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なお、これはわたしが個人的にテレビを見て書いたものであり、各テレビ局や番組とは全く関係はありません。
すべての文章の無断使用・転載を禁止いたします。
またここの情報を使って、何か問題が起こったとしても私は一切責任は持ちませんのであしからず。


テレビ番組「にじいろジーン 地球まるごと見聞録 ポルト」

 2010年8月7日放送。

●ポルト
 エール・フランスでパリ経由で行きました。首都リスボンの北およそ300kmに位置する第二の都市。国名にも使われルポルトの歴史は古く、ローマ帝国時代から港町として栄えてきた。経済、商業の中心地でもある。
 にじいろガイドはオルガ・ディエゲスさん(29歳)。
 青い色を意味する「アズレージョ」というタイル画はアルマス礼拝堂など町のあちこちにある。特にお勧めなのが、町の中心にあるサン・ベント駅。駅舎の中一面にアズレージョが描かれ、2万枚のタイルが使われている。

 「世界で最も美しい」といわれている本屋「リブラリーア・レロ」。外観は白を基調としたシンプルなもの。19世紀に建てられて、世界遺産にも指定されている。特に天井のステンドグラスが有名。2階へと続く階段も螺旋状。観光名所の一つとなっている。

 「カフェ・マジェスティック」は人気カフェ。100年近く前から営業している。イスも創業当時のもの。
 ポルサ宮は世界遺産。金色の「アラブの間」は特に目をひく。ポルトで一番豪華な部屋と言われていて、VIPの歓迎会はここで開かれる。全部で18kgの金が使われている。ここには各国の大統領も使うが、一般の人でも1日7500ユーロ(約84万円)で使える。

 ポルトの町を2分するかのように流れるドウロ川は、市民の憩いの場。クルーズ船に乗り、様々な橋を見学するツアー「ドウロ川クルーズ」50分約1400円が大人気。対岸に見えてきたのは、ポルトワインの生産地として名高い「ヴィラ・ノヴァ・デ・ガイア」。
 地元では高級ポートワインとして有名なワイナリー「テイラーズ」を訪問した。見学ツアーは無料。300年以上の歴史がある。当時はどこも家族経営で、子供や孫の時代を考えて製造してきたから、クオリティが高いという。試飲コーナーでは、甘くてアルコール度数の高いワインを試飲した。アルコール度数は20度前後。ブドウの糖分が残っている段階で、ブランデーを入れて甘味とコクを引き出している。度数が高いので、地元の女性たちはカクテルにして飲むことが多いとか。一番人気は、白のポートワインをトニックウォーターで割り、中にミントの香りを利かせた「ポートニック」というカクテルが近頃ブームとか。

 カフェ・レストラン「アリカンティーナ Alicantina 」で、ポルトの名物料理「フランセジーニャ」約950円をいただいた。パンを2つに切り、一方の上にハンバーガーの要領で、ハムを3,4枚のせ、ソーセージを3本のせ、ホットサンドの機械で焼く。別に焼いたステーキをのせ、スライス・チーズ2枚のせてパンではさんで焼く。その上にスライスチーズを4枚のせて包みこむように焼く。最後にトマトベースのチリソースをかけて完成。

●マトジーショス
 ポルトの北にある町で、美味しい魚介類が食べられることで知られている。夏になると軒先で焼かれたイワシの匂いが町中に漂う。イワシで一番人気は塩焼き。夏には人がレストランにおしかける。女性なら5尾、男性なら10尾は軽く食べる。「カーザ・セラオン」でいただいた。「イワシの炭火焼き」6尾約840円。パンがテーブルの上に一緒に置かれる。お皿にパンをのせ、その上にイワシを置いて切って食べる。油や塩分がパンに染み込んで美味しい。パンは最後に食べるそうです。

●アヴェイロ
 南へ車でおよそ1時間の町。町を流れる運河には色鮮やかな船が行き交う。アズレージョはポルトとは異なり幾何学模様が使われている。
 縦じま模様の家が集まる住宅地がある。昔、漁師さんが船の廃材を利用して家を作り、それを隠すためにストライプ状にペンキを塗ったのが始まり。
 そんな街並みの中にあるのが、ポルトガル王家ご用達の老舗陶器ブランド「ヴィスタ・アングレ」。歴史が古くて地元で知らない人はいないという。全て手書きで仕上げてある。工房には見学コースもある。陶人形は1つ2.8万円〜。
 とても有名なお菓子がある。美しいタイル模様のお店「マリア・ダ・アブレゼンタサォン・ダ・クルス・エルデイロス」の伝統レシピで作るスイーツ「オーヴォシュ・モーレシュ」250g約500円。中には卵黄が入っている。卵黄を熱く熱したスープ?と混ぜて熱したものを、小麦粉に砂糖をまぶした型に入れて魚介類の形に作り上げ、まわりをハサミで切り落としてある。素朴な味、さっぱりした甘味だそうです。

●ポルト
 お土産にいいのは、クルーズ船の乗り場近くにあるお店「ポルト・サインズ」の品物。ポルト北部のシンボル「バルセロスの雄鳥」約1700円。昔、女性が気持ちを刺繍して男性に伝えたという「恋人たちのハンカチ」約4500円は、お店で好きな文字を刺繍してくれる。ポルトガルは世界一のコルクの産地でもあるので、コルク製品が名物。コルクレザーと呼ばれる作品は、軽く防水性にも優れているので、カバン、バッグ、財布、帽子、ネクタイなどにも用いられている。コルク製のサッカーボールもあった。

 人気の靴屋「アルコペルコ」では、コルク底のサンダルが多く売られている。ポルトは石畳の坂道がとても多いので、軽くて衝撃を吸収してくれるコルク底のサンダルが散策にはオススメ。「コルクサンダル」約1700円。

 宿泊するには、2009年オープンしたオススメのホテル「ポウザーダ・ド・ポルト・フレイショ・パレス・ホテル」。メイン棟は18世紀に建てられた荘厳な宮殿を改装したもの。ドウロ川のほとりにあり、リゾート気分が味わえる。プールは川に続いている感じで素敵。「スペシャル・スイート・ルーム」は最上級の部屋で、モダンなデザインも取り入れている。約140平方mで、外にはドウロ川が一望できるホテルで一番広いテラスがある。1泊375ユーロ(約4.2万円)。


テレビ番組「世界遺産への招待状47 ポルトガルのマデイラ島のラウリシルヴァ」

 2010年7月17日放送。

●マデイラ島
 アフリカ大陸の西700km。大西洋に浮かぶ島。1999年に世界自然遺産に登録されたラウリシルヴァという貴重な森がある。およそ4000万年前の姿をほぼそのままの形で残し、この地域にしか見られない植物をはぐくんでいる。ラウリシルヴァは世界一の広さを誇る照葉樹林。保水性の高い照葉樹が集まって潤いのある環境を提供している。シダやコケも。この地固有の植物は150種類以上にも及ぶ。ラヌンクロなど。生物学者のジョゼ・アウグスト・カルバーリョさんが説明してくれました。マデイラ月桂樹もここにしかない。樹齢は200〜300年のもの。ラウリシルヴァの植物はどれも湿っているのが特徴。空気中に多く湿気がある。
 およそ4000万年前、大陸は今より湿度が高く、ラウリシルヴァが黒海あたりからマデイラ島あたりまで広く覆っていた。その後気候の変動により、乾燥が進んだ。この時湿気を含むラウリシルヴァは消滅したと言われている。しかし湿度の高いマデイラ島ではラウリシルヴァが残った。島の北側には湿った貿易風が吹き付けている。山にぶつかり、森には大量の霧が発生する。これは湿度を保ち、水を生み出す。ラウリシルヴァから湧き出す豊かな水。人間が島に入植した600年前から水路は使われている。やがて森を抜け、人の住む場所に流れていく。

 リノ・メンドンサさん(83歳)が畑仕事をしていた。水路を利用して畑を育ててきている。畑は斜めに作って水を引くのが、代々受け継がれている智恵。
 水は水車にも利用されている。300年前から受け継いできた水車小屋を今も使っている。この日はトウモロコシを挽いた。とても甘くて美味しいそうです。水のおかげだという。車で1時間かけていつも買いに来る人もいます。
 各家庭では好きな花を育てている。妻のアナローザさんと50種類以上の花を育てている。
 島のいたる所に管理する分水所があり、およそ130人が働いている。ペドロ・フェレイクスさん。水路の全長は1400kmにも及ぶ。
 600年前に入植した人々は日当たりのよい島の南側に入った。しかし、こちらは水が少なかった。地形の厳しい北側は豊富な湧き水があった。人々はこの水を南側にひく水路を作った。島全体に均等に水がいくように水路は作られた。現在島の人口はおよそ24万人。そのうち9割以上が南側に住んでいる。
 島の南側にある中心都市フンシャルには、年間80万人以上の観光客が訪れる。温暖なので、今は高級リゾート地になっている。島の人の8割は観光業が仕事となっている。

 2010年2月20日、島を集中豪雨が襲った。大規模な洪水と土砂崩れが発生した。死者42人、負傷者120人以上で、特に島の南側がひどかった。集中豪雨から2ヶ月後、洪水の爪あとはまだいたる所で見られた。被害にあった農民のマヌエル・ヴァレさんと妻のフロリンダさんの畑は岩と土砂が落ちてきて畑のほとんどをダメにしたという。さらに水路まで泥に埋もれていた。
 北側ではほとんど被害がなかったので、南側でラウリシルヴァを伐採したのが原因ではないかと考えられた。南側のラウリシルヴァを復活させようと植林活動をしている人たちがいる。1993年から始めて3万本を植えてきた。中心となるのは地理学者のライムンド・キンタさん。マデイラ月桂樹など100種類植えている。立派に育つまで50年はかかる。これがしっかり根をはり、土砂崩れを起こさないようにするだろう。街の人も気付き始めた。「自然を失うことは命を失うこと。」
 洪水から2ヶ月後、町ではフラワー・フェスティバルが開かれた。毎年5万人が訪れる大きな観光イベントだが、観光客に向けて島をアピールするだけでなく、自戒の念をこめた劇もあった。
 6日後、マヌエルさんは山の畑で作業を始めた。水路を掘り返し、森の水を引き込むために、水路の復活を目指す。


テレビ番組「知っとこ! 世界の朝ごはん リスボン」

 2010年7月3日放送。

●リスボン
 ヨーロッパ大陸最西端の首都。人口約60万人。 街の中心部のバカリョエイロス通り R Bacalhoeiros に行く。創業80年の魚の缶詰のお店「コンセルベイラ・デ・リスボア Conserveira de Lisboa 」に行く。この缶詰は、すべて手作業で作られている。商品名は「Tricana」で「イワシの酢漬け」1.95ユーロ(約210円)、「タラのオリーブ油漬」3.68ユーロ(約390円)など130種類ある。おすすめは「イワシの卵」7ユーロ(約750円)で、別名「ポルトガルのキャビア」。

●シントラ
 ホテル「ティボリ・パラシオ・デ・セテアイス Tivoli Palacio de Seteais 」は18世紀に建てられた貴族の屋敷を改装した全30室のホテル。1泊250ユーロ(約26750円)。

●リスボン
 ベルナルド・フレイタス・チモトさん(20歳)が紹介してくれたのは、スイーツの店「サパ Sapa 」。伝統的なスイーツ「ケジャーダ」(チーズで作ったパイ)はまる一日塩抜きしたチーズに、砂糖、シナモンなどを加えオーブンでふっくらと焼き上げたもの。800年以上前から同じレシピで作られている。1個0.8ユーロ(約80円)。
 中心部のコンセイサン通り R da Conseicao に行く。路面電車が走っている。きれいな色の瓶のお店に入る。ヨーロッパの伝統的な飴を売っている「パパバブル Papababble 」は半年前にオープンした手作り飴の店。そういえば、飴も日本にはポルトガルから伝わった。最近は飴の店は減ったとか。

 旧市街のシャファリス広場 Largo de Chafariz に行く。屋台が並ぶ。鉢植えのお店がある。愛の神様の聖アントニオのお祭りだから、マンジェリコというお花を売っている。男性が女性にプレゼントするそうです。マンジェリコをもらった女性は枯らさないように注意しないといけない。1年枯らさなければ、二人の愛がより一層深まるという。

 パレードがある。車にはきれいな花嫁さんが数人も乗っている。毎年行われているリスボン市主催の合同結婚式でした。愛の神様聖アントニオにちなんで毎年行われている。今から60年前に始まった。挙式、披露宴、新婚旅行の費用まで市が負担してくれるので、とても人気がある。今年は80組の応募があったそうです。
 街では踊っている人もいる。日が暮れてからパレードがある。リベルダーデ大通り Av da Liberdade を行進してきました。およそ80年前に始まったこのパレードは、リスボンの夏の到来を告げる風物詩。マルシャ(パレード)と呼ばれる軽快な行進曲にのって地域毎にパレードする。今年は20チームが参加した。

 新婚さんの朝ご飯。アルファマ地区に住むカリーナ・ジェンティールさん(27歳)が作るのは、1品目「カルド・ヴェルデ Caldo verde 」。じゃがいもの皮をむき、半分に切って鍋に入れる。たまねぎを入れ、たっぷりの水を入れ、中まで火が通って、野菜が柔らかくなるまで煮込む。ブレンダーを使ってポタージュ状にする。ポルトガルの夏野菜ガレガ(苦みのあるキャベツ)を入れる。
 2品目「小アジの唐揚げ、トマトリゾット添え Carapau frito com Arroz de Tomate 」小アジに小麦粉をまぶして揚げる。オリーブオイルにたまねぎとトマトのみじん切りを加えてさっと炒める。これにお米を投入。トマトピューレと水を追加して煮込む。
 3品目「タラのコロッケ Pastais de Bacalhau 」。ポルトガルではポピュラーが食材の「干しダラ」を一晩水でもどしたものをナイフでほぐし、フライパンでたまねぎを炒め、ボウルにあけ、マッシュポテトとあわせる。塩胡椒で味付け。イタリアン・パセリのみじん切りを入れ、卵を入れ、スプーンで丸めて油の中に。タラのコロッケ。


テレビ番組「にじいろジーン 地球まるごと見聞録 リスボン」

 2009年7月4日放送。

●リスボン
 パリを経由してエール・フランスで15時間で到着。タクシー・ドライバーのフェルナンド・ロウレイロさんが市内まで連れて行ってくれました。初乗りは250円、町の中心まで20分。
 シンボルはジェロニモス修道院で、16世紀の大航海時代にポルトガルが世界との貿易で豊かになった象徴。建物には当時訪れていて異国の建築様式が取り入れられ、豪華でエキゾチックな雰囲気が漂う。インド航路を発見したバスコ・ダ・ガマの棺もここで目にすることができる。「発券のモニュメント」には大航海時代に活躍した人たちの肖像がある。そこにある地図には、ポルトガルが到達した年号が記されている。日本は1541年でした。
 にじいろガイドはカタリーナ・ボルテラさん(19歳)。まずはランチ。海辺のオシャレなレストラン「ファイブ・オセアノス」で「シーフード・リゾット」2500円をいただく。イセエビ、ムール貝などが入っている。ポルトガル人はヨーロッパで一番お米を食べる。一般的には長さの違う2種類のお米がある。長いアグーリャと短いカロリーノで、リゾットには長いアグーリャを使う。お勧めのお米のメニューは「お米のプリン(アローシュ・ドース)」450円。お米をミルクで煮込み、表面をシナモンで香りづけした伝統的なスイーツ。

 美しい石畳は特徴で、様々な模様がある。リスボンは別名「7つの丘」と呼ばれ、起伏に富んだ坂道の多い町としても有名。そこで乗るのが黄色のボディの市電。町全体を5つのルートで回っている。お勧めは28番のルートで、どこまで乗っても200円。これは乗っているだけでリスボン観光ができてしまう。カテドラル、ポルタス・ド・ソル広場などを巡る。市電パスは140円で、これを買っておくと、乗車料金が半額になる。
 コルク製品のお店。ポルトガルはコルクの生産量が世界一でシェア7割。ファッション・アイテムにも利用されている。傘もある。

 リスボンは青のタイル「アズレージョ」でいっぱい。15世紀にポルトガルで誕生した「青色の装飾タイル」で、数百枚をかけて1枚の絵を完成させたりする。町のあちこちでアズレージョがある。この青と白は大航海時代に訪れた中国の磁器に影響を受けたといわれている。また番地や玄関、家の表札などにも利用されている。
 郊外の工場を訪れた。ここでは昔ながらの「アズレージョの手描き体験」ができる。好きな絵柄を描いて、自分の好みのアズレージョを作ることができる。1枚1000円。職人さんが説明してくれます。描いたら、焼いて、翌日完成。

 不動産屋さん「Jopredi 」に行く。紹介してもらったのは、海辺のショッキング・ピンクのお宅。外観は18世紀の伝統的なスタイルで、別々の3つの家がつながった作りになっている。3LDK160平方mで、52万ユーロ(6800万円)。

●シントラ
 ロシオ駅から31番シントラ行きの電車に乗り、30分。西に30kmの世界遺産の町シントラ。宮殿が建ち並ぶ。ペナ宮殿。標高450mにある「ムーアの城壁」。7世紀にここを支配していたムーア人がこの城壁を築いた。向こうに大西洋が見えた。
 シントラ名物のお菓子は「ピリキッタ Piriquita 」の「ケイジャーダ」100円。700年前からシントラで作られているというお菓子。チーズ・クリームをカリッとした小麦粉の皮で包んで焼いたもの。


テレビ番組「エプソンスペシャル地球の歩き方 ポルトガル色彩を撮る旅」

 2008年12月14日放送。高橋マリ子、写真家の吉村和敏さんが案内。大航海時代にバスコ・ダ・ガマなどがここから出航し、帰ってきた。ポルトガルには13?の世界遺産がある。そのうちの6つを訪問?テレビ朝日製作。

●ポルト
 1989年歴史地区が世界遺産。18世紀に建てられた「クレリゴスの塔」からまず、世界遺産の全貌を見る。高さ76mでポルトガルで一番高い塔。225段で頂上。ローマ時代からドウロ川沿いに発達してきた町。ポルトガルという名前もこのポルトからきている。
 中心地リベルダーデ広場。ここから旧市街を歩いてみる。サン・フランシスコ教会の中は金色。14世紀に建てられ、その後ターリャ・ドウラーダ(金箔細工)という金を使ったバロック装飾が施され、金襴豪華な姿になった。その美しさは圧倒的。彫刻の素晴らしさで知られるのは、「エッサイの樹」で、キリストの系図を表わす金の枝。祭壇には淡い光が差し込んでいた。アナ・ソウザ博士が説明してくれましたが、全部で600kgの金が使われている。全て17世紀以降、当時ポルトガルの植民地だったブラジルのゴールドラッシュで採掘されたもの。
 ポルトの町にはもう一つ伝統的な色彩がある。サンタ・カタリーナ教会は青い壁で覆われている。壁は15cm四方のタイルで覆われている。それが組み合わさって巨大な1枚の絵になっている。アズレージョといい、サン・ベント駅などポルトの町のいたる所で見ることができる。15世紀後半、イスラム教徒から伝わったという。
 リベイラ地区は17世紀の街並みが残る。路地には庶民の生活が今も息づく。川に向かって急な坂が続き、迷路のよう。

 お勧め人気スポット。世界一美しい本屋はクレリゴスの塔のすぐ近くにある「レロ・イ・イルマオン書店」。創業1862年、当時流行していたネオ・ゴシック様式を取り入れて作ったお店で、二階に上がる階段や二階の天井や壁などまるで宮殿のようです。3代目オーナーのアンテロ・ブラガさんは世界中から内装を見るために客がくるという。お勧めは2階のカフェでステンドグラスがステキです。
 ポルトで一番の笑顔に出会える場所「カフェ・マジェスティック」。繁華街にあり1921年創業。アールヌーボー様式のレトロな内装が特徴。店のマスコットが天使の像で、世界一の笑顔の天使といわれている。パウロ・マケシュさんは、コーヒーの味も自慢。昔の植民地のブラジルやモザンビークから良質のコーヒー豆が入るためと語る。2ユーロ。ポルトガルの人は1日3回カフェに行くほどのコーヒー好き。もちろんエスプレッソ。
 街角で見る冬の風物詩「焼き栗」。栗にナイフで切り込みを入れ、炭火で5分焼く。表面に焦げ目がついたら完成。電話帳にくるんでくれました。12個入り2ユーロ。
 女性たちが大活躍するボリャオン市場。150年続く。120軒の店が軒を連ねる。「ちりめんキャベツ」はじゃがいもなどとスープ「カルド・ヴェルデ」にする。キャベツも大きい。

 ドウロ川の南、ガイア地区にはポルト・ワインがある。「cais cultural de gaia 」など30を越すワイン倉がある。ワイン運搬船ラベロで運んでいた。一次発酵の途中段階でブランデーを加えて発酵を止め、ブドウ本来の甘味を残すワイン。ポートワイン協会直営BAR「ソラール・ド・ヴィーニョ・ド・ポルト」に行く。ここでお勧めのヴィンテージ・ワインは特に上質のブドウができた1980年の「グラハム Graham's 」。ボトルで80ユーロ。この瓶を開ける特別な方法がある。鉄の金具を火にかけ、口の部分をはさみ、冷たい水をかけて割る。古くなったコルク栓が抜けなくなったためにこの方法が生まれたそうです。

 夕方、ドウロ川沿いで夕陽を待つ。マジック・アワーと呼ばれる時間。日没後、空が淡い色彩に包まれる時間帯。さらに日没後の数分間だけ空が青く染まる瞬間「ブルー・モーメント」の撮影も。

 サン・ベント駅から列車に乗って、ポルトガルの13の世界遺産を見に行く。案内は新リスボン大学のミゲロ・ソロマニヨ教授(45歳)。

●トマール
 世界遺産のキリスト修道院がある人口1.5万人の小さな町。水と緑に恵まれている。町を見下ろす丘の上に世界遺産がある。石造りの砦は、修道士たちを外敵から守るためのもの。12世紀にテンプル騎士団が建立し、増改築が繰り返されたので、時代毎の様々な建築様式が見られる。17世紀の回廊、アズレージョの青。エルサレムの聖墳墓教会をモデルに作られた「えんどう」がある。ビザンチン風ロマネスク様式が取り入れられている。16角形の塔の中に8角形の礼拝堂を配している。柱には騎士たちの彫像、壁には色彩豊かなフレスコ画。
 一番の見所はトマールの象徴でもある「マヌエル様式の大窓」。マヌエル様式とは、ポルトガルの繁栄を築いたマヌエル1世が好んだ独特の建築様式で、サンゴなどの海のモチーフを使っているのが特徴。上の方に丸いものが2つ見えるが、これは天球儀で大航海時代の繁栄を示している。これは現在の国旗にも描かれている。
 この町にはポルトガル人が日本に伝えたという野菜を使った料理がある。レストラン「シコ・エリアス Chico Elias 」には、その野菜を使った料理を食べるため、国内はもちろん他国からも多くのお客さんが訪問する。答えはカボチャ。カボチャをくりぬいて種を取り除き、炒めたたまねぎとワインとにんにくで煮込んだウサギのシチューを入れる。そして蓋をして、かまどに炭火をおこして、そこに入れて2時間じっくり焼きあげる。シェフのマリア・ド・セウさん(69歳)が作ってくれました。「かぼちゃに詰めたウサギのシチュー」2人前32ユーロで、数日前に予約しないと食べられない。

●バターリャ
 トマールから車で1時間半。町中に巨大なお城のような建物がある。世界遺産のバターリャ修道院。バターリャとは「戦い」の意味。正式名は「勝利の聖母マリア修道院」。14世紀、攻め入ってきたスペイン軍をポルトガル軍が撃退したことを記念して建てられた。まず驚かされるのは入口の彫刻。建物の中は広く、窓から入る光が作る七色の光は素晴らしい。
 お勧めの場所は、一見するとただのホール。天井を見ると屋根がなく抜けるような青空がある。100年もかけて工事が続けられていたが、王様の関心が他に移ったために、未完成のままになっている。「未完の礼拝堂」と言われる。

●アルコバサ
 バターリャから車で20分。世界遺産「サンタ・マリア修道院」。12世紀に創設され、壮大な建物。奥行きは106mで、ポルトガル最大規模。修道士たちの厨房をまず訪問。最盛期には1000人生活していた。隣の食堂の壁には、厨房から料理を運ぶ通路があり、修道士たちの肥満チェックに使われていたという説もある。13世紀頃は質素な生活をしていたが、18世紀には肥満が増えたそうです。肥満には卵が関係していたという。
 ケーキ屋「アルコア Alcoa」に行く。修道士が作っていたプリン「プディン・デ・サン・ベルナルド」1.8ユーロがある。修道士の名前がついている。1個に卵の黄身を4個使用している。黄身だけを溶いて大量のシロップを入れ、オーブンに入れてじっくり焼き上げて完成。修道院に土地を借りていた農民たちは、土地代を卵などで納めていた。それでたくさんの卵を使ってお菓子を作るようになったという。白身はシーツなどのノリとして使われた。それでポルトガルのお菓子は修道院から生まれ、卵の黄身を使ったものが多い。

●ナザレ
 夕食はレストラン「マール・ブラヴォ Mar Bravo」。ここで一番人気の食材はアンコウ。「アンコウのリゾット」14ユーロ。トマトベースのソースでしっかりと味付けしたアンコウを使って、最後に米を加えて煮込んだもので、美味しい。

●オビドス
 ナザレから車で30分。ローマ時代の水道橋をくぐり抜けて、丘の上の中世の雰囲気が残る町。14世紀の城壁に囲まれた町。人口800人で、女性に大人気の町。
 町の中に入るには、石造りの2重の城門をくぐる。青や黄色に縁取られた白い壁に、オレンジ色の屋根、窓には花。絵のように可愛らしい町で、「谷間の真珠」とも呼ばれる。13世紀にデニス王がイザベル王妃に結婚の記念として贈った町。その後も歴代の王妃に愛された。
 名物はサクランボのお酒「ジンジャ」。チョコレートのカップに入れて飲むジンジャは1ユーロ。結構強いそうです。チョコレートは食べます。
 もう一つの楽しみ方は、町を取り囲んでいる城壁歩き。かなりのスリルがあるが、絶景を楽しめる。
 城壁の先にあるのは、お城を改装して作ったホテル「ポザーダ・ド・カステロ」。一番人気のお部屋「プレジデンシャル・スイート」1泊195ユーロ?を案内してもらった。城壁の見張り台をそのまま利用している。外の階段を使い、中も急な石の階段がある。

●シントラ
 詩人バイロンが「この世のエデンの園」と称えた世界遺産。貴族の別荘が点在する中、目をひくのが王宮。巨大な塔のような2本の建築物が印象的。煙突で高さは33m。14世紀以来、王家の夏の離宮として利用されてきた。「紋章の間」には大航海時代のポルトガルの紋章を中心に、当時活躍した貴族たちの紋章が描かれている。「白鳥の間」は歴代の王を象徴する白鳥の絵が描かれている。織田信長の時代、あの天正遣欧使節団がポルトガル国王に謁見した場所としても知られている。厨房には先ほど見た煙突が2本ある。

●リスボン
 ベレンの塔。命がけででかけた船乗りたちを見送り、また迎えた。司馬遼太郎は「テージョ川の公女」と言った。
 世界の富を集めたという「ジェロニモス修道院」。16世紀インド航路を開拓したバスコ・ダ・ガマなどの偉業を称えるために建てられた。南門には何人もの聖人の姿を描いた彫刻と、航海をモチーフにしたすばらしい装飾で飾られている。巨大な柱が特徴的。左にはポルトガルの英雄バスコ・ダ・ガマの棺。そして素晴らしい祭壇。教会の隣には、細かい彫刻の回廊。ここは修道士たちが瞑想しながら散歩をした場所。柱1本1本のデザインも全て違う。中庭から見ても素晴らしい彫刻。

 セニョーラ・ド・モンテ展望台からはリスボンの町が一望できる。「7つの丘の都」とも言われるリスボンは、オレンジ色の屋根がどこまでも連なる、なぜか懐かしい雰囲気が感じられる町。
 市電乗り放題チケットは1日4.2ユーロ。狭い道を車とぶつかりそうになりながら走る。狭い路地では壁にぶつかりそうでした。
 アルファマ地区を散策。リスボンでも最も古い町並が残る。イワシを焼いていました。パンにのせて食べます。皮を手ではいで食べる。カゴが降りてきて、パンをのせて上がっていった。ご近所同士で支えあって生活している。新しい文化もある。小さなアズレージョ工房「セラミカ」では青色ではなくカラフルなものが並んでいた。4年前から始めた姉のエリザベテ・シルバさんと、妹のジーナ・ヌネスさんの工房。2人で考えたオリジナル・デザインのアズレージョが人気。ファドをモチーフにしたデザインが気に入っているそうです。黄色がステキ。

 名物のビッカのケーブルカー「Asoensor da Sica ?」も市電の乗り放題チケットで乗車できる。1892年頃から運行しており、300mほどの坂道を3分ほどで登る。
 「サンタ・ジュスタのエレベーター」は一見ただのエレベータだが、リスボンの繁華街と丘の上の町をつなぐエレベーター。創業1902年。1日乗り放題チケットで乗車できる。エレベーターは高さ32mの展望台までゆっくり登っていく。
 夕食はポルトガルの名物料理を求めてレストラン「アッタンバ」に行く。お店の一番人気はポルトガルの黒豚「ポルコ・プレート」を使ったメニュー。ポルコ・プレートはスペインのイベリコ豚と並び、品質の高さで有名。コルクの木のどんぐりを食べて育った最高級のお肉。最上級のわき腹肉を使ったグリル「ポルト・プレートのグリル」15ユーロ。
 夜の町を走る市電の姿を写真に撮りました。撮影のポイントは、(1)感度を上げて、露出補正をプラス1にすること、(2)シャッター・チャンスを逃さないために、アングルを決め連写すること。


テレビ番組「知っとこ!世界の朝ごはん リスボン」

 2008年3月1日放送。

●リスボン
 アウグスタ通りには細長い塔がある。これは100年以上前に作られたエレベーター。上からはリスボンの町が一望できる。フィゲイラ広場にあるお店では大きな鍋で豚肉を煮ている。それをパンにはさんで食べるビッファーナというファースフード。1.7ユーロ。
 コメルシオ広場では、細くて下がオレンジ色のレトロな路面電車を見た。ケーブルカーもあり、急な坂を登っていく。横を人が歩いています。リスボンは「7つの丘の町」と呼ばれ、坂道が多いことで有名。ここの斜度は平均18度。きつい所だと20度以上あるので、楽です。
 サン・ドミンゴス広場に人だからができていた。みなさん小さいグラスでジンジャというサクランボのお酒を飲んでいる。さくらんぼの実を砂糖やシナモンなどと一緒にお酒に漬け込んだもの。仕事の帰りに立ち寄って、軽く1、2杯飲むそうです。お客は多いが、平均滞在時間は2、3分といったところ。1杯1ユーロでした。
 工事中の建物の壁に人が数人肩車して中を覗いていた。これは人形で、若手アーティストを育成するため、工事中の建物にコンペで入賞したアート作品を展示しているとか。ビルのシートの中を覗いている人なんて遊び心がありますね。
 ダリオ・シルベストレさん(28歳)が紹介してくれたのは、ベレンにある「パスティス・デ・ベレン Pasteis de Belem 」。19世紀に修道院の砂糖工場が閉鎖されたのを受けて、その施設を使って甘いお菓子を作り始めたのがきっかけ。今では世界中から大人気のエッグタルトを求めてお客が来ます。たっぷりのシナモンと粉砂糖をかけて食べるのが特徴。1日に1.5万個は売れるそうです。パスティス・デ・ナタは1個0.85ユーロ。

 新婚さんの朝ご飯。郊外のマンションに住むモニカ・ロドリゲスさんが作るのは、1品目「ポルトガル・キャベツ・スープ Caldo Verde」。じゃがいも、にんにく、たまねぎを角切りにして水を入れた鍋に入れ、オリーブオイルをたっぷり入れ、塩をひとつまみ。茹でていく、じゃがいもにすっと刺さるくらいまで煮たら、ハンドミキサーでポタージュ状にする。ポルトガル・キャベツの線切りを入れて軽く煮て、ピリッと辛いチョリソ(ソーセージ)を入れて軽く煮る。
 2品目「干しダラとジャガイモの卵とじ Bacalhau a bras 」。干しダラを水でもどし、手でほぐす。たまねぎをみじん切りするが、まな板を使わず手の上でやりました。ごげないように気をつけながら炒め、これに干しダラを入れ、手早く炒め、市販のジャガイモのフライをたっぷり加える。さらに混ぜながら炒めて最後に卵を割りいれる。軽く混ぜてジャガイモがしんなりしてきたら完成。
 3品目「アレンテージョ風ポーク Carne de porco a Alentejana」。豚肉を一口大に細かく切り、パプリカのペーストで味付けし、よくもみこんで味をなじませ、スライスしたにんにくを加え、たっぷりのバターで炒める。パプリカの酸味がいいそうです。これに下茹でしておいたアサリを加えて強火で炒める。


テレビ番組「うふふのぷ 地球家族スタイル リスボン」

 2008年2月2日放送。エール・フランスで行きました。

●リスボン
 中世の大航海時代から世界に広がっていった。町の中ではアズレージョ(絵タイル)が目をひく。中にはお守りとして聖人の絵などが描かれたものがある。路面電車はノスタルジーを感じさせる。平均年収は1人あたり150万円(東京は615万円)。
 日曜日はお店が休み。大型のショッピング・モールなどは開いている。冬でも気温が15度と暖かい。

 郊外のカルモ・ボテーリョさん(33歳)のお宅を訪問。2LDK(90平方m)、5年前に1300万円で購入。マンションで90平方mだと1650万円、東京だと6400万円。ポルトガルは大理石がよく採れるので、安いから、洗面台や床にも使われている。道路や縁石などにも使われている。ポルトガルの人は、テレビは部屋を暗くして見るそうです。
 市場に行く。1kgあたりでトマトは160円(日本は690円)、タマネギ200円(日本200円)。
 ポルトガルではまな板を使わない。たまねぎも手の間で切る。昼食は干しダラとポテトの卵炒め。
 夕方にはお茶とパン・デ・ローという焼き菓子。日本のカステラの原型といわれている。
 夕食は鴨肉のだし汁で炊き上げた炊き込みご飯は、家庭料理。宝物は2年前にガンで入院していた時に友人たちが描いてくれた絵。

 セレブな家族。高級住宅街に住むディアマンティーノ・シルバさん(57歳)とファティマさん一家。犬が5匹。庭にはプールがある。3LDK(360平方m)で、10年前に2800万円で購入。コーヒーはアグアルデンテという強いお酒と飲むそうです。来月4LDK(750平方m)9000万円に引っ越す予定とか。地下にはワインセラーとバーカウンターがある。


テレビ番組「探検ロマン世界遺産 シントラ」

 2007年7月21日放送。鈴木奈穂子アナウンサーが案内。かつてヨーロッパの人々を夢中にさせた風景。バイロンもシントラについて、この世のエデンと称えた。15世紀の大航海時代にポルトガルは莫大な富を得た。その後崩壊への歯車が回り始めた。天婦羅、カステラ、こんぺいとうはポルトガルから日本に16世紀に伝わった。

●シントラ
 国王の夏の避暑地だった。世界遺産となっているのは、東西6km、南北2km。
 絶景で知られるロカ岬から旅を始める。ヨーロッパ大陸の西の果て。岬に立つモニュメントには、「ここに陸終わり、海始まる」と書いてある。
 内陸におよそ10kmのところにシントラがある。標高500mの山中にあり、夏の避暑地となっている。シントラは観光地の一つで、年間160万人が訪れる。毎年5月の花祭り。山腹をぬって走る道沿いで花の即売が行なわれる。盆栽がたくさんある。日本の国旗も入っている。

 王宮は、夏の離宮。最盛期の16世紀に現在の姿になった。ポルトガル王家は12世紀から。ポルトガル建築遺産庁のイネス・フェッロさんに話を聴いた。1000坪の敷地に建ち、部屋数は130を越える。まずは最も広い部屋「白鳥の間」。天井には白鳥が27羽全て異なる形で描かれている。壁面を彩るのはアズレージョ。多くの客人と接見する場だった。1584年には日本から来た4人の少年たち(天正遣欧使節)が招かれている。「かささぎの間」は何となく簡素で落ち着いた部屋。王宮に立つ2つの大きなとんがり屋根は厨房で、薪を燃やした時の煙などを外に出すための煙突だった。
 王宮の周囲を歩くと、今でも森からの恵がある。山の斜面にある水汲み場には、地元の人が多く訪れていた。水汲み場は25箇所で、誰でも自由に利用できる。一度水を飲めばシントラから離れられなくなると言われている。
 山に入っていくと、景色が変わっていく。詩人バイロンはシントラの森にこの世の楽園を見た。視界が開けると、標高529m、シントラで最も高い山の頂きに築かれたペナ宮殿が見えた。

 ペナ宮殿は、いろいろなものを寄せ集めたおとぎの城のようです。ポルトガルが衰え始めた19世紀に建てられた。入口の上には海の神トリトンがいる。部屋の数は26。一つ一つが全く違う表情を見せている。大きなお皿が置いてある。オランダのデルフト陶器、ドイツのマイセンなど。赤い部屋もあるし、白い部屋もある。天井や壁には幾何学文様をあしらったイスラムの花。中国人の像もあるが、マカオから取り寄せたらしい。インド?のゾウの像もある。居間は特別に中に入れてもらった。だまし絵の技法が使われていて、彫刻のように見せていた。山の上で狭いので、広く見せようとしたため。イタリアから画家を呼んで絵を描かせたそうです。

●リスボン
 ジェロニモス修道院。インド航路開拓の記念にマヌエル1世が建てた。バスコダガマにインド航路を開拓させ、ブラジルを支配した。宗教を背景に、教皇のお墨付きをもらって独占的に交易をした。柱は熱帯のやしの木のモチーフを使っている。航海に関する建築様式はマヌエル様式と呼ばれた。15世紀、ヨーロッパで最も豊かな国王となった。王自身による多くの決断があった。

●シントラ
 16世紀に王宮を築いたのは、マヌエル1世。絶大な権力を示す間がある。「紋章の間」で、側近の貴族たちを招集した部屋。ドーム型の天井には金が使われている。国王を中心とする権力のヒエラルキーを示すもので、中心が王の紋章で、まわりが家臣の紋章となっていた。
 この部屋から大西洋が見える。18世紀にはアジアから帰ってきた帆船も見えたはず。マニエル1世はバスコダガマのインド航路開拓はここで聞いたそうです。この開拓は議会の猛反対を押し切ってのことだった。バスコダガマも100人近い乗組員を失った。国王の決断の裏には幾多の人の悲しみがあった。
 それと別に最初の王妃は王子出産の際命を落とした。次の王妃も亡くなった。王が喪に服したのがシントラの王宮だった。王は噴水を作らせた。王宮の中には、アズレージョが多く使われている。権力と富を得た王ゆえの孤独があった。
 16世紀末以降、オランダとイギリスが進出し、貿易が衰退した。頼みのブラジルも1822年に独立し、財政的基盤を失った。

 そういう中でペナ宮殿が造られた。1840年に建設が始まり、完成までに半世紀を費やした。最も広い「貴賓の間」は貴族や外国の人との接見の間。フェルナンド2世がこの宮殿を築いた。ドイツ・ザクセン出身で、芸術王と呼ばれた。政治の手腕は全くなかったという。19世紀半ば、ポルトガルは内戦状態だった。保守派の貴族や聖職者は国王の次男を擁立し、既得権益を守ろうとした。資本家は長男を擁立し、自由主義を主張した。王家はこの対立に巻き込まれ弱体化していった。
 ペナ庭園には世界各地から2000種類を越す植物が集められた。ベイスギは北アメリカから持ち込まれた。ツツジや椿などはアジアから。王の理想がこめられている。この庭園は19世紀に流行したロマン主義に貫かれている。ロマン主義は急速に変わっていく世界から目を離していた。
 フェルナンド2世は1885年世を去る。完成した時、周囲の景観は一変していた。資本家の別荘が建ち始めていた。ヨーロッパ各地で革命が発生し、国王の権力は衰退していた。フェルナンド2世に続く国王もペナ宮殿に閉じこもった。享楽に身をやつしていた。1908年時の国王カルロスが反政府勢力に暗殺された。皇族はイギリスに亡命し、700年以上続いたポルトガル王国は終焉を迎えた。

 それから100年。シントラを訪れてとりわけ印象的だったのは、2つの宮殿。一方は王の勇気と孤独が秘められていた。一方には時代に取り残され夢の中に生きた王の悲哀が秘められていた。


テレビ番組「世界遺産 ポルトガル・ピコ島のブドウ園文化の景観」

 2007年5月20日放送。リスボンから西に1500km、大航海時代にヨーロッパと新大陸を結ぶ中継地となり、コロンブスやバスコ・ダ・ガマも立ち寄ったアゾレス諸島。不毛の大地をブドウ畑に変えていった人々がいた。吹き付ける潮風と戦いながら500年、小さな火山島でぶどうに愛情を注いできた。2004年世界遺産。

●ピコ島
 9つあるアゾレス諸島の中で2番目に大きく、1万5000人が暮らす。中心はワインの積み出し港として発展したマダレーナ。9月、ぶどうの収穫時期には1年で最も活気が溢れる。「良いワインは、良いぶどうからしか生まれない」そうです。夏の高温と水はけのよさから糖度の高いぶどうができる。ヴェルデーリョ種という特別なぶどう種で、樽で3年以上熟成させて作る。溶岩に含まれるミネラルが独特のこくを生み出す。濃厚で、高級なデザートワインで、古くはロシア皇帝にも愛されたという。
 今も時おり噴煙をあげる火山ピコ・アルト(標高2351m)がそびえる。島は15世紀、コロンブスの半世紀前に発見された。その後ヨーロッパから移民たちがやってきたが、人がとても住めそうになかった。溶岩が海岸まで押し寄せていた。カトリックの修道士たちは、こういう場所でもぶどうだけは育つことを知っていた。修道院で始まったぶどう作りは島に広がったが、想像を絶する苦労があった。潮風からブドウを守るため築かれた石垣は、ぶどう畑を碁盤の目のように区切り、総延長は地球2周分にも相当する。
 この島で生まれ育ったミゲルさんは、10歳から働いている。全て手作業で70年。昔は雑草が多く、カンカン照りの太陽の下で仕事をしたそうです。岩に楔をうち、できた割れ目をさらに広げて、枝を置き土をかける。この島には土がなかったので、他の島から運んだそうです。
 昔は川もなかったが、今は雨水を貯めた貯水池から水道もひかれた。電気もある。ミゲルさんの妻もエレナさんは、井戸から水を汲むにも、引き潮時に行なったそうです。そうでないと塩っぱい水しか取れない。
 ぶどうの木の寿命は人間とほぼ同じ。40歳をすぎて円熟し、老木になると実のつき方が安定するという。毎年1万5000樽の「ヴェルデーリョ・ワイン」が生産された。ワイン作りで繁栄した人の19世紀の邸宅が紹介された。

 19世紀末にピロキセラという害虫による被害などにより、ヴェルデーリョ・ワインの生産量は減り、西海岸の一角に残るだけになった。ミゲルさんは害虫に荒らされた畑に新たに枝を植え、復活させた。しかし、次の問題が起きた。後継者がいない。誰も世話をしなくなれば、元の荒地に戻ってしまう。
 ピコ島は捕鯨の島に転身を図ったが、20世紀末に捕鯨が禁止され、輝きを失うことになった。
 年に1度の収穫の日は親類が集まって力を合わせる。息子のアントニオさんが足で踏んで果汁を絞りだす。樽にうつして発酵させる。アントニオさんは町のカメラマンをしている。ピコ島のワインは、海外に輸出されることが減ったが、世界遺産に登録されて、放置された畑も開墾され始めた。今は通りがかりの人も手を貸す。


テレビ番組「世界遺産新たな旅へ リスボン・ジェロニモス修道院とベレンの塔」

 2007年5月19日放送。放送番組センター配給。

●リスボン
 バスコ・ダ・ガマは1497年テージョ川のほとりから出航し、インド航路を確立した。彼が旅立った港にたたずむベレンの塔。大航海時代を象徴する優雅な建物。ジェロニモス修道院は交易で得た富で建築された、ポルトガルを代表する建物。大航海時代までは人口100万人の小さな国だった。
 アルファマ地区は中世の街並みを残す。アルファマとはアラビア語で水の湧く所という意味。8世紀からポルトガルはイスラム教徒の支配下にあった。町で見かけるアズレージョというタイルはイスラム文化の影響。

●シントラ
 リスボンの西北にある。ここの城が建てられた頃、イスラム教徒が築いた城壁に、キリスト教徒がレコンキスタ(国土回復運動)で取り戻した。12世紀ポルトガル王国が誕生した。

●リスボン
 サン・ジョルジュ城。隣国カスティリア(現在のスペイン)に対抗するためにも東方への進出が必須だった。はるか東方のキリスト教の国と手を組み、王セレスター・ジョンとイスラム勢力を滅ぼすというものだった。
 バスコ・ダ・ガマのインド航路発見により、ポルトガルは巨大な富を得る。ジェロニモス修道院はゴシック、ルネッサンス、イスラム様式を取り入れて建設された。レース細工のような様式は、マヌエル1世にちなんでマヌエル様式と呼ばれた。聖堂にはバスコ・ダ・ガマの棺が安置されている。棺は海にまつわる装飾。中庭は二階建ての回廊で囲まれている。柱や天井やア−チはマニエル様式で、異国への限りない憧れが見てとれる。
 ポルトガルは昔から漁業が盛んだった。航海術は15世紀エンリケ航海王子の功績によって発展する。王子は帆船の開発、航海術の研鑚に生涯を費やした。
 テージョ川のほとりに立つベレンの塔もマヌエル1世によって建設された。大航海時代はテージョ川の河口を守る要塞で、地下には牢もあった。船乗りたちは航海の無事をマリア像に祈ってでかけて行った。
 アルファマの町に流れるファドの歌声。ファドは宿命という意味で、航海から帰らぬ夫や恋人に対する女性の悲しみを歌う。


テレビ番組「地球街道 林隆三さんでポルトガル」

 2006年7月29日、8月5日放送。

●ナザレ
 リスボンの北90km、大西洋を臨む港町には日本に似たものが多い。アジの干物が干されている。マリア・エステレリーニャさんは楽しく踊ってくれました。焼かずにそのまま食べるそうです。
 中学生の時に見たフランス映画「過去をもつ愛情」で、浜辺で美しいラブシーンが有名。フランス・アルヌールという女優がすごく好きだったかららしい。その映画で印象的だったのが、ナザレの浜辺とアマリア・ロドリゲスのファドだった。
 かつては漁業で栄えた街だが、今ではヨーロッパじゅうから人が来る観光地。パルミラ・クディニャーさんは伝統的な服でものを売っている。結婚した女性は7枚重ねの短いスカートと頭に巻いたスカーフをつける。全身黒ずくめのご婦人も多いが、マリア・アントーニアさんは「最愛の人を海難自己で亡くした未亡人だからだ」と言う。

●リスボン
 テージョ川の河口に広がる首都。7つの丘の都と呼ばれる起伏にとんだ街。「発見のモニュメント」には16世紀はじめに大航海時代が始まった。ヴァスコ・ダ・ガマ、マゼラン、ザビエルなどがいる。ベレンの塔は監視するための要塞。そこにあるのは世界遺産ジェロニモス修道院。世界の百科事典とも呼ばれ、大航海時代に初めて目にした異国の様子が記録されている。建物を支える巨大な柱は南方で目にしたヤシの木をイメージしている。中庭は最も美しく、日本からの貴重な植物・椿の花が天井に描かれている。椿はジャポネーラとも呼ばれ、エキゾチックな花として親しまれている。
 アルファマ地区は古い街で、家々の軒先が寄り添っている。洗濯物も干してある。路地裏には懐かしい光景が広がっていた。玄関先でドーラ・ペレイラさんがイワシを塩焼きにしていた。ポルトガル人はイワシが大好きで、夏は熱いから外で焼くそうです。パンにのせて食べます。

 ファドは19世紀の半ばに生まれ、酒場やカフェで歌い継がれてきた。パディスタと呼ばれる歌手が歌う。アマリア・ロドリゲスはファドの女王で、「暗いはしけ」は世界的な大ヒットとなった。自宅が公開されている。
 ファドは専門のファド・レストランで聴くことができる。「ヴェーリョ・パテオ・デ・サンタナ Velho pateo de Sant'Ana 」で、若手No.1の20歳の女性ミレーネ・カンディアスさんの「死に絶えた望み Esperanca Morta 」を聴いた。素晴らしかったです。

●ポルト
 ポルトガル第二の都市。ポルトガル発祥の地。歴史地区は17−18世紀頃のもので世界遺産。サン・フランシスコ教会は歴史地区のシンボル。内部はバロック様式の極致と言われ、内部は金箔で覆われている。

●コインブラ
 道路にCMの看板が少ないから、景色ばかりで疲れないと林さんは語る。コインブラは大学の町。石畳も気持ちがいい。さりげなくベンチが置いてあるのもいい。丘の頂上にある大学に行く。1308年の創立以来、多くの政治家、文化人を送り出してきた。一般に公開されている図書館を見学したが、金色で、王宮のような華やかさ。広報のアンナ・ゴラーンさんが案内してくれたが、ここは18世紀に造られ、蔵書は3万冊。本の保存のために、図書館にはコウモリが住んでいる。本につく虫を食べてくれる。

●アルコンゴスタ Alcongosta 村
 コインブラの東。名産のさくらんぼの収穫祭が開催されていた。600人の小さい村だが、熱気はたいしたもの。ヤギの皮で造られた太鼓は祭りに欠かせない。

●モンサント
 最もポルトガルらしい村だと言われる。アルコンゴスタの南東。丘の上に家々が建つ。1938年に行なわれた、ポルトガルで最もポルトガルらしい村コンテストで第一位だった。優勝記念に贈られた銀の雄鶏がいる。石畳の道に石造りの家が並ぶ。今は100人ほどが暮らす。赤い屋根も特徴です。
 天が高いのがよくわかる。大きな岩を囲むように家が建っている。あるがままの自然の巨石を利用した家々が特徴。2つの巨大な岩にはさまれた一軒の家を訪問した。中は8畳ほどの広さで、2つの岩が家の壁になっていた。イザウラ・ディヤス・アマラールさんは生まれてからずっと住んでいるそうです。
 林さんは子供になって、ここで一週間くらい遊びたい気持ちになったと語っていました。

●ロカ岬
 ユーラシア大陸の西の果て。石碑には「ここに地果て、海始まる。」と刻まれています。


テレビ番組「石ちゃんのダジャレ紀行 特別編 必勝祈願!グルメ旅」

 2006年6月18日放送。石塚英彦、佐藤仁美さんが出演。クロアチア戦の日に必勝祈願。テレビ朝日制作。

●ドイツ料理(東京)
 オーナーシェフのハルトムート・カイテルさんのお店「カイテル」(新宿区新宿5−6−4番衆町ダイヤモンド・マンション内)で、四角いソーセージをいただく。つけあわせのジャーマン・ポテトとの相性もいい。塩づけした豚のすね肉を野菜と一緒にじっくり煮込んだドイツの名物料理アイスバイン。

●京都
 「西陣 大江戸」(上京区千本通麩屋町3−638)にはオリジナルのカツ丼がある。ヘレカツを分厚く輪切りにし、トロトロの卵をかけ、生卵を真中にのせ、トンカツに特製のソースをかけた「へれかつ丼」(1050円)。
 「白峯神宮」(上京区飛鳥井町26)はスポーツの神様、まりの神様。日本代表のサッカーボールも奉納されている。蹴鞠保存会の大西康義さんらが蹴鞠をしていました。1400年前から行っているそうです。
 ヤサカタクシーの四葉タクシーは4台ある。これに乗ると幸運がある。これに乗って宇治に向かった。創業846年の「通圓」(宇治市宇治東内1番地)は豊臣秀吉も通っていたという。練乳をかけて宇治金時をいただきました。
 縁起のよい京都みやげ「金のうんこ」(2100円)もあります。

●フランス料理
 「シャルトルーズ」(港区六本木6−6−15)では「伊勢海老のソテー」(3800円)、「小鳩のロースト」(3685円)。

●イギリス
 「ホブゴブリン六本木」(港区六本木3−16−38)では、「フィッシュ&チップス」、「ローストビーフ」(999円)、「ギネスビール」、「ローストチキン」(3人前)はまるごと1匹で2997円。

●メキシコ
 「フォンダ・デ・ラ・マドゥルガーダ」(渋谷区神宮前2−33−12)では、「テキーラ」、「タコス(3枚)」1050円で、お勧めはスズキを使ったフィッシュ・タコスで、トルティーヤで包みサルサソースでいただく。「モーレソースで食べるグリルド・チキン」2415円は、最後にチョコレートを加えたソース。

●ポルトガル
 「ヴィラ・マダレナ」(港区西麻布2−24−17)では、タラの身とジャガイモを混ぜ合わせ一口サイズにして揚げたコロッケ「バカリャウ(タラ)のコロッケ」6個900円。

●東京
 「勝つしか」ないので、葛飾の柴又に行く。いも専科「もんでん」(葛飾区柴又7−7−10)では、スィートポテト230円、クレープの「ニュースィート紫」200円。うなぎの「川千家」(葛飾区柴又7−6−16)では、「うな重」(松)2940円。
 勝ちをひきよせるために、「清田商店」(葛飾区青戸7−9−10)で特製の熊手を作ってもらった。
 肉屋を訪問。「海老沼精肉店」(葛飾区堀切4−8−12)ではコロッケ、豚肉をいただいた。


テレビ番組「感動紀行スペシャル、絶景!世界遺産の宿、大和撫子たちのフロンティア物語」

 2006年3月24日放送。鶴田真由、宇梶剛士、内山理名さんが出演。テレビ東京制作。

●アラスカ
 日本の4倍の広さ。鶴田真由さんが目指したのは極寒の大氷河が作り出す奇跡のオーロラ。
 フェアバンクスは人口3万人で動物たちと共存して生活している。マッキンリー山、ブルックス山脈、世界遺産グレイシャーベイ国立公園、世界遺産ランゲル・セントイライアス国立公園が周辺にある。年間240日以上もオーロラが観測できる。
 お菓子のお家みたいな家が多い。ダウンタウンの一角にある可愛らしい一軒家タウンサイド・ガーデンズB&Bは日本人女性が経営する。和美ランディスさん(41歳)と夫のロブさん、娘の安里紗ちゃん(4歳)。宿の上空でもオーロラが見えるそうです。キッチンもついているお部屋で1泊朝食付きで95−120ドル。97年にハワイで結婚し97年にアラスカに移ったそうです。アラスカの人は夏にサーモンを釣り、冷凍しておく。夜は「ハニーライム・サーモン温サラダ添え」をいただきました。
 セスナ機でランゲル・セントイライアス国立公園を見ることができる。九州の1.5倍の広さ。氷河地帯は天候が不安定なので、空港に行ってはじめてその日飛ぶかどうかがわかる。世界遺産は規制が厳しく、飛行資格を持つのは数名のみ。今回はポール・クラウスさんが機長。数年に1度の快晴だということでした。新雪の降り積もるこの真冬だけ氷河の上に降り立つことができる。セスナ機で1時間、ファン氷河が見えた。川幅は5km。氷山と氷河は絶景です。ポールさんもまだ氷河の上に降りたことがないという。簡単に着陸しました。静寂しかない場所で、きれいなパウダースノーでした。ポールさんはここは名前がないからこれからはマユ氷河と呼ぶと言ってくれました。紅茶をいただきました。
 翌日は快晴だが真昼でもマイナス20度。紀元前1万年前からアラスカの内陸に住むアサバスカン民族は伝統的な方法で釣りをしている。えさはない。上下に動かして釣るが、鶴田さんも簡単に釣れました。6頭がひく犬ぞりを体験。焼き魚を食べました。焼いたのを置いておいたら凍りました。
 オーロラを見るためにより条件のよい山頂のオーロラ鑑賞ロッジ「オーロラ・ボレアリス・ロッジ」を紹介してくれました。熊谷誠・亜希子さん夫妻が経営しています。奇跡のオーロラは赤みを帯びたもので、年に数回しか見れないという。ロッジから少し離れたところに観測に最適の場所がある。20分歩いて到着。オーロラは北半球だと北に出る。
 深夜2時、マイナス26度、オーロラは出なかった。最終日も雪だったが、5時に止まった。深夜3時、マイナス30度、やっと顔を出してくれました。

●グアテマラ共和国
 宇梶剛士さんが古代マヤ文明を訪れる。16世紀にスペイン人が支配したが、今でも人々は伝統を守っている。
 世界遺産の町アンティグアはスペイン統治時代の18世紀に3度の大地震で壊滅と再生を繰り返したコロニアル都市。歴史地区は時が止まったかのような静寂の世界。サンタクララ修道院、レコレクシオン修道院は廃墟となっているが美しい。サンフランシスコ教会は廃墟となっているが、ミサは行なわれている。
 歴史地区のメルカド(市場)には食料品や日曜雑貨が売られている。毎週月、水、土曜日は周辺のマヤ系先住民による朝市が開催される。木イチゴはかなり酸っぱい。チュチートは中に肉が入っているパン。
 アンティグアからグァテマラ・シティ行きのチキン・バスに乗る。6.5ケツァル(100円)で、バス停はなく、その場で手を上げて車を止める。バスは狭い。次にグアテマラシティ〜キリグアまで40ケツァル(600円)。バスを乗り継いで5時間で到着。
 キリグアは3世紀に建設された古代都市で、熱帯性気候で高地のアンティグアとは標高差が1000mで、この日も33度だが、乾季なのでまだ涼しい。
 桑田真幸さん(44歳)経営のホテルはホテルらしくない平屋建。去年5月にオープン。5室で今回は一番いい部屋で1泊朝食付きで120〜280ケツァル(1800〜4200円)。お客さんのほとんどはキリグアの遺跡を訪れる日本人観光客で、部屋はとてもきれいです。桑田さんは37歳まで東京の建築会社で働いていたが、7年前にここに来て、土地の人とのふれあいから会社を辞め、ここで2年働いていて、1年経過してから宿をやりたいと思ったという。2004年に300坪の土地を購入。
 キリグアの遺跡は1981年世界遺産に登録された。古代マヤ文明最高傑作の石碑と彫刻がある。このステラといわれる石碑の数々が素晴らしい。当時の王族の肖像画などが表情豊かに描かれている。巨大な岩の彫刻アルター(獣形祭壇P)も貴重な文化遺産。入場料25ケツァル(375円)、営業時間:8時〜16か18時?。石碑Eのカックティリウ王の石碑は桑田さん一番のお気に入り。マヤ最大の高さを誇る。中国の楊貴妃には記録があるからロマンがある。この王にも記録があればロマンがあったのでは?と桑田さんは言う。約6.5万平方mの公園内に17箇所の石碑と祭壇が点在している。
 夕食は桑田さんの手料理。カルド・デ・パタス・デ・レス(牛の足の煮込みスープ)で4時間煮込んだもの。世界遺産ティカル遺跡に伝説の絶景があるという。圧倒されるそうです。
 翌朝子供たちが椰子の実を取って開いてくれた。お昼はメッチェスおばあちゃん(74歳)のお宅でごちそうになった。食事の後は子供たちが民族ダンスを披露してくれました。
 モラレスからリオ・デュルセにバスで向かう。10ケツァル(150円)。ここの川下りが桑田さんは好きだという。途中で蓮の花の大群、きれいな鳥の大群があってとてもきれいだそうです。リオ・デュルセからリビングストンまで400ケツァル(6000円)。水上で生活している人たちもいる。突然寄ってみた。さらに下って橋があったが、ペリカンの大群がずらりと並んで止まっていました。ついにカリブ海に到着。
 リビングストンは人口3000人だが、世界遺産がある。ここに暮すのはガリフナ人で、400年前にアフリカから連れてこられた人と先住民を先祖に持つ人々。融合してできた言語、舞踊、音楽が無形世界遺産。宇梶さんも参加して楽しみました。
 ティカル遺跡へはトラックの荷台の車で移動。フローレス〜ティカル30ケツァル(450円)で5時間の旅。この国立公園は淡路島くらいの576平方kmの広さの森林公園の中に4000以上の建造物が点在している。8世紀に全盛期を迎えた都市遺跡で、5つの巨大な神殿がある。入場料は50ケツァル(750円)、営業時間:6時〜17時。森林の中にはクモザルが多い。オーロペンドラやヒメクロシャクゲイという鳥、ハナグマもいる。神殿は壮大だが人は少ない。複合遺産として1981年に世界遺産に登録された。最盛期にはこの神殿周辺に6万人の人が暮らしていたという。「失われた世界」はティカル一巨大なピラミッド神殿。頂上から眺める360度の緑の大海原は素晴らしい。4号神殿から見た朝霧は最高だそうなので、翌朝に挑戦。
 暗いうちから4号神殿に行く。周囲は霧に被われていた。待つこと1時間、朝日が昇り、素晴らしい風景が見えました。

●ポルトガル
 16世紀の大航海時代に活躍。リスボンは今でも歴史の面影を残し、世界で最も美しい町と言われた。内山理名さんが訪れた。春先の一瞬に訪れる幻の夕景を見る。リスボンの夕景は絶景だという。
 テージョ川にのぞむベレンは歴史地区。ヨーロッパ建築の最高傑作という世界遺産ジェロニモス修道院。建築当時、ヨーロッパ一壮大にして華麗と言われた。巨大な建築資金はバスコ・ダ・ガマによるインド航路によって得られた莫大な富だった。入場料4.5ユーロ。柱一つ一つにこの国の偉大なる歴史が刻みこまれている。中庭の回廊が織り成す光と影のシンフォニー。
 ベレンの塔も世界遺産。要塞として建てられた。長く辛い航海を終えた船乗りたちに、この美しすぎる姿は聖母マリアの化身にも見えたという。
 市内でカステラと宿を経営する智子ドゥアルテさん(43歳)を訪ねた。ご主人はパウロさん(37歳)。この店の自慢のカステラ1ユーロを食べさせていただいた。隣の建物の6階が宿で、築200年らしい。階段は壊れやすいらしいので、気をつけてと言われていました。部屋の中はきれいです。2003年オープンで、1日1組限定。1人1泊40ユーロ。2人60ユーロ。2泊以上の連泊が必要。アズレージョ(ポルトガル独特の装飾タイル)もある。智子さんは京都育ちで、22歳でお菓子作りにポルトガルに渡り、パウロさんと出会う。87年に結婚し、日本に帰国。パウロさんは96年に長崎の「松翁軒」でカステラ作りを学びポルトガルに帰った。
 南部の小さな港町セトゥーパルに行く。写真家のペードロ・ナーラさんが船でローズ・フラミンゴを見るのにサド川の上流に連れて行ってくれた。非常に用心深いのでなかなか見ることはできない。1時間後に中州が見えてきたが、そこに200羽以上いた。突然全部飛び立ちました。
 翌日、国鉄ローマ・アレエイロ駅からシントラ駅まで1.55ユーロ(220円)、所要時間40分。シントラは童話のアンデルセンがこよなく愛したおとぎの国。1995年に世界遺産に登録。ムーアの城跡は入場料3.5ユーロ。シントラの町がきれいに見えました。次にロカ岬に行きました。
 さらに智子さんとリスボン市内の市場に行きました。智子ドゥアルテのポルトガル料理ツアーは、料金が1人100ユーロで、火曜〜金曜に実施。リベイラ市場は整然としています。ピーマンもでかい。食材を買うとコリアンダーなどのハーブはプレゼントしてくれるそうです。自宅で料理を作ります。おいしくいただきました。自宅の近くではカステラ工房があります。
 春先のリスボンは朝に雨になると素晴らしい夕景になるといわれている。市電28番線(1.2ユーロ)に乗りサン・ジョルジェ城に向かう。入場料3ユーロ。大西洋に沈む夕陽と黄金色に輝く町が同時に見られる場所。すごくきれいでした。鐘の音も聞こえていい感じでした。海から眺める景色もさらにきれいでした。


テレビ番組「NOBUNAGA信長もう一つの顔」

 2005年2月19日放送。大塚寧々さんが案内。テレビ大阪製作。

●織田信長
 1534−1582年に生き、150年続いた戦乱の世を終わらせるはずだった。脚本家の横田与志氏はもう一つ別の顔があったと考えた。信長と宣教師の関係を考え、世界史の中での日本と信長を考えた。信長は日本が植民地化されてしまうのではないかと考えて、最終的にはそれを阻止したという。

●ポルトガル
 今は人口は1032万人、15、6世紀頃は世界中に航海して出ていき繁栄を誇ったが、今でもブラジルなどの8カ国がポルトガル語を公用語としており世界に2億人。16世紀の大航海時代には人口は150万人、背中にはスペインという大国を抱えていて、海に出ていく以外選択はなかった。リスボンは「よい港」という意味。テージェ川の河口に位置し、ここから大航海へ出ていった。
 リスボンのアルファマ地区。アルファマとはアラビア語で「水が湧く場所」という意味。今でも水が出ているが、道が狭くて曲がりくねって坂道が多い。
 世界遺産「ベレンの塔」は、大航海時代の象徴。建設当時は土台は海の中に建てられていた5階建の塔。
 「パウロのカステラ」のパウロ・ドゥアルテさんは長崎で3ヶ月カステラを勉強してきた。今の日本のカステラはポルトガルにはない。こちらではパウン・ド・ローと呼ぶが、別の品でシフォンケーキみたいです。
 船長ヴィトル・サントスさんが自分の一番好きな風景を見せてくれるというので連れて行ってもらった。川から見ると広場がきれいで、サン・ジョルジュ城が特徴のように思えました。クリスマス・シーズンに訪れたのだが、夜はイルミネーションがきれいでした。
 テージェ川は川幅は17kmとなり、リスボン市内に入ると狭くなり、河口では広くなっていた。琵琶湖のような感じにも思えますし、バスコダガマ橋はかなり長いようです。

 エンリケ航海王子(1395−1460年)はポルトガル人の誇り。当時の航海技術では地中海沿岸を航海するのが精一杯だった。彼が3本の帆を持つカラベラ船を考案し、大航海が可能となった。
 コインブラ大学のアルフレッド・マルケス教授に当時の日本が年を経て世界地図にどう現れていったかを見せてもらった。1511年には三角形の島、1554年では朝鮮半島の延長にあり、1570年で本来の形に近づいた。
 1960年にエンリケ航海王子の500回忌で作られた像「発見の記念碑」を見た。ポルトガル人はこの像を誇りに思っている。先頭にいるのがエンリケ航海王子、彼の後ろにはバスコダガマ、ザビエルらが並んでいる。モニュメントのすぐ下には、ポルトガルが中心で各地がいつ発見されたかを示す地図があるが、日本は1541年となっていた。
 この時代、日本では信長はまだ10歳だった。

●鉄砲
 リスボンの軍事博物館に1543年に日本に伝来した鉄砲と同じものが保存してある。日本に来た一人のメンデス・ピントは「東方遍歴記」を書いた。子孫がリスボンの北200kmモンテモール・オ・ベーリョに住んでいるので、逢いに行った。12世紀から発展した古城の町で、城壁は現存するものでは最大級。町の中心には鉄砲伝来にちなんで「種子島通り」があった。
 子孫のルイス・オリベイラさん宅で、メンデス・ピントの話を聞いた。彼は日本に魅了されたという。古くからあるポルトガルの伝統料理「アロース・デ・フェイジャォン」(豆のリゾット)、「エンギーアス・フリッタス」(うなぎの唐揚げ:こぶりのウナギをねじって唐揚げにしてある)、「パタニスカス」(タラの天ぷら)をいただいた。イザベルさんに作ってもらった、500年前から伝わる茶色のデザートは甘くておいしかったそうですが、豚の血でできている。
 「東方遍歴記」には「鉄砲を見た日本人はすごくそれを気に入り、訪問した5ヶ月後には600丁の鉄砲ができていた。」と書かれている。堺は火薬の原料を輸入し、商人たちは裕福になっていった。
 長篠の戦(1575年)では鉄砲の一斉射撃を信長は使用したが、西洋でも一斉射撃を行なうようになったのは、18世紀のナポレオンからだった。
 やはり信長は発想が柔軟だったからできたのであろう。

●スペインとポルトガルの覇権
 大航海時代に覇権を争ったのはポルトガルのジョアン2世とスペインのイザベラ女王。コロンブスも最初はポルトガルから出ようとしたが、うまくいかず、スペインの協力で成功した。当時は発見した者がその領土を治めるということになっていた。スペインとポルトガルは新しく発見した地の領土争いをするようになった。1494年ローマ法皇はトリデシリャス条約を締結させ、西緯46度30分を境にして領土を分けさせ、新たに発見したところの東はポルトガル、西はスペインに領土を与えるようにした。
 当時香辛料はイスラム勢力に独占され、法外な値段をつけられていた。ポルトガルはキリスト教の布教と香辛料の獲得という2つのテーマで東方へ進出した。バスコダガマらの努力で1506年に香辛料を独占した。ポルトガルは東に向かい、スペインは西に向かった。さらにポルトガルは日本に銀を求めた。

 リスボンのベレン地区には大航海時代の建物が数多く残されている。その代表が、世界遺産の「聖ジェロニモス修道院」で、エンリケ航海王とバスコダガマを記念して1502年に作られた。バスコ・ダ・ガマの柩も置かれている。
 大礼拝堂の奥で輝く「銀の聖櫃」は彼らが集めた銀で作られたという。スペインは当時世界の3分の1を占める銀の産出国メキシコを手に入れた。ポルトガルはもう一つの世界の3分の1の銀を持つジパングを目指した。当時の地図には石見銀山も示されている。石見銀山だけで当時の世界の15分の1の生産量だった。

●エヴォラ
 1534年設立のイエズス会のポルトガルの拠点はエボラだった。エボラはかつてはポルトガルの首都があった。まわりは城壁で囲まれている。エボラ観光協会のマリア・レイスさんが街を案内してくれた。アウグスツスに捧げられた2000年前のディアナ神殿などのローマ帝国時代の遺跡もたくさん残っている。家の壁を白く塗るのはムーア人の影響だという。エヴォラ・セ大聖堂はロマネスクとゴシック様式が混じっていて、入口には12使徒像がある。大聖堂は12世紀のもので、16世紀の日本からの4人の天正少年使節団がここに寄ったという記録もある。その時演奏したパイプオルガンも現存する。今はラファエロさんしか弾けないので、弾いてもらった。
 天正少年使節団は豪華な屏風を持参していたという。エヴォラ市立図書館で書状が発見された。屏風は見つかっていない。

 マリアさんの話では、天ぷら、カステラ、ビロードなどは日本語になったが、屏風はビヨンボと言う。オブリガードを何度も早口で言うと「ありがとう」って聞けないこともない。

 エヴォラ大学の一部の建物はイエズス会の神学校だった。回廊は「学生の回廊」と呼ばれていて、シンプルで落ち着いた感じ。当時はここで日本のことを学んでから宣教師たちは日本に向かった。

●ポルトガルの戦略
 聖フランシスコ・ザビエル神父は1549年来日。リスボン国立図書館にはフランシスコ・ザビエルのサインの入った報告書がある。日本人は武器をいつも携帯し、好戦的だとありました。
 トリデシリャス条約(スペインとポルトガルの間)では宣教師を必ず連れて行くことになっていた。宣教師はスパイや外交官の役も行なっていた。ポルトガルは1553年マカオを取得し、東に向かった。当時の日本は混乱期で、ポルトガルはチャンスだと思っていた。そういう顔に当時の戦国大名たちは気付いていなかったが、信長は気付いていた。

●織田信長
 尾張の地は川が流通の中心だった。斉藤道三が稲葉山で行なっていた楽市を見て、世の中は武士ではなく、お金が支配すると理解していた。
 18歳で家督を相続、1559年尾張を統一、60年桶狭間で今川義元を撃破(27歳)、67年美濃を平定し、稲葉山城を岐阜城とした。68年上洛(35歳)。
 1569年ルイス・フロイスが信長に会い、書簡を本国に送ったものが残っていた。献上品をたくさん持参したが、ビロードの帽子だけを受け取ったが、一言も口をきかなかった。遠くから来た異国人とどう対処したらいいかわからなかった、一人で話をすると改宗したのかと思われるし、一つも受け取らないと失礼だと思ったかららしい。九州の大名は自分たちの利益のためにポルトガルを受け入れたが、信長は違った。69年二条城の改築を信長は2ヶ月半で行なった。そこでフロイスと二度目の会見を行なった。フロイスは長い道のりを布教のために来たと伝えたら、信長は非常に満足し、都での布教の許可をもらった。
 1572年に南蛮寺が完成した。このお寺は今はなく、妙心寺春光院にはIHSの文字があるイエズス会の鐘が残されている。信長は、巨大な仏教勢力(石山本願寺、比叡山延暦寺など)への対抗、九州のキリシタン大名への布石(毛利を挟み撃ちするための戦略)、南蛮の新しい文化の取得(及び日本の工員の技術向上)、海軍力の増強(ポルトガルの海軍力の取り込み)が目的だったのだろうと思われる。しかし、何故遠い距離を危険を冒してくるのかという点で、裏にある考えを信長は悟ったのではないだろうか。
 信長はフロイス達にポルトガルのことをよく聞いた。今までの日本とは違う国家を建設することを考えていたのではないだろうか。今、日本を統一しなければ、海外の国に日本が奪われてしまうと思ったのではないだろうか。

 リスボン新大学のコスタ教授は信長を研究している。この書簡を受け取ったポルトガルはどう考えたかを聞いてみた。信長は天下を統一しつつあり、都での布教を許可してくれたから宣教師たちは喜んだと思われる。ルイス・フロイスは信長が統一するというので、ポルトガルは日本はキリスト教に改宗すると思ったようだ。

 1579年に安土山にヨーロッパ人から見ても驚くべき城を完成させた。シャルル・ボアが姿を描いていたが、石垣を含めた高さが47mの天守閣で、内部には龍、さらには釈迦のいろいろな絵などが描かれていた。最上階の自分の居場所には、中国の聖人たちの絵を描かせていた。
 大塚さんがリスボンに来て以来、気になっていたのは、テージェ川と山の上にあるサン・ジョルジェ城の関係だった。これは琵琶湖と安土城の関係と同じではないか?信長はリスボンの地を真似たのではないだろうか。リスボンで生まれたフロイスをさえ驚かせた安土はすごかったのでしょう。しかし、神や仏を超えた存在を目指していたのかもしれない。
 1581年、安土にセミナリヨを開いた。信長にとってセミナリヨは異国の文化を吸収する場でもあった。宣教師はいつかは信長もキリシタンになってくれるものと思っていたが、信長はフロイスを呼んで神も仏もイエスも信じないと告げた。この日を境に、フロイスの信長に対する文章が変わった。
 信長はほぼ日本の統一が終わった。これ以上宣教師を自由にしていたら、日本が占領されてしまうと思ったのかもしれない。
 1577年スペインがフィリピンのルソン島を占領。さらに1580年スペインがポルトガルを併合してしまった。

 イエスズ会巡察士?アレッサンドロ・ヴァリニャーノが信長に1581年に出会った。1581年京都で天皇の臨席のもとに馬揃えを強行した。ローマ法皇からもらったイスを先頭に持たせた。これは日本の君主は自分だと思わせるためだったのかもしれない。信長は海外列強に手を出させないようにしようとしていたようだ。信長の態度から、ポルトガルは日本を植民地化できないと判断した。バリニャーノ神父は「日本人は大変高貴で、好戦的なので植民地化できない。」と本国へ書簡を送った。

 1582年本能寺の変で信長は討たれた。死の5ヶ月前に天正少年使節団をローマに派遣した。彼らには安土城の屏風を持たせた。ヨーロッパの国にも負けない安土城を見せようとしたと思われる。1585年3月23日に使節団は法皇に謁見し、法皇は涙したという。

 「ここに地果て、海はじまる」カモンエスの言葉が大西洋に向かって立っている。大航海時代のポルトガルはここから出ていったのです。


テレビ番組「旅サラダ」2003年9月は川上麻衣子さんでポルトガル

 英国航空で行ったらしい。

●リスボン Lisboa
 人口60万人。「発見のモニュメント」は15世紀から16世紀の大航海 時代を記念してのモニュメント。フランシスコ・ザビエル、マゼラン、バス コ・ダ・ガマなどがいる。下を見ると、そこの広場は地面が世界地図になっ ている。日本には1541年と書いてある。初めて日本に到着した年。
 16世紀初めに舟の出入りを監視するためにできたのが、ベルンの塔で世 界遺産。入場料3ユーロ。地球は丸いというのを証明したポルトガル人が地 球をイメージしたものが多くある。ポルトガル独特のマヌエル様式の彫像な どが多い。
 同じ頃建てられたのがジェロニモス修道院。近くに行くとその大きさに圧 倒される。大航海時代に船出を前にした人々が訪れた聖堂。2ヶ所ほど、手 の装飾があるが、「もう一度帰って来れますように」というので触っていた 部分は輝いている。内部の回廊もすごくて、石にびっしり彫刻が施されてい る。

 修道院の近くにあるおいしいお菓子の店パスティス・デ・ベレン Pasteis de Belem 。カスタードクリームたっぷりのエッグ・タルトは1日30万個 売れているという。0.75ユーロ。本場ではシナモンと粉砂糖をかけてい ただく。作り方はジェロニモス修道院の秘密のレシピで、3人のみ知ってい るという。お菓子というよりも軽食という感じらしい。

 近くに国立馬車博物館がある。17−18世紀のものを中心に60ほどあ る。18世紀のポルトガル大使がローマ法王に会うために作ったというイタ リアの馬車の装飾に感動。優雅な時代の気分に浸れる博物館でした。

 アウグスタ通りは歩行者天国になっていて、賑わっている。リスボンは7 つの丘の町と言われるくらいに丘が多い。路面電車は小さいが観光客にも人 気。1ユーロ。1枚330円で乗り放題のチケットもある。狭い道を通って いくが、20cm横は建物っていう感じのところも通る。100年以上前か ら走っている。洗濯物も外に干していて、外を歩いていると水滴がポタポタ 落ちてくるとか(笑)

 アルファマ地区は18世紀頃の大地震の影響を受けなかったので、昔の情 緒が残っている。時間がゆったり流れている。道に果物が置いてあって売っ ていたり、魚を売っていた。太刀魚、あんこう、鯛みたいなものもある。

 オ・メルカド・ド・ペイシェ(炭火焼レストラン)O Mercado do Peixeで 昼食をいただいた。レストランの真中に食材が置いてあって、指さしで注文 する。今回はイワシの炭火焼き9ユーロ、カラビネイロ海老18.7ユーロ で、つけあわせが非常に多い。
http://www.mercado-do-peixe.pt

 ペスタナ・カールトン・パレス・ホテル Pestana Carlton Palace Hotel で、貴族の館を改造して、2年前にできた5つ星ホテル。東洋の間、日本の 間とかもある美術館みたいなホテル。190室ある客室のほとんどは新しい 建物の中にある。ガーデン・ビュー・ルームで380ユーロ。
http://www.pestana.com

 夜はファドをオ・フォルカド O Forcado という店に聞きに行った。入口の 上には、Restaurante Tipico -Fados- Folclore と書いてありました。料理 や飲み物などで15ユーロ〜以上であれば、音楽を聴くのは無料。ファドは マイクを使わないで2本のギターをバックに歌う悲しい歌。


●アレンテージョ地方・モンサラーズ
 リスボンの東の田園地帯。ひまわりがきれいに咲いている。ぶどう畑もあ り農業が盛ん。モンサラーズはこの地方で最も美しい村の一つ。城壁をくぐ ると石畳と白い壁が続く。丘の上にたち、観光客も少なくて絵のように可愛 い村。闘牛の牛が周辺にいる。

●サン・ペドロ・ド・コルバル村 Sao Pedro do Corval
 田園風景を描いた陶器で有名な村で、モンサラーズの近くにある。カラフ ルな絵柄があるのは、陶器の店「オラリア・ジョゼカルタッショ Olaria Jose Cartaxo 」。小さいのが350−500円。工房もある。

●アレンテージョ地方
 風変わりな木が多い。幹の色が変わっている。コルクの木でした。 9年に1度皮を剥いでいる。コルクの生産高はポルトガルは世界一。収穫が 終わった木には3という印をつける。
 素焼きのポットを温める。アジの丸焼き、壷の中身は野菜、お肉、ソーセ ージの煮物。赤ワインをみんな飲みながらお昼を食べている(笑)

●アレンテージョ地方エヴォラ Evora
 リスボンから車で1時間半のこの地方の中心都市。旧市街が世界遺産。大 聖堂は12−13世紀に建造。ディアナ神殿は紀元1世紀のもの。水道橋は 16世紀のもの。橋の脚の間に家が建っている。主な観光地はだいたい1日 で歩いて回れる。ノッサ・セニョーラ・ダ・グラサ教会は16世紀のルネッ サンス様式の建物。
 コルク製品をたくさん売っている。11.5ユーロのすくうもの。氷入れ は41,5ユーロ。鍋敷き7.5ユーロ。
 真っ白な建物以外に、黄色い窓枠の家もあることに気がついた。黄色は権 力の象徴らしい。
 エヴォラ講演には孔雀がいた。

●アレンテージョ地方アライオロス Arraiolos
 エヴォラから車で30分。白い壁だけど、青い色が使用されている爽やか な壁の町。青い色には魔よけの意味がある。暑い地方で壁を白くするのは、 日光の反射を防いでいるため。
 絨毯の店「カリファ Kalifa 」はかなり古い建物。全てこの街で作られた 絨毯。動物や十字架をモチーフにしてあり、700−1400ユーロとかの が紹介された。裏には工房があって見学できる。全て手作りで1枚4人で1 ヶ月半かかるとか!
kalifa@mail.telepac.pt

 宿泊は「ポサーダ・デ・ノッサ・セニョーラ・ダ・アスンサオ Pousada de Arraiolos 」で、きれいな18世紀に建てられた教会。青と白のタイル がきれいで、アズレージョと呼ばれる。そこ以外は新しくホテルとしてい て、ポサーダとは国営ホテルという意味。広くてきれいな部屋で平日は 161ユーロ、週末は181ユーロ。あたりはとても静かで家がない。
http://www.pousadas.pt/


●モンサント Monsanto
 スペインとの国境に近い村。一番ポルトガルらしい村と言われている。ま わりにある岩を利用している建物なので、環境と調和している。ぶどう棚が あるところが玄関になっているところが多い。1938年に行なわれた、「 最もポルトガルらしい村コンテスト」で優勝した。そのトロフィーを真似た 雄鶏を教会の塔の上に飾っている。
 聖なる山の頂上に上ってみた。村のオレンジ色?のような屋根が見える。 ホテルは「ポウザーダ・デ・モンサント」1軒。平日92ユーロ、週末10 2ユーロ。
http://www.pousadas.com/
 夕暮れになるともっと美しく輝く。村人が出てきて、夕陽がきれい。

●ブサコ
 車で西に3時間。森の中のお城を改造したホテル「パレス・ホテル・ド・ ブサコ」に宿泊。最後の王様が狩猟のために100年くらい前に建てたお城 で、柱の装飾も細かい。中も茶色で素敵。宿泊客の半分は外国から。全体の 1割が日本かららしい。平日180ユーロ、週末210ユーロ。周囲の森を 歩くハイキングコースもある。
 地下はワインセラー。バーやレストランでだけでいただける。夕食は野鳥 のコンソメ、タラの揚げ物2種、ワインは1964年の赤105ユーロをい ただいた(生まれた年)。鹿肉の胡椒ソース。コース料理は40ユーロ。
http://www.almeidahotels.com/

●アヴェイロ
 中部の町。ポルトガルのベネチアと呼ばれる運河の街。市庁舎や駅もいい 感じ。白地に青のタイルがきれい。首都リスボンには特急で2時間半。名物 のお菓子のお店「オーボス・モーレス・デ・アヴェイロ Ovos Moles de Aveiro」に行ってみた。最中みたいなお菓子で、卵の黄身と砂糖を煮詰めた クリームを小麦粉と水だけで作った型に入れて、シロップでつやだしする。 オーボス・モーレスというのは「柔らかい卵」という意味。250g入りで 3.75ユーロ。
 ゴンドラに似ているがもう少し大きいモリセイロ船に乗って市内クルーズ 。1時間で5ユーロ。この船で昔は海草を採っていた。

 「コスタ・ノーヴァ」というビーチに出てみた。きれいなビーチ。子供が 多い。3月〜9月に賑わう。別荘地としても人気。赤や青のストライプの模 様の別荘が多い。とっても変わっています。
 レストラン「ア・プライア・ド・トゥバラン A Praia do Tubarao」で 昼食。にんにくとコリアンダー、オリーブオイルを使った「アサリの白ワイ ン蒸し」15ユーロ。

●ロカ岬
 ヨーロッパで一番西の岬。さえぎるものがないので、腰がひけてしまう。 断崖です。冬では霧で全く景色が見えないことも多いらしい。


●ポルト
 飛行機でリスボンから45分。古い名前、ポルティスカレン(カレンの港 )からポルトガルという名前ができたらしい。大航海時代に商工業の中心地 として発展した。サンタ・カタリーナ通りは活気がある。
 サン・フランシスコ教会は14世紀の建物で、200kgの金を使ってい て、荘厳かつ華麗。木彫りの彫刻の上に金を塗った装飾は17−18世紀に 付け加えられたもの。キリストの家系を木で表した彫刻「ジェセの家系樹」 もその頃作られた。豊かなポルトの商人が作り上げていったもの。入場料3 ユーロ。
 ボルサ宮は教会の隣にある。19世紀に作られた商工会議所。宮殿のよう な建物で、ポルトの資金力がわかる。「アラブの間」も金と装飾が豪華。今 ではコンサートなどが開催されている。入場料5ユーロ。

 宿泊はペスタナ・ポルト・カールトン・ホテル。2000年にオープンし たホテルで、世界遺産の旧市街にあり、川沿いの一角の11軒の建物を内部 で連結したもの。外から見るとカラフル。スーペリオル・ツインで149 ユーロ。目の前が川。48室でいずれも部屋が違う。建物は16−18世紀 の建築だそうです。
http://www.pestana.com/

 ホテルの対岸はヴィラ・ノヴァ・デ・ガイア地区でポルトー・ワインの蔵 が60軒近くも並ぶ。ほとんどの蔵元で内部の見学と試飲ができる。カレン を訪問した。ポルトーワインは途中でブランデーを入れて発酵を止めて作る アルコール度の高く甘いもの。5年物赤で7ユーロ。食前や食後に少し飲む もの。実は僕は非常に好きです(爆)見学と試飲は無料です!
http://www.calem.pt/

 トリペイロ Tripeiro というレストランで食事。前菜盛り合わせは4人前 で16ユーロ。タコのマリネ?小魚のフライ、腸詰など。カルドベルデ(ポ ルトガルキャベツのスープ)1.5ユーロ(ほうれん草みたいな感じ)。シ ーフード雑炊(2人前)40ユーロには伊勢海老が1kg入っている!日本 人好みの味付けだとか。タコ飯付きタコの天婦羅13ユーロ。デザートは パン・デ・ロー、日本に伝わってカステラになったオリジナル。
http://www.restaurantetripeiro.com/

●ドウロ川の上流
 ポルトを流れる川の上流で、ポルトワインのぶどう畑が続く。世界文化遺 産。かつてワインを運んだラベール船を模した船でクルーズができる。ドウ ロ川クルーズは一人18ユーロ。目の前にダム!しかし右側で運河のように 船があがる。1週間かけてスペインに行く船もあるという。2時間後にピニ ャオンで下船した。

●ピニャオン pinhao
 船着場の正面にワイン畑のオーナーのお屋敷を改造したビンテージ・ハウ ス・ホテル Vintage House Hotel がある。18世紀の建築。43室の客室 は全てriver view。ツインルームで155ユーロ。9月末に行くとブドウの 収穫が見られるとか。
http://www.hotelvintagehouse.com/

●ブラガ Braga
 ポルトから車で1時間、ポルトガル一の宗教都市。歴代の大司教が数多く ブラガを拠点にしていたため。大聖堂、コインブラス礼拝堂、サンマルコス 教会病院、サンタ・クルス教会など美しい建物が多い。中でも多くの人が訪 れるのが森の中のボン・ジェズス教会。教会へと続く美しい階段は18世紀 のバロック様式。五感の階段には、視覚の泉、聴覚の泉、臭覚の泉、味覚の 泉、触覚の泉がある。下りは水力式ケーブルカーで降りる。水の重さで降り る。片側はその重さで上に上がるという仕組み。片道1ユーロ。

●バルセロス Barcelos
 さらに30分行ったところにある小さな街。陶器などの素朴な工芸品があ る。バルセロス工芸センターでは、運がよければ、実際に作っているところ を見ることができる。靴屋さんの小さな人形37ユーロ、魚屋さん19ユー ロなどがある。
 毎週木曜日の青空市「木曜市」でも有名。果物が安い!ぶどう1kg1 ユーロ。スパイス入りチーズ100g2.5ユーロ。


テレビ番組「道浪漫」2003年9月21日は渡辺美里さんでポルトガル

●モンサラーシュ
 山の上の城壁に囲まれた街。ポルトガルで最も美しい村のひとつ。闘牛場 は13世紀に建てられたお城の広場。白い壁と石畳がとてもきれい。夏を暑 さを避けるために白く塗ってある。ムチで打つという意味のシコット、手の 動きが似ているというので、シコット織りという毛織物を作るミゼッテ・ネ ルソンさんが織るのを眺め、渡辺さんも挑戦した。これでマンタスを織る。
 農業が盛んな地域でもある。9月はブドウの取り入れの季節。今年は最高 にいいとか。ポルトガルで1番のワインになるという。お家の玄関先の月桂 樹はワインを造っているという印。今でも一番できのいいぶどうは足で踏ん で自分たち用に作っている。
 スペインとの国境の町。戦略的に重要なので、高台に作られた。

●モンサント
 自然の巨大な岩と暮す珍しい集落がある。岩にしがみつくように石作りの 建物が続く村。岩を屋根や壁に利用している、岩の芸術の村。2つの大きな 岩の間にぶどうを作って、そこに玄関のある家もある。紀元前からあるそう です。岩の家は夏が涼しく、冬は暖かいそうです。
 ある家に行って、パン作りを見て、手伝った。村の下にある共同のパン焼 き釜で、弱火で1時間焼いた。ガゼーロと呼ばれるパン。
 食堂の2階に泊めてもらった。眺めが素晴らしい。食堂の女将さんがお米 のお菓子を作ってくれた。レモンの皮と塩でお米を炊き、牛乳をたっぷり加 え、とろみが出てきたら黄身を加えて、冷たく冷やして「スウィート・ライ ス」のできあがり。これにシナモンをかけて食べる。
 この食堂「オ・クルゼイロ」はtel:351-277-314528

●エヴォラ
 城壁で囲まれた街全体が博物館のような街で、世界遺産。ローマ時代、中 世、現代とそれぞれの時代の建造物がある。カテドラル(大聖堂)は荘厳で した。1584年にエヴォラを訪れた天正遣欧少年使節も聴いたはず。50 0年前のパイプオルガンにはいろいろな工夫がある。渡辺さんも弾かせても らった。
 さらに世界でも有名なのは、サンフランシスコ教会の人骨堂。5000体 もの信者の人骨で壁や柱が埋め尽くされている。

●ナザレ
 あじの開きが干してあった。こちらではじゃがいもなどと一緒に煮込んで 食べるそうです。イワシの炭火焼きもしていた。大粒の塩をかけて焼いてい る。パンにはさんで食べる。
 古くからの漁師町で、こちらの料理をご馳走になった。あんこうのリゾッ ト。野菜と唐辛子を切り、たっぷりのオリーブオイルと白ワインを加えて煮 込む。煮汁がさらさらになったら、お米を加える。焚きあがる直前に煮汁で 茹でておいたあんこう、エビ、貝などを鍋に戻す。最後にコリアンダーを加 える。ブイヤベースに似た感じ。マヌエルさんに感謝。


テレビ番組「道浪漫」9月30日、10月7日は川井郁子さんで北ポルトガル

 サウダーデとは懐かしさ、悲しみ、寂しさ、孤独、などを表す言葉。それ を感じて曲を作る旅。

●ポルト
 11世紀イスラム教徒から奪い返したポルトカリア伯爵の領地が国の起源 となった。町の南を流れるドウロ川。その南のヴィラ・ノヴァ・デ・ガイア はワインセラーが軒を連ねている。その中でも最も古いセラーのひとつ テイラー。ブランデーを途中で混ぜるので、発酵が止まり、そのために糖分 が残って甘い。テイラーはそのトップブランド(1692年創業)で見学と試飲は 無料。
 チップ・デライ・ポルト(5年熟成)、10イヤー・オールド・トーニー (10年熟成)、20イヤー・オールド・トーニー(20年熟成)を試す。
 もう一つの老舗 Calem カレム。社長に案内してもらった。熟成が進むと 色が薄くなっていってデリケートでエレガントになるらしい。
 ドウロ川に並ぶレベーロと呼ばれる帆船に乗ってみた。ポルト歴史地区は 世界遺産で12〜18世紀の建物が集まっている。その中心はゴシック様式 のサンフランシスコ教会。外はくすんでいるが、内部は豪華。「ジェッセの 樹」なども有名。
 ポルサ宮は「法廷の間」、「黄金の間」、「アラブの間」など当時の栄華 がしのばれる。入場料、大人750エスクード(450円)。アラブの間はアルハン ブラ宮殿を真似て造った。

●ブラダ近郊
 ポルトの北100km。キリスト教の聖地がある。日本人はほとんど来な いが、岡の上の教会に緩やかな階段が続くボン・ジェズス。荘厳の中に優し さがあり、宮殿の庭のようなイメージ。高さ400m。ケーブルカーもある が、水を使って上り下りしている。ここの坂は目の錯覚で、車を止めると上 に上がっていくように見える。
 プラガリベルダー大通りからバスで約15分。ケーブルカー片道120エスク ード(70円)。

●ラパ教会
 さらに北に向かうところにある。岩でできている教会。400年前に岩の 下に突如女神像が出現したのが、この教会のできた由来らしい。

●ブラガ
 中世から近世までポルトガルの宗教の中心だった街。人口あたりの教会数 がポルトガル1らしい。川井さんは天使の置物を集めているので購入。
 初代アフォンソ1世により建立されたカテドラルが中心。1時間毎に街中 に鐘の音が鳴り響く。

●シャヴェス
 16世紀の砦と修道院を改装したというユニークなホテル「フォルテ・デ ・サン・フランシスコ・ホテル」。19世紀にはナポレオン軍が駐留したと いう。今ではプールもある。レストランはかつての牢獄の場所。生ハムは、 荒塩で洗うだけらしい。Boticas の「死人のワイン」はこのハムと相性がい いらしい。1泊シングル17000エスクード〜(10000円〜)。
 ローマ時代から栄えてきた歴史ある町。偶然足を止めたミゼルコルディア 教会に入る。壁一面がアズレージョと呼ばれる美しい装飾タイル。ところど ころ欠けているのがリアル。ここでバイオリンを弾いてみた。この時スタッ フは鳥肌が立つほど感動したらしい。

●ヴェンダ・ノーヴァ村
 民謡の祭りがあった。村毎に自慢の衣装、歌、踊りがある。夜9時から始 まった。素朴なので余計に感動的。蓑のようなレインコートもあった。

●ボティッカス村とアルドシス村
 時の流れに取り残されたアルドシス村。行く途中にローマ橋がある。いた るところにローマ街道がある。「死人のワイン」とは土に埋めるからできた 名前らしい。ナポレオンからワインを守るために土に埋めたのが始まりらし い。発砲性のワイン。今作っているのは村人2人だけ!今しか飲めないかも しれない。
 別のところに道ができたのでさびれていった村がアルドシス村。1階が 家畜小屋と倉庫、2階が住居。馬とかに乗っている。村の中央には石造りの 建物。共同のパン焼き小屋らしい。パンが焼けるまで外で待っている。3時 間でできた。パンと自家製の生ハムと自家製のワインで食べる。

●ギマランエス
 アフォンソ・エンリケスが12世紀イスラム勢力からこの地を取り戻し、 初代国王となった。その首都でもあった。15世紀に建てられたブラガンサ 公爵館には当時の貴族の栄華が感じられる。今は政府の所有となり国賓の 接待に使われている。10:00-12:30 14:00-17:30 に公開。日曜日の午前中 は無料だが、大人600エクスード(約360円)。

●リスボン
 アルファマ地区。ファドが夜ともなるとどこからともなく聞こえてくる。 アマリア・ロドリゲスの妹セレステ・ロドリゲスさんの歌を聞く。お返しに 「宵待草」を演奏した。心で感じるファドだと言ってもらった。
 ジェロニモス修道院は月曜休館。大人600エスクード(360円)。日曜 日は2時まで無料。
 日本に帰るその朝、曲ができた。


テレビ番組「大使の国のたからもの」2000年7月31日、8月6日、13日はポルトガル

 ファド。サウダーデという美しい言葉を詩にする。サウダーデとは日本語でいうと「なつかしさ」というのに近いとか。思い焦がれる気持ちだそうです。でも最近のファドは悲しみとかの題材が減っているようです。また、ある人の意見では、サウダーデとは誰かの不在や別れなどを意味する言葉で、「隔たり」と深く結びついているとか。
 ポルトガルは日本の4分の1の大きさでしかない。

●リスボン
 7つの丘に囲まれた街と言われ、坂が多く、ケーブルカーが欠かせない。その横を歩く人も多い。昔から貿易商・漁師・航海士が訪れていて、昔から国際化していた街である。
 15世紀の大航海時代にはアジアまで行っていた。1543年には日本にも来た。「発見のモニュメント」という彫刻。エンリケ航海王子、バスコダガマ、マゼランなどから名もない船乗りたちまでが描かれている?当時の人口は300万人で世界に君臨していた。しかし、陸が弱くなり、スペインに70年間支配された。1755年の大地震でリスボンは大損害を受けた。そこでポンバル公爵がリスボンを蘇らせた。それで現在でもポンバル公爵広場があり、像が海を見ることができるような格好になっているようである。カルモ教会も地震の名残り?

 アルファマAlfama地区。地震の災害を逃れた旧市街地。そのために、入り組んだ道が迷路のようになっている。現在は漁師の街。魚を好んで食べる姿は東洋的な感じがする。
 この港町からファドが19世紀半ばに生まれた。喜び、悲しみ、愛情を歌ったサウダーデ。ファドとは「運命・宿命」という意味。やむなく海を渡らなくてはならなくなった人々の郷愁。「ファドとポルトガルギター博物館」がある。12弦のポルトガルギターは時の流れと共に失われつつあるという。円形である。ファドのギターの作り手は、この国にはもはや2人しかいない。一人はジルベルト・マルケス・グ ラシオさん。
 ファド・ハウス「ジョアン・ダ・プラサ」では男性がファドを歌っていて、ファド・ハウス「オ・フォルカード」では女性が悲しそうに歌っていた。

 ロカ岬。ここから大西洋を見渡していました。ホテルは Lapa Palace に泊まったようです。

●大西洋の真珠「マディラ島」
 ヨーロッパの人にとっては、楽園だとか。シェークスピアやコロンブスも好んだという。カナリヤ諸島じゃないの?とも思ったが、昨年9月の道浪漫のログを見てもマディラ島は出ていない。リスボンから飛行機で90分。南西1000キロの火山島。年間を通じて春のような気候。1420年にポルトガル人が到着し、ここを足がかりにしてアメリカ、アフリカ、アジアへと渡っていった。食料も豊富、ワインもおいしい。自然も素晴らしい島。山々、巨大な森、川。ローマ時代から知られていた島で purple island と呼ばれていた。
 フンシャルは中心地。観光施設が豊富で、港にはマリンスポーツを楽しむためのヨット。中心に立つ銅像はジョアン・ゴンザレス・ザルコ。エンリケ航海王子がザルコに命じて見出した島である。そして彼はここに町を作った。キンタ・ダス・クルーゼスに彼は住んでいた。今は一般に公開されている。砂糖?を買いに島に訪れたコロンブスはここで娘と結婚したという。
 独特のワイン。15世紀にクレタ島からもたらされたブドウの木から作られている。船に積んでいて、暑さとゆれにより酸化が進んだ。それにブランデーを入れ熟成した。独特のワイン。その風味は200年前のものでも、失われないという。
 ラブラドーレス市場を訪れた。ポルトガルで一番華やかな市場だと言われる。花も綺麗。花を売る女性は華やかな服を着ている。その奥には魚売場。黒太刀魚などの深海魚が名物。火山島なので、すぐ近くでも深い。野菜の色も鮮やかで種類も多い。カゴも特産品。柳細工だという。若い人が減っているが、みな明るく陽気。

 カマラ・デ・ロボスという漁師の村。マデイラ特有のカクテルがある。この店で生まれたというホンシェ?というカクテルは、ハチミツ・レモン・さとうきびの焼酎で作る。グラスに入れ、太い棒を入れてぐるぐるかき混ぜるという豪快なつくり。
 休日の過ごし方は、泳いだり、街の近くでも本格的な登山もできるし、トレッキングも人気。美しい植物園もある「永遠に春の島」である。料理も深海魚、ワイン。
 ジラン岬。580mの断崖が垂直に伸びる。海から山がいきなり切り立つような断崖。

●ポルト
 紀元前まで歴史をさかのぼるワインの街。商業の中心地。リスボンに次いで大きな都市。港を意味するポルトから街の名前は由来。イスラム勢力などからの国土回復運動があった街。入り組んだ路地、坂道の多い街。
 中心地の旧市街がある。バロック時代の建築物。1000年以上の大聖堂もある。サンタ・カタリーナ通りはゆるやかな坂道が続く繁華街である。アルマス教会は青い色と白い色で色どられている。イルデフォンソ教会もよく見ると青色が見える。2001年のヨーロッパ文化首都にロッテルダムと共に選ばれていて、いろいろなイベントを計画している。商業・現代古典芸術・演劇・建築・科学・哲学・文学などの文化を持つ街である。日本文化も紹介する予定だとか。
 サン・フランシスコ教会。14世紀初めに建てられた。天井・壁・柱のすべてにターリャドーリャータという金を使った彫刻がある。使われた金は200キロにも及ぶという。
 ボルサ宮。株式の宮殿といわれ、証券取引もされていた。アルハンブラ宮殿を模して18年かけて作られた。50年前まで裁判が行われていた皇帝の間?にかけてあるのはワインの絵画。

 ポートワインの工場。ドウロ川の向こう岸。ワインを運んだラ・ベーロという帆船は今は広告塔となっている。車や列車で運ぶため。シェリー、マデイラと並ぶ世界3大酒精強化ワインである。醗酵の途中でブランデーを加える。イギリス人に愛されてきた。アルコール度数19度。
 Ramos-Pinto 社。食前酒や食後酒にはいいとか。種類ではヴィンテージとトニーとは違う。トニーはデザートに合うワインでフルーティだとか。ワインは6000年の歴史がある。ワインを生産地で命名することを初めて決めたのは150年前のポルトガルである。
 ボリヤオン市場。泊まったのは Hotel Infante de Sagres らしい。


テレビ番組・水野真紀の「おかしなオカシなポルトガル」

 1999年4月放送。日本テレビ系。
 水野真紀と西村知美と野波麻帆がポルトガルへ,カステラなどの昔 日本に伝わったお菓子のルーツを求めて,旅をしていました。

 まず初日,西村知美は遅刻して1日遅れで成田を出ました。これは本当 に遅れた可能性が高い (^^;;

●リスボン
 リスボンについてカステラを見せたが誰も知らない。コンペイトウも 知らないようだ。そこで古くからお菓子を作っていたという修道院へ。 ジェロニモス修道院は世界遺産。ここへ路面電車で行く。紹介されたの がパスティス・デ・ベレン。知らない。だが,パスティス・デ・ナタと いうポルトガルで有名なお菓子をいただく。
 修道院の財政難から生まれたのがポルトガルのお菓子らしい。シナモ ンなどをふりかけて食べるのがリスボン風。
 ここで出会ったのがトモコ・ドゥアルテさん。ポルトガルから来て 長崎で修行をしていた旦那さんと結婚してから,カステラを広めるため にポルトガルへ来ている。カステラのルーツはパン・デ・ローではない かと言う。確かに作り方も味も近い。これが時代を経て形がかわって いったのではないだろうか,と推理する。サッパリした感じでパンみた いな味らしい。
 他にもケイジャータ,マルボーロ,ヒリョウズ,チーズタルトを試食。

●シーザ・パーク・ベ......ホテル(リーディングホテルのチェーン)
 ここの121号室へ宿泊。食事はタラやエビのコロッケから始まって, カルド・ベルデなど。魚介類のカタプラーナ(ポルトガルの南部の家庭 の味)は目の前で調理してくれる。味はあっさりしているらしい。
 夜はファドの店へ。

●サンタ・アポローニャ駅から北部の町ポルトへ
 昔のお菓子が残っているのはポルトガル北部だと言うので。3時間。 電車の中で,乗っている人からお菓子をもらう。で,それでその店を紹介 してもらう。

●ポルト
 サンタ・カタリーナ通りはカフェ,ブランド店が多い。ここのImperlo かな?Saldo de chd と書いてある店へ。マスターのジョルジュ・ロドリゲ スさんから3名は1時間の売り子を依頼されて,競争する。
 ポルトはワイン工場が多い。ほとんどの工場で観光客の見学OK。ワイン の試飲も可能。甘くて飲みやすいらしい。水野真紀は自分の誕生年という, 1970年作というのをもらった。
 ホテルはポザータ・デ・サンタ・マリーニャというホテル。ポザータとは 昔の貴族の屋敷を改造したホテルらしい。

●アマランテ
 ここはお菓子の町としてポルトガル中に有名。ポルトから車で1時間半。 人口は7000名。町を歩いていてボーロの似たものをもらう。また,男性 性器の形をしたお菓子も。これはサン・ゴンサーロ教会でサン・ゴンサーロ 祭りが毎年1月と6月に開催されていて,そこで縁結びとして市販されてい るものらしい。当然映像はぼやけていました (^^;;

 伝統的なお菓子は教会へ行って聞けというので,サン・ゴンサーロ 教会へ。神父に聞くと,修道院でつくられていた伝統的なお菓子をつくって いたおばあちゃんがいるという。そこはティノカというカフェで,究極の 伝統的なお菓子を作っていました。イルダ・バスさん。作ったのはカステラ 風。これに粉砂糖のシロップをかけたカバカ・アウタというお菓子でした。


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