捧げると突如視力が回復したという。この時「ボーボワール Beau Voir」(美しく見える)と話したといいます。この言葉は対岸の村の名前として今も残されている。

 モン・サン・ミシェルに行けば救われるというので、多くの巡礼者が訪れるようになった。モン・サン・ミシェルとは「聖ミカエルの山」という意味。

 3月31日早朝。春の大潮の朝、沖からマスカレ Mascaret と呼ばれる大波が押し寄せてきて、一気に干潟を飲み込んでいった。わずか1時間で干潟は水深15mの海底に沈んだ。城壁の門の中にまで海水が入ってきます。海に囲まれる景色を見ようと早朝から観光客が見守る。感動的でした。

 干潟を走るトラクターの漁師のユベール・セレスタンさん(56歳)は船を使わずに漁をする。干潮と満潮を利用している。魚の採り方を孫のユーゴー君に教えている。お宅に伺い、奥さんのモニックさんの料理をいただいた。白身の魚を野菜と一緒に焼いたパピヨットという料理でした。
 干潟にはたくさんの羊が放牧されている。ミシェル・オブレーさん(39歳)で、ここには塩水にも耐える特別な草がある。17世紀に放牧にいいと勧めたのは修道士でした。ここの羊は独特の風味があるので、プレサレと呼ばれ、珍重されている。
 画家のヤン・ルフランソワさん(62歳)は40年絵を描いてきた。今まで描いたモン・サン・ミシェルの絵は2000枚を越える。とてもいい絵です。モン・サン・ミシェルの魅力は景観だけではない、人々の暮らしと調和しているからだという。

 4月、ひときわ賑わいをみせる。復活祭を前にフランス各地から巡礼者が集まってくる。修道士のフランソワ・ド・フロベールビルさんも忙しくなる。巡礼者との連絡はメールで行なっている。


テレビ番組「世界夢紀行 フランス気まま旅」

 2006年6月23日放送。パリからリヨン Lyon、マルセイユ Marseille、カンウ Cannes 、ニースNice、モナコ Monaco、マルセイユ、アルル Areles、アビニョン Avignon、ボルドーBordeaux へと向かう。JIC制作。

●パリ
 シャルル・ドゴール空港にある列車のターミナルからSNCF(フランス国鉄)に乗る。ここからTGV(Train a Grande Vitesse)に乗れる。TGVは1981年にパリとリヨン間で利用が開始された。
 Gare du Nord(北駅)はTGVの他、フランス北部、ベルギー、ロンドンへの発着駅となっている。ロンドン行きはユーロスター、ベルギーやオランダに行くのはタリス Thalys で真っ赤な車体が特徴。
 パリにある7つの駅の中で最も華やかで美しいと言われるのは Gare de Lyon(リヨン駅)で、歴史的建造物となっている。1901年開業でブルゴーニュなどの中部地方へのTGVの発着駅となっている。構内に有名なレストラン「Le Train Bleu(青い列車)」がある。映画「ニキータ」でヒロインが初仕事をする舞台として使われた。ダリやココ・シャネルも愛したというお店。
http://www.le-train-bleu.com/
 リヨンまでの512kmをTGVで行く。TGVは内装も必見で、機能性を追及している。携帯電話を使用するスペースも限定されていて、Voiture silence と書かれているところはダメらしい。食堂車はないが、Bar 車両があり、いつでも軽食を取れる。

●リヨン
 2時間でリヨン Perrache 駅に到着した。2つの大河が交差し、2000年前のローマ時代からの歴史がある。ソーヌ川に沿って旧市街が広がり、ベルクール広場 Place Bellecourの周辺には繁華街が形成されている。リヨンは美食とシルクの町と言われる。
 シルクの店「アンリ・ジェルマン Henri Germain」(11 rue, Auguste-Comte, Lyon、tel:04.78.42.69.79)を訪問した。1830年から続くインテリア・シルクの老舗で、現在9代目。「イタリアから続くシルクロードに、ここリヨンがあり、シルクの町として栄えました。ルイ4世の字代にリヨンは宮殿ご用達のためのシルク細工をするようになった。シルク細工はイタリア、アジアと違い、色使い、芸術性に優れている。」とオーナーは語る。1mの値段が60万円にもなるというシルクもあるそうです。
http://www.henrigermain.com/
 通りを歩く女性たちを釘づけにするお店がある。「マックス・シャウール Max Chaoul」(5&7 rue, Francois Dauphin, Lyon、tel:04.72.41.04.10)はシルクと繊細なレースをふんだんに使ったウェディングドレスとイブニングドレスのお店。オーナーは「ここのドレスは妖精をイメージしている。白でも真っ白を基本とし、キラキラと光を放つ素材で現代的に仕上げている。」と語る。ベルギー王妃をはじめ、有名人の顧客も多いという。美術品のようです。
http://www.maxchaoulcouture.com/

 チョコレートの老舗「ベルナション Bernachon」(42 cours, Franklin-Roosevelt, Lyon、tel:04.78.24.37.98、営業時間:平日9am-7pm、土8:30am-7pm、日8:30am-5pm)は伝統的な製法にこだわっている。カカオ豆から商品になるまで自ら行なっている。カカオ豆は南米、セイロン、マダガスカル産のものだけを使用し、新鮮さを保つためにリヨンの外には出荷していない。
 隣にはランチのみのビストロ(ブッション Bouchon)「bernachon」もある。リヨンにはブッションと呼ばれる店がある。かつて貧富の差が激しかった時に貧しい人が通ったビストロ。ワインは今でもポーと呼ばれる上げ底に入っている。料理は内臓料理が中心。かつては豊かな人は肉を食べ、貧しい人は残った内臓を食べたからで、今でも残っている。今回は、ブッション「Comptoir Abel Bar」(25 rue, Guynemer, Lyon、tel:04.78.37.46.18)が紹介された。「リヨンにはおいしいレストランが多い。小さくてリーズナブルなブッションもたくさんある。日本人の方には、日帰りとか1泊のみの急いだ旅ではなく、是非一週間リヨンにいて欲しい。」とオーナーは語った。

 Lyon Part Dieu という国鉄の駅からTGVに乗り、マルセイユに向かう。

●マルセイユ
 リヨンから350km、1時間強でMarseille St.Char 駅に到着。駅は小高い丘にあり、はるかにノートルダム大聖堂が見える。南フランス最大の港町として栄える。素朴な風景の中にどこかエキゾチックな情緒が漂う。もう一つの特徴は、ここがコート・ダジュールやプロヴァンスへの入口でもあるということ。
 ここから車でカンヌに向かう。コート・ダジュールにもTGVは走っているが、海岸線は肌で感じたい。フランスでは25歳以上でクレジットカードを持っていれば、レンタカーを借りることができる。もちろん、日本人は国際運転免許証を持参することが必要である。

●カンヌ
 映画祭で有名な町。その時以外でも世界中からセレブリティが集まるので、華やかな空気が漂っている。映画祭は「パレ・デ・フェスティバル Palais des Festivals et des Congres」で開催される。赤い絨毯が階段に敷かれる。パレの前の石畳には映画スターや監督の手形がある。高級ブティックが並ぶメイン・ストリート。ただ臆することはない。不思議と居心地がいい街である。

●ニース
 リビエラの女王と言われるニースはビラース?からわずか1時間。青空の下に紺碧の海が広がり、目にまぶしい。海岸沿いの大通り、遊歩道では恋人や家族連れが思い思いに楽しんでいる。ニースはコートダジュールの中心地で、19世紀の貴族たちを虜にしたリゾートの歴史と、かつて漁港だった時の素朴さが今も同居している。海岸で寝そべる人は地元の人やバックパッカーも多い。

●モナコ
 モナコに向かう海岸線は崖が迫っている。ここはモナコ公国。面積1.95平方km、人口3万人で、19世紀に世界に名だたるリゾート大国に生まれ変わった。
 モナコで話題のモダンなホテル「Columbus Monaco 」(23 Avenue des Papalins, Monte-Carlo、tel:92.05.90.00)は、オーナーはF1ドライバーのデビッド・クルサード。ブラスリー?のテラスは地元の人気スポットになっている。食後酒は最先端のシック・アドレスでもあるレストラン・バーで味わいたい。
http://www.columbushotels.com/
 ホテルの目の前は「グレース王妃のバラ園 Roseraie Princesse Grace」。グレース王妃は1982年自動車事故で突然この世を去った。4000本を越すバラの花はモナコ中をバラで飾りたいという美しい王妃を偲んで植えられている。
 モナコ大公宮殿 Palais Princier は1215年ジェノバ人が築いた要塞の跡に築いた。毎日11時15分から行なわれる衛兵交代は150年以上も続けられている。
 パステル・カラーの続く街並み。

 本格的なモナコ料理の店「キャステルロック Castelroc」(Place du Palais Monaco, Ville、tel:93.30.36.68)はランチがnoon-3:30pm、ディナーが 7pm-10:30pm、2〜11月はランチ(土曜休み)、5月〜9月はランチとディナーをやっている。「モナコ風アントレの盛り合わせ Lassortinent d'entress Monegesques 」など肉と野菜をふんだんに使った前菜。「ニース風タラのスリ身料理 Stockfish a la Brandacujun」。「シェフのモナコ風タラ Le Stockfish a notrefacon Pat national Monegasque 」は干しタラとジャガイモ、ピーマンなどを煮込んでいる。いずれもオリーブやハーブをたっぷり使っている。
 チョコレート専門店「チョコラテリー・デ・モナコ Chocolaterie de Monako」(Place de la Visitation, Monaco, tel:97.97.88.88)はモナコ王室ご用達で、見ているだけで幸せな気分になれる。モダンなインテリアのブティックにはティーサロンも併設されている。
http://www.mchoc.com/

 モンテカルロ地区のカジノ広場 Place du Casino 周辺には一流ブランドのお店が集まっている。テーブルウェアの専門店「Manufacture de Monaco」(4 avenue de la Modorie, Monte-Carlo、tel:93.50.64.63)には、金・銀・プラチナで繊細な絵付けを行なう手作業の品が並ぶ。グレース王妃のお気に入りだった。モナコ以外で入手するのは難しく幻のブランドと言われている。
http://www.mdpm.com/
 王室ご用達の宝飾店「レポシ Repossi」(Square Beaumarchais, Monte-Carlo、tel:93.50.89.59)は、1920年代に今のオーナーの祖父が創業。プレステージの高いハイ・ジュエリーが中心だが、顧客のカロリーヌ王女にちなんだ若々しいデザインのものも手がけている。
http://www.repossi.mc/

 F1グランプリでは町の道路がサーキットに変わる。ドライバーにとっては非常に過酷なコース。毎年5月に開催され、2年に1度はクラシック・グランプリも開催される。
 アルベール1世通りに建つのが「カフェ・グランプリ Cafe Grand Prix」(1Quai Antoine 1er, Monte-Carlo、tel:93.25.56.90)ではレースを間近で観戦できる。2階は「レストラン・ラ・ラスカス Restaurant La Rascasse」で、目の前のコーナーはラスカス・コーナーと呼ばれている。レース開催日は両方とも予約で満席となる。

 話題のレストラン・バーは「ゼブラ・スクウェア Zebra Square」(10 Avenue, Princesse Grace, Monte-Carlo、tel:99.99.25.50)はカジュラルな雰囲気を満喫できる。パリとモスクワにも支店を持つ。モダンな店内には小粋な大人の時間が流れている。メニューはライト・フレンチをアレンジした無国籍料理。パリの三つ星レストランで腕を磨いたシェフの料理の味は抜群。
http://www.zebrasquare.com/

 レース会場から少し外れた場所にモナコ育ちにブティックがある。「イクティス Ichthys 」(Park Palace/ 25 avenue de la Costa、tel:97.70.38.58)はマドモワゼルに人気のモナコブランドで、モナコでただ一人のファッション・デザイナーのアレクサンドル・パストゥール?が手がける。モダンをアレンジしたセクシーなデザインと素肌になじむ上質な素材がセレブリティに受けている。
http://www.ichthys.mc/

 ヘアピン・カーブを見下ろす特等席にあるホテルが「モンテ・カルロ・グランドホテル Monte Carlo Grand Hotel」(12 avenue des Spelugues, Monte-Carlo、tel:93.50.65.00)で、モナコでは珍しいアメリカンタイプのホテルで、全てにおいてスケールが大きい。ホテル内には「サン・カジノ Sun Casino 」もある。レースを観戦できる客室は1年以上も前から予約が入る。季節に関係なく人気が高いのは地中海に面したVIPスィート。カジュアルなダイニングからフォーマルなレストランまである。滞在中はダイナミックな海の景色を楽しみながら、それぞれの味を堪能したい。
http://www.montecarlograndhotel.com/
 日本での予約先は、スターリング・ホテル&リゾート(tel:0120-266-500)です。
http://www.monaco.or.jp/item/index.html

 一度は行ってみたい場所が「グラン・カジノ Grand Casino」。一歩中に入ると19世紀にタイムスリップ。古き良き時代の紳士淑女になったような錯覚に陥る。グランカジノは1878年パリのオペラ座を設計した建築家シャルル・ガルニエによって建てられた。内部の見学だけでも入場できるが、やはりドレスアップして夜に訪れたい場所である。

 地中海が生み出す極上のタラソセラピーを満喫できる「レ・テルム・マーン・モンテ・カルロ Le Thermes Marins de Monte-Carlo」(2 avenue de Monte-Carlo、tel:92.16.40.40)は、モナコ大公レーニエ3世のアドバイスを受け誕生した。最新の技術と設備、最高のロケーションを誇る癒しの空間。ここには心身をくつろがせ、人を健康にするあらゆるプログラムが存在している。天然の海水を使ったマリン・セラピー、伝統的な技術を高めたマッサージでリラックスと刺激を送り、疲れを癒す。死海の塩とエッセンシャル・オイルによるボディ・ピーリング。安らぎと美は密接な関係を持つというポリシーが、世界中の女性を内面から美しくする。
http://www.montecarlospa.com/

●マルセイユ
 電車でマルセイユに戻った。小高い丘に建つマルセイユ駅の前の階段に座って、日向ぼっこをしながら景色を眺める人も多い。
 「ノートルダム・ド・ラ・ギャルド寺院 Basilique de Notre-Dome de la Garde」は標高154mの高台に建つ。頂上にある守護聖母はマルセイユの海と港を見守っている。

 レストランが評判の地中海を望めるホテルに行ってみた。細い路地の先にある「ル・プチ・ニース・パセダ Le petit de Nice-Passedat」(Anse de Maldorme, comiche, J.-F.-Kennedy, Marseille、tel:04.91.59.25.92)はオートゲート。その先はリゾート地。ここは世界50ヶ国450のホテルやレストランが加盟するルレ・エ・シャトウのメンバー・ホテル。一番狭いCesar という部屋からでも、滞在中はバスルームから地中海を楽しんだりできる。一番広いArcazar という部屋は別荘を思わせる雰囲気。置かれている家具はヨーロッパの一流品。大型のクローゼットも完備されている。バスルームの天井にはシャワーがついていて、バスタブに降り注ぐ。
 ここのレストランは知る人ぞ知る2つ星レストラン。メニューは地中海で採れた魚がメイン。味はもちろん、器や盛り付けにもアーティスティックな演出が施され、目と舌で味わう。シェフによれば、調理方法には日本料理の影響もあるという。1枚の絵が器というカンバスに描かれている。ブイヤベースでさえも、日本の八寸や前菜のような感じになる。
http://www.petitnice-passedat.com/
 日本での予約先はルレ・エ・シャトー・リザベーション(tel:03-3475-6876)です。
http://www.relaischateaux.com/

 夜の旧港 Vieux Port の周辺に地元の若者や観光客が集まってくる。魚料理を食べさせる店が何十軒も軒を連ねている。どの店がおいしいかみんな真剣に店を選んでいる。素材のよしあし、店内の雰囲気、値段、混み具合、食事中のお客の表情が重要である。テーブルが埋まっている店はとても気になる。そういう意味では、「Le Feliche?」など。

 マルセイユの活気を肌で感じられる場所が魚市。旧港中央のベルージュ河岸では毎朝魚市が開かれている。漁を終えた船が港に入るとすぐに魚が並ぶ。どれも新鮮でイキがいい。

●アルル
 車で1時間。フランスの中の異国と言われる町。ホテル「ホテル・ジュール・セザール Hotel Jules Cesar」(9Bd des Lices.BP.116, Arles Cedex、tel:04.90.52.52.52)は全58室で、白亜の建物は1642年に建てられたカルメル会修道院を改装したのもの。ロビーはプロバンスの家具やカラフルなパブリックで統一されている。こじんまりした客室、暖色系で派手さはないがしっとりと落ち着ける。かつて修道院だったことを実感させるアンティークな家具類。壁や天井には17世紀の香りが残っている。室内に使われている布地は全てプロヴァンス地方のもの。客室の窓から見える中庭も修道院の雰囲気。かつてここで暮らした修道女たちはアルルの光の中で神に抱かれ生涯を送った。ホテルは町の中心にあるが、騒音とはまるで無縁の世界。
 窓から中庭を望むカフェで、ゲストはここで焼きたてのクロワッサンとカフェオレをとる。明るいテラス席のあるル・マルケスはメイン・ダイニングで、洗練された料理はこのホテルを有名にした。今日のランチの前菜は「なすのすり身」、メインは「プロヴァンス風羊肉の料理」、そしてデザート。
http://www.hotel-julescesar.fr/index_en.htm
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http://www.relaischateaux.com/

 隣は歴史的建造物に指定されている17世紀の礼拝堂。この中ではクラシックやバロックの音楽会が頻繁に行なわれている。周囲にはローマ時代の遺跡が多く、円形闘技場 Amphitheatre ではかつて2万人の観衆が集まった。現在イタリア以外に残る闘技場としてはアルルが最大規模だという。古代劇場 Theatere Antique は紀元前1世紀末に作られた。当時は1万人近い観客を収容し、最新の音響設備と華麗な装飾を誇ったと言われているが、今では2本の柱だけが当時の面影を留めている。古代人は風呂を社交の場としていたが、4世紀に建てられたコンスタンティヌス浴場跡 Thermes de Constantin は、上流階級のくつろぎの社交の場。サウナや床下暖房まであった。

 悲劇の天才画家ゴッホ Vincent Van Gogh (1853-1890)は1988年にアルルにやってきた。彼はこの地で約200点の作品を描いた。ラングロア橋は「アルルのはね橋 Le pont de Langlois」(1888)、現在は復元されて観光名所になっている。アルルの町中にはゴッホの作品に関係ある場所は必ず表示がある。町中にあるゴッホが暮らしていた「黄色い家 La Maison jaune」(1888)は今は普通の建物になっている。近くの広場では老人たちがペタンクをしている。フォーラム広場の「夜のカフェテラス Le cafe le soir place du forum」(1888)は、今も同じ場所で営業している。
 市庁舎広場 Place la Republique には7世紀に創建されたロマネスク建築の「サン・トロフィーム教会 Eglise St.Trophime」がある。

●アビニョン
 アルルから車で30分。14世紀にローマから法王庁が移転して第二のローマと言われたアビニョン。そこに建築された「法王庁宮殿 Palais des Papes」は当時の栄華を象徴する建物。中世都市の香りは水辺にも漂っている。ローヌ川にかかる「サン・ベネゼ橋 Pont St.Beneze」は、洪水で半分流されてしまったが、14世紀の都市の威厳を守っている。宮殿の裏手にある小さな公園を見ても、中世と現代が違和感なく同居していることがわかる。
 駅前から法王庁まで続くレピュブリック通り Rue de la Republique の夜景の美しさに圧倒された。
 Gare Avignon アビニョンの駅から列車に乗ってボルドーに向かった。

●ボルドー
 500kmの列車の旅。フランスの列車では女性の車掌さんをよく見かける。Narbonne を経由したが、ここでは出会いと別れの風景を見た。列車のコンパートメントは昔の乗合馬車を彷彿させる。7時間でボルドー駅に到着した。
 駅は雰囲気がある。ボルドーの歴史を語るカンコンス広場 Esplanade des Quinconces にはフランス革命ゆかりの記念碑があり、目の前には最新型の路面電車が走っている。
 町のあちこちにワインの専門店がある。市民たちが行き交うサント・カトリーヌ通り Rue Ste-Catherine は南北1kmに渡るヨーロッパ最大の歩行者道路。

 その近くにレストラン「ル・グラヴェリエ Le Gravelier 」(114 Cours de Verdun, Bordeaux、tel:05.56.48.17.15)がある。マダムはパリの名店「マキシム」の料理長ピエール・トロワグロの娘。彼女の夫がこの店のシェフ。ここの店は魚料理に定評がある。マダムの父が銀座にマキシムを出して以来、和食のエッセンスを取り入れ、隠し味にワサビを使うこともあるそうです。Anne Yves さんは「新鮮な地元の素材を中心に、この土地の伝統料理だけでなく、新しい料理にもチャレンジしている。」と語った。

 レストランホテル「シャトー・コルディラン・バージェ Restaurant-hotel Chateau Cordeillan-Bages 」(Route des Chateaux Pauilac、tel:05.56.59.24.24)は世界に名だたるシャトーのランシュバージュの直営ホテル。ここで食事をし、シャトーの名酒を飲みながら宿泊することは、世界のワイン愛好家たちの憧れ。17世紀に建てられたというホテルの内部はクラシックなヨーロピアン調。さりげなく並べてあるワインにはランシュバージュが生み出した極上のワインが並ぶ。シャトーとしての歴史と伝統を感じる。しかし客室のインテリアはモダンで機能的で、ヨーロッパの現代アートを思わせる洗練された景観。さらに奥に進むとそこはクールなフレンチモダンな世界に変わる。どこか和の心に通じているようだ。ゲストルームは29室。その全てに大きなベッド、フラットパネルTV、ミニバー、広々とした浴室がある。メドック地方は森林や湖、ゴルフ場などリゾートしても理想的なところだが、シャトーの中ではワインと料理だけを考えて1日ゆったりと過ごしたらいい。シェフのThierry Marx さんは「この建物はとてもクラシックな建物ですが、私の料理は現代風なので、内装はその両方を融合させることを心がけた。サロンのクラシカルな空間から次第に現代的な空間になるように表現した。」と語った。
 シェフのThierry Marx さんは、パン屋の息子として生まれ、パリのルドワイアン、タイユバン、ロブションのジャマン(パリ)で修行を重ね、ミオネイ(リヨン郊外)ではアラン・シャペルの下で料理哲学を学んだ。20代でシェフとなり数多くの無名レストランを星付きにした。そしてここでも2つ星を獲得した。「ボルドーでは料理をワインに合わせることは非常に重要です。そこで大胆なことに挑戦した。それは、年代もののワインは食事の前にテイスティングとしてお楽しみいただくこと。料理と年代もののワインがぶつからないようにした。料理には古くても4年くらいのワインにしてもらうようにアドバイスしている。10年もののワインなら何とか料理とマッチングはできるが、それ以上のものはその年代を尊重すべきだと考えている。」と語った。
http://www.cordeillanbages.com/
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http://www.relaischateaux.com/

 レストランの隣のブドウ畑は訪れるゲストのためで、市場に出ることはない。ここにはワインを学ぶための学校もある。「コルディヤン・バージュ、ワイン学校 L'ecole du Bordeaux」で、週に2回ワインセラーを教室にして講義が行われている。

 メドック地方の特級シャトー「ランシュ・ムーサ Chateau Lynch-Moussas」の現当主の父は、数多くのワイナリーを経営してきたエミール・カステジャ Emile Casteja。彼がボルドーワインの魅力を語ってくれた。「ボルドーは北緯45度にありブドウ作りに重要だ。ここの傾斜に吹く風が暑さや雨の量を微妙に調節している。」シャトー・ランシュ・ムーサのワインはメドック5級に格付けされている。

 パリ行きのTGVに乗ってモンパルナス駅に帰りました。


テレビ番組「ガイヤの夜明け、日本の味に世界が踊る、フードビジネスが狙う和食」

 2006年2月21日放送。役所広司さんが出演。TV東京製作。

●東京・六本木
 森本正治さん(50歳)が経営する高級レストラン「レストラン森本XEX 」が去年9月にオープンした。メイン料理は和食だが、一般の日本人がイメージするものとは違う。オイスター・フォアグラ1ピース900円、モリモト・オカモチ二人前3800円、オープニングの招待客は300人。仕掛け人は外国企業ワイズテーブルの社長・金山精三郎。

●フランス・パリ
 オペラ座の近くにレストラン「アングロ・ペラ」がある。ランチタイムには満席となる人気店。舌の肥えたパリジャンたちを魅了する料理の数々。作るのはミシュランの星を取ったこともあるジル・シュークルンさん。彼は料理の研究とメニュー開発に余念がない。今お気に入りはわさび。和食をフレンチに取り入れたいと数年前から試行錯誤をしている。今回はニンジンサラダの隠し味に使ってみた。「ワサビやユズのような和食の調味料は僕をワクワクさせる。和食のノウハウをもっと自分のものにしたい。」という。彼の夢は日本に修行に行くこと。

 フランス料理のフルコースは、スープ、前菜、魚料理、肉料理、デザート、チーズ。フランス料理の歴史は16世紀に遡る。当時のヨーロッパで料理の先進国はイタリアだった。メディチ家の娘がフランス国王アンリ2世に嫁いで、イタリアからお抱えの料理人を連れて行った。その料理人が今のフランス料理の原型を作り上げた。これが後に世界三大料理の一つとして称えられるようになった。

●京都
 2005年10月6日、関西空港に5人のフランス人が到着した。リーダーはジル・シュークルンさん。南禅寺にある懐石料理「瓢亭」で最高峰の料理を堪能した。今回招待したのは日本料理フェローシップで、11日間の和食の研修を行なう。菊乃井の村田吉弘さんは、お造りは一切れ12gで、一番味がわかる大きさだという。
 朝の京都中央卸売市場をジルさんは見学したが、魚の量と種類に圧倒された。フランスでは食べないふぐに特に興味があった。毒のある魚を食べるという日本の食文化を見たいと思っていた。解体を見たが、驚いたのは毒の部分を取った後に、皮から肉をそぎ取る技。
 懐石「近又」は国の有形文化財に指定されている老舗の料亭。ジルさんはここで修行をする。厨房は自由に見学していいことになった。まず鮎の骨抜きに興味を持った。いがぐりのような衣に仕上げる「丹波揚げ」の衣は栗。ジルさんは白味噌に生クリームを合わせ、牡蠣をつぶして混ぜた。ジルさんは丹波揚げの衣に牛肉をあわせた。だしの取り方はフレンチのコンソメにも応用できると言う。

●フィラデルフィア
 「料理の鉄人」をアメリカで「アイアンシェフ・アメリカ」としてやっていた。これで有名になったのが森本正治さんで、挑戦者を迎え撃つ鉄人の一人。キャッチフレーズは和食の伝道者。

 アメリカ第5の都市が森本さんの拠点。週末には行列ができていて、開店以来4年間、この人気を保っている。年商8億円。ニューヨークからわざわざやってくる客もいる。盛り付けはもちろん、味もアメリカ人向けに工夫されている。モリモト・テンプラ11ドル、モリモト・サシミ24ドル。
 森本さんは広島県出身、高校卒業後、地元のスシ店で修行、30歳で渡米し、レストラン「NOBU」で料理長を勤め、アメリカで確固たる地位を築いた。
 店の向かいにある店が数ヶ月前に潰れたので、そこの厨房を利用してニューヨークのお店で出すメニューを開発している。50の新メニューを作るのは、4人の日本人スタッフ。「サラダと刺身の薫製」など。日本に持っていくと受け入れられない料理もかなりあるという。森本さんが出す店の切り札は鍋のまま出す「肉じゃが」。味が決まらなかった。「俺たちには普通でも、アメリカ人は食べたことがない」と彼は言う。

 10月下旬にニューヨークの店で出すメニューの試食会が開かれた。肉は最初にすき焼き風味のタレで軽く火を通し、じゃがいもの上にのせる。照り焼き、すき焼きがアメリカにすぐ入ったかというと甘いからだという。一品目は「刺身サラダ」で、カボスが入ったビネグレット・ソース。「おかゆの上にのせた豚の角煮」、「フォアグラを使った茶碗蒸し」など。
 スティーブさんは「次にくる和食はスシではなく、森本が出したような温かい料理でしょう」という。安い料理ではなく、健康的で良質な料理としてです。森本さんはアメリカ人にいろいろな日本食を食べさせたいと思っている。最終的にはタコやマグロのぶつ切りを醤油とワサビで食べて欲しいと言う。

●ニューアーク
 空港には週に2回日本から食材が届く。トゥルーワールドフーズの田口政仁さんは築地市場から多く入れているという。魚の種類も豊富で、マダイ、ヤリイカ、コハダ、サザエなど。魚の行き先はマンハッタンの高級レストラン。

●東京・築地
 山藤さんの「やまふ水産」を森本さんは訪問した。中卸の実力によりいい魚が手に入るかどうかが決まる。

●ニューヨーク
 マンハッタンの西のミート・ディストリクトは古くから食肉工場などが密集する場所だったが、ここ数年は洒落たブティックやレストランが急増している。総工費14億円をかけた200席の店は、安藤忠雄さんが設計。巨額の資金を投じるのは12軒のレストランを経営するスティーブン・スターさん。2月にオープン。
 全米の日本食レストランは8707軒(2004年)で、10年前の3551店から急増している。ZAGAT ランキングの Top 50 にもSushi of Gari, Masa, Tomoe Sushiなど9店が入っている。ニューヨーク郊外にある日本食材専門スーパー Mitsuwaも客の半数近くがアメリカ人。豆腐、納豆はもちろん、梅干、たくあんなども。
 開店まで3週間の1月に店員200人に対してオリエンテーションが行なわれた。和食の基礎知識を叩き込んだ。勝ちムードをどうやって作るかが大事だと言う。スシ部門が一番魚を使う。新たに7人を採用したが、彼らに四角の「四海巻き」をできるように命令した。
 森本さんはニューヨーク・タイムズの The Spotted Pig という欄に興味がある。ここの星の数が店の存亡を決めるという。Poor と書かれると店が潰れるという。
 1月31日にオープンした。1日300人の予約を取るが、初日は200人しか取らなかった。あの肉じゃがが人気。1人前33ドル、3900円。お客も「スシ以外にこんな和食があるとは知らなかった。」という。四海巻きも美しさにお客も食べるのを躊躇していた。モリモト・サシミ28ドル、豆腐チーズケーキは12ドル。アメリカ人の好きなエンターテイメントが皿の上で踊っていた。

●台湾・台北
 森本さんがやってきた。台北101からも森本さんに出店要請が来ていた。地上95階の2フロアぶち抜き。


テレビ番組「特命!高橋克典の実感マニアック旅行 in フランス」

 2006年2月12日放送。高橋克典、新山千春さんが出演。テレビ朝日製作。途中からです(汗

●マルセイユ
 世界三大スープの一つブイヤベース Bouillabaisseを自分で取った魚で体験したい。漁師のアヌトピア・シカレリさんは地元生まれのマリアさんと結婚し、3人の娘、エリザベス、ベロニク、ベルナデットさんに恵まれて、みな結婚した。シカレリさんについて朝4時過ぎに市場に店を出した後に、5時頃港を出港した。漁師の服を着て、30分後に最初のポイントに到着。底引き網漁で魚を取る。イカ、サザエ、30cmのヒトデ、たくさんの魚が取れました。シカレリさんは網は破りながら取ってました。1時間ちょっとで終了し、次のポイントに移動して網を巻き上げた。8時頃に港に引き返した。高橋さんは立ったままの作業で疲れたようです。取った魚を市場に運ぶ。
 ついに本物のブイヤベースを作ってもらうことになった。売れ残った魚を中心に、トマト6個、ジャガイモ4個、タマネギ2個、ニンニク1個、イタリアンパセリ、ローリエ、サフランが4人分。まず魚のウロコを取り内臓を取り下ごしらえする。オリーブオイルを入れた鍋に刻んだタマネギと下ごしらえした魚を入れ、サフラン、塩コショウで味付けし、トマトを入れ炒め、香り付けにローリエを加え、材料がひたるくらいに水を入れ、1時間煮込む。これをパンを敷いた皿にスープをかけ入れる。これににんにくや卵の黄身の入ったペースト状のソースをかけていただく。その後にスパイスが効いた魚をいただく。

 マルセイユの港には、第二次世界大戦の帰還兵を称える記念碑がある。女性が両手を上げているのが特徴的。イフ島に見えるのは刑務所。小高い丘に登ると、ノートルダム寺院の別院ノートルダム・ド・ラ・ギャルドバジリカ聖堂がある。歴史があり、キリスト像とマリア像の雰囲気かもし出すおごそかな教会。上を見上げれば航海の安全を願う船のオブジェの数々がある。海抜162mのこの教会のテラスからマルセイユの景色が一望できて、とてもきれいです。

●サン・シル・ラ・ポピー
 フランスで最も美しい景色が味わえるという村で、フランス南部にある。崖に張り付くような村で絵画のような景色。パン作りの修行に来ていた日本人に会ってホテルを紹介してもらった。中世のたたずまいを残す村。観光案内所のガイドのソフィ・ファビアンヌさんは元エール・フランスの客室乗務員で、案内してもらった。サン・シル教会とその日時計。ラポピーとはオック語で「胸」を意味し、お城が建てられた岩山が胸の形をしていたからだという。ジャン・ジャック・ゴチエル Jean Jacques Gauthier さんは芸術家で、いろんな作品を見せてもらいました。「ブリジット・アッラン」はアクセサリーと帽子のお店。「ベル・デ・ブイ」は小物屋さんで、メルヘン的なものが多い。四角い傘もある。ワインショップ「ムーセ・デ・ヴァン」でカホール・ワイン Cahors Wineを見た。ほかのフランス・ワインと違い、タンニンが強く、黒ワインとも言われる。石質の痩せた土壌で太陽の恵みを受けて作られるワインだかららしい。サフランを生産しているミッシェル・ベサック&マリアンヌ・ベサックさん宅で味わうことにした。サフランの収穫時期は10−11月で、これを手伝った。日本では5g1240円らしい。取り出したサフランをトレイにのせ、オーブンで乾燥させて香りを引き立てる。あとはビンに入れて保存する。カボチャのスープにサフランを8個浮かべたものをいただいた。ここでカホール・ワインをいただいた。「サフラン・ライス」もいただいた。お米にサフランを混ぜて炊くと黄色になるそうです。サフランは頭痛を和らげ、血液の循環をよくし、精力増強にもいいそうです。
 村の一番高い標高の岩山から見ると、川、牧草地、村がきれいに見えて感動的でした。

●ルルド
 奇跡の水があるという町で、ピレネー山脈の東西の中間地点にある。ボルビック、エビアン、ペリエなどフランスを代表する水がある。マリアの姿の容器をたくさん売っている。奇跡の水は飲むこともできるし、悪いところにつけることもできる。教会シュペリウール・バジリカ聖堂に行く。マリア像は教会に向かって手を合わせている。教会の横に水を入れる水道管がありました。教会が立つ崖の下の洞窟内にあるマリア像の奥から湧き出ている「ルルドの泉」からひかれている。この水を飲んだベルナデット・スービルー Bernadette Soubirou は死後120年経っても美しい姿を保ち続けているという。この泉は150年前にベルナデットの前に聖母マリアが現われて、取り出すことを命じてできたという。以来さまざまな奇跡を生む聖なる水として人々からあがめらている。
 今回の旅の目的として、この水でご飯を炊いて、おにぎりを作るというのがあり、教会の横で実行しました。


テレビ番組「遥かなるオイスターロードの旅」

 2006年2月5日放送。岸朝子、森公美子、きたろう、金子昇さんが出演。東京湾にもカキがいた。アメリカでは開拓者を支えていたのはカキとトウモロコシ。だからアメリカではカキは神からの授かり物だという。カキには亜鉛が入っていて、男性が元気になる。ナポレオンなどもよく食べたという。外国人は生ものは食べないがカキは生で食べる。岸朝子さんの父の宮城新昌さんは世界の牡蠣王と呼ばれる。東日本放送製作。

●ニューヨーク
 ニューヨークのグランドセントラル駅のオイスター・バーは世界中のカキ愛好家が集まり、毎日4000個以上の生ガキが消費される。アメリカではカキを一緒に食べる男女は深い仲だと言われている。

●グランド・セントラル・オイスター・バー
 品川に「グランド・セントラル・オイスター・バー」の世界2号店がある。メニューもレシピも本店と同じにしている。熊本産470円、コフィン湾430円、ステラ湾450円、バリラ湾430円、ファニー湾430円、宮城450円などがある。

●カナダ・コルテス島
 バンクーバーの近くのナナイモ。船で島に渡り、水上飛行機に乗ってコルテス島にいく。暖流と寒流がぶつかる場所にある。コルテス島は小さな島。ここではブレント・ペットカウさんが案内してくれた。自分たちをオイスター・マンやシー・ファーマーと呼ぶことが多い。
 ここには日本の牡蠣がある。ここに持ち込んだのは岸さんのお父さん。夜になると潮が引くから星空の下で歩きながら牡蠣を拾うことができるという。ブレントさんが見せたい物があるというので、船に乗って移動する。景色がとてもいい。透明度が高くて、海の中の杉の木のように見える。筏からロープを垂らす垂下式という方法は宮城さんらが考案して持ち込んだもの。バーベキュー・パーティで歓迎してくれた。生もおいしいが、少し焼いたものもおいしい。海を大切にしないと牡蠣が育たないという。  夜に潮の引いた海底に見に行くとたくさん牡蠣がいたのでバケツで取りました。

●カナダ・レディスミス
 バンクーバーの対岸にあり、宮城さんはこの町に明治44年生牡蠣を輸入する会社を設立したが、輸送中の死亡率が高くて失敗した。

●カナダ・バンクーバー
 ジョー・フォーテス Joe Fortes というオイスターとシーフードの専門店で有名な人気店。オイスター・プレートをいただいた。クマモトという牡蠣は今はクマモトで作られていないが、マッカーサーがその繊細な味にひかれてアメリカに輸入しろと言ったという。Golgi inlet、Penrose、などをいただきました。
http://www.joefortes.ca/

●アメリカ・シアトル
 マリナーズの球場セーフコ・フィールドに行く。スペース・ニードルは展望台。Pike Place Market は100年近い歴史を誇る全米最古の市場。魚のお店では魚を投げていた(笑) ここに並んでいる Pacific Oyster は日本産のまがき。
 宮城さんは高校を卒業してアメリカに渡り、牡蠣の商売に入った。当時アメリカではオリンピア・オイスターという小粒の牡蠣があったが、乱獲などで激減した。宮城と月本二郎さんは会社を設立し、輸入したが全滅した。しかし殻についていた番が新しい命をはぐくんでいた。山下英一さんのお宅を訪問して話を聞いた。この成功により、日本の農民、漁民は喜び、お米、海苔などを持ち込んだという。
 フェリー乗り場のすぐ前にある「エリオット・オイスター・ハウス Elliott's oyster house」は料理の種類が豊富なカジュアルなシーフード・レストラン。昔はアメリカでも火を通して牡蠣を食べていた。クラシックな料理「オイスター・ロックフェラー」は1800年代にニューオーリンズで初めて作られた。「ハード・タウン・フライ」は牡蠣フライの原型で、下に牡蠣が敷いてある。当時は卵もパン粉も牡蠣も貴重品だったからで、牡蠣フライのオムレツみたいな感じ。「オイスター・シューター」はカクテルソースとスパイスで味を整えた生牡蠣にウォッカやリキュールを注いだきつい飲み物?牡蠣をかき混ぜ、一気に飲み干すそうです。
http://www.elliottsoysterhouse.com/

●宮城県
 仙台からリアス式海岸の唐桑町に行く。ここに財団法人「かき研究所」がある。世界中の牡蠣を調査している。理事長の森さんに話を聞いた。宮城の牡蠣は低水温に強い。それで暖かい場所に持っていくとグンと成長する。
 水山養殖場に行って、畠山重篤さんが案内してくれた。とても大きな牡蠣です。海をきれいにしておけば、餌は必要ないそうです。「森は海の恋人」ということで、89年から山で植林を続けている。養分を川が運んで牡蠣が育つそうです。木を育てるには50年かかる、漁師ももっと長いスパンで考える必要があると畠山さんは言う。
 松島の「牡蠣庵」で牡蠣のしゃぶしゃぶをいただいた。
万石浦は宮城さんが初めて宮城県で養殖をした場所。

●フランス・パリ
 パリでも牡蠣はよく食べられる。町のいたるところで牡蠣は売っている。フランスでは真夏でも食べる。ランジス中央市場でも魚などと一緒に売られている。フランスの牡蠣は北からノルマンディ、ブルターニュ、ヴァンデ・アトランティック、マレンヌ・オレロン、アルカッション、トゥの6箇所の海で養殖されている。
 エカイエと呼ばれる看板職人が牡蠣の殻をむく。ベルナール・ゴンティエさんは牡蠣むきの世界チャンピオンに5回なったという。商品として出す場合は1分間に17個、大会での最高記録は34個。ギネスブックにも出ている。
 新鮮な海産物で評判のムフタール市場。牡蠣は殻つきで、Fines de Claires の Marennes Oleron のN4は?の量で6.8ユーロ、N3は8.8ユーロで売られていた。番号は牡蠣の大きさを表している。小さいのが5番、大きいのは00番。標準は3番で1個100円程度。このPrat-ar-coum 社の牡蠣はLe Grand Cru des Abers ?を入賞したそうで、ブルターニュのブレスト産だという。

 ブルターニュに行く途中にモン・サン・ミッシェルにも寄った。有名なオムレツや塩味の羊を堪能した。

●フランス・ブルターニュ地方ブレスト
 プラッタコム Prat-ar-coum 社は1890年代から牡蠣養殖に携わってきた。3つ星レストランにおろしているという。イボン・マデックさんが説明してくれた。毎年のように農業際で受賞しているという。形が違うのがあるが、これはヨーロッパ・ヒラガキでブロンとも言う。これがこの地域で採れていたオリジナルな牡蠣。ヒラガキの生産はフランス全体の1%で、歯ごたえがある。00番よりももっと大きいものがあるが、8年ものだそうです。ここは潮の満ち引きが激しいので、栄養がたっぷりになる。太陽にあたると身を守るために貝柱を強く引いて殻を閉じるので、身が締まる。収穫後に15日程度生き延びるので、いつまでもおいしいそうです。
 シーフードの盛り合わせを食べるが、アサリも生で食べられる。1970年前後に病気が蔓延して全滅した。日本から宮城のまがきを輸入して育てていったが、牡蠣だけだと危ないので、他の魚介類も始めたという。

●フランス・アルカッション
 エレガントなリゾートとして人気。ここで牡蠣の種ができる。標高100m以上のピラ砂丘はヨーロッパで一番高い砂丘。ナポレオン3世はここで牡蠣の養殖場を作り、盗まれないように見張り場まで作った。牡蠣の産卵は水温が20度を越す6月〜8月。ジェローム・ドゥラリュさんが説明してくれました。アルカッションだけでヨーロッパの種牡蠣の70%を生産する。
 牡蠣博物館を訪問した。セブリンヌ・キャニュさんが説明してくれました。

●フランス・マレンヌ・オレロン
 フランス最大の牡蠣生産地。海を生け簀みたいにして生産している。ダビッド・エルベさんが説明してくれました。潮が満ちてくると生け簀に海水が入る。海が見えないが、平坦なので潮が満ちるとかなりのところまで潮が来る。2年海で育てて仕上げにクレールで牡蠣を休ませる。普通のクレール牡蠣で1〜3週間、高級ブッサン・クレールは半年近く続ける。海水80%、雨水20%が重要。海水以外にも太陽、土が大事。ブッサンクレールは細長く、1平方mあたり2個という環境で育てられる。これは甘味があってとてもおいしいそうです。これも元は宮城の牡蠣。

●パリ
 ダビッドさんから牡蠣をおろしていると教えてもらったお店「ラ・アグイユ La Agouille」で食事をした。レモンをかけるのがもったいない。


テレビ番組「林繁和、西川かの子、南フランスたべつくしグルメ旅」

 2005年9月19日放送。2005年4月1日に結婚した林繁和(51歳)、西川かの子(31歳)の年の差は20歳。新婚ほやほやの二人が、林の18歳の頃の思い出の地南フランスを旅した。エールフランスで行きました。毎日放送製作。

●リオン Lyon
 ブッション Bouchon は郷土料理を出す庶民的なレストラン。それが並ぶ通称ブッション通りはお勧め。La Cabane du Pecheur ラ・カバーナ・デ・ペチュエル というお店に行き、白ワインと「サラダ・リオネーゼ」を食べる。野菜をふんだんに、フルトン?、半熟たまご、などを載せているリヨン独特のサラダ。一番のお勧めは「クネル・ド・ブロシェ?(川カマスのクネル)」で、魚介類で煮込んだソースを使っている。これは無茶苦茶うまいそうです。一流レストラン並の味とか。
 「ピグノール Pignol 」は伝統的なフランス菓子のお店で、リヨンでも1,2を争う人気のお店。イチゴのタルトはクリームを使わないで、イチゴと飴だけで仕上げるフランス独特の作り方。フランスといえば「ミルフィーユ」だが、ケーキ部分が厚い。

●アンピス Ampuis
 リヨンからローヌ川に沿って南。ワインの里。リヨンで有名なワイナリー「ギガル E. Guigal 」を訪問した。ベルナデッツ・ギガル夫人が倉庫などを案内してくれました。4000樽以上倉庫にあり、年間600万本のワインが出荷されている。コンドリュ Condrieu 2004(白)をテイスティングした。杏の香りがする。エルミタージュ Ermitage (赤)は濃厚でした。お宅は中世から伝わるお城 Chateau d'Anpuis でした(笑)愛の神殿というので写真を撮った。息子のフィリップさんは独身だそうです。

●モンテリマール Monteemlimar
 リヨンからさらに南は飾らない町。どうしても食べてみたかったのはねっちりした甘い食感のヌガーで、「ル・スフィンクス le Sphinx 」でいただいた。特に卵白とハチミツで仕上げた生地にナッツがふんだんに入った特別なもの。ヌガ・ブラン(白いヌガー)の代表的なもので、ヌガー・デ・モンテリマールと呼ばれている。
 「チタン Boulanger le TITIN 」はパン屋さん。フルート、クローネ、フガスなどがある。1930年からずっと焼いているそうです。自然食品の店「アン・ジャルダン・パ・コム・デス・オ○○(読めません)」では、TOFU もあり、サラダで食べるそうです。タマリ醤油も「Tamari」であり、「Nori」もある。
 町の八百屋さん「Bruno 」に行く。イモ2.5kg2ユーロ(280円)、10kg3ユーロ。白菜Choux chinois 1kg2.5ユーロ。Chou Vert 1個1.5E、Rhubarbe 1kg1.9Eでした。新婚のソフィー・コルジョンさんは白菜はペンサイと言ってカラメル・ソテーにするという。お宅にお邪魔した。クリナスの原子力発電所で働いている。鶏肉と白菜を油で炒め、中国醤油、メイプル・シロップで味付けした。林さんは天ぷらを作りました。

●アルル Arles
 プロバンスを代表する魅力的な歴史の町。円形競技場など、街中に点在する無数の古代ローマ遺跡が古代へのロマンとともにフランスであることを忘れさせる。
 ゴッホが描いた「夜のカフェテラス」の題材となったお店「カフェ・ヴァン・ゴッホ Cafe Van Goch 」は黄色だが、当時も黄色だったのかどうか?ゴッホはここに2年間滞在し、300の作品を残した。「アルルのはね橋」もその一つ。
 チョコレートの店「ジョエル・デュラン Joel Durand 」に行く。彼はショコラティエ界のヴァン・コッホ。この地方は暑いので、奇人だと言われたが、どうしてもこの地方の自然のハーブ入りのチョコを作りたかった。30種類あり、中身がわかるようにアルファベットで示してある。日本語の解説書もあります。Pはナッツとオリーブ入り。Rはローズマリー。ミントのホワイト・チョコレートを作るところを特別に見せてもらった。バター?にミントの葉先を加え、加熱してミキサーにかけ?、ホワイト・チョコ?の上にシノワでこすことによって、細い流れが混ざっていく。

●タラスコン Tarascon
 アルルの中でも歴史に包まれた町。伝統的なお祭りの日に遭遇した。通りを車に乗って伝統衣装を着た人がパレードしていた。4日間繰り広げられる。ハイライトは闘牛 Concoursde Manades だが、普通のとは違う。白い服を着た20人ほどが牛の角についた飾りを取り合う。とても危険です。

●ニース Nice
 南フランス最大のリゾート地。数多くの高級ホテルが海沿いに並ぶ。高級ブティックも並ぶ。「マリエ・フランス Malie - France 」はニース在住のデザイナーによる手作りのオリジナル・ジーンズのお店。街頭では白いお面をかぶった人が2匹の黒猫を使ってパフォーマンスをしていた。
 サレヤ広場のマルシェ(朝市)にでかけた。キノコ、オリーブなども豊富。ベリーも種類が豊富だが、中に虫がいることがあるとか。La Socca という食べ物がある。ひよこ豆をつぶして焼いたものらしいが、お好み焼きに近いとか。

●鷲の巣村
 人気のライブ・レストラン「パルクール Parcours 」は、ニースの町が一望できる。客席から調理場の様子がモニターで見ることができる。ここで腕をふるうのが、ニースの自然を活かすフレンチの維新派ジーン・マルク・デラクール Jean Marc Delacourt。「生ハーブとイカのサラダ」。メインの「たらのペストソース」はバターを使わず、素材の味を活かしている。


テレビ番組「不思議の水、1000年の旅 〜生命のファンタジーロード〜」

 2005年9月10日放送。辰巳琢郎さんが出演。テレビ西日本制作。
●福岡県星野村
 茶畑が広がる八女茶の生産地。二田定幸さんのお宅でお茶をいただいた。水源は標高950mのいしわり岳の中腹にあり、一度も枯れたことはないという。おいしい水です。村にはもう一つ水の不思議がある。切った竹にお神酒を入れて木に吊るしてある。おみき鈴という。標高300mの山の中にある麻生池は周囲700mで、水が枯れたことがない。

●フランス・アンジェ Angers
 パリから南西に300km。4つの川が合流するロアール地方の水の都。古代ローマ時代から水のある街として栄えた歴史のある街。
 サンマルタン教会は16世紀に建てられて、ここの水で病気が治ると言われている。大渇水のせいか、泉は枯れていた。
 ジェンヌの森。フランスでは昔からハシバミの木の枝「水占いの杖」を使って水占いが行なわれていた。水脈探査師ジェラール・サンゼイさんはこの枝を使った水脈を見つける。彼はこの木は特別な力を持つ木だという。中世から水占い師は地下の水脈をピタリと当てていた。彼は水の振動を感じ始めると、腕が引っ張られるという。枝が動いた真下に水が流れているという。水脈が大きいと腕が強く引っ張られる。この不思議に辰巳さんが挑戦しました。最近は金属の2本の棒を使うのが主流だそうで、やってみたら曲がりました。深さは振り子を使って測る。1m、2mと質問していって、22mと思った時に逆に振れた。水が教えてくれるようです。
 ペロー神父は83歳で、過去に多くの水脈を発見した。28歳からやっているそうです。世界中をまわり、1万5000以上の水脈を発見した。ナイジェリア、ドミニカ、ブラジル、カンボジアなど20カ国。地図の上だけでもたくさん見つけたそうです。そこに行かなくても地図の上にいるそうです。ペロー神父と一緒にやって辰巳さんも成功しました。

●フランス・ナジャック村 Najac
 ジェラールの提案でフランスで一番美しい村に行ってみた。アンジェから南へ440km。アンジェを出て9時間で到着。標高500mの丘の上の城に上がってみた。ナジャック村は尾根の上にできている。人口758人、民家は重要文化財クラスの貴重な家。村の中央には昔からの泉が残されている。
 村の長老を訪ねた。村長のユベール・ブイシェールさん86歳。橋や川の歌もたくさんあるという。詩人がこの辺りの川のことを詩に書いている。水源もたくさんある。村は周囲を川に囲まれ、中腹から湧き出る水は枯れたことがないという。ジェラールさんに水源を案内してもらった。おいしい水だそうです。
 今は村では普通の水道水を飲んでいる人が多い。家畜と家の分で1日100立方mを使うという農家を訪問した。ハーブティーをいただきました。  星野村との共通点を感じました。

●高崎
 剣崎浄水場で、信州大学の中本信忠教授が案内してくれた。浄水はとても柔らかい。明治43年以来、95年稼動しているという。緩速ろ過という方法でろ過している。川や湖の水を生物の力を利用してきれいにし、砂ろ過してきれいにする方法。珪藻をえさにする生物の力によるという。約200年前にイギリスで完成した方式で、戦前はこの方法が主流だったが、戦後はアメリカ方式の急速ろ過と塩素消毒が主流となった。どちらの方法もスループットの時間は同じだそうです。急速ろ過は前処理に時間がかかるという。

●インドネシア・ジャカルタ
 2億1500万人の共和国。ジャカルタは高層ビルの大都市。車が渋滞し、バイクタクシーが流行している。

●インドネシア・カラワン Karawang
 ジャカルタから東へ80kmの小さなパシル村。チタロム川が流れていて、子供たちはここで遊んでいる。ある日本企業(ヤマハ?)が浄水場を作っている。住民の主食は米で、おかずは野菜を辛いスープで煮込んだもの。ごちそうは鳥や魚を焼いたり揚げたりしたシンプルな料理。村人の大半は敬虔なイスラム教徒。日が落ちるとお祈りにくる。
 辰巳さんはバイクでやってきた。給水場に行くと人だかり。一人40リットルで6円?。それまでは地下水を使っていたそうですが、子供たちがおなかを壊していた。中本教授の提案で6年前に作ったそうです。少しのスペースだが、2000人分の水をまかなっているそうです。藻をえさにしたシステムで、最後に砂ろ過する。パイプを埋めて水道も作った。この方式はカンボジア、バングラデシュ、ナイジェリアで採用されているそうです。

●福岡県星野村
 仁田原浄水場は緩速ろ過で、藻がしっかり働いていた。

 これからの水は自然を使って、私たちにやさしい水じゃないでしょうか。


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